#宣伝会議賞勉強会
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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shintani24 · 10 months ago
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2024年3月15日
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映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答 3時間半の対話(朝日新聞 連載:カルチャー・対話 Re:Ron リロン)
昨年6月に公開された映画『怪物』。是枝裕和さんが監督を務め、カンヌ国際映画祭では坂元裕二さんが脚本賞を受賞するなど高く評価された。一方、「クィア」をめぐる表現や発信のあり方について当事者たちから批判の声が上がった。クィアの表象については近年、その取り上げ方���、当事者たちにもたらす影響について国際的にも議論が高まっている。何が問題とされたのか。どうすればいいのか。当初から指摘していた映画文筆家の児玉美月さんとライターの坪井里緒さんが、是枝監督と3時間半にわたって語り合った。
「クィア」をめぐる発信とスタンスについて、ラストシーンを含む物語と批評について、さらに日本映画界の変化と課題について。「お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました」と是枝監督。約2万字という異例の長さではありますが、あえて分割はせず、1本の記事として3部構成でお伝えします。
第1部 クィアを隠さないで マイノリティーをまなざす
【坪井】はじめに、「クィア」という言葉は既存の社会規範・カテゴリーに則さない性的マイノリティー及び態度を主に指しますが、彼らへの連帯を示す表現としても使用されます。ただ、この説明はあくまでクィアを指す多くの意味のひとつに過ぎません。クィアという言葉の持つ意味は広く多様であり、「定義」してしまうことによってその包括性を狭めるべきではないと考えています。
【児玉】まずこの鼎談に至った経緯ですが、私は『怪物』を試写の早い段階で観て、マスコミ向けに非規範的なセクシュアリティーやジェンダーに関わる展開を「ネタバレ」扱いするような箝口令が敷かれていることを知りました。これまで映画宣伝において異性愛、シスジェンダー規範のもとでそれらをギミック(仕掛け)として扱い、批判されてきた歴史があります。当初SNSで作品名は伏せてそのことを批判していましたが、その後カンヌ国際映画祭で『怪物』がクィア・パルムを受賞した報道がされ、そこで初めて広く『怪物』が「クィア映画」として認知されることになり、その作品が『怪物』だったと明かしました。
それが起きたのが日本を代表する映画監督と脚本家の作品だったこともあり、批判したままで終わってしまってはいけないと思っていました。
一方で、こうした経緯がありながら、そもそも是枝さんがよくこの場に来てくださった、とも思います。
【是枝】カンヌでの記者会見後に友人から、「(LGBTQに)特化した映画ではない」という僕の発言について「炎上している」と教えてもらいました。「LGBTQの映画ではない」と言ったと報じられている、と言われて「えっ」と思ったのが最初でした。『ベイビー・���ローカー』(2022年公開)でもそうでしたが、SNSで意図と違��捉えられ方をしたことや炎上に対し、反論すると「反論自体に権力勾配が……」と言われたこともあり、SNSはちょっと難しいと思ってやめていた。ただ、(誤解とは異なる意味で)批判に関しては耳に入ってきて、それに対する応答はしたほうがいいと思いながらも、でもSNSでやるのは嫌だと思っていた。
すると、事務所の若手から「その態度はどうか」「失望する」と言われて。それでSNSを見るなかで坪井さんの批評記事に出会って、反省したし気づきにもなった。ただ、すべてに納得できているわけじゃなかったから、「僕はこう考えるんだけど」というのをやりとりしたいと思った。
児玉さんの『文藝』に寄稿された文章(2023年春季号「クィア映画批評と〈わたし〉を巡るごく個人的な断想」)も読み、勉強になったのですが、2人の文章を経て考えたときに、いかに自分の言葉が無防備だったかが分かって反省しました。
ただし、自分としては、「LGBTQの映画ではない」とは一言も言っていない認識でした。
記者からの質問が「日本では性的少数者を扱った作品は少ないと思うが」という、当然この映画はLGBTQの映画である前提を踏まえた上で、テーマは他にもあると伝えるために、「特化していない」という言葉を使った。児玉さんの文章にあったように、いかに映像表象においてクィアが隠されてきたか、僕なりには学んでいたつもりでしたが、当事者の苦しみをもっと深く理解できていたら、記者会見に臨むにあたってもう少し適切な表現を選択できたと思います。
「特化していない」という否定的なニュアンスによって、当事者の方々に「また自分たちの存在を隠された」と感じさせてしまうかもしれない可能性があると、思い至るべきだった。「当然これはクィアの少年たちを描いた映画ですが」という前提をきちんと繰り返すとか、プロデューサーや配給側と詰めておくべきだったというのが一番の反省点です。
【坪井】『怪物』の問題点の指摘を児玉さんと映画研究者の久保豊さんが早い段階でしていましたが、同時に2人に対する誹謗中傷とすさまじい攻撃が起こりました。私には2人がなぜここまで強く警報を鳴らさざるを得ないかというのが見えていたのもあって、自分の言葉で発信しようと思い立ち、文章を書きました(映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ https://lighthouse226.substack.com/p/94f?sd=pf別ウインドウで開きます)。
『怪物』は、事前に公開されていた予告に関しても情報が無かったと思います。結果、受け手側にクィアを描いた映画だということが全く届いていないままにクィア���パルムを受賞し、さらに是枝さんの「特化した作品ではない」という発言があり……とすべてが重なってしまった形でした。
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映画『怪物』について、ライターの坪井里緒さんがつづった記事
【是枝】クィアを「ネタバレ」扱いしていると捉えられてしまう文言はやめてほしいと映画会社には伝えていたんですが、チェックが遅れてしまった。確認したところ、児玉さんが観た段階ではそういう文言があり、宣伝担当者にもそうした発言があったかもしれないと聞きました。僕自身は第3章で隠されているのはクィア性ではなく「私たちの加害性」であり、それが再帰的に捉えられていくと認識している。「怪物とは私たちのことだったのだ」と分かっていくプロセスなので、そこは伏せたいと映画会社とも話していました。
【児玉】 映画を論じる上で物語のどこを伏せるのかも批評行為の一種だと思っているので、そもそも「ネタバレ」を送り手が指定すること自体にも疑問があります。
私は、第3章を伏せることがどうしてもクィア性を隠すことにつながってしまうと捉えました。発信側の意図がどうであれ、そうした広報のあり方が「クィアは伏せておくべきもの」だと社会に対してメッセージを伝えてしまえば、それは差別になる。これは差別の構造と類型の話なので、意図は関係なく結果的に対象が不利益を被ってしまうなら、やはり問題があるのではないかと。
【坪井】登場人物や観客を含めた「マジョリティー側」が自分たちの加害性に気づけるのは子どもたちのクィア性が明らかになるからですし、クィア性が伏せられているというのは否定できない。
クィアはこれまで何度も普遍的な物語に埋没させられ「改修」されてきました。同性同士のラブストーリーなのに、「好きになった��手がたまたま同性だっただけ」と塗り替えられたり「“特別な人”の物語だと思われたくない」というマジョリティーに都合の良い理由でアイデンティティーや慕情が消されたり、透明化されてきた歴史があります。それを思えば、伏せておくという行為そのものが危険だったと、私も思います。
【是枝】今回の題材は僕が考えていた以上にセンシティブで、当事者の置かれた状況もより切迫していたがゆえに、いつも通りの発言のつもりが違う広がり方をしてしまった。「特化していない」発言のほかにも、なるべく前情報を入れずに観た方がいいといろんなところで言われて、僕もその方がいいと言ってしまった。それを坪井さんに、「マジョリティーの気づきを優先している」と指摘してもらった。
坂元裕二さんも僕もそうなんですが、いつも特定の誰か一人に向かって作っているんです。公の場では口にしないけれども、語り口としては確実にそこへ向かう。『怪物』に関していうと、僕自身がその立場でもあるし、マジョリティーの側が観た時にどういう気づきがあるかということは、どうしてもベースになる。
あの少年たちと同じような状況の子たちへの勇気づけとか、寄り添って肩を抱くみたいなスタンスはおこがましいと思ってしまう。それはテレビのドキュメンタリーをやっている時からそうで、むしろ弱者に寄り添って分かったつもりになることを回避したいと思ってきた。
ただ2人の文章を踏まえて考えると、スタンスの見直しが必要なのかもしれない。今、それが自分の中では課題です。
マジョリティーの側にいる人間がマイノリティーの題材を扱う時のスタンスとして、僕は彼らの側に立ちますという宣言がイコール唯一の誠実な態度だとは思えない。でも、マイノリティーの方たちは一番観てほしいと思っている人たちでもあるのに、その彼らに「自分たちの映画ではない」と思われてしまうのであれば、僕のスタンスが違うんだと思う。
【坪井】特定の誰かへ向けて作ること自体は悪いとは思わないし、私も誰かに向けて作るタイプです。
けれど、「マイノリティー当事者を描いた作品をつくる」のであれば、本編に描かれた者と同様に弱い立場に置かれている者たちが作られた映画をどう受け取るかというのと向き合い彼らを“まなざす”ことと、自分はあなたたちに決して差別の矛先を向けない、敵にならない、と明らかにするのは最低限必要だと思います。「これはクィア映画でもある」と表明することは、「あなたたちを透明化しない」というスタンスの明示になり得る。
私たちは誰もが別々の存在だから、完全に分かり合うことは無理だし、個のつらさや経験はその者だけのもので、他者が勝手に代弁してはならない。だからこそ、分かったつもりになるのではなくて、分からないからこそ尊重する、のが重要だと思います。
【児玉】クィア映画には固有の歴史や文脈があるので、それをやろうとした時に、既存のスタンスが汎用できないことはあると思います。是枝さんが自分はマジョリティーだからクィアの立場で何かを代弁するのは傲慢だと考えているのは分かりますが、その誠実さとしての一線を維持したまま���これは性的マイノリティーのあなたたちの物語なんだ、と言うことはできる。これまでマジョリティーを自認する作家たちはあまりにも、「あなたたちの物語」ではなく「みんなの物語」だと言い過ぎてきたように思います。
「クィア映画」を「普遍的な映画」と称することがなぜ危ういかというと、物語を彼らのもとから奪って、「普遍」とされる自分たちマジョリティーの枠組みに押しやってしまっているからです。その人たちの物語を取り上げないことが大事だし、より広く受け入れられることばかりが優先されてきてしまって、そこに描かれた人の方をまず真っ先に向く振る舞いをする作家がこれまで少なかったかもしれません。
【坪井】『怪物』は加害側の気づきに重きを置いているのもあって、クィアが受けている/過去受けていた、であろう加害描写がいくつもあります。そうした映画を前情報なく観られること自体が、マジョリティー側であるし、特権ではないでしょうか。
まさに「今」、同様のアグレッション(無意識��行われた攻撃のこと)を受けている子ども――あるいは過去強烈な加害を受けてトラウマを抱えながらも生き残ってきたクィアが、何の情報も無く映画館で『怪物』を観たらフラッシュバックを起こすかもしれませんし、強い言い方をすると命の危険もあります。
これは日本映画全体の問題として、観た者の痛みがあまりに軽んじられているように思います。自死や性暴力のシーンがあるのであれば、事前にアナウンスするべきです。
送り手は受け手が必要な情報によって観るかどうかを選べて、受け取る準備ができるようにしてほしい。『怪物』と同時期に公開された『CLOSE/クロース』という映画がありましたが、自死の展開があるので公開2日後に公式サイトにトリガーアラート(本編で扱うテーマや描写に攻撃的な内容やショッキングなもの、注意が必要な事象が含まれる場合に事前に開示される警告)が設けられていました。
【是枝】『怪物』が当事者をどこまで命の危険にさらすのか、僕は彼らの身になってそこまで深刻には考えられていなかったんだと思います。
基本的にどの映画でも僕は直接描写をなるべく避けて間接的にとどめる方なので、実はそんなに心配していなかった。『CLOSE』も自死はストレートに描かれず、心理的な描写になっている。主人公である少年が彼の死で自分を責めていく気持ちの揺らぎが丁寧で素晴らしい作品でしたが、『CLOSE』のような描かれ方だったとしても、やはりトリガーアラートは必要でしょうか?
【坪井】「傷つき」というのは個々によるものです。個にとって受けるアグレッションがどれほど大きいのかは、他者には判断できませんよね。であれば、傷になり得る・傷痕をえぐるかもしれない表現が「ある」こと自体を明らかにするのがなぜマイナスになるのか、と個人的には思います。
例えば震災の描写や実際の事件にひも付いた描写は最も開示されやすいですが、性暴力、自死、虐待やいじめ、差別描写となってくると伏せられている作品が多い。どうして開示されやすい���リガーと、されにくいものがあるのか。「傷つき」は決して、「大きさ」や「数」で比べられてはいけないし、比べられない。そもそも詳細には踏み込まずに、単にトリガーになりうる描写がある、と最初に提示することは作品の良しあしに直結しないですよね。それらを伏せることで作品の面白さが損なわれるのであれば、ただ単に作品の力不足にすぎないと思います。
【是枝】坪井さんの記事で、実はその指摘が一番効きました。そんなことを隠さなければ観られないものはその程度のものだ、と。何を伏せてどこで明かすのかは脚本を書くときに皆がやるものだけれど、ジェンダーやセクシュアリティーに関することをギミックの一つとして消費するべきではないという批判は、よく分かりました。
ただ、この3部構成について海外メディアに逆に質問したのですが、例えば「不誠実だ」というような批判的な指摘はスペインで一つ。あとはイギリスでもフランスでもアメリカでもなかったんです。ですから、もしかすると作品自体の構造以上に、宣伝の段階での僕自身の言葉の選び方に起因する部分が大きいのかなと思いました。
【児玉】もうひとつ批判が起きたのが、クィアの子どもを支援している団体から「あの年齢(11歳)の子たちが、例えば自分がゲイであるという自認、もしくは他認をするということはまだ早い段階」と助言をもらったと報道された時でしたね。
【坪井】「一時の気の迷い」であるかのような「まだ早い段階」という言葉はその年齢、あるいはそれ以前から自認していた者にとってはアグレッションになってしまったと思います。自認するのに“適切な年齢”を他者が決めるべきではないですよね。
【是枝】お会いした性的マイノリティーの当事者の方たちも自分はその年齢ではこうだったという経験をそれぞれ語ってくれて、僕ももちろんその認識は今回の映画の中での子どもたちに限っての話だと思っていました。作品を前提としたあくまで湊や依里の場合のつもりでした。そこが報道では、一般論かのように伝わってしまったようです。
【坪井】アイデンティティーに関する定義や一般論は、それ自体が問題です。アイデンティティーは定義できないものなので。私も何かを発信する時には一般論に聞こえないように、これはあくまで自分の話だ、と限定的に前振りするようにしています。
【児玉】今回は一般論として伝わってしまったことに問題があったと思いますが、そもそも色々な考え方があるので、複数の団体に聞くことも重要だと思います。
【是枝】プロデューサーと相談しながら、いくつかの候補を挙げていただき、実際に来ていただいたのは1団体になりました。最初に『怪物』のプロットを受け取った時、これはちゃんと勉強しないと描いてはいけないと思ったので、まず専門家の話を聞こうと。LGBTQの子どもたちを中心に支援している団体の方に来てもらって、演じる子どもたちやスタッフに性的マイノリティーについての講習をしてもらいました。
【児玉】団体に限らず、クィア表象の専門家や有識者の監修を入れることは考えていなかったのでしょうか。
【是枝】それは考えませんでした。インティマシー・コーディネーターの浅田智穂さんに入ってもらったり、今回は子どもをケアしたりする方向性に傾きました。なのでもし今後またクィアの作品を撮るとしたら、もっと監修などは考えたいですね。
【坪井】『怪物』が公開された6月は「プライド月間」と呼ばれていて、クィアにとって大事な月でした。権利を奪還するための運動が活発になる月というのもあって、その分、腹立たしいことですが差別を強くぶつけられる月にもなってしまっています。そういう側面でも何か発信があってほしかった、という気持ちがあります。
【児玉】日本のクィア映画は、これまであまりに社会や政治と切り離されてきたのではないかと思います。表象だけにとどまるのではなく、現実に生きる性的マイノリティーの権利や地位の向上にくみするような社会的アクションにもつなげていってくれれば、と。
【是枝】特別な月なのだから、一つの作品として何かを発信するという提案があってしかるべきだったと思います。そこは反省点です。
映画を撮ることが社会参加である、という意識が、自分も含めて日本ではまだ希薄だと思います。そこも今後、変えていかないといけないところかもしれないですね。
第2部 描かれなかった場面 ラストの解釈と批評
【児玉】主に映画の外の話をしてきましたが、『怪物』の作品そのものに深く入っていきたいと思います。決定稿を掲載したシナリオブックも出ていますし、完成された映画との違いについて。
【坪井】湊の隣の席のクラスメート・美青のエピソードが本編ではカットされていましたね。
脚本では美青はBL作品を好んでみている子として描かれ、湊と依里の親密さを自らのなかで勝手に恋愛関係だと決めつけて「応援してるの」という言葉をかける。「カミングアウト」(自分のアイデンティティーや慕情などの属性を開示すること)という言葉を使用して、湊たちに対し自分の決めつけた慕情の開示を迫るシーンまで書かれていました。
あれはまさに特定のクィアに対して、その者の属性を勝手に推測して当てはめるという暴力、実際に存在するクィアを自分の快楽のために相手に分かる形で同意なく消費する暴力、カミングアウトという個にとって生存に関わる重要な事柄を勝手に暴露する「アウティング」(当事者が同意していないのにもかかわらず、アイデンティティーや慕情などを第三者が暴露すること)、という三つの暴力。クィアを消費するマジョリティーへの批判のように読めました。美青の話を入れ込むべきだったのではという声は、クィアコミュニティーからも多かった。
【是枝】そのシーンはタイミング的に映画の終盤に差し掛かっていたので、カミングアウトを促す第三者の目が入るより、2人の関係そのものに絞り込んでいくべきだと判断しました。
【坪井】カミングアウトを強いることがどれだけ当事者にとってリスクが高いのか、アウティングが命に関わる加害であるかが今の社会では認知されていないので、美青のエピソードが映画に存在したらどうだったかな、と想像しました。湊と依里を第3章まで見つめてきた観客には、湊と依里が望まないカミングアウトを迫る美青がどれだけ危険な行いをしているか、アウティングがいかに当事者を追い詰めるかが伝わったのではないかと。
ただ、BLや百合が必ずしもクィアを消費しているかというとそれは違います。BL作品を消費するのが���いのではなく、湊と依里の関係性を勝手に恋愛関係だと決めつけたうえで、当人に分かる形で消費しているのが問題であるのだとメッセージを限定しなくては危ういので、その点が難しかったかもしれません。
【是枝】正直なところ、その描写自体が言い訳に見えてしまったんです。こういう目配せも作り手はしているんだという匂いが撮りながらしてしまって、ない方がいいと判断しました。
【坪井】もう一つ、虐待を受けた依里を風呂から助け出した湊が力尽きて倒れた後、校長が倒れている2人を見つけて介抱し、ぬれた服を着がえさせてあげるシーンもカットされていましたね。
【是枝】脚本の段階で校長先生のエピソードに関しては、そのシーンか、音楽室で湊と校長が楽器を吹くシーンか、どちらかだと思っていました。そうでないと、第3章が少年2人の話ではなく、校長先生の話になってしまう。で、音楽室を選びました。
【坪井】大人たちによる差別と暴力により死にかけていた2人にあたたかい服を着せてあげて、彼らが自由に走っていけるように送り出すというシナリオにどうしても意義を感じてしまいます。
それまで本編に出てきた大人たちは皆彼らを「傷つける側」だったけれども、明確に2人のために動いて実際にケアをしてくれる大人が出てきたのが重要だったなと。音楽室のシーンはあくまで湊と校長2人だけのシーンだったというのもあって。
【児玉】久保豊さんが『CINRA』に寄稿していた批評でその音楽室のシーンに触れていましたが、「秘密を抱えた二人が言葉ではなく、楽器を通じた咆哮を学校中へ響かせる」が「その選択肢は、湊と依里が生き残る先を描いてのみ有効なのではないか」と疑問を投げかけていましたね。自分自身のマイノリティー性を具体的な言葉にすることもできない抑圧が働いてしまう現状の社会で、そうした音響の技巧的な表現が果たしてどれだけ有効なのか、という問いだと私は受け取りました。言葉にせよ映像にせよ、まだまだはっきりと可視化させていく段階なのではないかと。
【是枝】「一番大事なことは言葉になっていない」と僕もメディアで発言していたから、結局それもクィアの隠蔽(いんぺい)だと思われてしまったのかもしれない。そういう広がり方をしてしまったことは確かなので。
【坪井】制作段階でトランスジェンダーやゲイなどアイデンティティーや慕情に関する具体的な言葉は出なかったのでしょうか。
【是枝】話し合いの場ではもちろん出ていますが、せりふとしては一度も出ていないです。初稿の段階では、湊が自分の性的指向をカムフラージュしようとするような行為をとる場面があって。わざと携帯に水着姿の女の子の写真を残して寝て、寝室に入ってきた母親がそれを見てぷっと笑って安心する描写だったのですが、当事者の方たちへの取材の際に「気づきの段階にバラつきがある」という言葉を聞き、湊の行動を考え直し、3カ所ぐらいそういう描写をカットし、統一感をもたせました。それもこの映画が性的マイ���リティーを描いた作品であることを隠しているような方向で捉えられた一因になってしまったのかもしれないですけど、その辺が判断としては難しいところでした。
ただ、その段階からゲイという具体的な言葉でまだ名付けられていない子どもたちとして描くことは坂元さんとも話していた。��だ自分でも名付けられないからこそ、「怪物」という言葉が外から入ってきてしまうことにしようと。
【坪井】『怪物』というタイトルになった経緯については、最終的にプロデューサーと是枝さんが推して決まったんでしたよね。
【是枝】しばらく『怪物(仮)』の状態のまま、途中で一度『なぜ?』に変わったんです。僕は『なぜ?』よりは『怪物』がいいと思っていたんですが、坂元さんが難色を示していてずっと(仮)を取らなかった。
【坪井】クィアな子どもたちのことを「怪物」だと思われたら、という懸念からでしょうか。
【是枝】明言しなかったけど、そうかもしれません。また件の「特化していない」発言につながってしまいかねないですが、「怪物」が指し示すのは少年たちのことだけではないので、最終的には良いタイトルなんじゃないかとみんな納得しました。
【坪井】「人間」を「非人間化」するのはまさに差別構造そのものですよね。
相手を自分と同じ人間ではないと見なせば加害をする免罪符になる、という誤った手法はこれまで起こった・今起こっている虐殺、及びあらゆる差別において繰り返し使われてきました。そもそも人間でなければ殺してよいわけではないのにもかかわらず、です。その差別の歴史を考えれば「怪物」というタイトルはクィアな「人間」を「非人間化」しているように捉えられる危うさからは逃れられていないように思います。
【是枝】実は、「怪物たち」というタイトル案も出していたんです。でも逆にそういう意図が明解になりすぎてしまったので、引っ込めたんです。
【坪井】「怪物たち」だと印象が違いますね。マジョリティーに対する比喩だと伝わります。とはいえ、本当の怪物はマジョリティー側なのだという制作陣の意図が観客に適切に伝わったとしても、「怪物」という存在に有害性を押し込めてしまい、差別という構造の問題を個人に集結してしまっているように読めるという問題点は残りますね。
【児玉】タイトルに関してもそうかもしれませんが、是枝さんの作家性は余白をあえて持たせるというか、両義性にあると思います。『怪物』の結末はかなり意見が分かれましたよね。
【是枝】この10年で、「オープンエンディング」に対して結末まで描かないでずるい、逃げていると批判されるようになりました。
『そして父になる』(2013年公開)で僕と樹木希林さんがQ&Aをした時に、客席からあれは最後どうなるのかと質問が出た。そしたら希林さんが、あなたはどうなると思うのかと問い返した。「私はあの家族がどうなるかは分からないわよ、だけどきっと二組の家族はああでもない、こうでもないってこの映画で描かれた時間を、考え悩んだことを無駄にはしないこれからの人生を一緒に生きるんじゃないの。それでいいじゃない」と言ってくれて。なんてかっこいいんだろうと思った。だから、そういう終わりをいつも目指しているんです。
【坪井】映画の結末の後も登場人物たちの人生が続いていくように感じさせるのと、映画としての結末の解釈に幅を持たせるのは意味が違うのではないでしょうか。
前者は私も好きですが、後者は観客に結末を投げているように感じられるし、視点が高いなと思ってしまいます。「最後どうなったのかは皆さんが判断してくださいね」って言っているそっちは、じゃあどこに立っているんですか、本当に結末を決めましたか、って思ってしまいます。
【是枝】それも最近よく言われるようになりました���。しょせん、他人事なのか、と。
物語が終わった後に観た人が、あの人たちは明日どうやって生きていくんだろうと想像してもらえるような終わり方を、これまでずっと変わらず考えてきた。でも、昔は言われなかったことを随分言われるようになって、オープンエンディングはこの時代にはそう受け取られるんだなと思っています。
僕が難しいと感じているのは、何が当事者をエンパワーメントするのかという問題。『怪物』がマジョリティーの気づきにはなっているが、当事者のエンパワーメントにはなっていないという批判に、どう応答できるのか。この作品ではない場所で坂元さんとも話したのですが、死んだら不幸で生き残ったら幸せなのか、と。そんなに単純な物語を描いているつもりはないと言っていて、それは僕もその通りだと思っている。
要するに、最後は2人が死んだという前提で、クィアを不幸にしてマジョリティーが涙を流すための道具にしたと書かれている批評が結構あったんだけど、僕らとしてはあの2人を待っているのが「死」のつもりはなかった。撮影の現場でも少年2人にはそう説明していました。そもそも「死」だとエンパワーメントにつながらなくて、「生」にすればエンパワーメントなのか。そこは作り手の側から問いたい点ですけど。
【坪井】私も作品を書いていて「死んだら負けなのか」というのはすごく考えます。社会において特に自死は逃げだ、負けたんだと言われてしまいがちですが、私はそうではないと思います。加えてあえて言うならば逃げることの何が悪いんだよ、とも。
ただ、自分で選択した死と“選ばされる”死は違いますよね。本人が数ある選択肢のなかから自分の思想や気分で選び取った死と、とても生きてはいられない環境に社会・他者によって追い込まれた末に選ばざるを得なくなって起こった死はまったく違う。
クィア映画におけるクィアの死は後者がほとんどです。環境のせいで選ばなければならなくなった「悲劇の死」。クィアにとって、クィア映画における「死」はその存在そのものが猛烈なアグレッションなんです。
【是枝】僕は『怪物』を、むしろ“生”を選んだ話のつもりで作っていたんです。だからそこを根拠にした批判にどう答えたらいいのか、正直分からないまま、ここに至っています。
【児玉】映画技法としても、画面が白飛びになったりするあたりを含め、よくある死の表現のクリシェになってしまっていたかもしれませんよね。
【坪井】これは脚本にしかないシーンですが、トンネルの先へ走り去った馬を見て湊が「生まれ変わったお父さんかもしれない」と思う展開がありますよね。トンネルの先は生まれ変われる場所、つまりこの世界ではない天国のような場所なのではないかと読めます。2人はトンネルを通って『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)を思わせる列車に乗り込む。
また、映画にもあるシーンでは、「(猫を)土に埋めて燃やせばなりたいものに生まれ変われる」という会話が第3章にあります。「土に埋める」という儀式的な行為とラストの土砂崩れが被るんですよね。けれども2人は燃やされずに、土から這い出る。ただそれだけだと死んだんじゃないか、生まれ変わったのではという解釈の余地があるために、這い出た先で「生まれ変わったのかな」「そういうのはない��思うよ」「ないか」「ないよ。もとのままだよ」「そっか。良かった」という会話があったんだろうなと私は読んだんですけど、それでも「死」という解釈に引っ張られた方はかなりいたと思います。
【是枝】「死」と捉える人はいるだろうとは思っていたのですが、割合的には2割ぐらいだと予想していました。あの白飛びは確かに危険だなと思いましたが、文脈の流れの中で「生まれ変わったのかな」というせりふを聞いてもらえば、あえて言いますが、それほど「誤読」は起きないだろうと思っていました。
【児玉】是枝さんが本当に“生”として描きたかったのであれば、クィアと死がたやすく結びつけられる背景を考慮して、もっと明瞭に“生”の方へと舵を切らなければいけなかった気もするんです。
【坪井】クィアは物語においていつも悲劇的な死の役割を担わされる、という歴史的な背景に加えて、第1章から第3章にかけてずっとクィアへのアグレッションが繰り返されているので、結末に至る時、クィアな観客は精神的に弱っていると思うんですよね。こんな環境では到底生きてはいけないと認識した後の白飛びなので、やっぱりクィアは死ななきゃいけないんだと思わされてしまうのかもしれません。
ラスト、2人が廃線を走っていきますが、その先は木々が鬱蒼としていてどうなっているのか分からない。そういった整備されていない獣道にクィアが進んで行くというのも不穏で厳しい未来の暗示に捉えられるだろう、とも思います。
【是枝】2人には、最後はありのままの自分で生きていく喜びの表現をとにかくしてほしいと話しました。あそこは3回走ってもらったんです。
もっと楽しそうに、もっと叫んでいい、まだ足りない、そう言いながら撮っているし、台風で飛ばされたことにして、それまで2人の行方を閉ざしていた線路の柵を外して先まで行けるようにした。それは、未来が開けたという意味でした。
カメラを振った時に思った以上に光が強くて、一瞬白飛びするので、死後の世界として捉える人が出てくるかもしれないとは思いました。けど、それはむしろ「祝福の光」として捉えようと僕は思っていた。台風も過ぎ、彼らの“生”が祝福される演出ではある。
ただ、カンヌでも随分と最後がどっちなのか聞かれたし、「死」の結末に捉えた人が想像以上に多かったのは間違いない。僕は初めて『怪物』の脚本を読んだ時、これはカムパネルラとジョバンニが生き残る話だと思った。だから両方死なずに戻ってくる話だと思っていたんだけど、そこもちょっと甘かったのかもしれない。
【坪井】最後に2人が笑顔なのも、逆に現実が苦しいから、しがらみのあるところからやっと魂が解き放たれたようにも見えますね。脚本では、最後に2人がこちらを見返しますが、映画では変わっています。あそこでこちらを見る2人がいれば、私たちとまだ同じ世界にいるということが分かるので、かなり違いましたよね。
【是枝】そこも僕が坂元さんに決定稿に足してもらって、撮影した上で自分で削った部分です。何カ所かそういうところはあります。
確かにこちら側を批評するまなざしとしても、少年たちが見返して終わった方がメッセージは明らかでした。最初の試写段階でも残っていたのですが、走り切って黒に落とした方が���倒的に終わりとしては力強くて鮮やかだったので、結果的には削りました。要は、私たちはもうあの2人には追いつけない。先生も母親も大人たちも、誰も手が届かない。作品の意味的には、もちろん見返す方が明確だったと思います。ただ、もう彼らには手の届かないところまで走って行ってほしいという感情が勝ちました。
でも、仮に死と捉えられたとしても、批評は批評として独立したものだから、それでいい。作品に従属する必要はないし、監督が考えている以上のことを書いてくれた方が面白いし、そういうものを読みたいです。
【児玉】坪井さんの文章は『怪物』のことを、本気でとことん考えたことが分かりますもんね。批判的な批評をすると、すぐに「表現の自由」を奪うつもりかと言われるなど、単純に作品への「攻撃」と見なすような風潮がますます強まっているようにも感じますが、正当性のある批判には映画文化を底上げしていく価値があるじゃないですか。
【坪井】『怪物』についての記事を出した時「お前は是枝さんのこと嫌いなんだろ!」みたいな反応がありましたね。気にしすぎ、とか映画の本質を理解していない、ただの難癖だ、というコメントもありました。
今回、怪物に関してSNSで批判をしたクィアに対しても似たようなコメントがぶつけられていたように思います。他の作品でも、そうした批判を封じようとする動きや冷笑をよく目にします。
是枝さんがおっしゃったように、批評は批評として独立したもので、私は一つの作品だと思っている。監督の意図に反していたり、想定を超えたりしている読解があっていいんだと強く言いたい。
好意的な批評だけが素晴らしくて、批判的な批評は全部「難癖」みたいなのは納得いかない。私は批評を一種のリスペクトとして書いているので、作り手が嫌いなんだという指摘は明確にズレています。
【是枝】それが僕にはよく分かったので、響いたんです。児玉さんと坪井さんに関して言うと、これは受け止めなければいけない本気の言葉だと思った。こういう時間は大切ですよね。
批判した側と批判された側でこうして関係が成立していることが外に出ていくのは、いいことだと思います。
【児玉】日本を代表する作家たちが手がけ、かつ高く評価されている大作を批判することは怖いことでもあるかもしれませんが、真剣に考えて本気で言葉を紡いだ観客もたくさんいたと思います。
【是枝】傷つけてしまった人たちに対しては取り返しがつかないかもしれないけれど、お二人が作品と僕の言葉と向き合って批判してくれたことで、今回とてもいい気づきになりました。
第3部 映画界の変化と課題 批判と応答これからも
【児玉】『怪物』から少し離れて、昨今の日本映画界のさまざまなイシューについてもお話ししていきたいです。是枝さんは映画の中で子どもを多く描いてきましたが、撮影する上で今どんなことに気をつけなければいけないのか。例えば『怪物』には性的な描写がありますが、どんな配慮があったのでしょうか。
【是枝】脚本には車両の中で湊と依里が抱き合って湊が勃起する描写があったんですが、子どもたち自身もその意味をどの程度理解しているか分からなかったので、まず保護者の方に問題ないかを確認した上で、「命育」という団体に相談をして紹介いただいた助産師さんにきていただき、インティマシー・コーディネーターの浅田さんに���同席してもらいつつ身体的な変化など性教育の講義を実施してもらいました。その上でこの映画の中で事前にどう抱きしめるのか、その時にどう感情が動き、身体的な変化が起きるのか、といったことを頭で理解してもらった上で、感情的なところに落とし込むプロセスを踏んでもらいました。
【児玉】少年同士の親密なシーンを撮影する時の現場は、どういう状況でしたか。
【是枝】そのシーンはロケ地が森だったので、電車の中は必要最低限のスタッフにして、カメラマンと僕、それから浅田さんだけでしたね。
【坪井】子役にシーンの意味を伝えないままに撮ってしまう現場もあると思うので、助産師による授業が設けられたのは大きいですね。
日本は性教育が遅れています。生理の仕組みや射精の原理、妊娠や中絶、避妊に関する知識など、性にまつわる情報は皆が小さい頃から知っておくべきなのに、私が小学生だった頃は男子と女子に分けられて、まるで秘密にしなければいけないことのように教えられた記憶がある。
まずその「男女」という二元的な分け方自体が問題です。性を知る権利の侵害は己の身体に対する自己決定権を奪われることなので、知識を身につけた上で演じられるのは重要だと思います。
【是枝】浅田さんに『怪物』の初期の脚本を読んでもらった時に、アメリカだとこれは児童ポルノとして搾取される可能性があると指摘されました。例えば大人のペニスを見るシーンがあれば完全に別撮りで、違う何かを見せてリアクションだけさせて、トラウマになるような撮影は一切しない。日本でも、この間放送されたNHKのドラマ『拾われた男』で、怒鳴ったり殴ったりするシーンは子どものリアクションを別撮りにしたらしいです。
『万引き家族』(2018年公開)で、もちろん保護者には事前の了解は取っているんだけど、子どもが夕立にあって家に帰ってきたらお父さんとお母さんが抱き合っていて裸を見てしまうシーンを同じ空間で撮ったんです。浅田さんにそれを話したら、アメリカだともうそういう撮影は許されない、と。別撮りでセットも分けるとなると予算的に難しいんですが、世界的な基準を踏まえた上で、何ができて何ができないかを模索し始めたところです。
【児玉】セバスチャン・リフシッツが監督したフランス映画で『リトル・ガール』というトランスジェンダーの子どもを描いたドキュメンタリーがあります。例えば風呂のシーンなどで肌の露出があったために批判が起きました。是枝さんは子どものヌードに関してどう考えていますか。
【是枝】『そして父になる』で風呂のシーンは男の子だけだったので、上半身とお尻までは見せているのですが、リリー・フランキーさんが演じる父親の家にいた3きょうだいの真ん中が女の子だった。風呂から出てきてぬれたまま走って、父親がバスタオルを持って追いかけるところを撮ろうと思ったんですが、その子が幼稚園か小学校に入りたてくらいで、確か既に上半身は見せてはいけないルールでした。ただ『万引き家族』の時に、安藤サクラさんが演じる女性が拾って��た女の子のお風呂に入るシーンはどうしても撮りたかったので、裸ではなく盗んだ水着を着��喜びながら風呂に入っているシーンにしました。それは制約があったおかげで、むしろ良いシーンになりました。
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映画『怪物』について語り合う、是枝裕和監督(左)、ライターの坪井里緒さん(中央)、映画文筆家の児玉美月さん=2024年2月9日、朝日新聞東京本社、上田幸一撮影
【坪井】以前、子どもがいる役者さんも撮影現場に参加しやすいように、役者さんが芝居をしている間、面倒を見られるような環境作りを考えたと聞きましたが、それは『怪物』撮影時のエピソードですか。保育士を雇って現場に呼んだんでしょうか。
【是枝】厳密には、スタッフの中に保育士の資格を持っている方がいたので、現場にお子さんを連れてきたらそのスタッフが面倒を見られるようにしましたが、本来であれば専属のスタッフを追加で加えなければいけないと思います。ロケ場所の学校に空き教室がたくさんあったので、畳を敷いたりして環境作りをしました。ついこの間まで撮影していた現場は蒼井優さんがよくお子さんを連れて来ていたんですが、シッターを雇っていて、撮影の合間には蒼井さんもお子さんと一緒に散歩に行ったりしていましたね。だからシッターの給料を制作が賄うか、現場に施設が整備されているか、選択肢を提示できるのがベストだと思う。まだ実験的な段階ですが、直近の2作ではそのような対応をとりました。
【坪井】現場で働いているスタッフにとっても、子どもが居る状態でどう撮影現場に参加するかは大きな課題ですよね。
出産するタイミングで現場を抜けた後、もう一度復帰しようにも仕事が無い、あったとしても不規則な撮影時間であるためにライフスタイルと合わない事態が起きています。その点、脚本はどこでも書けるから辞めずにすむよ、と大学時代に言われた覚えがあります。
【児玉】テレビではつい最近、脚本家や原作者をめぐるトラブル��報道されていたばかりでしたよね。映画業界の脚本家の立場や地位は、どのような感じなんでしょう。
【坪井】著名な書き手であれば状況は違うと思いますが、脚本家の立場は監督と比べると弱いと思います。
脚本は是枝さんも話していたように、基本的にプロデューサーと監督とで直していく場合が多いと思うんですが、個人的にはもっと全体とコミュニケーションが取れる状況があってもいい気がします。原作モノの脚色なのに、脚本家と原作者が会えない、なんていうのもありますよね。
【是枝】過去の経験から、僕は原作ものを監督する時は、とにかく最初に原作者に会わせてほしいと伝えるようにしています。
『海街diary』(2015年公開)では、原作者の吉田秋生さんに会った時、こうしてほしくないということがあったら言ってくださいと伝えたら、作中しばしば話題には上るけど絶対に出てこない人物がいて、その「アライさん」だけは出さないでほしいと言われたんです。それを聞いて、『海街diary』は出てこない人が大事な物語だと分かった。原作者と会って話せば、きっと映画を作る上で大事なヒントにもなると思うんですよね。
【坪井】原作モノの映像化は原作者と監督・脚本家やプロデューサーなどが直接話し合う場が必要ですよね。ここは譲れないというすり合わせは密に、かつ第三者の言葉を介さずに行われる必要があると思います。伝聞の形を取ってしまうと本来落としてはならない部分が抜け落ちてしまう危険がありますし、誤解が生まれやすくなるのを避けられない。
映画化する際、原作と違う媒体に変えるわけですから、原作をそのまま映画に置き換えたら成立しない箇所は多々あります。原作の雰囲気や重要な軸を壊さずに作る必要がある際は、原作がいったい何を大切にしているのかが分からなければ作りようがない。故に対話というすり合わせは必要不可欠だと思います。監督や脚本家という作品の骨組みから肉付けを率先して担う立場が、原作者に直接会いづらいという慣習は映画界にもテレビ業界にもずっとあるみたいですが、一刻も早く廃れてほしいです。
【是枝】女性の働き方の話に戻ると、フランスで『真実』(2019年公開)を撮った時、撮影部のチーフが女性だったんですが、2人のお子さんを育てているシングルマザーでした。でも撮影が晩飯前には確実に終わり、保育園へ迎えに行ってご飯を子どもと食べることが撮影中もできる状況なので、日本でもそれができれば現場を離れずに済む。それを実現するために、映画業界の労働改革の働きかけをいろんなところにしています。例えば保育施設を撮影所の中に作ろうとすると、映画の現場だけにとどまらない話なので、厚生労働省まで巻き込まないといけなくなってしまうので���変です。
潤沢な予算があって長期にわたって同じ場所で撮影ができて、施設が用意できる状況が作れれば、いったん現場を離れているスタッフを戻せるのではないか。一度やってみようと思っているんです。
【坪井】まずは長時間かつ不規則な撮影時間の問題をどうクリアにしていくかですよね。夜中��帰っても、日が昇る前には出ないと間に合わないというような過酷な現場もまだまだあります。厳しい環境にもかかわらず、薄給というのも珍しい話ではない。
【是枝】日本の映画人には文化祭の延長で映画を作る楽しさとか、お祭り気分の一体感のようなものが好きで、それを手放したくない人たちがいるのも間違いない。でもそれは映画愛を利用しているし、スタッフ、キャストのやりがい搾取だから。もうそこに若い人たちだってついてこない。
【坪井】是枝さんが共同代表を務めているaction4cinema(日本版CNC設立を求める会)は昨年10月、制作現場のハラスメント防止ハンドブックを発表しましたね。現場で働く同期の話を聞いていて、激務の次に業界を去る理由になっているのはこのハラスメントだと認識しています。権力を持たされやすい・権威を帯びやすい役職から「下」とされてしまっている部署へのハラスメント・いじめ・性暴力がいまだに常習化しているのにもかかわらず、声を上げにくい状況が続いている。当事者が訴えるのではなく、周りが動いて暴力を止めたり防いだりできる環境作りが求められているように思います。
【是枝】それこそ、フランスのCNC(国立映画映像センター)のような統括機関が必要なんですよね。ハラスメント窓口すらない状況なので、どこに訴えたらいいのかがまず分からない。日本には映画の撮影チームを、監督の名前で何々組と呼ぶ文化がある。そうすると、組の中の倫理の方が勝ってしまったりするので、その組で起きていることに対して、他の組の監督が口を出すような文化ではないというか。それももうここで変わらないといけない。
action4cinemaに関しては、監督だけでなくプロデューサーの目線が入った方がいいという意見も出ていて、今年メンバーが少し変わる予定です。
若手から「ご自身では反体制だと思っているかもしれないけど、もう業界においてはあなたも権威なんだから、正しい権威になってくれ」と言われて……。『怪物』で批判が起きた時に、そういう立場の人間がスルーしてはいけない、と突き上げを食らいました。そこは真摯に反省して、映画界を良くするためにできることをやっていきたいと思います。
【坪井】作って発表して、それが観客という第三者に見られることで作品は「作品」になり、届いた「その先」も背負うのが制作側の責務だと私は作り手のひとりとして考えていて。今日は「その先」のひとつの場として鼎談が設けられたと認識しています。
作り手と受け手が互いに意見を交わし合う機会が更に増えていくと良いですよね。映画全体の手綱を握るのは監督だけれども、プロデューサー、脚本、演出、撮影、録音、編集、美術、制作、配給会社に宣伝会社と、多くの力によって映画は生み出され、観客に送り出されている。議題によって、各部署を担う方々がそれぞれ参加できるともっと良いのではないか、と思います。
今回はクィアへのまなざしに関係する批判を中心に対話を重ねましたが、被差別属性側を���いた作品の場合、まず批判を含めた当事者の声を聞いていかない限り、その作品自体が制作側の望まない方向に進んでいくのは免れず、それは作り手にとってもマイナスなはずです。
作り手の意図と受け取った側の解釈の間に暴力的な隔たりが生まれてしまった時、作り手が「実はこう考えていた」「ここは今から改善する」と明かし、「ここはよくなかった」と謝罪することに対して、ただの言い訳だ、という意見ももしかしたらあるかもしれない。ですが、至らなかったと謝るのと、応答せず無視し続けるのとでは、私は後者の方が無責任だと強く言いたいです。
【児玉】これまで、日本のクィア映画に対する当事者、批評家や観客からの批判に対して、作り手たちが十分に応答できていたかというと、なかなかできていなかった。
批判だけが空中分解して消えていってしまうので、作品と批判が建設的な形で架橋されない。例えば宣伝に対する批判が起きてその後に何かしら変更になったとしても、具体的にどこに問題があると認識して改善に至ったかという対外的に出すべき説明が抜け落ちてしまっているケースも多い。日本でクィアのテーマを扱う作品がつくられることに、反射的に不安や懸念を覚えてしまう人たちが一定数いる状況が続いてしまっているように見えます。
是枝さんが日本映画を代表する監督であることは間違いなく、そういう立場の人がこうして公に批判に応じたことは日本映画界にとって画期的なことで、大きな意義を持っていると思います。次世代を担う監督たちもきっと見ているはず。ここから続いていってほしいという期待もあります。
【是枝】そう言っていただけると、ここに来たかいがありました。こういう対話を一つ一つ積み重ねていくしかないですね。何か批判が起きた時に、自分はこう考えたとか、ここは反省しているとか、ここは改善できるとか、そういうことをできるだけ指摘してくれた人に対しても公にしていきたいと思っているんです。
ですが、矢面に立つのが監督なのは当然としても、映画は監督だけのものではない。作品を代表して発言するのが難しい時もある。
『怪物』に関してもそうで、一度カンヌにいる間に僕自身は何かしら声明を出すべきだと思って自分の考えを文章にまとめていたんですが、結局自分の判断で引っ込めました。公開から長い時間が経ってしまいましたが、自分が何を考えたのかということはまとめて表に出したいと思っていたので、こういう機会をいただけて、改めてありがとうございました。(構成=映画文筆家・児玉美月)
これえだ ひろかず 1962年、東京都生まれ。テレビドキュメンタリーの演出を手がけ、2014年に独立し制作者集団「分福」を立ち上げる。95年に『幻の光』で映画監督デビュー。主な作品に『誰も知らない』(04年)、『歩いても 歩いても』(08年)、『そして父になる』(13年)、『海街diary』(15年)など。18年に『万引き家族』がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。日仏合作の『真実』(19年)、韓国映画『ベイビー・ブローカー』(22年)など海外での制作にも取り組む。
こだま みづき 映画文筆家。映画に関する文章をさまざまな媒体に寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルム��ート社、2023年)、『反=恋愛映画論――「花束みたいな恋をした」からホン・サンスまで』(ele-king books、2022年)など。
つぼい りお ライター。1995年生まれ。在学中、映画脚本を専攻。言葉に関する活動を幅広く行う反差別のクィア。主な寄稿記事に、〈映画『怪物』を巡って――「普遍的な物語」を欲するみんなたちへ〉(本屋lighthouse)、〈映画『炎上する君』 燃え盛るのではなく、世界の果てまで延焼する〉(『映画芸術』484号)。
コメントプラス
仲岡しゅん(弁護士)【視点】 お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
この作品は、確かにクィアの登場人物たちを描いている。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
だからこそ、クィアの当事者である私に刺さったのだ。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィアやLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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南極大陸本土で鳥インフル感染初確認、ペンギンに感染リスク(ロイター 2月27日)
[ブエノスアイレス 26日 ロイター] - スペイン科学研究高等会議(CSIC)は25日、H5型高病原性鳥インフルエンザが南極大陸本土で初めて確認されたと明らかにした。同大陸に生息するペンギンへの感染リスクも出ている。
アルゼンチンの科学者が24日、南極のプリマベラ基地近くで発見した海鳥少なくとも1羽の死骸からウイルスを確認したという。
南極地域ではこれまで、近隣の島でジェンツーペンギンなどの鳥インフル感染が確認されていた。この数カ月、H5N1型鳥インフルが世界各地でまん延している。
南極大陸とその近くの島々ではペンギンが密集してコロニーを形成しており、鳥インフルが容易にまん延する恐れもある。
南極研究科学委員会も同基地で感染が確認されたとしている。
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ペンギンも鳥インフル感染 南極で急拡大の様相(時事通信 3月15日)
南極で列をつくって歩くアデリーペンギン=2012年1月(EPA時事)
【サンパウロ時事】南米チリの政府機関チリ南極研究所(INACH)は14日までに、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に感染したペンギンが南極大陸で初めて見つかったと発表した。南極大陸では先月に鳥インフル感染例が初めて確認されたばかりで、集団で行動するペンギンにも急速に広がる様相を呈してきた。
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南極でペンギン532羽死ぬ 鳥インフルが原因か―豪大(時事通信 4月5日)2024年3月15日に追記
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極で氷山から飛び降りるアデリーペンギン=撮影日不明(ニューヨーク州立大ストーニーブルック校など提供)(AFP時事)
南極大陸で先月、少なくとも532羽のアデリーペンギンが死んでいるのが見つかった。オーストラリアのフェデレーション大学が明らかにした。調査団は��害が数千羽に及ぶと推定。高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)が原因の疑いがあり、現地からサンプルを研究所に送り、詳細を調べている。
鳥インフルは2022年に南米で確認され、野生動物の間で急速に感染が拡大。南極大陸では今年2月に、最初の感染例が確認された。調査に参加した同大の生物学者メーガン・デュワー氏は「気候変動などによって既に影響を受けている野生動物に甚大な被害を及ぼしかねない」と語った。
英南極研究所によると、南極大陸では約2000万組のペンギンが毎年繁殖を行い、絶滅が危惧されるコウテイペンギンも含まれる。専門家は鳥インフルによって、コウテイペンギンなど南極に生息する野生動物が大量死する可能性があると懸念している。(ロイター時事)。
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ytakeshima · 1 year ago
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コピーを書いたことのない人のためのワークショップです。
直近は、2023年11月22日18:00〜20:00です。
コピーライター竹島靖の一行力サロン第36回定期勉強会。
座学は「コピー48手:5文字」です。1回だけの参加でも、とびとびの参加でも、オーケーです。平均20分間に1回笑える、エンターテインメントワークショップ。
#セミナー
#コピーライティング
#オンライン
#初心者歓迎
#ビジター歓迎
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ronpe0524 · 2 years ago
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お餅が美味しい1月(2023年1月の日記)
■2023/1/1 元日の日曜日。朝からちゃんとお雑煮を食べる。昨日途中まで見ていたNetflix『バルド、偽りの記録と一握りの真実』を見終わる。劇場で一度観たので吹替で見直したかったんですけど吹替ないんですよね。家族で実家へ。あけましておめでとうございます。お昼はお寿司。夕飯はだまこもち。早くも食べすぎ。帰宅してからNetflix『20世紀のキミ』を見る。年賀状と一緒にstillichimiyaのラジオからステッカーが届いていて嬉しい。こんな感じで今年もよろしくお願いします。
■2023/1/2 火曜日。本日は妻の実家に新年の挨拶へ。昨日実家から借りてきた車で向かう。場所は千葉県の流山。車内のテレビで駅伝を見ながら。多少事故渋滞があったけど2時間ほどで到着。本日も寿司をご馳走になる。この寿司を食べながら録画していた格付けのやつを見るのが恒例だ。娘も寿司はよく食べる。食後、眠かったので1時間ほど昼寝をさせてもらう。遅くならないうちに帰らないと高速が混んでしまう。妻はあと2泊ほどするので娘と二人で車で帰る。娘がママがいない解放感でわくわくが止まらない感じ。お父さんもわかるぞ、その感じ。車を返しに実家へ。夕飯のピザをご馳走になる。いやーザ・正月!という感じで食べすぎだな。帰宅して夜、Netflix『ヒューマン・キャピタル』を見る。おうち映画はとても順調に見れています。映画館で映画を観れるのは4日かな。
■2023/1/3 まだまだ正月休みの火曜日。朝ごはんは餅だ。今日は娘と二人、家でのんびり過ごす。娘がやるべきことは朝の英会話の勉強だけで、それ以外は勉強なし。ママが不在ということで嬉しそうに過ごしております。動画を見たり、ゲームをしたり、絵を描いたり、おやつを食べ��り。やりたい放題。昔から大好きな、家の中にお菓子を隠す遊びもやる。こうゆうのやるのもあと何回あるかなぁ、という感じになってきた。お昼は焼きそばに目玉焼きのっけて食べたり。僕もめちゃくちゃおうち映画鑑賞がはかどります。東映シアターオンライン(YouTube)『トラック野郎 爆走一番星』を見る。U-NEXT『モガディシュ 脱出までの14日間 』を見る。 U-NEXT『画家と泥棒』を見る。夜、娘を寝かしつけながらうっかり僕も寝てしまった。夜中の2時ごろになんとか目覚め、もう1本。Amazon Prime Videoにて『おやすみ オポチュニティ』を見る。ちょっと終盤で感動してしまった。興奮。これはこのあと寝れるかなぁ、と一瞬思ったけどすぐ寝れた。
■2023/1/4 水曜日。僕は今日までが年末年始の休み。娘は今日から塾の冬期講習があるとのこと。お疲れ様です。朝、娘を送りだしてから東映シアターオンライン(YouTube)『ビー・バップ・ハイスクール』を見る。WOWOWオンデマンド『殺人鬼から逃げる夜』を見る。帰宅した娘とお昼ご飯は食べ、早めに塾の宿題をやらせる。これさえやってしまえばもう大丈夫だ。あとは遊んで良し。午後、うとうとしつつWOWOWオンデマンド『ほんとうのピノッキオ』を見る。エンドロール、ロベルト・ベニーニのドヤ顔に笑ってしまった。娘と夕飯を食べ、僕は早めの風呂にも入ってしまう。帰宅した妻に娘をまかせ、僕は昭島へ。Disney+『ガンニバル』E3を見る。いやーちょっと凄い。ドラマだからといって引きのばしたところもなく、しかもアクション描写なんかは日本映画のクオリティを超えている。MOVIX昭島にて『かがみの孤城』鑑賞。やっと今年初の映画館鑑賞。clubhouseにてコードネームに参加。ラロッカさんとニセラロッカたちの夢の共演。新春SPって感じで笑わせていただきました。
■2023/1/5 木曜日。あー仕事がはじまってしまった。1週間も休めてないから短いですよねー。海外の人とか3週間ぐらい休んでる気がするんですけど、有給とかどうなっているんだろうか。radikoで年末年始のラジオを聴いているけど、ラジオは大晦日も元日もほぼ関係なく番組が放送されている。収録放送が多いとはいえ凄いな。お昼は丸亀製麺にてかけ並とジャンボカニカマ天。今年もお世話になります。仕事終わりで立川へ。松屋にて、松屋ビーフカレーを食べる。Disney+『アトランタ』S4E2を見る。シネマツーで『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』観賞。極上音響上映で。ムビチケ提供Yuさん。あとんす。帰宅してからNetflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E1を見る。
■2023/1/6 金曜日。去年リタイアした会社の先輩に新年の挨拶がてらメールをしたら返信がきていた。以前自分が治療していたのと同じ病気になってリタイア後に治療を開始すると云っていたのでそれも気になっていて。治療は昨年末からはじまっていて、やはり投薬の期間はけっこうきつかったみたいだ。仕事に行かなくなると毎日が祭日みたいだよ、とのこと。僕もリタイアするころにはその気持ちを味わいたい。だらだらと映画を見る生活をやってみたい。なのでまずはそれまで生きていられるようすごしたいです。お昼はマクドナルドの にんにくザク切りポテト肉厚ビーフ。WREPで新春 第三研究室 特別講義を聴く。こうやって昼にやってくれた方が実は聴きやすいなぁ。仕事終わりで吉祥寺へ。いぶきうどんにて、肉玉あんかけうどん。Disney+『アトランタ』S4E3を見る。UPLINK吉祥寺で『恋のいばら』観賞。帰宅してNetflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E2を見る。さらに録画しっぱなしの去年のTVドラマなどを限界まで見て寝る。
■2023/1/7 土曜日。やったぜ3連休。がしかし娘は午前も午後も塾があるらしい。かわいそうに。とゆうことで僕は映画を観に行くしかない。自転車で昭島へ。『非常宣言』観賞@ MOVIX昭島。スーパーマリオ映画の予告編、吹替版をはじめて見たけどきっちり声優キャスティングで安心できる感じ。『魔女2』の予告も流れた。期待。昭島図書館に行き娘の本を借りたり返したり。昭島図書館で売っているサンドウィッチを買って敷地内のテーブルで食べる。なかなかおいしい。Disney+『アトランタ』S4E4を見る。もう一度MOVIX昭島へ行って『ファミリア』鑑賞。『バビロン』の予告を見て気づいたのですがトビー・マグワイア出てるんすね。やはり役者として復帰した感じなのかな。『ノー・ウェイ・ホーム』は偉大ですね。スーパーで買い物してから帰宅。Netflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E3を見る。夜はオンラインの僕モテ読者サミットに参加。半年に一回のお楽しみ会。ひとり10分の待ち時間でなぜが5時間以上やってる不思議。次は7月。
■2023/1/8 日曜日。娘は美容室に行くとのことです。とゆうわけで僕は1日お出かけさせていただきますよ。でも午前中は家で映画を1本、Amazon Prime Video『オータム・ビート』を見る。昼から出かけて高田馬場へ向かう。移動中にDisney+『アトランタ』S4E5を見る。甚三 高田馬場店にて、スペシャル(温)と野菜天(山芋とオクラ)。渋谷へ移動。内回りの山手線は本数減らしてるはずだけどすぐ電車きてラッキー。映画の時間にはちょっと早かったので座れる場所まで行ってNetflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E4を見る。イシヤマさんとこの前渋谷を歩いたときに、ここは時間あるときに座っていられるな、というポイントを見つけたのですが、そこに行ってみたら予想どーり人は少なくてちょっと時間があるときに最適だ。イメフォにてピエール・エテックス レ��ロスペクティブ『ヨーヨー』観賞。ちょっと暖房効きすぎで暑かった。。コメダに行ったら入店待ちができてて断念。てんやで天丼食べる。映画まで時間あったので東映シアターオンライン(YouTube)『網走番外地 大雪原の対決』を見る。未体験ゾーンの映画たち2023『スランバー・パーティー大虐殺』と『地縛霊 5階の女』観賞@ヒュートラ渋谷。帰りの電車からアトロク映画祭のチケ取り。スマホからのKINEZOがめちゃくちゃ使いにくくて苦戦。イマイチな席だったけどなんとか確保。ふー。
■2023/1/9 祝日の月曜日。祝日ありがたい。娘と実家へ、のんびりすごす。Disney+『アトランタ』S4E6を見る。中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。Diggin' U-NEXTを1本編集してすぐ配信。昔のアニメージュを見つけようとしたが見つからず。代わりにシネマップ2000というミニシアターガイド本を発掘してしまった。面白そう。Netflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E5を見る。夕飯までご馳走になり帰宅。U-NEXT『ラブINニューヨーク』を見る。ラジオ聴きながら僕モテメルマガの原稿を仕上げる。途中で寝落ちしたが起きてなんとか最後まで仕上げる。
■2023/1/10 三連休明けの憂鬱火曜日。家族についてちょっと心配ごとがありつつも僕は会社へ。朝ウォーキングには気持ちいい天気。ジャンプの立ち読みもする。午後のMeetingで使う資料が完成していないとこからスタートの仕事なのでさらに憂鬱。お昼はマクドナルドでサムライなんちゃらの新しいやつ。Disney+『アトランタ』S4E7を見る。午後はMeetingの連続。しんどいー。そりゃ通常業務も遅れますよ。仕事終わりで東中野へ。移動中にNetflix『コペンハーゲン・カウボーイ』E6を見る。これで完走。by NWR。けっこう面白かったですが、ラストで出てきたキャラクターに笑ってしまった。ポレポレ東中野で『にわのすなば GARDEN SANDBOX』鑑賞。上映後トークは清原惟監督がゲスト登壇。キノコジン2号もGET。帰りの電車からclubhouseのゲーム「ito」回を聴く。イシヤマさんがコードネームだけでは飽き足らず新しいゲームを。僕は帰宅してから参加したけど変なところで盛り上がった。ブラックシーサー「ティちゅら」は忘れない。
■2023/1/11 水曜日。最近腰の痛みが強くなってきた感じがするのですが鎮痛剤がなくなりそう。明日通院だから処方してもらわないと。お昼はサイゼリヤ。なんかいつもより混雑してた感じだけどなんでだろう。あと昨夜GETしたキノコジン2号、会社の休み時間で読んでいこうと思います。帰宅してからDisney+『ガンニバル』E4を見る。Netflix『人間の値打ち』を見る。ラロッカさんとDiggin' Netflix収録。途中でPCのモニターの不具合がありご迷惑おかけしました。さらにドラマとか見たかったけど眠くて撃沈。。
■2023/1/12 木曜日。朝から立川の病院。採血、採尿してからの診察待ち時間でDisney+『アトランタ』S4E8を見る。全シーズン通して屈指の謎回だろう。主治医のK先生がお休みで代診の先生だった。ちょっと心配だなぁと思っていたところに代診の先生から説明があり、K先生は体調が悪く長期的に休みに入っていて、3月末ぐらいまでに復帰できない場合はそのまま引退され、僕の主治医も変更になるとのこと。もともとリタイアして企業の産業医などをやっていたのだが、病院からの要請で現職に戻っていたはずで、9年前に僕の主治医になった時点でけっこうな年齢だった。そんな風にしてカムバックするぐらいなので名医なのだと思う。9年前、自分は悪性リンパ腫という病気でぶっ倒れるように入院し、半年以上休職して治療のための入退院を繰り返した。ステージにもよるのだろうがこの病気の治療はまず化学療法、抗がん剤を投薬する。この抗がん剤には複数の組み合わせがあり、そこらへんは自分でネットで調べてもすぐわかった。たぶんこの組み合わせでいくんだろうな、という一般的な組み合わせがあるのだけど、K先生が選んだのはその組み合わせではなかった。その組み合わせはむしろ高齢の患者などに投薬する組み合わせで、つまり効力としては弱そうなのである。投薬の点滴を対応してくれた看護師さんも「めずらしいね」と云うぐらいで、これで大丈夫なのだろうか?と思ったぐらいだが、これは大当たりだった。僕の症状は1クール目の投薬で劇的に改善し、全8クールの投薬により病気は寛解。会社にも復帰できた。その後も定期検診で通院は続け、K先生と話していたわけであるが、病気以外のこともいろいろ話した。Windowsが苦手な先生にいろいろアドバイスしたこともあったし、4年前に僕が別の病気になったときにはとても心配して励ましてくれた。僕はこの年齢で二度も大きな病気になり、その点はとても不運だと思うのだけど、それぞれとても良い医師に治療してもらえたのは幸運だと思っている。おそらくK先生とはこのまま会う機会はないかもしれない。最後にあらためてお礼は伝えたった。なんて思いながら処方箋を出してもらいに薬局へ。いくつかの薬を買うわけですが、腰の痛みのために飲んで���るカロナールが足りないらしく、一部は後日郵送になった。しかもこのカロナール不足は深刻な状況らしく、次回は鎮痛剤の変更を相談するかも、とのこと。コロナの関係でカロナールが不足しているとは知っていたけどそこまでとは。病院と薬局、それぞれで時間がかかり11時までの出社が不可能に。フレックスでの吸収がムリなので午前半休。なのでちょっと時間がある。八王子で何かお昼を食べようと思い、本当に久々の「あらた」へ。とても美味しいうどん屋さんだけど、前回行ったのが思い出せないぐらい久々だ。出汁がうまい。午後から出社。まぁ忙しい。考えることも多い。仕事終わりで昭島へ。フードコートでたこ焼きを食べる。Netflix『ベター・コール・ソウル』S1E1を見る。てゆうか見直し。同時視聴に向けて。Disney+『シコふんじゃった!』E6を見る。MOVIX昭島にて『とべない風船』観賞。帰宅してからいろいろあり、やりたかったことも��べてやめふて寝。あー。
■2023/1/13 金曜日。昨夜ふて寝してたくさん睡眠が取れました。お昼はマクドナルド。ハッピーセットのおまけがすみっコぐらしになりました。あ。今週は一度も丸亀製麵に行かなかったことになります。こいつはまずい。来週は行くようにします。Disney+『アトランタ』S4E9を見る。仕事終わりで立川へ。やよい軒にて、鶏の水炊き定食 アジフライ付を食べる。エキュートの病院で4回目のファイザーワクチン接種。帰宅してAmazon Prime Video『ナチ・ハンターズ』S2E1を見る。WOWOWオンデマンド『ダーク・アンド・ウィケッド』を見る。さらに録画したTVアニメとかを見ていたら寝てしまったようだ。
■2023/1/14 土曜日。昨夜のファイザーワクチンによる発熱はなし。よしよし。Netflix『ホワイト・ノイズ』を見る。Disney+『アトランタ』S4E10を見る。これにて全シーズン完走。他にない感じの面白いドラマだった。このS4も去年のうちに見れていれば年間ベスト10に入ったと思います。WOWOWオンデマンド『シルクロード.com - 史上最大の闇サイト-』を見る。近所のスーパーで買い物。WOWOWオンデマンド『スティール・レイン』を見る。夜はclubhouseにてNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E2同時視聴に参加。またもドラマの同時視聴がスタートです。さらに深い時間の雑談clubhouseでちょっともめごとが。だいぶ時間かかって何が原因かがわかったけど眠くて離脱。こういう時のあさみさんのメンタルすごい(仲介に入っていた)。
■2023/1/15 日曜日。ファイザーのワクチン打ってから2日目ですがほぼ副作用なし。腕がちょっと痛いのと、普段ある痛みがやや強くなるぐらい。ポカリだけ飲んでおく。娘はどこかの学校へ志望校判定テスト的なの受けに行くとのこと。Diggin' Netflixを1本編集してすぐ配信。昭島の図書館へ。娘の本を借りたり返したり。ケンタッキーでお昼食べながらNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E3を見る。MOVIX昭島で『そして僕は途方に暮れる』鑑賞。帰宅してWOWOWオンデマンド『ニューイヤー・ブルース』を見る。U-NEXT『結婚前夜 マリッジブルー』を見る。夜はコヨイチの収録に参加。3本撮り。
■2023/1/16 月曜日。ついにU-NEXTでドラマ『THE LAST OF US』の配信が開始。見たいけどなかなか見る時間が取れない。お昼は中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。夜はイシヤマさんとDiggin' U-NEXT収録。今年もよろしくお願いします。
■2023/1/17 火曜日。今日は雨降ってなかったので朝ウォーキング。昨日できなかったジャンプの立ち読みをしようと思ったら、先週のが合併号だったんですね。午前中だけオフィスで働き、午後半休で東京へ。移動中にNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E4を見る。昨日見終わらなかった続き。玉丁本店 八重洲店にて、味噌煮込みうどんを食べる。アカデミー・フィルム・アーカイブ映画コレクション『クイーン・オブ・ダイヤモンド』観賞@国立映画アーカイブ。ちょっと僕にはこの作品の良さがわからず。こういうのは悔しいし、まだまだ修行が足らないと思います。阿佐ヶ谷へ移動。映画のチケットを買ってから古本屋のハシゴ。ネオ書房さんで『アルタード・ステーツ』のパンフ購入。300円なり。RAMEN CiQUE@南阿佐ヶ谷で塩ラーメン+黒味玉。久々に食べたけど本当にうまい塩ラーメン。通っていた10数年前のことを思い出す。Netflix『ベター・コール・ソウル』S1E5を見る。ついにマイクの話が動き出しそう。新春★空想科学映画際『獣人雪男』観賞@ラピュタ阿佐ヶ谷。レアな作品なのでとても混み合っていた。ラロッカさんがやってたTwitterスペースを聴きながら帰る。さらにイシヤマさんがはじめたclubhouseのコードネームにも参加してがっつり夜ふかし。
■2023/1/18 水曜日。なんだかとっても眠い。なぜだろう。出社してから昨日のうちに送れなかった僕モテメルマガの原稿を送信。遅れてしまいました。お昼はCoCo壱で豚しゃぶカレー+チーズ。スプーンのくじはハズレ。一発では当たらなかったか。帰りの電車でU-NEXT『THE LAST OF US』E1をやっと見終わり。Diseny+『ガンニバル』E5を見る。夜はclubhouseにてNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E6同時視聴に参加。マイクのエピソードがついにくるぞ、と思っていたら想像以上にマイクの話だった。吹替で同時視聴しているわけですが、このエピソードの吹替はとても良かった。まつむらしんご監督の新作映画公開記念ということでDOKUSO映画館にてPFF作品『かたすみで、ヤッホウ』が無料配信、ということで見てみる。当たり前ですが今とはかなり作風が違う。あとから気づいたけどこの作品U-NEXTにもあるんですね。監督名が「松村真吾」なので見逃していた。
■2023/1/19 木曜日。お昼は丸亀製麺にて、紅生姜玉子あんかけうどん並とジャンボカニカマ天。仕事終わりで昭島へ。モスバーガー食べながらNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E7を見る。これまた面白いエピソード。東映シアターオンライン(YouTube)で『明治侠客伝 三代目襲名』を見る。夜の散歩をしながらMCTOS『ホワイト・ノイズ』回に参加。かなり厚着のフル装備で挑んだら、歩いてるうちに暑くなってきたぐらい。MCTOS後のTwitterスペースにもちょっと参加。寝る前に録画したドラマやアニメを寝落ちするまで見る。こうゆう時間がけっこう好きです。
■2023/1/20 金曜日。仕事終わりで映画でも観に行こうかなぁとか思っていた日だけど夜にリモート収録があることになったので帰宅。話す内容も急いで考える。Netflix『ベター・コール・ソウル』S1E8を見る。孫の世話を頼まれるマイク、嬉しそう。WOWOWオンデマンド『ライダーズ・オブ・ジャスティス』を見る。外伝の『バルド』回の収録に参加。5人での収録。多い。要点を話すだけで良いので楽ですね。
■2023/1/21 土曜日。午前中からU-NEXT『オール・ザット・ジャズ』を見る。娘にお昼を準備。冷凍カルボナーラに追い玉子。午後、娘が塾の試験に向かうタイミングで一緒に家を出る。僕は吉祥寺へ。『ノースマン 導かれし復讐者』鑑賞@吉祥寺オデヲン。吉祥寺さとうでコロッケを買う。なんかカレーコロッケというの商品が新たに並んでた。絶対うまいでしょ。帰りの電車でAmazon Prime Video『ナチ・ハンターズ』S2E2を見る。夕飯に買ってきたカレーコロッケ食べたらやっぱりうまかった。U-NEXT『バーチャルで出会ったら僕ら』を見る。夜、札幌のAKIRA君が出てるラジオを途中まで聴く。clubhouseにて、Netflix『ベター・コール・ソウル』S1E9同時視聴に参加。シナボンやファストフードの話で盛り上がってしまった。懸念であった音源をやっと編集。一部カットしたけどだいたい残した。なんかフォーマットの変換がうまくいかず無駄に1時間ぐらい使った気がするんですけど。
■2023/1/22 日曜日。シネマクティフ東京支部の音声配信、300回SPを配信。なかなかの問題回だと思いますがどうでしょうか。Amazon Prime Video『私たち』を見る。マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(MyFFF)の作品ですが、今年はU-NEXTでの配信がないのでDiggin' U-NEXTで取り上げられないんですよね。ちょっと残念。この映画とかお題にできた気がするんですが。お昼は娘に冷凍の肉うどんを。なんか最近はネギも食べるようにしてるらしい。あれ取り除くのすっごい大変なので助かります。夕方から出かけさせていただき池袋へ。移動中にNetflix『ベター・コール・ソウル』S1E10を見る。これでS1完走。たしかに『ブレイキング・バッド』より見やすいかもしれない。この回も見事な編集がありました。池袋みらい国際映画祭『追い風』観賞@池袋みらい館大明。元学校を使った施設、そこにスクリーンや座席を設置しプロジェクタ上映。手作り感ある映画祭。上映後トークまで含めとても楽しめました。去年見つけた武蔵野うどんの店に行こうとしたらなんか混んでたので断念。松屋でカルボナーラのやつを食べてから帰る。帰宅してからNetflix『ベター・コール・ソウル』S2E1を見る。今日2話見とかないとスケジュール的に間に合わないので。Amazon Prime Video『マグネティック・ビート』を見る。これもMyFFF作品。さらにやりたいことがあったけど、娘の寝顔を見ながらごろんとしていたら寝てしまった。
■2023/1/23 月曜日。毎朝のように食べていたら正月にもらったお餅がついに最終回。今年も美味しかったですお餅。絶対に太ったと思います。明日からまたパンな朝食に戻ります。朝のウォーキング。ほんの少しだけ雪がちらつく。なんとMyFFF作品が遅れてU-NEXTにやってきた。今年はDiggin' U-NEXTで扱えないと思っていたのに。帰宅しながらNetflix『ベター・コール・ソウル』S2E2を見る。スクワットコブラ―。夜はけんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。3本どりだけどうまく収録できた気が。収録終わって話していたら急に家のWi-Fiが切れた。申し訳なかったけど収録終わっててホントに良かった。U-NEXT『THE LAST OF US』E2を見てから寝る。Google検索で感染しちゃうやつ面白い。
■2023/1/24 火曜日。すっごい寒波がくるらしいですね。お昼は丸亀製麺の肉がさね玉子あんかけうどん。お昼から戻ってオフィスのエレベーターホールにいたら「アイダさんですよね?」と話しかけられた。2年ほどメールや電話のみでやりとりをしている関連部署の人だった。なんで顔がわかったんだろう?と思ったけど、たまに大き目のオンラインミーティングで顔を出して発表しているから認識できたとのこと。そうか。そう考えるとオフィスを歩いていて一方的に僕の方を認知されてることがあるってことだな。悪いことはできない。してないけど。仕事終わりで吉祥寺へ。移動中にNetfix『ベター・コール・ソウル』S2E3を見る。あぁ、やっちゃったなジミー。おにやんま@吉祥寺にて、温並とりちくわ。ゆでたて食べれて嬉しい。吉祥寺オデヲンにて『モリコーネ 映画が恋した音楽家』鑑賞。帰宅して録画したTVドラマやアニメを見たり、音源を編集したり。ドラマだと『ブラッシュアップライフ』、アニメだと『虚構推理』が面白いっすねー。
■2023/1/25 水曜日。朝ウォーキングがなかなか寒い。でも風がなければ基本的に大丈夫だな。お昼はCoCo壱にて、イカカレー+チーズ。スプーンのくじがまた外れた。午後、会社のネットワーク環境、というかMS系がまともに動かなくなってしまう。とく��Outlookがまともに動かないとちょっとムリです。予定より早めに仕事を切り上げ。昭島へ。食べたかったラーメン屋がけっこう並んでたので断念。コリアンキッチン シジャン 昭島モリタウン店にて、季節のプデチゲ定食。Diseny+『ガンニバル』E6を見る。Netfix『ベター・コール・ソウル』S2E4を見る。エピソードタイトルの「丸腰」ってそういう意味か。MOVIX昭島にて『エンドロールのつづき』鑑賞。帰宅してから東映シアターオンライン(YouTube)で『日本女侠伝 真赤な度胸花』を見る。さらに音源編集をやりたかったがあきらめて寝てしまった。寒いといろいろなやる気がなくなります。
■2023/1/26 木曜日。昨日対応した仕事で大きくミスっていたことが判明。指摘してもらって本当に助かった。でも朝一からがっくし。お昼は丸亀製麺にて、かけ並とジャンボカニカマ天。Netflix『ベター・コール・ソウル』S2E5を見る。『ブレイキング・バッド』組キャストがまたひとり登場。さて仕事を切り上げて帰ろうかな、というタイミングで今週締め切りの資料作成のことを思い出した。。明日がんばろう。夜、新作『あつい胸さわぎ』いよいよ公開となる、まつむらしんご監督のTwitterスペースを聴く。まつむら監督の胸さわぎが伝わってくるよう。ぜんぜん話したりなかったと思うので映画公開期間中にまたスペースとか期待。DVDで『エンゼル・ハート』を見る。夜、家で映画を見るときは娘がすやすや寝ている部屋で、娘の机を借りてPCのモニタで見ることが多いのですが、今夜はめちゃくちゃ寒かった。重ね着してもこもこになっているのにそれでも寒い。やはり僕は暑い方が得意ですね。
■2023/1/27 金曜日。だいたい同じ時間の電車に乗って会社に出勤しているのですが、日によって混雑ぐあいがかなり違うのはなんでだろう。午前中はめちゃくちゃ気合を入れて資料を作成。あまりインタラプトが入らなかったこともあり無事に完成。嬉しい。お昼は丸亀製麺にてかけ並とジャンボカニカマ天。うどん札5枚使って天ぷら100円引き。今月は丸亀に行く回数が減ってうどん札10枚は集まらなかった。新しくできたマクドナルドが居心地よくてそっちに行く回数が増えてるんだな、きっと。さらにサイゼリヤとCoCo壱をローテーションしているランチ。他にも開拓しようかな。もっと暖かい季節になったらオーケーストアのお弁当を買って公園で食べるのも良いな。仕事を早めに切り上げ新宿へ。移動中にNetflix『ベター・コール・ソウル』S2E6を見る。松屋にてボロネーゼソースハンバーグを食べる。こりゃうまい。武蔵野館で『あつい胸さわぎ』鑑賞。上映前にロビーにいたまつむら監督に公開おめでとうございますを云えた。さらにパンフにサインをいただけました。シネマカリテで『キラーカブトガニ』鑑賞。帰りながらキンザザのTwitterスペースに参加。くくりがゆるかったのでかなりに幅広い話になっていた。clubhouseの打ち上げ的なのにも参加してたら深い時間に。まぁ土日の予定がそんなにないので大丈夫。
■2023/1/28 土曜日。娘は明日塾の試験があるので勉強に集中するとのこと。お疲れ様です。10時からナイロン100°Cのチケ取り。手数料高いし先行で取るのはやめたのですが会場がスズナリってことで久々に気合を入れて挑む。数分で狙っていた日が取れてホッとした。楽しみだなぁ。Netflix『ナルヴィク』を見る。音源を1本編集してすぐ配信。娘とお昼を食べてからNetflix『ベター・コール・ソウル』S2E7を見る。この回の編集も狂ってるぐらいすごい。図書館へ行き娘の本を借りたり返したり。ATMでお���をおろしたりコンビニで買い物したり。WOWOWオンデマンド『透明人間』(1992年のやつ)を見る。Tverで『このテープもってないですか?』を見る。話題になっていたのは知っていたのですが、昨夜イシヤマさんに推されたのでついに見てみました。なるほど面白い。この細かく歪んでいく感じ。演出で映画『カウンセラー』の酒井善三監督がクレジットされている。長編映画撮ってほしい監督です。U-NEXT『バッファロー'66』を見る。やっぱ面白いな。さらに録画してるTVドラマとかを横になりながら見ていたら寝落ち。
■2023/1/29 日曜日。午前中にU-NEXTにて『コブラ』を見る。娘は早めのお昼を食べて塾の試験へ。僕はペヤングやきそばガーリックシュリンプ味を食べながらDVD『ヒューマン・ネイチュア』を見る。午後は立川へ。シネマシティにて『イニシェリン島の精霊』を見る。Netflix『ベター・コール・ソウル』S2E8を見る。印相的なワンカットの長いOPで、すぐにメイキングを探して見てしまった。娘は試験があまりうまくいかなかったようで寝る前にイライラしていた。それをお父さんにぶつけられてもどうにもできないぞ。U-NEXTにて『フォレスト・ガンプ/一期一会』を見る。clubhouseでやっていたアーノルタの最後だけのぞく。テレビ録画などもうちょい見たかったけど寒いし眠いし。なんとなく寝てしまいましたとさ。
■2023/1/30 月曜日。朝ウォーキングで一駅分歩くぞ、と思ったけど忘れ物をして一度帰宅。もう歩く時間はなくなってしまったので最寄り駅から電車に乗る。=ジャンプの立ち読みもできなくて残念無念。お昼はサイゼリヤでランチ食べながら中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。ドリカムの『SNOW DANCE』が良かったです。仕事終わりで有楽町へ。大映創立80周年記念企画 大映4K映画祭『浮草』鑑賞@角川シネマ有楽町。帰りの電車にて、まつむらしんご監督とTwitterスペースを聴く。この作品で観客が泣いてしまうのを監督の方がわからない、というのが面白い。帰宅してからU-NEXT『THE LAST OF US』E3を見る。音楽、これ使ってきますか。。
■2023/1/31 火曜日。今日こそ朝ウォーキングしてジャンプを立ち読み。お昼はCoCo壱でベジタブルスープカレー。スプーンのくじ、今年は合計3回トライしたけど当たらなかった。Amazon Prime Video『ナチ・ハンターズ』S2E3を見る。仕事終わりで立川へ。妻家房 立川ルミネ店にて、サムギョプサル鉄板焼きライスセットをいただく。東映シアターオンライン(YouTube)『日本侠客伝 関東篇』を見る。Disney+『シコふんじゃった!』E7を見る。シネマシティで『SHE SAID シー・セッド その名を暴け』鑑賞。さて、1月は意識してなるべく映画を観ようとしていたのですが、劇場鑑賞22本、配信などの自宅鑑賞が37本、トータル59作品となりました。このペースでいくと年間の鑑賞本数が700となるかどうか、というライン。インスタグラムに見た映画をすべてPostしはじめてまもなく3年となるのですが、どうやら僕が年間で見れている映画は600本程度らしいのです。今年はこの本数をなんとか700本に引き上げられないかなぁと思っていたのですが、このぐらいのペースで見れば、というのはつかめた感じがします。あとはこのペースを保てるかどうか。そんな感じで1月も終わり。
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satoemon252525-blog · 6 years ago
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鍵、ありまちた(^_^;) お騒がせしましたm(_ _)m #宣伝会議賞勉強会 テンパってたもんねー(汗) https://www.instagram.com/p/ByEOLP5DEYr/?igshid=10hk2h28eova2
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myonbl · 5 years ago
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2019年12月4日(水)
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今日から12月10日(火)までは、「人権週間」である。職場の人権委員長としては、メールで構成員にその旨を周知し、職場のある吹田市のイベントを紹介。私自身は、午後から大阪市内で開催された「世界人権宣言大阪連絡会議」主催の「メディアは差別問題をどう伝えるか」という集会に出席した。とても興味深い内容で、大変勉強になった。
ツレアイを送って帰宅、午前中は自宅で過ごす。
職場の構成員に、メールで「人権週間」の告知。
初めての夜勤から三男が戻る、用意していた朝食を摂る。
西七条郵便局へ、新熊野神社の来年度の会費(3000円)を振り込む。
残っていたセレベスを、賞味期限切れの竹輪と一緒に煮る。
図書館スタッフからメール、ホノルルマラソンに参加するために休暇を取るとのこと。
社会調査実習・補充調査の連絡あれこれ。
11時に自宅を出て、地下鉄千日前線「今里」まで、今日の会場は「東成区民センター大ホール」。楽な場所に座りたいので、12時30分の開場直後に入場。
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主催者の挨拶の後、一人目の講演者は「AbemaTV」のプロデューサー。女性向けの番組「Wの悲喜劇」の中で、部落差別を取り上げた「部落って何?」という番組を制作して大変な反響を呼んだとのこと。その経緯をお話しいただき、番組の内容も一部見ることが出来た。一般の地上波とは異なったアプローチを通して現在の大手メディアの姿勢が浮き彫りにされ、同時に、伝えることの困難さを抱えた今の社会の息苦しさを共有した。休憩の後中座させていただく、というのも、ウォーキングの時間が欲しかったから。
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帰宅して、靴を履き替えてすぐにウォーキング開始、梅小路公園周回コース。暗くなってはいるが、同じように歩いている人も数名。往復とも梅小路京都西駅の階段利用して結構な負荷、45分・45kmは満足できる数字。
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息子たちの夕飯、冷蔵庫にあった二日前の安売りコロッケを温め、味噌汁はサツマイモ。
ツレアイの帰宅後、晩酌しながら先日届いた柳家小三治のCDを聴く。落語ではなく「まくら」がメインの高座、面白いのだが・・・気がつけば布団の中。
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夕方のウォーキングが効いて、12,000歩/日を達成。
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2ttf · 13 years ago
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xf-2 · 6 years ago
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ダライ・ラマとICTの創立30周年を記念してチベット国際会議(ICT)会長のリチャード・ギア(Richard Gere)との間で心からの公聴会を行うため、世界中の支持者と友人がオランダに集まった。
9月16日に行われたこのイベントは、ロッテルダムの12,000人以上のスタジアムで行われました。それは、ダライ・ラマの世俗的倫理観を支持するためのICTによる新たな助成金を発表したICT大統領Matteo Mecacciで終わった。
イベント開始時の歓迎の言葉で、Tsering JampaのICTヨーロッパエグゼクティブディレクターは、チベット人を推進し、チベット人に対する中国の抑圧に対するダライラマの努力を支援するためのICTの活動の情熱的な概要を説明した。
チンパは、「チベットの最大の支援団体として、チベットの問題を世界の舞台に浮かべるよう努めている」と述べた(この報告書の末尾に彼女の発言の全文を参照)。
リチャード・ギアとダライ・ラマ
リチャード・ギアとダライ・ラマは、オランダのロッテルダムでの会話の中で、チベット人に対するICTの30年間の奉仕を称えた。(写真:Olivier Adam)
彼はかつて禅宗の学生だったことを思い出してダライ・ラマと会話を始めたが、1980年代のダライ・ラマと会った後、彼の人生は「根本的に変わった」ものだった。
また、ダライ・ラマが国際的な支援を通じてチベット危機を解決できると感じたことを思い出し、1988年にICTの創設につながった。
ダライ・ラマはICTに感謝の意を表明し、組織は「チベット問題について非常に、非常に助けになる」と述べた。本当に感謝しております。だから、ありがとう。
ダライ・ラマはまた、「最初から、あなたは本当に完全に関与しているので、本当に感謝してくれてありがとう」と感謝した。
チベット��文化と環境の生存
ダライ・ラマは、ロッテルダム・アホイ会場のイベントで、チベットの仏教文化を支えることの重要性に注目し、その文化の要素は「世界の宝物」と述べた。この古代の知識であるチベットの仏教文化の保存は、これが本当に保存価値のあるものだと私は思っています。もっと人間と分かち合う潜在的可能性があります。
ダライ・ラマはまた、中国が侵略して占領した後、1959年に強制的に逃亡したチベットの記憶にも触れた。
彼は、チベット東部での殺人と1950年代の拷問と逮捕に言及して、チベットでの歴史的苦難の規模を説明しました。彼は現在、人類が現在抱えている危機に対し、「人間は思いやりを持っていなければならない」と述べ、現状を反映した。
ダライ・ラマは、チベットの仏教文化の存続を希望する理由を指摘し、仏教徒の修道女に初めてGeshe degree(最高修道院度)を授与し、またヒマラヤ山脈の修道院が "信者や非信者のための学習センター "
ダライ・ラマはまた、アジアの主要河川の大部分の源としてのチベットの重要性に注目し、「私の主な関心事は環境問題です。生態学者である私の中国人友人の一人は、南極や北極のように地球温暖化[チベットで]についての記事を書いています。だから私たちは本当に環境の特別な世話が必要です。そして、いくつかのインドの生態学者は、チベットは高高度で乾燥した気候であるため、一度壊れてしまえば、エコロジーはもはや復活できないと言います。したがって、それは非常に重要です。私はインドの友達に伝えていましたが、私たちは何百万人ものインド人に水を供給しています。すでに、雪が降ったという兆候があり、これは地球温暖化の兆候である」
科学と世俗的倫理
ギレとダライラマはまた、チベットの修道院でまだ研究されている古代インドのナランダ伝統の重要性について議論した。Gereは、インドのナランダ学校は "その時代の最高の大学でした。アジアで最も偉大な人たちがナランダに来て、勉強しました。それは、枢機卿の門に門を持つ広大で城壁のある街だったので、驚くほど先見性のある学習の場に入るためには議論に勝つ必要がありました。
これは、教育におけるダライ・ラマの先駆けたアイデア、心と生命の科学と仏教の対話、学校での新しいカリキュラムを通じ、思いやりを育む方法に焦点を当てた感情的な社会的スキルを子供たちに教えることにつながりました。
ギレはダライ・ラマに敬意を表して言った。「彼の聖体は、世界各地の世界の科学者と相互作用する。彼はこれらのアイデアと高いレベルで対話します。これらのアイデアは衝突し、より大きく包括的になる方法を見つけるでしょう。そして、これは科学的対話の規範の一部となった。彼の聖体はその中心にあります。
ダライラマ協会を支援するICTイニシアチブ
インドの高等教育ダライラマ研究所で世俗的倫理プログラムを支援するためのICTイニシアチブのテキスト(チベット語thangka絵のようにマウントされた)を保持するダライラマ。左からICT議長のリチャード・ギア、ダライ・ラマ、ICT副議長のジャン・アンダーソン、ICTのマッテオ・メッカッチ大統領、ICTヨーロッパのエグゼクティブ・ディレクター・テッサン・ジャンパ。(写真:Jurjen Donkers)
Gereは、チベットのチベット人の窮状に注意を向けて、「チベットの人々を覚えておいてください。ICTは、チベットの内外でチベット人を助けるために信頼できる車両です。だから助けてください」
ICTの大統領であるMecacciは、ダライ・ラマの高等教育機関にインドのバンガロールで、ダライの中心的なメッセージの1つである世俗倫理プログラムを立ち上げるための資金援助を30周年に向けて開始したICTのイニシアチブを発表したラマ。
発表のテキスト(以下に見られる)は、チベットのthangka絵のように搭載され、Mecacci、Jampa、ICT欧州委員会委員長Jan AndersonによってDalai Lamaに共同で発表されました。ICTヨーロッパ理事会メンバーであるChrista Meindersmaは、イベントの企画に携わる全員に感謝の意を表することによって、この手続を終了しました。彼女は、「チベットに関する事実を提示することは、ICTの仕事の中心にある。今日ここに来てくれてありがとう。この会話やICTの仕事に触発され、チベットの独自の文化、言語、環境を救うことに気があれば、この動きに参加してください」
ICTのイベントの直後に、ダライ・ラマの「なぜ同情は私たちの悩ましい世界に不可欠なのか」についてのパブリック・トークが続きました。
ICTのチベット人への30年間の奉仕に敬意を表して、ダライ・ラマとの対話でリチャード・ギアを見てください。
ダライ・ラマのウェブサイトでの会話に関するレポートを読んでください。
Tsering Jampa、ICT Europe Executive Directorによる発言のテキスト
みんなありがとう。ここにいることは素晴らしいことであり、この特別なイベントに皆さんを歓迎する特権です。
私はヨーロッパのチベット国際キャンペーンの事務局長であるTsering Jampaです。今日私はこれを非常に簡単に紹介してくれることは本当に名誉です。
この生涯で、私たちの時間の偉大な世界指導者の一人であるダライ・ラマ神聖の存在の中に、この部屋のここで、どれだけ深く幸運なのですか。
あなたの聖職、私たちはあなたのリーダーシップ、あなたの知恵、思いやり、そして対立、宗教的な調和が宗教的な闘争に取って代わる場所、そして人道の一体性が尊重される場所で紛争が解決される世界についてのあなたのビジョンに深く感謝します。
紛争や専制政治の世界ではこれまで以上に必要とされています。私たちの非暴力的な道はパッシブなプロセスではありません。それは勇気が必要です。あなたの聖体、それは私たちにあなたの例に従うことを必要とします。
チベット国際キャンペーンでは、これが私たちの指導的な光です。
あなたのビジョンを達成するためにICTが設立されました。今年はチベット人とあなたの聖職に奉仕する30周年を記念しています。
現在世界中で10万人を超えるICTコミュニティは、世界中のチベットと平和と正義のために行動する介護者を結びつけています。
あなたのインスピレーションと指導の下、1988年にワシントンDCのあるオフィスを起点に、今日はアムステルダム、ベルリン、ブリュッセ��、ロンドンとダラムサラにオフィスを構えています。
最大のチベット支援団体として、私たちは、チベット���のための交渉された解決のためのあなたの聖職者の努力を支援するため、世界の舞台でチベットの問題を生き続けるよう努めています。我々はチベットへの支援を阻止しようとする中国の試みに直接挑戦し、国連で活動している。我々は、今日、中国の「分裂と統治」戦略によって脅かされている、平和と統一の象徴として常に賞賛してきた、欧州連合とのチベットについて取り組んでいます。
ホワイトハウスからヨーロッパ各地の外務省まで、最高レベルで働いています。チベット内のチベット人の声が聞こえるように、私たちはサポーターと関わります。
政治犯の釈放のためのICTキャンペーンであり、最も孤立していると感じる人の連帯と同情の重要性を知っている。私たちは、チベット内およびチベット外のチベット人に対する難民および開発プログラムの人道的援助を確保するのに役立っています。
私たちはチベットの若い世代のチェンジメーカーと協力し、チベットの将来の指導者を訓練し指導します。私たちは世界中のジャーナリストを紹介し、報告書や研究はチベット内の悲惨な状況に焦点を当てました。
チベットでは、中国はチベットの文化や宗教を弱体化させる激しい強硬な政策を制定している。深い気候の恐れがあり、中国共産党宣伝では非常に幼い子供たちでさえも教えられています。
2009年以来、140人以上のチベット人が自分たちに火を放ち、抑圧の苦しみから出てきた行為をしています。
しかし、それでも、これらの年の間、チベット人の精神は砕かれていません。特に、若い世代は、中国政府の誤った方針への挑戦を続けている。
チベット国際キャンペーンでは、チベット人とあなたの聖職に奉仕する際に直面する新たな課題に応えることを決めました。チベットの物語を伝える新しい方法を見つけなければなりません。
チベットの持続的な解決策のためには、チベットの内外で協調的な努力が必要です。私たちは、世界中の同様の国々、機関、そして共通の目標に向かって一緒に働く個人と一緒に、チベットに対するより強い国際的支援を築く必要があります。
インドの政治指導者Jayaprakash Narayanが何年も前に言ったように、あなたの聖体の存在を喜ばせて、自分自身を再捧げましょう。「チベットは永遠に失われていますか?いいえ、何千倍もありません。人間の精神には死がないため、チベットは死ぬことはない」
最後に、私はチベット国際キャンペーンの代わりにこの機会を利用して、あなたの聖体を長寿にしたいと望んでおり、あなたのすべての願望が成就するかもしれません。
ICT大統領Matteo Mecacciが読んだ引用のテキスト
To:彼の聖なるダライ・ラマ
あなたの聖杯、
Tashi Delek。私たちの創立30周年を機に、チベット国際キャンペーンは、人類への偉大なインスピレーションと奉仕である、世俗的倫理の重要性についてのあなたのホーリーのコアメッセージを促進するために5万ドルの交付金を提供することを光栄に思っています。
ICTはインドのバンガロールにあるダライ・ラマ高等教育機関にこの補助金を授与する予定です。ファンドは、これらの普遍的な道徳的価値の中で将来のチベットの指導者を教育することを目指して、世俗倫理に関する特別教育カリキュラムに特別に配分される。
この公約は、平和と非暴力へのあなたの聖性の生涯にわたる献身、世俗的倫理を促進するための一貫した努力、チベット人へのダイナミックなリーダーシップ、国際社会へのインスピレーションを認識しています。
皆様のよりよい未来への姿勢を育成する上で、私たちの皆様の強い意欲と慈悲のために、私たちの心の底から感謝します。
チベット国際キャンペーン、
ロッテルダム、2018年9月16日
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ytakeshima · 1 year ago
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【最多いいね賞】
ウォッカよりもテキーラよりも“ストロング
コピー:松澤さん
【コピーライター賞】
破裂します!
ボトルを強く握らないで
コピー:横田さん
【キャッチコピー制作お題】
THE STRONG 天然水スパークリング
【座学】
宣伝会議賞グランプリ受賞のための傾向と対策。前回の分析。
【気づきのシェア】
コレがおもしろかった。コレが役立った。
「つい句」
「コピープラットフォーム」
「3C」
「常識を大きくはずれる!」
「3C」
「たくさんの切り口 目が覚めるようなコピー」
「切り口 埋もれない」
「連想して拡げる」
「コピーライター竹島靖の一行力サロン」定期勉強会第34回。参加10名。
キャッチコピーを書いたことのない人のためのワークショップです。次回は10月18日水曜18:00〜20:00オンライン。座学:宣伝会議賞グランプリ受賞のための傾向と対策。前々回の分析。1回だけのビジター参加も可です。初心者歓迎。
#コピーライティング #セミナー #宣伝会議賞
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theatrum-wl · 6 years ago
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答��あしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯である���の付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーデ���ネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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satoemon252525-blog · 6 years ago
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今日のコラボ和菓子は、がもよんの老舗和菓子「梅屋」さん♡ #宣伝会議賞勉強会 #抹茶体験処喫茶去 https://www.instagram.com/p/Bx3vwI0DP8H/?igshid=11p2f23qpknrn
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sanshi63 · 3 years ago
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211218 広告マンになる前夜、工場夜勤とコピーライターの話
今年の宣伝会議賞が終わって一ヵ月が経つらしい。らしい、というのは、結局今年も一本も書かないまま気が付けば〆切を過ぎていたから。宣伝会議賞が今どのくらい盛り上がってるのか、おれはちゃんと知らない。コピーをちゃんと書かなくなって5年になる。社会人になってから、忙しさを理由に腰を据えて書くことをしなくなった。���けど、ネットにアップされている無数の書いたよ報告を見て、おれもなにかを書きたくなった。
だから、コピーにまつわる話をしようと思う。
大学3年生の夏から秋にかけて、当時英語英文学の専攻をしていたおれのまわりでは、海外留学ラッシュが起こっていた。日々大学近くの安居酒屋で飲んだくれてはヘラヘラと笑っていたおれをよそに、大学の友人たちは粛々と国内脱出の計画を進めていた。同じ学科で同じく飲んだくれていた友人たちも、一人、またひとりと日本を発ち、SNSでは海外の綺麗な海やら山やら、広々したキャンパスで外国人とスタバ片手に満面の笑顔を浮かべる画像がアップされ、なんだか取り残された気がしていた。
おれもなんか海外とか行きてえな、とか考えてはいたものの、留学資金もなければ東京での暮らしで既にいっぱいいっぱいだったおれには海外に行ったとしてなにかを得て帰ってこられる自信がなかった。悶々とした日々を送る中、ついに大学で一番仲の良かった友人もアメリカに行くことが決まった。成田空港でその友人を見送り、帰りの電車に揺られている時にふと思ったんです、「みんなが外国語を勉強するなら、おれは一年かけて日本語を極めよう」と。
帰り道に大手町の地下鉄コンコースでたまたま目に入った宣伝会議のコピーライター養成講座の案内を手に取り、家に帰ってすぐに申し込みをした。半年分の受講料、前払いで18万近く。日々居酒屋で飲み歩いていたおれには貯金なんてほとんどなかった。でもこの衝動のままいかないとダラダラと時間を浪費してしまうと思ったおれは、翌日に入ったバイト代と、毎月親から送られてくるわずかばかりの仕送りと、あとは支払う予定だったアパートの家賃とをかき集めてなんとか受講料を工面した。
明日食べるものを買うお金も全部つぎ込んでしまったおれは、約2週間後に表参道へ通うための電車賃すら失ってしまった。なんなら家賃もない。バイトのお給料も一ヵ月は入ってこない。そこでおれは、表参道に通う前にまず日払いの工場夜勤バイトに通うことにしたのだった。夜勤派遣に登録して三日後、早速仕事にありつくことができた。
家から電車で片道1時間弱の湾岸に面した工場に向かうことになり、友達から1,000円を借りて向かう道中、宣伝会議賞の存在を知った。小一時間座りっぱなしなのもアレだったので、過去の受賞作を参考に、見よう見まねでコピーを書いてみた。確か旅行代理店の課題だったと思う。割といいのが2~3できたところで目的の駅に到着した。
工場のバイトは、毎回その時に応募があったメンバーで遂行される。よっぽど気に入った現場があればその工場での募集があったときに応募すればよいのだが、よく言われるように単調な作業ばかりでほぼ一回その現場に入れば次はない。だから、その日集められたメンバーのほとんどが初めましての人たちで構成される。合計で4人が集まったその現場も、歯の一本欠けたおっさんを除いた全員が初めての作業となった。
その日の仕事は、2人1組でラインを流れてくるダイレクトメールにきちんと封がされているかを一枚一枚確認して出荷準備をするものだった。22時に業務が始まり、翌5時までにすべての確認を終え、出荷ができる状態にする必要があった。おれのペアになったのは、ちょうど同い年の女の子だった。美大に通っていたその子はきっと手先も器用だろうということで、経験者のおっさんではなく、おれとのペアに割り当てられた。
作業自体は非常にスピードが求められた。朝が来るまでに何千、何万という数のDMを確認しなくてはならない。高速で流れてくるそれを手に取り、一瞬で確認し、その先にある梱包のラインへと回す。うっかりDMを地面に落としたりしようものならラインは停止し、梱包ラインにいる偉い風のおじさんに睨まれる。ラインを停めた原因が冴えない男子大学生であろうものなら、怒号が飛んでくることもしばしば。いまのは完全におれのことなんですけども。おっさんの睨みと高速で飛んでくるDMをなんとかやり過ごしているのに夢中で、おれはただ淡々と作業をこなすより仕方がなかった。
いつのまにか日付を跨いでいることに気が付いた頃、休憩となった。夜勤バイトのメンツは、四人でそれ用に割り当てられた一つのテーブルを使わなくてはならなかった。
「ここって喫煙所とかあるんですかね」
口火を切ったのは彼女だった。経験者のおっさんが得意気に教えてくれた。狭いテーブルでおっさんといるよりはと思ったおれは一緒に喫煙所についていくことにした。
喫煙所では、少しだけお互いの話をした。美大に通っていること、デザイナーを目指していること、海外に短期留学する資金を貯めたくて、夜勤は時給が良いからよく現場に応募していること、などなど。「コピーライターの講座に通うのにおれも表参道に短期留学する予定なんです」と言ったらちょっとウケてくれた。やがて歯の欠けたおっさんも後からやってきて、そこからはおっさんの境遇についてひたすら相槌を打つ時間となった。どんな境遇だったかは忘れたけど、若い頃はとにかく喧嘩っぽかった、みたいなことは言ってたような気がする。歯もそのとき欠けたんすか、とかは更に話が長くなりそうだったので聞かなかった。
残りの時間も淡々と作業を進めた。おれたちのラインは(おもに彼女の手際の良さで)4時ごろには作業が終わった。経験者のおっさんはよくDMを床に落としていた。
早く上がれることになったおれたちは、電車もなかったのでしばらく近くの魚民だか笑笑だかそういったチェーン店で時間を潰すことになった。酒を飲み進めるうちに、彼女の愚痴を聞くターンになってしまった。彼女は、人生がとにかくつまらないと言っていた。短期留学を目指したきっかけは彼氏にフラれたこと、彼氏は2留しているくせに彼女のデザインにあれこれとケチをつけていたこと、それが決して的外れではないから余計に落ち込んだこと、いっそ全部忘れてどこか外国で海とか見てそのまま死にたいとか、なるほど話を聞くとつまらないことばかり言っていた。
たぶん親身に話を聞いてモテる男はちゃっかりLINEとか交換して口説きにいくのだろうが、どっこいおれは、とにかくモテとは遠いところにいた。だから、だけど、なにか世界の全部をつまらなそうに見ている彼女の見る世界を、少しでも面白く見せたいと思った。だからとにかくおれは喋った。コピーライターのこと、それを目指したきっかけのこと、海外に行った友達のこと、大学のこと、地元の田舎のこと、高校時代のこと、中学生のこと、小学校のこと、とにかく話せることはなんでもギャグにして面白おかしく話した。おれは海見ながらそのまま死にたいなんて思ったことは一度もなかった。おれはおれが毎日ハッピーに暮らすこの世界は割と捨てたもんじゃない、そう思わせたかった。酔いも手伝ってか、なんかおれは躍起になっていた。今でも、あのときほど喋った夜はないと思う。彼女は「さんしくん、芸人みたいだね、お金取れるよ」と言って笑っていた。
喋りながら浮かんだコピーのアイデアもまた喋った。そのコピーに対して、「すごいすごい、糸井さんみたい」と本当につまらないことを言ってくれた。そうとも、今思い出しても恥ずかしいけど、おれは当時かろうじて知っていた糸井重里のコピーやほぼ日の言い回しを、明らかに下敷きにして物を考えていた。おれは得意になって「そうかなあ?あんまり意識してなかったけど、考え方が似てるのかなあ」などと嘯いていた。
たぶんそのまま3~4時間は喋っていたと思う。気が付けば電車がとっくに動き出しているくらいには明るくなっていた。帰り際、「さんしくん、続けたほうがいいよそれ、こんなに面白かったの初めて」と言った。続けるべきは喋りなのかコピーなのか、またそれが本当のことかどうか、本意をおれは理解しないままでいる。
「今度あたしのデザインも見てよ、で分かんないけどなんか作ろ」と言っておれたちは別れた。
彼女とはその後2、3回酒を飲んだ。彼女が描いたというイラストやグラフィックも見た。いかにも売れなそうだったが、おれは好きだった。会っても飲むだけで、特に何かを作るとか具体的な話はしないままだった。
宣伝会議の講座が本格的に始まってから段々連絡を取る機会も減り、講座も佳境に差し掛かってからは就職活動が始まったことで忙しさは加速した。当時、教員になるかどうか迷っていたおれは、教育実習に行くことが随分前から決まっており、実習と就活の両立などを目論んでいたが、6月から2週間ほど行われる実習の期間が、ちょうど就活が最も盛り上がる時期だということに、おれはキャンセルの効かないタイミングになって気が付いた。いいとこまで進んでいた選考を反故にした企業も少なくない。とにかく、当時で言うところのNNTにおれはなっていた。
大学4年の夏休み、就職も決まらず半ば諦めムードになっていたところ、久しぶりに彼女に会うことになった。居酒屋で近況を報告し合うのもそこそこに、彼女は短期留学には結局行かず、ネットワークビジネスにハマり出すというなんだか面白いことになっていることを知った。あれだけつまらなかった彼女が、ここぞで見せた面白ポイントだった。面白ポイントだったんだ。
それ以来、彼女とは会っていない。そんな面白いことになる前に相談とかしてくれたら…とも思わないこともないが、でもそれは、「相談してくれなかった」ということも含めてその時のおれの人望というか、器量というか、その結果が全てなのだろうとも思う。
だけど、時々考えてしまう。おれがもう少し面白ければ、せめて、一緒になにかを作ることを本当に取り組んでいたら、と。全然的外れな考えかもしれないが、本当にそう考えてしまう。
おれは、それからひと夏もろもろあり無事に広告会社に就職を決め、転職を挟んだいまも広告の仕事を続けている。何らかのものを書いて世に出す機会もたまにはあるにせよ、ちゃんとコピーを書くことはしばらくやめている。酔っぱらってあることないこと綯い交ぜにして喋ることは続けている。そういえば、結局彼女が褒めてくれたコピーは箸にも棒にも掛からなかった。
今頃、彼女はどうしているだろうか。連絡先も携帯を変えるタイミングかなにかでうっかり失くしてしまった。相変わらずネットワークビジネスをやっていようが、その中でデザインに少しでも関われているだろうか。分からないけど、どうあれ、コピーの話として思い出すのはこんな話だ。
先日部屋の掃除をしていたら、講座に通っていた頃に中古で買った、コピーライターの偉い先生が書いた指南書が出てきた。本のうしろ半分から先がやけに綺麗だったものでちょっとウケながら、同時になんだかおれは泣いていた。そんな感じです。
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amusmemo · 3 years ago
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コピーライターになる方法
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���は、高二の頃から漠然と、コピーライターになりたいと思っていた。紆余曲折ありながら、結果的に大学に在学しながらフリーのコピーライターとして活動し、新卒入社する会社でもコピーライター兼プランナーのような職種で働けることになった。
そして改めて思うのは、コピーライターになる方法は、意外と誰も教えてくれないということ。
一度先輩コピーライターに、「どうやったらコピーライターになることができますか?」と聞いたことがある。その時は、「名刺を作ればいいんだよ。」と言われ、そういうことじゃない!と少しムッとしたりもした。
けれど今思うと、それは半分正解でもあった。そして、もちろんその人は半分冗談で言ったわけだけれど、やっぱり半分間違いでもあるとも思う。
私が思うにコピーライターになるために必要なものは3つ。
技術
仕事
運、縁とも言う
一つずつ、説明していく。
技術、コピーを書く力
私は、本を読んで、それから広告会社でインターンをしてコピーライターの上司にコピーを見てもらって、コピー年鑑を読んだり、宣伝会議賞に応募したりして、コピーの書き方を学んだ。私はアメリカの大学に通っていたからできなかったけれど、コピーライター養成講座に通ってしまうのも一つの手だと思う。
もちろん、いつまで経っても、ずっとキャリアを積んだとしても、学び続けなければいけない仕事だと思うけれど。
最低限、コピーとはどういうもので、どういうコピーが良いもので、それってどうやったら思いつくのかもしれないのか。添削してもらったり、賞に応募したりして、勉強するとまず第一歩になると思う。
仕事、コピーを置く場所
どんなに素敵なコピーを書けても、コピーを書く機会、書いたコピーを置く場所がなければ、コピーライターとはいえない。
この「仕事がある」という部分、クライアントがいて、その人たちのためにコピーを書くという部分が、やっぱりコピーライターという仕事のベースにある。
だから、先輩は「名刺を作ったらコピーライター」と言ったのだと思う。
多くの人は、たくさん勉強して、技術が上がったらコピーライターになれると思う。それもそうなんだけれど、最初のうちは特に、技術と仕事の機会は相関しない。だって、実績がなければ、その技術を証明するものもないから、それは仕事につながらない。
ある程度、もちろんまだ自信なんてないけれど、それでも挑戦してみたいと思えるようになったら、とにかく自分の売り出し方や、どうやったらコピーを書く機会がもらえるかを考える。
まだ学生なのであれば、広告会社に入社してコピーライターを目指すことが王道というか、多くの人がそうやってお仕事を獲得して、結果的にコピーライターになる。それこそ名刺を作って(もらって)、コピーライターになる。
必ずしもそれだけが仕事を得るための選択肢ではない。
インターネットで募集してスナックの電柱広告を書かせてもらってTCC審査員長賞を受賞した先輩もいるし、知り合いのお店や、サービスを立ち上げたばかりの人に安価でキャッチコピーを書かせてもらうこともできる。
ただほとんどの選択肢に共通しているのは、誰かの協力や、チャンスをくれる人があってはじまるということ。
運と縁、コピーを渡す相手
就活もそうだけれど、実力とは関係なく、誰かに任せてもらうには運や縁も必要だと思う。
私の場合、夏休みの広告会社でのインターンが終わった段階で、知り合いがZ世代向けのプロモーションを行うクリエイティブ会社を立ち上げて、その会社をコピーライターとして手伝ってくれないかと話をもらった。
その段階で、私自身実績もなかったし、コピーを書く技術がとても高かったわけではない。と思う。けれど仕事がもらえて、その結果実績ができた。幅広い案件に携われた結果、もっと技術を身につけることができた。そして、大きめな会社との縁をつかんで、新卒で雇われコピーライターになることができた。
コピーライターに必要と書いた上二つの、さらに根本とか、スタート地点にあるのがこの運とか縁だと思う。
だけれど、この運とか縁を味方につける方法もいくつかあって。もちろん必ず良い縁につながるというわけでもないけれど、コピーライターになりたいという夢を発信していくとか、いざチャンスが来た時のために技術を磨き続けるとか、チャンスをくれた人を大切にしするとか。それは、コピーライターになった後も大切なことで、どの段階に来たとしても準備をして待っていたチャンスを掴み取ることで、ステップアップをしていくんだと思う。
名刺を作っても、「良い」コピーライターにはなれない
冒頭で話した、コピーライターになる方法として、名刺を作るというのが半分正解で半分間違っている理由。それは、名刺を作ったところで技術がなければ、みんなが描く良いコピーライターにはなれないけれど、多くの人は技術を磨くだけで仕事や縁を取りに行こうとしないから。
良いコピーライター、つまり良いコピーを書くコピーライターになるためには、コピーライターになったあとも、人の気持ちについて考え続けて、勉強し続けて、人としても成長し続けなければならない。
だからこそ、いつまでもその場で一人で勉強を続けて、誰かがコピーライターにしてくれるのを待つより、勇気を出して外に出て、まず実績とコピーライターという肩書きを根拠なくとも作ってしまうことで、はじまる成長がある。
と、私は思う。偉そうなことを言えるほど技術や経験があるわけではないけれど、誰かの役に立ったら嬉しい。
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abcboiler · 4 years ago
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【黒バス】やさしい国で待ちあわせ
2014/02/11発行オフ本web再録
■1■
リアカーを壊した。緑間と二人で壊した。
それもまあ仕方のないことで、この三年間、毎日使い続けていたそれは大分傷んでいて、何処かに寄付するにはぼろぼろ過ぎた。木目は至るところが節くれだって、慣れていないと服を引っ掛けて怪我してしまうし、車輪は少し歪んで、気を付けないといつも進行方向から左にずれてしまった。チェーンも錆びて、ぎいぎい音がしていたし、サドルの布はちょっと破けていた。 俺たちの愛車は満身創痍で、真ちゃんはいつも、リアカーの左角の節くれと、登ってすぐの歪んだ板に触れないようにそうっと乗っていた。俺はいつもハンドルを右側に傾けて運転していた。直した先からパンクするし、毎日油をさしても固まった錆は取れなくなって、着実に増えていた。 だから、壊したのだ。俺と真ちゃんで、卒業式の日に。いつも停めていた、学校��駐輪場の隅で。胸に花を刺して、卒業証書が入って歪んだ鞄を地面に置いて、砂に膝をついて、季節はずれの汗をかきながら、俺たちは黙って作業をした。真っ赤な夕暮れの中、二人で、ネジを外してボルトを取って、板を分解して、壊したのだ。俺たちのリアカーを。思い出を、鉄と銅と板に分解して粗大ゴミのシールを貼って捨てた。次の日の朝には回収される予定だった。駐輪場からは体育館の屋根だけが見えた。そうしてそこまでやってから、俺たちは歩いて駅まで向かって電車で帰った。 だって、まあ、仕方がないことなのだ。 俺も真ちゃんも、行く大学が違って、その方向も違って、お互いに別のアパートを借りて、四月から新しい生活を始めようとしていたのだから。俺が真ちゃんを迎えに行ったってどうしようもない。行き先の違うバスに乗ったって目的地には着かないのだ。そうなってしまうと、リアカーなんて場所を取って邪魔なだけだった。誰かに讓るにしても修理代金が高くついて新しく買った方がマシなレベルだったし、そもそも何処に寄付すればいいのかもわからなかった。 いいや、本当は、俺たち以外の誰かがこれを使うのが嫌だったのかもしれない。
「真ちゃん家だったら置いとけるんじゃねえの」 「置いてはおけるかもしれないが、俺もお前もいなくなる以上、誰も手入れをしなくなる。そうしたら後は本当に朽ち果てるだけなのだよ。修理もきかなくなるだろう」 「そうだよなあ」 「ああ」 「じゃ、壊そっか」 「ああ」
解体するとも、分解するとも、捨てるとも言えなかった。壊すという乱暴な言葉が最もふさわしいと思った。毎日毎日油をさして、毎日毎日真ちゃんが「今日もよろしく頼む」と声をかけて、パンクしたら直して、板が割れたら直して、雨が降ったらビニールシートでくるんで、落書きされたらペンキで塗って、そうやって三年間過ごしてきたこいつを、俺たちは壊す。 だって、仕方がないだろう。俺たちは大人になってしまったんだから。 こうして俺は真ちゃんを迎えに行く口実を失って、真ちゃんは俺に会う口実を失ったのだった。いいや、会う口実なんてのはいくらでもある。映画を見たい、新しい甘味が食べたい、なんだっていい。なんだっていいけれど、それは一般人の話であって、こと緑間真太郎にとって、それは必ずしも誰かが必要なものではないのだった。そして必ずしも必要でない場合、あいつは決して声をかけない。例え内心で寂しいと思っていたとしても、あいつは一人で祭りに出かけるだろう。 意地っ張りで我が儘で、懐に入れた人間には存外甘いあいつは、理由が無ければ他人に頼ろうとはしないのだ。人は一人でも、案外生きていけるものである。そもそも中学の頃は、あんな奇妙な乗り物が無くても一人で何処にでも行ってなんでも手に入れていた男だ。リアカーが無くなった今、あいつは俺を呼びつけないだろう。あれは、緑間真太郎なりのサインだった。不器用なあいつの、唯一の、俺を呼んでいい理由。 だから、俺たちには新しい口実が必要だった。いいや、俺たちだなんてずるい言い方はよそう。俺には口実が必要だった。 何せ、俺は、この緑間真太郎のことが好きだったので。 真ちゃんが俺のことを好きかどうかは知らない。多分好きだろう。俺の好きと同じ形をしているかどうかは知ったこっちゃないが、まあ、ほぼ同じ形で好きだろう。 でもそんなことよりも大切なことは、俺たちはそれを一つも口に出さなかったということなのだ。あれを壊している間中、ずっと。思い出を壊している間、ずっと。 だから俺も黙り続けている。黙ったまま、探している。まだ。
■2■
「真ちゃんホント忙しそうだね」 「まあな。取れるだけの講義を取った。ほぼ毎日一限から五限まであるのだよ」 「うっわ、信じらんねえ。勉強の鬼かよ。鬼真ちゃん。オニシン」 「全く語呂が良くないし何も洒落になっていないと思うが」
そう言いながらサラダを口に運ぶ真ちゃんの頬は、入学式から一ヶ月、少しこけたような気もするけれど、顔色は悪くない。心配していたが、きちんと食事は取っているらしい。今だって、サラダにスープ、ステーキを頼んで黙々と食べている。
「体調管理にも人事を尽くすのだよってか?」 「当たり前だ。自分で入れた講義を自分の不調で欠席するなど愚かしいだろう。初めの週に、きちんと栄養バランスを考えた献立を作った。後はそれ通りに食べれば問題ない」 「すげえ。そんな食事管理SF映画の中でしか見たこと無かったわ」
窓の外は真っ暗で、車が路面を走るザアアという音がする。なんだか雨の音に似ているような気もするが気のせいだろう。時計の針は八時を指していて、夕飯を食べるには、まあ、少し遅いくらいの時間。
「仕方がないだろう、講義があるのだから」 「ですよね」 「それでも今日は早い方なのだよ」
一ヶ月ぶりに再会する真ちゃんはいつもと同じ調子で、ひと月前と何も変わらないように見える。だけど実際は、俺の知らない所で俺の知らない講義を受けて、知識を吸収して、誰かと会話して、段々と新しく生まれ変わっているのだ。
「真ちゃん、友達できた?」 「……挨拶をする程度の顔見知りなら」 「多分それもう相手は友達だと思ってるって」 「そんなものなのか」 「そんなものですね」
飯に誘われたりしないの? と聞けば、真ちゃんは黙って頷く。俺の聞き方も悪かったが、これで頷かれても、誘われているんだか誘われていないんだかわからない。多分、誘われているんだろう。ゆっくりと口の中の肉を咀嚼して飲み込んで、水を一口飲んで真ちゃんは答えた。
「講義の終わりに、飯でも行かないかと言われたことはあるが、俺はその後も講義があったからな。最終講義が終わった後はさっさと帰っているし」 「じゃあ真ちゃん一ヶ月ぼっち飯?」 「昼は一緒に食べている奴もいる」
そんな当たり前の返事にちょっと傷つくくらいなら聞かなきゃいいのに、愚かな高尾和成くん。いやいや、マジで一ヶ月独りで飯食ってる方が心配だろ。健全な社会的人間性を持ち合わせていてくれて何よりだ。何よりなんだけれど、俺はこいつの母ちゃんでは無いのに、こんな心配をしてどうする。何にもならない。
「かわいい女の子はいた?」 「どうだろうな。いつも一番後ろの席に座るから顔は見えん」
心配すべきは、こいつが誰かと結ばれること。なんて、別に、付き合ってる訳でも無いのに、こんな心配してどうすんの。どうにもならない。何にもならない。世の中はそんなことばっかりだ。何をどう心配したって、それは全部見当違い。俺は母ちゃんでも無ければかわいい恋人でもなく、ひとりの友達。ひとりの相棒。
「お前の方はどうなんだ」 「俺? ううーん、俺んとこも女子の割合すくねえからなんともなあ。あ、でも若干みゆみゆ似の子いた」 「宮地先輩に紹介したらどうだ」 「え、真ちゃんがそんなこと言うなんてどうしたの」 「先輩の大学の教授が客員講師として来ているんだが、学部的に先輩が講義を取っている可能性がある。話でも聞けないかと」 「真ちゃんって、案外目的のためなら手段を選ばないよなあ」
真ちゃんはしっかり焼いてもらった肉を口に運ぶ。俺も自分の肉にフォークをぶすり。レアなそれからしたたる赤い肉汁。口の中で思いっきり噛み切ってごくりと飲み込む。生きている味がする。
「真ちゃん、次いつ会えんのさ」 「……そうだな、一通り落ち着いたし、来週の木曜なら問題ないのだよ」 「木曜な。オッケー。六時とか平気?」 「ああ」 「んー、どうすっかな。久々にストバスでもやる?」 「そうだな」
ぶすり。刺さったフォーク。それを持つ左手に、もうテーピングは存在しない。目を細めてみれば、そこに白い幻影が見えるような気もする。真ちゃんはバスケをやめた。悪いことじゃない。俺たちのバスケは、あの日の粗大ゴミの一つとしてどこか遠くで燃やされたのだろう。悪いことじゃない。ちゃんと、俺たち自身が選んだのだから。全てを失ったと悲壮感に浸るほど子供ではなかった。
     ◇
「いや、お前、ホント、ねえわ、マジで……」 「お前は少し鈍ったんじゃないか」 「そりゃ鈍るわ! 昔みてえな練習してねえんだから! お前はなんでそんなキレッキレなんだよ! 人事尽くして自主練しまくってんのかよもしかして!」 「いや、多少の筋トレはしていたが俺もここまでちゃんと動くのは久しぶりだ。元々の地力の差じゃないのか。単純に」 「単純にズバッとひでえこと言うよなお前」
コートに寝そべれば街灯に邪魔されて少し暗く星が見える。たかだか一時間くらい動いただけなのに、荒い呼吸がなかなか止まらなくて俺は苦笑した。一ヶ月でここまで衰えるとは、いやはや時間の流れとは無情だ。これを元に戻すには三ヶ月はかかるだろう。いつだって、壊す方が簡単なのだ。
「そんなこと言って、真ちゃんもまだ息整ってない癖に」 「……お前もだろう」 「ははっ、俺たち二人ともこうやっておっさんになってくんかな!」 「俺は絶対にお前よりも格好良いおっさんになってみせるのだよ」 「ええ、なんだそれ」
たるんだ腹など許さないからな、と俺に指を指してきたって、そんなの俺の知ったこっちゃない。許さないも何もお前の話だし、多分お前は太るよりはやせ細っていくタイプだから筋肉落ちないように気をつけろよ、と言おうと思って面倒になって取り敢えず笑った。母ちゃんじゃ、ねえんだから。うん? はいはい、きっとお前は、なかなかにダンディでイカしたナイスミドルになるに決まってるよ。
「あー! でも真ちゃんが練習してねえなら、俺が真ちゃん抜ける可能性も出てきたな! ぜってー次は抜く。めっちゃ練習する」 「ぐ、人が講義を受けている間に成長しようというのか」 「ふふん、ずるいってか? ずるくないよなあ、俺は人事を尽くすだけだからなあ。ずるいなんて言えねえよなあ。どうだ真ちゃん、自分の信念に邪魔されて文句言えない気持ちは。うん?」 「お前……底意地が悪い、いやそれは前からだったか」 「あん? お前に尽くし続けた高尾ちゃんのどこが底意地が悪いって?」 「どこの誰が尽くし続けたというのだよ。なんだかんだ自分の意見は押し通してきた癖に。俺の我が儘の影に隠れてやりたい放題していただろう」 「おお? それこそ聞き捨てならねえな? 我が儘の影に隠れてたんじゃねえよ���お前の我が儘がでかすぎて俺のが霞んでただけだっつの。お前の自己責任。オッケー?」 「我が儘を言っていたことは認めるんだな」 「いやいや、滅相もございません」 「どっちなのだよ!」
夜のコートで、体ばっかりでかくなった男が二人、真剣に言い争っている。あまりにも馬鹿馬鹿しくて子供みたいな内容を、わざと真剣な調子で言い合う。ああ、なんだか視界が眩しいのは、星のせいか、街灯のせいか、自販機の明かりだろうか。なんだか酷く目にしみて瞼を閉じた。おい、寝るな! なんて真ちゃんの怒った声。寝るわけねえだろ。お前がいるのに。お前がいたら俺はいつだって目かっぴらいて起きてるよ。今は閉じてるけど。はは、閉じちゃってるけど。
「おい、高尾、……高尾? なんだ、死んだのか」 「お亡くなりになった高尾くんに一言」 「高尾……、実は俺はお前のことを……」 「高尾くんのことを?」 「超ド級の変人がいると言って、大学の奴との話の繋ぎに、適当にあることないこと喋ったのだよ……」 「いや、待って待って待って真ちゃん! 何それ! ちょっと待ておい!」
流石に聞き捨てならなくて飛び起きたら、真ちゃんは真顔で俺の顔を見て頷いた。いや、その頷きは何なわけ。何を示してるわけ。全然わかんねえから。
「死人に口無し、バレなくてなによりだ」 「最低じゃねえか!」
叫ぶだけ叫んで、やりとりのあまりの下らなさに溜息をついた。何よりも下らないのは、真ちゃんが大学でも俺の話題を出してることに喜んでる俺自身である。滑稽な独占欲に苦笑いを零していたら、真ちゃんからボールが飛んできてギリギリのところで俺はそれを受け取る。びりびりと、手のひらがしびれる感触。こいつ、本気でぶん投げてきやがった。赤くなった俺の手はまだまめだらけで、皮も分厚くなっているけれど、これも後数ヶ月もしたら普通の手になっているのかもしれない。
「というか、お前は何故そこまで鈍っているのだよ。お前の方が暇なら、今日の時点でここまでへばっていないんじゃないか」 「暇とか言うなって! まあそりゃお前とはちげえけど、俺だってバイトとかめっちゃ入ってんだって。家賃は親に払ってもらってっから、生活費は自分で稼がねえと」 「ああ、なるほど、そうか、それがあったな」 「お前は? それこそ講義で忙しくてバイトなんかしてる暇ねえんじゃねえの?」 「親の脛を��じっている」 「めっちゃ堂々と言ったなおい!」
笑いながら全力で投げたボールは、俺の希望通りこいつの手のひらの中に収まって、そのままゴールリングへ向けて発射された。俺の知っている、俺の憧れたままの高度と軌道。それが変わらないことに安堵しつつ、ボールは勢いよくネットを揺らして落ちる。地面がごうんごうんと跳ねる音。このシュートだって、いつかは終わる。
「事実なのだから仕方がないだろう。家賃光熱費水道代食費学費その他もろもろ全て親持ちだ。そもそも、ラッキーアイテムであれだけ金を使わせていた俺が今更この程度のことで罪悪感を覚えると思うのか?」 「やべえ、どうしよう、言ってることはどこまでも格好悪いのにここまで堂々とされるとそんなことないように聞こえ……聞こえねえな」 「やはり駄目か」 「駄目だったなあ」
少し笑いながら真ちゃんはボールを拾う。かがんだ時に僅かに揺れた上半身と、グレーのセーターが何故か目に焼き付いた。その服の下の筋肉も、段々と衰えていくし、二度とあの派手なユニフォームを着ることもない。そんな当たり前のことを、俺はゆっくりゆっくり飲み込んでいく。別に、悲しいわけではないのだ。少し寂しくはあるけれど。そうだ、寂しいのだ。大人になっていくことが。俺たちが、大学生になって、卒業して、就職して、もしかしたら結婚したりして、子供ができたりとか、して。そういう変化をこれからも続けていく。
「うちの大学は成績優秀者になれば賞金がもらえるのだよ。一年間にかかる金額と比べれば雀の涙のようなものだがな。それは親に渡すつもりだ」 「もう取れることは確定なのね」 「当たり前だ。人事を尽くしているのだから。」
例えば、一人暮らしをするようになって、洗濯だとか料理だとかを少しずつ覚え始めた。電気をつけっぱなしにしたり、蛇口をしっかり締めないで母さんに怒られた理由がようやくわかるようになった。お金のこととか、現実とか、ちゃんと見始めた。悪くないなあ、と思う。あの駆け抜けた日々に比べると少しばかり穏やかすぎて、太陽の光もあまり眩しくないけれど、変わりに柔らかくなったように思うのだ。
「成長してから恩返しということで先行投資してもらうしかないからな、金額の問題ではなく担保のようなものなのだよ。将来性の保証だ」 「お前さ、なんか照れ隠しが生々しくなってねえ?」
パスされたボールを投げ返す。真ちゃんはそれをシュートせずにもう一度俺にパスしてきた。別に俺はシュートなんか撃たねえのに。もう一回真ちゃんにパスしたらまた返ってきて、奇妙なキャッチボールが延々と続く。ぼんやり数えて十二回目で俺はでかいくしゃみをした。背筋からぞわぞわと、這い登るような冷気。
「うあー、さぶ。汗ひくとめっちゃ寒いな。つか、五月ってこんな寒かったっけか」 「五月は寒いだろう」 「五月は寒いか」
寒いっけ、と首を傾げる俺の顔面めがけてジャージが飛んでくる。真ちゃんのではなく、俺のだ。勝手に鞄から出されたらしいが腹も立たない。帰り支度を始めるこいつもジャージを羽織る。お前だって寒かった癖に、先に俺に渡しちゃうんだからなあ、そういうとこ、好きなんだよなあ。好きなんです。あーあ、好きなんだよ、ほんと。
「おい、聞いてるのか」 「へ? あー、ごめんごめん、何?」 「全く聞いていなかったのか。ボケすぎだ」 「ごめんって。で?」 「風邪を引かれても困るから、俺の家に寄っていけ」 「あ?」
耳に届いた言葉が信じられなくて俺は思わず自分の頭を殴りつけそうになった。そこまで驚くことでも無いのにこんだけ動揺が隠せないのは、やっぱり、俺がコイツのことを好きだからなんだろう。好きな奴の、一人暮らしの家に上がり込む、なんてのは、どうしたってそういう意味にしか取れないのだ。勿論真ちゃんにその気が無いことはわかっているけれど。だけど、わかるだろうか、一人暮らしの家だぞ、生活の何もかもが部屋に閉じ込められた、まず間違いなくこいつの匂いで満ちている部屋。
「お前、何回聞き逃せば気が済むんだ」 「いや、聞こえてた聞こえてた! 聞こえてたけどさ! え、いいの」 「構わん。ここから俺の家は近い」
そりゃ、お前の家に近いストバスのコート探したからな。俺のアパートからは遠いのだ。お前の家。俺が三年間迎えに行った、あのだだっ広い門扉がある豪邸とは別の、お前が一人で暮らしてる家。
「おい、どうした、来ないのか」 「いつ誰がそんなこと言ったよ。行く。超行く。真ちゃんのお部屋大訪問」 「そうか。エロ本はまだ買ってないから探しても無いぞ」 「……真ちゃんもなかなかに、俺が言うことわかってきたよね」
     ◇
「……おい、ちょっと待て、待ちなさい、親の脛かじり太郎」 「なんだ、さっき宣言しただろう」 「限度があるだろ! 何だよこの部屋! 部屋じゃねえよ家だよ! どう見ても一人暮らしには広すぎるだろ! 普通六畳一間だろうが! なんだこれ!」 「俺の家だが」
入口がオートロックの門だった時点で嫌な予感はしていたが、大的中も大的中、ドアを開けたら玄関と靴箱があり、そこから廊下が伸びていた。バス、トイレ別だ。というか、部屋までの通路に台所が無い時点で戦慄した。大学に入ってから他の奴の家にも幾度かお邪魔したが、部屋までの短い通路の片側に風呂トイレ、片側に狭い台所と洗濯機置き場、ドアを開ければ六畳間、この鉄則を外れる奴なんていなかったのだ。
「いやー、これはない、マジでない、かじるどころじゃねえ。しゃぶってやがる」 「まあ、富裕層だからな」 「やめろ……聞きたくない……こんな露骨な格差はやめろ……」
風呂に入れと投げ渡されたバスタオル。真っ白で、まだほとんど使われていないそれに遠慮する気にもなれなかった。保温機能で自動で沸かしてくれるバスタブでも俺はもう驚かない。腹いせに、シャンプーとリンスの位置を逆にしたことくらいは許されてもいいだろう。思い切り鼻歌を歌っても近所に文句は言われないんだし。 風呂を上がってみれば、真ちゃんが真剣な顔で洗濯機を回していた。説明書が壁に貼られている。若干首を傾げてセーターのタグを見ていたこいつは、マークの意味がわからなかったらしく携帯電話で調べ始めた。堅実な奴である。
「ちょっとくらいならソフトサイクルで問題ねえと思うけど」 「馬鹿なことを言うな。これだけ細かくラベル分けされているのだから消費者はそれに従うべきなのだよ。ふむ、これは手洗い不可」 「いちいちクリーニング出すわけ? 金がもったいな……いや、俺は何も言わねえ。言ったら言っただけ傷つきそうな気がする。何も言わねえ」 「ドライヤーを使うならそこの引き出しだ。暇ならリビングにいろ。茶は勝手に出せ」 「へいへい」
短い俺の髪は、水気を取れば自然に乾く。面倒くさいからとリビングに向かえばきちんと整理整頓された部屋。プリ��トも教科書も整然と並び、出しっぱなしの衣類なんて物は無い。思いのほか完璧な一人暮らしをしているこいつに少し驚く。生活力なんて皆無かと思っていたのだが、壁に貼られた手書きのメモを見て納得した。こいつ、毎朝のルーティンワーク完璧に決めてやがる。月曜日、五時、起床、ストレッチ、五時五十分、着替え(引き出し下段)、六時、テレビ兼朝食(チャンネルは六)……目眩がしてくる。多分、中学の時も高校の時も、こうやって自分の動きを決めて行ったんだろう。所々に訂正の箇所があるのは、それじゃうまくいかなかったからか。そういえばあいつはこの前会った時、「一通り落ち着いた」とか言っていた。それはこういうことだったのか。
「何を間抜けな顔を晒している」 「うお、真ちゃん終わったの。いやー、これすげえな。機械かよ」 「人事を尽くすためには必要なことだ」 「いやー、お前の人事に対する執念こんな形で見ることになるとは思わなかったわ。隣に貼ってあんの食事の献立?」 「そうだが」 「……真ちゃん、これってさ、今日の、食事の献立?」 「そうだな」 「……明日の食事の献立は?」 「これだな」 「…………明後日の食事の献立は?」 「これだな」 「まさかとは思うけど、真ちゃん、毎日これ食ってんの……?」 「完璧なバランスだろう」 「お前は! 融通きかなさすぎだろ!」
思わず怒鳴りつければ、何故俺が叱られなければならないのだよという顔で見られる。いや、おかしいのはお前。絶対にお前。誰かこいつに常識を教えてやってくれ。 俺の目の前にある紙には、朝から晩まで、食べ物とどこでそれを売っているかの表がある。ほぼ調理が入っていないのは、自分じゃ作れないと判断したからだろうか。数えてみれば三十品目丁度。それぞれの栄養素もきっちり取れている。それにしたっておかしいだろう、朝、煮干(松の家)、白米、漬物(西武スーパー)、牛乳(二五〇ミリリットル)って、いや、栄養は取れるかもしれねえけど、こいつは三百六十五日同じもんを食べ続けるつもりなのか。嘘だろ。絶対に楽しくない。
「この前お前と食事をした時は計算が面倒だったのだよ。翌日に足りない分は全て追加したからなんとかなったが」 「なんともなってねえからそれ。なんで翌日繰越制度になってんだよ。一ヶ月間焼肉しか食わなかったから次の一ヶ月は野菜しか食いませんってことじゃねえか」 「そうだな、それではカルシウムもタンパク質も足りない」 「ちげえよ! 何にも伝わってねえよ!」
誰か、この超ド級の馬鹿をどうにかしてほしい。お前は頭が良いはずじゃなかったのか。俺にはこいつの思考が手に取るようにわかる。わかってしまう。大学生になったからには勉学に励まねばならない、そのためには心身ともに健康でなくてはいけない、健康な体は健康な食事から、完璧な献立を作らねば。完璧な献立なのだから毎日それで完璧だ。終了。殴りたい。
「そうは言ってもな、毎日別の献立を考えるのは流石に負担が大きすぎるのだよ。できなくは無いが、俺は料理が苦手だから作れるメニューも限られる。その中でどうにかしようとすれば、今度は学業の妨げになるだろう。本末転倒だ」 「なんで俺が説得されてんだろうな。お前の発言だけ聞いてるとお前が正しく聞こえるから不思議だわ。あのな真ちゃん、アウト」
頭が痛いのは長風呂をしてしまったせいだろうか。久々にちゃんと広い風呂入って、ちょっとテンション上がっちゃったもんな、確かに。俺のアパートの風呂は狭くてろくに入れたもんじゃないし。ああ、それとも髪を乾かさなかったせいだろうか。風邪ひいたかな。いいや、違う、この目の前の男が全てである。
「っつーか、真ちゃん、今日はどうするつもりだったわけ。俺、お前と夕飯まで食うつもりだったし、まともな夕飯出てくると思ってなかったから外行く気満々だった」 「さりげなく人を馬鹿にするのはやめろ。俺だって外に出るつもりではいた」 「で、それで足りなかった分は明日に追加されるわけ」 「まあ、そうだな」
壁にかかったカレンダーを見る。先週の木曜と、今週の木曜にだけそっけなく印がついている。俺と会ったからだ。俺と会う日だからだ。そしてこいつは金曜日、俺との食事で足りなかった分を一人で追加して食ってるんだろう。どうせこいつのことだから、カルシウムが足りなければ牛乳を必要なだけ追加、タンパク質が足りなければ豆腐を足りないだけ追加、とかそんな大雑把なことをしているに違いないのだ。それはなんだか、酷く腹がたった。一人でそんな素っ気ない、機械みたいな食事をしているこいつにも、それの負担になっているのであろう俺のことも。
「……真ちゃん、来週どっか空いてる?」 「……木曜日なら」 「また?」 「木曜だけは授業が三限で終わるのだよ」 「ああ、なるほど」
さて、俺のこの感情のどこまでが純粋なもので、どこまでが邪なものだったのかは俺にもわからない。俺はもしかしたら母ちゃんのようにこいつのことを心配していたのかもしれないし、恋人気取りでこいつのことを独占したかったのかもしれない。両方かもしれないし、もしかしたら全然関係なくて、俺はただ、何にも考えていない馬鹿野郎だったのかもしれない。
「じゃあ、俺毎週木曜は夕飯作りに来るから」 「はあ?」 「栄養バランス完璧な献立だったら良いんだろ? 任せろって、少なくともお前よりは作れるから」 「いや、別にだからといって何故お前が」 「良いじゃん。お前木曜以外空いてないんなら俺どうせしょっちゅう遊びに誘うし。そのたんびにお前が飯の計算しなおすのも面倒くさいだろ。 だったら俺が作っちゃうのが手っ取り早くね。別にお前が他の用事入れる時はこねえからさ」 畳み掛けるように言う俺の勢いに押されたのか、真ちゃんは、いや、だとか、それは��だとかもごもごと言っている。きっぱりさっぱりしているこいつには珍しい狼狽具合だ。自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はある。だけど俺は全然引く気が無い。多分真ちゃんも、そのことに気がついたのだろう。
「……お前が、いいなら」
渋々と頷いたこいつに俺は笑った。自分があまりに馬鹿らしすぎて笑ったのだ。だけど、俺は、何度も訂正された跡がある木曜日のルーティンワークを見て、何もせずになんていられなかった。そうだよなあ、二週連続でお前の予定変わったら、それは別の何かを考えるよな。来週も俺が誘うかもしれないし、誘わないかもしれないし、そしたらお前はきっと、別の日課を組み立てなくちゃいけなかった。 最終的にクエスチョンマークだけが残されて、『保留』とそっけなく書いてあるそれは、俺がお前の毎日に組み込まれるためのスペースだった。お前は自分じゃ言わないけれど、ちゃんと俺はわかっているのだ。お前からの、新しいサインに。 そうやって、形の無い不安に脅かされていた俺は、入学して一ヶ月と一週目に、驚く程スムーズに、新しい口実を手に入れたのだった。
     ◇
「真ちゃん、最近とみに忙しそうね」 「試験が近いからな。お前だってそうだろう」
七月の頭、室内には既に冷房がかかっている。俺の部屋にもついてはいるが、効きが恐ろしく悪く音だけうるさく、よっぽど扇風機の方が役立っているのが現状だ。大学生の試験期間というのは講義を取っていれば取っているほど過酷になるもので、楽できる奴はいくらでも楽ができる。真ちゃんの忙しさといったらない。試験だけで二十個近いと聞いて頭を抱えた。国立受験だって十科目だっていうのに。
「お前んとこほど過酷じゃねえわ。レポートも多いし」 「レポートの方がかかる時間は多くないか?」 「俺んとこでね、レポートってのは、『なんでもいいから取り敢えず出せば単位はくれてやるから文字数埋めて出せ馬鹿野郎』って意味なわけ」 「凄い意味の込め方だな」
俺が作ったキャベツのホタテ煮を、眼鏡を薄く曇らせながら食べている真ちゃんの顔は呆れている。大根は鷹の爪を入れて煮たから少し辛い味付けだが、これくらいならどうということはないらしい。まあ、こいつは甘党であるというだけで、辛いのが滅茶苦茶苦手というわけではないからあまり心配はしていなかったが。
「生姜焼きはあんま漬けれなかったからよう改良だなー、これは」 「別に、普通にうまいが」 「お前ってすげーおぼっちゃまなんだか庶民舌なんだかよくわかんねえな」 「味の違いはわかるが、どれがうまくてどれがまずいのかはよくわからん」 「おしるこにはメーカーから何からこだわるくせに……」 「おしるこは食事ではないからな」 「じゃあなんなんだよ。飲み物っていうオチだったら来週の夕飯納豆入れる」
生命の源なのだよ、と嘯くこいつの冷蔵庫にはお気に入りのおしるこが大量に常備されている。おしるこばっかだ。あれだけ食事の管理をきっちりやっていた癖に、最も糖分が高く体に悪そうなおしるこに関して、こいつは一切の制限を設けていなかった。ちゃっかりしすぎだ。俺は人一倍脳みそを使うから糖分はいくらあっても足りないのだよ、と堂々とのたまった時は流石に腹が立ってこいつのおしるこを全部捨てた。いや、捨てるのでは勿体無いので俺が全部飲んだわけだが、俺は甘ったるいものがあまり好きではないのでまあ捨てたのと同じようなものだろう。お陰様でその日は胃もたれに悩まされるわ、真ちゃんは落ち込むわで双方ともに撃沈だ。
「……で、今日も泊まっていくのか」 「おー、真ちゃんさえよければ」 「構わん」 「明日の朝ごはん、卵焼きと目玉焼きとスクランブルエッグと温泉卵どれがいい」 「卵以外の選択肢は無いんだな」
こいつは静かに箸を置いて、両手を合わせて御馳走様でした、と頭を下げた。こういうところが、お育ちが良いというのだ。初めてこれを見た時に爆笑したら、お前は「お���末さまでした」と言わなければならないだろうと激怒された。凄く理不尽な気がする。気がするけれど、まあ別に嫌なわけではないので、俺も今では笑いながらお粗末さまでした、と言う。先に風呂入ってよ、俺片付けてるから、と言えばこいつはたいした抵抗も無く頷いてリビングから消えた。
うーん、どうしてこうなったんだろう。
リビングは相変わらず綺麗に整理整頓されている。けれど、よく見ればラックの中には真ちゃんが全く興味が無いであろう雑誌やCDが並んでいるし、洗面所には歯ブラシが二つある。真ちゃんが翌日着るものを入れていた箪笥は今じゃ俺の着替え置き場だ。そういえばこいつは、洗濯は出来ても畳むのが苦手だったらしく全て広げたまましまわれていた。そのせいで余分なスペースを取りすぎていたから、畳んでしまえば俺の服が入るスペースが出来上がったわけだけれど。ガチャガチャと音をたてて皿を流しに運ぶ。これだって全部、二つ組み。 スポンジでガシガシと皿を洗う。俺が毎週木曜日に飯を作りに来るようになってすぐに判明したのは、飯を食べた後、俺の家まで戻るのがとてもとても面倒くさいということだった。そもそも俺も真ちゃんも、毎日通うのは厳しいくらいの距離に大学があるから大学に近いところに一人暮らしを始めたのであって、その方向は全く違うのであって、何が言いたいかと言うと、真ちゃんの家から俺のアパートまではゆうに二時間はかかる。飯食った後に少し喋って帰ったのでは、簡単に日付をまたぐ。まあ仕方無いと思っていたのだが、それに気がついた真ちゃんが泊まっていけと言ってから、その好意に甘えて、ずるずる。今では木曜は必ず泊まって、金曜の朝飯まで作って帰っていくのが常である。金曜が三限からでよかった、ほんと。真ちゃんは一限からあるので一緒に家を出れば遅刻することもない。そして洗剤が足りなくなってきている。今度来るときに買ってこよう。 皿を洗う時に、思いっきり泡立てるのが好きだ。真っ白な泡がぶくぶくと膨れ上がって皿を飲み込んでいく姿が好きだ。それをざあっと熱いお湯で流す瞬間が好きだ。黙って黙々と洗っていると、言わなくていい、だけどつい言いそうになる余計な言葉が全て一緒に流れていくような気がする。 ええい、消えてしまえ、消えてしまえ。幸福の間にうもれてしまえ。
     ◇
「はー、いいお湯でした! やっぱ浴槽広いといいなー! 俺のアパートと段違い」 「そんなに狭いのか」 「俺が体操座りしてぎっちりって感じだから、真ちゃんは多分はみ出ちゃうんじゃねえかな。はみだしんちゃん」 「語呂は良いが、ご当地キャラクターのように言うのはやめろ」
そんなにご当地キャラっぽくもねえと思うけど、まあなんてことない軽口の一つだと俺は特に返事もしない。テレビをつければよくわからないバラエティ番組で、アイドルが笑顔を振りまいていた。これ、もしかして宮地さんに見ておけって言われたやつじゃなかったっけ、と思えば録画ボタンが点滅しているので安心する。
「……しまった、撮り忘れたのだよ、これ」 「え? 今録画ボタン点滅してんじゃん」 「それは別の番組だ。UFOの謎を追え、古代人が遺す壁画と星の導きという……」 「なんでそんなの撮ってんだよ! どうせナスカの地上絵オチとかだよそんなん!」 「わからないだろう! お前は撮っていないのか!」 「俺の家にHDDなんて高級なモンありません!」 「お前の家、か」
興味があるな、と真ちゃんは笑った。そう、俺は真ちゃんの部屋に入り浸っているが、真ちゃんが俺の家にきたことは一度も無いのだ。そりゃあそうだろう。快適さが段違いだし、そもそも。
「俺の家来てもどうしようもねえからなあ。お前毎日一限あるし、俺ん家からお前の大学まで多分二時間、下手したら三時間かかるだろ。昼間に来るっつっても毎日五限まであるんじゃな」 「木曜は三限までなのだよ」 「知ってますー。木曜だけっておかしいだろ。はーあ、俺もよりによって木曜は四限まであるしな」 「そうなのか?」 「あれ、知らなかったっけ」
俺は土曜日曜月曜の週休三日体制で、金曜以外は一限から入れて三限終わりという楽々な時間割を組んであるのだが、木曜だけは四限まであるのだ。そのせいで、唯一真ちゃんとしっかり会える曜日なのに若干のタイムロスが生じてしまう結果になっている。確かに、いつも俺が真ちゃんの家に授業が終わり次第突撃しているから、俺の時間割なんて真ちゃんは知ったこっちゃないのだった。そんなに驚くことでも無いと思うが、真ちゃんはぽかんとした顔で俺のことを見つめている。それよりも、テレビに写ってるアイドル見て宮地さんへの言い訳考えといた方が良いと思うんだけど。
「じゃあ、一時間半、お前は俺を待たせているんだな」 「え、ええ? そういうことになっちゃうわけ? いやまあ確かに言いようによってはそうかもしんねえけど、そもそも木曜以外空いてねえのお前の都合だからね」 「だが実際そうだろう」 「んー、えー、んー、俺が頑張って大学から遠い遠い真ちゃん家まで移動してることとかへの考慮は」 「移動時間を考慮しないで一時間半だろう。講義一つ分なのだから」 「あー、そりゃ、おっしゃる通りです、絶対おかしいけど」 そうだろう、と真ちゃんが満足げに笑うので俺はもうそれでいいか、という気になる。はいはい、俺が一時間半も待たせてますよ真ちゃんのこと。一時間半も俺のこと待ってくれるなんて、真ちゃんもよっぽど俺のことが好きなんだね。マジで。 なんて言えるはずもなく、俺は空中で目に見えない皿を洗う。新しい踊りか? とか聞いてくるお前は何もわかっちゃいない。
■3■
『今から向かうわ』
夏休みは長かったがあっという間だった。多分これから先、色んなことにこういう感想を抱くんだろうなあと思う。大学生活は長かったがあっという間だった。人生は長かったがあっという間だった。そんな風に。 いつも通り真ちゃんに連絡をして、携帯をズボンのポケットに滑り込ませた数分後、低い振動が伝わってくる。取り出して画面を見てみたら、浮かび上がっている名前はたった今俺が連絡したその人で、はてと首を傾げた。今まで電話がかかってきたことなんて無かったのに。
「おー、真ちゃんどったの。今日はやめとく?」 『制限時間は二時間だ』 「はあ? え? 真ちゃん? どうしたの」
俺はアメリカの諜報機関でもないのに、何故いきなりこんな勝負をしかけられているのかさっぱりわからない。しかも相手は真ちゃんで、まずもって何の制限時間なのかもわからないのだ。わからないことづくしで立ち止まる俺に、真ちゃんは一方的に話し続ける。その声が若干楽しそうな気がするのは気のせいだろうか。
『俺のことを一時間半も待たせているのだから、お前の方もそれ相応の時間でもってして探すべきだ。質問には答えてやる』 「いやいやいや、わけわかんねえから。ちょ、どういうこと」 『毎週俺はお前を一時間半待っているのだろう? 腹立たしいからお前も一時間半かけて俺を探せ』 「いや、それお前さっきと言ってることほとんど変わらねえから。ぜんっぜんその理論理解できねえから、え、ちょ、どうしたのマジで」 『質問は終わりか?』 「いや、んなわけねえだろ! 始まったばっかだよ! お前どこにいんの!」 『その質問に答えられる筈が無いだろう』 「あー、めんどくせえなあ!」
ちょっと待って欲しい。状況を整理させて欲しい。どうやら俺は真ちゃんに何がしかの勝負……勝負と言っていいのかこれは? まあいい、何かを挑まれているらしい。制限時間は二時間で、俺はその間に真ちゃんを見つけなくてはいけない、らしい。ダメだ全く訳がわからない。
「制限時間二時間ってなんなんだよ」 『ずっと待っているわけにもずっと探すわけにもいかないだろう』 「一時間半じゃねえんだ」 『移動時間があるからな』
確実に楽しんでいる。そのことを確信して俺は無意識に苦笑いを浮かべた。そういえば、移動時間はお前が俺を待っている時間には含めない、そんな話しましたね。ってことは、つまり、どういうことだ? 俺は真ちゃんを探さないといけない。まず、真ちゃんが講義終わってから出発してるんだから、真ちゃんの大学から一時間半圏内なことは間違いない。そんでもって、俺の移動時間が三十分確保されてるってのはつまりどういうことだ? 一時間半は探す時間だっつってたんだから、三十分が移動時間で別枠なわけだ。でも探すのも移動すんのも結局は同じようなもんだよな? 探しながら移動してんだから、そういうことになるよな? ってことは単純に、一時間半じゃ間に合わない位置に真ちゃんがいるってことか。取り敢えず俺の大学から一時間半以上二時間圏内、真ちゃんの大学から一���間半圏内。合ってるか? 合ってんのか、これ。いやもう合ってなかったら仕方無い。それにしたって範囲広すぎだろ。
「どこにいんのか聞いちゃ駄目って、何なら聞いていいんだよ。近くにあるものは?」 『ふむ、まあそれは良しとしよう。デパートがある。駅の真ん前だな』 「その駅って何線が入ってんの」 『それは答えられないな。だがメトロ含めて八本乗り入れがある』 「あー、そこそこでかい駅なんだな……」
こうなった真ちゃんを俺が止めることなんて不可能だ。別に真ちゃん家を知ってるんだからそこで待ってりゃいい話なんだが、そんなことしたらこいつは暫く口をきいてくれないだろう。下手したら年単位、一生とかにもなりかねない。仕方がない、お前が見つけて欲しいってんなら探してやろう。見つけて欲しくないと言われるより百倍マシだ。我ながら無理やりなポジティブ思考に涙が出そう。
「で、真ちゃんはそこの駅にいるの?」 『いや、外はまだ暑いから駅近くの喫茶店で大福を食べている』 「満喫しすぎだ馬鹿野郎!」
とは言っても腹が立つものは腹が立つので思わず通話をぶった切った。満足げに沈黙する携帯を操作しつつ、取り敢えず駅に向かう。良い子は歩きながら携帯いじっちゃいけません。悪い子でごめんね。恨むならあの奇想天外馬鹿野郎を恨んでくれ。あまり時間も無いので、真ちゃんがいる範囲内でそこそこでかい駅を適当にピックアップする。実はあんまり無い。その中で路線が八本入っている駅は一つしか無かった。駅の東口に和菓子屋と大きなデパートがある。俺の大学から一時間四十五分。まず間違いなくここだろう。これで違ったらもう知らん。 案外あっさりわかるものだと拍子抜けしながら、そういえば路線の合計数を教えてきたのは真ちゃんだったと思い出した。なるほど、やっぱり、見つけて欲しくないわけでは無いらしい。なんでこんなことをやり始めたのかさっぱりわからないが、俺との木曜日が嫌になったわけではない、ということだけでも良かったと思おう。そしてもしも、この真ちゃんの気まぐれが来週からも続くのだったら、それはどんどん難易度を増していくのだろうということも容易に想像できた。嘘だろ。
     ◇
「いや、マジ真ちゃん、今回ばかりは駄目かと思ったぜ……」 「実際駄目だったのだがな。二十七秒遅刻だ」 「二十七秒で済んだのがすげえよ! 駅まではともかく、そっからのヒントが『信号が沢山ある所を左にまっすぐ』って、知るか!」 「他に言い様が無かったのだから仕方ないだろう」 「お前、まさかとは思うけど、俺を待ってる間暇だからってふらふら歩いてたらよくわかんないとこ出て迷子になってただけじゃねえだろうな」 「迷子ではない。携帯で調べれば帰り道はすぐにわかったからな。ただ現在地がわからなくなっただけだ」 「人はそれを迷子って言うかな!」
俺の真ちゃん探しの回数も片手を優に超えた頃から難易度を増してきた。駅前集合だった初回が懐かしい。最終的に猛ダッシュをしてたどり着いた公園で、真ちゃんは優雅におしるこをすすっていた。住宅地の隙間に無理やり作られた狭い公園内には子供の影すらなく、どこかから飛ばされてきたらしい花の種が芽を出して好き勝手咲いている。入口で荒い息を吐きながら緑間の名前を呼ぶ俺に、真ちゃんは少し驚いたような顔をしていた。わからないだろうと思う場所に呼び寄せるんじゃない、全く。 真ちゃんは俺の恨めしい顔にもどこふく風で、ブランコの板に脚をかける。頭をぶつけるんじゃないかと思ったが、案外大きめに作られていたらしく、真ちゃんを乗せてブランコはぎいぎいと揺れ始めた。すぐに息が整った俺も、なんとなくそれにならってブランコに乗る。ぎいぎいと、鎖と板が軋む音がする。
「あー、なんか懐かしいな」 「そうだな」 「ブランコなんて何年ぶりだろ。はは、めっちゃ軋む音してるけど大丈夫かこれ」 「大丈夫だろう」 「大丈夫か」 「リアカーだって、大丈夫だったのだから」
まさか今ここでその話をされるとは思っていなかった俺は、驚いて真ちゃんの方へ振り返る。夕日に照らされて目も頬も髪も真っ赤だ。ぎいぎいと、ブランコが鳴る。鉄と木の音。俺たちのリアカーの音。俺たちが壊して捨てたもの。
「懐かしいな」 「……そーだな」
それ以外、何も言えずに黙る俺に真ちゃんは笑った。仕方がなく笑ったというよりは、楽しそうに笑った。そのまましばらくぎいぎいと、懐かしい音を鳴らす。
「来週は、三限が休講なのだよ」
真ちゃんがそう言い出したのは、その日、俺が真ちゃんの家に行って夕飯を作って風呂に入って布団を敷いて寝る間際だった。俺のためにいつの間にか買われていた布団はまだまだ新しかったけれど、ところどころに小さな毛玉が見えた。俺はその言葉の意味を、もうちょっと深く考えても良かったかもしれない。
     ◇
『制限時間は三時間だ』 「マジかよ……」
毎週木曜に恒例になった電話をかければ、少しひび割れた真ちゃんの声が俺の耳に届く。三時間、今までで最長記録だ。休講になったって、あれはつまりそういう宣言だったのか。俺はあの時に気がついても良かった。迂闊だったとしか言えない。あいつが二限終わりになるということは、一コマ分多く待たせるのと一緒だ。ということは、その分あいつの移動時間も追加される。
「ちょっと真ちゃん、多めにヒント頂戴……」 『ヒントは無しだ』 「はあ?! いや、馬鹿言うなよ、無理だって!」 『俺が行きたい場所にいる』
それ以上何か言う前に通話が切られた。いくらなんでも理不尽すぎる。制限時間は三時間、真ちゃんの大学から三時間以内、俺の大学からも三時間以内。範囲が広すぎる。今時、三時間もあればたいていの場所には行けてしまうというのに。 真ちゃんは、もう俺に、見つけて欲しく無いのだろうか。 過ぎったその考えに背筋が震えた。理不尽なことを言われた怒りよりも、恐怖の方が先に立った。慌ててリダイヤルする。電源を切られていたらおしまいだと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしく、十五コール目で真ちゃんは出た。
『なんだ高尾。これ以上のヒントは無しだぞ』 「真ちゃん、真ちゃんはさ、もう俺に会いたくないわけ」 『誰がそんなことを言った』 「いや、あんな無茶ぶりされたら誰だってそう思うだろ」 『ヒントはもう言ってやっただろう。あとは自分で考えろ』
ぶちりと切れた二回目の通話。どうやら嫌われたわけではないらしく、かと言ってこれ以上の情報をくれる様子もない。嘆いていても何も変わらないなら、しらみつぶしに探す以外方法は無さそうだった。
「ヒントはもう言ったって……真ちゃんが行きたい場所?」
いや、知るかよ、と思う。素直に思う。あの気まぐれ大魔神の考えが完璧に読めたことなんて一度も無い。あいつが今どこに行きたいかなんてわからない。宇宙とか言い出したっておかしくない奴だ。宇宙に行ってUFOがいるかどうか確かめるのだよ、とか言い出しかねない奴である。三時間じゃ宇宙に行けないけど。行けないけどな。 思わず調べてみたら、宇宙の謎展とかいうのが近くでやっていた。可能性はゼロじゃない。そういえば、この前テレビを見ていた時に見かけた甘味屋に目を輝かせていた。あれはどこだったか。木村さんのとこの野菜が久々に食べたいとも言っていた。久しぶりにラッキーアイテムを探すか、とか言っていたのはなんでだっけ。 ああ、本当に、知るかよ、わっかんねえよ、お前が行きたい場所なんて、思いつきすぎてどうしようもない。
     ◇
「あー、ここもハズレ、か……」
どこに行っても姿が見えず、最後の望みを託して来たのは、懐かしの母校、秀徳高校だ。体育館からは、まだボールが跳ねる音がする。俺たちの一つ下の代は、それなりに癖があるけれど良い奴らだった。IH優勝は逃したが、WCはきっと優勝する。優勝できる。そう信じられるだけの奴らだ。そこに、俺と真ちゃんはもういないけれど。真ちゃんは朝から晩まで勉強三昧だし、俺はそんな真ちゃんを追いかけてこんな不毛な鬼ごっこをしてる。情けないと、去年の俺は呆れるだろうか。そんなことをする暇があるなら練習しろ、走りこめ、一分一秒も無駄にするな、そんなことを、言うかもしれない。今の俺は三限終わりでそっからバイトをして、サークルに顔を出したりして、週に一回真ちゃんを追いかける生活だ。悪くない。全然、悪くない。 駐輪場の方まで足を伸ばしてみたけれど、やっぱりそこに俺の求める緑の影はいなかった。そうだよなあ。だってここは、もう過去の場所だ。いつだって全力で走り抜けるお前が、今更ここに戻ろうなんて、言うはずがなかった。俺じゃあるまいし。
「秀徳―――――っ、ファイッファイッファイッ……」
遠くから聞こえてくる運動部の声出し。俺は今、あんな声が出るだろうか。出ないかもしれない。わからない。 だけど俺は、少しだけわかるようになったのだ。俺たちが練習をしている間、職員室では先生たちが必死になって俺たちの将来とか進路を考えていて、馬鹿にしてた鈍臭い先生だって俺たちが体育館使えるようにいつだって申請書作ってくれてて、スポーツ用品店じゃおっちゃんがいつも営業時間少し過ぎても店を開けてくれてた。家に帰ったらあったかいごはんがあった。俺が帰る丁度のタイミングで妹ちゃんは風呂からあがってて、俺はいつだってすぐに風呂に入れた。風呂から出たその瞬間に肉が焼けてた。あったかい食べ物は全部あったかいままだった。朝おきて引き出し開けたら、そこには絶対に選択済みの下着とTシャツと靴下があった。何にもしなくても部屋の床に埃なんて溜まってなかった。俺が今必死になってやってること、真ちゃんが必死になって作ってるルーティンワーク、そんなものが当たり前に俺たちの周りにあった。
「タイムアップ、かー……」
携帯を開けば、電話をしてから三時間と十五分。俺は初めて、真ちゃんを見つけられなかった。けれど、見つけられなかったと電話をするのもためらわれて、「悪い、無理だった」と一言メールをしたためて送信する。冷静に考えれば俺が悪いことなんて一つもないような気がするけれど、まあ、気持ちの問題だ。見つけられなかったのは、確かなんだし。
「帰るか、ね」
今から真ちゃんの家に向かうこともできたけれど、それはきっとルール違反だろう。俺は自分のアパートへ帰るべく、駅へと向かう。夕日はもう沈んでしまった。背中から、まだ、後輩たちの叫び声が聞こえてくる。 悪くない、全然悪くない。 大人になるのは寂しいことだと、あの時の俺は信じていた。リアカーを壊して、思い出を捨てて、バスケをやめて、学校の友達ともほとんど連絡を取らなくなって、生きるのに必要なことだけ手に入れていくのはとても寂しいことだと思っていた。だから未練がましく、あの日、ポケットを膨らませていたのだ。 ただ、そう、実際生活してみれば、案外そんなこともない。沢山のものを捨てて見つけた世界は、思っていたより優しかった。沢山のものを捨てたから、それまで俺がいた世界が、とても優しいものだったのだと気がつけたのかもしれないけれど、もしそうなのだとしたら、それは本当、悪いもんじゃなかった。真ちゃんは、いないけど。
     ◇
「遅かったな」 「……へ? うそ、真ちゃん?」 「待たせすぎだ。六時間だぞ」
玄関、いや、玄関なんて大層なもんじゃない、アパートの狭い門に寄り掛かるようにして真ちゃんは立っていた。錆びついて低い門は、もうとっくに鍵が馬鹿になっていて、ろくに閉まりもしない。郵便受けだって錆びているからぎこぎこと音がする。 まあ、今時、どうでもいいチラシくらいしか郵便受けには入らないのだからあまり不自由はしていないのだけれど。って、違う、違う、そんなことを考えている場合じゃない。意味がわからない。真ちゃん��いる。
「なん、で、こんなところにいるの……」 「なんでも何も、俺が行きたい場所に行くと言っただろう」
まさか六時間待たされるとは思わなかったがな、と真ちゃんは呆れたような溜息をつく。六時間って、お前、まさか六時間ここに立ちっぱなしだったわけ。不審者として通報されててもおかしくない。いや、そんな通報してくれるような甲斐性のある住人は多分この近辺にはいないのだけれど。っていうか、そうじゃない、そうじゃないだろ。きりがないからって制限時間作ったのお前だろ。なんでずっと待ってんだよ。
「お前、一体全体どこまで行っていたのだよ。もう来ないかと思ったぞ」 「いや、それはこっちの台詞っていうか、まさか俺の家とは思わないじゃん……」 「何故。俺はずっと言っていたはずだが。むしろお前はどこを探していたのだよ」 「そりゃ、いっぱいだよ」 「いっぱいか」 「うん、いっぱいあった」 「そうか」
いっぱいあったなら仕方がない、許してやろう、とふんぞり返る姿勢があまりにも偉そうなので俺は笑ってしまう。別に何が面白いというわけでもないのだけれど笑ってしまう。真ちゃんと一緒にいると、とてもどうでもいいことでだって笑ってしまうのだから仕方がない。そんな俺を見て、真ちゃんも小さく笑う。
「それで?」 「へ? それでって、なに?」 「時間に間に合わなかったのだから罰ゲームを受ける覚悟はできてるんだろうな」 「それで、にどんだけ意味がこめられてんだよ」
どうぞどうぞ、なんなりと。やっぱり俺はそんなに悪くないと思うのだが、六時間外で待っていてくれた相手に対してそんなこと言えるはずもないし思わない。おしるこ何百本おごりでも許そうと思って諦めた。惚れた弱みというやつです。投げやりになった俺の様子に、真ちゃんはにやりと楽しそうに笑って一言。
「お前の家に泊めろ」
     ◇
「狭いな」 「ずっとそう宣言してんじゃん」 「風呂場も狭い、台所も狭い、部屋も狭い、のに物は多い」 「わりーかよ」 「悪くない」
ただでさえでかい部屋に規格外のサイズの奴が入ってきたら、それはもう狭いなんてもんじゃなかった。極小だ。人形の部屋だ。座る場所を探した真ちゃんは見つけられなかったのか、勝手に俺のベッドの上に陣取った。わざとなのかなんなのか、いいけどね、いいですけど。一日中閉じきっていた部屋はもう夏を過ぎても蒸していて、堪えきれずに窓を開け放した。がらがらと、網戸が今にも外れそうになりながら開いていく。車輪が錆びついているのかそもそも設計的に立てつけが悪いのか、三回に一回は外れて俺を悩ませるこいつは、今回は綺麗に開いてくれた。
「ま、別に景色もよくねえけど」 「道路が見えるな」 「道路しかねえだろ」 「向かいの家も見える」 「道路沿いだからな」 「……あそこに」
俺につられて窓から身を乗り出した真ちゃんが下を指さす。そこには庭というのもおこがましい、アパートの僅かな隙間に雑草が茂っている。誰も手入れをしないから、好き放題に伸びきって、今じゃススキが揺れている。
「あそこにあるのは、お前の自転車か」 「そうだよ」
そう、そこは庭というのもおこがましい、アパートの共同駐輪場だ。駐輪場というにもおこがましいのだが、しかし実際駐輪場として機能している以上それ以外の言いようはないだろう。引っ越しをするにあたって、新しく買い替えても良かったのだけれど、ついそのまま持ってきてしまった俺の愛車。
「懐かしいな」
そう言って真ちゃんは笑う。真ちゃんは、いつからこんなに笑うようになったのだろう。そこに俺が関係していると思うのは自惚れかもしれないが、関係ないと言い切るのもまた自惚れだ。きっと、俺は関係があった。だけど、それだけじゃなくて、俺の知らない真ちゃんの生活の色んなものがきっと関係あるんだろう。
「お前、あれ、今でも乗っているのか」 「そりゃ乗りますよ。普通に乗りますよ。なんならあれで大学に行くし、スーパーだって行きますよ。お前の晩飯の材料買ってますよ」 「ああ、そうだ、夕飯、お前こんな狭い家で作れるのか」 「それは流石に馬鹿にしすぎだろ! 言っとくけど週の六日間はここで過ごしてんだからな! 俺!」 「そうだった」
お前が働いて、家賃も光熱費も水道代も食費も払って住んでいる部屋だった、と真ちゃんは笑う。何故だか誇らしそうに笑うので、家賃は親持ちだけどな、という俺の声はなんだか拗ねたように響いてしまった。それでもこいつは、立派なものだと繰り返す。俺よりももっと大変な奴なんて沢山いるから居心地が悪いことこの上ない。
「で、エロ本はどこにあるんだ」 「お前ほんっと楽しそうね」 「当たり前だ。ずっと来たかったんだから」
楽しそうに引き出しを開けるが、残念、そこには俺の下着があるだけだ。母さん直伝の下着の畳み方は、なかなか皺になりにくくてこれが主婦の知恵かと俺は感心している。まあ、真ちゃんの家の服の畳み方も、今じゃこれなんだけど。俺が教えたから。 見当違いな引き出しを次々に開けていくこいつは遠慮を知らないのかなんなのか、もっともポピュラーなベッド下にもないことを悟って残念そうな顔をした。甘い真ちゃん、一人暮らしでエロ本を隠す必要がどこにある。普通に本棚にほかの雑誌と一緒に並んでいるのだがこいつは気が付く様子がない。教えるつもりもない。
「真ちゃん、諦めろって」 「諦めろ、ということは、ないわけではないのだろう? ならば人事を尽くすのだよ」 「へいへい、人事を尽くしたいのはわかったけど、後でな」 「む」 「夕飯にしよう」
飯にしよう。完璧な食事をしよう。お前がいればそれだけで俺は腹いっぱいに幸せだけれど、腹が空かないわけじゃないんだから。
     ◇
「狭かった」
風呂上がりの真ちゃんの第一声がそれだった。そう文句を言っている割に顔は満足げなのだから腹立たしい。洗濯しすぎてくったくたになったタオルで髪を拭くこいつに、ドライヤーなんてねえからな、と声をかければ構わないと返事が返ってきた。嘘つけ。お前髪の毛乾かさねえと次の日めちゃくちゃ絡まるくせに。このねこッ毛野郎。
「真ちゃんさー、なんでこんなことしたわけ」 「別に」 「しんちゃーん」 「……お前の家に行く口実を、探していただけなのだよ」
不機嫌そうに顔をしかめながら真ちゃんは、俺にタオルを投げつける。ぼふりと顔に湿ったタオルの感触。俺の家に来る、口実。俺の家に。真ちゃんがずっと探していたもの。それは、多分、俺が探していたものと、そっくり一緒だった。
「……別に、いつ来ても良かったのに」 「お前は、嫌そうだったじゃないか」 「ああ、それは、お前がここまで来るの面倒だろうって思ってたんだって、それに」 「それに?」 「あれ見つかんの恥ずかしかったから」
俺が指さした先の戸棚には錆びたボルト。あの日の俺の膨らんだポケットの中身。しばらく首をかしげていた真ちゃんは思い当たったのか驚いた顔を向けた。
「リアカーのか」 「リアカーと、自転車の連結部分の、かな」
女々しいったらありゃしない。だけど俺はどうしても、全部捨てることができなくて、こんなものを大事に抱え込んでいる。あの日こっそり、一つだけポケットに忍ばせたそれをまだ大切にしている。
「笑う?」 「笑わない、が」 「が?」 「ずるくないか」 「へ?」 「俺だって欲しかったのだよ」
ふて腐れたような顔で文句を言う真ちゃんの、内容があまりにも予想外すぎて俺は間抜けな顔をしてしまう。何それ、真ちゃん、欲しかったの。そんなの欲しがってんの、俺だけかと思ってたのに。そんなの大切にしたいの、俺だけかと思ってたのに。
「……そういえば、今日、お前探して秀徳まで行ったんだけど」 「はあ?! お前抜け駆けばかりか。そこまでお前がずるい奴だとは思わなかった。何故俺を連れて行かないのだよ。後輩どもはどうしてた。相変わらず生意気だったか」
いや、いきなり行っても邪魔かと思って話はしてねえけど、ていうかお前探すのに必死でその余裕はなかったけど、なんだよお前。なんだよそれ。お前、そんなそぶり全然見せなかったくせに。毎日毎日忙しくて、前だけ向くのに必死ですって顔してやがったのに、そんなの、お前こそずるくねえか。
「真ちゃんってさ」 「なんだ」 「案外あまちゃんだよなあ」
俺の言葉に一気に不機嫌になった真ちゃんの機嫌を取るのは大変だった。どうせ俺は親の脛をかじった世間知らずのお坊ちゃんなのだよと愚痴愚痴ぶーたれるので、どうやら大学でも言われたらしい。まあ否定はできないがそこが真ちゃんの良い所というかチャームポイントなのだから俺としてはそのままで一向に構わないのだが。
「お前のことも言ったら馬鹿にされた」 「へ? 俺のこと?」 「お前が家に来て飯を作っていく話をしたら、通い妻かなんかかよ、そいつもかわいそうだなとかなんとか、他にも色々」 「あー、うん、まあ、そんなもんだろーな……」
むしろ気持ち悪がられなかっただけ僥倖だと思うのだが、その回答はお気に召さなかったらしい。別に俺が通えと言ったわけじゃないのに、というのはその通り。
「だから俺も通うのだよ」 「いやその発想はおかしい」
堂々と告げた内容はあまりにも頓珍漢だ。っていうかこの狭い家には何もない。テレビだってろくに映らないし録画はできないし、クーラーは効かないし多分暖房だって効かないだろう。布団だって敷けないし、風呂だって手足を伸ばせない。
「それがどうした」 「真ちゃん、衣食住の充実って言葉があってな」 「どうでもいい。ここにはお前がいるんだろう」
だったらそれでいい、とこいつは言う。その言葉の意味をわかっているんだろうか。どうせ、わかっちゃいないくせに、馬鹿な奴。本当に、馬鹿な、大馬鹿野郎。
「お前がいればいい」
わかっちゃ、いないのは、俺の方だったんだろうか。
「すっげー熱烈なプロポーズね」 「本当のことなんだから仕方がないだろう。諦めろ高尾、お前のために俺の木曜は全て空けてあるのだよ。言っておくが、他の奴にここまでする気はない」
知っている。知っているとも。お前が、必要な時にしか人に頼らないことくらい。必要がなければ、誰かに連絡なんてしないことくらい。お前の毎日のルーティンに組み込まれることの意味くらい、俺はとっくにわかっていたのだ。
「それなんだけどさ、真ちゃん」
良かったら、金曜の午前も空けてほしいなと、そう告げたら真ちゃんは首を傾げた。後期授業は考慮しよう、とわからないまま頷く真ちゃんを抱きしめて、そのままベッドに倒れこむ。あたたかい。ごつい。でかい。好きだ。あーあ、好き��んです。さっき食った夕飯の食器は、まだ流しに放置したままだ。だけど今日くらい、いいだろう。
「真ちゃん、ちょー好き、残念ながら、マジで好き」 「残念ながら俺もだな」
笑っちまう。俺の家は本当に狭いから、くっつく口実なんていくらでもあるんだ。
     ◇
「おーい、真ちゃん、十時だぜ。起きねえと、三限間に合わねえんじゃねえの」 「腰が痛い……」 「真ちゃんが魅力的だったからつい」 「お隣さんが凄い壁を殴っていたような気がするのだよ……もうしばらくお前の家には来ない……、というかお前、俺が金曜三限からにして以来調子に乗ってるだろう」 「ごめん」 「否定しないのか!」 「事実は否定できねえから……」
朝食を差し出せば、真ちゃんは億劫そうにベッドの上でそれを受け取ってそのまま食べる。まあ随分だらしなくなったことで。まあ、相変わらず栄養バランスにはうるさいのだけれど。一日二日乱れるくらいは何も言わなくなった。俺の腹がたるんだらお前のせいだからなと、せっせと俺の飯を食っている。いいことだ。
「あー、また一週間真ちゃんに会えねえのかよー、ちくしょー」 「仕方ないだろう。学業をおろそかにするわけにはいかん。日々の予習復習、自主学習もろもろ、他のことを加えれば遊んでいる暇などないのだよ。 「そりゃそうかもしれねえけど! 土曜にも講義入ってて日曜が実験で潰れてってホントねえから! お前それ部活ぐらい拘束時間なげえだろ!」 「やりがいがあるな」 「その顔滅茶苦茶腹立つわ」
俺の部屋の引き出しから、こいつの服を取り出してぶん投げる。ベッドの上に散ったそれを適当に身に着け始めるこいつは余裕の表情だ。本当に、腹立たしい。
「へいへい、その間に俺はバイトにサークルにバスケに忙しくさせていただきます。へへ、この前ついに真ちゃんのこと抜きましたし? エース様の座が俺に渡る日も近いんじゃねえの? エース高尾の誕生だぜ」 「まだ一回だろう。調子に乗るなよ」 「悔しいなら悔しいって言っても良いんだぜ、真ちゃん」 「次はぶちのめす」
おっかねえなあと肩をすくめる間に真ちゃんは支度を終える。俺も支度が終わって戸締りをする。火の元、水道、窓。完璧だ。真ちゃんと一緒に家を出て、チャリで駅まで送っていく。俺の大学へは遠回りだけど構わない。最近真ちゃんは、二人乗りを覚えた。滅多��やろうとしないけど。俺も真ちゃんも寝坊した時、ダメもとで提案したら了承したのだ。あの緑間真太郎が、悪くなったものである。それは多分俺のせいで、そして俺以外のせいでもある。そんなもんだ。悪くない。
「で? 俺の家にはしばらく来ないわけ? じゃあ次はどこ行くの?」 「そうだな」
変わることが怖かった。失うことが怖かった。だけど案外世界はそのままで、真ちゃんは変わらずに俺の隣を悠々と歩く。リアカーにひかれていた時と変わらずに、堂々と、傲岸不遜に、楽しそうに歩く。俺はゆっくり自転車をこいでいる。
「お前がいれば、どこでもいい」
色んなことを捨てました。沢山の粗大ごみを出しました。大切なものも捨てました。だけど実は、こっそりちょっと、取っておきました。悪い大人でごめんなさい。だけど世界は、案外こんな俺たちを許してくれたりしてるのだ。お前がいればそれでいい。お前がいるからここでいい。お前がいるからここがいい。次はどこでお前に会おう。どこでもいい、この寂しくて厳しくて優しい世界。次はどこでお前に会おう。
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xf-2 · 6 years ago
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ウイグル人の人権活動家として知られる女性が、乳児を含む大規模失踪事件を糾弾した6日後、彼女の妹と叔母が失踪した。
マルコ・レスピンティ(Marco Respinti)
国連人権理事会が 普遍的・定期的レビュー(Universal Periodic Review)で中国について審査した日、私は初めてジュネーブでルシャン・アッバス(Rushan Abbas)に会った。印象深かったのは、彼女が中年の ウイグル人 女性の写真のプラカードを持っており、そこには次の言葉が書かれていたことだ。「妹はどこにいるの?妹は医者なので、職業訓練は必要ありません」。新疆ウイグル自治区 で多数の人を収容する強制収容所は、実のところ、公式名称を 「教育による改心」のための強制収容所 としており、そこに収監されている人々は拷問を受けて死んでいくにもかかわらず、中国共産党 は収容者の宗教的な過激思想を治癒するための「職業訓練」を提供しているのだと主張している。
ルシャンは過激派でも何でもない。彼女はウイグル人のイスラム教徒で、現在、西側諸国に暮らし、その欠点にもかかわらず西側諸国を高く評価している。西側諸国において、ルシャンは同胞の人々の 人権 の擁護者である。祖国でもかつては人権活動家であり、米国では世界的な名声を博した。けれどもそれには、高い代償がついてしまった。
アッバスは1985年から1988年にかけて新疆大学で民主主義を推進するデモを行っていた元学生運動家で、1987年には大学で学生科学文化連合の副会長を務めた。学生連合は、現在の 世界ウイグル会議(World Uyghur Congress)の会長、ドルクン・エイサ(Dolkun Isa)によって設立された組織で、彼女はそれ以来、ずっとエイサと密接に協力してきた。米国では、アッバスはカリフォルニアに拠点を置く天山海外学生学者協会(Tengritagh Overseas Students and Scholars Association)の共同設立者である。同協会は1993年に設立された米国初のウイグル人の組織で、アッバスはその組織の初代副会長を務めた。彼女が後に草案作成に寄与した憲章と規制は、1998年にウイグル米国協会(Uyghur American Association、UAA)設立の青写真となり、重要な役割を果たした。UAAは全米民主主義基金(National Endowment for Democracy)から資金の供給を受けている。アッバスはその後2期にわたってUAAの副会長に選出された。1998年に米国議会がワシントンDCに拠点を置くラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia)でウイグル語サービスの資金援助を決めたとき、アッバスは最初のウイグル人レポーター兼アナウンサーを務め、毎日ウイグル地方へ向けてラジオ放送を行っていた。
2002年から2003年にかけて、アッバスはキューバのグアンタナモ湾で通訳として不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)に関わった。また、米国議会のメンバーと国務省の関係者に対してウイグル人の人権状況とその歴史と文化について幾度となく説明し、議会の委員会と人権委員会(Human Rights Commissions)における証言を手配した。彼女は自分の専門知識を他の連邦・軍事当局にも提供し、2007年に当時のジョージ・W・ブッシュ大統領と、プラハ在住でウイグル人の世界的に有名な道義的指導者であるラビア・カーディル(Rebiya Kadeer)との間の会議をサポートした。その年の後半、彼女はホワイトハウスで当時のファーストレディ、ローラ・ブッシュとも会い、新疆(中国の地名だが、ウイグル人は「東トルキスタン」という名称を好む)の人権状況について説明した。
新疆の状況の悪化に伴い、アッバスはウイグル人のためのキャンペーンを起ち上げ、人権と民主的自由を推進する運動を展開している。
グアンタナモ湾という地名からは、テロと拘留を想起させます。どうやってそこに関わるようになったのですか?
キューバ沿岸の米海軍基地にある軍の刑務所であるグンタナモ湾収容所(一般的に「Gitmo」(グアンタナモ基地)として知られている)に関わるようになったのは、「グルジャ事件」の後に22人のウイグル人が、この収容所に拘禁された件とつながりがあがります。1997年2月上旬、独立を求めた30人の唱道者が処刑され、ウイグル人としてのアイデンティティが抑圧されたことがきっかけで、新疆ウイグル 自治区 の 県級市 であるグルジャ市で抗議運動が連続して発生しました。2日間にわたるデモの後、2月5日に警察はデモの参加者に暴力をふるい、発砲することで解散させました。その日に撃たれて死亡した人の数は、政府当局の公式発表では9人ですが、私たちは100人以上が殺害され、最大で167人に上るとみています。1,600人ほどが逮捕されたという説もあります。私の話と関わってくる22人のウイグル人は、中国から脱出し、国境を接する中央アジア諸国に逃れることに成功しました。
けれども、国境を越えても新たな魔の手が彼らに迫っていました。上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、SCO)です。2001年6月15日、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの指導者たちは、中国の上海で、ユーラシアの政治的、経済的および安全保障上の同盟の創設を発表しました。その後、2002年6月にSCO協定が調印され、2003年9月19日から活動を開始しました(2017年6月8日にインドとパキスタンも参加)。その協定にはテロに協力して対峙することが含まれています。つまり、「テロ」は他の国々に押し付ける力を持つ国が定義することになるのです。基本的にこの協定があることで、中国政府がウイグル人に関して要求していることを���中央アジア諸国も常に実行することを意味します。それはつまり、ウイグル人を逮捕し、強制送還することです。
そのため、「グルジャ事件」から難を逃れた22人のウイグル人は、再び逃走しなければなりませんでした。彼らは保護を約束してくれ、さらにトルコ、カナダ、米国とは異なりビザを必要としない、パキスタンとアフガニスタンに到着しました。22人の悪夢が始まったのは9月11日の同時多発テロ事件後、米軍がアフガニスタンを急襲した時です。戦争地帯を脱出しようとしているとき、パキスタンの賞金稼ぎに囚われて、外国人戦闘員として米国当局に一人あたり5,000ドル(約55万円)で売り払われてしまったのです。けれどもそれは、(間違っていますが、)中国が彼らをテロリストと宣言したことが端緒でした。結局、22人のウイグル人は、グアンタナモ基地に収監されることになりました。その後、2002年から2003年にかけて包括的に調査をした結果、米国政府は、22人に対するテロ容疑が間違っていたこと、米国やその同盟国に何も脅威を与える者たちではないことをはっきりさせました。しかし、釈放後にどこの国に向かうのかは、新たな大問題でした。中国政府は、グアンタナモ基地から解放されたウイグル人の再定住を受け入れないよう各国に圧力をかけていたからです。その結果、潔白の22人は囚人として4年間から11年間、グアンタナモ基地にとどまることになりました。
私は米国在住のウイグル人として、アフガン戦争に関わっていた国防総省の請負業者の1社から連絡を受けました。2002年初めから12月にかけて、グアンタナモ基地で通訳として働かないか、と持ちかけられたのです。通訳の仕事を終えて基地から離れた後の2003年4月、もう2か月間戻って通訳をしてほしいと頼まれました。結局、基地には合計で11か月間、フルタイムで働いていました。2006年、収監期間が無期限に延長されたとき、私は22人のウイグル人を擁護するチームに加わり、人身保護令状の申請を行いました。弁護士と私は、オバマ政権と密接に協力して彼らが再定住できるように尽力し、最終的には、アルバニア、バミューダ、パラオ、スイス、エルサルバドル、スロヴェニアに送られることになりました。正義が勝ち、彼らは晴れて自由の身になったのです。カナダを拠点として活動する、受賞歴のあるチリの映画制作者、パトリシオ・アンリケス(Patricio Henriquez)監督は、この話を基に映画を制作しました。『Uyghurs: Prisoners of the Absurd』(仮訳:『ウイグル:不条理な囚人』)です。この映画は、2014年10月10日にモントリオールのフェスティバル・デュ・ヌーヴォー・シネマでプレミア上映されました。私も台本づくりにかかわり、その場面では、私自身も映画に出演しました。この映画は後に英国、オランダ、チェコのプラハの国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、さらにトルコと台湾のドキュメンタリー映画祭のオープニング作品となりました。
あなたは新疆で生まれ、そこで勉学に励みましたね。ウイグル人として暮らしていた当時の思い出にはどのようなものがありますか?
私は新疆のウルムチ 市 で生まれ育ち、1989年5月に祖国を離れました。子供時代、青春時代の思い出は、豊かでカラフルな民族的なウイグル文化で彩られています。毛沢東 の 文化大革命 の暗黒時代が過ぎ去った後のことで、約10年間、とても楽しい時を過ごしました。
米国に来た理由と、そこに留まろうと思った理由は何ですか?
米国へは修士号を取得するために、1989年5月9日にやって来ました。最初に、私はワシントン州プロッサーにあるワシントン州立大学の灌漑農業研究普及センターに客員研究員として所属し、後に大学院生として植物病理学部に入学しました。米国に留まることにしたのは、米国に到着してすぐの1989年6月4日、共産党の命令が引き金となって天安門事件が起きたからです。戦車が市内を走行し、砲撃しているのをテレビで観ました。帰国しないことを決心するには十分な理由でした。
迫害を受けるウイグル人のための人権活動を始めたのはいつからですか?
ウルムチの新疆大学の学生だった頃から、人々の代表として活動していました。米国で活動を始めたのは、新疆でウイグル人の死傷者を出した暴動や事件が1990年代に頻発した頃からです。
「One Voice One Step」はアッバスさんが提唱された偉大なキャッチフレーズですが、それについてお話をお聞かせいただけますか?
2017年4月から新疆の状況は急速に悪化したのですが、国際社会、メディアや各国政府は沈黙を続けました。恐ろしい残虐行為が起こっているにもかかわらず、国際的には関心をもたれていませんでした。ウイグルアカデミー(ウイグル国家の科学と教育を推進するために2009年9月9日にイスタンブールで設立)と、私の兄である米国フィラデルフィアのドレクセル大学のリシャット・アッバス博士(Dr. Rishat Abbas)(ウイグルアカデミーの名誉会長であり、世界ウイグル会議の上級顧問を努めるとともに、在米ウイグル人協会(Uyghur American Association)と、ウイグル人権プロジェクト(Uyghur Human Rights Project)の共同設立者の1人)の助けを借りて、2017年10月に学術会議を開催しました。そこで、私はパネリストの1人として紹介されました。その目的は、今でこそ正式に「教育による改心」のための強制収容所と呼ばれる新疆の拘留所について、主要メディアの注目を集める方法を見つけ、世界中のウイグル人を導いて人権運動を巻き起こすことでした。2018年1月、私は海外のすべてのウイグル人の組織や活動家を巻き込み、世界規模で抗議活動を行うことを思いつきました。女性たちがこれらの抗議行動を率いれば、国際的なメディアの注目を集められるかもしれないと考え、私は世界中のウイグル人女性に連絡し、詳細な計画を練るために小さな諮問グループをとりまとめました。それは結局、「One Voice One Step」(OVOS)と呼ばれるWhatsAppグループに発展し、私たちの組織である「ウイグル人のためのキャンペーン」(Campaign for Uyghurs)のイニシアティブの名称になりました。「OVOS」は非常に明確なメッセージを持っていました。それは「私たちの故郷で行われている残虐行為に対して、皆の声を合わせ、海外のすべてのウイグル組織やウイグル人活動家と一緒に前に一歩踏み出すこと」です。その努力が結実して、3月15日、ニューヨークで開かれた第62回国連女性の地位委員会(UN Commission on the Status of Women in New York)の会合に合わせて、国連本部の前でデモを行い、続いて国連の中国代表団に対して抗議活動を行いました。世界中で同じ日に、オーストラリア、ベルギー、カナダ、フランス、フィンランド、ドイツ、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、トルコ、日本、イギリスの計14か国18都市で22時間にわたって、一致団結して抗議活動を行いました。
新疆に住んでいる親戚の何人かが姿を消しましたね・・・
ホータン市に暮らす夫の親族が忽然と姿を消しました。69歳と71歳の農家を営む夫妻、その娘のうち3人と義理の娘1人、4人の娘の夫たちがいなくなってしまいました。私と夫のアブドゥルハキム・イドリス(Abdulhakim Idris)は、2017年4月以来、彼らと連絡が取れない状態が続いていて、彼らが全員、悪名高い強制収容所に連行されたのではないかと危惧しています。夫の3歳から22歳の14人の姪と甥が今日どこにいるのか、私たちには見当がつきません。中国内陸部の児童養護施設に送られたのかもしれません。夫の弟、アブドゥルヒム・イドリス(Abdurehim Idris)が20年の懲役刑を宣告されたとも聞きました。この出来事を受けて、2018年9月5日、私はワシントンD.C.で開催されたハドソン研究所(Hudson Institute)の会議にパネリストの1人として参加し、新疆で中国政府が犯している残虐行為、私の夫の親族が置かれているだろう境遇、そして強制収容所の状況を公にすることにしました。この会議から6日後の9月11日、私の叔母と妹のグルシャン・アッバスが姿を消しました。遠い親戚からは叔母が釈放されたと聞きましたが、妹とは音信不通の状態が続いています。
信教の自由と人権を支持するご自身の活動が原因で連行されたとお思いですか?
妹と叔母が標的にされたのはおかしなことです。2人は有名人ではなく、作家や詩人、教育者というわけでもありません。どちらも国外のイスラム教の国を訪れたことはなく、流暢に中国語を話します。標的にされるウイグル人は、海外渡航歴のある人(「テロ」や「外国勢力」との「共謀」の嫌疑をかけられる)や、中国語(北京語)が話せない人(話せない人は、中央政府から、無知な不具または独立主義の反乱者の兆候として見られる)であるケースが大多数だからです。妹は政府が経営する病院で医師として働いていました。妹も叔母も、いわゆる「職業訓練センター」(すなわち強制収容所)に送られる人の通常の基準もあてはまらないのです。そのため、彼女たちが拉致された理由は、「連帯責任」しか考えられないと断言できます。彼女たちは、米国で活動している私に対する共産党による報復の犠牲者です。
習近平国家主席のすべての宗教に対する戦いは非常に冷酷です。このやり方は最近始まったのでしょうか、それとも以前から行われているのでしょうか?
ウイグル人とイスラム教徒を同時に、強烈に敵視するのは、習近平 が初めてです。その根底にあるのは、世界で支配的な地位を得たいという彼の圧倒的な夢です。今日、東トルキスタンの全人口が習近平の一帯一路構想の犠牲になっています。一帯一路構想というのは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ全体でインフラを構築し、投資を行う壮大な開発戦略で、「新シルクロード」という名称でも知られ、帝国主義的な中国の夢である「中国製造2025」(Made in China 2025)の最終解決案です。「中国製造2025」というのは、2049年までに中国を世界をリードする製造・技術強国にするという3段階計画のうち、グローバリゼーションを「中国的に」定義しなおす最初の段階です。ハドソン研究所の中国戦略センターの所長であるマイケル・ピルスベリー(Michael Pillsbury)博士は、著書『The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower』(仮訳:百年マラソン:米国に代わり世界の超大国となる中国の秘密戦略)(ニューヨーク: St. Martin’s Griffin、2015)の中ではっきりと述べており、占領された東トルキスタンは、世界を統治する青写真の戦略的中心にあります。
1949年の毛沢東国家主席による東トルキスタンの占領以来、政府はウイグル文化と宗教を容赦なく破壊しようとしてきました。ウイグル人は「民族主義者」、「反革命者」、「分離主義者」というレッテルを貼られ、迫害されてきたのです。9・11の悲劇の後、共産党当局はその取組みを「テロとの戦い」と改名しました。新疆地域全体が、このように色塗られたのです。処罰は文化に対して、集団規模で行われています。何百万という人々が、犯罪を行った嫌疑なしに逮捕され、拘束されています。県や地区、近隣のコミュニティが、割り当てられたノルマを達成することに必死です。中国はすべての抵抗を「イスラムによるテロ」と特徴付けており、それを口実にして、DNAの収集、あらゆる場所への監視カメラの設置、顔認識ソフトウェア、車両へのGPS追跡装置搭載を基礎に監視体制を敷いています。新疆全域が、警察国家になったのです。
米国ではウイグル人に多くの同情が寄せられています。マルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員が議長を務め、クリストファー・H・スミス(Christopher H. Smith)下院議員が共同議長を務める、中国問題に関する連邦議会・行政府委員会は、中国の現状をさらけ出し、迫害されている新疆のイスラム教徒の証言を聞くための公聴会をしばしば開催しています。これに何を期待しますか?
私が見るところ、米国が寄せる同情、そしてウイグル人に対する米国の政治家の支援は、本物の人権の観点から来ています。ウイグル問題に関して、米国は常に正義と正しい行いをする側についています。そのため、力強く意義深い行動を取るところを見たいと思っています。例えば、そのような恐ろしい残虐行為や人道に対する罪を犯した中国当局者に対して、グローバル・マグニツキー法に基づく制裁を発動することが挙げられます。また、2018年11月中旬に上院外交委員会の有力メンバーであるルビオ上院議員とロバート・メネンデス(Robert Menendez)上院議員、それにスミス下院議員が法案を提出した、ウイグル人権政策法に支持が集まるところを見たいと思っています。また、この地域に調査団を派遣したり、ラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスの放送時間を拡大したりすることも希望しています。このような行動は、ウイグル人の大規模拘束などを白日の下に晒し、世の中に伝える上で不可欠です。地域の実情を伝えることは、世論を操作する北京の共産党政権が仕組んだ情報封鎖とメディアの検閲によって妨げられているからです。
米国では多くの人がイスラム教徒と米国との間には自然と敵対的な関係があると見ているようですが、ウイグル問題の場合はその逆の反応を示していますね。
米国政府と国会議員は、前述��た1998年のラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスへの資金拠出に始まり、22人のウイグル人をグアンタナモ基地から解放する取組みを続け、ウイグル人の民主運動をいつも力強くサポートしてくれています。これらの出来事は、安心できる関係を築くためのターニングポイントでした。私は、米国政府と米国国民が、中国共産党政権の邪悪な目的にようやく気づき始めていると思います。中国のナショナリズムは、米国を世界の超大国から引きずり落とすことだけを目指しているのではなく、世界の民主主義と自由を中国の全体主義的な哲学と体系で置き換えることを目指しています。今、新疆は前例のない危機的な状況に置かれています。世界がこのひどい状況を前にして共産主義の中国と対峙しないなら、大規模監視、抑圧と蛮行のために、世界は闇に覆われ、私たちが今日享受しているような自由な世界に終止符が打たれてしまうことでしょう。
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kyary1976 · 3 years ago
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#現在亜細亜美術協会に復職中 . . . 昨年12月に、亜細亜美術協会の理事の方々の会議により、『今後の活躍が期待できる』として協会に復職致しました。m(_ _)m #一般社団法人亜細亜美術協会 勤め出してから既に13年目となりますが、新人賞と奨励賞をいただきました。 韓国APAA展では『My loved to one 2』が優秀賞。 その他、上海展に出品、松阪市展などに絵を出品しています。 県展はあえて出品していません。県展はあくまでもその県の文化祭なので。 今回は僕のBASEのショップを宣伝させていただきます。 絵を描きはじめたのは1歳の時からですが、本格的に美術を学びはじめたのは13歳の中学校1年生の頃からです。 既に画業は33年。 デビューとしては21歳の8月に個展『愛する人へ』でデビューしてから、最初から化け物扱いされて来ました。 33年も描いているといろんなことがありましたが、色褪せぬ芸術への絶えざる情熱でただただ毎日絵を描いて来ました。 かつての師匠からは『なにがあっても描いているその姿勢は立派です。』と褒められました。 いろんな舞台を、大なり小なり踏んで来て、 45歳の去年、『新ロココ主義の系譜』S100号が代表作に。西洋では男性芸術家がデビューするのはたいてい45歳から47歳が通例です。 描こうと思えば、様々なエキセントリックな技法をたくさん持っていますので、多様な表現を可能にしています。 絵描きとしての立ち位置は、『絵描きの岸野君』だったんですけど、最近での僕の立ち位置は『画家の岸野先生』になりました。 まだまだ画家であって芸術家ではないです。 いろいろと悩みはあるのですが、母親のパチンコ中毒に悩んでいるので、生活が苦しく、どうしても皆さんの応援を必要としています。 僕個人的にはその身の高潔さを守りながら、日夜絵と勉強と家事に勤しむ日々です。 BASEの僕のショップのほうで、ご購入も検討いただきながら、1度閲覧だけでもよろしくお願いいたします。m(_ _)m . . . 今年の亜細亜美術協会、亜細亜現代美術展は、 2022/0928〜10/05.の期間で、東京都美術館、F1の第4展示室にて行われます。 小品コーナー、亜細亜アート展もよろしく。 今年の僕の出品作品は、とある1枚の裸婦像です。 . . . #亜細亜美術協会 #一般社団法人 #亜細亜現代美術展 #一般社団法人社員 #7歳で心を盲にした神童 #画業33年 #多様性を称揚するのが芸術である #様々なシーン #トリッキーな技の数々 #宮崎県串間市産まれ https://www.instagram.com/p/CcrPKOOPeK4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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