#仕事カメラ
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α7RⅤ朝一で届きました。昨日発売だったので、素早い。 今日の撮影のお仕事は、 早速、α1との二台構成で行きたいと思います。明日の撮影も来週のモデル撮影もどうなるのか楽しみです。 元大手IT企業でイノベーターをやっていた身としては、今回、ソニーさんでR5の開発の方から聞いたお話はとても興味深く、このカメラの入手に至りました。 モデル撮影の人にはあまり目立った効果はない(α7RⅣで十分)と思いますが、私のように、ありとあらゆるジャンルの撮影依頼をいただく身としては、手段の中や込み入った撮影現場でのピントの写し変わりがないこのカメラは強い武器となると思います。スタジオ撮影にも嬉しい機能がいっぱい。 #α7r5 #α7rⅴ #aiカメラ #sonya7v #r5 #sony #ソニーイメージングプロサポート #カメラ好きな人と繋がりたい #最新カメラ #仕事カメラ #写真家さんと繋がりたい #α7R5来た #島林大祐写真展 #島林大祐instagram勉強会 #フォトコン入線の達人オンライン #ごまお先生 #株式会社ななイロ (Japan) https://www.instagram.com/p/ClXSFpNvPdG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【お知らせ】 ベネッセコーポレーション様、進研ゼミ中学講座 中高一貫|『My Vision』2023年9月号表紙イラストを担当しました。
文化祭
[My Vision / Benesse] September 2023📷
#myvision#ベネッセコーポレーション#進研ゼミ#進研ゼミ中学講座#進研ゼミ中学講座中高一貫#illustration#art#絵#装画#��仕事#中学生#文化祭#写真部#カメラ#廊下#記念撮影#校舎#イラスト
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🇯🇵大阪 : 日本一周の動画を作っています。 私のYouTubeを登録してください! ⭐YouTube : MakaNai【韓国男子】 🇰🇷Art is the salt of life. ➡️https://2haerang.tistory.com/1069 #大阪旅行 #大阪観光 #大阪 #仕事中 #仕事終わり #仕事 #お金欲しい #関西 #関西写真部share #関西カメラ部 #関西旅行(大阪市에서) https://www.instagram.com/p/Cl5tdfBpoCD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ロジャー・ムーアが空港で「ジェームズ・ボンドとサインをするとブロフェルドに見つかるかもしれないからしないね」と子供に言った話はツイッターで見たことあったが全貌がここまでいい話だったとは。 30歳を一瞬で7歳に戻した話。 中高年になった脚本家さんがFacebookで綴ったロジャー・ムーアとの思い出。2度の邂逅。 ………………… ・1983年頃の話だ。まだ空港にファーストクラス専用のラウンジが設置される前。ニース空港でお祖父ちゃんと一緒にいた私はロジャー・ムーアを見た。彼は出発ゲートに座り、新聞を読んでいたんだ。 私はお祖父ちゃんにジェームズ・ボンドがいると伝え、彼のサインが欲しいから一緒に行ってくれとねだった。 お祖父ちゃんはジェームズ・ボンドが何なのか、ロジャー・ムーアが誰なのかも知らない人だった。ロジャー・ムーアのそばに寄り、『私の孫が、あなたは有名人だと言ってるんですが……サインをお願いできますか?』と聞いた。 期待を裏切らぬチャーミングなロジャーは私の名前を尋ね、航空機の裏に私への”Best wishes”を添え、丁寧にサインしてくれた。 私は大喜びしたが、席に戻る途中でふと見ると……読み取りづらいが、『ジェームズ・ボンド』とサインされていないことに気づいた。お祖父ちゃんがサインを読み取り『ロジャー・ムーア』と書かれていると判読した。 誰なんだよ、ロジャー・ムーア。私は落ち込んだ。 (7歳の子は空港で見た人物をそのまま『ジェームズ・ボンドその人だ』と思っていた) 私はお祖父ちゃんに、サインしてもらったけど、記名を間違えてるんだと訴えた。他人の名前が書いてある。 お祖父ちゃんはサインしたての航空券を持ってロジャー・ムーアのもとへと戻り、『名前が間違っています。あなたの名前はジェームズ・ボンドだそうです』と 孫の言葉を伝えた。 ロジャー・ムーアは破顔して7歳の私を手招きした。私が彼の膝のそばにいくと彼は上体を動かし左右を見回し、眉根を寄せ声をひそめて言った。 「……いまは“ロジャー・ムーア”とサインしなきゃいけないんだ。そうしないと、ぼくがここにいるのがブロフェルドにバレてしま���かもしれないから」 彼は、ここでジェームズ・ボンドに遭遇したのを誰にも言わないでほしいと私に頼み、君はきっと秘密を守ってくれる、ありがとうとお礼を言った。私は嬉しすぎて全身を緊張させ、席に戻った。 お祖父ちゃんがちゃんと『ジェームズ・ボンド』さんのサインを貰えたかと私に尋ね、私はううん、ぼくの間違いだったんだと答えた。私はたったいま、ジェームズ・ボンドと組んで“仕事”をしたのだ! それから時が経ち、私はユニセフの映像部でスクリプト・ライターとして働いていた。ロジャー・ムーアはユニセフ親善大使として私がいる場所でカメラに向かい、仕事をしていた。 カメラマンがカメラ準備中をしている間、7歳の時、ニース空港で彼に遭遇した思い出を話した。彼は笑い、「よく覚えてないけどジェームズ・ボンドに会えてよかったね」と嬉しそうに言った。素敵な人だ。感じがいい。 そして彼は最高のことをした。撮影が終わってから彼は廊下で私の横を通り、そっと私に伝えた。「ニースできみと会ったことはもちろん覚えている。でも撮影現場では黙ってた。だって、あのカメラマンたちの中にブロフェルドの手先がいるかもしれないだろう?」 彼は自分の車に戻った。 なんて人だ。30歳の私は、7歳の時の同じだけ、歓喜した。
Xユーザーのこりまさん
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。前に好きだった人に「どうしようもできない���のがすき」という言葉で夏が好きなことを伝えたら、「死も?」と返答された。なんでよ、なんで死はいつもそんなに暗くて辛くて悲しくて暴力的で痛くてさみしいんだろう?どうして。わたしはそんなふうに感じる機会が少なかったから、どんな返事をしたらいいのかわからなくて困ってしまった。だって死に近いものこそ、本当はなによりもうつくしいのかもしれないと思うから。蝉と、太陽。海、燃え盛る炎と、富士山。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。親愛なるわたしへ。怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。不安な気持ちよりも、ピアスホールっていう一生残るかもしれないものを親友がわたしに頼んでくれたという事実を愛おしく思う気持ちの方がつよかった。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかったのだ。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と���友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。海ってこんなに塩っぱいんだ、こんなに力強くて、こわいんだ、まるで妖精とじゃれあっているみたい、たのしい、なんてことを感じながらカメラのレンズをみつめる。まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。ねえ、私に逢いたい?未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢いたい。
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納涼 水族館活動 - イルカとクラゲを求めアクアパーク品川
��しく楽しめる場所の定番、ということで6年ぶりくらいにマクセルアクアパーク品川を再訪してみた。
今年も酷暑のシーズンが到来しました。外出が億劫ではあるものの、さすがに毎週末 家に引きこもっているのも飽きがきて。。。涼しく楽しめる水族館でも行こうと思い、最も近いマクセルアクアパーク品川へ。6年前 仕事で心をすり減らしていた頃、休出の代休でふらっと訪れて以来の再訪。
夏休みの混雑をなるべく避ける and 道中の暑さを多少は緩和したい、ということで朝、オープン直後に入場。多少の混雑でしたが、ゆったり写真撮りながら巡るのに許容できる範囲内。
ここは生き物を魅せる系の水族館なので、雰囲気重視で。特にクラゲコーナーはめまぐるしく変わるイルミネーションが目で見る分には楽しいのですが、明るさがコロコロ変わり写真を撮るのはちょっと辛い。
目玉のイルカショー。迫力満点、水をい��ぱいかけてくる系のショーになります。もちろん濡れたくないので、最後列でカメラ構えながら立ち見。薄暗い会場内で飛び跳ねるイルカさんを連写で、数撃ちゃ当たる作戦。おかげでよい感じのものが何枚か撮れました!6年前より良い出来。。。単純にカメラの性能さでしかないのですがね。
ランバ・ラルに見つかったら、「自分の力で撮ったのではないぞ。そのカメラの性能のおかげだということを忘れるな!」と言われそうな気がします。
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決断は英断
SONYが一部製品の値上げを発表したとの事。
8月1日に価格改定、平均約10%の値上げみたい。
そうですか、まぁ今のこの状況下では仕方のないことであろう。
しかし10%というのは結構な額だ。
ずっと心のどこかで気になっていたα7CⅡ、意を決して先月末に購入したのはどうやら英断だったようだ。
いや、使ってみてのこの満足感と喜びを思うと、値上げに関係なく英断だったんだろう。
このα7CⅡってカメラは使えば使うほど良さがわかるという、まさにスルメのようなカメラだと思ってて、実際にα7RⅣの稼働率を確実に下げてる。
実はレンズもそうで、絶対的エースの50mm/F1.4 GMも最近一気に揃えたTAMRONズームレンズ群の取り回し性と写りのバランスの良さに押され、持ち出す頻度が下がってしまった。
欲しいものは欲しいと思った時に頑張って買ってしまう、一見乱暴な言い回しかもしれないけど、幸せになるためにはこれに尽きるのかもしれない。
camera : SONY α7CⅡ
lens : TAMRON
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カッパ隊長(妻)に頼まれて撮った一枚 なんかスカートが下に垂れがってるのが気に入らないらしく、足の下にスカート巻き込んで撮り直したんやけど、僕はこっちの方が好きやけどなぁ。 #妻のご所望の写真 #たのしいカメラ学校 #フォトコン入選の達人オンライン #内閣総理大臣賞受賞 #参議院議長賞受賞 #文部科学大臣賞受賞 #ごまお先生 #作品の力強さ #妻の写真を撮る夫 #もうすぐ55歳 #いくつになっても綺麗に撮るのは夫の仕事です #構図の勉強 #写真好きな人と繋がりたい #カメラマンさんと繋がりたい #生徒募集中 #詳しくはプロフィールから #お問い合わせはdmで (Japan) https://www.instagram.com/p/CmIIidJvty6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#妻のご所望の写真#たのしいカメラ学校#フォトコン入選の達人オンライン#内閣総理大臣賞受賞#参議院議長賞受賞#文部科学大臣賞受賞#ごまお先生#作品の力強さ#妻の写真を撮る夫#もうすぐ55歳#いくつになっても綺麗に撮るのは夫の仕事です#構図の勉強#写真好きな人と繋がりたい#カメラマンさんと繋がりたい#生徒募集中#詳しくはプロフィールから#お問い合わせはdmで
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首都圏外郭放水路のカメラの様子を見てみたら結構溜まってて仕事してる様子がよく分かった https://ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00375.html#p_1tate… https://gaikaku.jp
みぞさんはTwitterを使っています
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世帯を破壊せよ
何度も言うが、オレは家族とか家庭とかそういうものに一切期待しないし、とても否定的だ。徹底した個人主義と自己責任のみ許容している。
家族観の関係が良好でなかった場合、家庭は悪夢の場と化す。オレはそういう場所で育ってきた。
したがって自ら率先して家庭を作り、子孫を残す事にオレは興味が無い。悪夢の場を再生産する必要性を感じないからだ。あんなものは最初から無い方が良い。
政治は選挙絡みで未だに少子化がどうとか喚いているが、本質を見ていない。家族が既にオワコンなんだよ。
しかし批判を連ねても状況は改善しない。 対案として一つ考えられるのは、家庭内に警察を設置することだ。具体的にはプライバシー権は廃止し、家庭内への監視カメラとマイクの設置を義務付ける。 家庭内での発言、及び行動は常にAIによって解析される。勿論性的なものを含めて例外は無い。本来なら脳内物質の分泌に至るまで管理した方が良いが、まだ接続技術が確立してないので暫定的措置としてカメラとマイクが利用される。 得られたデータはビッグデータとして蓄積され、統計的処理も含め異常行動は速やかに検出される。法律との関係性も含め総合的にAIが判断し、家庭内であっても恫喝的発言や、名誉を傷付ける違法行為は即通報され、罪を犯した者は逮捕・連行される等、何らかの厳しい制裁を科される。
この様な仕組みを家庭に導入すれば、全構成員の身が引き締まり、安心して家庭を構築できる可能性は有る。そもそも宇宙から地上のコインを検出できる時代のプライバシーなど妄想に過ぎない。全てを監視と管理の元に置き、AIの教導に従って安寧と持続可能な地球環境を維持すべきなのだ。
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人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!
著者D・パルモ
公開:2024-11-06・更新:2024-11-06
より人間めいた身のこなしで間違ってもやり直す。ただ異様な動きがちらつくあたりに不気味さも。ボストンダイナミクスの人型ロボット、アトラスが今年4月に旧型から新型に転生した件をご存じだろうか?
このたび公開されたのは、見ためからしてずいぶん変わったニュータイプのシン・アトラスが、自律運転で部品を移動させる作業の様子だ。
かつては華麗なるダンスを披露するなど、魅せるパフォーマンスが得意だった旧型よりも、いかんせん地味な絵面になってるけども、よく考えたらこれこそが人に役立つロボットの本領発揮になるような?
自動車工場で自律的に作業するシン・アトラス こちらの映像は、自動車工場で試験的に自律的作業を行うシン・アトラスをとらえたもの。今回はコンテナにある部品を棚に移し替える作業だそう。
保管用のコンテナにあるエンジンカバーを1枚ずつつかみ出し、右の部品棚に納めてゆくシン・アトラス。その姿はまるで人間そのものだ。
この画像を大きなサイズで見る ちなみにアトラスは、棚の空いてるところに適当にカバーを入れているわけではない。
ただ単純に移し替えているだけではなく、並び替えも行っており、間違いないよう気をつけながら慎重に作業を進めているのだ。
ときには途中で失敗してビクッ!ってなるシーンも。まさに人間じみている。
こっちまでドキッとする動揺ぶりだが、そのあとちゃんと入れ直したよ。
この画像を大きなサイズで見る この失敗は、カバーの一部が隣の仕切りに引っかかったせいだ。
だけど、そこで動作がストップしたり、無視して無理やり突っ込んだり、カバーを放して落としたりせずに、もう一度やり直してるところはすごいかも。
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自律的にオンラインで生成される動き なお、すべての動きは、自律的にオンラインで生成される。つまり動作に関しては、事前プログラムされた動作や遠隔操作なしで行われているそう。
しかもシン・アトラスは、環境の変���やアクションの失敗に直面すると、その都度、顔も兼ねてるカメラからの視覚と力覚、自己感覚センサーの組み合わせから、自身の動作を検出したのち、反応するようになっている。
全体的には人間っぽいが、特に奇妙な動きも 相変わらずスローだけれど、シン・アトラスの人間とそっくりな動きに感心する。
低いものを取るために、きちんとしゃがんで取り出して、立ち上がって歩けるとことか、角度を調整しながら物を納めるところとか。
この画像を大きなサイズで見る でも一方で不気味な動きもちょこちょこあったり。首や腰くるりと回せて、関節も自在に曲がるアトラスの場合、体の向きの変え方とかがなかなかに異様だ。
スピードが上がるともっとぬるりとしそうな予感もある。
この画像を大きなサイズで見る 人間と違い、先に頭が右回りして後ろ向きになり、歩き出す下半身の向きに上半身が左回りで追いつくシーンとか脳がバグりそう。
目鼻がなく、つるりとまるい顔の怖さとこの動きとが相まって、得体のしれなさが増幅するというか。
まあなんだ。作業自体は地味だけど、旧型とうってかわって堅実なお仕事路線でいくのかな?
Atlas Goes Hands On 新型は旧型よりも小柄でスリムな完全電動型 2020年から韓国の自動車メーカー、現代自動車の傘下にあるボストンダイナミクスによると、柔軟な2足歩行の新型アトラスは商業活動用に設計されたもの。
そのため旧型よりも小柄でスリムな完全電動型になり、すでに多様な現実世界に対応できるという。
一方、宙返りやパルクールをしていた旧型は、新技術やアイデアの実現性を検証する研究プロジェクトとして開発されていたもので、重さ約90kgある油圧式だった。
人型ロボットが人間社会の工場で働く日は遠い? 動画のように自動車工場で働く人型ロボット(ヒューマノイド)は、各自動車メーカーで開発が進んでいる。
今年はドイツのBMWもフィギュアAIの人型ロボットの実験導入を発表し、テスラも「オプティマス」というロボットを独自開発中だ。
これらの二足歩行ロボットを支持する層は、開発がうまく進んだあかつきには、先進的な大規模言語モデルと統合することで、人と会話しながら危険な作業や重労働をこなせるヒューマノイドロボットが誕生する、と期待している。
とはいえ、もし人間ぽくて有能で安全な自律型ロボットができたとしても、それを工場に導入するには解決すべき問題が数多くある。たとえその問題を解決できたとしても、政治家や労働団体の反対に直面する可能性がある。
SFではありふれたシーンでも、根���的に人と異なるロボットが、現実の人間社会で普及するには、相当な時間がかかるかもしれない。
References: Oh good, the humanoid robots are working on their own
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テスラの「オプティマス」に強力なライバル登場。中国企業初のヒューマノイドロボット「フォアランナー」
AIロボットに最後まで仕事を奪われないのは配管工と電気技師(アメリカ) #びっくり #ヒューマノイド #作業 #ボストンダイナミクス #アトラス
(人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!|カラパイアから)
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2024.07〜2024.08 ひとこと日記
7.30-朝寝坊してバイトを休んだ。夜に彼と口喧嘩した。ないものねだりばかりしてしまう。今週末、彼がチェコから日本に迎えに来るのにこんな状態でどうするんだろうね。
7.31-1ヶ月限定バイトの最終日。まわりのひとに大変良くしてもらった。チェコに行くことをリーダーのおじちゃんに話したら30年前にカナダで買ったオリンピックのトナカイのキーホルダーをくれた。大事にとっておいたのか、袋に入ったままで状態の良いものだった。わたしがこんなものをもらっていいのだろうか。
パリ五輪の男子バスケ/バレーの試合を観る。誤審ピック。
8.1- 茹だるような暑さ。何もしたくない。ちょっと黄体期特有の精神不安の症状が出てる気がする。ピルを飲み始めてからはほとんど見られなかったのでこの感覚に懐かしさを感じる。高校〜20代前半はかなり悩まされていたな。
8.3-チェコの彼が日本に来た。
8.9-チェコの彼がチェコに帰った。
8.12-母親と縁を切った。わたしに対する父の本音を聞いた。夜、居場所がなくてネットカフェにいたけど、男臭くて嫌だった。
8.13-ちょっと詐欺らしいものに引っかかってしまい、でもクーリングオフ期間だったので解約できて全額戻ってきたのでよかった。心がフラフラになってるから騙されやすい。
8.14-彼の誕生日。南海トラフは来なかった。新しいアパートを決めた。不動産の担当が仕事できなくて不安。
8.17-彼とわたしの今までの思い出アルバムを3時間くらいかけて作った。仕上がりが楽しみ。
8.18-アルバムが出来上がったのでカメラ屋に取りに行く。完璧な仕上がりだった。これを渡しても心が戻って来なかったら諦めがつくと思った。今日、彼はイギリスから帰国。
8.19-内定先の代表と融資を受けた銀行の担当者とのやり取りを聞いていて、絶対この人の元で働いたら後々面倒なことになると思った。
8.20- 代表と話をして正社員ではなく業務委託で仕事を受けることになった。それでよかったと思う。思ったことはなんでも言ってくれと言われてたので、昨日の銀行とのやり取りのこと正直に話したらそれは言ったらだめだったらしく怒っていた。わたしには判断がつかなかった。/パソコンがようやく直ってうれしい。SSDを交換した。
8.21- 最近、早朝に目が覚めてしまう。ひたすらTwitterをスクロールした。意味のないことをして現実逃避したかった。夕方までうたた寝とそんなことを繰り返していた。/今更Wednesdayを見始めた。ハンドが可愛すぎる。わたしもほしい。
8.22- 久々に弟と出かけた。憎たらしくてかわいくて大好き。通っている塾でどんな指導を受けてるのか分からないけど、あんまり良くなさそう。でも私の子ではないから、私に決定権はない。
8.23-朝起きたら風邪っぽい。代表が38度も熱があったのに隠して私を事務所に呼んだからもらったな。地獄に堕ちてほしい。/不動産会社の求人に応募している。職務経歴書を修正していたら、今月末で有効期限が切れる資格があることに気づく。更新のための試験を月末までに受けなきゃ… / ずっと寝ていても頭が痛くなったり筋力が落ちたりしなければいいのになぁ
8.24-明日、あの事件ぶりに彼会う。まだ2ヶ月か。すごく昔のことのよう。図書館へ行って、彼に手紙を書いた。/ 一日中眠たいけど、涼しい部屋で好きな時間にゆっくり眠れない環境だから早く引っ越したい。明日面接なのもだるい。
8.25-午前、面接。9時17時の求人に応募したのに、実際は8時45分18時だった。最近こんなことばかりな気がする。/ 午後、元彼に会う。本当はすぐにさよならのはずがカフェでゆっくり話をした。アルバムはパラパラと見ていた。心に届いてなさそうだった。別れ際、これで最後って言われたけど私は信じない。だってハグした時、思い切り勃ってたから。わたしのこと、まだ愛してるに決まってるなんて思ったらだめでしょうか。
8.26-オンラインの日本語教師登録をした。自己紹介ビデオをつくってみて、思いのほか楽しかったけどめちゃくちゃ疲れた。動画編集を仕事にしている人、尊敬。/ Amazonの配達サポートの在宅ワークに応募した。応募に必要なテストが実際の仕事のシミュレーションのようで楽しかった。受かるといいな。/ なんか今日とてもがんばった感あるけど、まだ無職、家無し。
8.27- 賃貸不動産会社の1日入社体験。当然無給だと思っていたけど、最後に日当をいただいて驚いた。何もしていないのに… 。今回は勤務条件が募集要項と違っていたので辞退するつもりだけど、今後、就職先を決める上で勉強になったことがたくさんあった。動い��よかった。
8.28-アパートの契約完了。あと3日。父に来週出て行くからお世話になりましたと伝えたら、夕ご飯に少しいいものを買ってくるようになった。わたしがほしいのはそういうことじゃない。/ 夜、悩んだ末に元彼に電話。地雷を踏まないようつま先立ちで会話する。引っ越しを手伝うかどうかは明日まで考えさせてくれ、と保留。会いたい。
8.29-「引っ越し手伝うよ、でもよりを戻すわけじゃないからね」と連絡が来た。
8.30- 今日現在稼ぎ口がメルカリしかない。エネルギーが有り余っているから配達なんかのアルバイトをしたい。
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再発見いまさら
趣味レーション
旧型のiPhone 8+を使ってますがつい先日、カメラ機能のポートレートモードってやつで、初めて撮りました(笑)この時のネタ写真で。
以前は確か、人の顔だけ?ポートレートモードが使えるとか聞いてたから、「ボケ写真とかはカメラで撮れるから・・」と、iPhoneでは気にしてなかったのですよオヤジ。それが先日、ネタ写真を撮ろうとした時に指で触れてたらしくポートレートモードに・・・
「あれ、結構使えるじゃん!」と再発見(笑)
そんなボケ初老オヤジです。
日本のクロスカブ動画を見た後に、日本の中古軽自動車も眺めてました。ちょっと古くなった軽が安くあるんですよねジャパン。私、もし日本に帰ることになったらこの様な中古車で十分!!どこか凹んでたり修復歴があったり(足回り以外)しても気にしません。
でも日本は車検とかあるんですよね。小型バイクも車検こそありませんが重量税とかあるし、生活用品でもなんでもお金がかかる様に仕組まれてて、しかも古くなれば更に税率が上がると言う悪徳システム。
北米ではクルマやバイク等古い物を大切に使える様に、その様な事はありません。車検や重量税等もなく保険も安くなります。生活用品ですからね。でも、この日本の中古軽自動車、最近人気がでて、こっちに来たら軽く3〜4倍の売値ですよ!世の中怖い😱
軽も立派な外車だよ
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車��現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはい��そう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止め��れ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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Canvaを使ってのロゴ作成
先日はスマホで自分の公式ブログのロゴを作りました。
画像編集や文字入れ、ロゴ作成などができるCanva(キャンバ)というwebツールがありまして。
それで作ってみました。
Canva(キャンバ)って有名ですよね。webライターの仕事でもよく名前が出てきます。
というのも、記事作成+オプションで画像編集もあったりして、そんな時は、必ずと言っていいほどデザインツールとしてCanva(キャンバ)が指定されますね。
簡単なWEB広告とかは、ほとんどCanva(キャンバ)でデザインしているみたいです。
とはいっても、私はそこまでCanva(キャンバ)には詳しくないです。
仕事で使わなければいけない時だけ、いろいろ調べて適当に画像編集しているくらいで、、、
今回、自分のブログのロゴ作成で、やっと詳しく調べて使い方がわかった次第です。
しかも、このロゴ作成に関しては、ちょっと変わった使い方をしていて、使い方を知っている人は「どうやって文字を配置したの?」と思うかもしれません。
鳥も適当に素材探してたら、ひょこっと出てきました笑。
このように、���式ブログの上部にロゴを配置しました。
パソコンからのビューです。
もともとグラフィックデザイナーで、ここ数十年間くらいデザインや絵画関係のコンテストで大賞をいただいたりなど、作品を評価されている父にもほめてもらえて嬉しかったです。
私が幼いときは、父はグラフィックデザイナーで事務所を構えていました。
家が事務所で広告や写真などには、幼い頃から触れる機会が多かったです。
カメラを持った人もよく出入りしていました。プロの人です。
そういう影響もあって、今の私があるのだと思います。
これからも音楽も含め、アートとうまく付き合っていけたらいいなと思っています。
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コロナ禍で在宅が増えた頃、独身のおっさんたちが「仕事用具だから」の名目でこぞっていいカメラにいいオーディオインタフェース、いいマイクを使って、おっさんばかりどんどん高画質・高音質化してたの大好きな物語のひとつ。
Xユーザーのえむばーどさん
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