sayzinの映画備忘録 sayzin's Movie Storage from Tokyo, Japan.
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今日はほぼ1日1本の10周年記念です!!
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終わらないステイホーム
『ビバリウム』 Vivarium/2019年/アイルランド・ベルギー・デンマーク/スコープ/97分 @配信
ほとんど「猛暑」も緊急事態と宣言しても良いと思われる今日この頃、皆さんに於かれましてはお変わりありませんでしょうか? どんなに東京の陽性確認者が増えようと、私は全く変わりなし。別に主義で生活を変えないわけではないんですけど、元々ステイホーム型の人間なので、変えようもないわけです。若い頃は飲み歩きもしていましたが、最早その体力もありません。コロナ禍のお陰か、メダルラッシュの東京オリンピックを普通に楽しむ毎日です。
ということで、4度目の東京の緊急事態宣言下で取り上げようと思うのは、こちらの映画。新居を探していた若いカップルが「理想のマイホーム」に囚われてしまうという不条理ホラーです。1年半もこの状況が続いているにもかかわらず、病床も保健所職員もワクチン接種も増やせず、国会ではロクな法律論議もせず、オリンピックだけは強行し、国民に外出自粛を呼びかけるという、この不条理下に置かれてしまった我々に相応しい作品だと思います。
小学校教師のジェマと、家の修理職人をしているトムは新居を探していた。街のアパートメントでの同棲も順調だったが、そろそろ先へと進むべき時期に来ていたのだ。二人は、とある不動産屋へと足を踏み入れる。「ヨンダー」という名の、その不動産屋は郊外の分譲住宅を販売していた。店のセールスマンは、半ば強引に二人を現地見学に連れ出す。セールスマンの車についていくと1時間ほどで、同じ形の緑色の家が無数に並んでいる宅地に着いた。そして9番地の家に案内された二人が内見をしていると、突然セールスマンが姿を消した。仕方なく二人は帰ろうとするが、いくら車を走らせても同じ住宅が延々と続き、最後は9番地に戻ってしまうのだ…。
ジェマは売り出し中のイモージェン・プーツ、トムはジェジー・アイゼンバーグが演じ、新興住宅地に着いてからの物語は、ほぼこの二人だけで進行し���す。そして数日が経ったある時、家の前に段ボール箱が置かれます。宅配されてきたのは男の赤ん坊。この状況は言ってみれば「郊外の広い一軒家で子育てする」という、多くの人が「理想」とする環境。しかし赤ん坊はもの凄い勢いで成長し、二人の子でないどころか、明らかに人間ですらありません。
このストーリー自体に特に意味はありません。彼らを「理想のマイホーム」に監禁したのが宇宙人だろうが悪魔だろうが、どうでもいいのです。問題は、異次元に幽閉されたわけでも、誰かに強要されたわけでもないのに、多くの人が自ら進んで彼らと同じ状況に陥っていること。将来が全く見通せない中で、老後も払い続けなければならないローンを組み、自分の遺伝子以上のことを子供に望み、「幸せを絵に描いた」家族を演じなければならないことです。
【yonder】というのは「彼方」といった意味だそうです。本作の不動産屋の意味するところは、日本語では「彼の岸の理想郷」といった感じでしょうか。つまり「あの世」。更に英語に戻せば“heaven”と訳せないこともありません。「郊外の広い一軒家で子育てする」という夢が無料で手に入るわけですから、ある意味、天国と呼んでも良いかもしれません。しかし一度「彼岸」に足を踏み入れてしまったが最後、我々もそこからは簡単に戻っては来られないのです。
アメリカの基準で言えば「ヨンダー」の住宅は、それほど高級な物件ではありません。若いカップルでも充分に手の届く新居。しかし日本の建売住宅と比べれば、かなり広々とした印象です。これだけのスペースがあれば不条理なステイホームを強いられても余裕でしょう。しかし同じ形の住宅が無限に続く郊外で、得体の知れない生物を育てながら、二人は徐々に精神的に追い詰められていきます。しかも囚われているのは、彼らだけではありません。
現在、終わりの見えない不条理下に置かれている我々も、徐々に精神的に追い詰められています。ヨンダーの家くらい広ければ、少しは快適なステイホームもできるでしょうけど、東京の狭小なワンルームに暮らしている方などは、テレワークもままならないのが実情。ペットも飼えず、狭いキッチンではロクな料理も作れず、大画面テレビでオリンピックを満喫することもできません。そんな人は、もしかしたら劇中の二人を羨ましく感じてしまうかもしれません。
映画の仕上がりは例によって恐ろしく地味です。監督はアイルランドの新鋭ロルカン・フィネガン。彼はアイルランドの現実から本作のインスピレーションを得たそうですけど、映画で描かれる状況は、何もアイルランドに限った話ではありません。格差が拡大しつつあり、多様性が是とされる価値観が広がっているとは言え、これはある程度、裕福な国で暮らしている人たちに共通する暮らしの形。その「形」から自由になるのが大変なのは、万国共通なのです。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★★☆☆☆☆
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「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が日本語として定着する遥か以前、“Before Sunrise”が続編の公開に困ることになる『恋人たちの距離(ディスタンス)』という邦題で公開される10年以上前、初めてカタカナ語での「ディスタンス」という言葉を世に知らしめたのは、やはりこの曲になるんじゃないでしょうか。
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ソーシャルからのディスタンス
『ノマドランド』 Nomadland/2020年/アメリカ・イギリス/スコープ/108分 @イオンシネマ板橋スクリーン7
コロナのお陰で例年より2ヵ月遅れで開催された今年のアカデミー賞授賞式は、史上最低の視聴率を記録したとか。昨年は純韓国映画である『パラサイト/半地下の家族』が作品賞を獲得する等、「アカデミー賞とは何ぞや」という疑問も頭をもたげます。本ブログで何度も指摘してきたように、本来はハリウッド映画のお祭りだったはず。これでは直木賞で翻訳物が受賞するようなもんです。ポリコレの圧力もあり、協会は完全に曲がり角に来ているのでしょう。
で、大方の予想を裏切ることなく、この映画が本年の作品賞、監督賞、主演女優賞を獲得しました。原作はジェシカ・ブルーダーのルポルタージュ「ノマド/漂流する高齢労働者たち」。主演女優賞のフランシス・マクドーマンドと共演のデヴィッド・ストラザーン以外は、全ての役を原作にも登場する実際のノマド老人たちが演じています。クロエ・ジャオの前作『ザ・ライダー』と同じ手法で、フィクションとノンフィクションの境を超越した独特の仕上がりになっていました。
2011年、88年の歴史を誇ったUSジプサムのネヴァダ州の石膏採掘場と工場が閉鎖された。それに伴い、完全な企業城下町だったエンパイアという町自体が消滅する。長年、エンパイアに暮らしていたファーンは夫に先立たれ、岐路に立たされる。自分の年金だけでは暮らしていけない。ましてや町はゴーストタウンになってしまった。彼女はトランクルームに荷物を預け、改造したバンに必要なものだけを積み込み、車上生活を始めることにする。向かうは隣町に開業したアマゾンの巨大倉庫だ。アマゾンではファーンのような短期労働者が大勢、働いている。そこで仲良くなったリンダ・メイという同僚から、彼女は車上生活者のコミュニティのことを耳にする…。
最近ではオフィスの外で仕事をする最先端のITワーカーを「ノマド」と言ったりしますけど、本来の【nomad】とは遊牧民のこと。一つの土地に定住せず、季節の変わる毎に、家畜と共に生活の拠点を移動させていきます。アメリカでは、収穫期毎に果樹園を移動して回る季節労働者のことも指していました。現代のノマドも基本的には同じ暮らし。季節毎、各業界の繁忙期毎に仕事場を移動して回ります。但し昔と違って、雇用主側は非常に安易にノマドを雇えます。
『サイダーハウス・ルール』等を観れば分かるように、季節労働者を雇う場合、雇用主は彼らに、仕事が終わるまでの住居や食事を提供しなければなりませんでした。例え、それが劣悪な環境であったとしても、それ相応のリソースが必要です。しかし現代では賃金契約のみで済みます。現代のアメリカのノマドたちは就労時間内以外のことは全て、自己責任で対応しなければなりません。彼らは「寮」や「福利厚生」を必要としない、非常に便利な労働者たちなのです。
原作は未読ですけど、作者としては、現代アメリカの抱える格差問題や、中流から転落した下流老人の実情を訴えたかったんだと思います。しかし映画は社会派映画になっていません。たぶん映画化権を獲得し、プロデューサーとしても名を連ねるマクドーマンド自身も、本作を社会派映画にするつもりはなかったのでしょう。映画では、確かに高齢者の貧困が描かれていますけど、それ以上に、雄大なアメリカ大陸を移動して生活することの魅力に溢れています。
マクドーマンドの元々の面構えのせいもありますけど、劇中のファーンから孤独や絶望を感じることはありません。彼女は自分の置かれた状況を受け入れ、淡々と暮らしていきます。それは共演する実際のノマドたちも同じ。もちろん彼らは希望を感じられる状況にはありません。しかし未来に絶望したり、政府を批判したり、社会に恨み言を述べたりはせず、コミュニティで語らい、行く先々で自由と大自然を満喫し、「残された」日々を自分なりに楽しく過ごしているのです。
たぶん彼らは追い詰められて車上生活をしているのではなく、自ら孤高の自由を選び取った人々です。そのためには多少の不便も苦になりません。社会との適切な距離を保ちながら、しかし決して文明や国家や「安住」を選ぶ人々を否定せず、自由に体の動く内は誰の手も煩わせたくない。彼らは苦しい暮らしのポジティブな面を最大限に生かし、人間の本能に従っているのかもしれません。地球上に生きる者は全員、狩猟採集民、つまりはノマドの末裔なのです。
芸術にも娯楽にも寄らず、社会批判にもファンタジーにも寄らないクロエ・ジャオの作風は、正に今現在、必要とされているニュートラル、つまり中道の視点。右寄り、左寄り、芸術派、エンターテインメント派、それぞれから観れば、それぞれの視点で違って見えると思います。本作の印象は自らの立ち位置によって左右されるわけです。そして劇中のノマドたちからは、本当の意味での「ソーシャル・ディスタンス」のあり方と、生きる力を教えてもらえると思います。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★★★☆☆☆
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幸せのパンデミック
『リトル・ジョー』 Little Joe/2019年/イギリス・オーストリア・フランス・ドイ��/ヴィスタ/105分 @DVD
「緊急事態宣言」が「ニュー・ノーマル」どころか、唯のノーマルと化してしまった今日この頃、皆さんは、どうお過ごしでしょうか? 私自身はコロナ禍の遥か以前から仕事を除いて、ほとんど「巣ごもり」のような暮らしなので、特段、生活に変化はありません。同僚や親族の知り合いの知り合いにまで範囲を広げても、近しい人に感染者は未だ一人もいません。ただ『パーム・スプリングス』を観に行こうと思っていた矢先、映画館が閉まってしまったのは非常に残念でした。
ということで今回は、「幸せ」を感染させる花についての映画を取り上げようと思います。本作はリアル・パンデミック前の2019年度のカンヌで、エミリー・ビーチャムが主演女優賞を獲得したバイオ・スリラー。映画で描かれる新種の花のバイオ技術は、日本では遅々として接種の進まないmRNAワクチンの開発などにも利用されている技術と変わりません。しかし私は映画を観て危機感を覚えるよりも、こういう感染爆発なら悪くはないんじゃないかと思ってしまいました。
アリスは新種の花の開発を進めるバイオ企業の主任研究員だ。現在、同僚のクリスと共に取り組んでいるのは、ある深紅の花の開発だ。遺伝子操作で生み出されたその花は、栽培には非常に手がかかるが、特別な特徴があった。その花の香りを嗅ぐと脳内にオキシトシンが分泌される。つまり幸福を感じるのだ。次のフラワー・フェアに出品するよう会社に開発を急かされていたアリスは、息子との時間も持てないでいた。そこで彼女は一計を案ずる。開発中の花を一鉢、自宅に持ち帰り、息子にプレゼントしたのだ。息子の名・ジョーに因み、花を「リトル・ジョー」と名づけ、大切に育てるようにと告げる。しかし、その日から彼女の周りで異変が生じ始める…。
遺伝子操作で開発された植物なので、リトル・ジョーは自然繁殖できないように設計されていました。しかし『ジュラシック・パーク』の恐竜しかり、「生命は、新たな道を見つける」わけです。リトル・ジョーは自らの花粉を人間に受粉させ、丁寧に世話をするように、人間を自らの虜にします。虜にすると言っても、何も花の世話をするだけの廃人にするのではありません。ちょっと丁寧に世話をしてもらう程度の変化。しかも花粉を吸いこんだ人間は、副作用で優しくなるのです。
物語は主人公のアリスの視点で進むので、リトル・ジョーの花粉を吸った人間が不気味にも見えます。しかし彼らはゾンビのように意思をなくしたり、人を襲ったり、はたまた以前とは違った人格になってしまうこともありません。単に人に優しくなるだけ。人との協調性が高まり、他者への感謝を忘れず、謙虚になり、しかし記憶も能力も以前のまま。唯一、感染者が攻撃的になるのは、自分への危害ではなく、世話をする植物に危害を加えようとする相手に対してだけです。
世界の知の巨人のトップランナーに躍り出たユヴァル・ノア・ハラリは、人格はアルゴリズムだと断じています。つまりプログラムされたネットワーク。シンギュラリティは来ないとも言われ始めていますけど、人間の脳は言われるほど神秘的でもないのです。特定の極限られた部位に刺激を与えたり、極々微量の化学物質を加えたりするだけで、つまりはコードを、ほんの数文字変えるだけで、脳のアルゴリズムに支配される人間は、天使にも悪魔にも変われるわけです。
「人は変われる」というのは映画のセリフの常套句ですけど、現実世界で心を入れ替えた人間に出会うことは滅多にありません。意志や努力で自らの脳の特定の部位に変化を起こすことはできません。たぶんそれが叶ったのは、最終解脱した歴史上の聖人くらいでしょう。だから歴史に名が残るわけです。しかし、リトル・ジョーの麗しい香りと共に花粉を吸い込めば、それが叶います。常に幸福を感じ、穏やかにガーデニングをしながら、他者に寛容に生きられるのです。
出世作『ルルドの泉で』も含め、ジェシカ・ハウスナー監督作は未見なので、この人の作風がよく分かりませんが、本作自体は非常に地味な上、全体が無機的な仕上がりです。役者陣の演技も常に抑え気味で、感染する前から登場人物に温かみを感じることはありません。この仕上がりは、かなり観る人を選ぶと思います。しかし長いステイホームで、同じようなパンデミック映画に飽きていたら悪くないかもしれません。この映画も紛れもなくパンデミック物と言えます。
全員が他者に優しい社会がユートピアなのかディストピアなのかは分かりませんけど、少なくとも、現在の我が国よりはマシかもしれません。「自粛警察」やら「マスク警察」やらが蔓延り、重箱の隅をつついて何でも炎上させ、オリンピックをやるのやらないので大騒ぎ。「夜の街」や「若者」を悪者に仕立て、ワクチン接種の予約で老人を混乱させ、全ての人間が責任の押しつけ合い。リトル・ジョーが一輪あれば、もう少しマトモなシステムが構築できるかもしれません。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★☆☆☆☆☆
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アカデミー賞予想から随分と遠ざかってしまいましたが、その代わりこのリブログで、投票日を迎えた米大統領選を予想してみたいと思います。私の予想はズバリ、ドナルド・J・トランプ。『ミス・アメリカーナ』、テイラー・スウィフトの頑張りも報われないと思います。
アメリカが右と左に分断されてしまったと言われて久しいですけど、アメリカ人の誰も彼もが四六時中、右派や左派でいるわけではありません。そこには、れっきとした「中間層」という���のが存在しているはずです。そしてマイケル・ムーアが『華氏119』で指摘していたように、アメリカはリベラルな国。���間層に位置するであろう人々も、男女同権や地球温暖化や人種差別等々の課題に於いてはリベラル、つまり民主党寄りの心情を持っているはずです(ま、これがグローバル社会で生きる者の「普通の感覚」と言えるでしょう)。では、なぜトランプ大統領が誕生したのか? それはムーアの言う、民主党の「妥協」のせいではありません。
右派は当然、左派を攻撃します。左派ももちろん、右派を攻撃します。しかし近年の左派には右派にはない、致命的な戦術ミスがあります(て言うか、戦略・戦術すらないのでしょう)。左派は右派と同時に、中間層の人たちをも攻撃するのです。「BLM運動に参加しないのは人種差別主義者だ!」「例えデート中に口説かれても、相手が嫌な思いすればセクハラだ!」「飛行機で移動している奴は環境破壊者だ!」
「デモに参加しない」「デートでフラれた」「旅行で飛行機に乗った」だけの普通の人々を、左派は極右の人種・性差別主義者呼ばわりするわけです。本来、味方になってくれるはずの人々をです。現在の左派のやっていることは、ほとんど全体主義かファシズム。とても【Liberal】と呼べるものではありません。「普通に」暮らしていて文句を言われてしまうような国に、誰がしたいと思うでしょう。もちろん私もそう。どんなに醜い人間性を見せつけられようと、人は日々の暮らしに害のない方の候補を選ぶと思います。ましてや、その人はコロナをも克服しています。いわゆるポリティカル・コレクトネスの行きすぎが、トランプへの強力な追い風になっているはずです。
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I spoke to V Magazine about why I’ll be voting for Joe Biden for president. So apt that it’s come out on the night of the VP debate. Gonna be watching and supporting Kamala Harris by yelling at the tv a lot. And I also have custom cookies 🍪💪😘
📷 Inez and Vinoodh
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Ruth Bader Ginsburg
March 15th, 1933 - September 18th, 2020
"I would like to be remembered as someone who used whatever talent she had to do her work to the very best of her ability."
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リベ��ルの死
『ビリーブ/未来への大逆転』 On the Basis of Sex/2018年/アメリカ・カナダ・中国/ヴィスタ/120分 @配信
ご無沙汰しています。皆さんはこのコロナ禍をどう過ごされてますでしょうか? 私は自身の仕事の性質もあり、緊急事態宣言下も含めて全く日常が変わらず、今に至ってもオールド-ノーマルを安穏と過ごしています。世界は未だにSARS-CoV-2、いわゆる新型コロナウイルスに翻弄されている感もありますが、日本では新政権が発足し、GoToキャンペーンも拡大され、ヒステリックなコロナのニュースも、大変ありがたいことに、落ち着いてきたようです。そんな中、歴史的人物の訃報が飛び込んできました。アメリカの連邦最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグさんが18日、すい臓がんでお亡くなりになりました。比較的最近、この映画を観たばかりだったこともあり、RBGは当分の間、リベラルの雄として連邦最高裁に君臨するものと思っておりました。
1956年、ルース・ベイダー・ギンズバーグは超名門、ハーバード大学の法科大学院に進学した。6人しか女学生のいない法科大学院では、女性というだけで風当たりは強い。その上、同じ法科に通う夫、マーティンは突然の精巣がんに倒れてしまう。彼女は病に伏せる夫の教科の単位もカバーしつつ、法律の勉強に励んだ。幸い病を克服した夫は、ニューヨークの一流弁護士事務所に職を得た。夫と共にニューヨークに移ったルースは、コロンビア大学の法科大学院を首席で卒業する。しかし、どんなに優秀でも、ニューヨークに女性を弁護士として雇う事務所はなかった。法廷弁護士を目指していたルースは仕方なく、ラトガース大学の法科の教員になるのだが…。
原題の“On the Basis of Sex”は「性別を基準にして」といった意味。現在では「差別をしてはいけない」という言葉が、それに続くことになります。逆に当時は、原題に言葉を続けるとしたら「物事を判断するのは当然」。太古から続く「男らしさ・女らしさ」のジェンダー・ギャップが、社会で固定されていたわけです。社会で固定化された概念とは、男にとっても女にとっても、すなわち常識。それに反旗を翻す行為は「非常識」ということです。しかし、フェリシティ・ジョーンズ演じるギンズバーグは、「時代」を味方につけることになります。ケイリー・スピーニー演じる自分の娘ジェーンから、時代が、常識が、そして女性自身が、既に変化していることを教えられるのです。
後半のメインになるのは1968年に、母親の介護費用の税控除を求めた「男性」の裁判。モリッツ対内国歳入庁という判例で知られる控訴審です。当時のアメリカでは、親の介護費用の控除は女性にしか認められていませんでした。なぜなら、介護は女性の仕事だったからです。税法が専門だったアーミー・ハマー演じるルースの夫マーティンは、法廷に立ったことのない妻に「男性差別」の案件を紹介します。そう、「性差別」は女性の専売特許ではありません。ギンズバーグは男性差別を切り口に、「性差別」に戦いを挑んでいくことなります。この裁判は税控除を認める・認めないの、かなり地味な裁判ではありますが、以後のアメリカに多大な影響を与えることになったそうです。クライマックスの弁論は、今を生きる我々観客にも向けられているのです。
1993年、民主党のビル・クリントンから連邦最高裁判事に指名されて以来、弱者の権利に重きを置いたリベラル派判事として、RBGは多くの尊敬を集めてきました。9人の連邦最高裁判事は、これで保守派5人、リベラル派3人。既にリベラル派は少数派でしたけど、トランプ政権が後任に保守派を据えることは確実。民主党大統領候補、ジョー・バイデンは、判事の指名を11月の大統領選挙後まで延期するように訴えていますが、もちろんトランプには、そんなことを聞き入れる義理はありません。ギンズバーグ判事の死は、彼女の生物学的な死亡というだけではなく、アメリカにとってのリベラル陣営の死でもあるわけです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★★★☆☆☆
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The Dark Knight Rises (2012) dir. Christopher Nolan
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Happy Halloween!
Veronica Lake
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今月6日、俳優のバート・レイノルズさんが82歳でお亡くなりになりました。70年代から80年代にかけての大スターであり、このリブログの通り、アメリカの男性セックスシンボルの代表でもありました。現代の女性が、この写真を見て性欲を掻き立てられるかどうかは分かりませんけど、当時の女たちも男たちも皆、フェロモン溢れるレイノルズに憧れていたのです。
80年代後半からはB級スターとなり、鳴かず飛ばずの状況が続きましたけど1997年、ポール・トーマス・アンダーソンを一躍、名匠に押し上げた『ブギーナイツ』での演技が絶賛され、各映画賞を総なめにします。普通なら、そのまま演技派として復活するところを、レイノルズは自身の判断でシリアスなドラマ映画への出演を全て断っていたそうです。彼は長年、演じてきたアクション・スター、コメディ・スターのイメージを最後まで貫きたかったようです。破産を経験しながらも最早、カネや賞への執着はなかったのでしょう。レイノルズもまた高倉健らと同じく、ファンのイメージ通りに生きることを選んだ孤高の映画スターだったのです。謹んでお冥福をお祈りいたします。
私自身は、70年代に流行ったカーチェイス映画に余り興味はありませんでした。従って代表作とされる『トランザム7000』や『キャノンボール』を面白いとは思っていません。やはり70年代から80年代のポルノ業界を描いた『ブギーナイツ』でのAV監督、ジャ���ク・ホーナーは一世一代の当たり役だと思います。この映画���70年代特有の胡散臭さ、そして時代に取り残されようとしている焦りと寂しさを体現できたのは、レイノルズを置いて他にはいなかったでしょう。この他にお薦めしておきたいのは、何と言っても『ロンゲスト・ヤード』。ロバート・アルドリッチならではの、痛快な刑務所映画です。レイノルズが死ぬまでこだわった「男気」を十二分に楽しめると思います。
RIP Burt Reynolds
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『地球の静止する日』
『サバイバルファミリー』 2017年/日本/ヴィスタ/117分 @配信
『THE WAVE/ザ・ウェイブ』の��で「毎年のように災害に見舞われる」と書きましたけど、最早「毎月」のように災害に見舞われている感のある日本。『 ザ・ウェイブ 』の投稿から2ヶ月も経たない内に、今度は近畿地方を大型台風が直撃。その被害の大きさに驚いている間もなく、今度は北海道で震度7の大地震です。被害に遭われた方には謹んでお見舞い申し上げます。今回の地震で驚かされたのは、震度や人的被害の大きさではなく、まさかの全道停電。現代社会は電化社会。電気がなければ何もできません。そこで今回は、突然ありとあらゆる電気が消滅し、当たり前だった日常が送れなくなった状況を、4人の家族を中心に描いたコメディ映画を取り上げます。
都内のマンションに暮らす鈴木家は、サラリーマンの父・義之を筆頭に、専業主婦の母・光恵、大学生の息子・賢司、高校生の娘・結衣の極々平凡な4人家族だ。ある朝、起きると停電していた。家にある電化製品の一切が動かない。なぜかバッテリーや電池の入っているものも動かない。それでも家族は日常を始める。義之は会社に行き、子供たちは学校へ行き、光恵は家事を行う。しかし電車も動かず、電話も通じず、自動車も動かない。情報も全く入ってこない中、街は日を追うごとに荒廃していった。そして電気が使えなくなって1週間が経過し、義之は妻の実家に疎開することを決意する。飛行機も使えず、一家は自転車で鹿児島へと向かうのだが…。
考えてみれば、我々は生活の全てを電気に頼っています。今回の北海道でも、給油には電気で動くポンプを使用しているため、ガソリン自体はたんまりあっても、スタンドで給油ができないとか。そうなれば自動車すら役に立たないわけです。本作のように「バッテリー」や「光発電」も効かない状況になると、本当に何もできません。時計が動かないため時間も分からず、電池式のラジオで情報を得ることもできません。電脳世界と化している現代で電気がなくなるということは、生活が不便になる程度のことではなく、脳死状態と変わらなくなるのです。我々はリアルな世界に生きながらも、既にプラグに繋がれて『マトリックス』で暮らしているのと変わらないのかもしれません。本作には、今こそ「アンプラグド」を見直そうというメッセージが込められています。
矢口史��監督作品なので、映画自体はハウ・トゥや豆知識に溢れたコメディタッチになっています。しかし本作の体裁は言ってみれば、ゾンビの出てこないゾンビ映画みたいなもんです。電気がなくなれば即、文明崩壊。全人類が生きるか死ぬかの状況では、「助け合いの精神」や「絆」なんて甘いことは言っていられません。タイトル通り自分が、家族が生き残ることだけが正義になります。『イントゥ・ザ・ワイルド』の項で、文明崩壊後「本当にサヴァイヴァルできるのは一子相伝の拳法家などではなく、農民だけ」だと書きましたけど、この映画でも正に、そのことが描かれていきます。都会生活しか知らない一家4人は、果たして鹿児島まで辿り着くことができるのか?
ということで本作は、災害の多発している今こそ、全ての人にお薦めします。北海道の方は電気が復旧したら観てみてください。いざという時に備えて防災袋を用意しておくのも良いですけど、この映画を観ると常日頃から、もっと根本的な生きる力を身に着けておくのが大切だと思えるでしょう。ライフラインが全て断たれた中での水の確保の仕方、火のおこし方、食料の保存方法等々。そして何よりも、人力で何事もこなせるように、心身を鍛えておくことが重要です。『ゾンビランド』でもジェシー・アイゼンバーグが、サヴァイヴァルの第一条件は「体力」だと言っていました。適度な運動を心がけた、規則正しい毎日こそが、正真正銘のサヴァイヴァルに繋がるのです。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★★★☆☆☆
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“Rub & Tug”にはスカーレット・ヨハンソンが演じることだけでなく、実在の人物に対する設定変更にも問題があったようです。
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オーセンティックの描き方
『アバウト・レイ/16歳の決断』 Three Generations/2015年/アメリカ/ヴィスタ/92分 @DVD
『ゴースト・イン・ザ・シェル』で、日本人である草薙素子を演じて激しいバッシングに晒されたスカーレット・ヨハンソン。今度は“Rub & Tug”でトランスジェンダーの役を演じることが大炎上し、遂に映画を降板することになってしまいました。彼女の降板で映画の製作自体も頓挫してしまったようです。炎上は「トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優が演じるべきだ」という批判だったらしいんですけど、これは「宇宙人の役は宇宙人が演じるべきだ」という論調と大差ないように思います。結局、性的マイノリティを扱った映画の製作自体が中止になって、性的マイノリティを「支援」する人たちは満足なんでしょうか? それにヨハンソンばかり叩かれて、例えば本作のエル・ファニングが批判されていたなんていう話題も全く聞こえてはきません。
レイは16歳を迎え、いよいよ性別適合治療を決心する。女の子の身体を持って生まれ、「ラモーナ」という名前をもらったものの、4歳の頃から自分は男だと感じてきた。治療に伴い高校も移り、女だった自分を知らない環境で、真に男性として生きていくのだ。現在は祖母と祖母のガールフレンドの家に、イラストレーターの母と共に居候の身だった。母のマギーはレイを男の子として見るよう努力してくれている。祖母のドリーは未だにトランスジェンダーが自分と同じレズビアンと、どう違うのか理解できない。そしてレイの治療に当たって、一つの問題が待ち受けていた。治療には「両親」のサインが必要なのだ。しかしマギーはレイの父親とは10年も音信不通だった…。
邦題は「レイについて」の方を選択したようですけど、原題には“Three Generations”と“About Ray”の2種類があるようです。私の観た本編では「三世代」の方が表示されていました。物語は「レイについて」と言うより「マギーについて」の方が近いかもしれません。もちろんトランスジェンダー、いわゆる性同一性障害を抱える16歳の男の子の苦悩が描かれてはいますけど、物語の主人公と言えるのはナオミ・ワッツ演じる母親のマギー。彼女は「娘」が男の子であることを頭では理解できていても、その事実を完全には受け止め切れていません。当然ながら本人ばかりでなく、家族も苦悩することになるわけです。そして問題を更に���雑するのが「元夫」の存在。マギーは「息子」と向き合うと同時に自らの過去にも、正面から向き合わなければならなくなります。
この映画はシリアスなドラマではなく、楽しいファミリー・コメディになっています。コメディ・リリーフの役割を担っているのは、スーザン・サランドン演じる祖母のドリーと、リンダ・エモンド演じるドリーのガールフレンド、フラニー。同性愛を公言して生きてきた二人も、祖母世代ともなれば保守的になります。その頓珍漢なやりとりから笑いが生まれるわけです。そして、あけすけで出しゃばりなレズビアンの母親とトランスジェンダーの「息子」、そしてテイト・ドノヴァン演じる元夫に挟まれ、マギーは袋小路に追い込まれていきます。しかし彼女を追い込んでいるのは所詮「家族」。家族は誰にとっても避難場所でもあり、不完全な自分が完全になれる、唯一の場所でもあるのです。
レイを演じたファニングは、もちろんトランスジェンダーではありません。祖母を演じたサランドンだってレズビアンじゃありません。もっと言えば、登場している「家族」の誰一人として実際には血の繋がりがありません。だから「性同一性障害が描けていない」「同性愛が描けていない」「家族が描けていない」ということにはならないでしょう。自分じゃない人間を表現するのが役者の仕事。劇中ではトランスジェンダーの息子と、シングル・マザーと、同性愛者の祖母と、更には心温まるステップ・ファミリーの姿が、きちんと描けていたと思います。本作を観ればトランスジェンダーへの理解も少しは深まるんじゃないでしょうか。たぶんヨハンソンの新作だって、そうなっていたと思います(ま、“Rub & Tug”は、かなり特殊な設定の大作だったようですけど…)。
普通の人へのオススメ度 ★★★★★★★☆☆☆
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