#土嚢の会
Explore tagged Tumblr posts
Text
【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。���井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
17 notes
·
View notes
Text
2024.05.10
12日の日曜日にシティクリーンがある
朝8時開始なので、それまでに起きて、
バリバリ労働するのは、絶ぇっ対に無理…
ワイ、寝るの6時位やし
なので、日曜日の10時くらいには
作業終えて、土嚢袋に溝掃除のドロを詰め込んで無いと
業者が回収にくる訳だから、なんとかせなアカン!
って事から、前日までに先にやってしまおう!作戦
ある意味、職質案件です。
しかし、所属してる町内会的なメンバーは、
高齢者ばかり。
そして、この数年で施設入ったり、死去されたり
空き家になった箇所含め、実働住居は3件くらい
その内、町内会に所属しない若い夫婦も居る
残りは高齢者…
つまり…ワイしかやる人間が居ないわけ
この写真の溝の距離…土砂をすくって、詰めて
運んで…は、かなりのトレーニング
スクワット回数、往復距離、土嚢重量、
全てがワイの肉体に還元されるから
このシティクリーンの時期は、ワイは強くなります
しかし、身体バキバキの筋肉痛
高齢者にやれ!とは言わないから
地域に住んでる以上、若いヤツがやれよ!と思う
町内会所属拒否、当然会費未払い
ゴミは捨てる、掃除はしない…
それは卑怯だろ
ワイのトレーニング科目の追加で、
ドブをさらった土嚢袋を、そいつらの敷地に
ぶん投げる競技を開発したろうかと思うぜ
これは、Cat ch.22周りのヤツらも同じ。
でも都内で一人暮らししてた時に
そんな事、全く気付きもしなかった。
やっても無かった
昔、大人が言ってた
最近の若いもんは…
なるほどな…めちゃ解る
体罰、暴力とか言葉すり替えて、逃げ回るけど
言葉で言って解らないヤツは、動物と同じやん
しつけが必要なら、そりゃ叩いて教えるでしょ
それは暴力ぢゃねぇよな
ゲンコツだよ!
体罰、暴力はダメ!でもゲンコツはOK!
NO!だけを項目に付け加えてもダメなんだよ!
YESもあるだろ!!そこから逃げんな
3 notes
·
View notes
Text
避妊リング(ミレーナ)を挿れてみました
いきなりどうした!と言われそうですが、人生において生理が不要すぎたので昨年の9月6日に避妊リング(以下ミレーナ)を挿れてきました。装用するにあたり、実際に使っている方の感想をネットで調べたりしたのですがピルと比較し母数がかなり少なかったので、現在進行形で装用を考えている方等に向けて、装用する/しないの後押しになればいいなと思い自分の体験談を記しておきます。※こちらに記載されている内容はあくまで私個人の体験談と主観であり、必ずしも装用を推奨しているわけではありません
まず初めに、ミレーナについて……避妊リングという名称は聞いたことはあれども具体的に何なのかをご存じの方はあまりいないのではないでしょうか?私自身、何か「子宮の中に入れて着床しないようにするやつ」くらいの超絶ふわふわ認識でした。ですので、ここは一旦ミレーナがどのようなものなのか実際の医療機関のHPより引用いたします。
ミレーナ(IUS:子宮内避妊システム)は、子宮内に装着することで避妊の効果を得る避妊具です。一般に、「避妊リング」とも呼ばれています。 レボノルゲストレルという黄体ホルモンを継続的に放出し、子宮内膜を薄い状態で維持することで、受精卵の着床を防ぎます。 また、同様のメカニズムによって月経困難症や過多月経の改善にも有効性が認められています。 出典:ミレーナ(避妊リング・IUS)とは/(足立病院)
過多月経・生理痛でお悩みの方へ 避妊効果が5年あり、さらに過多月経や生理痛に対してもかなりの有効性を示すミレーナ(避妊リング)という選択肢があります。 ミレーナとは? 合成黄体ホルモンであるレボノルゲストレルを子宮内に直接放出する子宮内避妊システムです。2007年に避妊薬として国内で��認されています。 本来、長期避妊目的で用いられていましたが、近年、過多月経や生理痛等に対して非常に有効な治療法として注目されていました。 このたび2014年9月から過多月経の治療に対してミレーナが保険適応となりました。 ミレーナの長所 長期間の効果が期待できる 経口避妊剤と同等の避妊効果を持ち、過多月経や生理痛の症状緩和についても1回の装着で5年間有効性を保持します。 最大の特徴 ・月経困難症(生理痛)や特発性(原因がはっきりしない)過多月経の症状緩和に非常に効果がある。 ・子宮内膜増殖症(単純型)に有効性が認められている。 ・子宮体がんに対する予防効果が期待できる。 ・子宮内膜症・子宮腺筋症の症状緩和に有効である。 ・コストパフォーマンスが非常に高い ・同じ目的で低容量ピルやその他のホルモン製剤を5年間服用した場合と比較しても明らかに安い。 ・コンプライアンスが良好である 一度装着してしまえば交換メンテナンスが5年ですのでその間ピルのように飲み忘れ等による失敗がありません。またピルと異なり黄体ホルモンが全身に影響を及ぼすことが少ないため、従来ピルを使いづらい40歳以上、愛煙家、高血圧、肥満、血栓症リスク等のあるご婦人でもOKです。 総合的な満足度が高い ミレーナを装着した200人の女性に対して満足度に関する質問をしたところ約94%の女性が「非常に満足している」あるいは「満足している」と回答した。 ミレーナの短所 ・3ヶ月以内の自然脱出が4%ある。 ・性感染症、子宮内腔異常、子宮粘膜下筋腫、卵巣チョコレート嚢腫合併では使えない。 ・子宮内留置のため子宮口が狭い方には装着できないことがある。 ミレーナ装着が推奨される病態・疾患 ・経産婦(経腟分娩したことがあるご婦人)の・長期避妊 ・月経困難症 ・子宮腺筋症(軽症) ・特発性過多月経 ・子宮内膜増殖症(単純型) ・乳がん術後のホルモン療法に伴う子宮内膜肥厚予防 ・閉経後ホルモン補充療法の黄体ホルモンサポート 出典:ミレーナ もう一つの避妊法/田中レディスライフクリニック
画像出典:ミレーナ(避妊リング)/みどりレディースクリニック横浜
画像出典:ミレーナとは?/永井産婦人科病院
正直避妊リングという通称がパワーワードすぎて、一部の側面のみが注目され、それ以外の効用が忘れ去られているような気が。
【何故避妊リングを装用するに至ったか】については、私の場合①生理が辛すぎる②子どもを産む気がない③持病でピルの服用が出来ない、の3つの理由がありました。
①生理が辛すぎるに関して、生理痛が全くなく生理時にも特に苦痛のない母や姉と異なり、私は生理がかなり重い方でした。経血の量がかなり多い、生理痛+aが酷くて鎮痛剤なしではまともに働けない日がある、服用しても辛くて稀に早退する日があったりで、私にとって生理=苦痛以外の何物でもあ��ませんでした。生理中は明るい色のボトムやスカートは履けない、頻繁にナプキン交換を行う必要がある、就寝前に大きめのナプキン(約30cm)を付けていても布団や衣服を汚すことがある、ホルモンの影響で心身にデバフがかかりまくるetc……く、苦痛~!!!
②子どもを産む気がないに関して、これは生まれ育った家庭の影響のため詳細は割愛しますが、これまでの人生において妊娠したいと思ったことがなく、これからも変わらない為生理がなくても何も困らないからです。
③持病でピルの服用が出来ないに関して、生理前はPMSにより常に重度の自殺願望(過去に実際に自殺を試みましたが、今思うと完全にPMSの悪影響です)を抱えてしまうため、婦人科にてピルの処方をお願いしたのですが持病がピル処方の禁忌対象とされておりました(結局その日は漢方薬を処方してもらい帰宅)。年齢的にあと数年、下手したら十数年生理は続くので、対処療法ではなくいっそ根幹の、生理そのものをなんとかすべきという結論に至りました。
(これはただの愚痴ですが当時の持病の方の主治医(≠婦人科の主治医)は結構おじちゃんだったからか「今度婦人科でピル出してもらおうと思っているのですが」と打ち明けたところ「はぁ、いいと思います」みたいなリアクションだったのが若干納得いっておりません。男性医師だとこの辺あんまり関心ないんですかね……)。」
上記の理由によりミレーナを装用したいと思っていたのですが、いかんせん身近に実際の装用者がおらず具体的な話を聞いたりする機会がなかった為、いつかやれたらいいな、程度で頭の片隅に放置されておりました。が、ある時ネットニュースで益若つばさがミレーナを装用していることを知り、自分の中でミレーナの存在がより現実的になりました。
「避妊リングはかなりなパワーワード」、反響に感じた男女の意識の差 出典:“避妊リング”公表した益若つばさの真意、ギャルからママへ…影響力変わらずとも「代弁者にはなりたくない」/ORICON NEWS
かかりつけの婦人科で子宮がん検診を受けた際に、ついでで主治医にミレーナの装用について相談したところ取り寄せる必要があるとのことで、装用希望の場合は生理開始後すぐに電話予約を行うよう指示をいただきました(※平常時はオンライン予約)。本当は土曜の午前にゆったり受診したかったのですが、生理��タイミングによりやむを得ず水曜日の退勤後にその足で婦人科へ……軽く何かを食べておくべきでした、今思うと。
経膣エコー検査にて異常がないことを確認後、いざ、ミレーナ挿入!!
……お゛ぉ゛。
……ぎぎぎ、ぎっぎっぎ!あががががgggggg
クッソ痛かったです。人生で3本の指に入る痛さでした、本当に。みっともなく騒ぎたくなかったのですがこの時は痛みのせいで体が勝手に悲鳴とも奇声ともつかぬ声を発しておりましたね……。私自身は途中までは痛みなのか何なのかよくわからない強い圧力を腹部に受けているな、くらいだったのですが……医師が、恐らく善意で診察台という名の闘いのリングのサイドから実況中継してくるんですよ。
「今から痛くなるけど頑張って!」
「ここが一番辛いところだから耐えてね!」
う、うるせぇ~~~!!!オメーが痛いだの何だの言うから脳がこの感覚を痛みと認識して��まって余計にめちゃくちゃ痛くなってきただろうが!!このボケ!!!
医師は恐らく悪気はなく、応援のつもりで言ってくれていたのだろうとは思うのですが、別にいいんですよそういうのは!装用にかかった時間は5分くらいかもっと短かったと思うのですが、「いやもう何この辛さ、いつ終わるん???え、一生終わらん???」と気絶寸前の朦朧とした意識で死んだ目のままぐりぐり蠢くエコー画面を眺めていました(医学の心得が全くない為何もわからないんですけども)。装用後しばらく診察台の上で休むよう指示され、結構な間深呼吸して横になっていたように思います。後から調べてわかったのですが、医療機関によっては麻酔を使用しての処置もあるようなので出産経験のない方は麻酔の使用をお勧めいたします。これに関しては冒頭の引用部分内「ミレーナ装着が推奨される病態・疾患」を再確認してください。
台から降りる時もヘロヘロで看護師さんに大丈夫ですかと問われ、とにかく体に力は入らず気を抜くと失神しそうだったため会計待ちの時に持ち歩いているぶどう糖をいくつか口にしました。死にそうになりながら帰宅したのですが、極度の緊張状態+肉体的な苦痛+低血糖症状が一気に来ていたのだと思います(鏡見たら顔が青白くなっていました)。
ここで皆さんが気になっているであろう費用について、ガチ領収書を記載の上説明していきます。
3割負担で10,670円でした。ミレーナは避妊目的で装用する場合は全額自己負担、過多月経又は月経困難症での装用の場合は保険適応となり、全額自己負担でも入れるつもりだったので保険適応と知った時は「お、マジか」と思いました。なお、金額の設定は医療機関によって異なる為、事前に調べておきましょう。
ネットで調べた限りでは自己負担ですと(検査料等が上乗せされる場合もありますが)40,000円前後のようで、1度の装用で5年間効果があることを思うとコスパ的には全然有りなのではないでしょうか。参考までに、ピルとミレーナの違いもいくつかの医療機関のHPより引用しておきます。
ピルも、月経痛や過多月経の治療に使用されますから、「ピルとミレーナのどちらがよいでしょうか?」というご質問をいただくことも多々あります。 ピルは、月経痛や過多月経の緩和だけでなく、月経周期を整えたり月経前の不調を改善する作用があります。なので、出血のタイミングをコントロールしたい場合や月経前のイライラなどを改善したい場合は、ミレーナよりピルの方が適しています。 また、内膜症による卵巣の腫れや子宮壁の肥厚がある場合、ミレーナによってこれらの病変が小さくなることは期待しにくいので、病変を小さくしたい場合はピル又は黄体ホルモン療法の方が適していると言えます。 逆に、ピルが服用できない条件に当てはまっている場合(喫煙・肥満・前兆を伴う片頭痛・高齢・血栓症の既往など)は、ミレーナが適していると言えます。 ピルを飲んではいけない条件には当てはまっていないけれど、毎日1錠ずつを同じ時刻に飲むのが難しい方や、うっかり飲み忘れてしまうことが多い場合も、ミレーナの方が「楽です!」とおっしゃる方が多いですね。 それぞれにメリット・デメリットがありますから、より快適に過ごせるのはどの方法なのかを、医師としっかり相談して選ぶことをお勧めします。 出典:ピルとミレーナのどちらがよい?/ポートサイド女性総合クリニック ビバリータ
ピルよりも避妊失敗率が低く、副作用が起こりにくいとされています。避妊リングは、子宮周辺のみに薬剤が作用するため、血栓症などのリスクがありません。ピルと違って飲み忘れや、毎日の服用も必要がありません。40歳以上の方や、ピルを服用できない喫煙者、ピルの副作用に対応できなかった方などに有効です。 出典:ミレーナとピルの違い/舌野クリニック
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私は根本的な誤りをしておりまして……ミレーナはPMSの症状緩和にはそこまで効果がないようなんですよね。ただ、生理そのものがなくなることで生理痛も生じなくなるのでそれだけでも楽になるしヨシ!と。
実際に装用してみての感想としては、入れてしばらくは違和感や腹痛がありました。装用当日の入浴ではお風呂の椅子に座っている=下半身を屈曲させている時に痛みを感じたのですが、もしかすると実際は痛くないのに「子宮に異物が入っている」ことによる思い込みによる痛みのようにも感じます。逆幻肢痛的な。子宮って目に見えるものではないので少しでも普段と違う感覚があったりするとすごく不安じゃないですか?私だけ?
また、入れたらその日から経血が完全に出なくなると勝手に思い込んでいたのですが、連日少量出血がありました。動揺してネットで調べたところどうやらそれが当たり前のようなので安心はしましたが、当初は「生理と違って毎日ずっと血が出てるし、これなら入れない方が良かったのか……?」とすら思ってしまいました。何故ミレーナ装用後に出血があるのかも引用しておきます。
ミレーナを入れた女性の多くが経験するトラブルとしては、月経時期以外の不正出血が挙げられます。経血量の減少や、生理痛の緩和といった効果は得られますが、子宮の中が濃い黄体ホルモンに慣れるまでの3~4ヶ月間は、毎日不正出血が起こる場合もあります。 不正出血が続く期間は個人によって異なり、1ヶ月ぐらいで治ってしまう方もいれば、6ヶ月ほど不正出血が続く方もいます。5年のうち初めの数ヶ月間は、不正出血が起こると思ってください。 出典:副作用/勝どきウィメンズクリニック
ミレーナを装着して最初の2~3か月程度は不正性器出血が続くことがしばしばあります。茶色で少量のことが多く、おりものシートで対応できる場合が多いです。時に、少量の赤い出血が続くこともあります。もしも、通常の月経のように塊も混じって続くときはミレーナがずれているかもしれませんので受診してください。およそ6%(��7人に1人)に起こります。万一、入れなおさないといけない場合も2回目までは保険適応となります。 出典:ミレーナ挿入後の副作用について/家族・絆の吉岡医院
……だそうです。体が慣れるまでの試用期間なんですね。
出血に対してしばらくはおりものシートをつけていたのですが、長時間局部が蒸れた状態でいるとカンジダ膣炎になりやすいため途中からおりものシートはやめて、何重にも折り畳んだトイレットペーパーを当てがって何とかしていました。それで何とかなる程度の出血量でしたし、何より処分と交換が楽でしたので……。最終的には何も対策しなくなり血液のついた下着は入浴のタイミングでウタマロ石けんで水洗いし、そのまま洗濯機にぶち込む有様に……あくまで微々たる出血量だったので出来たことですので、絶対に真似しないでくださいね。あと、血液はお湯で洗い落とそうとすると凝固して落ちなくなってしまうので、水洗いにしてくださいね(最悪のアドバイス)。
装用から約4ヶ月弱の現在はと言うと、本来生理が来ていたであろうタイミングでちょっと血が出るくらいで、それ以外の日は出血も腹痛もなく非常に快適です。生理痛がないだけでこんなに快適だったんだな、と……。PMSに関しても効果がないとは言われておりますが、大分和らいだような気がしております。
ピルは服用中は血栓症予防の為などに定期的な診察が必要ですが、それはミレーナとて同様でずれたりしていないか等確認してもらう必要があります。一応こんな感じで装着日から起算して1か月後、3ヶ月後、半年後、1年後と、以降1年おきの感覚で予定が組まれており、経膣エコー検査で異常がないか診てもらっております。
現時点では特に体外への飛び出しや腹痛等の異常事態もなく、大人��く子宮内に収まっております。なお、万一子どもが欲しくなった場合はミレーナを取り出しさえすれば妊娠可能な状態に戻るそうなんですが、まぁ私の場合は取り出すことはないでしょう。
あと……もしかしたらこれを気にしている方もいるかもしれないので念のため書いておきます。性交時、無問題です。交際相手にミレーナを装用したことを説明した上で確認したのですが特に接触したり違和感を感じたりはないようで。この辺も医療機関より引用しておきます。
ミレーナを入れているとパートナーとの性行為で、「わかるのがヤダな……」「違和感があるのかな?」と不安に思う方が多いです。では、実際のところは、どうなのでしょうか? 結論から言って、ミレーナの挿入が男性に違和感を及ぼすことは、ほとんどありません。ミレーナには、抜去の際に必要となるポリエチレン性のとても柔らかくて細い糸が付いていますが、それが性交時に男性の陰茎に触れても、異物として察知することはまずないといえます。 また、ミレーナ自体の異物感を心配する方もいらっしゃいますが、ミレーナで、ゴリッとするような違和感を覚えるとは考え難いです。まして、性交時に膣に挿入し、ミレーナが男性器に触ったとしても、陰茎が痛みを感じることはないので、ご安心ください。 出典:避妊リングは男性にわかる?違和感はあるの?/池袋アイリス婦人科クリニック
ミレーナの使用によって日常生活が制限されることはなく、性交に影響を与えることもありません。 出典:ミレーナとは?/牧田産婦人科
上の方でミレーナの形状や装用時のイメージ画像を挿入しましたが、実際あんな子宮ミッチミチに詰まっていないのでご安心ください。抜去用に柔らかい糸がついているらしいんですが出てきたこともないです笑(身内は生理を人工的に止めたことで何かしらの弊害が出てくるのではないかと懸念しておりますが、隔月で持病の方の通院があり血液検査・尿検査で現時点では異常は出ておりません。が、今後はわかりませんね。女性ホルモンの分泌だったり、もしかしたら色々ホルモンバランスが変わっている可能性はあるかもしれません)。
そういうわけで、かなり勇気を要しましたし装用に伴う痛みも大きかったのですが、装用してからは生理がなくなったことによりすごく楽になりました。個人的には生理を気にせずいつでも外泊が出来るようになったのが嬉しいですね。買えば済む話ではありますが、出先でナプキンや鎮痛剤を入れ忘れたと気付いた時の衝撃と言ったら!!あと、益若つばさには感謝しかありません。自分以外にも彼女の公表によってミレーナの装用に至った方、いるのでは。現在お悩み中の方は、ピルにせよミレーナにせよそれぞれ長所と短所��ありますので、ご自身に必要かどうか、使用できるかどうか等をしっかりお調べの上婦人科等へご相談くださいね。
この投稿がいつかどこかの誰かのお役に立つことがあれば幸いです。
0 notes
Text
仕事と労働 施工現場から
自宅にてグラフィックの仕事をしていると、たまに生物として生きている実感を喪失することがあり、そういうときは派遣の仕事、できるだけ肉体的な労働を見つけては夜通し200kgくらいある荷を台車で運び続けたり、とても重い段ボール(中身に何がは��っているかは知らない)を仕分けしたりなどをする。という話を数ヶ月前、建築の施工管理をしているりょうちゃんに話すと、「じゃあ、たまにうちの現場に呼んで雑務せえへん?」 と言われなんとも魅力的な提案。ふたつ返事でグラフィック業務の日程の都合さえつけばよろこんでと言った後、先日さっそく鎌倉の現場に呼ばれ、三階建ての建物、一階にあるウィンドサーフィンのボードを運んだり、現場の資材を階段で二階から三階へ、現場からでる瓦礫を集めて土嚢に詰め、ゴミ置き場へ。などわたしの理想とする労働感のある業務を引き受け、とても満足感のある一日。とりあえず四月まである現場、また人手がない時は呼んでくれるらしい。わたしの仕事は形や動きをつくること、あらゆる美しさについて考えること。このような時間の心持ちとしては池澤夏��や三島由紀夫、くどうれいん、堀辰雄や福岡伸一、もしくは『映像研には手を出すな』、『ハチミツとクローバー』 などの精神がよく馴染み、気持ちよい。他方この現場のような"労働"についてわたしの歓迎すべきイメージは 『レ・ミゼラブル』 冒頭の巨大船舶を引くシーンや 『潮騒』 の新司、『スティルライフ』 の私、『BEASTERS』の中盤、バイトと修行に励むレゴシ的なところ。またこれらは時に仕事と労働の間を行きする精神的イメージ。頭だけがはたらき、身体が衰えていく体感と、淡々と効率よく運動的に労働のある時間の二軸があるということ、この両方ともに重みがあるときそこには豊かさがあり、わたしの場合50:50のグラデーションよりは、どちらかに偏っている、そんなときの方が心持ちが楽なのであった。またこの仕事と労働において、あらゆる場所や現場で属性の違うひとや時間との出会いによって、いろいろなレベルやさしさが保てるようになるのだろうと思うのであった……
1 note
·
View note
Text
雨濡れ色のペトル残響 雨請い 諦観
大変換のときの円城寺吾郎について
act.1
それが起きた日は、吾郎はたまたま仕事が休みだった。
彼は普段通りに、気ままに、カラコロと下駄を鳴らして大通りを歩いていた。ド派手なアロハシャツに袖を通し、磨いたようなスキンヘッドにお気に入りのパナマ帽をかぶせ、薄紫のサングラスを掛ければ、彼流のお洒落の完成だ。道ゆく人は、彼にぶつかることなくその通り道を開けていく。それが日常であった。きっと、彼の周囲にいる誰も彼もがこの日常が不変で、この後に起きるものへの、恐怖も怒りも嘆きも持っていなかったのは確かだろう。
それが起きた正確な時間を吾郎は覚えていない。太陽が隠れて、雨雲が広がり、薄暗さとヒヤリとした風が通り過ぎた後に、ポツポツと降り始めたそれ。雨だったのか、何だったのかよくわからない。感触はどう考えも、水のそれのようだった。
誰かが悲鳴を上げたと彼は記憶している。男も女も関係なしに、ただただ嘆きと恐怖で満ち溢れた声が、あちらこちらから聞こえていたと思う。
逃げろと叫んでいた。
屋根のある場所へ急げ、��も。
雨にうたれながらも、��城寺吾郎は交差点のど真ん中で、立ち尽くしていた。
雨か雨でないのか分からぬそれに侵された人々が、いや、人々だけでなくありとあらゆるものが侵され、呑まれ、化けて、崩れ去っていくその様を彼は眺めいていた。
試しに崩れ去ったものーー人だったのか、それとも車だったのか、何か他のものなのかは分からないーーの一部をつまみ上げてみれば、それは文字だった。
はて、何故に文字と吾郎は首を傾げる。彼はこの事象に心当たりはなかった。この事象が、自身に何の関係があるのかもわかっていなかった。ただ一つ確かだったのは、彼自身はこの雨で崩れる存在ではなかったということだ。
彼はいつの間にか変わってしまった服の色を見て、ため息を吐く。
「この服、気に入ってたんだがなぁ」
真っ赤なアロハシャツは真っ黒に変わっており、そこに描かれたパイナップルはそれなりに映えた。あくまで、それなりに、だ。パナマ帽だって、下駄だって、淡い色をしていたというのに黒に変わっている。
「まぁ、しょうがない、しょうがない。未知の事象だ、服の色くらい変わっておかしくはねぇな。これはこれで、良いってことよ」
そんじゃあ、行こうかね、と彼はようやくその場から離れた。周囲には、彼以外誰もいなかった。
act.2
崩壊までの時間稼ぎでしかないのは、避難している人々にとっては十分承知のことだろう。だが、とりあえずは状況を整理できるだけの時間が欲しかったのだ。その選択を、吾郎は否定しない。彼だって、考えるための時間と物資と場所が必要だった。
百貨店は大型で、例え周囲があの妙な雨にうたれたとしても、全てが侵食されるまでの時間は十分にある。店内には服も食料もある程度揃っていて、近頃はキャンプ道具やスポーツ用品、生活用品を売っているエリアもある。まさに、一時避難にはうってつけの場所だった。
どうにかあの雨から逃れた人々から、ここで起きている事象を聞いたのか。客も、店員も皆が皆困惑のままに留まり続けている。本当か嘘か、判断がつかないのだ。
入り口付近でうずくまっているのは、大半が外から中へ避難してきている人々で、けれど中には雨に侵食されて「死にたくない」と言って崩れていく者たちもいた。その様子を元々室内にいた人間たちは、黙って見ていることしかできなかった。
「なぁ、この緊急事態だぁ。まずは、水を拭くためのタオルかなんかをくれねぇか」
悲嘆の声を、怨嗟の呟きを零す避難者たちの中で、吾郎は百貨店の警備員に言った。
警備員はその目で茫然としながら、何の対処もできずに外の様子を見ていたからか、吾郎の言葉にハッとなった。そうして、もたもたとしながらも腰につけた無線機で、救助を要請したのである。
ようやく吾郎たち��濡れ鼠を脱した頃には、百貨店内ではいくつもの放送が流れ、何度も繰り返されたはずの災害時下訓練の通りにーーけれど、おそらく想定していた以上に鈍い動きでーーとりあえずの誘導と籠城の体制が整っていた。次いで、外の様子があちらこちらからやってくる。それは、従業員用休憩室のテレビだったり、キャンプ用品売り場にあるラジオだったり、警備室の小型テレビや、個々人が持っている携帯電話だったりから、ひっきりなしに届く。
要領を得ない、けれど街の様子を映し出し報道するそれらからの情報をまとめるのならば、この雨はいくつもの場所で降っており、その範囲は拡大していること。雨にうたれたものは、例外なく文字と化すこと。原因は不明、目下調査中。政府や行政は、未知の事象に対し、混乱しきっていること。それでも、雨が降る中に取り残された人々を救助をしなければいけないとは、誰もが口にしていた。どうやって、の部分は全く触れられていなかったが。
それだけだった。
何度も何度も、同じ報道が繰り返されることに、吾郎は飽きた。
そうして、一番初めに声を掛けた警備員と世間話をすることに決めたのだった。
「なぁ」
「……ああ、あんたか」
じわじわと崩れ始めた入り口付近で、何の意味があるのか分からない警備をし続ける男は、吾郎を見て、少し緊張を緩めたようだった。お喋りとすることで気を紛らわせたかったのかもしれないし、その相手が来たことで現実逃避ができると踏んだのかもしれない。
「このあたりの地図って持ってねぇか?」
「地図? 何に使うんだ」
「なぁに、雨が今どこまで降ってるのか確認しようとしただけさ」
吾郎の質問に警備員は何かに気付いたのか。ニヤリと笑って、ちょっと待ってくれと返す。
「なら、この地区全体のやつがいいだろう。インフォメーションセンターにあるはずだ」
「話が早いねぇ、助かるわ」
トントンと進む話に互いに笑う。けれど、警備員は今度は憂いた顔をした。
「……時間がないかもしれないからな」
「なんだ、警備員さんも気づいてんのか」
「誰も彼もが気付いてるよ。必死になって、それを否定しようとしてるだけだ」
場合によっては、上の人間も来るが大丈夫か? という問いかけに、その方がより話が早いと吾郎は返した。
警備員は「少しの間警備をよろしくな」と告げて、その場を離れた。
結局、吾郎は呼び出されることとなった。そして、いくつかの職種の人間たちもまた、同様に呼び出されることとなる。
拡大し続ける雨雲、削られ続ける建物、差別なく文字化する事象、混乱する政府、限られた食料とくれば、次にやってくるのは助けがこないと確定した瞬間の、残された人間たちの生存競争だ。その際には、この訳のわからない現象でなく、人間同士の争いで死者が出るだろう。
それは、おそらく一部の人間たちは気付いている。そして、実はそんなにも時間の余裕がないことも。
報道やネットの力を使って判った雨雲の範囲を確認した吾郎や、他の大人たちは渋い顔をした。籠城線か、それとも脱出か。その判断が厳しい場所に、この百貨店はあったためだ。
「差別なく文字化することで、おそらく障害物はゼロだ。……代わりに、屋根の類も全くねぇだろうが」
「そうでしょうね」
百貨店の支配人や、その他の役職を担う大人たちは、吾郎の言葉に頷いた。吾郎以外にも、この辺りの地理に詳しいタクシー運転手や、休暇中の警官や公務員たちに大学教授などが集っている。この場にはいないが、医療従事者たちは落ち着かない人々を宥めていたし、保育士や教師もまた大人たちの不安を感じ取った子供たちをあやしていた。ここまで統率がとれたのは、奇跡に近いだろう、と吾郎は思っている。そして、この奇跡が長く続かないこともよく理解していた。
「目視での観察でしかないんですが、コンクリートの壁が崩壊するまでの時間はこちらです。建物の総面積を資料から算出しまして、そこから計算すると、数日は保たないかもしれません」
「半分以上文字化しかけた車での実験しかできなかったんですが、乗用車の崩壊まではこれくらいの時間が必要と思われます。天井の崩壊をどうやって止めるかが、鍵かと思います」
「地下駐車場への雨水の侵入は、シェルターで一定時間は稼げますが、シェルターが崩壊したら間違いなく全てやられます」
「去年の台風で使った、土嚢袋の残りはなかったか? あれをうまく使えばもう少し持つかもしれない」
「わかりました。早速警備に連絡しますね」
ぽんぽんと交わされる作戦会議。そして、具体化するタイムリミットと絶望的な状況に刻一刻と近づく現状。
「正直、この場で言うことではないと重々承知していますが、今にも叫びたいほどに最悪な現状ですね」
鉄面皮な支配人の言葉に、誰もが疲れた表情で非難した。そんなことはわかっていると言わんばかりに。だが、吾郎だけは大袈裟な仕草で、それを肯定する。
「おうおう、そんなものさ。こんな大災害にかち合えば、誰だって叫びたくなるだろうよ。この場じゃ、あんただって迷える子羊だ。俺だってそうさ。不安は言っちまいな、そんでその不安を認めちまいな。諦めちまえば、開き直れる。開き直れば、前を向けるんだよ」
バシンと支配人の肩を吾郎は叩く。支配人は吾郎よりも圧倒的に年上だったが、それでも彼は態度を誰が相手でも変えなかった。
派手なアロハシャツに、サングラス、パナマ帽はこの場では脱いでいるが、それゆえにスキンヘッドは眩しいくらいだ。どうみても、カタギの人間には思えない。それが、妙な具合で彼の説得力を増した。
「そんで。今、どの���度の人間がここに避難してるんだ?」
「把握している限りは、おそらく8千人くらいかと。とはいえ、近隣の小型店舗に避難した人々が続々とここに集っているので、さらに増えている可能性があります。あと全て従業員含めた数ですが、従業員の数の数十倍はお客様がいますので、誘導には注意が必要です」
「なるほどなぁ……脱出は諦めた方がいいかもしれねぇ」
その人数は無理だと誰だって分かる。だが、その人数が篭城するだけの余裕は同じくない。
「さすがに数千人規模ですと、車の数からして足りませんし……食料も同様です」
「分かってらぁ。だから時間がねえって、誰もが気付いてるんだろうよ。脱出組は、単純に言えば斥候だ。脱出ルートの開拓。それさえできれば、外からの救出も可能かもしれねえ。警察に消防あとは自衛隊か、どの程度動いてるんだ」
「警察とはどうにか連絡がつきました。役所も同様です」
「脱出組の確保と、その後の救助に動いてもらえそうか」
「合流できれば……ですが���
「ハッ、助かるためには諦めるしかねぇだろ。諦めて、どうにか合流するルートを開拓するしかねぇんだ。腹括ろうぜ」
吾郎のその言葉で、誰もが決意したようだった。
act.3
携帯電話の充電を確認し、互いの連絡先を交換する。慣れない通話用アプリに戸惑ったのは、吾郎を含めたそこそこ年配の人間たちだけだった。学生らしき青年たちはその様子に苦笑いを浮かべ、対し吾郎は「しょうがねーだろ」と肩を竦める。
彼は青年たちが選んでくれたインカムを耳につけた。
「あー、あー、テステス。聞こえてるかー?」
聞こえてる、大丈夫だ、こっちダメだ、誰か原因わかるかー?、店員さーんとあちらこちらでやりとりが生まれる。
ここ最近の百貨店は、電子機器の類も充実しており、必要な機材はそこから調達した。ここぞとばかりに自分好みのを物色する青年たちに「逞しいですね」と店員は笑う。その背後では、できる限り雨を防ぐためのレインコートや帽子、マスクなどをもった衣料品売り場の店員が佇んでいた。
「あー、そんじゃあ30分後に地下駐車場に集合な」
互いに互いの健闘を祈りながらも、吾郎は一人先に進む。
待ってくださいよアニキぃ、と調子のいい声が彼の後ろからしたが、吾郎は「うるせーよ、諦めて覚悟決められたら来い」と一喝して進む。「じゃあ、また後で」と告げる彼らの、賑やかで騒がしいくらいの年頃の青年たちの腕や足が、少しばかり震えていたのを誰一人指摘することはなかった。
再三、無理をする必要はないことが説明された。
体力的な問題で、脱出組は年若い面々となる。吾郎や他の体力自慢の中年たちに比べて、彼らには前途がある。その前途をむやみに危険に晒すことに、年配者になればなるほど言い得ぬ苦い思い��あった。
それでも、一部をのぞいて青年たちは覚悟を決めたようだった。そして決めきれなかった者もまた、見送りへは来られたようだった。そんな彼らへの労いを、彼らの人生の先輩たちが担っていることが警備員から知らされる。
「彼らは臆病者と罵られることを危惧したようですが……それが、正しいときもあります」
「命が惜しいのは、誰だって同じだろうよ」
「……正直、息子と同じくらいの年頃の彼らに、こうしたことを背負わせることが苦痛です。どうにかできないかとも思いますが、自分が行っても足手まといでしょう」
「だろうなぁ」
吾郎の正直な感想に、地下駐車場の警備員は笑った。
「あなたのような人がいてくれて助かりました。そうでなくては、きっと篭城戦の末の自滅しか私たちに道はなかった」
「それは全部済んでから、俺以外の誰かに言ってくれぇ。むず痒くてしょうがねぇ」
「結果の分からない今だからこそ、言える謝辞です」
「違いねぇ」
別れの言葉が青年たちの間で交わされる。激励の言葉もまた渡されたし、労いの言葉も同様だ。
「それじゃあ、行くぞ」
吾郎の掛け声に、青年たちは「はい!」と力強く答えた。
脱出経路は3ルート。使用する車は3台。それぞれ限界まで車を使い進行、車がダメになったところから通りを走り抜けることになる。できる限りの最短ルートを算出したが、どのようになっているのかは未知数である。傾斜によっては、この雨が一箇所に止まっていることも想定できた。
だからこその斥候役である。
エンジン音が響く車内、誰も彼もが無言である。
地下駐車場のシャッターがじわじわと開く。車の車高分まで開かれた時に、警備員がGOの合図を出した。踏み込まれるアクセル、動き出す車。一気に明るくなる風景だったが、水滴がフロントに叩きつけられ、雨音が車内に響いた。
道路には何もなかった。何もないので、最大限のスピードで駆け抜ける。雨が降っているためにカーブはできる限り避けた。だが、それでもじわじわとフロントは文字へと変化していく。
「限界がくる、全員伏せてろ! 車が止まったら真っ直ぐに走れ!」
吾郎は自分が文字にならないことを確信していた。だからこそ、助手席には誰も乗せずに、後部座席に青年たちを避難させた。ギリギリまでスピードを出し、フロントから雨が振り込もうがお構いなしに進み、そうしてエンジンすらダメになり止まるまで彼らは耐え続けた。
タイヤが文字と化し、車が進むことができなくなった瞬間に、彼らは走り出す。
ゴーグルで、マスクで、帽子で、手袋で、服で、レインコートで必死に雨から身を守りながらも、彼らは走り続ける。すでに雨の降らない境界は目視できた。
吾郎は行けと叫んだ。青年たちは応と返した。
じりじりと装備は文字と化していく。頭を突き出し、前のめりの姿勢になり、彼らは走る走る走る。
もう少しだ、と声をかけるのは境界の先で待機��ていた警察や消防の面々だろう。すぐさま雨を拭き取れるように、大判のタオルを広げている。
誰も彼もが限界までスピードを出して走っていた。
後少し、後少しだ、と最後尾を走っている吾郎は思った。既に一人が無事に到達しているのが見える。あと二人、吾郎を入れて三人。後少しだ、と彼が思った時に、一人が転んだ。最悪なことに、そのまま水溜りに倒れ込んでしまった。
まだ走っている青年が、後ろを振り向こうとするのを吾郎が怒鳴って止める。
吾郎は、歯を食いしばって倒れ込んだ青年を火事場の馬鹿力と言わんばかりに抱え上げて、走り続けた。自分のどこに、こんな力があったのかと驚くくらいに軽々と肩に担ぎ、そうして境界をくぐり抜けたのである。
待機していた人々は、すぐさま彼らの濡れた衣服を剥ぎ取り、水を拭いとっていった。
だが、転んでしまった青年を受け持った人々から、くぐもった悲鳴があがる。
一緒に走り抜けた青年たちは、無事か、どうなんだと騒いでいるが、もう動くことはできなくてその場に座り込んでいた。対し吾郎は水を拭うと、転んでしまった青年の元に足を進めた。周囲が止めようとするも、彼が睨めば動きが止まる。
「……頑張ったなぁ」
偉いよ、出れたんだぜ、と吾郎が慰めるように青年の頭を撫でた。彼の顔は文字と化し、その侵食は進み続ける。表情は分からない、目も口も鼻もなくなったそれは、確かに最期を迎えようとしていた。
「……かあさん」
微かに吐き出された青年の最期の言葉を聞き遂げた吾郎は、動かなくなった彼にゆっくりと両手を合わせ、合掌した。その仕草で悟ったのか、二人の青年が声を荒げて泣き喚く。恥も外聞もなく泣く彼らを、誰が咎められようか。彼らを慰めるべく、別室へと案内する周囲の人々は、鎮痛な表情を浮かべながらも、残った吾郎に説明を求めた。
一頻り祈った彼は、その要請に従った。
act.4
辿った道のり、避難している人数、現地にある装備・備品、掛かった時間や、実験とも言い切れない実験の結果を吾郎は告げる。それらを元に、自衛隊や消防隊が救出作戦を立てていった。
ようやく動き出せそうだ、と隊長格と思わしき人が呟く。
「走行は分厚ければ分厚いほど、良さそうだ。あと、その人数の避難となると列車でも通した方がいいかもしれないな。あるいは危険だが下水道あたり……雨水管を避ければ行けるか」
「列車って線路はどうするんでぇ?」
「なんだ、新幹線の移送を知らないのか。あれの要領で、車体を道にすればいいだろう」
「なるほど、スケールのでかい話だ」
「あとは、許可をもらえるかどうかなんだが」
「車両はどっから持ってくるんで?」
「ツテは心当たりがある」
「へぇ、趣味はもしや鉄道?」
そうだと返す男に、吾郎はこんな状況でなければ話をしてみたかったと言う。
趣味を語る人間は面白い。特に吾郎��どが知りもしない知識を大量に持っている面々の語りは、聞いていて興味深い。が、現状は諦めるしかなさそうだ。
「じゃあ、あとは任せますぜぇ」
「ああ……あんたのお陰で大分話が進んだ。後日、感謝状が出るレベルだ」
「……そんな紙切れいらん」
「そう言わないでくれよ」
じゃあな、と吾郎は部屋を後にする。部屋の外に待機していた救急隊員が、彼を病院に送ると申し出た。
「一緒に脱出した二人は?」
「彼らも病院へ向かいました。どこの病院へ、は守秘義務のために言えませんが」
「休めりゃ、どこだっていいさ。あいつらは頑張った」
「あなたも、です。お話している限りは問題なさそうですが、流石にこの状況下です。一旦、診察を受けましょう」
どうぞこちらへ、と案内されて、吾郎は大人しく従った。
だが結局のところ病院へ運ばれ、簡単な問診をしている間に、あの雨によるライフラインが壊滅。停電や水道の停止、その他通信網や非常電源の起動などへ向けて病院内が慌ただしくなった隙をついて、彼は一人姿を消したのである。
そこから先は、転げ落ちるように全て悪い方向へ走った、と吾郎は今では思う。
雨は容赦無く全てを飲み込み、文字とした。政府は事実上機能せず、人々も多くがその雨に溶けて消えることとなる。
吾郎は諦観していた。
雨雲が拡大し続け、容赦無く振り続けるなかで、いずれ吾郎のような存在以外がどのような行動をとるか自明の理だったのだ。それでも、彼は諦めながらも、諦めたが故に前を向きたかった。あの百貨店にいた人々がどうなったのか、彼は知らない。助けが間に合ったのか、間に合わなかったのか、希望を抱けたのか、絶望に沈んだのか、彼は確かめるのが怖かった。
「諦めようか、何もかも。今は諦めて、これからを考えようか」
そう呟いて彼は歩み続ける。きっと、彼だけではない、この雨の中で活動できる存在を探すことにした。
0 notes
Text
常用漢字(最終案)
絞り込んで、川越の常用漢字案が完成しました。 画数の多い漢字や、漢字で書く機会が少ない漢字を落とし、漢字で書く機会が多い漢字を中心に300文字を追加しました。
また、教育漢字案も見直し、6年案の「凶・狂・伸」を、小学生で習うには早いと思い、 天気予報でよく出る「乾燥」と「雷」を追加しました。
また、常用漢字を一部直し、「鵜」、流「暢」を追加しました。
また、常用漢字と違い、義務教育で習う必要はないが読みは覚えてもいい「準常用漢字」を設けました。 準常用漢字は、落選となった追加候補の394文字と、常���漢字から外してもいいと思っている「虞」「朕」、 2010年に常用漢字から外れた「勺・錘・銑��脹・匁」の5文字、 追加候補外からは、単語にしないとわかりにくい文字は「灌漑(かんがい)」、「乃」公(だいこう)、 三「叉」路、「傭」兵、不「俱」戴天、「鞍」馬(あんば)、甲「斐」性、「珪」藻土、 長「篇」、反「芻」(はんすう)、帰「趨」(きすう)、馬「蹄」(ばてい)、 激「昂」、隆「昌」、「浩」然、「聡」明、「僭」越(せんえつ)、 「猜」疑(さいぎ)、「恢」然(かいぜん)、下「剋」上、「亢」進(こうしん)、「俯瞰」(ふかん)、 「叛」意、不「埒」、「婉」曲(えんきょく)、「徽」章(きしょう)、 殺「戮」(さつりく)、「殲」滅(せんめつ)、「幇」助、騒「擾」(そうじょう)、 空「挺」、標「榜」、「檄(げき)」を飛ばす、「槓」子、 「沽」券、「沐」浴(もくよく)、揮「毫」(きごう)、「熨」斗袋(のしぶくろ)、 「碌」でなし、「稟」議、「篆」刻(てんこく)、「筐」体(きょうたい)、 「薀」蓄(うんちく)、「衍」字(えんじ)、「艱」難(かんなん)、 感「歎」(かんたん)、奇「譚」(きたん)、生「贄」(いけにえ)、 足「枷」(あしかせ)、「輻輳(ふくそう)」、「跋扈(ばっこ)」、 「邁」進(まいしん)、雑「駁」(ざっぱく)、天「佑」、寛「恕」(かんじょ)、 「忽」然(こつぜん)、「摸」索、「碩」学(せきがく)、 「饗」応(きょうおう)、「慧」眼(けいがん)、波「瀾」、「烽」火、 「矮」小(わいしょう)、罵「詈」(ばり)、敏「捷」(びんしょう)、 「擾」乱(じょうらん)、「涵」養(かんよう)、「斟」酌(しんしゃく)、 錯「綜」、「耽」溺(たんでき)、「逍遥」(しょうよう)、「遁」世(とんせい)、 「邂逅」(かいこう)、研「鑽」(けんさん)、救「恤」(きゅうじゅつ)、 封「緘」(ふうかん)、義「捐」(ぎえん)、「懈」怠(けたい)、欺「瞞」(ぎまん)、 灰「燼」(かいじん)、誤「謬」(ごびゅう)、「稠」密(ちょうみつ)、栄「耀」(えいよう)、 諮「詢」(しじゅん)、悲「愴」、惨「憺」(さんたん)、警「邏」(けいら)、 「驀」進(ばくしん)、憤「懣」(ふんまん)、編「纂」(へんさん)、老「獪」(ろうかい)、「稜」線、 改「悛」(かいしゅん)、辺「鄙」、暗「澹」(あんたん)、困「憊」(こんぱい)、 刺「戟」(しげき)、「註」釈(ちゅうしゃく)、「訥」弁(とつべん)、「冪」乗(べきじょう)、 揺「籃」(ようらん)、「幺」九「牌」(やおちゅうはい、牌は常用漢字案入り) 動詞・形容詞は、「廻し」、「或る」、「捲る」(まくる)、「於いて」、 「淀む」、「窺う」(うかがう)、「纏う」(まとう)、「諫める」(いさめる)、「訊く」(きく) 「而も(しかも)」、「蕩ける」(とろける)、見「做す」(みなす)、「悍ましい」(おぞましい)、 「侘しい」(わびしい)、「唸る・呻る」(うなる)、「囀り(さえずり)」、「按ずる」、 「掬う」(すくう(、「抉る」(えぐる)、「撚り(より)」、「毟る(むしる)」、 「撓み(たわみ)」、「搗く(つく)」、「漲る(みなぎる)」、「滲む(にじむ)」、 「蝕む(むしばむ)」、「褪せる」、「尤も(もっとも)」、「犇めく」(ひしめく)、 「乍ら」(ながら)、「縋る(すがる)」、 1文字でも意味が分かる文字は「俤(おもかげ)」、「此(これ)」、「稀(まれ)」、 「釦(ボタン)」、「漱・嗽(うがい)」、「屡(しばしば)」、「棘(とげ)」、 「栞」、「籾(もみ)」、「稍(やや)」、「袂(たもと)」、「諱(いみな)」、 「焰(ほむら)」、「亦(また)」 生き物から「鸚鵡(おうむ)」、「柴」犬、「啄」木鳥(きつつき)、「蝿」(はえ)、「隼」、 「鱒」(ます)、「鮒」、「鴎(かもめ)」、「仔」牛、「嘴」(くちばし)、「椋」鳥(むくどり)、 猛「禽」類、「獺(かわうそ)」、「獏」、「羆(ひぐま)」、 「蜥蜴(とかげ)」、「蛹(さなぎ)」、「蝙蝠(こうもり)」、「蝮(まむし)」、 「蟷螂(かまきり)」、「蠍(さそり)」、「蛆(うじ)」、「蚯蚓(みみず)」、 「蛭(ひる)」、「鴛鴦(おしどり)」、「鰊(にしん)」、「鯰(なまず)」、「鰈(かれい)」、 「鰆(さわら)」、「鱚(きす)」、「鱧(はも)」、「鯊(はぜ)」、「鰭(ひれ)」、 泥「鰌」(どじょう)、「鼬(いたち)」、儒「艮」(ジュゴン)、「鴇(とき)」 浅「蜊」、「驢」馬(ろば)、「鯱(しゃち)」、木「菟」(みみずく)、 「鶉」(うずら)、「梟」(ふくろう)、「螟」虫(めいちゅう)、 植物は、「菫」、「榎」、「芥」子、「樫」、水「芭蕉」、「枇杷」、「柊」、 「桔」梗、「栴檀」、「楠」、白「樺」、「杏」、「李」、「萩」、「蓬」、 「葵」、「茜」、「蕨」、「柘榴」、「梶」、野「蒜」(のびる)、自然「薯」、 砂糖「黍」、「稗」、「欅」、「梔」子(くちなし)、「栂(つが)」、 「楢(なら)」、「椚(くぬぎ)、「檸檬(レモン)」、「萼(がく)」、 「茉莉」花(まつりか)、「芙蓉」、「薊(あざみ)」、「蓼(たで)」、 雄「蕊」(おしべ)、「芹(せり)」、「蕗(ふき)」、「椰」子(やし)、「籐」、 牛「蒡」(ごぼう)、「莢(さや)」、「豌」豆(えんどう)、「菠薐」草(ほうれんそう)、 「躑躅」(つつじ)、「藺」草(いぐさ)、「芍」薬、「樅(もみ)」 食べ物から善「哉」(ぜんざい)、「柏」餅、「蒲鉾」、金「鍔」(きんつば)、 「粳」米(うるちまい)、「糯」米(もちごめ)、「粽」(ちまき)、「蒟蒻」、 味「醂」(みりん)、「饂飩」(うどん)、「珈琲」、 土地・建物・工業・乗物・工作物から「曳」航、漆「喰」、田「圃」、土「嚢」(どのう)、「厩」舎(きゅうしゃ)、 「竪」穴、寒冷「紗」、「柾」目(まさめ)、「櫓」(やぐら)、「灘」、「畦」道、「鍾」乳洞、 「帷(とばり)」、「艘」、「叢(くさむら)」、「浚渫(しゅんせつ)」、「濠(ほり)」、 「澪」標(みおつくし)、「釉」薬(うわぐすり)、急「峻」、「樵(きこり)」、耕「耘」機、 「鏝」(こて)、「斫り(はつり)」 体・生育・病気・人の呼び方から「吾」輩、「嬰」児(えいじ)、「嗚」咽(おえつ)、 「屍」、「汝(なんじ)」、「儂(わし)」、「姥」、「嫗(おうな)」、「嬶(かかあ)天下」、 「屎」尿、「扁」桃腺、「涎(よだれ)」、血「漿」(けっしょう)、 黄「疸」、壊「疽」(えそ)、動脈「瘤」、水「疱瘡」(ぼうそう)、 「睫」毛(まつげ)、「睾」丸、「臍(へそ)」、「踵(かかと)」、 「踝(くるぶし)」、「膣」、「腋(わきのした)」、「脾」臓、 外反母「趾」、「胡坐」(あぐら)、白「癬」、「妾(めかけ)」、 創「痍」、「蕁」麻「疹」(じんましん)、吐「瀉」(としゃ)、「皺(しわ)」、 「黴」菌(ばいきん)、骨粗「鬆」症 道具・服飾・から茶「托」、「錨・碇」(いかり)、「綾」織、骨「董」品、 「鉤」(かぎ)、「鍬」(くわ)、「鞠」(まり)、 靴「箆」、縮「緬」(ちりめん)、「鋤」(すき)、金「鎚」、「銚」子、銅「鐸」(どうたく)、 「喇叭」(らっぱ)、「お櫃(ひつ)」、「棹」、「炬燵(こたつ)」、「甕(かめ)」、 衣「裳」、金「襴緞」子(きんらんどんす)、「薙」刀、銅「鑼」、「鼈」甲(べっこう)、 「棍」棒、「幔」幕(まんまく)、 金属・物質から「錫」、瓦「斯」(ガス)、「燐」、「鍍」金(めっき)、真「鍮」、 「砒素(ひそ)」、「弗素」、「硼素(ほうそ)」、 伝統・寺院・神事から「韋」駄天、八「幡」、「撞」木、釈「迦」、「祠(ほこら)」、 「祢」宜(ねぎ)、「伽」羅、 歴史から「倭」、水「俣」病、華「僑」、「穢」多(えた)、「孟」子、太「閤」、 「宦」官(かんがん)、宗「廟」(そうびょう)、「敦煌」(とんこう)、天「竺」、 「殷・秦・魏・蜀・晋・宋・隋・遼(中国の旧名) 気象・四季・自然現象から「曙」、「渚」、「朔」日(ついたち)��「翡翠」、花「崗」岩、 「漣(さざなみ)、明「礬」(みょうばん)、「熔」岩、「昴」、干「魃」(かんばつ)、 水「褥」池(すいじょくち)、「塹壕」、 数に関する文字から「肆・伍・玖・阡・萬」、 色に関する文字から「臙」脂(えんじ)、「緋」色(ひいろ)、黄「檗」(きはだ)、 「縹」(はなだ) 四字熟語から一「攫」千金、切「磋琢」磨、有「耶」無「耶」、「紆」余曲折、画竜点「睛」、「魑」魅「魍魎」、 虎視「眈々」、「侃々諤々」(かんかんがくがく)、和気「藹々(あいあい)」 十干から「戊・庚・壬・癸」、旧国名から「磐」城・飛「騨」・伯「耆」・「筑」前・「琉」球を準常用漢字としました。
また、除外した文字に「虞・朕」以外に、一般的��漢字では書かない「且」、 玉璽そのものが一般的ではない「璽」も準常用漢字でいいと思っています。 「附」は2010年に実際に常用漢字から外された「脹」と同じ理由です。
最後に言うが、やはり川越が漢字知りすぎているだけでは… 追加は300文字がちょうどよくて、準常用漢字はどう考えても常用漢字候補からは程遠いかもしれません。 ま、準常用漢字は大体は名詞か交ぜ書きの解消目的なんですけどね…
0 notes
Text
玫瑰薔薇の枝にて、カマキリ誕生。
今年も畑のパトロールよろしくね。
早咲き薔薇には蕾、自然樹形のリージャンロードクライマーです。
各種薔薇の芽も動きだし、今年も薔薇ゾウムシの動向に注意を向ける季節がやってきました。
今年は早めに見回りを開始しようと思います。
偕成社のカマキリ観察ブックによると、カマキリは卵嚢の中では芋虫状。
マイクロカマキリとして世に出て1齢。その後、8齢になるまで脱皮を繰り返すそうです。
これを知った時、FESが提唱するメタフローラシステムを思いました。
メタフローラシステムとは、フラワーエッセンスセラピーの地図とも言えるシステム論。
始まり、生まれた時を月として、火星、水星、木星、金星、土星、太陽とそれぞれの惑星の持つテーマを巡る地図のようなもの。
最後は地球で、8つの惑星。
メタフローラシステム (メタフローラパス) については、また別の機会に書いてみたいと思います。
0 notes
Text
2022年11月19日
Yoshikiさん「「前に進む」と決意 Determined to move forward.. https://t.co/PiM3OnRGmo #YOSHIKI RT @yoshiki_s_star #yoshikisuperstar #yoshikiオーディション @hulu_japan @RealGold_XY https://t.co/1w0S7TQPDE」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593561038540066816
YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X【公式】さん「#YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X #7 明日(19日)午前0時 #Hulu にて独占配信 今回は #YOSHI の オーディションで見せた成長と デビューに向け奮闘した 最後の2か月の記録。 ぜひご覧ください。 https://t.co/rAxt8OvNsi #yoshikisuperstar #yoshikiオーディション @YoshikiOfficial @RealGold_XY https://t.co/R4rgM4k426」https://twitter.com/yoshiki_s_star/status/1593408710348398592
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「押忍!11月19日19時よりデザビエ通販サイトオープン致します!11月12日に販売したグッズ、そして、撮り過ぎて余ったチェキ!そして、フォトセットを売れとの事なので僅かに作り直しました! 26日24時までの限定サイトとなっております! https://t.co/NKI4chZb2j」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1593562492147732480
首振りDollsさん「暴年會チケット明日10:00より販売開始🔥」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1593564110116904960
山鼻朝樹さん「20年以上振りにワーミーを引っ張り出してきた。 明後日のセッションでICONOCLASM弾かされるらしい(笑) RYO君、覚悟はいいかい⁉️😁 #誰かヘルメット貸してください https://t.co/jOEl3WtkIk」https://twitter.com/AoPBUG/status/1593555703993880576
三橋徹さん「痛々しい鼻から胆嚢を繋ぐ管が取れました。 イベントまであと2日‼️ 間に合うか⁈ 神はきっと俺を見捨てない… https://t.co/jl2bXEVOLt」https://twitter.com/atlansia1102/status/1593492012044386306
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/nnkiHtzyzU」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593566472495763457
ヴィジュアル博士のる@監修オムニバスCD2種発売中さん「まさかとは思いますがこの麻薬とはGARNETの麻薬のことではなかろうか…だとすれば…」https://twitter.com/vr_noru/status/1593566789958766592
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/vqShzE4Az1」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593566877162573824
MRTニュースさん「ギタリスト・SUGIZOさんが宮崎市の高校生に特別授業 本気で夢を追うことの大切さを生徒たちに伝える https://t.co/2XVnhWs0os #MRTニュース #宮崎」https://twitter.com/mrtnewsnext/status/1593547243424030720
航跡kou-seki(大概 梶原航)さん「本日 最終回! 『#白銀騎士団 #シルバー・ナイツ』 2週に渡って放送されております本作も、今日が一応の最終回!!一代スペクタクルが、どう決着するのかどうぞお楽しみくださいませ✨ https://t.co/eF1myhUJcr #青春アドベンチャー ひとかけらの想像力がある限り、冒険は終わらない。 https://t.co/7Wlfig7LwC」https://twitter.com/wataru_kaji/status/1593568221273395200
MIYAVIさん「こちらこそお世話になりました🙏🏻🙏🏻」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1593577554908045312
MIYAVIさん「よろしくです!🙌🏻🙌🏻 @noda_seiko93 @UNHCR_Tokyo @Refugees」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1593578017984421893
内田晃 Akira Uchidaさん「”昨年の日本の難民認定は74人。毎年数千人から数万人の規模で難民を受け入れる国がある中、日本は直近10年でも50人を超えたことがなく、先進国では少なさが際立つ。” MIYAVIさんと野田聖子氏が語る難民問題 27日に公開イベント:朝日新聞デジタル https://t.co/4DeOjXjjPd」https://twitter.com/uchidakira/status/1593531892430622722
Salesforce Japanさん「今月開催〖🗼World Tour Tokyo🗼〗 #MIYAVI 氏 と #藤原紀香 氏 の���演が決定✨ 表現の世界で活躍する俳優やアーティストでありながら、社会貢献活動を続けるお二人をゲストに迎え、#サステナブル な未来に向けて何ができるのかを一緒に考えていきます。 #SalesforceTour #サステナビリティ」https://twitter.com/SalesforceJapan/status/1593546071283625984
ひろ(´◉◞౪◟◉)さん「八杯目いぇーい https://t.co/BKf2rhsU2N」https://twitter.com/TONE_MANIAX/status/1593570791420854272
MIYAVIさん「😌💙」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1593578192115101696
INORAN_OFFICIALさん「間もなく🔥」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1593579605457129472
Ryuichi Kawamuraさん「https://t.co/1hIsGPgjVr」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1593580723101143040
ひろ(´◉◞౪◟◉)さん「九杯目遅くなった! https://t.co/KXM8Xa0buM」https://twitter.com/TONE_MANIAX/status/1593580123256606720ひろ(´◉◞౪◟◉)さん「十杯目? https://t.co/aUqubu3j4x」https://twitter.com/TONE_MANIAX/status/1593580459694309376
ダイニングバーotto2江古田さん「明日11/19、魚住英里奈さんのアコースティックライブがあります。 お店は18時半開店。ライブは19時開演、20時迄。 チャージ350円+ワンドリンク(550円から)のオーダーをお願いいたします。 ライブ終了後もお店は開いてますので、ぜひごゆっくりとお楽しみくださいまし。 #江古田 #投げ銭ライブ」https://twitter.com/otto45310/status/1593572843350294529
Yoshikiさん「#XJAPAN の曲、Rockstar はダンス調の曲でメンバー全員がレコーディングに参加している曲ではないよ。 バンドメンバー 以外アーティストも参加していて、今はリリースできないのです。 ごめんね。 #YOSHIKI」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1593588122696052737
ひろ(´◉◞౪◟◉)さん「十二杯目でオーダーストップきたので延長しますた https://t.co/aSLJQgZu83」https://twitter.com/TONE_MANIAX/status/1593588306133983232
MIYAVI STAFF【Official/公式】さん「Ring Em Up @MIYAVI_OFFICIAL collaboration with the @warriors @goldenstateent now available worldwide. Listen here https://t.co/RLB7v0TPmo #MIYAVI #Warriors #GSWarriors #NBA https://t.co/UANovO7oEE」https://twitter.com/MIYAVI_STAFF/status/1593471919935799297
MIYAVIさん「Heyyy Check out my new song for @warriors “Ring ‘Em Up” 💍on https://t.co/YVOerybf9S Oh oh oh oh ⚡️⚡️Let’s go ⚡️⚡️ https://t.co/cSR6hxiSEK https://t.co/8ihZyu6cf8」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1593594170047836161
ヴィジュアル博士のる@監修オムニバスCD2種発売中さん「新バンド「LYNCS」解禁です。 Vo.NOCTIS ZANG Gt.LIN (敬称略) 本日11/18より初音源となる配信シングル「NIGHT WHISPER」配信開始。 https://t.co/UI0hanRWUz https://t.co/V5fCpiThxl」https://twitter.com/vr_noru/status/1593594761864441857
Hydeさん「#HYDE #Edyh #HYDECHANNEL #THELASTROCKSTARS #YOSHIKI #SUGIZO #MIYAVI https://t.co/VzyDhOvKTt」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1593597817700102144
Drum 篤人さん「大阪ありがとうございました! ダイソンあつと…」https://twitter.com/atsuto0107/status/1593598403954413568
KINGRYOさん「こんばんは🦁✨ 直道と2人で打ち上げなう🍻 #歌ってみた #初見様大歓迎 https://t.co/1LmfntsZ2O」https://twitter.com/kingryoworld/status/1593602326803406848
aieさん「サンキューゴッド&ギブキー、 また来週(ギブキー)・・・。 https://t.co/yGi5qSzTc4 https://t.co/jq2HH4eIXw」https://twitter.com/THEGOD_aie/status/1593602454159249409
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「ラストはひできくんだ! バサラの顔ひできくん 色鬼、優鬼、現鬼 色気、パフォーマンス、オーラ、現役時代も凄かったが俺的には今の方がすげーな ありがてえ人だ また、遊びましょ 押忍!表現の現です! 可愛くね? 押忍!可愛い しゅん https://t.co/5bEA7f7Ht8」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1593603688589070336
Marilyn Marathon ✙ 11/19(土)クレフェス@柏ThumbsUpさん「🌝明日は遂にコチラッ🌝 ❣️㊗️めぐちゃん&Marsaちゃん㊗️❣️ お誕生日おめでたぁぁぁあ🔥😍💕🔥 マラソンも全力の極みで応援しに行く気満々でリハしてるまふ✨️🌝✨️ あれ⁉️ 予約DM待ってますよっ‼️ 予約DM待ってますよっ‼️ 予約DM待ってますよっ‼️ 予約DM待ってますよっ‼️ 予約DM待ってまアレ⁉️ https://t.co/k9SIMfZW1t」https://twitter.com/M_Marathon_JP/status/1593592173941108737
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「参加します😊」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1593605658561376261
Jさん「久しぶりのオンラインミーティング『Pyro.LINE #19』最高に楽しかった!みんなと色んな話しが出来て本当に良かった!ありがとう。次回もみんなで盛り上がろう!!!!🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥✌️ #PyroLINE #ONLINEMEETING #FCPyro #wumf #J」https://twitter.com/J_wumf/status/1593607729687695360
清春さん「tomorrow.」https://twitter.com/ki_spring/status/1593610039968690177
清春さん「tomorrow.」https://twitter.com/ki_spring/status/1593610249843245057
大嵩 潤さん「2022.11.18 the god and death stars ありがとうございました。 kazuさんお誕生日おめでとうございます! 次回は12月4日(日) 高田馬場CLUB PHASEにて単独公演。 2022年最後のライブですよー。 よろしくお願いします。 https://t.co/vCj7iOuJJr https://t.co/vrMdnGP4Ek」https://twitter.com/otakajun/status/1593611231449190400
INORAN_OFFICIALさん「インスタ アップ👍」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1593612456940576768
おおくぼ けい(アーバンギャルド)さん「大阪ありがとう! 明日は岡山! 待ってるし待っててね。 #アーバンギャルドのディストピア2022 https://t.co/Uo35Sq1RuE」https://twitter.com/keiookubo/status/1593612026894766081
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「今夜は仮歌でした。 https://t.co/ZiL4iBsxPR」https://twitter.com/lucy_peter/status/1593613225417146369
Drum 篤人さん「🐙」https://twitter.com/atsuto0107/status/1593614281995526144
キリ(luin) 2023/1/20池袋手刀単独公演さん「【IOLITE-アイオライト-】リハでした◎ 先月はレコーディングで、バンドで集まるのは2ヶ月振りでした〜やはりリハ楽しいです(*'ω'*) 来週22日(���)は池袋手刀 IOLITE-アイオライト-は18:30〜⏰ https://t.co/9Wj3aeZ3Gh」https://twitter.com/kiri_drums/status/1593615431830769664
🐈浜崎容子🐈(アーバンギャルド)さん「大阪満員御礼ありがとうございました!!なんかうまく言えないけど今を生きてるって実感できました。 明日は岡山に参ります。久々。 #アーバンギャルドのディストピア2022 https://t.co/JG5AcLwkx2」https://twitter.com/macaron_gall/status/1593615659534929921
gibkiy gibkiy gibkiyさん「【Thank You IKEBUKURO!!!】 Happy Birthday kazu!!!! 初めて全員でお祝い出来ました🎂 ご来場の皆様もありがとうございました。 次は11/26(土)名古屋ハートランドです! お待ちしてます!!!! https://t.co/mp0xeLM7LF https://t.co/VtfNqNhlJG」https://twitter.com/gibkiy_official/status/1593617041889447941
中島卓偉さん「11月20日 昼公演、座席、立ち見、ALL SOLD OUT! 夜公演は立ち見のみ! よろしくお願い致します! #中島卓偉」https://twitter.com/takuinakajima/status/1593619354700025856
Deshabillz2023年4月29日(土) 名古屋 MUSIC FARMさん「うるせー!明日観れるよーにしろ! 押忍!なにを? 配信ライブやねん!まだチケットあるぞ!買え! 押忍!露骨で下手だが優しい笑」https://twitter.com/Deshabillz2022/status/1593621156913119235
KINGRYOさん「KING RYO キャス配信中 https://t.co/8zQLKzOZxd」https://twitter.com/kingryoworld/status/1593625750871035904
nao 首振りDollsさん「大阪ならもっとやれる!!! と感じた夜でした。 そんな私は欲張りさんです。 ありがとうございました!!!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1593627111151276033
ガートルード(旧Gertrude)ユキさん「🐇予定❄ @aikei_bass @hang_hung_hung @SHOJl 共作曲 https://t.co/gSP8bt9fOe @vr_noru 氏オムニバス参加†物販通販有り https://t.co/5VX6AcMdvN 11/29池袋手刀 望月アヤヒコ氏生誕祭 12/4高円寺スタジオドム自主企画 12/27、1/11 https://t.co/ioP6XoAeaA https://t.co/abxEcaQi8f」https://twitter.com/carmillasnow/status/1579775702513385473
0 notes
Text
土嚢の会(2018/05/12)に参加しました
土嚢の会は、けがわさんが主催されているアブストラクトゲーム中心のゲーム会で、土嚢(nestorgamesのゲーム)以外にも色々なアブストラクトが持ち込まれています。場所は東中野のディアシュピール。
実は以前からけがわさんのブログ記事で土嚢の会のレポートを見るたびに遠方から指をくわえて「く、参加したいっ」と思っていましたが、 今回久しぶりに東京に行っていたところ色々偶然が重なり、菊子さんのお誘いで参加させてもらうことができました。
ザイク (Zaic)
ここからダカーポまで全部nestorgamesのゲーム。
各プレイヤーは1, 2, 4マスのタイルを持ち、8x8のグリッド内で既存タイルに縦横に隣接させて置いていき、置けなくなったらゲーム終了、最大のエリア(マス数)を作った方の勝ちです(写真のケースなら左上から10マス連続しているグレーの勝ち)。
1段目だけは自分の色のタイルと隣接しないように置く必要があります。相手のタイルに1マスでも乗っていれば上にかぶせることもできます。ただし下のタイルは最低1マスは露出していないといけません。
なので、1マスタイルの上には実質タイルが置けなくなります。この少ないタイルの使いどころを考えたりと、見た目に反して(といったら失礼ですが)結構面白かったです。
錦鯉 (Jin Li)
鯉を (1)縦横斜めに移動した後にどこかへ石を置く、または (2)石を飛び越えさせます(2の場合は石は置かない)。移動/ジャンプ後のマスの周囲8箇所にある鯉の数が点数になります。10点先取した方の勝ち。
うーん、これはちょっと面白さが分からなかったですね。縦横斜めなので相手を得点させないようにするのが難しいし、お互いの鯉がお互いの得点源なので、出し抜いてリードしようにもかなり厳しい。。。
ヘックス(Hex)のバリアントテストプレイ
けがわさんがヘックスのバリアントを作成中とのことでテストプレイを。まだ名前もルールも最終形ではないということなので詳細は書きませんが、個人的にはかなり好きな感じでした。オリジナルよりも”してやったり感”を感じれるというか。
これからまた変わるのか、これが最終形なのか、楽しみです。
リンケージ (Linkage)
自分の色はありません。4色のタイルを交互に置いていきます。同じ色がつながったエリアを1グループとみなします。
一方のプレイヤー(More)はグループを多く作ろうとし、もう一方(Fewer)はグループをなるべく少なくしようとします。タイルが置けなくなった時点で12グループ以上できていればMoreの勝ち、11グループ以下ならFewerの勝ち。
これもシンプルながら各色のタイル残数などを意識した攻防があって楽しめました。
ペントアップ (Pent-Up)
nestorgamesの中では定番のペントアップ。今回は3段目のコマが同数で2段目でなんとか1個差で勝てました。何回やっても面白いですね。
ダカーポ (dakapo)
自分の色はありません。4色のコマいずれかを交互に置いていき、四隅が同色の正方形(大きさや傾き問わず)を作った方の勝ちです。写真で言うと青のコマ4個で3x3の正方形ができてます。
配置済みのコマと縦横に隣接して配置、同じ色は隣接不可、相手が前手番で置いた色は配置不可という制限があって結構ままなりませんが、それは相手も同じ。うまく相手を誘導できると面白いです。
今回は素直に3x3マスの正方形を2箇所同時にリーチさせて勝ちましたが、勝つための正方形は桂馬/ナイトの位置関係でもOKだし、もっと大きい正方形でもOKなので、そういうぱっと見で気付きにくい形でドヤ顔して勝ってみたいもんです。
アッパーハンド (Upper Hand)
アッパーハンド自体はnestorgamesのゲームというわけではないですが、nestorgamesのMargoなどのDeluxe版コンポーネントで。ビリヤードの球と同じ材質ですごく高級感があり、ずっとコロコロ触っていたくなる感じ。
ルールはシンプル。交互に自分の色の玉を置いていき、先に全部の玉を置いた方の勝ち。
土台の4玉が埋まった時に土台が自分の色3~4個だったら自動的にその上に自分の色の玉が乗ります。これは連鎖します(4玉埋まって玉が乗った結果そこも4玉埋まったらまたその上に玉が乗る)。土台の色が2個2個で拮抗なら何も起こりません。
先手が有利ということで先手で始めましたが、2戦ともけがわさんに負けてしまいました。
でも連鎖で一気に残りの玉が減っていくのは気持ちいいですね。ぷよぷよの連鎖みたいな。こっちは消えるんじゃなくて積み上がるんですけど。
クアンゴ (Qango)
2016年製のロシアのゲームのようで。パーティー系でもないのに公称プレイ時間5分と書かれており一抹の不安を覚えます。
ルールは、コマを交互に置いていき、自分のコマで同じ柄の1グループ(3マス)を埋めるか、2x2の4マスを埋めるか、縦横斜めいずれかで5マス並べれば勝ち。それだけ。
で、やってみます。公称時間5分は嘘でした。2分です。
とにかく後手が先手にリーチ掛けられっぱなしで選択肢ほぼなし。あまりの後手即死ゲーに途中から後手が勝てる手を編み出した奴が勝ちみたいな流れに。
でも大塚さん佐藤さん自分の3人であーだこーだ言いながらだんだんと後手が負けるまでの手数が増えていき、9戦目でついに後手が勝った時には謎の一体感が生まれましたね。うん、パズルか協力ゲーと考えれば面白かった。
ウルビーノ (Urbino)
前々から気になっていたゲーム。
手番では2つある赤い建築士コマのどちらか1つを任意のマスに動かした後に建物を1つ置きます。建築士には直線8方向へ伸びる視線があり、2人の視線が交わる場所にだけ建物コマが置けるというコンセプト。視線の途中に建物があると視線は遮られてその先にはコマは置けないわけですね。
同色で縦横に隣接する建物は1つのグループです。建物は高さに応じて1~3の価値があり、それらの合計がグループの価値です。
ゲーム終了時(これ以上建物が置けなくなった時)、自分と相手のグループが隣接しているエリアごとにグループの価値を比較し、勝っている方が自分のグループの価値だけ得点を得るというマジョリティ方式。しかも両者のグループが隣接してないところは得点計算対象になりません。
前述の視線ルール以外に、1つのエリアには各色1グループずつしか存在できない(つまりエリア内で色が分断されるような置き方はできない)のと、価値2の建物同士あるいは価値3の建物同士は隣接できない、というルールもあります。
こういった配置ルールを駆使して相手を縛りつつ、自分の有利になるように建築士を移動して各グループの価値を高めていきます。
先まで読んで建築士を動かしたり相手のグループをこれ以上拡大させないように建物で防いだりと面白いですね!ゲームは負けましたが、他の方々が面白いと言われている理由が分かった気がします。
ザ・マインド (The Mind)
最後はアブストラクトの真逆を行くゲーム。
各自に配られた手札を昇順で場に全部出せれば1レベルクリア!という協力ゲームで、レベル=開始時の手札枚数として全12レベルクリアを目指します。
が、このゲーム、手番順はなくリアルタイム。しかも相談禁止、ジェスチャー禁止、顔芸だって禁止。場に出されたカードと自分のカードだけを見つめて「これが次に小さい数だっっ!」と思ったタイミングで出す。出したカードより小さい数を誰かがまだ持ってたらミス!
プレイ前に「邦題つけるなら『ザ・忖度』だよ」と言われましたがまさに。
今回のクリア記録はレベル5(=開始手札5枚)でしたけど、もし12レベルまでクリアしたら達成感よりもメンバーにエスパーやサトリがいるのではという疑惑が生まれそうです。
おわりに
今までネットでしかお見かけしたことがない方と直接お会いできたり、ゲームに造詣が深い方が多くて話も面白かったし、ゲームプレイ以外も楽しかったですね。
あと他の卓でも気になるゲームが次から次にプレイされていて、毎回参加できる方が羨ましい!ぜひまた参加させてもらいたいと思いました。
5 notes
·
View notes
Photo
2月10日は、広島土嚢の会を開催しました。 ネスターゲームズのバッグを積み重ねると土嚢に似ていることから、日本では「土嚢」と呼んだりしています。 ヘプタリオン Heptalion ヤバラス Yavalath 渋 SHIBUMI スプライン Spline スポネクト Sponnect サム・オン Sum On 太陽を賭けた戦い Battle for the Suns グリーン Green アマゾン Amazons イオの庭 Gardens of Io カイロコリドー Cairo Corridor ヴォロー Volo モレリ Morelli 一番人気は ヤバラス 次に ペントアップ そして ヘプタリオン でした‼️ #ネスターゲームズ #nestorgames #広島土嚢の会 #ボードゲーム #boardgames #tabletopgames #アブストラクトゲーム #abstractgames https://www.instagram.com/rosuvisur/p/Bt9wb4yDLBG/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=twjyl2tbgl1a
2 notes
·
View notes
Text
28/海に屍と濡羽菊
(SILENTにおける全てのネタバレが存在します)
(2021年7月某日の話)
----------------------------------------------------------------------------------------------
きっとそれが黒い大輪の菊に見えたのは、炎天下で首裏が焼かれる感覚と、足首が波に冷やされる感覚が起こした倒錯のせいなのだ。
波音にのって、生ぬるい潮風が鼻先を撫でる。七月の海辺、日差しは朝だというのに既に強い。これが浜辺いっぱいにうざったい椰子の群れでもずらりと並んでとかいるのであれば影ができて話が別なのだろうが、本土の海岸でそ��な植生は見たことがない。精々がシュロ、或いはマングローブ。それがあるにしても亜熱帯の地域だけ。こんな東海の片田舎の海辺にそんな耐塩制植物の群れが生えているわけもなく、よって首筋は陽に晒された結果じわじわと焼かれている。 七月、朝の日差し。生えかけの入道雲が山並みに沿って起き上がっている。 フィールドワークは私の日課だ。本業と言ってもいい。海洋生物群の調査、兼磯釣り、兼浜辺散策。SILENTからの任務が特にない週、そのうちの数度はフィールドワークに出かける。部屋に閉じこもって研究するのも良い――特にクソみたいに暑い日は――が、自分の分野は実地でのデータを得ないとまずはじまらない。釣りや磯漁りは趣味のようなものだが、得られないものがないわけではない。魚はおいしい。自分で捌いて食べるものはもっと。 だからその日磯に向かったのは偶然であり、運命だった。竿先の糸をのんびり垂らしているのにも飽きて、ぶらぶらと向かった先の潮だまりはすでにぬるくなっていた。岩場いっぱいに磯の匂いがじらじらと立ち上り、鼻の奥に潮を塗り付けてくる。 岩礁を二、三歩海側に跳ねるように歩いたところで、波打ち際になにか黒いものが打ち上げられているのが見えた。大輪の花のような黒い何か。 それはちょうど岩礁に乗り上げたような格好で岩に引っかかっており、波が何度か柔らかくさらって行こうと泡を投げかけていたけれど、黒い大きな花弁はふわふわと濁った泡の網の間にゆれるばかりだった。 一抱えもあるそれをぱっと見て、私はそれを海中に落ちた菊のようだと思った。細長く薄い花弁は濃い青の上に艶をもって浮かんでおり、波に揺れてふわふわと佇んでいた。 岩のふちには近づきすぎず、タモ網を伸ばしてそのかたまりを慎重に掬いあげると、確かな肉の重さが手の平に伝わってきて目を見ひらいた。やがてそれが大輪の花などではないことに気が付いた。それは、大きなカラスの亡骸だった。 「……なんで、海なんかに」 水を含んだ体を網から外して、抱きあげた。その拍子に翼がだらりと垂れ下がり、屍はいやに大きく見えた。 死んでしばらく経っているのか、からだは硬直が解けて僅かに柔らかかった。炎天下の潮水に晒されていたせいか微かに肉が生ぬるい。羽は潮水にもまれたのか一部があちこち変な方向にねじれ、痛んでいた。 頭部の形はあまり見慣れないもので、くちばしの形はハシブトガラスやハシボソガラスにしては整っている。在来種でないことは一目で解った。喉の羽毛が逆巻いており、濡れたせいでいっそうオパールのような七色に艶めいていた。彼は、ワタリガラスだろうと思う。北国の鳥であることはたしかで、どうしてこんな真夏の、よりにもよって辺境の海辺なんかに。 私は思わず周辺を見渡した。カラスの群れはどこにもいない。ざあんと波が岩場にうちつける音ばかり轟いている。沖合からミャウミャウとウミネコの声がした。背後を仰げば遠くに鳶の影が見えた。黒い翼は、案の定どこにも飛んではいない。 羽織ったパーカーが濡れるのも構わず、私は反射的にその遺骸を抱いていた。胸元はすでに水を吸い、じっとりと布がよれている。濡れた肌に海風が吹き付けてようやく私は亡骸の冷たさを感じた。翼の形が崩れてしまわないよう、慎重に彼の翼を折りたたんで抱きなおした。 若い個体のようだった。堕ちてしまったにしては外傷はなく、きれいな体をしている。岩礁に打ち上げられたときに擦れてしまったのかくちばしの端だけが少し欠けていた。瞼はぴっちりと閉じられて開かない。潮だまりで水浴びをしようとして、波にさらわれてしまったのだろうか。こんなところで、一羽きり、誰もいないところで。 日はじりじりと首を焼いている。太陽は中天に近づくにつれいよいよ勢いを増していた。ワタリガラスからは、まだ死臭がしなかった。 私は汐で痛んだ体を抱きかかえて車に戻った。急いでトランクからクーラーボックスを取り出すと、黒い遺骸をタオルと防水シートでくるみ、氷の内側に埋めるようにしてから蓋をした。内径90センチのクーラーボックスは彼の尾羽を折らないぎりぎりの大きさだった。それから磯に戻って、バケツの中に入ったイサキ二匹をしぶしぶ海に放流した。銀のうろこがやがて海底に沈んで見えなくなったところで、車のエンジンを掛けに戻る。時刻は九時四十分を指していた。普段家に帰るにしては、あまりにも早すぎる時間だった。
家に着いてまず行ったことは着替えることでもシャワーを浴びることでもなく、亡骸の洗浄だった。石鹸水を含ませたタオルで綺麗に全体をぬぐう。全身潮びたしなので、羽の隙間や翼の関節、足のつけねまで塩を取り除くように丹念に手入れした。 このとき微かに腐敗が始まったようで、肉の解けるにおいが作業場に籠り始めていた。過剰に冷やした暗室はばかみたいに涼しくて、私の乾いた足には砂がまだまとわりついたままだった。 翼を開いたり閉じたりしながら、写真を撮り、記録を付ける。体長79センチ、翼開長150センチ、オス、年齢不明だが二歳程度、くちばしに微細な欠け。 同定にさほど時間はかからなかった。確かに彼はワタリガラスだった。紙面にCorvus coraxと走り書いて、まじまじと閉じた瞳を覗き込んだ。東海の沿岸部にワタリガラスが飛来したことはもしかしたらどこかを探れば履歴が残っているのかもしれないけれど、私は一例だって知らない。不勉強を嘆くべきなのだろうか、それともこのようなイレギュラーに知識なしで遭遇したことを僥倖と思うべきなのだろうか。 慣れない夏の、冬のそれとはまったく様相の違うぎらつく太陽の下、ふらふらと一羽(ひとり)でこんなところまで翼をはためかせて飛んでいたのであろうことを思うと、私は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。唐突に両の肺が痛んだ。 石膏粉をはたくと、まるで埃をかぶったように姿がみすぼらしくなる。水気をとってから一度粉を落とし、今度はまんべんなく駆虫粉をまぶす。潮ざらしになっているからそこまで虫はついていないと思うけれど、野生種はダニなどに食われやすいので丁寧に殺虫をする。毛の流れに逆らって粉をはたくと、時折やわらかな灰色の羽毛がふわりと抜けて私の鼻先をくすぐっていった。 粉をきれいに払ってから、体を台の上で仰向けにする。私はその広い胸にゆっくりとメスを埋めた。正中線に沿う腹と胸をつなぐ場所に羽毛の無い部分がある。肌は柔らかな灰青色をしており、つぷ、と刃先を飲み込んだ。 腹部を切り開いて、こんどは首と両肩に向かって皮を剥いでいく。腹膜と皮下脂肪の間の腱を切るようにしてメスを少しずつ滑らせていく。皮が剥がれた裏側にミョウバンを刷り込みながら、肉の塊と皮を丁寧に分離させる。 かるく私の身長ほどはある両翼は大きく、肩の骨もそれに見あって立派だった。骨を折らないように慎重な手つきで関節を根元から抜く。くちばしの真下まで慎重に切れ目を入れ、頸椎と食道を分離させる。思っている以上に綺麗に骨が抜けたので、骨格標本も作れるかもしれないとふと思い立った。喉の羽毛は切り開かれてもなお逆巻いて、玉虫色の渦のようにきらきらと光っている。ただ、きれいだった。 白い脂肪を掻き出しながら、ゆっくりと背側を剥いていく。首と胸を繋ぐ筋を切り落とし、服を脱がせるようにして皮を裏返した。私は彼を暴いている。 内側の肉たちは思っているより静かだった。腹膜の内側でころりところげるのに時折どきっとするけれど、それらは存外おとなしく、じっと皮が分離していくのを見つめていた。腐敗のせいで肉は少しだけ酸っぱいにおいがした。夏は足がはやい。もう少しはやく見つけてあげればよかった。それでも潮溜まりより、ずっと腹膜は冷たかった。 私は無言で皮を剥ぐ。やがて油脂腺の油でメスがどろどろになった。尾羽の付け根を切る。綺麗な濡羽色をしている。一つだったからだと内臓が分離していく。 弾力のある腹膜ごと内臓を左手でそっと支えると、指の腹が肉に埋もれて脂肪で濡れた。人の肉もこれくらい柔いのだろうか? 無心で皮を剥ぐ。やがて直腸を総排泄孔の手前で切断する。鉗子で先端を抑え、静かに抜け殻から肉を引き抜く。アルミトレイの上に乗せられた体内は、羊膜が破れていないままの胎児にも似ていた。腹膜を透かして素嚢が見えている。胸でようやく抱きかかえられるほどの大きさだから、人間の嬰児よりは少し大きかった。 まだ翼と脚と頭の肉が残っている。肩口から皮を裏返しながら肉を削ぎ、慎重に骨を抜いてはホウ酸の粉をはたく。代わりに針金の骨を入れて翼を固定する。 学術用の剥製にしたほうが楽なことは解っているが、立派な体なのだから本剥製にしたかった。腿の肉を掻き出して骨を抜く。上体に再度手をのばす。キジやサギにくらべ、首が短いカラスは頭骨を剥ぐのがやりやすい。首を裏返す。賢い頭蓋が剥き出しになり、隙間から脳が見えた。 眼窩にピンセットを差し込んで視神経ごとちいさな丸い眼球をずるりと抜き出す。黒曜石のような、小さくて綺麗な黒い色だった。あらかた顔まわりの筋肉を削ぎ終えたら、最後に脳を掻き出す。針に通した糸でまんべんなく、こそげとるようにさらう。 剥製を作るとき、頭骨だけは皮の内側に遺しておくことになる。余った肉を削いでいく。ミョウバンとホウ酸粉を丹念に塗りつけて、脂肪を慎重に削いで、最後に骨を拭って除肉は終わる。 抜いた骨たちは別のトレイに置き、皮を乾かしながら一度休憩をとった。午前中から作成を始めたのに、すでに日暮れに近い時間になっている。集中が切れたせいか唐突に異様なほど空腹を感じた。台所にいくと、妹が作りっぱなしのサンドイッチが冷蔵庫に放置されていたので勝手にいただく。クリームチーズが塗ったくられていることだけはとりあえずわかった。やはり不味い。おそらくあいつは料理の才能がないのだろうと結論をつけて、胃にパンを落とすことだけを考え、口元をぬぐった。皿を洗ってから作業部屋に戻る。 皮が変に縮まないうちに形を整えなければならなかった。翼などの一部を除いて内容物をあらいざらい引き抜かれたからだは二次元のように平らだ。骨の代わりに針金を、脂肪の代わりにわたを、臓器と筋肉の代わりに綿(めん)を入れ、生前の容貌を再現していく。そこに魂が宿らないことは知っていても、還ってこないことはわかっていても、可能な限り精巧なすがたを作り上げたかった。生きていたということを遺したかった。 そんなこと誰に頼まれたわけでもないのに。 そうやって作業に没頭し続けて数時間、すでにとっぷりと日が暮れ切った夜半にようやく剥製の全体が整った。切り開いた場所を簡単に縫合して、形が崩れないようにガラス棚の中へ保管しておく。 そこで初めて息をついて、ガラスの向こうに閉じ込められた濡羽色のきれいなからだを眺めた。死体とは思えないほど美しいそれは、しかしどうしたって死んでいた。からっぽのからだ。からっぽののうみそ。動かないつばさ。欠けたくちばし。 飛んでいるときの姿を知らない私にとって、その翼がどうやって風を切るのか、瞳はどう海を映したのか、止まり木をどうしならせるのか、梢と尾羽の擦れあう音がどんな高さなのか、それらのうち一つきりさえわかることはなかった。 私は彼を知らない。死体はもう鳴き声の一つも上げない。 恐る恐る手を伸ばして、くちばしの先から根元までをそっと撫でた。なめらかなくちばしは、しかし欠けた部分だけがざらついていた。あごの付け根を軽くさすって、そっと手を離した。ガラス戸を閉める静かな音が濃い潮の匂いに染まる部屋のなかに響いて消えた。私はアルミトレーの上に放り込まれた骨々を溶液に漬け込んで、部屋の電気を消す。
彼の剥製を教授に譲ることにしたのは、研究室で暇を持てあましてパソコンを抱えながら遠心分離機とにらめっこしていたときに教授が構われたがりそうに話しかけてきたことが発端だった。会話の中で駿河湾の話になって、不意にこの間ワタリガラスが飛来していたことを思い出したのでそれをいうと、彼はひどく興味津々にその話題に首をつっこんできた。 「飛来、って言っても、拾ったのは死骸ですよ」 「どちらにしても珍しいことには変わりないよ。剥製にできるほど状態がよかったということでもあるし」 「トキやらなんやらだったら生息域のマーキングに使えますけど、ワタリガラスですよ。北海道にでも行けば冬場死ぬほどいる」 「はは、謙遜するなあ。そういう珍しいものを珍しいと理解して、適切に判断、処理できることを褒めてい���んだから、素直に受け取れば良いのに。とても珍しいことだよ、私も直に見たかった」 謙遜なんていわれても、私はみつけただけであってここまで飛んできたのは彼自身である。僅かな空しさを感じて私は返答に困り、「はあ」とだけ零してまた遠心分離機の液晶パネルを見た。残り時間はまだ二分もある。この後もう一回遠心分離をかけないといけない。パソコンの画面と液晶パネルを無産的に交互に見てから、ぼんやり口を開いた。 「差し上げましょうか、剥製。気になるのなら」 「え、良いのかい」 「別に……。それに作ったのはいいですけど、家にあったって、管理しきれないですし。本剥製に仕立てちゃ��ましたけどそれでいいのなら」 どうします。と聞くまでもなく、彼の返答は「勿論」だった。研究室に飾ってくれるのであれば、虫に食われることも、腐敗してカビだらけになることも懸念しなくていい。四角いガラスケースの中で、作り物の止まり木に掴まってはばたく直前の格好をしながら、朽ちるまで永遠の沈黙を貫いていることができる彼のことを想像すると、安堵の隙間にどこか血の匂いのする溜め息が滲んだ。 教授は別れ際に、私に向かってこう言った。「そもそも、君がしっかり作り上げる本剥製自体珍しいから、それがよほどきれいな個体だったのだろうなと気になったのは否定しないよ」と。
その日家に帰ってから瞳に埋め込むための石を取り寄せることにした。実のところ、本剥製はまだ完成させていなかった。けれど他人に渡すのであれば面倒臭くとも仕上げをしなければならない。私は剥製職人ではないが時間をかければそれなりのものは作製できる。性格ゆえに、作りきる根気が滅多に出ないだけであって。 やることを整理する。まずパーツが届く間に、ポーズを整えて、縫合をしっかりして、毛並みをもう一度整えて。そうやって手を尽くして、ガラス越しに見る誰の目にも君が凜々しく見えるように。 だからこそ二も三もなく、彼の眼窩にぴったりな黒い瞳を探すつもりだったのだけれど、どうしてかふいに私の無意識が抵抗して、勝手に動作の主導権を握った。腕は勝手に、月色の丸い石のページを表示させていた。 数秒、その画面を見て固まる。まぶたの閉じないくぼみに嵌められた良く晴れた夜半の空のようなそれを脳裏で一瞬再生してしまい、引き攣るように笑って無理に頭を振った。濡羽に金の目。その文字列が、文字列以外のイメージに行きつかないよう強制的に思考の根をシャットアウトして、私はページを反射的に閉じる。その後は余計なことを何も考えず、黒曜石を選択してカートに入れるだけだった。だって、黒いワタリガラスに金色の目を持つ個体なんていない。 「きれいっつったって、そう見えてるのは多分、見てんのが自分だからですよ、教授」 誰に聞かせるわけでもない独白は部屋の中に溶かして、チェアをリクライニングぎりぎりまで傾ぐ。背もたれはギィ、と音をたてて軋む。LEDの柔らかな白色が、いたいくらいに眩しくて顔を覆った。エアコンの風が虫の声のように静かに空気をふるわせている。 夜の窓辺に、青白いシルエットのワタリガラスの骨格標本が静かに佇んでいる。肉と皮の一切を剥奪され、頭部さえもすっかり喪われたそれは、もはや私に何も語りかける言葉もなく、ただじっともう二度と手が届かない空を、ガラス窓越しに見上げるばかりだった。
/
3 notes
·
View notes
Photo
【靖国の軍服翁】 終戦記念日の今日、私は仕事が切迫していて一日引きこもっているような生活だった。するとさる友人から、「靖国神社に行ってきた」旨のメールが来て、そこに軍服の男たちが写った、一枚の写真が添えられていた。 この友人氏は特に右翼の人というわけでもなく、ただこの日の靖国神社に純粋な追悼の気持ちで訪れたところ、社頭に軍服を着た人々がたくさんいたのを目にし、ある種の新鮮さ、驚きをもって写真に撮ったのだろう。「兵士の格好をした人々がたくさんいました。彼らなりの敬意をもって追悼しているのでしょう」というメールにあったその文が、氏のその純粋な視線を物語っている。 氏の送ってきてくれた写真(本記事上部)に、一人の明治期の黒い軍服を着たカラー写真の、つまり現代人の写真が入った額が写り込んでいる。黒いリボンが掛けられているところからも分かる通り、遺影である。このメールをくれた友人氏が、この軍服翁に関して知っていたか否かは定かではないが、この界隈では有名だったK氏という老人で、そういえば春に訃報を聞いたのだったなあと、しばし天井を仰いで思い起こした。 自分はこのK氏の友人でも知人でも何でもないが、彼は自身を明治時代の軍人・乃木大将に擬し、毎年の終戦記念日に靖国神社へ軍服姿で現れるということで少し知られた人で、かつ地元・栃木県内に日本軍関係の文物を集めた私設博物館を構え、時折東京都内のホールを借り切って軍歌の演奏会をしているような、つまり右翼っぽい活動家であった。そういうことで、私も名前くらいは知っていたのである。 そういう来歴の人であったから、世間の多くはK氏をいわばドン・キホーテ視していたし、その実名でGoogle検索などすると、K氏を頭のおかしな軍国主義者視する書き込みが次から次に見つかる。まあ、そう見られても仕方のない人物であったのは確かだろう。 ただ、私は前述のように、このK氏とは何の面識もない人間ではあるのだが、氏の来歴には興味深いものを感じていた。K氏は戦前の生まれで、少年期に満蒙開拓青少年義勇軍として満州に渡り、終戦後にシベリアへ抑留されて大変苦労したという人であった。他人がサラッと文にしてしまえばそれだけのことだが、筆舌に尽くしがたい苦労をしたのだと思う。戦争の惨禍を、少年の身にして一身に浴びたと言ってもいいのではないか。しかしK氏は戦���、特に反戦運動に進むようなこともなく、上述のように、いわば軍国主義者風の人生をまっとうすることになる。 繰り返すように、私はこのK氏とは何の知り合いでもないが、あるとき右翼活動家の方から、このK氏が書いた文の載ったチラシのようなものを渡されたことがある。K氏の語る国家観、歴史観は、よくある右派の人が語る、特段珍しくもないもので、私の記憶にはまったく残っていない。しかし強烈に記憶に残っているのは、K氏が「加藤完治」という人物を熱烈に尊敬し、今の自分があるのはその人のおかげなのだということを、力を込めて書いていたことであった。 加藤完治は1884年に生まれた農学者で、K氏が入隊し、満州に渡ることとなった満蒙開拓青少年義勇軍の生みの親である。 戦前の中国東北部にあった満州国とは、どう弁護しても大日本帝国の傀儡国家であり、日本はその地の実効支配の基礎を固めるため、日本人移民を次々と送り込んでいった。その多くは北海道の屯田兵を彷彿とさせる、武装農業移民であった。そのいわば「少年兵」部門が満蒙開拓青少年義勇軍であり、おおむね16~19歳の青少年に基礎的な農業訓練を施して、1938年から45年まで、8万人超の青少年が海を渡っていったとされている。 ただ現在では広く知られているように、満州移民の多くは悲惨な末路をたどった。日本式の農業技術は、気候風土の違う満州ではあまり役に立たず、終戦直前に満州へなだれ込んできたソ連軍になすすべもなく蹂躙され、K氏がそうであったように、多くがシベリアに抑留された。 当時の日本の役人らとて、この「日本式の農業技術は気候風土の違う満州では通用しないのではないか」という点に関する危惧は、当初から持っていた。しかし、それを押さえたのが加藤完治であった。彼は心配する同僚らに、きっぱりと言ったという。 「直心影流、必殺の上段打ちの要領をもってすれば、満州の凍土といえど容易に開墾できる」 加藤完治は上述のように、大日本帝国の時代を生きた農学者であった。東京帝国大学農科大学を卒業し、内務省などに勤めていた人で、つまり戦前の理系エリートである。生来、クリスチャンであったというから、いわば西洋風の思想にも親近感がある、今で言えば、どちらかというとリベラル系統の青少年時代を過ごしていたのではないかと思われる。 そんな加藤を変えたのが東京帝国大学での経験だった。加藤は元来、柔道をしていたのだが、あるとき大学の柔道場の隣の剣道場で、今まで見たことのない、特殊な剣道を行っている一群があった。その中心にいた者こそが、鹿島神伝直心影流剣道15世、山田次朗吉であった。加藤は山田のつかう剣に魅入られるところがあり、直心影流に入門する。そこからその剣術にまつわる鹿島大明神信仰、つまり神道の世界にのめりこむようになり、キリスト教の信仰を捨てる。そして気付いたときに彼は、農本主義的な右翼人となっており、日本政府の中で満蒙開拓を強力に推進し、満州の凍土は直心影流の剣技の応用で耕せると豪語するまでになっていたのである。 加藤が茨城県内原に設立した満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所では、農業とともに直心影流が教えられた。そして少なくない青少年たちが、この訓練所から直心影流独特の太い木刀を背嚢に突き刺して、満州へ渡っていったのである。 結論は言うまでもないが、直心��流の剣技で満州の凍土を耕すことなどはほとんどできず、満蒙開拓移民の生活は荒みがちになり、そうこうしているうちに終戦直前のソ連による満州侵攻を迎えたというのは前述の通り。 まったくこういう歴史的な流れだけを書くと、加藤完治とは大変な悪人に思えるし、実際にその責任は重大だ。しかし、その下で辛酸をなめたはずの靖国の軍服翁・K氏は、加藤完治を生涯の師として慕い続けた。 先に、このK氏はしばしば軍歌の演奏会を催していたと書いた。私はあるとき、その様子を収めたビデオを見る機会があった。K氏は基本、乃木大将の格好をして出てくるのだが、ある一幕で満蒙開拓にまつわる歌の演奏があり、その際には少年農夫然とした服装に代わり、満面の笑顔で鍬を担いで歌っていた。またある右翼人の方いわく、K氏は軍歌演奏会の幕間に加藤完治の追悼祭をはさんだことがあり、K氏自身はえらく真剣だったのだが、来場者の多くは加藤完治などと言われても誰のことか分からず、大変な不評だったのだそうだ。しかし、K氏自身は真剣そのものであったと。 このK氏と加藤完治の間にある謎の師弟愛とはいったい何なのか。はっきり言うが、K氏はある意味で加藤の被害者である。しかしK氏は生涯、加藤を慕い続けた。そしてこれはどうもK氏のみの特殊事情ではないようで、かつて満蒙開拓青少年義勇軍に参加した人々の回顧録などを見ると、満州生活やシベリア抑留のつらさは大変なものだったと訴える一方で、加藤完治に対しては、多くの人が「慈父のようであった」との評価をしているのである。月並みな言い方であるけれども、「人は記録では分からない」という典型の一つが、加藤完治という男の生だったのではないかという気が、私にはしている。 余談ながら私は大学在学中、縁あって直心影流に入門し、その修行の中で加藤完治という人物を知った男である。確かに彼の書くものや、彼に関する記録などは、武道方面のものにおいてもすこぶる「男としての魅力」を感じさせるものだ。加藤は直心影流の道統継承者などではなく、いわば数多いる修行者の一人にすぎない。しかしそのはるか後輩たる私は、時々の道統継承者を超えて加藤に不思議な魅力を感じており、古書店などで彼にまつわる書物などを買い集めるようになってもはや長い。だから私は軍服翁K氏の、その政治思想には大して興味はなかったのだが、その「加藤完治愛」には共感にも似た何かを感じており、何か機会があれば加藤についての話など聞いてみたいと思ってもいたのだが、無為に時を過ごしているうち、K氏もまた世を去った。 上述のように、K氏は自らを乃木大将に擬している人であった。もちろん、本当に乃木大将が好きだったのだろうけれども、そのひげの生やし方などは、あまり乃木っぽくもないなあと感じていた。しかし今日、上述の友人氏からメールされてきた、靖国社頭に飾られたK氏の遺影の写真を見て、図らずも「あっ!」と思った。K氏の風貌は乃木大将ではなく、加藤完治の真似であったのかもしれない。 ともあれ今年また、加藤完治という不思議な剣客を知る者が、また鬼籍に入っていったのである。昭和は、遠くなりにけり。
2019年8月15日 小川 寛大
2 notes
·
View notes
Link
毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
逃げ回った挙げ句、通りに出た。
「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
「(中略)城壁の下には死骸��積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍��騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「���京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
5 notes
·
View notes
Text
おにぎり
「おべんとうはどこでたべるんですか?」 ひときわ元気そうな男の子が、その活発さを服に表したかのように、引っかけたカギの繕いや裾にスレのある着物に芝生の枯れたのや雑草のちぎれたのなんかがついています。 秋空が高く晴れ渡り、海の近くでただでさえ広く感じる空にさらに深い奥行きを与えています。 銀杏の葉は色づき、黄色というよりは黄土色の葉でその枝々や地面に明るいハイライトを入れています。それがあってなのか、石畳でなにやら重いような印象のあるこの通りがこの季節だけ明るくなったような気持ちになるのでした。 反面、路地をよく見てみるとついこの間までに青々としていた雑草たちはすっかりと生気を失ったように、くすんだ黄土色に葉の色を変えているのだった。 鉄道があり、港があり、石畳の通りがありと、仕事の人間や観光で訪れるものなど、さまざまな思いでここを訪れ、用を済ませたり見物をしたりと、それぞれの過ごし方をしています。 さっきの男の子はというと、引率の先生に着物についた枯れ草を払ってもらっています。 その洋服姿の先生は、まだ若く長い髪を後ろで一つに縛り、活発な子供たちが一丸になってもやり返せるような颯爽とした風格を持っているのでした。子供たちに集まるようにとよく通る声で号令をすると、子供たちは先生を取り巻くように集まります。 まるで、子犬が母犬にじゃれついているかのようなもので、じっとしている子は少なく、隣にいる学友にちょっかいを出すのや、どこかで捕まえてきたらしき草バッタをさもいいものかのように大切に持ち歩いているの、さっきの男の子はおとなしく先生の隣に立ち、なにやら手持ちぶたそうにしています。 先生はやや大きめのバッグから二つ折りのリーフレットのようなのを取り出し、子供たちが聞き逃さないようにゆっくりと「もう少し歩いて、これに書いてある海の見える丘についたら昼ごはんです!」と伝え、子供たちに歩こうと促すとゆっくりと歩き始めたのでした。 少しつんけんしているように見えたものの、先生の視線は十数人ぐらいの子供たちをまんべんなく、それでいて一人一人を確実に視界の中にはいるようにしているのでした。 港が見える広場。 商港らしく大づくりな建造物の中、芝生のある公園は海に向かって開けていて、その一角に子供たちが集まり、みなそれぞれに昼ごはんを取り出し始めるのでした。 さっきの元気のよい男の子は背負っていた背嚢からおにぎりを取り出します。竹の皮のひしゃげ具合から、その中の飯粒たちは朝に見た形から変わってしまっているのだろうと想像ができました。なにやら古文書でも開くかのように慎重に竹の葉の端をつまみ、ゆっくりと持ち上げます。 案の定、おにぎりはすっかりと形を変え、中心に入っていたであろうウメボシの赤が平たくなったところからじんわりと見えたのでした。 想像通りだったのが面白かったのか、さも愉快そうに先生に報告します。 「おにぎり、ひしゃげちゃってらぁ」 先生はその大きな声にどう返事をしようかと少し迷っていたみたいでしたが、男の子は気にしないで思いっきりかじり付いてます。 一口目に大きく、その半分ぐらいを一気に食べています。 男の子はおなかが空いていたのもあって、なにやら夢中でおにぎりを食べているのでした。 かみしめるごとに、ご飯の甘い香りがほんのりと立ち上がり、いくらでも食べられそうな気持ちになっています。 二口目、やっとおにぎりの中心にある梅干しにたどり着きました。 さっきまでのごはんの甘みだけでなく、梅干しの塩の味が舌の先を引き締めるような気持ちになって、その後に感じる酸っぱさが顎の付け根のあたりになにやら少しの力が入るような気持ちがするのでした。 まだおにぎりは半分ぐらい残っています。 また大きく口を開けると、半分残っているおにぎりのさらに半分を食べます。ごはんがどんどんと消えていきます。 こぶしほどあったおにぎりはあっという間になくなり、指先についたお米を前歯を使ってきれいになくすると、また次のおにぎりを食べるのです。 大きめのおにぎり三つは、すっかりと姿を消し、おにぎりの重みで少しずっしりとしていた背嚢は、大きくあいたおにぎりの空き地で、なにやら一仕事を終えたような力のない姿になっているのでした。 秋空はからっと晴れて高く広がっているものの、ときどき吹く風が少しひんやりとしているような気もします。 けれども、おにぎりを食べて満足したからか、男の子の体の奥底はそことなくほんのりと暖かく、少しぐらいの風では冷えそうにありません。 先生はその様子を子供たちに囲まれながら一緒にごはんを食べて遠目で見ていたのでした。 港から広場を眺めると、子供たちがワイワイとお昼ごはんを食べているその少し先では、鉄道の工事をしています。 そこもお昼の時間です。 お昼というよりは、彼らの言葉を使うと「めし」でしょう。 やかんに入った麦茶を湯飲みにつぐと勢いよくのどを鳴らして飲んでいきます。 商港からさらに続く鉄道を敷設するためこの現場で汗を流して働いているのです。 大きなアルマイト製の入れ物、それこそ学校の給食の時間に見るような大きさの入れ物に入ったおにぎりが運ばれてきます。 その入れ物は、運んでくる女性がやっと抱えられるほどの大きさで、新聞紙ぐらいの幅でしょうか、そのなかに大きなおにぎりがひしめくように入っているのでした。 男たちは運ばれてくるのを待つ間に麦茶を飲み一息ついていました。見守ると言うよりはどれも同じように見えるおにぎりを選ぶかのように選び、これぞというものに手を伸ばしていきます。 一つひとつのにおにぎりはさっきの子供が食べていたのよりもはるかに大きく、にぎりめしという言葉で表すのがよいのかもしれません。現場を動かす力を一気にまかなえるようにと、特別大きく作ってあります。それこそ、赤子の頭ぐらいはあるでしょうか、具は真っ赤な梅干しが入り、それをもりもりと食べていくのでした。 夏の間に赤銅色に焼けた肌と短く刈り込んだ頭の男は、現場の中堅どころでしょうか。若い衆に比べて肩の肉の付き方がたくましく、仕事中の動きにも余裕があるように見えました。にぎりめしは皆が取り合うようにとっていく中で少しだけ間を置いて取りに行き、目についたものを手にしていたのでした。食べるというよりも、とにかく腹を満たして午後の仕事に備えようという考えなのか、がっつく訳ではないものの勢いよくモリモリと食べていくのでした。 その様は、大きな岩山を砕いていくかのようで、なにやら削岩していく音も聞こえそうなぐらいに大きくにぎりめしの塊を削っていくのでした。 どんぶり飯をそのままにぎりったかのようなにぎりめしはあっという間に姿を消します。若い職人はもう一つと手を伸ばし、一個目と同じようにかじりついて食べていくのでした。 その男はというと、にぎりめしを食べ終わり、お茶を一口飲み干すとたばこを一服し、休憩時間の〝無の時間〟を堪能しているのでした。 若者はにぎりめしにかじりついています。男はその様子をたばこを吸いながら少し離れたところから眺めています。まだ、〝力の加減〟というものがわからず、仕事のムラが気になっているものの、やる気があるからどうにかなるだろうなと、ぼんやりと考えながらその様子を見ているのでした。 にぎりめしが勢いよく食べられている道ばたから大通りを抜けていくと港があります。 そこには、出航を待つ人たちが使う待機所があり、まだ船旅が中心だった当時は、その待合所で時々見聞きする海外の言葉に、異国のにおいを感じていたのでした。 二十代の半ばを過ぎたぐらいであろう背広を着た若者がいます。その顔は凜と精悍で大志を抱き海外への第一歩を行こうとしているのでしょうか。その席の隣には着物姿でたたずむ女性がいます。四十代ぐらいでしょうか、若者の母親が座っています。 会話はほぼなく、時々交わされる会話は「体に気をつけて」や「便りをよこして」などという、母親からの問いかけに男性が静かに頷(うなづ)くぐらいです。 女性は手にしていた包みを広げると、おにぎりの包みを広げます。 そっと食べるようにと促したおにぎりは、竹の包みのうえに二つ並びたくあんがその隙間にあります。丁寧に握ったのがわかるのが、丸みのある三角形が同じ大きさで、ここに来るまでの間にも形が崩れないようにと注意しながら運んできたのたと思われます。 待合室での二人の時間と同じようにゆっくりと、一口二口と食べ進んでいきます。口に運ぶ前にその形を目に焼き付けているかのように、まっすぐと見つめ、食べ進めていく中でも無くなってしまうのが惜しいのか、かみしめ、そしてだんだんと小さくなるおにぎりに惜別の感情を合わせているのか、時間をかけて食べていくのでした。 出航の時間まではまだあります。けれども、出航前の手続きなどで、待機所でゆっくりとしていられる時間はさほどありません。 残っているたくあんをゆっくりとかみしめ、残り一個のおにぎりもこの時間と一緒に永遠に続けばいいとばかりに少しずつ、噛みしめていくのでした。 最後の一口がなくなろうという頃、手続きをせかす鐘が鳴ります。 今生の別れではないものの、なにかあってもすぐに駆けつけることができない距離がこの親子の間にできる瞬間です。 若者はすっかりときれいに食べた竹の皮をゆっくりとたたみ、それを包んでいた木綿のハンカチーフも丁寧にたたみます。母親はそれを持って帰ろうとしますが、ぼそっと、これも持って行くよ、と言うと床に置いていた鞄の中に優しく納めたのでした。 手続きをせかす鐘が鳴り、そろそろ時間だからつぶやくと、立ち上がったのでした。
1 note
·
View note
Text
ウズベキスタン旅行2018 - Part 4
忘れていません、忘れていませんよ。旅行記、焦らずボチボチと。ここまでのPartがまだの方は、是非前の部分から見てやってください。
ウズベキスタン旅行2018 - Part 1 ← サマルカンド編(1日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 2 ← サマルカンド編(1日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 3 ← サマルカンド編(1日目~2日目)
さぁ、Part 4はサマルカンド2日目の朝観光から。(まだ2日目!!)まず向かったのはウルグベク天文台跡です。
・・・。
って、誰だよ!!!(笑)
後ろの像はウズベキスタンの偉人の一人、ウルグベクさん。そしてうちの家族と、、、ウズベキスタン人の方々。
彼女たちはウズベキスタン国内旅行者のご家族。話をしたガイドさん曰く、地方から観光に来た方々だそう。で、我々のような明らかに外国の人間を見るのが珍しかったらしく、ガイドさんに一緒に写真を撮らせてほしいと声がかかったそうです。じゃ、私のカメラでも是非ってことでw
今回の旅の最中、実は何度も「写真を一緒に撮らせてほしい」とお願いされました。なかなかこんな経験ないものです。
で。更に面白かったのはここから。ご家族の若いお嬢さんが1か月後に結婚するのだそうですが、結婚式に是非来てくれ、と。
・・・。
誰が???(笑)
我々、今ここで会ったばかりの外国人に、
_人人人人人人人人人人人人人人人_ > 結婚式に是非来てね(^^) <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
いやいやいや、社交辞令でもそれはないだろう、と。というか、ガイドさん曰く、社交辞令でもなく、いたって真面目に言っているのだと。
・・・。
まじかよwww
ここでウズベキスタンの結婚式事情を。ウズベキスタンの結婚式、招待客が300人というのは少ない方なのだそうです。通常は500~600人。(どれだけ!!) 家族、友人知人のみならず、近所の人、家族の職場の人、そこら辺の人(!)、写真を一緒に撮った外国人(!!)、いわば何でもあり!!!招待というよりは、勝手にやってくる人たちもたくさん!とにかくたくさんの人でお祝いするものなんですね。・・・、行けばよかったかな(笑)
少し話がずれましたので、天文台跡の話に戻りましょう。
サマルカンドの高台に、かつてあった六分儀。地下部分11mと合わせて40mの高さがあり、弧長は約63mもあったそうです。まさに現代の天文台のような天体観測施設。上の写真は今も残る地下部分。この下にあります。
写真ではなかなかわかりませんが、真ん中のレールみたいな部分が、ちゃんと弧状になっております。天井部分から入ってくる陽の光の位置を毎日コツコツ測っていたいたようですね。
天文台跡の隣には博物館があります。
博物館の中に、かつての天文台の復元図があります。地上部高さ30m。ちょっと想像できません。
1429年、日本では室町時代頃、この天文台で計算した1年の長さは 365日6時間10分8秒。現代の精密機器で計られた1年の長さは 365日6時間9分9.6秒。その誤差なんと1分未満。望遠鏡もない時代に、驚くべき技術です。
こんなに素晴らしい天文台ですが、ウルグベクさんが亡くなった1449年、保守的なイスラム教信者によって破壊されました。ウルグベクさんは、当時としては非常に急進的というか、天文学をはじめとした科学的な学問を熱心に推進した方でした。こうした行動は、まだまだ宗教が科学に優先されていた時代、イスラムの指導者からは非常に反発をかっていたそうです。彼らはウルグベクさんを殺害するべく計画を立てます。悲しいことに、その計画の中心に立っていた人物の一人が、なんとウルグベクさんの息子の一人。息子に殺されてしまったウルグベクさん。その事実を知り、この天文台で共に働いていた多くの天文学者たちは、ウルグベクさんが残した天文表や多くの文献と共に海外へ逃亡。後に、そうした天文学者によって出版されたウルグベクさんの天文表は世界中にいきわたり、彼の名前も知れ渡ることになったのです。
この天文台が実際にどこにあったのかは、実は長らく謎だったそうです。天文台があった事は分かっていたものの、場所を示す文献は何もなかったのだとか。みつかるきっかけとなったのは、市役所にあった税金に関する古い資料。当時、メドレッセやこうした天文台というのは、税金を免除されていたそうで、その記録を精査し、天文台があったであろう場所を算出。こうして土に埋もれた天文台跡が発掘されたのは、1908年のことだったそうです。
天文台跡の次に訪れたのはアフラシャブ博物館。
サマルカンドの市街地からは少し離れた郊外の、アフラシャブの丘に立つ博物館。チンギスハンがこの地を訪れる前、まさにこの地がサマルカンドの中心部として栄えていた場所です。博物館への道すがら、遺跡であることがなんとなくわかる感じ。
博物館周辺の丘陵地自体が遺跡です。丘自体は、そんなに見晴らしがよいわけではないのですが、博物館内には、丘の全貌のミニチュアがありました。・・・でも、よく分からんね(笑)
博物館の中には、この遺跡から発掘された当時の壁画が展示されています。
この写真だけではなかなか伝わ���ないのですが、壁画は一つの部屋の四面に配置されています。実際に当時のサマルカンドに訪れた賓客を招く部屋にこの壁画が描かれていたらしいです。
欠けている部分も多くありますが、実際にはこうだったという復元図がありました。シルクロードの要所ということで、中央アジア一帯は勿論の事、西はヨーロッパ方面、東は中国や朝鮮半島からも人が訪れていたことが壁画に記されています。
少ないですが、壁画以外にも多少の展示物あり。そして、ちょっとしたビデオを見ることが出来ます。ビデオは英語ですが、この壁画や当時の街の様子の復元予想図をカラーで見ることが出来ました。
さ~、博物館見学の後は昼食です。このツアーの面白いところ。サマルカンド観光のうちの昼食一回分だけは、ガイドさん個人のお勧めの場所へ連れて行ってOKという回がある!ということで、この日の午後に行った場所が、まさに、サマルカンド出身のガイドさんがプライベートでもちょくちょく行くお店に連れて行ってくれました。
この商店の裏、灰色の壁の向こう側に黄色い壁が見えていると思いますが、ここがお店。・・・何とも分かりづらい(笑)
メインの通りから分かりづらいからでしょうね。商店の横、上の方に看板が出ています。店名がJONI OSH。さしずめ、ジョニーさんの店。
壁の中、敷地内に入ると、中庭?的なスペース。レストラン自体は目の前の黄色い建物の中なのですが、この中庭スペースの一角で・・・
写真の左の方、ちょっと人が群がっている場所が。ここで、、、
!!!ガシガシ料理してる!!! 巨大な鍋?フライパン?みたいなものの中には大量の米。そう、ここはウズベキスタンの代表的な料理、プロフ(Plov)のお店なのです。ウズベクスタイルのピラフ、と言えばよいでしょうか。もうね、お腹がすいていたのもありますが、匂いにそそられる、そそられるw 美味しそうなプロフを横目に、取りあえず店内へ。
すぐに出てきたのはサラダとナン。サマルカンド・ナンと言えば、美味しいことで有名なのだとか。他の地方の物とはちょっと違うと言われています。本当に、優しい甘みが美味しい。
私たちが、こうした前菜を店内で頂いている間、ガイドさんは外に出て、先ほどの調理スペースの前で直接注文。プロフだけは、直接あの場所で注文しないと、店内で店員さんに言っても、ぜーんぜん運ばれてこないそうです。どういうシステムだwww
スープも登場。ちょっと酸味のあるヨーグルトのスープ。
そして、お待ちかねのプロフ!!大皿にのってやってきました。上に載っている黄色っぽいのは、黄色い色のニンジン。他にもウズラ卵、レーズン、ひよこ豆、唐辛子、そして大きなお肉の塊がどどーん!この肉の塊を切り分けるのは、男性の役目なんだそうです。
いやいやいや、このプロフがめっちゃくちゃ美味しくてね。ちょっと脂っこいっちゃ脂っこいのですが、甘辛の味は、多分日本人の口によく合う。めっちゃ食べました、私。・・・胆嚢ないから、あんまり脂っこいの食べ過ぎたらいかんのやけど、めっちゃ食べました。やめられない、とまらない。明らかに、食べ過ぎました。
・・・この日の夜、胃?の痛みで苦しんだのは、ここだけの話。それも、出すもの出したら落ち着いて、すぐに復活しましたが(*´з`)
あー、ここのプロフ、また食べたくなってきた。そして、Youtubeで、面白い動画を見つけてしまった。
youtube
「Настоящий Самаркандский Плов!」というタイトル、Google翻訳によると「このサマルカンドピラフ!」 となっております。もしサマルカンドに行く機会があれば、是非とも食してほしい一品です!
というわけで、Part 4は二日目の昼食まで。・・・滞在日数を考えると、どこまで行くのか恐怖(;´Д`) ま、でもボチボチです、ボチボチ!ゆるりとお付き合いくださいませ。まだまだ続くよ!
ウズベキスタン旅行2018 - Part 5 サマルカンド編(2日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 6 サマルカンド編(2日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 7 サマルカンド/ブハラ編(2~3日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 8 ブハラ編(3日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 9 ブハラ編(3~4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 10 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 11 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 12 ブハラ編(4日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 13 ブハラ~ヒヴァ移動編(5日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 14 ヒヴァ編(6日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 15 ヒヴァ編(6���目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 16 ヒヴァ編(6日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 17 ヒヴァ/タシュケント編(7日目) ウズベキスタン旅行2018 - Part 18 タシュケント編(7日目)
1 note
·
View note
Photo
星(富田) 昇 @湯本森・里研究所(ゆもり研) @hoshitomita - 午後8:59 ・ 2021年7月5日 : https://twitter.com/hoshitomita/status/1412018409043156992 : https://archive.ph/egU0l
田舎で草刈りしていると植生遷移を止めることの大変さは身に染みてわかるが、設置者は遷移のスピードを甘く見ていたのだろう。 今後こういう管理しきれないソーラーが増えるのでは。しかもこうなっては撤去もできず、急激に木々に飲み込まれるだろう… ============≫ 三枝 玄太郎 @SaigusaGentaro - 午後8:07 ・ 2021年7月3日 : https://twitter.com/SaigusaGentaro/status/1411280469040136196 : https://archive.ph/taUep
こんな太陽光発電所あり? 奈良市。ここは雨のたびに雨水が斜面を流れ、山の所有者の夫婦が土嚢を積んで対処しています。建設業者は作業を途中で中断し、草は生え放題。
{{ 画像 }} ≪============ ≫――――――≪
工房うむき・いきもにあオンライン出店 @kobo_umuki - 午後10:14 ・ 2021年7月5日 : https://twitter.com/kobo_umuki/status/1412037092008357894 : https://archive.ph/udze6 返信先: @hoshitomita
伸びた木を十年ごとに伐採更新して薪に使ったらエネルギー源として一石二鳥とか…(嗤 ≫――――――≪
omochi_daifuku @omochidaifuku4 - 午前9:44 ・ 2021年7月11日 : https://twitter.com/omochidaifuku4/status/1414022632421265412 : https://archive.ph/I7yta 返信先: @hoshitomita @dialand_jp
以前、山の斜面に設置してあるメガソーラーの現場に行ったことがあるが、下から雑木が生えてきてパネル面はガタガタ、あと数年で使い物にならなくなる感じだった。
パネルの分譲投資物件なのか、 管理会社とも話したが、既に他人事。
もう救いようがない… ≫――――――≪
0 notes