#十三夜の月見は平安時代から
Explore tagged Tumblr posts
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、し��よしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネル��ぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
9 notes
·
View notes
Text
10/27(日)、11/3(日) に渋谷イメージフォーラム3Fにて開催される「グラウンド・レベル・シネマ 5.0」に参加させていただきます。12月発売予定のノイズバンド「3CO2(SANCOTSU)」のファーストアルバムより、「Taphophobia」のミュージックビデオが先行上映される形になります。Aプログラムにて、27(日)14:00〜、3(日)15:30〜上映予定です。よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー イメージフォーラム・シネマテーク No.1075
グラウンド・レベル・シネマ Vol.5.0 GROUND LEVEL CINEMA 5.0 日本 ー 台湾
イントロダクション
2020年代に新たなインディペンデントシーンを作るべく、日本と台湾のfresh!!!な映像作家たちが国境、世代を超えて作品を上映するリアルイベント<グラウンド・レベル・シネマ>
暑さに浮かされて月日が経つのも夢のうち、気がつけば秋、夏も終われば気分はもう年末。と書いている今は深夜2時、真夜中の焦燥。只今絶賛制作中、遊んでいる場合では御座いません悩んでいる時間も御座いません。 ましてやこんな文章を書いてる場合でも御座いません。全作品完全新作のvol.5.0、間もなく上映開始で御座います! (グラウンド・レベル・シネマ運営委員会)
※10月27日(日)は上映終了後に日本側作家によるアフタートーク、11月3日(日)は台湾&日本側作家によるアフタートークを行います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■日程 Date 2024年10月27日(日)、11月3日(日) Sunday 27th October, Sunday 3rd November 2024
【open】13:30 【screening】14:00 【close】18:40(予定) 各日3プログラムの入れ替え制
■会場 Venue シアター・イメージフォーラム 3F「寺山修司」 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2 Image Forum 3F "Terayama Shuji" 2-10-2, Shibuya, Shibuya-ku
■タイムテーブル Timetable 10/27 14:00 A Program 15:30 B Program 16:50 C Program 11/3 14:00 C Program 15:30 A Program 16:50 B Program
■Ticket 当日受付 1プログラム券:一般700円/会員500円 3プログラム券:一般1,500円/会員1,200円 1 program ticket/General 700 yen, Members 500 yen 3 program ticket/General 1,500 yen, Members 1,200 yen
ご来場のお客様へ ・満席の際にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。
主催:グラウンド・レベル・シネマ運営委員会 共催:イメージフォーラム 協力:株式会社ダゲレオ出版 https://www.imageforum.co.jp/cinematheque/1075/index.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▶Program A
無題 / Untitled 藤井アンナ / Anna FUJII / 20min.
初 / Seed 曾莉珺 / Lichun TSENG / 10min.
レプリカ / Replica 内山尚久 / Naohisa UCHIYAMA / 7min.
アジア情報局 / Asian Intelligence Bureau 雪克 / Shake / 7min.
蝶影 / Butterfly Shadow ねね蝶々 / nene chouchou / 5min.
未命名のカルナック計画 / Untitled Carnac Project (work in progress) 陳省聿 / Hsin-Yu CHEN / 8min.
Taphophobia ムラカミロキ / MurakamiLoki / 9min.
おばあさん仮想 I / The Grandmother Epithesis I 郭立貞 / Lichen K / 3min.
素人の修復 / Amateur Restoration 蕭仲甫 / Chung Pu HSIAO / 4min.
▶Program B
2-2 洪安旭 / An Hsu HUNG / 5min.
Simulacra 白水浩 / Hiroshi SHIROUZU / 5min.
ロサンゼルス:新書#1-8 / Signatures #1-8, Los Angeles 徐璐 / Erica SHEU / 10min.
道にて / On the Road 木澤航樹 / Koki KISAWA / 8min.
肉屋のように - 01 / Like a Butcher - 01 吳梓安 / Tzuan WU / 1min.
キンコンキン / Mycorrhizal Fungi 内山涼湖 / Atsuko UCHIYAMA / 17min.
ネオ黙示録 / NEO Apocalypse Johnny HUNG / 13min.
シジフォスの弟子 / Disciples of Sisyphus 山口健太 / Kenta YAMAGUCHI / 10min.
ガラガラの夢 / GARA GARA 工藤雅&張若涵 / Masa KUDO & Johan CHANG / 3min.
▶Program C
結婚しない水行十日陸行一月 / don't ask about me 三木はるか / MIKIHARUKA / 15min.
他人の情景 / The Othered Scene 閻望雲 / Wang-Yun YEN / 8min.
猫腫瘍 / Stray Cat gets Cancer 松岡徹 / Toru MATSUOKA / 14min.
Q4. (2023) ワン イチェン / Yijean WANG / 9min.
X Shade 平井望 / Nozomi HIRAI / 3min.
Obscure Observation 松田天樹 / Takaki MATSUDA / 4min.
Interjection ニシノユキコ / Yukiko NISHINO / 5min.
現像 #2 / Developing #2 許岑竹 / Tsen-Chu HSU / 6min.
類もまれな断片の壮麗 / Magnificence of Unparalleled Fragments 立川清志楼 / Kiyoshiro TATEKAWA / 10min.
■作者コメント
▶Program A
無題 / Untitled 川柳作家の嶺脇ルイさんによる川柳作品「竹とんぼ 風は明日を 連れてくる」を受け取り、言葉の表現を別の表現に変換する企画に沿って制作した作品。「明日」は抽象的だが、それを発表することに挑戦した。知人に街を案内してもらった。寒くなったらまた訪れようかと考えている。また案内してもらえるかどうか。
初 / Seed 光、それは抽象的であれ具象的であれ、生態系における重要なエネルギーだ。16ミリフィルムで自然を捉え、微視的な視点から観察し、ゆっくり一瞬を記録し、身体の導くままに、内外の自然の音に耳を傾ける。 映像は露光の瞬間に生まれる。自作の環境に優しい現像液を使ってフィルムを現像する。新月や満月のとき、感光乳剤を作って塗り、光害のない公園を露天の暗室にする。日の出と日の入りの間に音声を収録する。「自然な自然」を観察し、その過程での発見が、創作の思考要素や可能性となっていく。
レプリカ / Replica かつて戦争によってすべてを失った日本は、輸出によって外貨を稼ぎ、その貴重な外貨により鉄鉱石、石油、食糧等々、どうしても必要な物資や原料を輸入していくより他になかった。その為、アメリカから模倣だと非難されながらも、ミシン、カメラ、時計等を作り続けた。 そして今、またもアメリカの発明品が、Made in Japanで広がろうとしている。
アジア情報局 / Asian Intelligence Bureau キドラット・タヒミックが空っぽの携帯を手に台湾へやって来た。台湾にいる間、彼は何処でも常に携帯で記録し、去る前夜には、メモリーはもういっぱいになった。彼はこれらの素材を私に託した。私は膨大で雑多な素材との対話を試みる。
蝶影 / Butterfly Shadow ゆるやかに落下していく世界の破片を拾い集めながら、遠く蜃気楼の中にしか存在できない生き物。 ここから見えるのは輪郭を失った景色と追憶する身体のみ。 目に映る不死の生き物をただ追い求める日々はまるで誰かの手の上とこの世の狭間にいるような感覚。
未命名のカルナック計画 / Untitled Carnac Project (work in progress) 表面 ― 風景の表面、石の表面、身体の表面、映像の表面。私は、私たちと映像との距離に興味を持っている。私たちはどのように映像の距離を測り、映像はどのように世界を測るのか。技術的なものや感性を通じて、視覚的、心理的、触覚的、映像的な広がりについて考えたい。 19世紀初頭、イギリスの科学者フランシス・ロナルズは、写真のように精密なトレースを可能にする機械を発明し、フランスのカルナックに赴いて、その機械で先史時代の巨石群��描写した。私はそれに基づいて、2023年から創作計画を展開した。
Taphophobia Improvisation Noise Band "3CO2(SANCOTSU)" Newest Music video.
おばあさん仮想 I / The Grandmother Epithesis I おばあちゃんの存在意義とは何だろう?生物学者の「おばあさん仮説」(The grandmother hypothesis)は、私たち自身のおばあちゃんを理解する助けになるだろうか?本作は、フィルムの現像や編集の実験を通じて、found footageを再加工し、映像文化が構築したいくつかの祖母像を初歩的に検証しようと試みる。
素人の修復 / Amateur Restoration 余暇の時間を利用し、小津安二郎監督が1962年に撮った映画『秋刀魚の味』の予告編に非公式な個人的デジタル修復を行った。
▶Program B
2-2 以前の「フレーム」をテーマにした創作の核心を引き継いだもの。フレームとフレームの間が絡み合う。記憶、時間、感知、情感、無意識の瞑想、連想と幻想。
Simulacra 世の中、偽物ばかりで困りますね。だけど本物ってあるんですかね?この作品をあの偉大な作家に捧げます!(勝手に)
ロサンゼルス:新書#1-8 / Signatures #1-8, Los Angeles 友人のワークショップで8折1冊の手作り糸綴じ本を制作してから、最近ロサンゼルスにいる気持ちを描いたり、書いたり、整理しはじめた。毎日通勤で渋滞する高速道路、なぜ私がロサンゼルスの映画を撮らないのかと聞く友人、ベランダで喫煙をはじめた事などが、当時の脳内の動きである。
道にて / On the Road 男の答えを待つことしかできない。 もし男に、この身体があったなら。
肉屋のように - 01 / Like a Butcher - 01 最近、友人からいくつかのフィルムをもらった。中にはエロ過ぎたり血なまぐさ過ぎたりして、処分されたものもある。それらをつなぎ合わせてみる。
キンコンキン / Mycorrhizal Fungi 中山ヒロキと仲間達が、作り出す音楽空間。伊勢二見浦の松林にある海岸で行われたシリーズ中に、ワンカットで撮影。今その時を鑑賞し、どんなネットワークが作り出されるのだろう。
ネオ黙示録 / NEO Apocalypse これは神という「モノ」を否定する作品ではありません。神が残した言葉は何千年にもわたって現代に伝わってきました。しかし、それは本当に神の言葉なのでしょうか。解釈によっては何も伝わらないこともあれば、時には私を導いてくれることもあります。では、すべての言葉が神のものであれば、いくら変えても神の言葉として成り立つのでしょうか。アーメン
シジフォスの弟子 / Disciples of Sisyphus シジフォスは神々をに度も欺いた罰を受けることになった。罰として山の頂上まで巨大な岩を上げるよう命じられた。 あと少しで山頂まで届くというところで���岩はその重みで転がり落ちてしまう。 シジフォスは永遠にその苦行を繰り返している。 俺はまるでシジフォスの弟子のような生活を送っている。
ガラガラの夢 / GARA GARA 引っ越したばかりの東京の部屋と、もうすぐ退去予定の台北の部屋。海を隔てた2地点から期限切れのRT200シングル8フィルムを使用し、多重露光した作品。 あの日の夜明け、眠る彼女の口から映写機のガラガラと鳴る音が出た。 部屋はひっそりと耳を澄ませる。
▶Program C
結婚しない水行十日陸行一月 / don't ask about me ドキュメンタリーは、撮られる人の了承を得た上でカメラを回した場合、芝居のかかった人の存在を消せません。カメラの前で「自然体」なんて、ずいぶん怪しいことばです。観る側が「これは芝居ではない」と思い込むことで成り立つ不均衡な関係性を、三木はるかはできれば前向きに愉しみたいのです。
他人の情景 / The Othered Scene 歴史調査によると、疫病が爆発した時、島は戦後の過渡期であり、多くの現地人はコミュニティーの動員を通じて突然の災難に対応した。 長い年月を経て、カメラを携え、海辺から島中央の山間部へと向かいつつ、道すがら記憶の中の白い土を探す。春の疫病という幼少期の経験は、不確かな言語の同一性を含んで、音声と映像を互いに導きながら、徐々に人々がかつて到達した場所へと近づいていく。
猫腫瘍 / Stray Cat gets Cancer 近所の野良猫が病気になり、捕まえて病院へ連れて行きました。 猫と私たち家族との濃密な時間が始まりました。
Q4. (2023) 次のお正月を迎える前、もうひとつのお正月が先に来た ハッピーディワリ!日々が花火のように咲いて、散って、消えるまで繰り返した
X Shade 影はどこへ行ったのだろう。 私はどこへ行くのだろう。 何が私を照らしているのだろう。 輪郭も掴めなくなってしまった。削ぎ落としたのか白く飛んでしまったのかさえも。 陰影に引っ張られ、私は月に喰われて同期していく。
Obscure Observation 特定の被写体の観察ではなく、色や光や奥行きの、あいまいな観察「Obscure Observation」
Interjection 私の祖父の話です。祖父は生前、「おい」と言って、よく奥の自分の部屋から私達を呼びつけました。「おい」とよく呼びつけて、かつての「大東亜共栄圏」の構想を、日本軍の矛盾を、話したりしてました。
現像 #2 / Developing #2 前作『現像 Developing』に続く小さな実験。制作過程で、私はこの奇妙な視覚体験を楽しんでいた。良く考えれば、これとE6カラーリバーサルフィルムの現像での最初の現像液の効果との間には、妙に似たところががある。
類もまれな断片の壮麗 / Magnificence of Unparalleled Fragments 写真と動画の関係性について考察し写真とは何かを探求する作品。 写真とは一見静止した時間のようであるが、本来、動的平衡の状態ではないか?写真とは過去と未来、真逆の時間が同時に流れてる状態ではないか? 世界を静止させるはずの写真の流動性を抽出する。また音楽を加えることで新たな時間の発生を探求する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
グラウンド・レベル・シネマ https://www.groundlevelcinema.com/ X(Twitter): @groundlevel2020 https://x.com/groundlevel2020 Instagram: @ground_level_cinema https://www.instagram.com/ground_level_cinema/
イメージフォーラム/株式会社ダゲレオ出版 http://www.imageforum.co.jp/ 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2 03-5766-0114(シアター・イメージフォーラム) 03-5766-0116(イメージフォーラム) 03-5766-1119(ダゲレオ出版) Mail : [email protected]
X(Twitter): @Image_forum https://x.com/Image_forum Instagram: @image_forum https://www.instagram.com/image_forum/ Facebook Page https://www.facebook.com/imageforum.japan/ Online Shop http://imageforum.thebase.in
2 notes
·
View notes
Text
2024/3/4〜
3月4日 バレンタインのモロゾフのミッフィーを渡した方から、お返しに…、と可愛い栗のお菓子をいただく。その方には以前、ベンガルスパイスの紅茶を一つあげたことがあって、そのハーブティーのシリーズの、アップルシナモンを買ったことを報告してくれた。
昨日買って、開封した袋のままラップになんとなく包んだ油揚げが、今日もまだ使えるか不安で、インターネットで調べても大丈夫そうだけど不安で、よくしてもらっている職員さんに訊いてみると「3日くらいは全然平気!冷凍すればもっと大丈夫よ!」と教えてくれた。 昨日は油揚げと見切り品のレタスで作ったお味噌汁がとてもよかったので、できるだけ続けたい気持ち。 レンジで味噌汁を作った話をしたら「息子が4月から一人暮らしをするかもしれないから、いいこと聞けた!」と言ってくださった。 高校を卒業できないかも?というエピソードを聞いていた息子さんだったので、卒業はできたのかな?と思った。
今日はロキソニンを飲ま��かった。 でも代償としてずっと頭や首や肩や腰や、身体中が痺れて痛かった。
3月5日 都庁の展望台は火曜日がお休み。 また、新幹線で大阪へ行ける時間を費やしながら都庁から職場へ戻り、そしてまた明日都庁へ行くことになってしまった!
明日は元々出張の予定があって、終わったあとの時間は坂本龍一の展示でも行こうかなと思った矢先。 でも今は何も楽しめない感じの無の心なのでちょうど良かったかも。
ポッドキャストを聴くのに思ったよりはまってしまい、いろんな番組を探すのも楽しい。
amazonセールも楽天スーパーセールもあやかりたくても何も欲しくない(届いた時のことを考えると面倒になってしまう)。 でも今朝、鏡につけているライトの灯りがつかなくなってしまい、以前と同じものをamazonで注文した。
出張先から職場へ戻ると、リュックにつけていた毛(黒カビ)が落ちてしまった。 書類を運ぶように持っていた手提げにつけていた、てらおかさんの犬のピンバッジも取れていることに気がついた。悲しい。
雨だったと出張の荷物が重かったので一旦家にもどってからスーパーへ。いつも買いたいものたちが今日は少しお安めだったり、レンジでゆで卵を作る機械が届いたので生卵を買ってみたりして、セルフレジでお会計をしようとしたところ、iPhoneもお財布もおいてきてしまっていることに気がつく。 店員さんに事情を説明して、iPhoneを取りに戻り、またスーパーへ戻っている。
3月6日 昨晩は、連続して出張のために自分のデスクでしておくべきことを忘れていたこと、それがちょっと怒られ気味案件だったことを思い出し、ただただ怒られ対策メールの文面をずっと考えたりしながら怒られたくない!という気持ちで過ごしていた。
そのせいかとても頭が冴えてしまい、でも夜の一食目の食事がなかなか進まず、22時からたぶん日付が変わる頃までかけて食事をしてしまった。
ゆで卵のお稲荷さんをレンジで作りたかったけれど、半分に切った油揚げは卵1個分がはみ出てしまう大きさで、油揚げと卵の他人丼の具みたいなのを作ってしまった。でも美味しかった。
今日はいつもの東京出張からと都庁へ移動。 思いがけず2日連続でナチュラルローソンのコバトンに会って、昨日は陳列していなかったグルテンフリーのドーナツを買って食べてみた!散々ミスドの話をした日々で、流石にドーナツ本体を食べてみたくはなっていたので丁度よい感じで食べることができた。
新宿三丁目から西口まで地下を歩きながら、伊勢丹や紀伊國屋や丸井によって、平日でも伊勢丹の人気店は長蛇の列ができていて、丸井はとっても閑散としていて、紀伊國屋の地下に大将がいるカウンターのお寿司屋さんは誰も居なかった。前を通りかかったら、嘘みたいに「へいらっしゃい!」と声をかけられた。
都庁で数十分で用事を終えて、ニコンサロンで若山さんの写真展を鑑賞。 都庁もニコンサロンもおじさんばかりだった。
どんなに忙しくても、もうすでに無の心の年度末を迎えてしまっているけれど、人生するべく大阪に行くんだよ!と新幹線のチケットを取った。
3月7日 久しぶりにまともに職場に出勤した気がして、出張は移動するのがお仕事だということを実感。溜めていたお仕事を少しずつ動かしてあっという間に1日が終わってしまった。
朝、向かいのデスクの方から「コーヒー飲みますか。新しいドリップ買ったので良かったら」と声をかけていただく。コーヒーもお酒も飲めないしタバコも吸わないし、嗜好品がない人生、何が楽しいんだろう、と思ってしまう。「胃が痛くなってしまうんです…」とお断りさせてもらう。
本当、最近は何を楽しみに生きているのかわからなくて、嫌なことや辛いことを予防することに精一杯だったり、それでもそんな良くないことが起きてしまいそうな予感に怖くなり、焦って祈ることしかできない日々。
ポッドキャストを聴く日々を始めて、chelmicoの番組とゆっきゅんが出ているY2Kの番組などを聴いている。chelmicoの2人の感じがハッピーでとても良い!と思っていたら、あのちゃんの番組の直近の回にゲスト出演していることに気がつき、嬉しくなってすぐ観てしまった。そして番組の中でレイチェルさんが怒ることについての本を紹介していて、怒られ案件の日々に嬉しい紹介だった。
駅まで歩く帰り道にあった、しあわせのポキ丼の店が潰れていた。
3月8日 朝起きて窓の外が思ったよりずっと雪で「雪じゃん!」と声が出てしまった。それで写真を撮って、思わずカメラを持って出かけてしまった。 今年は寒さが長引いている気がする。
去年の今頃は白い花が咲く中で三脚を立てて自撮りをした気がして、その花を確かめに行ったらまだ咲いていなかった。
金曜日なのでとても掃除をしたいけれど、もうへとへと過ぎて今日こそは何もできないかもしれない。 何もできなかったらそれはそれで、何かを克服できた新しい気持ちになれそうで、そっちへ転んでもよいかな、と思ったりしている。
4 notes
·
View notes
Text
「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだった���。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人���を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道���がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれ���くるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油��みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
3 notes
·
View notes
Quote
理財局長に就任[編集] 2016年6月17日、佐川は理財局長に就任[20]。同年6月20日、財務省近畿財務局は、学校法人森友学園との間で豊中市の国有地についての売買契約を締結した。売却金額は非公開とされた[25][26]。 2017年2月8日、豊中市議会議員の木村真は、国が森友学園に売却した国有地の代金が公開されないのは不当だとして、開示を求める訴えを大阪地裁に起こした[26][注 1]。2月9日、朝日新聞が、払い下げの国有地に新設予定の安倍晋三記念小学校の名誉校長が安倍昭恵であること、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていたこと、森友学園の籠池泰典理事長が売却額が買い戻し特約と同額と認めたこと、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1であること、籠池が日本会議大阪の役員を務めていることなどを報じた[28]。2月10日、同紙の報道を受け、財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表した。売却価格が格安になった理由については「地下に大量のごみがあったため」と説明した[29]。 公文書改ざん[編集] 2017年2月15日の衆議院財務金融委員会を皮切りに野党の追及が始まる。日本共産党の宮本岳志は、国交省職員から土壌汚染除去費用の総額を聞き出し、佐川に対しても質問を行った[30]。 同年2月17日、安倍晋三首相は衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した[31][32][33]。2月23日午後、森友学園は「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、安倍昭恵の写真と挨拶文を削除した[34]。 同年2月22日、佐川と財務省大臣官房総括審議官の太田充は菅義偉官房長官に官邸に呼ばれ、国有地売却の経緯などについて説明した[35][36]。 2月17日の衆議院予算委員会、2月24日の同予算委員会、同日の同財務金融委員会のいずれかの委員会において、安倍の秘書官の一人が十数メートル先に座る佐川に歩み寄り、「もっと強気で行け。PMより」と書かれた1枚のメモを手渡した[37][注 2]。2月24日、佐川は衆議院予算委員会で「森友学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した[21]。同日午後、内閣官房長官長官記者会見で、記者は佐川の廃棄発言について菅に質問した。菅は「面会等の記録についてはその保存期間は1年未満とされている」と示したうえで、「契約書を含む国有財産の取得および処分に関する決裁文書については30年間の保存期間が定められており、そこにほとんどの部分が書かれてある」から問題はないと説明した[38]。 同年2月26日、財務省は、国有地売却の決裁文書から安倍昭恵、鴻池祥肇の秘書、平沼赳夫の秘書、北川イッセイの副大臣秘書官らに関する記述を「できる限り早急に」削除するよう、近畿財務局の職員7人にメールで指示[注 3]。近畿財務局は同日から文書の改竄を開始した[39][42]。安倍首相と籠池の関係を指し示す記述も改竄が行われ、「籠池康博氏は、『日本会議大阪代表・運営委員』を始めとする諸団体に関与」「日本会議と連携する組織として、超党派による『日本会議国会議員懇談会』が平成9年5月に設立され、現在、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」などの文言が削除された[43][44][45]。 同年3月20日、財務省国有財産審理室は、近畿財務局職員に「局長からの指示により、調書につきまして、現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」と記されたメールを送信した[40][41]。当該メールは、元近畿財務局職員の赤木俊夫が改竄の経緯をまとめた文書(通称「��木ファイル」)に保存されており、佐川の関与は、そののちファイルが公開されたことで明確なものになった[46]。 同年4月3日、衆議院決算行政監視委員会で、「行政文書は紙もパソコン上のデータも同様に取り扱いにしている。データは短期間で自動的に消去され、復元できないようなシステムになっている」と答弁した[47][48]。4月7日、部下の中尾睦理財局次長は衆議院内閣委員会で「自動消去という機能は基本的にない。データを削除した場合は14日間は復元可能だが、それを超えると復元できない。通常の職員はそういうことはできない仕組みになっている」と述べ、佐川の答弁を事実上訂正した。4月10日、財務省情報管理室の担当者は朝日新聞の取材に応じ、「復元は難しいが、できないとは断言できない」と復元の可能性を認めた[48]。しかし佐川は4月12日の衆議院財務金融委員会で「電子データも文書管理規則にのっとり、紙と同様に削除している。その後、一定期間が経過すれば、自動的に削除される」「専門家においてもデータの復元ができないと聞いている」と主張し続けた。また、「財務省全体として大量のデータを日々追加、更新しており、サーバーの容量にほとんど余裕がない中で、(削除されたデータは)日々置き換わっている状況だ」と述べた[48]。 同年5月15日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代)は、財務省が森友学園との交渉記録を廃棄したとして、佐川、迫田英典、田中一穂、中尾睦、武内良樹、田村嘉啓、池田靖ら7人に対する公用文書等毀棄容疑での告発状を東京地方検察庁に提出した[49][50][51](東京地検はのちに被疑事件を大阪地方検察庁特別捜査部に移送した[52])。 同年7月4日、財務省は、佐川を7月5日付で国税庁長官とする人事を発表した[3]。自由党の森裕子は「あからさまな論功行賞の人事だ。首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と反発。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と述べ、起用した政府の姿勢を疑問視した。これらの声に対し麻生財務相と菅義偉官房長官は「適材適所」と口をそろえた[3][53]。 大阪地検特捜部は豊中市議会議員の木村真らが3月に行った刑事告発[54][55]を一旦は受理したものの、背任容疑の捜査に手間取っていた。そこで近畿財務局のコンピュータから押収したデータをもとに、先に公文書の変造容疑を固めることにした。同年夏から秋にかけてDF(デジタルフォレンジック)センター準備室がデータの復元および解析を行い、決済文書改ざんの痕跡を突き止めた[56]。 財務省を退官[編集] 2018年3月2日、朝日新聞が一面トップで、国有地取引をめぐる決裁文書が書き換えられている疑いを初めて報じた[4]。同年3月7日、赤木俊夫が神戸市内の自宅で自殺した[57]。翌8日、近畿財務局管財部長の楠敏志が赤木の家を弔問した[58]。 同年3月9日、佐川は麻生太郎財務大臣に、国税庁長官の職を辞し、退職したい旨を申し出た[5]。政府は持ち回り閣議で佐川の辞任を認める人事を決定した[59]。赤木の死について記者から問われると、佐川は「今日のニュースで知った」と答えた[58]。 同日夜、麻生は記者会見し、「国有財産行政に対する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%3ヶ月分の懲戒処分を実施する」と述べ、同時に処分を科したことを明らかにした[60][22]。辞任を申し出た理由は「(1)理財局長当時の国会対応が丁寧さを欠いており、混乱をもたらした。(2)行政文書の管理について指摘を受けた。(3)書き換え疑惑のある決裁文書について、担当局長であった」の三点とされた[61]。矢野康治財務省大臣官房長の財務金融委答弁によると、額にすると約66万円の減給となり、退職金4999万円から差し引かれた[62]。 同年3月12日、財務省は「14件の決裁文書を書き換えた」ことを認め[63]、「決裁文書の書き換えの状況」と題する書き換え前と書き換え後の対照表を公表した[64]。3月13日付の読売新聞夕刊は、自殺した職員(赤木)の遺書に「本省の指示で文書を書き換えさせられた」との記述があると報じた[65]。 同年3月27日、佐川は衆参両院の予算委員会で証人喚問を受けた[66][67]。文書改ざんの指示などに関する質問に対して「刑事訴追の恐れがある」との理由により証言を拒否した答弁は40回以上に及んだ[68]。ただし、自民党の丸川珠代から「安倍総理からの指示はありませんでしたね」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね」と聞かれると、それぞれ「ございませんでした」と明確に答えた。丸川は「官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、官房長などの大臣官房、他の局の幹部」からの指示はあったかと繰り返し尋ね、佐川はそのたびに立ち上がり「ございませんでした」と答えた[69][68][70][71]。 同年5月31日、大阪地検特捜部は、佐川ら財務省幹部38人全員を不起訴処分とした[72][73]。同年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表するとともに[74]、退職者2人を含む幹部ら20人の処分を発表した。佐川は停職3ヶ月の懲戒処分を受けた[75]。 2019年3月15日、大阪第一検察審査会は、不起訴処分とした38人のうち、有印公文書変造・同行使容疑などで佐川ら6人、背任容疑などで管財部次長の小西眞ら4人について「不起訴不当」と議決した[注 4]。しかし同年8月9日、大阪地検特捜部は佐川ら10人を再び不起訴処分とした[79]。 赤木雅子による提訴[編集] 2020年3月18日発売の『週刊文春』3月26日号が、総計15ページにわたる森友学園問題の特集記事を組み、赤木が死の直前に書いた手記全文を掲載した[80][81][82]。手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました」と記されていた[83][84]。 同年3月18日、赤木の妻の赤木雅子は、国に約1億700万円、佐川に約550万円の損害賠償を求め、大阪地裁に訴えを提起した[85]。雅子の弁護団は同日、手記全文を公表した[83][86]。 2021年12月15日、国は、自殺と森友学園問題に関する決裁文書改竄作業との因果関係を認め「請求認諾」を行ない、訴訟を終結させた[87]。 2022年2月9日、大阪地裁で口頭弁論が開かれ、赤木雅子は、佐川側が賠償請求を認めて「認諾」をすることを避け、尋問などで改ざんの経緯を明らかにするため、賠償請求額を550万円から1650万円に増やした[88]。 同年9月16日、赤木雅子、川内博史、辻恵らは、情報開示請求に「不存在」と虚偽の理由で不開示決定をされたとして、佐川、元理財局総務課長の中村稔、元同局国有財産審理室長の田村嘉啓の3人に対する虚偽有印公文書作成・同行使容疑の告発状を東京地検特捜部に提出した[89][90][91][92]。 同年11月25日、大阪地裁は、佐川に対する1650万円の損害賠償を求める裁判で、「公務員の個人責任を認める法的根拠は見いだしがたい」として請求を棄却した。佐川は裁判中は公の場所へはいっさい出ず、当該裁判においては代理弁護士まで出廷しなかった[93][94]。同年12月2日、赤木雅子は控訴した[95]。 同年12月27日、東京地検特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑の刑事告発についていずれも嫌疑不十分で不起訴とした[96]。 2023年5月1日、佐川に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、赤木雅子は、一審で認められなかった佐川への本人尋問を実施するよう大阪高裁に申請した。またそのほかに、中村稔、田村嘉啓、近畿財務局の赤木俊夫の上司ら計4人の証人尋問も求めた[97][98]。同年9月13日に控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁で行われ、黒野功久裁判長は「尋問を実施する必要がない」として佐川の尋問を認めず、結審した[99]。同年12月19日、大阪高裁は1審判決を支持し、赤木雅子の控訴を棄却した。判決理由で黒野裁判長は、赤木雅子が佐川に経緯の説明や謝罪を求めていることについて、「誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきとも考えられるが、法的義務を課すことは困難」と言及した[100]。27日、赤木雅子側は判決を不服として上告した[101]。
佐川宣寿 - Wikipedia
2 notes
·
View notes
Text
2023年9月10日(日)
三重県紀北町・<奥川ファーム>から隔週に届く定期便、平飼い有精卵・特別栽培玄米・畑無農薬野菜・手打十割蕎麦・地鶏がいつものメニューである。台風被害の後で野菜がほとんど無いため、今回は地元の干物を送って下さった。自然相手の小さな農業、それを支えることは食料安全保障に無策のこの国での貧者の一灯ともな���のだろうか。奥川さん、いつもありがとうございます。
5時30分起床。
日誌書く。
朝食は今朝も納豆素麺をいただく。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便、平飼い有精卵40個・特別栽培玄米(新米!)・手打蕎麦(12把)・地鶏(2匹)・カボチャ・キャベツ・サツマイモ・レモン・麦味噌・梅干し、それにわざわざ購入した干物、<紀伊長島港>の文字が懐かしい。
解凍が進んでいるメヒカリを梅煮にする。
酢タマネギ仕込む。
先日購入したicレコーダーのレビューをamazonに投稿する。
ツレアイは奈良で太鼓の練習、先にランチ(ツナ炒飯)を用意し、京都駅まで送る。戻って息子たちのランチ、ラ王柚子しお。
軽く午睡。
BSで<舟を編む>の放送、魅入ってしまった。
出版社の辞書編集部を舞台に、新しい辞書づくりに取り組む人々の姿を描き、2012年本屋大賞で第1位を獲得した三浦しをんの同名小説を映画化。玄武書房の営業部に勤める馬締光也は、独特の視点で言葉を捉える能力を買われ、新しい辞書「大渡海(だいとかい)」を編纂する辞書編集部に迎えられる。個性的な編集部の面々に囲まれ、辞書づくりに没頭する馬締は、ある日、林香具矢という女性に出会い、心ひかれる。言葉を扱う仕事をしながらも、香具矢に気持ちを伝える言葉が見つからない馬締だったが……。馬締役で松田龍平、香具矢役で宮崎あおいが出演。監督は「川の底からこんにちは」「ハラがコレなんで」の俊英・石井裕也。��86回アカデミー外国語映画賞の日本代表作品に選出。第37回日本アカデミー賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞ほか6冠。 2013年製作/133分/G/日本 配給:松竹、アスミック・エース (https://eiga.com/movie/77262/)
明日の夕飯用に<無水地鶏カレー>仕込む。
今夜の夕飯用に<無水肉じゃが>仕込む。
ツレアイを京都駅まで迎えに行く。
紀伊長島の干物、今夜は<かます><さんま味醂>を焼く。
録画番組視聴。
「遊山船」桂吉坊、「てれすこ」瀧川鯉昇、「愛宕山」立川生志、「転宅」柳家喬太郎
ラグビー・日本vsチリを鑑賞、危なげない勝ち方。
久しぶりに散髪をしてもらう。体重は150g減。
今日はほとんど動いていないので3つのリング完成ならず、水分は1,840ml。
6 notes
·
View notes
Text
旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は異世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入れられていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるものだった。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒屋は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だった。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいいよ」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮��後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いていった突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたの��」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「おいしいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
3 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓���誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
191K notes
·
View notes
Text
【アンケート企画】 「ふりかえる私の2024年」
WLでは恒例のこの1年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を観客のみなさんから募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画もおかげさまで今回が10回目で8名の方にご参加いただきました。ご参加いただいたみなさん本当にありがとうございました。 「観た」「おもしろかった」で終わることなく、こうしてその記憶を言葉に換えて記し残すことは観劇体験としても、作り手と観客の関係においてもとても重要なことだとWLでは考えています。これを読んでいただく皆様にも少しでもそのようなことを感じていただければと願っています。
谷岡健彦(大学教員) 2024年の観劇本数:80本 日英国際共同制作 KAAT × Vanishing Point『品川猿の告白』(神奈川芸術劇場) Bunkamura『もしも もしせめて』(世田谷パブリックシアター) PARCO STAGE『リア王』(東京芸術劇場 プレイハウス) 1は村上春樹の短編2作を巧みにひと続きの劇にまとめあげた佳品。村上春樹のあまりよい読者とは言えない自分にも楽しめた。 2はキャリル・チャーチルの観念的な短編戯曲を見事にスペクタクルへと昇華。 3は自分にはさほど面白いと思えない悲劇に新鮮な光を当ててくれた。 こうしてみると、テキストから意外な魅力を引き出す演出家の力量に感心した3作と言えようか。
まなぶ(司書) 2024年の観劇本数:11本 kondaba『ユートピア』(大内木工所跡地) 努力クラブ『まぎれられてたのにね』(independent theatre 1st) ポかリン記憶舎『相棒』(旭水公園) 「劇場」について考える3本。 創作の場であり、観劇の場である劇場。建物としての劇場と、機能としての劇場。 毎度毎度どこで見つけてくるん?と言いたくなる場が持つ強度と、それに触発されるkondabaの身体。努力クラブが立ち上げる世界はほんとうに小さいから、余計に舞台の大きさが際立つ。大きな舞台を小さく使うこと。観光客が行き交う三条通でのポかリン記憶舎。自転車をめぐるいざこざが説得力を持ったのは、それが路上で上演されたからだろう。 いわゆる「劇場」のそとで上演される、場と共鳴するような演劇がおもしろいとわたしは感じるけど、これからの舞台芸術にとって「劇場」はどのようなものになっていくだろう。
天乃こども(バーチャル作家) 2024年の観劇本数:14本 劇団だるめしあん『ラブイ���オロギーは突然に』(アトリエ春風舎) 一本を選んだ。身体的・経済的な理由から、あまり観劇が出来なくなっているが、そのなかでも2024年小劇場演劇のマスターピースと言うべき上演に立ち会えた。劇団だるめしあん『ラブイデオロギーは突然に』は、「月9」を共通テーマとしたイベント『ガチゲキ!!復活前年祭』のなかで上演された。月9と言えばラブストーリーが定番のイメージがあるが、そうしたラブストーリー作品が積み上げてきた「ラブイデオロギー」を問い直し、それに囚われてきた女性たちを激励する作品だった。テレビドラマでは『虎に翼』や『不適切にもほどがある!』が話題になったが、後者に近い設定ながらも描かれている価値観としては対立する作品でもある。この二作品と合わせて2024年を"象徴"する作品として、比較して語られて欲しいぐらいだ。 https://note.com/amanokodomo
齋藤理一郎(観劇人) 2024年の観劇本数:253本(劇)ヤリナゲ『ロックンロールは死なないが君は死ぬ』(SCOOL) スペースノットブランク『再生』(神奈川県立青少年センター スタジオHIKARI) プテラノドン『青春にはまだはやい』(『劇』小劇場) 選んだのは終演後の印象に圧倒された3作。劇団ヤリナゲ、スペースノットブランク、プテラノドン、形は全く違うのだけれど、そのいずれの表現にも観る側の想定を超えた発想の鮮やかさやインパクトや舞台の研ぎ方あり、目を瞠った。 2024年には、久保磨介、花香みずほ、平安咲貴などをはじめ、何人もの従前にはない感触で観る側への物語を渡してくれる若い作家や演出家たちの舞台に出会うことができた。彼らの今後の歩みも楽しみである。 X:@riichiros りいちろ
薙野信喜(無職) 2024年の観劇本数:97本 全国共同制作オペラ 『ラ・ボエーム』(熊本県立劇場) ナイロン100℃ 『江戸時代の思い出』(北九州芸術劇場) スロバキア国立オペラ『利口な女狐の物語』(SND劇場《ブラチスラバ》) ほかには、Bunkamura「ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-」(キャナルシティ劇場),Noism Company Niigata「Noism0 / Noism1『円環』」(北九州芸術劇場)、ウィーン国立オペラ「サロメ」(ウィーン国立歌劇場)が楽しめた。 このところ観劇料金が高くなっているのはしかたないことだが、福岡での小劇場・中堅劇団の公演が少なくなっているのがさびしい。
kiki(地方公務員) 2024年の観劇本数:132本 ホエイ『クチナシと翁』(こまばアゴラ劇場) あやめ十八番『雑種 小夜の月』(座・高円寺1) ムケイチョウコク『明晰夢』(文喫 六本木) イマーシブシアターをはじめとする体験型コンテンツの盛り上がりを他人事でなく感じた2024年。前年からハマりつつあったムケイチョウコクの新作イマーシブシアター『明晰夢』が年間でもっとも熱心に通った作品となった。観客自身も物語の一部となり、回ごとに異なる物語が紡がれつつその軸がぶれない見事さを堪能した。 一方で、過疎の集落で暮らす人々を描いた『クチナシと翁』や神社の参道で団子屋を営む家族の歴史を辿る『雑種 小夜の月』など、子どもから老人まで幅広い年代の人々が暮らしていく姿を会話劇として綴った作品がリアルというだけでない真実を描いて美しく印象に残ったりもした。 演劇の形は広がり、変わっていくものも変わらないものもあるだろう。その中で何を選び取っていくのか、観る側も試されているのかもしれない。 https://ameblo.jp/kiki002-2/
さわら(会社員) 2024年の観劇本数:183本 ディミトリス・パパイオアヌー『INK』(ロームシアター京都 サウスホール) パラドックス定数『諜報員』(東京芸術劇場 シアターイースト) ホリプロ『カムフロムアウェイ』(高崎芸術劇場 大劇場) 2024年はかなりダンス要素に加点が入った年に思える。言葉で伝えられる表現の一辺倒さや直接的なメッセージ性に飽き飽きとしていることもあったかもしれない(自分で考えさせて欲しい気持ちになることが多かった)。 記憶に残った3本はダンス、会話劇、ミュージカルで選出した。 X:@35sawara さわら
小泉うめ(観客発信メディアWL) 2024年の観劇本数:100本 守口市立図書館『Mの航跡』(守口市立図書館 円形ホール) コトリ会議『雨降りのヌエ』(扇町ミュージアムキューブ CUBE05) 喜劇結社バキュン!ズ『無職の皆さん、ついに反撃を開始する』( in→dependent theatre 2nd) 2024年は諸般の事情で関東の演劇シーン十分に語るだけの作品が観られなかったことをこの場を借りてお詫びしたい。大阪の3本を選んだ。 守口市立図書館『Mの航跡』はテキスト、キャスト、サイトの3拍子が揃った貴重な体験を与えてくれた。 場所選びの上手い団体はちょくちょくあるがその場所をコトリ会議のようにリスペクト出来ている団体は少ない。OMCのみならずAI HALLでの取り組みにも感謝したい。 喜劇結社バキュン!ズはこれから三段跳びのように跳ねていくことが予想される団体。未見の方には早めのチェックをおススメしたい。
0 notes
Text
各地句会報
花鳥誌 令和7年1月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和6年10月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
又一人友秋空に旅立ちぬ 喜代子 悠久なれ見あげる空の秋日和 さとみ ジーパンのひざの裂目や鰯雲 都 秋白しグラスのワイン赤く揺れ 同 温め酒酸も甘いも過ぎた日々 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
佃煮屋女将可憐に秋灯す 三郎 日の出湯の向かうの橋の霧に逢ふ きみよ 月島は雨の匂ひや秋簾 和子 秋簾上げて佃の朝となり 三郎 秋の声雨に変はりてトタン屋根 小鳥 秋深し佃に垂らす赤き泛子 千種 秋草に触れて艶めく道祖神 きみよ 秋潮に揺れる小舟の齢かな 三郎 路地奥に秋雨知らぬ仏をり きみよ
岡田順子選 特選句
もんじや屋の埃吸ひ寄せ秋灯 小鳥 葉鶏頭佃の路地を噴くやうに 千種 日の出湯の向かうの橋の霧に逢ふ きみよ 佃堀業の数ほど柿実り 軽象 秋の路地曲れば曾て逢ひし猫 俊樹 鯊の竿しづかに上げて鯊居らず 光子 たまたまの鳥渡る日や佃島 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
天上の父は下戸なり十三夜 成子 藤原京に九九の木簡蚯蚓鳴く 美穂 こらへても涙あふれて後の月 光子 木の国の水美しき十三夜 孝子 銀の鍵月光及ぶドアノブに 美穂 滅ぶこと間近に村の祭かな 睦子 稲妻に夢の続きを問うたとて 修二 待宵や襟元ゆるく着付けせり 愛 仏間の灯消して独りの秋彼岸 朝子 霧深し後ろ姿を包みゆく 光子 月光に窓開け放ち老いゆくか 美穂 望月をこぼれし石に躓きぬ 愛 中秋や月煌々と異人墓地 修二 駅朽ちて枕木の径ちちろ鳴く 睦子 せせらぎを訪ねて虫の声拾ふ 修二 年上の美しき妻秋刀魚焼く 美穂 赤のまま嫁になれとは言つてない たかし まぼろしの天守閣より桐一葉 睦子 鴨来る聞きたき旅のものがたり たかし 走り根の網目のやうにある秋思 成子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月7日 花鳥さざれ会) 坊城俊樹選 特選句
九頭竜に月を沈めて魚眠る かづを 一途とも移り気かとも秋の蝶 清女 峰雲を閉ざしていよよ天高し 希子 夜々の虫昼の焦土を鎮めをり 匠 虫の音の西部五村をぬらしをり 同 閻王に油そそぎし暑さとも 雪 ひた灼くる思案橋てふ名に古りて 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月7日 なかみち句会 飯川三無選 特選句
秋天の雲の無き夜の星の数 ます江 大阿蘇や噴煙白く秋の空 史空 秋天の強羅オーベルジュの夕餉 のりこ 砕けちる日頃の愁ひ秋まつり エイ子 父と子とお揃ひ法被秋祭り さちこ 宮までの細き径あり木の実雨 ます江 一人行く山路に木の実落つる音 怜 人づてに友逝くを知る木の実落つ のりこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月8日 萩花鳥会
みすずなら差がない団栗みんないい 健雄 ドングリを集めた手今サクソホン 俊文 新米を仏飯袋報恩講 恒雄 一列に団栗並ぶ木のベンチ 美恵子 尾を立ててどんぐりを追う夜の猫 綾子
………………………………………………………………
令和6年10月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
上げれば揺れる芒と青空と 光子 あの案山子目印にしてゆく散歩 裕子 騎乗の子風を拾つて秋うらら 実加 父母からの新米大事に抱へをり 裕子 柿日和とて年寄りになにしやう 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
狛と目の合うた気のして秋の暮 都 夜食とる看護師の手はメモだらけ 美智子 ふた取れば友のぞき込む栗ご飯 美紀 蟷螂の用の有りやと聞く素振 宇太郎 今生の蜜とばかりに秋の蝶 都 やはらかき朱や夕暮の秋の雲 史子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
ゐのこづちやぶ野抜けくる下校の子 多美女 朝市の活気に赤き大林檎 白陶 ゐのこづち鈴振るやうに払ひし子 美枝子 身に入むや静かに生きて叔父の逝く 教子 身に入むやちぎれちぎれに荒れる風 美枝子 多摩川に多き抜けみち牛膝 同 身に入むや病床の夫口籠る 多美女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
秋深しタオル畳めば陽の匂ひ 三四郎 秋祭露店へ走る靴の音 みす枝 したたかに生き残りたる蚊に刺され 英美子 生涯を百姓の顔月涼し ただし 秋出水一流木を離さざる 同 菊人形平安絵巻さながらに みす枝 路地裏にゆるやかに巻く秋すだれ 三四郎 寄鍋や万太郎の句真砂女の句 昭子 足の爪切れば皹入る老いの秋 三四郎 急ぐ水急がぬ水や秋出水 和子 秋薔薇ただ一輪の尼の墓 ただし 振り戻ること許されず鳥帰る 世詩明 熱燗やあの大法螺ももう聞けぬ 昭子 をちこちに幾何学のごと蜘蛛巣張る 和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗き見をしてゐる如き寝待月 雪 寝待には寝待の月の明るさよ 同 風鈴の色の褪せたる音一つ 同 曼珠沙華万葉の世もかく燃えし 同 白鷺の一羽毅然と苅田中 清女 藩邸の静寂をついて小鳥来る 笑子 池の面に青空沈め天高し 同 いつの間に囲まれし香や金木犀 同 榠櫨の実僧の遺愛の熟れはじむ 希子 月を見よ外に出て見よと夫の呼ぶ 和子 木犀の香り待ちつつ母は逝く 隆司 ゆらゆらと散歩楽しむ秋の雲 同 山よりの窓から暮るる柿の秋 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月18日 さきたま花鳥句会
出来秋の便りを聴きつ酒を酌む 月惑 一尺の勝鬨上げる曼珠沙華 八草 人絶えし里にも巡る竹の春 裕章 青空を軽くひねりて林檎もぐ 紀花 仲見世を見降して行く帰燕かな ふゆ子 馬つなぐ宿場の路地に糸瓜棚 康子 十月や不足の切手貼るハガキ 恵美子 名も知らぬ小さき秋草小さき花 みのり 秋彼岸主無き時計時刻む 彩香 イケメンのこざつぱりしてゐる案山子 良江
………………………………………………………………
令和6年10月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
一隅の花野となりし年尾句碑 斉 母子像の過ごす夜長の闇深し 軽象 身に入むや摩滅激しき領主墓碑 三無 吾亦紅意思ありやうに枝分れ 千種 父子走る木犀の花蹴散らして 慶月 風騒ぐ森を鎮めて小鳥なく 斉 堂裏に鳥呼び寄せてゐる熟柿 芙佐子 枡形の黒門焦がす秋の蝶��幸風
栗林圭魚選 特選句
花少し散りて盛りや句碑の萩 三無 木犀の香の満ち溢る寺領かな 芙佐子 秋の雲物語めく母の塔 幸風 友の来て木犀の香の酒を酌む 三無 蔵街をいく物見舟柳散る 経彦 竹垣の崩るる処野紺菊 久子 影曳きて翔つ秋蝶や年尾句碑 斉 孫どちが丸めし団子十三夜 経彦 突堤に銀河を仰ぐ影ふたつ 経彦 指白く皺の乾きて秋寂し 斉 枡形の黒門焦す秋の蝶 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
十六夜や柱にいまだ日の温み 雪 これ以上褪せ様の無き古日除 同 出入口とは風鈴の勝手口 同 今日の月越前国府たりし世も 同 宵闇の暗さは月と待つ暗さ 同 畑仕事釣瓶落しと競ひつつ みす枝 菊薫り紫式部像笑まふ 同 また明日手を振る別れねこじやらし 同 夫婦にも何時かは別れ秋の風 同 赤すぎる色の淋しさ曼珠沙華 かづを 菊薫る越前国府物語 ただし 秋桜揺れねばならぬかに揺れて 英美子 とびきれの空の蒼さや山粧ふ 真喜栄 野仏の頭をこする赤とんぼ 孝一 被災地の寺に香るや金木犀 やす枝 立冬や気比の鳥居の影長し 世詩明 二人居の炬燵で触れる妻の足 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
0 notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月17日(土曜日)
通巻第8136号 <前日発行>
やっぱり財布は底をつきかけていた
旧正月の中国、90億人が移動する筈だったが。。。。
*************************
パール・バックの名作は『風と共に去りぬ』。英語はGONE WITH THE WINDである。
「去った](GONE)と『サウスチャイナ・モーニングポスト』が皮肉を込めて報じた(2月16日)。中国の経済繁栄がおわり、不動産バブルが破綻し、贅沢を楽しんだ時代が去った、と多くの中国人が認識している実態を伝えた記事である。
中国の旧正月といえば獅子舞ならぬ龍舞いが練り歩く。世界中のチャイナタウン名物で凄まじい人出がある。コロナ禍があけて、旅行ブームが再開、旧正月の八日間の連休には90億人が移動すると当局が薔薇色の予測を出していた。
旧正月がおわり、雇用の鳴る人は職場に戻る。失業者は職探しの続き。どれほどの人が動いたのか、最終統計はまだ発表されていないが、中間報告的な数字を見てみよう
2月14日、この日一日だけの中国新幹線乗客は1425万人だった。上海から杭州、蘇州などの名勝見学が圧倒的で短距離が特徴。1月26日から2月14日までに中国の国内新幹線を利用した人は2億3000万人だった。
「安い、近い、短い」(安近短)が合い言葉、杭州から香港への「日帰り」ツアーも新記録となり、また日頃地方の庶民とは無縁の北京、上海、哈爾浜への国内旅行もやや盛況だった。
香港旅行がなぜ「日帰り」かと言えば、店が完全に休みとなって買い物が出来ないこと、ディズニーはアトラクションが少なくて魅力に乏しく、幸運の占い、神頼みは黄大山へ行く。そもそも香港人は自由を弾圧されたため中国人を歓迎しない。
かわりに中国人が集中したのはマカオだった。通年でも一日平均12万人の博徒が襲来するが、旧正月は一日平均20万人、旧正月五日間で90万人にのぼった。不景気だと、逆にギャンブラーが増えるわけだ。
海外旅行の行き先はタイ、次にマレーシア、シンがポールである。いずれも中国人にはビザが不要。また格安航空券も稼ぎ時なのに、上海─済州島が2・6万円、昆明からシンガポール往復が2・8万円だった。
タイは中国人ツアーが二倍となって入国審査に三時間。旧正月期間中、45万人強が訪れた。通俗的にエメラルド寺院や暁の寺にも行くが、中国人ツアーがまっさきに行くのはバンコックやチェンマイのチャイナタウンである。
あれほどの日本ブームはやや冷却した。中国人のアンケートで「一番行きたい国」のトップは日本だった。2019年のピーク時、中国人の日本旅行は960万人だった。2023年は回復基調だったとは雖も、往時の四分の一、240万人だった。
インバウンドを期待した旅行業者の思惑はおおきくはずれ、ツアー客が殆どいなくなった。個人旅行が増えたのはビザの関係と言われる。日本において嘗ての「爆買い」は蒸発したが、来日客は宝石、宝飾品、骨董に狙いを定めた。
たとえば年代物のウイスキー。昭和の郷愁が残るフィルムカメラも骨董品でかれらの投機対象となる。一本三十万円もする包丁に名前を彫ってもらう一点買い。ブランド物もまだ人気があるものの、換金能力の高い順番に物色しているのが実態である。
日本製の日常実用品も人気がある。とくに医薬品、それも目薬から胃腸薬、化粧品、オロナイン軟膏の人気は高く、ドンキホーテでは「消せるボールペン」とかステンレスボトルとか、日本人があまり興味を聞かない品物が売れる。
日本でも風景が変わった。
外国人観光客のインバウンドは盛んだが、最大の理由は円安である。ドルの所有者なら嘗て200ドルだったビジネスホテルが120ドルくらいで宿泊できる。レストランは北東アジアのなかで一番安い。
「おもてなし」は世界的に有名で珍しくもない。観光地で騒がしかった中国人がほとんどいない。白人系、それも高級ホテルか、民宿組にはっきりと分かれた。ニセコも団体客はほとんど不在、個人旅行がスキーと温泉を楽しんだ。著者の近所に外国人で賑わう民宿的なホテルがあるが、早朝から深夜まで大きな荷物をごろごろと音たてて、地下鉄駅を往復しているのは白人が多い。あの中国人はどこへ行ったのか?
3 notes
·
View notes
Text
コミコンreport part1.
東京コミコン2024に行ってきましたーーーー!!!
Introduction
もうね、全然行く予定なかったので、TCC2024は完全にノーマーク。今回は誰が来るのかなー、トム(マルフォイ)だったら行ってみたいなーー(と思うだけ)と高みの見物気分だったところ、まさかのおまさま(マッツ・ミケルセン)参加決定。え???ま、また???そんなことってある???ということで、行かないという選択肢がなくなり、急遽参戦決定。ありがたいことに関東に実家があるので、いちいちホテルを確保しなきゃいけない大阪ほどハードルが高くないのが………運の尽き(そっちね←)。行かない理由を失う。かつ、このタイミングでJETSTARが冬saleを開催してくれて、最安値で航空券を手配できました。往復↔️で1マン強。これもう完全に行けといわれているよね。おまさまの全日参加が決定したのが10月中旬。コミコンは先手必勝、ということで行くなら平日の初日が良かったのですが、司法研修はいってるじゃーん~~~逃れられないやつーーーしかも地方遠征組(居住地本州ですらないので)前泊必須。もう有給ないから木・金と二日間休むのは無理。行けるかな?いやいや、ゆーてこの前香港いったとき有給3日間とったばかりやないかい。…という葛藤を経て今まで避けてきた最終日の日曜に参加することに。最終日はセレブがお疲れなので、疲労感漂う表情のおまさまと撮影するのはなんだか心苦しいと感じていたのですが、しょうがない。行けるだけヨシ。待っててね、おまっちゅーーー♥
Before I met mads
…ということで、10月中旬以降、肉の上に重なった肉をはぎ取るため(要するにダイエット)runningやストレッチ、夜は炭水化物抜き、基本千切りキャベツとタンパク質life。出勤は自転車ではなく徒歩。毎朝、自転車に乗った後輩たちに悉く追い抜かされていく悲しみに耐えながら、心身ともに鍛えていました。
とまあ、割とわくわくした気持ちでいたところ。11月中旬に…じゅど様(ジュード・ロウ)来日決定!!からのおまさまとW撮影。ねえ、これもうバケットリストひとつ叶うのですが。死ぬまでに叶えたいと思っていたことがこんなタイミングよく叶うなんてーーー!ということでW撮影参加決定。こちらも運よく全日開催してくれて最終日1230の回を無事お迎えできました。この前ボーナスでお迎えしたルイスポールセンよりチケットの方が高かったけれど。いいの。もう。未来の自分、負債抱えてごめんね。
WakuWaku!!
金曜日の研修後、明日は推し活――!とルンルンだったところ、職場内でインフル発生。速攻マスクして帰宅。土曜日はちゃんと飛行機飛んでくれて、無事関東着。
to do!!!
リピーターステッカーもらう(済み)
ハンニバルステッカー(アンケートこたえるやつ)(なかった涙)
あったら買うもの♡キャンディホルダー(完売涙)
日曜日はwillcallでチケットを引き換えなければならず。撮影1時間前だと間に合わないおそれがあり、結局2時間弱前にメッセ到着。
10時、11時台(オープン直後)のチケットを持つ人は一般入場ゲートではなく、2階のセレブエリア専用口から入場可能。昨年、これを使わなかったので、激混みの一般入場口から入ってしまいました💦教訓活かせた◎
本日の会場は1000オープン、撮影も1000からの回だったので、セレブエリアに直行できる入り口に地蔵待機。1時間30分前の時点ですでに40人くらいはいたかな。全員おまさま待機かと思っていたけれど、他のセレブとのサインや撮影の方たちだったので、純粋なるおまさまの待機者は14人くらいでした。これはもしや…夢に見た初回撮影者の回に入れるのでは!?!?!と、どきどきばくばくしていたら、子供や車いすの人たちを優先入場させていました。当たり前と言えばそれまでであり、特段異議申し立てはないのですが、こちらとしては1時間半前に地蔵していたのであまりにも華麗なる優先入場を見せつけられつら。もうね、どんどん来るのよ。でも、トータル3組、計10名くらいだったかな。ということで結局先頭集団の20人目までには入ることができ(駅伝かよ)、念願の初回ブースへGO!!!
初回ブースの圧倒的満足感に涙する。
おそらく20人ほどがスタッフさんの誘導のもと、初回ブースへ入ることができます。25番目くらいまでは、たとえブースに入れても、黒い壁があり、ブース内だけちょうど見えない位置になります。周りがきゃあきゃあはしゃいでる中でのその位置は本当につらいと思う。誘導される順番は早ければ早いほどよし。私は20人目くらいでちょうどわたなべさん(伝説のカメラマン)の後ろあたりにつきました。つまりべすぽじ。わたなべさんがトップバッターの子連れに立ち位置とかをアドバイスして、割と和やかな雰囲気のなか…風と共に颯爽と登場した我が貴公子♦︎マッツミケルセン。3日目はまさかのホワイトまっちゅーーーーー!!!ライオンキングよ!!全身ゼニアで決めてくれました(オールホワイトのなか、靴下だけがグレーで可愛かった。屈んだところまでみれるのすごない?)。もうね、本当に所作や優しい目じりの皺まで全てが完璧な造形美。朝のメイクしたてだから、一毛(?)乱れぬオールバック。これ完全に♦くんやんねーー。お隣さんときゃあきゃあ悶絶していました。マッツソロでワンショット試し撮りをして、マッツ自身が写真を確認した後、音楽が流れるなか、のりのりでスタート!!やっぱり小さな子がいる家族には可愛いスマイル。たぶん素のマッツなんだろうなと。あまりに尊くて涙した。尊い(←)
いざ、マイターン!
家族連れが終わり、ベルトコンベアスタート!いかんせん初回だったから、前にいる人が全然ポーズしてなくて、2人前の方がようやく指♥かなんかをしたらマッツも応じてくれて、ここで初めてそうか、ポーズどうしようとなる(まだ決めてなかったん)
私の番になったとき、白マッツが笑顔でこちらをみてくれて、ついgood morning!って飛び込みました。朝マックならぬ朝マッツ。細胞共々死にたもうなり。撮影時にわたなべさんが“ready”っていってくれるんだけど、今回ポーズ無しでもいいか〜でも何かした方がおまさまと近づけるし…とぐるぐる考えがまわるまわる。片思いハートでもそれはそれでいいやと突発的にひゅっと片割れ🫶を作ったら、まさかのおまさまもあわせてくれて……無事終了!この手を合わせる時間なんて0.00001秒だろうけど私にとってこの過程は、最も愛する絵画のひとつミケランジェロの《アダムの創造》のように尊い瞬間でした。ちゃんとこちらの動きを見てくれていたんだなぁ。尊い。合掌。こうして私は生を受けました的結末です(←)おまさまは、今回、thank you!と私の目を見て言ってくれました…幸せすぎる…!!!三日目の心身ともに疲れ切った疲労感漂う笑みがこれまたセクシーなんです。目もとも口元もふにゃぁとしてる感じ。かわいすぎるーーーーーーごくり。。。なんだか身体に優しいぬくもりがあって、写真見たら優しく肩抱いてくれてたーーーーーーーしむ(ぬ)――――――――
とまあ、案の定今回も完全にもっていかれました。最高。白マッツ恐ろしや。
今回学んだこと(突然)。
・初回ブースに入ること。これだけで元取れる。いろんな表情のマッツがみれて、過ごせる時間も長い。初回ブースに入るこつは、もう地蔵覚悟。でもメリットの方が大きいので、1にも2にも初回に入ること。朝一のチケットでセレブエリア直行できる回だと、入れる確率は上がる。(餓鬼どもが朝早くあまり来ないので優先入場者の人数が抑えられる。)
・この初回ブースの雰囲気を良くしておくと、マッツの表情も自分もリラックスできる。ピりピりしているより百倍よい。
・自分からある程度好きアピールをしておかないと、マッツから触れてくることはないので職場の集合写真みたいになるので注意。自分からいく、大事。
・チケットは命より(?)大事。必ず所在確認を。ブラ紐外にでてないか注意。テンション上がりすぎて撮影時上向く癖注意笑。W撮影については次回に!
And Just like that...
さてさて。毎回いつも思うのですが、コミコン参加者(同伴参加者以外)ってよくみんなお金あるなぁと本当に不思議でなりません。稼いでいるんだろうな…だって学生はもちろん、専業主婦とかパート社員が出せる金額ではなくなってきてるもん。管理職でしょ、みんな。としみじみ感じるところです。なぜならW撮影だけで1ショット5,6万。ペアを変えて3回撮影している方もいれば、別日に同じ組み合わせで2回とか。す、すごくない???私は正直、W撮影とソロ1回ずつで悲鳴。これ以上はtoo much。無理しすぎてしまう。おまっちゅ最推しでも、今回は自分がコミコンに費やせる範囲(休日取得や金額等)が明確になった回でもありました。でも、よく考えたらV&Aのネックレスとピアス着けて年2回海外行って国内旅行も毎月1,2回行って、洋服だって化粧品だっていいものを全部そろえて、ここに来るのだって飛行機代かけて月2回ボディトリートメントいってうんぬんかんぬん…私みたいな人がこの中に何人いる?!そんなにいないよね??W撮影1回、ソロ1回(+データ料2回分+入場チケット+交通費)をお迎え出来るだけ十分、十分!!と納得させていました。
to be continuted...
0 notes
Text
2024/11/23~2024/11/29の日記
2024/11/23
ゴース来たよ。でも厳選するよ。
長年お世話になっている美容師が独立したので見に行った。新しいタオルが私の爪と同じ色をしていた。前回会ったのが転職したばかりの頃だったので新しい仕事は楽しいよ、でもこの年齢だから周囲から「まだふらふらしてる」とは思われるけどね、と話したところ「でも今が一番安定してるよね」と言われた。その通りで、たしかに私は今が一番安定している。生活も精神面も。元気丸がいるというのも大きい。養っている存在がいると安定しないわけにはいかないのだった。
みぞれに降られて体の芯まで冷えた。熱が出そう。ホテルの部屋が乾燥していたのでドアを開け放ったまま浴槽で本の続きを読んだ。
2024/11/24
ホテルの朝食はスモークサーモンとアボカドの挟まったベーグルとサラダのプレートと、ご自由にお取りくださいの札を下げたパンとミネストローネだった。簡素ではあったけれど美味しかったし、サラダに添えてある温野菜がありがたかった。朝食のプレートに温野菜を添えましょうと提案してくれた人を愛してる。
遊びに来てくれていた友人を空港まで送り、母に頼まれていた買い物のために苫小牧に寄った。安くなっていたのでピータンを買った。ピータン大好き。
2024/11/25
妹が鞄の色を相談してきた。こういうところが可愛いんだよね。
2024/11/27
時々、もう一回くらい恋愛したいな~!という気分になる。ほとんどが生理前で、数日後にはその気持ちは消えているのでほぼ確実にホルモンの仕業だし、ということは結局これは性欲なんだろうと思う。脳って、性欲を人恋しさに誤認するように作られているよね?
よく話される恋愛と友情の違いは何か、というテーマについて思いを巡らせていた。半年前の自分は独占欲の有無かなあとかなんとか言っていた気がするが、今は違うことを考えている。恋愛や結婚はたぶん「あなたに寄り添って変わっていく意思があるよ。一緒に変化していこうよ」という約束なんだ。だから急に相手の好みのタイプが気になったり、それに寄せてみたり、もしくはいつのまにか似た系統の服を着るようになっている。一緒に暮らすために仕事を変え住所を変え、親になろうとしてみたりさえする。その変化へのエネルギーは、友情にはあまり見られないものの気がする。もちろん長年の間に少しずつ変化はしていくけれど、例えば幼馴染と話しているとき、私は彼女の中に昔から変わらない部分を見出して安心している。友人として長く同居していますというロールモデルが少ないのはロマンティック・ラブ・イデオロギーのせいだけではなく、友情のそういった性質にも理由があるのかもなあ。一緒に変化していこうと約束できる友情を築けばいいってことだけど、でも友情って「そのままのあなたでいいよ」から始まりがちだからさ。
ひとりで生きていくことを選んだのかと言われればそうではなかったように思う。けれど事実として今ひとりでいるし(このひとり、というのはパートナーを持たず、という意味だ)、その寂しさにたしかに喜びを覚えてもいる。だから、知らず知らずのうちに選んできたのかもしれなかった。ただひとつはっきりと覚えているのは、二十代最後の誕生日から数日後、ひとりで生きられないままでは誰かと生きるなんて考えられない、と思い至った夜のことだ。もしもいつか誰かと出会う運命なのだとしても、私はひとりで生きられる自分でいたい。だからまずは自分自身と結婚したつもりで生きようと決めて、その気持ちで指輪を買った。指輪自体は傷が入ったりしてゴールドのものに買い替えたけれど、あの夜、星を手に入れたみたいに頭の中がぱっと光ったことを忘れたくなくて、お守りとしてずっと着けている。
2024/11/27
読書会の3冊目が終わった。選書間違えたかもと途中悩んだけれど、結局はこれで良かったのかも。勉強会をやるたびみんな偉いな、尊敬するな、と思っている。差別について学ぶとき安全圏はなく、どうしたって「じゃあお前自身はどうなんだ」と突きつけられるから。そしてそこから「今の態度はどうだっただろう」「自分の発言はいけなかったな」と考え続ける日々が始まる。4冊目はまだ決まっていないけれど、これを機に個人的にずっと向き合わなければと思っていた種差別について勉強し始めようと考えている。本当にはできるかわからない。でも勇気を持とうとしている。
数か月前、深夜に猫が体調を崩し、このまま朝を待っていたら死んでしまうと高速道路を飛ばして病院へ駆け込んだ。その帰り、助かってよかったこれで安心だと思ったらお腹が空いて、コンビニでサンドイッチを買った。ハムの挟まったサンドイッチ。どうして私は平気なんだろう。
2024/11/28
ポケスリのサブレが足りなすぎて課金しそう。助けて。
今、仕事のやる気を急に失ってしまって給湯室で三倍量ココア(どうにもやる気がでないけど残業したいときにだけ作っていいと自分で決めている、めちゃくちゃ濃いココア)を作ってこれを書いているところ。机に向かっていてもただ呆然としてしまう。面倒な図面だあ……呆然としすぎてイッタラでなんか買おうかなとか検索してしまった。
帰りに回転寿司に寄りたい。昨日あんなことを書いたのに?と思うけれどどうしても食べたい。会社から少しの距離に格安回転寿司があって、いつも同じ寿司を同じ方法で食べる。その方法がちょっとあまり人に見られたくない、もしかしたら嫌悪する人もいるかもな、という食べ方なので、格安回転寿司の個人ブースでしかできない。私は今、それがしたい。
2024/11/29
もうすぐ生理が来る。たぶん。この数か月漢方などで体質改善を試みてきたけれど、今回の生理も変わらず重ければホルモン治療を検討すると決めていた。少し緊張する。でもこのまま生理のたびに仕事を休む自分では嫌なんだ。今の仕事で技師になるためには先輩たちと同じ仕事ができるようにならないといけなくて、その先輩方には男性しかいなくて(これは業界全体的にそうっぽい)(さらに社内にかぎって言えば全員専業主婦の妻がいるので残業を沢山できている)、その中で出張なども含めてやっていくにはこの体質のままでは無理だ。生理のある体に生まれただけで肉体的精神的、経済的にも負担が増えるのはおかしいと思うので将来的には会社全体を変えていきたいけれど、まずは技師たちの中に入り込むところからするしかない、と入社して数か月で判断したのだ。いつか来るかもしれない後輩のためにやるんだ。普通に立っていられないほど痛いっていうのもあるけど、でももしもいつでも休める仕事で、それによって社内評価も変わらないんだったら、私はホルモン治療せずに脂汗をかいて呻きながらでもただ寝ているほうを選んだよ。仕事のためだけじゃないけど、仕事は確実に理由のひとつではある。
冬になると浮かれてしまうし財布の紐が緩むのは誕生日があるからだ。ここ数年は誕生日に指輪を買いたくて毎月少しずつ積み立てているけれど、昨年はそこから2/3を人道支援団体へ寄付した。殺されていく子供たちを横目に指輪を買っても私は本当には幸せになれない、と思ったから。今年もそうするつもりでいる。でも氷みたいなガラスのオブジェだけ買った。ずっとそういうのが欲しかったから。
0 notes
Text
TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun
この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔を持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。そのエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一貫して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであっても、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
ー
いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル。夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素子の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。っていう見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈のパターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分、自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘
安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD 個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY 個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
ー
TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
0 notes
Quote
連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえ��てくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をも��少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなった���と思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
2 notes
·
View notes
Text
2023年2月5日(日)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、畑無農薬野菜・平飼い有精卵・特別栽培玄米・地鶏・手打十割蕎麦、加えて今回は手作りパンが届いた。年末に<シュトーレン>をいただいたときにツレアイが美味しいと洩らしたことから、今回また作っていただいたようだ。いずれは自分で小麦を栽培して安全で美味しいパンを焼きたいとのこと、そんなに無理をしないで欲しいのだけれど、美味しいものが届くことは嬉しい限り。奥川さん、いつもありがとうございます。
今日は全員休み、朝寝を楽しんで6時30分に起床する。
朝食は昨晩の炊き込みご飯+アオサ汁。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便が届く。今夜は鍋、明日は無水チキンカレーに決定。
今日は終日テレビ観戦、まずは女子ジャンプ、高梨沙羅が今季初めての表彰台、おめでとー!。
男子カーリング決勝、軽井沢SCの21歳のスキップが凄い!
ランチ、息子たちには月見そば。辛い物好きのツレアイは、<チャルメラ宮崎辛麺>という初めての商品を購入、試作してみたが、辛さはイマイチとのことだ。
録画番組視聴。
テレビ70年記念ドラマ「大河ドラマが生まれた日」
初回放送日: 2023年2月4日
1962年、NHK芸能局の若手アシスタントディレクター山岡(生田斗真)は、局長(中井貴一)に「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ!」と突然命じられた。山岡と上司の楠田(阿部サダヲ)は大スター佐田啓二(中村七之助)の自宅に日参しテレビドラマ出演を頼みこむもののなかなか返事をもらえなかった。大河ドラマ第一作の「花の生涯」の現場では、画期的な収録方法がどんどん生み出され放送に向け突き進む。
いやぁ、面白い!
女子カーリング決勝、ロコソラーレがさすがの優勝。
軽く町内ウォーキング。
夕飯、届いたばかりの地鶏と白菜をフィーチャーした鍋、ワインも美味しい。
録画番組視聴。
カラーでよみがえる!大河ドラマ第1作「花の生涯」
初回放送日: 2023年2月5日
1963年に放送され、のちに大河ドラマとよばれるようになった大型時代劇の記念すべき第1作「花の生涯」。最新のAI技術によってカラーになってよみがえる!
激動の幕末を舞台に、攘夷(じょうい)論に反対しあくまでも開国を主張して、桜田門外で果てた大老・井伊直弼。その生涯を謎めいた女性をからませて描いた「花の生涯」。その第1話とクライマックスの「桜田門外の変」の一部を最新のAI技術によってカラー化。懐かしのスターが鮮やかな色彩でよみがえる!さらに時代劇ならではのカラー化の技術と制作舞台裏を阿部サダヲの語りで解説する。
私は小学校中学年、ツレアイは高学年、うろ覚えの私に対して彼女はほとんど明確に覚えていた。
片付け、入浴、体重は昨晩から300g減、まだまだ頑張らねば。
女子ジャンプ、日本人3選手がメダル独占、おめでとー!
明日の夕飯用に、無水地鶏カレー仕込む。
歩数は少し届かなかったが、余裕で3つのリング完成。水分は1,800ml。
5 notes
·
View notes