#北袋1丁目バス停前
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【小説】The day I say good-bye (1/4) 【再録】
今日は朝から雨だった。
確か去年も雨だったよな、と僕は窓ガラスに反射している自分の顔を見つめて思った。僕を乗せたバスは、小雨の降る日曜の午後を北へ向かって走る。乗客は少ない。
予定より五分遅れて、予定通りバス停「船頭町三丁目」��降りた。灰色に濁った水が流れる大きな樫岸川を横切る橋を渡り、広げた傘に雨音が当たる雑音を聞きながら、柳の並木道を歩く。
小さな古本屋の角を右へ、古い木造家屋の住宅ばかりが建ち並ぶ細い路地を抜けたら左へ。途中、不機嫌そうな面構えの三毛猫が行く手を横切った。長い長い緩やかな坂を上り、苔生した石段を踏み締めて、赤い郵便ポストがあるところを左へ。突然広くなった道を行き、椿だか山茶花だかの生け垣のある家の角をまた左へ。
そうすると、大きなお寺の屋根が見えてくる。囲われた塀の中、門の向こうには、静かな墓地が広がっている。
そこの一角に、あーちゃんは眠っている。
砂利道を歩きながら、結構な数の墓の中から、あーちゃんの墓へ辿り着く。もう既に誰かが来たのだろう。墓には真っ白な百合と、あーちゃんの好物であった焼きそばパンが供えてあった。あーちゃんのご両親だろうか。
手ぶらで来てしまった僕は、ただ墓石を見上げる。周りの墓石に比べてまだ新しいその石は、手入れが行き届いていることもあって、朝から雨の今日であっても穏やかに光を反射している。
そっと墓石に触れてみた。無機質な冷たさと硬さだけが僕の指先に応えてくれる。
あーちゃんは墓石になった。僕にはそんな感覚がある。
あーちゃんは死んだ。死んで、燃やされて、灰になり、この石の下に閉じ込められている。埋められているのは、ただの灰だ。あーちゃんの灰。
ああ。あーちゃんは、どこに行ってしまったんだろう。
目を閉じた。指先は墓石に触れたまま。このままじっとしていたら、僕まで石になれそうだ。深く息をした。深く、深く。息を吐く時、わずかに震えた。まだ石じゃない。まだ僕は、石になれない。
ここに来ると、僕はいつも泣きたくなる。
ここに来ると、僕はいつも死にたくなる。
一体どれくらい、そうしていたのだろう。やがて後ろから、砂利を踏んで歩いてくる音が聞こえてきたので、僕は目を開き、手を引っ込めて振り向いた。
「よぉ、少年」
その人は僕の顔を見て、にっこり笑っていた。
総白髪かと疑うような灰色の頭髪。自己主張の激しい目元。頭の上の帽子から足元の厚底ブーツまで塗り潰したように真っ黒な恰好の人。
「やっほー」
蝙蝠傘を差す左手と、僕に向けてひらひらと振るその右手の手袋さえも黒く、ちらりと見えた中指の指輪の石の色さえも黒い。
「……どうも」
僕はそんな彼女に対し、顔の筋���が引きつっているのを無理矢理に動かして、なんとか笑顔で応えて見せたりする。
彼女はすぐ側までやってきて、馴れ馴れしくも僕の頭を二、三度柔らかく叩く。
「こんなところで奇遇だねぇ。少年も墓参りに来たのかい」
「先生も、墓参りですか」
「せんせーって呼ぶなしぃ。あたしゃ、あんたにせんせー呼ばわりされるようなもんじゃございませんって」
彼女――日褄小雨先生はそう言って、だけど笑った。それから日褄先生は僕が先程までそうしていたのと同じように、あーちゃんの墓石を見上げた。彼女も手ぶらだった。
「直正が死んで、一年か」
先生は上着のポケットから煙草の箱とライターを取り出す。黒いその箱から取り出された煙草も、同じように黒い。
「あたしゃ、ここに来ると後悔ばかりするね」
ライターのかちっという音、吐き出される白い煙、どこか甘ったるい、ココナッツに似たにおいが漂う。
「あいつは、厄介なガキだったよ。つらいなら、『つらい』って言えばいい、それだけのことなんだ。あいつだって、つらいなら『つらい』って言ったんだろうさ。だけどあいつは、可哀想なことに、最後の最後まで自分がつらいってことに気付かなかったんだな」
煙草の煙を揺らしながら、そう言う先生の表情には、苦痛と後悔が入り混じった色が見える。口に煙草を咥えたまま、墓前で手を合わせ、彼女はただ目を閉じていた。瞼にしつこいほど塗られた濃い黒い化粧に、雨の滴が垂れる。
先生はしばらくして瞼を開き、煙草を一度口元から離すと、ヤニ臭いような甘ったるいような煙を吐き出して、それから僕を見て、優しく笑いかけた。それから先生は背を向け、歩き出してしまう。僕は黙ってそれを追った。
何も言わなくてもわかっていた。ここに立っていたって、悲しみとも虚しさとも呼ぶことのできない、吐き気がするような、叫び出したくなるような、暴れ出したくなるような、そんな感情が繰り返し繰り返し、波のようにやってきては僕の心の中を掻き回していくだけだ。先生は僕に、帰ろう、と言ったのだ。唇の端で、瞳の奥で。
先生の、まるで影法師が歩いているかのような黒い後ろ姿を見つめて、僕はかつてたった一度だけ見た、あーちゃんの黒いランドセルを思い出す。
彼がこっちに引っ越してきてからの三年間、一度も使われることのなかった傷だらけのランドセル。物置きの中で埃を被っていたそれには、あーちゃんの苦しみがどれだけ詰まっていたのだろう。
道の途中で振り返る。先程までと同じように、墓石はただそこにあった。墓前でかけるべき言葉も、抱くべき感情も、するべき行為も、何ひとつ僕は持ち合わせていない。
あーちゃんはもう���んだ。
わかりきっていたことだ。死んでから何かしてあげても無駄だ。生きているうちにしてあげないと、意味がない。だから、僕がこうしてここに立っている意味も、僕は見出すことが��きない。僕がここで、こうして呼吸をしていて、もうとっくに死んでしまったあーちゃんのお墓の前で、墓石を見つめている、その意味すら。
もう一度、あーちゃんの墓に背中を向けて、僕は今度こそ歩き始めた。
「最近調子はどう?」
墓地を出て、長い長い坂を下りながら、先生は僕にそう尋ねた。
「一ヶ月間、全くカウンセリング来なかったけど、何か変化があったりした?」
黙っていると先生はさらにそう訊いてきたので、僕は仕方なく口を開く。
「別に、何も」
「ちゃんと飯食ってる? また少し痩せたんじゃない?」
「食べてますよ」
「飯食わないから、いつまでも身長伸びないんだよ」
先生は僕の頭を、目覚まし時計を止める時のような動作で乱雑に叩く。
「ちょ……やめて下さいよ」
「あーっはっはっはっはー」
嫌がって身をよじろうとするが、先生はそれでもなお、僕に攻撃してくる。
「ちゃんと食わないと。摂食障害になるとつらいよ」
「食べますよ、ちゃんと……」
「あと、ちゃんと寝た方がいい。夜九時に寝ろ。身長伸びねぇぞ」
「九時に寝られる訳ないでしょう、小学生じゃあるまいし……」
「勉強なんかしてるから、身長伸びねぇんだよ」
「そんな訳ないでしょう」
あはは、と朗らかに彼女は笑う。そして最後に優しく、僕の頭を撫でた。
「負けるな、少年」
負けるなと言われても、一体何に――そう問いかけようとして、僕は口をつぐむ。僕が何と戦っているのか、先生はわかっているのだ。
「最近、市野谷はどうしてる?」
先生は何気ない声で、表情で、タイミングで、あっさりとその名前を口にした。
「さぁ……。最近会ってないし、電話もないし、わからないですね」
「ふうん。あ、そう」
先生はそれ以上、追及してくることはなかった。ただ独り言のように、「やっぱり、まだ駄目か」と言っただけだった。
郵便ポストのところまで歩いてきた時、先生は、「あたしはあっちだから」と僕の帰り道とは違う方向を指差した。
「駐車場で、葵が待ってるからさ」
「ああ、葵さん。一緒だったんですか」
「そ。少年は、バスで来たんだろ? 家まで車で送ろうか?」
運転するのは葵だけど、と彼女は付け足して言ったが、僕は首を横に振った。
「ひとりで帰りたいんです」
「あっそ。気を付けて帰れよ」
先生はそう言って、出会った時と同じように、ひらひらと手を振って別れた。
路地を右に曲がった時、僕は片手をパーカーのポケットに入れて初めて、とっくに音楽が止まったままになっているイヤホンを、両耳に突っ込んだままだということに気が付いた。
僕が小学校を卒業した、一年前の今日。
あーちゃんは人生を中退した。
自殺したのだ。十四歳だった。
遺書の最後��はこう書かれていた。
「僕は透明人間なんです」
あーちゃんは僕と同じ団地に住んでいて、僕より二つお兄さんだった。
僕が小学一年生の夏に、あーちゃんは家族四人で引っ越してきた。冬は雪に閉ざされる、北の方からやって来たのだという話を聞いたことがあった。
僕はあーちゃんの、団地で唯一の友達だった。学年の違う彼と、どんなきっかけで親しくなったのか正確には覚えていない。
あーちゃんは物静かな人だった。小学生の時から、年齢と不釣り合いなほど彼は大人びていた。
彼は人付き合いがあまり得意ではなく、友達がいなかった。口数は少なく、話す時もぼそぼそとした、抑揚のない平坦な喋り方で、どこか他人と距離を取りたがっていた。
部屋にこもりがちだった彼の肌は雪みたいに白くて、青い静脈が皮膚にうっすら透けて見えた。髪が少し長くて、色も薄かった。彼の父方の祖母が外国人だったと知ったのは、ずっと後のことだ。銀縁の眼鏡をかけていて、何か困ったことがあるとそれをかけ直す癖があった。
あーちゃんは器用だった。今まで何度も彼の部屋へ遊びに行ったことがあるけれど、そこには彼が組み立てたプラモデルがいくつも置かれていた。
僕が加減を知らないままにそれを乱暴に扱い、壊してしまったこともあった。とんでもないことをしてしまったと、僕はひどく後悔してうつむいていた。ごめんなさい、と謝った。年上の友人の大切な物を壊してしまって、どうしたらよいのかわからなかった。鼻の奥がつんとした。泣きたいのは壊されたあーちゃんの方だっただろうに、僕は泣き出しそうだった。
あーちゃんは、何も言わなかった。彼は立ち尽くす僕の前でしゃがみ込んだかと思うと、足下に散らばったいびつに欠けたパーツを拾い、引き出しの中からピンセットやら接着剤やらを取り出して、僕が壊した部分をあっという間に直してしまった。
それらの作業がすっかり終わってから彼は僕を呼んで、「ほら見てごらん」と言った。
恐る恐る近付くと、彼は直ったばかりの戦車のキャタピラ部分を指差して、
「ほら、もう大丈夫だよ。ちゃんと元通りになった。心配しなくてもいい。でもあと1時間は触っては駄目だ。まだ接着剤が乾かないからね」
と静かに言った。あーちゃんは僕を叱ったりしなかった。
僕は最後まで、あーちゃんが大声を出すところを一度も見なかった。彼が泣いている姿も、声を出して笑っているのも。
一度だけ、あーちゃんの満面の笑みを見たことがある。
夏のある日、僕とあーちゃんは団地の屋上に忍び込んだ。
僕らは子供向けの雑誌に載っていた、よく飛ぶ紙飛行機の作り方を見て、それぞれ違うモデルの紙飛行機を作り、どちらがより遠くへ飛ぶのかを競走していた。
屋上から飛ばしてみよう、と提案したのは僕だった。普段から悪戯などしない大人しいあーちゃんが、その提案に首を縦に振ったのは今思い返せば珍しいことだった。そんなことはそれ以前も以降も二度となかった。
よく晴れた日だった。屋上から僕が飛ばした紙飛行機は、青い空を横切って、団地の駐車場の上を飛び、道路を挟んだ向かいの棟の四階、空き部屋のベランダへ不時着した。それは今まで飛ばしたどんな紙飛行機にも負けない、驚くべき距離だった。僕はすっかり嬉しくなって、得意げに叫んだ。
「僕が一番だ!」
興奮した僕を見て、あーちゃんは肩をすくめるような動作をした。そして言った。
「まだわからないよ」
あーちゃんの細い指が、紙飛行機を宙に放つ。丁寧に折られた白い紙飛行機は、ちょうどその時吹いてきた風に背中を押されるように屋上のフェンスを飛び越え、僕の紙飛行機と同じように駐車場の上を通り、向かいの棟の屋根を越え、それでもまだまだ飛び続け、青い空の中、最後は粒のようになって、ついには見えなくなってしまった。
僕は自分の紙飛行機が負けた悔しさと、魔法のような素晴らしい出来事を目にした嬉しさとが半分ずつ混じった目であーちゃんを見た。その時、僕は見たのだ。
あーちゃんは声を立てることはなかったが、満足そうな笑顔だった。
「僕は透明人間なんです」
それがあーちゃんの残した最後の言葉だ。
あーちゃんは、僕のことを怒ればよかったのだ。地団太を踏んで泣いてもよかったのだ。大声で笑ってもよかったのだ。彼との思い出を振り返ると、いつもそんなことばかり思う。彼はもう永遠に泣いたり笑ったりすることはない。彼は死んだのだから。
ねぇ、あーちゃん。今のきみに、僕はどんな風に見えているんだろう。
僕の横で静かに笑っていたきみは、決して透明なんかじゃなかったのに。
またいつものように春が来て、僕は中学二年生になった。
張り出されていたクラス替えの表を見て、そこに馴染みのある名前を二つ見つけた。今年は、二人とも僕と同じクラスのようだ。
教室へ向かってみたけれど、始業の時間になっても、その二つの名前が用意された席には、誰も座ることはなかった。
「やっぱり、まだ駄目か」
誰かと同じ言葉を口にしてみる。
本当は少しだけ、期待していた。何かが良くなったんじゃないかと。
だけど教室の中は新しいクラスメイトたちの喧騒でいっぱいで、新年度一発目、始業式の今日、二つの席が空白になっていることに誰も触れやしない。何も変わってなんかない。
何も変わらないまま、僕は中学二年生になった。
あーちゃんが死んだ時の学年と同じ、中学二年生になった。
あの日、あーちゃんの背中を押したのであろう風を、僕はずっと探してる。
青い空の果てに、小さく消えて行ってしまったあーちゃんを、僕と「ひーちゃん」に返してほしくて。
鉛筆を紙の上に走らせる音が、止むことなく続いていた。
「何を描いてるの?」
「絵」
「なんの絵?」
「なんでもいいでしょ」
「今年は、同じクラスみたいだね」
「そう」
「その、よろしく」
表情を覆い隠すほど長い前髪の下、三白眼が一瞬僕を見た。
「よろしくって、何を?」
「クラスメイトとして、いろいろ……」
「意味ない。クラスなんて、関係ない」
抑揚のない���でそう言って、双眸は再び紙の上へと向けられてしまった。
「あ、そう……」
昼休みの保健室。
そこにいるのは二人の人間。
ひとりはカーテンの開かれたベッドに腰掛け、胸にはスケッチブック、右手には鉛筆を握り締めている。
もうひとりはベッドの脇のパイプ椅子に座り、特にすることもなく片膝を抱えている。こっちが僕だ。
この部屋の主であるはずの鬼怒田先生は、何か用があると言って席を外している。一体なんの仕事があるのかは知らないが、この学校の養護教諭はいつも忙しそうだ。
僕はすることもないので、ベッドに座っているそいつを少しばかり観察する。忙しそうに鉛筆を動かしている様子を見ると、今はこちらに注意を払ってはいなそうだから、好都合だ。
伸びてきて邪魔になったから切った、と言わんばかりのショートカットの髪。正反対に長く伸ばされた前髪は、栄養状態の悪そうな青白い顔を半分近く隠している。中学二年生としては小柄で華奢な体躯。制服のスカートから伸びる足の細さが痛々しく見える。
彼女の名前は、河野ミナモ。僕と同じクラス、出席番号は七番。
一言で表現するならば、彼女は保健室登校児だ。
鉛筆の音が、止んだ。
「なに?」
ミナモの瞬きに合わせて、彼女の前髪が微かに動く。少しばかり長く見つめ続けてしまったみたいだ。「いや、なんでもない」と言って、僕は天井を仰ぐ。
ミナモは少しの間、何も言わずに僕の方を見ていたようだが、また鉛筆を動かす作業を再開した。
鉛筆を走らせる音だけが聞こえる保健室。廊下の向こうからは、楽しそうに駆ける生徒たちの声が聞こえてくるが、それもどこか遠くの世界の出来事のようだ。この空間は、世界から切り離されている。
「何をしに来たの」
「何をって?」
「用が済んだなら、帰れば」
新年度が始まったばかりだからだろうか、ミナモは機嫌が悪いみたいだ。否、機嫌が悪いのではなく、具合が悪いのかもしれない。今日の彼女はいつもより顔色が悪いように見える。
「いない方がいいなら、出て行くよ」
「ここにいてほしい人なんて、いない」
平坦な声。他人を拒絶する声。憎しみも悲しみも��て隠された無機質な声。
「出て行きたいなら、出て行けば?」
そう言うミナモの目が、何かを試すように僕を一瞥した。僕はまだ、椅子から立ち上がらない。彼女は「あっそ」とつぶやくように言った。
「市野谷さんは、来たの?」
ミナモの三白眼がまだ僕を見ている。
「市野谷さんも同じクラスなんでしょ」
「なんだ、河野も知ってたのか」
「質問に答えて」
「……来てないよ」
「そう」
ミナモの前髪が揺れる。瞬きが一回。
「不登校児二人を同じクラスにするなんて、学校側の考えてることってわからない」
彼女の言葉通り、僕のクラスには二人の不登校児がいる。
ひとりはこの河野ミナモ。
そしてもうひとりは、市野谷比比子。僕は彼女のことを昔から、「ひーちゃん」と呼んでいた。
二人とも、中学に入学してきてから一度も教室へ登校してきて��ない。二人の机と椅子は、一度も本人に使われることなく、今日も僕の教室にある。
といっても、保健室登校児であるミナモはまだましな方で、彼女は一年生の頃から保健室には登校してきている。その点ひーちゃんは、中学校の門をくぐったこともなければ、制服に袖を通したことさえない。
そんな二人が今年から僕と同じクラスに所属になったことには、正直驚いた。二人とも僕と接点があるから、なおさらだ。
「――くんも、」
ミナモが僕の名を呼んだような気がしたが、上手く聞き取れなかった。
「大変ね、不登校児二人の面倒を見させられて」
「そんな自嘲的にならなくても……」
「だって、本当のことでしょ」
スケッチブックを抱えるミナモの左腕、ぶかぶかのセーラー服の袖口から、包帯の巻かれた手首が見える。僕は自分の左手首を見やる。腕時計をしているその下に、隠した傷のことを思う。
「市野谷さんはともかく、教室へ行く気なんかない私の面倒まで、見なくてもいいのに」
「面倒なんて、見てるつもりないけど」
「私を訪ねに保健室に来るの、――くんくらいだよ」
僕の名前が耳障りに響く。ミナモが僕の顔を見た。僕は妙な表情をしていないだろうか。平然を装っているつもりなのだけれど。
「まだ、気にしているの?」
「気にしてるって、何を?」
「あの日のこと」
あの日。
あの春の日。雨の降る屋上で、僕とミナモは初めて出会った。
「死にたがり屋と死に損ない」
日褄先生は僕たちのことをそう呼んだ。どっちがどっちのことを指すのかは、未だに訊けていないままだ。
「……気にしてないよ」
「そう」
あっさりとした声だった。ミナモは壁の時計をちらりと見上げ、「昼休み終わるよ、帰れば」と言った。
今度は、僕も立ち上がった。「それじゃあ」と口にしたけれど、ミナモは既に僕への興味を失ったのか、スケッチブックに目線を落とし、返事のひとつもしなかった。
休みなく動き続ける鉛筆。
立ち上がった時にちらりと見えたスケッチブックは、ただただ黒く塗り潰されているだけで、何も描かれてなどいなかった。
ふと気付くと、僕は自分自身が誰なのかわからなくなっている。
自分が何者なのか、わからない。
目の前で展開されていく風景が虚構なのか、それとも現実なのか、そんなことさえわからなくなる。
だがそれはほんの一瞬のことで、本当はわかっている。
けれど感じるのだ。自分の身体が透けていくような感覚を。「自分」という存在だけが、ぽっかりと穴を空けて突っ立っているような。常に自分だけが透明な膜で覆われて、周囲から隔離されているかのような疎外感と、なんの手応えも得られない虚無感と。
あーちゃんがいなくなってから、僕は頻繁にこの感覚に襲われるようになった。
最初は、授業が終わった後の短い休み時間。次は登校中と下校中。その次は授業中にも、というように、僕が僕をわからなくなる感覚は、学校にいる間じゅうずっと続くようになった。しまいには、家にいても、外にいても、どこにいてもずっとそうだ。
周りに人がいればいるほど、その感覚は強かった。たくさんの人の中、埋もれて、紛れて、見失う。自分がさっきまで���っていた場所は、今はもう他の人が踏み荒らしていて。僕の居場所はそれぐらい危ういところにあって。人混みの中ぼうっとしていると、僕なんて消えてしまいそうで。
頭の奥がいつも痛かった。手足は冷え切ったみたいに血の気がなくて。酸素が薄い訳でもないのにちゃんと息ができなくて。周りの人の声がやたら大きく聞こえてきて。耳の中で何度もこだまする、誰かの声。ああ、どうして。こんなにも人が溢れているのに、ここにあーちゃんはいないんだろう。
僕はどうして、ここにいるんだろう。
「よぉ、少年」
旧校舎、屋上へ続く扉を開けると、そこには先客がいた。
ペンキがところどころ剥げた緑色のフェンスにもたれるようにして、床に足を投げ出しているのは日褄先生だった。今日も真っ黒な恰好で、ココナッツのにおいがする不思議な煙草を咥えている。
「田島先生が、先生のことを昼休みに探してましたよ」
「へへっ。そりゃ参ったね」
煙をゆらゆらと立ち昇らせて、先生は笑う。それからいつものように、「せんせーって呼ぶなよ」と付け加えた。彼女はさらに続けて言う。
「それで? 少年は何をし、こんなところに来たのかな?」
「ちょっと外の空気を吸いに」
「おお、奇遇だねぇ。あたしも外の空気を吸いに……」
「吸いにきたのはニコチンでしょう」
僕がそう言うと、先生は、「あっはっはっはー」と高らかに笑った。よく笑う人だ。
「残念だが少年、もう午後の授業は始まっている時間だし、ここは立ち入り禁止だよ」
「お言葉ですが先生、学校の敷地内は禁煙ですよ」
「しょうがない、今からカウンセリングするってことにしておいてあげるから、あたしの喫煙を見逃しておくれ。その代わり、あたしもきみの授業放棄を許してあげよう」
先生は右手でぽんぽんと、自分の隣、雨上がりでまだ湿気っているであろう床を叩いた。座れと言っているようだ。僕はそれに従わなかった。
先客がいたことは予想外だったが、僕は本当に、ただ、外の空気を吸いたくなってここに来ただけだ。授業を途中で抜けてきたこともあって、長居をするつもりはない。
ふと、視界の隅に「それ」が目に入った。
フェンスの一角に穴が空いている。ビニールテープでぐるぐる巻きになっているそこは、テープさえなければ屋上の崖っぷちに立つことを許している。そう。一年前、あそこから、あーちゃんは――。
(ねぇ、どうしてあーちゃんは、そらをとんだの?)
僕の脳裏を、いつかのひーちゃんの言葉がよぎる。
(あーちゃん、かえってくるよね? また、あえるよね?)
ひーちゃんの言葉がいくつもいくつも、風に飛ばされていく桜の花びらと同じように、僕の目の前を通り過ぎていく。
「こんなところで、何をしていたんですか」
そう質問したのは僕の方だった。「んー?」と先生は煙草の煙を吐きながら言う。
「言っただろ、外の空気を吸いに来たんだよ」
「あーちゃんが死んだ、この場所の空気を、ですか」
先生の目が、僕を見た。その鋭さに、一瞬ひるみそうになる。彼女は強い。彼女の意思は、強い。
「同じ景色を見たいと思っただけだよ」
先生はそう言って、また煙草をふかす。
「先生、」
「せんせーって呼ぶな」
「質問がある���ですけど」
「なにかね」
「嘘って、何回つけばホントになるんですか」
「……んー?」
淡い桜色の小さな断片が、いくつもいくつも風に流されていく。僕は黙って、それを見ている。手を伸ばすこともしないで。
「嘘は何回ついたって、嘘だろ」
「ですよね」
「嘘つきは怪人二十面相の始まりだ」
「言っている意味がわかりません」
「少年、」
「はい」
「市野谷に嘘つくの、しんどいのか?」
先生の煙草の煙も、みるみるうちに風に流されていく。手を伸ばしたところで、掴むことなどできないまま。
「市野谷に、直正は死んでないって、嘘をつき続けるの、しんどいか?」
ひーちゃんは知らない。あーちゃんが去年ここから死んだことを知らない。いや、知らない訳じゃない。認めていないのだ。あーちゃんの死を認めていない。彼がこの世界に僕らを置き去りにしたことを、許していない。
ひーちゃんはずっと信じている。あーちゃんは生きていると。いつか帰ってくると。今は遠くにいるけれど、きっとまた会える日が来ると。
だからひーちゃんは知らない。彼の墓石の冷たさも、彼が飛び降りたこの屋上の景色が、僕の目にどう映っているのかも。
屋上。フェンス。穴。空。桜。あーちゃん。自殺。墓石。遺書。透明人間。無。なんにもない。ない。空っぽ。いない。いないいないいないいない。ここにもいない。どこにもいない。探したっていない。消えた。消えちゃった。消滅。消失。消去。消しゴム。弾んで。飛んで。落ちて。転がって。その先に拾ってくれるきみがいて。笑顔。笑って。笑ってくれて。だけどそれも消えて。全部消えて。消えて消えて消えて。ただ昨日を越えて今日が過ぎ明日が来る。それを繰り返して。きみがいない世界で。ただ繰り返して。ひーちゃん。ひーちゃんが笑わなくなって。泣いてばかりで。だけどもうきみがいない。だから僕が。僕がひーちゃんを慰めて。嘘を。嘘をついて。ついてはいけない嘘を。ついてはいけない嘘ばかりを。それでもひーちゃんはまた笑うようになって。笑顔がたくさん戻って。だけどどうしてあんなにも、ひーちゃんの笑顔は空っぽなんだろう。
「しんどくなんか、ないですよ」
僕はそう答えた。
先生は何も言わなかった。
僕は明日にでも、怪人二十面相になっているかもしれなかった。
いつの間にか梅雨が終わり、実力テストも期末テストもクリアして、夏休みまであと一週間を切っていた。
ひと夏の解放までカウントダウンをしている今、僕のクラスの連中は完璧な気だるさに支配されていた。自主性や積極性などという言葉とは無縁の、慣性で流されているような脱力感。
先週に教室の天井四ヶ所に取り付けられている扇風機が全て故障したこともあいまって、クラスメイトたちの授業に対する意欲はほぼゼロだ。授業がひとつ終わる度に、皆溶け出すように机に上半身を投げ出しており、次の授業が始まったところで、その姿勢から僅かに起き上がる程度の差しかない。
そういう僕も、怠惰な中学二年生のひとりに過ぎない。さっきの英語の授業でノートに書き記したことと言えば、英語教師の松田が何回額の汗を脱ぐったのかを表す「正」の字だけだ。
休み時間に突入��、がやがやと騒がしい教室で、ひとりだけ仲間外れのように沈黙を守っていると、肘辺りから空気中に溶け出して、透明になっていくようなそんな気分になる。保健室には来るものの、自分の教室へは絶対に足を運ばないミナモの気持ちがわかるような気がする。
一学期がもうすぐ終わるこの時期になっても、相変わらず僕のクラスには常に二つの空席があった。ミナモも、ひーちゃんも、一度だって教室に登校してきていない。
「――くん、」
なんだか控えめに名前を呼ばれた気はしたが、クラスの喧騒に紛れて聞き取れなかった。
ふと机から顔を上げると、ひとりの女子が僕の机の脇に立っていた。見たことがあるような顔。もしかして、クラスメイトのひとりだろうか。彼女は廊下を指差して、「先生、呼んでる」とだけ言って立ち去った。
あまりにも唐突な出来事でその女子にお礼を言うのも忘れたが、廊下には担任の姿が見える。僕のクラス担任の担当科目は数学だが、次の授業は国語だ。なんの用かはわからないが、呼んでいるのなら行かなくてはならない。
「おー、悪いな、呼び出して」
去年大学を卒業したばかりの、どう見ても体育会系な容姿をしている担任は、僕を見てそう言った。
「ほい、これ」
突然差し出されたのはプリントの束だった。三十枚くらいありそうなプリントが穴を空けられ紐を通して結んである。
「悪いがこれを、市野谷さんに届けてくれないか」
担任がひーちゃんの名を口にしたのを聞いたのは、久しぶりのような気がした。もう朝の出欠確認の時でさえ、彼女の名前は呼ばれない。ミナモの名前だってそうだ。このクラスでは、ひーちゃんも、ミナモも、いないことが自然なのだ。
「……先生が、届けなくていいんですか」
「そうしたいのは山々なんだが、なかなか時間が取れなくてな。夏休みに入ったら家庭訪問に行こうとは思ってるんだ。このプリントは、それまでにやっておいてほしい宿題。中学に入ってから二年の一学期までに習う数学の問題を簡単にまとめたものなんだ」
「わかりました、届けます」
受け取ったプリントの束は、思っていたよりもずっとずっしりと重かった。
「すまんな。市野谷さんと小学生の頃一番仲が良かったのは、きみだと聞いたものだから」
「いえ……」
一年生の時から、ひーちゃんにプリントを届けてほしいと教師に頼まれることはよくあった。去年は彼女と僕は違うクラスだったけれど、同じ小学校出身の誰かに僕らが幼馴染みであると聞いたのだろう。
僕は学校に来なくなったひーちゃんのことを毛嫌いしている訳ではない。だから、何か届け物を頼まれてもそんなに嫌な気持ちにはならない。でも、と僕は思った。
でも僕は、ひーちゃんと一番仲が良かった訳じゃないんだ。
「じゃあ、よろしく頼むな」
次の授業の始業のチャイムが鳴り響く。
教室に戻り、出したままだった英語の教科書と「正」の字だけ記したノートと一緒に、ひーちゃんへのプリントの束を鞄に仕舞いながら、なんだか僕は泣きたくなった。
三角形が壊れるのは簡単だった。
三角形というのは、三辺と三つの角でできていて、当然のことだけれど一辺とひとつ���角が消失したら、それはもう三角形ではない。
まだ小学校に上がったばかりの頃、僕はどうして「さんかっけい」や「しかっけい」があるのに「にかっけい」がないのか、と考えていたけれど、どうやら僕の脳味噌は、その頃から数学的思考というものが不得手だったようだ。
「にかっけい」なんてあるはずがない。
僕と、あーちゃんと、ひーちゃん。
僕ら三人は、三角形だった。バランスの取りやすい形。
始まりは悲劇だった。
あの悪夢のような交通事故。ひーちゃんの弟の死。
真っ白なワンピースが汚れることにも気付かないまま、真っ赤になった弟の身体を抱いて泣き叫ぶひーちゃんに手を伸ばしたのは、僕と一緒に下校する途中のあーちゃんだった。
お互いの家が近かったこともあって、それから僕らは一緒にいるようになった。
溺愛していた最愛の弟を、目の前で信号無視したダンプカーに撥ねられて亡くしたひーちゃんは、三人で一緒にいてもときどき何かを思い出したかのように暴れては泣いていたけれど、あーちゃんはいつもそれをなだめ、泣き止むまでずっと待っていた。
口下手な彼は、ひーちゃんに上手く言葉をかけることがいつもできずにいたけれど、僕が彼の言葉を補って彼女に伝えてあげていた。
優しくて思いやりのあるひーちゃんは、感情を表すことが苦手なあーちゃんのことをよく気遣ってくれていた。
僕らは嘘みたいにバランスの取れた三角形だった。
あーちゃんが、この世界からいなくなるまでは。
「夏は嫌い」
昔、あーちゃんはそんなことを口にしていたような気がする。
「どうして?」
僕はそう訊いた。
夏休み、花火、虫捕り、お祭り、向日葵、朝顔、風鈴、西瓜、プール、海。
水の中の金魚の世界と、バニラアイスの木べらの湿り気。
その頃の僕は今よりもずっと幼くて、四季の中で夏が一番好きだった。
あーちゃんは部屋の窓を網戸にしていて、小さな扇風機を回していた。
彼は夏休みも相変わらず外に出ないで、部屋の中で静かに過ごしていた。彼の傍らにはいつも、星座の本と分厚い昆虫図鑑が置いてあった。
「夏、暑いから嫌いなの?」
僕が尋ねるとあーちゃんは抱えていた分厚い本からちょっとだけ顔を上げて、小さく首を横に振った。それから困ったように笑って、
「夏は、皆死んでいるから」
とだけ、つぶやくように言った。あーちゃんは、時々魔法の呪文のような、不思議なことを言って僕を困惑させることがあった。この時もそうだった。
「どういう意味?」
僕は理解できずに、ただ訊き返した。
あーちゃんはさっきよりも大きく首を横に振ると、何を思ったのか、唐突に、
「ああ、でも、海に行ってみたいな」
なんて言った。
「海?」
「そう、海」
「どうして、海?」
「海は、色褪せてないかもしれない。死んでないかもしれない」
その言葉の意味がわからず、僕が首を傾げていると、あーちゃんはぱたんと本を閉じて机に置いた。
「台所へ行こうか。確か、母さんが西瓜を切ってくれていたから。一緒に食べよう」
「うん!」
僕は西瓜に釣られて、わからなかった言葉のことも、すっかり忘れてしまった。
でも今の僕にはわかる。
夏の日射しは、��界を色褪せさせて僕の目に映す。
あーちゃんはそのことを、「死んでいる」と言ったのだ。今はもう確かめられないけれど。
結局、僕とあーちゃんが海へ行くことはなかった。彼から海へ出掛けた話を聞いたこともないから、恐らく、海へ行くことなく死んだのだろう。
あーちゃんが見ることのなかった海。
海は日射しを浴びても青々としたまま、「生きて」いるんだろうか。
彼が死んでから、僕も海へ足を運んでいない。たぶん、死んでしまいたくなるだろうから。
あーちゃん。
彼のことを「あーちゃん」と名付けたのは僕だった。
そういえば、どうして僕は「あーちゃん」と呼び始めたんだっけか。
彼の名前は、鈴木直正。
どこにも「あーちゃん」になる要素はないのに。
うなじを焼くようなじりじりとした太陽光を浴びながら、ペダルを漕いだ。
鼻の頭からぷつぷつと汗が噴き出すのを感じ、手の甲で汗を拭おうとしたら手は既に汗で湿っていた。雑音のように蝉の声が響いている。道路の脇には背の高い向日葵は、大きな花を咲かせているのに風がないので微動だにしない。
赤信号に止められて、僕は自転車のブレーキをかける。
夏がくる度、思い出す。
僕とあーちゃんが初めてひーちゃんに出会い、そして彼女の最愛の弟「ろーくん」が死んだ、あの事故のことを。
あの日も、世界が真っ白に焼き切れそうな、暑い日だった。
ひーちゃんは白い木綿のワンピースを着ていて、それがとても涼しげに見えた。ろーくんの血で汚れてしまったあのワンピースを、彼女はもうとっくに捨ててしまったのだろうけれど。
そういえば、ひーちゃんはあの事故の後、しばらくの間、弟の形見の黒いランドセルを使っていたっけ。黒い服ばかり着るようになって。周りの子はそんな彼女を気味悪がったんだ。
でもあーちゃんは、そんなひーちゃんを気味悪がったりしなかった。
信号が赤から青に変わる。再び漕ぎ出そうとペダルに足を乗せた時、僕の両目は横断歩道の向こうから歩いて来るその人を捉えて凍りついてしまった。
胸の奥の方が疼く。急に、聞こえてくる蝉の声が大きくなったような気がした。喉が渇いた。頬を撫でるように滴る汗が気持ち悪い。
信号は青になったというのに、僕は動き出すことができない。向こうから歩いて来る彼は、横断歩道を半分まで渡ったところで僕に気付いたようだった。片眉を持ち上げ、ほんの少し唇の端を歪める。それが笑みだとわかったのは、それとよく似た笑顔をずいぶん昔から知っているからだ。
「うー兄じゃないですか」
うー兄。彼は僕をそう呼んだ。
声変わりの途中みたいな声なのに、妙に大人びた口調。ぼそぼそとした喋り方。
色素の薄い頭髪。切れ長の一重瞼。ひょろりと伸びた背。かけているのは銀縁眼鏡。
何もかもが似ているけれど、日に焼けた真っ黒な肌と筋肉のついた足や腕だけは、記憶の中のあーちゃんとは違う。
道路を渡り終えてすぐ側まで来た彼は、親しげに僕に言う。
「久しぶりですね」
「……久しぶり」
僕がやっとの思いでそう声を絞り出すと、彼は「ははっ」と笑った。きっとあーちゃんも、声を上げて笑うならそういう風に笑ったんだろうなぁ、と思う。
「どうしたんですか。驚きす��ですよ」
困ったような笑顔で、眼鏡をかけ直す。その手つきすらも、そっくり同じ。
「嫌だなぁ。うー兄は僕のことを見る度、まるで幽霊でも見たような顔するんだから」
「ごめんごめん」
「ははは、まぁいいですよ」
僕が謝ると、「あっくん」はまた笑った。
彼、「あっくん」こと鈴木篤人くんは、僕の一個下、中学一年生。私立の学校に通っているので僕とは学校が違う。野球部のエースで、勉強の成績もクラストップ。僕の団地でその中学に進学できた子供は彼だけだから、団地の中で知らない人はいない優等生だ。
年下とは思えないほど大人びた少年で、あーちゃんにそっくりな、あーちゃんの弟。
「中学は、どう? もう慣れた?」
「慣れましたね。今は部活が忙しくて」
「運動部は大変そうだもんね」
「うー兄は、帰宅部でしたっけ」
「そう。なんにもしてないよ」
「今から、どこへ行くんですか?」
「ああ、えっと、ひーちゃんに届け物」
「ひー姉のところですか」
あっくんはほんの一瞬、愛想笑いみたいな顔をした。
「ひー姉、まだ学校に行けてないんですか?」
「うん」
「行けるようになるといいですね」
「そうだね」
「うー兄は、元気にしてましたか?」
「僕? 元気だけど……」
「そうですか。いえ、なんだかうー兄、兄貴に似てきたなぁって思ったものですから」
「僕が?」
僕があーちゃんに似てきている?
「顔のつくりとかは、もちろん違いますけど、なんていうか、表情とか雰囲気が、兄貴に似てるなぁって」
「そうかな……」
僕にそんな自覚はないのだけれど。
「うー兄も死んじゃいそうで、心配です」
あっくんは柔らかい笑みを浮かべたままそう言った。
「……そう」
僕はそう返すので精いっぱいだった。
「それじゃ、ひー姉によろしくお伝え下さい」
「じゃあ、また……」
あーちゃんと同じ声で話し、あーちゃんと同じように笑う彼は、夏の日射しの中を歩いて行く。
(兄貴は、弱いから駄目なんだ)
いつか彼が、あーちゃんに向けて言った言葉。
あーちゃんは自分の弟にそう言われた時でさえ、怒ったりしなかった。ただ「そうだね」とだけ返して、少しだけ困ったような顔をしてみせた。
あっくんは、強い。
姿や雰囲気は似ているけれど、性格というか、芯の強さは全く違う。
あーちゃんの死を自分なりに受け止めて、乗り越えて。部活も勉強も努力して。あっくんを見ているといつも思う。兄弟でもこんなに違うものなのだろうか、と。ひとりっ子の僕にはわからないのだけれど。
僕は、どうだろうか。
あーちゃんの死を受け入れて、乗り越えていけているだろうか。
「……死相でも出てるのかな」
僕があーちゃんに似てきている、なんて。
笑えない冗談だった。
ふと見れば、信号はとっくに赤になっていた。青になるまで待つ間、僕の心から言い表せない不安が拭えなかった。
遺書を思い出した。
あーちゃんの書いた遺書。
「僕の分まで生きて。僕は透明人間なんです」
日褄先生はそれを、「ばっかじゃねーの」って笑った。
「透明人間は見えねぇから、透明人間なんだっつーの」
そんな風に言って、たぶん、泣いてた。
「僕の分まで生きて」
僕は自分の鼓動を聞く度に、その言葉を繰り返し、頭の奥で聞いていたような気がする。
その度に自分に問う。
どうして生きているのだろうか、と。
部屋に一歩踏み入れると、足下でガラスの破片が砕ける音がした。この部屋でスリッパを脱ぐことは自傷行為に等しい。
「あー、うーくんだー」
閉められたカーテン。閉ざされたままの雨戸。
散乱した物。叩き壊された物。落下したままの物。破り捨てられた物。物の残骸。
その中心に、彼女はいる。
「久しぶりだね、ひーちゃん」
「そうだねぇ、久しぶりだねぇ」
壁から落下して割れた時計は止まったまま。かろうじて壁にかかっているカレンダーはあの日のまま。
「あれれー、うーくん、背伸びた?」
「かもね」
「昔はこーんな小さかったのにねー」
「ひーちゃんに初めて会った時だって、そんなに小さくなかったと思うよ」
「あははははー」
空っぽの笑い声。聞いているこっちが空しくなる。
「はい、これ」
「なに? これ」
「滝澤先生に頼まれたプリント」
「たきざわって?」
「今度のクラスの担任だよ」
「ふーん」
「あ、そうだ、今度は僕の同じクラスに……」
彼女の手から投げ捨てられたプリントの束が、ろくに掃除されていない床に落ちて埃を巻き上げた。
「そういえば、あいつは?」
「あいつって?」
「黒尽くめの」
「黒尽くめって……日褄先生のこと?」
「まだいる?」
「日褄先生なら、今年度も学校にいるよ」
「なら、学校には行かなーい」
「どうして?」
「だってあいつ、怖いことばっかり言うんだもん」
「怖いこと?」
「あーちゃんはもう、死んだんだって」
「…………」
「ねぇ、うーくん」
「……なに?」
「うーくんはどうして、学校に行けるの? まだあーちゃんが帰って来ないのに」
どうして僕は、生きているんだろう。
「『僕』はね、怖いんだよ、うーくん。あーちゃんがいない毎日が。『僕』の毎日の中に、あーちゃんがいないんだよ。『僕』は怖い。毎日が怖い。あーちゃんのこと、忘れそうで怖い。あーちゃんが『僕』のこと、忘れそうで怖い……」
どうしてひーちゃんは、生きているんだろう。
「あーちゃんは今、誰の毎日の中にいるの?」
ひーちゃんの言葉はいつだって真っ直ぐだ。僕の心を突き刺すぐらい鋭利だ。僕の心を掻き回すぐらい乱暴だ。僕の心をこてんぱんに叩きのめすぐらい凶暴だ。
「ねぇ、うーくん」
いつだって思い知らされる。僕が駄目だってこと。
「うーくんは、どこにも行かないよね?」
いつだって思い知らせてくれる。僕じゃ駄目だってこと。
「どこにも、行かないよ」
僕はどこにも行けない。きみもどこにも行けない。この部屋のように時が止まったまま。あーちゃんが死んでから、何もかもが停止したまま。
「ふーん」
どこか興味なさそうな、ひーちゃんの声。
「よかった」
その後、他愛のない話を少しだけして、僕はひーちゃんの家を後にした。
死にたくなるほどの夏の熱気に包まれて、一気に現実に引き戻された気分になる。
こんな現実は嫌なんだ。あーちゃんが欠けて、ひーちゃんが壊れて、僕は嘘つきになって、こんな世界は、大嫌いだ。
僕は自分に問う。
どうして僕は、生きているんだろう。
もうあーちゃんは死んだのに。
「ひーちゃん」こと市野谷比比子は、小学生の頃からいつも奇異の目で見られていた。
「市野谷さんは、まるで死体みたいね」
そんなことを彼女に言ったのは、僕とひーちゃんが小学四年生の時の担任だった。
校舎の裏庭にはクラスごとの畑があって、そこで育てている作物の世話を、毎日クラスの誰かが当番制でしなくてはいけなかった。それは夏休み期間中も同じだった。
僕とひーちゃんが当番だった夏休みのある日、黙々と草を抜いていると、担任が様子を見にやって来た。
「頑張ってるわね」とかなんとか、最初はそんな風に声をかけてきた気がする。僕はそれに、「はい」とかなんとか、適当に返事をしていた。ひーちゃんは何も言わず、手元の草を引っこ抜くことに没頭していた。
担任は何度かひーちゃんにも声をかけたが、彼女は一度もそれに答えなかった。
ひーちゃんはいつもそうだった。彼女が学校で口を利くのは、同じクラスの僕と、二つ上の学年のあーちゃんにだけ。他は、クラスメイトだろうと教師だろうと、一言も言葉を発さなかった。
この当番を決める時も、そのことで揉めた。
くじ引きでひーちゃんと同じ当番に割り当てられた意地の悪い女子が、「せんせー、市野谷さんは喋らないから、当番の仕事が一緒にやりにくいでーす」と皆の前で言ったのだ。
それと同時に、僕と一緒の当番に割り当てられた出っ歯の野郎が、「市野谷さんと仲の良い――くんが市野谷さんと一緒にやればいいと思いまーす」と、僕の名前を指名した。
担任は困ったような笑顔で、
「でも、その二人だけを仲の良い者同士にしたら、不公平じゃないかな? 皆だって、仲の良い人同士で一緒の当番になりたいでしょう? 先生は普段あまり仲が良くない人とも仲良くなってもらうために、当番の割り振りをくじ引きにしたのよ。市野谷さんが皆ともっと仲良くなったら、皆も嬉しいでしょう?」
と言った。意地悪ガールは間髪入れずに、
「喋らない人とどうやって仲良くなればいいんですかー?」
と返した。
ためらいのない発言だった。それはただただ純粋で、悪意を含んだ発言だった。
「市野谷さんは私たちが仲良くしようとしてもいっつも無視してきまーす。それって、市野谷さんが私たちと仲良くしたくないからだと思いまーす。それなのに、無理やり仲良くさせるのは良くないと思いまーす」
「うーん、そんなことはないわよね、市野谷さん」
ひーちゃんは何も言わなかった。まるで教室内での出来事が何も耳に入っていないかのような表情で、窓の外を眺めていた。
「市野谷さん? 聞いているの?」
「なんか言えよ市野谷」
男子がひーちゃんの机を蹴る。その振動でひーちゃんの筆箱が机から滑り落ち、がちゃんと音を立てて中身をぶちまけたが、それでもひーちゃんには変化は訪れない。
クラスじゅうにざわざわとした小さな悪意が満ちる。
「あの子ちょっとおかしいんじゃない?」
そんな囁きが満ちる。担任の困惑した顔。意地悪いクラスメイトたちの汚らわしい視線。
僕は知っている。まるでここにいないかのような顔をして、窓の外を見ているひーちゃんの、その視線の先を。窓から見える新校舎には、彼女の弟、ろーくんがいた一年生の教室と、六年生のあーちゃんがいる教室がある。
ひーちゃんはいつも、ぼんやりとそっちばかりを見ている。教室の中を見渡すことはほとんどない。彼女がここにいないのではない。彼女にとって、こっちの世界が意味を成していないのだ。
「市野谷さんは、死体みたいね」
夏休み、校舎裏の畑。
その担任の一言に、僕は思わずぎょっとした。担任はしゃがみ込み、ひーちゃんに目線を合わせようとしながら、言う。
「市野谷さんは、どうしてなんにも言わないの? なんにも思わないの? あんな風に言われて、反論したいなって思わないの?」
ひーちゃんは黙って草を抜き続けている。
「市野谷さんは、皆と仲良くなりたいって思わない? 皆は、市野谷さんと仲良くなりたいって思ってるわよ」
ひーちゃんは黙っている。
「市野谷さんは、ずっとこのままでいるつもりなの? このままでいいの? お友達がいないままでいいの?」
ひーちゃんは。
「市野谷さん?」
「うるさい」
どこかで蝉が鳴���止んだ。
彼女が僕とあーちゃん以外の人間に言葉を発したところを、僕は初めて見た。彼女は担任を睨み付けるように見つめていた。真っ黒な瞳が、鋭い眼光を放っている。
「黙れ。うるさい。耳障り」
ひーちゃんが、僕の知らない表情をした。それはクラスメイトたちがひーちゃんに向けたような、玩具のような悪意ではなかった。それは本当の、なんの混じり気もない、殺意に満ちた顔だった。
「あんたなんか、死んじゃえ」
振り上げたひーちゃんの右手には、草抜きのために職員室から貸し出された鎌があって――。
「ひーちゃん!」
間一髪だった。担任は真っ青な顔で、息も絶え絶えで、しかし、その鎌の一撃をかろうじてかわした。担任は震えながら、何かを叫びながら校舎の方へと逃げるように走り去って行く。
「ひーちゃん、大丈夫?」
僕は地面に突き刺した鎌を固く握りしめたまま、動かなくなっている彼女に声をかけた。
「友達なら、いるもん」
うつむいたままの彼女が、そうぽつりと言う。
「あーちゃんと、うーくんがいるもん」
僕はただ、「そうだね」と言って、そっと彼女の頭を撫でた。
小学生の頃からどこか危うかったひーちゃんは、あーちゃんの自殺によって完全に壊れてしまった。
彼女にとってあーちゃんがどれだけ大切な存在だったかは、説明するのが難しい。あーちゃんは彼女にとって絶対唯一の存在だった。失ってはならない存在だった。彼女にとっては、あーちゃん以外のものは全てどうでもいいと思えるくらい、それくらい、あーちゃんは特別だった。
ひーちゃんが溺愛していた最愛の弟、ろーくん��失ったあの日。
あの日から、ひーちゃんの心にぽっかりと空いた穴を、あーちゃんの存在が埋めてきたからだ。
あーちゃんはひーちゃんの支えだった。
あーちゃんはひーちゃんの全部だった。
あーちゃんはひーちゃんの世界だった。
そして、彼女はあーちゃんを失った。
彼女は入学することになっていた中学校にいつまで経っても来なかった。来るはずがなかった。来れるはずがなかった。そこはあーちゃんが通っていたのと同じ学校であり、あーちゃんが死んだ場所でもある。
ひーちゃんは、まるで死んだみたいだった。
一日中部屋に閉じこもって、食事を摂ることも眠ることも彼女は拒否した。
誰とも口を利かなかった。実の親でさえも彼女は無視した。教室で誰とも言葉を交わさなかった時のように。まるで彼女の前からありとあらゆるものが消滅してしまったかのように。泣くことも笑うこともしなかった。ただ虚空を見つめているだけだった。
そんな生活が一週間もしないうちに彼女は強制的に入院させられた。
僕が中学に入学して、桜が全部散ってしまった頃、僕は彼女の病室を初めて訪れた。
「ひーちゃん」
彼女は身体に管を付けられ、生かされていた。
屍のように寝台に横たわる、変わり果てた彼女の姿。
(市野谷さんは死体みたいね)
そんなことを言った、担任の言葉が脳裏をよぎった。
「ひーちゃんっ」
僕はひーちゃんの手を取って、そう呼びかけた。彼女は何も言わなかった。
「そっち」へ行ってほしくなかった。置いていかれたくなかった。僕だって、あーちゃんの突然の死を受け止めきれていなかった。その上、ひーちゃんまで失うことになったら。そう考えるだけで嫌だった。
僕はここにいたかった。
「ひーちゃん、返事してよ。いなくならないでよ。いなくなるのは、あーちゃんだけで十分なんだよっ!」
僕が大声でそう言うと、初めてひーちゃんの瞳が、生き返った。
「……え?」
僕を見つめる彼女の瞳は、さっきまでのがらんどうではなかった。あの時のひーちゃんの瞳を、僕は一生忘れることができないだろう。
「あーちゃん、いなくなったの?」
ひーちゃんの声は僕の耳にこびりついた。
何言ってるんだよ、あーちゃんは死んだだろ。そう言おうとした。言おうとしたけれど、何かが僕を引き留めた。何かが僕の口を塞いだ。頭がおかしくなりそうだった。狂っている。僕はそう思った。壊れている。破綻している。もう何もかもが終わってしまっている。
それを言ってしまったら、ひーちゃんは死んでしまう。僕がひーちゃんを殺してしまう。ひーちゃんもあーちゃんみたいに、空を飛んでしまうのだ。
僕はそう直感していた。だから声が出なかった。
「それで、あーちゃん、いつかえってくるの?」
そして、僕は嘘をついた。ついてはいけない嘘だった。
あーちゃんは生きている。今は遠くにいるけれど、そのうち必ず帰ってくる、と。
その一週間後、ひーちゃんは無事に病院を退院した。人が変わったように元気になっていた。
僕の嘘を信じて、ひーちゃんは生きる道を選んだ。
それが、ひーちゃんの身体をいじくり回して管を繋いで病室で寝かせておくことよりもずっと残酷なことだということを僕は後で知った。彼女のこの上ない不幸と苦しみの中に永遠に留めておくことになってしまった。彼女にとってはもうとっくに終わってしまったこの世界で、彼女は二度と始まることのない始まりをずっと待っている。
もう二度と帰ってこない人を、ひーちゃんは待ち続けなければいけなくなった。
全ては僕のついた幼稚な嘘のせいで。
「学校は行かないよ」
「どうして?」
「だって、あーちゃん、いないんでしょ?」
学校にはいつから来るの? と問いかけた僕にひーちゃんは笑顔でそう答えた。まるで、さも当たり前かのように言った。
「『僕』は、あーちゃんが帰って来るのを待つよ」
「あれ、ひーちゃん、自分のこと『僕』って呼んでたっけ?」
「ふふふ」
ひーちゃんは笑った。幸せそうに笑った。恥ずかしそうに笑った。まるで恋をしているみたいだった。本当に何も知らないみたいに。本当に、僕の嘘を信じているみたいに。
「あーちゃんの真似、してるの。こうしてると自分のことを言う度、あーちゃんのことを思い出せるから」
僕は笑わなかった。
僕は、笑えなかった。
笑おうとしたら、顔が歪んだ。
醜い嘘に、歪んだ。
それからひーちゃんは、部屋に閉じこもって、あーちゃんの帰りをずっと待っているのだ。
今日も明日も明後日も、もう二度と帰ってこない人を。
※(2/4) へ続く→ https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/647000556094849024/
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激辛冷麺
当時、大学生として世田谷のアパートで独り暮らしをしていた僕は 常に腹ペコだった。 食べ盛りではあるが、カネは無く、いつも空腹だった。 特に親からの仕送り前は、1日の食費が100円なんてこともあり、そんなときには近所の八百屋で100g40円のもやしを味噌でいため、一丁20円ぐらいのセブンイレブンの豆腐で凌ぐことも数知れず。 今では自分でも信じられないが、好きなビールもひと月に1回、2回飲めれば良いほうだった。 体重も50キロ台後半。今より20キロ少ない♪ なので���当時はメシを奢ってくれる人は救世主であり、そこにビールなど付けてくれる人は神であり、後光が差していた♪ そんな貧乏学生が朝から晩まで満腹でもあり、酒が飲めるなど、この世の天国だった。ありがたやありがたや。 それでも、そういうことは長続きしないことも世の理か♪
8月28日(金) 23日目
「今日のバスがある!」という声でこの朝は起こされた。 昨日の村内放送では、今日は豪雨の予報で延吉行きのバスは運休だろうと言われていたが、事情が変わったようだ。 急いで荷造り。そして朝からまたスゴイご馳走。。。 そしてお母さんに別れを告げる。 光昭村に別れを告げる。 善子ちゃんとお父さんが延吉まで同行してくれる。 バス停は見晴らしのいいところにあった。 霧雨の中、風景が霞んで見えた。 「あの山は北朝鮮の山」 と善子ちゃんが教えてくれる。1kmちょっとわずかの距離。 昨夜、善子ちゃんの家で観た北朝鮮のテレビドラマが思い出された。モノクロで殺し屋のような男が夜の袋小路を徘徊するシュールな映像だった。 バスは意外にも空いていた。車窓からの眺めは一年前の夏休みに訪れた北海道のような風景。 「花がみんなキレイに咲きましたね」 「あれはヒマワリ、あれはタバコの葉」 と善子ちゃんが一生懸命、日本語で話しかけてくる。雨だけれど、どれも見事な風景だった。 一昨日はトラブル続きの往路も、平常運行の復路は2時間で延吉に到着。 3人でまずは姜さんの事務所へお邪魔したが本人は不在。王さんが対応してくれた。取りあえず今夜の宿を探そう、ってことで4人で宿探し。 前にも書いたけど、延吉は外国人ツーリストが訪問可能な開放都市になって間もない、それが理由らしく4軒ものホテルを断られた。理由は「外国人向けの衛生管理が整っていない」と。 ようやく5軒目の「物質旅店」という妙な名前の安ホテルのドミトリーで交渉がまとまった。1泊7元(約315円)。そして、お父さんが宿泊費用を払うと言って譲らなかった。。。 部屋に荷物を置いて一休み。 その後、王さんは事務所へ戻り。3人で市内の人民公園へ。そして再びの撮影大会~~
↑手にする犬のぬいぐるみはお土産として渡された
↑飛んでみたい 昼飯は冷麺を食べた。 ���しかすると人生初めての冷麺だったかもしれない。日記には「麺がまたまた変わってる。何よりえらく辛い!お父さんが普通のスープを持ってきてくれ、それで薄めて何とか食べる」と書かれている。 そして、この頃より歯茎が疼きだす。。。昨日の食事で骨付きの肉料理の骨を誤って噛んでしまい、旅の疲れもあるのだろう、歯痛が始まった。 3人で宿に戻ると、姜さんが訪ねてきてくれた。 光昭村での濃密な時間について話したり、善子ちゃん親子が受け取れと言って譲らないお土産について相談したり。姜さんは「お土産はもらうべきだ」と言うこともあり、上の写真にもある犬のぬいぐるみ(名前は善子)、書を嗜む父親へ筆、母へは8mもある、朝鮮族的な絵柄の生地を有難くいただいた。この生地は母が掛け布団用に縫ってくれ、今でも僕の実家で布団として使われている。 そして善子ちゃん、お父さんとの別れの時。。。 お礼を言って、2人と固い握手を交わす。その刹那、僕のウエストバッグに10元札を2人攻撃でねじ込んでくる~もう、無抵抗(^^♪。 ニコニコとした顔で善子ちゃんが「去吧(行って)!」と言って体を押す。2人は満面の笑顔。3度振り返り僕は手を振る。 善子ちゃん、お父さん、お母さん、村の皆さん、たくさんの親切と思い出をありがとう!! しかし、そしてこの夜から激しい歯痛に襲われることになる。。。
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│日本。京都│繽紛度第一名的神社-八坂庚申堂,絕對稱的上是女孩IG夢幻背景牆秒殺粉紅少女心
據說『八坂庚申堂』這裡啊.....可是掛滿了五顏六色、色彩鮮豔的沙包球(名為倒吊猴),相傳只要在這上頭寫上心願,並且掛上就能夠實現喔。
是的~
今天旅人西的腳步準備繼續停留在這一趟京阪神親子遊的旅行紀趣,話說~那一天,西姐一家子正迷路在京都街道上~
只為探尋那傳說中繽紛度No.1的『八坂庚申堂』神社。
說到神社嘛~
大家前往日本旅行,參拜神社感覺就是必要的一環,但其實對宗教信仰不同的西姐來說,反倒是神社特殊建築才更引起姐我的興趣。
其實日本有許許多多你我都不知道的大大小小神社,而西姐為何想要為今天所要分享的神社特別專文介紹呢??
那是因為今天所要分享的『八坂庚申堂』除了能祈求心願之外,齁齁齁~它可是超好拍照的IG夢幻打卡點啊~(好吧!姐我承認我膚淺XD)
想當初啊......
西姐將這裡安排為重要必逛景點之一時,居然換來咱們馬丁嗤之以鼻,啊~就一堆彩色小布袋(那是小布猴小布猴小布猴好嗎?)是有啥好逛的。
切~馬丁不懂不懂啦,他根本不懂西姐內心粉紅小宇宙對一幅幅網路上『八坂庚申堂』彩色畫面是有多麼嚮往啊~
所以囉~西姐懶得理馬丁,硬是要把『八坂庚申堂』納入當天京都行程的口袋名單之一。
哈哈哈,不過對有路癡稱號的西姐來說,平板*1台、手機*2台都開啟 google map,結果還是迷失在京都街道中呢XDD
反正結局就是西姐找了約半小時拼命傻傻轉,結果馬丁接手花不到1分鐘,就找到目的地『八坂庚申堂』,西姐果然是路癡無誤 =.="
好啦,前面講成這樣,大家一定很好奇這『八坂庚申堂』究竟為何讓西姐這麼嚮往吧??
那就趕緊來瞧瞧日本妞們及廣大的各國籍女性旅人,是如何參拜兼拍美照順便上傳 IG 唄XD
日本京都│八坂庚申堂
地址:京都府京都市東山区金園町390
交通:市営バス「清水道」下車,再步行5~7分鐘
電話:075-541-2565
時間:9:00~17:00
料金:無料
官網:http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/index.htm
▼『八坂庚申堂』其實是日本最初開創庚申信仰的寺廟。
所謂的「庚申」指的是人類體內的三屍蟲趁著人睡覺之時跑出身體,並向神明說人類壞話的那一天。
傳說被告狀的那個人的壽命會縮短,因此當天也會有人通宵熬夜一整晚都不睡覺的。(資料來自網路)
▼哈哈哈~
姐我終於找到這裡了,想到剛剛一家人跟著西姐在這附近亂亂轉了好一會兒,對照現在笑開懷的西姐,其它3個人其實臉像大便一樣~很臭XD
▼登勒~
其實位於京都東山的『八坂庚申堂』整體來說面積不大,大概就是大家看到這樣而已,而原名為大黒山延命院金剛寺,又被稱之為"猴子神社" 。
▼是不是是不是~
大家可別覺得這裡小不嚨咚,但旅人們可是來來去去非常熱鬧,尤其最多的莫過於穿著浴衣的可愛少女們來這裡拍一張彩色繽紛美照啊。
▼大家看見庭院中間供奉的是賓頭顱尊者木像,認真說西姐不是很懂這是哪一位,但既然都到此地,一定要抱持著尊重的心情。
▼要是誠心參拜完後,一定要跟眼前這一片夢幻的彩色倒吊猴合照,當然,若能像眼前這些浴衣美女們一樣,拍起來就更有fu。
▼『八坂庚申堂』裡掛著許多以猴子為概念,顏色鮮豔且如同沙包般的裝飾,其名為『倒吊猴』,不但繽紛而且又可愛。
這對廣大女孩們,呵呵呵~當然也包括西姐啦,都有著無法抗拒的魅力,來到京都~一定要來『八坂庚申堂』走一趟啦。
▼西姐此刻的心情非常興奮,因為終於將網路中的畫面化為真實,不過~這不就是旅行的意義嗎??
噗~瞧瞧姐我身上的曬痕,就可以知道7月中的京阪天氣可熱情到讓姐我都融化啦。
▼其實『倒��猴』是模擬將手腳徹底綁住而無法活動的猴子。
當然也有人說這代表著控制欲���,其意義為只要忍過一個欲望便能夠實現一個你真心想實現的願望。(資料來自網路)
▼據說啊~
只要拿筆在繽紛布料製成的『倒吊猴』身上寫上自己想實現的願望("くくり猿"(許願猴)500¥),然後再將它掛上去之後,
便能夠實現心中願望呢。至於是否靈驗,請大家將來有機會一定要自己走一趟『八坂庚申堂』囉。
▼期盼每個寫上心願,掛上『倒吊猴』的旅人們,都能夠實現願望唷^^
還有…..西姐是用生命跟��魂在寫文章(胎胎有浮誇~),請按個讚給我鼓勵一下吧^^
西莉亞玩樂人生
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▼這些五彩繽紛可愛的綁手綁腳『倒吊猴』,如果要讓願望實現的話,只能寫一個願望不能三心二意。
但是因為"猿"又與"緣"同音,所以在這"綁上猿猴"也有"結緣"的意思呢~
▼而在八坂庚申堂裡到處都有『不看、不聽、不說』的三猴身影,是啊~這也很符合"猴子神社"的稱號。
最後~
大家要是喜歡西姐的分享,有機會前往京都旅行時,絕對可以將『八坂庚申堂』納入口袋名單,因為~這裡真的五彩繽紛到會讓大家驚喜連連。
2017 夏✱日本京阪神親子遊 連載中.....
【2017 夏✱日本京阪神親子遊】京阪神六天五夜自助行程大公開!這趟旅程挑戰關西最熱鬧城市大阪、古意氛圍京都、洋風滿滿神戶,
還有還有...就讓我們繼續看下去!
【出國必備。網路分享器】帶著173wifi分享器環遊世界-日本武士機上網吃到飽wifi分享器超高速4G上網,前進日本京阪神感受無窮魅力!
【日本關西。大阪市】住宿篇。交通便利、價格公道又充滿家的溫馨氛圍『和風旅館上本町』,誠���推薦給背包客的旅人們一個住宿選擇。
【日本關西。大阪市】美食篇。據說吃三次就會上癮的『神座拉麵』,大量蔬菜熬煮的湯底,吃起來居然有一股熟悉感受,好奇嗎?
那就一起來上癮吧!
【日本關西。京都市】五顏六色繽紛度第一名的神社 『八坂庚申堂』,絕對可稱的上是廣大女孩們的IG大人氣夢幻背景牆,
簡直是秒殺一堆粉紅少女心啊~
※西莉亞玩樂人生※ 終於成立粉絲專頁啦!
大家想不想知道西莉亞又跑去哪裡遊玩了呢?
齁齁齁........最新訊息都公佈在粉絲專頁嘿。
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※日本關西京阪神六天五夜行程大公開※
※Day1行程:
桃園機場→關西空港→搭乘南海電鐵前往大阪→大阪上本町和風旅館(check in) →道頓崛、心齋橋 → 神座拉麵(晚餐) →激安殿堂→超市(KOHYO) →大阪上本町和風旅館
※Day2行程:
大阪上本町和風旅館→大阪環球影城(USJ)
※Day3行程:
大阪上本町和風旅館→ 奈良→興福寺→奈良公園(餵鹿趣)→東大寺→Gankoがんこ豬排店(中餐) →宇治→中村籐吉本店(抹茶冰淇淋)→平等院 x 鳳凰堂→稻荷→ 伏見稻荷大社 x 千本鳥居 →京都→大阪→千房大阪燒(晚餐)
※Day4行程:
大阪上本町和風旅館→京都→嵐山→嵯峨野觀光鐵道(嵐山小火車) →嵐山竹林→渡月橋→京都→すき家(中餐)→清水寺→八坂庚申堂→星巴克京都二寧坂YASAKA茶屋店→大阪→超市(Harves 晚餐)
※Day5行程:
大阪上本町和風旅館→神戶→北野異人館(風見鶏の館、萌黄の館)→美利堅公園→7-11(中餐)→大阪→無印良品→南海通激安殿堂→榮華亭燒肉(晚餐)→松本清藥粧店 →超市( Harves )
※Day6行程:
大阪上本町和風旅館→搭乘南海電鐵前往關空→關西空港→神座拉麵(中餐)→桃園機場
※日本四國德島四天三夜行程規劃※
※德島Day1行程:
桃園機場→關西空港→搭乘巴士前往德島(約2.5hr)→德島車站市區腳踏車移動 →瓢簞島周遊船 →Aeon購物中心
→巴士移動(Aeon購物中心→德島車站前) →晚餐(德島東大拉麵)→ 眉山纜車(夜景)→ 阿波おどり会館(1樓德島特產店)
→ 阿波おどり会館(2樓夜間公演)→ 住:JR德島克萊蒙特飯店(JR Hotel Clement Tokushima)
※德島Day2行程:
飯店出發(往南阿波移動(美波町))→太龍寺(搭乘纜車)→藥王寺→午餐(日和佐屋,南阿波料理) →海龜遊船→海龜博物館→道の駅(特產店)、腳踏車出租視察→阿佐海岸鐵道(海部→宍喰)→城滿寺(坐禪體驗)→晚餐(居酒屋) →住:德島市Guest House (uchincu)
※德島Day3行程:
民宿出發→德島巴士���視察 →美馬市-脇町南町→三好市-大步危遊船→道の駅(大步危特產店)→妖怪屋敷→古式蕎麥麵體驗 →午餐(蕎麥麵料理)→落合集落展望台→祖谷蔓橋→住:祖谷溫泉+晚餐(祖谷料理)
※德島Day4行程:
八合霧雲海→早餐→旅館出發→麵包超人觀光小火車(大步危→阿波池田)→本藍染矢野工場(藍染體驗)→極樂寺→靈山寺 →松茂(搭乘巴士)→關西空港→桃園機場
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9月のチョークアートレッスン開催日🎨✨ ※各レッスン場の住所は下記に記載がございます。 ⬇︎ 8月31日(土)15:00-17:00茅ヶ崎 1日(日)14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 7日(土) 14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 15日(日)14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 残席2名様 21日(土)1回目11:00-13:00 藤沢、2回目14:00-16:00 藤沢 ご希望あれば夜レッスン17:00-19:00 藤沢 22日(日)13:00-16:00 新宿 28日(土)1回目11:00-13:00 藤沢、2回目14:00-16:00 藤沢 ご希望あれば夜レッスン17:00-19:00 藤沢 藤沢レッスン ⬇︎ デニスキッチン 藤沢駅北口から徒歩4分 藤沢市藤沢991-19代官プラザ102 大塚レッスン ⬇︎ リガーレ 大塚駅から徒歩4分 小さなイタリアンレストラン 東京都豊島区北大塚3-23-2 新宿レッスン ⬇︎ 西新宿 ピーエルリッチサロンの場所 〒160-0023 東京都新宿区西新宿5-9-3ライオネスコーポ401号室 【新宿駅】 ・JR・小田急・京王・地下鉄都営新宿 各線 新宿駅下車 徒歩18分 【西新宿駅】 ・地下鉄丸の内線 「西新宿」駅下車 徒歩10分 【西新宿五丁目駅】 ・地下鉄都営大江戸線「西新宿五丁目」駅下車 A1出口を出て左へ 徒歩5分 【バス】 京王バス新宿駅西口バスターミナル (西口地下交番の真上になります) 17番乗場より乗車 ⑯渋谷駅行(宿51) 、永福町行(宿33) 、佼成会聖堂前行(宿32) 210円 いずれのバスでも、OKです。新宿駅西口より3つ目のバス停 「十二社池の下(じゅうにそういけのした)」 下車徒歩2分。 #tomoyoart #お絵描き #趣味探し #お絵描きレッスン #パステルアート #オイルパステル画 #大塚駅グルメ #藤沢グルメ #新宿 #インスタ映え #楽しい #海が好きな人と繋がりたい #ハワイ #オーストラリア #ワーホリオーストラリア #看板 #看板デザイン #手書き部 #体験レッスン受付中 #ワークショップ #ワークショップ講師募集 #女子力アップ #ウェディングボード #開業準備 #カラフル雑貨 #英会話初心者 #藤沢 #池袋グルメ #新宿で #りんご #イルカ #カレー好き #エスニック料理大好き #イタリアンレストラン #チョークアートレッスン https://www.instagram.com/p/B1q6RJlgPOx/?igshid=1x70hth0seeiu
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* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者 1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生 1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや���候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標���が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊��開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀 証言 1951年11月4日 中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正 自筆供述書 1954年9月7日 中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書 731部隊の研究者 1953年11月11日 中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎 731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄 731部隊少年隊 1923年生 1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ��ストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。 注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏 731部隊少年隊 1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明 731部隊少年隊 1928年生れ 1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ 731部隊教育隊 1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方 研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男 第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せ���かった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇 ハルピン市香坊区 1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。 当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。 煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、 涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴 ハルピン市香坊区 1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山 証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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10月からイベント
聖心女子大学 学園祭 2018 聖心祭 2018/10/20(土) https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/school-festival-u-sacred-heart?disp=more 東京都 渋谷区 広尾 4丁目 4-3-1 広尾橋 Traffic: 京急川崎駅 ⇒ 京急本線 特急 泉岳寺行 泉岳寺駅 ⇒ 泉岳寺前(バス)品97 新宿駅西口行 広尾橋
白百合女子大学 文化祭名 白百合祭 日程 2018/10/27(土) 東京都 調布市 緑ケ丘 1丁目 25-1-25 https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/school-festival-shirayuri?disp=more#i-2 仙川駅 Traffic: (1時間20分?) 川崎駅 ⇒ ナビにしよう 仙川駅
<NG>甲南女子大学 55回 海の見える丘祭 日程 2018/10/28(日) 東京都 調布市 緑ケ丘 1丁目 25-1-25 https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/school-festival-konan-wu?disp=more 兵庫県 神戸市 東灘区 森北町 6丁目 6-2-23 Traffic: (6時間以上) 新幹線高い!無理
フェリス女学院大学 緑園キャンパス 11月3日 両日とも11:00~19:00 (模擬店は17:00まで) https://ferrisfestival-official.jimdo.com/ 緑園都市駅 Traffic: 川崎駅 ⇒ 京浜東北線 各停 大船行 横浜駅 ⇒ 相鉄本線 快速 湘南台行 緑園都市駅
お茶の水女子大学 学園祭 2018 第69回徽音祭 「お茶女時代」 2018/11/04(日) https://www.enjoytokyo.jp/life/event/1317971/ 茗荷谷駅 / 護国寺駅 Traffic: 川崎駅 ⇒ 東海道本線 各停 高崎行 東京駅 ⇒ 丸ノ内線 各停 池袋行 茗荷谷駅
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デザイン公開講義:大正大学について
〈大正大学の歴史と特色〉 1926年、大正大学は旧大学令により全国で21番目に設立された歴史ある大学です。 当時の仏教界をリードする5博士が設立したことや、学内の建物の観音堂や礼拝堂から仏教色の濃さがうかがえます。 学部は仏教学部、文学部、人間学部、心理社会学部、表現学部、地域創生学部の6つからなり、それぞれの学部で学科やコースがわかれています。
〈地域との関わり〉 大正大学は地域に根ざした大学なので、7月の「鴨台盆踊り」や、9月の「光とことばのフェスティバル」など一般の方が参加できる行事がたくさんあります。今回のデザイン公開講座も誰でも参加することができます! 10号館1階の食堂や、元プリンスホテルの料理長が腕を振るう5号館8階の鴨台食堂など、一般の方が利用できる施設もありますので、今回のデザイン公開講座の時間より少し早めに来てぜひ利用してみてください!
〈第1回デザイン公開講座情報〉
「400万ダウンロードのデザイン術」 株式会社グラムス アート部 部長:清水愛子さん
日時:平成30年6月26日(火)5限(16:30〜18:00) 場所:大正大学3号館3階 表現ゼミ3・4
〈大正大学へのアクセス〉 【電車】 ・都営地下鉄三田線:西巣鴨駅下車 徒歩2分 ・JR埼京線:板橋駅東口下車 徒歩10分 ・都電荒川線:庚申塚駅又は新庚申塚駅下車 徒歩7分
【バス】 ●池袋駅東口から都バス・・・堀割バス停下車 徒歩2分 ・6番乗り場 西新井駅前行き、北車庫前行き、新田一丁目行き ・7番乗り場 浅草雷門南行き ・12番乗り場 とげぬき地蔵前行き ・13番乗り場 浅草寿町行き
デザイン公開講義シンポジウム情報サイトはこちら
http://t-edit.jp/lecture/
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540 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/26(月) 19:55:17.33 ID:agSnLHv/ 質問です。よろしくお願いします。 三月中旬に関西から筑波山に行きます。 木曜の夜にクルマで出発。金曜と土曜は茨城県に滞在します。 1、最短ルートは、名神→東名→首都高→常磐道ですが、多少の遠���りでも中央道→首都圏中央連絡道の方が走りやすいですか? 2、AM2:00~3:00頃、筑波山の麓に到着予定。 オススメの仮眠スポットありますか? 3、下山後の風呂は、つくば湯が定番? 4、つくば市内で宿泊予定。観光スポットありますか? 「地質標本館」と「JAXA筑波宇宙博物館」が候補です。 5、つくば市とその周辺の道路、金土日は混みますか? 6、昔、袋田の滝と、偕楽園を見て水戸に泊まりました。 納豆とアンコウと干し芋以外で「コレ食っとけ」ってありますか? 色々質問しましたがよろしくお願いします。 541 名前:底名無し沼さん [hage] :2018/02/27(火) 05:02:58.31 ID:qDKLUkNH >>540夜に関西を出発で筑波山着が2時か3時ぐらいですと僕なら東名 首都高と抜けてきます。 若干、工事規制とか車の台数があると思われますがイラつく程の渋滞にハマる事は ないと思うんですよね。。。 下山後の温泉は、お任せして つくば市内で宿泊ですと 家族連れ カップルなら学園東大通りにあるメヒコってレストランでカニチャーハンとかを推奨いたします。 んで。。。昼間だと金土日は コストコや その周辺は 少し混みますが大都会ほどの渋滞では ないと思うんですが。。。 観光スポットでは、つくば周辺だと少し足を延ばし牛久の大仏とか 牛久ワインシャトーでしょうか。。。 男だけですと。。。にんたまラーメンを 食べたいですねW つくば にんたまラーメン で、ググってみて下さい 543 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 08:25:56.83 ID:oteemXvE 3月21日まで筑波山梅まつりをやってるので、行ってみるがよろし 544 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 09:00:26.53 ID:Ufizs1Ml もう少し時期が早ければ真壁の雛祭り見られたのに ま、帰り��でもペンギン寄って「貧乏」のハンバーグでも食べてくるのもいいかも 545 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 09:47:37.32 ID:4kA2ev4y 1、中央道→首都圏中央連絡道の方が絶対走りやすい 2、残念ながらない。駐車場でそのまま寝るしかない。 3、やさと温泉ゆりの郷もお薦め 4、「地質標本館」と「JAXA筑波宇宙博物館」そういうのに興味があればおすすめ。 5、市街地はそこそこ混みますが、抜け道があるので心配無用。 6、残念ながらない 質問に答えてみると、本当に茨城って特筆するものが少ないな 何もないことを楽しめる人は楽しめると思う 548 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 14:04:59.94 ID:7Dq8fzC5 6は のし梅、吉原殿中を押さえておけばいい 550 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 19:21:37.98 ID:9HkV7+H+ 6.常陸秋蕎麦おいしいよー、だいたい幟がお店の前に出てるから 551 名前:底名無し沼さん :2018/02/27(火) 19:36:48.30 ID:j9d3GYiS >>540 1、夜遅いなら首都高を抜ける最短ルート 2、バス停のある沼田の筑波山口に、公衆トイレと無料の駐車場があります。 仮眠するならそこがよいかも。 3、筑波山周辺は、源泉かけ流しの温泉はありません。どこでも1000円はするので割高感は否めないかと。 4、3月上旬なら、真壁の雛人形。 5、混みません。 6、個人的には沼田にある第一屋本店さんのヨモギ団子がオススメです。 553 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 23:00:14.88 ID:r1Lqvnuh >>540 仮眠スポットかぁ。 湯袋峠の近くの地蔵様あたりは静か?でいいよー。 555 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 23:16:19.57 ID:wpWGHDEU >>540です。 皆さま、有益な情報をありがとうございました。 レスが多くて個別に返答が大変なので省略させて頂きますが、全部読みました。 特に、グルメ・お風呂・仮眠スポットの情報は助かります。 この板で、色々なスレッドで質問をしましたが、筑波山スレが一番親切丁寧ですね。 良い人が集まる山に登れるのが、今から楽しみです。 556 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/27(火) 23:25:19.83 ID:ljCXKnHi >>555 神社前から登ると(標高差600m)一時間半程で山頂まで行けるから 出来れば標高差800mを堪能できるように麓のつくば口バスターミナル(旧筑波駅)に車駐車して(無料)そこから登ると二時間半程楽しめるよ。そこで仮眠も出来るし 557 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/28(水) 12:10:37.31 ID:ZVwuMqce >>555 茨城、栃木のソウルフードしもつかれは食べておくべし。話の種になるしw 筑波山周辺のスーパーなら入手可能。 見た目はアレだが日本酒のつまみにいい。 558 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/02/28(水) 14:13:25.80 ID:pHwJ1tWS >>557 それ宇都宮の大関商店が大量生産してるしもつかれだろ。それならスーパーじゃなくても通販で買えるよ。 茂木、佐野、馬頭の道の駅にあるから地場のもの買うならそっちがおすすめ。しかし筑波からは遠いから地元の人間でも買いに行くのは大変。 >>555 土産ならレンコン料理やワカサギかな。それもだいたいは高速のサービスエリアやパーキングに置いてあるからそこで調達できてしまう。 スイーツならコートダジュール。日本酒は霧筑波が人気。 561 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/03/01(木) 06:55:40.66 ID:RIcj+Wog >>540です。 引き続きレアな情報ありがとうございます。 特に、しもつかれ。 調べました。北関東のソウルフード。初めて知りました。 確かにビジュアルに難ありですが、縁起物なんですね。 スーパーに売ってるなら話のネタに買って帰ろうと思います。 562 名前:底名無し沼さん [sage] :2018/03/01(木) 07:56:55.92 ID:l4gFLgx3 夜中に着くとなると、筑波山市営駐車場は5時過ぎないと入れないので注意 筑波山神社駐車場は24時間です つつじヶ丘駐車場は9時からですが、夜間は無料開放です ガマ公園駐車場は常連さんが多そうなので使ったことはないです 他に筑波山麓駐車場がいくつかありますが遠いです 568 名前:底名無し沼さん :2018/03/02(金) 12:17:33.76 ID:JEaJ8kRU >>562 つつじが丘駐車場も24時間有料になりましたよ。 569 名前:底名無し沼さん :2018/03/02(金) 12:27:23.43 ID:JEaJ8kRU 筑波山神社の駐車場は24時間やっていますが、トイレが遠いので、仮眠や車中泊には向いてないかな。
▲▲ 筑波山 7 △△[転載禁止] ・ http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1510484939/
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. そろそろ縁側に陽が当たらなくなってきましたが、あたたかな お茶と 抹茶ぜんざいが待っています。 明日は 12:30~14:30の間、貸切りとなります。 お時間をずらしてご来店くださいませ。 . バイサオウ 日本茶喫茶 ギャラリー樟楠にて . #バイサオウ #baisaou #日本茶喫茶 #抹茶ぜんざい #ぜんざい #煎茶 #抹茶 #ほうじ茶 #焙じ茶 #さいたま市 #大宮区 #さいたま新都心 #アルピーノ村 #素敵屋さん 横 #アルピーノ #北袋1丁目バス停前 #ギャラリー樟楠 (ギャラリー樟楠) https://www.instagram.com/p/Bt7nwXSHWKU/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1ji3n1327z51w
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. OUTDOOR STYLE 茶STAND 陽射しがないので少し寒いですが、あたたかな抹茶ラテを準備して皆様をお待ちしております。 バイサオウ 日本茶喫茶 本日 18時まで アルピーノ村 素敵屋さん前(東武バス 北袋1丁目バス停横) #抹茶ラテ #茶スタンド #Greenteastand # Greentea #teastand #バイサオウ #baisaou #日本茶喫茶 #煎茶 #抹茶 #ほうじ茶 #焙じ茶 #さいたま市 #大宮区 #さいたま新都心 #アルピーノ村 #素敵屋さん #素敵屋さん前 #北袋1丁目バス停前 #ギャラリー樟楠 (素敵屋さん) https://www.instagram.com/p/Bq3f9XYgbm-/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=x2ob0x8x0evl
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│日本。京都│五顏六色繽紛度第一名的神社 『八坂庚申堂』,絕對可稱的上是女孩們IG夢幻背景牆,簡直是秒殺一堆粉紅少女心啊~
據說『八坂庚申堂』這裡啊.....可是掛滿了五顏六色、色彩鮮豔的沙包球(名為倒吊猴),相傳只要在這上頭寫上心願,並且掛上就能夠實現喔。
是的~
今天旅人西的腳步準備繼續停留在這一趟京阪神親子遊的旅行紀趣,話說~那一天,西姐一家子正迷路在京都街道上~只為探尋那傳說中繽紛度No.1的『八坂庚申堂』神社。
說到神社嘛~
大家前往日本旅行,參拜神社感覺就是必要的一環,但其實對宗教信仰不同的西姐來說,反倒是神社特殊建築才更引起姐我的興趣。
其實日本有許許多多你我都不知道的大大小小神社,而西姐為何想要為今天所要分享的神社特別專文介紹呢??
那是因為今天所要分享的『八坂庚申堂』除了能祈求心願之外,齁齁齁~它可是超好拍照的IG夢幻打卡點啊~(好吧!姐我承認我膚淺XD)
想當初啊......
西姐將這裡安排為重要必逛景點之一時,居然換來咱們馬丁嗤之以鼻,啊~就一堆彩色小布袋(那是小布猴小布猴小布猴好嗎?)是有啥好逛的。
切~馬丁不懂不懂啦,他根本不懂西姐內心粉紅小宇宙對一幅幅網路上『八坂庚申堂』彩色畫面是有多麼嚮往啊~
所以囉~西姐懶得理馬丁,硬是要把『八坂庚申堂』納入當天京都行程的口袋名單之一。
哈哈哈,不過對有路癡稱號的西姐來說,平板*1台、手機*2台都開啟 google map,結果還是迷失在京都街道中呢XDD
反正結局就是西姐找了約半小時拼命傻傻轉,結果馬丁接手花不到1分鐘,就找到目的地『八坂庚申堂』,西姐果然是路癡無誤 =.="
好啦,前面講成這樣,大家一定很好奇這『八坂庚申堂』究竟為何讓西姐這麼嚮往吧??
那就趕緊來瞧瞧日本妞們及廣大的各國籍女性旅人,是如何參拜兼拍美照順便上傳 IG 唄XD
日本京都│八坂庚申堂
地址:京都府京都市東山区金園町390
交通:市営バス「清水道」下車,再步行5~7分鐘
電話:075-541-2565
時間:9:00~17:00
料金:無料
官網:http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/index.htm
▼『八坂庚申堂』其實是日本最初開創庚申信仰的寺廟。
所謂的「庚申」指的是人類體內的三屍蟲趁著人睡覺之時跑出身體,並向神明說人類壞話的那一天。
傳說被告狀的那個人的壽命會縮短,因此當天也會有人通宵熬夜一整晚都不睡覺的。(資料來自網路)
▼哈哈哈~
姐我終於找到這裡了,想到剛剛一家人跟著西姐在這附近亂亂轉了好一會兒,對照現在笑開懷的西姐,其它3個人其實臉像大便一樣~很臭XD
▼登勒~
其實位於京都東山的『八坂庚申堂』整體來說面積不大,大概就是大家看到這樣而已,而原名為大黒山延命院金剛寺,又被稱之為"猴子神社" 。
▼是不是是不是~
大家可別覺得這裡小不嚨咚,但旅人們可是來來去去非常熱鬧,尤其最多的莫過於穿著浴衣的可愛少女們來這裡拍一張彩色繽紛美照啊。
▼大家看見庭院中間供奉的是賓頭顱尊者木像,認真說西姐不是很懂這是哪一位,但既然都到此地,一定要抱持著尊重的心情。
▼要是誠心參拜完後,一定要跟眼前這一片夢幻的彩色倒吊猴合照,當然,若能像眼前這些浴衣美女們一樣,拍起來就更有fu。
▼『八坂庚申堂』裡掛著許多以猴子為概念,顏色鮮豔且如同沙包般的裝飾,其名為『倒吊猴』,不但繽紛而且又可愛。
這對廣大女孩們,呵呵呵~當然也包括西姐啦,都有著無法抗拒的魅力,來到京都~一定要來『八坂庚申堂』走一趟啦。
▼西姐此刻的心情非常興奮,因為終於將網路中的畫面化為真實,不過~這不就是旅行的意義嗎??
噗~瞧瞧姐我身上的曬痕,就可以知道7月中的京阪天氣可熱情到讓姐我都融化啦。
▼其實『倒吊猴』是模擬將手腳徹底綁住而無法活動的猴子。
當然也有人說這代表著控制欲望,其意義為只要忍過一個欲望便能夠實現一個你真心想實現的願望。(資料來自網路)
▼據說啊~
只要拿筆在繽紛布料製成的『倒吊猴』身上寫上自己想實現的願望("くくり猿"(許願猴)500¥),然後再將它掛上去之後,便能夠實現心中願望呢。至於是否靈驗,請大家將來有機會一定要自己走一趟『八坂庚申堂』囉。
▼期盼每個寫上心願,掛上『倒吊猴』的旅人們,都能夠實現願望唷^^
還有…..西姐是用生命跟靈魂在寫文章(胎胎有浮誇~),請按個讚給我鼓勵一下吧^^
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▼這些五彩繽紛可愛的綁手綁腳『倒吊猴』,如果要讓願望實現的話,只能寫一個願望不能三心二意。
但是因為"猿"又與"緣"同音,所以在這"綁上猿猴"也有"結緣"的意思呢~
▼而在八坂庚申堂裡到處都有『不看、不聽、不說』的三猴身影,是啊~這也很符合"猴子神社"的稱號。
最後~
大家要是喜歡西姐的分享,有機會前往京都旅行時,絕對可以將『八坂庚申堂』納入口袋名單,因為~這裡真的五彩繽紛到會讓大家驚喜連連。
2017 夏✱日本京阪神親子遊 連載中.....
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※日本關西京阪神六天五夜行程大公開※
※Day1行程:
桃園機場→關西空港→搭乘南海電鐵前往大阪→大阪上本町和風旅館(check in) →道頓崛、心齋橋 → 神座拉麵(晚餐) →激安殿堂→超市(KOHYO) →大阪上本町和風旅館
※Day2行程:
大阪上本町和風旅館→大阪環球影城(USJ)
※Day3行程:
大阪上本町和風旅館→ 奈良→興福寺→奈良公園(餵鹿趣)→東大寺→Gankoがんこ豬排店(中餐) →宇治→中村籐吉本店(抹茶冰淇淋)→平等院 x 鳳凰堂→稻荷→ 伏見稻荷大社 x 千本鳥居 →京都→大阪→千房大阪燒(晚餐)
※Day4行程:
大阪上本町和風旅館→京都→嵐山→嵯峨野觀光鐵道(嵐山小火車) →嵐山竹林→渡月橋→京都→すき家(中餐)→清水寺→八坂庚申堂→星巴克京都二寧坂YASAKA茶屋店→大阪→超市(Harves 晚餐)
※Day5行程:
大阪上本町和風旅館→神戶→北野異人館(風見鶏の館、萌黄の館)→美利堅公園→7-11(中餐)→大阪→無印良品→南海通激安殿堂→榮華亭燒肉(晚餐)→松本清藥粧店 →超市( Harves )
※Day6行程:
大阪上本町和風旅館→搭乘南海電鐵前往關空→關西空港→神座拉麵(中餐)→桃園機場
※日本四國德島四天三夜行程規劃※
※德島Day1行程:
桃園機場→關西空港→搭乘巴士前往德島(約2.5hr)→德島車站市區腳踏車移動 →瓢簞島周遊船 →Aeon購物中心 →巴士移動(Aeon購物中心→德島車站前) →晚餐(德島東大拉麵)→ 眉山纜車(夜景)→ 阿波おどり会館(1樓德島特產店) → 阿波おどり会館(2樓夜間公演)→ 住:JR德島克萊蒙特飯店(JR Hotel Clement Tokushima)
※德島Day2行程:
飯店出發(往南阿波移動(美波町))→太龍寺(搭乘纜車)→藥王寺→午餐(日和佐屋,南阿波料理) →海龜遊船 →海龜博物館→道の駅(特產店)、腳踏車出租視察→阿佐海岸鐵道(海部→宍喰)→城滿寺(坐禪體驗)→晚餐(居酒屋) →住:德島市Guest House (uchincu)
※德島Day3行程:
民宿出發→德島巴士站視察 →美馬市-脇町南町→三好市-大步危遊船→道の駅(大步危特產店)→妖怪屋敷→古式蕎麥麵體驗 →午餐(蕎麥麵料理)→落合集落展望台→祖谷蔓橋→住:祖谷溫泉+晚餐(祖谷料理)
※德島Day4行程:
八合霧雲海→早餐→旅館出發→麵包超人觀光小火車(大步危→阿波池田)→本藍染矢野工場(藍染體驗)→極樂寺→靈山寺 →松茂(搭乘巴士)→關西空港→桃園機場
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│日本。京都│五顏六色繽紛度第一名的神社 『八坂庚申堂』,女孩們的IG大人氣夢幻背景牆,簡直是秒殺一堆粉紅少女心啊~
據說『八坂庚申堂』這裡啊.....可是掛滿了五顏六色、色彩鮮豔的沙包球
(名為倒吊猴),相傳只要在這上頭寫上心願,並且掛上就能夠實現喔。
是的~
今天旅人西的腳步準備繼續停留在這一趟京阪神親子遊的旅行紀趣,話說~
那一天,西姐一家子正迷路在京都街道上~
只為探尋那傳說中繽紛度No.1的『八坂庚申堂』神社。
說到神社嘛~
大家前往日本旅行,參拜神社感覺就是必要的一環,但其實對宗教信仰不同的
西姐來說,反倒是神社特殊建築才更引起姐我的興趣。
其實日本有許許多多你我都不知道的大大小小神社,而西姐為何想要為今天所
要分享的神社特別專文介紹呢??
那是因為今天所要分享的『八坂庚申堂』除了能祈求心願之外,齁齁齁~它可是
超好拍照的IG夢幻打卡點啊~(好吧!姐我承認我膚淺XD)
想當初啊......
西姐將這裡安排為重要必逛景點之一時,居然換來咱們馬丁嗤之以鼻,啊~就一
堆彩色小布袋(那是小布猴小布猴小布猴好嗎?)是有啥好逛的。
切~馬丁不懂不懂啦,他根本不懂西姐內心粉紅小宇宙對一幅幅網路上『八坂庚
申堂』彩色畫面是有多麼嚮往啊~
所以囉~西姐懶得理馬丁,硬是要把『八坂庚申堂』納入當天京都行程的口袋名
單之一。
哈哈哈,不過對有路癡稱號的西姐來說,平板*1台、手機*2台都開啟 google
map,結果還是迷失在京都街道中呢XDD
反正結局就是西姐找了約半小時拼命傻傻轉,結果馬丁接手花不到1分鐘,就找
到目的地『八坂庚申堂』,西姐果然是路癡無誤 =.="
好啦,前面講成這樣,大家一定很好奇這『八坂庚申堂』究竟為何讓西姐這麼嚮
往吧??
那就趕緊來瞧瞧日本妞們及廣大的各國籍女性旅人,是如何參拜兼拍美照順便上
傳 IG 唄XD
☆八坂庚申堂
地址:京都府京都市東山区金園町390
交通:市営バス「清水道」下車,再步行5~7分鐘
電話:075-541-2565
時間:9:00~17:00
料金:無料
官網:http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/index.htm
▼『八坂庚申堂』其實是日本最初開創庚申信仰的寺廟。
所謂的「庚申」指的是人類體內的三屍蟲趁著人睡覺之時跑出身體,並向神明
說人類壞話的那一天。 傳說被告狀的那個人的壽命會縮短,因此當天也會有人
通宵熬夜一整晚都不睡覺的。(資料來自網路)
▼哈哈哈~
姐我終於找到這裡了,想到剛剛一家人跟著西姐在這附近亂亂轉了好一會兒,
對照現在笑開懷的西姐,其它3個人其實臉像大便一樣~很臭XD
▼登勒~
其實位於京都東山的『八坂庚申堂』整體來說面積不大,大概就是大家看到這樣
而已,而原名為大黒山延命院金剛寺,又被稱之為"猴子神社" 。
▼是不是是不是~
大家可別覺得這裡小不嚨咚,但旅人們可是來來去去非常熱鬧,尤其最多的莫過
於穿著浴衣的可愛少女們來這裡拍一張彩色繽紛美照啊。
▼大家看見庭院中間供奉的是賓頭顱尊者木像,認真說西姐不是很懂這是哪一
位,但既然都到此地,一定要抱持著尊重的心情。
▼要是誠心參拜完後,一定要跟眼前這一片夢幻的彩色倒吊猴合照,當然,
若能像眼前這些浴衣美女們一樣,拍起來就更有fu。
▼『八坂庚申堂』裡掛著許多以猴子為概念,顏色鮮豔且如同沙包般的裝飾,
其名為『倒吊猴』,不但繽紛而且又可愛。
這對廣大女孩們,呵呵呵~當然也包括西姐啦,都有著無法抗拒的魅力,來到
京都~一定要來『八坂庚申堂』走一趟啦。
▼西姐此刻的心情非常興奮,因為終於將網路中的畫面化為真實,不過~這不就
是旅行的意義嗎??噗~瞧瞧姐我身上的曬痕,就可以知道7月中的京阪天氣可
熱情到讓姐我都融化啦。
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當然也有人說這代表著控制欲望,其意義為只要忍過一個欲望便能夠實現一個
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猿"(許願猴)500¥),然後再將它掛上去之後,便能夠實現心中願望呢。
至於是否靈驗,請大家將來有機會一定要自己走一趟『八坂庚申堂』囉。
▼期盼每個寫上心願,掛上『倒吊猴』的旅人們,都能夠實現願望唷^^
還有…..
西姐是用生命跟靈魂在寫文章(胎胎有浮誇~),請按個讚給我鼓勵一下吧^^
西莉亞玩樂人生
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▼這些五彩繽紛可愛的綁手綁腳『倒吊猴』,如果要讓願望實現的話,只能寫
一個願望不能三心二意。
但是因為"猿"又與"緣"同音,所以在這"綁上猿猴"也有"結緣"的意思呢~
▼而在八坂庚申堂裡到處都有『不看、不聽、不說』的三猴身影,是啊~
這也很符合"猴子神社"的稱號。
最後~
大家要是喜歡西姐的分享,有機會前往京��旅行時,絕對可以將『八坂庚申堂』
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※Day1行程:
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※Day2行程:
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※Day4行程:
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→ 阿波おどり会館(2樓夜間公演)→ 住:JR德島克萊蒙特飯店(JR Hotel Clement Tokushima)
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※德島Day3行程:
民宿出發→德島巴士站視察 →美馬市-脇町南町→三好市-大步危遊船→道の駅(大步危特產店)→妖怪屋敷→古式蕎麥麵體驗 →午餐(蕎麥麵料理)→落合集落展望台→祖谷蔓橋→住:祖谷溫泉+晚餐(祖谷料理)
※德島Day4行程:
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9月のチョークアートレッスン開催日🎨✨ ※各レッスン場の住所は下記に記載がございます。 ⬇︎ 8月31日(土)15:00-17:00茅ヶ崎 1日(日)14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 7日(土) 14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 15日(日)14:00-16:00 大塚 レストラン リガーレ 残席2名様 21日(土)1回目11:00-13:00 藤沢、2回目14:00-16:00 藤沢 ご希望あれば夜レッスン17:00-19:00 藤沢 22日(日)13:00-16:00 新宿 28日(土)1回目11:00-13:00 藤沢、2回目14:00-16:00 藤沢 ご希望あれば夜レッスン17:00-19:00 藤沢 藤沢レッスン ⬇︎ デニスキッチン 藤沢駅北口から徒歩4分 藤沢市藤沢991-19代官プラザ102 大塚レッスン ⬇︎ リガーレ 大塚駅から徒歩4分 小さなイタリアンレストラン 東京都豊島区北大塚3-23-2 新宿レッスン ⬇︎ 西新宿 ピーエルリッチサロンの場所 〒160-0023 東京都新宿区西新宿5-9-3ライオネスコーポ401号室 【新宿駅】 ・JR・小田急・京王・地下鉄都営新宿 各線 新宿駅下車 徒歩18分 【西新宿駅】 ・地下鉄丸の内線 「西新宿」駅下車 徒歩10分 【西新宿五丁目駅】 ・地下鉄都営大江戸線「西新宿五丁目」駅下車 A1出口を出て左へ 徒歩5分 【バス】 京王バス新宿駅西口バスターミナル (西口地下交番の真上になります) 17番乗場より乗車 ⑯渋谷駅行(宿51) 、永福町行(宿33) 、佼成会聖堂前行(宿32) 210円 いずれのバスでも、OKです。新宿駅西口より3つ目のバス停 「十二社池の下(じゅうにそういけのした)」 下車徒歩2分。 #tomoyoart #お絵描き #趣味探し #お絵描きレッスン #パステルアート #オイルパステル画 #大塚駅グルメ #藤沢グルメ #新宿 #インスタ映え #楽しい #海が好きな人と繋がりたい #ハワイ #オーストラリア #ワーホリオーストラリア #看板 #看板デザイン #手書き部 #体験レッスン受付中 #ワークショップ #ワークショップ講師募集 #女子力アップ #ウェディングボード #開業準備 #カラフル雑貨 #英会話初心者 #藤沢 #池袋グルメ #新宿で #りんご #イルカ #カレー好き #エスニック料理大好き #イタリアンレストラン #チョークアートレッスン https://www.instagram.com/p/B1q6EmtgmJQ/?igshid=1d649oew7sv7s
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