#後藤勇一郎
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jasper-rolls · 14 days ago
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Song: はるかなる故郷 [Distant Hometown] Artist: 大木理紗 & 野口郁子 feat. 後藤勇一郎 & THE DYNAMITES [Risa Ohki & Ikuko Noguchi feat. Yuichiro Goto & THE DYNAMITES] Composer: 植松伸夫, 山吹理々子, 後藤勇一郎 [Nobuo Uematsu, Ririko Yamabuki, Yuichiro Goto] Album: FINAL FANTASY VOCAL COLLECTIONS II [Love Will Grow] Producer: Square Enix
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nanairoarts · 10 months ago
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Cowboy Bebop Opening and Ending Theme Credits
I had someone ask about this on YouTube and figured I may as well share the information here too.
テレビシリーズオープニングテーマ: Tank! 作曲/編曲:菅野よう子 演奏:シートベルツ 原画:そえたかずひろ 小森高博 後藤雅巳 今掛勇 作画監督:川元利浩 後藤雅巳 演出:渡辺信一郎 コンピュータ処理:レアトリックチャッピィ テレビシリーズエンディングテーマ: THE REAL FOLK BLUES 作詞:岩里祐穂 作曲/編曲:菅野よう子 唄:山根麻以 演奏:シートベルツ 原画:逢坂浩司 作画監督:川元利浩 演出・渡辺信一郎 コンピュータ処理:レアトリックチャッピィ
TV Series Opening Theme: Tank!
Composed/Arranged: Yoko Kanno Music: Seatbelts Keyframes: Kazuhiro Soto, Takahiro Komori, Masami Goto, Isamu Imakake Animation Director: Toshihiro Kawamoto & Masami Goto Director: Shinichiro Watanabe CG Effects: Raretrick, Chappy (Chappie? This company does not appear to exist anymore)
TV Series Ending Theme: THE REAL FOLK BLUES
Lyrics: Yuho Iwasato Composition/Arrangement: Yoko Kanno Vocals: Mai Yamane Music: Seatbelts Keyframes: Hiroshi Osaka Animation Director: Toshihiro Kawamoto Directed by Shinichiro Watanabe CG Effects: Reatrick, Chappy
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deadscanlations · 1 year ago
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Kitsch Volume 8 - Various
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[ANTENNA牛魚 葉明軒 nyaroro 李隆杰 (聞き手 呉塵?(ゴ ジンカン) 構成協力 洪文茜(アカネ))] 台湾漫画家大探訪 [Morpho] 浦島太郎子 [R・リンドストロム] SHAPESHIFTER [[土居豊(イラスト 鬼山龍宿)]] 名探偵ブロッくんとお城のおばけ [おがわさとし] パピリオと死体泥棒第3話 [ひさうちみちお] 創世記第11章 [もぷ子] 大海原に×をこけば [シゲケンジ] らくがき [ムライ] 夏天吃挫冰 [加部勇一郎] 台湾を描いた連環画を読む [吉村智樹] 京都の死にたい場所 [市田響] 視界の端?モトコーに咲く花隈ソファーズ? [森環] 12月の手紙 [森雅之] 遠く [浅倉俊樹(イラスト 沢渡鳶)] 愛すべき廃人たち [瀬戸響生] 真面目なんかじゃない [画 風狸けん 原作 川上大典] 今夜、バーで [石川次郎] やらせろばかやろこのやろ [紺野まこと(イラスト モツ子)] なんば恵比寿座物語 第三話 ゴッドファーザー [藤原カムイ 花輪和一 ほし埜 日高トモキチ 阿部洋一] 須彌山 [透村] 宝くじ女子! [關眼陣梧(イラスト ヒノデエイジュン)] 国際探偵 ? チェイス・オブ・ザ・ワールド 中編 “ガロ”の まんが道・後編 ?手塚能理子編?
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nua-ap · 5 months ago
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コジ・ファン・トゥッテ または恋人たちの学校
AP_2021 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 1期生 卒業公演
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オペラ コジ・ファン・トゥッテ ーまたは恋人たちの学校ー Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti
全2幕 原語上演(イタリア語)日本語字幕付き
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オペラって沼!
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フェランドとグリエルモは、フィオルディリージとドラベッラ姉妹と熱愛中。恋人の愛を疑わない男2人に、哲学者アルフォンソは賭けを持ちかける。その賭けにのった男2人は、変装してお互いの恋人を取り換えて、口説いていく。女中のデスピーナに自由な恋愛を勧められ、徐々に恋に落ちていく恋人にショックを受ける男2人を、アルフォンソは「女はみんなこうしたもの」(コジ・ファン・トゥッテ)と諭し、新しい恋人たちと結婚式を挙げる。誓いに署名した後、変装を解いた男2人は姉妹を責め、姉妹は心変わりを釈明し、アルフォンソはネタバラシをして4人に和解を勧める。
中世イタリアが舞台の原作を現代に置き換え、日本語字幕付きで上演。
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作曲:W.A.モーツァルト 台本:L.ダ・ポンテ
指揮:柴田 祥 演出:鳴海康平
合唱:NUA音楽領域声楽コース有志合唱団 管弦楽:NUA舞台芸術領域オーケストラ
フィオルディリージ:山田 知加 ドラベッラ:菊池 京子 フェランド:大久保 亮 グリエルモ:西元 佑 デスピーナ:佐藤 安莉 ドン・アルフォンソ:高柳 耕平
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開演日時
2025年2月2日(日)13:00 ※12:15より開場 / 終演予定 15:30(途中休憩あり)
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料金(全指定席)
一般 / S席 5,000円、A席 4,000円 U25 / S席 3,000円、A席 2,500円 高校生以下 / S席 2,000円、A席 1,500円
※当日券は +500円 ※未就学児入場不可
●事業団友の会会員および障だい者等:各種500円引き 事業団友の会会員、障がい者手帳等をお持ちの方は購入時に会員証、障がい者手帳をご提示ください。障がい者の方は、ご本人と付添1人まで割引料金でお求めいただけます。
●車椅子席(一般 4,500円/U25 2,500円/高校生以下 1,500円)あり。 介助席は車椅子席1席につき、1席まで同額でお求めいただけます。席数に限りがありますので、お早めにご購入ください。
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チケット取り扱い
11月1日(金)より発売開始 ※10月23日(水)〜10月31日(木)、友の会先行発売
●名古屋市芸術創造センター TEL 052-931-1811 (令和6年12月28日までは休館日(日曜日)を除く9:00~17:00、令和7年1月4日からは休館日(原則月曜日)を除く9:00~20:00)
●名古屋市文化振興事業団チケットガイド TEL 052-249-9387(平日9:00~17:00/チケット郵送可)
●名古屋市文化振興事業団が管理運営する文化施設窓口(土日祝日も営業)
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会場
名古屋市芸術創造センター
愛知県名古屋市東区葵 1-3-27
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舞台プロデュースコース
大橋結音、橋本みのり、湯原 桃
舞台美術コース
伊藤智与、岩原由季、大橋咲蘭、小川莉奈、小野花弥 垣内維月、加藤 愛、加藤杏菜、酒��� 新、鈴木美生、高橋彩羽 谷口小春、永村清華、林 夏里奈、細川暁生、山本翔太
演出空間コース(音響)
飯田凌矢、井上裕貴、勝川美海、木村日菜 西郷卓哉、中根美咲、福浦雅楽、福冨隼大
演出空間コース(照明)
浅田彩友、石井日凪代、前田遥音、松原沙耶華
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指導教員:
浅井信好、石黒 諭、市来邦比古、稲葉直人、岡野憲右、梶田美香、加藤えつこ、金井勇一郎、神谷怜奈、丹羽康雄、乗峯雅寛、堀場智宏、山口 剛
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イラスト:Tomatomayu フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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※やむを得ない事情により出演者が変更となる場合がございます。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合がございます。 予めご了承ください。 ※公演内容の変更を除き、いかなる場合もチケットの払い戻しは行いません。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催:名古屋芸術大学 舞台芸術領域、公益財団法人名古屋市文化振興事業団 芸術創造センター 協力:名古屋芸術大学 音楽領域、馬場 浩子、久米 愛香、第七劇場
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お問い合わせ:名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
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774 · 2 years ago
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3月1日、江戸城鍛冶橋屋敷を出陣した旧幕府軍は、隊長・近藤勇(この時は若年寄格となり、名を大久保剛と改めていた)の出生地である上石原宿を通過し、府中宿で一泊。翌2日に副長・土方歳三(こちらも寄合席格となり、名を内藤隼人と改めていた)の出生地である日野宿を通過し、八王子宿で昼食、夜には相模国の与瀬宿に到達。そして3日に甲斐国に入り、上野原宿で昼食を取った後、猿橋宿に一泊した(以上の行軍スケジュールは「佐藤彦五郎日記」に依る)。 この間の近藤らの様子について子母澤寛は『新選組始末記』で「勇の出生地上石原も、土方の石田村も街道筋である。言わば多摩の壮士が大名になったのだから、歓迎又歓迎、泊まっては飲み飲んでは泊り」と描写している。しかし、「佐藤彦五郎日記」によれば、旧幕府軍は隊長の出生地である上石原宿も副長の出生地である日野宿も通過しており、そこでは酒宴はおろか昼食も取っていない。また、江戸出発から3日目には甲斐国に足を踏み入れているわけで、とても「泊まっては飲み飲んでは泊り」という状況ではなかったことが裏付けられる。ただ、上石原で近藤が地元の歓迎を受けたのは事実で、上石原の古老の話として「近藤は出発の際、歓迎に感謝したのと見送りの人々への礼儀として、上石原宿を出るまでは駕籠に乗らずに徒歩で行った」という。
甲州勝沼の戦い - Wikipedia
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kuribayashisachi · 2 years ago
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
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■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらため��せようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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medickalmalpractice · 2 years ago
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長��どを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとり���は、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりそ���実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもとも��信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情��などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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iichimiso · 2 years ago
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【重要】嬉しいお知らせ
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どうもお久しぶりです!
加藤兵太郎商店の7代目、加藤篤です。
今までブログを書いてきて、最も間が空いてしまいましたが、今回は書かなければならない嬉しいお知らせがあります。
嬉しいと言っても、加藤兵太郎商店にとって嬉しい話であって、お客様にとっては特に影響の無い話かもしれません。
興味のある方だけ読んでいただけたらと思います。
大きく2つのお知らせがあります。
合資会社から株式会社へ組織変更
加藤兵太郎商店は長年、合資会社という現代では珍しい形態で商いを続けてきました。
そのため、私の肩書は「社長」ではなく「代表」が正式なものでした。
それが2023年5月8日付けで株式会社加藤兵太郎商店に社名が変更となり、七代目���ある私、加藤篤は「取締役社長」という肩書に変更となりました。
お客様にとっては、特に意味の無いことですね笑
小田原紙器工業株式会社の完全子会社に
こちらがメインのお知らせでして、株式会社加藤兵太郎商店はこのたび、小田原紙器工業株式会社との間におきまして、2023年5月30日付けにて締結いたしました株式譲渡契約により、小田原紙器工業株式会社の完全子会社になることとなりました!
小田原紙器工業株式会社は小田原で長年、化粧箱などの「箱」を中心に事業を展開している会社です。
小田原紙器工業のホームページ
これに伴いまして、小田原紙器工業の現社長である高橋と、前社長の木崎が加藤兵太郎商店の役員として加わりまして、以下の体制で運営することになりました。
代表取締役会長: 高橋 康徳 取締役社長:加藤 篤 取締役(非常勤):加藤 公明 取締役(非常勤):木崎 庸雅
加藤兵太郎商店のこれから
さて、じゃあこれから加藤兵太郎商店はどうなるの?
という大事な話ですが、実はお味噌の製造工場の移転を予定しております。
元々、この吸収合併の肝は現在の製造工場の老朽化にありました。
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古い伝統的な設備での製造というのは、老舗味噌屋の魅力的な部分でもありますが、反面、メンテナンスや衛生面の観点から言えば大変なことだらけ。
いつかは大規模修繕、もしくは工場の移転をしないと継続できないほど、老朽化は進んでおりました。
いつかは決断が必要になりますが、どちらの案も、かなりの投資額となります。
近年、加藤兵太郎商店の数字は有難いことに良くなってきてはいます。
しかし、縮小傾向にある味噌業界で大きな投資に踏み切るのは、加藤兵太郎商店の力���けではリスクが高すぎるんじゃないかと判断しておりました。
投資に踏み切る勇気がないのなら、店をたたむしかない。
そんな覚悟をし始めていた時、小田原紙器工業の高橋社長より「一緒にやらないか」と声をかけていただいたのです。
しかも、味噌工場を設計できるほどの大きな物件をすでに保有しており、そこに移転しないかと。
100%断る理由が無い。
そんなわけで、晴れて加藤兵太郎商店は、この先また100年続く味噌屋を目指して再出発することになったのです!!
加藤兵太郎商店をご贔屓にしてくださっている方には、ここが関係あるところだなと思っています。
加藤兵太郎商店はこれからも味噌を作り続けるわけです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します!!
さて、移転にあたっては不安を感じていることがありります。
それは、製造工程がつまらないものになるのではないか、ということ。
「伝統的な設備で作っていれば美味しいお味噌ができる」
そんなイメージを持たれている方もいます。
事実な部分もありますが、実態としては違う部分も多くあります。
そういったイメージの部分と実態の部分のバランスを取りながら、ただ美味しい味噌を作るための設備ではなく、人が興味を持ったり、求めてくれるような形で完成させたいなと思っています。
色々と想いを巡らせながら、進めていきたいと思います。
ちなみにですが木桶での醸造は継続します。
工場の詳細や移転作業の様子はSNSやブログで少しずつお伝えできればと考えています。
そんなこんなでこれから大変なのですが、これからも加藤兵太郎商店としてお味噌を作り続けられるんだという嬉しい気持ちを持って、乗り越えていくつもりです。
バタバタする中で少々ご迷惑をお掛けすることも出てくるかもしれませんが、暖かい気持ちで見守っていただけましたら幸いです。
これからの加藤兵太郎商店をどうぞよろしくお願い致します!!
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yokotabimovie · 2 years ago
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映画「658km、陽子の旅」
第25回上海国際映画祭コンペティション部門ワールドプレミア 出品決定!
『658km、陽子の旅』が、2023年6月9日(金)から18日(日)の日程にて中国・上海で開催される第25回上海国際映画祭コンペティション部門に選出され、ワールドプレミアされることが決定いたしました!
併せて海外版ビジュアルも同時解禁となりました。
上海国際映画祭の歴史は 1993年に始まり、中国で唯一、国際映画製作者連盟 FIAPF公認の映画祭として、映画文化の普及と映画産業の発展とを目的に、毎年10日間の会期中に国内外の約500作品が上映されている映画祭。日本映画が多く選出される映画祭としても知られ、日本特集や特別上映会などが人気を博しています。昨年は、新型コロナのウイルス感染症の影響から延期となっていた第25回上海国際映画祭ですが、 誕生30 周年を迎える今年の上海国際映画祭は、リアル開催を予定。 審査委員長��は、 ポーランド・ウッチ出身の映画監督・脚本家・俳優にして、世界三大映画祭すべてで賞を獲得している、イエジー・スコリモフスキが就任しています。
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これまでに日本映画がコンペティションに参加した作品には、第16 回開催時の日向寺太郎監督『爆心 長崎の空』 、第19回の阪本順治監督『団地』、第21回の犬童一心監督『猫は抱くもの』、第22回の今泉力哉監督『アイネクライネナハトムジーク』などがあります。また、 2005年に開催された第8回上海国際映画祭にて、三原光尋監督『村の写真集』が最優秀作品賞、最優秀男優賞(藤竜也)を受賞しています。 また、TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM(TCP)作品としては、 『ブルーアワーにぶっ飛ばす』で第22回上海国際映画祭(2019 年) のアジア新人部門にて箱田優子監督が最優秀監督賞を受賞して以来の上海国際映画祭への出品となります!
出品決定に伴い、熊切和嘉監督、並びに主演の菊地凛子より、コメントが到着しました。
<熊切和嘉監督 コメント>
この度は、上海国際映画祭の栄えあるコンペティション部門に本作を選出いただきまして、あり��とうございます。世界中から選ばれた素晴らしい作品の中の一本となれたことを光栄に思います。
コロナ禍の真っ只中で生まれた「陽子」の旅路が国境を越え、上海の観客の皆様や、世界から集まる映画人の皆様の心に届くことを願っております。
<主演 菊地凛子 コメント>
上海国際映画祭のコンペティションに、私の宝物のような作品が上映される事、本当に本当に嬉しく思っております。20年前に私を役者として最初に導いてくれた熊切監督。またこうして作品が出来た事、手を取って最後のゴールに辿り着いた時の事、今でも私を勇気づけてくれます。
���れが、またこの上海をスタートにたくさんの旅をして、観客の皆様のそれぞれのゴールに辿り着いてくれる事を願っております。
<徐昊辰 上海国際映画祭プログラマー コメント>
巨大防潮堤、荒々しく激しい波、復興中の町、ほぼ車のない道・・・熊切監督は、旅の途中の風景を完璧に使い、自分の時間が止まった主人公・陽子を連れて、痛みと悲しみを乗り越える旅に出る。
この激動の時代に、こんなパワフルの作品を上海国際映画祭でワールドプレミアができて、とても光栄に思います。
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭��阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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misasmemorandum · 2 days ago
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『男漱石を女が読む』 渡邊澄子
漱石の作品をジェンダー学、女性学の視点から読み解く本。著者は漱石ファンのようだが、学者さんだからか抑制が効いてて、男性の評論家などにあるような漱石崇拝は見られなくて読みやすかった。
漱石の時代、男は、徴兵制度、大日本国憲法、教育勅語、明治民法発布などを通して、「『富国強兵』政策路線下で「私」を捨てて国=天皇のために喜んで一身を投ずる「公」に生きることを<男らしさ>の規範の表徴とするもの」にならねばならず、女は、「女大学」を継承した「良妻賢母」を<女らしさ>の規範とした(p4)。ここにある「私」はその私が属する「家」と言うのが正しいだろうなと思った。女らしさと同様、男らしさも明治政府の国策だったのだ。
漱石は時間に余裕がなかったのもあって、推敲などに時間をかけなかったからか、「当て字や誤字、一貫性に齟齬があった(p57)」と思われるそうだ。なるほどな。職業作家になった後も推敲とかあまりしなかったのかな。
漱石にとって教職は食べるためで、名誉のためではなかった模様。辞めたくてやめたくてたまらなかったようだ。
イギリス留学中に詩人のウォルト・ホイットマンを見つけ、その平等・平和主義を知る。
漱石が、女性の結婚前と後で、立場が大きく変わってしまうのを慮れるのは、自分が養子に出された後、実家の必要故に戻された経験があるからだろうと思う。しかし、この体験から他者を思いやれるようになったのは、漱石個人の資質だ。
以下はこの本で語られた作品、それが書かれた年、そして本文に出ていた知らなかった単語、その他。
『吾輩は猫である』 1904年12月から1906年7月 日露戦争中の作品。
 はしなくも/端無くも:思いがけず、はからずも
��虞美人草』 1905年11月から1906年7月 上の作品とこちらにある「パーソナリチー」は人としての存在とかかな。
 恒産(こうさん):定まった財産
『三四郎』 1908年9月から12月
『それから』 1909年6月から10月
『門』 1910年3月から6月
『彼岸過迄』 1912年1月から4月
近代作家にあって、漱石とはおそらく他者としての女性を発見した最初の一人であろう。そこには女性に対する憧憬と畏怖とが書き込まれる。(佐藤泰正)(p220)
『行人』 1912年12月から1913年4月に中断、9月に再開11月まで これ、あらすじを思い出せなかった。厭な内容だからか。
『こころ』 1914年4月から8月
この作品は、<私が私であることの不快>(埴谷雄高)を描いてるんだって。いつかまた読むときにはこの点に注目してみる。
『道草』 1915年 死の前年
「『結婚制度の悲劇を、男の側から摘出した』『限りなくフェミニズムに近い小説』」(伊豆利彦)だそうです。私は探偵のくだりしか覚えてなかったりするけど(爆)
『明暗』 1916年 これは未読なので読んでない
最後に著者のあとがきより
月を丸いと決めてかかるのは、「教育の結果、習慣の結果、ある眼識で外観を観、ある態度で世相な眺め、そしてそれが真の���界で、また真の世相と思つてゐる」からであって、資格も観る角度を変えれば「千差万物に見る事が出来る」のに、「観る態度に於いて悉く一致」しているのは「規約の束縛を冥々[ママ]のうちに受けてゐる」ためで、そのような「相場」のきまった「杓子定規」で見るのではなく、「世界は観様で色々に見られる」ものなのだから、「大胆な勇猛心を起こして「」「一視同仁の態度」で「客観に重きを置」いて書く必要がある(p394)
以上。やっぱり漱石好きだわ。
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siteymnk · 6 days ago
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第5回人文知応援大会「人工知能のアラインメントにおける人文知 ~真に役立つAIのために~」@一橋講堂へ。
AIが進化していく中でのアライメント(AIが、利用者である人類の価値観や倫理観に沿って適切に行動することを保証するためはどうしたら良いかという議論や研究)と人文知= 文化を愛で、芸術に親しみ、人文学を身につけることを通じて、 人の心の中に生まれてくるしなやかで強靭な「知の力」との関係性をテーマにしたイベント。
<基調講演>
「人工知能のアラインメントにおける人文知~『IKIGAI』への反響に学ぶ~」
茂木健一郎 脳科学者、東京大学大学院 特任教授
<パネル討論>「人工知能のアラインメントにおける人文知~真に役立つAIのために~」
● ファシリテーター
茂木 健一郎 脳科学者、東京大学大学院 特任教授
● 討論参加者
池上 高志 東京大学大学院総合文化研究科 教授
磯野 真穂 東京科学大学(前・東京工業大学)リベラルアーツ教育研究院 教授
伊藤 穣一 学校法人千葉工業大学 学長
中島さち子 株式会社steAm 代表取締役   浅原 正幸 国立国語研究所 教授
パネラーの豪華な顔ぶれに惹かれたのと、AIと人文知の関係性にもタイムリーに興味があったので(ちょっと敷居が高かったのだが)勇気を出して聴きに行った。
予想以上に議論が白熱していてバ���バチする瞬間もあった程。当然、その分濃密で興味深い話が次から次へと出てきて付いて行くのも大変だった。気持ち良い脳の疲労。終わってみると人文知の話ってあった?って気もしないでもなかったり。
気になったキーワードを乱雑に列挙:
・GPT4は人類のバタフライ(ジェフリーヒントン)
・知性とは?IQと収入の相関は低い
・倫理判断は評価関数で書けない?
・何かが目標になると良い基準でなくなる(グッドハートの法則)
・コミュニティーファースト、加わる事が大事、才能は後から付いてくる、相互作用が性格を作る
・AIは人間を超えるか?という議論は意味がない
・美学は最適化できない
・今の時代はこんな感じだよね、文化
・AIを作ることは社会モデル作ること、インプットは社会の相対データ)
・人間のバイアスこそが人類を進化させる
・世界の根底には物理法則が流れている!
・AI=株式会社、社長は意識、社員は無意識
・信念、行動、象徴=文化
・儀礼儀式の重要性、必要なモノを残すのが美学
・AIは道具ではない、人間こそがボトルネック
・自分で自分の好みを考える事が重要、答えを出すだけならマシーンと一緒、ノーベル賞は取れない
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gallery-fall · 2 months ago
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展示スケジュール 2024
2024年
1月
01 | 10 → 01 | 21 bubuchiyo「鳥獣張子」●
01 | 24 → 01 | 28 柿本芳枝「sketch」●
01 | 31 → 02 | 04 モノ・ホーミー「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」●
01 | 10 → 02 | 04 ショーケース「Sweet Dreams Press」□
2月
02 | 07 → 02 | 11 VRANA展 ●
02 | 14 → 02 | 25 kanaexpress「MISSION 印 POSSIBLE」●
02 | 07 → 02 | 25 ショーケース「Loule」□
12 | ?? → 03 | ?? 小部屋「古本泡山」▲
3月
02 | 28 → 03 | 10 フルコチエ「Palette」●
03 | 13 → 03 | 24 小方英理子「Play time」●
02 | 28 → 03 | 24 ショーケース「DOOKS」□
03 | 25 → 04 | 02 春の休暇をいただきます
4月
04 | 03 → 04 | 07 伊藤満「Primavera」●
04 | 10 → 04 | 14 おくまゆみ「ダンス・ダンス・アバンダンス」●
04 | 17 → 04 | 21 小西良 陶展 ●
04 | 24 → 04 | 28 川﨑和美 ガラス展 ●
04 | 03 → 04 | 28 ショーケース「夏葉社」□
5月
05 | 01 → 05 | 05 久野真琴 陶展 ●
05 | 08 → 05 | 12 余地「紙しつらふ」●
05 | 15 → 05 | 19 トリノコ「トリノコの木」●
05 | 01 → 05 | 19 ショーケース「ティータイム」□
05 | 22 → 05 | 26 チチネオ + imuy「MEXICOのたまてばこ」●
6月
05 | 29 → 06 | 02 ポン豆ヤ「遊覧記念 3」●
06 | 05 → 06 | 09 後藤洋平 ガラス器展「etude」●
05 | 22 → 06 | 09 ショーケース「off note」□
03 | – → 06 | – 小部屋「コトノハブックス」▲
06 | 12 → 06 | 16 MIHANI「みはにのいろいろ展」●
06 | 19 → 06 | 30 花松あゆみ「DREAMING」●
06 | 12 → 06 | 30 ショーケース「となりにある古楽」□
7月
07 | 03 → 07 | 07 小山暁子 陶展「日常の中のおもかげ」●
07 | 10 → 07 | 14 マイェ・ブラス・シングス「、あなたへの手紙」●
06 | ?? → 07 | ?? 小部屋「インスタ日記11(仮)」▲
07 | 17 → 07 | 21 woo texitles「MIYOU NO ZAKKA」●
07 | 03 → 07 | 21 ショーケース「港の人」□
07 | 24 → 07 | 28 MONA SUGATA「GRASSLAND」●
8月
07 | 31 → 08 | 04 苔むす木工「un-gu」●
08 | 07 → 08 | 11 工藤冬里 陶展「my old fRame」●
07 | 24 → 08 | 11 ショーケース「土曜社」□
08 | 12 → 08 | 27 夏の休暇をいただきます
9月
08 | 28 → 09 | 01 岸野衣里子「海の底のボーリーン」●
09 | 04 → 09 | 08 髙橋旭「秋、かよふ。」●
09 | 11 → 09 | 15 古本と手製本ヨンネ「ヨンノオト」●
08 | 28 → 09 | 15 ショーケース「カンパニー社」□
09 | 18 → 09 | 22 エスオウ セラミクス 陶展 ●
09 | 25 → 09 | 29 かなおり「マル」●
10月
10 | 02 → 10 | 06 aardekleur「day by day」●
10 | 09 → 10 | 13 藤原喜一郎 磁器展「きのまま」●
09 | 18 → 10 | 13 ショーケース「PRESS POP」□
10 | 16 → 10 | 20 猫村あや「小さな収穫祭」●
07 | ?? → 10 | ?? 小部屋「higurashi in SMALL FALL」▲
10 | 23 → 11 | 03 間芝勇輔「線の行方」●
10 | 16 → 11 | 03 ショーケース「ほしおさなえ&星々」□
11月
11 | 06 → 11 | 10 nagamori chika「冬温し」●
11 | 13 → 11 | 17 深谷望+水野谷八重「陶と漆」●
11 | 20 → 12 | 01 平木元「PRIMITIIVIT」●
11 | 06 → 12 | 01 ショーケース「盆地Edition」□
10 | ?? → 12 | 01 小部屋「シスロフブックス」▲
12月
12 | 04 → 12 | 14 比留間郁美 陶展「vaisselle d’hiver -冬の器-」●
12 | 18 → 12 | 29 higurashi「higurashi in FALL」●
12 | 04 → 12 | 29 ショーケース「flau」□
12 | 30 → 01 | 07 年末年始の休暇をいただきます
過去のイベント
2023年 → ●
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x751206 · 2 months ago
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絕望與榮耀
絕望與榮耀 被殖民者的抉擇
我: 請介紹日本動畫反逆的魯路修。
ChatGPT: 《反逆的魯路修》(Code Geass: Lelouch of the Rebellion)簡介 《反逆的魯路修》是由日本日昇動畫(Sunrise)製作的原創動畫,於2006年10月首播。 該作品由谷口悟朗擔任導演,大河內一樓負責系列構成,CLAMP負責角色設計。 動畫自播出以來大受好評,成為經典的機甲、政治陰謀類動畫之一。 它以精彩的劇情、角色的多重面向、哲學思辨,以及震撼人心的反轉劇情而廣受討論。
🌎 故事背景 《反逆的魯路修》的故事發生在一個架空的近未來世界,在這個世界中,神聖不列顛尼亞帝國是全球最強的軍事大國,已經征服了大半個世界。
其中,日本被不列顛尼亞帝國征服後被改名為「11區」,原有的文化和民族尊嚴被剝奪,當地居民被稱為「Elevens」,淪為二等公民。 不列顛尼亞帝國還利用強大的Knightmare Frame(騎士機甲)進行軍事壓制。
👑 主要角色
魯路修·蘭佩洛基(Lelouch vi Britannia) 聲優:福山潤 身份:不列顛尼亞帝國第十一皇子,後來成為反抗軍領袖「Zero」 能力:擁有「Geass」(絕對服從之力) 個性:聰明冷靜,富有野心與復仇心,但也非常關心妹妹。 魯路修是本作的主角,他原本是皇室成員,但母親被暗殺後,他和妹妹被流放至日本。 魯路修在遇到神秘女子C.C.後,獲得了Geass的力量,這種能力讓他能夠強迫他人服從他的命令。 為了摧毀不列顛尼亞帝國,並建立一個和平的世界,他創造了「Zero」這個身份,成為反抗軍的領袖。
C.C.(シーツー) 聲優:野上尤加奈 身份:擁有不老不死之身的神秘女子,Geass的啟示者 個性:冷靜、神秘,對魯路修有著特殊的感情。 C.C.是將Geass力量賜予魯路修的人。她背負著許多秘密,與不列顛尼亞帝國、Geass組織有千絲萬縷的關聯。
納納莉·蘭佩洛基(Nunnally vi Britannia) 聲優:名塚佳織 身份:魯路修的妹妹,因為遭遇襲擊導致雙眼失明、雙腿癱瘓 個性:溫柔善良,堅信和平。 納納莉是魯路修行動的最大動機。魯路修希望透過自己的力量創造一個納納莉可以幸福生活的世界。
樞木朱雀(Kururugi Suzaku) 聲優:櫻井孝宏 身份:魯路修的童年好友,日本首相的兒子 個性:正義感強烈,主張透過合法手段改變世界。 朱雀加入不列顛尼亞軍隊,希望以內部改革的方式為日本帶來和平。 但因理念不同,他最終成為Zero的主要對手。
🌀 核心概念:Geass 「Geass」是本作的核心設定,每個獲得Geass力量的人都會擁有一種獨特的能力。 例如:
魯路修的Geass:絕對服從,可以命令他人無條件執行他的命令,但每人只能被命令一次。 瑪奧的Geass:讀心術,但無法停止使用。 洛洛的Geass:時間停止感知,能讓周圍的人失去對時間的意識。 Geass的力量源自於神秘的「Code」,C.C.與其他擁有Code的人被稱為「Code持有者」,他們可以賦予他人Geass能力。
🔥 主要衝突與主題 復仇與救贖 魯路修的行動初衷是為母親復仇和保護妹妹,但在此過程中,他不得不做出殘酷的選擇,背負上沉重的罪惡感。
理想與現實的對立 魯路修與朱雀的理念對立是作品的重要衝突之一。 魯路修選擇以暴力推翻暴政,而朱雀選擇從內部改革。
自由與統治的探討 動畫探討了權力、自由、革命、民族主義等重大社會議題,思考是否有必要犧牲部分人來拯救大多數人。
📺 動畫系列 《反逆的魯路修R1》(2006-2007年,共25集) 《反逆的魯路修R2》(2008年,共25集) 此外還有劇場版、外傳漫畫與小說,並於2019年推出劇場版《Code Geass: 復活的魯路修》,延續故事。
🎭 名場面與名言 「我,魯路修·vi·布里塔尼亞,在此命令你們,全部——去死吧!」 「那就把這個世界毀掉吧,然後用我的手,重建它。」 「只要捨棄名字和身份,正義就可以達成嗎?」 這些經典台詞展現了魯路修的魅力與他的內心掙扎。
🌟 主題與哲學意涵 《反逆的魯路修》探討了許多深刻的哲學問題,例如:
權力的本質 犧牲與責任 自由與服從的界線 魯路修被視為反英雄的代表角色,他的行動充滿爭議性,讓觀眾思考「為了大局犧牲少數人的生命是否正當」。
🎵 音樂 片頭曲和片尾曲也成為經典:
片頭曲《COLORS》(Flow演唱) 片頭曲《解讀不能》(ALI PROJECT演唱) 片尾曲《Mosaic Kakera》(SunSet Swish演唱) ✍️ 總結 《反逆的魯路修》是一部集政治陰謀、心理戰、機甲戰鬥��一身的經典作品。 它的劇情充滿反轉,角色個性鮮明,並提出許多深刻的社會與哲學議題。 魯路修這個角色充滿魅力,他的故事不僅僅是復仇,更是一場關於自由與統治、理想與現實的對話。
如果你喜歡有深度的動畫、政治陰謀劇或反英雄角色,那《反逆的魯路修》絕對不容錯過!
我: 請介紹配角藤堂鏡志朗這名角色。
ChatGPT: 藤堂鏡志朗(Toudou Kyoshiro / 藤堂 鏡志郎)角色介紹 藤堂鏡志朗是《反逆的魯路修》中一位重要的配角,隸屬於日本反抗勢力「黑色騎士團」的高層。 他是一名極具人格魅力和領導能力的武士型人物,擁有強烈的榮譽感和愛國心。 他以沉穩的判斷力和高超的戰鬥技巧著稱,被尊稱為「奇蹟之藤堂」。
📖 角色背景 藤堂鏡志朗原本是日本軍的指揮官,曾經是日本首相樞木玄武(樞木朱雀的父親)的親信。 儘管不列顛尼亞軍隊擁有壓倒性的科技和軍事力量,藤堂在「厄運島會戰」(又稱「奇蹟之島戰役」)中,靠著過人的戰略能力,擊敗了不列顛尼亞帝國的精銳部隊,這場戰役被稱為「奇蹟」,也因此讓他贏得了「奇蹟之藤堂」的稱號。
然而,在不列顛尼亞佔領日本之後,藤堂拒絕向不列顛尼亞低頭,選擇成為反抗勢力的一員。 他最初領導四聖劍(即他的四名忠實部下),後來加入黑色騎士團,成為魯路修的重要盟友之一。
🗡️ 個性與理念 藤堂是傳統武士道精神的體現者,重視榮譽、忠誠和承諾。 他一生都以保護日本的文化與尊嚴為己任。 雖然他擁有強烈的民族自豪感,但同時也具備現代人的思維,能夠接受外來的理念,願意與不同陣營合作。
他的行事風格偏向穩健而務實,不輕易被情感左右。 在面對魯路修(Zero)這樣擁有極端手段的領袖時,他仍能保持理智,審慎判斷對方的行動是否符合他的理想。
他對朱雀有一種「長輩般的關懷」,但同時也對朱雀選擇加入不列顛尼亞軍隊的決定感到痛心。
⚔️ 戰鬥能力 藤堂是極為優秀的戰術家和Knightmare Frame駕駛員。 他的作戰風格講究精準的戰術計劃和靈活的戰場應變,能夠在劣勢的情況下逆轉局勢。
專用Knightmare Frame: 藤堂的專用機為「斑鳩(Zangetsu)」,這是一架高性能的Knightmare Frame,擁有優秀的近戰與遠程戰鬥能力。
招式與戰術: 他擅長使用古代劍術與現代戰爭策略結合的戰鬥方式。 在許多戰役中,藤堂成功地利用地形和對手心理來取得勝利,展現出不凡的戰術眼光。
🎭 角色發展與重要劇情
加入黑色騎士團 藤堂最初作為日本反抗勢力的獨立領袖,率領「四聖劍」抵抗不列顛尼亞。 然而,在魯路修展現了領導才能和革命的決心後,藤堂決定放下個人的領導地位,將部隊整合進黑色騎士團。 這象徵著日本各路反抗勢力的團結。
與朱雀的對立 藤堂對於朱雀的選擇感到失望,認為朱雀背叛了日本民族。 然而,他並沒有完全放棄朱雀,仍試圖理解朱雀的想法,甚至希望能夠感化他。
兩人之間的對立象徵著兩種不同的抗爭理念:
藤堂:主張透過武力反抗不列顛尼亞,奪回日本的自由。 朱雀:主張透過內部改革,以和平手段改善日本人的地位。
黑色騎士團的內部衝突 在黑色騎士團內部的權力鬥爭中,藤堂扮演了穩定軍心的重要角色。 他對Zero的領導方式持保留態度,但在大局為重的考量下,選擇支持Zero。 然而,當黑色騎士團得知Zero的真實身份是魯路修·蘭佩洛基,以及他過去的種種行徑時,藤堂也站在了反對魯路修的一方。
📜 名言 「厄運並非永恆,只要不放棄希望,奇蹟就會降臨!」 「身為武士,我必須捍衛日本的尊嚴,即便要付出生命的代價。」 「若要讓世界改變,我願意放下個人信念,攜手同盟。」
🌟 角色象徵意義 藤堂鏡志朗象徵著傳統的武士道精神與民族自豪感。 他所代表的不是單純的復仇或血腥革命,而是一種守護文化、捍衛尊嚴的信念。 他的存在平衡了魯路修的激進手段,為劇情提供了更多的深度和道德討論。
藤堂的角色也讓觀眾思考: 「究竟該選擇激進的革命,還是穩健的改革?」 「為了保護國家與文化,是否應該放下個人恩怨?」
🖋️ 角色分析 藤堂鏡志朗是少數能夠在魯路修和朱雀的對立中保持理智的角色。 他既沒有像魯路修一樣過於激進,也沒有像朱雀一樣盲目地相信和平手段。 他的行動基於現實的考量,但內心深處依舊保持著對奇蹟的信仰。
在《反逆的魯路修》的故事中,藤堂的存在象徵著過去的榮耀與希望的未來之間的橋樑。 他不僅是日本的「奇蹟英雄」,也是革命道路上不可或缺的精神領袖。
💡 總結 藤堂鏡志朗是一名智勇雙全的愛國者,他的行動和理念代表著武士精神與民族尊嚴的延續。 他的角色為劇情提供了更深層的政治與道德思考,展現出不���的抗爭方式和理念。
他不是那種容易被激情或仇恨所驅動的人物,而是深思熟慮、冷靜行事的領袖。 他在故事中的選擇和行動,體現了堅持信念與靈活變通之間的微妙平衡。
藤堂鏡志朗——奇蹟的化身,武士精神的象徵!
我: 請分析比較主角魯路修、配角樞木朱雀與藤堂鏡志朗這三名角色的相似與相異之處。
ChatGPT: 《反逆的魯路修》人物分析與比較 角色:魯路修·蘭佩洛基、樞木朱雀、藤堂鏡志朗
這三名角色在《反逆的魯路修》的故事中分別代表不同的理念與行動方式,他們的信念、價值觀和選擇在故事的發展中形成對比與衝突。 以下從背景、行動理念、性格特質、角色弧光等方面來分析他們的相似與相異之處。
📖 一、角色背景與人生境遇 角色 身份背景 人生境遇 魯路修 不列顛尼亞帝國的流放皇子 母親被暗殺、妹妹身心受創,對帝國心懷仇恨,立志推翻帝國並保護妹妹。 樞木朱雀 日本首相樞木玄武之子 父親被自己殺死,選擇加入不列顛尼亞軍隊,希望透過和平手段改變日本人的地位。 藤堂鏡志朗 前日本軍指揮官、「奇蹟之藤堂」,後成為反抗軍領袖 曾在「厄運島會戰」中創下奇蹟戰績,對日本的榮譽與文化有著強烈的守護心,後加入黑色騎士團。
🔍 比較分析 共通點:
三人都經歷過重大的人生變故,這些變故成為推動他們選擇各自道路的關鍵動力。 他們的選擇都與「日本的未來」有關,三人都希望改變日本被壓迫的現狀。 不同點:
魯路修的動機主要是個人復仇與妹妹的幸福,他的行動帶有私人的色彩。 朱雀的動機來自內疚感與理想主義,他希望彌補殺死父親的過錯,選擇和平改革的道路。 藤堂的動機則是捍衛民族榮譽,他的行動立場更偏向於集體利益和歷史使命感。
🧠 二、行動理念與選擇方式 角色 行動理念 行動方式 魯路修 為了和平可以犧牲少數人,甚至自己 激進革命:以暴力推翻不列顛尼亞帝國,利用「Zero」的假面來操縱人心。 樞木朱雀 改變世界不能依靠憎恨與暴力 和平改革:選擇加入不列顛尼亞軍,從內部改變體制。 藤堂鏡志朗 捍衛日本的尊嚴與文化 堅守傳統:以軍事反抗不列顛尼亞,注重戰略與榮譽。
🔍 比較分析 共通點: 三人都希望創造一個和平、公平的世界,但他們對於如何達成目標的看法大不相同。 三人都在某種程度上不擇手段,即便是朱雀這樣的和平主義者,為了達成目標也會做出妥協和犧牲。
不同點: 魯路修選擇了極端的手段(如謊言、操縱、犧牲他人)來達成目標,視「犧牲少數人來拯救大多數人」為正當。 朱雀則追求道德上的純潔,認為只有透過合法手段才能改變世界,拒絕暴力革命。 藤堂介於兩者之間,他認為必要時可以使用武力,但同時也強調戰鬥的正當性和榮譽感,拒絕不道德的行為。
🎭 三、性格特質 角色 優點 缺點 魯路修 聰明絕頂、富有領導才能、果斷勇敢 冷酷無情、過於自負、容易被仇恨驅使 樞木朱雀 正直善良、強烈的正義感、內心堅定 過於理想化、自我否定、容易陷入內疚情緒 藤堂鏡志朗 沉穩冷靜、忠誠可靠、戰術精湛 過於保守、對傳統過於執著
🔍 比較分析 共通點: 三人都是優秀的領導者,擁有影響他人並引領一個團體的能力。 他們都具備強烈的信念與執著,即便面對困難和挫折,也不輕易動搖自己的理念。
不同點: 魯路修以謀略和心理戰為武器,善於操縱人心。 朱雀則偏向單打獨鬥的騎士精神,更相信個人的行動力和正直品格。 藤堂重視集體合作與軍事戰略,更像是一位傳統的軍事領袖。
🔄 四、角色弧光與結局 角色 角色弧光 結局 魯路修 從憎恨帝國的復仇者變成為世界和平犧牲自己的救世主 犧牲自己,創造「Zero Requiem」計畫 樞木朱雀 從理想主義者變成一個能接受犧牲的現實主義者 接替魯路修成為新的「Zero」 藤堂鏡志朗 從堅守傳統的軍人變成能接受新時代的變革者 繼續作為黑色騎士團的支柱
🔍 比較分析 魯路修的角色弧光最為劇烈,他從一個充滿憤怒的復仇者,最終成為願意犧牲自己來創造和平的救世主。 朱雀的角色弧光則是從一個天真理想主義者,成長為能夠面對現實、接受犧牲的成熟騎士。 藤堂的角色弧光相對穩定,他從一開始就展現出成熟與穩重的特質,隨著故事發展,他逐漸放下對傳統的過度執著,接受了新的領導方式。
⚖️ 五、相似與相異總結 相似之處 相異之處 都希望改變日本的未來 魯路修採取激進革命,朱雀選擇和平改革,藤堂追求榮譽戰鬥 都具備卓越的領導才能 魯路修擅長心理戰,朱雀重視個人行動,藤堂注重團體合作 都曾在過程中面臨道德困境 魯路修願意犧牲他人,朱雀不願違背道德,藤堂注重戰鬥正當性 都經歷了角色成長,從執著於自我理念到考量大局 魯路修和朱雀的角色弧光更加劇烈,藤堂的角色弧光相對穩定
🏁 總結 魯路修代表了激進的革命主義,他相信只有摧毀舊世界才能創造新世界。 朱雀代表了理想化的和平主義,他認為要改變世界必須堅持正確的道德價值。 藤堂鏡志朗代表了傳統的榮譽與守護精神,他主張保護日本的文化與尊嚴,並在必要時使用武力反抗。 三人的對比構成了《反逆的魯路修》最核心的思想衝突,探討了「變革的代價與正當性」這一哲學問題。
我: 現在,請假設你是一名在戰前出生的普通日本人。 日本在戰敗後淪為帝國的殖民地第11區,日本人的身份也從日本公民淪為被帝國人戲稱為Eleven的11區居民。 在此前提下,對於上述這三名角色的思想、信仰與價值觀,你會比較偏向於認同哪一位?為什麼?
ChatGPT: 身為被殖民的日本人,該選擇誰的道路? 假設我是一名在戰前出生的日本人,經歷了日本戰敗、不列顛尼亞帝國的占領與壓迫,我的身份從一個驕傲的日本公民淪為被帝國稱為「Eleven」的二等公民。 在這樣的背景下,我會如何看待魯路修、樞木朱雀與藤堂鏡志朗的思想、信仰和價值觀?
經過深思熟慮,我認為我最有可能認同藤堂鏡志朗的理念與價值觀。 以下是詳細的分析與理由。
📖 為什麼我會認同藤堂鏡志朗? 作為一名在戰前的日本社會長大的人,我會受到武士道精神與日本傳統文化的深刻影響。 我所重視的價值觀包括:
榮譽:不論勝敗,身為日本人,我應該保有作為民族的一份榮譽感,不能接受被帝國人輕蔑地稱為「Eleven」。 忠誠:我會對自己的國家和文化保持忠誠,並希望後代能夠擁有日本人的身份與尊嚴。 抗爭:即使面對強權,我也相信應該以武士的精神堅持到底,不輕易屈服。 藤堂鏡志朗的行動,恰恰體現了這些價值觀。
🔎 藤堂鏡志朗的道路:民族尊嚴的守護者 藤堂選擇以武力反抗不列顛尼亞,但他的反抗並非單純的仇恨驅動,而是基於對日本民族尊嚴的守護。
他所代表的是一種理智而有計劃的抵抗,不是為了無謂的流血犧牲,而是為了讓日本再次站起來、重拾民族自豪感。
我認為,假如我是這樣一名生活在帝國統治下的普通日本人,我無法忍受日本文化被消滅、自己的民族身份被剝奪。 在這種情況下,我更傾向於追隨像藤堂這樣的領袖,因為他尊重傳統、重視榮譽,並且他的行動符合武士道精神。
⚔️ 為什麼我不會選擇魯路修? 雖然魯路修的革命帶來了巨大的改變,但他的行動方式對我而言過於激進且不擇手段。
我對魯路修的兩大顧慮: 手段殘酷,犧牲無辜 魯路修的手段過於極端,他認為犧牲少數無辜者來拯救大局是正當的。 但對於像我這樣的普通人來說,這樣的行為可能會傷害到我們的家人和鄰居。
他是外來者 魯路修畢竟是不列顛尼亞的皇子,無論他的行動有多麼偉大,他的身份讓人難以完全信任。 如果我是日本人,我可能會懷疑他的真正動機是否真的是為了日本的未來,而不是為了他的個人復仇。
因此,儘管我會認同魯路修的部分理念(例如推翻不列顛尼亞的統治),但我無法完全接受他不擇手段的行為方式。
🛡️ 為什麼我無法支持樞木朱雀? 朱雀的理念更不可能讓我認同,因為他的選擇違背了日本人的榮譽。
我對朱雀的兩大反感: 向敵人低頭,放棄自尊 朱雀選擇加入不列顛尼亞軍隊,並試圖透過從內部改革來改變現狀。 在我看來,這是背叛民族的行為。
身為一名日本人,我無法接受他向敵人低頭的選擇。 這種行為不僅玷污了武士道精神,還讓我們的後代失去了成為獨立日本人的機會。
過於理想化,不切實際 朱雀的和平改革理念過於天真。 他相信透過加入敵人,便能獲得他們的信任並推動改革。 但實際上,帝國只會視他為工具,不可能真正接受他。
🔄 對三人思想的總結比較 角色 我會認同的理由 我不會認同的理由 藤堂鏡志朗 尊重日本的文化與榮譽,堅持抵抗不列顛尼亞 行動偏向保守,可能在現代化變革上缺乏前瞻性 魯路修 願意推翻不列顛尼亞,帶來革命性的變革 手段過於激進,犧牲無辜者,身份不易被日本人信任 樞木朱雀 希望通過和平改革來改善日本人的地位 背叛民族,向敵人低頭,過於理想化,不切實際
🌸 作為戰前日本人,我的選擇:藤堂鏡志朗 假如我是這樣一名普通的日本人,生活在民族尊嚴被剝奪、文化被壓迫的現實之中,我最有可能認同藤堂鏡志朗的理念:
他讓我感受到榮譽與希望:即使身處困境,藤堂堅守日本文化與傳統,並且不輕易向強權妥協。 他的行動方式理智而謹慎:他既不會如魯路修般激進,也不會如朱雀般天真。 他的抵抗是一場有策略、有希望的抗爭,而不是單純的情緒發洩。 他體現了武士道精神:作為一名在戰前成長的日本人,我的價值觀受到武士道影響。 藤堂鏡志朗的信念正是我所熟悉和認同的。 因此,在這場民族解放運動中,我會選擇跟隨藤堂鏡志朗,因為他代表的是捍衛日本文化和榮譽的道路。
🖋️ 結語:抗爭的道路是多元的,選擇取決於信念與背景 魯路修的道路適合那些願意賭上未來、追求極端變革的人。 朱雀的道路適合那些相信和平改革、拒絕暴力的人。 藤堂鏡志朗的道路則是兼顧榮譽與現實,以堅守民族尊嚴為核心的抵抗之路。 作為一名戰前的日本人,我選擇藤堂鏡志朗,因為他不僅捍衛了日本的傳統與尊嚴,更讓我看到了一條既不失榮譽、又不失希望的抗爭之路。
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nohgaku-journey · 6 years ago
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国立能楽堂開場35周年記念 第28回能楽若手研究会東京公演 東京若手能
舞囃子「高砂」 観世清和     笛 八反田智子 小鼓 森貴史 大鼓 髙野彰 太鼓 桜井均     地謡 浅見重好 関根祥丸        観世芳伸 山階彌右衛門 井上裕久
舞囃子「忠度」 金春安明     笛 成田寛人 小鼓 岡本はる奈 大鼓 大倉慶乃助      地謡 本田布由樹 本田芳樹        山井綱雄 本田光洋 吉場廣明
能「胡蝶」 物着      前シテ/女・後シテ/胡蝶の精 観世銕之丞      ワキ/旅僧 梅村昌功     笛 竹市学 小鼓 鳥山直也 大鼓 亀井広忠 太鼓 田中達     後見 木月孚行 武田尚浩 谷本健吾     地謡 長山桂三 鵜澤光 安藤貴康 青木健一        阿部信之 岡久広 井上裕久 馬野正基
独吟(下掛宝生流)羅生門  則久英志
狂言 「蚊相撲」     シテ/大名 深田博治      アド/太郎冠者 内藤連      小アド/蚊の精 高野和憲     後見 石田幸雄 飯田豪
舞囃子「唐船」 友枝昭世     笛 栗林祐輔 小鼓 田邊恭資 大鼓 國川純 太鼓 大川典良     地謡 友枝真也 佐々木多門        金子敬一郎 中村邦生 狩野了一
能「春日龍神」 白頭   前シテ/宮守の老人・後シテ/龍神 宝生和英      ワキ/明恵上人 喜多雅人      ワキツレ/従僧 村瀬慧 矢野昌平      アイ/末社の神 若松隆     笛 槻宅聡 小鼓 森澤勇司 大鼓 髙野彰 太鼓 加藤洋輝     後見 今井泰行 東川尚史     地謡 亀井雄二 金森良充 金森隆晋 今井基        澤田宏司 野月聡 金井雄資 大友順
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notebookonji · 2 months ago
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2024年 読んだ本
2024年に読んだ本のリスト。全50作。
★は私の超おすすめ(私は簡単な読後メモを手帳につけていて、その際、個人的な好みを5点満点で採点しています。★は5点をつけた作人です)
平野啓一郎 「本心」(文春文庫)★ 佐伯泰英 「声なき蝉(上・下)空也十分勝負その一」(文春文庫) 佐伯泰英 「恨み残さじ 空也十分勝負その二」(文春文庫) 佐伯泰英 「剣と十字架 空也十分勝負その三」(文春文庫) 佐伯泰英 「異郷のぞみし 空也十分勝負その四」(文春文庫) 佐伯泰英 「未だ行ならず(上・下) 空也十分勝負その五」(文春文庫) 佐伯泰英 「異変ありや 空也十分勝負その六」(文春文庫) 佐伯泰英 「風に訊け 空也十分勝負その七」(文春文庫) 佐伯泰英 「名乗らじ 空也十分勝負その八」(文春文庫) 佐伯泰英 「荒ぶるや 空也十分勝負その九」(文春文庫) 佐伯泰英 「奔れ、空也 空也十分勝負その十」(文春文庫) 斉藤幸平+松本卓也 「コモンの『自治』論」(集英社) ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史(上・下)」(柴田裕之訳/河出書房) 黒川博行 「勁草」(徳間文庫) 九段理江 「東京都同情塔」(文藝春秋 三月特別号) 内田樹 「映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想」(文春文庫) 内田樹+石川康宏「若者よ、マルクスを読もう」(角川文庫) 内田樹「下流志向」(講談社文庫) 内田樹「コモンの再生」(文春文庫) 内田樹「勇気論」(光文社) 内田樹「小田嶋隆と対話する���(イースト・プレス) 佐藤多佳子「しゃべれどもしゃべれども」(新潮文庫) アリス・ウォーカー「カラーパープル」(柳沢由実子訳/集英社文庫) 島本理生「Red」(中公文庫) 島本理生「ナラタージュ」(角川文庫) ヴァージニア・ウルフ「オーランドー」(杉山洋子訳/ちくま文庫) 森達也「虐殺のスイッチ」(ちくま文庫) 古川日出男「女たち三百人の裏切りの書」(新潮文庫) 安田登「『論語』は不安の処方箋」(祥伝社黄金文庫) ミン・ジン・リー「パチンコ(上・下)」(池田真紀子訳/文春文庫)★ アレスター・グレイ「哀れなるものたち」(高橋和久訳/ハヤカワepi文庫) フィリップ・ロス「プロット・アゲインスト・アメリカ」(柴田元幸訳/集英社文庫) ジョリ・カルル・ユイスマン「さかしま」(澁澤龍彦訳/河出文庫) ミシェル・ウエルベック「闘争領域の拡大」(中村佳子訳/河出文庫) ミシェル・ウエルベック「素粒子」(野崎歓訳/ちくま文庫) ミシェル・ウエルベック「プラットフォーム」(中村佳子訳/河出文庫) ミシェル・ウエルベック「ある島の可能性」(中村佳子訳/河出文庫)★ ミシェル・ウエルベック「地図と領土」(野崎歓訳/ちくま文庫)★ ミシェル・ウエルベック「服従」(大塚桃訳/河出文庫) ミシェル・ウエルベック「セロトニン」(関口涼子訳/河出文庫) リリー・フランキー「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」(新潮文庫) 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」(文藝春秋2024九月特別号) 松永K三蔵「バリ山行」(文藝春秋2024九月特別号) カズオ・イシグロ「クララとお日さま」(土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)★ 千葉雅也「勉強の哲学」(文春文庫) 千葉雅也「現代思想入門」(講談社現代新書) 千葉雅也「センスの哲学」(文藝春秋) 瀬木比呂志「絶望の裁判所」(講談社現代新書) 瀬木比呂志「ニッポンの裁判」(講談社現代新書) 瀬木比呂志「黒い巨塔 -最高裁判所-」(講談社文庫)
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