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#中国青銅器展
kenzizi · 2 years
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#泉屋博古館 #中国青銅器展 #六本木 (泉屋博古館東京) https://www.instagram.com/p/CoKSQefvrdn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 2 months
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2024/7/24 13:00:06現在のニュース
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catonoire · 2 months
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「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」展
大阪市立東洋陶磁美術館で、リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」を見る。惹句にあるように“オールスター・珠玉の約380件(国宝2件、重要文化財13件含む)”が揃った、なんとも贅沢な特別展である。全面的に撮影可能。無料のアプリをダウンロードすれば音声ガイドも聞ける(書き起こしもあって文字でも読める)。
また、美術館の公式サイトでは収蔵品画像オープンデータが公開されており、この展覧会に出品されている作品も参照することができる。さらに、公開されている画像は“当館への申請が必要なく、自由にダウンロード、複製、再配布することができます。例えば出版物やウェブサイトへの掲載、講演会等でのスクリーンへの投影、テレビ番組での放送、販売商品への印刷など、営利・非営利に関わらず利用が可能です”とのこと。でも、公式画像は美しいけれども展覧会の臨場感(?)が出ないので、いつもどおり自分で撮ったしょぼいスマホ写真を載せることにする。
展示は全部で13のパートに分かれており、それぞれに格好良さげなタイトルがついている。
1 「天下無敵(てんかむてき)-ザ・ベストMOCOコレクション」
この展示室では陶磁器と六田知弘の写真作品《壁の記憶》との取り合わせが楽しめる。《壁の記憶》は写真家が世界各地で撮った壁の写真のシリーズのようである。展示風景はたとえばこんな感じ。
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このようにコーディネートされており、意外性もあってなかなかよかった。上の赤い写真作品の壁はベネチア(イタリア)、下の白っぽいのはサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)。
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展示室から展示室へと移動する途中に特別あつらえらしい展示ケースがあり、国宝の油滴天目が鎮座していた。たしかに美しいが、正直なところ自分の好みではあまりなく、油滴天目なら以前別の美術館で見た別のもの(もっと油滴が細かくて繊細に光る感じ)のほうが好みだったなあと思い出すなどした。
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2 「翡色幽玄(ひしょくゆうげん)-安宅コレクション韓国陶磁」
青磁好きにはたまらない展示室。あれもこれも全部青磁、もちろんクオリティも高い。
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3 「粉青尚白(ふんせいしょうはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
下の写真の3点は日本では三島とか三島手と呼ばれるタイプの焼き物。三島は朝鮮半島製のほうが日本のより圧倒的に良い出来で、とても好き。
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そして次の3点は粉引の瓶。日本の茶人などの間で好まれたタイプで、たしかに良い風情である。
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4 「清廉美白(せいれんびはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
《青花 草花文 面取瓶》。日本では「秋草手」と呼ばれる文様。面取の具合も文様も端正で美しい。
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《白磁 角杯》。遊牧民族が酒などを飲むのに用いていた角の形の杯を模したもの。王室用の白磁らしく、品がある。
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ロビーの展示ケースにあった、ルーシー・リー《青ニット線文鉢》。
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これもロビーにあった、《青花 虎鵲文 壺》。18世紀後半、朝鮮時代の作。ここに描かれた虎が美術館のキャラクターに採用されて「mocoちゃん」と呼ばれることになった。MOCOは美術館の英語名の略である。
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6 「優艶質朴(ゆうえんしつぼく)-李秉昌コレクション韓国陶磁」
《青磁象嵌 雲鶴文 椀》。象嵌技法にすぐれた一品。釉薬の貫入がまったくないのも特徴。
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《白磁鉄地 壺》。下半分はちょっと見には焼き締めのようだがそうではなく、鉄絵具を塗ったもの。16世紀朝鮮時代の作だが不思議と現代的に見え、たとえば「ルーシー・リー(あるいは誰か他の現代の陶芸家)の作品だよ」などと言われたらつい信じてしまいそうである。無理を承知で言うならこれはうちにも欲しい。
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6 「陶魂無比(とうこんむひ)-日本陶磁コレクション」
中国や朝鮮半島の優品を見てしまうと、日本の焼き物は正直かなり見劣りしてしまう。悪くないものはあるのだが、ほうっと溜め息をついたりつくづく感心しながら眺めるようなものはなかなかない(好みの問題かもしれないが)。そんな中で自分の目に留まったのはこれ。料理が映えそうなデザインで、実際に使ってみたいと思った。
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7 「陶花爛漫(とうからんまん)-李秉昌コレクション中国陶磁」
このパートに展示してある作品��、古いものだと新石器時代ごろまで遡る。中国文明の先進ぶりを目の当たりにして恐れ入る。この下の美しい白磁の杯も、さすがに紀元前とまではいかないが隋の時代(7世紀)の作。高台に釉薬が溜まって緑がかって見えるのもチャームポイント。
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8 「喜土愛楽(きどあいらく)-現代陶芸コレクション」
現代の作家の作品がロビーにいくつか並んでいた。下の写真は金子潤《2フィート・トール・ダンゴ》。ガラス張りのロビーだが、作品の背後には薄手のシェードが掛けてあった。
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9 「明器幽遠(めいきゆうえん)-安宅コレクション中国陶磁」
MOCOのヴィーナスこと《加彩 婦女俑》。自分がお目にかかるのはこれで2度目である。360度回転する展示台にお乗りあそばされている。
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こんなふうに回っておられる。
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後ろ姿のなんと優美なことか。
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《黒釉刻花 牡丹文 梅瓶》。白化粧をした上に黒釉をかけ、黒釉を削り落として文様を表現する技法(掻落し)で作られたもの。掻落しで自分の好みに合うものはあまり多くないのだが、これは堂々とした存在感でひときわ目を引いた。
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《木葉天目 茶碗》。本物の木の葉(桑の枯葉)を焼き付けて作られた天目茶碗。加賀藩前田家伝来とのこと。
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10 「天青無窮(てんせいむきゅう)-安宅コレクション中国陶磁」
点数は少ないが、うっとり眺めてしまうようなものばかり集めた特別な室。
《青磁 水仙盆》。これは以前この美術館を訪れた際にも見たので、またお会いできましたねと声をかけたくなった。宋の時代に宮廷用の青磁を生産していた汝窯の逸品。美しいが、これよりもっと素晴らしいのがこの世に存在している(台湾の故宮博物院が持っている)というのもまたすごい。
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国宝《飛青磁 花生》。自分のスマホ写真では到底うまく色を再現できないのが残念。
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この特別な展示室では自然光による採光がなされているのが大きなポイント。青磁の微妙な色合いをよく見ることができるとされる。
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11 「皇帝万歳(こうていばんざい)-安宅コレクション中国陶磁」
中国の皇帝の身辺を彩るにふさわしい、文様が華やかだったり色鮮やかだったりする作品の多い室。
《釉裏紅 牡丹文 盤》。銅顔料が使われており、たまたま中央部の牡丹の花のところだけ赤っぽく濃いめに発色したというのがおもしろい。
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抹茶色が特徴的な《茶葉末釉 双耳方形瓶》。茶葉末釉は個人的にそれほど好きな色ではないのだが、これはとても出来が良いように見えて印象に残った。
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12 「百鼻繚乱(ひゃくびりょうらん)-沖正一郎コレクション鼻煙壺」
いわゆる嗅ぎタバコ入れが勢ぞろい。下の写真はほんの一部である。
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この虫づくしのはどこか現代的な感じがする。とてもいい。虫好きな人がこぞって欲しがるのではないか。自分も欲しい。
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13 「泥土不滅(でいどふめつ)-現代陶芸コレクション」
現代の陶芸作家の作品がいくつか展示されていた。これは星野曉《表層・深層》。
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併設のカフェには「陶片クッキー」なるメニューがある。これは注文せざるを得ない。作家がひとつずつ彩色(アイシング)を施しているというから凝っている。ふたつとも涼しげな色合いなのは、もしかして夏だから? 海や水辺をイメージしたとか? 別の季節にも行ってクッキーの色合いを確かめてみたい。なお、味のほうはいまいち口に合わなかった……惜しい。
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philogic-z · 1 year
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聽歌時有趣的對比
【本文採用的歌詞翻譯與參考資料】 一、中惠光城x ABSOLUTE CASTAWAY - 恋歌宣誓- he277301的創作 二、「新女性」和「職業婦女」的盛世──日本的大正時代 三、Dandelion Girls, Dandelion Boys (蒲公英少女,蒲公英少年) (中文翻譯) – Mili | Genius Lyrics
【正文】 今天搭車時,腦中突然浮現一首我很喜歡的旋律,不禁讓我在公車上重新回味那首歌。然而,就在細細品嘗完歌詞後,我卻不禁為主角間那壯闊的愛情感到動容。有趣的是,當我深思整段故事與音樂想要呈現的意象與年代,發現它雖然與另一首歌傳達的情感(兩人之間)是相同的,在情緒上卻是截然不同。 說了這麼多?到底是哪兩首歌啊?這就來上歌曲!
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▲這是我提到的第一首歌:《恋歌宣誓》中恵光城
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▲與前者的情緒完全相反:《Dandelion Girls, Dandelion Boys》Mili
【恋歌宣誓】 我們先從《恋歌宣誓》開始講起吧,這首歌的一開頭便是軍樂一般的小鼓,而後又隨著銅管樂的聲音,整個樂曲變得激昂。整個歌曲的第一、二句歌詞,歌手也是以充滿勇氣的嗓音唱出: 一私は、嗚呼 自らの心を信ずる自由を有する。 一則,頑信本心之自由為我所持。 一私は、そう 貴方への想いを貫く自由を有する。 一則,思慕於您之自由屬我所有 這兩句歌詞,我不確定是男女對唱(角色上)還是女主角獨唱,但無論如何,這兩句歌詞以這樣強勢的嗓音唱出,似乎在與對方說:「我並非得依附於你才能有所價值,我有自由與決定的權利,但我的選擇就是你。」這樣的氣氛恰恰與開頭那滂沱的氣勢相對應,用這樣武勇、直接的方法表達愛意。甚至,縱使妖魔鬼怪、王侯將相都不能阻擋: お偉い法も役人も 何人たりとも触れやしない。 通法大道,官貴權吏,莫能篡乎此心 善人ぶった悪魔などに、私の権利を冒せやしない。 仁人善友,魑魅惡徒,莫可犯於此權 這四句歌詞,似乎特別強調「不可阻擋的自由」、「不可侵犯的權利」,如果將這首歌的風格配上日本歷史,或許能發現似乎與大正時期有些相似。在大正年間,曾因「倒幕運動」......好吧,我不想變歷史課。簡而言之,大正年間因為在政治上「相對」自由一些,且經濟較為蓬勃,所以一些新的思想也跟著現代化的設施與生活型態開始出現,而女性也開始慢慢進入勞動市場(雖然這點到昭和年間似乎就沒了)。同時,雖然不是主流,但也出現了「戀愛自由」的聲音。我在想,這前四句歌詞或許就是在闡述這樣的歷史背景。 一私は身命を賭して お国を守ると誓います 一則,我於此誓,賭上此身此命,守域衛疆 一私は忠誠と勇気を お国へ捧ぐと誓います 一則,我於此誓,必將盡忠竭勇,拱護家國。 愛しい君を守る為 君への想いを断ち切ります 為保護心愛的你,我將揮斬情絲。 到了昭和年間,種種背景因素與事件導致軍國主義的聲勢開始越來越強大,輿論的導向也開始向此靠攏,再加上既有的民族主義,形成了一種奇異的混合體。縱使情感上千百般不願意,只有保衛國才能保護家,所以縱使愛著伊人,卻仍選擇了斬斷情絲而從戎。 慷慨激昂的愛情,在樂曲的最後以一聲汽笛作為休止符。結尾的鼓聲除了像軍樂,和著汽笛聲一起聽總有種火車正駛離的錯覺。故事中的男主角為了守護心愛的加國而選擇從軍,守候在原處的女主角則萬般思念。隨著駛離的汽笛聲與轉動的車輪,這首歌驟然的結束了,或許這就是一種日式的、大正/昭和式的浪漫吧!
【Dandelion Girls, Dandelion Boys】 如果先看封面,我們會看到熊熊烈火中互擁的兩人,以及在下方孩提時歡樂的他們。兩人的服裝穿著和服,由此推斷兩人或許是日本人。 在音樂的一開始,先是一段提起而往下沉的鋼琴聲,隨後鼓聲進入帶來脈動,再來一段人聲的和聲。然而,背景的鋼琴聲卻沒有因此而激昂起來,依舊保有一種前途茫茫、提心吊膽的感覺,整首歌曲就在這樣的氣氛下進行。 Congratulations, you've been chosen. Here's a pistol matching your mittens. I thought to myself "it doesn't suit you at all" 恭喜你被選中了,少年 獻給你這把與你手套顏色搭調的手槍 我心中默語 「那東西完全不適合你」 在MV的畫面中,第一段歌詞顯示在畫面右邊,即靠近畫面中女生的位置。到了第二段,歌手的聲音變得低沉,歌詞也轉而顯示在畫面左邊——靠近男生的位置: (這邊以藍色代表少年,紅色代表少女,紫色代表兩人合唱) I shall carry on all this weight Leading me through the way Was your cherry blushing face If it meant that you could live your life again I'll gladly give mine in Carrying hope, you sailed away 我來背負這一切重負 為我指明道路的是你那如櫻桃一般羞澀的臉頰 只要你能夠繼續過你的生活 我樂意放手我的 身載希望 你出港離去 通過這兩段主歌,我們可以知道歌曲中的兩人或許也是一對戀人。原本他們正處在青春年華,少年卻被「選中了」而被賦予一把手槍。如果配上MV的背景畫面做解釋,那或許就是被迫從軍了。少年雖說願意為了讓情人能維持日常生活,而自願放棄自己的生活,但又有誰知道這是出自真心或無奈呢?從Mili之前的《Salt, pepper, birds and thought police》中,我就有觀察到他們在處理這種緊張場面時,歌詞間常常就是接續發生的事情。也就是說,少年這句話是接在「獻給你這把手槍」之後,來通知他「被選中」的人或許就在身後。但無論是真心還是無奈,少年的語句中透露出少女是他的一盞明燈,是他在黑暗中唯一能指引道路的標的。 在最後一句「身載希望,你出港離去」的節奏明顯放慢,雖說可能是個過度之類的做法(音樂術語我不太懂),但卻帶來了揚帆出港與海上漂泊的意象,就像波浪一樣的輕柔緩和卻力大無窮,同時也展現出了少女對他的擔憂與無奈。 Whose tears salted the waters Keeping you up afloat from the ocean bed? Secretly, secretly I prayеd for a storm to set you back Whose fault is it That our seeds have sprеad too far Leaving us nowhere to bloom? Yet the dandelions grew 從海底支撐你 那勺使你浮於海面的鹽是誰的淚水? 悄悄地 悄悄地 我拜託暴風卷慢你的步伐 隨地播撒太多種子 那個終將使我們無處綻放的行動是誰的過錯? 儘管如此 蒲公英們只能繼續成長 其實在這段我有些疑惑,副歌第一句中,少女向少年提問「是誰淚水中的鹽讓你浮在水面」,代表有人正在為少年而哭泣;後一句,少女又希望風暴能夠拖慢他的角度。配合上前面少年從軍出海,表示說少女並不希望他這麼快就抵達目的地——戰場。我想對於戰爭時期的日本人而言,應該所有的戰場都在列島之外。一旦軍人搭上離開列島的船隻,就代表奔赴戰場。 No more airplanes to fly, ships to sink Stuffing my plywood swimming coffin To ocean, the railway extends Over the sea, that'll be where I'll proudly be expensed 已沒有可飛的機械 也不剩下可被擊沉的船 裝填這由木板拼成的屬於我的遊動棺材 鐵道延伸入海底 這片海洋的對面一定是我註定驕傲獻身之地 已經沒有任何的飛機與船隻了,少年只剩下一片木板(Plywood,即俗稱的三合板)作為他載浮載沉的棺材。儘管如此,他依舊相信海那端的戰場是他獻身之地,使他驕傲與榮譽。 從這段主歌的前半段,我們可以很輕易地發現少年的軍隊似乎處於極度的劣勢,無論是飛機或船隻似乎都沉沒了,他也只能靠著木板浮在水面;至於後半段,除了那句「鐵道延伸入海底」我還真搞不懂什麼意思,只能猜測是暗示船的甲板,另一句則讓我覺得,少年似乎還依舊相信他將能夠在海對面的戰場與敵軍一決生死。 From up there, we must not look human anymore Another stage to premier your force On those monitors Are we just a little piece of white fluff? Blown off onto the floor With a white cloth on your back You returned to me at last 從那麼高的地方來俯瞰 我們肯定已不再像是人 這裡已成為可供你們露手顯威武的舞台 監控器上的我們是否只是一小朵白色的毛絨? 輕輕一吹就倒在地上 身裹白布 你終於回到我的身邊 在這裡,視角回到少女身上。只是,他所說的「那麼高的地方」到底是指什麼呢?我認為這可以從後面的「監視器」來解釋。在喬治‧奧威爾的《1984》中有所謂的「電幕」,其實就有點像是今日的監視器,而負責這些畫面的,就是所謂的思想警察。如果將這兩者結合,或許我們能認為「這麼高的地方」,指的或許是政治上的階級。在上位者,尤其是位處「那麼高的地方」的人,很難看清底下的一舉一動,最有「效率」的方法似乎就是通過監視器了。然而通過一層畫面來觀察別人,是否真的能夠體會他們的感受呢?還是觀察者早已不把他們當��是人,而是一朵脆弱的白色蒲公英?這是少女對於「上面的人」的評論,然而他能夠見到的,就只有裹著白布回來的少年——少女再也不可能見著那滿懷希望出航,心中愛著他的少年了。 Whose child was I dreaming to pierce Through the unworn tip of my bayonet? Whose life have I decided Was less worthy of respect? Whose home did I hope to reach As I tighten the screws on balloons in lead? Whose future was lost in pursuit of mine?Yet the dandelions ate, slept, and grew The truth is, the world isn't so small We need to step on each other But I know even if it's only the two of us Even if we have everything (Everything in our hands) Still, we'd fight until our last 手拿這把仍然嶄新的刺刀 那個我連做夢都想戳穿的人是誰的孩子? 根據我的獨斷沒有價值 那條不值得被尊敬的命是誰的一生? 擰緊螺絲釘 那座我祝願鉛制氣球能夠接觸的建築是誰的家園? 只為我能夠追夢 那些被消滅的夢想是誰的未來? 儘管如此 蒲公英們只能吃飯睡覺 繼續成長 其實我們不必相互踩踏 世界並沒有那麼渺小 但我知道 就算這世界上只剩我們兩人 (就算我們擁有可供我們擁有的一切) 我們一定還是會互相爭奪到底 你眼前的那些敵人,你恨之入骨的那些敵人,你做夢都想要刺穿的敵人,他們又是誰的孩子?誰的兄弟姊妹?誰的家人朋友呢?他們真的沒有價值嗎?又是誰為他們訂的價呢?那些炸彈毀的又是誰的家園?又有誰的夢想未能實現,就魂斷異鄉呢?戰爭到底都讓人們做了些什麼? 少年與少女給出了一個夢想,一個不用互相踐踏的,廣大的世界;然而,他們(又或者是作詞者?)也認為,縱使我們衣食無缺,也無可避免互相踐踏。換句話說,總是我們滿足了一切,終究還是會與他者相互爭吵,起紛爭,最終相互踐踏。儘管我們知道戰爭讓我們做出了許多難以理喻的惡行,但我們依舊不會停止戰爭;縱使世界上只剩下兩個個體,這樣的行為依舊不會改變。少年少女在這首歌中給了我們一個對未來的負面想像,也給了我們對於戰爭、對於爭奪的反思。
打了這麼長一篇文,終於要來講講結論了。簡而言之,《恋歌宣誓》與《Dandelion Girls, Dandelion Boys》都是一對愛侶在面對戰爭時的表現,但《恋歌宣誓》表現出的是為了守護一切的決心;《Dandelion Girls, Dandelion Boys》表現出的卻是他們在面對戰爭時的錯誤與悔恨。兩組情人都彼此相愛,可是卻有著不同的情緒:前者是充滿熱忱,後者是充滿擔憂。但在兩首歌詞中,卻都不難看出雙方對彼此表達的愛意或關心,這也是為什麼我會說這兩首歌曲有著同樣的感情,卻有截然不同的情緒。
其實我覺得可以與《Dandelion Girls, Dandelion Boys》一同討論的歌曲還有很多,包括Motörhead的《1916》、wotaku的《この戦争が終わったら》,甚至是新菜まこ的《戦線のリアリズム》等等與戰爭有關的歌曲都行。只是這次比較關注在愛情與戰爭之間的連結而已。 說真的,這篇打了我超久,休息!
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uro-9000 · 2 years
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島根県立古代出雲歴史博物館は出雲大社に隣接する博物館であり、国宝の青銅器419点を一堂に展示するなど、島根県や出雲地方の歴史や文化を広く紹介しています。中でもぜひ見ておきたいのが中央ロビーにある直径約3mの宇豆柱(うづばしら)。これは出雲大社の境内遺跡から発掘されたものであり、古代出雲大社の高層神殿を支えていたものと言われています。また、出雲地方に伝わる神話を分かりやすく展示した出雲神話回廊も必見。2階にある「Maru café」からの眺望も美しいのでぜひ立ち寄ってみてください。
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現代では、サロンと呼ばれる分野が
増えました。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3/
サロンの意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
サロンとは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。1 洋風の客間。応接室。また、ホテル・客船などの談話室。サルーン。2 ヨーロッパ、特にフランスで、上流階級の婦人が、その邸宅の客間で開いた社交的な集まり。3 美術の展覧会。4 美容や飲食などの接客を主とする業種・店舗につける語。「ビューティー―」 - goo国語辞書は30万5千件語以上を収録。政治・経済・医…
リンク
dictionary.goo.ne.jp
【goo辞書引用】
サロン【(フランス)salon】 の解説
1 洋風の客間。応接室。また、ホテル・客船などの談話室。サルーン。
2 ヨーロッパ、特にフランスで、上流階級の婦人が、その邸宅の客間で開いた社交的な集まり。
3 美術の展覧会。
4 美容や飲食などの接客を主とする業種・店舗につける語。「ビューティー―」
こういった説明がされています。
ローマの歴史の本を読んでいると、
知識人達が集まって交流する事を
サロンと言っています。
現代では、商業用の名称にも
使われています。
他にも、興味深い話があります。
【goo辞典引用】
サロン【(インドネシア)saron】 の解説
インドネシアの打楽器。木製の台の上に青銅の板を木琴状に並べたもので、槌 (つち) でたたいて奏する。音域により2~4種あり、ガムランの中で主旋律を受け持つ。
インドネシアでは、打楽器を楽器をサロンと
呼ぶと説明されています。
打楽器は楽器類の中でも、
『促す』という使い方が強い楽器です。
老若男女が踊りやすくする為、
打楽器の音楽で促す等です。
通常のサロンの意味と共通点があります。
通常の『サロン』では、
知識を持った方々が、
食事等をしながら会話します。
どんどん会話をして、
お互いの知識を深めていきます。
ローマのサロン等では、
会話が弾む様に配慮をする事を
求められています。
そういった事も出来る様になると、
一人前の知識人と認められる等の
雰囲気があります。
何時も有難うございます。
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museum-hunter · 4 years
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Mat Weights in the Shape of cheetah, bronze inlaid with gold, silver and gemstones. Excavated in the tomb of King Jing of Zhongshan in the WestHan Dynasty ( 202 B.C. - 220 A.D.). [西汉]嵌宝石错金银豹形镇,中山靖王刘胜墓出土。尺寸不及一握,却凶猛矫健,极富动感。 #博物馆 #博物館 #青铜器 #青銅器 #错金 #錯金 #考古 #中国文化 #中國文化 #传统文化 #傳統文化 #古董 #艺术品 #藝術品 #艺术 #藝術 #展覽 #展览 #摄影 #museum #exhibition #bronze #gold-inlaid #art #archaeology #antique #Chineseculture #photography https://www.instagram.com/p/B-0wuVIn6ad/?igshid=8s59j08i4np6
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jaguarmen99 · 3 years
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622 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2021/04/16(金) 13:03:55.74 ID:9SSiHJ3o中国は文革で品格方正な人を一掃しちゃったからなあ物理的にも論理的にも623 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2021/04/16(金) 14:55:00.47 ID:k59rSN1R>>622歴史が苦手なので、解るように教えて下さい643 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2021/04/16(金) 22:20:13.84 ID:WBLIhY2p>>623中国は文化大革命の際に、知識人や宗教人や文化人を反革命分子として弾圧した共産主義自体がこれら層を労働者の敵扱いしていて「泥と汗にまみれて働くのが尊い」て考えが根底にある伝統文化や伝統産業の従事者達も、旧王朝の庇護を受けていたからと迫害対象返還前の香港映画の「覇王別姫」は、中国文化を尊重してくれたのは日本軍で共産党は迫害して破壊する存在だった、て皮肉な現実が描かれている(なので現在は香港では視聴は困難な作品)654 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2021/04/17(土) 05:28:49.56 ID:Eo/UHGDK>>643日本人が中国のツボとか書とか画とかを結構持ってたから、今中国人が買い戻してるんだよね。655 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2021/04/17(土) 07:43:11.28 ID:QqAg4hn6>>654文化大革命の時に文化財は破壊対象だったんだよね反革命分子とされた層が持っていたから旧弊な社会の象徴として貴重な青銅器とか潰されて農機具とか、毛沢東の銅像にされたまた、文化財を目利きしたりメンテナンスする人も迫害粛清されたので技術が断絶文革後も貴重な書画をセロテープで補修するてのが国立レベルの博物館とかでも当たり前のように行われた(その後、香港や台湾に逃れた人を呼び戻したり、担当者を国外に留学させたりで今はかなりマシな状態に)昔、上野の国立博物館で中国と台湾の双方の故宮博物院展が開催されたが文化財の保存状態は素人目にも歴然とした差が有った
続・妄想的日常
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dainana-seagull · 4 years
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第��の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。 
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに���り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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2ttf · 12 years
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momijiyama1649 · 5 years
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ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕ア��ム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
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xf-2 · 6 years
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
 そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
 その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
 また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
 実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
 毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
 しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
 毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
 しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
 1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
 3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
 しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
 胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
 続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
 趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
 天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
 改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
 列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
 他方、愛国無罪が大��な「虚言」を蔓延らせる。
 日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
 内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
 秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
 また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
 施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
 20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
 なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
 このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
 こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供��交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
 問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
 明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
 わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
 指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
 2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
 数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
 「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
 「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
 逃げ回った挙げ句、通りに出た。
 「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
 「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
 彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
 男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
 「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
 隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
 こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
 余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
 豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
 豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
 手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
 酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
 「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
 「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
 酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
 私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
 読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
 本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
 臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
 月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
 その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
 拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
 日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
 近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
 勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
 旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
 米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
 清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
 死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
 この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
 攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
 復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
 歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
 この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
 旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
 しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
 「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
 「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
 これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
 少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
 上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
 こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
 そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
 中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
 これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
 北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
 盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日���の警備隊32人を含む)が惨殺された。
 居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
 午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
 8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
 また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
 1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
 しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
 事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
 都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
 その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
 「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
 「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
 殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
 加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
 通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
 天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
 同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
 加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
 筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
 しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
 南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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oniwastagram · 2 years
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📸吉田山荘 / Yoshida Sanso Garden, Kyoto 京都市の『吉田山荘』の庭園が素敵…! 6/6(月)までカフェ真古館で『山崎さおり 茶器展』、離れで『真砂三千代の茶衣 (sai)』が開催中。皇族・東伏見宮家の別邸を前身とする格式高い料理旅館…国登録有形文化財の近代和風建築と、東山連峰の借景が美しい庭園… 京都・吉田山荘の紹介は☟ https://oniwa.garden/yoshida-sanso-%e5%90%89%e7%94%b0%e5%b1%b1%e8%8d%98/ ...... 「吉田山荘」は京都・吉田山の高台にある高級料理旅館🍽🛌 その建築は旧皇族で『青蓮院門跡』の門主もつとめた #東伏見慈洽 が京都で過ごすため、東伏見宮家の別邸として昭和初期に建てられた近代建築で、「吉田山荘(旧東伏見家住宅)」として本館・表門・旧門番所・旧車庫・北蔵・南蔵が国登録有形文化財となっています。 . 旧皇族の邸宅ーーというだけで格式の高さが伝わるのですが、料理旅館としての創業も1948年で既に70年以上の歴史を重ねておられる吉田山荘。 . 料理旅館なので、宿泊やお食事(会席)での利用が基本になりますが、旧車庫を利活用した『カフェ真古館』☕️は比較的気軽に利用することができるかな?と思います。 …なんだけど、カフェ利用のみでは本館や庭園の見学は不可。 . 初めて訪れたのは2020年6月、コロナ禍限定で実施していた『リモートワークスペース 貸出プラン』を利用(*現在は終了)。 . 庭園が眺められる場所でリモートワークしたいなあ…💻という所からはじまり、まして吉田山荘のようななかなか入るチャンスが無い、本気で敷居が高い場所に訪れるチャンスができて願ったりかなったり…! 当サイトで紹介している本館の写真はその際のもの。 . そして不定期でイベントも。2022年6月2〜6日のあいだ、吉田神社⛩の『吉田山大茶会』にあわせてカフェ真古館で『山崎さおり 茶器展』、離れで『真砂三千代の茶衣 (sai)』が開催。 そちらを見に訪れた際に久々にお庭も歩かせていただきました。 . 建物の話から。見るからに「ここは格式の高い場所だ…」と感じる表門。こちらは世界遺産『法隆寺』の伽藍再建を手掛けた宮大工・西岡常一棟梁によるもの。坂を登るとカフェ真古館と本館が迎えてくれます。 . 本館について。吉田山荘のSNSのアイコンにもなっている玄関のステンドグラスは「直弧文鏡」(ちょっこもんきょう)という“古墳時代の銅鏡の背面文様”が原形。 意図したのか偶然か、その外縁が片仮名の“フシミ”という文字が��め込まれているように見えることから東伏見さまが気に入って使っていたとのこと。 . 外観は和風ながらこのステンドグラスが至るところに埋め込まれており、内装も全体的に和洋折衷の近代伊和風建築といった趣き。表門だけじゃなくこちらも一流の建築家・大工棟梁が関わっていないはずがない…。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #kyotohotel #kyotoryokan #ryokan #kyotocafe #京都カフェ #京都旅館 #京都料亭 #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #京都を彩る建物や庭園 #おにわさん (『吉田山荘』 Ryokan "Yoshida-Sanso") https://www.instagram.com/p/CebaZ3fvHet/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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museum-hunter · 5 years
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Gold-silver-inlaid bronze ornaments on an arrowbox excavated in the tomb of King Jing of Zhongshan in the WestHan Dynasty ( 202 B.C. - 220 A.D.). [西汉]错金银铜箭箙饰(箭箙:盛放弓箭的盒形容器),中山靖王刘胜墓出土。 #博物馆 #博物館 #青铜器 #青銅器 #错金 #錯金 #考古 #中国文化 #中國文化 #传统文化 #傳統文化 #古董 #艺术品 #藝術品 #艺术 #藝術 #展覽 #展览 #摄影 #museum #exhibition #bronze #gold-inlaid #art #archaeology #antique #Chineseculture #photography https://www.instagram.com/p/B7iTtHrn5_I/?igshid=1tl7954pizdac
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gallery-yaichi · 2 years
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・ ・ 本日も営業しております。 涼しくしてお待ちしております。 ・ ・ photo ヨーロッパ最後の調べ_赤ワイン(1997) ・ ・ 2022.08.10.wed.-09.11.sun. 掛井五郎展 Goro Kakei Art Works Exhibition ・ ・ 昨年11月にお亡くなりになりました掛井五郎氏の追悼作品展を開催させて頂きます。稀少なブロンズ作品や、ヨーロッパ時代の絵画、生活の中で楽しめるような絵、石膏やブローチなどの小作品もご覧頂けます。大変な世の中になりましたが、70年以上の創作活動の最期の最期まで芸術と向き合い続けた掛井五郎氏。それぞれの作品からは、心の強さや美しさ、優しさや悲しみ、ユーモラスな楽しさなどの豊かな感情、見る人やその受け取り方によって見え方の変わる懐の深さを感じます。 ・ ・ close:月曜・第一火曜 open:11-19:00 *作品は展示販売させて頂きます。 ・ ・ Profile | 1930 6月5日静岡市音羽町に生まれる | 1943 私立横内小学校卒業 | 1946 私立第一中学校(旧制)卒業 | 1948 12月19日、日本基督教団静岡教会(深町正勝牧師)にて受洗 | 1949 木内克に出会い、師事する | 高校在学中、森正一・斉藤真一に学ぶ | 静岡市立高校卒業 | 東京藝術大学彫刻科入学 | 1950 日本基督教団美竹教会(浅野順一牧師)へ転会 | 1953 東京藝術大学彫刻科卒業 | 1955 東京藝術大学彫刻専攻科修了 | 9月、東京藝術大学彫刻科副助手となる(〜'58) | 1957 第21回新制作協会展に<受胎告知>を初出品。新作家賞を受賞 | 1958 成澤芙美と結婚 | 1961 新制作教会彫刻部会員になる | 1962 青山学院女子短期大学に勤務 | 1965 アメリカ、トリニダード・トバコ、ブラジル、メキシコを旅行 | 第7回サンパウロ・ビエンナーレ出展 | 1968 メキシコのベラクルス大学の客員教授になる(〜'70) | 1970 メキシコより帰国 | 1972 ギリシャ・エジプトを旅行 | 1976 <バンザイ・ヒル>で第7回中原悌二郎賞最優秀賞を受賞 | 1981 大韓民国を旅行 | <蝶>で第2回高村光太郎賞優秀賞を受賞 | 1987 青山学院在外研修で、ヨーロッパを旅行(イタリア・スペイン・西ドイツ・東ベルリン) | パリに滞在(〜'88) | 1988 パリから帰国 | 1991 群馬県桐生市に住まいを移す | 1992 アイルランドを旅行 | <立つ>で第23回中原悌二郎賞を受賞 | 1993 『掛井五郎版画作品集』(グリーン・グラ���ィックス刊)を出版 | 1995 東京都港区三田に住まいを移す | 1996 3月、青山学院女子短期大学を辞職 | 12月、ベルギーへ発つ(〜'97) | トルコへ旅行 | 1997 『火の果て』(詩:島朝夫、麻布霞町画廊刊)を出版 | 調布に戻る | イタリアを旅行 | 2001 新制作協会を退会 | 2007 銅版画文集『夜の絵』(白井版画工房刊)を出版 | 2009 『AT WORK KAKEI 掛井五郎作品集』(用美社刊)を出版 | 2013 <人間の問題 研究Ⅲ> 群馬県立館林美術館 | 2016 京橋エドグランに彫刻6作品を設置 | 2017 一般財団法人掛井五郎財団を設立 | 2019 フリーペーパーKAKEI Journal発行 | 2021 アートビオトープ那須にて個展開催 | 2021 静岡県立美術館「ストーリーズ展」に26点を展示 | 2021 11月22日死去、享年91歳 | ・ 協力 : 掛井五郎財団 http://goro-kakei.or.jp ・ ・ 364-0031 埼玉県北本市中央2-64 048-593-8188 Open 11:00-19:00 close 毎週月曜・第一火曜日 JR湘南新宿ライン高崎線 北本駅西口徒歩1分 ・ ・ #yaichi #やいち #器 #うつわ #食器 #tableware #生活道具 #暮らし  #cafe #カフェ #アンティーク #antique #antiques #古道具 #古家具  #oldfurniture #brocante #古物 #埼玉 #埼玉県  #北本 #北本市 #掛井五郎 (Gallery&Cafe やいち) https://www.instagram.com/p/ChTcLYmvFzM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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toshihikokuroda · 2 years
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侵略止める力は世論
全国革新懇が代表世話人会
2022年3月29日【政治総合】
 全国革新懇は28日、都内で代表世話人会を開き、ロシアのウクライナ侵略に反対するたたかいや「核共有」「敵基地攻撃」などの憲法をめぐる情勢、参院選での「市民と野党の共闘」の発展などについて意見を交流しました。日本共産党の志位和夫委員長、小池晃書記局長が参加しました。
 ロシアはウクライナ侵略で、武力行使を禁止した国連憲章違反、病院や原発を攻撃し民間人を無差別に攻撃するなどの国際人道法違反、核兵器の先制使用による恫喝(どうかつ)という三つの無法行為を行っているとの批判が出されました。ロシアの侵略に際して、国連憲章と国際法を侵犯したのはどちらなのかが物事を捉える重要な基準であるとの意見が出されました。
 ロシア覇権主義に対してこびへつらってきた安倍外交の責任が厳しく問われ、その反省抜きに日米安保条約の強化や「核共有」、9条改憲の旗振りをすることは許されないとの意見が出されました。
 ロシアの侵略を止める何よりの力は、世界の国々と市民社会が「ロシアは侵略をやめろ」「国連憲章を守れ」という国際世論を広げることだとの意見が出されました。日本は、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日米中など18カ国が参加する東アジアサミットの活用・強化、憲法9条を生かした平和外交を推進すべきだなどの意見が相次ぎました。
 今後の要求実現のとりくみが活発に交流され、「各地の青年がロシアによるウクライナ侵略に反対する行動に立ち上がっている。平和による国際秩序を青年の中で太い世論にしてきたい」(青年分野)、「100万部のリーフを作り、憲法を学び語る大運動にとりくんでいる」(女性分野)、「新自由主義、ウクライナ危機の影響で食料危機が始まっている。食料大増産にかじを切ることを農水省に求めている」(農業分野)、「ウクライナ侵略の影響で銅やアルミなどの資材が高騰し、営業が続けられない。参院選に向けて、『9条こそ戦争をさせない抑止力』と有権者に積極的に提起してきたい」(中小企業分野)などの意見が出されました。
 市民と野党の前進のために革新懇を草の根で広げること、京都府知事選(4月10日投開票)のかじかわ憲候補の必勝に向けた支援、5月の全国総会成功に向けた議論などを行いました。
(しんぶん赤旗)
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