#きかんしゃレベッカ
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始め��レベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカは���フェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員��が、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思��る。
そして、イーニドの後ろ姿は、スク��ーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシー���はなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱���の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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The New Yorkerのハミルトン特集翻訳
The New Yorkerの2015年のハミルトン特集の翻訳してみた。1万7千字ぐら��なっちゃってますが。。。できてすぐの記事なので、のちの評価の俯瞰はないのですが、創作過程とミランダのキャリアがわかる記事です。締めがエモい。
【このカッコが私の注釈です。例のごとく誤訳マシンなので気になる人は原文を読もう!】
ハミルトンについてのすべて
The New Yorker, FEBRUARY 9, 2015 ISSUE
レベッカ・ミード
2009年4月、作家・作曲家・パフォーマーのリン=マニュエル・ミランダは、ホワイトハウスからの連絡を受けた。新しい大統領とファーストレディが「アメリカの経験」をテーマにしたライブ・パフォーマンスを企画し、ミランダは招待されたのだった。当時29歳だったミランダは、前年に彼が作曲・作詞したブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」に出演していた。ワシントン・ハイツを舞台に、サルサとメレンゲをラップやヒップホップと融合させた音楽と、ブロードウェイにありがちな展開を効果的に混ぜた物語だ。「ハイツ」はベスト・ミュージカル賞や作曲賞などのトニー賞を受賞し、後者の受賞の際には「Sunday in the Park with George」を引用した快活なラップを披露した。“Mr. Sondheim / Look, I made a hat! / Where there never was a hat! / It’s a Latin hat at that!”(そしてタキシードのポケットからプエルトリコの旗を取り出した)ホワイトハウスはおそらくミランダからラテンアメリカンの経験を期待していたのだろう。「イン・ザ・ハイツ」からの曲でも良いと提案��れた。
ミランダはもっと違うことを考えていた。数ヶ月前、彼と彼のガールフレンド、ヴァネッサ・ナダルは結婚し、メキシコへ新婚旅行へ出かけた。プールの浮き輪に揺られながら、彼は気まぐれに読書を始めた:ロン・チャーナウによる800ページ超の、アレクサンダー・ハミルトンの自伝だった。ミランダはハミルトンの初期の人生に魅了された。婚外子で、セント・クロワ島で極貧のうちに育った。父に捨てられ、幼い頃に母を亡くし孤児となり、ハミルトンは青年期に自力で革命の熱気高まるニューヨークに移民した。雄弁で筆の早い文筆家で、フェデラリスト・ペーパーの2/3を執筆した。独立戦争でジョージ・ワシントンに仕えた後、アメリカ初の財務長官となった。のちに、不倫問題が明るみになり、政界初のセックス・スキャンダルにより悪名を集めた政治家となった。その後閣僚に入ることはなく、50代になる前に死んだ。個人的不和が修復不可能となったために、決闘で副大統領のアーロン・バーに殺されたのだ。
ミランダはハミルトンの波乱万丈な人生、才気、言語の巧みさ、そして自己破壊的なまでの頑固さを、独特のレンズを通して眺めた。それは、ヒップホップの物語、移民の物語としての視点だ。ハミルトンは彼の父、ルイス・ミランダJr.を思い起こさせた。プエルトリコの地方で生まれ育った若く野心的な男で、18歳になる前に大学を卒業し、ニューヨーク大学で学業を治めるためにニューヨークに移住した。ルイス・ミランダはエド・コッホ市長のヒスパニック関連の特別顧問をつとめ、その後政治コンサルト会社のMirRamグループを設立し、フェルナンド・フェラーなどの顧問を行った。高校の夏休みには、リン-マニュエルも父の会社で働いた。のちに、彼はエリオット・スピッツアーの2006年の知事選などの、MirRamグループの顧客の政治広告のための宣伝曲を書いた。チャーナウの1800年選挙の描写はーー現代の政治キャンペーンの起源だーーミランダの政治キャンペーンに対する内部の視点と共鳴した。ハミルトンと同胞たちが行った政府の目的に対する議論は、MSNBCとFOXの対立のごとく今も活きている。
ミランダはまた、ハミルトンのなかにトゥパック・シャクールを見た。西海岸のラッパーで、1996年に射殺された。シャクールは複雑な、社会派の歌詞を書いた。ミランダは特に“Brenda’s Got a Baby,” に魅了された。21歳の娼婦になった女の子が暴行者のこどもを産む物語を描いたヴァースだ。シャクールはまた極端に気難しく、気に入らないラッパーのことを公に罵倒した。ミランダはハミルトンの中に同じ言語的才能と、これまた似たような、致命的な、引き際の知らなさを見た。これらはハミルトンの物語の中でとてもドラマティックな要素だった。彼がのしあがるために必要だった性格が、彼を転落させると言う点だ。ホワイトハウスのイベントの主催者が電話した時、ミランダはハミルトンについてのラップを提案した。彼らは了承した。
5月の夜、ミランダと他のパフォーマーたちはーージャズベーシストでボーカリストのエスペランザ・スポルディングや、ジェームス・アール・ジョーンズがいたーー大統領に紹介された。ミランダは彼に空港で買った”Dream from My Father”にサインを頼んだ。ステージで、ミランダはハミルトンのコンセプト・アルバムに取り組んでいると発表した。「ハミルトンはヒップホップを体現していると思う」と彼は言い、人々は笑った。まだ一曲しか書いていないとは言わなかった。ミランダはハミルトンが「言葉が違いを見せる」ことの体現をしていると説明した後、ハミルトンの最初の20年の人生を4分の複雑な歌詞で要約して見せた。華奢で、黒く短い髪で濃い髭のミランダは跳ねるようなエネルギーをまといながら、ステージを歩き回り、ラップした“the ten-dollar Founding Father without a father / Got a lot farther by working a lot harder / By being a lot smarter / By being a self-starter.” 彼のパフォーマンスは観客から歓喜の呟きを引き起こし、オバマ一家は熱狂した。(ミランダは後から、大統領の最初のリアクションは「ティモシー・ガイトナー【オバマ政権の財務長官】も見るべきだったな」というものだった、と教わった。)
6年後、その歌は、2月17日からパブリック・シアターで開幕した「ハミルトン」のオープニング・ナンバーとなり、ミランダがタイトルロールをつとめた。ヒップホップに根付いているが、R &B、ジャズ、ポップ、ティン・パン・アレー【ブロードウェイの音楽を起因とした商業ポップス】、現代ブロードウェイの合唱などを包括した。「ハミルトン」は歴史と文化の再イメージ化の到達点である。ミランダの語りの中では、成り上がりで向こうみずな移民の物語は、アメリカの物語となる。ハミルトンが自ら宣言するリフレイン“Hey, yo, I’m just like my country / I’m young, scrappy and hungry / And I’m not throwing away my shot,”は、その戯曲家にも言えることだ。ミランダは自分のツイッターのアイコンをハミルトンの10ドルの肖像に、自分のニッと笑った口、黒い眼、あごひげを抜めなく重ねている。
「ハミルトン」はアメリカの歴史を現代の設定に置き換えたものではない。ミランダの建国の父たちはヴェルヴェットのフロックコートと半ズボンを着る。フーディやジーンズではない。デヴィッド・コリンのセットは、裸のレンガに木の足場。暖かな照明は蝋燭の光を思い起こさせる。ロープと金具の固定具で飾られたステージは、船の建設ーーそして建国、または18世紀のニューヨークの構築ーーを思い起こさせる。
ミランダはアレクサンダー・ハミルトンを眩いばかりの焦点を持って描き出す。多才で、抑えるのがやっとの怒り。ハミルトンは条約を書く時歩き回り独り言をいうことで知られていたが、舞台ではラップでの独白は驚くほどの自問で彩られる。「死のことを思い出の様に想像する/いつ掴まるか/眠りのうちか/7フィート目の前か/逃げるか受け入れるか」“I imagine death so much it feels more like a memory / When is it gonna get me? / In my sleep? / Seven feet ahead of me? / If I see it coming do I run or do I let it be?”ミランダは閣僚会議を、囃し立てるサポーターたちに囲まれたラップバトルに置き換える。州の債務を補償するために設立を目指した国立銀行ーーハミルトンの先見的な発明だーーに関する議論は生き生きしたやりとりを生む。ハミルトンは悪意を込めてトマス・ジェファソンを貶す。“Always hesitant with the President / Reticent—there isn’t a plan he doesn’t jettison.”
「ハミルトン」が初のアフリカン・アメリカンの大統領在職期間に創られたのは偶然ではないようだ。このミュージカルは国の誕生を意外にも、しかし必然的に、軽く描き出す。エリートの白人による荘厳な所業としてではなく、全てのアメリカ人の創造の物語として描いている。トマス・ジェファソン、ジェームス・マディソン、そしてジョージ・ワシントンはアフリカン・アメリカンによって演じられる。ミランダはまた、女性たちにも重要な役割を与えている。ハミルトンの妻イライザ・スカイラー(フィリッパ・スー)や義理の姉アンジェリカ・スカイラー(レネー・エリーズ・ゴールズベリー)だ。3人目の妹が加わったジグザグのハーモニーはまるでデスティニーズ・チャイルドのようだ。ミランダは建国の父たちを高尚な政治家とではなく、孤児や、無鉄砲な革命家として、時にはケチなライバルとして、極端に不安定な機運、機会、リスクを抱えて生きる。この瞬間の業績と危機はーー国の境の島で生まれた、移民の息子、父無し子の大統領の時代に生きる今にとってーー、決して時代の遠い出来事ではない。
今年でパブリックの芸術監督就任10年目を迎えるオスカー・ユスティスは、「ハミルトン」はここ数年で最もエキサイティングな作品だというーーたぶん、1992年に彼が依頼し、プレミアのプロダ��ションを監督した、トニー・クシュナーの「エンジェルス・イン・アメリカ」以来の。彼はミランダのこの作品と、シェイクスピアの初期の史劇であるヘンリアド【リチャード2世、ヘンリー4世第一部・二部、ヘンリー5世を一塊としてみる言い方】との関係をみた。「リンがしていることは、国の市井の声を韻文に昇華しているということだ。それがヒップホップのしていることだし、強弱韻文がしてきたことだ。リンは彼の国の創造の物語を、現在のわたしたちのこの国がしているのと同じように語っている。韻文の形で、シェイクスピアは英国の物語をグローブの観客たちに語り、英国を英国たらしめる手助けをしたーー英国人としての意識を持つことに貢献したのだ。それをリンは「ハミルトン」でやっている。彼は建国の物語を『私生児の、移民の孤児』の目から、有色人種の目を通して語りこう伝える、『ここは俺らの国だ。俺たちのものだ』と」。
10月の晴れた日、ミランダと彼のコラボレイター、「イン・ザ・ハイツ」と「ハミルトン」の演出家トマス・カイルは、パブリック・シアターを出てニュージャージーのウィーホーケンにあるハミルトン公園に向かった。「ハミルトン」を考えついて数年の間に、彼は数個のプロジェクトに携わった。チアリーディング映画のミュージカル化「Bring It On: The Musical」を共作、2012年にブロードウェイで上演された。「モダン・ファミリー」と「ママと恋に落ちるまで」に出演。即興ヒップホップ・コメディ・グループのFree Style Love Supremeとして、ジョーズ・パブやその他でパフォーマンスし、去年の秋にはTVシリーズが放送された。その間中もずっと、製作中の作品のために歌を書き、歴史書を読み続けた。2012年、彼は「ハミルトン」のコンサート・プロダクションをリンカーン・センターのアメリカン・ソングブックシリーズで上演した。タイムスでは、スティーブン・ホールデンが「ゲーム・チェンジャーとなることは明らか」と称えた。
ミランダはミュージカルに取り組みつつ、ハミルトンの膨大な手紙や出版物を読み、独立戦争の名残の残るニューヨークのさまざまな場所を訪れた。パール・ストリートにあるフランシス・タバーンは、英国軍に敗北した後のジョージ・ワシントンが将校たちと涙の別れを告げた場所だ。しばらく、ミランダは西162番街のモリス=ジュイメル・マンションで執筆する許可を得られた。国の歴史的な建築物で、マンハッタンで現存する中では一番古い建物だ。ワシントンは邸宅をハーレム・ハイツの戦いでの司令部として使用し、のちには副大統領のバーの居住となった。「アメリカ金融博物館の館長に会ったんだけど、彼は建物の表札を見せてくれて『ここはトマス・ジェファソンのニューヨークでの家だったんですよ』って教えてくれたんだ」とミランダは言った。「僕たちはこの大騒ぎの地層の上にいるっていうのが良いんじゃない?」ロン・チャーナウはホワイトハウスの���フォーマンスの数ヶ月前にミランダと出会い、作品の歴史監修となった。「リンは無駄な発明はしなかったよ」とチャーナウ。「まずは史実に忠実にしようと努めた。それでもし事実から逸脱しなきゃいけない時は、大体納得がいく理由があるのがわかるんだ。彼に尋ねたんだ、『もし歴史的に間違ってたら指摘したほうがいいか?』と。彼は答えた。『もちろん。歴史家にもこの作品を尊敬してほしいからね』」
ウィーホーケンへの小旅行はミランダにとっては初めてだった。決闘はここで、1804年の7月に行われ、バーはハミルトンを撃ち、彼はその負傷が元で翌日に死んだ。当時、決闘はニューヨークでは禁じられていたが、ニュージャージーでは許容されていた。「ハミルトン」では3つの敵同士による3つの決闘がドラマ化され、そのうちの2つが致命的なものである。死者の中にはハミルトンの息子フィリップを含む。「決闘は現代の仲裁裁判みたいなものだったんだ」とミランダは驚きを含めながら言った。「まるで『おい、納得できないんだったら、ニュージャージーの広場に行くぞ。武器と医者を連れてこい』みたいなノリだよ」
台本を作る中で数年を費やしてもなお、ミランダはハミルトンの最期の瞬間をどう描けばいいかわからなかった。さまざまな困難があったが、歴史の記録が曖昧だったことが一つの理由だ。バーはハミルトンを最初の一撃で撃ったが、のちにハミルトンの行動がー銃を確かめる様子や、眼鏡をかけていたという事実がー自分を本気で殺しに来たことを示していたと主張した。ハミルトンはしかし、多くの手紙の中で、彼はバーを外して撃つつもりであるーーショットを投げ捨てるつもりだーーということを示唆していた。目撃者はのちに、ハミルトンは空に向かって撃ったと証言した。
5月のワークショップ・プロダクションでは、ミランダはハミルトンに決闘の準備のラップを与えた。「目に日が入り思わず目が眩む/私のニューヨークがゆっくり立ち上がるのを見た」“The sun is in my eyes and I’m almost giddy / As I watch it slowly rise over my New York City”ーそしてバーを殺すか殺すまいかと考えあぐねた。音楽的にも歌詞的にも、この歌はミランダが捉えようとした賭けを捉えることはできなかった。 ハミルトンがバーに対して持っていた誠意の欠如への不信は、国の不透明な行く末への恐怖と重なった。その歌は、ハミルトンの柄にもない躊躇と、バーの柄にもない積極性がもたらす、避けられない悲劇への予感を表現することができていなかった。ミランダは再び歌を作り変えつつも、リハーサルへの心配もしていた。彼は言う。「存在しないもの、どうしても現れてこないものがあるのに、役者たちが部屋に入ってきちゃって『うわー!』ってなる」。カイルはミランダに締切を設けて、全ての歌の草稿に反応した。彼がいうに。「プレッシャーがある時のリンの反応はもっと多くのものを生み出す起爆剤なんだよ」
バーと���ミルトンの危険を孕んだ関係は、ミランダのショウの肝だ。オープニング・ナンバーでバーはハミルトンのことを「私生児、孤児、売女の子でスコットランド人」と紹介する。この歌詞はジョン・アダムスのハミルトンに対する侮蔑に由来している。バーは特権を持って生まれた。父はプリンストン大学となる学校の学長で、母方の祖父はジョナサン・エドワーズ【著名な神学者でプリンストン学長】だった。ただ、ハミルトンと同じく、彼は若くして孤児となり、法律を学び、政治の世界へ足を踏み入れていった。ミランダの語りでは、彼らはお互いの反転図だった。ハミルトンの熱心なまでの無鉄砲さはバーの冷たい慎重さと対を成している。「ハミルトンは失うものもない孤児だけど、バーは失うものしかない孤児なんだ」とミランダは言う。
バーをハミルトンの引き立て役とすることは、史実に沿うばかりでなくミュージカルの前例からも必然だった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」はユダが物語を語る。ミランダは宿敵の視点からハミルトンを見せるというアイディアに魅せられた。スティーブン・ソンドハイム(2009年の「ウエストサイド物語」のリバイバルの時、劇をスペイン語に訳すためにミランダを採用した)はミランダが払うミュージカルの歴史に対しての尊敬の態度を称賛した。「現代の劇作曲家の多くはあまりこの業界の歴史に興味を払わない。でもリンはミュージカルシアターがどこから来たのか知っている。ミュージカルがどこから来たかを大事にしている」。ミランダはハミルトンの初期の曲を数年前、ソンドハイムに披露している。「圧倒されたよ。素晴らしいと思った」ソンドハイムは言う。「とても新鮮で、念が入っていて、舞台的だと思う」
ミランダはソンドハイムのように、音韻構成と音楽のフレーズの組み合わせに注意を払っている。だが「ハミルトン」を作曲する際、商業的ブロードウェイ音楽からもインスピレーションを得た。「”レミゼ”的な音楽を作りたくてね。テーマを再登場させるのに賢い手が必要だった」彼は言う。「涙腺に直接響くと言う点では、あの作品の上を行くものはないよ」。「ハミルトン」はまた、ミュージカルの先人たちにもちょっとしたリスペクトを払っている。アーロン・バーがハミルトンや未来の革命家たちに怒りを鎮めるように忠告するせりふは、「南太平洋」からの引用。“I’m with you but the situation is fraught / You’ve got to be carefully taught.” 「これはロジャー&ハマースタイン的レイシズムの引用」ミランダは言う。ちょうど車はニュージャージーに向かうリンカーントンネルを通ったところだ。クリストファー・ジャクソン(彼は「イン・ザ・ハイツ」でも出演した)演じるジョージ・ワシントンは、自分のことを皮肉っぽく語る(“The model of a modern major general / the venerated Virginian veteran whose men are all / Lining up, to put me on a pedestal.” )が、これは「ペンザンスの海賊」からの引用で、ミランダ曰く、ギルバー��&サリバンの改善である。「mineralは一番ベストな韻じゃないっていつも思ってたんだよね」
ミランダのスコアは音楽のジャンルに対しても意味を込めた。キング・ジ��ージが去りゆく植民地に歌う曲は“You’ll Be Back”。ブリティッシュポップ的なーーただしハープシコードでーーウィットと美しい旋律に満ちた悪意。(“When push / Comes to shove / I will send a fully armed battalion / To remind you of my love,” と高慢な王を演じるブライアン・ダーシー・ジェームズ【オフ・ブロードウェイでの時は彼がジョージ3世を演じた】は歌う。)ミランダはハミルトンとジェファソンの世代の違いを、音楽で表現する。ジェファソンはハミルトンよりも一回り以上も年上なので、ちょうどパリから帰ってきた彼に屈折したジャズナンバー “What’d I Miss?” を与える。ジェファソンはラッパーのダヴィード・ディグスが演じる。彼は「ハミルトン」のために、国際ツアーを延期しなければいけなかった。彼は言う。「リンは普段滅多に交わらない世界の交差点に存在してるんだよ。ラップ音楽の熱心なファンで、とても優秀なラッパーでフリースタイラー。そして偶然にもミュージカルシアターと非常に親密な中で育った。その全部がオーセンティックに感じるんだ。」
90年代初期のポップ音楽ーーミランダの青春時代のサウンドトラックだーーが、スコアの中に織り込まれている。聴衆はフージーズやモブ・ディープ、ブランド・ヌビアンの要素を聞きつけるだろう。作品はノートリアスB.I.G.ことクリストファー・ウォレスにさまざまな形で言及している。ニューヨークのラッパーで、1997年に24歳で射殺された。ハミルトンが自己紹介する時、自分の名前のスペリングをテンポに乗せて歌うが、これはウォレスが“Going Back to Cali.” でしたことだ。ミランダは特に楽しんだのは“Duel Commandments”において、ウォレスのドラッグ取引入門の曲“The Ten Crack Commandments”のリフを使った部分だ。この歌は作品の最初の決闘で現れる。ここではハミルトンとバーは敵手のセコンド同士だった。5月のワークショップでは、ミランダはハミルトンとバーの決闘でもこのカウンティングの構造を用いることにした。演出家のカイルが説明する。「ハミルトンとバーの決闘のために準備をする必要があった。ハミルトンは死ぬことになるからね。だから構造的にもその下準備が必要だって僕らは思ったんだよ。同時にヒップホップファンが愛する何かを入れることは、15年前にビッギーが言ってたようなことを、ずっと昔のやつらもやってたってことを表してるんだ。」ミランダは頷く。「これは不法な行為についての曲で、それがどう行われているかについての歌なんだ」彼は言う。「そして僕らも彼も両方ともモーゼからの盗用した構造で作っている」
ウィーホーケンの柵に囲われた広場についてから、ミランダとカイルは不毛にもハミルトンが倒れた方向の手がかりを探した。1806年の初めには決闘のハミルトンの立ち位置に大理石のオベリスクが建ったが、数年のうちに壊された。のちに、崖の尾根に列車のレールが敷かれ、決闘場を根こそぎ無くしてしまった。最終的にミランダとカイルは1919年にハミルトンの胸像が立っていた柱を見つけた。 42番街の向かいにあるそのメモリアルは、驚くほど小さかった。ジェファソンやワシントンなら全身の像が建っていただろう。
メモリアルは閉じられた門の向こうにあった。ミランダが低い壁を登って崖の端から見下ろすと、茂みと木々の間から、下にあるアパートメントの建物が見えた。「こんなに手入れされているとは思わなかった。歩いて入れる林を想像してた。頭の中では、僕が生まれ育ったところの林みたいに、鬱蒼として隠れたところを考えてたよ。その想像がこれに置き換わることはないかな」ミランダは携帯電話でハドソン川の向こう側にあるマンハッタンを撮った。「聖地巡礼」、のちにそうツイートした。
「イン・ザ・ハイツ」の作曲家はワシントンハイツではなく、そこから30ブロックほどアップタウン側の、インウッド・ヒル・パークの近くで育った。マンハッタン最後の自然の森があるところだ。ミランダは2人姉弟の末っ子。姉のルツ・ミランダ-クレスポはエンジニアとして鍛錬し、今はMirRamグループのCFOである(リン-マニュエルの珍しい名前は、プエルトリコの作家ホセ・マニュエル・サンティアゴのベトナム戦争に関する詩“Nana Roja Para Mi Hijo Lin Manuel”から取っている。ルイス・ミランダが10代の頃に読み、将来のために取っておいた名前だ)。母は、プエルトリコで生まれたが赤ん坊の頃にすぐニューヨークに移民した、病院の心理士だ。 エドムンダ・クラウディオは住み込みの乳母で、プエルトリコから来た親戚。ミランダは彼女をアブエラ(おばあちゃん)と呼んだ。「うちの両親はずっと働き通しで、週末しか会わなかった」と彼は言う。「父と僕はアクション映画を見に行って、卓球やビリヤードで遊んだよ。同じ家に住んでるのに、週末だけ遊びに来る人みたいだった」
夏には、彼と姉はプエルトリコに行き祖父母の家に滞在し、言語の上達に努めた(ミランダのスペイン語は流暢だが、ネイティブスピーカーのそれとは違う)。子供たちは学問の面でも文化の面でも、多くを期待されていた。ルイスは彼らにサルサの踊り方を教えた。「僕にとっては、踊りを教わったことは本当に本当に大事なことだった」彼は言う。家族は経済的にはさまざまな背景があった。ミランダの父方の大おじはプエルトリコ独立党の創設者だったが、基本的には親類は労働者階級だった。5歳の時、ミランダはハンター高附属小学校の試験を受けたが、そうしたのは近所では彼だけだった。「プエルトリコ人の父にとってどんなことだったか、僕には想像もつかない」彼は言う。「僕の友達はみんなユダヤ系だった。ハンターに行くのはそうだからね。僕は学校ではリンで、家ではリン-マニュエルだった。学校と家では別人だった。���達はみんなアッパー・ウエスト・サイドやアッパー・イースト・サイドに住んでいて、僕は彼らのナニーたちとはスペイン語で話してた」
ミランダは6歳の時にピアノレッスンを受け始めた。「先生がリサイタルを催した。子どもたちがそれぞれ何曲か弾くんだ」ルイス・ミランダは思い返す。「リン-マニュエルが最初の曲を弾いて観客が拍手して、2曲目を演奏する。その時彼は『これもできる、これも知ってる』っていう感じになっちゃって。ピアノから引きずり下ろさなきゃならなかった。彼は拍手が大好きだからね」。彼のショーマンシップは時に宿題にも現れた。3年生の時の宿題、ジーン・メリルのThe Pushcart War(手押し車戦争)についてのレポートとして、彼は家族を巻き込んで本の中の出来事を再現したショートビデオを提出した。その中で彼はニュースキャスター風のスーツを着て、気取ったナレーションをした。「賢い子どもたちの中での必要通貨はファニーなこと。ファニーになれるなら大丈夫。だから僕はとても楽しい」(ミランダは今でも友人や家族を彼の創作意欲に巻き込んでいる。企業弁護士のナダルと2010年に結婚した時も、招待客を巻き込んで「屋根の上のバイオリン弾き」の”To Life”の寸劇で彼女を驚かせた。40万人がYouTubeでその様子を見ている)
両親はミュージカルの愛好家だった。「たくさんパーティをしたけど、流している音楽はほぼラテン音楽だった。サルサやエル・グラン・コンボ」彼は言う。「でも掃除の時の音楽はいつもキャスト・アルバムだった」ブロードウェイに頻繁に行くほどのお金はなかったが、ミランダは”聖なる3作”「レミゼ」「ファントム」「キャッツ」に連れて行ってもらった。「7歳の時にレミゼを見に行ったのを覚えてる。フォンテーヌが死ぬところで泣いて、少し寝て、ジャベールの自死のシーンの時にはまた起きてた。あのショウを体験するにはすごくいい方法だったと思う。『キャッツ』を見たときは、花道を走り抜ける猫たちに触れられたのを覚えている。『ファントム』を見たときは『うわマジか!』て感じだったね。だって醜い作曲家が自分の意志を世界に押し付ける話だろう。親近感が湧いた。」
ミランダは音楽を正式に勉強したことはない。ピアノレッスンは小学校を卒業するころには行かなくなっていた。ただ、ベッドルームのキーボードで、趣味としての音楽は続けた。高校で、彼はミュージカル演劇を始めた。9年生の頃、「ペンザンスの海賊」でシニアの生徒を負かして役を得た。「まだあの時の拍手を覚えてるよ。僕の人生で一番お気に入りの歓声だ」彼は言う。最終学年では、「ウエストサイド物語」を監督した。「シャークスにはラティーノがいなくて。いろんな濃さのブラウンと、アジアンの生徒たちだった」ミランダは思い返す。「だから父に来てもらって、シャークスのアクセントをつけてもらった。���の子たちにどうやってラティーノになるか教えたんだ。学校では全然ラティーノとしての自分��出してこなかったから、『ウエストサイド物語』はそのための方法だったね」ミランダが『ウエストサイド物語』の作詞家ソンドハイムと初めて道を交えたのはハンター高でだった。ソンドハイムは、同級生の父親(彼が生徒のためにアレンジを頼んだのだった)の友人だった。「彼はどうやってショウができるのかについて、素晴らしい話をしてくれた」ミランダは言う。「彼は僕らに、どうやってオープニング・ナンバーと台詞を書いたか教えてくれたーー歌詞に載せて歌い始めたーーでもジェローム・ロビンスは『いや、全部踊りで行こうと思う』と言ったんだって。すごく印象的だった。その時が初めてミュージカルが本当に作られるのか見た瞬間だった」
1997年、17歳の誕生日の時、ミランダは『レント』をブロードウェイで見た。「僕は思ったよ、これならできる!って。今のことをミュージカルにしてもいいんだ」。彼は学校の文化祭で20分ほどのミュージカルを描き始めた。MSNBCのブロードキャスターで、その時ハンター高の生徒だったクリス・ヘインズは、ミランダの初期作品の「ニ長調の悪夢“Nightmare in D Major” 」を演出した。ヘインズが思い返す。「主人公の名前はディランで、悪夢の中にいる。彼の過去から愛は奪い去られ、その途中で邪悪な豚が出てくる。悲しいバラードがあって、忘れ去られた恋愛に関する歌なんだけど、今でも歌えるよ」ヘインズによると、ミランダは自分の才能に気づいていた。「それが彼の力だったと思うんだよ。自信と自尊心が彼のカリスマの一部なんだ。変に謙虚ぶらないんだよ。遠くから眺めてて、想像したよ、『あいつ、自分のことをなんだと思ってるんだろうな?』答えは、”世代に一つあるかの音楽の天才”だ」
ハンター高を卒業した後、ミランダはウェズリアン大に行き、高校の頃の作品を再演した。「天国での7分間」という作品で、7年生のファースト・キスに関するミュージカルだ。「ウェズリアンはハンターに似ていて、頭にある馬鹿げたアイディアにを具現化することができるんだ」彼は言う。2年生の頃、ミランダはラティーノ文化センター兼寮のラ・カーサに移り住んだ。そこには8人の移民一世の生徒たちがいた。「この時が初めてラティーノの友達ができた時だった」彼は思い返す。「初めてマーク・アンソニー絡みのジョークと‘The ThunderCats’とか馬鹿げたアメリカ文化に関するジョークが、同時に通じる瞬間だった。『レント』が僕にミュージカルを書く許可を与えたみたいに、自分のホームについて書く許可が与えられた瞬間だった」
2年生の頃、彼はワシントン・ハイツを舞台にしたミュージカルを書いた。ラテンミュージックとヒップホップで近所の音を再現した作品だ。ラテン音楽も、ヒップホップも、それまで作曲したことがなかった。苦しい三角関係を取り上げたストーリー自体に新鮮味はなかったが、2000年の春に作品が上演されたとき、ミランダはヒップホップが席にいる観客との距離を縮めることに気づいた。「ラテン音楽とヒップホップの融合は強い効き目がある。このグルーブには何かがある。」
後の大学の二年間には、彼はそのミュージカル(初期の「イン・ザ・ハイツ」)の台本は棚にしまった。しかし、演劇関係の学生のあいだで評判は回って行った。2002年、ミランダの4年生でのプロジェクト“On Borrowed Time”がウェズリアンの劇���で上演されていた。2年上の卒業生トマス・カイルは劇団の立ち上げの手助けをしていて、劇場に立ち寄っていた。「イン・ザ・ハイツ」を気に入っていた彼は“On Borrowed Time”にはあまり興味がなかった。終了後ミランダと握手をして、横柄にも、「楽しめよ」と告げた(二人はいまだにこのフレーズを週に何度かお互いに言い合っている)。一ヶ月後、ミランダとカイルはニューヨークの西14番街にあるドラマ・ブック・ショップの地下で待ち合わせ、5時間話し込んだ。「『イン・ザ・ハイツ』のことを二年間ずっと考えてたから、話をはじめたら止まらなかったよ」カイルは言う。
ミランダがウェズリアン大を卒業した後、父は彼をロー・スクールに行かせたがった。ルイス・ミランダはルーベン・ブラデス【作曲家でサルサ歌手。アメリカに亡命する前はパナマで弁護士をしていた】を引き合いに出し、大成する前に法律の学位を取って保険をかけておけば、と説得した。そうはせず、ミランダ���ハンターに戻り、7年生の英語の代用教師となった。「文法の授業をしたね。僕たちの頃はやらなかったんだけど。だから子どもたちに教えるために文法を勉強した」。同時に彼は「イン・ザ・ハイツ」の制作に取り組んだ。数ヶ月の間、彼とカイルは役者を交えて素材を試した。ミランダはボデガの店主でナレーターのウスナビを演じることにした。「この契約でいちからラップを習ってくれる人が見つからなかったから、僕に回ってきたようなもんだね」
作品は最終的に数人のブロードウェイ・プロデューサーの目に留まった。「アベニューQ」などを手掛けることになるケヴィン・マクコラムもその一人だ。「彼は『なんの話かわかってきたらまた来な』て感じだったね」とミランダは言う。(マクコラムは「ハイツ」のブロードウェイでのプロデューサーとなった)2004年、ミランダとカイルは若き戯曲家キアラ・アレグリア・ヒュデスを雇い、脚本を書き直した。ヒュデスは大胆な書き換えをした。三角関係をなくし、ウスナビを謙虚ながらもカリスマのあるアンカーとして中心に据えた。【ハイツのメイキング本曰く、ベニー、ニーナ、リンカーン(ニーナの兄)の三角関係をなくしたのはプロデューサーの提案だったそうです】ミランダの愛するホームを描いた物語の中心だったロマンスは、二次的な要素になった。
2007年、数回のワークショップを経て、作品はオフ・ブロードウェイで上演された。翌年ブロードウェイに移った。いくつかの感情的・ストーリー的矛盾はあったが、その独創性と中毒性は多くの賞賛を得た。タイムスのチャールズ・イシャーウッドはこう書いた「『イン・ザ・ハイツ』は+サルサ・フレスカ−(セックス、ドラッグ、病気)のアップタウン版『レント』である。」
ミランダは動きの中で作詞をしている。アパートメントの近くのフォート・タイロン・パークを散歩しながら。または181番街からダウンタウンにゆく地下鉄の中で。彼のiTunesのフォルダはミュージカルのかけらでいっぱいだ。”Battle Loop”、”Burr-Hamilton Loop”はLogic Proで作曲した。「いいなとか面白いなとか、キャラクターに話してほしい片鱗とかを思いついたら8から16小節ぐらい��音楽をまず書く。そしてヘッドフォンをつけて出掛けて、犬の散歩をしながら独り言を言ってる」。時には作曲中の節をボイスメモに吹き込みながら、他のものをループで聞く。アーロン・バーを象徴する”Wait for It”のリフレインは夜地下鉄に乗りながら思いついた。「ダンボでやってる友達の誕生日パーティに行く途中だった。メロディをiPhoneに録音して、15分パーティに出て、帰りの電車で後の部分を作曲したよ」
長い間、ミランダはハミルトンか、アメリカの歴史の中では悪役となることの多いバーか、どっちを演じたいか決めることができなかった。ハミルトンの死後、バーは南西部で謀反を画策したとの疑いをかけられた(最終的には無罪となったが)。ミランダは多くの歴史家とは違い、バーに同情的だ。「バーには同じぐらい親近感があるよ」彼は言う「バーはハミルトンと同じぐらい賢くて才能があった。それにハミルトンと同じぐらい失ってきた。ただ、だからこそ、ハミルトンが前に進むところでバーは一歩引いてしまった。人生の中で、自分がハミルトンのようだと思うのと同じぐらい自分はバーだったと思う。誰しもこう言うことがあるだろう、友達や仲間が自分を通り過ぎて、成功したり、結婚したり、家を持ったりする。自分は一文なしで、独身で、仕事もなくもがいているのに。そして自分に言い聞かせる、『機会を待て』と。」ミランダは最近35歳になった。「ハミルトンがこの歳に達成したことを考えると、すごくバーみたいな気持ちになる。それか、ポール・マッカートニーと比べたりとか。ソンドハイムとか。ガーシュインとか。アウトキャストとか。彼らの業績を考えると驚いてしまう。」
最終的には、キャリアの面を見通した打算が勝った。「ハリウッドから連絡があると、大体は白人の主人公の友人役。もし主人公を演じたいなら自分で機会を見つけて、自分で書くしかない。ジョン・レグイザモもおんなじことを言っていた」(パブリックでは、バーは最近のNBCのドラマシリーズ”SMASH”に出演したレスリー・オドムJr.が演じている)ハミルトンを演じることは、ミランダいわく「本当の自分よりも生意気に、賢く、衝動的にならなきゃいけない。2時間半は自分の手綱を外さなきゃいけないね」
トマス・カイルはミランダが最終的にハミルトンを選んだことには驚かなかった。彼いわく「ハミルトンが自分を時限爆弾のように感じてるのは、リンの性質ととても合ってる」。「ハイツ」のブロードウェイ公演のリハーサルの時に、開演前に死んでしまうという迷信的恐怖を発達させた。「いつもジョークを言ってたよ。『無名の作曲家、マンホールに落下』『無名の作曲家、バスに轢かれる』」ミランダはいう。「ハミルトンの『死はいつも思い出のように感じる』と言う歌詞を書いた時、『ああこいつのことは知ってるな』って思ったよ」
親友となったキアラ・ヒュデスいわく、「ハイツ」は自伝的処女作である。「これが僕だ、これが自分が来た場所だーそれを爆発的なエネルギーで表現する必要があった」。対して「ハミルトン」は、彼女いわく、ミランダが大人として書いた初めての作品である。そしてこの作品も、���のさまざまなアイデンティティと強く関わっている。「彼はプエルトリコで、彼はニューヨーク、彼はヒップホップで、彼はブロードウェイ。彼は異なる世界の全てだと言うこと。それを一つの部屋に全部持ってくると、人々は熱狂するって彼は気づいた。だってそれはこの国そのものだから。」
パブリックシアターのミランダのチームは、このショウがヒップホップミュージカルと表現されるのを好まなかった。それも妥当な反論だろう。色々なジャンルを含んでいるから。また、戦略の面でもそうだった。そういったカテゴライズは聴衆の興味を限定する恐れがあった。特にブロードウェイ(最終的にそこを目指していた)では。(「ハミルトン」は2014年の終わりにはパブリックでソールド・アウトし、2回公演を延長した)
ヒップホップは音楽シーンでは世代を制覇しているが、ブロードウェイでは影響が小さい。3年公演が続いた「イン・ザ・ハイツ」以外で試みがあったとしたら、去年の“Holler if Ya Hear Me”(トゥパックの歌詞を元にしたミュージカルで、6週間の公演だった)が唯一だろう。「ハイツ」のプロデューサーで「ハミルトン」に大金を注ぎ込んだジェフリー・セラーいわく。「誰も一晩中ずっとヒップホップを聴きたいわけじゃないし、こっちもそうするつもりはない。『ハイツ』を三年間公演したけど、もしヒップホップミュージカルと言われていなかったら、もっと長くできてたと思う。美しくて感動的なショウだったからね」
「ハミルトン」宣伝の障壁は音楽の認識だけではなかった。セラーは観客たちが「誰がアメリカの官僚についてのショウを見たいんだ?」と言っているのが想像できた。同じ問題は、2010年のブロードウェイ作品“Bloody Bloody Andrew Jackson”でも起こった。7代目大統領についてのエモ・パンクミュージカルだ。評価は高かったが、興行面で振るわず四ヶ月の公演を終えた。
セラーの警告に反して、ミランダの独立戦争についてのラップ・ヒップホップを作曲する才能は、アウトキャストを聞いたこともないであろう聴衆に受け入れられた。戯曲家のジョン・ゲールは去年の春、友人にワークショップ公演に誘われた。「ショウを見ながら、こんなに生を感じたことはなかった」ゲールはいう。「ドアを開けて新鮮な風が吹き込む時のあの爽快な気持ち。彼はハミルトンの精神をとらえ、ロン・チャーナウの本の空気をとらえ、時代の精神をとらえた。おかしなことだが、それを優雅さと注意深さと統制と、狂気を持ってしてやり遂げた」。ミランダのヒップホップ・フリースタイラーとしての才能の証明はまた、新しい観客も捉えたようだった。ブルックリンを拠点にしたパフォーマンスアーティストのレモン・アンダーソンは「ハミルトン」をこう表現する。「劇場に行ったこともないコミュニティが、これを見にくる。いつも自分達の文化圏のみんなに言ってるんだ、『ラップの観点からもこんな歌詞が凄いショウはないよ』って」。ミランダと「ティモシーの小さな奇跡」で共演したコモンは言う。「ランチタイムにセットでフリースタイルをした時のことをいつも思い出すよ。『うわ、こいつは凄い才能があるな』と思った」
ミランダの作品はオペラのように歌い通しなので、���ャラクターがラップに移っても違和感がない。「ハミルトン」のジェファソンを演じるダヴィード・ディグスは、そのことをアメリカをステージで表現したものだと言う。「それがお互い会話する唯一の方法なんだよ。それが大事だと思う。いつも省かれてきた自分達を、歴史の一部として見ることができる。ラップは僕たちの世代の声なんだ。有色人種の人々の声だ。それがこの作品の中にただ存在して、特異な扱いをされないと言うことが、歴史は僕たちのものだと言う感覚をもたらす。」威厳に満ちたジョージ・ワシントンを演じるクリストファー・ジャクソンは、低く響くヒップホップのビートに乗せるラップから、朗々とR&Bバラードまでを歌い上げる。彼いわく、この作品は奴隷制の構造とその悪影響について潜在的に批判している。「ブロードウェイの観客は説教されるのは嫌いだから。多人種のキャストにすることで、有色人種である我々役者たちがキャラクターを演じると言うことだけで、追加的な文脈を加えることができる。」
「ハミルトン」のリハーサルは、タイムズ・スクエア近くの貸スタジオで行われた。12月初旬のある午後、キャストは”My Shot”に取り組んでいた。独立戦争前夜の活気に満ちたナンバーだ。出演者ほとんどが出てくるヒップホップダンスを、振付師のアンディ・ブランケンビューラーが振り付けていた。ミランダの音楽は、今やアレックス・ラカモアによってオーケストラ化され、力強いクレッシェンドを作り上げていた。彼もブランケンビューラーと同じように、「イン・ザ・ハイツ」からの付き合いのベテランだ。若き俳優アンソニー・ラモスが、舞台の向こう側から怒りを込めて突進する。彼はハミルトンの親友で、奴隷所有者の息子のジョン・ローレンスを演じている。独立戦争の頃、ローレンスは奴隷たちを兵士としてリクルートし、勝利のあかつきには身分を解放すると約束し、黒人連隊を作ろうとした。彼は1782年の終戦間近に戦死する。“Don’t this shit make my people wanna rise up!” とラモスは歌い、反乱者たちのコーラスをリードする。
役のために髪を肩まで伸ばしていたミランダは、心配そうな空気を纏い、目は疲労に縁どられていた。11月の初めに、長男セバスチャンが生まれていた。それにも関わらず、ミランダは役としていきいきを動き回っていた。あるときはアンサンブルとダウンステージを踏ん反り返って歩き、指を頭の上に高く上げる。まるで銃を撃つように。次の瞬間にはパソコンやスマホに何かを打ち込む。「頭の中のアプリがたくさん開いてる。台本、振付を覚えること、ツイッター。それからニュース」
その午後、ニューヨークでは、大陪審は警官のダニエル・パンタレオを殺人罪では起訴しないことを決めた。ステタン・アイランドのエリック・ガーナーは、去年の夏単本のタバコを売っていたことで逮捕された際、首を絞められ死んだ。その1週間前はミシシッピのファーガソンで暴動が起こった。これもまた大陪審がアフリカン・アメリカンのマイケル・ブラウンを射殺した白人の警官ダレン・ウィルソンを起訴できなかったことがきっかけだった。「『立ち上がれ』と僕らは叫んでいるけど、多くの人も同じように思っている」ミランダは言った。
2009年、ミランダのホワイト・ハウスパフォーマンスのあと、パーティはロビーのレセプションエリアに移った。そこではDJがヒップホップを流していた。ミランダは驚いた。アメリカはついに昔の人間ではなくて、自分達と同じ時代を生きる人間が大統領をしてるんだと思った。もしここ最近の社会がその包括の約束を裏切る辛い証拠だとしても、ミランダはまだ言葉の力を示すことができると思った。デモの参加者がマンハッタンでのデモを始めた時、ミランダは”My Shot”からの歌詞を呟いた。“If we win our independence / Is that a guarantee of freedom for our descendants? / Or will the blood we shed begin an endless / Cycle of vengeance and death with no defendants?”
午後のリハーサル室は静かだった。ミランダとジャクソンはカイルと別のシーンに取り組んでいた。1776年の8月、絶望的なブルックリンの戦いの後の、ワシントンとハミルトンの出会いのシーンだ。”Right Hand Man”の中で、ワシントンはハミルトンを召集し兵士としてでなく秘書として働くようにオファーする。“Head full of fantasies of dying like a martyr? / Dying is easy, young man. Living is harder.” ハミルトンは反���する。彼は連隊の指揮権が欲しいのだ。
カイルはミランダにハミルトンは何を考えているのか尋ねた。「保身モードになってる。ワシントンが正直になるまでは」とミランダは返答した。「『ゴッドファーザー』でアルパチーノが列車の音を聞いて、行くか行かざるか、と考えているところみたいな感じ。警察署長とソロッツオのところに行くか?それとも、ディナーに行くか?」ハミルトンは、ミランダが言うには、「勝利のための生贄」になる決心をしていた。戦場を離れるのはいつも最後だった。今やハミルトンはワシントンの側に着くことの将来の利点を素早く計算していた。この計算は一小節で示される必要があった。「この瞬間、彼はいう。『これをのしあがる手段にしよう』と。『戦場で成り上がると思っていたが、この方法で行くしかない』」
数回歌を繰り返して、ミランダはワシントンへのハミルトンの返事を考え出した。“I am not throwing away my shot.” 数曲前では、ハミルトンの戦場で命を投げ出す決意を示すフレーズだった。今ここでは、彼の人生よりも続くレガシーを築くチャンスを掴んだ瞬間を示すものだった。台本では、ワシントンはハミルトンを一言で遮るーー「息子よ」ーーこれはワシントンの若い部下に対する親心が現れている。(チャーナウは、ハミルトンは根拠なくワシントンの私生児であると噂された、と書いている。)だがジャクソンの「息子」の言い方はまた、ヒップホップ風の、ブラザー���ッドや対等さもまた示している。
ミランダとジャクソン、そしてカイルは台詞を繰り返し、ワシントンのハミルトンの新しい目的に対する理解をどう表現するか探っていた。兵士から未来の政治家になるハミルトンの変化を聴衆に感じ取ってもらいたかった。ミランダは自分の原稿を確認した。「息子よ、じゃなくてシンプルに『いいぞ』と言った方がいいかな?」と言った。「『いいぞ』ってことは『お前を雇うぞ』てことだし。それでハミルトンは新しい才能が開花するんだから」
ミランダの台本はまだ草稿状態だった。ハミルトンの死のページは「新曲製作中」と書いていた。数週間後、まだミランダは旋律に悩んでいた。「最後の瞬間ハミルトンは何を考えるだろうか?」彼は言った。「トミーが筆を置けと言うまでずっと考え続けるだろうね」続けて、「目の前のバーは、彼が10代の頃から知り合いだ。そのことを考えるだろう。たくさんの子供たちと共に置き去りにすることになる妻のことを考える。負債と、それに対する罪悪感について。でも彼はクリスチャンだったし、また会うことができる息子がいる。ジョージ・ワシントンともまた会える。たくさんの愛する人が、彼を向こう側へと呼んでいる。弾丸が銃を離れるまで、そのことを表現する時間がどれだけあるのか」
決着はほとんど最後の瞬間に訪れた。元旦の早朝のこと。眠る赤ん坊の息子を胸に置いて彼はベッドに横たわっていた。隣ではナダルが寝ている。長いことなかった静かな時間だった。静寂。彼は考えた。それは「ハミルトン」でまだ演奏していないものだった。何も音楽がないのはどうだろうか。犬の散歩に行く。この時はヘッドフォンは家に置いていった。時々ノートにメモするために立ち止まった。次の日の朝5時まで起きて、ハミルトンの最後の瞬間をついに聴いた。
3週間後、パブリック・シアターでプレビューが始まった。ロビーにはニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティから借りた、バーとハミルトンが向かい合わせで銃を引く銅像が立っていた。舞台では、ミランダのキャストは慣れない衣装を着て心地よく、観客の祝福を楽しんでいた。宝石に飾られたキング・ジョージの尊大な忠告は笑いを呼び、“Duel Commandments”でのビッギーのオマージュは喜んで迎えられた。「レ・ミゼラブル」“One Day More” のスタイルを恥ずかしげもなく拝借した一幕の最後は歓声で迎えられた。ハミルトンの自慢の息子、フィリップの痛ましい死は、観客の涙を誘った。
2時間半の音楽の嵐の後、バーとハミルトンの決闘の瞬間が訪れた。バーが致命的な銃弾を放った後、ハミルトンは長く思い描いた死が訪れたことに気づくと、音楽は消えた。黒の喪服に身を包んだミランダはラップではなく、詩を語った。彼の最後の思考と感情のひらめきはもはやビートや旋律にはつながれていなかった。「誰かが私のために歌う旋律を書く/アメリカ、素晴らしき未完成の交響曲/あなたが私を呼んだ」と静かに語った。ハミルトンは妻や友人たちを思い、思考は飛び交い、昔の歌を歌う。言葉はばらばらになり、儚く浮かび上がる。彼はよろめき、そして静寂が落ちた。◆
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2024年8月30日に発売予定の翻訳書
8月30日(火)には34点の翻訳書が発売予定です。そのうち14点がハーパーコリンズ・ジャパンからです。 ���お、夏目漱石『それから』の英訳版を含みます。
テッド・ヒューズ詩集 カラス
テッド・ヒューズ/著 木村慧子/翻訳 山中章子/翻訳
小鳥遊書房
「カウボーイビバップ」のサウンドトラック
ローズ・ブリッジス/著 長尾莉紗/翻訳 小室敬幸/解説
DU BOOKS
アメリカを変えた夏 1927年
ビル・ブライソン/著 伊藤真/翻訳
白水社
禁書目録の歴史 : カトリック教会四百年の闘い
ロビン・ヴォウズ/著 標珠実/翻訳
白水社
脱成長と食と幸福
セルジュ・ラトゥーシュ/著 中野佳裕/翻訳
白水社
黄金の獅子は天使を望む
アマンダ・チネッリ/著 児玉みずうみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
裏切りのゆくえ
サラ・モーガン/著 木内重子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
大富豪と遅すぎた奇跡
レベッカ・ウインターズ/著 宇丹貴代実/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
声なき王の秘密の世継ぎ
エイミー・ラッタン/著 松島なお子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
カサノヴァの素顔
ミランダ・リー/著 片山真紀/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
十二カ月の恋人
ケイト・ウォーカー/著 織田みどり/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛を宿したウエイトレス
シャロン・ケンドリック/著 中村美穂/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵夫人の条件
ペニー・ジョーダン/著 井上京子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
公爵の花嫁になれない家庭教師
エレノア・ウェブスター/著 深山ちひろ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ギリシア富豪と路上の白薔薇
リン・グレアム/著 漆原麗/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
嵐の夜が授けた愛し子
ナタリー・アンダーソン/著 飯塚あい/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
忘れられた婚約者
アニー・バロウズ/著 佐野晶/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
追いつめられて
シャーロット・ラム/著 堀田碧/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
禁じられた結婚
スーザン・フォックス/著 飯田冊子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
桜の花のかがやき 上巻
稲見春男/翻訳
リフレ出版/東京図書出版
桜の花のかがやき 下巻
稲見春男/翻訳
リフレ出版/東京図書出版
疫禍動乱 世界トップクラスのワクチン学者が語る、Covid-19の陰謀・真実・未来
ポール・A・オフィット/著 ナショナル ジオグラフィック/編集 関谷冬華/翻訳
日経ナショナルジオグラフィック社
And Then
Soseki Natsume/著 Norma Moore Field/翻訳
チャールズ・イー・タトル出版
地球のためになる365のこと : 1日1つ持続可能(サステナブル)な暮らしへの ステップ
ジョージーナウィルソン=パウエル/著 吉田綾/監修・翻訳 上川典子/翻訳
東京書籍
エクスペリエンス・マインドセット
ティファニー・ボバ/著 高橋佳奈子/翻訳
日本能率協会マネジメントセンター
水文学〔原著第2版〕
Wilfried Brutsaert/著 杉田倫明/翻訳 筑波大学水文科学研究室/監修・翻訳
共立出版
マーシャの日記 その後 : 旧ソ連のユダヤ人差別
マーシャ・ロリニカイテ/著 清水陽子/翻訳
新日本出版社
肥満の科学 : ヒトはなぜ太るのか
リチャード・J・ジョンソン/著 中里京子/翻訳
NHK出版
サラゴサ手稿 下
ヤン・ポトツキ/著 工藤幸雄/翻訳
東京創元社
雪山書店と嘘つきな死体
アン・クレア/著 谷泰子/翻訳
東京創元社
ほんとうの名前は教えない
アシュリィ・エルストン/著 法村里絵/翻訳
東京創元社
ドキュメント民営刑務所 : 潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス
シェーン・バウアー/著 満園真木/翻訳
東京創元社
かぼちゃスープ
ヘレン・クーパー/著 せなあいこ/翻訳
好学社
皮はぐ者
ミシェル・ペイヴァー/著 さくまゆみこ/翻訳
評論社
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セイント・オブ・セカンドチャンス:ベック家の流儀
2023年/アメリカ/カラー/93分
Netfilixで9月から公開されたドキュメンタリー映画「セイント・オブ・セカンドチャンス:ベック家の流儀」をTBSラジオ「こねくと」で紹介されていたので、再加入して視聴しました。
マイク・ベックへのインタビューから始まる。彼の父、ビル・ベックは第二次世界大戦で片足を失いつつも情熱的な経営者でマイナーリーグの経営を踏み台にして数々のメジャーリーグのオーナーになっていく。そしてシカゴ・ホワイトソックスのオーナーになった時に、息子のマイクを経営に誘う事になる。ビルは早くからアフリカ系選手を起用したり、ホームランが出た時に電飾や花火といった演出を考えたりとアイデアマンでもあった。1970年台はディスコブームだったこともあってマイクの発案で1977年に球場でディスコイベントを行うと好評だった。だったら逆にディスコ嫌いの人向けのイベントをやってみようと思ったところ、ラジオDJのスティーブ・ダールの発案で1979年7月12日のダブルヘッダーとなっていた第1試合と第2試合の間にお客さんにディスコ音楽のレコードを持ってきて貰い、持ってきた人には98セントで入場でき、集めたレコードをフィールド上で破壊するイベントを開催する。
マイクは軽い気持ちで始めていたが、DJのスティーブ・ダールは今で言うところの迷惑系youtuber的存在で自己顕示欲が強く、所属していたラジオ局がディスコよりになるために解雇された経験から過激な発言をしていた。また観客にもディスコによって台頭してきたアフリカ系ミュージシャンや同性愛者への反発を持つ白人がおり、ダールによる煽りによって球場側の想定を超える盛り上がりになってしまう。事実球場側の想定は20000人~35000人だったのに対し(警備員は35000人想定で用意されていた)、球場のキャパを超える50000人以上が集まってしまった。入れなかった観客が違法に入場したり、第1試合中なのに「DISCO SUCKS」の大コールでおかしなテンションになった後でのレコード破壊イベントが行われてしまい、興奮した観客がフィールドに降りてしまったことで第2試合どころではなくなる。観客にも逮捕者やけが人が出てしまい、第2試合は没収試合とされてしまう。この事件は「ディスコ・デモリッション・ナイト」と呼ばれる事になり文化や人種の排斥運動として記憶されることになってしまう。そしてこの事をきっかけに父ビル・ベックは球団を手放すことになり(事件だけではなく選手の年俸がどんどん上がってきていたのも理由のひとつなのだが)、マイクはメジャーリーグのブラックリストに登録され球団から離れ、アルコール中毒の生活を続ける事になる。
「ディスコ・デモリッション・ナイト」の英語版のウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Disco_Demolition_Night
しかしマイクが再婚したことをきっかけに良い流れが戻ってきていた。1993年に投資家からミネソタ州のセントポールにセインツという独立リーグのチームを作るので参加しないかというオファーを受け、受諾する。父親譲りのアイデアマンを生かして様々なイベントを仕掛けていき、小さいながらも地元に愛される球団にしていく。スタッフも少ないためにマイクも現場で働き、前妻との間に出来た男の子ナイト・トレインや今の妻との娘レベッカも働くようにした。やがてセインツでの成功が認められ、メジャーリーグに新規参入するタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に誘われ、マイクは復帰するのだが…という話でした。
いやー、めちゃくちゃ面白かったです!ドキュメンタリー作品でありながら、エンタメ的な作りで楽しくみられます。それはマイク・ベックさんの生い立ちが起伏が激しいので映画向きだったのもありますし、語り手であるマイクさんが凄く陽気で話し上手なのも見ていて楽しくなってしまうのもあります。さらにこのマイクさん、芸達者なのを生かして再現VTRのパートで父親のビル・ベックさんを演じているのには驚きました。
また一見野球がテーマの映画のように見えますが、どちらかというと球団ビジネスに関わるファミリーヒストリーという感じなので野球に詳しくなくても大丈夫な作りになっています。アメリカ・アジア以外の野球に詳しくないNetfilix視聴者にも解るのでは。映画での事件になる「ディスコ・デモリッション・ナイト」も音楽面での事件ですし。
「ディスコ・デモリッション・ナイト」については近代音楽史まで見ている音楽ファンにはお馴染みの話なのですが、この事件の前後関係についてはまったく知りませんでしたし、知っている人も少ないと思うのでこの映画の資料としての価値も高いと思います。この事件は表現の弾圧だったり、焚書というナチズム的な行為がアメリカで起きてしまったので野球という範囲を超えた大きな問題だったわりには、その後の総括がベックファミリーの退任で終わらせてしまったふしがあるので今作にも関わっているメジャリーグとしてもきちんと後世に残すためにも総括面もやっておきたかった思惑もあったかもしれません。
映画を見ていくと「セイント・セカンドチャンス」というタイトルになった理由がよくわかると思います。色んな意味で二度目の再起となるチャンスが素敵な話でした。
了
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国弘よう子の『今夜もシネマ』 毎週月~水曜 21時更新 「暑い夏を盛り上げるweek」 8/7(月)ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 8/8(火)トランスフォーマー/ビースト覚醒 8/9(水)しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大洗戦 ~とべとべ手巻き寿司~ オススメ映画を5分で紹介🎥
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
<映画情報>
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』 出演:トム・クルーズ、サイモン・ペッグ、レベッカ・ファーガソン ほか 監督・脚本:クリストファー・マッカリー 公開:2023年7月21日 製作:アメリカ
・映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』公式サイト
『トランスフォーマー/ビースト覚醒』 出演:アンソニー・ラモス、ドミニク・フィッシュバック ほか 監督:スティーブン・ケープル・ジュニア 脚本:ジョビー・ハロルド 公開:2023年8月4日 製作:アメリカ
・映画『トランスフォーマー/ビースト覚醒』公式サイト
『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』 出演:小林由美子、ならはしみき、森川智之、こおろぎさとみ ほか 監督・脚本:大根仁 原作:臼井儀人 公開:2023年月日 製作:日本
・映画『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』公式サイト <国弘よう子の「今夜もシネマ」> 今夜観るならこの映画。 『今夜もシネマ』は映画評論家 国弘よう子が、あなたの今夜にオススメの映画を5分で解説。 毎週月~水曜日、ギュッと凝縮5分間!もっと映画が楽しくなる。
過去放送一覧はこちら
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TEDにて
ジョイ・ウルフラム:ナノ粒子はどのようにガンの治療法を変えられるか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
99%の抗ガン剤は腫瘍まで届くことなく、役割を果たす前に体から排出されてしまいます。
どうしたら命を救うための薬をより確実に送り届けることができるのでしょうか?
ガン研究者のジョイ・ウルフラムは、ナノ粒子についての最先端の医学研究成果を紹介し、薬を正確に腫瘍まで運べるこの小さな粒子がどのように抗がん剤を長く体内に留めて悪性腫瘍を攻撃することができるのか説明します。
それはこの4月、ある日曜日の午後の事でした。電話が鳴り受話器をとりました。電話の声は言いました「レベッカよ、あなたを招待したくて・・・私のお葬式に」
私は言いました「レベッカ、何言ってるの?」彼女は「ジョイ、親友でしょ。私を見送ってくれなきゃ。その時がきたの」って。次の日、彼女は亡くなりました。
レベッカは31歳で亡くなりました。8年間、乳ガンと戦いました。3回の再発がありました。私は無力でした。科学者たちは無力でした。医師たちも無力でした。彼女だけではありません。
こうしている間も5秒間に1人が、ガンで亡くなっています。今日、我々医学研究者は、レベッカや彼女のような人をガンで亡くす最後の人にしようと研究に専念しています。
アメリカ政府単独でも1970年代から1000億ドル以上をガン研究に費やしてきましたが、患者の生命予後という点ではあまり進展がありません。
特に、非常に悪性度の高いある種のガンには対処できていません。何かを変える必要があるのです。我々がこれまでやってきた方法は、明らかにうまくいってないからです。
ガン治療は火事に消防士を出動させるようなものです。ガンとは、大火事みたいなものだからです。消防士とは抗ガン剤の事です。しかし、我々は彼らを消防車なしで送り出しています。
移動手段もなくハシゴもなく非常用具も装備せずにです。99%以上の消防士は火事現場にたどり着く事ができません。99%以上の抗ガン剤が、腫瘍にたどり着けないのです。
目的地にたどり着くための移動手段も装備も持っていないからです。結局のところ、行き先が問題なのです。
行き先が第一です。きちんと目的地に駆けつけるには、消防車が必要です。私が今日話したいのは、ナノ粒子がこの消防車だという事です。
ナノ粒子の中に抗ガン剤を詰めるとナノ粒子が移動手段かつ必要な装備となり、抗ガン剤を腫瘍の中心部に運びます。
さてナノ粒子とは何でしょうか?ナノサイズとは一体、どういう事なのでしょうか?実はナノ粒子には、いろんな種類の材質からなるたくさんの種類があります。
金属製のナノ粒子や油脂で出来たナノ粒子などです。実際にナノサイズを実感してもらうために私は自分の髪の毛を1本抜いて顕微鏡にセットしました。
私の髪の毛はかなり細くて直径にして約40,000ナノメーターです。これは、400個のナノ粒子を縦に積み重ねると1本の髪の毛の幅になるという事です。
私はジャクソンビルにあるメイヨー・クリニックのナノ粒子研究室を率いガンなどの病気と闘っています。メイヨー・クリニックには、患者に効果的な治療を。提供する設備があります。
これは研究を支える惜しみない寄付や基金のおかげです。では、ナノ粒子はどのように抗ガン剤を腫瘍の所まで運ぶのでしょうか?ナノ粒子には、道具がしっかり備わっています。
ナノ粒子が無ければ、抗ガン剤は腎臓経由で速やかに体外に排出されてしまいます。それは抗ガン剤がとても小さいからです。水が漉し器を通り抜けるようなものです。
抗ガン剤には腫瘍までたどり着くための時間がないわけです。こちらに図示しました。こちらが消防士、抗ガン剤です。血流に乗って体内を循環していますが、速やかに体から排出されてしまい腫瘍に到達できません。
でも、ナノ粒子の中に抗ガン剤を詰めると体外に排出される事はありません。ナノ粒子が、大きすぎるからです。そして、腫瘍にたどり着くためのより長い時間、血液中で体内を循環し続けます、
この図では、抗ガン剤、つまり、消防士はナノ粒子の消防車に乗りこんでいます。血液中で循環しています、排出される事はなく腫瘍まで到達します。
では、ナノ粒子の他の道具とは何でしょうか?まず、抗ガン剤が体の中で壊されないように保護する事ができます。抗ガン剤の中にはとても重要なのに不安定なものもあってそれらは血液中の酵素により簡単に分解されます。
そのような薬は、もしナノ粒子で守られなければ、効き目が無くなってしまうでしょう。ナノ粒子のさらに別の道具として表面の突起があります。指のある小さな手のようなもので腫瘍をつかみ、ぴったりと噛み合います。
このおかげで循環中のナノ粒子は、ガン細胞に取り付く事ができて抗ガン剤が十分働くための時間を確保する事ができるのです。これらはナノ粒子が持つ道具のほんの一部の例です。
現在、臨床用に認可されたガンに使用できるナノ粒子が10種以上存在し、世界中の患者に提供されています。しかし、まだレベッカのように亡くなる患者がいます。では現在認可されているナノ粒子の何が問題であり、何が不足しているのでしょうか?
大きな問題は肝臓です。肝臓は体内のろ過装置であり、また異物を認識して破壊する機能も持っています。ウイルスやバクテリア、もちろんナノ粒子も対象となります。
肝臓にある免疫細胞が、ナノ粒子を食べてしまい腫瘍にたどり着けなくしてしまいます。こちらの図では、腎臓はもう問題ではありません。しかし、消防車であるナノ粒子が肝臓で足止めされて腫瘍にたどり着ける粒子が減ってしまいます。
これを改良するために取りうる一つの戦略は、肝臓の免疫細胞を一時的に無力にするものです。どうやったら免疫細胞を無力化できるでしょうか?
我々はすでに他の病気の治療のために認可済みの薬を調べてみて、そのうちのどれかが免疫細胞がナノ粒子を食べてしまうのを防いでくれないかと考えました。驚いた事に、我々はある臨床前研究において70年前のマラリア薬を使うと免疫細胞がナノ粒子を食べるのを阻止できる事を見つけました。
そして、ナノ粒子は、肝臓から逃れられてゴールの腫瘍に向かって旅程を続けられる事がわかったのです。こちらの図は肝臓をブロックしているところです。ナノ粒子は、そちらには行かずにかわりに腫瘍にたどり着きます。
このように科学では、時々、思いもよらない組み合わせが新しい解決を導く事があります。
ナノ粒子が、肝臓で足止めされるのを避けるためのもう一つの戦略は、人間の身体由来のナノ粒子を使う事です。そう、びっくりです。
あなたも、そこのあなたも皆さんはたくさんのナノ粒子を持っていて。身体を循環しているのです。
それらは体の一部なので肝臓がそれらを異物とみなす可能性が低くなります。そして、それらの生体由来のナノ粒子は、唾液や血液、尿、膵液に含まれています。それらを身体から採取して抗ガン剤の消防車として使う事ができます。
その場合、肝臓の免疫細胞がこの生体由来のナノ粒子を食べてしまう可能性は下がるでしょう。トロイの木馬戦法を肝臓をだますのに使うのです。こちらは、生体由来のナノ粒子が血液中で循環しているところです。
肝臓に見つかる事なく腫瘍まで届いています。将来的には、自然由来のナノ粒子を利用して抗ガン剤を届ける事により、抗ガン剤が間違った場所に行かないようにして副作用を抑えながら多くの命を助けたいと考えています。
しかし、ここで大きな問題は、どうしたらこの生体由来のナノ粒子を傷つける事なく大量に取り出せるかという事です。私の研究室はこのための効率的な方法を開発しました。
この方法を使って大量の体液を処理して高度に濃縮された高品質の生物由来ナノ粒子を取り出���ます。これらのナノ粒子は、まだ臨床に使う事はできません。平均して12年もの月日をかけないと研究室での成果は、病院の薬品棚に並ばないのです。
これは科学者や臨床医らのチームワークを必要とする作業です。戦いに命を捧げる者たちです。患者さんたちからの励ましのおかげで前に進み続けています。
そして、このナノ医学の研究を続ける事によって健康な臓器へのダメージを減らし、QOLを改善し未来の患者を助けられると信じています。
よく思うんです。もし、この治療がレベッカに使えていたら、あの彼女からの電話は別の招待だったかもしれないと。お葬式ではなくて結婚式への招待です。
ありがとうございます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完��違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
リーラ・パーハジ:AIを使って中間代謝産物のもつ医学的可能性を探る
プラティック・シャー:AIが病気の診断を簡単にする方法
ジョシュア・スミス: がんを早期発見する新ナノテクノロジー
カール・ジューン:これまでのがん治療法を変える「生きた薬」?
タル・ダニノ:細菌を使って癌(悪性新生物)の早期発見と治療を
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Romeo and Juliet
by William Shakespeare
dir. Rebecca Frecknall
2023年6月17日 Almeida
『キャバレー』『欲望という名の電車』で快進撃が止まらないレベッカ・フレックナルによる『ロミオとジュリエット』。休憩なしの2時間というランタイム。ロミオに『テッド・ラッソ』のトヒーブ・ジモー、ジュリエットにブリッジの『夏の夜の夢』のアイシス・ハインズワースを配した、全体的にも若々しいプロダクション。
美術はクロエ・ラムフォード。冒頭に大きな壁が舞台上にそそり立っているのをキャストが倒し、それが舞台になる。美術としてはいくつかの梯子と照明(ライティングデザインはリー・カラン)、それとラストの蝋燭くらいで、全体的には美術より照明が大きな役目を果たすプロダクションである。全編を通してプロコフィエフのバレエ音楽から『モンタギュー家とキャピュレット家』の変奏が使われ、正直バレエ用の音楽をそのまま使って欲しかった気分もするがトーンの一貫には貢献している。音楽からもわかるように、モダンダンスのような振付が場面場面で印象に使われている。特にキャストクレジットがないのでフレックナル自身��よるもののようだ。
かなり速いペースでテキストも刈り込んだヴァージョンで、ティーンのジェットコースターロマンスぶりを強調している。最初ちょっとチャラくて好感度の高いロミオと、年齢相応のはしゃぎっぷりと怒りを全力で表現するジュリエットという組み合わせは魅力的。ややトリックスター感のあるマーキュシオ(ジャック・リディフォード)もよい。コレオで物語を見せる部分が見せ場となっている分、ダイアログ主体の部分がややダレてしまう印象もあるが、ラストシーンの美しさで全て帳消しにしている。全体的にかなりバズ・ラーマンの映画版の影響を感じるプロダクション。
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映画『スパルタカス』
というわけで、スタンリー・キューブリック監督、カーク・ダグラス主演の映画『スパルタカス』(1960)を見ました。
上映時間は3時間16分。な、長い。
最初に序曲が、真ん中あたりに休憩が入っています。序曲はOuverture、休憩はEntr'acteとなぜかフランス語で書かれています。そういうのが「粋」だったんでしょうか。
映画が始まって数分間、何も映っていない真っ暗な画面を見ながら序曲を聴くのは初めての経験でした。序曲が終わると、別の音楽が流れキャストやスタッフの名前が映るのですが、正直「それって二度手間じゃね」と思ってしまいました(笑)。
脚本はあのダニエル・トランボーー赤狩りで職を追われたハリウッド・テンの一人ですね。
製作総指揮のカーク・ダグラスはこの映画でトランボを実名で起用し、ハリウッド・テンの復活に手を貸したとかーーだとしたら随分進んだ思想の人ですね。
こ���映画もスパルタカスを奴隷たちの解放のために戦った英雄、自由の戦士として描いています。
これを見て改めて思いましたが、ワタシはどうも史劇が苦手です。
理由ははっきりしています。
一つには結末があらかじめわかっていることです。深作欣二監督のアレとか、クェンティン・タランティーノ監督のアレやアレとか(ネタバレ防止のためタイトルは自粛)のように歴史を変えてしまうならいざ知らず、そうでないなら史実は史実ーージャンヌ・ダルクは火刑に処されるし、坂本龍馬は暗殺されるのです。この映画でもスパルタカスは戦闘に敗れ死んでいきます。
またその一方で、史劇はどうしても史実を潤色することになり、主人公となる人物を英雄に、主人公と敵対する人物を悪者にしてしまうからです。この映画でもスパルタカスは自由と公平を重んじる理想的人物、スパルタカスと戦うローマ貴族クラッススはローマの支配権を掌握することを狙う独裁者として描かれていますが、本当にそうだったんでしょうか。
私は歴史に詳しくないので正確なところはわかりませんが、歴史はーーというか現実はーーそんな善悪二元論で割り切れるものではないような気がします。
また、史実には出てこない女性バリニヤが登場し、スパルタカスと恋に落ちるというのが、映画を作る上で必要だったというのはわかります。でも、ここで盛り上げよう、泣かせようという作り手の意図が丸見えで、個人的にはあまり感心しませんでした。
とはいえ、戦いが終わった後クラッススが捕虜となったスパルタカスたちに「誰がスパルタカスだ」、「スパルタカスを差し出せば、他の者は命を助けてやる」と言い、スパルタカスが名乗り出ようとすると、スパルタカスの腹心が「私がスパルタカスだ」と言い、他の者たちも口々に「私がスパルタカスだ」と言うシーンや、バリニヤがローマから出ていく際、磔になっているスパルタカスに二人の間にできた赤ん坊を見せるシーンは、確かに悪くありません。
「あ、泣かせようとしているな」と思いながら、不覚にも泣いてしまうというところでしょうか。
スパルタカスを演じたのはもちろんカーク・ダグラス。 クラッスス役はローレンス・オリヴィエ、バリニヤ役はジーン・シモンズ。スパルタカスの腹心役はトニー・カーチス。
でも、ワタシはスパルタカスがいた剣闘士養成所のオーナー役を演じたピーター・ユスチノフの小物ぶりや、クラッススと対立する元老院議員役を演じたチャールズ・ロートンのたぬき親父ぶりが好きでした。
なお、この二人は歴史には登場しない……つまり架空の人物です。
やっぱりワタシは史劇よりフィクションの方が好きです。フィクションの方が人物にせよストーリーにせよ歴史に縛られず自由に描けていいんじゃないですか。
追記: カーク・ダグラスについても同じことを書きましたが、ローレンス・オリヴィエもジーン・シモンズもトニー・カーチスもピーター・ユスチノフもチャールズ・ロートンも非常に有名な俳優ですが、では何を見たかと言われるとよくわかりません。
ローレンス・オリヴィエはシェークスピアの戯曲の映画化に出演しているはずですが、見た記憶はありません。一番記憶に残っているのはマイケル・ケインと共演した『探偵スルース』(1972)かな。これは名作中の名作です(リメイクもありますが、こちらは駄作です。是非オリジナルをご覧ください)。 あとは『マラソンマン』(1976)と『ブラジルから来た少年』(1978)くらいでしょうか。あ、『レベッカ』(1940)もそうか。 ちなみにネット情報によるとローレンス・オリヴィエ自身が一番気に入っているのは、ナチスの残党を演じた『マラソンマン』だそうです。意外ですね。
ジーン・シモンズは『大いなる西部』(1958)を中学生の頃見たくらい。トニー・カーチスはいろいろ見たような気がしますが、題名が出てくるのはジャック・レモン、マリリン・モンローと共演した『お熱いのがお好き』(1959)くらいですね。
ピーター・ユスチノフはエルキュール・ポワロが当たり役ですよね。どうしてもアルバート・フィニーとごっちゃになってしまいますが、『オリエント急行殺人事件』(1974)がフィニーで、『ナイル殺人事件』(1978)、『地中海殺人事件』(1982)がユスチノフなんですね。 あと『俺たちは天使じゃない』(1955)にも出てたんだ。見たはずですが覚えていませんでした。
チャールズ・ロートンはアガサ・クリスティーの戯曲『検察側の証人』の映画化『情婦』(1957)の弁護士役が印象的でした。
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カナイフユキ『ゼペット』刊行記念原画展
レベッカ・ブラウン作、カナイフユキ絵、柴田元幸訳『ゼペット』(twililight)の刊行を記念して、カナイフユキの原画展をtwililightで開催します。
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会期:2023年2月2日(木)〜2月27日(月) 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00〜21:00 定休日:火曜日・第3水曜日
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「ゼペット」は、『体の贈り物』『若かった日々』『家庭の医学』などで知られるアメリカの作家、レベッカ・ブラウンの掌篇です。 人間になんかなりたくない、命なんかほしくないと言い続けるピノキオを抱えた老人のお話で、その悲しみと優しさに、カナイフユキの色彩が寄り添います。 不器用で、弱く、失敗して負けていく人、周縁化されていく人のために、そういう人たちが孤独ではないんだと思えるように描いているカナイフユキと、レベッカ・ブラウンによる、「祈り」にも似た絵本が誕生しました。
今回の展示では、「ゼペット」の原画にくわえて、レベッカ・ブラウン作品からインスピレーションを受けたカナイフユキの描き下ろし作品も展示・販売いたします。ぜひ実際にご覧ください。
初日、2月2日(木)にはオープニングイベントとして、訳者・柴田元幸による「朗読&トーク」を開催いたします。
2月11日(土)にはカナイフユキ+きくちゆみこ「シナモンロール・ホームパーティー」を開催いたします。
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翻訳家・柴田元幸『ゼペット』刊行記念朗読&トーク 日程:2023年2月2日(木) 開場:19時 開演:19時30分 終演:21時 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 料金:2000円 ゲスト:カナイフユキ 定員:16名さま
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レベッカ・ブラウンの「ゼペット」(“Geppetto”)は、2018年に刊行されたNot Heaven, Somewhere Else: A Cycle of Stories(『天国ではなく、どこか別の場所 物語集』、Tarpaulin Sky Press刊、邦訳なし)に収められている。この物語集には、「三匹の子ぶた」を踏まえた“Pigs”、「赤ずきんちゃん」を踏まえた“To Grandmother’s House”をはじめ、ヘンゼルとグレーテル、ハンプティ・ダンプティなど、さまざまな伝統的物語やキャラクターがレベッカ流に語りなおされた物語が並んでいる。語り直しの切り口は作品によってさまざまで、単一のメッセージに還元できない、豊かな「サイクル」が出来上がっている。100ページに満たない小著だが、怒りと希望をシンプルな文章で発信しつづけるレズビアン作家レベッカ・ブラウンの神髄が伝わってくる。
「ゼペット」は厳しさと優しさが並存していて、中でもとりわけ味わい深い。
柴田元幸 —
朗読会では、「ゼペット」をはじめとしたレベッカ・ブラウン作品はもちろん、他の作家の訳したて作品も朗読予定です。 その日その場所だけの朗読を、ぜひご体験ください。
また、カナイフユキとの「ゼペット」やレベッカ・ブラウンにまつわるトークも行います。
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件名を「翻訳家・柴田元幸『ゼペット』刊行記念朗読会&トーク」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
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カナイフユキ+きくちゆみこ『シナモンロール・ホームパーティー』 日程:2023年2月11日(土) 開場:18時 開演:18時30分 終演:20時 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 料金:2800円(シナモンロールと1ドリンク付き) 定員:12名さま
個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をモットーとしているカナイフユキさん。
パーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたZINEを定期的に発行しつつ、言葉を使った作品制作や展示も行うきくちゆみこさん。
皮膚や身体の描写、記憶のねつ造や再生、家族との思い出。クィアという立場から怒りと希望を書き続けるレベッカ・ブラウン。
レベッカ・ブラウン「汗の贈り物」に出てくるシナモンロールを食べながら、カナイさんときくちさんと来てくださった皆さんで、打ち明け話をするホームパーティー。
自分の中にある語られなかった言葉、存在を、そっと打ち明けることで、孤独ではないと感じられる「ホーム」が生まれたら。
ぜひご参加ください。
件名を「シナモンロール・ホームパーティー」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
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◆プロフィール
カナイフユキ
長野県生まれ。イラストレーター、コミック作家
個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。
写真 ©︎平松市聖
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柴田元幸
1954年、東京生まれ。米文学者、翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクスン(上・下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞、2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』の責任編集も務める。
イラスト©️島袋里美
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2024年1月26日に発売予定の翻訳書
1月26日(金)には32冊の翻訳書が発売予定です。
我々みんなが科学の専門家なのか?〈新装版〉
ハリー・コリンズ/著 鈴木俊洋/訳
法政大学出版局
クリスティーヌ
クリスティーヌ・アンゴ/著 西村亜子/翻訳
アストラハウス
ディスレクシア
マーガレット・J・スノウリング/著 関あゆみ/監訳 屋代通子/訳
人文書院
一つの惑星、多数の世界
ディペシュ・チャクラバルティ/著 篠原雅武/訳
人文書院
わたしは異国で死ぬ
カラーニ・ピックハート/著 高山祥子/翻訳
集英社
ヤバい統計 政府、政治家、世論はなぜ数字に騙されるのか
ジョージナ・スタージ/著 尼丁千津子/翻訳
集英社
なぜ人は自ら痛みを得ようとするのか
リー・カワート/著 瀬高真智/翻訳
原書房
もっと まざっちゃおう!
アリー・チャン/著 小栗左多里/翻訳 トニー・ラズロ/翻訳
フレーベル館
世界から青空がなくなる日 : 自然を操作するテクノロジーと人新世の未来
エリザベス・コルバート/著 梅田智世/翻訳
白揚社
人口は未来を語る : 「10の数字」で知る経済、少子化、環境問題
ポール・モーランド/著 橘明美/翻訳
NHK出版
世界の食はどうなるか : フードテック、食糧生産、持続可能性
イェルク・スヌーク/著 ステイファン・ファン・ロンパイ/著 野口正雄/翻訳
原書房
評伝 マルコム・マクラーレン: その生涯と時代
ポール・ゴーマン/著 川田倫代/翻訳
イースト・プレス
新版 地図で見るラテンアメリカハンドブック
オリヴィエ・ダベーヌ/著 フレデリック・ルオー/著 太田佐絵子/翻訳
原書房
疎遠の妻、もしくは秘密の愛人
クリスティン・メリル/著 長田乃莉子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
忘れられた愛の夜
ルーシー・ゴードン/著 杉本ユミ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
打ち明けられない恋心
ベティ・ニールズ/著 後藤美香/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ギリシア富豪と薄幸のメイド
リン・グレアム/著 飯塚あい/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
短い恋がくれた秘密の子
アリスン・ロバーツ/著 柚野木菫/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
今夜からは宿敵の愛人
キャロル・モーティマー/著 東みなみ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
大富豪と乙女の秘密の関係
ダニー・コリンズ/著 上田なつき/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
イタリア大富豪と小さな命
レベッカ・ウインターズ/著 大谷真理子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
裏切りの結末
ミシェル・リード/著 高田真紗子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
嘘と秘密と一夜の奇跡
アン・メイザー/著 深山咲/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
至上の愛
ペニー・ジョーダン/著 田村たつ子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
魔法が解けた朝に
ジュリア・ジェイムズ/著 鈴木けい/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
甘い果実
ペニー・ジョーダン/著 田村たつ子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
公爵の許嫁は孤独なメイド
パーカー・J・コール/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
いじのわるいうさぎのおはなし
ビアトリクス・ポター/著 川上未映子/翻訳
早川書房
こぶたのロビンソンのおはなし
ビアトリクス・ポター/著 川上未映子/翻訳
早川書房
思考のトラップ 認知バイアスを出しぬく17のやり方
デイヴィッド・マクレイニー/著 安原和見/翻訳
二見書房
みえた! ぎたいするいきものたち
ブラウンキャロン/著 ロビンズウェズリー/イラスト 小松原宏子/翻訳
くもん出版
たべてみて! : フリーダ・キャプランがひろげた食のせかい
マーラ・ロックリフ/著 ジゼル・ポター/イラスト 福本由紀子/翻訳
BL出版
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1月7日、遠鉄百貨店のおもちゃ売り場で見つけて買ったきかんしゃトーマスのアニメのフルリニューアルのトーマスチョロQのカナ。
僕はきかんしゃトーマスの女の子キャラクターではエミリー、レベッカ、ニア、アシマ、カナが好き。
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日本で最も長い商店街として知られる、大阪の天神橋商店街。個人的にはフリーランスとして独立し、だんだんと仕事が軌道に乗り始めて、事務所を最初に構えたのがこの場所で、いい時代を過ごした思い出深い土地である。約2.6キロの長い商店街には約800店舗の商店があり、昔から続く個人商店も多く、古き良き大阪の商人の匂いを楽しむことができる。
そんな天神橋商店街に気になるレコード店・tototo RECORDSがある。コロナ禍真っ只中の2019年10月にオープンし、店主の個性を強烈に感じることができる品揃えで注目されている。GWを利用し、懐かしの天神商店街に足を向けて、店主の岡本ガンモ氏にtototo RECORDSのユニークなお店づくりについてなど話を伺ってきた。
昭和の中古レコード屋を令和のおじさんがやったらどうなるか
ーまずはtototo RECORDSのオープンまでのお話を。
今年でちょうど50歳なんですけど、世代的に『宝島』とかバンドブーム直撃で。生まれが大阪の平野区で、エイリアンスポットっていうライブハウスがあって、そこに自転車で行ってたら、たまたまそこにパンクスの人がいたなとか。僕、元々、キングコング(大阪の老舗中古レコード店、一時は梅田、難波で数店舗を構えていた)で働いていたので、ジャッキーさん(大阪が世界に誇るマンゲル・スラッシュ・クラストコアバンド・FRAMTIDのギターであり、大阪難波にあるレコード店・REVENGE RECORDSのオーナー)などが先輩でいて、そこで繋がったり。でも、当時はグチャグチャな世代やったんですね。バンドブームだけでなくて、ブレイクダンスやサーフィンやったり、暴走族の真似事をする友達がいたりと、夜な夜な仲間と集まってはカセットテープに好きな音楽を録ったのを聴いたり、情報交換するって感じでした。
ーそうしてキングコングに勤め出すと?
元々、音源はCDで買っていて、22、23歳の時にキングコングに入って、そこでアナログに出会ってからその良さに気づいたんです。それで、CDを全部処分して、アナログを買い直しました。キングコングに入ったのは接客が好きだから。キングコングの前にレンタルビデオ屋さんでバイトしていて、お客さんや先輩がすげぇ面白くって。例えば先輩で、(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウンテン(ドイツの実験的インダストリアルバンド)やスロッビング・グリッスル(イギリスのインダストリアルバンド)が好きなんだけど、ボウイも好きなんですよ。ボウイからノイバウンテンに辿り着くっていうのが面白くって。お客さんも、レンタルビデオ屋って音楽も聴けるしエロも借りれるから幅広くって。で、そんな中、音楽の仕事がしたいなって思った時に、ノリでキングコングのバイトの面接を受けたら受かって。でも、入った頃は音楽のことなんか全然知らなかったから、先輩にめちゃくちゃ怒られたりもして。当時のキングコングはジャンルごとに受け持ちはないんですよ。オールジャンルに対応しなきゃいけなくて、入ったら即店番でした。でも、買取の値付けも分からなくて、いきなりワールドミュージックの査定とか。当時はパソコンもない時代やったから、ナンボで値付けをしたらエエか分からへんし大変でした。すげぇ鍛えられましたね。この店を始める直前までキングコングに居続けてました。で、縮小で退職という流れになりました。古くから、長く置いてくれてとても感謝しています。一度自分が白紙になったとき、やっぱりレコードが好きという思いを再確認して、お店を始めました。
ーtototo RECORDSは品揃えや店構えがユニークだし、かなり貴重な店だと思いますよ!
一応、「こうしたいな」「ああしたいな」とかざっくりとしたヴィジョンがあって。まだそこには近づけてないですけど。やっぱり、商品集めが一番苦労します。ヴィジョンの一つが、中古レコード屋さんの良いところを残したくて、「昭和の中古レコード屋を、今の令和のおじさんがやったらどうなるか」っていうもので。場所を天満、天神橋商店街にしたのは雰囲気が良かったから。
ー天満を含め、天神橋周辺は昔から住まわれている人だけでなく、会社やお店も多いからお客さんも幅広いんじゃないですか?
そうなんです。自分が思っている以上に幅広く来てくれるんで、それはよかったなと思ってます。地元の人が売って、地元の人が買っていくっていう地産地消型。お店を始めるまでは、天満はたまに飲みにくるぐらいで土地勘がなかったんです。けど、お店を開けてみたら居心地の良い場所でした。あんまりガツガツしているところは嫌やったんで、微妙にゆるい感じが良くって。世代型というか、売りに来られる方も買いに来られる方も世代が固まっているんです。一番のメインが30歳後半から50歳前半ぐらい。だから、欲しいものと売りたいものが合致しているというか、扱っているのはオールジャンルなんですけど、パンクもニューウェイヴもその世代が欲しいものが入ってくる。だから、掘り出し物はいっぱいあります。でも、入ってきたものは自分では買わないって決めてるんです(笑)。若い人も来ますよ。最近のアナログブームもあって。あと、関西特有かもしれないですけど、和物DJをやるパンクの人とか。大阪は特殊なのか、そういうシーンができているのはすごく嬉しいです(笑)。通販はガッツリとはやっていなくて、(Instagramで)DMが届いた時に対応してますけど、まだホームページではレコードではなく別のものを売ってるので。レコードの販売は、できれば店をベースにしてやれたらいいかなと思っています。バンドの新譜もゆくゆくは考えているんですけど、今はまだそこまで考えられる余裕がなくて(笑)。今は中古で土台を作っていこうかなと。
相場はあまり気にしていない
ーソフビやマンガとかレコード以外も良いものが並んでますね。
できる限り、持ってきてくれた物はなんでも査定はするつもりです。結構面白いものが入ってくるし、そういったものが売れていきますね。八百屋とか魚屋の感覚でやっているので、仕入れが安ければ安く出して、高い仕入れの時は申し訳ないけど相応の値段を付けています。相場がこの値段だからっていうのはあんまり気にしてなくて、この方が面白いかなって。藤子不二雄Aの複製原画が貼ってあるのは、全体的に丸っこい絵の漫画というか、トキワ荘関連が大好きで。(レジ側に置いてある)『まんが道』はできるだけ多くの人に読んで欲しくて、無料貸し出しをしています。
ー店名の「tototo」というのは?
友達から「自分の名前を入れたらええやん」って言われたんですけど、自分の名前だと、やりたいお店のイメージとちょっと違うなと思って。で、覚えやすくて、名前を聞いた人に「なんやろ?」って思われるようなのはないかなと。あと、ザ・ブルーハーツの「キスしてほしい」のフレーズ(「トゥートゥートゥー」というコーラス)から。商品も店名も含めて、好きなものに囲まれとったら最高! 今までキングコングで働いてきたのが約20年で、それをもう一回するって考えたら、自分の好きなものを置いて、お客様とそれを共有したいなって思っています。音楽のブームの周回が回ってきて、置いてあるものとのタイミングが合えばより良いですね。
ーお店で人気のあるジャンルはありますか? コミックソングやシティポップとかは一部店舗でプレミアが付いていたりしますが。
コミックソングはニーズが弱くなったけど、買う人に強烈な人が多いので死ぬまで買い続けていくんだろうなって。シティポップは値段の上がり方がかなわんので、なるべくそういう店じゃないよって雰囲気を出してます。シティポップ感を出さないように(笑)。とりあえず、ボウイとかレベッカが随時ある店を目指しています。ファンは一定数いるし、値段を上げずにずっと売り続けられたらいいかなと。最近、バンドブーム関係は入りにくいですね。最近は中古レコード屋のワゴンセールでも売ってないですもんね。ちょっとマイナーなバンドだったら見つけにくくなってますし。こないだもトレイシーが入ってきたんですけど、即完しましたから。レジ横に積んでいたらお客さんが「アッ!」って手に取って。他にもコンプレックスのファーストのアナログ盤を頑張って手に入れて、結構な値段を付けたんですけどすぐ売れましたね。でも、店に欲しいのでずっとアンテナは張ってます。これからはCDにも力を入れていこうと思っていて、今は溜めているんですけど、バンドブームの棚が完成したら結構イカツイものになると思いますよ! あと、まだ、外国からの観光客の方が来て盛り上がるというのを体験したことがないので、コロナが明けた後にそれを体験できないかと期待していて(笑)。
tototo RECORDS https://tototorecords.business.site/
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋1丁目18-14国際実業ビル3階 電話番号 0643973121 営業時間 12:00~20:00(定休日:毎週水曜日・第3木曜日) 谷町線・堺筋線「南森町駅」4-B出口から徒歩3分/JR東西線「大阪天満宮駅」7号出口から徒歩3分/JR環状線「天満駅」から徒歩15分
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