#ルーム創作活動
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kennak · 10 months ago
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過去の大規模な災害の被災地では窃盗や詐欺など災害に便乗した犯罪が確認されていることから、今後、こうした犯罪の発生に注意が必要です。警察庁によりますと、今回の地震の被災地での災害に便乗した犯罪の被害については情報収集中で、確認できていないとしていますが、今後、発生が懸念されるとしています。 窃盗 まず、懸念されるのは空き巣など窃盗の被害です。避難所に避難している隙を突いて、人がいない住宅や店などから金品を盗むケースが考えられるということです。警察庁によりますと、8年前の熊本地震では被災者の住宅から現金や商品券、タブレット端末などが盗まれる窃盗事件が発生し、43件が検挙されています。 詐欺 また、詐欺の発生も懸念されています。13年前の東日本大震災の際には、「再建のために必要な融資をするが、手数料が必要だ」などとうその話を持ちかけ、被災した人から金銭をだまし取るケースが相次いで発生しました。今後、電話回線が復旧していく中で、こうした詐欺が増える可能性があるとしています。また、災害に便乗した犯罪は被災地に限ったことではありません。熊本地震では▽「困っている人に老人ホームの入居権利を譲ってくれないか」とか、▽「仮設住宅を購入するために名義を貸しをしてほしい」などといった、うその話で現金をだまし取られたケースが全国で相次いだほか、東日本大震災ではうその募金を呼びかける詐欺事件が相次いだということです。警察庁は今後、震災に便乗した犯罪が起きる可能性があることから、全国の警察に対して被害の防止に努めるよう指示を出す調整を進めています。 性被害にあうケースも注意を これまでの災害では被災地で女性や子どもが性被害にあうケースも報告されていて、注意が必要です。専門家やNPOなどが立ち上げた団体「東日本大震災女性支援ネットワーク」が、東日本大震災で起きた女性や子どもへの暴力について行ったアンケート調査では、夫や交際相手からのDVのほか、同じ避難所で生活している人や見知らぬ人から性被害を受けたとする回答が多く寄せられたということです。例えば、避難所にいた女性が、▽深夜に寝ていたところ、隣に男性が来て胸を触られたとか、▽赤ちゃんへの授乳や着替え��様子をのぞき込まれたといったケースや、▽避難所のリーダー的な立場にある男性から物資の融通などをほのめかされたうえで、性行為を要求されたといったケースがあったとしています。このほか、▽男の子が顔見知りの男性に下着を脱がされたり、▽女の子が知らない男性にキスを要求されたりするなど、子どもの被害についても回答があったということです。この調査に携わった、防災とジェンダーの問題を研究している、静岡大学グローバル共創科学部の池田恵子教授によりますと、避難所の共通の就寝スペースのほかにも、離れた場所に設置してある仮設トイレや、家が倒壊して死角が多くなっている町の中、それに車中泊をしている場所でも被害が報告されたということです。池田教授は「自分自身のことで手いっぱいのときに、いつも2人以上で行動できるともかぎらないので、例えばトイレは男女別にして安全な場所に配置したり、就寝スペースにはしきり板を入れたりするなど、女性の意見も聞いて、避難所の環境を安全に整えることが大切だ。そして、誰かに相談しやすい体制をとることも必要だ」と話していました。そのうえで、被害を防ぐためには、▽避難所の運営や防犯の担当者に女性も携わり、仮設トイレやゴミ置き場の設置場所などについて意見をくみ取ることや、▽更衣室や授乳室にも使える女性専用ルームを設置するなど、プライバシーが守られる環境を作ること、それに、▽夜は自主的な見回りをすることなどが必要だと指摘していました。
地震被災地 災害に便乗した犯罪の発生が懸念 注意を 警察庁 | NHK | 令和6年能登半島地震
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room-n-blog · 2 months ago
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さんま!そして秋レク☆
こんにちは!
ルーム南のいわたです。
やっと朝晩は過ごしやすくなり、秋の気配を感じられるようになりましたね。
ルーム南の創作活動では、秋の味覚さんまを作りました!
「さんま」を図鑑から探して、
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よーく観て、
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薪や炎も折り紙で表現してくれて、
焼いて、あつっ!熱い!とリアルに言いながら、
ひっくり返して反対側も焼いていました☆
続きまして、
秋のレクリエーションの様子もお伝えします!
スリッパとばし
ばくだんゲーム
缶積み
ボッチャ
新聞じゃんけん
風船バレーなどなど
盛りだくさんなメニューで行いました。
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簡単そうに見えて、足から上手く離れないと前にとばず、
意外と難しいスリッパとばし。
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新聞じゃんけんは、
新聞紙の上から落ちてはダメですが、
負けると小さく折り畳まないといけないので、
小さく折り畳まれた新聞紙の上で片足で立ちバランスをとっていました。
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ボッチャは、みんなが参加でき、
最後の最後まで、勝負がわからないので面白いです!
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2020zaji · 4 years ago
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#リハビリ|入力と出力の間(6)
 リハビリ病院は消灯10時。起床時刻は特に決まっていないが、8時前にはデイルームの決められた席に座って朝食を待つことになっている。転院当初は車椅子の自走ができなかったので、各病室の外にある廊下に面した洗面台を経由してデイルームまで車椅子を押して行ってもらう。
 リハビリ治療はチーム・アプローチで行うという方針通り、この病院では患者が食事のためにデイルームに行ったり、トイレに行ったりする際にも、ヘルパーさんに限らず、看護士さんやセラピストなど、同じフロア担当の人であれば、職種にかかわらず介助に入ってくれる(医師はフロアごとの担当ではないようで、月に一度のカンファランスで会うのみだった)。
 歯磨きやトイレなどで移動したい時は手をあげて周囲を見回す。と、その時に近くにいる看護士さんやセラピストが視線を捉えて対応してくれる。職種による縦割りを排して、フロア全体の患者をフロア全体のスタッフが見ていく体制だ。
 わたしたち患者がテーブルで食事をする時に、食事の乗ったトレイを運んできてくれるのも、看護士さん、ヘルパーさん、各種療法のセラピストなど、7階フロアのさまざまな職種のスタッフである。日々のシフトで顔ぶれは変わるが、食事時のデイルームの壁際には、各職種のスタッフがずらりと並んでいる。患者さんのなかには嚥下に困難を抱えている人もいるので、食事を喉につまらせた時などは、即座に対応が必要。スタッフはまんべんなく視線を走らせている。食事もリハビリ訓練の現場だ。
 嚥下に問題のないわたしは注視されていないだろうと思っていたが、さにあらず。左手でお椀を持てず、顔をトレイに近づけて、右手だけで食事する様子をしっかり観察されていたらしく、リハビリ訓練の時間に「食事の時に、お碗が持てるようになりたいですね」と声をかけられた。「見られてたんですね!」「そうですよ〜。みなさんが『日常』のなかで、どんな動作ができて、どんな動作に困っているのか、観察して、訓練に生かすんです!」と言ったのは、作業療法におけるわたしの担当セラピストである。高校時代はダンス部所属だったという手足の長い彼女、ここではダンス先生としておく。作業療法士になって2年目のダンス先生は、患者の生活面での不自由を解消しようと一所懸命である。
 ���とえば、手指が拘縮してタオルが掴めない患者用に、あかすりタオルの片方を輪っかに縫ったバージョンを考案して、片方しか掴めなくても気持ちよく自分で背中を擦れるようにするなど、その創意工夫は「よっ、リハビリ界のエジソンや〜!」と拍手したくなるほど。子リスのような可愛らしい顔立ちで、全身から「頑張ります!」オーラが滲んでいた。
 ベッドから車椅子へ移乗しやすいよう、右手で掴める金属製の手すり「L字バー」をベッドに取り付ける提案をしてくれたのも彼女だった。これが、最初は車椅子への移乗に、次いで立ち上がる動作に、やがては着替えの時の補助に、実に便利なツールなのだった。以前は、公衆トイレの壁や、劇場の廊下などに手すりが設置されているのを見ても自分には関係ないと何も感じなかったが、半身に感覚麻痺がある状態になってみると、この手すりの有る無しが、安全な動作のために決定的に重要なのだった。その意味で、わたしの「日常」を観察し、「L字バー」があると便利に違いないと提案してくれたダンス先生は、若いながらも慧眼を備えていた。
 実は先月、リハビリに役立つかもしれないと、オンライン講座で「解剖学入門」を受講してみた。講師は40代の女性で、理学療法士の資格もあり、今も医療の現場に立っていると聞いて、思わず「セラピストの先生方には本当にお世話になりました!」と親近感がわいた。彼女いわく、医療現場のセラピストの平均年齢は30歳代とかなり若く「自分はもうベテランの方に入りますね」とのことだった。
 確かに、わたしのリハビリ担当者、理学療法の剣士先生、作業療法のダンス先生、いずれも20代だった。スタッフの平均年齢が若いのは、入院したのがたまたま新しい病院だからだと思っていたが、どうやらリハビリ界全体の傾向らしい(そうなると、ベテランのセラピストは、維持期のリハビリ施設など、他の職場に移っていくのだろうか…)。
 訓練の中長期的な計画については担当セラピスト(わたしの場合は剣士先生とダンス先生)が主導的な役割を果たすが、日々の訓練は7階担当の数十人のセラピストが代わる代わる担当してくれる。それぞれが持つ知識や経験、得意な手技が異なるので、たとえ効果的な刺激でも慣れすぎると効果が薄くなる脳神経の訓練にとって、日々異なる刺激を受けられるチーム・アプローチは理に適っていると思われた。これは大型のリハビリ専門病院だからこそのスケール・メリットだろう。
 この機会に、入院していた病院のウェブサイトを見たら、ベッド数が300以上、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などのリハビリ・スタッフが250名以上、看護師180名以上、介護補助��70名以上(内、介護福祉士30名)と、日本でも最大級(!)の規模だったことがわかった。食事時に、デイルームの壁際にスタッフがずらっと並んでいた様子を、あらためて思い出した。あれでワンフロアの人員、それも交代勤務制だからごく一部。病院全体で全スタッフが��百人というのも納得である。
 同じウェブサイトでは、この病院の在宅復帰率が全国平均を大きく上回ると誇らしげに記載されていたが、別サイトの記事には同病院に批判的なコメントも投稿されていて、充実したスタッフ施設とはいえ、患者によって合う合わない、という相性の問題はあるのだろうなと思う。ただ、チーム・アプローチをとっているから、担当のセラピストと相性があわなくても、何十人かいるフロア担当のなかには、きっと一人くらいは相性のあうセラピストもいたのではないかなあ。
 いや、しかし。体育館ほどの床面積がある2階のリハビリテーション・ルームで、泣き叫ぶ高齢女性を見たことがある。そのおばあさんは、理学療法士が立ち上がるのを手助けしようとしても、「痛い! 痛い! 部屋に帰る!」と叫んで車椅子にしがみついていた。そうだよなあ、リハビリだって、誰もが必ず望んでいるとは限らないのだよなあ。放っておいてくれ、という患者さんにとって、リハビリは時に拷問のようなものだ。固まった関節を動かされたり、縮んだ筋肉を伸ばしされたりして、強面の男性が「うう〜っ」と悶絶するのも、リハ室では珍しい光景ではない。あのおばあさんも、きっとリハビリで痛い思いをしたことがあるのだろう。手を差し伸べるだけで触れてもいないのに「痛い! 痛い!」と泣き叫ばれているセラピストは、困り果てた表情で、「まだ触ってもいないですよ〜」と弱々しい声を出していた。
 相性が合う合わない以前に、そもそもリハビリを望まない患者もいる。たとえ家族が望んでいたとしても。病院側としては「患者のやる気を引き出すこともセラピストの仕事のうちだ」なんてことをセラピストに指導していそうだ。しかし、どうなんだろう。痛みの感じ方はきっと人それぞれで、その痛みを避けることが何より重要という人もいるかもしれない。障害を自分の一部として大切にしたい、という人もいるかもしれない。「たとえ改善しなくても手を尽くす」(注1)のがリハビリの考え方であり、治療する立場にはぜひそうあってほしいと思う。だが、患者の立場はさまざまで、答えはそれほど簡単ではないのかもしれない。
注1)NHK番組制作ディレクター市川衛『NHKスペシャル 脳がよみがえる 脳卒中・リハビリ革命』2011年、主婦と生活社、112頁。
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galleryrire · 5 years ago
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【旅に出よう!展 vol.2 参加作家紹介⑤】 「旅に出よう!展 vol.2」展示ルームで開催中です。参加作家をご紹介します。今回はLes Petits Troupiers(ラ・プチ・トゥルゥーパーズ)さん。 会期が始まってすぐ、東京からご来店くださいました。 当店でご参加いただくのは、はじめましての作家さんです。アイルランドへの留学を機に、帰国後、アイルランドで体感した癒しのイメージをテーマに創作活動をされています。 参加作品は朗読CD (会期中無料試聴できます)付きの絵本です。冒険を恐れずさまざまな経験をして、きらめく記憶を胸に長い旅を終えることができたら、本当に素敵。絵本の創作裏話を綴ったフリペも楽しいです。 Les Petits Troupiers(ラ・プチ・トゥルゥーパーズ) さん https://slowjourney.weebly.com/ インスタ https://www.instagram.com/les_petits_troupiers/ ツイッター https://twitter.com/Les_Petits_T
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straycatboogie · 2 years ago
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2022/07/25
休みだった。月に一度の通院日。また昨日のようにジュディスさんがルームを開くかと思ったのだがそうでもなかった。本の話をしたかったのだけれど、まあそういうこともある。先生に私の近況を話す。女性をめぐる問題について、グループホームの施設長の方に話を聞いてもらえてありがたかったことなどを話した(ここのところずっとこの問題で私の頭はパ���クしそうだ)。それで診察を終え薬をもらい、イオンに行き片岡義男『日本語と英語』を読み返す。この本はコンパクトだがなかなか侮りがたい本だと思っている。
片岡義男はインデックスカードに自身が思いついた日本語と英語の面白い表現、違和感を覚えた表現をメモしておくらしい。そしてそれを忘れるという作業を経て、再び読み返しそのメモの意味について考える。つまりここでは様々な英語話者もさることながら、過去の片岡が他者として現在の片岡の前に現れる。そうして自分の中に他者性があることに鋭敏になることによって、彼の創作活動はよりクリエイティビティを増す。そんなことを考えた。私自身、彼に倣って���ンデックスカードを使ってみたこともあった。結局はメモパッドに戻ってしまったが。
その後、途中で止めてしまっていた多和田葉子『エクソフォニー』を読み終える。「母国語の外へ出る」という意味を持つこのタイトル。だが、彼女が果敢なのはどんな「母国語」をも持たずむしろ言葉と言葉(日本語とドイツ語)の間で迷おうとしていることではないかと思った。外国語で書き記すと、母国語で考えている時についつい課しているタブーを破ってより過激に、より正直に書きうるというところが気になった。確かに私も英語で書いていると自分自身が何を考えていたか明瞭になることがあるからだ。自分の中の書きにくいことを英語で書くべきかもしれない。
夜、またしても卑猥な欲望に悩まされる。そして、ふと「このことを書いてみたらどうだろう」と思い至った。プロットなど組み立てず、先がどうなるかまったく計算することなく「今」思っていることをムッシュムラムラと書いてみてはどうかと思ったのだ。それで、自分自身の性にまつわる思い出を書くことにした。際どい内容だったのだが、一部の方からは興味深く読んでもらえたので嬉しかった。さて、それを一般的にどう公開したらいいものか迷っている。読みたい、という奇特な方はぜひ私にお知らせいただければと思う。
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keijukita2018 · 3 years ago
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戦略会議 #25 アタラシイアタリマエノカタチ/京都巡回展「丼展」
映画「イミテーションゲーム」からはじまり、Wade Guytonの作品(参照:「戦略会議 #21 アートライティング/ Wade Guyton @Art Collaboration Kyoto」)や、ヒト・シュタエルの本の表紙、最近何かと登場するアラン・チューリング。実はもうひとつがっつりと関わっていることがある。
今年の8月、長野県の蓼科にて展覧会を行った「アタラシイアタリマエノカタチ 2021」(参照:「戦略会議 #25 アタラシイアタリマエノカタチ/設営完了-僕らはまかない丼である。」)のポスターのデザインは実はチューリングパターンによるものであった。古いアタリマエと新しいアタリマエが混ざり合いながら、安定していき本当の意味でのアタラシイアタリマエというカタチを形作っていくということを示していたのだなと今更に理解をする。とてもいいデザインだったと思う。
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昨日会場のペンキ塗りをし、今日明日で搬入する形で京都巡回展「アタラシイアタリマエノカタチ丼」展を11月18日(木)〜23日(火)の間で行う。2020年度大学院同期入学仲間の博士課程4名、修士課程2名というメンバーによる3回目の展示となる。修士課程の優秀なふたりが今年卒業してしまうので、このメンバーでの展示はもしかすると最後になるかもしれない。個性的な作品が不思議な調和を持って混ざり合おうとしていいところでこちらも安定している。 先日の大学のゼミで全然上手いこと作品についてプレゼンテーションができなかったので、少々整理してステートメントを書いた。今回の展示は昨年、今年展示したものの中から1作品づつの2作品。どちらも自身の博士課程の研究の中で生まれた問題意識をスタートとして作品化したものだ。
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《The World as Blueprint:設計図としての世界 ーPetite Galerie Le Louvre》 
2021 230×230×30cm フルカラーダイレクト昇華印刷、トロマット(ポリエステル)、ア���ミスタンド、樹脂
「写真(イメージ)の物質性」というものを考えた時、写真とはすでに物質世界を2次元平面の世界へと変換することには止まっていない。
多くのイメージは3次元へと容易に形を変えるようになってきて、図案を起こし、大理石を掘る手仕事が不可欠だった時代を考えると、隔世の感がある。ポスト・プロダクションの時代では、何かがつくられるというのは、ほぼ例外なく、イメージ(単一であれ、複数であれ)を経由した上での創造行為を意味している。 ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』、大森俊克訳、フィルムアート社、2021年、p270
と現代が置かれる世界の状況を鋭く描写するアーティスト、ヒト・シュタイエルは著書に記している。 オンラインに接続されたスマートフォンのカメラが世界の隅々までを撮影し、私たちが世界をイメージとして捉えるようになり、テクノロジーの進歩が様々な形式での出力を可能にした。これらの条件が整った現代において、写真(イメージ)はイメージ世界から物質世界をつくる設計図となっているということをヒト・シュタイエルは示しているのである。 2019年末から世界中を襲ったCOVID-19、いわゆるコロナ禍は私たちの生活から、人々の接触や接近というも��の除外を迫った。それにより人が集まる場所は閉鎖を余儀なくされ、多くの活動の場が半強制的にオンラインへと移行した。美術館もその例外に漏れず、準備されていた展覧会は壁に作品がかけられたものの延期、場合によっては中止などということとなった。そんな状況の中、各美術館はバーチャル・ヴューイングなどを準備し、日本国内、さらには自宅に居ながらにしてオンライン上で世界中の様々な展覧会を訪れることが出来るようになったのである。これはオンライン上に物質世界とは異なったイメージ世界における体験を創造したと言える。一方で、冒頭のヒト・シュタイエルの話に戻れば、これは世界を再構築する新たなイメージ、つまり「設計図」が公開されたのだとという見方も可能である。 本作品《The World as Blueprint ー 設計図としての世界》はこのCOVID-19の期間に新たに構築されたイメージ世界を設計図とし、現実世界を再構築したものである。つまりコピー&ペーストするかのようにして、閉鎖され誰もが訪れることが叶わなかった美術館の壁を実物大の壁として現実世界へとプリントアウトしているのである。
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《A.o.M(Aesthetics of Media)|Zoom 913 9757 4204》 2020 サイズ可変 ミクストメディア PC、プロジェクター、アクリル
《A.o.M(Aesthetics of Media)|Zoom 913 9757 4204》はCOVID-19、いわゆる「コロナ禍」の中で一躍世間に浸透したオンライン会議アプリである「Zoom®」を用いた作品である。
緊急事態宣言など人々の生活に制限が加わった2020年日本において、「不要不急」という言葉と並んで世の中に認知されたのは「テレワーク」であり、その実現の一旦を担った「Zoom」ではないかと考える。「コロナ禍」による人々が集まらない新しい生活様式はZoom®などのオンライン会議メディアを直接的なコミュニケーションの代替とした。日常生活でそれほどITやテクノロジーに頼ってこなかった人々の生活にですら突如として必要不可欠なものとして侵食してきたのである。「直接会わないとダメだ」と登場当初コミュニケーション不全を指摘する摩擦も起きたが、いずれ世の中に浸透しメディアがその存在感を違和感として示すことはなくなるであろうかと考える。そうなる前に、Zoom®そのものに自らの姿を晒させることでZoom®というメディアの知性や美学に触れることを試みたのが本作《A.o.M(Aesthetics of Media)|Zoom 913 9757 4204》である。
Zoom®は本来モニタ上部に設置された内臓カメラなどを使って利用者同士が自身を撮影しモニタ越しに双方の顔を見ながらテレビ電話のようにコミュニケーションを機能させるメディアである。本作ではUSBに接続した外部のウェブカメラにて「Zoom®」に「Zoom®自身(モニタ)」を撮らせて配信をしたものとなっている。つまりZoom®のセルフィー配信である。
カメラで自分自身を撮ったZoom®は合わせ鏡のなかのトンネルのように自らが配信しているイメージを反復させ、イメージの連続としての動画を生み出しつづける。この作品もアーティストはモニタとカメラの位置のみ設定���するが、それ以降はZoom®というメディア��本来のソフトウェアの特徴を活かし、展覧会会場と鑑賞者いうリアルの環境とオンライン上のZoomミーティングへの参加という二つの関係性を取り込みながら映像を変化させ抽象的なイメージを生み出し続ける。
ダン・グラハムの《Two-Way Mirror Power》やナム・ジュン・パイクの《TV 仏陀》、オラファー・エリアソン《Self-loop》といった先人たちの鏡やビデオカメラ、モニタを使った作品をリファレンス、アップデートした作品とも言える。本作品はそれらと同様に瞑想的な空間を作り出す。 本作品《A.o.M(Aesthetics of Media)|Zoom 913 9757 4204》には遠隔で下記からも参加可能:
https://us06web.zoom.us/j/91397574204 ミーティングID: 913 9757 4204 ※2021年11月18日〜23日 全日 12:30-1730の間利用可能
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博士課程の研究発表展である「D#展」もギャルリ・オーブで開催されており「アタラシイアタリマエノカタチ」メンバーの博士課程のうち2人は両方に出展している。併せてご覧いただければ一層楽しめるかと思う。 さて、展示できたよ。 「アタラシイアタリマエノカタチ 丼」 京都芸術大学未来館2階PRルーム DATE:2021年11月18日(木)〜23日(火) OPEN:12:30-17:30
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atchanatsu · 4 years ago
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I prefer to be an outsider.
今日の自分を一言でいうと「忙しい人」という感じだった。それも、当事者として忙しさを真っ向から感じていたというよりは、忙しい人を体験してる感じで、そこがまた気持ちよかった。基本的に僕は忙しいのが嫌なので、生活が成り立つギリギリか、少しだけ金銭的にも時間的にも余裕をもって音楽とか映画とか本とかをひたすら吸収することを念頭に日々を送っている。でも、今日ぐらいの忙しさは充実感もあるし、何より今日あったミーティングなどで関わっているプロジェクトはどれも割と部外者的な立ち位置なので、自分の振る舞い方が軽やかであるがゆえに、気が楽で、むしろ楽しく感じた。
まず、午前中は10時半から学校でトヨタと一緒にやっていたプロジェクトを着地させるためのミーティングがあった。朝起きて、朝ごはんがなかったこともあって、9時の学食が開くタイミングに合わせて学校に行き、学校の近くのおいしいドイツパンのお店で買ったパンと学食のカプチーノを頂きながらPCで少し準備をした。準備といっても、今日のミーティングで諸々が決まる予定だったので、個人的な頭の整理のためのメモ書き程度で、図書館にいって借りていた本を返したり、プロジェクトの参考になりそうな本を探したりした。修士論文の参考文献で大量に借りていた本を全部返却したはずが、一冊だけ返却漏れがあったので今日新しく本を借りることはできなかったので、また来週にでも借りに来ようと思う。10時半になると先生と学生4人の合計5人が集まって、前回トヨタの方たちとやったワークショップの振り返りをするところから始まった。2週間くらい前のことで、個人的には割と忘れている部分が多かったけど、他の学生や先生が結構覚えてていてくれて、振り返るプロセスは割と順調に言って、僕はもっぱら振り返った内容を記録していくことに務めた。あとから自分が記録したホワイトボードの写真を見ると、我ながら中々漏れもなく記録できているなと思った。会議とかワークショップをリアルタイムで可視化するグラフィックレコーディングという方法があって、一時期少し勉強したりもしたけど絵を書くことがアレルギー反応を起こすレベルで苦手な僕は早々に諦めた。ただ、文字ベースで会話の記録をとるということに関しては結構使いものになるんじゃないかと思う。ようは書記ということだけど、いわゆる書記がある議題に沿って会話を記録していくのに対して、デザイン系のプロジェクトだと多少のアウトライン程度のダイアグラムとかが書けるだけでも後から見た時の理解度は全然違うので、そういう方向性で本家のグラフィックレコーディングには及ばないまでも、少人数の見知った相手同士のミーティングくらいなら行けるなと思った。
トヨタのプロジェクトの着地は以前先生と2人で事前に軽く打ち合わせたとおり、最終のアウトプットとしては「未来を考えたい人のためのワークショップガイド(仮)」という薄めの小冊子を作ることになった。I先生がディレクションするプロジェクトは大体最終的にページものの印刷物に落ち着くというのは大学院の経験を通して分かってきたことだけど、むしろ何度かI先生のプロジェクトに関わってきたおかげでアウトプットの型のようなものが自然と自分の中にもできてきて、それはそれでいいことだと思う。オリジナリティとか創造��とかの前にまずは何でもいいから型を真似る、繰り返すということの大事さをここ最近強く感じる。最終的に残った5人のチームは、小規模だから情報共有しやすいし、割とそれぞれのメンバーが違った強みやスキルを持っているので結構バランス良くスピーディに進められそう。僕はI先生を中心に話し合って決まったディレクションにそって冊子の構成と台割、そして簡単なレイアウトを作ることになった。薄めの冊子なのでそんなにコンテンツの量も多くないし、内容もワークショップガイドということで建て付け自体は割とシンプルなので、今回は大学院最後のプロジェクトでかつ、冊子ものをつくる貴重な機会なので、これまでの経験と情報のリソースを目いっぱいつかって少しビジュアル的にも凝ったものにしたいなと思う。
13時からはファブラボでバイトの予定だったけど、トヨタプロジェクトのミーティングが12時半になってもまだ続いていたので途中で抜けてファブラボに向かった。今日は前回やっていた2層版の加工の注文が追加されたということで、同じようにひたすらレーザーで加工して洗ってアルコールで拭いてという作業を繰り返した。今日は16時半までということで時間的に短かったし、やったことも前回と同じで特にこれ以上書くことはない気がする。
17時からは、福岡のデザインコンサルティング企業Rと僕の通っている大学が産学連携で進めているプロジェクトのミーティングに参加するため、また学校にいった。このプロジェクトに参加するきっかけも不思議な縁で、数日前にclubhouseで「洗濯」というルームを立ち上げていると企業Rに最近入社した友だちがきて、一緒にやれそうなプロジェクトがあるけどどうかと誘ってくれた。そのプロジェクト全体を管理している人とは前にも一度別のプロジェクト、正確には今回のプロジェクトの前身みたいなものでご一緒させて頂いた。なので、お互いに知っているし、僕がファブラボで働いている経験とか大学に籍がある点で何か役に立てるんじゃないかということで参加することになった。今日のミーティングは大学側からは先生が3人、企業Rからは4人、そして僕というメンバーだった。大学に籍がありながら、ポジションとしては企業Rのメンバーだけど社員ではなくて一時的なアルバイトという、一見よくわからない立ち位置だけど、個人的にはそういうプロジェクトが一番やりやすい。なぜなら、大きな責任を負わなくていいし、プロジェクトに対して前のめりになっていく義理もないからである。かといって、もちろん適当にやってお金がもらえるからラッキーというのではなくて、むしろこういうポジションの方が僕はパフォーマンスが高いと思っているし、ある種のアグレッシブさを持って関わっていくことができる。責任を感じなくていいからこそ、誰に対してもお膳立てすることなく、自由に振る舞えて、結果的にハイパフォーマンスが出せるというのは、たぶん僕独特の価値観に基づく行動規範のようなものだと思う。なので、理解してもらえなくてもあまり驚かない。プロジェクト自体は3月中旬に5日間くらい集中的に進める期間があって、時間は割となくて色々と心配なので責任は適度に感じつつも、僕はある種の部外者なので、基本的に楽しくやらせてもらえればと思っている。
ミーティングが終わって、企業Rの若手メンバー3人と僕で反省会的なことを30分ばかりやって、家に帰った。途中で雨が降っていたので寒かった。というか、明日明後日にかけて雪が降るらしい。ここ数日くらい、温かい日が続いていて、このまま春に向かっていくのかと思っていたからびっくりした。明後日とか最高気温が2度で、今年の年始に雪が降っていた日とほとんど変わらないじゃないかと思って、その日はファブラボでバイトだけど既に行くのを億劫に感じている。
そんなわけで、今日は複数のプロジェクトを掛け持って物理的に移動もしたりなんかして、まるで「忙しい人」のような日でした。ちゃんちゃん。
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gohan-morimori · 4 years ago
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツヨウカカラジュウヨッカマデノニッキ
2月8日(月)
 今日は早めに起きて出勤前に皮膚科に行くぞ、と諦め半分で思っていたのだけど諦め半分だったからやはり起きれず。尿意を無駄に我慢しながらだらだら起床してゆるゆると準備をしていそいそと豆腐を食べて出勤。先週は毎日ほんとだめだめだったな、今週はちょっとはましな一週間にしたいな、と思いつつ。自分の不調をもっとロングスパンで見たほうがいいのかもな、とぼんやり思う。働く。やることが増えてきた、というより、やらなければいけないことと、やったほうがいいことがすこしずつ見えるように���ってきた、といった感じか。めちゃくちゃ忙しい、というわけではぜんぜんなかった一日だったのだけどずっとせかせか動いていて、だからこの「見えるようになってきた」のと並行して「もっと無駄なく動く≒働く」ことを意識しないといけないのだけどそれがむずかしいというかわたしは苦手で、最近凹んでばかりの原因は主にこの「もっと無駄なく動く≒働く」ことがなかなかできないからで、うーん。わたしのこれまでのささやかな人生の処世術というか、それは悪い癖でもあるのだけれど、「(一見)無駄に見える所作や状態に心のお守りを見出す」みたいなところがわたしにはあり、その悪癖が最近は勤務の中で思考を邪魔している感がある。一度癖づいた悪いフォームを直すような作業が必要とされている。気がする。小学生のころの習い事(硬式テニス)、中学のころの部活動(卓球)、などでもその悪癖は発動されていたように思う。いろんなことを毎日思い出す。自分を責めるのはカンタン。カンタンなことはつまんない。つまんないことはやめたほうがいい。だからやめよう。明日から二日間は休みだから今日こそは早めに家に帰ろう、という強い気持ちでいそいそと帰宅。クラブハウスで子供鉅人の人たちのわちゃわちゃした即興芝居を聴いて何度も笑ってかんじさん進藤さんと話したりもして、それから久々にしけこと通話をしてしけこは漫画などのネタバレを率先して読むタイプらしく話の要点にしか興味がないとしきりに言うので「いっとくけど話の要点に話の要点はないからな」とやや苛ついて応えた。苛ついている自分にちょっとびっくりしつつわちゃわちゃ話していたらもう早朝みたいな時間になっていてわたしは数時間前からずっと布団にくるまった状態で通話をしていてもう眠かった。通話を切って、ふよふよとした感情を可愛がっていたら寝ていた。
2月9日(火)
 皮膚科に行こうとしていた、午前中に。行けなかった。去年読んだ本をようやく本棚に収めた。収めるついでに本棚の整理もして、見えやすい位置と奥まった位置の本の配置をああでもないこうでもないと動かしたり、自分の芯、みたいな本をまとめ直したりした。楽しい。時間が溶けるような作業。そのあと床掃除をして、溜まっていた洗濯物をがんがん洗濯して、干して。午前中に皮膚科に行けないならもう今日は一日中家にいようという気持ちでいたのだけれど、まおさんとLINEをしていたら今日はビールだビールだ慰労だ慰労だという気分に。米を5合研いで炊飯器のスイッチを入れて冷蔵庫にあったカブの葉をゴマ油と塩コショウで炒めて家を出て、自転車の鍵を外したあとに「やっぱ歩いていけるほうのスーパーにしよ」と思ってまたすぐに鍵をかけて歩��出した。イヤホンをつけずに外を歩くのは久しぶりのような気がする。「今日は外に出る日(もしくは、人と会う日)」とあらかじめ決めておかないとなかなか外に出られない人間だし、「今日は一日家にいる」という日が週に1度はないと具合が悪くなる人間なので、毎週の休日はけっこう切実に深呼吸みたいな感覚がある。今日はもともと「午前中に皮膚科に行くぞ」と思っていた日だったからスーパーに行くために外に出られた感じがする。スーパーの中で散々ふらふらした結果、黒ラベル6缶パック、ミックスチーズ、フライドチキン6個入り、カニクリームコロッケ、コロッケ、メンチカツ、を買ってほくほくした気分で帰宅。黒ラベルとミックスチーズは冷蔵庫に入れて、フライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを温めて、どんぶりにご飯を山盛りにして、その上にカブの葉の炒めたやつをのっけて、平皿にフライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを盛って、おうち麺TV.の動画を流し見しながら、ああそうだそうだソースだソース毎回ソース買い忘れるんだよな〜〜〜と思いながら、なにもかけずにコロッケたちをガツガツ食べてフライドチキンもご飯もコロッケたちもたいらげて、おなかを休めていたら眠気がやってきて、シャワーを浴びた。寝ようか、どうしようか、と思いながらビールを開けてかぷかぷ飲んで、クラブハウスで中橋さんたちのルームを聴いていたり途中で参加してふざけあったり。すっかりクラブハウス厨だ。きっと良くない。柴崎友香『春の庭』所収「春の庭」「糸」読む。ななえちゃんとメッセージでやりとりしたり(遊びにいきたいよ〜)、『春の庭』所収「糸」の蛙のメタファーに震えて衝動的にみのりさんにLINEを送ったり。しているうちに外が明るくなってきていてほんとうによくない。休日に疲れてどうする。寝る。
2月10日(水)
 昨日皮膚科に行けなかったということは今日も皮膚科に行けないということで、それは「今日は外に出る日」とあらかじめ決めていなかったからで、だから今日はわたしは家を出ない。というのはちょっと意固地が過ぎるような気もするが。だからもうそれはしょうがない。明日早めに起きて行けるか、どうか。今月のlook(s)も早めに撮っておきたい。
 オリンピックをどうにかしてやりたい人らの発言への抗議のひとつとして「変わる男たち」「わきまえない女たち」みたいな言葉がツイッターで散見されるようになって、もやもやしている。「男たち」、「女たち」。いつまで「男」と「女」なんだろう、と思う。「変わる私たち」「わきまえない私たち」では駄目なのだろうか。「変わる」「わきまえない」という言葉にももやもやする。何にもやもやしているのかうまく掴めていないけど、もやもやする。それでいいんか、それで、みたいな気分。変わる/変わらない、わきまえる/わきまえない、という言葉、軸、で、いいのか、本当に。「変わる男たち」は、「わきまえない女たち」は、「それ以外たち」のことをどれくらい視認しているのだろうか。「男たち」にも「女たち」にも入れない/入らない人のことについては、どう思っているのだろう��。
 わたしは、わたしの性別についても、もやもやしている。それは子供のころからだけど、そのころから、形を濃度を揺らぎの種類を変えて、ずっと。「男たち」はも��ろん、「女たち」という言葉を扱う人たちの輪には入れないな、と思うし、「女たち」という言葉が扱われるときに想定される「女たち」の中に、わたし(みたいな人)はいないんじゃないかな、と思う。でも、わたしは、わたしのことも(も?)「女」だと思う。と同時に、わたしは、わたしのことを「わたし」だとも思う。ときどきは限りなく男に近い気分にあるのかもしれないと思うこともあるし、どちらでもない存在なんだろうな、と思うこともある。でも、クエスチョニングである自覚はない。「女」だと、思ってる。でも(以下無限ループ)。みたいな状態で生きている。だれかに、(こういう想像をするときの「だれか」は顔の見えないぼんやりとした像の男性であることが多い)一度でいい、しっかりと抱きしめられたら、わたしはわたしを「女」だと思うだろう。思いたい、と思う。ああわたしは(うだうだ考えていても「結局は」、)「女」なのだ、と甘美な諦めに似たよろこびを実感するために、抱きしめられたい。さみしい、とも違う。実感を伴いながら生きるための寄る辺が、あまりにも少ない。気がする。甘えなのかもしれない。何への?誰への?どこへの?
 明日は祝日だということに気がついた。ということは、明日も皮膚科に行けないということだ。ばかやろー。金曜日には行かねば。
 昼過ぎに起きて、「たぬきゅんの仲良し放送局」の新しい回が更新されていることを知って、それを聴きながらクイックルワイパーで床掃除をしてキッチンと風呂場のゴミをまとめてゴミステーションにぶちこみに行って、その帰りに郵便受けを見たらON READINGから『歌集 ここでのこと』が届いていてうれしいうれしい気持ちになった。家に入ってから封を開けて手に取るとずいぶん美しい装丁で、良い意味で、贅沢品、といった感。すべすべと表面を撫でたりぱらぱらとめくったりしていると藤原印刷という文字を見つけて、そうか、藤原印刷なんだな、と思った。いつ読もう。ちょっと寝かせておきたい。冷凍庫から先週買って冷凍しておいたトーストを1枚と、1ヶ月ほど前に作り置きしておいたトマトソースを取り出して、軽く解凍したトーストの上に同じく解凍したトマトソース、そしてミックスチーズを盛って、トースターで焼いて、ピザトーストを作って食べた。職場のメニューの簡略版。職場のピザトーストを、そういえばまだ食べたことがないな、と思った。簡略版でもずいぶんと美味しくて、ちょうどよくお腹が満たされる感覚があった。家でトーストを焼いて食べるのもずいぶん久々だ。この家で暮らしはじめてからは初めて。笹塚に住んでいたときは、結局一度もトーストを食べなかった気がする。だとすると前回おうちトーストを食べたのは、京都のアパートか。柴崎友香『春の庭』をじりじり読んだり、コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしているうちに、不意にショートスパンコール94篇目の形が自分の中でまとまり、いそいそとパソコンの前に座って、書いた。その流れで95篇目も書けて、書けた書けた、よしよし、と思いつつ公開する。94篇目ではずっと老人ホームでの一幕を書きたいと思っていて、誰の視点でどういう書き方でいくかをずっと決めかねていて、どういう選択をしてもなにかいやらしいというか、書きたいと思っているシーンがゴテゴテとしつこくなりすぎたり、説明説明しすぎる感じになりそうな予感があって、手を付けられずにいた。今日書けた方法でその予感が無事払拭されたのかどうかは正直ちょっとわからないが。今日書けるとは思わなかったな、とぼんやり思っていると眠たくなってきてまだ夜も早い時間帯で、気圧が下がっているのかもしれなかった。だるくて、眠くて、キッチンで立ったまま納豆ご飯を食べて、歯を磨いて、布団にもぐって『春の庭』の残りを読んでいたら突然せつなくなって貪欲の手を握ったり頬をうずめたりして感情をやり過ごした、「やっぱり湯船に浸かって身体をあっためよう」という気分になり、起き上がって風呂場へ行って浴槽を洗ってからお湯をためはじめて、たまるまでの間、キッチンに置いてあるキャンプ用の椅子に座って、昨日買った黒ラベルを1缶開けて、ヤマシタトモコ『違国日記』7巻を読んだ。お湯がたまって髪をまとめてシャワーキャップを被って入水。入湯? 入浴か。入浴。お湯に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読む。ちびちび、ゆるゆる、じわじわ、あったかくて、おもしろい。「あったかくて」と感じるのはわたしがお湯に浸かりながらこの本を読んでいるからなのかもしれないけれど、あったかい。あったかくて、おもしろい。知らない言葉、知らない仕組み、知らない態度がどんどん出てくる。そうか、インテリア、という言葉はあたりまえに知っていたけれど、エクステリアという言葉があるのか……。のぼせそうになるまで浸かっていて、ふらふらとお風呂から出て、眠くて仕方がなかったのに読みたい気持ちが勝ってきて、煎茶を淹れて飲みながら土岐友浩『Bootleg』と永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。度胸、みたいなことを思いながらずんずんたのしく読む。読んでいる途中、不意に「あ、いま作れる」という状態になって短歌連作を作った。「洛中」と名付けてiPhoneをたぷたぷいじってTwitterに投稿する。してから、引き続き読むモード。
短歌連作「洛中」 自重から解き放たれることはなくあくまで吊り上げられる口角 黒ラベルロング缶なら許されたあの数秒の無言であるとか 頼まれたときから既にできていて知っていたって素振りの中華屋 拒否いずれ許容になって山と山の間に例えば宿があること お買い物までの準備に旅支度らしさ伴う私服のあなた
 今日はショートスパンコールも書けて短歌も作れて上出来。ずっとゆるく頭が重くてだるいのだけど、眠ればどうにかなるでしょう。たぶん。
 そして午前4時。寝よう。馬鹿。寝ろ。寝る。
2月11日(木)
 先週の日記で短歌を作るときに最近思っていることを書いたけどそんなん関係なく素直に作ったらえ��、素直に作ること以外なんも考えんでええ、みたいな気分に昨日からなっていてわたしの気持ち、考え、感情なんて信用ならない。
 11時半ごろ目が覚める。6時間くらいしか眠っていないはずだけどやたらと長く眠ったような感覚があってそれは眠りが深かったということか。起き上がって、昨日そのままにしていた洗い物をしつつお湯を沸かして白湯を2杯立て続けに飲んで昨日の出涸らしで煎茶を淹れてくぴくぴ飲みながら煙草を吸いながら永井祐『日本の中でたのしく暮らす』読む。祝日で皮膚科と耳鼻科は閉まっているから、今日は出勤前にそれ以外の用事をこなせたら、と思っている。look(s)を撮って、通帳記入をして、お金を公共料金用の口座から生活費用の口座にすこし移して、入金作業をして、連絡しないといけない人に連絡をして、自転車に空気を入れて、スーパーで魚の切り身でも買いたい。魚の切り身は必須ではない。昨日というか一昨日の深夜に作ったプレイリストを昨日から延々リピートしている。私的懐メロの羅列、みたいなプレイリストになった。
 シュトーレンがまだ冷蔵庫にあって、まだちびちび食べている。次のクリスマスシーズンまで思い出す人がいなくなってきた、いまくらいのシュトーレンが美味しい。 
 納豆ご飯をがつがつ食べ、出勤。働く。久々初台デー。働き終え、ご飯をばくばく食べ、家に帰って夜ふかしをして眠る。
2月12日(金)
 なんだかとても幸福な夢を見てあわてて起きて支度をして出勤。下北。明日明後日はBONUS TRACKで催事なのできっと猛烈に忙しい、はず。いそいそあわあわと二日間に備える。閉店間際にやってきたななえちゃんとしゃべりながら発注などしていると阿久津さんがやってきて明日明後日売る台湾ウィスキーの写真などを撮りはじめてななえちゃんと楽しげに構図を考えていてその光景がなんだか良かった。ショートスパンコール更新デー。阿久津さんは仕事でZOOMだということで2階へ行き、わたしとななえちゃんは1階でナマケモノの動画をYouTubeで観て愛くるしさに悶絶していた。しばらくしてななえちゃんが帰り、わたしもわたしでごはんを食べて帰ろう、と思っていたら阿久津さんが降りてきて面白いものが見れるからおいでと言われてひょこひょこついて行ったら面白いものが見れた。デイリーコーヒースタンドのゆうさんとZOOM越しにはじめましてをした。お互い文字上では知っていてなんだか不思議な気分。楽しくわちゃわちゃと話しているうちに阿久津さんはがんがんにお酒を飲んでがんがんに酔っ払っていって終いにはその場で眠り始めた。ZOOMが終わり、阿久津さんは起きそうになかった。電気を消して、片付けをして、さあ帰ろうか、と思っているとみのりさんから電話がかかってきて、出る。みのりさんとわちゃわちゃ話をしながら職場を出て、自転車を押して、1時間ほどかけて職場から家まで、歩いて帰った。家についてもみのりさんとのおしゃべりは止まらず、たのしいたのしいと思っているうちに4時とか5時とかになっていて、ふたりしてあわてる。電話を切って、ふらふらと着替えて、寝よう、寝よう、と思っていたらなぜか頭が短歌を作るモードになっていて、寝たい、寝ないと、寝��よ、と身体が言っているのに頭が言うことを聞かなくて折坂悠太『平成』を流しながら聴きながらどんどん短歌ができていって笑った。寝ろよ!!!!
短歌連作「都内」 坂道を駆け降りるためなだらかな身体でなだらかに眠らねば 自転車にエアー と打たれたリマインダー 覚えがなくて告知がきてる 低く深く都内に風が吹いている おそらく右翼の車で目覚める 物流はとても座りがいい言葉 幹線道路の砂利蹴り上げて 昔の写真(写真は昔だ)親元を離れてからブラジャーを買うこと すごいことだ射精しなくていい肉体ってやつはほんとに 国道 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12月やさしいね Amazonだ と思うときAmazonはあなたに灯す魂を持つ 殺したい奴いるくらいあたりまえですか?健康ですか?      へえ
 壊れてしまう。ベッドにインしてスリープ。
2月13日(土)
 起きてすぐ昨日作った短歌をまとめ直して1首追加で作って連作をもうひとつ作って起き抜けにしては旺盛な創作意欲だった。
短歌連作「眠りの圏外」 怒りから光に変わるゲートまで導かれている、いま、この人に 歌い方声高に言う人といて天上天下が旋律になる ほんとうは夜は幼な子たちのもの幸せはおれたちに降るもの 欲望に貴賤はなくて米を炊く前に無意味なくちづけをする 韻律を整えようとするようにきみはわたしの名を諳んじた 眠りから遠いところに立っていてだから遥かな道のりでした
 洗顔をして(お風呂に入りたい。入れない。)お湯を大量に沸かしてパスタを大量に茹でてバターと醤油と納豆とゆかりと海苔でぐちゃぐちゃにしたものを急いで食べて出勤。いそがしいそがしいそがしいそがしあわあわあわあわあわあわあわあわすごいすごいすごいすごいいそがしいそがしいそがしいそがしあらあらあらあらあらほいほいほいほいせいせいせいせいそれそれそれそれいそがしいそがしいそがしいそがし閉店時間。踊るように働いた。チーズケーキを次々焼いてカレーの仕込みを途中までやってまるでお店だねと阿久津さんと笑い合った。昨日の痛飲で阿久津さんはへろへろの様子で、いつもより早く帰っていった。阿久津さんが帰ってからごはんをばくばく食べ、明日の準備をすこしして、永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。読んでから、長らく積んできた『仕事本』を読み始めようとぱらぱらしていると酒瓶の中の酒がぐらぐら揺れだして地震だった。あっこれは、おっ、えっ、となってすぐにテーブルの下に隠れた。くらくらする。iPhoneでTwitterを開くとどうやらかなり大きな地震で、しかも福島。あんまりいろんな情報を見ないようにしよう、と思いつつ目はタイムラインを追っていった。ゆかちゃんから「だいじょうぶですか!」というLINEがきた。こわかった!と返事を打った。��うらさんと石川くんからもそういったLINEが来て同じような返事を打った。これはもう、帰れ、ってことだな、ということで帰り支度をして職場を出る。なんとなく、自販機でオロナミンCを買った。帰宅。すこしまえに買ったラジカセをつけてAMラジオをつけた。洗濯物をとりこんだ。ラジオを流しっぱなしにしながら、お風呂に入って、貯水とか一応したほうがいいんかな、という気になり、髪と身体を洗ってから浴槽を洗ってお湯を張って、湯に浸かる。浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』読む。アツい本だなあと思いつつ屋根裏の改築についてのあれこれを読��でいるとふわふわ眠たいような気になってきて湯船から出て浴槽に蓋をして身体を拭いて寝間着を着て髪を乾かしてオロナミンCを飲みつつ永井祐『広い世界と2や8や7』を読み始める。煙草を吸って歯を磨いていま。エレ片のラジオを聴きながらこれを打っていて、もう寝ないと。明日は1日中下北で働く。きっと猛烈に忙しい。大丈夫。早起きしなきゃ。
2月14日(日)
 早起きでーきた!せっせと準備をして家を出て、買い出しを済ませて朝の職場へ。即座に仕込みを開始して開店前を慌ただしく過ごして、開店して回転して踊るように忙しく閉店まで働く。すっかりへとへとになって、逆にハイ、みたいな状態になっていて閉店後の店内でしばらく呆然としたり阿久津さんとたのしく話したり。阿久津さんが帰ってから、ごはんをどっしり食べて、短歌を作った。バレンタイン短歌。
短歌連作「千とバレンタイン」 愛されたビス愛された室外機愛された飲みさしのピルクル 巻き爪に拍車がかかり側面の皮かたくなる たまに食べちゃう ビタミンって人間に発見されるまでビタミンじゃなかったんだって え? つむじからさわさわ音が出るような生え方ですね 髪の そう、毛 わかんないけどなんとなくこの命終わるまで見ない気がする 修羅場 テレアポを初回の座学でばっくれるきみこそ神になるべきなのに 考えるワシでありたい(いま葦って言うと思ったじゃろ。がはははは) おふざけは個々までにして景観のいいエレベーター越しの森ビル ライフ、ワーク、バランスでじゃんけんしようなんどもライフであいこにしよう
 と、バレンタインとはあまり関係ない短歌。
短歌連作「水筒と自戒」 いきたいものだ400字詰め数枚で数万円が相場の立場 水筒に白湯入れるのだ御守りの中身はどうでもいいようなもの 揺れてから揺れに過敏になるくせに/だからこそ強く貧乏ゆする 漠然と いやはっきりと 眼の位置にあなたの眼があること うれしいな 怒りって場所がこわれる 人がこわれるのはそれから それは嫌です 勤労がおもしろいのかおもしろいから勤労なのか 髪を結う 些事ばかり間違えながら生きていて昨日滑った口の復唱
 ���井祐『広い世界と2や8や7』読む。土岐友浩『僕は行くよ』読み始める。ずいぶん遅くまで職場にいて短歌を作る状態から抜け出せなくなっていた。2時だか3時だかに職場を出て、人通りのない帰り道を自転車で。空気がぬるい。雨が振りそうだったというかもう降り出していた。粉みたいな雨。帰って、しんどいな、と思う。気圧が下がっているというより落下している。だれかを、特定のだれかを気になり始めること、すきだとはっきり思い始めること。東浩紀が突発的にニコ生配信をしていて、それをずっとワイヤレスイヤホンで聴いている状態で寝支度を済ませて、布団に入ってもずっと聴いていて、東浩紀の声質は気持ちいいな、はじめて知った、心地いい、耳にやさしい、言葉の連続を聴き続けたい、このまま……と思っていたらいつの間にか意識を失っていた。
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kiyohito1031 · 4 years ago
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. . 後編clubhouseのお話です     ただ一方で、宗教や洗脳や信者ビジネス?みたいなそんなものに近しい少しダークなものも生まれるのかな?っとかも思ったりしました。   世界中の人の声をタイムラグがほとんどなく聞けるし「声」って心の距離がめちゃくちゃ縮まるんですよね。   ライブ配信アプリの配信者と視聴者のラグって少しもどかしいじゃないですか? あれがほぼほぼないんですよ。本当にすごい!   んでんで他のSNSよりもすーんごい距離が縮めやすいんですよね。   一方的に自分を見せる動画『youtube』じゃなく 切り取った一瞬の奇跡を見せる『Instagram』じゃなく 今その瞬間を見る、受けメインの『ライブ配信』じゃなく 無機物な創作された文章の『ブログ』じゃなく   今、みんながその空気感の中にいるように会話できる『clubhouse』   すげーっす。本当に。 井戸端会議大好きママさんはいいと思うですよ? でも、一方で愚痴大会とかネガキャン祭りが行われないようにとか… 先にいった口のうまい人に洗脳されないようにってのは気をつけてほしいなぁ。   この辺は使い方っすね! 包丁は便利に調理する道具だけど人を殺めることもできる!みたいな感じで、こういった新しいものが出てきたときに否定的になって”人を殺める可能性があるから使うなー!”っとならずに、前向きに使って自分の生活の質を上げていきましょう!   めちゃくちゃ便利なのは間違いないですよー!   今はまだまだみんな探り探りの段階なのであれなんですが… ゆくゆくはclubhouseを使ったり加えたりしてイベントなんかがあることも考えられますです。   例えば講演会などはますます会場に行く必要がなくなってきたし、オンライン化が進むと思いますです。 zoomより気軽に”お互いの声”に触れれるので”声”関連”耳”関連のものは加速しそうだなーっといった印象です。   それではこんな感じで今日は���めておきたいと思います。   まだまだ軽く触れただけなのでこの程度で申し訳ないんですが、もうちょっと触ったらまたご報告いたします。   使い方の幅も使い手次第で広がりそうだし、色々とできそうですね。 ルーム解説して人を集めれると色んな企画も持ち上がっていきそうで盛り上がり必須なプラットフォームっす。   ほいじゃ相互フォロー致しますのでclubhouseやってる方はぜひぜひよろしくお願いしますですー!   これにてまた活動の幅を広げれるように! えいやーーーっと。     これがぼくらの障害ドキュメンタリー 2021.2.5       #clubhouse #クラブハウス #相互フォロー   #ぼくらの障害ドキュメンタリー #ティムサーカス #梯子屋 #福祉をカジュアルに #challenged #thechallenged #チャレンジド #発達多様性 #発達特性 #発達障害 #知的障害 #重度知的障害 #親バカ部 #子育て #5歳 #発語なし #障害なんて言わせねぇ https://www.instagram.com/p/CK5d88gnSnX/?igshid=8e8680su31dq
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cotlove · 4 years ago
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"OpenKitche/Relation"秋吉台国際芸術村あーとルームtext
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飛躍の作法を発見する 
今回のワークショップをはじめて実施したのは2010年の冬くらいで、なんとなく震災以前だったように記憶している。MACに集まってくる人々と一緒に大人も子供も入り交じって料理を楽しむなかで、日々何気なく行っているなんでもない料理に焦点をあて、有り合わせの材料により限られた状況で料理をつくる過程に潜む、様々な知恵や創造力に少し意識を向けてみようということで、スープづくりのワークショップが考案された。スープというシンプルな料理は、シンプルである分、ぴりりとした隠し味を加えるなどほんの少しの匙加減により劇的に味が変化する。この劇的な変化、つまり飛躍のさせ方を考えてみようというのが、本ワークショップの重要なひとつのテーマだ。
物事が飛躍する瞬間というのは、眼から鱗が落ちるような体験と感動を与える。それは偶然が引き起こすこともあるし、人間の知恵や創造性が引き出すこともある。ワークショップでは、参加者全員が一品ずつスープの素材を持ち寄り、くじ引きでその野菜の加工法が決定される。ここで、りんごを輪切りにする、えのきを擂り下ろすなど、通常の料理ではほぼ絶対に起こりえない素材の扱いが発生する。
次に、参加者は自分の素材とその加工法にとって相性のよさそうな仲間を発見しなければならない。リンゴの輪切りと合体して美味しいスープになるのは、どんな加工を施される野菜なのか、それぞれが想像力を働かせ、5人程度のチームを組む。チームが決まると、各具材とその加工法がすべて出そろう。通常のスープ作りではありえない素材の出会いが既に起こっている。通常では起こりえない状況だ。ここで、スープの味付けがはじまる。あるグループは最終的なスープの方向性をある程度思い描き味の方向を決定していくが、あるグループはなんとなく行き当たりばったりで少しずつ調味料を加えていく。正しい方法などもちろんないが、ものを「創造する」ことに少しだけ意識的になってみること、そしてこの状況にこの味を足したらどのような味が生じるか「想像する」こと、それが非常に重要になってくる。
スープというシンプルな料理をつくるために、最大限の回り道とあり得ない状況を設定されることで、ひとつひとつの行為に対して自覚的になれる。与えられたたくさんの偶然を整理整頓しながら、「おいしいスープをつくる」という目標に向かっていくなかで、スープの味をぐんと向上させるスパイスとなる隠し味を意識的に発見する。この創造に対する想像のちからが、物事を飛躍させる瞬間を生み出す。
アーティストがアーティストたる所以は、多くの人と同じものを眺めても、それを少しだけ違う角度から捉えたり、あるいは通常とは異なる扱いをしてみることで、何でもない事象に全く新しい価値を与え、物事や状況を大きく飛躍させるところにある。そしてその飛躍は、大がかりななにかから生まれるのではなく、料理におけるスパイスのように、ほんのささやかな隠し味を加えることで実現されるのだ。
本ワークショップでは、このようなアートやアーティストがもつ飛躍の作法を紹介すること、そして簡単なルールを設けて偶然の出会いを演出することで、何でもないスープづくりのひとつひとつの行程に意識的になり、創造活動における飛躍の瞬間を体験してもらうことを目的とした。そしてその経験は、日常生活におけるなんでもない行為をより能動的に楽しみ、創造の喜びを発見していくことにつながるのだ。
服部浩之
Finding a method of the leap
When I first carried out this workshop it was in the winter of 2010. I vaguely remember it was before the earthquake. Enjoying cooking together with people of all ages coming to MAC, this soup making workshop emerged with an attempt to look at variety of wisdom and creativities in the cooking process with leftovers by putting focus on everyday meal. Soup making is usually simple and that is why when special recipe is added the taste of the soup dramatically changes. One of the most important theme in this workshop is to think about the method of leaping, the dramatic change of the taste.
The moment that things leap gives us awakening experience and feeling. Coincidence may make it happen and human wisdom and creativity can also bring it about. In the workshop, all the participants bring one ingredient each and they decide the cooking process for vegetables by lottery. Here, abnormal cooking method for the ingredients emerges like cutting an apple in round slices and grating enoki mushrooms.
In the next step, the participants are asked to find teammate who can be compatible to their own ingredients and the cooking method. For delicious soup by mixing together with the round slices of apple, the participants need to use their imaginations to seek vegetables with specific cooking process and team up with 5 other participants. Upon making a team, each ingredient and the methods become clear. Here you can see unusual encounters of ingredients for soup making. It is totally unusual. Then, flavoring on soup begins. Some continue the cooking by imagining the completed soup and the others just continue adding condiment and seasoning little by little without any vision. Of course there is no correct method but it becomes important to become conscious about “creation” and about the taste by “imagining” which flavor should be added.
To make a soup, simple dish, under the given condition that requires detour for the completion of the soup, the participants can become self-conscious about each activity. By sorting out many of the given coincidence, they consciously find the hidden spices that enhances the taste when proceeding to the goal of “making delicious soup”. This power of imagination for such creation produces the moment of the leap.
The reason why artist is artistic is because they transform things and situation by adding completely new value on ordinary things by looking at them with different perspectives and approaches to them, even though they look at the same thing that ordinary people also look at. Then, such leap emerges not out of extraordinary attempts but out of small thing like the hidden spice in the cooking.
This workshop aimed to offer an opportunity to experience such moment of leap in creative activities by directing such coincident encounters under the given simple rules that makes each participant becomes aware of each process for such ordinary soup by introducing the moment of the leap that art and artists have. And, such experience leads us to discover pleasure of creation by actively enjoying ordinary acts in everyday life.
Hiroyuki Hattori
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room-n-blog · 5 months ago
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ルーム南の日常
こんにちは🙌
暑さに負けそうなルーム南の杉本です🥵
夏の日差しが今から憂鬱ですね。
ルームのみんながどんな風に日々を過ごしているのか気になりますよね?
なので、今回はルーム南の平日を見てもらおうと思います🎶
まずは、創作活動の日!
この日はスクラッチで自分の好きを表現🤩
どんな作品が出来上がるかな〜?
5年生のRくんは芸術的な作品を!
水色のクレヨンがお気に入りの様子✨
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高校3年生のYくん(画像左)、4年生のSくん(画像右)も沢山の色を使って、素敵な作品を作っていました🤗
黒のクレヨンを使うのがドキドキしたみたいです😅
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別の日にはおもちゃで遊ぶYくんの姿を発見💡
何やら面白い形を作っていますね👀
ちなみに、Yくんは粘土創作が得意なのでこんな作品も作っています!
たくさん動物を作って動物園にしていた日もありました!
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音楽が聞こえてくると、ワクワクと踊り出すYくん!
今日もノリノリでキレのあるダンスを披露してくれていますね😏
好きな音楽だと踊り出したくなる気持ちはよーくわかります🎶
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みんなの好きを少しでも知ることができる毎日は、とても輝いていますね☺️
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jssa-info · 4 years ago
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JSSA第42回研究会
日時: 2020年8月1日(土) 13:00-17:00
第42回研究会はオンラインでの開催となりました.
総会も含め,プログラムおよびスケジュールは変わらず,同じ��イムテーブルでオンラインで発表を行います.
後ほど,会員メーリングリストにzoom会議室のURLを送付させていただきます.
会員以外の方の聴講は事前申し込みが必要です.以下の聴講申し込みフォームからお申し込みください.
JSSA第42回研究会 聴講申込 (非会員用) Application Form for the 42nd Regular Meeting of JSSA (for non-members)
2020.8.1(土) 先端芸術音楽創作学会(JSSA)第42回研究会 聴講申込フォーム(非会員用)です。 Zoomによるオンライン開催となります。 研究会前日に、お申込いただいたメールアドレスへ ZoomミーティングIDとパスワードをお送りいたします。
This is an application form for the 42nd Regular meeting of Japanese Society for Sonic Arts (JSSA), which will take place on August 1, 2020. It will be held online via Zoom. We will send you a Zoom ID and password at your e-mail address the day before the meeting.
プログラム
10:30~11:30 年次総会 (JSSA会員)
会計説明,会員の状況,昨年度研究会の報告,今後の研究会の予定,運営委員の人事について
13:00~14:40 第1セッション (1件質疑込み25分)
[研究報告] Composition for Cosmo-Eggs –Singing bird generator – について 作品解説と展示形式における音楽のあり方 安野太郎(東京藝大)
[Research Report] Development of a Multiple Synthesizer System for Electronic Music 辻一郎
[創作ノート] 黄金比調弦による弦楽四重奏曲の作曲技法 横山真男(明星大学)
[研究報告] Leapmotionによるリアルタイム音場操作を伴う視聴覚パフォーマンス 押山晶子(名古屋市大)
15:10~16:50 第2セッション (1件質疑込み25分)
[研究報告] 脳波のリアルタイムデータを活用した楽曲生成 井上英章(名古屋市大)
[報告] ネットワークコンサート《réseau experimental》における上演システムと実施報告 鈴木悦久(名古屋学芸大),水野みか子(名古屋市大)
[報告] TAMA Music Festival 2020 開催報告 佐藤亜矢子(東京藝術大学,玉川大学),キャシー・コックス(国立音楽大学,玉川大学,桐朋学園大学),平山晴花(国立音楽大学,玉川大学),ジョナサン・リー(玉川大学),横山真男(明星大学)
[研究報告] イマーシブ環境における皮膚感覚と空間イメージ ーAudiovisual作品『残像花』の空間展開例を元に 宮木朝子(東大)
[研究報告] Composition for Cosmo-Eggs –Singing bird generator – について 作品解説と展示形式における音楽のあり方
安野太郎(東京藝大)
研究報告
概要:筆者は2019年5月から11月にかけて第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館の代表作家に選出され、作品「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(以下Cosmo-Eggs)の制作に取り組んだ。この作品はバックグラウンドの異なる5人の作家が自らの職能を活かして、コレクティブとして取り組んだ作品である。本報告書ではコレクティブとしての制作経緯、そしてこの作品の音楽部分である「Composition for Cosmo-Eggs –Singing bird generator – 」についての解説、さらに、美術展における展示形式という、音楽とは発表形式が異なる場での取り組みについて、時間と空間を軸に作曲家の立場から考察する。
[研究報告] Development of a Multiple Synthesizer System for Electronic Music
辻一郎
研究報告
概要:本論文は、ウィーンブリッジ発振器、乗算器及び、バイカッド回路を用いて、正弦波とPulse Width Modulation (PWM) 信号の音響合成を行い、豊かな音響効果が得られることを述べる。本システムで3つのウィーンブリッジ発振器を用いた。従来のウィーンブリッジ発振器の出力信号は正弦波であるが、1番目のウィーンブリッジ発振器は、ウィーンブリッジ発振器の帰還回路を絶縁して、入力信号のPWM信号とウィーンブリッジ発振器の出力信号を加算する回路に帰還回路を接続する。さらに、PWM信号を制御信号として用いて、ウィーンブリッジ発振器の利得、周波数及び、帰還信号を制御する。これにより、ウィーンブリッジ発振器は、複雑に変調された信号を出力する。2番目のウィーンブリッジ発振器は、制御信号を用いてアナログフォトカプラの抵抗値を変化させて周波数変調を行う。3番目のウィーンブリッジ発振器は、可変抵抗を用いて周波数変調を行う。次に、1番目のウィーンブリッジ発振器の出力信号をバイカッド回路に入力する。バイカッド回路は、バイカッド回路のバンドパスフィルタの出力信号とアナログスイッチの出力信号を加算した信号を出力信号とした。アナログスイッチには、バイカッド回路の入力信号を入力する。2つの制御信号を用いて、バイカッド回路の抵抗値とアナログスイッチを制御することにより、バンドエリミネーションフィルタ、オールパスフィルタ及び、感度の異なる2つのバンドパスフィルタに切り替えて音色を変更する。さらに、ウィーンブリッジ発振器の出力信号を用いて乗算を行う。乗算器は2つ用いる。1番目の乗算器は、2番目と3番目のウィーンブリッジ発振器の出力信号の乗算を行う。2番目の乗算器は、1番目と3番目のウィーンブリッジ発振器の出力信号の乗算を行う。最後に、3つの制御信号を電圧制御回路に入力することにより、バイカッド回路の出力信号と2つの乗算器の出力信号を制御して音響合成を行う。バイカッド回路、2番目のウィーンブリッジ発振器及び、電圧制御回路に用いる制御信号は、USB接続デバイスからの出力信号を用いて作られる。本システムの性能を評価するため、システムの入出力信号を分析して、出力信号から豊かな音響効果が得られることを確かめた。また、本システムを用いて実際に演奏を行い音色の評価を行った。
[創作ノート] 黄金比調弦による弦楽四重奏曲の作曲技法
横山真男(明星大学)
創作ノート
概要:自然界で美しい比率といわれる黄金比を用いて独自に計算した音列を生成し、その音列から各パートの調弦を指定した。音列の計算方法は、まず基準音としてA(440Hz)を選び、それに黄金比1.618を順次繰り返し掛けていき、また、1オクターブ以内に収めるために適宜素数で割っていくと、ある種の音階のような周期的なピッチ列が得られる。そのため、本作品では従来の完全五度で調弦された音楽とは異なる独特な音程で構成された曲ができた。ここで、一般的に弦楽器演奏者は従来の平均律や純正律とは異なる黄金比のピッチを演奏するのは困難なため、本作品では開放弦やナチュラルハーモニクスだけで曲を構成している。また、時間軸やリズムについても、黄金比に関連のあるフィボナッチ数列を元にして構成した。作品例として「黄金比調弦による弦楽四重奏のための5つのバガテル」(2020年1月,TAMA Music Festival)を紹介する。各楽章では開放弦とナチュラルハーモニクスによる様々な弦楽器(弦楽四重奏)の奏法についても示す。
[研究報告] Leapmotionによるリアルタイム音場操作を伴う視聴覚パフォーマンス
押山晶子(名古屋市大)
研究報告
概要:本研究では、Leapmotionセンサを用い、パフォーマーのジェスチャーが音場の定位にマッピングされていることを観客により感知できるよう、サウンドと映像の効果的なインタラクションシステムを考察する。手を中心とするジェスチャーをセンシングするサウンドビジュアライゼーションに関して先行事例を分析し、伝統的な楽器特有の演奏法とは異なるパフォーマンス動作について考察し、それに基づいて 2019 年と2020年に制作・発表した二つの作品について解説する。これらの作品においては、Leapmotion が6チャンネル再生の音場および映像上のモーションのリアルタイム制御を行なった。
[研究報告] 脳波のリアルタイムデータを活用した楽曲生成
井上英章(名古屋市大)
研究報告
概要:本発表では、脳波のリアルタイムデータを活用し、これをリアルタイムにMIDI変換して楽曲生成する試みを紹介する。脳波は刻々と変化しており、その脳波データを可聴化することで、その瞬時の脳の様相を和音で表現する。前回の発表では、脳波データファイルを事後処理して楽曲生成を行なったが、今回は、WebSocketおよびJSON-RPCを用いて脳波計のクラウドサーバからリアルタイムにデータを取得することが可能となった。本研究では、脳波データのうち生のEEGデータではなく、フーリエ変換された周波数帯を用いる。感情入力への積極的な抑制に関与していると言われるα波、言語や音楽に関連しているとされるγ波のデータを活用し楽曲生成を行った。
[報告] ネットワークコンサート《réseau experimental》における上演システムと実施報告
鈴木悦久(名古屋学芸大),水野みか子(名古屋市大)
報告
概要:2020年2月22日,名古屋市立大学にて行われた「Mid Japan 音の芸術祭 《réseau experimental》」では,ネットワーク技術を用いてローカルネットワーク内にあるホールとスタジオを結び,音声とMIDI情報の遠隔伝送における,音楽的な有用性を検証するためのコンサートが行われた。本発表では,このコンサートで用いた技術解説を中心に,遠隔地を結んだ音楽の展望について報告する。
[報告] TAMA Music Festival 2020 開催報告
佐藤亜矢子(東京藝術大学,玉川大学),キャシー・コックス(国立音楽大学,玉川大学,桐朋学園大学),平山晴花(国立音楽大学,玉川大学),ジョナサン・リー(玉川大学),横山真男(明星大学)
報告
概要:2020年1月に明星大学で開催したTAMA Music Festival 2020についての報告を行う。現代音楽および電子音響音楽に焦点を当てたこの音楽��は、学際的な観点から先端芸術表現分野の振興を目的とし、東京多摩エリアの大学で音楽と情報科学領域の指導にあたる教員らによって企画・運営された。2018年3月に第1回目を開催して以来、第2回目となる今回は、弦楽器アンサンブルをフィーチャーし、弦楽器を用いた音楽表現の多様性の追究が主要なテーマとして掲げられた。さらに、初の国際的な作品公募を実施し、世界各国から作曲家や研究者が参加した。2日間にわたるこの音楽祭は、4つのコンサートに加え、基調講演、研究発表、リスニング・ルームの各セクションにより構成され、幅広い現代音楽および電子音響音楽の最先端のシーンを提示した。
[研究報告] イマーシブ環境における皮膚感覚と空間イメージ ーAudiovisual作品『残像花』の空間展開例を元に
宮木朝子(東大)
研究報告
概要:立体音響作品が展開される音響空間、近年のイマーシブオーディオの環境において、追求され続けていることの一つとして高臨場感、いわゆるイマーシブ(没入的な)という感覚が挙げられる。その感覚をもたらすために重要なのは、スピーカーセッティング含めたシステムのみならず、その音響空間を構成する音、音響、そしてその構築物である音楽そのもののあり方でもある。本研究では、なぜ人はイマーシブ(包まれ感)を追い求めるのか、そしてその体験のさなかに音響がもたらす触覚、痛覚なども含む皮膚感覚について、制作の現場から検証する。 Sound Envelopmentと呼ばれる音響の広がり感の中に身をおいた際、人がそれぞれに感じとる空間イメージとはどのようなものだろうか。「包み込まれる」体験のみならず、近接感、なまなましい音像体験、という視点からも同時に検証することで、皮膚感覚との関連から考察する。もっとも近接的な感覚である身体的な膜における感受、そして皮膚感覚は、例えばバイノーラルレンダリングによるヴァーチャルサラウンド環境においてより体験されうるのだろうか。その際、どのような音、音響の構築物ー音楽音響制作によってよりそうした感覚が引き起こされるのだろうか。 映像作家馬場ふさこ氏との共同作品であるAudiovisual作品『残像花』は、様々な現実環境から採取された現実音の録音素材の加工によって制作されたサラウンド音楽と、全天周映像によるイマーシブ(没入型)コンテンツとして制作された。本発表ではこの作品が様々な異なる立体音響の形態で展開された実例を元に、イマーシブ環境における皮膚感覚と空間イメージについて考察する。
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kanglo · 5 years ago
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SDGs超実践者が地球を救う!
当会に参加を検討する前に、下記を必ずお読みください。
人類は、かつて経験したことのない事態に陥っています。未来に対して、悲観的な、あるいは楽観的な多くの情報、憶測、噂が飛び交っています。今、私たちに最も必要なことは何なのか。それは、「生きる覚悟を決める」ことです。覚悟を決めた瞬間から、やるべき事が見えてきます。もっとも深刻な過ちは、ただ慌て、何も決めずに、傍観し、思考や行動が停止してしまうことです。
「生きる覚悟を決める」。それが出来れば、生きるために何が出来るかを考え始めます。
ここで人は、もう一つの過ちを犯す可能性があります。それは、「自分だけが生き残れれば良い」というエゴの意識が働くことです。これは明らかな間違いであり、確実に失敗します。もう一度言います。この意識では、あなた自身も人類も、100%生き残ることは出来ません。なぜならば、地球上の生命は全て生態系として完全に繋がっているからです。人間以外、エゴの意識を持つ生物は存在しません。現在の地球の在り様は、このエゴの意識のまん延によるものなのです。ではどうすれば良いのか。
「地球上の全ての生物が生きるために覚悟を決める」ことです。
人間だけが生き残る方法を考えてもダメです。日本人だけが、自分の家族だけが、自分独りが生き残れば良いという意識は、他を殺すことになります。
SDGsの「誰一人取り残さない」という精神は、これに当たります。
SDGs超実践者は、このことを理解している人たちです。彼らは、既に覚悟を決めて動いています。
あなたはどうですか?自分独りが助かればそれで良いですか?エゴの意識を取り除きたいですか?
SSPCは、「地球意識革命」を起こすための類まれなチームです。
あなたの覚悟を決めた参加を心よりお待ちしております。
SSPC創設人・藤井啓人 https://youtu.be/SI4WGkyh2UU
SDGs超実践者が地球を救う!/SDGs超実践者委員会:SSPC=SDGs Super Practitioners’Committee/第6回SSPC月例会&ミートアップ(2020年5月22日) https://www.facebook.com/events/363691271270454
当月例会は、新型コロナの影響を鑑み、勝手ではございますが、ZOOM開催(有料/正会員及び学生は無料)とさせて頂きます。
■開催日時:2020年5月22日(金)18時30分~20時30分 ※18時20分より入室可能となります。 ※21時迄はルームを開放。交流の場としてご利用下さい。
■参加費: 非会員:3000円(税込)※当日開始迄に事前振込が必要 正会員:無料(小中大学・大学院生はいずれも無料) ※参加費の一部は、会の運営の他に、今この情勢の中で、最も厳しい状態におかれたことに対し遣われます。 ※当委員会への入会については、下段「SSPC(SDGs超実践者委員会)について」以降を参照下さい
■参加方法:事前予約制: SSPC会員は、予約がなくとも途中参加、途中退席可 ※非会員は、事前登録が必要となります。
①当ページより参加ボタンを押して下さい。 https://www.facebook.com/events/363691271270454
②下記の正式申込フォームから申し込みをお願いします。正式申し込み及びご入金確認後に、ZOOMに参加できるURLをメールでお送りします。
■正式申込フォーム(SSPC月例会&ミートアップの申込用): https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSevg0pL35ugNHloOuN-KiSKcxwrYF8414WXbmIM03VBbqBbcQ/viewform
■参加費のお支払い方法について(重要): ※当月例会参加には、事前のお振込みが必要となります(正会員、及び学生以外の「非会員」の方々)。下記のどちらかをお選び下さい。入金確認後にZOOMに参加できるURLをご連絡致します。ご入金が確認出来ない場合は、ご参加いただけない場合がございますのでご注意下さい。
A)銀行振込: 三菱UFJ銀行 練馬光が丘支店 普通 0029116 カングロ カブシキガイシャ ※振込手数料はご負担頂きます
B)Peatix経由: https://sspc.peatix.com
※入金後の前日までのキャンセル連絡は、返金対応致します(銀行振込の場合は、手数料を差し引かせて頂きます) ※入金後、当日のキャンセルの場合は、ご返金は出来ません。あらかじめご了承下さい。
■「地球意識革命」SSPC Concept Movie(SDGs超実践者委員会コンセプト映像)202003 https://youtu.be/SI4WGkyh2UU
■参加対象:当委員会への入会を検討、あるいは当委員会に興味がある方、及び当委員会正会員 ※当委員会への入会については、下段「SSPC(SDGs超実践者委員会)について」以降を参照下さい
■定員:30名  ※定員を上回るお申込となった場合は、正会員を優先とし、キャンセル待ちとさせて頂きます。
・内容: 第一部:チェックイン  当委員会事業の進捗報告と世界のSDGs超優良実践事例の共有 第二部:SSPC本気会議  議題:SSPC分科会からの進捗共有とブレスト
※月例会終了後に、毎回別会場にて軽めのネットワーキング(懇親会)を行っておりますが、オンライン開催の場合は、会終了後のルーム開放時間内での各自任意参加にてご利用下さい。
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■SSPC(SDGs超実践者委員会)について: 当委員会の概要について以下に記す。
■SSPC設立の目的: 2015年9月、国連総会でSDGs(持続可能な開発目標:Sustainable Development Goal)が採択されてから4年。ごく最近になって、漸く日本でのSDGsへの認識も高まりつつあります。しかし、世界での取組みレベルやその姿勢において、日本は周回遅れと言わざるを得ません。なぜならば、世界の他の国々は、地球を取り巻く環境悪化のスピードに強い危機感を抱いており、このまま放置が進めば、望まれる幸せな未来を確実に失うことになる事を理解しているからです。2019年9月に実施された国連総会での気候行動サミットにおいても、大変残念ながら日本は蚊帳の外でした(議論に参加すら出来ませんでした)。この現状に真摯に向き合い、日本のSDGsへの取組みが世界の模範となるべく、大きく活性化を図りたいと強く念じ、この委員会を発足致しました。 当委員会の準備メンバーは、約1年を費やし世界や国内における実践事例の調査を行いました。そして、日本国内においても、草の根的に、極めて賞讃すべき実践事例が多く見つかりました。まずは、ナレッジを共有し、多くの関係者の認識を高め、その機会を展開するための仕組みを作り、2023年度迄に、超実践事例を世界に発信出来るレベルに昇華させる決意であります。 当委員会は、皆さまと共にSDGsを推進し、サステナブルな地球を創造することを理念に掲げ、世界に向けて積極果敢に発信をしていくことを誓います。皆さまからの厚いご支援とご協力を賜りますよう、切にお願い申し上げます。 SSPC代表:藤井啓人 https://www.facebook.com/groups/sspc.jp/learning_content/
※SDGsとは:持続可能な開発のための17のグローバル目標と169のターゲット(達成基準)からなる『我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ』(Transforming our world:the 2030 Agenda for Sustainable Development)と題する成果文書で示された2030年に向けた具体的行動指針です。このアジェンダは、人間、地球と繁栄のための行動計画です。また、これは、より多くの自由のために世界の平和を統合することを目指しています。私たちは、極度を含むあらゆる形態の貧困や環境破壊を解消することが地球最大の課題であり、持続的な発展のために不可欠な要件です。「誰一人取り残さない」これは、世界全体で取り組む、人類史上最も差し迫った課題なのです。
■SSPCの対象:会員制 企業関係者(経営者、経営企画、広報、CSR・SDGs推進関連部署責任者/実務担当者) 地方自治体関係者 大学・大学院・研究機関関係者(学生可) 教育機関関係者 政府関係者
■SSPC登録費用(年会費): 各1団体1名につき年会費3万3000円(税込) ※2人目から1万1000円(税込) ※中学、高校、大学、大学院生は年会費無料 ※加入日(年会費支払完了日)より1年間有効 ※会員登録証を発行 ※非会員でも月例会やイベント等の非会員価格による参加は可能 <会員特典> ・月例会への無料参加(非会員は、3000円~/回) ・特別イベント/視察ツアー等の会員価格での参加 ・月例会、特別イベントの記録映像の無料視聴(非会員は有料) ・有料会員誌(季刊誌)の無料配布 ・SNS会員コミュニティへの参加 ・会員名簿の配布(年1回更新) ・SSPCサイトにおける実践事例の公開 ・SSPCコンテストへのエントリー ・SSPCコンテスト受賞組織の実践事例映像化
■SSPC入会方法について: ※下記申込フォーム(入会用)にて入会申込頂けます。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf2cw5yxAna2DpEzlGsceJHHGSrCTf2XP2v4o8gPtD7937PSg/viewform
■SSPC月例会について: ・有識者による基調講演(理事、会員からの推薦など) ・会員持ち回りによる実践事例共有 ・ワールドカフェによる討議 ・ネットワーキング(会員同士による交流)
■SSPC特別イベントについて: ・年1回のSDGs実践に関するシンポジウム開催  SDGs実践企業/組織の視察を年数回開催(国内・海外) ・その他、起案に応じて
■SSPC企画・運営: ・企画/運営:カングロ株式会社、サステナ塾   https://www.kanglo.co.jp/
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keijukita · 7 years ago
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キュレーションも作品
芸術に関わるこの期間の初遠征は大阪へ。 大阪の江之子島 大阪府立江之子島文化芸術創造センター で行われている企画展の鑑賞だ。 学生がつくる大阪新美術館・enocoのコレクション展 「20世紀の写真芸術 」 http://www.enokojima-art.jp/e/event/2017/09/22/6201 美術館の設立を目指している大阪市の大阪新美術館建設準備室が大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco]と共同し戦後の写真を新美術館コレクションとして収蔵してきたものを学生のキュレーションで展示をするという企画であった。 大戦前から大戦後の間に大阪を中心に活動をしていた写真倶楽部の写真家とその同時代の写真家の作品を中心に展示されていた。 先日のギャラリー冬青でのトークショーで名前のあがった大阪の写真家 岩宮武二氏の作品も5章にまとめて展示されていた。 国内外の20世紀前半の世界大戦前後の写真が中心となる。 バウハウス、ロシア構成主義といわれるいわゆるアバンギャルド(前��芸術)が海外では活躍をした時代だ。 僕はこの時代のドイツ、ロシアの作家の作品は大好物なのだ。 グロピウスを初代校長として設立された、バウハウスはカンディンスキーやモンドリアンといったピカソと同時代の画家たちを招聘してはその理念を造形教育に取り入れていった。 僕が、芸術とは何か?を掴むきっかけとなったパウル・クレーもバウハウスの運営に関わり教鞭をとっていた。 ナチスの台頭とともに「退廃芸術」とされ閉校を余儀なくされ、その後アメリカに場所を移し、その理念は継承されていく。 この展覧会の第3章にはイタリア未来派も含めてこの時代の魅力的な作品が展示されている。 そして、この第3章は京都造形の同窓生で昨年僕らの恩師である勝又先生の個展もキュレーションした友人によるものなのだ(参照:「 勝又公仁彦「the dimensions of “Right Angle” ?」展 」)。 全般的なことで言えば、良くも悪くも学生さんのキュレーションだなということを思う展示であった。 5つの展示を通しての一貫性がクオリティとしては担保されていないで、面白いことにキュレーションそのものがより鮮明に浮き彫りとなる展示であった。 どういうことかと言えば、「作品」は1点だけであれば単にその「作品」の魅力しか発しない。 でも、「作品」がほかの「作品」と並ぶことで「展示」としての別の意味を持つことが良くわかる面白さが今回の展示にはあった。いつも観ている展示のクオリティは当たり前のものではなくキュレーションのチカラで魅せられているのだな…と改めて思った。キュレーションは偉大だ。 突っ込みどころ満載なだけで、今回の展示がどうこうということではない!むしろ、ほほえましくもあることではあったのだけど「章としてまとめよう」という思いと、強すぎる「ある作家が好きだ」という思いが展示の中で交錯し喧嘩をする。 それがイコールキュレーターの思いなのだと思うが、それが強すぎることは時には効果を発揮し、時には鑑賞者を混乱をさせるものだということがよくわかった。 そして、それが結果として「キュレーションのチカラ」というものを僕に感じさせるものだった。「展示」となった場合…いかに「作品」そのものだけを観ているわけじゃないのかがわかる。 比較するのは申し訳ないが、友人のキュレーションした第3章がひいき目なしによかった。 冒頭の解説で、この章で何を見せようとしているのかということが(『20世紀初頭のヨーロッパにおける写真表現の動向』と)はっきりと示されていて、それに対し間違いのない展示であった。 僕は今回はじめて知った山脇巖さんという作家の作品のボリュームが多く、そこだけ気になって本人に聞いた。 当時ほとんどいなかった日本からのバウハウスへの留学生であるということを知りとても興味が出た。 その山脇さんの作品もバウハウスらしくすばらしいもので、こういう作家の活躍を掘り起こすのもキュレーターの力だなと感じれるいい展示であった。 今週末まで展示が続くので、ぜひ観に行ってみてはどうかと思う。こういう機会はキュレーションした学生さんには幸せな時間であっただろうな…と想像する。 ロトチェンコの「歯車」は何度見ても秀逸な作品だ。 学生がつくる大阪新美術館・enocoのコレクション展 20世紀の写真芸術 会期|2017年11月22日(水)〜12月16日(土) ※月曜休館 時間|11時〜19時 会場|大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] 4階 ルーム1,2 入場|無料 主催|大阪新美術館建設準備室、大阪府立江之子島文化芸術創造センター[enoco] 後援|朝日新聞社
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yumesatomura-blog · 7 years ago
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映画のイヌ
1.映画におけるイヌ概説
イヌは今では愛玩動物、いわゆるペットとして人間の側にいる。番犬やパートナー、場合によっては家族同然の存在として。その歴史は随分と過去まで遡り、考古学的には何万年も前からさまざまな付き合い方(ペット、狩猟、食用)を経て、現在に至るという。
最も人間の近くにいる動物として、イヌを愛してやまない映画作家は数多くいる。例えばルイス・ブニュエル、ジャック・タチ、アキ・カウリスマキらがそうである。そしてその映し様は多岐に渡るだろう。ひとつには、登場人物の映し鏡であったり意味作用そのものを具現化する、象徴的な演出としてのイヌ。また、ストーリーにおいて展開を転がすためやアクションを起こす、モデル(俳優)としてのイヌ。中でも最も重要視したいのは、ただそこに存在するだけのイヌ、映画としては目的性を欠いた自然としてのイヌだ。
これから、既存の作品を挙げつつ、イヌの映画での在り方を見ていこうと思う。
2.イヌと死(※追記予定 殺されるイヌ『人生案内』『ひかりのまち』)
イヌは映画において、死と関わり合いの深い動物であると言える。まず映画の起点として、冒頭にイヌが出演することがある。クレマン『禁じられた遊び』(1952)、フリドリクソン『春にして君を想う』(1991)、スタエルスキー『ジョン・ウィック』(2014)などが挙げられる。そしてこれらの作品には、主人公の旅、つまり物語を運び込む呼び声として、イヌの死が訪れるのだ。『ジョン・ウィック』に関しては、主人公は結末に再びイヌと出逢い、それがさらなる物語の鏑矢を示唆する装置として機能する。この循環は、イヌそのものに内在する特性である。すなわち、イヌの終わりである死は映画の始まりと同義である、ということだ。
登場人物と(意識的に)同等に映されるイヌには、このような意味作用がつきまとう。しかしカメラが捉えなければいけないのは、すべてにおいて等しい目線の事象であり、またそうしたイヌであると考える。でなければそこに、因果律や論理を断ち切った現実を感得する自然としてのイヌの姿があるはずもない。これは非常に重要なことなので、後述することにする。
また、イヌは死にとても敏感だ。イヌはしばしば、死(の予兆)を知らせる導線の役割を担う。デュヴィヴィエ『にんじん』(1932)では、主人公の少年が自殺しようとするまさにその時、イヌが少年のもとへと続く梯子に擦り寄る。それによって父親が息子のとろうとしていた行動に気がつくのだ。ルコント『髪結いの亭主』(1990)では、急死した床屋の女店主の体をイヌが押し転がすことによって、主人公少年は決定的な愛する女の死を目の当たりにする。これらは人間がするよりも違和感のない、動物の鋭敏な感覚を活かした演出を可能とする、イヌの持つ特性と言えるだろう。似た事例として、アブラハムソン『ルーム』(2015)におけるイヌの行動にもこの演出が当てはまる。監禁されていた主人公少年から発せられる不穏な匂いを嗅ぎとり、散歩中のイヌが少年へと干渉する。これによって少年は救われるのだ。イヌは、人間を直接救うことはできない。ただ寄り添うしかないその姿からは、抑えられた引き算の美学を感じさせる。
こんな論もある。イヌは冥界と繋がっているという、古代からの紐付けだ。浅学ゆえ多くは記せないが、エジプトにおけるアヌビスやギリシャ神話のケルベロスがそうである。イヌが死への案内人というモチーフを通して見てみると、カウリスマキ 『パラダイスの夕暮れ』(1986)で、主人公の同僚が死んでしまった直後に一瞬挿入される画面の奥へイヌが走って行くショットが、霊的な美しさを放っていることに素直に頷くことができるだろう。
死と不可分の関係にあるイヌは、俳優には手の届かないアクションを背負うとともに、始まりや終わりといった映画における時間的な仕切りのようなものをその身に宿していることになるだろう。
3.走るイヌ
ムルナウ『サンライズ』(1927)、カルネ『霧の波止場』(1938)、タチ『ぼくの伯父さん』(1958)、アザナヴィシウス『アーティスト』(2011)……と枚挙に暇がないのが、「走る」イヌが登場する映画だ。そしてこの「走る」というアクションが、映画、ひいては虚構の枠組みを揺さぶることになる。巨大なスクリーンは、かつてリュミエール兄弟が人々に発見せしめたように、葉っぱのざわめきや揺れる波のちいさくも尊い動きを見つけることができるという、ある喜びを浮上させる。そんな画面に映るイヌは、自然の挙動としてはあまりに巨大で、かつ持続的な、質量の移動を我々に見せつける。ともすればコントロールされ尽くした映画という総合の中で、この移動は生のダイナミクスを放ち、偶然の威力が作品を穿つ。しかし危険なのが、「走る」ことを捉えるのが、「走らせる」ことと表裏一体となることだ。一演出でしかないイヌに、魔力的な光は降り注がない。物語の一端を担うような、例えば前述した『アーティスト』のイヌの姿に、それがよく表れてしまっている。イヌから現出する最大限の魅力ではあるが、「走るイヌ」は文脈の一つに収まってしまうという危うさも備えている。
余談ではあるが、フラー『ホワイト・ドッグ』(1981)のイヌ疾走のシークエンスは瞠目の熱量で、一見の価値あり。
4.演じるイヌ
では、物語の一翼を担うイヌは、映画を貶めてしまうだけのものなのか? これはその限りでないと考える。ホークス『赤ちゃん教育』(1938)、キアロスタミ『パンと裏通り』(1970)のイヌたちを見ていく。
『パンと裏通り』は、子どもとイヌの織りなす、短くもスリル溢れる路地裏ドラマだ。ここでは子どもの目線でストーリーが進行することにより、イヌは我々が普段認識しているような、取るに足らないものではなくなっている。画面に映っているのではなく、映さざるを得ないのだ。その時カメラは、子どもとイヌとを、ようやく等しく焼き付ける。また、牙を剥いたり懐いたりといった、イヌの特長を意識したパフォーマンスも見られる。想像や予想を形にしてくれる、イヌの温かなイメージがそこにはある。
『赤ちゃん教育』には、まず伏線の一つとして、イヌが「音」を生み出す機能を有するものとして扱われる。イヌが吠えることはもちろん気にかけるほどのことでもない。そこをうまく突いた「見えない」演出であるが、そんな序盤からやたらと気にかかるイヌが、後半には驚くべき展開を見せることになる。動物園から逃げ出したとされる豹に、応戦(?)するのである。戦っているというよりはじゃれあっているようにも受け取れるショットだが、これは一体何が起きているのかと可笑しくなってしまうほど、イヌの底力を感じられるシーンとなっている。
この二作に登場するイヌは、どちらも映画に欠かすことのできないファクターとなっている。完全なるキャストとしてのイヌ、画面を(外からさえも)背負うイヌである。そして大切なのが、それらをどうフレームに収めるかである。全体を操ろうとする危なっかしさをぽろぽろと零し、無闇にイヌに触れようとしてはいけない。飽くまでイヌを世界の一部として、この2作品のように、穏やかに広々と捉えなければならないのだ。いやらしくヨったり、無理やりイヌの場所を作り上げたりと、そういうことをしていては、ヴォーン『キングスマン』(2015)のような見るに耐えないことになる。
5.現実、またはそうではないイヌ
では、映画の中にいながら現実を表すイヌとは? 冒頭で重要だと述べた自然のイヌは、どこに潜んでいるというのか。
ただそこに存在するだけのイヌ、この基本的な形式は、家族として寄り添うイヌがほとんどだろう。ヒッチコック『レベッカ』(1940)、サーク『僕の彼女はどこ?』(1952)、アンダーソン『愛おしき隣人』(2007)、イーストウッド『グラン・トリノ』(2008)などのイヌたちである。彼らはどこまでも自由でかつそれゆえに、カメラに捉えられているという点を除けば、映画からずれた場所にいる。上記の作品においては特に演技もしておらず、一切の演出から逃げ切っているのだ。このイヌたちの仕事は素晴らしい。画面を彩るだけでなくその一挙手一投足に自然の強度を従えて、モノやヒトとの間を行き来する。現実のエネルギーが虚構を希釈していくそのありさま、我々はフレームが進むごとにそれを意識せざるを得ない。
また、人間がこの世界に存在するのは自明のことであり、イヌももちろんそうである。映画にはイヌが必ずしも欠かせない要素であるわけではないからこそ、現実における価値を暴く。フラハティ『極北の怪異/極北のナヌーク』(1922)では、過酷な環境におけるドキュメンタリーによって、自然と同等に並べられるイヌという存在へ、鮮やかに寄り添うカメラに触れられる。
虚構と現実の間を絶妙に浮遊するイヌもいる。それが、カラン『奇跡の2000マイル』(2013)で主人公のパートナーとして砂漠を旅するイヌだ。映画の方法論によってイヌの位相が位置付けられる稀有な作品でもある。淡々と、主人公とイヌが砂漠を歩くさまが映し出される。ストーリーの欠落により、イヌを囲い込む虚構と現実の境界は立ち消え、イヌは「その作中世界の」イヌへといつの間にか変身する。しかし、創作の中に生きることになったイヌから現出する偶然性=自然のために、なんとも微妙な間隙を漂うことになるのだ。
このように映画のイヌは、ヒトやモノが辿り着くことのできない、非常に曖昧なものへ溶けていく。その揺蕩いに巡り合う、ボカノウスキー『海辺にて』(1992)のイヌを紹介して、この論を綴じようと思う。このフィルムは、超現実的とも言える加工された画面を用いた4つの構成から編み上げられており、海とそこに佇む事象を焼き付けている。人間たちの顔や輪郭はぼやけ、個人を認識することはできない。ロングショットを用い、観察映画のように撮影される記号性を剥ぎ取られた彼らへの認識は、最早人間かどうかさえもわからない抽象へと溺れていく。しかし彼らがヨットを扱うさまを目にすることで、道具の使用という人類の属性を取り戻し、彼らは世界と接続される。そんな中、波の狭間にいるイヌは、抽象化されたまま作為の中に取り込まれていく。あるがままの姿のはずが、作者の手から逃れられない。人間が現実へと立ち戻っていくとき、イヌは、虚構と現実の間を彷徨う亡霊となっているのだ。
6.おわりに(※追記未定)
7.おまけ
好きなイヌ
クレール『幽霊西へ行く』(1935)の卓球を邪魔するイヌ
デ・シーカ『ウンベルトD』(1951)のイヌ。オールラウンダー
ベルイマン『夏の遊び』(1951)のでかくてもふもふなイヌ
ファスビンダー『都会の放浪者』(1966)の突如出現するイヌ
タチ『トラフィック』(1971)の小さいイヌ、悪戯少年たちに攫われるときの為すすべないさまが素晴らしい。映画のイヌにはまったきっかけかもしれない
マル『さよなら子供たち』(1987)の雪が降る中子どもたちと戯れるイヌ
クストリッツァ『アリゾナ・ドリーム』(1992)のイヌ。でかい。わざとらしく吠えさせさえしなければ……。冒頭のイヌイットのイヌたちも素晴らしいが、海に落ちるところが可哀想で目を背けたくなる
ドライヴァー『豚が飛ぶとき』(1993)で幽霊といっしょになぜかドアをすり抜けてくるイヌ。普段のたたずまいも良い
フリドリクソン『ムービー・デイズ』(1994)の少年とサッカーするイヌ
五十嵐『息を殺して』(2014)の彷徨うイヌ
ルビン『ゾンビーバー』(2014)の囮にされるイヌ
ジャームッシュ『パターソン』(2016)のイヌ。窓辺に顔が見えるカットが良かった。郵便受けを傾けるのはあまり好きではな��
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honryu-report · 5 years ago
Text
《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:                                      
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を    送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
 まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
 ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
 なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
 ・・・・・・
 ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
 つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
 私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだ��ら。
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奔流の旅                               
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
  『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。  ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方���馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり���潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,  
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
 奔流中国グレートキャラバンに参加して���            
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った 
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。 
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。

いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。

日常に感謝。

日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。

日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
~~~~~~~~~~~~~
備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
 道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければ��らない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
 およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
 リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
 後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
 主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかっ��。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!         
 もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
 今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
 このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
 それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
 これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅��形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
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自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自���さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
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これから・・・。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
 一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
 退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
 見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
 このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
 私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
 深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
 旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
 リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
 参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
 自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
 いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
 けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
 肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
 その仲間達と見た中国は偉大だった。
 経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
 そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
 山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
 乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
 ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
 この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
 けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
 自分の小ささに気がつかされた旅だった。
 精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
 自信という自信は打ち砕かれ、
 私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
 これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
 「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
 ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
 この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
 そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
 でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。  道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。  乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。  その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。  その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところ��自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。  私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。  私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。  日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
 結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
 日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
 「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
 旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
 中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
 人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
 ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
 人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
 大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
 蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。���題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生き��彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所               
 焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
 この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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