#不眠、鬱
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居心地の良い場所 50代の殿方達に捧ぐ!
Genden-TukuRich®️の世界へようこそ!VOL.235 居心地の良い場所(安心、安全)をコンフォートゾーンという。 人間の脳(潜在意識)は変化を嫌がるという。 Cork,…

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ASD特兒特教 之 從醫學角度來看亞氏保加症?
自從90年代,DSM-IV《美國精神疾病診斷與統計手冊──第四版》將亞氏保加症(Asperger Syndrome)和自閉症分開,這個診斷變得比較流行,直至現在��廣為人知。有一些外地成名藝人、名人、歌手或富豪也在公開場合承認自己患有或者被懷疑有亞氏保加症。雖然自閉症和亞氏保加症的診斷同屬歸納為腦神經發展障礙(Neurodevelopmental…

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#ASD特兒特教#環球天道傳基協會#社交焦慮強迫症抑鬱症失眠#童年早期出現#非言語溝通感困難#話題比較狹窄#說話比較嚴肅#談天說道#共病症狀求診#單刀直接不轉彎抹角#執著細節#張逸和醫生#從醫學角度來看亞氏保加症#明報#不善社交溝通#不愛被人打擾#人與人之間相處出現困難
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一つ前���記事ではお見苦しいものを失礼しましたという感じですが、消さずに残しておくことにします。わたしの人生において鎖国という語はたぶんこれから先ずっとわたしの人格につきまとう重要キーワードな気がしているので。ていうか当該の記事、テキストで5000文字も打っていたらしい。しかもベッドの上でスマホで手打ちしたんだよね。深夜(というか朝方)の鬱パワーっておそろしいですね。だけど反省はあまりしていないです。本来感がある文章だと思うので、自分で自分をゆるすことにします。
眠る前、薬を飲まなかった。朝方5時か6時くらいに寝て、朝10時くらいにスマホの通知のバイブレーションの音で目が覚めた。寝る前に通知を切るのを忘れていたらしい。睡眠時間も短いし、目覚めがひどくわるいのに、一度目が覚めたらやっぱりどうしても眠れなくて、仕方ないからそれからずっと起きていた。意味ないとわかっていながらも栄養剤を飲んだ。
祝日だということを忘れていた。火曜日なのになぜか家に同居人がいる。カレンダーをみて、あ、祝日なのか、と思った。
そこからずっと、ベッドから起き上がれず、ぼうっとしていた。15時くらいに、さすがに何か食べてくれ、と彼に言われたので、冷蔵庫に入っていた茶碗蒸しと、ねるねるねるねを食べた。おなかがいっぱいになって、そこからしばらくまたベッドでスマホを触っていた。決して眠ることはできなかった。不眠にはここ5年くらいずっと悩まされているのにずっと薬局の市販薬でのらりくら��とやり過ごしている。さすがにそろそろ病院に行った方が良い気がして、睡眠外来を調べた。アクセスの良い場所にある病院を見つけたが、祝日は電話がつながらないらしい。web予約もできない。また後回しになりそうだ。
夜、冷たい蕎麦なら食べられると思った。彼にコンビニに行ってもらったが蕎麦はなかったらしい。蕎麦を諦めることが出来なくて、UberEatsを見たら、めちゃくちゃ評価の高いお蕎麦屋さんがあったから、ざる蕎麦を注文した。届くのが早かった。すごくおいしかった。リピートすると思う。
明日は修論発表会がある。研究室に行きたくないが、行かないと修了できないので絶対に行かなければならない。でも追いコンに行かなくて良いと考えると少しだけ気楽だ。嫌なことを避けることは逃げじゃないってそろそろ学べてきたような気がする。これは戦略的撤退です。
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兵庫県知事の疑惑を追及していた元県議の竹内英明さんが亡くなりました。自殺とみられています。SNS上に拡散された竹内元県議への誹謗中傷。その真偽を検証します。 ■「社会にも、もう希望が持てない」竹内元県議を追い込んだものは… 兵庫県議を務めていた竹内英明さん(50)。兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを調べる百条委員会の委員として、斎藤知事を追及してきた。 兵庫県 竹内英明県議(2024年8月・当時) 「ご自身は今でもパワハラをお認めにならないんですか」 竹内さんはほぼ毎日ブログを更新していた。 2023年2月9日のブログ 「信号機が設置されました!お子さんが自転車で衝突事故にあうという衝撃的な出来事があり、要望を続けてきました」 2024年3月18日のブログ 「姫路駅前、定例の朝の街頭演説。初心にかえる、いい機会」 竹内さんは、なぜ追い込まれていったのか。 同じ会派の上野英一県議は竹内さんに異変がみられたと証言する。 兵庫県 上野英一県議 「県知事選挙中に立花発言があったり、その時分からではないか。ほとんど家にいて、暗くなってからしか出ることができないと」 斎藤知事をサポートするため知事選に出馬したNHKから国民を守る党の立花孝志党首。選挙戦の中で、亡くなった元県民局長の告発文書の作成に竹内さんが関与していたと主張していた。 立花孝志氏(2024年11月1日) 「自殺した人が1人で作ったと思っている人いません?違うんですよ。違う人物も関与していた。確実に言���ていい人、1人だけいます。竹内さん、竹内県議、あっ言っちゃった」 その後、百条委員会の奥谷委員長の事務所前で… 立花孝志氏(2024年11月3日) 「出て来い奥谷。一応チャイムだけ鳴らしておこ。あまり脅して奥谷さんが自死されても困る。竹内さんのところにも行きますよ。どうやって会おうかなと思ってた」 ほかにも立花氏は竹内さんを「斎藤を貶めた主犯格」と決めつけた動画を引用し投稿。249万回閲覧されている。 知事選の翌日、竹内さんは「家族を守らないといけない」として議員辞職したが、匿名の誹謗中傷は止まらなかった。 実際の投稿 「竹内英明、フザケルな。消えてまえ」 「辞職すれば済む話じゃない。犯罪者じゃないか」 同僚の迎山志保県議は竹内さんの辞職後も連絡を取り続けていた。 立花氏による「竹内さんのところに行く」との動画が投稿された後には… 竹内さんからのLINE(2024年11月5日) 「妻が警察に連絡してほしいと昨日言ったので、電話した。立花の事務所襲来エックスなどを見てしまっていて怖いと言ってます」 そして、竹内さん自身も鬱状態に陥っていく。 竹内さんからのLINE 「(気持ち、少しは落ち着かれましたか)逆に酷くなってる。病院行ったけど診断も厳しい」(2024年11月23日) 「またうちに攻撃とかあったら耐えられません」(2024年12月1日) 「薬の助け借りてなんとか眠ってる。心配かけてごめん」(2024年12月7日) 兵庫県 迎山志保県議 「信頼関係があると思っている身近なリアルの方からも、嘘の情報を前提にしたような心配をされたりとか、『自分は本当に真摯に政治や県民に向き合ってきたつもりだったが、これまでの自分の人生も何だったんだろうかなと思うし、こういうことがまかり通っていく社会にも、本当にもう希望が持たれへんな』って」 1月18日、竹内さんは亡くなった。自殺とみられている。竹内さんが使っていた議会の机には、花が手向けられていた。 兵庫県 迎山志保県議 「竹内さん、すごく勉強家ですべての資料を置いてて。正義感に溢れている、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると、臆面もなく言い切れるような青臭い人だったなって」 ■竹内元県議の“逮捕の予定” 県警トップが完全否定し立花氏は… 竹内さんの死が報じられると、立花氏は「竹内元県議が亡くなった理由」とする動画を投稿し、持論を展開した。 立花孝志氏(1月19日公開・現在は削除) 「竹内元県会議員、明日逮捕される予定だったそうです。メディアは相変わらず誹謗中傷が原因とか。誹謗中傷で何で死ぬねんって話じゃないですか」 これに対し、兵庫県警のトップが異例の発言をした。 兵庫県警 村井紀之本部長 「任意の調べをしたこともありま��んし、ましてや逮捕するという話は全くございません」 すると立花氏は「逮捕が怖くて命を断った」という主張は間違いだったと訂正し謝罪。しかし、誹謗中傷はしていないと反論した。 立花孝志氏(1月20日公開) 「竹内さんに対して、僕自身は批判や誹謗中傷した記憶はない。これぐらいのことで自ら命を絶つような人が政治家しちゃいかん」 だが、この2日後にも… 立花孝志氏のXより 「故人が悪事を働いていた事は、明らかですが、、、その悪事が警察が把握してなかっただけ!あるいは警察が裁けない悪事だっただけでしょう!」 ■批判や擁護…SNS投稿の変化に専門家「メディアの役割」指摘 竹内さんに関する、Xの投稿はどのように変化したのか。東京大学の鳥海不二夫教授の分析をもとに検証した。 竹内さんを批判する投稿は、県議を辞職した11月18日に増加。 そして、1月19日昼ごろに竹内さんが自殺したとみられることが報道されると、その動機を「逮捕を恐れて死んだ」などとする投稿が一気に拡散された。 しかし、19日夕方、新聞3紙が県警関係者への取材をもとに「そうした事実はない」と報道すると、竹内さんを擁護する投稿が批判の4倍拡散された。 鳥海教授はメディアが誹謗中傷に歯止めをかけるため果たす役割は大きいと話す。 東京大学 工学系研究科 鳥海不二夫教授 「大手メディアを含め、きちんとしたところが間違った情報には『間違っている』、『正しい情報はこうですよ』、信頼を置ける形で情報を発信することは一つの大きなポイント」 ■立花氏が指摘するメールの“でっちあげ” 担当職員が否定 立花氏は、謝罪動画を出した後もなお、「竹内県議がでっちあげをしていた」との主張は変えていない。 立花孝志氏(1月20日公開) 「とにかく竹内議員が、かなりでっちあげをしていた。特に、彼自身が元県民局長の奥様に代わって、百条委員会あてに送ったメール」 でっちあげの事例として挙げた一つが、告発者である元県民局長の妻が県議会の議事課に送ったメールだ。 元県民局長の妻が送ったメール 「主人が最後の言葉を残していました。そこには一死をもって抗議をするという旨のメッセージ。そして、百条委員会は最後までやり通してほしいことが記されていました」 メールは7月12日に届いた。生前のメッセージが残っていることは、7月11日の早朝5時に新聞で報じられた。その2時間後、竹内さんがブログで記事をそのまま引用した。 立花氏はメールが届く前に竹内県議がブログを書けたのは、彼自身がメールを偽造したからだと主張している。 立花孝志氏(1月20日公開) 「元県民局長の妻のメールを、なにか偽造したのではないか」 メールの送付先である議事課が、報道特集の取材に応じた。 議事課の職員 「奥様からいきなりメールが送られてきたわけではありません。元局長が亡くなられた後、奥様からこういうメールを送りたいというお話があり、ご本人と3回やりとりした上で送信されてきたので、奥様の意思で送られたものに間違いありません」 ■斎藤知事���“要望”は事実か?「マスコミがちゃんと取材し報道していたら…」 ��らに立花氏は、竹内さんが「ゆかたまつり」について、事実無根の追及をしてきたと主張する。 立花孝志党首(1月20日公開) 「事実無根のゆかたまつりなんかの、事実ではない根拠をもとに(知事を)責めてた」 2023年に姫路市で行われた「ゆかたまつり」。夏の風物詩に、姫路市長らと並び斎藤知事も出席。 その際知事は他の来賓と同じように、地元の公民館でボランティアによる着付けを受けることになっていた。しかし、竹内���んはブログでこう指摘した。 「知事は着付けを当日直前にキャンセル。他の来賓とは別に自分だけ着付けができる専門店に行って着付けした。公費で払うことになり、秘書課が負担することになった」 その後、百条委員会の県職員アンケートで「知事が激高し、翌年度から出禁」になったという回答内容が公開されると、それがあたかも竹内さんの発信としてネットに拡散され、立花氏も「竹内県議がデマをまき散らした」と投稿した。 現場で何が起こっていたのか。姫路ゆかたまつりの当日、知事をアテンドしていた芳賀一也氏が取材に応じた。 ゆかたまつり奉賛会 芳賀一也氏 「(Q.知事はボランティアスタッフの着付けで着る予定だった?)それは間違いない。婦人会にお願いして、着付け経験のある方お願いしますっていう」 他の来賓が公民館で着付けを受けるなか、知事は呉服屋で衣装を借りたいと言い出したと証言する。 ゆかたまつり奉賛会 芳賀一也氏 「わがまま言ったとか僕は全く知らんけど、当日午後2時くらいに電話があったのは間違いない。(Q.その電話の内容は?)要するに、衣装借りたいって知事が言っているから、(呉服屋を)紹介してくれと」 直前のキャンセルと呉服屋での着付け。竹内さんの発信に誤りはなかった。しかし、真偽不明の情報はネットで広がり続けている。 ゆかたまつり奉賛会 芳賀一也氏 「僕ら現場の人間からすると(知事は)めっちゃ機嫌良かった。ボランティアに罵声かけたん?そもそも公民館行ってへんから。あの時にマスコミがちゃんと取材して、何が正しくて何が間違ってるのかをちゃんと報道してたら、SNSに振り回される必要なかった」 ■立花氏に問うと…「”でっちあげ”というか僕は”疑惑”と言ったつもり」 立花氏は一体何を根拠に、竹内元県議の主張を「でっちあげ」、「事実無根」としたのか。直接、立花氏を問いただした。 日下部正樹キャスター 「『ゆかたまつり』は問題ですか?」 立花孝志氏 「『ゆかたまつり』が問題かどうかについては、私自身は実際ツイートした人からも姫路で名刺をいただいて、ただ正直こんなものを、そもそもあの(元県民局長の告発の)7つの文書に入っていない。だから全く取材していません。どうでもいいです」 元県民局長の妻が県に送ったメールについては… 立花孝志氏 「県民局長の奥様の遺書というか陳述書についても、公になる前に竹内さんは自らのフェイスブックで出しておられた。これが本当に県民局長の奥様が作られたものなのか疑惑がかかっているということです」 竹内さんがブログに掲載していたのは遺書や陳述書ではなく、それを報じた産経新聞の記事だった。「でっちあげ」と発言したことを問いただすと… 立花氏「でっちあげというか僕は疑惑と言ったつもり。(竹内氏は)疑惑に対してちゃんと弁明されたらよかった」 日下部キャスター「『でっちあげ』と絶対どこかで見た」 立花氏「疑惑とでっちあげとなると、ちょっと印象が違いますよね。僕でっちあげなんて言ってませんよね。疑惑ですよね」 立花孝志氏のYouTube(1月20日) 「とにかく竹内議員がかなりでっちあげをしていたことは、多くの人はわかっていらっしゃると思うので」 「デッチあげ」とホワイトボードに書き、発言していたにも関わらず、動画を公開したわずか4日後の24日「疑惑と言ったつもり」と発言が変わった。 立花氏「僕はそういう疑惑があるということを言っているだけ。そんなことに対して僕は別に興味がないから言ってないもん」 日下部キャスター「急に興味がなくなっちゃった」 立花氏「いやいや、そんなに強く興味がないから。疑惑であって、興味がないと言っているのは、間違えないで欲しいのは、その疑惑の真相を追究するほどの興味がないって意味です」 ■竹内元県議めぐる投稿「50%は13個のアカウントから」 “情報”どう見るべきか? 竹内さんを批判する投稿は減ったが、2か月にわたって残り続けていた。東京大学の鳥海教授は… 山本恵里伽キャスター 「なぜ批判は持続性を持ってしまったのでしょうか」 東京大学 工学系研究科 鳥海不二夫教授 「一般的な炎上は3日あると収まるといわれています。今回のケースだと立花氏とかがいろいろ動画で話していた。ずっと情報を出し続けている人たちが一定数いたということで、その影響がかなりあったのではないか」 批判的な投稿が1年間で11万回以上拡散された一方で、発信した人の数は… 東京大学 工学系研究科 鳥海不二夫教授 「今回の場合は、それほど多くのアカウントから発信されたというわけではなかった。拡散された全ポスト数に対して、50%ぐらいは13個のアカウントから発信。2番目に拡散が多かったアカウントは立花氏のアカウントだった」 立花氏以外のフォロワー数の多い人が拡散に関わっていたことも投稿数が増えた要因だと分析した。 東京大学 工学系研究科 鳥海不二夫教授 「今の情報空間はこういうものなんだときちんと理解したうえで、情報を摂取していくことを考えないと、同じようなことがまた起きるのではないか」 ■東国原氏がXに投稿した理由 タレントで元宮崎県知事の東国原英夫氏(67)は、竹内英明元県議が亡くなったというニュースをネットで知った直後、「警察から事情聴取もされていたと聞く」とXに投稿した。こうした発信がデマを拡散したという認識はあるのだろうか。 元宮崎県知事 東国原英夫氏 「そういう話も“聞く”がという表現にしたが、真偽不確かであるということで反省して、反省の文と削除をさせていただいた」 投稿の根拠として、竹内さんが県警から話を聞きたいと言われていたという情報をみたという。 山本キャスター 「竹内元県議が『事情を知りたいと警察からいわれている』という話はどこで見聞きしたのですか」 元宮崎県知事 東国原英夫氏 「ネットです」 山本キャスター 「ネットの情報ということですね?」 元宮崎県知事 東国原英夫氏 「そうです。信憑性にかける、真偽不明というならそうかもしれませんが、そういう状況証拠を全��として自分なりに判断して。(県関係者の知人から)『どうも事情聴取を受けたということは事実らしいよ』と聞いたので、私はネットに書き込みました」 山本キャスター 「事実ではなかったことを投稿したということですよね」 元宮崎県知事 東国原英夫氏 「そういうことになるんですかね。疑惑があるというのは、僕の解釈です、疑惑があるというのは事実」 東国原氏は、不確かな情報であっても自分なりに精査すれば“疑惑”として発信することは問題ないという認識を示した。これは立花氏の主張と共通する。 元宮崎県知事 東国原英夫氏 「疑惑があったことが事実なら『疑惑がありましたよね』と書く。疑惑が本当かどうかまでは追及できません」
追い詰められていた元兵庫県議の竹内英明さん 「でっち上げ」と発言した立花孝志氏は【報道特集】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月22日(金曜日)
通巻第8186号
【書評】
ラピダスの2ナノ半導体は、「できっこない」のか
経済安全保障のアングルに特化、日本再生を展望する『元気の出る本』
平井宏治『新半導体戦争』(ワック)
************************
半導体戦争は米国vs中国がメインの戦場だが、半導体世界一は台湾のTSMC、韓国のサムスンとSKハイニックスであり、米国のインテルは後塵を拝している。だからバイデン政権はインテルに破格の195億ドルを支援し、捲土重来を期す。
アップルの新型iPhoneは3ナノ半導体を搭載している。すでに3ナノを量産するTSMCは次世代最先端の1・4ナノ開発センターを台湾に開設した。エヌビディアは新型半導体を発表し斯界の度肝を抜いた。
米国勢は頭脳部分の基本設計とルールを先に決めるのが得意だが、ものつくりはじつに下手くそ。そのくせ賃金が高いから、競争では負ける。インテルの優位回復は難儀するのではないか。
さてバイデン政権は対中政策を厳格にすると言いながら、最高機密はどんどん中国の盗まれており『ザル法』と化している。そのうえ米国の半導体業界はバイデンの対中政策に反対しているから話はややこしい。
評者(宮崎)も拙著『半導体戦争』(宝島社)で指摘しておいたが、半導体はもはや『産業のコメ』ではなく、『戦略物資』であり次世代の武器ならびに兵器システム、とくに兵士ロボットに用いられる。イラク戦争でピンポイント攻撃の制度が挙がったが、これから根本的に戦争形態が変わるのである。
1980年代に日本は世界半導体市場の80%を占めていた。その頃、TSMCは誕生もしていなかった。
それが様変わり、日本は先端の半導体競争ではるか後方にあって、もはや再生は不可能、絶望的と言われていた。
ラピダスが挑む2ナノは2027年量産開始予定だが、現実の日本の半導体は40ナノ程度の生産しか出来ない。その格差は九世代、台湾系エヌビィディアのCPUには十世代の開きがある。つまり、9から10の「周回遅れ」である。
そのうえ、第二の敗戦が重なり、「喪われた三十年」の間に半導体の技術者が日本から払底していた。優秀なエンジニアは外国企業に移籍した。
TSMCには適わないと鬱々としていた。それが日本の半導体業界の空気だった。
「ラピダスが2ナノを2027年につくる」と宣言するや、「できっこない」の大合唱が日本のビジネスジャーナリズムを覆い尽くした。筆者の平井氏もいささか懐疑的である。
たしかに2ナノ実現は「困難である」。しかし日本はこの目標を達成しなければならないのである。
嘗て日米半導体協定で日本を潰したのはアメリカである。
そのアメリカが「心変わり」。いきなり2ナノ半導体開発を日本に奨め、ラピダスに全面協力となった背景がある。IBMがラピダスを支援する態勢が急速に組まれ、突然、日本政府は9200億円の補助金を供与するまでになった。
これは戦後GHQが日本を非武装の三流農業国家として落とし込んできた占領政策を百八十度変えて、武装と産業復活を推奨し始めたこととに似ている。この基軸の転換の直接動機は朝鮮戦争だった。
半導体戦争で対日戦略をがらりと一変させたのは、まさに朝鮮戦争のケースと似ている。
すなわち平井宏治氏が指摘するように「米国は中国を『競争相手』と位置づけるが、中国は米国を『超限戦』の対象、『闘争相手』」なのである。
米国は中国に新技術を渡さないと決意し、ものつくりは『カントリーリスクの高い』台湾、韓国より日本がふさわしいという政治判断に至ったのだ。
なぜか。
ファーウェイの新製品に7ナノ半導体が使われていたが、これはADSLのエンジニアが機密データを中国に渡したこと、韓国、台湾からスカウトされて技術者たちが協力し、当該半導体は流通の「抜け穴」を通じて中国のSMICに漏れたからだ。
本書はつぎに中国にのめり込んでにっちもさっちもいかなくなったSBG(ソフトバンクグループ)と中国に売り上げの半分を依存する村田製作所の危ない体質に危険信号を発している。
また中国に甘いドイツですら、中国国防七校からの留学生を閉め出し始めた。オランダもそうしているが、日本はノーテンキに受け入れ続けている。アメリカは「中国人とみたらスパイと想え」という認識で留学生受けいれを厳格にしており、大学留学も一年ごとにヴィザの切り替えをさせている。
平和惚けの日本は自衛隊基地の近くに土地や不動産を中国人が購入しても放置してきた。国家安全保障という概念が欠落しているからだ。
次の指摘も重要だろう
「日本の経済安全保障推進法にある四つの重要事項、(1)重要物資の安定的な供給確保、(2)基幹インフラの安定提供、(3)先端的重要技術の開発を支援、(4)特許出願の非公開条項である。これらを基盤とした「セキュリティクリアランス制度」は、これすべて「半導体産業に関連する」のである。
平井氏は経済安全保障のアングルに絞り込んで、状況を分析しつつ、「眠れる半導体大国」の日本が再生するために何を為すべきかを具体的に述べる。理由

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2024/9/5
【資本主義リアリズム 読了】
昔、読んだ少年向けのファンタジーに灰色の魔女と呼ばれる存在がいた。遥か昔から人の身体を乗っ取り移り変わり生き長らえるその存在の使命は、世界の均衡を保つこと。
巨大な支配ではなく小さな力が拮抗し引っ張り合いをしている状態こそが健全であり世界が永続していくのに最適だと疑わない。ある国の力が巨大になればそれを弱め、対抗を育て、均衡を取り戻す。そんなことをずっとしている。
この本を読んでいるとその灰色の魔女の存在がちらつく。違うのは資本主義はシステムであり、ある一種の正義であり、健全さを気取った腐敗の名称であること。人間なくして成り立たないくせ、人間性を否定していること。
音楽、建築、芸術、スポーツにしばし資本主義に対するカウンターカルチャーが内包するが、それも資本主義なしでは成立しない。少なくとも���代ではそうだ。

資本主義の中で食い扶持を見つけながらも、欲望や消費よりも大切なものを内包し、曖昧で何者にもならず楽しく生を生ききって死んでいく。
革命や巨大な川の流れに身を任せず、小さな正義を積み重ねていく。それが大切なのかな。
筆者が鬱で自殺してるだけに余計に教訓として身に染みる。

【読書の呪い或いは催眠】
紹介された本を読むときは常に頭のどこかに紹介者がいる。これは呪いであり催眠だと思う。長期に渡れば呪い。短期で済めば催眠或いは心地よい幻想。
何時間か紹介者と話す機会にも恵まれたのだけど、不思議ではあった。アンバランスな家庭環境で育ちながら本人のバランス感覚は見事なもので、ありがちな依存的性質がどこにも見当たらない。分別があり経験することを厭わず常に解釈とそれに伴う行動をし、それでいて人間性は明るく、優しく、理知的である。
与えられたものに自覚的でありながら、何よりもちゃんと親を殺している。独立した自我がある。
こういう人がいるもんだなぁと二軒目が終わる頃にはこちらが背筋が伸びる思いであった。
子供がこういうふうに育つのであれば親になるのも悪くないだろうな。親は良くも悪くも自由で子供はもっと自由で、それが続いていけば。
定型的な良い大人、良い夫婦、良い親、良い夫。こんなものはゴミ箱に捨てよう。
やはり、人と会うのは楽しい。それが何を連れてくるであれ。
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ひとこと日記📓 2024.09
9.1-引越し。荷物でいっぱいになった車で元彼を駅で拾って新居へ。運び終わってから、お互いの気持ちの話をした。今日が最後、今日が最後を繰り返してまた一緒になりたい。
9.2- 1人で部屋の片付けをする。大方片付いたら、もう何ヶ月もここに住んでいるような感覚になった。いい仕事にすぐ就けそうにないので、またその場凌ぎで派遣を始めようか悩む。web面談をしたら、自分の顔があまりにも暗くて今日にも自殺しそうなやつに見えて悲しかった。
9.3- 何もしたくない。さみしい。
9.4- 「YOU 君がすべて」S3を観ている。ラブが抱える悩みが自分と被る。ジョーが元彼と少し似ているから余計に… / まだ部屋に冷蔵庫がない。冷蔵庫を持たない暮らしについて考えてみる。わたしはよく食材を腐らせて捨てていたから、ないほうがいいけど難しいね。
9.5- 事務の派遣が決まりそう。時給制だけど、貯金も少しできるくらいは稼げるから、1日でも早く働き始めたいけど… 本当は在宅でデザインの仕事がしたい。応募はしてるけど、すぐに決まるかわからないから、派遣の仕事を始めるべきか、でも長期雇用予定の求人だから中途半端に働き始めたら担当にも企業にも迷惑だよな/ 元彼からの質問に長文で答えたら既読無視されててつらいけど信じて待つ。→待てない。
9.6- やっと新居にwifiが通った。3時間かけての大掛かりな工事だった。みんなそれぞれ、自分にできる仕事をして世の中が回っている。
9.7- 23時過ぎ、元彼からメッセージ。今夜君の家に泊まっていいか?と。わたしのアパートの近くの駅でのんでたらしい。バーに合流して遅くまで彼の友人たち(外国人の旦那と日本人の妻2組)と過ごした。彼は酔っていたけど、わたしの魅力を友人たちに熱弁し始めたり激しめのスキンシップをとってきたり、やっぱりまだわたしのこと大好きなんだなってわかって安心した。
9.8- 午前3時に帰宅してシャワーでセックス。急遽、彼のバンドメンバーと一緒に川に行くことになった。
起床。まだ魔法は解けてなかった。けど、バンドメンバーのひとりがわたしと一緒に川に来るのはおかしいってメッセージで言い始めてからおかしくなった。人が変わったように、やっぱり一緒になるべきじゃないと言って川に行ってしまった。精神病かな? そのバンドメンバーまじで国に帰ってクレメンス
9.9- 電話したらもう会うべきじゃないって言われちゃった。じゃあなんで土曜日泊まりにきたのかな?しにた。でも戻ってきてくれるって信じてる。
9.10- 初回のカウンセリング。大事なことちゃんと伝えられたと思う。次回からは心理士を目指す大学院生が担当することになる。どんな先生が担当になるか少し緊張する。
9.11- ちょっと鬱目。いい感じのイタリア人とマッチするも多分詐欺垢っぽい。代わりなんていないのに何してるんだろう。
9.12- 昨日は9.11だったことに気づく。最近Deep stateに興味があり、陰謀論の動画を見たりしている。世の中は一部の人間に操られているのかな。もしそうであったとしても、わたしの人生に直接的には関係のないことだけど。
9.13- 出鱈目な生活を送っている。自己肯定感も上げればいいってものではなくて、変な上げ方をすると拗れる。
9.14-9.15 ここ数日、夢の感覚がリアル過ぎる。地面師を観ていたら、朝になっていた。そしてようやく眠って目が覚めたら夕方になっていた。元彼から、わたしが1番好きなポケモンをリモートで送ろうか?とメッセージが来たが、「会えないのなら今は要りません、ありがとう。」と答えた。どんなつもりでメッセージを送ってきてるんだろう。頭の中を解剖してやりたい。
9.16- ボーリング同好会の集まりに参加。今まで70前後だったのに、いろんなアドバイスのおかげで100超えた。久しぶりの達成感。グループチャットから個人でLINE追加してくる男たちがだるい。なんでわからないんだろう…?
9.17- 今日から新しい仕事が始まった。午後からずっと頭が痛い。逃げて逃げて逃げ続けてきたツケが回ってきたとつくづく思う。もう諦めて死んだほうが楽だと思う。思うだけ。/ 昨日、ペットの誕生日だったのにうっかり忘れていた。最低。わたしはつくづく冷たい人間だ。
9.18- 仕事2日目
9.19- 仕事終わりにアプリの人と会う。あんまり会いたくなかったけど、スタバを奢ってあげるし30分だけでもいいからお願いと言われて会った。結局3時間くらい一緒にいた。寝てない。
9.20- 金曜日。つかれた。しばらくメッセージしてる外国人と電話したけど、違った。
9.21- 夕方までだらだら過ごす。暗くなってからオーダーしたシャツを取りに行く。かわいい、わたしが着たら絶対にかわいいと思った。/「この世界で生きていくために、手を組みませんか」というプロポーズ
9.22-トークサバイバーを観る。笑うと楽しいね。今日何したか覚えてない。3連休じゃなかったら死んでた。/就寝前に元彼から電話。
9.23- am2 元彼の家に到着。引っ越してからさらに遠くなり1時間近くかかるようになってしまった。朝まで眠れず。2人の関係を��就させるために、わたしが変わる。/ ヘアカットに行く。私史上1番気持ちよいシャンプーだった。
9.24- 元彼から風邪をもらった。体がとてもだるいけど、この仕事は身体に負荷がかからないし、人と話すことも少ないからなんとかなる。次のデートはコスモス畑。わたしと彼が2年前の秋に初めてデートした場所。
9.25- 以前、大学附属の心理センターで初回のカウンセリングを受けたのだが、審議の結果、わたしの症例は当センターでは対応継続できないとのことだった。そんなことあるんだね、いっぱい自分のこと話したのに無駄になった。/ 仕事おわりにweb制作会社の面接へ。すぐに転職したいわけじゃないけど、選択肢をつくっておきたくて。今の仕事のお給料に特段不満はないけど、派遣から正社員になったらいくらもらえるのか早めに確認しなきゃな。
9.26- 手術なしで視力を回復できるオルソケラトロジーというものを知る。15万ほどするが、レーシックやICLに比べて低リスクで安いから、生活が安定したらやりたい。/仕事おわりに、からやまのテイクアウト。期間限定のマグロ天定食を注文。働いて好きなもの食べて好きなだけゆっくりお風呂に浸かって眠くなったら静かに寝る。ほどほどに自由。
9.27-あたらしい仕事で2週間が経った。今朝、職場のグループで村八分に遭い、役職者からクビを言い渡される夢を見て、目覚めたらいつも家を出る時間の5分前だった。夢でよかった、今仕事がなくなったら働く気力が尽きてしまう。/ 最近、日本の映画をよく観ている。日本人にしか出せないものってある。もちろん、アメリカ人にしか出せないものも、インド人にしか出せないものもある。人種についてもっと深く考えたいけど、知見がないから難しい。/ 新しい総理が誕生した。お誕生日おめでとう。
9.28- マックポテトの品質に一喜一憂するのやめたいから買うのをやめるべき。/ 弟とヤドカリを買いに行く。198円の命。/ 新居に観葉植物を迎えた。
9.29- 容姿が醜い人といっしょに出かけると、自分の価値が下がったように思える感覚ってふつうじゃないのかな。
9.30- 今日から英単語1日10個覚える。一年で3650個。/ 9月終わった。じめじめ生きてる感じがしてダサい月だった。
完
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
♦
『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
♦
「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路���,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
♦
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫���其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高���演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められず���疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの���々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活��成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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2024/05/09
ゴールデンウィークも無事に終わった。
数年断絶していた(されていた)友人と久々に会った。今の私だから楽しく過ごせるんだろうなと思う。断絶前の私は今思えば普通に狂っていた。自分のことすら、何もかもどうでもよかったし。でもどうにか生き延びたくて、溺れているのか沈んでいるのか進んでいるのか戻っているのか、何もわからないままどうにかこうにかジタバタしていたな。
過去の自分を愚かしくかつ愛おしく思えることって成長だよねー、なんだかんだで少しずつ健康になれているわ。と思っていたら、気圧のせい?気候が躁鬱なせい?わからないけど、何が不快なのかも掴めないまま、とんでもなく不快な気持ちになって、心と自我とが点でバラバラで、絶望して布団にくるまってシクシク泣いていたら朝だった。頭痛。もうなんかみんな死んだらいいじゃんと思える。昨日31のスペシャルポップみたいなのにウキウキしていた私はいずこ。
あんまりSNS(特に短文で大量に流れているようなタイプの)ばかり眺めいてると、膨大な量の思考・感情なんかが流れ込んできて、自我がわかるなくなる。ただでさえ自他境界が曖昧で侵食されやすいから、本来そういうものにはあまり近づかない方がいいんだよな。でも人間好きだから。今の私は、インターネットやSNSから一時的に距離を置いて、本を読んだり映画を観たりした方が絶対にいい。
友人にヘレディタリーを観せられたものの、吐き気がしてくるほど不快で耐えられず、最悪な家族団欒夕餉のシーンで早々にリタイアした。凄惨な音声を聴きながらベッドに寝転んで目を閉じたら、転がる首がパチパチ浮かんできてとてもじゃないけど眠れなかった。最悪。
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無題
今週の俺は全身一本の中指。毎朝目覚めるとベッドに伸びている。酔い潰れた憂鬱が隣で死戦期呼吸みたいな寝息を立てている。俺はささくれて、深爪で、ふしくれだって、こわばっている。毎日15時間くらい職場にいる! 人気のない横断歩道で、往来する車もなかったから、バカらしいと思って、赤信号無視した。労働基準法も守れない人間が、交通法規を守れるわけがないだろう。法規を放棄。俺は全身一本の中指。立ち竦んで、また歩き出す。なんかちょっとずっと怒っている。
*
劇場の座席の隅みたいなところにうずくまっていた猫を見つけて、抱き上げる夢を見た。膝に乗せてやると顔を寄せてきて、伸び切った爪が俺の腿に引っかかって痛い。前足を持ち上げてやるとそれは人間の手で、皮膚炎みたいに瘡蓋だらけで血が滲み、硬くなった皮膚がめくれてざらざらしていた。目が覚めた時はまだ夜中で、寝室全体が薄紫色だった。不眠の気配がして、このまま朝まで眠れなくなる気がした。でも、すぐ眠れた。
*
シャーペンをノックしようとして、誤ってさかさまにペン先を親指の腹でぐっと押してしまった。小さい悲鳴をあげて、見ると指紋の渦の真ん中あたりに黒い点が穿たれて、赤い血が滲んできた。電気的な痛みが走った後、じわじわ熱を帯びてきた。痛みは電気信号であり、電気は熱エネルギーなのだと思った。映画のスタンドバイミーで、キーファー・サザーランドら町の不良が、ガラスの破片にインクをつけて上���にタトゥーを彫っていたシーンを思い出した。
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鬱病を検知
例年の現象なので分かる。鬱病の症状が発現している。3月末~4月は特に多いが、今年は冬が長引いたので少し遅めにやって来たのかも知れない。以下は確認済みの症状となる。
・異常な体の重さ。 ・何をやっても楽しくない。 ・元々無口だが、さらに輪を掛けて簡単な言葉すら出ない。 ・睡眠の不安定化。 ・全体的に楽しみと喜びの感度が5分の1になり、悲しみと怒りの感度が5倍になる。 ・外界との関係性を弱め、引き籠もる傾向が強まる。 ・強い光、音、匂いがとても苦痛に感じる。 ・無気力感がとても強まる。 ・生活リズムが昼夜逆転する。
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寝る前に1時間の切タイマーをつけたクーラーが切れている。部屋が蒸し暑くなってきた。眠れない。起き上がってまたクーラーをつけるのもめんどくさくて、隣で寝ている恋人を起こさないよう背を向け、携帯を弄る。画面照度を最低にしても、ぼぉっと青白い光が部屋に浮かぶ。起こしてしまわないか心配したが大丈夫だった。
背後から一定のリズムで寝息が聞こえる。胸に顔を寄せて息を吸ってみてもなんの匂いもしない。付き合い始めて春から夏へ初めて季節を跨いだ。週に2.3度、うちで寝泊まりするようになって、部屋には服や下着やヘアワックスなど彼のものが増えた。うちから出社して、帰ってくるような連泊も増えた。洗濯もうちでして、シャンプーも同じものを使っているから、わたしと同じ匂いになってしまうのも当たり前だ。なんだか寂しくなって、半袖から伸びる腕に唇をつけると少しひんやりとしていた。
寝返りを打った拍子で、わたしの腰に彼の手が置かれる。どきりとしたけれど、本当にただの寝返りだったようだ。胸の内から爛々として上気するような触れ合い方がめっきり無くなった。仕事に行く前に軽くキスをして、外ではどちらともなく手を繋いで、一緒にシャワーを浴びて、ソファで横に座りながらピクミンをして、夜遅くなければさらっと肌を合わせる。好きでなくなったという訳ではないだろう。ただ、欲しくて欲しくて堪らないといった感じではないのだ。明日仕事なのに寝不足だよ、と深夜まで裸で抱き合ってた頃が既に過去だ。女性として見られることで、愛を測る節がわたしにはよくある。可愛いって思わなくなったのかなと仄かに不安が過ぎる。
今までの元恋人たちと違って、今の恋人は恋愛に対してクールだなとずっと思っている。好き好きされていたかったが、それもそれで鬱陶しくなってしまうこともあるだろう。このくらい朗らかに好き合うくらいがちょうど良いのかもしれない。少しずつ慣れて行く。
「***ちゃん、7時20分だよ」と彼の声で起こされる。今日は夜勤なのと返してまた眠りにつく。結局4時過ぎまで起きていた。開かない瞼の隙間から彼がポロシャツに袖を通すのを見る。シュッシュと音がして、すかさずこっちにも振るってと声をかける。3プッシュほど彼の香水をベッドにかけてもらう。付き合った当初もこんなことをしていたなと思う。この香水の名前はジャズクラブだ。練習の時間が取れないから次のライブでサックスを辞めるとこの前言われた。彼の一番の趣味だからこそ、中途半端な出来でステージ立つと自己嫌悪してしまうらしい。ジャズが好きなのは変わらないけどねと笑っていた。彼がジャズからプレイヤーとして身を引いても、引け目なくその後の人生を許容できる未来でありますように。その香水はずっと変わらず彼の匂いでありますように。人との関係なんてくっついたり離れたりの連続で、移ろいやすいことはわかっているけれど、なんとなくその未来にわたしもいられたらいいなと思う。
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胃のあたりが、そわそわしている。胃というよりは、胃と食道の間らへん。みぞおちのような気もする。
どうしても文章が書きたくなったので書いている。何かを書いていないと落ち着かない。そういう発作がたまにある。今日はそういう日だ。夕方に別の場所で乱文を書き散らしたし、個人的につけている日記だって書いたのに、それでも飽き足らずTumblrまで開いている。だが今日はいつもの発作とはすこし系統が違う。感情を出したい、のではなく、とにかく何かを書いていたい。落ち着かない。なので適当に色々書いてみる。
最近鎖国気味である。
他人と話したくない気持ちが爆発して、誰もわたしに話しかけ��な! みたいなオーラを出してしまう自分のことを鎖国状態と勝手に呼んでいる。
鎖国の起源は塾講師バイトをしていたときであった。信頼のおける先輩の先生たち(学生バイト)が全員卒業し、学生バイトではわたしが一番歴が長くなった(お局のようなかんじだったのかもしれない)。どちらかといえば器用なタイプだったので誰とも助け合わず、全部自分一人で仕事を完結させていた。そのとき、鎖国していた。
後輩から挨拶をされたらもちろんそれには返していたが、世間話なんか一切せず、指導終了後2分後には教室を出て帰宅していた。基本的に、指導のコマは連続するようにシフトが組まれるが、完全マンツーマンの個別指導塾だったので、たまにどうしても調整がきかなくて、1コマ時間が空いたりする。ふつうならそういう時間で他の先生と話したりするのだろうが、わたしは尖りまくっていたので、生徒が使う自習ブースを1区画借りて、ふつうに院試の勉強をしていた(おかげさまで今があります)。
ていうか、当時、他の先生のことがうっすら嫌いだった。とくに、ひとつ歳下のT先生。わたしはアイツを目の敵にしていた。アイツは教職課程をとっており、生徒に対してブイブイ言う系の先生だった。宿題をやらないのはなんで?? と生徒を詰めるタイプの先生であった。だがソイツは、大学の授業を落としまくってる系だった。そして彼は、わたしが卒塾するのと同じタイミング(つまり彼からしたら、大学3年の終わり頃)に退職した。理由は、「教職課程の取得があやしくなるくらい単位がやばいから」である。この時点で無理だった。生徒にガミガミ言っておきながら自分が本業を疎かにしてんのマジでキモすぎる。わたしはさ、院試に命かけて、しぬほど勉強と研究して首席になって、それでも生きるためにバイトして、飲食と掛け持ちしながら4年間勤め上げて、辞めたくても辞められなくて、教え子を医学部とか高専に送り出しても絶対に驕らないようにって自分を律して、叱るべきところと引くところのバランスを見て、どうしたらストレスなく塾に通って、無理のない範囲で勉強できるか考えて、そんなふうに、そんなふうにやってるのにお前はやることもやらずに生徒に怒鳴りつけてそして指導途中の生徒投げ出して辞めるんですね??ってなってまあ途端に無理になった。(ごめん、たかがバイトなので別にそんなに責任はないはずなんですけど) まあ、そういう人が多かった。やる気ないならずっとやる気ないままの方がいいって。熱血な先生装いながら自分の学業がおざなりなのが一番キモいねん。マジで。
すごく話が逸れた。まあ、そう言う感じで当時、鎖国をしていたって���です。
大学のゼミでも鎖国をしていた。大学のゼミには大体10人くらいが所属していた。ゼミは2年から4年まで基本的に持ち上がりだった。最初のうちはみんなと話せていたけれど、そのうちわたしは一人の友人としか話せなくなり、そのうち他の人たち(とくに女子たち)とはほとんど話さないまま卒業した。これも鎖国だった。絶妙な関係性の彼女たちに、自分から世間話を振ることができなかった。相手はきっと自分に敵意はないはずなのに、なぜだか怖かった。
その鎖国の波は今まさに第n波として到来中である。塾講バイトや大学のゼミで鎖国していたわたしは、さいきん、大学院の研究室でも鎖国しはじめている。数日後に卒論・修論発表会があるのだが、それが終わると研究室で追いコンが開催される。クソしょうもない飲み会ね。なんか、ずっと行くか行かないか迷って、それでもやっぱり行きたくなくて、意を決して欠席ボタンを押した。
わたし流・鎖国の悪いところ。ほんのすこしだけ、それが寂しいと思っているふしがある、ということ。
自分で離れたくて離れてるの。だけど、社会とのコミットメントが失われるのがこわい。研究室のコミュニティの居心地があまりよくないから離れようとしてるのに、それでもほんのすこしだけ、その中に混ざりたい自分もいる。はあ〜〜なんなんでしょうね?
これ、たぶん少し前の投稿でも話したけれど、わたし、理由がないとそこに居られないの。授業があるから、とか、面談があるから、という理由があれば大学に行けるけど、なんの意味もなく研究室に行って、共有スペースでそこにいる人とダラダラ喋る、みたいなのができない。つねに、「わたしってここに居ていいのかな?」みたいなことを考えてしまう。そういう体験が一つでもあるとそのコミュニティの居心地が悪くなる。だからわたしは研究室に行けない。
鎖国の波はSNSにも到来中である。
最近、SNSで他人と絡むのがこわい。自分の存在がうざくないだろうか、と考えてしまう。まあ、ここは大丈夫なんだけど、特に表の世界(Twitterを表の世界だと思っている節がある)が窮屈に感じてきた。だけどコミットはしていたいから、ひたすらにいいね押しマンになっている。わたしはここにいるよって伝えたいんだと思う。自分から絡めないから、絡むのにすごく勇気と体力がいるから、ツイートにも気を遣うから、とにかくフォロー中の他人のポストのハートマークを赤く染めて、界隈にコミットメントを図ろうとしている。そろそろ限界が来そうな気がしているけれど、わたしはスマホ・SNS依存症なので絶対にTwitterは辞められない。鎖国中だから、新しい作家の方からのフォローも返せない(悪意はないのよ)。交友関係が広がるのが恐ろしいと感じる。FFをこれ以上増やしたくない。これ以上増えたら、一人一人を大事にできなくなる。フォロバしないからか、たまにリムられる(ごめん、わたしはちゃんと気づいてます、気づいてない・気にしてないふりしてるんだよ)。ヒイ、と思い震える。さらに対人恐怖の波が来る。ソトとウチ。すべてを分けて、自分を守ろうとしてる。はあ、よくないですね。
鎖国の波にずっと呑まれていてつらい。一人になりたいのに一人になりたくない。これ、しんどいのが、うつ病とかそういうのじゃないとこなんだよね。もうここ5年とか、そういうレベルで起きてることなの。でもわたしは一応ちゃんと生きてるし、なんなんでしょうね。
わたし、恋人が途切れないタイプだけど、途切れないタイプなんじゃなくて、途切れさせると死ぬから途切れさせていないのかもしれない。指折り数えたらここ7年くらい、恋人がいなかった期間は多分6日とかだと思う(短すぎる理由はお察しの通りです)。恋愛依存とかじゃなくて、たぶん死ぬんだよな。恋人がいなくなったら、わたしはそれこそ、ほんとうの意味で他人と関われなくなる。唯一の生命線なの。そこが切れたらわたしは対人恐怖が悪化して引きこもりになる(もうすでに引きこもり気味ですが)。
鎖国の話はここまで。
さて、文章を書きたい欲求は留まるところをしらないのでこのまま書き続けます。今日、ほんとに調子がおかしい。もしかしたら泣きたい気持ちを文章を産出したい欲に置き換えているのかもしれないなとも思う。でもなぜ泣きたいのかはわからない。
そういえば最近、泣いていない。いや、この間ほんとうにほんとうにほんとうに大好きな作家さんのweb小説を読んだとき文章がうますぎて綺麗すぎてちょっとだけ泣いたけど、そういうのじゃなくて、ふつうに泣くやつ。悲しくて泣くやつ。
泣くのって、ストレス発散なんだよね。中学〜大学のときはよく、悲しいときはきちんと泣いてスッキリして眠るみたいことをよくやっていた。ていうか一昨年(2023年?)はわりと生活が変わって全てに追い込まれていたからわりとシクシクやってたんだけど、ここ一年くらいはいい意味で情緒が安定していたのであまり泣いていなかったような気がする。だけどその波が久しぶりにやってきたのかもしれない? でも別に泣きたいくらい悲しいことって今べつにないんだよな。あーマジで何言ってるんだろう。
これここまで読んでる人っているんですか?
うちがわから湧き出てくる感情って負の感情ばっかだな。わたしだけ?
自分のTumblr読むと暗い話ばっかでびっくりするんだけどみんなはポジティブな感情とネガティブな感情って同じくらいの割合で存在しているんですかね? 割合を教えてください、わたしは8割ネガ1.5割ニュートラル0.5ポジです。
誰だっけ、太宰治だっけ、知らんけど、誰かが、不幸というものはモワモワした質量の軽い雲みたいな真綿みたいなもので、幸福は質量の高い一粒の金属塊?砂金?みたいなこと言ってませんでしたっけ? わたしそれがすごく共感できるんだよね、苦しいことってぜんぶを覆い隠すの、だけど質量は幸せも同じくらいあるのよ。でも密度が違うの。密度が違うから、不幸がおっきくもわもわして体積がデカいんだよ。ごめんちゃんとした言葉は覚えてないけれど調べるのダルいので誰か調べといてください。でも誰か言ってたはず。
わたしが病んだところでサブカル鬱病クネクネ界隈(笑)と揶揄されるカテゴリーにしか属せないからふつうに死にたいです。だけど死ぬのはこわいので死にません。てか死ぬのってこわすぎるだろ、ふつうに。
ていうか自分が死にたい時期と、自分以外の全員が死ねよって時期と、誰も死ぬなって時期が一生交互にやってくるんだよねって感じだけど、今日Twitterを見ていたら同じことをツイートしている人がいて自分の思考は結局ちゃんと若者のステレオタイプでやっぱりちゃんと死にたいなと思いました。だけどやっぱり死ぬのはこわいです。以下略。
希死念慮をかかえられるほど世界に絶望しきってるわけじゃないけれど、確実に生きづらくはあるんですよ。わたしはインセルの亜種なので、健常と異常の間にある細くて長い道をそろりそろり渡っているだけ。
家庭環境だってそう。きょうだい児で我慢することは幼少期から多かったし何かを諦めることも割と得意だけど、親ガチャは経済力がFランクであるところ以外はスーパーレア星星星って感じなので教育にも理解があって大学院まで通えているけど、だけどそれでも苦労はしてきたし親はクソほど借金あるし自分の奨学金だって死ぬほどあるし、親が死んだらきょうだい2人を施設に入れてなんやかんやしなければならないのは自分だから、ふつうにあたたかい家庭で育ってきた他人に対してはなんか話合わないな違うなって思ってしまうし、だからといってゴリゴリの毒親育ちってわけじゃないからそっちに共感を示せるわけじゃない、結局その間にある細い道をひたひたと渡ってるだけだからなにかと無理だなと感じてしまう。
うちの親みたいに、ふつうの人だったら潰れてしまいそうな高ストレス状況下でふつうに生きていられるのってある意味才能で、ていうか普通に内因が強いので多分うちの家系は精神疾患にはならないんですよ。そしてその遺伝子はきっちり減数分裂を経てわたしにも受け継がれているわけで。だからわたしは風呂キャンセル界隈を極めていてもべつに全然うつ病じゃなくてただ単にお風呂が嫌いすぎる不潔な人だし、引きこもっていても別にまあ希死念慮もないんですよ。それこそ鎖国をしたって死なずにここまで社会の中でなんとか生き延びてきたわけだし、不眠症なのにそんなに病まないし。むしろずっと恋人つくってちゃっかりストレスコーピングしちゃってんの。なんなの。生き方へたなくせに精神病まないし無駄に生命力強いから生きちゃってんのかって。マジで自分キモイよ。
そろそろみぞおち付近のそわそわ感がなくなってきたのでおわりにします。(ここまで読んでくれた人、もしいたらマジでありがとね、ラブ)
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はじめに 本記事の内容は数年前の状況で、現在は修繕されている可能性があります。 また、入社希望者を止めたり、Cygamesの各ゲームタイトルへのイメージを下げる目的はございません。 Cygamesは企業イメージを落とさないよう社員による内部情報の漏洩やSNS投稿等にかなり厳しく網を張っています。 特定されたらどうなるのかが怖くて、離職から数年間は何もせずただCygamesのCMを目にする度に軽いPTSDを発症していました。 現在、労働中に患った軽度な精神疾患が元となり精神障害へと発展した為、本記事を書こうと決めました。 最初の部署でのセクハラ行為 私は開発エンジニアとして所属しました。 まず初めに所属した部署で、上長からセクハラ行為を受けました。 懇親会で使うお店の下見をしたいと言って2人きりで飲食させられました。 →その時私は所属から1週間程度だった為、断ることが出来ませんでした。 その後も飲み会に誘われると何故か2人きりだったり、その場で「つい最近まで私と同じ年頃の女性と不倫していた」という話をされました。 泥酔した上長から「俺、お前の事が可愛くて堪らないんだよ」と言われました。 年末年始休暇中にプライベートな内容のLINEを送られました。 →部署内のLINEグループがあるとのことで所属して直ぐにLINEを登録していました。 飲み会の翌日朝、私の個人LINEに「昨日は楽しかったね。飲みすぎちゃったから、今日はサボっちゃうね」と送られ、その後送信取消をされました。 色々な飲み会に誘われ、中には下ネタばかり話している会もありました。 これらを人事に相談したところ、私が別の部署へ異動となりました。 他部署のマネージャーからのセクハラとパワハラ行為 開発スケジュールの相談をしに行った際、「私の部署の上長と話がついてるから」と言い、取り合ってくれませんでした。 私の呼び掛けを無視し、会議で私がまるで居ないように会話していました。 高圧的な態度を何度も取られ、私が耐えきれずその場で泣いてしまうこともありました。 懇親会の後、空がまだ明るかったので、「ラブホ行って朝帰りしたみたいだな」と私の方を見ながら発言しました。 これらを人事に相談したところ、この方は降格処分となりました。 →私の他にも複数人から訴えがあったようです。 異動後の部署でのパワハラとモラハラ行為 全体朝礼の場で、PMが、特定の個人が過去に起こした過ちを何度もネタにして馬鹿にしていました。 リリースされた箇所に実装ミスが発覚した際、PMがエンジニアリーダーに対して「原因が分かるまで帰るな」と命令し、リーダーを含め複数人が徹夜をしていました。 翌朝出社した際、まだ原因が解明出来ておらず、疲弊しきったリーダーが謝罪していました。 リリースされた箇所に実装ミスが発覚した際、PMがエンジニアリーダーに対して「誰が実装したんだよ?そいつがこのバグのせいで損失した金を払ってくれるんだろうな?」とエンジニア全員に聞こえるほどの大声で叱責していました。 →私はこの時の怒声を今でも鮮明に覚えており、若干のトラウマとなっています。自身がリリースする際にかなりのストレスを感じていました。 エンジニアリーダーはその後体調不良で遅刻や欠席をされることが多くなりました。 労働時間外の深夜や休日でも、不具合が発生した場合すぐに修正しないといけない為、夜眠ることが怖くなったり、休日も落ち着いて心を休めることが出来ませんでした。 →エンジニアリーダーと食事をした際、リーダーは会話中でもApplewatchに通知が来る度すぐに開いて確認しており、常に緊張状態に��るようでした。 プランナーリーダーと機能実装の相談をする際、私を小馬鹿にしているように鼻で笑ったり、強い口調で常に威圧的な態度を取られました。 →私はこれをきっかけに一過性の鬱状態となり、その方と話した後にトイレで嘔吐したり、一時他人と話すことが出来なくなり、別室で作業をするようになりました。 その後、そのプランナーリーダーと関わらない部分の実装を担当するようになりましたが、鬱状態が治らず、限界がきて離職する運びとなりました。 その他 エンジニアマネージャーは一日中YouTubeで釣り動画を見ていました。 社内部活があり、私はダーツ部に入部したのですが、テキーラを何十杯と煽られ急性アルコール中毒になり入院しました。 最後に 今や他社のゲームも盛り上がっておりあまり目立たなくなりましたが、一時期はウマ娘やゾンビランドサガ、グラブル等の広告や話題が街中・TVCM・SNS等で目にすることが多かった為、その度にフラッシュバックして嫌な気持ちになる事が多かったです。(現在進行形) このせいで佐賀県に個人的な苦手意識が芽生え、大好きなお笑いのキングオブコントでスポンサーとなった時はショックを受けました。 以上がCygamesでの労働体験のうち黒い部分です。 1人でも多くの人が幸せな環境で働けること、またブラックな労働で壊れてしまった心が治りますようお祈りしています。
Cygamesで体験したブラック労働を綴る
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2024.11.26
仕事を休むというか辞めると伝えてから何日経ったのか分からない。ずっとベッドに横たわり、ぺちゃんこの羽毛布団に包まれて過ごしていた。適応障害と抑鬱状態と診断された。そりゃそう、不正出血が1ヶ月近く止まらないし、常に下痢状態、ご飯も食べられないし、夜は眠れなかったのだから。
これが代償なんだ、と思った。
私が傷つけてしまった加害者側で、私が全部悪いん、みんなの信用を失くしてしまった、私が死ぬしか無いと思って過ごしていたら、出勤前に玄関の扉が開けれなくなった。過呼吸になり、泣きながら同居人に仕事行けない、辞めると伝えてくれと懇願した。
そこからずっと横たわっていた。反芻思考は止まらず、お前が悪いだから死ねということばしか浮かんでこなかった。思考がうまく切り替えられないので、統合失調症の薬をもらった。
薬が効いている時は動けるが、日中は切れている状態なので動けない、夜はなんとなく仮睡眠みたいな状態になった。ご飯は1日一食食べれるようになったし、腹痛は治った。不正出血もやっと止まった。
もうしんどい、
だけど、あなたがこれを見つけてくれて、禿げた私でも愛してくれるならもう少し生きていてもいいかなと思う。
見つけられないと思うけど。
あなたと幸せになりたいです。さそなら
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