#夫婦陶板浴
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各地句会報
花鳥誌 令和5年9月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年6月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
草取れば天と地しばし離される さとみ 沙羅咲きて山辺の寺の祈りかな 都 神官の白から白へ更衣 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月2日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
読み辛き崩し字祖父の夏見舞 宇太郎 滝飛沫祈りて石を積む人へ 栄子 担当医替る緊張なめくぢり 悦子 青葉木菟声を聞きしは一ト夜のみ 史子 黒を着て山法師てふ花の下 すみ子 砂丘拍動遅滞なく卯浪立つ 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
病院の跡へ南風の吹き抜ける 季凜 梅雨の石積むもののふの墓暗く はるか 十薬とは屍を小さく包む花 和子 もののふの山が鳴るなり青葉風 はるか いとけなき蜘蛛も浄土を知りつくし 順子 菩提寺は城を見上ぐや男梅雨 慶月 ナースらの谺を追うて枇杷熟るる 順子 階段をのぼるつま先街出水 小鳥 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 罠であり結界であり蜘蛛の糸 同
岡田順子選 特選句
墓守のアパート三棟蕗の雨 風頭 眼をうすく瞑る菩薩の単衣とも 俊樹 アトリエへ傾るる大樹枇杷たわわ 眞理子 真夜中の泰山木の花は鳥 いづみ 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 昼顔は雨の列車にゆらされて きみよ 行き先を告げよ泰山木咲けば 和子 夏菊や南無遍照と一家臣 慶月 梅雨出水過ぎて正気を歩きをり いづみ 青梅雨の真黒き句碑が街映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
点ほどの人の生涯芝青し 朝子 青芝にまろぶフレンチブルドッグ たかし 海亀の孵化高精細の大画面 勝利 水郷の蛍のなかに嫁ぎゆく 孝子 子供の日クレーンは空へ置き去りに 久美子 特攻の話し聞く夜の蛍かな たかし 日輪は地球の裏に蛍の夜 睦子 青芝を犯す少年のスパイク 同 黴の中遺されしもの錆てゆく 美穂 舞ふものゝ影をも流し梅雨の川 かおり 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 睦子 亡き父のジャズ沁み込みし籐寝椅子 たかし ハーレムの少年 青芝にいのちの次のスニーカー 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月5日 花鳥さざれ会
少年の少女の昔あめんぼう 雪 ふる里の水の匂ひにあめんぼう 同 風みどり故山の空を吹きわたる かづを あめんぼう映れる雲に乗りゐたり 同 水馬水のゑくぼに乗り遊ぶ 泰 俊 名刹に雨を誘ふや水馬 同 売家札とれて漏るる灯蚊喰鳥 清 女 強かに生きて卒寿の髪洗ふ 同 緑陰に栄華の茶室古りしまま 希 落武者の子孫が育て花菖蒲 千代子
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令和5年6月7日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
紅薔薇や三國廓址の思案橋 世詩明 更衣恋に破れて捨てがたし 同 水芭蕉分水嶺の聖なる地 同 夏帽子振つて道草してゐる子 清女 鳴く顔が見たくて覗く蛙の田 同 読み終へし一書皐月の朝まだき 同 鋏手に赤き手袋バラ真赤 ただし 浦人の少年継げる仏舞 同 欲捨てて今日も元気蜆汁 輝一 紫の色をしまずや花蘇枋 同 一番星遠ち近ち蛙鳴きはじむ 洋子 手折りたる酸葉噛みつつ歌ひつつ 同 自転車を押してつつじの坂上る 誠 飛魚の羽ばたき飛べる船の旅 同 風薫る慶讃法要京の厨子 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
富士見えて多摩横山に風薫る 白陶 朽ちし色残し泰山木咲ける 秋尚 風薫るポニーテールの娘の声に 幸子 日々育つ杏とエール送り合ふ 恭子 夜も更けてたれが来たかと梅実落つ 幸子 余白には梅雨空映す年尾句碑 三無 記念樹の落ちし実梅も大切に 百合子 観音の指の先より風薫る 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浴衣着て父似母似の姉妹 清女 香水のひそかな滴人悼む 昭子 髪洗ふ心のしこり解くやうに みす枝 白鷺の孤高に凛と夏の川 清女 梅雨じめりしたる座敷に香を焚き 英美子 知らぬ間に仲直りして冷奴 昭子 夏場所や砂つかぶりに令婦人 清女 明易や只管打坐してより朝餉 同 蟇が啼く月夜の山に谺して 三四郎 白足袋の静かな運び仏舞 ただし 梅雨しとど鐘の音色も湿りたる みす枝 答へたくなきこともあり紫蘇をもむ 昭子 本題に触れず香水帰りゆく 同 水面にゑくぼ次次梅雨に入る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
ためらはずどくだみ束ねバルコニー 和魚 釣堀の揺るる空見てゐるひと日 秋尚 何も手に付かぬひと日や五月雨るる 秋尚 どくだみの清潔な白映す句碑 三無 十薬の匂ひの勝る生家門 聰 どくだみの苞白々と闇に浮く 和魚 五月雨にふくらんでゐる山の湖 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
目を染めて麦の秋へとなりにけり 光子 短夜の夢も短き目覚めかな 文子 子の植うる早苗の列の右曲がり 登美子 バースデーソングと夏至の雨響く 実加 羅の受付嬢はちよと年増 みえこ 色街の女を照らす梅雨の月 登美子 五月雨真青な傘を買ひにけり あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 萩花鳥会
車椅子頼りの暮し梅雨籠り 祐子 革ジャンに沁みた青春黴生ふる 健雄 玉ねぎの丸々太る五月晴 俊文 亡き夫の捨てられきれぬ黴ごろも ゆかり 雨蛙降り出す庭で鳴き交はす 恒雄 星々に瞬きかへし舞ふ螢 美惠子
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令和5年6月16日 さきたま花鳥句会
大胆に愚痴を透かして青暖簾 月惑 紫陽花や小走りに行く深帽子 八草 まな板も這ふらし夜のなめくじら 裕章 夕まぐれ菖蒲田の白消し忘れ 紀花 屋敷林青葉闇なる母屋かな 孝江 鐘供養梵鐘の文字踊りけり ふゆ子 漣の葉裏に返る新樹光 とし江 花手水薄暑の息をととのへり 康子 風薫るいまだ目覚めぬ眠り猫 みのり 花菖蒲雨に花びら少し垂れ 彩香 短夜や二日続けて妣の夢 静子 耳かきの小さな鈴の音初夏の夜 良江
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令和5年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
登山者が供華に挿し行く地蔵尊 やす香 蟬一つ鳴かぬ光秀忌を修す ただし 桃色の若き日の夢籐寝椅子 みす枝 村百戸梅雨のしとどに濡れそぼつ 同 空き箱に色褪せし文梅雨湿り やす香 西瓜買ふ水の重さの確かなり 同 薫風や見上ぐるだけの勅使門 真喜栄 そよぐには重たき鞠や濃紫陽花 同 花菖蒲咲かせ半農半漁村 千代子 日の暮れて障子明りに女影 世詩明 香水の女に勝てぬ男かな 同 早苗饗や上座に座る村の長 同 春深し遊び心の雲一つ 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 朝まだき甘き匂ひの蛍川 千種 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 大方は夏草となる畑かな 秋尚 過疎村に農大生の田植笠 経彦 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 捩花の螺旋階段傾ぎをり 斉 道をしへ夜は蛍の思ひのまま 炳子 故郷の水田へ草矢打つやうに 要
栗林圭魚選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 六月の谷戸のすみずみ水の音 三無 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 どんよりと新樹映して濁り池 要 源五郎さ走る田水光らせて 久子 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 万緑の中の水音澄みてをり ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
故里の百年の家花石榴 啓子 巣作りの青鷺歌ふ高らかに 千加江 母に詫び言は���ばならぬ梅雨の入り 昭子 幹太くなりたる樹々の夏の午後 雪子 衣替へし��胸に白すがすがし 同 梅雨の灯に猫の遺影と娘の遺影 清女 寝返りを打ちても一人梅雨の月 同 枇杷啜るこつんころりと種二つ 希子 女子高生混じる一人に黒日傘 数幸 観世音御ンみそなはす蛇の衣 雪 観音に六百年の山清水 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
あめんぼうてふ名に滑る他は無し 雪 九十二の更衣とはこんなもの 同 白鷺のいよいよ白き青田かな 同 蛇の衣こんな綺麗に脱がずとも 同 落椿描ける女人曼荼羅図 同 殉国の遺影と父の日を終へり 一涓 青春に戻りて妻と茱萸を捥ぐ 同 門川の闇を動かす蛍舞ふ みす枝 母の日の花は枯れても捨てきれず やすえ 一番星あちこち蛙鳴きはじむ 洋子 草矢打つ程の親しき仲でなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 打水はインド料理の香をのせて はるか 炎帝の満を持したる神の池 要 炎天へ柏手打てば蹌踉ひし 順子 靖国は蒼くなりけりサングラス 緋路 雨蛙虫呑みてすぐ元の顔 裕章 サングラス胸にひつかけ登場す 光子 魂となる裸電球祭待つ はるか
岡田順子選 特選句
押し寄せる蓮のひとつに蓮の花 俊樹 紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 凡人てふ自由たふとし半夏生草 昌文 蓮原の沖に宮城あるといふ 光子 内堀の夏草刈られ街宣車 要 混ざり合ふ手水と汗の掌 緋路 祭の準備指揮をとる大鳥居 みもざ 水馬ふたつの天のあはひゆく 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蛍狩り娘の掌のがれて星となる 世詩明 更衣恋の火種を残しけり 同 少年を仰いでをりぬ青蛙 昭子 うまいとも言つてくれぬが菜飯炊く 同 子よりまづ泳ぎ出したり鯉幟 一涓 夏暖簾廊下に作る風の道 紀代美 喉鳴らし母乳呑む児や若葉風 みす枝 目に見えぬものを脱ぎたり更衣 洋子 青鷺が抜き足差し足田を進む やすえ 一院のかつて尼寺白牡丹 雪 蝸牛角を突いてゐる女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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⚘ 花粉症の方へ④ 抗酸化の粉石けんが使える( -`ω-)✧ #テラパウダー 👨夫(10年来の花粉症) 「あの石鹸なら外干しされても大丈夫。 あとね、絶対持って歩いたら良いよ。 外から帰ってきたらシューっとやると 花粉を持ち込まないからね」 #陶板浴体験談 #花粉症 #静電気防止 👩妻(私は花粉症ではありません) 「花粉の時期は粉石けんを水で溶いた スプレーボトルが玄関に用意してあって、 夫が家にいて私が外から帰ってきた時など シュッシュッて、『私は害虫か?!』 ってくらいスプレーされます(¯―¯٥) 布団は外干しすると分かるみたいで、 せっかくお日様にあててふかふかになったのに、 シュッシュされて湿っちゃいそうで嫌なので、 夫がいない間に私がかるーくスプレーしていますw やっぱりお日様のふかふかは幸せですよね☀︎」 早め早めの養生とお手当で、 今年こそ楽に乗り切りましょう🌸 たとえ花粉症でも夫婦仲も大切です(笑) 心から体も楽になる、健康情報を発信中٩(ˊᗜˋ*)و♡ 竹屋陶板浴の様子はコチラ ▹▹▹ @takeya.tby - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 春の手仕事マルシェ🌷 / 期間:3月9日(木)~11日(土) 陶板浴のお客様同士で手作りの物を見せ合いっこ♡ お友達と一緒に遊びに来て下さい☺︎ 3/9(Thu) ⚘ 石井とみ子 ・紙バンドかご・手作り和菓子 ・抹茶も頂けますψ(´ڡ`♡) ŧ‹”ŧ‹” 3/10(Fri) ⚘ coco’s crochet ・麻ひも手編みバッグなど ⚘ 手作りの店 ・紅型染め布小物 ⚘ 月筆 ・筆文字作品の展示販売 3/11(Sat) ⚘ 月筆 ・筆文字作品の展示販売 ⚘ ジェリービーンズ ・着物リメイクと和柄雑貨 ⚘ 浅野秀子 ・衣 ⚘ あまぶー ・トンボ玉 ⚘ グリーンカフェ ・着物帯リメイク&ワンちゃんの手作り服 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 ≪2月のスケジュール≫ 28日(火)腱引き𓇼 28日(火)玄米お握り販売 29日(水)足もみ若石𓇼 ♡:参加費無料 𓇼:整え会 𓁙 :キャンセル待ち ≪3月のスケジュール≫ ⋆⸜ 9日~11日 春の手仕事マルシェ🌷 ⸝⋆ 1日(水)足もみ若石 2日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 6日(月)足もみ若石 7日(火)玄米お握り販売 8日(水)足もみ若石 8日(水)ファスティングセミナー♡ 9日(木)ストレッチ&フラダン♡ 9日(木)春の手仕事マルシェ⚘♡ 10日(金)春の手仕事マルシェ⚘♡ 11日(土)春の手仕事マルシェ⚘♡ 12日(日)「体の声を聴く」♡ 13日(月)内臓整体 14日(火)玄米お握り販売 15日(水)氣功 15日(水)スマホ教室 16日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 17日(金)大人の手芸クラブ♡ 18日(土)「温熱と抗酸化の話」♡ 20日(月)足もみ若石 20日(月)笑いヨガ♡ 21日(火)椅子ヨガ ♡ 21日(火)玄米お握り販売 22日(水)足もみ若石 22日(水)がん交流会♡ 23日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(月)足もみ若石 28日(火)腱引き 28日(火)玄米お握り販売 29日(水)足もみ若石 ♡:参加費無料 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅯 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- #竹屋陶板浴 #陶板浴 #温熱 #温活 #龍ケ崎市 (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/CpJ8CMoSs1e/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇���養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧��偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓��傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷���尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃ���ฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 𝕡𝕚𝕔 𝟚 👩🦰「微熱でも陶板浴入っても大丈夫かな?」 💁「身体が心地よいと感じる温熱は炎症を鎮静化させるが効果があります。アレルギーや膠原病の炎症だけでなく、『風邪の引き初めの陶板浴でひどくならずに済みました』といった体験談も過去に頂いています。また感染症の疑いがある時にはお外の個室をご案内し、ご利用後は清掃をしておりますのでご相談ください」 ※こちらはお客様との会話で出たお話の紹介で、何らかの効果を保証するものではありません。 #体験談募集中♡ #竹屋陶板浴 をつけてぜひ発信して下さい˙▿˙ #風の引き初めに陶板浴 #微熱 #風邪 #コロナ対策 #アレルギー #膠原病 #炎症を抑える 陶板浴の体験談に��味がある方は ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔 𝟛 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 手に湿疹が出たことがきっかけで 陶板浴を教えてもらいました。 抗酸化力のある空気が心地よく 冷えは万病の素というので 温活を始められてとても嬉しいです。 夫ちゃんが一緒に連れてきてくれるので 通えています。 体の健康についてはこれまでも興味があったので いろいろなイベントも楽しみです。 3日間チャレンジ達成ヤッター!! Tさん 女性 40歳代 坂東市 #湿疹 #抗酸化 #冷えは万病の素 #温活 #夫婦陶板浴 #陶板浴デート ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 \ 🥒お盆短縮営業のお知らせ🍆 / 8月13日(土)~15日(月) 朝6時~昼12時までの短縮営業となります。 宜しくお願いします。 ※ 新溶液での陶板浴内抗酸化リフォームのため、14・15日は縮小営業。ご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします。 空気が変る抗酸化リフォーム☖✨ のお問い合わせも ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 8月13日~8月15日お盆短縮営業 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 13日(土)短縮営業(朝6時~昼12時) 14日(日)短縮営業(朝6時~昼12時) 15日(月)短縮営業(朝6時~昼12時) 16日(火)椅子ヨガ ♡ 17日(水)氣功 17日(水)幸ちゃんのスマホ教室 18日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 6/13-15 6:00-12:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/ChGJVMXhDrP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#夏こそ冷える#夏こそ陶板浴#体験談募集中#竹屋陶板浴#風の引き初めに陶板浴#微熱#風邪#コロナ対策#アレルギー#膠原病#炎症を抑える#湿疹#抗酸化#冷えは万病の素#温活#夫婦陶板浴#陶板浴デート#3日連続入浴チャレンジ🌞#夏の陶板浴は冬に効く🐻❄️#免疫#自律神経#安保理論#コロナ学習会#今こそ免疫力#今こそ陶板浴#龍ケ崎市#温熱
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☀︎ #夏こそ冷える そこで #夏こそ陶板浴 ٩(ˊᗜˋ*)و 👨「今年は兄のところが新盆だったんだけど、長距離移動は向こうにも嫌がられるかと思ってなかなか行かれないですね」 💁「それは寂しいですねぇˊㅿˋ」 👩「でもね、私たちは��うして近くに行けるところがあるからね、ありがたいのよ」 💁「わぁ!ありがとうございます」 👩「家にこもってばかりじゃねぇ? それにここだと体調も良くなるし♡」 💁「ふふふ。そう言って頂くのが何よりです( *´艸`)」 ※こちらはお客様との会話で出たお話の紹介で、何らかの効果を保証するものではありません。 #体験談募集中♡ #竹屋陶板浴 をつけてぜひ発信して下さい˙▿˙ #コロナ騒動 #コロナ禍でも行けるところ #夫婦で陶板浴 #陶板浴デート 陶板浴の体験談に興味がある方は ☞ @takeya.tby 𓅨 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 \ 夏の免疫力🍉 / 8月20日(土)10:00- 免疫・自律神経とコロナについてお話します。 参加費:1.200円(当日陶板浴利用の方無料) 定員:10名様 参加ご希望の方はお電話,DM,コメント下さい˙▿˙ #免疫 #自律神経 #安保理論 #コロナ学習会 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 𝕡𝕚𝕔 𝟛 3日連続入浴チャレンジ達成記念コメント 『私が、暑くても陶板。浴に来るのは…』 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯೭✍︎ 暑い毎日に 熱い汗をたっぷり流して すっきりしました。 夏バテ気味で寝不足だったので いっぱい寝ました💤 女性 30歳代 龍ケ崎市 #すっきり #夏バテ #寝不足解消 ¯ ¯ ¯ ¯ ¯ #3日連続入浴チャレンジ🌞 陶板浴のスッキリ温活で夏を乗り切ろう☺︎ 7・8・9月の期間中、 3日連続でご入浴頂けた方には、 無料入浴券を差し上げています。 #夏の陶板浴は冬に効く🐻❄️ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 ≪8月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 19日(金)ちくちく大人手芸部 20日(土)健康講座「夏の免疫力」♡ 22日(月)足もみ若石 22日(月)笑いヨガ♡ 23日(火)腱引き 23日(火)抗酸化リフォーム相談会☖” 24日(水)足もみ若石 24日(水)がん交流会♡ 25日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 27日(土)細胞喜ぶ呼吸法ws 29日(月)足もみ若石 30日(火)メタトロン 31日(水)足もみ若石 ≪9月のスケジュール≫ 7月1日~9月30日"3日連続入浴チャレンジ🌞" 10日(土)~19日(月)敬老の日キャンペーン🍂 1日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 5日(月)足もみ若石 7日(水)足もみ若石 8日(木)ストレッチ&フラダン♡ 10日(土)敬老の日キャンペーン🍂開始 12日(月)内臓整体 14日(水)足もみ若石 15日(木)ストレッチ&フラダン♡ 16日(金)ちくちく大人手芸部♡ 17日(土)月1土曜日学習会♡ 19日(月)足もみ若石 19日(月)笑いヨガ♡ 19日(月)敬老の日キャンペーン🍂終了 20日(火)椅子ヨガ ♡ 20日(火)抗酸化リフォーム相談会☖ 21日(水)氣功 21日(水)幸ちゃんのスマホ教室 22日(木)ストレッチ&フラダンス♡ 23日(月)内臓整体 26日(水)足もみ若石 28日(水)足もみ若石 ⚑⚐⚑ 𝕡𝕚𝕔𝕜 𝕠𝕦𝕥 ⚐⚑⚐ \ がん交流会⚘ / 8月24日(水)10:30- 今回は自律神経のお話をします。 がんの方同士のおしゃべりで、 情報交換と気晴らし✨ みんなで気持ちよく治りましょう♪ ※ 竹屋陶板浴をご利用のがんの方とそのご家族様のための学習交流の場です。同業他社様のご参加はご遠慮下さい。 #がん交流会 #自律神経 #安保徹 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 𓅨 #今こそ免疫力 #今こそ陶板浴 #龍ケ崎市 #温活 #温熱 #竹屋陶板浴 竹屋陶板浴 @takeya.tby 𓅨 茨城県龍ケ崎市栄町4356 ℡ 0297-64-3726 営業時間 6:00-20:00 利用料金 ¥1.200- (株式会社 竹屋陶板浴) https://www.instagram.com/p/ChbGZ92JIOk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#夏こそ冷える#夏こそ陶板浴#体験談募集中#竹屋陶板浴#コロナ騒動#コロナ禍でも行けるところ#夫婦で陶板浴#陶板浴デート#免疫#自律神経#安保理論#コロナ学習会#すっきり#夏バテ#寝不足解消#3日連続入浴チャレンジ🌞#夏の陶板浴は冬に効く🐻❄️#がん交流会#安保徹#今こそ免疫力#今こそ陶板浴#龍ケ崎市#温活#温熱
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今週木曜日11月11日この素晴らし過ぎるイベントに出演します!😊🌈 皆様福井の地 @アグリツーリズモNORAへ大集合宜しくお願いします✨ 1111 参加メンバーご紹介♪ ★No.12 【縄文の扉を開くアセンションGATE】 タイムスケジュール公開‼️ (※変更もあるかもしれません) オープニング 10:30 音開き 林圭樹(山梨) 11:11〜祈りの輪 光の柱を立てる ナビゲート 木盛龍彦 (大分) 12:00〜DJ Time OKA-G (石川) 13:00〜ヨガ✖️コシチャイムヒーリング 有紀✖️NAO (石川)(福井) ※ラウンジ畳部屋にて 14:00〜「アセンションフードとしての麹菌は���次元♪麹を使った食養生の知恵」 ※ラウンジ畳部屋にて たべごと屋ナトゥーラ(富山) 14:45〜祝餅弥栄 (愛知) 五穀豊穣 子孫繁栄 夫婦弥栄 祝いの餅つき 15:15〜ディジュリドゥ 小林純也(石川) 15:25〜フュージョンダンス masami (石川) ジプシー RURI✖️Mu✖️YONYON 15:40〜クリスタルボウル TAKE(福井) 16:00〜『エッセンスセルフと一体化する魔法の黄金タイム』 スペシャルコラボ♪木盛龍彦➕Tachyon Musician KENTA HAYASHI ヒーリングセッション Tachyon Musician KENTA HAYASHIソロライブ🌈 18:00〜齋藤新緑 講話 「光の戦士として」 20:00〜懇親会 *施設内【リラクゼーションカムイ】にて 11月11日のみ 足つぼ、ヘッドマッサージ 20分¥1,500 ◉谷口知帆 ◉山岸恵美子 その他出店募集中♪ お氣軽にお問い合わせください✨ ◯11月11日(木) 10:30スタート 全てのプログラムの終了は20:00となります。 ご参加は随時受付にてご入場いただけます。 ◯全プログラム通し 参加費5,000円 当日6,000円 下記の申し込みフォームにて お申し込みください。 11月5日締切となります。 それ以降は当日料金となります。 なお、遠方からお越しのお客様は ご宿泊もできます。 プログラム終了後、 懇親会も予定しています。 聞きたかったアレやコレ 話したかったあの事この事 心通わせお話ししましょう♪ ご宿泊、懇親会も合わせて 申し込みフォームより お申し込みできますので よろしくお願いします。 ※懇親会参加費3000円(夕食付き) ※宿泊は宿泊棟にて素泊まり合宿スタイル。 陶板浴付き3000円になります。 お申し込み締め切り 11月5日 あと1週間です。 それ以降は当日となりますので お急ぎくださいね! 【お申し込みフォーム】 https://ws.formzu.net/dist/S32546052/ ◯開催場所 アグリツーリズモNora https://nora-farm.jp/ (at Nora アグリツーリズモ ノラ) https://www.instagram.com/p/CWAkZn1PJuh/?utm_medium=tumblr
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私とアクセスバーズ
魂とつながり
喜びで生きるあなたへ
ゆっぴーのブログに訪問
頂きありがとうございます💖
今回は私とアクセスバーズの出会いと
なぜプラクティショナーとして
活動するようになったかなどの
経緯をお伝えしていこうと思います。
約5分で読めますので最後までどうぞ☺️
アクセスバーズを知ったきっかけが
2018年1月に知人の紹介で知り、
当時私の大病が発覚した直後のことでした。
私がアクセスバーズを受けたいというよりは
なぜか旦那さんの方が早急に
"なんとなく必要な氣がする!!'
とただそれだけの理由で旦那さんメインで
予約を取ったのがはじまりです。
私が大病したショックもあるだろうし、
身近に打ち明ける相手も特に居ないようで、
身内しか知らない状況と1人で抱え込んでいる
に近い彼の精神状態を氣遣って、
何か緩和する糸口になればと思い脳を
大掃除できるというアクセスバーズを
選択しました。
(私のことを心配してる割合が大きく
なってしまってると仕事にも差し障る
と感じたので。。。)
その予約当日を迎え、よければ奥さんの
私もいかがですか?ということでお時間を
取って頂き、夫婦してアクセスバーズを
初体験できたのが今となってはとても絶妙な
タイミングでよかったなぁと心から
思ってます。
(偏見持たぬ旦那さんにも感謝♥)
旦那さんはというと、アクセスバーズ中は
ずっと会話をしていたそうです。
(眠っちゃう人がほとんどなのに面白い)
私は元からエネルギーワークが大好物
だったので初回のスッキリした
体感がとにかくすごかった!!
見えない世界の言語化にいつも苦労するの
ですが、分りやすくいうならば長年の
洗濯槽内にこびりついた汚れがスッキリ
したとでもいいましょうか(笑)
初アクセスバーズをした頃は、病氣に関して
情報集めを多方面にしていた時でもあり、
選択肢が沢山あって、常に脳内パンパンの
混乱状態に近かったように思います。
1度のスッキリ感覚が病みつきになり、
それからはすっかり私のほうがハマって
定期的に続けて通うようになりました。
※人にも��りますが3回以上行うと
人生変わるとまで言われてるパワフルな
エネルギーワークなのですよ♬
効果をテキメンに感じてたのは施術して
下さってる方の人柄と愛に触れて
色んなものが解けていったのと
仲良くさせてもらい信頼していたのも
もちろんあるかもしれません💖✨
当時の私は、西洋医学にどこか嫌悪感と
不信感を拭えなくて、標準治療を決意する
ために、偏った思い込みをニュートラル
に戻していき、自分の中のジャッジを
小さくしていくような感覚でした。
1つ決めてはまた1つ新しい決断が迫られ
命に関わる選択は未知との遭遇と緊張の
連続です。。。
※自己主張もハッキリできるようになり
主治医と対等に会話してオラオラ患者
にもなりかけたぞw
いい意味で患者力がすっかり身についてた⤴
ジャッジって自分のカラダをこわばらせて
緊張状態に招きやすいなぁと自身の経験から
大いに体感しています。
例えばだけど、格闘技とかの勝敗を
決める判定音みたいなのがいつも脳内に流れていたら?
ハラハラドキドキしませんか??
自分が苦しくなっちゃいますよね…
ジャッジするのを手放すことも今では
簡単にできるようになってきましたが、
私も親からの固定観念や昭和初期感の
価値が絶対なのか?常識って何?など
疑問を持ち続けていたのに、それは
それは無意識のうちに重い思考を
採用していたのです。😱😱😱
本当は自分で全部決めてるのにね…
自分を苦しくさせてしまってたけど
その経験すらも選んで���という。。。
※まだまだジャッジが抜けきらない
新たな発見をするときも多々ありますが
自身に問いかけしてクリアにしてます。
何度目かのアクセスバーズで、ふいに
前世の記憶のことに触れられてすごく
腑に落ちたこともありました。
アパートの仮住まいで娘を日中ワンオペ
育児してた時に、
【私の身に何かあったらどうしよう…
娘が一人になっちゃう…】
という言い知れぬ不安感がよぎり
呼吸が浅くカラダが緊張することが
しばしばあったのですが、
その前世の記憶を伝えられて
スコーンとその不安感が皆無に
なったのも衝撃の体験だったことを
鮮明に覚えています。
正にリミットが外れた瞬間!
それからまた違う回のアクセスバーズ
セッション時には、とあるポイントに手を
触れられた時にそれまで関わってきた
色んな人間関係の人たちがビジョンで沢山
あらわれて、過去の職場の嫌なパワハラ
モラハラセクハラ上司や一方的に
私をフッた彼氏wなどが、走馬灯のように
見えて一瞬で全てのことが出会ってくれて
ありがとうの感謝に変わった時も
ありました。(本当に想定外で驚き)
大病してることも時たま忘れるほど、
どんどん思考が軽くなっていき、
治療も順調に進み、手術も無事に終え
2019年の冬至の節目にクリスタルボウル演奏
を浴びてからアクセスバーズ(ボディプロセス
も)をするという自分癒やしコースをしてた
時が、まさに自身最大の変化!!
私の体感がビリビリ大きく感じられ、
まるでマリオネットにでもなったかのように
手足がビクッと反応し、その回は人生の禊
というか、私がいる次元が移動して変わった
かもしれないという感覚さえあり、それ��
とても嬉しいギフトとなったのです🎁
Instagramストーリーズに #歳末大禊 #2019冬至 でタグつけてた😂
身体中お焚き上げされた感じですと
伝えたらお互いに大爆笑してたっけ🤣
(背中に羽が生えたと思うくらい軽かった)
それから約半年以上の月日が流れた頃に
アクセスバーズ講座が8月末に開催すること
をダイレクトにお知らせ頂き、ずっと受け
てやってもらう側だけでいいと思ってた
私が、いよいよ提供する側に回った方が
色んな方にシェアできることがあるのかも
しれないと思い、開業直前のタイムリーな
時期に受講して2020年に満を持して?!
プラクティショナーとなりました。
我が家には一床スペースの抗酸化陶板浴も
あるので、アクセスバーズと組み合わせる
と最強のメニューだと思ってます!!
副交感神経が優位になる陶板浴で約20分
横になってもらってから、リクライニング
チェアで横になり、アクセスバーズを
します。すると、脳がθ(シータ)波に変わり
何とも言えぬ深いリラックスの世界が
訪れるのです✨ビフォーアフターが個人差
こそありますが、嬉しい変化やギフトが
ベストタイミングで現れることも?!
娘にもちょくちょくリクエストされ
アクセスバーズ中。
↓お子さまにも本当にオススメです❣️
横になってるだけで受けるこの恩恵は
私がずっとやってもらう側だったからこそ
これは必要としてる方が多くいると
思ってます!!
裸足でアーシングもいいと思いますが、
たまには脳に帯電してるものを取り除くこと
もカナリいい!と強く確信して感ますので、
ご興味ある方は是非ともアクセスバーズ
を生活の一部に取り入れてみてくださいね♪
《アクセスバーズ》
60分 8000 yen
90分 12000 yen
陶板浴ご利用はプラス1000 yen
ギフレシご希望の方も是非!
共に高め合えるお相手を募集中です!
場所代として 2000yen 頂戴してます。
お氣軽にお問い合わせくださいませ♡
私が受けた恩恵をまた新たなカタチで
ご縁ある方に還元していけたら嬉しいです🥰
Neoベジスイーツも忘れずに
ご用意してお待ちしてます!!
ご予約はLINE@より受付中😊
存在してくれてありがとう✨
ご縁があることにありがとう✨
あなたの喜びは
私の喜び 🌈
深喜 ゆっぴー
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「仕事相手が全員年下」「自己模倣のマンネリ地獄」「フリーの結婚&子育て問題」……Twitterで話題を呼んだ<フリーランス、40歳の壁>。本物しか生き残れない「40歳の壁」とは何か、フリーとして生き抜いてきた竹熊健太郎氏がその正体に迫ります。著書『フリーランス、40歳の壁』では自身の経験のみならず、田中圭一さん(『うつヌケ』)、都築響一さん、FROGMANさん(『秘密結社 鷹の爪』)ほか、壁を乗り越えたフリーの話から「壁」の乗り越え方を探っています。本連載では一生フリーを続けるためのサバイバル術、そのエッセンスを紹介していきます。 連載第1弾は、『フリーランス、40歳の壁』オンライン番外編!40歳過ぎにサラリーマンとしての地位を投げ捨てて、フリーへと転身したアニメ・特撮研究家である氷川竜介氏にその選択の意味を問います。フリーでやっていく条件は何か、サラリーマンを辞めることのメリット・デメリットなどを聞いていきます。一生、フリーを続けるためのサバイバル術がここに!
学生時代に元祖・アニメライターとなる
氷川竜介さんは、アニメ評論家であり研究家であり、編集者・フリーライターであります。ことテレビアニメに関しては、先ほどの肩書きに「日本を代表する」を冠してもいいかもしれません。1958年に兵庫県姫路市に生まれ、物心ついた頃に日本最初のテレビアニメ『鉄腕アトム』が始まりました。私と氷川さんは彼のほうが学年が3つ上ですが、ほぼ同世代と言っていいでしょう。高校在学中には『宇宙戦艦ヤマト』のスタジオを見学していたといいますから、筋金入りのマニアだと言えます。
氷川さんは、高校時代に故・竹内博氏(怪獣映画研究家)主宰の『怪獣倶楽部』の同人となり、アニメや特撮映画のファン活動、いわゆる「同人活動」を始めました。その後『ヤマト』でもファンジン(同人誌)を編集・執筆し、東京工業大学工学部電子工学科在学中には1977年に突然巻き起こった「ヤマトブーム」で、ファンの立場、マスコミの立場の両方からその中心にいることになります。ヤマトブームは、すぐにアニメブームに広がります。1978年から続々とアニメ専門誌が創刊されるのですが、氷川さんは、学生でありながらアニメに詳しいライターとして重宝されるようになりました。
氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ)
1958年兵庫県生まれ。アニメと特撮についての執筆を中心に活動し、理系的な分析力で作品の魅力と本質を探る。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門歴代審査委員。2018年4月より明治大学大学院特任教授に就任。学部、大学院ともにポップカルチャー研究として「特撮」を扱う��義を新規に���進中(おそらく大学では初)。2017年に「アニメ100年」関連の個人誌を出し、通史の書き下ろし単行本を準備中。また「アニメ特撮アーカイブATAC」(理事長:庵野秀明)の理事に就任し、制作関係資料の保全など公的活動にも従事中である。
「大学入学が1977年、卒業が1983年で6年間在籍しました。高校3年のときにアニメのファンサークルを始め、受験時期は活動に限界がありましたが、大学合格と同時に『月刊OUT』というサブカル雑誌創刊2号「宇宙戦艦ヤマト」特集に参加します。児童向け以外でアニメを扱った最初期の雑誌です。 アニメや特撮の専門誌が生まれる前でしたから、そうしたジャンルに詳しい専業のプロはいなくて、いわゆるマニアしかいなかった。だから、アマチュアに原稿を書かせるしかない時代だったんです。それで現地徴用兵的に起用された。学生アルバイトというより、SFの世界で言うセミプロ感覚に近いです。 『OUT』以外では『てれびくん』『テレビマガジン』『テレビランド』など児童雑誌の仕事が多かった。あとはキングレコードで『機動戦士ガンダム』のLPレコードを放送中から手伝い、ドラマ編という音声で物語をまとめる仕事や音楽集の構成もしています。」
『フリーランス、40歳の壁』で取材した同世代(1980年前後に大学生だった世代)の多くがこのパターンなのですが、在学中にミニコミや特定の趣味にのめり込み、そのまま「フリーランスの出版業界人」になってしまう人は多いのです。もちろん、こういう人はいつの時代にも存在すると思うのですが、記憶を堀り起こせば、1980年代はとりわけその傾向が強かったように思います。「趣味」が仕事になると、本気で信じられた時代だったのです。
しかし氷川さんは、ライター仕事に忙しくて大学を留年しながらも、すぐにプロライターにはなりませんでした。氷川竜介といえば、アニメブームとともに生まれてきたようなライターです。ジャンルの勃興期で、ライバルはほとんどいませんでした。学生ライターとして何誌にも原稿を書き、ほぼ最初から、その道の第一人者でした。大学を卒業する頃も、アニメブームは消え去るどころか衰えずに燃え盛っていました。こういう場合、そのままライターとして暮らしてもやっていけると考える人が多いと思います。少なくとも私はフリーの道以外、眼中にありませんでした。周囲にもそういう人が多かったですし、趣味と仕事の区別がつかないような、そういう時代だったのです。でも氷川さんは賢明にもアニメは趣味として続けつつ、サラリーマンとして就職する道を選んだのです。
彼は通信系のエンジニアとして、1983年に富士通に就職��ました。技術系サラリーマンとしては優秀でした。87年には技術サポートとして、7ヵ月間、アメリカ・アリゾナ州フェニックスに長期出張もします。
帰国して、仕事のテスト用として1988年にニフティ・サーブというパソコン通信に入ります。パソコン通信とは、一般の電話回線を使ったネット通信サービスで、特定のプロバイダ、たとえばニフティならニフティの会員の間だけでチャットや掲示板が使えるというものです。その意味では全世界規模のインターネットとは違う、ローカルな通信サービスでしたが、最盛期の1996年には会員数が200万人を超える規模を誇りました。しかしインターネットの普及とともに、ローカルなパソコン通信はその使命を終えます。氷川さんは88年からニフティの「アニメフォーラム」に出入りするようになって、氷川さんの運命は再びアニメ界に引き寄せられることになりました。
「アニメフォーラムには大勢の参加者がいたけど、アマチュア中心なので交わされるアニメ知識が、失礼ですがヌルいと思ったんですよ(笑)。だから最初は冷ややかに見ていましたが、そのうちガマンできず書き込むようになり、「ロト」というハンドルネームを使いました。当時流行っていたゲーム『ドラゴンクエスト』の勇者の称号で、固有名詞のつもりですらなかったのです。これが僕の愛称として定着してしまい、インターネット時代の今でも使っています。」
氷川さんは30歳直前に参加されたそうですが、アニメファンとしてはすでに「長老」格でした。パソコン通信の世界では“ロトさん”と言えばアニメ好きなら一目置かれる存在になっていきます。なにしろ伝説の『宇宙戦艦ヤマト』の制作現場をこの目で見ている古参ファンなのです。アニメファンとして氷川さんの上に立つものがいるとすれば、それはアニメーターや監督など、現場の修羅をくぐった人間くらいでしょう。
90年代アニメ批評の勃興
GAINAXの創業社長だった岡田斗司夫氏と知り合ったのも、ニフティ・サーブがきっかけでした。1990年のことです。チャットで盛りあがり、フォーラム有志でGAINAXに招かれ、盛大なオフラインミーティングもやりました。そのあたりから、ネットを介して製作者とエンドユーザーがダイレクトに交流することが始まったと、氷川さんは回想します。
富士通に就職してからは、仕事として雑誌に文章を発表することは長くお休みしていました。ところが1990年代の初頭から『ウルトラマン研究序説』のような、アニメや漫画をアカデミックに研究するブームが起こり始めたのです。それまで子どもや特殊なマニアのものとされていたアニメや特撮、マンガのようなサブカルチャーが、いきなり衒学的な研究対象になり始めたのでした。これは「オタク」と呼ばれるようになった1950年代後半から1960年代生まれの人々が、30代になっていたことが影響していると思います。ファンの単なる感想や制作サイドの宣伝文ではない、批評として中身がある文章が求められ始めたと言えます。『新世紀エヴァンゲリオン』の放映が終了して劇場版が公開された1997年頃に、そうした「大人のためのアニメ批評」の需要はピークに達していたと言えます。
「エヴァが終わって、ファンが大騒ぎしている最中に『デラべっぴん』というグラビア雑誌で『エヴァ特集』が組まれたんです。岡田斗司夫さんのご紹介ですが、誌面構成と寄稿をしたのが僕の再デビューの大きなきっかけになります。『庵野秀明監督の映像は実相寺昭雄監督ゆずりだ』とか、なかなか他のアニメ雑誌では書かれていないようなことを、ぶつけてみました。」
当時、岡田斗司夫氏はGAINAXの社長を辞し、東京大学で「オタク学」を講義したり、『僕たちの洗脳社会』という本や『おたく学叢書』を立ち上げて、マスコミの注目を集めていました。そして『オタク学叢書』の一冊目として氷川さんの初著作である『20年目のザンボット3』があったのです。いわば、岡田氏が巻き起こしたオタクブームに巻き込まれる形で、氷川さんは業界に復帰したと言えます。
「その時点でのアニメを語る言説とは、ファンの他愛ないおしゃべり的なものか、または本格的な学者が自身の専門分野をバックに語る硬い言葉か、どちらかしかなかったという印象です。その中間の領域で、アニメを純粋にアニメとして語れる人があまりいなかった。その意味で僕は独特のポジションにいたように思えます。」
近年、経産省がアニメやマンガを積極的に扱ったクール・ジャパンが盛り上がっています。アニメは日本の有力な輸出文化として注目を集めているわけですが、氷川さんが本格的にアニメ評論を始めた契機は、マンガや映画とは違って、アニメはナチュラルな文化としては後世に残らないのではないか、せっかくの作品も消費されて終わってしまうのではないか、という危機意識があったからだと言います。
「時代が推移しても、作品を語るのは好き・嫌いの刹那的な言葉だけ。ならば、パッケージやコンテンツとしては残るかもしれませんが、作品が発表されたその時に受けた自分たちの「想い」のようなものは、きちんと言葉にしておかないと、観客全員の死とともに消えてしまうのではないかと思ったわけです。送り手と受け手の想いとつながることで作品が受容されたはずで、回路みたいな「系」が残らないと、アニメは文化にならないという確信もありました。」
アニメ研究者・評論家として氷川さんがユニークなのは、芸術家が作るアート・アニメではなく、大衆消費型のテレビアニメを真面目に批評の俎上に乗せたところだと思います。
長らくアニメーションにまつわる言説はアート・アニメが主流でした。評論家・研���者にとっては、最初から芸術として作られたそちらのほうが「語りやすかった」のです。テレビアニメは商業主義の産物で、アニメーション特有の「動き」や美術としての美しさよりもストーリーとキャラクターが主体で、大衆消費物として作られているぶん、「芸術」としては劣っているものとされ、長く真面目な批評の俎上に乗らなかったのです。
しかし「大衆消費物」として作られたものであっても、それなりの歴史の積み重ねがあり、技術の厚みも増して、これを語る言葉がないはずはありません。語られなかっただけなのです。マンガやテレビアニメは、江戸時代の浮世絵に比することができます。浮世絵は初めから「大衆消費物」として描かれ、これを芸術としてみる人はほとんどいませんでした。ヨーロッパ人が初めて浮世家を見た時、日本から輸入した陶器の保護紙としてくしゃくしゃに丸めて使われていたといいます。しかしそこに描かれた絵の美しさにヨーロッパ人は驚嘆したのでした。こうして浮世絵は立派な「芸術」として認知されることになりました。氷川竜介さんがやろうとしたのは、かつての浮世絵的な位置にあったテレビアニメを立派な表現物として同時代的な批評の対象にすることでした。
「このままだと消えてなくなる恐怖感があった。もうひとつ、歪んで伝わるのも嫌でした。『宇宙戦艦ヤマト』って、犯罪で捕まった人が作ったアニメでしょうとか、そんな風に伝わったら最悪だと。いやいや、『ヤマト』がなかったら“萌え”とか言われている現代のアニメ状況そのものがないんだよと。どんなものにも歴史があり、順序や階層があるので、的確に伝えたいと思うんです。」
もちろんアカデミックにアニメを語ろうという試みは1980年代からあったことはありました。しかし戦略的にうまくいってなかったと思う、と氷川さんは言います。
「僕だって小林秀雄的な評論は知っていますよ。」と、彼は言いました。作品を語る上で作品以外の夾雑物を入れてはいけないという、アカデミックに作品を扱ううえでのルールのことです。でもアニメや、ゲームにそれを当てはめるのは違うのではないか、という想いがあるのだと言います。
「文学は個人作業だけど、アニメのクリエイションは集団作業でしょう。それに「ビジネス」として大金で作られる宿命もある。純文学を語る上では夾雑物とされる事象も考慮しないと、アニメの真髄は語れないという想いもあります。」
会社を辞めた理由
長くセミプロとしてサラリーマン兼ライターとして二足のわらじを履いてきた氷川さんですが、2001年に18年弱勤めた会社を辞めます。先述のとおり、1997年に富野由悠季監督のアニメ『無敵超人ザンボット3』の長編評論『20年目のザンボット3』(太田出版)を上梓していました。氷川さんにとっては初の単著になりますが、これはいずれフリーになることを見越して書いたわけではなく、むしろ「会社を辞めない」ために書いたと言います。会社員と兼業でも本は書ける、ということを自分で証明するために書いたのだと。
それでもその4年後、彼は会社を辞めることにしました。
「最後の4年は課長をやっていて、それは最初の本を書いてからのことになります。課長として部下や外注さんとおつきあいをしていましたが、…(しばし無言)…まあ、要する��僕は向いていなかったということですね。管理職に。 でも、会社に不満はないですよ。世界の広さを見れたし。USBの携帯電話用標準のため、日本企業を代表する使命も果たしました。モバイル用3Gの標準化でも世界中を飛び回りましたしね。会社員としては充実していた方でしょう。でも、2000年に突然、「蛍の光」が聞こえてきたんです。頭の中で。 さすがに詳しくは話せませんが、所属部署の体制が急に大きく変わったんですね。もっと会社の業績に直結することをやらなければならない。僕のように変わった、はぐれ者をもはや許容しない圧力を急に感じるようになりました。 退社後、日本の電機系産業の多くは非難を浴びるようになりました。昔のものづくりの精神、クリエイティビティはどこに行ったんだと。でも、僕は風向きがそれ以前から変わってきたことを痛感していたんです。また、同僚や部下が鬱になったり突然死したことも大きかった。それも複数の方です。40代50代って意外と死ぬんだ、とも思いました。子どももいないし、2000年代以後、自分の変わった才能が活かされることのない気配を察しました。適材適所でいうと、自分はこの会社でもはや適材ではない、と思ったわけです。」
安定した職を辞めてフリーになる不安は、もちろんありました。氷川さんはフリーランスになるタイミングで、夫婦二人でどのくらいのお金が必要なのか、最低年収を現実的に計算したと言います。いろいろ調べて、年収480万円あればなんとかなると確信しました。その基準に対して自分の生産力を考え、一日でどのくらいの字数が書けるか、一文字はいくらになるか、を一通り計算してみたそうです。一週間のうち、どのくらいを営業に使えるかなども。
また、早いうちに原稿を書き留めておけば、それが資産や、パブリックなレファレンスになるとも考えました。氷川さんは過去に書いた原稿の一部をまとめてネットで無料公開し、毎年一冊から二冊、同人誌(ロトさんの本)を出しています。これも自分の仕事見本であり、資産だと言います。
「自分は“運がいい人”かもしれないかと、気づかされたことも大きいです。前に岡田さんに“オタク界のフォレスト・ガンプ”みたいだって言われたことがありました。ガンプはケネディ大統領が写っている写真の中になぜか居たり、歴史的に有名な場面にいつも居合わせている(笑)。僕自身もヤマトの制作現場に顔を出し、同時に円谷プロにも通った。ネットワークコミュニケーションの黎明期にはニフティに携わり、モバイルコンピューティングにも最初期から携わっていた。運よく開拓の瞬間に居合わせて後につながる変革を見��ことが続いた。しかも、なぜか常に作り手に近い立場にいる受け手でもあったんですね。」
もちろん氷川さんにも、アニメの仕事は定年まで勤め上げてから始めてもよかったのではないか、という葛藤はありました。しかし物事にはタイミングというものがあります。氷川さんは、会社に残って苦手な管理職をやるよりも、人脈があり、自分に気力が残っている今のうちに、早くやるべきだ、という気がしていました。
案の定、氷川さんが会社を辞めるタイミングでDVDブームが起こり、角川書店が『ガンダムエース』を創刊し、氷川さんに仕事の流れが来ることになりました。庵野秀明監督の「ふしぎの海のナディア」DVD化に際しては、大きな仕事も担当し、そこから拡がったこともあったといいます。絶好のタイミングでフリーランスになれたのではないか、と彼は考えています。
それでも、フリーランスになってから、壁にぶつかった記憶はないのでしょうか?
「うーん。不遜かもしれませんが、会社にいた頃は、個人の力と意志だけで仕事ができないことが、とてもストレスに感じていたのでしょう。こんなの全部俺がやった方が早い、という感覚があった。組織の管理職でそれが禁句なのは承知の上ですが。フリーランスと会社員の最大の違いは、上下関係がなくフラットなことです。会社では部下は上の命令を実行するのがプレッシャーだし、上司は上司で、部下がうまくできないこと自体がストレスだったりします。でもフリーランスはお互いの領域に敬意をもち、自分で完結する。そこは非常に楽でした。ひとつの仕事を任され、お互いに前向きな提案をして、各自責任を持って仕事を全うする関係性が僕には合っていた。インターネットもそういう構造ですしね。インターネットにはニフティのような管理の中枢がない、並列処理型。会社のようにピラミッド型ではない働き方ですよね。」
(前編はここまで) ※取材は2015年5月に実施されたものです
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魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴ��も(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。ゲッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、 イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、 ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、 トリカブトのアコニチン。
四、 ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、 オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫���のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授��ある。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、���ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっぴり桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまう���それがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元��世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私の男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつさえ他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「か��女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア���コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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Morituri te salutant./Week. 01
將死之人向您致敬。
仔細一想,強制替旅客拍照絕對是個不必要的動作;加上那間狹窄的小房間充斥著使人不快的氛圍,陰沉詭譎,讓人不禁重新深思這艘船的意圖。因此雷森猜想自己在照片上的表情應該是不會多好看——一張不悅、皺眉、不耐煩的臉。 取得鑰匙後,雷森踏進燈火通明的船艙,沿著裝潢奢華的長廊緩步前行。 收到邀請函而選擇登船的人不少,但��人數以這艘船的規模而言並不算多,有些懷著對新世界的嚮往、有些則是孤注一擲,還有一些來自暗處的探究視線,在沉默中等待著變化發生。 雷森抱著那名人類,掌心底下能感覺到他的訂製風衣有一角被對方的傷口浸得濕濡,血液不時從他指縫滴落,沿著他走過的地方留下痕跡。 他腦裡閃過經典童話故事裡那對小兄妹灑下麵包屑作為歸途指引的畫面,百無聊賴地想著不知道是浪費食物的行徑比較惡劣,還是自己居然會幹出這種幾近綁架的行徑比較荒謬。 跟著牆上的標示移動,來到鑰匙上對應的房號,用非慣用手有些彆扭地旋開門鎖。雷森讓緊跟在身邊的黑犬先進房,然後沉著臉摔上門,將隔壁住客循著味道投來的視線阻隔在外,同時雙眼快速將房裡的環境掃視一圈。 房間比他預計的要大上一點,該有的條件一應俱全。有幾扇大面積的對外窗,若是到了白天應該能讓房裡更顯敞亮……雷森想也不想地順手將離床最近的窗簾拉上。 雖然不反對讓房間曬曬太陽,但身為一個凡派爾,他並沒有那種睡到化成灰燼���追求,無論心理還是物理上都是。 評估著房間的格局,雷森腦裡逐步勾勒出這一層船艙的平面。房裡有兩扇門,他隨意繞了一圈,並在打開其中一扇時,滿意地發現是間足以容���四到六人的小型會議室。 那麼另一間應該就是浴室了。 他將隨身物品留在會議室裡,抱著男人踏進浴室,然後在看到裡頭那個白得晃眼的浴缸時,忍不住真誠地發出一聲哈雷路亞——正想著手上這人不知道該扔哪才不會弄髒房間,有浴缸還真是幫了大忙。 雷森把人放進浴缸裡,抽起自己已然報廢的風衣看了一眼,皺著眉扔進一旁提供給住客放置衣物的籐藍裡。阿爾好奇地繞著籐藍聞聞嗅嗅,在磁磚地板上踩出幾聲犬隻走路時特有的踏音。 直到這時他才終於有空閒好好看一看自己撿回來的是個什麼玩意。 撥開黑髮後露出的陌生面孔給人一種安靜而疏離的印象,大概是混血兒,眉目間看得出有點東方血統——雷森抬眉,忍不住又看了幾眼,東方人在這國家裡可不常見。 目測與自己身高相近,剛剛不得已把人抱起來時,就發現對方體格鍛鍊得很好,現在一看肢體線條勻稱而蘊含力量,無論這人是什麼來頭,總之應該身手不差。 男人身上的衣物早已被血液浸透,接觸到浴缸內壁後,將潔白的陶瓷表面塗染得活像命案現場……血流成這樣還沒死透,這人估計能成醫學奇蹟。 不過要是放著不管,大概也就到這裡了。 別干涉太多,雷森。他心裡告訴自己。 你沒在踏進房的第一時間就開窗把人扔下海已經夠對得起上帝,跟人類扯上關係準沒好事,想想藍斯洛跟柏拉德那對白痴夫婦有多讓人煩躁,你不會想要第三個。 雷森看著那張因失血而顯得泛青病態的面孔半晌,說服自己撒手不管。他撐著膝蓋站了起來,準備回到那個已經將暖氣打開的舒適寢間。
他應該從行李箱裡拿出一本書,悠閒地度過他在船上的第一個夜晚,等這個不知道打哪來的人類待在自己浴室裡直到嚥氣了再來收屍。 然而阿爾卻朝浴缸踱去,喉嚨裡發出低沉的咕嚕聲,用鼻尖碰了碰男人搭在浴缸邊緣的手,然後抬頭朝雷森望了過來。 雷森:「……」他幾乎都要從那雙誠摯的狗眼裡看出幾分譴責味道。 阿爾是雷森一手養起來的獵犬,犬科特有的高度忠誠一點不少,雖然面對自己以外的人時確實還算友善,但很少能見牠這麼上心——連他的人類搭檔藍斯洛都沒這樣的待遇,要那傢伙看到這畫面肯定又是一陣鬼哭神嚎。 一人一狗大眼瞪小眼地對峙了一陣,最終雷森敗下陣來,回到浴缸前。 「你對他倒是不錯啊,這麼喜歡這傢伙?」雷森脫下手套、並將袖子捲到手肘處,一邊無奈道:「有沒有想過我面對一道料理卻一口都不能動的心情,啊?」 阿爾回以一聲溫和的低吠。 「……品味真差。」 雷森笑著搖頭,將目光重新放回他奄奄一息的登船夥伴身上,開始全神貫注在手裡的動作。 克萊門特號的汽笛終於拉響,雖然身在船上,但聲音感覺卻彷彿從遙遠的夜裡傳來,像是夜梟鳴啼。 ——啟航了。
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* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者 1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生 1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガ��残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀 証言 1951年11月4日 中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正 自筆供述書 1954年9月7日 中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書 731部隊の研究者 1953年11月11日 中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎 731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄 731部隊少年隊 1923年生 1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。 注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏 731部隊少年隊 1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明 731部隊少年隊 1928年生れ 1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ 731部隊教育隊 1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト���りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方 研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男 第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇 ハルピン市香坊区 1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。 当時私は若く中に���って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。 煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、 涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴 ハルピン市香坊区 1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山 証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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平凡的幸福比得獎更來得珍貴!林宥嘉對丁文琪的甜蜜喊話:我娶到一個只要善待她,就會陪我一輩子的人
今年初完成結婚登記並在五月時於日本輕井澤舉辦了一場溫馨的新婚派對的林宥嘉與Kiki丁文琪,今晚在台北舉行婚禮,林宥嘉表示:「雖然沒有拿到金曲沒有關係,我娶到一個只要善待她,就會陪我一輩子的人」丁文琪也說:「雖然宥嘉沒有得到金曲獎,但我知道評審以外的人都是投票給他的,這樣就夠了」兩人從小小的互動就看出濃濃甜蜜!
小倆口個性低調,所以婚禮過程也簡單溫馨但隆重,兩人邀請了黃子佼擔任婚禮主持人,黃子佼在婚禮上對林宥嘉說:「你今天不只是新郎也是個歌王,新郎只有一次、歌王可以有很多次」小宇和郭靜擔任伴郎伴娘,插畫家Cherng的龍鳳胎外甥、外甥女小豬、小羊則是可愛的花童,終於完成人生大事,林宥嘉和Kiki都很開心,身為林宥嘉的大師姐,也是Kiki姐妹淘的S.H.E,早早就預留下檔期來參加婚禮,這也是Ella生產後的S.H.E首次公開合體,S.H.E祝福兩人早生貴子,Ella還開玩笑傳授生子祕方:保持規律的經期狀態、高漲的慾望、享受每個時刻,不管有沒有中,不要為了生而生,要享受。
大師兄動力火車和王子、曲家瑞、邱澤、王心凌、孟耿如都到場恭喜林宥嘉抱得美人歸。從星光大道比賽開始就看著林宥嘉一路成長的陶晶瑩和李李仁夫婦也祝福兩人早生貴子,陶子則開玩笑說恭喜兩人從天堂掉到了人間,需要有強心臟去面對未來的一切,如果生氣千萬不要動手,要動手也不要打臉,因為我們都是靠臉吃飯的,謝謝,李李仁則說看過丁文琪與林宥嘉相處,兩人相處沒問題,只要好好的珍惜對方就好。
婚禮開始,Kiki身穿MS IDEAS 2017 訂製款蕾絲花瓣婚紗,白紗設計概念以花朵為靈感,一片片粗細交織的蕾絲花瓣,層次不規則地在雪白透膚的白紗上散落,經典的澎裙則以隨性浪漫不造作的剪裁層層堆疊,將優雅與微妙的性感發揮到極致,丁文琪挽著林宥嘉的手,緩緩步入會場,婚禮上先播放了上個月輕井澤新婚派對的影片,影片中兩人對彼此訴說著相守一生的誓詞,林宥嘉說:「今天是我們生命中最不孤單的一天!每一次吵架冷靜後,我都慶幸,身旁的伴侶是你」平實而溫暖的話語感動了所有的賓客。證婚人是華研國際音樂董事長呂燕清先生,他祝賀這對新人永浴愛河、白頭到老,最後林宥嘉和Kiki舉起香檳,感謝賓客到場分享他們的喜悅與幸福。
丁文琪第二套則換上MS IDEAS 2017 訂製禮服系列的鮮花刺繡紗裙,充滿仙氣的薄荷綠紗裙,拋開傳統禮服奢華厚重的包袱,讓Kiki可以隨意的展步漫舞。同樣以大自然為發想,大膽使用鮮少用於禮服的鮮花與乾燥花搭配手工刺繡與金線蕾絲,在上身勾勒出立體又細膩的層次。浪漫飄逸的抛袖剪裁,畫龍點睛的綠絲絨腰帶與薄荷綠紗裙,帶點個性又浪漫的波希米亞風格,呈現Kiki脫俗不造作的天然氣質。
婚禮現場處處展現林宥嘉和Kiki的創意及玩心,也處處親力親為,連婚本、謝卡等小物的擺放位置都親自安排,兩人還特地準備了一個與婚紗照中相似的仙人掌造型拍照板,讓來賓們玩得不亦樂乎。由於喜愛大自然,所以婚禮主要色調是白色和綠色,場內也佈置了許多草綠色植物,打造出室內森林的感覺,就連送給賓客的伴手禮也是可愛的多肉植物盆栽,極具巧思。喜餅則包括了奇華餅家特別為林宥嘉和Kiki訂做的Q版肖像中式大餅,令人直呼可愛。
※來源:華研國際音樂
(完整文章請看VOGUE.com)
延伸閱讀 林宥嘉與丁文琪開新婚派對,「希望讓妳當最幸福的人」 林宥嘉小巨蛋開唱,Jolin驚喜現身合唱搖滾版《舞孃》
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日本自由行‧南九州特色美食採草莓橘子製茶傳統農業民宿與自製陶藝與和服牛車體驗
【 旅遊部落客專欄 / 熊喵 】
熊喵第一次九州就愛上這裡的美好,這次再訪南九州,特色民宿與蜜柑草莓及茶園與和服體驗更是精彩絕倫
其實這次的受邀造訪九州,早在還未出發前,熊就已經非常的興奮,因為身為熱愛日本旅遊的死忠粉絲
除了關西地區之外,最愛的地方原本是北海道
但自從第一次到訪九州的福岡縣、佐賀縣、長崎縣之後,對於這裡的風景與美食更是極度喜愛
所以第二次造訪九州的大分縣、宮崎縣、熊本縣與鹿兒島縣,又各自感受到截然不同的自然風景與人文體驗
還記得走訪北九州的福岡縣、佐賀縣、長崎縣時,不只感受到農家民宿的親切對待
包括美味的蜜柑(橘子),再加上超新鮮的海鮮燒烤與自製手打蕎麥麵,還有第一次感受到的和紙製作
讓到日本超過十次的熊,頭一次真正體會到那種日本文化的博大精深與高水準農漁業水準
還記得熊之前提過的九州四大特色,也是最棒也最適合台灣人造訪的原因嗎?
像是天氣宜人不會太冷,農漁產豐富美食數不清,自然景觀多變有特色,以及人潮不過度擁擠觀光品質絕佳
所以這次熊的南九州行程還是以這四個概念去呈現,也讓大家可以看到更多的九州風光
而這一次,熊依舊跟友人一起出發,再來了一場南九州的深度之旅
我們以舒適的方式搭乘大眾交通工具(JR與新幹線及公車),再加上部分計程車
依舊能讓這六天五夜非常精彩又一點都不麻煩唷!當然如果租車前往的話就更能節省時間,也是很棒的方式
接下來,南九州的第一站,就是造訪位於大分縣的安心院農家民宿「ゆずりはの里」
不過在這次入住前,熊還是照舊跟大家介紹一下,因為民宿畢竟不像飯店有自己的訂房系統
所以如果想到這裡入住,第一步可以寫信去詢問安心院町綠色旅遊研究會
基本上在日本聯絡民宿,都是必須先聯絡當地的觀光協會或是旅遊研究會
如果想要盡快確認住宿事宜
熊會建議大家一開始就清楚寫明包括住宿日期與人數,以及想要民宿主人來接送的地址
還有相關的食物禁忌與個人化需求(像是男女分房、四人一間、有嬰兒等,對什麼東西可能過敏或不吃)
等到安心院町綠色旅遊研究會確認後,就會立刻回覆詢問住客需求,也同步根據需求尋找適合的農家。
另外,因為民宿的房間與空間都有限,所以每個農家大概都只有兩到三間房,也會有住宿人數上限
所以如果是比較多人一起造訪,熊也建議可在訂房的時候問仔細,也可以跟安心院町綠色旅遊研究會討論。
接下來,熊就帶大家來看看這次南九州之旅入住的第一個民宿,名為安心院農家民宿「ゆずりはの里」
以價位而言,每人一泊2食與農家體驗行程,一共是8950日幣(含稅)相當合理
而交通方式也不會太過麻煩,如果不開車的朋友,可以從JR宇佐站下車後轉搭計程車前往
在拍攝過程中,其實熊百分之百能感受到主人佐藤夫婦的熱情
雖然兩位都不熟悉英文,但他們盡力又全心全意為客人安排的體貼感,真的是連頂級飯店都無法比擬
而這樣的態度,在九州的民宿可以說是相當普遍,所以只要來這樣的民宿住過一次,你就會深深愛上
為了擔心天氣太冷,佐藤夫婦不停地送上茶水與甜點,過程中也不斷地詢問我的狀態
這一間老屋其實已經有百年歷史,但除了大規模的木作之外,其他都是由夫妻倆完成
所以即便房屋很有歷史,但在生活起居或是衛浴空間上,卻都是非常舒適又嶄新
即便屋外再冷,屋裡都是滿滿的溫暖與熱情
再加上舒適的體貼感,真的讓熊直到回台之後還忘不了那種感動
而這個空間,就是ゆずりはの里的起居室,一開始入住時民宿主人佐藤夫婦就會在這裡跟大家互動
包括晚餐跟隔天的早餐,也都會在這裡讓大家用餐,超級日式又很傳統的感受,看著窗外景色相當美好
一坐下來,佐藤太太立刻送上一杯好茶與用蕃薯做成的甜點,實在是非常溫暖又很讓人感動
再來,主人也會帶著大家認識一下空間,基本上每間房大概是可以睡二至四人,但都必須先在信上討論好
而這間是熊的房間,空間舒適也非常乾淨,以往每天都睡不太好的熊,在民宿這裡幾乎都是一覺到天亮
看完房間之後,其實安心院農家民宿「ゆずりはの里」不只有舒適的環境
這裡還有提供有趣的料理體驗跟余溫泉泡澡體驗
像這天晚上就是自製豆腐的體驗,其實對日本或是台灣而言,豆腐都是相當常見的食材
但一般人都是在市場購買,而不太有機會自己製作,不過到了這裡通通都可以自己動手
首先,就是把已經泡水準備好的黃豆瀝乾
然後加上適量的水,放進打汁機裡面絞碎
連同豆汁與豆渣一起到出來
然後放進大大的銅鍋裡面加入適量的水,然後慢慢加熱
佐藤太太有說,一邊緩慢加熱之餘還要記得攪動,不然鍋底就會燒焦唷!
完成之後就倒進濾網裡面,把豆汁跟豆渣完整分開
接下來,用力把豆渣裡面的豆汁擠出來
(大家可別以為豆渣就直接丟掉,佐藤太太還會把它做成很好吃的小菜耶!)
最後把豆汁裡面加上凝固劑,慢慢加熱之後就會開始凝結
把最上面的豆腐細塊取出
底部整塊完整的豆腐再壓上重物,手工豆腐就完成啦!
完成之後稍微整理一下,熊也跟佐藤先先稍微聊了一下,他就帶著我們到附近的余溫泉泡澡
相當舒適的大眾浴池很有在地的氣息,泡完之後還真的神清氣爽,接下來就準備吃飯啦!
(只要有心,比手畫腳加上一點日文跟英文還是可以聊得很開心的)
當天還有佐藤先生的朋友也一起來用餐,不只人多好熱鬧,這菜色也真的像是到餐廳吃飯般的相當豪華
大家有沒有看到中間那碗,就是用豆渣做成的和風沙拉,而右下角的小碗就是手工豆腐,真是好吃的誇張
再來,安心院町這個區域因為有鹿跟野豬,所以也會有野味可以品嚐
在正式烤肉之前,還要先生火,也是用非常傳統的方式拿長竹筒吹著,相當有趣味
非常軟嫩的口感,經過醃漬後的鹿肉跟野豬肉吃起來很美味,沒想到能在九州民宿吃到
一邊吃一邊聊,這就是在民宿用餐最棒的感受了,大家一起舉杯既歡樂又讓人忘了旅行的疲倦感
吃完飯,佐藤太太也立刻幫大家鋪好床,美好的環境又萬籟俱寂,再加上吃的超飽真的會讓人好想睡
因為隔天行程依舊滿檔,所以熊起了個大早打開房門,就看到這樣的情景
已經溫暖的起居空間,居然打開著熊最常看的CNN新聞,其實這就是日本民宿的體貼與細膩之處
從熱熱的被窩出來,立刻就能感受到來自於主人家的用心與照顧
再加上一頓美味的早餐,就算天氣再冷都變得超溫暖
對熊而言,這次到九州體驗民宿之後真的無法忘懷這裡的感受,以後到了日本,選擇住在民宿也會更有信心
結束第一天的行程後,第二天趁著天氣晴朗,熊跟友人一起前往第二個行程,也就是頗負盛名的青雲橋
不過宮崎這裡其實不只有清雲橋,也還有許多不錯的景點可以參觀,當然你可以選擇自己邊走邊看
但最棒的方式,就是讓專人帶路
所以熊的第二個行程就是宮崎縣日之影森林鐵道遺跡散步導覽(官方網站介紹請點此http://w ww.hinokage.jp/categories/kankou/therapy/)
其實,這個宮崎縣日之影森林鐵道遺跡散步導覽跟入住民宿的方式一樣
只要先發信預約,或是可以聯絡日之影町役場地域振興課甲斐優人(電話:0982-87-3910)
每人費用是6000元日幣,就會有專人安排帶著旅客進行導覽
大概一個半小時的時間裡面,可以從吾味車站走到觀音瀑布
接下來,我們就跟著專人開始導覽吧!在導覽之前,還要認真的熱身(要做體操)避免扭到
但一路上其實都很平緩,走起來全無壓力,再加上風景超棒,真的是一種絕佳享受
首先在入口處,導覽專家還會跟大家介紹這裡有可能看見的鳥類
開始吧!非常開闊又壯麗的山河美景
時而陽光時而陰鬱,就像是四季更迭般非常引人入勝
沿著廢棄的舊鐵道,光是用眼睛看著寬闊的景色,還有用耳朵聽著周邊聲音,就是一種花錢也買不到的奢侈
導覽員沿途不停地介紹當地的植物,還有各個地方的不同特色,的確是一種兼具健康感與知性的田野之旅
有時候拍累了,其實放下相機把情緒倒空,深深地大口吸氣,彷彿全身都能被完美洗滌
這樣的日本,不只能有田園野趣又不會簡陋,能有完整的自然體驗卻又不荒涼,這就是日本九州的美好
經過不同的風景,你也能感受到地區的興衰與發展
其實,整個日之影森林鐵道遺跡散步導覽除了環境地貌多變,再加上空氣很舒服之外
最後的觀音瀑布,也是旅程中的一個亮點
有圖有真相,這就是觀音瀑布
雖然不算很大,但只要一接近這優美的風景與讓人心曠神怡的負離子,就有難以言喻的無比舒暢感
正好當下還有人在沖水修行祈福,真的就跟書上讀到的樣子完全相同!
這瀑布真的很漂亮,這位在修行的日本人也很猛,天氣大概只有五度左右,卻還是能在湖裡游泳
結束導覽之後,換了一條路線回到集合地點,導覽員還介紹我們這位日之影町之光
也就是這裡最重要的竹編職人廣島一夫
也在窗外看著他的細緻竹編工藝,實在讓人無話可說!驚嘆日本人對於傳統工藝的用心耶
再來,因為還有一些時間
所以在入住今晚要過夜的地方之前,熊跟友人再度到訪另一個日之影町的重要人文地標
名為宮崎縣日之影陶藝工房「匠之里」(每人3000元日幣,含陶藝教學、燒製與寄送到家)
(預約制,可聯絡日之影町役場地域振興課甲斐優人 ,電話0982-87-3910)
以交通來說,如果不開車的朋友,可以從JR延岡站搭乘宮崎交通巴士高千穂線舊道
在青雲橋站下車,再步行約15分鐘(或搭計程車前往)即可到達
一進到裡面,真的就充滿著濃厚的藝術氣息與陶土香氣,陶藝老師古川博文在福岡學習陶藝許久
回到家鄉開設陶藝工作室,也想讓這樣的文化能在自己熟悉的土地上落地生根
所以只要有預約,他都很樂意跟大家分享自己製作陶器的想法與方式
充滿陽光感的工作室,每一個角落都有質樸的美感
工作室裡還有一隻很可愛的野貓,也成為我們今天的陶藝夥伴
不少作品都放在架上,靜靜地等待古川老師完成
接下來,就是古川老師的示範時間,製作陶藝作品看似簡單,但如果想要做的完美其實並不容易
古川老師透露了幾個小秘訣,包括手要保持濕潤,腳踩轉盤的速度也要維持一定
最後,要記得控制力道與角度,就能做出不錯的成品
聽完老師的介紹,再來就正式進入實作時間,由熊的旅伴Diana來試試九州日之影町的陶藝初體驗!
真的比想像中困難許多,碗的形狀一下子就歪掉啦!
但是,大概十分鐘左右,Diana就抓到訣竅了,接下來繼續挑戰其他的種類
很需要手眼平衡的陶藝初體驗,看起來是不是很有氣質啊!
最後,熊跟Diana一口氣完成幾個杯子跟碗
老師也教我們怎麼把完成的碗從台子上取下來
經過一個小時的努力,我們一共完成兩個碗與兩個杯子
古川老師也跟我們解釋,因為陶土要經過燒製,所以會縮小百分之三十左右
完成體驗之後,他也會仔細詢問需要怎麼上色,大約一個月左右就會寄送到家裡!
這就是熊手工製作的杯子,說真的熊一開始完全沒有信心,但經過一陣子的努力,總算有做出一個形狀
希望真正拿到杯子的時候,可以送給喵當作新年的禮物!
經過一整天的行程,終於要到今晚入住的地方check-in啦!
今晚熊跟友人不住民宿,而是造訪日之影當地很有特色的一個火車旅館(需電話預約,0982-87-2600)
名為宮崎縣日之影TR列車住宿,每人住宿是3850元日幣(含住宿與溫泉澡堂,無早餐)
它位於宮崎縣日之影溫泉站旁,直接把以前的列車車廂改造成房間
不開車的朋友,一樣從JR延岡站搭乘宮崎交通巴士高千穂線舊道在青雲橋站下車
再步行約15分鐘(或搭計程車前往)即可到達
這就是日之影TR列車住宿,一旁就是自然景觀
這次熊入住的房間是雙人房,名為影待駅
其實已空間而言,TR列車住宿相對比較狹窄,特別是高度有些限制,所以進出時也必須稍微注意一下
簡單的洗手台與冰箱,頗有趣味的設計感,這也是熊第一次體會到在車廂裡住宿的感覺
雖然車廂不大,但還是依舊有著日式麻雀雖小五臟俱全的概念,搭配免治的洗手間還是相當舒適
休息了一夜,第三天的天氣雖然有些陰霾,但完全不影響熊的美好行程
今天的重點是體驗九州的精緻農業,其中最能代表的自然是各式各樣的頂級水果
所以熊來到了位於熊本的觀光農園吉次園
(營業時間上午九點至下午五點,電話:(+81)96-273-2544,需預約)
沒開車的朋友,可以從青雲橋公車站搭乘阿蘇號巴士,抵達熊本車站前站下車,再搭乘計程車前往
這家吉次園的最大特色,就是依照不同季節有超多種類的水果
像是從12月-5月就是草莓季節,8月-11月則有蘋果,7月-10月還有葡萄
再加上9月-12月的梨子跟橘子,真的是隨時到訪都有水果可採
另外,一般在台灣到觀光果園採果,都是屬於吃到飽的消費方式,在吉次園這邊則是看水果種類而有不同
以能提供吃到飽的品項而言
國中生以上每人是500-1700日幣,小學生以下則是400-1300日幣(依水果種類有所不同)
另外比較高貴的水果則是以秤重計價,也是依照水果種類不同,大約是每100公克67-260日幣左右
因為正好是草莓季節,所以熊就來感受一下在溫室裡面採草莓的樂趣吧!
在吉次園這裡,一共有五種不同品種的草莓,都各有特色與口感
有比較清爽適合小朋友吃的,也有比較大顆酸香明顯適合入菜的,還有小顆豔紅而飽滿又超甜美的
乾淨又舒適的草莓園裡栽種的無毒草莓,不必洗就可以吃哩!
但熊也要提醒大家,因為草莓比較容易受傷,所以看準之後再下手,不然只要表面受傷就很容易壞掉唷!
根本不需要刻意挑選,每一顆就都是這麼美好
再來,吉次園不止有很棒的果園,想品嚐這裡的水果還有另一個方式,就是到果園對面的吉次園咖啡廳用餐
在一旁的展銷中心,也能買到新鮮水果或是水果類製品
而另一邊則是很舒服的咖啡廳
這就是吉次園的草莓,顆顆飽滿多汁
而這樣的高品質草莓,也能做成多種不同產品
像是非常精緻的草莓果醬
還有奶香濃郁又有草莓顆粒的草莓奶昔
最後的壓軸,則是放入四片切半草莓的聖代,每一口都是濃郁而豐富,一邊吃就有超幸福的感覺
吃完草莓,接下來的目標就是位於熊本縣阿蘇市的熊本縣阿蘇地質公園
如果是搭乘大眾交通工具的朋友,只要熊本車站前搭乘公車「やまびこ号」到「阿蘇站」下車
再搭乘計程車前往阿蘇火山博物館即可
基本上,阿蘇地質公園裡面有個火山博物館,每人門票費用860元日幣就可以了解阿蘇火山的很多資訊
(開放時間9:00-17:00,最後入場時間下午16:30,官網連結請點此http://w ww.asomuse.jp/)
但如果想理解更多,或是實地走訪阿蘇地質公園的開放區域,就需要事先預約地質導遊
(每人價位2500元日幣)
不過,熊當天雖然預約了地質導遊,但因為天氣實在不佳,所以只好作罷
在阿蘇火山博物館裡面,也有販賣相關的紀念品
直到熊跟友人搭車下山時,天氣才放晴,所以趁著空檔下車拍了幾張照片,也感受到阿蘇火山的規模
超美的火山景觀,但未來還是有噴發的可能
結束阿蘇火山的行程後,因為正好是午餐時間,所以一行人也到了附近一家很有名的餐廳用餐
餐廳名為阿蘇カフェ もちとこ(Café Mochitoko),位於阿蘇市西町885,距阿蘇車站計程車約10分鐘車程
一般的營業時間是從上午11:30至下午17:00 (週二、周六與第一個周日公休)
因為有在地人推薦,所以熊跟友人分別點了漢堡排野菜定食跟咖哩飯
全木製的地板與空間,穿著室內拖鞋吃飯相當舒適
坐在窗邊,就能飽覽窗外一望無際的好風景,包括阿蘇火山也進入眼簾
這就是友人點的咖哩飯,吃起來口感豐富份量也很足夠
再來這是熊的漢堡排野菜定食
每一道菜色都很精緻,全部吃完之後也會非常飽,美味的白飯跟配菜混搭在一起真的相當美味
接下來,熊又點了一些甜點,也是樣樣都美味,在這裡用餐不止環境好味道也相當有水準
把心情靜下來,喝杯咖啡搭配甜點,不必花上很多錢就能吃個暢快
用完餐之後,熊跟友人一起搭乘新幹線到出水站下車
就看到鹿兒島縣出水市農家民宿「だんだん」主人東夫婦來車站接我們了!
因為時間剛好,所以他們兩位立刻開車帶我們去看落日美景,除了海景與落日之外,下面的軌道就是新幹線
一旁也就是他們的果園,看了半小時的風景光線都不相同,實在很美也很壯觀!
今晚的住宿地點,就在位於鹿兒島縣出水市的蜜柑農家「だんだん」(每人8600元日幣)
在這裡不只有很棒的風景,除了能住上一晚,包括採水果體驗與賞鳥活動,還有美味的 一泊二食鄉土料理
(出水市有約一萬隻的鶴鳥棲息,鶴鳥觀察中心展望台開放時間:9:00-17:00,門票:210日幣/人。)
當然,跟之前介紹過的民宿相同
除了造訪前要先寫信詢問出水市觀光交流課(繁體中文官網請點此http://w ww.izumi-navi.jp/tw/)之外
熊還要清楚寫明包括住宿日期與人數,以及想要民宿主人來接送的地址
以及相關的食物禁忌與個人化需求(像是男女分房、四人一間、有嬰兒等,對什麼東西可能過敏或不吃)
等到出水市觀光交流課確認後,就會立刻回覆詢問住客需求,也同步根據需求尋找適合的農家。
看完夕陽,接下來就是回到今晚入住的民宿蜜柑農家「だんだん」
很舒適的環境,就像是回到家一般
這間就是熊晚上的房間
而這間則是友人的房間,桌子搬開之後空間超大的!
在簡單介紹環境之後,大家又是喝茶吃點心,時間過得超快,又到了要吃飯的時間哩
熊看著東太太忙進忙出,又聞到很香的味道,看來今晚應該是有很多好料
果然,一道道好菜開始上桌,首先是一大盤蔬菜沙拉(這裡的蔬菜水果都是自己種的,難怪這麼好吃)
再來,就是最適合招待客人的牛肉壽喜燒!是不是很豐盛呢?真的就像是在餐廳吃飯一樣
最後居然還有甜點,這實在是太不可思議了
熊一整晚除了一開始的40分鐘是坐著之外
接下來一個多小時都只能站著聊天,因為實在是吃得太飽而無法坐下啊!
因為東夫婦擁有一整座果園,所以他們也會製作果醬到各地販賣
好好睡了一晚,熊隔天特地六點就起床,就為了造訪一個出水市最重要的景點
就是為了這些嬌客所建立的鶴鳥觀察中心展望台!
因為出水市大約有一萬隻的鶴鳥棲息,所以官方才建立了這樣一座鶴鳥觀察中心展望台
其實一般來說開放時間是上午9:00至下午17:00,每人門票是210元日幣
但這次因為受邀造訪,所以我們在六點出頭就登上頂端拍攝
看著太陽逐漸升起,天空越來越光亮,其實光是在展望台上看風景就非常過癮了
接下來,工作人員也在特定的產業道路上撒上飼料,歡迎這些候鳥在這裡覓食
超級驚人的數量,也間接證明這裡的絕佳環境
美好的早晨,就在太陽冉冉升起間展開序幕,看完候鳥之後,熊跟一行人再回到溫暖的民宿準備享用早餐
吃完早餐之後,熊跟著東先生到了果園,也開始拍攝他的工作過程
這次的在果園裡面,熊看到了好多種水果,包括兩三種柚子與橘子,都是非常新鮮又好吃
每天都在這裡工作的東先生,很開心地跟我們分享他的小秘訣,就是要真心愛著自己的農作物
再加上溫暖的陽光與海風吹襲下,就會讓它們長得更強壯也更加甜美
再來,就是Diana的初學者採果時間,依照東先生說的用剪刀從尾端把枝葉剪斷,而非硬拔
越來越上手也越採越有趣,不過維持了不到15分鐘,其實就能感受到疲倦感
再來,東先生也把原本都已經套袋的橘子再度打開,就可以讓我們開始採果
稍微問了之後才知道,之所以會把橘子套袋,其實是為了避免鳥類啄食
東太太說,只要把整個橘子都套上黑色袋子,鳥類就不會來啄食
但如果有地方沒套好,露出來的地方就會被啄的很嚴重
嚴肅而熟練的動作,就是東先生在這裡工作多年的最好證明
(其實他以前也在城市裡上班,後來才回到果園擔任全職農人)
品質很棒的橘子,每一顆都是水分十足拿起來很沉,吃起來酸甜交錯超級美味耶
Diana一路從橘子採到柚子,也算是收穫滿滿
超大的白柚,是東先生最大的成果與驕傲
採完水果,也正是開始進行接下來的行程
出水市雖然並非鹿兒島縣的最大城市,但卻有個很厲害的地方
所以熊這一站的目標是在鹿兒島縣出水市昭和町50-27 (JR出水站步行約10分鐘)的味處魚松餐廳
因為,出水市是全日本雞肉與雞蛋產量第二的城市
既然這裡以雞肉與雞蛋為名,所以也推出特色料理名為鹿兒島縣出水親子排飯(每人1240元,套餐)
不過,如果想品嚐出水親子排飯的美味
在出水市這裡一共有包括味處魚松、Grand Chateau鶴丸、HOTEL KING、Restaurant竹之子四家餐廳提供
首先,當然要送上出水市的頂級雞蛋(可生食,算是全日本首屈一指的頂級雞蛋)
再加上煙燻雞肉,口感鮮嫩多汁非常正點
再來,就是搭配酸甜果凍的嫩煎雞肉,雖然只有小小一塊,但吃起來真的非常迷人
再來,就是這餐的重點,附上高溫鐵盤的雞肉鐵板燒(左邊是雞腿,右邊則是雞胸肉)
話不多說直接放上去,高溫讓雞肉吱吱作響,讓人食物大開啊!
差不多這樣的熟度就可以吃了,出水市的雞肉也都有生食的水準,只是熊還是建議盡量烤到全熟再食用
再來,這裡使用的雞蛋都是雙黃蛋
直接把蛋黃打在飯上,然後加上燒烤過的雞肉一起入口,細緻軟綿的蛋汁與Q彈無比的飯粒
搭配嚼起來香甜多汁的雞肉,這樣的雞肉鐵板燒料理實在是��人無法抵抗,也屬於平民版本的頂級美食
用完午餐,正是一個飽滿到快要走不動的時候,這時候最好的方式就是找個機會來散步助消化
所以,下一個行程正好就能讓大家一邊散步一邊拍攝
也就是很有名的鹿兒島縣出水市武家屋敷和服體驗(官方網站請點此http://w ww.izumi-navi.jp/tw/feature/buke)
其實武家屋敷(需五人以上採預約制,每人5500元日幣,時間約二到三小時)旁就是篤姬拍攝地仙巖園
所以近期內也成為熱門觀光景點,而在這裡除了能感受到舊時代的薩摩藩氣息之外
最棒的體驗方式就是來一場武家屋敷和服體驗!所謂的武家屋敷其實就是舊時代薩摩藩的武士住宅
而在體驗之前,也是要記得先發信到出水市觀光交流課(中文可)
確認時間之外,還要五人以上的團體才行,而體驗之後的和服也可以讓大家帶回去作紀念哩
另外,不只可以穿著和服拍照,還可以搭配牛車體驗(每人 1000日幣)更有趣味性哩!
如果想要進行和服體驗,就要從這裡進入
左邊是很有特色的庭院,右邊脫下鞋子就能進入和服體驗的空間
這幾位美麗的和服老師,就是來協助大家體驗和服的觀光大使
首先,就先來挑選和服的款式,接下來就開始換裝
而熊趁著Diana換裝的時候,先來拍攝一下武家屋敷的市內空間
真的很有味道,彷彿回到篤姬劇中的情景
每一���空間,就像是時空隧道般讓熊有種回到過去的感覺
完成著裝的Diana,以和服的優雅模樣現身!
只要身處在這個環境裡面,怎麼看都非常有氣質
是不是有種不可思議的感覺呢?就像是在電影裡面看到的角色一般
彷彿時間凝結,這樣的感覺你一定要到現場來體驗才能理解
另外,搭著牛車在武家屋敷周邊漫遊,也是一件很有特色的活動,看著車輛從牛車旁邊擦身而過
那種穿越古今的氣氛,真的只有在電影裡面才能感受啊!
只要經過可以拍攝的景點,操控牛車的大哥也會主動停下來讓大家下來拍攝
而這次的旅程的最後一站,就是今晚入住的鹿兒島縣出水市農家民宿「天香里」,主人是田中夫婦
因為是茶園農家,所以入住後可以體驗炒茶,還有難得的看野鹿行程
再加上一泊二食鄉土料理(每人8600元日幣),但跟之前提過的民宿概念相同
造訪前要先寫信詢問出水市觀光交流課(繁體中文官網請點此http://w ww.izumi-navi.jp/tw/)之外(中文可)
熊還要清楚寫明包括住宿日期與人數,以及想要民宿主人來接送的地址
以及相關的食物禁忌與個人化需求(像是男女分房、四人一間、有嬰兒等,對什麼東西可能過敏或不吃)
等到出水市觀光交流課確認後,就會立刻回覆詢問住客需求,也同步根據需求尋找適合的農家。
一望無際的茶園,都是田中夫婦所有
雖然天氣有點冷,但大家還是很開心地到茶園裡面拍照
很開朗的田中先生,很開心有機會能認識台灣的朋友,其實在幾年之前,台灣的媒體也曾經來這裡採訪過
而在田邊的空間,田中先生也養了兩頭羊,平時夏天的時候可以在田裡解決雜草問題,但晚上就必須綁起來
(因為如果不綁,他們就會一起聯手把茶吃光光。。。。)
Diana也在一旁餵羊,瞧她開心的模樣啊!
接下來,就正式進入炒茶體驗
一旁也準備好了各種工具
這次要製作的是日式玄米茶,首先就慢慢地把鐵鍋加熱,然後倒進玄米茶的原料
等等在一旁還可以順便烤地瓜
隨著溫度升高,鍋裡的食材也慢慢一顆顆地爆開
哇!真的好香啊!
再來就是倒入茶葉,在經過一陣子的炒熱之後,大家熟悉的玄米茶就完成了耶!
炒完茶洗完手,田中太太開始帶著我們認識環境
每個房間都很寬敞,這就是住在民宿的優點之一(不然日本的飯店真的都偏擁擠)
到了吃飯時間,田中太太動作相當敏捷地拿出一人一大盤餐點,一看之下發現不得了
還真的是山珍海味一網打盡啊!炸物烤物野菜料理跟大閘蟹通通都沒少,實在讓人覺得太豪華!
味道很棒的海鮮炸串,根本就是有餐廳水準
每人兩隻蟹,蟹黃鮮美度實在很高,熊吃得不亦樂乎耶
用完餐,田中太太也開著車帶著我們一邊兜風一邊尋找野鹿,果然在半小時內找到五六雙發亮的眼睛
在這樣的民宿生活一天,就能感受到無比的舒暢與寧靜
雖然只是短短兩次的五天行程,讓熊對九州的環境有了初步的了解,也非常喜歡這裡的一切
包括水果與蔬菜等農產品,還有各種新鮮的海產與肉類,再加上真心對待的民宿與人文體驗
只要來到九州,就能感受到真正的日本文化與特色,你還能不心動嗎?
最後,如果想體會這次熊喵造訪的九州行細節,或是想感受更多的九州美景
熊在這裡要跟大家報一個好康,只要收看WakuWaku Japa台灣頻道(連結請點此http://t wn.wakuwakujapan.tv/zh/)
就可以收看由2位住在台灣的吉本藝人
以及日本的台灣留學生體驗九州的實況節目「FEEL THE KYUSHU」(節目連節請點此)
不只能感受隱藏在農家與漁村裡的九州魅力,以及有著美食寶庫知名的九州在地美食唷!
有興趣的朋友,可以參照以下的播放時間與內容收看唷!
第1集 熊本縣篇 2月16日(四) 19:00~19:30
第2集 大分縣篇 2月21日(二) 19:00~19:30
第3集 福岡縣篇 2月22日(三) 19:00~19:30
第4集 鹿兒島縣篇 2月23日(四) 19:00~19:30
第5集 宮崎縣篇 2月28日(二) 19:00~19:30
第6集 長崎縣篇 3月1日(三) 19:00~19:30
第7集 佐賀縣篇 3月2日(四) 19:00~19:30
第一站大分縣安心院農家民宿「ゆずりはの里」
屋號:「ゆずりはの里」
代表者:佐藤 美代子
地址:大分縣宇佐市安心院町荃の口1452
電話:0978-44-4039
內容:料理體驗與余溫泉泡澡一泊二食
交通方式:從JR「宇佐」站搭乘計程車前往
預約方式:可以寫信去詢問安心院町綠色旅遊研究會
寫信時請告知: ■住宿日 ■住宿人數 ■希望接送地點 ■食物禁忌 ■其他需求(如男女分房、四人一間、有嬰兒等)
收到信之後,安心院町綠色旅遊研究會的人會回信詢問住客需求,並根據需求尋找適合的農家。
住宿金額:8950日幣/人(一泊2食+農家體驗,含稅)
官方網站:http://w ww.ajimu-gt.jp/
第二站宮崎縣日之影森林鐵道遺跡散步導覽
預約方式:電子郵件預約 [email protected]
導覽時間:約1.5小時
導覽路程:吾味車站至觀音瀑布
導覽費用:6000日幣/人
聯絡單位:日之影町役場地域振興課甲斐優人
電話:0982-87-3910
官方網站:http://w ww.hinokage.jp/categories/kankou/therapy/
第三站宮崎縣日之影TR列車住宿
住宿:「TR列車の宿」
地址:宮崎縣日之影溫泉站旁
電話:0982-87-2600
內容:列車上住宿溫泉泡澡
交通方式:從JR「延岡」站搭乘巴士[宮崎交通]高千穂線[舊道],於「青雲橋」下車,再步行約15分鐘(或搭計程車前往)
預約方式:電話預約 0982-87-2600
住宿金額:3850日幣/人(一泊+溫泉澡堂,含稅)
官方網站:http://w ww.hinokage.jp/docs/2016022300149/
第四站宮崎縣日之影陶藝工房「匠之里」
交通方式:從JR「延岡」站搭乘巴士[宮崎交通]高千穂線[舊道],於「青雲橋」下車,再步行約15分鐘(或搭計程車前往)
預約方式:電子郵件預約(請點此)
聯絡單位:日之影町役場地域振興課甲斐優人
電話:0982-87-3910
體驗費用:3000日幣/人(陶藝教學、燒製與寄送至府,含稅)
地址:日之影町大字七折2909-8
陶藝老師:古川博文
第五站熊本縣観光農園吉次園
交通方式:公車站「青雲橋」搭乘阿蘇號巴士,抵達「熊本車站前」下車,再搭乘計程車前往
地址:熊本市北區植木町木留556-1
營業時間:9:00-17:00
電話:+81-96-273-2544
費用:(以吃到飽計算):國中生以上500-1700日幣/人 (依水果種類有所不同) ,小學生以下:400-1300日幣/人 (依水果種類有所不同)
(秤量計價):67-260日幣/100公克 (依水果種類有所不同)
水果內容:全年都有作物,草莓(12月-5月)、蘋果(8月-11月)、葡萄(7月-10月)
梨子(9月-12月)、橘子(9月-12月)
官方網站:http://k ichijien.jp/
臉書:https://w ww.facebook.com/kichijien
第六站熊本縣阿蘇地質公園導覽
交通方式:熊本車站前搭乘公車「やまびこ号」,前往「阿蘇站」下車,搭乘計程車前往阿蘇火山博物館
地質導遊預約網站:http://w ww.aso-geopark.jp/kyoukai/ch/reservation/
地質導遊費用:2500日幣/人
阿蘇火山博物館地址:熊本縣阿蘇市赤水1930-1
門票費用:860日幣/人
開放時間:9:00-17:00最後入場時間;16:30
官方網站:http://w ww.asomuse.jp/
第七站阿蘇カフェ もちとこ(Café Mochitoko)
地址:熊本縣阿蘇市西町885
交通:距離阿蘇車站計程車約10分鐘車程
營業時間:11:30-17:00 週二、周六與第一個周日公休
第八站鹿兒島縣出水市農家民宿「だんだん」
屋號:「だんだん」(蜜柑農家)
代表者:東夫婦
內容:蜜柑體驗與賞鳥(一泊二食鄉土料理)
交通方式:從搭乘新幹線至「出水站」下車,農家會至車站接送
預約方式:可以寫信詢問出水市觀光交流課(連結請點此,中文可)
寫信時請告知: ■住宿日 ■住宿人數 ■希望接送地點 ■食物禁忌 ■其他需求(如男女分房、四人一間、有嬰兒等)
收到信之後,出水市觀光交流課的人會回信詢問住客需求,並根據需求尋找適合的農家。
住宿金額:8600日幣/人(一泊2食+賞鳥,含稅)
補充說明:出水市有約一萬隻的鶴鳥棲息,鶴鳥觀察中心展望台開放時間:9:00-17:00
門票:210日幣/人。停車免費
出水市觀光官方網站:請點此http://w ww.izumi-navi.jp/tw/(繁體中文)
第九站鹿兒島縣味處魚松出水親子排飯
特色料理:出水市雞肉與雞蛋產量高居日本第二,故創造此特色料理出水親子排飯
地址:鹿兒島縣出水市昭和町50-27 (JR出水站步行約10分鐘)
費用:出水親子排飯 1240日幣/人
出水市共四家餐廳提供此特色料理:味處魚松、Grand Chateau鶴丸、HOTEL KING、Restaurant竹之子
出水親子排飯官方網站:請點此 http://w ww.izumi-navi.jp/tw/feature/food
第十站鹿兒島縣出水市武家屋敷和服體驗
地點:武家屋敷(需預約)
費用:5500日幣/人
時間:約2-3小時
人數:5人以上
其他:穿過的和服及腰帶可以帶回家,也可以穿著和服進行牛車體驗
牛車體驗:1000日幣/人
牛車體驗官方網站:請點此 http://w ww.izumi-navi.jp/tw/feature/buke
第十一站鹿兒島縣出水市農家民宿「天香里」
屋號:「天香里」茶園農家
代表者:田中夫婦
內容:炒茶體驗與看野鹿(一泊二食鄉土料理)
交通方式:從搭乘新幹線至「出水站」下車,農家會至車站接送
寫信時請告知: ■住宿日 ■住宿人數 ■希望接送地點 ■食物禁忌 ■其他需求(如男女分房、四人一間、有嬰兒等)
收到信之後,出水市觀光交流課的人會回信詢問住客需求,並根據需求尋找適合的農家。
住宿金額:8600日幣/人(一泊2食+體驗,含稅)
出水市觀光官方網站:請點此http://w ww.izumi-navi.jp/tw/(繁體中文)
文章出自: 熊喵
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月是我們這座樓內公認的美女,她住在我的對面套房裡。我們都是住在這樓的頂層,所以我們這兩套房就在五樓處又添了一個鐵門。 月的老公是我們團裡有名的台柱子,每年他都有一大半的時間不在家裡,月的單位效益不好,她就下崗回家搞了個家庭美容院。顧客大多是團裡面那些有錢又有閒的太太們。 我呢,因為一次演出中出了點事故,腿被道具箱砸傷,從此以後享受工傷,整天無所事事,加上月月與我還算談得來,有空時我也會上她那邊玩。她呢,有空也會上我這邊聊天。可是在發生一件事後,我發現我對她不再像以前那樣了,我對她充滿了意淫。她呢,也開始有意無意的靠近我,不知道這樣下去是好是壞呢? 我們同住在五樓,我常常會用望遠鏡看遠處的景色,我喜歡享受這種感覺,看著遠處那層層迭迭的樓房,那含間的綠地,遠處的山,遠處的一切都是讓我那麼的嚮往。有一次我突然間發現我的衛生間裡可以看見我對面套房的衛生間,因為我們套房蓋的時間比較早了,每戶都只有一個衛生間。 這天晚上,我就有意的守在我的衛生間中,月的老公又出去演出了,月一個人在家?!我就在屏息等待,終於一個身影在窗簾的小縫間閃過,我努力的使我的手不抖動,小縫裡,一個潔白的軀體正在寬衣,是月。 她的侗體此時都暴露在我的眼睛中,她脫盡了她的衣物,因為是同層,我只能看見她碩大的乳,在望遠鏡裡不停的隨她的動作而抖動,乳頭小而紅潤,以後好些日子裡我都納悶,都說結過婚的女人乳頭又大又黑,怎麼月的卻是例外? 有時也會問她,她都會嬌羞的躲在我的懷中,說:「你好壞,老問這種羞人的問題。」 我努力張大眼睛,使自己看得更清楚,她的手滑過嬌嫩的肌膚,任水灑的水灑遍她的全身,她用手撩起頭髮,挺著胸,我可以看見水在她頭髮間流動,然後流向她的乳,在乳上稍稍停下,就沿著乳頭處,滴落…… 自從這次偷窺後,我幾乎每晚都要在衛生間裡等月的出現,不管她洗澡還是如廁,我都努力的看著每個細節,然後回到夢裡與她一起雲雨。 一晚,我如期的等在我的衛生間裡,卻發現月的衛生間窗簾不在掛著,我想可能是髒了,她拆下來洗了,這可是千載難逢的好機會啊,我連忙拿出我的數碼攝像機找好一個角度,架好,遮住上面的紅燈,就等好戲上場了。 大約新聞聯播過後十分鐘,我都可以聽見月那邊焦點訪談的音樂想起了,只見月急不可待的衝進衛生間,脫下褲子,我終於可以不受窗簾的約束,我站在椅子上,可以看見月的胯下那神秘的所在,一團漆黑,一股急流從矛草叢裡,噴灑而出,月臉上露出滿足的笑容。 解完手後,月就一個人坐在馬桶上發了一會兒呆,抬頭看看了我這邊,我想壞了,會不會被她發現了,可能她看見我這邊的漆黑,以為沒人,就褪掉身上所有的衣服,此時正值夏季,衣物不多,轉眼間她就脫盡了,只見她抬起左腿,露出那紅潤潤的陰部,手指撐開她的陰唇,中指插入了深處。 她在自慰,我心中一���狂呼,連忙將攝像機拉近,直到她的整個下體都在攝像的鏡頭上,她的手指一陣抽插,嘴裡不停有喘息聲,我的胯下早已經豎立,我輕輕的脫著自己的褲子,露出了已經青筋直冒的陰莖,一隻手扶著機器,一隻手不停的揉搓自己的肉棒。 月的手越插越快,終於在她的一聲長吁中,她達到了高潮,我也射出了自己的精液,有些灑在了窗戶上,有幾滴灑在攝像上,我剛要衛生紙去擦,卻忘記自己仍在椅子上,一下子就把掛衛生紙的盒子扯掉在地上,這邊的聲響顯然驚動了了月,她抬頭看著我這邊,我嚇的只有慢慢的蹲身出去…… 此後,我遇見月都會有點不自然,她卻好像什麼都沒發生,仍同以前一樣,與我有說有笑的,對我好像比以前更隨便了,有些只有女人間才流行的話,她也會不時的找來一些同我說,說得有幾次臉都熱了,小弟弟已經勃得老高,真想當場將她撲倒在床,只是殘存的一點理智將我生生的拉回…… 月的美容生意很好,這個白天,她叫住了我。 「阿力,今天我新到一批新的護膚品,你過來幫我試下。」我喜出望外。 「男的用嗎?」「不是,只是看一下對皮膚的反應,你來嘛?」 聽到這,比聽什麼都讓我嚮往,我馬上就到了她的美容室,她關好了家門,就讓我躺在了美容床上,她拿出了一種味道香香的膏抹在了我的臉上,並且打開了音響,讓我沉浸在軟軟的音樂裡,真像躺在了雲端中。 我發覺我的胸襟被結開,月軟膩的口音再次讓我陶醉「面膜要等下才可以揭開,我先替你按摩一下。」 她的手在我胸口輕輕的滑動,落在我的乳頭處,揉著,我居然感到快感,男人的乳頭被女人玩弄也有快感?! 我的胸肌被她捏弄,突然我的胸前,滑過一個滑膩膩的東西,我睜開眼睛,只見月的舌頭正輕巧的挑著我的乳頭,我短褲裡的小弟弟開始經不起誘惑。 「阿月,你在……」我在說出這句話後,已經再說不出話了,月的唇壓在我的嘴上,舌頭已經侵入我的齒間。 「力,我好想你,你知道嗎?你在那邊看姐的裸體看夠了嗎?這次姐讓你看個夠」 說完,她就在我的面前,脫去她的身上的所有束縛,一對我夢寐以求的酥乳一下從罩杯中脫出,出現在我的面前。我不禁拿起手,伸向那一對絕對不可掌握的大乳。 哇,正點,我沒有想到象月這般年齡的女人還擁用如此尖挺的乳房。 月將自己的衣物脫盡後,又慢慢的從我身上脫著我的衣服。看見我的肉棒的堅持,她一笑,用手敲擊了一下,「小弟弟,你好壞啊!」 我有點奇怪,「月姐,你怎麼知道我在看你」 「你說呢?你這傻瓜,從你第一天看起,姐就知道了,姐也想你啊,姐所以就把窗簾扯掉,讓你看個夠。」 「月,你真好。」「力,……」月一隻手,握著我的肉棒,一隻手摸索在我的胸膛。 我一隻手,握著她的尖挺,一隻手摸索在她的私處。 我迫不及待,「月,你騎上來。」 她有點嬌羞,「我和老公沒這樣做過?」 我手一拉,她順勢就上來了,我讓她的下身對著我的嘴,我看見了她紅潤的陰處,幾根稀疏的毛,我把舌頭伸去,用手撐開她的神秘的大門,裡面已經有點猾膩了,我吸啜著她勃起的陰蒂。 她開始癱軟在在我的身上,嘴裡不停呼出的熱氣呼在我的肉棒上,我悄換了個方向,把肉棒對準她的嘴,然後一挺,她不禁張開了嘴巴。 「月姐,幫我吸。」 月不熟練的用舌頭撩撥著我的龜頭,牙齒有些時候碰著我的嫩肉,讓我有點痛,但是我還是感到十分的快感,我開始用手插入她的深處,每次抽插都帶出膩膩的嫩肉,淫水越來越多,我順勢一起用兩根手指前後洞一起上,她的後洞因為淫水的潤滑,變的通暢。 她在我一陣猛烈的進攻下,陰道中湧出了更多的淫水,洞也更加緊,我要使勁才能抽得動了,她的嘴在猛烈的吸吽著,我一時禁不住,一股濃烈的精液強烈的噴射在她的嘴裡,而她的陰道也因為高潮來臨劇烈的抽搐…… 經過一陣休息後,我發現趴在我身上的月正努力的想爬起,她圓圓的妙臀又一次讓我有堅硬的感覺。 月驚奇的轉過身「力。它又起來了」神態象初戀的少女,我看呆了。 「怎麼了,看不夠啊?」 「月,你好漂亮。」 「騙人,姐都三十多了……」 「三十多才好啊,如狼似虎啊!」 一陣粉拳,「你好無賴。」 她下了小床,「阿力,我去漱口,你上我的房裡去吧」 裸著身子,在女人的房間裡走動是很奇怪的感覺,我就包這奇怪的感覺上了阿月的房間,這房間我來了無數次,卻只有這次讓我有火力誘惑的感覺。 我還在瀏覽中,身後的月已經環抱著我,「力,你知不知道我老公每次都不能給我高潮,而你用嘴已經讓我有了高潮,我好愛你」 她的手滑過我的胸,握住我的堅硬,「它好棒哦!」 我再也忍不住了,轉過身,抱起她,扔在床上,將她的腿分開,將肉棒扎扎實實的捅進她的深處,她一陣輕呼,我開始了猛烈的狂抽,沒有多少姿勢,沒有言語,都知道對方的需要,過了一個鐘頭後,我和她同時達到了高潮,那天我沒有從她的房裡走出過…… 清晨,當我從夢裡醒來時,看見的是月旖旎的睡相,那一瞬間我突然的感到幸福。我多想她從此以後都在我的身邊,可惜不太可能了。 她的嘴邊帶著一種笑意,她的手仍抓著我的陰莖,我覺得我的下體又開始腫脹,要掙開她的手了。這時候她也睜開眼睛,看見我正在看著她就嬌羞的將赤裸的身軀靠在我的懷裡,「你好討厭,看什麼看!」 「月,你好漂亮」我吻向了她的嘴,舌頭與她的軟舌纏繞著,她已經說不出話,只在鼻間,哼哼算是回答。 我的手又開始在她玲瓏的身體上遊走,她扭動著身體配合我的手,就這樣與她深吻了許久,好像肉體與靈魂都交織在了一起。這時候她卻推開我,「阿力,等等,我要上趟衛生間。」 說完不顧自己還未穿上衣服,就急忙的下床。我也感到一陣尿意,也下床,橫腰包起阿月,「要去一起去。」 她點點頭。 她赤裸裸的做在馬桶上,聽著浠瀝瀝的拉尿聲,我的肉棒也硬梆梆起來,就站在阿月面前的我,肉棒正好就在她的面前,我向前挺了挺,她就用手握住送進了自己的嘴巴吸啜了起來。 她用舌在我的龜稜溝不停的打轉,然後就整個把我硬挺吞進了口中開始吞吐起來,經過一夜的教導,明顯的月的口技已經比昨日好了很多,讓我想拉尿的感覺。 我急忙拉出來,月的口沫與我的龜頭間拉了一條晶瑩的長線,「月我也要拉了,你好了沒?」 月這是羞紅著臉,「我還有大便呢?」 我都快忍不住了,「那我都快拉出來了,怎麼辦呢?」 月用手把我的臀捏了一下「力,你就朝月的臉上拉,月還沒有看過力拉噓噓呢,姐今天就要看。」 說完她就拉住我的雞巴,抵在她的乳間,我一聽她講完早已經忍不住了,一股有力的熱水已經從我的馬眼間射到了月的雙乳間,月的雙眼迷離的看著,知道我撒完最後一滴,她還幫我搖晃著肉棒讓沒有掉落的尿液掉盡,然後再用舌幫我洗滌一遍肉棒。 這時候她的大遍也拉完了,她正想起身拿衛生紙,我搶先一步拿過衛生紙, 「月,我幫你吧。」 月嬌羞的點點頭,她彎下腰,我就看見菊花洞口四周都是一些黃黃的屎,幫她擦乾淨後,月整個人已經軟懶在我的懷中。 戲耍一陣後,我看見月的眼睛又再開始迷濛了,我知道她又想要了,我摸索著在她的桃源洞中抽插著,衛生間裡瀰漫著月大便的味道,我起身沖了水後,我就坐在馬桶上,月伏在我身前,幫我吹響晨間運動的樂曲。 我的肉棒在她的吸啜下在她的兩片唇片的打擊下,漸漸的有點受不了了,我扣了她的下身,已經是淫水氾濫。我就把肉棒從她的嘴裡拉出,留下一臉茫然的月,「月,我們洗個澡再來吧?」她點點頭。 在溫水下,水流過她的頭髮順著她的身軀聚在她的陰毛處再如瀑布般瀉下,我拿沐浴露塗抹在她的毛髮處,她也幫我揉洗著我的雞巴,我叫她伏在浴缸邊,用水灑衝著她的臀溝,她的菊花洞在溫水的浸潤下,漸漸的開了門,我把肉棒抵在她的後洞口,趁她不注意,一使勁頂進了一個龜頭。 只聽見月一聲慘叫,身子想要擺脫開我的侵入,我按住了她,在她的耳邊說 「月,這邊留給我開苞了吧,我會輕輕的」月見事已至此,再說她也不忍讓我失望,就強忍住要流出的淚,「力,你一定要輕輕的,姐給你。」 我見她流了淚,我就撲的一聲從她的屁眼裡抽出肉棒,「月,你不喜歡,我就不來。」 月忙轉身包住我,用勁的把香舌塞進我的嘴裡,瘋狂的在我口腔內攪動後,像下了最後的決心,「反正姐也沒試過插屁眼的,黃片裡常有,她們行,姐也行我要把屁眼讓阿力開苞。」 我關了水灑,在手指上塗了沐浴露,再在已經伏身等待的月的屁股縫裡輕輕塗抹,等感到她的臀肉已經消除了緊張,我才開始用中指插入她的緊湊處,好緊啊,怪不得她會痛了,我決心要嘗嘗月後庭的味道,把她的三洞都吃遍,來一個大滿貫。 抽動了幾下,她已經覺得不在那麼痛苦了,還有點拉大便時的那種快意,我也看見了她的後洞在我塞進三根手指後都沒有不適,我忙把陰莖頂在臀後,輕一用力,這次順利的滑進去了整根。月還沒意識到我已經是用肉棒了,說「阿力,可以用你的雞雞了,啊,好舒服啊」 我抽了抽被她後洞緊鎖的肉棒,笑著說:「月,我其實早進去了,現在你舒服了吧?」 她拿手在後洞間探了探,發覺真的全進去了,就伸手在我屁股上打了一下, 「那還不快點?」 我就開始努力的服務著。 因為後洞的緊密使我的快感來的特別快,月可能也從來沒有這樣的另類的快感,前洞因為後洞傳來的快感而不斷的流出淫水,終於我一聲低吼,在她的屁眼射出了濃熱的精液。 舒服的趴在她的後背上,她趴伏在衛生間的地板上,直到我的肉棒萎縮變小從她的屁眼中滑出,那白白的我的精液也從她的屁眼中慢慢流了出來。 這是卻見月憋紅了臉,屁眼中出現了奇怪的畫面,一個氣泡在月的屁眼口,原來月要放屁,只見那氣泡剛形成,就被從洞裡湧出的氣體沖爆,我哈哈大笑,月轉身輕捶我的胸「你還笑,都是你啦!」臉紅得像櫻桃。 洗漱後,月說要幫我弄份早餐,要讓我享受一下有女人的溫暖。我答應了,我穿好了衣服,發現月只穿著一件她老公的襯衫,裡面再沒穿什麼,一跨步,隱隱約約就看見了身下的陰影,而胸前的重點更是暴露無遺。 廚房裡的她在搗弄著,我走到她身後,雙手已經從後包住了她的胸,她嚶嚀一身,倒在我身上,「飯還沒熟呢?」 「那正好可以在這等她熟啊」 我撩起她的襯衫,露出她豐滿的臀部,用手捏弄著,下體再開始堅硬起來。 她的唇吻向我的唇,手拉住我的肉棒,「它好厲害哦,這麼快又行了」 我挖向她的陰道處,已經濕潤了,我捏住她的陰道口上的小豆,她受不了的顫抖著身軀,我就從她的身後將肉棒捅進她的陰道開始抽動。 她的手扶在廚房的台沿邊,不時的還用手去攪動一下在鍋裡的粥,粥開始鼓嚕嚕熟了,她也一陣抽搐再次高潮,淫水順著她的腿間慢慢下淌…… 早餐了我沒有瀉,月就幫我揉著邊坐在我的身上,口對口餵我吃飯,肉棒再次滑進了她的體內,兩個人都沒有洞,只是靜靜在享受著充實的快感。 吃完後都還沒有來不及收拾,門外傳來了門鈴聲,慌得月一躍而起,肉棒噗的一聲與她的陰處脫離。 「是你老公?」 我手忙腳亂的穿上衣服,今天都穿脫好幾次了,習慣了。 「應該不是,我老公說還要一星期才回來,再說他有鑰匙,不會按門鈴」 月進前從貓眼看出,「是陸大姐。」 陸大姐,我們團長的夫人,比我們團長年輕十多歲,大慨有近四十的樣子,對我十分的熱情,路上碰見她,她常會說怎麼這麼就都不上她家去玩之類的話。 我常會覺得很不好意思。她的我們團長的第二個妻子,聽說以前是市舞蹈團的,身材一級棒,豐滿的肉體常隨著她的笑聲而顫動。漂亮的臉蛋就像姑娘般白潤。 「她怎麼來了?」我有點奇怪。 「她是我的顧客啊。」月向我擺手,示意我到裡間去。 我躲進月的美容室中的布簾後,只聽見陸大姐進來的聲音,「阿月,你今天有客人啊?」 「沒有啊」月答:「沒有,你穿的這麼少,還有兩付碗筷。是不是養小白臉呢?」 「…。」 聽得陸大姐笑了幾聲,「月,我們家老陸帶團出去這麼久了,我都感到寂寞的受不了,你這才結婚沒幾年的,你會受得了?」 月拖著陸大姐進了美容室「大姐這種事,你也知道了,還要笑。」 陸大姐躺在美容床上「阿月,我和你也算好姐妹了,要是有什麼好東西要一起分享喏!」 「那當然了,陸大姐,這次象平常一樣不穿衣服嗎?」 「一樣,裸著身按最舒服了。」 月幫她上好了面膚膏後,就脫下了陸大姐的衣服,掛在了布簾上。 我偷偷的探出頭去,哇,只見一副美輪美奐的身體展現在我的面前,我屏住呼吸,月的手在撫弄著陸麗陸大姐的乳房,紅潤的乳頭在月的刺激下驕傲的挺立著,腹下那神秘的所在好像已經有淫水流出,黏住了她溝下的本就不多的細毛,那神秘的陰唇片間,紅潤之極。 陸麗雙眼緊閉著,享用著一陣陣的快感,阿月見我在欣賞,向我招手,指了指陸大姐的陰道,我輕輕的脫掉衣物,心想只要能享用陸大姐這種美貨,豁出去了。 我挺著肉棒悄站在月的身邊,月悄悄起身換我坐下,月轉到陸大姐的腿部用手輕撫大姐的腹溝部,只見大姐口中輕喘,「月,好舒服,快插進去。」 月從美容儀器上拿下了一個如男人的肉棒的東西,打開開關,肉棒開始猛烈的振蕩,月輕輕的將它抵在了流滿淫水的洞口,嗤的一聲就到了底了。 月講它抽進抽出,我也開始伏下身,舌尖逮住了紅潤的小乳頭,她老公一定很少輕吻那耶,所以我一吻上去,陸大姐就努力的挺起她豐滿堅挺的乳房使勁塞進我嘴裡,我吸啜著,舌尖撩弄著,陸大姐突然用雙手抱住了我,「阿力,使勁啊。」 我一呆,停住了,月也停了。陸大姐掙開眼睛「我早看見你了,阿力。」 月奇怪「他躲在裡面,你怎麼?」 陸大姐指了指衛生間,原來衛生間的鏡子正好可以看見我站的位置。 我尷尬的站起來,陸大姐卻一把抓住我有點微軟的陰莖,「阿月,他真的有那麼厲害?」 月走上前不知道在她耳邊說了什麼,她羞紅了臉吃吃一笑。她走到我身邊,拉著我的肉棒,蹲下身,把它吞進了嘴巴。 可能陸大姐還沒有遇見過這樣的情景,一雙妙目目不轉睛的看著月的嘴與我的肉棒的抽插。我看時機不錯,就又開始吻陸大姐的唇,開始她的牙齒緊閉著,在我舌頭的幾次扣關後,打開大門,讓我長驅直入,振動棒仍在她體內引爆她的慾火,不多時,她就推開我「阿力,快!」 我如奉聖旨,把肉棒從月的嘴裡抽出,翻身上馬,扔掉那在她體內不懂溫柔的器具,開始有節奏的抽插,這種婦人,丈夫老了,久久得不到性愛的快樂,只要猛烈的抽插,她的快感無窮無盡,一波接一波。 果然,我只抽插了幾百下,她就已經大叫著抱緊我,全身繃緊著向我的肉棒挺進,只感覺她的陰到一陣猛烈的收縮,從那裡邊一陣陣的流出淫水。 我抽出肉棒,看見月正迷離的靠在椅子上,就把她拉起,我坐在椅上,將她的身體慢慢放下,她背靠著我坐下,因為淫水氾濫,挺進並未遇上多少阻礙,就已經到達極處,她滿足的吁了一聲。 我從後面不斷的捏弄她的大乳,捏弄成各種形狀,如海綿般入手,臀肉每次坐落都摩擦我的陰毛,綿軟得肉弄得我很舒服。 不一會兒,她也再次感到了高潮,我就抱起她來,讓她按在窗沿上,撐開她的臀肉,掰開,頂進了已經虛曠的後洞了,因為有前洞的淫水滋潤,進入後洞也沒什麼困難,我挺腰,讓她感受一下我的強硬。 我的肉棒被她的腔壁緊鎖著,抽插有點吃力,這時,陸大姐走到我的身後,用赤裸的身軀抱住我然後聳動著,我可以感覺她的恥毛在我臀部的摩擦,我比停的用力捅進。 月感到陰道中的癢搔了,就用手抓住我的肉棒準確無誤的找到桃源洞口,在 陸大姐的推動下,我開始瘋狂的抽插,月在我的幾乎不停的衝擊下,又一次達到了高潮,軟綿綿的躺在了地上。 我轉過聲,見到滿懷期待的陸大姐我一把將她拉進我懷中,唇舌相繞間,把她的一隻腿抬上了床沿,硬梆梆的肉棒順著溪水的源頭一滑而入,她的手指緊緊的掐著我的背,我按住她的臀使勁往我硬處靠。 我發覺我觸到了她的宮莖口了,那圓潤的地方,一股股的產著淫水。在不知道抽插多少下後,我感到有些累了,我就躺在了地上,她跟著付在我身上「力,你好棒,我都高潮好幾次了!」 我有點裡不從心,「可是我還沒有到呢?」 陸大姐把乳頭塞進我的嘴,「快吸,我,嗯,好舒服。啊,快到了…。啊」 一聲接一聲的尖叫後,她的陰道猛烈至極的一陣收縮,她也同月一樣癱在了地上。 在稍做休息後的月,趴在我的身上,將我的肉棒上的淫液舔吸乾淨後,用唇片,抽動我的肉棒,我撫著她的長髮,「月,好舒服,再快點。」 陸大姐揉捏著我的睪丸,我的陰莖享用著雙重快感,在我的肉棒要射擊時,阿月感到了我的變化,更快的吞吐起來,而陸麗則把她的手指插入了我的肛門內抽動,我從阿月的口中抽出了肉棒,阿月開始用手揉搓著,我的手使勁的一隻抓住陸大姐的乳房,射了…好舒服。 一陣射擊之後,陸大姐把��的精液一一吸乾淨後,三個人就赤裸裸在木地板上纏繞著,擁抱著,喘息聲不絕於耳…… 這快樂的日子在她們丈夫不在家的時候就會上演,當然不只在阿月的家裡,我的家裡,陸大姐的家裡,外面的溫泉賓館,鼓山的樹林裡,農大後沙灘上,都有我們三人的身影……
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【九州行程】5日4夜 福岡、佐賀、長崎自駕遊|美食+絕景+住宿推介
九州地大脈物博,只恨假期太少,無9日以上長假是不能走遍九州7縣。決定不藏私送上緊密九州行程,花5天玩盡北九州3個縣,食得好住得豪,不用費神去計劃就可享疏肝假期!
自駕路線:福岡市→福岡縣糸島市→長崎縣平戶市→長崎縣松浦市→佐賀縣唐津市→福岡空港
撰文:遊日職人|攝影:Woody|編輯:Kwuny
DAY1 福岡市
抵達後到「一幸舍」食拉麵,到「志賀島」踩單車,食「海の中道海辺の里」海鮮飯,「全国地酒日本選 大名店」飲清酒,到「博多屋台中洲十番」用餐,入住「AGORA FUKUOKA Hilltop Hotel & Spa」。
DAY1 福岡市
SPOT 1 福岡城¥1,000和服體驗
這家和服出租店,租出繡花華麗的和服外,也有輕便的浴衣。和服老師更會幫忙穿戴和為頭髮造型兼化妝。而且店面位於福岡城內,步行到福岡城、舞鶴公園、大濠公園等名勝拍攝十分方便。
和服租借每小時 ¥1,000/HK$69(最多為3小時)
多款和服、浴衣供選擇。
配件如木屐及包包,十分齊全。
福岡城 舞遊館 地址:福岡縣福岡市中央區城內2-5(三之丸廣場內) 網址:www.myyounoyakata.com
SPOT 2 島上單車Café
志賀島環島遊約40分鐘車程,可到鳥居旁的Shikashima Cycle租用單車,經志賀島到海之中道等景點遊玩。
Shikashima Cycle就近志賀島入口及鳥居,環島遊3小時已足夠。
店內有Bianchi、TREK、Cannondale等品牌,價錢會因車種及品牌而有不同。
店內還有間輕食Café,提供飲品及甜點。
Shikashima Cycle 地址:福岡縣福岡市東區志賀島417-1 網址:shikashima.cycle
SPOT 3 小島單車遊
位於博多灣口的志賀島與九州本土之間以沙灘相連的島嶼。要前往志賀島觀光,可搭乘電車、巴士經由海之中道前往,也可從博多碼頭搭渡輪直達。島上除了有豐富的自然美景之外,還有歷史悠久的神社和石碑。
島人人口不多,沿勝馬海岸踩單車漫遊,十分輕鬆。
因後漢時期發現金印而建立的公園內,可遙望能古島的也良岬的公園入口。
SPOT 4 近海得吃海鮮食堂
單車遊志賀島可直上海之中道,這裡有間物產館有個海鮮食堂,新鮮食材即叫即燒,吃碗海鮮飯也不過一千円。
特選海鮮丼 ¥2,350
志賀島名物,新鮮炭燒榮螺 ¥250一隻。
店內有不少加工海產零食及漬物,帶返香港都無問題。
海の中道海辺の里 地址:福岡縣福岡市東區大岳4-3-123 網址:海の中道海辺の里
SPOT 5 濃稠起泡豚骨湯專家
自稱元祖泡系,其實是製作過程中豚骨中的油脂混著空氣攪拌,產生了米白色的脂泡,入口濃厚細膩,跟薄薄的叉燒及幼直拉麵極度合拍。名物還有博多一口餃子及炒飯。
味玉赤ラーメン ¥1,070
坐在吧枱位置,可看著整個拉麵製作過程。
一幸舍在博多站一番街亦有分店。
博多一幸舍 地址:福岡縣福岡市中央區春吉3-11-18 網址:博多一幸舍
SPOT 6 十四代一字排開 任揀立飲
來到福岡想飲清酒,可來就近赤坂站的這間清酒立飲酒場,櫃內酒量繁多,明眼人一睇就會看到著明的「十四代」系列,雖說不是最頂級,但勝在¥1,000左右一杯(500ml),飲多幾款亦唔肉痛。
店內除了立飲,亦有販賣清酒,種類之多,大開眼界。
十四代 秘伝玉返し 本丸角新 500ml ¥1,436
將心水清酒拿到櫃台,可揀500ml或1,000ml分量。
全国地酒 日本選抜 大名店 地址:福岡縣福岡市中央區大名 2-10-1 シャンボール大名 網址: 全国地酒 日本選抜 大名店
STAY 山上絕景酒店
位於福岡市中央區山上的都市溫泉酒店,十分適合一家大細入住。全館都以木系為主設計,甚具文青風格,每個角落都像拍照背景。晚上可一覽福岡夜景,還可到大浴場浸浴。
雙人房連早餐 ¥25,800起
極具層次感的夜景景觀。
內裝設計極型格,在這共用空間飲杯咖啡放鬆一下。
大浴場內有冷熱水池,水質為炭酸泉,有美肌效用。
AGORA FUKUOKA Hilltop Hotel & Spa 地址:福岡縣福岡市中央區輝國1-1-33 網址:AGORA FUKUOKA Hilltop Hotel & Spa
DAY2 糸島市
到「糸島 LONDON BUS CAFE」及「二見ケ浦夫婦岩」打卡,「いとしま 援プラザ」及「JA糸島 直市場伊都菜彩」買手信,「Bistro&Cafe TIME」吃午餐及「古材の森」歎蛋糕,到「白糸の滝ふれあいの里」釣魚食流水麵。
SPOT 1 打卡必到!倫敦雙層巴士
沿海城市糸島的地標大抵是這家英式雙層巴士改裝成的cafe,即使平日午後也有很多櫻花妹來打卡呃like! 這裡的gelato用了佐賀佐世保山中牧場無添加牛奶製成,有20多款口味,單球¥450/HK$31起。
海岸邊
Gelato起用佐世保山中牧場無添加牛奶製成,有20多款口味,由¥450起。
巴士上層是面向海岸的堂食位置。
糸島 LONDON BUS CAFE 地址:福岡縣糸島市志摩野北2289-6 網址:糸島 LONDON BUS CAFE
SPOT 2 日本夕陽百選
位於糸島市北部,透過櫻井神社的海中白色鳥居,看著離岸百米的二見ケ浦夫婦岩看似相連不分離 ,想行桃花運要去打卡兼拜拜。
潮漲時份,白色鳥居置身海中。
日落時間打卡人潮最多。
很多人會校啱角度,拍到夫婦岩在鳥居之中。
二見ケ浦夫婦岩 地址:福岡縣糸島市志摩櫻井二見ケ浦
SPOT 3 燒魚流水麵
白糸瀑布位於約5百米高的山腰,每年5至9月可吃到流水麵(每位¥500/HK$34),而夏季每人花2千円更可釣4條鮎魚即燒即食。
夏日限定流水麵,每人¥500,消暑涼快。
即釣即食小鱒魚,亦可單買,每條¥500。
白糸瀑布位於約530米高的山腰,是當地人的消暑聖地。
白糸の滝 ふれあいの里 地址:福岡縣糸島市白糸459-1 電話:+81-(0)92-323-2114 營業時間:9am-5pm(5月至9月; 12月至3月逢周三休息)
SPOT 4 集合糸島手作人
糸島原來有好多手作人,陶瓷杯碟、竹器、木製品、皮革飾物等種類繁多,而這家兩層高的應援Plaza,正好集合糸島80多個手作品牌,展出並售賣其作品。
店內有來自島內80多家手作品牌的作品出售。
店內cafe使用糸島出產的手作杯隻供客人使用。
欣賞而又未必想買走,可到cafe點杯咖啡過一過癮。
いとしま応援プラザ 地址:福岡縣糸島市志摩初30 網址:www.itopla.net
SPOT 5 停車場影女神照
西浦海岸有個停車場於2018年成為Instagram(IG)熱話的全新景點,只要搜尋「#ジハングン」,女神打卡照立即呈現眼前。停車場的海岸旁放置了如巨大的黃色鞦韆、心形鐵架及女神剪影等裝置藝術。
裝置藝術可能本身平平無奇,但配上海岸背景跟光影,立即成為一張wallpaper。
吹著海風,坐上鞦韆看夕陽,背光剪影照一定要影到。
多件藝術品可分開欣賞,亦可重疊著來看,角度無限。
#ジハングン(Jihangun) 地址:福岡縣福岡市西區西浦644-1 網址:www.jihangun.com
Day 3 長崎縣平戶、松浦
一早享受平戶島上自駕遊,一覽「川內峠」、「高越公會堂棚田」、「サンセットウェイ」的大山大水,再出發到松浦「百枝製菓 」吃和菓子,再到「食味酒 あじ彩」食松浦池魚定食,或到「海上屋台 三軒屋」吃鯛魚料理。參觀市內的教堂後,再前往平戶,到「蔦屋」買甜點,入住「平戶海上ホテル」。
SPOT 1 廣告絕景自駕遊
長崎自然景色眾多,其中有三個精選之選,離平戶市約10多分鐘到30多鐘車程左右,可找到川內峠大草原、就近高越公會堂棚田一帶及生月島日落勝地サンセットウェイ海岸,打卡必到。
位於平戶島北面,離平戶市十多分鐘川內峠,是連綿的草原,有如置身汽車廣告之中。
川內峠 地址:長崎縣平戶市大野町
往平戶島西面春日田棚田的路上,可找到讓人眼前一亮的高越公會堂棚田。
高越公會堂棚田 地址:長崎縣平戶市高越町
跟平戶島西面相連的生月島上,於海岸地帶找到人氣日落景點サンセットウェイ。
サンセットウェイ 地址:長崎縣平戶市生月町南免至山田免一帶
SPOT 2 甜上心頭天皇貢品
創業1502年、九州最古老菓子店蔦屋仍保留了當時甜品的特色。招牌復刻甜點鳥羽玉是平戶35代藩主的「百菓之圖」茶席登場,由松浦資料博物館協助下復刻,雪白如珍珠、灑滿和三盆糖的柔軟求肥餅內包住黑芝麻餡,只能全人手製作。
炸長崎蛋糕 ¥972/HK$67 嘗味限期只有2周,以當地農場新鮮蛋做成蛋漿,包著蛋糕表面再炸,鬆軟香口。
鳥羽玉¥1,296/HK$89 花6年時間研發,以國產材料製作,2小時只能做到10顆,冷藏下只能放3天,美食果然只能在地嘗。
古民家庭園樓閣一派和風。
蔦屋 地址:長崎縣平戶市木引田町431 網址: www.hirado-tsutaya.jp
SPOT 3 海上屋台嘗鯛魚丼
近海得吃,料理以海產為主,吸引不少日本藝人幫襯的鯛魚丼,大大片閃亮新鮮光澤的鯛魚滿滿地鋪在飯面,先大口扒兩啖嘗原味,再加秘製的麻醬撈勻吃,最後才倒高湯做茶漬,三重口感和味覺享受。
位於海上的屋台極有避風塘氣氛,風味十足。
屋台內可看到小艇駛進漁港的景色。
鯛魚飯¥850/HK$59 以麻醬���入鯛魚飯內,芝麻醬較杰身,味道特濃,吊出魚肉的鮮味。
海上屋台 三軒屋 地址:長崎縣松浦市鷹島町阿翁浦免遠泉地先 網址:sangenya.net
SPOT 4 海中鮮居酒屋
位於松浦市內的居酒屋,室內氣氛輕鬆,僅有36個坐位,菜式全由老闆跟老闆娘主理,甚有地道風味,主打新鮮刺身膳食,一家大細之選。
新鮮刺身,上枱賣相精美。
看著老闆料理多款魚介料理,食指大動。
門口亦極具地道風味。
食味酒処あじ彩 地址: 長崎縣松浦市志佐町浦免1311-1 網址:ajisai2955.com
SPOT 5 幸福的布甸味道
店主百枝秀樹將曾是日式和菓子店的「百枝製菓舖」搖身一變成了洋式菓子店,其中顏色分明的芒果布甸最為人氣。
店內甜品種類極多,即食又得,買走都得。
甜薯蛋糕仔,用料十足。
老店創新,由和式轉成洋式甜品店。
百枝製菓舖 地址:長崎縣松浦市今福町浦免453 電話:0956-74-0413
STAY 一望平戶海峽
酒店內全部客房均座擁海景,還有向海的露天大浴場。晚餐以當地時令海產、魚介為主,身心都得到治癒。
晚餐有當地有名的平目魚外,還有原隻鮑魚。
房間全部向海,室內設計簡單。
晚餐最後還有小份鰻魚飯收尾,滿足!
平戶海上ホテル 地址: 長崎縣平戶市大久保町2231-3 網址:www.hiradokaijyohotel.co.jp
Day 4.佐賀縣唐津市
朝早到「呼子朝市」參觀,到「道の駅 桃山天下市」吃呼子魷魚大餐,再到「曳山展示場」看神轎,到「caffe Luna」歎咖啡,再到「からつバlガl松原本店」吃漢堡,入住「KARATSU SEASIDE HOTEL」。翌日早上玩「唐津BEACH CLUB」SUP,準備回港。
SPOT 1 撐出海看日出
水上運動直立板 (stand up paddling) 的技術門檻不高,朝早第一團會在水面平靜的玄海国定公園一帶玩,在海中央看著鹹蛋黄從水平線上升一刻!
日出一刻感動到完全忘卻晨早起床的痛苦,好值得!
由世界知名的SUP達人西村榮治親自帶隊。
在岸邊欣賞日出,十分寫意。
唐津BEACH CLUB 地址:佐賀縣唐津市東唐津4-5-18東の浜海水浴場前 網址:select-type.com/s/karatsu_beach_club
SPOT 2 活力十足魷魚刺身
自駕遊的行程中必定會加插「道の駅」,這些物產館附設餐廳吃的都是在地食材,這裡供應當地名物活生生的呼子魷魚大餐,套餐包括刺身、天婦羅和魷魚燒賣,切得起花的魷魚燒賣做得出色。
套餐包括刺身、天婦羅和魷魚燒賣。
魷魚刺身切到透光,入口彈牙。
被一片綠色包圍,特別放鬆。
道の駅 桃山天下市 地址:佐賀縣唐津市鎮西町名護屋1859 網址:momo-ten.com
SPOT 3 參拜祭典神轎
代表14個町的曳山神轎是每年11月唐津宮日祭巡遊隊伍的主角,曳山高約7米、重約3噸,造型有華麗獅子、賣萌鯛魚及武將的頭盔等,睇見都開心。而「鯛魚」曳山更曾來過香港參與新年的花車巡遊。
錯過節日亦可欣賞到多款曳山。
「鯛魚」曳山口水肩 ¥900 / HK$63
曳山款式眾多,不一定只有鯛魚。
曳山展示場 地址:佐賀縣唐津市西城內6-33 網址:karatsu-bunka.or.jp/hikiyama.html
SPOT 4 巴士賣漢堡
香港有富豪車仔軟雪糕,唐津松原有巴士賣漢堡包,身為佐賀名物,漢堡夾著牛肉、火腿、芝士及雞蛋,點睛位是其酸甜醬汁,開胃非常。
單看巴士本身,絕對想不到是當地名物漢堡包店。
多款漢堡包由 ¥310 / HK$21起。
玩到攰可買走邊行邊食。
からつバーガー 松原本店 地址:佐賀縣唐津市虹ノ松原 電話:0955-70-6446
SPOT 5 名師打造唐津燒
caffe Luna吸引不少食具粉絲到訪,皆因店內餐點全起用由多位日本名師製作的唐津燒及波佐見燒餐具,跟食物完美配合。
唐津燒作餐具,感覺極為文青。
每件食物都像藝術品一樣。
店內裝潢簡約。
caffe Luna 地址:佐賀縣唐津市京町 1768-4 電話:080-2697-0497
STAY 看盡180度無邊玄界灘
酒店位於唐津離東の浜海水浴場只要3分鐘車程,分成和式及洋式客房,全部面海,最近開設了展望浴場「唐津SEASIDE温泉」,分成男女展望露天風呂及展望內湯,泡住湯望向高島靚景,非常寫意。
客房內配有按摩浴池的浴室一樣有無敵海景。
晚餐起用當地時令食材烹調。
附設私人沙灘和露天泳池,安坐房中180度無遮擋看到藍天碧海玄界灘、高島及唐津城等地標。
KARATSU SEASIDE HOTEL 地址:佐賀縣唐津市東唐津4-182 電話:0955-75-3300 房價: 2人1室,1 泊2食 每位¥18,360/HK$1,266 網址: www.seaside.karatsu.saga.jp
九州實用資料
航班: 香港有多間航空公司營運直航至福岡的航班。機場分國內線及國際線航廈,地下鐵只到國內線航廈,要到國際線航廈須乘10-15分鐘的免費接駁巴士。 而香港快運將於2019年1月19日有直航航班前往長崎。
福岡機場網址: www.fuk-ab.co.jp 長崎機場網址: nagasaki-airport.jp
租車須知
① 出發前可先在租車公司網站預約
收費以租車時數或日數作基本收費計算,另要可加購額外購買汽車保險。留意取車和還車的地點不同會加收額外的服務費。
Budget 租車公司: www.budgetrentacar.co.jp
② 必須持有國際駕駛執照
在日本駕駛汽車,外國人須持有國際駕駛執照,只要你持有香港有效駕駛執照就可以向運輸署申請。
運輸署網址:www.td.gov.hk
③ 九州的長崎、熊本及鹿兒島市內有路面電車運行
在路面電車路段要留意黃色箭頭的交通燈亮起時,車輛必須停駛。軌道是路面電車專用,只有在右轉、迴轉時才被允許穿越軌道。
④ 應急處理
發生事故或遇故障應立即停駛,請先確認自身安全後向警方報案(電話:119) 處理,並聯絡租車公司。
九州租車旅遊手冊(按此)
九州自駕遊資訊(按此)
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