#サラッと英語
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Gosh Beigoma & cooking battles took forever. ✒️ notes along the way. 112 heroes recruited so far!
Have you completed the game? #Eiyuden


112人仲間入り!後もうちょいかな〜
ベーゴマと料理大変だった😵💫but沢山研究して楽しい🤓✒️
クリアした方いるかな?
🚩降ろさな〜い♪ #百英雄伝

Also, they had to call the gator Hogan hehe🇦🇺 bizzo w
I may have taught English on NHk (Japanese TV).
I think the #EiyudenChronicle translation team did an awesome job🇦🇺
Bizzo/Arvo/Servo
We like our Os at the end.
‘Reckon’ I didn’t realise I used so often until a French person pointed it out.
So what d’ya reckon? #Aussie
オージー英語🇦🇺 #百英雄伝
オージー英語なのながウケるw
色々なSNSで『これのどこがオージー英語なの?』
という問いがあったので、こちらにサラッと答えます。
まず「bizzo」 は「business」のこと。
オージー英語ではよく語尾に「o」をつけます。
例. Arvo —> afternoon
例. Servo —> service station
‘What did I tell ya?’
この「ya」も非常に良く使う。
(ゲーム、文字は英語に設定していて、ナレーションは日本語の声優さんにしているので、これ読むだけでオージーのイントネーションが伝わって来る!!)
最後に「Reckon」。
これは、英語がネイティブでないヨーロッパの人に、『サラ良く使うね』、と言われてから気づき、他のオージーに聴いたら、確かにそうかもねとの結論。
#百英雄伝 の通訳者、非常にリサーチされてます!💪
言うまでもなく、ワ��のキャラにこの表現と名前も🇦🇺
サラッとオージー英語、でした🤓
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#vgm#Eiyuden#eiyuden chronicle#百英雄伝#ベーゴマ#料理バトル#beigoma#cooking battle#サラッと英語#オージー#オージー英語#Aussie#Aussie slang#Aussie English#Australia#オーストラリア#オーストラリア英語
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奇跡の19時帰宅
こんな時間に家に帰れたのいつぶり!?マルマルモリモリ仙入でござんす。書きますよ、ええ。なんか色んな人のタンブラアハ(フランス語風)を読ませていただいたんですけど、僕があまりにもお笑いの人みたいになってしまっています。いや、うれしい、嬉しいんですけど。そこまでhumorが僕にあるとは思えないんですね。自分で書いた漫才ゴッリゴリに忘れましたしねえ!?
つーわけでなんの捻りもなしに普通に書こうかなって話。紹介っていうかただの一言コメントじゃのうこれ。ケイショウリャク
〇園堂香莉
読み合わせの時点でなんかもうしっくりきすぎて、あーこの人になりそうだなあって感じでした。今までたい焼きの演出様っていうイメージだったのでやっぱなんでも出来ちゃうタイプの人かい!ってなりました。漫才に組み込みやすい題材にして下さりありがとうございました。そして無断でほぼアイデア丸パクリしてしまいまして申し訳ありませんでした。
○近未来ミイラ
役者が難しいだって!?よく言うよ!全然できてるじゃあねえか!って思ってますいつも。普通の人はあんないつも作品を壊さない程度にアドリブ入れたりとか出来ないんですよ、あー羨ましい。完全な僕の持論なんですが1番笑かしてやりたいのはながーい時間一緒にがんばった共演者の皆さまだったりするわけですよ。みーらさんはそれを当たり前にやるからすごいです。ミーラさんのおもしろパスをいつも殺してしまって申し訳ないでございます。精進致します。
〇たぴおか太郎
声も動きも読み方もぜんぶすげえ、、って毎稽古なってました。僕はなすかさんが演技できなくなるぐらい笑わせに行こうとしてるつもりです。生意気に台本に無いセリフ勝手に言ってくれってお願いしても笑顔で聞いてくださってほんとにあたたかみのある人だなと。共演できてよかったなって一番思います。
〇錫蘭リーフ
���人的に秋公で一番仲良くなれた人。ほんとに嬉しいです。自分勝手な理由ですが、外公まっったく参加できずなんとか舞台だけでもお役に立とうと首を突っ込みまくりました。まじでシゴデキだし優しすぎるしおもろいし演劇の超大先輩でめちゃうまだし。これからも嫌われない程度にひっついてなか卯前でお話ししたいですね。
〇帝京魂
稽古場でたくさんご一緒できて、なんか先輩の鏡って感じがずっとしてました。新歓でハンパなかったんでめちゃうまな人なのは知っていたはずなんですけど、お客さんからどう見えるのかってところからじゃあどういう意識でどう演技すればいいのかっていう結びつきがすごーくわかりやすくて。演出補佐として頼り甲斐がありすぎてびっくりしちゃいました。パワーキャラ共演したいですね、いつか。
〇箏
カボスとドリアンのおかげ(せい?)でよく話すようになりましたね。セイロンくんのところにも書きましたが舞台関係だけでも役に立ちてえ、。っていうので首突っ込みまくりでした。首ニョッキニョキニョキです。高いところの葉っぱ食べるうです。あなたもやっぱうまいよねえって感じ。動きが少ない役でも全然すごいことが証明されたし。エチュードでうわあうますぎいって一番なるのはルーベですね。対応力エグい。一緒に共演してみたいし、一緒にコントとか漫才してみたい。
〇苔丸
エンドロでたくさんお世話になったと思ったら次はがっつり共演できて嬉しい限りです。ほんとにほんとにこけさんなしでちゃうかは回らないんだろうなあってしょっちゅう思います。こけさんがいないという事実が新人をとても不安にさせます。それぐらいデカいです。あとなんで稽古後にあんな美味しそうなご飯作れちゃうんですか?見習いたいところしかないです。
〇響夜
ほんとハマってるよね今回。嬉しいですおじさんは。なんかなびやは堂々と生きてる感じがすーごいいい。話してて安心します。なびやが険しい顔で下を向くようになったらちゃうかは終わっちゃうんじゃないかと思います。あと発想力が天才すぎます。君が舞台で良かったですマジで。
〇ミル鍋
ちゃうかのオアシスです。ゆにさんと犬の話してる時の癒され具合ハンパないです。僕だけじゃなくみんながゆにさんとおはなしして何らかの栄養を得ています。間違いないと思います。鬼の課題を提出した後に、眠たそうにでもちゃんと話してくださって、その後稽古を見てダメをくださって、最強ですね。個人的にはアローさんとふざけてるのを勝手に見るのも好きです。そのままでいてください。
〇西峰ケイ
やっぱりセンスの塊ですよね。立て看盛りなしで「はえ!?」��て言いました。生き様がオシャレというか。完全ナンバーが漫才やるって聞いてからちゃんと練習しないとと思った記憶があります。去年の新人も新歓もらびさんのインパクトがしっかり頭に残ってて、そうさせる凄さを持ってらっしゃるんだろうなと。もうちょっと待っていてください、吹田にお邪魔いたします。
〇あろハム権左衛門
めちゃくちゃ演技が上手い先輩っていうイメージだったんですけどお話しするとめちゃくちゃ面白くて。吹田コントを超絶真面目に練習してたのすごい印象に残ってます。あとキレッキレのキャスパ。もっとお話ししたいなと思う先輩です。支部長ですからお世話になると思います。キングヌーの話とかしたいですね。
〇アリリ・オルタネイト
イルルさんはほんとにたくましい先輩だなあっていつも思います。演劇という言葉も表情も動きも気をつけないといけないものの中で笑顔で言語の壁を蹴破ってるのがもうほんとに凄すぎます。5年インドネシアに住んでも英語もインドネシア語も全く上達しなかった人もいるのにですよ。これカワイイと思うーって言いながらサラッとえぐい舞美案出すのもすごく印象的です。ちゃうかの財産です、間違いなく。
〇〆切三日前
好きだからぁ!からはや4ヶ月です。早すぎです。やっぱりみてる人を惹きつける雰囲気をみそかさんは持ってるなあって思います。舞台で映えるというか。日本が下手すぎますねごめんなさい。また共演したいですねー次は別れ話は避けたいですけど。吹田に迷い込んでしまったと聞きました。僕もそちらに行きます、しばしお待ちを。
〇黒井白子
けっぺきの◯田さん!!けっぺきを無理矢理にでも見に行かなかったことの後悔がすごいです!でもみてなくても伝わる白子さんの演劇経験値マシマシ感。白子さんが出してくださるダメは全部稽古中に自分が感じたモヤモヤが言語化されたものでほんとにエグいてえええええって感じです。頼り甲斐がありすぎますほんとにマジでとっても。演劇連れてってくださいついていきます。逆にお笑いライブとかも行ってみたいかもですね。
〇中森ダリア
優しいんですよねえ、とっても。図書館であってもちゃんとラムダじゃん!って気づいてくださって。キラッキラなお友達を差し置いて数秒でも僕に時間を割いてくれたのがもう嬉しい。楽屋で話しててもエヴァの話とかiPhone変えた話とかとても気さくに話してくださって。ザやさしい先輩です。色んな人と仲良くできるっていうのもひらりさんレベルだと立派すぎる才能ですよね。見習いたいです....
〇きなこ
なんかきなこに関してはみんなということ一緒になりそうですね。空気清浄機すぎます。人生でもなかなか出会ったことないレベルのほんわかさ。なのに演技めっちゃしっかりできるっていうギャップにびっくりです。きなこもちをきなこにあ��た時の笑顔がすごい記憶に残ってます。またあげます。ソノカワリフランスゴオシエテ。
〇暁レミエル
家遠すぎるのに大集に8時半に来てたのがすごい印象に残ってます。演補に宣美に映像になんでもマルチにこなすのがイカつい。演技も日に日にクオリティが上がってるのが側から見てもわかってあーやっぱすげえなと。時間がたくさんとけるちゃうかで自分とかと同じレベルで動けてる時点で凄すぎです。
〇肆桜逸
ニキっ!!ニキと稽古場でジョジョの話してる時の楽しさ尋常じゃなかったですよ!!!7部のアニメ見たいっすねえ!っていうのは置いといて。ニキは頼り甲斐がありすぎると思ったらノリがいいところもあって、ほんとに楽しい人だなと。外公に自分が出れなかったのが本気で悔やまれます。それでもオペ席でポージングしてるだけでオペしてる価値あるぐらいには楽しいです。悲しいですね、、、、ニキ、いなくなっちゃうの。あ、吹田で会えるじゃん、よかった♪
〇埖麦
器用なやつめ。この一言に尽きる気がしますむぎは。誰といても周りがびっくりするぐらい見えてるし、気が使えるし、ダメだと思ったらちゃんと言えるし。なんで僕がこんな偉そうに評価してるのかわかんないですけど、みんなができそうで意外にできないことを当たり前にできちゃうのがむぎかなって。演技の話?言わずもがなうめーよ。どうしてもセリフ把握してる分相手の言葉を受け取るっていうのがやればやるほど難しくなるのにむぎはずっとできるのがすごい。エチュードでも当たり前に受け取って上手く返せるのがすごい。僕の好みなんですけど、、って言って演出も思いつかんエグい提案できるのがすごい。うん、すごい。
〇紫苑
なつめもいっぱい作業きてたから話す機会がincreaseしてHAPPYでした(ルー大柴か)わたくしは忘れません。1時に今宝塚にいると言ってきたあの夜のことを。いやコンテンツ力高すぎるな。なに?歩きで石橋までa few hoursかかるって。あとやっぱり僕が印象に残ってるのは音響オペしてる姿ですかね、いつもおっとりなイメージなのにシュバって音響フェーダー動かしてて勝手にギャップ感じてました。うまい。
〇水琴冬雪
ノンスタをこんなにしっかりわかる人だとは思ってませんでしたよベガさん。バイクのくだりがノンスタイルとまんま一緒なのを一瞬で見破られた時はびっくりしましたね。ベガさんはどのネタが好きなんでしょうか。僕「BAR」のネタとか好きですね。ビフィズス菌の囁きのやつです。ベガさんの某コントが井上にしか見えないんです僕には。すいません冗長な文章で。いやあベガさんの脚本はすごい!笑いの混ぜ方が大胆でメリハリがしっかりついてて僕はスーゴク好きですね。今日の起床連絡大喜利大会はなかなかいい線行ったと自分で思ってるんですけどどうなんでしょうか。
なっが。こんなんしてるから5分尺やと思って作った漫才が9分やったりするねん。
もうええわ、どうもありがとうございました。
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あと3回しか、寝れない。そう思って悲しくなった今朝(2/10)。日本に戻ってやりたいこともやるべきことも山積みなのだけれど、終わりたくないなぁ。
土曜日の夜にタクオミとタイガを呼んで、タクオミが彼女ともう一人友達を連れてきてくた。餃子作って食べてポーカーをした。負けた、私とタイガが負けて、ユシャンが大勝ちした。11月に、初めてポーカーをやった晩ぶりに現金をかけてポーカーをした。崇は全然違ったと言っていた、やっぱりお金をかけると楽しいそうである。私は、この晩に心底気がついたのだけれど、かけてもかけなくても、変わらない。全然変わらずふざけるし、様子見るために損もするし、特に上達もしなければ、守りに入るわけでもない。ただ単純にゲームが好きなだけなのだった。あ、ポーカーの話がしたかったのではなくて、タイガがさ、「ハイライトは何?」と問うてくるのですよ、私のNY滞在のハイライトは何だった?って。
タイガとは、前回11月の晩にポーカーをした時しか会ってなくて、あんまりまだ知らない。悩みに悩んでうまく答えられなかった。残念。
結論からほぐしていくと、そう言うわけなので私は今一度社交的な人間になる努力を、日本に帰ったらしてみようなどという気持ちになっている。あの会話のテーブルで、タイガにサラッと骨子を言える自分でありたかった。いつの間にか、社交の場を避けるようになって久しい私は、そういう、日頃から付き合いのある人ではない人に向かって、言葉を上手く組み立てる筋力を失っていたことに気がつかされた。あとはまぁ英語力の限界ね。
ハイライトって、難しい。しばらく時間をかけてからそう言うと、「旅じゃなかったんだ」と笑って、崇も、「ね、俺もそう思った」と言っていた。うん、旅はNYのハイライトではないよね、旅は全く別物なのです。
ハイライトね~と悩んでいて、何となく胸の内にある解答としては、暮らしたかった、暮らしができた、と言うことかなぁ。変な暮らし方ではあったけれど、ご飯作って食器洗って、日記書いて本屋行って、図書館行ってカフェ行って。
NY行って何するんですか?と言う質問をごまんと浴びた、渡航前に。わかりません、と答えていた。ただ行きたかった。
ハイライトを探してNYに来てからの日々を思い返しながら餃子を包んだ。ちなみに私は餃子を包むのが上手い。誰かに教わった覚えは特にない。
渡航直前に相島さんとランチをして、NYで何するか予定あるんですか?と聞かれて、全くないんです、と答えながら、まぁでも気ままに公園とかカフェで本でも読めれば、きっともうそれだけで満足なんだと思います、と答えたことを、セントラルパークにピクニックシート敷いて寝っ転がりながら本を読んだりポストカードに手紙を書いたりしながらふと思い出した、時のことを餃子を包みながら思い出した。あ、そう言えば本当に有言実行しているなぁ、あの時(ランチ)割と口から出まか��に答えた予定とは言えないような予想を、聞かれたから言っただけだったのに、結���本当にただただ公園で寝転がって本読んでいる今ほど満足を覚える午後の使い方もない、言った通りのことしているなぁ、そう思った。自転車で走れたと言うのがとても大きかったけど。
自転車といえば、NY滞在の最後の週末が始まった一昨日、土曜日。
残りの時間、何をしたいかな、と考えずとも考えざるを得ないような、未来のノスタルジーのエキスを先に舐めているようなこの終わりの始まりの時間に、やっぱり自転車に乗ろう、と“やること”が自然と私の中に転がり込んできた。セントラルパークそばの日貸しのレンタサイクルを5件ほど調べて一番良かったところの1日レンタルを予約する。サブウェイに乗って35分くらい、マンハッタンへ。何とも思わなくなっていたサブウェイがブルックリンからマンハッタン島へと渡る橋の上での景色などを、“もしかするとこれが最後に見る景色になったりするのかも”と言う気持ちで眺めてしまう。
気温は0~2度くらい。サブウェイを降りるとものすごく寒くてちょっと不安がよぎる。レンタサイクルはぎっしりと眠っていていかにもオフシーズンな感じのお店だった。顔写真付きのIDを預かると言われて期限の切れているマイナンバーカードを置いていった。
スキーやるかもと思って持ってきていたフェイスマスクをぴっしりと着けて、いざ走り出す。スキーはやらなかったけれどやっと大活躍の一日だった。
公園(セントラルパーク)を走り出す、適当にアッパーウェストまで行って、大好きだったリバーサイドパーク行ってこよう、そんな適当な感じで走り出す。寒さは全然平気で、なんだ冬のNYでも自転車乗れるんじゃん、と思いながら葉の無い木々の中を通り抜けていった。冬の公園は木々に葉がなくて、公園沿いの歴史ある建物がより一層雰囲気良く見えてくる。“あぁ帰りたく無いなぁ”と思った。
浸っていたせいなのかどうかはわからないけれど、公園の上端まではあっという間に着いてしまった。もっとずっと遠い、広い縦だと思っていたのでびっくり。Trekのレンタサイクルはとても乗りやすくて、あの乗り辛かった自転車でよほど苦労していたのかもしれないという現実にこんなに時を経てから気付かされた。ほぼ立ち漕ぎのようなあの自転車で走っていた日々、私はあまりにも自転車で走ることが楽しくて、そんなに大変な自転車ライドをしているつもりがなかった。でも今のこのレンタサイクルのギアチェンジし放題な感じは確かに、公園の丘をものともせず走れちゃうから、スイスイスイ~と気持ちよく走っているうちに公園中を走り切れてしまう(直径訳4km)。
アッパーウェストに行く前に、イーストのグッゲンハイム美術館に立ち寄る。NYで一番好きな美術館。閉まっている時間だったから何となく外から���でた。そして110、公園の一番上まで行ってアッパーウェストへ。Broadwayまで西に行く。懐かしいし、好きだ。NYに行ってくる、とただ飛び出して、最初に寝泊まりできた場所がアッパーウェストだったことの果てしない幸運を、何度も何度も覚えてきた幸運を再び味わった。仮にNYに旅行に来て、アッパーウェストに何の用事があるだろう?アッパーウェストの界隈に足を踏み入れることなく去る人はそう少なく無いはずだ。でもアッパーウェストこそがNYの、マンハッタンの、生活が営まれている界隈でもあるなぁ。毎日自転車で帰る際のアパートに着く前の最後の下り坂が好きで、そこに着くと動画を撮りながら下った。何をするわけでもなくアパートを路上から見上げて、次はどこに行こうか、と。リバーサイドパークも通ったし、Broadway通りのノスタルジーも味わったし、というかアッパーウェストのBroadway通りの雰囲気がとても好きだな~と再認識しながら通った。信号という信号を無視して進むこの感じも懐かしい。
ハーレムを通過して、再び公園方面へ。気狂い騒ぎがあった晩も懐かしいし、ストリートスナップを撮られた日なんてもう9年前の思い出かと思うくらい昔に感じる。女の子が叫んでいた日もあったし、自転車が盗まれた日もあったハーレム。ものすごくエネルギーと愛を感じるハーレム。ハーレムというプライドが、有害ではないプライドが滲み溢れている気がする。自転車に乗る日はほぼ毎日通過していたなぁ。
公園を下って、やはりあっという間で、そういえば川村さんがいつか行きたいと言っていたジョンレノンが住んでいたアパート、結局見てないからと寄り道をして、崇にNY day2くらいにお薦めされたけど行ってなかったBethesda Terraceにも寄っていくことにした。びっくり、毎日通過していた橋の、その下がBethesda Terraceのタイルの天井だった。どうりで、だいたいその辺通っているはずなのに見かけたことがないのよね~と思っていたわけでした。いつもタイルの天井のその上を走っていたのだった。
Bethesda Terraceにて、次の行き先を考えているうちに、Brooklynに自転車で行っちまおうという発想に至った。ビアンカおすすめのイスラエル料理はランチもやっているので、ウィリアムズバーグでランチをして、家に帰って、いつも20分かけて歩いて行っているパン屋に自転車で行って、とBrooklynで自転車に乗ろう!となった。アッパーマンハッタンは地図がいらない。だいたい走れる。年内にとてつもなく歩き回ったし、それ以上に走り回っていたので。
Brooklyn方面はわからないので地図を見ながら走り出し、Queensboro Bridgeを渡ってRoosevelt Islandを通過してQueensという未知なる土地を走り出す。ノスタルジーツアーの予定だったのに、また新しいことしている!と思いながら知らない景色を走っていった。これがQueensなのか~と思ったけれど、特に足を止めたくなる何かには出会わなかった。大したことなくウィリアムズバーグに到着。調べていたリカーショップでお目当てのカベルネ・ソーヴィニヨンを無事にゲット。イスラエル料理は45分待ちだったので退散して一回家に戻って残りのボロネーゼを食べた。
久しぶりにたくさん自転車を漕いで早くも膝の筋が弱音を上げ始めている。
夕方は崇もチャリに乗ると言うので、崇の行きたいポスター屋さん集合で再び出る。NYに来て最初の週にとりあえず行っておきたいと言って崇と歩いて渡ったBrooklyn Bridge、その時刻はあまりにも混んでいて、なんだかんだで帰るまでもう来ないとかあり得るよね、なんて言っていたけれど、結局その後4回渡った。ブルックリンからマンハッタンに向けて自転車で渡るのは今日が初めてだった。
ポスター屋さんで新居のポスター探し(家具より先にポスターって、順序どうなんだろう?はてなすぎる。)をしたけれど難航し、諦めた崇はCiti bikeを利用開始、電動自転車!ロワーマンハッタンからとりあえずワシントンスクエアパークまで一漕ぎ。道はやや狭くて前後で走っていても話したりはできない。ワシントンスクエアパークも、懐かしいねなどと言って次どこいく?と。アジアンマートに行きたいということでブライアントパークを目指す。
ミッドタウンになってくると格段に自転車が楽しい。自転車道が広く整備されていてマンハッタンー!という景色をどこまでも漕いでいく楽しさはやっぱり抜群で、“マンハッタンでは自転車に乗ることが一番楽しいアクティビティだな”と思い、続いて“マンハッタンほどに自転車が楽しい都市は他にあるのだろうか?”となった。崇は興味も持たなければ観る事もないであろう私の大好きなニューヨーク映画『アメリカンユートピア』の自転車滑走シーンを説明したけど、案の定興味なさそうだった。あ、そうそう、Brooklynはね、自転車難しい。マンハッタンほど自転車道の整備が張り巡らされているわけではないのと、何と言ってもマンハッタンは道が縦と横しかないから、迷う事がまずあり得ない。でもBrooklynはマンハッタンほど均一な網目状の未知ではないので、適当に走っていても大体目的地付近までは行ける、ということにはならなくて、どこの角でどっちに曲がって、何ブロックであっち曲がって、とちゃんと地図を見ないと目的地に辿り着かない。ということでマンハッタンはただただ楽しく乗れる、漕げる。ようやく崇も自転車の楽しさを知ったようであった。
でもCiti Bikeは恐ろしく高いのでほんの1時間ほどのライドで終了。私はそのまま登り続けて自転車屋へ返しに行き、崇は日本食スーパーで餃子の材料を揃えていた。
そうして帰って、餃子作って、ポーカーした。最後の土曜日。寝たのは3時くらい、、、。あ、雪がたっぷり降って、みんなをウーバーに見送った後の2時頃にタバコを持って雪の中でフラフラしたのも良い時間でありましたね。
最後の日曜日の話の前に、金曜日の話もしようか。そうやってほろほろと最近のことを思い返していると結局、みっちり毎日日記を書きたい気分になってしまうねぇ。
とりあえず金曜日。金曜日はPublic RepordでRV tripの日記を書いていた。書き続けたいモードだったけれど、Avishai Cohenの日だったからきっかり切り上げて帰宅。大急ぎでボロネーゼを作った。ハンバーグの残りの挽肉が残っていていい加減使ったほうが良くて。と思ってひき肉を冷蔵庫から出したらすこーし臭った。うーん、アウトかなぁ、と思って崇にセカンドオピニオンを求めたら全然平気だと言われて、うっぷ、、、。本当に?うん、全然行けるでしょ。ということでそのまま使った。私は肉は、明日使う予定がないなら冷凍しちゃう人なので、引き続き異文化体験なり。
そしてあんまり行かないBlue Noteが2時間半前には到着しないと良い席が取れないと読んだので、急いで急いでボロネーゼを食べて、急いで急いでBlue Noteへ。懐かしい、前回ここに来た晩はHIMALAYAN DIALYの入稿前夜で、路上のスタバのWi-Fiから一生懸命原稿のアップロードをしていた。そんなことを思い出しながら覚悟して路上に並んだけれどそこまで極寒ではなかった。崇も会場時刻ギリギリに到着して無事素晴らしい席に着けた。
Blue Noteには私は音楽を聴きに行っているので全然高いお金払って食事をしようという思考回路がなかったけれど、よく考えたら2時間もテーブルで待つ!一人だったら本を読んでいるけれど、たかちゃんの前で一人本を読んでいるのもなんか違うし、結局コニャックをダブルでチビチビした。してたんだけど、なんやかやで食べたくなり始めちゃった二人は、ポテトとサラダを頼んで、なんかずっと食べてるねとなった。
Avishai Cohen Trioはもう、天にも登るほどの至高の晩だった。Avishaiのライブに初めて行ったのは23年の春。それなのにもうすでに5回目のライブ、こりゃ歴としたファンだわね。というのもあるけれど、Avishaiはお世辞じゃなくて本当に日本が好きみたいで、年に2回も違うプログラムで来日してくれるのでよく行けた。そのどれもが本当にぶち抜けて素晴らしくて、かっこよくて、心底好きになっちゃう人たちなのだけれど、そんなTrioのニューヨークライブに行けるというのは、とても嬉しい。元々の帰国スケジュールでは行けるはずがなかったので、あら残念、まぁまたすぐ東京来てくれるだろうから、と諦めていた。でも行けることになって、チケットを買う時たまたま前に崇がいたので誘うともなく声をかけてみたら行くというので2枚買った。
行くと言ったものの彼らの名前もわからない崇は、「なんだっけ?名前」と言って予習を始める。アルバム引っ提げてのジャズライブは予習をしっかりしていくとより一層楽しい。Brightlightをよく予習するようにと伝えたけれど、SpotifyのおすすめリミックスでRememberingに出会った崇、すっかりRememberingとBrooklynのマリアージュに惚れ惚れしていて、何かとRemembering��かりかけていた。「アンコールでRememberingやってくれたら感動するなぁ」などと言っていた。
ライブが始まって、本当に最高で、ガイの指さばきを間近に観ることができる席で、ともかく幸せだった。するとどうでしょう、AvishaiがMCで今日は特別な夜なんだと言う。Roniのお母さんが来ているんだ、と。会場大拍手。Avishaiが指差しちゃってRoni’s mom身バレ。二個先のテーブルに座っている素敵なブロンズレイディーが実はRoniのお母様だった!!!そうとは知らずバッチリ動画に収めてしまった。これはRoniが大好きな母に良い土産話が出来たなぁ~!
そしたらまさかのアンコールはRememberingだった。すごいね。よかったね崇。
崇の本物のJazz初体験がAvishaiだったことは私も嬉しい。私もちゃんと心して行った初めてのJazzライブはAvishaiだった。
Blue Noteを出て、バーに行こうとなったけれど、今自分の中で鳴り響いているこの音楽を消さないバーってどこだろう?となり、Terreに行ってデザートとワインもありだよね、となったのだけれど、閉店まで30分しかなかったので結局サラミとポテチを買って赤ワインの待つ232 St Johnsに帰宅した。これが金曜日。
木曜日はTerreに行った晩です。Avishaiを体験しながら、2晩も続けてこんなにも最上級の夜を過ごしてしまうなんて、そう思った。1晩目の最上級の夜。
木曜日は前から行きたかったBakeriというパン屋カフェに行くことに。なんと片道50分。NYのサブウェイは本当に遅く���遅くて参っちまう。ちなみに自転車で45分の場所。東京だったらあれか?葉山の奥地のカフェにでも出かけるくらいの時間かけるということか?でもBakeriには行ってみたかったのでいざ。Bakeriは素晴らしかった。レジで可愛いオリジナルポストカードをもらった。なんか、ショーケースの中のストロベリーと書かれた何かが『マイブルーベリーナイツ』のブルーベリーパイみたいだったので思わずそれをオーダーした。スコーンだった。ラテとストロベリースコーンの朝なり。贅沢すぎるなぁ、と感じながら、帰国前ならではの財布の緩みを楽しむことにした。本が少し進んで良い感じ。ビアンカにカードを書いた。書いたことはベルの音によるちょっとした思い出しだったのに、ちょうどビアンカ宛ての郵便を回収しにLAの友達が今日家に来る、という連絡が入ったので、ならばこのカードも持って行ってもらっちゃおう、とそこそこでカフェタイムを引き上げて帰った。
夜に外食が待っているので午後は仕事をした。外食。そうなのです。この外食が凄まじく良かった、、、。
発端は崇がマットレスを買う、ということだった。NYではfacebookなどで人から中古品を買うというのが家具入手における当たり前だそうで、ここ数日ずっとマットレス探しをしていた崇はついに買いたいマットレスを見つけたので、バンを借りてマットレスを人から買うからドライブして葉月の行きたいレストラン行こうよ、という事になった。ビアンカが食通すぎるのでBrooklynのレストランの良すぎるリストが溜まっていて、ずっと行きたかったイタリアンに行く事になった。予約は21時。相変わらずのスペイン人モード。
ところで私は誰かが5,6年使ったマットレスはちょっと買えないなぁと思った。と言いつつめちゃくちゃ手伝った。マットレスはとてつもなく重かった。汗だくになってバンに積み込み、ブルックリンハイツの崇宅、まだ契約したのに誰も使っていない伽藍堂のアパートに運び込む。いや重かった。レストランの予約時間が迫っているのでマットレスを放り込んで急いで去る。マンハッタンは車が一番遅い移動手段、というほど混んでいる。マンハッタンやブルックリンの夜景を見ながら車で走って、ブルックリンブリッジをBrooklynに向かって渡りながら、このブリッジを逆方向(Brooklyn to Manhattan)に歩いたNYライフの始まりの時間を思い出し、なんだか綺麗なエンディングになりつつあるなぁ、などとシナリオティックな感想を抱く。車を返した場所からレストランは崇の勘違いにより15分ではなく25分もかかるので、えっさおっさと小走りで歩き続けた。そんな風についたTerre.ビアンカの強いおすすすめ。うちに住みなよ、と最初に言ってくれた会話の時から、近所にすごく良いイタリアンレストランがあるの、と言っていた。その後大量のおすすめリストを送ってくれた時も、トップにまずはこのイタリアン、と言っていたレストラン、Terre.
入り口の黒板に「LIFE IS TOO SHORT TO EAT BAD PASTA & BAD WINE」と書いてあって“So true!”とご機嫌に入っていった。
21時ともなると徐々に人が帰っていく時間、店内は程よく食べ終わった感じに空きだしていて、タイミングとしてはナイスだった。端の方の席について、良いねぇ良いねぇ、と言っていて。ハッとびっくり、ねぇ、音楽ライブじゃん!と。ライブのレコーディングが流れているのだと思っていたのだけれど、違った、本当にライブ演奏が奥で行われていた、びっくりびっくり。
思わず席を変えて良いかと店員さんに聞いたら、ちょっと待ってな呼ぶから、と片付けてくれて奥の、ライブに近い方の席に移動した、ベルムースと赤ワインを持って。
さて、珍しく前日から予約を取っていたレストランの晩だというのにもかかわらず4時頃ランチを摂った崇の失態。まだお腹が空いていないとか抜かすので、知らん!と好きにオーダーした。
ブルスケッタは割と好きでよく作るので、RVでもブルスケッタを作った晩があった。なかなかの人気を博してみなお気に召したようなので気分も上々。そんな思い出のブルスケッタがアペタイザーメニューに載っていたので、ちょっとここは本物を味わって手本にしようとブルスケッタをオーダーした。うむ、書いているだけで涎が出てくるぞ、もう四日も前の晩だというのに。
私の知っていたブルスケッタの概念をことごとく凌駕してくる素敵なブルスケッタエクスペリエンスだった。まず持ってバゲットではなくむっちりほんわりどっかりとした大きなパンが��かれている。そしてこのお店ではオリーブオイルのテイスティングというメニューもある。気になるけれど、試せるタイミングのないまま、、、。すなわち、大変こだわったオリーブオイルなのである。もう香りからして3呼吸くらい置いてしまう良い香りと美味しいオリーブオイル。にずっっしりと漬け込まれたチェリートマト。あ、ブルスケッタってチョップドトマトじゃなくてチェリートマトをこんな風にただ柔らかくなるまで漬け込むという方法があるのですね!となった。美味しかった。。。。。。。。
メインはラムラグーのRoasted Almond Pasta とGrilled Octopus.
Grilled Octopusが衝撃的な美味しさだった。LAで食べたエビに匹敵する美味しさ。あ、ちなみにワインはナチュールなのだけれど、日本で知っていたナチュールよりもクラシックに近い風味だったのはなぜだろう?美味しいワインと美味しすぎる料理に感激した晩でありました。誕生日にここ来たい。
水曜日は911 memorial museumを目指してWorld Trade Centerに行った。museumは36ドルととっても高かったので、free Mondayに来直そう、と石碑や跡地などを見るだけに留めてチェルシーに移動する。チェルシーのDavid Zwirnerにわこちゃんからぜひ行ってきてと言われた画家の展示がやっているので行った。チェルシーにはいつでも行きたかったのでちょうど良いや、くらいの程度で行ったけれど、面白かったRaoul De Keyser。通りを挟んだGiorgio Morandiもすごく面白くて、目がチカチカするほど凝視した。
そばにあったとても楽しいリカーショップで赤を一本買って崇とビアンカにギフトカードを買った。
そしてルドルフ・シュタイナーの本屋という気になりすぎる本屋に歩いていく。オイリュトミー講座の張り紙があった。なんだかよくはわからなかったけれど日の浅くなさそうな、根付いた感じのする小さな本屋だった。エポックノートや慣れ親しんだドイツの文房具も売っていた。
火曜日のことも月曜日のことも、もうくっきりは思い出せない。でもAnaisという気に入りすぎたワインバーに毎日のように出掛けているので、おそらく行っていたと思う。
日曜日2/2は嶺くんに会った。Ray Suzuki.シュタイナー全員集合。嶺くんに会うのは15年ぶりくらいかもしれない。りかさんには軽井沢で会ったけど。嶺くんは変わってなかった。昔のまま飛び抜けて爆発力があって、ある意味その時代の先を行きたい彼の爆発力が、今、ついに世界と噛み合ってきているんだな、という感じだった。数年後、ひょっとしたらビッグネームになっているかも知れない、そんな感じの爆発力でキラキラしてて、とっても楽しそうだった。とにかく楽しそうだった。楽しく生きることは戦いである、という責任みたいなあのセリフをまた思い出した、頑張って楽しまなくちゃというエネルギーがちょっと沸かされた。いっちゃんおかしかったのは「バズっていう友達がい��、あ、すごい年上なんだけど」と話し始めて、それが実はバズラーマンのことだったっていうのが、私的にはかぶりを振るほどの面白さだった。バズラーマンと友達って、ニューヨークがすごいというよりはやっぱ嶺くんって感じだなぁ、と思った。後日談で面白かったのは、サティアが「嶺は変わらないな、ビッグネームを出せばみんな感心すると思っているあたり」と崇との帰り道に言っていたらしい。そう、ソムタムダーでご飯をした後、私はVillage Vanguardのライブに出かけ、解散した。ちなみに、ソムタムダーをお薦めされた時は、“へぇ、代々木のソムタムダーと名前一緒だ。まぁタイ料理では使いがちな名前なんだろうな”と思っていたのだけれど、まさかの世界チェーンだった。おったまげ~
その後のVillage VanguardのVijay Iyer Trioのライブに偉く心揺さぶられる感動をした。(のに今はもうAvishaiを経ちゃったので…)
さて、ビューンと一週間時間を戻して次の日曜日、すなわち最後の日曜日in New York, 9th February 2025.
起きたのは9時頃で雪景色が楽しみたくて散歩に出た。二日酔いという感じはなかったけれど夜ふかしをしたのとタバコで口の中が不味いのでコーヒーが必要。そんな感じで、あぁ最後の日曜日なんだなぁ、と散歩に出た。雪はそんなに長持ちしそうなのではなくて、春のような雪だった。踏まれる場所は結構べちゃべちゃしている。Prospect Parkはほとんど毎日走っている公園。今日は雪ですっかりと雰囲気が違っていた。ウォーリーを探せ!の景色だ!と誰しもが思うような風景だった。Grand Army PlazaからProspect Parkに入るとまず広がっている大きな大きな広場に、無数のヤングファミリーが遊んでいた。雪なので、スキー用具なので、カラフルなのです。それが、ウォーリーを探せの景色を醸していた。公園内のコーヒー店はずらりと列ができていた。小さな店内は決して忙しない様子ではなくて、マイペースにやっていた。外にこんなにも長い列ができていることなんかぜんぜん気になっていない雰囲気の働きぶりが好きだし、列に並んでいる皆さんの決してイライラしていない感じもとても好き。そう、NYに着いた初日から感じていることだけれど、なんでかな、“みんな”なんか余裕があるんだよねぇ。余白があるというか、急いでないというか、豊かな感じがするんだよねぇ。なんでかなぁ。好きなんだよなぁ。
あ、そうそう、私がNYが好きな理由の大きなところに人の様子、というのがあるけれど、先日嶺くんもNYに住む理由は人だ、と言っていた。でも中身は全然違っていたのがやっぱり面白い。「生活のクオリティは間違いなく日本の方が高いし、99%日本の方が好きなのに、なのに最後の1%のNYの良さが全部をひっくり返しちゃって叶わない(くて自分は10年NYに住んでいる)」と言っていた。「その1%は人なんだよね。日本にはこんなに面白い人間たちはいない。こんなに面白い人たちに出会える機会ばかりのNYはやばい。ぶっ飛んでる(ぶっ飛んでるという言葉が大好きなようでしょっちゅう言って��、ぶっ飛んでるって。)人がたくさんいて、この刺激が東京にはない」とのことだそうです。それを聞いていて私はタクオミとの会話を思い出した。
タクオミ「一見面白そうって感じた人に限って、その先に面白さがないんだけど、最初は何も感じなかった“普通”そうな人ほど、付き合っていくと面白いなと思うことが増えてくるなと、最近よく思う」
じっくり誰かに出会っていくのか、ほんの15分の出会いで面白い面白くないを判断して生きていくのか、二人の異なる人間を目の当たりにした2月なり。崇は真ん中な気がするなぁ。私は完全にタクオミ派。
さて、飛んでしまった。最後の日曜日の話、どこまでしたっけ。そう、公園内のWINNERに並んでいたところね。ラテと、ついついパンオショコラを買ってしまいましたとさ。コーヒー呼ばれるまで時間かかりすぎて待っている間にパンオショコラ食べ終わっちゃった。でっかなパンオショコラ。雪の公園でこんなにもみんなが外でコーヒー飲んでる感じが好きよねぇ。待ちに待ったラテは結構ぬるくて笑っちゃう。ラテと散歩を続ける。
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さてと、今はですね2025/2/11, 16:39、BrooklynのCafe Mogadorというモロッコ料理なのかな、のレストランでチーズケーキとラテを横にパソコン開いていたんです。そして初めて、自分から赤の他人に話しかけてみました。隣の男性二人がね、ちょいちょいHumanitarian Aid界隈な話してるな~とは漏れ聞こえてくるのだけれど、まぁ最近はUSAIDのこと話してる人たちも結構いるからそんなに聞き耳を立ててはいなかった。でもピピーンと反応しちゃったのがその数分後で、「ガザで撮っている映画」の話しに広がっていっていて、つい手が止まった。途中から聞いていたからよくわからなかったけど、何やらパレスチナの女性のドキュメンタリーを作ってらっしゃる方のようである。一人がトイレに出かけたので、私の隣に座っているもう一人に思わず話しかけた。すごい、私、割とこっちの人の感じになってきたのね、帰る3日前にして。自分の中にある日本人らしさというのかなんというのか赤の他人に話しかけにいく勇気はやはり奮い立たせないと出てこなくて、これまで何度か諦めたことがあったけど、今さっきはなんだか普通にいけた。数ヶ月前にカフェで本読んでいて突然おじさまに話しかけられたことを思い出して、あの逆の流れだよね、イケる、となんかの踏ん切りがついて急に話しかけた。
そうなんだよ、今パレスチナに関する映画を撮っているけれど、こ���状況になってあと2年は完成しないと思う。と白髪でブルーグレーっぽい目がキュッと奥に潜んでいるおじさまが言う。「興味があるんだね?」と。「日本のNGOで働いていて…」「日本のどこ?」・・・
あなたは映画を作っている方なのですか?「そうだよ。というかこの辺りに住んでいる人はほとんどみんな映画関係者だね」「みんな!?」「ははは、ちょっと言い過ぎかな、でも多いんだよ。彼も映画監督だよ」(と目の前に戻ってきた男性を指す。『Dirty Wars』という監督作ドキュメンタリーをお勧めしてもらった。)
そろそろ帰らなくちゃ!今日は新人研修があるのでタイトなスケジュールです。
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ラテ散歩から帰って今宵も予約したレストランからの逆算で出かける。夜出かけちゃうので日本の月曜日がくる前に片付けるべきパソコンごとを片付けていたらあっという間に時間が来てしまって、ブッシュウィックはやめてそのままウィリアムズバーグへ行こうということになった。DAMBOに行ってDAMBO散歩して、ウィリアムズバーグまで歩く。1時間以上もかかるなんてちょっと計算外だったけれど歩き始めちゃったのでそのまま歩き続けた。
昨日自転車で漕いだ辺りも逆行して歩いていったりしながら、よく歩いた。その中で、ハシディックの区画を通過することになって、二人ともその異様な雰囲気にかなり困惑した。ニューヨーク、中でもブルックリンでは本当によくユダヤ教の人を見る。瞬時にみてわかる服装ともみあげ(って言い方で良いのだろうか…)、女性の様、あまりにもよく見るけれど、何か引っかかることはなかった、これまでは。ハシディックの方が多い界隈だと、あぁこの辺はジューイッシュ界隈なのだな、くらいにしか思っていなかった。でもウィリアムズバーグに向けてネイビーヤードを50分くらい歩いている中で、異様なハシディックの世界を通過して、二人ともあまりにもわからないことが多すぎて困惑した。みんなのガラケーの使い方に違和感を感じる。凄まじい数の幼稚園児くらいの子供たちが皆ヘブライ語で遊んでいて、一様に真っ黒なその服装の集合体。家並みの閉塞感。東西分断時代の東ベルリンなのかここは?というような閉塞感あるマンションは、ニューヨークの中ではすごく異様だ。みたことないほど飲食店がなくて、スーパーも全然ない。コマーシャルボードが全くない。工場地帯のような静かな景色と、全くニューヨークらしい開放感が消し切られた閉塞感ある建物に雰囲気。なんなんだ!?ここは!?
と歩き抜け、今夜はハシディックを調べよう、ということになった。
そうやってウィリアムズバーグに到着し、「あぁ、なんかやっと呼吸が楽になったね」と言い合った。
ドミノパークに行ってまた一通りノスタルジーを覚える。ドミノパークは、NY day2に歩いてきた場所だ。あの頃は半袖を着ていた。今はアイススケートパークが楽しげで、雪景色のドミノ。気になる本屋があって入り、これ以上荷物を増やしてはいけないと本屋に入る度に思って、結局また買いたいものを手に取って、レジに持っていって、カードで払いたいと言ったら1ドルだから良いよそのまま持っていきなと言われる。
ご機嫌に到着した今宵のレストランはHave & Mayer.ところで今夜はスーパーボウル。アメリカの一年で一番大きいイベントの一つとのことで、レストランがガラ空き!!!スポーツバーに人口が集中している。そうか!予約の取りづらいレストランはスーパーボウルの日が狙い目なのか!と気がつく崇くん。
Have & Mayerは行かないわけには行かなかった。ビアンカの究極のお勧め��本当に大事な友達かめちゃくちゃ気に入った男の子しか連れて行かない究極のデートスポット、という説明でお薦めされたレストラン。インテリアデザイナーもしているビアンカがそこまでいう空間を、覗かずに帰る訳には行かないよねぇ。
素敵だった。隠れ家的なくすぐられる素敵さと、ちょっと特別な感じとカジュアルさのバランスが絶妙で、どっちのテンションにもなれる。アンティーク調なインテリアと植物のバランスも可愛かった~
あとは最初から最後まで楽しんでいたのは、全ての(アンティーク調な)ワイングラスが全部違うの!どのテーブルにも最初からグラスが置かれていて、見渡す限り全部違うグラスだった。見ていて飽きない。。。
食事はお高め。一番高い外食だったな。
なすが大好きな崇くんを前に、Grilled eggpluntから目が離せなくなった我々。それからTerreのGrilled Octopusの感動を引きずり続けている我々は食べ比べと評してGrilled Octopus、お姉さんの激推しだったので。どちらも小ぶりの上品な皿だった。崇の表現ではこちらのGrilled OpctopusはTerreのよりも全体を均一にグリルされているのが良いとのこと。Terreは太さ細さによってグリル加減が変化していてそれが良い、とのこと。Terreの一皿の感動は付け合わせにもあるのよね、ちょっとフムスっぽいビネガーの効いたあの付け合わせはなんだったのか、、、。「帰ったらGrilled Octopusやってみよ~」と私。「日本帰る前にやってみようよ」崇。メインはSmoked Mozzareraのパスタ。ニューヨークの本物イタリアンは全てパスタは自家製のようですね。それからナチュールワイン。ナチュールだけどPas Loinのナチュールよりもクラシカル寄りなんだよなぁ。Smoked Mozzareraを味わいながら、またまたRV tripの炭火焼とか言って楽しんでいたBBQに思いを馳せる我々であった。
レストランは兎にも角にもガラガラで、隠れ家席の裏に座っているゲイカップルと我々くらいしかいないのでお姉さんがもうぱっぱぱっぱ来ちゃって逆にのんびりできないというカラクリの時間だった。ガラガラだからのんびりできるね!という最初のアイディアは食べ終わる頃には無くなっていて、誘われるままにティラミスを食べ終えた我々は、次どこいく?という話になる。結局、Terre行って食べ損ねたブラータとプロシュートのあいつ、食べておく!?という冗談調なアイディアに即決した我々。てくてく歩いて再びTerreへ。やっぱり大好きすぎる。
「Biancaが究極のデートスポットをこっちじゃなくてHave & Mayerにしたのはわかる気がするなぁ」と崇。「なんで?」と私。私はどうもTerreの方が好きだ!Have & Mayerももうそれはそれは素敵極まりないのだけど、ちょっと素敵すぎちゃって笑 Terreくらいアットホームな雰囲気で中身は至極の料理を出すお店によりグッと来ちゃう。「Have & Mayerの空間の作り込み方とかは確かにTerreのカジュアルさより究極感あるじゃん」と崇。でも俺もTerreの方が好き、とのことでした。34歳の誕生日にTerreに来たい、という目標を定めたわたくし。ブラータとプロシュートのプレートには先日のブルスケッタに乗っている例のトマトがついてきて最高でした。ワインもベリグッドでした。贅沢すぎる!という���て余すほどの贅沢をひたひたに味わい尽くして帰宅した。
Netflixでハシディックに関するドキュメンタリーを観たけれど、謎がより一層深まったのと私はちょいちょい寝落ちた。
そうして翌朝が、このpagesを書き始めた2/10になると言うことですね。読みづらいなぁ。まぁ良いか~~~
月曜日、2/10の朝はプロスペクトパークのジョギングをしてからパン屋に行くと午前中が勿体無い、と言う限られた時間を感じてしまうモードに入っていたので、パン屋に走って行く、と言う一石二鳥コースを実施してみた。パン屋までは歩いて片道20分くらいなのでジョギングコースに最適では?とザック背負ってジョギング。でもやっぱり公園を毎日走れちゃう最高の環境だったので、通りを走るのはそんなに気持ちの良いものではなかった、信号に、通行人に、凍った歩道に。大好きすぎるこのパン屋も、これで最後になるのかなぁ、と言う気持ち。
引き続き大好きなAnaisに行って昨日サボった分の仕事と、ここ最近の振り返り上記を書き、そういえばすっかり911メモリアルミュージアムのフリーチケット取るの忘れたなーとなった。パルミジャーノレッジャーノを買って帰ってリゾの晩。『アンオーソドックス』Netflixのハシディックのドラマを一気見した。
火曜日はウィリアムズバーグに出かけてTrader’s Joesでお土産を買って、Bakeriでバゲットを買って、カフェがどこも混んでいたのでCafe Mogadorに入ってみた。コーヒーだけのつもりだったのに空気感に飲まれまくってチーズケーキをオーダーしてしまった。至福のティータイムであった。上記の続きを書いて帰って新人研修やった。20時半に新人研修が終わってブイヤベースを作り始めた。今夜何食べる?話をしていて珍しく?崇が海鮮にしよう、と言うので使われてなかったサフランの出番とばかりにブイヤベースを提案。私がCafe Mogadorにいるうちに崇がブルックリンハイツの気になっている魚屋さんに行ってくると言って、私はセロリを探し求めて結局ユニオンで見つけた。ニューヨークの海鮮は軽井沢ツルヤの海鮮には叶わず、思ってたほど魚介スープの濃さが出なかったけれど、美味しいワインがあるので結果オーライな晩だった。
てな訳で、書きかけを重ね続けた今は2/12の17:20 at Anais. 間も無く、帰らなくては。
最終日の水曜日、本日は昨夜雪が降ったので朝から散歩に出た。こんなにも帰るのが悲しいなんて、生まれて初めての感情である。日本には友達もいて家族もいて温泉もあるけど、まだニューヨークに居たいねぇ。結局後ろ髪引かれちゃうのか単に散歩が好きなのか2時間半くらい散歩してた。サンフランシスコからBrooklynに来たのが1/5の晩で、その夜はVillage Vanguardに行った。翌日の11時に、ビアンカの友達のペットグッズを作っている作家さんに会いに行ったカフェが家から徒歩15分くらいなので、久しぶりにそのカフェに行ってラテを持って散歩しようというアイディア。ビアンカの友達さんとはなんか英語が話しやすくて楽しく話したカフェ。我が家のワンコ4匹に特注リードをオーダーしたカフェ。浅野���信がガッツポーズしている写真が一面にある新聞がぺろりんとテーブルに置かれていたカフェ。あの日も雪だったというかあの日の雪が結局ニューヨークで見た一番素敵な雪景色だった。あの日はまだ、これからもっと雪が降るんだろうな、楽しみだな、と思っていた。その2日後に西海岸に戻ることになった。あの束の間の、「これから残りの期間、ブルックリンを楽しむぞ!」と思っていた、不思議なサンドイッチの具材みたいな印象になって残っている束の間の数日間に散歩していたあたりを散歩した、最後の日の朝。
そのカフェにはペットグッズを受け取りに1/7にも行ったのだけれど、持ち帰りでオーダーしたのは今朝が初めて。蓋に書かれた「Hazuki」がなんだか可愛い。ラテはミルクの配分が多すぎて、エスプレッソ風味のホットミルク、みたいな飲み物だった。ラテを片手にカメラを2台首から下げて1時間半くらいプロスペクトパークを散歩した。思考が捗ったというか考え事をずっとしていたけれど何考えていたのかあまり覚えていない。気持ちの良い飽きることのない散歩だった。公園の雪景色って、別にニューヨーク感ある景色かというとそうでもないのに、好きなものは好きなのよね、と独りごちた。雪でもランナーがたくさんいて、犬はより一層楽しそうにしていて、鴨は今日も勇ましいほどの集合をしていた。
散歩から戻ったら通りにエドがいた。あれ?エドの話ってこの日記でしたことがない!?エドは同居人ね。まぁエドの説明はいつかするとして、ともかく、通りでエドと、「なんでかね、またゴミ回収されなかったね」と話してから「ところで明日はバハマに何時に出るの?」と聞いたら「朝なんだよ8時とか」と言うので、「私も明日、朝早く出る」と言ってウーバーに乗るエドに分かれて帰宅した。
シャワーを浴びて、荷造りを始める。始めようとして盛大にかっぴろげたんだけど、お腹が空いて待てない崇さんが「ブイヤベーススープでのリゾットの作り方教えて。教えてくれたら作るから。」と言うので降りていって(あ、部屋は3階。共有キッチンは1階)リゾを作った。美味しかったけれど、やっぱり海鮮の濃度が足りない。崇が日本に次に来たら、軽井沢ツルヤの海鮮でちゃんとブイヤベースを作って食べて欲しい。
パッキングに戻って、過去にワインをお土産に持ち帰ろうとした自分を憎んだ。難しいし重いし!!!ワインってとてもよろしくないわね、持ち帰ろうとするの。絶対入り切らない、と怯えてかかった荷造りだったけど、なんとかなりそう。まだ持ち上げてないので最後の不安は残っているけれど。
荷造りの目処が立ったので大好きなサワドーを家に持ち帰ろうと買いに出かける。家から20分。WINNERからAnaisまで40分。1時間も歩いていたとは思えないほど、噛み締めていたらあっという間だった。one last sip of French Perl at Anaisと出かけてきたのが今ということです。
ビアンカに感謝の手紙を書いて、この時空が行き交いすぎている日記?の後半を大急ぎでここまで書き殴った感じ。RV tip日記は、日本に持ち帰りたくなかったけれど、仕方ないね、日本でのんびり回顧しましょう~。
さぁ、帰らなくちゃ!!!
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照屋年之監督の母校「日本大学芸術学部」でティーチイン試写会を開催しました!<イベントレポート>
照屋監督の母校となる日本大学芸術学部にて、1月17日(金)に映画『かなさんどー』特別上映を実施。上映後には照屋監督が登場し「ティーチイン&学生との質疑応答」を行いました。
日本大学芸術学部・映画学科の演技コースに2年生まで通っていた照屋監督。今回のイベントは日本大学芸術学部・映画学科の授業の一環として行われ、学部をまたいだ他学科の生徒も集まり、照屋監督自身の経験や学生のみなさんへのメッセージと共に、貴重な授業の時間となりました。

日芸・映画学科の演技コースで2年間学んだ照屋監督。今回の特別授業では、照屋監督と当時演技コースの同級生だった大谷尚子教授(現・映画学科演技コース専任教授)が進行をつとめ、日芸での初めての授業に照屋監督も喜びの表情。
校舎も新しく建て替えられており、教室へ登場するなり「僕がやめたのが30年ほど前なんですけど、全然違うもん日芸が!」と驚きのコメント。この日、校舎内にある食堂や図書館にも足を運び、懐かしい当時の映画学科の教授との再会も果たした照屋監督。大学を辞めた後も2年ほど(校舎がある)江古田に住んでいたといい、そこから吉本興業に通った思い出を懐かしむ様子��。

まずはこの日、特別に上映された照屋監督が脚本・監督・原案まですべて手がけた最新作『かなさんどー』の話からスタート。ストーリーの構想については、「黒澤明監督も『何かに影響されなかった作品なんてこの世に一つもない』とおっしゃっているんですが、僕自身も自分で本を書きますが今まで見た映画や小説、テレビドラマなど、なにかしらの影響で無意識に真似しているはずなんです。そういう部分でいうと、僕は最初からオリジナルというのは考えない方がいいと思っていて、芸人としてネタを作る時もそうですが、まず自分が尊敬する人のものをわざと真似した方がいい。それでも絶対に同じものにはならない。どこかに自分のオリジナルが絶対に入ってきてずれる。そしたらそれがオリジナルになる。演技でもそうだと思います。この人の演技がいいからと一生懸命真似してみる。真似してるだけで何か栄養になってどんどん自分が磨かれていくので、今の若い段階でオリジナリティは考えない方が僕はいいと思っています」と自身の経験をもとにアドバイス。
実際に前作『洗骨』では、大好きな映画である『リトル・ミス・サンシャイン』に影響されたといい、「バラバラの家族がそれぞれ問題を抱えているんですけど、娘のある大会に出るために家族で車で移動をしていく中でバラバラの家族が一つになっていく物語。『洗骨』もいろいろな問題を抱えている家族が、“洗骨”(人が死んだら火葬せずにミイラとしてねかせ、その人をもう一回出して骨を洗っていくという沖縄で今も一部で残っている風習)に向かっていく間に、家族が一つになっていく同じ構造。でも見比べても絶対同じ映画にはなっていないはずなんです。そういう部分でみなさんも、まずは真似することから勉強した方がいいかなと思います」と投げかける。

最新作『かなさんどー』では、愛おしい親子の関係が瑞々しく描かれるが、キャストについては「沖縄の映画なので、(方言的にも)沖縄の方に演じていただくのが一番自然ではある」としつつ、「主演で娘の美花を演じた松田るかちゃんは、ピュアな役からいろんな役を器用に演じる方で、沖縄出身で僕は以前から知っていたので彼女を主演にしようとなり、お母さん役はやはり温かくて可愛らしい、かつ歌が上手い方というのが条件だった時に、僕はコメディエンヌとしても堀内敬子さんの演技がとても好きで、これはもう堀内さんにお願いしようと。
自分が予想しなかったのは、浅野さんだけです。もともとはもっと15歳くらい上の設定の役者さんを探していたんですけど、プロデューサーの方が浅野さんと何本も仕事をされていて、『浅野くんはどう?面白いんじゃない?』ってなった時に、『ハリウッドでもあれだけ出ている方だから、まずこんな無名な監督の作品はでないだろうと思ったんですけど『本が面白かったら、彼は出るよ』と聞いて、一度読んでいただいたら出てくださることになって。ゴールデングローブ賞も受賞されたので、本当にちょっといい意味で運が舞い込んできてるなと(笑)」と言って会場を笑わせ、浅野さんの印象については、最初はめちゃくちゃ怖いイメージだったんですけど全然違う。ゴールデングローブ賞のスピーチでも『俺のことなんか知らないでしょ。浅野忠信と申します。日本の俳優です』と英語で言っていましたが、あのまんま。とても腰が低くていい方。ただ演技に入ると人が変わるから、そこはやっぱりプロだなと思うんです」と明かす。

そして今作でキーマンとなるのが、沖縄でピン芸人として活躍するKジャージさん。浅野忠信演じる悟の知念建設の社員で、危篤状態となった悟のために美花を伊江島に呼び戻す。「YouTubeで彼を見たら、普通はキャスティングしないだろうなっていう癖のあるネタなんです。沖縄の重鎮で安定感の演技をする方かKジャージさんかを迷いました。安定感の方は、ちゃんと小橋川を演じてくれるんですが、面白みがないんです。何となくサラッとやってくれるみたいな。でもKジャージさんは癖が強すぎて、ちょっと演技がいまいちぎこちなかったんですけど、ハマればとっても人に好かれる役になるだろうなと思ったんです。愛嬌があったので。それでスタッフと『このキャスティングに失敗したら、この映画が台無しになる…でもかけてみた方がいいと思います!』と話して決断。事前に2人で徹底的に読み合わせをして、クランクインまでに小橋川という人間にちゃんと赤い血を流してもらってからクランクインしたので、すべてうまくいきましたが、あのキャスティングは本当に勝負でした」と裏側を明かす。
「難しいですよね。この中に演技コースの方もいると思うんですけど、演技って演技しちゃうと見ている人が冷めちゃう。演技を演技されちゃうとつらいというか…例えば自分が嬉しい話をする演技の時に、Kジャージさんはセリフっぽく言うんです。そこで僕が『Kジャージさんが例えば芸人をやっててこれは嬉しかったなってことあります?』って聞くと、『実は僕はすごく癖があるから、舞台でネタをやっていても笑う人と笑わない人がいるんです。でも劇場を出たときにお客さんが一人ずっと待ってて、なんですか?って言ったら急に泣き出して、『僕1人だけはあなたのコントが刺さって』って泣いてくれたんです」と自然に話したので、その気持ちのままもう一回言ってもらったらすごくよくなった。『いかに自分の実体験の中に、このセリフを入れることができるか』ということ。緑の血として喋っているのを、ちゃんと赤い血に変えて喋ることができるかは、結構僕は大事なのことかなと思います」。

さらに自身の学生時代からを振り返り、「場慣れが異常に大事」だとも語る照屋監督。「僕は監督として14本撮っているんですが、最初の作品とかもう見てられないほど恥ずかしくて…でもいっぱい恥かいて、失敗してるから上手くなってるんです。演技もそうなんですが、僕はお笑いの世界に30年間いて、初舞台はもうすべりまくりで膝も震えるし逃げたかった。でもそこからウケてる芸人たちのネタの作り方、言ってみれば脚本の作り方とかを徹底的に研究する。そして漫才もコントも結局演じることになる。吉本興業が劇場を持っているありがたさもあり365日舞台に立てるので、異常に人前にでてるんです。
例えば今5万人の前でバーンって急に出されても、全然平気で喋れる。そのくらい舞台慣れしている。皆さんもとにかく恥をいっぱいかいた方がいい。プライドほど無駄なものはない!自分をよく見せたいし、上手いって思われたい気持ちすごく分かるんですけど、いっぱい恥かいて出れば出るほどものすごい太い幹になってくるので、『恥をかきにいく』っていう方が正解かもしれない。作品作りもそうです。演じ手もそうですし、いっぱい恥をかいた方がいいです」と自身の経験からくる珠玉の言葉を学生たちにおくり、「今は携帯という最強のものがあるから、自分の実力を鍛える場所がいっぱいある。その行動を起こすかどうか」だとも。

また、“日芸生時代の経験で今に生きていること”を聞かれると、「日芸に入らなかったら絶対に芸能界にはこなかった」と話す照屋監督。「僕はもともと4年生卒業という資格を持って沖縄でできるだけ良いところに就職できたらいいなと思っていたんです。沖縄から芸能人なんてなれるわけないという時代でしたし、それで日芸では4年間映画を学んで卒業証書をもらえるのだったらいいなと思ってきました。そして入るとエキストラの話とかがきて、『あれ僕が思ったより、芸能界って遠くないかも。1回しかない人生だから』と足を踏み入れて、今こうして30年もやっている。僕に人前に出る勇気を与えてくれたこともそうですし、やっぱり大谷先生もそうですけど同級生や先輩方、い���んな人たちと話し合ったり刺激を受けられるし、本当に仲間は財産。みんなエンタメをやりたくて同じ考えを持っている人たちだから、お互いに火つけ合って共感して同じ道に向かっていける、あの空間がとてもよかった」と述懐。学生たちも何度も頷きながら、輝く目で監督の話に耳を傾けていました。
そして後半、学生との質疑応答の時間にうつると、演技コースだった照屋監督に一年生の映画学科の学生から「なぜ俳優ではなく芸人になったのか」という質問が。 監督は「新しく1年生が入ってくる時に新2年生が歓迎するためにコントをやっていて、誰がやる?ってなった時に、友達に「としぼう面白いからコントの台本書いてよ!」って言われて初めて脚本というものを書いて人に演出して自分も演者として出たんです。それで1年生が笑ってくれて、笑い声の対価を得るっていうのがあまりにも気持ちよくて…。その打ち上げで同級生に「としぼうって面白いから、お笑い芸人になればいいのに」って飲み会で言われて。『そうだ、僕はただ役者だけをやりたいというよりも、歌やドラマ、バラエティといったエンターテイメントに救われてきて、ダウンタウンもドリフターズもみんなドラマも出るし、歌も出すし、司会もやるし…お笑い芸人は全部やってる…お笑いやろう!』と思って、まさに映画学科の3年に上がる時に退学届けを出しました。そしたらあっさり受理されちゃって。『本当に辞めるの?』とか言われるかと思ったら、伝票を受け取るくらいあっさり(笑)。それで辞めて、相方の川田が当時沖縄でアマチュアのお笑いやっているのを知っていたので、お笑いやろうぜとなったんです」と振り返る。
「僕自身は人を笑わせるのが好きだったけど、学校で一番面白いとか言われるレベルじゃなかった。ちょっと身内を笑わせるせるくらいのレベル。でもなんでこの世界で30年も生きてこれたのかなと思うと、ひとつは『根拠のない自信��。これは大事。演技にしろ作品作りにしろ、根拠のない自信が異常に背中を押すから!なんでかというと、根拠のない自信ってことは、自分はまだ何者でもないけど、なりたいという気持ちがある。一生懸命頑張ったらなれるんじゃないかっていうその気持ちがガソリンになって、学ぼうとする。本当に僕はこの30年でつらいこともいっぱいあるけれども、何で続けられるかっていうと、ご褒美の方が全然大きいから。楽しいよエンタメは!いろんな現場で演じたり、たくさんの方にありがとうねって言ってもらえたり。『みなさん、ようこそ!』、そのうち一緒にやるだろうからね!」と学生たちに笑顔を向け、「なんか熱くなるね!一人の質問で止まらなくなる」と学生たちを前に言葉が溢れだしていた照屋監督。

続いて映画学科で同じ沖縄出身の学生から、映画『かなさんどー』について「普段沖縄の映画を見ていると、沖縄の人からしたら訛りが少しおかしい映画もある中で、とても自然で作品もとても面白かったです。松田さん演じる娘の美花の話し方もリアルに表現されていて、沖縄のことを知っている人から見たらめっちゃ懐かしいというか、愛おしいなと思いました」と感想が伝えられた。
また美術学部の学生からは、『かなさんどー』を観て「私は小学校の時にすごく印象に残っている友達がいて、その子が中学の時に突然沖縄に行ってしまってもう連絡も取れないんですけど、その子のことを思い出して、映画中ずっと泣いていて…映画のキャッチコピーに『あなたもきっと大切な人を思いだす』って書いてあったんですけど、まさにその気持ちになって、すごくよかったです」と想いを吐露。
また普段からは絵本を書いているといい、「それを将来仕事に繋げるかどうかはまだわからないんですけど、監督はみんなに面白いものを作りたい、見てもらいたいという気持ちがあるかもしれないのですが、私はそれとはちょっと違って、本当に大切なもの素敵なものはみんなに見てもらいたいなという気持ちがありつつも、本当に大切なものを作品で扱ってしまうと、自分が消費するものにしてしまっているという罪悪感を感じたりもして…本当に大切なものは作品として消化しない��、大切にしまっておいた方がいいのかなと思って悩んでいます。どの程度、自分の心の内みたいなものを作品に出していいのかな?って…」と言葉に迷いながら質問すると、照屋監督が「消費っていう罪悪感の方向に自分からベクトルを持ってっちゃうのはもったいないかもしれない。消費じゃなくて“共有”。あなたの大事なものを、みんなに共有させてあげる。大切なものは共有した方がいい。幸せは広がっていくから。
だから絵本作家ってとても素敵だと思うよ。宮崎駿監督も何を見るかって世界中の絵本。子供の驚きや泣きとかが、シンプルに表現されているのが絵本。シンプルだからこそ自分の個性を出すのに表現が難しい。でも絵本に惹かれるものを感じるなら、世界中のまだ見ていない絵本をもっと見ていくと本当に絵本の世界でやりたいのかが見えてくるだろうし。大切なものは消費するのではなく、みんなと共有するという考えに変えれば、全然苦しい作業にならないはずですよ」と心温まるアドバイス。監督自身も、「演技コースでこの世界に入ったはずなのに今は映画監督をやっていて、自分はこうなると思っていなかった。だからあなたも絵本を目指しながら違う方向に行くかもしれないし、逆に本当に絵本が好きだとなって絵本で真っ直ぐいくかもしれない。そこはとにかく足を止めないことだと思います。もったいないもったいない。いっぱい突き進んでください!時間は本当に限られているので」と背中を押すと、言葉を受けとめた学生も「『幸せは広がる』っていう言葉にすごい救われました。ありがとうございます」と笑顔を見せた。

さらに最後の質問では、映画学科の学生から「映画を作るにあたってどこから始めるのか」の質問が飛ぶと、「映画作りは絶対に脚本。本という命がないと絶対に映画は取れない。脚本が面白くないと映画は絶対に面白くない。どれだけスターをキャスティングしようが名監督が手がけようが、本が面白くないとダメなんです。なので本作りに僕はほとんど命を捧げています。僕自身は出役になりたくて一生懸命頑張っていたんですけど、自分が結婚して子供も持ってくると考え方がどんどん変わってきて。子供が2歳ぐらいの時に肺炎で小児科病棟に入院したんですけど、その病棟のほとんどが小児��んの子たちで、何ヶ月も入院している子供ばかり。お母さん方はみんな疲れ切っている。そんな中で疲れ切っているお母さんが休憩室に入ってきて、(当時照屋監督が出演していたテレビ番組)「ワンナイR&R」にチャンネルを合わせて笑ってるんですって。『あなたは自分が有名になりたいとか、お金持ちになりたいとかいろんな欲でこの芸能界を突っ走っているかもしれないけど、あなたの知らないところであなたにすごく救われてる人がいるっていうのも言っておくね』と言われて…僕はすごく考えが変わったんです。

やっぱり自分の欲のために頑張ってきたし、それでいいと思う。有名になりたいとかその欲は僕もちゃんとエネルギーになって頑張ってこれたんだけど、ある程度くると自分が頑張っていることで、自分の知らないところで人の役に立ってるって、こんなにありがたいことはないなと。心の『いいね』だよね。俺がやってることで人が救われてるんだと思った時に、自分の幼少期を思い出したんです。小学校の時に大阪に預けられた経験があって、すごく寂しい幼少期を過ごしたんですけど、その時にテレビに救われた経験があって。テレビの向こうだけはみんな笑っていた。病気と闘ってたり将来が不安だったり、いろんな方がなにかエンタメにすがっていると思う。『そういう人に何か力になれるように頑張らなきゃな』って考えが変わって、誰かを傷つけることは言いたくないと発する言葉も気をつけるようなった。まったく皆さんが知らない土地で、救われている人がいる。
タレントの丸山礼ちゃんも、小さい頃に北海道で寂しい部屋の中でずっとポツンといる時に『ゴリエちゃんに救われた』って言ってくれて号泣したの。だからそうやってあなた方がやることで、どこか遠くの誰かを救っていることがある。そういう仕事に就けるっていうことが、よりまたこれから楽しくなるよね。エンタメは最高の仕事」だと熱く語った。
最後には学生たちへ向け「試験期間が近くてみんな実は大変というのをさっき聞いて、僕の映画とトークに皆さん大事な時間��割いてくれたこと自体が非常にありがたく思っています。これも出会いですから、僕の話を聞いて何か力になってくれたら僕も嬉しいですし、皆さんは人に勇気を与えられる、明日会社や学校に行きたくないっていう人の背中をポンって押してあげられる力をこれから見せてください。素敵な仕事なので、一緒に世の中にエネルギーを与えられるように頑張っていきましょう!」と笑顔でメッセージをおくった。

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2024.08 モンゴル(ウランバートル)
ウンドゥルシレット観光より
市内観光
ウランバートル観光ですることといえばフスバートル広場・寺院・カシミヤのお店巡りくらいか。やはり自然が人気なだけに市内はそこまですることが無い。


政府宮殿、今も政治の場で使われている建物とのこと。チンギス・ハーンの巨大な像が中央に。周囲にはコンサート場、オペラハウスなどなど、広場を取り囲むように様々な建物が建っている。ウランバートルの中心地であり、かつ最も近代的。

ちなみに車は9割以上が日本車、その他ベンツ、ヒュンダイ。右車線右ハンドルのため、追い越しが非常にしにくい。完全な車社会であり、しかも運転は海外っぽく荒め。市内はところどころで車の渋滞が発生し、市のど真ん中に火力発電所が3つくらい建って煙をだしているものだから、車の排気ガスと併せて空気は悪い。

ザイサン丘。共産主義時代、ロシアとともに日本(盧溝橋事件)やドイツ(ナチスによるソ連侵攻)を倒した英霊を奉るところ、またロシアと宇宙開発にも協力していた記念として建てられたた。小高い丘の上にありウランバートル市内が一望でき眺めが非常に良い。麓には本物のT34戦車が飾られている。ここからも火力発電所の煙突が2本、煙が市内に流れる様子が見える。

モンゴルのお土産としてカシミヤが有名らしく、自国よりも破格で購入できる。韓国か中国の人は1枚8000円くらいのマフラーを100本くらい購入してレジが全く進まなかった(転売目的?)。アラブの白装束をまとった、いかにもお金持の人たちもぞろぞろ。

建物はロシア中国の影響を受けていない、東欧の感じ。いたるところにクレーンが立っており今建設ラッシュと思わせるほど、これから発展していきそうな活気を感じる。


市内の様子。この日は始業式・入学式があったとのことで(モンゴルは秋入学)、いたるところで学生の制服姿が見えた。
ウランバートル市内でも土地はたくさんあるようで、のどか。子どもが21時になっても外で遊んでいるところと見ると、治安はいい方か。スラム街もない。きっと仕事を失ったとしても遊牧民になればいいのだろう。だからわざわざ犯罪に手を染めてまで生きる必要もない。
食品スーパー・物価


NOMINというスーパーがいちばん有名なのか、市内のいたるところで目にした。自国品は少なく(ほぼ無く)外国からの輸入品が非常に多い。聞いたところによるとモンゴルの人口300万人のうち、ウランバートルに150万人(残りは遊牧民)。人口少なく自国産業が発展しないのだろうか。




市内にコンビニあり、商品は7-8割が韓国製、2割日本製、やはり自国製はほぼ無し。
肉まんやたいやきも販売されていた。カップラーメン1つ4000-4500トゥグルグ。20トゥグルグ=1円くらいなので、カップラーメン200-250円と、コンビニ内での物価はほぼ日本と同じくらい。外国製に頼っているため割高か?。
一方でドライブインなどで食べた食事は14000-16000、高くても20000トゥグルグまではいかなかった気がする。日本円でいうと700-800円のため、まあ7-8割くらいといったところか。
ウランバートル市内ホテルの朝食が1-2ドル、ウンドゥルシレットのゲルでの食事は一食1500-2000円と異常に開きがある。
時期によってはスイカやメロンを満載したトラックが路上によく停まっていて直売している。特に8-9月が旬で、今回旅行時にはたくさん見かけた。大型トラックの荷台いっぱいに積まれていて、あれ売りさばくのにどれだけかかるのか?ホテルの朝食で食べたが、日本で食べるのと変わらずとても美味しかった。値段聞かなかったけど、すごく安そうだったな。
食事
市内でもウンドゥルシレットでも、ほぼ必ずきゅうりとトマトが野菜として出てきた。ゲルでは必ずパン(自家製)とバターが用意、コーヒーか紅茶、ミルクティーがあるときも。
お米は少量の塩を入れて炊くのか、少し塩味を感じる。モンゴル料理は基本塩で味付けされており日本人好み。火が通っていて心配いらない。モンゴルの料理は中国・ロシアからの影響を受けているらしいが、今回の旅行ではほとんど中国寄りの食事だった。メインはやはりラム肉だが、臭みなく美味しい。モンゴルには海がなく魚介類料理は皆無。内蔵料理が出てくるのを想定していたが、ゲルでも市内でも見なかった。あまり一般的なモノではないらしく、家畜を卸したそのときに出てくる料理みたい。モンゴルの食事でもうどん有り、日本より細くモチモチ感はない。












<1日目>
朝昼機内食
夜コンビニでカップラーメン
<2日目>
朝ホテルバイキング、メロンおいしい、野菜炒めは日本の味、わかめと肉スープ
昼 肉と野菜が入ったコーンスープ、モンゴル小籠包肉汁あふれる
夜 きゅうりトマトサラダ、唐揚げフライドポテト炊き込みご飯
<3日目>
朝 オムレツ、ハム、果物、
昼 ラム肉うどん、かぼちゃ肉コロッケ
夜 コーンスープのようなもの、鳥の照り焼き、ピラフ、サラダ。アルヒというウォッカを振る舞ってくれた、アルコール33%、ストレートで飲んでもキツさを感じずサラッと飲める
<4日目>
朝 サンドウィッチ、スクランブルエッグ
昼 ドライブスルーにてラム肉と米
夜 牛肉きのこスープは出汁が非常に美味、揚げ餃子ボリューム多すぎ
<5日目>
朝 サンドイッチの弁当
昼 機内食
ホテル・ゲル

ウランバートルの市内ホテルには1日目と4日目に同じホテルに宿泊。コンセントタイプはC、部屋にはたくさんあったが、ゆるくて挿せなかったり、電源が来ていなかったり。トイレットペーパーは流してはダメ。電気ケトルあり。天井の照明が無く全体的に暗い。シャワーはちゃんとお湯出るが勢いはやや弱い。トイレと浴室は同じ空間だがガラスで隔てらている。
一方、4日目の部屋はコンセントもちゃんとハマる。上階だからか、シャワーが弱すぎ。明らかに前の部屋がだめだったが、こっちももう少し頑張ってもらえれば・・・。


ゲル内にはストーブあり、薪もおいてあり、夜は冷えるのでガンガン焚く。あっという間に温まるがゲル内の風通しが良い(隙間風入る)ので冷えるのも早い、1-2時間でもとの気温か。
草原のある場所はどこでも同じだが、風が無いと虫がたくさん飛ぶ。ゲル内は蚊取り線香必須(少し香りがついているものが良い、元の匂いがなんか臭い)、新聞紙あると火を起こすのにとても便利、チャッカマンもあったほうがよい、モンゴルのマッチ火つけづらい。
その他

基本英語は通じないと思え、
空港でCIMカード売っていない。お迎えの人(モンゴル語・英語のみ)もCIMカードといっても通じなかった。かといってポケットWiFi貸出カウンターも見当たらなかった・・・。ホテルにWiFiの案内あるがなぜか使用できない。ガイドにポケットWiFiを持ってきてもらうよう頼むのが一番、事前にもう少し調べてここらへん情報必要。
社会主義から資本主義へ移行した(ロシアのペレストロイカと同時?)、その際に始まった土地登録はまったく進まず、土地をもつという概念がない(遊牧民文化のため)。特に草原では土地の周りに囲いを建てないとまったくわからない。北海道よりも断然広大、畑もすごい広大、桁違い。
今回は行かなかったが、ボルドーはガイド旦那の故郷で、砂漠・湖・草原・岩山がコンパクトな範囲で収まっている世界的に珍しい地域とのこと。
案内はchimgeeさんとその夫のダライさん、奥さんは日本語ペラペラ、旦那は喋れない、ドライバー2人で対応するのが普通?自家用車で案内も普通?+2人の宿や食事など掛かっているのに、ツアー料金一人当たり19万~25万円(オプション無し)とは、破格では?まさかガイドの宿泊代は無料だないなんてことないだろうし?
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休店日、読書。
小田雅久二 氏の『 残月記』
「そして月がふりかえる」を読了。
最初の1ページから吸い込まれる文章の美しさ。1文に込められた情報量の多さ。
比喩表現が豊かで、景色と心理が目の前にあるかのごとく迫って来る。
薄ら寒い怖さが1文ごとに積み重なっていく感覚。最後の数行を理解した途端、本を投げ出すほど怖かったです!
本屋大賞ノミネート、���川英治文学新人賞&日本SF大賞W受賞作品と紹介されていますが、納得。
「#本にだって雄と雌があります」も凄かったが、この作品はもう数倍も凄い。言葉が浮かばないぐらい凄い。
これは人に勧めたくなるほどの作品。
(ダークファンタジー、ディストピア、SFというキーワードが苦手な方にはお勧めしない)
朝のラジオ、おはよう寺ちゃんで、小田氏が新作「禍」の紹介インタビュー内で「書けなくなった時期があって」とサラッと話していたのがきっかけで、
書けなくなる前と後でどう変化があったのか、作品から読み取れるものだろうかと興味がわいて小田氏の作品を読んでいるところ(確実に変化大と感じる
わたくし、個人商店始めた辺りから、小説が読めなくなりまして、フィクションに身が入らない、興味がわかない、自分の人生の波乱万丈から目がそらせず、小説から遠ざかっておりましたが、小田氏の作品は文章が性に合うようで、単語ひとつひとつがもう美味しい。
無駄な文字が無いというか、文字全部食べ尽くす勢いで楽しんでいます。久し振りに、わたくし的名作に出会いました。
#ときどき読書 #残月記 #そして月がふりかえる #小田雅久二 #秋の読書におすすめ #インテリア雑貨 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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2023/10/08
BGM: David Byrne - I Know Sometimes A Man Is Wrong
ああ、世界はどうなっていくのだろう……朝、X(元Twitter)をサラッと眺めていてイスラエルとパレスチナの問題が目に入る。そこから「第三次世界大戦が始まるのではないか」といった話題も散見される。WhatsAppやDiscordでこの話題について、ぼくも少し投稿してしまう。とはいえぼくに「世界情勢を斬る」知識も能力もあるわけがないので、結果として「英語やフランス語をまた学び直すことに興味がある」といったことを書くに収まってしまった。世界情勢がこんななのに何をのんきなことを、と言われるかもしれない。でも、さしあたってぼくに���きそうなことはこうした「ぼく個人が相手を理解できるところにまで『ひとまず』歩み寄ってみる」ことしかないと信じる。ぼくは「対話がすべてを解決する」とは信じていない。現にぼくはそれこそ「対話不能な環境」「ミスコミュニケーション」がもたらすいじめやパワハラに苦しんだ過去を持っている。でも、「制裁」「攻撃」は「最後の切り札」にするのが理想的だとも信じる。言葉が万能だとは思わない、が、それでもなお言葉の力を信じたい気持ちもある。あるいは、言葉には兵器とは違ったかたちで人の心を変えうる魔力がある。それはさんざん読書という行為・営為を通して心を養ってきたぼくの実感として腑に落ちていることでもある。
Discordで「Xの情報を鵜呑みにしてはいけない」というような諫言をもらった。そこから見えるのは、XやFacebookといったソーシャルメディアとDiscordやWhatsApp、あるいはInstagramや(ぼくは使っていないが)Tiktokといったメディアのユーザー層はもしかしたら違うものを見ているのかもしれないという可能性だ……ぼくはでは、どこを見るべきなのだろう。これは単なるぼくのヤマカンや経験則に裏打ちされたあやふやな処世術になってしまうのだけれど、でもこんな時に大事なのはともかくも自分の足元をしっかりさせることではないかと思う。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と吉田健一は言ったという(もっとも、この「名文句」に関しては「文脈を無視して引用されて『独り歩き』している。まことに嘆かわしい」という意見もあるようだ)。ぼくも、この吉田健一やあるいはこの言葉を知らしめた小西康陽に倣って「できることを、あせらずていねいに」していきたく思っている。また図書館が開けば、ぼくの信頼できる友だちがXで推薦していた岡真理『ガザに地下鉄が走る日』を読み返してみるのもいいかもしれないと思った。あるいはそれこそエドワード・サイードの古典を。
今日からおっかなびっくり、おっとり刀でフランス語をまた学び始めようかと思い友だちのフランス語のグループに(とりあえず機械翻訳で、わかる範囲で"Bonjour!"とか"Je suis désolé!"なんて書きつつ)フランス語を投稿する。さて、身につくのか否か。読み始めた清岡智比古『フランス語をはじめたい!』は実に面白く、ノリもよくスイスイ楽しめる。昨日も書いたけれど、「フランス語はしゃべれない」のに「英語は少しばかりしゃべれてしまう」自分自身について思いを馳せる。世界が英語という言語によってグローバルにつながり、塗り替えられる……そんな時代にあってぼくは心のどこかで「そういう時代だから日本語もフランス語も『マイナー言語』だ」「英語ができればやっていける」と(ここまではっきり自覚していたわけではないにせよ、「心のどこかで」)思っていたのかもしれないと反省する。日本人のぼくが日本文学やJ-POPに誇りを感じるようにフランス人もフランスが生み出す文化に誇りを感じうる……そう思うとせめて「Salut!」程度の簡単なことは言えた方がいいのだろうなとも思えた。それはたとえばぼく自身が海外から来られた方がカタコトであっても「こんにちは」「すみません」と話しかけてこられた時に好印象を抱きうるのと同じだろう。
ぼくがXでフォローさせていただいている方が、「もうイスラエルやウクライナに関しては『知らない』で押し通そう」とおっしゃっていた。これはぼくは「半分ほど」同意する(「気持ちはわかる。でも支持はしない」とも言える)。これをぼくなりに言い換えれば「あまり『深入り』しすぎず、熱くなりすぎず、自分の足元をしっかりさせた上で提言していく」という「保身」を大事にするスタンスが大事だと思う。別の言い方をすれば、昨日も書いたけれどぼくたちの生活の中にはそんな「イスラエル」や「ウクライナ」の文物・人びとが入り込んできている。「輸入物」「難民」として大文字で政治的に処理される物や人びとのみならず、もっとミクロな「ウクライナからアクセスしてきているDiscordユーザー」や「ユダヤ系の人たちの声」といった形でも入り込んでいる。それがグローバル化ということだと思う。そんな時代において「知らない」と言い切るのは誤解を招きうるし、あるいは端的に「リアル」「実際的」でもないと思う。ぼくのスタンスを「言語化」「見える化」させて他人に伝えるのはむずかしい……だからといってサン=テグジュペリ的に「本当に大切なものは目に見えない」のでぼくの意見も「悟ってほしい」とも言えないのがもどかしくもある。「明晰ならざるものフランス語にあらず」なんて言葉もあるみたいだけど。
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映画『第17捕虜収容所』
U-Nextで『第17捕虜収容所』(1953)を見ました。ビリー・ワイルダー繋がりです。
第二次大戦中のナチスドイツの捕虜収容所を舞台にした映画というとすぐに『大脱走』(1963)が頭に浮かびますが、『第17捕虜収容所』の方が10年も早いのですね。
といっても脱走の話が出てくるのは最初と最後だけで、途中は収容所での捕虜たちの生活と内通者探しに当てられています。
アメリカ人捕虜たちは階級ごとに分けられて住んでいるようで、物語の舞台となるのは軍曹の棟ーー食事はひどいようですし、ストーブの下を掘って脱出用の通路を作ったために暖房装置も撤去されてしまいますが、意外に(と言っていいのかな)捕虜たちは陽気で、別の棟にロシア人の女性たちが来たと言って覗きに行ったり、隠れてラジオを聞いたり、ネズミを馬に見立てて競馬をしたり(賭けるのはタバコです。どうやら収容所ではタバコがお金代わりになっているようです)、クリマスにはダンスパーティーらしきものを開いたりしています。
でも、脱走すると直ちに射殺されます。当然ながらそこはシビアですね。
映画の冒頭で二人のアメリカ兵が脱走を試みますが、あえなく射殺されてしまいます。また、捕虜たちが隠していたラジオも見つかって没収されてしまいます。
誰か内通者がいるに違いないということで、セフトン(ウィリアム・ホールデン)という男に疑いがかかります。セフトンは立ち回りが上手く、賭けの胴元になってタバコや酒をためこんでいたり、見張りを買収してロシア人女の棟へ行ったりするので疑われたのです。
アメリカ人捕虜たちはセフトンに襲いかかりますが、殺しはしません。怪��をさせただけです。
セフトンは身の潔白を証明するために真犯人を探します。
[ここからネタバレになります。未見の方はご注意を]
内通者はプライス(ビーター・グレイブス)という男です。
やがて棟に新しいメンバーが来ます。ダンバーという中佐とその部下です。ダンバーはナチスの列車を爆破して甚大な被害を与えたと自慢します。それを聞いたプライスはその情報を所長に伝え、ダンバーはベルリンに送られることになります。
戦闘中に敵兵を殺すのは許されるが、敵の列車を爆破することは許されない、そういうことをした人間は厳罰に処するということなんでしょうか。私にはその辺りがどうも理解できませんでした。
実はダンバーは結構嫌な男です。彼はセフトンと同じ士官学校にいたのですが、親が金持ちのため優遇され、金で士官の資格を手に入れました。そして実家が金持ちであることを鼻にかけています。
そんな男をなぜ救わねばならないのだという気もしますが、アメリカ人捕虜たちは騒ぎを起こし、それに乗じてダンバーを棟の屋根の上にある貯水槽に隠れさせます。
棟ではダンバーを連れて脱走する計画が立てられます。内通者のプライスが志願しますが、そこでセフトンはプライスが内通者だと暴露します。証拠としてセフトンはプライスのポケットの中に入っているチェスの駒を見てみろと言います。プライスはクイーンの駒にメッセージを入れて所長と連絡していたのです。
プライスはアメリカ人ではなく、アメリカに住んだことがあり英語が堪能なドイツ人だということもそこで判明します(作者はアメリカ人の中に裏切り者がいるということにはしたくなかったのでしょうね)。
この部分が意外にサラッといってしまったのが個人的には残念です。もっと言葉でプライスを追い詰める、セフトンとプライスの間で言葉のバトルがあればもっと面白かったのにと思います。
セフトンはダンバー中佐救出作戦に志願し、タイミングを測って棟からプライスを外に放り出すよう仲間にいいます。プライスは「撃つな! 俺はドイツ人だ!」と叫びますが撃たれてしまいます。
セフトンはそれに乗じてダンバーを連れ出し、鉄条網を切って脱走します。二人が森の中に消えていくところでジ・エンド。
こころに残る名作かと言われると「?」となりますし、捕虜ってこんなに「お気楽」なのかと思わないでもないですが、まあ決して悪くはない映画です。
私にとって印象的だったのは、セフトンでもプライスでもダンバーでもなく、戦争で心を病んだのか、ずっとボーッとしてオカリナを吹いているアメリカ兵(戦争前はロースクールに通っていたこと、つまりインテリだったことが途中で明らかにされます)や、妻から妻そっくりの赤ん坊が玄関に捨てられていたので育てることにしたという手紙を受け取ったアメリカ兵(説明は野暮ですが、夫の出征中に妻は浮気をして出産したということです。誰の目にも明らかだし、妻自身も「あなたは信じないでしょうけど」と書いていますが、本人は自分に言い聞かせるかのように「俺は妻を信じる」と繰り返します。短いシーンですが私は好きでした)でした。
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キレイ目カジュアルな綿Tシャツ


晴れて爽やかな🌞お昼になっています。湿度も低いのでサラッとしていますが、車に乗ると暑いですねー。
今日は新入荷の綿Tシャツです。 同色で抑えめにした刺繍の英文字ロゴに、袖を重ね風にしたかわいさあるデザインになっています。あまりボリュームを付けていない袖なので、この時期にカーディガンやジャケットなど羽織っても良く合います。短め丈なのでロングスカートやワイドパンツなどとの相性抜群です。
もう一点は女性のリゾート風なイラストに、スタッズでワンポイントのキラキラ✨を付けたAラインのロング丈。生地感も滑らかでふんわりキレイ目に着られます。
「Tシャツ」の呼び名はよくある和製英語ではなく、「T-shirt」として1950年代からアメリカで使われた名前です。広げると「T」の字をしているとこからきているそうで、分かりやすい呼び名ですね。
朝晩とお天気による気温差が激しいので、体調を崩す方も多いです。こまめに羽織り物で調整してくださいねー。




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230509
目が覚めると朝の8時2分だった。アラームは8時半から5分おきにセットしていたのだが、どうやら必要なかったようだ。煩わしく感じるあの音に起こされずに自然と目が覚めたのは久しぶりで、なんとなく良い日になるような予感がした。
今日はKと遊ぶ約束をしていた。これは毎回お馴染みなのだが、Kと私は計画性が無いタイプなので前日の夜になっても集合時間はおろか行き先も決めていなかった。気づけば日付が変わって深夜1時を回っていた。
湯船に浸かって予定を考えているうちに、私の悪い癖なのだが(これは後々話すかもしれない)湯船ですっかり寝てしまった。
目が覚めると4時12分で しまった、と思った。
LINEには 死ぬど という文字が送られていて、何故かこの3文字に彼女の優しさを感じた。
11時に原宿駅に到着。1ヶ月ぶりに会う彼女は可愛かった。表参道まで歩き、美味しいと有名なパン屋さんに向かう。1時間ほど列に並び店内に入る。ずらっと並んだパンはどれも食べてみたいと思わせるものばかりで、今までパン屋さんでここまで胸が弾んだ経験は無いな、などと感じた。
天気が良かったので、代々木公園でピクニックがてら買ったパンを食べることにした。
ベンチに座り、厚切りベーコンとチーズが入ったパンを齧っていると、1人の女性が近づいてきた。「これは勧誘でもなんでもなくて…」想像通りの宗教勧誘だった。片言の日本語で一方的に話をされる。宗教学を学んでいたこともあり、信者の方に直接話を聞けるチャンスだと質問を考えるなどしていた。最後にされるがままアーメンと言わされると、「あなたはもうこれで天国に行けます。大丈夫です。」と言われた。入信もしておらず、ただただ流れに任され唱えた言葉一つで天国に行けるのか?そもそも天国に行きたいとは私は口にしていないのに、などと考えていると女性はスタスタと足早に去っていってしまった。嵐のように。質問ができずに少しがっかりしていると、Kは「なんで真面目に聞いていられるんだ」と笑っていた。私は、自分の死んだ後のことなんて、死んだ経験が無ければ分かるわけがないよな、とぼんやりしていた。死後より今この瞬間を共にしているKとの時間のほうが大切だよな、と私も彼女と一緒に笑った。
横にいるKが突然叫び声を上げた。声の方向を向くと、50cmくらいの距離に烏がいたのだ。烏をこの距離で見たことがある人はどのくらいいるだろうか。想像以上に怖い。ああ、この嘴で突かれたら終わりだろうな。人間としての生存本能が動いた気がした。気がつけばパンそっちのけで彼女は逃げていた。当たり前だが。烏は彼女の7つほどパンが入った紙袋を覗き込むと、1つのパンを袋ごと口に挟んで少し離れた木陰へ飛んでいってしまった。あまりに一瞬の出来事に呆気に取られていると、彼女は泣いているのか笑っているのか分からないような声で、烏に言葉を投げていた。
「1時間も並んだのに!私のクイニーアマン!」
彼女が一番楽しみにしていた林檎のクイニーアマンをこちらの様子を伺いながら食べる烏。ただただ見つめる彼女とその様子を見る私。もはや驚きと悲しみを超えて私たちは大爆笑していた。3つほど離れたベンチに座っていた外国人がこちらを見て笑いを堪えきれずに口元に手を当てている。笑うな。こっちは真面目なんだぞ。でも、彼に笑いを提供できたので良しとする。
流石に面白さを共有したくてインスタのストーリーに投稿する。"泥棒"と烏の動画を載せる彼女。そこに返信をする共通の友達M。その内容は伏せるが、所謂"シャデフロで草"といったところだった。Mは二言目に「焼き鳥にしな」と送っていた。笑いが収まらない私とMに対し、Kは「(私)とMは似ている」と言った。共感方法の一つが過激派に寄るところが似ているらしい。それは如何なものかと思ったが、Kは「それが面白いからそのままでいてね」と話した。
代々木公園は、犬の散歩をする人、ランニングする人、レジャーシートを敷いてピクニックをする人、それぞれがそれぞれの時間を誰にも干渉されずに過ごしていて良かった。何人たりとも邪魔されずに各々の時間を過ごしているようだった。シャボン玉を浮かべる少年が美しかった。
Kも同じことを考えていたようで、同じ空間で同じ考えを持って共有できたことが嬉しかった。
彼女はここ一年でかなり服装の嗜好が変わった。街をゆく靴はスニーカーに変わっていた。彼女の恋人の影響だという。恋人が好きだというニューバランスのスニーカーを彼女もまた好きになったそうだ。普段は落ち着いて話す彼女の高まった声。恋人や誰か好きな人、大切な人や気になる人の好きなものを自分もまた好きになりたいと思う感情は物凄く愛おしい。可愛いね、愛おしいね。幸せでいてね。
渋谷に行き、2人でお酒を飲んだ。私たちは会話が多い方ではないが、無言の時間も心地良い。お互い自然と手を組んで渋谷駅に向かい、電車に乗る。私よりも早く下車する彼女が別れ際にサラッと私に向かって「可愛いね」と言い、電車から降りた。珍しくそんなことを言われたものだから、ちょっとキュンとした。ちょっとだけだよ。
カップにうさちゃんを描いてくれたスタバの店員さん、拙い英語を理解しようとしてくれた外国人の方、ピアスのコーディネートが素敵と褒めてくれたピアスショップの店員さん、くだらない話や日々の��ガティブな話も静かに聞いてくれる友人。日々の中でこういった些細な嬉しいことが、ぎゅっと詰まった1日は幸せだなと感じる。
私も誰かにとって些細な幸せを提供できる人になれるかな、なりたい。

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あと数日で3学期も終わり遂に高3になります
学校ではテストが終わり授業もほとんどせず映画ばかり見ていました
最後に語る先生もいればサラッとありがとうございましたーで終わる先生もいて、基本不真面目なので半分くらい寝ながら聞いてていたのですが
その中で英語表現のイーグルスとポールマッカートニーのベストアルバムを聞く授業だけはちゃんと聞いていました
何故聞いていたのかは、特に心に響いたとかではなくちょうど前日にビートルズの話を家でしていたからですけど、
周りが皆んなうるさくしている中曲の説明を前の席の(先生に不真面目だからと席を固定されてる)人たちだけが集中して聞いていて、
それも先生がうまく機械を使いこなせなくてグダグダで終わってしまったのですが
なんとなくいい時間だったなと思っています
イスラエル
2022.3.18

(いつかの虹)
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本日ジェシーが声優を務めるアルフォンゾが登場する『SING2』を観て参りました。ご本人さまは観るのか観ないのか分からないけれど、ここからは少なくとも個人の感想ですので予めご了承くださいますように。

「大丈夫?」
ばかやろう。大丈夫じゃねえよ。
「女王さまって呼んだ方がいい?」
…お前、どっからそんな優しい声出してんだよ。誰だってときめいちゃうよそんなの。
youtube
こんな具合で必死に感情の高ぶりを抑えていた。顔を顰め、あくまでも冷静…なふりをしながらスクリーンを見つめる。セリフも登場シーンもさほど多くはない。だが、あの短時間でもジェシーの“耳のよさ”がギラリと十二分に光ったのではないだろうか。鋭い閃光のような衝撃。こんなに人(俺)の心を鷲掴みにするキャラクター、そうそういないと思う。MISIAさんと奏でるハーモニーは甘酸っぱいいちごとめちゃくちゃ甘いチョコレートみたいで…さながらチョコフォンデュのような。いい歳した男が胸キュンしただなんて言えない。……絶対に言えない。
無論、耳がいいというのは聴覚の問題ではなく音楽を聴き取る力のことだ。彼の歌唱力はライブや生放送の歌番組を観ていただければ一目瞭然ならぬ“一耳瞭然”だろう。ほぼ音を外さずそこにアレンジさえ加えられる。ハモリも的確。曲やパートによって声色を変え、場の雰囲気さえがらりと変えてしまう。推測の域を出ないけれど、天性のものである声質のよさを除いた彼の耳のよさと歌唱力は日本語と英語の2ヶ国語を耳にする環境、邦楽洋楽問わぬ様々な音楽のジャンルへの嗜好と好奇心、モノマネによって培った特徴を掴む力、これらが育んだものだと思う。特に英語と日本語の両方に触れたことが大きいのではないか。英語と日本語の周波数の相違に対応できるようになるだけでなく、単語の発音を聞き取れる(lowとrowとか)ようになるから。本映画では間違いなく彼の実力と努力がギラリと光っていた。彼の声が魂を揺さぶるのはいつ何時でも変わらないことを身を以て知った。ばかやろう。あんなの、あんなのさ、…狡いじゃん。
ここからはサラッと触れる程度に留めておくが、一言で言えば終始歌の力を感じさせられる映画だった。「選択肢はいつもある。正しいものを選ぶ勇気がないだけだ」というクレイの言葉なんて特にぐさりと胸に刺さった。また、最後の長澤まさみさん扮するアッシュとB'zの稲葉浩志さん扮するクレイ・キャロウェイの歌う『I Still Haven’t Found What I’m Looking For』なんてもう涙なしには観られない。背中を押す、必死に藻掻く自分を励まし肯定してくれているような。そんな感覚すら覚えた。エンドロール。
JESSE (SixTONES)
の文字を見て感極まったがゆえに一度引っ込んだ涙がまた頬を伝ったのは言うまでもない。

お前のおかげで最高の時間を過ごせたよ。ありがとう。
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📛 1481 「アタック No.1」 #4。
ほぼ一頁から二頁ほどのペースで進めております、ホーム社漫画文庫版 「アタックNo.1 第1巻 (浦野千賀子さん、集英社 2003年)」 を読んでいます。わいわい がやがやとしながら、富士見学園の体育館では 宿敵バレー部対の不良グループの試合が行われています。この物語の��ーパーヒロイン 鮎原こずえさんの猛攻により、いつの間にやら 得点は “14対14” と接戦となっていたりして、観客席は白熱しています。「鮎原さん いよいよジュースよ!あと2点で勝負は決まるわ」 と不良チームのチームメイト。「さうよ、あなたたちか 引け目を感じなく学校に来れるには この2点に掛かってるのよ」 と 負けたら地獄行きのやうなことをサラッと述べる鮎原さん。「この2点、何が何でも取らなければ!」 とちょっぴり士気が上がる不良チームの女子たち。そんな女子を相手にしています ネットの向かうの女子たちは 「成り上がりのバレーチームに負けるなんて わたちたちバレー部の恥よ!どんなことがあってもミスは許さないわよ!」 とバレー部のカツラギさんがチームの皆にプレッシャーを与えています。さてさて 試合は 不良チームからサーブが上がり、レシーブをするバレー部女子。上がったボールに 「わたしのところへくれば 得点間違いなしよ!」 とヒュッとジャンプを決め、バァンと 決定的なスパイクを決め込むカツラギさん。そのバァンと打ち込まれたスパイク球を バシッと両手でキャッチした こずえさんは 「いまのは反則よ」 と試合を中断させます。そんな この物語の超絶スーパーヒロイン鮎原こずえさんは、相手のチームのハセさんがボールを掴んで上げたことを見逃さなかったやうで、今の世の中でしたら “チャレンジシステム” を要求して ビデオ判定で結果をカッチリさせるのでせうけれど、未だ主審のジャッジでどうのこうのしていた時代のお話ですから、審判の判断にそれを委ねます。いよいよ セットポイントになり、ナカザワさんのサーブで バンッと試合が再開します。ボン、ボンっと レシーブが上がり 「こんどこそ決まった!」 とカツラギさんのスパイクが炸裂します。「あっ、しまった!誰もいないところに」 落ちて行く白いボール。ここは落とす訳にはいかないっ!と 身体がどんな体勢になっているのかよく分からない感じにまで身体を捻じ曲げて ボールを拾いに行く この漫画のスーパーヒロイン 鮎原こずえさんは ボンッとボールを拾い、そのボールを 「あとは頼むわよ」 と 絶妙な具合に スパーンッと宙に上げます。
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📛 153 「アタック No.1」 #16。
ほぼ一頁から二頁ほどのペースで進めております、ホーム社漫画文庫版 「アタックNo.1 第1巻 (浦野千賀子さん、集英社 2003年)」 を読んでいます。わいわい がやがやとしながら、富士見学園の体育館では 宿敵バレー部対の不良グループの試合が行われています。この物語のスーパーヒロイン 鮎原こずえさんの猛攻により、いつの間にやら 得点は "14対14" と接戦となっていたりして、観客席は白熱しています。「鮎原さん いよいよジュースよ!あと2点で勝負は決まるわ」 と不良チームのチームメイト。「さうよ、あなたたちか 引け目を感じなく学校に来れるには この2点に掛かってるのよ」 と 負けたら地獄行きのやうなことをサラッと述べる鮎原さん。「この2点、何が何でも取らなければ!」 とちょっぴり士気が上がる不良チームの女子たち。そんな女子を相手にしています ネットの向かうの女子たちは 「成り上がりのバレーチームに負けるなんて わたちたちバレー部の恥よ!どんなことがあってもミスは許さないわよ!」 とバレー部のカツラギさんがチームの皆にプレッシャーを与えています。さてさて 試合は 不良チームからサーブが上がり、レシーブをするバレー部女子。上がったボールに 「わたしのところへくれば 得点間違いなしよ!」 とヒュッとジャンプを決め、バァンと 決定的なスパイクを決め込むカツラギさん。そのバァンと打ち込まれたスパイク球を バシッと両手でキャッチした こずえさんは 「いまのは反則よ」 と試合を中断させます。
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2023/09/27
BGM: Blur - Mr. Robinson's Quango
ぼくの参加している「発達障害を考えるグループ」が近々ウェブサイトを開設することとなった。それで、ぼくを含めたウェブサイト作成班のメンバー同士で親睦を深めて今後どのようなサイトを作るのか話し合うべく今度の土曜日ZOOMでミーティングを行うことに決まった。その席で、ぼくたちはあらためて自己紹介をしてサイトでどのようなコンテンツを発表したいのか話すことになる。今日は遅番だったので、朝の空いた時間にぼくはその自己紹介のためのドラフト(下書き)を作った。自分がどんな人間で、どんなことに関心を持つのか……こんなことを考え始めたのは、実はこれは別件になるのだけれど今日「自分でもPodcastを収録できないだろうか」と思い立ったからでもあった。つまり、サイト作りの会議とPodcastでの自分語りと両方であらためて自己紹介して、自分について語る必要性を感じ始めたということだ。いったい自分がどんな人間なのか……これまでずっとぼくは「ぼくは発達障害者で、日本人で、読書が好きで……」とワンパターンに自分自身のことを押し出してきた。でも、ここでいったん整理し直して自分を見つめるのも大事なことなのかもしれない。そうすることによって自分を深く知ることはムダではないだろう。
自己紹介で話したいこと。いったい自分は何者なのか……と書くと抽象的になりすぎるだろうか。なぜ自分は英語を勉強しているのか、発達障害者とわかったのはいつのことか、なぜ本を読むのか。もっと他愛のない話をするのもいいだろう。好きな食べ物や音楽について、などなど……そもそもなぜPodcastを録ろうかと思ったのかと言えば、たまたま面白いPodcastはないだろうかとあれこれ探していた時に「越読る」というPodcastを見つけ出したのがきっかけだった。���くが聞いたのは(と言っても1度だけサラッと聞いただけなのだけれど)多和田葉子『エクソフォニー』についての回で、聞かせてもらいながら「こうして、自分が読んだ本や近況について『語る』のも面白そうだな」と思い始めた。こうしたPodcastはぼくはバイアス(偏見)を持っていて、何か瀟洒なBGMがないとサマにならないのではないかとか思っていたのだけれど何はともあれ低予算で気軽に始められるものでありそうだと思ったので、今度時間が空いたら10分くらいしゃべってみるのも面白そうだなと思った。そこで、あらためてこの「踊る猫」の日常について話し、自分が最近読んでいる本についてもお話しできたらいいなと思った。
ぼく自身のことを思い返してみる……そもそもなぜぼく自身が発達障害という自分自身の障害(あるいは個性)と向き合って生きることに決めたのか。そしてそれをオープンにして、職場でもジョブコーチの利用などを試みたりするようになったのか。プライベートでもこうして自分の障害特性を公表して、それ以外にも読書の感想をシェアしたりして外に対して自分自身を表現し続けている。それはたぶんぼくにとって、生きるということが常に謎だらけの体験を強いられることであったからだと思う。なぜぼくはこんな変なぼくなのか。変だとしたら、なぜそのことでここまで責められなければならないのか……そんなふうに子どもの頃から自分自身と向き合うこと、反省することを強いられてきたのでこんな風に内にめり込んでいく考え方が芽生えたのだと思う。そこから、「自己とは何か」「他者とは何か��「世界とは何か」といったことへの関心が生まれてきた……それはそして、柄谷行人や村上春樹を読むようになったいまでも続いている。英語を学ぶのも本をたくさん読んでしまうのも、そんな動機からだ。それはそうと、そのPodcastのタイトルはどうしたらいいだろう。いまブラーの『The Great Escape』を聴いているのでそれにあやかって「とんずら倶楽部」なんて名付けようかなどと考えているのだけれど。
休憩時間、ふとスマートフォンでネットサーフィンをしていて「マイクロアグレッション」について書かれているサイトを読んだ。海外の人に対して闇雲に「日本語が上手ですね」と褒めてしまうことの是非についてだ。多和田葉子『エクソフォニー』の中にもこんな話題が出てきていたっけ。でも、これは一筋縄ではいかない難しいテーマだと思う。確かにネイティブの立場から「日本語が上手ですね」と言うことはどこかで「(私が理想とする)日本語話者として『認める』」みたいなニュアンスが生まれてしまうのかもしれない……とも言えば言えるのかもしれないけれどぼくはそこまで「うがった」見方をしたくないのだった。海外の人が努力して、時間をかけて向き合って学んだ日本語のそのスキルに対して素直に驚嘆の念を示すことを無碍に否定したくない、と。これは痛し痒しあって、どっちが一方的に悪いとかそんな話ではないのだろうとも思う。そう思うと、国際問題というのはなかなか面白い。こんなこともこれから行うPodcastで話せればいいかな……とすっかり「やるっきゃない」な気持ちになってしまっているのだった。ともあれ、今度の会議はどんな展開になるのだろう。これに関しても「やるっきゃない」。
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"Hikaru Utada comes out as non-binary!"
Article for practice, and still big congrats to Mys. Utada!:^)
Genxy-Net, June 26th 2021, author not named
ジェンクシーネット・2021年6月26日・無名の作家
>> https://genxy-net.com/post_theme04/626121ll/
歌手の宇多田ヒカルが、自身の性自認を「ノンバイナリー」であるとカミングアウトした!
6月26日夜、インスタライブを実施した宇多田ヒカル。この日は、新世紀エヴァンゲリオンの庵野秀明監督をゲストにした対談ライブを行う予定。
対談の前、映像の背景に映るクマのぬいぐるみを指し、「(対談ゲストの前に)別のスペシャルゲストであり、わたしの親友を紹介します。名前はクマちゃん、彼は男の子でゲイなんです」と英語で話しはじめた宇多田。
The singer Hikaru Utada came out by announcing that they identify as non-binary.
On the 26th of June, the singer did a live stream via instagram in the evening, and a discussion featuring the director of Neon Genesis Evangelion, Hideaki Anno, as a guest was scheduled for the same day as well.
Before the discussion, Mys. Utada pointed at a stuffed bear, and said in English, "(Before the discussion,) there is another special guest, a close friend of mine who I'll introduce now. His name is Kuma-chan, he is male, and also gay."
そして、「私はノンバイナリー。ハッピープライドマンス!」と、サラッとカミングアウトしたのだ!これに対して、リアルタイムでライブを観ていたファンたちは熱狂!ちなみに1週間前。インスタにて、ノンバイナリーであることを示唆する投稿をしていた。
And following right after, Mys. Utada said "I am non-binary. Happy Pride!", smoothly coming out! The fans watching the live stream in real time went wild in reaction to that! Incidentally, one week prior, Mys. Utada had already posted on instagram, hinting at the fact they are non-binary.
instagram
「ミセスかミス、どちらで呼んだらいいですか?」と聞かれることや、日常的に「ミス・ミセス・ミズ」のどれかを選ばなきゃいけないことにうんざり😩自分の婚姻状態や性別を前面に押し出す呼ばれ方に違和感しかないし、どの接頭辞もしっくりこない。選ばされる度に、自分を偽ることを強いられてるみたい。性自認や社会的立場に関係なく、誰でも使える別の選択肢があったらいいのにな〜。
とまで書いたところで、調べてみたら、既に「ミックス(Mx.)」という接頭辞が提案されていた!めっちゃええやん、これからさらに広まるといいね。私もいいアイディアが思いついたんだけど、一足遅かったか…
*画像の補足: ミセス(Mrs.)でもミス(Miss)でもミズ(Ms.)でもミスター(Mr.)でもなく、ミステリー・ウタダ(Mys. Utada) 🤓✨
[Original english text by Mys. Utada in the instagram post]
ノンバイナリーとは?
What is "non-binary"?
「ノンバイナリー」とは、性自認を男性・女性といった二元論に当てはめないこと。また当てはめたくない人のことを指す。男性でも女性でも無い状態、または部分的に混ざった状態であったり、流動的であったりする。
ちなみに、過去にノンバイナリーをカミングアウトした有名人では、歌手のサム・スミス、Netflix「クィア・アイ」のジョナサン・ヴァン・ネス、「ル・ポールのドラァグレース」のヴァレンティーナ、歌手のデミ・ロヴァートらがいる。
"Non-binary" means that the dualism of being either "male" or "female" does not apply to one's own gender identity. Further explaining what is meant by the binary "not applying" - some people identify as neither male nor female, some identify with only parts of either or parts of both, and some identify as "fluid" within the binary.
As a side note, other celebrities who have already come out as non-binary in the past include the singer Sam Smith; Jonathan van Ness, from the Netflix series Queer Eye; drag queen Valentina, from RuPaul's Dragrace; and the singer Demi Lovato.
6月はLGBTQを讃える「プライド月間」だ。ノンバイナリーを公言し、クィアの一員としてプライド月間をお祝いした宇多田ヒカル。このカミングアウトは当事者には力強いエールとなり、そして日本社会全体に大きなインパクトを与えてくれた。ありがとうー!!🏳️🌈
"Pride month" stands for the celebration of LGBTQ identities during June. Mys. Utada announced that they are non-binary, and thus celebrated Pride month as a member of the queer community. This coming out was a big shoutout towards everyone who is involved with the LGBTQ community - and in addition to that, also had a big impact on japanese society in general. Thank you, Mys. Utada! 🏳️🌈
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