#子供のカウンセリング
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種を植えよう
名古屋市心のケア 努力が実ると信じ歩み続ける道があります。 懸命に、「種を植える」時期でしょうか。 花が咲き、実となる日まで、環境に気を付けながら育てる。 人生も似ていますね。 今、ご自身がどの時期にいるのか。 イメージしてみることで、すべきことが見えてくることもあるのかもしれませんね。 素敵な花を咲かせてくださいね。 心理カウンセラー 田中絵里 名古屋市心理カウンセリングの効果
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母がどうやって反マスク、反ワクチンから戻ったのかまとめていきたいと思います。 母の反ワクチントークがかなり苛烈になってきた8月に、夏休み中で1番母と家で過ごす時間が長くなっていた弟がストレスを訴えるようになりました。 母はこの頃、かなりディープなコロナと関係のない陰謀説のような話もするようになっていたのと、塾の体温計が額に当てる形のものだと知って「受験生なのに脳に影響が出る」とクレームを入れたりしていたことも、弟を傷つけました。 普段からあまり相談などをしてこない弟で、母の反コロナや反ワクチンについても家族で1番寛容でした。それでもどうにかしてあ���ないとな、と思っていた矢先、弟から「家がしんどい」「あんどーなつと出てく」と言い出しました。 私もいろいろ手を考えていましたが、すぐには家を出ることは難しく、父とも相談をして、夏期講習の日にちを増やす、部屋に鍵を取り付ける、などの方法で母と弟の距離を離すことにしました。 父は母に何度も、家でコロナの話はやめよう、と言いましたが、母はその時は了承しても、すぐにワクチンで人が死んだ話をしたがりました。夏から秋にかけて、本当に家庭の雰囲気は最悪でした。私と弟は、極力母を避けながら生活を送りました。 お盆の頃、弟が父に「カウンセリングを受けたい」と相談しました。受験生向けに学校が夏休みにもスクールカウンセラーと話ができる日にちを設けてくれていたらしいのですが、行こうとしていた日が夏期講習を増やした影響で行けなくなってしまったため、別でカウンセリングを受けたいとのことでした。 父は10代向けのカウンセリングを行なっているメンタルクリニックを探して、弟を連れて行きました。母はこの時医療への不信感が強く、とてもじゃないですが伝えられる状況ではなかったので、当然内緒でした。 弟は心理士さんに受験の悩みとともに、母の状態についても話したそうです。弟の了承を得たのか、この日父もカウンセリングに加わり、家庭の状況について相談しました。 私は友人の家に避難している時期だったため、詳細は父や弟から聞いただけですが、ここで母にもカウンセリングを受けてもらったら良いのではないか?といった話になったそうです。 とはいえ、母が自分からメンタルクリニックに足を運ぶとは誰も考えておらず、夫婦、または家族カウンセリングとして呼ぶのはどうか?といった提案がされました。 この時行ったクリニックが、心療内科と精神科が併設されている所だったため、もし万が一、反ワクチンの裏に隠れた母の病が見つかった場合も対応可能といったようなことを言われたのようで、ここで父の中に初めて、母は病気なのではないか?といった可能性が生まれたのだと思います。 私は母がマスクを外すことに執着しはじめたあたりから、何か病的な強迫性を感じていたのですが、絶対病院には行ってくれないだろうなと思って諦めていました。父は家族で1番母と過ごす時間が短かったため、私や弟ほどは母の行きすぎた部分を見ていなかったのかなと思います。 その後、夫婦カウンセリングを装うには父の努力によって表面上の関係性があまり拗れていなかったのと、私が関わると警戒されてしまう(1番母の発言に反論していたため)ので、母と父、弟の3人で家族カウンセリングを受けることになりました。 クリニックの方から母についてアドバイスされたのは •反論をしない •可能な限りネッ��から離れられるように気を反らせる時間を作る •規則正しい生活をさせる といったものでした。正論で返されることで、より妄想に固執してしまうため、コロナや陰謀説については肯定も否定もしてはいけないそうです この内容を父から聞いた時、目から鱗というか、自分の行動を反省しました。正しい情報を理解すれば分かってもらえる、と思っていましたが、母は多分その域は既に越えてしまっていて、こちらが反論すればするほど、自分の信じているものへの依存度が高くなってしまうのだと気付きました。 補足ですが、よく他の反ワクチンの方が併発している、トランプ元大統領の話については母から聞いた覚えがありません。ただ、闇の組織みたいなものはうっすら信じていたようで、統合失調症の方が発信している「組織から監視されている」みたいなブログはよく読んでいました。 カウンセリングに母を連れていく仮の目的は、心理士さんたちと相談して、弟の受験の不安と母との関係性の不安、を理由に行うという名目になりました。カウンセリングに行きたがっていたあたりの弟は、母のことを本当に避けていたので、本人もさすがに違和感を覚えているだろう、と私も賛成でした。 メンタルクリニックの方々の協力で、弟と父が先に訪れていたことは母に内緒にできるように根回しをしてもらいました。それ以外はあまり嘘はつかないように、弟が父に相談し、父が家族カウンセリングという方法を調べるうちに、そのクリニックにたどり着いた、というシナリオになりました。 父は母にカウンセリングの話を切り出す前に、 •弟が強くカウンセリングを望んでいることを伝える •母のせいにはせず、家庭に構っていられなくて申し訳なかった、と父自身にも非があると伝える •あくまでカウンセリングであり、医療行為とは異なると説明する といった点を意識していたと思います。 コロナに関することには父も多分触れておらず【母が怒りっぽくなり、弟が関係に悩んでいる、改善したいと思っている】【受験勉強にも支障が出て不安がある】という点を強調していました。これに関しては母も多少自覚があったため、説得しやすかったのだと思います。 説得には2週間程度かかったと思います。父は仕事で日中は家にいないので、タイミングが限られていましたが、母はどちらかというと朝昼の方が興奮しているタイプで(おそらくニュースやワイドショーなどに刺激を受けてる)、パートがある日の夜などの方が、疲れているのか話が通じやすかった���す。 最後にほんとにダメ押しで、私も「弟に家を出たいと相談された」と母に伝えました。これは本当だったのですが、母としてはダメージがかなり大きかったのか、その後にLINEで父がカウンセリングの日にちの候補を送ると、行ける日を伝えてきたようです。 この候補日を決めて提示する、といった方法は父が何かで調べたようで、選択肢を少なくすことで、“行��”という気持ちに誘導しやすいとのことでした。 そして予約を入れた当日、母は少し体調不良を訴えてゴネていましたが、結局父に連れられてメンタルクリニックに向かいました。弟は塾の後に直接向かって現地で合流、という形で、大変な時期なのにかわいそうだなと思ったことを覚えています。 家族カウンセリングの内容については私は直接参加していないので、ざっくりになってしまいますが、反マスクや反ワクチンに焦点を当てるわけではなく、【母がそれらを訴えることにより、家族にどんな影響が出たのか】が初回の主な話になったようです。 母は心理士さんの前では、元々の人見知りが発揮されたのか緊張していたのか、普段家族に話すような陰謀論についてのハイテンショントークはせず、大人しい様子だったそうです。 ただ、この時担当してくださった心理士さんが、子供が2人いる方だったようで、母も安心したのか、1回目のカウンセリングが終わる頃には打ち解けることができ、次は1人ずつカウンセリングを受けてはどうか?といった話もスムーズに進んだようです。 母は弟の訴えやカウンセリングを受ける中で、自分が反マスクや反ワクチンを掲げることで家族のメンタルに影響が出ていることにはきちんと自覚を持ったようですが、それはそうとして、【真実を知っている自分】と【それを信じない家族たち】という根本は揺るぎませんでした。 この段階では【家族が母との関係性を修復したいと思っていること】【母を気遣っていること】が本人に伝わっていればいい、とのことだったので、母に大きな変化が見られないことがしんどくはありましたが、やっと少しだけ希望が見えたような気がしました。 まだカウンセリングの段階ではありましたが、母と家族が医療や第三者と繋がることができたことで、家庭内の閉塞感が少し緩みました。私はこの時は直接受診はしていませんが、何があった時に具体的な相談をして、アドバイスがもらえる場所、が家庭の外にあると思うと気が楽になりました。
Xユーザーのあんどーなつさん
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今日の午前は、2週間に一度のお楽しみ、漢方薬局へ行ってきた。
2週間分の食事と生活を記入した用紙を提出して、InBodyで測定、それからカウンセリングを受けて漢方薬を調合してもらいます。
太陽のように明るい先生と話す時間と、私だけの漢方薬ができるのを待つ時間が好き。
先生は、「 親のことや子供のこと、いろいろあるけどまずは自分だよ^^ 」っていつも言ってくれる。
一日三回、とても美味しいとは言えない漢方薬を飲む時間を、自分だけの贅沢な時間として楽しんでいます。効果も出てきて嬉しい☺️
午後は息子たちの学校で三者懇談。
襟のついた服に着替えて、シンプルなバッグに持ち替えて行ってきました。低身長でカエル顔の私は、意識的にまともに見える格好をしていないと「親っぽくない」と言われてしまいます。見た目の説得力を軽視したくないので、そこは努力を惜しみません。
進路の話をしてきました。来年は大学生になって、私たちの元を離れて暮らしてるんだろうな。想像もつかない。大丈夫かしら私。
初めて幼稚園の慣らし保育に送り出した時、バスを見送ってから帰ってくるまで寂しくて心配で泣き続けた私は、あの頃よりどっしりとした母親になれているかな。
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コモンウェーブ・ライ
今日も1日寝ていた。休日はもうだいたいそうなってしまった。朝起きて、何か食べて寝て、14時頃起きて何か食べて寝て、18時頃起きて寝て、最終的に20時頃まで寝ないと、ねむくてねむくて、起きていられない。1歩も家から出ない。ウーバーイーツを日に2回使う。またカードの金額がやばいことになる。でもものを買いに行く気力も、もちろん作る気力もない。それ以前に体力がない。どちらにしろできない。お風呂にも入っていない。3日くらい。そろそろ頭が臭いかもな、と思っている。不潔な話で申し訳ないが、ひとりで暮らして、通話で友人と喋るだけだと、お風呂に入らなくても結構大丈夫なのがありがたい。お風呂に入るのはかなり体力を使う。そもそもお風呂に入る体力がない。入ったあとぐったりしてどうせまた寝る、というのもわかっているため、本当に3日に1回くらいしか入らない。頭を洗う日と体を洗う日とを分けている(一気に洗うと疲れすぎてしまうので)。毎日が命懸けである。体力がないため。なぜこんなに体力がないのかというと太っているからである。痩せればいいのだが、痩せ方が分からない。食べなければいいと思いつつも、食べないとうつが来て、仕事に行けなくなるという恐怖が強く、食べる。ここのところうつ状態はほとんど来ていなかった。そのように油断していたらいきなり大きいのが1度来たのだが、それはなんとなく終わった。今となっては何だったのか全く思い出せない。母が泊まりに来たりした。
最近立て続けに本を読んでいる。詳細に書き出す気力がないが、せっかく読んでいるのでどこかに感想というか所感を書いたり喋ったりしようかと思っている。『ここはすべての夜明けまえ』というハヤカワの単行本が心に残っている。宇野常寛さんのポッドキャストを聞いていると自分もなにか喋りたくなってくる。ツイキャスか何かで喋って録音を残しておこうかなと思う。短歌をすこしずつ作っている。詩と短歌を貯めておく用のアカウントを作った。詩も書いていきたいのだが、詩を書くのにはかなりの気力と体力が必要なため、今は短歌をたまに作るにとどめる。それよりも燐一の原稿をしたい。が、書く前の書写の段階で力尽きて、本文を打鍵するに至らない。すぐ疲れる。すぐ寝ている。糖質の摂りすぎだと思う。太り過ぎ。全てこの結論に行き着く。でもうつになってないからまあいい。仕事も休んでいないし。
今日はカウンセリングが17時からの予約だったが、まったく起きられずキャンセルした。4月から新しい先生になり、まだ初回しかやっていないので、2回目の今日はぜひ行きたかったのだが、体がついてこず残念だった。英検も申し込んだのに、勉強していない。今からでも頑張ったほうがいい。でも読みたいのは本。書きたいのは燐一。時間と体力が足りない。夜眠ることができたらいいのだが、最近睡眠が不調で、だからこそ電池が切れると一日中寝てしまうのだと思う。1日7時間、中途覚醒があってもいいから寝たいのだが、結局中途覚醒した後眠れなくなり、一日4時間睡眠くらいで仕事に行くことになる。そういうことが続いた。睡眠が上手くいかないのは生まれつき、というか、明確に4歳の頃からだが、これは明らかに両親のせいであるため、全く意味がないが恨みが積もる。あ〜いやな幼少期と児童期と思春期だったな。以上。なぜ昔のことのせいで今も睡眠や神経伝達物質が不調だったりしなければいけないのか。なぜ子供とはかくも弱いのか。我がことながら残念すぎるし、惨めすぎるし、情けない。もっと強く生まれればよかった。親や兄を愛して傷つくだけの存在ではなく、やられたぶんやり返して殺してしまうくらいなら、こんなに苦しまなかったはずだ。怒りの感情がほとんど理解できない。怒りの前に来る悲しみが大きすぎて、いつも悲しみの段階でずっと泣き続けておおきな水溜まりのなかで座り込んでしまう。
とにかくよく寝すぎて、毎日何をやっているのかよく分からない。相変わらず本を買ったり本を読んだりはしているようだ。そしてよく食べている。あんスタを叩こうと思ったが、キャラクターを見ると前回のストーリーの杜撰さを思い出して悲しくなってしまい、叩けなかった。また時を置いて挑戦してみようと思う。音ゲーと着せ替えゲーが好きなので、ゲーム自体は好きなのだから、そのうちまた復帰しているだろう。冷蔵庫の中でそろそろ腐っているキャベツを捨てなければならない。自炊ができれば絶対痩せられる。それは経験から��かっている。しかしまったくその気力が出ない。どうしてしまったんだろう。仕事がそこまで疲れるのだろうか。体力をつければこの太ったからだでもそこまで直ぐには疲れないのだろうか。ウォーキングをして、自炊をすればいいのだと思う。問題は、それをする気力と体力がないことだ。
2024.5.16
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Mommy’s life part 2
めちゃくちゃ久々のブログ更新。
てか、一年ぶり。
年に一回更新w
バタバタしすぎて、
ブログの存在すら忘れてたっていう。
あっという間にクリスマスと年末だー。
今年は3月に無事ロンドンの大学院(心理学専攻)を卒業して、(やっとー!!!!!!!!)
そして、9月からアート心理士になる為の、訓練コースに通い始めました。
イギリスで心理士/サイコロジストになるのって非常に長く険しい道のりで、(国家資格と同等の位置付け。←知らなかった、てか知ってたら挑戦しなかったであろう。)
心理学の学位をとった後、卒後後最低3年、臨床訓練と心理学的研究が含まれた修士または博士号の訓練コースに入る。(←いまここ、一年目ね。)
これがまた精神的に非常にきつい。
大学院で学位を取るのは、課題の山をこなすのがガチで大変だったけど、訓練コースは、もっと実技的で、訓練生である私達も毎週カウンセリングに通い、自分の過去やトラウマと向かい合い、過去を受け入れ自分の中で浄化していかなければいけない。
これがまた精神的に非常にきつい。(しつこいw)
毎回、涙あり、吐き気あり、感情の整理が大変。
でも、確かに、自分の過去やトラウマとしっかり向き合って、自分の中で浄化することができなければ、自分以外の人の心の痛みや辛い経験を癒していく事は不可能だもんね。
それにしても、メンタル的にキツくて、円形脱毛症になってる今日この頃w 助けて。
↓髪が多いから見た目わからないのが唯一の救い。どうしたら早く治る?!
でもほんと日々痛みと共に学んで成長してる感満載。
また次回から、学んだ事に関して少しずつシェアしていけたらいーなと思ってるよ。
おかげさまで、息子も日々成長。
2歳になりましたー!イヤイヤ気真っ只中。
でも、バナナかミニカーあげたら治るから
全然可愛いもんです。(猿かw)
訓練と子育ての両立はまじ大変だけど、子供がいても、独身の頃以上に、自分のやりたい事や学びた事を学ぶことができる環境には感謝しないといけないなと、思ってる今日この頃。
保育園も週3回だけ通い始めたよー!全く物怖じも人見知りもしないから、初日から我が物顔で馴染んでたw
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ヴァネッサ・ガーボル:第5次元 | アルクトゥルス人 | チャネリング
オリジナル動画:https://youtu.be/iqP_o8IxLh0
公開日:2023年7月15日
【和訳】ALAE PHOENICIS (Telegram)
★★★
今回はVanessa Gabor さんによる、アルクトゥルスからのチャネリング内容を和訳してお届けします。
ヴァネッサさんは、ドイツで霊視を使ったカウンセリングをしている方です。
★★★
今日は、アルクトゥルスから「愛」というテーマを伝えて欲しい、ととても強く話しかけられました。
「そんなこと、もう自明なんじゃ?」と私は答えました���、彼らは「いいや、全く自明じゃないですよ」と返してきて、あなたが愛と繋がりやすくなり、愛を統合し、愛で生き、愛の中に存在し続けるにはどうしたら良いのか、説明したいというのです。
私の体験からしても、それは簡単ではありません。なぜかというと、皆さんは過去のことを思い起こしたり、未来はどうなるのだろう、新世界はどうやって変換され、構築されていくのか、などと考えてしまい、その時大抵は不安も感じているので、そのような質問を私もよく受けます。
アルクトゥルス人はそれを知っています。そして、彼らは地上に来ています。時々私は、彼らが人間としてここに来ていることを感じることがあります。彼らは非常に寡黙で柔らかい物腰をしており、目立たない人たちです。
これから私は彼らと繋がって、皆さんへのメッセージを届けたいと思います。そして、皆さんがこのメッセージを受け取るためにここへ来てくださったこと、そしてもしかするとこれを他へシェアしてくださることに感謝申し上げます。また、あなたがこの道を歩んでいることにも、感謝します。なぜかというと、そうでなければあなたがこのメッセージを聞いているはずがないからです。
……チャネリング
ご挨拶申し上げます。我々は人類の中にいるアルクトゥルスから来た者たちです。
人類の中で私たちは静かな存在ですが、非常に愛情深くもあります。内面は愛に溢れていて、愛を放ってもいます。
どうすれば、あなたはもっともっと、愛の中に居られるのでしょうか。それはあなた方がこれから脱しようとしている昔からの経験からくる思考と関係しています。その昔からの経験とは、無力感から来る恐怖に彩られており、あなた方はもう絶対に操られるのは嫌だと感じています。「愛」を掲げて操られるのも嫌なのです。
あなた方の最大の恐怖とは、愛を掲げて何かを要求されることで、操作されているという感覚になることです。あなたにそのような感覚があるか、確かめてみて下さい。
愛とは何を意味し、何が実は愛ではないのか、このことを沢山経験してきましたね。しかし、愛されたい一心で、子供だったあなたは操作に甘んじてきました。愛されたいがために、あなたは合わせてきました。愛されたくて、あなたは自分を否定してきました。そして、それはまだあなたの中に引っかかったままなのです。
愛とは、完全な自由のことです。愛は、あなたに何も強要することはありません。愛とは、単純にそこに存在している「状態」であり、あなたはその愛と繋がりたいと決断するのか、それとも繋がり方の手引を必要としているのか、それだけです。
これは、外からの評価とは関係のない、あなたの自己愛と、自己への価値評価がテーマだということです。
あなた自身の心の中へ入り込んで感じてみて下さい。今、あなたの中に含まれている、光も影も、その全ての面を合わせてあるがままの自分として愛せてますか?
受け入れる、ということが最初の一歩です。
感謝とは、あなたが自分自身をあるがまま受け入れるための、更なる一歩となります。
受け入れる、ということが愛なのです。
もう戦わなくても良くなった時、ただ今あるがままの自分で存在しているだけで良くなった時、あなたはどんどん愛の中へ入っていきます。
「そんなの難しい、私には出来ない」
自分自身をジャッジすることを辞めるのです。自分を貶めるのは辞めるのです。「お前なんか取るに足らない存在だ」と、誰があなたに言い聞かせたのかはどうでも良く、それは真実ではないことに気づいて下さい。
真実とは、あなたが源泉と繋がっていること、源泉からやってきたことです。その源泉が生命なのです。そしてその源泉はあなたをどこかへ行かせようとしているわけではなく、あなたという魂はいろんな体験がしたいので、あなたの生命は魂に向かって「私はこの人生で“愛であること”はどんな感じか体験したい」と語りかけます。
大事なのは、3次元世界から降りるのだ、ということをあなたが知っていることです。「欠如の感覚」から降りるのです。自己愛が、欠如の感覚を解消してくれます。
あなたはずっと穏やかになり、落ち着きを得ます。
自分のことを面白がって笑えるようになります。
この一歩は、新世界への一歩となります。
そして、この新世界は愛で出来ており、あなたの内側にある叡智で出来ている。新たな叡智が覚醒し、成長し、あなたはメッセージを受け取る波動を感じるようになり、何が正しくて何が間違っているのか直感的にわかるようになっていきます。あなたにとっての真実にしっくり来る感触、自分に合っている人たちの輪にしっくり来る感触を得られます。そうやって、あなたはもっともっと「愛」というもの、そして「愛と共に存在する」ということを信頼するようになっていけます。
「ただ単に愛するだけ、とはどうすれば良いのか」ということについて、疑問がありますか?
「愛する」とは、あなたが自分の周りで起こること全てに納得出来る、ということではないのです。愛とは、一歩下がって「他人はなぜ、あんなことをするのだろうか」と、その人をジャッジすることなく感じてみることなのです。愛とは、もう相手をジャッジをしなくなり、ただ証人になること。あなたの方は、相手の状況をジャッジすることなく、自分の内なる感覚をもって「自分自身にとってはこれは正しい」「自分自身にとってはこれは調和しない」を感じ取ること。
愛とは、目をそらし、無視することではないのです。
愛とは、全てを観察し、あなたは自分自身の焦点をどこへ合わせ、自分の感情をどこへ向けるのかを決めること。あなたの中に何が起こり、それをもって自分は何をするのか。
その世界で何かが起こることで、不快な気分になることもあるでしょう。自分の中に起こる怒りの感情もジャッジしないで、今顕れてきた怒りを受け取ります。あなたは人間であり、聖者ではないのだから、揺れたり腹が立ったりするものなのだ、と常に心得ておいて、状況を感じ取るのです。そして自分の中で怒りの感情を留めるのではなく、通り過ぎるようにして下さい。自分の感情に「イエス」と答え、息を吐きながら手放します。
これが、「愛」とたくさん関係してきます。「あるがままを受け入れる」ということ。「単純にそこに顕れてきたもの」に対してあなたはどうするのか?それに刺激されて、自分はどのような「愛」をもって新しいものをクリエイトするのか、試されています。それとも、昔からの何かが示されていて、「手放しなさい、それはもうあなたの役には立たない」と言われているのかも知れません。
我々アルクトゥルス人が、あなた方に神聖幾何学を渡したのは意味があります。あれら円形や三角形、四角形と向き合ってみて下さい。ピラミッドや八面体もです。これらの図形が、何の助けになっているのか感応してみて下さい。どんな意味があり、何につかえるのか。これらにはたくさん援助となるものが込められています。あなたの身体も、これらのいろんな図形から出来ているのですよ。そうして、あなたの魂が宿っている身体も、それ自体が存在なのです。ただ、あなたは自分の身体に、神聖になるための情報を与えることが出来ます。
あなたが禍に焦点を当てる程... どこかが痛い、あるべく機能を果たさなかったり、関節がきしんで前のように動けなくなったり、老化現象を嘆くとか... そうではなくて、歳をとることを愛するのです。あなたが身体に愛を送れば送るほど、老いはその重さを失い、「老い」という暗号は解けていきます。
そこに座って、「親愛なるアルクトゥルスの方、私の身体のこの部分を癒やす暗号となる数字がほしいのです」と言ってみて下さい。
数字というのは、エネルギーを上手に運んでくれます。
あなたの中を「愛」が通って流れるようにしてくれる補助は色々あります。
そして、ジャッジしたり、決めつけたりせず、「感じるもの」を単に感じてみる、ということをどんどんやってみて下さい。
知覚し、感じ、そしてそれをもってあなたが何をするのか、決める。
これが「愛」です。
「感じる」ことが「愛」です。
あなたの思考を「感じる」ことを学ぶのです。
「私の中に起きたこの思考は、何を引き起こすのか」。
「それは賢明な思考だろうか。これをもって新しい何かをクリエイトしたり、新し才能を磨き出すことが出来るのか」それとも「それは、自分の威力を愛することを抑制し、阻止し、怠らせようとする思考なのか」。
「愛」とは、自分の威力を浄化しなさいということでもあります。
そうした威力に、あなた方は恐れを抱いています。実は、あなた方は全力で「心」を起点にすると、ものすごい威力を発揮し、あなたが心の何処か隅っこに隠していた愛を展開して放射します。
今こそ、「恐れ」ではなく、「愛」が変化をもたらす時が来たのです。今こそ、「愛」が次なる一歩を示してくれる時が来たのです。そして、告知されていたように、既存の状況から脱するのが難しくても、それを楽にさせてくれるようとしています。
状況を変えていくには、それを楽に受け取ることで、変化に向けて適切な刺激が与えられます。
選択するのはいつもあなた。愛を選ぶ、明らかなもののか、選ばないのか。それもあなたの自由意志です。我々がここに来ているのは、この愛のフィールドを保持し、安定化させ、外側へ放射されるようにするためです。
そして、愛とは往々にして静かなので、だから、あなたは自分の心の中にある小さな愛の声に耳を澄ましてみて下さい。愛は大声で騒いだりしないし、戦うこともないのです。
愛は顕れくるもの。愛は示唆するもの。愛は澄んでいるもの。そして、愛は、その人の選択を尊重するもの。
もし、あなたの周囲で過った道を選んだ人がいたなら、その選択に敬意を持って下さい。彼はもう何周かまわって、もっと経験が必要なのです。ジャッジをしないで、「こうやって、こうした方がいい」などと��教などはしないこと。
もし相談されたら、あなたの経験を話して上げなさい。あなたがあなたの道程で、どうやって自分への愛へと進んでいったのか。あなたが自分に対してどんな努力をしたのか。その時あなたがその道を進む中、どんな経験をしたのか。
そして、他人が彼に与えたものから、彼が自分にとって良いと思うものを受け取っていくであろうことを信頼するのです。
愛とは、その人が行こうとしている道を、行かせてあげること。
歩み易くなる助けになるようなプレゼントしてあげるのもいいでしょう。
しかし、どの道を行くべきか、説得しようとする、これはもう愛ではありません。
愛とは「させてあげること」「あるがままで居させてあげること」「発展させてあげること」なのです。
あなたの場合でも、他人の場合でも。
すると、あなたはどんどん「愛のフィールド(エネルギー領域)」へと入っていきます。そこには、魔法があり、軽やかさがあり、喜びと感謝があり、人生への信頼がどんどん深まっていきます。
私の背後には、木があります。この木は遠慮なんかしていません。ただ、光に向かって伸びており、毎年より大きく強くなっていっています。
だから、太陽の光、愛の光を使って成長・拡張し、空間を浄化し、あなたの道が照らされていくようにしましょう。
我々は喜んで、あなた方を支援していきます。
アルクトゥルス人より
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2023.03.19 岡崎京子の退屈と、空虚で透明な穴
昨日は、川で弾き語りをしていたら、やってきた警察官に立ち退かされて名前や電話番号等を控えられた後、家に帰って眠ると、フライされたコオロギを食べて「意外と美味しいよ」と誰かに言う夢を見た。最近、人と話していて、「あなたはもっと自分が、どのようなときにどのような感情を抱いているかについて自覚的になった方がいい」ということを言われたので、半分カウンセリングを受けているような気分でとても楽しく、そして絶望的に会話をしていた。自分にとって一番楽しいことは、楽しくそして絶望的であること、絶望的でありそして楽しいこと。イヤホンからは大森靖子が「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさ iphoneのあかりをのこして」と歌う声が聞こえていて、いまもそれを本気で信じている。アンダーグラウンドという最果てと、今ここにある指先が結びつけられる。
RADWIMPISの「五月の蠅」を聴いたら、中学一年生の頃の夏のことを思い出した。大して興味もない部活の練習中に、練習をサボって校舎の裏みたいなところで誰かに「五月の蠅」を教えられて、それを聴いていた。「五月の蠅」を聴くと、あのギターのリフを聴くと、中学生の頃の炎天下のグラウンドが思い浮かぶ。数日前、京都市役所前ではデモが行われていた。村上龍の小説の中で猫が喋り始めた。映画、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『RRR』と、『REVOLUTION+1』を見たいな、給料日まで所持金はゼロだけど。マクドナルドではカップルが向かい合って座っている。大森靖子が「料理長の音楽は豚肉の焼ける音だった���で、「君の好きなことが君にしかできないことだよ」と歌うのをもう、1000回くらいは聴いている。
***
〈見るための眼、呼吸するための肺、飲みこむための口、話すための舌、考えるための脳、肛門、喉頭、頭、足を、もはや耐えがたいものと感ずることは、なぜそんなに悲惨で危険なことなのか。なぜ、さか立ちで歩き、骨のくぼみで歌い、皮膚で見、腹で呼吸しないのか〉(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー 上』、p310)
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人と話していて、急に現実感がなくなってしまうことがある。会話している自分と会話している相手を外側から眺めていて、その場面が切りとられているような感覚。そうなっても、もちろん自分は会話を続けている。これは現実なのか、現実じゃないのか、と考えながら会話を続けている、自分をずっとどこかから眺めている。こういうとき、急に「すみません、現実感がなくなってきました」。と言っていいのかな。でも、そういう内的な感覚って話し言葉にしてもどうしようもないような、そんな気がする。そんな気がする。自分の感情、自分の思っていることはやっぱりそれほど明確ではない。目の前に「綾鷹」のペットボトルがある、ということよりも、遥かに曖昧なものでしかない。「楽しい」と言葉にしてみれば少しそんな気もするし、「悲しい」と言葉にしてみればそんな気もする。
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Twitterという場にせよ日記という場にせよ、それを誰かに伝えたい、公開したい、という欲求が薄れている。というか、正確には、SNS的な、リアルタイムで何かを伝える行為への欲求が薄れているのだと思う。長いスパンで何かを伝えたい、という気持ちはずっとある。SNSでも日記でもなく、小説を書くべきなのかもしれない。何日か前に、ひとつ小説が書けたので、そうやって続けていきたい。しばらくは水の中に潜っていたい。そこには熱帯魚が三匹泳いでいる。
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今日はバイトの休憩中に、ずっと「吉本隆明の183講演」のテキスト版を読んでいた。インターネットで吉本隆明の講演が183本聴けるし、読めるというのはほんとうにありがたくて、いま自分にとっては一番価値のあるサイトかもしれない(サイトそのものは「ほぼ日刊イトイ新聞」)。
「文学の戦後と現在 ――三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで」で、吉本隆明は、村上春樹に対して、「対象の選択力が非常に強い」という表現をする。例に挙げているのは『風の歌を聴け』の、「ひと夏中かけて、ぼくとねずみが、まるで何かにとりつかれたように、25mプール一杯分ばかりのビールを飲み干し、ジェイズ・バーの床いっぱい5センチの厚さに、ピーナッツの��をまき散らした。」という文章で、このとき、大雑把に、そして強く対象が選択されている。
村上春樹以前の世代であれば(たとえば大江健三郎)、もっと緻密に描くはずのものを、村上春樹は大雑把に、しかし強い対象の選択力で描く。そして、この対象選択の強力さが、文学として、重たい出来事を「軽く」している。大江健三郎までの文学は明らかに「重い」のに対して、村上春樹は明らかに書かれ方が「軽い」。そして、対象の選択が強力であるということは、ある意味飛躍があるということで、その飛躍は、しかしある種のリズムによって繋がれていく。リアリズムからも、緻密な描写、からも遠い方法。
ここでふと、この「対象の選択力」の強力さ、そして書かれ方の「軽さ」というのはブコウスキーの『パルプ』を読んだ時にも感じたな、と思った。ブコウスキーも、現実を現実のまま写しとるというよりかは、明らかに大雑把に対象を選択して、ある種のリズムの中でそれを繋いでいた。もちろん、ブコウスキーに限らずポストモダンの小説にはそのような潮流があるのだろうけれど、ブコウスキーが自分にとってはなじみ深いから。
たとえば、プルーストの『失われた未来を求めて』を読めば分かることとして、そこでは内面の持続というか、心の中で感じたことすべてが緻密に描かれている。すべて、というのは誇張ではなくて、たぶん、内面のすべてを、見たものすべてを描写しようとしている。それがある種の「重さ」だとすれば、ポストモダン文学には、対象選択の強力さと「軽さ」がある。
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「カール, カッセゴール. 退屈さとの闘争、衝撃へのノスタルジー : W. ベンヤミンと村上龍をめぐって. 京都社会学年報 : KJS 2001」も読んでいた。「退屈」をキーワードとして、ベンヤミンと村上龍、岡崎京子が引用されている。うる星やつら、終わらない日常、核戦争、オウム。限りなく透明に近いブルー、衝撃を人工的に生産すること。退屈さとの戦いの退屈さ。世界の破滅、という反復不可能なイメージでさえ、それが反復されれば退屈になる。 思えば、岡崎京子の漫画にはどれも愛おしいほどの退屈な空気感みたいなものがあって、村上龍『限りなく透明に近いブルー』には、暴力と性が加速し続けた結果としての、過剰な刺激ゆえのどうしようもない慢性的な退屈がある。 岡崎京子の描くあの日常(あるいは非日常)の、性や死を描くときの、その楽観的と言ってもいいくらいのグルーヴ感の中に、ぽっかりとあいた穴のような空虚さを見てしまう。自分の中では『pink』と『チワワちゃん』。というか、岡崎京子がそれを書くときの視線は、透明なもの、その生活に空いた空虚な穴を見ている。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』もそうで、村上龍の視線は、過剰に飽和した性と暴力という非日常(が日常化したもの)の反復の、その後ろ側にある空虚な穴を見ている。
村上龍について言うと(自分の読んだ中だと)、『希望の国のエクソダス』『愛と幻想のファシズム』『半島を出よ』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ』は外へ外へと向かっていって、乾いた現実をただ描写している印象だけど、『限りなく透明に近いブルー』『共生虫』『MISSING 失われたもの』にはそうではない側面を感じる。ただ、『愛と幻想のファシズム』辺りの作品を読んでいたのは中学生の頃だから、記憶が曖昧で、『愛と幻想のファシズム』を借りた地元の図書館の静かな空気ばかりを思い出してしまう。そこにいたのはたいてい、小さな子供か、老人かのどちらかだった。
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最近、「意識レベルが低い状態」が幸せだと感じることが多い。睡眠薬で意識レベルが下げられている曖昧な状態が、一番幸せに近い。意識、が鋭敏な状態である限り幸福にはなれないな、と思う。意識レベルの低い曖昧な状態がずっと続いていて欲しい。だから、高校生の頃に読んだ『harmony/』で御冷ミァハが言っていたことの意味、そして意識が存在しない世界のその幸福さがとてもよく分かる。もちろん、そこに人間性は存在しないわけだけれど、人間性なんてはやく手放してしまえばいいのに、とほんとうに思う。でも、それに対して「人間性も必要かもしれない」と思う自分が存在してしまうから、そのコンフリクトと葛藤の中に意識が生じてしまうわけで、意識から逃れることができず、また、曖昧な状態を望むことしかできなくなる。
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「子どもとの時間を大切にしたい」ママのためのプログラミングスクール
「子供と過ごす時間を大切にしながら、将来の収入も安定させたい…」 そんな願いを叶える、ママ向けのプログラミングスクールをご紹介!✨ 経験豊富な講師のサポートで、無理なくスキルアップ! 無料カウンセリングで、プログラミング副業ができるように!
こんにちは、本田知香です。 「将来の収入不安」と「子どもとの時間を大切にしたい」気持ち、よく分かります。 30代後半で、小学生のお子様がいらっしゃるママさんなら、きっと共感できるのではないでしょうか? 私もかつては、同じような悩みを抱えていました。 でも、今は在宅でプログラミングの仕事をして、時間に余裕が生まれ、子供と過ごす時間も増えました。 「プログラミングなんて難しそう……」 「私にもできるのかな?」 そう思っていませんか? 実は、独学で挫折しかけた私も、プログラミングスクールのおかげで、今では自信を持って��事に取り組めるようになりました。 あなたも…
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まこ
「まこ」という名前の意味は漢字で書いて真っさらな子供です。
それは私が小説が書けなくなった時期に子供の代わりにと妻が授けた名前でした。この物語は、妻と私が寝入る前のわずかな時間に共に紡いでいったものです。書き出しは妻からでした。いささか長いお話しですので要約してお話しします。
「まこ」はこの物語の主人公です。出張中に大きなあんこうに攫われてしまった唯一の肉親である叔父さんを助けるために、彼女は海を冒険します。まこは幼い頃に両親や兄妹を洪水で失っており、頼れる肉親は叔父だけでした。まこは家族を奪った水が恐ろしく、海を見るだけでトラウマで身のすくむ思いでしたが幼馴染の妖精のシーに励まされて奮起し、彼女と手を取り大切な叔父��ためあんこうの影を追って出航します。まことシーはあんこうを追い諸島を���り、臆病な木彫りの牛のホリィや勇敢なおたまじゃくしのジェムといった仲間たちと出会い、冒険を通して友情を育み成長します。最初は恐怖だった海も、様々な出会いや美しい冒険を経験するにつれ、まこにとって愛すべきものへと変わっていきました。
すみません、まこの出自を思い出すとどうしてもいつも涙が止まらなくて…妻ですか?妻は度々癇癪を起こす私に疲れ果て手紙を置き出ていってしまいました。情けない話ですが、「いずれこうなる」と私は結婚をして、いや、婚約を結んだ幸せのピークと呼べる時期においても喜ぶ妻を後目に心の片隅でいつも考えていましたので、あまりショックではありませんでした。なんてことはない、私という人間は所詮平凡で酷薄な男なのだということを痛感します。せめてアップダイクのウサギのように走ることができたならば実存に張りが出て仕事くらいはうまくいきそうなものなのですが、かなしいことに私のこの脚は老いた酔っ払いの使い物にならない脚へと枯れていくばかりです。物語に戻りましょう。
まことその仲間たちは島を巡るうちにやがて、なぜ自分が冒険に出たのかを忘れてしまいます。それはなぜかと言うと、溌剌として勇猛果敢でかわいいまこに恋心を抱いた海の亡霊が、密かにまことシーとホリィとジェムに取り憑いて叔父に関する記憶を食べてしまっていたからです。亡霊は海の亡霊なので、まこが叔父を見つけて海から離れたまこの故郷に帰ってほしくなかったのです。亡霊は臆病で極度の寂しがり屋でした。そんな亡霊の思惑通りに、まこは叔父をすっかり忘れ、魅力的な海を愛し、やがて冒険の経験を活かして島を巡る航海士として貿易船に乗り、航海で生計を立て暮らし始めました。
まこが航海士として名を馳せるさなかあんこうの下でどれいとしてこき使われているまこの叔父は、ずたぼろになり疲れ果て病気をし、もはやあんこうにとって使い物にならなくなりました。用済みになった叔父はあんこうに生きたまま平らげられたのち、どろどろに消化され、糞として排出され海中の微生物に分解されて、未練の深いその魂は消え去ることができずにこの世に繋がれ、永遠にだれにも見つけられない暗い海底を亡霊として彷徨う定めを負いました。
海の亡霊はまこと一緒にいられて嬉しい反面、みんなの記憶を食べた罪悪感にひどく苦しみました。叔父はすでに死んでいるに違いありません。
亡霊はまこのことを強く愛しているにもかかわらず、ホリィやジェムやシーと同じようにまことお話しすることはできません。海に繋がれた亡霊がまこに取り憑くことができるのも、まこが海にいる時だけです。だからたまに船内の椅子を転かしたり、船で仮眠する��この夢枕に立って、亡霊はまこの気を引きます。
私は妻と籍を入れてから突如不能となりました。妻とセックスをしようとすると吐き気が込み上げ、どうしても勃起することができませんでした。私は幼少期に、親から性的虐待を受けていたのでそれによるPTSDだと精神科医に診断されました。妻と結婚する前はほどほどにセックスができたのですが、結婚して家族として構成員を増やすための営みとそれを意識した途端、事に及ぶ際に生理的な嫌悪感が身体中を駆け巡るようになり、とても勃起できるような状態ではありませんでした。それに伴いメンタルも崩れ、原稿もボツを連発し、そのうち執筆するのも億劫になりました。
両親は私の前でセックスをすることにより興奮するたちでした。両親はたびたび眠っている私を起こして目の前で情交にふけりました。むせかえる温気立ち込める部屋の暗闇からギロリと私を覗く四つ目のキマイラ、その怪物が放つ悍ましい慟哭。思い出すと悍ましくて吐き気が込み上げてきます。私にはそれが耐えられないのでそのことを忘れようと努めました。本当の私はいなくて、ここにいる私は別の私なのだと思うように努め、私は私を殺しました。その時から私は私の殻の外から私を見る私となりました。私が高校に進学したころ、母は私の弟を身籠りました。しかし高齢で身籠ったこともあり、その子は流産してしまいました。両親はそれから不仲となり離婚してしまいました。それから私は母の実家にひきとられました。その日からだったと思うのですがたびたび同じパターンの夢を見ます。それは弟が生きていて私と話す夢です。私が虐待されていたことの詳細を弟にうちあけ、弟が黙り込んで考え込むという内容です。夢に現れる弟の姿は様々でした。働き盛りの市役所の職員の時も有れば、白髪の老人の時もあり、小学生の姿で現れることもありました。夢の内容はワンパターンで、私と弟はいつも何もない白い部屋で椅子に座り膝を突き合わせ、ただただ黙り込んでいます。
私は精神科やカウンセリングに通うようになり、妻はそんな私を励ましとても気遣ってくれました。
当時のことを思い出すと、今でも感謝と申し訳ない気持ちが溢れ、涙が出そうになります。
そして妻が深く気を使ってくれているのにも関わらず、私の心はどんどん憎悪で満たされていきました。その憎悪は、仕事や生殖が上手くいかない事に対して際限なく湧き上がる行き場のないヘドロのようなもので、それは大層厄介なものでした。惨めさと言うのは一個の人格をたやすく破壊するものなのだと今にして思います。妻が「まこ」を産み出したのはちょうどこの頃でした。子供がいれば少し違ったのかもしれないねと私が話すとじゃあ作りましょうと妻がまこを産んでくれました。そんな妻の愛をも裏切り、私は今まで飲まなかった酒を1日中飲んでは心配する妻を罵倒し、時には手を上げることさえありました。私は妻を憎悪した。惨めな私を��容し優しい言葉をかけ続ける妻は哀れな私を見下しているのだと思い込んでいました。酒浸りの虚な頭で原稿に向かっては数行で投げ出し泣きながら当て所なく外を歩き回り、酒を飲んで帰宅して夜は靄が掛かった頭で妻と「まこ」を冒険させる。そんな日々がしばらく続きました。時間の感覚が麻痺し終わることのない夜のぬかるみの中を歩いているかのような、そんな心地がしました。私と妻は救いのないひんやりとしたまさに地獄と呼ぶべき世界に居ました。歩くたびに苦痛を伴い、何処へも進めない。最早手詰まりといった状態でした。そしてとうとう妻は、手紙と離婚届と指輪を置いて、実家へと帰って行きました。私は当然だと受け入れ離婚届に署名をしました。それから妻とのやり取りはずっと義両親を通して行っています。これは義両親の発案で妻はそれに合意したということでした。私は妻が出て行ってから一度も話していないので、実のところ彼女が生きているのか死んでいるのかもわからない状態なのです。私は妻が居なくなっても一人地獄の中で「まこ」の物語を書き続けました。
まこは貿易船で勤めたキャリアを活用して王国お抱えの冒険家へと出世しました。そして王の命により資源を求め航海し、続々と新しい島々を発見しました。まこの開いた航路は王国の輝かしい繁栄の礎となり、まこはまさに伝説の冒険家となりました。何もしなくても3回の人生を送れるほどの褒賞を与えられた晩年のまこは家族も作らず人目を避け、灯台守として隠居しながら、愛する海の側でこれまでの交友関係や冒険をまるでお気に入りの本を読み返すように何度も思い出し噛み締め、そして十分に満足しながら穏やかにこの世を去りました。最期まで叔父のことを思い出すことはなく、充実した生をまこは全うしたのです。そしてそれゆえにまこは亡霊になりませんでした。その魂は肉体を離れると忽ち風に散り散りに飛ばされていきました。まこの魂のかけらたちは、追い縋る海の亡霊が伸ばした手をすり抜け夕空の遥か彼方へと消えて行きました。煌めきだけを僅かに空に残して…そしてその煌めきは滲んで亡霊の瞳から溢れ落ちました。
ホリィやジェムやシーもすでに死んでしまっていて、亡霊だけがただ1人取り残されてしまいました。老いることができず、記憶の忘却という機能を持たない不死の呪われた亡霊は、永遠にまこへの恋心を忘れることができません。あのときもし、まこの記憶を食べずかつ叔父を助けることも失敗して、まこに悔いが残ればまこも死後亡霊になり、亡霊どうし触れ合いお話しをして一緒に過ごせる可能性があったのではないか。
そんな想像が、不幸になったまこすら願ってしまう自分の存在が、亡霊をたまらなく苦しませます。しかしそんな亡霊の深くて巨大な苦しみは誰にも届きません。
氷に触れても冷たくなく、火に飛び込んでも熱くない。そんな亡霊のなかに、まこへの恋や後悔や自己嫌悪をはじめとした様々な苦しみが溶けて混ざり合いヘドロのようなどろどろになり、どろどろはさらに新たな苦痛を取り込んで際限なく膨らんでいきます。
ひとりぼっちの海の亡霊の苦しみを誰が知ることができるだろう。理解されることのないその苦しみは発散されることなく、海の上で永遠に膨らみ続けます。それは風が吹くと波が立つくらい当然のことでした。
亡霊の苦しみは消して浄化されません。ところでもう一杯如何ですか。
俺は胡乱な廃人に進められるがままジャックダニエルをグラスに注いで���らう。ボトルを持つ廃人のしわくちゃで乾燥した手はぶるぶる震え、ジャックダニエルがグラスから溢れる。
今日たまたま横の席になり知り合ったばかりなのに、自分語りしすぎているこのよれよれの廃人のことが俺は怖かった。
その気持ちをはぐらかすようにぐいとロックを流し込み窓の外を眺めた。まだ日は沈み切っておらず、うつむいて駅に向かって歩くサラリーマンたちは皆、大体がすでに退勤してるであろうになんだかせわしない風だ。
酔いが回ってきたところでちょっと強気になってきた。そして俺はこの店から出るタイミングを測り始めた。逡巡しているうちに手元の空のグラスにジャックダニエルがまた注がれていく。
俺はそれを一気に飲み干してすぐ会計を済まし、席を立って廃人に礼も言わず速足で店を出た。
話されたことを全て忘れたかった。振り返ると窓の磨りガラス越しに、あの廃人が見える。
廃人のぼやけたシルエットはこの世に滲んでこびりついた「しみ」のようで、まさに亡霊だった。
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ウクライナ 子どもの心癒やす“リハビリキャンプ” 親と死別 遊びや語りを通じ「また人生を楽しめるように」
ロシアによるウクライナ侵攻は開始から2年半が経過し、民間人の死者は国連機関が確認しただけで1万1520人(2024年8月発表)、ウクライナ軍の戦死者は今年2月にゼレンスキー大統領が3万1000人にのぼると発言している。こうした中で、親を失った子どもの心のケアを行うキャンプ「Gen.Camp」が民間団体により継続的に開催されている。21日間の期間中、カウンセリングや様々な遊びを通して心の傷を癒やし、「子供らしさ」を取り戻すことを目指している。 続きを読む
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以前本多孝好さんの作品「アフター・サイレンス」の新刊で装丁写真を提供させていただきましたが、この度氏の作品が文庫化してそのまま引き続き写真をつかっていただきました。内容の被害/加害の問題は近年になって(現実においては)ようやくフォーカスされてきた気もします。重めの題材で、ルポとかではないミステリーだからこそ考えたり接したりできることあるなとおもったりしました。一気読みな本でした。 ================= アフター・サイレンス 著者:本多 孝好 出版社 集英社 定価:1,870円(10%税込) 内容紹介 高階唯子(たかしな・ゆいこ)は警察から依頼され、事件被害者やその家族のカウンセリングを行っている。 彼女は様々な傷を抱えたクライエントと向かい合う。 夫を殺されたのに自分こそ罰を受けるべきだという妻。 誘拐犯をかばい嘘の証言をする少女。 心の傷から快復したはずなのに、姉を殺した加害者に復讐した少年…… 多くを語らないクライエントが抱える痛みと謎を解決するため、唯子は奔走する。 絶望の淵で、人は誰を想い、何を願うのか。そして長い沈黙の後に訪れる、小さいけれど確かな希望――。 80万部突破「MOMENT」シリーズ、ドラマ化で話題となった『dele』の著者が贈る、深く胸に響く物語。 プロフィール 本多 孝好 (ほんだ・たかよし) 1971年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。94年「眠りの海」で第16回小説推理新人賞受賞。99年、受賞作を収録した短篇集『MISSING』で単行本デビューし、高い評価を得る。著書に『MOMENT』『WILL』『MEMORY』『正義のミカタ』『チェーン・ポイズン』『魔術師の視線』『君の隣に』、映画化された『真夜中の五分前』『at Home』『ストレイヤーズ・クロニクル ACT-1~3』などがある。 #装丁写真
編集済み · 4分前
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人の心理
人は危機感を感じるとどのような心理が働くのかな。ほとんどの方がこのような場面の機会は経験があるはずです。 自分の立場やこれまでの知識、価値観などが覆られたり、共感してもらえないことによって、相手に対し、不信感を持ち、相手の考えや価値観を侵害したりすることがあります。 誰でも、否定をされることには慣れていませんですし、受け入れる体制も困難である時もあります。 自分の考えを正当化してしまうように相手の方も同じでしょう。 攻撃してしまうまでに、お互い侵害しないように話を進行してみることに気付くとトラブルは避けられそうですね。 誰でも、懸命に仕事やプライベートの時間を過ごしている時代ではないかと思います。 自分を守ることで相手にも配慮して交流をすることができたりするものです。 午後からも、穏やかな時間をお過ごし下さいませ。 くれたけ心理相談室では、各種イベントを開催しております。 オンラインでの…
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#うつチェック#うつ検査#カウンセリング効果#グレーゾーン相談#グレーチェック#人間関係の悩み#名古屋カップルカウンセリング#女性更年期チェック#常滑市メンタル#心理#心理検査#東海市相談#痛みの辛さ#発達障害チェック#知多市子供の発達相談#知多市相談#長久手市夫婦離婚相談
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日本の芸能界の大物が長年にわたり性的虐待を続けていた問題で、被害者への補償業務を担うことになった人物は、このスキャンダルは当初思われていたよりさらに根深いものだと話した。 ジャニーズ事務所の解体後、故ジャニー喜多川氏に虐待された被害者への補償業務に専念するため、昨年秋に社名を変えて「SMILE-UP.」が設立された。その代表取締役社長、東山紀之氏はBBCの取材に対して、ほかに2人のジャニーズ事務所スタッフが少年タレントを性的に加害していたと聞いていると明らかにした。 この人物たちは現在も存命だと認識しているとも、東山氏は話した。 BBCによる2023年の調査報道以来、960人以上が喜多川氏による性的虐待を生き延びたサバイバーとして、名乗り出ている。 BBCによる単独インタビューで東山社長は、社内調査の結果、喜多川氏のほかにも2人の事務所スタッフがタレントを性的に虐待していたと認め、「僕がいま聞いているのは、2人と聞いています」と答えた。 しかしこれについて、BBCが今年2月にインタビューした時点では、SMILE-UP.は情報を警察に提供していないとも、東山氏は述べた。 Play video, "【単独取材】ジャニーズ解体のその後……SMILE-UP. 東山社長、BBCの多数の質問に答える", 所要時間 35,26 35:26 動画説明,【単独取材】ジャニーズ解体のその後……SMILE-UP. 東山社長、BBCの多数の質問に答える 「法的なことを考えると、僕らには権限がないと思いますので。その当事者の人たちがそれに対して刑事告訴をしたら、僕らとしては全面的に協力するということになるとは思います」と、東山氏はBBCに話した。 事務所スタッフ2人による性的虐待のサバイバーたちが刑事事件としての立件を希望するか、SMILE-UP.は本人たちに尋ねているのかBBCが質問したところ、「どなたなのか理解していない」と、東山氏は答えた。 Play video, "「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」(抜粋) 昨年の番組続編をBBCが放送", 所要時間 5,43 05:43 動画説明,「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」(抜粋) 昨年の番組続編をBBCが放送へ ジャニーズ事務所を立ち上げ、日本の少年アイドル全盛期を作り上げた喜多川氏は2019年に死去した。そして当時は、日本の大衆文化への貢献を大いにたたえられた。 しかしBBCのドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」が昨年3月に放送されたのをきっかけに、同事務所が設置した「外部専門家による再発��止特別チーム」は調査の末、喜多川氏が60年にわたるキャリアにおいて数百人の少年や青年を虐待したと結論づけた。 これを受けてジャニーズ事務所は昨年10月、事務所の「解体」を発表。被害者への補償を担当する会社は社名を「SMILE-UP.」とするとした。さらに昨年12月には、タレントのマネージメントなどを行う新会社は、社名「STARTO ENTERTAINMENT」になると明らかにした。 SMILE-UP.は、補償手続きを取り仕切るため、元裁判官の弁護士3人で構成する「被害者救済委員会」を設置した。 ジャニーズ事務所と喜多川氏 東山氏はSMILE-UP.の社長に就任した。その東山氏についても、いじめや性的加害の疑惑が出ているが、東山氏はこれを否定している。 SMILE-UP.は、補償請求の手続きが不透明だと批判されている。そのほか、喜多川氏による加害のサバイバーとのやりとりが、後���後手に回って遅すぎるとも批判されている。サバイバーたちは補償手続きの仕組みが、明確な期限の定めがない、行き当たりばったりの仕組みに思えると話す。 BBCの取材に応じた元ジャニーズJr.の二本樹顕理氏 画像説明,BBCの取材に応じた元ジャニーズJr.の二本樹顕理氏 二本樹顕理氏は元ジャニーズJr.だ。スターを夢見て13歳の時、Jr.になった。 そして二本樹氏は昨年、喜多川氏に関する報道を知り、自分が受けた虐待の経験を公表した。二本樹氏は今回、「まだ隠されている問題があると思う」とBBCに話した。 二本樹氏をはじめとする大勢にとって、正義はまだほとんど実現されていない。喜多川氏による虐待のサバイバーたちを代表する弁護士は、SMILE-UP.の補償手続きを「まるでブラックボックスのようだ」と話す。 そしてSMILE-UP.が自ら、サバイバーたちの証言を疑問視している。会社設立から間もなく、同社は自社サイトで、「弊社は現在、被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており」と書いた。 虐待の経験を公表したサバイバーの中には、オンラインで大勢から非難され、いやがらせを繰り返された人たちもいる。 匿名を希望する女性は、自分の夫が喜多川氏から虐待されたと公表したため、殺害予告や誹謗(ひぼう)中傷の対象になったとBBCに話した。 「夫はすべてを明らかにしたかった。子供たちの未来が、同じような形で傷つけられるのは、いやだと思っていた」 この男性が名乗り出て被害を公表すると、その個人情報がオンラインにさらされる羽目になった。 やがてこの男性は妻にテキストを送った。自分は山に来たのだと。そしてこの人は、そこで自分の命を絶った。 「もう警察が3人ほど来ていて、登山の人が見つけてくれてて、『病院に連れていって下さい』って言ったけれども、もう遅かったようです」 東山氏は、このことについて承知していると話した。 「言論の自由もあると思うんですね。(中略)僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもありません。できることなら、本当にオンラインの誹謗中傷をなくしたい」 東山氏は、被害を申告した200人近くと、すでに面会して話をしたという。 「それによって少しでも心がいやされれば、それが僕の役割なのかなと思います」と、東山氏は説明した。 東山氏は、自分は性的虐待のサバイバーを支援するための、カウンセリングの正式な訓練は受けていないし、経験もないと認めた。 SMILE-UP.は、被害を申告する人たちに専門家によるカウンセリングを提供し、その費用を負担している。 「それは無期限にやろうと思っています」と、東山氏は述べた。 東山社長はアザー記者の数々の質問に答えた 画像説明,アザー記者は東山社長にサバイバーへの補償やオンラインでの誹謗中傷など、多岐にわたる質問をした BBCの昨年の報道を受けて、日本の大衆文化における喜多川氏の評価は国民の意識の中で、大きく変わった。 岸田文雄首相に対しては、性的虐待にかかわる法制を改革するよう、圧力が高まっている。 日本では昨年6月、性交同意年齢を引き上げる刑法改正案が成立した。2019年に、性犯罪で起訴された被告人に対する裁判所の無罪判決が相次ぎ、世間で怒りの声が噴出したことが、その原動力となった。 さらに昨年、喜多川氏の行動についての報道があり、国民的な議論が続いた結果、自分が受けた被害について多くの男性が公に語るようになった。 それでも虐待サバイバーの中には、自分が体験を証言したにもかかわらず、正義は依然としてなかなか実現されないと考える人もいる。 二本樹氏は、虐待サバイバーが区切りを得るための支援が必要だと考えている。そして、ジャニーズ事務所の後継会社SMILE-Up.は、まだこれを実現できていないと。 「責任をとってもらいたい。日本の戦後で、最大の性暴力事件だと思う。一時的な問題だったかのように、このまま薄れていくことなど、あってはならない。これは、日本の歴史の一部として刻み付けることが大事だ」 (英語記事 Two more abusers at J-pop predator's company)
ジャニーズ解体のその後……ほかにスタッフ2人がタレントに性的加害 - BBCニュース
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【無料/登録不要エクセルテンプレート】自分史(1年ごと)のエクセルテンプレートの作り方
「これまでの人生を振り返り、将来の目標を明確にしたい」と感じたことはありませんか?あるいは、就職活動やキャリアプランの作成に向けて、自分の歩んできた道のりを整理したいと考えている方も多いでしょう。そんなときに役立つのが、自分史エクセルテンプレートです。この記事では、自分史を手軽に作成できるエクセルテンプレートを無料で提供し、具体的な作り方や活用方法をご紹介します。過去の自分を振り返ることで、自己分析が進み、未来への一歩を確実に踏み出すことができるでしょう。自分史作成のプロセスは、単なる回顧ではなく、今後の人生をより豊かにするための第一歩です。では、さっそく自分史エクセルテンプレートを活用して、あなたのストーリーを紡いでみましょう。
自分史エクセルテンプレートとは?
自分史エクセルテンプレートとは、過去の出来事や経験を整理し、一つの表やグラフとして可視化するためのツールです。これにより、自分の成長過程や重要な出来事を振り返りながら、自己分析が深まります。特に就職活動やキャリアデザインにおいて、自分史は自己PRや目標設定の際に役立ちます。また、高齢者の方々が人生を振り返るためのツールとしても活用されています。Excelの操作に慣れていない方でも簡単に使えるように設計されており、テンプレートを利用することで手軽に自分史を作成できます。
以下のGoogleトレンドで実際に計測したグラフを見ると、「自分史」を多くの人が探していることが確認できます。https://trends.google.com/trends/embed/explore/TIMESERIES?req=%7B%22comparisonItem%22%3A%5B%7B%22keyword%22%3A%22%E8%87%AA%E5%88%86%E5%8F%B2%22%2C%22geo%22%3A%22JP%22%2C%22time%22%3A%222004-01-01%202024-09-01%22%7D%5D%2C%22category%22%3A0%2C%22property%22%3A%22%22%7D&tz=-540&eq=date%3Dall%26geo%3DJP%26q%3D%25E8%2587%25AA%25E5%2588%2586%25E5%258F%25B2%26hl%3Dja
自分史エクセルテンプレートの作り方
自分史エクセルテンプレートを作成するためには、まずテンプレートをダウンロードし、自分の経歴や経験を順に入力していきます。以下に、具体的なステップを紹介します。
1. テンプレートの準備 まずは、記事内で紹介している自分史エクセルテンプレートをダウンロードしてください。このテンプレートは、シンプルで使いやすい設計となっており、必要な項目があらかじめ設定されています。
2. 基本情報の入力 テンプレートを開いたら、まずは基本情報を入力しましょう。名前、生年月日、職歴、学歴など、あなたの人生における重要な情報を記載します。この情報は、自分史をより詳細に振り返るための基盤となります。
3. 年表の作成 次に、自分の人生における重要な出来事を年表形式で整理します。テンプレートには、年ごとの出来事を記入できるシートが用意されていますので、それに従って入力してください。例えば、卒業、就職、転職、結婚などの節目を記載することで、全体の流れが把握しやすくなります。
4. グラフやチャートの作成 入力したデータを基に、グラフやチャートを作成してみましょう。Excelの機能を活用することで、自分史をビジュアル化することができます。たとえば、年齢ごとの達成度やキャリアの推移をグラフ化することで、視覚的に理解しやすくなります。
5. 記事や写真の挿入 より詳細に自分史を表現するために、当時の写真や関連する記事を挿入してみましょう。これにより、単なる数字や文字だけでなく、感情や思い出も同時に振り返ることができます。
6. ファイルの保存と活用 最後に、作成した自分史エクセルファイルを保存し、必要に応じてプリントアウトしたり、デジタルデータとして保管しておきましょう。作成した自分史は、将来の計画を立てる際や、家族との思い出を共有する際に活用できます。
自分史エクセルテンプレートの必須項目
自分史エクセルテンプレートを作成する際に、欠かせない項目について解説します。以下の項目を網羅することで、より充実した自分史を作成することが可能です。
基本情報 この項目には、あなたの名前、生年月日、連絡先などの基本的な情報を記載します。これらの情報は、自分史全体の背景を理解するための基本データとなります。
学歴 学歴は、あなたの教育の歴史を示す重要な要素です。卒業した学校、取得した学位、学んだ専攻などを詳細に記載することで、学びの過程を振り返ることができます。
職歴 職歴は、これまでのキャリアの軌跡を示します。勤務先、役職、担当した業務、達成した成果などを具体的に記載し、どのように成長してきたかを確認しましょう。
重要な出来事 あなたの人生における重要な出来事(例えば、結婚、出産、大きなプロジェクトの成功など)を記録します。これにより、人生のターニングポイントや大きな転機を明確にすることができます。
スキルと資格 取得した資格や習得したスキルも重要な要素です。これにより、自己分析が深まり、今後のキャリア形成にも役立ちます。
目標とビジョン 今後の目標やビジョンを明確にすることで、自分史を未来志向のものにすることができます。過去を振り返りながら、未来への計画を具体化しましょう。
フィードバック 最後に、これまでの人生に対するフィードバックを記載します。成功したこと、改善すべき点、学んだ教訓などをまとめることで、今後の行動指針が明確になります。
次に、「自分史エクセルテンプレートの例文5選」のセクションを作成します。
自分史エクセルテンプレートの記入例・例文
自分史エクセルテンプレートを最大限に活用するためには、どのように記入するかが重要です。ここでは、さまざまな職種や業界で働く人、高齢者などの具体的な記入例と例文を5つご紹介します。これらの例文を参考に、あなたの自分史を作成してみてください。
自分史の記入例①: 若手マーケティング担当者(24歳から34歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢24歳25歳26歳27歳28歳29歳30歳31歳32歳33歳34歳健康ジム通い開始運動習慣化食生活の見直し睡眠改善トライアスロン参加定期的な健康診断ヨガを開始メンタルケア強化ストレッチ習慣化リラクゼーション技術導入定期的なカウンセリング人間関係家族旅行社会人サークル参加結婚子ども誕生友人と共同イベント家族イベント定期開催新しい友人との交流親友との情報交換強化新しい家族との関係地域イベント参加家族との関係強化仕事・キャリアマーケティング部配属プロジェクトリーダー昇進新規事業プロジェクト参加マネージャー昇進大規模キャンペーン成功部署全体の管理マネジメント研修受講新規市場の開拓海外プロジェクト参画経営戦略策定担当事業部長昇進財務・お金副業開始初任給アップ投資デビュー昇給家計管理改善資産運用計画開始投資ポートフォリオ構築教育資金の積立開始不動産投資開始資産形成の見直し資産管理の最適化住居と生活環境賃貸アパート住環境改善引っ越しマイホーム購入計画マイホーム購入住居リフォーム新しいインテリア購入家庭の快適さ追求新しい車を購入環境に優しい生活開始住環境の最適化個人の成長・自己実現語学学習再開趣味活動強化自己啓発セミナー参加MBAプログラム検討MBAプログラム入学家族との学びを楽しむ自己啓発活動継続新しい趣味の発掘家族での旅行計画趣味活動の深化夢の実現に向けた挑戦社会的貢献・コミュニティ活動地域清掃活動参加ボランティア活動開始環境保護活動参加子ども向け教育支援コミュニティリーダー活動地域貢献活動継続自治会リーダー就任学校運営委員会参加教育環境向上のための活動社会的責任活動の推進ボランティア活動拡大目標30歳までに独立独立に向けたスキル習得キャリアアップの実現起業計画の策定35歳までに独立準備整う家族とキャリアのバランス確立自営業の開始準備事業の拡大計画事業成功に向けた新たな挑戦次の目標設定長期的なビジョン策定
自分史の記入例②: ITエンジニア(25歳から35歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢25歳26歳27歳28歳29歳30歳31歳32歳33歳34歳35歳健康定期的な運動開始食生活改善睡眠の質向上メンタルヘルスケアトライアスロン挑戦定期的な健康診断ヨガの習慣化メンタルケア継続体力トレーニング栄養管理強化健康維持のための新習慣人間関係友人との定期的な交流同僚とのネットワーク構築結婚計画家族との関係深化子ども誕生家族イベント定期開催新しい友人の紹介コミュニティ活動参加家族旅行計画家族との時間重視地域活動への参加仕事・キャリア新規プロジェクト参加技術スキルの向上フルスタックエンジニアへ転向海外勤務の準備海外勤務開始新技術の習得新しいプロジェクトリーダー就任CTO補佐に昇進技術部門の責任者起業計画開始CTOに昇進財務・お金副業開始投資デビュー収入増加家計見直し貯蓄の増加投資ポートフォリオ拡充家計管理改善教育資金積立開始資産運用計画策定資産管理見直し長期的資産運用の確立住居と生活環境賃貸マンション住居住環境改善マイホーム購入計画住宅ローン契約マイホーム購入住宅リフォーム計画家庭の快適さ追求住居のリノベーション新しいインテリアの導入自宅オフィス構築住居の最終調整個人の成長・自己実現語学学習再開プログラミングスキル向上MBAプログラム検討趣味活動強化新しい趣味の発見海外旅行計画自己啓発活動の継続新しいチャレンジ趣味活動の深化人生の目標再設定起業に向けたスキル習得社会的貢献・コミュニティ活動オープンソースプロジェクト参加地域のIT教育支援ボランティア活動開始地域社会への貢献コミュニティイベントの企画技術セミナーの講師就任地域社会のリーダー活動ITコミュニティの構築教育支援活動の拡大社会的責任活動の推進技術支援ボランティアの拡充目標30歳までにCTO就任海外勤務成功起業計画の確立海外勤務経験の活用起業準備の完了成功する事業の創出事業の拡大計画事業の安定化新規市場の開拓社会貢献を目指す次の挑戦に向けた計画策定
自分史の記入例③: 教育業界で働く小学校教員(30歳から40歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢30歳31歳32歳33歳34歳35歳36歳37歳38歳39歳40歳健康健康診断を定期化運動習慣の確立食生活の見直しストレス管理の強化メンタルケアの習慣化運動習慣の継続健康食品の摂取開始ヨガ教室に通う栄養バランスの改善定期的なメンタルケア健康維持のための新習慣人間関係家族との時間を大切に同僚との交流増加新しい友人との出会い家族旅行の計画親戚との交流頻度増加家族イベントの開催同窓会の企画コミュニティ活動参加家族との関係深化地域活動参加家族の絆を強化仕事・キャリア新しい教育プログラム導入教育研究の開始生徒の成績向上計画教育方法の改善新規カリキュラムの開発教材の執筆開始教員研修の企画教育コンテンツの開発学校のイベント企画新しい教育プロジェクト教育部門の責任者就任財務・お金教育ローンの見直し貯蓄の計画開始収入増加投資計画の策定不動産投資の開始資産運用計画開始教育資金の積立開始家計の見直し子どもの教育資金計画資産管理の見直し長期的な資産運用計画住居と生活環境マイホームのリフォーム計画新しい家具の購入住居のリノベーション新しい生活環境の確立マイホーム購入住居リフォーム完了家庭の快適さ追求住環境の最適化新しい車の購入自宅のインテリア改善住環境の見直し個人の成長・自己実現教育関連の資格取得教育セミナー参加新しい趣味の発見趣味活動の深化ガーデニングの開始家庭菜園の拡大海外旅行の計画自己啓発活動の継続新しい趣味の発掘教育研究の深化新しい挑戦に取り組む社会的貢献・コミュニティ活動地域の教育活動に参加コミュニティリーダー就任教育支援活動の開始地域活動の企画コミュニティイベントの開催教育セミナーの講師地域教育活動の推進教育支援ボランティア参加学校運営委員会参加社会的責任活動の推進地域教育活動の深化目標生徒の成績向上計画教材の執筆開始教育方法の改善教育プロジェクトの成功新しい教育カリキュラムの開発教材の出版教員研修の成功教育コンテンツの開発新しい教育プロジェクトの実現教育部門統括校長先生就任
自分史の記入例④: 高齢者(65歳から75歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢65歳66歳67歳68歳69歳70歳71歳72歳73歳74歳75歳健康定期的な健康診断を受ける散歩を日課にする食事を見直し、バランスの取れた食生活を心掛ける軽い運動を開始ヨガやストレッチを習慣化定期的なメンタルケアを導入ヘルスケアサポートを利用健康食品を取り入れる血圧管理を徹底する骨密度の検査を受ける体力維持のための新習慣を取り入れる人間関係家族との時間を大切に孫との交流を増やす地域のサークルに参加旧友と定期的に会う近所付き合いを深める地域イベントに参加家族旅行を計画孫との関係をさらに強化同世代の友人と旅行を計画孫の成長を見守る新しい友人関係を築く仕事・キャリア退職後の生活を楽しむ定年後のセカンドキャリアを模索ボランティア活動を開始地域の役職に就任教育支援活動に参加経験を活かして講演活動を開始趣味を仕事にするシニア向けの講座を開設地域社会のコンサルタントとして活動書籍を執筆する退職後のライフワークに専念財務・お金年金の受給開始資産運用の見直し定期的に家計を見直す老後資金の再確認医療保険の見直し余剰資金を使って旅行を楽しむ生活費の見直し節約生活を意識する家族への資産承継計画を立てる家の修繕費用を計画財務計画の最終調整を行う住居と生活環境自宅のリフォームを計画家の断捨離を行う移住を検討する住み替えを実行バリアフリー化を進める生活環境の改善を図る快適な住環境を維持環境に配慮した生活を開始移住先での新生活を楽しむ住まいのリフォームを完了終の棲家を見直す個人の成長・自己実現生涯学習を開始新しい趣味に挑戦地域の文化活動に参加書道や絵画に没頭ガーデニングを楽しむ自己啓発に努める新しい学びを追求趣味の深化を図る地域の歴史を学ぶ文化活動を支援する新たな挑戦に取り組む社会的貢献・コミュニティ活動地域のボランティア活動に参加コミュニティ活動に貢献シニア向けの支援活動を展開地域のリーダーとして活躍教育支援に取り組む地域イベントを企画地域社会の発展に貢献コミュニティリーダーを務める教育支援活動を拡大地域社会での役割を強化コミュニティの発展に尽力目標健康で自立した生活を維持家族との時間を大切に地域社会への貢献を拡大新しい趣味を見つける自己成長を続ける社会的責任を果たす孫との絆を深めるセカンドキャリアを充実させる文化活動を通じて自己実現を図る地域社会でのリーダーシップを発揮自己実現を達成し、充実した生活を送る
自分史の記入例⑤: ママ(30歳から40歳)
西暦2024年2025年2026年2027年2028年2029年2030年2031年2032年2033年2034年年齢30歳31歳32歳33歳34歳35歳36歳37歳38歳39歳40歳健康妊娠に備えた健康管理妊娠中の定期健診出産後の体力回復子育てに伴う健康維持ストレス管理の強化子どもと一緒に運動栄養バランスを考えた食事作り家族全員の健康管理を徹底自分時間を確保しリフレッシュ定期的な健康診断ヘルスケア習慣を見直す人間関係子育て仲間との交流ママ友とのネットワーク拡大家族との時間を大切に子どもの幼稚園ママ友との交流夫婦のコミュニケーション強化実家との関係を深める子どもとの信頼関係を築く親子イベントに積極的に参加地域の子育てサークルに参加家族旅行を計画家族の絆をさらに強める仕事・キャリア仕事と子育ての両立を模索育児休暇を取得パートタイムで職場復帰家事と仕事のバランスを模索フルタイムでの職場復帰を検討スキルアップのための研修参加在宅ワークにチャレンジ子育てと仕事の両立を実現キャリアアップを目指す働くママとしての成功を確立新たなキャリアに��戦財務・お金子どもの教育費の計画家計を見直し貯蓄を増やす生活費の見直し子どもの習い事に投資将来のための貯蓄計画を立てる教育資金の積立を開始家計管理を徹底家族旅行の予算を確保家計簿をつけて無駄を省く住宅ローンの返済計画を再確認老後資金の積立を開始住居と生活環境子ども部屋の模様替え家族が過ごしやすいリビングのレイアウト変更子どもの成長に合わせた家具選びキッチンの収納を改善バリアフリー化を検討家全体のリフォームを計画省エネ家電を導入生活動線を見直して家事効率を上げる庭の整備を行う家族全員が快適に過ごせる空間作り住環境の最適化を追求個人の成長・自己実現子どもと一緒に学ぶ楽しみを見つける自己啓発書を読む時間を確保趣味を見つけてリフレッシュ家族と一緒に楽しめる趣味を始める新しいスキルを習得子どもの教育に役立つ資格取得を目指す家族のために料理スキルを向上読書の習慣を取り戻す習い事にチャレンジ新しい学びを追求夢だった趣味を始める社会的貢献・コミュニティ活動地域の子育て支援活動に参加PTA活動に積極的に参加ママ友と一緒に地域イベントを企画子どもの学校行事に積極的に参加地域ボランティアに参加環境保護活動に取り組む子どもと一緒にボランティア活動地域の祭りに参加コミュニティ活動を推進地域社会に貢献するための活動を増やす地域のリーダーとして活躍目標子どもと一緒に成長することを目指す家族全員が健康で幸せに過ごせること仕事と家庭のバランスを保つ自分自身の成長と家族の幸せを両立夢だった趣味を始める家族のために安定した生活を築く子どもが健やかに育つ環境を整えるキャリアと家庭を両立させる家族との絆をさらに深める家族全員が安心して過ごせる環境を作る家族とともに新たな挑戦を続ける
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テンプレートの特徴
使いやすいインターフェース: 初心者でも簡単に入力できる設計。
カスタマイズ可能: 自分の好みに合わせて項目を追加したり、レイアウトを変更できます。
ビジュアル化: グラフやチャートで視覚的に人生の歩みを把握できます。
テンプレートの使い方
Excelテンプレートを使用することで、これまでの人生の歩みを整理し、今後の計画を立てるための強力なツールが手に入ります。ぜひ、このテンプレートを活用して、あなた自身のストーリーを記録し、将来へのビジョンを具体化しましょう。
まとめ
自分史エクセルテンプレートを活用することで、過去を振り返り、自己分析を深め、未来への計画を具体化することができます。この記事で紹介したテンプレートは、誰でも簡単に使える設計となっており、学歴や職歴、重要な出来事などを整理しながら、あなた自身のストーリーを一つの形にすることが可能です。特に、就職活動やキャリアプランの策定、高齢者の方々が人生を振り返る際に役立つことでしょう。
自分史を作成することで、自分の強みや課題が明確になり、次のステップへの道筋が見えてきます。また、家族や友人とのコミュニケーションツールとしても活用でき、共有することで新たな発見があるかもしれません。ぜひ、今回紹介したエクセルテンプレートをダウンロードし、人生のストーリーを紡いでください。
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まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、仕事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったので、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのか��。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方が��からなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままここにいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自分で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったとしても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「度が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行動をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
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ブログアップしていないうちにロンドンは、あっとうい間に長く寒い冬が到来してしまいました。
お洒落とかどうでもいいからとにかく防寒って季節ねw
ここ最近忙しすぎてか、SNSへのアップデートが全然できなくて。
自分の写真も久々に撮ったw 昔はほぼ毎日同じ顔��のに撮ってたよーなw
てかSNSへの興味自体がなくなってきたってのもあるけど。
今日は心理士への長い道のりへの近況報告ー!!!👏
意外と私のまわり、心理の世界に興味がある人が多くて色々聞かれるんだよね。
日本の制度は全然わからないけど、イギリスでの心理士になるのは、前のブログにも書いたけど、国家資格同等で本当に長く厳しい道のりなんです。
私は来年(と言ってももうあと2か月ない!)からPlacementが始まります。Placementというのは実際現場に配置されて訓練するということで、私の場合は、児童心理なので、現地の小学校に配置され心理士研修生として実際に子供達にカウンセリングをします。
イギリスは(おそらく欧州、欧米各国も)カウンセリング先進国で日本でいう公立の小学校にも(全ての学校ではなく受け入れ制度を採用している学校)研修のカウンセラーがいて問題を抱えている生徒1人に対し50分のカウンセリングを無料で提供する機会を与えてくれるのです。
私も今振り返れば、あの時なんでも話せる人が学校にいたら、今の自分の人格が良い意味で変わっていただろうなと思う。
ってくらい幼少期の体験は大人になってからの人格形成に大きく影響するのです。
今悩んでる事とか、きっと元を辿れば幼少期になんらかの要因があることがほとんど。
だから、幼少期の子供達の身近に心理士という心強い存在があることは、子供達の人格形成や人生に影響する程大事なことなのです。
そう考えると、この仕事に対するやる気と熱意が自然と湧いてくる。使命感的な。
と、書き始めると長くなるから
本題に戻してw
私自身は子供のいる現場で仕事をしたことがないから、全てが初めての経験になるんだけど、今はなぜか不安より楽しみの方が大きい。
そして研修生として100時間のカウンセリング時間をこなし、試験に合格したら、晴れて英国カウンセリング心理療法協会(BACP)に登録されやっとやっとカウンセリングができるようになるのです。
だから日本みたいになんちゃってカウンセラーとかライフコーチみたいなのはいません。(医師と同じで資格なしでやると違法になるかも。)
近況としてはこんな感じ。
今はトレーニング期間でlecture(座学)をうけ学んでるけど、来年からいよいよ現場で研修が始まるんで、今はほんと週に2日しかジムにもいけてないけど。
外見を見苦しくない程度に保つためにもピラテイスはやってる。
あ、マットじゃなくてマシーンの方ね、おすすめ。
また話ズレズレになってしまったけど、
また時間ある時にアップデートしまーす。
皆様良い1日をー!
余談だけど、イギリスで中華なら是非Singapore garden へ。シンガポール、マレー系料理が主なんだけど中華系ならなんでも美味しいよ。
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