#はなまっぷ2022
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camomile358 · 2 years ago
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2023.2.18 土曜日 新年初投稿です💦 まだ寒いけれど〜 気分だけでも明るい色で❣️ 今年から仕事の内容は 変わらないけれど 職場が変わり〜やっと 慣れてきました✨ 実は以前いた職場で。 昔の知り合いもまだいて 久々の再会も嬉しかったり。 偶然(必然❓)の 野良にゃんずの出会いもあり 嬉しい環境にワクワクしてます。 のんびり投稿していきます🎶 #紅葉 #2022紅葉 #紅葉2022 #はなまっぷ紅葉  #相模原公園 #朱色 (相模原麻溝公園) https://www.instagram.com/p/CozZXm8B79L/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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soumiluna · 2 years ago
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誇らしく #ダリア #2022 #team_jp_flower #はなまっぷ #wp_flower  #私の花の写真 location #世羅高原農場 #儚くて何処か愛おしい様な  #誰かの記憶に残る写真  #何気ない瞬間を残したい #この世界はイロドリで満ちている #キリトリセカイ #24色のパレット  #フィルムの灯を絶やさない #幸せフィルム #誰かの記憶の片隅に #フィルム #film #フィルムカメラ #filmcamera #フィルム写真 #filmphotography #フィルム部 #フィルムに恋してる #フィルム写真普及委員会 #生活とフィルム #hibi_jp #日々フィルム #アオイカメラ #アオプリ https://www.instagram.com/p/Cn9sWOLPaSJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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koch-snowflake-blog · 1 month ago
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天羽 希純は、日本のアイドル、タレント、アーティスト、モデル、女優、グラビアアイドル。東京都江戸川区出身。ゼロイチファミリア所属。 本名、小松 希純。愛称は「きすみん」「きっちゅー」。ファンの総称は「ちゅー魔」。 ウィキペディア
生まれ: 1996年8月12日 (年齢 28歳), 東京都
本名: 小松希純
身長: 164 cm
テレビ番組: アイドルゾーン20時
カップサイズ: G
スリーサイズ: 84 - 58 - 84 cm
家族構成は両親、弟2人(3歳下と8歳下)の5人家族。
2020年4月の時点で「バブ」「ぷり」「ポン」という3匹の猫を飼っている。
好きな食べ物は栗きんとん。苦手な食べ物は野菜。健康管理、体調管理、体型管理にはとても気を遣っているとのこと。
趣味はクラシック鑑賞、温泉・銭湯巡り、御朱印集め。神社も好き。特技はピアノ、トロンボーン、水泳。
将来の夢は女優になること、武��館ライブをすることを挙げている。数々のアイドルグループを経験しており、「普通に生きてちゃ目立てない」を座右の銘としている。
「希純(きすみ)」という名前は、氷室京介ファンの父によって、氷室の曲「KISS ME」から名付けられた。
母親の影響を受けてか看護学生時代あり。
八百屋、居酒屋、東京ドームシティでアルバイトをした経験がある。
アーマーガールズとしてデビューする前に、乃木坂46の2期生オーディションを受けて落ちた経歴がある。その乃木坂46のブログはブックマークに入れてしょっちゅう見ているほどで、いつか共演して必ず追い抜いてみせるという野望を抱いている。
『週刊プレイボーイ』(集英社)開催「適乳(てきちち)」番付には選ばれていないものの、自分こそがという思いで「適乳」をグラビアアイドルとしての売りにしている。2022年まではスリーサイズを前述のように公表していたが、2023年現在では身長以外を非公表にしている代わりにバストはGカップと公表している。
実年齢よりも幼く見え、『cream』の常連モデルを務める。自身では「高校3年生の受験シーズンの感じ」と例えている。
所属する#2i2の最年長メンバー。チームへの思い入れや責任感が強く、#2i2をより有名にしたいとの思いがモチベーションになっている。
本人は自分が不在の間#2i2のメンバーに支えてもらった事をとても感謝しており、そのメンバーの気持ちに応えるため頑張り続けたいとのこと。チーム愛も人一倍強い。
家族想い、メンバー想い、動物想いである。動物愛好家であり、2023年6月時点で3匹の猫と4匹の犬を飼っている。
人柄は明るく、謙虚さを兼ね備えている。TIF2023PR大使決定戦総合ポイントランキング1位になった際も、本人の実力ではなくファンのお陰だからとのコメントを添えている。イベントでは周囲から「神対応」と称されており、ファンとの触れ合いを大事にしている。これは学生時代交流が下手くそで、煙たがれた経験から、好きって言ってくれる人にはできるだけ感謝を伝え、1回でもドキッとして帰ってもらいたい、思い出の爪痕を残したい考えからの行動である。
2023年9月2日、国指定の難病である潰瘍性大腸炎に罹患していることを、自身のSNS投稿で公表した。
2024年10月10日夜にバイクとの接触事故に遭い、頭部を縫う怪我を負ったことをグループ公式サイトが発表した。
2024年10月28日、ヒカルチャンネルのお泊まりシリーズに初出演。
  
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moroboshi5dan · 1 year ago
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もはやテレビで見ない日はないレベル! 今日本の女性タレントでNo.1の売れっ子と言っていい王林! 2023年 11月にはソロCDデビューも決定し活動拡大中! SNSでナイスバディぶりが垣間見えつつ、過去雑誌の水着グラビアは皆無。今一番グラビア/写真集を期待される存在であろう彼女が、満を持してのファースト写真集リリース! 撮影は女性写真集界のナンバー1売れっ子カメラマン・中村和孝。ロケ地はタイのサムイ島。彼女らしいカラフルなトーンのもとで、惜しみなく水着ショットもたっぷり披露! あなたは令和の奇跡の目撃者になる!
〈プロフィール〉
1998年4月8日生まれ 青森県出身 身長170cm
2013年、青森を中心に活動するアイドルグループ“りんご娘”の一員として活動開始。2019年からバラエティーに進出し、津軽弁の純朴さと、抜群のトーク力で一気にブレイク。2022年3月にりんご娘を卒業。今でも青森在住で東京と往復しながら、バラエティー番組を中心に活躍。2023年11月ソロアーティストデビューも決定!
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chuck-snowbug · 4 months ago
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カメさん付きの日本酒二種飲み比べ(志太泉 にゃんかっぷ & 風の森 山田錦 357 真中採り Kaze no Mori WEEKS 2024) 、真鯛の炊き込みご飯弁当("TANOJI")、浸し豆、梨。
撮影時には気づかなかったのですが、ご飯の重箱の向きが逆になっています(梱包されていた通りにそのまま並べた)。一口食べてから、あれ?、となった!!
Two Kinds of Japanese Sake(Shidaizumi & Kazenomori) feat. Kame-San & Kabukiza Bento - September 10, 2024.
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kennak · 2 months ago
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犯罪の巣窟となっているフィリピンのPOGO このバオフという施設は、POGO(Philippine Offshore Gaming Operator)と呼ばれるものだった。海外向けにオンラインカジノを提供する業者だ。多くの国で、賭博はカジノなどの許可を得た施設以外では禁止をされているが、賭博をしたいニーズはある。そこで、オンラインで賭博を提供するというのがPOGOだ。最も多く利用されているのが中国で、中国ではマカオなどを除いて賭博が禁止をされているため、手軽にスマートフォンから楽しめるオンラインカジノの人気が高まっている。もちろん、中国人が海外のオンラインカジノを利用することは違法行為にあたる。 オンラインカジノだけであればまだしも、そこにはマネーロンダリングから始まり、ロマンス詐欺、仮想通貨詐欺、投資詐欺、麻薬取引、人身売買、誘拐、売春、殺人と、ありとあらゆる犯罪がついてくる。 フィリピン政府はこのような海外カジノ業者による犯罪に頭を悩ませたが、彼らが得ている経済的利益は魅力的なものだった。そこで、フィリピン政府は2016年にこのようなカジノ業者を公認し、法人税を徴収することにした。フィリピン娯楽賭博公社(Philippine Amusement and Gaming Corporation、PAGCOR)を設立し、一定の審査の元、カジノ業者をPOGOと認定し、オフショアオンラインカジノの運営を認めた。 各国から批判を浴びるオンラインカジノ施設POGO しかし、POGOはフィリピン人は利用することができず、外国人だけが海外からオンラインで利用することができる。外国、特に利用者の多い中国にしてみれば迷惑な話で、中国政府は何度となく、フィリピン政府に対してPOGOを禁止するように求めている。その結果、マルコス大統領は2024年末までにPOGOを廃止する宣言をした。 バオフもこのようなPOGOのひとつで、約8万平方mの敷地(サッカー場9つ分)の敷地に14の建物とスーパー、レストランがある。家宅捜索を受けた時、678人が働いていて、内訳はフィリピン人383人、中国人218人、ベトナム人55人、マレーシア人16人などで、その他、ルワンダ、インドネシア、キルギスタンなどの国籍の者もいた。 オーナーは黄志楊という中国人で、2019年にバオフを設立し、許可を取り、POGOの運営を始めた。しかし、仮想通貨詐欺が発覚をし、2023年2月にPOGOの資格が剥奪をされた。それでも、黄志楊はPOGOとしての運営を続けていた。つまり、バオフは違法POGOだった。 違法POGOの運営に市長が関与していた この違法POGOにマレーシア人のディランが監禁をされ、ディランは携帯電話を手に入れ、マレーシア大使館に助けを求めた。この時、暴行の後が残る自分の写真も送ったために、マレーシア大使館はすぐに大統領府反組織犯罪委員会(Presidential Anti-Organized Crime Commission、PAOCC)に通報をした。PAOCCもマレーシア大使館からの通報であるため、すぐにバオフに対して家宅捜索を行い、違法POGOの摘発を行った。 ところが、その捜査の過程で、意外な事実が明らかになった。このバオフの建物の多くは、バオフがあるバンバン市の市長が維持費を支払っていたのだ。バンバン市の市長はアリス・グオというフィリピン人で、市長に立候補するまでは、このバオフの株を50%所有していたこともわかった。立候補する時に、すべての株式をあるフィリピン人に売却したことになっていたが、そのフィリピン人は、自分が株式を譲渡されたことを知らなかった。つまり、株式譲渡は偽装であって、この違法POGOであるバオフの実質的なオーナーはバンバン市長ではないかという疑いが出てきたのだ。 ▲バンバン市議会で答弁するアリス・グオ市長。いつもにこやかで、市民からの支持は高かった。 ▲バンバン市の公式サイトには、アリス・グオ市長の写真とメッセージが掲げられている。バービー好きのアリス・グオ市長は、ピンクをアイデンティティカラーに使っていた。 市民から人気の高かったアリス・グオ市長 意外なことに、2022年6月に就任したアリス・グオ市長は、市民からの人気が高かった。前市長は既得権益にどっぷりと浸かった人であり、バンバン市にはたまに顔を出す程度で、自分はマニラ市の快適なマンションで暮らしていた。人口わずか8万人で、農業中心で、道路は穴ボコだらけ、停電が日常的というバンバン市は発展から取り残されていた。 しかし、そこに若くてチャーミングな女性市長候補が颯爽と登場した。アリス・グオは養豚業で成功し、12の企業を所有しているやり手のビジネスウーマンだった。市長に就任すると、さっそくセブンイレブンとマクドナルド、フィリピン最大のファストフード「ジョリビー」を誘致して持ってきた。 アリス・グオ市長はバンバン市に常駐し、健康センターを設立し、道路を修繕し、犬と猫にはワクチンを接種した。交通ストライキが起きると、市民のために無料のライドシェアサービスを提供した。結婚式や葬儀、イベントがあると、現場に現れて、テントと椅子を無償で貸与した。高齢者の誕生日には、必ずバースデーケーキを贈る。 バービーが大好きで、いつもピンクの服を着ている。決して美人ではないものの、親しみのある笑顔で人に接し、「最近太ってしまって」とお腹の肉をつまむ。市民は誰もが、そんなアリス・グオ市長が大好きだった。 ところが、この市長が、裏世界とも言えるPOGOにどっぷりと絡んでいたのだ。市民は大きなショックを受けた。 ▲市長時代の郭華萍。親しみやすい笑顔で、市民との距離が近い、人気の市長だった。 ▲アリス・グオ市長は、親しみやすい笑顔と行き届いた市民サービスで、市民からの人気は高かった。 ▲POGOとの関係で、警察で取り調べを受けるために同行を求められたアリス・グオ市長。この時は、大きな問題ではないと楽観をしていた。警察も、相手が市長であるため、丁重に扱った。 公聴会で発覚した市長の「身分」 PAOCCの捜査が終わると、アリス・グオ市長はフィリピン政府が行う公聴会に召喚された。市長と違法POGOの関係を追求することが目的だ。 それでも、市民は大好きなアリス・グオ市長を応援した。SNSでは、市民からの「アリスを信じている」「アリスが帰ってくるのを待っている」というメッセージで溢れ返った。 しかし、その市民の期待は裏切られることになる。公聴会で、アリス・グオ市長は実はアリス・グオではなく、まったく別人の中国人であることまでが発覚をしたからだ。 フィリピン国家調査局が、アリス・グオの身分照合をしてみると、アリス・グオというフィリピン人は実在したが、顔がまったく違う。しかも、この本物のアリス・グオは所在がわからなくなっていた。 では、市長はいったい誰なのか。フィリピン国家調査局は指紋から照合をして、中国籍の郭華萍(グオ・ホワピン)であることを突き止めた。中国人がフィリピンの市長になることはできない。 ▲公聴会に出席する郭華萍。ここで郭華萍の身分が虚偽のものであることが明らかになっている。郭華萍は残りの公聴会を無断欠席して海外に逃亡し、インドネシアで拘束された。 借金でフィリピンに逃れた郭一家 アリス・グオ市長は、公聴会では、あくまでもフィリピン人のアリス・グオであると言い張ったが、議員たちの追及に矛盾のある回答を重ね、もはや中国人の郭華萍であることは明らかだった。 この問題は、フィリピンや中国のメディアも取り上げることになり、調査報道により、郭華萍の生い立ちが次第に明らかになっていった。 郭華萍は1990年8月31日に、福建省晋江市に生まれた。父親は地元で養豚業や服飾工場、刺繍工場、飲食店を経営する人で、裕福な家庭だった。弟と妹が生まれ、絵に描いたような幸せな一家だった。しかし、90年代後半になると、父親の事業が思わしくなくなり、多額の借金を背負うことになってしまった。 母親は、借金から逃れるために、フィリピンのホワフェイ刺繍センターに7.5万ドルの投資をした。フィリピンに投資をすると、特別投資居住ビザが取得できるからだ。母親は3人の子どもをつれて、フィリピンに移住をした。 中学生になっていた郭華萍は、フィリピンの中国語学校に通うことになった。しかし、中国籍のままでは、フィリピン政府のパスポートを取得することはできない。中国のパスポートを取得するには中国に戻らなければならない。しかし、パスポートがないので中国に行くこともできない。 そこで、多くの海外在住の中国人がするように、業者から戸籍を買って、フィリピン政府のパスポートを取得した。この時、買ったのがアリス・リアル・グオのもので、以降、郭華萍はフィリピン人のアリス・グオとして生きていくことになった。
市長はフィリピン人ではなく中国人だった。身分詐称の市長は中国のスパイだったのか? - 中華IT最新事情
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monogusadictionary · 1 year ago
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矢も盾もたまらず描いたという反戦マンガに「病気のおばあちゃんが手術をして命について考えてた」「国家ってそんなに大事?」みたいなことが書いてあって、「2022年2月24日からの世界を見てきて今もその感想なの辛い。君のおばあちゃんがサクッと手術受けられるのは現代日本国家があるからですが…
国家をきちんと幻想として解体し、人が生きていく上でその支えなくしてもやっていけるような体制を作るために邁進している人間がそれをいうなら含蓄もあるが、倫理観とか人生設計とかを大きな政府、高福祉国家にどっぷり依存して疑問にも思っていなさそうな人間が言う「国家って大事?」はもう害悪
その上ここのところのガザの悲劇は、国家をなくした民族があまりにも悲惨な目に遭った歴史が重く効いている部分が多い話なので、それはもう侮辱だから君は少し黙ったほうが良い、という気持ちにしかならなかった。自分が止めたいと思う戦闘についてぐらい、なんかちょっと調べるとかないのんか…
https://x.com/_0ranssi_/status/1740974619820240982?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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39lucy · 3 months ago
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うどんの男の話
昨年15年ぶりに再会した年上のお姉さんと先日、私の友人の店にご飯を食べに行った。
そこで年内の旅程の話をした際に、実家に帰ってそこから家族旅行というスケジュールを聞いた。あれ?実家ってどこだっけ?と聞くと高松、香川だよという答え。
瀬戸芸行ったことある?なんてそのまま話していると店主がちょっと良い!?香川の人に聞きたい事がある!とカットインしてきた。
うどんの話である
うどん県とも名乗る香川県民は実はうどんの発祥地であると発する博多のやわうどんをどう思っているのか、福岡ローカルのチェーン、話題の資さんなどの感想を聞いていくと1人の男の名前が出た。
福岡、山口に住みローカル番組を観る人ならうどんと男でピンと来ると思う。
岡澤アキラ
他県の人は知らないと思うが福岡ローカルタレントなのだが、この男只者ではない。
実は2014年より元モーニング娘。の中澤裕子氏は結婚を機に福岡へ移住、そこから、めんたいワイド、ももち浜ストア、サンデーウォッチと福岡ローカルの看板番組へ次々とレギュラー出演、かよ姐こと山本華世がテレビから離れた今、実質博多の女帝になっているのだ。
その中澤裕子氏をもってしても、好感度そして認知度でどうしても勝てないと言わせている男が、この岡澤アキラなのである。澤対決。
ここで岡澤アキラ氏について軽く説明する。Wikipediaから。
1993年、福岡県太宰府市生まれの31歳
高一の時に担任の勧めで定期券を使用できる範囲でモデル事務所を探し所属する
中澤裕子の福岡進出から遅れる事2年、2016年からももち浜ストアでとあるコーナーを担当する
同年、博多銘菓「博多の女」CMに出演
2019年にはTNCの柔道、バレー双方の世界大会応援アンバサダーに就任
2020年にはTNCのイメージキャラクターに抜擢されその年の12月には嘉麻警察署の1日署長も務める
2022年にはももち浜ストアにて結婚を発表
太宰府市生まれ、定期券の範囲からあまりに隙のない経歴
1日署長を務めた嘉麻市は福岡の筑豊という地区にあるのだが、他県の皆様には筑豊ナンバーと検索をしてみてほしい
候補には、やばい、気をつけろ、お断り等穏やかではない、福岡が修羅の国と呼ばれる一端を担う地区である(福岡は市内からだいたい修羅の国だが)
そんな地区の1日署長に選ばれている
この隙のない岡澤アキラ氏が担当するのが「うどんMAP」なのである
うどんMAPは最初水曜のみであったが、その後うどんMAPサタデーと拡大、またコーナーを有する番組のMCも務めている
即ち、視聴者からも番組内からもそして局からも信頼され好感度の高いこの岡澤アキラ氏について香川県出身のお姉さんは気に触るところがあるらしい
詳細は割愛するが、香川県民はあんなのは許さないと思う、アキラは香川ではうどん番組なんて持てない!そうお姉さんは息巻く
やはりうどん県を名乗る県民はうどんに厳しい
アキラはうどん県ではやっていけないのか、私は知る限りのうどんMAPでのアキラの動き、振る舞いを思い返した
うどんMAPはおすすめされたうどん屋に行き、新たにおすすめされたうどん屋に行く、移動は徒歩もしくは交通機関のみだったはず
しかも1日に数軒行くのだが、アキラは決して弱音を吐かない
すでに出向いたうどん屋は1615軒、7年間文句も言わずにうどんを啜る
箸上げし、ぷるぷる揺らし、デカい文字を配置した投稿を繰り返すグルメ系インスタグラマーなど足元にも及ばない気概である
身長186cmという体躯と持ち前の明るさと爽やかさで、長い移動も良い運動になりますね!などと話しながら歩く
トレードマークの赤いパーカーと長身、嫌味のないイケメンぽさのある顔立ちで老若男女に人気で、移動中によく声をかけられている
私達姉弟の働いていたうどん屋にも数回来ており、50になる大将もアキラの虜だ
そんなアキラである、もし仮に香川県のうどんに関する番組に出たとしよう
お姉さんの言う通り、香川県民に最初は拒否されるかもしれない、なにがうどんMAPだ、発祥地?うどん体操だと?そんな声があがるかもしれない
しかし私にはわかる、アキラは香川県民も飲み込む
アキラはきっと苦情について素直に受け取り改善する、そしてきっとこう言う
「うどん県の��なさん、僕にうどんについて教えてください」
屈託のない笑顔を添えて
アキラのウィークポイントは魅了への序章に過ぎない
きっと香川県民は少しづつ変わっていく、本当のうどんをアキラに教えてやろう、街でみかけたら本場のうどんはどうだ?と声をかけてやろう、蛇口から出る出汁を見たらどう思うかな、いつも行ってるあの店にはもうアキラは来たかな、朝しか開いていないあのうどん屋にもアキラに行って欲しい…
知らぬ間にもしアキラにうどん屋で会ったら…とシュミレーションし始める、アキラの虜である
そう話すとお姉さんの顔はみるみる曇っていき、それは、、そうなる気がする、、分かる
と小さな声で話した
私はアキラにはこれだけの力があるので、変な気など起こさずにうどんを啜り続けて欲しいと思っているし、あまりの好感度にちょっと怖いなとも思っている
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myonbl · 6 months ago
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2024年7月14日(日)
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AppleWatch のバンドがずいぶん汚れてきたのでスペアを注文、昨晩届いたので朝一番で付け替えた。これまで使ってきたのは<アルパインループ>というハードな場面に対応するものだが、新しいものは<スポーツループ>という軽くて通気性が良いというもの、爽やかな色が結構気に入っている。このWatch、入浴時以外はずっと付けているからそれだけ汚れも激しいのである。古いものは浸け置き洗いしておいて、秋になったらまた入れ替えよう。
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4時45分起床、日誌書く。
5時30分、シャワー浴びる。
ツレアイも起床、朝のルーティン。
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今朝はうどん、ネギと茗荷をたっぷりとトッピング。
珈琲。
洗濯物干す。
AppleWatchのバンドを入替え、ついでにこれまでの経緯を調べてみた。
私が最初にAppleWatchを手にしたのは、2017年12月24日のこと、この時はSeries1だった。そして、2019年2月1日にSeries4を手にし、Series1についてはメルカリに出品し、わずか7秒で落札されたのだった。2019年12月16日にはSeries5、2020年9月24日にはSEを、2021年4月3日にはSeires6、2022年5月16日にSeries7、そして現在使用中のUltraを手にしたのは2023年1月14日となっている。ほんまに新しモノ好きであることは間違いない。とは言え、来年からの経済状況に鑑み、これからは大事に長く使っていくことをここに宣言しておこう。
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ランチは、冷やしきつねうどん。
録画番組視聴、らくごのお時間から
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ツレアイはあちこち買物、私は午睡。
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コレモ七条店で買物、20%引きなら買わねばなるまい。
鶏もも肉・厚揚げ・コンニャクの炊き合わせ仕込む。
ツレアイは夕飯前にココに点滴。
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夕飯、食材消費に必死のメニュー。
録画番組視聴、日本の話芸から
桂塩鯛 落語「住吉駕籠」
初回放送日:2024年7月14日 桂塩鯛さんの落語「住吉駕籠(すみよしかご)」をお送りします(令和6年6月6日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】住吉大社の前で、新米とその兄貴分の駕籠屋が客を呼び込んでいる。新米が目の前の茶店の主人を駕籠に乗せてしまい、「ここで商売をしているのに俺の顔を知らないとは何事だ!」と怒られた。今度は酔っ払った男が近づいてくる。兄貴分から「やめておけ」と言われたが、新米はその男に声をかけてしまい…。
昼も夜も「住吉駕籠」、それならと枝雀のDVDを取り出す。
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表現力が違う、納得力が違う。
片付け、入浴。
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今週は夜の血圧測定ができていなかった、すぐにダウンしていたから。
日誌書く、本来は就寝前にちゃんと書かねば。
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不安定な天気と蒸し暑さ、無理することはない。
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2015mai24 · 10 months ago
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
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MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アル��ム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
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この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウン���が炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
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「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レ��エのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
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「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
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「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
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こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
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アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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deepspeed · 1 year ago
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ビッグモーターの話。
いろいろ突っ込みどころが多い事件やから解説していくで。
【ビッグモーターについて】
ビッグモーターは年商7000億円の中古車屋・整備屋や。
今の社長が一代で築き上げた会社で、上場してないからおそらく株式は兼重一族がほぼ全部持っとる、いわゆる同族オーナー企業やな。
年商7000億のオーナー企業は珍しいけどなくはないで。
日本だとオーナー企業で大きいのはサントリー、竹中工務店、森ビル、今治造船とかあるで。
事件の概要は「顧客から預かった車に意図的に傷をつけたりパンクさせたりして、保険屋に不正に金を請求してたのがバレた」っていう話やが、経緯をみていこうか。
【経緯】
2022年から、保険の不正請求問題が損保会社らの間で話題となり始めるが、表立って騒がれず終わる。
2023年7月、この問題が表面化。
問題を知ってまずブチ切れたのが東京海上日動。
自動車保険は、客(ドライバー)が車を壊したり事故する確率を統計学的に計算した上で払う保険料を決定してるんやが、ビッグモーターはズルして本来あるべき金額よりたくさん保険会社に保険金を請求してたんやから、東京海上は損をしたわけやな。
ビッグモーターが独自に特別調査委員会なるものを立ち上げて調査した結果でも保険修理の4割が不正請求やった。
本来、修理部門は壊れたところを直すのが仕事やのに、何故かビッグモーターでは修理部門も「1車あたり14万の収益を上げろ」と命令されてたんや。
収益が上がらんと降格させられたりクビになったりする謎ルールや。
だから意図的に車を破壊して修理費稼ぐしかなくなるのは自明やな。
【特別調査委員会と暴露】
特別調査委員会の調査報告書を保険会社に提出するときに報告書偽造してて、組織的関与を示唆する内容箇所を削除する徹底っぷりをキメた。
さらに国交省から聴取要請があったのに2週間ガン無視キメてたんやで。
しかし過去の被害にあった顧客が多すぎて「ビッグモーターにこんなことされた!」と次々にWebに暴露され、良心を持った社員によって、意図的にタイヤをパンクさせる技法を後輩に紹介する動画が流出したりしたんや。
クソみたいな社風やったわけやから、元社員だけじゃなく現役社員もビッグモーターを恨んでるやつ(=正義の心を持った人)がおったわけやな。
【社長の報酬返上の種明かし】
ビッグモーターは社長が1年間報酬を全額返上し、役員も3ヶ月間数十%返上するって発表した。
「やっと少しは反省したか」「そんなのじゃ足りない」などと大衆は思ったんや。
でもよく考えてくれ、この会社は100%オーナー企業や。
株をたぶん100%兼重ファミリーが持ってるんやから、会社は兼重社長のもんやろ。
給与を返上しても、会社に金が残るんやから、結局兼重社長のもんやねん。
社長が個人と会社2つ財布持ってるだけで、どっちに金を入れておくかの違いでしか無い。
つまり実質的に1円も返上なんてしてない、っていうか、役員にも給料返上させてるから、実は社長は収入はプラスなんよ。
凄いやろこの反省アピールしつつ社長だけ儲ける技術。
見破るまで3日かかったわ。
【損保ジャパンの関与】
ビッグモーターは車を売り修理をするだけではなく自動車保険も一緒に売るから、大手損害保険会社の代理店でもある。年間取扱200億円。
保険の売上金額も鬼の厳しさで、売上が達成できてないと罰金を払わされたりしてたらしいな。
まあ死ぬ気で保険を売ってくれる巨大代理店やから損保各社もヘコヘコするわけや。
しかし200億のうち120億円を損保ジャパンが占める。
日本では東京海上が損保業界首位なのに、ビッグモーターに限ると損保ジャパンがぶっちぎり1位。
不思議よな?
事件を知って、東京海上と三井住友海上は激おこやったんやが、損保ジャパンは当初この問題を���問題なし」と結論づけて有耶無耶にしようとしてたんやで。
本来なら保険金詐欺の被害を被ったはずの立場なのにおかしいやろ?解説しようか。
【損保ジャパンとビッグモーターの蜜月のからくり】
(1)(ビッグモーターから買った車かどうかに関わらず)損保ジャパンの保険加入者が事故を起こす
(2)損保ジャパンはビッグモーターに修理に行くように誘導する(「入庫紹介」と言う)
(3)ビッグモーターは客の車を追加で意図的に破壊する
(4)本来より高い金額を損保ジャパンに請求する。これだけだと損保ジャパンが損してるように見える。
(5)しかし入庫紹介1台あたり、ビッグモーターから損保ジャパンに5人自賠責保険客を紹介する約束がある
(6)自賠責保険は強制保険なので利益は出ないが、損保ジャパンは新規客とのコネクションを得る
(7)損保ジャパンは任意保険をその紹介客に売り込み新規客を取れる
(8)本来より高い保険金を払った当初の修理客は翌年以降の保険等級が悪化し、損保ジャパンに高い保険料を払い続ける
(9)トータルで考えると損保ジャパンは利益を得る
(10)損保ジャパンはビッグモーターに出向者も送り込んでいて、上記を知っていたと推定される
【株式会社武蔵野・小山昇との関係】
ビッグモーター全社員に配られている経営計画書なる社則手帳のようなものがあるが、毎朝の朝礼で「幸せだなあ!俺はツいてる!」と唱和するように促している。
この経営計画書は知床観光船沈没事件でも有名になった小山昇氏率いる株式会社武蔵野が経営コンサルティングで提供しているものと全く同じ雛形・デザインで出来ている。
・朝の謎の唱和
・罰ゲーム制度(ビッグモーターでいう罰金制度)
・生殺与奪権という単語
・環境整備点検なる本部スタッフによる店舗掃除点検の結果での頻繁な人事降格
これらは株式会社武蔵野の小山昇氏が提唱し経営コンサルティングで頻繁に持ち出しているもので、小山氏は自身の大きな取引先としてビッグモーターをロゴ入りで自社サイトで紹介しており、うまくいっているコンサル先としてもこれまで何度も紹介している。
これについては言及しているマスコミが全くいないのは気になる点ではある。関係があったのかどうかをぜひ報道されたい。
【副社長=社長の息子】
今回の不正を悪化させたのは社長の息子である副社長であるという報道もあるが、副社長が早稲田大学卒業後入社したのが日本興亜損保(=現在の損保ジャパン)や。
これは偶然かそうじゃないのか気になるわな。
その時のつながりが関係ないのか、副社長の入社前から蜜月関係があったのかは、これから明らかになっていく。
ビッグモーターに出向者を送り込んでたのは東京海上も三井住友海上もやし、2社も不正を知ってたのかどうかは気になるし、巨大広告主のビッグモーターの悪事を当初黙殺して報道しようとしなかったマスコミも糾弾されるべきではあるわな。
まあこれから誰もビッグモーターに車を持ち込まないやろし、彼らが販売する車も買わないやろし、民間車検場としての認定も国交省が取り消すやろうし、テレビCMも拒否しないとマスコミも叩かれるから宣伝もできんし、普通に考えてまともな営業ができんし潰れるやろな。
今後の流れはよく見ないといけないけど、大衆が巨大企業とマスコミを動かし不正を正すいい例になると思うで。
ちなみに損保ジャパンは旧・安田火災保険や。
バブル期に「ゴッホのひまわり」を58億円で買った会社や。
今も新宿のSOMPO美術館に常設展示されてるから見に行くとええわ。
入場料は1400円、新宿駅徒歩5分やで。
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poddyshobbies · 1 year ago
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唐津くんちの宵曳山 2023 ~ 唐津駅改札付近 寸景
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2023.11.2 ~ 唐津くんちの宵曳山が始まった午後7時頃の唐津駅です。
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↑運賃の精算を待つ列 … この頃(2022年2月中旬~)、唐津線の一部駅の券売機が撤去されてました。この後、2023年12月24日に新しい券売機が再設置され稼働を開始したとの情報があります(約1年10ヶ月ぶり)。新しい券売機で発券されるのは「うらが白いきっぷ」で、自動改札は通せないタイプです。福岡エリアの後藤寺線など、唐津線のほかにも券売機の利用が停止された駅があったと思いますがその後どうなっているでしょうか?
余談ながら、唐津線を SUGOCA などの交通系ICカードで通過利用することはできません(SUGOCAの「運賃計算の特例に使用する路線」から外されているため)。
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↓こちらは帰りの切符を事前購入しとこうという人たちの列 ~ 正解
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宵曳山が終わる頃は大混雑になってるかもでした。
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(1時間半ほど過ぎた)8時半頃 ~ ひと時の静けさ
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2023.11.2 ~ つづく
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vivariku · 2 years ago
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DIPPED and WHIPPED STRAWBERRYS
ビッグ・ドッグとボス・レディにとって、香り付きのキャンドルを灯して、バラの花びらをちりばめた部屋でチョコレート・ディップ・ストロベリーをつまみながらムードたっぷりのデートナイトを楽しむ時間もたまには必要なんだ。『星の王子ニューヨークへ行く』のシーンみてぇに一緒にバスタブに入って、ベイビーに食わしてもらったら最高。本物のプレイヤーだったら、俺の言ってる意味わかるよな?
スヌープ・ドッグのお料理教室 | 晶文社
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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いけちゃんは1997年9月20日生まれ、秋田県出身。A型。チャンネル登録者46万人の人気YouTuber。2022年から水着グラビアに初挑戦。23年4月21日には1st写真集「いけとりっぷ」を発売した。趣味は、建築、旅行、食、酒、シーシャ、ポーカーなど。
  
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nejiresoukakusuigun · 1 year ago
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書��してのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向か��ず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、���異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ���畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対���る憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がし��ので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないん���
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということ��、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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ryotarox · 1 year ago
Text
黒人の少女だけ「ガン無視」されたメダル授与式 「胸が張り裂ける」動画 | アイルランドの体操競技会で | クーリエ・ジャポン
「一列に並んだ若い女子体操選手たち一人ずつの首にメダルをかけていく審判。だが黒人の少女の前だけ素通りして、彼女にメダルを与えなかった──これは2022年3月にアイルランドで開催された競技会での表彰式の動画だが、数日前からツイッターで拡散され、国際的な批判を浴びている」
Gymnastics Ireland | Statement of Apology
(DeepL訳)「2022年3月に開催されたジムスタートでの出来事により、体操選手とそのご家族に動揺を与えてしまったことを、ジムナスティックス・アイルランドの理事会とスタッフを代表し、深くお詫び申し上げます。 当日の出来事はあってはならないことであり、深くお詫び申し上げます。 また、その日以降に起きたことがさらなる動揺を招いたことも申し訳なく思っています。」
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前掲のアイルランド体操協会の「謝罪声明」の末尾は次の通り
Finally, we would like to make it absolutely clear that Gymnastics Ireland condemns any form of racism whatsoever. (DeepL訳)最後に、体操アイルランドはいかなる形の人種差別も非難することを明確にしたいと思います。
差別をしておいてその説明がなくて、「人種差別に反対」という意味の文で結ぶので、筋道が通らない。
「人種差別に反対」と言いつつ差別する、おかしな人に見える。それで連想したのは下記のアントワーヌ・グリーズマン選手。スポーツ業界の人は、「自分の言ってる言葉」と「行動」の矛盾に自覚がない人が多いのだろうか。
「アジア人差別」をしたフランス人が「差別じゃない」と本気で否定する理由
フランス代表でFCバルセロナ所属の選手アントワーヌ・グリーズマンは、このビデオの中ではにやにやしているだけですが、この人はこの人で、バルセロナチームの公式ビデオで「チンチャンチョン!」(※)とふざけている映像がネットに出回っており、それも今回一緒に炎上。 ※欧米人にとって、中国語の響きが「チンチャンチョン」と言っているように聞こえる、という理由から生まれた「からかい」の表現。中国人だけでなく東アジア人全般に対して用いられる。 グリーズマンはフランスでは有名なスター選手です。ご当人は公式アカウントのツイートで、 「僕は差別には常に反対してきた。今回自分とは違う人物像がでっちあげられて(=レイシスト扱いされて)心外ですぷんぷん断固抗議する!」と表明しています。 おそらく本人は本気で「チンチャンチョンいうのは差別ではない」と思っているのではないかと私は思うのです。そして一番の問題はそこにあります。
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