#大沢麗菜
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Reina Osawa 大沢麗菜 2000年11月1日 T158 B93 W59 H87 Gカ
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療��毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペン��体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手へ���敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、��ていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのっ���そういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらい���だろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割��時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を��って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心の���かで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か��色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたい���つもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会��る距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、��然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠く��遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像でき��いことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自���を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は��えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足���がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上��横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まい��ち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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マブと遊んだよ!③

えー、待ちに待ったユニバーサルなスタジオinジャパンに行ってきました。マジ意味分かんないくらい楽しかった!3日前の降水確率…これこうすいかくりつって読むんだね?ずっとこうずいかくりつって読んでたわ。そんなことは置いといて。3日前の降水確率90%で雨予報だったのに、柔太朗いわく当日の降水確率30%だったらしい。雨降らなかった。そんで暖かかった。最高かよ!しかもユニバのわりに人少なくて結構乗れた。最高すぎかよ!えーまず入る前にコンビニに寄りました。なんか柔太朗が外国人に抜かされそうになったのを店員さんがノーノーして後ろに行かせてました。柔太朗→外国人→俺。うん、違うね?外国の方?俺並んでたよ?ワーイどっかの国のピーポー!お茶とグミ買っていざインパ!柔太朗が先に手荷物検査したのに、俺の方が先に入れてガチ気まずい。柔太朗の前の人が手こずってたらしい。入口の雰囲気から楽しくて「いやー、今日めっちゃ楽しいわ!」って言ったら、『まだ入場しただけだから。それ中盤くらいに言うやつだから!』って言われた。いやー楽しいわ!ダイナソー入る時に柔太朗がクルーさんにピースしてて、なにしてんの?って思ったら2人入りますって意味だったらしい。一瞬間があって、あ!中でまた教えてくださいねー!って言われてた。急なピースやめて??クルーさんに手振るの恥ずかしがってたのにピースやめて??ダイナソーめちゃくちゃ楽しかった!

次ハリポタ!2人ともお腹すいてて酔った。面白かったけど酔った。ホグワーツすげかった。ホグワーツ生が沢山居た。みんな棒持ってた。エクスペクトパトローナーム!次早めの昼ごはん!ランチコースみたいなの食った。前菜の写真撮ったけどメインとデザートは撮ってない。クルーさんがお写真撮りましょうか?って声掛けてくれて、ノリノリで撮った。つなじゅう陰キャピースしてた。パスタもティラミスも美味かった!次ジョーズ!柔太朗が急に『ユニバのジョーズって本物のサメ使ってんだよ。』って言ってきたから、嘘つくなよ…って思いながら一旦スルーしたのね。でまたなんか『本物のサメ居るよ!』って言ってきたから「マジ!?絶対嘘じゃん!」って言ったら『いや、ガチ。調教して仕込んでるらしい。でもサメってすぐ大きくなるからその度に小さいのと入れ替えしてんだよ。』ってガチっぽいこと言ってきたから普通に信じた。めっちゃ楽しみにしながらジョーズ乗ってめっちゃサメ探した。ここかな?次かな?えーマジどこだろ!結果居なかった。「ねえ、サメいなかったんだけど?めっちゃ探してたんだけど!」『え、居たじゃん。』「おもちゃな!」笑ってやがった!はい、次ハリドリ!曲選べたからコナンのテーマ曲にした。クルーさんがカンニングしてきて「コナンにしたんですねー!セリフもあるらしいのでお楽しみください!」って教えてくれた。真実はいつもひとつ!とか言って落ちんのかなーって思ってたら、最初から最後まで蘭ちゃんが喋ってた。蘭ちゃんしか記憶ない。めっちゃ楽しすぎてセリフとか聞いてなかった。真実はいつもひとつ言ってた?ハリドリ乗る時にポッケに入れてたスマホとグミを柔太朗に預けたんだけど、降りた後余韻に浸りすぎて、柔太朗が『グミどうする?まだ俺が持っとく?』って聞いてくれたのに脳死で「持ってていいよー。」って言ったらしい。記憶ない。『いや、持ってたくて持ってるわけじゃないから!』って言いながらずっと持っててくれた。家でグミ美味しく食べてね。次コナン!��ペファン乗りに行ったら隣がコナンでとりま時間確認しとくかって見たらあと5分で始まるってなって、急遽コナンに!真実はいつもひとつだった。次スペファン!ちょいちょい前後の人と目が合う時間があって気まずって思いながら天井見つめてたら、隣で柔太朗が『気まずくね!?』って言いながら笑ってました。あの時間マジで気まずい。手とかふっときゃいいのかな?トータルして楽しかった!

次チュロス!柔太朗がチョコのチュロス食べたいって言ってたからチョコのとこ探して買いました。美味かった!スズメが居たからあげようかなって悩んだ。あげなかった。次ダイナソー2回目!柔太朗がおもしろいの大体乗れたわって言ってたからダイナソー2回目行った。マジ楽しかった。次お土産!ミニオンエリアとスヌーピーエリア行ってお土産買いました。柔太朗がどのキーホルダー買うか悩んでて、誰にあげるの?って聞いても教えてくれなかった。買ったら教えるから!って言ってたけどなんか可愛いの選んでた。外でたらスヌーピーとチャーリーブラウンとサリー見つけて、でもバッグがなかなか閉まらなくて焦ってたら、『バッグとお土産預かるから写真撮ってきなー?』って。神!!身軽で写真撮りまくった。柔太朗マジありがとう!

次新エリアのドンキーコング!これがもうね130分待ち。大変だった。今までそんな待たずに色々乗れちゃってたから長かったよね。最初の1時間くらいはめちゃくちゃ喋ってたんだけど、気づいたら無言の時間過ごしてた。無言が苦じゃないの良いよね。2人ともぼーっとしてるかスマホいじってるかの2択。柔太朗が急に『え、これ人乗ってなくね?』って言い出して確認したら人乗ってなかった。メンテナンスしてたっぽい。数十分で再開してたけど、ここに来てまじか!?ってなったよね。まあそんなこと忘れるくらいにアトラクション面白かった。マジおすすめ。予期せぬ攻撃にキレだけどほんとに面白い!楽しい!待ち時間の疲れとか忘れるくらい楽しかった!乗ったあとの俺ら元気すぎた。ちなみに並んでる途中に上の主みたいなゴリラ?チンパンジー?が居るんだけど、柔太朗が急に『これ中に人入ってるらしいよ。』って言ってきて、「マジ?!絶対嘘じゃん!」って言ったら、『いやマジ。タイミーで募集してた。』って真剣に言ってくるから普通に信じた。信じたけどよくよく考えて入ってる人疲れね?って思って、数秒後くらいに「え、嘘じゃん。」って言ったらめっちゃ笑ってた。嘘つくなよ!しかも、やっと乗れるわーってなったのが並び始めてから3時間経ったくらいで、「みて、もう3時間経ったよ。」って言ったら、『え?2時間だよ。』って返ってきて、「17時からだから3時間じゃね?」『え、だから17時からだから3時間だよ。』って言われた。サラッと訂正して真顔で返してきた。ジワジワきすぎて腹痛かったもん。柔太朗の腕叩きまくった。おもしろすぎる。

そんなこんなで夜は焼肉!ユニバ出た瞬間から2人とも疲れすぎて焼肉屋まで歩けないねってなったからタクった。タクったあとの焼肉は美味い。いつも通り柔太朗の残飯処理係した!柔太朗は別腹の冷麺食ってた。啓永くん冷麺いる?いらねえよ!沢山おたべー?って俺の前に焼けた肉並べてくるのマジウケた。綺麗に並べんのよ。1個食うと1個置かれる。お腹いっぱいになったら眠くなってきて、口パクでねむい連呼してた。駅まで歩いて帰ったよね?ねむすぎて覚えてない。駅まで見送って暫くしてから柔太朗から『ユニバの袋に小さい袋入ってると思うけど、あれ啓永くんにあげる。お揃いにするなり1人で2つ使うなり、好きにしてねん。』って送られてきた。スヌーピーのキーホルダーは俺にあげるために選んでくれてたらしい!出来杉くんかよ!スパダリならぬスパフレだよ!俺もう柔太朗の気遣いが嬉しくて嬉しくて最高の友達持ったなーって神に感謝した。マジでありがとう!そんでユニバも一緒に楽しんでくれてありがとう!いちいち写真撮るために立ち止まっても急かさずに待っててくれてありがとう!グミ持っててくれてありがとう!これからもよろしくマブ!また遊ぼうねん。

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出力→ビアゲ紹介(遅延)
私はを。
本番に間に合ってないよぉ!!!!
皆に一言と数字をプレゼントします。敬称はあげません。
数字はひっくり返したり、書いてみたり、色んな読み方してみてね。
てか問い合わせてね。
■東愛莉
ゲキムズの役を見事にこなしておりました!!もうあず以外の優を考えられません。
n:42
■大良ルナ
美菜えぐいて〜〜〜〜最高。真面目なのかオモロなのかどっちですか?どっちもか?
n:1071107
■児
音響でお世話になりました。この方から学びたいことがまだまだたくさんあります。
伊織、役として超好き。舞台の外に出る彼は、蚊帳の外と。彼の出る幕は無い、と。
n:18π
■うみつき
柳ハマりすぎの人。そのスーパー読み能力ください。貴方にしか出来ない役がある。
n:4.3
■統括のフォーニャー
声が本当に聞きやすくて、どんな劇でも���をこなせる方。フォニャさんは優しネキね
看護師さん。実は優や優母の重要な心情表現を引き出すキーパーソン。完璧だった!
n:4.28
■緒田舞里
この方のフレンドリネスに何度も助けられました。感謝。そして吹田は永遠なのです
優母は深い背景がために、その表現がとても大切な役でした。流石の役者力を見た。
n:19850913
■白
演出補佐、優父おつかれさまー!なんやかんやあって無事いい劇になった!嬉しい。
n:255255255
■埖麦
兼役お疲れ様です。俊良かったぞぃ。あとPVは病むから!!!!程々に、頑張ろう。
n:536.61
■岡崎仁美
僕の映像をいつも褒めて下さる方で、モチベになりました。お陰様で今も作ってます
寧々役、素直すぎて難しかったはず、でも良かった。舞監もオペもお疲れ様でした!
n:1.3
■雨々単元気
苦戦してたけど本当に良かった!!地味にずっと共演してる。いっつもありがとね。
n:2.2
■舞原の絞り滓
音響とか、色んなところでお世話になった先輩。まじめそうに見えて実は楽しい人!
大隅、めちゃくちゃ詰めていってましたね。コクのあるとても味わい深い役。ボーノ
n:-1004√4
■じゃがりーた三世
映像で本当にお世話になりました。話しかけてくれて嬉しかったです。でも稀に恐怖
料理人父、結構悩んでましたが、適役だったのもあって良かったです。シェフ服良い
n:6±e
■オーム
今回初めて共演したけど、演技できる人で驚きました。彼も吹田組です。頑張ろうな
n:06
■テキストを入力
null
■縦縞コリー
警察官の衣装いいね。今回の数少ない同期の一人。そろそろコリちゃの主役見たいな
n:5√i
■大福小餅
またらいらの心の声&アナウンサー。同期がいないって言ってたのが印象的でした泣
n:529
■叶イブ
子ども。普段からあらゆる所をのらりくらりとし周囲をつつきまわる妖精、或いは猫
n:e√e
■アリリ・オルタネイト
役の振り幅を魅せて頂きました。この方専用の役が沢山ありましたよね!英語教えて
ビアゲでは子どもの役でした。発声が超出てて良かったしめっちゃ面白かったです笑
n:171710
■はぜちかきつ
凄いね。この人は本当に頑張る人なんだなと思いました。演出ありがと。美味しい。
n:10042e
ここで〜?
スペシャル栞34期チャ〜ンス✨️✨️
■たぴおか太郎
この方の演技が凄く好きでした。もう一度見たいです。自然と周りが明るくなる人。
望結。こんなに上手に、自然に「味方」な大人を演じられるのかと驚きました。良き
n:20021109
■肆桜逸
ニキ!!話しやすすぎる先輩。いつもありがとう!吹田で生きていきましょうね!!
男子。学生服がコスプレ化する中、何故か納得感のあるビジュ。なんで?シンプルに
n:43961
■水琴冬雪
ベガさんの映像作る時、楽しいんですよね。この方の脚本がいつも綺麗だからです。
栞お疲れ様でした。脚演のバランス感覚というか、流石。また映像作らせて下さい!
n:0.03
左手にはまだページが残っています。
いつか、"またあなた方と共に"と願って
栞とwithを挟んで。
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ハロー(´ー∀ー`)2024.11.3
最近はね、何故かタロットカードが気になってYouTubeで色んな占い師の方の動画を見まくっています←
昔…10年前くらいかな?その時もタロットカードがすごく気になって買った事がありました。
全てのカードの意味を覚える事もなく←
ハマってた時は触っていたけれど、あれから8年?とか9年とかずっと触る事がなく眠っていたんだけども←
なんだかまた気になってきて動画見始めたら、またカードが欲しくなってきたんですよね😂
前回買ったタロットカードはほぼ新品のままなんだけど、他にも色々欲しくなってしまって。
まず意味を覚えてから買いなさいって感じだけどね。色んな動画みてると、カードの種類が沢山あって見てて楽しいんですよね。占い師によって使うカードも様々だし、種類がタロットカードだけじゃないっていうことも知りませんでした。
調べてみるとタロットカード、ルノルマンカード、オラクルカード…
他にも色々あるかもしれませんが、占い師さんによってはカラーカードとか動物スピリットカードとか種類はめちゃくちゃ沢山あります。
それで2ヶ月ほど星座別タロットカードの動画を見続けて感じたのが、不思議な事に同じ時期に同じカードがよく出てくるんですよね。
みんな違う占い師さんなのに、出てくるカードが同じだったりするのが(まるまる全部が同じって訳ではありませんが)タロットカードってすごいな…と感じる部分です。
(当たるか当たらないかは別として←
占いの文言って誰にでも当てはまるような言葉選びになってると思うんですよね。当たる、当たらないで私は見ないようにしてます。占い見ても見終わったら内容忘れちゃうしね←
ただ、いい運気です!とか良いお知らせ受け取れます!とか良い事を言われるとすごくポジティブになれるので、明るい気持ちになれるって事が私にとっては大事なのかなと思っています。
占い動画みてて、最近観た「陰陽師0」と通じる部分が結構あったりして、やっぱり陰陽師も占いが専門だし繋がってるんだな…と感じました(当たり前なんだろうけど、陰陽師って全然身近じゃないからその存在自体がどこか異次元な気がしてた)
あまりスピスピしてきたら宗教ぽくなって怖くなるけど←
楽しく前向きに生きていく為のエッセンスの一つとして占いを見るっていうのもいいのかなとは思います。
ただ私みたいに色んな占い師の動画を沢山みてたら「あの占いでは決めた事はすぐ行動した方がいいと言ってたけど、こっちではすぐに決めない方がいいと言ってるけどどっち?笑」みたいな事が出てきます🤣
占いによって自分を見失う事もあると思います←
そこはもう波長が合う人、話し方が心地いいと感じる人、みたいな占い師の選び方をするといいんじゃないかと思っています。
カードの意味を読み解くのは人間なので、その人の癖とか直感が混ざる気がするんですよね。カードの意味って膨大にあるので、そこから意味を選び取るのは占い師次第だと思うのです。
だから当たる当たらないという「相性」みたいなものもあるんじゃないかな、という私の見解です←
(そんなにたくさん占い動画を見てる人はいないかもしれないけど笑
新月とか満月とか天体の動きとかの関係や宇宙とか引き寄せとかのことを占い動画ではよく言われるので、占いの世界ってめちゃくちゃ深くて広いのよね←
今後も軽い気持ちで楽しんで占いに触れていきたいと思います🔮笑
そしてシャマランの新作
「TRAP」
を観ました。ジョシュ・ハートネットかっこいいよね〜「パラサイト」という映画で好きになって「30デイズ・ナイト」も好きだったなー。
今回はジョシュが演じるクーパーが娘の大好きなアーティストのライブに連れて行ってあげるんだけど、警備がいかつくて何事だ?ってスタッフに聞くと「殺人鬼がこのライブ会場に来るらしい」とこっそり���えてもらいます。
クーパーはただの子煩悩パパと思いきや何とその殺人鬼はクーパー自身で、この厳重警備の中をどう逃げるのか?みたいなストーリーです。
正直に言いますと、途中一瞬寝落ちしました←
殺人鬼としての残虐なシーンなどは一切ありません。ただジョシュのサイコパスな表情の演技がすごいってだけの話です←
あとね、アーティスト役がシャマランの娘さんらしくめちゃくちゃ目がデカいんですよ。可愛いお顔してらっしゃって、シャマランに似てるんですよね。
もちろん、シャマランも登場します←
私が思ったのは「これはシャマランの娘が主人公や!」←
あまり台詞がなかったのと、いかに娘さんが綺麗に映ってるかという演出にしか思えなかったんだよね←
(カメラアングルとかね
批判でも何でもなくてね!
本当に可愛いかったし歌も全部素敵で、本当にライブ行ってるような感じになれましたよ。
(小声で➡︎あまり演技は上手くはない気がした
クーパーの家族がただただ可哀想っていうのと、結末のクーパーの笑いにはつられて笑っちゃいましたよね。
ジョシュのサイコパス感はとても面白かったし、ジョシュファンとしては上半身も露わにしていただけましてありがとうございます♡という感じでした←
ストーリー的にはイマイチでした←
が、シャマランが自分の好きに楽しく映画を製作する事が正解だと思うので笑
私も好きに観ていくよーーって感じです。
あと最近みた映画は「カイジ」シリーズ3作品と「20世紀少年」です。
そういえば今期ドラマで見てるものは
「わたしの宝物」…とにかくイラつく←イラつくけど見てしまう笑
あんな旦那なら不倫されて托卵されても仕方ないと思うが、とにかく若菜ちゃんが綺麗で可愛いよね☺️そ���だけ←
「ライオンの隠れ家」…姉にオススメされて見たけど毎週の楽しみになってしまった←柳楽優弥くんの優しい話し方に毎回癒されるんだよね♡そして坂東龍太くんの演技がすごすぎる!!!
ライオンも可愛い🦁
今後面白そうな映画もたくさんありますよね〜
・グラディエーター2
・レッド・ワン
・イマジナリー
・ドリーム・シナリオ
・モアナと伝説の海2
・クレイヴン・ザ・ハンター
・ロードオブザリングローハンの戦い
・ビーキーパー
などなど。とりあえずグラディエーター見返そうかなと思っております⚔️
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2024/3/23〜

3月23日 11月23日の日記を文字起こししながら出かけた。
なかなか起き上がれなくてかなり遅くまで寝てしまった。14時に近美で待ち合わせだったので、その前に昨日一期下の方と帰りながら話に上がった人形町へ行ってみることにした。 半蔵門線と日比谷線の地上乗り換えの際に降り立った時に気になっていた街。

人形焼屋さんは二店舗見つけた。 一つはとても行列ができていて、もう一つはそうでもない感じ。行列のお店に人形町のガチャガチャがあり思わずやってみる。中身が見えないタイプのカプセルだったので、週明けに一期下の方と中身を楽しもうと思ってまだ開けていない。

水天宮を眺めて、明治座こんなところにあったんだ〜と、確認して、甘酒横丁は甘酒屋さんよりもなぜか潰れない婦人服屋さん、がたくさん並んでいた。 行列のたい焼き屋さんがあった。 鶏ものを売っているお店で厚焼き卵が焼かれる様子がほかほか���ていてよかった。

そのまま日本橋から大手町まで歩いて、知らない街と知っている街を繋げることができて充実感。 あまり写真は撮れなかった(撮りたくなかった)。
和菓子屋さんはたくさんあって、なんとなく入ったお店にすはまだんご(!)があり嬉しくて写真を撮ってしまった。あとギンビスの建物があった。

友人と合流して、中平卓馬の展示を鑑賞。 夏に葉山館で観た展示に上書きする様な感覚で鑑賞していた。
その後竹橋のパレスサイドビルのスターバックスコーヒーでお茶を少しして別れた。 パレスサイドビルから出た時に、学生時代に毎日見ていた風景があって、雨上がりのやたら明るい空と春の感じに、はっ!となった。
お茶の席で友人と話した話、彼女から「日記には書かないでほしい」と言われ、私の日記に登場するかもしれない、と思ってもらえたことが嬉しかったり、日記を書かなくてもいいのか、とほってしてしまったり、彼女の話そっちのけで他人をしてしまってひとでなしだと思っている(そして少し誇っている)。
今日はこの出来事の間中、ずっとずっとめまいと吐き気がひどくて、途中何度かもう帰ろうと思っていて、でも一日過ごして、帰宅して掃除や日記の更新をしてしまった。

掃除をするのは別に過度に脅迫的な行為ではない気がしてきた。 掃除をして綺麗になるのは嬉しい。でも今はちょっとした日常の生活行為をする体力すらない状態なのだと思う。 掃除をするのが悪いのではなく、体調が良くない。
スーパーに行こうと外に出たら、明後日の満月を控えた月が出ていた。 見切り品の野菜コーナーでズッキーニに出会ってしまいなんとなく買ってみる。お味噌汁に入れたら美味しいかな。この数日売れ行きを観察していたちいかわのランチパックは値引シールが貼られていた。
写真を見返してみたら前世はきつねなのかもね、とか可愛いことを言いたくなるくらい、最近油揚げばかり食べているみたいだった。
とにかく足がおぼつかなくなってきたので終わり!

3月24日 心が無になる1週間を目の前に、昼過ぎから出かける予定もあったので、朝一のヨガを受けて開店したばかりのスーパーでスパイスカレーの材料を買って先に作っておく、という初めての試みをした。
野菜の見切り品コーナーにホワイトマッシュルームがいたので買ってみたけれど、なんか黒っぽくて弾力がない気がして、半分くらいは使わずに捨ててしまった。 使った分も悪くなっていないのか不安になりながら、後で調べたら断面が黒いのは通常らしい。でも弾力がなくなっていたのもあって不安(だけど調理してしまったので、食べてしまうと思う。人体実験。)。 そもそもきのこは水洗いしない?らしく、洗ってしまったから弾力がなくなってしまったのかな、とか今日はマッシュルームのことばかり考えていた気がする。
カレー作って冷蔵保存するために粗熱をとる間でお掃除などをして、初めての試みだったので出かけるまでの逆算がうまくできずにタイムトライアル的でとてもとても疲れてしまった。
最近は前より料理(っぽいこと)をしていて、でもそれは全く写真にならないな、と今日改めて思った。 CONTAXに入れたフィルムを撮りきれず、昨日から1日レンタルの期間を延長して、料理の写真でも撮ろうか、とそばにカメラを置いていたけれど、カメラとかiPhoneとかの衛生レベルが料理の現場もかけ離しておきたい気持ちが強くて無理でした。

料理も衛生面や食材の鮮度の面で不安なことばかりだしやめたほうがいい気がする。 とにかくしなくてはいけない生活のタスクが増えるだけのような気がする。
午後の予定で会った方は昨日まで金沢と富山に行ってきたとのこと。今は金沢もちょっといいビジネスホテルは一泊20,000円くらいしてしまうらしい。 北欧に行きたい話やタイとベトナムの国民性の違いの話(タイはいつも笑顔で迎え入れてくれて、ベトナムはわりと無愛想。でもシャイ故らしい。)をした。 いま割と一番したいことは北欧に旅行に行くことかもしれない。 行った方がいいかもしれない。 パートナーと旅行に行ったその方は「やっぱりそろそろ一人旅をしないだめだ…」と言っていた。
好きなひとを好きなままでいるためには、一緒に仕事をしない、家族にならない、が、今のところの人生で私が見つけた人間関係で気をつけたいこと。
これからカレーを食べます。 お腹痛くなりません様に。

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大ヒット御礼舞台挨拶オフィシャルレポート!




このたび、映画『碁盤斬り』の大ヒット御礼舞台挨拶を開催いたしました!熱気たっぷりのスタンディングオベーションで迎えられた草彅さんが「こうやって迎えられるのってうれしいです!」と満面の笑みで感謝し、「みなさんお座りになってください」と観客に優しく呼びかけ、場内はさらに大きな拍手に包まれました。「大ヒット御礼ということで、本当にみなさんがたくさん“おいごばん”をしていただいたということ。とても良い映画になっているので本当に僕も満足、一本満足なんですよね(笑)」と冒頭からご機嫌で草彅さん節を炸裂し、会場を笑いの渦に。「聞くところによると、(映画を観ているのは)つよぽんのファンよりもおじさんの方がすごい多いらしくて。つよぽんのファンは出遅れているのかなと思っていましたが、今日はつよぽんファンの方がたくさんいらっしゃってますね」と客席を見渡しニッコリの草彅さんは、上映後の舞台挨拶のため「ネタバレOKということで、今日は楽しい話を出し惜しみなく(笑)、いろいろとお話していきたいと思います」と気合を入れました。本作が泣ける映画で映像も美しいというMCの言葉に「白石(和彌)監督はバイオレンスのイメージがあって、血みどろの世界という感じ。(斎藤)工くんと斬り合うシーンはあるけれど、ちょっといつもの白石監督のテイストとは違っていて。監督も(時代劇)初挑戦で、新しい挑戦をしている感じがあるので、監督のファンの方もいい意味で驚かれる作品。そのあたりをチェックして欲しいですね」と本作の見どころ、白石監督の新しい色にも触れながらおすすめしました。本作のイベントでは、映画の中とのギャップが指摘されがちな草彅さん。この日もMCの質問に「はい!」と元気よくハキハキと答え、寡黙な柳田格之進とは大違い。「僕、声大きいかな?マイクいらないんじゃないの?マイクなんていらないよ」とマイクなしでトークを開始するなど、自由でありながらも観客を置いてけぼりにすることなく、みんなで楽しい舞台挨拶を作り上げていく草彅さんでした。「今日の僕、元気だな」とニヤリとしながら、生声でトークを続けた草彅さんは「TOHOシネマズ日比谷なのに、生の声がこんなに通る!」とウキウキ。「大きいけれど満員御礼ですからね、ありがとうございます!」と感謝の言葉も忘れずに何度も伝え、大きな拍手を浴びました。そこで、「滋賀県彦根市からあるゲストが来てくださっています」とのMCの言葉に「なんとーーーー!」と驚いた様子で雄叫びを上げた草彅さん。ゲストのひこにゃんが姿を見せると「かわいい!」「カモンカモン」「ようこそ、ひこにゃん」と大喜び!ひこにゃんがステージへの階段を使う際には、手を差し出してエスコート。無事にひこにゃんがステージに上がると「ひこにゃーん、会いたかったよ!」とガッチリと握手。ひこにゃんの兜を触りながら、「ヘルメットなの?どうやってツノが出てるの?」などと質問攻めの草彅さんでしたが「あ!甲冑ってことか。彦根城から来ているんだもんね」と納得した様子。「彦根城を使わせてもらってありがとうございます」と撮影許可のお礼を伝えた草彅さんは、格之進が濡れ衣を着せられる前の回想シーンを彦根城で撮影したと明かし、「でも、ひこにゃんいなかったよね?」と再びひこにゃんに問いかけを開始。次々と飛んでくる質問にちょっとびっくりのひこにゃんの姿に「ひこにゃんってシャイなの?」とツッコミを入れるなど、絶好調の草彅さん。するとひこにゃんの顔をまじまじと見つめ、「ちょっとフレンチブルドッグみたいな感じ」とひこにゃんの顔を触り始め「この辺のフォルムがクルミちゃんに似てるかも!」と愛犬との共通点を指摘し、さらに目尻を下げていました。ひこにゃんに映画の感想を訊ねる場面ではひこにゃんの声も担当した草彅さん。なぜかふなっしーのモノマネでひこにゃんの言葉を代弁し、1人芝居を繰り広げる草彅さんにひこにゃんは後ずさりし始めると会場は大爆笑。ひこにゃんが泣いている仕草で感動したことを伝える流れで、草彅さんは「ここでハンカチで(涙を)拭くくだりだった!」と流れを思い出したことを口にし、さらなる笑いを誘いました。慌ててハンカチを取り出し、その後もふなっしーの声でひこにゃんを演じる草彅さんにMCから「猫なので。猫バージョンもお願いします」とリクエストされると、即座に猫っぽいバージョンのひこにゃんの声に切り替えるなどの草彅さんのサービスに会場は笑い声でいっぱいになりました。ひこにゃんとの2ショット撮影タイムでも、立ち位置やカメラ目線などを優しく誘導した草彅さんが「ひこにゃんの手がめっちゃ熱い!それだけ感動してくれたんだね」とお礼を伝える場面も。フォトセッション中には、カメラに手を振りながら、自身の言葉でも観客に感謝を伝え、さらにひこにゃんのコメントも代弁した草彅さんは「ひこにゃんのキャラが定まった!」と大発見といった様子で「ひこにゃん、強いにゃーん」というキャッチフレーズをつけるなど、終始ご機嫌でした。イベントには、さらに長屋の大家・八兵衛を演じた落語家の立川談慶さんも登場。映画初出演の談慶さんは「リハなしでいきなり本番。でも、目の前に“やさしいマン”がいたから、緊張しないでできました」と、草彅さんがCMで演じたキャラクターを思い出したことを明かし感謝。撮影を振り返り、草彅さんからのお弁当の差し入れにお礼を伝えたところ「談慶さんは2000円でいいですよ、って言われました」と笑顔で告白。すると草彅さんは「2000円まだもらってない!」とニヤリ。草彅さんは談慶さんがスタッフ向けに披露した高座の動画を撮影前に観るよう監督から言われていたそうで「談慶さんがいたから、格之進の役作りができました。談慶さんのおかげで格之進が出来上がったと思います」と深々とお辞儀。談慶さんは恐縮しながらも「想像以上の格之進でした」と大絶賛。さらに映画のあらすじを3分にまとめた「ミニ落語」を談慶さんが披露し会場を大いに沸かせました。イベントには花束ゲストとして本作にエキストラ出演した囲碁棋士の藤沢里菜さんも登場。「綺麗な花束」と笑顔の草彅さん。藤沢さんは「ものすごく強い棋士のオーラが出ていたし、手つきも綺麗。長年囲碁が趣味なんじゃないかという感じがしていました」と囲碁の達人、格之進を演じた草彅さんの演技に太鼓判。「ルールは知らないとのことでしたが、その後、ルールは覚えましたか?」との藤沢さんの問いに「覚えてないです」と苦笑いした草彅さんは「でも、(囲碁の達人って)藤沢さんを勘違いさせるほど、藤沢さんの目から見て大丈夫だとい��太鼓判を押していただきました!」と胸を張り、「囲碁のルールを知らなくても楽しめるということです」と、映画をアピール。そして、ひこにゃんに再び質問が飛ぶ場面では、草彅さんは「目と鼻が碁石っぽい!碁石つけてるの?」とひこにゃんの鼻を触りながらいじり倒して笑わせました。最後の挨拶で「今日は本当にありがとうございました」と挨拶すると、この日1番の大きな拍手を贈られた草彅さん。「楽しい時間であっという間だったけれど、まだまだ『碁盤斬り』を通してみなさんと深く関わり合っていきたいと思います」と話し、映画を観た感想を周りに伝えて欲しいと呼びかけました。何かが伝わる映画だとし、「これをステップにみんなが次に向かえればいいなと。そういう作品だと思うので、末長くこの作品をお願いしたいと思いますし、1人でも多くの方が観て、何か感じていただけると幸せな世の中になると思いますので、ぜひ『碁盤斬り』を通じて、これから一緒に人生を歩いていきましょう!本日はありがとうございました」と呼びかけ、深々とお辞儀。時代劇に対して、足が遠のいている傾向もある中で、「今、観る作品だと思うし、初めて(時代劇を)観る方にもおすすめしたい。世代を超えて、若い方から年配の方まで、世代問わず、たくさんの方にご覧になっていただきたいです」と呼びかけ、しっかりとイベントを締めくくった後には、再びひこにゃんの鼻を触りながら「碁石じゃないよ」「触らないで!」などと1人2役の1人芝居を続け、退場口のドアが閉まるギリギリまで観客を楽しませました。
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Tsuki: Our maknae, my adopted baby sister graduated from high school today!
世界で1番かわいい妹卒業おめでとう♡ また一つ大人になった春菜はこれからもっと綺麗で逞しいカッコいい女の子になるやろうね♡ 残りの10代も20代なっても沢山最高の思い出作っていこう🔥 1人のお姉ちゃんとして、またそして春菜の友達としてメンバーとしてずっと春菜のそばにいるからねん! 大好きやぁ😍
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2024年3月5日(火)

二十四節気でファン投票をしたとして、ナンバーワンとなるのはおそらく<啓蟄(けいちつ)>ではないだろうか。立春や夏至と言った季節の区切りはなじみ深いが、それでも<土の中で冬ごもりをしていた生き物たちが目覚めるころ>というこ��言葉の響きには、他を圧するインパクト、誰もが嬉しくて顔を上げるような印象がある。とは言え今日は終日雨、気温も上がらずに寒い一日だった。だからこそ、明日からの本格的な春の暖かさのおとずれを期待したいと思うのだ。
4時45分起床。
昨晩は早々にダウンしたので、早めに目覚めたのだが、この時間まで布団の中でじっとしていたのだ。
日誌書く。
6時にはツレアイも起床、洗濯機をセットして朝食準備。

火曜日はおにぎりも弁当も無い日、朝の準備も余裕がある。
朝食には、昨晩の具沢山味噌汁を煮麺に仕立てた。
私が珈琲を入れている間に、ツレアイが洗濯物を干す。
可燃ゴミ、30L*1&45L*3。
8時にヤクルトさんから野菜ジュース購入。
8時30分、ツレアイが合羽を着て自転車で出勤。
税務署からメール、確定申告の還付金を振り込んだとのこと。
ごぼう茶煮る。
半熟酢卵仕込む。
明日のインタビューに向けて、ボイスレコーダー2台を充電する。
12時前、ツレアイ帰宅。

ランチ、息子たちにはソーセージラーメン、彼女にはセロリラーメン。
プレミアムシネマで久しぶりに「男はつらいよ 噂の寅次郎」。
渥美清主演、山田洋次監督の国民的人気シリーズ「男はつらいよ」第22作。マドンナは大原麗子。博の父を演じる志村喬が3度目の登場、寅次郎と秋の木曽路を旅する。
やはり、渥美清の元気な芝居はいい。シリーズ後半は観るのが辛くなるのだが、この辺りはまだまだ無邪気に楽しめる。
ツレアイは西村歯科へ。

コレモ七条店で買物、あれやこれやで¥842。
ココのトイレに💩発見、よかった!
ツレアイから診察終了との連絡、それを合図に夕飯準備に取りかかる。

奥川ファームのキャベツを豚バラ肉と炒め、安売りの焼売、半熟酢卵、トマトとレタス、アオサ汁。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第34話「仮面の男」/ Identity Crisisシーズン 1, エピソード 34 経営コンサルタントのネルソン・ブレナーはかつての相棒であるジェロニモから脅迫を受けていた。ジェロニモと名乗る男はヘンダーソンといい、彼らはCIAの情報部員であり、以前は二重スパイを繰り返す仲だった。ジェロニモは3年前に受け取る予定だった分け前を要求してきた。
片付け、入浴、体重は2日前と変わらず。
パジャマに着替えて、日誌書く。

終日の雨、ウォーキングは無理しない。
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秋のしつらえ展、昨日より後半がスタートしています。2.3日前から朝の急激な冷え込みで秋らしさも増してきましたね。昨日もお越しいただきありごとうございました。
渡邉由紀さんの器は企画展に合わせて、色合いを絞り込んで作って下さいました。人気の八角長皿はSFB、栗、白貫入の3色が揃っています。秋のさんま皿としてはもちろん、前菜やおつまみを数種類盛り付けたり、おむすびと卵焼き、副菜と一緒の朝のワンプレートやカップとお菓子でトレイのように使ったりと色々楽しく使いいただけます。
新しくお目見えの木瓜鉢もSFB、栗、白貫入の3色作って下さいました。程よく深さがあるのでお出汁のあるものも盛り付けやすくて良いです。煮物からデザートまで品よく盛りつけられます。
浅鉢と初お目見えの深鉢もスープが美味しくなる季節に重宝していただけます。こちらは生成と栗の2色です。栗色にはクラムチャウダーやシチューが映えそうですね。深鉢は麺類にも良さそうです。
前回も人気だったどんぶりは、大きい方は生成、小どんぶりは生成とキャメルがご覧いただけます。小どんぶりを自宅でも使っていますが、豚汁など具沢山のお味噌汁にも重宝しています。口当たりが滑らかなレンゲも綺麗な色が加わって新鮮です。ぜひ楽しく選んできださい。
カレーやパスタにぴったりなオーバル深皿も3色揃っています。オーバルのサイドの形がシャープなので盛りつけるお料理が品よくまとまるので盛り鉢としてもおすすめです。
定番の台形のマグカップやカフェオレボウル、定番のリム皿も各サイズ届いています。SFBは各アイテム少なめなので、気になられる方はぜひこの機会に手にして下さいね。
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漢のひとり旅2025春②
DAY2
2日目は福井県敦賀市を散策しました。

駅でミスドのロイヤルミルクティとパイを購入。朝食はサンダーバード車内でゆっくり食べよ~^^と思っていましたが…
サンダーバードって全席指定席なんですね。乗る前に気づいてよかった。慌ててネットから席を予約しました。女性専用車両に乗ったのですが平日にも関わらずほぼ満席でした。
本来なら50分ほどで着くはずでしたが、この日は強風のため徐行運転で、20分ほど遅れて敦賀に到着しました。人生初北陸上陸です🗾㊗️
目的地方面のバスの本数が少なかったので観光案内所で相談したところ、レンタカーを勧められたので言われるがまま従いました。

レンタカー屋に居たフレデリック
知らない土地を運転するのに抵抗がありましたが自分が普段乗ってる車と同じ車種のものを借りられたのでなんとかなりました。
まずは常宮神社を目指して車を走らせます。
途中、通りがけにあった気比の松原に寄り道しました。



灰色の空 雪化粧した山 荒れ狂う波…
早速イメージ通りの日本海側の景色を拝むことができ感無量でした。仕事で飽きるほど内海の景色を見ていますが地元では見られない寂しげな海です。クッソ寒い中しっかりと目に焼き付けたところで車に戻りました。
海沿いの道を進んでいくと常宮神社に着きました。 1本道なので分かりやすかったです。


入り口から良い雰囲気

境内の道路沿いにある休憩所?から撮影 めちゃくちゃ絵になる



どこを切り取ってもかわいい



左右の小さな祠に1匹ずつ小さな狛犬がいました

しっかりとお参りをし、御朱印をいただきました。こちらの御朱印のデザインが可愛く、今回の旅の目的のひとつでした。
梅と犬のハンコどっちがいい?と聞かれたので迷わず犬と答えました。その後梅も押せるけど…どうします?と聞かれたので梅のハンコも押してもらいました。春らしくていいかんじ^^ そして字がうますぎる…!
神社でホッコリしたところで次なる目的地、立石岬灯台へ向かいます。道がよく分からなかったのでとりあえず半島の端を目指し県道を突き進みます。少し不安もありましたが見知らぬ土地で聞き慣れないラジオを聴きながらドライブするというのも悪くない体験でした。
敦賀原発を横目に進んでいくと漁港に辿り着きました。この漁港に車を止め、灯台まで歩いていくとネットに書いてあったので駐車しました。

生粋の九州男児のぼく、クマがこんな身近な存在に感じたのは初めてでした。人気もなく少し気味が悪かった為まあ、当然灯台は断念しましたね。




せっかくここまで来て何もせず戻るのも惜しいので漁港で海を眺めていました。海好きなので飽きずに楽しめました。(しっかりと推し活もした。)20分程眺めていたところで地元民らしき方たちが山から降りてきて、変なヤツと思われそうなので撤退しました。
その後市街地へ戻りました。周りたい候補は決めていたものの順番は決めていなかったので観光名所が集まっている敦賀港へ向かいました。
ちなみにお昼はヨーロッパ軒のソースカツ丼を食べると心に決めていたのに、なんと店休日でした。飲食店を探したもののお昼時を過ぎていたので見つけられずローソンのミニチーズコロッケとサラダチキンを食べました。
軽く食べたところで港周辺を散策していきます。


旧敦賀港駅ランプ小屋。明治時代の建築で、むかしは活気があったようですが現在はポツンと佇んでいます。切ないけどそこがいい。

敦賀ムゼウムにて ポーランドの民族衣装。ここではポーランド孤児やユダヤ難民を受け入れた歴史が展示されています。アニメーション映像で紹介されていたので、恥ずかしながら歴史に疎い自分でも分かりやすかったです。新めの施設なのかな?綺麗で設備が整っている印象でした。




コンテナや船、赤レンガ倉庫を見ながらお散歩しました。全てがたまらん景色ですね。カメラのシャッターを押す手が止まらなかった。ボク港や漁村に無性に惹かれるんだけど前世漁師なのかな…とか考えてました。
ボンヤリしてたら時刻は16時を過ぎていました。レンタカーを18時に返却しないといけなかったので最後に気比神宮に寄ることにしました。

人が写ってたので画像加工してます。
日本三大鳥居のひとつ、気比神宮の鳥居です。圧巻のデカさ!神社が17時に閉まるということで、ギリギリ参拝することができました。訪れたのが16時50分頃だったのですが、この時惜しくも御朱印やお守りの販売は終了していました。
いい時間になったのでガソリンを満タンにし、レンタカーを返却しました。レンタカー屋のおじさん、初めは寡黙そうな印象でしたが表情に出ないタイプなだけで愛嬌があって可愛かったです。ボクも普段観光客相手のお仕事をしているのですが、最近手を抜いていたのでお客さんに少しでも旅を楽しんでもらえるよう気をつけなきゃな…と猛省しました。
駅でお土産を購入し、抹茶ミルクを飲んで京都へ帰りました。敦賀、めちゃくちゃいいとこでした。また来ます。次は宿取って北陸制覇とかも…アリだ。

かわいいフォルムとかっこいい名前のサンダーバードくん。帰りは女性専用車両ではなく一般の車両を選んだら普通に空いてました。

夕飯は京都駅の伊勢丹で値引きされた惣菜を買って食べました。そしてせっかくなので近所の銭湯で冷え切った体を癒して1日を終えました。
最後まで贅沢な1日だった…。
③に続く
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2025年2月28日に発売予定の翻訳書
2月28日(金)には33点の翻訳書が発売予定です。
あの子を自由にするために

アン・クレア・レゾット/著 横山和江/翻訳
岩波書店
虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ

ティム・オブライエン/著 村上春樹/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ボスの愛人候補

ミランダ・リー/著 加納三由季/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
大富豪は華麗なる花嫁泥棒

ロレイン・ホール/著 雪美月志音/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
978
何も知らない愛人

キャシー・ウィリアムズ/著 仁嶋いずる/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
子爵と出自を知らぬ花嫁

キャサリン・ティンリー/著 さとう史緒/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
百万ドルの花嫁

ロビン・ドナルド/著 平江まゆみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
秘密の妹

キャロル・モーティマー/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
鏡の家

イヴォンヌ・ウィタル/著 宮崎彩/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
紳士で悪魔な大富豪

キャロル・モーティマー/著 三木たか子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
捨てられた娘の愛の望み

エイミー・ラッタン/著 堺谷ますみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
シンデレラの出自

リン・グレアム/著 高木晶子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵との一夜

ルイーズ・アレン/著 古沢絵里/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
二人の富豪と結婚した無垢

ケイトリン・クルーズ/著 児玉みずうみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ハートブレイカー

シャーロット・ラム/著 長沢由美/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
すれ違い、めぐりあい

エリザベス・パワー/著 鈴木けい/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ゴースト・フォレスト
ピク・シュエン・フォン/著 神崎朗子/翻訳
左右社
ラジウム・ガールズ
ケイト・ムーア/著 松永典子/翻訳 山口菜穂子/翻訳 杉本裕代/翻訳
堀之内出版
ライプニッツの最善世界説
ポール・ラトー/著 酒井潔/監修・翻訳 長綱啓典/監修・翻訳
知泉書館
ブラウン 一般化学 I 原書13版
荻野和子/監修・翻訳 上野圭司/翻訳 鵜沼英郎/翻訳 鹿又宣弘/翻訳
丸善出版
生命科学のための基礎化学 無機物理化学編
伊藤俊洋/翻訳 伊藤佑子/翻訳 岡本義久/翻訳 清野肇/翻訳 松野昻士/翻訳
丸善出版
血肉化するイノベーション
ベン・M・ベンサウ/著 軽部大/翻訳 山田仁一郎/翻訳
中央経済社
アマチュア
ロバート・リテル/著 北村太郎/翻訳
新潮社
ナルニア国物語4 銀のいすと地底の国
C・S・ルイス/著 小澤身和子/翻訳
新潮社
母親になって後悔してる
オルナ・ドーナト/著 鹿田昌美/翻訳
新潮社
びんのなかの ゆめ
デボラ・マルセロ/著 なかがわちひろ/翻訳
光村教育図書
19号室
マルク・ラーベ/著 酒寄進一/翻訳
東京創元社
ミスター・ミー
アンドルー・クルミー/著 青木純子/翻訳
東京創元社
マンキュー入門経済学 第4版
N・グレゴリー・マンキュー/著 片桐満/翻訳 篠潤之介/翻訳 溝口哲郎/翻訳
東京化学同人
マンキュー経済学Ⅰ ミクロ編 第5版
N・グレゴリー・マンキュー/著 片桐満/翻訳 篠潤之介/翻訳 溝口哲郎/翻訳
東京化学同人
マンキュー経済学Ⅱ マクロ編 第5版
N・グレゴリー・マンキュー/著 片桐満/翻訳 篠潤之介/翻訳 溝口哲郎/翻訳
東京化学同人
族長の秋
ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 鼓直/翻訳
新潮社
パワー・ポリティクス
マーティン・ワイト/著 大中真/翻訳 佐藤誠/翻訳 池田丈佑/翻訳 千知岩正継/翻訳
日本経済評論社
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奥へ行ってきたよ。

昨日行った場所の近くにいい雪があることは知っている。
だがしかし、行きたくは無い。なぜなら昨日行ったから。
という事で昨日とは違うエリアのほうてい探しの旅に出ました。

こちらが本日の哀れな罪なき生贄 参加者の皆様。
よーし!ガッツリ登るぞー!!

テールガイドはゴウオンザリヴァ。
エコーランド、深山成吉思汗跡地にてダイニングバーKarakusa 経営中。ヨロピコです。

綺麗な雲海ですねえ〜。

風で叩かれた稜線歩きはクトーが必須。更にピッケルで道作りも。

本日も存在感を放っていました。

昨日に引き続き好天。うれぴー。
朝方まあまあな風が吹いてましたがそれも次第に収まってきました。

長野県民のソウルフード、おやきを行動食に。
塾長へのリスペクトを添えて。

下りのスキーモードは盛り上がります。

着々と奥へ。

ハイクで汗をかき、今日の行程の中で最も喉が渇くであろうというタイミングでりんごを投入すると、さっきのおやきを持ってきたゲストがすかさず野沢菜を投入!
おやき、りんご、野沢菜の長野トライアングルの完成です。
野沢菜うまかった〜。

だーいぶ奥まできましたね!お疲れ山です!
さて、お楽しみの滑りの方はどうでしょうか?
ゴウ君が味見。
今朝までの降雪10cm程がうっすら載っていていい仕事してくれてます。
吸い込まれそうな景色です。

BCデビューをえんでかしで果たした彼女はいつしかこんなところまで来るようになりました。

光とスプレーがとてもお美しいですね。
どでかい斜面はきんもちいいす。

急斜面が苦手といいながらもしっかりと滑っていました。

ナイススプレー!!
山形の Slopetactix のヨースケ君の紹介でお越しいただいたゲスト。スロタクのお客さんなら歩けるでしょ〜なんて思ってたら基本キャットツアーなもんで、普段そんな歩かないみたいっす😅
まあ、えんでかしなもんで。

基本的に急斜面です。
中間部は光もなく、ちとテクニカル。
下に降りるにつれ雪も溜まっていました。
なんつってもこの最後のパーティーランが最高なんすよ〜。

途中、ごっつい全層があったり。

滑りも楽しいけど、何よりこのどでかい景色に圧倒されます。

さて、この先は昨年ここへきた際にあわや滝壺に落ちそうになった因縁の場所。今年は雪が多いから大丈夫だとは思うのですが…。

なんて恐る恐る入ると、あれ?滝なんて全く見当たらないくらい雪に覆われていました。

何箇所かスノーブリッジで繋がっていたのですら、すごいと思っていた渡渉ポイントは完全に雪に覆われて大雪原に。
大きな雪崩でもあったのでしょうか。

いつも通る洞門も雪が多すぎて上を通過する始末。
なんて年でしょう。

ロングツアーでしたが皆無事に下山!!
なかなか濃密な探検になりましたね!みなさんよく頑張りましたー!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!!
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2024年8月11日放送回
満点DAMミュージックレジェンズ
文字起こし(前半)
Opening theme♪ワタユタケ「惑星」
youtube
MC 横田岳史(ヨコタタカシ)さん
満点DAMミュージックレジェンズ、この番組はカラオケDAMでおなじみの第一興商の提供で札幌FMしろいしが制作し、ただいま和歌山県エフエムマザーシップ、山形県酒田ハーバーラジオ、新潟県エフエムピッカラ、秋田県ACB秋田コミュニティ放送の5局ネットでお送りしております。
てことでお聴きの皆さん、お元気ですか?番組MCエフエムしろいし“何にもせんむ(専務)”こと横田岳史です。この番組は安全地帯ギタリスト武沢侑昂レジェンドとともに心揺さぶる音楽を求めてタイムトリップしちゃう、そんな番組なんですが武沢さん元気ですかッ⁉︎
安全地帯ギタリスト 武沢侑昂さん
♪「 冬CITY-1」のフレーズをギターで演奏
おはようございます!
横田さん
あら、とっても綺麗なギターですね!
武沢さん
…いや、ほんとはそうじゃないんですけど…、
横田さん
(笑)あっ、そうなんですか?
武沢さん
これ、ソロで弾くと、そういう風に聴こえるんですけどね。
横田さん
うんうん…、はい。という訳で。にしてもー、暑いでしょう、そっち!
武沢さん
いやあもう、この暑ささすがにあれですね、去年が、まあ今まで東京に来てから一番暑かったと思ったんですけど、
横田さん
あ、そうですか。
武沢さん
去年ね?去年の7月!
横田さん
7月ね!
武沢さん
去年のちょうど今ぐらいです。ところが。
横田さん
うん。
武沢さん
今年は、さらに、その上を行ってますね。
横田さん
この暑さがなんか8月いっぱい続くって言ってます���ね、天気予報で。
武沢さん
ま、天気予報はあんま当てになんないですけど、
横田さん
まあそうすね。
武沢さん
まあまあ、暑いのはたしかにね。
横田さん
うん。
武沢さん
うん、何にしろ7月がとにかく暑いすよ。7月の今ぐらい。
横田さん
あ、そうですか。
武沢さん
うんうん。去年もそうだったんですけど。
横田さん
うん。
武沢さん
まだね、8月になるとさすがに38度とかにあまりいかないんですよ。
横田さん
あ、そうですか。7月の方が暑いんだ?
武沢さん
7月の今ぐらいの時ですよね。
横田さん
ああ〜。
武沢さん
去年もそうだったもん。
横田さん
なんか自分のイメージでは8月が一番暑いみたいなイメージだったけどそうでもないんですね?逆に7月とかの方が一番暑いんですね。
武沢さん
そうです。僕が東京に出てきた時から、あ、意���と8月の方が涼しいんだと思う様に、なりましたね。
横田さん
うんうんうん、そうですかー。
武沢さん
更に今はその頃より7月は何しろ暑すぎますから、酷いですね。
横田さん
いやあねぇ、まあでもね今は僕北海道に居るんですけど、まあ暑いのは暑いですけどそこそこカラッとしてね、なかなか涼しい、涼しいっていうか、クーラーは使っていないいや別にアノ話をしたくて振ってる訳じゃないですけど、クーラーは別に使わないで過ごしています。
武沢さん
アノ話ってダイコンの話ですか(笑)
横田さん
ッフッフッフッフ(笑)やめてくださいよ。
武沢さん
(笑)
横田さん
そんなベジタブルな話はやめてくださいよそれは野菜なんで、野菜の話はいいです。大変申し訳ございませんでした。ワタクシの話題のチョイスミスでございました(笑)
武沢さん
あのーねぇ、あの機械もね、
横田さん
ンッフッフッフッフ(笑)
武沢さん
さすがにもう良くなって欲しいと思ってるんですけど、また来ていただくことになりまして。
横田さん
そうですか。
武沢さん
はい、次に来るのが来週かな?
横田さん
そうですか。じゃあ、
武沢さん
来週…アレ?違うわ。
横田さん
次の収録の時はちゃんと、機能して、大丈夫ということで。
武沢さん
いや、そんなことはないと思います。去年からずっとやってますから。
横田さん
(笑)はい。その期待してない感じ…
武沢さん
一応、せっかくやっていただいてるから、期待はしてるんですけど。
横田さん
まぁ、そんな暑い世の中の中で、まぁ世間ではね、ま、この7月の辺り、土用の丑の日なんて言ってウナギを食べたりなんかするんですけども。武沢さんは、要するに体力を落とさない様にこう、体力をつけるのになんか食べてらっしゃるというか。
武沢さん
なんか、世間の人たちはね、そのウナギって言ってますけどね。僕は何しろこのウナギ嫌いで最初からやってますから。
横田さん
ウナギ嫌い&ウナギという言葉から宇宙に行ってしまうと言う…不思議な、
武沢さん
そうですね、不思議な、体験をしてまで…
横田さん
あ、はい(笑)
武沢さん
あれですよ、まあ、もちろん、そっちね、その「う」の付く方にはいかないですけど、
横田さん
はい(笑)
武沢さん
でもやっぱり夏の暑い時に、さあ何食べようって、やっぱラーメンですよね。
横田さん
あっ(笑)暑いところにさらに熱くラーメン。
武沢さん
そう。あの、冷やし…むかし冷やしラーメンって言ったけど、あの、
横田さん
ああー、冷やし中華ってことですか。
武沢さん
冷やし中華じゃなくて、
横田さん
うん。
武沢さん
熱い。
横田さん
熱いラーメンをね?
武沢さん
そっす。
横田さん
ほうほうほう、暑い中で熱いラーメンを食べていく。
武沢さん
ま、一応エアコン効いてる暑いところで(笑)
横田さん
ああ、もちろんもちろんもちろん。
武沢さん
そうそう。で、熱いラーメンを食べると。
横田さん
はい。
武沢さん
元気になります。
横田さん
まあねぇ、そういえば旭川ね、ラーメンが美味しくて有名なまぁ街ですけども。武沢さん、何味のラーメンが基本的には好きなんですか?
武沢さん
あれ、ラーメンの話って一回してますよね?
横田さん
まあ、してるでしょうけど、まあ新しいリスナーさんもいらっしゃってるのと、私の記憶があのー、3分ぐらいしか保たないのと(笑)
武沢さん
あ、なるほど。
横田さん
はい。
武沢さん
そうすね、旭川の…、札幌が昔から味噌ラーメン、大御所なので、
横田さん
うん。
武沢さん
で、豚骨ラーメンといえば、九州ね。
横田さん
九州。はい。
武沢さん
博多ですか。
横田さん
そうですね、まぁあの九州だいたいそうなんでしょうけど、博多の豚骨ラーメンが美味しいですよね。
武沢さん
そうだよね、特に博多が。で、僕らはやっぱりあの、ずっとアマチュア時代があって、まずね100円ラーメンってやってたんですよ。
横田さん
100円ラーメン?!それは旭川で?
武沢さん
やってました。
横田さん
それは、あのー、自分たちでなんか作ったラーメンのことを100円ラーメンて呼んでたとかじゃなくって?
武沢さん
いえいえいえ、あのね、なんつったかなぁ、店の名前ちょっと忘れちゃったけど。コミカワだったかなー、
横田さん
へぇえええー!…ああ、言ってましたね、で、もうそのラーメン屋は無くなっちゃったっていう話でしたよね。
武沢さん
無くなっちゃったですよね、きっとね。
横田さん
うん、うん、うん、うん。
武沢さん
あのー、その100円ラーメンはあれですよ、ちゃんと、作ってくれて、あの。おばさん達が4人ぐらい、あの従業員がね?
横田さん
ああ、じゃあすごく人気店だったんですね?
武沢さん
ん〜〜…、やぁやっぱり、安いから、食べに来てましたよ。
横田さん
あ、ほんとですか。まぁでも、具はもやししか入ってない、とかじゃなくて?
武沢さん
まぁ、でも、ちょこっと入ってたよ。あの、普通の…、
横田さん
チャーシューみたいな?
武沢さん
あの、チャーシューのおおっきいのは入ってないすけど。
横田さん
あのー、切れ端ぐらいは入ってたり。
武沢さん
そうそうそう、切れ端ぐらいとか、カマボコとか。
横田さん
あー、カマボコね?うんうん。
武沢さん
卵もちょっと入ってたのかな?
横田さん
あ、ほんとですか。ね。で、ネギがちょこっと乗っかって?
武沢さん
あ、ネギもネギも。
横田さん
海苔とかももしかしたら1枚ぐらい入ってたと。
武沢さん
そう。僕らでも行ける値段だった。
横田さん
うん。
武沢さん
ね、安いでしょ?
横田さん
やっすいですね、100円は安いですねぇ。
武沢さん
そう、で、そこにずっと行ってて。で、途中から、あの多少ね?アルバイトしてお金をね少し稼げる様になってからは、天金ラーメンですね、やっぱりね。
横田さん
出ましたね、大好きな天金ラーメン。やああのねえ、美味しいですよねー。あのー僕も、武沢さんに言われて、旭川に行くと、ほぼ旭川に行く時は必ず天金ラーメン食べてますね。
武沢さん
あ、そうですよね。
横田さん
はい。
武沢さん
ただあのー、天金ラーメン、僕は大好きですけど、旭川にはどうもあの、何派かに分かれてるんですよね?
横田さん
ああ!蜂屋だとかー、まあ、
武沢さん
そうそうそう蜂屋とか
横田さん
梅光軒とか。
武沢さん
だいぶ味が違うんですよね。
横田さん
うん、違うと思いますね、なんか。
武沢さん
だから、みんな天金が好きかって言ったらそうでもないと思うんだけど、僕らはそのアマチュア時代から、もう天金でしたね、やっぱり。
横田さん
まぁとにかく初めて…、こんな話長々としてもあれなんだけど、初めて天金ラーメン食べてとてもびっくりしたのが、ラードが上にしっかり乗ってるから、ラーメンがとっても熱いんですよね!
武沢さん
熱いし、味も濃くて深い、深みがあって。
横田さん
いや、美味しいですよね。いや、僕はほんとにねやっぱりこんな熱々のラーメンで、やっぱり北海道寒いです、旭川なんて冬寒いですから、その冬のクソ寒い中でね、あの熱々のラーメン食べた時にはほんとに美味いなぁと思いましたね!
武沢さん
そうなんですよ。で、札幌と違って、まぁ味噌ラーメンも美味しいのは美味しいんですけど、
横田さん
うん。
武沢さん
やっぱり旭川の天金のしょうゆラーメン!
横田さん
ま、僕はねちょっとね、札幌育ちとか北海道生まれとかじゃないのであんまり味噌ラーメンはそんなに、別に、食べなくてもイイカナみたいな…
武沢さん
あ、そうすか。ちっちゃい頃からずっと食べてるから。
横田さん
いやいやいや、あの、ま、小さいところはねあの味噌ラーメンてものを食べつけてなかったので。どちらかと言うと醤油とか豚骨の方のが自分は好きかなとは思うんで、あれなんですけど、ほんと、天金ラーメンは美味しいですねぇ。
武沢さん
ねー!そうなんですよ。ただあれですよ、ちょっと残念なことにちょっと今名前忘れてますけど、これ前にも言ったことあると思うんですけど、
横田さん
うん、
武沢さん
あのー、あそこは池袋の近くかなぁ、東京、東京のね?えーとー東京で良くラーメン食べて…、昔よく車で食べに行ってる人居たんですよね。
横田さん
環7の?環7のラーメン屋?
武沢さん
環7沿いとかね?
横田さん
ああそれ土佐っ子じゃないですか?
武沢さん
山手通りとか。
横田さん
あー。
武沢さん
要するに太めの道路で。
横田さん
うん。
武沢さん
で、ラーメン屋のもう前に停めたりとかして。
横田さん
土佐っ子渋滞なんて名前で環7、渋滞起きてましたよ。
武沢さん
それは知ってます。で、それ、その前くらいから行ってた…たしかあれ明治通りだったかなちょっと忘れたけど、そこのラーメン屋さんはね、札幌の、札幌の味噌ラーメン。
横田さん
うん。
武沢さん
もやしたくさん入れて野菜もたくさん入れてね?
横田さん
ああ、んでひき肉でね?
武沢さん
ひき肉で、もうすっごい美味しい。大好きだったんですよ。
横田さん
ああ〜、いや、美味しいですよね、いや、味噌ラーメン嫌いな訳じゃないんですよ?ただ、あの、味噌ラーメンがおすすめの店じゃなければ、味噌ラーメンをあんまり頼まないかな、みたいな。うん。
武沢さん
まあ、そうですね。ま、そこの店はほんとにもうあのー、僕もあんまり行くので、もう店のあの…
横田さん
顔覚えられて。
武沢さん
おじさんがね。店の主さんが。
横田さん
はい。
武沢さん
僕のことすっかり。たまーに空いてる時はずっと話したりとかしてて。
横田さん
ちなみにそれは、その人は、武沢さんの事を安全地帯のメンバーだと認識して?
武沢さん
あ、途中から認識してたかも知れないですね。
横田さん
あ、途中からね。
武沢さん
そう。ま、でも本当に残念なことに、何年まえかなぁ、15年くらい前になくなられてしまいまして。
横田さん
あー…、そうなんだ。
武沢さん
で、それから、うん、あまり行けなくなってしまったんですけど。
横田さん
うーん。
武沢さん
でそこのね、おじさんね、ほんとにね、いいおじさんで、その色々教えてくれるんです、ラーメンの作り方とか。
横田さん
あ、作り方。うん。
武沢さん
そう(笑)ウチのラーメンはここをこう作る、ラード���こうして、とか。
横田さん
うんー。
武沢さん
プロだからあんまり他の人に教えない様な。あの、ガラをここを鶏のガラをこのぐらい取って、豚のガラをこんだけ入れたとか。なんかね、ま、そんな話もしながら、ね?東京で音楽を続けてきたわけですが。
横田さん
はい。
武沢さん
そろそろ本題に戻ってきて(笑)
横田さん
はい、そうですね。大変申し訳ありません。
武沢さん
すいません(笑)
横田さん
もう始まりから14分も話をしてしまいましたけど、まあ今週もね?当然ビートルズということで。ええ、ビートルズなんですけども、今日の1曲目はねジョージ・ハリスン。ジョージ・ハリスンですよ。
武沢さん
そうですね。
横田さん
武沢さんが大好きなジョージ・ハリスン。
武沢さん
大好きなジョージ・ハリスン。今日の特集、のテーマは、
横田さん
テーマが、あ、テーマがある。失礼いたしました。
武沢さん
僕の気持ちの中では有りまして。
横田さん
うん。
武沢さん
この、『脇役の名曲』と。
横田さん
『脇役の名曲』ああ〜、『脇役の名曲』要するにそのアルバムのメインでは無いんだけど、凄くそれがある意味…
武沢さん
意味を持ってる。
横田さん
意味を持ってるっていう。
武沢さん
そうそう、それが、あの、まあ今日の、今日安全地帯も掛けるので、安全地帯の曲も含めて!
横田さん
そうなんですね。
武沢さん
はい。という事で。
横田さん
了解です。まぁちょっとね、聞き付けない、こういう音楽を聞き付けない人はちょっと面を食らってしまうかも知れませんが、あのー私達はとっても大好きな曲でございます。
武沢さん
そうですよー。
横田さん
Sergeant peppers’からこちらです!
youtube
横田さん
はい、という訳でビートルズSgt.peppers’から「Within you without you」という事でございます。
武沢さん
はい。この曲聴いてるうちに忘れていたラーメン屋の名前を思い出しました。
横田さん
ウハッハッハ(笑)そうですか。瞑想の中で辿り着きましたか(笑)
武沢さん
瞑想の中でフワァっとすぐ浮かんできました。
横田さん
なんて名前なんですか(笑)
武沢さん
えぞ菊です。
横田さん
えぞ菊。あー東京にえぞ菊っていうラーメン屋さんがあって、武沢さんはよく通われてたって事ですね?
武沢さん
あれはー、よく通ってました。
横田さん
はい。
武沢さん
ええ、作り方まで教えてくれたりね。
横田さん
うんー。
武沢さん
野菜をこのタイミングで入れるんだとか。
横田さん
ああー。
武沢さん
最後のもやしはこうした方がいいよとか、ちゃんと…。それは置いといて。
横田さん
はい。というわけでビートルズ「Within you without you」
武沢さん
ビートルズの、シタールね!ま、シタールだけじゃないすけど(笑)
横田さん
うん。
武沢さん
シタール系の楽器が。
横田さん
はい。
武沢さん
たくさんあるんですよね、これ。
横田さん
いやあほんとですね。たくさんありますね。まあ読んだところですぐ忘れてしまって。たくさんのインドの楽器が。タブラ。
武沢さん
タブラはね、あの、打楽器のね。
横田さん
タブラは打楽器ね。それ以外に弦楽器としてスワラマンダラ、タンプーラ、リルババという。
武沢さん
リルババ、ね。ま、これ、を使えばこういう音楽になるかっていうと、
横田さん
ならんでしょう。
武沢さん
そうはならない。なかなかよく出来ててね。
横田さん
や、これはほんとにあの、インド音楽、僕もかなり一時期ハマってインド音楽ばっかり聴いてた事ありますけども。あの、しっかりちゃんとインド音楽をしています。
武沢さん
ねー。ずっとこの続く(♪シタールを口三味線で)ニヤ〜オオーア〜ンってこの感じがね?
横田さん
うん。
武沢さん
もう、お香のかおりって言うんですかね。
横田さん
あああー、まあ確かに、香のかおり。
武沢さん
もう香ってきます、香りが来ますよね。
横田さん
で、実際あのー、このスタジオで録音した時は、普通、楽器、例えば武沢さんも録音する時はま、椅子に座るとか立って録音するとかって事でしょうけど、
武沢さん
ええ、ええ。
横田さん
この時はもうそのスタジオに絨毯をひいて、
武沢さん
そうなんすか。
横田さん
壁になんか色々そういう絵を飾って、それで。
武沢さん
そっち系の。
横田さん
そっち系の。
武沢さん
そ、宗教系の。
横田さん
ま、そうですね、宗教画というか、マントラみたいなものをたぶん、飾って、それで、収録をしたと書いてありますね。
武沢さん
うーん、なるほど、そういう工夫がされてる訳ですね。
横田さん
でも歌詞なんか読んでると思うのは、あーこれジョン・レノンもずいぶんこういうのに影響されたんだろうなぁって。「imagine」なんかある意味そういうこう、そういう世界のこと言ってるなぁって。
武沢さん
そうなんですよ。もちろんあのこれジョージ・ハリスンの曲だからあれなんすけど。ジョージ・ハリスンが一番影響されては居るんですけどね。インド系のね?
横田さん
はい。
武沢さん
でも、ポール・マッカートニーもジョン・レノンも、あの、ジョージ・ハリスンほどじゃ無いけど、けっきょ、あ、けっきょじゃない(笑)結構影響受けてるみたいで、なかなかいいあの音楽の広がりを
横田さん
はい。
武沢さん
辿ってますよね、このあとね。
横田さん
まぁね前もちょっと話したかも知れませんが、これはビートルズが、えー、まああんまりにも世界中で有名になっちゃって、静かに休日を送れるとこはないか、という事で、じゃあ、インドにしようって行って、どうせインドに行けば誰も僕らのこと知らないからみたいな
武沢さん
うんうん、そうらしいですよねぇ。
横田さん
事を言って、でもインド行ったらまぁやる事ないし退屈だなぁみたいな感じで、そしてインド音楽に触れたと。
武沢さん
素晴らしい楽器があって。
横田さん
うーん、こりゃ凄いと。
武沢さん
ハマってしまったのが、ジョージ・ハリスン。
横田さん
そうですね、ジョージ・ハリスン。
武沢さん
多分ね。
横田さん
はい。
武沢さん
でもまあ、そういう意味ではあの、そういう、ね、なかなか行けないところに行って、その、音楽も全然違うじゃないですか。
横田さん
うん。
武沢さん
西洋の音楽と。
横田さん
そうですよねぇ。
武沢さん
ま、生活もそうですけど。まそういういい意味でそういう影響を受けて。やっていた頃の、Sgt.peppers’に入っているこの曲で。ま、ね、曲としてはちょっと、普段着の曲にはなっちゃいますけどね。
横田さん
あのー、今、ま、世の中ではね?皆さん、あの、なんだろ、レコードを買うとか事は無いだろうし、まあCDを買うというよりも、なんか自分の好きな曲だけをダウンロードするという事だったと思うんですけど。
武沢さん
ダウンロード、うんー。
横田さん
うん、もうこの僕ね、これを僕らが聞いてた頃と言うのはまぁレコードもしくは、まあCDだとしてもですね、ま基本的に飛ばすって事はしなかったですよね。
武沢さん
飛ばすって事はしないすね。出来なかったよね。
横田さん
それは特にSgt.peppers’っていうのは一曲も飛ばせ、なかったですよね。ま、全部続いてるからってこともありますけど。
武沢さん
そうすね、うん、レコードしかないしね?
横田さん
うん。
武沢さん
ネットも無いし。
横田さん
うん。
武沢さん
インベーダーゲームも無いし。
横田さん
うんまあ、そうでしたよね。インベーダーゲームね無かったし(笑)はい、なのでだからあの、もしかしたら今の世の中ならこの曲は飛ばされちゃったかも知れないけれども。
武沢さん
うん。
横田さん
でも、まあ僕らの身体の中には絶対に飛ばせない、あの、素晴らしい曲の一つで。
武沢さん
そうですね。やっぱりうん、ビートルズとしてもヒット曲とか代表曲とかにはまぁ全然ならないけど、やっぱりインパクトがありますよね。すごいすよね。
横田さん
まぁ、そう言う意味では今日の武沢さんのテーマっていうのがここ、だということなんでございましょうけど。
武沢さん
はい。
横田さん
はい。というわけで、つぎの曲は…。
(※後半に続きます)
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並べるととんでもなく多い特定の「」さんによるスク水関連のお手書きです
これはこの日北斗の拳世紀末救世主伝説を遊んでいた流れを汲んだお手書きですね
服装が変ですがモヒカンの返り血の飛び交う中北斗神拳を叩き込む私の立ち姿です
世紀末救世主伝説はPSのゲームながら3Dアクションでケンやレイを操作できるアクションゲームの側面があるのですがそんなアクションしたっけみたいなのも多い!北斗旋風脚!そんな技あったっけ!
これは北斗神拳奥義ジャンプダッシュキックです
基本的に大体これになります…アクロバティックな構図のアクションを描く時は大体スク水着せたがってますね…
またまたシンプルにスク水なお手書きではあるのですが髪の毛をお団子に結ばずに垂らして描いてる一枚になります
それはそれとしてこの顔の描き方もまた伝統的な感じでとても可愛い!
これは3年目4月22日のDMC4SE配信中に頂いた奴ですね
またまた剣と銃のスタイリッシュアクションの時間がやってきた!
動きのある画なのはそうなんですけどこれはスク水だとかっこ付かないと思うんですよ!
何枚目かになるシンプルスク水お手書き
誰かを𠮟りつけるかのように注意する私です むすーっとむくれた表情が可愛いですね
多分覗きとか変な視線とかに対するあれとかスク水ばっかり描いてる事に対する忠告
シェイカーを振るバーテンダーうさぎゆかり(何故かスク水)
こちらは3年目4月26日の北斗が如くの一幕を再現したお手書きですね
北斗が如くにはケンシロウがヘンなミニゲームに興じるイベントが色々あるのですがこれはその中の一つでバーテンダーケンシロウのイベントからです
提供されるカクテルの名前がどれをとっても秀逸なんですよね
コントローラーをシャカシャカするのが地味に大変でした
これは魔人と失われた王国のクリア時に頂いた奴ですね
この逆ハの字の口元に描かれる時は大体私がゲームの登場人物の関係性についての考察をしてる時な気がする
鍬を持ったスク水姿の私のお手書きです
農具を持っている事から分かる通りこの水滴はプールの塩素の匂いのする水ではなくお日様に照らされた農場で働いて流れた汗の描写です
アストロノーカで野菜を作り始めた所のお手書きですね
3年目5月15日のアストロノーカ配信より頂きましたホースを使って農場に水を放つ私のお手書きです
撒いた水が自分の身体も濡らしてしまってシャツがビショビショで内側が透けてしまう様子…というなかなかフェティッシュなシチュエーションなんですけどそこで内側がスク水だとある意味ガッカリする人も喜ぶ人も半々くらいになりそうですね
5月18日の北斗が如く配信中に頂いたお手書きです
なんだかんだ��龍が如くと北斗の要素が良いバランスで融合しつつ北斗愛も感じる内容の名作なんですよね
そんなこんなで多分2枚目くらいのYOUはSHOCK構図な私のお手書きです
サウザー戦は舞台こそ全然違えども再現が非常に熱かった!
ざぶーんと水遊び気分でプールに飛び込んでいる様子の私のお手書きです
水泳帽子を肩紐に挟んだままプールに突撃したら先生に怒られそう…
シャワーの放水によってシャツが濡れ透けになってスク水を着てるのが露わになるやつ…
このモチーフはアストロノーカ配信開始時にも頂きましたね
多分癖なんだろうなあというのは透けたシャツの皴感から伺い知る事が出来ます
採れたての宇宙野菜の数々に囲まれて満足そうに微笑む私のお手書きです
アストロノーカで農作業中の姿を濡れ透けシャツ+スク水で解釈しようという強引な意図が全く隠れてませんよ!!
こちらは3年目6月5日のSimAnt配信中に頂いたお手書きですが
これもTシャツのインナーにスク水を着てる服装!
でもこういうシャツをおへその上くらいの高さで縛って絞り上げて動きやすく濡れないようにしてる着方ってなんか良いですよね
ひたすらお尻を強調した構図のシンプルスク水お手書きです
こういうの魚眼レンズって言うんですよね…これ頂いた時は気付かなかったけどお着換え中の風景っぽいので盗撮的なシチュエーションなのでは…?
これは3年目6月20日のストリートファイター6の配信中に頂いたお手書きです
ローリングソバットうさぎ!でもスト6のモーションだと一番近いのはジュリのジャンプ大Kかな?
一方画面の方では楽しく本田を動かしていたので絵的には地獄だったという
ビーチボールを抱えたスク水姿の私のお手書きです
プールサイドの描写で描かれるお手書きの時はやはり小中学生くらいの水泳の授業を意識してかやや幼めの描き方をされている印象があるのですが
こちらは慈しむような視線を向ける優しい微笑みが大人っぽい一枚になっていますね
その分スク水に似合わず肉感的な部分も強調されているような…
こちらは浮き輪を持って夏の青空の下なので海水浴かはたまた市民プールか泳ぎに訪れたっぽい私ですね
アオリ構図が綺麗に決まって下から見上げる太腿のラインが非常にこう…うさぎ体型に見えます
暑い日って泳ぎにでも行きたいなあとぼんやり思ったりはするのですがなかなかそれが欲求として行動に移される事は少ないですよね
ある程度スク水姿のお手書きを連続で描く時は文脈的なつながりがあるのでしょうかこちらも浮き輪を持ってはしゃいでいる様子の私です
こちらは恐らくスク水姿のプールサイドで気恥ずかしそうな面持ちでタオルを貸してくれる私のお手書きです
初めて頂いた時に伝統的で可愛い顔の表現とコメントさせた頂きましたがこういった少女的イメージを強調する絵柄は恥じらいやほほえみといった細やかな感情の機微を表に出した時に刹那的に瞬く青春の色を描き出すに非常に優れた技法だと思うのです
こちらの一枚もそうした思い出の中の情景といった色合いの強い表現だと思います
セ��ア色の写真の中にあるような…って言ってて思ったけど最近の写真はデジタル保存されるからセピア色に色あせない!
うさっパラッパ―
こちらは4年目7月30日のPS2版のパラッパラッパー2を遊んでいた時のお手書きですね
スク水を私の特徴カラーとして描いてゴリ押そうとしてもダメです
こちらは2023年目8月9日の3周年記念の際に頂いたお手書きです
めちゃめちゃ沢山のスク水のお手書きを投げ続けた一年の先に記念としてフルカラーでシンプルにスク水のお手書きをお祝いに投げられるの若干複雑な気持ちになりますが
水飛沫の中に揺らめくような淡い色彩の薄紫の髪や白い肌とうさ耳の感じがとても綺麗な一枚ですね
4年目9月5日のSurvivalFountainOfYourthの配信中に頂いた奴で
夏サバイバル中なので水着のお手書きという文脈的には沿っている部分はあるものなのですが…
それはそれとしてこの形状は比較的新しいタイプのスクール水着ですよね
1年以上続けてもまだまだ出てくるシンプルスク水お手書き…
それはそれとしてこの悪戯っぽくも人懐っこい表情の感じは凄く可愛いです
アイスキャンディーの手書き
スク水でちょっとセクシーな寝そべり方をする私です
ピンナップ写真とか或いは水着ポスターみたいなのにありがちなこういうポーズって何か名前付いてるんでしょうか?
こちらは当時流行していたスイカゲームのスイカ柄のビーチボールが可愛いですね
こちらは4年目1月20日に7days to Dieをしていたところで頂いたお手書きですね
7days to dieはとにかく序盤ナイフプレイです!スク水姿でちょっと締まらないながらも二刀流の構えで素早く屠りそうなベテランの風格が出ている一枚です
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