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#些細なことかもしれないけど
otona77mtb · 2 years
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ソラのアオ その映え方が季節外れのような そんな気がしたんだよ #備忘録 #感じる #些細なことかもしれないけど #気候危機 #このくらいは #その怖さ https://www.instagram.com/p/Cn_1o9TSrD3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mon5roo · 5 days
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どタイプの雄臭ガチムチイケメンに誘われて、うかうかと連休最終日夜7時<見せ合い>参加で追加10とか大丈夫か俺?
見せ合いは準備そこそこのスタート
モタモタした些細な事で調整に手間取り内に
上げたエロい気分はあっさりと醒めて
何とかスタートまでは良かったけど、
それからすぐ何も言わずに主催者が消えて どうする俺は次行くかっこいいヤツいたよ、ごめんねと言いつつ俺を置いて去るガチムチイケメン
気が付くと謎に切ないぼっち残され感  もう良いかなあ
どタイプ雄臭ガチムチイケメンもやもや注意報発令⚠️
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dropoutsurf · 6 months
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電通、人間の消費行動に強く影響する「11の欲望」最新版を発表 | AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議
■変化のあった欲望に関する考察
④「さみしい人とは思われたくない欲望」→「わたしの役割でつながる欲望」 「孤独だと周りから思われるのは嫌」という欲望が存在していたが、新型コロナウイルスの流行により強制的に他者とのつながりを断たれる中で、「一人でいても別に恥ずかしくない」と考える価値観が広がり、より集団の中での自分の意味を考える欲望に変化。
⑤「マイワールドを追求したい欲望」→「腕を磨いたから、腕試し欲望」 探求したい、成長したい、といった自己実現に没頭することを望む欲望から、「没頭したい」という欲求が他因子に移行。「感動したい」という欲求が加わることにより、新型コロナウイルス感染症の影響が限定的になる中で、自分が煮詰めていたことを誰かと共有して手応えを感じたいという欲望に変化。
⑥「資本集中型浪費欲望」→「資本集中型消費欲望」 これと決めた世界で気のおけない仲間と盛り上がり、時間もお金も一気に放出して自己実現したいという欲望から、「後先を考えずに楽しみたい」という欲求が他因子に移行。「本当は派手にいきたいけれど、そうもいかない」現実もあり、「浪費しても構わない」ではなく「現実的に行動したい、お金を使いたい」という欲望に変化。
⑧「炎上しないための欲望」→「肝心な時こそ気配を消したい欲望」 リアルでもバーチャルでも些細なことで揉めがちな世の中で、「とにかく炎上したくない」という保守的な欲望から、すぐ炎上する時代だからこそ常に「みんな」の方に所属することで、「安心と安全を確保したい」と考える欲望に変化。「得するより損をしたくない」と考えるように。
⑩「あえて愛を確認したい欲望」→「愛がなくちゃね欲望」 愛があることはわかっていても、あえてそれを確認することで、「誰かとのつながりを確かめたい、ちょっと感動したい」という欲望から、「感動したい」という欲求が他因子に移行。「愛したい、愛されたい」という考えは変わらないながらも、それを消費行動などで形にすることが人生を豊かにすると考える欲望に変化。
⑪「集め方を集めていく欲望」→「あっ、コレわたしっぽい欲望」 「モノだけでなくコトも含めた思い出や物語を自分自身の記録としてためたい」という欲望に、以前は他の欲望に含有されていた「没頭したい」「後先を考えずに楽しみたい」という欲求が追加。少し変わった個性も含めた自己演出により、「周りから注目されたい、またそれも見越した衝動買いも楽しみたい」という欲望に変化。
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欲求,欲望,現代人,Z世代,若者,若い子,居場所,確認,承認欲求,匿名,ステルス,使い分け,アイデンティティ,共感,コレクション,図解,プロンプト,
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kennak · 3 months
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米国は、TikTok排除に一定の成果を出し、次は越境ECの「SHIEN」(シーイン)と「Temu」(ティームー)の排除が本格化をしてきている。その中心になっているのは、de minimis(デ・ミニミス)規定の撤廃または改定だ。 デ・ミニミスとは「些細なこと」という意味で、米国では海外からの個人宛小包のうち、商品価値800ドル(約12.5万円)以下のものについては、関税を取らないというルールだ。 このようなルールはどの国にも存在をする。日本の場合は、商品価値1万円以下の個人宛輸入小包では関税を取らないルールになっている。中国でも輸入税額が50元以下の場合は免除される。 このようなルールには2つのねらいがある。ひとつは、低額商品の個人輸入をしやすくして消費者の選択肢を増やすこと。もうひとつは、低額のものまで関税を取ってしまうと、税関の業務負担が大きくなり、行政コストが見合わないことだ。 ▲米国に免税優遇を受けて入ってくる輸入品の30%はSHEINとTemuの商品になる。   SHEINとTemuは関税を逃れている 米国下院の超党派の対中国共産党委員会があるレポートを下院に提出した。「Fast Fashion and the Uyghur Genocide: Interim Findings」(ファストファッションとウイグル人虐殺:暫定的な知見)という刺激的なタイトルで、中国の激安アパレルEC「SHEIN」はウイグル人を強制労働させた綿を使って製品を製造していると指摘したものだ。この中で、Temuについても触れられ、デ・ミニミス・プロビジョンを悪用していると糾弾されている。 2022年には、6.85億個の荷物がこの特例を受けて米国内に輸入されたが、そのうち30%はSEHINとTemuなどの中国の越境ECによるものだったと報告書は指摘している。 つまり、SHEINとTemuが低価格で販売をできるのは、関税を逃れているからで、この800ドルという額を引き下げる必要があるという主張だ。
TikTok排除に成功した米国。次は、激安アパレルのSHEINと激安ECのTemuがターゲット - 中華IT最新事情
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lilgurlcollins · 13 days
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読書記録
世界一しあわせなフィンランド人は幸福を追い求めない
Frank Martela
フィンランド人の生き方についての本かと思って手にとったけど、全然フィンランド人の話じゃなかった🤦🏻‍♂️💦。(作者がフィンランド人っていうだけだった)
人間はとにかく人生に意味を見出そうとする。幸せを求めようとするが、幸せを求めると幸せにはなれなくて、今あること、身近なものを幸せと感じる気持ちが大事。
人は、自分が何かしてもらったことよりも、誰かに何かをしてあげた方が幸福度が高まる。自分でもそう思う。
普遍的な人生の意味はなくとも、人生を意義深く生きることは可能であり、自分が他人にとって意味がある人間になればいい。自分の存在が他人にとって意味があると感じられたとき、人は自分の人生に価値を見出すことができる。
自律への欲求(自分の人生を主体的に生きられているか)
能力への欲求(能力を発揮できているか)
関係への欲求(家族や友人と豊かな時間を過ごせているか)
慈悲への欲求(社会や他人の役に立っているか)
この四つは幸福度を高めるのに大切な要素だそうで、確かにどれも欠かせないな…と納得。
1の「自分の人生を主体的に生きる」というのは、経済的に、精神的に自立してれば成り立つものではなくて、自分で吟味して自分で定義したものさしで生きること。(ってたぶん作者は言いたいんだと思った)
日常の些細なことに目を向けて、相対的ではない自分だけの価値体系を構築することは、頭では理解できても実践が難しい。「劣等感は優越感の裏返し」という言葉に最近出会って、最初はどういう意味かよく分からなかったけど、この本を読んで、少し気づきがあった。
劣等感も優越感も根本は同じで、比較という土台から生まれている感情。比較の世界にいる限り、自分の価値は相対的で、上がったり下がったりの繰り返し。相対的ではなく、自分で定義した、自分だけの価値体系を構築できたら、世間が作り出した成功の基準を盲信することなく、振り回されることなく、自分の人生を主体的に生きられるということだと思う。多分。
健康であること、人から必要とされていること、成長を感じられる刺激があること、良好な人間関係であること、が私の中でブレない幸福のための条件だったけど、この本でいう「自律」を早く手に入れたくなった。なんでか分からないけどモヤモヤする〜って時にちょうど良い本だった。おすすめ。📚
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leomacgivena · 4 months
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ライドシェア、確かにあったら便利だし日本で車持ってない僕なんかは解禁してほしいと思うんだけど、些細なトラブルがあった時に「まあタクシーじゃなくてライドシェアだからそういうこともあるか」と日本の消費者が耐えられるかというと耐えられないと思う。
Xユーザーの野瀬大樹さん
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kaoriof · 1 month
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦っ���り安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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sick-2nite · 3 months
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よろめく
最近は低気圧不調で頭痛と目眩、ふらつきで困っている。いつからこんなに気圧に弱くなったのだろうか。年齢を重ねて弱くなったのか現代の気圧の変化が酷いのか分からないけれど、梅雨という季節は常にダウンしていて、とても過ごしにくい。
マツエクを安定にバッサバサにしてもらって、サロンのお姉さんもアニメや映画が好きらしく先月オススメした王道のシュタゲの感想を聞いたり映画の話をしたり趣味が合うのでとても心地良い。私はネイルもマツエクもこのサロンにしか行ったことがないけれど、検定1級の人しか居ないサロンなので今更安いお店に変える気にならない。通っている所はネイルもマツエクも凄くもちが良くて流石だな、と感心している。
そういえばサロン専売品のコーティング剤と安いコーティング剤は何が違うのか全く分からず、何となく専売品を使い続けている。今使っているのがなくなったらどっちにしよう。こういう所で優柔不断が出てくる、困ったものだ。クレンジングも専売品を���っていてこれはリピートしようと思うのだけど、やはり疲れている時には水クレンジングが一番楽で、摩擦が怖いので本当はあまり使いたくない水クレンジングの出番がつい多くなってしまう。
やはり女にとっての武装はマツエクだったりネイルだったりメイクだったり、そんな些細なことで少しだけ自分に自信が湧く。身なりを綺麗にすると強くなった気がする、所作に気をつけるだけでいい女になった気がする。そんな単純なことで喋り方も性格も変わってくるんだよね、不思議だけれど。
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asagaquru · 4 months
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青色のパーカーを着て、ブルーの自転車に乗る。横断歩道が青信号になるのを待っていると「あら素敵なお姉さん」と声をかけられる。年配の女性と信号が変わるまで話す。「良い日をお過ごしくださいね」と言ってペダルを踏み始める。
彼女が言うほど、私は素敵じゃない。ずっとなんだか悪いことが起きるような気がしている。病床に臥してもなお、明るく振る舞う患者を見て「これ以上この人を苦しませないでくれ」と思う。寛解という言葉は、完治とは違う。疾病の猛威というのは音もなく背後に立っている。風に捲られる本のページのように病勢は一気に進行する。恐ろしい。涙ながらに子の話をする患者の手を握り、一緒に祈ることしかできないのがもどかしい。苦しみの時に隣にいてほしいのは家族であるのに、毎日顔を合わすのは他人の私であることがもどかしい。病気とうまく付き合う心って、できる日もあればできない日もある潮の満ち引きのような毎日だ。いつか私も病に臥したとき、出来るのだろうか。本当の意味で彼女たちの苦しみを理解できるのは、自分がそうなってからなのだろう。我が身になってみないとわからない。けど、わかろうとし続ければいけない。全部はわからなくとも、癒すことはできるのだろうか。
しばらく日記を書いていないと、毎日を漫然と過ごしてしまって、心が燻んでしまうような気がしてしまう。日記にするのは大抵日々の忘れたくない事柄で、なにをトピックとするかは心の在り方でだいぶ変わる。人生でたった一度のプロポーズみたいな日じゃなくとも、些細な1秒を覚えていたいと感じるのは心が澄んでいる証拠。そう在ることができるような生き方をしていたいのだけれど中々難しい。
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lllusioninthehead · 5 months
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奥さんの友人夫婦と飲んでいる。
9つも下の人たち。4人で飲むこともあれば、先日は旦那に誘われて2人で飲むこともあった。
ちょっと面倒な瞬間はあれど、まぁ普通に話せるやつだし、年相応の抜けきらない若さみたいなのがあって、こういうのあったなぁと自分の若い頃と重ね合わせたりもしていた。
いま、つまりこの瞬間のカルチャーで言えばきっとこの子たちの感覚が近いのだろう。アニメやSNSや配信動画や韓国文化が常態化している。個人戦の時代だなと思う。もう、国は発展しない。地はせり上がらない中で個人の裁量で頑張ってください。となった時代の人たちだ。
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最近した夫婦喧嘩の話になり、うちの夫婦はあまりそういうのをしないので、どちらかと言えば聞き手として頷きながら酒を飲んでいた。
よくあるやつで、片付けをしていないみたいな些細なところから発展して、奥さんが出ていくまでになったとのことだった。結局は追いかけたそうだが。
「向こうに小言いわれて出てけって怒鳴ったんですよ」
そしたら、本当にスーツケースに荷物まとめて出ていってしまって焦りました。
反省も含めた笑い話にしてるような雰囲気はあったものの、「この人はいざとなると怒鳴ったりする人なんだなぁ…」というがっかり感。すっと興味がなくなる感覚があった。
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誰に対してでも、恫喝や暴力に訴える時点で人間性を疑うし、相手へのリスペクトに欠ける。
そんな人と甘噛みし合いながら楽しく会話なんてできないだろう。どこに地雷が埋まっているのかわからないのだから。
まぁ、ちょっと過剰に嫌悪してしまうのは実の父親がそういう人だったからだろうな。母が恫喝され、時には暴力を振るわれて泣いているのをよく見た。子供の時の無力感も思い出される。昭和の男なんてだいたいそうか。
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lastscenecom · 9 months
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「バイクシェディング(自転車置き場)」 パーキンソンの些細性の法則としても知られるバイクシェディング(自転車置き場)は、重要なことを放置し、つまらない事柄に不釣り合いな時間を費やす傾向を表します。 私たちは結局、些細なタスクに時間を費やしすぎて、全体的な計画の中でより重要になる傾向にある、より複雑なタスクを完了する時間がなくなってしまいます。 たとえば、その日のやることリストにスーパーに行くこと、洗濯物をたたむこと、納税申告書の提出が含まれている場合、食料品の買い出しや洗濯物をたたむことは簡単で単純な作業であるため、より多くの時間を費やす可能性があります。納税申告書の提出が始まる頃には、時間はほとんど残っていない。 バイクシェディングという用語は、割り当てられた時間を埋めるために作業が拡大するというパーキンソンの法則で最も有名なイギリスの海軍史家シリル・ノースコート・パーキンソンに由来しています。 たとえば、実際には 30 分しかかからないタスクに 1 時間を割り当てたとしても、そのタスクは結局 1 時間かかるタスクと同じ複雑さを持つことになります。 パーキンソンの自明性の法則は、組織内で問題を議論するのに費やされる時間は、物事の全体像における実際の重要性に反比例すると述べています。言い換えれば、問題の重要性が低いほど、それに費やす時間が長くなります。 パーキンソンは、議題として次の 3 つの事項が含まれる財務委員会の会合を想像してほしいと呼びかけた。 1.1,000万ポンドの原子力発電所の提案 2.£350の自転車置き場の提案 3.年間コーヒー予算 £21 の提案 このような複雑な問題について国民が意見を表明するのは非常に難しいため、同委員会は最初の提案を先送りするつもりだと示唆した。 委員会はすぐに自転車置き場に関する提案に移り、原子力発電所よりもはるかに多くの時間を議論に費やすことになる。 最後に、3 つの提案のうち最も単純なものとして、コーヒーの予算についての議論に最も多くの時間を費やすことになりました。 この例により、パーキンソンの自明の法則はバイクシェディング(自転車置き場)として知られるようになり、今日ではこの用語がより一般的に使用されています。
Bikeshedding - The Decision Lab
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petapeta · 1 year
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インプットをやめるな。死ぬぞ。大きく出た見出しだけど、やることは些細で良いと思う。雑誌、中吊り広告、Webサイト、ネット記事、どんな些細な事でも読み込んでみること。あなたがデザイナーなら読み込んで、咀嚼をする。例え、忙殺されていたとしても、気分転換を兼ねて読み込んでみても良いと思う。そして少しでも「アウトプット」をすること。実際にデザインをおこせ、とかじゃなくて、インプットした記事に対しての自分なりの着地点を話すくらいは出来るようにしておく。料理もそうだけど、レシピだけ覚えただけで、美味しいものが作れるとは限らない。例えばセンスによって1回目で美味しく作れたとしても、美味しく作れた理由を「センス」で片付けていると、何度も同じものを作る、別のものを作る時に味が落ちていく可能性がある。これはその人のなり、立場、価値観によって違うことだと思うけど、「センス」というのは何をインプットするか、そしてそのインプットによって、選択や選別をする時に「どれにするか」なのかもしれない。今思えば、Nさんが会社を辞めたのはセンスの枯渇だったり、直近の仕事面の悩みとかではなかったのかもしれないけれど、少なくともこの一連の出来事は、僕自身の強い学びや戒めになったのは間違いない。
デザイナーとしての「ゆるやかな死」|モンブラン|Designer × VTuber
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donta-l500s · 4 months
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うまく言えないけど、「明日旗当番」みたいな緊張感がすごい苦手。旗当番は全然好きやけど、忘れたらどうしようとか、会社遅刻せなあかんこととか、そういう小さい心配がもやもやぐるぐるする。こんな些細なマルチタスクでいっぱいいっぱいになってしまう、情けない。
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psyetz · 10 months
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心の動揺をどうにか鎮めたいとき、その場ですぐにできる方法があります。それは、“自分の心を落ち着かせる言葉” を唱えるというもの。
(中略) 怒りを感じたときは相手に反論するのではなく、たとえば心のなかで「大丈夫、大丈夫」「気にすることじゃないよ」「ドンマイ」「落ち着こう」などと、自分の気持ちを落ち着かせる言葉で、自分自身に語りかける。 上記のような言葉をコーピング・マントラというのだとか(コーピング=切り抜ける、マントラ=呪文)。自分の心を落ち着かせるなら、どんな言葉でもいいとのこと。大切な人の名前を繰り返しつぶやくのもいいそうです。
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kennak · 17 days
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文部省国語審議会(文科省に改称)の外国表記規則では、英語の -er, -or 語尾は「ー」を付けて長音表記するのが以前から正式なのですが、JISが「ー」なしの工学系自然科学系の用語の短母音表記を認めたため、家電製品やコンピューター用語に「ー」なしが広まり、日本語が混乱する原因となっていました。 JISは、文科省と関係なく独自に漢字規準を設けたりしています。このように、文部省と違って実用面に即した規準を作ることは、IMEの開発などに多いに役立ったのですが、この「ー」の有無だけは余計なことをしたのです。そのため、ティーチャー、アナウンサー、ゴールキーパー、ミキサー、トースターのような日常語は長いままなのに、コンピュータ、プリンタ、コンデンサ、メモリ、レジストリ、ユーザ、アダプタなど、工学系、コンピューター用語は語末が短いという不統一が日本語に生じてしまいました。 こんな「ー」なしを認めたのは、昔の技術屋が、英語では長くないんだというような半端な知識で、どうしても長くなるカタカナ用語を少しでも短くしたいという意志が働いたものだと思われます。しかし、parameter は英語では パラーミタ であって、パラメータ でも パラメーター でも、そもそもアクセントが違っています。ドイツ語なら パラメーター と長いのが基本です。 ところが、去年、マイクロソフトがユーザー(ユーザ)からの問い合わせに反応して、これまで「ー」のなかったコンピューター用語に、文科省の規準(=新聞、放送の基準)のとおり「ー」を付けることに変更することを表明しました。 詳しくは、ここ(パラメータも一覧にあり): http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=3491 これがまた業界に混乱をもたらしています。例えば、このキャノンのプリンターのページ: http://cweb.canon.jp/satera/lbp/index.html 「プリンター」とタイトルにあるのに、レーザープリンターの製品表示が「レーザプリンタ」で、プリンターとプリンタが混在しています。 しかし、マイクロソフトの影響力は大きいので、コンピューター用語は「ー」ありになっていくと思います。工学自然科学系専門用語にもある程度影響が出るでしょうが、専門用語は混在・不統一という日本語の乱れが続くでしょう。
「パラメータ」と「パラメーター」について - 本当に些細なことですが、気にな... - Yahoo!知恵袋
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poetohno · 7 months
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第二章詩集1-5 日記詩集1-5 返答詩集1-5 おまけトーク(不完全な自分をどう許すか)
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「春の陽 冬の跡」
木洩れ日きらきら 樹の葉がさわさわ 雪解け水が流れ始める
紅 茜 金色 移ろう時 全て花のよう
空に散りばめた十二星座
時は短いから 寂しくても 愛しくて 悲しくても 微笑んで 泣いても 陽は登る
風がさらさら 雲がふわふわ 春がもうすぐ来る
時の移ろいは 絹のような 川のよう 翡翠 空色 眩い白
優しさと喜び 悲しさと怒り 楽しみと待っている未来
待っていて 春風が明日を連れてくる
思い出した想いに季節が重なり 夏 秋 冬が廻る 一日の中にさえも一年が巡る
春は何度でも巡り 花は何度でも咲いて 光は何度でも訪れる
「人生が贈り物だとしても」
誰かの言葉を信じて 必死に思い込む 無理をしているから 心のどこかで醒めている
現実を無視して 前向きな言葉で塗り固めても 些細な矛盾で剥ぎ取られてしまう
心は知っている 偽りでしかない
救いを見出しても 未来を見つめても 許しを願っても
誰も答えない 生きることは辛いまま 苦しみは置き去り
信じたいのに 本当は信じるのが怖い
だからせめて 揺らぎながらでも
――今は 握りしめている
「星 煌めき 星座」
今まで歩いてきた道を 朝と夜の間で走った 彼方と日常の隙間に見えた物 掴んでは溢れて 零れては失って
彼方の星を目指して 雲に隠されて探し歩く 流れ星を追いかけたら消えて 月明りに目が眩む
暗闇に躓いて 転んで 光の差す方へと立ち上がって 雨に打たれて 泣いた
起き上がれなくなって 仰向けになって 見上げた空に 空いた穴 雲の隙間から零れそうな 星の光
足を踏み外して 転がり落ちる 微かに見える 遠くの頂 手を伸ばすだけ
野原に寝転んで 風に吹かれて 口ずさむ 光に目を細めて 耳を澄ませて 草が歌う 涙を零して 泣くように眠って 夢を見る
拾ったものが 宝石になって煌めいて 光を散りばめたら 道を照らした 全て集めれば 星になって輝く
目を開けて 見上げた空に 星座を描く
いつか心に 繋がるように
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