Tumgik
#儀兵衛丸
ari0921 · 11 months
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我が国の未来を見通す(88)
『強靭な国家』を造る(25)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その15)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「ソフト・パワー」の役割
前回の続きです。前回提示した方程式からわかりま
すように、私は、これまでの「国力」の定義に倣い、
「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」を“足し
算”ではなく、“掛け算”で掛け合わせて定義しま
した。実は、これがミソでして、“掛け算”ですか
ら、ハードかソフト、どちらかのパワーがゼロにな
ると「国力」はゼロになってしまうことを意味しま
す。
国家である以上、「ハード・パワー」を構成する諸
要素がゼロになる可能性はまずないでしょうが、仮
に、国際社会との比較において「経済力」や「軍事
力」や「科学技術」などがある程度のランクに位置
づけられても、「国家戦略」とか「国家意思」など
の「ソフト・パワー」がなきに等しければ、“「国
力」はゼロになる”、あるいは“ゼロと見なされ
る”ということを意味するのです。
戦後の高度成長期に、「経済力」が世界第2位にま
で上り詰めて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と
称賛され、そのことが日本のアイデンティティのよ
うになっている時代がありましたが、国際社会に影
響を及ぼす「国力」という観点で立てば、特段の役
割を果たすことはできなかったと言わざるを得ない
でしょう。
その典型的な例が、湾岸戦争の際に多国籍軍に13
5億ドル(約1兆7500億円)もの巨額の財政支
援を実施しながらも、国際社会から何ら評価されず、
「小切手外交」と批判さえ受けたことでした。
その原因は、「経済力」を主にする「ハード・パワ
ー」を活かそうとする「ソフト・パワー」について
は、終戦直後の「吉田ドクトリン」からいささかも
脱皮できないまま、「国家戦略」はなきに等しく、
「国家意思」も内向きのままだったことにあると考
えます。
言葉を代えれば、“憲法上の制約”を逆用して、そ
の範囲に留まるしか選択肢がなかったのでした。そ
の意味ではありがたい憲法なのですが、憲法前文で
いう「名誉ある地位を占めたい」を実現するため、
憲法自体がその障壁になったと言えなくもないので
す。
戦後からかなり時間が経ち、「時代が変わっている」
ことを認識しながらも、「国のあり様」などについ
て議論することなくそのまま放置した結果でした。
我が国は、その後、慌てて憲法の枠内で「国際平和
協力法」を制定し、自衛隊を(海外派兵ではなく)
海外派遣しました(これに関しては、個人的にも言
いたいことが山ほどありますが、省略しましょう)。
国を挙げての「国家戦略」のようなものがなかった
弊害は他にもあるでしょう。高度成長期の日米貿易
摩擦などについてはほとんど反論できないまま、ア
メリカからも“いいように”叩かれましたし、その
後の「グローバリズム」についても受容することを
余儀なくされ、我が国が弱体化するきっかけにもな
ってしまいました。こうして、GDPは中国に抜か
れて第3位に転落しました。
さて、もっと歴史をさかのぼれば、「日露戦争」の
勝利を得て、1等国に仲間入りをした後の日本も同
様だったと考えます。「帝国国防方針」のようなも
のは策定しましたが、国を挙げての「国家戦略」、
つまり、国家意思として“日英同盟のもと、一等国
となった我が国の向かうべき方向”を明確に統一で
きませんでした。
大正時代になって、明治維新以降、“ジェネラリス
ト”として重要な役割を果していた元老たちが次々
に他界してしまいました。これらもあって、特に台
頭するアメリカの本質や野心を見抜くことができな
いまま、第1次世界大戦においては“その場しの
ぎ”の対応に終始し、大戦後、連合国の仲間入りは
したものの、世界恐慌などもあってやがて大東亜戦
争に至る「国の舵取り」をせざるを得ませんでした。
私は、近代史を学んだ結果として、大正時代に「大
日本帝国憲法」の改正をはじめとする国の「統治制
度」を改善しなかったことが、「激動の昭和」の道
を歩まざるを得なかった最大の原因と考えています。
まとめれば、今後、過去の失敗を二度と繰り返さな
いため、つまり「歴史は繰り返す」にならないよう
に、「ソフト・パワー」の重要性をよく認識した上
で、国を挙げての「国家戦略」を創り上げ、「国家
意思」を明確にすることが必要不可欠であると思う
のです。
特に今は、「ハード・パワー」がいずれもほぼ下降
期にあることから、将来に向けた「国力」の維持、
可能ならば増強に向け、さらに将来の国際社会に対
して必要な役割を行使するための「国家戦略」や
「国家意思」を明らかにして、国家として“向かう
べき方向”を定めるのは喫緊の課題であると考えま
す。
話は変わりますが、パレスチナで再び大規模な軍事
衝突が発生しました。2千年来の宗教対立がそう簡
単に収まるはずがないと常日頃から予想はしていま
したが、それでなくとも「ウクライナ戦争」で喧騒
な国際社会がますます“混迷を深める”ことが懸念
されます。
その延長で、我が国が“対岸の火事”として眺め続
けることができるか否か、しばらくの間、パレスチ
ナの状況の推移のみならず、広く国際社会の動きま
で、目を凝らして注目する必要があるようです。次
回、触れることにしましょう。
▼「国家戦略」とは何か?
 
さて前置きはそのぐらいにして、「ソフト・パワー」
の中核たる「国家戦略」を取り上げましょう。まず
は“「国家戦略」とは何か?”ということです。私
も自衛官であったという職業柄、「○○戦略」と名
のついた書籍を読みこなした数は数え切れません。
また、「△△戦略」と名乗ってなくとも、たとえば
クラウゼヴィッツの『戦争論』とか『孫子』のよう
に、その実態は戦略論に近いものまでたくさん読み
こなしてきました。
しかし、そのほとんどは、「軍事戦略」とか「安全
保障戦略」などについて書かれたものが多く、これ
から取りあげようとする「国家戦略」そのものを取
り上げている書籍は意外に少ないし、あまり読む機
会もありませんでした。
それでは、「戦略」とは何か、から掘り下げていき
ますとその定義はなかなか難しいものがあります。
『現代戦略論』(高橋杉雄著、並木書房)(*)によれ
ば、大まかに合意できる形の定義として、「戦略と
は、『目的』『方法』『手段』の組み合わせを示す
もの」とし、「戦略を策定する」とは「終着点であ
る『目的』と、そこに至る道筋としての『方法』と
『手段』の双方を含んだ全体としてロードマップを
作り上げていくことである」としています。「戦略」
に含まれるさまざまな要素をはぎ取ったコアの部分
の定義として合点が行きます。
(*)『現代戦略論』(高橋杉雄著)
https://amzn.to/3LUCCC0
次に「国家戦略」です。『日本の大戦略』(PHP
「日本グランド・ストラテジー」研究会著)(*)は、
「日本のグランド・ストラテジー(大戦略)」、つ
まり「国家戦略」そのものをテーマにした数少ない
書籍の一冊ですが、「国家戦略」を「当該国家の最
重要の目的を達成しようとする政策の体系」と定義
し、国家にとって最重要な目的とは、「安全と富」
ととらえています。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
この定義からすると、「国家安全保障戦略」のよう
なものは「安全」を重視した「国家戦略」であり、
「経済安全保障戦略」のようなものを「富」を重視
した「国家戦略」と解釈することができるでしょう。
なかには、船橋洋一著の『国民安全保障国家論』の
ように、「国家」というより「国民」を主体に「安
全保障論」を展開している書籍もあって、これはこ
れで興味をそそられます。
また、瀧本哲史著『戦略がすべて』(*)のように、
「戦略」をビジネス市場、教育現場、国家事業、芸
能界、ネット社会などあらゆる分野に適用できる
「ツール」として扱っている書籍もあり、このよう
な視点もよく理解できます。
(*)瀧本哲史著『戦略がすべて』
https://amzn.to/3tBbelU
さて、「国家戦略」の最重要な目的が「安全と富」
ととらえると、この両方をめざした我が国の「国家
戦略」は、(明治初期にはこの言葉自体もなかった
のですが)明治維新の「富国強兵」「殖産興業」を
スローガンとする“戦略的な取り組み”のみだった
ことがわかります。
本スローガンは、当時の西洋文明至上主義の中で、
我が国が植民地化されず、国際社会で競争できる国
家になることを目指したものであり、最初に提唱し
たのは、薩摩藩主・島津斉彬だったといわれます。
やがて、本取り組みは明治政府に引き継がれ、全国
的なスケールで実施されることになりました。
その後の「国家戦略」を振り返りますと、戦前の
「帝国国防方針」の類は、その名称からしても「軍
事」つまり「安全」に偏り過ぎましたし、戦後の
「吉田ドクトリン」は、「安全」をアメリカにほぼ
“丸投げ”しての「経済重視」、つまり「富」に偏
り過ぎたことは明らかです。
「国家戦略」は、国家のアイデンティティの表現で
もあり、それを決めていくものであるとあるともい
われます。何を国家の至上目的とするか、どのよう
な手段でそれを達成するかについては、その時代時
代の国家の性格を左右し、性格そのものを決定づけ
ていくものということもできるでしょう。
一方、国家の至上目的を「安全と富」と定義しても、
その「安全と富」を構成する要素はより複雑化し、
国内の諸事情のみならず、国際情勢や周辺国との関
係などによって、その時代時代によって重視すべき
要素も変わってくるのは必然です。
本メルマガでは「国力」増強に焦点を置き、「国力」
を構成する「ソフト・パワー」の要素をあぶりだし
ましたが、それらを子細に分析すると、「国力」の
維持または増強する究極的な目的は、「安全と富」
に集約できるとも言えるでしょう。
つまり、相互に関連している「ハード・パワー」の
各構成要素を総合的に分析し、バランスを取りつつ
優先順位を定め、今後の“向かうべき方向”を定め
ることが現在、求められている「国家戦略」である
と考えます。
▼現時点の「国家戦略」をいかに創り上げるか
 
一般に“日本人は「戦略的思考」が苦手”と言われ
ます。その理由について、『日本戦略論』(鎌田徹
著)(*)は、島国、稲作民族、刀狩りの結果としての
軍事忌避などの「地政学・歴史的要因」、そして大
東亜戦争の封印、共産主義者からのブラフ、憲法に
よる軍事力の封印など「戦後特有の政治環境要因」
を挙げています。
(*)『日本戦略論』(鎌田徹著)
https://amzn.to/3QcTLt5
確かに、日本の場合、覇権国のアメリカとか、将来
目標として覇権国を目指している中国などとは違っ
た「国家戦略」にならざるを得ず、国際的な大局観
とか大胆さには制約がかかるでしょうが、その分、
覇権国にはない“緻密さ”とか、立つ位置や役割分
析などの“深掘り”も必要になってくるでしょう。
だからと言って、放置する理由にしてはいけないの
ですが、その策定自体がとても難しいことは間違い
なさそうです。
余談ですが、鎌田氏は元自衛官であり、私も現役時
代から今日まで交流があります。505ページに及
ぶ大作は、“戦略を知っている自衛官ならではの鋭
い戦略研究”として、「もっと評価されていい」と
いつも思っていました。
このように、我が国が“元々苦手な”「国家戦略」
をいかに創り上げるか、について子細に言及すると、
書籍にして1冊以上のボリュームになる可能性があ
りますので、本メルマガでは、“ストーリー建て”
して要点のみを取り上げてみたいと考えます。
幸い、『日本の大戦略』(*)という絶好の参考書があ
ります。本書は、5人の著名な学者・研究員によっ
て約4年間の研究を経て、2012年に発行された
ものです。その動機は、我が国が「失われた20年」
の最中、その上、東日本大大震災もあって衰退傾向
の中で、国際社会における“日本の存在感がかすみ
がち”なことを懸念し、「世界の中の日本」という
位置づけで、それも短期的な動向よりも長期的な視
点に立って、当時の安全保障はもちろん、財政、税
制、産業構造、福祉・雇用などまで“大きな絵を描
く必要がある”ということにあったようです。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
実によく分析・整理され、「国家戦略」を策定する
手法がほぼ余すところなく記載されていると考えま
す。このような良書が世に出されても、その後の政
界には、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」と
か「アベノミクス」のように部分的には本書の提案
主旨と同様の政策もありましたが、「国家戦略」そ
のものについては大上段にその必要性を訴え、国家
を挙げてその策定に取り組むとの試みはなされない
まま時が過ぎてしまいました。
この10年の間に、すでに紹介しました少子高齢化、
食料やエネルギー自給率の低下などがさらに進み、
当時は予想だにしなかった「ウクライナ戦争」など
も発生し、日本を取り巻く内外情勢ははるかに厳し
さを増している現状からすると、私などは、「10
年前に取り組んでおれば」との悔恨の念が沸いてき
ます。
しかし、このまま放置すると、後世に残す「資産」
すら失いかねないとの危機意識をもって、主に本書
を参考にしながら、“意を決して”、いかにして
「国家戦略」を創り上げていくかについてその手法
を考察してみたいと考えます。
一歩踏み出すと、途中で切ることが難しくなりそう
ですので、今回はここまでにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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bearbench-tokaido · 2 months
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六篇 下 その二
京見物をしている弥次郎兵衛と北八。 方広寺の柱の穴につっかえてしまった弥次郎兵衛。 やっとのことでくぐり抜けることが出来た。
それより二人は境内をめぐり歩いて、蓮花王院の三十三間堂にて、
いやたかき 五重の塔に くらべ見ん 三十三間 堂のながさを
と詠む。 ここよりこの御門前を北の方に行くと往来は、ことに賑わしくなる。
いかにも都の風俗は男女ともにどことなく柔和温順にして、馬方や荷物を運搬する人足までも綺麗に洗濯して、きっちりと折り目の付いている衣装を着ていて行儀正しい。 それに、あの『おっしゃりますことわいな』と言う言葉もなまめかしくておかしい。 二人は目にするもの耳にするもの、すべてが珍しくてあちらこちらを見ながら歩いていたがそのうち、にわかに往来が騒がしくなってきた。 「ほうほ、よいよい。えっこらさっさ。ほうほ、よいよい、えっこらさっさ。」 と誰も彼もが、走り出している。
弥次郎兵衛は、 「やたらと人が走っているようだが、向こうに何かあるんだろうか。この人ごみはすごい。」 と言うと、往来の人に問いかけてみる。 「もしもし、なんで、ございやすね。」 「あこにえらい、いさかいがあるわいの。」 と聞かれてた男は答える。 「なるほど、けんかか。京のけんかも珍しい。」 と北八も見物しようと駆け出している。 弥次郎兵衛もそれに追いつこうと駆け出してみると見物人は、山のごとくで行き来も出来ないほどになってきた。 二人はこの人を押し分け押し分け、前に進む。
さて、けんかの一人は魚屋らしく、そこに魚屋が使う大きな桶をおろしておりその相手は、職人の男らしい。 いづれも極めて屈強な若者たちであるが、都の人は心も悠長にして最初から、殴りあうわけでもなく日あたりのいいところで、ふたり向かい合って立っている。
魚屋が言った。 「これいの。お前の方から当りくさって、そないなこというもんじゃないわい。おのれ脳天、叩いてこまそかい。」 相手の職人が答える。 「おきくされ。普通に歩いておっただけで、手がちょっとふれただけじゃ。」 と言いつつ手ぬぐいを丁寧におって、鉢巻をする。 これが江戸っ子なら、ねじり鉢巻だというところ。
「えらそうな口をきくもんじゃな。いってえ、わりゃどこのもんじゃい。」 「俺かい。おりゃ、堀川姉が小路さがるところじゃわい。」 「名はなんというぞい。」 「喜兵衛というわい。」 「としはいくつじゃ。」 「二十四じゃわい。」 「おきくされ。おのれ二十四にしちゃ、えろう若い。うそつきくさるな。」 「何いうぞい。ほんまじゃわい。前厄で、今年、かかあを死なしたわい。」 「そりゃ、えらい力をおとしとったじゃあろ。よい気味さらしたな。」 「いや、そればかりじゃない。乳飲みくさるがきがあるさかい、えらい難儀なめにおうてるわい。」 「そんなら、おりゃ、われの二つ上じゃわい。」 「うそぬかすくさりゃ。われも若い。家はどこじゃぞい。」 「一条、猪熊通り、東へ入所じゃわい。」 「そうかい。やい、あそこに目の見えん、寸伯という針医があろがな。」 「おお針医がありゃ、どうじゃというな。」 「いや、こちの親戚じゃさかい、おのれが逃げ出すなら、言伝、たのもうとおもてじゃ。」 「いやじゃわい。 なんで、われの言伝を、誰がいうんなら。えらいあほうめじゃな。」 と掛け合い漫才のように、やっている。
見物の人があくびしながら 「十兵衛さん、もういのうかい。」 「またんせ。今に打ちあうじゃあろ。」 と話しかけられて男は、答える。 「いや、わしゃ家に客ほっておいてきたさかい。」 「そしたらそのお客、つれてごんせ。 そのついでに一枚、羽織るものでももってきなせえ。少し、寒くなってきた。」 と話している。
又、こちらの方にいる見物は軒下に座り込んで、無精ひげをぬきぬき、 「見なされ、あっちゃの若者のほうがえらいやつじゃわいな。」 「いやこっちゃの男も、えらい頭じゃ。」 「ほんに。その頭で思い出した。奥方はどうじゃいな。痛所はえいかいな。」 「はい、おかたじけなうござります。 落ち着いておりましたが、昨日から急に様態がわるうなってつい昨夜、死にましたわいな。」 「そりゃ、おまい御愁傷じゃあろ。御葬礼はいつじゃいあな。」 「それが、今出しておりますとこじゃあったがえらいいさかいがあると、人が走るさかいわしもついつられて、ちいとばっかし見てからにしようかと、それまで待てと言うて、待たしておきましたわいの。」 とおのおの気の長いものばかりである。
皆が皆、悠々と見物していると職人の男が、 「こりゃ、やい。もうちょっと、こっちゃへよりくされ。 日がかげって、寒うなったさかい。」 「おおよったぞ。わりゃ、どうすりゃ。」 「おのれ今、俺がことをあほうとぬかしおったがなんで、俺があほうじゃろ。」 「あほうじゃさかいあほうじゃわい。」 「なにぬかしくさる。そういうわれがあほうじゃわい。」 「いや、こちゃあほうじゃない。賢いわい。」 「われが、賢いなら、おれも賢いわい。」 「おお、われも賢いか。そしたら、このけんかはやめにしょうわい。」 「ひょっとして互いに、競りあって着物でもひきさいたら、損じゃさかい。 やめにしてこまそうかい。」
「えろう、遅なった。もういんでこまそ。」 「俺も、われがいにくさるのと同じ道じゃほどに連れだって、帰ってやるわい。それにしても今日は、いい天気じゃあったな。」 「ほんに暖こうて、えいわい。」 と互いに、挨拶してこの二人連れ立って帰って行く。 見物人もこそこそとちりじりにみな帰っていったのを見て、弥次郎兵衛と北八は腹を抱えて笑いだす。 「ははは、なるほど、上方ものは、気が長い。 あんなうすのろのけんかが、どこにあるもんだ。」 「あのなかで損得を考えて、やめにしたんだから大笑いだ。」
公家衆の います都は おのづから 喧嘩やめるも うたとよみなり
などと詠みながらそこを過ぎ行くと、はやくも清水寺に到る清水坂についた。
両側の茶屋からはそれぞれの店で商っている田楽を焼く団扇の音が聞こえかぶせるように、賑やかな呼び声がかかる。 「もしな、お入りなされ。茶あがって、お出んかいな。」 「名物、南蛮うどんあがらんかいな、おやすみなされ。なされ。」 弥次郎兵衛は、その声の方をちらっと見たが、 「うまそうだが、もっと先に行ってからにしよう。」 と言うと、北八も黙ってうなずく。
まもなく、清水寺についた。 境内を巡り歩いて音羽の滝をみてから、弥次郎兵衛が一首詠む。
名に聞こう 音羽の滝の あるからか のぼりつめたる 清弦の恋
本堂には十一面千手観世音があり、その昔、延鎮(えんちんと読み、僧侶の名前)が夢の中でみた霊像だということだ。 坂の上田村丸が建立したといわれている。 北八と弥次郎兵衛はしばらくこの、宝前で休みながら一首詠む。
境内に 数ある桜は すき間なく 手もたくさんな 千手観音
二人が休んでいるところの側の小高いところに、机が置いてありそこに寄りかかるように座っている僧が参詣する人に、 「当山観世音の御影は、これから出ますぞ。 誠に霊験あらたかなる事は目が見えないものが、見えるようになり耳の聞こえないものが、聞こえるようになり足の悪いものが、歩いて帰れるようになる。」 と喋っている。 「一度、拝すれば、いかなる無病達者なものでもたちまち西方、極楽浄土へすくいとらんとの御請願じゃ。 どなたもいただいておかへりなされ。 賽銭は、たくさんはいらぬ。 お心もちしだいで結構。御信心のかたは、ござりませぬかな。」
北八は、坊様の様子を見ながら、 「よくしゃべる坊主めだ。」 と笑っている。
つづく。
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naughtweirdoldmanblog · 3 months
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主題: 台灣自古不屬中國    rdrcntr:45976關鍵字: 台灣不屬中國
張貼時間: 2007-06-23 11:05:13 林茗顯ip: 220 .X.X.X/內容:台灣自古不屬中國
/林茗顯 編寫 2007/10/22、2015/03/09、2016/01/23 rvsd
雍正元年,憲皇帝即位,詔曰:「台灣自古不屬中國,我皇考神武(即康熙帝)遠屆,拓入版圖。... 」
--清•魏源:【聖武紀略】的【康熙重定台灣記】
自明朝以來,逋誅積寇,始克殄除。海外遐陬(指台灣),歷代未隸疆索,自茲初闢,悉入版圖。
--清•施琅:【靖海紀事】的【封侯制誥】
臣竊見此地,自天地開闢以來,未入版圖。
--清•施琅:【靖海紀事】的【壤地初闢疏】
台灣古無人知,明中葉乃知之。
--清•藍鼎元:【鹿洲文集】的【平台紀略總錄】
台地宋、元之前,並無人知。至明中葉,太監王三保舟下西洋,遭風至此,始知有此一地。
--清•藍鼎元:【鹿洲文集】的【覆制軍台疆經理書】
1679年(康熙18年)清朝向鄭經提出最後的和談條件:台灣本非中國版籍,足下父子自闢荊榛,且睠懷勝國,未嘗如吳三桂之僭妄。本朝亦何惜海外一彈丸地 。不聽田橫壯土逍遙其間乎。
--清•魏源:【聖武紀略】的【康熙戡定台灣記】
今三藩珍滅,中外一家。 豪傑識時,必不復思噓已灰之焰,毒瘡痍之民,若能保境息兵,則從此不必登岸,不必雉髮,不必易衣冠。稱臣入貢可也,不稱臣入貢亦可也,以台灣為箕子之朝鮮,為徐市之日本,於世無患,於人無爭,而沿海生靈,永息塗炭,惟足下圖之。」
--(平南將軍貝子賴答致鄭經之諭文)
根據《大清一統志》(乾隆版),台灣自古以來,就是「荒服之地,不通中國」、明朝天啟中(1621-27)為紅毛荷蘭夷人所據,屬於日本」。
(康熙22年(1683年)清國以施琅為將、率清軍二萬佔領澎湖島,鄭氏王朝投降。)
���1871年編纂的《重纂福建通志》,也持這種見解。清帝國第二代皇帝世宗,在1723年所頒發的詔書中,也說「台灣地方自古不屬中國,(清)皇考聖略神威,取入版圖」。
蒙古帝國與明朝曾短期間佔有澎湖,也都放棄了它;明朝對荷蘭佔領臺灣的行為沒有異議。
蒙古帝國在至元年間(元世祖1264-1294,或順帝1335-40)在澎湖置巡檢司,蒙古帝國在1367年敗亡。明朝在1372年(洪武五年)派遣部將湯信國進行海島攻略。可能在這一年占領澎湖島。湯信國以澎湖島民叛服無常,建議將他們遷往鄰近地區,於是,明朝便把澎湖所有住民強制移居中國大陸,並且廢止巡撿司,使澎湖成為廢墟,成為日本和明朝海盜的巢穴。
約在二世紀以後,1563年(明•嘉靖四十三年)改置巡檢司。但不久,這也被裁撤。到了明末,澎湖也變成海盜的巢窟了。蒙古帝國與明朝雖都曾短期間佔有澎湖,也都放棄了它。直到17世紀鄭氏「東都」時代為止,臺灣與澎湖不是地理上的統一体,也非政治上的統一体。支那各王朝都是具「中原」心態、不重視航海的陸權封建王國,蒙古帝國和明朝都先後攻佔澎湖而非台灣,都證實大清帝國所說的「台灣古無人知,明中葉乃知之」、「台灣地方自古不屬中國」的論斷。。
史書上有關「夷州」、「瑠求」、「流求」的記載是否指台灣或琉球(沖繩),法國、荷蘭、德國及日本等國學者著書論述,眾說紛紜,未有定論。越古早的史書的記載,有的近似神話,19世紀的論述判斷也矛盾的地方。不管各種論述是否正確,也只能證明古時有這些地名的傳說和記載而已,和「台灣自古屬誰」毫無關係。
16世紀航行到東方的葡萄牙人發現這島嶼,驚嘆說::Ilha Formosa--美麗的島嶼。 荷蘭在1622年(明,天啟二年)佔領澎湖。明朝對澎湖的統治消極,卻不容許他國占有,荷蘭因軍事上不利接受明朝要求,在1624退出澎湖,豋陸「台江」(今台南附近),佔領未入任何國家版圖的臺灣島。明朝對荷蘭佔領臺灣的行為沒有異議。
1630(?)年荷蘭人在「一鯤身」(現在的安平)建立熱蘭遮城(Zeelandia),在此設置臺灣政廳,派臺灣太守(Governor and Director of the State of Tayouan and Formosa)。1652(?)年現今的台南建立赤崁城(Provintia 或 Providentia),將政廳遷移到Provintia。
已佔菲律賓的西班牙人則佔領台灣北部,1626年西班牙人在雞籠(今基隆)社寮島(今和平島)構築聖薩爾瓦多城(San Salvador),在此設置臺灣長官官署,置於馬尼拉總督的管轄之下,但其統治範圍只限於東北部的極小區域。1629年在滬尾(今淡水)建立聖多明哥城(San Domingo)。1642年荷蘭人北征逐出西班牙人。
1871年(明治四年),琉球(Okinawa)漁民漂流到臺灣本島東南部,被當地住民所殺害。日本帝國政府乃向滿清政府抗議,要求其妥善處理,然而當時清朝的總理衙門答以「該地末服王化、末奉政令,謂之生番。中國置之度外,不甚為理」。等於主張臺灣本島一部分仍為無主之地。1874年(明治七年),日本出兵臺灣,滿清賠償日本。
在臺灣,自從步入1910年代中葉以後,臺灣人的抗日運動,就由武力鬥爭轉向政冶運動,其中一派,即開始與中華民國部分的政冶家和民間人士聯絡。當時中華民國的一些政治家對抗日運動表示同情,並且支援這些抗日運動者。但是,即使是這些人,也未必有取回臺灣的念頭,反而是希望 臺灣脫離日本帝國而獨立的。 例如,���民黨的幹部戴天仇,雖然在黃埔軍官學校的演講中提到「臺灣民族為我等中國之民族,臺灣之領土亦即中國之領土」,但卻主張 臺灣獨立。 蔣介石任國民政府軍事委員會委員長,實際上成為中華民國的最高權力者(制度上國家主席雖為林森,但林氏無權)之後,以及因918事變而成立滿州國後,始終都沒有與日本衝突的意思。
1935年(昭和十年、民國24年),日本的臺灣統治機關臺灣總督府,在臺北舉辦日本帝國的「臺灣始政40周年紀念會」時,國府派遣福建省主席陳儀為祝賀使節,陳儀 在祝賀大會席上的賀詞說: 「臺灣人在日本帝國的統治下,過著幸福的生活」。這豈只是承認日本的領有臺灣而已,甚至還讚頌其統治政策呢!
從1938年10月12日到14日之間,在中共黨擴大六中會中以「論新階段」為題的報告中,毛澤東說道:「為了讓日本之侵略戰爭失敗,必須中日二大民族之軍民大眾,以及 朝鮮、臺灣等被壓迫民族聯合起來,堅強地共同努力,建立共同的反侵略統一戰線。」在當時, 毛將臺灣人看成「臺灣民族」,想將他們編入打倒日本的戰線中。
--毛澤東《毛澤東救國言論集》,重慶,新華日報館,1939年,頁218-219。
不但《毛澤東選集》沒有提及,甚至連1941年以前的任何由中國共產黨所編之中國共產黨史中,都看不出中國共產黨主張將臺灣以「中國」領土而「取回」。1936年,在延安的中國共產黨主席毛澤東,曾對史諾(Edgar Snow)言及 中國共產黨支援朝鮮獨立,「同樣的立場適用於台灣」。此一發言,經過毛的校閱,記述在史諾的The Red Star over China中。
It is the immediate task of China to regain all our lost territories, not merely to defend our sovereignty below the Great Wall. This means that Manchuria must be regained. We do not, however, include Korea, formerly a Chinese colony, but when we have re-established the independence of the lost territories of China, and if the Koreans wish to break away from the chains of Japanese imperialism, we will extend them our enthusiastic help in their struggle for independence. The same thing applies for Formosa. As for Inner Mongolia, which is populated by both Chinese and Mongolians, we will struggle to drive Japan from there and help Inner Mongolia to establish an autonomous State.
(Source: Edgar Snow, Interview with Mao Tse-tung, quoted in "Red Star Over China", New York:Random House, 1948, pp.88-9)
我們立刻要做的是收回失土,而非僅僅保衛長城以南的主權。這意指滿州必須收回。這不包括曾是中國屬地的朝鮮,但是當我們中國失土恢復獨立時, 如果朝鮮人民希望掙脫日本帝國主義的鎖鏈,對其獨立鬥爭我們願意給予熱誠的幫助。同樣的立場適用於台灣。對於中國人和蒙古人居住的內蒙古,我們將奮力逐出日本並且幫助內蒙古建立自治邦。
毛澤東 在其1938年題名為《論新階段》的論文中, 將臺灣人列為「臺灣民族」。此後,在中國共產黨文獻中,言及臺灣約有:1939年末,毛澤東及其同志,在延安共同著作而題名為《中國革命與中國共產黨》的論文。此論文也是 將臺灣與朝鮮、緬甸等相提並論 ,只記載著這些自古以來就是中國的屬國並且是領土的一部分,都被日本等帝國主義大國所強奪而已,根木沒有提及臺灣要如何處理。於1928年,以做為 「日本共產黨臺灣民族支部」而結黨並接受 中國共產黨指導及援助的臺灣共產黨,由其 綱領為「臺灣民族的獨立」、「臺灣共和國的建設」一事來看,可以說 中國共產黨的臺灣政策,是朝著臺灣獨立的方向。這個政策至少到太平洋戰爭爆發之前並無變化。這一點,可從戰爭爆發那年, 「臺灣獨立先鋒社」在中國共產黨的支持下,於延安成立的事實中窺見一二。
1945年8月15日日本投降,9月2日在美艦密蘇里號上,在投降書上簽字。九月二日盟軍最高司令官麥克阿瑟發出「一般命令第一號」,進行分配占領區域。對蔣介石有以下的授權:日本國在中國(滿州除外)、臺灣、及北緯十六度以北、法屬中南 半島之前任指揮官,以及一切的陸上、海上、航空及補助部隊,必須向蔣介石統帥投降。
孫文主張「驅逐韃虜,恢復中華」
建立中華民國,被尊稱為「國父」的 孫中山主張「驅逐韃虜,恢復中華」,依據孫中山的說法,可以說 清國並不是中國。 1912年,中華民國成立時,台灣已經是屬於日本帝國的領土,並非中華民國成立時的領土, 當然不得主張是中華民國的「固有領土」至為顯明。 同樣的,1949年中華人民共和國成立時,台灣處於其統治之外,至今,台灣一直在中華人民共和國的主權之外,生存發展,所以 臺灣並非中華人民共和國的固有領土。
「中華民國憲法」領土不包括台灣
民初「臨時約法」第三條載明領土為「22行省,內外蒙、西藏、青海」, 不含台灣。 1931年「訓政時期約法」第一條載明領土為「各省及蒙古、西藏」, 亦不包括台灣。 1936年5月5日公布之五五憲草第四條原文「中華民國領土為江蘇、浙江、安徽、江西、湖北、湖南、四川、西康、河北、山東、山西、河南、陜西、甘肅、青海、福建、廣東、廣西、雲南、貴州、遼寧、吉林、黑龍江、熱河、察哈爾、綏遠、新疆、蒙古、西藏等固有之疆域,中華民國領土非經國民大會議決,不得變更」;< 滿洲(即東三省,上述之遼寧、吉林、黑龍江)與台灣同為日本殖民地,滿洲入憲成為中國領土而台灣沒有。
請參閱,
台灣在國際法上的地位
台灣的國家主權與定位
國、共長期倡導台灣獨立的史實(上)/蕭欣義著
國、共長期倡導台灣獨立的史實(中)/蕭欣義著
國、共長期倡導台灣獨立的史實(下)/蕭欣義著
台灣國家定位 確立台灣的國家主權──從事實上的國家到法理上的國家/黃昭堂(2007-12-06)
 確立台灣主權──台灣國家正常化/黃昭堂(2007-09-10)
 台獨理論的整合/黃昭堂(2007-08-07)
 台灣地位論述的環境因素/陳儀深
 台灣國家定位之發展與主張/林佳龍
 台灣法律地位獨立的法的依據/沈建德
 台灣(想)作為一個國家的基調/黃居正
 加速台灣國家正常化/陳隆志
認識台灣iFormosa
台灣大事記
台灣屬於台灣人民
台灣自古不屬中國。台灣不是中國的一部分。
如果說,台灣是中國的一部分;
是不是也可以說,中國、蒙古,同屬蒙古;中國是蒙古的一部分;
或者,中國、蒙古,同屬中國;
或者,歐洲、蒙古,同屬蒙古;
或者,歐洲、意大利,同屬意大利;
或者,台灣、日本,同屬日本;
或者,台灣、荷蘭,同屬荷蘭;
如果可以這樣 『回歸歷史』,全世界人類,只好回歸叢林野蠻、部落戰爭。
/林茗顯 編寫 2007/10/22、2015/03/09、2016/01/23 rvsd
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oivgbqiqfz358 · 3 months
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--深海人形-- 「先帝の無念を晴らす!」
※これをルドン高原で"例の奴"された後に言うから面白過ぎる
※後半クロスオーバーネタ注意
※全体的に閲覧注意
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
…サガは良いよな……何処迄も尖れて(※最新作は其れの極北らしいし……)。
…。
「只管、独自路線を。」…確かに諸拙作の、この方針は、CAVEシュー、ライジングシュー、アイレムシュー、サガシリーズから受け継いだ物かもしれない。
…。
…昔の雑誌には、シロッコの任侠パロで長ドス持っててヤッさんみたいに刺青入れてて和服を着てる、スゲェピンナップイラストが(※Zガンダム放映中の時期に)あるんですけど、そのイラストでは、(少し背中に贅肉がついてて)腹部の所がだらしない(多分少し贅肉のついたぽっこり御腹)っぽくて、そこが堪らなく好きなんですよね(※それは兎も角一応鍛えた方が……)。…後、そう言うのは本人も気にしてるかも(※でも、すまん、触りたい)。
…。
テイルズとサガシリーズに限らず、ゲームの弓兵、弓術って不遇だしパッとしないのばっかりだよなぁ……(※FEでは優遇されててもネタキャラ枠やし……)。
…。
…罦傑か館主様のモビルミゼット(※過去記事参照)飼いたいけれど、どうせ、彼奴等、割と早い段階で、何時の間にか蛇に丸呑みにされてる()。
…。
…罦傑と館主様はトレモ木偶かサンドバッグにする物、アスランは玩具にする物(※命は投げ捨てる物感覚)。
…。
体術の威力と命��率の計算式(※ロマサガ方式)→単純に書くと『体術適性+力の数値+器用さ+熟練度+素早さ(※本当はもっと複雑ですけど)』
この事実(?)を鑑みると、館主様とか泊鳳が言う迄も無く体術使用者の頂点なのは当然かもしれない(※…其の割には、ロクな戦果出してないけど……)。
更に、投げ技の場合→『力の数値+器用さ+熟練度+素早さ(※本当はもっと(ry 』
或いは、打撃技にしろ、投げ技にしろ『器用さ+体術適性+熟練度』(※格ゲー的なタイプ)。
…。
ゲーム、オタクにありがちな話、祈り、日常の愚痴、何気無くてたわいもない投稿、身内、家族による元々のアカウント所有者が亡くなったと言う報告、闘病の果てに、列車、駅の写真を最後に、三十代で、二十代で……みたいに多種多様な訃報に、それ等以降新しい情報が投稿されることのないアカウントに出会うたびに「人間の人生って何だろう」って思う。
同じくこう思う。死後の世界をどう過ごすつもりだったんだろう。
彼らは輪廻転生でも信じながら去って行ったんだろうか。
そして、天寿を全うせずにこの世を去った時点で、それ等の人々に対して「記憶に留めるに値しない」と言う人もいるかもしれないけれど。私は留めておこうと思います。
���。
※…以下、クロスオーバー・ショタリョナ・男リョナ注意
※某機動戦士シリーズ、サムスピ、月華並グロテスク、流血残虐表現注意
※館主様とふーけつと蒼傑の噛ませ犬化注意(※何時もの事)。
※ガソダムEXAって漫画あるじゃろ?それをガソダムの奴等が他漫画(※…但し、ドマイナーで、基本的に、其の存在を誰も気にして無い)に対してやって居るみたいなモンじゃ(※男塾勢は読むな)。
※Effigy(※ ttps://www.tumblr.com/azure358/744844690918162432/%E6%B7%B1%E6%B5%B7%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%AF%87-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88-%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC-%E6%BA%96%E5%82%99%E5%8F%B7参照)ネタ注意
※実質シロッコリーネタ(ジョジョパロもあるよ⭐︎)。
※弓の素人に負ける達人弓兵
今回、蒼傑十八番の『双条檄射』で死合を行う事となった。何時も通り、真面目に今回の死合にも取り組む蒼傑は、静かに相手を睨む。
「…彼奴か……、…今回の相手は、とても俺と同レベルの弓矢の熟練者とは思えん……。」
対戦相手は、『Effigy(相手を呪う為の儀式人形)』、『科学と魔術ハイブリッドの特級呪物』とも呼ばれて居た。
そんな何処はかとなく"自分"に対して、薄らとした恐怖を感じている蒼傑を見た彼は無感情に、穏やかで何処か妖艶で静かな薄ら笑みを浮かべながら、挨拶をする。
「你好、感觉如何?」
何と完璧なピン音の発音と文章だろうか。その言葉を聞いて驚いた蒼傑が思わず中国語で返す。
「你听得懂中文?」
「我的中文差劲」
「你也是弓箭手吗?」
「不是」
すると、RXQ-03の上司と思われる一人の中年男性が、RXQ-03に、冷静に、冷淡に話し掛けた。
「オーキッド、此方に来なさい。」
「…はい、叔父貴ィ……。」
すると、彼は何処か虚ろに不安気な表情をする。…が、すぐにその叔父貴に武器の事を訊く。
「…叔父貴ィ、武器は?」
「…随分、気が早いな。…まぁ、良い。これがお前の今回の武器、"コンパウンドボウ"だ。仕方が無い。お前は、レプリカとは言え神器を使う程に、弓術に熟練していないからな。」
「いいえ、これで十分です。」
コンパウンドボウ----それは、滑車システムを利用して、精度と射撃力を高めた現代的な弓である。弓をまともに使った事が無い初心者でも扱い易い。
今回の対戦相手は、只さえ、只管習熟と熟練を求められる弓術、弓道の世界において、まともに弓矢の扱いを知らない弓の素人----その事を本格的に知った蒼傑が鼻を鳴らす。
「ふん、俺の懸念は杞憂だったな。矢張り、生粋の素人だったか。」
その時、そんな蒼傑の様子を見た上司が、RXQ-03に話し掛ける。
「…お前のニュータイプ能力を知らずに、オーキッド、お前に勝てるとその気になったあの弓兵の姿は、最早お笑いだとしか言えないだろう。」
「…………。」
…それでも、RXQ-03は黙った儘だった。
…。
それから『双条檄射』----試合開始。
…此処で、蒼傑は相手に訊く。
「オーキッドとやらよ、試合内容と勝利条件は分かるな?」
「十本の矢を撃ち合い、射撃により勝敗を付ける。何方かが線外に出ればその者はその場で処刑され、矢が尽きて何方も生きている場合は双方自決。」
「その通りだ!」
そう言った蒼傑が瞬時に弓を構え、神速の速度で矢を放つ。だが、余裕で相手はまったりと避ける。避けられてしまった。そして、その素人である筈の対戦相手は不敵な薄ら笑みの表情で言う。
「…フフッ、…何なのだ?今のは?」
「…な、何故だ……?!」
…本来なら、最速で、たった一矢、一撃で、勝負あった!で、勝敗を、決着を付けられた筈の一撃を、楽々と避けたRXQ-03を見た、蒼傑は顔面蒼白になり唖然とする。…が、相手は、蒼傑に興味がまるで無い。
「…カトンボが……。…所詮、虫ケラは虫ケラ。」
それから、蒼傑は大きく息を吸って吐く。
「…宜しい。まぁ良いだろう。…"オーキッド"とやら、貴殿はこの上無く僥倖な闘士だ。思う存分、イヤと言う程梁山泊闘弓術の真髄を見せてやろう。…これならば、どうだ!」
非常に強く嫌なオーラを感じた蒼傑は、放物線を描く二本の矢と真っ直ぐに飛んで行く矢二本を放つ。…だが、その攻撃すら、簡単に全て、避けられる上に、相手が反撃で撃った矢の内の三本中二本が蒼傑の足と腹に刺さる。すると、"オーキッド"は此う言い放つ。
「次に、君は、"味な真似を!"と言う。」
「味な真似を!」
更に、蒼傑は三本の矢を放つが、全て、敵に見切られており、一矢も当たらない所か、反撃として、その敵が放った矢の二本が、綺麗に命中矢として腹部の右脇に刺さる。
「その次は、"卑怯な真似を!"と叫ぶ。」
「卑怯な真似を!…ハッ?!!」
「…私が卑怯者?…違う、私は一握りの天才なのだよ。」
…何故だかは分からない、知らないが、相手に自分の手中と言う手中が知られて居る。…如何足掻いても、これでは勝ち目が無いと悟った蒼傑が最終手段に乗り出した。手持ちの矢と言う矢を束ねた後……、
「…では、これなら如何だ!!…梁山泊闘弓術極奥義!!……光陰跳背……、!」
…と思わせた後、矢をバリスタの様に放った勢いによって、自らは、高く飛び上がり、相手の頭上から、指撥透弾!
正直、対戦格闘ゲームではありがちなジャンプ攻撃!!!!…無論、弓矢攻撃は咄嗟の対空には不向きだ。…だが、容赦無く、RXQ-03は、予め、相手の動きを見切って居た蒼傑を全ての矢を使って射抜く。
「何時かは私に勝てると良いな?」
こうして、決闘の決着はついた。…弓の熟達者が、弓の素人に負けてしまった。
※…"オーキッド"の弓術熟練度:5 (※最大100とすると)。因みに、其の素人に負けた雑魚弓兵の弓術熟練度は100(※カンスト済)。
…。
※素人に負ける格闘の専門家
シロッコ「格闘素人の私にすら格闘で負けるとは、本当に情けない男!(※げしげし足蹴)。」
ふーけつ「…だって仕方無ぇじゃん。俺は強襲揚陸艦みたいなモンだぜ。…だが、自衛すら無理なのは認める(※素直)。」
…。
シロッコ「恥を知るが良い。格闘素人に格闘で負けて悔しいとは思わないのか?小僧?(※何度も踏み付け)。」
鎮獰「…では、館主様。貴方は館の面子に泥を塗りました。ケジメとして自ら切腹して下さい(※この鎮獰が昔やった様に)。」
館主様「…畜生……(※…余談:原作では逆に鎮獰を切腹させた。…だが、最終的には、館主様も切腹した。桃がさせたので)。」
※シロッコの体術熟練度:15 (※最大100とすると)。因みに、格闘素人に負けた雑魚二名の体術熟練度は100(※カンスト済)。
…。
※…以下、某スパロボ亜種と似た様なの考えた(此処 ttps://www.tumblr.com/azure358/753705211513716736/%E6%B7%B1%E6%B5%B7%E4%BA%BA%E5%BD%A2 収録)の続き
小人の平均寿命は地域にもよるが、120〜170歳位。人間よりも長生き。
大型生物等に狩られたり、捕食される事が割とある。
老い辛いのもあり、極端に老人が居ない。
この惑星の世界は、小人をただの餌にして生きて居る生物が多過ぎる。
…。
この話は全体的に、ハクミコ、サガフロ2とアンサガの世界視と曲とヴィジュアル(※…尚、ゲーム性の部分は、尖り過ぎて居るので……)を意識しています(※それ以前に、ハクミコ自体の絵柄と雰囲気がサガフロ2とアンサガに似てる ※…但し、上っ面だけ)。
…もう、作風も何もかもが万人を振り落とす勢いで尖りに尖りまくってるし、サガフロ2、アンサガから名前を拝借して、『アンリミテッド フロンティア(アンフロ)』とでも名付けようかww(※悪ノリ)。
…。
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txtmatango · 5 months
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『アメリカ兵 パンパンと僕ん家』 朝霞米軍基地の兵士たちとの交流を描く紙芝居
田中 私の家は「貸席」という、今日のラブホテルでした。戦後、朝霞にキャンプドレイクという基地ができて第一騎兵師団、4千名が入ってきた。同時に全国から米兵を相手にするおねえさんたちが押し寄せてきた。その人たちは住むところも何もない。うちはたまたま、戦前、戦中、貸席をしていた。当初は当時公民館も何もないので、会合のある時使わせて、そのうち地方まわりの芝居が、駅前に舞台を開き、うちへ来て、安く泊めてと。あと、東京から来る芋掘りの人たちがうちで作業着に着替えていく。いつの間にか、いくらか部屋代ももらう貸席業になる。おねえさん方も来る。するとそういうおねえさん方が兵隊を連れて来て仕事をするところになる。一般の人は来れなくなり、そればかり集まるところに。
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僕が子どものころは、よくいじめられた。遊び仲間や同級生にいじめられるのではなく、そのお母さんとかにいじめられた。「パンパン屋の子、淫売屋の子と遊ぶんじゃないよ」と。
              〜中略〜
独立記念日にキャンプが開放
田中 7月4日のアメリカの独立記念日にはキャンプが町民に開放されました。ゲートは4つあり、一番大きいのが南ゲートで、昔南栄と言ったところで、キャバレーやバーやあやしいところがいっぱいあった。そこからも入れる��れど、僕たちが入ったのは駅前通りの、今の市役所近くの郵便局のところに、北ゲートというのがあった。そこから入って、独立記念日の会場に押しかけた。
何があったかというと、まず子供たちは食い放題、飲み放題。飲んだことのないコカ・コーラ、それからアイスクリーム、コーン、サンドウィッチはある、ジュースはある。アメリカのお姉さんが、こういう格好をして、キャンデーを配ってくれる。皆々は我れ先に馳け寄ります。もちろん大人も押しかける。人、人、人で溢れます。毎年7月4日が楽しみでした。
興味深かった女の子のダンス 自由なアメリカ
ここで一番興味深かったのは、刈り込まれた芝生広場で、アメリカンスクールの生徒でしょう、僕たちと同じ年ごろの女の子が、ダンスをする。今で言うチアリーディングというやつ、おそろいのお尻が丸見えの短いスカートで、 エイヤッと脚が上がり、きれいで可愛くて、ぼく達は声も無く、魅入るだけです。
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僕はこの時初めて、アメリカはなんでこんなに自由なんだろうと思ったのです。日本なら子ども達が運動会で何かをするとき、体格のよい順にぴしっと並べる。上手な子、可愛い子を前に出すとか、きれいなものを着ている子を前に出すとか。当時は貧しかったので小汚い恰好をしている子ばかりだった。どうしてもそうなる。アメリカはそれがない。デコボコで構わない。下手な子も上手な子も一緒に並べている。上手な子はピンと足が上がる。太った子がいて、足が上がらない。でも一生懸命やっている。日本の僕が行っている小学校なら、あの子は一番後ろに下げるはずだ。ところがその足の上がらない太った子は一生懸命やっていて、アメリカはすごいなあと。ダンスが終わり、一人一人名前を呼ばれ、お辞儀をする。足の上がらなかった子が一番拍手をもらっている。
いじわるだったのは日本人の守衛
ここにMPが立っている。この姿は色もほとんど正確です。他に、日本人の駐留軍労務者という、守衛のような人たちがいました(青い服)。その人たちがえばっていました。やたら入ってくる人出ていく人に、向こうではタダで配っているのに、ものを持ち出していないかと因縁をつけたり、わざわざ子どものポケットを探ってみたり。日本人の守衛さんにはずいぶんいじめられた。
              〜中略〜
田中 その頃は、子どもが進駐軍をこわがったり、一方で「ギブミーチョコレート、チューインガム」と言いながら追いかけたという話をよく聞くんですが、僕はその経験はまったくないです。アメリカ兵の方から、寄ってきてくれた。たまたま僕はこわいという気持ちがないから、呼んでいるとわかる。行くと、ポケットから出していろいろなものをくれる。するとあいつもらったと、みんな寄ってくる。兵隊もみな若い。自分たちのあんちゃんみたいなもの。弟みたいのが寄ってくれば、可愛いでしょう。
特にうちには、当時秋田から中学校終わって東京に出てきてたまたまパンパンになってしまったおねえさんがいた。その人は、ベリーさんという名を黒人兵からもらって、うちの貸席に長期滞在していた。その人にも可愛がってもらって、そのベリーさんの特定の相手、当時オンリーさんといいましたが、黒人兵で年中スティックをお尻のポケットに入れていて軍楽隊のドラマーだったトニーさんにもずいぶん可愛がってもらった。
ベリーさんは結局は殺されるんです。同業者、パンパングループから殺される。トニーさんとベリーさんのお話を描いた「ベリー嬢奇譚」というのが独立した紙芝居になっています。その話はかなり長いことやっており、自分では一番好きな話です。
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ベリー嬢奇譚
ベリーさんは、中学終わってすぐ、秋田県北秋田郡米内沢村というところから出てきた。米内沢にいても仕事などなかった。大きなお宅の女中や子守に行くとかが関の山なんですって。家も貧しかったらしく、子どもも大勢いて、中学を終わって、東京へ行けば何とかなるだろうと出てきた。最初上野に着いた時、東京に出てはきたが何をしてよいかわからない。右も左もわからない。歩いていたら「女中入用」と貼ってあった。それは上野の地下道のしなソバ屋だった。とにかくいいや、使ってくださいと。物置みたいな中二階しか空いていないがそこでいいならと。
そこに2、3ヵ月いたらしい。わずかな給料もらって十分満足していたが、上野は売春婦の本場で、そういうおねえさんたちがご飯を食べに来る。おねえさん方はみないい格好をして、話しているうちに、「あんたここでいくらもらっているの。こんなところにいてもつまらないよ。私たちと同じ仕事したら」。うっすらどういう仕事かわかっていたので迷っていたら、「大丈夫。私たちがちゃんと教えてあげる」。ところがあまりに田舎者過ぎて上野ではうまくいかなかったらしい。そしたらそ���うちの一人が「朝霞に行けば」と。その気になって、朝霞に着いた。朝霞駅に着いて困った顔をしていたら、私の家に貸布団を入れているおじさんがいたんです。大宮から来るおじさんで、今でもそのお店はあります。そのおじさんとたまたま会って、どこか泊まれるところを知らないと言ったら、それなら「俺がいつも行っているところに頼んでやるよ」と、最初にうちに来た。おふくろも話を聞いて、うちも商売をしていてお手伝いさんがほしいから、うちで少し働いてみるかい、と言った。そうしてください、ということになった。
その人がうちの使いで通りに出た時、黒人兵とぶつかった。その時、何となくこの人はいいひとだなと思ったそうです。その黒人兵は、片言の日本語ができ、話しているうちに、どこにいるのか、私はこの家で働いている、住んでいるのか、住み込みです、夜遊びに行っていいか。私の一存では返事できない、お母さんに聞いてくる、と。おふくろは、元々アメリカ兵と付き合っていい暮らしをしたい、国にもカネを送りたいと思ってきていることがわかっていたから、黒人兵もいい人だと見たんでしょう。ということで付き合いが始まって、中学を終えたばかりでトニーさんのオンリーに成ります。 トニーさんは色白のベリーさんが大好きでした。オンリーになってもアメリカ兵はずるかった。適当に遊んで、うっちゃって、また他をと。その黒人兵トニーさんはベリーさんをすごく可愛がった。ベリーさんは、当時朝霞で誰も着ている人がいなかったチャイナ服をいっぱい持っていた。成増と下赤塚の間にグランドハイツという米軍の住宅があり、その前に中国人の経営するテーラーとかドレスメーカーがいっぱい並んでいた。そこへ連れて行ってチャイナ服を作らせた。最初はもったいなくて着られなかったが、トニーさんは毎日着ろと。ベリーさんがそれを着て駅前に出ると、当時乞食パン助と言われたくらい兵隊をつかまえるのに必死になっている子たちばかりだから、ろくなものを着ていない。そういう子たちから見ると、あのやろうなんだ、たまたまいい兵隊見つけたからと言ってでかい面するな、といじめられたらしい。そこではいつもおふくろが出て行ってかばった。
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ベリーさんも、おふくろのところから離れられなくなって、結局4年ほどうちにいることになるんです。結局、トニーが所沢の基地に転属になります。それでベリーさんも狭山に住むことに。狭山に行ったんだけれど、どこに行っても縄張りがある。朝霞にも白百合会というグループがあり、よそから来る女の子をみな一回おどかしてグループに入れて上納金を取る。拒否するとリンチを加える。ベリーさんもその土地のグループに目をつけられ、殴ったり蹴ったり、内臓破裂で死ぬ。しばらくしてから、風のうわさというか、朝霞にも流れて来て。朝霞では、「あの黒人がベリーさんを殺したに違いない」と言われた。おふくろは「違う、トニーは決してそんなことをする人ではない」と言い張っていたそうです。
結局は、土地のパンパングループに殺されたということがわかった。それからしばらくしいて、トニーさんがうちに来た。「お母さん、僕のモーニングスター、ベリー死んだよ」と、おふくろにしがみついて泣いたんです。僕はその時学校から帰ってきて、ランドセルしょったままそばにいて。いつもトニーに遊んでもらう時はトニーのベルトに指2本突っ込んで振り回してくれる。その時も同じことをしてくれたのですが、トニーが泣いたんで、よくわからないが僕も泣いちゃって。ここが、紙芝居のラストなんですが、必ず僕は泣いてしまいます。
女性紙芝居師が引き継いでくれる
昨年、浅草の吉原のこうした話ばかりを集めているカストリ書房という本屋さんから朝霞のパンパンがいたころの紙芝居をやってくれないかと声がかかった。その時、たまたま本職の紙芝居屋さんも何人かいて、その中の女の紙芝居屋もっちぃさんが、「金ちゃんが泣いちゃってできないなら、私にやらせてくれないか」と。それでその人が、今やってくれています。
―田中さんはパンパンと呼ばれた女性たちをおねえさんと呼ぶ。
田中 可愛がってくれたおねえさん方です。みんなはパンパンとかパン助とかパンパンガールと言ったけれど、おふくろは僕に決してそんなことばを使ってはいけない、おねえちゃんと言えと。おねえちゃんと言われると向こうもうれしく、弟みたいに可愛がってくれた。いろいろな、珍しいものをもらった思い出がある。おねえさま方に対して、僕はいやな思い出、悪い思い出がないです。何かがあったら、味方をします。
富山の薬売りだったおねえさん
うちに、僕が赤ん坊の頃から来ていたという富山の薬売りのおねえさんがいたんですよ。ゆきちゃんといいました。その人がある時から突然来なくなった。箱に薬を詰めたままでお金も取りにこないし。おふくろが心配していたら、ある時突然アメリカ兵と来て、「私今度メアリーになったんよ」と。薬売りではきれいなドレスを着られない。だからハニーさんになった。ハニーさんも僕が勝手につけた名で、パンパンという呼び名をなぜか女の人はいやがる。どうしたらよいかと思っていたら、アメリカ兵はおねえさんを呼ぶ時に例外なく「ハニー」と呼ぶ。ああハニーさんと呼べばよいと、それからハニーさんにしたんです。薬売りのおねえさんもハニーさんになり、当時いい思いをしたおねえさんもいっぱいいる。ただ、どうしちゃったわからないおねえさんもいっぱいいますが。
―田中さんは記憶力がすごいです。
田中 僕が中学・高校(獨協中学・高校)に入った時、3年生に美濃部という珍しい名の先輩がいたんです。その子が休み時間になると重量挙げをやっていた。僕もいつも見に行っていたら、ある時、持ってみろと。後で聞いたら50キロだったらしいですが、それを僕は挙げた。美濃部先輩は「すごい。坂田金時の再来だ」と言った。同級生が聞いて、最初は「金時さん」と呼ばれていた。それが「金ちゃん」になり、中学から高校を終わるまでずっと「金ちゃん」で通した。いまだに、「金ちゃん」。美濃部先輩は後の古今亭志ん朝です。
―これからも紙芝居を。
田中 他にすることもないし、何とか続けたいです。
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chiefbelieverllama · 2 years
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海派中醫 無派之大派
“上海是海,是襟江連海的不息水流造就了上海,更是水滋養了上海,使這座城市孕育了以海納百川、相容並蓄為主要特徵的海派文化”。 這是作家、海派文化研究中心主任李倫新對上海海派文化的描述。
“海派”一詞肇始於中國繪畫,並受到傳統戲曲的極大影響。 “海派作為藝術流派濫觴後,很快從中國畫、京劇漫開至電影、小說、美術教育等領域,乃至社會風尚、生活方式。” (朱少偉《海派文化的淵源與流變》)新老上海人來自四海五洲,城市建築素有「萬國博覽會」之美譽; 上海語言南腔北調,還有洋腔洋調; 滬上餐飲菜系多樣,魯川粵閩,蘇浙湘徽,風味各異; 申城戲劇舞臺百花爭艷,京昆雅韻,淮越滬甬,劇種繁多。 海派文化,就是植根於中華傳統文化基礎上,以吳越文化為主幹,彙集中國其它地域文化的精華,吸納並消化一些外國的主要是西方國家的文化因素,融合形成的一種新的富有獨特個性的多元文化。
作為「海派文化」的一個重要分枝,「海」可以詮釋為「堅持開放、相容中西醫學、善於吸納新知、不斷發展變化、敢為人先、勇於創新的上海中醫醫學」。。 早在南宋紹定年間,青浦青龍鎮人何侃(字直哉),作為何氏第四世醫,開創松江一支; 其後子孫相傳,歷經29代不衰,何氏醫學“不僅在我國歷史上誠無多見,即在世界醫史上,亦從未之聞。 明末華亭人李中梓(字士材),所著《內經知要》、《醫宗必讀》等,是絕佳的入門醫書,寓普及於提高之中; 李氏之學,一傳為沈朗仲,再傳為馬元儀,三傳為尤在涇,世稱「士材學派」。。 清末民初時期,在上海更形成了孟河醫派、新安醫派、張氏內科、夏氏內科,婦科四大流派,傷科八大家,兒科四大流派,針灸六大流派,推拿一指禪等眾多蜚聲海內外的醫學流派相容並存的局面。 “”就是在這樣的歷史背景與學術氛圍中形成的,具有大度包容的學術胸襟,敢為人先的開創精神,納新求變的思維方式,對江南乃至全國中醫藥界形成多元輻射。
日本藤素 美國黑金 犀利士 威而鋼 樂威壯 必利勁 德國必邦 vigrxplus 必利吉 壯陽藥
春藥 持久液 vimax增大丸 美國maxman 美國goodman VVK增大丸 印度神油 一想就硬 
一炮到天亮 保羅v8 汗馬糖 日本2H2D 海狗丸 紅金偉哥 台灣本能 德國黑螞蟻生精片 
韓國奇力片
目前,上海正抓緊保護、挖掘滬上中醫各大流派,總結它們的學術思想、臨證經驗、診療醫案等,梳理它們的形成脈絡、發展要素,歸納總結“海派中醫”的傳承規律。 2009年1月以來,「上海近代中醫流派臨床傳承中心」的成立,目的是培養新一代傳人,形成新的中醫流派,續活血脈; 努力再現各派名醫輩出、流派紛呈的繁榮景象。 近年來的上海,選擇中醫中藥診療的病人(很多來自全國各地)逐年增加,秋冬季中醫膏方門診9月中旬就開始預約登記,至冬至前後,許多中醫專家膏方門診一號難求。 毫無疑問,中醫中藥現在是上海市民診治疾病的重要選擇,是衛生保健領域的重要力量,將來也必定如此。
在金庸的武俠名著《神鵰俠侶》中,主人公楊過來到劍塚,見到絕頂高手獨孤求敗“四十歲前恃之橫行天下”的“玄鐵重劍”。 此兵器外表黑黝,劍身深黑之中隱隱透出紅光,三尺多長,共重九九八十一斤,兩邊劍鋒都是鈍口,劍尖圓圓的似是個半球。 正所謂“重劍無鋒,大巧不工”!在《道德經》第四十一章,老子論說“道”的崇高境界時,也有“大方無隅,大器晚成,大音希聲,大象無形”等說法,其義為:“方正的(物體)好似沒有棱角,貴重的器物總是後完成,宏大的樂聲反而聽起來無聲響,大的形象反而看不到形跡。 “因此,”大音希聲,大象無形“之喻旨在說明:世界上偉大恢宏、崇高壯麗的氣派和境界,往往不拘泥於一定的事物或格局,而呈現出”氣象萬千“的面貌和場景。 這裡“無”字,並非“沒有”之義,而是臻於至高至極的體現。
“海派無派”的表達亦是如此,正如已故“海派名醫裘沛然先生所指出的:“古往今來中醫分為各種流派,而海派中醫能立穩腳跟併產生影響,就在於它是'無派之派',海納百川、不拘一格,汲取了各家優勢。 “可見,”海派中醫“是融匯各派之所長、不拘泥門戶之見的”無派之大派“。 上海的中醫,包容萬象,兼收並蓄,各派歸「海」; 她薈萃賢才,融匯新知,遂成「大派」; 她博采勤求,傳承創新,堪稱“海派”。
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月27日(火) #仏滅(甲寅) 旧暦 12/5 月齢 3.7 年始から361日目(閏年では362日目)にあたり、年末まであと4日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . スエットパンツとかパーカーやらジムウェアも そうですが、紐が片方だけ長くて もう片方がのめり込んで出て来な くってありますよね😅💦あれって 苛つくんですよね💢💢💢出てきや しないから、終いには紐を取って しまうとパンツだと締まりがなくて 履いてズルズル落ちて来るからもう 🙅駄目⤵️前にスタジオレッスンを受ける前 に着替えてたら💡ソレッですもん⤵️⤵️⤵️ 余儀なく断念してレッスン諦めて帰っ て来た事ある🤣😆🤣今、思えば💡 レンタルウェアって手がありましたね😅💦 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #虎ノ門事件(トラノモンジケン).  1923(大正12)年12月27日(木)赤口.の午前10時45分頃に、第48帝国通常議会の開院式へ向う摂政宮裕仁親王  (後の昭和天皇)を乗せる車が虎ノ門外においてテロリスト難波大助に狙撃された事件である。  弾丸は車の窓を射抜き入江為守侍従長が顔に負傷を負ったが、狙撃を行った難波は、その場で捕らえられた。 .  犯人の難波は、山口の名家に生れ当時 25歳、1919年上京してのち、貧民窟の実情を見てテロリストとなった。  共産主義に近づいたが、関東大震災の渦中で大杉栄ら社会主義者や在日朝鮮人が残忍な虐殺、迫害を受ける  のを見て報復テロを決意した。 .  同事件の責任を負って、当時の山本権兵衛内閣は総辞職、警視総監湯浅倉平、警視庁警務部長正力松太郎は  懲戒免職となりました。  難波に対する裁判は、1924(大正13)年10月1日(水)大安.より大審院長横田秀雄を裁判長に開かれた。  同年11月13日(月)仏滅.に大虐殺罪で死刑を宣告され、11月15日(土)仏滅.に難波は死刑を執行された。 . . #仏滅(ブツメツ).  六曜における大凶日。  「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。  また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を  始めるには良い日との解釈もある。 . #三隣亡. 九星の俗信の一つ。 建築関係において大凶日。 この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣を滅ぼすと云われる日。 棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日。 「さんりんぼ」とも言う。 . #帰忌日(キシニチ/キコジツ/キシニチ/キコニチ・キイミビ). 暦注(レキチュウ)の一つ。  陰陽道では、凶星の精が人家の門戸をふさぐ日で、旅行・帰宅などを忌(イ)む日としている。  遠出・帰宅・転居・結婚・入国なども忌む日であります。 . #八専間日(ハッセンマビ). 干と支の性質が同じ組み合わせの多い期間のことですが、八専間日は八専の期間中に干と支の性質の組み合わせが同じでない日。 八専は凶日ですが、間日は凶日ではないとされています。 . . #航空母艦鳳翔竣工(コウクウボカンホウショウシュンコウ).  1922(大正11)年12月27日(水)、世界初の新造空母である。 . #寒天発祥の日. . #ピーターパンの日. . #浅草仲見世記念日. . #日本レコード大賞開催の日.  1959年の今日に文京公会堂で第1回日本レコード大賞開催された。  現在では大晦日前の12月30日に放映されている。 今年は、第64回目で、2022(令和4)年12月30日(金)先勝.17時30分から 生放送!  https://www.tbs.co.jp/recordaward/ . . ■本日の成句■. #移れば変わる世の習い(ウツレバカワルヨノナライ). 【解説】 時世によって世の中の状況はさまざまに変化する。 この目まぐるしい移り変わりも世の常のことであり、怪しむに足りないという意味。 時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だと云う事。 . . 1976(昭和51)年12月27日(月)大安. #竹原ピストル(#たけはらピストル/本名:竹原 和生) 【フォークシンガー、ギタリスト、俳優】 〔千葉県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CmpWZWZhQywM-lHqEdNHhhx3WnEXDQkgRCWqc00/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 4 years
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2021年3月18日(木)
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春を具体的に何によって感じるか、もちろん人それぞれである。私の場合、ここ数年は知人から届く<山うど>がそれである。加齢とともにその美味しさを再発見したものの代表格、今年もあれこれ楽しませていただこう。Sさん、いつもありがとうございます!
ツレアイは出勤、他は休み。
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手元のマルタイラーメンも残り少なくなってきた。これがなくなれば、煮麺シリーズにするつもり。
木曜日はプラごみ、45L*1。
朝一番で、昨日から提供が始まったLINEMOの情報収集、近頃はこの手の作業はYouTubeに限る。eSimの設定でトラブルが多発しているようだ。
土曜日に届く奥川ファームの定期便に備えて、食材をあれこれチェック。
昨晩のチキンカレー、マメとレタスを追加する。
キュウリが沢山残っているので、しょうゆ漬けを仕込む。
先週申し込んだ楽天銀行からカードが届く。私の楽天モバイルの無料期間は来年2月末まで、それまでは楽天銀行+楽天カード+楽天市場で、<楽天経済圏>を楽しんでみる。
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ランチ、次男はサッポロ一番味噌ラーメン、三男は焼きめし、私は日清どん兵衛。
録画番組視聴。
100分de名著 災害を考える
第三回 セネカ「生の短さについて」 ~「時」とのつながり~
震災や新型コロナ禍は、私たちの「生」がいかにはかないものかを思い知らせた。とともに、「時」というもののかけがえのなさについても、あらためて教えてくれたといってよい。哲学者セネカによれば、死はしばしば前触れなく訪れ、その足音が聞こえるようになったときはじめて、自分の人生が限られものであることに気づくという。平時において多くの人たちは、「時」の真価を知らないまま生きている。困難の最中にあってこそ私たちは、真の「時」とのつながりを取り戻すべきだというのだ。第三回は、セネカの思考を通して、「生」のはかなさを見つめ、決して計量できない質的な時間を取り戻すことの大切さを考える。
こういう話を、学生にもしてみたい。
町内ウォーキング、帰路に西大路花屋町・セントラルスクエアまで買物、菜の花+ホタルイカ。
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息子たちの夕飯、塩鮭+鶏モモ肉の甘辛煮+無水ミネストローネ。
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ツレアイはかなり多忙だったようで遅い帰宅、用意しておいたホタルイカと菜の花で慰労する。先日五条坂で購入した野菜皿、とてもいい大きさで重宝している。
録画番組視聴。
上方落語の会▽笑福亭智丸「馬の田楽」 ▽笑福亭遊喬「試し酒」
▽きょうの落語:「馬の田楽」笑福亭智丸・「試し酒」笑福亭遊喬▽「馬の田楽」:味噌樽を積んだ馬が店先につないである。そこへ現れたのが近所の子どもたち。馬を相手に遊び、一人が馬の尾を力まかせに抜いてしまい…。▽「試し酒」:ある商家の旦那。訪ねてきた近江屋のお供の人間が五升の酒を飲むと聞き、祝儀を切るから目の前で五升飲んで欲しい、と言い出して…。▽ごあんない:南沢奈央・くまざわあかね
智丸さん、なんと詩集を出版するほどの文学好きとか。
今週は<平日休肝日プロジェクト>はお休み、来週から頑張ろう。
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やはり、<ムーブ>を700kcal越えにしたいなぁ。
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ari0921 · 2 years
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我が国の未来を見通す(50)
「気候変動・エネルギー問題」(15)
人為的CO2削減の可能性
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
記念すべき第50話まで来ました。「わが国の未来
を見通す」を始めてからほぼ1年が経とうとしてい
ます。50回を記念して、私自身の最近の“日常”
をカミングアウトしようと思います。現在、71歳
と半年、3つの会社と非常勤監査役や顧問などの形
で雇用契約してそれぞれの職務をこなすかたわら、
某大学の非常勤講師として週に1度は講義を行って
います(科目は、なんと「経営戦略論」と「経営組
織論」です)。
その他、自衛隊を含み、依頼があればどこへでも喜
んではせ参じ、歴史講話などを実施しています。ほ
かにもボランティア活動も数件、それ以外にゴルフ、
コンサートや演劇観賞、小旅行、それに各種セミ
ナー聴講など、たぶん同世代の人たちよりは数多く
こなしていると思います。
ボランティア活動で最も力を入れているのは、元自
衛官たちの再就職あるいは再々就職の応援です。5
0歳後半で若年定年を迎える自衛官は、退職直後は
国家が再就職の面倒をみることが法律で定められて
おり、その体制下で自衛官たちは再就職します。し
かし、「人生100年時代」、元自衛官たちは60
歳の前半、今度は自力で職探しに奔走することを余
儀なくされます。この時には、自衛官の“ブランド”
はすでに消え去り、相当厳しい“現実”が待ってい
ます。
そのような元自衛官たちの苦労を目の当たりにして
いることから、時々、仙台や札幌まで出かけて行き、
現役自衛官たちの前で、誰もが迎える未来の“現
実”、そしてそれに向かって現役時代からの心構え
や準備すべき事項などについて教育しています。「
国防に半生を捧げた全自衛官たちが、一生、幸福で
充実した人生を送ってほしい」との切なる願いを込
めて、私自身も東奔西走しております。またその一
環で、自衛隊部内紙紙上に「自衛官にとっての『人
生100年時代』」をシリーズ化し月に1回、投稿
しています(現在16回目です)。
さらに、時々、本シリーズでも紹介していますよう
に、日々変わる“時事”についても関心を持ち、で
きる範囲で情報収集します。このような合間をぬっ
て、本シリーズの原稿を毎週5000字前後したた
めています。もちろん、そのために必要な書籍や資
料をできる範囲であさります。これらから、最近は
どこに出かけるにも1泊以上の場合は、パソコン持
参が常態となりました。
若い頃から「人の3倍生きる」を公言し、泳ぎを止
めることを知らない“マグロ人生”を突っ走ってき
ました。つい先日は、深夜までサッカー観戦で寝不
足のまま、翌日早朝から出かけて同期のゴルフコン
ペに参加(結果はベスグロでした)、夜は、家内と
コンサートを観賞するなどの無理もしていますが、
年齢も年齢、記憶力も弱くなるなど少々ガタが来て
います。いつまで続けられるかわかりませんが、も
う少し頑張りますので、どうぞお付き合いください。
冒頭から私的な話題ですみません。
▼地球は寒冷化に向かう!
さて、本題に戻りましょう。前回紹介しましたよう
に、「地球は寒冷化に向かう!」との勇気ある主張
も依然として存在します。全人類のほとんどが「地
球温暖化」狂騒曲を鳴り響かせている現代にあって、
個人的にはとても興味が沸きます。CO2削減の
可能性について論じる前に、少しその骨子を紹介し
ておきましょう。
「寒冷化に向かう」とする根拠の��1は、「100
万年にわたる地球の気温推移の歴史をみると、人間
の出すCO2などとは全く無関係に一定のリズムを
刻んでいる」ということです。現在は、「確かに温
暖期にあるが、この周期からみるとそれも束の間で、
いつ気温が下降してもおかしくない。そうなれば
地球も約1万年ぶりに氷河期に突入する」のだそう
です。
さらに、ここ1万年の気温推移をみれば(前に紹介
しましたように、グリーンランドの氷床から北極圏
の気温を推定しています)、「確かにここ約100
年の間は、小さなレベルで気温が上がっている。だ
が、さかのぼって気温推移をみると、工場も発電所
もなかった時代に、今以上に温かい時期が何度も来
ている。人類の出すCO2は気候変動とは関係ない」
というのです。
つまり、「大きな周期をみても、小さな周期をみて
も、気温が人類の出すCO2で変化しているように
は見えない。地球の向かう先は温暖化ではなく、寒
冷化の可能性を疑うべき」と主張します。
その主張の根拠として、温暖化説を唱える気象学者
たちが「大気」だけをみているのは「ものの見方が
狭すぎる」と言い切って、地球の気温は「宇宙」、
それに最も近い「太陽」に目を向けなればならない
とも主張しています。
関連して言えば、温室効果ガスが地球温暖化の原因
としてコンピューターでシミュレーション手法を開
拓し、ノーベル賞を受賞された真鍋淑郎(しゅくろ
う)氏のグループは、受賞自体は嬉しいことではあ
るのですが、「仮定」そのものの誤りや「政治的意
図が働いた」などとの指摘もあるようです(細部は
省略します)。
東京大学の地球生命研究所丸山茂徳教授は「地球の
温度は根本的に決めるのは日射量だが、それを圧倒
的に支配するのは雲である。雲は白く、太陽光を反
射する。雲量が1%増えると地球の平均気温は1℃
下がることがわかっている」として、「雲の量を増
やすのは、宇宙から降り注いている『宇宙線』であ
る。高エネルギーの宇宙線が雲の材料となる埃に衝
突して分散してその数を増やすので雲の量が増える」
と別な角度から地球温暖化に疑問を投げかけます。
具体的には、「その『宇宙線』の量を左右するのは
太陽活動であり、太陽活動は強くなったり(黒点の
数が増える)、弱くなったり(黒点の数が減る)し
ているが、それ以外にも『太陽風』という目に見え
ない高温のガスを吹き出しており、このガスが『宇
宙線』を弾き飛ばす。太陽活動が弱くなった時、『
太陽風』のバリアも弱くなり、地球に降り注ぐ『宇
宙線』が増える、その結果、雲が増え、気温が下が
り、逆に太陽活動が強くなれば、『宇宙線』も吹き
飛ばされ、雲も減って気温が上がる。近年、太陽活
動が低調になりつつあるということで、地球は温暖
化どころか、寒冷化する予兆がある」と丸山氏は主
張します。
「氷期と間氷期をもたらす数万~10万年周期の気
候サイクルは、地球の『天体運動』にその原因があ
る」と神戸大学兵頭正幸名誉教授は解説しています。
つまり、「地球の自転軸の角度や公転軌道の形な
どは、月や惑星の引力により周期的に変わり、それ
によって、北半球高緯度が受ける日射量が周期的に
変化し、氷期と間氷期を繰り返す」として(「ミラ
ンコビッチ周期」と呼称されます)、「この周期で
は、地球は約6000年間以降寒冷化に向かってお
り、約3万年後に氷河期に迎える」と主張していま
す。
このように、地球の気候変動は、太陽に関わる作用
を主因としつつ、海流、水蒸気量、マントルや火山
活動、地球磁場、銀河における太陽系の位置など、
無数の要因によって動く「宇宙レベルの摂理」なの
であり、こうした視点でみると、「人為的CO2が
地球気温を動かす」などとそもそもの“次元が違う”
ということでしょう。
これらの理論について、私など素人が理解できる範
囲を超えているものがありますが、もっと長いレン
ジで「地球の動き」をウオッチする必要があるとい
うことなのでしょう。以前紹介しましたように、つ
い最近の1970年代には「寒冷化」狂騒だったも
のが、手のひらを返したように「温暖化」狂騒に変
わりました。地球や宇宙に対する人類の“感知能力”
が依然として未熟である証左ともいえるでしょう。
日本や外国の研究者の中には、「地球温暖化」に“
異説”を唱えている人たちが沢山おられるのは明ら
かです。これらから、最近の「異常気象」(最近は、
「極端気象」というそうですが)をすべて地球温
暖化のせいにして、「温暖化の原因は人為的CO2
の排出である」と断定するのは、かなり無理がある
と考えるのが妥当なのではないでしょうか。あるい
は、そのように結論づけるのは“時期尚早”という
のが正しいのかも知れません。
▼人為的CO2の削減は可能か?
人為的CO2排出に戻りましょう。これについても
すでに触れましたが、CO2排出の国や地域分布の
歴史を振り返ってみますと(インターネットではト
ップ10の国々の1960年~2019年までの排
出量の移り変わりが動画のように一目することがで
きるサイトがあります)、確かに2004年までは
アメリカが常にそのトップを走り、ロシアや中国な
どが追随してきましたが、2005年以降は、中国
がトップに躍り出て、それ以降は2番手以降の追随
を許さず、ダントツ1位でCO2排出をほしいまま
にしています。
2019年の内訳をみれば、中国107億トン、ア
メリカ48億トン、インド25億トン、ロシア17
億トン、日本11億トンと続きます。その割合は、
中国29.4%、アメリカ14.1%、EU28カ
国8.9%、インド6.9%、ロシア4.9%、日
本3.1%となります。なお、世界全体のCO2総
排出量は336億トンで、そのうちG20の排出量
は270億トン(約80%)となっています。
 ちなみに、これを「一人当たりのCO2排出量」
でみるとまた面白い結果が得られます。第1位は、
目下話題のサッカーワールドカップ開催国のカター
ルです。秋田県ほどの広さに286万人ほどの人口
を有するカタールは、石油産出の富をもって、CO
2排出など一顧だにしないまま、まさに“砂漠のオ
アシス”ともいうべき近代国家を築いたのでした。
 カタールに続き、アラブ首長国連邦、カナダ、オ
ーストラリア、サウジアラビア、アメリカ、ロシア、
韓国と続き、日本はようやく第9位にランクインさ
れます。なお中国は第12位にランクされています。
 このような中国は、2015年採択の「パリ協定」
では、「2030年にピークアウトする」、つまり
2030年以降はCO2削減の努力はするが、それ
まではがんがんCO2を排出することを認めさせま
した。前に紹介しましたように、「付属国I国(つ
まり先進国)でない」との理由に加え、「一人当た
りの排出量は低い」などと主張したのでしょうが、
2005年以降ダントツ1位のCO2排出国である
という“事実”があるわけですから、トランプ前大
統領が怒るわけです。
その中国は、2030年以降は「脱炭素」を進める
かも知れませんが、すでにアジア・アフリカ諸国に
石炭火力発電所の輸出攻勢をかけています。そうす
ると、「非付属国I国」のアジア・アフリカ諸国は、
先般のCOP27で「地球温暖化の要因は先進国の
せい」として先進国に「損害」と「損失」の賠償を
要求したことに留まらず、近い将来、「���リ協定」
の中国のように、「自国のCO2排出については、
○○年以降に進める、それまではがんがんCO2
を排出する」と主張するでしょう。
つまり、2030年以降、中国のCO2排出は多少
減るとしても、エネルギー起源のCO2は、世界全
体では減ることがないと考えざるを得ないのです。
やがて90億人を超えると見積もられている世界の
人口です。先進国の人口が減り続ける中で、「非付
属国I国」であるアジア・アフリカ諸国で増え続け、
エネルギー源が大幅に必要になるのは明白だから
です。
▼「人間の活動」を抑制できるか
そもそも人為的CO2の排出、つまり「人間の活動」
によるCO2排出は、エネルギー起源のCO2排
出だけではないことはすでに詳しく紹介しました。
「ものをつくる」(31%)、「電気を使う」(2
7%)、「ものを育てる」(19%)、「移動する」
(16%)、「冷やしたり暖めたりする」(7%)
と人間の活動のほぼ全てに及びます。
 先進国がこれまでたどった道、つまり、ビル・ゲ
イツも指摘していたように、人口増にともなう都市
の建設ラッシュをはじめ、電気を使うことがあたり
前の近代的な日々の生活、生きるために必要な食料
や栄養源を安定的に確保するための近代的な農業や
牧畜の拡充、車や飛行機による移動や貨物などの輸
送手段の確保、冷暖房が完備した快適な生活の追及
などについて、90億人の“民”がそれらに気づき、
地球上の至る所で求め、実際に普及したら、CO
2排出量はまさに計り知れないほど膨らむことが明
白で、現在、先進国を中心に世界中を巻き込んでい
る地球温暖化対策にどれほどの意味と効果があるの
でしょうか。
 逆に、増え続ける人口を維持して、いわゆるSD
GSを実現するためには、「ある程度のCO2が必
要である」との見方もできるのですから、矛盾が矛
盾を呼んでいると言わざるを得ません。
 ビル・ゲイツのようなチャレンジには敬意を表し
ますが、実現はそう簡単ではなく“絵に描いた餅”
になる可能性が大でしょう。私は、いつか、だれか
が地球温暖化の真実や原因をろくに調べないまま、
何がしかの意図をもって主張し始めた「地球温暖化
対策」が、当初の狙い(意図)とは違った方向に歩
み始め、自ら“墓穴を掘っている”ような気がして
ならないのです。読者の皆様はどう思われるでしょ
うか。
話は変わりますが、新橋駅のホームの立つと銀座側
に「LONGI」という中国のソーラーパネルメー
カーの看板が目に入ります。看板の上部には「太陽
光発電パネル 出荷量世界第1位」とも表示されて
います。「非付属国I国」の立場を最大限に活用し
て2030年まで石炭火力発電所でCO2をがんが
ん出す一方で、すでに三峡ダムの建設などで膨大な
量のコンクリートを使いまくり(言葉を代えれば、
CO2を排出しまくり)、その上、太陽光発電パネ
ル生産においては、すでに世界の8割以上のシェア
を確保し、将来95%になるとの見積もりもありま
す。
原子力発電所についても、現在運転中の基数はアメ
リカ、フランスに次いで第3位の47基ですが、列
国が軒並み新たな原発建設を控えている中で、中国
だけは計画通り建設を続け、2018年8月、「1
0年後に世界の原子力標準化で中国が主導的な役割
を果たす」との目標を表明したことが話題になりま
した。これらから、気候変動問題を最大限に活用し
ようとしている中国の“したたかな国家戦略”を垣
間見ることができるのです。
蛇足ですが、森羅万象、あらゆるものを「国益」と
いう観点からしたたかな戦略を張り巡らす国に対し
て、他国の評判のみを気にして「国益」など頭の片
隅にも存在しないかのように見える国が太刀打ちで
きないのは明白です。このようなことも念頭に置き
ながら、次回、経費データがそろっている我が国の
「温暖化対策費」を取り上げ、その費用対効果に迫
ってみましょう。唖然とします。
(つづく)
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bearbench-tokaido · 6 months
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三篇 下 その四
「湯潅場はどこだ。弥次さん、先にはいりなせえ」  (湯潅場…葬式の時に寺で死体を洗う所、前の宿引きとのやり取りに続けた悪洒落) と、北八が言うと、 「いまいましい事をいう男だ。手めえ先へ入れ」 弥次郎兵衛が答えて言う。 「こっち〜、おいでなさりまし」 と、女中がすぐに湯殿へ案内する。 この間に荷物も座敷へ運ばせ、弥次郎も奥へ通ると、 銭の両替屋が 「ハイ両替はようおざりますか」  (金貨は武士、銀貨は商人、銭は庶民のそれぞれの主力貨幣だが、この三貨幣の間の相場が複雑に動き、また、藩ごとに異なる藩札が通用するので、両替屋は江戸時代には盛んだった商売) 按摩が 「お療治をなさいませぬか」 と、ひっきりなしに、行き交う。
弥次郎兵衛は、これ幸いと、 「おっと、こりゃいい。もんで下さい。おっ!?お前さん、目が見えるのか?」 と、按摩を呼んで様子を見る。 「はい、おかげさまで幸せなことに片方はよく見えます。 十年ばかし前に風眼とやらを患いおりまして、両眼ともに痛めておりましたが、それからこっちいろいろ療治して、ようやっとこのあいだ左の方がよくなりました」 弥次郎兵衛は、感心しながら、 「久しぶりで目が見えるようになったら、みんな初めて見るような感じだろう」 「ハイ、さようでおざります」 弥次郎兵衛は続けて、 「見えない方もずいぶん療治なせい。 直りさえすりゃ、見えるもんだ。時に北八、湯はどうだ」 と、風呂から上がってきた北八に問いかける。 「ああ、いい湯だ。あんまり熱くて、体が半分紅白の水引のようになった」 それを待っていたかのように女中が、 「ハイ、お膳をあげましょう」 と、ここで膳も出て、いろいろあったが略す。
やがて食事もすみ、弥次郎も湯にはいってしまう。 弥次郎兵衛が、 「さあ、按摩さん、やらかしてくんな。 そういえば、湯殿からちらりと見えたが、ここの家のお神さまかどうか知らないが、病人と見えて取り乱している様子がなかなか美しい代物だった」 按摩は、まんざらでもない風で、 「そりゃ、気が触れお方でおざるはのし」 北八もきいてくる。 「美人なら、そんなことにかまうことはねえ」 「いやいや、今に念仏が始まりますわ。黙って聞いていたらいいですわ」 と、按摩がいうと、この家のお勝手の方で、チャンチャンと鉦の音がして、百万遍の念仏が始まった。  (百万遍…浄土宗などで行う念仏の行事。一同丸くなって座って、鉦を叩きながら南無阿弥陀仏を唱えて大きな数珠を回す)
その音に、按摩が 「それ、見たことか。あの気がふれたお方は、もとはここの下女でおざったが、御亭主が手を付けられたのを、お神さまがひどい焼き餅焼きで、あの女をぶったり叩いたりして、とうとう追い出しおりました。 御亭主は不憫がって、それからお妾にして脇に囲っておりましたが、なおまたお神さまがやかましくいって、とうとう、そのお神さまが焼き餅で気がふれて、首をくくって死によりました。 そうすると御亭主はまた、それをよいことにあの女を家へ入れると、その晩からお神さまの幽霊がとりついて、あの女がまたお神さまのように、気がふれたもんだで、それであんなに毎晩百万遍のお念仏を繰りおります」 と、按摩は弥次郎をもみながらひそひそと話す。
弥次郎も北八も口は達者だが、根は臆病者。 北八が、 「なんだ幽霊がとりついたとは、ここの家へその幽霊が出るかの」 按摩も、 「出るようで」 というと、弥次郎兵衛は、恐いのか、 「嘘をつくぜ」 と、震え声。 「いえいえ、嘘じゃおざらぬ。 毎晩この屋根の上に、白いものが立っているのを見たものがおざります」 と、按摩は答える。 北八、辺りを見回しながら、 「ヤァコリャとんだ所に泊り合わせた」 按摩は、さらに続ける。 「それに、そのお神さまが首をくくった時の顔色と言うものは、目をかっと見開いて、青ばなをたらし、歯を食いしばって、それはそれは、生きているような顔であったそうで」 北八は、恐る恐るきく。 「そ、それはどこで?」 按摩は、ニヤニヤしながら、 「それ、お前さまのうしろの縁先で」 北八は、溜まらずふりむくと、 「ヤァコリャたまらぬ。どうか首筋がぞくぞくするようだ」 と、震え上がっている。
弥次郎兵衛は、外の音に気がついて、 「あいにく、しょぼしょぽ雨が降りだしたわ。なさけない」 按摩が続ける。 「今夜などは、きっと出そうなこんだ」 北八、すっかり縮み上がって、 「イヤこれ按摩どの、もう帰って下さい」 と、体をだいている。弥次郎兵衛も、 「あの百万遍のたたき鉦の音で、いっそう気が滅入るようだ」 「なんにしてもいまいましい宿をとった」 と、北八がこたえると、按摩が、 「おやおや、臆病な衆だ。ハハハハハ」 と、笑っている。
弥次郎兵衛は、どうやら、按摩が終わったようなので、 「もむのはもうおしまいか、北八はどうだ」 と、きくと、 「おら、もう寝よう」 と、辺りを見回している。按摩は、 「さようなら。ごきげんよく」 と、按摩はいとまごいして立って行く。 この間に宿の女が夜着を持ち出し、床をとって行く。 二人ともいつになく、洒落も無駄口も出ればこその滅入った気分。 ただ、まんじりともせず、二人は、あちこち寝返りを打っていた。
弥次郎兵衛は、この部屋で鳴るかすかな音にもびくびくして、 「ええい、いまいましい。いっそのこと、北八、今から立とうじゃねえか」 「なに!?とんだことを言う。今の話で怖くて、どうやったら夜道が歩かれるもんか」 北八は、目を向いて答えると、布団に潜り込む。弥次郎兵衛は、 「それにここの家は、なんだかだだっぴろいばかりで人が少ないから、うすきみの悪い家だ」 と、目ばかりぱちぱちしていると、鼠が天井を駆ける音が、からからから。
鼠が「チゥチゥチゥ」 と、いっているのを、 「ええい、鼠までが馬鹿にしやがって、小便もらすことろだった」 弥次郎兵衛は、 「その鼠がうらやましい。 俺は、さっきから、小便をしたくてもこらえているに。 おお、なんだか柔らかなものが、足にさわった」 北八、飛び上がらんばかりに、 「なんだ、なんだ」 と、透かしてみると、 「ニャァン」 と、猫のなく声がする。弥次郎兵衛は、この声に、 「この畜生め、シッシッ」 と、追い出す。
百万遍の鉦が 「チャァン」 軒の雨垂れから、 「ぼたり、ぽたり」 折りも折りと言うのに、遠くで、鉦や太鼓で迷子をたずねる淋しい声、 「まよい子の長太や〜い、チャチャ、チャン」
二人とも生きた心地もなくて、夜着の内にもぐりこむ。 北八は夜着の袖からそっとのぞいて、 「どうだ、弥次さん、まだ生きているか」 弥次郎兵衛も、すっかり縮み上がって、 「なんまいだ、なんまいだ、ああ、時に、困ったことがある。 もう小便が漏るようだ」 「お互い難儀な目にあった」 弥次郎兵衛は、布団から目だけ出すと、 「なんと思い切って一緒に小便に行こうか」 と、北八に問い掛ける。 「雨戸を開けてやらかすか」 と、北八がいうので、二人は一緒にこわごわと起きて、そろそろと障子を開け、 「さあ、弥次さん」 と、北八は、弥次郎兵衛にうながす。 「いや、手めえが先に」 弥次郎兵衛が、北八を押し返す。 「なにが、幽霊なんぞ出るもんか」 と、北八は、強がりをいいながら、雨戸をさっと開けたところが、なにか庭のすみに白いものが、空中にふわふわ。 北八、キャッといってぶっ倒れる。 弥次郎兵衛は、びっくりして、 「おお、どうした、どうした」 と北八をおこすと、 「どうしたどころか、あれを見ねえ」 と、なにやら指差している。 弥次郎兵衛は、北八の指差す方をみながら、 「なんだ?」 と、問いかければ、 「白いものが立っているじゃねえか。そして腰から下が見えぬ」 と、北八が震え声で答える。
弥次郎兵衛は、震えながらも怖いもの見たさに、雨戸の外をそっとのぞき、これもキャッといって座敷へはいり込んで倒れる。 「おい、弥次さんどうした。おいおい、弥次さんやい」 と、北八は、弥次郎兵衛を追いかけて座敷に入る。 と、この騒ぎにお勝手か���亭主が駆け出して来て、さまざまに介抱してようよう弥次郎が正気に戻ったので、 「やれ、どうなさいました」 と、亭主が問う。 「それが、小便に行ったところが、あそこになにか白いものがいたと。 それでこの通り、臆病な人さ」 と、北八が、指差す。亭主は縁先へ出てこれを見て、 「ありゃ、これは襦袢でおざります。 コリャコリャ、おさんやい、おさんやい、日が暮れたに、干し物をなぜ取り込まぬ。 そしてさっきから雨がぽろついて来たに、らちもない女どもだ。 しかしコリャ、お気の毒さまでおざります」 弥次郎兵衛は、ばつが悪そうに、 「な〜に、わっちらあ、怖いということは知らねえものだが、なぜか今夜は、虫の居どころが悪かった」 亭主は、笑いをこらえながら、 「はいはい、お休みなさいまし」 と、勝手へ戻って行く。
弥次郎兵衛は、 「ええい、いまいましい。大いに胆を冷やした」 と、ようように心が落ち着き、縁先へ出て見れば、なるほど女中が襦袢を取り込んでいる。 二人とも小便をすませて座敷へ帰り、布団に潜り込むと、
幽霊と 思いの他に 洗濯の 襦袢ののりが こわく覚えた  (百万遍の法の力で幽霊がこわがるはずが、反対に襦袢の糊がこわい、つまり固いので、干しがピンとして幽霊に見えてこわかったと言う。法、糊、こわいの語呂合わせが趣向である)
はじめて笑いが戻って、心も落ち着いてとろとろと一睡の夢を結んだ。 ほどなく、あちらこちから鶏の鳴く勇ましい声が聞こえてきた。 早出の馬の鈴の音、 「シャンシャン。」 馬方の唄もきこえてくる。 「晩にござらばな〜、裏からごされよお〜、 おもてくろろ戸で〜、音がするよおえ〜 」
   つづく。
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xf-2 · 5 years
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第二次世界大戦で奇跡の生還を遂げ「戦艦大和の語り部」として講演活動などをしてきた八杉康夫氏が1月11日広島県福山市内で死去した。92歳。誤嚥性肺炎だった。
 著書『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(2005年 ワック)は筆者の手になる聞き書きである。その生涯と言葉を振り返りたい。
八杉氏は福山市の豆腐店に生まれた。1943年、「街を颯爽と歩く水兵さんにあこがれて」15歳で海軍に志願。秀才の集まる横須賀砲術学校を2番で卒業。17歳で憧れの大和乗務員に抜擢された。
 担当は艦橋最上部での敵機の偵察。「司令官ら偉い人たちの居る場で狭い階段で最敬礼の連続でした」。
 敗色濃厚となった1945年4月7日、「天一号作戦」と呼ばれる沖縄海上特攻に呉港から出撃する。「温存されていた大和を使わないまま敗戦になれば国民の批判を受けることを軍部は恐れたのです。燃料は片道分と言われましたがそれは嘘で、十分に積んでいたはずです」
 乗り込む前夜、母まきゑさんと呉市の旅館で食事をし、当日は港近くまで送られた。「『長い間ありがとうございました』と敬礼し踵を返すと『あんた、元気でな』と言われましたが振り返りませんでした。これで会えないと覚悟していました」。
壮絶な少尉の割腹自殺と救助を拒否した高射長
 隠密行動のはずだったが米偵察機マーチンがさっと上空をかすめた。「すぐに察知されていたんですね」。いよいよ、敵機は近い。
「艦橋最上部で5メートルもあるニコン自慢の測距儀のレンズを覗くと米機の編隊で真っ黒だった。自慢の45センチ(内径)の主砲を撃つタイミングを今か今かと測っていると編隊はさっと雲上に消えたのです。真上から攻撃された大和は高射砲で応じましたが300機以上の米機はまるで雲霞(ウンカ)の大群。魚雷、250キロ爆弾などが次々と命中し為すすべもありません。大和は結局、主砲は一発も撃てませんでした」。当時、日本のレーダーはお粗末で基本は目視だが、運悪くこの日は空一面に雲が広がっていた。
 ちぎれた手足や首が転がり甲板は血の海。地獄絵図の中、八杉少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。可愛がってくれた保本政一少尉が傾く甲板で軍服をはだけ、持っていた短刀で割腹自殺したのだ。「血がホースの水のように吹き出し、少尉は倒れました。私は震えて立ち尽くしました。前夜、褌をアイロンして届けると『ありがとう、明日は頑張れよ』と言われました。彼が秘密の上陸を母に密かに知らせてくれたから母に会えたのです」
 八杉少年は横転した大和の艦橋が海面に接する直前に海に飛び込むが大和が沈没し大渦に巻き込まれる。「洗濯機に放り込まれたように水中をぐるぐる回り、人にバンバン当たりました。息ができず苦しくてもう駄目だと思った時、水中がバアーッと黄色く光ったのです」。弾薬庫に引火した大和が水中で大爆発した。その勢いで運よくぽっかりと水面に浮かんだ。
 空を見上げるとアルミ箔のようにきらきらと光っていた。「きれいだなと思っていたらそれが落ちてきました。砕け散った大和の鉄片だったのです。近くで漂っていた人は頭を真っ二つに裂かれました」。重油の海で力尽きた仲間が次々と沈んでいった。
 沈みかけて思わず「助けてー」と叫ぶと偶然近くを漂っていた川崎(勝己)高射長が「そうれ」と丸太を渡してくれた。「自慢の髭は油まみれでオットセイのようでした。『お前は若いのだから頑張って生きろ』と大和が沈んだ方向へ泳いで消えました。私は高射長、高射長と叫び続けました、川崎さんは救助を拒み、大和が沈められた責任をお取りになったのです」。
 4時間の漂流の末、八杉少年は駆逐艦、「雪風」に救助された。「赤玉ポートワインを飲まされ重油をゲーゲーと吐きました。引き揚げてくれた若い男は『お前、よかったなあ』と泣きながら私の顔を叩いていました」
 雪風が到着した佐世保は一面、桜満開の快晴だった。「『畜生、これが昨日だったら』と全員が男泣きしました」。40キロ以上飛翔する主砲弾が編隊の中で炸裂すれば米軍機10機くらいは一度に落とせたはずだった。
広島では自爆攻撃訓練
 大和の沈没は国家機密。生還者は佐世保にしばらく幽閉された。そして広島へ戻り、母にも再会できたが山中で米軍撃退の「肉薄攻撃」と呼ばれる「自爆攻撃」の訓練に明け暮れた。「棒の先の爆弾を戦車に踏ませるんです。部下は銃の扱いも知らない頼りない兵隊ばかりでした」。
 ある朝、空が光ったかと思うとものすごい風が吹いてきた。原爆だった。すぐに広島市内の現地調査を命じられた。水を求める少年に「後でやるからな」と去った。「水を与えるな」が命令だった。「人生、あれだけは心残りです」。
 音楽の才能の豊かだった八杉氏は戦後、NHKラジオの『のど自慢』のアコーディオン伴奏なども担当した。神戸で修業し、ピアノの調律師として生きたが、被ばくが原因で階段も上がれないような疲労に襲われることもあった。結婚もしたがすぐに離婚された。ヤマハの技師長にまで出世したが、退社後は楽器工房を営んだ。
みつかった戦艦大和
 1980年代に「大和探し」が始まった。調査三回目の1982年5月、指南役になり鹿児島県坊ノ岬沖に沈む大和をNHKスタッフらと探し当てた。戦後長く沈没位置は徳之島沖とされていた。「大和はそこまで到達しないうちに沈んだ。おかしい、という説はありましたが、毎年、徳之島で慰霊祭をやってきた地元出身の有力代議士の力でそのままになっていたんです」。
「潜水カメラの影響でしゃれこうべ(頭蓋骨)が浮かび上がって一回転し、スーッと沈んでいった時は船上の全員が涙を流しました。実は自衛隊の対潜哨戒機が上空から場所を教えてくれたんです」。その後、日本船舶振興会の笹川良一氏などが大和を引き揚げようという計画を立ち上げたが八杉氏は「仲間はあそこで静かに眠らせたい」と反対した。
名作『戦艦大和ノ最期』の嘘を著者に認めさせる
 朗らかな人柄だが事実には厳しかった。名著とされた吉田満の『戦艦大和ノ最期』には救助艇の「初霜」について海面から兵隊が這い上がると艇が沈むため、「ここに総指揮および乗り組み下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇(ひし)めく腕を手首よりバッサバッサと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落す」とある。
 だが八杉氏は「初霜は内火艇と言って羅針盤の磁気に影響するため乗る時は軍刀を持ち込めない。そもそもそんなことする必要もない。艇にはロープが多く積まれ、引き揚げなくてもロープにつかまらせて引っ張ればいい。それにそんな事実があれば幽閉されていた佐世保では『ひどい奴だ』とその話題で持ちきりになったはず。そんな話題は全くなかった」。
 筆者は子供の頃、『戦艦大和ノ最期』を読み、這い上がる兵隊の手首を斬り落としたという場面は衝撃的で鮮明に覚えている。八杉氏に会ってそれが嘘と知り、少しほっとしたが迷惑千万だったのは書かれた当人だ。実名は出していないが旧海軍関係者にはすぐに誰かわかる。兵隊の腕を切り蹴り落としたとされた初霜の総指揮は松井一彦中尉。戦後、東京で弁護士をしている松井氏に筆者も会い取材したこともある。松井氏は訴訟も検討したそうだが吉田氏は五十代で早逝した。
 作品では大和艦上で兵隊たちが議論していた時、臼淵磐大尉が「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(中略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」と演説している。この「名言」に八杉氏は鋭く疑問を呈した。「戦後民主主義教育を受けなくてはあり得ない。あの時は全員が『見ておれ、アメ公め』と燃えていたんです。敗れた自分たちが愚かだった、反省して国を再建しよう、なんて発想が出るはずもない」と。
 吉田満氏は東京帝大出身。大和には電測士として乗り込み、九死に一生を得た。「頭のいい吉田さんは鬼畜米英から戦後民主主義にさっと切り替えて、あたかも大和の乗組員が話したかのようにしたのでしょう」。八杉氏が吉田氏に会って問い糺すと相手はフィクションと認めた。「フィクションならどうして実名で書くんですか」と畳み掛けると黙ってしまったという。『戦艦大和ノ最期』は三島由紀夫、河上徹太郎、小林秀雄ら当代一流の文壇人が「ノンフィクションの最高傑作」とこぞって絶賛した。若い吉田氏は「あれは作り事でした」とは言えなかったのだろう。だが名作の影響は大きい。「徳之島」も吉田氏の著作が根拠だった。
 八杉氏は後年、『男たちの大和』の作家辺見じゅんにも「それは嘘です。そうお書きになるなら小説になさい」などと厳しく指摘した。
 2005年に『男たちの大和』が角川映画になった際は、反町隆史ら出演俳優らに、高射砲の撃ち方などを実技指導した。その時は「娯楽映画だから主砲をぶっ放したのは仕方がないかな』と笑っていた。
 感動的な講演を続け、川崎高射長の場面では必ずしゃくりあげた。一年半前、久しぶりに福山市内の施設で会った時は認知症も進み、いつも「粟野先生」と呼んでくれていたダンディな八杉氏が筆者が誰か判別も付かずショックを受けた。
「敗戦の象徴」の生き証人はいつもこう訴えた。「平和は向こうから歩いてはこない。自ら掴み取るのです」。
粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。
週刊新潮WEB取材班編集
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captainjajajthings · 4 years
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全國抗擊新冠肺炎疫情表彰大會在京隆重舉行習近平向國家勳章和國家榮譽稱號獲得者頒授勳章獎章並發表重要講話
新華網客戶端 2020-09-08 17:25:17
全國抗擊新冠肺炎疫情表彰大會在京隆重舉行
習近平向國家勳章和國家榮譽稱號獲得者頒授勳章獎章並發表重要講話
李克強主持栗戰書宣讀主席令王滬寧宣讀表彰決定
汪洋趙樂際韓正王岐山出席
新華社北京9月8日電全國抗擊新冠肺炎疫情表彰大會8日上午在北京人民大會堂隆重舉行。中共中央總書記、國家主席、中央軍委主席習近平向國家勳章和國家榮譽稱號獲得者頒授勳章獎章並發表重要講話。習近平強調,抗擊新冠肺炎疫情鬥爭取得重大戰略成果,充分展現了中國共產黨領導和我國社會主義制度的顯著優勢,充分展現了中國人民和中華民族的偉大力量,充分展現了中華文明的深厚底蘊,充分展現了中國負責任大國的自覺擔當,極大增強了全黨全國各族人民的自信心和自豪感、凝聚力和向心力,必將激勵我們在新時代新征程上披荊斬棘、奮勇前進。
習近平強調,偉大抗疫精神,同中華民族長期形成的特質禀賦和文化基因一脈相承,是愛國主義、集體主義、社會主義精神的傳承和發展,是中國精神的生動詮釋,豐富了民族精神和時代精神的內涵。我們要在全社會大力弘揚偉大抗疫精神,使之轉化為全面建設社會主義現代化國家、實現中華民族偉大復興的強大力量。
李克強主持大會,栗戰書宣讀主席令,王滬寧宣讀表彰決定,汪洋、趙樂際、韓正、王岐山出席。
8時35分,國家勳章和國家榮譽稱號獲得者集體乘坐禮賓車從住地出發,由國賓護衛隊護衛前往人民大會堂。人民大會堂北門外,高擎紅旗的禮兵分列道路兩側,肩槍禮兵在台階上莊嚴佇立,青少年熱情歡呼致意。國家勳章和國家榮譽稱號獲得者沿著紅毯拾級而上,進入人民大會堂。黨和國家功勳榮譽表彰工作委員會領導同志在這裡集體迎接他們到來。
人民大會堂大禮堂,氣氛莊嚴熱烈。主席台上方懸掛著“全國抗擊新冠肺炎疫情表彰大會”會標,後幕正中是熠熠生輝的中華人民共和國國徽,10面紅旗分列兩側。二樓眺台懸掛標語:“緊密團結在以習近平同志為核心的黨中央周圍,弘揚偉大抗疫精神,決勝全面建成小康社會,決戰脫貧攻堅,奪取新時代中國特色社會主義偉大勝利!”
10時整,大會開始。解放軍軍樂團奏響《義勇軍進行曲》,全場起立高唱國歌。
國歌唱畢,全場肅立,向新冠肺炎疫情犧牲烈士和逝世同胞默哀。
栗戰書宣讀習近平簽署的中華人民共和國主席令。主席令指出,為了隆重表彰在抗擊新冠肺炎疫情鬥爭中作出傑出貢獻的功勳模範人物,弘揚他們忠誠、擔當、奉獻的崇高品質,根據第十三屆全國人民代表大會常務委員會第二十一次會議的決定,授予鐘南山“共和國勳章”,授予張伯禮、張定宇、陳薇“人民英雄”國家榮譽稱號。
4名禮兵手捧共和國勳章、國家榮譽稱號獎章,邁著雄健的步伐,行進到儀式現場。
在雄壯的《向祖國英雄致敬》樂曲聲中,習近平為國家勳章和國家榮譽稱號獲得者一一頒授勳章獎章,並同他們親切握手、表示祝賀。隨後,4位國家勳章和國家榮譽稱號獲得者受邀到主席台就座。全場響起一陣陣熱烈的掌聲。
王滬寧宣讀《中共中央、國務院、中央軍委關於表彰全國抗擊新冠肺炎疫情先進個人和先進集體的決定》《中共中央關於表彰全國優秀共產黨員和全國先進基層黨組織的決定》。
習近平等為受表彰的個人和集體代表頒獎。
在全場熱烈的掌聲中,習近平發表重要講話。他指出,在過去8個多月時間裡,我們黨團結帶領全國各族人民,進行了一場驚心動魄的抗疫大戰,經受了一場艱苦卓絕的歷史大考,付出巨大努力,取得抗擊新冠肺炎疫情鬥爭重大戰略成果,創造了人類同疾病鬥爭史上又一個英勇壯舉。
習近平代表黨中央、國務院和中央軍委,向受到表彰的先進個人和先進集體,向為這次抗疫鬥爭作出重大貢獻的廣大醫務工作者、疾控工作人員、人民解放軍指戰員、武警部隊官兵、科技工作者、社區工作者、公安民警、應急救援人員、新聞工作者、企事業單位職工、工程建設者、下沉幹部、志願者以及廣大人民群眾,向各級黨政機關和企事業單位廣大黨員、幹部,致以崇高的敬意!向積極參與抗疫鬥爭的各民主黨派、工商聯和無黨派人士、各人民團體以及社會各界,向踴躍提供援助的香港同胞、澳門同胞、台灣同胞以及海外華僑華人,表示衷心的感謝。
習近平表示,在中國人民抗疫期間,許多國家的領導人、政府、政黨、社會團體和駐華使館,聯合國有關組織、有關地區組織和國際機構、外資企業以及國際友好人士,以各種方式向中國人民表達真誠問候、提供寶貴支持。我代表中國政府和中國人民,向他們致以誠摯的謝意。
習近平表示,當前,新冠肺炎疫情仍在全球肆虐,中國人民對疫情給各國人民��來的苦難感同身受,對被病魔奪去生命的人們深感痛惜,向正在爭分奪秒抗擊疫情、搶救生命的人們深表敬意,向不幸感染病毒、正在接受治療的人們表示誠摯的祝福。
習近平表示,此時此刻,我們特別要向為抗擊疫情而英勇獻身的烈士們,向在疫情中不幸罹難的同胞們,表達深切的思念和沈痛的哀悼。
習近平指出,新冠肺炎疫情是百年來全球發生的最嚴重的傳染病大流行,是新中國成立以來我國遭遇的傳播速度最快、感染範圍最廣、防控難度最大的重大突發公共衛生事件。病毒突襲而至,疫情來勢洶洶,人民生命安全和身體健康面臨嚴重威脅。我們堅持人民至上、生命至上,以堅定果敢的勇氣和堅忍不拔的決心,同時間賽跑、與病魔較量,迅速打響疫情防控的人民戰爭、總體戰、阻擊戰,用1個多月的時間初步遏制疫情蔓延勢頭,用2個月左右的時間將本土每日新增病例控制在個位數以內,用3個月左右的時間取得武漢保衛戰、湖北保衛戰的決定性成果,進而又接連打了幾場局部地區聚集性疫情殲滅戰,奪取了全國抗疫鬥爭重大戰略成果。在此基礎上,我們統籌推進疫情防控和經濟社會發展工作,抓緊恢復生產生活秩序,取得顯著成效。中國的抗疫鬥爭,充分展現了中國精神、中國力量、中國擔當。
習近平強調,面對突如其來的嚴重疫情,黨中央統攬全局、果斷決策,以非常之舉應對非常之事。黨中央堅持把人民生命安全和身體健康放在第一位,第一時間實施集中統一領導,中央政治局常委會、中央政治局召開21次會議研究決策,領導組織黨政軍民學、東西南北中大會戰,提出堅定信心、同舟共濟、科學防治、精準施策的總要求,明確堅決遏制疫情蔓延勢頭、堅決打贏疫情防控阻擊戰的總目標,周密部署武漢保衛戰、湖北保衛戰,因時因勢制定重大戰略策略。各級黨委和政府、各部門各單位各方面聞令而動,全國農村、社區、企業、醫療衛生機構、科研機構、學校、軍營各就各位。在黨中央的堅強領導下,全國迅速形成統一指揮、全面部署、立體防控的戰略佈局,有效遏制了疫情大面積蔓延,有力改變了病毒傳播的危險進程,最大限度保護了人民生命安全和身體健康。
習近平指出,面對突如其來的嚴重疫情,中國人民風雨同舟、眾志成城,構築起疫情防控的堅固防線,我們舉全國之力實施規模空前的生命大救援,武漢人民、湖北人民識大體、顧大局,為阻斷疫情蔓延、為全國抗疫爭取了戰略主動,作出了巨大犧牲和重大貢獻。面對突如其來的嚴重疫情,廣大醫務人員白衣為甲、逆行出征,舍生忘死挽救生命,是最美的天使,是新時代最可愛的人。面對突如其來的嚴重疫情,我們統籌兼顧、協調推進,經濟發展穩定轉好,生產生活秩序穩步恢復。面對突如其來的嚴重疫情,中國同世界各國攜手合作、共克時艱,為全球抗疫貢獻了智慧和力量,以實際行動幫助挽救了全球成千上萬人的生命,以實際行動彰顯了中國推動構建人類命運共同體的真誠願望。
習近平指出,青年是國家和民族的希望。在這次抗疫鬥爭中,青年一代的突出表現令人欣慰、令人感動。世上沒有從天而降的英雄,只有挺身而出的凡人。青年一代不怕苦、不畏難、不懼犧牲,用臂膀扛起如山的責任,展現出青春激昂的風采,展現出中華民族的希望。讓我們一起為他們點贊。
習近平強調,在這場同嚴重疫情的殊死較量中,中國人民和中華民族以敢於鬥爭、敢於勝利的大無畏氣概,鑄就了生命至上、舉國同心、舍生忘死、尊重科學、命運與共的偉大抗疫精神。生命至上,集中體現了中國人民深厚的仁愛傳統和中國共產黨人以人民為中心的價值追求。舉國同心,集中體現了中國人民萬眾一心、同甘共苦的團結偉力。舍生忘死,集中體現了中國人民敢於壓倒一切困難而不被任何困難所壓倒的頑強意志。尊重科學,集中體現了中國人民求真務實、開拓創新的實踐品格。命運與共,集中體現了中國人民和衷共濟、愛好和平的道義擔當。
習近平指出,在這場波瀾壯闊的抗疫鬥爭中,我們積累了重要經驗,收穫了深刻啟示。抗疫鬥爭偉大實踐再次證明,中國共產黨所具有的無比堅強的領導力,是風雨來襲時中國人民最可靠的主心骨;中國人民所具有的不屈不撓的意志力,是戰勝前進道路上一切艱難險阻的力量源泉;中國特色社會主義制度所具有的顯著優勢,是抵御風險挑戰、提高國家治理效能的根本保證;新中國成立以來所積累的堅實國力,是從容應對驚濤駭浪的深厚底氣;社會主義核心價值觀、中華優秀傳統文化所具有的強大精神動力,是凝聚人心、匯聚民力的強大力量;構建人類命運共同體所具有的廣泛感召力,是應對人類共同挑戰、建設更加繁榮美好世界的人間正道。屈臣氏藥局 日本藤素屈臣氏 日本藤素藥局 日本藤素正品 日本藤素哪裡買 japan tengsu 日本藤素官網 日本藤素進口 日本2H2D 美國maxman 德國黑螞蟻生精片 春藥 媚藥
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 習近平強調,當前,世界百年未有之大變局加速演進,國內改革發展穩定任務艱鉅繁重。站在“兩個一百年”奮鬥目標的歷史交匯點上,我們必須全面貫徹黨的基本理論、基本路線、基本方略,堅持穩中求進工作總基調,堅定不移貫徹新發展理念,著力構建新發展格局,統籌國內國際兩個大局,辦好發展安全兩件大事,推進國家治理體系和治理能力現代化,不斷開創黨和國家事業發展新局面。我們要毫不放鬆抓好常態化疫情防控,奮力奪取抗疫鬥爭全面勝利。我們要紮實做好“六穩”工作、全面落實“六保”任務,確保完成決勝全面建成小康社會、決戰脫貧攻堅目標任務。我們要加快補齊治理體系的短板弱項,為保障人民生命安全和身體健康夯實制度保障。我們要秉持人類命運共同體理念,同國際社會攜手應對日益嚴峻的全球性挑戰。我們要堅持底線思維、增強憂患意識,有效防範和化解前進道路上的各種風險,團結一切可以團結的力量,調動一切積極因素,不斷奪取具有許多新的歷史特點的偉大斗爭新勝利。
習近平最後強調,“天行健,君子以自強不息。”一個民族之所以偉大,根本就在於在任何困難和風險面前都從來不放棄、不退縮、不止步,百折不撓為自己的前途命運而奮鬥。從5000多年文明發展的苦難輝煌中走來的中國人民和中華民族,必將在新時代的偉大征程上一路向前,任何人任何勢力都不能阻擋中國人民實現更加美好生活的前進步伐!
會上,“共和國勳章”獲得者鐘南山,全國抗擊新冠肺炎疫情先進個人、全國優秀共產黨員、北京協和醫院感染內科主任醫師劉正印,全國抗擊新冠肺炎疫情先進集體、全國先進基層黨組織代表、武漢市青和居社區黨總支書記桂小妹發言。
會前,習近平等領導同志會見了國家勳章和國家榮譽稱號獲得者,全國抗擊新冠肺炎疫情先進個人、先進集體代表等,並同大家合影留念。
中共中央政治局委員、中央書記處書記,全國人大常委會副委員長,國務委員,最高人民法院院長,最高人民檢察院檢察長,全國政協副主席,以及中央軍委委員出席大會。
各省區市、中央黨政軍群各部門負責同志,各民主黨派中央、全國工商聯負責人和無黨派人士代表,國家勳章和國家榮譽稱號獲得者親屬代表、所在單位代表,抗擊新冠肺炎疫情犧牲烈士親屬代表,港澳同胞、台灣同胞、海外僑胞及歸僑、僑眷代表,各國駐華使節、國際組織駐華代表及對我國抗擊新冠肺炎疫情作出貢獻的國際友人代表等約3000人參加大會。
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heyheyattamriel · 4 years
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エドワード王 八巻
昔日の王の一代記、八巻
ワイルダーランド
ヴァレンウッドの旅は楽しいものでした。ほとんどの場所で昼間は晴れて、夜間は涼しい気持ちの良い天候が続きました。彼らの馬の足元に、舞い落ちる朱色や茜色、金色や緑の明るい色の葉っぱが降り積もってカーペットを作っていました。ヴァレンウッドは、曇りがちで急峻な森林の多いハイロックとはとても違っていました。北の国境に着いた時、振り返ったエドワードの目には、ほとんど丸裸で、栄光を失ってしまったような木々が見えました。彼らの前には、数えるほどしか木が生えていない、丘がうねる広大な緑の土地が広がっていました。それは永遠に続いているように思えました。
「エドワード、これがワイルダーランドだ」モラーリンが言いました。「気をつけるんだぞ。気持ちのいい土地に見えるが、この辺りを治める方法を知る王はいない。皆互いのやり方を否定している――人間より悪いものもいる。ここではタムリエルのすべての種族がいて、衝突している。身を守るんだ、ことによればな」
彼らの旅は、ちょっとした事件とともに、それから数日続きました。カジートの盗賊団が夜に彼らのキャンプに這い寄ったこと以外は。彼らはたやすく撃退されました。シルクが一人を倒すと、残りは叫びながら逃げて行きました。大人しいウッドエルフの少女、ウィローは彼らの後ろに向かって弧を描くように火の玉を投げました。街道はありませんでした。互いに交差し、どこにも続いていないように見える小路ばかりでした。
力強く馬を飛ばして二週間ののち、彼らは土地が途切れるボウルのような形の丘に着きました。収穫物が積まれた畑は整っているようでしたが、そこにいた人々は覇気がなく、ぼろをまとっていて、友好的ではありませんでした。宿についての質問も、ただ肩をすくめて困ったような顔をされただけでした。その時、武装した一団が現れて、用件を言えと要求しま��た。モラーリンがモロウィンドに向かっていると答えると、何も盗まずに早く行ってしまえと言われました。
「通過できただけで充分だ」モラーリンが静かに言いました。
「あの田舎者たちに誰か礼儀作法を教えるべきだ」普段は穏やかなマッツが唸りました。
「それなら、留まってエチケットの学校でも開いてみるか」モラーリンが言いました。「ああいう悪党のために講義をしてやるには、私の人生は短すぎると思うがね。空の具合が気に入らないな、あれはあの村人よりも邪悪に見える。町で運試しをしてみようか」
町は木の柵で囲まれ、丈夫な門がありました。彼らを見渡すと、衛兵が入場を拒絶しました。「人間だけだ、エルフ。下等な仲間を連れて去れ」
「わかった。アリ、マッツ、エドワード、お前たちがここで暖かく迎えられることを保証しているようだ。我々はどこか雨宿りできる場所を探すよ」
アリエラは、この門に足を踏み入れた途端、嵐が来る前にみんなファーストホールドに吹き飛ばされるのが目に見えるようだと皆に言いました。そこで彼らは町を迂回し、砦らしきものの中にある岩壁を備えた堀を渡りました。北に延びている 近くの道の脇に、大きな納屋がある小さい家があります。どちらも粗末な修繕しかしていないように見えましたが、モラーリンはドアをノックして納屋で眠らせてもらえるかを尋ねるのに、アリエラとエドワードを行かせました。あとの者たちは道で待っていました。
年かさの女性がノックに応えて出てきました。彼らに会って喜んでいるようでした。「泊まりたいんですって?話し相手ができてうれしいですよ。納屋で寝なくたってかまやしませんよ、奥様。空いている部屋がありますからね。私はオラ・エンゲルスドッターと言います」アリエラは待っている仲間たちに合図をしました。女性は眼をすがめて彼らの方を見ました。「ご主人とお友達がいなさるの?ええ、それじゃみんな寄り集まっていましょう。その方が暖かいでしょうからね。火にスープの鍋が掛けてあるんですよ。一週間分の食事ですけど、どうかお気になさらず。まだ作れますよ」
「夫はエルフですの」
「そうなんですか?あの方はあなたと息子さんの面倒をよく見なさっているように見えますね。豚みたいによく太って。あの人たちを連れておいでなさい。私の孫娘にも、こんな風に気にかけてくれる方がいるといいのにねえ」
客人のもてなしに金を払わせなければならないほど困窮していないと言って、オラは支払いを拒否しました。その夜の物語と歌の楽しさで充分だと言いました。雨漏りの最悪の事態を避けるために、鍋と皿が置かれていました。彼女はその位置を熟知していました。雨戸と扉をしっかりと閉め、屋根が全部飛んでいかないかと怯えるような嵐が荒れ狂う中、彼らは暖炉の周りに集まって、とても楽しく過ごしました。
「奥様、教えてくださいな」オラがアリエラだけに囁きました。「あの方は本当にあなたに良くしておられる?あの方はとても大きくて、とても黒いのね」
「本当に良くしてくれますのよ」口は真面目そうな形を保っていましたが、アリエラの目は笑っていました。
「ああ、それはいいことですよ。あの方が大きくて黒いものだから、ちょっと男爵を思い出してしまって。あの人は孫娘のキャロンをさらって行ったんです――それに、あの子を手厚く扱ってくれやしません。あの人は――あの人はあの子を傷つけるんです、奥様。そして、あの子は逃げ出すこともできやしないんです。どこに行けるって言うんです?」オラの目に涙が浮かんで、使い古されて親しみのあるしわに沿って頬を流れ落ちて行きました。
女主人が就寝のために部屋に引き取ったあと、アリエラは彼女が話したことを皆に繰り返して聞かせました。
「その子を助け出そう」ビーチが言った。「怠惰な生活で腐っちまう」
「賛成!」シルクとウイローが即座に言いました。
マッツが同意を示して唸りました。ミスとスサースは興味があるように見えました。
モラーリンは疑わしげでした。「我々はタムリエルのすべての間違いを正すことはできないよ。この男爵は村人に避難所のようなものを提供しているのだし。よそがいいと思えば、彼らは出ていくだろう」
「賛成」ミスが言いました。「盗賊を遠ざけてるから、そいつは楽しみのために村人から盗むのかもな」
「それで、彼を引きずり降ろすのかね?代わりになる誰かがいるだろう。あるいは、よそ者がやって来て、根こそぎ持って行かれるさ」
「この不潔な何かに勝るものはない」マッツが言いました。
「そういうことね」嵐は過ぎ去ったようでした。アリエラは戸口に行って、雲が素早く行きすぎる東の月を見上げました。一つの大きな輝く青い星が、月の近くに浮かんでいました。「ゼニタールがタムリエルの近くにいるわ。モラーリン?」
「明日ここの屋根を修繕しようと思っていた、それが公正ならね」彼女が炎のそばに戻ってくると彼は言いました。「少なくとも、大仕事だよ。一夜の宿にしてはね――違うか?」
「彼女なりに……私に助けを求めたのよ……そして私――風の中にゼニタールの声を聞き、今夜の雨の中に彼の手を感じたの」
「君の試練、というわけだね、奥さん」
アリエラは頷きました。笑ってはいませんでした。彼女は煙突がある隅でモラーリンと一緒に身体を丸め、少しの間囁き合って笑いました。エドワードは眠っていました。朝になると、彼はビーチとウィローが新しいこけら板を置くのを手伝いに屋根の上にやられました。モラーリンは手紙を書いて、夕食の時間に間に合うように、徒歩で男爵に持っていくようにと、マッツに言い付けました。
「女の子のために彼に挑戦するつもりなんだね!」エドワードがにやりと笑いました。「でも彼は戦うかな?それに、僕たちがいなくなったら、またその子を取り返すんじゃない?」
「いや、彼は私を町に入れなかったから、代わりにお前の母上は彼を我々の家に招くことを考えたんだ」モラーリンはシグネットリングで手紙に封をしてマッツに渡しました。
「わあ。でも、おうちまでは遠いんじゃない?」エドワードはこの救出劇が差し迫ったものでないことに、少しがっかりしました。でも、彼には8人の人間だけで砦を奪おうなんて、とても筋の通ったこととは思えませんでした。たとえそれがモラーリンの仲間たちであってもです。多分、あの歌は彼らの行いを大げさに言っているのでしょう。
モラーリンはにやりと笑ってエドワードの髪をくしゃくしゃと撫で、質問をやめて屋根に行き、母上の心配をしなさいと言いました。モラーリンとミスは一緒に歩いて出発しました。アリエラは狩りに行ったのだと言いました。夕飯時になっても、彼らは戻ってきませんでした。アリエラはエドワードに心配はいらない、あとで会えるから、と言いました。
女主人にお別れを告げたのは、日が沈んでからかなり時間が経ったときでした。彼らは馬を全部連れて行き、砦の北側の壁の近くの木立に置いていきました。アリエラはエドワードに馬と一緒に待っていたいかと尋ねました。エドワードがどこに行くのかと訊きた。
「私たちは砦に入ってオラのお孫さんを取り戻すのよ。質問は駄目です、エドワード。あなたが来るなら、私と一緒にいて、言われた通りのことをなさい。堀はレビテトで渡るの。私は泳がなきゃだめね。渡り終えたら塀をよじ登るのよ。中に入ったら、私についてきて、できるだけ音をたてないようにして」
エドワードはぽかんと口を開けて、母と他の仲間たちを見ました。彼ら6人でどうやって砦を襲うというのでしょう?3人の女性と、2人の男性と、男の子が1人で?壁の上には衛兵がいるでしょうし、中にはもっといるでしょう。マッツも一緒に中に入るだろうけど、と彼は考えました。でも、モラーリンとミスはどこに?
堀では恐ろしいことがありました。エドワードは抗議しかけましたが、それからその方がいいと考え直しました。スサースが最初に堀に滑り込みました。小さな水音とシューッという声がして、水面が静まりました。アリエラが水の中に入りました。他の者たちは宙を浮いて渡りました。
「ロープがある」ビーチが壁を探りながら言いました。3本のロープがありました。エドワードとビーチとスサースが最初に上に上がりました。アリエラ、ウィロー、シルクがそのあとに続きました。モラーリンとミスが上で待っていました。二人の衛兵は荒れ果てた建物の上で穏やかにいびきをかいていました。
「どう―」エドワードが言い始めると、母が片手で彼の口をぴしゃりと叩いたのがわかりました。他の場所の壁の上にいる衛兵が大きな声で呼びかけ、エドワードは心臓が止まりそうになりました。ミスが何かを叫び返すと、どしどしという足音が遠ざかって行きました。
仲間たちは静かに階段を下りて、影のように中庭を横切りました。砦の中に入る扉には、衛兵が一人もいませんでした。通路の中は不気味なほど静かでした。彼らは堂々とした扉のところで身を屈め、壁にぴったりと身体をつけました。中の声が聞こえます。か細い、ゾッとするような泣き声がして、静かになりました。モラーリンがそのあとに続いた静寂に向かって口笛で短い曲を吹きました。ドアが大きく開き、彼らは中に駆け込んで、猛烈な勢いで驚いていた衛兵の上に身体を投げ出しました。
エドワードがトゥースを手に最後に中に入りました。彼は一番近くにいた衛兵の脇腹に突き刺して、ビーチが頭への一撃でとどめを刺しました。マッツはずっと中にいました。扉を開けたのはマッツだったのです。彼の斧が一人の衛兵の頭を割り、それから内側のドアに向かって振り抜きました。アリエラとウィローが外側のドアに素早くかんぬきを掛けました。モラーリンの敵はとても若い男でした。彼は大きなダークエルフを一目見ると、彼の剣を床に捨てて跪き、慈悲を請いました。
モラーリンは汚らわしいものを見るような目で彼を見て言いました。「ゼニタールによろしく言ってくれ。エボンハートのモラーリンが慈悲を推奨していたとな。お前のような者に対しては、私には持ち合わせがない」彼は若い衛兵の喉を切りました。モラーリンの革鎧に血が吹きかかりました。彼の犠牲者は床に倒れ、ゴボゴボと恐ろしい音をたてています。燃えるような酸味がエドワードの喉にせり上がってきましたが、彼は固唾を呑んで目をそらしました。
控えの間の中にいた衛兵たちは処刑されましたが、ドアの外では怒号と足音が轟いて、ドアに体当たりする音が聞こえました。エドワードは母のあとについて、巨大なベッドに鷹が羽を広げるような形で縛り付けられた裸の少女を除いては誰もいない、奥の部屋に行きました。彼女の眼が彼らを見つめていました。
アリエラが彼女の肩を押さえている間に、仲間たちが彼女の縄を切って自由にしてやりました。「おばあさまが私たちをよこしなさったの。男爵はどこ?」
少女は本棚を指さして、アリエラにしがみつきました。彼女はエドワードより大きくもなく、年もそう変わらないように見えました。彼女の胸は膨らみ始めたばかりです。彼女の体はみみずばれと血と紫色と黄色の打撲で覆われていました。アリエラは自分のマントで彼女を包みました。ビーチが彼女を抱き上げました。ミスの指先が本棚を探っています。カチリという音がして、横に滑りました。彼は慎重に中に入りました。他の者たちがあとに続くと、秘密の扉が彼らの後ろで閉じました。
「それはただのねじ穴だと思う」ミスが言いました。「だけど、罠を仕掛けてあるだろう。間違いない」
「じゃあ、気をつけて」アリエラが言いました。「急ぐことはないわ。男爵は戸口で客の見送りをする準備をしてるでしょう、いい主人の常識みたいにね」
細い通路が左側に開けました。ミスは雷の矢を打ち込みました。床は骨でいっぱいです。人間の骨です。小さな頭蓋骨が空っぽの目で見つめていました。「彼を殺すことを楽しむことにするよ」モラーリンが言いました。
「駄目よ!」アリエラが抗議しました。「私の試練です、私が殺すの!」
モラーリンが彼女の方を振り向きました。「アリエラ――」
「私はアリエラの手によって死んだと歌われたいの!彼と対決する権利を主張しますわ、我が王よ」
「私に任せるんだ、歌は君の言った通り歌うから!彼は君の二倍はあるんだぞ。権利のために私と戦いたいのかね?」エルフは彼女に向って身を屈めました。彼は彼女の頭一つ分余計に身長がありました。
「必要ならね」アリエラは彼を撫でて通り過ぎ、腕につけた盾を鳴らしました。そして走り出すと、彼女のショートソードを抜きました。
モラーリンは彼女を掴みましたが、掴み損ねて彼女のあとを走って追いかけました」彼の大きな体は低くて狭い通路で引っかかりました。不用意に壁にぶつかると、彼の魔法のシールドから火花が飛びました。
「二人とも、早く」ミスが前方で叫びました。「お前らのためにやつを取っておくとは約束してないぞ」
「モラーリン」エドワードが彼の後ろを走りながら喘ぐように言いました。「母さまにやらせないつもりなの!」
「させるさ!どうやって止められるか教えてくれるのか?私は提案を受け付けるぞ。実際に彼女と戦うには知識が不足している」彼は半分怒っていて、半分は面白がっているように見えました。
「た、多分あいつはもう逃げちゃってるよ」
「ないな。彼は我々と一緒にここに閉じ込められたんだ。さっき反対側から出口を見つけてミスが男爵には開けられない鍵をかけた」
「じゃあ、麻痺させよう。父さまは運べる」
「彼女は盾を使ってる。他にも効果はあるが、あれは呪文を跳ね返すんだ。私はただ自分を麻痺させるだけだし、私は運ぶには不便だ。彼女は大丈夫さ。あれはすばらしい盾だ。とても強い魔法を使える。アイリック本人が細工をしたんだよ」
「今晩、鍵にちょっとした問題がおありかな、男爵?」前方からミスの声が聞こえました。彼らは広い部屋に出てきました。そこでは、男爵が巨大なドアの隣のスイッチを虚しく引っかいていました。
「彼には必要ないでしょう」アリエラが鼻で笑いました。仲間たちは彼女の周りに半円状に広がりました。男爵は背中を扉につけて戦う間合いを取りました。彼は大男で、マッツほどの大きさがありました。そして、彼はマッツが持っているのと同じくらい大きな斧を抱え、ブレストプレートと兜を身に着けていました。彼はモラーリンを指さしました。
「9対1だ。お前のような黒い悪魔たちからのオッズを期待しているぞ」モラーリンはグループの後ろにいましたが、男爵は彼をリーダーに選び出しました。なぜかみんなそうするのです。
「ウェイトでアドバンテージを取るのがお好みなのだろう?だが、妻が戦いたいそうでね。お前の魅力に抗えないと見える。私もだ。招待への返事を待ち切れなくてね。だから代わりに来てやったぞ」
「俺があの女を負かしたら、残りのお前らが俺を殺すのか?はっ!その値打ちはあるかもな」彼はアリエラを冷酷な黒い瞳で見つめながら付け加えました。
アリエラは恐ろしい微笑みを見せました。彼女の黒い髪は肩の辺りで奔放に揺れ、彼女は輝いているようです。「男爵、お前はこの女を打ち負かすことはできないでしょう。ですが、もしできるなら、どこにでもお行きなさい。今夜、お前は私だけのものです。皆に誓います、ゼニタールに懸けて!もしまかり間違って彼が私を殺したら、私の幽霊が墓まで、その先も彼を追い立てるわ」彼女の声は予想よりも楽しそうでした。エドワードは震え始めました。
「ゼニタールに懸けて!」
男爵は笑いました。「信じられんな。だが俺のコレクションにまた女が加わるわけだ。その女にそんなに飽きてるのか、エルフ?」
「そんなに彼女を恐れているなら、代わりに私とやる方がいいか?」エドワードの心が、どこか深いところでかのエルフが正しいことを理解しました。男爵の虚勢にもかかわらず、彼はアリエラを恐れていました。エドワードは彼らとともには誓いませんでした。彼はしっかりと杖を握り締めていましたが、足は床に根を張っているようでした。
男爵は再び笑って、答え代わりにアリエラに強力な一撃を繰り出しました。でも、それは彼女の盾に傷もつけずに跳ね返されました。彼女が魔法でシールドを張っていることがわかると、彼の目が見開かれました。アリエラは踊るように脇に避け、彼の腕を切りました。彼女は敏捷でしたが、彼はどうにか多くの攻撃を当てることに成功しました。もし彼女のシールドが切れ…エドワードには最後まで考えませんでした。
彼女の盾の効果を消すことばかり考えて、彼が体を開いていたため、彼女は彼の足に何度も攻撃を加えました。彼女は打撃を低く保って、足を鈍らせ、血を流させようとしていました。その間中、彼が死んだら玉を抜いてやると言いながら、彼女は彼の男らしさをあざ笑って挑発していました。猛烈な一撃が彼女を後ろに下がらせました。彼女の盾が光ると、消えてしまったのです。
男爵は彼女の頭を一撃で割ろうとして斧を高く構えました。彼女は腕を後ろに引き、細身のショートソードを敵の目のにまっすぐ投げ込みました。彼は斧を取り落として叫びながら膝をつき、両手を顔に這わせました。アリエラは前に進み出て、彼の脳に深く貫通するほど、痛烈に剣を突き刺しました。身をよじり、痙攣させながら、彼は倒れました。
「よくやった、奥さん!」
「私にはすばらしいトレーナーと、いい甲冑師がいますもの!」アリエラは笑って、やがて頭を戻し、こぶしを握り締め、両手を挙げて言葉ではない勝利の叫びを上げました。
「お前のおかげだ!」モラーリンはシルクを掴むと荒々しく抱きしめて大きな音をたててキスしました。「お前が彼女に教えてくれた、いかしたトリックのおかげだよ、シルク」
「私のトレーナーさんを口説くのをやめて下さったらありがたいんですけど、旦那様!」細身のアダマンティウムの剣を慎重に拭いながらアリエラが言いました。
「私が?口説くって?怒っていないだろうね……それに、君の盾はまだ魔力がある。私はただ感謝しただけだよ。次に会った時はアイリックにキスしよう」
「本当に死んだの?」戦闘の間中、キャロンは��をつぶってビーチにしがみついていました。今の彼女はアリエラを――畏敬のまなざしで見つめていました。エドワードは適切な言葉だと考えました。エドワードも何か同じことを感じていたのです。恐怖に近いものでしたけれど。
「充分死んでいるわ」アリエラは、まだかすかにぴくぴくと動く身体を満足気に見つめながら言いました。少女は近寄り、彼の隣に膝をつきました。彼女は石を持ち上げると、泣きながら、何度も何度も彼の顔にぶつけました。彼女がそれを終えると、スサースが彼女に治癒の呪文をかけました。ミスが鍵を開けて外に出ると、馬を置いて行った場所のすぐ近くでした。
彼らは少女を母親の家に送り届け、彼女を冒涜しようとする人間には誰にでも、もし彼女が傷つけられたら、ゼニタールの番人たちが戻って来ると言うように、と教えて立ち去りました。まごついた老女は孫娘を抱きしめました。彼女が別れの挨拶をすると、夫の面倒を見るようにとアリエラに耳打ちしました。
「あら、そうしますわ」アリエラは言いました。「そうしますとも」
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彼らが休憩のために足を止め、アリエラが話をしようとエドワードの方に行きましたが、彼はとても疲れていて、ただただ眠りたいと抗議しました。息子に必要とされていない時は、君を必要としている夫に会えるだろうと言いながら、モラーリンが彼女を引き離しました。二人は火を囲む輪の外に出て行きました。エドワードは目を覚ましたまま起きていて、二人の小さな、鼻を鳴らすような音を聞いていました。それは、珍しいことではありませんでした。最初は気になりました。「眠れないよ、二人ともうるさいんだもん」ある夜、彼は抗議しました。「ねえ、何してるの?」その言葉は仲間たちから忍び笑いを引き出しました。「少なくとも、眠る振りぐらいできないのか?」モラーリンが平静を装って尋ねました。「僕は今、どうしてダークエルフがよく一人以上子供がいるのかわかったよ。僕がわからないのは、どうやって人間がこんなにいっぱい増えたかってことだ」モラーリンとアリエラは、その夜彼に嘘をつくために戻ってこなければなりませんでしたが、彼が眠ったふりをしたあとは、他の夜と同じようにしていました。
その騒音はあまりにも身近なものだったので、その夜の冒険の映像が彼の心の中で明滅するのを防ぐことができず、まるでそれらが再び本当に起こっているように、生き生きとしていました。彼は自分のデイドラが餌を食べ、それを止められないのを感じていました。不公平だ、と彼は考えましたが、自分のデイドラに餌をやり、それでも神々とともに歩むというモラーリンの言葉の意味を理解し始めていました。ゼニタールとともに。
モラーリンがアリエラを抱えて戻ってきました。彼は彼女を優しく下ろしてから、エドワードと彼女の間に横になりました。
「女でいるということは困難に違いないね」彼は優しく言いました。「彼女を見ていると大変だ。ただ見ているだけでね」
エドワードは頷きました。
「私はそれについてよく尋ねたものだ、彼女に」モラーリンは続けました。「彼女はそれがどんなに大変か教えてくれたが、今晩まで知らなかった。彼女が勝つことは知っていた。ゼニタールが彼女とともにあって、男爵にはデイドラしかいなかったからな。それでも、見ているのはとても辛かった。彼女は10回のうちの9回を使った。そして、もし失敗すればあの盾にはさらに使い道がある……彼が疲れ切ってしまう前に、消耗を回復したかもしれん」
「僕もそのことを考えていたの……そしてあの衛兵…彼は命乞いをした?」
「わかっているよ。だが、彼は同じ言葉を聞いていた……毎晩毎晩な。それでも彼は男爵���手下であり続けた」
「大抵の男は父さまみたいに強くないんだよ。自分でもどうしようもなかったんじゃない?」なぜ彼は、もう死んでしまった男の弁護をしているのでしょう?彼の心はその夜の出来事を、良くも悪くも違う結果になったかもしれないと何度も繰り返し考えていたのです。
「あのように腐った魂のような邪悪を目にしたのに、ただ見ているだけで何もしないなどとは……マッツは持っている値打ちなどない私の片手を持ったままだったかもしれないな。それに、若者にとってはさらに悪い。今夜のようなことを経験させて済まなかった」
「僕の魂は腐っちゃった?」
「苦虫を噛み潰したような気持ちだろう、みんなそうだ。だが、治るよ」
「今治せる?」
「もちろんだとも」モラーリンは彼を腕の中に引き寄せて寝返りを打ち、エドワードが両親の間で横になれるようにしました。アリエラは眠ったまま彼女の両腕を彼に回しました。エドワードの鼻で、彼女の強い女性の香りと、モラーリンの麝香の暗いスパイスの香りが混じりました。
「母さま、とても怒ってた」エドワードは囁きました。彼はまた同じような気持ちで母を見られるようになるかしら、と考えました。きっと、モラーリンもその安心感を求めていて、それを求めるには充分賢明だったのでしょう。
「彼女は女だ。他者に対するああいう類の傷は、彼女の心の琴線に触れる」彼は言いました。
どのぐらい?少年はその質問を口に出せるわけがないことを察しました。
「お前の父上は怪物ではない。だが、彼女は自分のことを気にもかけない男に嫁いだ。そして、彼の下から去ることができなかった。お前の種族にはよくあることだが、だからと言ってそれが耐えることをたやすくはしないと私は思うよ」
「じゃあ、母さまにもデイドラがいるの?」エドワードは悲しげに尋ねました。
「それについては本人と話さなければいけない」
「今日のはほんとには公正な戦いじゃなかった。母さまはシールドがあったし、彼にはなかったもの」
「公正な戦いは闘技場のためのものさ、坊や。お前は狼やヘルハウンドが何も持っていないからって、武器も呪文も鎧もなしに戦うのかい?私は使うだろうな」
「男爵が死んじゃって、キャロンとオラはどうなるの?それに他の村の人たちも。」
「私が予言者マルクに見えるかね?わかるわけがない。春までここにいて、今夜我々が焼いた畑に何が育つかを見ることはできる。私は留まる気も、耕す気もないがね。私には私の、手入れすべき畑がある――聞いたかい、ノルドの農夫みたいじゃないか。鉱山の方がもっと私らしいな」彼はあくびをしました。
「他のみんなはあとのことは考えてなかった。父さまは考えてた」
「私は王だよ。それが仕事さ」
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hi-majine · 5 years
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百年目
 人をつかえば苦をつかうということを申しますが、まったくその通りでございまして、人の上に立つということは、むずかしいことでございます。
「おい、定吉」 「へえ」 「なにしてるのや?」 「へえ、こよりよってまんねん」 「なんぼほどよったんや?」 「もう九十六本だす」 「なんじゃ、朝からかかって、たった九十六本かい?」 「ちがいまんね。もう九十六本よったら、百本になりまんねん」 「そんなら、できたあるのは、四本だけやないかい?」 「へえ、ちょっとおそうおますな」 「なにをいいくさる。こよりで馬をこしらえて、たたみをトントンたたくと馬がうごく。そんなことして、なにがおもしろい? いらんてんご(じょうだん)ばっかりしてるさかい、仕事がはかどらんのじゃ」 「こんな馬がおますかいな。鹿だすがな。馬にこんな角《つの》がありますかいな。鹿をみて馬やなんて、これがほんまの馬鹿かいな」 「こらっ、なんちゅうこといいやがんねん。しょうもないことせんと、しっかりひねろっ! ……清七どん、あんた、そこでなにしてるね?」 「へえ、お得意さきへだす手紙書いとります」 「ああ、それはごくろうはん。お得意さきへのたよりは、欠《か》かさんといとくなはれや。しかしやな、わたしが、さっき硯箱のひきだしをあけてみたら、お得意さきへだす手紙が二本はいってたが、なにかいな、ひきだしへいれといても、さきさんへとどくもんやろかな?」 「おそれいります。だしにやろうとおもいましたところが、丁稚《でつち》の手がふさがっておりましたんで……」 「そら、なにをいうんや。ふたことめには、丁稚《こども》、丁稚て、丁稚をつかわな損のようにいうてる。おまえかて丁稚みたいなもんやないか。縫いあげおろして名前がかわったら、それでりっぱな番頭はんやとおもいなはるか? 人をつかおうおもたら、一人前ものがでけるようになってからつかいなはれ。あんた、なんぞ一人前でけることがおまっか? 一人前でけるのは、めし食うことと、雪隠《せんち》(便所)いくことくらいやないか? ほかになにがでけんのや?」 「鼻からうどん食べられます」 「あほ! ようまあそんなあほらしいことじまんしなはる……久六どん、ちょっとここへおいなはれ。あのな、こないだから、いっぺんあんたにいうとことおもてたんや。店で本読むのはおき(やめ)なはらんか? 商人《あきんど》が、店で本読んでるほどいかんものはないな。商《あきな》いに身のはいっておらん証拠や。人さんがはいってきなはっても、本に気が乗ってるものやで、どうしても不愛想《ぶあいそ》になる。そんなことしてる間があるのんなら、見本のぬけたのがないか、ようしらべときなはれ……市助どん、あんたもここへおいなはれ……わたいが、いま、みてみんふりをしてるちゅうと、久六どんに意見しとるのを尻目でちょいちょいみて、肩でふふんと笑うてなはる。いかんことやな。おかしいことがあるなら、大きな声で、遠慮なしに笑いなはれ。せせら笑いはしなはんなや。おまはんも、あんまり人を笑えたおかたやないで。このごろ、なにを稽古してるのや? いや、かくしなはんな。わたしゃ、よう知ってます。浄瑠璃《じようるり》をやってなはるな。これ、ちいと身分がちがやへんか? あれはな、ご大家《たいけ》の旦那がたが、身代《しんだい》を跡目へゆずってしもて、それから、たのしみに稽古なはるものや。ほんまにいやらしい。ちょっと目をはなすと、小さい声で、おがおがいうてる。みられたざまやないで。奉公人の分際《ぶんざい》で、あんまりすぎたことしなはんなや。そっちへいてなはれ……新助どん!」 「そらきた」 「なんや? そらきたやと? うーん、わたいにしかられるのを待ってたようないいぐさやな。わたいは、べつに叱言《こごと》をいいたいことはないのやで……しかし、おのぞみなら申しまっせ。いや、いうべきことはいわんならん。ちょっとこっちへおいでなはれ。あんたなあ、ほかの人とちがうはずやおまへんか。わたいが、来年にでも、別家をさしてもろうたら、この帳場をあずかるんやろ? ほかの人とおんなじように、しょうもない意見をしられてええのんか?」 「へえ、どうもあいすまんことで……」 「あいすまん? あんた、なんぞあいすまんようなことをしてなはるのか?」 「いいえ、めっそうな……」 「あんた、ゆうべ、どこへいきなはった?」 「へえ、お店をしもうてから、ちょっと風呂へ……」 「ふーん、風呂か? ……それにしては、えろうお帰りがおそかったが……」 「へえ……そのう……じつは……風呂で、紀の国屋の番頭はんに会いまして、『今晩、うちで、旦那《だん》はんの謡《うたい》の練習《おさらい》がおますのや。ごめいわくやろが、二、三番聞いて帰ったげとくなはれ』とたのまれまして……へえ、あんまり無情《すげの》うおことわりいうのもわるいとおもうたものだすさかいに……」 「ああ、さよか……じつはなあ、わたいは、ゆうべ、どういうものか、寝つきがわるうてなあ、あんたのでなはったのは知ってるが、ねっから帰んなはったようすがない。『はてな、どないしなはったんやろ?』とおもいながら、うつうつとしてたんや。するちゅうと、三時もよっぽどすぎたとおもう時分、人力車《くるま》がガラガラ走ってくる音がするやないか。『はて、この夜ふけになんやろ?』と、おもいながら聞いてると、半丁ほどさきで、ぴたっととまって、若い女《おなご》はんの声で、『どうぞお近いうちに……』ちゅうたら、『しーっ』と、なんや猫追うようにいうてなはる。はて、なんのこっちゃろとおもてると、しばらくして、うちの表の戸を、雨だれみたいな小さい音で、コンコン、コンコンとたたくやないか。すると、だれぞいいつけられてよったのやろ。表《おもて》戸をそーっとあけて、『へえ、お帰り』ちゅうと、また、『しーっ』と猫追うようにいうて、『おおきにはばかりさん』いうてなはった声に、たしかに聞きおぼえがおますね」 「へえ、じつは、その……あまりかたいものを聞かせたさかい、これから、まあ……ちょっと、このう……まあ……ええ……にぎやかに……わっと……というような……なんで、したら……ええ、よろしかろうという、へへっ……でござりまして……」 「なんや? さっぱりわからんやないか。はっきりいうてみい」 「えへへへ……ちょっと、その、南地《なんち》のお茶屋へ……」 「遠いところまでお茶買いにいきなはんねやな」 「いえ……そうやおまへんね……つまり、この芸妓《げいこ》、幇間《たいこもち》を買《こ》うて……」 「ほう……げいこちゅうたらどんな粉や? たいこもちちゅうたら、煮て食うのんか? 焼いて食うのんか?」 「こりゃ難儀やな」 「やかましい!」 「へっ」 「あんた、わたいをなんとおもうてなはる? なんぼわたいでも、それくらいのことは知ってますわ。あんた、ようもまあ、ぬけぬけとそれだけのことを、わたいの前ではっきりいいなはったな。新助どん、わたいはなあ、四十二だっせ。自分に甲斐性がないさかい、いまだにお茶屋の段梯子《だんばしご》は、どっちむいてのぼるものやら、げいこという粉は、一升いくらするものやら、たいこもちという餅は、煮て食うやら、焼いて食うやら知りまへん。そのわたいを目の前に置いて、ようそれがいえまんなあ」 「へえ」 「ぐうとでもいうてみなはれ」 「ぐう」 「なんや、ぐうとは?」 「あいすまんことでおます。以後はつつしみますさかい、きょうのところは、どうぞごかんべんを……」 「ちいと気をつけとくなはれや……さあ、あっちへいて、用事をしてきなはれ……あっちへいきなはらんかいな……これ、わたいがいきなはれというたときに立たなんだら、立つ機会《しお》がないようになりまっせ」 「へえ……いきとうおますねが……しびれが切れまして……」 「あきれた人やなあ……いや、もう、あんたがたにお店をまかしておいたら、どないなるやらさっぱりわからんわ。丁稚《こども》、わしのはきものだせっ! これから一通りお得意まわりをしてきます。もし旦那《だん》はんがおたずねなはったら、日暮れまでには帰りますというときなはれ。しっかりあとをたのみます」 「いやあ、毛虫がでていきよる」 「なんや? 毛虫がどないした?」 「いえ、だんだんと暖《ぬく》うなってきたさかい、毛虫がでるいうてまんね……へえ、おはようお帰り」 「おはようお帰り」 「おはようお帰り……(ぺろりと舌をだす)」 「これ、定吉、いまなにをしたんじゃ?」 「なにもしやしまへん」 「うそつけ! わしのうしろから舌だしたやないか。前の鏡にちゃんとうつったあるわい」 「いえ、番頭はん、あんたにだしたんとちがいまんね。舌もたまには世間がみたいやろおもうて、みせてやりましたんや。舌だすいうたら、あんなんとちがいまっせ。こうして、べろん(と大きく舌をだす)」 「にくたらしい! ……もう、しょうのないやつばっかりや。みんなたのみます」  番頭さん、苦虫《にがむし》を噛みつぶしたような顔で半丁ばかりまいりますと、横丁から、ちょんととびだしました���が、お召しの着物に黒の羽織、雪駄《せつた》ばき、丸坊主の男、扇をパチパチさせまして、縦《たて》からみても、横からみても幇間《たいこもち》という姿でございます。 「ええ、次《つぎ》さん、次《つぎ》さん……」 「しっしっ……おお、これは丹波屋はんのご隠居で……どうもひさしくお目にかかりませんでござりましたが、おかわりもなく……」 「もしもし、次さん、ここだっせ、ここだっせ」 「しっ、しっ……へえ、お宅さまでも、みなさんお達者で? ……へえ、そりゃあどうもよろしゅうございます。ああ、さようで……ごめん……」 「もーし、もーし、次さん!」 「あほ!」 「え?」 「どあほ! ものをいうなと目顔で知らしているのがわからんか? おまえの風態《ふう》をみてみい。だれの目からみても幇間まるだしやないか。そんなふうして近所でものいわれてたまるかい。気のきかんやっちゃ」 「そうかて、あんたはん、いつまでおいでやないさかい、みなが心配して、ようすみてこいいうので、わたいがみにきましたんやないか」 「それがよけいなこっちゃ。わしかて、でる機会《しお》がないよってに、店の者に一通り叱言いうといて、それを機会《しお》にすっとでようとおもうてたんや。それに、そないに派手ななりで、店の前をいったりきたりされたら、こっちは、気がとがめてでるにもでられへんがな」 「さあ、そやさかい、わたいかて、あたまつこうてまっせ。おんなじなりでなんべんも通ったらいかんおもうたよって、十銭やって、くず屋のかごと量器借《りようきか》って……」 「それがあほやないか……くず屋のかごかたげるなら、くず屋のなりせんかい。そのままのなりでくず屋のかごかたげてどうするのや? 丁稚《こども》ちゅうもんは目がはやい。『番頭はん、あれみなはれ。あのくず屋、えらいええベベ着てまっせ。くず屋の殿さまかいな?』いいよった。わしゃ、ひやっとして、脇の下から汗がながれたがな」 「あははは」 「笑いごとやないで、ほんまに……それで、船はどないしたんや?」 「さあ、それだすねん。いわいでもええのに、おそめねえはんが、蔦家《つたや》のおかみに、きょうはこれこれやとしゃべったもんやから、さあ、聞きつけた芸妓《げいこ》、舞妓《まいこ》がおよそ二十人ほどになりましてん……そやさかい、しょうがないよって、屋形《やかた》船を一|艘《そう》……」 「そんな無茶すない……まあ、しかたないわ。で、どこへつないだあるのや?」 「東横堀の研石屋の浜だす」 「あかん、あかん。あの浜側には、店のご親類が一軒あるのや……もっと上へつなぎいな。高麗橋の詰《つめ》へでもつないどいてんか? わしゃ、したくしたら、じきにいくさかい」 「ほなら、次さん、待ってまっせ」  幇間をさきにやっといて、お店から二丁ばかりまいりましたところに、駄菓子屋がございます。そこで、二階にたんすがあずけてある。上から下まで、そっくりと上等の着物と着かえまして、一分のすきもないこしらえで、高麗橋まできてみますと、りっぱな屋形船がついておりまして、なかでは、お茶屋のおかみから芸妓、幇間までが大さわぎでございます。 「やあ、次さんがきやはった」 「次さん、次さん、おそいやおまへんか!」 「しいっ、しいっ、もうちとしずかにできんか? 船頭はん、あとしめて船、出しいな」 「しめきって、お酒飲んだり、さわいだりしたら毒だっせ。ちいっとあけときまひょか?」 「いかん、いかん。ぴたっとしめとくのや。それから、あまり大きな声だしなや。なるべくものいわんように……」 「まあ、いややわ。まるで島ながしの船やわ。船頭はん、はようだしとくなはれ」 「ほらい、きたあ」  大川へでてまいりますと、上り下りの遊山船、その陽気なこと…… 「次さん、もう大川のまん中だっせ。すこうしぐらい障子あけたら?」 「いかん。船同士すれちごうたときに、どんな知ったおかたが乗ってはるかわからへん。あけることはならんで……」 「ほな、むこうへついて、どないして花見しまんね?」 「みいでもええ。花のにおいかいでたらええやないか。強《たつ》てみたかったら、障子に穴あけてのぞくのや」 「あほくさ! 家へいんではなしもでけへんわ。『花はよう咲いておましたか?』『なんやよう咲いてるような香がしておました』……そんなあほらしいこといわれへん」 「やかましいやつやなあ。むこうへついたら、おまえらだけあがって、おもうだけみてきたらえ えやないか……さあ、酌いでんか?」  番頭さん、ちびりちびりやっておりましたが、桜の宮へつく時分には、すっかり酔うてしまいました。 「ういー……ああ、むしむしするなあ。もう一ぺん手ぬぐいしぼってんか? ……やあ、なんや暑いとおもうたら、みなしめきったあるのやな。だれがしめたんや?」 「あんたはんが、『しめい、しめい』と、やかましゅういうてしめさしなはったんやがな」 「なんぼいうたかて、こない正直にきっちりしめるやつがあるかい、あほめ! 暑いわい。あけ、あけ……」  みな暑うてたまらん。一ぺん風をいれたいなあとおもうてるところへ、「あけ、あけ」と、きたもんやさかい、一時《いつとき》に障子をあけますると、花はいまが満開。一面にうす紅《くれない》のかすみがかかったようでございます。そこここの木の根もとには、緋毛氈《ひもうせん》をしいての品のええお花見もあれば、土手の上には、からになったひょうたんふりまわして、ひょろひょろしながら、わけのわからん唄歌うてる人もあるという、いやもう陽気な景色でございます。 「おい、船頭、こ、こ、ここへ船つけたれ。さあ、みんなあがって花みてこい。わては、ここにのこって飲んでるさかい……」 「まあ、次さん、なんだんね、あんたはんもいっしょにおあがりやす」 「あかん、あかん。わて、そんなことしてられへんね。わて奉公人や。顔みられたらあかんちゅうに……」 「ほな、次さん、ええことがおまっせ。顔がわかるといけまへんのやろ? よろし。じゃ、こうしまひょ。舞妓はんのな、舞い扇を、こうひろげて、あんたのお顔へあててまんね。おそめねえはん、あんたのしごきちょっと貸しなはれ。それ、こういうぐあいに扇をくくりつけてしもうて……さあ、これなら、だれにも顔はわかりまへんやろ?」 「わあ、ええかっこう……忠臣蔵の由良之助みたいやわ。ついでに着物もぬいで、襦袢《じゆばん》ひとつになりなはれ。さあ、帯ほどいたげまひょ」 「これこれ、無茶すな、無茶すな」  なんぼいややいうても、まわりからぬがしにかかられると、下にはじまんの長儒絆を着てるものやさかい、番頭さん、とうとうぬいでしもうた。 「まあ、きれいやわ」 「次さん、ちょうど右団次の石橋《さつきよ》みたいやわ」 「よう、高島屋!」 「おだてないな……さあさ、これから鬼ごと(おにごっこ)じゃ。わしにつかまえられたら、だれでもかまわん。肩ぬがして踊らすで」 「きゃーっ」  番頭さん、こんどはさきだちで大さわぎでござります。
 こちら、お店の旦那さまが、お気にいりの玄伯という街《まち》幇間《だいこ》をつれて、桜の宮へお花見においでになりました。 「玄伯老、くたびれやせんかな?」 「いえ、いっこうに……」 「そうか……しかし、美しいもんじゃなあ、どうや? この桜……わしゃなあ、こうして花見さしてもろうてるけど、うちの番頭……がんこなやっちゃ」 「へえ?」 「さ、きょうもな、若いもんしかってるのはええねん。いうことがあほらしいわ……『げいこという粉はどんな粉や? たいこもちという餅は、煮て食うのんか? 焼いて食うのんか?』……あかん! あいつも、こういうとこへ花見にきやがったらええのになあ……玄伯老や、ちょっとみてごらん……まあ、どこの旦那か知らんが、芸妓衆《げいこしゆう》にとりまかれなすって、大肌ぬぎになって、顔へ扇子いわえて……ああ、おもろいなあ……あのな、ほかの人からみたらなあ、まるで気ちがいに似てるけど、やってる本人、たのしみやで、あれは……はははは、あたしももう一ぺんあないなことやってみたいなあ」 「旦那はん、あのおかた、お宅の大番頭はんによう似とりますが、次兵衛さんとちがいますかいな?」 「あはははは、なにをいいなさる。うちの次兵衛があんなことのできる男かいな。さっきもいうた通り、芸妓も幇間も知らん堅物《かたぶつ》やで……あんなものをみただけでも目をまわしよるじゃろ」 「いや、旦那はん、まちがいなく次兵衛さんでございます」 「そんなはずはないが……どれどれ、いまめがねをかけてみてみまひょ……どのお人じゃ?」 「あ、それそれ、正面の一番大きな木の下で、大手をひろげて、扇子で顔かくしたおかた……あの、それ、ひょろひょろ歩いてはるあのおかた……」 「どれどれ……うーん、あのおかたかいな? ……やあ、ありゃたしかに次兵衛じゃ。いつもまじめくさった顔をして、かげでこんなことをしてよるのかいな……ああ、だんだんこっちへでてくるがな……ああ、こまったな、これは……わしの姿をみせてやるのはかわいそうやし、というて、あともどりもできず……玄伯老、みっけられるといかんさかい、なるべく道の端へ寄ててくだされ」  旦那のほうは苦労人ですさかい、しきりにかくれようとなさいますが、番頭さんは、そんなことご存知ない。 「さあ、つかまえたら肩ぬがして踊らすのじゃ」  旦那が右へよけると右、左へ逃げると左へ、とうとう番頭の手が旦那の肩へかかりました。 「さあ、つかまえた。つかまえた」 「ああ、これこれ、人ちがいじゃ」 「なにぬかしくさる。逃げようとて逃がすかい」 「ああ、いたい、いたい……これ、はなしてくだされ」 「繁八やな……そないな声色《こわいろ》つこうたかてあかん。いま、この扇子をとって、面《つら》をあらためて……あっ、あんたは旦那《だん》はん!?」 「おお、次兵衛どん」 「うへー……これはこれは……旦那さまにはごきげんよろしゅうござります。その後、長らくごぶさたをいたしまして申しわけがござりません。お店もご繁昌のごようす、まずはおめでとう存じあげます」 「え? ……はい、はい……ああ、これこれ、番頭どん、そんなところへ坐ったら、着物に土がつくがな……ああ、もうよろしよろし。あまりおそうならんように帰ってやっとくれや。みなが心配しますよってな……さあ、玄伯老、きなされ、きなされ。すっかり汗かかしよったがな」  そのまま、旦那は帰っておしまいになりました。 「さあ、次さん、つづけまひょ」 「やかましい。だれやい、わしをこんなとこへあげたのは?」 「あんさん、ご自分であがらはったんやないか? ……いまのかた、どこの旦那だす?」 「うちの旦那じゃい」 「えっ、お宅の旦那!? ご粋《すい》なおかた……」 「あほんだら、さあ、羽織だせ、羽織だせ。すぐに帰るんや……繁八、この紙入れ、あんたにわたしとくよって、これで、きょうのあとしまつしとき」  番頭さん、もとの駄菓子屋へつきますと、上から下、すっともとの着物に着かえて、店へ…… 「番頭はん、お帰り」 「へえ、お帰り」 「これ、定吉、旦那はんは?」 「へえ、あんはんがでなはったすぐあとから、玄伯はんをつれて桜の宮へお花見においでになりました」 「そうか……うーん」 「あっ、うなってはる……番頭はん、どこぞわるうおますか?」 「なんでもええ、二階へ寝床《ねま》しいてくれ。あたまが痛うてかなわん。しばらく寝るわ」  二階へあがって、横にはなりましたが、とてもねむるどころやござりまへん。 「ああ、ああ、四十二の歳まで、こうして奉公して、来年は、ようよう別家の身やいうのに、きょうは、なんとした悪日やろなあ」
「ああ、玄伯老、えらい目にあわしたなあ。おつかれなさったじゃろな。ちょっと茶でも飲んでいになさらんか? ああ、お帰りか? さよか。ほなら、ここでわかれまひょ。いずれまたお目にかかるとして……はい、さいなら……ただいま帰りました」 「お帰り」 「へい、お帰り」 「お帰りやす」 「これ、定吉、番頭どんの顔がみえんが、どないしたんや?」 「へい、さきほどお帰りになりまして、あたまが痛いいうて、やすんではります」 「ほう、さよか……そりゃいかんな。おい、定吉、番頭どんは、うちの柱じゃ。ずいぶん大事にしてもらうのじゃぞ」
「うわあ、旦那はんのお帰りやな……うん、もうしばらくしたら、『番頭、ちょっとこい』いうやろな……『ときに、おまえも、ずいぶん長いこと辛抱してくれたけれど……』とくるやろな……いやいや、そないになまやさしいことやあらへんで……『おいっ、番頭! でていきなはれ!』いうやろな……ああ、なんといわれても、一言もないのやよって、さっぱりわや(だめ)や……呼びつけるのなら、いっそ早《は》よ呼びつけてくれはるほうがましかも知れん……蛇のなま殺しはかなわんなあ……うーん、どないしたんやろ? 呼びにくるのが、えらいおそいやないか」  覚悟はきめましたものの、梯子段が、ガタッというと、呼びにこられたのかと、びくっといたします。そうこうするうちに、下では、店をしもうて、みな寝てしまうようすでございます。 「はてな? 呼びにこんとはおかしい……ははあ、こりゃ、明日になって、請人《うけにん》(保証人)呼んで、はなしをつけてしまう腹なんやな……ああ、つまらんことしたなあ……そうや、いっそのこと逃げてしもうたろか? ……もうこうなる上は、いやな叱言のひとつも聞くだけ損や。うん、逃げるときめたら、持てるだけのもの持ってでにゃいかんな。とにかく、あとでとりにこられへんさかいに……そうや、着物の新しいやつを、こういうぐあいに三枚着て……羽織もなるべく新しいのを二枚ひっかけたろ……ああ、こりゃ肩が張るわ……たばこいれも三つ腰へさして……やあ、あの傘、買わなんだらよかったなあ、ずいぶん高うだして昨日買うたばかりや。まさか傘まで持っていけんしな……すっかりしたくはできたが……いや、待てよ……明日、請人がくるわ……で、請人の顔に免じて、こんどのところは大目にみるさかい、以後つつしめやというはなしにならんともかぎらんな……そのときに、わいが逃げてしもうたら、どうもこうもならんな……そうや、やっぱりやめとこ……着物も羽織もたんすへなおしとこ……しかしなあ、あんなところみつけられて、まさかこのままつこうてもらえるようなことはないやろな……逃げるほうが得《とく》かいな……いや、やっぱりやめとこ……いや、逃げたほうが……」  次兵衛さん、夜通し眠られまへん……そうこうするうちに夜があけますと、平素《へいそ》なら、「みな起きよ」いうて、みな起こして、自分は、もう一ぺんぐっすりと寝なおすのですが、きょうは、自分が一番に起きでて、表の戸をガラガラ……ほかの者がびっくりして、 「ああ、番頭はん、えらい寝すぎてすんまへん。どうぞわたいにあけさしとくなはれ」 「いや、かめへん、かめへん、まだ早い、もっと寝な」 「そんなことできまっかいな。ああ、番頭はん、門口《かど》掃くのは、でっちのわたいの役だんがな。番頭はん、ほうき貸しとくなはれ」 「いや、だんない(さしつかえない)、だんない、わいが門口掃いて、水打つさかいに、おまえは、帳場へ行《い》て、帳合いしとき」 「そんなことできますかいな」  掃除もすみ、朝食しまして、番頭、しかたなしに帳場へ坐りましたが、なかなか帳合いどころやございまへん。 「あーあ、とりかえしのつかんことをしてしもうたなあ。いよいよ、この店ともおわかれか……このごろ、うちの次兵衛も、ちょいちょいかくれあそびをしてよると、旦那の耳にはいっておったら、かえってはなしはしよいんやけど、かたい、かたいとおもわしたるだけに、ことがめんどうやがな。また、きのうは派手すぎたさかいな」  いろんなことをかんがえております。  しばらくして、旦那さんのお目ざめです。 「これ、定吉」 「へい、お呼びでございますか?」 「番頭どんは、もう起きてなさるか?」 「へえ、お店で帳合いしてはります」 「そうか……『たんとお手間はとらしまへん。ちょっと茶の間までおいでねがいます』と、いうてきなはれ」 「へい……番頭はん!」 「うん、あかん……もうだめや……」 「もし、番頭はん」 「ああ、しもうたなあ……船からおりたのがまずかったんや……」 「番頭はん!」 「わっ、びっくりした。あほ、びっくりするやないか。なんちゅう声だすねん。なんじゃ?」 「こっちがびっくりしましたがな。大きな声だしてとびあがんなはるよって……あのな、旦那《だん》はんがお呼びだす。『たんとお手間はとらしまへん。ちょっと茶の間までおいでねがいます』と……」 「そうか……うーん、いよいよきたな」 「どないします?」 「すぐいくいうとけ」 「へえ……旦那はん、行《い》てまいりました」 「おお、ごくろうじゃ。番頭どんはどういうてたな?」 「『すぐいくいうとけ』と、いやはりました」 「これっ、なんという行儀のわるいもののいいかたをしますのや。番頭どんは、そんなこというお人じゃない。よしんば、番頭どんがそういうたにもせよ、おまえは、わしの前へきたら、『ご番頭さんは、ただいまおみえになります』と、なぜていねいにものをいわぬ……また頬ぺたをふくらしてるな。主人の前でなんじゃ。増長《ぞうちよう》もたいがいにせえ」  うしろで聞いてる番頭のつらいこと。胸をちくちく刺されるようでございます。 「だれじゃいな、そこでぺこぺこおじぎをしてなさるのは? ……なんや、次兵衛どんやないかい。まあまあ、そないにあたまばかりさげておらんと、ちっとは、わしの顔をみいな。はなしもなにもできやせんがな。しかし、毎日ごくろうやな。あんたのはたらきで、店も繁昌するばかりじゃ。わしゃ、喜んでいるのやで……さあ、お茶を一ぱい飲みなされ。まあ、よろしいやないか。べつに急《せ》く用事もないんやろ? まあ、茶飲みばなしでもしようやないか……そうやな、なんのはなしをしようか? うん……一軒の家のあるじを、むかしから旦那というやろ? あれは、どういうわけでそういうか知ってるか?」 「いいえ、てまえ、いっこうに……」 「知らんか? うん、無理はない。わしも、この年齢《とし》になるまで知らなんだのじゃからな。こりゃ、玄伯老から教えてもろうたんやで、その受け売りやさかいに、まちごうても笑うとくれなや……でな、天竺《てんじく》も五天竺あるというな。その南天竺に赤栴檀《しやくせんだん》という大木があるそうな。で、この木の根もとに南縁草《なんえんそう》という草が生える。人がみて、『ああ、せっかくの名木の根もとに、こないな草が生えてむさいやないか』ちゅうので、これをぬいてしもうと、ふしぎなことには、栴檀の木がだんだんと枯れてくるそうや。ところが、これは枯れるのがあたりまえじゃ。つぎからつぎとくさっていく南縁草の根が、栴檀にとっては、この上もない肥料《こえ》になる。じゃによって、南縁草が繁《ほこ》えれば繁えるほど、栴檀も繁《ほこ》えていくという道理なんじゃ。すると、この栴檀の繁《ほこ》えた枝から露をおろすのやが、これがまた、南縁草のよい肥料《こえ》になって、南縁草もよう繁える。それにつれて、栴檀もまた繁えて、ますます露をおろすという、つまりもちつもたれつちゅうわけやな。どうや? ええはなしやないか? そこで、栴檀のだんと、南縁草のなんとをとって、だんなんというんやそうな……あははは、耳学問やさかいに、ほんまかどうか知らんで……ま、そこでやなあ、これをこの家でたとえていうなれば、わしが赤栴檀で、おまえはんは南縁草や。ま、ありがたいことには、ええ南縁草が生えてくれたさかいに、この栴檀は、えろう繁えたわけや。そやさかいに、およばずながら、できるだけの露はおろさにゃならんとおもうてます。ところが、店へでると、こんどは、あんたが赤栴檀で、若い者一同が南縁草や……ところで、このごろ、店の赤栴檀がえらいいきおいで繁えておるが、南縁草のほうはすこししおれてやせんか? いや、これは、たぶんわしのみそこないじゃろ……まあ、そうはおもうが、もしもそんなことがあるとしたら、こら、一時もほっとけんで……南縁草が枯れりゃ、赤栴檀のあんたも枯れにゃならぬ。あんたが枯れりゃ、わしもいっしょや。なあ、次兵衛どん、どうぞ、店の者にも露のおりるようにしてやっとくなはれや。わかりましたか? わかった? ああ、おおきに……あんたにはすぐわかるやろ。お手とめてすんまへん。さ、早《は》よう店へ行《い》とくなはれ」  暇がでるとおもいのほか、さすがはご大家の旦那、きのうのことについては、叱言らしいことはすこしもいわず、自分ばかりたのしみするのが能《のう》やない。ちっとは、はたにもゆとりをつけてやれという結構なお心でおます。 「うへー、なんともありがたいことでござります」 「あははは、あほばなしで暇つぶさした。かんにんしてや。あ、ちょいと待ち。まだ立たいでもいい。さあ、お茶飲みいな。さめたらいれかえさすで……ときに、次兵衛どん、きのうは、えらいおたのしみやったな」 「うへえー……じつは……その……お得意の旦那衆のお供で……」 「ああ、そうやったかいな。しかしなあ、お得意さきのおかたといっしょにいても、決してお金はつかい負けしとくなさんなや。さきさまが、百両つかいなさったら、こっちは二百両つこうとくれ。かまやへん。そうでないと、商法《あきない》の切��き》っ先《さき》がにぶりますじゃ……が、きのうのあそびかたのようすでは、そんなみっともないことしてやへん。安心しました……まあ、あんたもあそびじょうずになったもんや……あんた、うちへきたときのことおぼえてるか? 早いもんや。もう三十年になるなあ……うちへ肥料《こえ》汲みにくる甚兵衛ちゅう男の世話で、おまはんはうちへきたんや。ちいちゃい、きたない子どもやったで……えらい小便たれする子でなあ」 「うへー」 「みながいやがって、もどそうの、帰そうのというたんじゃが、いやいや、そうやない、小便たれするのは、冷えるからや、お灸《きゆう》すえてやればいいと、灸点をおろそうおもても、色の黒い子で、墨で灸点おろしても、みわけがつかん。しょうがないよって、しまいにおしろいで灸点おろしたことがあったな」 「うへー」 「とにかくりっぱになんなさった。感心してますのじゃ。しかし、次兵衛どん、怒ってなや。じつは、きのう、あの姿みてな、こりゃ、ひょっとすると帳面に大きな穴があいてやせんかと、ひさしぶりに帳面をすっかりしらべてみたが、帳面には、まるで穴がない。帳面に穴がないとしてみると、お店はお店でもうけさしといて、自分でももうけてつかいなはる。こら、男の甲斐性《かいしよう》や。えらいなあ。世のなかには、沈香《じんこ》も薫《た》かず、屁《へ》も放《こ》かずちゅうのがあるやろ? そんなやつはあきまへん。どんどんもうけて、どんどんあそびなはれ。わしかて、まだ老いぼれてやへん。たまにはつれていてもらうわい。あははは……しかし、きのう、桜の宮で逢うたとき、おかしなあいさつしたやないか……『旦那さまにはごきげんよろしゅうござります。その後、長らくごぶさたをいたして申しわけがござりません』とか、いうとったな?」 「へえ……」 「からすの鳴かぬ日はあっても、わたしとおまえさんが顔をあわせぬ日はないのに、なんであないなことをいうたんじゃ?」 「へえ、かたい、かたいとみせかけておきながら、あんなところをお目にかけまして、しもうた、これが百年目やとおもいました」
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anifunk · 6 years
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98 名前:(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2019/02/15(金) 00:12:12.28 ID:Xo6385x+ [1/5]ルトワックの本読んだけど最善は在韓米軍が撤退せずベトナム型の金正恩体制下での改革開放次善は実は現状維持だそうな核がある限り、金正恩体制は中国に飲みこまれないからだな最悪なのは「非核化」した朝鮮半島で、この場合は丸ごと中国に支配下になる韓国は無責任で無能力な国家で中国の手先に成り下がる以外何も期待できん日本がやるべきことは使えない核武装じゃなくてF-15全部を爆弾と増槽つんで先制攻撃出来る仕様に改造しろだとさ自衛隊はF-15Eを買わなければいけないと言い訳するだろうが、要は実行する気の欠如でありイスラエルならやると言いたいんだろう136 名前:(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2019/02/15(金) 00:41:30.29 ID:ri1TIoG9 [3/14]トランプが訪中するまでは、在韓米軍撤退を条件に、中国が北の面倒を見ると言う感じだったけどなトランプも中国をおだててたしな勝手に、北に傀儡でも人民解放軍でも派兵しろと言う感じだった中国がそれには乗らなかったんだよな142 名前:(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2019/02/15(金) 00:48:00.50 ID:Xo6385x+ [2/5]>>136中国が朝鮮の相手する無意味さと面倒くささに辟易してたからなもう一つの要素は、中国のどこの部隊を派遣すんのか???という点でその選択も中国の国内政治に影響する
丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2:190215 【半島有事】 いいか、誰も止めるんじゃないぞ?
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