#三箇日無休
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Les premières vacances de 2023 sont... Merci à toutes les personnes impliquées depuis l’année dernière! Nous sommes impatients de travailler avec vous à nouveau cette année ♪ J’étais au travail pendant les vacances du Nouvel An. Je ferai de mon mieux pour être conscient du lien entre l’esprit et le corps et valoriser la « gratitude » plutôt que la « cupidité ». 2023年最初の休日は… 関わりある皆さまに昨年は 大変お世話になりましたこと 心より厚く御礼申し上げます。 本年もどうぞよろしくお願い いたします。 ほぼ例年通り大晦日から三箇日 仕事納めと仕事初めを連動して 心と身体の連動にも刺激入れて 今年も『欲』より『感謝』を 大事にして頑張ります。 #年末年始仕事中 #三箇日無休 #皆様に感謝 #家族に感謝 #健康に感謝 #身近に感謝 #本年も宜しくお願いします #卯年 #欲より感謝を大事に #初詣 #車検 #メンテナンス https://www.instagram.com/p/Cm_TofJPwBt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、パラパラと雪が降ったり止んだりのお天気です。
昨日は休み…でしたが、朝からゆっくりと一合片口縄文の、口先箇所をコツコツ削っては磨き、いつもより少し早めに終わろと思っていましたが、無心になると結局は夕方に…
そして昨夜のオラ家の晩ご飯は、川連漆器でチキン南蛮丼⁉︎と、豚バラみぞれ鍋⁉︎。
三連休⁉︎…今日も休み…ですが、無理せずのんびりコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い休日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #365日川連漆器 #一合片口縄文 #木地拵え #木地微調整 #オラ飯 #オラ家の晩ご飯 #個人の未���と産地の未来 #漆器のある暮らし #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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無題
年末に彼女とユリイカを観た。俺は2回目だった。2人兄妹で九州ネイティヴの彼女にも観てもらいたかった。半ば放心状態の彼女と劇場を出て、近くのはま寿司に入って、何か喋ると泣きそうだという彼女とぽつぽつ感想を話し合った。あの兄のアセスメントをどう見立てているか、と訊かれたか���、自分のトラウマと折り合うために、不条理を道理にしたかったんだと思う、とこたえた。後ろのボックス席の大学生がうるさかった。彼女は静かにうなずきながら、勉強になる映画だった、といった。トラウマから立ち直っていこうとする人の姿を、三者三様で真摯に描いていたから、と。
*
正月は彼女の実家に帰って、義父の運転でユリイカのロケ地だった阿蘇の草千里と中岳の火口に連れてってもらった。美しい風景だった。冬枯れした草原が黄金色に光っていて、スクリーンで観た色に限りなく近いようだった。冬に行ってよかった。金色の野っすね、と俺がいったら、義父が、ナウシカやね、と笑った。火口付近は猛然と白煙を上げていて、到着してすぐは立ち入りが規制されていたけれど、程なく解除されて無事に見学することができた。太宰府で大吉を引いた義父のもたらした僥倖だった。スピード狂の義父は、車間を保って法定速度を順守している車たちに毒づきながら、快調に愛車を転がしていく。自損事故で長男を喪っているのに、と口にはしないまでも思う。車内には義母の好きなLDH系のアーティストの曲が終始流れていた。熊本地震の影響か、脱落して痘痕みたいになった山肌が何箇所も見えた。途中、数鹿流(すがる)崩れといって、大規模な山崩れの起きた遺構にも立ち寄った。東海大の学生が巻き込まれて……、ときいて、俺も当時の報道を思い出した。崖の途中に引っかかった路面やガードレールがそのまま遺されている。すぐ脇には再建された阿蘇大橋が架かっていて、真新しいコンクリートが光っていた。破壊と再生の風景だった、ここもまた。
*
もう1日休みがあったから、彼女とレンタカー借りて海ノ中道に行った。車内ではジム・オルークやアルバート・アイラーを流した。陽が沈む前にと急いて急いて、すぐ向こうに海の気配を感じるのにどこまでも切れず伸びている松原を恨みながら海岸沿いの道路を駆け抜けて、ようやく辿り着いた浜辺はまさしくゴールデンタイムで、ハングル文字の書かれたペットボトルや半壊した冷蔵庫が漂着していた。世界の終わりによく渚の風景が描かれるのも頷けた。ぼろぼろになった海鳥がはらわたを晒して事切れていた。晒す、という字は西日と書くんだね。写真もたくさん撮った。現像が楽しみ。良い旅だった。巡礼の旅だった。いつか義兄が亡くなった現場にも同行させてほしい、と彼女に伝えた。
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【240407編集しました】 当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。 今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。 スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。 私もスポーツ推薦で高校に行った。 中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。 私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。 結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。 それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。 だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。 大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。 夏休み明け、糸が切れたように不登校になった。 推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。 子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。 が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。 今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。 数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。 なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。 それができない我々のための話と思ってほしい。 大学には行きたいなら大検でもいい 大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。 こだわりがないなら大検とって大学に行けばいい。 卒業したいなら単位はとる 卒業��は単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。 だが、毎日真面目に通う必要はない。 欠席、早退、遅刻の日数を管理しながら授業に出ればいい。 テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。 クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ? 単位はなんとかなる。では、部活はどうしたらいいのか? 「退部=退学」を信じない 行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。 スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。 でも、そんな約束はどんな書類にも書いていないはずだ。 あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。 (もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。) そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。 生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。 とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。 時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。 顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。 あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。 もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。 呼び出されたときに一番怖いのは密室での暴力だろう。 顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。 無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。 賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。 万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。 引退後 多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。 暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。 個人的なオススメは大学に行く準備をすること。 大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。 大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。 そんなんで人生大丈夫なのか? もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。 けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。 正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。 あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。 あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。 それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。 一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。 最後に 小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。 でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。 あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させ��り登校させたりしたいだけなのだ。 ならば、あなたはあなたの都合で行動したっていい。 正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。 でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。 なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。 死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。 あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。 健闘を祈る。 親御さんへ お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。 私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができている��もりです。 大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。 私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。 私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。 そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。 私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。 口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。 私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。 このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。 子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。 父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。 こんな頭のおかしな妄想に浸りたくはありません。 しかし、父��笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。 父と会わなければよいわけでもないのです。 子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。 ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。 そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。 結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。 親も人である以上、感情も衝動もあります。 しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。 長文、乱筆失礼しました。 以下追記(240405) (なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。) このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。 疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。 スポーツ推薦で入ってもサボれば大丈夫? 温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。 ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。 その点について、もう少し書かせてください。 私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。 また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。 必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。 「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。 もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にま��運びましょう。 でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。 父とのこと ここで文章にしたことで、少し整理ができた部分があります。 愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。 高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。 許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。 というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。 もう一度、最後に 心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。 この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ
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【2023-11-23】 勤労感謝の日
晴れ。午前七時三十五分起床。祝日。アラームで目覚める。顔を洗い、歯を磨きアパートを出る。セカンドストリートで1500円で購入した、グリーンのミリタリージャケットに胸にピースマークの缶バッジ、ボーダーのハイネックのニット、デニムパンツ、スニーカーという格好。今日は、祝日のため、平日通っている、精神病院のデイケアが休みだ。今日は、特に予定を入れていないが、暇なので、とりあえず地下鉄で、天神へ向かう。電車内、ス��ホをみたり、読書。数日前、ジュンク堂書店の古本まつりで250円で購入した、大島亮吉著「山ー随想ー」の続きを読む。大島亮吉は、学生時代から登山サークルに入っており、人生のすべてを山にかけていた。「山ー随想ー」には、ただ、登山している時に見える風景や、その日に摂った食事のことがただただ淡々と記されているだけだ。退屈と言えば退屈な随筆だ。ソローの「森の生活」のように。しかし、小説のように、ドラマティックな出来事が何も起こらず、著者の感じたことや、出来事をただ羅列しているだけの退屈な文章が、私は好きなのだ。そういう生き方をする人に「無常の愛」を感じるのだ。しいて、私が興味を惹かれた箇所は、「アイヌ民族」についての事柄が記されている箇所だ。そのことは、また、のちのち触れることにしよう。天神へ着き、まだどこも店は開いていないので、ただ、あてもなく天神の街を、タバコをくゆらせながらぶらぶら歩く。腹が減ったので、ロッテリアへ行き、野菜バーガーセットを食べる。サイドドリンクはメロンソーダ。私は、コーラやカルピス以外にメロンソーダも好きなのだ。向かいの席には、若い二人組の男が向かい合って座っている。前日、飲みすぎたのか、途中から、テーブルに突っ伏して寝始める。私も、若い頃はよくやった。せっかくなので、記念に二人が突っ伏して寝ているところを写真におさめ、SNSに投稿する。食後、ロッテリアを出て、ブック・オフへ向かう。途中、破れたデニムパンツを発見したので、迷わずリュックザックの中に入れる。この「リュックザック」という単語の「ザック」の部分は、大島亮吉氏が、「リュックサック」ではなく、「リュックザック」と「サ」を濁らせて「ザ」と書いていたため、普段私は、「リュックサック」と記入するのだが、今度からは私も、「リュックザック」と記すことにしよう。「ナップザック」でも良いような気もしてくる。そう、私は、古臭い言葉の言い回しや、現在では、「死語」となっている「言葉」が好きなのだ。ブック・オフで、無地のグレーのセーターを試着してみる。サイズ感はバッチリだし、デザインも悪くない。しかし値段だ。プライスタグには、二千円と記されている。最近の私の服を購入する基準は、千五百円以下なのだ。ちと高い。結局、商品を元あった場所に戻し、ブック・オフをあとにする。勿論、先程のセーターが、もっと面白い柄が入っていたり、かわいい胸ポケットがついていたら、多分二千円でも購入しただろう。しかし、あくまで無地なのでもう一歩購入に至らなかったのだ。しかし、この日記を書いていると、そのシンプルな無地も悪くない気がしてくる。書いていて、だんだん欲しくなってきたので、���た週末にでもブック・オフへ行き、まだ商品が残っていたら購入することにしよう。ブック・オフを出たら、突然、体にタトゥーを入れたくなったので、どこに入れるか?を想像してみる。思いついたのが、手のひらだ。手のひらへ「Pain」と入れたいのだ。私が、日々投稿しているTumblrで、手のひらに「Pain」と入れている男性の画像を発見して以来、ずっと同じ箇所に同じ「文字」を入れたいと思っていたのだ。特に、予約はしていないが、とりあえず、タトゥーショップへ向かう。タトゥーショップは、最近、私がよく彫ってもらっている「KーTATTOO」だ。KーTATTOOでは、アンカー(イカリマーク)や、聖母マリアや、イエス・キリストや、誰かわからないが、首を切られた生首の男の写真の画像を入れてもらった。最近では、首筋に十字架や、肩に星マーク、足首にアルファベットで「MOM」と彫ってもらった。そして、KーTATTOOのど真ん前には、クリニックの駐車場があるのだが、なんと、私の名字と同じ「いわさきクリニック」というクリニックの駐車場があるのだ。「主」は、私がKーTATTOOで入れ墨を入れることを望まれているのだ。私が、聖母マリアやイエス・キリストのタトゥーをKーTATTOOで入れようと思ったきっかけは、別に「いわさきクリニック」がKーTATTOOの前にあるからではない。勿論、そんなことは、知らなかった。知ったのは、最初の予約をした日、グーグルマップでKーTATTOOへ到着してから知ったのだ。ある時(2023年6月初旬頃)、タトゥーが入れたくなり、たまたまネットの検索で引っかかったのが、KーTATTOOだったのだ。アンカーは、私は、佐世保出身であり、幼少期から米軍基地の近くを、よく車で通っていた。その時、走行する車の窓から、米軍基地の近くを通ったとき、大きなアンカーの彫刻が建てられているのを見ていた記憶が脳裏に焼き付いているのだ。子供心にカッコいい形だなと思いながら、見ていた。それでアンカーを腕に彫ってもらったのだ。彫師さんに聞いた話だが、アンカーは、縁起の良い彫り物らしい。KーTATTOOへ到着して、スタッフに「Pain」の画像を見せる。運良く、今日は予約がそんなに入っていないので、当日入れることができるとのこと。ただ、本日一人、十二時から予約が入っているため、その後の、午後一時からであれば入れることが可能とのこと。ただ、手のひらは、タトゥーを入れる体の中でも、特に痛い箇所らしく、おまけに手のひらというのは、人間の体の中でも特に墨が入りにくい箇所であり、入れても時間が経つと消えてしまう可能性が高いとのことを告げられる。そ���でも、いいから、私は、入れたい旨を伝え、上機嫌で店をあとにする。時間まで、1時間半ほどあるので、H&Mへ行き、レディース、メンズ服、くまなくチェックする。欲しい服も何着かあったが、どれも二千円以上するため買い控えする。時間になったので、KーTATTOOへ向かう。到着したら、女性の客がうつ伏せになり、左背中に何やら彫ってもらっている。私の順番がきて、「Pain」を入れてもらう。針が、手のひらを刺した瞬間激痛が走る。私が、今まで入れたどこのタトゥーよりも痛いし、痛みの種類が違う。途中から、手がブルブル震えてきたので、彫師さんが、しっかり抑えて「彫り」を続けられる。約、三十分ほどで彫り終わる。痛かったが、とてもカッコよく入ったので、もう先程の痛みを忘れて、上機嫌で店をあとにする。ジュンク堂書店で、「古本まつり」をまだやっているのを思い出したので、足を向ける。大平健一著「貧困の精神病理」、色川武大の(タイトルは忘れたが)書籍と、あとは、これもタイトルも著者名も忘れたが二冊合わせて計四冊の書籍を購入する。四冊で千三百円ぐらい。地下鉄で帰り、途中、セブンイレブンで、カップの担々麺、タルタルフィッシュバーガー、コーラ、カルピスを購入。アパートに帰り、買った食材をリュックザックが取り出してみたら、カップの担々麺を買ったつもりが、カレー味のカップ麺を購入していたことに気づく。気分は担々麺だったのだが後の祭り。(私は、基本、日々同じ食べ物を毎日食べることを好む。変化が嫌いなのだ。)シャワーを浴びて洗濯機をまわし、イソジンでうがいし、テレビを観ながら晩飯。食後、数日前、食べ残したポテトチップスの輪ゴムを外し食べる。食後、気持ち悪くなったので、胃腸薬を服用。他に、私が日々、服薬している薬も飲む。あのちゃんのユーチューブ動画(本田翼とのラジオ動画)を視聴して就寝。何時に寝たのかは覚えていないが、最後にスマホの時刻を見たのが23時過ぎだった。
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プレイバック・ユア・ララバイの話
ルシファーお誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ! 序盤うわ〜…いやこのキャラ推しにはならないかも怖いし俺様系苦手だし悪魔服作画コストやば〜……って思ってたのに怖くなかったし俺様系じゃなかったし傲慢腹黒ドS全て大嘘のラブマン(もっといい表現なかったの?)だったから嘘みたいにべキャボキャにハマっちゃったよ。悪魔服もう見なくても描けるよ。嘘ベルト?の飾りの部分は見ないと描けない。人生何があるかわからないですね。 すっごく気落ちしていた時に江國香織の「ホリー・ガーデン」という小説を読んで面白いよ〜〜泣ってなって元気が出て、書こう! って思った話です。1月後半くらいから本腰を入れてルシファーの誕生日には間に合えーッ! ってちまちま書いてました。ギリギリ間に合いました。間に合わせたの間違いかも。 書いては全消しを繰り返しすぎて空中分解し、もはやなにが面白いね〜ん! でも書きたいって思ったはずだこういうのを〜! って必死にキーボード叩いてました。毎回そうやってものづくりに向き合えという話ではある。 「愛せない過去があったとしても、今の自分として今のあなたに出会えてよかった」を軸に据えて、どう展開しようかな〜ってねちょねちょシーン思い浮かべたりセリフ思い浮かべて混ぜてたらObey Me! Night bringer(スペル合ってる?)が発表され、そして「何度出会っても好きになる」のコピーも発表され、はーい終わった!!!! 書��のやーめっぴ!! って二週間くらい思いました。思ったんですけど書きました。書きたかったから……。 私としては相手を好きになるには出会うタイミングも大切なものだと考えているのでそのコピーに思うことはないのですが、でも何度出会っても好きになる留学生と悪魔たちもいるのだろうなあって思います。
サタンが羨ましくてしょうがない留学生を書く時に本当にサタンのことがぜんっっぜんわからなくて「わかんないな〜」って思ってたら「ルシファーのこともぜーーーんっぜんわかんない! 理解しようと思えば相手を多少は理解できるようになるという考え自体間違ってるかも! ワハハ!! 」って急に開き直りが発生しました。今も全然わかってないです。わかるわからないの話ではないことにいい加減に納得したいですね。 のでもう、二次創作だから…っ!の言い訳をフルで使って書きました。
男性留学生のターンは、ルシファーと友達になりたい! っていう気持ちを沢山込めて書きました! 兄弟たちがmc以外の人間には冷たかったらどうしよう……って思ったんですけど他人に必要以上に冷たい推し絶対見たくないので、あとこれは……夢小説なので! みんなと友達! いえーい! って感じで書きました。友達のお兄さんみたいな距離感でルシファーと接してみたい気持ちがあります。恋愛感情無しでもルシファーと楽しく過ごしたいっていう気持ちもすっごくあります。
女性留学生のターンは、こういうのが好きかも〜っていうのを詰めて書きました。技量がなさすぎて上手くまとまらなくて悔しいのですが、今の私の全力はこれです、という感じです。きっともっとしっくりくる展開や言葉や表現があると思います。でも今の限界はこれですね……。約五万文字なのですが、消した部分を合わせると大体十二万文字くらい書きました。ガッと書いてガッと消すのを繰り返しまくりました。難しいですね物語作るのって。ので、実力足りないかもなあっていう部分は諦めて手放しました。これからも頑張ろう。
これは誕生日当日にルシファーのURカードのデビグラ読んでうわ〜〜こっちで書けば良かった………!!!! って爆発した削った箇所です。
プロットの段階で消したのでもう盛り込めないですね。あ〜……まあいいや。削ったところにも削ったけど好きだなっていうのを詰めたので、データを消すに消せないです。
↑これは一番最初に書いていた嘘つくのをやめられなくなってディアボロ殿下に見破られてうわーーっってなる留学生をボツにして最初から書き直しにした、サタンが懐いていた猫が死んでいたのをサタンに言わずに埋葬してしまう、という留学生のプロットです。サタンが可哀想すぎるというかサタンのヘイト小説になってるだろ!!!!! と自分をぶん殴って書き直しました。ぶっちゃけ5月の中旬くらいまでこれで書いてて、一回完成してました。ほぼ全部書き直しましたが……。
↑これはやっと今アップしてる話の形へのこねくり回しがある程度止まった時に書いたけどくどいな…って思って消したやつです。勿体無いから上げちゃお。
タイトルの『プレイバック・ユア・ララバイ』は、毎日眠る前に頭の中に思い浮かべるこれまでの生涯のことが、この話で書いたルシファーや留学生たちにとって子守唄のように優しいものだといいな、そしてルシファーの生涯の傍にかつて確かにあったそれら人生が優しい思い出として思い出せるものになればいいなと思って付けました。各章のタイトルは〇〇・ユア・〇〇の形になるように頑張って考えたつもりなんですけど普通に英語出来なさすぎて難しかったですね。勉強しろ! はい。ユアは一章がルシファー→女性留学生、二章は女性留学生→ルシファー、三章は留学生たち→ルシファーへ向けたユアかな…って思いました。(思いました?)
書いてる時に本当に自分の拙さ至らなさを実感してオヨヨʕ•̫͡•ʔになってしまったのですが、西川美和さんの「私と同じだけ時間をかけて私と同じだけ集中して毎日やれば誰でも書けます」という『ゆれる』という作品に対してのコメントに励まされていました。また、名の知れた映画監督でさえも「もっといい表現があったはずだ」と悩むことがあるのか、とちょっとした衝撃を受けたりもしました。私も物事にこれくらい全力投球したいです。がんばります。
以下は細かい趣味を詰め込んだよのやかましい話です。
出てくる「帰れのベートーヴェン」は、『ホリー・ガーデン』に出てくる「お弁当のベートーヴェン」のリスペクトです。帰れのベートーヴェンは悲愴第二楽章(ベートーヴェンの曲の中で帰るならこの曲じゃない? と思ったのでこれにしました)、お弁当のベートーヴェンは田園です。ポラロイドカメラのところもリスペクトというかこれこれこれこれをルシ留で見たいよ〜〜!!! がこの話が生まれた原点なので入れました。ドビュッシーの「月の光」は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の中で何度も繰り返される曲で、私はこの映画が本当に本当に良くて何回観ても号泣したので入れよう……!!って思い、男性留学生に弾いてもらいました。女性留学生の星の光へのお願い事と、男性留学生の月の光、というように対比的なものが生まれたので結果オーライ、エブリシングイズオーライ、という感じになりました。よかったです。行き当たりばったりすぎる。 また、サタンが魔界史の解説で��を持った老人の絵画を持ち出していますが、槍の文章はディラン・トマスの「Do Not Go Gentle Into That Good Night」という詩が好きなのでそれをイメージして入れました。絵は国立西洋美術館にある、ラ・トゥールの「聖トマス」を思い浮かべながら書きました。両方ともトマスだ! 偶然でした。聖トマスの絵は別に改革派とかの関係ある絵ではないですが、本当になんというか、静かな迫力というか一目で急に引き込まれる強さというか、言語化が難しいのですがとにかく好きです。国立西洋美術館の常設展で見られます。国立西洋美術館の常設展で好きな絵もう一つあって、グエルチーノのゴリアテの首を持つダビデの絵なのですが、他のダビデの同じシーンを描いた作品に比べ瞳が潤んでいて、若々しさというかゴリアテを倒せたことに対する内なる喜びや興奮の部分が強く表れていて好きだなあって思います。詩はインターステラーが好きで強烈に覚えていた詩です。ノーラン監督の作品の中で出てくる詩ではTENETの「こうして世界は終わる爆音ではなく啜り泣きと共に」も好きです。エリオットのなにかの詩です。忘れました。(好きなのに!?)
今年も自分への誕生日プレゼントに表紙のデザイン頑張りめの同人誌を作ろうって思ってたので、今回はこの話で同人誌作るつもりでいます。本棚の中に入れておいて数年経ったら発見して読みたい感じの本にできたらいいな。全ての本をそういう気持ちで作っている気がします。あ〜箔押しなんかもしちゃったりしたいよ〜。いま透明箔気になってて……あとサンダンスリネンとかNTストライプGAとかリベロとかの紙がずっっと気になってて使ってみたいのでこの機会に使いたい!! ぞ!!! の気持ちもあります。でもおたクラブさん以外にサンダンスリネンの取り扱いがないけど透明箔はスタブさんで………どうしよう!? とにかく野望がもりもりです。というかAdobeのライセンス買ったのでせっかくなら使わないと勿体無いし……の気持ちもあります。
やるべきことが多いのと、一旦キャラクターへの理解に距離を置きたいなって思いつつあるので、おべいみーでの二次創作はちょっとだけ休もうって思っています。手のひら大回転が日常茶飯事なので普通に書くかも知れないけど。というより書くと思うけど。でもナイトブリンガーのことどうしても心から歓迎できなくてよくわからなくなってきてるので、こう、なんか…納得できる妥協点みたいな………何かを………………(?) でも今これを書いてる瞬間に暴君かTYRANTってい��タイトルの女性留学生×ルシファーと女体化ルシファー×男性留学生の二次創作が読みたくてたまらなくなってきたので書くかもしれない。自分が一番信用できないよ!!!
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※ 斎藤元彦氏側が知事選で「広報全般を任された」会社に報酬支払い、SNSでは違法との指摘相次ぐ
https://www.yomiuri.co.jp/national/20241123-OYT1T50169/
*「立花暴露発言」に誘発された「折田ブログ投稿」で、斎藤知事は絶体絶命か(郷原信郎)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7ef14f73514c88e1674105531b266107acb1c8b0
*斎藤元彦氏側が知事選で「広報全般を任された」会社に報酬支払い、SNSで違法との指摘相次ぐ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bd9b127c007b9a6b5e1549bdcd32a438d23cd11
*<社説>選挙運動/公正さを保つ対策を急げ
https://www.kobe-np.co.jp/opinion/202411/0018370841.shtml
*兵庫県知事選で斎藤元彦氏陣営が行った広報戦略は何が問題視されている?→指摘のあったnoteの「削除箇所」について注目が集まる
https://togetter.com/li/2469471
読売の新聞辞令が出たわけですが、個人的にはもちろん、これは捜査されるべきだし、疑いよう無く有罪だと思っています。ただ単に、腑抜けな検察はやらんだろうというだけのことで。
河井夫妻の選挙違反事件が、どうして摘発されたのかが理解出来ない。構図として極めて単純だったし、裁判の争点もほとんどない、検察にとって簡単な事件だったことは事実なれど、「やらない理由」を探せばいくらでもあった。なのに、検察が本気になった理由は何だったのか?
今回に関して言えば、選挙制度の根幹を揺るがす不正です。お金を出したのが誰は知らねど、供託金さえ出せば、誰でも参加できることが大前提の選挙制度にあって、お金を出して作戦を買うことが出来れば、これは選挙の公平性を著しく損なうことになる。金持ちが選挙を有利に戦えることを一度許したら、それは民主主義の土台を崩すことになる。
こんなことを許すべきではない。斎藤知事は、逮捕されて刑務所に入るべきです。それが正義というものです。
とはいえ、ことは検察の胸三寸で決まる。私は、検察にやる気があるとは露ほども思わない。ここ四半世紀、こと政治を巡って司法の正義を信頼したことは一度もない。検察はそれほど落ちぶれた。
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時間表
H:年少時在學校看課程表,畢業看上班時間,下班時間,趕資料,趕會議。休假趕車班。退休趕看醫療行程,每日吃藥時間表。天地運行填滿一日24小時。簡易時程表,項目,時間,內容。生活有秩序,人生順時過。小的時程表,大的專案計畫有進度表。簡單叫過日子,記事本,備忘錄,待辦事項,待辦清單。專業叫時間管理,甚至叫計劃,專案,專案管理。有錢,有閒,有時間看病,沒錢,没閒,請假看臉送,憂慮三餐,想想「錢不夠用」。活著才能睜開眼睛看到明天的太陽。老人常倚老賣老「走過的橋比你走過的路還多,吃過的鹽比你吃過的米還多。」如今要加一項「吃過的藥比你吃過的米還多。」人生有好風景,隨時瀏覧,隨遇而安。腦大夠強者,幫助需要幫助的人,腦不足者管好自己。依自然,依時間表運行,一日活一日。「有錢並非萬能 沒錢萬萬不能:生活裡沒有錢 就像沒有陽光 智慧裡沒有錢 就像鳥沒翅膀。」
「富有即善用自己的能力來幫助別人。」20241106W3
維基百科
時間表,是一個場地、個人、組織等展示以其名下的各項活動、事件發生的先後次序的列表,其中一定反映它們與時間的相互關係。 例如學校各班級上課時間表、會議室、足球場訂場時間表、渡輪定期班次時間表。 時間表有助於優化資源分配、時間管理,具體展示工作目標小項,及實施的進程,讓目標明確,更有助人際間的溝通及協調運作。
課程表 的翻譯 —— 中文(繁體)-英語詞典
課程表
/ˈtaɪmˌteɪ.bəl/ A2 noun UK
a list of the times when classes in school happen:
The first lesson on the timetable for Monday morning is history.課程表上週一上午的第一節課是歷史。
記事本
記事本在台灣等地指「抄錄雜事用以備忘的筆記本」(據《國語辭典》),此外還可以指:
Windows記事本,通稱「記事本」,Windows系統內置軟件
電子記事本,在電腦或移動設備上運行的代替紙質記事本功能的軟件
《記事本》,陳慧琳演唱華語流行歌曲,收錄於專輯《愛我不愛》
備忘錄
文件
關於郭富城的同名專輯,請見「備忘錄 (專輯)」。
關於紀錄2022年上海封城的短片,請見「備忘錄 (紀錄短片)」。
備忘錄(英語:memorandum,簡寫為 memo),意指任何一種能夠幫助記憶,簡單說明主題與相關事件的書面資料。它源自於拉丁語:memorandum est,由動詞 memoro (原義是「提及、回憶、相關的」),所形成的動名詞,意為:「這是應該被記住的」。
使用筆記本自製的備忘錄
在商業辦公、法律文件或外交談判中,一些非正式或半正式的文件通常都會被稱為備忘錄,可以是簡單的字條、文件,或是通訊記錄。備忘錄可以有各種形式,也不一定有固定格式,各個機構內部可以自行決定它的格式。
作為法律文書,備忘錄記錄了某些交易或是契約,但是缺乏完整的法律強制性,其中包括了政治備忘錄、諒解備忘錄(Memorandum of Understanding, MoU)、協議備忘錄(Memorandum of agreement)、聯合備忘錄(Memorandum of association)等。美國政治家迪安·艾奇遜曾說過:「備忘錄寫作的目的,不在於提醒閱讀者,而是在保護寫作者。」[1]
參考文獻
待辦事項清單的目的是什麼? 待辦事項清單的主要目的是為您自己提供一份以優先順序排序的清單,以確保您不會忘記任何事項,並能有效地規劃您的工作,以便在正確的時間範圍內 完成。
「提醒事項」讓你以比過往更輕鬆的方式記住待辦事項。「提醒事項」可用於生活中所有待辦事項,包含購物清單、工作專案,或任何你想追蹤的事項。此外,搭配 iCloud 可輕鬆讓你所有的裝置保持同步,提醒事項將永遠與你同在。
待辦清單
曾入圍英國新聞獎最佳科學記者獎的作家海倫·湯姆森(Helen Thomson)在《難以想像:探秘世界最離奇的大腦》一書中指出,人類的短期記憶非常有限,最多只能記得7件事,維持時間僅15~30秒。
所以寫下To-Do List,就好比在大腦擴充無形的記憶體,讓你在同時處理多項事情之餘,仍能掌握箇中細節,並且可以清楚列好優先次序,讓工作更有效率。
待辦事項流程是這樣:
- 任何交辦,第一時間先寫進兩種筆記(參考:防彈筆記法)
暫存箱:收集那些跟其他專案、任務無關,也還不知道如何執行的臨時交辦。
專案、任務筆記:如果交辦跟特定任務有關,直接寫進任務筆記中。
- 專案、任務筆記逐漸累積,會整合出任務陸續被交辦的細節,這時候可以從專案、任務目標的角度,調整這些交辦的執行順序。
也可以在專案、任務筆記中,針對交辦拆解我需要執行的下一步行動。
不記錄交辦,那「待辦清單」還要用來幹嘛呢?待辦清單對我來說,應該是過濾出不同專案、任務筆記中,那些需要今天、這週執行的行動。
清單分類程序
1. 從獲指派的工作著手
2. 分門別類
3. 排定先後順序
4. 建立包含五個項目的待辦清單
5. 選擇最適合您的格式
清單類型中進行挑選,包括:
子彈筆記
日計劃表
便利貼
行事曆應用程式
已完成清單
細分清單
6. 建立多份清單
7. 持續保有主要目標
8. 聚焦於任務,而非目標
9. 維護清單
10. 追蹤定期的任務並指派期限
時間管理
个人管理的一个分支
時間管理就是用技巧、技術和工具幫助人們完成工作,實現目標。時間管理並不是要把所有事情做完,而是更有效的運用時間。時間管理的目的除了要決定該做些什麼事情之外,另一個很重要的目的也是決定什麼事情不應該做;時間管理不是完全的掌控,而是降低變動性。時間管理最重要的功能是透過事先的規劃,作為一種提醒與指引。
發展階段
時間管理的發展可以分為四個階段:(例如史蒂芬·柯維)[需要較佳來源]
第一代理論着重利用便條與備忘錄,在忙碌中調配時間與精力;
第二代理論強調行事曆與日程表,反映出時間管理已注意到規劃未來的重要;
第三代理論正是目前流行的優先級觀念。也就是依據輕重緩急設定短、中、長期目標;
第四代理論跳出「時間管理」的定義,主張把重心放在維持產出與產能的平衡上。
最近有一些觀點(2001[1],David Allen(英語:David_Allen_(author)))指出,「時間」和「管理」連在一起會誤導人們以為「時間管理」是要對時間進行管理,而時間是無法進行管理的。這一概念實際上意味着它是「管理我們自己的活動,以確保它們是在規定期限內完成,這是一個難以管理的持續的資源」。要管理時間,提升工作效率,其實也與管理自己的情緒與內心有關,利用一點儀式[2],讓身體知道準備進入工作狀態,或者為自己提供一些誘因,都能更有效運用時間,提升工作效率。
流行體系
儘管去做
主條目:儘管去做
儘管去做(Getting Things Done,GTD)的基本理論是把一個人擱在腦中的所有事情從大腦中移出來,記錄到紙上。這樣,大腦便會不被多餘的事情打攪而集中於現在所需完成的事情上面。
同時建立一個可靠的個人時間管理系統,通過收集、整理、組織、回顧與行動五個步驟來有條不紊而高效率地處理個人生活中的所有事情。
強調從小處入手,強調速度和效率,建立了一套工具和方法。
GTD的創始人:戴維·艾倫(David Allen)
要事第一
要事第一(First Things First,FTF)是以原則為中心的方法,不是教導讀者如何提高速度,而是給讀者一個指南針為讀者指明方向。
強調根據七個習慣的原則和自己的使命、價值觀,來規劃自己的人生,根據這些原則決定哪些事情是真正對實現自己的人生意義重大的要事,然後處理要事。
強調從大局着眼,強調效果和方向,更多的是原則。
FTF的創始人:史蒂芬·柯維
艾森豪威爾法則

艾森豪威爾表格(又稱為決策矩陣(英語:Decision matrix))
艾森豪威爾法則是源自一般認為是德懷特·艾森豪威爾所說的話:「我手中的待辦事項可分為兩個種類,『緊急』和『重要』,重要的事情永遠不會緊急,緊急的事情不會重要。」[3][4]
利用艾森豪威爾決策法則,各個待辦事項可依照「重要/不重要」和「緊急/不緊急」來劃分所在的決策矩陣象限[5][6][7])。
待辦事項詳細的區分方式如下:
位於「緊急且重要」的待辦事項須立即親自開始動手完成[8]。例如:危機、截止日期迫在眉睫[7]。
為「重要但不緊急的事情」設立完成日,並且親自完成[8] 。例如:人際關係、訂計畫、休閒放鬆等[7]。
「不重要但緊急」的事情可委託他人代辦[8]。
「不重要又不緊急」的事情就移除不做[8]。例如:單純浪費時間的事情[7]。
參見
計畫
事先擬訂的具體方案或辦法。《漢書.卷四○.陳平傳》:「誠臣計畫有可采者,願大王用之。」《後漢書.卷二四.馬援傳》:「若計畫不從,真可引領而去矣。」
事先策劃。如:「這場地要如何布置,請你計畫一下。」也作「計劃」。
計畫,同計劃,意指事先謀畫出來的方針。 規畫,意指謀畫或籌畫,在企業上指對未來評估,決定在環境下期望之目標,擬達成該目標的各種選擇方案,以及由上述的選擇方案中決定最適方案的一種分析過程。 謀畫,意指籌畫或計策。
計畫
事先擬訂的具體方案或辦法。
事先策劃。如:「這場地要如何布置,請你計畫一下。」亦作「計劃」。
相似詞打算、設計、策畫、安排
計劃
事先策劃。如:「關於這次旅遊的行程,就由你計劃。」亦作「計畫」。
教學計劃
根據教育目的擬訂的教學詳細綱要。包括教育目的、學習者的需要、教材、教育技巧、視助器材及考評標準與過程。
計畫多指已提出具體方案,計劃多指尚處設計階段。
「計畫」是正統用法,在事先策劃上,通「計劃」。
若是承接前方,如「戰略計畫」,普遍情況亦��書寫為「計畫」。
辭典查閱,唯一直接使用「計劃」的,只有「教學計劃」。
若以提出方案,則變成「教學計畫」─
經由教育發展目標的訂定,教育系統資源的籌配,各項行動變通方案的客觀探討與明智的選擇,同時決定在某一特定時間內所應達到的目標,並設計有效實施方法與步驟,藉以實現教育的一種過程。
也就是說,「計畫」有具體規劃;「計劃」是草擬階段。
「計畫」在公文書上屬於名詞用法,例如「某某計畫」。
「計劃」則屬於動詞用法,例如「正計劃進行某項任務」。
如「籌劃」、「擘劃」等詞也是動詞,所以「劃」字都有刀字邊。
專案(英語:project),又譯為計畫、計劃、項目,是為完成某一獨特的產品或服務所做的臨時性努力。臨時性是指計畫有確定的開始日期和結束日期。獨特意味着專案的最終結果不重複。
專案管理就是針對一個既定的目標,進行時程、預算及執行的控管,最後實現所設定的指標或是目標。
專案管理的5大基本流程
無論選擇哪一種專案管理方式,基本上都會用到這5大流程,來確保專案進行的方向與目標。
啟動 - 定義專案範圍,確認專案目標
規劃 - 提出專案規劃與設計,組織專案成員
執行 - 資源配置與整合、跨部門溝通、細項工作執行
控管 - 掌握專案完成度、時間、資源、預算
結案 - KPI、指標的檢討、知識的萃取與整理
自我膨脹
走過的橋比你走過的路還多,吃過的鹽比你吃過的米還多。 年長者常以此來自誇經驗豐富,倚老賣老。 過橋較濟你行路,食鹽較濟你食米。
劇作家蕭伯納曾說:「明事理的人讓自己適應世界;不明事理的人想讓世界適應自己。」
一個自我膨脹型的妄想者,身邊通常都有一些願意配合演出的幫兇,讓這個症頭越加惡化。
「心富」可以帶來「財富」;「財富」也能使人「心富」。吳若權說明,一個人不論從事什麼工作,他能為這個社會帶來多少貢獻,所受到的祝福就有多大。他呼籲,熱心服務別人,就是祝福自己。越願意為別人付出,就等於是給自己更多祝福。
錢對你的意義,可能是自由或快樂,因為有錢(不是浪費錢),你可以多一點時間陪家人、朋友,花錢也不用省來省去,有錢,可以做很多有意義的事。
所謂富有,不是當個守財奴,吝嗇地在家天天數鈔票,而是善用自己的能力來幫助別人
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アッサラーム智子経歴等 2024年11月更新
・画家、イラストレーター(美術団体「三彩会」所属)
・作業療法士(医学国家資格)
・「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」会員
********************
画歴、経歴
・1975年生まれ 横須賀出身 現在日野市
・神奈川県立産業技術短期大学校産業デザイン科
・デザイン事務所にてイラストレーターDTP等の仕事をしながらセツモードセミナーに通う。
衣笠洋画研究所(田所一紘先生や三井正登先生)にて学ぶ。
出産の為途中で断念したがMJイラストレーションズ(峯岸達)にも一時期通う
・アジア中心に10ヵ国程3度遊学(インドの聖者に会う、難民キャンプ、スラム街も世界遺産と共に体験)
・母子訓練制度を使い芸術療法実践の為3年間のリハビリ専門学校に入学。医療国家資格「作業療法士」免許取得。整形外科、精神科閉鎖病棟等で勤務実施
旅人の他、日野市郷土資料館���民団体「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」会員活動
密教系巫女、遺跡発掘(縄文土器)、歌舞伎町ゴールデン街 等の仕事イベント等も経験
2児の母シングルマザー。ステップファミリー経験。弁護士まで発展するイジメ。不登校。入院。色々ありながらも好奇心とアンテナと周りに恵まれ子育てもあと少しゆるく浮上しています。
****************************
近年制作テーマ
時間旅行 女性子供母と子供 横須賀 弱い立場の者 千夜一夜物語 前世 森田療法 隠秘学
親子子供母親の困難不寛容な社会、それらをユーモア、好奇心、ここでは無い何処かショートトリップな旅、前世、ファンタジーに変えて付き合って共に生き続ける力。マイペンライ。
見えないもの不思議な事や音楽と歴史研究。
智子という名前をつけてくれた祖父「智」への好奇心。横須賀海軍で長門等に乗っていた祖父の思い。祖父はヒットラーユーゲントも見たという。peace。横須賀で続くもの日本で続くもの。
**************************
近年の活動
⚫️2021年
現代童画展初出品入選
⚫️2023年
・国際野外アートフェスティバル「トロールの森」佐藤ひろみとPINMY倶楽部参加
・第39回新構造神奈川展 初出品 クサカベ賞受賞
・ 新構造展本展(新国立美術館)初出品 会友推薦受賞
・ PEACECARD原画展(青山MAYA2)
・マジカルシンフォニー(銀座STAGE-one)
⚫️2024年
・バイダム湯島にて個展「time-travel タイムトラベル」
・美の祭典東京展(東京都立美術館)イラスト部門初出品
・ PEACECARD原画展(青山MAYA2)
・日野市立病院展示(ヒールアート事業) 後援:日野市
・「オカルトカレー会」ワークショップイベント開催 ニコニコ生放送にて公開
⚫️近年は毎年
・うちわ展(銀座奥野ビル「銀座 Gallery
G2」と川崎ART SPACE SOW 「アートスペース草」2箇所)グループ展示企画に参加
・三彩会展(横須賀市文化会館)
等年に数回グループ展に参加
*******************************
仕事
音楽、旅、医学のコラボレーションを得意としている。
・ 「CG ARTS GALLERY」に10P掲載出版(京都書院)
・萬有製薬株式会社ロゴマークコンペ一席採用(画家田所先生と共作)
・ Sau' Beach「Saturday's Sunbeam 」アルバムイラスト
* Sau' Beach(現在アートパフォーマンス集団「禁断の多数決」)
・CAPTAIN HAUS RECORDINGSに関わる。kuh [KY!] release tourにて
青山 月見ル君想フ でライブペインティング要員として出演。
・福祉医療系(イラストを使った議事録)グラフィックレコーディング
・中華街コンブチャ専門店「Flora Crown」の壁画を担当
・音楽アート集団「禁断の多数決 - Long Distance Love feat.エビータ、akorine」サブスクリプションジャケット 等
連絡はインスタまたはFacebookにて宜しくお願いします。
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オカルトカレー会活動が最近は楽しいです。
お酒あんまり飲めないけれど小さなBAR情報と歴史スポット募集しております。
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各所で語りつくされてる&回答が出ている&設定集に載っていることかもしれないけれど、数十回見た今でもうまく納得できなかったので備忘録として残しておく。
謎いところ
・ゾーンプレスが始まったときに流が「えっ」って顔するところ。前日にビデオ見てるはずだけど原作でも直接言及されてるわけではないから、安西先生はゾンプレの攻略法やこういうことされるかもっていうのをみんなに伝えてなかったのかな?でもゴリが「来たな」って言ってるしな…高頭監督が山王のお家芸(@原作)って言ってるからきっと安西監督もまるきり知らないわけではなかったろうに。
湘北5が自分たちで後略するだろうと思ってあえて言わなかったのでは?というのは監督としての職務放棄だと思うから違うかなという気はする。
これはどこかのブログかツイッターで言及されているのを見かけたんだけどそのとき読み切ることができなかった。バスケ経験者の方がうまく想像&納得するオチをつけられそうな気がする。
・カオルさんの回想で、「おかあちゃん大変!」とアンナちゃんがリョを介抱しようとしているところ。あれっていつの時点の何があったときなんだろう?カオルさんの悪夢?
・カオルさんの回想で、ソちゃんが片方だけ涙流してるのは何を表す描写なの。あれはカオルさんの(あるいはリョの)妄想というかありえない世界の想像の描写じゃん。
・ラストシーン、なんでソちゃんやソちゃんと一緒に写ってる写真は飾ってもお父さんの写真は飾られないんだろう。見えてる範囲では飾られてない��ね?別にお父さんと確執とかがあったってわけでもなく順調な生活で突然亡くなったっていうことだと思うんだけど、リョもカオルさんもソちゃんのことは引きずってるけどお父さんのことは全く引きずってないぽいからそれはもう昇華されてるってだけなのかなあ。だから画面に見えていない別の箇所には飾られているのかもしれない。
・体育館襲撃はあったのか。あったとは思うけど原作と同じではないと思う。屋上事件でうけた傷の位置や程度と「まさか戻るつもりじゃ?」のときと違うから。でもそうすると流たちが無傷のような描写なのは・・・・ケンカはしたけど三井とリョ(やその周辺)だけがひどくいって、花や流などのバスケ部メンツはほぼ無傷のような程度のケンカだったのだろうか。
・おめーと話すの初めて事件。これは・・・さすがに初めてではないよね??バスケ以外のことをひとつも話さないとなると、リョか流のコミュ障が相当だということになるんだが。部室にいるとき、休憩しているとき、帰りにコンビニ寄っていくときなど、そんなにも接点無いものかなあ。湘北ってバスケ部の人数少ないから学年違っても、例え流が口数少なくて流から声をかけることはまずなかろうっていう状況でも。…んーたしかに3か月ぽっちじゃ話す機会ってないものかなあ?だとすると原作の片思い事件があったとしてもリョと仲良しの描写の花って相当コミュ力高いということだよね。
怖いところ
・誰もいない場所で倒すべきと決めた人物のポスターをドンってするの正直ちょっと怖い。原作だと南から話があったから沢北のことをターゲッティングした流れがわかりやすいけど・・。
やっぱり映画でも見たかったところ
・沢北じゃねーかどあほう
・借りは即返さねばならない
・局地戦。河田弟と一対一なら絶対桜木君
のあたりのコート外から花を見ている(評している)流の様子。流がベンチ、花がオンコートって数少ないので流→花の感情や視線の動きがとても新鮮。。パワー負けしてないの時に「ほう」って…^^
・「いてっ」からの高校日本№1は馬鹿なのか…?
・なかなかいいパスだ
これは流がエースだとなかなか認めきれなかった三が世代交代をようやく受け入れられるシーンの一つじゃないかと思っています。
・チームファイル7つ目のときに沢北にちゃんと「ワリィ」って謝ってる流。映画だとそのような態度は見られなかったから。原作だとこれが①スポーツマンシップちゃんとある流②恣意的なファウルなんだよごめんねが感じられるので。映画だと声を入れることができないから表現が難しかったのかな
映画はリョ中心だからというのもあるけど、心情とかプレイの説明(解説)やリョ以外のキャラのエピーソードが極力ないところが試合シーンに集中できる理由の一つなのかなとも思った。解説はもちろんバスケ初心者の私のような者にとってはありがたいし、場面を盛り上げてくれる要素にもなり得るけど、プレイに集中して見てるこっちも考えながら見ればいろいろ想像もできるしプレイヤーとの一体感がまた格段と上がっているような気がします(個人の感想です)
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ボートの舵を漕いでいる
8月19日。できたことを中心に。 新曲"Endorphins"を作り続けている。ビートパターンは完コピをした。先にメインボーカルのメロディーを弾いておいた方が上物を作る時の参考になるかと思い、メインボーカルのメロも手で弾いて打ち込んだ。アウトロでサンプラーに取り込んだメインボーカルをチョップして新しいフレーズを紡いでいる箇所があるのだけど、そこは要らないかと思い、まだやっていないのだが、一応そこも打ち込んだほうが曲作りを進めやすそうだ。 上物、コード進行に関しては完コピするかどうか考えたのだが、結局、思いっきり我流に寄せたコード進行にしてしまうかもしれないという方向でコードを打ち込んでいる。 カバー曲がオリジナル曲より作るのが簡単かと言われたらそんなことは全然ないと断言したい。元々がもう充分かっこいい曲があるのに、それを敢えて自分がもう一度歌うにあたって、そのままやってもオリジナルに勝るでもなし。何か自分なりにこう受け取ったという解釈を加えないと自分のものにはならないし、それで何か視聴に耐えうるものにするには物凄く地道な研究が必要なので、そんなに簡単なことではないと思うのだ。 今日もあと少しだけコード進行を紡いだら寝ようと思う。 意外とね、・・・いや意外とでもないのかな。自信がないのだ。かっこいい曲にできるかどうか、作り始めてみるまでわからない。そもそも、最後まで作り通せるかどうか、自分のスキルで太刀打ちできるのかどうかすらわからないままやっている。 先日も書いたかもしれないのだが、
"Feel fear, and do it anyway"
という状態で延々とボートの舵を漕いでいる気持ちがしている。音に向き合っている時間は楽しいのだけどね。 夏休み中にしたいことリストも着々とこなしている。 押せ押せになっていた歯医者も行った。 今日、親友のCちゃんにも会って、一緒にご飯を食べてきた。 最近、特に京都から帰ってからぐらいかな。Instagramの使用頻度を意識して下げた。少し昔の話になるけれども、少しどころじゃないかな。2014年ぐらいのイギリスの研究チームが発表した人間のメンタルヘルスに最も悪影響があるのはInstagramだという研究結果があった。で、それとはまた別に、間断なくInstagramはメンタルヘルスによくないという報告やニュース、または個人の体験談としてInstagramを削除したというようなニュースを目にしているように思う。 で、私はどうかという話なのだが、私もそのInstagramの精神衛生への悪影響は感じてはいると思う。が、何というか、私はInstagramに依存しているとまでは思わないのだが、頼ってはいる。ここは長崎県の出島というか、私にとって、私がこれこれこういった音楽を作っていますと発表できるプラットフォームが今の所、Instagramしかないので。 ただ、使用頻度を下げることならすぐできるよなと思った。一番大切な音楽の情報をリリース時にパーンと伝えられさえすればあとはおまけみたいなものなので、#photobomb のような塊で最近撮れた綺麗な写真をまとめて見せることはするが、何というか絡まりは見せないようにする、というのは徹底していると思う。 それすらね、三船の人生は順風満帆、輝いて見えるのに対して、俺の人生は何なんだ・・・みたいなきっかけにならないとも限らない。だから、投稿頻度はできるだけ控えめに、少なくともよく撮れた写真を発表するみたいなところからはブレずに使おうかなと思っている。 明日は夏休み中のお出かけシリーズの最後か。MOTとアーティゾン美術館の梯子というのをやる。朝起きられた時間でどちらを先に行くか変えると思う。アーティゾン美術館の方は時間入れ替え制なので。 では少し音楽を作って、寝よう。 夏休みも残り3日となった。 今週も生き延びるので、どうか見守っていてほしい。 これを読んでくれた方も平穏無事な1週間を過ごしてもらえれば。
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short trip to Inujima and styling for island trip
こんばんは。
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昨日は、久しぶりに1日お休みを頂き、日帰りの小旅行に行ってきた。
行くと決めたのも2日前とかで、どこに行こうかなんて考えていた時、最初は豊島美術館にでも行こうかなぁなんて思って調べてみると生憎14日は休館日。
そんな時、ふと思い出したのが犬島だ。
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瀬戸内海を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」(以下「瀬戸芸」)。
数ある芸術祭の中でも知名度・作品数やその質は国内でもトップクラスだと思っている。
そんな「瀬戸芸」には、2010年、記念すべき第1回の時に、3泊4日で訪れた。
その当時は、現在ほど会場となる島が少なかったため、3泊4日の日程でもかなりの作品を見てこれた。
今でも家に保管されている当時の美術手帖。
この当時、大学5年目の僕は、めちゃくちゃ金が無くて、でもどうしても行きたくて、本当に申し訳ないことに、会場に並んでいたこの本を連日さりげなく立ち読みをさせてもらって、日々向かう島の情報とマップを頭に叩き込み、スケジュールを組んでアートを見て回った。
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なので、この本は後日、当時は滋賀に住んでいたけど、滋賀に帰ってからバイト代が振り込まれた後に書店に購入に行った。
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そんな2010年の「瀬戸芸」第一回から会場の一つになっている犬島。
2010年の時は、島へのアクセスや時間の都合から島への訪問を見送ってしまった島になる。
まあ、関西からも近いし、また改めて行けばいいかなんて思っていたら、気がつけば14年。
そんな訳で、今回は14年前の忘れ物を取りに行くような。そんな思いを抱いて行ってきた。
そんな犬島に2010年からずっと展開されている美術館。
「犬島精錬所美術館」
犬島は明治初期、銅の精錬所があり、その精錬所跡地を利用した美術館になる。
第一次世界大戦によって銅価格が暴落し、1909年に開業した精錬所は僅か10年で閉鎖されたそうだ。
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その精錬所跡地は、忘れ去られたまま放棄されていたのだけど、現代アーティストの柳幸典と建築家の三分一博志によって美術館として再生されている。
美術館には、精錬所跡地が当時のまま保存されており、近���化産業遺産としても認定されている。
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この美術館には、エアコンなどは無くて、自然の風の力を使って空気の循環が行われているそうだ。
犬島自体が、東からの風の影響を受けやすく、その風を取り込んで銅の精錬が行われていたそうだ。
なので、この美術館もそんな自然の風などを利用して空気の循環や室内の気温を保っているそうだ。
美術館のエントランスまで続くアプローチは、黒色のレンガが積み上がっている。
これは、当時、銅の精錬をする工程で生まれた不純物を含んだものをレンガに固めていたそうで、それがそのまま放棄されていたものを活用したそうだ。
鉄を多く含む素材となり、夏は表面温度が60度から80度に。
冬は反対に非常に冷たくなるそうで、これもこの美術館が自然の力で気温調整をするのに役立っているそうだ。
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実際に触ると、確かにめちゃくちゃ熱かった。
館内には、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫の邸宅から出た廃材などを使った作品が並んでいて、空間もとても見応えがある。
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さて、美術館で鑑賞中にめっちゃ驚いたことに、先日西脇のコットン畑に行った際に、一緒に作業をしていた知人の足立くんとバッタリであった。笑
土曜日の段階では、犬島に来ることを決めていなかったので、まさかここで会うとは。
足立くんはどうやら家族で遊びに来ていたみたいで、めちゃくちゃびっくりした。笑
足立くん。
また来月、西脇で。
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その後は、もう一つ、犬島に行ったら見たい「家プロジェクト」。
2010年よりも施設数も増えた「犬島 家プロジェクト」。
島内を散策しながら、作品を見て回る。
ちなみに、「犬島 家プロジェクト」のチーフキュレーターは、現在「金沢21世紀美術館」の館長も務める長谷川祐子。そして、設計は同じく「金沢21世紀美術館」の設計に携わっている建築家の妹島和世。
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作品も定期的な入れ替えなどもあったりするみたいで。
一番新しいものだと2019年に設置されているそうだ。
犬島 家プロジェクト F邸 名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」
犬島 家プロジェクト A邸 ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」
犬島 家プロジェクト S邸 荒神明香 「コンタクトレンズ」
犬島 家プロジェクト I邸 オラファー・エリアソン 「Self-loop」
お馴染みのアーティストも多いなぁなんて思いながらも、それでもやっぱり普通に楽しめたりして。
ライブにめっちゃツアーする人に似ていて、セトリが変われば別物というか。
同じアーティストでも、そもそも作品が異なればそれは別物だし、空間も変われば感じるものであったり見え方も変わる。
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オラファー・エリアソンに関して言えば、大阪・前橋・犬島と今年だけで3箇所も見ているし。
それでも、やっぱりそれぞれ良かったりして。
陽射しが降り注ぐ島内を散策しながら楽しんで作品巡りを行った。
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さて、正直そんなにお腹も減ってはいないのだけど、せっかくなら何か食べようということで、島内のカフェへ。
ここが最近、僕が成長したところ。
これまでの僕は、本当に旅の途中の食というものに無頓着で、平気で食事を抜くとか、手っ取り早くコンビニで済ませるとか。
せっかく旅に出ているのに、その土地のお店に寄らないとか平気でしていた。
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最近、ちょっとそれを改めるようにして、その土地のものやその土地のお店に入るということを意識してやるようにしている。
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ちなみに、2010年の「瀬戸内国際芸術祭」に訪れた際は、朝と晩はコンビニのパン。昼はコーラ。
マジで終わっている。
高松を拠点にしていたのに、讃岐うどんすら食べていないという。
逆に、その徹底ぶりを褒めてほしいくらいだ。
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まあ、今回は、パスタとビール。
休みだし、昼間から酒飲むのもOKでしょと。
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食事をとったら残り船の出港まで1時間ちょっと。
大宮エリーの作品を見て、そのままひたすら海岸に沿って散歩を。
海が本当に綺麗だ。
以前、夏が好きだという知人に、なんで好きなのかと聞いたことがある。「夏の瀬戸内の海が綺麗だから」という話を聞いた。
その方は、瀬戸内海に面した街の出身なんだけど、マジでそれがめちゃくちゃ分かった。
マジで海が綺麗だった。
青のグラデーション。島々の陰影。
太平洋や日本海のように、水平線が続く風景とはまた違った世界がある。
なんか、夏もいいかもなんて本当に思ってしまった。
(まあ、今日、早速大阪の夏を目の前にして、夏が嫌いだと思い出しました。笑)
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多分、きっと夏の瀬戸内が一番綺麗なんだろうなぁ。
それは僕が冬が好きだという感覚に近くて、僕は長野の松本が地元だけど、確かに冷え込みは半端ないのだけど、北アルプスが雪化粧している姿がとても綺麗で、ピリッとした冬の冷気すら気持ちよく感じてしまうからだ。
さて、僕は様々な芸術祭に足を運んできたけど、初めて行った芸術祭が「瀬戸内国際芸術祭」だった。
その2年後に越後妻有「大地の芸術祭」へ。
この2つ、エリアは違うけど、とにかくランドスケープが素晴らしい。
都市型芸術祭にはない、風景美も楽しめる。
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来年は「瀬戸内国際芸術祭」。
現在僕にとって夏旅の最有力候補だ。
犬島の風景とまた違った風景を楽しめるのだろうか。
今からちょっとワクワクしてしまう。
さて、そんな旅に何を着て行ったのか。
まあ、僕は結構旅のコーデを考える時間も楽しかったりする。
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今回、この小旅行の旅を決めた瞬間に絶対に着ていこうと決めた服が"osakentaro"の"mesh tops"だ。
船が海を行き交う柄が、まさに島旅にはぴったりだ。
僕自身も島の風景にとまでは行かないけど、そんな気持ちでピックしてみた。
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そしてボトムスは"rihei"の"Denim Pants"
"rihei"のデニムは、普段皆さんが街で目にするデニムや、保有のデニムと比べるとライトオンスデニム(厚みが薄いデニム)を採用しているので、軽やかで夏に着用しても気持ち良いのだ。
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全身を淡いブルーで。
海に媚びたコーデで楽しんできた。
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コーデの写真。
オラファーの作品で撮らせてもらうという、超贅沢なことをしてしまったけど、そんな旅コーデも楽しんでもらえると。
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ちなみに、僕の着用しているアイテムとは少し異なるかもだけど、一応"osakentaro"の"mesh"シリーズと"rihei"のデニムをそれぞれ掲載しておく。
まあ、もし気になる方がいらしたら問い合わせください。
osakentaro : rib mesh tops (sea) ¥52,800 (tax in)
osakentaro : mesh tops (bougainvillea) ¥29,700 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (people) ¥41,800 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (bougainvillea) ¥41,800 (tax in)
rihei : Denim Skirt (navy) ¥30,800 (tax in)
こんな感じで"osakentaro"のメッシュ素材を使ったアイテムと"rihei"のデニムシリーズをピックしてみました。
気になる方はお問い合わせください。
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それでは今日はかなり長々と、ほぼ、旅のお話でしたが、結果、何を着て行ったのか。
そんなコーデを考えるのも旅の一部であると。
特別な瞬間に特別なコーデを。
そうなると、また楽しみが一つ増すかなぁなんて思ってます。
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それでは次回もお楽しみに。
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一端だけ書いては放り投げてた日記を完成させる もう8月も中旬なんですけど!
7〜8月上旬
7/9
ない器官が漏れ出して、ない気道が錆びていて、ない頭がパンクしている 喉が膨れ上がっている 上半身の中身がゴロゴロとしている
要するに、頭痛
空腹なのか気圧なのかわからない
ギリギリまで頭痛薬を出し渋っていたので効くまでずっと体が傾いている 薬を飲む痛みに気づくまで遅い どうもできない
帰り道 波も風もなく、川がただ静かに橋上の様子を映していた
7/11
用事が終わった後ソフトクリームのアフォガード
店頭にベンチで食べる まだ猛暑日と言うほど暑くもなく、風がたまに吹いてくる室内から出ても快適な天気だ
一口目はスプーンで掬うと反対側にこぼしてしまいそうなので口を持ってくる さくっとつまめた 固めのソフトクリームで積もった粉雪のように食べる瞬間にギチギチする しかし二段ほど食べるとぬるい空気に触れた外側はやわらかさをもつようになってしまった 普通のソフトクリームだ…… 美味しさは変わりないが、触感が楽しかったので残念
コーヒーが溢れてきた! おいし〜…… バニラと混じってしゃくしゃくするコーヒーの氷がたまに当たる それを舌で押しつぶし食べる
7/16
昼ご飯後、なるべく静かな場所に置かれたベンチを選び腰を落ち着かせる
次の講義まで数時間余裕があるので何もしないことが可能 やった〜
集中もなにもできないので耳に何か流そ〜と思ったが、思っていたより頭がぼやぼやしており、ひなたぼっこのみを行う 10数分ほど続けた ずっと考えが浮かんでは飛び散るを繰り返し無心になることすらできない 計画を黙って立て続けることもできない 落ち着きたいとき、体が外に触れている感覚と呼吸と音だけを追いかける擬似座禅をよくするのですがそれでも居心地の悪さが下らない
どうしようもないので移動する 図書館 体が熱を帯びていることに気づいた 内側がどくどくしている 汗をかくまではいかずとも、体温に蒸されている たまにあたる冷房の風が心地よいと感じてしまうほどには暑い
課題に手をつけられない ひとつでも完成させれば少しは上向きになるとそれすらできない うお〜 諦めて課題と全く関係のない本を読む 時間をただ流すだけで終わらせたくない謎の意地 文学作品のある2階にまで昇るのが億劫で雑誌類を手に取る 自身が基礎的な部分だけ知ってる分野を選んだので度々既知の知識と出会ってわ〜と手を振る気分になる 特に意味はない ちゃんと段階を見据えた構成があり、補足で隙が埋められたように感じる文章を読むと、その伝わりやすさですげ〜かっけ〜となる ミチミチに詰まった情報を飲み込む満足感
課題に手を出すのを渋ってるときにしか生まれない熱量と集中で、結局空き時間は雑誌を読むのに使ってしまった なんとも………… 時間に中身はあったが……
日時不明
あっっっつ 暑というか“湿度” 湿気のせいで匂いが苦しい
行きの時間がちょうど雨だったので歩いて帰る え? この中を? 日差しが強くて体が東側に傾きそう���きつい
nakano4 聴く保冷剤 キューと締まる音 イヤホンの外から蝉の鳴き声が聞こえるのも良い その後アイオバーの陰陽師×unwelcomeが流れてきて汗だくになった アツすぎ
【今朝の夢】
血が繋がってるらしい人から右足を弓矢で刺される、増える複数人からの怒号、とにかく逃げる、部屋で落ち着いているときに家戸を強く叩く音にビビる、ひたすら隠れる
でも全部何事もなく過ぎていく
おい! わかりやすすぎ……
7/26
かび掃除
本棚の片側面にかびが薄ら付いてる 嫌…… 嫌………… 放っておくと広がるので拭く 乾いたシートをちょうど切らしてきたので、キッチンペーパーを使う アルコールで濡らした面が茶なり緑なりに染まり、あぁついてますね〜となる ついてますね〜……
床一帯も拭き、壁に近い本を避難させて終わる
元気になった
やはり運動が一番身体にいい
卯月の六周年雑談を聞きながら爪を塗る
元気なので
体が震える 心当たりのどれが当ってるのかわからない たぶんねむい ねた じとじとする
7/27
コンサートよ〜〜〜〜
予定があると特に何も考えずに動ける 今後ばんばん立てなさい
冷凍していた酢鶏を二本解凍し、味噌汁を飲む 意欲がある こんなにはやく生活の渦に入れるなんて
会場まで三十分足らずで行けるらしいので呑気にする
呑気にする
呑気にする
そろそろでないといけない
そろそろ
家を出て、途中昼食をとりながら会場を目指す
モスバーガー
落ち着いて考えたら全然余裕で間に合うことに気づく 開場時間だけを頭にいれていたので余裕しかない 開演を目安にするとダメなことはわかっていたので何分後の間があるのかも覚えていなかった 過去私、感謝
思っていたよりスムーズに公共機関まで移動ができる場所だったので苦しくなることなく腰をおろす
駅〜 でっかいガラス張りで眩しい なかなか見れない量の木々が生え盛っており視界の情報量が凄まじい ひぐらしの音も凄まじ 開放感のある風景で嬉しくなる
ホールに入る 時間が迫る感覚と会場の見慣れなさで思考が縮む 頭と体で優先する動きがめちゃめちゃになり、めちゃめちゃになった かむかむレモンと水 落ち着き
物販に寄ってから席につく
思っていたよりも前の方で嬉しい 演奏者の表情まで視認できる近さ ホールはよくわからん吊るし板がない造りでシンプルな印象 良 しかし上によくわからん長方形の箱が幾つも吊るしてありよくわからない 照明というわけではなさそうで、でも反響に役立つような見た目でもなくよくわからない
開演までパンフレットを読み潰す
山場の音圧が強くなる箇所で、外から音の壁を投げられたり一点で刺してきたり、内から這って響く音にえずきそうになったりと盛り上がりに種類があった すご…… 情緒がメロディーにしかなく音自体は単調な曲が、すべて情動的に組み立てられていて感情がグチャグチャ 揺れ揺れ揺れ動く 楽器との距離が近いので楽譜上の音だけでなく、鳴らしたことで出る木の音まで聞こえてきてコンサートだ〜〜〜〜〜となった ピアノの打撃音や弾かれた弦の音が場内に響いている
コンサート、考えることが多すぎる 音感がないのでこの音はこうで〜調がこれで〜などは全く推測などできないけど、それでも多いのだから音楽を専門としてる人の頭の構造って未知すぎと演奏を目の当たりにする度に思う ただ単に情報と情緒に気圧されている 耳で聞いたものを追ったり、今流れているものを振り分けたり どんどん厚みが追加されていく 全身が水に浸かり呼吸も手足も忙しく回ってるような状態 どんな姿勢で自分が聞いていたのか覚えていない
また、指揮者が愉快な方でところどころコミカルに動いていてよかった
アンケートをロビーのソファ上で書く もらった演奏を自分のなかでまだ落ち着かせられておらず、また内容を覚えるのに一杯一杯で「〇〇が〇〇でよかった」等をズラズラと続ける中身の薄い感想しか書けなく悔しい 感謝と称賛の筋肉がない
帰って物販で購入した品を開けて眺める 良い 良い…… 期待の何倍も素晴らしくキャッキャと喜ぶ
なぜか明日も予定があるのでさっさと寝るよう努める
7/31
ズッタズッタと飛び歩く子供 ぎこちないスキップのような動き
限りなく現実的な感情の夢 見たものは朧な光景すぎて全く記憶に残ってないが、自分らしき人が唸ってたものは自分のように思っていた
最後の講義だしな〜と気合いを入れて向かったが特に何も起こらず終わる それはそう あまり馴染まない構成の授業形態だったので、まあ終われてよかったんじゃないか? はあ……そう…………
疲れたのでお弁当を買って帰った 夜だし夏だし定休日だしで、好きなごはん屋にまで行くことができない 【求】はやめの秋
8/3
ひ、一筋の光〜〜
まあそんなわけでなんとなく将来とやらを描けたわけですが、就活ね…… 就活………… 誰か、わたくしに1から説明と型をつくってくれませんの? 就活の相談室にいこう
私ってまだ
8/8
本当は火曜日に終わらせるはずだった予定どもを終わらす マイナスの状態から動かないといけないので常に腰が重い ゼロになってくれ 善処します
まあいくら夏休みシーズンとはいえ、二・三日の間のどっか一席くらいは空いてるでしょ〜〜とたかをくくっていたら来週近くまで満席だった 本当なら数週間前に予約をとれるような人間だったんです、信じてくれ ギリギリでも大丈夫いけるいけるなんとかなるに甘んじて生きている 店長でなく森様をみて共感できるようになってください 来週はミチミチの質量のある夏休みにしてやるよ
本を買ってウキウキで帰る 夏がはじまる〜
きれいに月が弓状になっていて良い しかし撮るとふとったり、潰れたりする 写真より目で見たろうがきれいだが、後にアルバムを眺める等したら写真をきれいに思ってしまうんだろうな〜と両方の月を消さずに残した
8/10
荷造りをしよう
荷造りをしてない
最最最最最低限の家事だけ消化した
なんかまた眼鏡フレームが痛くなってきた フレームが原因なのか、他の心当たりで痛く思うのかわからない とりあえず荷造りをしよう
「そら、なるがちゃうんだろ」 ←大好き ロウアイキューさんの新作が見れて最高にHAPPY たくさん詰まっててHAPPYなクッキー缶だ 動画はもちろん、流れるコメントの雰囲気が好き かゆいところに手が届く
「卒業しましょう、先輩」 ←大好き よう言った これを真っ直ぐに伝えられるフォロー上手はあんたしかいないし、隣が別の人でいいわけない これが音頭ってことね…… デフォルト顔のこのシーン見て〜切り取ってくれ〜
雑記
最近プレイリストへの飽きが来ている 3つくらいのアプリでお気に入りの曲を詰める作業をしており、そのどれもに飽きを感じている 飽きというよりも強く聴きたいと思う曲を『次に再生』にピックアップできない
普段はシャッフル再生をかけて、2曲目以降に気分の曲をじゃかじゃか放り込み、あとはランダムに好きな曲が流れてくるのを聴いている この二番目の意欲があまり湧かなくなり、ただ順番待ちの曲を消去している
まだ追加していない好きな曲を大量に詰め入れるしかない
が、目も気も疲れるのでいいか〜となっている状態 なので、お気に入りの曲をつくっている好きな方のお気に入りの曲とそれをつくっている方のお気に入りのプレイリストを探すやつをします
そのうち
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而立
わたしの勤務先に、パパが勤めた大学の学生証を持って20歳の証明に来る女の子が何人かいた。もしかしたらパパと在校期間が被っている女の子たち。そうしてまたパパのことを考える。
パパが亡くなったとき、ママもお兄ちゃんもわたしもその場にはいなかった。確かにその二週間前からパパの体調はあんまりよくなかった(その間に救急搬送が二回あった)けど、みんなそれが非常事態だとは思っていなかった。なぜならその「あんまりよくなさ」は、過去20年のうちに経験した「ほんとうのよくなさ」とはちょっと違ったからだ。だから三人とも、あるいはパパ本人も、あくまでも「いつも通り」に過ごしていた――……と思うけど、もしかしたら、パパだけはいつも通りだなんて思っていなかったかもしれない。昨日より体調が悪い箇所を気にして、明日またさらに別の具合が悪化するのを不安に思って、なんだか過剰に寂しがっていたから。でもそんなことだって家族にとってはいつも通りのことだったのだ。20年間のうちに見慣れていったいつも通り、あくまでもすべてがいつもの通りのことだった。
ママの授業中にあったらしいパパからの不在着信に折り返すとパパが出なかった。ママが職場を早退して急いで帰宅すると、パパはベッドの脇でうつぶせに倒れていた。そのときのパパはまだ温かった、とママは言った。「でもその青い顔を見て、こりゃだめだと思ったの。チアノーゼが出てたもん」。それでも消防に連絡して、その指示に従って心臓マッサージをしているうちにパパの顔色が普通に戻ったのよ、とも教えてくれた。「パパ、もしかしてママのこと待っていたのかしら」。
ママは、そのあとのママは、何年か前にパパが手術で外すことになった結婚指輪が見つからないと探していた。パパは指輪をつけずにいることになってからいつも財布にしまっていたじゃないと言うと、財布は見た、でもないと言うのだ。「どこにあるのかしら、捨てるはずないの、絶対どこかにあるの」。ママは静かに焦っているように見えた。 パパを燃やすとき(そう言うとママは確かに燃やしたねと言って笑った)、パパにいろいろ持たせたけど(地理も好きなパパなので地図なんかは二つ持たせた。アメリカで愛用していたロードマップと、関東版のロードマップ)、指輪は絶対に持たせなかった。だから絶対どこかにあるよ。 最近、ママが新盆だからと言って盆飾りを買おうとしていて、別にいいけど、狭い家なんだしわざわざ買わなくてもよくないかと横槍を入れておいた。「だってパパは地図を持っていったじゃん。提灯なんかなくても迷わず帰ってくるよ」。 ママはそれを聞いて「言えてる」とまた笑っていた(でもたぶん買うのはすでに心に決めていたようだ)。
結局指輪は家の全然関係ないところに落ちていた。それを無事見つけたママはしばらくパパの指輪をつけて過ごし、サイズが違うためうっかり落としそうになったことをきっかけにつけるのをやめ、いまは仏壇に置いてある。
パパの死のことを数少ない友人に伝えた。 一番面白かったのは、「久しぶりに会いたい、話したいこともたくさんあるし」と切り出したわたしの話が、妊娠だと思ったと明かされたことだ。 「で、本題だけど」「妊娠したの?」 あんまり見当違いなので面白くて笑った。人間は生まれない、むしろ死んだよ。 でもこれは改めて考えさせることだった。会って話したいって切り出すような話題って、親の死より自分の妊娠が自然な歳かもしれない……まあ単にわたしが太かったということかもしれない。 また別の一人はパパの死を自分の親のことのようにショックを受けていた。その人とはもう少し詳しくパパの個人的な話をした。そうしているうちに感極まったように伝えてくれた。 「あなたは家族の病のために欲しかったものが手に入らなかったかもしれない。たしかに自分はあなたが欲しいと思ったものは持っているけど、でも、自分が家族に欲しいと思ったものはあなたのほうが持っている」
そういえばパパを燃やすとき、わたしが一番不安だったのはパパが何も残らず灰になってしまうのではないかということだった。 パパは骨粗鬆症で、50代のころすでに80代の骨らしかった。そんな骨を燃やしたら、拾うものなんて何もなくただ粉があるだけでないのか。そんな棺を見るのが恐ろしいと思った。 でもさすがはプロで、赤々と燃え盛る炎から戻ってきたパパはしっかり残っていた――棺の中にはカラカラになった骨のほかに、パパの体に埋め込まれた暴力的な太い金属ボルトが残った。それは凄まじい熱を放っていた。わたしが息を呑んで見つめていると、係員は「危険ですから触らないでください」と制した。 係員は喪主に聞いた。「これはどのようにいたしましょうか? 骨壷にしまいますか」。 ママは言った。「これは入れないでください」。 そのようにしてパパは何年かぶりに、ようやく、何も埋め込まれない体を取り戻した。
あと骨の話をもうひとつ。 骨粗鬆症のために、パパは通常の年代が荼毘に付す時間より短かったのだと思う。待合中、係員が案内に来た。「お時間はあと少しでございます。もしお手洗いなどご用のある方はいまのうちにお済ませください」。 そのすぐあと、同じ人がまた見えた。慌てた様子で言った。「終了したとの報告がありました。恐れ入りますが皆さまお集まりください」。 そうして戻ってきたパパの骨は、上述の通りちょうどいい塩梅だったというわけだ。
――でも歯だけはしっかり形が残っていた。それだけはまだ全然燃え足りてなかった。
遺骨をかき集めるとき、わたしは「歯が」と口をついた。「あんなにちゃんと残ってる」。 隣にいた叔母は「ほんとうだ」と返した。「歯はとても丈夫だったんだね」。 「シュミテクト使ってたからかも」 「あら、うちもそれ使ってる」 「じゃあ叔母さんも歯が残っちゃうかも」 わたしがそう茶化すと、叔母はにっこり笑った。「じゃあそれ、あなたが見届けて確かめてくれる?」。 わたしは急に胸がいっぱいになって「うん」と言う。ただ「うん」とうなずくしかできなかった。
ちなみに、棺の中に入れた地図は綺麗さっぱり燃えていた。 あと、パパが好きだった小説もちゃんとなくなっていた。
パパの棺の中に入れたいくつかに、小説もあった。わたしが家の本棚から「これを入れたい」と取り出したからだ。 ママは「いいね」と喜んだ。お兄ちゃんは「あなたがそうしたいなら」とうなずいた。 親族は、棺の中の、パパの顔の横にある小説を見て「本がある」としか思わなかったようだ。「本が好きだったもんね」。 でもパパと個人的な付き合いがある人たちは違った。 「ああ、この小説。ほんとうによく読んでいましたもんね」 通夜でその声を聞いたとき、わたしはまた胸がいっぱいになった(その週は何かにつけすぐ胸がいっぱいになった)。わたしがどんな意図でこれを入れたいと思ったか共有できる人がこんなにいて、それはつまり、わたしがパパの、父親でなく個人的な人となりを、たとえ一部分でも知ることができた人間だったからだと思ったからだ。なんだかとても嬉しかったのだ。
先生――研究会の先輩――がうちまで弔問に来たときは、ママと三人でパパの昔の話をした。 パパとママが学部生のころ、先輩が院生でTAのころの話。 先輩の話はいろいろ聞いているので初めて会った気がしない。もしかしたら赤ちゃんのころ抱っこ��らいされているかもしれない。 たとえば先輩が前妻と別れることになったとき、ママが先輩と話をしたときのこと。ママはそれが忘れられないのだと折りに触れて言う。 「あなたたちを見てるとO・ヘンリーに出てきた夫婦を思い出します。なんでしたっけ、あの、“The Gift of the Magi”の」 それはいまでもママのお気に入りの話になっている(「いやあ、先生、それを母から聞いたとき、さすがにちょっと誇張し過ぎでしょと思いましたよ」「違うのよ、あの最後がちょっと噛み合わないところを言ってるのよ」「ふふふふ」)。 その先輩はパパの骨壷と向き合うと声を上げて泣いた。わたしはその泣き声を聞いて気持ちが沈んだ。
パパとの最後の会話はありがちな「気をつけてね」「わかなもね」だった。パパが死んだのは金曜で、その二日前のことだ。 パパが週三の通院のために利用していた介護タクシーの運転手(いつもの人)が家まで迎えにきて、その日は休みで実家に戻っていたわたしがパパを玄関先で見送った。 パパは少し苛立っていたけど、それでもわたしが「気をつけてね」と言うとしっかりした発音で、「わかなもね」と言った。
その前、いつにも増して寂しがっていたパパは、部屋で一人で寝ていられずにわたしのいるリビングまで来ようとした。パパは立って歩こうとして気が遠くなり頭から倒れるようにふらつくので(これで倒れたときが直近の二回もの救急搬送の原因だった)、わたしは倒れそうになったパパを担いでベッドまで運んだ。パパは成人男性としてはたぶん普通体重なのに、むしろ軽いほうなのに、重くて、重くて、とても運べなかった。上手にベッドまで持ち上げることもできなかった。思い返すたび、もしわたしにもっと力があれば、あんなに怖い思いをしなくて済んだかもしれないと思った。あんなにどうしようどうしようと、焦らなくても、動揺しなくてもよかったのかもしれないと思った。でもその話をしてママは言った。「力なんて関係ないよ、そんなのみんな焦るよ」。 なんとかベッドまで運んだらパパはなんともなさそうだった(「ほんとうに大丈夫なの?」「うん、大丈夫」)。だからわたしは「何かあったら呼んでね」と言って部屋を出た。 それなのにパパは、また部屋から出て倒れそうになるので(どうして?)、それに気がついたわたしはもう一度同じようにパパを運び、今度は「寝てて」と言った。大した距離でなくても成人男性を運ぶと息切れすると初めて知った。じんわり汗も滲んだ。激しく動悸がした。 「お願いだから何かあるなら呼んで。来るまで待ってて。寝てて」 パパは今度は黙って口を尖らせていた。でもそのあとはもう一人で動こうとしなかった。 その次の日――パパが心不全で死ぬ前日――背中がわずかに筋肉痛だった。
わたしはママに訊いた。「もしわたしに男性並みの筋力があれば、あんなふうに言わないであげられたと思う? つまりパパをひょいひょい担いで、パパがベッドで大人しくしていなくても余裕を失わずに、心乱れずにいられたと思う?」。 ママは言った。「いいや、そんなことないでしょ。確かに、もしあなたにもう少し介護の知識があれば、いくつかのところで焦らず済んだことはあるかもしれない。でも別に力があってもなくても、あなたの動揺は避けられなかったと思うよ……あんなに衰弱しきった親の姿を見たら」。
わたしはパパに言った。「気をつけてね」。
パパは言った。「わかなもね」。
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至誠懇切,預約幸福
以下同一位有緣人分享:
分享一
家母近來坐著的時間越來越短,經常看半小時電視後,就請外勞推她進房間休息。說是休息,但全身酸、麻、痛,加上肛裂,真的求生不得、求死不能。最近醫生開了癌末病人用的類嗎啡藥物,讓她稍稍可以安眠、減緩疼痛,但剛開始藥量太強,經常眩暈不適,難以兩全。
母親節時,大家坐在客廳慶祝,家母淡淡的說已經7年多了,手不能拿、腳不能站,身上的疼痛有增無減。我看著她,眼睛不覺濕潤起來,是多大的罪過,要忍受這無盡的地獄煎熬;是多麼的堅忍,才能熬過這看不到盡頭的苦難。
親愛的母親,我們知道您堅強的外表,是不願讓子女擔心的母愛,苦苦的忍耐,是不忍就此離去,留下哀傷的子女。我無法代您受這千辛萬苦,這箇中滋味,如人飲水,冷暖自知。但能夠確信的是,飄風不終朝,驟雨不終日,苦盡必有甘來,淬鍊之後必成真金。
《達磨大師血脈論述記》:「本心就在自己的見、聞、嗅、嚐、覺、知當中,時時現前,只因為眾生起心攀緣外境,執境為實,而不見本心。」、「所以夢未醒時,念念著相,被夢境所困,不知全夢即心,及至夢醒之時,猶如破相顯性,當下即見全夢即心,夢境中的五藴、六入、十二處、十八界,無一不是心體,心外無別夢。」
我們在這娑婆世界中,以為只有眼看到的、耳聽聞的、鼻嗅到的、口嚐過的、手摸到的才是真的,要能在苦難中覺知所受是夢、是幻、是泡、是影,何其難哉!但家母說:「我痛苦時,就求觀世音菩薩,就唸阿彌陀佛。」能夠知道唸佛又何其有福。就是這樣一念至誠,一心佛號,夢醒時分,得大自在。
分享二
沒想到後來,母親承蒙佛菩薩慈悲開示:「《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》各900部,可預先超拔,往生後,可直接到中天報到,享天福100年。」感恩阿伯,感覺天很黑,突然出現了一盞明燈,喜出望外。
(分享結束)
小編看到這篇分享文的時候,真的是眼淚直流。沒有走過病苦的人,可能真的難以想像,全身的酸、麻、痛、刺、癢,站也不得、坐也不得,求生不得、求死不能,日復一日地,心靈被綑在全身疼痛的身體牢籠中,在無間地獄中苦苦煎熬。
但是為了家人只能撐住,不抱怨了,因為抱怨也沒用,就如有緣人的母親,只是淡淡地說著身體的苦痛與不適,沒有哭天搶地或激動情緒,因為再多的訴苦只是增添家人的煩惱。有緣人的母親早已明瞭,此時能救她的只有佛菩薩,她說:「我痛苦時,就求觀世音菩薩,就唸阿彌陀佛。」
有緣人曾經把母親的故事寫成分享文,以下摘錄自〈我好希望菩薩開示是「業障討報」!(三) 〉分享二:「105年10月,80歲的父親因整修房屋,自3公尺高處摔落,剛好壓到母親,父親沒有受傷,母親則頸椎第3、4節受傷,四肢癱瘓。是何因果呢?佛菩薩慈悲開示:『係因父母親2人,前世因利益衝突,共同犯下了拿刀殺業主菩薩導致傷重成之罪業,父親因為對母親有恩,所以由母親代為受報,2人各需唸誦經文各118遍迴向給業主菩薩。』
此筆業力回向圓滿後,母親轉至復健病房數月,106年3月又昏倒住進加護病房,開示出新業障:『係因前世利益衝突,用棍子打人家致傷重半身不遂,需誦經文各115遍』,緊急回向圓滿後,終於在3月底前出院返家休養。」(摘錄結束)
105年10月至今,已過了七年半,有緣人的母親就這樣在人間地獄中度過無數個夜晚。有緣人非常孝順,經常講因果觀念給母親聽,鼓勵母親念佛。只是,人的業力不可能只有一兩筆,這些年的病情起伏,有緣人仍幫母親持續消業障。也有能力請外勞,照顧母親的基本日常需求。
但是,平心而論,這世上苦難的人何其多,因意外、疾病造成癱瘓、半身不遂,多少的家庭因為親人殘疾而飽受磨難,這一切真的是意外嗎?不是,是因果相欠!用現世的苦體會冤親債主當年的痛。誠如上述分享摘錄,有緣人的母親也曾經造成業主菩薩傷重致死或半身不遂,讓業主菩薩及其家人承受人生的悲苦與磨難。
有緣人說:「如果能夠早點知道母親前世種下什麼因,在惡果還沒來臨之前,就先與業主菩薩達成和解,用自己能力所及的誦經方式,把該還的債還清,化解前世重大罪業,比起事後過著頭腦清楚但四肢不能動,卻又痛、癢、麻、痠,且夜晚不能成眠,如地獄般的日子,該有多好。」
遇到牟尼精舍以「因果債,功德還」因果化解後,雖然有緣人母親的身體已無法復原,但是她開始有了堅定的信仰,多年來在苦痛中堅毅地唸佛。終於蒙佛菩薩開示,可為其預先超拔。我們幫有緣人的母親送件請示佛菩薩,請示一:「三經九百部,是否已包含從地府到平民區,再到中天的經文?」開示:「全包括」。
請示二:「可以預先超拔,是因為1.母親受報時,心性有磨練到,所以苦盡甘來?2.母親受報時,子女代為誦經消業,自己也唸佛。3.子女在精舍的修行,對母親有幫助?有緣人本身從事公職工作,有累積功德福報,對母親有幫助?」
佛菩薩開示:「都有幫助,但最主要的是,在苦難中她悟徹人生,竭誠唸佛,數雖不多,其心剴切,唸佛聲感動佛菩薩,出手搭救。」所以,是人間受苦代替了地獄刑罰,同時在苦難中沒有放棄,反而不斷懺悔唸佛,終因至誠感動佛菩薩了。
有緣人和其母親都有接觸佛法的大福報,有緣人幫母親消業做功德,感得母親從鬼門關出來,從四肢癱瘓不能言語,到可以返家休養,還能開口唸佛。《地藏經》:「如是閻浮提男子女人臨命終時,神識惛昧,不辨善惡,乃至眼耳更無見聞,是諸眷屬,當須設大供養,轉讀尊經,念佛菩薩名號。如是善緣,能令亡者離諸惡道,諸魔鬼神悉皆退散。」
但是,真正能讓有緣人的母親脫離四肢癱瘓苦難的,還是母親她自己對佛菩薩至誠懇切的憶念與交託。《地藏經》:「復次,地藏!未來世中,若天若人,隨業報應落在惡趣,臨墮惡趣中,或至門首,是諸眾生,若能念得一佛名、一菩薩名,一句一偈大乘經典,是諸眾生,汝以神力方便救拔,於是人所,現無邊身,為碎地獄,遣令生天。受勝妙樂。」有機緣能幫助母親往生天上,是她自己至誠懇切。此事要天也要人,自助、人助、天助,而得佛菩薩出手相助。相信以有緣人的孝順,定能盡快為母親超拔離苦。
《心經〉:「觀自在菩薩,行深般若波羅蜜多時,照見五蘊皆空,度一切苦厄。」清楚地指出將「色、受、想、行、識」五蘊都拋開,心態不被自己的主觀意念所左右,才能解救一切的痛苦跟災難。恭喜有緣人的母親,看破人世迷霧,讓佛菩薩牽著手,走到離苦得樂的彼岸。風雨即將結束,下一站預約幸福。南無藥師琉璃光如來!南無本師釋迦牟尼佛!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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043024
親知らず抜こうって言ったの誰?まじむりなんだけど。 待ちに待った抜歯の日。10時ちょいまで仕事して(謎にダニーさんお店に来た!)、お昼食べて昼寝して。体調万全で迎えた施術。通されて施術台に座って先生を待っていたら先に隣の別の先生担当の人が始まって、麻酔足りずに痛がってて麻酔足してる様子をじっと座って聞いてたら手が震えてきて。めっちゃ構えてました。 ちょっぴりおねえ口調のおじさん先生がやってきて諸々説明、どっちやるか決めて麻酔。まずは下から。麻酔三箇所目、歯肉のところ痛くて眉がちょっと動いただけでも反応して声かけてくれてやさしーーーーって心の中で叫んでました。 それから10分ほど待って、抜歯開始。麻酔のおかげでなーんにも感じず、でも人体からしちゃいけない音はしっかりと聞こえてくる。メキョメキョ、ギュインギュイン、あとは先生が力かけてパキッて。歯肉を切開→骨削って歯を削って折って引っ張り出して削って折って→縫合。多分30分くらい。施術中は全然痛くなくって、隣の人なんだったん?って感じ。先生もたくさん声かけてくれたし、口が疲れるだろうからってこまめに休憩挟んでくれたし。全然余裕だったから上野歯もそのまま抜歯。上は埋まってなくって完全に生えていたので(変な角度だったけど)5分もせずに終了。上の歯はぐいっと引っ張り出したので、先生力入れてめっちゃハアハア言ってて、がんばれーって思ってた。はい終わりでーすって言われて、下の歯に比べてめーーーっちゃはやくおわったから、え?ってなって早って笑っちゃった。 止血でガーゼ噛んで、喋りづらい感じでいたら先生も真似してモゴモゴ喋ってくれてマジで和んだ。抜糸の日付決めて終了。 薬もらってお家帰って痛み止め・抗生物質飲んで。麻酔のせいでペットボトル飲むのとかめっちゃ変な感じだった。ちょっと腫れて違和感あるけど全然無事だったなーって思ってたら、麻酔と痛み止めが切れた19時頃から痛みだし。寝る前に痛み止め飲んでって言われたけど、寝る前っていつ?誰基準?ってなって。もう集中もできないから22時前に泣きそうになりながら痛み止め飲んでベッドイン。なんとか寝られたけど、多分痛み止めが切れた2時頃痛みで起きる。何。マジでいて〜〜ーーー。無理すぎて追加で痛み止め飲んで耐える。薬聞いてからどうにか朝まで就寝。
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