#フェミニズム運動
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npo-toiro · 2 years ago
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cabakascabaka-blog · 2 years ago
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eldstorm · 6 months ago
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
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ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパー��ーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好き��ので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
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(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵��場合、過剰評価となってしまいます。
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ari0921 · 2 months ago
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���宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月18日(月曜日)参
     通巻第8510号
正体不明の組織に(おそらく一部は外国から)巨額が流れ込む。
ダミーと抜け道で資金受け皿団体は IRS (歳入庁)への納税申告を回避できる
*************************
 米国の選挙では表向きのPACに加え、その背後に別働隊がる。妖しげな闇資金を集める組織だ。ディープステートの正体かも知れない。正体不明の組織に(おそらく一部は外国から)巨額が流れ込む。
 英紙『タイムズ』(11月17日)は「カマラ・ハリスの選挙資金から10億ドルが消えていた」と伝えた。ハリス自身が2000万ドルの借金を背負ったとも言われるが、民主党の資金の謎は闇に包まれている。
 フォックス・ニュース取材班が、各団体の納税申告書をチェックし、秘密資金を扱う、摩訶不思議な諸団体経理の実態を調べた。これらの左翼の闇資金ネットワークが、2023年に環境テロ、資源開発妨害など破壊的なプロジェクト(かれらは『進歩的プロジェクト』だと僭称)に資金を提供する目的で「匿名」の寄付金13億ドル以上を集めていたことが分かった。
 ワシントンDCを拠点とする10億ドル規模のコンサルティングネットワーク「アラベラ・アドバイザーズ」は、「ニューベンチャーファンド」、「シックスティーン・サーティーファンド」、「ウィンドワードファンド」、「ホープウェルファンド」、「ノースファンド」、「テレスコープファンド」の6つの非営利団体で構成されている。
これらのグループは2023年だけで合計13億5000万ドルを調達し、15億ドルを他の組織に『助成金』なる名目で送金していた。各基金は、その下にある非営利団体に税務上の特典を与えることで、他の左派非営利団体の財政的後援者としての役割を果たすのだ。
ダミーと抜け道で匿名性を維持し、資金受け皿の諸団体は IRS (歳入庁)への納税申告を回避できる。ネットワーク外の過激派団体にも巨額の資金を移した。
 気候変動や銃規制など「社会最大の課題に取り組む」と唱う「シックスティーン・サーティー・ファンド」は1億8100万ドルを調達した。
23年に5,900万ドルを受け取った「ノースファンド」は、LGBTQの取り組み、環境、および「フェミニズム運動」関連プロジェクトにふんだんな資金を提供した。同団体は3,900万ドルを支出したと報告した。ホープウェルファンドは1億5,700万ドルを集め、テレスコープ基金は昨年6,900万ドル以上の寄付金を集めた。
同ネットワークは、ホープウェル基金とノース基金の両方から、民主党の弁護士マーク・エリアスの事務所、エリアス法律グループに約1700万ドルを送金した。ウィンドワード基金は、中国とつながりがあり、ガスコンロの禁止に取り組む、同時にバイデン政権とつながりが深いロッキーマウンテン研究所に220万ドルを送金した。
かくして「闇金の王様」とされる、アラベラ・アドバイザーズ・ネットワークは毎年10億ドル以上をかき集め、国中で過激な左翼政策を推進している」(アメリカンズ・フォー・パブリック・トラスト)。「匿名」の寄付者は主にディープステートからの迂回資金だろうと推測されている。
 ▼ウクライナ戦争で潤った企業とは?
 ウクライナ戦争で軍事産業いがいにどのような企業、団体がもうけたか。かれらは闇のシンジケートと如何なる繋がりがあるのか?
 軍事産業はロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンなどが武器のフル生産にはいって、トランプ勝利も前向きに解釈され、いずれも株価が高騰した。
 武器や復興の契約だけではない。ウクライナの広大な農地は世界で肥沃な農業大国だが、ファンド筋によって、その土地が狙われており、「ブラックロック」のような新興ファンドがゼレンスキー政権に食い込んで、その先頭に立っている。 
 ブラックロックは1988年にユダヤ人のローレンス・フィンクらが設立し、2006年にメリルリンチ・インベストメントを併合、09年にはバークレイを併合し、またたくまにゴールドマンサックス、JPモルガン、フェイデリティなどの大手老舗と並んだ。
ブラックロックはニューヨーク市に本社を置き、いまや、世界最大の資産運用会社である。運用資産残高は10兆ドルと日本のGDPの2倍に相当し、30ヶ国にオフィスを設置、世界中に18,000名の従業員がいる。
 ダボス会議のモットーは「環境、社会、企業統治」だった。このいかがわしいスローガンを勝手に決めて投資ブームを煽り、一連の金融業ネットワークが利益を寡占する。
  
 とくにJPモルガンとブラックロックは、マッキンゼーとともに、ウクライナ政府と協力し、復興基金を設立し、復興プロジェクトの推進役となっている。ウクライナ復興は4000億ドルから1兆ドルの費用がかかると予想される。ウクライナ開発基金は、「ブレンドファイナンス」手法を用いて、インフラ、気候、農業などの優先分野をターゲットに、公的資金と民間資金の両方を動員する。
 ブラックロックとJPモルガンは、金融市場と債務管理の専門知識を活かし、この基金の管理を無償で協力するそうな。
ウクライナ再建のためのJPモルガン、ブラックロック、マッキンゼーの提携は、戦争で荒廃したウクライナの再建のために数千億ドルを調達することを目的とし、「救世主」として自らを位置づけている。
 JPモルガンとブラックロックは、世界金融システムに深く根ざした企業であり、どちらも紛争を永続させる軍事産業や政府に資金を提供してきた。そのうえで、今度は「復興だ」と、まるでマッチポンプではないか。
破壊に資金を提供した同じ機関が、復興のリーダーとして称賛されているのだ。
これを阿漕とみるか、スマートとみるか?
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kennak · 1 month ago
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ミサンドリー(男性嫌悪)とフェミニズムというのは全く別物の筈なんだが、民主党支持と魔合体してるのがなんとも(これも本来は別物)。で、ここまで活動内容がイッちゃうと『カルト教』との区別がつかない
[B! アメリカ] 女性に広がる「4B運動」 トランプ氏勝利に失望、男性と接触拒否―米:時事ドットコム
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djsouchou · 5 months ago
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インターネット上で、フェミニストを標榜しながらトランスジェンダーを差別するような人々に対していつ頃から懸念を抱いていたか、振り返ったが、おそらく2011~2012年頃からだったと思う。AKB48『ヘビーローテーション』MVをめぐる喧々諤々とか倉田嘘『百合男子』ミームをめぐる喧々諤々とか見てい���
当時の「腐フェミ」(「腐女子」でフェミニストなひとの自称)のネット上での発言などから、これ現状の女性差別がひどすぎてアテンション集まってないが、いずれまずい事態になる予兆だ、と感じていた。もちろんフェミニスト標榜しかつオタクぎらいな人々の発言(たとえば会田誠批判のやりかたなど)で
不安を覚えたものも幾つかあった。「まなざし」「お気持ち」云々でポストモダン思想踏まえた第三波フェミニズムの知見を葬送する勢いが強まり、理論をフォローせず運動進める向きの力が増した。一面、それはグローバルなMeToo運動と呼応してもいた気がする。が、不安や懸念も、現実になってしまった。
江永泉(@nema_to_morph_a)さん / X
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gupaooooon · 5 months ago
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長崎原爆の日、tumblerにも記録を残しておく。
・長崎市長は、今年の式典にイスラエルを招待しなかった。また、停戦を求める書簡をイスラエルに送付もしている。
この長崎市の対応に、G7と日本政府は裏からイスラエルを招待するように圧力をかけたことが判明している。そして、結局、決定を覆さなかった長崎市に対して、各国大使などは式典不参加。イスラエル支持をアピールし、長崎の式典を踏みつけるという、酷い態度を示した。
とくに、原爆投下の“当事者”“実行者”である米国が、“他人事”そのものな態度でイスラエル支持の為の“アピール”として長崎の式典を軽んじ踏み躙ったこと。パレスチナに対する虐殺に加担し続けるなかで、更に被爆者を悼む式典を政治的意図で踏み躙るさま、怒りしかない。
この米国政府の醜悪な態度を助長/後押し��たのが他でもない“イスラエルを招待した広島市長”であることも忘れたくない。
・記事引用「与党幹部によると、政府は長崎市がイスラエルを式典に招待しないことを決め、各国大使らが反発していることが分かると、外交問題に発展する事態を懸念。鈴木史朗市長と関係のある現職閣僚や元参院議員を通じて水面下で翻意を促したが、市の方針は変わらなかった。」
醜悪な日本政府の姿。恥知らず。
見出しや本文に、岸田の掲げる核軍縮が云々としらじらしいことが書いてあるが、極右差別主義裏金政党の自民党政権/岸田政権は、核廃絶に反する姿勢や発言を積み重ねている。 
日本政府は、国内外問わず、侵略を反省することなく、戦争被災者や被爆者を分断し踏み躙っている側である。核兵器禁止条約に批准する気もまるでない。���法を破壊して戦前回帰を目論む最悪な政党/政権が、今の日本の政府である。
🍉記事引用「米英の駐日大使らが長崎市の平和祈念式典を欠席する決定をしたことに、駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム代表は「がくぜんとしている。被爆者とその家族に対する深い侮蔑だ」と語りました」
・また、今回SNSに溢れたアメリカ大使の不参加に対する抗議/長崎市への連帯の言葉の中には、一部。NoBarbenheimer/バーベンハイマー抗議のときのように、“たただひとつの被爆国”“最初で最後の被爆国”などの、日本の被爆の歴史に対する誤った記述や危ういナショナリズム消費がかなり見られた。(敢えて言うなら、“戦争被爆国”という名称を用いるなら例の記述は正確な面もあるのだろうが、それも、ナショナリズム消費/加害を無視して被害者意識のみを肥大化させる効果を持つことに変わりはないと思うので、危うい)
また、「日本への侮辱行為」「日本人を馬鹿にしている」とか。“長崎”“被爆者”“虐殺”から、主題が日本/日本人にすり替わったような記述も目立っていた。被爆者の存在(植民地出身/強制連行被害者などを当たり前に含む)未だに続く複合差別などを無視するような記述はしんどい
改めて、NoBarbenheimerのときの投稿↓と、複合差別についての記事などを引用した去年の長崎に関する投稿も、繋げておく。
今回、式典に詩が引用された被爆詩人・福田須磨子さんの別の詩についても、去年↑に引用したが、知られてほしい。
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feminism-lesbianart · 1 year ago
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東京レインボープライド2024へのイスラエル大使館と BDS対象企業からの協賛についての公開質問状 〜植民地主義と民族浄化・ジェノサイド共犯と決別するために〜
NPO法人東京レインボープライド 御中
貴団体の長年にわたるLGBTQ+権利運動への貢献に敬意を表し、感謝申し上げます。 きたる2024年においても、プライドに集うことを心待ちにできることは多くの人にとって大きな喜びにつながるものと思います。
1994年の東京での最初のパレード以来、プライドは良くも悪くも大きな成長を遂げてきた観がありますが、その過程で、東京レインボープライド(TRP)が、立ち上げから間もない2013年から東京五輪開催を控えた2019年までの7年間にわたり、イスラエル大使館の協賛を受け続けてきたことを振り返らないわけにはいきません(*1)。当時、すでに「イスラエルのピンクウォッシング」が活動家・研究者などに知れわたっている状況になっていたにもかかわらず、同大使館のブース出展やステージ登壇、広告掲載などを通じてTRPはピンクウォッシングに協働し続けました。このことは、長年のパレスチナの人びとの苦難を敢えて無視するのみならず、イスラエルによる暴虐・戦争犯罪に敢えて加担し、それを常態化させ加速させることにほかなりませんでした。そして、現在、2023年10月7日以来、とめどもなくガザ地区(人口の半分が子ども)と軍事占領下のパレスチナ全土に襲いかかっているイスラエル国家によるジェノサイドと民族浄化(殺戮、傷害、破壊、強制移住、集団飢餓、非人間化)につながる役割を果たしてしまったと認めざるをえないのです。 イスラエルによる犯罪への加担を看過・許容した人びと、止めることができなかった人びと、わたしたちは、その責任の重大さを痛感せねばなりません。同時に、これを終わらせるために行動を起こす必要があります。
この大きな失敗をしっかりと踏まえ、二度と繰り返さないために、今こそ、貴団体がその立場を鮮明にするべき時ではないでしょうか。 大量虐殺者の側に立つのか。土地を追われ、財産を奪われ、殺されている者の側に立つのか。 人���運動に連なる団体として、あまりに自明のことかと思います。
貴団体は、ウェブサイトでこう述べています。 「多様な誰もが公平に、そして自分らしく幸せに暮らせる未来のために、私たちはあきらめない。」 ……多様性・自由・平等をもとに謳われたその「幸せに暮らせる未来」は、誰かを踏みつけた上に築かれたものであってはならないはずです。LGBTQ+の生と権利は、西側先進国の特権などではなく、日本を含めたグローバルな先住民の権利運動や入植者植民地主義抵抗運動との連帯を強めなくてはならないでしょう。 「これまで積み重ねてきた歩みをみなさんと共に振り返り、しっかりと次世代につなげていく、そんな機会にしたいと考えています。」 ……現在地までを「共に振り返り、しっかりと次世代につなげていく」ために、わたしたちは、貴団体に対し、以下、2点を質問させていただきます。
(質問1)TRPは、2020年〜23年においては、イスラエル大使館の協賛やブース出展などは受けていないものと認識していますが、これは間違いないでしょうか。 また、2024年において、そして、イスラエル国家がパレスチナの占領・アパルトヘイトを終結させるまで、たとえ先方から協賛の申し出があったとしても受けることはないと誓約してくださいますか。
(質問2)これまでの取り返しのつかない失敗をあがない、二度と繰り返さないための方法、その一歩として、「Queers in Palestine」(*2)からの要求に応答することが可能です。その第1項は、「イスラエルの資金提供を拒否し、イスラエルのすべての機関との協力を拒否し、BDS運動(*3)に参加してください。」という要求です。 TRPが2017年〜23年に協賛を受けたアクサ(AXA)、2020年・21年・23年に協賛を受けたヒューレット・パッカード(HP/HPE)は、パレスチナの市民社会からボイコットが呼びかけられている企業です。AXAとHP/HPEにとって、TRPはよい評判を得るための絶好の機会ですが、それで血塗られた手を拭うことはできません。ジェノサイドと共にあるプライドなどありえず、TRPがピンクウォッシングに協力すれば、プライドを売り渡し、パレスチナ殺戮に手を染めるに等しい事態となります。日本と世界のLGBTQ+コミュニティーズを背景に得てきた力を持つTRPが、両企業からの協賛を絶つことには重要な意義があります。パレスチナのクィアと人道の危機からどうか目を背けないでください。 2024年において、そして、AXA、HP/HPEがイスラエルのアパルトヘイト政策を支援してパレスチナでの人権侵害から利益を得ることをやめるまで、たとえ両企業から協賛の申し出があったとしても受けることはないと誓約してくださいますか。
ジェノサイドと民族浄化、占領暴力を終わらせる行動の輪に加わってください。 事態の緊急性が高いため、恐れ入りますが、2024年1月18日までにご回答いただけますよう、お願いいたします。
お尋ねなどありましたら、気軽にご連絡ください。 なお、この質問状は送付と同時に公開させていただきます。
2023年12月28日
フツーのLGBTをクィアする フェミニズムとレズビアン・アートの会 足立・性的少数者と友・家族の会 レインボー・アクション
(*1) わたしたちは、この間、毎年なんらかの形で批判を行い、2016年、18年、19年にはイスラエル大使館協賛にかんする抗議文を発出してきましたが、これに対し残念ながらイスラエル大使館とTRPから一度も応答はありませんでした。 https://feminism-lesbianart.tumblr.com/tagged/trp
(*2) https://queersinpalestine.noblogs.org/post/2023/11/08/87/ 「パレスチナのクィアからの解放へ向けた要求」(日本語あり) 声明に賛同署名できます。脱植民地化解放運動に積極的に関与することが必要です。
(*3) https://bdsmovement.net/Act-Now-Against-These-Companies-Profiting-From-Genocide 南アフリカ共和国のアパルトヘイトを終わらせた国際連帯運動にならい、BDS=ボイコット・ダイヴェストメント(投資引き上げ)・サンクションズ(制裁)を呼びかける国際キャンペーン。 AXAのボイコットについては → https://bdsmovement.net/axa-divest HP/HPEのボイコットについては → https://bdsmovement.net/boycott-hp https://bdsmovement.net/BoycottHP-GazaGenocide-Update (TRPが協賛を受けた日本ヒューレット・パッカードはHPE系の企業です。HPブランドの企業・製品・サービス全てがボイコット対象です。) なお、近年にTRPが協賛を受けてきたアマゾン(Amazon)、Disney、Airbnb、Googleも、現在、圧力をかける対象となっています。
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PDF版はこちら。https://drive.google.com/file/d/1OXBOBd9rTU2lq0RXhcVX7Eg_Bfbt5Tpr/view
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2023年1月20日追記:NPO法人東京レインボープライドからの返信https://feminism-lesbianart.tumblr.com/post/740022720990953472/trp2024-noresponse
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reportsofawartime · 5 months ago
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田中美津さんご逝去の報を受けての上野千鶴子さんの寄稿文(朝日記事)についての感想です。 上野さんは、ウーマンリブ運動「がつくりあげた波が、後になって『第二波フェミニズム』と呼ばれるようになった」と書いていますが、ウーマンリブと、リブ後のフェミニズム運動は切断されていると私は思っています。 また、「ウーマンリブは欧米から日本に『上陸した』と思っている人たちがいる」というのも、私とは認識が違います。 この記事で書かれている、日本に「上陸した」ものとして噂があったものがあるのだとすれば、80年代に、アメリカで学んで日本にマルクス主義フェミニズムを紹介してブレイクしたフェミニズム学者(上野さん)のことではないかと思っていました。近年アメリカでマルクス主義経済学を学んで日本で反資本主義の本を出した学者がブレイクしてみたいな重なる既視感が記憶に新しいですが、 前者はそこからリブ運動がなくなっていったし、後者も日本の労働運動と接続があるのかと疑問の残る現実ご覧の通りです。まさに「思想」は資本主義的に消費されてなんぼの世界というだけの話かと思います。 そんなことはもうどうでもいいのですが、私がこの寄稿文の記事を読んでどうしても書いておきたいと思ったのはもちろん田中美津さんとリブのことです。 美津さんがリブ時代から晩年に至るまであちこちで書き、繰り返し何度も主張されていたことは、「運動の大義と、個人の欲望が同じくらい大事であるということに、私たち(リブ運動)は立った」とおっしゃっていました。もう少し具体的に美津さんの言葉を紹介しますと、 (公に言っても恥ずかしくないような主張たとえば)「優生保護法阻止」とか「おしりに触るな」といった女全体にとって正しいと思うことを主張することだけではなくて、「私の好きな男が触りたいと思うおしりがほしい」ということも言える人間としての自己形成を求めたんです、と言っておられました。 つまり最もタブーとされている性的なことも言えることによって、自分が何者かを正直に感じられるように生きたいと思ったそうです。 実際美津さんは、セックスワーカー当事者の話を聞きに行くことを大事にしてくれていました。AV強要問題渦中も、業界で働く人の話を聞きに行った上で発言され、私たちが開催したセックスワーカーのためのアドボケーター養成講座(2018年)に強い関心を持って頂き、資料を取り寄せて下さったり、常に現場の当事者の話を聞こうとして下さいました。 こうした美津さんやリブの思想や態度は、リブ後の「フェミニズム運動」では、だいぶ剥ぎ取られていったように私には見えます。 私は運動を始めた最初の頃は、フェミニズム運動やフェミニストたち、女性どうしの連帯、シスターフッドという思いでやってたけど、フェミの中にある、男が喜ぶような女(仕事)かどうかという視点や言葉に耐えられず、必ずしも女性運動の中で助け合わないといけないわけではないし、理解しあうのは難しい、しんどいと思うに至りました。 その結果私は、HIV陽性者、セクシュアルマイノリティ、ひとり親、性暴力のサバイバー、困窮者、外国人、エスニックマイノリティ、障害者、非正規労働者、野宿者、依存症者、被差別部落民、元受刑者、マイノリティの当事者や、様々な支援や社会的排除の問題に取り組む人々そういった人たちの中で、わかりあえる人々と繋がり、一緒になって考えてもらったり相互扶助の関係を作ったりともに共生社会を目指すようになりました。 マイノリティの彼ら彼女らは、セックスワーカーと同じようにスティグマと長年闘ってきているから、そのお互いの闘いの経験から得た財産を困っているときに分かち合ったり、何より、どの問題も社会構造の上からきているという問題意識の共有が重要。だから、現在は、女というだけで、無理に女に助けてもらわなくてもいいと考えています。 かつてリブが、女という集団としての全体主義が大事なのではなく、人間としての個として生きる尊厳を大事にする個人主義を訴えたことを、私は自分の運動でこれからも受け継ぎ実践していきます。美津さんありがとう。 https://digital.asahi.com/articles/ASS891T02S89UCVL01NM.html?ptoken=01J4XNBE56H5F1RMAV6EKX3BJW
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lastscenecom · 7 months ago
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私が [主流フェミニズムに] 不快感を覚えるようになったのは、「Me Too」運動の行き過ぎた行為を目にしたときで、女性を幼児扱いしているように感じました。デートがうまくいかなかったことを何らかの暴行として描写することは、女性の主体性を認めていないことと、成人女性に対する家父長制的な保護を暗示しており、どちらも私が支持する本来のフェミニズムのプロジェクトとは相反するものです。
Slut Shaming is Bad Actually - by Regan Arntz-Gray
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patsatshit · 1 year ago
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いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな��が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主��作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!
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〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃします。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり��味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはず��のに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出す作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年経って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。
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〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれたものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけもいまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。それにしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃん��言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないで��ね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。小説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現や、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先生ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。
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〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も���対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるねんけど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関係から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじゃないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)��ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放しにいいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着ていくと評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もあるけど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃうかな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わかわからない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめてから深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
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cabakascabaka-blog · 2 years ago
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whatwouldyougrabtomorrow · 8 months ago
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平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
女子学生の置かれている現実
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を���回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と��をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える���等の理念に反すると警告を発しました。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
女性学のパイオニアとして
こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
変化と多様性に拓かれた大学
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、在日韓国人教授、姜尚中さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろう二重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そして��んばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境の��かげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
東京大学で学ぶ価値
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子
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dropoutsurf · 1 year ago
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属性による平等をやりすぎると、分断が生じる
「被害者ポジション」をめぐって、争っている人たちについて。 | Books&Apps
例えばハーバード大学の合格最低点は黒人とアジア・白人系とでは全く異なるものとなっており、それが加速した今現在、願書にアジア系民族と書かれているだけで合格難易度が桁違いにあがる。
具体的にいえば「高校の成績は常にトップクラス。討論や数学の全国、州の大会で何度も入賞した。それなのにハーバードを含めた上位30校全てが入学を認めなかった」という事例もあるのだそうだ。*後述:マイケル・ワン
結果の平等によって努力が否定されたことは、正義なのか?(逆差別)
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平均点を引き上げられた”普通の人”が、被害者ポジションを作ることで元の評価に引き下げようとする運動が起きてしまう懸念。
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アファーマティブアクション最大の問題点は、過去の問題を現在/未来の人が被ること。若年時の学や職(キャリア)は人生を左右するため補償できる問題ではない。
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応募者全員が”下駄枠”の場合、機会の平等に戻るのか?
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・南川文里『アファーマティブ・アクション』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
序章 なぜアファーマティブ・アクションが必要だったのか 第1章 いかに始まったのか―連邦政府による差別是正政策 第2章 それは「逆差別」なのか―転換点としてのバッキ裁判 第3章 反発はいかに広がったのか―「文化戦争」のなかの後退 第4章 いかに生き残ったのか―二一世紀の多様性革命 第5章 なぜ廃止されたのか―アジア系差別と多様性の限界 終章 どのように人種平等を追求するのか
それでも黒人の雇用が少ないのは能力に基づいた結果だという主張がありましたが、それに楔を打ち込んだのが1971年の合衆国最高裁判所によるグリッグス対デューク・パワー社判決でした。���ューク・パワー社は公民権法の成立とともに卒業証明に代えて昇進試験を導入しましたが、このやり方でも黒人が昇進できない状況は変わりませんでした。最高裁は「現状を『凍結』する」ような制度だとしてこれを差別だと認定したのです。こうして過去の差別の補償のために政府が積極的に介入すべきだという「補償的正義」の考えが確立していきます。 こうした中でAAが導入されていくことになり、女性にも対象を拡大させながら進んでいくことになります。
論争で焦点となったのは、カラー・ブラインド(人種を意識しない)か、それともカラー・コンシャス(人種を意識する)というものです。
この裁判で注目されたのは成績優秀でSATで満点近い成績を取りながらアイビーリーグの大学にことごとく不合格になったマイケル・ワンであり、また、公民権政策の停止をライフワークとしてきた白人活動家のエドワード・ブラムでした。 この裁判はメリトクラシーを信じるアジア系エリート移民と、白人優位の社会を維持しようとするバックラッシュ運動の利害の一致によって進められたのです。
合衆国最高裁は、「人種」を考慮するステップを含んだハーバード大とノースカロライナ大の入試は、憲法に違反していると結論付けました。最高裁の多数意見は両大学の入試が人種という「疑わしい区分」を用いてまで実現しなくてはならない利益があるのか。といった点を指摘し、さらにAAは目的達成のための一時的手段のはずなのにAAを終了する具体的なポイントを設定してないことも問題視しました。 *平等の基準値不在なので不平等解消時期が設定できない。
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【統計の悪用】男性の多い一次産業を引き合いに『女性管理職が多い職場のほうが生産性が高い』という理屈をメディアスクラムで作ってくるのでは?という予測 - Togetter [トゥギャッター]
Sato_海外の経営者から見た日本@hetare_keieisha
これね凄い嫌な予感というか、 いまのうちに予言しておきたいことがあるんですどね。 日本をディスする目的でよく使われる生産性と同じ理論を使ってくると思っている。 結論からいうと 女性管理職が多い職場のほうが生産性が高いという理屈をメディアスクラムで作ってくると思う。
まず傾向として男性が多い職場はインフラ系・機械系とか一次産業だと思います。 次に傾向として女性が多い職場はWEB系とかデザイン系とかだと思います。
このとき当たり前なんだけど前者はそもそも利益率が低めの基幹産業なわけです(原価も高い) 後者は利益率が高めに出ます。
労働生産性なんてものは 日本みたいな産業立国では低めに出るのは当たり前なのですが、
元ポストの方の想像通り女性が多い職場のほうが女性管理職が多いですよって形になると思います。
連中もそう思っていると思います。
したがって労働生産性を引き合いに出して、
女性管理職が多い会社のほうが労働生産性が高い、だから女性管理職を増やせ、
という報道をメディアと関連する左翼インフルエンサーが一斉に言い始めると思います。 そして何らか立法で罰則だとか規制を作ろうとするでしょう。
しかし本質としては そもそも男性が多い職場は基幹産業だったり一次産業だったりで労働生産性という評価軸では高く出てきません。
したがって彼らはそれを悪用して上記のような主張をしてくると思います。 ということで今の内に予言を置いておきますね。
かわなんとか(カワナ=N=トーカ) @kawananikasann *労働生産性は虚業ほど高く計上されるので注意 例:) カタギの農家で稼ぐ男  VS 膣土方でアブク銭つかむズベタ(売春女)
単純な生産性で言えばそりゃ、後者のほうが高くなるんだよね
株ちゃむ @owakon888 中卒の詐欺師が運営してるマルチビジネスの方が
東大or海外大卒が運営するマッキンゼーより
ROEもROICも高いので
中卒の詐欺師が労働生産性を高めます!!
日本の大手企業は前科持ちを社外取締役に据え置くべきだ!!
デジタルおちゃらけ @netagire111 @hetare_keieisha 社員一人あたりの生産性が高いから女性を多く抱えておけるっていう本末転倒な話になってくる気がする
山の手@Yamano_te
日本の男女差の傾向として、女性のほうが男性よりもキャリア志向を持つ人が少ないんですね。本来はここをどうにかしなきゃならない。アファーマティブアクションってのは大義(男女比や人種比の是正)の為に個を無視して属性ごとに一律処理ってやつなので、実はフェミニズムの唱える「個人差は性差を凌駕する」(個々の努力、特性が大事である)とは思想的には食い合わせが悪いです。
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アファーマティブ・アクション,下駄,結果の平等,対等,平等,公平,左翼,左派,フェミニスト,フェミニズム,ジェンダーギャップ指数,管理職,キャリア,
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manganjiiji · 1 year ago
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砂雨(すなさめ)
今日はもう朝から大変だった。大変だったのは私だけで世界のほうは特に何も変わっていない。なんのきっかけもなく、希死念慮を伴ううつ状態が始まった。ご飯を食べてもう少し寝ようと思いベッドで座って休んでいた時に、来た。あーあ。という感じがいつもある。そのあと寝て、起きて、自分だけが見るTwitterに書き込んで、寝て、起きて、18:45に起きた時に、なんとなくうつは抜けていた。それでもなかなか元気はつらつにはなれず、とにかく身体がきついなあという感じだった。寒くて寒くて風呂に入った。頭も体も洗わずとにかく湯船にだけ入った。こういう自分の体の自由な運用ができるのはいいなと思う。風呂から出てやや回復し、『現代思想入門』の2章目(ドゥルーズ)を読み、1章で出てきたデリダの入門書などを3冊(たぶん)注文した。金を大切にしろ、湯水のように使わずにとっておけ(貯金があるだけでも心の均衡が保てるのだから)、と友人にきつく言われたばかりにもかかわらず、うつ状態やそれに準じる状態のときって、本当に何もかもがどうでもよくなってしまう。100分de名著『フェミニズム』の上間陽子さんのところを読んだ(著書がたまたまTLで流れてきたため)。大学で教えながら、沖縄で10〜20代の妊娠した女性のシェルターを運営している方だ。ハーマンの『心的外傷と回復』についてを、「おにわ」(シェルターの名前、おきなわの、にんしんしたおんなのこを、わになってまもる)での支援やケアの実際と照らし合わせながら紹介していた。『フェミニズム』というこのテーマにそこまで沿っているとはあまり思えなかったが、この本にこの話が入っていてよかったと思った。人は深い傷つきから立ち直ろうとする時、というような事を、『現代思想入門』のドゥルーズのところでも書かれていて(ドゥルーズは精神分析批判をしていたため)、千葉雅也がいい感じに現代のケアや自立はどうなされるべきかを調整して補論していたので、千葉雅也、やるじゃん。と思った。私は基本的に千葉雅也が嫌いである。見た目が嫌いなのである。化粧が合ってない、ただケバいだけで、私の美意識と合わない。ギャル男ファッションをするにはとにかく顔が合っていない、本当に千葉雅也の見た目は耐え難い。人の容姿を嫌うのは良くないことだと思うが、千葉雅也に関しては、あれはもちろんそこまで考えた上で「あえて」やっているのであって、千葉雅也の狙った通りの反応を引き出されている私などを見ると千葉雅也は「ほらね」という感じだと思う。とにかく気持ち悪い。かなり前のことだが、千葉雅也はなぜこんな何も分かっていないような、放ったらかして置いてあげた方がいいくらいの知性の人まで引用RTして吊るしあげるんだろう、みたいなことを呟いたら、おそらく名前でエゴサしているのであろう、リプライが来て「これが僕の芸風なので」みたいなことを言われた。芸風か、お前芸人だったのか。全然おもんないけどな。と思ったが、はあ、そうですか。という感じだった。まあ、それが彼のやり方なら仕方ない。私はただ、自分という巨象にたいして足元でぴょんぴょん跳ねるアマガエルみたいな存在に悪口を言われたからって、そんな全力で踏み潰しにかかることはないだろう、と今でも思っているが、哲学者としては、相手が誰であろうと譲れない主張には全て反論するのだろう。単純に、弱いものいじめとか、嫌な奴。と思ったが、哲学者としては、そうではない理路があるの��ろう。まあ、千葉雅也のツイートに、相手が哲学者の千葉雅也だと思ってつっかかってくる奴は相手にすればいいだろうが、その辺の変なおっさんだと思って大した覚悟もなしに反射で悪口を言う地方の中学生程度の知性の人間にえんえんと絡み続ける「芸風」、私は合わないなと思っている。あれから千葉雅也のTwitterは見ていないが(その時もRTか何かでたまたま流れてきた)、相変わらずそういうことをしているのだろうか。Twitterをする上で私が決めていることは、アイコンに「気持ち悪さ」を感じるアカウントには近づかないこと。言及もしないこと。なぜかアイコンの気持ち悪さは私にとって警鐘となる。千葉雅也はギャル男ファッション(※ギャル男ファッションの研究者なのである)の自分の写真をアイコンにしているので、私にとって危険な存在である。
一次創作の資料まとめとあらすじ立てやスケジュールを決めたかったのだがその気力はなかった。気力がないので爪を塗った。他にも本を読もうかなと思ったが、もう今日はこれ以上頭に入らないので無理だった。アウトプットにもインプットにも限界がある。体がついてこれていないのだ。おそらく気温差だと思う。日照時間が落ちていることもそれなりに打撃だ。活動がどんどんできなくなっていく。運動をしたいが、とても動けない、という日が多い。この生活を変えたい、と思うが、どうにも難しい。疲れている。今日はあんスタ日記も博文館も書かずに布団に入ってしまった。座っていることさえできない、という限界状態が最近多い。その度に寝て回復しているが、生活のほとんどが睡眠になっている。その合間に食事。太ることはあっても痩せることはない生活態度。痩せたいとは思っても、痩せるための体力さえ失った状態なので、何をどうすればいいのか���からない。
2024.1.16
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aronespace · 2 years ago
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まちかどAronespace のお知らせ
 4月から1年間、Aロマ/Aセクの人間がここに存在している、という社会運動をやることにしました。
【目的】
 私はAロマAセクの人間で、ひとりで生きていきたい人間です。「ひとりでやりたい」の中には、「ひとりは寂しい」「孤独が辛い」「ひとりで生きるのは不安」「誰かを好きでいる」「誰かを大切にしたい」「実際はひとりでやれない」も含まれています。その上で、「ひとり」とは何か、私を「ひとり」にさせてくれないのは何か、「ひとり」を否定し、困難にさせるものは何か、「やる」とはどういうことか、そういうようなことを考えていこうと思います。
 もう一つの目的は、Aロマ/Aセクの人間が存在している、ということをやることです。Aロマ/Aセクは時に「見えない(恋愛的指向/性的指向)」であるとされます。それは、恋愛感情/性的欲求が他者に向く状態が正常/ノーマルであるとされている社会で私たちが不可視化されているからです。「(見え)ない」から「いない」ってどうして?すでにここにいるのに、どうして我々が可視化させなければならない?なぜここにいるだけ、を許されない?「ない」を抹消されなくてはならない?私たちはこの異性(恋)愛規範、恋愛伴侶規範に支配される社会から(再)発見される存在ではなく、すでにここにいます。そんな社会の中、街の風景の中から私たちの場所を奪い返さなければならない。そういう思いで、基本的に屋外の「見られる」場所でやります。この社会が私たちにとって安全だったことはなく、よってまちかどaronespaceはセーフスペースではありません。この社会の中に私たちが存在することで感じてきた傷や悔しさ、やるせなさを話すことは、それらを個人の話(だけ)ではなくそうさせる社会規範への抵抗になると考えています。「ひとり」をやりたいのにそれが難しく、また不幸(unhappy)と結びつけられる社会から、繋がりを求めない、あくまで個として存在しながら、社会の中に私たちのための場所として「ひとり」を獲得し直す、そういう意図でやっていきたいと思っています。
【活動内容】
 メイン:仙台市内のどこか(基本は屋外、天候・体調によっては屋内)で、私(はねだ)が本を読みます。Aロマ/Aセクに関することを始め、ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズム、婚姻制度、家制度、クィア、(反・脱)恋愛、単身者(と老い)、孤独、ひとりなど、そのとき読みたい本を数冊持参します。ひとり積読解消読書会みたいな感じです。
 また、随時来訪者を募集します。通りがかりに手を振ってくれるだけでも嬉しいし、なんとなく一緒に本を読むのもいいですし、ふらっときて一言交わすだけでも十分です。少しの間おしゃべりできたら楽しいなと思います。が、人と会うこと、喋ることを目的としているわけではなく、コミュニティ作りや仲間作りをするわけではないので、基本的にその場だけの関係です。(私が人間関係を継続させるのがとても苦手なので、毎回その場だけの関係のスタンスでいこうと思います。もちろん何回きていただいてもいいですし、そこからいわゆる緩いつながりが構築できたら嬉しいですが、それを目的とした場ではないので)喋らなきゃ...みたいに全然気負わずにふらっと会って、ふらっとさよならしましょう。
追記:半年やってみて、いらっしゃった方とは本を読むというより話をする関わり方の方が多いというか、そのかたちがほとんどです。もちろん参加の在り方は自由ですが、読書会っぽい空気感ではないんじゃないかなという感覚です。話のテーマも特に設定していないので、話したいことを話すだけでも全然OKです。
 おしゃべりができたら楽しいと思いますが、答弁や教示はしません。また、正義のための議論(※「トランスジェンダー問題」のサブタイトルのようなニュアンス)以外を求める議論もしません。しゃべる内容も特に決めませんが、私は「ひとりでやりたい」をどうやってやるのか、を考えていきたいので、それに沿った話題を話せたらいいなと思います。
【日時��場所・期間】
 日時:基本月1度、日曜日に開催予定です。私の都合で変更や不開催などが起こることもあります。時間も季節や天候等によって変化しますが、今のところ14時以降から2時間ほどを目安としています。いつどのタイミングで来て、いつどのタイミングで帰っても全然オーケーです。
 場所:基本的に、宮城県仙台市内の屋外でやります。現在下見した上で候補にあるのは
・勾当台公園市民広場周辺
・錦町公園周辺
・仙台駅東口周辺
です。都度Tumblrと当ツイッタアカウント(@aronespace)にてお知らせします。なるべく直射日光が当たらないようなところで開催したいので、時間によって場所を移動することがあるかもしれませんが、それもリアルタイムでお知らせします。室内でやる場合はその都度の連絡となります。尚屋外で開催する場合、どうしてもトイレへのアクセスが悪くなってしまうことをご了承ください。
【グランドルール】
・私(羽田)はAスペクトラムへの差別を始め、性的マイノリティ差別、トランスジェンダー差別、ノンバイナリー差別、Aジェンダー差別に反対する立場です。よって、「#まちかどAronespace」ではそれらに対する差別を許容しません。おしゃべりの中でそれらに気づいた場合ストップをかけることがあります。意見交換、意見の批判はオーケーですが、差別につながるような議論、おしゃべりはしません。これらへの差別をする方は、ここに来ないでください。他者の尊厳、あなたの尊厳を毀損する発言や行為は控えてください。この社会が私たちにとって安全ではないと認識していることと、他者の尊厳を傷つけない行動を取ろうとすることは矛盾しません。また、まちかどaronespaceは障害、ルーツ、宗教、それ以外のあらゆる差別にも同様に反対します。
・参加される方の代名詞、呼び方(「さん」「ちゃん」「くん」など)は本人が望むものを使用します。基本的には「さん」呼びをします。もちろん名乗らなくても大丈夫です。
・Aロマ/Aセクのための場所ではありますが、参加される方はAロマ/Aセクでなければならないということはありません。セクシュアリティを問う場ではありませんので、明かしたくないことは話す必要はありません。
・「まちかどAronespace」は原則録画・録音禁止です。参加者を写すことはやめてください。ボムや本などの物品の撮影は可能です。写真を撮る場合は一言お声がけください。また、この場で話したことを、個人が特定できる形で第三者に伝えることはやめてください。
・疾病や障害、それ以外の事情によって参加に何かしら困難がある場合、お手数をおかけしますがどのような対応が必要か教えてください。私(はねだ)がひとりで対応するため、できることに限りがあるかもしれませんが、可能な範囲で参加を阻害しないような方法を取らせていただきます。
・原則マスク着用をお願いします。
・飲食物、本やZINE、フラッグ、プラカードなど持ち込みOKです。
・おしゃべりや仲間作り、コミュニティ作りは目的ではありませんので、無理にコミュニケーションを取る必要もありません。通りすぎる、挨拶する、手を振る、なんとなく本を一緒に読む、おしゃべりするなど、完全に自由です。ご自身のペースに合わせてご参加ください。(固い言い方で繰り返しているので交流を歓迎していないように思われるか���しれませんが、積極的には求めていないだけで交流できたら嬉しいと思いますので、ぜひお気軽にいらしてください🖤)
【第1回・4月開催予定のお知らせ】
【日時】4/16(日)14:30〜16:30
【場所】錦町公園の空いているスペース(最寄り駅:JR仙台駅、地下鉄勾当台公園駅)
【読みたい書籍】*これ以外にも増える可能性は全然あります
・エリザベス・ブレイク「最小の結婚」
・ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」
・三浦しをん「愛なき世界」
・塩沢美代子・島田とみ子「ひとり暮らしの戦後史」
 こんな感じで、2023年度の1年間やっていきます。一緒に本を読んだりおしゃべりできたらとても嬉しいですし、何より「ひとりでやる」を考えやっていくゆるい運動として関心を寄せていただけたら幸いです。
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