#ジェリー・ルイス
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— Dean MARTIN and Jerry LEWIS
Film: Sailor Beware (1952) ⚓️
• Taichiro Hirokawa as Al (Dean)
• Shinsuke Chikaishi as Melvin (Jerry)
#they really gave dean a deep zetzy masculine voice omg#jerry sounds cute too#i'd love to see more of this#sailor beware#sailor beware 1952#1952#martin and lewis#dean martin#jerry lewis#50s#old hollywood#vintage hollywood#classic hollywood#old hollywood stars#hollywood stars#old movies#old hollywood actors#comedy#bnw#classic movies#us navy#japanese dub#seiyuu#底抜け艦隊#ジェリー・ルイス#ディーン・マーティン#Taichiro Hirokawa#Shinsuke Chikaishi
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映画『キング・オブ・コメディ』
U-Nextでマーチン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の映画『キング・オブ・コメディ』(1982)を見ました。
スタンダップ・コメディアンとして有名になりたいと願うあまり現実と空想の境がわからなくなってしまった中年男(ロバート・デ・ニーロ)が有名司会者(ジェリー・ルイス)を誘拐する話だというのは知っていました。
言ってしまえばまあそれだけの映画なのですが、冴えない中年男がアパートの自室にジェリー・ルイスとライザ・ミネリの等身大の写真を用意し、二人の間に座って司会をしたり、壁一面に貼った観客の写真の前で彼にしか聞こえない喝采に酔いしれたりしていると、母親から「何をしてるの? うるさいわよ」と声がかかる……なんて場面は痛々しくて見ていられません。
何度途中で動画をストップしたことか。
世の中にはああいう人っているんだろうなと思うと同時に、誰の心の中にもああいう人はいるし、私の心の中にもいると思います。おそらくだからこそ見ていて、いたたまれなくなるのでしょう。
デ・ニーロはルイスの熱狂的な「追っかけ」である女性と共謀して、おもちゃのピストルを使ってルイスを誘拐するわけですが、あんな簡単にTVのスターを誘拐できてしまうものなんですかね。
その前にはデ・ニーロがガールフレンドを連れてルイスの別荘に押しかけ、ルイスに招待されたと執事に言って中に入り込む場面もありました。1980年代の映画だし、舞台となっているのはもっと前、多分1950年代・60年代ですから、個人情報保護の観念はなかったのかもしれませんが、これができるなら何でもできてしまうような気がします。
ルイスを誘拐したデ・ニーロは、ルイスの代わりにテレビに出演することを要求します。9時から録画し、放送は11時から。
録画は無事(?)終わり、デ・ニーロはガールフレンドが勤めているダイナーへ行って番組を見せようとします。
���こから予想される結末は以下の4通り(というか私はそういう予想を立てました)です。
1)ルイスは11時前に自力で脱出しているので、デ・ニーロが出演した番組は放映されない。
2)番組は放映されるが、デ・ニーロは全く受けずすべりまくる。
3)番組は放映されるが、デ・ニーロはカメラの前で何もできず黙ったままでいる。
4)デ・ニーロはギャグが冴えて受けまくるが、逮捕される。
どれもありうる選択肢だと思います(将棋なら「いずれも一局」というところですね)。
で、実際は……デ・ニーロは番組で受けまくり、その後逮捕され収監されますが、刑務所の中で本を書き、それがベストセラーになり、出所後はテレビのスターになります。
この結末が「現実」なのか「幻想」なのかは論争があるそうですが、私は断然「幻想」派ですね。
自分にとって心地よい夢ばかり見て現実を生きられない人間ーー繰り返しになりますが、そういう人間は世の中にいると思いますし、誰の心の中にも、私自身の心の中にもいると思います。
切ない映画です。
でも、同時に「ロバート・デ・ニーロはそういう情けない人間を演じているけれど、それは演じているだけで、現実にスーパースターじゃん」という気もします。
そう考えると、なんだか騙されたような、自分だけが取り残されたような気分(?)になります。
『ジョーカー』を見たとき、これって『タクシー・ドライバー』ジャンと思いましたが、「タクシー・ドライバー』があって、この『キング・オブ・コメディ』があって、『ジョーカー』につながるのですね。
その全てに出演しているのがロバート・デ・ニーロな訳です。
なるほどなあ……
追記: 私は小学生か中学生の頃、日曜正午からのテレビの洋画劇場でジェリー・ルイスの映画をたくさん見ました。それだけにこういう映画でジェリー・ルイスを見ると、不思議な感慨に囚われます。 ジェリー・ルイス&ディーン・マーチンの『底抜け』シリーズは面白かったなあ。今見ればたわいないものに見えてしまうのかもしれませんが、久しぶりにちょっと見てみたい気がします。 でも、U-NextやAmazon Primeには上がっていませんね。 残念です。
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F1映画プロデューサー ルイス・ハミルトンのこだわりで「修正に費用がかかる」
F1映画のプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーは、ルイス・ハミルトンの意見を取り入れて映画に「真実味」を加える「修正」に費用がかか... https://f1-gate.com/hamilton/f1_84352.html
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偉大なるコメディアン、ジェリー・ルイスさんが20日、91歳でお亡くなりになりました。最早、伝説の人でしたけど卒寿を越えて、何と来年のスケジュールまで既に組まれていたとか。正に生涯現役だったわけです。こちらのポストは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の有名な1シーン。ルイスの名前がオチとして使われています。つまりジェリー・ルイスは、名前だけで笑いを取れる存在だったのです。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
私もリアルタイムでは、この方の全盛期を知りませんし、全作品を観ているわけでもありませんけど、ルイスと言えば、ディーン・マーティンと組んだ『底抜け』シリーズがすぐに思い浮かびます。二枚目のマーティンと三枚目のルイスは絵に描いたような黄金コンビでした。彼は歌あり、アクションあり、そして笑いありの映画で、世界中の人々を楽しませてきたのです。ウィキペディアには「志村けんにも影響を与えた」と書かれていますけど、ルイスの芸風を志村けん以上に感じさせる日本の芸人は、私的には岡村隆史だと思います。
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トップガン マーベリック
2022年/アメリカ/131分/カラー
現在公開中の「トップガン マーベリック」を映画館で鑑賞してきました。元々2019年には完成していたようで、同年の年末に公開予定だったのですが、新型コロナウィルスで公開延期を繰り返し、2022年5月末にようやく公開された経緯があります。
まだ公開して間もないのであらすじは無しにしておきますが、いやー最高でしたね。上映時間を確認せずに見に行ったのですがあっという間の131分でした。
まず映画が始まる製作会社のところで「ドン・シンプソン/ジェリー・ブラッカイマー・フィルムズ」というところだけで涙。第一作でプロデューサーを務めたドン・シンプソンが1996年に亡くなっているので本来であればその後から現在まで続く「ジェリー・ブラッカイマー・フィルムズ」を使うのが筋なのですが、わざわざ第一作の物を引っ張り出してきた心意気にまず心を打ち抜かれるわけですよ。��してオープニングのケニー・ロギンスのデンジャーゾーンでその心は完全に持って行かれます。
ここは友人の受け売りなのですが、映画序盤で戦闘機のテストパイロットをしていたピート・”マーベリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)はチェスター海軍少将(エド・ハリス)から「これからは無人戦闘機の時代になるのだからパイロットは無用の長物になる。」と言われたのに対して「それは今じゃない。」と返すところが、今のCGで何でも出来る映画に対してのトム・クルーズからの宣戦布告であり、「今から本当のアクション映画をお見せしましょう。」という開会宣言とも受け取ることが出来ます(実際役者達は戦闘機に乗り込んでGに耐えながら演技をしています)。
また新しい面も取り入れつつ第一作の80年代のにおいを再現しようとした保守的と言ってもいい作りが評価されている要因と思います。役者達は第一作に比べるとかなり女性・アジア系・アフリカ系・中南米系と多様にはなっているんですが、物語の主軸となるのは白人系ですし、80年代映画では良くあったアフリカ系は白人の相棒ポジションで固定されているとか、白人の上司は間違えた選択をしアフリカ系の上司は正しい選択を示すといったステレオタイプ的な描き方をしています。また音楽も妙に古いのばかりチョイスしていますし、レディ・ガガによる書き下ろし曲も80年代の映画の主題歌ぽい雰囲気があります。マーベリックの彼女役ジェニファー・コネリーの起用も彼女に80年代の雰囲気が残っているからかもしれませんし、”ボブ”(ルイス・プルマン)の眼鏡がわざわざダサイのを選んでいるのも80年代を狙っている可能性もあります。
面白いのは戦闘機や継続して出て加齢している役者達は2020年代なのに、その他は第一作が作られた1980年代から動いていない世界観になっているんです。それこそ「ソビエトが崩壊しないまま冷戦が継続している」というオリジナルの時間軸で脚本を書いた可能性もあるんじゃないかなぁ。となると敵対国に関してはファンタジーを重ねた上での存在になるので今作での「ならずもの国家」はどこか?という推測をするのは、僕としてはやってもあまり意味がない気がします(とはいえ映画の楽しみとしてこういう事を考えるのは面白いので、否定はしませんが)。
少しだけ懸念があるとしたら先のステレオタイプの扱いで、今見ている僕らは第一作を見ているので楽しく受け入れていますが、少し時間がたった後で第一作を知らない世代の人が見るとどう思うのかな?という不安もあり���別の評価を見られる楽しみもあったりします。
トム・”アイスマン”・カ��ンスキー海軍少将を演じるヴァル・キルマーが喉頭ガンを煩い、のどにバイブレーターを当てないと声を出せない状態だったのを映画を見終わってから知ったのですが、それでも出演させたトム・クルーズの粋な計らいと、この事を上手くドラマに生かせるように脚本に入れた事に拍手です。ヴァル・キルマーの声は過去の肉声を元にAI技術を使って作製されたそうで、今後もこの声を使って口パクにはなるけれどヴァルや同じような病気を抱えている役者さんに演技が続けられる可能性を示すことが出来たのは素晴らしいと思います。
出演時間は短いもののヴァル・キルマーが居てくれたことでマーベリックの現役復帰から始まり、ポイントポイントで物語の波になる色んなきっかけを与えてくれているんですよねぇ。正直リアルスーパーマンのトム・クルーズと言えども60歳手前(!)のパイロットが(ネタバレになるので細かく言えませんが)ほにゃほにゃする事になるにはヴァル・キルマーの悲劇「も」抱えこむ事で説得力を持つ事に成功したと思います。これ、もしヴァル・キルマーが出演を断っていたらここまで成功したんでしょうかね…(汗)?
了
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読書家デヴィッド・ボウイが最も影響を受けた100冊 ボウイが生前に発表したリストには古典から小説、歴史、社会科学、コミックまで、さまざまな本が並ぶ(以下、年代順)。 『イリアス』ホメロス(紀元前8世紀) 『神曲』ダンテ(1307?~1321年) 『ザノーニ』エドワード・ブルワリットン(1842年) 『高等魔術の教理と祭儀』エリファス・レビ(1854年) 『ボバリー夫人』ギュスターブ・フローベール(1856年) 『マルドロールの歌』ロートレアモン伯爵(1868年) 『死の谷――マクティーグ』フランク・ノリス(1899年) 『Blast(ブラスト)』雑誌、ウィンダム・ルイス編集(1914~15年)『荒地』T・S・エリオット(1922年) 『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド(1925年) 『チャタレイ夫人の恋人』D・H・ローレンス(1928年) 『白い黒人』ネラ・ラーセン(1929年) 『べルリン アレクサンダー広場』アルフレート・デーブリーン(1929年) 『北緯四十二度線』ジョン・ドス・パソス(1930年) 『死の床に横たわりて』ウィリアム・フォークナー(1930年) 『橋』ハート・クレイン(1930年) 『卑しい肉体』イブリン・ウォー(1930年) 『Infants of the Spring(春の子たち)』ウォレス・サーマン(1932年) 『イングランド紀行』J・B・プリーストリー(1934年) 『ノリス氏の処世術』クリストファー・イシャウッド(1935年) 『ビーノ』コミック誌(1938年~) 『いなごの日』ナサニエル・ウエスト(1939年) 『真昼の暗黒』アーサー・ケストラー(1940年) 『鯨の腹の中で――オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル(1940年) 『異邦人』アルべール・カミュ(1942年) 『ブラック・ボーイ――ある幼少期の記録』リチャード・ライト(1945年) 『街路』アン・ぺトリー(1946年) 『一九八四年』ジョージ・オーウェル(1949年) 『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ(1955年) 『A Grave for a Dolphin(いるかの墓)』アルべルト・ディピラーニョ(1956年) 『アウトサイダー』コリン・ウィルソン(1956年) 『かくれた説得者』バンス・パッカード(1957年) 『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック(1957年) 『年上の女』ジョン・ブレイン(1957年) 『山猫』トマージ・ディ・ランペドゥーサ (1958年) 『Writers at Work: The Paris Review Interviews, vol. 1(パリ・レビュー・インタビュー)』マルカム・カウリー編(1958年) 『Billy Liar(うそつきビリー)』キース・ウォーターハウス(1959年) 『北京物語』デービッド・キッド(1960年) 『ひき裂かれた自己』R・D・レイン(1960年) 『心眼を得る』ダグラス・E・ハーディング(1961年) 『ミス・ブロウディの青春』ミュリエル・スパーク(1961年) 『プライベート・アイ』英風刺雑誌(1961年~) 『サイレンス』ジョン・ケージ(1961年) 『世にも不思議な物語』フランク・エドワーズ(1961年) 『時計じかけのオレンジ』アンソニー・バージェス(1962年) 『The American Way of Death(アメリカ式死に方)』ジェシカ・ミットフォード (1963年) 『夜の都会』ジョン・レチー(1963年) 『次は火だ:ボールドウィン評論集』ジェームズ・ボールドウィン(1963年) 『Puckoon(パクーン村)』スパイク・ミリガン(1963年) 『午後の曳航』三島由紀夫(1963年) 『ハーツォグ』ソール・べロー(1964年) 『ブルックリン最終出口』ヒューバート・セルビー Jr.(1964年) 『冷血』トルーマン・カポーティ(1965年) 『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ(1967年) 『明るい夜 暗い昼』エブゲーニヤ・ギンズブルグ(1967年) 『クリスタ・Tの追想』クリスタ・ウォルフ(1968年) 『Awopbopaloobop Alopbamboom(ロック黄金時代)』ニック・コーン(1969年) 『The Sound of the City: The Rise of Rock and Roll(その街で鳴る音――ロック勃興記)』チャーリー・ジレット(1970年) 『青ひげの城にて――文化の再定義への覚書』ジョージ・スタイナー(1971年) 『Octobriana and the Russian Underground(オクトブリアーナとロシアの地下帝国)』ピーター・サデッキー(1971年) 『洪水の前――べルリンの1920年代』オットー・フードリヒ(1972年) 『西洋美術解読事典――絵画・彫刻における主題と象徴』ジェームズホール(1974年) 『ミステリー・トレイン――ロック音楽にみる���メリカ像』グリール・マーカス(1975年) 『Tales of Beatnik Glory(ビートニク栄光譚)』エド・サンダース(1975年) 『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ(1976年) 『ベッドのなかで』イアン・マキューアン(1978年) 『嫌いなものは嫌い――メトロポリタン・ライフ入門』フラン・レボウィッツ(1978年) 『ナグ・ハマディ写本――初期キリスト教の正統と異端』エレーヌ・ぺイゲルス(1979年) 『Viz(ビズ)』英コミック誌(1979年~) 『A Confederacy of Dunces(愚か者連合)』ジョン・ケネディ・トゥール(1980年) 『Earthly Powers(地球の力)』アンソニー・バージェス(1980年) 『民衆のアメリカ史』ハワード・ジン(1980年) 『Raw』米コミック誌(1980~1991年) 『フロベールの鸚鵡(オウム)』ジュリアン・バーンズ(1984年) 『The Life and Times of Little Richard(リトル・リチャードの人生と時間)』チャールズ・ホワイト(1984年) 『Money(お金)』マーティン・エイミス(1984年) 『夜ごとのサーカス』アンジェラ・カーター(1984年) 『Nowhere to Run: The Story of Soul Music(行き場がない――ソウル音楽の物語)』ジェリー・ハーシー(1984年)『魔の聖堂』ピーター・アクロイド(1985年) 『ホワイト・ノイズ』ドン・デリーロ(1985年) 『スウィート・ソウル・ミュージック――リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢』ピーター・ギュラルニック(1986年) 『肉への慈悲――フランシス・べーコン・インタビュー』デービッド・シルべスター(1987年) 『ソングライン』ブルース・チャトウィン(1987年) 『David Bomberg(デービッド・ボンバーグ)』リチャード・コーク(1988年) 『性のぺルソナ――古代エジプトから19世紀末までの芸術とデカダンス』カミール・パーリア(1990年) 『Beyond the Brillo Box: The Visual Arts in Post-Historical Perspective(ブリロボックスを超えて――ポスト・ヒストリカルの視点におけるビジュアルアート)』アーサー・ダントー(1992年) 『Kafka Was the Rage(カフカは怒りだった)』アナトール・ブロイヤード(1993年) 『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン(1994年) 『ウィルソン氏の驚異の陳列室』ローレンス・ウェシュラー(1995年) 『ワンダー・ボーイズ』マイケル・シェイボン(1995年) 『終わりなき闇』ルーパート・トムソン(1996年) 『A People's Tragedy: The Russian Revolution 1891-1924(民衆の悲劇――ロシア革命1891-1924)』オーランド・フィゲス(1996年) 『TADANORI YOKOO』横尾忠則(1997年) 『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』クリストファー・ヒッチェンズ(2001年) 『コースト・オブ・ユートピア――ユートピアの岸へ』トム・ストッパード(2002年) 『荊(いばら)の城』サラ・ウォーターズ(2002年) 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』ジュノ・ディアス(2007年) 『Teenage: The Creation of Youth Culture(ティーンエイジ――若者文化の創造)』ジョン・サべージ(2007年) 『The Age of American Unreason(アメリカの反逆の時代)』スーザン・ジャコビー(2008年) 『Selected Poems(傑作詩集)』フランク・オハラ(2008年)
鬼才デヴィッド・ボウイの本棚、覗いてみませんか? | ワールド | for WOMAN | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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ロジャー・パルバース、四方田犬彦 『こんにちは、ユダヤ人です』 (2014年10月30日 初版発行、河出書房新社) 3 「ユダヤ人はアメリカにどう受け入れられたか」 p.146-147
ロジャー・パルバース
でも、ユダヤ人にはタブーがないです。だからキリスト教の人たちがユダヤ人を見て羨ましがっているし、彼らの言えないことばかり言っているので、聞く価値があるとか尊敬すると言う。普通のアメリカ人には正真正銘の自己省察=セルフリフレクションがあまりなかった。たとえば、キリスト教徒たちは自由にセックスについて語れなかった。でもユダヤ人たちは女性だって男性だって、昔から公の場でも「いかがかわしい」話をしている。それが非常に貴重だった。なぜ、迫害、悲惨な生活、みすぼらしさ、無知の中から、その自由精神が出たのか。なぜ慣例に縛られず、足かせをはめられず、そういうような態度やスタンスをとっているかというと、どうしても自分のことを人にわかってもらいたいからです。なぜわかってもらいたいかというと、自分のサバイヴァルがそれにかかっているからです。わかってもらえなければ殺されるかもしれない。だから「わたしは弱い人間ですよ。あなたに自分のことを洗いざらいぶちまける」と示す。たとえば schnook シュヌック、schlimazel シュリマゼル、schlemiel シュレミールという言葉があります。シュヌックは「とるに足らぬもの」。シュリマゼルは「運のない奴」。シュレミールは「しょうもない奴」。klutz クラッツは「不器用」。そういった単語がすでにアメリカンイングリッシュとなりましたけど、今の普通の英語で言うとナード、nerd ですね。ナードムービーという一つのジャンルがあります。���ード映画に登場するナードの原型は、ユダヤ人のジェリー・ルイスです。そういう人たちは「見てごらんなさい。俺なんかどじで間抜けでのろまなんだから、殺す価値がないよ。殺さなくても大丈夫。あなたの脅威じゃないから」と表現しています。ユダヤ人のセンスというのは、良いことも悪いことも、特に悪いことをあらわにして表現することです。その動機はサバイヴァルです。逆に日本人は、わかってもらわないことによって��バイヴァルしようとしてきました。一昔前までは外国人は日本人のことを理解することができない、と思われたでしょう。日本人はミステリアスだと、あいつは曖昧で何を考えているかわからない、と言われますが、それによって強くなるし、サバイヴしてきた。ユダヤ人は逆ですね。あいつは何を考えているかわからないと思われたら迫害を受けると思うから、全部言っちゃう。自分は女房と毎週何回アレをやっているかとか、全部ジョークにする。ジョークの真ん中には恐怖があったんです。
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「火の玉ロック」などのヒット曲を生み出し、アメリカ・ロック界に大きな影響を与えたロック歌手のジェリー・リー・ルイスさんが亡くなりました。87歳でした。
「火の玉ロック」ジェリー・リー・ルイスさん死去 87歳 | NHK | 訃報
3日前に誤報があったみたいだけど、今回はNHKも報じてるし確定かな。
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WASITE.store 2022/07/08 now OPEN 今日の海 1621年の今日誕生! ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ!!(〜1695) フランスの詩人なんですが、 超絶有名な言葉や寓話を世に残す!!! 「すべての道はローマへ通ず」 これ!フォンテーヌ!!! 「火中の栗を拾う」 これも、フォンテーーーーーヌ! フランスでは小学校で 「フランスの国語」=「フランス語」の授業で このフォンテーヌを暗唱させられるらしく、 フランス人なら誰もが知っていて、 ネバーフォーゲット! な書き手だそうです。 レジェンド!!! 他にも寓話で 「北風と太陽」「金のタマゴを産むめんどり」 などなど、 フォンテーヌやばい。 そして、 もう気分もやる気もアゲアゲになれる名言が こちら 「人間の魂に火がついたなら 不可能は消滅するように出来ている」 カッケー!!! どうです、最近。ん? 魂に、火をつけてますか? というわけで今日の心のBGMは B`zで「FIREBALL」 サビ「た〜ましい〜に火をーつぅけろぉ〜!」 または〜 ジェリー・リー・ルイスで 「Great Balls of Fire」 絶賛大ヒット中の映画「マーヴェリック」。 バーでグースの息子ルースターが ピアノを弾きながら歌ってる あのノリノリのブギソングです。 オリジナルの演奏者ジェリー・リー・ルイスは マジでやばい。 ライブで盛り上がりすぎて、 グランドピアノの中に燃料ぶち込んで、 燃えてるピアノを弾きながらブギ! 楽器に火をつける人、ジミヘンだけかと思ったけど、 グランドピアノ炎上はやばい。 ロックです で、ジェリー・リー・ルイスといえば、 その名が歌詞に出てくるのが、 ハイロウズ「青春」 ソフトバンクのCMにも使われたよね。 大好きな歌です。 たとえばピアノを触ったことがない高校生! 暑い夏にこのジェリー・リー スタイルを 死ぬ気で練習して、 秋の文化祭のステージでブチかます! というのはどう? 西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」 なんて目じゃねぇ。 もしも、じゃない。 弾く!という決意=火を魂につけたら、 不可能なんてのはない、って フォンテーヌが言ってたよ。 って勝手な高校生の青春夏祭りを妄想! てことで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! では、今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CfvJmA_vbfh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ペンシルベニア州立大学アメリカンフットボール部は「ビッグ10カンファレンス」に所属する強豪であり、2度の全米チャンピオンに輝く名門校だ。陣頭指揮を執るジョー・パターノ監督は46年間もサイドラインに立ち続けたカリスマ的な名将であり、カレッジフットボールの殿堂入りも果たしている。 2011年、その名将の右腕のアシスタントコーチだったジェリー・サンダスキーが15年間に渡り、8人の少年に性的虐待をしていたことが発覚し、全米を震撼させた。大学理事会の対応は迅速だった。事の重大性に鑑みて、元FBI長官のルイス・フリー氏を長とする外部委員会を設置し、調査を依頼。出来上がった報告書によると、「パターノ監督が事件の隠蔽工作を積極的に指揮していた」という衝撃的な事実が明らかになった。 パターノ監督はシーズン終了後の辞任を表明していたが、大学理事会はそれを許さず、伝説的な名将は解任された。と同時に、学長、副学長、体育局長という大学の要職も解任したのだ。さらに、10万6572人を収容するビーバー・スタジアムの前に立つパターノ監督の銅像も重機によって撤去された。 統括団体となるNCAAの制裁措置は関係者の予想を上回る徹底したものだった。まずは、パターノ監督が「不祥事を知り得た時点」までさかのぼって、それ以降に記録した111勝は抹消された。これにより409勝の通算勝ち星は298勝となり、「歴代最多勝利監督」という栄誉も剥奪された。また制裁金として、当時のレートで約48億円という巨額の罰金の支払いを命じ、4年間に渡ってプレーオフ進出禁止と毎年10人分の奨学金停止も通達された。
悪質タックル問題「前例」と呼べる米名門での性的虐待 監督が隠蔽図る - ライブドアニュース
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映画『シティーコップ、余命30日(?!)のヒーロー』
Wowowオンデマンドでタレク・ブダリ監督の『シティーコップ、余命30日(?!)のヒーロー』を見ました。数日前に見た『パーフェクトプラン、人生最大のパリ大作戦』と同じグループが作った映画です。
題名がすべてを物語っているといえばいいのでしょうか、タレク・ブダリ自身が演じる主人公はドジばかり踏んでいる無能な警官ですが、逃走中の犯人を���っているときにネズミに首筋を噛まれ、治療不可能な病気にかかり余命30日と診断されてやけになり、もう何も怖いものはないとばかり、命の危険を顧みず無茶をして、麻薬組織の親玉を追い詰め逮捕するというコメディーです。
主人公はずっと自分は一月後に死ぬと思っていますが、それが誤診であったということは、かなり早い段階で観客に明かされます。ネタバラシが早い!
もっとも、実は誤診でしたというのはこの種の映画のパターンですから、最初から観客にはバレバレーー製作者側も恥ずかしくなって早々にバラしてしまったんじゃないでしょうか。
これに限らず、この映画は古い喜劇映画のパターンをこれでもかこれでもかというようになぞったものです。クスッと笑えるところも少なくないのですが、古い、古すぎるぞ。私は「新しい/古い」を基準に物事を考えるのは嫌いですが、ちょっとこれはいくらなんでも……と思ってしまいました。
前作『パーフェクトプラン』やタレク・ブダリの盟友フィリップ・ラショー(彼は『シティーコップ』でもタレク・ブダリの同僚役で出演しています)の映画『真夜中のパリでヒャッハー』、『世界の果てまでヒャッハー』、『アリバイ・ドット・コム』、『シティーハンター、史上最香の作戦』について、私は「コメティーのツボを押さえている」と書きました。
その言葉に嘘はないのですが、「コメティーのツボを押さえている」というのと、「手垢のついたコメディーの定式をなぞる」のは違います。
映画であれ芝居であれ小説であれ、物語というのは、それまでに積み上げられてきた物語の定式との戯れです。今まで全く見たこと、読んだことのない物語など作れるはずはありません。そうである以上、新しい物語というのは、古い物語の定式に沿いながら、どこかで定式を裏切る必要があります。そこに新鮮味があり驚きがあるのだと思います。
残念ながら『シティーコップ』には全くそういうものがありませんでした。あるのはただ、ジェリー・ルイス、ディーン・マーティンの映画を見るような懐かしさだけです。
私は子どもの頃、ジェリー・ルイス、ディーン・マーティンの「底抜け」シリーズを日曜のお昼にテレビの洋画劇場でよく見て好きでしたから、ノスタルジーが掻き立てられ、それなりに楽しめましたが、まあそういうものとして見るしかない映画です。
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コロンビアがPK戦を制してコパ・アメリカ4強入り! ウルグアイはスアレス&カバーニが沈黙
コロンビアがPK戦を制してコパ・アメリカ4強入り! ウルグアイはスアレス&カバーニが沈黙
[7.3 コパ・アメリカ準々決勝 ウルグアイ 0-0(PK2-4)コロンビア ゴイアニア] コパ・アメリカ2021の準々決勝が3日に開催され、ウルグアイ代表とコロンビア代表が対戦。試合はスコアレスのままPK戦となり、コロンビアがPK戦を4-2で制した。 コロンビアはFWドゥバン・サパタとFWルイス・ムリエルを2トップに起用。最終ラインには守備の要のDFジェリー・ミナが入った。一方で、サイドの要であるMFフアン・クアドラードが出場停止で不在となっている。ウルグアイは盤石布陣。FWルイス・スアレスとFWエディンソン・カバーニを前線に配置。中盤にはMFロドリゴ・ベンタンクールが起用された。 https://news.yahoo.co.jp/articles/2b4de7ce72d7db51266ac6cde5ba4b0015946ebc 続きを読む
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Jerry Lewis (born Joseph Levitch, March 16, 1926 – August 20, 2017) was an American comedian, actor, singer, humanitarian, film director, film producer and screenwriter. He was known for his slapstick humor in film, television, stage and radio and was nicknamed the "King of Comedy". Lewis was one-half of the hit popular comedy duo Martin and Lewis with singer Dean Martin from 1946 to 1956. After the team split, he became a solo star in motion pictures, at nightclubs, on television shows and in concerts, musicals and recordings. (Quoted from Wikipedia.org)
Watercolour and ink on paper, 21 x 29,7 cm
ジェリー・ルイス
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『ワイルドバンチ』 1969⭐️⭐️⭐️
西部劇。いきなりの激しい銃撃戦。仲間を殺された一味は軍隊と戦う。パイクは最期子供に撃たれ死亡。一味は全滅。友達であり追手であったやつが新しい仲間たちと行く。
監督
サム・ペキンパー
脚本
ウォロン・グリーン
サム・ペキンパー
製作
フィル・フェルドマン
出演者
ウィリアム・ホールデン
アーネスト・ボーグナイン
音楽
ジェリー・フィールディング
撮影
ルシアン・バラード
編集
ルイス・ロンバルト
配給
ワーナー・ブラザース��セヴン・アーツ
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夏の地図(子供の日スペシャル)
午後、部屋の窓を全て開け放して、小説をつらつら読んでいると、いつのまにかヨダレを垂らして微睡んでいた。いくら微風が気持ちいいとはいっても、いくら長期の休みだからとはいっても、これでは流石にいけない、もう三日も連続でこのザマである。毎日カリーばかり食べて、寝てばかりいたら、それこそ豚になってしまう。洗面所で冷や水をピシャッと浴びる。ベットで読んでいるからいけないのだ、何故ならベットは寝る場所なのだ���ら。
全然進んでいない読みかけの小説を持って公園へ行く。最悪なことに本の表紙にまでヨダレがベトベトに付いている。公園の水場でさっと洗い流し、西陽の差している岩のうえで天日干し。ヨレヨレのビデオテープのように薄く伸びた木の葉の影が本の表紙をそよと撫でている。さて、本の頁に目線を落とすと、文字を連ねる行のうえにも薄く伸びた影がそよとちらつく。風が気持ちいい。いけない、いけない、これではさっきの二の舞いだ、いったい何のために公園へ出てきたのか。顔をあげると、小学生の五、六年くらいの男子と女子がキャッチボールをしている。頭の上で髪をお団子にしている女子のほうがずっと背が高い。球を投げ合いながら、大声をコダマさせて何か喋っている。
「それでねえ〜、その古ぼけた地図を頼りにねえ〜」
「何にもなかったんでしょ〜、知ってるよ〜」
「それがねえ〜、すごいんだってえ〜」
「ふ〜ん、それで〜」
「まえに遠足で行ったさあ〜、弁福寺川のさあ〜、古跡にさあ〜」
二人は徐々に距離を縮めて、とうとうその場にしゃがみ込んでしまった。お団子の女子が木の枝でじめんに何か描いて説明している。ひとまず、本の頁の余白に弁福寺川の古跡とメモをとる。私は幼少期にジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』を十五回は通読したほどの大の冒険好きである、宝の地図といった類いの話にはいまでも目がないのだ。
本を読むフリをしながら、聞き耳をたて、ふたりがその場から立ち去るのを待った。幸いにも今朝まで降った雨でじめんが固くなっており、木の枝で描かれた地図のような跡がくっきりと残っていた。七つの樹木のような絵で、そのなかで二番目に背の高い尖頭形の樹木にバツ印がつけられていた。ふたりの話ぶりでは、宝物には手をつけず、そのままにしてあるらしかった。
まもなく日が暮れようとしている。日中はソフトクリームのように固形然と浮かんでいた雲が、いつのまにか散り散りに分散して、薄桃色の夕映えを反射しながら宵の口の空にほとばしっている。彼らがバツ印をもういちど訪れるなら今日ではないだろう。
翌早朝、早起きをして、バツ印の場所を探しに出かけた。まだ外の空気は冷んやりとしている。しかし、この分では今日も暑くなりそうだ。また夜のうちに雨が降ったとみえ、公園の芝生は踏んづけるたびにジュクジュクと音をたてる。こんな朝っぱらから太極拳の練習をしている老人がいる、ご苦労なことである。二、三枚撮ったきり打ち捨ててあったインスタントカメラを持って来ていたから、老人の四肢のポーズがそれらしく決まったタイミングで背後からパシャリとやった。
道中、このインスタントカメラで写真をよく撮った。朝の日差しは、光線がカメラにはうってつけだ。夕暮れの日差しもまた格別だが、こちらには少々のもの寂しさが付き纏う。弁福寺川の古跡には思い当たる節があった。以前、川に沿って散歩をしていた折、縄文時代だか、弥生時代だかの住居跡に出会したことがあった。
予想の通り、気温はグングン上昇した。終日営業のスーパーマーケットに入ると、昔ながらの瓶ラムネが売っていた、これはいいとすぐに買い購めた。このラムネを飲むたびに思い出す顔がある、親戚の叔父さんの顔である。子ども時分に連れていかれた花火大会で、私はラムネの瓶からビー玉を取り出そうと躍起になっていた。すると、叔父さんは嗜めるように言うのだった。
「ラムネの中のビー玉は、外に出すと魅力がなくなっちゃうんだぞ。ちょうど、十五人の少年たちが島から帰還すると魔法がとけてしまうように」
インスタントカメラで、ラムネの空き瓶の写真も撮ってみた。青い透明の瓶がビー玉を閉じ込めているように、ビー玉は太陽を丸ごとその玉のなかに閉じ込めていた。微風に揺れる深緑の影を撮り、陽光にきらめく川の水面を撮った。水鳥を撮ろうと思ったら、寸前のところでバサッと飛び去ってしまい、水鳥の居ないただの川辺の風景にシャッターが下りた。
古跡に辿り着くと、絵に描かれたその通りに七本の樹木があった。二番目に背の高い樹木は、たしかに尖頭形のスギの木である。木の周りをぐるりと一周すると、小鳥が巣を作るための木箱があった。なかを覗くと、小鳥こそ居ないが、麻で編まれた小袋がある。これが例の物にちがいない。小さい割にけっこうな重みがあった。包みをあけると、様々な国の硬貨がジャランジャラン入っていた。私が唯一行ったことのある香港の硬貨もあった。1香港ドルの硬貨が二枚と、2香港ドルの硬貨が一枚。1香港ドルはたしか十円ぐらいだから、まあ、はした金である。この分だとほかの硬貨にも大した金銭的な価値はないだろう。木の上のほうから小鳥の声が降ってきた。私はそっと小袋を木箱のなかに戻し入れた、昨夜のうちに記しておいたもうひとつの宝の地図を袋のなかに忍ばせて。樹々の上では、モクモクと白い雲が膨らんできている。
これから、この足で、宝物を埋めにいく。宝の地図のほうが先にあるなんて、そんなのは嘘くさいだろうか。しかし、まあ、タッ���ーなんかではなく、ちゃんとした木箱を用意しておいたのは良かった。先人も麻で編まれた小袋なんてずいぶんと手が込んでいる。木箱のなかには、海で拾った大きなサザエの貝殻と、同じく海で拾った不思議な模様のある石と、ボロボロになったジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』と、百円で掘りあてたジェリー・リー・ルイスの7インチと、香港で安く買い購めたヘンテコな陶器と、それから、今朝のラムネの空き瓶と、このインスタントカメラを入れておこうと思う。自分で現像できないのは少々残念だが、叔父さんの至言もあることだ、まあ、いいということにしよう。
「ラムネの中のビー玉は、外に出すと魅力がなくなっちゃうんだぞ。ちょうど、十五人の少年たちが島から帰還すると魔法がとけてしまうように」
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