#ゆめのたね放送局
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t-k-school · 2 years ago
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今月の放送は岐阜市出身のとても素敵なピアニスト西濱由有さんをお迎えしての放送となります。 4月21日にはクラシックセカンドアルバム「Garden」が発売される予定となっている中、ライブについてもさまざまな場所で演奏される事が決まっていらっしゃいます。 アルバムにこめた思いや作成秘話などなど盛りだくさんの内容になっております。 https://yuunishihama.com インターネットラジオ ゆめのたね 東日本第2ch 毎週土曜日夜 21時から21時30分 4月1日 (土)   1回目放送 4月8日 (土)   1回目再放送 4月15日 (土)   2回目放送 4月22日 (土)   2回目再放送 https://www.yumenotane.jp/ https://www.yumenotane.jp/sunshine http://hananotoriko.net https://linkco.re/QmHNNegq?lang=ja https://linkco.re/pn8qyvbM https://linkco.re/RsbDycQs?lang=ja #ゆめのたね放送局  #インターネットラジオ #こもれび #すべての曲良い #花の虜 #西濱由有 #ピアニスト #Voyage #岐阜出身 #作曲家 #ピアソラ #レッスン #インストアイベント  (X market) https://www.instagram.com/p/CqcxEtLpreG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 1 year ago
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子��菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請��95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日��ことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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kennak · 2 months ago
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色い��ゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九���式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐���保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち���撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもの��ほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさ��見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――��なみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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homest · 11 months ago
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(Naz Chris)あの「オラ」っていう自分の呼び方っていうのは、元々設定にあったものなんですか?
(野沢雅子)最初はあれだったんですけどね。「俺」ってなってたんですよ。でも、それだと普通だなと思って。もう、皆さんが使う言葉じゃないですか。で、先生には一応、お伺いしたんです。「先生、この悟空っていうのは『俺』じゃなくて『オラ』なんてのはダメなもんですかね?」って言ったら「ああ、そうですね。もう結構です。そちらで行ってください」って。そう先生がおっしゃっていただいたんで。それで「オラ」ってなったんです。嬉しかったです。すごく。
(Naz Chris)「オラ」じゃないと悟空じゃないですよね(笑)。
(野沢雅子)もう先生の作品ですから、一応違っちゃうといけないと思って、お伺いだけは立てないといけないと思って。それで先生にお伺いしたら、先生が「ああ、そうですね。そちらで言ってみてください」って。
(鳥嶋和彦)今、この話を僕、初めて聞きましたよ。でもね、あるところから……やっぱり『ドラゴンボール』のアニメが始まってしばらくして鳥山さんが言っていたのは、「描いていると野沢さんの声でセリフが頭の中に出てくるから。あとはそれを原稿用紙に移すだけだ」ってね。
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01-08-m00n · 2 years ago
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思った。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなー��思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席��女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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manganjiiji · 5 months ago
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宿痾のグラデーション
疲れている。昨日から今日にかけて2日間寝たきりである。やはり4日続けて活動すると、私は次の日全く体を動かせない。このことはよく自分で気をつけてスケジュールを決めなければならない。これがわかっていても活動せざるを得ない時(病院や仕事の予定が詰まる時など)があり、それってどうすればいいんだろう。無理なものは無理なのだが、こっちもあっちも無理で、無理同士がぶつかって、まあどっちかが崩壊する。主に私の体が崩壊してだいたい仕事を休み職場の人の負担を増やす。これが最悪なのだが、じゃあどうしろってんだよ、という感じで、こういう時、もう全ての思考を放棄してただ寝続けることになる。このままじゃあ永遠に「ちゃんとした大人」になれないので、対策を考えたい。体力をつけるとか。とずっと言っているが、言っているだけで結局体力は落ち続けているような気がする。焦らずに、「スモールステップ」「できるところまで戻る」の実践だ。何をどうやったら意志を強くできるのだろう。やる気が出るのだろう。私はいろいろな希望を持って明るく楽しく生きているけれど、そういった「理想」の部分、かすみのような、まやかしの部分を取り去れば、これは単に、「1人で死にゆく人間の残りの時間」でしかない。そこに私は希望を詰め込んでいるが、これをしなかったら、相当暗く悲しい毎日になると思う。家族を持ちたいという夢は17歳で諦めてしまい、もう叶うことはなかったし、夢はあったが、健康な体と頭には恵まれず、ようやく回復したところで37歳。ここからでも入れ���保険があるんですか!?無いです。すでに障害年金を受給しているし、ないです。なんか、もう、ないんです。ほんとうに、残りの人生をいかに悲しくなく過ごすかしか、もう無いのかもしれない。パートナーがいるとか、子供がもてるとか、そういうことが許される人生では到底なかった。でも、表向きは、そういう人たちとなんら差のない人生を送ってきましたよ、という顔をしなければならない。人は、自分より恵まれていない人がその場にいると、かなりのストレスを感じるからだ。だから私はつねに「恵まれてきた」という態度で存在するよう心がけてきた。そうしないと一瞬で社会からは弾かれる。そういう緊張感がいつもあった。ひとたび自分の「現状」が知られ、私がその事に悲しみでもしようものなら、もうそのコミュニティにはいさせてもらえない。でも私は、不幸を嘆いている人達ばかりのコミュニティには興味がない。なんらかの悲しみがあったとしても、前を向いて自分の豊かさをきちんと見つめている人が好きだ。言っていることが混乱してきたが、ようは、恵まれて育ってきた人間の方が、思考が健全だし、恵まれなく育ってきた人間でも普段はそれを隠している人の方が思考が健全であるということだ。思考が健全である方が、この世の真理に近づけるし、早くたどり着けると思う。そういう意味で、私はその方向を好む。思考が健全というのは、ノイズが少ないということだ。自分が生育環境から受けてしまった独特の思考や歪み、偏見、先入観は、真理から遠ざかる、または、たどり着くのに時間がかかる障害となる。真理というものがあると思っている。この世に正しさがあると思っている。そんなものはないという態度の人は不誠実であると思っている。人間には目指すべき姿があると思っている。私はそちら側の人間である。そうは言っても現実はこうで、こういう人もこういうこともあって、正しさなんて言い出したらきりがないんだし、目の前の生活をちゃんとできたらそれでいいじゃない。みたいな考えの人とは、もう一線を画しまくる。目の前の生活なんてどうでもいいのだ。正しいことは正しい、やるべきことはやる、なぜ生まれて生きているのか考える、生まれた以上はこれ以上世界を悪くしない方法を考える、例えそれが止められないことだとしても考え続ける。プライベートなんかいらない。公生活のみで結構だ。そう思うくらいには、プライベートを大切にする、つまり世界に利する行為ではない自分のための時間をもつ、ということに興味がない。全てを世界に利するための時間に使わないともったいないと思う。こんな過激な思想をしているんだからパートナーなんかできるわけがない。というのは、鶏と卵論争になってしまうと思う。正直、結婚と出産を為せた人生だったら、私はここまで世界のことを考えなかったと思う。家族をもてるなら、家族との生活に全振りして、他のことは別にどうでもよかった。家族を持てないから、こんなぎりぎり苦しい毎日を送っているわけである。(?)
子供は無理でも、パートナーはいてもいいんじゃないかと思う���で、とりあえず痩せたい。この太ったままの体で誰かと共同生活を送る気になれない。体についた20kgが落ちる日は来るのだろうか。体が重くて毎日泣いています。
2024.9.12
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myonbl · 6 months ago
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2024年8月29日(木)
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足袋下(靴下)2足と手ぬぐいのセットが毎月届くSOU・SOUの頒布会、長月号が届いた。月例とは言え、こんな天気のなかでの配送業者の作業には感謝しかない。他には熊野のK兄からの<新米>や、地球洗い隊からの<シークワーサー>も指定時間内に届けていただいた。長引く台風の影響は結局週末まで、どうか被害が最小限に留まることを祈念したいものだ。
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5時起床。
日誌書く。
体重は200g増。
洗濯機回す。
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朝食。
珈琲。
洗濯物干す。
弁当*1。
プラゴミ、30L*1。
ツレアイを職場まで送る。
熊野のK兄から新米が届く、<七十の手習い>とかで今年から始めた稲作、どうか足腰に気をつけて無理のないように作業してくだされ。
冷蔵庫の食材整理、台風の影響が長いのでできるだけ手持ちの材料を活かしたい。
キュウリのしょうゆ漬け仕込む。
セロリが残っていたので、賞味期限切れのベーコンと玉ねぎで無水調理、一昨日のカレーに合わせて夕飯に頂こう。
BSで大リーグの中継、大谷君の愛犬が始球式に登場してびっくり、その見事な<投球>に世界中から拍手喝采。
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ランチ、息子たちには残りご飯で炒飯、私は冷蔵庫掃除。
軽く午睡。
執筆意欲がわかないので、あれこれ資料整理。
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台風10号は朝のうちに鹿児島県に上陸したが、勢力は少し弱まりながらもゆっくりと進んでいる。
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一昨日のカレーを仕立て直して夕飯に、用意が出来たところでツレアイ帰宅。
録画番組視聴、新日本風土記。
妖しの京都 清めの夏
初回放送日:2024年8月26日 世界中から人々が訪れる京都。神社仏閣に花街、春の桜に秋の紅葉。だが、この街にはもう一つの顔がある。歴史の中で積み重なった「死」と「けがれ」、そして「清め」の物語 京都は「死やけがれがすぐそばにあり、それを清め続けてきた都」だ。疫病の流行や飢饉、戦禍が繰り返され「物の怪」や「怨霊」の気配がいたるところに漂っている。人々は夏になれば半年のけがれを清める「茅の輪」をくぐり、厄をはらう和菓子「水無月」を食べる。夏の風物詩となっている「祇園祭」も恐ろしい「荒ぶる神」をまつって疫病を退散させたいと始まった。目に見えぬ存在を受け入れ畏れ敬う都人の営みを見つめる夏の旅
ディレクターのセンスが際立ついい内容だった。
片付け、入浴、血圧は128/76。
飲み残しのワイン頂きながら日誌書く。
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朝彼女を送っただけで、終日家の中、こんな天気なので仕方なし。
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xf-2 · 1 year ago
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コンサルティング会社「スピーディ」の福田淳社長。2016年4月から俳優・のんさんのエージェントを務めている
ハリウッドの契約を見てきた弁護士も驚愕
―― 福田さんは、もともと映画業界でキャリアを重ねてきました。のんさんに関わるようになったきっかけをお聞かせください。
福田淳社長(以下、敬称略): ソニーグループに20年いました。元々は映画監督になりたかったのですが、最初の10年は「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」のM&A担当で新規事業の責任者をしていました。後半10年が社内起業で立ち上げた「ソニー・デジタルエンタテインメント」です。ハリウッド10年、日本のテック系10年。こういったキャリアを持つ人は多くないと思います。ソニーの先輩が役職定年になる中で、「勢いがあるうちに辞めなきゃ」と17年に立ち上げたのがスピーディです。    のんとの接点ができたのは15年末��、エージェントを始めたのは今から約7年半前の16年4月です。ある出版エージェントの友達から「なかなか日本の芸能で困っているよ」という話があって会ってみたら、本当に信じられないような内容でした。いわゆる奴隷契約と申しましょうか、低賃金で移籍の自由もなく、本名が使えないとか...。うちの弁護士はハリウッドの契約を見てきた弁護士ですが、その内容には驚愕していました。事実として「能年さん、サインしてしまっているので、本名使えないみたいですよ」と伝えたら、本人は次の日に「NON」って書いてきて、「これ、小文字にしたら絵文字の笑顔に見えますから」ということで「私のことは『のん』って呼んでください」。 それから7年が経ちました。そんなひどいことが21世紀に起きるものなのか、今でも信じられません。同じくらいの年の娘がいるんですよ。子どもを持つ父としても、正義感からしても、のんに起きていることは許せないと思いました。
広告クライアントは延べ55社、28社が継続中
―― 最近でも、国民民主党の玉木雄一郎代表が記者会見で言及するなど、ジャニーズ問題と、のんさんをめぐる問題を関連付けて議論されることがあります。
福田: 今回のジャニーズ問題や、「あまちゃん」再放送を機に「そういえば『のん』っていう人もいたね」「まだ俳優してるの、この子」となることがあるようです。中には「あの子何か問題起こして干されてるんだわ」と思っている方もおります。だけど別に何もないんですよ。のんの「劣悪な労働条件なので移籍したい」という訴えが、前事務所の「お前育てたの誰だと思ってんだ!」という反応になった、ということです。    この機会に、僕がエージェントを始めてからの代表的な仕事をまとめたのですが、23年に映画「さかなのこ」で「第46回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」をいただいたほか、アニメ映画「この世界の片隅に」(16年)も好評でした。広告クライアントは延べ55社。うち継続中が28社です。電通・博報堂からはほとんど相手にされていないので、全部直取引です。テレビ局は編成と営業が全く別会社みたいなものなので、(CMの枠を売る)営業サイドとすれば、お金が入る分には誰が出ていようと構わないわけです。ですが、(番組そのものを担当する)編成となると、にらみがきいてしまうので出せない。
―― 19年には、ジャニーズ事務所が元SMAPメンバー3人の出演を妨げようとテレビ局側に圧力をかけた疑いで公正取引委員会が調査を行い、「該当するような行為があった場合は、独占禁止法に抵触する���として「注意」した、という経緯があります。当時、ウェブサイトに「CMの依頼が多くあり広告には出ることができています。でも彼女は女優です。現場からの熱烈なオファーもある、のんが三年間テレビ局で1つのドラマにも出演が叶わないことは、あまりにも異常ではないでしょうか?」と書き込んだことが話題になりました。この4年間で状況は変わりましたか。
福田: 19年当時は色々な(地上波の番組を製作している)プロダクションから「のんさん主演でこんなのやりたいんです」という脚本が来て、検討している間に立ち消えになっていたのですが、今ではゼロになりました。「こんな話ありますよ」もゼロ。ただし、ネットフリックスやアマゾンプライム、U-NEXTといったオンラインメディアとは取引があります。いつも「新しいことやりませんか」とお声がけいただいており、新規案件も多数あります。
―― 地上波ドラマには出られない状況が続く一方で、別のところで道が開けつつあるということですね。
福田: 元々僕はブランディングのプロでもあります。「能年玲奈」という「商品」は、それが自分の本名だったことが悲劇なのですが、「のん」という芸名に変えたことでブランディングは十分できています。本人が地上波ドラマに出られる状態が正常だとは思いますが、それを目的にしていないのと、テレビドラマに出ることが成功だという時代ではなくなっています。「テレビドラマに出られなくてかわいそう」という声がありますが、全然かわいそうじゃないんですよ。たくさん収入はありますし、好きなことをやっていますし。
ずっと売れているので、2年先までほぼ休みなし
のんさん。CMやPRイベントへの出演は多く、「常に2年先ぐらいまでほぼ休みなし」だという
―― てっきり冷や飯を食わされていると思っていたのですが、違うわけですね。
福田: ずっと売れているので、常に2年先ぐらいまでほぼ休みなしで悲しむ余地がない、というのが実情です。
―― ご本人は、自らが置かれている状況をどう受け止めているのですか。
福田: すごく元気です。精神的にめちゃくちゃ強い、自己肯定感が200%ぐらいある人です。
―― のんさんの個人事務所「non」と、スピーディ社がエージェントとしてマネジメント契約を結ぶ、という形をとっています。芸能事務所に所属する、という伝統的なスタイルとは異なります。
福田: 当初は僕の会社に「所属」するというやり方もあったのですが、「もうやめた方がいい。僕だっていつ豹変して、『奴隷契約』にするか分からない。だから大人は信じないで」ということで、エージェント契約になりました。    米国であれば俳優が一番偉いわけです。例えばトム・クルーズが一番お金を持っていて、経理、総務、運転手、ブッキング担当、付き人がいて、いわば「トム・クルーズカンパニー」なわけです。エージェントというのは、俳優を売り込んだり原作権を買ってきたりする役割です。スポーツの分野で活躍している団野村さんが分かりやすいですね。日本ですごい選手がいると、売り込みに行ってくれたりする。    ハリウッドでは一番の主体にある人(俳優)が契約のフレーム(大枠)をつけて、あとは弁護士さんが見る、というのは普通なのですが、日本ではそういうことの訓練ができている人は少ない。タレントがギャラの交渉も知らなければ、契約に噛むこともできないというのは、僕からすれば驚くべき事実でした。年端もいかない人を地方から連れてきて「訓練してあげよう」なんて言っているうちに、奴隷契約に持ち込んでしまう。公正取引上、非常に問題がある、優越的地位の濫用だと思います。
―― 所属ではなくエージェント制にするメリットは、どういったところにありますか。
福田: のんが自分の会社をつくって、そこと僕の会社がある期間、独占的な契約をしましょう、その年��の中で僕の働きが悪かったらクビにすればいい、という考え方です。それがフェアトレード(公正な取引)だと思います。他のタレントと違って、仕事のギャラがいくらで、どんな意味があるのかを完全につかんでいるので、生き生きしていますよね。僕からは、「嫌な仕事はやらなくていいと思うけど、ある程度責任を持ってやった方がいい大きい仕事もあるし、小さくてもSDGs(持続可能な開発目標)啓発の仕事など、社会的に意味があるものは一生懸命やろう」と伝えています。    LINEのCMではLINE幹部の方がすごく応援してくれました。「起用をやめろ」という脅しの電話も各方面にあったようですが、クライアント(LINE)が「正義は勝つと思います」と言ってくれて、あのCMはOKになりました。ユニクロのCMは、ナンバー2に頼んでアジア18か国での展開が実現しました。    このように独自の路線を切り開けていけたから、消されずに何とか生き延びてきました。だからこそ、ジャニーズ問題が出るたびに副次的に、能年玲奈の問題が出てくるという構造になっているのだと思います。
(インタビュー後半に続く。10月1日掲載予定です)
福田淳さん プロフィール ふくだ・あつし ブランドコンサルタント、スピーディ社長。1965年、大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。ソニー・ピクチャーズエンタテインメントを経て、2007年にソニー・デジタルエンタテインメントを創業。17年に株式会社スピーディ設立。「のん」をはじめとする俳優・ミュージシャンなどのタレントエージェント、ロサンゼルスでのアート・ギャラリー運営などを行っている。金沢工業大学大学院客員教授や横浜美術大学客員教授も務める。著書、講演多数。
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harawata44 · 7 months ago
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熱中症4割は夜間や睡眠中に 寝苦しい熱帯夜…エアコンの使い方は? 質のいい睡眠が熱中症リスク下げるか【#みんなのギモン】 - ライブドアニュース
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以下引用
関東は今、梅雨です。しかし、もう梅雨が明けた真夏のよう。5日、東京都心の最高気温は35.5℃。この暑さが夜まで続き、最低気温が25℃以上ある「熱帯夜」。夜の過ごし方に注目します。 そこで今回の#みんなのギモンでは、「今夜も熱帯夜か どう乗り切る?」をテーマに、次の2つのポイントを中心に解説します。 ●これから注意 夜間熱中症 ●寝苦しさ防ぐ エアコン使い方
■関東から九州にかけて広く熱帯夜に
小野高弘・日本テレビ解説委員 「夜の過ごし方に注目してみたいと思います。では外の様子見てみましょう。5日、東京都心の最高気温は35.5℃。午後4時半頃の浅草の様子です」 森圭介アナウンサー 「建物を見てみても、強い日差しが当たっているのがわかりますね。まだまだ外は暑いでしょうね」 小野解説委員 「午後4時20分の時点でも気温は33.7℃ですから、まだ暑い。この暑さが夜まで続くからしんどいんです。この『熱帯夜』、最低気温が25℃以上ある夜のことです。今夜も、関東から九州にかけて広く熱帯夜になりそうです」 鈴江奈々アナウンサー 「きのうも暑かったので、エアコンを2時間タイマー設定したんですけど、数時間後に目が覚めてしまって。夜も暑いですね」
■夜間の熱中症に注意
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小野解説委員 「5日も昼間熱中症で搬送が相次ぎましたが、夜間の熱中症にも注意していただきたいんです」 「空調メーカー大手・ダイキンが5日、調査結果を発表しました。『熱帯夜で寝るときには体に不調はなかったのに、寝ている最中、または起きた時に不調を感じたことがある』と答えた人は全体の7割近くいるんです。皆さんこういうことはあります��? どうでしょうか?」 刈川くるみキャスター 「(肩まわりが)重たいな、と起きたときに感じます」 鈴江アナウンサー 「ぐったりした感じがします」 森キャスター 「朝起きたら、汗びしょびしょになっているときがあります」 小野解説委員 「症状で多かったのは、『倦怠感』45.7%、『異常な発汗』『体温の上昇』。中には、『頭痛』や『立ちくらみ』などもありました。熱帯夜、こうした体の不調を感じたとき、医師はこうおっしゃいます。『軽い熱中症の可能性もありますよ』『これ疑った方がよいですよ』」 森アナウンサー 「暑いから、これくらいしょうがないと思っていましたが、これが熱中症の可能性といわれると、対策しないといけないですよね」 鈴江アナウンサー 「寝ている間に、熱中症になっているということですよね?」
■熱中症4割は夜間や睡眠中に 一晩で400ccも…
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小野解説委員 「熱中症に詳しい兵庫医科大学の服部益治医師はこう指摘しています。『熱中症の4割は、夜間や睡眠中に起きている』と。今年は暑いので、5割くらいになるのではないかとおっしゃっていました」 「なぜ夜間に熱中症が起きるのでしょうか? 寝ている間にも人は呼吸や汗で、水分を失うといいますよね。一晩に400ccほどの水分を失っているそうなんです」 「エアコンがついていた状態でこれだけ失われているというから、エアコンを使っていなければもっと失われるということなんです」 「熱中症防止のためには、これだけの分を取り戻さなければいけないわけです。服部医師によると、寝る前と起きた後、少なくともコップ1杯の水をとる必要があるといいます。夜中に目が覚めた時も飲めるように、枕元に水筒などを置いておくといいそうです」 刈川キャスター 「水は積極的にとろうと思っても、飲み過ぎると夜中にお手洗いで何度も起きてしまうので、それが難しかったんですけど、寝る前にコップ1杯くらいが目安なんですか?」
■寝苦しい熱帯夜 睡眠時の悩みは?
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小野解説委員 「はい、そうですね。また、熱帯夜で『寝苦しい』ということはないですか? たとえば、『暑くて目が覚める』という経験がある人が45.5%いました。『なかなか寝付けない』という経験がある人が30%といっています」 「ここ数日、寝不足だったり、睡眠の質が悪いと感じたりしている人、いるのではないでしょうか。そうなると、体を十分に回復させられない、疲労を翌日に持ち越してしまう。熱中症のリスクにつながってしまうということになります。逆にいうと、質のいい睡眠が翌日の熱中症リスクを下げることにもつながるんです」
■寝苦しさ防ぐエアコンの使い方は?
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小野解説委員 「寝る時のエアコン、みなさんどうしていますか?」 刈川キャスター 「つけっぱなしにしています」 鈴江アナウンサー 「ちょっと抵抗してタイマーとかにしちゃうから、失敗しているんですけど…」 森アナウンサー 「私はきのうの夜、この夏初めてエアコンをつけたんですけど、寒くて起きちゃう。だから難しいなと思っていて」 小野解説委員 「どうするといいかというと『室温』。28℃になるよう設定するといい。もう1つ気にしなきゃいけないポイントは、先月のギモンでやりましたよね?」 山崎誠アナウンサー 「温度だけでなく、湿度も大事ということですよね」
■湿度が20%変われば、体感温度約4℃変わる
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小野解説委員 「そう、湿度も『40%~60%』にするといいそうです。こちらはダイキンが行った実験ですが、部屋の中の温度28℃、湿度85%の時、皮膚の温度は顔や手などが赤く温度が高いことが分かります」 「これを温度は28度のまま、湿度を60%まで下げると…。顔や手の温度、下がってきていますよね。この実験を12人が行って10人で皮膚温度が下がったといいます。湿度というのは、体にどう影響するか?」 「人は汗をかいて蒸発するときに、体温を下げて体温調節を行っていますが、湿度が高いと汗が蒸発しづらく、体温もうまく下げられないということになります」 「湿度が20%変わると、体感温度はおよそ4℃も変わると言われてるそうですよ」 山崎アナウンサー 「エアコンは使っているんですが、冷房でなくて、除湿なので。エアコンの使い方でいうと、機能の使い分けもしていきたいですよね」
■エアコンはつけっぱなしか? 切るか?
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小野解説委員 「つけっぱなしか、タイマーで切るか。パナソニックは『つけっぱなし』を推奨しています。特に熱帯夜は途中でエアコンが止まると、暑くて起きてしまうこともあります」 「そして、『風は上向き』にして、『寝室に入る30分前』にエアコンをつけるといいそうです。寝る前にエアコンを入れておいて、部屋にこもっている熱気を下げておくということがいいですね」 「また、冷たい空気は部屋の下にたまりますから、風向きを上向きにすることで、冷気が上から下へ下りながら、ムラ無く部屋を冷やせるということになるそうです」 「パジャマも気にしていただきたいんです。パジャマは汗をしっかり吸う綿やシルクがおすすめだそうで、全身の汗を吸収するためにも、夏でもゆったりとした長袖、長ズボンが理想です」 鈴江アナウンサー 「エアコンをつけっぱなしにして、長袖、長ズボンがおすすめなんですね」 小野解説委員 「まだまだ暑い夏は始まったばかり。炎天下だけでなく、夜間の過ごし方も積極的に気を使って熱中症対策をお願いします」 (2024年7月5日午後4時半ごろ放送 news every.「#みんなのギモン」より)
●あなたの身の回りの怒りやギモンをお寄せください。
お寄せいただいた情報をもとに日本テレビ報道局が調査・取材します。
#みんなのギモン
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t-k-school · 2 years ago
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昨日は岐阜市出身とても素敵なピアニストの西濱由有さんをお迎えしての収録でしたー。 4月21日にはセカンドアルバムが発売される予定となっており、ライブについてもいろいろな場所でも演奏される事が決まっていて、ご多忙の中岐阜スタジオにお越しいただきましたー。 ありがとうございました。 https://yuunishihama.com インターネットラジオ ゆめのたね 東日本第2ch 毎週土曜日夜 21時から21時30分 4月1日 (土)   1回目放送 4月8日 (土)   1回目再放送 4月15日 (土)   2回目放送 4月22日 (土)   2回目再放送 https://www.yumenotane.jp/ https://www.yumenotane.jp/sunshine http://hananotoriko.net https://linkco.re/QmHNNegq?lang=ja https://linkco.re/pn8qyvbM https://linkco.re/RsbDycQs?lang=ja #ゆめのたね放送局  #インターネットラジオ #こもれび最高 #すべての曲良い #花の虜 #西濱由有 #ピアニスト #Voyage #岐阜出身 #作曲家  (X market) https://www.instagram.com/p/CqEWBJgh9mZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 1 year ago
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クィア小説の委託先を探しています
クィア小説の委託先を探しています
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はじめまして、オカワダアキナと申します。 小説を書いて文学フリマ等で販売しています。 クィア小説を置いていただける書店さんを探しています。 ご興味持っていただけましたら幸いです。
[タイトル(2種あります)] いずれもトランスジェンダー男性が登場する物語で、セーファースペースで販売したい本です。
1.『イサド住み』1000円 トランスジェンダー男性が主人公の小説。言いたいことが言葉になる前の、唸りや遠吠えみたいな話を書こうと思いました。ボーイズラブ寄りだと思います。 イサドというのは宮沢賢治の『やまなし』に出てくる語で、蟹のお父さんが子どもたちに言う「もうねろねろ、あしたイサドに連れていかんぞ」のイサドです。イサドは地名なのか何なのか読んでいる人にはわからないのですが、三匹の蟹たちにはよくわかっていて素敵な場所なのだろう…というようなことを考えながら書いた小説です。
2022年11月刊行。 B6/180ページ/約10万字 試し読み:https://oka-akina.tumblr.com/post/701066477234716672/ あとがき:https://oka-akina.tumblr.com/post/701978022339903488/
2.『顔たち、犬たち』1200円 男性性について書こうとした小説です。女性と結婚しているけど男性とセックスする主人公と、ゲイの男性とその恋人のトランスジェンダー男性。MSMの男たちの三角関係のような不倫関係のような友だち同士のようなお話です。 『イサド住み』と同じ登場人物たちですがあんまり続き物にはなっていません。しょうもないラブストーリーにトランスジェンダー男性がさらっと登場する話をやりたかったつもりです。 まだ書き終えたばかりで自分の中でも紹介の言葉が定まっていないのですが、セクシーでちょっとまじめでかわいい、とびきりクィアなお話になっていたらいいなと思います。
2023年11月刊行。 B6カバー付き/176ページ/約10万字 装画:谷脇栗太さん(犬と街灯) 試し読み:https://drive.google.com/file/d/1pA17srE8i8T44p-x95h6TkdwxjNDvNaV/view?usp=sharing
[買取・委託条件] ・1冊からご用意します ・買取の場合は掛け率60% ・委託の場合は掛け率70% ・送料は当方が負担します
[取り扱いにあたりまして] どちらもわたしが自主的に書いて作っている本です。 い��ゆる受賞歴的のようなものはない作品で、出版業界からのお墨付きもないものではありますが、自分自身の切実さのようなものは書けていると思いたい…です…! また文学フリマ等の同人誌即売会ではコンスタントな販売ができており、(自分で言うのもなんですが)喜んでくれる人、必要な人はいる作品なのだろうと信じています。
これまでほとんど手売りしかしてこなかったのですが、吹き荒れるトランス差別に苦しい思いをしており、自分でも何かできることがないか、明るいフィクションを増やすことはできないだろうかと考え、作品の委託先を探しています。 遠くへ届ける手助けをしていただきたく、ぜひともご検討くださいましたら幸いです。
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みたいな感じで好きな書店さんにメールを送ろうとしているけどとても尻込みしている…(ので下書きをこことインスタに放流してしまった。多少冷静になれるかもと思って)。 もうちょっとビジネスメールみたいにした方がいいのかもなんだけど自分で書いてる小説だしなあとか、その書店さんのこんなところが好きでぜひ置いてもらいたいんですみたいな気持ちを書こうとするとものすご重たいラブレターみたいになっちゃうなとか…。 結局のところわたしが自分の小説を読んでもらいたいっていう話だよなあみたいなことも思い、うーんうーん。
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ari0921 · 7 months ago
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桜林美佐の「美佐日記」(262)
「憧れの人・自衛官」を目指して:米軍基地行事からの学び
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、262回目となりま
す。
 前回の日記にも感想を頂戴しました。「私も、か
みさんの話は、意見を求められていないという前提
で聞くようにしていますが、話す側も、『今から話
すことは意見を聞きたいのではなく、共感して欲し
いの』と言われると、聞き手に徹する心構えができ
て、その後のやり取りが円滑に進むと思います。こ
ういう配慮をする人が増えて欲しいと思いました」
「今日の脱線話はなかなか興味深かったです。聴き
手と話者の関係でいえば、自衛官と
いうのはだいたい良い聴き手です。反応が分かりや
すい」
 ということで、ありがとうございます。そうです
ね、確かに自衛官の皆さんはよく話者を見て聞いて
下さいます。私は初めて自衛隊で講話させて頂いた
時は、自分が皆さんの前に立つような立場ではない
と非常に恐縮し、えも言われぬ緊張感があったこと
を思い出します。
 考えてみれば、だからこそこれに値する指揮官を
年月をかけて養成するのであり、政治家にも帝王学
の心得が必要な所以なのでしょう。
 さて、先日は米陸軍基地で開催された独立記念日
行事に行ってきました。基地解放日とあって多くの
人々で賑わい、出店やフードコートに長い列ができ
るなど、大いに盛り上がっていました。
かつて沖縄の普天間基地で開催された米軍行事にも
行ったことがありますが、その時も子供たちは大喜
びで、沖縄と言えば「反対運動」と思い込んでいた
同行した放送局のスタッフたちも全く想像と違う現
実に驚くばかりでした。
 確かに、普天間にはヘリなど乗り物があるので、
そうした展示を目当てに来るのかなとも思いました。
 日本でも例えば横田や厚木など、航空部隊が所在
する基地がイベントでは、いわゆる「マニア」の皆
さんが集まる、というイメージがありました。
 しかしそれも勝手な推測だったようです。飛行機
が並んでいなくても人々は集まるのです。
 よく「ブルーインパルスが来てくれないと盛り上
がらない」とか「戦車の展示が欲しい」など、行事
の「目玉」を求める声が聞かれますが、実際は、そ
ういうアイテムはそんなに必要ないのでは?と感じ
させられました。
 この米軍行事では、日没が近づき、いよいよフィ
ナーレを飾る軍楽隊の演奏が始まろうという時、人
々がグラウンドに向かい走って行きました。
 何かと見ると、グラウンドからUH60ヘリが離陸
しようとしているのです。その瞬間をとらえるため
に、あっという間に人だかりができます。
 そのうちにゆっくりとヘ���が浮上していくのです
が、それって自衛隊関係者にとっては、いつも見慣
れた光景であり、特段、そんなことで人が喜ぶとは
思っていないのではないでしょうか。
 でも、最後のステージと花火が始まる前に観客の
頭上を旋回するたった1機のブラックホークが見事に
会場を沸かせたのです。私にとってもちょっとした
衝撃でした。見せ方、演出によって超魅力的なもの
になるのです。
 ああ、こんなパイロットになってみたい、と思っ
た子供もいたのではないでしょうか。
迷彩服姿の軍人さんを見て、カッコイイと感じた若
者もいたのではないでしょうか。
 幹部自衛官が平身低頭で「自衛官募集」ティッシ
ュ配りをすることがあるべき姿なのか?と考えさせ
られます。やはり自衛官は「憧れの人」であって欲
しい。
 ところで、このヘリのパフォーマンス(飛び立っ
ただけなのですが)で感じたのですが、佐賀に配備
しようとしているオスプレイには、未知数の可能性
があるように思います。
 「オスプレイ・エアショー」を毎年開催し、米軍
と共に飛行展示を行うのも一案かもしれません。約
90万人が来場する佐賀の「バルーンフェスタ」、
約50万人が訪れる「唐津くんち」に続く観光名物
になる日も夢ではないかと!
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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kennak · 27 days ago
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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blue-aotan · 10 months ago
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ハロー(´ー∀ー`)2024.4.7
前期ドラマで完走できたのは「グレイトギフト」だけでした。このドラマ面白かったんだけど、途中「?💢��」ってなった部分もあったし最終回がかなりしょぼかったですよね←
色々とあり得なかった笑
殺人未遂の医師に手術させたり←
あのアルカナムの人達何で逮捕されないの?とか←
私がね一番イラっとしたのは、藤巻先生の嫁と娘だよね←
ドラマ1話目から藤巻先生に対するあの態度は何かあるのだと思ったら、ただ旦那が自分の気持ちを察してくれないみたいな(嫁の話散々聞いてこなかった結果なんだろうけど)それですれ違ってめっちゃ冷たい態度とってたんだけど、その間に他に男作って(しかも藤巻先生の同僚)入院してる病院で旦那もいるのに不倫相手とイチャイチャしてるのめっっっっちゃムカついた←
しかも娘はそういう母親を庇って「お父さんがそんなだからお母さんが可哀想!」みたいな不倫したのは父親がわかってあげようとしなかったせいだからこんな結果になっても仕方ないでしょ!みたいな圧かけてきて不倫を正当化してるようでかなり腹立たしかったんですよね←
父親が母親を蔑ろにする=不倫していい
とは私は思わないし、それとこれは別問題だろって思う。そこずるくね?ってなる。
離婚してから男作れよ。
ほんで娘も娘よな!父親ばかりが悪いみたいな言い方するなよ。父親に女の影があるならまだしも、そうじゃないなら中立であれ。
そこが本当に許せなくてイラついたよね←
寂しいからって他の男に走る女本当嫌い←
1人で耐えてみろって思う←
寂しいとか殆ど気のせいな感情だぞ←
(※個人的な意見です
ということで新ドラマもちらっと調べてみましたが毎回恒例気になるものを1話だけ見てみます。
ようやく‼︎‼︎スーパーナチュラルシーズン5に突入しました😂
(まだ見とったんかい←
このウィンチェスター兄弟さ、ここに至るまで弟のサムが悪魔の血飲んでサイキックパワーで悪魔を地獄送りにしたり←
兄のディーンなんか2回くらい死んで生き返ってんのよね←
(サムも一回死んだ
身内が死ぬと悪魔を呼び出す儀式をして自分の命と引き換えに生き返らせようとするのよね😂すごいチートだよね←
サムがさルビーって悪魔にずーっとくっついて行動したりディーンはサムがわかってくれないことにイライラして衝突したりシーズン4くらいが本当イライラしかなかった…
2人が険悪になるのは見てても辛いよね。
そんで結局このルビーに騙されたサムがルシファーを封印から解き放ってしまったのよね。バカなの!?😡
ってなると思います←
大体から悪魔のメグにもヨロっとなってたしこの兄弟本当色香に弱いよね←
何が1番イライラするかって、お決まり事のように女性との情事があるのがイラッとする←
この兄弟がモテるのは分かる。
そしてディーンが女好きなのも分かる。
でも潔癖の私からすると2人ともただの節操なし男にしか見えなくて残念すぎる←
女遊び=ステータスみたいなそんな感じかお国柄かよくわからんけど、悪魔とやったり天使とやったりはいらんのよ←
そんなこんなで2人の父親代わりみたいなボビーが本当大活躍なんだけど、2人を守る為に車椅子生活になっちゃってそこの兄弟とのやりとりは涙涙でしたねぇ😢
引き続きゆっくりと視聴続けていきます🫡
ここまでで文句しか言ってないけど←
まだまだ続くよ文句(´ー∀ー`)ただの文句おばさん
金ローでついに来ましたね!「すずめの戸締まり」
新海誠さん好きだったけど、もうそれも過去形になりつつあります。
天気の子で(ん???)となった疑問を拭うことはできませんでした。
録画で観終わった後、もう観ることはないなとすぐに消しましたよね←
私が??となった点を箇条書きにすると
・主人公のすずめがとにかくうるさい
・ソウタさんソウタさんうるさい
・顔で好きになって大暴走し周りに迷惑をかけているのに感謝もない
・とにかく自己中
・終盤はすずめとソウタ2人だけが自分達の世界に悦に入っていて全く応援できない
・自己愛だらけの2人の恋愛はまさに現代っぽい
・後ろ戸ってなに?
・ダイジンは結局何がしたかったん?
・ダイジンの最後のセリフ「すずめの子になれなかった」の意味不明さ
・周りの人がとにかくいい人すぎて主人公の努力による結果ではない
・他力本願で目的を達成されても何の感動もない
けちょんけちょん←(この映画好きな人本当にごめんやで)
細田守さんに続き新海誠さんも卒業の時がやってまいりました。
君の名はが有名になりすぎたんですね。
マイナーなままの方が良かったのかもしれません。
(何様
楽曲もさーずっと同じ人やん。
私の姉が言っとりましたわ
癒着なんか?冷めるわ←
私も全く同じ気持ちでしたさすが姉妹だね👭
話変わりまして「NARUTO」をようやく読み終えました。
終盤は悪い人がいい人に変わったりを繰り返し、かなりお腹いっぱいな展開でしたが平和なストーリーで安心して読めました。
ナルトの強い意志に何度も泣いたし、ナルトがいたからサスケは救われたし、私としてはガイ先生のところがめちゃくちゃ泣けました。
やっぱり努力の人だよね!応援したくなるしその人が報われたら読んでる私も報われるんだ!って思いながらその頑張りを見届けたいと思いましたよね。
あとサクラね。恋から愛に変わるまで本当に一途に頑張って貫いて、傷つきながらも自分の努力も怠らずに素晴らしい忍に成長して立派だなと思いました。
サクラならサスケよりももっと素敵な人がいただろうに←
(だから何様
ただ自来也とネジが死んだことがショックだったよね。
ちよばあのところも泣いたし、我愛羅の成長にも涙だよね。
見所がありすぎて←
イタチもかっこいいしチョウジ強いしシカマルは頼りになるし。
色んな想いが詰め込まれたストーリーで本当に面白かった。
次は何を読み返そうかなぁ
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tanakadntt · 2 years ago
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三輪秀次の小説(二次創作)
【3】
三 六月 奈良坂透
「結局、エントリーしなかったじゃん、ランク戦」
「スナイパーが見つからなかったからな」
「遠距離かあ」
 出水は箸を動かす手をとめて、うーんと首をひねった。三輪隊はいまだ結成されていない。
 昼休みの学校である。米屋、出水と共に机を囲んでいる。米屋はもちろんのこと、出水とも弁当を食べる機会も出来て、三輪はうれしい。射手の天才も話してみれば普通の高校生だ。人間とは奥深い。
「スナイパーがブームだから探せば見つかるんじゃねえの?」
 隊を解散した直後から、東はスナイパーの育成に力を入れている。『最初の狙撃手』である彼の指導が直接受けられるとあって、狙撃手訓練室は希望者が殺到している。
 確かにそうなのだが。
「と、思うじゃん?」
 米屋がパックの野菜ジュースを指揮棒のように振ってみせた。
「何か問題があるのかよ」
 どや顔で、あるんだなと返す。
「もったいぶるなって」
「ウケるんだって。前の隊で一緒だった狙撃手の腕がすごすぎて秀次の狙撃手に求めるレベルがおかしい件。」
「は?」
 出水はしばし沈黙した。
「あーあーあー、それ?」
「それ」
「それかあ。ないわ、それはないわぁ」
 三輪は黙って、あんパンを食べるしかない。
 既に暦も来週には七月である。
 先だって、二宮隊、加古隊両隊とも晴れてランク戦デビューを果たした。両隊とも現在、いい成績も残している。
 今回、三輪は参加を見送った。ふたりでやろうぜと言う米屋に悪かったが、三輪は諾としなかった。二人で戦って勝つ道筋はやはり難しいと判断したからだ。部隊結成の申請もまだである。
 狙撃手に求めるレベルがおかしい件��であるが、それほどおかしいレベルを求めているとは三輪自身は思っていない。実戦で使えるレベルと考えると、最近入隊したばかりの新人では難しい。育てていく余裕は今の三輪にはない。実力をそろえておきたい。同じく狙撃手をチームに入れた二宮にも相談したら同意見だったが、二人とも感覚がおかしくなってるのだと言うのが、米屋の主張である。
 そんな話をした午後、三輪は米屋と本部にいた。五月からこちら、なるべく米屋と一緒に防衛任務にあたるようにしているが、近くで戦うほどに米屋の底知れなさを感じている。強いだけではない。彼は優れた戦術家だった。判断が早く的確で、しかも独断専行しない、必ず周りの状況に気を配る。連携がしやすいのだ。チーム戦にとって、この連携が重要だと三輪は考えている。エースはいらないというのが、三輪の結論だった。
 任務を終えてさらに、米屋はブースに行くという。個人戦の約束があるらしい。 三輪は米屋の個人戦を見学するか、ロビーで月見を待つかを迷っていたときであった。
 彼独特の軽い口調が三輪の名を呼んだ。
「よお、秀次」
「……」
 三輪はただ、沈黙で答えた。
 食う?と差し出された菓子袋は無視した。油菓子は嫌いである。遠慮なくと言いながら、米屋が手を突っ込んでいる。コミュ強者め。挨拶のように、対戦を申し込んでいるが残念ながらS級は個人戦はできないはずだ。ごめんなあというヌルい返事を聞く。早くこの場を立ち去りたい。
 迅悠一は、三輪が一方的に距離を置いている人物である。身も蓋もない言い方をすれば、敵であると言っていい。少なくとも三輪はそう思っている。
 彼の能力は未来を見晴るかす。神のサイコロを持つ男である。同時に、神を欺くいかさま師でもあった。なぜなら、覗き見た未来を自分の望む方角に寄せることができるのだから。
このチーターが一体どういう経緯で、ボーダーという民間組織に身を置いているのか、三輪は知らない。
 この男の何がいやなのか。まだ十五才の三輪には明確な理由をあげるのは難しい。立っている場所が違う。見ている方向が違う。同じ方向をみるつもりはない。三年前から、三輪は未来などいらないのだ。それをつゆほども気にせず、話しかけてくるのが腹立たしい。何者なのだ。何者のつもりなのだ。お前が正しいのか。この分け隔てなさも不気味なのだ。もう放っておいてくれと思う。一度は彼の選択した未来から外れた身の上なのだ。
「ああ、秀次」
 いつものふわふわとした口調で彼はついでのように付け加えた。
「いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ」
「行く」
「秀次、待てってば」
 本部ブースである。行くしかないだろう。前を行く三輪に、米屋がいささか呆れ気味でついてくる。元々の目的地でもある。そこには果たして米屋を待つ人物がいた。
「米屋ぁ、遅い」
「当真さん、ごめんよ」
 リーゼント頭の彼は当真勇という。入隊時期は米屋と一緒である。一つ年上の背の高い男だ。約束していたのは、この男らしい。
 三輪は黙って頭を下げた。
「ああ、東さんとこの坊主」
 一コしか違わないだろうと言いたいところをぐっと我慢する。彼はスナイパーである。彼を指導する東は冗談で『デューク』になれる逸材だと賞賛していたが、三輪にはその比喩はちょっとわからなかった。が、彼はスナイパー向きではないと密かに思っている。突出した才能とそれゆえにある自負が邪魔をして後方支援には向かない。
「早速、対戦しようぜ」
 ところが、当真は眉を下げた。
「それがなあ、米屋。ちょっと、予定が入ってな」
 えー、と米屋がぶうたれる。
「わりいな」
 真木ちゃんがさあと続ける。この男は最近結成された隊に入ったばかりだ。ボーダー上層部の思惑どおり、B級隊の結成ブームである。
「あのきつい感じのコねえ、当真さん、いっつも怒られてそう」
 米屋の軽口にそうなんだよと応えながら、こちらを見下ろした。
「お前ら、組んだのか」
「はい」
「登録まだだろ。部隊結成の届け出も出していないのかよ。二人だけでも出せるだろう?」「遠距離手が決まっていないので」
「ぼやぼやしてんな。俺んとこなんざ、俺とマキリサの二人だぜ」
 そうは言われても、スナイパーとオペレーターだけの構成で申請するのがおかしいのだが、三輪は何も言わなかった。自分も少し前までは同じような立場だったし、どのみち、彼は狙撃手でありながら、いわゆるエース向きという変わり者なのだ。
 当真は顎をかいた。
「んじゃ、ドタキャンのお詫びに俺の次にうまい狙撃手を紹介してやるよ」
 俺としても好都合だし、とつぶやく。米屋がちらりと三輪を見た。先程の迅との一方的な会話が嫌でも思い返された。
『ああ、秀次。いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ』
 未来視か。
 なんのつもりだ。いや、なんのつもりもないのだろう。ただの気まぐれだ。
 そういうわけで三輪は不機嫌である。
 出来ることなら断りたかったが、当真が純粋な好意から申し出ているのもわかっている。もしかしたら、迅が関与していない可能性もなきにもあらずだ。
 当真とともに訪れた狙撃手訓練室にはイケメンがいた。
「おおい、���良坂ぁ」
 合同訓練、個別訓練ともすでに終わったらしく、閑散としている。見学席でノートに何かを書きとめていたイケメンは、ちらりとこちらを見たあと、ふいっと顔を背けた。無視か。
「おうおう、無視すんなよ」
 慣れているらしい。当真は気にせず、彼の横に腰を下ろす。ノートをちらりと見て、真面目だねえと言えば、イケメンはさっと鞄にしまった。
「どお、こいつ、お買い得だぜ」
「は? お買い得ってなんですか? 当真さん」
 随分とんがったイケメンである。
「こいつら、スナイパーを探している米屋と三輪。一コ下だからお前とタメだろう? 一緒に隊を組んでやったらどうだ?」
 簡潔かつド直球な物言いに、こんな時であったが、三輪は当真をかなり見直した。三輪にはできない。出来なくともやれ、そして隊員を見つけてきなさいと月見に言われている。イケメンはじろりとこちらを見た。塩対応をものともせずに、当真はニヤリと笑って、長い脚を組んだ。強者の貫禄だ。
「奈良坂、お前、俺と戦いたいんだろう? 隊に入れよ。俺、すぐにA級にのぼっちまうぜ」
「当真さんの紹介なんてごめんだ」
 俺は真木ちゃんと約束があるから、あとはお若い三人でと当真が消えたあと、イケメンはそう言い放った。とりつくしまもない。
「そう言われても、俺は何も悪くないんだが」
 しかし、三輪はひるまなかった。元々、迅のせいで機嫌が悪いのだ。
「まあまあ、秀次」
 米屋はさすがのニュートラル平常運転だ。
「俺、知っているぜ。今シーズンの新人王」
「まあ、一応」
 ぼそりとイケメンは答えた。
 新人王とは新入隊員でそのシーズンに一番ソロポイントを上げた隊員のことである。
三輪は目を見開いた。フリーでポイントをそこまであげるのはから相当なことだ。
「なんだよ」
 イケメンも機嫌が悪い。
「さっき、当真さんの言った通りだ。フリーと聞いたが、隊を組む気はあるのか?」
「お前らが強ければね」
 三輪はそうかと頷く。
 そうでした。ああ、そうでした。スナイパー、超めんどくさかった。前隊にいた頃、訓練で東に二宮、加古と三人で仕掛けたときを思い出す。
 対戦ブースでのイケメンとの模擬戦の最中である。ここのところ、米屋と手合わせすることが多く、スナイパーとの対戦は久しぶりだった。
「わりぃ、秀次」
 そういいながら消えていく相方を見送る途中で、三輪もヘッドショットを受けた。  結果、2ー8である。三輪にしてみれば惨敗だ。イケメンは強いイケメンだった。
 三輪をおとりにして、米屋が突っ込んだのが成功したが、一回のみ。
 斜線を切りまくって、近づいて倒したのが一回。
 とにかくイケメンの場所がわからない。気がついたときは撃たれている。しかも、予想した場所よりかなり遠くから。
「弱いね」
 フロアに出てきた彼は涼しい顔である。三輪はソファにめり込んでいた。悔しいのだ。米屋との連携もほぼ完成したつもりだったが、まだ甘さがあった。
「これで諦めてくれる?」
「いやだ」
「は? 弱いだろ」
「いや、もう一回十本やったら勝つ」
「どこからそういう自信…」
「事実に基づいた推測だ。やってみればわかる」
「やらない」
「大体、俺が弱いは関係ないだろう。俺はチームの強さの話をしている。弱いなら、お前が入ればいいだけの話だ」
「いつからそんな話になった」
「筋は通ってる。元々、俺は近距離だけでは勝てないから遠距離を探している」
「だったら、探せよ」
「当真さんからお前を紹介された」
「俺は頼んだ覚えはない」
「どっかのチームに入るんだろ? そんだけの腕を持ってたらどこでもいいだろ」
「へりくつだ」
「選ぶな」
「俺の勝手だろう」
「とにかく、もう一回対戦するぞ、お前、ええと」
 イケメンと呼ぶのは、流石にはばかられた。
「覚えてないのによく誘うな」
「俺の名前だって覚えてないだろう?」
「三輪だろ。東隊の。大体、普通、対戦ボードみるだろ?」
 果てしなく続くと思われた争いに終止符を打ったのは米屋ではなかった。米屋はずっとニヤニヤ眺めていたのだ。
「こらこら、こんな場所で喧嘩するんじゃない」
「してません」
「してない」
 二人が振り向いた先にいた人物を認識して、二人は固まる。そこにいたのは、東春秋であった。
 二人を前に、東はニコニコしている。
 なぜここに。いや、それよりも笑顔が三割増しである。おそらく、おそらくだが、自分に喧嘩できる相手がいてよかったと思っている。それがわかって、三輪は赤面して下を向いた。
「失礼しました」
 ぼそりとそれだけつぶやくと、奈良坂はぷいっと顔を背けた。彼も東に師事しているはずだ。
「…東さんがまた新しく隊を作ると聞いたんですが」
「ああ」
 イケメンをちらりと見る。
「その、新しい部隊に俺を入れてもらえませんか」
 三輪は感心する。胆力がある。言い出すタイミングもいい。間違えていない。スナイパー向きだ。
 一方、奈良坂はダメで元々の大勝負だった。東のもとでもっと技術を磨きたい。隊を結成すれば、それにかかりきりになる。彼は当真とは真逆の勤勉な狙撃手だった。
「すまんが、無理だな」
 いきなりの申し出だったが、東はよどみなく応えた。
「俺がスナイパーをするからな」
 奈良坂は諦めなかった。
「二人スナイパー構成はどうでしょうか?」
 三輪が���をあげた。
「それ、面白いな」
「お前に聞いてないよ」
 カチンときて、ギロリとにらんだが、あまり気にしていないようだ。
 にっこり笑った東は二人の頭をなでた。俺もう高校生ですが、と言いたかったが、口に出せない。
「今度、三人で遊びにおいで」
 そのまま、ふらりと行ってしまう。三人は東の背中を見送った。
「遊びにこいって、どこに?」
 米屋の問いに三輪が答えた。
「作戦室かな? 多分、新しく作戦室を申請するんだと思う」
「いいな、作戦室あこがれねえ?」
 米屋が奈良坂に屈託なく話しかけた。
「なあ、奈良坂。一緒にやろうぜ、とりあえずでいいからさ。作戦室いいじゃん」
 秀次が狙撃手を入れないと隊の申請しないって聞かないんだぜと続ける。 そのためか。奈良坂は唐突にバカバカしくなった。
「お前らとは合わないよ」
「俺はあまり相性とか気にしないぜ」
 戦えれば、と米屋。三輪も腕を組んだまま、頷く。
「問題ない。安心しろ。俺もそういうのは考えたことはない」
 奈良坂はため息をついた。
「…他に行きたいとこができたらやめるけど」
「かまわない」
「…ほんと、それまでだからな」
「とりま、作戦室ゲットしようぜ」
【4】に続く
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jaguarmen99 · 2 years ago
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565 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 03:19:49 ID:R0.cy.L1 [2/4]後日、警察から呼び出しを食らった。何かの間違いかと思ったが拒否するのも怖いので応じた所、私がある女性から窃盗した疑いがかかっている��いう。救助した女性の容態が回復し、荷物を確認した所、財布から現金が失われ一緒に入っていた高価なアクセサリーも紛失していたという。何故か荷物を持っていた私が怪しい、バックの中身を確認し探っていた、あの女がどさくさ紛れに盗んだんじゃないかって女性の友人(恐らくあのパニクってた連れの子)の証言があるらしかった。もちろん盗んでなんかいないしそんな暇も無い、手荷物を救急車の隊員に渡したのは確かに自分だが、本当に渡しただけだし横倒れになっていたから落ちてるものが無いかもしかしたらパッと中を覗いてしまったかもしれない、でもどさくさ紛れに盗む様な事はしていないしそんな暇もまったく無かった。と言った。その日は帰れたけど、結構な大金を持っていたらしく、それから何度も警察に呼び出されたし、実質取り調べも厳しくまた相手がこちらの仕事の事など考慮してくれる訳も無く、急遽仕事に穴を開ける事にもなり、上司から呼び出され事情を聞かれ、正直に話さざるを得なかった。結局、窃盗疑惑の方は証拠不十分で終わったが、善意を否定された上に悪意で返された事はとてもショックで辛かった。また、職場は無罪放免とはいかなかった。金銭を扱う業務なので信用問題だと、疑いがある時点で今の業務にそのまま就かせる訳にはいかないと、また名指しでクレームも入っているとも言われた。どこで私の職業まで知ったかしらないけど、女性が私に対し職場にまで通報していた。私は、遠方の縁もない田舎の支店に左遷されるか、畑違いの別部署で一からやり直す事を選ばされ、その時点で職場の方にもある事ない事噂が立っていて針のむしろ状態になっていた事もあり、泣く泣く退職する羽目になった。ショックで心身が弱っていた事もあり再就職活動にも身が入らず、同業他社は無理で前職の年収の半分も無い様な待遇の仕事も落とされる日々。それまでは私の事を支えてくれていた夫も、共働き前提で家のローン等も組んでいた事もあり負担が増えたせいで辛く当たられる様になった。夫は夫で仕事で上司と上手くいっておらずストレス過大で、「俺が辛い中で頑張っているのにお前が何をやっているんだ!」と八つ当たりで責められる様にもなった。当時の夫からしてみれば、子供もまだおらず無職な上に心身不調で(後にうつ病と診断された)家事もロクに出来ない私を抱えて食わせている状況。まさに寄生虫を飼っている様な感覚だったのだろう。私自身もそういう人間を嫌っていたのに、自分がそうなってしまった負い目もあって、辛くて辛くて結局離婚になってしまった。566 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 03:20:44 ID:R0.cy.L1 [3/4]今も精神状態は安定せず、実家に戻って非正規で働いては体調悪化で数ヶ月ほどで辞めて、を繰り返している。人助けをした所で、相手が問題無い人間とは限らない。私は最悪のケースにあたってしまったけど、仮に宝くじに当たるレベルの確率だとして当たりは無いのに外れたら人生が崩壊するリスクがあるクジを買いたがる人間なんているのだろうか?と思う。家庭や守るべき社会的な立場があるちゃんとした人ほど、壊れた時に自分まで壊れるのを恐れて、何も出来なくなるだろう。私だってこういうリスクがある事が頭に少しでもあったら、あの女性に駆け寄って助けるなんて出来なかっただろう。人助けにはリスクがある。私はそのリスクで人生が完全に壊れてしまった。それでも困っている人がいれば助けたい人は勝手にすれば良いが、それを他人にまで押し付けるのは間違っていると思う。誰が他人の人生の責任を取ってくれるのか?少なくともあなたでは無いだろう。567 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 04:59:05 ID:F2.rk.L1>>565災難という言葉で片付けるにはあまりにもひどいですねその2人組は、実は、なんかクスリやってたとか?他にも関わった人がいたのに565だけロックオンされたのもひどいってゆうか、警察は勝手に個人情報教えたってこと?制服か何かで会社がバレたとか?全人類ボディカメラ付けないとおちおち生活も出来ない…私も倒れてる人(たぶん熱中症)がいて救急車呼んだ経験有るけど、それまで無視してた通行人が最終的に人だかりになって、そのうちの一人が仕切りだして、勝手にその人の携帯をポケットから取り出して(動けないけど本人意識はある)救急車も到着してないのに家族に電話したりやりたい放題やってた救急車きてからも、仕切り屋が救急隊員にあーだこーだ説明してたのでそっと逃げた568 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 06:29:09 ID:0e.jt.L1>>564どこから見ても一番アヤシイのは連れの女だよね機会が一番あったのもそいつ、倒れた人の私物を隠す機会が一番あったのもそいつだけ564は救急車が来るまで常に誰かがいたわけじゃん、リーマンさんもさそもそも盗難事件なら、バッグの指紋は中まで調べられてるでしょ周辺のカメラも調べて564・リーマン以外に人がいなかったか調べるよね警察がおかしいのか、その女周辺の事情がおかしいのか、巻き込まれた564は災難だったね569 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 07:55:39 ID:ox.8w.L6>>566物凄くお気の毒としか言いようの無い話ただ、このスレの話の流れはもっぱら「人助けするかしないかは自由」「人助けしない人に人助けを押し付けるのも、人助けする人に人助けするなと言うのも余計なお世話」であって、人助けを他人に押し付けてる意見は一つもないよちょっと落ち着こう人助けの結果とんでもない酷い目に遭って、こういう話題では冷静になれない気持ちも分かるけど571 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 11:48:00 ID:5l.fp.L1>>564のようなことがあるかもしれないから自分から進んで救命行為は出来ないなやるとしたら身内だけだね573 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/03/30(木) 12:39:28 ID:R0.cy.L1>>571自分も本当にそうすべきだったと後悔しています。他人に対し咄嗟とは言え命の関わる事に勝手に関わるべきでは無かった。数年前まで、仕事もそれなりに順調で、優しく働き者の夫もいて、幸せな家庭を築いていけると信じていた。今では、バイトすらロクにこなせずに精神の方からくる体調不良で迷惑をかけて辞めて年齢もあってバイトもそろそろ決まるのが難しくなって、昼間から横になっているしかない。何で自分がこんな目に、という思いもあって再起に力が入らないのかもしれない。>>567、>>568詳しい事情は分かりませんが、助けた女性は一度もお礼にも来ませんでした。(当然ですしお礼求めてた訳でもありませんが)今では、盗難がそもそもあったのかとすら疑っています。財布のお金も高額アクセサリーも、元から存在していたのか…友人とやらが関わっているのか。様子からして急に疾患の発作で倒れたのは全く疑っていませんが、これ幸いと思う様な異常な人だったのが災難でした。見た目は普通の人なので、周りにもそういう人がもしいるのかと思うと、不安神経症にもなっています。>>569最近話題になっていたAEDの件でちょっとフラッシュバック的になっていました、すみません。AEDでは主に男女間の問題でしたが、それ以外でも、例え同性同士でも相手がおかしいとこういう事が起こってしまった。同性でも気軽に助けてなんてのも言えないと思う。ましてや男女間だと、触った触られた、セクシャルな問題まであるし、私みたいに一応無罪放免と簡単にもいかないのは分かる。助けない人間は臆病だとか最低、差別的という意見も別で見たニュースでは目についた。当たりは無く外れたら人生が崩壊する抽選に参加しないのが臆病なら、どうぞそれで良いと思う。私は臆病で薄情な最低の人間でも良いから普通の人生を送りたかったよ。
続・妄想的日常
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