#ヴィーガンの神
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なにが君の幸せ なにをして喜ぶ?
楽しいことはなんでも好きだが他人を傷つけて得られる快楽の虜にはなりたくないな。
他の生き物殺して食いまくってんのに?????
死体を調理して美味しく楽しく食べてんのに????
ヴィーガン以外は言っちゃダメなんじゃね? そーいう事。
��ー面倒くせぇ。勝手に場当たり的に御都合な「善」気取らせろ。
ほらな簡単に「悪」がまろび出た。
場当たり的で差別的な善は偽善。
ハンパな綺麗事は表立って語らず自分の中でのみ消費してりゃいい。
うぅ・・ 気分悪ィ・・
食うため、生きるために他者の命の犠牲が必要なら動物から優先的に殺していい。
他者の命を直接的間接的に喰らいつつ、他者の命を尊いと思う。
その傲慢を許して欲しいと願ってる。
あるいは仲良くなれたかもしれない命を自己都合で切り捨て「食い物」にする暴挙を自分に許す。
それが「生きる」ということ―
楽しいことは好きだ。我々は他人を無意識に傷つけ、特に他の生き物の命をコンスタントに奪っている。
そこに「罪」を感じたらあらゆる「楽しさ」にケチがついてしまう。
だからせめて感謝する。感謝する事すら「傲慢」に思えるしそれで癒やされるのはあくまで「捕食者」側であり被食者サイドはただただ怯えて自身の置かれた立場を呪うしかない。
おーい、この感情コスってどんな得がある???
既に犯しまくってしまった取り返しつかないレベルの罪にフォーカスしてなんになる???
法で禁止されていない範囲の残酷さの行使は「必要悪」と思え。
忘れろ、忘れろ・・ ヒスに飲まれる。ヒスに飲まれたら社会性が低下し周囲の「加害に無自覚な健常者」達の迷惑になる。
「厄介な善」と「厄介な内省」練り上げるな。
「厄介ではない善」ってなんだよな・・・
神がいないから、傲慢で御都合的で日和見主義的な善を許してくれる「大きな存在」がいないから罪の意識が消えない。
自己矛盾とブーメランの打撃に苦しむ。
だからたまに全部ぶん投げて露悪に走りたくなる。
その方が自分の「悪どさ」から逃げてないし。一貫性があって気持ちいい。
自己都合で部分的に嘘つきまくってキモい矛盾抱えるのすげーキモい。
グラデーションだったら「マッハバンド」出まくりだろ。
まあ、それもグリッチめいた魅力と言えば魅力だけどさぁ。
汚いパーソナリティだよほんと。
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世界樹の迷宮の二次創作の設定集
設定ばっかりたまっていくけど、今日のうちに投げとくよ
・世界樹の迷宮とは?
2007年に第1作が発���された3DダンジョンRPGで、ダンジョン探索に全振りしたゲームだよ
5人で1パーティとなるキャラクターを設定し、あとは5階ごとにフロアの装飾が変わる過酷な地下迷宮をひたすら探索するゲームで、町の人や先輩冒険者との会話以外特にストーリーもないゲームだからパーティー間の会話や関係性は妄想し放題だよ
今年6月にSwitchでリメイク版が出たから購入したけど、過酷すぎて全然進まないよ
特徴はマップを自分で描く作業があることなんだけど、Switch版だとオートマッピングができるので少しハードルが低いよ
でも扉とか階段とかは自分でアイコン置かなくちゃ記録できないよ
・キャラクターの設定って?
1個の職業ごとに5種類の立ち絵が用意されていて、立ち絵に職業制限はないから、名前と職業と立ち絵を決めればいいよ
・元ネタがわかりやすすぎる
それはごめんやで
そのものずばりの名前つけてた人フォロワーにいたから私もやってみようと思って
・本文
クソ長いので次のリンクの下から行ってね
役職:ソードマン(マンって言い方気に食わねえな、ソードマスターとか言えないのか?)
名前:メイユイ
別名:ハオラン(旧名)
年齢:18歳
GI:トラン���女性
身長:170cm
体重:62kg
性格 非常に好奇心が強く突拍子もないことをしたり言ったりしがちだが、基本的には泰然自若としていて、パーティーのリーダーにふさわしい器をしている。わりと平気な顔をして死地に突っ込んでいくところがあるので、旧知の仲であるクリストフとアーリフの心労は絶えない。シエロから一方的に「主人」としてみなされており、ビャッコからも「将来が楽しみネ」と言われている
個性 ごくゆるいオムニロマンティック/オムニセクシャルで男性とみなした人に恋愛/性愛的な関心を抱くことが多かったが、勇敢だが落ち着いてさわやかな人物なので、男装時代は女性との交際経験が多く、男性とはまだ交際したことがない。
特技 パーティー一の怪力でクリストフをもしのぐ火力がある。
能力・スキル 得物は斧や剣を使うことが多く、斧による高火力の攻撃が決め手となることが多い
見た目 茶色いロングヘアを後ろで三つ編みにしていて、額をすっきりと出している。細身で筋肉質。この世界で言うアジア系のルックスをしている。
生い立ち 古い武家の次男の「ハオラン」として生まれたメイユイは、武芸の稽古こそ楽しんではいたが、自分が「男」であることには強い違和感を感じていた。幼い日のこと、「君が女子だからと言って僕が手加減したらそれこそ君に失礼だろう」と神学校の同級生のアーリフに勝負を挑まれた際に言われたこの言葉で、「彼女」は自分のアイデンティティがやっとわかった。それから「彼女」の本当の自分を手にするための冒険が始まる。
背景 兄より武芸に秀でていたので家督を継げないことを惜しまれてはいたが、性別違和を形にできた後は本人は兄には悪いが安堵を覚えている。見抜いたアーリフの次に相談したのは担任であったクリストフ。クリストフに相談しながら周囲や家族に性別違和を伝え、今回の旅立ちの許可に至った。
その他 「本当の自分を取り戻す秘術」は現実世界で言う性別適合手術を魔法でやるというもの。現実の手術と同様に負担が大きいのでやはり健康な人にしかできず、費用も高額である。保険がない世界なので。
役職:メディック
名前:アーリフ
年齢:18歳
GI:シス男性
身長:173cm
体重:65kg
性格 パーティーの中で一二を争う高い倫理観を持つストイックな人物で、困っている人を見ると放っておけない青年。それは彼が移民の女性カップルの養子であり、ゲイであることもだいぶ関係していると考えられる。けがや病気の治療にあたるメディックで腕を磨いている最中だが、治療の途中に「自分を大事にするように」と説教をしてしまいがち。
個性 自分の民族的ルーツはわからず、生まれたばかりで教会に預けられたところを移民の女性同士のカップルに育てられたシス男性のゲイで、ママたちからは無理しないでいいと言われていたが成長期の終わりとともにヴィーガンを始めた。
特技 特技は料理。ヴィーガンを達成するのに必須のスキル。得意料理はダール(豆)カレー。ってか動物性食品のコクにかわってスパイスで味に変化をつけるので大体料理が香りが強く辛い。シエロが辛いのが苦手なので料理をあまり食べてくれないのが悩み。
能力・スキル けがや病気の治療が職業で、けがをしたときは彼に頼めば回復薬を使うより効率が良い。ただ命は大事に!と説教はされる。食材探しも兼ねているので、ダンジョン内の採集も得意。
見た目 イメージは南米ルーツの白人とアフリカ系黒人のミックス。肌は薄めの褐色で髪がカーリーヘアではない。これは立ち絵の都合。これまた立ち絵の都合で重装備になっているが、「回復役が倒れてはならない」という責任感で重装備をしていることにした。実際努力家でトレーニングもしていて力も結構強いほう。
生い立ち 所得に余裕はなかったが息子にちゃんとした教育を施してやりたいと思ったママたちは彼を比較的学費の安い神学校に入れる。幼い日に神学校に入ったばかりのころにメイユイ(その頃は「ハオラン」と名乗らされていたが)にライバル宣言をしたが、その流れで「彼女」が女性であると見抜く。以降二人は親友兼ライバルになり、メイユイの「本当の自分を取り戻す」旅にまで一緒に出ることになるわけだが。
背景 この世界は結婚にかんしてあまり手続きがちゃんとしていないので同性カップルが肩身の狭い思いをすることはないが、みんな平等に過酷な環境で生きているので、結婚のメリット自体が二人で所得を得られることと家事や育児を分担できること以外あんまりない
役職:パラディン
名前:クリストフ
別名:神父様
年齢:40歳
GI:シス男性
身長:190cm
体重:80kg
性格 やや潔癖なきらいのある高潔な人物。もともと神父をしていた関係で神学校の教師をしていたが、教会の教義にずっと疑問を持っていたのが耐えられなくなり、聖騎士の資格を取り教会をやめた。年下からモテがちで、若い女性から迫られたら非常に慎重に対応するが、男性および男性に見える者に迫られてしまうとガードが緩くなってしまう。
個性 博識かつ逞しい偉丈夫で凛々しく堂々とした人物。教会にはずっと隠していたが、バイセクシャル/バイロマンティックで、10代のころに男性の恋人がいた。しかし教会に入るために別れることを選んでしまい、それをずっと悔やんでいる。その後女性と結婚はしたが、その時の後悔が漏れ出てしまい、長期間の話し合いの末婚姻は解消した。子供はいないが子どもの未来を守りたい気持ちがあったので神学校の教師になった。が教義を教えるのが辛くなり、クィアの生徒たちも何かを感じ取ったのか自分を頼って相談してくれるようになり、やはり教会の教義に従うことはできないと思い、今度は聖騎士としてクィアの生徒たちと旅に出ることにした。
特技 アーリフほどは凝らないが料理ができる。シエロは好き嫌いが非常に多いが、クリストフの作った料理は食べられるものが比較的多い。料理を教えるのももともと教師だったのでうまい。しかしメイユイは素晴らしい生徒だったが料理だけは教えても全然うまくならない。クリストフによると、たぶん力の加減ができていないとのこと。ゆうてクリストフも自分一人分の飯を作るときはキャベツ引き裂いたり骨を素手で砕いたりはする。
能力・スキル パーティーメンバーをかばうのが本職。立派な体格であり鍛錬も欠かさないので力もかなり強い(クリストフよりメイユイが火力があるのは彼女がとんでもない怪力だから)。簡単な回復の術も使える。
見た目 多くの人がイメージがしやすい白人の偉丈夫。背が高くがっしりとしていて、着やせしているが特に上半身が立派。髪は色が薄めの栗毛で、鼻が大きい。それゆえシエロからは「あのツラとガタイだろ?神父様はきっとアソコも立派だぜ」とド失礼なことを言われている。
生い立ち 彼自身はごく普通の家庭の出身と思ってはいるが、彼の家より苦しい状況の人はかなりいるという感じ。教会の運営に入り、教会を訪れる人と教会で働く者たちの状況があまりにも違うことに気が付きまずそこから教会への違和感を感じた。実は少年のころ今と変わらない姿のビャッコと出会っていて、世話も多少焼かれているが、本人はうっすらとしか覚えていない。
背景 この世界の教会は現実のカトリック教会に近い教義であり、やはり同性愛や妊娠中絶には厳しい。現実のカトリック教会ほど力を持っていないが、葬儀などは行うし、現実社会で言う公的機関の機能の一部も担っていて、学校などを運営していたりする。もちろん他の経営母体の学校もある。
役職:ダークハンター
名前:シエロ
別名:自称「悪魔」
年齢:非公開
性別:人間の定義で言うとノンバイナリー(本人曰く、「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」)
身長:180cm
体重:65kg
性格 冒険者ギルドに来たメイユイ・アーリフ・クリストフにビャッコとともに声をかけてきた。彼女たちに声をかけ、旅の動機を聞くと、メイユイを「勇者サマ」と呼び、気に入ったから一方的についていくと宣言する。下品で乱暴で欲望に正直、人を小バカにした態度を取りがちで、この世界の常識と規範を常にバカにしくさっているが、常識を疑い規範に抗う人間への協力は惜しまないと公言している。クリストフのことをメイユイたちに倣い「神父サマ」と呼んでいて、よく「誘惑」している。
個性 「悪魔」を名乗っていて、常識や規範をかなり厳しく罵倒するが、それは人間が自分以外の生物を搾取するようなものに対してである。本当に悪魔かどうかはわからないが、人を誘惑して重要情報を聞いたり、差別的な輩をだましてひどい目に遭わせたりするのはよくやる。「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」とパンセクシュアル/パンロマンティックを公言していて、自分の性別もバイナリーな表現をされると激昂する。性的に奔放だが、「器がデカい奴としか本気で寝ない」「性別気にしない奴がみんな俺みたいにすぐ誘ってくる奴ばかりじゃないのは知ってるぜ」などと言っている。器がデカい人物に惹かれると公言する通り、大物になりそうなメイユイとすでに立派な人物のクリストフが大好きなことを隠さず、愛でたり誘惑したりしている。しかし、アーリフもちょっかいをかけられており、純朴な彼はいちいちこいつの挙動に悩まされている。
特技 戦闘上では搦手を得意としており、得物は鞭が基本、剣��使える。鞭により対象の動きを制限したり状態異常にしたりといった搦手でじわじわといたぶるのを好む。実は鞭の必殺技が設定上すべてのスキルの中で最も火力が高く、その名も「エクスタシー」。
能力・スキル 戦闘以外では情報集めが得意で、町で単独行動した後に情報を持ち帰ってくるが、どうやらワンナイトでの「遊び」も兼ねている様子。ただ、基本的にその時にターゲットにしているのは一流の冒険者や組織で権力がある者である。「器がデカい奴としか寝ない」と言っているが、大人に寛容な対応をしてもらうとそういう形で「お礼」をしてしまおうとしがちであり、過去の厳しい経験があるだろうと推測されている。
見た目 ボサボサの銀髪にアーリフよりだいぶ濃い褐色の肌で、瞳は黄色っぽい。悪魔の力を使うときに瞳孔が横になりヤギっぽい目になる。普段は男性表象寄りで素肌にファーのついた上着を着ているという暑いんだか寒いんだかわからない格好をしている。腹筋が割れているのは痩せ気味のせい。外見年齢は20代半ば。悪魔の力で少し見た目を変えることができるらしいが、「続きはベッドで教えてやる��♡」とのこと。
生い立ち 「悪魔」を名乗るまでの経歴は秘匿されているが、最初は人間として生まれ、幼いころはかなり厳しい環境で育ったらしい。絶望に沈みすべてを呪っていたらある日「悪魔」が現れて契約をして力を手に入れたとのこと。「悪魔」としての考え方はそいつから学んだらしく、「悪魔ってのは人間の欲望を肯定することで生まれた存在だから、基本的には人間の味方なんだぜ、だから悪魔はルールを押し付けて罰したりしないだろ?だから俺も悪魔らしく『人間』の誇りを取り戻そうとしてる勇者サマについていくわけだ」と言っている。自身の性別に関しては悪魔と契約する前からもともと男女二極でとらえてほしくないと感じていた。
背景 舞台となるエトリアは小さい街で迷宮探索目的の冒険者でにぎわっていて今は景気がいいが、エトリア以外の集落は規模や治安も様々で、格差の状況も様々。シエロは大きい城塞都市の非常に治安の悪い地区の生まれで特に格差が目立つところの浮浪児だった。過去の王の失政により大量の失職者、家を失った者、親に捨てられた子供たちが生まれていて、シエロは親も知らずそこで育った。シエロがエトリアの話を聞いたのは、悪魔と契約した後に誘惑したエトリア帰りの冒険者の寝物語が初めてだった。エトリアの情報を集めていくうちに、シエロの中で「悪魔がこんなところでくすぶっていてはいけない」という思いが大きくなり、拠点をエトリアに移し、自分が従うにふさわしい人間を狙うことにしたのだった。
その他 パーティーで一番の小食なので、メイユイと外食(ってかデート)した際にお互いに大盛と小盛を頼んであとで交換しましょうかと言われたが、「いや、そのままで行こうぜ、人目なんか気にするのは俺達らしくないだろ」とそのままメイユイは大盛を頼み、シエロは小盛を頼んだ。
役職:アルケミスト
名前:ビャッコ
別名:彼女の出身国での表記は「白狐」
年齢:???
性別:シス女性(人間ではない)
身長:172cm
体重:非公開
性格 シエロとペアを組んでメイユイたちに声をかけてきたアルケミスト。メイユイのことを気に入り「勇者ちゃん」と呼び、シエロと同時に彼女たちについていくことを表明する。大柄な中年男性のクリストフのことをなぜか「クリスくん」と呼ぶ。シエロと結構長いこと組んでいて、頻回に寝てもいるが、全然特別な感情はなく、大体の人間を変なあだ名で呼ぶ彼女だがシエロのことは「シエロ君」と変なあだ名もつけずに呼ぶ。
個性 はるか昔に遠い島国から移り住んできた「妖(あやかし)」で、狐の姿を持っている。アロロマンティック/アロセクシュアルのレズビアンで、メイユイがこれから施術を受けようとしているトランス女性であることも理解したうえでメイユイのことを愛しているが、年の差がありすぎるので一歩引いている。先に書いたように人外となったシエロとは冒険上のバディ兼欲望をぶつけ合うパートナーだが、回復ができる仲間がおらず、痛みを伴う激しいプレイができずにいた。
特技 博覧強記であり、速読でありながら読んだ内容も人間とはかけ離れたレベルで記憶できる。クリストフも人間としてはインテリではあるがそれとはレベルが違う。また食べる量が自由にコントロールでき、食料に困ったときは食べなくても生きられる。しかし本当はたくさん食べるのが好き。
能力・スキル この世界には錬金術があり、それを活用して属性攻撃を行うのがアルケミストであるが、妖術を得意としていたビャッコの能力が解析された結果もそれに等しいものである。特に火属性の妖術に長けている。
見た目 金色のストレートヘアと涼やかな一重の目元の妙齢の女性の姿をしている。とんでもない長い時間生きていて見た目が変わらないので住むところを転々としていたが、冒険者はその状況にあっていてやりやすいようだ。エトリアでよくみられるアルケミストの服装に合わせて、両手に仰々しい籠手を付けている。
生い立ち はるか昔から人の営みを見守ってきていて、実は世界樹の成立を知って興味を惹かれてエトリアの近辺に移り住み、世界樹についてずっと調査を続けている。世界樹が広がるときに多くの人間が犠牲になったのを悼み、その弔いのつもりで何回も世界樹の迷宮に挑んだが、そのたびに人間の仲間を失ってきた。やっと出会えた人間ではない仲間はずいぶん変な奴だが、そいつと今も一緒にいる理由は、そいつの信念に沿った人間こそがこの状況を打破してくれると信じられたから。
背景 ビャッコは途方もない長い時間世界樹の研究を続けているのだが、何せ彼女も社会的な状況もあって正体を明かすことができないので、せめて何��代も続けて書いてきたというていで世界樹の秘密を書物にしたいと考えている。実は幼いころのクリストフに勉学の楽しさを教えたのはビャッコ。姿を変えてないのがバレるとまずいのでクリストフの記憶をいじってその辺をあいまいにしている。
役職:レンジャー
名前:シータ
年齢:35歳
性別:シス女性
身長:158cm
体重:「なんで聞くのよ…」
性格 シータはエトリアから離れた川のそばの大きな国で夫とともに戦士として国に仕えていた。しかし、夫は獣討伐の任務の際に命を落としてしまう。夫に先立たれた際にその国の風習により夫を火葬する火の中に飛び込むことを強制されたが、幼い娘を連れて逃げてエトリアまでやってきた。普段は戦士としての冷徹さがありながらも男尊女卑が厳しい国で抑圧されてきたため遠慮がちであるが、いざとなったら上記のことをやり遂げるほどの胆力がある。
個性 夫のことは当時は好きなはずと思っていたが、国を出たことでその国に凝り固まった価値観を知り、それゆえに夫すらも視野が狭かったと思っている。実は誰にも言っていないが夫の前に交際していた男性が何人かいる。国の法律でばれたら拷問されるからずっと隠してはいたが。冒険者になったのは娘の養育費用のためで、自分が夫の後を追えば娘の生活を保障してやると国に言われてはいたが、自分に対してそのような扱いをする国のことが信用できなかった。娘には自分のように強制された職業ではなく好きなことをやらせてやりたいと思っている。
特技 非常に高い視力を持っている弓の名手。弓の名手であることが知られたがゆえに王宮に連れてこられ、そこで夫となる若い兵士と出会った。我慢強く育てられていて、食事にこだわりもないので長期間の野営もお手の物。こだわりがないゆえに別に料理上手というわけではないが、毎日毎日毎日毎日食事を作ることに苦痛を感じない。こだわりがなく自分と家族の生存に必要な作業としかとらえていないので。
能力・スキル 弓は命中率が相当高く、とどめの他足止めにも使える。また野営が得意なので迷宮内での素材集めも得意。
見た目 あまりカールしていない黒髪と褐色肌で割と肌が出た衣服をまとっている。エトリアではバード(吟遊詩人)のような衣服ととられやすい。肌が出た衣服は国の戦士だった頃から来ていた。任務に出ていない時は国でつけていた金属製の飾りをよく装着している。
生い立ち 河のそばの国の小さい村の出身で、その村出身の革命家となる父の指導で戦闘訓練が行われていた。その中で弓の才能が見いだされたのがシータである。父らの激しい戦いで祖国は植民地化を免れたが、父はその戦いで犠牲になってしまった。父が守ってくれた祖国に尽くすことこそが自分の生きる道と思ったが、子を迎え、夫の死後の自分や子供に対する国の扱いのひどさを知り、これからは自分と娘のために生きようと思った。それから彼女の人生が新たに始まったのだった。
背景 元ネタはRRRが入っていてそこは大丈夫なのか心配になる。
今いるキャラはこのくらいで、今のところシータさん以外で旅しています。シータさんは採集パにしたほうがいいかもしれませんが、彼女は戦士なので、戦いたいかもしれません。
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市販のカレールーは美味しいけれど体には○○だった
市販のカレーをよく食べるけど原材料や添加物は安心なのかな?
カレーは健康に良い。
元大リーガーのイチローさんも毎日食べていた時期もある程。
私自身も市販の色んなカレーを数十年食べ続けてきました。
ですが無添加に関心を持ち市販のカレーについて調べた結果、非常に驚きました。
そこで市販のカレーの避けたい原材料、添加物とその理由、おすすめの無添加カレーとその魅力、購入方法をご紹介します。目次
市販のカレーに含まれる避けたい添加物
カレーに含まれる避けたい添加物1・パーム油などの食用油脂
カレーに含まれる避けたい添加物2・調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキス
カレーに含まれる避けたい添加物3・カラメル色素
カレーに含まれる避けたい添加物4・乳化剤
カレーに含まれる避けたい添加物5・スクラロース
おすすめ無添加カレー
おすすめ無添加カレー1・第三世界ショップのカレーの壺
その他の無添加カレー
最後に
関連
市販のカレーに含まれる避けたい添加物
カレーの避けたい原材料、添加物とその理由についてです。
スーパーなどの市販で販売されている多くのカレーには、
パーム油などの食用油脂
たん白加水分解物
酵母エキス
などの避けたい原材料。
調味料(アミノ酸等)
カラメル色素
乳化剤
スクラロース
などの様々な添加物が使われています。
これらの原材料、添加物を避けたい理由は、以下の通りです。
カレーに含まれる避けたい添加物1・パーム油などの食用油脂
パーム油などの食用油脂はトランス脂肪酸を含む原材料で、心疾患などの生活習慣病のリスクを高めることが懸念されています。
ちなみに市販の多くのカレーは、このパーム油が全原材料の30から40%ほどを占めています。
カレーを食べた後の洗い物で、ベトベトした感じが上手くとれないのがパーム油です。
あのベトベトした油を大量に食べていると思うと、とても健康に良いは思えませんよね。
またこの食用油脂は品質の低い油から作られている可能性が高く、しかも遺伝子組み換え原料が使用されている可能性もあります。
カレーに含まれる避けたい添加物2・調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキス
続いては調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキスはうまみ成分として使用されていますが、味覚や神経への影響があり、またアルツハイマー病などの神経系の疾患や高血圧やがんなどの生活習慣病のリスクを高める可能性があると言われています。
出来れば避けたいですね。
カレーに含まれる避けたい添加物3・カラメル色素
続いてカラメル色素は、着色料として使用されています。
このカラメル色素にはカラメル1から4と4種類あり、このうち3と4は発がん性が指摘されています。
その為カラメル色素3と4を避けたいところですが原材料表示には、カラメル色素とだけ表示されており1から4のうちどれを使っているかが判別できないのが現状です。
はっきりしない以上避けたい添加物です。
カレーに含まれる避けたい添加物4・乳化剤
次に乳化剤は複数の原材料を混ざりやすくするために使用されています。
簡単に言うと水と油を混ざり合わせてしまう添加物です。
この乳化剤も複数の添加物の総称であり、発がん性が指摘されているポリソルベートなどの添加物が使用されている可能性があります。
カレーに含まれる避けたい添加物5・スクラロース
続いてスクラロースは砂糖の約600倍のあまみがある合成甘味料で、清涼飲料水やお菓子など砂糖の代わり多くの製品に使われています。
このスクラロースは毒性の強い有機塩素化合物の一種で、動物が摂取した際に胃腸障害や���産、リンパ組織の萎縮などの影響が確認されています。
そのためできるだけこれらの原材料添加物が使用されていない無添加のカレーが望ましいです。
おすすめ無添加カレー
おすすめの無添加カレーとして、原材料への配慮が非常に素晴らしい第三世界ショップのカレーの壺をご紹介します。
おすすめ無添加カレー1・第三世界ショップのカレーの壺
商品の概要はホームページでご確認下さい。
原材料に対して、とても配慮がされています。
それではカレーの壺の五つの魅力を上げてみました。
1・完全無添加という点です
食品表示の添加物である調味料(アミノ酸等)カラメル色素、、乳化剤などを使用していません。
また食用油脂やたん白加水分解物などの避けたい原材料も使用していない為、完全無添加のカレーといえます。
2・素材へのこだわりです
メインの原材料のスパイスやハーブはできる限り自社農園、もしくは提携農園で農薬化学肥料を使わずに栽培しています。
また一般的なカレーに使用されている健康への影響が心配な食用油脂は使用しておらず、スパイスやハーブをローストするために少量のココナッツオイルを使用しているだけです。
3・小麦粉を使用していないという点です
市販の多くのカレーは小麦粉を使用していますがカレーの壺は使用していません。
そのためグルテンフリーの方でも安心して食べられます。
4・動物性原料を使用していないという点です
牛脂やポークブイヨンなどの動物性の原材料を使用しておらず、ベジタリアン、ヴィーガンの方でも食べられます。
5・非常にコスパが良いという点です
パッケージに表示されている通りで、一瓶で約22皿文のカレーを作れます。
一皿あたりで考えると約30円ですので、かなりコスパが良いことが分かります。
以上の五つがおすすめの無添加カレー、カレーの壺の魅力です。
原材料が非常に配慮されているため安心して食べることができるかと思います。
ちなみに原材料へのこだわりに関しての詳細は、カレーの壺の公式ページに掲載されていますので気になった方は覗いてみてください。
個人的感想ですが、味は本格的なカレーの香りと旨味でとても美味しいです。
ちなみに我が家ではキーマカレーもこの製品をよく作っています。
またカレーの壺は、お肉など様々な料理の味付けにも使えます。
そして��レーの壺の公式サイトには、カレーの壺を使ったカレーライスやスープ肉料理など60種類以上の様々なレシピが掲載されています。
カレーの壺を上手く活用したい方はホームページをのぞいてみてください。
それではおすすめの無添加カレー、カレーの壺の販売店をご紹介します。
市販ではカルディ、成城石井、イトーヨーカドー、北野エースなどで販売 しています。
通販でもAmazon や楽天市場などで購入することができます。
その他の無添加カレー
一つ目は オールインワンスパイスカレー//シビ辛薬膳カレー辛
二つ目はシエルブルー//VEGETE植物性カレー
三つ目はフードスナガ//ファインカレーフレーク
四つ目はみんなの食品//みんなでごはんやさいカレー
以上の四つです。
これらはカレーの壺と同じで添加物や避けたい、原材料を使用していない、無添加カレーですのでぜひチェックしてみてください。
最後に
カレーはご家庭によって味、風味、辛さ、とろみ、具材など様々だと思います。
その味も大切ですが、もし興味がありましたら今回ご紹介させて頂いたカレーも試してみませんか?
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「猫と人間の意味」
もし猫に人間たちの意味の探求が理解できたなら、彼らはその馬鹿馬鹿しさに、うれしそうに喉を鳴らすだろう。いま生きている猫としての生活が彼らにはじゅうぶんな意味をもっている。それに対して人間は自分たちの生活を超えたところに意味を探すことをやめられない。
意味の探求は、人間の自意識の産物である死の意識と表裏一体だ。人生が終わることを恐れるあまり、人間は宗教や哲学を発明した。宗教や哲学においては、自分が死んだ後も自分の人生の意味はありつづける。だが人間のつくり出す意味は簡単に壊れてしまうため、人間は以前よりももっと大きな恐怖を抱いて生きることになる。自分がつくりあげた物語に支配され、一生、自分が考え出した登場人物になろうと努力しつづける。人間の人生は自分のものではなく、自分の思想のなかで生きている登場人物のものだ。
そういう生き方をしているとどうなるか、その結果のひとつは、人間は自分の物語が壊れるたびにその場で立ち往生してしまうということだ。恋人を失うとか、自分の生活が危険にさらされるとか、家を出ていかなけらばならなくなると、そのたびに物語は壊れる。そうしたとき、人間は自分の人生を悲劇に仕立てて、取り返しのつかない喪失に対処しようとする。だがその対処法は犠牲をともなう。自分の人生を悲劇だと考えることで、人生の意味は得られるかもしれないが、それによって悲しみに囚われてしまう。
猫だってひどい苦しみに耐えることもあれば、その生命が無残にも断ちきられることもある。子猫のメイ���ーの生涯には数々の恐怖があり、その思い出がトラウマとなって、機会があるごとに甦ってきた。片目の見えない猫のガッディーノは生まれてすぐに苦しみ、おそらく苦しみながらしんでいった。どちらの猫もさんざん痛みを味わったが、どちらもけっして悲劇ではない。苦しみにもかかわらず、どちらの猫も恐れを知らぬ歓びをもってその生涯を生きた。人間にはそういう生き方ができるだろうか。それとも、そういう生き方をするには弱すぎるのだろうか。
猫の本性、人間の本性
「人間の本性」を辞書から削除してしまいたいという人は多い。彼らにいわせれば、人間は自分で自分を創造するものだ。他の動物とはちがって、人間は自分のなりたいものになれる。人間の本性について語ることは、その自由を制限してしまい、その結果、人間は恣意的な規範の力に支配されることになる。
こういう考え方をポストモダニズムという。この思想はジャン・ボードリヤールとかリチャード・ローティによって提唱され、多くの思想家が後に続いた。初期のジャン・ポール・サルトルが説いた実存主義は、人間には本性がなく、彼らがつくりあげた歴史があるだけだ、と考えた。ロマン主義者たちはひとりひとりの人生を芸術作品のようにしたいと願い、優れた芸術作品は無から生まれると信じた。だが、他の生物と同じく進化による偶然の産物である人間が、自分独自の本性をつくりあげることなどできるはずがあろうか。なるほど、人間という動物は人工的な自然をつくりあげる。それが、パスカルが次のように書いたときに言わんとしたことのひとつだ。「習慣は第二の自然であり、これが第一の自然を破壊する。だが自然とは何か。自然ではない習慣とは何か。ひょっとしたら自然そのものが第一の習慣にすぎないのではないだろうか。習慣が第二の自然であるように」。だがこの第二の本性はパスカルが考えていたよりもっと表面的なものかもしれない。
ロシアの作家ワルラム・シャラモフは北極圏の強制収容所で15年間すごした。そこでは冬の平均気温は氷点下50度で、平均寿命は3年だった。シャラモフの書いているところでは、数週間、極度の寒さ、餓え、過度の労役、打擲(ちょうちゃく)がすべての者の人間性を破壊した。シャラモフの記述には、ごくわずかな親切の例を除いて、「人間精神」の復活を示すものは皆無だ。人間以外の動物だけが善意を示す。仲間を逃がすために猟師の注意を逸らそうとするクマやウソ鳥、囚人をかばって看守に吠えかかるハスキー犬、囚人の魚釣りを助ける猫。
人間は急速に人間性を失ったが、猫は猫であることをやめなかった。だが、もし自分がもっていると信じている本性がほんの数週間で崩れ去ってしまうとしたら、本当に自分自身のものといえるようなものは人間のなかにあるのか。
ポストモダニストたちの意見とは裏腹に、人間の本性というものはある。そのあらわれのひとつは、誰にでも見られる意味の探求だ。だが人間の本性はさまざまに異なる、時にはたがいに矛盾する人生を生み出してきた。ひょっとしたら、人間のひとりひとりが自分自身の本性をもっているという考えもまた形而上学的な虚構のひとつなのだろうか。
個々人の本性という虚構のなかにある真実とは、われわれの誰もが良き人生を選ぶのではなく発見するのだということである。自分の決断によってある行動をしたというときですら、われわれはその経験を自分で決定することはできない。良き人生とは自分が望む人生のことではなく、自分が満たされるような人生のことである。スピノザのいうコナトゥスや、われわれは自分の内なる道に従わねばならないという道教信者たちの信念から、形而上学的な部分を取り除けば、彼らがいわんとしているのはまさにこのことである。
この点において、人間は他の動物と同じだ。人間は他の動物より上でも下でもない。普遍的な価値の物差しなどはなく、存在の大いなる連鎖(新プラトン主義の宇宙観のこと)などはない。人生の価値を計る外的な基準は存在しない。人間は人間、猫は猫だ。何がちがうかと言えば、猫にとっては人間から学ぶものは何ひとつないが、人間であることにともなう重荷を軽くするにはどうしたらよいかを、猫から学ぶことができる。
捨てられる荷物のひとつは、完璧な人生はありうるという思い込みだ。人間の人生はかならず不完全なものだ、という意味ではない。人生はどのような完璧の観念よりも豊かだ。良き人生とは、これまでに送ったかもしれない、あるいはこれから送るかもしれない人生のことではなく、今すでに手にしている人生のことだ。この点で、猫は人間の教師になれる。彼らは自分が送っていない生活に憧れたりしないからだ。
いかに良く生きるかについて、猫がくれる10のヒント
いかに生きるべきかについて人間に教えることには猫は興味がない。もしあったとしても、モーゼの十戒みたいなものを読み上げたりはしないだろう。とはいえ、どうすればもう少し下手でない生き方が出来るかについて、猫はヒントをくれるかもしれない、と想像することはできる。もちろん猫は、われわれ人間がその助言に従うなどと期待してはいないだろう。きっと猫は遊び心で、つまり自分と、それを受け取る人間のどちらにとっても娯楽になるような形で助言してくれるにちがいない。
1 人間に対して理性的になれと説教しないこと
人間に向かって理性的になれと説教するのは、猫に向かってヴィーガンになれと説教するようなものだ。人間は自分の信じたいことを補強するために理性を用いるが、自分の信じていることが正しいかどうかを発見することはまずない。これは不幸なことだが、これについては誰も何もできない。もし人間の不合理さに嫌気がさしたら、あるいは危険を感じたら、黙って立ち去りなさい。
2 時間が足りないと嘆くのは馬鹿げている
時間が足りないというのは、時間の過ごし方を知らないということだ。目的に役立つことを、あるいは、それ自体が面白いことをしなさい。そうやって生きれば、時間はたっぷりあるはずだ。
3 苦しみに意味を見出すのはやめよ
不幸なとき、自分のみじめさのなかに慰めを求めるかもしれないが、そんなことをすると、それを人生の意味にしてしまう恐れがある。苦しみにしがみつくのはやめよ。そして、しがみついている人たちを避けよ。
4 他人を愛さなくてはならないと感じるよりも、無関心でいるほうがいい
普遍的な愛ほど危険な理想はあまりない。無関心でいるよう努めるほうがよい。それが親切に変わるかもしれない。
5 幸福を追求することを忘れれば、幸福が見つかるかもしれない。
幸福は追いかければ見つかるというものではない。何が自分を幸福にしてくれるのか、わかっていないのだから。そうではなく、いちばん興味のあることをやれば、幸福のことなど何ひとつ知らなくても幸福になれるだろう。
6 人生は物語ではない
人生を物語だと考えると、最後まで書きたくなる。だが、人間は自分の人生がどんなふうに終わるのかを知らない。あるいは、終わるまでに何が起きるかを知らない。台本は捨ててしまったほうがいい。書かれない人生のほうが、自分で思いつくどんな物語よりもはるかに生きる価値がある。
7 闇を恐れるな。大事なものの多くは夜に見つかる
行動する前に考えろと教わってきたことだろう。しばしば、それは良い助言だ。その瞬間にどう感じるかにもとづいて行動することは、考えずに受け入れた使い古しの哲学に従うようなものかもしれないから。だが時には、闇のなかにちらりと見えた暗示に従ったほうがいい。それがどこに導いてくれるかは絶対にわからない。
8 眠る喜びのために眠れ
目が覚めたときにもっと働けるように眠るというのは、みじめな生き方だ。得をするためではなく、楽しみのために眠れ。
9 幸福にしてあげると言ってくる人には気をつけろ
幸福にしてあげると言ってくる人は、おそらく自分がちょっぴりあなたより幸福だから、そう言ってくるのだ。彼らにはあなたの苦しみが必要なのだ。それがないと、彼らは生きる意味が減ってしまうからだ。あなたのために生きていると言ってくる人を信用するな。
10 少しでも猫のように生きる術を学べなかったら、残念がらずに気晴らしという人間的な世界に戻れ
猫のように生きるということは、自分が生きている人生以上に何も求めないということだ。それは慰めのない人生を意味するから、あなたには耐えられないかもしれない。もしそうだったら、古風な宗教に帰依しなさい。できれば儀式がたくはんある宗教がいい。自分にぴったりの信仰が見つけられなかったら、日常生活に没頭すればいい。恋愛がもたらす興奮と失望、金銭や野心の追求、見え透いた政治ごっこや毎日騒ぎ立てるニュースなどが、じきに空虚感を吹き飛ばしてくれるだろう。
窓際のメイオー
猫の哲学は人間の叡智の探求を後押ししてはくれない。人生そのものが楽しめなかったら、気まぐれや幻想に満足を見出しなさい。死の恐怖と闘ってはいけない。それが鎮まるのを待ちなさい。落ち着きを求めすぎると、いつまでも混乱から抜け出せない。世界に背を向けるのではなく、世界に戻り、その馬鹿らしさを受け入れなさい。
時には自分自身に戻りたくなるかもしれない。自分の物語に無理やり当てはめることなく世界を見つめることは、多くの伝統で熟考と呼ばれている。変えようとせずに事物を見れば、それらの事物が永遠というものを垣間見せてくれる。すべての瞬間は完結していて、移りゆく光景はあたかも時間を超越しているかのように見えてくる。永遠とは事物の異なる次元ではなく、不安を抱かずに見た世界のことである。
人間にとって熟考とは生きることからの小休止である。猫にとって凝視とは生きることそのものの感触だ。メイオーはつねに危険のなかで生き、何時間も危なっかしそうに窓枠にのっていた。眼下に見える世界のなかに意味を探していたのではない。猫がおしえてくれるのは、意味を探し求めることは幸福の探求に似た、ひとつの気晴らしにすぎないということだ。人生の意味とは手触りであり、匂いだ。それはたまたまやってきて、気づかないうちに消えてしまう。
ジョン・グレイ(John Gray)著
「猫に学ぶ──いかに良く生きるか」
鈴木晶訳
2021年11月1日みすず書房発行
著者略歴
ジョン・グレイ(John Gray)
1948年生まれ。イギリスの政治哲学者。オックスフォード大学で博士号取得後、オックスフォード大学、ハーヴァード大学、イェール大学その他で教鞭をとり、2008年に引退するまでロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授(ヨーロッパ思想)。著書『グローバリズムという妄想』(日本経済新聞社)、『自由主義の二つの顔:価値多元主義と共生の政治哲学』(ミネルヴァ書房、2006)、『アル・カイーダと西欧:打ち砕かれた「西欧的近代化への野望」』(阪急コミュニケーションズ、2004)、『ユートピア政治の終焉:グローバル・デモクラシーという神話』(岩波書店、2011)、『パーリンの政治哲学入門』(岩波書店、2009)、『わらの犬:地球に君臨する人間』(みすず書房、2009)、他多数、The Guard-ian, Times Literary Supplement その他の紙誌に定期的に寄稿。
訳者略歴
鈴木晶(すずき しょう)
1952年生まれ。法政大学名誉教授。専門は精神分析思想史と舞踊史。精神分析思想史の著書に『フロイト以後』(講談社現代新書)など、訳書は、エーリッヒ・フロム『愛するということ』(紀伊國屋書店)、エリザベス���キューブラー = ロス『死ぬ瞬間:死とその過程について』(中公文庫)、スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』(河出文庫)、ピーター・ゲイ『フロイト』(みすず書房)など多数。バレエ史の分野で、『踊る世紀』『バレエ誕生』『オペラ座の迷宮』(以上、新書館)『ニジンスキー:踊る神と呼ばれた男』(みすず書房)などの著書、『ニジンスキーの手記 完全版』(新書館)、スヘイエン『ディアギレフ:芸術に捧げた生涯』(みすず書房)などの訳書がある。
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ヴィーガンの男がサラダを食べてる横でステーキをがっついてたら求婚された。私の神経の図太さに惚れたらしい
ヴィーガンの男がサラダを食べてる横でステーキをがっついてたら求婚された。私の神経の図太さに惚れたらしい ヴィーガンの男がサラダを食べてる横でステーキをがっついてたら求婚された。私の神経の図太さに惚れたらしい Source: かみちゃんねる!生活
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11/15
今日は忙しいぞー
◉仕事
月曜日から鬼の4連勤。しかも先週に日曜のビル停電があり、業務の定休日があったがために月曜日からその遅れを取り戻すためにいつもの二倍働かねばならない。正直なんとかなったけど、なんかこう、疲れてヘトヘトになって退勤して、家と職場の往復(通勤なし)して何となくyoutube見て、翌朝起きて出勤する生活をしていると、なんか心のどこかが死んでいく音がする。さらには必死こいて仕事した後に、火曜日にら退勤後にエージェント面談+寝る前に適性検査(60分)もあった。多忙は正直嬉しいけど、ふとアレ?何のためにこんな必死なんだ?とふと本当に疑問に思う。このままでも勿論素晴らしいけれど、単調な暮らしに慣れたら、興奮を求めることも忘れていくんじゃないか?と焦り、水曜日友達のバンドのライブがあったので、見に下北沢へと向かうことにした。何より気候が素晴らしいですから、それだけで原動力になります。
◉感受性の復活
水曜にライブを見た。素晴らしかった。何よりもいつからかプレッシャーになっていたパーティという場がある程度距離を置くことによって、改めて音楽に没入できるという空間が出来上がっており良かった。演奏もDJも素晴らしかった。DJがかけた曲の中でチャペルローンの『Good Luck,Babe!』が良かった。BSSMの演奏後にかかっていたジャズも趣深くて良かった。昔は周りにたくさんいた友人たちが1人もいなくて寂しい。けれどもパーティなんて元々1人で見るもんだからね〜この孤独さもパーティの味わいひとつ、だけど、��んな元気かなあ。
◉体調
無理して下北沢行ったら体調崩した。幸いにも半休予定日だったから、午後帰宅して15時過ぎに寝た。昔から自律神経の乱れからくる鼻炎には悩まされてきたけれど、最近はセーブできてた。それが発作のようにスイッチがかかると鼻炎が止まらなくなる。薬も効かないし、ただ深呼吸して体を温めて寝るしかない。起きたら17時過ぎてて、空が暗かった。そうそう、久しぶりに音楽を聴いて、開いたなと思った。自律神経が乱れてると、感受性が深まるのかな��Duval Timothy⦅2 sim⦆と、Bill Frisell & Thomas Morgen⦅Epistrophy⦆を聞いた。あとNala Sinephro⦅Endlessness⦆も。どれも今まで聞こえてこなかった音が聞こえてきて心が温かくなった。とくに⦅2 sim⦆は素晴らしい。ピアノと民族的なトラック、あとは英語圏ではない話し声のアンサンブル。こういうことがあると、具合が悪くなるのもいいのかもしれない。いや、ヘルシーがいいけどね。
◉六本木
面接が六本木一丁目だったので、面接してから周辺を散歩。麻布台ヒルズ内の郵便局に行ったら、建物の通路ががえらい白いし、何がどこにあるかわからない。亜空間に来たみたいな気持ちになる。そのまま東京ミッドタウン方面へと向かう。道の途中に、かつてvaritがあった空間があった。ミッドタウン近辺のみちにはイルミネーションが施してあって、その道を辿ると、なにやら音楽が聞こえてきた。看板があって、読むと⦅6分間ごとにしゃぼん玉の演出があります⦆と。いやいや〜baby野郎だからキャッキャしたくて3分くらい待つと、確かにもくもくとシャボン玉が出てきて子供もキャッキャしてたけど、純粋に六本木の道でシャボン玉が出てきてキャッキャするのってどうなんだ…ってなってきて赤坂まで歩いた。でも、こういうのに興奮する気持ち、ある。だってディズニーランドのエレクトリカルパレードだいすきだから。人間って光ってて音が出るもの好きだよね。計算された娯楽に興奮して踊らさせる。
◉奨学金
帰り道にmayaongakuのポッドキャストを聞く。過去に戻ったら何をしたいか?という質問に対して、俺は高三の頃の自分に大学に行くな、奨学金が無駄だから、と回答していた。
実は先日同僚と中華の円卓をかこったとき、つい先日400万円の奨学金の返済が完了した、という同僚がいた。podcastでも、借金の返済は結局今足枷に��っているし、大学入学後も学校にはいかず、地元の友人たちと音楽をしていたから、俺にとっては無駄だった、と言っていた。(てかおれらはあんまり東京行かないし、大学四年間はギフトだよねー) 学歴かー。
今日選考を受けた会社は学歴不問とは言いつつも、高卒〜短大、専門卒の人に関しては雇用形態が大学四年卒の人間とは異なる。将来的に見ると、生涯貰える給料も大幅に違う。今日は面接上手くいったけど、キャリアアップが見込めない。そうすると独り立ちできない。運良く、実家から通えるし、通って貯金&投資かなーとな色々考えた。もう最早、結婚しちゃった方がいいのかもなとかも思う。《高学歴で高収入で、1人でもきちんと幸せにな��る女性》ってやっぱり難しいのかもしれない。母親から今日の夜はちゃんこ鍋ですとラインが。散歩もほどほどにして帰路に着く。
地元の駅に着くと、すぐ商店街が広がっている。
普段出る逆側の駅の出口は再開発が進んでいる。一旦更地になって、病院や薬局、スーパー、マンション、老人ホームが立ち並び10年でここまで変わるんだなと思った。一方、私が使う出口の方は商店街がそのまま残っている。どうやら、地元住民が再開発に反対したようだった。一時期はシャッター街となっていたが、ここ3年くらいで結構変わった。元々あった居酒屋に、お弁当屋さん、居酒屋(外でおしゃれな若者が煙草を吸っていた)、コーヒースタンド2件、ヴィーガンのカフェ、クラフトビールのスタンド、おしゃれな中華専門店、タコスを扱うメキシカンの居酒屋、新刊専門の書店など。この街はわたしと同年代の人が頑張ってるんだな!と思うとこの街に帰るたびに元気が出る。クラフトビール屋の店主ともこの間少し仲良くなれた。全然活かすかないけど、高層マンシャンもどんどん建っていて、オシャレな街が確立されつつあって、大学生に、地元と高校生など、しっかり若者も行き交っていたり、駅前の不動産屋は野良猫を可愛がっていたり。終電でこの街に帰ると体感的ではあるが、おしゃれな若者も増えたと思う。先週土曜日には近所の公園でフリマのイベントをやっていたり、最近なんかいい感じだよねをすごく感じる。
転職活動を行いながらも、わたしは将来的にこの街に残って子育てとかしたいなって最近は思い始めてきた。そしたら、店とかやりたい、イベントも開催したい。ワインバーとかいいな。ジャズ喫茶でもいい。東京で、搾取されながら暮らすよりも、適度に栄えた地方都市で緩やかに広い部屋でのんびり暮らしたい。その上で、自分が文化を守り継承していく存在となれたら、どんなに幸せなことだろうか。都市と田舎、どちらが良いとかない。けれども個人的には地方都市が一番好きだ。車移動も自転車移動もできて、都市に出向けば芸術鑑賞も容易くできる。かと言って、文化格差はそこまで感じない。(ひとによる。DIC川村記念美術館は残すべきだ。)治安も良い。自分は恵まれて育ったなと最近になって思うのだ。
六本木の再開発ビルを歩きながら色々考えた。今夜は⦅女ふたり、暮らしています⦆を読んで寝よう。
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グローバリストは何がしたいのか?
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日本のグローバリストと言えば、自民党。
今回の選挙、その力を大きく落とした。
YouTube 、つまりGoogle。
一番力を持つ、グローバリスト。
フランスの制作会社が作った、絶食の科学という番組がある。
何度もYouTubeに上げられ、何度もYouTubeは削除した。
私のサイトに置いたw🤣
もう一つ、YouTubeが必死に削除するのが、「セロ高山」だ。
だが、何度削除しても、世界中にセロのDVD自体を持っている人らがいるw🤣
youtube
この場合無駄だw🤣
グローバリストは、何が気に要らない?なぜそんな血まなこで、これらを消すか?
私達庶民が、力を持つのを、一番恐れてる。
まあでも、日本でも秋山佳胤さんや、甲田光雄医学博士、ありありと、絶食や断食に関して、我ら庶民は知っていった。
サイキックに関しても、徐々に広がりを見せるだろう。
では、なぜグローバリストはこんな事を、情報統制をするか?
GHQが巣鴨プリズンに、“戦犯”を収容した。
戦争とは殺し合いだから、当然アメリカ側も、国民を殺された。
現地決戦は無かったが、兵士たちは死んだ。
そして裁判を開くわけだが、満州の資材並びに、阿片利益の関係者は、逮捕抑留された。
だが、戦犯たちは、ワシントン(アメリカの裏の力、グローバリスト)からの命令で、何人かいきなり釈放された。
その一人が岸信介であり、戦後政治の始まり、自由党発足だ。
さて、
何ゆえの情報統制か?
という事だが、
利益の独占
という事だ。
大量阿片、それをモルヒネに改良した星製薬、それは莫大な金を生む。
満州政治と、阿片利権に関わる人間らを、そのまんま、日本の政治の枢軸とし、グローバリストがコントロールしながら、その恩恵を貪る。
つまり、グローバリストは、日本の国そのものを、ATMにした訳だw🤣
そんなもん、政治でも何でもないw🤣奴隷だw🤣
グローバリストは、基軸は強大な宗教、アメリカピューリタン、The World Swastika、ハラールによりイスラムも巻き込み、ヴェトナムカオダイ教など。
フリーメイソン中心に宗教合一の流れ、それが基本。
だから組織はあまりにも大きく、あらゆる分野の最先端の集結だ。
彼らグローバリストは、グローバリスト以外一切認めない。
断食するとは、自立を確立してしまう。
サイキックを得れば、自立を確立してしまう。
だから、それらは彼らには、最も排除すべき事項。庶民の自立とは、支配の終焉そのもの。
自立せず、他力本願、他者依存ゆえ、支配出来る。
自立されてしまったら、ぶら下げる人参🥕を失うという事だw🤣
実にわかりやすい阿呆なのは、ベースが暴力団じゃなく、ベースが宗教だからだw🤣
だが、世界の覇権を握っているのが、グローバリストだ。
まずやったのが、DVDを作らせないパソコンを作ったw🤣
サブスク中心とし、“所有”させない事により、サブスクに“依存”させるやり口。
ヴィーガンを必要以上に馬鹿にし、断食を危険と叫び(どういう不思議か、グローバリストは断食で死ぬ🤣)、利権保持に必死だw🤣
まあだから、グローバリストとは最も厄介な存在だw🤣
大正、昭和(戦前)まで、グローバリスト(上田喜三郎乗っ取り後大本教配下達)に手を出すと、とんでもない返り討ちに合う…w🤣
���、単純な話だ。
戦わず、自立せよ!
これだけ。
なぜ修験宗は禁止されたか?
神社本庁とは、明治維新以前は存在してない、明治維新で作られた事を、知って下さい。
追記:20241102
↑↑↑神社本庁は、マッカーサーが作ったが正解でしたw🤣
youtube
簡単な答えしかない。
周りのバウンスを気にせず、それぞれが自立しましょう🙂✨👍
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マティエール プルミエールが日本上陸 ヴィーガン処方、自然由来香料を高濃度で採用のフランス発メゾン
仏フレグランスメゾンのマティエール プルミエールが本格上陸。フレグランス、ヘアミスト、ハンド&ボディローションとウォッシュを公式オンラインショップ(ラトリエ デ パルファム)を含む8店舗(伊勢丹新宿店、銀座三越、大丸東京店、髙島屋大阪店、阪急うめだ本店、阪急メンズ東京、大丸博多天神)で販売、2024年7月にはPOP UPイベントも開催予定。 ラディカル ローズ オードパルファム 50mL 27,500円、100mL 40,370円(ともに税込) 2024年6月19日(水)発売 マティエール プレミエール社によって有機栽培されたバラから抽出されたローズ アブソリュートを高配合。ジャマイカ産サフランとチリペッパーベリーオイルで、ローズの明るくスパイシーな面を、インドネシア産パチョリで、ダークでウッディな面を強調した香り。 フレンチ フラワー オードパルファム 50mL…
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世界の果てに、東出ひろゆき置いてきた #7
前半クエで号泣、後半との緩急、これまでの関係性、ここまでの流れと環境と状況、精神状態、笑い、笑いだけじゃない、全編渡ってずっと気持ちが動く回、自省、人生、生きること
前シーズン合わせてこれまでで1番好きかもしれない、集��成感あった
と思いながら昨日のReHacQ生配信アーカイブ観てたら高橋Pが 「神回」 と言ってて そうよなー
東出が旅のコラム書いてたの今日知った!
命をいただくということ、ジビエ、ヴィーガン、屠殺業、それらが自分の中でリアリティを持って大切で大きなトピックとなって、感じたり考えられるようになったのは、この番組と東出と東出の親子の鹿の狩猟エピソードがきっかけでそのおかげなんだよな、と改めて思った
(河本太が地元の食肉工場でバイトしてた話を聞いた時がきっかけとしては本当に最初の最初)
あと、ABEMAホーム開いてたらこの番組のCMが流れてきて初めて目にしたんだけど、予告だけじゃなくてOPがちゃんとあるやつ!こんなのあったんだ!そして意外とおもしろかわいい、良くて、ちゃんと観たくてABEMA内うろついてCM中のチャンネル狙ってGETした
#7:復讐!奪われし者達のアジト @ABEMA で無料配信中 https://abema.app/W1jX
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ライ麦パンと野菜たっぷりソイシチュー
ヴィーガンにも対応レシピ。
ヘルシーですので
美容と健康にもぴったり。
美味しく仕上げるコツは、種類が多い野菜で仕上げること。
そして良質の調味料は不可欠です。
油を少し多めに使うことも大切ですし、素材のコクを料理工夫で引き出してあげる。
そうすると、お肉はなくとも美味しい仕上がりに驚くはず。
お肌が荒れてきたなと思ったら
ぜひこんな美味しい、美しい料理をどうぞ。
お写真はレシピ撮影および料理撮影のテスターを引用しております。
料理研究家 指宿さゆり
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美しさと綺麗について
父親にこんなことを言われた記憶がある。
「綺麗」と「美しい」は全然違うんだよ。例えば、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケは、綺麗ではない。むしろグロテスクな想像さえ掻き立てる。しかし、美しい。綺麗なものは、印象に残ることもない。こざっぱりとしていても、面白くない。さらにはこの「面白い」にも難しさがある。例えば、あるアイデアを「面白いやないか」と称賛したり、作ったものを「面白い」と評価すると、「バカにするな!」と怒る人に接したことがある。ここで自分が発話した「面白い」は「興味深い」「発展しそうだ」という意味であるんだが、「バカにするな!」と怒った人はおそらく、嘲笑しか知らない人なのだろう、と思うよ。
その記憶をさっき話した。「うん。たぶん言うたんやろうし、自分が思ってることと一緒やから、確実に話したと思う」と。
そして、映画を見ていても思う。どれだけ残酷な描写でも美しい瞬間があるし、愛が結ばれたように見えるキスシーンが綺麗なだけだった途端に興醒めする。
で、父は友人に一人や二人、そういう価値観を共有する人物がいると、話してくれた。
自分もまた、「綺麗やけどつまらん」「飲みやすいけど面白くない」「こざっぱりしてるけどダサい」「読みやすいけど芯食ってない」などの意見を共有できる友人が少なくとも3名いる。表向きには真っ当なんだが、対話を深めるうちに美学といえば大袈裟だが、なんだか見ている世界が一緒だなあと思う。おそらく、綺麗すぎる世界よりは美しい世界を見たいのだと思う。
ここからは、いろんな問題を掘りながら、結局内心の吐露になる。
綺麗すぎる場所には誰も住めないだろう。その人は綺麗の基準を満たさなければ排除されてしまう。汚すぎてもいけない。それは衛生学の専門だ。あるいは生理的嫌悪。でもこれを「嫌だから無くなってしまえ」と思うなら、我々が食べている畜産物を飼育している場所に赴くといい。動物の臭いが充満している。糞尿の臭いもする。しかし、この環境で飼育された肉を食わなければ、人間には無理が生じる。ヴィーガンとか言って動物性タンパク質を忌避する人もいるが、あれは南アジアの環境として宗教に衛生学がくっついたものだ。「動物を食べるなんてかわいそうに!」と言いながら、植物をものすごく残酷に扱う。桜の枝を手折るのは、本当にやめてほしい。綺麗な花を飾りたい気持ちは理解するが、その桜が来年咲かなくなったらどうしよう?その花が花を摘んだことによって死んでしまったら?弱肉強食までは言わない。食わねえと死ぬ。それだけである。知らなかったから���しいものを奪った、とは恐ろしいことである。
そうなってくると、「清い水には魚が棲めない」と話が発展する。
純水を思い起こして欲しい。全くの水だ。不純物はない。理科の先生が言っていたのは、「飲んでも害はないけど、めちゃくちゃ美味しくないよ」と。ミネラルウォーターにはある程度のミネラルが含まれているから飲める。硬水だとか軟水だとか、聞いたことあるはずだ。また、植物に水やりをする場合にも、おそらく純水では無理で、浄水器の水をやっても枯れてしまう。可能なら井戸水がいい。そうして、純水に放り込まれた魚は、割とあっけなく死んでしまう。そもそも酸素も二酸化炭素も含まれていない純水だから、水の中に生きる魚も呼吸が止まる。呼吸が止まるというよりも、いくら鰓呼吸してもしんどくなるばかりだ。実は今まさに、藻場を喪失した海では、これに近いことが起こっている。
藻場は、魚の産卵する場所だ。卵はやはり、酸素を必要とする。二酸化炭素を酸素に変換するあの場所がなくなれば、魚なんていなくなる。植物でさえ、酸素呼吸が必要だが、そこをうまいこと自己解決してしまった植物。しかし、彼らにも栄養が必要で、その栄養は窒素リンカリウムと覚えているように思うが、それ以外にもたくさんある。降雨とともに雨粒に含まれて土壌から河川に流れ、海に到達し、吸収される。
しかしまあ、そもそも山を管理する人はもう機能していない。林業はほとんどボランティアである。儲けようとすれば大量に伐採しなければならない。大量に伐採すれば山は崩れる。戦後すぐには、住宅の確保のために、まっすぐに伸びて資材として使いやすい杉の木を植えなければならなかった。致し方のないことである。
で、ここからは悪循環が始まった。戦後すぐに、蚊の多さゆえに殺虫剤を散布して蚊がいなかった時期があるらしい。しかし、蚊に刺される小児がいなくなったことで、若いころに形成されるべきアレルゲンへの抗体が少なくなった(真偽のほどは定かではない)と聞き及ぶ。蚊に刺されて痒いのは当たり前だ。しかし蚊はああいうアレルゲンを運びつつも少しずつ抗体を作り、蚊のみならずあらゆる害虫さえ、少量のアレルゲンを注入して慣れさせていたらしい。DDTを散布したらしく、即効性は虫に強くあったとのこと。花粉症は日本で初めて確認されたのだ。
もちろん全く良くなかった方法ではない。フェイタルな感染症は少なくなっただろう。衛生学として当時は正しい方法だったと思う。今度はコロナ禍である。
コロナ禍で、病原菌やウイルスは忌避された。手洗いとアルコール消毒とマスク。未知の病気に対する方法として、自明に正しい。ワクチンもちゃんと4回打った(5回目は都合がつかなかった)。マスクもしていたし、手洗いも入念にした。およそ三年間、無菌室にいたのと同様である。大人の振る舞いとして正しい。
じゃあ子供は?呼吸器がまだ不安定で、免疫を獲得する過程にいる。亡くなった子には哀悼を示すが、今生きている若い人たちは、もしかすると三年間、恋した人の顔を見なかったかもしれない。もしかすると両親の顔さえ、生まれてすぐに見れなかったかもしれない。こんなに悲しいことがあるだろうか?
医療を否定したいわけではない。医療は与う限りの尽力をして、命を救い、そのために自分自身が不安定になるリスクさえ犯している。人間、わからないことに飛び込むのは怖いことだ。よほどの胆力がなければできないし、もし間違えば診察室で対面している彼の命が明日費えてもおかしくない。命がけのルーチンワークだ。その精神力に敬意を表する。
最近の子供を見ていると、真っ直ぐ歩いていないような気がする。軌道の予測ができない。顔が右を向きながら足は左に向かうような。理解できるだろうか?
と、防疫と救急の違いを述べてみた。防疫は行政が行い、医療は医療法人の管轄だと理解している。研究は国立機関か製薬会社だ。
ブルーハーツの曲に『人に優しく』がある。人に優しくある以前には、人を守らなければならない。その「人」とは誰だろうか?と考えると、小生意気なガキである。気に食わない。が、守らなければ、と思う。理由はない。考えもない。ひとつだけ感覚するならば、「自分たちより不幸にならないでほしい」。
この言葉を発するためだけに長ったらしく書いていたのだ。こんなバカっているんだろうか?頭ハッピーなヒッピーだったとしてもこんなことは言わないだろう。「色即是空」とは言うものの、全部虚しいと悟るのは死に際であってほしい。全部楽しかったと思うのも、最期の瞬間であってほしい。
美しい瞬間をずっと覚えていてほしい。苦労した記憶も、悲しかった記憶も、楽しかった記憶も、怒り散らした記憶も、どこか美しいはずだ。随分前に亡くなった曽祖母が言っていた。「冬は凍えるようでなあ、藁草履に服着て半纏着て、みんな鼻水ズルズルやから袖なんてカピカピでなあ、でもあのとき一緒に行きよったみんなはよう覚えとるなあ、苦しいけど楽しかった」
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230323 木
心がないから歩けていた
人間には4つのタイプがある。
それは―
・無自覚な差別者
・無自覚な被差別者
・自覚的な差別者
・自覚的な被差別者
である。
このうち「社会がコストをかけて護るべき善良な人間」とされるのは「無自覚な差別者」と「無自覚な被差別者」の2タイプのみ。
「差別に対し自覚的」な時点で「庇護対象からは外れる」のである。
スレた人間は可愛がられない。自身の汚さを知っているからこそ行うカマトトは愛されない。
だからそのような人々は「攻撃的な自己肯定」を得る為に自傷し、露悪で自身を鼓舞し、より周囲が貼る「悪と混沌」のレッテルに順応しようとする。
その方がランダム性(偶然性)がなくなり「安心」が得られるから。
中途半端な期待や希望が最も苦しいのだ。社会や善良な他者から100%嫌われていると確信できればその枠の中でのみ行動マネジメントすればよいので「ラク」なのだ。
「好きになって認めてもらえるかもしれない」という淡い期待を残していると無限に裏切ら��続けそのたびにダメージを負ってしまう。だから愛想を振りまく際には分厚い仮面を被る。
そしてそのムーブは完成度が高まれば高まるほど「不自然で不気味」になる。
自分が他人を傷つけている事も、自分が誰かに傷つけられている事にも気づいてはいけない。しかしこの言葉を「無自覚な人々」に投げる事自体が「気づきのきっかけ」になってしまう。
つまり、差別に自覚的でなおかつ善良でありたいと願う人間ほど「黙る」のだ。自分たちのような厄介者は「不可視」になった方が社会の為になると心の底から思うのだ。
自身の「加害性」を自覚し身を隠す人々こそが真の意味で「善良」な人間であり、無自覚に他者を差別し無自覚に他者からの差別を誘発し、その鈍感さゆえにオールウェイズ「無自覚な暴力」振るいまくっているような人々の世界は、例えるなら「巨人同士のじゃれ合い」のようなものだ。
そいつらの肩パンひとつで繊細な人々の肩は粉々に消し飛んでしまう。
・
そして僕の正体は巨人だったのだ。恐ろしく鈍感な差別者であり被差別者。
「無自覚だから」と理由だけで暴力の行使を条件付きで許されてきたでくのぼう。
そう、それは自身の加害性を理解し内省できるまでの「執行猶予」。
自身の加害性に気づいた今、僕は過去に無自覚に踏み潰し消し飛ばしたヒトに対する罪含め贖罪せねばならない。
なんだか仏徒やヴィーガンめいた視点なんだよな、これは。
もう取り返しのつかないほど罪犯してきたって事に「気付かされてしまった」という。
そしてそれを気づかせてくれた存在に感謝しているのと同時に憎んでもいる。そのアンビシャスが面白い。不自由を嬉しがる自身に対し「滑稽」を感じる。
「小さい人々」の為に「あまり動かない努力」を続けるハラスメントの巨人。
不幸だろどう考えても。もっと「巨人が生きるのに相応しい世界」あんだろどう考えても。
この加害性を、この鈍感さを、もっともっと自分と世のために活かしたいのだ。肉体的な頑強さはゼロだが、僕の精神のOSはなんか凄くデカいものを操縦する為にプログラムされた「大雑把で大味なやつ」だ。
繊細なコントロールが無理。基本、乱暴で雑。
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3月 9日(土)
『呼吸とカカオ』
『鎌倉・パラダイスアレイのパン販売』
『ayimとオアシス』 開きます!!
“BREATH & CACAO”
“PARADISE ALLEY BREAD”
“AYIM & OASIS”
at Kumotei / Mt.Ikoma, in Nara
on March 9th(sat) !!!
(information in English is down below)
会場: 雲亭/生駒山・奈良
(地図・駐��場の情報もこちらから)
音響: sun and switch
11:00 ~ 『呼吸とカカオ』 start
12:00 ~ 『ayimとオアシス』 『パン販売』 start
内容:
⚫️ 『鎌倉・パラダイスアレイのパン販売』
国産小麦を使用し、自家製天然酵母で時間をかけて
ゆっくりと宇宙・自然のリズムで発酵させて作られている
オリジナルで唯一のパンです。
奈良での販売のこの機会にぜひ、お楽しみください!
(うりきれ次第、終了いたします。)
⚫️ 『ayimとオアシス』
愛知にお店をかまえる『ayim』の愛らしく美味しいトルコ料理と
オアシスアレイのドリンクなどカフェメニューを
お楽しみいただけます!
▼ 『ayim のお食事』
パラダイス・オアシス酵母の食前ジュース &
メゼ(前菜)とメ��ンのセット /1500yen
メゼは、
フムス(ひよこ豆のペースト)
ババガヌーシュ(焼きナスのペースト)
アジュル・エズメ(香味野菜のトマトペースト)
ファラフェル(スパイスを効かせたお豆の揚げ物)
チュチュワラ(ウズベキスタンの水餃子)など。
メインは、
ブルグル(デュラム小麦の挽き割り)とレンズ豆の炊き込み。
を予定しています。
ベジタリアンの方も、お召しあがりいただけます。
ヴィーガンの方も、ご相談ください。
お食事のラストオーダーは、15時です。
※ 事前予約可能な方は、メールにて雲亭まで。
雲亭/Mail : [email protected]
▲ 『OASIS ALLEY のカフェ』
心身にも美味しい
ドリンク(チャーガ・コーヒー/チャイ/スムージーなど)、
ビオワイン/クラフトビールなどのお酒類、
焼き菓子/スナックなど、お楽しみいただけます!
ヴィーガンの方も、お召し上がりいただけます。
⚫️ 『 呼吸とカカオ 』
呼吸すること ー ふだんあまり意識しないかもしれないけれど
生きるうえで欠くことのできない行為。
禅の世界でも呼吸を整える大切さを説いているように
呼吸が整うと心身も整い、日常生活においても役立ちます。
まずあえて意識しながら呼吸する。深い呼吸をしてみる。
『呼吸とカカオ』では、シンプルなことに重きをおいて呼吸します。
呼吸で整ったあと、
有機発酵カカオの宇宙チョコ(ローチョコ)でフィニッシュし、開放🌈
宇宙チョコは、材料を加熱せず48度以下の低温で作られ
酵素も生きていて栄養価も高く
ビタミンやミネラルも豊富に含み、抗酸化作用にも優れています。
カカオの学名は、ギリシャ語で『神様の食べもの』を意味し
テオブロミン、アナンダアミド、フェニールエチラミンなど
ハッピーな成分を含む、LOVEな食べものです。
定員5名。参加費・宇宙チョコ付き/1300yen(宇宙料金でも◎)
(『呼吸とカカオ』参加者は、
ドリンクを¥200オフで、お楽しみいただけます!)
※ 予約制です。
事前予約は、3/8日迄に、メールにて雲亭まで。
雲亭/Mail : [email protected]
シンプル&ちょうどよい規模感で開いております
どうぞ、ごゆるりと遊びにいらしてください 🌈✨
∞
Hi there!
Oasis Alley is having
“BREATH & CACAO”
“PARADISE ALLEY BREAD”
“AYIM & OASIS”
at Kumotei (Mt.Ikoma, Nara)
on March 9th(sat) !!!
Kumotei : map & parking here
▼ BREATH & CACAO starts 11am
▲ AYIM & OASIS / PARADISE ALLEY BREAD start 12pm
You can enjoy the Turkish cuisine of ayim in Aichi.
The last order of food is 15pm.
Vegetarian friendly.
And organic drinks, such as chaga coffee /
chai / super green smoothie / biologique wine /
craft beer and baked sweets etc.
Vegan friendly.
Also you can get the breads of Paradise Alley in Kamakura.
They take some time to ferment the bread dough
with homemade natural yeast.
Please don't miss this opportunity!
Up to 5 people can participate in BREATH & CACAO.
Advance reservation required.
Please make a reservation at Kumotei by email.
Kumotei / Mail : [email protected]
Participation fee is 13ooyen with a raw chocolate.
Chilled out vibes at Oasis Alley ✨
See you soon !!
xox
OASIS ALLEY
◯ ‖ ◯
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"迎春寿福" 令和六年正月。/ チューリッヒの友人への返信、「倫理観をデザインする時代」。平川武治
article(143) "迎春寿福" みなさま、あけましておめでとうございます。 令和六年正月吉日。 IMG_5405.MOV
昨年もこの、"Le Pli"に関心をいただきありがとうございました。 今年もぼちぼちと変わらない視点で、日本のファッションメディアと称する媒体では 書けない真実を誠実に見つめ、書き連ねる覚悟です。 好奇心在る方はどうか、よろしくお付き合いと共に、ご指導、ご鞭撻ください。
さて、年が変わった今年は新年早々、色々な災難が起こってしまいました。 多分、これからの今年は順風万歩とは行かない"月の周期"に入ったと危惧してください。 今、私は80歳になろうとしています。 ファッションの世界ではすっかり "オールドスクール "になってしまいました。
かつての白人至上主義者によって構築された 「西欧近代」のパラダイムが限界に達してしまったという現実。 そして��現在のライフスタイルはより物質的な豊かさとなる。 そんな時代のファッションの世界におけ���ファッション・デザインは 今後、これにどう向き合うべきなのか。 そのためにファッションビジネスはどうあるべきか。 また、そのために避けられない"新しいパラダイム"とは? こんな視点をコロナ以前から、私は学生やこの世界の人々に機会あるごとに 提言するようになりました。 「これからのファッション・ディレクターであるあなたたちは、 何をディレクションするのでしょうか?或いは、すべきですか? 何を演出すべきか、何を創造すべきか? もう、こんなにありとあらゆるモノがある時代なのに? まだ、"ゴミ"をつくるのですか? そして、ファッション・ビジネスとはただ、儲けるためなのですか?」
「西欧近代」が崩壊したこの時代に、私の40年の経験とそこから学んだスキルそして、 私のこころの中にある感性をひとつにして、接する若い人たちにこの現実とその根幹を 語っています。
私の答えは、「これからは、ファッションの世界の人達も"倫理観"を念頭に置いて、 ビジネスを想像し、デザインし、イメージングしてください。」です。 私の現在の"ファッション・キーワード"は「倫理観」です。
おそらく、あなたが「サステイナブル」でやっていることの基本でもあるでしょう。 そして、古い「西欧近代」のパラダイムをどこまでも引き伸ばそうとするあなたたちの 世界の中で「SDGs」や「サスティナブル」は「地球及び、自然環境と人間生活のための 倫理」がテーマで根幹でありますね。
ここで、私たちが日本人であるために、皆さんとは異なる「宗教とその哲学」からの 「倫理観」も、今後の"新しいパラダイムシフト"には絶対に必要な"思想と考え方"で あると信じているからです。
亡くなって1年が経った、VIVIANNE WESTWOODの"パンクスピリット"は 彼女の晩年の生き方を知れば知るほど、とても強靭でラギッドな気骨ある"パンク精神"を 持ち続けられたファッションデザイナーとして尊敬の念が深まるばかりの人です。 彼女の晩年の "パンク "は、自分のブランドのために「サステイナブル憲章」の制定と その実践に尽力したことです。また、私生活でも"ヴィーガン"を実践していた人でした。 そして、私に目に見える形で大いに好奇心を持つことを教えてくれた一つが、彼女独自の 「VIVIANNE WESTWOODのパンクスピリット」な生き方でした。 この彼女の強靭なパンク精神である「サスティナブル憲章」のお陰でこのブランドは今、 実質、営業成績が世界規模で"右肩上がり"という現実を生み出しています。 ここで、やはり日本で「パンク」を売り物にしてきたデザイナーが功労賞を貰った途端に 彼女の口から「パンク」が消えてしまうまでの"なりすまし人格"が気になりますね。 これがヴィヴィアンと川久保の二人の女性の「倫理観」の違いと「気骨」の置所の現実で なのでしょう、残念ですが。 どうか、"プレス"が発言することのみを報じるだけの日本のファッションメディアの人は 是非、これを入手して、ご一読、学んでください。
ファッション界の実態は例えば、ファッションにおける "ダーウィニズム "が "ファッション・クローン "を生み、これが「ファスト ファッション」や「SPA」と称され、 グローバリズムという新たな植民地主義が "グローバル・ノース "と "グローバル・サウス "を 生み出し、世界をより "二極化 "させてしまいましたね。 結果、このファッション界も"二極化"した「ハイモード」と「ファストファッション」構造 が構築されただけで、彼らが求める「業欲」の拡大構造は相変わらず肥大化している現実。
例えば、日本のファッションブランドの世界では、「彼らは年間の総生産数を発表しない。 そして、年間総売上高も公表しない。また、"サブブランド"を作り、年間総生産数をただ、 むやみに増大させているに過ぎないただの自分たち企業の為の強欲ビジネスでしかない。」 もちろん、ファッションメディアは彼らたちの「実際の売上も知らず、在庫残数や納税額」も闇に葬る。
まだ、この「ファッションの世界」の現実は私が思う「倫理観」がかなり、 希薄な世界でしかありません。
日本においては多くのデザイナーたちが、何らかの"なりすましデザイナー"であり、 私が出会ったヨオロッパでのデザイナーたちでも「虚飾の世界で、虚飾に生き抜く」 ただ、金にタフな人間が多いのも現実の世界です。
故に、新たな時代の、新たなファッションの世界のためのクリエーションとビジネスに おいての"パラダイムシフトには「倫理観」という視点とその認識が、どれだけ不可欠で 必要な世界であるかに目覚める事を提言するのです。 ファッションにおける、新しい機能性や造形はすでに飽和状態であること。 そして、「ファッション クローン」がどこでもいとも簡単に安価に大量に、素早く製造する ことができる時代になったのですから、 「何をデザインするのか?あるいは、何を売り込むのか?」をそれぞれが持つ 「倫理観」を根幹として再考することがより、人間味ある時代性そのものなのでしょう。
追記/ 昨年の6月、3年半ぶりに巴里を訪れたが、すでに私が知っていたパリとはファッション・ シーンが大きく変貌してしまっていました。そこで感じたことは、ファッションの観客や 顧客のほとんどが"有色人種"の時代になってしまったと言う事実でした。 彼らが歴史と共に刷り込まれた「諸コンプレックス」による「ブランドヴィクティム」の ランウェイであり、ファッションビジネスになり、バニティでしかなくなたようです。 そのために黒人たちが作り上げたイメージであり、そのイメージを使って、もちろん彼らが 興味を持つメインの顧客は「黄色人種」でしかないのがより、現実になったようです。 香港は中国市場への玄関口であり、今は韓国が新たな戦場ですね。中国が政治的な 地雷原となった今、「円安」に乗じて「夢よもう一度」と日本人の「ブランドヴィクティム」 への再度なる猛攻撃が、'90年終わりを彷彿させるまでに再び始まっ��いるのも現実です。 欧米の白人社会では「ブランドヴィクティム」は下品であるという「保守」旋風。 ここで再び登場するのが「オーセンティック モード」というファッション観が再び。 事実このため、「ラグジュアリーブランドビジネス」は営業不振へ落下進行中。 これが私が見て感じた3年半ぶりの「パリのファッションの世界」の実情なのです。(完)
文責/平川武治。 初稿/2024年正月3日。
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印象変革・大麻・日本・CBD
「エステは予防学」という考え方の下に活動していますエステティシャンの三浦智子です。ブログ投稿2回目は大麻やCBDに関わる日本の法律と消費者イメージについて書かせていただきました。
現状の日本では「大麻」と聞くと、危険・薬物・違法と絶対的に悪のイメージになりますよね。
では「麻」というとどうでしょうか?
繊維や麻の実、麻布、麻子、私のサロンの近隣住所には麻生区もあります。親近感もあり特に変なイメージはつきにくく「大麻」と比べると印象はかなりの差があるのでは?と思います。
【イメージ変革!大麻と日本の過去】
私ももちろん以前は「大麻」と「麻」の印象には差がありそうました。ですが麻の別称が大麻として広辞苑にも定義され、日本においても約70年ほど前には普通に栽培され、医療用としても用いられていた事実…70年って結構最近では?祖父母の若かい時にはまだ農家は多かったのか、と知ったときはすごく意外でした。
麻薬取締法は1948年に制定された法律で大麻の栽培・葉・花穂の部分に関する流通を規制している法律です。
大麻の茎や種子については繊維や食品として用いられているので今でも規制の対象ではありません。
葉や花穂にはTHC(テトラヒドロカンナビノール)という成分が含まれ、これが中枢神経に作用し、精神的に影響をもたらすので違法薬物になります。
ここが悪目立ちしすぎてしまい、今の「違法薬物」の印象になったんでしょうね。
大麻にもいくつかの種類があり、ざっくり分類すると「薬用型」「繊維型」と分けられ、日本でもともと生えていた大麻は「繊維型」でしたのでTHCの含有はかなり少なく、向精神作用がほとんどなかったそうです。
種は食用に活用し、繊維をとって衣服や神事用いるなど身近な存在で生活を支えるかなり役立つ農作物で麻文化が浸透していました。一説によると米より先に、稲作より前から栽培されていたそうです。(日本人のための大麻の教科書参照)
薬としての記録には明治時代に喘息に効く薬として「喘息タバコ」が流通、医薬品規格基準書「日本薬局方」の中に「印度大麻草」「印度大麻エキス」「印度大麻チンキ」の3つが戦後の改定まで収載されていたそう。
ですが1948年の大麻取締法の制定、第4条大麻の医薬品としての利用を禁止したため、現在に至るまで、大麻由来の医薬品は日本では使用されておりません。
【法改正に動きが!日本が求めるCBD】
最近は、麻の実=ヘンプシードは「スーパーフード」としても注目されヴィーガンやベジタリアンなど健康志向が高まる市場の人気食材の一つになっています。日本でもヘンププロテイン、ヘンプシードオイルなど展開されています。
海外では、1998年(1990年代)ごろから医療用の研究に着手、早いところは2005年以降から医薬品の販売も開始。
カンナビノイドは医療分野でも評価や期待が高く、がんやがん治療に伴う症状、例えば、痛み、吐き気、食欲不振、QOL低下などに対してカンナビノイドを用いたりと、研究は現在も盛んに行われていると聞きました。
カンナビノイドに関してスロースターターの日本ですが現在、法改正に期待が寄せられています。
まずは現状でも規制対象に当てはまらない茎・種子由来のCBD、こちらを主成分とする抗てんかん薬の治験が進められ「エピディオレックス」の承認のために大麻取締法の改正に関して最近は動きを見せているので、私的にはCBDに関す��市場の認識が急速に高まる機会になるのでは、と思っています。
海外では多数の薬効を列挙されているCBD。表現に制限はありますが、様々な方面で訴求が作りやすい成分です。
慎重な気質の日本人に対しても日本での臨床研究を通して有効性を検証できるようになれば長寿を支える効果の幅が広いCBD。動物にもヒトにも安全性が高いこともありペット市場やヒトに対しての美容・医療・睡眠・脳科学などのニーズに合わせて再び身近な存在になるだろうと期待しています。
株式会社ranan 三浦智子 プロフィール
大手美容サロン勤務を経て独立、エステサロン「ranan溝の口」をオープン。エステティシャンとして20年を超える実績を積む一方で、お客様のニーズに即した理想の化粧品を作りたいという気持ちからスキンケア化粧品の処方設計を一から学び、その研究は今も継続しています。
化粧品開発につきましては、自社製品の企画開発はもちろん、CBDを含む他社製品のOEM及び監修も携わっております。お気軽にご相談下さい。
(株)ranan 取締役 三浦智子 〒213-0033 神奈川県川崎市高津���下作延2-5-41-A TEL 044-948-4225
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マスク日本人の税金は一円も存在しないので岸田総理総裁への増税批判は貧乏人の自白
底辺労働者たちが病院を利用するほど生活保護制度利用者を超える受益超過のナマポ負の税になることを理解する知能が無い事実は理解できる
生活保護は恥ずかしいと妄想で生きてきたら、実は健康保険証こそ究極の生活保護だったと論破され、では今現在は病院へ通っていなくとも不摂生な生活習慣で体調不良があるなら将来的には通院・服薬はみんな通る道なのがマスク日本人の自称健常者たちなので、自尊心が全て傷つけられることに耐えられず、理路整然と説明すると逃げていく
底辺労働者風に言えば、健康な他人の納めた保険料と適当な財政規律を維持する政府の借金で、身勝手に不摂生を重ねて病人になったマスク日本人・自称健常者たちの面倒をどこまで看るのかの責任が問われなければならないが、例えば、酒・煙草・大麻・向精神薬等=痲薬のジャンキーでなくとも、癌に直結する病気家畜の死骸=野蛮な肉食をしている知能の低い者をどこまで許容し救済するか等を議論すると、多数派常識側は屈服せざるを得ないので健全な話し合いを放棄し、反◯◯、ヴィーガン、ノーマスクは迷惑といったようにラベリングして村八分を発動するだろう(その程度の倫理観しか養われていない下等生物)。
不可解であるのは、麻生太郎総理がコロナ対策費の財源について報道陣の的はずれな質問に「税金なんかで実施してないよ」と説教したことはあるが、税制とは再分配機能であって、政府一般会計の貸借対照表を参照すると、公共サービスの財源には庶民が納めた税金ではなく、国債で賄われていることが分かるので、mRNAコロナワクチン接種者やマスク着用者、企業経営者はこれをフリーランチしたことになるが、私たちの税金を妄想する貧乏人たちへ誰も教えないのだろうか?教育する必要があるのではないか?
見れば分かることを不都合なので皆で黙っているのか、野生動物未満の知性でGHQ義務教育カルトに洗脳みぎにならえの統一行動で本当に理解する頭が無いのか、多少不可解なところがある。
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