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押井:やっぱり映画って、つくった側が用意したものの2割か3割しか見られないものなんですよ。どんなに頑張っても半分見られたらたいしたものです。実写映画だと、演じた役者さんの思いみたいなものが1カット1カット全部にあるわけだけど、それを全部受けとめられる人は当たり前だけどいない。これはつくる側と見る側の決定的なギャップで、だからこそ観客ひとりひとりが別のものを見ている。映画の感想をつっこんで話しあってみると、実はそれぞれまったく違うものを見ているなんてことが判明することもよくあるんです。 ――そういうことよくあります。 押井:「そんなことあったっけ」「何を見てたの?」って話に必ずなるものなんです。表現ってそういうもので、特に映画は見逃したり勘違いしたりがめちゃくちゃ多い表現ですからね。だから面白いし、繰り返し見る意味がある。映画を見るんだったら、気にいったものを10回、20回と見たほうが良いに決まってますから。僕はそうしているし、実は数を見ても意味がないんですよ。仕事でやっているときなどは、数を見ないといけない時期もあるのかもしれないけれど、僕自身はあるときから「数なんてどうでもいいよ」となった。テレビでなんとなく垂れ流して見ることは多いけれど、映画館では今は年間1、2本ぐらいしか見ないから。そのかわり見ているあいだはがっちり見ます。そうすると、いろんなものが見えてくるから。それで気に入ったらそれこそ何十回でも見る。 見る数のこともそうだけど、僕が考える映画の見方と一般に流布されているものは決定的に違うなと思うことが多くて、どうしてそういうふうに見ちゃうかなということを最近は特に思う。それこそコスパやタイパのために倍速で映画を見るのは、何も見ていないのと同じなんだよね。コスパにもなってないというか、倍速で見たその半分の時間を損しているだけで、元も子もない。本末転倒もいいところっていうさ。それだったら映画の頭10分を見て、見るのをやめたほうがよっぽどましだと思う。倍速で見ても「見た」と思いこんじゃうだけなんだよね。
押井守監督が20年目の“今だから”語れる「イノセンス」の真実 そして本作を“今”劇場で観る意義とは? : ニュース - アニメハック
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Animal Crossing: New Horizons - Museum Scenery (Fish Exhibit)
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“1. 何とかなる。それは、やることをちゃんとやってる人のセリフ。 2.時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。それね、本当のこと言われてるからよ。 3.忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。 4.あなたね、決断力がないんじゃなくて、決断する方法をしらないだけよ。あのね、いい方を選ぶんじゃなくてあなたが思う方を選ぶのよ。最初はいろいろ失敗するわよ、あなたバカなんだから。でもそのうち自然といい方を選ぶようになっていくわよ。最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ。 5.逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。 6.あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。こう言い返してやりなさい。あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。でかい口たたくんだから。 7.ひま、やることがない。なんて間抜けなセリフだこと。春は花を見て、夏は太陽を浴びて、秋は落ち葉を踏んで、冬は静かに春を待つの。やることがないんじゃないわ。やることをわかってないのよ。 8.縛らないことよ、自分で自分を。わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。 9.新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。 10.恋ね。冷めると冷える。冷めるって、心地いい温度よね。冷えるって、おしまいよね。 11.女ってね、時々、好きな人といたくて。時々、好きな人の前から消えたくなるの。それをわがままっていう男とは、一緒にいれないわ。それをかわいいって思う男とは、長くいれそうね。 12.そうね、明るくしているほうが楽しいわね、明るい人にとっては。けど、暗い人には疲れちゃうわよね。だからね、楽しくするってより、楽にする。なのよ。 13.みてるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。 14.信頼でしょ。これが揺らいだらおしまい。さようなら。 15.一生懸命努力してるのに報われないじゃない。努力の量が足りないんじゃなくて、仕方が間違ってるんじゃない。 16.迷わないことが強さじゃなくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ。前をね。 17.はじまるわね。新しい場所、新しい事、新しい人。大変よね、不安よね。あのね、少しだけ思い返してみて、離ればなれになった友達を。道は違うけど、同じ不安よね。だからこう思って。みんな頑張って、わたしも頑張るよって。きっとね、みんなもあなたを応援してるわ。さあ、頑張りなさい。 ~ リトルミイ ~”
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ムーミン「リトルミイ」の名言が、深すぎる・・・ | BuZZNews(バズニュース) 世界の話題をあなたに!
(via
dropoutsurf
)
リトルミイの名言いつ見ても なにかしら刺さることがある。 まさに名言。
(via shiiiika)
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現在の電凸、不買、ビラ配りはいわばゲリラ的レジスタンスであり、 敵から見えない、予測できない、どこまで戦えばいいのかわからない、ことが最大の強みです。 我々は、情報を共有した独立した個の集合体です。 中心点を作らないことで生まれる強さというものもあります。 攻殻機動隊にもありましたね、スタンドアローン・コンプレックスという名前で。 ���名性が失われると格好の標的になってしまうので国民の全てに今回の件が周知徹底されるまで、粛々とうっかりし続けて下さい。
@doudesyo-blogのTumblr
丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2
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1. まずイシューありき 自分の考える世界観があり、そのパースペクティブ、ビューポイントに基づいてこういうことが言えるはずだ、あるいはこういうことを言えば意味(インパクト)があるというメッセージがまずある。これはぶわっとした話ではなく、もう論文のタイトルと言って良いレベルで決まっている。 つまり何に白黒つけたら良いのか、自分は何にケリをつけるのか(=issue)、というのが非常に最初の段階でクリアにあるのだ。そしてこれが次に述べる通り、そのサブサポートのレベルでも続く。 ちなみにこの白黒を付けるという姿勢がどの程度あるか、どのようなことに白黒つけようとするのかで、経営課題の場合、problem solverとしての質はほぼ規定される。何となく面白そうだから、でやるような人が大きなことにケリをつける、とどめを刺す可能性は非常に低い。 2. 仮説ドリブン 次に驚くのは、このような研究の構想を思いついた段階で、そのトップラインのメッセージ(=仮論文タイトル)がどのようなサポートとなるメッセージがあると言えるのか、明確に腑分けされており、その一つ一つがどのようなデータによってサポートされるべきか、ものすごく明確にデザインされていることだ。決して開けてみないと分からないよね、みたいなバカなことは言わない。あえてスタンスをとる。 (ちなみに、これは「イシューアナリシス」と呼ばれるコンサルティング現場では秘宝のように鍵とされている方法論で、体系的にトレーニングをしても、実際に��日々の実践で身につける以外の方法はない。基礎レベルであっても身に付くのはそれなりの時間がかかるし、その課題についてのセンスがあるほど、そして経験を積むほど、レベルが上がる。その書いてあるものを見ただけで、老練な人ならすぐにproblem solverとしての質が分かるぐらいの大切なものでもある。ちなみにこの辺りはコンサルティングをドロップアウトしたような人の本には説明しても分からないと思うためか、うまく説明できないと思っているせいか、あるいは極意すぎて書きたくないと思うせいか、ロジックツリー以上のことは殆ど書いてない。) 例えばこんな感じ、ある朝いつものようにラボにやってくると、Hey Kaz, I have an idea for a work, let's have a chat、みたいな感じでやってくる。行くと紙をペラッと持っていて、一番上にタイトル(メインメッセージ)、その下は左がサブメッセージが五つぐらい並び、その右に一つ一つデータ、実験結果のイメージ、見せ方が絵コンテのように入っている。要は紙芝居的なストーリーラインになっている。その一つ一つが大体非常に手堅い手法によって、どの程度のワークロードが発生するのか、誰にどう聞くとすぐに立ち上がるのか(註:同じラボの人とは限らない)が見えている。 また個々のサブ論点(sub-issue)でも、何がどういえるかどうかが勝負、という本当の見極めどころがものすごくクリアにある。 3. アウトプットドリブン で、これに基づいてある種、その五つなら五つのパズルを埋めるように研究を進めていく。当然、この論理が崩れると、根底から見直しが必要という、issueの流れでいくと上流にある、かなり根源的な課題から取り組んでいく。 これは、こうやって聞くと当然のことのように思えるかもしれないが、殆どの問題解決者が出来ていない非常に重要なポイントだ。問題解決は常にここが崩れると話が崩壊するようなところから行わないといけない。例えば、恋人が出来ない人の問題解決であれば、会う人の数が足りていないのか、会ってからの成就の確率が低すぎるのか、がクリアにならなければ、問題解決は運頼みになってしまう。:)要は課題解決の論理のツリーがどこから始まると考えるべきか、ということでもある。 そして、アウトプットが出て論理に影響が出そうであれば、それに合わせて全体のストーリーライン、トップラインのメッセージを見直していく。したがって、当初の仮説の視点から見ると失敗しているのに、トップジャーナルに載ってしまうなんて言うことがいくらでもある。これはものすごいことだ。 また一つ一つのハコというか、サブ論点が、考えていた方法でらちがあきそうになかったら、すぐにその方法は捨てる。見極めは最大でも1-2週間程度。どんな方法でも良い��ら、その論点がサポートできれば良い。非常にプラクティカルだ。、、、ここもプロのコンサルタントの問題解決現場と同じ。いかなる手法を使ってもよいから論点にケリを最速でつけていく。 4. メッセージドリブン こういう形で進めてきているので当然だが、テキストは非常に歯切れが良く、力強い。なぜそれが大切なのか、何をするために何をやったのか、その意味合いは何なのか、ここから入る。従って、投稿の通りも良く、掲載される確率も高い。 単に実験や研究結果からこれを実践するのがどれほど難しいかは、上の真逆なアプローチで何かやったことがある人であれば切実に分かるだろう。結果、テキストライティングのスキルは母国語だからということではなくて、非常に高い。曖昧さのかけらもない文章を織り込んでいく。
圧倒的に生産性の高い人(サイエンティスト)の研究スタイル - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
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“「努力はしているが、あまり才能はない」という場合にはどうなるのだろうか。 答えのひとつが、「フェーム」(“Fame” 1980)という4年制のニューヨーク市立舞台芸術高校を舞台にしたミュージカル映画の中に出てくる。演劇・音楽・ダンスなどの舞台芸術の分野のプロになるべく、普通の高校の学習科目に加えて専門科目の授業で技術を磨く、8人の生徒の4年間を中心に描いた、アラン・パーカー(Alan Parker)監督の作品だ。この映画は後にテレビシリーズにもなり、また劇場ミュージカルにもなった。 映画のなかで、厳しい入学試験(実技)を通り抜けてきた新入生に、演劇科の教師は言う。才能があれば大丈夫だとは思うな。強力なテクニックと良いエージェント、そして何よりも、厚い面の皮が必要だ。 つまり「才能を持っている」ことが、入学の大前提になっている。 そして時には入学した後で、才能がないことが明らかになることもある。こんなときに、生徒自身に才能がないことを自覚させ、生徒がめざしていた道を諦めさせるのも教師たちの仕事だ。 この映画のあるシーンで、リサという2年生のダンス科の生徒が、ダンス教師から最後通牒を突きつけられるシーンがある。リサは4歳からダンスを習っており、ダンサーになることは彼女の子供のころからの夢だった。しかし芸術学校に入学後の彼女は、レッスンについていけなくなってきていた。 教師はリサに向かって、「あなたを入学させたのは、こちらのミスだった」と言う。それでもなおも「もっと稽古をして、もっと上手くなるから」「トップダンサーになりたいわけではない。踊りたいだけ」と、すがるリサに教師は続ける。「もっと上手くなる」では、ダメなの。あなたは満足なレベルには行けないでしょう。あなたには才能がない。聞きたくないことでしょうし、言うほうだって辛いことだけれど、でも本当のことよ。 教師から高校2年の女の子に突きつけられる、「貴女には才能がないので、これ以上はやっても無駄」の厳しい言葉。それが「本人のため」なのだ。 では、日本はどうだろう。 日本では、こつこつとがんばる人間が評価される。日本人のプロセス志向とは、言い換えれば「努力」を評価するものだ。この「努力が重要である」というのは、見方を変えれば「人間がもともと持っているものは、似たようなもの」という前提があるのではないだろうか。 「好きこそものの上手なれ」という言葉があるのも、「一生懸命勉強すれば、良い学校に入れる」と信じて、親が子供の学習にかなりの金をかけるのも、「努力が大切」だと思っているからであろう。「誰にも負けないものをひとつ持て」というのも、ジャンルをせまく絞り込んで大層な努力をすれば、「誰よりも秀でる分野ができるはずだ」という考え方からだろう。が、世の中そんなに甘いものじゃあないだろ…と、アマノジャクなわたしはうがってしまうのである。 もちろん努力は必要だ。が、ときには、普通の人がなかなかできないような難しい物事を簡単にこなしてしまうような「平均値」を超えた人間がいることも、きちんと認めるべきだろう。こういう人間は「努力が重要である」という日本人の前提を脅かすので、組織内では結構嫌がられるのだが、それはその人の責任ではない。”
— 天賦の才か努力か?米国の場合 - 巣窟日誌
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谷川岳を切り崩すっ。そうすれば新潟に雪は降らなくなる。崩した土で佐渡海峡を埋めるんだ。雪は関東にも平等に降るようになる
「こんな不平等があるかっ」田中角栄はなぜ「北陸の��った60戸の過疎地」に「12億円のトンネル」を作ったのか…? (松田 賢弥) | 現代ビジネス | 講談社
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「システム開発においては、一般的に『要求定義』、すなわち『今はこれだが、これからあれを開発して欲しい』という依頼者側の求めをまとめる作業と、『要件定義』、すなわち『これからこれを開発します』という開発者側の理解をまとめる作業があります。今回の日本IBMの言い分は、NHKから『今はこれだが』と言われたものが間違っていたので開発するのが難しくなった、というものかと思います。 システム開発の失敗を原因とする裁判をよく見るのですが、『要求定義』か『要件定義』のどちらか、または双方があいまいだったために失敗する例がほとんどです。このため、今後、依頼者側が提出した『要求定義』と、開発者側が提出した『要件定義』と、どちらに非があったのかが争点となります。
NHKに提訴された日本IBMの反論が生々しい…仕様書に記載ない仕様が満載 | ビジネスジャーナル
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“「とにかく頑張れ」は間違いで、「頑張らなくていいよ」も間違いで、「こうやって動け。この工程が終わったら休め」が正解なのだと思う。動作を全部スクリプトとして伝えられて、はじめて動きかたは身につくし、それを「発見しろ」と言い放つ人は、そもそも教えられないことのほうが多い”
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ふぁぼったー / medtoolz : 「とにかく頑張れ」は間違いで、「頑張らなくていいよ」も間違いで、「こうやって動け。この工程が終わったら休め」が正解なのだと思う。動作を全部スクリプトとして伝えられて、はじめ (via ssbt)
Job description
(via bgnori)
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“今日から毎日1時間練習すれば、1年後には何もやっていない人よりも365時間分、高い技能を身につけられる。10年なら4000時間近く。これはもう絶対に追いつかれない。それが、「卓越する」ということです。”
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http://blog.tinect.jp/?p=13000 (via snoopy)
これは危険な気がする。単利な積み上げを信奉すると複利のこと、競争のことの忘却を招く。毎日1時間の練習で1%の改善が合って、その改善の結果が翌日の改善行為のインプットとなって行くならば、これは複利になる。こつこつとバカみたいに練習した10年��努力は、複利なら2年で追い抜かれ、3年で倍の差がつけられ、差がつく速度も絶望的に早くなる。それが卓越するということかと。
頑張ることには大きく2つの価値があると思う。一つは、改善投資行為として。もうひとつが、セルフコントロールの能力の蓄積として。セルフコントロールは脳科学などの補助を経て科学的に解明されつつあり、また成功者や幸福を感じる人とセルフコントロールの相関性や、社会的価値の大きさも統計が出つつある。セルフコントロールという能力の適用範囲はそのまま、幸福の適応範囲や努力ということの広さを意味する。わかりやすい努力でなくとも、例えば生活のコントロールとて努力を要するし、その努力がセルフコントロールのキャパシティを上げる。セルフコントロールや自我消費は実験的に、消耗性のキャパで、睡眠や血糖量(グルコースの量)などで消費量やその日の量が代わり、また我慢の訓練で睡眠あたりのキャパなどがかわることがわかってる。 「投資行為としての努力」という考えは面白みがあると思う。これは���数式的」に、科学的に扱えること。 その人の才能(投資を100やったときに200の改善を得る人もいれば、101しかえない人もいる)との掛け合わせで、結果も変わる。「頑張ったって無駄」なのかどうかはもっと詳細に「君は頑張れる(キャパ70のセルフコントロールのなかで51つまり71%ガンバリを投資する、つまり結構頑張れる」として、20%の改善を得る。ちなみにこれは天才の人が2がんばりくらいしたのと同じくらいで、かれが一日1時間勉強してきみが7時間勉強したのが同じくらいだが、それをつづけてあっちが勉強しないでいてくれれば、勝てる。とかね。 市場と競争であることから、「なにに頑張るか」も決まる。頑張るが投資行為なら「ある、局所的にはこれこれの量の競争が発生している場面で気味が競争相手(これこれの力を持つ)からこのシェアを奪うためにはこの努力=投資=改善努力)が必要」みたいなことになる。結局頑張るとは改善投資計画を履行できるかってことだ。
最大の敵は分散的な投資とか限られた資源のやりくりになり、これをさばくことにもなる。競争、技能、リソース、投資において節制などの代表的な投資行為で総合的で領域横断的なポートフォリオを、体や才能とのセット、セルフコントロールなどとの掛け算の中で、いま資本主義とプロレタリアートの両方を生きる僕らは努力をマネジメントしなくちゃいけない。ピーター・ドラッカーはマネジメントの科学の中に強くイノベーションと改良、自己撞着の禁止(過去のランタイムの意識的な廃棄)などを語っていて、彼のマネジメント論は投資行為としての努力の観点で個人に適応性が高い。 「努力を積み上げても市場の競争によって打ち消されるものを差し引いて価値が出るか」で、十分に情報が得られている状況で判断がつくなら努力は馬鹿げた行為になり、捨て銭でしかなくなる。僕らが無意識で甘え、期待している「個人の努力において競争は発生しない」というバイアスは最大級に危険だ。スポーツなどに見られる無駄な根性の美学はセルフコントロールの価値以外においてはあまり魅力的には思えない。どちらかというと改善行為のモニタリングのほうが価値があると思う。イチロー選手や、才能のあるスポーツ選手の多くにはあきらかに努力行為のメタモニタリングがあって、練習方法、練習方法の組み合わせ方法、レビュー方法など、メタ、メタ、メタと階層があり、例えばイノベーションタイプの努力(大きな改善を産みうるような方法の探索のための練習)とか、暫時的な改善タイプの努力(1.01%の改善が見込まれる改善行為で、投資=改善飽和は100回あるぜみたいなもの)とか、維持的な訓練とかそういうものに対してとても意識的であるように思う。 あと、領域横断ってことを考えると常にこの問題がついて回る。
(via toukubo)
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“日本語で言う「もんだい」は、英語ではquiz, question, problem, issueという4つに分類できる。 quizというのは、「出題者の世界のなかで正解が決まっている問題」のことだ。だから学校の小テストはquizという。 questionというのは、「一連の思考の連鎖のうち、欠けている一部分を埋める問い」のことだ。つまりquestionを行うには、その土台となる一連の思考体系が要る。 problemというのは、「本質的には正解が無いが、場面の要求によって当事者全員が何らかの一致案を探らなければならない問題」のことだ。環境問題、税金問題、和平問題など、絶対的な正解など無くても、なんらかの処置を施さなくてはならないために当事者間の利害の調整を計らなくてはならない問題のことを指す。 そしてissueとは、「正解がそもそも無く、答えを出すことよりも、それに対する取り組み方からのほうが得られるものが大きい問題」を指す。「人間とは何か」「時間とは何か」「人はどう生きるべきか」のような問いのことを指す。 issueは、そもそも答えが無い。「答えは何か」よりも、「その問いにどう立ち向かうか」という方法論のほうが重要になる。”
— たくろふのつぶやき : 最近の本屋の話をしよう (via tzyzn)
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“去年5月に見た「ちょうど雑誌の売上がダダ下がりしている頃にKindleとスマホが登場した。救命ボートだ!と思った。飛びついた。抱きしめた。魚雷だった」というVOGUE編集者の言葉、ほんとにうまいなとまだ反芻してる。”
— (10) こりまさんはTwitterを使っています
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遺書がもし、生まれ変わった私や、これから生まれてくる私への、今の私からのメッセージなのだとしたら、こう言いたい。
「人生で一度、あなたはちゃんと報われた。これからどんなことが起こるかはわからないけれど、それで構わないと思っている。あなたはもう眠るときに恐れていない。過去の思い出だけを選んで布団に入るのではなく、今日受けた温かさの残滓、明日会う人、明日やることへの期待と充実感に満たされて眠ることができる。
完全な安心感を知った。人と分かち合い、理解され、思いやられ、推しはかられ、ただ幸せを願われることがあった。あなたのいのちは、人と通ったのだ。
あなたは一度、ちゃんと迎えられた。だから安心して、どうかただ安心して、受け入れられたこと、通じ合ったこと、そのことだけを記憶に溶かして、もう一度、この世界に生まれてきてほしい」
安達茉莉子『毛布』
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まずは問題は自分にあるかもしれないという事実を受け入れてみてはどうかな。きみはきっと、自分のほうがよくわかっている!と思っているだろうけど、いまの(カーネル開発コミュニティの)プロセスはうまくいっている。もちろん問題はあるが、問題が起こることは人生の現実だ。完璧なものなど存在しない。しかしきみが行ったソーシャルメディアのブリゲーディングは「そのアプローチにはまったくもって関わりたくない」と僕に思わせるものだ。カーネル開発に問題があるとしても、ソーシャルメディアは絶対に解決策ではない。(ソーシャルメディアが)政治の解決策ではなかったのと同じことだ。技術的なパッチと議論はもちろん重要だ。だがソーシャルメディアによるブリゲーディングは…ノーサンキューだ。
Asahi Linuxのリードデベロッパがアップストリームメンテナーを辞任、背景に“C vs. Rust”対立に端を発したブリゲーディング | gihyo.jp
特定の個人やグループに対してソーシャルメディア上で攻撃する行為は「ブリゲーディング(brigading)」と呼ばれる
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男社会は「何を為したか」が重要。 女社会は「何を消費したか」が重要。 これは、男性が『女の話はオチが無い』と感じる理由にも通じます。 例えば、 【モナ・リザを現地まで見に行った】という話は、男性からすれば「で?」「だから?」「それで?」「オチは?」となる。 言うまでもなく、モナ・リザを現地まで見に行っただけでは『ただの観光客』に過ぎず、何かを生産したわけでもなければ、何かを成し遂げたわけでもありません。あくまで、消費者の立場でしかありません。どこにも『評価』できるポイントが無い。 「で、お前は何をしたの?」となる。 男社会では「その経験を活かして何を為したか」の方が重要だから、続きを促す。 【モナ・リザを現地まで見に行った】【そこから着想を得て今の仕事に活かしている】という話をすることで「凄いね!」「やるね!」となり、オチがつきます。 あるいは、逆でも良いでしょう。 【今の仕事を頑張って結果を出した】【ひと段落して余暇ができたからずっと憧れていたモナ・リザを現地まで見に行った】という話でも「凄いね!」「やるね!」となり、オチがつく。 いずれにせよ、男社会では「何を為したか」が『評価』の基準となるわけです。 しかし、女社会では違います。 【モナ・リザを現地まで見に行った】という話だけで女性は「凄いね!」「やるね!」となります。 女社会では『いかに高尚で高級そうなものを"お客様"の立場で消費しているか』の方が重要だからです。 むしろ、男社会のように「何を為したか」を自分から積極的にアピールするのは『評価』としてはマイナスポイントであり『奴隷みたいに苦労していて貧乏くさい』と見なされます。 だから、女性は「(まぁ私にとっては普通のことで何の苦労もなくいつも通りの日常の延長線上でしかないから騒ぐほどのことでもないけど)モナ・リザを現地まで見に行ったよ」という話し方になり、そこに至る経緯や背景は省かれる。 男社会におけるオチの部分は、女社会では「凄いね!」「やるね!」という『評価』が済んでから、語られることになります。 相手に言われて「そんなに聞きたいなら答えるけど」という姿勢で、あくまで聞かれたから、求められたから、仕方なく話す。これにより『評価』は保たれて、安心してオチまで話せる。 女社会では、ここまでの流れである「最初に評価→続きを促す→オチまで話す」が会話の『プロトコル』として、無意識レベルで共有されています。 恋愛の話だと、もっと分かりやすいかもしれません。 女社会では、まず最初に「それは相手が悪いよあなたは悪くない!」という『評価』が定まってから、続きが促されます。その後で、オチまで語られる。 女性の話が長くなる傾向にあるのも、この形式だと延々といくらでもオチを付け足せるからです。 また、女社会では『陰口』が多くなります。最初に『評価』が定まったものを表立って覆すことはできないので、本人のいないところで「実はあの時おかしいと思っていたんだよね」と後出しで語られる。 男社会では、順番が逆であり「背景も経緯も全てを話す→最後に評価」という流れとなり、評価���定まった後に何かをつけたすのは『言い訳』と見なされます。 恋愛の話に限りませんが、男社会では「両方の主張を聞いてみないと分からない」という姿勢が一般的です。全ての情報を俯瞰してから、最後に『評価』が下される。 女性から見れば、会話における男性の対応は「最初に評価を定めてくれないと続きが話せないのに評価する前に『で?』『だから?』『それで?』『オチは?』と言われても困るんだけど」となるでしょう。 これが『共感』の正体です。 女社会における『共感』とは「最初に評価を定めてから続きを促すこと」であり、男社会における「評価するという目的のために続きを促すこと」とは真逆なのです。 だから『誠実』の基準も真逆。 男性からすれば「全ての情報を聞いていない時点で評価を定めるなんて不誠実だ」と思うかもしれませんが、女性からすれば「最初に評価を定めて安心させてあげないのは不誠実だ」となります。 『女の話は相槌を打っておけばOK』を鵜呑みにして失敗する男性が多いのはこれが原因で、評価を定めずに相槌を打っても「話を聞いてないでしょ!」となります 本質は『男女で会話の順序が違う』こと。 SNSでもこの傾向は顕著に見られます。 『女あるある』として「批判されてから情報を次々に後出しすること」がよく見られて、女性は真偽不明の情報であっても「キモい」「性犯罪者」のような『評価』を最初にしてしまう。 男性から見れば、女性の言動が著しく不誠実に見えると思いますが、これは男女で会話の『プロトコル』が異なるから。 男性の会話は『評価』が最後。 女性の会話は『評価』が最初。 以上が、男性が『女の話はオチが無い』と感じる理由です。
Xユーザーのめるめるさん
以下、詳細版
男性が「女性の話にはオチが無い」と感じる本当の理由|めるめる
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このWelcomeアプリがやるべきなのは、ディストリビューションの使い方を説明する動画をすぐに再生することだ。開発者は、自分たち自身にとってのシンプルさを実現するだけでなく、使いやすいディストリビューションを作り上げたことをユーザーに示す必要がある。それを目標にすべきだ。 Linuxディストリビューションのメンテナーが自分たち自身にとってのシンプルさを実現するだけでなく、ユーザーにとっても簡単なディストリビューションを作り上げれば、そのディストリビューションはほぼ何もしなくても人気が出るだろう。平均的な消費者は生活にこれ以上の複雑さを求めていないからだ。
「Linux」開発者がユーザー獲得のためにできる最も簡単なこと - ZDNET Japan
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母(85歳)と歩くと必ず同じ地点で同じ台詞(「ここの奥さん最近見かけないわね」とか)を言うのでRPGみたいだなと思っていたが、最近母がいるのは70年以上前の街らしく「ここで一升瓶で醤油を買った帰りに落として割ってしまった」話を何度もする。同じ所を歩いても見えているものが私とは全然違う。 街に時間のレイヤーが積み重なっていて、人によって見えているものが異なる(それゆえ意思疎通が難しい)ことを実感する。
一緒に歩いているのに、85歳の母に見えているのは70年前の街の姿で見ているレイヤーが違うらしい「今、時間を越えてるのだなって」 - Togetter [トゥギャッター]
Xユーザーの芝田文乃 SHIBATA Ayano◎ポーランド語翻訳さん
より正確には「ある場所に来ると、必ずあるエピソードを思い出す」であって、年齢関係なく誰でもあることで、別に70年前の景色が見えている訳ではない ただ年齢的にだんだん「他のエピソードが思い出せなくなる」ので同じ話しかしなくなる
Xユーザーのおさわり菌類せんと★えるもさん
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