#カンボジア女子旅
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公開直前!先行上映会 in 大阪 舞台挨拶レポート
4月25日(木)に『青春18×2 君へと続く道』の公開直前 先行上映会が大阪で行われ、舞台挨拶に、清原果耶さんと藤井道人監督が登場しました!
3月14日に世界最速で公開した台湾にて、公開1ヵ月で既に観客動員30万人、興行収入7,000万NTDを突破し、今年台湾で公開された台湾映画(合作含む)ではナンバー1大ヒットを記録、「今年一番泣ける」と話題を呼びリピーターも続出している本作。 3月下旬に開催された香港国際映画祭のインターナショナルプレミアでは、1300席の会場が即完で満席。香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ヴェトナムでも公開を迎え、特にヴェトナムでは、日本映画実写第1位の記録で、今後も韓国、カンボジアなど10以上のアジア各国・各地、さらには中国大陸でも劇場公開が決まっており大注目を集めています。 TOHOシネマズなんばでの上映終了後、清原さんと藤井監督が観客の皆さんの前に登場。涙を拭っている皆さんに向けて、清原さんが「いかがでしたか?」と問いかけると、盛大な拍手が沸き起こりました。続けて「出身が大阪なので、今日大阪のみなさんに作品をお届けできたことが個人的にすごく嬉しい。」と話し、監督は「清原さんとは15歳から一緒に映画を作らせてもらって今回、一番と言っても良いくらいの清原さんが撮れたと思っていて、そんな清原さんと一緒に大阪に来られて光栄です。」と挨拶をしました。 出身地でもある大阪なんばでの舞台挨拶について清原さんは「“なんば”という響きを聞くだけで大阪に帰って来たんだなぁ。控室にもたこ焼きを用意してもらっていて、帰って来たなぁと思いながら、美味しくいただきました。大阪は落ち着く半分、緊張半分、ちゃんとしなければという気持ちがあり、でもやっぱり嬉しい!」と語り、続いて監督も大阪について「僕は、去年映画のキャンペーンで道頓堀の船に乗りました。」と思い返しました。 本作の共演者、特に清原さんと同じ関西出身の道枝駿佑さんの印象を聞かれると監督は「テレビで見ていた印象と変わらない、純度100の青年。幸次の役よりは3度くらい熱は低く…もう少し大人しいんですが、(幸次の役は)グッと上げて頑張ってくれました。」とコメント。過去にドラマでも共演していた清原さんは「撮影では全く会わなくて、宣伝活動で久しぶりに会ったら身長が伸びていて、月日が経ったんだなぁ」と語りました。 最初に本編を鑑賞した際に涙が止まらなかったという清原さんは、その時の気持ちを「見る前はどういう感じで完成したのかワクワクだったけど、私が出てないシーンをちゃんと見たら、そこでアミのまわりのひとたちの想いに初めて直面し、アミとして悲しかったし切なかったし、すごく大事にしてもらっていたんだなぁと泣いてしまいました。」と振り返りました。
清原さんが演じるアミが知ることのない、アミを想いながらのジミーの旅について聞かれ「言葉にできない感情ばかりだったかなと思うけど、アミとジミーが出会って過ごしてきた日々がまぎれもなく彼らの青春であり初恋だったんだなぁ。ということを私は知れたことが嬉しかったです。」とアミの気持ちを代弁。
清原さんと監督は今作で3回目のタッグとなり、清原さんが演じたアミにてついて監督は「彼女が少女から大人になっていく過程を見させてもらっていて親戚のおじさんみたいな気持ちでいた。今回アミを演じて僕が想像したことを超えてきてくれる、そこには映画人としての信頼が常にあって、60年後までご一緒する仲かも!?という思いで向き合わせてもらっています。」と強い思いを伝え、会場からはその未来への期待に拍手が起こりました。それに対して清原さんは「何から何まで気になることが合ったら監督にすぐ確認する。」と信頼関係の強さを伝え、監督は「清原さんとは戦友とは言え、今回はかなり過酷な状況での撮影で、それでもあれだけ素晴らしいアミを演じてくれて本当に感謝しています!」と改めて清原さんを賞賛。清原さんも「監督と一緒に丁寧にこの作品に取り組めて毎回感謝しています。」と気持ちを伝えました。 本作は、日本と台湾で撮影され、アジア圏で今最も注目を集める台湾のスター俳優シュー・グァンハンさんとの共演について清原さんは「素敵な方で周りの人を巻き込んですべてやわらかい空間にしていく力があり、グァンハンさんが演じるジミーにアミも助けられた。」と魅力を伝えました。コミュニケーションについては「通訳を交えて会話したり、お互い日本語と中国語の単語を教え合ったり・・」とまさにアミとジミーのようだったことを明かしました。 清原さんは「特に台南の街並みが好きでアミと同じ気持ちで旅することができ、アミに感情移入が出来た」と台湾の撮影を、監督は台湾での撮影の言葉の壁について「日常的に言葉を頼り過ぎている。言葉が通じ合わないから何が本当にやりたいことなのか、みんなが目を見て、我々にとって青春、初心に戻れた」と振り返りました。 台湾でのオフの過ごし方について清原さんは「散歩したり、ご飯を食べたりスタッフさんと夜市に行ったり」と楽しい時間を過ごしていたが、監督は「僕は別の作品で参加ができず、みんなで楽しんでいる写真が送られてきた」と残念だった様子。清原さんは「台南のお肉をさばいてスープとして出してくれる牛肉のスープが美味しかった!」と台湾のご飯も絶賛しました。
本作を経て、監督は映画を作ることにおいて「映画は正解がない、心に残る人もいて、明日には忘れる人もいてそれも全部正解だと思う。自分の人生にこの1本として映画を作り続けたい」と語り、清原さんは「言葉、気持ち感情をより大事にすることを思って、大人になっていくうえで我慢したり、忘れなければいけなかったり、どうしてもぶつかることもある中で、それでも自分の軸として大事に持っておかないといけないものを持ち続ける勇気は大事にしたい、アミを演じたからそう思える、役や作品との一期一会に感謝したい」とそれぞれ考え方が変わった経験を伝えました。 最後に、満席の観客に向けて藤井監督は「青春という言葉が一生続けばいいなぁとこの映画を作って感じました。この映画が皆さんの日常を豊かにする一つになれば嬉しいです。」とメッセージを送り、清原さんは「失いたくないものを見つけて宝物に出来るような映画になりました。台湾、日本のスタッフキャストのみなさんと一丸となって魂をかけて作った作品です。たくさんの方々に届けばいいな、今日来てくれた皆さんにだけでも温めてもらえたら・・・」と声を詰まらせ、「大切な作品になったのでみなさんにとっても大切なものになるように思っています。」と、ひとことひとこと噛みしめるように言葉を残し、舞台挨拶は終了しました。
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2023年3月13日(月)
1週間ぶりの出勤、夜来の雨がようやく上がった。いつも遊び相手になってくれる妙齢女子が来室、卒業旅行でベトナムへ行っていたとのことで、私ども夫婦に土産を頂いた。ツレアイには彼の地で愛飲していたというタイガービールの、私には<タンタン>のTシャツを頂いた。2019年入学生だからコロナ前で通常の入学式、少なくとも1年次の授業は対面で実施できた学年だ。明後日の卒業式、今年は保護者の出席可ということなので、久しぶりに賑やかなセレモニーになることだろう。
5時30分起床。
ツレアイは、いつも通り息子たちの朝食と2男のおにぎりを用意する。
先週は結構血圧が高かった、旅行続きで体重が増加したことが原因であろう。
3人分のベントを用意、ツレアイは休みなので洗濯をお願いして1人で出勤する。
順調に到着する。
タイムカードを整理し、有給休暇の処理をする。
新年度から組織変更、名刺の原案が届いていたので確認の上、問題なしと返信する。
年度内に片付けるべき仕事を再確認する。
妙齢女子来室、ベトナム・カンボジアへの旅行の話をあれこれ聞く。体調崩すこと無く、多様な体験が出来たとのこと。
ランチを済ませ、早々に退出する。
帰宅すると、amazonから『維新断罪 -中小企業社長が喝破する、大阪の沈みゆく理由と再生私論』が届いていた。
新年度に向けて、メモリアル・キルト・ジャパンの Facebook Page を用意する。いろいろ仕様に変化があって、手間取ってしまった。
夕飯、3日寝かせた昆布締めポークを焼く。ワインは、自分じゃ買えない高級品=O兄からの頂き物のジョージアを開ける。
早めに切り上げ、腹ごなし町内ウォーキング。
戻って入浴、体重は500g減。
日誌を書き、梅酒を一杯頂いてから布団に入る。慌ただしくも、いい一日だった。
歩数は大分足りず、水分は1,780ml。
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お散歩がてらの、初めてのハンブルグ観光。港湾博物館やスパイス博物館、そしてミュンヘンから修学旅行に来る女子高校生憧れのカフェ・ド・パリへやっと潜入。
ハンブルグはその昔、大きな中洲をくり抜き整備して自然にあった中洲を人工的にドックにした港湾都市。従い、1960年代以降、大きな貨物船になるに連れ、1880年代の手掘りの港湾工事では大型船舶が入ってこれず、港湾としては限界を迎える。そのため、より外海へと今の主要港湾は移動している。では、ハンブルグ手掘り港湾のできる前は、どこが主要なハンザ同盟の港湾だったかというとブ��ーメンの音楽隊で有名なブレーメンである。1800年代半ば頃まではブレーメンの方がハンザ同盟としては栄えており、北ドイツで唯一百年以上続くレストランや有名なティーハウスなどは、ブレーメンにある。
なぜ、ハンブルグか。その鍵を握ったのはユダヤ人達であったらしい。当時はデンマークの直轄飛び地もハンブルグにはあり、未だに特別地区として日曜の午前中まで市場を開ける。fischmarktとして有名な観光地になっており、私も数回行ってみたが、わざわざ行くほどのものではなく、別に美味しい魚が売られている訳ではない。完全に観光市場になっているので、雰囲気が好きなら行けば。。。って感じの場所。話しを元に戻すと、ビスマルクがワイマール共和国としてドイツを統一するまでは、みんな諸侯が勝手に治めていたというのがドイツである。日本よりも随分遅く統一されているのだ。だからという訳では無いが、ドイツは地方色が未だに強く、地方同士で仲が良くない。ユダヤ人殺せみたいな、共通の目的でもないと、なかなか一致団結できない人々なのだ。私みたいな超ド田舎の辺境のバナナ人の島から着た人間にでさえ、仲良くなるとドイツ人は自分の出身地以外の人間の悪口を平気で言う。まぁ部外者はどうでも良いので、部外者のワシは聞き流している。が、一部道理が通っているところもあるので、全て聞き流している訳ではないが。。。
さて、この港湾。第二次大戦中、イギリスから空爆の標的にされ、八割は消失している。そこをねちっこいドイツ人気質で、19世紀の設計図を引っ張り出して、寸分違わず1950年代には再建する。しかし、1960年代半ばからは、大型船舶が入れない位に水深が浅い事から、全く使いものにならなくなり、もっぱら中東戦争を逃れて絨毯やスパイスを持ち込んだアラブ人たちに倉庫として利用されるようになり、世界遺産に登録されるまでは荒れ放題に荒れていたらしい。
世界遺産に登録されてからにわかに再開発が進められ、エルブフィルの入る音楽ホールなどもできて、現在に至る。
港湾博物館で感動したのは、港湾の歴史だけではなく、主な交易品についての説明。ブレーメンや北ドイツは紅茶を好むのだが、なんとドイツ人が1年間に飲む紅茶茶葉の量はたったの240g程度。ワシなら優に一ヶ月でそれ位の量の茶葉、緑茶、紅茶、中国茶を飲んでいる。ドイツ人は紅茶の代わりに、ハーブティーを飲むのだが、これは貧民のやっかみだったらしいことを、ここの博物館で学ぶ。ヨーロッパにおける港湾都市は少ない。南にマルセイユ、ベニスがある程度。北はやはりブレーメンかハンブルグになる。アントワープはまた別だから。。。ドイツ語圏内に売りさばくスパイスや茶葉、コーヒー類は全��ドイツ経由なのだ。だから、彼らは中間マージンとして莫大な関税と莫大な上乗せ金で利益を得ている。ハンブルグのなんとも言えない鼻につく、にわか金持ちとしか思えない豪奢振りは、こうした浅い歴史の成せる技なのだ。現にワシの所属する研究所の創設者も19世紀後半にハンブルグは儲かるらしいという噂を聞きつけた貧しい漁師が、自分で木を切って小船を作り、当時の大型船から人や荷物を搬入したり降ろしたりする事をビジネスに思いつき、デンマークとの国境付近の小さな島から移住したリックマース家に由来する。ワシ、通りで、エルクの事嫌いなはずだ。底浅いし、品が無いし、バカだし、最悪の男だとしか思っていない。まぁ、でも給料貰いながらドイツ見聞できるので、貰える間はいないとね。ワハハ。
紅茶や茶葉は、完全に貴族階級や金持ちの飲み物で、庶民はどうひっくり返っても飲めないものだったらしい。なぜなら、港湾都市特権で州として州外に関税をかける事ができたらしいので、ドイツ語圏内外の内陸ヨーロッパにおける茶葉やスパイスの独占販売ができたのだ。内陸都市からしたら、仕方ないので高額をふっかけられても購入していたのだろうが、従って、実は未だにハンブルグ嫌いな人々は多い。そうした反発を金と金で買った権力で黙らしているのが、ハンブルグなのだ。またおまけに、ユダヤ人イジメの時期に入ると、ユダヤ人は強制収容所に送り込み、彼らが築いた商売を居抜きでいただいてしまったのが、今偉そうにしているドイツ人たち。だから、功罪のつもりなのか分からないが、ハンブルグは社会民主主義党員が多い。ショルツも社会民主党。
コーヒーは、主にインドネシアとブラジルから輸入していたが、これは、チョコレートの代替品としての利用だったらしい。日本人はチョコレートは食べ物と勘違いしているが、チョコレートは元々、飲み物ざます。単価重量が金より高いカカオ豆は貴族や金持ちしか手が出せず、中産階級の庶民が飲んだのがコーヒー。ライプツィヒに住んでいたバッハもコーヒー・カンタータを書いてしまう位、コーヒーはバッハの頃、庶民の間でチョコレートの代替品として爆発的に普及する。つまりだ。貴族の紅茶に対して、庶民のハーブティー。貴族のチョコレートに対して、庶民のコーヒーという構図があるらしい。
このコーヒー豆。ワシもその昔、家の庭にコーヒーの木があったし、母はロブスターとアラビカならアラビカしか飲みたくないだろ、ロブスターなんてカサ増しよ、カサ増し、という暴言をカマスほどの中産階級ザ庶民代表。なんと、ハンブルグではコーヒーは、中間輸入業者として重要なコモディティだったので、コーヒー豆は���性達が一粒一粒、手で選別していたらしい。右上の白黒写真は、女性達がコーヒー豆を選別している所。旦那が港湾労働している間、妻はコーヒー豆選別という構図だ。大阪の堺の博物館で見たのだが、江戸時代にでさえ、日本では漢方薬原料の選別に用いる木枠を発明していたのに。。。ドイツ人ってアホ。っつーか、人間を人間とも見なさない習慣は、何もユダヤ人迫害で露呈したのではなく、ドイツ人同士でもやっていたのね。。。道理で、世界の天才ワシの事も腐ったバナナ扱いするわけだ。なーんてね。ガハハ。色々と勉強になった。
しかし、もう帰国が目の前の今、色々と博物館に行くので良かった。こんな事を着任前に知っていたら、もうこちらで出くわした事、数々のイヂメや嫌がらせにヘドが出て、さっさと任期満了前に逃げ帰っていただろう。まぁ実際、お休み毎に逃げ帰ってはいましたが。。。そうでもしないと精神的に持たない街ですな。ハンブルグは。
スパイス博物館は御愛嬌。カンボジアの胡椒が胡椒のシャンパンと呼ばれているとか、胡椒の実が成る軸の部分でさえ輸入して胡椒代わりに使っているとか、中国からは乾燥生姜を大量に輸入していたとか、ここでも、ハンブルグと中国の昔からの蜜月振りを味わう。ごちそうさまでした。
帰りに、今まで一度も入れず、予約無いのに何来ているの?あんたバカ⁇扱いをする、高慢ちきなカフェ・ド・パリに何気なく寄ってみると、なんと、すんなりと通してくれた。第二次大戦中の爆撃を逃れたので戦前の雰囲気を残す室内とおフランス料理を売りにしている。今日のケーキは何あるか?とドイツ語で聞くと、色々と言ってくる。ワシ、頭の中が大混乱。ドイツ語分かるけど、もう言われた矢先からケーキの名前は忘却し、どんなケーキなのかしか分からない。ドイツ語でレモンタルトが言えなかったので、タルト・オ・シトロン、シルヴプレざーますと、あまりにも気取っている店員にムカついてフランス語喋ってやると、ドギマギして英語で応えてくる。アホか、こいつら。ドイツ語片言だからって、ワシを舐めんなよー!と思っていると、感じの良い若いケルナリン(ウェイトレスのドイツ語)が給仕担当になってくれた。可愛い女の子なので全て許す。
黄昏時の港湾と、その名も「木綿(Baumwall)」という駅。後ろにそびえるのはミヒャエル教会。ミヒャエル教会を見て、咄嗟にコックのミヒャエル君と彼女のレベッ��を思い出し、一報入れておく。あぁ。観光って良いわ。気楽で。
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2023年1月7日(土) 出張旅行記その11 【1月6日】 ラオバオ行きのバスは,独立3列のスリーピングシート。座椅子のような席なので,かなりシートを倒せるので楽ちんです。 ただ,二階席だったので,店主の重い荷物を落として下の人をケガさせては大変。かなり気をつけて荷物を持っていました。そのうち隣のシートが空いていることが分かり,ディバッグをそちらに移動しました。ドラえもんは,ここベトナムでも人気です。 途中休憩で食事になりました。 一人ずつ注文すると思いきや,みんなまとめての料理が出てきます。これで一人400円くらいなので,店側はかなり儲かっているでしょうね。客側にとってもいろいろ食べられるので,それほど悪い話ではありません。 ただ,COVID-19対策はどこへいった? 両隣に西洋人が座りました。左側は先ほどのオランダ人男性です。 右側に座った女性も偶然にもオランダ人でした。 ターケークに行くというので,コンロー洞窟をお薦めしておきました。 ラオスは今回が初めてというのに,男性はコンロー洞窟を知っていました。情報収集能力の高さにに驚きます。 ここで,店主は兼ねてから抱いていた疑問をぶつけます。 西洋人は,初対面で相手がどの国の出身か分かるのか? 彼らに言わすと,イギリス人やドイツ人,イタリア人などは顔に特徴があるといいます。そして,話す英語の訛りやジェスチャーで判断できるとのことでした。 なるほど。それなら,我々東洋人と同じですね。完全とは言わなくても,ある程度の予測はつきますから。まあ,東洋人の場合は,話す言葉でほとんど区別つきますけどね。 大事なことも忘れません。ドライバーにラオバオのどこで降ろしてほしいかを伝えます。国境近くに手頃な値段でなかなか快適なホテルがあるのです。 これは,カンボジアでの苦い経験があるからでした。 同じく昼休憩時にバスの車掌らしき人に降ろしてほしい町カンポンチュナンを伝えたところ,バスはカンポンチュナンの町の中心を過ぎ,少しずつ遠ざかろうとします。 iPadのmapsを見てたから気づいたけど,見てなかったら町を通り過ぎていたことでしょう。 あれ?車掌に伝えたのになと思ってバスの中を見たら,その男性はいなくなっていました。 そこで今回は,ハンドルを握っているドライバーを確かめて,彼に直接お願いしたのです。 バスの中では投稿記事を書いたりウトウトしたりで,あっという間に過ぎました。 おい,ここだぞ。降りろ,と言われて降りてみると,馴染みのホテルが道の向こう側に見えます。 パーフェクト!運転手にお礼を言ってから気づきました。店主が伝えた男性と違う... あ,横にいました。いつの間にか,運転を代わっていたんですね。 店主の降りるところをしっかり伝えてくれて,ありがとうございます🙏 14時半に目的のラオバオに着きました。さて,ホテルで一息つきますか。 【お知らせ】 ベトナム,ラオスへの買い付け旅行のため,しばらくの間休業いたします。ご迷惑おかけしまして申し訳ありません。 2023年1月28日(土) 19時からの営業再開を予定しています。 ご来店,お待ちしております。 【身体のセルフケア】 2023年2月4日(土),3月11日(土)の開催を予定しております。 16:30~18:30 上福島コミュニティーセンターにて 詳細、お申込みはメッセージにてご連絡ください。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #ベトナムコーヒー #バスの旅 #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CnHOgAryZ5z/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今日も日本から飛んで来た女子一人旅をご案内しました〜 カンボジアは女子旅行が多いです。今回もローズホテルに泊まってくれたから、ツアー終わった後も一緒に帰るから、楽しさが倍だった!(^ ^) 朝6時に出発して、 ベンメリア遺跡観光して、ランチを食べて、最後にプリアヴィヘアもご案内しました♡♡♡ シェムリアップに戻るのは夕方18時半でした!そのあと、夜ご飯食べて、パブスリート探検して、オカマバーに行って、夜中の00時にホテルに帰りました。 ローズは日本語も英語もクメール語も話せますし、写真のテクニックとセンスもあるから、カンボジアの楽しい旅をご案内させて頂きますので、日本語しか話せない方でもご案内しております。 カンボジアに来る予定の方は是非ご連絡下さい♡ ローズがいるかいないだけで、カンボジア旅行の楽しさが何倍も違いますよ♡ 問い合わせ→LINE:sakurose108 mail→ [email protected] ツアー予約と問い合わせはご遠慮なくどうぞ!!! #カンボジア #カンボジア旅行 #カンボジア女一人旅 #カンボジア女子旅 #カンボジアガイド #カンボジアガイドローズ #カンボジアタビジョ #アンコールワット #アンコールワットタビジョ #アンコールワットガイドローズ #シェムリアップ #プノンペン #カンボジアパワースポット #カンボジアローズツアー #カンボジアローズと女子旅 #カンボジアお土産 #ズッ友 #プリアヴィヘア #カンボジア親子旅行 #アンコールビール #コーケー遺跡 #ベンメリア #カンボジア青空 #タビジョと繋がりたい #女子旅 #タビジョ #女子旅行 (Sakurose Home) https://www.instagram.com/p/B6CmyU6Jo3l/?igshid=hfqkg7w9l4ki
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トランポリンを担いで子供たちを笑顔にしてまわる旅をしてた女の子の話、聞いたことある人多いと思うんですよ。俺が色んなとこで話したから(*´∀`) 感動の再会してきました(๑´ڡ`๑) ほんで早速子供達とトランポリンしてきました(ノ´∀`*) 良い笑顔いっぱいでしたよ(*´ω`*) トランポリンの旅がまた少しだけ再開するという事で、コレから一週間ほど同行してきます(^_-)-☆ #カンボジア #プノンペン #トランポリン #旅 #笑顔 #子供 #美女 #cambodia #phnompenh #trampoline #smile #kids #beauties #travel #d5300 #一眼レフ #写真うまくなりたい #のび太 (Phnom Penh) https://www.instagram.com/p/BXEhOqij7ts/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=73fcrp6ar9sd
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前駐ベトナム大使・梅田邦夫氏特別講演レポート「日本にとってのベトナムの重要性」(7)
ベトナムと韓国との関係
ベトナムと韓国は1992年に国交を樹立しましたが、とくに、過去10年ぐらいの間に、経済関係を中心に2国間関係は急速に緊密化しています。
その一方で、ベトナム戦争時代の韓国軍による虐殺や混血児問題は、この2-3年の間に国際的に注視されるようになってきています。
ムン・ジェイン(文在寅)政権は、2017年、「新南方政策」を打ち出し、アセアンやインドとの関係強化をうたっており、経済と文化(韓流)において存在感を高めています。昨年11月、初の韓アセアン特別首脳会議をプサンで開催しました。
その一方で、韓国は南シナ海問題など地域の政治・安全保障にかかわる問題について、北朝鮮問題を除き、立場を明確していません。
経済分野
韓国は、ベトナムの貿易相手国としては、中国、米国についで、第3位(19年)です。韓国にとっても、ベトナムは中国、アメリカにつぐ、第3位の貿易相手国となっています。
ベトナムへの国別累積投資総額は、13年までは日本が首位でしたが、現在は、韓国が1位です。サムスン、LG、ロッテ等の韓国企業は、アジアのなかでベトナムに対し重点的に投資しています。
サムスンは、ベトナム人16万人を雇用し、世界で生産しているスマートフォンの約50%をベトナムで生産しています。また、ベトナムの輸出総額の約25%がサムスン製品です。中小の韓国企業も含めベトナム進出が続いています。
ベトナムに住んでいる韓国人は約20万人(19年5月)、韓国企業数は8,000社以上と言われています。ちなみに、日本企業数は約3千数百社、ベトナムに住んでいる日本人は2万数千人です。
人的交流
韓国人観光客で賑わう中部の古都「ホイアン」
昨年、ベトナムを訪問した外国人1,800万人(19年)のうち、1位は中国人(580万人、32%)、2位は韓国人(430万人、24%)、3位は日本人(95万人、5%)でした。
韓国人の訪越者は、7年間で6倍増です。とくに、昨年は、日本旅行を中止した多くの韓国人観光客が、行き先をベトナムに変更したといわれています。
昨年末時点での、航空便数は、日本―ベトナム間の週157便に対し、韓国―ベトナム間は、週618便で、日越間の約4倍の飛行機が飛んでいました。ベトナムでは、韓国は、今までのところ、非常に歓迎されており、ベトナム戦争時代の虐殺���どを知る韓国人は、驚いています。
ベトナム人の若者たちの間で、韓流ブームがあり、韓国に「かっこいい」というイメージを抱いています。
また、ベトナムで一番人気のスポーツ・チームは、男子サッカー代表チームです。18年1月以降いろいろな国際大会で好成績を残し、国民を熱狂させてきました。代表チームの監督は、韓国人であり、韓国企業のコマーシャルでテレビ出演するなど、2国間関係強化に大きく貢献しています。
過去の問題
その一方で、ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺問題、また、ライダイハン(混血児)問題は未解決です。
虐殺について、ベトナム人の友人によれば、100人前後の虐殺は13回、500人以上の虐殺も1回発生した由です。
ベトナム戦争中、韓国人兵士や会社員とベトナム人女性との結婚で生まれ子ども、あるいは、韓国兵がベトナム人女性を強姦し、生まれた子どももおり、彼らは「ライダイハン」と呼ばれています。合わせると2~3万人という推計があります。
過去の問題について、ベトナムは、1995年に米国との国交を開いた際に、対外関係は未来志向で行く、過去の暗い出来事はベトナム側から提起しない方針を決めたとされています。過去にこだわれば、中国、フランス、日本、英国、米国、韓国、カンボジアなど多くの国と関係はぎくしゃくし、国の発展に資することはないとの考えです。
2018年3月、ムン・ジェイン大統領がベトナムを訪問した際、ベトナムとの「不幸な歴史」について、「遺憾の意」を表明しましたが、これまで、韓国政府による「真相の究明」や「被害者救済」は、一切おこなわれたことはありません。
韓国軍による民間人虐殺については、20年4月、「虐殺の生存者」であるベトナム人女性が、韓国政府に損害賠償(約260万円))を求め、ソウル中央地裁に提訴しました。
ライダイハン問題については、17年9月、「ライダイハンの正義」と呼ばれる市民団体がイギリスで設立されました。その設立目的は、「ベトナム戦争において韓国軍兵士からの性的暴行にあった女性たちが、過酷な人生を送っていること」を世界に周知させることを目的としています。
当該団体は、ライダイハンを育てた7名のベトナム人女性に聞き取り調査を行っており、その報告書で「韓国兵は多くの女性に性的暴力を行い、慰安所で強制的に働かせていた」と記載されている。当該団体には、ストロー元外務大臣も関与しています。
ベトナム政府関係者は、韓国に対して声を荒げて過去の行為を謝罪しろと求めませんが、50歳以上のベトナム人は、ベトナム戦争中の韓国軍の残虐行為などについてよく承知しています。ただし、若いベトナム人のなかには、残虐行為を知らない人が増��ています。
私は、約25年前に従軍慰安婦問題を担当し、「アジア女性基金」の理事の方々とともに韓国、フィリピン、台湾の運動団体の代表者と会う機会が何度かありました。当時から、とくに、韓国の運動団体関係者は、この問題を「日本を辱める格好の材料」として、活用しようとしていました。
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【2月1日 AFP】中国中部・湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)の市場で発生し、世界中に拡散している新型コロナウイルスについて、これまでに感染者が確認された国と地域を以下にまとめた。
■中国
1日時点で259人が死亡、1万1791人の感染を確認。感染者の大部分が武漢市内とその周辺に集中している。死者のほとんどは武漢地域で確認されたが、北京など他地域でも複数の死者が確認されている。
<アジア太平洋地域>
■日本
これまでに14人の感染を確認。うち2人については、人から人への感染が確認されている。武漢からの観光客を乗せたバスの運転手とツアーガイドが、最近の中国への渡航歴がなかったにもかかわらず感染した。
■香港
これまでに13人の感染を確認。
■マカオ
これまでに7人の感染を確認。
■オーストラリア
これまでに10人の感染を確認。ほとんどが武漢または湖北省から訪れた人々。
■カンボジア
これまでに1人の感染を確認。武漢から到着した60歳の男性。
■インド
1月30日に1人の感染を確認。武漢大学(Wuhan University)に通う女子大生で、病院で隔離された。
■マレーシア
これまでに8人の感染を確認。全員が中国人。
■ネパール
これまでに1人の感染を確認。武漢から到着した男性。
■フィリピン
1月30日に初の感染者を確認。武漢から到着した38歳の女性で、既に症状は出ていない���女性がフィリピンに到着したのは21日で、その4日後に診察を求め、検査入院した。
■シンガポール
1月31日に新たな感染者3人を確認。感染者数は計16人に。
■韓国
1月31日に新たな感染者4人を確認。感染者数は計11人に。
■スリランカ
これまでに1人の感染を確認。湖北省から訪れた中国人観光客。
■台湾
これまでに10人の感染を確認。ツアー旅行で台湾を訪れた70代の中国人女性2人も含まれている。
■タイ
これまでに19人の感染を確認。
■ベトナム
これまでに5人の感染を確認。
<北米>
■カナダ
これまでに4人の感染を確認。
■米国
これまでに7人の感染を確認。感染確認場所の内訳はカリフォルニア州が3人、イリノイ州が2人、アリゾナ州とワシントン州が各1人。
<欧州>
■英国
1月31日に2人の感染を確認。同国での感染確認はこれが初めて。
■フィンランド
1月29日に1人の感染を確認。武漢からの観光客で、病院内の隔離された場所で治療を受けている。
■フランス
これまでに6人の感染を確認。欧州で新型コロナウイルスの感染が確認されたのはフランスが初めて。
■ドイツ
これまでに7人の感染を確認。
■イタリア
ジュセッペ・コンテ(Giuseppe Conte)首相は1月30日、最近イタリアに到着した中国人観光客2人の感染を確認したと発表した。
■ロシア
1月31日に2人の感染を確認。いずれも中国人。
■スウェーデン
1月31日に1人の感染を確認。同国での感染確認はこれが初めて。
■スペイン
1月31日に1人の感染を確認。同国での感染確認はこれが初めて。
<中東>
■アラブ首長国連邦(UAE)
1月29日、数日前に武漢から到着した中国人一家4人が感染していることが発表された。(c)AFP
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2019.09.01
今日は「美」の日でした。
着付け教室の一環で和装のヘア&メイク講座があった。それから美容室に行って、それから着物の長襦袢を仕立てに行った。帰宅してから旅行と帰省の荷物を片付けた。めっちゃ用事してる。
今は映画を見ながらネイルをしている。これが終わったらスクラブもしたいし靴も磨きたいし服の毛玉も取りたい。「美」をとことんやっていきたい。
*
今日で22歳が終わる。
1年間でカンボジア、ラオス、韓国の三カ国に行った。アジア。様々な国の料理を食べ続けたし、新しい言語も学び始めたし、国際的な一年だったな(?)
留学を1人で準備できたこと、勉強を頑張れたこと、すべてを楽しくできたことは自身にも誇りにもなったな。嬉しいな。
23歳はどう過ごそうかな。卒業はまあ、自動的にするにしても、言語の勉強を頑張りたいな。小説を書く。これはずっと言ってるね。
あとは引越しがあるな。一人暮らし、したことないからドキドキしちゃうな。インテリアが楽しみ。ぜーんぶ自分の好きなようにできるの嬉しいな。キュートな部屋にしたい。
*
数日前に、母に話せていなかったことの色々を話してとても楽になった。母は心が広い人だと改めて思う。母の名前は広子なので、名は体を表している、かも。自分のすきな人たちの話を自慢げにしてしまう癖がある、私は。今回もやってしまった。母はニコニコ聞いてくれる。
「友達みたい」というほど距離が近いわけではないけど、でも仲は良いと思う。趣味が合うし、新しい考えを取り入れる余裕もあるから話し続けることができる。
学問についての意見が合わないことだけが問題かな。母は学問を「役に立つ」ものであるべきだと考えている節がある。学部選択とか、資格を取ることとか、対立したことはないけど、「役に立つ」ための勉強をしてほしいんだろうなと感じることがよくある。いや、気持ちはわかるよ。でも私は「ただやりたいから」の理由だけで学問をやりたいんだよなあ。
父は2人目は男の子を望んでいたらしい。母は「女の子が1人は欲しかった」らしい。姉がいるから足りているよね。結果として「女の子でよかった」らしいけど。
つまり、私は女であることを望まれて生まれてきたわけではない。親族の構成を考えるとたぶん、苗字も途絶えさせてしまう(私は苗字を変えたいので)。「家」概念、��んどくさいなあ。そんなに面倒でない家に生まれてきた方だと思うけど。
自分の子供については性別とか拘りなく産みたいな。理想としては、服も色を「男の子っぽい」「女の子っぽい」もので選んだりしたくないし。おもちゃも性別を限定したくないし。と、思ってるけど、それは子供をニュートラルに位置させてあげたいと思っているからなのか、自分自身が実験的にやりたいだけなのかが分からない。から、そういう自分が怖くて子供を持つのがちょっと怖いな。
愛情は注ぐ。注ぐけど、それが将来帰ってくるのを待ちたいからだけかもしれない。難しいなあ。
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1010
今週と来週はholiday
やっと休みを取ったけどベビーシッター以外の予定がない。今日も公園行ってリビングとお庭で11か月児と遊んでたら1日が終わった。
ミュンヘン出身のホストシスター(前の家で一緒に暮らしていた19歳の女の子/IELTSスコア8とか9とか叩き出す上に最近ひらがなも書けるようになった凄い人)
トルコからドイツへの移民2世?なんだけど
いとこ2組同時に子どもが生まれて、片方は彼女と同じミュンヘン在住の小児科医夫婦、奥さんは出産当時まだ学生で、旦那さんが育児して奥さんが大学へ通っているらしい(今もなのか、既に卒業したのかは不明)
子どものケアが大変そうで、あなたがデミペアに来てくれたらきっと喜ぶと思う!
ってその日のうちに打診して面談の予定まで組んでくれる仕事の速さ(12歳下)
来年ミュンヘン行きの可能性が急浮上してきた
本当はフィンランドでネウボラのサポート受けてるお家でオペア出来たらベストだけど、いかんせんワーホリビザの詳細も不明やしフィン語もスウェーデン語もわからんしうにゃうにゃ...
日本人多くて暮らしやすいのはドイツなんやろかと思ったり。来年なら妹もミュンヘンにいるし。ちなみに妹の彼氏が関西人のため、マックとマクド、ほんととほんまに、全部笑いを取れるくらい使い分け出来る。大好物はお好み焼き。順応のスピードがすごい。
ミュンヘン行ってしまおうかしら。ドイツの社会保障興味あるし。英語さっぱりだけど。
今の家族には「ベビーシッター以外に何か一つあればいいね。出来ることでも、目的でも���とコメントをもらった。なんもない。まあドイツからヨーロッパ圏旅出来たらいいな...ポーランドの親友のお姉様にも会いに行きたい。カンボジアで出会ったイラン人のお姉様にも会いに行きたい。
ホリデー2週間で来年の準備進んだらいいなー。ほややん。
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22年7月4週目
日本のドラマの推せるジャンルは30分ドラマじゃない?ほとんど起承転結がない、仕事もおろそかにするわけではないが、ライフを重視した主人公たち、明日もちょっと頑張ろうと思えるようなドラマが。最近「サ道」「ソロ活女子のススメ」「晩酌の流儀」を見ていて、そう思った。
今週は『キングダム2』と『わた��は最悪』を観た。『キングダム』は前作と同じく「え?もう終わり?続きは?本当に中華統一する?」って感じだった。初老まで気長に作るつもりか?それならそれで良いが。むしろ人生の楽しみすぎるが。『わたしは最悪』は確かに最悪だと思うところもあるが、人はそうやって成長するんではなかろうかとも思える。君を失うくらいなら、子供のことは諦める、と私も言われたい、自分探しをした結果、向いていることを見つけたい。と、いつも通り自分のことだけ考えていたら、他の方が、私は最悪という相手に「あなたは最高だ」と包み込める人になりたい、と書いていて、自分の人間の小ささよ、と思った。
小樽行くときに西村京太郎を初めて借りてみた。良くも悪くも2時間サスペンス。旅行先のタイトルを借りて、気軽に読むにはもってこい。別に推理とかじゃなくて、関係者が自白する展開で、そうなんかいとなった。
『ユダの覚醒』も継続中。科学チームと歴史チームはカンボジアに結集?
受けていた検定の合格通知来た。今期は好きなこと勉強して暮らそう。
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日本人宿 Sakurose Home 🏡 🔸清潔・安心の日本人経営 🔸バスタブ付きのお部屋 🔸バスルーム・トイレ別 🔸シャワーの温度・強さにこだわった設備、綺麗な水 🔸広々と寝て頂けるキングサイズベッド 【アメニティ】 歯ブラシ・ドライヤー・カミソリ・シャンプー・コンディショナー・ボディソープ・電気ケトル・冷蔵庫 🔸屋上は360°シェムリアップ絶景が綺麗に見える!夜は満天の星も綺麗! 🔸空港からピックアップ無料! 🔸一泊1名様 5千円 Sakurose Homeは日本人専用ホテルですので、勿論泊まれるのは日本人オンリーです。壁もお風呂も床も真っ白で、日本人なら、安心して泊まれます。 料金は一名様一名様3千円〜です。 カンボジア旅行に来てる方が喜ぶように大きなお風呂と熱いお湯と大きなベッドとソファーとシャワールームがあるお部屋です!お部屋は、海外には珍しくトイレが別れてるお部屋も用意しております。ホテルの屋上から綺麗な朝日と夕日が見えます。そして、シェムリアップのパノラマ絶景も屋上から見えますので、ここに泊まると2倍お得です。 予約は→LINE🆔→sakurose108 連絡先⬇︎⬇︎⬇︎Mail:[email protected] 携帯:012790007 #sakurosehome #タビジョと繋がりたい #シェムリアップホテル #ホテル #カンボジアホテル #カンボジア女子旅ホテル ____________________________________ #女子旅 #女一人旅 #タビジョ #カメラ女子 #ズッ友 #女子カメラ #女子大生 #旅MUSE #フォトジェニック ____________________________________ #カンボジア #カンボジア旅行 #カンボジア女一人旅 #カンボジア女子旅 #カンボジアガイド #カンボジアガイドローズ #カンボジアタビジョ #アンコールワット #アンコールワットタビジョ #アンコールワットガイドローズ #シェムリアップ #プノンペン #カンボジアパワースポット #カンボジアローズツアー #カンボジアローズと女子旅 (Sakurose Home) https://www.instagram.com/p/CCZ8Fz_gNRd/?igshid=1cfyaicyrndue
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みちのく三都物語 ③
<青森・金木町>
青森は4度目と書いたが、数年前に東北の民謡に興味を持ったのが、そもそものきっかけだった。青森の民謡と津軽三味線を地元で聴き、たちまち魅了された。やはり、生演奏は違う。以後、毎年訪れている。
今では全国各地で津軽三味線の技を競う大会が開かれているが、やはりなんといっても地元で開催されるそれがレベルは高い。
その中でも私と北川景子は、五所川原市の金木(かなぎ)町で、5月の大型連休におこなわれる「津軽三味線全日本金木大会」(以下、金木大会)に、毎年エントリーしている。ただし、聴衆としてである。
金木町は、台形に突き出た津軽半島のほぼ真ん中に位置している。津軽三味線発祥の地として知られ、太宰治と吉幾三の出身地でもある。ちなみに吉の父親は、民謡歌手だった。
聞きたい種目まで時間があったので、町内にある津軽三味線会館を見学する。発祥と発展の歴史が展示してあり、先達の音源を聴くことができる。
津軽三味線の元祖として知られ、金木大会の最高賞にもその名を冠せられているのが、仁太坊(にたぼう)である。彼の経歴は、次のように記されている(一部省略した)。
<1857年(安政4年)、金木新田の一つ神原村で生まれた。父・三太郎は岩木川の渡し守である。渡し守は、当時の階層「士農工商」のさらに下である「筋目悪しき者」賤民であった>
身分制をあらわす「士農工商」はあくまでも比喩表現であって、実態を示したものではない。したがって現在では、教育現場などでは使われていない。また、「賤民」はまだしも「節目悪しき」の意味が、よくわからない。ともあれ、仁太坊と私は”同胞”ではないか。だから津軽三味線に惹かれたわけではないのだが・・・。
ちなみにインターネットの「コトバンク」では、仁太坊は<女盲の三味線弾きの子として生まれ>とだけあり、父親につては触れられていない。
仁太坊は疱瘡を患い、8歳で両目を失明。早くに両親を亡くし、生きるために三味線の技を身につけた、という説明のあと、こう続けている。
<幼少から人並みはずれた聴覚と記憶力を持つ仁太坊であったが、社会の最下層の生まれからなる「ナ、ナンダモンダバ!」という反骨精神が、その芸を更に磨き大きく飛躍させるバネとなった>
ナンダモンダバとは、なにくそという意味だろうか? 独特の叩き奏法を編み出し、即興性に長けた演奏を確立した仁太坊は<乞食坊主ではない「芸を売って糧を得る芸人」として一生を全うし>多くの弟子を育てた。1928年(昭和3年)歿。享年71。
津軽三味線の創始者が賤民で、その出身地まで書いてある。身分によってはルーツを曖昧にする傾向がある昨今、はっきりしていていい。
津軽三味線は、和太鼓とともに邦楽の雄である。その祖が賤民であったことを、演奏者をはじめ、どれだけの人が知っているだろうか。
<金木公民館>
はるか彼方に、冠雪した岩木山が見える。広大な田園に囲まれた公民館で、金木大会は開催される。築半世紀は経つ、いい感じの老朽施設である。
大会は、小学生以下から大人まで、個人と団体に分かれている。大会の目玉で掉尾を飾る「個人・一般の部 A級」(以下、A級)は、他と違ってトーナメント制である。
A級以外や他の多くの大会は、自分の得意曲を参加者全員が順番に演奏し、最後に順位が発表される。一方、A級は、参加者のくじ引きで対戦相手が確定し、1戦ごとに7人の審査員が、どちらの奏者が優れていたかを判定する。前年の成績優秀者は、予選は免除される。予選、1回戦、準々決勝、準決勝、決勝と4~5回勝たなければ、頂上に立てない。
課題曲は回戦ごとに、じょんから節、あいや節など津軽5大民謡の中から、聴衆がくじ引きで決める。
つまりA級は、偶然性を多分に含み、そのため実力者が早々と戦列を離れることも珍しくない。課題曲、対戦相手の組み合わせによって勝敗が左右されるので、演奏者は緊張を強いられ、聴衆はそのドラマを堪能できる。
運はあるものの、むろん実力がなければ勝ち進めない。ちなみに第1回大会の優勝者は、現在も第一線で活躍する上妻宏光である。
参加者は年齢、性別、演奏歴を問わない。10代から壮年までのプロ、アマが、ガチンコで技を競う。およそ何の制限もない競技というのは、ジャンルを問わず、いまどき珍しい。
弘前で開かれる世界大会は、大ホールが会場で、ネットでも中継されているが、金木は前記したように公民館である。会場の後ろ半分はパイプ椅子、前半分はござが敷いてあるだけだ。
入場はなんと無料で、見放題、聞き放題。数百人の聴衆は、地元住民をはじめ、大会参加者やその家族で占められる。私たちのような純粋なファンは、あまりいない。5月の連休に金木に行くと言えば、よく大会参加者に間違えられる。
今年のA級の参加者は15人で、演奏のレベルは、例年以上に高かった。後に、5年前に1位に輝いた奏者がエントリーしていたことを知る。3年前は中学生で体も小さく、三味線が大きく見えた本多凛さん(石川)は、予選で1-6の大差で敗退し、敗者復活戦でも同じ点差で敗れた。
「あるレベルまでいったら、誰もがぶち当たる壁なんでしょうねえ」
後に参加者のひとりは、私に教えてくれた。
強豪は、まだまだいる。前日、青森市でおこなわれた「津軽三味線日本一決定戦」で2位に輝いた白藤ひかりさん(東京)は、1回戦は6-1で勝ったものの、準々決勝は3-4で惜敗している。
ちなみに白藤さんが準優勝した日本一決定戦で、最年少優勝した中3の中村滉己君(愛知)は、金木大会の常連である。今年の金木大会には顔を見せなかったが、もし参戦していたら、より激しい戦いになっていただろう。
やはり金木の常連で高1の大塚晴也君(静岡)は、今回、個人的に注目していた。晴也は「せいや」ではなく「はれるや」と読む。昨年は準優勝しており、優勝候補の筆頭である。
なぜ、注目していたかというとーー。津軽三味線会館を見学していたとき、入り口付近でスタッフに声をかけられる夫婦がいた。「大会に参加するんですか?」と聞かれ、「いえ、大塚晴也の親です」と答えているのが、入り口付近にいた私にも聞こえた。
前日、彼が弘前において開催された別の大会で入賞した話になり、スタッフがスマホで名前を確認しようとしたが、なかなか見つからない。私は当日の地元紙・東奥日報を読んで、彼の名前が掲載されていることを知っていた。たまたま持っていたので、受付けでそれを彼らに見せた。新聞だと、すぐに見つけることができる。両親はたいそう喜んでおられた。スマホで名前を見ても、それほど感動しないだろう(と活字人間の元地方紙記者は思う)。
そんなことがあったので、晴也君の演奏に注目していた。もはや、聴衆ではなく、親の目線である。彼は1回戦は不戦勝、準々決勝を7-0、準決勝を6-1と圧倒的な強さで勝ち上がり、順当に決勝戦まで駒を進めた。
対戦相手は、A級初参加の鈴木利枝さん(大分)。現在31歳で、年齢だけを見ると、倍は違う。鈴木さんは1回戦で常連の藤村由慈君(岩手)を6-1、準々決勝で前出の白藤ひかりさんを4-3、準決勝では常連の佐藤晶君(青森)を5-2で下している。
佐藤君は、3年前に青森県黒石市のみやげ物屋の蔵を改造した小さなホールで、北川と私のたったふたりを相手に演奏してくれた若者である(当ブログの2016年5月掲載の『津軽』を参照)。酷使した指が自由に動かない病・ジストニアにかかっていたが、それを感じさせない演奏で、鈴木さんには敗れたものの、今回はこれまでで最高位のベスト4に入った。青森の参加者は彼だけで、地元の意地を見せた。
さて、決勝戦である。A級初参戦の鈴木さんは、桃井かおりにそっくり(個人の感想です)。何よりも背筋がぴんと伸び、演奏する姿が美しい。撥(ばち)が、正確に弦をはじいている。だから音が力強く、かつまた美しい。
野球の打者でたとえるなら、ボールをバットの芯に確実に当てている感じ。打球の速さや飛距離が、格段に違う(松井秀喜がそうだった)。
アコーディオン奏者のCOBAが、逸材であるがゆえにイタリアに留学した際、最初に教えられたのが椅子の座り方、楽器の構え方だった。基本ができてこそ、より高いレベルに到達することができる。
決勝戦の課題曲は、津軽三味線の代表曲の津軽じょんから節。晴也君は高校生にして数々の��会に出場し、すでに舞台慣れしていた。緊張している様子は、まったく感じられない。会場からの声援にも、余裕の表情でこたえていた。
本番は安定した撥さばきで、3分以内の演奏を終えた。一方、鈴木さんは音の強弱、テンポを自由に操り、聴衆の心をつかんだ。まさに、甲乙つけがたい。
「審査員じゃなくて、よかったーっ!」
思わず出た司会者の叫びに、私たち聴衆もうなずいた。
結果は4-3の僅差で、鈴木さんが制した。両手で顔を覆う桃井かおり。どちらが勝っていても、誰も文句を言わなかっただろう。稀に見る、充実した優勝決定戦であった。
<愛知⇒青森⇒アジア⇒大分>
鈴木さんの経歴がユニークだ。名古屋市の出身。小学高学年で三味線を始め、中学生で津軽三味線に心を奪われる。だが、そこから、流浪の旅が始まる。
青森の中学校に転校し、修行を続ける。4歳で母親と死別したため、青森には父親とともに移り住んでいる。ところが新天地で人間不信に陥り、ひきこもりに。<人生で一番辛い時期>(ブログ)を過ごす。
高校には進学せず、父親とともにネパール、インド、カンボジアを数年間、放浪する。三味線を持っていったのだろうか。どうもこの父親が、彼女にとってキーパーソンのようである。
帰国後は大検資格を取得し、大分の立命館アジア太平洋大学に入学する。前後して東京や関西で開催された津軽三味線の全国大会で優勝を果たす。大学卒業と同時に、大分で教室を主宰し、現在に至る。
人生のどん底を過ごした、青森での快挙。大会に参加する弟子に誘われ、自身もエントリーし��。いまは、弟子とともに人生がある。ブログには<複雑な思いがあった青森でしたが、たくさんの温かい思い出に変わりました>とつづっている。
愛知⇒青森⇒アジア⇒大分と移動し、楚々とした印象からは想像できない険しい道を歩んでいる。あの美しくも激しい音色は、彼女の人生経験を凝縮したものなのだろうか。
<青森空港>
空港の待合室で、見おぼえがある靴が目に入った。黒のローファーだが、上辺だけ白い革があしらわれている。金木大会のA級に参加していた堀尾泰麿さん(愛媛)ではないか? 座敷席から、演奏者の靴がよく見えるのだ。
靴から視線を上げると、黒いスーツに、白いワイシャツ。本番のときのように、真っ赤なネクタイこそしていなかったが、やはりそうに違いない。10代、20代の大会参加者が多い中、47歳は最高齢であろう。
「堀尾さんですか?」と声をかけると「そうです」と応じてくれた。私たちと同じように大阪まで飛び、そこから愛媛に向かうのだろう。
堀尾さんは、予選では0-7で前出の佐藤君に敗れ、敗者復活戦で本多凛さんに6-1で勝った。だがそのあとの1回戦において、宮﨑啓佑君(神奈川)に2-5の判定で苦杯をなめている。宮﨑君は、ベスト4に残った強者である。
「惜しかったですねえ」と水を向けると「5年前に優勝したんですが、思うところがあって出場しました。でも、やることはやったので、納得してます」とおっしゃった。調べてみると、確かに言われた通りだった。
驚くべきことに優勝した翌年も出場し、決勝戦で破れている。さらにその翌年も参加し、ベスト4に名を連ねた。1位に輝いた勝者が、翌年に出場しても再び勝てるとは限らない。なぜ、挑戦し続けるのか? トップに立った者にしかわからない”何か”があるのだろう。
今大会は、最初は音が響かなかったので、後に音程を上げて演奏したという。優勝した名人であっても、試行錯誤があるのだ。
空港の待合室の椅子に、ひとりぽつんと座っている姿は、心なしか寂しそうではあったが、「やることはやった」という言葉に、いつまでも挑戦し続ける堀尾さんの心意気を感じた。
堀尾さんは愛媛で津軽三味線を教えながら、演奏活動を続けている。今回優勝した大分の鈴木さんは、昔からの知り合いで、海を隔てているものの隣県同士であることから、ジョイントライブを開くこともあるという。ふたりのかけあいを、いつか聴いてみたい。<了>
(2018・5・15)
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