#神戸料理教���
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recipe-cookingclass · 22 days ago
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美味至福『自家製和牛ローストビーフ弁当』
家族みんなが大好きな和牛ローストビーフをお弁当仕立てに。
外食へ行くより、嬉しいし美味しいと言ってもらえるのも良いですよね。
外食に行くより豪華にすることができます。
サイドのおかずももちろん手作りで品数は多い構成に。
お弁当というものは一つの箱の中に、数々を楽しむことができる
日本の誇れる食文化です。
アイデアは無限大。美味しさも無限大。
たくさんお弁当は売ってはいますけれども、自分が手がける衛生面での安心感と美味しさは
格別です。
栄養バランスもはるかに良いので、ここもポイントですね。
ソースの市販品だと物足りないので、2種類を用意しました。
全て味見をしながら、仕上げるので間違いない美味しさです。
とろける脂がまた美味しく、ペロリと食べてくれるのも
作り手側としては嬉しいですよね。
あと、難しいのは盛り付けのバランス。
どれだけの量を作り、それだけの品数が必要か。
ローストビーフの盛り付け方などは、本当にその時のひらめきで。
お肉の形や野菜などの形は、日々日々、手に入るもので違いますので
これは感性で仕上げます。
集中しますので、周りの声が聞こえなくなる私です。
息子が『うちのクリスマスの料理が楽しみだね!』
『うちのおせち料理はすごいね!』
と何度も言われるので、物価が高くなり過ぎているけれど色々な工夫で
作り上げれるといいのですが。。。。。
すでに食材の高騰は、ここ数年で1、6〜2倍になってしまって
驚きの連続ですね。みなさまも今年のクリスマス料理やおせち料理はどうされますか?
たくさん仕込み、それでもまたプラスで用意せねば(笑)というクリスマスに年末年始の年越し
にお正月がやって���ます。
料理研究家 指宿さゆり
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elle-p · 8 months ago
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PASH! March 2024 Persona 3 Reload part pictures and transcription.
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DATA
HP : https://p3re.jp
X (旧Twitter) : @p_kouhou
©ATLUS ©SEGA All rights reserved.
STAFF : 制作=アトラス
対応機種 : Xbox Game Pass、Xbox Series X | S、Xbox One、Windows、PlayStation 5、PlayStation 4、Steam
※ Xbox Series XS、Xbox One、Windows、 SteamはDL版のみ
料金 : パッケージ通常版9,680円、パッケージ豪原版17,380円、ダウンロード通常版9,680円、ダウンロード特別版15,730円、ダウンロード豪単版12,408円(すべて税込価格)
影時間、再び
名作RPGのフルリメイク作『ペルソナ3 リロード』を特集!伊織順平役・鳥海浩輔さん、真田明彦役・緑川 光さん、スタジオディレクター・山口拓也さんのコメントと共に、本作の魅力を紐解いていく���
学園ジュブナイルの名作『ペルソナ3』が現代技術で蘇る
2006年に発売され、多くのファンを魅了した『ペルソナ3』。約18年の時を経て、オリジナル版の魅力はそのままに、現代に合わせてフルリメイクした『ペルソナ3 リロード』(以下『P3R』)が2月2日に発売された!
本作は遊びやすくシステムがブラッシュアップされたほか、登場人物を掘り下げるイベントなどが追加されている。
ここでは『P3R』の奥深い物語や、システムを紹介。新たに蘇った『ペルソナ3』の世界に触れてみよう!
↑洗練された新規オープニングや、ゲームサウンドも話題に!
日と1日の狭間にある影時間に挑め!
影時間に現れる謎の敵・シャドウの襲撃を受け、ペルソナ能力が覚醒した主人公。彼は仲間たちとシャドウを討伐しながら、謎に満ちた影時間の真実に迫っていくことになる。
出会いと別れの先で主人公を待つ運命は
Story
→↓心の強さが力になるペルソナ使いたち。彼らは満月のたびに襲来する大型シャドウとの戦いや、仲間との交流を通して成長していく。
System
学園生活を通して自分の能力を磨こう
学生である主人公は、平日は学校に通っている。放味みや休日は、買い物や自分磨きなど、自由に行動することができる。
Point 1
イベントがいっぱいの学園生活
授業を受けたり、行事に参加したり、学内でのイベントがたくさん用意されている。登場人物たちと、楽しい思い出を作ろう!
↑←主人公には、学力、魅力、勇気の専用パラメータがある。授業を受けたり、試験でいい結果を出したりすると成長。特定のパラメータが高くないと、発生しないイベントもあるようだ。
Point2
コミュで絆を育てよう
主人公は仲間たちや一部の登場人物と、絆=コミュを築くことができる。交流してコミュランクを上げることで、登場人物を深掘りする魅力的な物語が展開。さらにランクが上がると、戦闘が有利になる要素も!
新規のリンクエピソードも登場
↑オリジナル版でコミュがなかった仲間キャラには、新規のリンクエピソードを追加。彼らの知らなかった一面が明らかになる。
And More
何をする��もあなた次第
←↑本作はカレンダー形式で、1日ごとに何をするか選択可能 (一部、行動できない日もあり)。部活をするもよし、アルバイトに励むのもよし。全ての行動が主人公の成長につながっていくので、毎日の行動を充実させていこう。
ペルソナ能力を活用しシャドウを倒そう!
影時間に登場するダンジョン・タルタロスに挑むことで、シャドウを討伐し、主人公たちのバトル能力を成長させることができる。
→シャドウには弱点がある。武器やスキルで弱点をつき、戦いを有利にしよう。
シャドウの弱点をつけ
Battle
強力なテウルギア
↑必殺技・テウルギアが追加され、バトル演出がより華やかに!
しゅ じん こう
主人公
CV : 石田 彰
月光館学園高等部に2年から編入してきた転校生。昔学園がある港区に住んでいて、約10年ぶりに戻ってきた。複数のペルソナを召喚できるワイルドの能力を持ち、S.E.E.S. (特別課外活動部) のリーダーを任される。
S.E.E.S
Character
特別課外活動部の仲間たち
主人公が一緒に戦うのは、月光館学園に秘密裏に存在し、シャドウ討伐を目的とする部活動S.E.E.S.に所属する個性豊かな仲間たち!
勝気だけど仲間想いなクラスメイト
たけ ば
岳羽ゆかり
CV : 豊口めぐみ
月光館学園高等部の2年生で、主人公や順平のクラスメイト。弓道部に所属している。容姿端麗なため、学内でもファンが多い。明るくしっかり者で、個性的な仲間たちのツッコミ役になっている。父親の死、そして母親との確執から、ひとりで生きようと考えており、強気な態度を見せることも⋯。
陽気なムードメーカー
い おり じゅん ぺい
伊織順平
CV : 鳥海浩輔
影時間に迷い込んでいるところを真田に救われ、S.E.E.S.に加入する。コミュニケーション能力が高く、陽気で仲間を盛り上げるムードメーカーだが、少し調子に乗りやすいところがある。同じ学年なのにリーダーを任されて周囲からの信頼が厚い主人公に対して、ライバル意識や劣等感を抱いているよう。
ストイックなボクシング部主将
さな だ あき ひこ
真田明彦
CV : 緑川 光
月光館学園高等部3年生。無敗を誇るボクシング部の主将で、学外にも名が知れ渡っている。過去のある���情から強さを追い求めており、影時間でのシャドウとの戦いも、どこか楽しんでいる節がある。文武両道でストイックな性格の持ち主だが、頑固で融通が利かず、少しズレた反応を見せることも多い。
生徒会長を務める大企業の社長令嬢
きり じょう み つる
桐条美鶴
CV : 田中理恵
月光館学園高等部3年生で、生徒会長。S.E.E.S.を立ち上げ、自身も部長としてメンバーをまとめている。世界有数の大企業である桐条グループの社長令嬢だが、影時間には彼女の家が深く関わっているようで⋯。品行方正な優等生だが、世間知らずな面もあり、浮世離れした言動で周囲を驚かせる。
分析能力に優れたナビゲーター
やま ぎし ふう か
山岸風花
CV : 能登麻美子
月光館学園高等部2年生。穏やかで控えめだが、芯はしっかりしている。ある出来事で影時間に閉じ込められ、主人公たちに救出された。そこでペルソナ能力が覚醒し、S.E.E.S.の一員に加わる。情報収集や分析が得意で、サポート能力に優れた専用ぺルソナ・ルキアの力を使い、ナビ役として仲間を支える。
人懐っこい忠犬
コロマル CV : 高橋伸也
寮の近くにある長鳴神社の神主の愛犬で、主人を亡くしたあとも、大切な場所を守り続けていた忠犬。ある事件がきっかけでぺルソナ能力に目覚め、主人公たちに保護され、一緒に寮で生活することになった。賢く、人懐っこい性格で、自身の気持ちを翻訳してくれるアイギスと、天田とは特に仲良し。
心を持った対シャドウ特別兵器
アイギス
CV : 坂本真綾
心を持った人型兵器として生み出され、ペルソナを召喚することができる。なぜか初対面から主人公に対して強い執着を見せるが、理由は不明。仲間に加わったあとは、月光館学園に通い、主人公たちのクラスメイトになる。機械らしく実直な言動が多いが、仲間と過ごすなかで、人間らしい感情が芽生えていく。
背伸びをして大人びた振る舞いをする小学生
あま だ けん
天田 乾 CV : 緒方恵美
月光館学園初等科5年生。事故で母親を亡くしており、主人公たちが暮らす巌戸台分寮に身を寄せることになる。あるきっかけでペルソナ能力に目覚め、幼いながらも、自らの意志でS.E.E.S.に加わることを決めた。とても礼儀正しく大人びているが、特撮ヒーローが好きなど、まだまだ子供らしい面も。
S.E.E.S.の創設メンバーのひとり
あら がき しん じ ろう
荒垣真次郎
CV : 中井和��
月光館学園高等部3年生だが、現在は休学中。美鶴、真田と共にS.E.E.S.を創設したが、2年前のある事件が原因で現在は活動に参加していない。真田とは同じ施設で育った幼馴染みで、お互いに気にかけている。無口でぶっきらぼうだが根は優しく、料理が得意。また、コロマルを密かに可愛がっている。
順平は誰よりも人間臭くてとてもいい男
今作で初めて『ペルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品に、ご自身が感じられている魅力をお聞かせください。
独特の世界観、硬軟織り交ぜた見応えのあるストーリー、魅力的なキャラクター等あげたらキリがないですが⋯。新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力ではないでしょうか。
ご自身が演じられている伊織順平の魅力や好きなところをお聞かせください。
順平はバカでお調子者でみっともなかったりだらしなかったりするのですが、誰よりも人間臭くて、成長して、決してスーパーマンではないけれど、とてもいい男だと思います⋯褒めすぎかな (笑)。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
Cast Comment 1
伊織順平役
鳥海浩輔
新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力
とりうみ・こうすけ
アーツビジョン所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』愛島セシル役、『キングダム』尾平役 ほか
順平もゆかりっちも⋯てか、出てくるキャラクターみんな良いのですよ。とても魅力的なキャラクター揃いだと思います。まぁでも、手前味噌ですが順平が1番好きです。あとチドリも。
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認識できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
影時間は経験しなくていいです (笑)。
作中のお気に入りのペルソナを教えてください。
ヘルメスかっこいい。ジャックフロストかわいい。ケルベロスかっこいい。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
やはり真田先輩と牛丼を⋯。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
とても楽しく、個人的にも思い入れのある作品です。是非多くの方に楽しんでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
自分は。ペルソナ能力には目覚めなくていいです(苦笑)
今作で初めて『ヘルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品の印象をお聞かせください。
自分が初めて遊んだ『ペルソナ』シリーズです。自分はちょっと怖いものが苦手で、このタイトルもそういう雰囲気なんだろうなぁ。遊びたいけど大丈夫かなぁ。なんてビクビクしながらプレイしたのですが、めちゃめちゃスタイリッシュだわ、音楽はお洒���だわで、ものすごくハマりましたねえ。
ご自身が演じられている真田明彦の魅力や好きなところをお聞かせください。
結構ハードな過去を背負っている割には、あまりそれを見せないところかなぁ。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
う~ん。やっぱり荒垣 (真次郎) ですねぇ。
Cast Comment 2
真田明彦役
緑川 光
スタイリッシュで、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりました
みどりかわ・ひかる
青二プロダクション所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』鳳瑛一役、『あんさんぶるスターズ!!』 天祥院英智役 ほか
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認護できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
色んな所に行って、普段と違うところを堪能したいです (笑)。
もしご自身がぺルソナ能力に目覚めたら、どんなぺルソナだと思いますか?
目覚めちゃうと、あの銃のパーン!ってやつしなきゃダメ???だったら、怖いので、目覚めなくていいです (苦笑)。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
学生時代が、それはそれは昔過ぎてキラッキラ輝いているので (笑)、普通に友達とわちゃわちゃ遊びたいですね。普通が1番です (苦笑)。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
以前のものも面白かったですが、さらに面白くする自信があるからフルリメイクしたんだと思っているので、未プレイの方だけでなく、ブレイ済みの方たちも、是非、再びお手に取っていただけると幸いです。
Staff Comment
アトラス ペルソナスタジオ ディレクター
山口拓也
今のペルソナスタジオが魂を込めてお届けします
議論を重ねて丁寧に作っていく
『ペルソナ3 リロード』はどのような流れでフルリメイクが決定したのでしょうか?
『P3』のリメイク自体は元々ユーザーからの要望も多く、毎年アトラスが行っているユーザーアンケートでもリメイクしてほしいタイトルとして常に上位に上がるほどでした。ぺルソナスタジオとしてもユーザーの要望にお応えしたい気持ちはあったのですが、今までスケジュールや人員などの色々な都合で作れていなかったところに、丁度様々な都合がかみ合うタイミングが来まして、「今だ!」という感じで企画が動き始めました。
『ペルソナ3』という作品の魅力はどんなところにあるとお考えですか?
シナリオ、世界観、キャラクターなど様々な魅力があると思いますが、テーマに【死】を掲げているからこその、決して良いことばかりではない、人生の暗い部分にもフォーカスして繰り広げられる群像劇。それを通じて、自分自身はどう生きるべきなのか、限られた時をどう過ごすべきなのか、ついそんなことを考えてしまいながらプレイしてしまって、気が付くとどんどんあの世界に引き込まれていきます。そういった部分が『ペルソナ3』の魅力かと思います。
オリジナル版の発売から約18年後の今、リメイクするにあたって苦労された部分はありますか?
やはり何を変えるか、何を変えないかの取捨選択は非常に苦労しました。オリジナル版は今の『ペルソナ』のターニングポイントとなった伝説的なタイトルで���時のユーザーの方たちも思い入れが強いと思いますので、そういったすでに『ペルソナ3』をご存知の方とこれから新しく遊ばれる方の両方に最大限、現代の『ペルソナ3』として楽しんでもらうための取捨選択が一番苦労しました。関わったスタッフの中には過去の『ペルソナ3』タイトルをユーザーとして遊んだスタッフも多かったので、そういったスタッフとも一つひとつ議論を重ねて丁寧に作っていきました。
『ペルソナ3 リロード』ならではのアピールポイントもぜひ教えてください。
本作には様々な魅力がありますが、まずは何と言っても全面的に刷新されたグラフィックでしょうか。フィールドやキャラクターは等身大のスケールで作られ、UIも全て新規に作り直されています。特に3Dのキャラクターモデルはとても魅力的に作られていますので、大きな画面でじっくり見ていただきたいです。あと個人的にはコロマルの可愛さがもうたまらないので、仲間になった後は是非パーティに入れて、探索に連れて行ってみてください (笑)。
UIまわりや音楽のお洒落さも話題になっています。デザイン面やサウンド面でこだわられたポイントを教えてください。
デザインやサウンド両方に共通することですが、オリジナル版を遊んでいた方にも改めて楽しんでいただけるように、オリジナル版のイメージやニュアンスを汲み取りつつも新鮮さも感じていただけるようパワーアップさせることを意識しました。例えばリーですと、単純に見た目がカッコいいだけでなくこれまでのシリーズを通して培ってきたユーザビリティを損なわないように、遊びやすさや操作の快適さにもこだわって作っています。あと、サウンドでは今作では新曲もいくつか増やしているのですが、あまり曲自体を軸にしすぎると、懐かしさといいますか『P3』らしさみたいなものが損なわれる気がしたので、今作全体の演出や表現、ゲームプレイでパワーアップしたところや変化したところを考えてオリジナルを補完するような意識で追加しました。
キャラクターたちのイベントや寮生活も充実していますが、どのような経緯で追加されたのでしょうか?
『ペルソナ3』は主要なキャラクターたちが同じ寮に住んで暮らしているのですが、今まではあまりそのシチュエーションを活かした描写が少なかったなと思ったのがきっかけです。そこからスタッフと実際に同じ学校の同級生や先輩後輩と寮に住んでいたらどんな事をしたいかとかを話し合って、一緒にテスト勉強がしたいとかDVDが観たいなどいろいろな意見を踏まえて今の形となりました。
主人公たちと敵対する「ストレガ」のエピソードも追加されていますが、注目してほしいポイントはありますか?
今まであまり描かれていなかった、ストレガの各々が影時間やペルソナ能力に拘る理由の一端が垣間思えるかと思いますので、そういった点に注目していただけたら幸いです。また主人公とタカヤが対話する場面も増えており、この追加エピソードを通じ二人の関係も少し深くなっていく部分もありますので、そういった部分も注目ポイントかと思います。
豪華声優陣も注目されていますが、ボイス収録の際に印象に残っているエピソードなどがあればぜひお教え��ださい。
『ペルソナ3』は割とシリアスな場面が多めのストーリーではあるのですが、そういった場面での鬼気迫る演技は、本当に収録に立ち会いながらスタジオで思わず目頭が熱くなるような凄まじい演技をしてくださり、改めて声優さんの凄さといいますか魂を吹き込むというのは比喩でもなんでもなく本当に吹き込んでいるのだなと感じたことが印象に残っていますね。これは本当に是非ゲームをプレイして体感していただきたいです。勿論何気ない日常の一コマもとても楽しく活き活きとした等身大の彼らが見られますので、そういった部分も存分に楽しんでいただければと思います。あとは、新たにキャスティングさせていただいたコミュキャラクターの声優さん方も本当に錚々たる方々に演じていただけたのはありがたかったです。勿論どのキャラクターも魅力を十二分に引き出していただきましたので、そのあたりも注目していただければと思います。
今作で初めてゲームをプレイされる方もいらっしゃると思います。プレイのコツやアドバイスなどがあれば教えてください。
『ペルソナ3 リロード』はカレンダーシステムという何か行動するたびにゲーム内の日付が進むシステムを採用していまして、ゲーム内で日々を無為に過ごし続けると月日がどんどん経過していき、気が付くと何も準備ができていないまま強敵と対峙する⋯なんてこともあります。なので、勉強やアルバイトなどの自分磨きや仲間や友人との交流は勿論、ダンジョン探索やぺルソナの合体等、様々な要素をまんべんなく進めていただいて、忙しくも充実した日々を送っていただくのがプレイするコツかなと思います。あとは難易度設定も用意してあり、ゲーム中にいつでも変更可能ですので、バトルが難しいと感じた方は遊びやすい難易度を選んでいただけたらなと思います。一番優しい難易度では絶対にクリアできるようになっていますので、ストーリーは気になるけどゲームは苦手という方も安心して遊んでいただけると思います。
最後に読者へメッセージをお願いいたします。
今の『ペルソナ』シリーズのターニングポイントにもなった『ペルソナ3』が装いも新たにフルリメイクされて『ぺルソナ3 リロード』として発売中です!“『ぺルソナ3』のリメイク”となっていますが他の『ペルソナ』タイトルを遊んでいなくても、オリジナル版を遊んでなくても全く問題なく楽しめる内容となっています。今のペルソナスタジオが魂込めてお届けする『ペルソナ3 リロード』。少しでも気になったらお手に取っていただけますと幸いです。
Keyword 1
『ペルソナ』シリーズとは
『ペルソナ』は、不思議なペルソナ能力に目覚めた少年少女たちの物語を描く、アトラスの大人気RPGシリーズ。各作品でストーリーは独立しているが、ペルソナを生み出すベルベットルームの存在など、世界観は共通している。『P3』はグラフィックやシステムなどを刷新し、新たな『ペルソナ』像をファンに打ち出した記念すべき作品だ。
↑ベルベットルームの主・イゴールは、シリーズに欠かせないおなじみの人物。
Keyword 2
スタイリッシュなUI
UI (プレイヤーが触れるメニュ―などのシステム) やキャラクターの2Dイラストがブラッシュアップされ、美しくより遊びやすいものになっているのも本作の特徴だ。
→バトルのメニューも操作性アップ!
Keyword 3
仲間たちとの寮生活
S.E.E.S.のメンバーは、全員同じ寮で生活している。本作では寮内で一緒に料理をしたり、試験勉強をしたり、仲間たちと一緒に過ごせる要素がたっぷり追加された!
↑一緒に過ごす時間が増え、仲間たちとの距離がオリジナル版より近い印象に!
Keyword 4
敵対する存在 “ストレガ”
影時間を利用して、他人の復讐の代行をするグループ“ストレガ”。彼らもペルソナ能力を持っており、影時間に対する考え方の違いから、主人公たちと対立する。彼らのイベントが追加され、想いや目的が明らかに。
↑ “ストレガ”が影時間やペルソナ能力に執着する理由とは⋯?
タカヤ
CV : 神奈延年
“ストレガ”のリーダー。独特な風貌と言動の持ち主だが、高いカリスマ性から、心酔する者も多い。影時間を特別な領域と考えており、影時間を消すために活動しているS.E.E.S.の前に、何度も立ちふさがることになる。
ジン
CV : 小野坂昌也
関西弁を話す少年で、戦闘では特製の手榴弾を使用する。頭脳明晰で、情報収集を得意とし、復讐代行サイトの運営を担当。過去の出来事からタカヤのことを強く信奉しており、彼につき従って行動している。
チドリ
CV : 沢城みゆき
絵を描くことを好む、白いドレスが印象的な少女。あまり感情を表に出すことがなく、他者に対して関心がない。ひょんなことから順平と出会い、交流するように。そのなかで、彼女の心に大きな変化が生まれていく。
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triflingdoodle · 2 months ago
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題���関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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1003books · 10 months ago
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1/25-2/12 老屋顔写真展+関連イベントのお知らせ
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台湾で古い建物の探索と記録をテーマに活動する老屋顔(ラオ ウー イェン)の写真展&フェアを開催します。
昨年12月にKIITOで開催された日台レトロ・モダン建築シンポジウムでお披露目された、縦2m×横1mの巨大なスクリーンに印刷した写真の展示と、マスキングテープやタイルコースターなど台湾直輸入の老屋顔グッズ、既刊の翻訳書3冊および未邦訳の新刊『老屋時態』の販売を行います。
また、会期中には関連企画として、台湾をテーマにしたトークイベントと読書会を開催。詳細は下記をご確認ください。
【老屋顔写真展&フェア】
会期 2024年1月25日(木)~2月12日(月)
    12:00-19:00  ※火曜・水曜定休
場所 1003 (〒650-0023 兵庫県神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビル504号室)
入場無料
※1月27日(土)はトークイベントのため、18:00閉店
《作家プロフィール》
老屋顏(ラオ ウー イェン)
古い建物の探索と記録をテーマに台湾各地を旅し、鉄格子やテラゾー(人造大理石)など、台湾の歴史と文化に富む「建築装飾」を撮影・記録する二人組ユニット。台湾での古い建物の再生・再利用の事例にも注目、FacebookやInstagramなどSNSでの発信のほか、現在4冊の書籍を出版、ラジオ番組やWebメディアへの出演、オリジナルブランドによる多くの商品を発売するなど、多方面に活動中。
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【1/27 実録台湾出張トーク!二本立ての夜】
「日台レトロ・モダン建築シンポジウム」準備のために渡台した脈脈子(ライター/編集者)・前畑温子(産業遺産写真家)による、台湾出張旅行二本立て。台湾で老屋顔に会うために出張した二人に、様々なトラブルに巻き込まれた旅について語っていただきます。観光旅行では知り得ない台湾の最新情報をお楽しみ下さい。
◇脈脈子「「はねられて国軍病院。台湾入院114時間」
◇前畑温子「台湾子連れ出張9泊10日」 
聞き手◇鉄窓花書房・tamazo
日時 2024年1月27日(土) 開演 19:00(開場18:30)
場所 1003 (〒650-0023 兵庫県神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビル504号室)
参加費 1,500円(当日払い)
申込先 http://ptix.at/RPm5p5
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【2/4 持ち寄り 小さな読書お茶会「台湾のここが好き!を語り合う会」】
あなたは台湾のどんなところが好きですか?はまったきっかけは?
「台湾好き」といっても好きの理由は十人十色。台湾茶を飲みながら、語り合いましょう。
お気に入りの台湾にまつわる本があれば、お持ちください。(なくても参加OK)
私はコロナ禍中に出会い、読書会活動のきっかけとなった『オードリー・タンの思考 IQより大切なこと』(近藤弥生子著)を持参します。目から鱗がポロリと落ちた、日常や社会に希望をもたらす考え方のヒントなどを紹介する予定です。
(主催:勢力友子より)
日時 2024年2月4日(日)10:00-11:30
場所 1003 (〒650-0023 兵庫県神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビル504号室)
参加費 1,500円(台湾茶 お菓子付き)※当日払い
申込先 http://ptix.at/C9TFFi
勢力友子(��いりきともこ)
出版社、広告会社を経て、京都郊外の生活雑貨店・料理教室に約17年勤務後、フリー。台湾で出会った「希望」のヒントを日常に、をテーマに2021年より「小さな読書お茶会」をカフェなどで開催。
台湾好き仲間3人ではじめたイベント「台湾小箱」のメンバーとしても活動。
Instagram @tomoko444
【お問い合わせ先】
※Peatixでのお申し込みが難しい方は下記までお問い合わせください
1003(センサン) 担当:奥村
TEL 050-3692-1329
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moderndays · 1 month ago
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知ら��い京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来��美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者��言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わち���いや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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ashi-yuri · 3 months ago
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スイスで見た博物館・美術館 備忘録
栄華で罪深い過去と共に。
いろんなヨーロッパ絵画や歴史的史料を見るなかで、少しだけヨーロッパやスイスのイメージが具体的になってよかったな。
ぜんぶ素人の適当な感想なので、気軽な旅行気分で流し読みしていただければ幸いです。
ラ・ショー・ドゥ・フォン
時計博物館
Lorelei and the Laser Eyesに出てきそうな大きく複雑で謎めいた時計がたくさん見られて楽しかった。歴史的な展示もされていて、最初は日時計・砂時計から始まるのだけれど、最後正確性を求めるうちに、メカメカしい原子時計までいくのが面白かった。
時を、航路を、労働を、計り刻む合理性の象徴としての時計。
写真は複雑なアナログ時計と精密な原子時計。
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ヌーシャテル
美術・歴史博物館
地域のちょっとした歴史資料館見るのが好きなので。トラベルパスという共通観光チケットがあれば無料で見られるのも気軽でよい。(多くの博物館・美術館も同様)
小規模だけれど、全体的にまじめに作られていて好印象。精巧な自動人形が見られたのも楽しかった。緻密な絵を描いてくれる!
建物も立派。スイスは町中に豪華で立派で石造りの重い建物がずっとのこっている。
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「植民地主義者の銅像をどうしますか?私たちは公共の場で何を、どのように覚えておきたいのでしょうか?」
印象的だったのは、地域の名士の銅像をどうすべきかという展示。ヌーシャテル中心部に立っている町の発展に寄与した名士は、実は奴隷貿易や三角貿易で富を得た人物であり、現代において彼を称える銅像が町にあるのは是か非か、市民はどう考えるのかという展示。地域の歴史紹介や美術家や歴史家など専門家のオピニオンビデオ、市民への公開アンケートなどを用いて多角的に議論の素材を提供する。正解はないけど、とりあえずみんなで過去を踏まえて考えて議論して、今後決めていこうというスタンス。
過去の他地域への搾取とそこから得た富・美を現在どう扱うべきかというテーマは、このちいさな地域の郷土資料館をはじめ、後述するようにほかの美術館当でも見られて、スイスやヨーロッパ全体での時流でもあるのかもしれない。
ベルン
パウル・クレー・センター
クレーの作品は今まで散発的に見たことあるだけでそんなに興味なかったのだけれど、作品をまとめて見られて、なんとなくよさがわかってよかった。作品保護の観点から、展示点数は規模のわりに少なめ。
限られた二次元の色と線という手法でいかに現実を描きうるかという自由で多様な実験みたいな作品が楽しい。絵単体というより、そのいろんな試みが自分には興味深かった。
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晩年の、勢いを増すナチス・ドイツの勢力から逃れて故郷ベルンに戻ったのち、なぜか線と色に迷いが消え、寡��で内省的で象徴性を増していくなぞめいた作品群が個人的には好みだった。
ローザンヌ
リュミエーヌ宮・自然博物館
たまたま休憩に立ち寄った立派な旧宮殿内に、無料で市民開放されている博物館があったので。
おおきなマンモスの化石があった!ほかにもたくさんの剥製(絶滅種も含む)や鉱物・化石が展示されていて、時間なくてゆっくり見て回れなかったけれど、思いがけず充実した展示があり楽しかった。ここも建物が古くて立派。
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チューリッヒ
チューリッヒ美術館
中世から現代美術までいろいろなヨーロッパの美術作品がたくさん集まっている。自分の精神は近代で止まったままなので、いろいろな近代絵画が間近で見られてうれしかった。ほかの美術館等と違いトラベルパスは対象外で、別途入館料が必要なので要注意。
マグリットやキリコやフランシス・ベーコンの作品が近くで見られる!やった!!
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ムンクのこの絵も、線と色合いの構成がしっかりしたふつうの風景画だけれど、見てるとつらくなってくるような感じがあってよかった。
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現代美術
バングラデシュ・ダッカ出身の非営利コレクティブが��ったインスタレーションがよかった。少しだけダッカという地域と縁があったので。
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急速な経済発展と社会の変化、押し寄せるたくさんの海外資本・商品・文化と市場社会、そのなかで抱える戸惑いや経済発展への期待や先進国への不信感。作品で表された、現地産業であるニットで編まれたキャンベル缶や粗末な屋台に並ぶたくさんの商品≒危険物のなかに、わずかに知っていたバングラデシュに住む彼らの思いを、芸術作品を通して改めて知れたようでよかったと思う。
デモによる政権交代後、みんなどうなるのかな。無事であるといいのだけれど。
ジャコメッティ作品
スイス出身の作家ということで、こちらも今まであまりよくわからなかった人なのだけれど、この機会にまとめて作品を見ることができてすごくよかった。人間性の衰弱と危機のなかでの抗い、というモダニズムなテーマよかったな。フランシス・ベーコンや河原温とかもそうだけど、モダニズムのなかで人体の徹底的な解体と再構成を描こうとする作品が好きなのかもしれない。
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存在だけ再構成されたよろよろしてる犬。かわいいね。
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企画展
チューリッヒ美術館のコレクションに多大な貢献をした武器商人「Sammlung Emil Bührle氏」の所蔵コレクションの今後の在り方について問うもの。
戦争という場を利用し、武器の販売で得た多額の富により築かれたコレクション。ここに飾られる絵画の額のすべてには「Sammlung E.G. Bührle」と刻印がされている。モネのきれいな睡蓮などもこの額に囲われ、周辺情報が気になって作品単体の鑑賞が難しい展示。
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なお、ほんの一部にナチス・ドイツがユダヤ人から押収した作品も含まれており、こちらについては返還手続きを進めており、展示不可となっているとのこと。
だから作品すべての来歴を明らかにし、それはQRコードで開示されている。展示自体がこれらの周辺情報含めて、たくさんの犠牲とそこから得た利益という過去のうえに築かれたコレクションをどう維持し、どういう文脈とともに展示していくか問題提起し、議論するための場となっている。
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非常に難しい問いかけであり、自分にはどういう方向性に進むのがいいのかわからないし、作品鑑賞の場としては周辺情報が多すぎるし、けれど無視できない・そうすべきでない問題なのもわかる。過去からは逃れられないけれど、いつか作品そのものをちゃんと鑑賞できる環境が整えられる日が来るんだろうか。
日本では、国立近代博物館の戦争画展示や藤井光氏の展示などが、自分が知っている中では社会的・歴史的経緯に取りまかれる芸術と展示の問題を取り扱っていて、たまに気になって見に行く。
(チューリッヒ美術館まとめ)
いろんなお金と美術と考えが集まる場所なので、ものすごく駆け足に1時間半で見たら大変でした!
ジュネーブ
ルソーの像・ルソーと文学の家
ルソーの諧謔と矛盾に満ちた「孤独な散歩者の夢想」が好きなので、ルソー詣でをしてきた。
家のほうはふつうに1Fでカフェを営業していたのが意外。テーマごとにおしゃれでコンパクトな展示となっていて、日本語ガイドのレンタルもありで見やすい。「孤独な散歩者の夢想」展示が見られたので満足!
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国際宗教改革博物館
小ぶりな建物ながら、展示はきれいで整理され、非常に充実・意欲的な内容でよかったな。特設Wi-Fiで接続できるホームページから多言語対応されていて、しっかり翻訳された日本語で見やすく展示解説が読めるのも、ちゃんと説明しようというやる気を感じた。
当然プロテスタントの視点からの展示だけれど、あまり宗派に偏らず、比較的フラットに解説されている印象(自分がキリスト教に不明のためわからないだけかもしれないけれど)
聖書がラテン語からドイツ語・フランス語・英語に翻訳されることで、書物が権力関係を変え、そして社会が変わっていったことを、当時の書物を通して少しだけ思いを馳せることができるようでよかった。
写真はラテン語から英語やドイツ語など様々な言語に翻訳された、宗教改革当時の聖書。
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ジュネーブに滞在し、宗教改革で大きな役割を果たしたカルヴァンについては、偶像崇拝を厳しく禁じていたため、彼が使ったといわれてるコップしか遺物が残ってなくて、それが展示されているのがおもしろかった。
宗教改革でよりモダンな形に切り替わったキリスト教が商業主義・物質主義に取り込まれていくこと、女性や疎外された人々がプロテスタントの教義について議論する演劇をもとにした映像作品、そして今日的な「プロテスト」の在り方など、意欲的な展示構成も見ていて楽しかった。時間の都合上、駆け足でしか見られなくて残念。
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ざっくりまとめ
海外でもGoogle翻訳のカメラ機能で展示解説をおおむね読むことができるので本当に助かる。ホームページやガイド端末で日本語含めた多言語対応しているところも意外とあった。
自分が行った場所はどこに行っても古く重い石造りの建物が残っていて、重く逃れられない過去のなかにずっといるようで印象的だった。
小さいけれど、伝えたいことがちゃんとあって、資料の保存や展示の意義を問い続けるような博物館・資料館は、国内外問わず見ごたえあっていいなと思う。大きな美術館や公設の資料館とかもそれぞれ姿勢に違いがあって、いろいろ見られて勉強になった。
最後にいい感じの湖の写真で終わります。湖は最高。
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fukagawakaidan · 3 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はな���とか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れ���ようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・そ���は地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか��という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの���となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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kennak · 7 months ago
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一  問題の所在   一  教会から銀の燭台を盗んで警察につかまったジャン・バルジャンをかばって、司教はそれはかれに与えたものだという嘘の供述をした。これがきっかけで、バルジャンは改心することになる、というのが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の冒頭シーンであった。   ところで、窃盗罪において被害者の承諾は、もちろん、窃盗行為の前に存在しなければならないし、そもそも、教会の財産である燭台を処分する権限が、無条件で司教に与えられているかどうかも、疑問の余地がある(1)。したがって、事後に司教が贈与の意思を表明したとしても、バルジャンの窃盗罪は否定されず、ゆえに、司教は窃盗犯人をかばって嘘の供述をしたということになろう。仮にこの司教の行為が、盗みはなかったと嘘をつくことで犯罪者を警察から隠避させ、もしくは虚偽の供述をすることで「証拠の偽造」を行ったという理由で、刑法一〇三条の犯人隠避罪や一〇四条の証拠隠滅罪という「司法作用に対する罪」に当たるとしたら(2)、「レ・ミゼラブル」のストーリーは相当に違ったものになっていたかもしれない。つまり、市民は処罰の危険を犯してまであわれな犯罪者をかばうことはなく、バルジャンは人の善意を信じて更生することもなく再び刑務所に収容され、場合によってはまた脱獄を繰り返していたかもしれない。   二  ところで、わが国の実務では、証拠隠滅罪(3)に関して、近年、つぎのような主張がなされることがあるようである。すなわち、他人の刑事事件の参考人が被疑者をかばうために捜査機関に対して虚偽の供述をすることは証拠隠滅罪にあたり、とりわけ、参考人の取調官がその供述内容を録取した調書を作成した場合には、その内容が虚偽であることを知らない取調官を利用した「証拠偽造罪の間接正犯」に当たるというのである(4)。   実際、この見解に基づいて、他人の刑事事件について取り調べの捜査官に虚偽の供述をした者が証拠偽造罪で起訴されるという事件があった。その事案はつぎのようなものである。すなわち、被告人は、覚せい剤取締法違反容疑で勾留中に、同房のTから、Tの被疑事件について彼を不起訴にするために、被告人がTに風邪薬だと言って覚せい剤入りのカプセルを渡し、それをTが覚せい剤と知らずに飲んだことにしてくれと頼まれ、その旨を取調べに当たった捜査官に供述した。捜査官はその内容を録取し、被告人に誤りのないことを確認させ署名指印をさせて、供述調書を作成した。もっとも、嘘はすぐばれたようである。この行為が証拠偽造罪(5)の間接正犯に当たるとして起訴されたのである。   もっとも、昨(一九九五)年、千葉地裁は、これについて、虚偽供述それ自体は証拠偽造罪に当たらないとする従来の判例を根拠にして、供述調書が作成されるに至った場合であっても、やはり、それが証憑偽造罪を構成することはあり得ないと述べて、本罪の成立を否定した(6)。しかし、この判決をめぐっては、証拠偽造罪の成立を認めるべきだとする実務家らの批判が表明されている(7)。   三  そこで本稿では、このような参考人の虚偽供述が証拠隠滅罪に当たるか、とくに、それが供述調書に録取された場合に証拠偽造罪が成立するか否かを、本罪の沿革や訴訟の構造などの視覚から検討してみようと思う。その際、とくに論点となるのは、第一に、刑法一〇四条にいう「証拠」の意味であり、第二に、同条にいう「偽造」の意味である。 (1)  わが国には、寺の建設資金を得るため、檀家総代の同意も主務官庁の許可も得ずに仏像を処分した住職に、横領罪の成立が認められたケースがある。大判大正一五・四・二〇刑集五ー一三六。 (2)  もちろん、窃盗犯人の魂を救済するという司教の「正当業務行為」に当たるか否かは別にしてである。わが国には、警察に追われていた少年をかくまって更生させようとした牧師の行為を、正当な牧会活動であって犯人蔵匿罪の違法性は阻却されるとした判例がある。神戸簡裁昭和五〇・二・二〇刑月七ー二ー一〇四。もっとも、このような「特権」に頼ることができるのは、宗教の職にある者だけであるから、司教や牧師などでない被害者がバルジャンをかばったときには、正当化は認められないことになろう。 (3)  以下では、隠滅や偽造、変造を含んだ刑法一〇四条の罪を総称する場合には「証拠隠滅罪」の語を用い、特に偽造だけを意味するときは「証拠偽造罪」の語を用いる。 (4)  小島吉春「証人・参考人の虚偽供述の刑法的評価について」研修五一八号(一九九一)二五頁、加藤康榮「「参考人の虚偽供述と証憑湮滅罪の成否」研修五二六号(一九九二)八七頁。なお、十河太郎「犯人蔵匿罪と証憑湮滅罪の限界に関する一考察」同志社法学二三九号(一九九五)一一四頁以下も同旨。 (5)  厳密には、九五年改正前の事件なので、証憑偽造罪というべきであるが。なお、以下では証拠と証憑を同じ意味で用いる。 (6)  千葉地判平成七・六・二判時一五三五ー一四四。判決はつぎのように述べている。すなわち、「参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることは、それが犯人隠避罪に当たり得ることは別として、証憑偽造罪には当たらないものと解するのが相当である・・・。それでは、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をしたにとどまらず、その虚偽供述が録取されて供述調書が作成されるに至った場合、すなわち、本件のような場合には、どうであろうか。この場合、形式的には、捜査官を利用して供述調書という証憑を偽造させたものと解することができるようにも思われる。しかし、この供述調書は、参考人の捜査官に対する供述を録取したにすぎないものであるから・・・、参考人が捜査官に対して虚偽の供述をすることそれ自体が、証憑偽造罪に当たらないと同様に、供述調書が作成されるに至った場合であっても、やはり、それが証憑偽造罪を構成することはあり得ないものと解すべきである。」と。本判決は、別件の覚せい剤取締法違反のみを理由に、被告人に懲役一年六月執行猶予三年を言い渡した。なお、本件は確定している。 (7)  尾崎道明「参考人が被疑者に有利な虚偽の供述をし、これを録取した供述調書に署名・押印した場合における証拠隠滅罪又は犯人隠避罪の成否」研修五六九号(一九九五)一五頁、河村  博「参考人が取調官に対し、積極的に虚偽内容の供述をし、これを録取した供述録取書を作成させた場合と証拠偽造罪の成否(消極)」警察学論集四八巻一二号(一九九五)一七〇頁。学者のものとしては、奥村正雄「参考人の虚偽供述を録取した供述調書への署名・押印と証拠隠滅罪の成否」法学教室一八六号別冊判例セレクト'95(一九九六)四〇頁。もっとも、尾崎論文は捜査機関に対する供述も本罪の「証拠」に含まれると解するのに対し、河村論文は供述録取書を供述そのものとは独立した保護の客体たる証拠と解している。これに対し、本判決を支持する消極説としては、大山  弘=松宮孝明「参考人が捜査官に対して虚偽の供述をしその内容を供述調書に録取させた行為は証拠偽造罪に当たるか(消極)」法学セミナー四九〇号(一九九五)八一頁、前田雅英「参考人の虚偽供述と証拠偽造罪」研修五七四号(一九九六)八頁。もっとも、消極説の中でも、その理由づけは分かれる。前者は、およそ書証の「偽造」は文書偽造罪の場合と同じく「有形偽造」に限るべきだとして、虚偽内容の上申書の作成も、名義冒用がない限り、「偽造」に当たらないと主張するのに対し、後者は、上申書の場合には「証拠を偽造した」といいやすいとして、両者を分けようとする。なお、伊藤司「参考人の虚偽供述と証拠偽造罪の成否」平成七年度重要判例解説(一九九六)一四一頁も消極説である。 二  「証拠」概念   一  前述のように、検察実務家の中には、すでに四、五年前から、この問題��ついて本判決とは逆に積極説を主張するものが見受けられた。そこでは、従来、証拠隠滅罪等にいう「証拠」は証拠物および証人などの「証拠方法」に限られるとされてきたが、そこには証人や参考人の供述といった「証拠資料」も含まれるべきであり、その結果、参考人が捜査機関に対して虚偽の事実を供述した場合には証拠隠滅罪が成立し、とくに虚偽供述が調書に録取された場合には、証拠偽造罪の間接正犯になるものと解すべきだと主張されたのである(1)。また、学説にも、以前から、証人に偽証させることも証拠隠滅行為の一種であり、ただ、偽証罪が成立する場合は法条競合の特別関係によって本罪が成立しなくなるにすぎないとするものがあった(2)。このように考えると、本件のような事案では、証拠隠滅罪の成立可能性を考える余地が出てくることになる。   そこで問題は、捜査機関に対する供述(公判外での供述)は刑法一〇四条にいう「証拠」に当たるか否かと、証拠隠滅罪と偽証罪とは一般法・特別法の関係にあるか否かにあることになる。とくに重要なのは、一〇四条の「証拠」の意味である。   二  この問題を考察するために、証拠隠滅罪の沿革を尋ねてみよう。現行刑法一〇四条は、旧刑法一五二条を引き継ぎ、対象となる行為を拡大したものであった。旧刑法一五二条は、「罪証となるべき物件を隠蔽したる者」に対して十一日以上六月以下の軽禁錮と二円以上二〇円以下の罰金を規定していた。ところが、旧刑法の明治一〇年草案では、隠蔽の対象はさらに限られ、刑事事件の証拠となる死体のみとされていたのである。周知のように、旧刑法は、フランス人ボアソナードの下、フランス刑法の影響を強く受けて成立したものであるが、本国のフランスでは、さらに、重罪の不告発罪はあるが、およそ証拠隠滅関係の規定はなかった。また、ドイツ刑法でも、二五七条以下の犯人庇護罪が反射的に刑事司法作用を保護するものであったが、司法作用を正面から保護法益とする規定は存在しなかった(3)。   このように、証拠隠滅罪はヨーロッパ刑法に淵源を持たない、わが国独特の規定として成立したのであるが、その客体は、広げられたとはいえ、旧刑法では「罪証となるべき物件」に限られていた。そして��た、これを受け継いだ現行刑法一〇四条も、その提案理由によれば、旧法が「単に罪証隠蔽の場合のみを規定し、その適用甚だ狭きに失するをもって、本案はこれを修正し、総て他人の刑事被告事件に関する有罪もしくは無罪の証憑を湮滅し又は偽造、変造しもしくは偽造、変造の証拠を使用したる場合に関して広くその規定を設けた(4)」ものにすぎない。つまり、旧刑法から現行刑法への改正の過程で広がったのは、客体ではなくて行為態様のみだったのであり、「証憑」とは証拠物件つまり有体性のある証拠に限られていたのである。   さらに、「証憑」という概念は、治罪法・明治刑訴法における「証拠徴憑」と同じく(5)、証拠と徴憑を総称するものであるが、そのドイツ語訳は”Beweismittel つまり「証拠方法」だったようである(6)。要するに、旧刑法でも現行刑法でも、証拠偽造罪の客体は「有体物たる証拠」、つまり「証拠方法」だったのである。加えて、現行法制定後の立案関係者による注釈では、「証憑」には証人は含まれないものとされていた(7)。   三  もっとも、立法者意思は、必ずしもそのまま実務に支持されるとは限らない。しかし、この問題では、大審院以来の判例は、「証拠」には供述は含まれないとする立法者の判断を支持してきている(8)。それでは、判例が供述を除外してきた理由は何であろうか。大審院や最高裁のリーディングケースは、いずれも、刑事被告人が自己の刑事責任を免れるため(9)、あるいは被告人の親族が被告人に刑事責任を免れさせるために(10)、証人に対して偽証を教唆したというものである。そこでは、自己や親族の刑事事件の証拠を隠滅しても処罰されないため(11)、供述もまた証拠に含まれるとすると、偽証を教唆した被告人らを不処罰とするかその刑を免除しなければならないのではないかという厄介な問題に遭遇したのである。供述を「証拠」から除外するのは、その意味で、偽証教唆で有罪とされた被告人側からの上告を斥ける意味を持っていた。   しかし、供述が「証拠」に含まれないとする解釈は、一貫すれば、被告人に有利に働くこともあった。たとえば、宣誓義務のない被告人である娘に虚偽供述を教唆した父親や(12)、他人を庇うために参考人に虚偽を供述するよう求めた者や(13)、捜査官に対して虚偽の供述をした参考人は(14)、供述が「証拠」に含まれないことを理由に無罪とされたのである。 (1)  小島・前掲研修五一八号三〇頁以下。 (2)  大塚  仁『刑法概説(各論)(改訂増補版)』(一九九一)五七九頁。大谷  実『刑法講義各論(第四版補訂版)』(一九九五)五五三頁以下は、罪質を異にするから観念的競合だとしている。 (3)  偽証罪は、文書偽造罪と同じ偽造罪の一種とされていた。この点では、わが国の現行法の規定順序もおなじである。なお、偽証罪と文書偽造罪や詐欺罪との関係については、成瀬幸典「文書偽造罪の史的考察(一)」法学六〇巻一号(一九九六)一二三頁以下参照。 (4)  倉富勇三郎ほか編・松尾浩也増補解題『増補刑法沿革綜覧』(一九九〇)二一七〇頁以下。 (5)  団藤重光『刑法綱要各論(第三版)』(一九九〇)八六頁。 (6)  Vgl. Beling, Begu¨nstigung und Hehlerei, VDB 7. Bd, 1907, S. 196.  そこでは、一八九九(明治三二)年と一九〇三(明治三六)年草案のドイツ語訳が掲げられている。残念ながら、この二つの草案を直接参照することはできなかったが、田中正身『改正刑法釋義』(一九〇八)二〇九頁以下によれば、証拠隠滅罪の規定には、第二案から一九九五年改正前の現行法に至るまで、文言上の変化がないので、この訳語は現行法にも対応するものと思われる。 (7)  田中・前掲書二二七頁は、「その湮滅または偽造変造は実質上物件に限り、証人を隠避せしむる場合のごときは之を包含せざることは論をまたず・・・」と述べている。にもかかわらず大判明治四四・三・二一刑録一七ー四四五は証人を、最決昭和三六・八・一七刑集一五ー七ー一二九三は参考人を「証憑」に含めている。 (8)  大判大正三・六・二三刑録二〇ー一三二四、大判昭和八・二・一四刑集一二ー六六、大判昭和九・八・四刑集一三ー一〇五九、最決昭和二八・一〇・一九刑集七ー一〇ー一九四五、大阪地判昭和四三・三・一八判タ二二三ー二四四、宮崎地日南支判昭和四四・五・二二刑月一ー五ー五三五。 (9)  前掲・大判大正三・六・二三、最決昭和二八・一〇・一九。 (10)  前掲・大判昭和八・二・一四。 (11)  一九四七(昭和二二)年までは、親族による証拠隠滅は、今日のような任意的な刑の免除事由ではなく、処罰阻却自由であった。 (12)  前掲・大判昭和九・八・四。 (13)  前掲・大阪地判昭和四三・三・一八。 (14)  前掲・宮崎地日南支判昭和四四・五・二二。 三  「偽造」概念   一  もっとも、供述自体は「証拠」に含まれないとしても、それ以外の刑事事件の処理に関する一切の資料は含まれるので(1)、捜査官の作成した供述調書も本罪の対象になることは否定できない。したがって、供述調書自体を隠滅したり偽造したりすれば、一〇四条に該当することは明らかである。しかし、なされた通りに録取された供述に虚偽が含まれていた場合にも、証拠を「偽造」したといえるのだろうか。   これについては、民事裁判の被告が、他人の刑事裁判の証拠に利用するため、虚偽の債務の請求を認諾しこれを口頭弁論調書に記載させた場合に、証拠の偽造を認めた一九三七年の大審院判決がある(2)。もっとも、これはあくまで、裁判官の面前での供述に関するものであり、その限りで、捜査機関に対する虚偽供述についての先例ではないことに注意しなければならない。   しかし、戦後にはこれと逆に、示談の成立を装うために被告人が送付した現金書留の受領証は送付の事実を証明する証拠にすぎず、証拠の「偽造」には当たらないとした下級審判決がある(3)。受領書が証明するのは、送金の事実そのものであって、その点に偽りがなければ、受領書の作成は証拠の偽造ではないというのである。この見解によれば、供述調書もまた供述者の供述の存在とその内容を証明する「証拠」であって、供述内容に嘘があっても、供述者が現にそのように供述している限り、調書の内容に「虚偽」はないと見るべきことになる。その場合、供述者の署名・押印は、録取が正確になされたことの確認を意味するにすぎない。   このように見ると、供述内容を他人が録取する場合に「偽造」を認める先の大審院判決(4)は疑問となる。供述調書が捜査官による供述の録取であることを重視する千葉地裁判決も、このような見解に依拠しているのかもしれない。なお、この場合、取調官が、調書に供述者の供述したとおりの内容を書かないときは、虚偽公文書作成罪の余地があることになろう。より罪責の重い虚偽公文書作成罪が成立するのだから、証拠偽造罪の成否は重要でないことになる(5)。   二  もっとも、この見解でも、参考人が内容虚偽の上申書を自分で作るときは、証拠の「偽造」に当たる余地がある(6)。事実、供述調書について証拠偽造罪の成立を否定する見解の中にも、上申書や供述書については、本罪の成立を認める見解がある(7)。しかしさらに、裁判例には、刑法一〇四条にいう「偽造」を、刑法一五五条や一五九条の文書偽造罪の場合と同じく、「有形偽造」と解したのではないかと思われるものがある。文書がその日付当時その名義人によって作成されたものであれば、たとえその内容に虚偽の記載があったとしても証拠の偽造に当たらないとした一九一六年の東京地裁の判決である(8)。   講学上は、一般に、「偽造」には広義と狭義があり、広義の偽造は「虚偽作成」の意味での「無形偽造」を含むのに対し、狭義の偽造は「名義の冒用」の意味での「有形偽造」であり、しかも「有形偽造」はさらに、「変造」とこれを除く「最狭義の偽造」に分かれると説明されている。��かし、現行法の条文本文を注意深く見ると、文書偽造の罪では、立法者は「偽造」を常に「最狭義の偽造」の意味で用いており、「無形偽造」は常に「虚偽作成」と表現されていることは明らかである。また、一五五条や一五九条の客体には図画も含まれており、さらに通貨偽造に関してもこれを「有形偽造」と解する見解もあることから、現行法上の「偽造」概念を、すべて「名義の冒用」つまり「有形偽造」解することは、十分に根拠のあることだと思われる。   三  もっとも、このような見解に対しては、大審院に、書類作成権者による記載事項の変更に刑法一〇四条を適用した大審院判決(9)のあることが、批判として持ち出されるかもしれない。実際、下級審判例には、虚偽内容の上申書の作成を証拠「偽造」とみなす際にこの判決を根拠にしたものがある(10)。また、学説は一般に、この判決を根拠にして、一〇四条においては「文書偽造罪のばあいの『偽造』・『変造』とはちがって文書についての作成権限の有無は無関係であり、また、文書としての内容の真否も問うところではない(11)。」とする解釈を展開してきたのである。しかし、この判例は実は、証拠「変造」罪に関するものである。そして、「変造」は作成権限の有無や内容の真否にかかわらず成立するとする解釈を採れば、右の判例は証拠「偽造」に関する先例にはならないことになる。   たしかに、わが国の通説は、文書変造罪の場合、変造行為を「名義の冒用」と解しこれを「有形変造」と称しているので、それを前提にすれば、文書変造と証拠変造とでは「変造」概念は異なることになろう。しかし考えてみると、名義の冒用があれば、それはすでに「偽造」であって「変造」ではない。むしろ、固有の「変造」とは、名義人による場合も含めて、真正に成立した文書の内容を関係者に無断で変更することである。たとえば、債務者が、債権者に差し入れた借用証書を一時的に借り出して、その金額を勝手に書き換える場合がこれに当たる(12)。したがって、名義人による証拠変造罪が認められたとしても、名義人による証拠偽造罪を認める論拠にはならない(13)。むしろ、証拠偽造もまた「有形偽造」であると見て、文言解釈の統一を図った方がよい(14)。   四  それでは、虚偽内容の供述書や上申書はまったく問題にならないのであろうか。それは、やはり捜査を妨害するという点で、単なる虚偽供述より始末が悪いのではなかろうか。   しかし、その際我々は、口頭による嘘よりも「書面による嘘」の方が本当に悪質なのかどうかを、再度考えてみる必要があろう。これは、現行法上、虚偽文書の作成がなぜ、公文書や公務所に提出する医師の診断書等に限られているのかを考えれば、答えが出るように思われる。つまり、現行法は、公務員や公務所提出用の診断書を書く医師のように、自らの知覚した内容をそのまま文書にするよう制度上義務づけられている主体に限って、初めて真実記述義務を科しているのである。したがって、たとえば捜査官が供述通りの内容の調書を作らなければ、それはこの特別の義務に反するものとして、虚偽文書作成罪に当たる。したがって、このような特別の義務を負わない一般の市民が、たとえ書面で嘘をついても、それを処罰する規定は、現行法上存在しないのである。   それでは、このような一般の市民の嘘から刑事司法作用を守るには、どうすればよいのであろうか。その答えは簡単である。証人として公判で宣誓の上供述させればよい。こうすれば、嘘の供述は偽証罪に当たる。言い換えれば、「書面による嘘」が重大だと感じられてしまうのは、刑事事件について公判前に実質的な決着をつけようとする考え方に影響されたものだといえよう。つまり、裁判所よりも捜査機関に決定的な役割を演じさせようとする姿勢である。つまり問題は、論者の刑事訴訟観にまで広がるのである。 (1)  大判昭和一〇・九・二八刑集一四ー九九七。 (2)  大判昭和一二・四・七刑集一六ー五一七。 (3)  仙台高判昭和三五・五・一七下刑集二ー五=六ー六六五。 (4)  前掲・大判昭和一二・四・七。 (5)  田中・前掲書二二九頁は、文書偽造罪と証拠偽造罪とが観念的競合となる余地があるとする。もっとも、同時に、一〇四条の対象は主として文書以外の偽造であるとしている。そうだとすると、証拠偽造罪は文書偽造罪とは補充関係に立つことになろう。 (6)  東京高判昭和四〇・三・二九高刑集一八ー二ー一二六。偽造教唆を認めたものとして千葉地判昭和三四・九・一二判時二〇七ー三四。 (7)  前田・前掲研修五七四号一三頁参照。 (8)  東京地判大正五・九・三〇法律新聞一一八〇ー二九。 (9)  前掲・大判昭和一〇・九・二八。 (10)  前掲・東京高判昭和四〇・三・二九。 (11)  団藤『刑法綱要各論(第三版)』八七頁。中森喜彦『刑法各論(第二版)』(一九九六)三一七頁も「文書偽造罪におけるとは異なり、作成権限の有無は問題にならない」と述べる。 (12)  このような場合に文書「変造」罪を認めるのは、ドイツでは判例・通説である。Vgl. BGHSt 13, 383;Scho¨nke/Schro¨der/Cramer, StGB 24. Aufl., 1991 § 267 Rn. 64 u. 68;K. Lackne��, StGB 21. Aufl. 1995, § 267 Rn. 21.  この意味で、「変造」は文書などの「確定性」を害する行為なのである。もっとも、クラマーらは、文書変造も名義の冒用のある場合に限るべきであるとして、通説に反対している。わが国の判例には、他人所有の文書を名義人が勝手に書き換えた場合に文書毀棄罪を認めたものがあるが(大判明治三七・二・二五刑録一〇ー三六四)、他人の権利・義務に関する自己所有の文書の場合には、この方法は使えない。もっとも、監督官庁の書記が正当な手続を踏まないで選挙人名簿を修正した行為に対して、内容が真実に適合すると否とを問わず文書変造罪が成立するとした大判大正四・九・二一刑録二一ー一三九〇は、文書変造罪を文書の確定性を害する罪と見た可能性がある。なお、植松  正『再訂刑法概論II各論』(一九七五)一四九頁、内田文昭『刑法各論〔第三版〕』(一九九六)五四〇頁注(8)、浅田和茂ほか『刑法各論』(一九九五)二八八頁〔松宮〕参照。 (13)  それにもかかわらず、内容虚偽の上申書の作成を証拠偽造と見た前掲・東京高判昭和四〇・三・二九は、大判昭和一〇・九・二八をその根拠としている。 (14)  大山=松宮・前掲法学セミナー四九〇号八二頁。その場合には、証拠偽造罪は、主として、文書以外の証拠の偽造を捕捉することになる。事実、立法当時は、書証の偽造は文書偽造罪に当たるものと考えられていた。田中・前掲書二二七頁参照。そうすると、証拠偽造の典型は、捜査官が犯行現場に凶器を埋めておいて、それを被疑者が埋めたものだと主張した「二俣事件」のような場合ということになろう。もっとも、これもまた、証拠の作成者を偽るという意味では「有形偽造」の一種である。 四  証拠隠滅罪と訴訟構造   一  そこで最後に、積極説の政策的論拠と訴訟構造との関係を検討してみよう。積極説は、その政策的論拠を、証拠隠滅罪が国家の適切な刑事司法作用を保護法益とすることから、「証拠方法であろうと証拠資料であろうとその湮滅により国家の適正な司法作用を害する点では何ら差はない(1)」という点に求めている。しかし、現行刑事訴訟法における「証拠」概念は、いわゆる「証拠資料」を含みつつも、捜査機関に対する供述は含まないようである。というのも、刑訴法三二〇条以下には、「証拠」として、「公判期日における供述」や供述書、供述録取書という言葉は出てくるが、捜査機関に対する供述は出てこないからである。証拠とされているのは、「供述を録取した書面」ないし「他の者の供述を内容とする供述」にすぎない。   それは、おそらく、「証拠」概念が、あくまで裁判官の五感の作用に訴えるものとされているからであろう。いわゆる「直接主義」「口頭主義」は、それを言い換えたもののように思われる。したがって、仮に刑法一〇四条にいう「証拠」を「証拠資料」にまで広げても、それは「裁判官に認識ないし知覚された証拠の内容」にすぎないから、裁判官の面前でなされたものでない供述は「証拠資料」にもなりえない(2)。   二  このように、「証拠資料」という概念は裁判官に認識された証拠の内容を意味するから、証拠資料を一〇四条の客体に含めたところで、捜査機関に対する供述が自動的に「証拠」となるわけではない。つまり、およそ供述一般が「証拠資料」というわけではないのである。したがって、このような主張によって捜査機関に対する供述を一〇四条の客体にするためには、捜査機関に対する供述は、法廷での供述と同じく、「証拠資料」であるといえなければならない。それは、捜査機関に対して、裁判官に引き継がれて判決に結実するような心証形成の権限を認めることになる。   しかし、いかなる職権主義も、捜査機関の心証を裁判官に引き継がせることを正当化しうるものではない。それは「予断の排除」や「無罪の推定」に明らかに矛盾するものである。予審制度下でも、予審判事の心証が公判裁判官を拘束するものではなかった。その意味では、まさに捜査機関に対する供述をも「証拠資料」と解する見解こそが、予断排除や無罪推定を建前とする現行法下の刑事司法の適正な展開を歪めるものとなろう。それにもかかわらず、捜査機関に対する参考人の供述も「証拠」だというのであれば、それは司法権の担い手を、憲法七六条の明文に反して、裁判所ではなく捜査機関にあるとするものである。虚偽内容の供述を正確に録取した調書を「偽造された証拠」だとする解釈も、同じ結論に至る。   三  もっとも、ドイツ刑法にあるような処罰妨害罪(ドイツ刑法二五八条)では、捜査機関に対して犯人に有利な虚偽供述をした場合も含まれる(3)。しかしこれは、司法作用を保護法益とするものではなく、あくまで犯罪者を援助する「犯人庇護罪」の一種なのである。したがって、わが国の証拠隠滅罪と異なり、犯人に不利益となるような行為、たとえばアリバイを証明する証拠方法の隠滅は含まれない。また、庇護される相手方は真犯人でなければならない(4)。この場合には、処罰妨害罪の目的は、犯人を庇護することで犯罪を助長する結果になるのを防止することであり、心証形成の資料を保護することではない。そして、ここにいう心証形成の資料とは、あくまで公判に出てくる証拠なのである。このように見ると、偽証罪と証拠隠滅罪とでは、前者が公判での証人の供述を、後者が証拠方法を対象とするという点で、すでに行為の客体が異なるのだから、両罪を法条競合と見たり観念的競合と見たりすることはできないものといわなければならない。 (1)  小島・前掲研修五一八号二九頁。 (2)  付言すれば、「証拠資料」(Beweisstoff)という概念自体、ドイツの主要な刑訴・民訴の教科書・注釈書には出てこない。この概念自体が、その出自を疑われてもおかしくない状態なのである。 (3)  十河・前掲九三頁以下、Scho¨nke/Schro¨der/Stree, § 258 Rn. 17f. (4)  条文の文言解釈上は無理があるように思われるが、すでに立法直後から、犯人蔵匿・隠避罪の対象には「有罪の嫌疑を受けたる者」を含むとする解説がなされていた。田中・前掲書二二六頁参照。 五  むすびにかえて   一  かつて平野龍一博士は、「偽証教唆も証拠湮滅の一種であり、法条競合として重い偽証罪で処罰されるとする見解もあるが、そうなると参考人を教唆して捜査機関に虚偽の供述をさせることも、証拠湮滅になることになる。さらに進んで参考人が虚偽の供述をすること自体、証拠湮滅ということにもなりかねない。」と述べた(1)。そこには、捜査機関に嘘をついただけで刑事罰の対象となるのは論外だとする価値判断がある。言い換えれば、真実供述義務があるのは、法廷で宣誓をした場合だけだということである。しかも、偽証罪の場合には、裁判確定前等に自白すれば、刑法一七〇条により任意的な刑の減免がある。冒頭に掲げた事件では、被告人の嘘はすぐにばれたようであるが、それにもかかわらず、彼は証拠偽造罪で起訴された。仮に偽証罪を証拠隠滅罪の特別法と見ると、証人は偽証を自白しても、なお、証拠隠滅罪で処罰されることになり、刑の減免の意味がなくなる。   二  同じような問題は、犯人に有利な虚偽供述を犯人隠避罪で処罰する近年の判例にも見られる。判例には、「犯人」の偽のアリバイを警察官に供述した場合(2)や、「身代り」で出頭したが「犯人」が釈放されなかった場合(3)に、犯人「隠避」罪を認めたものがあるが、これでは、真実供述義務を捜査段階にまで広げたに等しい(4)。犯人隠避罪を一般的な捜査妨害罪にしてしまうという学説の批判を想起すべきであろう(5)。ましてや、捜査機関に対する供述を証拠隠滅罪の客体とするわけにはいかないのである。「レ・ミゼラブル」のストーリーを台無しにしてしまう解釈は、やはり、無理だといわなければならない(6)。 (1)  平野龍一「刑法各論の諸問題18」法学セミナー二二八号(一九七四)四〇頁。 (2)  最決昭和四〇・二・二六刑集一九ー一ー五九。もっとも、被告人らには犯行現場を偽装工作した行為も認められるので、証拠偽造罪の成立は可能であったかもしれない。 (3)  最決平成一・五・一刑集四三ー五ー四〇五。 (4)  平野・前掲四〇頁。 (5)  前掲・最決平成一・五・一に対する日高義博「逮捕勾留中の犯人の身代り自首と犯人隠避罪」法学教室一〇八号(一九八九)八八頁、井田  良「逮捕勾留中の犯人の身代りを出頭させる行為と犯人隠避罪の成否」『平成元年度重要判例解説』(一九九〇)一六二頁、振津隆行「逮捕勾留中の犯人の身代わりを出頭させる行為と犯人隠避罪の成否」法学教室一一三号別冊判例セレクト'89(一九九〇)三九頁、真鍋  毅「身代り犯人と犯人隠避罪の成否」平野ほか編『刑法判例百選II各論(第三版)』(一九九二)二二八頁の反応、さらに松宮「すでに本犯の嫌疑で逮捕勾留されている者に対する犯人隠避罪の成否」南山法学一二巻二=三号(一九八八)七五頁を参照されたい。 (6)  憲法は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」と規定する(憲法七六条一項)。つまり、司法作用は裁判所に属する権限なのである。ところが、わが刑事訴訟法は、「公訴は、検察官がこれを行う」と定めている(刑事訴訟法二四七条)。したがって、犯人隠避罪や証拠隠滅罪のような司法作用に対する罪が犯された場合でも、裁判所に訴えを起こすのは、検察官である。しかし、検察官は他方で、捜査および訴追の機関として、通常の刑事裁判の一方当事者でもある。この、一方当事者が司法作用に対する罪の裁判を開始できるという制度の問題性が端的にあらわれたのが、一九五一年に山口県八海村で発生した「八海事件」であった。この事件では、有罪判決が最高裁によっていったん破棄された後、検察官は捜査をやり直して、被告人のアリバイを供述した五人の証人たちに、それを否定する供述をさせた。そして、嘘に耐えきれずに法定で再度アリバイを認める供述をした証人を、偽証罪で逮捕したのである。そのため、その証人は再び、供述をひるがえすことになった。結局、「八海事件」の裁判は、このような「捜査のやり直し」からさらに九年かかって、一九六八(昭和四三)年一〇月二五日の最高裁無罪判決(刑集二二ー一一ー九六一)によって、ようやく決着がついたのである。   このような事例を見ると、偽証罪についても公訴権は、刑事裁判の一方当事者である検察官に委ねるべきではなく、裁判所あるいはその委任を受けた特別の告発機関に委ねるべきではないかとさえ思われるのである。ましてや、現状のままで、法廷で「偽証」した場合ばかりでなく、警察や検察などの捜査機関に「嘘」をついただけでも、証拠隠滅罪や犯人隠避罪で処罰しようとすれば、刑事訴訟のバランスをますます歪める結果になるのは想像に難くない。逮捕や起訴の際に「嘘」と判断するのは誰なのかを考えてみれば、これはすぐにわかるであろう。
捜査機関に対する参考人の虚偽供述と証拠隠滅罪(松宮)
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wangwill66 · 5 months ago
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奇幻之旅
H:看了「馬特萊斯特的奇幻旅程.下集:神祕咒語」,「班傑明的奇幻旅程」(2小時46分),「大智若魚」125分等,對「奇幻之旅」會有初步的印象,人生精彩,濃縮在一部書或一部電影之中。人生之路漫漫長路,有驚奇有無聊,記那驚濤駭浪的時刻,靜如處子般的決摯伏,都是人生的經歷,高超的歷程,天真的觀察,心情愉快平和都是奇幻之旅的好題材。朱熹的「半畝方塘一鑑開,天光雲影共徘徊。」,無聊坐著也能有「天光雲影」的眼界。王維「行到水窮處,坐看雲起時。」累了看看天,也有開闊的心境。
沈復「余憶童稚時,能張目對日,明察秋毫。見藐小微物,必細察其紋理,故時有物外之趣。」無緣山川遊歷,家中庭院小坐也有奇趣。「日本熊谷守一 (1880年-1977年) 的一天。他是究極之「宅男」,足足30年沒步出家門,每天在庭園靜觀草木枯榮與螻蟻步姿,總是流連忘返。」奇幻不在其大,心開眼開處處皆奇幻。樂趣在心中,人生電影自己拍。蟄伏與驚人飛天,全在心境轉幻。
禪語中「見山是山,見山不是山,見山還是山」三個不同階段,最終歸於平靜。 20240607W5
網路資抖
朱熹的《活水亭观书有感二首·其一》
朝代:宋代
作者:朱熹
半畝方塘一鑑開,天光雲影共徘徊。
問渠哪得清如許?爲有源頭活水來。(那 通:哪)
《終南別業》唐王維
中歲頗好道,晚家南山陲。興來每獨往,勝事空自知。行到水窮處,坐看雲起時。偶然值林叟,談笑無還期。
看《綠野仙師:熊谷守一》,如像炎夏喝一口冷泡茶,同樣沁人心脾。
電影根據真實事蹟改編,以1970年代的東京為背景,描述90多歲日本神級野獸派畫家熊谷守一 (1880年-1977年) 的一天。他是究極之「宅男」,足足30年沒步出家門,每天在庭園靜觀草木枯榮與螻蟻步姿,總是流連忘返。
蟄伏
動物藏伏在土中不食不動。《淮南子.天文》:「百蟲蟄伏,靜居閉戶。」
奇幻之旅
匯集各國經典文化風情,熱鬧的香榭大道、五光十射的美式酒吧、熱情奔放的印度舞蹈,實現願望的俄羅斯娃娃,舞蹈 特技與魔術的精采結合,一場驚險又華麗的旅行即將展開。
文化(英語:culture,日語:文化/ぶんか Bunka)是由古羅馬哲學家西塞羅首次使用拉丁文「cultura animi」定義,原意是「靈魂的培養」,由此衍生為生物在其發展過程中積累起跟自身生活相關的知識或經驗,使其適應自然或周圍的環境,是一群共同生活在相同自然環境及經濟生產方式的人所形成的一種約定俗成潛意識的外在表現。
風情 : 
釋  義
風采、神情。如:「但願一見先生風情,以遂平生之願。」《晉書.卷七三.列傳.庾亮》:「元帝為鎮東時,聞其名,辟西曹掾。及引見,風情都雅,過於所望,甚器重之。」
風雅情韻。如:「大夥兒都聽出這番話中暗藏情意,唯獨當事人不解風情,毫無反應。」清.趙之壁《平山堂圖志.卷六.藝文志四》引清.符曾〈上元後一夕南圻招遊平山堂看月四首〉詩之三:「見說山行不待呼,帽簷花壓笑胡盧。風情未許消磨盡,還有春愁到客無。」
風土人情。如:「這家餐廳之裝潢,充滿著異國風情。」
風月景色的意趣。
人與人彼此間情愛之事。元.關漢卿《望江亭》第一折:「非是貧姑硬主張。為他年少守空房。觀中怕惹風情事。故使機關配白郎。」《水滸傳》第二四回:「王婆貪賄說風情,鄆哥不忿閙茶肆。」《金瓶梅詞話》第九八回:「料此婦人一定好風情,就留下一兩銀子在屋裡吃酒,和王六兒歇了一夜。」
香榭麗舍大道
法国巴黎的大街
香榭麗舍大街(法語:Avenue des Champs-Élysées,法語發音:[av(ə).ny de ʃɑ̃z‿e.li.ze]),是法國首都巴黎的一條大道,位於城市西北部的第八區。它被譽為巴黎最美麗的街道。「香榭麗舍」原意是希臘神話中聖人及英雄靈魂居住的冥界中之至福樂土。
五光十色
形容景色鮮麗複雜,光彩奪目。語本南朝梁.江淹〈麗色賦〉。後亦用「五光十色」比喻內容豐富,變化萬端。
△「五彩繽紛」
說明「賦」是傳統文學體裁之一,形似散文,但內含詩的韻律,是一種介於詩歌與散文之間的文體。盛行於漢魏六朝,魏晉南北朝時,因應新興的駢偶文風而發展出「俳賦」,此體多採四六對仗的句式,講求嚴格的平仄音律,並喜用典故。江淹為當時著名作家,〈麗色賦〉即其作品之一,內容描繪一位絕色美女的容貌、姿儀。其中一段,文曰:「其始見也,若紅蓮鏡池;其少進也,如綵雲出崖,五光徘徊,十色陸離。」大意是:初見佳人,如見生長於無波如鏡之池中的紅蓮,佳人一動,則如絢爛的雲彩自崖間飄出,色彩鮮麗,燦爛奪目。短短數語,即生動呈顯了麗人的綽約風姿。後來「五光十色」這句成語就從這裡演變而出,用來形容景色鮮麗複雜,光彩奪目。亦用來比喻事物的內容豐富,變化萬端。
麗色賦
作者:富嘉謨 唐本作品收錄於《全唐文/卷0235》
姊妹计划: 数据项
客有鴻盤京劇者,財力雄倬,誌圖豐茂,繡轂生塵,金羈照路。清江可涉,綠淇始度,拾蕊歲滋,摘芳奇樹。錦席夜陳,苕華嬌春,瑤台吐鏡。翠樓初映,俄而世姝即,國容進,疑自持兮動盼,目爛爛兮昭振。金為釵兮十二行,錦為履兮五文章,聲珊珊兮佩明璫,意洋洋兮若有亡,蹁躚兮延佇,招吾人兮由房。凝釭吐輝兮明燭流注,願言始勤兮四坐相顧,時峨峨而載笑,唯見光氣之交騖。夜如何其夜遲遲,美人至止兮皎素絲,秉明心兮無他期。引鄉何其夜已半,美人至止兮青玉案,之死矢兮無彫換。既而河漢欲傾,琴瑟且鳴,餘弄未盡,清歌含韻。歌曰:「涉綠水兮采紅蓮,水漫漫兮花田田。舟容與兮白日暮,桂水浮兮不可度。憐彩翠於幽渚,悵妖妍於早露。」於是覽物遷跡,徘徊不懌,起哀情於碧湍,指盛年於光隙,擊節浩歎,解珮嘉客。是時也,楊雄始壯,相如未病,複有鄒、枚,藉藉荀令。鹹娛座客,嬉妙情,灑豪翰,動和聲。使夫燕姬趙女,衛豔陳娥,東門相送,上宮經過。碧雲合兮金閨暮,紅埃起兮彩騎多,價奪十城之美,聲曼獨立之歌,況複坐弦酌而對瑤草,當盛明而謂何?
熱情奔放
 (1) ∶充滿熱情的熱情奔放的僱員
(2) ∶充滿活力、首創精神或應變能力的
採訪記者都是些熱情奔放的波希米亞人
基本含义:形容人的情感激烈、活泼开朗,表现出极大的热情和豪放的性格。
详细解释(Detailed Explanation):热情奔放形容人的情感表达十分激烈,性格开朗大方,表现出无拘无束、豪放不羁的气质。
使用场景(Usage Scenarios):常用于形容个人性格、情感表达或行为举止,多用于褒义。
南美熱情的踢踏舞,節奏明快,動作清爽相當令人振奮。
夏天季節的特性:萬物齊長、百花齊放,轉化為夏之茶層次豐富、百花齊放的味道。
1熱情洋溢 熱情奔放
2. 熱情奔放 熱情洋溢 情不自禁
解释:奔放 : (思想、感情、文章氣勢等)盡情流露,不受拘束:熱情~ 。充滿熱情的,充滿活力、首創精神或應變能力的樣子。
特技舞蹈(Acrobatic Dance或稱Acro Dance),顧名思義即為特技與舞蹈融合的藝術新象,每年招收來自全國各地高中職畢業生,項目包含傳蹈、特技、有氧體操、韻律體操、啦啦舞蹈、傳統武術等。特技舞蹈這項運動藝術���在近代表演藝術全球化浪潮之驅使下,有效結合運動技能、創意、科技、表演藝術等元素,在特技與舞蹈特定的情境中,創造人體的姿態、造型、速度、力量與情感強度所體現的藝術形態,並使舞蹈在特技中扮演起伏跌宕的角色,創造另具特色、生動鮮明的藝術新象,具有造型美、流動美、身體美的巨大價值。其表現手法的突出特點是誇張、驚奇、變形,追求超乎常形之上的藝術真實,旨在挑動觀眾的視覺與想像,共同完成身體審美意象的創作,因而獨具藝術魅力。隨著科、技整合與「文化產業化」之衝擊,這項充滿表現力、身體美與藝術美之藝象,已受到廣大喜愛。
魔術
藝術表演形式
魔術(英語:Magic),是一門獨特的藝術表演形式,通過特殊的手法及道具等,使觀眾覺得不可思議[1]。廣義的定義為泛指各種以專業技巧或知識展示出讓人覺得歡笑、不可思議的藝術的活動。魔術的技巧並不包含特異功能的成份。魔術亦可定義為「在滿足物質不滅定律及能量守恆定律的條件之下,呈現出違反經驗法則的表演」。
「幻術」重新導向至此。關於其他用法,請見「幻術 (電影)」。
魔術不是只有障眼法,而是一項務求違反客觀現象的表演藝術,必須有純熟的手法和精製的道具,瞭解觀眾的心理還有良好的表演心態。一個成功的魔術能令觀眾看得如癡如醉,要靠很好的表演和新的創意。魔術並非一定需要特殊道具、助手、台前幕後的協助,有時候憑藉手邊的小東西也可以變出一個好魔術。
魔術師則是指從事魔術活動,並且不將魔術濫用者。魔術師在古代稱為「眩者」、「幻人」等。
Jerome Bosch: L'Escamoteur, 1475-1480
西方魔術歷史
起源
葛飾北齋的作品《北齋漫畫》描繪出江戸時代的座敷芸幻術。
正確的魔術起源時間無從考據,推測從有人類活動開始就有了魔術。魔術的起源是宗教和信仰,所謂「魔術」一詞源來自拉丁語magi,常被拜火教使用。在古代(特別是印度),人們相信自然界中所有的事情,都是因為有精靈或神靈操縱,因此巫師或祭師利用人類迷信的心理,利用人們所不知道的原理製造神跡,讓人們相信這些是由精靈或神靈所行出來的,藉由魔術強化宗教的儀式,信眾們更加確認他們的信仰。
歷史上最早的魔術紀錄是在埃及,大約是在西元前2600年,也就是距今四千多年前。1823年發現的《威斯卡手稿》,文獻上記載了一位名叫德狄(Dedi of Dedsnefu)的魔術師,受召為法老王進行表演。他能將鵝的頭砍下,而斷了頭的鵝依然能走動,最後再把頭接回去恢復為原本的鵝。該紀錄描述了這名魔術師對鵜鶘和公牛也進行了相同的戲法。古希臘的神殿也利用了魔術的原理。例如祭師打開神殿大門時,風箱會吹向地面,祭臺上便出現了火焰。還有應用風管製造的會說話的神像。
而最早的戲法紀錄則是「杯與球戲法」(Cups And Balls),這是目前人們所知最古老的戲法。在埃及的壁畫中(Tomb of Baqt III at Beni Hassan B.C 2500)也有紀錄。而真正其歷史表演的紀錄則可追溯到1世紀時。此戲法在中世紀時大受歡迎,被魔術師們廣泛表演於市集中。當時的魔術師被稱為雜耍者(Juggers)。這些四處旅行的表演者與樂師、詩人、特技表演者到村莊的空地上以簡單的戲法娛樂村民。
中世紀
到了中世紀末期,歐洲魔術師開始面臨來自教堂的強烈反對。因為那時人們十分相信巫術與超自然現象,而教會相信超自然事件不是出於聖靈便是出於邪靈的信念,使得任何未被教堂所認可的魔法,就會被認為是黑魔法。只要一個人指證,魔術師就被會面臨審判。許多魔術師都遭到指控,被指証他們與惡魔結盟。
儘管受到迫害,魔術師依然是個既危險,又受到歡迎的職業。一些魔術師受到大地主與貴族的青睞與保護。這時期四處遊走表演的魔術師,只有有限的戲法可以進行表演。當時撲克牌還不普遍,需要大型道具的戲法又昂貴。所以魔術師要依賴靈巧的手法和說故事的技巧。用鳥類和動物表演的戲法相當受到歡迎。
近三百年前,宗教對於魔術的迫害逐漸加深,在英王亨利八世統治期間,表演魔術的懲罰是死刑。到了16世紀末,對女巫的迫害到了大屠殺的地步。由於這些瘋狂的行徑,很多魔術師都受生命威脅,若不透露魔術的秘密,恐怕會被處死。因此促使了第一本英文魔術書籍的誕生,1584年的「巫術探索」(The Discovery Of Witchcraft)。該書作者雷吉諾·史考特(Reginald Scot)的目的,是為了要拯救魔術師的性命,為了將魔術師的技巧與女巫的邪惡力量作為區分,在書中揭露了不少魔術秘密,以證明這些看似奇蹟的神蹟,事實上是由一些自然的技巧來達成,而非藉助於邪惡的力量。而他的作品,的確令很多的魔術師脫離被燒死的命運。書中介紹許多祕密,部分至今仍有再使用。
在歷史上,只要是人群聚集的地方,魔術師的表演就會高堂滿座。在18世紀,人們最常聚集的地方是每年的市集。各種馬戲表演,特技表演都會來這。但是在這競爭中,唯一的明星就是魔術師。18世紀最偉大的魔術師,是埃賽克·福克斯。他在1720年代聲名大噪,在各城鎮的主要市集上,都能見到其蹤影。埃賽克的經典魔術是蛋袋(Egg Bag),從空無一物的袋中,不斷拿出雞蛋與小物品。要觀看福克斯表演需付一先令。他是這項技法的先師,因此成了高收入者,甚至還有死忠的支持者。在他於1731年逝世時,報紙報導了他留下了一萬英鎊的遺產,相當於今日的100萬美元,由此可知他多受歡迎。
到了19世紀,隨著劇院的興起,魔術師找到了新的舞台。最早將魔術帶進戲院,並在劇院打出名號的魔術師,被稱為「北方的大巫師」(The Great Wizard of North)的蘇格蘭魔術師,約翰亨利安德森(John Henry Anderson 1814-1874)。他的創新表演風格,影響了後世眾多的魔術師。魔術師將巧手結合燈光和舞台效果,展開了魔術的新紀元。有史以來魔術師登上了歷史的巔峰,許多魔術為了因應戲院而誕生。十九世紀末是魔術表演的黃金時期,各地的魔術表演都是高堂滿座。魔術師當時穿著正式的燕尾服,就像當時上戲院的觀眾們一樣,這也是魔術師穿燕尾服表演的起源。有些魔術師甚至成了家喻戶曉的名人。
二十世紀初期最著名的魔術大師是脫逃大師哈利·胡迪尼(Harry Houdini 1874-1926),傳奇魔術大師胡迪尼,在美國是家喻戶曉的人物,胡迪尼擅長於脫逃術表演,手銬、緊身衣、牛奶罐、中國水牢,和最著名的水底脫逃。胡迪尼同時也是揭發以魔術為方法欺騙大眾的所謂特異功能人士的先驅者。直到今日人們依然記得他的事績。
但是,1930年代電影工業的起飛,造成魔術表演市場的快速衰退。因為在電影中,任何魔法都可能發生。唯有真正的魔術大師,才能讓觀眾著迷。
現今
人們對魔術的需求又再度上升。隨著賭城拉斯維加斯等娛樂城及電視的發展,造就了魔術巨星。魔術大師一般收費高昂,而且在世界各地都有支持者。現時,魔術依然能滿足了人們對於驚奇和娛樂的需求。
中國古代的魔術
魔術在中國有悠久的歷史,在漢代已有「魚龍蔓延」、「東海黃公」等成型魔術[2]。
在中國,南宋時就已經有類似魔術的表演,稱為「戲法」,現在的正式稱謂為古彩戲法。古彩就是古代堂彩的簡稱。這種節目是過去達官顯貴遇有婚、喪、嫁、聚之事時,表演者在廳堂表演的節目。[3]
中國古彩戲法自南宋以來杭州的瓦舍、街頭以及喜慶堂會都有演出。變戲法都遵循傳統,一直穿大褂表演,表演前必須上、下、反、正都要亮相,把蓋布里外讓觀眾看過。道具如魚缸、瓷碗、花瓶、火盆等。[4]
代表人物有清末民初時古彩戲法的表演者朱連魁(藝名林福或金陵福:Ching Ling Foo)。他最著名的表演就是古彩戲法的「大碗飛水」。
光緒年間,唐再豐編成《鵝幻彙編》一書,又稱《戲法圖說》或《中外戲法圖說》收錄當時許多中國魔術。
效果術語
傳統上,魔術的基本效果有下列幾種:
出現(Production):變出多更多人或物,與「消失」相對。
消失(Vanish):使人或物消失,不被看見,與「出現」相對。
變同、共鳴(Sympathetic Reaction):兩人或兩物或以上作出同一結果。
反自然物理(Physical Abnormally):包括人離開影、無頭美人、人首蜘蛛、拿開拇指等。
造成失敗(Spectator Failure):魔術師用某力量令觀眾不能做某種事。
傷害無效(Invulnerability):包括食火、行茅火炭、行劍上、食玻璃、食刀片、針釘割舌等而不受傷害。
移位(Transposition):從一處消失而從別處出現。
控制力(Control):魔術師運用非物理性的力量支配生物或死物之動作,如響鐘、自動伸手等。
自動(Animation):使無生命物體如同有生命般活動。
變化(Transformation):改變大小、形狀、性質、顏色、記號等。
復原(Restoration):某物件之部份或全部破爛肢離還原。
穿透(Penetration):在不損毀硬物及防止其造成損毀的情況之下,使另一硬物通過之。
辨示(Identification):如認出觀眾之牌桌(多用於牌類、亦用於顏色,魔術師或觀眾可認出)。
讀心術(Thought Reading):魔術師能知道觀眾所想,觀眾亦可將所想寫下以作對照。
思想轉移(Thought Transferring):使某甲能知道某乙所想之事物。
預言(Prediction):先記下某事物之發生,如頭條新聞等。
反地心引力(Anti-Gravity):人或物之動作反地心引力。
感官易位(Extra-Sensory Perception):如用手指頭來看東西,用鼻嗅顏色,用手指感覺牌點等。
特技(Acrobatics):用真技術或道具幫助,做出特別效果。
魔術的技巧和手法
花招
花招是指魔術表演者或玩紙牌老手利用一系列的方式偷偷的處理物體,來達到看似不可思議的效果,常用的物體包括卡片、紙牌及硬幣等。[5]
魔術師的誓詞
魔術師的誓詞(Magician's Oath)的版本有很多,長短不一,而內容主要都包含「保守魔術秘密」、「至力發展魔術」及「表演前必先熟練」三個基本原則。以下是其中一個較為常用的版本:
「作為魔術師,我願以信譽為誓,一切行為以保持魔術長期發展為依歸故,
我定必堅守魔術奧秘,尤其對不諳魔術及尚未起誓的人;
於人前表演前,我必熟習技法到至極,對自己及觀眾負責任,
並把自己的力量用於行善,貢獻人類。
此誓。」
薩斯頓三原則
全世界魔術師所公認並且共同遵守的就是所謂的「薩斯頓三原則」(Thurston's 3 rules in magic)。無論是職業或是業餘魔術師,都必須要遵守。
魔術表演之前絕對不透漏接下來的表演內容。
不在同一時間、地點對相同的觀眾變同樣的魔術2次以上。
魔術表演過後,絕不向觀眾透露魔術的秘密。
霍華·薩斯頓是20世紀初一位著名的美國魔術師。他本人並沒有說過這三項原則,是後人為了紀念他,才將這全世界魔術師所遵守的原則冠上他的名字。
魔術濫用
由於魔術手法能製造錯覺、假像和心理暗示,有些懂得魔術手法的人,會以此從事詐欺等不法活動圖利:
偷竊:利用魔術手法來行竊(Pick-pocket(英語:Pickpocketing))。
詐財:透過心理暗示來達成詐財的目的。
作弊(千術):利用魔術手法在賭場作弊。
特異功能:利用魔術方法製造效果,並宣稱自己使用特異功能。
偽氣功:利用魔術方法製造效果,並宣稱自己是使用氣功。
驚險華麗
驚險
危險而令人緊張。如:「驚險畫面」、「驚險鏡頭」。
驚險的
thrilling UK 
 /ˈθrɪl.ɪŋ/US 
 /ˈθrɪl.ɪŋ/ B2 adjective
extremely exciting:
The book is a thrilling adventure story.這是一部情節緊張的冒險小說。
adventurous UK 
 /ədˈven.tʃər.əs/US 
 /ədˈven.tʃɚ.əs/ adjective
exciting and often dangerous:
She led an adventurous life.她的一生充滿冒險刺激。
romantic UK 
 /rəʊˈmæn.tɪk/US 
 /roʊˈmæn.t̬ɪk/ adjective
exciting and mysterious and having a strong effect on your emotions:
We thought that Egypt was an incredibly romantic country.我們以前認為埃及是個充滿傳奇色彩的國家。
hair-raising UK 
 /ˈheəˌreɪ.zɪŋ/US 
 /ˈherˌreɪ.zɪŋ/ adjective
very frightening:
She gave a hair-raising account of her escape through the desert.她講述了自己穿越沙漠脫險的驚險過程。
hairy UK 
 /ˈheə.ri/US 
 /ˈher.i/ adjective informal
frightening or dangerous, especially in a way that is exciting:
I like going on the back of Pedro's motorbike, though it can get a bit hairy.我喜歡坐在佩德羅的機車後座上兜風,雖然有時有些驚險。
華麗
華美豔麗。《晉書.卷四一.劉寔傳》:「及位望通顯,每崇儉素,不尚華麗。」《紅樓夢》第五一回:「鳳姐看襲人頭上戴著幾枝金釵珠釧,倒華麗。」
馬特萊斯特的奇幻旅程.下集:神祕咒語
A Matt Lester Spiritual Thriller: The Secret Mantra
作者:大衛.米奇
原文作者:David Michie
譯者: 王詩琪
語言:繁體中文
出版社:時報出版
出版日期:2021/11/23
劇情簡介──
  量子科學家馬特,終於發現自己的身世之謎,來到了不丹虎穴寺,為打開千年傳承的伏藏預作準備。然而就在開啟伏藏的前夕,慈林喇嘛卻被人殺害!珍貴的藥師佛像也不翼而飛,而佛像裡頭藏著的蓮師伏藏也隨著佛像被盜走了。
  馬特由不丹來到加德滿都,企圖尋回伏藏與藥師佛,不料卻被惡人盯上,邪惡之人的目標,究竟是佛師佛?還是伏藏?還是馬特的性命?馬特為了擺脫惡人,從加德滿都,來到杜拜,再到都柏���,與學者愛麗絲會合,令人驚恐萬分的是,愛麗絲也遭遇危險!愛麗絲的研究計畫,竟然阻礙了藥廠的龐大利益!兩人再度逃亡,而逃亡其間,也漸漸發覺,愛麗絲關於身心醫學的研究計畫,與伏藏之間,有著一絲隱密的關聯。
  作者的話──
  《馬特萊斯特的奇幻旅程》是一部虛構小說。如果其中的角色、情節和主題令人不禁信以為真,那是由於我將現實的元素依據我個人的經驗、加上我的想像力,編織在這個故事裡的緣故。
  讀者們有必要知道的部份是,小說中關於藥師佛修行儀軌的部分全然屬實。作為事部密續(Kriya Tantra)傳統中的一部分,藥師佛的存在難能可貴,祂的修行儀軌可以大大地增進我們的禪修,尤其是當我們專注在療癒自己或他人時。世世代代以來,這項修行儀軌已經深切裨益了無數個世代的禪修者。藥師佛心咒已經傳唱了數百年,就如同小說裡描述的一樣。我衷心地希望,藉由創作這本小說,能激起許多人對這項非凡的修持方法的興趣,樂意去深入瞭解它所帶來的轉化力量。
《光影與魔法: 電影奇幻之旅》是一部六集的訪談式紀錄片系列,帶大家認識光影魔幻工業(簡稱「光魔工業」),這是喬治盧卡斯為了���攝《星際大戰》而成立的視覺特效公司。 透過個人訪談與未曾公開的畫面,本系列導演勞倫斯卡斯丹以光魔工業最經典的特效展開序幕,同時探究這些創作藝術家與改革者迷人的背景故事。
《班傑明的奇幻旅程》(奇幻逆緣)
2008年美國電影
《班傑明的奇幻旅程》(英語:The Curious Case of Benjamin Button,中國大陸譯《本傑明·巴頓奇事》,香港、新加坡譯《奇幻逆緣》) 是一部於2008年上映的美國奇幻愛情劇情電影,劇情自法蘭西斯·史考特·費茲傑羅的1922年同名短篇小說改編,華納兄弟發行。為大衛·芬奇執導,並由艾瑞克·羅斯編劇,布萊德·彼特、凱特·布蘭琪、泰拉姬·P·漢森、茱莉亞·歐蒙、傑森·弗萊明、伊萊亞斯·科泰斯(英語:Elias Koteas)與蒂妲·絲雲頓等人主演。故事講述一名自出生便是老人、但會隨著時間流逝愈加年輕的男子班傑明·巴頓與兒時玩伴黛絲·富勒,兩者在生命中交織的經歷。
劇情
故事以倒敘方式,由臨終前的女主角黛絲·富勒與其女兒卡洛琳讀出主角班傑明·巴頓遺下的日記,而開始其傳奇故事。班傑明的身體相當奇特,出生時就像85歲的老嬰兒。母親為了生他而難產去世,後被父親湯瑪斯視為怪胎遺棄到養老院。無法生育的黑人女護工昆妮收養了他,並為他取名班傑明。接着,班傑明開始逆着常人成長的定律長大,身體隨着年齡的增長變得稍有活力。他在養老院裡度過童年。1930年,12(73)歲的班傑明遇上了富勒太太8歲的孫女黛絲,善良而親切的黛絲溫暖了班傑明。逐漸成長的班傑明後成為雀喜號的水手。一次,他的父親托馬斯偶然與班傑明相遇,邀他飲酒,但沒有與班傑明相認。
1936年,18(67)歲的班傑明離開黛絲,隨船出海週遊,期間他不斷寄回明信片給黛西,他們之間的情緣從此埋下種子。摩爾曼斯克的旅館中,班傑明遇到了已婚婦人伊麗莎白·亞伯特,兩人譜出一段戀情。之後伊麗莎白與班傑明離別。不久日本偷襲珍珠港,雀喜號被美國海軍徵用,從事打撈搜救的工作。在一次戰爭中,其拖船與敵方相遇,兩者同歸於盡,最終只有他一人生還,往昔的同事紛紛先他而去。這些經歷使他對人生生命有了全新的認識。1945年5月,26(59)歲的班傑明回到療養院巧遇黛絲,這時班傑明已成了50多歲的成年男人。黛絲成為芭蕾舞團中的唯一一位美國人,事業如日中天,與另一位男演員相愛,看到此景,班傑明離開了黛絲,並在外度過一段風流歲月,慢慢地他的身體變得如同40歲的成熟男人。
他獲得父親托馬斯的邀請,在酒席上他得知了自己的身世。此時托馬斯已身患重疾,將自己140年的家族生意——鈕扣廠交給班傑明。不久,湯瑪斯去世,班傑明與昆妮一同出席了葬禮。不巧,黛絲在巴黎表演期間由於一系列偶然之下,在街上遭車禍,讓她無法重回芭蕾舞舞台。班傑明·巴頓接到電報後到訪,但兩人未能更進一步的相戀。1962 年春,黛絲回到養老院,與44(41)歲的班傑明重逢,兩人自組家庭並開始了浪漫的婚姻生活,這時他的身體變成了30多歲的男人。隨後,黛西成為舞蹈學校師,並有了一個女兒,班傑明·巴頓意識到他將繼續變小,最後將變成小孩子一樣,為了能給黛西一個正常的生活,他將所有房產、產業變賣,然後將賣得的錢交給黛西後離去。他又一次開始週遊世界的旅程,而黛西則改嫁給一位鰥夫。
10多年後,兩人再次相見。班傑明給了黛絲寄來準備交給女兒的提前填寫的明信片。數年後,班傑明隨後體型變成小孩,回到療養院中倒頭便睡,記憶開始衰退之下,警察在其背包上找到其日記並把其交給黛絲。黛絲像照顧自己孩子一樣照顧他,最後在2003年,班傑明變成嬰兒躺在黛西懷中閉上眼睛。此時作為回憶人的黛西躺在醫院裡,颶風卡崔娜吹襲美國南部之時,悄悄離開人世。
大智若魚
《大智若魚》(英語:Big Fish)是一部於2003年上映的美國奇幻片,提姆·波頓執導,伊旺·麥奎格主演。劇情改編自丹尼爾·華勒斯(英語:Daniel Wallace (author))(Daniel Wallace)於1998年撰寫的小說《大魚老爸(英語:Big Fish: A Novel of Mythic Proportions)》(Big Fish)[2],以一個小孩的口吻,來敘述其爸爸傳奇的一生。
劇情
愛德華(伊萬·邁克格雷戈 飾)生性熱愛自由,成年之後,他選擇離開家鄉,踏上了環遊世界的旅程。一路上,愛德華遇見了各種各樣稀奇古怪的角色,經歷了無數精彩絕倫的的冒險,而他日後最大的興趣,就是向他人喋喋不休的重複講述他的這一段奇幻旅程。
威爾(比利·克魯德普 飾)是愛德華的兒子,他並不相信父親所講述的那些光怪陸離的故事,甚至對此感到無比厭煩。婚後,他同父親中斷了聯繫,一晃眼就是數年過去。當再次得到愛德華的消息之時,威爾才知道父親即將不久於人世,他決定去見愛德華最後一面。然而,這一次,威爾終於發現了隱藏在這些故事背後的奧秘和真相。
浮生六記/卷二 閑情記趣
浮生六記
卷一 閨房記樂
浮生六記卷二 閒情記趣
作者:沈復
卷三 坎坷記愁
姊妹計劃: 數據項
  余憶童稚時,能張目對日,明察秋毫。見藐小微物,必細察其紋理,故時有物外之趣。夏蚊成雷,私擬作群鶴舞空,心之所向,則或千或百,果然鶴也。昂首觀之,項為之強。又留蚊於素帳中,徐噴以煙,使其沖煙飛鳴,作青雲白鶴觀,果如鶴唳雲端,為之怡然稱快。又常於土牆凹凸處、花臺小草叢雜處,蹲其身,使與臺齊。定神細視,以叢草為林,以蟲蟻為獸,以土礫凸者為丘,凹者為壑,神遊其中,怡然自得。一日,見二蟲鬥草間,觀之,興正濃,忽有龐然大物,拔山倒樹而來,蓋一癩蝦蟆也。舌一吐而二蟲盡為所吞。余年幼,方出神,不覺呀然驚恐,神定,捉蝦蟆,鞭數十,驅之別院。
  年長思之,二蟲之鬥,蓋圖奸不從也,古語云「奸近殺」,蟲亦然耶?貪此生涯,卵為蚯蚓所哈(吳俗稱陽曰卵),腫不能便,捉鴨開口哈之,婢嫗偶釋手,鴨顛其頸作吞噬狀,驚而大哭,傳為語柄。此皆幼時閒情也。
  及長,愛花成癬,喜剪盆樹。識張蘭坡,始精剪枝養節之法,繼悟接花疊石之法。花以蘭為最,取其幽香韻致也,而瓣品之稍堪入譜者不可多得。蘭坡臨終時,贈余荷瓣素心春蘭一盆,皆肩平心闊,莖細瓣淨,可以入譜者,餘珍如拱璧,值余幕游於外,芸能親為灌溉,花葉頗茂,不二年,一旦忽萎死,起根視之,皆白如玉,且蘭芽勃然,初不可解,以為無福消受,浩嘆而已,事後始悉有人慾分不允,故用滾湯灌殺也。從此誓不植蘭。次擾鵑,雖無香而色可久玩,且易剪裁。以芸惜枝憐葉,不忍暢剪,故難成樹。其他盆玩皆然。
  惟每年籬東菊綻,積興成癖。喜摘插瓶,不愛盆玩。非盆玩不足觀,以家無園圃,不能自植,貨於市者,俱叢雜無致,故不鰓。其插花朵,數宜單,不宜雙,每瓶取一種不參色,瓶口取闊大不取窄小,闊大者舒展不拘。自五、七花至三、四十花,必於瓶口中一叢怒起,以不散漫、不擠軋、不靠瓶口為妙,所謂「起把宜緊」也。或亭亭玉立,或飛舞橫斜。花取參差,間以花蕊,以免飛鈸耍盤之病;況取不亂;梗取不強;用針宜藏,針長寧斷之,毋令針針露粳,所謂「瓶口宜清」也。視桌之大小,一桌三瓶至七瓶而止,多則眉目不分,即同市井之菊屏矣。幾之高低,自三四寸至二尺五六寸而止,必須參差高下互相照應,以氣勢聯絡為上,若中高兩低,後高前低,成排對列,又犯俗所謂「錦灰堆」矣。或密或疏,或進或出,全在會心者得畫意乃可。
  若盆碗盤洗,用漂青松香榆皮面和油,先熬以稻灰,收成膠,以銅片按釘向上,將膏火化,粘銅片於盤碗盆洗中。俟冷,將花用鐵絲扎把,插於釘上,宜偏斜取勢不可居中,更宜枝疏葉清,不可擁擠。然後加水,用碗沙少許掩銅片,使觀者疑叢花生於碗底方妙。
  若以木本花果插瓶,剪裁之法(不能色色自覓,倩人攀折者每不合意),必先執在手中,橫斜以觀其勢,反側以取其態;相定之後,剪去雜技,以疏瘦古怪為佳;再思其梗如何入瓶,或折或曲,插入瓶口,方免背葉側花之患。若一枝到手,先拘定其梗之直者插瓶中,勢必枝亂梗強,花側葉背,既難取態,更無韻致矣。折梗打曲之法,鋸其梗之半而嵌以磚石。則直者曲矣,如患梗倒,敲一、二釘以筦之。即楓葉竹枝,亂草荊棘,均堪入選。或綠竹一竿配以枸杞數粒,幾莖細草伴以荊棘兩枝,苟位置得宜,另有世外之趣。若新栽花木,不妨歪斜取勢,聽其葉側,一年後枝葉自能向上,如樹樹直栽,即難取勢矣。
  至剪裁盆樹,先取根露雞爪者,左右剪成三節,然後起枝。—枝一節,七枝到頂,或九枝到頂。枝忌對節如肩臂,節忌臃腫如鶴膝;須盤旋出枝,不可光留左右,以避赤胸露背之病;又不可前後直出。有名雙起三起者,一根而起兩、三樹也。如根無爪形,便成插樹,故不取。然一樹剪成,至少得三、四十年。餘生平僅見吾鄉萬翁名彩章者,一生剪成數樹。又在揚州商家見有虞山遊客攜送黃楊翠柏各一盆,惜乎明珠暗投,余未見其可也。若留枝盤如寶塔,扎枝曲如蚯蚓者,便成匠氣矣。
  點綴盆中花石,邪可以入畫,大景可以入神。一甌清茗,神能趨入其中,方可供幽齋之玩。種水仙無靈壁石,余嘗以炭之有石意者代之。黃芽菜心其白如玉,取大小五七枝,用沙土植長方盤內,以炭代石,黑白分明,頗有意思。以此類推,幽趣無窮,難以枚舉。如石葛蒲結子,用冷米湯同嚼噴炭上,置陰濕地,能長細菖蒲,隨意移養盆碗中,茸茸可愛。以老蓬子磨薄兩頭,入蛋殼使雞翼之,俟雛成取出,用久中燕巢泥加天門冬十分之二,搗爛拌勻,植於小器中,灌以河水,曬以朝陽,花發大如酒杯,縮縮如碗口,亭亭可愛。
  若夫園亭樓閣,套室迴廊,疊石成山,栽花取勢,又在大中見小,小中見大,虛中有實,實中有虛,或藏或露,或淺或深。不僅在「周、回、曲、折」四宇,又不在地廣石多徒煩工費。或掘地堆土成山,間以塊石,雜以花草,籬用梅編,牆以藤引,則無山而成山矣。大中見小者,散漫處植易長之竹,編易茂之梅以屏之。小中見大者,窄院之牆宜凹凸其形,飾以綠色,引以藤蔓;嵌大石,鑿字作碑記形;推窗如臨石壁,便覺峻峭無窮。虛中有實者,或山窮水盡處,一折而豁然開朗;或軒閣設廚處,一開而可通別院。實中有虛者,開門於不通之院,映以竹石,如有實無也;設矮欄於牆頭,如上有月台而實虛也。貧士屋少人多,當仿吾鄉太平船後梢之位置,再加轉移。其間台級為床,前後借湊,可作三塌,間以板而裱以紙,則前後上下皆越絕,譬之如行長路,即不覺其窄矣。余夫婦喬寓揚州時,曾仿此法,屋僅兩椽,上下臥室、廚灶、客座皆越絕而綽然有餘。芸曾笑曰:「位置雖精,終非富貴家氣象也。」是誠然歟?
  余掃墓山中,檢有巒紋可觀之石,歸與芸商曰:「用油灰疊宣州石於白石盆,取色勻也。本山黃石雖古樸,亦用油灰,則黃白相閱,鑿痕畢露,將奈何?」芸曰:「擇石之頑劣者,搗末於灰痕處,乘濕糝之,干或色同也。」乃如其言,用宜興窯長方盆疊起一峰:偏於左而凸於右,背作橫方紋,如雲林石法,廛岩凹凸,若臨江石硯狀;虛一角,用河泥種千瓣白萍;石上植蔦蘿,俗呼雲松。經營數日乃成。至深秋,蔦蘿蔓延滿山,如藤蘿之懸石壁,花開正紅色,白萍亦透水大放,紅白相間。神遊其中,如登蓬島。置之簷下與芸品題:此處宜設水閣,此處宜立茅亭,此處宜鑿六字曰「落花流水之間」,此可以居,此可以釣,此可以眺。胸中丘壑,若將移居者然。一夕,貓奴爭食,自簷而墮,連盆與架頃刻碎之。余嘆曰:「即此協營,尚干造物忌耶!」兩人不禁淚落。
  靜室焚香,閒中雅趣。芸嘗以沉速等香,於飯鐝蒸透,在爐上設一銅絲架,離火中寸許,徐徐烘之,其香幽韻而無煙。佛手忌醉鼻嗅,嗅則易爛;木瓜忌出汗,汗出,用水洗之;惟香圓無忌。佛手、木瓜亦有���法,不能筆宣。每有入將供妥者隨手取嗅,隨手置之,即不知供法者也。
  余閒居,案頭瓶花不絕。芸曰:「子之插花能備風、晴、雨、露,可謂精妙入神。而畫中有草蟲一法,盍仿而效之。」余曰;「蟲躑躅不受制,焉能倣傚?」芸曰:「有一法,恐作俑罪過耳。」余曰:「試言之。」曰:「蟲死色不變,覓螳螂、蟬、蝶之屬,以針刺死,用細絲扣蟲項系花草間,整其足,或抱梗,或踏葉,宛然如生,不亦善乎?」余喜,如其法行之,見者無不稱絕。求之閨中,今恐未必有此會心者矣。
  余與芸寄屆錫山華氏,時華夫人以兩女從芸識字。鄉居院曠,夏日逼人,勞教其家,作活花屏法甚妙。每屏—扇,用木梢二枝約長四五寸作矮條凳式,虛其中,橫四擋,寬一尺許,四角鑿圓眼,插竹編方眼,屏約高六七尺,用砂盆種扁豆置屏中,盤延屏上,兩人可移動。多編數屏,隨意遮攔,恍如綠陰滿窗,透風蔽日,紆迴曲折,隨時可更,故曰活花屏,有此一法,即一切藤本香草隨地可用。此真鄉居之良法也。
  友人魯半舫名璋,字春山,善寫松柏及梅菊,工隸書,兼工鐵筆。余寄居其家之蕭爽樓一年有半。樓共五椽,東向,余後其三。晦明風雨,可以遠眺。庭中有木犀一株,清香撩人。有廓有廂,地極幽靜。移居時,有一僕一嫗,並挈其小女來。僕能成衣,嫗能紡績,於是芸繡、嫗績、僕則成衣,以供薪水。余素愛客,小酌必行令。芸善不費之烹庖,瓜蔬魚蝦,一經芸手,便有意外昧。同人知余貧,每出杖頭錢,作竟日敘。余又好潔,地無纖塵,且無拘束,不嫌放縱。時有楊補凡名昌緒,善人物寫真;袁少迂名沛,工山水;王星瀾名岩,工花卉翎毛,愛蕭爽樓幽雅,皆攜畫具來。余則從之學畫,寫草篆,鐫圖章,加以潤筆,交芸備茶酒供客,終日品詩論畫而已。更有夏淡安、揖山兩昆季,並繆山音、知白兩昆季,及蔣韻香、陸橘香、周嘯霞、郭小愚,華杏帆、張閒憨諸君子,如樑上之燕,自去自來。芸則拔釵沽酒,不動聲色,良辰美景,不放輕越。今則天各一方,風流雲散,兼之玉碎香埋,不堪回首矣!非所謂「當日渾閒事,而今舊憐」者乎!
  蕭爽樓有四忌:談官宦陞遷、公廨時事、八股時文、看牌擲色,有犯必罰酒五廳。有四取:慷慨豪爽、風流蘊藉、落拓不羈、澄靜緘默。長夏無事,考對為會,每會八人,每人各攜青蚨二百。先拈鬮,得第一者為主者,關防別座,第二者為謄錄,亦就座,餘作舉子,各於謄錄處取紙一條,蓋用印章。主考出五七言各一句,刻香為限,行立構思,不准交頭私語,對就後投入一匣,方許就座。各人交卷畢,謄錄啟匣,並錄一冊,轉呈主考,以杜徇私。十六對中取七言三聯,五言三聯。六聯中取第一者即為後任主考,第二者為謄錄,每人有兩聯不取者罰錢二十文,取一聯者免罰十文,過限者倍罰。一場,主考得香錢百文。一日可十場,積錢千文,酒資大暢矣。惟芸議為官卷,准坐而構思。
  楊補凡為余夫婦寫載花小影,神情確肖。是夜月色頗佳,蘭影上粉牆,別有幽致,星瀾醉後興發曰:「補凡能為君寫真,我能為花圖影。」余笑曰:「花影能如人影否?」星瀾取素紙鋪於牆,即就蘭影,用墨濃淡圖之。日間取視,雖不成畫,而花葉蕭疏,自有月下之趣。芸甚寶之,各有題詠。
  蘇城有南園、北園二處,菜花黃時,苦無酒家小飲,攜盒而往,對花冷飲,殊無意味。或議就近覓飲者,或議看花歸飲者,終不如對花熱飲為快。眾議末定。芸笑曰:「明日但各出杖頭錢,我自擔爐火來。」眾笑曰:「諾。」眾去,余問曰:「卿果自往乎?」芸曰:「非也。妾見市中賣餛飩者,其擔鍋灶無不備,盍雇之而往?妾先烹調端整,到彼處再一下鍋,茶酒兩便。」余曰:「酒菜固便矣,茶乏烹具。」芸曰:「攜一砂罐去,以鐵叉串罐柄,去其鍋,懸於行灶中,加柴火煎茶,不亦便乎?」余鼓掌稱善。街頭有鮑姓者,賣餛飩為業,以百錢雇其擔,約以明日午後。鮑欣然允議。明日看花者至,余告以故,眾咸嘆服。飯後同往,並帶席墊,至南園,擇柳陰下團坐。先烹茗,飲畢,然後暖酒烹肴。是時風和日麗,遍地黃金,青衫紅袖,越阡度陌,蝶蜂亂飛,令人不飲自醉。既而酒餚俱熟,坐地大嚼,擔者頗不俗,拉與同飲。遊人見之,莫不羨為奇想。杯盤狼籍,各已陶然,或坐或臥,或歌或嘯。紅日將頹,餘思粥,擔者即為買米煮之,果腹而歸。芸曰:「今日之遊樂乎?」眾曰:「非夫人之力不及此。」大笑而散。貧士起居服食以及器皿房舍,宜省儉而雅潔,省儉之法曰「就事論事」。余愛小飲,不喜多菜。芸為置一梅花盒:用二寸白磁深碟六隻,中置一隻,外置五隻,用灰漆就,其形如梅花,底蓋均起凹楞,蓋之上有柄如花蒂。置之案頭,如一朵墨梅覆桌;啟盞視之,如菜裝於瓣中,一盒六色,二、三知己可以隨意取食,食完再添。另做矮邊圓盤一隻,以便放杯箸酒壺之類,隨處可擺,移掇亦便。即食物省儉之一端也。余之小帽領襪皆芸自做,衣之破者移東補西,必整必潔,色取瞄淡以免垢跡,既可出客,又可家常。此又服飾省儉之一端也。初至蕭爽樓中,嫌其暗,以白紙糊壁,遂亮。夏月樓下去窗,無闌干,覺空洞無遮攔。芸曰:「有舊竹簾在,何不以簾代欄?」余曰:「如何?」姜曰:「用竹數根,黝黑色,一豎一橫,留出走路,截半簾搭在橫竹上,垂至地,高與桌齊,中豎短竹四根,用麻線扎定,然後於橫竹搭簾處,尋舊黑布條,連橫竹裹縫之。偶可遮攔飾觀,又不費錢。」此「就事論事」之一法也。以此推之,古人所謂竹頭木屑皆有用,良有以也。夏月荷花初開時,晚含而曉放,芸用小紗囊撮條葉少許,置花心,明早取出,烹天泉水泡之,香韻尤絕。
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recipe-cookingclass · 1 month ago
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美味しい自家製の炊き立て『おにぎり』はいかがですか?
もちろん具も自家製。
おにぎりを外で買おうと思ったことも無いぐらい
お米も美味しいベストな炊き上がり。
我が家でも作ると『美味しいね』と言う声が上がり、あっという間になくなります。
おうちの食事が美味しいと
家族円満であることは間違いないので
家族が大変喜ぶ。
美味しさは家族の幸福度かもしれませんね。
お写真はレシピ制作、掲載、連載分より引用しております。
料理研究家 指宿さゆり
ーーーーーーーーーーー
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kinemekoudon · 2 years ago
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
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前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば、現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
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それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
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――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
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↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「��はようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
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7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語を上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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ari0921 · 11 months ago
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我が国の未来を見通す(96)
連載最終回を迎えて
宗像久男(元陸将)
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□おわりに──「今」の取り組みが「未来」を創る
思えば、109回に及んだ『我が国の歴史を振り返
る』の続編のような格好で、『我が国の未来を見通
す』と題したメルマガを発信開始したのは、202
1年11月8日でした。あれから2年あまりの歳月
が流れ、今回で96回を数えます。
本メルマガは、我が国の未来に立ちはだかることが
予想される課題のうち、(1)少子高齢化問題、(2)農
業・食料問題、(3)気候変動・エネルギー問題の3大
課題から始めました。いずれも私の専門外でしたが、
第1話でも告白しましたように、「もとより歴史の
専門家でない自分が、歴史の書籍を刊行したのだか
ら、それぞれの分野の専門家でなくとも、躊躇する
必要はないのではないか」との“陰の声”が騒ぎ出
し、逆に勇気が湧き、このテーマで書く決心をした
のでした。
「未来がどうなるか」など神様以外だれにもわから
ず、未来は不確実・不透明で予測困難です。一方、
歴史を研鑽してわかった重要な1つとして、「歴史
の時間軸・空間軸のつながり」がありました。時間
軸で過去を振り返れば、江戸、明治、大正、昭和と
その時代時代の国の「舵取り」をはじめ、様々な事
象が次の時代、つまり「未来を創ってきた」ことは
否定できませんし、空間軸でいえば、我が国の動き
と諸外国の動きを切り離して論じた歴史は真実を物
語っていません。
よく言われるように、「過去はやり直すことができ
ないが、未来は創り出すことができる」との立場に
立てば、国家が直面する様々な課題に対する「今」
の取り組みが「未来」を創ることは当然なのです。
そのような視点に立って、“いかに「未来」を創り
出すか”について取りまとめたのが第4編でした。
本音を言いますと、“のたうち回りながら”考え抜
いた結果、「『強��な国家』造り」というキーワー
ドが“降りて”きました。
「『強靭な国家』造り」を目標として、では“どの
ようにして「強靭な国家」を造るか”に関しても、
具体案を提示することから“逃げたくない”との決
意もあって、ずいぶん悩みました。しかし、これに
ついても、突然、“降りて”きました。
言葉を代えれば、インスピレーションでしょうか。
前回のメルマガでも不思議な体験を何度か経験しま
したが、今回の連載は、何も考えないでパソコンに
向かって原稿を書き始め、一挙に4000字ほど書
き上げるようなこともしばしばでした。いま思うと、
とても奇妙でした。本屋で必要な書籍を見つけた経
験談についてはすでに紹介しましたが、自分で書い
た原稿を後で読み直し、「誰が書いたのだろうか」
と首をひねりながら推敲したこともありました。
こうして、第4編だけで32回、7カ月ほどかかり、
しかも1回あたりほぼ6千字~7千字のボリューム
になってしまいました。時を合わせたように、ウク
ライナ戦争が佳境に入り、ガザ地区の紛争が勃発し
たことなどもあって、これらについても、そのつど
自分が認識している範囲で触れましたので原稿は膨
らむばかりでした。
さぞや、読者の皆様には読むだけでも大変だったも
のとお詫びかたがた反省しております。このテーマ
で第4編のようなまとめ方が適切なのかどうかにつ
いては、読者の皆様を始め、他の有識者などの評価
を頂かなければならないのですが、その中で、「国
力」という言葉も“降って沸いた”ように頭に浮か
んだのも事実でした。
この「国力」という言葉自体も外交文書などでは使
われなくなって久しいこともわかりました。そこで、
現役時代に読んだ書籍を再び開きながら、現在の我
が国に相応しい「国力」については自分で“定義”
するしかないことに気がつき、大胆にもそれを実施
し、それぞれの要素をさらに現状分析してみました。
そうしたところ、我が国の現状の課題は上記3分野
に留まらず、経済力や政治力や科学技術力や教育な
ど「国力」を構成する「ハード・パワー」の実際の
データをチェックしてみると、軒並み「下降期」に
あることを理解しました。これらを知った時のショ
ックはとても大きいものがありました。
さらに、「国力」を構成する「ソフト・パワー」の
うちの「国家戦略」となると、戦後の我が国では検
討された歴史がなく、戦前の歴史を辿ってみても、
明治維新の「富国強兵」「殖産興業」しかないこと
も知りました。これも我が国の「国柄」なのでしょ
うが、戦前は国家目標として「国防」、つまり「安
全」重視であり、戦後は「経済」、つまり「富」重
視と、著しくバランスを欠いていたこともわかりま
した。
戦前の関係者の名誉のために少し補足しますと、戦
前も「国是」とか「国家目標」とか「国家戦略」と
いう概念はあるにはありましたが、それらよりも
「国防」の方が上位に位置していたなかで、4度に
わたる「帝国国防方針」が定められ、紆余曲折の中、
実際の「国家運営」がなされてきました。なかには、
「国是」や「国家戦略」が省略され、「国防の本義」
として要約された方針もあったようです。
余談ですが、戦後は「国力」のみならず、「国益」
「国防」、もはや死語になっている「国体」など、
「国」を冠した言葉が公の場で使われなくなって久
しいですが、昨年末に「国家安全保障戦略」ととも
に策定された「国家防衛戦略」の前身は「防衛計画
の大綱」と呼ばれていました。その源流は、昭和3
2年に策定された「国防の基本方針」でした。
「国防の基本方針」は、米ソ対立の冷戦が激烈さを
増したこともあって、「安全」をアメリカに丸投げ
し、経済一辺倒の「吉田ドクトリン」の中で、“せ
めて「基本方針」ぐらいは”と考えて策定したので
しょう。アメリカから圧力もあったのかも知れませ
ん。わずか8行の中に4つの基本方針を述べている
だけなのですが、当時の状況からするとなかなか内
容にある方針だったと考えます。
しかし、いつの間にか、その「国防」から「防衛」
とか「安全保障」と“柔らかい表現”になり、長文
で複雑な計画にもなって、その上に「基盤的」など
の形容詞がつけられたこともあって、「防衛力」の
“本来あるべき姿”から離反し続け、その分、“ツ
ケ”が溜まってきたと思えてならないのです。私は、
昭和32年以来一貫して「国防」という言葉を使い
続けていたら、現在の「防衛力」はその名称も中味
もかなり違っていたものと考えるのです。
話を戻しますと、この「国家戦略」については、そ
の策定の必要性を訴え、具体的な提言を試みた書籍
は、私自身は1冊しか発見できず、驚きと同時に寂
しさを覚えました。
それでも「国家戦略」については、誰かが強いリー
ダーシップをとって、知恵者を数人集めて研究させ
れば、その策定は不可能ではないと考えますが、大
方の国民の精神を集大成した「国家意思」の統一と
なると一層難しいと考えました。
しかし、研鑽を重ねるうちに、我が国の憲法の精神
ともいうべき「基本的人権」、しかもそれを「公共
の福祉」に使用する「責任」があるというくだりは
活用できると閃きました。なぜならば、「強靭な国
家」を造ること、そしてそのために「国力」を増強
することは、「公共の福祉」そのものであると考え
たからでした。
つまり、現憲法下においても、憲法の精神にのっと
って「国家意思」を統一しつつ、「強靭な国家」を
造ることは可能と判断したのでした。なにしろ残さ
れた時間は短く、憲法改正の議論をする余裕がない
と考えていますので、この発見は嬉しいものがあり
ました。
しかし、このようなことについて理論的には実行可
能としても、だれが国家・国民の先頭に立って舵取
りをするか、と問えば、それこそは国民に後押しさ
れた「政治家」の仕事であることには論を俟たない
でしょう。
本メルマガでは、「国力」の「ハード・パワー」の
一要素として「政治力」を取り上げ、素人の域を超
えない範囲で現状分析を試みました。まだまだ言い
足りないことはあるのですが、マックス・ヴェーバ
ーの『職業としての政治』の中の最後の文章、私が
最も感銘を受け、納得した部分を(少し長いですが)
紹介しておきたいと思います。
 「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、
固い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いて
いく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指
して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能
なことの達成もおぼつかないというのはまったく正
しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。
しかし、これをなしうる人は指導者でなければなら
ない。いや指導者であるだけでなく、英雄でなけれ
ばならない。(中略)自分が世間に対して捧げよう
とするものに比べ、現実の世の中が──自分の立場
から見て──どんなに愚かであり卑俗であっても、
断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『そ
れにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。
そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」
このような気骨があり、政治を行なうことを「天職」
と認識している政治家(達)の出現が待望されます。
最近の政治家の不祥事についてのコメントはあえて
避けますが、政治家の先生方にこの一文を読ませて
あげたい衝動にかられます。
一方、民主主義国家である我が国の未来は、つまる
ところ、マックス・ヴェーバーがいう、政治を「天
職」と認識している政治家(達)を輩出する国民に
かかっているとも言えるでしょう。国民の側もカー
ライルの「この国民にしてこの政治あり」をしっか
り認識する必要があるのです。
戦後の歴史教育を批判した1冊として有名な『日本
の歴史の特性』も紹介しましたが、著者の歴史家・
坂本太郎氏は、「どこの国の教科書も、自国の立場
を正当化し、過去を美化していないものはない。ひ
とり日本だけ自国の立場を冷淡に批判するというの
は常識にはずれている」として、「青少年の心に訴
え、明日の活躍への希望をつ���かうものは、愛情に
根ざした歴史でなければならぬ。2千年もの長い間、
1つの民族をもって1つの国家を造り、輝かしい平
和と独立とを保ちつづけた日本の歴史を、世界一の
存在だと知るとき、国家愛、民族愛、伝統愛は、油
然として沸き起こ��ねばなるまい、と思うのである」
と結んでいます。
坂本氏のこの指摘は、まさに“我が意を得たり”で
あり、改めて、「歴史のつながり」の重要性を訴え
るものと考えます。過去・現在・未来はつながって
います。改めて、“過去は変更することはできませ
んが、未来は創り出せる”のです。
そして「国家100年の計」とはこのようなことを
指すのだろうと考えます。私は、「我が国の歴史を
振り返る」として主に「国防」の分野の歴史を振り
返り、史実を知ってから先人たちに敬意を表してい
る自分自身を発見しました。それもあって、「我が
国の未来を見通す」としてメルマガを発信し続けな
がら、現在の我が国の課題を引き起こした最大の要
因は、戦前の歴史を否定し、歴史を分断したことあ
るのではないだろうか、と考えるようにもなりまし
た。
百田尚樹氏は、近著『大常識』の中で、「日本人の
平和ボケは不治の病」と断定していますが、その原
因こそ、戦前の歴史を否定し、あえて学ぶことを避
けてきたことが、多くの日本人から“現実をしっか
りとらえる”知性を奪って、それが「平和ボケ」に
つながっていると思えてなりません。今こそ、しっ
かり軌道修正する必要を感じます。
また、元国連職員の谷本真由美氏も近著『世界のニ
ュースを日本人は何も知らない』の中で面白い指摘
をしています。つまり、「日本は世界の文化の最終
終着地である」として、日本は、国内文化のみなら
ず、“イギリスや中国国内などもはや(現地には)
存在しないそれぞれの伝統文化さえも大事にしてい
る”「良さ」があると解説しています。このような
日本文化が将来、“世界を救う”ことにつながる可
能性もあるでしょう。
このようにあれこれか考え、悩んだ結論として、我
が国の「統治のかたち」あるいは「国のかたち」は
現在のままでよいのだろうか、という点については
今も頭に残ったままです。本文では少し触れました
が、結論はどうあれ、そのための憲法改正を含み、
勇気を振り絞ってその議論に立ち向かうのは、戦後
世代に課せられた「宿題」のような気がするのです。
260年あまりの徳川幕府に終止符を打った幕末の
志士たちは、吉田松陰が唱えた「草莽崛起」(そう
もうくっき)〔志を持った在野の人が立ち上がり、
大きな物事をなす〕によって心を動かされ、命を賭
して行動したと言われます。
講話の行脚をしている時、偶然にも何人かの人が熱
い気持ちを込めて「草莽崛起」という言葉を口にし
ておりました。現在、本当に「明治維新」ならぬ
「令和維新」として、心ある在野の人が立ち上がる
時が到来しているのかも知れないのです。後世に我
が国の有形無形の”資産“を残すために戦後世代が
覚醒して立ち上がり、やがて「巨大なパワー」に成
長する・・・本メルマガがそのような輪が広がるこ
とに少しでも貢献できるのであれば本当に望外の喜
びです。
12月12日は「漢字の日」でした。今年の漢字は
「税」だそうで、京都清水寺の森清範貫主が本殿の
前で揮毫されているお姿を拝見しました。実は、大
阪の講話の折に、京都清水寺に立ち寄って貫主にご
挨拶させて頂く機会を得て、漢字1文字を揮毫して
いただきました。
私は、「我が国の未来」が「明るく、輝かしい未来」
になることを心より祈念し、「輝」という漢字を揮
毫していただきました。私自身は今なお、心ある多
くの日本人が覚醒し(「荒魂」が眠りから覚め)、
力を合わせて、様々な障害を乗り越え、必ずや明る
く、輝かしい未来を創り出す、そのような日本の
「国柄」は変わらないと信じていることを付け加え
ておきたいと思います。
まとまらない「あとがき」になってしまいましたが、
これをもって「我が国の未来を見通す」完結です。
読者の皆様、長い間、お付き合いいただき、本当に
お疲れ様でした。元自衛官としてあるまじき暴言の
数々について心よりお詫び申し上げ、重ねての御礼
とさせて頂きます。
最後になりましたが、毎回、私の誤字脱字だらけの
つたない原稿に目を通していただき、メルマガ軍事
情報と仲介の労を取り続けて頂いた並木書房の奈須
田社長、そして、毎回のように、冒頭で過分なご紹
介を賜り、時に極めて適切なコメントや叱咤激励を
頂いた上、「我が国の未来を見通す」のバックナン
バーも残して頂いているメルマガ軍事情報オーナー
のエンリケ氏に心より感謝申し上げ、結びと致しま
す。長い間、本当にありがとうございました。
(おわり)
(むなかた・ひさお)
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dropoutsurf · 1 year ago
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結論、ほぼデマ | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
民主党,立憲民主党,鳩山,枝野,野田,首相,悪夢,リーマン,311,東日本大震災,人災,
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・国家公務員の天下りあっせんを全面禁止  ↓ 府省庁からの斡旋のあったものだけを天下りに数え���ように変更して 94%の天下りをカウントから除外しただけ。
さらに民主党政権は天下り・現役出向の拡大とかえって悪化させている。
評価:× 嘘
・子供手当支給  ↓ 2010年7月の参議院選挙前に配って票を得ようとして 麻生政権の景気対策補正予算を事業仕分けで無理矢理凍結して転用。 その後も結局半額支給に留まるなど政権発足前から財源がないことは 藤井裕久ら民主党幹部がすでに理解していた。
評価:△ 半分
・生活保護の母子加算復活 父子家庭に児童扶養手当  ↓ これは事実。
評��:○ ただし福祉ばかり手厚くするその財源は税金なんですけどね。
・記者会見オープン化  ↓ たしかに部分的にオープン化したが、 民主党に批判的な記事を書いた事を理由にした記者の排除や 民主党に批判的な社の記者は絶対に質問させないなどが行われた。
評価:△ オープンにした意味が無い
・公立高校生授業料無償化 私立高校へ助成金支給  ↓ 事実。ただし朝鮮学校へ支給するために1条校以外も対象にしようとするなどした。
評価:△ そもそも義務教育外のものを無償化する是非は?
・密約解明  ↓ おそらく沖縄返還の際に日米で密約があったという話の件。 岡田克也外務大臣が 「証拠はないけど密約はあったはずだ!だからあった」(要約) という乱暴な結論を出し、これを根拠に米国を批判したもので解明などとはほど遠い内容。
評価:× 証拠なしで決めつけただけ。 民主党と支持者に法治の精神がない事を示した上に米国との関係悪化だけでなく、あとから勝手に非公開のはずの話を公開されかない姿勢を各国に見せつけてしまい、各国が民主党政権をまともな外交相手として扱わなくなり日本の外交的地位を完全に地に落とした。 (実際に訪米では途上国と同じ扱いをされるまで日本外交の地位が低下した) のちの安倍政権で日本の外交を立て直すために前半数年を費やさなければならなくなった。
・社会保障費削減撤回  ↓ 評価:△ 事実、ただし代替案なしで負担増加分は現役世代へ。
・基礎自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲  ↓ 権限を若干移譲したがそれ以上にNPOの主観を地方自治体に移すなど、現在問題となっている公金チューチューなどの温床となっている。 また、予算が欲しい団体は民主党幹事長室に言われた要求を満たさないとならないなど、結局の所は予算や権限を人質に民主党の横暴が加速する面もあった。
評価:△ 責任から逃げたい民主党の哲学もあってか責任の曖昧化が進むなどむしろ害の方が遙かに多いのでは?
・診療報酬引き上げ  ↓ 事実、若干上がった
評価:○ ただし社会保険料の上昇加速で現役世代への負担増。
・国と地方の協議の場を設置  ↓ 地方自治体は民主党幹事長室に何らかの見返りを用意しないと予算が追加されなかったり、民主党の議員が強い自治体だけ極端に補助金が優遇されるなど協議以前の問題だった。
評価:× 民主党幹事長室を通さないとならないという憲法違反をやっていた。 (請願の自由の侵害)
・全ての国直轄事業における負担金制度を廃止  ↓ 民主党政権中にさくっと復活
評価:× その後に元に戻った事を考えれば2010年7月の参院選向けのアピールでしかなかった。
・非正規労働者の雇用保険への適用条件緩和  ↓ 事実
評価:○
・原則として製造現場への派遣を禁止  ↓ そもそも派遣で働いていた人達の働き先を無くした後のことを考えておらず、 そのことをつっこまれて民主党政権は方針を変更して撤回したため公約破りとして批判されていた。
評価:× 実現していません。
・農家戸別所得補償制度実施  ↓ たしかに部分的実施は行ったが 農地改良や鳥獣害対策費などの予算を大幅カットしてこれを財源として実現。 また岡田克也の実家であるイオンが戸別所得補償制度を理由に 米農家を買いたたいていた事が国会で指摘されたり、 飼料用米を雑に作っていれば補償で儲かるという制度の建て付けにより、 他の農業者へ貸し出していた農地の貸し剥がしなども横行した。
評価:△ 朝三暮四な上に発生した問題の方が多かった。
・バリアフリー改修、省エネ改修工事補助  ↓ 事実、ただし麻生政権で実施したプランを引っ張った形。
評価:△ 鳩山内閣が特別に実施したものではない
・分娩の公的助成  ↓ 麻生政権で増額を決定したもの
評価:× 強いて言うのなら麻生政権の実績
・肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額引き上げ  ↓ 2009年民主党政権公約では「自己負担限度額を引き下げる」としていた。 引き上げたのなら公約と逆。
評価:× 公約と真逆
・自殺者が政権交代後に減少中  ↓ たしかに若干の減少は認められるものの 2007年に決定された自殺総合対策大綱を民主党政権は踏襲していただけ。 その後の第二次安倍政権では 1997年以降3万人台を下回った事の無かった自殺者数が2万人前後に低下。
評価:△ 事実ではあるがリーマンショック後の有利なタイミングで政権を取ってただけ。 民主党不況に陥れられていなければもっと減っていた可能性があるのでは?
その他。
野党側に審議時間すら認めない強行採決10連発など、 過去に類例の無い強引な国会運営だったが マスゴミがこれを批判しないようにして擁護していました。
民主党政権では長妻昭と山井和則コンビが 「長妻・山井プラン」などと自慢していた大量の派遣切りがありました。 特定26業種の多くで解釈によって一般の派遣と見なすという手口を使いました。 「派遣を継続的に雇えないようにすれば正社員が増えるはずだ」 という連合の生兵法をそのまま実施した形です。
それに加えて民主党政権が超円高誘導を行う事で 本来ならリーマンショック後の回復局面なのに 民主党不況を作り出して失業者を大量に生み出す結果となりました。
また、「(国家)公務員の総人件費削減」という民主党の公約を実現するという理由で 民主党政権は一時的に霞ヶ関の新卒採用を0にさせようとしました。 (さすがに非難囂々で渋々「若干名」を認めるに変更)
民主党政権は彼らの票田である「情弱高齢層」を向いたままの政治がより露骨で、 若者は切り捨てる傾向が非常に極端な政権だったと言えます。
アニメーターが労組を作った時に 各政党にも挨拶に回ったのですが、 民主党はアニメと聞いて選挙権がない子供じゃ意味が無いと考えて ろくに相手にしなかったなんて話があります。
日本の政治って結局の所は数の多かった団塊世代を中心に 高齢者層ばかりを向いた政治がこの30年以上続けられてきました。
若者を使い捨てにする氷河期世代を作ったのも そうした政治の怠慢と、数ばかり多い問題のある世代のわがままと経団連の合作 と言って良いのだろうと思います。
すでに手遅れ状態になっていますが、岸田総理は異次元の少子化対策などと言って 金を巻き上げて補助金として付け替える 財務省が喜びそうな間抜けな手口で社会保険料負担増を財源にする政策にしようとしています。
今の現役世代は30年間ほぼ給料が上がっていないのに 社会保険料がひたすら上がり続け、 可処分所得がガンガン削られてきた世代だと言えます。
若者の○○離れ、 などとマスゴミが非常に後ろ向きな文脈で使いますが、 使える金の余裕がなくなってるんですから、 お金を無駄に使うような事はできませんよ。
若者にもっと他のことに無駄にお金を使わせたいのなら、 若者の可処分所得を増やすために負担を減らすのが一番ですよ。
財務キャリアという日本国民の敵の言うような 「増税して金を毟って、それを天下りの利権の原資にしつつばらまく」 という方法では効果はほとん期待できないと思います。
日本のマスゴミの特にダメなところの一つに 「○○と比べて今の若者はxxにお金を使わない」 みたいにわざわざ比較して極めて否定的に扱うところがあります。
まぁ、マスゴミとしては 「若者は不幸なんだー!もう未来は真っ暗なんだー!」と、 世の中に不満がどんどんと蓄積していくようにしたいのでしょうけど。
マスゴミの上の方の人達は マルクス主義にかぶれたポンコツどもばかりで固められてますからね。
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nua-ap · 1 year ago
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白雪姫
AP_2022 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 発表公演(プロジェクトワーク3)
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私はあなたを見たくなかった
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美しさに嫉妬し、母は何度も自分の娘を手にかける。しかし、偶然が重なり何度も娘は命を取り戻す。世界で最も有名な、魔法の鏡が映す母と娘の物語。2人が再会したとき、誰も知らない「白雪姫」の結末を迎える。
母は何を大切にして、娘は何を母に求めたのか。親子の在り方を問う名作童話のリクリエイション。
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開演日時
2023年7月30日(日)11:00、15:00
※開演30分前より開場 ※上演時間30分 ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
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料金:無料
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館2階スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/Nd3FKuKtP7PuwB3Y8
※定員に達し次第、受付終了となります。
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出演
小菅紘史、木母千尋 成瀨瑠南(音楽総合コース2年)
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構成・演出:鳴海康平
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第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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舞台プロデュースコース
宇野怜花、海野夏菜、小川真友香、小田原一華 金森万和条、河合恒平、関戸智咲、竹之下紋菜 田中大翔、中村仁美、山森歩美
演出空間コース(音響チーム)
植松風香、北川正菜、北川優凪、小林美羽音、夏目依吹 橋村怜央、藤本実夢、二木陽菜、松木花水実
演出空間コース(照明)
イ・ソヨン、今井歩、上本瑞和、酒井優、佐藤星希 鈴木日奈子、関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉、宮原羽菜
舞台美術コース
因幡美沙、元喜貞、大塚理央、大場有乃、小笠原瑠莉 加納由佳、清水琴音、椿原美優、中山凱斗、花井二葉、牧栞名
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照明協力(舞台芸術領域 演出空間コース3年 照明)
浅田彩友、石井��凪代、前田遥音、松原沙耶華
音響協力(舞台芸術領域 演出空間コース3年 音響)
飯田凌矢、井上裕貴、勝川美海、木村日菜、西郷卓哉 中根美咲、福浦雅楽、福冨隼大
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指導教員
[企画制作]梶田美香、鳴海康平、浅井信好 [音響]  岡野憲右、山口剛 [照明]  稲葉直人、神谷怜奈、福井孝子 [舞台美術]石黒諭、杉浦充、乗峯雅寛
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
令和3年度に名古屋芸術大学芸術学部に設置された新しい領域。「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材を育成する。
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ご来場のお客様へ
37.5度以上の熱がある場合や体調の優れない場合はご来場をお控えください。
会場内では検温やアルコール消毒、常時マスクの着用にご協力ください。
手荷物のお預かり、差し入れの受け取り、出演者のお見送りはいたしません。
以上に関しましては、状況に応じて変更となる場合がございます。最新情報は公式Twitterおよびこちらのwebsiteにてご確認ください。
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twitter / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:第七劇場、名古屋芸術大学音楽総合コース
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私があなたを苦しめてる
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voilld · 1 year ago
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KMNR™ exhibition「紙標」カミナリ "SIRUSI" 2023.9.16 Sat - 10.8 Sun
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              この度VOILLDは、谷口弦、桜井祐、金田遼平によるアーティスト・コレクティブ、KMNR™(カミナリ)の新作個展「紙標(しるし)」を開催致します。本展は2022年に開催された個展「PAUSE」 に続く、VOILLDでは二度目の新作展となります。
谷口弦は1990年佐賀県に生まれ、江戸時代より300年以上続く和紙工房、名尾手すき和紙の七代目として家業を継ぎ伝統を守りながら、様々な技法や素材を手漉き和紙の技術と掛け合わせ、和紙を用いたプロダクトの開発や先鋭的な作品を制作しています。桜井祐は1983年兵庫県に生まれ、現在は福岡を拠点に自身が設立したクリエイティブ・フォース TISSUE Inc.にて編集者としてアートブックの出版や幅広いメディアの企画・編集・ディレクションを行い、並行して九州産業大学芸術学部ソーシャルデザイン学科の准教授を務めています。金田遼平は1986年神奈川県に生まれ、独学でデザインを学び渡英。グルーヴィジョンズへの所属を経てデザインスタジオYESを設立し、東京を拠点にグラッフィクデザイナー・アートディレクターとして活動をしており、三者三様に国内各地で多彩なプロジェクトを手掛けています。カミナリは2020年にこの3名から結成され、国内外での展覧会の開催やグループ展への出展、企業への作品提供など、精力的に作品の発表を行っています。
カミナリは伝統的な手すき和紙の技術を用いて再生された紙「還魂紙」を使って、様々な時代の「物」に宿る魂やストーリーを紙にすき込み、先人達が積み重ねてきた和紙という歴史を現代の観点で解体し、新たな価値を吹き込み再構築した平面、立体作品を制作しています。江戸時代以前、反故紙を用いて漉き直された再生紙は、原料の古紙に宿っていた魂や情報が内包されていると考えられていたことから還魂紙と呼ばれていました。カミナリは、その還魂紙を活動のコンセプトであると同時に軸となるマテリアルとして用いることで、過去と現在、変化し続ける未来、そして異なる文脈の物事を繋ぎ合わせるという役目を持たせています。素材の持つ歴史と特性を熟知し、様々な要素を重ね作品に投影することで、和紙の歴史を通観するものとしても捉えることができるのです。
「紙標(しるし)」と題された本展では、近年制作している関守石をモチーフとした立体作品「PAUSE」のシリーズに続き、石をモチーフとしたオブジェクトをさまざまに組み合わせ紐で結び上げた立体作品を発表いたします。和紙とは人間が人間のために作った「記録」や「記憶」を残すための媒体でありながら、近年のデジタルやインターネットの普及によりその在り方は形を変えてきており、紙を使うこと自体がまるで儀式のような特別な意味を持つようになってきているとカミナリは言います。そして石とは、物質が長い年月をかけ積み重なりできた「時間」や「歴史」の象徴と言えます。その二つを組み合わせることで、生きてきた証や過去の思い出といった、形にしがたいものたちを可視化し、そこに置くことで気付き、立ち返れるものとして一連の作品が制作されました。印象的な結び目は、日本古来の結びなどから着想を得て、しめ縄や結界、魔除けのような想いを込めながらひとつひとつ結び上げられています。物理的な法則と独自の感性、立体としての美しさと均衡が巧妙に作用しながら制作された作品は、それぞれが独立しながらも、有機的に結びついているのです。伝統と芸術、過去と現在、そして未来へと往来しながら、道具を使わず手作業のみで結び上げられた作品群は現代の民芸的作品とも言えるのではないでしょうか。
作品と行動を介して、歴史とはなにか、人の記憶とはなんなのかという根本的な疑問を投げかけながら、新鮮な角度から思考と実践を重ね練り上げた、およそ20点に及ぶ作品群を展示いたします。カミナリの新たな展開となる本展を是非ご高覧頂ければ幸いです。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
忘れていた。 初めて触れたと思っていた感情や感覚の多くは、実はすでに経験したことだった。
にもかかわらず僕らは、ときにその事実をも忘却のあちら側へと線引きしてしまう。 だからこそ人は石木を刻み、土に楔打ち、紙に記録してきた。
形のないものに形を与える行為はつくる者の体内に原始の感覚を、経験していないはずの記憶を呼び起こす。 その瞬間、僕らは確かに“思い出している”のだ。
ーKMNR™
     
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KMNR™ |カミナリ 2020年、佐賀県名尾地区において300年以上の歴史を持つ名尾手すき和紙の7代目・谷口弦、編集者の桜井祐、アートディレクターの金田遼平によって結成されたコレクティブ。伝統的な手すき和紙の技術を用いることで、新たな文脈を持ったメディウムとしての「還魂紙」を生み出し、作品制作を行う。 IG: @kmnrtm ー谷口弦 名尾手すき和紙7代目。1990年佐賀県生まれ。関西大学心理学科卒業後、アパレル会社勤務を経て、江戸時代より300年以上続く和紙工房の名尾手すき和紙に参画。家業として伝統的な和紙制作を行うかたわら、2020年ごろよりKMNR™主宰として作品制作を開始。 HP: naowashi.com ー桜井祐 編集者。1983年兵庫県生まれ。大阪外国語大学大学院博士前期課程修了後、出版社勤務などを経て、2017年クリエイティブディレクションを中心に行うTISSUE Inc./出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。紙・WEB・空間など、幅広い領域において企画・編集・ディレクションを行う。九州産業大学芸術学部ソーシャルデザイン学科准教授。 HP: tissuepapers.stores.jp ー金田遼平 グラフィックデザイナー/アートディレクター。1986年神奈川県小田原市生まれ乙女座。法政大学在学時に独学でデザイン制作を始め、卒業後に渡英。帰国後、2013年よりグルーヴィジョンズ所属。2018年よりフリーランス、2019年デザインスタジオYES設立。 HP: kanedaryohei.com Exhibitions:
2023 アートフェア「EASTEAST_TOKYO 2023」at 科学技術館
2022 グループ展「LIGHT」at VOILLD グループ展「8」at VOILLD 個展「PAUSE」at VOILLD
2021 出展「祈りのインターフェイス展」at BONUS TRACK GALLERY 個展「TIMESCAPE」at Muracekai 個展「秘事」at ニューGEN GEN AN幻 / OUCHI 出展「Kyushu New ART 2021」at 博多阪急8F催事場 作品提供「紙糸靴下|Paper Fiber Socks」for Goldwin 2020 長崎アートプロジェクト「じかんのちそう」招聘作家
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KMNR™「紙標」 会期:2023年9月16日(土)~10月8日(日) オープニングレセプション: 9月15日(金)18:00 – 21:00 開廊時間:12:00 - 18:00 休廊日:月曜、火曜 ー 16th Sat Sep. 2023 - 8th Sun Oct. Open: 12-6pm Closed: Mon&Tue
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推���古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩���宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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