#三木楽器
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welcome to Osaka
the concert organized by me!
see you in December!
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Sean bienvenidos, japonistasarqueológicos, a una nueva entrega de arqueología nipona, una vez dicho esto pónganse cómodos qué empezamos. — En la publicación anterior estuvimos hablando de las ruinas de Yoshinogari, que datan del período Yayoi (300-250) pero en este caso del Yayoi tardío y se localizan en la prefectura de Saga. Esta vez vamos a profundizar un poco más en dicho yacimiento. En la década de 1928-1986 y hasta el presente se han estado hallando restos arqueológicos nuevos. Pero las excavaciones y las investigaciones empezaron en 1928, esta fecha corresponde a la era taisho, también se realizaron excavaciones en Fukuoka la prefectura vecina, principalmente ligados a dos temas, la agricultura y la innovación industrial. En la prefectura de saga, se encontraron vasijas del periodo Yayoi, hasta del periodo Nara, hay que entender que el lugar ha podido ser utilizado en periodos históricos simultáneos, desde la prehistoria hasta nuestros días, como ya mencionamos anteriormente, el yacimiento se localiza cerca del mar de Ariake. A 3 kilómetros nos encontramos las ruinas de Mitsunagata, que estaría cerca de la puerta del parque arqueológico. - En la década de los años 50, se desentierran en las zonas de cultivos, ataúdes de tinajas. En 1928 aparecen: brazaletes de conchas y cuencos de vidrio. Pero no será hasta la década de los años 70 cuando se hacen excavaciones a gran escala, inclusive prospecciones, al noreste de Yoshinogari en las que se encontraron, espejos de bronce y armas de hierro. Se hallaron restos de edificios que se creen que son almacenes de piso elevado. 1980-1982, se excavó arroz carbonizado, esto nos permitirá saber cuál era la dieta y la procedencia del mismo. En 1986, por motivos industriales y por el canal de agua en la prefectura de Saga que comunica el río Chikugo, hasta el río Kase, esto desentierra restos de fosos y huecos de postes de madera. — Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones, que pasen una buena semana. - 日本の考古学者の皆さん、日本の考古学の新しい記事へようこそ。そうは言っても、気を楽にして始めましょう。 — 前回は、弥生時代(300~250年)、今回は弥生後期、佐賀県にある吉野ケ里遺跡についてお話しました。 今回はこの預金についてもう少し詳しく掘り下げていきます。 1928 年から 1986 年の 10 年間と現在に至るまでに、新しい考古学的遺跡が発見されています。 しかし、発掘調査が始まったのは大正時代にあたる1928年で、隣県の福岡でも主に農業と産業革新という2つのテーマに沿った発掘調査が行われました。 佐賀県では弥生時代から奈良時代の器物が出土しており、先史時代から現代に至るまでの同時期に使われていた可能性があることは、前述したとおりです。有明海の近く。 3キロほど離れたところに、遺跡公園のゲート付近にある三長田遺跡がある。 - 50年代の10年間に、栽培地域で壺の棺が発掘されました。 1928年に貝殻のブレスレットとガラスのボウルが登場しました。 しかし、吉野ヶ里の北東で測量を含む大規模な発掘が行われ、青銅鏡や鉄製の武器が発見されるのは70年代の10年になってからである。 高層倉庫とみられる建物跡が見つかった。 1980年から1982年にかけて焦げた米が発掘され、その食性や起源を知ることができます。 1986年、産業上の理由と、筑後川から嘉瀬川につながる佐賀県の水路の堀と木の柱穴の遺跡が発掘されました。 — 気に入っていただければ幸いです。今後の出版物でお会いしましょう。良い一週間をお過ごしください
Welcome, Japanese archaeologists, to a new installment of Japanese archaeology, having said that, make yourself comfortable and let's start. — In the previous post we were talking about the Yoshinogari ruins, which date from the Yayoi period (300-250) but in this case from the late Yayoi and are located in the Saga prefecture. This time we are going to delve a little deeper into said deposit. In the decade of 1928-1986 and up to the present, new archaeological remains have been found. But the excavations and investigations began in 1928, this date corresponds to the Taisho era, excavations were also carried out in Fukuoka the neighboring prefecture, mainly linked to two themes, agriculture and industrial innovation. In the prefecture of saga, vessels from the Yayoi period to the Nara period were found, it must be understood that the place could have been used in simultaneous historical periods, from prehistory to the present day, as we mentioned above, the site is located near of the Ariake Sea. 3 kilometers away we find the ruins of Mitsunagata, which would be near the gate of the archaeological park. - In the decade of the 50s, coffins of jars were unearthed in the cultivation areas. In 1928 they appear: shell bracelets and glass bowls. But it will not be until the decade of the 70s when large-scale excavations, including surveys, are made northeast of Yoshinogari in which bronze mirrors and iron weapons were found. Remains of buildings believed to be high-floor warehouses were found. 1980-1982, charred rice was excavated, this will allow us to know its diet and origin. In 1986, for industrial reasons and for the water channel in Saga Prefecture that connects the Chikugo River, to the Kase River, this unearths remains of moats and wooden post holes. — I hope you liked it and see you in future publications, have a good week.
#日本#韓国#考古学#遺跡#佐賀県#九州#歴史#先史#新石器時代#文化#吉野ヶ里遺跡#地理#弥生時代#有明海#唐津市#鍋岳遺跡#ユネスコ#Japan#Korea#Archaeology#Ruins#Saga Prefecture#Kyushu#History#Prehistory#Neolithic Age#Culture#Yoshinogari Ruins#Geography#Yayoi Period
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やあ! みなさんこんにちは。 クソバイス男こと増田です。 何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。 と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。 さあLet'sクソバイス ストレス解消方法について ストレス解消はルーチンにして日常に入れ込むことが大切。 水分補給と同じで、ストレスがたまった��解消するのでは間に合わないことが��いので、ルーチンにれる。 例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。 そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。 また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。 自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。 そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。 そうじゃないと自分が持ちません。 なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねています。 緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。 災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。 増田で愚痴れ それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。 𝕏?とかああいうアカウントがあるのはオススメしない。 増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。 そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。 技術的な話 まぁこれはやってんだろうと思いますけど一応通り一辺倒だけ。 まさにクソバイス 地域包括支援センターに言って、ケアマネを付けてもらってみっちり話をしよう(まぁ付けてると思っていますが) 他に相談出来る窓口をざっと揚げておくと 地元の社会福祉協議会 病院の患者相談窓口(ソーシャルワーカー・ただ忙しすぎて駄目な事も多い) 都道府県の国民保険連合会(電話・法的な窓口) 市区町村の福祉関係窓口 大会社の場合、会社が介護離職予防のために相談窓口を持っている場合があるとか。 どこの窓口がよいとかは当たり外れが大きすぎて厳しいことも。数を打とう。 病院などで介護向けの家族会みたいな組織がありますが、ワイは入ってません。参加者の年齢が上すぎて流石に合わなかった。 介護は親の金でやれ。自分の金は使うな(入れるなら生活費だな) 介護離職だめ、絶対。 介護者の都合>本人の希望>行政・施設の都合 と言う優先度でプランを組み上げろ まぁ実際には逆になるんだけど、最初はこうするつもりで挑まないとつらい。 介護は情報戦。繰り返す。介護は情報戦。 要介護者のことを一番良く知ってるのは自分だ、というスタンスを決してぶらさないこと。プロのアドバイスはプロのアドバイスで客観視できて貴重でちゃんと耳を貸すべきだけど、丸呑みはしないこと。プロはずっと介護しているワイらほど長く過ごしていないから。 さらに細かい話 状況がハマったら活用してね 長期になりそうなら、介護保険の点数はできる限りサービスに振るべし。ものは借りた後に買取するつもりで 介護保険は物品の貸与と、サービスが同等になっているが、貸与は長期になるとコスパが悪い。できるだけその分をサービスに割り振る方向で。 確かに介護期間が2年以内とかならレンタルの方がコスパがいい。短期間で症状が変わっていく場合にはどんどん変えられるメリットもあるので、最初の1年ぐらいはレンタルするのがよい。しかし、その後、状況が安定して、なおかつ必需品で、メンテがいらないものは買い取って介護保険から外し、その分をサービスに回すべし。中古の購入は簿価になっているので十万円とかする器具が数千円で買えたりします。 置き手すりやトイレ用の肘掛けなど ベッドの本体(マットレスは汚れると交換なので) スロープ 以下のものは貸与のほうがいい 車椅子や介護ロボットなど 定期メンテナンスが必要で消耗品 マットレス 使っているとへたってくるのと、完全に粗相して汚したといった理由でも交換出来る デイサービスに必要なものはとにかくクリアメッシュ袋(ファスナーがついているやつ)に入れて準備して整理。 便で汚染された衣服はドラム式ではなくて、操作してたっぷりの水を入れた縦型洗濯機でやれば手洗いをせずに落ちる コインランドリーは恋人。雨の日や寒い日でも暖めてくれる(乾燥機) テプラ君は頼れるひと。 3Dプリンタとレーザーカッターは神器。フルオーダーの本人に合わせた道具が2千円とかで出せちゃう。レーザーカッター+ポリエチレンフォームの可能性も無限台。 しまむらは神。 介護ショップで購入すると凄い高い介護用の下着が、なんとしまむら価格で売ってる。やばい。 それに比べて靴屋の渋いことよ…。足下見すぎ(靴だけに) 車椅子を乗せられる自動車は、諦めて新車で買うべし。中古で4年探し続けたが毎日送り迎えに使われて30万kmとかとんで��なく走ったようなものしか回ってこないので貯金をはたいて買った。今では欠かせない相棒。 親の金で解決できる範囲のことは金で解決する。 だるいとき用に冷凍弁当を用意しておく。そのために冷凍庫を追加で買っとく とろみがついた状態で売っているペットボトル飲料とかあるんやで 柔らかレトルトご飯とかもあるんやで 親はテレビっ子世代なので、異様に安い中華テレビを買って放置、後はテレビがお守りをしてくれる。 報連相大事。 通っているデイの連絡ノートとか大事や。 最後に頼るべき所には必ず報連相 自分の兄弟、叔父伯母など、遠くに住んでいていつもは介護に参画してもらえない人でも、とにかく報連相はしておく。今どんな状態だとか、入院したとか退院したとか。 ワイの場合、介護すると言う共通の目的が出来たことで、前よりも親類と仲良くなった気がする。 万が一親を残して自分が死んだ場合のことを考えておく。親がワイがいないときに死ぬより、ワイが先に死ぬほうが悲惨なことになるので。 デイサービスにしておくことのメリットはこれ。自然と毎日来てくれるので、最大でも48時間以内には発見される 通院2回方式どうよ。検査と診察を2回にわける 検査科が独立しているような病院だと、検査科は診療時間関係なく稼働していて検査OKになっていることが多い。そこで、検査は診察日の一週間前以内の診察がある日のどこかで行く。 検査の攻略法 採尿は自宅で採尿して持ち込みたいと相談すると採尿キットをくれるので、それで当日朝とって冷蔵庫に入れておき、持ち込む。 すると、スムーズに進むと、採血だけで到着してから最短10分で終わったりする。通常診察があると結果が出るまで待つことになるが、待つ必要は無いので速効で帰れる 診察は、朝一番の一番最初の予約に入れてもらう 朝一番は開いていることが多い。通常採血から検査結果が出るまで1時間かかるため、この時間帯の予約は検査が不要な患者しか入れられないのだ。 しかし、事前検査をしておくと検査の待ち時間がないため、入れてもらえる。すると待ち時間がほとんどなく診察を終えることができる。 ワイの場合は、検査はデイサービスに迎えに行って車に乗せ、その足で病院に行って検査する。また診察日は、診察を終えたら、その足でデイサービスに送り届けて預けてしまう。こうすることでデイサービスを休む日も最短に出来る。 そのほか よくある質問と回答 仕事はどうしたらいいですか? 介護離職だめ、絶対。ソースはワイ まず今の職場で働く事を考える。無理なら今の会社で働けることを考える。 プライバシーとかかなぐり捨てて、上司や同僚には状況をいつも話しておくことが大事。 ワイの場合、結果論だが、2ヶ月介護休暇取って環境を整えてやれば離職しなくても時短勤務でいけたと思われるんで、マジ早まらない方がいい。一度離職すると介護持ちが新たな就職口探すのは困難。 どうしても介護離職に追い込まれたら、介護者向けの求職なども存在はするので、労基の窓口に相談してみる。 介護施設とトラブルになったんですが 介護保険での事業の場合は、介護保険の保険者、つまり都道府県の健保連が窓口になった苦情申し立て相談窓口があるので、ここに相談するのが正規ルート。他に相談してもぬるっとしか対応してくれない。 行政の相談窓口はクソ せやな。ワイもそう思うわ。行政は相談するところと言うより情報を引き出すところと、手続きの窓口だと思って対応した方が上手いこと動いてくれる。 てか、なんで施設に預けずにお前見てんの? 金がないから。 人間そんなに簡単に割り切れる生き物ではありません。 なんでそんなにがんばってるの? しょうがねえだろうっせえよ 老人は生産性がないから若者のためにうんぬんかんぬん 安楽死うんぬんかんぬん うるせえ黙れ かわいそう だから黙ってろって 俺は見捨てるわ ワイにもそうやってイキってる時期がありました。ちゃんと現実を見つめて備えとけよマジで。 真面目な話、医療費とか使い過ぎていて気が引けるんですが 親が払った社会保険料や税金をざっくり計算してみるといいよ。生涯で家が建つぐらいの金は平気で払っている。ほとんどの人は、払った分を使ってるだけ。 統計学の心得があるなら年金・社会保障の構造を計算してみると実によく出来ていて、惚れ惚れするから。 特に公的保険てのはミクロではなくてマクロで社会的コスト(≠費用)を最小化し経済効果(≠金銭的利益)を最大化する仕組みなので、個人であの人は多くもらいすぎているなんてのは間違った議論です。理解できずに言う輩には「うるせえ黙れ」でよい。 終わったら俺も介護される側じゃん 先輩を見てると、介護をしっかりやってた人はあんまり要介護者にはならずにぽっくりいってる感じがする(終末期は別) 介護をやってると自然と介護予防の知識も付くから、地道にやっていこ�� 介護に巻き込まれた時点で人生終わりでは? まぁ、終わったということを受け入れるとそれなりに楽になるよ。
介護に関するクソバイス (増田編)
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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松本隆さんから大瀧詠一さんへの弔辞
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
1969年雨の夜、ぼくは初めて君の部屋を訪ねた。 六本木通りでタクシーに手を上げながら、 濡れた路面が鏡のように映す街の灯に見とれていた。 布団と炬燵しかない部屋に寝転んで、 来る途中、見てきた光景をぼくは紙に書いた。
君は時々、ギターを弾きながら、漫画を読んでいたが、 詞を二つ書き上げる時分には、うとうと眠ってた。 炬燵の上に、書き上げたばかりの詞を置いて、ぼくは帰った。
「曲がついたよ」と君が言うので、 西麻布のぼくの部屋に楽器を抱えて四人集まった。 聴きながら、ぼくは「あ、できた」と思った。 それが「春よ来い」と、「十二月の雨の日」である。
北へ還る十二月の旅人よ。 ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。
なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。
苦く美しい青春をありがとう。
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2014年3月21日 お別れ会
(via 風をあつめて/松本隆+細野晴臣+鈴木茂 LIVE - YouTube)
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Thank you 藤沢! 🤘 湘南に因んだセトリ 🌊
気づけば8つの楽器を演奏👀
初披露&挑戦はこちらの日���産🎸@freedomcgr
サーフミントグリーンもいつか弾いてみたい💚
サーフィン🏄♀️はできないけど、サーフ音楽で🎸
【LIVE リハ】夜空の星 | エレキソロに初挑戦!🎸| サラ・オレイン | 加山雄三カバー
Japanese surf music 🏄♀️
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サラバンドの1人、みつるさんから貴重な楽器をお借りさせて頂きました。奥が深いエレキ!見た目・色で楽器を��ぶという感覚はなかったからそれも新鮮
My Sarahband member, Araya Mitsuru lent me his precious instrument. Deep! The concept of choosing an instrument by its look/colour is also new to me.
🎸=FREEDOM CUSTOM GUITAR RESEARCH の Eza SSH(2018)
I always change my repertoire according to the venue. Shonan = beach culture. I can’t surf. But surf music can do 🎸 My first time playing this beauty on stage! ⚡️
〜The instruments I used this dayこの日演奏した楽器達〜
Violin
Electric violin
Piano
Keyboard
Kalimba
Music box
Ocean drum
Electric guitar
ちょっと海を渡って行くべ!
ツアーいよいよ残り3公演です👋🥲
僕の行くところへ、ついておいでよ!🤘👋🎸
Sarah Àlainn 2023 Tour
Time to Say Goodbye ~ Sayonara
~7月~
3(月)加古川👋
4(火)姫路👋
5(水)大阪👋
14(金)高崎👋
20(木)豊田👋
21(金)一宮👋
22(土)豊橋👋
23(日)岐阜👋
~Sarah Àlainn Quintet~
◉ 8月23日(水)
東京文化会館 大ホール👋
~9月~
2日(土)藤沢👋
~10月~
3日(火)鳥取県 NEW!
4日(水)広島 NEW!
17日(火)札幌 FINAL
1/f FANCLUB 限定ライブ
締切が今日です!どんな選曲みなさんされたのかな?楽しみ&ドキドキ
Sarah Àlainn「1/f」MEMBERS SPECIAL LIVE ~ Only One〜
🎼日時:2023年11月21日(火)
🎼開場18:30/開演 19:30 ※21:30頃終演予定
📣受付期間:9月1日(金) 10:00~9月7日(木) 23:59まで!
📣当選結果:9月15日(金)18:00頃、ご登録のメールアドレスに当選結果を通知いたします
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#sarah styling#electric guitar#freedom guitar#エレキギター#マルチプレイヤー#multi instrumentalist#Sarah band#サラバンド#加山雄三#夜空の星#サーフミュージック#湘南#surf music#藤沢#yuzo kayama#Youtube
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無題
納会の福引で社長賞をぶち当てて、デラックスな炊飯器を勝ち取った。阿部寛が広告塔になっているやつ。クリスマスイブに郵送で届いたので、クリスマスの朝に炊き上がるよう予約した。しゃっきりした米がスタンディングオベーションで祝福してくれた。おこげを焼きつけてくれる機能もある。ごはんがうまいと毎日嬉しくなれるだろ? と阿部寛がいっていた。朝起きるのがちょっと楽しみになりました。
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無事に仕事も納めて、本を読んだり、無心でギター触ったりしてる。大江健三郎の『燃えあがる緑の木』三部作をもうちょっとで読み終わる。年内には間に合いそう。津原泰水の遺作も並行して読んでいる。これは正月までかかるだろう。あと仕事で読まないといけないものがいくつか積んである。メインで触ってるセミアコの1弦が切れた。押し入れからテレキャスターを引っ張り出して、どちらも弦を交換した。ハヌマーンを練習したり、手癖のままのコード進行に鼻歌を乗せて作曲っぽいことをしている。歌詞を書くのは恥ずかしい。考えたら、母方の実家に眠っていたアコギを引き取ったのが中学3年生の時だから、かれこれ15年はギターを触っている。きもい。だったらもっと弾けてもいいと思うんだけど。
*
彼女の心も体もまだ不安定で、術後のまだ痛むお腹を抱えて、しくしく泣いていたりする。気分転換に適当にかけていたバカ映画で、血まみれの嬰児を使役して戦うヒロインが出てきて閉口してしまった。いま自分が敏感になっているだけだけど、ホラー映画とかでよく赤ん坊って利用されますよね、泣き声とか。みんな潜在的に堕胎を恐怖しているんだよな、と思う。当たり前だけど。チェンソーマンに堕胎の悪魔っていたら強いだろうな。
*
買い物袋を提げて、アパートの外廊下を歩いている時に、ちょうど5時のチャイムが鳴り出して、それを合図に、視界にそびえているでっかいオフィスビルの各フロアの電気が、波打つように一斉に消えるのを見た。ひとつふたつ、まだ点いている部屋もあった。飛行機雲がビルに突っ込む格好で斜め下に折れ曲がってたなびいて、墜落の軌跡を描いていた。緑色の鳥が2羽飛んできて、電線に止まった。つがいかしら、野生には見えない、��っかから逃げ出したのかしら。部屋に戻って、彼女を呼んで、寝室の窓を開けて、あれ、といって見てもらった。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、曇り空です。
3年振りに、旬菜みそ茶屋くらをさんにて【みそしると椀】の展示会を行わさせて頂く事と成りました。
会期中のくらをのお食事では、寿次郎のお椀でお味噌汁をご提供します。
ぜひ実際に寿次郎のお椀で、くらをのお味噌汁を手に持って頂き、軽くて優しい口触りを感じ、川連漆器ならではの触感体感して頂けましたら幸いです。
木地師、塗り師、蒔絵師、沈金師といった漆器づくりに携わる職人たちが半径2㎞に集って暮らす漆器の産地の川連。
会期中はくらをに在廊しておりますので、川連漆器のあれこれを、ぜひ直接尋ねてみてください。
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秋田 ・川連塗 寿次郎 工房展
「みそしると椀」
会期:4月26日(金) - 4月29日(月・祝)
10時 - 16時(会期中無休)
会場:旬菜みそ茶屋くらを
住所:秋田県横手市増田町増田字中町64
電話:0182-45-3710
www.kurawo.net
※お車でお越しの方は、蔵の駅の無料駐車場、または増田の町並み案内所「ほたる」の無料駐車場をご利用ください。5分ちょっと歩きますが横手市役所増田庁舎もご利用いただけます。
3年振りのくらをさんでの展示会。
折り返しの三日目も、朝から観光に来られた団体客様方がご来店。
���の後もスーパーカーにてご来店頂いた近県のお客様や、観光客のお客様方が、川連漆器でお食事を楽しんで頂き、実際に見て触れて感じて頂きました。
昨日も女将さんの素敵なお客様方もご紹介頂き、いつも良いご縁を有難うございました。
そしてくらをさんでの展示会も、アッと言う間に本日最終日と成りました。
祝日の最終日も、良いご縁が有ります様に。
そして皆様にとって今日も、良い祝日と成ります様に。
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溢れる感情に耐えられず傘を捨てて走りに走った。好きな人が私の目を見て発する言葉すべての響きとそのやさしい眼差しと細い睫毛と照れるときに伏し目になる癖とかその一切を心に封じて忘れたくなくて何度も頭の中で繰り返した。好きだ、好きだ、好きだ。わたしは君が好きだ。どんどんと激しさを増す雨はひたすら冷たいのに身体だけが熱くなっていくのを感じながら、それでも走り続けた。鞄の重さとか捲れるスカートとか靴擦れの痛みとか通りすがりの人の目とか全部どうでもよかった。なんでも出来る気がした。そう信じて疑わなかった雨の日の十四の夜がわたしにもあった。初めて乗った飛行機から見下ろした小さな街の灯りと海の広さと雲の上の世界に胸を躍らせ、天使とか妖精とか永遠とか運命の王子様とかを新品の12色のカラフルなクーピーで描いては大人に見せて得意げにしていた幼少期がわたしにもあった。異国の地で朱色の民族衣装に身を包んで、爪と唇に紅色を塗って、ヘナをした手に煌びやかなアクセサリーを付けた。久しぶりに降る雨を喜んで屈託のない笑顔を浮かべて踊る男の人たちを綺麗だと思った。わたしも、あんな風に雨と仲良くなりたいと思って濡れた長い黒髪を乱して踊った。割礼を終えたばかりの男の子の涙の意味を知った。脚首にロープを巻かれたあと逆さに吊るされて目の前でさばかれた羊の生肉を薄いビニール袋に入れて渡された。男の子の手の温度を知った。街中を歩く牛や犬の匂いと流れる川の音。あの頃の私はそのすべてに美しさを見出せていた。汚れるということは、綺麗なことの証明だと思う。わたしは汚れているのかもしれない。保健の教科書を広げて赤いマーカーを引いた。射精。コンドーム。欲求不満。自分を汚い奴だと思いながら、寝る前に未だ知らなかった快感を覚えた十五の夜がわたしにもあった。赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、カラフルな旗や服で溢れた音楽ライブ。目の前で成人した男のひとと男のひとがキスをしていた。飲み干されたビール缶は臭かった。挙げられた数百ものスマホのスクリーンに映る舞台の光はちゃんときらきらしていた。何にでも名前をつけたがる世界に辞書があるなら片っ端から斜線を引いてって新しいぴかぴかの世界でわたしは自分の書きたいことを書きたい。自分の心の底で光る甘い色をした海を、自分の唇の柔らかさや温度を、身体を駆け巡る血の赤を、これからの未来と築き上げてきた過去を、わたしは誰にも触れさせずに愛したいと思う一人の人間のために取っておいている。でも、本当はそんなの早く壊してほしい。粉々になった「処女のわたし」越しに新しい広い世界を見てみたい。今にも震えて壊れそうで怯えている幼い自分の手を離して、愛する人の手を握りたい。なんてことを考える夜はもうこれで何回目だろうか。なんてことを考える自分の愚かさに何度も救われた。二年前の夏、スーパーマーケットで一枚の五百円玉を差し出して買った花束を片手に持って、一人で電車に乗った。中学の頃に出会った恩師が「時間があれば是非お見舞いに行ってください」と言っていた人の元へ赴く。今考えたら名前も顔も知らない人の元へお見舞いに行くなんて変な話だ。はじめて行く病院の場所を何度もマップで確認しながらメモに取っておいた女性の名前を看護師に伝え、病室を案内してもらった。女性はミャンマーの人だった。花束をあげて、少しお話をした。彼女はわたしの手の甲にキスをしたあと、静かに泣いて何度も抱きしめてくれた。聖典の一章を朗読してくれた。帰り道、傘で顔を隠しながら泣いた。純粋な愛だった。美しいひとときだった。今、彼女が生きているのかそれともその命を引き取ってしまったのか、わたしには分からない。けれども、あんな風に泣ける真っ直ぐな生き方をしたいという想いはずっと変わらない。その日の天気は雨だった。雨は好きだ。雨は、全てを洗い流してゆるしてくれるから。初めて音響を担当することになった「虹」というタイトルの演劇では雨の降るシーンがいくつかあった。震える指先でたった一瞬の動作でわたしはちいさなちいさな世界に雨を降らす。雨の帝王だ、と心の中で反芻してはニヤついた。辛いことを乗り越えたあとには必ず幸せがやってくるということの例えで、よく雨が降るから虹が見える、って言うじゃないですか。でもそんな例えに騙されて虹をみるために涙を流し続ける人生より、自分で雨の中に虹を描いちゃいたい。馴染みのある、12色のクーピーで。子供心に戻って楽しめたもん勝ち。受験生の頃、夜、傘を忘れて自転車で濡れながら塾から帰った日があった。どんどん浮き彫りになっていく周りと自分の学力の差に悔しくて、��差値が低く出た模試はあとでシュレッダーにかけた。三者面談。志望校欄。願書。併願。見飽きた言葉たちに翻弄され、泣いてばかりいた。でも自販機で買うあったかいココアの程よい甘さとコインランドリーの優しい香りと無数の街灯、ちゃんと減っていくカレンダーの枚数と増えていくばつ印の日付に救われた。ちゃんと受験は終わったし、わたしは高校に入学できたし、もうあれから一年が経つ。十六歳になった日、結婚ができるのだと改めて感じてそわそわした。長いようで早くて、早いようで長かったし、楽しくって悲しかった。そんな風に過ぎていく時間をひとつずつ捕まえて名前を付けたりして愛でてあげたいのに、形のないそれらは風みたいにその温度だけ残してどこかまた違うところ、もっと遠いところに行ってしまう。かけがえのない、忘れないと心に誓った記憶ですらもどんどん薄れていくのを痛感するたびに自分が少しずつ死に近付いていっているのを感じてやるせない気持ちになる。かなしいね。かなしいと思えるくらいにはきっと美しい日々をわたしは送ってきたのだと思う。その嬉しさをエネルギーにして、これからも真っ直ぐ生きれたらなあと思う。なりたい人間像がたくさんあって、未来に求めるものが有り余るほどあって、やってみたい仕事も選びきれなくて、それを世間とか大人とか過ぎ去っていく時間は「理想が高い」なんて言うかも知れないけれど、広い世界は泳ぎがいがある。さようならと言うのは悲しいことじゃないし、別にすべきことじゃない。そこで泣けないのは純粋じゃないことの証明にはならない。受け入れてきたものも切り捨ててきたものも今のわたしを構成しているものの一部であって、それだけでわたしたちは経験してきたことに、出会ったものに、本当の意味でさようなら出来なくて、だからわたしは気兼ねなく前を向いて走れる。だいすきな友達と一緒にみた海の波のきらめき。船が海を分けていく音。風に草木が揺れる音。春の優しい花の匂い。パラパラと降る雪を見ては笑顔を浮かべて窓から手をのばす同級生たち。突然の豪雨に濡れちゃったと言って教室に並べられた何枚ものセーターと靴下。腹を仰向けにしてすやすやと眠るわたしのことが大好きな野良猫くん。わたしの指先を嗅いでその耳を擦り付ける。彼の毛並みを整える時間が好きだ。絨毯みたいに地に張り付いた銀杏の葉と黄色がかった君の手のひらを比べては微笑んだ。何枚ものワンピースを着て青い空の下をお気に入りの音楽を聴きながら過ごした。父はいつも愛してるといっておでこにキスをしてくれる。叱られた夜は悪い子になってヤンキーが聴いてそうな音楽をわざとリピートして何度も聴いた。すれ違��ては仲直りした友達。新しい出会いに戸惑って変にこだわりを持つ自分に自惚れて人を傷つけては泣かせてきた。調子に乗って取り返しの効かない大事なものを失って苦しんだ夜もあった。登れそうな木を見つけては登って、自転車で団地の周りを競争して漕いで、ララポートにイケア、コストコが並ぶ街へと続くうねうねした三郷にある一本道を何度も渡って欲しいものを買ってもらって、いつも家に帰る前にその包みをこっそり開けたりした。新品の制服をはじめて着たときは受験で落ちたことが思い浮かんで嫌になった。今ではシャツは少し色褪せ、セーターは伸びて、わたしの匂いがする。川のせせらぎの音を聴きながら揺れる木々を眺める、それだけで神様とお話しできた気でいた夏。線香花火をして蟻にとっては雷だねなんて話した。花束を貰って泣いていた先生。正反対の向かい合わせの新宿の駅のホームで手を上げて揺らして交わすバイバイの合図は一瞬で電車にかき消された。こんなに語ってしまった。でもさ、仕方ないじゃんね、あちこちで平成最後とか言ってんだもん。色々考えちゃったじゃん。ばーか!名前があっても無くても変わっても変わらなくても、わたしはわたしの時間を生きていて、それはずっと変わることはないから、わたしは自分の決断をこれからも信じていけたらいいなって思うよ。まあタチの悪いのが今年はいくつかあったけれどまあもう終わったので、きらきら一年生、友達何人出来るかな、みたいな心構えで広い器で程よく頑張れたらと思う。平成、送辞、終。
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もう無理……キャクエンしよ……。
役者として1ステを迎えるのは、実に1年ぶり。
ぶっちゃけありえないほどのクソ雑魚っぷりを披露した私は、帰り道、道端に残る水たまりに片足を突っ込みならこう思いました。
そうだ、京都行こう。
役者エグむずいやん。みんないっつもこんな大変なことしてたんですか。いろんな感情があふれてこぼれて、僕の足元には新たな水たまり。明日は晴れます。晴れさせます。
かく言ってますけど、楽しくやらせてもろてます。おおよそベガさんとなぽりが寛容なおかげです。本当にありがとうございます。
何はともあれ役者はすごい!てなわけで、そんな偉くて凄い役者の中から、『いつか栞を挟んで』に登場する皆様をご紹介します。今回は「この役者を主役にするなら、こんなタイトルのこんな劇」というテーマで。
以下役者は本チラ掲載順。
園堂香莉
『シング』
歌でみんなを笑顔にすることを夢見てきた少女。念願叶ってバンドを結成。しかし、第三次世界大戦が始まりかけた世界で、音楽などの娯楽は次第にタブーとされるようになった。そうした社会の風に吹かれ、バンドメンバーも1人また1人と去っていく。そんな少女がたどり着いたのは、商店街にある小さなお布団屋さんだった。彼女の子守唄と、お布団屋さんのお布団で、彼女らは「全世界ふかふかすやすや計画」を実行する。
「世界中の人がふかふかの毛布で眠れば、争いなんてなくなると思わないかい?」
���未来ミイラ
私には主役になれるほどの器はありません。
誰かを主役にすることなら、きっと、なんとか。
たぴおか太郎
『キャッサバイバル』
タピオカの原料として知られる「キャッサバ」、その和名が「イモノキ(芋の木)」であることは周知の事実であるが、そんなキャッサバにも、一時期本物の芋になることを目指していた時期があるということを、君は知っているだろうか。
これは、キャッサバが芋社会からの洗礼を受け、まさに芋洗い状態になりながらも、憧れることの光と闇を垣間見るお話。ちなみに、これはネタバレなのですが、最終的には芋社会のカースト、通称ポーテトで最上位に位置する「スイートポテト」が貢茶(ゴンチャ)の本店を燃やすことになります。芋もホテルも、「スイート」が最上級なんですね。
錫蘭リーフ
『虚ろにジャックポット』
ゲームセンターで働く男。ある日、ゲームセンターの喧騒が似合わない風貌の紳士がその店を訪れる。男が様々なゲーム機に対応する鍵を全て腰からぶら下げているせいで、紳士は男のことを、この世の全ての鍵を開けることができる鍵職人だと勘違いする。半ば無理やり紳士に連れられ、男は大小様々な扉がある部屋へと案内される。紳士は言う。「ここにある全ての扉を、君に開けて欲しいんだ」
「鍵」をテーマに繰り広げられる、ゲームセンターのように騒がしく、それでいてどこか空っぽな物語。
帝京魂
『職場参観』
小学生が、後ろから見ている。作業中の俺のパソコンを覗いている。部長に資料の修正を求められている俺を見ている。電話なのに頭を下げながら話す俺を、なぜか愛しそうに。その小学生の中に、我が子はいるのだろうか。気になるけど、ここで後ろを振り返るのは、なんとなく恥ずかしいような気がする。
オムニくらいの尺で、サクッと笑える劇に仕立てたいですね。
森々仙入
『タイトルコールが始まらない』
とある劇団の公演。いよいよ本番。当初の予定だと、タイトルコールの映像が流れてから本編が始まることになっていた。しかし、本番直前。機材トラブルにより映像が流れなくなる。担当者曰く、「多分すぐ復旧できるから、前説出ちゃっていいよ」とのこと。男は半信半疑で前説に出る。注意事項をあらかた言い終わったところで、舞台袖にちらりと目を向けると、舞台監督が必死の形相で両手を広げている。……延ばせということか?
ラムダが数十分間真面目にふざけ倒す劇。彼は無事に、タイトルコールというエンディングを迎えることができるのだろうか。
箏
『すがる藁もなく』
「この子、きっと何かの病気だと思うんです」。母親がそういって診察室に連れてきた少女は、何を尋ねても無口で、表情一つ変えない。どうやら学校でもこの調子らしく、クラスでは孤立し、家族もどう接すれば良いのか悩んでいるらしい。医者はその子を「不笑病」と診断し、一言。「今から治療をしますので、他の医者と看護師を呼んできます」。院内の医者と看護師総出で、彼女を笑わせにかかる。しかし彼女は笑わない。いや、笑えないと言った方が、正しいのかもしれない。
ルーベの口角が上がったが最後、この物語は崩壊します。地獄を見てほしい。
苔丸
『冷仏』
僕らのクラスには、「仏」と呼ばれる生徒がいる。なんでもできて、なんでも持ってて、なんでも許してくれる。と思っていたのだけれど、仏と同じ中学だった生徒が言うには、それは今が夏だからなのだという。なんでもその仏、「仏の顔もn度まで」のnの部分が、その日の最高気温と等しいという特殊な性質を持つらしい。とはいえ、一日にそんな何十回も仏の気に障ることなんかするはずもなく、大きな問題もなく時は流れていった。……その日、秋にしては異例の寒波が日本を襲う。最高気温は、0度。
苔丸の本当の怖さを、君たちはまだ知らない。僕もまだ知らない。
響夜
『見込み無き巫女見習い』
ある神社に、自らを巫女見習いと称する女がやってきた。おいおい。巫女見習いとかいうわりに、コイツ巫女についてなんにも知らねぇじゃねぇか。発言も行動も全部予測できない巫女見習いに、振り回される人々。挙句、巫女見習いはこんなことを訊いてきやがった。「あの、神様って、なんですか?」
今まで当然のように存在すると思っていた何かが、存在しないと言われたとき。あなたはその存在を証明できますか。
ミル鍋
『アマクチカラクチ』
インターネット上でも有名な辛口料理レビュアー。今日も口にする料理のほぼ全てにマイナスの評価をつけて回る。ある日、そんなレビュアーの隣で食事をしていたのは、インターネット上でも有名な甘口料理レビュアー。どんな料理でも「美味しい!」と言い、その料理の良いところをツラツラと述べていく。「そんなお世辞並べたって、この店は成長しないんだぞ!?」「じゃあ、あなたがつけた難癖で、この店は成長するんですか?」 食を通して、飴と鞭の使い方について考察する劇。
ゆには甘口レビュアーの方が似合いそう。ちなみに本編中に食事シーンが5〜6回登場します。楽ステ後は満腹ですね。
西峰ケイ
『穏やかな濁流』
親の都合で大阪から田舎の町へ転校してきた少女。その町のヌルさに愕然とした彼女は、大阪とは何かを体現していくことを決める。そしてクラスを、学校を、町全体を、大阪一色に染めていく。その町が彼女にとってかなり居心地の良い場所になってきた頃、彼女がいるクラスの扉を開けたのは、町長だった。「俺たちの町を壊したのは、お前か」
新しい宗教が蔓延れば、それを抑制しようとする派閥が出てくる。長い歴史でもずっとそうだったし、きっとこれからもそうで。
あろハム権左衛門
『スローに踊るだけ』
一流のマネジメントウーマン。日々様々な企業へ出向き、無駄を徹底的に省くよう的確に指導。その腕が認められ、彼女の予定は2年先まで埋まっている。一方で恋をする予定なんて入れてないから、恋なんてするはずがなかった。なかったのに。ある日訪れたベンチャー企業を統べる若い社長に、恋をしてしまった、ような気がするんです。
キャスパはもちろん、ゲスの極み乙女の「スローに踊るだけ」です。振付もアロー本人が(え)
アリリ・オルタネイト
『つづきつづれずとも』
日本政府は言う。「みんな別々のものを持っているから、それを振りかざして争うのだ。これからは逆の時代だ。みんな別々のものを失い、支え合っていくべきなのだ」 その次の日から、人々からはそれぞれ別々のものが奪われることが決まった。ある人はお金、ある人は片足。そして彼女から奪われるものは、言葉だった。奪われるまで、あと12時間。彼女は彼女の言葉をできる限り残そうと足掻く。文字で、音で、人伝てで。24時。政府の人間がやってきた。
イルルさんの役者紹介意気込みコメントが好きです。言葉を大切にしている感じがするからです。だからこそ。
〆切三日前
『いくつ担っても』
一人複数性制が導入された日本。今日はこっちの苗字の私で生きようかな。それは先週のことだから、今の苗字の私じゃなくて、先週の苗字の私が来た時に言ってください。そんな世界線で繰り広げられる、非日常的日常系短篇集。しかし日常というのは案外あっさり終わってしまうもので。「面倒だから」という理由で一人複数性制は突如廃止が決まる。おっけー、了解した。で、私はどの私を残せばいいんだろう。
キャスト欄に10個くらい異なる芸名が書いてあるんですけど、その内5個はみそかです。
黒井白子
『試行柵誤』
舞台と客席を隔てるのは、上手ハケ口から下手ハケ口まで一直線に伸びた柵。暗転が挟まるごとに、その柵は意味合いを変える。例えばそれは豪華客船の上。例えばそれは高校の渡り廊下。例えばそれはジュリエットがロミオを見下ろす場所で、例えばそれは高層ビルの屋上。この劇においてツラ線を破るということは、柵を飛び越えるということであり、柵を飛び越えるということは、大抵無事では済まない。そんなオムニバス公演。
僕��やりたいことに、彼はまだ付き合ってくれるのかな。付き合ってくれたらいいなという思いを込めて。
中森ダリア
『カメレオンガール』
バーで働く女。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。彼女の正体は、秘密結社「ユージン」のエリートメンバー。コードネームは「華芽麗音(カメレオン)」。彼女の本当の使命は、彼女自身が様々な姿に化けて、この世に数多いる、友達がいないと嘆く人にとっての「それなりの友達」になること。ある時はギャルに、ある時はおばあさんに、またある時は青年にまでなり、その任務を遂行する。
そんな彼女に、「それなりの友達」はいるのだろうか。
きなこ
『毒あるキノコは美しい』
それはなんの前触れもなく、突然の出来事だった。全国民の頭の上にキノコが生えたのだ。そのキノコは色も大きさも様々で、次第に人々はキノコで人を判断するようになっていく。恋人に求める3Kは、価値観が合う、金銭感覚が合う、キノコと言われるようになった。しかし、ほとんどの国民は知らない。ただ1人、キノコが生えてこない少女がいることを。
キャスパ曲は多分「マッシュルームマザー」
暁レミエル
『マイノリティ魔女リティ』
「魔女ってなんか、思ってたのと違うね」 その言葉が彼女を蝕んでいく。そんなこと言われたって、それが私なのだ。魔女のくせにちりとりの方持ってるのとか言われても、それが私なのだ。魔女のくせに電子書籍で魔法覚えてるのとか言われても、それが私なのだ。それが私なのに。
これは悩める少女の、笑って泣ける物語。
肆桜逸
『寝るまで起きてる』
夜。眠れない夜。男の枕元にあるスマホもまた眠らず、その液晶を煌々と光らせている。その夜男には、無数の電話がかかってくる。恋人から、親から、友人から、先輩から、そして、すでに"眠ってしまった"自分から。
男は"眠る"ことを選ぶのか。それとも、もう一度朝日を見ることを望むのか。スチルさんと他役者の録音された声だけで進む、怒涛の一人芝居。
埖麦
『無念ゴミ』
部屋中の本棚に詰め込まれたアルバムの数々。これらは全て、男が後悔している出来事が鮮明に記録されている「後悔アルバム」であった。一度開けばその時の記憶は鮮明に思い出され、その度に男は、懐かしさというには悍ましいような感情を抱く。ふと、見覚えのないアルバムを見つける。「……これは、親父のだ」
「アルバムって、何曜日に捨てればいいんだろう」
紫苑
『as mysteriously as possible』
少し不思議、いや、かなり不気味。そんな1人の男がひょんなことから��世界に飛ばされるものの、男が不気味すぎて逆に異世界の住人が怯む話。異世界に行けば周りに馴染めると期待していた男は、「変」であることに虚無感を覚え始める。これは「私」が悪いのか、「私以外」が悪いのか。「変」なりの、奮闘記。
略称はAMAP。ほぼSMAP。
水琴冬雪
『いつかオレンジの原付で』
ブゥーーーンブンブブーンブンブンブブゥーンブーンブンブゥーーンブンブンブンブブゥーーーンブンブゥーーンブンブンブブゥーーンブンブリョゥドゥーーンブゥーンブンブブンブンスウブンカィーーンブゥーンブブブーーン
(原付の音であらすじがよく聞こえないが、ベガさんが主役を張る演劇なんて、良い作品になるに決まってる)
以上です。もし実際に脚本に起こしてほしいという物好きな人がいたら教えてください。そのときには10年かけてでも、あなたを主役にする体で当て書きして完成させたいと思います。
びあげのブゥーンはどうしようかなぁ……
大学のキャンパスでcampusノート使ってる学生、見たことない。
近未来ミイラ
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『本心』スペシャル座談会映像解禁!
この度、映画『本心』の公開を間近に控え、池松壮亮さん・三吉彩花さん・水上恒司さん・妻夫木聡さんが“本心”を語るスペシャル座談会映像を解禁しました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 動画はコチラ https://youtu.be/pjHZaZQRGMw
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
本作の大きなテーマのひとつとなる【AIの進化について】の問いでは、各々がAIとの関わり方や考えを展開。
妻夫木さんは「人間の力を信じたいというのは根底にありますけどね。(AIの進化は)面白いと思いますが、AIは人間たちが考えていることの統計みたいなもの。その、すべての情報を集めた集合体が“壁”を超えることがこの先あるのかな…と少し怖くはなります」と、AIの“陰と陽”への畏れを明かします。
池松さんは「これからの10年が人間とAIがどう共存していくか決まる最後のターンになると思う。不安がたくさんある」と語り、「(映画のように)人間をつくるということは、“越えてはいけない一線”ではないか?実際、韓国や中国��は2Dで亡くなった人を蘇らせることは始まっていますし、日本もそう遠くないのかなと思った時に、技術がどのように使われてしまうのか楽観的に話せるものがない‥」と表情を強張らせていました。
また、モデルとしても活躍する三吉さんも「職業柄、人よりAIを使っている場面は多い。ボジティブな使い方だけれど慣れてしまっている自分もいて考えなければいけないなと思う」と不安を明かす一面も。
さらにタイトルにちなみ【人の“本心”がわかるか?わかってもらいたいか?】という問いに――
妻夫木さんは「わからなくていいと思う。人がどうだ、と俺たちが定義するものでもない。本心をわかろうとしないことも、ある意味優しさだと思うよ」と答えると、水上さんも「自分のことすらわからない」と賛同。 その上で池松さんは、劇中で主人公が母親の本心を探る行為について、<母親ほどの身近な人の本心でさえ、分からないこと>を認識して、相手を理解しようとする主人公の誠実さに焦点を当て話されています。
さらに、妻夫木さんは「人間ってはっきりできないものがあるから良い。嘘発見器で『はい〜、嘘ついた!あなた犯人です!』みたいなことやれるわけないじゃない?(笑)言葉にならないことがあるから俺たち芝居をするし、映画も作るんじゃないかな。帰ってChatGPTで“なんで人間は映画を作るのか”って調べてみます(笑)」とおどけながらも熱い持論を展開。
映像の最後には、池松さんが「俳優って絶対“本心”を言わないですよね(笑)めちゃくちゃ嘘ついてますよね?俺だけ?(笑)」と切り出し、三吉さん、水上さんが「めちゃくちゃ嘘ついてます!(笑)」などと談笑する場面も収められ、他ではお目にかかれない“本心”トークを繰り広げられました。
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2024/5/1
5月1日 奈良のホテルで、初めてテレビにyoutubeアカウントを紐付けて大画面でyoutubeを見ている。 奈良でも京都駅前のライブカメラを見ている。 本当は旅行に出ない方が良かったと思う。それ位、昨晩は目眩と吐き気があって、そんな中でも家を空ける前にするべき生活をして、へとへとになって味のしないご飯を食べた。 今日も、天気が相まってか、あまり優れない感じで生活の片づけるべきことをして、帰ってきて悲しくならないようにお部屋を整えて、へとへとになって家を出た。
良い��気清浄機付き除湿加湿器+サーキュレーター機能的な製品を見つけたい。今、全てが分離しているので忙しくなってしまう。
新幹線の中では、今回も恐ろしく眠ってしまった。 平日だったので、ゴールデンウィークでもあまり混んでいないように思えた。本当にずーっと眠りすぎて、こんなに疲れているなら家でゆっくり(無理だけど!)した方がよっぽど良いのでは?と、思いながら名古屋でやっと少しうつらうつらまで意識を戻して、京都手前でなんとか目を覚ました。
京セラ美術館へ行く予定だったので地下鉄に移動しながら、昨日からの目眩が続いている体感に、よくない!!と思い、何か食べておこうとコンビニへ入る。 いつも通りの、何もほしいものがないラインナップだった。でも京都土産コーナーにヴァッフェルの個包装売りを発見。冬にもヴァッフェルに命拾いしたので今日も買ってみる。 買ったところで満足してしまい、そのまま東山まで行って、東山駅のセブンティーンアイスを食べた。
京セラ美術館は改修した後、ずっと行きたいと思っていたところ。 ちょうどkyoto graphyが開催中で、川内倫子ので展示会場だった。同時期にジブリの金曜ロードショー展と、村上隆の展示も開催中でとても混雑していた。 でも美術館が大空間で広々していたので狭苦しさはなく、ところどころで青木淳を感じる建物だった。
京セラ美術館になんとか到着できただけでも自分を褒めてあげたい!と、展示は二の次で流すように観るつもりだったけれど、写真展、とても良かった。 写真を撮りたくなってしまう展示だった。 京都で川内倫子の作品を観ている、という事に、時々我に帰って実感しては、幸せかもと思えた。
京都は大混雑している様子だったので、そのまま三条から京阪で奈良方面へ向かう。 途中から乗車してきた女子中学生5人組は、お休みなのか休日私服スタイルで、コナンの映画を見てきた様だった(小学生時代の同級生、なっちゃんとみーちゃんも、毎年ゴールデンウィークはコナンを見に行っていた)。 1人は明日から韓国に行く、と言っていて他の4人が「いいな〜!!」と羨ましがっていた。 「どこか行かないの?」と他の子達も報告しあっていて、1人が「私は伊豆に…」と言うと「え!いいね〜〜!!」と4人とも声を上げた。 伊豆の子「え?!(伊豆だけど??)」 他4人「え??」 ???と伊豆に行く子は他4人からの予想外の反応にキョトンとし、他4人はそのキョトンの様子にキョトンとして、私はそのディスコミュニケーションを楽しんでいた。 「え?ディズニーじゃないの?」「イズ!伊にまめの方の…」「伊豆、伊豆か」「伊豆ってどこだっけ?」「うーん、あんまわからない。静岡…?」「え?本当にディズニーじゃないの?」「え?うん。伊豆って言って、みんな、わ〜ってなったから、なんでやろ?と思ってた…」と会話が続いていた。
途中で近鉄に乗り換えて、ここは修学旅行で通った駅だ…!とフラッシュバック。 班行動で奈良から宿泊先の京都の四条烏丸のホテルまで移動��るミッションが課せられていて、思ったより長時間の電車移動に緊張しながら、何も見るべきものがない窓の外の風景や、特急通過待ちの停車ホームをただじっと見ていた当時の風景が重なった。
奈良に着いていったん荷物を置くともう18時。 ならまちのかわいいお店は閉店してしまい、お寺の鐘の音を聞きながら少し奈良公園を散歩。今回も夕食迷子で、でも、昨年泊まった時と同じで、近くのスーパーやコンビニを梯子してなんとか用意ができた。
やっと帰ってきたところで、買ったばかりのサラダをひっくり返してお部屋のカーペットに千切りキャベツが散乱。できるだけ拾い集めたけれど、ごめんなさい。明日の清掃の方、ごめんなさい。
長島先生から「ちょうどその日だけ出ちゃってるの!なかなか合わないね〜」とお返事が来ていた。なかなか会わなすぎる。先日、西洋美術館の展示観てきました!とお返事した。
明日はまだ帰れない。なんで2泊の旅行にしてしまったんだろう!と、やり過ごせるように、なんとか楽しめるように。 かれこれ45分日記を書いているので、さらにへとへとです。 日常を愛すために旅行という負担を自らに課している(修行)、としか思えない今回の奈良旅行。 ホテルのアメニティが、たまに出会えるペリカン石鹸のアーモンドの香りのボディソープで嬉しかった。
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2024年8月22日木曜日
病院の待合室にて25
そっ閉じ
今日私はどれくらいの数の人間とすれ違うだろう。誰かとすれ違う時に注意すべきことは、目を合わせないこと。最近の私は背筋を伸ばすように注意して歩いているから、モデルがファッションショーでランウェイを歩く時のように真っ直ぐ前を見ている。誰とも目が合わない。別に目が合ったっていいのだ。目が合ったところで何も起きない。仮に「誰にメンチ切っとんねんお前コラ」と因縁をつけられたら謝ればいい。すみません、そんなつもりは無かったんです、気をつけます。そう言えばいい。でも目は合わせない。怖いから。人間が。
さすがにつらい。見てられない。X (FKA Twitter) を開く度に信じがたい程の偏見を目にする。私にも偏見はある。たまにそれがXに漏れてしまうこともある。それはすいません。ごめんなさい。でもね。Xのおすすめ欄をうっかり見ようものなら、漏れてるなんて程度じゃない、とんでもなく攻撃的な語彙で編成された偏見が乱れ飛んでおり、ただ撒き散らされてるならまだしも、引用RPという形をとって、明らかな悪意のもとに、純粋な加害の意志を持って投稿されたりしている。ひどい。見てられない。そんなアカウントはBANされるっきゃない。訴状が山ほど届くといい。まあ、私も見に行ったりしている部分があるかもしれない。野次馬根性が高らかに嘶き、サイバースペースの荒野を走り回っているのかもしれない。だからXなんてそっ閉じするしかない。そっ閉じ一択。YouTubeを見る。ストリートファイター6のゲーム配信を見ようかな。プレイしたことはないけど、プロゲーマーの配信などは素人でも見ていて楽しいから。うっかり者の私はチャット欄を閉じることを忘れており「〇〇って顔がイマイチなんだよなー」というチャットを見てしまう。ここでの〇〇という部分に入っていたのは、スト6の女性キャラの名前である。ゲーム上の架空の女性キャラにルッキズムを爆発させている人がいる。きもい。さすがにきもいかもしれない。さすきも。架空の女性にミソジニー炸裂させないで。勝手に斧振らないで。海外サッカーについて話しているYouTuberのチャンネルを見る。試合を見ながら三人の男性で話しているのだが、そのうちの一人がもうすぐ誕生日だという。「プレゼント交換とかしないの?」というチャットが来る。もうすぐ誕生日な人とは別の男性が答える。「しないねー…男同士でプレゼン交換とかするのなんてさー…なんかカマくさくねえか?www」…………。
そっ閉じしかない!
そっ閉じこそ正義!
そっ閉じこそ正義である!
この世は地獄だと認識しろ!
カーテン閉めろ!
カーテン閉めてくれ!!!
だから読書するか楽器弾くかタイピングの練習するしかない。読書楽器タイピングのサイクル、その生み出す回転が、降り注いでくる偏見をはじき飛ばす。そう信じて毎日をやり過ごすしかない。
診察終わってから車でイオンモールまで行って、背筋伸ばして歩いてたんですけど、なんかティッシュ渡してくる男がいたので受け取ったら、「ウォーターサーバーってお家にありますか?良かったあー今なら無料で家に設置できてね、一生タダなんですよおー」という陰謀論みたいなことを言われたので「あっ、あっ、ティッシュいりません!」とティッシュ返してフードコートに逃げてきてしまった。油断すんな!早くお家帰ろ!怖い怖い!
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未来に絶望しかなくても、信じてもいいかという気持ちにはなれる
ろくな人生を送っていない。はっきり言って馬鹿にされるばかりの人生で、他人がずけずけと入ってくるか、必死になってつくったものは、「この場所なら少なくとも壊されなくて済むかな」と思っているような場所に置いても踏み潰される。 いつだって人生最悪の日を更新して、わたしはわたしがこの世に生まれた日こそ呪われてあれ、とくりかえしている。
ろくでもない人生を送っている。
昨日もまあそういうろくでもない人生の最悪の日を更新するような日だった。詳細ははぶくが、さっさと人生のリタイアを考える程度には日常に喜びがない。ここ半年、「よかったな」と思うことは数える程度で、あとはなんていうか「どうしてこうなったんだ」というようなことばかりである。持病はまた悪化してきた。
そんな昨日、三ヶ月に一度行っているアフタヌーンティーの予約を入れていた。秋のアフタヌーンティーは9~11月。忙しすぎてもう無理かと思っていたが、なんとか日程を調整してぎりぎりで行けた。が、この半年ろくなことがない、しかも昨日は最高潮(でもきっとここからもっと最悪になるんだろうなとは思っている)で、「こんな気分のまま大好きなアフタヌーンティーに行くのか…」と思っていた。 いつものシェアオフィスにいくとアフタヌーンティーがむずかしいので、もうすこし近くのコワーキングスペースに行った。こども編み物教室をやってて、ちいさいこたちがたくさんいた。原稿をやろうと思っていたけど、編み物でつくったきのこや目玉焼き、クッキーでおままごとをしているこどもたちが仲間に入れてくれたので、一緒になって遊んで、絶望から少し立ち直れたので、アフタヌーンティーは楽しめた。
今日は朝から、フォロワーさんが楽しそうに見ているゲゲゲの鬼太郎の映画を見に行った。鬼太郎誕生秘話?みたいなやつ。鬼太郎はこどものときにアニメを見てて、ちゃんちゃんこが飛んだり下駄が飛んだりするのを眺めていたくらいである。似たような時間にやってたベムベラベロと違いが分かっていなかった。
だからほとんどはじめてみたいなもので、楽しめるかな…と思っていたが、これがめちゃくちゃおもしろくてとてもよかった。わたしはあんまり因習村ということばが好きじゃない。(面白おかしく語られる山村に実際に住んでいるのは限界集落の高齢者だ)、「ムラ社会」を嫌い、笑い、そこでなんとか生きている人たちの生活を勝手にデフォルメして凄惨さでエンターテイメントする、そういう姿勢を好まない。だからすこし警戒していたけれど、見られてよかったな、と思った。
主人公の水木は第二次世界大戦で(おそらく)南洋の前線に送られていたのだろう。玉砕を命じられた経験などがなんどもフラッシュバックする。かれと一緒に冒険(?)するのは、妻を探しているという男。ゲゲロウと水木に呼ばれていて、顔が鬼太郎そっくりなので、どうやら彼は鬼太郎の親父らしい。つまり目玉のおやじと呼ばれる存在の前身である。このふたりが、いわゆる「因習村」の「因習」の謎を解き、立ち向かっていく……。
お話しのつくりとしてはこんな感じ。公開されて間もない映画だから、あんまりネタバレ的なことを書いては、と思うので、よかったなあと思うところを少しだけしゃべると、
前線に送られた水木も、妻を探すゲゲロウも、どちらも「国」(はっきり「日本」と言ってしまっていい)に搾取され、押しつぶされてきた存在だ。そして二人とも、じつは根本のところでこの「国」とか「人間」という存在を信じられていない。その二人が、なりゆきで一緒に行動して怪異に立ち向かってゆくなかで、「未来」を信じ、きっと自分たちの後ろを歩くだろう存在のために、未踏の山に道を作るような行動をするところだ。 水木もゲゲロウも、とくに「強い男」ではない。水木は、自分より強い存在に(命やその他の「安全」)をちらつかされると、強く出られず引き下がってしまう。復員した水木が、戦争経験者だからと言って、肉体的に強く/戦闘・殺人の技巧に長けているわけではない。マスケット銃や斧を振るう場面はあるが、基本的に彼は、第二次世界大戦から復員したひとびとに(現代のある層が幻想している)むけられる「強さ/能力」を持たない(強さや能力を持たないのが普通だ。わたしの母方の祖父も戦時中に兵隊に取られていったが、死ぬまで戦地の悪夢を見てうなされていたそうだ)。この物語では戦争の経験とはつねに生きる強さや気力をそいでいく「傷」であり、物語を前に進ませる原動力とはなり得ていない。 ゲゲロウも、戦闘力という意味で、あまり強くなくて、バトルシーンよりも「捕まっちゃってる」場面のほうが印象的だ。ゲゲロウはよく捕まる。しかたなくバトルはするけど、本来の性格が、好戦的ではなく、強い方でもないのだろうと思う。人間からは隠れて、静かに生きていたい存在だったのだろうというのがなんとなくわかる。 ふたりはまったく強くなくて、「今」のためにもがいている。ゲゲロウが妻を探しているのは「今」のためだし、水木がこの村にやってきたのも「今」の自分のためだ。 だが、互いに関わりあうなかで、「未来」の話ができるようになる。 ふたりが立ち向かうのは特定のだれかのかたちをしているが、物語を俯瞰すればそれは戦時中に私腹を肥やしたものたち(国の暗喩)であり、ヒエラルキーの下層にいる存在を搾取する構造だ。水木はこの国を憎んでいる。「こんな国なんか滅びちまえ」と言う水木に、未来の話をするのはゲゲロウだった。水木がそう叫ぶ場面で、ゲゲロウはもっと、「国」を「構造」を滅ぼしてしまいたいと叫ぶような目にあっている。だが、この「国」「構造」の向こうにいる未来に、「今」を託したいと思う。 ふたりは最後まで強くなかった。戦うことで未来を勝ち取るのではなく、過去を引き受けることで「今」の向こうの「未来」のために、強くないままで、先へ進もうとする。
その未来へのまなざしの強さを、愛おしいと思った。
ここから下は、よかったな~と思った点のいくつか ・水木が、作中のこどもにされている虐待に対して嫌悪感をもよおす存在であること、そのこどもの結末に対して心から泣ける男であることと、そうでありながら一方では社会的地位や保身のため、時に哀れみで不誠実な行動を取ってしまうこともある人物として描かれているところがよかった。「水木は完全に正しい存在ではなく、善悪のメートル原器ではないが、それでもその絶対的な正しさだけを持たない人物が未来のために道を作る」という部分は、人間の営みそのものだと思った。
・「愛」というのが、性愛/恋愛で結ばれる男女のものだけでなく、血縁を通り越した、そして「記憶(愛着)」のない場所でも抱かれるものだと描かれたことがとてもよかった。これから、「未来」をつくってゆくわたしたちに、大きな希望になるように思えた。
クソみたいな人生だし、きっと明日からだってろくでもない日々だ。だけどまあ、いまはすこしだけ、未来を信じてもいい。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月1日(木曜日)
通巻第8113号
ミャンマーで本当は何がおきているのか(その3)
国軍と中国系マフィアの癒着関係が激変し、少数民族の武装集団が躍進
**************************
ミャンマー軍は、1月31日、国内で悪名高いギャング団の首領三人と幹部七名を拘束し、チャーター機で身柄を中国に引き渡した。この中国人マフィアの送還には中国軍から特殊部隊が派遣された。
ミャンマーで猖獗を極めた中国のギャング団は詐欺、外国人誘拐と人身売買を繰り広げてきた。拠点はミャンマー北東部の中国との国境にあるラウカイン州である。このラウカインは貧しい僻地だった。無法地帯が、気がつけば高層タワーと怪しげな歓楽街が立ち並び、中国人相手のカジノ、巨費が乱舞する賭場に変貌していた。
すでに9月6日には犯罪容疑の1300名近い人間が中国に引き渡されており、そのうち三軍閥のボスは魏超人、劉国熙、劉正祥と言われた。中国公安省によると、これまでに詐欺センターに関与した疑いのある約4万4000人がミャンマーから中国に引き渡されたという。
ミャンマー公安の推定では10万人を超える中国人が「詐欺センター」に誘拐、拉致あるいは博打の借金のために移住を余儀なくされ、オンライン詐欺の尖兵としてこきつかわれた。今回の大々的な手入れと幹部の検挙で、ミャンマーにおける中国系マフィアの崩壊に繋がるかも知れない。
なぜマフィアの巣窟化したかと言えば、ミャンマー国軍と少数��族の武装組織の武力衝突が激化したからである。そのうえ中国系マフィアは裏でミャンマー国軍の幹部と繋がっていた。ミンアウンフライン将軍(最高司令官)はラウカインの中国マフィアをむしろ支援していたのではないかと言われた。武装組織の情報を得るためであり、カジノなどを黙認することで「ポケットも潤った」
もともと中国は国内の誘拐や詐欺の電話センターがミャンマーの無法地帯にあることは突き止めており、捜査員を潜入させていたのだ。そしてこれらの犯罪組織がミャンマー国軍に叛旗を翻るのが目的だと偽って武装していた。その武器も中国からの闇ルート、つまり両国の官権の汚職が犯罪を助長してきた。ミャンマー軍が麻薬、カジノを黙認していた。
こうした妖しい関係により、中国人マフィアはミャンマーで手広くビジネスネットワークを構築し、カンボジアの鉱山経営やカジノに出資した。ミャンマー、ラオス、カンボジア、タイ、越南にまたがる犯罪ネットワークを構築していた。
国軍との武力衝突で想定外の事態が出来(しゅつたい)したことになる。
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であ��ことを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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