#手提げ紙袋
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2泊3日の旅をした。旅先は台湾。あいにくの雨で到着した時には湿気が日本よりも帯びていて異国の地に着いたんだと肌でも理解せざるを得なかった。私にとって初めての海外だった。昔ここで言われた言葉が脳裏から離れていない。「海外に行けばいいのに。」それが少しでも報われた気がする。旅は恋人と一緒だった。夜の出発で飛行機が飛ぶまで緊張して怖くて不安でこっそり泣いた。到着すると日本語が少なくて緊張した。恋人は英語が話せたのである程度任せて宿泊先に向かった。途中見たことがない建物群にトキメキとワクワクを持って写真に収めた。スマホのシャッター音が鳴らなくて故障したのかと思った。
台湾に降りたって1日目。昼近くに目覚める。日本との時差は1時間なので時差ボケはなく、ただ日本だと+1時間なのか、と時計を見るたびに考えた。私は4時に寝た体を奮い立たせて、恋人と別行動をする準備をした。異国でわざわざ設けてもらったのは、現地に友人がいたから。4-5年前からゲームの繋がりでTwitterで仲良くしてくれてた友人。ホテル先で恋人と分かれ駅まで向かったんだけどあいにくわからなくなって迎えにきてもらった。彼女と会うのは今回が初めてだったけど、不思議と緊張もしなかった。彼女は台南に住んでいると言っていたが台北まで会いにきてくれた。現地人である彼女の日本語はとても上手くて聞きやすかった。早速地下鉄に乗り台北101の方に向かう。駅から降りると聳え立つ101があって見上げようと思ったけど雨粒が大きくて目に入って上まで見上げられなかった。商業施設は橋でつながっており雨を凌いで目的地に着いた。私は靴が買いたかった。台湾発のブランド。現在新宿でもポップアップストアはあるけど、欲し��った靴がなくて現地まで行ってどうしても買いたかった。彼女が店員さんの間に立ち私にもわかりやすいように翻訳をしてくれた。無事購入できて大満足。彼女が行きたいと言ったポケモンセンターにも向かった。ぐるぐる巡って夜になると解散した。彼女からは長文で感謝と日本に行くねというメッセージが送られた。とても嬉しかった。夜市に行く予定だったけど雨がすごくて地下街でご飯を食べた。昼に食べた小籠包が愛おしい。タピオカが入った甘い小籠包も食べた。夜も飲茶を食べた。臭豆腐の匂いがどの場所でも存在した。
2日目。大雨だった。猫と提灯を見に行った。台北より雨脚が強く、川の氾濫がすごくて流れてしまうのではと思った。猴硐に行くと猫がたくさんいた。晴れた時にも来たかった。九份に向かうとより一層雨が強くて靴がびしょ濡れになった。人混みの中傘もさしているから見たかった建物まで混んでいて無理だ、と諦めようとしたら恋人が手を招いて向かった先が裏道でなんなく混雑も避けて到着できた。昔から道を知っているような足取りだった。今回が初めてらしい。私と違って行動力があるところが惚れた一部なのよね。帰り道、流石に電車が止まるのが怖くてタクシーに乗った。運転手がGoogle翻訳で私たちの宿泊先近くにあるお土産屋を紹介してくれたけど、全身びしょ濡れだったので寄り道せずに帰ることを伝えたら驚かれたけど、途中運転手がトイレに行きたいというので、どうぞ、と待った。ホテルまであと2-3分もしないのにと思ってしばらくすると紙袋を持った運転手が謝りながら帰ってきて暫くきょとんとしてたけど、コイツ…家族にお土産買ったな…??と思いバブにも伝えると彼も同じことを思ったらしくて笑ってしまった。良い思い出。私も服を乾かした後にパイナップルケーキを買いに行った。美味しかった。とっても。
3日目。は最終日で少し寝坊をした。雨は変わらずだったが、「台北はいつも雨だよ」と言っていた彼女を思い出した。タクシーに乗りながら初日に見れなかった街並みを見る。喧嘩をしていないことを思い出した。毎回毎回喧嘩するのに今回は平和だった。帰りのフライトは編み物をした。
帰りは晴れていた。日本に着くと秋が訪れていた。
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Fukuro mono (嚢物) purses and bags, chart by Nadeshico Rin.
Kimono don’t have pocket in the Western sense, and the easiest way of carrying something is to tuck it into your tamoto (袂, dangling pocket-like part of a kimono sleeve). But people also used many types of pouchesand cases to carry their trinkets, here are some which were used by Edo period city-deller women:
Kakemamori (懸守) amulet case, made from a cylindrical pouch slipped on a cord. In Middle Age, those pouches were put around the neck by pilgrims, mostly women, to carry gofu (talisman). Temples and sanctuaries sold amulets to facilitate childbirth, and counteract menstruation impurity (月水を穢), which was (still is nowadays) a big taboo in Japanese society. Other amulets existed, for example to protect one’s safety, or to ward off disasters. Kakemamori went through style changes but their use remained late into Meiji era.
Sage tabako ire (提げ煙草入れ) hanging tobacco pouch, put on by tucking the netsuke (根付 decorative toggle) into the obi, and adjusted with ojime (緒締, decorative closing bead). They were paired with kiseru 煙管 pipes, put away in tsutsu 筒 cases. Those pouches were used by men and women alike.
Tamoto otoshi (袂落とし) pocket sleeve pouches, put on around the neck over the underlayer, and accessed through the kimono sleeves openings. Several types existed, like kamiire ( 紙入れ small handbag, wallet), or straps holding handy tenugui towels. Those convenient pouches were used by men and women alike.
Kagami ire (鏡入れ) make-up pouch, often decorated with a hana kusari (華鎖, dangling charm), and holding several portable items: hake (刷毛, make-up brush), beni fude (紅筆, lipstick brush), beni ita (紅板, lipstick palette, the green hue is the mark of true safflower), oshiroi (白粉, face powder), tekagami (手鏡, handmirror), etc. Tbh, I found hard to distinguish modern kagamiire from hakoseko without being able to open them and check to content, especially as they can be a bit of both ^^;
Hakoseko (箱迫) women billfold-like clutch, slipped into the futokoro (bosom collar fold when a kimono is worn, just above a woman obi). Made from heavily decorated brocade, those were first used by women of the samurai class to carry kaishi (懐紙, tissue paper) and other small items like birabira kanzashi (びらびら簪, dangling hairpin) or nioi fukuro (匂い袋, perfume bag). Nowadays, those are mainly used for wedding or shichigosan attires.
#japan#fashion#fashion history#edo period#nadeshico rin#bag#pouch#references#ressources#Kakemamori#omamori#amulet#talisman#pilgrimage#women#menstruation#kegare#Sage tabako ire#obacco pouch#netsuke#kiseru#pipe#Tamoto otoshi#pocket sleeve#Kagami ire#make-up#make-up brush#lipstick brush#beni#safflower
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木製茶筒の試作
茶筒には様々な材質の物があるが、ブリキ缶の物が最も一般的である。高い遮光性や密閉度が茶葉を湿気や酸化から守ることに加え、軽量で充分な強度があることや、製造コストが比較的リーズナブルであることもその理由だろう。
ギフトセットなどでは写真のような様々な図柄の茶筒があるが、いざ茶筒だけ欲しいとホームセンターなどで探しても1種類置いていればいいほうで、とても選ぶような品揃えはない。インターネット通販で探せばいろいろあるけど、嵩があるから送料で結構な値段になっちゃうよね。以前ワークエクスチェンジで当地に滞在した人は、ここで作った自家製茶を保管するのに、同じデザインの安価な茶筒を入手し、違う絵柄の和紙をその表面に巻き付けて種類分けしていた。外観も綺麗にアレンジされて良いアイデアだと思うね。
ちなみに毎年春に大量に製茶する自分は、茶葉を大きなタッパーに入れて冷蔵庫で保管しているので、現状では茶筒を必要としているわけではない。にもかかわらず木製の茶筒を作ってみることになったのは、
・倒木材の活用研究 ・所持工具や設備の加工能力の検証 ・加工プロセスの研究 ・当地滞在者へ木工アイデア提供
といった理由から��。
薪狩りに出た際にいろいろ物色したが、程良い太さのヒノキ倒木を見つけ、硬さもこれぐらいが丁度良いんじゃないかと考え、一部を切り出して工作室に運び込んだ。さらにそこからクラックや節穴などが極力少ない部分を選んで必要充分な長さを切り出した。
デコボコした表面に鉋がけをして大まかに円筒を作っていく。この時点でヒノキ独特の木目と芳香が醸し出される。両端の切断部も側面部に垂直になるよう削って調整していく。
この円筒を本体と蓋になる部分に分割切断し、印籠構造で接合出来るようにそれぞれの端部を加工していく。先ずは蓋側を一定径および深さになるよう掘り込んでいくのだが、これにはボール盤を使う。汎用ドリルビットで出来るだけ密に開孔した後、ボアビットに変えて粗仕上げしていく。この方法をとるのは、以前別の製作をした時に、ボアビットだけで切削していったら負荷が大きく、時間も多く掛かり非効率だった経験から。
本体側の端部もノミとヤスリで削りながら、蓋部と絶妙な「はめあい」になるよう調整していく。さらに蓋を填めた状態で本体との間に段差がないよう鉋で側面を削って調整する。
印籠構造が確立できたら、本体の内部をくり貫いていく。方法は蓋部と同じだが、深くて一度の切削では奥まで届かないのでボール盤の作業テーブル高さを変更し、二段階のプロセスで掘っていく。
さらにその後、ひっくり返して底部を切削する。こちらは筒の安定立ちが目的なので、周囲に脚部となる土手を残し中央を数ミリだけ掘り下げる。
ヤスリを使い、ガタなく立つよう底面脚部を摺って調整し、蓋の頭頂部も滑らかに丸みを帯びるよう削ったら、最後に外側をラッカースプレーでコーティングして完成。本当は外側だけでもじっくりサンドペーパーなどかけて磨き上げてやれば、表面の傷も凹凸も無くなり木目もより鮮明に浮き出て格段に綺麗に仕上がるが、いかんせん忙しく時間も無い中突貫で作ったから恐ろしく荒さが目立つが、今回は試作と言うことで(言い訳)。
木製の茶筒も茶葉保管性は良好とされるが、今回使用したヒノキのような材料は良くも悪くも独特の芳香を持っている。それらが茶葉に移っても全く気にしないとかむしろ歓迎だと言う場合は直接入れて保存しても良いと思うが、そうでない場合は写真のようにポリ袋に入れた物を茶筒にしまえば問題ないだろう。ちなみに今回試作した物は自家製茶50g強を入れる事が出来た。挽いたものならその何倍も入るけど、逆にそれ用にするならもっと小さく作ってもいいよね。粉末はより酸化して風味が劣化しやすいから茶筒にしまうメリットも大きいかも知れない。
#田舎#田舎暮らし#里山#自給自足#移住#倒木#木材#木工#工作#工芸#道具#茶筒#自家製茶#保存#デザイン#クラフト#diy#countryside#rural life#self sufficiency#tree#wood#woodworking#tool#wooden case#tea caddy#self made#preserve#craft
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「劇場版 ポールプリンセス!!」-Complete Album-発売記念イベント 開催決定
「劇場版 ポールプリンセス!!」-Complete Album-の���売を記念したリリースイベントの開催が決定いたしました! 期間中、対象店舗にて対象商品をご購入いただいたお客様に、シリアルコード付き応募券をお渡しいたします。 ご応募いただいたお客様の中から抽選でイベントにご招待いたします! さらに!本イベントはオンライン生配信も実施いたします!イベントにご応募いただきました方は全員、オンライン生配信でのご視聴が可能です! 以下詳細をご確認いただき、みなさまのご参加をお待ちしております。
ゲーマーズ特設ページ https://www.gamers.co.jp/contents/event_fair/detail.php?id=4897
【イベント日時】 2024年6月29日(土) ※イベント時間につきましては、後日、もしくは当落のご連絡の際にご案内とさせて頂きます。
【開催場所】 AKIHABARAゲーマーズ本店6Fイベントスペース 東京都千代田区外神田1丁目14-7 宝田中央通りビル
【出演者】 土屋李央さん(星北ヒナノ役)
【イベント内容】 ・トーク&生コメンタリー&特典お渡し会 ※当日はリアル参加以外に配信でも一部イベントの様子をお届け予定になります。 ※視聴方法については当選発表にあわせてお知らせいたします。 ※配信は当落の有無にかかわらずご応募頂いた方全員へ視聴URLをお送りさせて頂きます。 ※商品購入の方で、配信のみを希望される方は、応募時に「配信のみ」をご選択ください。 ※トーク&生コメンタリーのみの配信となります。特典会の模様は配信いたしません。 ※配信終了後、アーカイブ公開予定です。
参加方法 下記対象店舗にて 対象商品を ご購入 頂きました���客様にシリアルコード付き応募券を対象商品1枚につき1枚お渡しいたします。 お渡しした応募券に記載されている二次元コードをお読み取り頂き、申込ページ内の応募要項に従って必要事項をご記入の上、ご応募下さい。 ご応募いただいた方の中から抽選でイベントにご招待いたします。 抽選結果はゲーマーズマイページ内の「フェア・イベント申込履歴」にてご確認頂けます。
※イベントご応募はゲーマーズ会員登録(無料)が必要です。https://www.gamers.co.jp/corner/cc/event_entry/cd/507/
※既にご予約いただいている方は、配布中にご予約いただいた店舗にてご購入時に、応募券をお渡しいたします。
■応募券配布期間 ※オンラインショップでご予約・ご購入の場合、ご案内期間が異なります。ご注意ください。 *ゲーマーズ店舗:2024年3月26日(火)開店時~ 2024年6月9日(日)閉店時まで ※AKIHABARAゲーマーズ本店に関しては取扱いフロアの開店時間からの配布開始となります
*ゲーマーズオンラインショップ:2024年6月2日(日)23:59までのご注文 ・オンラインショップでは、商品と一緒にシリアル付応募券発送いたします。 ・応募ご希望のお客様は、お受取日時にご注意いただきますようお願いいたします。 《応募締め切りに間に合わないご注文例》 ・「お取り寄せ」や「通常○~○日以内に入荷」でのご注文 ・「お取り寄せ」や「通常○~○日以内に入荷」の商品と同梱でのご注文 ・「まとめて発送」をご利用のご注文 ・「コンビニ・郵便局・はこぽすで受け取る」または「店舗受取り」を選択されているご注文 ・発売日以降出荷、商品追加入荷待ちでのご注文 ・決済手続き・ご入金確認のタイミングにより、発送時期が遅れる場合 ・お客様ご不在により、荷物が持ち戻りされた場合 ・その他、不測の事態により商品の発送が遅延する場合 ※応募ご希望のお客様は、お受取日時にご注意いただきますようお願い致します。 ※発売日当日までにお受け取りいただけないご注文の場合、イベントやキャンペーンの 応募締め切りに間に合わない場合がございます。予めご了承の上、ご注文をご検討下さい。
※対象商品はいかなる理由があっても、返品・キャンセルは受け付けておりません。 ※商品自体に不備があった場合のみ、交換または返品の対応をさせていただきます。 予めご了承の上ご予約ください。
<お問合せ先> ゲーマーズユーザーサポート https://www.gamers.co.jp/contact/ ※直接、会場である店舗へのお問い合わせはお控えください。
■応募締切 2024年6月9日(日)23:59
■当選発表 6月中旬予定 (ゲーマーズマイページ内『フェア・イベント申込履歴』)
■対象店舗 ゲーマーズ全店(オンラインショップ含む) ※ゲーマーズ池袋Bookstore、ゲーマーズ札幌店、ゲーマーズラボアバンティ京都店、蓮ノ空ゲーマーズは対象外となります。
【対象商品】 2024/3/27発売 劇場版 ポールプリンセス!! -Complete Album- / EYCA-14317~8 価格:3,850円(���込み)
新型コロナウイルス感染防止のための注意事項 ※イベント参加の際にはマスク着用のご協力を頂く場合もございます。イベントご参加の際は不織布マスクをご持参頂きますようお願いいたします。 ※入場時、検温・アルコール消毒のご協力を頂く場合がございます。 ※ご自身に発熱の症状や体調不良がみられる場合はイベントの参加をご遠慮頂きますようお願いいたします。 ※その他、当日の状況により、お客様、出演者、スタッフ等の安全確保のため、様々な制約やご協力をお願いする場合がございます。ご了承の程、お願い申し上げます。 ※今後の状況次第では、イベントが中止または延期になる可能性もございますので予めご了承ください。 ※本イベントが延期・中止になった場合でも、商品の返金等は一切お受けできませんので予めご了承下さい。
注意事項 ※当日、会場受付でご本人確認をさせて頂きます。本人確認【お名前・登録住所】ができる顔写真付身分証明書(マイナンバーカード、運転免許証、パスポート、学生証など)をご提示いただきます。 顔写真付身分証明書(マイナンバーカード、運転免許証、パスポート、学生証など)をご提示頂けない場合、入場をお断り致します。 期限切れの身分証明書やコピーのものは無効です。 ご本人確認ではゲーマーズへご登録のお名前・住所と身分証明証が一致しているか確認させて頂きます。 一致する身分証明証をお持ちでない場合は入場をお断りさせて頂く場合がございます。ご了承ください。 ※イベント当日はマイページ内の該当イベント詳細ページ(当選画面)をイベントスタッフへご提示頂きますようお願い致します。スクリーンショットやキャプチャ等は無効となります。オンライン画面の提示のみ有効となります。 ※施策に関わる応募券等は、全て第三者への譲渡・オークション等の転売は禁止とさせて頂きます。 ※ご本人様以外の入場は不可となります。 ※イベント会場詳細は当選の方にご案内差し上げます。 ※当選権利の転売、譲渡、委任は固く禁止させて頂きます。転売、譲渡、委任された当選権利は無効となり、ご入場をお断り致しますので、あらかじめご了承下さい。 ※当選権利は、ご当選されたお客様(小学生以上)1名様のみ有効です。 ※イベント応募券1枚につき1口(1席分)ご応募頂けます。複数ご応募された場合は、複数口での抽選となりますが、ご当選はお一人様1口(1席)となります。 ※イベント応募券を紛失/盗難/破損された場合、再発行はいたしませんのでご注意下さい。 ※イベント応募券の転売行為、コピー、偽造は固く禁止致します。 ※各店舗で予約された商品はその店舗でのお受け取りとなります。発送は承っておりませんので、あらかじめご了承ください。 ※店頭でのご予約のキャンセル・返金は一切承れません。 ※商品のお受け渡しは、商品発売後となります。 ※原則としてお一人様につきお席は一つのご用意となりますので、未就学児をお連れの際は膝の上などに抱いて頂く可能性がございます。 ※本イベントの参加にあたり、必要となる交通費、宿泊費などの費用は参加者のご負担となります。 ※徹夜や早朝からの整列は近隣へのご迷惑になりますので、固く禁止させて頂きます。 ※安全面・防犯面・警備強化の為、開場時にお客様のお荷物検査をさせて頂く場合がございます。皆様の��理解とご協力をお願い致します。 ※イベント中は、いかなる機材においても録音/録画/撮影は禁止となります。 ※出演者様へのプレゼントはお手紙のみのお預かりとなります。直接お渡しする事は出来ませんので、入場時にスタッフにお渡しください。 ※会場内にロッカーやクロークはございません。手荷物の管理は自己責任にてお願い致します。 ※会場にトイレはございませんので、予めご了承下さい。 ※荒天、自然災害や出演者の都合により、予告なくイベントの内容が変更、中止となる場合がございます。 ※お渡し会ではスタッフがお客様の肩や腕などに触れて誘導する場合があります。ご了承の上、ご参加下さい。 ※イベント会場内外で発生した事故・盗難等には主催者・会場・出演者は一切責任を負いません。貴重品は各自で管理して下さい。 ※イベント当日会場では、スタッフからの指示にご理解とご協力をよろしくお願い致します。当日スタッフの指示に従って頂けない場合はイベントの中止もしくはご退場を頂く場合がございます。予めご了承の上ご参加下さい。 ※当日は、当選通知に記載のある集合時間に合わせてご来場ください。 ※上記が守れない場合、イベントの参加をお断りする場合がございます。 ※注意事項、及びお客様へのご案内事項は追加・変更する場合がございます。 ※不可抗力その他イベントの中止/延期が必要と判断した場合には、イベントは中止/延期される場合があります。その場合、一切の返品・返金はお受けできかねます。 ※こちらの注意文言は、予告なく変更になる場合がございます。 ※必要に応じて応募者情報を主催メーカーへ共有させていただく場合がございます。
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1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとか��しらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがし��かり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。��源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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消灯時間直前フロントの電話が鳴る。 女性用の大浴場からの内線電話だ。 「あの、盗まれたんですが」 『え?何をでございますか?』 「浴衣とか全部です。」 『お部屋の鍵はございますか?』 「部屋には主人がいるので、鍵はもってきていません」 『金銭的なものはございますか?』 「いえ、浴衣と下着です。」 『大変申し訳ございません。 いますぐ替えをお持ちしたいのですが 今日は女性スタッフが すでに退社しております。 お部屋のご主人に連絡を いれさせていただきます。 浴衣はこちらで用意させて いただきますので、大変申し訳ございません 少しお待ちください。』 お部屋に電話して事情を説明すると 「えー、泥棒ですか? セキュリティ甘くないですか?」 ちょっとイラっとしたお声。 『大変申し訳ございません。 まずは、奥様にタオルと、 浴衣をお届けいただき、その後 しかるべき対応を取らせていただきます。』 「で、どうしたらいいんですか?」 『タオルと浴衣類をご用意いたしますが 下着はございませんので お持ちいただけると助かります。 お手数ですが大浴場の前に お越しいただけませんでしょうか?』 「じゃあ、いきますね」 大浴場の前でご主人と待ち合わせした。 奥様のお話だと、 誰も入っていないということだったので ご主人に中に入って頂いて渡していただいた。 『大変ご迷惑をおかけして 申し訳ございませんでした。 夜も遅いので、お話は明日の朝 伺わせていただきますが よろしいでしょうか?』 「私が入ったときには誰も いなかったので、誰かが入ってきて 取ったに違いないわ! たがか下着と思われるかもしれませんけどね 弁償してもらいたいくらいです。」 かなりご立腹の様子 『かしこまりました。 では、今から警察を呼びますので 大変申し訳ございませんが 警察が来ましたら状況を含め 盗まれたものなど詳しく お話いただけませんでしょうか? たぶん、この時間ですから 20分程度で来ると思います。』 「こんな時間に??」 『それか、明日の朝にするかなんですが いかがでしょう?』 「じゃあ、明日にしてください! もう寝ます!」 『かしこまりました。 では、明日の朝対応させていただきます。 ごゆっくりお休みくださいませ。』 ご夫婦は、お部屋に戻って行った。 フロントに戻り、防犯カメラをチェック それ次第で警察に通報するしかない! 犯人はすぐに見つかった。 防犯カメラの写っていたのは 当館の浴衣を着た おばあさんだった。 大浴場に入り、しばらくして出てきた。 手提げ袋をもっていて 明らかに入ったときよりも膨れている。 『確信犯かな?』 すぐにチェックイン担当のWに電話した。 「フロントに行きますね。」 映像を見た瞬間にWは言った。 「あーこのおばあさんきっと認知症だよ チェックインの時にもうろうろしてた。 旦那さんが手続きを全部済ませて 浴衣も全部旦那さんが持って行った。 608号室です。」 『今いくか、明日の朝いくか... この時間だけど、風呂に行ったということは まだ起きてるかもしれないし、行ってみよう』 608号室のドアをノックした。 『夜分に大変申し訳ございません フロントでございます。』 「なんですか?こんな時間に」 ご主人が出てきた。 『奥様はいらっしゃいますでしょうか?』 「家内がなにか?さっき風呂に行きましたよ!」 『え?��戻りじゃないんですか?』 「まだ、帰って来てませんが??」 ガーン なんじゃこりゃ!! ご主人に事情を話、私の携帯の番号を お教えして、帰ってきたら電話を してほしいと伝えて奥様探しが始まった。 よくあるのが、自分の部屋が わからなくなってさまよっているパターン。 上の左からと下の右からと 全館を走ってまわるしかない よしいくぞ! 気合を入れて走り出したが 事件は意外と早く解決した。 奥様は9Fの貸切露天風呂の 前の椅子に座っていました。 「●元様ですね。ご主人が 心配されております お部屋に戻りましょう」 手には、膨れ上がった手提げがあり しっかり握っていらっしゃいました。 奥様をお部屋にお連れして ご主人に事情を説明。 明日の朝、盗まれたご夫婦を紹介するので 謝ってほしいとお伝えしてフロントに戻った。 朝食のタイミングでご説明しよう。 そう結論を出して ナイトスタッフに引き継いだ。 翌朝、朝食の前に盗まれた お客様のお部屋に下着を届けた。 女性スタッフにたたんでもらって 紙の袋に入れてお渡しした。 事情を説明して、先方のご主人が 謝罪したいということを伝えると 昨日のお怒りが嘘のように無くなっていて そういう事情ならしかたないので 謝罪は必要ないという。 その旨を伝える約束をしてフロントに戻った。 これで一件落着! チェックアウトの時 偶然にも... ということでもないが 二組のご夫婦がカギを返しに現れた。 繋ぐべきか、かわすべきか 瞬間、悩んだが、老夫婦のほうにお伝えした。 ご主人が丁寧に謝罪をして 奥様も深々と頭を下げていた。 そして、盗まれたご夫婦が私のところに来て 「これから、こういうこと 増えますよね~ホテルもたいへんですね。 頑張ってくださいね!また来ますね~」 とお声がけいただいた。 お二組をエレベータまでお送りして 「いってらっしゃいませ」と お声がけしお見送りいたしました。 今日も長文、最後までお読みいただき ありがとうございました。 この問題はいろいろなところで 同じようなことが起きているみたいです。 中には警察を呼べ! と言う方もいらっしゃるみたいですが この時は、穏便にということで収まりました。 高齢化が進む中、ホテルとして どう対処すべきかを悩む出来事でした。 諸般の事情より アカウント名を「せきの」と 私の名前を入れさせていただきました。 イベントとかで「熱川さん」と 呼ばれてなんか変だな~ と思い付け加えさせていただきました。 「せきの~」と呼んでください! 引き続きよろしくお願いいたします。
Xユーザーのせきの@地方創生プロデューサーさん
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2024年7月3日(水)
日本で唯一の演芸専門誌『東京かわら版』、東京の寄席事情と噺家の消息を知るために定期購読している。以前イベントで販売されたグッズ、Webで購入可能となったとのことで早速注文した。ポチ袋・手ぬぐい(同柄色違い2枚)、それにクリアファイルだ。落語会へ行くとプログラムやチラシをいただけるが、それをきれいに持ち帰るにはこのクリアファイルが役立つのだ。折り目が付くと、スキャンしても汚いからね。今は亡き林家正楽師匠の紙切りがちりばめられた(ファンにとっては)逸品、大事に使わせて頂こう。
5時起床。
日誌書く。
朝食準備。
洗濯開始。
朝食はそば、それようにツレアイが買ってきた天かすをトッピング。
珈琲。
洗濯物干す。
弁当*2。
空き瓶・缶、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
茨木ICから豊中ICまで故障車渋滞とのことだったが、影響を受けることなく茨木で下りることができた。
昨晩の寝方が悪かったのか、背中から腰に掛けてとてもこわばっている。おそるおそるラジオ体操第一、昨年9月の左腕の痛み以来休んでいたのだが、身体がまったく動かない。やはり続けなければ。
水曜日は、2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、今週はExcelの操作の復習、先週の例題を一緒に復習した上で、実習問題2題を自習させる。全員時間内に提出出来たので、大丈夫だろう。
帰路は順調、暑さでエアコンフル稼働のためか、燃費が悪い。
すぐに買物、セントラルスクエア花屋町店で猫砂・介護食・ひげそり用ジェル、コレモ七条店で鶏もも肉。
汗だくで帰宅、すぐに着替える。
東京の落友・Nさんに関西ローカルの落語番組を送っているのだが、今回は74・75・76の3枚、ラベルを印刷し、レターパックライトに封入する。室内着に着替えてしまったので、ポスト投函は明日の朝にしよう。
クロネコが配達、浜峰商店姉妹から純米大吟醸が届いた、いつもありがとう!
ツレアイも間に合って、早速みなでいただいた<純米大吟醸 米鶴>の味見をする。今宵堂の器の金魚も涼しげ、たまりまへんなぁ!
今夜も枝雀、「くしゃみ講釈」「鷺とり」。
例によって、入浴前にダウンしてしまった。
辛うじて、3つのリング完成。
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸���、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又��平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎���深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、���「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方��必ずしもあたらぬことを知るのである。小���衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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私の話
最初は5歳の秋か冬、長袖の季節だった。幼稚園生だった私はおたふく風邪だか水疱瘡だかに罹り、しばらく園を休んでいた。その時期園では、同じ組の子たち同士でなんとなくチームを組んで、ロボットやら指輪やらを工作してそれを下級生向けに販売しよう(もちろん紙でできたおもちゃのお金だ)という、ものづくりやチームメイトと協力する力を伸ばし、お金の使い方や年下の子への振る舞いを学ぼうといった趣旨のイベントがあった。準備期間もそれなりにある季節の一大イベントで、みんな楽しみにしていたように記憶している。そして私はチーム決め直前に園を休み、戻ってきたときには先生によってすでに振り分けられたチームで行動することになっていた。どんなチームに割り当てられているのだろうと不安な思いで登園すると、私は牛乳パックでロボットを作る、「男の子」しかいないチームにひとり放り込まれていた。どんな経緯でそうなったのかはわからないが、最初は憂鬱だったのをなんとなく覚えている。自分だけ違うところに混ぜられてしまったのだと感じた。 しかしそこにいるうちに、いつも一緒にいる「女の子」たちといるときとは違う感覚になった。彼女たちといるときとは違った居心地の良さ、安心感。ロボット作りには最後まで楽しさを見出せなかったけれど、その空間は身の置き所としてはこれまで感じたことのない高揚感としっくりくる感じを覚える楽しい場所だった。自分と違うと思っていた属性の中に放り込まれたはずなのに、「自分も『(女の子ではない存在としての)男の子』側なのだ」と感じた。自分に割り当てられている属性は自分のものではないのだと、こんなふうに明瞭に言語化はできなかったけれど、自分に割り当てられてきた属性とその扱われ方に対する違和感を、感覚として初めて理解した初めての経験だった。ひとまずそのときの私は、自分のことを「『女の子っぽい女の子』ではない」のだと理解した。特に仲のいい関係を築いてきたのは「女の子」との方が多かったけれど、チラシで剣を作ったり体育館の大きな積み木で遊んだりするときは「男の子たち」の中にいる方が安心した。人間関係と所属意識の違いが少し明らかになり始めた。その年の七五三、赤い着物を着て髪をセットされた(当時は髪が肩まであった)が、ものすごく居心地が悪くて嫌だったことを覚えているし、親によるとかなりごねて不機嫌だったらしい。
次は10歳、小学4年生の秋。私の地域では毎年4年生が地域の学校で集まって合唱コンクールに出るという行事があった。最初は何とも思わなかったが、単純な子どもだったので練習するたびに課題曲も歌うことも好きになっていくし、本番が待ち遠しかった。 本番が目前に迫ってきたある日、合唱指導担当だった先生から当日の服装についての説明があった。男の子は白い上に黒のズボン、女の子は黒いスカート。それを聞き、どう表せばいいかわからない不快感が湧き上がってきた。スカートを履きたくない。どうして私はスカートを履く側なのか?どうしたら履かなくて済む?あれだけ楽しみにしていたのに、その日を境に本番が近づくのが嫌でたまらなくなった。親が買ってきたスカートを履いたときの違和感は強烈に残っている。しかし音楽会は例年より少し早めのインフルエンザ流行のため中止になった。その報に泣いている子もいたし、私も残念な気持ちはあったが、それ以上にスカートを履かなくて済んだことに安堵した。まさかそんな理由で中止が嬉しかったなんて言える空気ではなかったので、友達に合わせてがっかりした表情を浮かべていた。またこの頃から身の回りの物へのこだわりが出始めた。最初は親に言われるがままに着ていた「弟へのおさがりでも使えるような服」を自ら選んで着るようになり、「女の子」でひとりだけ青い習字セット、青い裁縫セットを使い、家庭科で作った巾着も白と黒のドラゴンモチーフの布を使っていた。常に短い髪、同年代の平均より常に高い身長、青やグレー、黒のパーカーやトレーナーにジーンズ、手提げ袋に至るまで「女の子」っぽさを排除した見た目の中で、ランドセルだけがずっと浮いていたように思う。入学前親に連れられてランドセルコーナーに行ったとき、漠然と赤は嫌だという思いがあったが、「女の子」用のものは赤やピンク、オレンジしかなく、色ではなく大人っぽい響きの名前が気に入ったという理由と、言葉にならないけれど確かにあった何かを諦めたという思いで、渋めのローズピンクのランドセルを背負っていた。年齢が上がっていくにつれ「女の子らしさ」がなくなっていく見た目の中、ずっとランドセルだけが私の「本当の」所属を周囲に示すもので、これを背負う限り私は何をしようとも「女の子」にカウントされるということを思い知り、「そうじゃないと思うんだけどな」のような微妙な気持ちでいた。どうして自分がそう思うのか、というところまでは考えられなかったけれど、「女の子っぽい」という記号を身に付けることへの拒否感は確固たるものになっていた。
次は中学生。当然制服のスカートが嫌だった。小学校の卒業式のときもスカートは確かに嫌だったけれど、上にはおるグレーのジャケットがかっこよくて気に入っていたため一日だけなら、となんとなく乗り越えたが、これからずっと着なければならない制服は本当に嫌だった。でも登校したらほとんど毎日午前中にジャージに着替えていたし(時間割の関係でそうだった)、運動系の部活をやっていたため下校は毎日ジャージだったので、憂鬱感は徐々にごまかせるようになっていった。 小学校からほとんど持ちあがりの、狭く密接で固定的な人間関係という土壌がある中でのクラスメイトからのまなざしは、嫌でも表面的なもの以外の情報も伝えてくるもので、この頃になってくると自分が周囲からどう見られているかを何となく察するようになっていった。周りは段々と女/男の境界がはっきりしたものになりそれぞれの文化が別のものになっていく中で、「女の子」への所属意識をどうしても持てず、「そうではない」存在に近づこうと「男の子」たちのコミュニケーションをロールモデルとして振舞い方を学習した結果、「女の子」たちからは自分たちのメインストリームからは外れていて色々と変だけれど、一応同じ場所にいる他者として、「男の子」たちからは他の「女の子」と比べると自分たちの文化にどこか(「理解している」ではなく)近いけれど、でも同じ存在ではない他者として、「女の子っぽくない・男の子っぽい女の子」のような、どちらからも微妙に浮いた存在として認識されていたように思う。加えて恋愛の話題に絡んでくる子/そうじゃない子の新たな境界も生まれるようになり、誰が付き合っている、デートに行った、夏休みどうするのように話題になる内容が具体的になり、その話題を中心に人間関係の構図が作られ、恋愛との距離感によってヒエラルキーが生まれるようになり、それに伴い会話のあらゆるところに理解できない目配せや気配り、謎のルールも絡まってくるようになると、恋愛ごとを面倒に感じ、それらの事象に巻き込まれるのが嫌な 「男の子」 たちは、 相変わらず髪が短くてクラスの中で3,4番目に背が高い、見た目が「女の子」的ではない、自分たちと近い「男の子」的なコミュニケーションをとって接してくる、一切恋愛の話をしない私を他の「女の子」ほどは警戒せず(「恋愛的な文脈での楽しさを見出せず・高揚せず」とも言い換えることができる)、「女の子」たちも、 恋愛の話題を振られても求められていたような回答をできなかったことでそのルールを理解していないことを見抜き、普段の様子から関心があるようにも見えなかったであろう私なら男の子のそばに置いていても面倒なことは起こらないだろう(ライバルになったり、噂話をして余計な広がり方をさせたりしないだろうのような)と、どちらにとっても曖昧で便利な側面を持っている存在だったと思う。それによって、「男女」間で起きるであろう揉め事を減らせると考えた(であろう)班を決める係のクラスメイトによって、校外学習や修学旅行といったイレギュラーでトラブルをなるべく起こしたくないイベントでの班編成では、いつも男子の中にひとり放り込まれる役だった(3年間「女子」が奇数のクラスだったため)。班を決めた子から「女子一人でごめんね」と謝られたが、なんて返せばいいかわからなかった。そう扱われることに慣れていたし、そう扱われることが嬉しかった。「女の子」の中に入れられる方が自分との差異やそこにいることの違和感を強く感じさせられるから、 「男の子」たちとともに「あっちが何考えてるかわからない」と振る舞うことで、自分の「女の子ではない」感覚を正当化できる環境の方がずっと楽だった。だからといって自分を「男の子」だとは思えず、「女の子ではない」存在として「男の子になりたい」と素朴に願っていた。
「女の子ではない」という思いは自分の肉体にも向くようになっていった。胸が大きくなるにつれブラジャーをしないと揺れて邪魔だし痛いしで毎日つけていたが、ある日その工程がどうしても嫌になり、素肌にジャージの半袖を着て、その上からいつも通りの制服を着て登校した。いつものように1時間目の授業を終えジャージに着替えたときの、何とも言えない嬉しさと居心地の悪さが混ざった感覚。本来こうあるべきだったという感覚と、いつもより肌にまとわりつく気がするせいでより目立ってしまう気がする身体の丸み。念のため学校にブラを持っていこうなんて微塵も思わなかった(これは決意というよりそこまで考えが至らなかった、着替えの肯定をすっ飛ばした瞬間の満足ですっかり忘れていたという不注意によるものだった)ため、一日中居心地の悪さを引きずって猫背で過ごすことになり、それ以降ブラをつけることは諦めて受け入れた。「女の子じゃない」存在として扱われるためにできる方法を探し、少しでも「男の子」的になろうとそちら側に行動を寄せ、しかしどうしても「男の子」にはなれず、「男の子」のアイデンティティを自分の中に見つけることもできず、「女の子」の記号を与えられているのなら結局私は「女の子っぽくない女の子」なのかな、と思っていた。6年間制服のスカートを履いているなかで、自分のアイデンティティをいったんそうやって理解することにした。そうであるだけでも浮いていたけれど、恋愛の話題に関わらない限り目立つことはなかったので、基本的には地味な子どもとしてどうにかやり過ごす��とができた。 私が高校まで暮らしていたところは東北の田舎で、そこは非常にシスヘテロ的でバイナリーで、女/男しか存在せず、恋愛、性愛をする人しか存在しないところだった。そんな中で私は「ボーイッシュな女の子」という言葉で済まそうとするにはあまりにも色々な要素が浮いていて、しかしそれはただ私が浮いているパーソナリティである以上の意味を持たなかった。(そして、そこでは障害や家庭環境、それらによっておこる不平等も単に個性でしかなかった。)どんな装いをしようと、どんな振る舞いをしようと、どんな思いで生活していようと、私は「女の子」としてカウントされ、「女の子」というアイデンティティを持ち、その規範に沿って生きていくべき存在でしかなかった。
高校を卒業し地元に比べると圧倒的に都会だった地域で暮らし始め、新たな生活を過ごすなかでAロマンティック、Aセクシュアルと出会い、これまで感じてきたわけのわからなさにセクシュアリティという名前がつくことを初めて知ることができた。 大学生になり自分で服を買うようになると、スカートを選ぶことができるようになった。家ではジャージかジーンズしか履かなかった娘が、帰省してきたときにスカートを履いている姿を見た親がびっくりした表情を浮かべ、「似合うじゃん」と言われて微妙な気持ちになったのを覚えている。相変わらず髪は短かったし、身体への違和感が爆発し、思いつく解消案としていわゆるナベシャツを着るようになったのもこの時期だった。でも、あれだけ嫌だったスカートを履けるようになったことに自分自身も理解が追い付かず、だからと言って「完全に」女の子になることができたとは到底思えず、「女の子」の記号を自分から選ぶ自分自身に戸惑ったこと。重ね着をし身体のラインを見えにくくする装いをしたことで安心すること。電車に乗っていてふと「こいつは女か?男か?」という視線を感じ(中学生頃から「女ではない」と認識される経験を幾度となくしており、胸部を探る目が顔に移動する不躾な視線の動きがどういうものかを体感として知っている)、隣に座ってきたサラリーマンは今私を何者と判断したのだろうと不快感を覚えたこと。同時にその困惑を引き出せたかもしれないことにうっすら喜びを感じたこと。成人式で振袖を着るのがどうしても嫌で、別の予定を入れ地元に帰らなくて済むようにしたこと。この時期に#Metoo、フラワーデモに出会い、そしてフェミニズムに出会うことで、服装や身に付けるものも社会によってジェンダー化されていること、誰でもその規範から自由になれることを知った。セクシュアリティとフェミニズムは不可分であるし、本の中に書かれている社会構造の不平等や差別は私の身に降りかかるものとも似ている部分があったため、やっぱり私は「女」というジェンダーにカテゴライズされる人間なのかと思うようになった。
私が参加したフラワーデモでは、何度かトランスジェンダーの方がマイクを取っていた。またそこで出会った人に紹介されたコミュニティにもトランスジェンダーの方が何人もいて、書籍の中だけでなくリアルな存在として、シスジェンダーではない人は決して遠い存在ではなかった。それだけでなく、当時セクシュアリティに関する情報のほとんどはオンラインで手に入れており(地元を出るまでLGBTという単語にすら触れたことのないような人間が、いきなりどの本を図書館で探せばいいのかわかるわけがなかったし、オフラインでAセクシュアリティに関する情報を探すのはさらに至難の業だった)、本で語られることを吸収することも大事だったけれど、YouTubeやツイッターを見れば本当に性的マイノリティの人間が生きていることを感じられることがあまりにも新鮮で、文字通り生きる希望になった。今はもう更新していないが、noteという媒体では今に続く私にとっても本当に大切な出会いをすることもできた。その人の文章を読むことで、Aセクシュアリティ、そして「男でも女でもない」と説明されることの多い、バイナリーな性別二元論では語ることができないアイデンティティの存在を知った。私が生きてきた、そして今も生きているこの社会がどれほど性別二元論に支配されており、それがどれだけの人を差別し、苦しめ、傷つける構造になっているのかを知り、彼らと連帯��なければならない、伴走者にならなければならないと強く思った。
同時に、性別二元論への馴染めなさは、私自身の体内にもずっと昔から近からず遠からずの距離感で確かに存在していた。フェミニズムを学び、「『自分はフェミニストではないけれど』と言いながらフェミニズム的な発言をする人が多い」と、どちらかといえば批判的な文脈で語られているのを見かけ、確かにそうだよなと思う一方で、自分は完全に「女」を引き受けるのはしっくりこないな、という思いもずっとあって、「フェミニスト」と名乗るまでにかなり時間がかかった(し、正直今も名乗ることに抵抗感というか戸惑いがある。それは私のアイデンティティによるだけでなく、私があまりにもフェミニズムのことを知らなすぎることも大いに関係している)。フェミニズムが指摘する構造的な差別において、私は【「女」が受ける差別】を受ける立場にいたと思う。だけど、私がこれまで自分に感じてきた違和感は「女じゃない」という感覚によるもののはずだった。私なりにではあるがセクシュアリティやジェンダーなどに関することを学んできた中で、これを「女」の多様性の枠で語ることはできるのだろうかと改めて自分に対し疑問を持つようになった。でも、「女じゃない」なら何なのだとか、これまで「女」に馴染んで生活しているじゃないかとか、「女」の枠にいるからこその語られ方をしているじゃないかといった考えを拭えず、もやもやした思いは残るけれど、これまでのように、そういう違和感を一生抱えたうえで私は「女」をやっていくしかないのだと、諦めと不本意な受容が混ざった覚悟を決めた。
その後、感染症流行による人との接触の減少、それに加えて鬱を発症したことで人と会わ(え)ない期間を長く経験して、就職活動が始まった(めちゃくちゃしんどかった)。何もわからなかったので学校のキャリアセンターに1から10まで頼りっぱなしだったのだが、そこで「スーツは黒で、スカートでもパンツでもいいけど今から買うならスカートが無難」というようなことを言われた。そのとき、久しぶりにスカートへの嫌悪感を強く感じた。私服でスカートを着るくらいになっていて嫌悪感はだいぶ薄くなっていたはずなのに。 フェミニズムを学んだことでシンプルに最悪なセクシズムが働いている発言だということを昔より高い解像度で理解し、そのことで怒りを覚えた感覚もあったけれど、 どうしてこんなに、あの頃と同じくらい嫌だと感じるているのか、自分に戸惑った。 スーツを売っている店の前を通ったり配られたチラシを読んだりしてみたけれど、無理だという思いがあまりにも強固で、どうにかしてスカートを履かないでやろうと決めた。就活のためにお金を使いたくなかった(鬱が治りきらないまま就活→実習→試験勉強というルートでバイトに避ける時間が減っていくのがわかっていた)し、なにより黒のスカートに脚を通すたびにおしまいの気持ちになりそうで、規範へのささやかな反骨心と心を守る方法として、 大学の入学式のときに親から譲り受けたグレーのパンツスーツで就活を乗り切った。
現在フルタイムで働いている。いわゆるケアワークと呼ばれる業種だ。職場は「女性」しかおらず、ほとんどが既婚者で、世間話としてされる会話は異性愛規範に塗れていて、「私は異性愛者じゃない!」と心の中で唱えない日はないような環境にいる。そして、新しい利用者と会うたびに新しい関係を作っていく中で「女」として自己紹介したり、「女」と認識され、「女」だから任された仕事をすることが、徐々に違和感としんどさを生むようになった。職場での自分のありかたがわからなくなって、仕事で疲れて帰ってきても夜眠れない泥の中のような日々がまた戻ってくるようになった。眠れないままとにかく横になってスマホを眺めていたある日、ふと思い出した人のブログを読み返したとき、唐突にすとんとおさまる感覚があった。そうやって私は、女ではないというアイデンティティをようやく受け入れ、自分を表す言葉としてAジェンダーと出会った。
本当に急に腑に落ちた。あまりにも呆気ないような、それでも20数年に及ぶ私のアイデンティティの居心地の悪さを理解するための、救いのような受容感だった。私が「男の子」にカウントされようと必死で、もしくは無意識的に渇望しやってきたことは、「女の子」と認識されることが苦痛でその記号を外すために、非常に強固な性別二元論が敷かれた、男と女しかいない社会の中で、「女の子ではない」をやろうとした結果「『そうではない』存在としての『男』」であろうとするしか抵抗の方法が、そして自分自身のアイデンティティとの向き合い方がわからなかったためだった。 このバイナリーな世界では性別欄は二択しか用意されておらず、「女」ではないなら「男」だし、「男」ではないなら「女」だ。必ずどちらかじゃないと存在を認識されず、そんな世界で生きてきたら「どちらでもないなら何なのだ」と、誰よりも私が私自身に問いかけ、二元論を押し付けてきた。そっち(女)じゃないというアイデンティファイしか方法を知らなかったけれど、そっちじゃないなら何なんだという問いかけにはバイナリーを前提とした答えを持たなくてはならず、その世界では私を語る言葉は存在しなかった。社会からやることを要請されてきたのは「女」で、これまで時になんとなく、時に必死に、時に絶望しながらそれをやってきたけれど、物心ついたときからずっとそこにあったここではないという感覚を、やっと信じることができるようになった。「女ではない」「どの『性別』にも当てはまらない」「女を引き受ける」。どうしてこれが同時に成り立つのか、今までこれらをセクシュアリティの問題ではなく個人の問題として引き受けてきた。共存するしかなかったうちに自分に馴染んできた部分も確かにある。シスジェンダーであることを求められ、受容する時間もあったけれど、それでもこれまでの人生すべてをシスジェンダーと理解することはできないし、そうしなくていい。そう思えることで、ずいぶん救われる思いでいる。
書いてきたこれらのことは、他者に対する私の性別に関する証明のためのエピソードではなく、私がどう生きてきたかのごく個人的な話でしかない。このような道筋を辿るのが、Aジェンダーパーソンにとって典型的なのか、特異なのかすらわからない。ただ、性別二元論が私のことを語りづらくさせ、アイデンティティを受容するのを遅れさせ、受容しても尚戸惑わせ、未来の見えなさに仄暗い気持ちにさせ、傷つけてくることはどうしたって否定できない。それだけではなく、今もまだ「私はAジェンダーである」ということが、「私は自分自身の性別を意識したことがない」という、Aジェンダーへの差別的発言になるのではないだろうかと恐れる気持ちがある。アイデンティティを獲得しても、それをまっすぐ祝福できるようになるには正直まだ学び、話を聞き、自分を語るための時間が必要だと思っている。私自身の、私のための話なのに、それを語ろうとすることで差別構造に加担してしまうのではないだろうかと、そしてその言葉は私自身にも向いてしまうのだろうと、ためらいと恐怖を覚えてしまう。この社会に強固すぎる性別二元論が敷かれており、あらゆる社会規範や制度、社会保障にまでそれを前提として設計をされているがために。非シスジェンダーなど存在しないと乱暴な口を開く人々がいるために。
これらは私の話だが、同時に私を取り巻く性別二元論の話でもある。非シスパーソンの尊厳を損ね、存在ごと居場所を奪い、攻撃の対象に仕立て上げ分断させ、そうすることによって大きな顔を保とうとしている、性別二元論の話だ。私にアイデンティティと出会うことを困難にさせ、規範から外れる存在として生きづらくさせ、やっと見つけたと思えても獲得するまでに本来必要だった以上に惑わせ、ようやく手にしてもそれを祝福することを難しくさせ、語ろうとする言葉を口篭らせる、性別二元論の話だ。シスジェンダーをやろうと頑張ってきた長い闘いが終わり、そして今度は非シスジェンダーの存在を許さない社会との闘いが始まる。それも今から始まっているのではなく、ずっとずっと前から傍にあった濁流の中に巻き込まれるような感覚だ。苦しいけれど、私はそこで私と出会った以上逃れることはできないし、したくない。私はこれまでもこれからも、こうのままで生きていく。私自身のことを言葉にするのがまだ難しくても、私が私のアイデンティティを信じられるようになっただけで、それはあの頃の5歳の私を救うことができるし、これからの私自身の希望になる。一度諦めたことがあったけれど、また出会うことができて本当によかった。
私はAジェンダーだ。
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2割のもうけを10回続ければ元手が2倍になるという「ツーバイツー理論」を掲げ、会員と巨額の金を集めた。会社の手提げ金庫の中の現金をわし掴みにして、紙袋に1千万円入れて、毎日銀座に通った。飲み代と夕食代だけで毎月2億くらい使い、中江自身「もうむちゃくちゃだった、僕の金銭感覚は」と言っている。
中江滋樹 - Wikipedia
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旧東隊の小説(二次創作)
刺身蕎麦クッキー
三輪秀次の好物は、ざる蕎麦、刺身、クッキーである。
一、刺身
ドアがあくと、まずプンと磯臭い空気が部屋に入ってきた。ここは東隊の作戦室で、三輪は同隊隊員である。
「大漁だぞー」
ついで入ってきたのは、発泡スチロールの箱を抱えた隊長の東春秋である。機嫌がいい。私服である。本日、東隊は任務のないシフトであったが、学校のあと、隊員は作戦室に集まっていた。仕事のためではない。
「おかえりなさい」
現地で購入したとおぼしき白い箱の中身は釣った魚だ。手持ちのクーラーボックスに入りきらなかったらしい。肩に下げているクーラーボックスだってかなり大きいのに、発泡スチロールの箱はさらに大きかった。重そうだ。三輪は発泡スチロールのほうを受け取った。ずっしりとしていて、よろける。氷がゴロゴロ動く音がした。
「床を濡らさないでください」
二宮匡貴が用意しておいたブルーシートを指す。
「気が利くな」
ニコニコしながら、東がクーラーボックスを肩から下ろす。三輪を手伝ってやりながら、二宮は黙って頷いた。
「東さん、長靴と道具は?」
「まだ車の中だな」
「後で取りに行きましょ。ほっとくと忘れちゃうわ」
加古望がキッチンから顔を出した。
ペリペリとビニールテープを剥がして、蓋を開ける。
のぞき込むと
「…大きい魚」
「鯛だな」
氷水の中に魚の王様が埋まっている。
東が器用にさばいていく脇で三人の隊員も忙しい。キッチンが臭くなるのは嫌と、加古はあらかじめ新聞紙をシンクに敷いていた。
「内臓はここに入れてね」
新聞紙で作った箱は暇なときに皆が折ってストックしてある。
タッパーや折を用意していくのは三輪の役目だ。紙袋にもポン、ポンと保冷剤を入れていく。
「秀次は手際がいいな」
「俺が教えました」
「あら、私が教え��のよ」
「今日、本部にいるのは誰かな? いつものことで悪いが、
手分けして、配りに行ってくれ」
「二宮、了解」
「加古、了解」
「了解です」
テンポよく言えずに、三輪は口の中でつぶやいた。
「ねえねえ、東さん、海鮮しゃぶしゃぶにしてみない?」
加古はカレイを見ながら提案する。
「新鮮なんだから、刺身だろう」
二宮が言い返す。二人はいつもこんな調子だ。
本日は、東隊長の釣ってきた魚を堪能する会なのだ。作戦室では飲酒禁止なので、ビールを飲みたい東の希望もあって、このあと本部内の彼の持っている居住スペースにお邪魔させてもらっての開催である。
「鍋があるからできるが、それなら最後はうどんで締めたいなあ」
「売店で売ってるんじゃないかしら」
東は包丁の手を止めてそうだなあと言いながら、チョイチョイと手招きして三輪を呼んだ。
「はい」
てっきり、うどんを買ってくるよう言われると思っていた三輪に東は、
「味見」
鯛の切れ端をヒョイと三輪の口の中にいれた。
「どうだ」
「おいしいです」
白身魚が甘いのを三輪はここにきて初めて知った。
ニ、クッキー
「暑いわね」
盆である。
この時期、食堂が休みなのだ。若者はコンビニに行き、偉い人は仕出し弁当を頼む。
今日の東隊長は上層部に呼ばれて会議に出席中である。これはよくあることで、片手間で隊長をやってるのではないかと思うほど忙しい人なのだ。今頃、上層部と高級弁当を食べていることだろう。
時刻は午後一時である。
「お腹が空いたわね」
先程から、加古は暑いとお腹が空いたしか言わないと気がついて、三輪は少しおかしかった。二宮はまだ到着していない。要領のよい彼のことなので、どこかで食事をしてからやってくるのだろう。
「コンビニで買ってきます」
三輪は立ち上がった。本部の中にも最近コンビニができたのだ。
「今日はコンビニのご飯って気分じゃないのよねえ」
と、加古は顎に長い指を���てた。二宮がいたなら、わがままだとののしったに違いないが、三輪はあまり気にならない。
「外へも買いに行きますよ」
どのみち三輪も何か腹に入れないといけない。
「本部の外は暑いわよ」
「そうだけど」
最近、加古に対しては敬語がすっぽ抜けるときがある。年上とか年下だとかそういうのを突き抜けたところが加古にあるからだ。
加古は天井に視線を送って、しばし考えたあと、
「どっかにクッキーがあったはず」
ぽんと手を叩いて、立ち上がった。
「東さんがもらってきてた」
「え! あれ? 」
あれは確かお中元でもらった高級クッキーだった。お中元をもらう大学生もどうかと思うが、東はよく頂きものをする。ご相伴にありつくのは隊員の役得だ。
しかし、いいとこのクッキーを昼飯代わりとは。
棚をゴソゴソとあさって、すぐに加古はクッキーの四角い缶を見つけてきた。目星をつけていたらしい。
「これこれ」
遠慮なくカパッとあけると、ほとんど手つかずの高級焼き菓子が現れる。
「三輪くん、冷蔵庫から飲み物持ってきて。私、アイスティー」
三輪は麦茶にした。
「お前らばっかり何食ってんだ」
案の定、程なくして現れた二宮は呆れた声を出した。
「太るぞ」
「三輪くんはもうちょっと太ったほうがいいわ」
「お前だ、加古」
「ご飯代わりだもの。それにこれから、動くから問題ないわ」
「トリオン体じゃあ関係ないだろう」
そう言いつつも、二宮もクッキーに手を伸ばす。
「二宮先輩、何飲みますか?」
「牛乳」
結局、三人でバリボリ食べて、缶のクッキーはすっかりなくなってしまった。
「内緒ね」
「証拠隠滅だな」
三輪くんの方で捨てておいてねと空の缶を持たされた。三輪が本部に住んでいるからだ。
なんとなく捨てそびれて、東隊が解散して、それぞれが別の隊を持つようになった今でも、その缶は三輪の部屋にある。
三、ざる蕎麦
「なんだ、引っ越したばかりなのか」
東隊が結成されたばかりの頃の話だ。
なんの用事だったか。多分、東からの言伝てがあったのに三輪へのメールが既読にもならないし、電話にも出ない。
二宮、すまない。俺、手が離せないから、伝えるついでに様子をちょっと見てきてやってくれ、そのまま帰っていいから。
隊長にそう頼まれたら、二宮も嫌とは言えない。もう、夜と言っても差し支えない時間だった。加古は既に帰宅している。
東に聞いた区画で三輪の部屋を見つけ、何度か呼び鈴を鳴らして、ようやくドアはあいた。
単身者用らしく、玄関から見渡せるほどの部屋だ。
およそ、生活感というものがない部屋だった。
中はガランとしていて、薄い蒲団が敷いてある他は、ダンボール箱がひとつおいてあるだけだ。入り口すぐに見えるキッチンも使っている形跡がない。
だから、二宮は引っ越してきたばかりかと聞いたのだ。三輪は焦点の合わない目をして、否とも応とも言わなかった。
出会ってまもないが、三輪には時々そういう不安定な状態に陥るときがある。何もかもが億劫になるらしく、食べることも眠ることもしなくなる。反応も鈍い。
この街には、この街独特の事情によって、そういう人間は割と存在し、容認されている。だから、二宮もそれほど奇異には思わない。あの日あのとき、『あちら側』だったんだなと思うだけだ。
それでも淡々と任務をこなす姿は評価するが、面倒な後輩であることにはかわりなかった。
東からの用件を伝え、確認をとったらもう二宮の任務は終わりだ。
しかし、
「夕飯は食ったのか?」
「ああ、はい、いえ」
返事は要領は得ないが、おそらく食べていない。
(昼も食べてなかったな)
「夕飯、食うぞ」
「……え?」
やはり反応が鈍い。二宮はイラッとしたが、今の三輪相手に何か言う気はしない。
三輪を連れて、食堂に行こうとする。
が、二宮はふと気が変わった。
「鍋あるか?」
「ないです」
「皿は?」
「ないです」
「コップは?」
「ないです」
二宮がため息をつくと、すみませんと三輪が謝った。徐々に意識が浮上してきたようだ。
「あの、二宮先輩、食堂で」
「いや、待ってろ」
三十分後、調理道具一式を調達してきた二宮は再び三輪の部屋に現れたのだった。
「蕎麦を茹でるぞ」
「…蕎麦ですか?」
その頃には、三輪もうつ状態になっているどころではない。二宮のペースに乗っかりもできず、さりとて落ちることもできない。
「あの、なんで、蕎麦」
「引っ越ししたら引っ越し蕎麦だろう」
引っ越しのことを考えたら、最初に思いついたのが蕎麦だった。新居で食べるのにふさわしい。
「あちこちから、借りてきたからな。明日、返しに行くぞ」
本格的な塗りの四角いセイロまである。三輪はおっかなびっくり持ち上げて、意味なく裏をのぞき込んだ。
その間に、二宮は鍋を沸かし、乾蕎麦を放り込んでいる。
「七分、計ってくれ」
「了解です。料理されるんですね」
「麺を茹でるくらい料理に入らんと思うぞ」
菜箸で、麺を動かしながら、二宮はこともなげに言った。
「三輪も食堂の飯ばっか食ってないで、蕎麦くらい茹でろ」
「はい」
思いの外、大量に茹で上がった蕎麦をセイロに山のように盛って、二人ですすった。箸もなくて割り箸だった。
もうここに一年ほど住んでいますと言えずに三輪は黙って、蕎麦を食べた。
この日にようやく三輪の引っ越しが終わったといえるかもしれない。
終わり
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LimeLightの暗室を利用しまして レンタル暗室p.pod代表本拠地での講座希望も大丈夫ですよ
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こちらからGOです
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2023/1/30〜
1月30日 年賀状を送った友人から、私からの年賀状が当たっていたと連絡が来ていた。ありがとう、とあって、縁起が良いことをした気分で嬉しい。
先週、ジャン=ポール・エヴァンを引き取ってくれた方から「女がハートのチョコレート、赤くてつやつや〜、って喜んでた」と報告してくれた。
上司の親御さんの容態がかなり良くないらしく、次いつ出勤できるかわからないとのことでなんだか忙しくお仕事をした。 そんなことを全然知らなかったので、他の上司たちは、なんでちゃんと私に伝えてないんだ、と言っていた。でもそんなこと言われていたらお休みを取ってお誕生日できなかったかもしれない。
久しぶりの出勤の気がして、確実に朝の日の出が早くなり、夕方の日の入りが遅くなっている。
1月31日 上司の親御さんが昨晩お亡くなりになられたとのこと、報告を受ける。 やっぱり社会の出るとお別れが多くて、その知らせにいつも動揺させられている。今日も無駄に忙しなくしてしまった。 ジャン=ポール・エヴァンを引き取ってくれた方は「娘の誕生日と◯◯さん(上司の名前)の親御さんの命日が同じ日になった」と言っていた。
お昼休みに、一期下の方からお誕生日プレゼントをいただく。とっても、とっても嬉しい。山の上ホテルに宿泊したとのことで、山の上マロンのバレンタインバージョンをプレゼントしてくれた!30歳になりたくない、ということを以前伝えたことがあったので「(30歳なっちゃったけれど)大丈夫ですか…?」と言ってくれた。 紙袋の内側にメモが貼ってあって、おめでとうメッセージを書いてくれていてすごく愛。
用務があり同期のいる部署へ行く。 同期の女の子がきゃぴきゃぴ話しかけてくれて、「飲みに行こ〜よ〜。ファミレスでもいいよ!お話ししたいよ〜、◯◯さん(私の名前)絶対おもしろいもん!」と言われ、つられてへにゃへにゃ答えてしまった。 おもしろいって言われても傷付かなかった。
なんだか喉が痛くて気持ち悪くて、先週誕生祭したツケがまわって来ないといいな。
2月1日 お散歩ルートの桃?梅?の花が咲いていた。 赤ピンクでかわいい。 12月に結婚式に招待してくれた友人から年賀状が届く。もうこの時期なのに年賀状ちゃんと返してくれていて、文面に“ロシア料理の時は励ますつもりだったんだよ、ごめんなさい”とあり、新年早々誤らせてしまった。彼はあまりSNSやインターネットをしないと思っていたので、どこで私のtumblrの日記の更新情報を知ったのかしら?と嬉しい気持ちと、やっぱり掴みきれないところがあって良いな〜と思った。
今日は暖かくて色々油断してしまいそう。
誰かが身につけたり持ったりしているものに、英字が並んでいて、それがローマ字綴りだと気付いても決して読んではいけない、と思っているのに、電車で向かいの席の人の手提げの文字をひたすら繰り返し読んでしまう位、ぼーっとしていて良くない。手提げには“カワセミピッピクン”と書かれていた。
2月2日 ずっとお腹の調子がよくない。 1年以上前に用意してもらった紹介状先の病院に通えていなくて、でも慢性的によくないことや不安なことが多くなってきたので、また紹介状を書いてもらうために産業医の方と面談をすることにした。取り次いでくれた保健師さんからのメールは、いつも文末に“くれぐれも無理はされないでくださいね。”とあり体調がしんどくない時をもうちょっと増やせるようにしたい気持ち。
写真を選んでもらったことをSNSでたくさん報告してしまった。なんで、そんなことしなくてもインターネットのどこかで受賞のお知らせがされていて、なんで自分で報告しているのかあまりよくわからなくなってきて、自分の投稿に“いいね!”をしてくれているのを確認して、う、あ〜〜、となっている。 大切な何かが少しずつ削がれていく、みたいな感じで、いつもならインターネットに逃げるのに今はどこへ行けばいいのかわからない。わからなくて、訳も分からなくて、職場の人の飼い猫の写真を見せてもらったり名前を教えてもらったりして興味津々をして疲れてしまって、何かおかしいよ。
朝出かける時にイヤホンをセットしてiPhoneから音楽を流し始めると、iPhoneが落ちて、電源を入れ直すと充電が9%。 今日一日で、何度か同じことを繰り返したので困った勢いでオンライン機種変の手続きを済ませた。6年前にiPhone7にして、豊田市美術館へ行ったね。
2月3日 何も考えられなくなってスカートで出勤してしまう。研修の予定もないのにスカートを履くだけで、お仕事やる気ない態度、を示すことができる。今まで職場でのおしゃれは社会への抵抗の気持ちでやっていたけれど、今日は、コムデギャルソンのスカートを履きたい気持ちだったから履いた。
2期下の方から就活の時に作ったポートフォリオを見せてもらう。作品やご自身のプロフィールが楽しくまとめられていて、その方が7人兄弟の末っ子ということを初めて知った! あと高校の時の部活と部活の役職と担当が全く同じで、勝手に色々フラッシュバックして落ち込んでいた。
イヴを飲んでおいたからか、なんだか落ち着いている心と身体に不安が募っている。 何もできずにぼーっとしている。 新しいiPhoneケースでも作ろうね。
毎年、今年の恵方を聞く度に、それって最近向いたよね?と思ってしまう。
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真3プレイ記 その4
さくさくいくぜ! 次が長くなりそうな気がするので、今回は短めです。 内容:銀座大地下道(前編)
銀座のBGM…… 真1の銀座のアレンジですね!?
…………?
ちがう、真1のアーケードのアレンジですね!!
真1のアレンジだ!という感動と、ここは銀座という情報が混ざって一瞬混乱しました。 東西南北に入り口があるのも一緒ですね。ここまでくるとオマージュというか、パラレル世界だったりするのかな? 真1では神がミサイルで更地にして再生しようとしたけど、真3はガイア教徒の手で受胎による再生が行われた、みたいな。 銀座はニヒロ機構の統治によって秩序の保たれたエリアとのこと。てことは、ニヒロの連中はロウなのね。その辺にいるの、堕天使ですが。 ニヒロのヘッド、人間でありながら悪魔たちに一目置かれるほどの切れ者というのは素直にすごい。 ヘッドの傍には巫女も一緒にいるということで、氷川&先生を連想させるけど、先生、屋上での話しぶりだと、もっと世界の根幹にかかわる場所にいそうな感じだったけどな。先生なのかなぁ。 前回軽い気持ちで次に進もうとしたら痛い目を見たので、今回は合体で仲魔を整えたり、周辺のマップを探索してレベル上げたり、アイテムを買い込んだり、入念に準備してニヒロの何らかの施設に乗り込んだのですが……まさかの門前払い。 (唇を噛む音) バーのママの提案により、今度は敵対勢力の力を借りに行くことに……。 余談ですがここのバーにいるロキに「ミルクでも飲んでな」的なことを言われたので、バーの片隅でぽつねんとミルクを飲んでる主人公くんを想像したら、めちゃくちゃかわいいかったです。でも飲み物は注文できないのね〜。イワクラの水でも飲んでな。 さてさて地下道を通って池袋に向かいます。またしてもデジャヴ。 ここで出会ったマネカタという人たち、マントラ軍の奴隷として作られた人形たちなのだとか。 悪魔たちがわざわざ人間に似せた人形を作って奴隷にしている、ていうのはなんとなく不思議〜。 ニヒロがロウならマントラはカオスだと思うのですが、カオス勢がそういうまどろっこしいことをするのは意外だな。 弱い悪魔たちや、生き残った人間らを奴隷にしている、というのならなんとなくわかるんだけど、わざわざ人形を、しかも人間に似せたものを生産して使ってるのかぁ。男女や老若のバリエーションまでつけて、悪趣味な感じ。 ん?? でも、ニヒロを率いてるのが氷川なら、ニヒロがカオスで、マントラがロウ? 牛頭天王と聞いてカオス悪魔かと思っちゃったけど、天津神だったらロウ属性だしなぁ。(総理大臣をやってるカオス属性の天津神? さぁ……知らないツクヨミですね……) ロウの連中だったらまあ、人形こさえて奴隷扱いなんてのはお家芸だと思うので、なんの違和感もないけども……? よく分からなくなったので、もう一度銀座で話を聞いてみたけど、やっぱりニヒロのほうがロウっぽい。 てことは、ウロコのおじさんの予想がハズレで、二ヒロのトップは氷川じゃないってことなのか。だって、氷川はガイア教徒なんだもんね?? んん〜?? などとぐるぐるしつつ、個性強めでかわいいガラクタ集めのマネカタさんの依頼で、日本円の紙幣を探しにふたたび銀座へ。 クソッ! ジャージ追い剥ぎされてなかったらポケットに財布入ってたかもしんないのに!!(ジャージへの消えぬ執念) ロキが持っていそうな雰囲気ですが、提示された金額はとても払えそうにないので、なんでか見張りが不在の裏口から侵入。 ロキ……見張りを雇うのはいいけど、それはそれとして鍵もかけといた方がいいよ。 家探ししながら、「これ、部屋から出たら見張りが戻ってきてるんだろうなぁ……」とちゃんと予想してたのに、実際角からヌッて出てきたのを見てビクッとなってしまった。 絶妙に怖いんだよな、ビジュアルが……。 しかもウェンディゴかと思ってたらトロールでした。やたらHP多かったけど、さして苦戦はせず。今のところ戦闘は順調ですね。よしよし。 通貨としての価値を失った千円札が、絵画と思われてるの、なんだかいいなぁ。透かしを見る方法、教えてあげたらいいのに、主人公くん。
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雲ノ平縦走記
▼0日目(22日) 毎日あるぺん号 往/折立 ☆出発 竹橋・新宿発 折立行 16000円 新宿西口都庁大型バスP23:00発 (高坂SAまたは上里SAまたは横川SA15分休憩・東部SAまたは松代PAまたは小布施PA15分休憩・有磯海SA15分休憩) 翌日23月の6時40分着
▼1日目(23月祝) 太郎平キャンプ場(太郎平小屋)(テント予約不可) 1500円 昼食:太郎平小屋 ラーメン
折立から薬師峠キャンプ場まで。コースタイム1.1倍でほぼぴったし。太郎小屋で食べたラーメンは美味かった。薬師峠は「ガスっていた」という理由で断念したが、実際は体力的に厳しそうだったから。12時過ぎたから霧雨から小雨に変わる。水場はじゃんじゃん出ている。トイレは100円。紙もあり紙入ボックスもあってとてもありがたい。小雨が降り誰も出歩かず、キャンプ場の管理人は暇そうに空を眺めていた。 ドコモは1本入るが通信が確立できない。 アマノのフリーズドライを戻すときビニール袋を使ってコッヘルが汚れないようにしていたが、シェラカップで直接戻し、フリードライの赤出汁で洗う方式としたが、これのほうがスマートのような気がする。���ント内は最低9度、朝は6度。
▼2日目(24火) 黒部五郎小舎(特定日以外テント予約不要) 2000円(水代含む) トイレ1回200円 昼食:黒部五郎小舎 カレーライス15時まで
6時発を5:30発に何となく変更したが、これが功を奏した。黒部五郎岳のピークハントは真っ白で30分遅れだったのでパス。今回最も楽しみにしていた黒部五郎岳カールも真っ白でこればかりは仕方ないと降り始めると嘘のようにガスが晴れる。圧倒的ドリーミーな空間で素晴らしい。遠くに黒部五郎岳が見えるが、コースタイム1:10ってホントなのかなと歩くとなんと2時間半もかかった。15時の軽食締め切り20分前にカレーとスーパードライを注文。ボリュームたっぷりで信じられないぐらい美味い。
▼3日目(25水) 雲ノ平山荘(特定日以外テント予約不要) 2000円(トイレ・水場あり) 昼食:雲ノ平山荘. 14:00まで
黒部五郎小屋から雲ノ平まで。雲ノ平着がコースタイムだと10時であったがが実際13時だった。3時間遅れなんて初めてだ。やはりザックが重いのが原因のような気がする。黒部五郎小屋で汲んだ2リットルの水は結局一滴も飲まずただの重しとなった。行動食もかなり余り気味。雲ノ平山荘の軽食ラストオーダーが14時なのでテン場にザックを放り投げて山荘へ向かったが、飛べるのでは?と勘違いするほど足取りが軽い。雲ノ平バーガーと缶ビール500で遅い昼食。肉の油が死ぬほど美味い。小屋の人の話を横耳するにはシーズンで3日あるかないかな好天だったとのこと。
▼4日目(26木) 水晶岳:小屋前にザックデポ、ポール不要 三俣山荘(テント予約不要) 2000円(トイレ・水場あり)トイレは小屋内利用
雲ノ平から三俣山荘まで。アルファ米にフリーズドライの親子丼を撹拌したものを頑張って胃の中に落とし込む。5時40分スタートしたが、水晶岳はパスしたは正解だった。私のように足が弱い人間はコースタイム1.5倍ぐらいで写真を撮りながら絶景を堪能しながらゆっくり歩くべきだ。鷲羽岳からブルーの池が見える。一服しに行こうと降りてみたがデポしたザックにタバコを忘れた。13時15分山荘着。トイレは小屋内でとても綺麗。テントをバッと立てて受付を済まし、オムライスとビールと缶酎ハイを頂く。やはりアルファ米とは違う。テーブルに貼られていた伊藤正一記事を読む。今日も晴天だったが、明日からは天候が崩れるそうだ。
4日目ということで匂いが気になるがどうだろうか?シャツは「悪くない汗の匂い」はするが嫌な生乾き臭はしないと自分では感じるが、こればかりは自分ではよくわからない。
清拭について記録しておこう。私が信頼している某YouTuberの方がで手袋型のボディシートがよいと言っていたので、なるほどと今回使用してみたのでだが、保湿成分が入っていて妙にサッパリしない。アルコール入りの普通のボディシートにすべきだったと感じた。
▼5日目(27金) 双六小屋(特定日以外テント予約不要) 2000円(水代含む) トイレ1回200円 昼食:ラーメン 10時~15時 双六小屋
三俣山荘から双六小屋への予定だったが明日は雨予報。双六小屋から鏡平山荘へ電話したところ問題ないというので鏡平山荘まで足を伸ばす。有り金14000円叩いて2食付で1泊する。残金3200円。朝食は5時からで6時には余裕で出発できるとのことだった。天空の滑走路は晴天でびっくり。昼ぐらいに少し小雨が降ったが夕方には槍がはっきり見える。山荘での夕食は20年振り。ご飯をお代わりしたかったがお櫃を開ける勇気がなく断念。1番に食べ終わり食堂を後にした。繊細さんなんだろか?乾燥室で干していたサポーターと手拭いはバリバリに乾燥。ついでに上着も干すことにした。 本当に明日雨は降るのだろうか?
▼6日目(28土) 12時41分 新穂高温泉へ下山 中崎山荘 奥飛騨の湯
鏡平山荘から新穂高温泉へ。雨予報とは何だったのか?槍ヶ岳もはっきり見えている。朝食では勇気を出してご飯をおかわりし6時発。ほぼほぼ下りなのでコースタイム通り。わさび平小屋でオレンジ200円を断念し手持ちのソイジョイで空腹を満たす。新穂高温泉に下山し一番近いスーパー銭湯へ。ザックおきばもあり、900円の割に凄く快適だった。14時発の毎日アルペン号で新宿へ。3列シートは大変快適。
<まとめ> 5泊はキツイ。食料が重すぎる。2泊3日がベスト。日程前提ではなく重量16k台で行程を組むべし。グミは素晴らしい食べ物。サキイカなんて置いてくるべきだった。500のコッヘルはほぼ使用用途がない。 モバイルバッテリーはオフライン運用なら2台持ちでも20000で足りる。最終予備として5000プラスするのもあり。
・行動食余りまくり問題 行動食あまり1.1k ! 酢昆布は1でいい つまみはビーフジャーキとさきいかだったが、ビーフジャーキだけでいい。量も半分でいい。
食料あまり 0.7k ※参考値2食山荘のため ガス使用量50g!
行動食 合計28500KCal(1日4666) ※YAMAPだと14000 重量が重く結局11500ぐらいにした。それでも重い。 食事 合計7200KCal(1日1200KCal) https://www7b.biglobe.ne.jp/~photography/calorie.html
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2020年3月、兵庫県神戸市西区の精神科病院「神出病院」の看護師や看護助手ら6人の男が、患者への虐待容疑で一斉に逮捕された。看護の道を志して集まった彼らは、なぜ卑劣な犯行に手を染めたのか。閉ざされた病棟ではいったい何が起きていたのか? ここでは、事件の背景に迫った神戸新聞取材班の渾身のルポルタージュ『 黴の生えた病棟で ルポ・神出病院虐待事件 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆ 神出病院の看護助手を強制わいせつ容疑で逮捕 神戸をイメージさせる海もなければ、ハイカラな洋風建築も、石畳もない。市の最西部に位置する西区は、台地の上にニュータウンが広がり、緑豊かな谷あいに田畑や果樹園、牧場が点在している。静かで、のどかで、犯罪発生件数も少ない。そんな一帯を管轄する兵庫県警の神戸西警察署で、署員たちは2019年夏からピリピリしていた。 というのも、その頃から若い女性が襲われる強制わいせつ事件が相次いでいた。お盆中の8月13日午後11時頃、帰宅してきた女性が自宅マンションのエントランスに入ろうとすると、後ろから近づいてきた男に突然、顔を手で押さえつけられた。かろうじて悲鳴を上げると、男は下半身へと手を伸ばす。だが、女性はショートパンツだったことから、男は胸を触って走り去った。 1カ月後の9月、そして11月にも、帰宅中の女性が背後から男に抱きつかれ、下着の中に手を入れられたり、尻を触られたりした。 神戸西署が捜査を進める。すると、11月の犯行現場で不審な動きをする男を、近くの防犯カメラが捉えていた。さらに8月の事件で、犯行現場に近い建物のドアに掌紋(しょうもん、手のひらの紋)が付着していたことがわかった。 一連の事件の容疑者として1人の男が浮上する。それが神出病院で、看護助手をしていた当時27歳の田村悠介(たむらゆうすけ、仮名)だ。 田村には、女性の悲鳴を聞くほど興奮が高まるという性的嗜好があった。最初はスカートの中にスマートフォンを差し込んで盗撮行為を繰り返していたが、やがて物足りなくなり、女性を直接襲うようになった。神出病院で看護助手としての仕事を終えた帰りに車で駅前などに立ち寄り、ターゲットを定める。女性が人通りの少ない場所に入ったことを確認すると、スマホの録音ボタンをオンにして、後ろから歩いて尾行した。 その年の12月、神戸西署は強制わいせつ容疑で田村を逮捕する。押収したスマホには女性の悲鳴が多数収められていた。しかし、その悲鳴よりも捜査員を驚かせたのは、それとは別に保存されていた動画の数々だった。 押収したスマホから見つかったおぞましい動画の数々 「○○君、口、口」 「早すぎる、早すぎる。もう1回」 「舌入れな」 再生すると、はやし立てる数人の男の声がした。 50~60代の男性2人が襟をつかまれ、キスをさせられている。2人が神出病院の入院患者であることはすぐに察しがついた。 別の動画では、再び同じ男性がベッドに仰向けになり、陰部にジャムを塗られていた。これにもあざ笑う声が入っている。 「ちゃんと吸ってや」 「ちゃんとなめてよ」 「ここ、ちゃんとくわえろって」 別の男性患者がその陰部をなめる様子が映っていた。 看護師らが患者を集団虐待する前代未聞の事件 事件の端緒が女性への強制わいせつだったこともあり、神戸西署には当初、これらの動画も田村が性的目的で撮影したのではないかという見立てがあった。ただ、動画から聞こえる嘲笑の声は、明らかに複数の人物が関わっていることを示しており、わいせつ行為よりも人間の身体をもてあそぶことが目的のように思われた。 神戸西署は県警本部の捜査1課から応援を得て、捜査態勢を強化することを決めた。わいせつ事件をはじめ、殺人、放火、強盗、誘拐、立てこもりといった凶悪犯罪を専門に扱う捜査1課の捜査員を投入し、最先端の捜査技術も駆使して指揮命令系統を一本化させる。 看護師らが患者を集団で虐待するという前代未聞の事件捜査はこうして始まった。 60代の男性患者を長期間にわたって監禁し… 田村はスマホに全部で約30点の動画を残していた。 このうちの1つには、逆さまにひっくり返された重さ100キロ近い柵つきベッドの中で、長時間にわたって監禁されている60代の男性患者の姿も映っていた。男性は檻(おり)のようになったベッドの落下防止柵のすき間から 「出してーな」 「何するんや」 と悲痛な声を上げている。 男性は食べ物への関心が極度に強いという特有の症状があった。 田村たちが柵のすき間からポテトチップスの袋を見せると、体をばたつかせ、顔をゆがめて必死でもがく。別のすき間からは何やら尖(とが)った紙状のものを差し込み、男性の体を何度も突っついていた。 よく見ると、わざわざ包丁の形に作った厚紙の模型だ。男性がおびえ切った表情で体をよじって暴れると、ベッドの床板が外れ、男性の体が押しつぶされた。 スマホに残された撮影時間から、警察は監禁時間を26分間としたが、実際には少なくとも1時間半にわたって監禁は続けられたという。田村たちはひとしきり患者をからかった後、現場を離れ、時折様子をうかがいに来るだけだった。男性を助け出したのは同じ部屋の別の患者だった。 虐待行為は手を替え品を替え続けられていた 動画に映っていた被害者は全員で7人。いずれも男性で重度の精神疾患があり、されるがままの状態だった。 看護師らによる虐待行為は他にも手を替え品を替え続けられていた。 ・病院のトイレで患者を裸にし、椅子に座らせて顔にホースで水をかけ、嫌がると洗面器で湯をかける。 ・車いすの患者の頭に粘着テープを四重に巻きつける。 ・球状に丸めた粘着テープを患者の頭めがけて投げつけておびえる様子を面白がる。 ・患者の頭にゴム手袋をかぶせ、嫌がって外そうとする患者の両腕を2人がかりで引っ張ってもてあそぶ。 ・シリンジ(注射器)を水鉄砲のようにして患者の顔に水をかけ、悲鳴を上げて嫌がる様子を見て楽しむ。 ・患者の腕を引っ張って別の患者を殴らせたり、ベッド上で患者の体に別の患者を乗せたりし、抵抗すると押さえつけたり、鼻に指を突っ込んで引っ張ったりする。 県警は動画を解析し、右のような、 「7つの暴力行為、3つの性的虐待」 を特定した。病院から撮影日の勤務態勢がわかる資料を提出させ、行為に関わったとみられる人物を絞り込む。起訴するか否かを判断する検察と打ち合わせをして、送検容疑を確定させた。 「体を押さえ、無理やりキスを…」神戸の精神科病院で、看護師が患者に強制わいせつ→事件発覚後に病院側が取った“驚きの対応”とは へ続く
「ちゃんとくわえろ」「舐めてよ」精神科病院の看護師が、患者に“おぞましい性的暴行”…神戸・神出病院で起きた“前代未聞の虐待事件”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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