#eminem 来歴
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apoandbangpo · 1 year ago
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RM EL PAÍS インタビュー翻訳
初のソロアルバムをスペインでプロモーションする韓国人ラッパーが、K-POPの成功の代償、自国の歴史、芸術品の収集について語る。
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PATRICIA GOSÁLVEZ バルセロナ 2023年3月12日
キム・ナムジュン(1994年ソウル)は、数日前にビルバオの街角でファンが彼に気づいたことに、本当に驚いているようだ。「地��の裏側の小さな街なら、気づかれずにすむかもしれないと思いたくなりますよね」とラッパーは言う。彼はRMとして知られているが、それ以上にBTSのリーダーとして知られている。この男性K-POPバンドは10年間、熱狂の中でビルバオを含む世界の音楽業界のあらゆる記録を塗り替えてきた。
昨年夏、7人のメンバーはソロ活動の展開と韓国での兵役のため、活動休止を発表した。インスタグラムだけで、7200万人にも上る彼らのファンARMYは、2025年に予定されている彼らの再結成を熱望している。RMは、彼自身も同じ気持ちだと断言する。
彼はアルバム、Indigo(12月発売)のプロモーションと、グッゲンハイム美術館、ティッセン美術館、プラド美術館、バルセロナのピカソ財団を訪れるためにスペインにやって来た。「数多くのゴヤを観ましたし、エル・グレコにも目を奪われましたが、やっぱりラス・メニーナスが好きです」と彼は言う。アマチュア・コレクターである彼のアルバムの1曲目は、抽象画家ユン・ヒョングンに因んで『Yun』と名付けられている。「アジアのロスコと称されています。でも、僕が関心を抱いているのは彼の人生です。彼は日本の侵略や戦争に苦しみ、政府から拷問を受けましたが、決して屈しませんでした。 彼の作品から、怒り、悲しみ、葛藤、美しさなどを感じます」
Q. この曲は、”Fuck the trendsetter / I’ma turn back the time Back the time, far to when I was nine / I think I was more of a human. “という歌詞から始まります。K- POPで劇的な成功を収めることは、アーティストを非人間的にしてしまうのでしょうか?
A. K-POPは、非常に若いうちからグループの一員としてキャリアをスタートさせます。個人としている時間はあまりありません。しかし、それがK-POPを輝かせるんです。とても若い人たちが、同時に必死で頑張る。20代の時にしかないエネルギーを発揮して。振り付け、映像、音楽を完璧にするために昼夜を問わず闘う、その結果ビッグバンのような爆発が起こるんです。20歳から30歳まで、BTSにすべてのエネルギーと時間を注ぎ込みました。成功、愛、影響力、権力を手に入れて、その先にあるのは何か?すべての根底にあるのは、未だに音楽です。質問は何でしたっけ?
Q. このシステムは非人間的なのでしょうか?
A. うちの会社はこの質問に対する僕の受け答えを好まないんです。なぜなら、僕はそれを一部認めていて、そうするとジャーナリストは口を揃えて「酷いシステムだ、若者を破壊している!」と言うからです。でも、それがこの特殊な業界を作り上げている一因でもあるんです。契約、賃金、教育の面で状況はずいぶん改善されました。今では、先生や心理学者もいます。
Q. 韓国のレコード会社はアーティストを何年もかけて育成します。あなたは2013年にBTSとしてデビューする前、16歳から19歳まで仲間と一緒に生活していましたね。ご両親は何とおっしゃっていましたか?
A. 母は「学校に戻って、せっかく優秀だったんだから大学に行って音楽は趣味にしなさい!」と2年間言い続けました。でも、後戻りできませんでした。
Q. 練習生時代の最大の学びは何ですか?
A. ダンスです。全くできませんでしたから。
Q. 練習生になって失ったものは何ですか?
A. 大学生活です。
Q. K-POPにおける若さへの、完璧さへの、過剰なトレーニングへの崇拝…。これらは韓国の文化的特徴なのでしょうか?
A. 西洋の人たちには理解できないんです。韓国は侵略され、破壊され、2つに引き裂かれた国です。ほんの70年前までは何もなかった。IMFや国連から援助を受けていたんです。ところが今、全世界が韓国に注目しています。どうしてそんなことが可能なのか、どうしてそんなことが起こったのか?なぜなら、人々が自分達を向上させるために、クソみたいに一生懸命働いているからです。フランスやイギリスといった、何世紀にもわたって他国を植民地にしてきた国にいて「ああ、まったく、自分たちにそんなにプレッシャーかけて、韓国の暮らしって本当にストレス溜まるね!」と僕に言う。いや、その通りです。そうやって物事を成し遂げるんですよ。そして、それがK-POPの魅力のひとつでもある。もちろん、影はあります。あまりに急速に、急激に起こることには、必ず副作用がありますから。
Q. K-POPに対する最大の偏見は何ですか?
A. 作り物だと思われてることです。
Q. もし、違うルートや他の国で育っていたら、あなたのキャリアはどうなっていたでしょうか?
A. マルチバースについてよく考えますが、ドクター・ストレンジの教訓はいつも同じです。自分のバージョンの宇宙がベストで他のことは考えるな、ということです。BTSのメンバーでいること以上に良いことなんてないんですから。
Q. このバージョンを想像していましたか?
A. 全くしてな��ったです。僕の夢はK-POPアイドルになることではありませんでした。ラッパーになりたかったですし、その前は詩人になりたいと思っていました。
Q. あなたが影響を受けたアーティストには、NasやEminemなどのラッパー、RadioheadやPortisheadなどのグループがいますが、ボーイバンドには一切言及していませんね。
A. The Beatlesもボーイバンドと呼ばれていましたが…。僕らと比較しているわけではなく、彼らはあらゆるものの創造者ですから。でも、あなたがおっしゃっているのはNSYNCやNew Kids on the Blockのことですよね。大ファンというわけではなかったですけどポップミュージックは好きでしたよ。ただ、僕が夢中になったのはリズムと詩で構成されるラップでした。
Q. 憧れの人に嫉妬するそうですね。その例を教えてください。
A. ケンドリック・ラマーはずっとそうです。そしてファレル・ウィリアムス。彼は生きた歴史です。僕もいつかそうなりたいですね。だから絵は描かないんです。ピカソやモネに嫉妬するのは行き過ぎですから。
Q. コレクションをされていますが、どのように作品を選ばれているのですか?
A. コレクションし始めてまだ4年ですが、変化しています。フォーカスしているのは20世紀の韓国美術です。でも、僕はゲティでもロックフェラーでもないので。
Q. 投資するためにやっているわけではないのですね。
A. そうでないことは断言します。もし投資目的なら、黒人アーティストや女性、インドネシアの新進アーティストの作品を買います。目標は、10年位以内に小さな展示場を開くことです。ソウルには韓国の伝統を尊重しながらも若いテイストが感じられる場所が必要だと思うので、そこにロニ・ホーンやアントニー・ゴームリー、モランディといったアーティストの作品も展示したいですね。
Q. 以前からコレクターになりたいと思っていたのですか?
A. おもちゃや村上隆のフィギュアを集め、次に古着、そして家具。シャルロット・ペリアンやピエール・ジャンヌレ(ともにル・コルビュジエとコラボレーションした人物)も好きですが、一番好きなのはジョージ・ナカシマです。
Q. アルバムには全く異なるジャンルの曲が収録されていますね。一部の評論家は「一貫性がない」と言い、他の評論家は「多様性がある」と言いますが。
A. 数十年後には「ジャンル」という言葉がなくなると思うんです。R&B、ハイパーポップ、ジャージー・クラブ、UKドリル、シカゴ・ドリル、K-POP、それらに意味はないんです。音楽って人をある特定の気分にさせる周波数の集積なんです。
Q. 「K-」というレッテルにうんざりしていますか?
A. Spotifyが僕らを一緒くたにK-POPと呼ぶことにうんざりすることもあるでしょうが、それはそれで成立しています。プレミアムレーベルなんです。僕たちの祖父母が闘って手に入れた高品質の証です。
Q. ���ルバムにはアンダーソン・パークやYoujeen、そしてあのエリカ・バドゥが参加していますが、どのように彼女を説得したのですか?
A. 彼女の娘さんが僕らのファンなのでBTSをご存知でしたが、それだけでは不十分でした。説得する必要があったんです。Yunのストーリーをメールで送り、なぜ彼女の「聡明な女王の声」が必要なのかを説明しました。
Q. 文章の途中で英語と韓国語が交錯することがありますが、どう判断しているんですか?
A. 言葉は言語によって質感が異なります。同じメッセージでも筆のタッチが異なるんです。僕にとっては自然なことなんです。僕は楽器を演奏しません。楽器である自分の声で作曲してメロディーを作り、ほとんどの曲は言葉から始まります。
Q. あなたは、いくつかのアイデンティティを経てきていますね。10代のラッパーとしてはRunch Randa、BTSではRap Monster、そしてRM(Real Meの略) 本名にしようと思ったことはありますか?
A. (笑)人には必ず過去があり、韓国で言うところの黒歴史があります。Runch Randaはロールプレイングゲームでの僕のニックネームで、それから、そう「ラップモンスター」になりたいと思い、その後大人になり…。自分の名前がなるべく人に知られないようにしたいです。僕はジョン・レノンでもポール・マッカートニーでもない、静かにホテルにチェックインできるし、それがいいんです。
Q. 服装もずいぶん変わりましたね。
A. XXLのTシャツやベースボールキャップの時代もありました。その後、高級ブランドに手を出して…。Rap Monsterと同じように、黒と白しか着なくなりました(呆れた表情で肩をすくめながら)今は時代を感じさせないものが好きです。トレンドには興味がなくて、ヴィンテージのジーンズやコットンのTシャツ、ナチュラルなもので「Hey, 僕はここにいるよ!」と主張し��いようなものを求めています。
Q. ボッテガ・ヴェネタとのコラボレーションが噂されていますが、ミラノでのファッションショーに招待されたばかりですね。
A. ぜひそうしたいですね。ブランドやファッション・ウィーク、PANTONEの絶え間ない変化には興味がなくなってしまいましたが、ボッテガは違います。ロゴを使わず、生地やレザーの歴史があり、インスタグラムもやっていない、流行を超越した存在なんです。
Q. 大勢のファンを引き連れるのはどのくらい大変ですか?
A. 誰にも気づかれずに歩くことはできないし、自分に課される規範は重たいものです。でも、「ああ、ただ普通になりたいだけなのに!」みたいな情けないことを言わずに、大人になって対処しなければならない。名声を石ころだと思いたいのなら、それ��ただの石ころ。でも、僕が求めていたものをもたらしてくれたんです。影響力と経済���自由をできるだけ早く手に入れ、チャートを気にすることなく、自分の好きな音楽を作ることができる。100%その領域に到達しているわけではありませんが、外側のノイズではなく、内側のノイズに集中するようにしています。
Q. 30代にどう立ち向かっていきますか?
A. これほど混乱した時期は経験したことがありません。10年間、BTSのリーダーを務めてきましたが、とても安定していて楽しく、常に上へ上へと向かっていました。2023年は仕事上でも個人的にも、お話しできませんが、いろいろなことが変わりました。30歳を目前にして、20歳のときよりも自分のことが好きになりました。これから1年半、韓国人男性の人生において非常に重要な兵役生活を送ることになります。その後、僕はきっと違う人間になっているはずです。願わくば、より良い、より賢い人間に。
*原文のスペイン語から英語にBTS Charts Spainさんが翻訳されたものを日本語に訳しました。
【追記】 以下、インタビューをされた記者のPatricia Gosálvezさんのツイート。
非常に礼儀正しく興味深くプロフェッショナルなインタビューでした。RMは明晰で率直でリラックスした "Bring it on(かかってこい)" という態度でスマートな答えをしてくれたため、楽しめました。大人の質問は敬意の表れであり、彼はそれに見事に応えてくれました。
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インタビューの経緯 以前にK-POP関連の記事の取材をソウルで行った際に、Hybeに連絡したが取材には至らなかった。数カ月後、スペインに来たときにHybeから連絡があった。
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また、別のツイートで、インタビューは英語で行われたと言及されていました。
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lyrasky · 5 years ago
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和訳【Eminem /Love The Way You Lie ft. Rihanna】
和訳【Eminem /Love The Way You Lie ft. Rihanna】MV付き LyraのBlogへ #eminem #lovethewayyoulie #rihanna #recovery #slimshady #mm #bonnyandclyde #lovethewayyoulie2 #chrisbrown #エミネム #リアーナ #myfavorite #vocalist #lovers #relationship #loveandhate #dv #kindness #loud
「好きなヴォーカリストを10人あげよ」と言うのがあるが、この質問が1番困るかも。
好きなギタリストや、ベーシスト、ドラマーなら直ぐにあげられる。
ただヴォーカリストとなると滅茶苦茶、迷い倒す。
自分がヴォーカルをやっていたからと言うのもあるが、声ってPrimitiveでしょ?
野生なんだよ。
生に密��しているからその時の気分で変わる。
性にも密着してるしね。
声低いと惚れる体質なんだわ。
(more…)
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amebreak-bootleg-archive · 2 years ago
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2012/07/17 HAIIRO DE ROSSI a.k.a Rossi-N-Dee”BLUE MOON” Interview
「『BLUE MOON』とは月に2回満月があるときの、2回目の満月のことで、『めったに見れない』などの意味もあります。とっておきの夜に聴いてほしい、忘れられない夜のお供になればいいと思って作りました」
 HAIIRO DE ROSSIのニュー・アルバム「BLUE MOON」。僭越ながら作品のライナーを書かせて頂いたのだが、その際にまずHAIIROから送られてきたのが、この文言だった。
「生活にフィットする曲を作れるラッパーは音楽家だ。    生活を彩る曲を作れるラッパーは芸術家だ。    それは、ノートのない貧困層の路地裏で放たれた一瞬の閃きであったり、または何日、何年と練り込まれた言葉だったりする。    瞬間的な物、長く時間をかけられたもの、どちらにも良さがある。    なぜならリリックとして口から放たれた瞬間、それは生きた言葉となるからだ」    新作「BLUE MOON」を聴いてもらえれば、この言葉がよく分かるだろう。時に自分の好きな音楽について語り、時に過去の思い出に浸り、時に社会に対して意見する。そういった“日常”がメインとなり、HAIIRO流にその光景を切り取っていく。forteレーベルの運営やHOOLIGANZなどの活発な動きを、このソロとその後の動きで再加速させるはずだったが、如何せん病気によって休養せざるを得なくなっているHAIIRO。しかし、このアルバムの響きは、高らかにHAIIROの存在をシーンに宣言する。 インタビュー:高木“JET”晋一郎
■まず、今回のアルバムを完成させての手応えは?
「今回は生活にフィットする作品を作ろうと思って。前半から“INTERLUDE”までは僕の理想とする雰囲気が出たし、後半は3.11以降の混沌とした時代描写が少なからず出ていると思いますね」
■タイトルの「BLUE MOON」とはどういう意味?
「『BLUE MOON』とは月に2回満月があるときの、2回目の満月のことで、『めったに見れない』などの意味もあります。とっておきの夜に聴いてほしい、忘れられない夜のお供になればいいと思って作りました」
■今回からアーティスト・ネームをHAIIRO DE ROSSI a.k.a. Rossi N Deeにしたけど、その意図は? 「この名前はJAY DEEとその盟友FRANK N DANKからインスパイアされたものですね。彼らからの影響は『BLUE MOON』に限ったことではなく、これから先もHAIIRO DE ROSSIというアーティストにとって重要な要素になると思います。彼らの育ったデトロイトと、僕が住んでる神奈川県藤沢の北部は似てると思うんですよね」   ■というと? 「藤沢の北部って、南部の海の近いイメージとは違う、自動車工業地帯なんですよ。自動車と共に栄え、衰退した街。出稼ぎで移住したのか、比較的外国人の多い土地でもあって。駅前はパチンコ屋が所狭しと立ち並び、朝からギャンブルに生活を委ねるか日雇い派遣に出かけ、夜は危ない車が軒を連ねる廃れた街。そんな街の変化を見て来たせいか、同じ様な歴史背景の街、デトロイトの音楽が妙に耳に馴染むんですよね。だから、デトロイト出身のジャズ・ギタリスト:KENNY BURRELLのギターを聴いていると耳にこびりついた排気ガスを洗い流してくれてる様だし、初期のEMINEMを聴くと、ラップで羽ばたこうと東京��活動の拠点を移した頃の自分を思い出すんですよね。それから、BLACK MILKやSLUM VILLAGEを聴いているときの安堵感はたまらない。だから、僕が被るキャップには必ずMLBのデトロイト・タイガースの“D”が刻まれているし、JAY DEEがプロデュースしたCOMMONの『LIKE WATER FOR CHOCOLATE』の持つ空気感は、自分のライフワーク、アーティスト活動には欠かせないものですね」  
■今回のサウンド的にはジャズと民族音楽が大きなテーマになっていますが、そういった方向性は何故?
「ジャズは単に自分の一番影響を受けた音楽だから。あと、今回ジャズを前面に押し出しているのは月(夜)がテーマなアルバムっていうのもありますね。ジャズから出る“エロさ”とか“悪さ”が一番シックリくる。1stの頃からジャズに憧れてそのスピリットに影響を受け続けているし、楽曲に『BLUE』が付く作品が多いのも、BLUE NOTEを深く愛してるからですね。それに、僕自身がジャズHIP HOPのアイコンとなりつつある今、HIP HOPこそが現代のジャズだと胸を張って言える。今やHIP HOPのレヴェルは即興音楽としても成り立つレヴェルまできていると思うし。前回までのアルバムでも、よく書いてある歌詞をレコーディング・ブースの中で即興で変更して録音したりするのが好きだったし。民族音楽に関して言えばインドを旅したときから民族音楽から出る刺激臭がすごく好きで。民族音楽にはパッションを感じるし血が滾る。音楽から感じる匂いや色が最も刺激的なジャンルだと思いますね。抽象的な表現だけど、音楽に『匂い』は大切だと思っていて、それが自然とトラック選びの時点で出たと思います」
■トラック・メイカーにもそういうオーダーを?
「もちろん。今回は僕の好きな要素を使いたいと思っていたので、ジャズとインド音楽、デトロイト系の鳴りってのは全員にオーダーしました。で、トラックのコーディネートはPigeondustに大半やってもらって、ポイントをHIMUKIさんと押さえてって感じでしたね」
■今作はエグゼクティヴ・プロデューサーにATOM(元SPIRITUAL JUICE/SUIKA)を招いてますが、それはどういった経緯で?
「作品の主に中盤から後半は、ATOMさんとの共作のようなニュアンスで作りました。ATOMさんはヨガの先生でもあって、僕と同じくインドが大好きで、普段からよく遊ぶんで、俺のやりたいこととか、出したい空気感を分かってくれるんですよね。そしてエグゼクティヴ・プロデューサーを立てることによって、作品を客観視してくれる人が欲しかったんですが、ATOMさんはSUIKAというバンドでの活動でHIP HOP外の耳も経験も持ってるし、SPIRITUAL JUICEでのど真ん中にHIP HOPな活動もあって、そうやって作品を多角的に見れるATOMさんっていうMCを、エグゼクティヴ・プロデューサーに起用するのも今回は面白いと思って決めました」
■リリックの中にも“ソウル・メイト”って言葉が出てきますが。
「それぐらいの友達ですね。ラップって生で見ると、その人のバックボーンが投影されるじゃないですか。その時に『出てるもの』がやっぱり凄い。彼の持ってる匂いっていうかオーラっていうか。なによりATOMさんは“ラップ”を体現できているし、仲間思いだし、信頼できる人ですね」
■具体的にはどんな作業を?
「やっぱりレコーディングやミキシングの段階で迷ったときに一番意見をもらいました。『もっとこうした方がHAIIROの雰囲気が出る』とか、色々考えてくれて。フックの作りを何パターンもやってみたり、苦労したけど楽しかったですね。今回はATOMさんにも客演してもらったんですが、今まではフックアップを意識した人選しかしてこなかったけど、今回は憧れでもある人たちを客演で招きました。それは仲間が個々にレヴェル・アップしたということが大きいと思いますね」
■客演ではATOMの他に、KGE THE SHADOWMEN、ISH-ONE、GRACEをフィーチャリングに迎えられていますが。
「今までのアルバムはクルーの面子で固めることが多かったのですが、今回は制作時からアルバムを“作品”として意識していて、理想とする形が明確だったので、それぞれ僕にない魅力のある、そして憧れでもあるアーティストに声をかけました。KGEはフローが国内では一番キレのあるMCだと思っていて、やってみたかったですね。HIMUKIと共に良い兄貴って感じです。ISH-ONEはラップが上手いのは皆さん知っての通りなのですが、何よりクルーの頭だったりで結構近いマインドを持っているし、人としても付き合い易いですね 。GRACEは女性シンガーで一番好きですね。ゴスペルやってたからか、彼女の歌は悪い意味での歌謡曲には絶対にならないとこが凄いと思います。前作から思っていたけど僕の作品には欠かせない人です」
■“FULL MOON ROCK”はプロテスト性の強い曲になってますが、こういった曲を書いた訳は?
「この曲はデモなどを積極的に行なっている活動家の方を見て書いたんですよね。何か力になれればと思って。ラップをすることの意味は最近分かったんですよ。人を殴れば���いし、殴られるのも痛い。だからラップは痛い。愛があればあるほどこそ魂を削りながらする作業だと思いますね」
■forteの今後の動きは?
「8月22日にはYAMAO THE 12という京都のMCのデビュー作を出します。地方でずっと頑張ってきた真面目な奴なんで、きっとリスナーの心に届くと思っています。あとは10月にBANのソロ。まだ半分ぐらいしか出来てないけど相当すごいですね。新たなヒーローが生まれるかもしれないです。それとTAKUMA THE GREATが横浜のJAG-Zとユニット作って動き始めてますね。それから俺の影響受けたり普段聴いて��音源のミックスかコンピは作るかもしれないですね。けっこう要望が多いので。他にも随時発表していくので気になる人はTwitterの@forte_officialをフォローしてくれると助かります」
■最後に、HAIIROくんの現在の体調は?
「んー……。あんまり良くはないですね。おかげ様で大分良くはなってきたのですけど、人前に出るのはまだ具合悪くなっちゃうんで。でも、とりあえず来月からレコーディングだけは再開しようとは思ってます。最近は裏方に廻るのも有りかなとか思ってます。なんか疲れちゃったっすね、正直。人のヘイトを見るのも嫌だし、そういうジェラシーとか勘ぐりが蔓延してる所にいるのが嫌ですね。『forte』以来リリシストとか言われる様になって思うんですけど、今は評価とかより、仲間とかお世話になってる先輩後輩、ヘッズ、そういう人たちがいるっていう当たり前になっちゃった幸せを、もっと大事にしていきたいな。自分のキャリアに関係ないところで動ける人間でいたいですね。悩んでる人に声かけてあげれたり、若い子に頂いたCDちゃんと聴いたり、僕が思うリリシストってそういう人だと思う。なんか人生をマラソンに例えると、僕って42.195km全力疾走するもんだと思ってたんですよね。一生懸命やることはすごく大切なことだけど、『これ短距離じゃなくてマラソンじゃん』みたいな。気付くの遅いっすよね(笑)。だから最近は無理にHIP HOP聴くこともなく、アロマ焚いてサーフ・ロックとか聴きながらのんびりしてますね」
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donutsdiscodeluxe · 7 years ago
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ソウルミュージックからヒップホップやハウス、音楽の歴史に多大な影響を与えて続けている土壌、ミシガン州デトロイト。House Shoes 彼はやって来る。モータウン、J Dilla、Eminem、ダニーブラウンなど枚挙にいとまがないほど音楽の深いところへとつながっている空気を今夜は味わえる。そしてMUROさんを始め、スチャダラANIさん、ロボ宙さん、今夜の仕掛け人であるドイツ出身のMndset 。俺たちが行くのは❓ハウスパーティ❗️今夜🔥 🏠HOUSE PARTY <Special Guests> House Shoes @houseshoes (Street Corner Music) Muro @dj_muro (King of Diggin) スチャダラANI @sdp_ani ロボ宙 @roboago03 AFRA mndset @mndset DnZ @dnz_1 Konbeef @hatos_bar Plus more!!! HOUSE PARTY-Afra’s Birthday Bash @solfa_nakameguro DOOR:2000YEN GENRE:HIPHOP Open 22:00- #djhouseshoes #djmuro #sdpani #ロボ宙 #afrabeatbox #mndset #中目黒 #solfa #solfanakameguro (solfa Tokyo)
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amebreak-bootleg-archive · 2 years ago
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2011/11/16 SIMI LAB “Page 1 : ANATOMY OF INSANE” Interview
「『みんなと違う』っていうのが俺にとっては大事で。みんながwebに写真のっけてプロフィール書くんならそれと同じことはやりたくないし、プロフィールよりもYouTubeで俺らの作品聴いてくれればそれで十分なんじゃないかな。そういう実力主義的な発想があるんだと思う。それに個性が強いからプロフィールで全ては書ききれないし、それで判断されたくない。みんなそれぞれの美学が強いし」——QN
 2009年の年末に「何気なく作ってアップしてみた(QN)」という“WALKMAN”が大きな注目を呼び、続いてリリースされたQNの「THE SHELL」やHI'SPEC & J.T.F「Round Here: Mix Tape」、DyyPRIDE「In The DyyP Shadow」、EARTH NO MAD「Mud Day」とユニット関連作のリリース、そして数々のフリー・ダウンロードを通して一躍若手注目株としてシーンに躍り出たSIMI LAB。その意味では、初のグループ・アルバムとなる「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」は待望された作品と言っていいだろう。そしてそこに現われたのは、自由闊達な音楽的アプローチと、独特の空気感に包まれた、「SIMI LABの温度」としか言いようのない作品となって完成した。乱調とも思えるような彼らならではのセンスを、確実に美へと転化させていく彼らの手腕は、リスナーの心に確実に“染み”を残していく。   インタビュー:高木“JET”晋一郎  
■生活史的なバックグラウンドは多くのメディアで取り上げられてると思うので、今回はまず音楽的なバックグラウンドを教えて下さい。 DyyPRIDE(以下D)「俺の音楽との出会いは……胎教ですかね、極端ですけど。まず母ちゃんが音楽好きで、俺がお腹にいるときにMICHAEL JACKSONのコンサートいったら、俺もお腹の中ですごく暴れてたらしいっす(笑)。自分で憶えてるのは、親父の部屋に——7歳ぐらいまで一緒に住んでたんですけど——サウンドシステムがあって、そこでソウルとか80年代ポップスを聴いてたのを憶えてますね。で、兄貴がDJやってたんでミックス・テープを作ってもらったり。でも、あんまり友達が聴くようなポップスは聴いてなかったですね。ラップを始めたのは……文章とか言葉を表現することをそれ以前からやってたんですけど、それは好きっていうよりも、いつも頭が炸裂してるっていうか、自分の脳みそがはじけ飛んでるイメージが目の前に浮かんできて、普段の生活が送りづらくなっちゃうんですよ。それをセーブするのに、頭に浮かんだ言葉や想いを書き出してましたね」
■表現することがセラピーというか。 D「そうっすね。それで頭の中を整理してて。そういう表現をだんだんリリックって形にしていったのが19歳ぐらいですね」
■ではHI'SPECくんは? MARIA(以下M)「HI'SPECのそういう部分あんまり知らないよね」 OMSB'eats(以下O)「もともと海援隊だっけ?」 D「湘南乃風でしょ?」 HI'SPEC(以下H)「いいから喋らせてよ(笑)。子供の頃に、親が小沢健二の“痛快ウキウキ通り”を聴いてて、それが好きだったって記憶がありますね。それで僕も兄がDJやってたんで、自然に隣の部屋から音楽が聴こえてきて。HIP HOPを聴くようになったのは中学ぐらいで���JA RULEの“DOWN 4 U feat. AHANTI”に喰らって。で、19歳ぐらいで友達とグループ組んで、DJがいなかったから俺がDJってことでタンテ買ったんで��けど、一回ライヴやって解散みたいな(笑)。でも、それからDJをスタートさせて」
■MARIAさんは? M「もともと子供の頃から音楽が好きで、ピアノも子供の頃から弾いてて。私は米軍のキャンプに住んでたんで、周りにいるハーフの奴らが洋楽聴いてて、HIP HOPは自然に流れてましたね。でも、私は日本の小学校に行ってたんで、学校でモーニング娘。が流行ってる意味が分からなくて『いや、今はEMINEMでしょ』って(笑)。で、中学に入って日本語ラップも聴くようになったんだけど、ラップをしようって思わされたのはBUDDHA BRANDでしたね。NIPPSさんのラップを聴いて『日本語ってこんなにヤバく使えるんだ』って衝撃を受けて、それで中学校3年でラップすることを決意しましたね」
■日本の小学校でEMINEMの話は、なかなか回りと合わないだろうね。 M「合わないですよ。友達もいなかったし。でも、一人だけオカマの友達がいて、そいつだけ『ヤバいね』って共感してくれて。彼からはDESTINY'S CHILDとかTLCを教わりましたね。でも歌謡曲は歌謡曲で懐かしさを感じて、アラスカに一年ぐらい行ったですけど、そのときに徳永英明の“壊れかけのRADIO”聴いたら超泣いちゃって『私やっぱり日本人だ!』って(笑)。ああいう切ない感じの歌謡曲は好きですね」
■QNくんはAmebreakのインタビューでも音楽遍歴は語ってもらったけど、ブラス・バンド出身なんだよね。 QN「中学のときは。でもブラバンなのに超デカいボンタン履いて坊主にそり込み入れて楽器吹いてるみたいな(笑)。中三のときにかなりデカい事故に遭っちゃったんですけど、そのお見舞い金でターンテーブル買って。あとはインタビューで語った感じですね」
■OMSBくんはどんな音楽経験を? O「最初に聴いたとしたら教育テレビの『みんなのうた』とかになるんだろうけど、HIP HOPで記憶に残ってるのは、親が車でビギーの“GIMME THE LOOT”を聴いてて、(ヴァースの間の)『GIMME THE LOOT!GIMME THE LOOT!』ってシャウトに『うるせえなあ』と思った記憶がありますね(笑)。で、小学校の頃にモー娘。が流行ってて、俺もミニモニ。の真似して『じゃんけんぴょん!』とかやってたんですけど(笑)、クラスの中でも『俺イケてるぜ』って顔してた奴がRIP SLYMEとかSTEADY & CO.の“春夏秋冬”とか歌ってて、それが日本語ラップを聴いた最初ですね。で、中学に入ってテレビでEMINEMの“WITHOUT ME”を知ってHIP HOPに本格的に興味持って、その流れでWU-TANG CLANの“CAREFUL(CLICK CLICK)”聴いて『これが本当のHIP HOPだ!』って開眼して(笑)」
■「本当」までの到達早いね(笑)。 M「単細胞だから」 O「TSBだから(笑)。それでまずはDJを目指してタンテ買って。それで高校の卒業ぐらいのときに、友達のイヴェントに出てその流れで自分でグループ組んで、その流れで『SAG DOWN』でQNと知り合って……ってSIMI LABの結成の話になっちゃった(笑)」
■じゃあそのままSIMI LABの結成の経緯も教えて。 QN「俺も高校のときに地元の連中でクルーを作ってたんですね。その中にOMSBのグループと繋がってる奴がいて、OMSBを『SAG DOWN』で紹介されたんですね。それで、俺が当時やってたイヴェントにOMSBを誘って、一緒にフリースタイルやったりしてたんですけど、すごく独特の感覚を持ってて面白いなと思って、OMSBとちょくちょく遊ぶようになって」 O「で、『QNのクルーと俺のグループを合併してSIMI LAB作ろうぜ』って話になったんだけど、なんでかみんな抜けていって、俺はDJとトラック・メイカーだったんだけど、俺もラップもやらないと曲の間が持たなくなって(笑)」 QN「で、そうやってOMSBと遊んでる中で、DyyPRIDEとOMSBがmixiでコンタクトをとって」
■キッカケはmixiなんだ。 D「mixiの検索で、俺と同じ黒人のハーフでラップしてる奴いるのかなって『黒人/ハーフ/ラップ』って検索ワードで探したら(笑)、OMSBが引っかかったんですよね」 O「そのときは『黒人のハーフでラッパーなんてモテんじゃね?』って、そういう情報を自分のプロフィールのトコに入れたんですよ」
■撒き餌だ(笑)。 O「そしたらDyyPRIDEが引っかかって『野郎かよ!』って(笑)」 D「で、OMSBが『近所だし、曲作ってるから遊びにきなよ』って」 QN「でも、DyyPRIDE自体がその頃は精神的にスゲえやられてたから」 D「腐ってたね」 QN「一回会ったきりで一年近く遊ばなかったんですね」 D「その遊ばない間に、俺は親父の国がガーナなんですけど、住むぐらいの気持ちでガーナに行ったんですね。でも、行ったはいいけどずっと酒浸りになっちゃって、親父とも仲違いして、結局日本に戻ってきたんですよ。それで、なんか腹が決まって、QNとOMSBにもう一回連絡して『ちゃんとラップやろうと思ってるんだ』って話したら、受け入れてくれて」 O「同じぐらいにHI'SPECにも声かけたんだよね」 H「でも最初はSIMI LAB入りは断って」
■それはなぜ? H「OMSBがウチに来たときに、ウチにあったMPCでOMSBが曲作ったら、それがスゲえヤバい出来で。それに喰らっちゃって『そこに俺が入るのはまだ力不足だな』って」 M「えー、悩んだんだ。かわいい(笑)」 H「でも、その後もう一回誘ってくれたんで、これは入ろうと」
■MARIAさんはどのように? D「俺がガーナに行く前に、横須賀のクラブにブラパン探しに行ったんですよ。『ヤレる女いねえかな』って」
■ふふふ、悪いね。 D「もう、毎日立てないぐらいまで酒呑んでたり、ホント腐ってましたね」 M「それで、私はブラパンの友達に誘われてそのクラブに行ってたんですね。それで、呑んでたらDyyPRIDEが入ってきて『凄いイケメン!』と思って逆ナンしたんですよ(笑)。そこで連絡先交換したんですけど、私はアラスカに一年行くことになって、その間はずっとSkypeで連絡取ってましたね、毎日。で、私が帰ってくるときにはDyyPRIDEはSIMI LABにもう入ってて、私がラップやってるってことも知ってたから、SIMI LABにDyyPRIDEが連れてってくれて」
■じゃあ、ホントにてんでバラバラな状態から知り合っていったんだね。インタビューに途中参加のUSOWAくんはどう? USOWA「MySpaceでOMSBを見つけて、そこに彼が上げてたトラックがやばくて、mixiでマイミク申請を送ってコンタクトをとったんですね。それで俺がやってたイベントに初期SIMI LABを呼んだりして仲良くなって、それからQNのウチに遊びに行ったりしてって感じですね」
■結構ネットの活用が重要なんだね。 O「あー、でもそう言われると現代っ子ぽくてイヤだな(笑)」 QN「でも、ネットは知り合ったキッカケぐらいで、その後は直接会ってのコミュニケーションですね」
■ネットで完結しちゃう人も多いけど、SIMI LABは直接会って仲を深めてっていうのは面白いな。 O「でも、自然にこうなっていったって感じですね。ネットにアップした“WALK MAN”にしても『やっぱりライヴやるならポッセ感のある曲ホしいよね』ってぐらいで、あれがSIMI LABの全体像って気持ちはなかったし」 QN「あのタイミングでDyyPRIDEとMARIAが入ったから、再出発って感じはちょっとあったけどね」
■SIMI LABのホームページって、以前は全部アメコミのキャラクターにメンバーをなぞらえてたり、今だとメンバーの詳しい情報さえ載ってないけど、そういう匿名性は狙って? QN「そこは策略じゃなくて『写真撮るの面倒くさい』とか『プロフィール書くのだるい』ぐらいの感じなんですよ(笑)」 O「そしたらみんな『謎だ』みたいに勘ぐってくれたり。そういうのが面白いっすね」 D「やっぱりそういうプロフィールじゃなくて音楽を聴いて判断してほしいし」
■フリー・ダウンロードとか、そういう面は充実してるよね。 QN「『みんなと違う』っていうのが俺にとっては大事で。みんながwebに写真のっけてプロフィール書くんならそれと同じことはやりたくないし、DyyPRIDEが言ったように、プロフィールよりもYouTubeで俺らの作品聴いてくれればそれで十分なんじゃないかな。そういう実力主義的な発想があるんだと思う。それに個性が強いからプロフィールで全ては書ききれないし、それで判断されたくない。みんなそれぞれの美学が強いし」
■でも、それぞれの個性や美学が強いとぶつかるときはない? D「そういう部分を強要はしないからぶつかりはしないですね」 M「ただ、噛み合いきらないときはあるかな」 D「でも、個性を大事にしてるっていうのがお互いに分かってるから、気にならないですね」
■合わせるよりは、それぞれの道を尊重するというか。 M「今回のアルバムがそんな感じじゃないかな。まとまりきらないというか」
■でも、もっとバラバラになるかと思ったら、結構まとまってるなってこのアルバムは思ったんだ。行く道は違うけど同じ着地点にたどり着いてるなって。 QN「最低限のラインと着地点はまとめようって思いはありましたね」
■制作はどのように進めたの? M「トラックの選択はOMSBとQNとHI'SPECに任せて」 O「『ポップなもの』ってイメージはありましたね。でも、それはポップスって意味じゃなくて、人に『おおっ!』って言わせるようなモノをポップだって思ってるんで、その意味でのポップな作品をっていうのを考えました」
■やっぱり、ビートや言葉の乗せ方の特殊性というか、独特の聴感って部分に改めて驚かされるんだけど。 O「SIMI LAB以外の人には『このビートどこで拍とっていいか分からない』とか『乗り辛い』とか言われるんだけど、自分が首振れるるビートで乗ればいいじゃんって思うんですよね。ラップするためのトラックではあるけど、ラップしやすいようにとかは考えてないっすね」 QN「もう、理屈じゃないトコで、感覚で受け取ればいいしって思いますね。でも(変わってるって言われるけど)普通のことをやってるつもりではいるんですよ」
■確かに、自分たちに撞着した内向きな作品ではないよね。 QN「エンターテインメントにしないと意味ないと思いますからね」 M「うん。だからすごくポップなアルバムだと思う。言語っていうよりも感覚で作ってるから、世界にも行けると思ってるんですよね。英語のHIP HOPだって意味分かんないのにカッコ良いと思って聴いてるんだから、逆に海外でもこのラップを聴いてカッコ良いと思う人は絶対いると思うんですよね」
■客演も今回はないんだね。 QN「今回はそれでいいかなって。自分の才能も信じてるけど、それ以上にメンバーの才能をとにかく信じてるんですよ」 M「それは本当にありますね。私は自分の才能を信じてるから足掻くことはないんだけど、そんな私でも『ヤバイ』って思わせてくれるのがSIMI LABだなって。だから、超自信満々ですね」
■でも“TWISTED”や“UNCOMMON”からは、自信満々と表裏一体の孤独感とか疎外感みたいな部分も感じるんだけど。 D「“TWISTED”は捻くれてるなってトラックからイメージが浮かんで。で、それについてみんな考えたって感じですね」 QN「俺にとってはそういう捻くれてたり反抗するっていうのが、カッコ良いって思ってるし、DyyPRIDEは肌の色って部分からそういう反抗的な気持ちが生まれたり。そういう『ふざけんじゃねえ』って気持ちは共通してるのかもしれない。……ちなみに表裏一体ってどういう意味?」 D「表と裏みたいに切り離せないモノって意味」 QN「反骨精神は?」 D「例え生まれ育った環境が恵まれてなくても、成り上がってやんぜって精神!」
■これはすごく差別的に聞こえてしまうかも知れないけど、QNくんがそういう日本語についての質問をDyyPRIDEくんが説明するのはすごく印象深いなって。 O「『逆じゃん』みたいな。それ結構、黒人ハーフあるあるだよね(笑)」
■ただ、勿論DyyPRIDEくんは日本に育ったんだから、日本語を説明できるのになんの不思議もないし、自分がそう思ってしまったのはすごく恥ずかしいことだとも思わされたんだけど。 D「俺はそうやって思われるのを悔しいなと思ったから日本語をしっかり使おうと思ったんですよね」 M「DyyPRIDEやOMSBは黒人とのハーフってことで差別されるけど、私は白人とのハーフの女の子ってことで『絶対可愛い』みたいな要求をされる場合があるんですよね(笑)」 D「OMSBもアメリカ人とのハーフってことで、勝手に白人とのハーフって思われてたり、英語喋れるって思われたりするよね」 M「それはだるいよね」 O「でもそれはしょうがないんだ。アメリカ人とのハーフだから英語喋れるって先入観はもうしょうがないから、気にしないようにはしてるけど。でも日本語しか喋れないって分かって『(ハーフなんだから)英語も喋れなきゃダメでしょ、ハハハ』とか言われると、スゲえ腹立つよね。初対面でそういうこと言う奴もいるし」 D「ホントに普通にあるよね」 O「ぶっ飛ばしてやろうかとも思うけど、でも、そうするとまた(ハーフの)イメージが悪くなるから、抑えざるを得ないんだけど」 D「俺は結構言っちゃうな。『何が面白いの、それ。別に笑えないよ』って」 M「私は普通の公立校にいってたから、インターナショナル・スクールに通ってる奴に『あの子、キャンプに住んでるのに英語喋れないんだって』とか、『あの子の英語変だよね』とか、いっつもそうやっていじめられてて。ずっと、いつか見返してやるって思ってた。そのときはまだウジウジしてた子だったから(笑)」 D「俺も英語が喋れないから『その顔で日本語しか喋れねえのかよ』って言われるのが悔しくて、それでラップにしても表現にしても『俺が一番の日本語使いになってやる!』って思って、日本語の言葉遣いとか単語とか気にして表現しようと思ったし、それが日本語でラップするってことに繋がっていきましたね」
■このアルバムを作って、自分たちもSIMI LABへの意識に変化はあった? QN「俺はすごく変わりましたね。作り終わって気付くことも多かったし、改めて個々の才能の良さやスゴさを確認したというか」 D「アルバム作る前から『俺らだったらやっていける』って思ってたけど、アルバムを作ってそれが確信に変わったっていうか。間違いなかったなって」 M「確かに。自分が信じてたモノがこのアルバムで証明されそうって思いますね」 H「DJだから他のメンバーよりも客観的にみてるハズなんだけど、それでも『こいつらカッコ良いな』って思いましたね。今でもファンになれるっていうか」 O「みんな、SIMI LABのファンだよね。『SIMI LABってスゴいでしょ』って言いたくてしょうがない」 U「メンバーだから主観なんだけど、それでも客観的にみてスゴいってみんなが思ってる」 M「聴いてくれた人が『SIMI LABに入りたい』って思ってくれたらいいな」
■最後に、今後の動きは? QN「12月23日にQNの2ndが出て、来年の1月にそのリミックス盤が、2月に出来ればOMSBのソロを出したくて、3月にはCD-R音源でQNとUSOWAとシンガーのサドラーズ・ウェルズっていうSIMI LABの男性シンガーとの作品を出して……」 D「サドラーズ・ウェルズ?」 M「誰それ?初めて聞いたんだけど(笑)」
■それは実在する人? QN「います」 M「にやついてるんだけど。EARTH NO MADのとき���普通に騙されてたからな(笑)」
■SIMI LAB内でも情報の錯綜があるんだ(笑)。 QN「まあ、その3人でのユニット・アルバムが出ます。4月にHI'SPECにソロ。それに続いてMARIAのソロと、SIMI LABの2ndの制作って感じですね」
■予定としては毎月何かしらのリリースがあるんだ。 O「予定ですけどね(笑)。でも、このリリースを発表しちゃうと、他のグループも焦って本気になっちゃったら困るね」 M「大丈夫だよ、SIMI LABは無敵だから」
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amebreak-bootleg-archive · 2 years ago
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2012/10/27 #RAPSTREAM CO-SIGN VOL.1 feat. Fla$hBackS
 先月の『RAPSTREAM』から始まった新企画『RAPSTREAM's CO-SIGN』。“CO-SIGN”とは、US HIP HOPなどでよく使われる言葉で、簡単に言うと「同意する」とか「支持する」のような意味……HIP HOPでは“フックアップ”という言葉がよく使われてきたが、そこまで上目線ではなく、「あ��つ良いじゃん」と軽く発言する程度でも「あのラッパーがあの新人を“CO-SIGN”した」という風に言われるようだ(例えば日本語ラップ界隈で言うと、KREVAがLBの曲をビートジャックしたりとかは、正しく“CO-SIGN”のひとつの形だ)。Twitterなどのソーシャル・ネットワークが発達した昨今、そんなちょっとした行動でも、それをきっかけにアーティストが大きくブレイクする可能性もあるということだ。    『RAPSTREAM's CO-SIGN』では、近頃話題の若手勢やアンサインドなアーティストをピックし、『RAPSTREAM』内にて紹介し、Amebreakサイト上でもそのアーティストを取り上げた連動記事を掲載していく予定だ。また、取り上げるアーティストは、Amebreakスタッフ/ライターのセレクトだけに留まらず、全国各地をライヴなどで周り、現場で新しい才能に出会う機会の多いMCやDJ、関係者の意見/推薦も積極的に取り入れていこうと思っている。それでは、早速第一回目のアーティスト:Fla$hBackSをご紹介!      Febb、jjj、そしてライヴDJのKID FRESINOからなるFla$hBackSは、フレッシュさを強く感じさせながら世代の概念を吹っ飛ばす完成度の高さを既に感じさせる、正に『RAPSTREAM's CO-SIGN』第一回目に相応しいグループだ。    現在は西東京エリアに拠点を置くというFebbは弱冠18歳。「5~6年前(中学生の頃)に聴いたEMINEMが最初に聴いたHIP HOP」と語る彼は、見た目こそ歳相応なあどけなさが残っているが、そのラップは時に年齢を感じさせない不敵な態度を覗かせ、末恐ろしささえ感じさせる。新進レーベル:BLACK SWANのコンピ第二弾に収録されている“GET IT IN”での彼のヴァースも、本格的なラップ歴がわずか1年(!)とは思えない堂々としたものだ。  「中1ぐらいからラップを書いてて、トラックは中2ぐらいから作り始めてます。KANYE WESTとかJUST BLAZEとかがMPC叩いてる動画をYouTubeで見て、トラック作るのって面白そうだな、って思って。高1の頃にDJをやるようになって、ライヴとかでラップするようになったのは去年とかからですね。レコーディングも去年ぐらいからです(Febb)」    そんなFebbの存在は人づてで訊いてはいたものの、筆者が実際に注目することになったきっかけは、CRACKS BROTHERSというユニットが昨年リリースしたEP「STRAIGHT RAWLIN'」。CRACKS BROTHERSはFebbとTETRAD THE GANG OF FOURなどで活動するSPERBからなる二人組で、このEPでFebbは、“YOUNG MASON”という、自身の別名(NIPPS命名)をタイトルに冠した楽曲でラップを披露している。    一方、こちらもFebb同様マイクと���ンプラーの両方を操る相方のjjjは、サウスサイド川崎出身。今年の頭にミックスCD「ROUTE TO 1251」をリリースしたHIP HOP集団:FIVE STAR RECORDSにも籍をおく23歳だ。  「自分は最初スクラッチをやってて、バトルDJになりたかったんですけど、Q-BERTに憧れて金を貯めてQFO(ベスタクスが開発した、ターンテーブル/クロスフェーダー一体型の機材)を買って。でも、それだとジャグリングが出来ないっていうことが分かり(笑)。スクラッチを録音するのが好きだったから、その延長でトラックも作り出しました(jjj)」  サンプリングをベースにしながらも、そのループ/チョップの仕方は時に乱暴なまでにいびつなところが若さを感じさせるjjjだが、彼の作るトラックは、PSG以降の世代に特に顕著な、「自然と掴んでいる」ような嗅覚の良さも垣間見せる。jjjは今年3月に配信サイト:OTOTOYから作品集「ggg」をリリースしていて、インスト曲が多い同作を聴けば彼の作風がよく分かると思う。      そんなFebbとjjjは、FIVE STAR RECORDSに所属するYOUNG DRUNKERSとの繋がりでFebbがFIVE STARのスタジオ兼ヤサに出入りするようになり知り合ったという。  「なんでFla$hBackSになったかっていうと、自分が去年ADAMS CAMPっていうグループと一緒に自主で作品を出して。前に彼らが出したEPを俺がリミックスするっていう内容なんですけど、そこでラップをしたらjが『良いね』、って言ってくれて。で、一緒に作り始めてFla$hBackSになりました(Febb)」  「“COWBOY”って曲(rev3.11監修のミックステープ「REV TAPE VOL.1」にYOUNGEST IN CHARGE名義で収録されている)のトラックを作ってて、このトラックに乗れるヤツを探してたら、ADAMS CAMPの作品に入ってるFebbのラップを聴いて、『コイツに任せよう』って。あの曲をきっかけに、俺が全部トラックを作ってFebbにラップをしてもらおう、って思ったんです。そしたらFebbに『いや、jさんもラップして下さい』って言われて(笑)」  「jは、トラックがスゲェ新しいっていうか、トラックの作り方はオーセンティックなんだけど、その中で新しいことをやってるフレッシュなア��ティストだと思います(Febb)」  「Febbは、ラップも生き方もFebbって感じが好きで。なんか図々しい感じとか(笑)、ズケズケ言うところとか俺は好きで。トラックもラップも、コイツのノリっていうのがちゃんとある(jjj)」      Fla$hBackSは、既に1stアルバム「FL$8KS」を完成させていて、12月にリリース予定だという。  「一言で言うとギンギン(なアルバム)ですね(笑)(jjj)」  「前半がイケイケな曲が多くて、後半はメロウな曲が多いっていう構成なんですけど、音がパワフルだと思います。トラックはほとんどjがやってて、2曲は自分、あと1曲は二人で一緒に作ってます。1曲KID FRESINOもやってます(Febb)」
 いち早く「FL$8KS」の音源を聴かせてもらうことが出来たが、彼らと交流も深いDOWN NORTH CAMPやSEXORCIST周辺の東京アンダーグラウンドの匂いを随所に漂わせながら、USラップで言うとJET LIFEやSTALLEYのようなレイドバックしたスタイルも軽くこなしていて、今っぽさとクラシカルな要素のバランスが絶妙な一枚だ。「2012年一番フレッシュな日本人のラップを作りたかった(Febb)」という彼らの志は、確実にこの作品に反映されている。
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amebreak-bootleg-archive · 2 years ago
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2016/02/08 #RAPSTREAM CO-SIGN feat. 崇勲(『KING OF KINGS -FINAL UMB-』2015年チャンプ)
文:伊藤雄介(Amebreak)
内側こもった blash up 磨いた 言葉の力 Punchliner アリスター これは長丁場 打ち砕けFake star ひっくり返せ14.5ゲーム差 (“仁王立ちの内弁慶”)    アンダードッグ -- 訳すると“敗北者”や“負け犬”といった意味になるが、��ポーツなどの世界においては“(不利な状況/下馬評から)追う者”といった意味の方がしっくりくる。要するに“下克上”を起こせる側の者のことを指す言葉だ。    スポーツに限らずHIP HOPにおいても、アンダードッグはシーンの活性化には欠かせない存在だ。著名なラッパーが主流を担う現行シーンにおいて、その位置を虎視眈々と狙うニューカマーは総じてアンダードッグであると言えるが、リリックやスタンスを通して自分たちがそうであると主張する人もいれば、あまり表には出さず飄々と活動するラッパーもいるだろう。    2015年の国産HIP HOPにおいて、その活躍振りを見て真っ先にこの“アンダードッグ”というフレーズが浮かんだラッパーがいる。2015年に開催された鎖グループ主催MCバトル『KING OF KINGS -FINAL UMB-』初代チャンプであり、昨年11月に1stアルバム「春日部鮫」をリリースした崇勲だ。     埼玉の端の春日部の端 新たな狼煙を確認せよ 劣等感が俺の後ろ 大丈夫、肩組んでやったぜむしろ (“仁王立ちの内弁慶”)      「春日部鮫」というアルバム・タイトルが付けられている通り、現在32歳の崇勲は埼玉県・春日部市の出身。現在も同地に拠点を置いている。   「完全なるベッド・タウンっていう感じですね。まあ、都内に行くのにもそんなに不便じゃないし、っていう感じで、特に不自由がないから暮らしやすい街です。ずっと住んでいる街だし、友達もほとんど春日部にしかいないから、歌詞に出て来るのは必然かな、って。ラッパーだと、TKda黒ぶちも春日部が地元ですけど、自分が知ってる限りだとラッパーはそれぐらいですかね。他にもいるのかもしれないですけど」    自身のMC名について、「本名がスグルで、“スー君”っていうのがアダ名だったんです。ラップを始めたときは10代だったんで、“スークン”って名前にしたら歳上の人も君付けしてくれるかな、ってことで。……で、今その弊害が出てるような感じです。『スークンさん』って歳下から呼ばれたりするから(笑)」と自嘲気味に解説する崇勲は、16〜17歳頃に、周りが2PACやEMINEMを聴き出したタイミングに合わせてHIP HOPを聴くようになり、BUDDHA BRAND“人間発電所”で決定的なインパクトを与えられたという。だが、自ら「コミュニケーション下手」と評する彼の性格が災いし、本格的にラッパーを志すまでには少し時間がかかったという。   「“人間発電所”を聴いた頃ぐらいからリリックは書き始めてましたけど、録音の仕方も分からないからボーッとしてて。そうしたら友達がウォークマンで何か聴いてて、それを聴かせてもらったら、それが“大怪我”(大神)だったんです。だけど、そこに載っていたのはウォークマンを聴いてたその友達の声で。それで、地元のDJ(『春日部鮫』の収録曲7曲のトラックを担当しているDJ YABO)の家で録音が出来るっていうことが分かり、そいつん家でカセット・テープに自分のラップを録音するようになりました。それが18歳ぐらいの頃です。当時は98年ぐらいでした��ど、NAS“NAS IS LIKE”とかその辺に載っけてラップしてましたね。その頃からライヴはやりたかったんですけど……自分、コミュニケーション能力が圧倒的に低かったから、『どうやってライヴをやったらいいんだろう』って思ってて。頭下げてやるのも気に食わないな、って思ってたし。そうしたら、友達伝いでライヴしてくれるラッパーを探してる人を見つけて、2001年ぐらいに渋谷FAMILYでライヴしたのが初ライヴです。そのイヴェントは、クリスマス直前の単発イヴェントで、そこで披露したラップはクソみたいなモンだったと思うんですけど、超盛り上がったんですよね。それが快感になっちゃって」      初ライヴで確かな手応えを得た崇勲。このまま順調にキャリアを重ねていくのかと思いきや、シンプルに事は運ばなかった。   「そこから7年間ぐらい、超盛り上がったのはそのライヴだけでした(笑)。最初に盛り上がりのピークが来て、そこからどんどんダダスベっていく、みたいな。かなり苦々しい時期でしたね。あまりにスベるからもうイヤになっちゃって、2〜3年ぐらいライヴとかやらなくなった時期もあって、曲だけ作ってる時期がありましたね。……なんで盛り上がらなかったんですかね……今とスタイルはだいぶ違ったと思うけど、根っこの部分はそんな変わってないと思うんですよね。ただ、あまりみんなが仲良くやってる輪にも入っていくことは出来なかったし、そういう仲良い感じを見ているのもイヤな感じでしたね、当時は(笑)」    彼が10年近く辛酸を舐め続けてきた原因としては、外的要因もあっただろうが、どうやら自身のパーソナリティにも原因があったようで、それは崇勲自身も認めるところだ。   「今は多少変わってきましたけど、根本的には広く人と付き合うタイプではないですね。ここまでアルバムが出せなかった理由としては、それが大きいと思います。昔は、ずっと“第三の唇”っていう6〜7人組のグループをやってたんですけど、ライヴのオファーが俺に来るけどメンバーのスケジュール調整が面倒になってきて、『ひとりでやった方が楽でいいな』って思い、ひとりでやるようになりました(笑)。当時のメンバーの何人かは『春日部鮫』に参加してますね」      スキルはあるが、同業者と交流するのが苦手が故に、シーン内で上がっていけず燻り続けるという構図は、ラップに限らずどの世界でもある話だと思うが、HIP HOPにはそんな逆境を覆すための舞台がある。近年でその役割を最も果たしているのがMCバトルだろう。作品リリースがなかった崇勲がシーン内で名を上げるには、やはりバトルという現場が最も有効に機能したようだ。   「(2000年代前半の) 『BBOY PARK』のMCバトルとかは観てましたけど、漢さんのフリースタイルを観て『ああ、こんなん出来るワケねぇな』と思ってたから、当時はフリースタイルは一切やってなかったんです。だけど、2005年の『UMB』のDVDを観たときに『こんなにフリースタイル出来るヤツがいっぱいいるんだ』って知って、『自分でも出来るんじゃないかな』って思って、自分でも始めました。で、06年の『UMB』予選が初めて出たバトルです��一回戦で負けましたけど。その後のバトルは、『UMB』で言うなら千葉/埼玉予選で決勝まで行ったことはありますけど、大きなバトルで勝ったことはほとんどないですね」    MCバトル・ファンの間では徐々に知られる存在となった2010年代の崇勲ではあるが、目立った優勝歴がないこともあり、彼のことをダークホースと捉えていた人は多いだろうし、それは昨年の『KING OF KINGS -FINAL UMB-』グランド・チャンピオンシップに駒を進めても変わらなかった。著名且つ実力に定評のあるMCが多数エントリーしていた同大会において、彼を優勝候補に挙げていた人は多くなかっただろう。  
 だが、同大会での崇勲は、そんな下馬評を覆す強さを発揮し、見事に全国大会クラスのバトルで初優勝を果たす。実際、筆者も大会当日に現場で彼のバトルを観たのだが、ベスト16〜ベスト8〜準決勝〜決勝と駒を進める毎に、会場の空気が徐々に崇勲の色に変わっていくのが肌で感じられたし、彼もその変化に応えるようにパンチラインを連発していった様は圧巻だった。YouTubeなどで一試合単位のバトルをチェックするだけでは絶対に味わえない、現場で一回戦から通して観ることで感じられるダイナミズムやドラマがそこにはあった。崇勲が“アンダードッグ”であったことも、ドラマ性が増幅した要因だろう。こういうことがあるから、やはりMCバトルは動画を通してだけでなく、極力現場で体感するべきモノだ、と改めて痛感した次第だ。
 閑話休題。その『KING OF KINGS -FINAL UMB-』を、崇勲はこう振り返る。
「グランド・チャンピオンシップは、結構あっという間って感じでしたね。謎に集中してたから、集中力が切れることなく出来た。普段、バトルに出ても『勝てる』とは思わないんですけど、『負ける』ともまったく思わないんですよ。そういう矛盾した感覚があるんで、負けたら『負けたか』ぐらいの感じで、勝ったら『勝ったか』ぐらいの感じ。でも、ああいうデカイ舞台に立つことが出来たら、自分の良さを伝えられるのにな、とは思ってたんです。だから、下馬評は低かったと思いますけど、面子を見ても自分が負けそうな感じでもないな、と思ってはいました。(自分がダークホースだと思われていた雰囲気は)感じましたね。でも、俺はナメられてるときの方が強くて、そういうときの方が力が出るんです。期待されてるときは大体負けるんですけど(笑)。どんなバトルでも、出ても一回戦は白けてるムードだけど、そこから徐々に空気を作っていくんです。だから、地元で俺のことをよく知ってくれてる人は、『一回戦勝ったら優勝する』って前から言ってくれてたんです。俺という人間を伝えることが出来れば、そこからはコントロールできるっていう自信があった」
 地元が同じということもあり、フリースタイル巧者のTKda黒ぶちとも交流が深い崇勲。そういった交友関係を通してフリースタイル・スキルが磨かれ、今回の優勝に至ったのかと思いきや、そうではないと彼は語る。
「信じてもらえないかもしれないですけど……今年は『KING OF KINGS -FINAL UMB-』に出ましたけど、当日に始まる瞬間まで、まったくフリースタイルはしてなかったんです。基本的にはサイファーには参加しませんし、ひとりで頭のなかで考えたりもしないんで、普段フリースタイルは一切やらない。バトルに出たときだけ。だから、噛むことも多い。で、たまたま良い意味でハマったのがこないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』だったっていう。2014年の『ブレス式 presents AS ONE』で、TKda黒ぶちとタッグで出たときに優勝して、そのときも『練習したでしょ?』って言われたけど、本番出るまでふたりでフリースタイルは一切しなかった。正直、人とやるフリースタイルは好きじゃないんですよね(笑)。昔、すごい若い子に『一緒にやってくださいよ』って言われて始めてみたら、『Yo Yo、お前のこと、ここでぶっ殺す』みたいなことを言われたりして。そういうことを何回か経験した内に『こういう人たちとやるのはやめよう』って思って(笑)。だから、自分の中でフリースタイルは、溜め込んだモノを一気に吐き出すっていう感覚ですね」
「MCバトルは、観るのは好きなんですけど、自分で出るのはあんまり好きじゃないから、滅多に出ようと思わないです。こないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』は、アルバムを出す年だっていうのを自分の中で決めてたし、予選が『北関東予選』っていう括りだったんですね。そういう括りなら、無駄な罵り合いとかじゃなくて高いレヴェルでバトルが出来るのかな、っていうのが想像できたんです。だから、北関東予選だから出たっていう感じですかね」
この世に俺がいた事を残す イタコも発狂する怨霊のフルコース
(“外地蔵”)
 自身のアルバムを出すタイミングに、プロモーションも兼ねてMCバトルに出て名を売るというのはよく聞く話だが、崇勲の場合はタイミングが絶妙だ。『KING OF KINGS -FINAL UMB-』が開催されたのが9月末。そして、アルバム「春日部鮫」のリリースは11月だ。
 「春日部鮫」は、崇勲のアンダードッグ的メンタリティが強調されたパンチラインの数々や、地元・春日部で見てきた景色/事象を綴ったパーソナルなリリックが中心のアルバムだ。
「地元の友達とか先輩/後輩に喜んでもらえるモノを作りたいっていうのがまずありましたね。でも、途中でその方向性に関して少し迷いが生じたんですよね。トピック的にあまりにも身内ノリすぎるかな、って」
 初アルバムの方向性について悩んでいたタイミングで、崇勲はある大物ラッパーと会話を交わす。
「その頃にたまたまBOSSさん(tha BOSS/ILL-BOSSTINO [THA BLUE HERB]) -- 何年か前に自分たちのイヴェントにライヴで呼んだことがあったんですけど -- に会う機会があって相談したんですよ。『ちょっとトピックが……』なんて話してたら『そんなの関係ねぇんだよ。1stアルバムなんだから、お前の好きなように書けばいいんだよ』っていうようなことを言ってくれて。その瞬間から、そのまま『身内ノリ続行』っていう感じで」
「BOSSさんからの言葉は、かなり励みになりましたね。アルバム自体、作り始めたのもBOSSさんが『30歳なんてまだまだヒヨッコだよ。ここから始めても全然遅くないよ』って言ってくれたんですけど、BOSSさんにかけてもらった言葉は、アルバムの歌詞の中にも入ってます。BOSSさんの言葉が背中を押してくれた感じになりました」
 昨年の9月頃だったと記憶しているが、筆者もtha BOSSとは彼のソロ・アルバム「IN THE NAME OF HIPHOP」のリリース・インタビュー時に対面/会話を交わしている。取材後、世間話の延長で最近のHIP HOPの話をするというのは、どんなアーティストの取材でもよくあることなのだが、tha BOSSの取材でもそれは例外ではなかった。そして、その際に「最近聴いたヤバいアーティスト」として彼が名を挙げたのが、崇勲だった。
 その会話の時点では、筆者は「春日部鮫」を聴いていなかったし、前述したエピソードも知らなかったので、彼が崇勲の名前を挙げたことに少し驚いたのだが、その数週間後に『KING OF KINGS -FINAL UMB-』で優勝し、その後に「春日部鮫」を聴いて、ようやくtha BOSSが言わんとしていたことが分かった。このアンダードッグ的視点は、tha BOSSがTHA BLUE HERBの1stアルバム「STILLING, STILL DREAMING」で表わしていた「追う者」のメンタリティと近いものがある。実際、崇勲もTHA BLUE HERBは好んで聴いていたようだ。
「自分の今のスタイルに反映してるってワケじゃないですけど、MSCとかTHA BLUE HERBの、聴いてるこっちが緊張してくるような歌詞……そういうのには憧れましたね。聴いてる人に何らかの感情を一瞬で埋め込むようなスタイルに感銘を受けました」
 自らのスタンスを、NIKEやADIDASのようなブランド色の強いスニーカーではなく、比較的庶民派な印象の強いCONVERSEの定番スニーカーに喩える“ALLSTAR”や、辛酸を舐め続けてきた時期に溜め込んだルサンチマンを明快に曲名にも示した“わかってねえな”のような曲が象徴しているが、崇勲は自身が不器用で無骨な泥臭い人間であることを隠そうとはしない。
「こればっかりは、染み付いちゃってる感覚ですかね。やっぱり、ラップを始めた当初からあまり周りと馴染めず、だけど仲良しこよしやってる人たちは『ヤバイね』って言い合ってるのをクラブの隅で聞きながら『……どこがヤバイんだよ……』とか思ってた期間が長かったんですよね。“わかってねえな”って曲に関しては、ここ何年かはライヴで盛り上がるようになってきたんですけど、昔はまったく盛り上がらなくて。そういう経験もあって、(“わかってねえな”中のリリックの)『皮肉やひがみが俺らのテーマ』とまで言い切っていくしかないな、って感じですかね」
LISTENER HATER PLAYER Mr,Mr クオリティクオリティ言う奴へのツイスター これは逆襲と呼べるぜある種 でも求むその先の拍手
(“HASEGAWA”)
 MCバトルの全国大会で優勝し、名刺代わりとなる1stアルバムを完成させた崇勲。彼の人間性がそれらの出来事によって大きく変わることはないのかもしれないが、以前よりも自身の活動に光明が差してきているのは間違いない。今後の展望について、彼はこう語ってくれた。
「今回のアルバムは、敢えて半径数キロの世界観で作ったんですけど、作ってたときから『このトピックは次のアルバムに持っていこう』みたいなモノがいくつかあったので、今度は違う自分が出るアルバムをすぐ取り掛かれる段階にはあります。BOSSさんは今、40代中盤でしたっけ?そこまでやれるんだった��ラップは続けたいと思いますね。俺は『カッコ良い』とか思われるより『面白い』と思われたいんです。バトルに出てるときもそうだから、『こんなヤツでも勝てるんだぞ』っていう姿勢を示したいという意識があった。だから、俺は自分のまんま、何も変わらずにいけたらいいのかな、って」
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amebreak-bootleg-archive · 3 years ago
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2010/08/07 QN from SIMI LAB “THE SHELL” Interview
突如YouTubeに出現したSIMI LABという謎の集団の動画……その動画が話題を呼んでPUNPEEや環ROYといった日本語ラップ界の奇才たちからも注目されるまでになった彼らだが、そんなSIMI LABからメンバーのQNがグループに先駆け1stソロ・アルバムをリリース。弱冠19歳の彼は、年齢相応/不相応入り交じるその感性で、かなりハイクオリティな一枚を作り上げた。SIMI LABともども、今後が実に楽しみな存在だ。
「同世代を見ても『日本語ラップ(のフォーマット)そのまんまじゃん』って思ってしまうの���多くて、それよりも『自分の思うまんま』の、自由なことをやればいいのになって。もっと自分も単純に楽しめるような。そういう日本人らしくない……でも“黒い”って表現も嫌なんだよな……USに近い感じを出したかったというか、それを日本人でも出来るってことに感動してくれたら嬉しいですね」
 筆者がSIMI LABの存在をまず知ったのは、メテオの“MOTERU”へのQNとOMSB'Eatsの客演参加によってだったが、本格的に彼らの存在を意識したのは、昨年末にTwitterに流れてきた、彼らのPV“WALKMAN”からだった。感覚に働きかけるようなビートのタイム感や、それぞれの登場する4MCの自由闊達なラップの置き方など、サウンド的なフレッシュさを感じさせると同時に、人種も性別も混淆したMCたちが入れ替わり立ち替わり現われ、しかも言語は日本語という、謎の多い正体不明な雰囲気はリスナーの想像力を十二分に刺激するものであった。そのSIMI LABの中から、MCのQNが1stアルバム「THE SHELL」をリリースし、シーンにその存在を知らしめることとなった。アルバムからも顕著に感じられるが、このインタビューでも語られるような、「既存のモノ」との温度差やDIY精神は、彼のパーソナリティに依るであろう部分と共に、雑な言い方になるが19歳という年齢による部分も大きいだろう。その意味では彼の“今”であると共に、彼らの世代の「今の見方」が落とし込まれた「今だからこそ」生み出された作品だろう。 インタビュー:高木“JET”晋一郎
■まずQN君とHIP HOPの出会いは? 「ウチの姉がHIP HOPが好きで、それで中学校ぐらいからEMINEMとか50 CENTとかいろいろ聴かされてたんですね。で、中2のときにJURASSIC 5を聴いて『これはヤバイ』って。それで西海岸のアングラなんかを本格的に聴くようになったんですよね」
■どこら辺にピンと来たの? 「『POWER IN NUMBERS』(02年)を聴いたんですけど、JUJU(BEATNUTS)がプロデュースした“IF YOU ONLY KNEW”のフルートの使い方に衝撃を受けて」
■じゃあサンプリングって手法にまず反応したんだ。 「そうですね。あと中学の頃はブラバンだったりしたんで」
■ハハハ。管楽器の音になじみがあったんだ。 「そうかもしれないっすね。で、バイトしてターンテーブルを買ってDJをまず始めてたんですけど、それだけじゃ物足りなくなっちゃってKORGのシーケンサーを買って曲作りも始めたんですよね。それが中3ぐらい」
■回りにHIP HOPの曲作りをやってるような友達っていたの? 「いや、いなかったですね。それで姉ちゃんの紹介で、今回も参加してもらってるRATLAP君や、プロデュースしてもらったELMORE君と知り合って、今まで一緒にやってるって感じですね」
■なるほど。ラップを始めたのはいつ頃? 「トラックを作ったのはいいけど、ラップしてくれる人がいなかったし、DJだとなかなかイヴェントに食い込みづらいじゃないですか。だけどラップ出来れば、ライヴだったら一曲二曲みたいな形でも出やすいかなって。それにDJも好きだったけど、DJよりラッパーの方が目立つなって(笑)」
■結構人前に出たい欲が強かっ���の? 「そういう願望は強かったですね。それでラップを高2から始めて」
■じゃあ、ラップ始めてまだ3年ぐらいなんだ。 「現場やライヴに力入れて、そこで名前上げていくのが筋道でしょって人も同世代にいるけど、俺の場合はそれより音源作った方がいいんじゃないかって考えは前からあって。ラップ始めたときもすぐマイク手に入れて、音を録るってことを集中してやってました。それをMDに焼いて友達に配ったり」
■なるほどね。話は変わるけど、SIMI LABの成り立ちを教えてくれる? 「『SAG DOWN』(SD JUNKSTA/SDP主催の町田のイヴェント)でOMSB'Eatsと知り合って、普通に遊び友達になって『じゃあなんかグループ作ろうよ』って始めたのがキッカケですね。だから何となくノリでっていうか」
■QN君の音楽歴を訊くと、DJにしてもトラック・メイクにしてもラップにしても、誰かとじゃなくてひとりで進めてった感じだよね。その意味ではSIMI LABと組んだことでQN君の中で意識変化ってあった? 「OMSB'Eatsと出会ったことは大きかったですね。会う前は90年代HIP HOPを追っかけて、今のメインストリームはHIP HOPじゃない!みたいなことを言ってるような奴だったんだけど、OMSB'Eatsはメインストリームからアブストラクトまで幅広く聴いてて、それを聴かせてもらうことで、そういうのにもヤバいところはあるんだなって気づけたのは大きかったですね」
■俺がSIMI LABを知ったのは、メテオの“MOTERU”と、YouTubeで観た“WALKMAN”のPVだったのね。特にPVは、SIMI LABについて何の予備知識もなく見たから、人種も性別も混淆したこの集団は何なんだって衝撃がまずあったんだ。そういった構成メンバーになった理由は? 「地元の相模原がそういう感じだからですね。キャンプもあるし、外国から日本に来て働いてる人も結構多いんで、ハーフも多かったり。かつOMSB'Eatsがそういう人との繋がりもあったから、自然に今の構成になりましたね」
■SIMI LABの平均年齢ってどれぐらい? 「21〜22(歳)じゃないですかね。一番上が24で、一番下が17」
■“WALKMAN”の反響は大きかった? 「再生回数がみるみる上がって、『なんか起きるんじゃね?』みたいな感じはありましたね。ただ、あの曲はDYYP RIDEとMARIAがSIMI LABに入ったから、昼ぐらいにウチに集まって録って、そのまま『この曲でPV作んね?』ってそのまま撮影して、それを俺が編集してそのままアップしたモノだったんですよ。だから全部一日で作ったんですよね」
■そうだったんだ。あのときはほとんどSIMI LABに対する情報がなかったし、何者かは分からないけど曲は凄いっていうインパクトはスゴく大きかった。上げたときはこんなに評価されると思ってた? 「全然思ってなかったっすね。PV録ったのも、YouTubeに上げたのも初めてだったし」
■評判になったことでモティヴェーションは上がった? 「そうですね、それはかなり。このアルバムも最初は完全に自主で出そうと思ってたんだけど、評判になったことでもうちょっと大きな形で流通できるようになったし」
■このアルバムは当初は完全自主を考えてたんだ。 「そう��すね。まずキッカケを作りたいって感じだったから。そして作って少しでも評判になればいいなって感じで、一年以上前から作ってましたね。何しろEARTH NO MADを始めトラックを作る奴が周りに多いから、トラックはとにかくいっぱいあったんで、あとはラップするだけだったから。それに、目立ちたがりの宿命じゃないけど、『じゃあ(SIMI LABの中から)まず俺が目立ってくるからさ』ってそういう感じもありましたね(笑)」
■制作はどういう風に進めていったの? 「俺自身やりたいことがコロコロ変わるんで、トータル性よりも、とりあえず一曲一曲作って、曲が集まったらその中で選択して構成しようかなって。ただトーンとしては、ヘッズ過ぎず、病んでる感じでもないモノにしようとは思ってましたね。日本語ラップって結構そういう打ち出しが強いじゃないですか。だからいかにもヘッズやマニアに受けるような曲は今回外したし、それよりも日本でまだ誰もやってない作品にしたいなって。それが収録する基準でしたね」
■今回の作品ってスゴく温度が面白いと思ったんだ。いかにもヘッズっていうような熱さはないけど、後半だと”TRAFFIC”みたいに温度が上がる曲もあって、全部がドライに冷めてるってわけでもない。その温度のバランスが面白いなって。 「前半はヘラヘラしてるけど、後半は結構シリアスだったり熱い部分も出しましたね。それは俺がコロコロ考えが変わっちゃうからかもしれないんですけど。だからOMSB'Eatsにも『その性格が今回は良い風に出たね』ってドヤ顔されましたけど(笑)。ただ、やりたいことがコロコロ変わるから、このアルバムも今やりたいことではもうないんですよ。タイトルの『THE SHELL』っていうのも“抜け殻”って意味で付けたんですよね。中身はもう違うよって」
■やばいね、生意気だね(笑)。リリックの質も、高邁な理想であったりっていうより、自分の周り500メートルというか、身近とか卑近ともまた違うんだけど、自分を取り巻いてることについてラップしてるよね。 「自分そのまんまでやればいいじゃんってリスナーにも分かってもらいたかったんですよね。ハスリンとかギャングスタじゃなくてもラップできるよって。それよりもただ音楽を楽しめばいいじゃんって提示はしたかった」
■その意味では、QN君のラップは聴感を大事にしてると思うんだけど、そういった方向性もそういった考えから? 「あんまりメッセージとか言葉でどうのってことがより、気持ち良い単語や発声を大事にしたいなって思いはありますね。それに、ただの日本語ラップから抜け出したいって気持ちはありますね。同世代を見ても『日本語ラップ(のフォーマット)そのまんまじゃん』って思ってしまうのが多くて、それよりも『自分の思うまんま』の、自由なことをやればいいのになって。もっと自分も単純に楽しめるような。そういう日本人らしくない……でも“黒い”って表現も嫌なんだよな……USに近い感じを出したかったというか、それを日本人でも出来るってことに感動してくれたら嬉しいですね」
■なるほど。SIMI LABでアルバムの予定は? 「来年には。OMSB'Eatsがイニシアティヴを取りそうなんですけど、奴はかなりアブストラクトなんで、その対抗軸としてEARTH NO MADの安定感のあるサウンドを取り込んでバランス取ろうかなって」
■最後に、QN君の目標ってなに? 「あんまり考えてないですけど、僕、個人というよりSIMI LABは日本のLIVING LEGENDみたいにしたいんですよ。で、でっかくなったSIMI LABの中核のポジションをずっと維持してたいっすね。だから僕個人ていうよりSIMI LABをもっとビッグにしたいです。一家の大黒柱的な」
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