#ちょっと思い出しただけ あらすじ 感想 解説
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【ちょっと思い出しただけ】ネタバレ有無あらすじ「別れ、時を戻そう」感想 解説 RENDEZ-VOUS À TOKYO
【ちょっと思い出しただけ】ネタバレ有無 あらすじ「別れと時の流れ」感想 解説 RENDEZ-VOUS À TOKYO Lyraのブログへ #ちょっと思い出しただけ #松居大悟 #池松壮亮 #伊藤沙莉 #邦画 #NightOnEarth #屋敷裕政 #成田凌 #ニューヨーク #クリープハイプ #ナイトオンザプラネット #ユニバーサルシグマ #市川実和子 #大関れいか #広瀬斗史輝 #河合優実 #鈴木慶一 #國村隼 #菅田俊 #永瀬正敏 #神野三鈴 #安斉かれん #郭智博 #高岡早紀 #細井鼓太 #渋川清彦 #松浦祐也 #山崎将平 #尾崎世界観 #篠原篤 #山下恵奈
大好きな【Night On Earth】(邦題:ナイト・オン・ザ・プラネット),それを劇中、キャラクター達が喋っているのが面白い。 オマージュのようだが日本映��だからか、或いは男女の別れの映画だからか湿気のある日本らしい作品だった。しっとり、じっとり系。 大人が見る恋愛映画。 決してエロい映画ではなく、むしろ健全な映画なのだが、子供が見てもわからんであろう大人だから理解出来る、微妙なズレ、微妙な空気の違いが作品に充満してる。 そんな大人の映画【ちょっと思い出しただけ】を今日を解説します。とても湿気のある蒸し暑い日や寝れない寒い夜に見ると、このねっとりした質感を楽しめるよ。 Continue reading 【ちょっと思い出しただけ】ネタバレ有無あらすじ「別れ、時を戻そう」感想 解説 RENDEZ-VOUS À TOKYO
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キャラクター第3弾&連続キャラクターPV<レイナ編>解禁!
★キャラクター解禁第3弾‼吉岡里帆、高良健吾、尾上松也、田中圭が演じる役柄がついに明らかに!キャラクタービジュアルも一挙解禁!
この度解禁となったのは、吉岡里帆、高良健吾、尾上松也、田中圭の4人が演じるキャラクター。3月に出演情報が解禁されたキャストがそれぞれどの役を演じるのか、ついにその全貌が明らかに!そして、そんな4人が演じるクセ強でインパクトたっぷりなキャラクターのビジュアルも同時に一挙解禁いたします!
雨宮瞳(あまみや・ひとみ/吉岡里帆)
勝太たち 1 年 G 組の担任。一見清楚でいつも笑顔、生徒にも優しい美人な先生だが、言う ことを聞かない生徒に対しては性格が一変。普段の大人しい姿からは想像できないようなおかしなテンションで大暴れする。
伊達薫(だて・かおる/高良健吾)
私立武華男子高校の2年生で、かつて【Gメン】と呼ばれた伝説の不良グループのメンバー。単車を愛し、義理人情に厚くて喧嘩もめっぽう強い。転校してきた勝太とすぐに打ち解け、一緒に過ごすうちに次第に恋心を抱くようになる。
加藤侠介(かとう・きょうすけ/尾上松也)
刑務所から出所し、勝太たちの前に現れた凶悪な組織=天王会のトップでクレイジーなサイコパス。金属バットを手に不気味な笑顔で暴れまくる圧倒的な凶暴性の持ち主。
八神紅一(やがみ・こういち/田中圭)
私立武華男子高校の3年生。伝説の不良グループ【G メン】最後のヘッドで驚異的な強さを誇る。金髪リーゼントがトレードマークで、強さと茶目っ気を併せ持ち何かと訳知り顔で勝太たちを見守る先輩。
★連続キャラPV配信第3弾!恒松祐里演じる【“ピュアなレディース”ツンデレ・上城レイナ版】が解禁!
youtube
この度解禁となった連続キャラPV第3弾は、【ピュアなレディース・上城レイナ編】。勝太たちと一緒に青春を過ごすことになる“レディース”【多摩黒天使(ブラックエンジェル)】のヘッド・上城レイナ。G組メンバーに真正面から啖呵を切るような強気で大胆な性格。一方で、岸演じる勝太に密かに恋心を抱きながらもなかなか素直になれないという、恋愛には奥手でピュアな一面も持ち合わせています。 映像は、「てめえら、ぜってぇ許さねえからな!」と特攻服で啖呵を切るインパクトのあるオープニングからスタート。その後も「生きて帰れると思うなよ!」「ぶっ殺すからな!」と物騒な単語が並び、レディースのヘッドとしての素養を見せつけています。一方で、勝太を校門前で待ち伏せて、「12時に駅前に一人で来い!」と呼び出すシーンでは、緊張から声が一オクターブ上がってしまうなど、ピュアな一面も垣間見える。ラストの「別に好きだとか、そういうことじゃねぇからな。ぶっ殺すぞ!」は、レディースのヘッドとしての感情と年頃の女の子としての感情が爆発したシーンに。レイナの可愛らしさが詰まった15秒となっています。
公式サイト
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二次創作ゲーム|ゼロからの脱出 ②設定とキャラ定義、コンセプト
━━━━━━━━━━ ①ゲームづくりの発端・使用ツールなど ②設定とキャラ定義、コンセプト ③ロゴ・UIデザイン ④未定(シナリオ、謎づくり……) ━━━━━━━━━━
※この記事内にはゲーム全体のネタバレがあります
┃コンセプトづくり(タイトル決め)
プレイしてくださった方にはご承知いただいているかもしれませんが、「ゼロからの脱出」というタイトルは ①脱出部屋"ルーム:ゼロ"からの脱出 ②ゼロから友達になったあとの"関係値ゼロ"からの脱出 のダブルミーニングになっています。
このタイトルを仮称に決めた時点で、舞台を里のはずれからブルベリに移しました🌊 "ゼロ"という響きがどうこねても里の廃墟には似合わなさそうだな……というのと、ブルベリ��あればアオイの制服を🍊と🍇で悩まなくて(または差分を作らなくて)済むという今更の思い至り──!
┃ふたりの関係値
"関係値ゼロ"からの脱出……ということで、目指すコンセプトのベースは『両片思い』の切なすぎないもどかしさ・甘酸っぱい関係の可愛さ! 特に「切な(シリアスにし)すぎない」という部分はとっても大事にしました。 ※↑ドンヨリ暗くしたくないの意図なので、「切なくて~」というご感想はメチャ褒め言葉です、ありがとうございます……!!😭✨️
■ふたりが恋愛感情を自覚するタイミングって…… スグアオに限らず当然ですが、公式で明確な(明言された)描写がない以上、また片方が主人公キャラである以上、ここはとっっっても想像や解釈の幅が広い……!特にアオイ たのしい きっと初めて会った瞬間や初バトル、オモテ祭りがきっかけなふたりも存在すれば、前後編の間や再会した時に自覚するふたりも、エリアゼロも……番外編も……いっそアオイがパルデアに引っ越す前とかいう可能性だって……(※ワンライ小説で書いたネタ)
※弊サの"好きなタイミング"はあえて決めるなら スグリ:初めてバトルした時(微自覚、だんだん気付く) アオイ:番外編後もうちょっと先 ですが正直ほんといつでもおいしい 全部ください
これはかっこよく言うとサブ・コンセプトなのですが、今回つくるゲームでは「ふたりの・原作のこういうところ、たまらんよねえ~!」という"同じイチファンとして、遊んでくださる方の原作に対する思い入れへの共感"に振り切った(もちろんわたしが描きたい・描いてて楽しいが前提の)二次創作にしたいなというのを漠然と考えていました。 より原作の思い出に準拠……と言うとあまりにおこがましいですが、たとえばスグアオに触れたことがない方が遊んだとしても「フーン、関係性ゲキモエじゃねーの……」と感じていただける&それが本編(のふたりのやりとり部分)からわたしたちが得たあの栄養と���しい味になれてたらいいなァ~~~ッとか…… どういう文章?(消しますか?)(脳内のヒューベルト)
となれば、本編後まだ"友達"感強めのスグ&アオでも・すでに意識しあっているスグ♡アオでも解釈に大きな差が出ないように、幅広く「恋愛感情に育つまで」を想像できる余白があれば尚良し!ということで舞台は"本編から約一年後"のブルベリに決定!
■ちなみに スグ主もちょこちょこ描いてきましたが、弊サにおいての主人公とアオイとの書き分けはこんなかんじ🍊 ※ここってべつに全然明確に分けなくてよいものだと思ってるのですが、あくまで自分が書(描)きやすいようにこう定義してるよ~の図です!
┃タイトル絵
一年後のブルベリと決まったところでおおよそ頭身が定まったので、立ち絵とタイトル絵を並行して描いていきます
最初のラフ(寝っ転がって天窓を指差すアオイ&なんで照れさせたか忘れてしまったスグリ)
脱出パートのとある場所を探索すると発生する「手錠を気にしすぎないように手を繋ぐ」という会話を意識して、最初はフツーに繋いでもらっていたのですがCPイベント合わせのタイトル画面やぞ!いい加減にしろ!と己の魂の叫びに従って素直に恋人つなぎにしました 欲望を手放すな ちゃんと握ってるのはアオイだけですが……
ただ手錠そのものを描いちゃうのはちょっとビジュが異質(悪目立ち)かな?というのと、ネタバレほどではないが先出しされても情報の再放送でしかないので省略しました。 看板やリモコンよりはネタバレにならなさそうなラインのアイテムを入れつつ……(そういえば、当初は真ん中にモルペコロボが寝ていました)
タイトルにもバナーにもほぼ入りませんでしたが、ブルベリの指定靴ってメ~~~チャかわいいですよね……!!
あとこれ自分で言わないほうがいいってわかってるんですけど、���グリの視線の先はリンゴのつもりで描いたんですけど、なんか……
┃立ち絵
「おおよそ頭身(一年後)が定まった」と言いつつかなり最後の方まで調整を繰り返していました、頭身……! 今でもちょっと高いかな?と感じる瞬間があるのですが、これ以上縮めるとほぼ本編頭身になってしまって……🤔(※わたしの塩梅の限界)
夜中にせや!途中で髪型変更しよ!と思いついた時は己への感情がふたつに分裂しかけましたがここ描くのとっっても……楽しかったです……!!描けてよかった スグリのポーチはシナリオに合わせて途中で慌てて外しました 腰まわりが……さみしい……
本当はそれぞれもうひとつポーズ差分つくる予定だったのですが、ラフをアテて動かした際にあんまり動いてもうるさいな(それより表情が多いほうがしっくりくる)と思いボツにしました。 ※スグリ:口元に拳をあてて考えている、本編にもあるあのポーズ ※アオイ��右手を胸元に・左手を自然におろした落ち着きポーズ
最終的な表情表……!(超アナログ!)
※表情差分は最初「aoi_pokan01」「sgr_smile03」という感じで名付けていたのですが、どれがどれだか直感的じゃなかったので"目元"と"口元"の組み合わせを使う・使わないに関わらず全通りの番号を振って、表と見比べながら打ち込む形に変更しました。 例)aoi01_tere.png , sgr16_tere_ase.png
next:③ロゴ・UIデザイン(仮)→
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あおいお
カレント今号のってるやつ最終回です あと2話ある(?)ので次も一応のりますが まあとりあえずかんけつ
アオキシには打ち切りの概念がないので、これは自主的に決めたおわり ずいぶん前に、それこそ1巻が出るあたりの頃に、3巻で終わらそうと決めてた それはなんというか、自分が何を描こうとしたのか分かったし、そんなに長く描ける気がしなかったし
こういう、さくしゃが何を思っていたかみたいなことを外部に記述するのはよくないという思い あるしもちろん、同様にもういいだろもう…みたいな気持ちもある
はあ
よそに言いふらさないでね
ぬ…を今は商業でやっているけど(もう5年目に突入しているのまじ?) 別に「この漫画を商業でやりましょ!」とか言われたわけじゃない ほんと、ただ自分が新しく他の設定とか漫画とか考えれる気がしなかったから だから同人で描いてた漫画のキャラをほぼそのままに商業漫画にした 編集者に推されたりはしてないし、ていうかむしろ無理矢理ヌを描かせてもらった いい感じにそこそこ売れてる(らしい)ので続けさせてもらってるけど、ぜんぜん2巻で終わると思ってやってた で、まあどっちにしろ漫画は別にもういいかな、、、て気持ちだった
別に商業でやってみてつまらなく感じたとかそういう話しじゃない 普通に、ぬ以外を何も描くつもりがなかった 自分は別にわざわざ漫画にして描きたいことがほとんどなくて、ただのSNSで絵書いてるだけの人だし、もともと漫画はあんまり読まないし ぬ終わった後も漫画やる理由とくになかった
とか言ってたら、新しい漫画描きましょう なんて声がかかって なんかよくわかんないままに描くことになった 私は良く知らないけど、アシスタントの経験もないし漫画をまともに描いたことなんてない 漫画もろくに読まない 何も別に描くことがない ヌの中に描きたいことは全部詰め込んでいる 同人誌の頃みたいな漫画を描けばいいのか?と思ったけど 別にあれを今更どうこうするつもりはなかった
ヌを商業化して、なんで同人の頃の設定変えてるのか聞かれたりするんだけど それは単純に4コマでやっても面白くないと思ったから それに性質上、それを商業の方単体で理解できる形にするのは不可能だった 理解できなくてもいいじゃんとか適当なこと言うなよ 殺すぞ
なんか漫画家を目指してる人とか漫画家をやってる人はとにかくいろんな話を考えてていろんな話を描いてる 結局なんかそういうのはわかんなかった そういうのない
ないな~って思って なんか始まったのが、カレント すごいよね 好きにやっていい 何をやってもいい っていう雑誌に、今ちょうど何ひとつとして描きたいものがない私が参戦 周りが言った感想の中で「どういうこと?」っていうのが一番納得できた どう��うこと?って感じ
自分の作為性みたいなものを取り除きたかったというのは覚えてる やりたいことなんですかって言われて必死に考えてそれしかなかった 何いってるかわかんないと思うけど、物語をやる意味が感じられなかった 無作為に出来事が乱立していく、非物語 不安定とか、無言とか、微妙な不条理とか、どうしようもなくなったもの いくつかの物語の種がそのまま芽吹かずに終わることや 物語の連鎖反応が起こらないこと でも、これは意味がなくて キャラクターをどんどん描いていくと、意志の強いキャラクターからどんどんと物語になろうとする キャラクターを描きたいけど物語を排斥しようとするっていう行為自体が矛盾してる ああ、なんかこれ、企画の段階でおかしいんだな…って気づいたのは1巻出た時��った 遅くね? ていうか関係ない 描いている人間がどう思っていても、物語になる時はなるしならない時はならない
あとはもう、どうにでもなれと それぞれのキャラクターに抱いている自分のイメージをなんとか崩さないように物語の歩みを進める 3巻というのはテキトーに決めたけど今考えるとまあまあ丁度よかっただろうと思う どう考えても漫画は物語を描くためにあり 自分はなんというかその辺の感覚が曖昧だった 別にそうでもないような形式っていうのはいっぱいある 話が裏でつながってる短編集とか、日常系4コママンガとか、ある種の実験漫画系とか なんかそういうのをやろうという気もなかった(4コマはやってるし) そこで選んだものをつなぎ合わせたのが、カレントだったんだけど
ここ数年、ほんと前にも増してよく見るようになった 物語という言葉をこんな感じで定義曖昧のままに語る言説 とりあえず言っとけみたいな 私もそれらと同じ
カレントの感想をうっかり見てしまった時、「◯◯の漫画に似てる」みたいな感想が多くあって 以前はそういった感想を見ると嬉しくなってたんだけど カレントの時はそういう気持ちにならなかった その◯◯さんや◯◯さんの漫画を読んだことがなかったから 今までだいたい自分が好きなものを詰めて描いてたから、見た人がアレに似てる~!って言うとき そこにはもしかしたら悪意を持ってる人もいるかもだけど、自分はなんかそういう、自分の好きなものを共有できる感じが嬉しかった でもカレントの場合全部わからないから はあ、、そうなの、、?誰、、?みたいな気持ちになる
自分がそれまでまったくやらなかった考え方で作品を作ってみたら そこには自己顕示も読者への思いも、そういったあらゆるものが存在していなかった 金払ってこんなもん読まされたら自分ならブチ切れるな…とか思いながら でも描く中でキャラクターに愛着が湧くのを避けられない でもこれ描いてどうするんだよ って思い続ける 誰かに相談しても、「どういうこと?」ってなる 何いってるのか、自分でもわからず
でも漫画を描くのはどんどん楽しくなってしまって どうすればいいのかわからない なんでなんだろう? 最初からどうすればいいかなんてわからなかった それでこの話はおしまいカレントはおしまい あんまり編集の話してないから「こんな悩んでるのに編集はなにやってたんだよ、、、」みたいな感じになっているけど編集はめちゃくちゃ助けてくれたよ はあ、、、
一体なんだったんだ 「なんだったんだ…(絶望)」じゃなくて 「なんだったんだ…?(疑問)」みたいになってる なんだったんだろう なんだったか見つけないとだめだ
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
ブログ:安達��哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がな���った。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお���談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
��なたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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(【特集】『ブレードランナー』伝説の名ゼリフ『雨の中の涙』を徹底解説【はじめてのブレードランナー2】 | THE RIVERから)
この記事には、映画『ブレードランナー』第一作のネタバレが含まれています。 雨の中の涙 「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」 (原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)
通称「Tears in rain monologue」(雨の中の涙モノローグ)、または「Cビームスピーチ」として知られるこの台詞は、SF映画だけでなく映画史全体においても屈指の感動的なスクリプトとして知られています。 筆者の個人的見解では、『ブレードランナー』を後世に残る偉大な作品たらしめる要素の中でも、この台詞を含めたロイの最後の場面は最も重要だったといって過言ではありません。 冷酷な殺人マシーンのようだったロイが、短い人生の最後に愛おしむように鳩を抱きしめ、動かなくなっていく体を雨の中震わせながら絞り出す稀代の詩人のようなセンテンス。全ての観客を予期しなかった感動の渦に巻き込んだこの名台詞は、一般的にロイ・バティーを演じたルトガー・ハウアーのアドリブであったとして知られています。しかし私見ながら、これは正確な情報とは言えないと考えます。
オリジナル脚本にアドリブを加えて生まれた名台詞 ハンプトン・ファンチャーが製作上の意見の相違から降りた後、二人目の脚本家として招集されたディヴィッド・ピープルズ。彼がこのシーンの為に書き下ろしたオリジナル脚本では、該当の台詞はこうなっていました。 「私は冒険を知っている。お前達人間が決して目にすることはない場所を見てきた。オフワールドへ行って戻ってきたんだ…フロンティアだぞ!プルーティション・キャンプへの信号機の背甲板に立って、汗で沁みる目で、オリオン座の近くの星間戦争を見たんだ。髪に風を感じていた。テストボートに乗って黒い銀河から去りながら、攻撃艦隊がマッチのように燃えて消えていくのを見た。そう、見た、感じたんだ!」 (原文:I have known adventures, seen places you people will never see, I’ve been Offworld and back…frontiers! I’ve stood on the back deck of a blinker bound for the Plutition Camps with sweat in my eyes watching the stars fight on the shoulder of Orion. I’ve felt wind in my hair, riding test boats off the black galaxies and seen an attack fleet burn like a match and disappear. I’ve seen it…felt it!) 1ページの半分ほどもあったこの長台詞を読んだルトガー・ハウアーが、死を前にしたレプリカントの言葉としては長すぎると、台詞がもたらすイメージをそのままに要約し、そして”All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.”という言葉を付け加えて完成したのが、「雨の中の涙」モノローグです。 お気づきの方も多いと思いますが、ピープルズのオリジナル脚本には「タンホイザーゲート」、そして「Cビーム」という単語は登場しません。その代わりに、「オフワールド」や「プルーティションキャンプ」といった造語が登場しています。 ポール・M・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー』(ソニーマガジンズ、1997)によると、ルトガー・ハウアー本人がインタビューで、 「私のことやあのセリフのことはよく取り上げられるが、肝心の脚本家が無視されているのはよくない。バティの独白を書いたディヴィット・ピープルズの仕事は本当に素晴らしい。私は彼が掘り下げたあのイメージがとても好きだった」とピープルズを賞賛しています。 「銀河っぽくカッコいい造語の固有名詞」を使うこと、信号灯のようなものが暗黒の宇宙で輝いていること、オリオン座の近くで宇宙船が燃えていること、これらのイメージを作り上げたピープルズを抜きに、この台詞は誕生しなかったというわけです。 このロイ・バティーの最後の言葉は、映画中盤のチュウの眼球工房でロイが口にするアメリカの詩人ウィリアム・ブレイクの詩のアレンジ「燃える様に天使は落ちた。轟くような雷鳴が岸をころがり、怪獣の火と共に消え��」や、「チュウ、お前が造った目で私が見たものを、お前にも見せてやりたかった」という台詞と対になっています(これらの台詞もピープルズによるものです)。 チュウを殺すこの場面では、戦闘用レプリカントであるロイはさぞかし凄惨な情景ばかり見せつけられて、自らの造物主に恨みを抱いているんだろうなという印象を受けるのですが、『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです。 というわけで個人的に『雨の中の涙』モノローグは、ピープルズが造った土台に、ルトガーが素晴らしいアドリブを加えた二人の共作であるとするのが一番しっくり来ます。 ちなみに「タンホイザー・ゲート」や「Cビーム」とは何か?という質問をよく受けるのですが、前述したように造語ですので正式な意味はありません。 それでも無理やり適当に解説すると「タンホイザー」とはそもそもリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』に登場する主人公の名前です。ゲートってからには、ワープの発着点のようなものが想像できます。ドイツ系のタンホイザーという人が開発したんでしょう、きっと。 「Cビーム」の方は何でしょう、宇宙戦艦がマッチのように燃えていることから『ブレードランナー』世界における兵器ではないかと推測できます。「Charged particle-beam 」(荷電粒子ビーム)という言葉はあるので、これの略ってことでいかがでしょうか。(あくまでも個人的推察です。)
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この文を書いたライターさん、上手。 「> 『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです」
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2024/11/12
忙しい週の半分が終わった。
本来であれば決められたことを話すだけの研修のはずが、研修先からお金を貰うということを大げさに考えすぎているせいか、常にカスタマイズしてしまう。
研修前ヒアリングをした翌日から
日々頭のどこかに消えない染みのように企業が抱える課題があって、どうにか解決できないか。とずっと考えている。
小さい頃から問題がなかったことがない人生なので慣れているとはいえ、やはり重たい。やるべきことは次から次へと現れるし、優秀な人がどこかで新しい方法やツールを編み出すせいで追っかけなければいけない。
昨日は、連れ合いと豚肉の西京焼きをつつきながら性加害の話になった。某有名お笑いタレントのニュースから始まった会話だが、「女の子だって面倒くさい相手と二人になってしまったときにしつこく求められたら、とりあえず一発やらせといてドロンしようとか思っている人もいるよ」と言っていた。
いざ、争いごとになったらフィジカル的に男性の方が有利であることは間違いない。思ったよりも逃げ場がない場所で男性と二人きりになるのは怖いことだと随分前に知った。(昔はひょろがりだったし)
檻の中でゴリラと二人きりでいるようなものだろう。なんとなくコミュニケーションをとれそうな雰囲気はあるけれど、何をするのかわからない。いきなり殴りかかってきそうな気もするし、以外と優しいような気もする。
ドラミングなん��された時には未知との遭遇くらいには驚きそうだ。
そして理解できなければ恐怖は増す。(ゴリラは優しい生き物だけれどね)
コミュニケーションをなにより女性が大切にしているのはそういう経緯からだろう。
振り返ってみるに(連れ合いには言わないが)、付き合ってない女性と寝たことは何度もある。数えるのもばからしい。
女性と二人で会うときは期待をしたりもする。会ったときに「そうなりたい」「そうなってもよい」「この人とは寝たくない」としばらく話してみて判断するわけだけれど、無理やりしたことはない(当然か)
会話の深度の中で、どこまでお互い懐に入っているのか、許し許されているのかを確認し合ってそうなるものだから、親密な雰囲気、
ここでいう親密な雰囲気というのはまた友人と性的対象としての二つがあるわけで説明が難しいが、
性的対象としての受け入れ合いが感じられたときにだけ少しずつ先に進む。
面倒な女性の時はこちらも、そういう雰囲気を出さない。
なぜ、性的なことが自分はしたいのかと考えると「受け入れてもらった」という嬉しさからだろうか。
なので、一人暮らしのときは家まで来て朝まで一緒にいてもらうだけで十分で、そのまま話して寝たことがたくさんある。もちろん半数くらいの女性は不満を表明するわけだけど(申し訳ない)
同じだけ受け入れられたと思ってくれていたら良いけど。
愛や恋なんて裏を返せばある程度のギブアンドテイクの支えがあって成り立っている。そのうえに好ましいだとか愛らしいとかがあれば良い。有名人の性加害については女性は何をギブして何をテイクするつもりだったんだろうと思う。いるだけでテイクになっているなんて思っているのであればお門違いだし(有名な人ほどもっと素敵な人が周りにいるかもしれないと想像できないのがアホ)、男性側もそういう女性がきてしまった場合に丁重にお帰り頂くくらいの度量がほしい。
そういう度量がなく、相手を尊重せずに、お互いギブし合った結果が性加害なのかな。ほとんどは。と想像してしまう。
そうでない人も、もちろんいるとは思う。100と0はあり得ない。
相手がゴリラで、一方的に搾取されたとしたら(ゴリラは優しい…)
同じゴリラになるかもしれない、ゴリラと見られるかましれないセクシャリティとして申し訳ない。
とても簡単にいうと「話し合える人と恋愛はしようね」である。さすがに動物好きな自分でも動物と恋愛する気にはならないから。
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「68個のお節介な助言」 著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly 訳 堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "68 Bits of Unsolicited Advice" の日本語訳である。 68個のお節介な助言 今日は私の68歳の誕生日である。ロッキングチェアに座りながら、若者に助言したい気分になっている。私からの誕生日プレゼントとして、諸君に68個の短いお節介な助言を進呈する。 (訳注:この文章は2020年4月28日に発表された。フェイスブックでのケヴィン・ケリーの記述によれば、実際の誕生日は4月30日である。) ・意見の異なる人から、さらに言えば気に入らない人からも、何か学ぶことがあるはずだ。彼らが信じていることの中に真実があるかどうか確かめてみなさい。 ・熱心に取り組めば、知能指数が25ほど上昇する。 ・常に締切期日を決めておきなさい。締切があることによって、的外れなもの、ありきたりなものが排除される。締切があるので、完璧を目指さなくてもよい。そのかわりに、他と異なるものを作るべきだ。相違は望ましいものである。 ・ばかばかしいと思われる質問をためらってはいけない。そのような場合の99%は、他のみんなが同じ疑問を感じているが、恥ずかしがって質問しない状況である。 ・人の話を上手に聞くことができるというのは、重要な能力である。大切な人の話を聞くときは、それ以上話すことがなくなるまで「もっと聞かせて」と言い続けなさい。 ・価値のある年間目標は、1年前の自分が信じられないくらい無知だったと思えるほど、あるテーマについて学ぶことである。 ・感謝は、他のすべての美徳を引き出すものであり、その気になれば上達できるものである。 ・人に食事をおごることは、必ず良い結果につながり、容易に実行できる。昔からの友人に効果があるし、新しい友人を作るためのすばらしい方法でもある。 ・万能接着剤を信用してはならない。 ・いつも子供に読み聞かせすれば、親子の絆を深めるとともに、子供の想像力を高めることができる。 ・クレジットカードを信用払いのために使ってはならない。信用払い、すなわち借金をしても良いのは、住宅のように交換価値の増加する可能性がきわめて高い物を入手するための借金だけである。大部分の物の交換価値は、それを購入した瞬間に減少または消滅する。借金して損をすることがないように。 ・プロフェッショナルとは、失敗から穏便に回復する方法を知っているアマチュアにすぎない。 ・普通ではない主張を信じてもらうためには、普通ではない証拠が必要である。 ・グループの中で最も賢い人になってはいけない。自分よりも賢い人たちと付き合って、彼らから学ぶべきである。さらに望ましいのは、自分と意見が異なる賢い人を見つけることである。 ・会話における「3回」の法則。本当の理由を知るためには、ある人が言ったことについて、より詳しく説明してもらいなさい。もう一度、そしてさらにもう一度。3回目の答えが真実に近いものである。 ・一番になるな。唯一になれ。 ・みんな遠慮しているのだ。他の人は、あなたが自己紹介するのを待っている。他の人は、あなたが電子メールを送るのを待っている。他の人は、あなたがデートに誘ってくれるのを待っている。思い切ってやってみなさい。 ・誰かに断られたとき、自分自身が否定されたと思ってはならない。その人もあなたと同じ状況だと思えば良い。忙しい、先約がある���気が進まない。後でもう一度頼んでみなさい。2回目の依頼で成功することが非常に多い。 ・習慣の目的は、自己交渉という行為を省略することである。実行するかどうか決めるのにエネルギーを使う必要がなくなる。ただ実行するだけだ。良い習慣は、真実を述べることから歯磨きまで広い範囲にわたっている。 ・迅速さは、敬意の表れである。 ・若いうちに、少なくとも6か月から1年くらいの間、できるだけ貧乏な暮らしをしてみなさい。所持品をできるだけ少なくして、小さな部屋またはテントで豆と米だけを食べて、「最悪」の生活がどんなものかを体験するのだ。そうすれば、将来、リスクを冒す必要が生じたときに、最悪のシナリオを恐れなくてもすむだろう。 ・本当の話、「彼ら」というものは存在しない。 ・あなたが他人に関心を持てば持つほど、彼らはあなたに関心を持つようになる。関心を持たれる人になるには、関心を持ちなさい。 ・できるだけ気前よく振る舞いなさい。死ぬ間際になって与え過ぎの人生だったと後悔する人はいない。 ・良いことをするためには、ただそれを実行すればよい。立派なことをするためには、それを何度も何度も何度も実行すればよい。すばらしいことをする秘訣は、やり直すことである。 ・黄金律を守れば必ず役に立つ。それは、他のすべての美徳の基盤である。 (訳注:黄金律とは「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」という行動規範を指す。) ・家の中で探し物をして首尾よく見つかった場合には、それを使い終わった後、見つかった場所に戻してはならない。最初に探した場所に戻すべきである。 ・貯金および投資は、いずれも良い習慣である。あまり深く考えずに少額のお金を長年にわたって定期的に投資するのも、蓄財の一つの方法である。 ・誤りを犯すのは人間の行為である。誤りを認めるのは神の行為である。自分の犯した過ちを迅速に認めて責任を取り、適切に是正することができれば、これほど人の価値を高めるものはない。失敗したときは、素直に認めなさい。この責任感は、きわめて効果的なものである。 ・アジアでの地上戦に関わってはならない。 (訳注:「自分の能力以上のことに手を出すな」という意味。朝鮮戦争やベトナム戦争での米国の経験を踏まえた言葉として昔から使われている。) ・顧客に尽くすことに注力しても良いし、競争相手に勝つことに注力しても良い。いずれも有効だが、どちらかと言えば、顧客に尽くすほうが効果は高いだろう。 ・目立ちなさい。いつも目立つようにしなさい。ある成功者の言葉によれば、成功の99%は目立つことである。 ・創作過程と改良とを区別しなさい。執筆と編集、彫刻と研磨、製造と分析を同時にはできない。もし同時にしようとすると、編集者が創作者の手を止めてしまう。発明しながら選択してはならない。スケッチしながら修正してはならない。草稿を書きながら考察してはならない。着手する前に、創作者の意識は判断から解放されている必要がある。 ・失敗がときどき起こらないのであれば、順調に進んでいるのだ。 ・おそらく最も直感に反する宇宙の真理は、他人に多く与えれば与えるほど得られるものが多くなる、ということである。これを理解することが、知恵の第一歩である。 ・友人は、お金よりも良いものである。お金があればほとんど何でもできるが、友人がいれば可能性はさらに広がる。自分で船を所有するよりも、船を持っている友人がいるほうがいろいろな点で望ましい。 ・正直な人をだますのは難しい。これは真理である。 ・物が見つからない場合、最後にそれを見た場所から手の届く範囲内に存在している割合は95%である。その半径の中で可能性のある場所を探せば見つかる。 ・あなたの評価は、あなたが何をしたかによって決まる。何を言ったか、何を信じているか、誰に投票したかではなくて、何に時間を使ったかである。 ・旅先で、ケーブル、アダプター、充電器をなくした、あるいは持って来るのを忘れた場合、宿泊しているホテルに尋ねてみるとよい。今どきのたいていのホテルには、誰かが置き忘れたケーブル、アダプター、充電器が多数保管してあって、おそらくその中に適合するものがあるだろう。借りた後、それをもらえる場合も多い。 ・憎悪は、憎まれている人に影響を及ぼさない災いである。憎む側の人だけに害を与える。怨恨は毒のようなものだと思って捨て去りなさい。 ・向上には限度がない。才能は公平には与えられていないが、ものごとを始めるレベルは、いくらでも高くすることができる。 ・何か大きなプロジェクト(住宅、映画、イベント、アプリなど)が90%完成したと思ったとき、残りのこまごまとした無数の項目を片付けるために、また90%の時間がかかる。覚悟しておきなさい。 ・人が死ぬときには、自分の評判以外のものは絶対に何も持っていくことができない。 ・年を取る前に、できるだけ多くの葬式に参列して、まわりの人の話に耳を傾けなさい。誰も故人の業績を話題にしていない。人々が覚えているのは、故人が活動していたときの人柄だけである。 ・何か実体のある物を買うためにお金を払うときは、その物の寿命が尽きるまで、修理、保守、廃棄にお金がかかることを覚えておきなさい。 ・現実のものごとは、ひょっとしたらありうるかも、という想像上の仮説から始まっている。したがって、想像力は、この世界で最も重視される能力であり、努力すれば上達できる能力である。それは、他の人たちの常識を無視することが利点となる唯一の能力である。 ・危機や災害が起こったら、それを無駄にしてはいけない。問題のないところに進歩はない。 ・バケーションの旅行では、都市を避けて、行程の中で最も遠い目的地へ最初に行きなさい。遠隔地で異質性による衝撃を最大限に感じておけば、その後、復路の行程では、都市の見慣れた快適性をありがたく受け入れられるだろう。 ・将来何かをしてほしいという要請を受けたら、自問自答してみなさい。その日程が明日である場合、それを引き受けるか。この選別テストに合格する行動予定は、そんなに多くないだろう。 ・本人に直接言いにくいことを、他の誰かに電子メールで言ってはならない。なぜならば、いつかきっと本人がそれを読むことになるからである。 ・あなたがどうしても職に就きたいと思っている場合、雇用主から見れば、あなたは数ある問題の一つにすぎない。その雇用主の抱えている多くの問題をあなたが解決できるならば、職を得られる。職を得るためには、雇用主の立場で考えなさい。 ・芸術は、あなたが見逃しているところに存在する。 ・物を手に入れて深い満足感が得られることはめったにない。しかし、何かを経験することによって深い満足感が得られる場合はある。 ・調査における「7段階」の法則。七つの段階を進んでいくと、目的のものを見つけることができる。最初に尋ねた人が知らなければ、次は誰に尋ねればよいかを教えてもらう。これを繰り返す。7番目の人まで尋ねていけば、ほとんどの場合、答えを見つけることができる。 ・謝罪の方法。迅速に、具体的に、心を込めて。 ・電話での勧誘や提案に応じてはならない。急を要するというのは口実である。 ・誰かがあなたに対して意地悪な、無礼な、悪意ある、または、ひきょうな態度をとるならば、その人は病気だと思いなさい。そうすれば、共感しやすくなって対立を緩和できるかもしれない。 ・ガラクタを排除すれば、本当の宝物のための余地が生まれる。 ・有名になろうとは思わないほうがよい。誰か有名な人の伝記を読んでみなさい。 ・経験が過大評価されている。人を雇用するときは、適性のある人を採用して技能を教えるようにしなさい。最もすばらしい、あるいは立派な結果を出すのは、その仕事を初めてする人である。 ・休暇+災難=冒険。 ・道具の購入方法。最初は、できるだけ安い道具を探して買いなさい。頻繁に使うものは、良い物に買い換えなさい。ある道具を仕事で使わなくなったら、財力が許す範囲で最も良いものを買いなさい。 ・さりげなく20分の仮眠をとる方法を身に付けなさい。 ・何に情熱をもって取り組むべきかわからなくて行き詰まったときは、至福を感じることを目安にすればよい。多くの若者に役立つ教訓は「何でも良いから、何かに熟達しなさい」ということだ。あることを習得すれば、その延長線上でもっと喜びを感じる方向へ進むことができて、最終的には自分が至福を感じるものがどこにあるかを発見できるようになる。 ・100年後には、今の私が正しいと思って��ることの大部分が間違いであると証明されるはずだ。もしかしたら、あきれるほど間違っているのかもしれない。そこで私は、今考えていることの中で何が間違いであるかを見つけようと努力している。 ・長い目で見れば、世界の将来は楽観主義者が決める。楽観的になるために、私たちが抱えている多くの問題を無視する必要はない。人間の能力が向上して問題を解決できると想像すれば良いのだ。 ・全世界は、あなたの背後であなたが成功するように画策している。このプロノイア(支援妄想)を信じれば、行動しやすくなる。
「68個のお節介な助言」: 七左衛門のメモ帳
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定��療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身��ればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼ら���自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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こんつめ段ボール
久しぶりにtumblrをひらいて、久しぶりに他人の日記を読む。みんな一生懸命生きているなあと思う。長く日記を拝読している方のことは、なんとなく親身なきもちになって、ちかくで話を聞いているような錯覚がある。まったくちがうのだけれど。日記は、もっと、まっしろな無重力空間にぱん、と打ち出された、フラットで無機質でちょっと感傷的な四角い板に羅列される日々のことだと思うのだけど、でもどうも、私はそれを人間同士の会話のように読んでしまう。まあ全然違う。私は知らない人の日記を読んでいて、知らない人は私に日記を読まれている。私の日記を読んでくれる人のことは、私はもうわりとダチじゃん、と思っているが、読んでいる人は当然そんなことは思っていないだろう。
コミティアの原稿を始めた。始めたと言っていいのか、まだ202字である。冒頭ポエム。許されるならえいえんに冒頭ポエムを書いていたいのだ。えいえんに冒頭ポエムを書いてそれを散文詩として組み立ててもいいのかもしれないが、これは小説の冒頭のポエムだからこそ、私に書かれている文章であって、おそらくそういう形でしかそこに出てこないたぐいの物である。内容は女子高生二人が惹かれ合うようすを書ければ、と思っている。むずかしそう。これはnoa(乃紫)さんのA8番出口という曲を聴いて、友人の夢小説を書こうという試みである。友人の夢小説であることを忘れてはならないと思う。友人の夢小説なのに夢主がいなくて、なぜか友人が二人に分裂してしまった感じなので混迷を極めている。黒髪の女と茶髪の女が出てくるのだが(ともに高校三年生)、まあ便宜的に黒髪の方を友人にして、茶髪の方を夢主にするしかないだろうなと感じている。それでいこう。よし。その方向で想像をとがらせていきたい。
『マイナスきいろ』の加筆版を出そうとしていたが、そちらの案は完全に消えた。いま、私にはマイナスきいろは書けないと思う。これは、もっとかなり長い時間をかけて書きたい。私が死ぬほうが早いんじゃないか?と思うが、頭の中でかなり長い話になってしまっているので、二次創作を上がってからじっくり書くくらいでいいやと思っている。あとオリジナルBLのネタのうちの一つがかなり脳内で書けてきたので、これも途中まででいいからそのうち出力したい。今は目の前の友人夢小説に取り組むしかない。
二次創作はあんスタの燐一で書きたいものが中編で一つ、短編で2つあり、燐一以外のカップリングも手を出したいものがいくつかある。そのためには膨大な量のゲームシナリオを読まなければならないので、ここはストップしている。が、なんとなくそろそろ小説が書けるんじゃないかという気がしてきた。一時期は狂ったように書いていたのに、ここ数年はまったくと言っていいほど書いていない。また書くようになるのか、もう書かないのか、それはわからないが、書くのをやめられるのか、と考えると、それはなさそうだと感じる。書くのはわくわくするし、できればずっと続けたい。名誉欲、あるいは承認欲求とは関係なしに、ただ書くことに没入する時間は楽しい(つまり私は基本的には名誉欲や承認欲求のために書いているのである)。
労働を全く行わない期間が思ったより自分には必要なのかもしれない。労働を全く行わない期間、つまり体調不良以外はすべて自由時間。労働をしていると、体調不良でだいぶ自由時間が奪われるので、そのフラストレーションが溜まっていく。とはいえ、働かないと生活を維持できないため、最低限働かねばなあと思っている。本当は無職になって小説だけ書いていたい。本だけ読んでいたい。でもそうなったら、私はみるみるうちに駄目になるだろうなと感じる。働くことという実践があって初めて、「世界を読む」ことができる。労働力として世界に組み込まれて初めて、私は社会との繋がりを意識できる。もし働かなくてもよいとなったら、じゃあ一体今までのあの労苦はなんだったのか、となってしまう。働かなくてもこの世界と繋がることができるのならば、最初からそうしている。しかしてそういうルートは私の人生にはなかった。働くことだけが、この世界に「ついていく」ことだった。あの閉じられた家から逃げ出した先で世界に参加��るには働くしかなかったし、私は仕事が好きだった。そして仕事をすればするほど、世界を知れば知るほど、自分の「異常さ」、生まれた家の「異常さ」を突きつけられることになる。社会的養護に至らなかった子供たちが、大人になってまずぶつかるのがこの壁である。でも実は全然大丈夫で、この壁にはちゃんと扉が付いていて、試行錯誤すればそれを開けて向こう側に行くことができる。つらいのは、その試行錯誤の気力がなく、壁の前で力尽きてしまった子供(大人になった子供)たちだ。かれらは自死しか選べる道がない。若い精神疾患者の多くがACE経験者(※)であり、その生きることの難しさ、そしてその難しさへの世間の無理解(多くの人々にとって、かれらは見えない、知られていない存在だ)が、かれらを殺してしまう。気力勝負、体力勝負で、運もある。おおいにある。働き続けるうちに少しずつ癒される場合もあるし、働き続けて、もっと悪くなる場合もある。私は幸運なことに前者だったが、後者の存在を忘れたことはない。(※ACEとは、ここでは小児期逆境体験を指します。)
私にはまだまだやりたいことがある。やりたいことに比べたら、書きたいものというのは、そんなに強い気持ちではないかもしれない。私には書くことしかできないと思っていた頃よりも、できることがいろいろと増えた。周囲からはかなり置いていかれているが、私も結構これで、目に見えて成長していたりする。ありがたいことであります。小説を書く時間をメインに据えることはできないものの、たまに書くくらいの材料は持っているので、これからもたまに書いて、でも、ずっと書いていきたいなあと思っている。
2024.10.8
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut February 2016
田口智久 (監督)
新鋭監督が「『P3』の集大成」に託したものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』1月23日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
TOMOHISA TAGUCHI
2013年から順次上映されてきた『PERSONA3 THE MOVIE』が、1月23日公開の第4章をもって完結する。PlayStation2のゲーム『ぺルソナ3』(以下『P3』) として2006年に発表され、さまざまなメディアでの展開を経て10年間歩み続けてきた『P3』にとって、文字通りの集大成である。熱心なファンにとって、4章は「伝説級のエンディング」を含むエピソードであり、どのように描かれるのかは気になるところだが、完成した4章はファンにとって喝采を送るべき内容だし、映像作品としても見応え十分の1本になっている。その4章の監督は、新鋭の田口智久。監督として作品に携わるのは同シリーズの2章が初だったという彼は、巨大な期待が集まる重責とどう向き合ったのか、話を聞いた。なお、特集トビラのイラストは、今回CUTのために描き下ろしてもらった、『P3』のファンなら誰もが思い当たる「あのシーン」。正直、かなりグッとくるビジュアルである。テキストとともに楽しんでほしい。
劇場版第4章は、10年続いた『P3』にとって集大成となる作品ですよね。監督を務める側も相当な覚悟が必要だったと思うんですけども。
「まず、『P3』の2章(『#2 Midsummer Knight's Dream』)が初めて自分が監督をやらせてもらった作品で、そこでできたこと、できなかったことがけっこうあって。なので、すごく個人的な理由ですけど、できなかった部分を挽回したい気持ちがありました。あとは、集大成にしなきゃいけない作品なので、プレッシャーも非常にありましたし、この作品は自分が演出、そして監督になってからの集大成にしたい、と思いながら作っています。『P3』は終わり方が伝説級の作品なので(笑)、それを超える感動を与えられたらいいな、と。自分も『P3』の終わり方が好きなので、その印象はきっちり伝えたいと思いました」
制作中の感触として、「こういうものが観たい」っていう欲求に応えられる、そういう作品が作れているという手応えはありますか?
「そんなに外しているつもりはない、とは思ってます(笑)。ただ逆に言うと、たぶん自分ではなく別の方が監督であっても、そこはそれほど変わらないんじゃないかなっていう気もします。自分が監督でなくても、きっと最後にはみんな泣いてくれるだろうとは思うんです。そこに至る感情をどれだけ高められるかが大事で、それが自分の仕事だと思ってます」
確かに『P3』の場合、「原作を大事にする」っていう軸は誰が監督でも一緒だと思うんですよ。原作に寄り添うことは必須なわけで。
「そうですね」
そこで、田口さん自身が「自分だからこそこういうアプローチができた」と感じているポイントを教えてほしいんですけども。
「ちょっと、ツッコミがすごいですね(笑)。ひとつには、自分が描くコンテはあまりアニメっぽくないかもしれないな、とは思います。どちらかと言うと実写っぽいと言われるんですけど、そういうところが『P3』の雰囲気に合ってるのかもしれないです。実際、3章と比べると相当違うような気がしていて。3章はアニメーションの作り方としてはすごく王道で、誰が観ても『これはいいアニメだ』と思える作りになっていると思うんですね。4章では、アニメに限らず昔の実写映画だったり、最近の映画の断片を寄せ集めてスタッフにイメージを伝えたりしていて、『あの映画でこういう表現があったから、こんな風にできない?』って いう発注をしているので、そういうところで、ちょっと実写っぽい感じはあるかもしれないです」
たぶんそこは観る人にはっきり伝わるものではないと思うんですけど、質感としては確実に残っていきますよね。今回はそのやり方がハマるのではないか、という確信が田口さんの中にあったんでしょうか。
「そうですね。たとえば、今回は光の表現にもすごくこだわっていて。極力フラットな光は避けていろんなところに照明を仕込んで、光と影で画面を作ろうっていうのはすごく意識しました。あとは、今回雪を降らせようと思ったんですけど、暗い話の中で心情描写のシーンを描くときに、すべてをセリフで言っちゃうのは興がそがれるというか、軽くなっちゃうんじゃないかなと思っていて。黒澤明監督がそんな風にやっていたっていう話を聞いて、自分もやってみようかなと(笑)」
(笑)モの手法も、『P3』のラストを描くときにこれがハマるはすだ 、という 確信があったと。
「そうですね。それできっちり成立するだろうっていうのは、確信的ではありました。『P3』の『死を想え』というテーマを描くにあたって、リアリティは欠かせないだろうなと思っていて。アニメっていう媒体自体はわりと抽象的ですけど、アニメとリアルな表現がバランスよく合わさった状態は、『P3』という作品にすごくマッチすると思ってます」
「ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい」って思った
キャラクター描写についてですが、3章で修学旅行のシーンがありましたよね。池に落ちた主人公の理が心の底から笑う表情が描かれていて、そこは4章立ての劇場版の中でも象徴的なシーンだと思うんです。
「そうですね、僕も最高に象徴的なシーンだなと思ってます」
4章では彼のその後を描くことになるわけですけど、その上で考えていたことは何ですか?
「『P3』自体、理の物語として描かれてはいるんですけど、まず1章の理は死んでる状態からスタートするんですね。そこからスタートして、1章で仲間を得て生に目覚める。2章でさらに仲間が加わっていろんなことも経験して、今度は生きるということに目覚める話になっていて。3章では再び失って、4章はそこから立ち上がる話にしようっていう、全体としては理の成長を描く構成になっていました。4章では-これは具体的なセリフとしても出てくるんですけど、自分の含量で『俺は生きることを始められたんだと思う』っていうことを彼に言わせる、そこに至るまでをどう描くかが、4章の理のテーマなんです。それを言わせるのに、非常に苦労しました(笑)。1章の頃は『理ってどういうヤツなんだろう』っていうところも手探りだったので、そういう意味では、3章までを経てキャラクターが定着してきた感じはあると思います」
実際、1章の理の無気力さは原作以上だと感じましたけど(笑)。
「ははは。でも、1章は青春ものというか、けっこう爽やかな映画になってると思うんですよ。(1章の監督の) 秋田谷 (典昭) さんは『俺がやると “中学生日記” みたいになるんだよね』って言ってましたけど」
なるほど。では田口さんとしては、ご自身のフィルムは何みたいになったと感じてますか?
「何みたいになってるんだろう⋯⋯僕、(黒澤明監督の)『赤ひげ』が大好きで、作ってる最中にやたらと観てました(笑)。画面のレイアウトもキメッキメで、超カッコいいんですよ-4章を作るとなったときに重い感じにはしたかったので、ふと『ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい』って思って」
これはディープな名前が出た(笑)。でもすごくわかります。
「ハネケ、好きなんですよ(笑)。ああいう、心にズガーンってきて『重つ!』てなる、そういう感じにしたいなってちょっと思ってました」
4章構成の中で『中学生日記』的なものとハネケ的なものが共存できていること自体が驚きですよね。ものすごく懐が深いというか。
「それだけ包容力がある作品だということですよね。しかもそれがすべて『P3』としてちゃんと成立してる。そこはすごいと思います」
田口さんにとって「『P3』とはこういうものである、こうあるべきである」という定義があるとすれば、それは何ですか?
「『P3』には『メメント・モリ (死を想え)』っていうテーマがあって、一般的には死を描いた作品に見えていると思うんですけど、自分の解釈はその逆なんです。どちらかと言うと死ではなくて、生きるとはどういうことなのかを描いている作品なんじゃないかと思っていて。特に4章では、生きる上で非常につらい試練がやってきて、それを受け止めなければならない。そしてそれを受け止めた瞬間に、自分たちは生きているんだってきっちり実感することが大切なんだっていうメッセージを込めたいんですね。今、生の意味を問う作品だって偉そうに言っちゃいましたけど、そういうことを自分が語ってもいいんだろうか、と感じながら作っているところはあります。���から、どうかやったらほんとに伝わるだろうかっていうことは常に気にしながら作っていて、この4章が完全な答え、というわけではなく、今自分が出せるひとつの結論として、そういうメッセージを込めている、という作品になってると思います」
石田 彰
出会いから10年。磨き続けてきた「宝物」へのメッセージ
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
前ページでも書いたとおり、「PERSONA3 THE MOVIE」の第4章は、このシリーズの集大成である。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を、原作の『ペルソナ3』から10年にわたり演じ続けてきた声優・石田彰にとっても、「彼」を演じるのはこれが最後。昨年4月号に掲載した3章公開前のインタビューで、石田は何者でもない存在だった「彼」に「薄い色を何回も何十回も重ねていった」という話をしてくれたが、劇場版4章における理は、仲間たちとの触れ合いを経て確かな自我を獲得し、自らの意思と言葉で生きることへの欲求を表明する。体温が感じられる、ひとりの人間として存在しているのだ。「彼」をここまで導いてきたのは、これまで『P3』をずっと支持し続けてきたユーザーの愛情であり、少しずつ、しかし着実に生命を吹き込んできた石田の演技である。10年間ともに歩んだ「彼」に、今想うこととは。
コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬する(笑)
劇場版の4章は、『P3』という作品にとって集大成となるわけですが、石田さんはどのような気持ちで収録に臨んだのでしょうか。
「もう、最後ですからね。作品自体もこれでおしまいということなので、 悔いが残らないように、有終の美を飾れるように、というところで、空回りしてもしょうがないので、気合入れすぎてもいけないんですけど、『頑張ろう』と思って臨みました」
台本を受け取ってみて、たとえば「この部分がしっかり描かれていて嬉しかったな」と感じたポイントはありましたか?
「それぞれのキャラクターが、残された時間で自分は何をするのか、どう向き合うかっていうのを描いていたところは、そのキャラクターが好きな人にとっては外せないところでしょう。実際、『らしいな』っていう行動を取ってたりするのがとてもよかったと思います」
前回、昨年の4月号に掲載した劇場版3章の特集のインタビューで、石田さんは4章に向けて「お客さんを泣かせてやろう、というスケベ心を出さないようにしよう」と言っていて。
「はい(笑)」
なるべく抑えてやらなきゃいけ ない、とはいえ最後ということもあって石田さんの中に湧き起こってくる感情はあったのではないか、と想像していたんですけども。
「実際にやってみると、そんなことを考えなくてもよかったです。泣かせてやろう、と操作をする余裕もないというか、こういうことを表現しなければいけないっていうことがすごくはっきりしているシーンの連続なので、観てる方が結果泣いてくださったらもちろん嬉しいんですけども、そうやってイヤらしいことを考えなくても自然とそういう流れになるし、やってる側にしても物語の流れに乗っていくのがベストなんだ、と感じられる密度の濃いお話でしたね。台本を読んだ時点で、余計な小細工をしようっていう考えはすっ飛びました」
なるほど。ただ、4章はかなりエモーショナルな話であって、『P3』の主人公を長く演じてきた石田さんの気持ちも動くところはあったと思うんですけど、石田さんの心情 面が反映された部分はありますか?
「今作までの3章を演じてきたことで、自分の中で育った理の考え方というものが最終的に表れていると思います。これまでの3章があったおかげで、それが自然に身につけられたっていう感覚はあります。彼は、自分がしたいこと、主張したいことが自分でもはっきりとわかったんですね。最初はぼんやりと『こうするのがいいんだろうな』みたいな感じで、『なんで?』って言われると『うーん、だってそうなんじゃないの?』としか答えられなかったのが、自分の中ではっきり主張できる理由ができたっていう」
ちなみに、いちファンとして気になるところなんですけど、今回の収録現場で、印象に残っているエピソードはありますか?
「とにかく収録中はコロマルの人気 かすが高いですね。コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬するくらいで(笑)。僕は理と綾時だけじゃなくて、他にもいろいろクレジットされていたりするので、香盤表を見て『大変だね』っていうのは挨拶代わりに言われてました(笑)」
4章の中で、特に理とエリザベスの会話が印象に残っていて。そこで『仲間と過ごして、俺は生きることを始められたんだと思う』というセリフがあって、原作では主人公の 心の動きは表現されているけれども、実際にはこういうことを明確な意志を持ってしゃべることはなかったじゃないですか。原作が好きな方にとってはものすごく感動するというか、彼が自身の変化を口にするすごくいいシーンだと思うんですけど、石田さんはどのようなことを考えながら収録しましたか。
「劇場版は1章から4章まで段階を追ってだんだん彼自身のやりたいことが明確になってくる、そのために必要な仲間とどう付き合っていくのかっていうこともはっきりと見えてくるっていうお膳立てが、しっかりとされていて。だから僕としては、そのセリフはすごくわかりやすかったし、すごく自信を持って言えることだよなあ、って思いました。なので、収録するときも当たり前のセリフとして言ってましたね。言いやすいというか、無理なく言えるセリフでした」
石田さんはこれまでのキャリアの中でもこういうシーンを演じた経験があるのでは、と思うんですけど、その経験をどう活かしましたか。
「特に具体的にはないですけどね。自分の経験のどこかを探せば自分が決断をしたポイントもあるんでしょうけど、でもそれをアンプを通して増幅したとして、このシーンの理の心の動きと似たような形になるかといえば、違う気がします。こういう、ある意味突拍子もない事態の中で表現するときは、そうそう経験値だけには頼れないし、想像しないといけないんです。ただ、その想像をするときに、まったく想像もつかないことをいかにも整理がついたようにしゃべるのと、『うん、わかる』と思いながら言うのとでは、やってる充実度も結果も全然違います。今回の理については、自分の発想がちゃんと物語に追いついてました。今回に限らず、『P3』は僕にとってちゃんとできた作品というか、嘘をつか xずにできた作品だと思います」
では、今回の収録で理としての最後のセリフを言い終えたときは、どんなことを感じましたか。
「最後、理はセリフがないんですよ。アドリブ的な息遣いだけなので。台本に書かれていない息遣いを入れるか入れないかは自分の中で演出をつけた上で現場に臨むんですが、そのシーンではみんなが盛り上がってくれているので、そこに一言、セリフとして参加したいとは思いました(笑)。それこそ、スケベ心以外の何物でもないですけど」
(笑)。
「でも、結果何を言っても蛇足にしかならないだろうなって納得して。そこでただひとこと、『みんな⋯⋯』とか言ってみたところで(笑)、『まあ、ないほうが美しいよなあ』と自分でも思いますし」
ただそのスケベ心は、間違いなくみんなが求めているスケベ心だと思いますけどね(笑)。
「ははは。でも作品としての完成度を高めるためには、たぶんそれは切るべきなんですよ(笑)」
『P3』は僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物です
(笑)今回、劇場版のラストとなる4章まで演じきってみて、石田さんから理にかけてあげたい言葉は何ですか?
「いい仲間に出会えてよかったねっていうことですかね⋯⋯それじゃダメですか?(笑)」
ダメじゃないです(笑)。前回のインタビューで、ゼロの存在である彼に薄い色を何度も重ねていく、塗り残しがあったらそこに色をつけていく作業だった、というお話をされてましたよね。塗るべき色は第4章で塗り終えるわけですけど、塗り終えたあとの彼は、石田さんから見てどんな姿をしてましたか?
「ちゃんとした個性を持っていて、はっきりと輪郭もできた人間に見えてると思います。完成形まで持ってこられたのは4章に入ってからだと思いますけど、3章の頃にしても、1章に比べれば、薄ぼんやりしてたものがだいぶはっきりと見える感じにはなってきてたと思います」
この4章を最後まで観ることで、はっきりした彼の輪郭を感じることができるわけですね。
「そうですね。『もっと生きていたい』とか『この世界を終わりにしたくない』という主張をするところまで彼を持ってこられたときに、しっかりと見える形になったんだと思います。あとはその形になった勢いのままで、ダーッとラストシーンまで突っ走っていくっていう」
わかりました。では、最後にひとつ教えてください。石田さんが演じてきた彼は、この10年の間でゼロの存在だったところからどんどん肉体化されてきました。劇場版のラストである4章まで演じた今、声優・石田 彰にとって『P3』という作品はどんな存在になりましたか。
「『P3』に限らず、キャラクターの成長はいろんな作品で描かれるものであって、それが物語作りのひとつの醍醐味だと思いますが、『P3』のように長い時間をかけて、ゲームからドラマCD、劇場版映画と、何度も主人公、結城 理っていうキャラクターをやらせてもらったことで、こういう生き方の人間というものが、僕の中でよりはっきりしました。観ていただけたらわかる通り、彼は普通の人ではないです。普通の生き方���していて理解できる人ではないので、物語に出てくる登場人物として想像するしかないんですけど、でもそれが『物語に出てくるありえない人』ではなくて、名前がついて肉体を持ったひとりの人間になるところまで到達して、それを実感を持ってやることができました。なので、僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物になったと思います」
#persona 3#p3#i tried...#its so funny looking at p3 movie content now#its all like 'its over no more p3'#ha
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G組メンバーと共にアツい青春を過ごす“レディース”【多摩黒天使(ブラック・エンジェル)】ヘッドヒロイン・上城レイナ役は恒松祐里‼ ド派手な特攻服に身を包んだ迫力満点のビジュアルも到着‼
★“レディース”【多摩黒天使(ブラック・エンジェル)】のヘッド・上城レイナ(かみじょう・れいな)役・恒松祐里が解禁!
この度解禁となったのは、勝太たちと一緒に青春を過ごすことになる“レディース”【多摩黒天使(ブラック・エンジェル)】のヘッド・上城レイナ(かみじょう・れいな)役。レイナ役には、配信ドラマ「全裸監督シーズン2」で体当たりの演技が話題となり、連続テレビ小説「おかえりモネ」では片想いに悩む女性を好演、さらには配信ドラマ「今際の国のアリス2」、ドラマ「リバーサルオーケストラ」など話題作に続々出演し、今各方面から引っ張りだこの実力派女優・恒松祐里が抜擢!本作でメジャー映画初ヒロインを務めます。
恒松が演じるレイナは、“レディース”【多摩黒天使(ブラック・エンジェル)】のヘッドであり、G組メンバーに真正面から啖呵を切るような強気で大胆な性格。一方で、岸演じる勝太に密かに恋心を抱きながらもなかなか素直になれないという、恋愛には奥手でピュアな一面も持ち合わせたキャラクター。同時に解禁となったキャラクタービジュアルでは、斜に構えながらも力強い眼差しを見せる迫力あるレイナの姿が。かなり明るめの茶髪に、筆文字で書かれた“愛羅武勇”“硬派愚連隊”という大きな刺繍が入ったド派手なピンクの特攻服に身を包み、気合いの入った“正装姿”を見せています。
劇中では、体を張ったアクションを見せる喧嘩シーンも披露するなど、インパクト抜群の “レディース”姿を見せ、物語に大きな波乱を巻き起こすヒロインを存在感たっぷりに演じ切っています。特攻服を脱いだピュアな姿とのギャップにもご注目。是非ご期待ください!
★恒松祐里(上城レイナ役)コメント
上城レイナ役を演じました。恒松祐里です。 初めてのレディース総長役。強そうに見えて繊細なところもあるレイナは瑠東監督が様々な一面が見えるように演出して下さり、演じていて楽しかったです!岸さんは自然とそこにいるだけでキャスト、スタッフを笑顔にして下さり、「こんなに愛される座長はいるのか!」というくらい全員から慕われていました。真摯に目の前にいる相手と向き合う登場人物達に心を動かされると思います!皆さんのアクションシーンも超絶カッコ良いので見たらきっと「愛羅武勇Gメン!」と叫びたくなるはず!公開をお楽しみに!!
公式サイト
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【CHAINSAW MAN Collaborative Event Report】
チェンソーマン×リアル脱出ゲーム遊んできたよー!
ネタバレや撮影禁止のため、話自体の内容を詳しく書けないけれど、東京新宿では6月いっぱいまで開催されているので、気になる人はぜひ!全国では9月までやっている地域もあるよ。とても楽しかったので、ぜひ行ってみてほしいです!(写真は参加記念の販売グッズ)
【リアル脱出ゲーム初参加・ソロ】
ずっと気になっていたリアル脱出ゲーム。
遊園地にあるような、���路を謎解きしながら脱出する感じかと思っていたけれど、実際は違いました。
大きな地下ホールにチームごとのテーブルが割り当てられ、まずシアターを視聴します。(今回のために特別に書き下ろされたストーリーで、フルボイスです)
ストーリーを見た後は、卓上ゲーム(今回用に制作された紙系のグッズ)をチームのみんなで協力して進めていきます。照明や音響、スタッフの演劇もあり、謎解きごとに指定された場所へ時折移動しながら、(基本は常にテーブル上で謎を解く)
70分のタイムリミット内に全ての謎を解かないと…ゲームオーバー!
そんなゲームでした。
タイムリミット後には謎の回答編のシアターと締めのストーリーを観て終了です。失敗してもエンディングまで見れるのでスッキリ!
結論として、あまりに面白かったので二回も行ってしまいました。
めっっちゃ楽しかった…!!!チェンソーマン的にも楽しかったし、(デビルハンター時代のこのメンバーの新ストーリーって貴重)
初めて会う人たちとチームで協力し合うのも楽しかったし、謎解きの内容・目に見える驚きのギミック・没入体験型演出も最高に面白かった!全員この謎が初見のチームって本当に楽しい。
話がとにかく良くて、ボリュームもたっぷりで、謎レベルも高いんだけど求めればヒントで助けてくれる。
最後の謎は解答見た時にその仕込みに本当に感動した!
キャラ好きな人はボイス撮りおろしだからそれだけでも価値あると思う。だって自分がデビルハンターになってデンジ・パワーちゃん・アキ君たちの後輩になって絡めるんだよ?
没入体験型ってこういうことか…。どうも、私が今日から配属された新人デビルハンターです。
――――(以下個人的な参加体験の長い感想。イベントのさわりだけ知りたい人は上記までの内容で充分です)―――
【一回目:全員ソロ参加・謎初見で4人チーム】
初回は勇気を出しての一人参戦。予約時に「初めて・一人」で申し込むと、スタッフさんがちょうどいいチームに振り分けてくれました。私のチームは全員謎初見・ソロ参加の4人チームでした。
開始時間までチーム内で挨拶をして話す中で、謎解きゲーム自体のファンがたくさんいるんだな~と感じました。
ゲームが開始するととにかく時間に追われるのでみんなでやる事を分担して、謎の究明に話し合ったりアイデアを出します。解けるとオオ~ってみんなで一緒に感動するのが新鮮で楽しかった!
良い意味でびっくりする仕掛けもあって、思わずみんなで声を出してリアクション。拍手も自然と出る👏
【謎解きのサポート】
IQが低くてお力になれない…と心配していましたが、大丈夫!手を動かすことなど、謎解き以外にもやることがあります。人手が多い方が助かります。とにかくやることが多い!みんなで手分けしないと。
謎がわからないときはヒントブックを見たり、スタッフが親切なヒントを出してくれます。
どれだけ謎に苦戦しても、最後の謎に全チームができるだけ到達できるようにスタッフが進捗を見守ってくれている印象でした。
【一回目、脱出失敗…】
みんなの力で最終謎まで到達…!すっかり我こそは出来るデビルハンターな気分でしたが、最後の謎で一気に難しくなります。ここでは一番みんなでアイデアを出しあって話します。
アイデアを試したり試行錯誤しながらも正解が見つからずに…
無情にもここでタイムアップ…!
回答編の答えを見ても、うーん無理!全く思いつかなかった!と爽快感すらありました。これを作った人は本当にすごい!
後でこの話を作ったのは誰だろう~と調べたくらいです。
でも失敗しても満足度が高く、思いっきり遊んだ感がありました。
回答編ストーリーは失敗者も一緒に見れるので、損だと感じることは無いと思う。納得のお値段。
みんなでいっぱい頑張った~ナイスチーム!チームのみなさんに大感謝です。おかげさまでめちゃくちゃ楽しかったです。
【リベンジいいか?】
最後の謎の答えを見た後も、じゃああれをこうしてこうすればよかったのか…?と、理解するために内容を反芻する日々が続き…。
正直に言うと、回答編のストーリー上映の時
(=゚ω゚)。o○(…アキくん良い声だなぁ…)
って事に途中から気が行ってしまい、ごめん内容に集中できていなかった。
世の中のアキ君ファンの人は行った方がいいよ、こっちに向かって話しかけてくれるよアキ君が。後輩になれるよ。
---
それで数日後、新宿で友達と遊んでいた時に、謎解きゲームの話をしたら友達が興味津々で、今から行ってみる?!ってことで当日予約して行ってきました!空いてたら当日飛び込みで行けます!
【二回目・友達と二人きりのバディチーム編】
今回は友達と一緒のチームにするか、友達を全員初見のチームに入れてチーム別行動か迷いましたが、友達の希望で「友達と一緒のチーム」に決定。
申し込み時に「グループ」「リピート」を選択でき、「グループ」は申し込んだ友達同士で一緒のチームに入れてくれます。「リピート」は初見だけのチームを作る時にネタバレを避けるために自己申告が必要です。
追加で知らない人が入るかもしれなかったんだけど、最終的に締め切り時間が来て二人だけのチームに決定。土曜で大盛況、参加チームでホールはほぼ埋まっていました。
開始までの待ち時間に、チェンソーマンを知らない友達に設定だけ簡単に解説。知らなくても楽しめる内容ですが、知っていたら謎解きのアイデアになる…かもしれない。上映ストーリーで設定説明もあるので、それだけでも充分です。
私は答えを知っているので友達にチャレンジさせてから無理だったら助けるね、と先輩風を吹かせ、
「デビルハンターは二人一組でバディを組んで任務を共にするんだけど、今日は二人きりのチームだから君と私はバディだよ。ポンコツな先輩だけどよろしくね!」
「うん!」
――こうしてポンコツデビルハンターのバディチームが誕生した――
【二回目も脱出失敗…】
ポンコツ先輩があたふたしているとスタッフが何度も助け船を出してくれました。あれ?答えを知っているはずなのに…。
チーム二人だけで最後まで間に合うか心配でしたが、スタッフさんのヒントもあって無事、今回も最終謎までたどり着けました。
しかし残された時間がもう…!
「残り〇分」のカウントダウンが気を焦らせます。
二回目バディチームも脱出失敗…!
よくやった!我々はよくやったよ!最後に友達と握手しあって終了。
ナイスバディ!
チェンソーマンと脱出ゲーム両方初見の友達もだいぶ楽しんで喜んでくれました。
【リピートしたくなる理由】
二回目以降も楽しめる謎要素があり、リピートしたくなる気持ちもわかります。私もリピートしてしまいました。
二回目の回答編シアターでは、今回はまじめに聞いたので、どうすればよかったのか、ストーリーの全体像がちゃんと理解できました。それでも家に帰ってから文章にして頭の��を整理しましたが。
全体のストーリーもとても良くて、物語的なグッズ(ドラマCDなど)を売ってくれたらいいのにと思いました。ここでしか味わえないのはもったいない…
でも確かに、あの卓上ゲームをチームでワイワイ、場所移動する流れ、大掛かりな演出、シアター上映で完成される体験型ゲームなんだな!
ラストの謎解きの未クリアの無念、この回答で本当にあっているのかまた行って試したい~!
そうか…こうやって沼るのだな。
楽しかったーー!おすすめです!
行ける人はぜひ行ってみてね!
読んでいただいてありがとうございました。
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2024-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「中華」です◆
今月は参加者の皆様に「中華」のお題でアンビグラムを制作していただいております。中華といえば漢字発祥の地。現代の蒼頡たちの宴をご覧ください。今月も逆さまな作字が集まっております。
ではまずはdouse氏から。
「麻婆茄子」 回転型:douse氏
180°回転させても同じように麻婆茄子と読めるアンビグラムです。中華には「福到了」という福の字を上下逆さにひっくり返して貼るアンビグラム的な縁起物の風習がありますが 本作は麻婆茄子が無限に到来しそうな御目出度い回転字面になっています。対応解釈が最高ですね。この語句でこの文字組みが出来るのはきっとdouse氏だけでしょう。
「酢豚」 回転型:peanuts氏
世界範囲で有名な中華料理の一つです。酢豚は日本で付けられた名称で 中華料理においては広東料理の「古老肉」や上海料理の「糖醋排骨」が該当するようです。本作は作字のデザインと対応解釈が高次で両立した理想的アンビグラムです。「乍/月」部分のギミックは美しくてかっこいいです。
「酢豚」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右の鏡像図地で酢豚。作者いとうさとし氏はネガポ字(図地反転)の達人です。本作は真ん中から折りたたむとピッタリ嵌ります。まるでこの漢字がもとより嵌り合う構造を持っていたかのような自然さです。
「回鍋肉」 図地反転鏡像型:douse氏
四川料理の一つ。本作は斜め鏡像の図地反転アンビグラムです。文字の組み方がテクニカルでブリリアントカットされたような光学的な装いが抜群にカッコいいです。
「回鍋肉」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
上下の鏡像で図地反転になっている回鍋肉。日本語のアンビグラムは2022年に入ったころから飛躍的に進化発展した印象がありますが とくにネガポ字(図地反転)の進化は顕著で 英語圏でも作例はさほど多くないこのジャンルが日本ではたくさん作られるようになりました。それも本作の作者いとうさとし氏の尽力が大きいでしょう。
「酸辣湯」 鏡像型:螺旋氏
中国料理のスープの一つで 酸味・辛味・香味が特徴。本作は斜めの鏡文字で組まれています。斜めの鏡像型は漢字のアンビグラム制作に向いた対応だと思います。うまく作ればアンビグラムだと見破られない作字が可能で 本作も「束」部分が自然で驚きます。
「中華そば」 敷詰振動同一型:Jinanbou氏
発想が面白いです。「華」の字の中に異なる文字を幻視し抽出するその眼力には感服します。これは文字に隠された秘密のゲシュタルトを解析する行為でアンビグラム作りには欠かせないセンスです。
「青椒肉絲」 重畳型:きいろいビタ氏
ピーマンと細切りにした肉などを炒めた中華料理。本作 重畳型は同じ図形で韻を踏み 青椒肉絲と読ませるアンビグラムです。そのまま亜細亜のどこかの国で商品のロゴとして使用されているのではと思えるほど完成度が高いレタリングです。
「杏仁豆腐(⿸广フ)」 旋回型:Σ氏
中国発祥のデザート。135°回転の旋回型アンビグラムです。「腐」の字が「广」の中に片仮名の「フ」を入れた略字になっているところが凄すぎます。この略字は実際にゲバ字(アジビラ文字)などで使用例があります。柔軟な発想ができる人のアンビグラムは読みやすいですが 本作は作者Σ氏のアンビグラムが優れている理由の一端が垣間見える好例です。
「中華/北京/上海/広東/四川」 共存型(回転・鏡像):ラティエ氏
一般に四大中国料理と言われている4つの場所に お題をプラスした多面相アンビグラム。なんと5パターンの変化が起こる作字なのです。北京/上海/広東/四川は回転型で 大きく表示された中華はその鏡像になっています。 多面相漢字アンビグラムの制作はある種「挑戦」ジャンルです。多面相を作ろうとするその発想や度胸だけでも凄いですし 本作はその挑戦に成功していると思います。
「横浜中華街」 回転型:ぺんぺん草氏
東アジア最大の中華街を回転アンビグラムに。細かい説明は無用の傑作。この完璧な対応解釈をご覧ください。けしてアンビグラマビリティは高くない語句ですが冷静的確に作字されています。最高です。
「神戸」 回転型: 「長崎」 鏡像型: 「横浜」 重畳型:.38氏
日本三大中華街。それぞれ趣向を凝らした楽しい対応解釈で可読性も充分高い設計です。 これは文字数寄にはたまらない作字ですね。そのまま都市の紋章に使用してほしいナイスデザインです。
「横浜中華街散策中隠処的拉麺店発見」 回転重畳型:超階乗氏
ブレードランナーに出てきても違和感のないサイバーパンクアンビグラムの名作。文字の各所に丼図案などが組み込まれていて そのおかげで回転重畳構造を把握しやすい親切設計です。回転重畳型とは ある図形の上に同じ図形をレイヤーで重ね、上に重ねた図形だけを規則正しく回転させて文字を形成するアンビグラムです。
「西安」 回転型:うら紙氏
陝西省の省都で、旧名は長安というのは有名でしょう。 かっちりした輪郭でありながら墨のカスレを生かしたステキなタイポグラフィですね。アンビグラマビリティの高い語句ですが図案としてきれいにまとめるには作家の力が必要で、うら紙氏はその能力に長けています。
「Qingdao/青島」 図地反転回転共存型:ヨウヘイ氏
青島(チンタオ)は中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市。 図地反転で漢字の隙間にアルファベットを見出そうとすると、青島は横画が多くて打ってつけの言葉なのですね。省略があっても読み取りやすい作品です。
「シャンハイ」 旋回型:つーさま!氏
上海は中国で最高位の都市である直轄市の一つ。 五面相の旋回型。「シ/ン」の点の有無のみの差をどう表現するか難しいところですが、少し角度を変えるだけで違って見えてきますね。羽様の形状とグラデーションも読みやすさに一役買っています。すばらしい作品です。
「万里の長城」 回転型:douse氏
中国にある城壁の遺跡。中国の象徴の一つでしょう。 回転中心の作り方が見事です。「の」が伸びているのも不自然に見えず、「長」の横画を切っているので「長」のバランスもよく見えます。「万/戈」の字画接続の切り替えが見事ですね。さすがの一作です。
「麺/龍」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
どちらも中国を象徴するものでしょう。 自然に読めすぎて言うことがないですね。図地反転にピッタリすぎる組み合わせが今回のお題によって発掘されたと言えるかも知れません。一点、「龍」の上部の突き出した部分は作者も悔しいところだと想像しますが、それを差し引いても可読性最高の傑作です。
「伝奇/でんき」 振動型:kawahar氏
中国の古典的な演劇である戯曲形式の1つ。 氏の得意な「読み漢」で一作。ぐにゃりとした書体が「ん/ム」の振動などにマッチしていますね。読み漢はひらがなしか読めない人にも漢字が読めてしまう実用的な手法ですが、適用できる漢字は少なく本作のように限られた言葉だけです。
「太極図」 図地反転回転型:lszk氏
「易」の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である「太極」を表した図。 中央の「極」に本家の陰陽魚太極図があしらわれています。太極図の円形を「太・図」にもあしらって統一感を出していますね。図と地が絡み合い逆転しながら文字を形成しているところが、陰と陽が互いに飲み込みあい無限に繰り返す太極の思想を表しているようです。
「造書 研究」 回転共存型:意瞑字査印氏
「造書」を90°傾けると「研究」と読める対応です。造書とは文字を造るという意味。『蒼頡、鳥獣蹏迒の跡を見て分理の相別異すべきを知り、初めて書契を造る』 そのむかし蒼頡という人が鳥獣の足跡をヒントに漢字を発明した故事からの語句選択です。なるほどアンビグラム制作とは 新文字を発明する行為とも言えますね。
「東夷/西戎」「南蛮/北狄」 回転共存型:兼吉共心堂氏
四つまとめて「四夷」、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称。 筆文字の効果を生かした表現がすばらしいです。「夷/西」「虫/北」ではカスレにより字画の本数を増減させ、「南亦/狄」では墨垂れで字画密度差を克服しています。真似が難しいテクニックです。
「東夷」「西戎」 重畳型: 「南蛮」「北狄」 振動型:lszk氏
「四夷」は「夷狄」あるいは「夷狄戎蛮」とも。 お誂え向きの言葉がきれいにそろっていたものですね。というのは簡単ですが読みやすく仕上げるのは難しい字形もあります。氏は知覚シフトのバランス感覚が抜群なので調整の妙もさることながらこの対応にも気付けるのでしょう。
「劉備玄徳/関羽 張飛」 回転共存型:KSK ONE 氏
「蜀漢」を建国した劉備と、劉備に仕えた関羽・張飛。三国志の武将からのチョイス。 髭文字ならではのハネなど遊びの部分を生かした作字ですね。一文字目の「劉」が読みやすくすらすらと読みを捕まえることができます。関連する名前同士でうまく対応付けできるのが運命的ですね。
「熊猫」 敷詰図地反転型:松茸氏
ジャイアントパンダのこと。 パンダの白黒は図地反転にもってこいの題材ですね。どうやって考え付くのかわからない図案が毎回驚異的で目を白黒させてしまいます。きちんと敷詰できるのか不安になりますがちゃんと隙間なく並びますので安心してください。
「伊布」 旋回型:YФU氏
「イーブイ」の漢字表記。 久方ぶりに参加していただきました。言葉のチョイスも氏らしいですね。図形の長さを読みやすいところに調整するバランス感覚は健在です。
「マオ」 交換式旋回型:ちくわああ氏
かいりきベア氏の楽曲名より。「猫」の意味もある中国語らしい言葉の響きです。 線種を変えているのでかわいらしい作字になっています。対応付く字画も分かりやすいですね。それでもうまく敷き詰めてみるのは骨が折れそうです。
「西游记」 回転型:オルドビス紀氏
16世紀の中国の白話小説、繁体字では「西遊記」です。 簡体字をうまく活用しているのですね。「遊」よりも自然に回りますし、「記」よりも「西」との相性がよく一石二鳥です。「西・记」の右下がりのラインと「游」の右上がりのラインの視覚効果が心地よく作字として最高の仕上がりだと思います。
「 不 此 君 我 / 当 今 災 偶 成 夕 已 為 / 時 日 患 因 長 渓 乗 異 / 声 爪 相 狂 嘯 山 軺 物 / 跡 牙 仍 疾 但 対 気 蓬 / 共 誰 不 成 成 明 勢 茅 / 相 敢 可 殊 嘷 月 豪 下 / 高 敵 逃 類 」 交換型:繋氏
「山月記」より。縦に読んでください。 7×4の組全体を縦横に交換するともう一方になるという超絶技巧です。「爪」(爪痕の装飾がにくいです)を基準にすると見つけやすいでしょう。じっくりご覧ください。
最後に私の作品を。
「截拳道」 交換式旋回型:igatoxin
≪友よ水になれ≫で有名なブルース・リーの武術、截拳道(ジークンドー)から。
お題 中華 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「猫」です。長靴をはいた猫、シュレディンガーの猫、仕事猫、吾輩は猫である、猫男爵、猫目石、煮干し、マタタビ、夏への扉、蚤、百閒、注文の多い料理店、ハローキティ、ドラえもん、など 参加者が自由に 猫 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は6/30、発行は7/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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横浜港バラバラ殺人事件(よこはまこうバラバラさつじんじけん)とは、2009年(平成21年)6月に神奈川県横浜市金沢区で発覚したバラバラ殺人事件。 裁判員制度の導入後初めて死刑判決が言い渡されたと同時に、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[2][3][4]。また、控訴も取り下げたため、裁判員裁判だけの審理で死刑が確定した最初の事例にもなった[5]。 事件発生 犯行グループはベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っており、本事件において起訴された人数は7人(2023年現在も逃亡中の1名を加え、計8人による犯行)に上った[1]。 2009年6月18日から19日にかけて、前述の犯行グループのIと共犯者は、歌舞伎町の麻雀店経営者の男性と会社員の男性を千葉県船橋市内のホテルに呼び出して監禁した。 Iは「家族に電話させてほしい」「殺さないでくださいせめて殺してから切ってください」と懇願する経営者の首を、「動いちゃ駄目だろ、切れないじゃないか」と生きたまま電動のこぎりで切断、殺害し、共犯者に「人形みたいでしょ」と語った[6]。 会社員の男性は刺殺された後に遺体は解体され、横浜港や山梨県の山中に遺棄された。 捜査 その後、Iを含む犯行グループ8人は覚せい剤取締法違反などで逮捕され、共犯者は同容疑で警視庁などに指名手配されたが、タイに逃亡中とみられた[7]。 2009年10月15日、Iは前述の事件で死体遺棄容疑で再逮捕された[8]。またIは被害者の2人を殺害し、うち1人から1340万円を奪ったとして、2009年11月11日に強盗殺人容疑で再逮捕された[9]。 2009年12月9日、神奈川県横浜水上警察署捜査本部は国外に逃亡している共犯者に関して強盗殺人容疑などで逮捕状を請求し[7]、2009年12月15日付で国際刑事警察機構(ICPO)を通じ強盗殺人・殺人容疑などで国際手配した[10]。 刑事裁判 主犯格I 2010年(平成22年)10月14日、横浜地方裁判所(朝山芳史裁判長)は、覚醒剤密輸事件について有罪とした部分判決を言い渡した[11]。これは裁判員制度の裁判員の負担を減らすために区分審理を採用したためである[11]。 2010年11月1日、被告人Iの強盗殺人・死体遺棄事件に関する審理の初公判が横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた[1][12]。 2010年11月4日の公判で被告人質問が行われ、被告人Iは殺害動機を「私利私欲のため」と述べた上で反省の態度を示した[13]。 2010年11月10日、横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた論告求刑公判にて横浜地方検察庁は被告人Iに死刑を求刑した[14]。裁判員裁判における死刑求刑は新橋ストーカー殺人事件(東京地裁で無期懲役判決、確定)に続き2件目だった[14]。 2010年11月16日、被告人Iに関する判決公判が開かれ[15] 、横浜地裁(朝山芳史裁判長)は検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した[16][2][17][18][19]。裁判員裁判における死刑判決はこれが初めてだった[16][2][17]。 判決後、朝山裁判長は被告人Iに対し「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭を行った[20]。また、裁判員6人と補充裁判員1人のうち裁判員を務めた50歳代男性が判決後に記��会見に応じ、「すごく悩み、何度も涙を流した」と感想を述べた[21]。 死刑確定 被告人Iは死刑判決を受けた後、収監先・横浜刑務所横浜拘置支所で接見した弁護団に対し「控訴はしない」と意思を伝えていたが弁護人は説得を続け[22]、2010年11月29日(控訴期限は翌2010年11月30日)に判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが[23][24]、2011年(平成23年)6月16日付で被告人I本人が控訴を取り下げたため死刑が確定することとなった[25][5]。弁護人はこの控訴取り下げを「無効」と主張し東京高裁へ審理継続申し立てを行っていたため2011年8月末時点では判決未確定となっていたが[26]、2012年7月以降は収容先・東京拘置所で「死刑確定者処遇」となり[27]、裁判員裁判で初めての死刑確定となった[5]。 2017年(平成29年)9月22日現在[28]、死刑囚Iは東京拘置所に収容されている[29]。 共犯者 死体遺棄・逮捕監禁罪に問われた共犯被告人の男3人(いずれも滋賀県出身、判決当時は21歳ないし22歳)は2010年5月17日、横浜地裁(佐脇有紀裁判官)で懲役3年・執行猶予5年(求刑・懲役3年)の有罪判決を受けた[30]。強盗致死と死体遺棄、逮捕監禁の罪に問われた被告人の男(判決当時28歳、滋賀県東近江市出身)は2011年1月24日に検察側から懲役15年を求刑され[31]、2011年1月27日に横浜地裁(小池勝雅裁判長)で懲役12年の判決を受けた[32]。被告人は判決を不服として2011年2月7日付で東京高裁に控訴した[33]。この被告人の公判においては当時控訴中で横浜刑務所横浜拘置支所に収容されていた被告人Iに対する出張尋問が行われ[34]、2011年1月20日に裁判官3人・裁判員6人・補充裁判員3人の計12人が横浜刑務所横浜拘置支所へ出向き、被告人Iから尋問を行った[35]。
横浜港バラバラ殺人事件 - Wikipedia
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全人類よ、今すぐ橋本ライドンさんの『妹・サブスクリプション』を読んでくれ
〔なかよし姉妹 -- 2023年10月10日〕
可愛すぎる妹シリーズの印象で読み始めてみたら、まさか骨太のSFヒューマンドラマになっていくなんて、連載当初は思ってもみなかったんですよ、マジで。
作品の紹介に入る前に
この記事で紹介する『妹・サブスクリプション』(妹サブ)は、ぜひともツイッターで毎日21時に更新される最新話を連載で読んでいただきたい。3月8日に発売される単行本を待つことなく、今すぐ連載で読んでほしいのだ。それくらい、この作品を連載で読む体験にはすさまじいものがある。
今から連載を追いかけるには、まずは min.t で公開されているこれまでの連載まとめを読むといいだろう。連載開始は2023年10月10日であり、これまでの話数は約100話、すなわち100本の4コマなので、それほど難なく追いかけられるはずだ。その後、連載媒体である「ツイシリ」アカウント @twi_sirius、または作者・橋本ライドンさんのアカウント @hashimotorideon をフォローいただければ、最新話の更新やその周知が流れてくるだろう。
以下、この記事は作品紹介の都合上、これまでの連載のネタバレを含んでいる(できるだけ軽微なものに抑えたつもりではある)。妹サブのマンガ体験を十全に味わいたい方は、この記事の続きを読む前に、ご自身で連載を読んでいただければ幸いである。
前置きはここまでにして作品の紹介に入る
妹サブの舞台は、失われた人間を模倣する人造人間技術「レプリカント」が実現された近未来。主人公の一人である姉のみゆきは、妹・今日子(きょんちゃん)のレプリカントとともに暮らしている。冒頭で引いた第1話の時点で、妹は既にレプリカントなのだ。その設定は連載初期に少しずつほのめかされていった。
〔お姉ちゃんの部屋 -- 2023年10月10日〕
〔嫌いな業者 -- 2023年10月12日〕
連載開始から3日目までの印象的な場面を挙げよう。意識を失ったと思しき妹の体躯が、姉によって鍵付きの部屋に引きずられ、「回収センター」を名乗る者によって箱詰めされる。それも複数体が同じような姿で。この時点で、妹は人間ではなくロボットのような何かであること、またタイトルの「サブスクリプション」は昨今の継続購入サービスを意味していることが推察できた。だがその核となる設定はまだ示されておらず、確証がないまま不穏な空気が醸し出されていったのだ。
妹サブのマンガ体験の面白さは、こういった毎日のハラハラドキドキにある。各話で明かされる事実が断片的であり、次の更新は翌日を待たなければならないことから、その間に想像や考察が否応なく膨らむのだ。ここまでに私が述べたあらすじや解説は過去の連載を読んだ後だから書けるのであって、現在進行形で読んでいたときには翌日の展開を予想しても外すことは日常茶飯事だった。外してもその日のうちにスッキリできるならまだ良くて、時には何日も核心が伏せられたまま物語がジリジリと進み、早く真相と答え合わせさせてくれ!と悶絶と期待が入り混じった感情に駆られることもしばしばだった。
〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕
〔あなたにだけは話したい-- 2023年10月30日〕
〔あなたは異常 -- 2023年11月3日〕
作中で「レプリカント」という単語が初出するのは連載開始から2週間後、妹がレプリカントだと姉の口から名言されるのはさらに1週間後、そして壊れやすいからサブスク形式だという設定が述べられるのはそのまた4日後であった。ここでようやく、妹が“意識を失った”こと、複数体存在したこと、そして回収されたことに合点がいき、もやが晴れるようなカタルシスが得られた。そして同時に、これらの場面はみゆきとレプリカントの、そしてレプリカントと社会の関わりを示してもいたのだ。
妹サブのタテ軸とヨコ軸
〔妹は そのままで -- 2023年10月13日〕
〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕
妹サブの読みどころはいわばタテ軸とヨコ軸に大別される。タテ軸は、みゆき(姉)から今日子(妹)に向けられる“家族愛”の歪さだ。今日子のレプリカントを溺愛するみゆきは、オモテ向きには頼れる保護者でありつつも過保護のきらいがあり、妹離れできていない姉のように見える。だが実際にはもっと悪いのだ。
〔悩めるお姉ちゃん -- 2023年10月14日〕
その悪さは、みゆきが今日子のレプリカントと相対していない、ウラ側の状況で見え隠れする。キーボードを猛烈に叩いてサポートチャットに要望を送り、無機質なビジネス応答に舌打ちしながら怒るみゆき。その態度と「直せ」という強い口調には過保護を超えて、“愛する”妹を自らの管理と制御の下に閉じ込めて作り変えんとする魂胆があらわれている。もちろんリアルタイムの連載時には、本物の今日子は真に素直な子だったという可能性もあった。しかし現在までにその可能性は明確に棄却されている。
〔瞳に星屑をまぶして -- 2023年11月29日〕
さらに悪いことに、みゆきは自身の行いが正しいとかなり純粋に信じている(少なくとも、この記事の公開時点で、これまでの連載を素直に読む限りでは)。みゆきの信念は関係者との間で軋轢を生んでいき、それがまたドラマになるのだ。
もちろん、みゆきはわけもなくレプリカントに手を出したわけではい。作品設定では、レプリカントを正当に得るには対象の家族が亡くなったとされる必要がある。みゆきが今日子自身でなくそのレプリカントと暮らしているのには相応の理由があり、それもまた連載の中で描かれている。これらの事情を理解した上でなお、彼女の“家族愛”は歪だと言わざるをえないものであって、控えめに言っても全てを首肯すること��できないものなのである。こういったアンビバレンツな人間模様や読後感もまた妹サブの魅力である。
〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕
そして読みどころのヨコ軸は姉妹をとりまく社会との関わりである。それは家族や友人といった近しい他者にとどまらず、文字どおりに世の中の状況を含んでいる。作品世界の中ではレプリカントが社会問題になっており、受容する動きもあれば批判する動きもあることが、連載開始から2週間のうちに示された。そしてこの記事を公開した時点で進行中の連載では、レプリカントと社会のあり方がまさに描かれようとしているのだ。これは本当に連載で読んでいただきたい。
〔違わない -- 2023年10月26日〕
〔初めて わかってくれた人 -- 2023年10月31日〕
〔知らない友達 -- 2023年11月12日〕
〔あるアルバイトの苦悩 -- 2024年1月9日〕
かような背景をベースにして、姉妹の生活とみゆきの思いは他者と相対される。近しい者では、例えば共生を否定した両親、カミングアウトを“ひとまずは”受容したみゆきの友人、何も知らずに“再会”した今日子の友人。より社会の側では、例えばレプリカント企業のカスタマーサポートで働くアルバイト。他にも、みゆきと同様にレプリカントに手を出した別の家族や、レプリカント事業の起業者なども登場する。かくして社会の中で姉妹模様が描かれ、また姉妹模様を通じて社会が描かれる構造は、科学技術の“もしも”と同時にそれが存在する世界での人倫を描く、骨太なSFヒューマンドラマの基礎となっているのである。
〔今日子 中3の夏 -- 2023年12月10日〕
その中にはもちろん、もう一人の主人公である、“在りし日”の妹・今日子も含まれる。今日子の過去、あるいはやがてレプリカントに手を出すことになるみゆきの過去は、これまでの妹サブの連載の中で最も重要な物語である。これもぜひ連載まとめで読んでいただきたい。
「今」すぐ読まれるべき、ということ
以上、私がこの記事で急ぎ語りたかった、今すぐの「すぐ」について語り切ったつもりである。ここからは、連載がまだひと段落していない現状では拙速で蛇足かもしれないが、今すぐの「今」について少しだけ語りたい。本格的な語りは単行本の発売後に別の記事を起こす予定である。
妹サブを読み進めていくと、私は現実の現在におけるいくつかの社会問題をどうしても連想せざるを得ない――ひとつは毒親に代表される支配的な家族である。みゆきは親ではなく姉だが、家族の御旗のもとに個人(今日子はみゆきの姉である前に今日子個人である)の人格を支配どころか改竄までせんとする姿はまさしく毒親のそれに当たると言えよう。もうひとつは人格ある他者を部分的に模倣する技術であり、その最たるものがいわゆる生成AIである。特に妹サブにおいて中心的に描かれる家族と故人というテーマにおいて、私はTEZUKA2020・TEZUKA2023プロジェクトを真っ先に思い浮かべた(奇しくもTEZUKA2020プロジェクトの単行本は、3月に刊行予定の妹サブとの単行本と同じく、講談社から刊行されている)。故人・手塚治虫の版権を管理する法人やその家族が関わるこのプロジェクトは、仮に著作財産権の観点で正当だとしても、死後も譲渡できない著作者人格権の観点では正当性をどのように主張するのか。まさか家族の御旗のもとに正当性を主張するとでも言うのだろうか。よしんば法的に許されたとして、法に先立つ人倫として許されるべきなのか――こういったことを考えてしまうのだ。
妹サブは意図的にせよ結果的にせよ、現実のかような社会問題を空想のSFマンガの形で読者に問いかけているように思う。レプリカントの「レプリカ」は複製を意味する言葉だ。そして���間が『死後に』『他者によって“正当”に』『“複製”と称される行為の対象になる』ことは、人間の尊厳に踏み込み、個人主義を溶融させ、代替可能性を加速させる営みと捉えられるだろう。かような世界において、人間が人間らしくあること、あらゆる何かに先立つ個人であること、そしてその人格が代替不能であることは、いかにして成立し得、また成立“しなければならない”のか――過剰な願いかもしれないが、私はそのひとつの答えを、あるいは少なくともその確固たる問いを、妹サブには描き切ってほしいと思っているのだ。
(すいーとポテト)
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