#丘山晴己
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zs-art · 2 years ago
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Hunter x Hunter The Stage 2023 イルミ and ヒソカ actors 上田堪大 and 丘山晴己 fan art i drew 💕 ☆:.。. o(≧▽≦)o .。.:☆ 💕
all the casts look so spot on i'm so excited to see them perform! 🤩
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runpenparis · 23 days ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ ��校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の���を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人��好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走る���いう意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球の���ラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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patsatshit · 1 year ago
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今年の前半は暇さえあれば劇場へ行っていたのに今全然行けていない!デヴィッド・フィンチャーの”The Killer”はおろか、スコ爺の新作もまだ観れていない。”The Killer”は配信になる前に観に行きたいけど…!そうこうしているうちに『インファナル・アフェア』もパトリシア・ハイスミスの映画も終わってしまう!12月はアキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』が公開されるし���年が明けたらビクトル・エリセの最新作が…!意識的な無関心の時期がきてるけど、タイミング合わせて劇場に行きたいな。今こういう時代だからこそカウリスマキの”人間愛”に触れたい。
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↑右は試写に行った友人から送られてきた画像。カウリスマキの映画に救われている人は沢山いるのだから、まだまだ引退せずにいてほしい…!
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今年は南方熊楠、串田孫一を知れたことで充分に幸せ。南方熊楠って全然知らなかったけど、知れ��知るほど面白い人物だ。彼の研究、民俗学に特化せず言語学(ラテン語を独学?どうしたらできるの?)、精神学や人文学など多岐に渡りすぎていて、生きているうちに彼の脳内を理解しきれるのか不安になってくる。大学へ行かずに独学でオイはいく!っていう地の地でいく姿勢に密かなアナーキー精神を感じて惹かれてしまう。(ちょっと厨二病っぽいところが面白い)ここで彼の型破りな名言を紹介。
「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」
学歴や肩書きはない。組織にも所属せず師もなく独学で生涯在野で生きてきた熊楠さん。偉大な功績を残しながら、当時はかなり風変わりな人物だった模様。
「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕(酒のしぼりカス)だ」
蔵書家でありながら、不要と判断した本はキチンと返却していたらしい。
「権威に媚び明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従(あゆついしょう。相手に気に入られようと媚びへつらうこと)する者など日本には居ない」
ロンドン滞在中、ある大学の事務総長に腹を立て一言ピシャリ。
どうでしょう、魅力しかない人物だと思いませんか。来年は和歌山県にある熊楠の研究の場であり長く暮らした母屋を訪れたい。
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今は串田孫一にはまっている。人と自然のつながりが明瞭なわかりやすい表現、飾らない言葉たちで綴られている。ある部分でめざしたい文章、文体。この静寂な世界…静かな朝に読むのが至高。今は『雲の憩う丘』を読んでいる。27の随想、少しずつ味わいたい。
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そのほか先ほどの南方熊楠を始め『ノモレ』『パパラギ』など、今年は民俗に関する本を読んできた。文化人類学にはずっと興味と憧れをもっていて、大学では映画学と同じくらい学んでみたいと思っていた。もっと広い世界がみたいという漠然とした思い、日本とは違う世界の人たちの暮らしを体感したいという気持ちはいまだにずっと心にある。文明社会から遠く離れた人々の暮らしは至ってシンプル。こういった人類の衣食住に触れると決まって、モノに溢れ返った自分たちの生活が馬鹿らしく思えてくる。10年後はもっと情報化社会が進んでいるだろうし、自分の手を使って生み出したり足で稼ぐ機会がどんどんなくなっていきそう。そうなれば人間はどんどんダメになるだろうし、そこに自分は存在していられるかとても不安。人との連帯だけで何とか乗り切っていきたいけれど。指先だけで答えが分かる世の中でも、熊楠の「知の妖怪」精神で生き抜きたい。などと思う。
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今はもっと世界の、日本の往年の作家たちを知りたいという気持ちが強い。情報過多な現代に惑わされないよう、一度立ち止まって自分を見つめ直す時間を大切にしたい。
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↑今年のWBC。Jimmy Fallonみたいな人が映っていて、まさか⁈と思って調べたらやっぱりジミーだったみたい!(右側にいる頭抱えた水色シャツの人。)
今年は縁あって野球をたくさん観ている。WBCで人並みに大谷フィーバーがきたし、周りに野球ファンが増えたこともあり、初めてちゃんとプロ野球を見始めた。今は日本シリーズという、日本一を決める試合を一生懸命みている。ほんとはカードを持っている山本由伸選手がいるオリックスを応援したいのだけど、今は阪神タイガースを全力応援している。(ルールは勉強中!)
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私の家族は元々野球ファン。父は世間でいうまぁまぁなレベルの虎党だ。小さい頃ユニフォームとメガホンを持ちオリーブ色のパルサーに乗って、甲子園によく連れていってもらった。私が覚えているのはタイガースファンに対する恐怖心。地鳴りみたいな大歓声、メガホンをバンバン叩いて騒いで叫んで…圧がもうね、すごいやん、おーん。て感じ。甲子園は高校時代に行事で出て以来、一回も行っていない。今年は突然父の体調が悪くなり、実家に頻繁に帰るようになった。今まで滅多に戻らなかったので、兄と「これからはできるだけ家族と過ごそう」と決めた。はからずも家族と向き合う年となり、全員が少し照れながらできるだけ毎週末を大切に過ごしている。嬉しさと少し変な感じ。高校から各々が別々の暮らしを送っていた。家訓かわからないけど、早いうちから家を出て自活するのが当たり前だと思っていた。だけど今は顔を見せることが一番の親孝行なのかも、と思ったりする。
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エニウェイ今は阪神タイガースが優勝できるように応援している。(いっぱい勝ってる気がするけど一体何回勝てばいいんだ)今日は山本由伸さんが出てるので複雑な心境だった。してやられたり…。毎日勝つのは難しい。勝ち負けの世界で戦う人たちはみんな輝いてるなぁ。
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今日は朝から実家へ直行。しばしダラダラした後リニューアルオープンした神戸のタワレコに行った。前は店舗数が少なかったのでひと店舗が占める割合が大きかったのだけど、今回は店舗数が増えたためタワレコもリニューアルとはいえかなり縮小されていた。取り寄せていたアナ・フランゴ・エレトリコの新作とRachael&Vilrayのアルバムを購入。
↑アナ・フランゴ・エレトリコの新作情報。
↑細野(晴臣)さんがラジオでおすすめしていたRachael&Vilray。毎夜聴いてます。
家に帰り、バーベキューの準備。今日は庭でバーベキューみたいなことをしながら野球をみて過ごした。すいちゃん(義姉)の手伝い2割おしゃべり8割。野球は負けたけどいい一日だったー。
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以上、雑多な日記でした。みなさん良い週末を〜。
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gaogaoxdy321 · 2 years ago
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妈妈的奶子
作者:alcomc
第一章
我的名字叫张伟,高二。
功课一般,相貌普通,160公分的矮小身高,瘦弱的体型,像我本身这种一点儿都不起眼的男孩,在大街上随手抓一把都有,理所当然的,我只是一名青涩的处男。
自从上了高中后,身体发育的同时,我也慢慢的开始对女性这种生物起了极大的兴趣。馒头、草莓、鲍鱼......等等,这些过去认为最为平常不过的单词,对现在的我而言,却犹如盖上一层神秘的黑纱、充满了该死的诱惑力。
所以......收集AV成为我的嗜好、打手枪成为鄙人的专长、上体育课前,偷窥女同学换衣服成为俺心目中最为浪漫的大冒险。
在自怨自哀、感叹自己不幸的16年的处男生涯,直到刚刚,我才突然领悟到,其实,我简直就是受到上天眷顾的幸运儿。
因为我有一个美丽的妈妈。
我妈妈,张茹,今年38岁。
老爸在我9岁那年出车祸去世,他生前是个工作狂,留下了一笔为数可观的存款以及保险金,妈妈得以独自扶养我与另一位大我二���的姐姐长大。
多年来,妈妈一直单身,并没有再嫁,也几乎很少见她出门约会过。
因为去年姐姐张洁高中毕业后,离家前往外省的大学念书,所以现在只剩下我与妈妈两人相依为命。(看精彩成人小说上《成人小说网》:https://crxs.me)
妈妈是个精明的女人,是指在处理工作事务上,她拿了爸爸留下来的遗产,做了几次非常成功的投资,具体上赚了多少钱我不是很清楚,但看到妈妈不用工作,光凭着每个月的利息便足以抵销我们全家的开销......我想,应该是不少吧。
在私底下日常生活中,妈妈其实是个很懒散的小迷糊,有时脑袋就像是少了几根筋似的不开窍,妈妈平时在家中的穿著举止,就好似还把我是当成数年前窝在她胸前撒娇的孩子,毫无避嫌的防备与自觉。
但也幸亏如此我才终于领悟到妈妈的魅力,她对我的信任与关爱,朝大胆一点的方面设想,或许妈妈潜意识里就想诱惑我这个儿子才打扮的那么火辣的吧。
重新打开计算机屏幕,戴上耳机,鼠标点了下PLAY键,屏幕里,小X圆那骚货依旧在男人的跨下喘息着。
我半鄙视的盯着不久以前还是我心目中的第一女神的AV女优,在我左手加快速度套弄鸡巴的同时,女人的脸,逐渐被妈妈娇美的容颜所替代。
“喔......妈妈......妈妈......啊......我爱你,妈妈!!”
手掌心中隔着卫生纸紧紧的包住龟头,一股热流喷射而出,高潮的快感如同电流般的窜游在脑神经中,空白的思维里,只剩下妈妈的笑容,以及那对作梦也会梦到的超大母乳。
下楼来到客厅。
妈妈正懒洋洋的趴躺在沙发上看着电视新闻,浑身散发着成熟的韵味。娇好的胴体,清凉的打扮,曝露出了身体绝大部分的洁白肌肤,让我一饱眼福。
玲珑有致的曲线,尤其是下身那高高股起的肥厚丰臀,端是令我的鸡巴搔痒不已,恨不得自己能��无忌惮的狠狠蹂躏那雪白柔嫩的大屁股、尽情地将鸡巴深埋在股间的深沟里抽插。
“小伟,功课写完了啊?”
“嗯,写完了。”我心不在焉的回答,视线始终停留在妈妈的身体上。
“小伟,你先坐着看一会电视好吗?妈妈马上去帮你把菜热一热。”
妈妈似乎并没有注意到我充满色欲的非礼目光,自顾从沙发上爬起身,她胸前那对巨型美乳,一下子从娇躯的压迫下解放,令人眼花缭乱的上下左右的晃动着。
“真是可怕的弹性......”我在内心暗自赞叹着,“如果说美女的胸脯是专门对付男人的武器,那妈妈的奶子绝对是最恐怖的人间凶器!”
心中虽然偷偷幻想着千百种蹂躏妈妈胸脯的不良场景,但我口头上还是乖巧的回应妈妈:“妈妈,不用特地帮我热了啦,我吃温的菜没关系,更何况电饭锅里的饭还是热的啊。”
接着,我走上前,亲昵的拉住妈妈的手摇晃,说道:“我要妈妈喂我......”
妈妈伸手点了点我的额头,笑骂道:“好不羞人,都几岁了还跟妈妈撒娇?还不快去餐桌上等着,妈妈帮你盛饭去。”
妈妈在口头上虽然拒绝我,但看的出来,她似乎很喜欢我对她撒娇。
(上国中之后,因为怕同学耻笑我是跟在妈妈屁股后面长不大的小鬼,所以我跟妈妈之间的母子关系就渐渐疏远了不少......)
饭桌上,妈妈盛了一大碗饭,又夹了一堆如山丘的菜在我的盘里,笑咪咪地拱着手抵住下巴看我吃饭。
十五分钟过后,承受不了妈妈奇怪的目光的我,忍不住问道:“妈妈,你干嘛一直对着我笑呀?”
妈妈脸上依旧挂着微笑,答道:“没有呀,只是忽然感到很高兴,我的儿子终于长大了。”
“咦?”
“小伟,你......也到了会对女孩子......有兴趣的年纪了。”
见我脸上挂着不解的表情,妈妈语出惊人的说道。
“最近你的房间......多了一种奇怪的味道,整理你房间的时候揉成一团的卫生纸总是特别多......还有刚刚......你在你房间其实是在那个吧?”
“妈妈,那......那是因为......”得到这种晴天霹雳的答案,我脸红��赤的不知该如何回答。
“没关系,小伟,妈妈是过来人,手......自慰在你们这年纪是很正常的。”
妈妈给了我一个理解的微笑,接着她又摆出母亲的架势说道,“小伟,可是你要记得,凡事都要有个节制,不可以自慰过度,伤了身体喔......”
妈妈的脸皮毕竟不是真的那么厚,说完这番露骨的话之后,她自己倒也是陪我一同脸红了起来。
一种尴尬的气氛忽然在我俩间传了开来,我也只能加速扒饭,尽快结束这场因为被妈妈一席没大脑的话所造成的难熬的饭局。
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ittybittyhuac · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷��引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅��括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤��露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊���盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨��蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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jinghuablog · 7 months ago
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东海岸抒情——走进澳洲的尽头(一)
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一到假期,久居的倦怠便会油然而生,人就会想方设法外出旅行,换一下心情,这次也不例外,可让我意外的是太太竟找出这样一个理由,她说:"海风姐的塔斯马尼亚游记写的不错,我们何不去那里玩上二个星期呢?"我理所当然的一口答应,这个要求并不高,在国内旅游可以说走就走,根本不用提前规划。接下来,我随口问了她一句:"这次去���州,那么下次你准备去哪儿玩?"
"当然是西澳了。"
"难不成是看了麦子的西澳游记?"我开玩笑的说。
"算你聪明。"太太得意地一笑。
"我的妈呀,在澳洲玩还没啥大不了的,可你要是心血来潮的学起了菲儿,去周游世界,那可就玩大发啦。哈哈哈……"
这虽然是一则笑话,但是好的游记能产生带动效应,这是不争的事实。
塔斯马尼亚岛是澳洲大陆的最南端,它有许多的美誉,如"天然之州"、"苹果之岛"、"澳洲版的新西兰"、"世界的心脏",甚至还有人把它称之为"世界的尽头",可是我认为把它叫作"澳洲的尽头"更为准确。但不管是什么样的称呼,到塔洲去旅游总是件高兴的事情。
悉尼到塔斯马尼亚首府霍巴特(Hobert)只有近二个小时的航程。那天我们抵达霍巴特已是下午的一点。出了机场的候机大厅,我们就直奔租车公司,机场里有大约七、八家租车公司,大多数租车公司门口罗雀,唯有一家叫Bargain的租车公司门前大排长龙,可能是它们的租车价格太有竞争力。我们在那里排队排了近一个小时,总算轮到了我们办理租车手续,可办完了手续还不能提车,谁叫我们订的是SUV车型,这款车特别的热门,不光是我们,还有其他二十多名顾客都是这个原因等待着提车。不过车行里的小哥还挺热心,不时跑过来安抚我们,像做了错事的小孩,这反到弄得我们不好意思了起来,只能坐在机场咖啡馆里耐心等待。等我们拿到车钥匙差不多已是下午的五点。
去停车场提车,一看给我们的是一辆上汽名爵品牌的运动型轿车,这辈子还没开过中国产的汽车,能尝试一下也挺不错的。打开车门一看,心里一阵高兴,崭新的皮坐椅,位置空间大,开车视觉开阔,仪表盘设计合理,再一查看公里数表,只有区区7700公里,简直就是一辆没开多久的新车。管它是什么国家的车,一万公里都不到的汽车应该不会差到哪里去的。可开出机场,上了高速公路,才觉得跟家里的几辆车相比差了一大截。
车开了大约10多分钟,我们在一个叫Sorell的地方,找了一家Woolworths 超市,买了些面包、牛奶、零食、饮用水之后,便立即赶去100多公里之外的旅馆,到了住地差不多已是晩上七点,此时太阳还没下山,二月的夕阳余晖洒满了大地。
我们租的是汉普顿湾酒店(Hampton on the bay)的一间临水小木屋,按照几个小时前收到的��门密码,我们打开了房门。进门是一间带有厨房的客厅,旁边一间是卧室和浴室,二间房间都朝向东面。依窗眺望,远处是菲欣纳半岛(Freycinet Peninsula ),那里山丘起伏,暮色朦胧。眼前是一片平静开阔的海面,一抹金色的残阳还停留在水面上,波光潋滟,煞是好看。窗外是一片茂密的树林,几个小袋鼠在林中四处跳跃,悠闲自在。真是一处风景奇美的世外桃源。我们将在这里住三个晚上。
塔斯马尼亚被称之为观星圣地。到了夜晚我们关上所有的灯光,凭窗眺望,外面月华如水,深暗的海面上,银光闪烁,像是无数银龙在翻腾舞动,抬头遥望夜空,银河星光璀璨,壮观华美,黑暗中到处是一幅幅令人叹为观止的画卷,躺在床上还能朦朦胧胧体会到"醉后不知天在水,满船清梦压星河"的那种意境。
第二天清晨,天还没亮我就起了床,从小自己就习惯于早起早睡,早晨醒来之后,要是还继续赖在床上,对我来说并不是一种享受。起床后,拉开客厅的窗帘,泡上一杯好茶,坐在沙发上,静静的等待着看日出。这时天还是暗沉沉的,喝完了一杯茶,东方些微有些白意,再过一会儿又有了瑰丽荣华的色彩,当我转身去厨房,再续上一杯茶,等回过身来再看时,一轮红彤彤的太阳已经跃出了地平线,翻登了云背,射出万缕的金辉……
今天真是个风和日丽的好日子,我们准备去菲欣纳(Freycinet )国家公园,那里有好多秀美的风景。
吃完早餐后,我们八点半出了门。车拐入三号公路后便一路往北。路上很少有车辆的来往,即使有车辆经过都是风驰电掣般开的飞快。我们的右手边是蔚蓝的大海,左手边到处是绿意��人的平原山丘,一簇簇,一片片的绿色中,有苍绿、翠绿、黄绿……简直就是个绿色世界,沿路不时可以看到牛羊成群的牧场,种植一排排葡萄树的葡萄园,还有无边的草场。然而眼前的一切并不都是那么的美妙和谐,行经在路上总能见到有被辗毙的野兔和袋鼠,看了怵目惊心。
车开了一个小时,我们来到了科尔斯湾(Coles Bay)小镇,它是游客前往菲欣纳国家公园的主要入口,常住人口有500人。这里风景非常优美,海湾里青波微漾,几只白色游船停在平静的海面上,岸边到处是橙红色的花岗岩礁石,像是在岸边燃烧着的团团火焰,对岸是粉红色花岗岩山峰的冒险山脉(The Hazards)。这幅美丽的画境转入美妙的诗境,不禁让我想起了"水光潋滟晴方好"这句诗句来,要不是今天这么晴暖的天气,这里可能是另外的一种风情。岸边人没几个,游客更是绝迹,可能都一窝蜂去了更加知名的"酒杯湾",但我觉得这里的美景更加值得流连。
我们在岸边悠闲的散步,拍照,还坐在岸边的岩石上发了一会儿呆。这里真是一个美妙无比的地方,明媚的阳光洒满了茂密的山峦,碧绿的海湾,天边飘着几朵悠悠的白云,海天一色,白船点点,岸石火红,清波荡漾,轻浪拍打着岸边,是那么的委婉,那么的恬静,犹如天籁之音,不绝如缕。水波微响,山儿不动,天水之间,全是清明与祥和,一个远离尘世的世外桃源。
勾留了大半个小时,我们又驱车来到了国家公园的游客中心,先买了一张国家公园门票。门票60天有效,可价格竞高达90澳币,比过去涨了足足30澳币,这种涨价幅度让人瞠目结舌。接待的小伙子倒是热心周到,介绍门票的用法,公园里各种步道,周围值得一看的风景。
我们先去了"酒杯湾"观景台,这需要走一条来回一个半小时路程的步道。山脚下的路还算平坦,可是没走多久,就觉得有点费劲,还好我们俩平时注意锻练,脚力都不错,对我们来说最大的挑战还是天气,火热的太阳高高挂在头顶上,林子里密不透风,酷热难当,到了半山腰早已汗流浃背。在途中,我们看到很多游客坐在阴凉的石头上休息,他们个个脸色煞白,气喘如牛,��刚拿到手的小册子当作扇子扇风。上面下来的游客见此情景,则不停鼓励说:"Pretty close!"还真是,再坚持走了一段,"酒杯湾"的全景便豁然在目。
"酒杯湾"(Wineglass Bay)是塔斯马尼亚最受欢迎的旅游景点,它俯瞰水晶般绚丽的"大蚝湾"(Great Oyster Bay),上个世纪末,被美国旅游杂志《Outside 》评选为世界上十大最佳海滩之一。——一个半月形的白色沙滩瑰丽夺目,沙滩面朝波涛汹涌的塔斯曼海,身后是山林起伏的塔斯马尼亚荒原(The Tasmanian Wilderness),它是世界上仅有的温带雨林,被联合国教科文组织授予世界文化和自然双重遗产。
我们登上了"酒杯湾"观景台,展现在眼前是精妙绝伦的"酒杯湾",洁白的沙滩和蓝绿色的海水构画出一个美仑美奂的海湾,海水清澈无比,碧波荡漾,白色沙滩宛如酒杯沿上那层泡沫,它的身后山峦叠萃,绵延起伏,再配上那蓝的天,晴暖的阳光,更加美妙绝伦,壮观无比,大自然的鬼斧神工,实在让人叹为观止。
下山自然要比上山来的轻松快活,不光是脚下生风,心情也像一餐盛馔之后,硬是觉得可以骄人。
紧接着我们又开车去了蜜月湾(Honeymoon Bay),图维尔角(Cape Tourville)那里的风光旖旎,让人陶醉。游玩结束已经过了下午二点。接着我们驱车去了菲欣钠海洋农场(Freycinet Marine Farm),饱餐了一顿生蚝、炸鱼,炸土豆条的午餐。
第二天早上,我们接着去了另一个著名景点"火焰湾"(Bay of Fires),它距离我们的住处有150公里,开车差不多要2个小时,还是跟头一天一样,早上八点多钟出门,一路往北,过了菲欣纳半岛,沿途又是另一番景色。
"火焰湾"海岸线从南部的比那隆湾(Binalong Bay)到北部的埃廸斯通角(Eddystone Point),全长50公里,清澈的海水,白色的沙滩,橙色地衣的巨大花岗岩石,给前来的游客留下深刻印象。2005年,它被全球知名的康泰纳仕出版集团(Conde Nest)评为世界第二大最佳海滩,2008年,被国际旅游指南《孤独星球》评为2009年全球最热门的旅游目的地。
我们第一个目的地是去一个叫花园(The Gardens)的地方,它在比那隆湾北面16公里处,是橙色花岗石最集中的地方。我们的车开到花园已经过了十点。一下车着实让我大吃一惊,这里就像一个前不着村后不着店的荒滩野地,几乎看不到游客的影子,如此一个漂亮地名的地方,却这般的荒凉冷清,实在有点名不副实。不过这里的景色非常壮观。碧绿的海水,洁白的沙滩,海岸边到处都是橙红色的奇形怪石,仿佛上帝作画时,一不小心把红色的染料打翻在了这里。如此多的红色岩石,让人惊叹不已。
当然海边阒无一人正合我心意,可以任由我们随心所欲在岩石上走来走去,挑选最佳拍照角度。本想坐在红色岩石上看看大海,吹吹海风,可没坐上五分钟,就觉得人像是被架在火上烤似的酷热难当,这时心里不觉暗暗后悔,应该在比那隆湾住上二天,日出日落时分来这里,那才是真正浪漫的享受!
花园再往北就没有公路可走,我们只能回到比那隆湾,沿路有好几处都是纯白的沙滩,有Taylors Beach、Swimcart Beach、Jeanneret Beach,我们停下了车,下去转了转。海中泳客少得可怜,岸边游客更是绝迹,只觉得耀眼的阳光照在白沙滩上,那沙滩上的白就显得更加突出,非常的刺眼。照理说亚裔人都怕阳光,可这里的本地人也没几个影子,热门旅游目的地竟如此不受待见,真出乎我的意料。
比那隆湾要热闹许多,它过去是个小渔村,后来发展成有300人的小镇,现在这里建有大量的度假住宅,还有人工开发的公园、步道。这里是火焰湾的南部起点,也有许多的橙色花岗岩石,游客也比较多,游客信息中心设在一家咖啡馆内,问了老板娘才得知去埃迪斯通角要走另外一条公路,至少还有六十公里的路程,想想也就放弃。只能去圣赫勒拿(Saint Helens)小镇吃午餐,随后在小镇的乔治河(George River)河堤上散步,觉得还是这里舒服,悠闲自在。
回来的时候,我们又顺路去了比切诺(Bicheno)小镇,小镇风景秀美,旅游资源丰富,是游客东海岸旅游的必经之处。比切诺喷水洞(Bicheno Blowhole)是这里比较热门的景点,我们在这里玩的非常开心,站在喷水洞旁的大岩石上,看着海浪一飞冲天,仿佛自己也跟着激起的水柱飞了起来,怡然自得,好不痛快。
住在塔斯马尼亚东海岸的三天,天天都是阳光明媚的好天气。风轻云淡的日子自然使人神清气爽,饱览美景更是让人心旷神怡,玩得开心,住的舒心,吃的称心,旅游途中能有三"心"满足已属不易,今次又再添上三天的意外之喜——迎日出,观星河。那窗外晨曦中的大海,月光下的海浪,还有梦里的潮起潮落,心与境的交萦互染,低徊中又有了许多生命的感悟。
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amyuki · 9 months ago
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张掖七彩丹霞景区
張掖七彩丹霞景區是一片彩色丘陵地貌,天氣因素對其遊覽體驗影響太大了,可以說不是雨後初晴的天氣就不必浪費這個門票錢來玩了。 #張掖 #地質公園 #七彩丹霞 #彩色丘陵
张掖七彩丹霞景区并不是丹霞地貌,而是彩色丘陵地貌。 赤壁丹崖的地貌特征才是丹霞地貌,这是以我省丹霞山命名的一种地貌类型,而张掖的这个七彩丹霞景区里的地貌压根就没有崖,都是一个个的丘陵。但其名声更大,加上大量文科生从业的新闻媒体不加求证地风闻报道,误导了很多人以为长这样的就是丹霞,毕竟地质学这么深奥的东西大家根本没兴趣、没能力了解,好看就完事儿了。另外,它的官网上也用小字写着自己是彩色丘陵地貌,不知道是不是大家都视觉障碍了看不到。 现在,七彩丹霞景区作为张掖国家地质公园的组成部分,其对外的名称为彩色丘陵,而山的另一边的冰沟丹霞才是真正的丹霞地貌。难道七彩丹霞景区这样误导性的名称,在国内大肆误导性的宣传起到了很好的科普教育作用吗?小雪很是质疑它是怎么通过UNESCO的地质公园评估的。 彩色丘陵源于产状倾斜而多种色彩交互的砂岩、粉砂岩、泥岩以及偶夹的砾岩层构成的和缓丘陵1,因其缤纷的色彩…
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saltie-yan · 9 months ago
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船与桥
小伟说,我们去看桥吧。
于是和女儿从团年的氛围中溜出来,去找桥。在江与丘陵的缝合处,长出高耸的钢铁巨物,是丘陵跟前一座虚张声势的城门。长江两岸各支出一指,朝向江心和彼此的指心,有种米开朗基罗的《创造亚当》的意思。优美的弧形吊杆已经拉通,松松地在两岸之间穿织起了第一根线。
小伟原本打算走到桥底下,但那桥似乎比想象中更远��两人顺着沿河老街走了一阵子,没找到桥墩,却找到船。一艘巨大的滚装船,泊在沱湾里,问了,是往返于重庆和宜昌之间的船。女儿好久没有登过船,兴奋地在船身里攀爬穿梭,如同游戏于一座腐落的鲸骨。
他知道女儿从小就喜欢坐船。每年除夕的中午,和妻子姗的家里人吃过团年饭,他们就马不停蹄地从镇上出发,去母亲那边的谢家团年。坐黑车,或坐公交,到大兴场街道,在面目颓唐的沿街商铺之间找到一个隐蔽的入口,一行人便落入丘陵的襞积。旧式平房藉地势层叠而上,音阶杂乱,曲曲折折地下很久的山,才能到大兴场码头。
江的那头是望江厂,抗日战争时期从广东清远内迁到重庆的兵工厂。厂房内嵌于长江铜锣峡北岸峭壁,二十二个厂洞,历史上是造火炮,产的是重型武器,八九十年代开始生产摩托车,“望江铃木”风靡一时,一车难求。谢家人是望江厂的人,在这沱湾里扎了根。从望江去市区,走陆路要跨越至少两次长江,走水路逆流而上则要两个多钟头。小伟结婚后,就和母亲搬到了长江对岸的镇里,镇子靠近市区,受着完全不同于厂区的现代生活的辐射,而其他谢家人则大多留在了望江厂。
除夕的渡船记忆是一组摇晃的镜头。女儿摇晃着踩动圆圆的鹅卵石,摇晃着没有固定措施的窄窄的上船木板,左右脚轮流施力于索桥,走进微微浮荡的船舱。她在都市无法模拟的摇晃感中寻到具身的乐趣:公交和单轨的摇晃只能在静止中体验,而在水上,身体可以自由地融入或是应答水体的节奏。
船开动了,她急切地抓住稍纵即逝的横渡速度,蹲在船头叫母亲给她拍照。除夕的登船照是女儿看重的年度仪式,角度和构图都要复刻。几番调整姿势,复刻结束,船也到岸了。这是她爱船的方式。
重庆人把横渡的船只叫作“过河船”,方言音同“过活船”。以前的过河船不像现在的机动船,薄薄的一船只能载十来个人,遇上厂工上下班的高峰期,或铤而走险,发生事故也是常有的事。
而彼时的过活日常竟成了当代都市新人类的奇观与仪式。小伟靠着船舷的栏杆,一手搀着母亲,一手把烟灰抖落进白色的水花。
白色的水花是长江被船撕开的毛边,灰青的冬风将它浸湿。那年,渡船头顶的天空很干净,桥的钢铁胚胎尚未成型。小伟对母亲和妻子说,听说这里会修桥,以后我们回望江就方便了。
除夕午过,谢家兄弟陆续抵达二哥家里,小伟小声给女儿提示:这是大舅公,这是三舅婆……女儿的记忆似乎每年都会被刷新。她迅速而羞涩问完好,就坐到客厅的一角刷手机,坐船的兴奋神色早已遁走。对女儿而言,回望江只是为了坐船,然后在社交媒体上po几张照片,文案里写着“一年一度回老家~”,图里却根本没有家,只有船。
姗的弟弟坐在谢家团年的餐桌上,光光脑袋,闷头吃饭。自从开始修桥,过河船就停运了。“船没了,那我们啷个过‘活’啊?”女儿问。姗说只能开车绕远路了,又舍不得打车,于是让弟弟开车接送一家四口,谢家团年饭上掺进一个诡异的外人。
姗拍小伟的肩,别吃太晚,我弟要回去了。
每年都催。她以前会说,注意点时间,过“活”船要收班了。小伟说,最后几杯,最后几句。女儿已经站起身了,就差把半只脚踏在门外。老母亲也顺着孙女的意思,颤巍巍站起来,这是最后通牒。小伟饮尽最后几滴白酒,咽下攒了一年还来不及讲出的话,向舅舅们表兄妹们道歉然后告辞。
离开谢家饭局,姗和女儿都松了一口气,似乎除夕的任务终于结束。
小伟知道她们是不愿回望江的,这里不是她们的世界。九十年代末,重庆的兵工厂都开始“军转民”,工厂子弟们交出铁饭碗,慌慌茫茫走入时代市场。小伟在女儿出生后接连换了好几份工作,都做不长久,工资勉强填补家用的边角。姗是中学老师,收入稳定,父母又拿了一笔占地款。两人有着两种不同的过活的方式,一人是定于河的桥,一人是浮于河的船。
同学聚会上,曾经的工厂子弟都羡慕小伟,说小伟娶了姗,真是命好。
对于生活,姗是那种很有改变力的人。开始建桥的那年,姗想买车,想换房,小伟却觉得没必要,两人在家中大吵大闹。姗不管,自顾自地拿了驾照,提了车,买房,装修。小伟被迫享受这些“不必要”,不必负责也心安理得。
除夕那天返程的车上,姗说,小伟,今天晓晖都没来吃饭,你发现了么。晓晖是他的表妹。姗又说,晓晖前不久找我借了三万块钱,我其实今年很不想跟你回望江的,怕看见她尴尬……小伟不作声。姗接着说,你看你们谢家的几个兄弟姊妹,这些年来不知道在搞什么名堂。
在山路盘旋久了,女儿有些晕车。横渡长江五分钟,现在绕路跨江要四十分钟。从前,每年都在末班过河船上度过五分钟除夕夜,温柔的鞭炮声自两岸轰然,水雾般氤氲于江面。乘客的脸上都带着梦游般的神情,在夜色中互相照应着下船去,仿佛要回的是同一个家。
而今年的一车人盘旋于幽暗的山路,仿佛被抛掷在世界尽头。点开手机直播,小伟说,春节联欢晚会开始了。话语没能赶走车里疲惫的空气。
船没了,桥还没修好,望江人找不到别的过河的方法。
于是他期待着大桥的落成。他会在某个晴朗的午后,让姗开车载他和女儿去江边看大桥,眼看着江岸的两指接近,四处打听桥面合龙的日期。他站在桥下和远在异国的弟弟视频,强迫镜头和他一起久久注视大桥的腹部,弟弟在那头说:不错啊,行啊,那……没事的话就先这样吧。他转发大桥的官媒推文,“让望江重归主城生活圈”,心情自豪如同大桥是自家修建。
过河船停��三年后,大桥恰好在春节前夕通车。除夕的前一天,姗说,每年都回望江,半个除夕都在外面慌张奔波,今年我不想过去了。女儿见状也随声附和,因为她坐不了过河船,对于回望江早就没兴趣了。姗又试探着问了句,要不让我弟送你们吧。小伟咬咬牙,说不用了,我和妈自己打车。背过身子又开始心疼打车钱。
仿佛女儿回望江只是看在渡船的份上,而姗则是看在女儿的份上,两人才勉强顺一些面子给小伟和小伟的母亲。“让望江重归主城生活圈”,看起来并不是一座桥能办到的事情。
姗和女儿第一次上桥,是小伟的大舅去世那天。大舅从望江转院到市区,救护车走了郭家沱大桥。从望江上桥的崎岖老路还没翻修,老人家一口气给颠断了,就再没续上。姗发动车辆,一家四口郑郑重重前往望江,似乎是要跨江过年去。
快上桥的时候,姗突然说起自己出生的那个深夜,母亲在村里的老家突然发作,村镇里没有医生,得过河去望江医院,但那时候江面上早已停船。紧急时分,河边不知道从哪里冒出一位艄公,把他们摇到了对岸,慌忙之中,船钱也忘了给。
车开上桥,小伟见坐在副驾驶的女儿掏出手机来录像。橙色吊杆支出双臂揽人入怀,细黑吊索把时空切割成块状。他想起什么似的问女儿,这是你第一次上桥哈?女儿迟疑了一下,说好像是的,但桥通车的那天,我们似乎也来过。于是他们想起,有小道消息称通车的那天,姗开车带他和女儿去上桥,导航还未更新,找不到入口。他们在大兴场的马路来来回回寻好几趟,未果,最后不知道为什么就作罢了。
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runpenparis · 1 month ago
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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自己紹介 2024年10月13日追記 5861文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応え���ある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ 20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る 誰か知り合いとばったり会える事を期待しているけど たぶん顔を見てもお互いわからないだろう 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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nekotubuyaki-blog-blog · 9 months ago
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今週の入手本(20240212〜0218)
『地衣類、ミニマルな抵抗』(ヴァンサン・ゾンカ著/宮林寛訳/まえがき、カバー写真:大村嘉人/序文:エマヌエーレ・コッチャ/みすず書房)。地衣類を扱った書籍というだけで心がワクワクしてきませんか?私はします。
『読書アンケート 2023 識者が選んだ、この一年の本』(みすず書房編/みすず書房)。執筆者(目次記載順)加藤茂孝、白木賢太郎、土田昇、野田正彰、花崎皋平、徳永恂、上村忠男、齊藤誠、渡辺政隆、永田洋、服部文祥、加藤尚武、小澤実、藤井省三、堀川惠子、川那部浩哉、鎌田浩毅、榎本空、栩木伸明、豊下楢彦、小沢節子、酒井忠康、山田稔、佐藤文隆、宮下志朗、原武史、細川周平、山口二郎、沼野充義、奥山淳志、白石直人、大野克嗣、𠮷田徹、根本彰、竹内洋、青山直篤、山内一也、油井大三郎、重田園江、大島幹雄、柿沼敏江、頭木弘樹、根井雅弘、佐藤文香、坂内徳明、岡崎宏樹、倉田徹、斎藤真理子、朽木祥、宇野邦一、松本潤一郎、宮地尚子、酒井哲哉、飯田隆、永江朗、新城郁夫、草光俊雄、武藤康史、岡田秀則、江口重幸、松家仁之、斎藤修、石川美子、大井玄、妙木浩之、水島治郎、新田啓子、ブレイディみかこ、山崎雅人、䕃山宏、澤田直、阿部公彦、最相葉月、阿部日奈子、西平直、福嶋聡、キャロル・グラック、犬塚元、小谷賢、斎藤成也、三原芳秋、生井英考、和田忠彦、瀬名秀明、小野寺拓也、宮﨑裕助、郷原佳以、今村真央、川端康雄、三島憲一、板橋拓己、松本俊彦、神庭重信、増田耕一、巽孝之、石原千秋、上野千鶴子、長谷正人、早川尚男、田崎晴明、李静和、野崎歓、野家啓一、姜信子、勝俣誠、成田龍一、富士川義之、市村弘正、栗原彬、松沢弘陽、伊佐眞一、梅津順一、廣瀬浩司、蔵屋美香、十川幸司、千田善、鈴木布美子、國分功一郎、堀潤之、近藤和彦、鎌田慧、佐藤良明、小松美彦、丘沢静也、斎藤環、三中信宏、亀山郁夫、増田聡、鈴木了二、小沼通二、轡田收、野谷文昭、川本隆史、伊藤憲二、ノーマ・フィールド、吉岡忍、早川由真、小谷真理、鵜飼哲
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movingearth1969 · 1 year ago
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いよいよ公演1週間前になりました。
今日はお互いに意見を言い合える最後の稽古で、この後はもう、言われた意見を聞くか聞かないか自分で判断し、残りの1週間を自身の創作と向き合っていきます。
今回も多彩な面々のそれぞれの世界が浮かび上がってきました。大分お席も埋まってきましたがまだご案内出来ますので、気になっている方はぜひご予約下さいませ。
お待ちしております。
    ケイ・タケイ'sムービングアース
       メンバーによるソロ創作
       創作の芽を探す習作展Xlll
空間に立つ 
     そして内なる自己に集中すると
    自分の創造性に結びついてゆく…
          創造の芽に近付いてゆく…
                 ケイ タケイ
program A
萱場まり恵 響子 
program B
青柳ひづる 石田知生 石村弘子 大塚麻紀 
川原田瑞子 高橋京子 さわ 永井瑩子 西巻直人 前田ゆきの
●日時
2023年10/7(土) 14時 program A /16時program B
10/8(日) 14時 program A/16時program B
※開場は開演の30分前です
●会場:スタジオ・ムービングアース
世田谷区赤堤2-5-9 /phone 03-3323-6799
小田急豪徳寺駅、東急世田谷線山下駅より徒歩8分 /渋谷駅東急プラザ前より小田急バス渋54系統 梅ヶ丘・経堂行き35分「松原」下車徒歩2分
●予約・問い合わせ:マルメロ
phone:03-5627-7583 /fax:03-5627-7584
照明:武井由美子
舞台監督:河内連太
協力:桑谷哲男、斎藤朋(マルメロ)、岩田正晴、
   Earth友の会
会場は小さなスタジオとなっております。席数も少ないので早目のご予約をお勧めします。
皆さまからのご予約お待ちしております。
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tttetta · 1 year ago
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特別回: 長崎旅行編
今回の旅行を一言で: 旅のパートナーとしてのりおっぴは偉大。
7月2日
・お昼の便で成田から長崎へ。
・タイムズの72時間パックで新型ノアを借りる。
・旧香港上海銀行長崎支店記念館に行く。
・軍艦島デジタルミュージアムに行く。
・大浦天主堂とグラバー邸の目の前まで行くが、なぜか中に入る失せる。
・長崎孔子廟中国歴代博物館の目の前にも行くが、入場料600円の文字が目に入り、またも入る気が失せる。
・三八ラーメン大浦支店で皿うどんを食べる。太麺って言うの忘れてがっかり。
・日栄湯(入湯料400円)へ行った。良き。
・長崎水辺の森公園で車中泊。ワイン2本開けて死ぬほど酔った。どうやら、田村→川本隆史(zoomゼミ)→高野と通話をはしごしてたらしい。どうやって寝たか記憶がない。3mmくらい自己嫌悪。
7月3日月曜日
・出島和蘭商館跡へ行く。あまりの天気の悪さと二日酔いでぐでぐでになり、15分くらいで退散する。でも、めちゃおもろしかったから年パス買った。
・デイリーヤマザキの駐車場で2時間ほど横になって休憩する。
・長崎原爆資料館へ。有料の音声ガイド使ってみた。かなり良かった。これから博物館では積極的に使おう。その後近くに路駐し、3時間ほど昼寝する。
・出島和蘭商館跡にもう一度いく。なにせ年パス買ったから入り放題。無料ガイドツアーやってたから参加する。なかなか良かった。
・皿うどん食べる。今度は太麺。やっぱり味の素は偉大だ。
・別の銭湯(入湯料400円)に行く。前回のところもそうだったが、東京ではなかなかみられないノスタルジックな銭湯がまだまだ多く長崎には残っている。
・夜に山本と合流する。そしてこの日3回目の出島和蘭商館跡に行く。
・稲佐山展望台で、”1000万ドルの夜景”を見る。夜景って本来ブルジョワのものだって思ってるから特に違和感なかったけど、下品なキャッチコピーだって言われてハッとした。
というか、まさかこの夜景を二度も見ることになるとは、いやはや人生はわからん。
ちなみに前回はめちゃくちゃ見晴らしよかったけど、今回は濃霧でなにがなんだかって感じだった。
・道の駅 夕陽が丘そとめで車中泊。半額の寿司を3パックかって、地酒で流し込む。
7月4日月曜日
・遠藤周作記念館へ行く。
・音浴博物館へ行く。ここはめちゃくちゃ良かった。
・海上自衛隊 佐世保史料館 (セイルタワー)へ行く。
・500ml缶ビールを5本とスト缶1本を買い込み、佐世保バーガーも3つ買う。酒を3Lも飲んでバカなのかな。
させぼっくす99で車中泊する。結局カラオケ大会になった。
7月5日火曜日
・旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)へ行く。なかなか香ばしい展示だった。
・旧佐世保無線電信所(針尾送信所)へ行く。ヘルメット着用義務があり被る。あまりの顔のデカさにヘルメットが浮く。
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・途中蕎麦屋に寄る。帝国ホテルの元シェフがいるらしく、シャリアピンステーキを格安で食べることができた。もちろんそばも素晴らしい。
・四次元ぱーらーあんでるせんに一瞬寄る。たくさん人が並んでた。
・14:30のフライトで東京へ。
・帰宅してクタクタになったから、熱い風呂に入り酒を飲み優勝する。
・むくむくと気分が上がってきてジムに行けそうな気がしてきた。歩きの道中でpodcastsの収録もしてジムもする。ぼくって天才だ…!
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koshien-pocket · 1 year ago
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ぼくポケとくダネ!~最強決定戦優勝インタビュー ~
こんにちは!「ぼくらの甲子園!ポケット」専属記者の河原番太郎と申します!河原番太郎の「ぼくポケ!とくダネ!」第18回は「第15回最強決定戦」の優勝インタビューでございます!
今回は優勝インタビューを用意しておりませんでしたが、Twitterで戦術について呟かれていたトリエラさんにお声かけして急遽!実施することができました!!どうぞお読みくださいっ!
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インタビューに答えていただきます選手は、ミドルリーグ北海道・東北ブロック:福丘浄法寺極高校の「トリエラ」さんです!
番太郎(以下、番):トリエラさん、本日は優勝インタビュー受けてくださりありがとうございます!
トリエラ(以下、ト):急だったのでビックリしました(笑)
番:こちらのツイートからちゃっかりこぎつけました(笑)
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ト:優勝エピソードにいろいろと書き込んだんですがまさか番ちゃんからインタビューされるとは思いませんでしたよ!
番:優勝インタビュー自体は不定期でやらせていただいていて今回は予定していなかったのですがトリエラさんが「 決勝の試合経過をまとめようかしら」とおっしゃっていたのでそれはっ!!!と急遽オファーさせていただきました!
ト:(笑)
番:こんな風にフットワーク軽くインタビューなどさせてもらえるのはとっても嬉しいのでTwitterではぜひ皆さんたくさん発信してくださいっ!
では前置きが長くなってしまいましたが、まずは選手の皆様へ自己紹介お願いいたします!
自己紹介
ト:はい! 5年くらい前に友人から、なかば無理やりぼくポケを始めさせられまして(笑)、最初は渋々やっていたのですが、負けず嫌いな性格なためか、本来飽きっぽい私が今まで続けています(^^; 時間が割と自由になる仕事をしていますので、試合にはちゃんとでています!
番:無理やり(笑)!でもその方もそこからそんなにも長くそして優勝を勝ち取る選手になるとまでは予想していなかったでしょうね!トリエラという名前もなんだかキャッチーですね!
ト: キャラ名はその友人の好きな漫画のキャラからとりました^_^
カエルさんユニフォームのトリエラさん& SNSハロウィンきせかえコンテストで入賞した時のトリエラさん
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番:キャラ名もそのご友人のかた由来なのですね!ではでは 優勝のご感想をお願いしますッ!
優勝の感想
ト: 6回目の優勝ですが、いままでで一番興奮しました!(笑)
番:今までで1番!!今までで1番というところですが、今回の甲子園大会、印象深い試合は?また場面など教えていただけますか?やっぱり決勝戦でしょうかね!
ト: そうです!もちろん決勝戦です!今回、目下甲子園2連覇中、ミドル最強の呼び声高い青鳳さんにコールド勝ちするなど順調に来ましたが、ミドル東の横綱と言ってもよい両国さんとの決勝戦になりました!
番: 青鳳さんも両国さんも超強豪校でございますからね!! 両国さんはTwitterでも沢山発信してくださってますよね(*´艸`*)
ト: ですです(笑)!両国メンバーにも知り合いの方が多いのでSNSで連絡取りあったりしていましたが、試合は両者譲ることなくまさに死闘になりました。ここまで来たら優勝するしかないとメンバーで誓い合って臨みました。
番:わあ……手に汗握る …… !どのような試合展開でしたか?
ト:私は先発でしたが、3回に連打を浴び、2点を先行される展開に。今期のウチの攻撃力があれば、逆転も可能!と信じて2ターン目から特攻で挑む展開になりました。神獣ポイントも貯まっていない不利な展開になり、4回に3点、5回に5点と大量失点してしまいました。ただ、こちらも4回裏にミツさんのツーベースで1点を返しますが、5回表の時点では10対1と絶望的な展開に …… 。
番:先行されると神獣厳しくなりますもんね汗そこからどうなったんでしょう??
ト:5回裏に浄法寺の強力打線が火を噴いて6点を奪取!10対7まで追いつき、首の皮をつないだ状態になりました。
番:おおお!! 6点を奪取?! 
ト: 3ターン目、こちらは、Kさんに、両国さんは、リュウさんに継投し終盤の攻防を迎えました。7回に1点を失い、点差は11対7に。しかし、8回に3点を返して11対10の1点差で最終回を迎える展開になりました。
番:いやああ心臓に悪いです><!
最終回 11対10
ト: 9回表、Kさんは、先頭打者に連続安打を浴びながらも、残りの打者を凡退と三振に打ち取って0点で抑える好投!9回裏を迎えました。
番:Kさん心臓が破けそうだったでしょうね…でもその好投が次のチャンスへと繋がったのですね!
ト:そうだと思います!しかし次は打順が6番からとあまりよくなかったのですが、最後まであきらめずに打者さんたちに望みを託しました。
先頭打者のふっくさんがヒットで出塁!その後ワンアウトになるも8番捕手おじょーさんがヒットで1,2塁に。9番投手のKさんがアウトになりツーアウト、1,2塁という場面で打順は1番のヴェルさんに回ります。緊張のなか、ヴェルさんセンター前にツーベースで2塁ランナー横井GMがホームを踏み、同点!ミツさんがタイムリーヒット!おじょーさんがホームを踏み、超劇的な逆転サヨナラ勝ちで雨の最強戦を制したのでした。
Kさんは、ミドル初優勝を胴上げ投手で飾りましたよ!
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番:おおおお……!!粘って粘って食いついて食いついて最強決定戦を制したと!!!Kさんもミドル初優勝で胴上げ投手><!
ト:あ!そうそう、  決勝戦のときに、両国さんの投手されてたリュウさんとSNSでリアルタイムで話していて「リュウさん、炎上おねがいしますね!(笑)」と送ったら、その通りに打たれてくれて優勝しちゃったんですよね(笑)
番:わあ!リアルタイムで(笑)!すごい忙しいじゃないですか!!でもSNSで選手さん同士が「対戦ありがとう!」「優勝おめでとう!」あとは「勝ち進んでね、頑張って!!」というエールや、感謝、気持ちのやり取りをお見掛けしますがなんだか本当にそれが素晴らしい景色だなと思います……!すごく特別だなあと思います。
試合の話に戻りますが、前半の山場でいうと、神獣Ptが貯まらないことも影響してか、5回表の時点では10対1でしたよね …… !神獣機能リリースや試合バランス調整が実施され、試合の展開や戦術なども変化があったかと思います。そのあたりはいかがでしたでしょうか?
試合バランスについて
ト: そうですねえ。試合バランスは、以前のような硬直した試合が少なくなり、よく動くようになったので楽しくなったと思いますよ!
番:なるほど!!!
ト:ただ、ミドルも4スキルになり、神獣が加わったことで、操作が煩雑になり過ぎています。装備変更エラーや、選手交代エラーが頻発するので、試合中は大忙しでストレスが溜まります(-_-
番:そうですね……神獣機能は手元の操作だけの話じゃないですし、スキルとかよりもう少し目に見えて○○~みたいな感じの方がもしかしたらやってる甲斐みたいなのが感じられてより楽しいのかな……とかも思ったりもします。
装備エラー交代エラーでのストレスはただただ申し訳なく思っています><チームで戦うものなのでより一層今ここでそんなことになってる場合じゃないんだよ!ってなりますよね。
ト:根本の改善が厳しいということですが、どんな方法だってこちらとしては構わないのでぜひ改善して欲しいです!
番:はい!こちらは引き続き取り組んでいくとのことでしたのでどうぞよろしくお願いいたします!! ズバリ! トリエラさんが考える優勝の決め手は?!
優勝の決め手
ト: 指揮官のおじょーさんの戦略、みんながミスなく頑張ったこと、強力な野手さんの攻撃力、強力な助っ人さんが参加���てくださったことです!
番:どれもベストを叩き出すことは本当に難しいことだと思いますが、今回はバッチリマッチし優勝をつかみ取ったのですね!!!
うちのチーム
番: 福丘浄法寺極高校 !カエルさんでお馴染みではございますが、うちのチームってこんなチーム!カラー、歴史、試合のスタイルなど教えてください!
ト: カエルチームです。横井GM率いる歴史と伝統あるチームで福丘浄法寺は18回くらい優勝しているみたいですね。かつてはカエルは3チームあってミドル東西とマスターで活躍していて、全部合わせると37回優勝しているようです。今はミドル北海道東北ブロックの福丘浄法寺極のみになりました。私は統合後に参加させていただいた新参です。かつては意識高いプレイヤーさん達が集まっていて厳しいチームと言われていましたが、今は割とゆるいところもあり、みんなで楽しくやっています!
番:長い歴史の中でチームの雰囲気も新陳代謝していっているんですね!今後の展望はありますか?チーム単位でもトリエラさん個人でも!
ト: チームの首脳陣は、まだまだやる気なのでチームはしばらく続くと思います。私はそろそろ潮時かな?と思うこともありますがリーダーや指揮官の熱意に後押しされています。
番:わあああ潮時じゃないです><!
ト:(笑)
番: せっかくなのでこの場を借りてぜひ伝えたいことなどあればぜひお願いします!
ト: プレイヤーさん達へ!優勝目指して頑張って下さるメンバー募集中です。ぜひお気軽にお声掛けください。
ぼくポケへのメッセージ
番:ありがとうございます!ぼくポケは今年で9周年を迎え、統合から約2年、そして神獣という新しい機能も追加されたりで選手の皆様にとっても運営にとっても激動の時代を迎えていると思います。ぼくポケに期待していること。こんなことやっていって欲しいなど教えていただきたいです!
ト: そうですね。先ほど話に出ましたが、最近は操作が煩雑すぎて楽しみよりストレスを感じる場面も多いです。 装備変更エラーも放置してはまずいポイントだと思います。新しい要素を増やすより、基本的な部分を見直したり、修正したり、サクサク動くようにしていただきたいです。
番:ありがとうございます!運営としても今装備エラーなどで選手の皆様に与えてしまっているストレスは、認識しており心から申し訳ないと思っています。ぼくポケの9年という長い開発の歴史が重くのしかかっている部分です。
それを選手の皆様に背負わせているということを忘れずに開発に向き合っていってもらいたいと思います!!
トリエラさん!!今回は手に汗握る白熱の優勝インタビューをありがとうございました!!
ト:はい!ありがとうございました!連覇狙っていきますよ(笑)!!
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トリエラさんの好きな食べ物
「  美味しいものはなんでも好きですが、やはりお肉とワインが最高です!」
焼き方はレア?それともミディアムレア?よく焼き??オシャレでございますねええ(*´艸`*)
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トリエラさんの好きな風景
「 好きな景色は海ですが、都会も好きなのでこちらにします!夕暮れ時の雰囲気ある時刻が大好きです」
アーティスト写真!!?なんて素敵なのでしょう!!!
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leenaevilin · 3 years ago
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[Announcement] 舞台「ヴァニタスの手記」(butai vanitas no carte)
the show will be running from January 21st, 2022 to January 30th, 2022 (Tokyo) @ シアター1010 (Theater 1010)
Cast:
Ueda Keisuke as Vanitas (ヴァニタス) Kikuchi Shuuji as Noé (ノエ) Noujou Ami as Jeanne (ジャンヌ) Sawada Miki as Dominique (ドミニク) Kiyama Haruki as Roland (ローラン)
homepage twitter natalie
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jinghuablog · 7 months ago
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动物天堂,人间炼狱——走进澳洲的尽头(三)
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爬山回来后不久,天空便下起了大雨,豆大的雨滴足足下了一个晚上。早晨起来,雨势小很多,碰上这种天气,什么地方都不能去,只好呆在房间里打发时间,太太正忙着整理行李,我端一杯咖啡斜倚在窗前,看着窗外出神。雨还在淅淅沥沥下个不停,像是掉了线的珍珠在空中飞舞。树木像是被洗过一样,泛着绿油油的亮色,树枝在风中不停的摇曳,残枝飘落,落叶纷纷,一片萧瑟残景。秋雨纷飞,愁绪难言,以至于离开摇篮山的时候,人觉得特别的累,那种疲惫状态有如刚从天上遨游回到人间一样,懒洋洋的,无话可说。
我们下一站是塔洲首府霍巴特(Hobart),从摇篮山去霍巴特有300多公里,开车需要四个多小时。途中我们在罗斯(Ross)小镇停留了一下,在那里吃个午餐,随后便在小镇各处转了转。小镇不大,人口约300人,但它却有着200多年的历史。小镇主街的两旁种有浓荫蔽天的榆树,上百年的历史建筑随处可见,有市政厅、羊毛中心、旅舍、教堂、邮局、面包房、民居。
古色古香的小镇,幽静雅致,午后的阳光更给这里平添了不少迷人的色彩。湛蓝的天空,悠悠的白云,米色的房屋墙壁,绿色的尖屋顶,翠绿的草地,泛着清波的小河,刻有岁月沧桑的古桥,小镇就像是一幅美丽的画卷,每一笔都是那么的淡雅清新,精致细腻。据说当年宫崎骏动画大师曾在这里住了一个月,以创作他的动漫作品《魔女宅急便》。没有人在意这则传闻是否真实,但小镇的知名度因这则传言而备受追捧,却是不争的事实。
名扬内外的还有小镇面包房里烘烤的干贝派(Scallops Pie),几乎所有来这里的游客都会买来品赏一下。小镇上有二家出了名的面包房,一家是Ross Bakery,另一家叫Bakery31,他们的干贝派都做不错,个人觉得后一家更好吃些,价格倒是差不多,都在10澳元上下,据说20年前同样的派只需2澳元,价格涨了五倍之多。
小镇受欢迎的景点还有建于19世纪中叶的罗斯女子监狱工厂(Ross Female Factory)旧址,当年的建筑物都已经不复存在了,只剩下一幢监工小屋保留至今,游客进屋可以一窥当年那段凄楚的历史。罗斯桥(Ross Birdge)是小镇地标之一,这座由女囚犯人建造的古桥,完全是用砂岩石筑成的,桥身刻有精美的浮雕,经历200年的风吹雨打,依然魅力十足,是澳洲仍在使用的三座古桥之一。还有著名的罗斯十字街(罗斯四角),战争纪念碑,乔治亚风格的议会小屋,歌特复兴风格的天主教堂,维多利亚风格的罗斯酒店,这些建筑都有上百年的历史。
漫步街头,沐浴古风。徜徉河边,芳草萋萋。罗斯古镇,田园风光,优游卒岁,又复何求?作为一个外来游客有此感慨,不足为奇,我想很多人都会被这里美丽风光所感动。
令人觉得不可思议的还有天气,当我们从摇篮山出来的时候,天还下着阵雨。来到罗斯小镇,却意外的云开日出。等到我们的车开出了小镇,明媚的阳光已经洒满大地。难得有这么好的运气,我们把接下来的行程改成去惠灵顿山(Mt Wellington)。
惠灵顿山在霍巴特以西20公里的地方,它海拔1272米,是霍巴特最著名景点之一。上山的盘山公路修的很好,到处都是浓荫蔽天的大树。这时节,放下车窗,吹着山风,汽车慢悠悠的盘曲而上,自己的心情也随着山势上升而变得开心无比。山顶十分开阔,有个大停车场,从停车场岀来,沿着一条步道,可以走到断崖绝壁的地方,风景这边独好。
山顶属于海洋性极地气候,常有极端天气的出现,有时一天会有四季之分,还会碰到晴天,下雨,刮风,下雪,再晴天轮番交替的怪诞天气,所以上山一定要带上御寒的衣服。还好山顶上掣出一个室内观景屋,人们可以躲在屋内静静地观赏山下的景色。
好在山上的风景确实美丽,湛蓝的天空一望无际,朵朵白云在眼前悄无声息地飘荡,多么的轻盈,多么的温柔,不经意间投下的几块云影,在山水之间游来荡去,那些来不及阴的地方,云又过去了,不过也不用着急,另一片云马上又转了过来。
站在山顶犹如飞入了云端,真有一览众山小的气势。自己脚下是美丽的霍巴特城市风光,高楼大厦,豪屋大宅,公园绿地,跨河大桥,沙滩海湾。远方是逶迤的群山,阡陌纵横的原野,清澈的河流,浩瀚的大海。向更远的南边望去,那是通向南极大陆的南大洋,离南极大陆只有2500公里,从这个点上来说,这里不仅仅是澳洲的尽头,也可称得上是世界的尽头。
此时我的想象插上驰骋的翅膀,尽头再跨前一步就是寸草难生的蛮荒之地,是生命万物终结的开端。每个人都知道生命的尽头是死亡,可很少有人会问思想认知的尽头意味着什么?对于这个问题的不在意,让人很容易误入骄傲自满,狂妄无知的歧途,这还是避重就轻的说法,更可怕的是思想的贫瘠荒凉让闪光的理想变成腐朽,青春的笑靥变得虚假,对是非善恶麻木不仁,对良知正义漠不关心,以假充真,以丑为美,这种无异于草木的生活,是人的另外一种死亡,虽然表面看起来依然风光十足。
在霍巴特住下之后,我们开始规划接下来的行程。布鲁尼岛(Bruny Island)之行是我们的首选。虽然布鲁尼岛离开霍巴特仅一个小时的车程。但这个岛却给人一种遥远世界的感觉,不光是因为那里早在四万年前就有人类活动,还有它的侏罗纪海岸线、丰富野生动物、珍稀鸟类以及无比美丽的自然环境。当然要在一天之内领略全岛的自然风光决对不可能办到,好在还有一个办法,那就是乘坐观光快艇,去遨游这片神奇的海上世界。于是我们在网上订了第二天的出海行程。
霍巴特是一个理想的卜居之所,除了有山有水之外,还特别整洁宁静。早上出门,阳光灿烂,空气清新,眼前是一片明丽的街景。路上车辆不多,道路快捷畅通,开车40分钟便来到了凯特林(Kettering)渡轮码头,在码头上买了船票,也无需排队等候,就直接把车开上了渡船。
渡船很大,宽阔的甲板上停有六长排汽车,每排有10多辆的车都齐刷刷的停放在甲板上,在阳光下泛着明暗不一的光亮。渡船航行时非常平稳,不一会儿渡轮码头就消失在我们的视线之外,而出现在眼前的是一片青山绿水,白云缭绕的海湾风光。那景色真可用一首诗来表达,碧海万顷映朝晖,白帆如雪蔚蓝天。凭舷回望渡船处,风恬浪静海鸥翩。
渡船航行20分钟,便稳稳当当靠上了对岸。我们跟在渡轮上的其他车辆后面,犹如猛虎放柙一般的冲出码头。上了岛,徒觉神清气爽,一尘不染。岛上安静的出奇,仿佛还没有从昨晚的清梦中醒来,而我们倒像是些不识趣的闯入者。车开了没多久,渡船上下来的车全都不见了踪影,一条大道上只剩下我们俩。大自然像是特别为我们准备了一份视觉厚礼,透过路两旁种着一排排的绿树的缝隙,可以看到山丘、田畴、树林和海滩,真是美不胜收。
我们来到集合地点冒险湾(Adventure Bay),看看时间还早,先在海滩上闲闲的蹓跶走走。海滩上空无一人,��得格外的寂寥,白色的沙滩在阳光下特别耀眼,海浪轻轻拍打着海岸,几只海鸟在水上飞翔,一条木栈桥从岸边伸向水中,给单调的海滩添了一道不错的风景。一大早,在清凉的海边散步,听风声,涛声,啁啾鸟语有种不可言状的惬意。
九点半钟,陆陆续续有坐船的游客到来,大家一起聚在游轮公司大楼,听公司员工介绍整个航程,以及注意事项,他们给我们每人发一件防风防寒外衣,二片防晕船药片,还特别嘱咐海上航行气候多变,寒冷刺骨,并安排一名年轻姑娘随船讲解,一切都做的详细周到,称心如意。
印象中的布鲁尼岛非常荒野,然而只有坐在船上你才会真正体会到它的原始荒凉。快艇开出去不久,神奇壮观的粗面岩海岸地貌陆续出现在了眼前,这是世界上最大,分布最广的粗面岩石群,颜色显浅褐黄色,也有的是灰白色,这些形成于1.6亿年前的柱状岩石耸立在大海边,风化成形态各异的悬崖,其中还有南半球最高的垂直海岸悬崖,最高超过300米,这也是世界最高的海崖之一。更奇的是陡峭的石壁上竟长出一棵棵枝叶婆娑的桉树,这些长在石缝里的桉树,不畏严寒,睥睨风雨,迎风俯仰,展现出顽强的生命力。不仅海岸线的悬崖峭壁看了让人兴奋,还有各种大小不一的海蚀洞,形状不同的海蚀柱、喷水孔、海藻森林、深海洞穴��荒野的海滩、海岛,真叫人大开眼界,堪称一趟奇妙无比的侏罗纪海岸线旅行。
���艇在海上时而飞速急驶,溅起一阵阵的浪花;时而放慢速度,甚至在海上自由飘浮,随波逐流,在这一快一慢中,即能让我们感受速度带来的快感,又能使我们尽情地观赏海上奇景,拍照留影。不仅如此,船员还耐心地答疑解惑,知道大家对南大洋的野生动物都怀有极大的兴趣,快艇还特意在塔斯曼角(Tasman Head)停留很长时间,那里是海狗的乐园,成千上万只海狗躺在礁石上,懒洋洋地洒着太阳,对我们这群不速之客视而不见。在企鹅岛我们还看到许许多多"神仙企鹅",它们在小岛上的那副无忧无虑,憨态可掬的样子,冠以"神仙"二字实在是非常的传神。除了近距离看到这些珍奇动物之外,在我们船的周围还跟随着许多海豚,它们不时跃出水面,撒欢争宠,蔚为壮观。在我们的头上更有鸟群盘旋逗留,信天翁、海鹰、海燕成群地飞过来,越聚越多,结队跟着我们的快艇前进,忽上忽下,忽左忽右,竞相追逐。这片广阔的海域无疑是它们的乐园。
快艇载着我们在这片神奇的海域纵横驰骋,所向披靡,带着我们在这个海上乐园,恣意飞驰,尽情欢乐,哪管什么寒风凛冽,海浪颠簸。三小时的快艇巡游惊险刺激,一路上奇景奇遇不断,惊呼和笑声连连,忘却了时间,更忘记自己身在何处,此时此刻,这片海域只属于我们船上每一个人。
唯一遗憾的是时间过得太快,还未尽兴就戛然而止,这或许是给下次的重游留下一扇机会之窗。虽然对什么叫"尽兴"仁者见仁,智者见智,但尽兴的后面必定是索然,旅行是如此,生活也是如此。
游罢归来,我们去了附近一家养蜂农场,买了些当地产的蜂蜜产品。然后又去了一家生蚝农场饱餐一顿,那里的生蚝果真是全澳洲最好吃的。最让人心情激动的是登上有279级台阶的颈峡(The Neck),站在上面可以360度全方位观看美丽风光,一条4公里长的地峡,最窄处仅有100米,颈峡的左边是浪涛汹涌的冒险湾,右边是海面砥平的辛普森湾(Simpsons Bay),远方是绵延起伏的山峦,雄伟壮观,它是塔洲最为知名的景点之一。
霍巴特还有一个非常著名的景点就是亚瑟港历史遗址(Port Arthur Historic Site),它位于塔斯马尼亚东南一个半岛上,被联合国教科文组织列为世界遗产,这里是了解澳大利亚历史文化一个绕不过去的景点,也是我们接下来的行程。
第二天,又是一个风暧日丽的早晨。我们还是一清早出门,从霍巴特到亚瑟港有90公里,开车需要一个半小时,一路上景色唯美,仿佛是一幅幅流动的画卷。我们在山水之间,在丛林之中穿梭而行,不知不觉便来到了亚瑟港。我们先去游客中心,买了两张参观门票,门票包含港湾游轮和参观遗址。售票的姑娘告诉我们,这里的遗址包括30座历史建筑,大量的遗址和美丽的乡村景色组成,如果不是走马观花似的转一圈,至少得花三个小时以上时间。
走进亚瑟港,我就被这里如画般的景色深深的吸引,那景色堪称世外桃园般的美丽,但在这美丽的背后却隐藏着一段痛苦的过去,一段澳洲最黑暗的历史之一。
我们先去了码头,坐上游轮出游。船上的游客不多,大家三三两两的站在甲板上,要不是船上的广播介绍沿途的景观和历史,大家还以为是一趟纯碎的赏景之旅。当船来到一座绿树环绕的小岛,游船减慢了速度,广播中开始介绍这里所发生的故事。这个小岛被称之为"亡灵之岛"(The Isle of the Dead) ,弹丸之地总共有1646个坟墓,其中包括180个标有姓名的军人、看守以及他们的妻子和孩子,那些草草落葬的无名之墓都是亚瑟港监狱死去的犯人。游船返航的时侯,我心里总觉得沉甸甸的,再也无心欣赏沿途美丽的风光。
渡轮回到码头,接下来我们便去参观监狱遗址,首先印入眼帘的是被大火烧成只剩下一个空架子的四层牢房遗址,原来的一、二层里共有136个单独牢房,这里没有窗户,不见天日,关的都是些带有脚镣铁链的重刑犯人。三楼是教室、祷告室、图书室,旁边还有餐室、厨房、面包房。最上层关押着348名普通犯人,他们每天都得劳动12小时以上。
不远处还有一个少年监狱,里面一个最年轻的囚犯只有9岁。这些少年犯或许只是偷了一片面包,一个玩具,一只家禽,或者抢了别人一件衣服,一条围巾,一只钱包而被定罪,然后又以同样的原因再被抓一回,就被贴上惯犯的标签。当时的法律对惯犯处罚极为严厉,判刑之后,有的人便送来亚瑟港监狱接受劳动改造。十八、十九世纪的英国正处以工业革命的时代,贫富差距,社会不公导致小偷横行,犯罪猖獗,民不聊生。很多穷人连基本的食物都没有保障,人的本能逼的他们偷点食物以果腹,抢件衣服以蔽体,甚至是为自己家里的老人,兄弟姐妹,然而严厉的法律却让他们承担不可承受之重。
从监房的铁窗向外望去,外面的世界是多么的美好,依山傍水的英格兰田野风光,精致的花园里种满了奇花异草,一大片绿茵茵的草地一直延伸至海边,水面上波光粼粼,微波轻柔的拍着岸边,像是母亲那双温柔慈爱的双手。远山如黛,深沉博大,又像是父亲宽阔的肩膀。此情此景,怎能不勾起对家乡亲人魂牵梦绕的思念。关押在此的犯人,谁不想重获新生,回到自己亲人的身边,去尽自已做儿子、做丈夫的义务。但这道铁窗却成了他们不可逾越的鸿沟天堑。
即使能摆脱这道铁窗,外面也是天网恢恢。亚瑟港三面环海,这片海域有大量的食人鲨鱼出没,犯人游泳出逃必死无疑。通向外面只有一条陆路可走,但这条路的必经之处有一个30米宽的"鹰脖"隘口(Eaglehawk Neck),这里日夜都有重兵、恶犬把守,还有无处不在���陷阱,所以犯人要逃出生天比登天还难。自由对这些人意味着什么?我们外人无从体会,但犯人在狱中杀人以求一死,或者趁外出工作时自我了断的案例层出不穷,足以说明自由在他们心目中的份量。
很少有人有勇气去面对死亡,更多的犯人选择逃跑,可成功出逃的屈指可数。那些被抓回来的犯人除了罪加一等之外,还得附加100下的鞭刑伺候。受刑的时候,貌似医生的人员在旁观察,如果受刑人身体吃不消,则留待以后再打,有个犯人在42年间共累积1500鞭。很多犯人被折磨得患有多种疾病,包括精神病,光是1870年代,就有许多犯人在监狱里的精神病院接受治疗。
与此成鲜明对照的是生活在这里的军人、管理人员和他们的家属,这些人白天看管犯人,负责监狱管理;晚上和周末则有各种的派对、体育比赛、文艺晚会。他们过得是清风明月,对酒当歌的生活,是一种建立在地狱之上的天堂幸福。到了1840年,这里共有超过2000名囚犯和管教人员,逐渐形成了以监狱为中心的一个完整的社区,一个集采石、制砖、伐木、家具、船舶加工和制造的地区。
亚瑟港劳改营无论是在英国,还是在澳洲都是同黑暗、野蛮和毫无人性连系在一起,虽然我们在参观遗址时也听到很多士兵、医生、牧师所展现的令人动容的人性光辉的故事,但这个劳改制度却被永远钉在历史的耻辱柱上。
亚瑟港监狱在1877年被彻底关闭,1895年和1897年的二场森林大火彻底烧毁里面大部分建筑,留下尽是些断壁残垣,荒凉萧瑟的历史遗迹。然而劫难又再一次的降临,1996年4月28日,一名枪手在这里用自动步枪枪杀35名游客,重伤37人,再给亚瑟港添上一笔血淋淋的伤痛。
如今全澳共有3000多个囚犯遗址,亚瑟港的遗址无疑是最大的。这些犯人从英国、爱尔兰出发,漂洋过海六个月,来到澳洲这块处女之地,戴罪劳动,开发建设。家乡对于他们来说仅仅是个梦里相会的地方,家人也变成了生命中的一个个符号,妻离子散,家破人亡才是他们真正的切肤之痛,然而这些个体命运的跌宕起伏,却意外地成就了一个民主、自由、富裕的澳大利亚。我们在享受这种荣耀的时候,是否体会到那些令人心碎的过去?
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leenaevilin-stage-market · 4 years ago
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[Video] 舞台「KING OF DANCE」(butai king of dance)
the DVD/Blu-ray will be released on December 18th, 2020☆ ☆ ☆
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