#入門講座
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【資格合格逆算メソッド】「木を見て森を見ず」勉強法 初めて受験する資格試験 効率よく勉強する方法とは?
東京都江戸川区 ひとり会社設立や小さい会社の企業法務・相続専門 資格試験アドバイザーの司法書士・行政書士の桐ケ谷淳一(@kirigayajun)です。 はじめに 「資格合格逆算メソッド」。 合格(=受験日)点を取るために、逆算して今何をすべきかを考えるメソッドです。 資格試験合格のためには、合格点を把握して、それを目標に勉強することが大事です。 試験勉強を始めるに当たり、大事なことをこれから書いていきます。 これは自分でも反面教師的なところがあります。 資格試験初心者へ まずは全体像を把握する 「木を見て森を見ず」勉強法。 初心者の人ほど全体像を意識して勉強することが短期合格への第一歩です。 資格試験の勉強 何からすればいいのかわかりません? この資格を目指していざ勉強を始めようと思っても、どうやって勉強を始めていいか分からないという方もいるでしょう。 そこでおすすめなのは、「入門…
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アンガーマネジメント入門講座
アンガーマネジメント入門講座を 久しぶりに開催しました
先日、久しぶりに アンガーマネジメント入門講座を企画開催しました。 ここ何年は、研修や講演に登壇することはあっても 自主開催講座をしていなかったので、 新鮮な気持ちで登壇することができました。 開催したきっかけは、HPへの問い合わせに 講座を希望するお声があったから。 最初はおひとりでしたが…開催日を決めると あっという間に満席になりました。 不思議ですね。 みなさん、とても熱心で質問が止まらず、 このままいくと90分越えてしまうかも…と 少し心配しましたが、85分で終了。 その後は、 受検されたアンガーマネジメント診断と 入門講座がリンクしている点などを説明。 それぞれの質問にお答えしました。 研修や講演だと、同じ環境であったり 同じような立場であったりすることが多いですが、 入門講座には、様々な方がいらっしゃいます。 事例も偏りなくお話す…
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5社の就職試験を受け、なんと5社すべてから内定をいただきました。 誰にでもできるシンプルな作戦ではあるのですが、実際にやるとなるとすこし大変かもしれません。けれど、どうしてもコピーライターになりたかった私は、自分が編み出したこの方法を実践することで、内定がもらえるだろうという自信のようなものがありました。なぜならその方法は、日本中の誰も(きっと)やったことがない方法だと思っていたからです。 ということでさっそく、その手の内を明か���ますね。こたえは簡単。 「写経」です。 わかりますでしょうか? 一般的にはお坊さんがお経をひたすら写し取る作業のことを指しますよね? コピーライターの場合もほぼ同じ意味です。「過去の(名作といわれる)コピーを手で書き写すこと」。これだけです。本当にこれだけのことを行うだけで、試験を受けたすべての会社から内定をもらうことができました。 ちなみにこの写経、コピーライターを志す人や、若いコピーライターなら、経験済みという人も多いと思いますし、上司から「やれ」と言われることもありますよね。それほど“ベタ”な方法なわけです。それでもこの方法で内定がもらえると自信があったのは、人とはちがうやり方を発見したからです。 前置きが長くなってしまいましたが、さっそく具体的な方法をお伝えします。 それは“圧倒的な量”をこなすことです。 あまりにも単純でしょうか? がっかりしたでしょうか? すみません… けれどもなぜわたしが、そんなサルでも思いつくような方法を実践しようと思ったのか。その経緯も説明しておきますね。 わたしは当時、宣伝会議が主催する『コピーライター養成講座』に通っていました。 (…) さまざまな講師の方に、“定点観測をするように”、尋ねました。 「コピーライターになるために今やっておいたほうがいいいちばんの練習ってなんですか?」 シンプルな質問です。答えの中でもっとも多かったのが、さきほど紹介した「写経」だったのです。さらに偶然なのですが、当時読んだ広告業界への就職に関するの書籍の中で、ある人がこう言っていました。「コピー年鑑の1年分のすべての文字を書き写しました」。 よし、これだ! 未経験のじぶんがコピーライターになるための方法はこれしかない! そのときそう思ったんです。 けれど1年分じゃその人の真似で終わってしまいます。倍の2年分にしようか? いやいや、それだとインパクトは弱いかな…。思いきって5年分! うーん…中途半端? ということで結論、 10年分のコピー年鑑を写経しました。 これがわたし流の、すべての会社から内定をゲットした方法です。 さて、やるべきことは決めたものの、そのためにはコピー年鑑を入手しないといけません。ご存知の方も多いと思いますが、コピー年鑑といえば1冊約2万円!もする高額書籍です。若かったジブンが簡単に購入できる書籍ではありません。そこで近所の図書館を何件かはしごして、10年分を手元に入手しました。10冊すべてを自宅のデスクに積み上げると壮観でしたが、これをすべて写すのかと思うと、果てしない道のりにも感じました。 (…) さて、準備が整いました。コピー年鑑は最初から写していきます。TCC賞、審査委員賞、部門別コピー、新人賞という流れだったかと思います(現在の年鑑では新人賞が前の方に来ていますね)。とくに新人賞の受賞者は年齢や作品が大きく取り上げられていたので、勝手にライバル視していました。 また、ひとつの広告に絞ると、キャッチコピー⇒リードコピー⇒ボディコピー⇒そして小さな文字で書かれた注釈まですべてを写します。肉眼で見えない部分は、“100均”で購入した虫眼鏡を使って読み取りました。コピーの良し悪しなんて当時はまったくわかりません。それでもコピー年鑑に掲載されている時点ですべてお手本だと思ってひたすら作業を続けました。 (…) 写経の過程でたくさんの発見もありました。コピーを写すことでいいとされるコピーを知識として知ったということはもちろんですが、それ以外にも、毎年掲載されているコピーライターの名前は嫌でも覚えます。また、その人の文体までなんとなくわかってきます。細かい点でいうと、「ボディコピーってこれくらいの長さが一般的なんだな」など、そういった感覚もついてきます。10年分を通して見ると、じつは毎年同じような作品が掲載されていることも知りました。そのため作業に飽きてしまう日もありましたが、言葉を変えれば“飽きるほどやる”ということは、覚えてしまったということでもあありますよね。とにかくとても大切な経験だったと思っています。 さて、作業自体は楽しかったのですが、困ったこともありました。朝から晩まで写経を続けていると、8時間くらい経過したところで、目の前がチカチカして、軽い眩暈のような状態になるんです。遠近感がつかめず、立ち眩みがするのです。心ではもっと書きたいと思うのですが、その症状が発症したら作業は終了と決めました。1日約8時間。1冊を写し終えるのに5日くらいかかっていたと思います。 10年分を3か月で写経完了! 写経したコピーが書かれたプロジェクトペーパーは、さきほども言ったようにパンチ穴をあけて、リングファイルのいちばん背幅が厚いものに綴じていきます。10年分ですから相当の厚さになります。重量も5kgくらいはあったでしょうか。 ちょうどその頃、養成講座も修了するタイミングでしたので、就職活動も開始しました。養成講座の受講生だけが見られる求人票や、マスメディアンのサービスを利用しました。当時は地方在住だったため、面接のためには上京の必要がありました。交通費をなるべく抑えたかったので、なるべく面接は1日にまとめるようにして、その結果、5社を1日で受けられるようにスケジュールを組みました。 ※書類選考は半分ほどの割合で通過しました。 “写経ファイル”は、キャリーバッグに入れないと持ち運びができないほどの大きさにふくれあがっていました。ですが、面接で毎回そのファイルを見てもらうと、必ずといっていいほどウケます。若干ひかれていたかもしれません。「なにそれ?」「こんなヤツ初めて見た」「誰もやったことないんじゃない?」「うちで決めちゃえば?」などなど…。手ごたえを感じるたくさんの言葉をいただくことができました。 未経験者がコピーライターという肩書きを手に入れるためには、どうすればいいのか。内定から逆算して行動できたことがよかったと思います。元々、学生時代に行った就職活動もけっこう好きでした。いろんな会社にタダで葉入れて、話が聞ける。そしてもちろんたくさん落ちました。そんななかで自分をアピールする方法を考えないといけないということも学びました。 どうすれば、「人と差別化できて」「インパクトを残せて」「いっしょに働いてみたい」と思ってもらえるか。 そういった視点で準備をすることが重要です。しょせん私自身は、実際としては“経験ゼロの若造”なわけですから。それでも「おもしろいヤツだな」と思っていただけると、次のステップに進めるのではないかと考えていました。結果としてすべての会社から内定をいただくことができましたが、正直そこまでの結果は予想していませんでしたけど。 この方法を実践すれば、すべての会社とは言わないまでも、ある程度の確率でいいところまで行けるのではないでしょうか。もちろんもっと楽でスマートな方法もあるかもしれません。でも、本当にかなえたい夢のためなら、努力はできると思います。逆に、これくらいの努力ができないのであれば、あなたはあまりコピーライターには向いていないかもしれません。 ちなみにわたしの場合は、電通や博報堂に入社することよりも、コピーライターになる方が重要でした。 結果として10年以上がたった今も、毎日楽しく働くことができていますし、「会社行くの嫌だなぁ」と思ったことは一度もありません!
未経験でコピーライターの内定を“確実にもらう”方法(実証済み!)|ai0167
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題���提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心���意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖���本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照��。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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特別講義 in 専修大学のイベントレポートが到着!
公開を前に本日10月26日(木)、映画の舞台にロースクールが設定されていることにちなんで、法律家を志す学生が集う専修大学法学部の法廷教室にて本作の特別試写会を開催!上映後には原作小説を手がけた五十嵐律人さん、本作の深川栄洋監督、専修大学法学部の関正晴教授による“特別講義”と称してトークイベントが行なわれました。さらにイベントの途中で、法律家を目指す学生たちにエールを送るべく、主演を務めた永瀬廉さんがサプライズで登場!学生との質疑応答も行なわれ、会場は大きな盛り上がりを見せました。
弁護士でもある五十嵐さんは、原作となる小説を執筆したきっかけについて「もともと法律が好きだったんですが、その面白さがなかなか法律に携わってない方に伝わらないという思いがあり、小説という形で法律の面白さを描けないかと考えました。映画でも出てくる“無辜ゲーム(※生徒たちがゲームとして繰り広げる模擬裁判のようなゲーム)”がアイディアの着想となり、そこからどんどん発展していきました」と明かしました。
深川監督は、この小説を映画にする上での難しさについて「まず法律用語が難しい(苦笑)。若い人にどう見てもらい、乗ってもらうか? どういうふうに広い裾野に物語の面白さ、法律の面白さと危うさを感じさせるかが難しいポイントでした」とふり返りました。
そうして完成した映画について、五十嵐さんは「どの時間を切り取っても面白い。事件だけでなくそこに至る過程や裁判のパートも飽きさせない工夫や展開の仕方があって、原作をより面白く、エンタテイメントにして完成させてくださって感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛を送りました。
関教授は法律家の視点で、本作について「いろんな場面で法律の制度や手続きについて出てきますが、そこをうまく使うというのが(よい)アイディアだなと思いました。時効や再審制度、証拠の追加などもそうですし、証人尋問のシーンは特に感心しました。一問一答で現実の裁判に近いものを感じました。普通の刑事ドラマだと主人公が喋りまくって尋問している感じではないんですが、今回の映画は尋問の仕方が実務に近かったです」とそのリアリティを含め、絶賛!これには五十嵐さんも「刑事訴訟法を専門にしている先生のお墨付きをいただけて嬉しいです」と笑みを浮かべていました。
そして、イベント中盤に完全サプライズで主演の“セイギ”こと久我清義を演じた永瀬さんが登場すると、会場は悲鳴のような歓声に包まれました! 真ん中の裁判長の席に座った永瀬さんは「緊張します…」とはにかみつつ「(映画の中では弁護士なので)こっち側じゃなかったので、ホンマに全部が見渡せる席で、特別な感覚がありますね」とご満悦。学生たちに向けて「弁護士の役をやらせていただき、ロースクール生の頃も少しだけ演じさせていただいて、弁護士になるために並々ならぬ努力をしないといけないことをこの映画を通じて学びました。みなさんも、そういう思いをされているかと思うと、少しだけみなさんのお気持ちがわかるし、親近感がわきます」と笑顔で語りかけました。
そんな、永瀬さんの劇中での弁護士ぶりについて、関教授は「一問一答の形式で、テキパキと杉咲花(織本美鈴役)から言葉を引き出すところの歯切れが良く、まさに法廷でやっている尋問に近かった」と称え、永瀬さんは良い弁護士になれるか? という質問に「訓練を積んでいけば」という条件付きで太鼓判を押しました。これには、法律用語のセリフに苦戦したという永瀬さんは「えげつない訓練じゃないですか!」と苦笑いを浮かべていました。
���生の中には劇中の無辜ゲームのようなことをやった経験があるという人も。ある学生は、この法廷教室で「模擬裁判をやりました。学生が一からシナリオを考えて、役になり切りました」と明かしました。ちなみに裁判の中身は「殺人事件で死刑か? 無期懲役かなど量刑の争い」とのこと。
別の学生は「おとぎ話の『ヘンゼルとグレーテル』を題材に、2人が魔女を殺したことを立証できるか?」というユニークな模擬裁判をやったと語りました。これに“裁判長”永瀬さんは「テーマが面白いですね!」と感心しつつ「ヘンゼルとグレーテルについてそこまで知らないけど、殺すのは良くないですね。有罪で!」と即判決を下し、会場は笑いに包まれました。
また、法律を学んでいた役に立ったことについて、ある学生は相続法の知識を今後の遺産相続の際に活かせると明かし、労働法を専門とする別に学生は、アルバイト先での有給や休業補償について、バイト先に働きかけた経験を明かし、永瀬さんは「法律は僕らの生活と切り離せないので、知っておいて損はないですよね。知識があると、行動もできますもんね」と感心しきりでした。
またある女子学生は永瀬さんに「法律を学んでいる女性のイメージ」についての質問が。永瀬さんは、法律家になるための勉強の大変さやその量の多さに言及しつつ「過酷な状況に耐えられる忍耐力がある強い女性が多いのかなと思います」と語りました。
また、学生からは本作の撮影において苦労したことについての質問も。永瀬さんはやはり、耳慣れない法律用語に苦労したようで「発音も含めそれらをすらすら言わないといけなくて、常にそうした言葉が板についている感じで芝居をしないといけない。一度、法廷シーンで噛んでしまって、長回しでみなさんに申し訳なかったですが、2回目ももっと噛んでしまって…(苦笑)。スイッチが入ると取り戻しづらい空気感で、大変でした」と緊張感のある法廷シーンならではの苦労も明かしました。
五十嵐さんは、そんな永瀬さんについて「なりたての弁護士という役で、専門家だけどわからないところもあるんですよね。僕も同じ気持ちでしたし、そういう不安や悩んでいる姿や、法律家も完璧じゃないところを表現されていて素敵でした」と自身と重ね合わせてその演技力、表現力を称えました。
さらにある学生からは、King & Princeが歌う本作の主題歌「愛し生きること」について「お気に入りのフレーズは?」というユニークな質問も!永瀬さんは「綺麗な嘘で抱き締めるから」というフレーズを挙げ「全体的に今回の映画のために作られていて、バシッとハマった感覚があるし、どこかで救われた自分がいる感覚もあります。『綺麗な嘘で抱き締めるから』という言葉は、どこかでセイギの美鈴(杉咲花さん)に対する気持ち、馨(北村匠海さん)に対する思いに通じる部分があると思うし、好きです」と明かしてくれました。
イベントの最後に永瀬さんは「この物語はセイギと美鈴と馨がメインで進んでいきますが、それぞれが抱えている過去や思い、人それぞれに自分の正義感があると思うけど、その正義感や信念を突き通すことの苦しさ、つらさ、難しさも含めて描かれてると思います。あまり、法律が近くない存在の人十分に楽しんでいただけると思うし、映画をきっかけにもしかして法律に興味持ってくださる方もいるんじゃないかと思います。余白を残して、考えていただくところが多々ある映画なので、見終わって感想を話し合って、それぞれの意見を交換し合っても面白いと思います」と呼びかけ、温かい拍手に包まれてイベントは終了しました。
公式サイト
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李洙任著『大学が壊す若者の未来 学生の権利のため大学と戦った龍谷大教授の仰天裁判闘争記』刊行のご案内
このほど宗教問題社より、龍谷大学名誉教授・李洙任氏の著書『大学が壊す若者の未来 学生の権利のため大学と戦った龍谷大教授の仰天裁判闘争記』を刊行しました。 龍谷大学と言えば、言わずと知れた浄土真宗本願寺派の宗門校ですが、この大学で2016年ごろから、学生がゼミ(少人数制演習授業)の受講を希望しながら、学校側の対応不備などで受講できないまま卒業を強いられるという問題が多発。これは関西圏のメディアでは「龍谷大学“未ゼミ生”問題」として、割合と報道もされていた事案でした。 当時、龍谷大教授だった李洙任氏は、この同大の状況は学生の学ぶ権利を侵害するものだとして、現職教員の立場で大学側と裁判闘争に入ります。本書はその李氏自身が著した裁判闘争の記録なのですが、その過程で差別、パワハラ、無責任体質などなどの、龍谷大学のおかしな状況が次々に明らかになり、まさに李氏の戦いの記録は「仰天裁判闘争記」としか言いようのない流れとなっていきます。李氏の訴えは最終的に裁判所からは認められなかったのですが、龍谷大とはどういう体質の大学であるのかを示す、得難い戦いの記録となっていることは間違いありません。 また李氏が本書のなかで同時に指摘するのが、浄土真宗本願寺派の高僧たちが大学理事会に当て職的に居座り、ほぼ大学運営に何の関与もしていないこと、すなわちそれが、龍谷大という大学の“無責任体質”を生んでいるのではないかということで、その李氏の矛先は、李氏が龍谷大と裁判をしていた際の大学理事長だった、石上智康・本願寺派総長の態度にも向きます。言うまでもなく石上氏とは、現在の本願寺派を揺るがしている「新しい領解文」問題の最大の責任者の一人とみられている人物ですが、李氏がその領解文問題にも言及しながら、本願寺派・龍谷大の無責任体制を問うているところは、本書の読みどころの一つです。 ともあれ、少子高齢化の進行するなか、日本の学校経営が難しくなっているのは周知のこと。本書はその中でも特に、宗門校というものの今後の在り方に関し、「未ゼミ生問題」を入口としながらも、それだけにとどまらない提言をする一冊です。ご関心のある皆様方の��購読をお願いします。
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原作:神北克 •《穿越效應》
如果看不懂漫畫原文,請將圖片下載下來用谷歌翻譯來進行逐張翻譯。
改編:陳郁勳
⚠️以下故事是發生在楊聚強與清軍在歐洲的意外相遇至法國投降之間的故事,前情提要詳情請看該連結: https://www.facebook.com/share/p/1QXTGP4TVL/
被「採樣」楊聚強此時已被押入地牢之中,手捂著屁股直喊疼。
突然,衛兵打開來牢門,釋放了楊聚強,並將他帶到一處通往地下室的門口。楊聚強問道:「這下面該不會還有更多的護士與爪子吧!?」
士兵回答道:「沒有陛下的旨意,任何人都是無法進去的,所以我也不知道有什麼東西在裡面。」
接著,楊聚強走了進去,同時感嘆道:「這裡面還真是深呀…」突然臀部的餘痛傳來,使他難以忍受,他捂著屁股直喊疼。走到樓梯盡頭後,來到一個銜接空間,空間盡頭就是一扇大門,而大清帝國已經坐在一旁的板凳上等候多時,大清帝國打開大門,領著楊聚強走入內,此時大清帝國反問楊聚強:「你想知道…為何我為何知道你���誰,又為何我至今沒能垮台、被革命推翻、科技領先世界的原因嗎…?」經過一段地道後,兩人來到了一扇大石門前,而這扇門只有大清帝國才能夠打開(指紋辨識?),但這道們大清帝國早已忘記是誰設計的了…
打開門後,映入眼簾的是一座宏偉的圖書館,大清帝國繼續領著楊聚強繼續往前,隨後來到一處書櫃前,告訴楊聚強:「裡面有你所有問題的最終答案。」接著便推動了隱藏在書櫃中的書本狀機關,接著再走了一小段樓梯(樓梯是指我加的,原作沒有,目的是增加懸疑感),最終來到了一處密室。
密室深處有著一個木桌台,上面的架子上放著的正式楊聚強在康熙時代被大清帝國調包的平板,楊聚強見狀,推開大清帝國,往前直奔喊道:「這不是我的平板嗎!?怎麼會出現在這裡!」
大清帝國緊追在後:「放肆,不准亂碰武聖密訓!快給我向其跪下!」
楊聚強頓時停下了動作,接著跪下並說道:「皇上…我真的很尊敬您和這個奇妙的世界…不過我為何要隊自己的平板電腦下跪啊!」
大清帝國看了看楊聚強再扭頭看了平板,心裡想著:看來是這傢伙沒錯了…」
接著便向楊聚強說道:「那塊板子若真是你的,那你就開機證明吧…」
隨後楊聚強啟動了平板,接著查看了其概要內容,發現其運作的時間高達97090天之多,楊聚強一臉震驚,楊聚強疑問道:「這平板確實是我帶來的沒錯…但不是被坦克碾壞了嗎?如果平板在這裡,那麼被碾壞的那個…是什麼?」此時楊聚強腦海浮現一個人物:「等等…你就是那位公子!?是你調包了我的平板!?」大清帝國笑呵呵的答覆:「你現在才認出朕來呀,楊聚強。」
楊聚強驚嘆:「太厲害了…居然…居然能以假亂真到讓我毫無察覺,那個時代的工藝居然如此之高…了不起…」
「別小看我大清朝的工匠,小事一樁而已。」大清帝國說,「原本想將你留下為朕助一臂之力,沒想到你當時居然就這樣悄無聲息的離開了…居然讓朕等人找了260年…」
接著楊聚強問這到底如何保存,照理來說浙是會自動分解才是。
大清帝國反問楊聚強不覺得這裡很冷嗎?
此時的楊聚強才反應過來,大清帝國繼續說道:「這是我特意命人建造的冰窖,目的就是為了保存它,在冷藏系統技術發達以前,是��來自黑龍江的冰塊放在地窖上方之地面進行冷藏的。」
此時的楊聚強已經點開平板,發現平板中無數的科學技術資料,簡直是手把手的大國崛起資源包,令其直呼不可能。
突然大清帝國蹲了下來,從楊聚強手中抽走了平板。
「楊聚強,朕回答了你的問題了,該輪到你回答朕的問題了…」大清帝國對其說道,「自取得平板至今,我已經將內部的許多資料看過了無數遍,但是…有這麼一個特別的資料夾遭到了加密、鎖定,我至今為止一直都無法解鎖,朕猜想你應該能開啟它。」
楊聚強接過平板後發現這個資料夾需要指紋驗證,隨後又看了看自己的手,愣住了…
大清帝國見狀,向楊聚強說道:「關於時間技術,裡面的資料都多次提及『魔王血』,你知道此為何物嗎?」
「魔王血很有名呀,我們在未來都知道…」楊聚強答,「不過你們可能沒聽過吧…」
「畢竟這個時代還沒發生,我想也不會發生吧…」
接著就向大清帝國講述了關於魔王血的來龍去脈…
接著,楊聚強意外成功解鎖了這個加密的資料夾,是關於魔王血來源以及上海之戰的一切真相,接著楊聚強便向大清帝國給出了答覆:「有了這項技術,我們在這個時代也能控制時間,發展時空旅行!」
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藤高和輝さんと高島鈴さんのトークイベント(クィアに)書くこと
藤高さんが講義の始まりに、「フェミニストか性差別主義者か、今後どちらかとしてしか生きられないならどちらを選ぶ?」と尋ねたら口籠る学生がいた、という話で客席から「えぇっ」という声があがって、なんていうか歌舞伎の大向かいみたいでたのしかった。
ええっ、と声に出すのはたのしい。こう言ったらこう返してくれるでしょ?という定型のやりとりって本当にたのしい。でもそれがバトラー入門という本にまつわるトークイベントで発生するのってどんな種類の皮肉なんだろうと思った。
それが正しいか正しくないか、当たり前か当たり前でないかの判断にはいつだって疑問を持つこと、それが自分にとって当たり前で正しければ正しいほどに、という哲学の土台がひっくり返る瞬間に何人かの知人ら(そのイベントにはバイト先の本屋のスタッフが私を含めて4人、元スタッフが2人いた。あの場にいたジュンク堂のスタッフさんより多かったと思う)(何人か、というのはあくまでもわたしを含めた何人か、で、これら全員ではありません)は疑問を持って、終電がなくなった池袋で頬をふくらましているのでは思うほどわかりやすい不貞腐れ方をしている人を見てうれしくなった。
フェミニストか性差別主義者か、の二択でフェミニストを選ばない奴は"えぇっ"だ、
そうね?
その通り!
(ここでミソジニーとしていままさに叩かれている村上春樹を引用したのはただのノリで皮肉の上塗りじゃないんですよ)
なんていうか、わたしが問われたらわたしも絶対に口籠る、質問者の定義するフェミニスト/性差別主義はわたしの思うそれと同じか確認できないうちは、確認できたとしても、素直に相手の望む選択���することで定型の強化に加担するノリについていけるのかはかなり怪しい。
ただわたしはちょうっぜつ藤高さんの大ファンなので藤高さんからの質問なら全然規範の強化でもよろこんでやっちゃうしジュンク堂のイベント会場でも「えぇ〜?」って言った。大きめの声で。ファンミーティングだと思ってるから。
あのイベント会場のようなものがたぶんある人々にとってはユートピアなのだという想像をする。あたたかくても閉鎖的な場所。それは藤高さんや高島さんが話していたユートピアとは違うんだろうけど、私がユートピアと聞くとどうしてもあの場に近いものを連想してしまってちょっとこわくなっちゃう。こういう単語ってどういう解釈で使われているのかを確認って本当に重要だなとトークイベント中にも感じた。
トラディショナルなコール&レスポンスの後で、藤高さんがしていた「誰に向けて書いているか/話しているか」は、ほんといい話で聞いてて泣いちゃいそうだったしわたしもたぶん、似たような意識で仕事をしていることがある。最近ハン・ガンがノーベル文学賞をとったニュースを観た時に、『ギリシャ語の時間』を読んだ、という理由ですこし珍しいテーマの選書を申し込んでくれたお客さんのことを思い出した。そういう人たちのこと。あなたみたいな人のためにやってるんですよ、と、本当はこころから全員に思いながら仕事をしたいなぁと思う。
誰か、死にそうな誰かに死ななくて大丈夫だよと声をかけたくて、藤高さんも高島さんもそれぞれの著作で違う言い方でそういう声の掛け方をしてくれている。高島さんが著作の序文だけ褒められたことあって、みたいな話をしてらしたけど正直わたしも高島さんの本は序文のさらに最初の方ですさまじく感動して、でも「権力の構造の外に立て」というような言葉でこの本は私に向けては書かれていない、と思ったから気持ちがわからなくもない、歳を重ねた健康な人間が権力の構造の外にいることなんてこの国ではほとんど不可能に近くて、外に立った気になってしまったらそれこそもっと本当に、誰かを殺すような暴力を無自覚にふるうことになると思う。わたしは、それが一番こわい。だから外に出ろと言われても出た気になんて絶対にならない、内側からどうにかすることばかり考えてしまう。
うん、でもその高島さんが藤高さんの書いてきた文章に対して「内側から揺さぶっている」みたいなことを(メモとかしてないんだけど〜)話しているのってすごいことで、うれしかった。
誰か、死んじゃいそうになりながらなんとか生きている人たちに死ななくていいし死にたくていいよと声をかけたくて仕事をしているけど、どのような声をかけ方をしたら、どんな声なら聞こえるのかって本当に相手によって違って、そこを乗り越えるための文体や媒体だと思うんだけどあのすばらしいバトラー入門はだから、本当にあのタイトルと新書で出る必要があったし、それと同じくらいエッセイ集や本当にファンジンとしての形をとって別のタイトルで発売されたらいいなと思う。全く同じ内容で。
8月2日、B&Bのトークイベントの時に二丁目で働いている方が最後にしていた質問のことを、詳細は全く覚えていないのによく思い出すんですよね。高島さんと藤高さんも理論と実存という話はしていたけど、結局本を読める人間、しかも新書や哲学書が目に入る生活ができるほんの一握りの人間にしか届かない理論ですくいあげられた人は、わたしは、どのような暴力の被害者であれ結局ものすごく恵まれている。ただの幸運で恵まれて本が読めてすくいあげられたわたしと、それが届く前に死んだ人たちをわけたものについてよく考える。結局暴力を受けないで育った人びとくらいの幸運を、わたしだって十分享受した気がしているのに半端につらさを共有できる場所にも立てて卑怯だと思ってる。「あんたはいいよね」と非難をこめて言ってくれた人たちも死んじゃったから自分で言っていくしかなくて、たぶん死ぬまで後ろめたいし恥ずかしい。その恥ずかしさを完全に引き受けてもいなくて、こうやって話して「まぁしょうがないよ」って誰かが思ってくれるのを知ってるから最悪。最悪なりにでもやれることとして、読んできた本をできるだけあなたに、死にたくて死んじゃいそうな「あなた」に届けたいから本屋にいるんだけどわたしの店って入場料制でめっちゃゾーニングされてるから最近はポッドキャストとかしてる。
まとまらないな、たのしかったんですよ。
座っている位置的に高島さんが藤高さんに向けた笑顔がよく見えて、本当にきらっきらの笑顔ができる人なんだなと思った。藤高さんがサインくれる時に宛名かきながら「あっ、………髪型とか、変わりましたか?」と気まずそうな笑いを含めて言ってくれたの面白くて、でもすんなり「自分自身を説明すること」というわたしの企画したイベントのタイトルはなめらかに口にしてくれたことが本当にうれしくて、なんだろう、本当はもっともっとたくさんの人に聞いてほしかった。し、仕事のやる気はなんかもらえた。
前日大阪で長谷川白紙観てたんだけど魔法学校で『外』を聴いてからずっと思ってる、長谷川白紙にとっての外ってなんなんだろう、という問いが自分の中で膨らむステージで、KID FRESINOが登場してくれた時本当に安心したんだけど、なんていうか、わたしにはわたしと気が合わない他者が常に必要なんだなと感じる。わたしはわたしへの感情によってわたしの言う意味不明な言葉たちにあたたかく頷いてくれる人が一番こわい。咀嚼されずに丸呑みされたり、あるいはその人の領域に持ち込まれて歪められて受け入れられていると感じると不安になる。(訳わかんねえこと言ってるな)って思い続けてほしい。その中で時々、ぴたっと通じる瞬間がうれしい。わたしにとってはそれが外です。普段文句ばっかり言ってるけど、わたしのいる本屋にはそういう人たちが多いからけっこう助かってるよ。
大阪、唯一した観光的な箇所 スーパー玉出
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛��/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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2024.6.1〜15
お久しぶりです。
三年日記をつけるようになってTumblrの第一線から退いておりましたがこの度復帰いたします。人に見せる文章を短くまとめて書く練習にお付き合いください。
6/1
以前通っていたパン屋さんが移転したので久しぶりに再訪。近くの緑地でパンオショコラとカフェラテで優雅なブランチをやりました。まだ蚊は出ていないようでよかったです。午後はナエマの鉢増し!12号ってとんでもなく大きくない?
6/2
朝5時くらいに目が覚めてぼんやりしていたら土砂降りの雨で慌てて洗濯物を部屋に放り込み、自分もベランダから戻ろうとしたら思いっきり転倒してフランスゴムの鉢もろとも倒れ込んでしまった。折れてなくてよかった。もちろんフランスゴムのことです。
6/3
色々あって現在無職真っ只中なので就活しに街へ繰り出しました。ついでにお気に入りのカフェでランチしていこうと思ったら定休日でガーン。
6/4
またまた就活しに街へ。夕方はアラビクと乙女屋さんにファンタニマを見に行きました。うちのファニマちゃんたちも連れて行けばよかった。動物占いと長渕剛の話で盛り上がるなど。
6/5
餃子を作るしかないと思い詰め、小麦粉とたわむれたりみじん切りをしたりした。一人で餃子包んでいるとなんだか現地の人の気持ちになってくるのでオススメ!
6/6
双子座新月。まーなるようにしかならんけどどうすればいいかわからず、我慢していた毛糸を注文しました。
6/7
冷凍していたチーズケーキが底を尽く。次はブラウニーかレモンドリズルか迷っている。
6/8
毛糸が届いたのでずっと編みかけだったfairly bouquet sweaterを黙々と編む。去年の冬に編み物に目覚め、そこからは坂を転がり落ちるようにハマっております。申し込んでいた手紡ぎ教室は参加者多数のため落選の知らせが届きましたが次回こそ当選しますように。
6/9
小雨が降ったり止んだりしていい天気だったので紫陽花を見に行った。カシワバアジサイ欲しいなあ。木の名前当てクイズを楽しんだりクリームソーダを飲んだりした。
6/10
今週のおやつはブラウニー。しかし、なんだかいまいちな出来に……。それでもアイスコーヒーと一緒にいただくとそれなりに美味しい。大分育ったセーターを編みながら新作テディベアをどうするか考える。
6/11
職安に行ったらコメダに寄れる約束を己の魂としているのでたっぷりアイスコーヒーとミニシロノワールにありついた。毎回「ミニ……いや日和らずノーマル……」と思いつつも「あっミニシロノワールお願いします」と言ってしまいます。クリームソーダ もアイスココアも好き。ソフトクリームを愛している。
6/12
大好きなティールームでいちじくのショートケーキとダージリン。涼しい室内で熱いお茶をいただく幸せ。
6/13
なんとでもなっちまえとアイスコーヒーとバタつきパン。
6/14
オンラインでテディベアを販売することにした。宣言することで逃げ場をなくす作戦で��。
6/15
古本屋入門講座を受けてきました。「値段をつけて本棚に古本を挿せば古本屋です」しびれる〜。蔵書が千を超えたら開業を考えようと思います。
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文楽『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』を観た
初めて国立文楽劇場に行った。
文楽・歌舞伎演目を現代翻案した演劇だとか、文楽を題材にした海外の人の作品は何回か観たり知ったりしているんだがそういえば文楽を生で見たことはないんだよなと思って見に行った。「日本の文化」なるものは地域に根差したものなのでその地域に住んでないと観る機会など発生しづらいし興味がないと近くにあっても行かないんだよねというのをしみじみ感じる。
今回観たのは『女殺油地獄』という演目で、雑に話の筋を言うと、めちゃめちゃ甘やかされて育った油屋の次男坊(弁護しようのないクズ男)が殺人を犯すという話です。
見せ場はやはり殺人の場で、世話を焼いてくれた女を主人公が殺す場面。女がぶちまけた油でぬるぬるになりながら豪快にズベーーーっとすっ転びつつ相手を追いかけまわして殺す凄惨な場面。文字で書くと改めて変なシーンだな。めっちゃ刺されるし髪振り乱すしで大変殺伐としているのだが登場人物たちが滑って転んでを繰り返すので見てる側としてはすごく感情が乱高下する。真面目な調子で観てしまったが多分この場面スプラッターコメディなのでは? と終わりかけから思い始めました。
作者の近松門左衛門はたくさん作品を残していますがなにもかも完全創作というわけではなく割と当時の時事ネタを浄瑠璃にしていて、この作品もネタ元になった事件が実際あったようだ、という風にいわれているようです。心中ものの話が多いのも、当時としては演目がそのままゴシップ的なエンタメとして機能していたのかなあなどと想像します。浄瑠璃は今のように古典芸能として見るのではなく、ストレートに同時代の娯楽の類だったのだもんな。
『女殺油地獄』は歌舞伎でも上演されているけど歌舞伎のほうは未見です。この油ぬるぬる殺人シーンを人間でやるんだ……? たいへんじゃない? なんか機会を探して観よう。
文楽の話に戻ると、上手側に太夫と三味線の方々がいるのだけど、その席が回転式で、ぐるんと回って出てくるのが面白かった。ここの位置は床、回転機構は盆回しという。
文楽は舞台上の主体が人形で、太夫さんが三味線と共に独特な節回しでセリフを語る形式なので、見る芸能ではあるけど聞く芝居だなあとも思う。ほぼ音楽だし。
私は劇場にいくときだいたい一階席の後ろの方の席をとりがちで今回もそうだったんですが(全体を見渡したいため)、文楽はちょい前寄りで席とったほうが人形の機微がもっとわかると思うので次行くときは前の方で観ようと思う。遠目だったけど小物を持つ動作とか細かいな~って思いながら見た。繊細。人形が広げた手紙巻いてしまったり、髪をくしでといたり、蚊帳をかけたり、お茶碗受け取ったりするの。
自分が行った回では最後尾あたりの席に座っていた恐らく常連さんなんだろう方が、口上から太夫・三味線さん方の紹介などで盛大に拍手をするので「なるほどそういう拍手ポイントがあるんね……」と思いながら追従しました。
よく財政難やら技芸員の不足やらで話題になりがちな文楽ですが、いろんな試みをされてるんですね。
今回の上演は期間限定で配信もあるそうです。
親子劇場の演目も観たかったな。宙乗りがあるらしいし。西遊記かな? だいぶ前に映像で『義経千本桜』を見たことがあるんですが、ぴゃーっと飛ぶのすごいよねあれ。
ゲームコラボの新作とかも作ってるんですね。へええ。
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会場に人形の展示があった。
上演には字幕もあるし、音声ガイドもあったけど、文楽は自分にとっては事前予習がないとストーリー追うのが厳しい感触だったので、バレエ公演みたいに、いろんな演目の見せ場だけ詰め合わせたガラ公演みたいなやつを詳しい人の解説付きで観たい。休憩込み2、3時間で集中体験的な。どこかの文化センターみたいなので講座とかやってそうではあるな。字幕があると舞台見ずに文字読んじゃうんだよね。話の流れを概ねインプット済みで表現をちゃんと観たい。鑑賞はスポーツなので練習がいる。映像で見る分にはめちゃめちゃ気軽に観るというより眺める感じで楽しめるんだけど、劇場行くのってやっぱ気合入れたいもんですので。
今回は普通に席のチケットとったけど、お試しでとか好きな一幕だけちょっと観たい人向けに当日劇場のみで格安で販売している幕見席(千円とか二千円とかそのくらい)というのがあるそうなんで、近くに住んでるならそういう通い方もあるんだなあと思った。これは歌舞伎も同じようなシステムですね。幕構成でちゃんと休憩挟むタイプの芸能だとこういうのがやれるんだな。
国立文楽劇場 幕見席のご案内 | 独立行政法人 日本芸術文化振興会 (jac.go.jp)
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。
原來已經過了半個月了
老師說對方有一個常聊的對象
我覺得很棒
另一個朋友看了盤之後要我直接放生他
說愛玩的人是他不是我
我笑了
其實我一直很想當面說清楚
因為我有要用心經營這份關係
偏偏對方活在自己世界裡完全不理
敲了一個星期的門它始終沒有回應
大吵大鬧的過程還是要有吧!
才要把這顆傷痕累累貼滿ok蹦的心交出去
就被秒退回來了
起初一兩天我還以為對方是不是嫌這顆心太醜
難過一個禮拜後我走出來了
眼淚流乾就是玩樂的開始
我還有自己的人生要過
身體很聰明它會保護我
繼續約砲人森讓自己開心
卻被同事講的我好像刀槍不入
好歹我的心是肉做的它會痛
只是在這段感情之後
所遇到的人所發生的問題,也太一樣了⋯
質疑的問題一樣也就算了
翻臉的點也一樣是怎麼回事??
你們認識嗎?
講好的是不是我就問?
而且都還同年次同星座
差點要跟上一個3樣了啊
超扯的也太巧了🫠
還是
宇宙想要跟我說什麼嗎?
塔羅牌大神快回來
我需要解惑🤪
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