#エクソフォニー
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2023/06/02
BGM: Mr. Children - 名もなき詩
今日は遅番だった。朝、豪雨に見舞われる。Discordで友だちから面白い記事をシェアしてもらった。母語ではない言葉で書くことを試みている作家たちを取り上げた記事だ。多和田葉子の著作を通じてこうした書き手たちの活動を「エクソフォニー」と呼ぶことを学んだのを思い出す。この記事から、別の切り口でそんな「エクソフォニー」について学べることを嬉しく思った。そして私がやっていることもまたそんな「エクソフォニー」なのかな、と思ったりもしたのである……いや、私は別に英語で書かなければならない必然などない。政治的なプレッシャーに押しつぶされそうになっているわけでもないし、自分の言葉が通じないことに生きづらさを感じたこともない。私の場合はほんとうにぬるま湯に浸かって語学学習の一環として(言い方を変えれば「趣味」として)あれこれ書いているとも言える。つまり、ジュンパ・ラヒリが英語やイタリア語で書くのと私が漫然と英語で書くのとは違う。これは自虐でも謙遜でもなく端的な事実だ。だが、発達障害者としてギクシャクした日本語を使って生きてしまうがゆえに生きづらさを感じているという意味では自分は「日本語が母語の『ガイジン』」なのかなとも思う。
https://webzine.asahipress.com/posts/6994
この日記で「ぼくの英語はひどいものです」と書いて、それで「そんなことはありませんよ」とコメントをいただいた。「あなたの英語はグッドです」と。もちろん非常に光栄に思ったのだけれど、私が「ひどい」英語と語った時に言いたかったのは私は教科書通りのクリーンな英語を話すつもりがないということだった。もっとノイジーというか「歪んだ」英語というか、「乱れた」英語というかともかくも「個性的な」英語をしゃべっているというのか……そんな意味での、「物議を醸す」ものでさえありうるような英語だ。昔ならこんなスットコドッコイな言葉遣いを(英語・日本語を問わず)してしまう自分を恥じていたと思う。このトンチンカンな言葉遣いは多分に発達障害が原因に違いないので、つまりそこから帰結として「私自身の思考回路がヘンだから私の言葉がヘンなわけで、つまりは私が悪い」となってしまう。そして、過去はそんな「ヘン」な自分をずいぶん恥じたし、あるいは裏返しとして「ヘン」に徹しようとあれこれ無理をしたりもした。今は自然体で話せていると思う。自分のまま、ありのままでいることがクールなのだと40を過ぎてようやく私は理解できてきたと思う。別の言い方をすれば、そんな初歩的な事実が腑に落ちたのが40を過ぎてようやく……だったのである。
昼、clubhouseであるルームに入る。そこで英語でおしゃべりをする。そのルームのトピックが「夏から連想することは何ですか」というものだったので、私は自分の仕事のことを話す。何を隠そう、私はデパートに勤めているので夏と冬、具体的には「お中元とお歳暮」というか「盆と正月」はまたとないビジネスチャンスなのだった。ゆえに非常に忙しく、夏休みなんてない……そしてそれに加えて、自分の誕生日が7月3日であることも話す。つまり夏が来ると1つ歳を取ってしまうわけで、「また1つ歳を取ったなあ」と感慨に耽ってしまう季節であるとも話した。ああ、なんとも世知辛い世の中というか現実というか……だが、別の言い方をすれば私はそんなふうに「忙しく働く日々」や「健康に歳を重ねられる身体」といったものに恵まれているとも言える。そう考えれば幸せとも言えるのかなとも思う。私は決して自己責任論をふりかざしたいとも思わないが、もしほんとうに私が今置かれている状況が嫌なら「バックレる」ことだって考えてもいいわけで、そこまでしたいとも思わないし……それなりにストレスがあるとはいえ仕事があり、私生活においても人に恵まれ生きられている。不自由な自由を生きている、と言えるのかなとも思う。ヘンな言い回しになってしまったけれど。
戸谷洋志『SNSの哲学』を読む。TwitterやLINEといったSNSを使う私たち自身のありようについて哲学的に探究した1冊だ。私自身、FacebookやDiscord(これはSNSではないか?)を使って生きているのだけれど、過去にそうしたSNSが織りなす狭い空間で人気者になろうと気取った��とを思い出す。日本語ではそうした狭い空間を「世間」とも呼べるのではないか。Twitterのタイムラインが織りなすような「世間」。そこでずいぶん承認欲求に囚われて無理をしたものだ。その意味ではネットは危険な空間だと思う。特に私のような、内面に途方もない空虚を抱えてうろついている人間にとっては……と書くと訝しく思われるかもしれないが、私は元来確固としたポリシーがあってそれに基づいて生きているわけではない。私はほんとうに空っぽな人間で、外にあるさまざまな記事やコメントに反応してそれについて考える内に自分の意見が自動的に立ち上がる。だからこの日記にしてもあとで「こんなことを書いていたのか」と自分の「行き当たりばったり」に赤面してしまうのだった。『SNSの哲学』についてはまたいずれ(書くスペースがなくなってしまったので)……。
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或る言語で小説を書くということは、その言語が現在多くの人によって使われている姿をなるべく真似するということではない。同時代の人たちが美しいと感じている姿をなぞってみせるということでもない。むしろ、その言語の中に潜在しながらまだ誰も見たことのない姿を引き出して見せることの方が重要だろう。そのことによって言語表現の可能性と不可能性という問題に迫るためには、母語の外部に出ることが一つの有力な戦略になる。もちろん、外に出る方法はいろいろあり、外国語の中に入ってみるというのは、そのうちの一つの方法に過ぎない。
『エクソフォニー 母語の外に出る旅』(ドイツ在住で、日本語とドイツ語の両方で小説等を発表している作家、多和田葉子のエッセイ)
自分が書いた/書いている文章を、あたかも異国の言語で書かれた文章を読むように読んでみる、ということです。他者のことばを学んだり、他人が書いたことばを読む以前に、まず自分自身が持ち合わせていることばを、さしあたり日本語で書いた/書かれたことばを、ルーペで奇妙な生物を観察するように、天体望遠鏡で遠くの星を拡大するように、見つめ直してみること。そうすることで見えてくるのは、他ならぬ「自分のことば」の傾向性、言い換えればクセのようなものです。自分の「ことば」使いの「クセ」を知ることは、とても重要です。
私たちが日本語を「外国語」として学びなおしたら…いったい何が起きる?(佐々木 敦) | 現代新書 | 講談社
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2018年10月読んだ本
「日本文学1永井荷風」中央公論社 「世界の歴史15 ファシズムと第二次大戦」 中老公論社 「テレビ快男児」藤田潔 小学館文庫 「私だけの放送史 民族黎明期を駆ける」 辻一郎 清流出版 「もの思う葦」 太宰治 新潮文庫 「海を抱く」 村山由佳 集英社文庫 「アメリカの鱒釣り」 リチャード・ブ��ーディガン 新潮文庫 「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」 加瀬英明 祥伝社文庫 「植物のあっぱれな生き方」田中修 幻冬舎新書 「ケンブリッジの天才たち」 小山慶太 新潮選書 「日本文学全集49 現代ん名作選 上」新潮社 「日本文学全集50 現代名作選 下」新潮社 「フィネガンズ・ウェイ��Ⅰ・Ⅱ」ジェイムズ・ジョイス 河出書房新社 「フィネガンズ・ウェイクⅢ・Ⅳ」ジェイムズ・ジョイス 河出書房新社 「シェイクスピアへの架け橋」高田康成、河合祥一、野田学編 東京大学出版会 「騎士団長殺し 第一部顕れるイデア編」村上春樹 新潮社 「騎士団長殺し 第二部 遷ろうメタファー編」村上春樹 新潮社 「インストール」綿矢りさ 河出書房新社 「ZOKUDAM」森博嗣 光文社 「原典 イタリア・ルネサンス人文主義」 池上俊一監修 名古屋大学出版会 「ちくま10月号」 「なぜ天使は堕落するのか 中世哲学の興亡」八木雄二 春秋社 「世界文学全集別巻1 世界名詩集」河出書房新社 「泥棒日記」ジャン・ジュネ 新潮文庫 「英語に強くなる本」岩田一男 ちくま文庫 「英単語記憶術 語源による6000語の征服」 岩田一男 ちくま文庫 「最後の秘境 東京藝術大学 天才たちのカオスな日常」二宮敦二 新潮社 「ジョン・レノン全仕事 ア・ハード・デイズ・ナイト」 小学館文庫 「ジョン・レノン全仕事 イマジン」小学館文庫 「こころ」夏目漱石 新潮文庫 「三四郎」夏目漱石 新潮文庫 「ミーナの行進」小川洋子 中央公論新社 「BC級裁判を読む」半藤一利、保坂正康、井上亮、秦郁彦 日本経済新聞出版社 「若きサムライのために」三島由紀夫 文春文庫 「エクソフォニー 母語の外に出る旅」多和田洋子 岩波現代文庫 「仏教聖典」 「ムツゴロウの素顔」畑正憲 文春文庫 「りすん」諏訪哲史 講談社文庫 「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫SF 「ヴィトゲンシュタイン家の人びと 闘う家族」 アレグザンダー・ウォー 中央公論新社 「マウス アウシュビッツを生きのびた父親の物語」アート・スピーゲルマン 晶文社 「ゼロからはじめる生命のトリセツ」長沼毅 角川文庫
10月は運動会がありうちの工場は全体で12工場中5位。応援合戦2位でした。もう大分前のことのように感じます。 11月で食堂の清掃の係になって1年経ちます。毎日皿洗いと床の掃除をしています。その間に工場と居室の配食係にもなりました。今の工場はいろいろと機会を与えてもらっているので感謝しています。
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言葉と物と音について ー一多和田葉子とカールステン・ニコライ一一
文字は数字になり、数字は点になる。 「ラビと二十七個の点」
多和田葉子と「音楽」との関わりといえば、彼女と同じドイツ在住のジャズ・ピアニスト高瀬アキとの長年に渡るコラボレーションがつとに有名である。二人は日本、アメリカ、ドイツなど数カ���で朗読+ピアノのジョイント・ツアーを行なっている。だがもうひとり、あるドイツ人ミュージシャンと共同で一枚のコンパクト・ディスクを発表していることは、おそらくほとんど知られていないのではないか。yoko tawada + noto名義で一九九九年にリリースされた『13』がそれである。 ノトことカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)は、美術と音楽という異なる二つの領域と、両者を横断する「サウンド・アート」と呼ばれる分野において、近年めざましい活躍を続けている人気アーティストである。美術家としては、日本を含む世界各国で個展が催されており、ドクメンタを始めとする国際的に著名な展覧会にも度々参加している。音楽の世界では、ノトもしくはアルヴァ・ノト(alva.noto)名義で数多くの優れた作品を発表しており、エレクトロニカと総称される現在の電子音楽の一潮流において、シーンの最前線を牽引する存在として高い評価を受けている。『13』はニコライ自身のレーベルから限定盤CDとしてリリースされたものである。 筆者の知り得た限りでは、日本語で刊行されている多和田葉子の文章で、この作品に触れたものは存在していない(どういうわけか公式サイトのビブリオグラフィーにも載っていない)。それゆえ、どのような経緯で二人が知り合い、共同作業をすることになったのかは今なお不明なのだが(筆者はニコライ本人から直接CDを貰ったのだが、馴れ初めについては聞き損ねた。だがニコライが作家多和田葉子のファンであったことは間違いない)が、この一度限りの試みは、多和田葉子の「言葉」の特異な有様を考える上で、極めて重要な示唆を与えてくれるように思う。
高瀬アキとのコラボレーションに関しては、多和田葉子は何度か書いている。たとえば「音楽と文学の境界を越えて、などといかにも新しいことのように言うのは正直言って恥ずかしい」などと言いながらも、言葉と音楽との出会いを、繊細かつ緻密に描写した以下の文章。
音と言葉のパフォーマンスでは、ピアノの即興演奏と詩の朗読が同時進行するのだが、この同時進行というのは「あわせる」というのとはちょっと違う。わたしは、足の親指から喉までの領域は音楽に聞き入って音楽に応えながらも、舌から脳に至る区域は言葉の意味を追って進む。あるいはピアノの方に向いた左半身は音に向かって発熱させ、右半身はテキストの中に沈み込ませようとしてみる。すると、自分というものが二つに分裂して大変気持ちがよい。両者の間には溝がある。半分は言葉の世界の外に出ていて、半分は中に入っているような気持ちでもある。もちろん、つながりもある。しかし、そのつながりは、歌のメロディーと歌詞の間の関係のようにべったりしたものではない。両者は不思議な空間を屈折して進む振動によって、間接的に繋がっている。あるいは分離している。そうでなければ、「音楽に合わせて読んでいる」ことになってしまう。 「フライブルク一音楽と言葉」『エクソフォニー 母語の外に出る旅』
フリーの即興演奏と、詩人や小説家による朗読のパフォーマンスという組合せは、特にヨーロッパにおいては、とりたてて珍しいものではないが、その際に現場でリアルタイムに起こっている、実のところかなり錯綜した、ある種の「戦い」にも似た事態を、この文章ほど見事に解き明かしているものはない。だがしかし、ここに記されている音と言葉の交感の明晰かつ詩的な自己分析は、ノトとの『13』の場合は、ほとんど当てはまらない。 『13』には一九分二五秒の長いトラック一曲のみが収録されている。最初に音楽抜きで「ヨーコ・タワダ、ドライツェーン(DREIZEHN=13)」と無造作にタイトルが告げられ、一拍置いてから、ノトのトレードマークである厳密に構成された電子音が、ミニマルでモノトナスなパルス=リズムをゆっくりと刻み出し、数秒の後に朗読が始まる。言葉が読まれる速度は非常に速く、切れ目もほとんどない。バックのサウンドにメロディ的な要素は皆無であり、朗読の調子も、極度にストイックで無機質なサウンドと同様に、ほとんど機械を思わせるような無表情さをひたすら保ち続ける。 朗読されるテクストは、題名の通り、十三の断片に分かれており、最初から九番目までがドイツ語、残りの四つが日本語で読まれる。内容はほぼ「詩」と呼ぶべきものであり、脈絡を断ち切られ縫合されたアブストラクトな言葉の連なりが、奇妙にコミカルな雰囲気を醸し出す。日本語によるパートの最初の断片は、たとえばこんな具合である。
まくらするならだれもいないんでよなきするまくらしらないスリッパ あさおきるのがつらいんでいぬのとおぼえまねしているのがやかんねっとうそれからカーテンのやくそく ゆれながらさゆうにどんどんおおきくふくらんでいってめをあけてもちょくりつするのはだれ めがさめたときのわたし からだがいつものさんばいも (注:原文を参照できない為、CDから聞き取ってひらがなとカタカナのみで表記した)
自然な抑揚を欠いた、だがいわゆる一本調子とはやはり違う不思議な韻律の、とはいえしかし六を挟む数字で割り切れるようなアルカイックな「日本語」の懐かしさがどこかで谺しているようでもある多和田の朗読。その背景で、エレクトロニックな発信音が整然と流れていく。その単調でマシニックな反復は、人間の「声」の寄り添いによって、初めてやっとかろうじて「音楽」と呼ぶことができるようなものであり、と同時に、そのような「人間」的な要素など、そもそもまったく必要としていないようにも聞こえる。 先のエッセイの続きで、声に出して読むこと=音読という行為(いや、運動と言った方がより正しいだろうか?)が、音楽の演奏と直に掛け合わされることによって、「言葉」が俄かに「音=響き」として浮上してくる驚きについて、多和田葉子は書いている。
たとえば、「食べたがる」という表現に現れた「がる」という単語などは、「がる、がる、がる」と繰り返してみると分かるが、随分個性的な響きをもっている。ところが、普通に読書している時には、なかなかそのことには気がつかない。「がる」がその前にある動詞から切断されてたっぷり発音された瞬間に、その響きがいわゆる「意味」に還元しきれない、何か別のことを訴えかけてくる。言葉をたずさえて音楽という「もうひとつの言語」の中に入っていくと、そういった言葉の不思議さが自分のテキストの中から立ち現れてきて驚かされる。音楽を通して、言葉を再発見するということかもしれない。 (同前)
音楽は「もうひとつの言語」である。多和田葉子の朗読と高瀬アキのピアノの共演は、まったく異なる二つの「言語」によって、手探り状態で対話をしているようなものだ。相手の「言語」が及ぼすエフェクトによって、自らが操る「言語」も刻々と異化されてゆくことになる。両者の間に完全な交通などはありえないが(それにもしもそうなったら「対話」の意味もなくなるだろう)、そうであるからこそ、そこにはマジックが生じ得る。 ピアノの音に対峙しながら、口唇から発される言葉は「意味」を脱色され、バラバラの音韻へと分節され、語の響きの肌理が、ざわめきとともに立ち上がってくる。つまり、言葉は「もうひとつの音楽」である、と言っても同じことではないか。「対話」であり「双奏」でもあるような、二つの「言語/音楽」による交通=コミュニケーション(それはもちろん、多和田の言うように「反コミュニケーション的なコミュニケーション」でもあるのだが)。「耳をすましても決して一致はしない、もどかしい、余りだらけの割算をお互いに繰り返しながら、発見を重ねていくことに、音と言葉の共演の楽しさがあるように思う」と、先の文章は結ばれている。 しかし『13』の場合には、そもそも言葉と音はまったくコミュニケーションしていないのではないか。サウンドは無骨にパルスを繰り返す。声は黙々と言葉を発音していく。あたかもそれは二台の機械が互いに無関係に駆動しているさまを見せられて(聴かされて)いるかのようなのだ。「不思議な空間を屈折して進む振動によって、間接的に繋がっている。あるいは分離している」などとは、とても呼べない。それらは繋がっても分離してもいない。そこには厳密な意味で「交通」は存在していない。アコースティックな即興演奏とエレクトロニックな反復音響という違いはあるにせよ、この共演はほとんど異様である。 実際のレコーディングがどのように行なわれたのかは不明だが、多和田葉子はノトと「対話/双奏」していない。 なるほど確かにひとつのポイントは、ノトの「音楽」自体がいわゆる「生演奏」ではない、ということにある。それはあらかじめ録音されたものであり、デジタルに記録されたオーディオ・データが機械的に再生されているのにすぎないからだ(もちろん、ニコライがその場でエレクトロニクスを操っていた可能性もゼロではないが、そのような想定はおよそナンセンスというものだろう)。当然のことながら、音楽がリアルタイムで声に反応JGすることはありえない。だから「交通」があるとしても、それは一方通行でしかない。この考えはまったく正しいが、しかし問題の本質は実はそこにはない。 たとえ既に完成されたバック・トラックをヘッドフォンなどで聴きながら多和田葉子の声が録音されたのだとしても、そのことが朗読にどのような影響を齎したのかは、完成した『13』からは聴き取ることができない。反対に、朗読が事前にレコーディングされており、音楽の方が後から付け加えられたのだとしても、結果はほとんど相違ないのではないかとも思える。つまり、言葉と音の時空間的なズレは、この作品の本質には関係しておらず、むしろこの無関係さこそが問題なのである。多和田葉子とカールステン・ニコライが一度も直接会ったことがなかったとしても、この作品は十分に成立可能であり、言葉と音が完全に別々に録られていようと(筆者はそう思っている)、あるいはそうでなかろうと、『13』の仕上がりには関係がない。そこに厳密な意味で「交通=コミュニケーション」が存在していないというのは、このような意味である。 では結局のところ、多和田葉子とノトの一度限りの共同作業は、多くの豊かな可能性を孕みつつ現在も継続中の高瀬アキとの共演と較べて、いわば試しに行なってみた無味乾燥な実験のひとつでしかなく、そこにはおよそ得るものはなかったということになるのだろうか。なるほど確かにそこでは「音楽を通して、言葉を再発見する」というような体験は、ほぼ皆無であったかもしれない。しかし、そのような言葉と音楽の生産的な交流とはまったく別の次元で、この出会いには明らかな必然が潜んでいたのだと、筆者には思える。そしてそれは何よりもまず、多和田葉子の言葉とカールステン・ニコライの音の「組成」が、極めてよく似ている、両者はほとんど同じ物である、という点に存している。
「私が目的としているのは、幾何学的な体験をするということであって、美的なものを追求していくということではありません」 カールステン・ニコライ
音楽家としてのカールステン・ニコライは、デュオ・ユニット「cyclo.」として共同制作も行なっている池田亮司などと並んで、しばしば「サイン・ウェイヴ派」などと呼ばれている。「サイン・ウェイヴ」とは、一定の周波数を示す「サイン=正弦曲線」のみで表される「波=音」のことであり、倍音の要素を一切含まないことから、「純音」とも呼ばれる。言うまでもなく、「音」とは空気中の振動という物理的な現��なのだが、あらゆる「音(響)」は、フーリエ変換という数学的なプロセスによって、「サイン・ウェイヴ」の重ね合わせに分解することができる。ニコライと池田は、このような「純音」それ自体を、楽曲の素材として全面的に使用しており、ある意味では「電子音楽」の黎明期に立ち戻ってみせたかのような(既に五十年代にシュトックハウゼン等がフーリエ変換を用いて「サイン・ウェイヴ」による作品を発表している)、彼らのラディカル=原理的=急進的な方法論と、旧来の「音楽」の美学的価値判断を揺るがすような姿勢は、90年代の「テクノ」以後の環境の中で、極めて強力な影響力を持つことになった。 「サイン・ウェイヴ」の特質は、あらゆる「音」の原基を成すものでありながら、それ自体は徹底して人工的なものだということである。自然界には「サイン・ウェイヴ」は存在していない。現実の世界でも、たとえば時報や横断歩道のシグナル等といった限定されたもの以外では、正確な周波数だけの「音」を耳にすることは滅多にない(そしてこのことが「サイン・ウェイヴ派」が音色の点でも新鮮に受け止められた理由でもあるだろう)。いわばそれは「数」としての「音」だといっていい。 ところで、興味深いことに、「音」を「数」として、すなわち周波数の厳密な値として捉えることによって(それゆえ「サイン・ウェイヴ派」は「周波数音楽」などと一ある種の揶揄や批判も含めて一呼ばれることもある)、個々の「音」そのものを、まるで一種の彫刻のように磨き上げたり、ブロックのように連結したりといった、嘗ての「音楽」では考え方自体がありえなかったような作業が可能になった。言い換えればそれは、「音」を「物質的」に扱えるようになったということである。たとえば、1キロヘルツ(ヘルツは周波数の単位)の一秒の「音」は、「数」で表示されるものであるのと同時に、削ったりバラしたり、あるいはつまんだりすることもできるような、一種の「物」でもある。 更に現在のデジタル・テクノロジーは、「音」のサンプリングを一秒の四万四千百分の一(もしくは四万八千分の一)の精度で行なうことを可能にしており(更にいわゆる次世代オーディオではその二倍以上のサンプリング・レートが達成されている)、カ−ルステン・ニコライや池田亮司は、そのようなミクロな「音」の単位で制作を行なっている。比喩的に言えば、「サイン・ウェイヴ」が「音」を水平にバラしたものだとすれば、「ミクロ・サンプリング」は「音」を垂直に切り刻む。そうすることによって「物質」としての「音」が抽出されてくることになる。純粋で超微細な、分子のような,点のような「音」。 「数」であり「物」である「音」。このような意味での「音」は、およそ「音楽」の歴史において、作曲や演奏の俎上には上ってこなかったものである。今なお大半の音楽家にとって、それは「音ー楽」の「音」ではない。ちなみに『13』をリリースしたカールステン・ニコライ自身のレーベルの名称は「noton.archiv fur ton und nichtton(ノートン、音と���=音のための収蔵庫)」という。ノートンとはドイツ語で音を意味するtonに英語のnoを加えた造語であり、ノトというアーティスト・ネームも、ここに由来している。
言うまでもなく、人間の「声」も「音」であることに変わりはない。「言葉」が「声」として発された瞬間、それは「音」になり、必然的に「サイン・ウェイヴ」の集積に分解され得る。そしてまた、たとえば「食べたがる」の「がる」は、もっと短い「が」の更に何万分の一ものミクロな「音」に分割され得る。このようなマセマティカルかつマテリアリスティックな観点に立った時、『13』における多和田葉子の朗読は、「言葉」としての「意味」を失うどころか、最終的には、ノトが用意したエレクトロニックな「音」との差異さえ消滅させてしまうことになる。「物」としての「音」に区別はありえないからだ。 もちろん、それはあらゆる「音」に関して等しく言えることであり、『13』の多和田葉子の「声」が殊更に「物質的」に振る舞っているわけではない。だが、カールステン・ニコライの「音」に対する幾何学的かつ唯物論的なアプローチは、多和田葉子の「言葉」へのアプローチと、明らかに通底していると思える。そしてそれは、朗読=音読によって生じる「音」としての「言葉」というよりも、むしろ「音」以前の書かれた「言葉」、すなわち「文字」の審級、そして更にその根元に在る「言語」の審級において、そうなのではないか……おそらくカールステン・ニコライは、このことに気付いており、それゆえ二人のアーティストは出会うことになったのではないだろうか? 私はよく、言葉のklangkorperとschriftkorperということを考える。これらは決してよく使われる合成語ではないが、klang(響き)とschrift(文字)は、大変一般的な単語である。それらの単語にkorperを付ければ出来上がり。言葉は意味を伝達するだけではなく、たとえば響きというものがあり、響きそのものが作り出す意味もある。文字についても、同じことが言える。 「からだからだ」『エクソフォニー』
korperとは「からだ」(この「から」には「空」や「殻」も潜んでいる)の意である。「言葉+響き+からだ」と「言葉+文字+からだ」。「文字」と「響き」とが、同じ「からだ=言葉」の中に入れられる。それはいわば「グラモフォン(「文字」+「音声」/蓄音機)」(デリダ)としての「言語」ということであろう。だが、今や「音声/響き」は「物」でもある。ならば当然、もう一方の「文字」もまた「物」として捉えられなくてはならない。「グラモフォン」はそれ自体、すこぶる唯物論的な装置なのである。 断っておかねばならないが、それはしかし、ただ単に「文字」がインクの分子や、フォントのドットに分解可能だという、言わずもがなのことを意味しているの(だけ)ではない。「言葉」も「音」も「物」である、ということは端的な事実でしかない。だが、カ−ルステン・ニコライが、「音」が「物」で(も)あるという事実を潔く受け入れた地点から、彼の「非=音楽としての音楽」を開始し、旧弊な美学では太刀打ちできない、唯物論的なポエジーとでもいうべき「音響」の世界を切り拓いてみせたように、多和田葉子は、「文字」が「物」で(も)あることを、「書くこと」の始源において絶えず意識しながら(意識させながら)、すぐれて「詩」的でありながらも同時にやたらゴツゴツとした���触りを持った「非=言葉的な言葉」を駆使して、「グラモフォン」としての「言語」をアップデイトさせていると思えるのだ。そしてこの時、ドイツ語と日本語の境界は、もはや意味を成さなくなっている……。
ここで俄に想起されるのは、ベンヤミンが「翻訳者の使命」で唱えた、あの非常に理解しにくい「純粋言語」なる概念である。
二つの言語間の親縁性は、歴史的親縁性を除くとすれば、いかなる点に求めることができるだろうか。(中略)むしろ、諸言語間のあらゆる歴史を超えた親縁性の実質は、それぞれ全体をなしている個々の言語において、そのつど一つの、しかも同一のものが志向されているという点にある。それにもかかわらずこの同一のものとは、個別的な諸言語には達せられるものではなく、諸言語が互いに補完しあうもろもろの志向(Intention)の総体によってのみ到達しうるものであり、それがすなわち、〈純粋言語(die reine Sprache)〉なのである。 「翻訳者の使命」ヴァルター・ベンヤミン/内村博信訳
ベンヤミンのもっとも有名な、かつもっとも難解なテキストの一つというべきこの論考は、しかし知られているように、もともとはボードレール『パリ風景』のベンヤミン自身によるドイツ語訳の序文として書かれたものである。であるならば、どれほど高度に観念的な思考が繰り広げられているように読めたとしても(そしてそれは勿論そうなのだが)、しかし一方ではそれは、ベンヤミンその人による具体的な翻訳作業の経験と、より正しく言うならば「翻訳」という行為に内在する紛れもない「物質性」と、密接に結び付いていると考えられなくてはならない。
ひとつの言語形成物[作品]の意味が、その伝達する意味と同一視されてよい場合でも、意味のすぐ近くにあってしかも無限に遠く、その意味のもとに隠れあるいはいっそうはっきりと際立ち、意味によって分断されあるいはより力強く輝きつつ、あらゆる伝達を超えて、ある究極的なもの、決定的なものが依然として存在する。あらゆる言語とそれぞれの言語による形成物には、伝達可能なもののほかに、伝達不可能な何かがなおも存在するのだ。それが象徴するものとなるのは、ただ諸言語で書かれた有限の形成物においてのみであって、これに対して諸言語そのものの生成のうちにおいては、それは象徴されるものとなる。そして、諸言語の生成のなかでみずからを表現し、それどころかみずからを作り出そう(herstellen[復元する])とするものこそ、純粋言語というあの核そのものなのである。 (同前)
「象徴するものを象徴されるものそのものにすること」が「翻訳のもつ強力な、しかも唯一の力なのである」とベンヤミンは言う。「純粋言語」という概念は、そのような意味での「翻訳」を可能ならしめるものであり、と同時に、その絶対的な困難の根源に横たわるものでもあるように見える。それは「翻訳」を包含するあらゆる「言語表現」の基底であり、また限界でもあるようなものであり、しかし「翻訳」というあくまでも具体的な行為=運動によって、はじめてその存在を証立てるものとして��る。つまり「純粋言語」というもの自体は抽象的だが、それはいわば「言語表現」の「物質性」の果てしない乗数の狭間から立ち上がってくるのである。
純粋言語とは、みずからはもはや何も志向せず、何も表現することなく、表現をもたない創造的な語として、あらゆる言語のも��に志向されるものなのだが、この純粋言語においてついに、あらゆる伝達、あらゆる意味、あらゆる志向は、それらがことごとく消滅すべく定められたひとつの層に到達する。 (同前)
「翻訳者の使命」とは「異質な言語の内部に呪縛されているあの純粋言語をみずからの言語のなかで救済すること」だと、ベンヤミンは述べている。しかし彼は「みずからの言語=母国語」と「異質な言語=外国語」の非対称性について語っているのでは無論ない。当然ながら「みずからの言語」の内部にも「純粋言語」は呪縛されている。ここでの「呪縛」とはむしろ「みずからの」という自明性の中に潜在し隠蔽されている、というような意味なのである。 周知のように、多和田葉子には「翻訳」を主題とする一連の作品群が存在している。中編『文字移植(旧題『アルファベットの傷口』)』を始めとして、短編「大陸へ出掛けて、また戻ってきた踵」、パウル・ツェランを論じたエッセイ「翻訳者の門」など。ドイツ語と日本語を併記した詩集『あなたのいるところだけなにもない/Verlag Claudia Gehrke』もある。 多和田葉子は、彼女が「最も尊敬するドイツ語詩人」だというツェランの「詩人はたった一つの言語でしか詩は書けない」という言葉に関して、次のように述べたことがある。
「一つの言語で」という時の「一つの言語で」というのは、閉鎖的な意味でのドイツ語をさしているわけではないように思う。彼の「ドイツ語」の中には、フランス語もロシア語も含まれている。外来語として含まれているだけではなく、詩的発想のグラフィックな基盤として、いろいろな言語が網目のように縒り合わされているのである。だから、この「一つの言語」というのはベンヤミンが翻訳論で述べた、翻訳という作業を通じて多くの言語が互いに手を取り合って向かって行く「一つの」言語に近いものとしてイメージするのが相応しいかもしれない。 「パリー一つの言語は一つの言語ではない」『エクソフォニー 母語の外に出る旅』
「ベンヤミンが翻訳論で述べた」「一つの言語」とは、言うまでもなく「純粋言語」のことである。晦渋なベンヤミンの文章が一挙にクリアになった感があるが、しかし「多くの言語が互いに手を取り合って向かって行く」という明快な表現を、単純な意味でのポリグロット的な理想像や、あるいは間違ってもいわゆるクレオール的な言語様態への素朴な称揚と捉えてはならない(たとえ多和田葉子がしばしばクレオールへのシンパシーを表明しているとしても)。この文章を多和田葉子はこう結んでいる。
ツェランを読めば読むほど、一つの言語というのは一つの言語ではない、ということをますます強く感じる。だから、わたしは複数の言語で書く作家だけに特に興味があるわけではない。母語の外に出なくても、母語そのものの中に複数言語を作り出すことで、「外」とか「中」とか言えなくなることもある。 (同前)
「翻訳者の使命」を司る「純粋言語」なるものは、たとえば「日本語」と「ドイツ語」の「間」にあるのではなくて、それぞれの言語の内部につねに/すでに巣食っているのである。「一つの言語」の中に生成する「複数の言語(むしろ「無数の言語」と呼んだほうが正確かもしれないが)」と、「複数の言語」を貫通する「一つの言語」とは、つまりはまったく同じことを指しているのであり、「それ」すなわち「純粋言語」が露出する瞬間を、「翻訳」と呼んでいるのである。 しかしそれにしても、やはりもうすこし具体的な話にならないものだろうか。ジャック・デリダは、ベンヤミンの「翻訳者の使命」を論じた講演の中で、「純粋言語」を次のように定義している。
それは言語の言語ー存在(=言語であること)、そのものとしてのかぎりでの言語ないしは言葉である。すなわち、諸言語が存在するようにさせ、そしてそれらが諸言語であるようにさせるといった、いかなる自己同一性も有しないそういう一者である。 「バベルの塔」『他者の言語 デリダの日本講演』ジャック・デリダ/高橋允昭訳
ますます具体的から遠ざかったかにも思えるが、必ずしもそうではない。ここにふたたびカールステン・ニコライによる「純粋音響」を接続してみることで、何かが仄見えてくるように思う。だがそのためには「翻訳者の使命」に先立つベンヤミンのもうひとつの奇怪な言語論「言語一般および人間の言語について」を参照する必要がある。 「人間の精神生活のどのような表出も、一種の言語(Sprache)として捉えることができる」と書き出されるこの論考は、したがって「音楽の言語、彫刻の言語、といったものを論ずることができる」のだとした上で、極めて特異な一種の「汎ー言語論」を展開していく。
言語は事物の言語的本質を伝達する。だが、言語的本質の最も明晰たる現われは言語そのものである。それゆえ、言語は何を伝達するのか、という問いに対する答えはこうなる一一どの言語も自己自身を伝達する。たとえば、いまここにあるランプの言語は、ランプを伝達するのではなくて(なぜなら、伝達可能な限りでのランプの精神的な本質とは、決してこのランプそれ自体ではないのだから)、言語ーランプ[言語となったランプ]、伝達のうちにあるランプ、表現となったランプを伝達するのだ。つまり言語においては、事物の言語的本質とはそれらの事物の言語を謂う、ということになる。言語理論の理解は、この命題を、そこに含まれているかに見える同語反復性を完全に払拭してしまうような明晰さにもたらしうるかどうかにかかっている。この命題は同語反復なのではない。というのもそれは、ある精神的本質にあって伝達可能なものとはこの精神的本質の言語を謂う、ということを意味しているからである。一切はこの〈……を謂う〉(これは〈そのまま直接に……である〉と言うに等しい)に基づいている。 「言語一般および人間の言語について」ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎訳
ベンヤミンが自ら先回りして注意してみせているように、ここで主張されていることは、いや、このような記述それ自体が、一見したところ、あからさまなまでにトートロジックに思える。「この命題は同語反復なのではない」とわざわざ述べることによって、それは却ってますます深刻な「同語反復」に陥っているようにさえ見える。字面だけでロジックを辿ると、ベンヤミンはほとんど「言語とは何ものでもない(もしくは、それと同じ意味として「何ものでもある」?)」ということを語っているようにさえ思われてくるかもしれない。長くなるが続きをもう少し引用する。
ある精神的本質にあって伝達可能なものが、最も明晰にこの精神的本質の言語のうちに現われるのではなく、その伝達可能なものがそのまま直接に言語そのものなのである。言いかえるなら、ある精神的本質にあって伝達可能なものが、そのまま直接に、この精神的本質の言語にほかならない。ある精神的本質にあって(an)伝達可能なものにおいて(in)、この精神的本質は自己を伝達する。すなわち、どの言語も自己自身を伝達する。あるいは、より正確に言えば、どの言語も自己自身において自己を伝達するのであり,言語はすべて、最も純粋な意味で伝達の〈媒質〉(Medium)なのだ。能動にして受動であるもの(das Mediale/媒質的なるもの)、これこそがあらゆる精神的伝達の直接性[無媒介性]をなし、言語理論の根本問題をなすものである。 (同前)
このようなベンヤミンの独特と言ってよい「言語」観は、先のデリダによる「言語ー存在」という語によって端的に言い表されている(もっともデリダは引用した講演原稿の中で「言語一般および人間の言語について」は自分の手には負えない、というようなことを語っているのだが。「その試論の性格が私の眼にはあまりにも謎めいているし、また豊かで多元決定もいろいろとあるので、私はその試論の読解を延期せざるを得なかった」)。「いかなる自己同一性も有しない一者」というデリダの表現にも現れていることだが、ベンヤミンの初期言語論は、ゲルショム・ショーレムによるユダヤ神秘主義から非常に強い影響を受けている。「言語一般および人間の言語について」や「翻訳者の使命」で語られていることは、つまるところ「言語」なるものを通したメシアニズムなのだと考えれば、明らかに理解はしやすくなる。そして、「言語一般および人間の言語について」と同年に成立した「同一性の諸問題についての諸テーゼ」や、「翻訳者の使命」より十年ほど後に書かれた「模倣の能力について」などの論考を読む限り、要するにそういうことなのだと考えて恐らくは差し支えない。 ベンヤミンの論述が過度に難解に見えるのは、彼がたとえば「精神的本質」という言葉で表そうとしているものの内容を、けっして直接には示そうとしないから、正確には示すことは不可能だし、またすべきでもない、と考えているからである。それでも人間はそれを「言語」において、あるいは「言語」的なるものにおいて掴まえようとするしかない。そして/しかし、「言語」は「同語反復」という形式によってのみ、それを表すことが出来る。 だとすれば、ある意味では「精神的本質」の内容は、もはや問題ではないのではないだろうか。極端に言えば、それはいわば一種の空集合のようなものである。いや、それ自身のみを要素として持つ集合のごときものなのであって、そして/しかし、「それ」を名指そうとした途端に、こう言ってよければ、この形式はあからさまに「宗教」的な色彩を帯びることになる(デリダの「いかなる自己同一性も有しない」という表現は、このことを更に逆説的に捉えたものだとも考えられる)。しかしここでは「純粋言語」とは「どの言語も自己自身を伝達する」のだということ、すなわち「言語ー存在」である、ということを、敢て専ら形式的に捉えてみたい。 たとえば「言語は言語である」はトートロジーである。しかし総てのトートロジーはオントロジーを稼働する。それは言うなれば「自己自身を伝達する」ことしかしていない。それは「言語がある」とだけ記しても、ほとんど同じ意味である。逆に言えば、それだけで足りるのに「言語である」ではなく、「言語は言語である」という無意味で非生産的な反復を必要とするところにこそ、「純粋言語」の核心がある。それが「純粋」であるというのは、「自己自身を伝達する」という運動=現象の純度を指しているのである。 ではここに「音は音である」というトートロジーがあるとしよう。空気中の振動現象を人間の鼓膜ー聴覚が認知することで生起するのが「音」である。前述したように、カールステン・ニコライが自らの音楽に用いている「サイン・ウェイヴ」は、あらゆる「音」の原基を成す、周波数成分としてはそれ以下に分解できない「音」、という意味で「純粋音響」と呼ぶことが出来る。それはすべての「音」の中に潜んでいるものではあるが、当然ながらわれわれは特定の音楽を「サイン・ウェイヴ」の重ね合わせにフーリエ変換して聴取する耳を持っているわけではない。それはあくまでも原理的にそうであることが知られるようになっただけなのだが、しかし同時にそれは厳然たる物理的な事実でもある。 カールステン・ニコライは、そのような「純粋音響=サイン・ウェイヴ」を、そのまま音楽の素材、構成要素として用いている。そこで次のようには言えないだろうか。「純粋音響」のみから成る「音楽」は、ただフーリエ的な意味で「純粋」であるというだけではなく、「音は音である」ということを極限的に明示し、「自己自身を伝達する」ということに収束しているという意味で、トートロジカルな存在なのであり、そのことによって、「音」のオントロジーを、すなわち「音ー存在」を証明しているのだ、と。そして極めて重要なことは、この「音ー存在」は、現実に聴くことが出来るということである。 ベンヤミンの「純粋言語」とニコライの「純粋音響」のアナロジー、そして両者の決定的な違いは、ほぼ明らかだろう。われわれは「純粋言語」を実際に読むことは出来ないが(それはたとえば「翻訳」という運動=現象の中でしか触知し得ない)、「純粋音響」は具体的な聴取が可能である。もちろん、ベンヤミンによれば「人間の精神生活のどのような表出も、一種の言語として捉えることができる」のであり、したがって「音楽の言語」というものが想定し得るのだった。しかし「音楽」を「言語」として捉えた上で、そこにおいての「純粋言語」を考えたとしても、結果としては同じことだ。つまるところ、われわれは「言語」においては、「音」における「サイン・ウェイヴ」に相当するものを、いまだ発見していない、ということなのである。
多和田葉子が、自らの「言葉」によって検証し析出し探求しつつあることとは、ベンヤミンの不可能な「純粋言語」を可能ならしめようとするおそるべき試みであり、そしてそれはまた、カールステン・ニコライが「音楽」と「音」に対して行なってみせたのとほとんど同じことを、「言葉」において行なおうとする試みである。高瀬アキとのコラボレーション・パフォーマンス(朗読+ピアノ演奏)のために書き下ろされた「脳楽と狂弦」や、連作詩編「傘の死体とわたしの妻」などは、その最新の成果である。そこでは「言葉」が「文字」であり「音響」であり「物質」であるということが、「言葉」が「言葉」であるということが、驚くべき強度で反復されている。 おそらく「言語」には「サイン・ウェイヴ」は存在しない。だがしかし、ベンヤミンが漸近してみせたように、それが在ると考えることで露わになる真理がある。そしてわれわれは多和田葉子の他に、この真理を実践する者を、未だほとんど持ち得てはいない。
(『(H)EAR』青土社刊)
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紹介
近年、自らの創作と翻訳を「飴と塩せんべい」に譬える村上春樹の一見独特なアプローチが注目が集めている。その一方で、村上を育てた1970年代の文化的土壌、言い換えれば、ポストモダニズムが急速に浸透していった転換期日本の翻訳文化についてはほとんど解明が進んでいない。当時、発話困難に陥った村上が独自な自己表現を試みる際に参考にしていたアメリカ小説家の作品群の翻訳・受容は、学術界や文壇よりも、60年代のカウンター・カルチャーの旗手たちや産業化するSF翻訳業界によって担われていた。70年代における文化状況の地殻変動を考えると、村上と彼の影響源の間には同質性に由来する一種の「密なつながり」があったことが指摘できるし、70年代のアメリカ小説群の翻訳かつ受容の過程で形成された新たなスタイルがやがて村上文学の特徴となっていく。
村上春樹という作家の文化的ルーツの一つには1970年代の翻訳文化がある。この時代の「新しさ」という視点から「新しい翻訳」、「新しい形」で出版された実際の翻訳書や若者文化の勃興のもとで誕生した「新たな」文化空間を、藤本和子、SF小説の翻訳家たちの翻訳についての研究を通して丹念に辿っていく。
▶︎津野海太郎、藤本和子、巽孝之、柴田元幸、岸本佐知子、伊藤夏実、くぼたのぞみ(以上敬称略)といった翻訳家、SF評論家、編集者の方々に著者がインタビューした内容も収録しています。
目次
インタビュー一覧表
序 章 七〇年代末頃の文学趣味の変革──村上春樹の登場
七〇年代の発話困難──翻訳を通しての自己発見
先行研究のまとめ──三つのアプローチとその不足点
同時代想像力とは何か──二つのの構想
第一章 七〇年代の翻訳を検討するための理論的枠組み
エヴェン=ゾハルと多元システム理論
トゥーリーと記述的翻訳研究
第二章 七〇年代の翻訳が置かれた歴史的な文脈
Youngsters come into being──日本の戦後社会史上における「若者」の登場
理想の時代──「太陽族」と呼ばれる戦後派青年像
夢の時代──若者の誕生に伴う「反乱」という形での激痛
虚構の時代──文化の再編成とサブカルチャーの細分化
七〇年代の大きなパラダイムシフト──近代読者から現代読者への転移
近代読者の歩み──先行する読者論
現代読者の肖像──「新大衆」という消費者層の台頭
文学全集と雑誌からみる読者層の二重構造
第三章 ケース・スタディⅠ:ひとりの訳者、複数の作者──藤本和子の翻訳
「エクソフォニー」の系譜に連なる翻訳家──「サブカルチャー」的な生き方
六〇年代の���劇場運動における藤本和子の参加(アンガージュマン)
演劇中毒──ふたりの演劇仲間
運動としての演劇──Concerned Theatre Japan の編集作業
地下という流れに惹かれて──対抗的姿勢
立ち上がるマイノリティ、女性たち──黒人女性の「声」の復元
差別問題のパラダイム転換のために──「報告」の力
聞書という言文一致体──もうひとつの地下の流れ
新たなる沈黙に「声」を──『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の翻訳
強かな反逆、企てられた革新──日本におけるブローティガン文学の翻訳受容
七〇年代を代弁する小説家──作品群における「パロディ」の活用
ブローティガンのサンフランシスコ時代―対抗文化との関わり
The Tokyo-Montana Express ──時代の文脈(コンテクスト)からの考察
小説群が受容された経緯
『アメリカの鱒釣り』における「新しい形」の正体
『アメリカの鱒釣り』の日本語訳──文体(テクスト)の側面からの考察
ブローティガンの文体的特徴
『アメリカの鱒釣り』における「新しい翻訳」の正体
第四章 ケース・スタディⅡ:ひとりの作者、複数の訳者
──日本語で構築されたカート・ヴォネガットの世界
新しい小説の書き手カート・ヴォネガット
強い肉声の響きを持つ作品群──ヴォネガットの語り口調
アメリカ小説の崩壊──ニュー・ジャーナリストたちの奪権
Welcome to the Monkey House ──日本におけるヴォネガット文学の受容
六〇年代の黎明期──SFファンダム、共同体の形成
七〇年代の転換期──打ち寄せる「新しい波(ニューウェーブ)」、薄れゆく境界線
八〇年代以降の発展期──SFが豊かな文芸ジャンルへ
複数の翻訳家によるカート・ヴォネガット世界の構築
伊藤典夫と『屠殺場5号』(一九七三年)、『スローターハウス5』 (一九七八年)
池澤夏樹と『母なる夜』(一九七三年)
浅倉久志と『スラップスティック』(一九七九年)
飛田茂雄と『ヴォネガット―大いに語る』(一九八四年)
Translator as a Hero ──ヴォネガット受容の中心的な役割を担うSFの翻訳
翻訳一辺倒時代の『SFマガジン』──SF専業翻訳者の第一世代
「SFの鬼」福島正実の文学路線──SFの定義をめぐる論争
七〇年代における知的労働の集団化──SF界の翻訳勉強会の発足
終章 「若さ」に基づく文化的第三領域の生成──二つのケース・スタディが示すもの
ポリティカル・コレクトネスへ向かうカウンターカルチャー
文学的な地位向上を経験するSF
七〇年代の翻訳文化──ブローティガン、ヴォネガットとの共振
展望──文化的秩序の「脱構築(デコンストラクション)」のあとに
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20200418
そんな理由から、わたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由の方が深刻だ。すなわち、この言語が、わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。/アゴタ・クリストフ『文盲』
ツイッターでアゴタ・クリストフにまつわるツイートを見かけて(昨日の日記で彼女の名前を出したばかりなのでタイムリーな感じ)彼女の自伝の『文盲』をパラパラと読み返してみた。べつの言葉を持つということ、翻訳と文体についての興味がまた眠りから目覚める。多和田葉子の『エクソフォニー』も再読したくなってくる。『言葉と歩く日記』はまだ読めてない。読みたい本ばかり増えていく。
家に居るということは変わらないけど、仕事が休みの方が気持ちが緩んで良い。10時間くらい眠ったのに夕方にまた2時間くらい眠った。会社の同期と電話したときに経営戦略が面白いという話を聞いて、その場で同期おすすめの本を注文したのが届いてたので、メモを取りながら読んでみる。気になった用語を検索すると前に仕事で調べた用語と関連があったりして楽しい。
占いや性格診断をときどきやる。昨日・今日は急にふと16 personalitiesを思い出���てインターネットで検索して診断してみる。ずっとINTPが出てくるけど、今回はどうかなと思ったもののまたINTP。独創的に問題を解決する天才型らしいけどそれは違うなと思う。パターン認識を好む、一人の時間を大切にしたい、一人であれこれ考える時間が好き、社交的になれない、の点に関しては大いに賛成する。自分がどういう人間なのかわかっているようでわかっていないから分類されたいと思うんやろうな。説明してもらいたい。でも完璧に一致しているわけではない。
性格診断をやると大体適職も出てくる。研究職、専門職やフリーランス、特に何かを黙々と学びながら働けるような職が合うと書かれている。それも痛いほどわかる。たぶんそう。自由に勉強しているときが一番自分が生き生きしてると感じる。しかしそれが職になったらとてもつらいんじゃないか。しかし向いてないと思っていた営業職で働いててもつらいなと感じることは多々ある。わからんね。給料と環境だけがわたしをここに留めさせている(それだけでもう全てでは?)。
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bookworm・書迷 ・本の虫

bookworm・書迷・ 本の虫
万年活字中毒者の私。読むものが無いと不安になってしまう。
例えば、旅の道中、しばし機上の人となる束の間の時間も、うっかりリュックに本やkindleを入れるのを忘れると大変。小さくパニック。これから数時間、何を読めばいいのか?!そんな時は搭乗口で配られる新聞を片っ端から手にして乗り込むしかない。もしくは機内誌に頼るか。
そんな感じなので、普段からリュックには複数の本が入っていて重い。kindleを使い始めてから少し荷物は軽くなったとはいえ、まだ重い。だけど、その重さに見合うだけの面白さを感じる本だけを選んでリュックに詰める。これが毎回悩ましいのだけど。
この10連休中は良書との出会いに恵まれて、脳も眼も休む暇がなかった。
「エクソフォニー」多和田葉子著
「数学する身体」森田真生著
「身体の言い分」内田樹・池上六朗著
そして、いつぶりだか思い出せないくらい前に読んだ吉本ばななさんの「キッチン」最初に読んだ頃の若くて青臭かった自分と現在の自分が本をとおして「再会する」という貴重な読書体験だった。
たまたま同時期に手にした作者も内容も異なる本たちが、自分に同じようなメッセージを持って来たりもして、本との出会いも人とのご縁に似て、不思議を感じる。
誰かのお家におじゃましたとき、その本棚に自分と同じ一冊を見つけると何だかほっとする。その人の中身を覗き見るようなドキドキした感じがして、本棚の前でふと立ち止まってしまう。
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多和田葉子さんの『エクソフォニー-母語の外へ出る旅-』に書いてあったよう、どこでも眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、複眼を持ち合わせて住む場所は変え続けたいと思っています...世界は広い!森の図書室は本日も12時〜営業中📚(staff栗山)
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多和田葉子 × 岩川ありさトークイベント「終わりのない旅の始まり」 『地球にちりばめられて』(講談社)刊行記念
1982年以降、ドイツで暮らしながら小説を発表し、日本とドイツで数々の文学���を受賞している多和田葉子さんの長編小説『地球にちりばめられて』では、留学中に故郷の島国が消えてしまった女性が、独自の言語を作り出してヨーロッパで生き抜いていきます。誰もが移民になり得る現代を照射する作品になっています。 多和田さんの小説を中心に、日本現代文学を研究している岩川ありささんを対談相手にお迎えして、すでに続編の構想もあり、大きな物語群の予感を秘めた新作『地球にちりばめられて』について、じっくり語り合っていただきます。多和田さんご自身による朗読も予定しています。
日 時|2018年7月20日(金) 19:00開演 18:45開場 会 場|紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース 参加料|500円 受 付|6月22日(金)よりお電話にてご予約を受付いたします。(先着50名様) ご予約電話番号:03-3354-0131 新宿本店代表番号(10:00~21:00) ※当店に繋がる他の電話番号にかけられてもご予約は承れませんのでご注意下さい。 ※間違い電話が頻発しています。上記の電話番号を今一度お確かめの上お掛け下さい。 ※イベントに関するお問い合わせも、上記の電話番号までお願いいたします。
【プロフィール】 多和田葉子(たわだ・ようこ) 小説家、詩人。1960年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『献灯使』『百年の散歩』などがある。
岩川ありさ(いわかわ・ありさ) 1980年兵庫県生まれ。法政大学国際文化学部専任講師。現代日本文学・文化を中心に、傷ついた経験���いかに語るのか、社会、言語、歴史との関わりから研究している。主な論文に、「変わり身せよ、無名のもの―多和田葉子『献灯使』論」(「すばる」2018年4月号)、「クィアな自伝―映画「ムーンライト」と古谷田奈月「リリース」をつないで」(「早稲田文学増刊女性号」2017年)、「どこを見ても記憶がある―多和田葉子『百年の散歩』論」(「新潮」2017年5月号)など。
◆注意事項◆ ・参加料500円はイベント当日、会場にてお支払いいただきます。(お支払い方法は現金のみとさせていただきます) ・イベント会場は自由席となります。開場時間よりご入場いただいた方からお好きな席にお座りいただけます。 ・トーク終了後、サイン会を開催いたします。『地球にちりばめられて』は、当日会場でも販売いたします。 ・イベント会場での録音は固くお断りします。 ・お客様のご都合や交通機関の遅延により時間に遅れた方や、係員の指示に従っていただけない場合は、イベントへのご参加をお断りする場合がございます。 ・イベントの出演者・内容については急な変更等ある場合がございます。予めご了承下さい。 ・定員になり次第、受付を終了させていただきます。尚、当サイトでの受付終了のご案内は遅れる場合がございます。予めご了承下さい。
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2024/03/16
BGM: t.A.T.u. - How Soon Is Now?
今日は早番だった。朝に仕事をしながら少しずつ、この日記で前に書いたぼく自身の小説について考え込んでいた。その小説はたぶん、ある奇妙なパラレルワールドの日本を舞台にしたものとなると思う。たとえばカート・コバーンがまだ存命で『アンプラグド』をリリースしたりする世界、というような。でも冷静になり、少しずつ具体的に筆を進めないといけない。このことに関して「大口を叩く」「ビッグマウス」というのもみっともない。
仕事が終わり、図書館に行きそこで貸出券を失くしていることに気づいた……ああ! 財布の中にはクレジットカードや運転免許証などは残っており、だからただ貸出券を再発行すれば大丈夫のようだ。まあ、悪運が強いのだろう。
夕飯としてカレーを食べ、その後Discordでミーティングに興じる。そこで、日本人のぼくたちが「推し」と称するものを報告・紹介しあう会を楽しんだ。・ぼくは香港のポストロックを推薦した。あるいは香港のみならず台湾や中国のポストロックについても。
明日、発達障害を考えるオンラインミーティングに参加する予定だ。そこでぼくは「なぜ英語を学び続けて止めないのか」を話すつもりだ。過去の思い出を振り返ると、どうしたってぼくは村上春樹の書き物・活動に憧れた日々を思い返してしまう。というのは、言語の壁を越えて活動する「エクソフォニー」(多和田葉子の本で知った概念だ)な作家は数多くいるがぼくは村上春樹をそうした作家と思っている。英語と日本語の間にある壁を超えて書き続けてきた彼をぼくは「国際的」「インターナショナル」な人と思っている。ナイーブだろうか。
若かりし頃、この世にはまだインターネットの確かな姿は存在しなかった。少なくともいまのような「実用化」はまだだった。ゆえにこの国は当時のぼくにとって、「見えない壁」で囲まれているようにさえ感じられた。いまのようにグローバライズされていなかった。春樹のような人はそんな世において実にクールだった。彼らは海を超え、国境を超えて活躍する知性派に見えたか��だ。
その頃、ぼくはあまりにも若く未熟だったのだろう。だからぼくには春樹が日本文学のエバーグリーンな作品に影響されてきたことがついに納得できずにいた。昨日書いたように、いまはぼくのこの日本人的生活・人生を貴重なものとして受け容れられる。この星のこの場所から、この地球の変化を眺める(とりわけ、いまはロシアの選挙が興味を惹く)。
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2023/10/03
BGM: Yellow Magic Orchestra - Tighten Up
今日は早番だった。仕事が終わったあと図書館に行く。目当ては佐藤哲也の『ぬかるんでから』だったのだけれど、予約していた『ギフテッドの光と影』が借りられるということでそれも借りることにした。その後グループホームに戻り、多和田葉子『エクソフォニー』を読んだりDiscordでチャットをしたりあれこれ落ち着かないままに(つまりいつもと同じようにせわしなく)過ごして就寝時間を迎える。前にも書いたけれどノーベル文学賞の発表が5日に控えているということで、もちろんそれはぼくの生活には直接的には何の関係もないのだけれどそわそわしてしまっている。下馬評でいつもながら人気が高い村上春樹なのか、それとも多和田葉子か、ぼくの知らない作家なのか……そんなことにうつつを抜かす自分が実に情けないとも思ってしまうのだけれど(もっと悩まなければならないこと、気にしないといけないことは山ほどあるとも思うので)、でもこれがぼくなのだからしょうがない。そんな騒ぎと関係なくたまたま借りている春樹の『風の歌を聴け』やあるいは多和田葉子『地球にちりばめられて』なんかを読みたいとも思う。いや、もっとカッコいいのは「ノーベル文学賞(笑)」なんて言いながらディケンズやフローベールあたりを読んで「高みの見物」としゃれ込むことかなとも思うのだけれど。
ぼくが村上春樹の文学と出会ったのは16歳の頃で、それから30年以上(ブランクも挟むけれど)一緒に走ってきたことになる。ここまで付き合いが長くなるとは思ってもみなかった。あの頃、つまりぼくが10代の頃夢中になった作家でこんなにまでも付き合えている作家というのは文字通り皆無だ。角川スニーカー文庫などのライトノベルを読んだり、金井美恵子や島田雅彦に手を伸ばしたりもしていたものだけれど……ただただ生きづらかった10代、酒に呑まれた20代、そして死にかけたどん底の30代を通して再生への足がかりを得た40代。そんなぼくの半生を春樹は『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』や『1Q84』といった作品と一緒に並走してくれた。だから、ぶっちゃければ彼がノーベル文学賞を獲ろうがそんなことはぼくの生活には関係ないことだ。ぼくにとっては常にグレートな作家であり続ける。これからだってきっとそうだ。いや、もっと春樹よりもグレートな作家がこの世界には山ほどいるということもわかっている。ぼくの中の批評家的な勘・センスに照らし合わせて言えば、ぼくは大江健三郎や古井由吉、もっと古い作家なら夏目漱石や谷崎潤一郎が残した小説の方が春樹よりも偉大だとも思う。だけれども、それは批評家好みの話でありすぎる。つまり、ぼくの個人的な実存/来歴に根ざした話と切り離した話ということになる。
過去にネットで、ぼくは自分自身の現実を糊塗しよう、イケてる自分を演出しようと小賢しい(そして途方もなく愚かしい)ことを考えてあれこれ足掻いたことを思い出す。いかに自分がすごいか……その一環として春樹を含めた作家についていっぱしの批評家気取りでこき下ろしたりしたこともあった。アホだったとしか言いようがない。かと思えばワーキングプアを気取ってひとくさり政談をぶってみたりもしたなとも思い出す。いまはそんなことに関心を持たない。いや、だからといって人の��とまでとやかく言うつもりはない。ぼくはただ、ぼくの人生を生きたいと思うのみ��。でも、こんな風に恬淡と(だと思う)構えられるようになったのもFacebookやリアル、DiscordやMeWeで友だちと触れ合えているからだ。1人だとぼくはろくなことを考えられていなかったはずだ。春樹が『風の歌を聴け』の冒頭でコミュニケーションについて語っていたのを思い出す。ぼくは彼の作品とは、それがどれだけスノッブに「高みの見物」で世を見下ろして気取っているように感じられるかもしれないにせよ、本質的には「どう人や世界と関わっていくか」について主張したものなのだと受け取る。ゆえに彼の作品に興味を持ち、読み返し続けている。
「人と関わっていくか」……人との関わり合い、触れ合いとは決して甘美なことばかりを意味するわけではないだろう。いや、難しい話ではなく人はケンカだってする。絶交・絶縁・裏切りだってありうる。でも、それでも人とコミットすること、つながることを止めてはいけないのだろうと思う。そんなことを考えているとまた『街とその不確かな壁』や、春樹の別の作品を読み返したくなった。あるいはそれこそディケンズ(実はまだ読んだことがないのだ)やトルストイ、フローベールなどを。ああ、今日はもっと他に書きたいことがあったのだった。『ギフテッドの光と影』に関心を持ったきっかけ(骨子だけ書くと、ぼくのIQは130超えをしていないので「ギフテッド」とは言えず、ゆえに「自分は『配慮される側』『配慮してもらえる側』には回れないのか」と一時期絶望したというような話)、あるいは自分が発達障害者とわかったきっかけ、などなど。まあ、こんなこともある。春樹のみならず多和田葉子についても、あるいはもっとたくさんいる「ノーベル文学賞級の日本作家」「海外文学で、もっと日本で広めたい作家」についても書きたかった。でもこれらについても、また今度の機会にしたいと思う。
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2023/09/27
BGM: Blur - Mr. Robinson's Quango
ぼくの参加している「発達障害を考えるグループ」が近々ウェブサイトを開設することとなった。それで、ぼくを含めたウェブサイト作成班のメンバー同士で親睦を深めて今後どのようなサイトを作るのか話し合うべく今度の土曜日ZOOMでミーティングを行うことに決まった。その席で、ぼくたちはあらためて自己紹介をしてサイトでどのようなコンテンツを発表したいのか話すことになる。今日は遅番だったので、朝の空いた時間にぼくはその自己紹介のためのドラフト(下書き)を作った。自分がどんな人間で、どんなことに関心を持つのか……こんなことを考え始めたのは、実はこれは別件になるのだけれど今日「自分でもPodcastを収録できないだろうか」と思い立ったからでもあった。つまり、サイト作りの会議とPodcastでの自分語りと両方であらためて自己紹介して、自分について語る必要性を感じ始めたということだ。いったい自分がどんな人間なのか……これまでずっとぼくは「ぼくは発達障害者で、日本人で、読書が好きで……」とワンパターンに自分自身のことを押し出してきた。でも、ここでいったん整理し直して自分を見つめるのも大事なことなのかもしれない。そうすることによって自分を深く知ることはムダではないだろう。
自己紹介で話したいこと。いったい自分は何者なのか……と書くと抽象的になりすぎるだろうか。なぜ自分は英語を勉強しているのか、発達障害者とわかったのはいつのことか、なぜ本を読むのか。もっと他愛のない話をするのもいいだろう。好きな食べ物や音楽について、などなど……そもそもなぜPodcastを録ろうかと思ったのかと言えば、たまたま面白いPodcastはないだろうかとあれこれ探していた時に「越読る」というPodcastを見つけ出したのがきっかけだった。ぼくが聞いたのは(と言っても1度だけサラッと聞いただけなのだけれど)多和田葉子『エクソフォニー』についての回で、聞かせてもらいながら「こうして、自分が読んだ本や近況について『語る』のも面白そうだな」と思い始めた。こうしたPodcastはぼくはバイアス(偏見)を持っていて、何か瀟洒なBGMがないとサマにならないのではないかとか思っていたのだけれど何はともあれ低予算で気軽に始められるものでありそうだと思ったので、今度時間が空いたら10分くらいしゃべってみるのも面白そうだなと思った。そこで、あらためてこの「踊る猫」の日常について話し、自分が最近読んでいる本についてもお話しできたらいいなと思った。
ぼく自身のことを思い返してみる……そもそもなぜぼく自身が発達障害という自分自身の障害(あるいは個性)と向き合って生きることに決めたのか。そしてそれをオープンにして、職場でもジョブコーチの利用などを試みたりするようになったのか。プライベートでもこうして自分の障害特性を公表して、それ以外にも読書の感想をシェアしたりして外に対して自分自身を表現し続けている。それはたぶんぼくにとって、生きるということが常に謎だらけの体験を強いられることであったからだと思う。なぜぼくはこんな変なぼくなのか。変だとしたら、なぜそのことでここまで責められなければならないのか……そんなふうに子どもの頃から自分自身と向き合うこと、反省することを強いられてきたのでこんな風に内にめり込んでいく考え方が芽生えたのだと思う。そこから、「自己とは何か」「他者とは何か」「世界とは何か」といったことへの関心が生まれてきた……それはそして、柄谷行人や村上春樹を読むようになったいまでも続いている。英語を学ぶのも本をたくさん読んでしまうのも、そんな動機からだ。それはそうと、そのPodcastのタイトルはどうしたらいいだろう。いまブラーの『The Great Escape』を聴いているのでそれにあやかって「とんずら倶楽部」なんて名付けようかなどと考えているのだけれど。
休憩時間、ふとスマートフォンでネットサーフィンをしていて「マイクロアグレッション」について書かれているサイトを読んだ。海外の人に対して闇雲に「日本語が上手ですね」と褒めてしまうことの是非についてだ。多和田葉子『エクソフォニー』の中にもこんな話題が出てきていたっけ。でも、これは一筋縄ではいかない難しいテーマだと思う。確かにネイティブの立場から「日本語が上手ですね」と言うことはどこかで「(私が理想とする)日本語話者として『認める』」みたいなニュアンスが生まれてしまうのかもしれない……とも言えば言えるのかもしれないけれどぼくはそこまで「うがった」見方をしたくないのだった。海外の人が努力して、時間をかけて向き合って学んだ日本語のそのスキルに対して素直に驚嘆の念を示すことを無碍に否定したくない、と。これは痛し痒しあって、どっちが一方的に悪いとかそんな話ではないのだろうとも思う。そう思うと、国際問題というのはなかなか面白い。こんなこともこれから行うPodcastで話せればいいかな……とすっかり「やるっきゃない」な気持ちになってしまっているのだった。ともあれ、今度の会議はどんな展開になるのだろう。これに関しても「やるっきゃない」。
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2023/09/24
BGM: 佐野元春 - バルセロナの夜
今日は早番だった。昼休み、昨日と同じように原稿用紙きっかり3枚分自分の思いをしたためていく。おかしなもので、ここ最近ずっと英語でチャットしたりあれこれ書いたりしてきたからなのか日本語を書こうとするとなかなかスムーズに日本語が出てこない。原稿用紙に肉筆で書く、というまったく慣れない作業を始めたからというのもあるのかもしれない。ただ、書き始めると思いは湧いて出てくる。きれいな言い方をすれば、これは「母国語を外国語として使う」「母国語の中で『外人』になる」という話になるのかもしれない。ぼく自身はぼくのことを批評的に語る術を持たないが、リービ英雄や多和田葉子のような書き手と同じ「エクソフォニー」な体験をしているのかなとも思う……さすがに気取り過ぎかな。グループホームに戻り、ひと眠りした後にそれを英語に翻訳する。昔、うんうん唸りながら英語をひねり出していた時期を思い出す。いまのぼくの英語が完璧なものというわけではもちろんありえないのだけれど、それでも自分のいびつな、おかしな英語を愛することもできるようになった。たぶんこれが「自信」「自尊感��」につながるのかな、とも思う。そう思うと自分自身がこの人生を生きられていることをも幸せに思えてくる。
今日書いたことは、「なぜぼくはこのヘンテコリンな脳みそを持って歩いているのだろう」といったことだった。それはつまり、この自分自身の思考をつかさどるのがこの脳みそである以上ぼくはこの脳みそと切っても切り離せない存在であるということでもある。子どもの頃からそんな苦悩にとらわれて、「なぜぼくはヘンテコリンな人間なのだろう」とあれこれ悩んで苦しんだのを思い出す。それが嵩じて、必死に島田雅彦や村上龍などを読み込んで「日本社会の閉鎖性」のせいにした���した(ありがちだけど)。つまり、トリッキーな言い方をすれば「ぼく自身が間違っている」のではなく「『ぼく自身が間違っている』と言いつける世の中が間違っている。世の中が狂っている」と思うようにしたということだ。他罰的になった、とも言えるだろう(これもまたむずかしい言い方になるのだけれど)。いまはこの「他罰的」な考え方にも問題があると思っている。「あいだ」「はざま」をどう調整するか、つまり「関係」の中でどう問題を解決するかが大事ではないか……ますますこんがらがった話になってしまったが、ぼく自身の見方と世間のものの見方の間で「その都度、正しいことを確認していく」という解決策を採るのがいいのかなと思うようになったのだった。いまジョブコーチを利用しているのもそうした試みの1つだ。
仕事が終わったあと、図書館に行く。そこで本を借りた。多和田葉子と片岡義男と、あとは平出隆の『鳥を探しに』という分厚い本を借りた。でも今日はそれらを開くこともせず、昨日書いた阿部和重も読めずに結局うだうだ過ごしてしまった。やることもなくなったので昼に原稿用紙に書いたことを清書して、それを英訳する。その後かろうじて村上春樹『風の歌を聴け』をかじってみたりその片岡義男『言葉の人生』に触れたりする……Discordで、とあるサーバで自分に自信がないと悩んでいる方のメッセージを読んだ。ぼくは実を言うと、そんなに「自信」に重きをおいて生きていない。これは「言葉の綾」「物は言いよう」という話にもなってくると思うのだけど、英語を学ぶことにしたって「自信があるから学ぶ」のではなく「自信がなくても学びたいから学ぶ(学んでいると自信が身についてくる)」と考えている。英語を学び始めた当初だって、ぼくは「でも、ぼくは留学経験もないし、英語なんてできっこない」と尻込みしていたのである。でも、自信があろうがなかろうがとにかく「少しずつあせらず、『自分を育てる』『成長を楽しむ』」くらいで「ゆるく」「ゆとりを持って」付き合うのがいいのではないのかな、と思っている。
夜、Discordでぼくの友だちがチャットのメッセージとして興味深いことを書いているのが目を引いた。勉強をするということの意義についてだ。若い頃、勉強せずにチャットにうつつを抜かすことへの警鐘を鳴らして若い頃だからこそ悔いのないように過ごしてほしい、と……ぼくの過去を思い出す。ぼくは十代の頃、まったく勉強しなかった。勉強することの意義も意味も見い出せなかったのだ。「��ぜ勉強しなければならないんだ?」……それは言い方を変えれば「なぜ勉強してまでこんなアホみたいな人生を生きなければならないんだ?」とも問うていた、ということになる。それについて「腑に落ちる」「すんなり得心が行く」言葉を言ってくれる人もいなかったので、ずいぶんそんな自問自答の闇を「さまよった」ことを思い出せる。いま、ぼくはそんな過去のぼくのような「さまよう」人にどう言えるだろう。ぼくはそれでも「学ぶことは続けた方がいい」と言うだろう。でもそれは本を読んだり受験勉強したりするだけではなく、実地のストリート(バイト先など)で実体験で感じることを大事にして社会や外部と触れ合い、そこから傷ついたりしながらも肌身でしみじみ感じることを大事にすることも「学ぶ」ことに含めたいと思う。
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2022/07/25
休みだった。月に一度の通院日。また昨日のようにジュディスさんがルームを開くかと思ったのだがそうでもなかった。��の話をしたかったのだけれど、まあそういうこともある。先生に私の近況を話す。女性をめぐる問題について、グループホームの施設長の方に話を聞いてもらえてありがたかったことなどを話した(ここのところずっとこの問題で私の頭はパンクしそうだ)。それで診察を終え薬をもらい、イオンに行き片岡義男『日本語と英語』を読み返す。この本はコンパクトだがなかなか侮りがたい本だと思っている。
片岡義男はインデックスカードに自身が思いついた日本語と英語の面白い表現、違和感を覚えた表現をメモしておくらしい。そしてそれを忘れるという作業を経て、再び読み返しそのメモの意味について考える。つまりここでは様々な英語話者もさることながら、過去の片岡が他者として現在の片岡の前に現れる。そうして自分の中に他者性があることに鋭敏になることによって、彼の創作活動はよりクリエイティビティを増す。そんなことを考えた。私自身、彼に倣ってインデックスカードを使ってみたこともあった。結局はメモパッドに戻ってしまったが。
その後、途中で止めてしまっていた多和田葉子『エクソフォニー』を読み終える。「母国語の外へ出る」という意味を持つこのタイトル。だが、彼女が果敢なのはどんな「母国語」をも持たずむしろ言葉と言葉(日本語とドイツ語)の間で迷おうとしていることではないかと思った。外国語で書き記すと、母国語で考えている時についつい課しているタブーを破ってより過激に、より正直に書きうるというところが気になった。確かに私も英語で書いていると自分自身が何を考えていたか明瞭になることがあるからだ。自分の中の書きにくいことを英語で書くべきかもしれない。
夜、またしても卑猥な欲望に悩まされる。そして、ふと「このことを書いてみたらどうだろう」と思い至った。プロットなど組み立てず、先がどうなるかまったく計算することなく「今」思っていることをムッシュムラムラと書いてみてはどうかと思ったのだ。それで、自分自身の性にまつわる思い出を書くことにした。際どい内容だったのだが、一部の方からは興味深く読んでもらえたので嬉しかった。さて、それを一般的にどう公開したらいいものか迷っている。読みたい、という奇特な方はぜひ私にお知らせいただければと思う。
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2022/07/23
BGM: Scritti Politti "Anomie & Bonhomie" 今朝はとても爽やかな朝だった。ああ、いつも書いていることだけど、こんな爽やかな日を迎えると私は酒に溺れていた自分自身の若き日のことを振り返ってしまう。車を運転できないので休みの日はどこにも行くことができず、金もないので暇を持て余して安酒を買ってそれを呑んで、ただひたすら酔いつぶれて眠りこけていた日々のことだ。ああ、酒で死にたいとすら思った日々。今、私はパット・メセニーの音楽を聞きながらシラフで過ごせている。この平々凡々な事実の中にこそありがたみと幸せが眠っていることを感じられる。
多和田葉子『献灯使』を読み終える。多和田葉子の小説からはいつもチャーミングというかファニーな、ユーモアと戦慄が混ざりあったような面白さを感じる。だが、「献灯使」からは懐かしさを感じた。確かにこの光景をどこかで見たな、という。老人が若者を介護する倒錯した作中の光景に「今」を見出してしまった。3.11を経由し、そしてコロナ禍で痛めつけられた私たち日本人の縮図がここに描かれているように思われたのだ。その意味で、今もっともヴィヴィッドな小説のひとつではないかと思われた。生々しいディストピアがここにある。
私が関わっている発達障害に関連したクローズドなグループで、知人がLINEメッセージを寄せて下さった。私たちのつながりは「自分がしっかりしないといけないと思っている」という共��点がある、というものだった。確かに私自身も「最終的には自分が決める」という自己決定と自己責任原則の大事さをこのグループから学んだように思った。セルフヘルプ/自助努力、自分で自分を救い自分の責任で動くこと。しかしそれは信頼できる人間関係がセーフティネットとなって支えてくれるからこそできることだ。このグループはそうしたセーフティネットとして私を支えて下さっている。これもまた、ありがたいことだ。
多和田葉子『献灯使』が面白かったので、彼女のエッセイ『エクソフォニー』を読み返してみたいと思うようになった。そして、彼女のように日々英語や日本語でDiscordやWhatsAppで発信する過程で得た気付きを日記というかメモとして残すのもいいかなと思い始めた。過去に友人から「あなたは語学はできないのですか」と言われて「できるわけないだろう。留学経験なんてないんだから」と絶望的な気分で否定してしまったことを思い出す。その頃は今のように英語で発信するとは思いもよらなかった。かけらも思わなかった。ああ、人はこんな風にして翻身し、変化していく……。
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2022/05/23
今日は遅番だった。朝、clubhouseでとある英語関係のルームに入る。そこで自己紹介をした。私は発達障害を抱えていて、それ故に受け答えに時間がかかるというようなことを英語で話した。すると相手が「発達障害があるようには見えない」とおっしゃった。それが引っかかった。もちろんこれは悪い意味でおっしゃったわけではないはずだ。受け答えがスムーズにできており、定型発達者と同じくらい流暢であるということをおっしゃりたかったのだろう。だが、私は複雑な気持ちになった。ならば「発達障害があるのがまるわかりな喋り方」というのがあるのだろうかと思ったのだ。
このことを他のグループ/コミュニティで話した。すると、「それはあなたが発達障害者のステレオタイプに収まっていない人間だからだと思う」と言われた。「知的でカリスマ的で、雄弁な人間だからだ」と。私がカリスマ的? とびっくりしてしまったが(職場の同僚にこのことを話したら十中八九「寝言は寝てから言え」と言われるだろう)、発達障害のイメージのステレオタイプというものがあるということは想像できる。ぎこちなく、どもったりゆっくりとしか話せなかったりする、といったものなのだろうと思う。
発達障害をわかりにくくしているのは、こうした「ステレオタイプの発達障害」のイメージに収まり得ない発達障害が存在しうるからではないかと思う。百人いれば百通りの発達障害の姿がありうる、とまで言われるくらい発達障害はバラエティに富んでいる。だから私自身、「あなたは発達障害なんかじゃない。そんなにコミュニティに入ってアクティブに活動する人が発達障害のはずがない」と言われることさえあるのだ。いや、先述した人を批判したいわけではない。いい思考のきっかけを作ってくれた、と感謝したいと思う。こうした言葉が内省と反省を促す。ならばそれはいいことだ。
多和田葉子『エクソフォニー』を読み始めた。私の母語は日本語なのだけれど、英語で考えることは日本語の「外へ」出ることなのだろうか、と考える。日本語圏のぬくぬくした空気から一歩出て、グローバルな空気の中で思考をめぐらせるということ。確かに英語で考えていると思考が明晰になった気がする。いや、日本語で論理的に考えることが不可能だとは思わない。日本語で理知的に考えて語ることはできる。しかし私は自分の思考のベースが英語的だからなのか、英語で語った時の方が「カリスマ的」に見えるようだ。この問題はなかなか奥が深い。
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