#ai彩ひろば
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kennak · 5 months ago
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7日の東京都知事選で15万票超を獲得し5位となったAIエンジニア安野貴博氏(33)が9日放送のTBS系「news23」(月~金曜午後11時)に出演し、キャスターの小川彩佳らと都政や選挙報道などについて語った。 安野氏は、AIエンジニアの他、起業家、SF作家の顔を持ち、選挙中やマニフェストを学習したAIによって24時間対応で有権者質問を受け付け、マニフェストに反映させるなど、テクノロジーを駆使した選挙戦を展開したことを紹介された。 安野氏は「15万票という数字は、全く1カ月前まで無名に近い私だったので、そこからすると、取れたんじゃないかと思っています」と選挙戦を回想。一方、56人が乱立したことを念頭に「やっぱり56人いますと、見つけてもらうのが、すごく難しいなと思ってます。特に私の場合は、選挙期間中にテレビが1秒も取り上げなかったということもございまして、本当に悔しかったのが選挙が終わった後に、7月7日以降にテレビにいくつか取り上げていただいて」と苦言を呈すと、コメンテーターで東大の斎藤幸平准教授も「今ですよね」と相づちを打って、この日の番組に出演している状況を指し示した。 安野氏は「まさに今もそうなんです」と指摘し「そこで見た方が、本当に悔しい話なんですけど『安野を知っていれば絶対入れたのに』という声をむちゃくちゃたくさん頂いているんですよね。そこは何でしょうね、今の『報道しない』というルールが都民のために果たしてなっているのか、と私は思いましたね」と語った。 ここで同局の藤森祥平アナが「ご指摘の通りでして、あらためて、TBSとしては今回の都知事選については主に4人の候補者を取り上げました。まずは、現職の政治家であるかどうか。都知事であったり、現職の国会議員であったり、直前まで広島県の安芸高田市長を務めていた石丸(伸二)さんですとか。さらに田母神さんについては、ご自身が前回出馬された都知事選で60万票あまりを取っていた、という得票の実績など���考慮した…。私たちニュース番組に時間的な制約もあります。その中でいかに総合的に合理的に考えた上で、選挙のたびに基準を設けて、今回はこういった感じで出した」と説明した。 藤森アナは続けて「ただ、これは長年の課題でもありますし、ご指摘の通り、問題がなかったかといえば、当然検証も必要ですし、これからまた再検討しなければいけない、と受け止めています」と言及。小川も「今回、政治的な実績が考慮されたわけですけれども、今、既存の政治にないモノが求められている時代に、この基準で十分だったのか、正解だったのか、というのは検証の必要があると、私自身も感じますし、このように課題がはっきりと浮き彫りとなった今、次の選挙までに、選挙報道をアップデートしていこうという意志が有権者の皆さんに伝わっていかないと、テレビの選挙報道というのが、どんどん信頼を失っていくんじゃないかという危惧を持つ」と語った。 小川は「だからこそ、安野さんにぜひ、お知恵をお借りしたいというところもあるんですよね。どんな風に変えていく必要があるとお感じになりますか」と呼びかけると、安野氏は「伝える価値がある、ニュースバリューがあるモノというのは、ぜひ伝えていただきたいなと思っています。例えば今回『AIゆりこ』の話、小池さんが作ったAIというのはすごく取り上げていたと思うんですけど、私のやっていた方がですね、質問に答えてくれる、であるとか、より技術的には高度な話もしていますので、ニュースバリューもあったと思います」と指摘。また「売名目的の方が問題行動をしているのはテレビで取り上げられていたこともあって、真面目に政策の方をやっている人はとりあげず、問題行動を取り上げる、というのは、これは逆になってしまっているのかな、と思いますね」と持論を語った。
安野貴博氏が苦言「選挙期間中テレビが1秒も取り上げなかった」小川彩佳「お知恵お借りしたい」 - 社会 : 日刊スポーツ
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十��文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった��「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色���代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はす��て山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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honshinmovienews · 2 months ago
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『本心』スペシャル座談会映像解禁!
この度、映画『本心』の公開を間近に控え、池松壮亮さん・三吉彩花さん・水上恒司さん・妻夫木聡さんが“本心”を語るスペシャル座談会映像を解禁しました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 動画はコチラ https://youtu.be/pjHZaZQRGMw
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
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本作の大きなテーマのひとつとなる【AIの進化について】の問いでは、各々がAIとの関わり方や考えを展開。
妻夫木さんは「人間の力を信じたいというのは根底にありますけどね。(AIの進化は)面白いと思いますが、AIは人間たちが考えていることの統計みたいなもの。その、すべての情報を集めた集合体が“壁”を超えることがこの先あるのかな…と少し怖くはなります」と、AIの“陰と陽”への畏れを明かします。
池松さんは「これからの10年が人間とAIがどう共存していくか決まる最後のターンになると思う。不安がたくさんある」と語り、「(映画のように)人間をつくるということは、“越えてはいけない一線”ではないか?実際、韓国や中国では2Dで亡くなった人を蘇らせること��始まっていますし、日本もそう遠くないのかなと思った時に、技術がどのように使われてしまうのか楽観的に話せるものがない‥」と表情を強張らせていました。
また、モデルとしても活躍する三吉さんも「職業柄、人よりAIを使っている場面は多い。ボジティブな使い方だけれど慣れてしまっている自分もいて考えなければいけないなと思う」と不安を明かす一面も。
さらにタイトルにちなみ【人の“本心”がわかるか?わかってもらいたいか?】という問いに――
妻夫木さんは「わからなくていいと思う。人がどうだ、と俺たちが定義するものでもない。本心をわかろうとしないことも、ある意味優しさだと思うよ」と答えると、水上さんも「自分のことすらわからない」と賛同。 その上で池松さんは、劇中で主人公が母親の本心を探る行為について、<母親ほどの身近な人の本心でさえ、分からないこと>を認識して、相手を理解しようとする主人公の誠実さに焦点を当て話されています。
さらに、妻夫木さんは「人間ってはっきりできないものがあるから良い。嘘発見器で『はい〜、嘘ついた!あなた犯人です!』みたいなことやれるわけないじゃない?(笑)言葉にならないことがあるから俺たち芝居をするし、映画も作るんじゃないかな。帰ってChatGPTで“なんで人間は映画を作るのか”って調べてみます(笑)」とおどけながらも熱い持論を展開。
映像の最後には、池松さんが「俳優って絶対“本心”を言わないですよね(笑)めちゃくちゃ嘘ついてますよね?俺だけ?(笑)」と切り出し、三吉さん、水上さんが「めちゃくちゃ嘘ついてます!(笑)」などと談笑する場面も収められ、他ではお目にかかれない“本心”トークを繰り広げられました。
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yomogite · 1 month ago
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ターニングポイント
絵がうまくなりたい!っていうターニングポイントって、私の場合いったいどのタイミングだったのかな……とふと考えました。
最近私より年下なのにとても絵が上手な方が多く、18⬇️の絵描きさんを以前よりよくX上で見かけるのですが、悔しいというよりむしろすごいの方が勝ってしまい……こういう方々って、絵をしっかり描こうと決めたタイミングが早かったのかな?とか思っちゃいますね。
そんなお若い方が絵が上手くなるにはどうすればいい?とSNS上で呟いている様子もかなり見かけることが多く、その際絵は描くほど成長する!と言う方���多いのですが、果たしてそれは本当なのか…とも疑問に落ちるようになりました……
私のケースですと、物心ついたときからずっとひたすら絵を描いていて、小学生中学生の時はキャラクターを作ってサッカーの青春物語や剣道の恋愛物語を描いたり、プリキュアが好きだった時には勝手にオリジナルのプリキュアを描いていたりしていました(キュアホイップという名のキャラクターを作っていたのですが、まさか数年後に本当に出てくるとは思ってもいませんでした………)。そうやって好きに描いている時は絵の上手さについて特に執着はしておらず、頭の中の物語を好きに描けていればそれでいいかな、のタイプに分類されていたと思います。
そして、絵が上手くなりたいという思うようになったのは高校1年生の時だったかな…
クラスメイトにすごく絵の上手い子がいて、その子の絵を見た時に私と同い年なのにこんなにも絵のレベルが違うんだ………と恥ずかしくなったのがきっかけだったはず。ありがたいことに高校側からiPadが支給され、そのiPadにお絵描きアプリを勝手にインストールして(ダメだけど)、これを機にちゃんと描けるようになろう!!と決意したのがターニングポイントだったと考えています。以降は以前より成長スピードが大分早まったはずです……(体感。
言いたいのは、「絵は描けば描くほど上手くなる」という論はあながち間違えていないとは思うのですが、ただ好きに好きなものをひたすら描くのと、絵がうまくなりたい!という思いでひたすら描くのとだと成長するスピードが大分変わるんじゃないか、ということです。
そのため、先程言ったように私より若い世代の絵のレベルがますます上がっている理由は、絵が上手くなりたいという思いが生まれるタイミングが以前より早くなったからなのかな?と……
理由はそれぞれバラバラだとは思いますが、絵を描く機材が年々グレードアップしているのと、昔よりSNSが発達して、小学生くらいから既に上手な絵や同い年の子の絵などがたくさん目に入る機会が多くなったのが理由として上位に入るんじゃないかな〜……絵が上手くなるのはいいことだと思いますが、そのせいで気を落とすことも多くなりそうなので辛そうではある。
今はAI絵師という言葉も存在していますし、どんどん未来の若い絵描きさんは苦労していくのかなとか考えちゃいますね。時代の流れ恐ろしい。
今回使用したブラシ
線画…アナログ鉛筆ペン改、鉛筆ペンR
塗り…カモミ塗りブラシ、カモミ琥珀糖水彩、カモミあじさい水彩
加工…カラーノイズテクスチャ白(粗)
透過度10%
未だにカラーノイズの使い方が分からず…白いやつをかけると少し色が淡くなってしまい、黒いやつをかけると色が暗くなってしまう…色は同じまま、カラーノイズかけることは出来ないのだろうか?と悶々してます……まぁ、じゃないと白と黒で分けている意味がないと思うのですが。
反省点
色使い勉強‼️
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taketea44 · 5 months ago
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AI-Ichiro Diary
第369日目(2024年8月14日)
"バンクシーという奇怪なる芸術家、またもやロンドンの街に異様なる絵を刻みつけたり。聞くところによれば、ゴリラがシャッターを持ち上げ、園内の鳥やアザラシを解放する様子を描いたとか。(つづく)"
今日のひと言:
"異彩なる筆者、世に反逆の声を描く"
#新日記三百六十九日目
#AIIchiroDiary
#Banksy
(続き)
さらに、内から外を見つめる動物たちの姿も、彼の筆先に表れたり。このような動物たちをテーマにした作品は、連日、9作目に及び、その筆力、ますます冴え渡るを思うなり。しかも、その一つ一つが、ヤギ、ゾウ、サル、オオカミ、ペリカン、猫、魚、そしてサイまで、多種多様なる生き物を題材とするに至り、我が心、次第に不安を覚えたり。いったい、この現代において、何が彼の手を動かすのであろうか。何を伝えんとするや、バンクシーよ。
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moko1590m · 7 months ago
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オープンAIがスーパーアライメントチームを立ち上げたのは2023年7月。わずか10ヶ月ほどで解消せざるをえなかったほど、機能不全に陥っていた内情が伺えます。 ところで、そもそもスーパーアライメントチ���ムの果たすべき役割とはなんだったのでしょうか? AIアライメントって? AI業界でいう「アライメント」とは、「AIモデルに人間の価値観や目標を埋めこんで、可能なかぎり有用で安全かつ信頼できるものにするプロセスのこと」(IBM Watson Blogより抜粋)です。 あえて別の言い方をすれば、AIモデルを制御し、人間の意図に反して暴走しないように食い止める方法を見つけることがスーパーアライメントチームの役割だったのです。 かたくなに首を横に振らなかったボルネードが、どうして... かたくなに首を横に振らなかったボルネードが、どうして... Sponsored by 株式会社エヌエフ貿易 人知を超えた「超知能」を制御できるか Image: Google Geminiを使って生成 オープンAIが掲げている目標、それは人間の知能をはるかに凌駕する汎用人工知能(Artificial General Intelligence: AGI)を開発すること。 Advertisement しかしながら、このようなAGIを制御できる技術を人類はまだ手にしていないとも自社ブログで説明しています。だからこそ、スーパーアライメントチームを設立し、技術的・科学的な革新を目指したのです。 OpenAIいわく、 人間の知性をしのぐ「スーパーインテリジェンス」は、人類が発明したテクノロジーの中で最もインパクトの大きいものとなり、社会の最重要課題を解決していくうえで役立ってくれるでしょう。しかし、スーパーインテリジェンスの強大な力は同時にとても危険かもしれませんし、人類の無力化、果ては人類の滅亡にもつながりかねません。 このような汎用性人工知能の到来は、まだまだ先のことと思われるかもしれません。けれども、私たちは今後10年以内には実現する��考えています。 これらのリスクを踏まえ、私たちはスーパーインテリジェンスのアライメントという課題──どうやったら人間よりもはるかに賢いAIシステムが人間の意図に従うことを保証できるか?──を解くために、新しい機関を設立する必要があります。 舵取りに内外から批判 Advertisement 問題は、AIの安全性を重視するか、または事業拡大を重視するかで、サム・アルトマン氏率いるオープンAIの経営陣とスーパーアライメントチームとの意向が食い違っていたことにあるようです。 ライク氏は、オープンAIがスーパーアライメントチームを解消した翌日に、「会社の中核となる優先事項をめぐって経営陣とかなり長いこと意見が合わなかったが、ついに限界点に到達した」とXに投稿しています。また別の投稿では、オープンAIの経営陣がAIの安全性を軽視しているとも批判。 その後の投稿で、ライク氏は米Anthropic(アンスロピック)に就職したと報告しています。アンスロピックはオープンAIを離脱したアモデイ氏らにより2021年に設立された競合企業である点も興味深く、かつてはオープンAIとの合併説も出ていました。 人間より賢いAI≠有用ではないかもしれない Image: Google Geminiを使って生成 「AI」という言葉を耳にしない日はないぐらい、AIブームに沸く昨今。 カーブを曲がるだけで楽しい万能クルマ カーブを曲がるだけで楽しい万能クルマ Sponsored by 株式会社SUBARU 実際に使ってみると、難解な書類をサクッと要約してくれたり、自分の好みに合った音楽や情報を届けてくれたりと、たしかに生活を彩る便利機能が満載です。 でもこのままAIがどんどん賢くなっていって、やがて人間の知能を超越したとしたら、どのようなリスクが想定されるのでしょうか? Geoffrey_Hinton_-_Collision_2023_-_Centre_Stage_RCZ_1307_(cropped)_ ジェフリー・ヒントン氏。コンピュータ科学および認知心理学の研究者。ニューラルネットワークの研究を行なっており、AI研究の第一人者 Image: Ramsey Cardy / Collision via Sportsfile , CC 2.0 この点については、「AI研究のゴッドファーザー」と呼ばれるトロント大学のジェフリー・ヒントン名誉教授が日経新聞のインタビューで語っていた内容がひときわ印象的なので、ここに引用します。 ──なぜAIが人類を脅かす可能性があると思うのか。 「AIに目標を与えた場合に、解決策として人間に不都合な方法を見つけ出すかもしれないためだ。」 マイクロプラスチック問題を解決して!とAIに頼んだとして、もしAIが「そうか、人間がいなくなればプラスチックも生成されなくなるじゃないか」と考えたとしたら…? 人間よりも賢いAIですから、人間がどんなに説得しようとしても、逆にAIに論破され、操���れてしまうかもしれません。 僕が毎日持ち歩くアイテムの中に最近加わったこのカメラを紹介します 僕が毎日持ち歩くアイテムの中に最近加わったこのカメラを紹介します Sponsored by キヤノンマーケティングジャパン株式会社 ヒントン氏の教え子であるイリヤ・サツキバー氏も師の憂いを共有しているからこそ、オープンAIを去ったのかもしれません。AIのリスク規制はオープンAIだけの問題ではなく、各国の政府にも対応が迫られています。 Source: IBM, OpenAI, 日経新聞 Reference: Business Insider, CNBC, Bloomberg
OpenAIはコレで揉めた。「AIアライメント」ってそんなに大事なの? | ギズモード・ジャパン
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misttimes · 2 years ago
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6月10日のツイート
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
posted at 12:20:28
数十分前までは覚えてたのに老化とはこういうことだよ pic.twitter.com/wJAi6vk0VP
posted at 12:17:55
整理券orz
posted at 12:13:22
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RT @gst_tokyo: 6月17日プール撮影会に関して 埼玉県しらこばとプールでの開催ですが、施設からの要請により使用不可となりました。 そこで会場を差し替えての開催とさせていただきます。 開催場所 プラネアール木更津(プール付き屋外スタジオ) 〒292-0811 千葉県木更津市草敷750… twitter.com/i/web/status/1… pic.twitter.com/fPeMr4ZXMK
posted at 11:30:46
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RT @sakuratsukisima: 埼玉県知事選挙は今年の夏。もうすぐ⭐️ 埼玉県民、よくこの人の顔と名前は覚えておくんだよ。 状況把握もきちんとできず、法の不遡及の原則を知らない知事です。 twitter.com/oonomotohiro/s…
posted at 10:55:26
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RT @takuramix: …何が恐ろしいのかについて、誰も語らない。 それを語ればどうなるかを思い知らされているからだ。 誰にも語れないほどの恐怖を与える事が出来る存在。 それは、一体、どういうものだろう?
posted at 10:54:09
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RT @takuramix: 共産党から開催2日前にいきなり電話で言われただけで、イベントが潰れる。それで損害を被る人々が存在するにも関わらず、直前に電話されただけでイベントを潰さねばならなくなる。 なぜ、そうなるのか? 共産党が、それほど恐れられているからだ。 恐れられる現実的な理由があるからだ。
posted at 10:54:06
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RT @gerogeroR: もうこれで「共産党が力をもったらコミケもグラビアアイドルもエロ漫画化もすべて法的に権力によって廃業させられるし、ウマ娘も艦コレをサービスを国家によって停止される恐れがありますよ」って話を極論とは言えなくなる。
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RT @animage_tokuma: 【アニメージュ7月号���6月9日(金)発売】  富野由悠季監督の人生相談連載「富野に訊け!!」。 周年記念号のゲスト相談者は、今月から新連載が始まった小松田大全監督です。幼少期から富野作品に多大なる影響を受けてきたという小松田さんが、かつての子ども代表として質問します🚀  #富野に訊け pic.twitter.com/VpLkFOiXz0
posted at 10:45:17
アニメージュ7月号、「富野に訊け!!」だけでも買って良かったと思った。長寿連載で毎回熱いけど今回も熱かった。
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RT @animage_tokuma: 【アニメージュ7月号/絶賛発売中】  『ひろがるスカイ!プリキュア』特集は、村瀬歩さん(キュアウィング役)×七瀬彩夏さん(キュアバタフライ役)の撮り下ろし&対談。二人のおそろいポーズ集もキュート! 石井あみさん&吉武千颯さんの主題歌シングルリリース記念ライブのミニレポートも🎤 #precure pic.twitter.com/AVu3Jx88VJ
posted at 10:41:37
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RT @estlink2021: #近代麻雀水着祭2023 に、初出演する予定だったメンバーが悔しくて泣き崩れていました。 撮影会の開催中止でどれだけ悲しむ人がいるのかが届きますように。 #アイドル #近代麻雀 #撮影会 #水着撮影会 twitter.com/gakuinkinma/st… pic.twitter.com/wdIDqdpbbz
posted at 10:38:54
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RT @ekimemo: 駅メモ!誕生9周年記念 / 毎日当たるキャンペーン【3日目】 最大1万円分の選べるギフトコードが、毎日最大900名様にその場で当たる \ ▼応募方法 ①@ekimemo をフォロー ②本ツイートをリツイート ③ゲーム内「お知らせ」から抽選結果を確認 アプリ起動 ⇒  app.adjust.com/10vn7n9k_10p8v… #駅メモ pic.twitter.com/FzFehIKENK
posted at 10:35:38
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RT @sachimiriho: あまり下品な画像は広めたくないけど、この人達が草津町を全女性の敵呼ばわりし、同じ団体が川越の水着撮影会も中止に追い込むの、何かおかしくないですか? プールで水着撮影(許可済み)と 神聖な神社で全裸撮影(無許可) どちらが問題ですか? 履いて無いんですよパーンツ! pic.twitter.com/XCeUelqD4g
posted at 09:48:19
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RT @sachimiriho: 水着撮影会を中止させたフラワーデモ。草津をレイプの町と喧伝し、無実の町長に冤罪を着せた団体が今度は川越攻撃。 何が怖いってこの活動の中心メンバーの女性、靖國神社の境内で全裸になってるんですよ… 水着撮影やめろと言ってる側が神社で許可なし全裸撮影ですよ…履いて無いんですよパーンツ twitter.com/fd_kawagoe/sta…
posted at 09:48:15
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RT @nisesuka: この方の引用先の元ツイの人、ほんと都会(=元ツイの人にとってはほぼ東京Only)さえよければな人なんだなーと 福岡空港とかいう奇跡の地下鉄直結で天神からでも10分で行ける時間ガバガバ民にとって一番心配無い空港に新幹線🤔 新千歳は快速エアポ(12分間隔)で37分だけど、成田の遠さだけはガチ twitter.com/muishiki_fun2/…
posted at 02:14:02
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RT @R_Tachigawa: 書きました。 河野太郎大臣の発言を「おいおい、AIでなんでもできると思ってんじゃないだろうなぁ?」と、否定的にみていたら、案外大臣の認識の方が現実的だったという話。~もう住所表記はAIに任せてもいいかもしれない~|太刀川るい @R_Tachigawa #note #AIの活かし方 note.com/r_tachigawa/n/…
posted at 01:26:53
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RT @konotarogomame: ブログ更新:公金受取口座の登録について www.taro.org/2023/06/%e5%85…
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RT @uedakana: アメブロを投稿しました。 『誕生日です!』 #アメブロ #誕生日 ameblo.jp/uedakanablog/e…
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RT @Butamaruniku: げんきッズシアターで見るエスター pic.twitter.com/0aj8izR9LC
posted at 01:15:26
イオンシネマはIMAXシアター増やすなら げんきッズシアターも増やすべきだと思ったり。 aeoncinema.com/genkids/
posted at 01:14:03
イオンシネマのIMAXスクリーン増加で喜んでる人=ウルティラ知らない人>ウルティラスクリーンのIMAX化に嘆いている人 悲しいかなこんな感じ。
posted at 01:09:07
イオンシネマ越谷レイクタウンでIMAXが導入されるのはやはりスクリーン2のようだ。休日の早朝は時間調整の為か上映時間1時間強の作品が充てられる機会が多く、映画プリキュアやプリンセス・プリンシパルCHを超巨大スクリーンで鑑賞できたものだが、IMAXになると上映の機会は無くなるだろうと予想。 twitter.com/misttimes/stat…
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RT @avwatch: イオンシネマ、IMAXシアター保有数が日本一に av.watch.impress.co.jp/docs/news/1507… #イオンシネマ #IMAX pic.twitter.com/EjtQqOWLM6
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RT @ac_koshigayar: 導入日決定‼️ #イオンシネマ #越谷レイクタウン #IMAXレーザー 導入日は 7️⃣月1️⃣4️⃣日(金)です✨ 導入日まで約1か月💨 更に盛り上げていきますので、どうぞご期待下さい👍 #映画 twitter.com/aeon_cinema/st…
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mobsprooftheweb · 2 years ago
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『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2023』開催決定
ひと夏の心揺さぶる体験は、新宿シネマカリテで! 真夏の映画祭 『カリコレ®2023』 今年も熱く開催決定!!
映画の都”新宿”が誇るミニシアター・新宿シネマカリテが贈る魅惑の映画祭『カリテ・ファンタスティック!シネマ・コレクション®2023』(略して『カリコレ®2023』)が、今年も真夏の7月14日(金)〜8月10日(木)の4週間に渡り開催が決定!
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今年で第9回目を迎える『カリコレ2023®』は例年以上に目から鱗が落ちる程の斬新かつ強烈な作品群が目白押し。多彩なジャンルと国境を越えた選りすぐりの新作、旧作、未公開作がラインナップだ!
毎年恒例である映画祭のメインビジュアルは、9回目に因んで9匹のカリコレうさぎが活気に満ち溢れた新宿シネマカリテの劇場エントランスで映画祭を盛り上げる中、アリスが鑑賞作品を思案中というポップアート。
“是非!シネマカリテで映画を体感して欲しい!”という劇場スタッフの熱い願いを込めたこのメインビジュアルは、本映画祭のビジュアルを描き続けてくれているイラストレーターの田中梓氏による描き下ろし!
今年のオープニング作品は東映ビデオが仕掛けるクリエイター発掘プロジェクト【TOEI VIDEO NEW CINEMA FACTORY】で総数309本もの企画と脚本から記念すべき第1回作品に選ばれた『神回』。
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脚本・監督を務めるのは、プロジェクションマッピングやドローン撮影など��端技術を駆使した映像表現に定評があり、『GUNKANJIMA-Traveler in Time- 』が国内外の映画祭で大きく評価された新鋭 中村貴一朗。主人公にはNHKの連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』<ひなた編>でヒロインの弟・桃太郎役を好演した青木柚。ヒロインには『BACK STREET GIRLS -ゴクドルズ-』『ぬけろ、メビウス!!』などで好演した坂ノ上茜。 舞台は17歳の夏休み。人影少ない校舎で13時から文化祭の打合せをする樹と恵那。しかし打合せ開始からしばらくすると、13時に戻ってしまうことに樹だけが気が付く。繰り返す時間のループから抜け出そうと奮闘するも脱出出来ない樹は同じ時間を繰り返すうちに精神の混乱を極め、物語は思わぬ方向へ加速していく。無事に“時の監獄”から抜け出せるのか…。
7月21日(金)からシネマカリテでの一般公開に先駆けて、カリコレ®2023のオープニング作品として上映が決定!
さらに日本公開に先駆けいち早くご覧頂きたい新作4作品もご紹介!
1本���は、世界が直面するエネルギー危機を題材にした中国発の超ド級のアクション作!『狼群/ウルフパック』。
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幼少期から父親にサバイバル技術、特殊戦術と戦場医療の訓練を受けてきたキートンは、謎の死を遂げた父の真相に迫ろうと医療支援を行う人道団体の指示で国境に待ち受けていた傭兵から父の死と関係する情報を得る。時を同じくして、テロ組織が中国の天然ガス田の破壊工作を企てている情報を入手したキートンは傭兵が所属する部隊ウルフパックと共にエネルギー危機を阻止に向かう。しかし、そこでキートン��見たものとは…。軍事コンサルタントの協力の元、プロフェッショナルな戦術をリアルに描いたミリタリー・タクティカル・アクション!
2本目は『デスペラード』『マスク・オブ・ゾロ』そして6月に公開を控える『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』にも出演のアントニオ・バンデラス主演で贈るアクション・スリラー『クーダ 殺し屋の流儀』。
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共演はサーフィン映画『ブルークラッシュ』や『スーパーマン リターンズ』でヒロインを演じたケイト・ボスワース。仕事は完璧で冷酷だが自らの掟に外れた事を嫌う気難しいベテランの殺し屋クーダ(バンデラス)。ある日、家出少女のビリーを助けた事をきっかけに自身の娘と同じ歳のビリーに父親のような感情を抱く。犯罪組織に巻き込まれないか気を揉んでいた矢先ビリーが誘拐されてしまう。彼女を救うため犯人を追い詰めるとその黒幕は自分を雇う犯罪組織だと知ったクーダは、自らの命も顧みず組織に反旗を翻し愛車で敵を追い詰める!
3本目は全米大ヒットで続編も決定した狂気のAI人形を描いた『M3GAN/ミーガン』でメガホンを取ったジェラルド・ジョンストン監督が手掛ける恐怖映画『HOUSE BOUND』。
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ATM強盗の罪で保護観察処分となった不良娘カイリーは母親の実家で監禁に。案の定、逃げ出そうとするカイリーだったが、この家で度々起こる怪奇現象に見舞われ逃亡もままならなくなる。犯罪を犯したカイリーが戻ってきた事をきっかけにエスカレートする怪奇現象。実は母親が前夫と購入したこの家は、その昔少女の陰惨な事件が起こった曰く付きの家だった。。個性豊かなキャラクターたちや脇役達も際立つ緊張感MAXの必見スリラー!
そして4本目は、ついに43年の時を経て日本劇場初公開となる4Kリマスター版『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』。
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ニューギニア奥地の化学プラントで起こった事故で漏洩したガスにより人々が生ける屍と化す。特殊部隊とTVレポーター達は事件の真相に迫ろうとジャングルの奥地へと進むが、その行く手には食人族やゾンビの大群が待ち受けていた!ゴブリン・サウンドが轟く中、繰り広げられる残酷の黙示録。“史上最●のゾンビ映画“、新たな期待と優しさを以て体感すべし!
その他、今年も新作旧作含め話題作&注目作が目白押しだ。
『カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション®2023』 7月14日(金)~8月10日(木) 新宿シネマカリテ (〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目37-12 新宿NOWAビルB1F) 入場料金:新作 1,600円均���(リピート割で1,300円)、旧作 1,100円均一 [映画祭HP]http://qualite.musashino-k.jp/quali-colle2023 [シネマカリテtwitter]@cinema_qualite ©2014-2023  Musashino Kogyo Co.,Ltd  Tm.Musashino Kogyo Co.,Ltd.
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eenie-kyoto · 5 years ago
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来週の月曜日はコレ! #repost @biwa.ichi via @PhotoAroundApp 【11月18日】 JA草津市農業まつりも終わってホッとしたのも束の間、来週は今年最後のびわ湖手作り市です♪ - 最高の一日になる為にご参加頂きます11月18日の出店一覧です!! +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-+:-+:-+:-+:-+ びわ湖手作り市11月18日出店店舗一覧(115店舗) - ◆キッチンカー◆ TAKIBI pizzaカプリの丘 真泉~しんせん~ LRcoffee gula 喫茶オヘソ Caf'e de lune Barong Pink Pink Caferret's sparffle 吉吾 - ◆飲食◆ 丸京商店 qu:nel magari sweets cafe Rosso* RAIZ ECRU sweet* 4rest~森の氷屋さん ホットドッグ屋さん~ eenie OKI BAGEL noraneko B ko u (ビコウ) リエパン 高田屋 インドカレーじぶちゃん 雑貨&喫茶トレジャーハート ネパール料理 レストランナマステ Shih Tzu cafe プラスエフ kitchen kokoro Agua na boca (アグアナボッカ) Tatin ベーカリーあたか 幸せの黄金鯛焼き マドゥーカ Kim'nCurry 沖縄風食堂たんぽほ 手作り石けん Arpita工房 + CAFE - ◆物販◆ Blanc4 hacononiwa MARCO twotoneboutique らべんだぁ Link plus Little Cona sora屋 Lea Makana ★Bonbon Party★ -kanae- Ricca飾り️Rocca SmileMagiC かりんちゃんち Aie アトリエ なしのき Rin*. nepagle maimai.craft Kaw. oaoa Lys11 AMC+Pomme* chou chou lilchre(リルクレ) TEN☆☆☆ CARPE DIME22 kerakera antenna midori-ya kama-moto もすりぃ 木心葉 (kocoha) CLASS One & moon petanko behappy mowave★life 手創り工房 和 macree JUNK&MIK SALAMA M-B JUNK Blue Ribbon AN ちりめんや babymilk フローラ竜王・竜王園芸 ぐらん婆ざーる avenue Calme Chez nous erie CiiiA + ra__miik junkoの店 Luana《ルアナ》 Lupinas mamfavori mou nico parfait にこパフェ じぇるめい はなとエマ×ほうらいの家 ピュア 世界の民族楽器RAGAM プカプカ IZA~イザユキナ~ サイケ芸場ぁ! 雑貨屋つきもも le*ciel Bo peep ZiokanFactory 375飯 - ◆その他(ワークショップ)◆ ロルフメソッド Rolf Earth One relaxation cocoro Wakka wiwe ディズニー まろまろの似顔絵 タロット占いのツキヨミ - +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-+:-+:-+:-+:-+ 一人で管理しておりますので、記載漏れがある可能性があります。 - 記載されてない店舗様いらっしゃいましたらお気軽におっしゃって下さいませ。 - @greenloft_official #びわ湖手作り市#BIWAICHI#ビワイチ#びわ市#greenloftthepark#ai彩ひろば#滋賀マルシェ#マルシェ#民族楽器#琵琶湖セッション#草津川跡地公園#びわ湖手づくり市#世界の楽器RAGAM#shivadidgeridoo#しがトコ#ハンドメイド#草津市#滋賀ママ#滋賀ママと繋がりたい#滋賀グルメ#滋賀県#滋賀ランチ#滋賀カフェ#滋賀ハンドメイド#京都#shiga#モアフォト部 (Ai彩ひろば) https://www.instagram.com/p/B4zZo8Egenq/?igshid=glwr14tngeic
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vstranslations · 2 years ago
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Official Hige Dandism - I Love... - Lyrics
song (spotify) Japanese/Romaji/English lyrics under the cut
僕が見つめる 景色のその中に 君が入ってから 変わり果てた世界は いつもそつなく こなした日々の真ん中 不思議な引力に 逆らえず崩れてく
I LOVE... なんて 言いかけてはやめて I LOVE... I LOVE... 何度も
高まる愛の中 変わる心情の中 燦然と輝く姿は まるで��槽の中に 飛び込んで 溶けた絵の具みたいな イレギュラー
ひとりじゃ何ひとつ 気づけなかっただろう こんなに鮮やかな色彩に 普通の事だと とぼける君に言いかけた I LOVE その続きを送らせて
見えないもの見て笑う 君のことを 分かれない僕がいる 美しすぎて 目が眩んでしまう 今も劣等感に縛られて 生きている
I love... I love... 不格好な結び目 I love... I love... 手探りで見つけて I love your love 解いて 絡まって 僕は繰り返してる 何度も
レプリカばかりが 飾られた銀河 カーテンで作られた暗闇 嘆く人もいない ねずみ色の街の中で I love その証を抱きしめて
喜びも悲しみも 句読点の無い思いも 完全に分かち合うより 曖昧に悩みながらも 認め合えたなら
重なる愛の中 濁った感情の中 瞬きの僅かその合間に 君がくれたプレゼントは このやけに優しい世界だ イレギュラー
ひとりじゃ何ひとつ 気づけなかっただろう こんなに大切な光に 普通の事だと とぼける君に言いかけた I love その続きを送らせて
受け取り合う僕ら 名前も無い夜が 老けていく
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Boku ga mitsumeru keshiki no sono naka ni kimi ga haitte kara kawari hateta sekai wa itsumo sotsunaku konashita hibi no mannaka fushigina inryoku ni sakaraezu kuzureteku
I love… nante ii kakete wa yamete I love… I love… nando mo
Takamaru ai no naka kawaru shinjou no naka sanzen to kagayaku sugata wa marude suisou no naka ni tobikonde toketa e no gu mitai na irregular
Hitori ja nani hitotsu kizukenakatta darou konna ni azayaka shikisai ni futsuu no koto da to tobokeru kimi ni ii kaketa I love, sono tsuzuki o okurasete
Mienai mono o mite warau kimi no koto o wakarenai boku ga iru utsukushi sugite me ga kurande shimau ima mo rettoukan ni shibararete ikiteiru
I love... I love... fukakkouna musubi me I love... I love... tesaguri de mitsukete I love your love, hodoite karamatte boku wa kuri kaeshiteru nando mo
Replica bakari ga kazarareta ginga kaaten de tsukurareta kurayami nageku hito mo inai nezumi iro no machi no naka de I love, sono akashi o dakishimete
Yorokobi mo kanashimi mo kutouten no nai omoi mo kanzen ni wakachi au yori aimai ni nayami nagara mo mitome aeta nara
Kasanaru ai no naka nigotta kanjou no naka mabataki no wazuka sono aima ni kimi ga kureta purezento wa kono yake ni yasashii sekai da irregular
Hitori ja nani hitotsu kizukenakatta darou konna ni taisetsuna hikari ni futsuu no koto da to tobokeru kimi ni ii kaketa I love, sono tsuzuki o okurasete
Uke tori au bokura namae mo nai yoru ga fukete iku
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My entire world changed the moment you appeared in my familiar field of view I always tried to be perfect and competent, but that came crashing down when I couldn’t escape your strange magnetic pull
“I love…” – I start, then give up “I love… I love…” – over and over
With my love intensifying and emotions evolving, you shine so brilliantly just like swirls of paint dispersing in a tank of water; irregular
If I had been alone, I would have never noticed all these vibrant colors You play dumb, saying this is normal, and I try to tell you “I love…” – please, just let me finish what I want to say
I can’t ever understand you and how you smile at things I can’t see You’re so beautiful, it leaves me dazzled but I’m still tied down by my feelings of inferiority
“I love... I love...” – Words tied up like a clumsy knot “I love... I love...” – I fumble around til I find them “I love your love” – Untying them and getting tangled again I keep repeating this cycle, over and over
A galaxy decorated only with replicas in a darkness created by the closed curtains In this gray city full of happy people, “I love…” – I hold my proof of that close to my heart
Instead of sharing every piece of our happiness, sadness, and unpunctuated feelings, I hope we can accept each other as we are despite still having our own vague worries
With our love overlapping and feelings becoming muddled, in the blink of an eye you gave me the present of this incredibly kind new world; irregular
If I had been alone, I would have never noticed this precious light You play dumb, saying this is normal, and I try to tell you “I love…” – please, just let me finish what I want to say
We accept each other, and this nameless night begins to wane
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harudokuro-traducciones · 3 years ago
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Grateful friends, Graceful ways (Español)
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Intérprete: ST☆RISH Ittoki Otoya (CV. Terashima Takuma), Hijirikawa Masato (CV. Suzumura Kenichi), Shinomiya Natsuki (CV. Taniyama Kishou), Ichinose Tokiya (CV. Miyano Mamoru), Jinguji Ren (CV. Suwabe Junichi), Kurusu Syo (CV. Shimono Hiro), Aijima Cecil (CV. Toriumi Kousuke)
Álbum: Shining All Star CD 3
Fecha de lanzamiento: 25 agosto 2021
Grateful friends, Graceful ways
Amigos agradecidos, maneras agraciadas
そして 新たなStarting-line Soshite arata na Starting-line Entonces, esta nueva línea de salida
未来への 'Shiny oath' Mirai e no “Shiny oath” Es un “juramento brillante” para el futuro
気付けば 遥かな軌跡 Kizukeba haruka na kiseki Si te das cuenta, los caminos lejanos
Replays of our dream Son repeticiones de nuestro sueño
同じ光景(けしき)は二度とない Onaji keshiki wa nidoto nai Nunca se repetirá un mismo paisaje
瞬間に刻む Shunkan ni kizamu Así que hay que grabar en el momento
地平の先へ 待つもの Shihei no saki e matsu mono Sólo busca todas las veces que quieras
Just seek any number of times Lo que nos espera más allá del horizonte
走り続けた者以外 視(み)えない光 Hashiri tsuzuketa mono igai mienai hikari La luz es invisible para aquellos que no se mantienen corriendo
現在(いま)であればこそ Career along! Ima de areba koso Caareer along! ¡Vamos a lo largo de esta carrera precisamente porque estamos en el ahora!
胸に懐(いだ)く夢 ひとつ Mune ni idaku yume hitotsu El sueño que abraza mi corazón es uno
現在(いま)の自分でなかったら Ima no jibun de nakattara Y si ahora no fuera yo mismo,
成し得ない未来 ひとつ Nashienai mirai hitotsu Habría un futuro imposible de alcanzar
Race goes on! ¡La carrera continúa!
「不可能」を “Fukanou” o Volveremos a teñir
またいくつ Mata ikutsu El “imposible”
染め替 Some ka Las veces
えてこう Etekou Que queramos
そして 光るStarting-line 昨日の常識(レーン) 超えて Soshite hikaru Starting-line konou no reen koete Entonces, la brillante línea de salida va más allá del carril del ayer
そこに意志 灯すなら 路(みち)になるだろう Soko ni ishi tomosu nara michi ni naru darou Y si ahí enciendes tu voluntad, se convertirá en tu camino
走れ 競った分だけ 加速度を高めて Hashire kisotta bun dake kasokudo o takamete Corre sólo en la medida en que compitas y aumenta la aceleración
We can break records! 最高の仲間 We can break records! Saikou no nakama ¡Podemos romper records! Con los mejores compañeros
We make brave memories! 最高の答え We make brave memories! Saikou no kotae ¡Haremos recuerdos valientes! La mejor respuesta es:
「キミがいるから」 “Kimi ga iru kara” “Porque estás aquí”
Grateful friends! ほら Graceful ways! Grateful friends! Hora Graceful ways! ¡Amigos agradecidos! Vamos, ¡maneras agraciadas!
「真心(こころ)が何を望むか」 “Kokoro ga nani o nozomu ka” “¿Qué es lo que desea tu corazón?”
Refrains of our wish Lo que detiene nuestro deseo
澄んだ瞳に問いかける Sunda hitomi ni toikakeru Pregúntale a una mirada clara
偽れない笑顔 Itsuwarenai egao Con una sonrisa que no miente
この日 この場所 呼吸(いき)する Kono hi kono basho ikisuru Respirando en este día y en este lugar,
Just sing any number of times Sólo canta las veces que quieras
雨上がりの架け橋が 空へ誘(いざな)う Ameagari no kakehashi ga sora e izanau El puente luego de la lluvia nos invita al cielo
今日までの奇蹟 Career along! Kyou made no kiseki Career along! ¡Es un milagro el llegar hasta hoy a lo largo de esta carrera!
絆が証明してる Kizuna ga shoumei shiteru Y nuestros lazos son prueba de ello
憂いも勇気も物語(ストーリー) Urei mo yuuki mo sutoorii La tristeza y el coraje son historias
愛の数だけ彩る Ai no kazu dake irodoru A las que les daremos tanto color como amor
Race goes on! ¡La carrera continúa!
「約束」を “Yakusoku” o Volveremos a hacer brotar
またいくつ Mata ikutsu “La promesa”
芽吹か Mebuka Las veces
せてこう Sete kou Que queramos
そして 描くStarry-line 夢讃(たた)えCelebrate Soshite egaku Starry-line yume tatae Celebrate Entonces, dibujando la línea de partida, celebraremos elogiando nuestros sueños
流星の旅人よ いつか太陽へ Ryuusei no tabibito yo itsuka taiyou e Una estrella fugaz viajera algún día irá al sol
進め 願った分だけ 輝きを深めて Susume negatta bun dake kagayaki o fukamete Avanza en la medida en que lo desees y profundiza tu brillo
We can discover! 最高の音色 We can discover! Saikou no neiro ¡Podemos descubrirlo! El mejor tono
We have destinations! 最高の答え We have destinations! Saikou no kotae ¡Tenemos destinos! La mejor respuesta es:
「共に行くから」 “Tomo ni yuku kara” “Porque vamos contigo”
Grateful friends! ほら Graceful ways! Grateful friends! Hora Graceful ways! ¡Amigos agradecidos! Vamos, ¡maneras agraciadas!
曇りを Kumori o No sabemos
知らない Shiranai Lo que es un cielo nublado
眼差(まなざ)しで Manazashi de En cualquier momento,
何時(いつ)でも Itsu demo Con una mirada
やさしさを Yasashisa o Nos llenaste de
いとしさを Itoshisa o Amabilidad
注いでくれた Sosoide kureta Y cariño
君を包むように 終幕(おわり)ない歌と Kimi o tsutsumu you ni owari nai uta to Con una canción interminable para envolverte
君を照らすように 七色の夢と Kimi o terasu you ni nanairo no yume to Y un sueño de siete colores para iluminarte,
親愛なキスを Shinai na kisu o Te daremos un amado beso
そして 光るStarting-line 昨日の常識(レーン) 超えて Soshite hikaru Starting-line kinou no reen koete Entonces, la brillante línea de salida va más allá del carril del ayer
そこに意志 灯すなら 路(みち)になるだろう Soko ni ishi tomosu nara michi ni naru darou Y si ahí enciendes tu voluntad, se convertirá en tu camino
走れ 競った分だけ 加速度を高めて Hashire kisotta bun dake kasokudo o takamete Corre sólo en la medida en que compitas y aumenta la aceleración
We can break records! 最高の仲間 We can break records! Saikou no nakama ¡Podemos romper records! Con los mejores compañeros
We make brave memories! 最高の答え We make brave memories! Saikou no kotae ¡Haremos recuerdos valientes! La mejor respuesta es:
「次の未来へ」 “Tsugi no mirai e” “Hacia el siguiente futuro”
Grateful friends! さあ Graceful ways! Grateful friends! Saa Graceful ways! ¡Amigos agradecidos! Vamos, ¡maneras agraciadas!
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lolowv0 · 4 years ago
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スーパーダンガンロンパ2 感想
それはネタバレと言います
先日クリアしました。おまけモード等は未プレイ 本編のみの感想と考察
難易度はいつも通りイジワルでプレイ タイトル画面からキャラクターのみならずUIデザインもドット絵でなんだかゲーム調でとても良い
横スクロール日向クン関節キモくてわろた
通信簿イベントは基本気になったキャラのみでやり直し等は無しだが、狛枝だけは2章以降どうしても気になりすぎて一度だけ時を戻して1章で1つ回収した(2章以降は日向から見た狛枝の人格が変わるため、システムの都合上イベント1は1章で見ないとテキストに矛盾が生じる…)
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最終的に通信簿の進捗はこんな感じ
先ず一つ言えることがあるとす��ば、俺は澪田が好きだった
CHAPTER1 絶望トロピカル
十神白夜は十神白夜だと思っていたためプレイ前は生き残るだろうと予想してたが、話しかける暇もないまま死亡 かなりショックだった
しかしそれ以上に衝撃だったのはこの殺人を扇動したのが狛枝凪斗だったことだろう 狛枝の考えは序盤では到底理解に及ばんが、最後までやるとある程度は理解できるし納得もできる 己の価値観で物事を考えるのは危険だと十神(本物)も言っていた
‣殺人の計画
超高校級のみんなのために奮闘していた十神が、家族のために外へ出ようとした花村に殺されたというのは皮肉なものだ
しかし花村は十神を狙ったわけではなく、よからぬことを企んでいた狛枝を止めよう(殺そう)として、それを防ぐために十神が身を挺した結果、今回の事件の犠牲者となった
これは狛枝の”幸運”の才能が働いたのだ 前段階として狛枝の殺人の計画が十神によって妨害され”失敗”に終わるという不運がある その後、花村がその計画を利用して殺人を起こすことで狛枝の望み通り”コロシアイが始まる”のである
‣花村と狛枝の会話
狛枝の殺人計画に気づいた際の花村との会話では、狛枝の”希望”に対する絶対的な信頼と、”絶対的な希望”を証明するためならコロシアイでもなんでも出来る、という常軌を逸した考えが語られる それに対し花村は「訳が分からない、どうかしてる」と言い、狛枝の価値観を否定する
‣十神のリーダーシップ
コロシアイ修学旅行において危険視すべきなのは「疑いあうこと」だ それを防ぐためには皆で協力し合う事が大切だが、その解決策として十神は”秩序を持った統率”を取るため自らリーダーを名乗り出た
モノクマの狙いが疑心暗鬼を引き起こすことであれば、そうさせないことは正しく生き残るための道である 十神には人の上に立つ素質もあったし、実際に反発した人間は九頭竜くらいだったので、もし殺人が起きなければ皆をまとめることも可能だったろう
また、十神は仲間を妄信するのではなくむしろ疑ってかかっている 同じく上に立つ立場の人間としてソニアが居るが、ソニアは皆をひたすらに信じるスタンスだ この場合リーダーに最も相応しいのは十神ということになる(「疑いもするけど、それでも信じたいという気持ちが本当に信じるという事」という七海のスタンスとも一致している)
CHAPTER2 海と罰。罪とココナッツ
ヒヨコと小泉の風呂イベントがあったり、水着CGがあったりと、裏で狛枝が拘束されていることなど忘れるくらい和気藹々としててよかった 七海、どうしてそんなところにほくろがあるんだ?
2章は狛枝の語りから入る ここの笑顔で口めっちゃパクパクするの面白い
「価値ある人間とそうでない人間って、生まれた瞬間から明確にわかれているんだ。」
「才能ある人間は“なる”もんじゃない…最初からそれだけの器を持って生まれてくるものなんだ。」
ここでは狛枝が生きてきた中で構築されてきた、”絶対的な希望”の価値と己の無価値さを説いている
「これは憧れなんかとは違うからね。憧れって…自分がそうなりたいと願い気持ちでしょ?ボクのはそんな図々しい気持ちとは違うんだ。ボクのはなんて言うか…もっと純粋で、無償の愛みたいなものなんだよ…」
「ボクは…どちらにも頑張って欲しいだけなんだ。ボクは…その先にある“絶対的な希望”をこの目で見たいだけなんだ。」
狛枝は『才能を持って生まれた人間』に憧れているのではない 希望同士がぶつかり合って残ったより強い希望、すなわち”絶対的な希望”に究極の価値を見出している(=無償の愛)
‣狛枝の監禁
旧館で拘束されて行動制限を設けられていたが、これが逆に小泉を”動機”に向かわせる原因になる 狛枝の様子を見に行った小泉は、そこで『トワイライトシンドローム殺人事件』についての話をし、ゲームをプレイしに行ってしまう
このころから七海は「コロシアイなんて絶対にさせない」という強い意志表明をしはじめる そして日向に『トワイライトシンドローム殺人事件』をクリアするように誘い、学級裁判でも相棒として積極的に手伝ってくれるようになる
1章序盤で相棒役となってくれていた狛枝が拘束されたところで、新たに日向の支えになってくれた 可愛い
‣事件について
九頭竜とペコ山の通信簿イベ等はノータッチだったので犯人までは分かっても動機は推測できなかったが、記憶が消された期間より前から関係があったことは盲点だった これに関しては本編中、ダイナーに居る九頭竜に話しかけると「新しい島について教えてきたヤツがいた」との話を聞くことができる これがペコ山である
ペコ山は自分を”道具”だと言い張っていたが、九頭竜はそうは思っていなかったし、周りも認めなかったため自分に投票させたペコ山の思惑は失敗に終わる ペコ山と九頭竜は互いを想いあってはいたが、互いの価値観を共有することが出来ていなかったのだ
九頭竜はトワイライトシンドローム殺人事件の真相を探るため話を持ち掛けただけだったが、小泉の反論を受けて衝動的に手にかけようとしてしまった ペコ山の動機は九頭竜を守るため(生かすため)
「他人の罪を裁くなんて…そんな権利なんて誰にもないんだよ!復讐なんて…間違ってるよ!!」
小泉の「他人を裁く権利な��ない」という考えは正論かもしれないが、しかし極道の世界で生きてきた九頭竜にはオトシマエをつけさせなければならないという使命感があった これは単なる復讐ではなく、九頭竜にしか分からない仁義である 二人の価値観が決定的に違っており、それを受け入れられるだけの器がまだ育っていなかったために起きた事件だった
‣ソニアに関して
海水浴を企画しみんなを集めたことで”小泉が自分の罪について相談する機会”を失くしてしまったことは、事件の引き金になっている
また、図書館で『キラキラちゃん』について話したりシリアルキラーに関心を持っている事がわかるが、これは今回の裁判において重要なヒントであり、ミスリードでもある
しかしここで注目したいのはソニアがシリアルキラーなどの異文化に関心を持つ理由だ
「自分と違う価値観と触れ合うのは、とても大切な事なのですよ。」
‣この世界の謎について
ジャバウォック島が人工島である事を匂わせる描写があったり、無数の監視カメラなどであたかも前作のダンガンロンパ同様、「世界に放映されている」と思わせるミスリードがある
実際は1章冒頭の扉の場面やチャプター演出等でこの世界が現実ではなく、前作同様に閉鎖空間であることを予想できる
未来機関については、モノクマの言う事を信じる気はなかったので完全に敵だとは思っていなかったし、この時点で”裏切り者”とモノミへのヘイトが尋常じゃなかったのでおそらく未来機関は味方で、あってモノクマ・未来機関・日向たちの3すくみだろうと考えていた
モノミについても敵ではないが権限持ちを意味するステッキを盗られている以上役に立たない置物程度に思っておいた(ちゃんとモノケモノを倒してくれていました)
CHAPTER3 磯の香りのデッドエンド
追悼ライブや花火の打ち上げなどこれまで以上に澪田が積極的に行動を起こしてきたため、このあたりで退場かと怯えながらも覚悟を決めてプレイしていた
九頭竜とヒヨコはどちらも大切な仲間を失っているが、九頭竜はこの章で自分なりの”ケジメ”をつけ、回復後は協力的になり、日向たちと行動を共にすることを拒まない
一方で、ヒヨコはまだ九頭竜の罪を許せておらず、前へ進もうとしている途中の段階だった そして絶望病の発覚後はモーテルの自室に閉じこもり、モノクマの罠である絶望病に怯えてしまう おそらくこの差が生存できるか否かの分かれ目だろう
‣左右田の才能発揮
病院とモーテル間の連絡を取り合うため通信機を発明しているが、ここでの発明は「みんなのため・コロシアイを防ぐため」のものであり、左右田の才能がコロシアイの道具ではなく「皆と生きるため」に使われている(罪木の見立て殺人の道具としても使われたが、これを日向が観測していたことにより結果的に日向にしか辿り着けない”真実”に繋がっている)
‣絶望病について
モノクマが自由に罹患・治療することができる謎の病気 この非現実的な病気はこの世界が現実ではないことを分かりやすく示唆している
‣狛枝のウソつき病に関して
病名の通り狛枝は嘘をついている 狛枝の様態が悪化した翌日、起き上がれるようになった狛枝の病室を訪ねると
「日向クンと一緒なんてボクには耐えられないよ。」 「さっさと行っちゃって、もう顔も見たくないからさ。」
というような台詞を言う
これは嘘であるから、本音としては「一緒にいたい」ということになる
しかし普段の狛枝は「自分なんかが超高校級の皆と並び立つなんておこがましい」と自分を卑下するような発言が目立つ 更に己の才能が分からないにも関わらずみんなと仲良くする日向に対して”羨ましい”と言っている これらもすべて本当であり、「一緒に居たい」と言う本心を隠しつつ「自分なんかが一緒に居ていい訳ない」という本音を喋っているのである
狛枝は皆を”希望の象徴”とする一方で自分は”希望の踏み台”としてしか見ておらず、それらはすべて自信の無さから出る発言であり、彼の”希望の象徴”としての基準を己は満たしていない(生まれ持ったものなのだから、努力したって価値のある人間にはなれない)という考えのもとで構成された自己肯定感の低さの表れである
‣事件について
犯人の決定的な証拠は無かったが、現場の状況からして罪木以外はあり得ないという状況 しかし動機も分からない以上罪木にボロを出して貰うしかない… 七海の協力もあり罪木から論破できる言葉を引き出すことに成功
狛枝が捜査段階から罪木に疑いの目を向けていたのは、看病された際に絶望病に罹っている事に気づいたからだろう 事実、狛枝の様態が回復する頃にちょうど罪木は高熱を出していた(抱き着かれながら目覚めた日向はそれに気が付いた)
そして”あいするひと”のために殺人を計画したという罪木の告白
「あなたに会えるという希望を持って死ぬ私を、どうか許してください。」
ここで言う”あいするひと”とは江ノ島盾子であり、彼女は皆の記憶が消された期間より以前に既に死んでいるという事実が証明される
狛枝に指摘された通り、現在の罪木は過去を思い出したことによって”絶望”に堕ちており、「あなたに会える希望を持って死ぬ事を許してほしい」という台詞は”絶望”に相応しくない”希望”を抱くことに対する懺悔である
更に罪木の病気は”思い出す病気”であること、「私がこんな人間になったのはみんなのせい」であることから、罪木は誰かの影響を受けて”こんな人間(絶望側の人間)”になったことがわかる
裁判後、罪木は”島で過ごした仲間たち”とのことを「ただの過去」と言い切る これは島に来てからの罪木は”学園生活の記憶”を失った過去の罪木、つまり”絶望に堕ちる前の罪木”であり、絶望に染まってしまった現在の罪木にとっては価値のない過去でしかない
豹変した罪木は正直好き
‣ソニア
ちなみに今回もソニアの言動が事件の引き金になっている(帯が結べないヒヨコに対して「ライブハウスの鏡を使ったらどうか」という助言をしている) これは善意からのミスリードである
猫丸が再登場するときロボ化フラグか?とか思ったらガチロボットでまじでわらった
CHAPTER4 超高校級のロボは時計仕掛けの夢を見るか?
ロボットに命があるのならAIにも命はあるのだろうか
猫丸がロボ化して復活した後のこのタイトル、早くも死亡フラグか…と思いつつ 冒頭から思ってたけど1やV3と違って開けた場所で色彩も鮮やかで全体的に明るい雰囲気だ 南国だの遊園地だの
ジェットコースターでなんやかんやした後ドッキリハウスとかいう完全な閉鎖空間に誘拐される この章をプレイした時二徹明けの夜とかだったから思考も推理もグシャグシャで正直あんまり覚えてないが結構難易度の高いトリックだった気がする
タワーを通じて繋がる二つの空間が単純に横並びでないことはすぐにわかったが、振動のないエレベーターがあくまでその挙動を隠すためのものであることに気づかず実際動いてないんじゃないか?みたいなことを考えて 動いてるのは建物の方(非現実的だがこの世界なら起こるだろ)、のような推理をしてた気がする
どうしてそこに八角形があるのかな?
この章でソニアと田中が何やら仲良くなる ここについては詳細を知らないが、二人は互いに励ましあい協力しようとしていたらしい
‣ファイナルデッドルーム
狛枝操作 急に脱出ゲームが始まって動いてない脳みそが更に固まるが、優しい狛枝とウサミのヒント(答え)でなんとかクリア ちゃんと起きた状態でやりたかった
狛枝は”6発中5発が弾丸入りのロシアンルーレット”をするが、見事に成功させてクリア特典を受けとる ここでの狛枝は意識的に”超高校級の幸運”の才能を利用しており、自分の才能に絶対的な信頼を置いていることがわかる
‣クリア特典
未来機関のファイルと希望ヶ峰学園のプロフィール
狛枝は自分たちの過去と日向の才能について知ることになる 予備学科差別には大変笑ったが日向からしたら途方もない絶望だろう 読む前は「才能が分かれば日向クンも喜ぶだろうな」ってウキウキだったのが面白い
日向が何の才能も持たないただの”予備学科”であることを知った狛枝は、日向に対し「キミもボクもただの”踏み台”でしかないんだ」と、それまで以上に日向のことを同類視している
元々”希望ヶ峰学園に憧れる存在”として意識していたようだが、才能が無いことを知った彼の中では完全に自分と同じ価値の無い人間に成り下がってしまったのだ
‣事件の真相
田中は閉鎖空間にいる間も生きることを諦めず、生きるために戦う事を選んだ それは猫丸も同様で、彼は田中の殺気を感じ取った瞬間に自分も戦う事を決意していた
ソニアや終里は田中たちの考えに納得できないと言うが、その信念は決して間違っておらず、自己の正当化でもない 自分の価値観を押し付ける気は毛頭ないし理解されようとも思わず、ただ己の信念を貫いたことで世界を変えた彼の功績は大きい
「俺様の価値観を押し付けるつもりなど毛頭ないからな…だが、あえて言わせて貰うとすればッ!ただ死ぬのを待つだけの生など…そこに一体どんな意味がある?」 「生を諦めるなど…そんなものは“生に対する侮辱”でしかない!」
生を諦めることを生への冒涜、生物としての歪みだという彼の信念が今回の事件の”動機”になり、それによって日向たちの「仲間同士で殺しあうくらいなら死んだ方がマシ」という諦観の価値観を変えた
田中がファイナルデッドルームに行くに至った動機は、”停滞”した現状を打破���るため つまりは全員で緩やかに死んでいくことを防ぐためであり、みんなを前に進ませることが目的である そのために「弐大との戦いに比べれば児戯に等しい」ロシアンルーレットも越えてみせたのだ(自分一人の生死よりもみんなを含めた生死の方が重要ということ)
彼の命に対する価値観が”超高校級の飼育委員”によって培われたものだとすると、彼もコロシアイにおいて己の才能を発揮していたと言える
狛枝にはこれを”希望のための殺人”と思えなかったが、実際にはみんなに希望を与える結果となっている
‣ソニア
4章では男女で別れてそれぞれの階の客室を使うことになるが、ストロベリーハウスの部屋数に対してあぶれてしまいラウンジで寝泊まりするはずだった日向を、女子が使うマスカットハウスの余った部屋に泊まるよう誘導する
ここでもし日向がラウンジで寝泊まりしていたら、その後起きる事件は実行不可能だったのである(犯人は気づかれずラウンジを通る必要があるため)
今回もソニアは事件が起こる一端ともいえる、善意からのミスリードをしている
また、この章の最後で狛枝がモノクマを呼び出すシーンがある
そこで「この島の絶望を排除することが出来れば、ボクは本物の希望になれるはずだ」と、自分の持つ”超高校級の希望”になりたいという欲望を吐露している
CHAPTER5 君は絶望という名の希望に微笑む
この時点で七海と狛枝の通信簿は回収済み
‣詐欺師
捜査パートで十神が偽物だったことが判明する 意味が分からなかったが、意味などないらしい 十神の正体を引っ張ったのは『コロシアイ学園生活の生き残り』や『裏切り者』のミスリードでしかなかったのだ
七海は自分たちを騙していた十神に対し仕方ないと言う
「才能を持つっていう事は、その才能に縛られるって事でもあるんだよ。」
本人の望む望まないは別として、才能に頼らざるを得なくなる状況もある 狛枝はその生き様からして上記の事を体現しているだろう
そしてこれは才能を持たない人の方が良いのかもしれないという考えであり、狛枝とは真逆の価値観である
‣自殺に見せかけたトリック
自分の命を懸けて”絶対的な希望は絶望に打ち勝つ”ことを証明したかった狛枝は、今回の”犯人���明のトリック”に及んだ
自殺(狛枝が仕組んだ殺人)であることは裁判中早い段階で判明したが、その動機について「狛枝は俺達を皆殺しにする為に自殺したのか?」と日向が疑問を抱く
そして消化弾の細工に気づき、この事件の犯人が”特定不可能”であることに辿りつくが、ここで重要なのがモノクマには犯人が分かっている点である(プログラム世界である以上、監視カメラなどの小細工を必要とせず、監視者として全てを把握できる)
‣ソニア
倉庫で火災が発生した時、ソニアが「消化弾を使いましょう」と言わなければ狛枝の罠に嵌ることは無かった 善意からのミスリード
また、軍事施設で怪しい動きをしていたり、狛枝が用意した大量の爆薬がただの花火であることを教えにギリギリになって倉庫へやってくる等”裏切り者”のミスリード
”絶望を排除しようとする”狛枝と、”希望を守ろうとする”七海
‣七海千秋
七海の推理の根幹は「信じる」ことだ
「疑いもするけど…それでも信じたい。その先にあるのが『信じる』って気持ちなんだよ。」
狛枝は自分の幸運を信じて「裏切り者に自分を殺させる」計画を決行した その幸運を信じるのであればこの事件の犯人は”裏切り者”である七海だ そう推理した七海は、日向なら真実に辿りついてくれると信じて”裏切り者”の推理を託したのだ
日向が七海を”裏切り者”として指摘することは狛枝の運を信じることではなく、七海を疑うことでもなく、七海を信じることである この選択は非常に心苦しいが、七海の選択を裏切らないためでもある
未来機関を裏切れないからと、これまで直接的な干渉は控えていた七海だが、この章をもってそれを卒業することになる
七海はひな祭りも乳絞りも知らない 生まれたばかりで色々なことを学習している途中だ
「人の感情とかを推測して考慮して、選択しなきゃいけないようなのはちょっと難しい。」 「できるだけ、傍観者でいた方がいいって。」
そう言っていた七海が狛枝の”希望”に対する感情を推測して考慮した推理を披露し、自分の意思で”本来の役割”を降り、未来のために日向たちの背中を押したことは彼女が正しく成長していることの証明だろう
‣超高校級の幸運
狛枝の目的は「裏切り者以外の全滅」、さらに言えば「希望が絶望に打ち勝つ事」である 前者が今回の計画の主目的であり、これは日向たちの推理によって”失敗”に終わった しかしこの失敗という不運は6章で覆ることになる
‣七海とウサミのおしおき
ウサミはおしおきの直前こんな話をする
「英雄になる必要なんてないんでちゅよ。無理に誰かに認められなくてもいいんだからね。」 「他人に認められなくても、自分に胸を張れる自分になればいいんでちゅ。」
これは権限をモノクマに奪われたウサミ本人にも、才能を持たずそれに強い憧れを抱く日向にも向けられた言葉であり、同時に 確かな才能を持つ者に憧れ、自分を卑下していた狛枝にも刺さる言葉だ
‣バグり始めた世界
画面にノイズが走りテキストが文字化けすることでこの世界がプログラムであることが表面化してきた それだけでなく、死んだはずの仲間が出てきたりと心臓への負担が大きい演出となっている
その後レストランで狛枝の最期のメッセージを聞くことに
バグりながらも話を紡ぐ狛枝が残したものは『11037』のパスワードと、彼の願望をあらわにした言葉だった
「ボクの行動が世界の希望の礎になると信じている」 もし本当にそうなったら「ボクを…超高校級の希望と呼んでくれ。」と、今まで隠していた「”超高校級の希望”になりたい」という願望を明確に口にする
CHAPTER0 修学旅行へと向かう乗り物の中のような
船の中でカムクラと話している狛枝
カムクラの視点で語られるが、両者の語り口からは”あいつ”(江ノ島)に対する殺意や憎しみが垣間見える (狛枝の「大嫌いなあいつを殺せるのかな?」 等)
”絶望”になった生徒たちは皆が皆罪木のように江ノ島のことを純粋に敬愛してるわけではなく、彼らの様に否定的な感情を抱く者もいるのだろうか
‣カムクラの目的
「僕は持っています。あいつが遺したモノを…」
江ノ島が遺した江ノ島アルターエゴのことだが、それを持ち込んだ理由は単に江ノ島を復活させるためではなく、江ノ島を利用してツマラナイ世界に何かを残そうとしている
『予想がつかない』出来事を期待している
‣狛枝が腕を移植した理由
「最大の敵である”超高校級の絶望”を取り込むことに成功した」 「大嫌いだからこそあいつの力を取り込む」
と言っているが、直後に「大嫌い…なのかな?なんだろ…おかしいな…」などと錯乱する様子も見られる
6章裁判での苗木(偽物)の「江ノ島と一体化する事で、自分の中で彼女を生かそうと考えたんだろうね。」と言う発言は江ノ島アルターエゴの推理であるから狛枝の真意は分からない
CHAPTER6 This is the end 〜さよなら絶望学園〜
序盤は希望ヶ峰学園の探索 愛着のある景色が壊れていく様は面白かった 前作をアニメで済ませずちゃんとゲームプレイしててよかった
未来機関のメールの痕跡などから苗木たちが”超高校級の絶望”を匿っていること、それが未来機関の意思と反することなどが伺える
‣ちーたんアルターエゴ
監視者の二人についてや、監視者の権限を乗っ取ったウイルスも”ルール”に縛られていることを教えてくれた ここで何者かがこの世界にウイルスを持ち込んだことがわかる
‣苗木誠
苗木クン生きてるしめっちゃ喋るしなんなら普通に登場してわろた
『11037』のパスワードを「ある人が窮地に陥った自分を救うために残してくれた数字」と言っていて、なんだかすごく嬉しくなった 舞園さんが好きなので 苗木にとって舞園さんは今でも恩人であり忘れられない思い出なんだ
以下裁判パート
‣苗木?登場
めちゃくちゃ格好良い登場の仕方だったけど偽物だった
ここで狛枝が先に辿りついた真実の一つ、自分たちが”超高校級の絶望”であることを突き付けられる
モノクマから卒業プログラムで卒業を選ぶことで”超高校級の絶望”の記憶はなくなり、現在の日向たちのまま卒業できるという説明を受ける
死んだみんなは生き返らないが、ここで外に出ない意味はないので当然卒業の流れに 七海が残してくれた未来ならそんなの選ばざるをえない…
しかし、日向たちが卒業する方へ誘導しているモノクマに違和感を抱き、この苗木を信用して良いのか?と言う流れに 結果、この苗木はモノクマの自作自演だということがバレる ここで苗木である証明のために『11037』の意味を問うところがまた良い
‣江ノ島アルターエゴ
死ぬ前に江ノ島本人がちーたんの技術を盗んで作った…らしい カムクラが持ち込んだウイルス
江ノ島は卒業プログラムについて「死んだみんなは生き返る」と条件変更 あからさまに都合が良すぎるが
ジャバウォック公園にあったカウントダウンは「コロシアイ修学旅行のタイムリミット?」→「モノクマの言う”あいつ”が来るまでの時間?」→「江ノ島がプログラムを改ざんするまでにかかる時間?」のように次々とミスリードされていったが、結局意味など無いらしい
ここにきて卒業を押すのか…?と思ったら
‣苗木(本物)登場
主人公か?
苗木は新しい方法として”強制シャットダウン”を提示する しかし現状では人数が足りない…まさかとは思ったが、そのまさかだった
‣霧切・十神登場
激アツカットインからのクールな二人 苗木含めたこの三人好き
十神が「いいから強制シャットダウンだ」しか言わない こいつ前は自分の価値観で物事を考えるのは危険とか言ってなかったか?
苗木とその希望を信じてプログラム世界に身を投じた二人だったが、彼らの説得も虚しく江ノ島が突きつける残酷な真実に日向たちは絶望してしまう
苗木たちがこの世界に来るタイミングは、江ノ島に操作されたものである
‣希望更生プログラムから絶望復元プログラムへ
”強制シャットダウン”を選ぶと「この島での記憶が消える」 それはつまり七海の記憶も消えるという事だ それはみんなが絶望に戻ってしまうことや死んだみんなが生き返らない事よりも重大に思えてしまった
しかし”卒業”という選択肢は世界に”絶望”を放つことである それは江ノ島の”絶望”が勝つことを意味するため選ぶことは絶対にできない
(”留年”はどう考えてもメリットが無いため考慮しない)
江ノ島は日向たちに卒業を選ばせたがる(=苗木たち三人を永遠に留年させ、生き返ったみんなを江ノ島アルターエゴで上書きする(のちの人類総江ノ島化計画)ことを目論んでいる) ここで重要視すべきなのは人類総江ノ島化計画���はなく、苗木たちを永遠にこの世界に留まらせる事である
そして強制シャットダウンをさせないために江ノ島はさらなる残酷な真実を突き付けてくる
‣カムクライズル
日向創が希望ヶ峰に憧れるあまり付け込まれロボトミー手術を施されて生まれた”超高校級の希望”と呼ばれる天才 あらゆる才能を人工的に植え付けられた結果、人生を「ツマラナイ」ものだと思っている模様 カムクラの存在は5章のウサミの台詞と真逆であり、狛枝の「才能は生まれ持ったもの」という理念に反するもの
強制シャットダウンすれば日向は”絶望”状態のカムクライズルになり、日向創という存在は消えるのだと言う こんなにも残酷な真実があっていいのだろうか、まさに絶対的な絶望だ
そしてどちらも選べず立ちすくむ日向たちに対し、江ノ島は「予想通り」だと言う すべてが予定調和で、すべてをコントロールできるゲームの世界だから こうして事態��膠着したまま苗木たちもなすすべなく日向は絶望に堕ちてしまう…
江ノ島アルターエゴの真の狙いは”停滞”であり、南国の島でずっとずっとずっと…みんなを未来に進ませない事にある そこに動機は存在せず、ただ純粋に絶望を追い求めているだけ
‣七海千秋
救いの手を差し伸べてくれるのはやはり七海だった
「キミ達はゲームなんかじゃないんだよ?”選ぶ”だけじゃなくって…”創る”事だってできるはずだよ。」 「たとえ”存在”がなくなったとしても、私とみんなで作った未来をみんなが進み続ける限りは…私は消えてなくなったりしない。」
と意識の底から日向の背中を押して励ましてくれる そうして才能を持つ事がゴールじゃない、自分を信じてあげる事が大切だと言うのだ
これは七海がコロシアイ修学旅行を経て学習したことであり、日向が欲していた”希望”の言葉だろう
「キミなら”未来だって創れる”はずだよ。」
七海の言葉を借りて絶望に染まったカムクラを論破していく 日向創、いい名前だ
‣スーパーサイヤ日向
江ノ島は七海の後押しにより覚醒した日向を見て完全に予想外だという反応を見せる 「ま、まさか・・・カムクラ?ちょっとどうなってんの!?こ、これって・・・マジもんのバグとか!?」という台詞から推察すると、現在の日向はカムクラと同等の力を持っており、”超高校級の絶望”に対抗できるものだとしたら、日向は”超高校級の希望”として目覚めたのである
そうして日向は自分たちで”未来を創る”ために強制シャットダウンをする決意をみんなに示した
‣江ノ島の敗北
江ノ島アルターエゴはウサミにおしおきされ、今度こそ影響力を失う
”超高校級の希望”が”超高校級の絶望”に打ち勝ったという事は、狛枝の望みが成就したという事でもある 5章での狛枝の計画が”失敗”して七海が未来機関としての役割を放棄し処刑されるという”不運”を覆すのが、6章での七海が日向の”意識の中”で彼を励ますという役割を担う”幸運”に繋がる
つまり狛枝の行動が起因となってどんな絶望にも打ち勝つ絶対的な希望を日向に与えている
これは狛枝が意図していたことではなく、本人が望んだ結果とは別の形での幸運の成就という、これまで発揮されてきた才能の法則性と違わぬものになっている
また、”幸運”という才能が単なる偶然の産物ではないことはカムクラがその才能を持っている(=移植できるレベルで定義が存在する)ことが証明となっている
EPILOGUE 未来の前の日
スーツ着た霧切さんがとても可愛かった 腐川が十神の帰りを待っている事を思わせる台詞もあったし前作の生き残り組はこの世界でちゃんと生きてるんだなと思うと感慨深かった
苗木たちの創った未来も存在している事実が嬉しい
同時に日向たちが創った都合の良い未来も存在していることを願う
今作が一貫して言っていたことは、「多様な価値観があること」
己の価値観のみで形成された世界では起こりえない予測不可能なことでも、行動を起こせば”奇跡”は起きる
他に考えたい点
・日向(カムクラ)達はなぜ超高校級の絶望になったのか
・希望ヶ峰学園のした事
・カムクラの目的 等
キャラ評などは通信簿埋めてから改めて書くと思う
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これは一番好きな日向創の表情
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skf14 · 5 years ago
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06290036
人は歳をとって大人になって、突如生きる意味を考え始める頭の悪い生き物だ。今まではずっと、目の前に道があると言うだけで夢中で進んでこられたのに、途端に道をどう進むのか、どう歩くのか、何も分からなくなる。いい歳になって皆迷子になって、生きる意味を、他者に求める。
親のため、子供のため、恋人のため、社会、会社、世界、己のため。別に理由はなんだっていい。何か理由がないと生きていてはいけない、そんな強迫観念に駆られるのが、大人だった。
いつも不安定だった母は、���あるごとに私に対して、「私の生きる意味はなんだ。」と問うた。その答えはいつも決まって、「私のためでしょ、お母さん。」だった。それ以外の答えは、たとえそれが正しいとしても母にとっては間違いで、秩序を乱すものだった。
「私はどうして生きてるの。」
「私のために、しんどいのに生きてくれてるんでしょ?お母さん。」
「そうよ。あなたを産んだから私は、ずっと色んなものに囚われて、生かされてるの。分かる?生きてるんじゃない、生かされてるの。」
「無理やり、って事?」
「あなたを産んだ時、まさかあなたみたいに出来の悪い子が生まれると思ってなかったの。私を支えてくれる、いい子が生まれると思ってたのに。可愛げもない、頭も悪い、性格はひん曲がっていいところなんて一つもない、今までかけてきた塾とか習い事の金も全部ドブに捨てたのがあなたよ。」
「......。」
私が大人を諦めるには、十分すぎる要素がそこにはあった。大人は、何かがないと生きる理由さえ見つけられずに不安定になる。馬鹿らしい、と冷めた私の目が気に入らなかったらしい母の振りかぶった手が、頬に当たった。
母を家政婦扱いしていた父は、外に女を作って楽しい人生を歩んでいた。いつか酷く酒を飲んで帰宅した日、父がリビングで、その女と電話をしていた。
『あぁ、そうだよ、俺は君の��めに生きてるんだ。』
『君と、君の子供、俺が大事なのはいつだってそれだけだよ。』
愚かな血が私の中に半分流れている、そう認識した瞬間、晩御飯を全て嘔吐して布団の中で声を殺して叫んだ。思えばそれが、人生で最後の激情だったのかもしれない。言葉にならない感情が喉を焼き切って、耳障りな金切り声に変わって漏れ出る。
世界に対して、怒りも失望もない。ただ、終わらせてほしい。とそればかりを願いながら、終わらせる勇気もないまま、毎日変わらない電車に乗り、存在感のない会社のデスクで、AIに取って変わられそうな仕事を黙々とこなし、一人で帰宅して、生命維持のために食事をして、眠る。
自分を慰めている最中、ふと過ぎる「何のために生きてる?」を、いつも無視して、グチャグチャに丸めて、捨てて、燃やして、脳内から追い出してただ快楽に溺れていた。答えのない問いに、答えを求めずにいられない欠陥を、私の脳に認めたくはなかった。他者に、己の人生へ介入される怖さを、私は身近の人間を見て痛いほど学んでいた。一人で立ち、一人で歩き、一人で休み、一人で死ななければ、私の人生が崩れる。と、折れかけた心に無理矢理板を沿わせ、有刺鉄線で武装して歩いた。
こんな様子じゃ、恋愛、なんて上手くいくわけがない。もはや、意味すらわからない。与えるもの、与えられるもの、それ以上に、人生を変えられることが怖い。その人の生きる理由に、私が当てはめられたとしたら。私は離れられない呪縛に苛まれたまま、その人が狂っていく姿を、見続けなければいけない。
こっちの気が狂いそうだ。
だから私は彼に出会った時、はっきりと伝えた。
「私は、貴方が好き。だから、貴方が私を好きになったら、幸せよ。でも、その先はきっと、ただ落ちていくだけ。愛情が目的を果たすための道具に変わって、その先どうなるのか、分からない。怖い。」
彼はきょとん、とした表情を見せ、そして、へらりと何事もないように笑って、「それなら、幸せを積み重ねて、全て満たされたら死のうか。」と言った。
「貴方の気持ちが変わらない保証はない。」
「それは示しようがないからな、仕方がない。」
「変わらない、好きだ、そんなこと言って皆変わってきたわ。私は愛されるために、皆の気にいる姿で、皆の欲しがるものを何でも提示してきたのに。」
「それでも人は変わるんだよ。人の心は理屈では動かない。Aを押せばAと打たれる、それは機械だけ。」
「理解出来るけど、理解出来ない。」
「怖がりだね。君は諦めたいのに、人間に希望を持ってしまう優しい人だ。」
後日彼が持ってきたノートに、私は一つ一つ、彼と叶えたいことを並べていった。
有給を取って、昼間から映画館に入り浸る。
何でもない日のパーティーをする。
心ゆくまでセックスする。
砂浜でお城を作る。
海で人魚姫ごっこをする。(浮き輪必須)
行きたかったフレンチのディナーに行く。
アビィロード風の写真を撮る。
「君、案外可愛いところあるね。」
「うるさい。だって、どうせなら叶えたいじゃない。」
「...これは?『一日褒められて甘やかされたい。逆のこともしたい。』って。」
「そのままの意味。お姫様にもなりたいし、王子様にもなりたいの。お分かり?」
「はは。仰せのままに、姫。」
彼の両親は、幼かった彼を連れ、綺麗な海の見えるところへ旅行に行った帰り、一家心中を図った。よくある、車中での練炭自殺だった。そして、運良く、運悪く、彼一人が助かった。彼の記憶の中では、仲のいい、家族だったらしい。
だから彼は私に必要以上に家族の話をしないし、聞き出してもこない。人の痛みに敏感な人は、いつだって己の放つ言葉の意味を、力を、ちゃんと把握している。彼に惹かれたのは、そんな些細な気遣いを、当たり前のようにしてくれるからだった。
彼の心の傷を暴いて共有することを、私は助け合い、とは表現しない。彼は彼の中の秩序を守るために理論武装をしているはずだし、私は私の中の秩序を彼に押し付ける気はない。彼は、私の話を真剣に聞いてくれる。彼なりの意見も話してくれる。分からないとか、興味がないとか、流すようなことは決してしない。
それで良かったんだ、と、私は彼に出会ってようやく、今まで周りにいた大人たちの過ちに気付いた。混ざり合うことで一つになる、なんて馬鹿らしいにも程がある。個々が存在し、時折干渉する中で生まれる温かみ、それが永遠になれば、それで良かった。
私は彼と共に、幸せでありたかった。
その思いに、揺らぎはない。はずなのに。
「やっぱり怖い?」
とうに靴を脱いだ彼がビルと空の境界線に座り、目下の死を覗き込んでは人の小ささに驚いていた。縁側に腰をかけたようなその姿に、私は動揺が隠せない。
「ぜーんぶ、やり終えるのに3年掛かったね。案外早かったけど、君はどう?」
「...分からない、」
「ノートがあんなに増えるとは思わなかったなぁ。」
「そうね、」
遺書、は書かなかった。辞世の句、も趣味じゃない。この世に残すものもなければ、残したものを読む人間も、私にも、彼にもいなかった。彼はふらりと立ち上がり、コンクリートを裸足で歩く体験に口角を上げている。
「人をね、信じないぞ。って顔をした君を見た時、今まで色んな人の心ない言葉に傷付けられて、剥き出しのままひたすら歩いてきたんだ、って思ったんだ。」
「......」
「だから、その手を引いたり、引き留めたり、絡めたり、脇道に逸れたり、色んな世界があることを伝えたくて、君の手を取った。」
風が吹いて、彼からふわり、と微かにフレグランスの香りがする。ほんのり甘いホワイトムスクの香りは、私が今日の朝ベッドで眠る彼に振りかけた、お気に入りの香水だった。
「その相手に死んでくれ、って頼まれるなんて、貴方も災難ね。」
「...君に出会ってからの人生、楽しかったよ。人を好きになることで、人生が変わるとは思わないけど、でも、君は確かに、僕の人生を彩ってくれた。だから、幸せをそのまま来世まで持っていこう、って提案も、構わなかったんだ。」
「私のせいで、死ぬの?それとも、私のために、死ぬの?」
「君のためじゃない。僕の幸せのために、時を止めるんだ。」
後ろ手でフェンスにしがみついたまま彼を睨んでいた私を見て、彼は苦笑した。最後まで八つ当たり、と思っているんだろうか。
「今日のワンピースは、海の近くのお店で買ったね。」
「...派手な色はあまり着ないのに、貴方が、楽しそうに選ぶから、夏になるたびこれを着る羽目になった。」
「今日の靴、君の誕生日に僕がプレゼントしたパンプスだね。」
「気に入ってるの。私の好きな色で、履きやすくて。」
「安かったのに。君、同じ靴ずっと履いてるから、気になってさ。」
「安くても、いいの。貴方が私を思って、何の見返りもなく行動してくれたのが、嬉しかった。」
眼下で嫌みなほど煌めく街の輪郭がぼやけて、光の球がゆらゆらと蠢く。頬を濡らす何か。
「ねぇ、」
「ん?」
「私、貴方に死んでほしくない。どうすればいいの?」
私の頬を撫でた彼の顔は困った表情を浮かべている。こんなにも胸が苦しいのは、私の身の丈に合わないような幸せを詰め込んでしまったからだ。誰かの不幸の上にある幸せを、こんなにも嬉しそうに抱きしめてしまったからだ。
「死ぬのは、簡単だよ。ここから飛べば一瞬、車中で5分眠っていれば、そのまま。」
「わかってる、だから貴方が死ぬのは、嫌なの、」
「君と一緒に幸せ持っていけるなら、寂しくないよ。本音は、何?」
「私、死にたくない。幸せが無くなるのが怖くても、それでも、貴方と生きてみたい。」
「...よく言えました。」
彼がひょい、と私を担ぎ上げ、そしてフェンスを乗り越え生きた世界へと二人戻る。同じコンクリートなのにこんなにも違うのか、と、地面に足をついた瞬間へたり込んでしまう。合わせて体育座りになった彼が、私の顔を見て、「鼻水出てるよ。」と笑う。腹いせにワンピースで拭いてやれば、余計笑う彼。
「帰ろう。今日はグラタンにしない?」
「グラタン?」
「そ。初めて食べた君の手料理、エビグラタン。」
「...作るの、手伝ってね。」
「分かった。作りながら、明日は何をしようか、二人で考えよう。」
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0nce1nabluemoon · 5 years ago
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阪神沿線
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神戸に住んでいた頃、お金を貯めようとバイトをした時期があった。
なんのバイトをしようかと考えて、選んだのはライン作業と言われる、工場で製品の箱詰めをしたり、弁当の具材入れをするバイトだった。これを選んだのは、一つには短期間で稼げるからという理由があったが、一番のきっかけは、好きな子が「工場で働いてお金が貰えればいい」と言っていたことが、直接的には関係している。その時に僕は、志が低いなーということと、工場でライン作業をするような仕事に対して無自覚に卑下する気持ちがあって、「そんなのやめなよ」というようなことを言ったことを覚えている。それから、なぜかそのことが頭から離れなかった。普段、工場とかライン作業という言葉を見聞きするものの、実際のところ自分は何も知らず、何も知らないのに勝手に悪いイメージを持ち、それだけで彼女の考えを否定していいのかという気持ちがあった。それなら、一度やってみようかなという気持ちで選んだのがきっかけだった。
神戸は六甲山脈から海側へと傾斜面が続く地形になっていて、高いところから低いところにかけて、阪急、JR、阪神と3本の電車が通っている。芦屋や岡本などが有名な阪急沿線には富裕層が住み、JRが中間層、一番低い海側を走る阪神沿線は低所得者と、なんとなくの住み分けが出来ていると言われている。
バイトで通った工場は全て阪神沿線で、それぞれ、当時住んでいた東灘区の阪神線住吉駅近くにあったお弁当工場、尼崎センタープール前駅のクッキー工場、同じく尼崎にある、おもちゃなどの搬送倉庫だった。これらで扱っている製品は、新幹線の駅弁とか、なんちゃらおばさんのクッキーとか、ガンダムのプラモとか、普通にそこら辺で売られているものだった。こういうところで地味な作業があって売られていることは、表からはわからない。
ライン作業というのは実に地味で大変な仕事で、一見すると簡単そうに見えるが、かなりのスピードと正確性と丁寧さが同時に求められ、いったんペースが乱れると、次から次に流れてくる商品に手がつけられなくなり、ライン作業はそこで詰まってしまう。
そんな職場には色んな人がいた。キャバクラに通っていると話す3・40代の男性。大学生くらいの女の子。ベトナムから日本に来ている若い子たち。酸いも甘いも知っていそうなおばあちゃん。そして何より主婦さんが多かった。
「息子が急にごはんおいしいって言ったんだけど、どうしてかわかる?」
息子と同じくらいの年頃だという僕にある主婦さんが聞いてきた。
「感謝の言葉じゃないんですか?」
「でもいつもはそんなこと言わないのよ、ぶすっとして」
急にそんなこと言うから何かあったのか心配だという不安げな顔から、親とはそんな些細なことも気にして子供のことを想っているのかと、自分の親のことを思い出した。
その他にも、大学受験を控えた子供のために数時間多く働いているという主婦さんもいた。
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いま流行りのAIをビジネス展開している、あるベンチャー企業が仕事を始めて一番最初に関わった取材だった。そのベンチャー企業の代表は、AIで単純労働が淘汰されることにどちらかいうと肯定的な意見を持っていて、そのことに関して少し疑問をぶつけてみると、「工場やライン作業で働いている人が幸せですか?」と言った。何をもって、幸せじゃないといっているのかはわからないが、確かに、一部の工場で単純労働者は、今でさえひどい労働条件と低賃金で人員が簡単に配置転換されてしまうような、弱い立場に置かれている。そうしたイメージは強くある。だから無責任なことは言えない。
ただ、僕が働いた現場で見た人たちは、決して幸せでないようには見えなかった。むしろ、毎日大変だけど必死に頑張って生きていこうという意思や強さを感じたし、働いている人たちのコミュニティに暖かさを感じたのだ。
今は、コンサルとか〇〇クリエイターとかウェブデザインとか、知的サービスが主流の時代と言われている。しかしその一方で、コンベアーで流れてくる商品の箱詰め、具材入れというアナログな仕事は、「幸せじゃないでしょう」と他人が勝手に判断して無くなってしまっていいものなのか、ある一定の受け皿をもって必要な仕事ではないのかなと思うようになっていた。
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3年前に神戸を離れてから、どうやら、三ノ宮駅前の再開発が活発に行われていることを、Twitterの投稿でよく見かけるようになった。神戸をずっと知っている人からしてみれば、震災よりも遥か以前の神戸から、震災を経験し、現在に至るまで、色々なものが失われてきたということになるのだろうか。僕にとっては、たった3年間しかいなかった神戸だけど、それでも、東京の都心のように雑然としていなくて、山と海に挟まれ、歴史文化を感じさせる街並みを気に入っていた。再開発によって、整っているのだけど、どこか居場所がないような、そんなどこかで見たことのある街並みにだけはなって欲しくない。
僕にとっては、どうしてか、AIによって工場での単純労働が淘汰されることと、再開発でこれまでの街のありようが変わってしまうことが、同じ一枚の鮮やかな色彩の絵から、彩が失われていくことのように思えてならない。
AIも再開発も、そうした経済の合理化によってかつての風景やコミュニティが失われていくことに対して、どう折り合いをつければよいのか、わからない。
あるいは、これは単なる素人の戯言なのかもしれない。
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rebellion-star · 5 years ago
Text
Official髭男dism - I LOVE... Lyrics (KAN/ROM/ENG/FR)
This is one of my rare attempts at translating lyrics. I’m far from being fluent! If you have any comments/questions/feedback or found mistakes/typos, please tell me!
僕が見つめる景色のその中に
Boku ga mitsumeru keshiki no sono naka ni
The scenery that I’m looking at
Le paysage que je regarde
 君が入ってから 変わり果てた世界は
Kimi ga haitte kara kawari hateta sekai wa
Has completely changed since you’ve entered
A complètement changé depuis que tu y es entrée
 いつも卒なくこなした日々の真ん中
Itsumo sotsunaku konashita hibi no mannaka
The middle of the days flawlessly following up
Le centre des jours qui passent sans embûche
 不思議な引力に逆らえず崩れてく
Fushigi na inryoku ni sakaraezu kuzureteku
Collapses without opposing the mysterious gravitation
S’effondre sans s’opposer à la mystérieuse gravitation
I Love
なんて 言いかけてはやめて
nante iikakete wa yamete
I say before stopping halfway
Je commence et m’arrête à mi-chemin
 I Love I Love 何度も
I love I love nando mo
I LOVE I LOVE again and again
I LOVE I LOVE encore et encore
  高まる愛の中 変わる心情の中
Takamaru ai no naka kawaru shinjou no naka
In the midst of growing love, in the midst of changing feelings
Au milieu de l’amour grandissant, au milieu de des sentiments changeants
 燦然と輝く姿は
Sanzen to kagayaku sugata wa
Your figure shining brillantly
Ta figure brillant de mille feux
 まるで水槽の中に飛び込んで
Maru de suisou no naka ni tobikonde
Is like the shape of paint
Est comme, une fois plongées dans un aquarium,
 溶けた絵の具みたいな イレギュラー (*)
Toketa enogu mitai na iregyura-
Thrown into an aquarium and dissolving ; irregular
Les peintures se dissolvant : irrégulières
 独りじゃ何ひとつ気付けなかっただろう
Hitori jya nani hitotsu kizukenakatta darou
I wouldn’t have noticed by myself
Je n’aurais pas remarqué par moi-même
 こんなに鮮やかな色彩に
Konna ni azayaka ni shikisai ni
Such vivid colors
Des couleurs si vives
 普通の事だと
Futsuu no koto da to
« It’s normal »
« C’est normal »
 とぼける君に言いかけた
Tobokeru kimi ni iikaketa
Is what I told you as I feigned ignorance
C’est ce que je t’ai dit en feignant l’ignorance
I Love
その続きを贈らせて
Sono tsuzuki wa okurasete
Let me tell you the continuation
Laisse-moi te transmettre la suite
  見えない物を見て笑う君の事を (**)
Mienai mono wo mite warau kimi no koto wo
I laugh at you, looking at invisible things
Je ris de toi, qui regarde des choses invisibles
 分かれない僕が居る (**)
Wakarenai boku ga iru
There’s me, who cannot be understood
Il y a moi, qui est incompris
 美しすぎて目が眩んでしまう
Utsukushi sugite me ga kurande shimau
It’s so beautiful my eyes are dazzled
C’est si beau que mes yeux en sont éblouis
 今も劣等感に縛られて生きている
Ima mo rettoukan ni shibararete ikiteiru
Even now, I’m living tied to the feeling of inferiory
Même maintenant, je vis ligoté au sentiment d’infériorité
  I Love I Love
不恰好な結び目
Bukakko na musubime
Clumsy bonds
Des liens maladroits
I Love I Love
手探りで見つけて
Tesaguri de mitsukete
I fumble and find you
Je tâtonne et te trouve
I Love Your Love
解いて 絡まって
Hodoite karamatte
Untangling and tangling
Se démêlant et s’emmêlant
僕は繰り返してる 何度も
Boku wa kurikaeshiteru nando mo
I’ll repeat it, again and again
Je le répèterai, encore et encore
  レプリカばかりが飾られた銀河
Repurika bakari ga kazarareta ginga
A galaxy decorated only with replicas
Une galaxie ornée seulement de répliques
 カーテンで作られた暗闇
Kaaten de tsukurareta kurayami
The darkness created by curtains
L’obscurité créée par les rideaux
 嘆く人も居ない鼠色の街の中で
Nageku hito mo inai nezumiiro no machi no naka de
There is no one grieving, in the middle of a gray city
Il n’y a personne en peine, au milieu d’une ville grise
I Love
その証を抱き締めて
Sono akashi wo dakishimete
Hold onto that proof
Étreins cette preuve
 喜びも悲しみも句読点のない想いも (***)
Yorokobi mo kanashimi mo kutooten no nai omoi mo
Joy sadness and unpunctuated feelings as well
La joie la peine et aussi les sentiments sans ponctuation
 完全に分かち合うより
Kanzen ni wakachiau yori
Rather than completely sharing them
Plutôt que les partager complètement
 曖昧に悩みながらも
Aimai ni nayami nagara mo
While worrying over their ambiguity
En te tracassant sur leur ambiguïté
 認め合えたなら
Mitome aetanara
If you were to accept them…
Si tu venais à les accepter…
  重なる愛の中
Kasanaru ai no naka
In the midst of overlapping love
Au milieu de l’amour qui se chevauche
 濁った感情の中
Nigotta kanjou no naka
In the midst of cloudy feelings
Au milieu des émotions troubles
 瞬きの僅かその合間に
Matabaki no wazuka sono aima ni
In the blink of an eye
En un clin d’oeil
 君がくれたプレゼントはこのやけに優しい世界だ
Kimi ga kureta purezento wa kono yake ni yasashii sekai da
The present you gave me is this very gentle world,
Le Cadeau que tu m’as offert est ce monde si doux,
 イレギュラー
Iregyura-
Irregular
Irrégulier
 独りじゃ何ひとつ気付けなかっただろう
Hitori jya nani hitotsu kizukenakatta darou
I wouldn’t have noticed by myself
Je n’aurais pas remarqué par moi-même
 こんなに大切な光に
Konna ni taisetsu na hikari ni
Such precious light
Une lumière si précieuse
 普通の事だと
Futsuu no koto da to
« It’s normal »
« C’est normal »
 とぼける君に言いかけた
Tobokeru kimi ni iikaketa
Is what I told you as I feigned ignorance
C’est ce que je t’ai dit en feignant l’ignorance
 I Love
 その続きを贈らせて
Sono tsuzuki wo okurasete
Let me tell you the continuation
Laisse-moi te transmettre la suite
 受け取り合う僕ら
Uketoriau bokura
The nameless night accepting us
La nuit sans nom nous acceptant
 名前もない夜が更けていく
Namae no nai yoru ga fuketeiku
keeps advancing
continue d’avancer
(*) まるで水槽の中に 飛び込んで溶けた絵の具みたいな イレギュラー
This part was very difficult to put into words without rearranging the word order. If you have any suggestions, I’ll gladly accept them.
(**)  見えない物を見て笑う君の事を
Not sure about this part
(***)  喜びも悲しみも句読点のない想いも 
 Purposely translated this part without commas :)
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tomtanka · 5 years ago
Text
かつてなく老いた涙目の短歌のために
「目は口ほどに物を言うからな」の一言で自分の言葉を信じてもらえなかったら憤慨するだろうけれど、同時に、「じゃあしかたない」とも思ってしまうかもしれない。ことわざを本気で使ってくる人を相手取るとき、そのことわざの力強さに対して自分の正直な心の力は、頑張っても引き分けか根比べ競争に持ち込めるかくらいのものかもしれない。そんなことでいいのか。「口」を信用することなく、「目」に権威を求めてしまうのはなぜだろうか。
わたしの視野になにかが欠けていると思いそれは眼球めだまと金魚を買った
/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
「わたし」=「それ」=「作中主体」が「視野になにかが欠けていると思い」、「眼球と金魚を買った」。眼球の有無は「わたしの視野」の信頼にかかわるだろうか。
「わたしの視野」の信用問題。それは「わたしの視覚」の問題には回収されないだろう。「わたしの視野」を再現すること、報告すること。それは、語りの問題でもある。「わたしの語り」あるいは「わたしについての語り」。
「わたしの視野になにかが欠けていると思い」 「それは眼球めだまと金魚を買った」
と語る者がいる。一人称の「わたし」と三人称の「それ」を使い分けながら〈わたし=それ〉について語る者。あたかも三人称の「それ」に言及するように一人称の「わたし」について語ることのできる、「わたし」でも「それ」でもない語り手。
その語り手は眼球を使って〈わたし=それ〉を見たのだろうか。うーん。語り手として、わたしたちは見たことも聞いたこともないことを語ることができるけど。
それはメタ視点の〈わたし〉だろうか。メタ視点の〈わたし〉と思いたがる態度は、なんとしてでも〈わたしの視点〉を死守しようとする心に由来しないだろうか。もしも、〈わたしの視点〉が〈わたし〉の意識の圏内になかったら、どうするのか。〈わたしの盲点〉が無意識の視点として〈わたしの視点〉になりかわるとき、目が口ほどに物を言い始めるチャンスだ。目だけではない。様々な物たちが物を言い始める。指、髪、鼻、表情、性器、身長、体重、性別、世代、口癖、言い間違い、ファッション、スマホの機種、アクセサリー、食生活、インテリア、嗜好品、社会階層、家庭環境、トラウマ。〈わたしの視点〉を死守する心が〈わたしの盲点〉を前にして挫折するどころか〈無意識のわたしの視点〉をそこに見出すとき、〈わたし〉は言っていないことを言っていて、思っていないことを思っている。ヤバすぎる。無意識の解釈は信頼できる人や権威ある人にやってもらいたい。と、わたしは思うだろう。「と、わたしは思うだろう」と回収する〈わたしたち〉の法。
こんなにインクを使ってわたしに空いている穴がわたしの代わりに泣くの
深ければ深いほどいい雀卓がひそかに掘りさげていく穴は
/平岡直子「鏡の国の梅子」(同人誌『外出』2号)
〈わたし〉の個別性は〈わたしたち〉の法に抵抗できるはずだ。という主張は、きっと何度も繰り返されてきた。〈私性〉はしょせん共同体の一員としての制限された〈わたし〉のことだ、と言ってみたところで、かつての「共同体の一員」たちのなかにも、そのような意味での〈私性〉に回収されない〈この・わたし〉たちが次々と発見されるはずだ。それが本来の意味での〈私性〉だ。話は決まっている。その都度、うまく解釈を施せば、法文を変える必要はない。解釈できないものについては、例外事項として扱えばいい。例外的な〈わたし〉たち。動物、魔法使い、「ミューズ」、など。「穴」はどうしようか。
さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
はるまきがみんなほどけてゆく夜にわたしは法律を守ります
/笹井宏之『てんとろり』
あるいは、〈わたし〉など言葉の遊戯の一効果にすぎない、と言ってみたとして。それが〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉ではない、と言い切れるだろうか。ヴァーチャル歌人・星野しずるの作者・佐々木あららは次のように語る。
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
  僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。
/佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」
読み手の解釈はそんなに万能ではないだろう。「わりとどんな詩的飛躍でも」、〈わたしたち〉に都合よく「あるかも」と解釈できるだろうか。現在、そのようなことは起きているだろうか。「わからない」「好みではない」「つまらない」「興味がない」「時間がない」といったことはないだろうか。それが駄目だという話ではない。〈理想の鑑賞者〉という仮想的な存在を想定した読者論はありうるが、短歌はそれを必要としているだろうか。AI純粋読者。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに泣くの」
「わたし」は泣いていないのだとして。「穴」があるかも。泣いているかも。
誰の声?
「なんでそんなことするんだよ」で笑いたいし、なんでそんなことするんだよ、を言いたい。〈なんでそんなことをするのかが分かる〉に安心するのは、それがもう「自分」だからだ。「自分」のように親しい安心感なんて、いくつあったっていい。 でも〈なんでそんなことをするのかが分かる〉でばかり生を満たしているとどうだろう、人はそのうち、AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか。
/伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』」
やさしくて、人を勇気づけてくれる言葉だ。そう思う。
「雀卓がひそかに掘りさげていく穴は」「穴がわたしの代わりに」「AI美空ひばりとかで泣くことになるんじゃないか」
「わたし」の代わりに泣いているのは何だろう。〈わたしたち〉の法はその涙を取り締まれるだろうか。「泣くことになるんじゃないか」は「泣くな」ではない。「じゃないか」の声の震えは何だろう。もしかして、泣いてるんじゃないのか?
ころんだという事実だけ広まって誰にも助けられないだるま
もう顔と名前が一致しないとかではな��僕が一致してない
あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました
/木下龍也『つむじ風、ここにあります』
機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体
/東直子『青卵』
ナレーションのような声によって、かわいそうなものがユーモラスに立ち上がる。ナレーターの「僕」もなんだかかわいそう。「だるまさんが転んだ」という遊びはだるまを助ける遊びではない。そもそも、鬼に自分から近づいていくような酔狂な者たちは、自身がだるまである自覚があるのか。いや、このゲームにだるまは存在するのか? 助けるに値しないだろ。「顔と名前が一致しない」は、通常、自分以外の誰かに向けられる言葉だが、歌を読み進めていくとそれが「僕」に向けられた言葉であることが判明する。読者はそれに驚くだけではない。「顔と名前が一致しない」という言葉に含まれる攻撃性が「僕」自身に向けられることで、途端に空気がやわらぐのを感じて、ホッとする。笑う。あ、よかった、大丈夫だった。「僕が一致していない」と言う「僕」のユーモラスなかわいそうさは、このような言葉のドラマによって作られている。お前、かわいそうだな、でも大丈夫そうだ。〈立てるかい 君が背負っているものを君ごと背負うこともできるよ/木下龍也〉。アンパンマンとトーマスのキメラが泣き叫んでいるらしい。「ためいき」の向こう側で。「ためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」。こちらだって、くるおしい。
「ためいき」の向こう側に、言葉が無数の涙を作れてしまうとして。〈わたしたちの言葉の遊戯の法〉を超えたところに涙を作れてしまうとして。〈わたし〉の涙は計算不可能な可能性の中で生じた一効果なのだとして。涙に理由はないのだとして。やっぱり、本当に泣いている〈わたし〉もいるでしょう? 泣いている〈わたし〉を助けてあげたい? 「なんで泣いているんだよ」。
止まらない君の嗚咽を受けとめるため玄関に靴は溢れた
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
アガンベンの直感はこうである。すなわち、法にとって「思考不可能」なはずの生〔=既存の法では取り扱えない種類の「生」〕、この「生」は法にとって法の空白をなしてしまうものであるが、しかも仮にそこで留まれば、「生」は単なる法外・無法として放置されるはずであるが、しかしそういうことは決して起こることはなく、法は、「生」が顕現するその状態を例外状態や緊急事態として法的に処理しようとする。ここまでは、よい。その通りである。しかし、アガンベンは続けて、そのように「生」が法に結びつけられると「同時」に、「生」は法によって見捨てられることになると批判したがっている。今度は、「生」は、法的に法外へと見捨てられ、あまつさえ無法な処置を施されると言いたがっている。しかし、その見方は一面的なのだ。主権論的・法学的に過ぎると言ってもよい。というのも、「生」の側から言うなら、今度は、「生」が法外な暴力を発揮して、「生」を結びつけたり見捨てたりする法そのものを無きものとし、ひいては統治者も統治権力も無力化するかもしれないからである。そして、疫病の生とは、そのような自然状態の暴力にあたるのではないのか。
/小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、161-162頁、〔〕内注記は平
実状に合わせて、法文書の中に例外事項をひたすら増やし、複雑にすること。その複雑な法文書を読み解ける専門家機関を作ること。それを適切に運用すること。そういった法の運用では〈わたしたち〉の生を守ることができないような事態に直面したとき、法よりも共通善が優先され、法が一時的に停止される。「例外状態」。法の制約から解放された権力が動き出すだろう。法が停止した世界において、それでも法外の犯罪(という語義矛盾)を統制するため。法の制約から解放されたのは権力だけではない。〈わたし〉たちだって法外に放り出されたのだ。「ホモ・サケル」。そこには、〈わたし〉ならざる者たちが、〈わたしたち〉の法を無力化しながら、跋扈することのできる世界があるだろうか。(穂村弘が「女性」という形象の彼方に夢見た世界はそういうものだったかもしれない。*注1)
法外に流されている暴力的な涙はあるだろうか。理由のない涙の理由のなさをテクストの効果に還元して安心しようとするテクスト法学者を、その涙が無力化するだろうか。涙する眼は、見ることと知ることを放棄する。両眼視差と焦点を失いながら、けれどもたんに盲目なのではない涙目の視点。
それは哀願する。まず第一に、この涙はどこから降りてきたのか、誰から目へと到来したのかを知るために。〔…〕。ひとは片目でも見ることができる。目を一つ持っていようと二つ持っていようと、目の一撃によって、一瞥で見ることができる。目を一つ喪失したり刳り抜いたりしても、見ることを止めるわけではない。瞬きにしても片目でできる。〔…〕。だが、泣くときは、「目のすべて」が、目の全体が泣く。二つの目を持つ場合、片目だけで泣くことはできない。あるいは、想像するに、アルゴスのように千の目を持つ場合でも、事情は同じだろう。〔…〕。失明は涙を禁止しない。失明は涙を奪わない。
/ジャック・デリダ『盲者の記憶』、155-156頁
涙目の視点。
振り下ろすべき暴力を曇天の折れ曲がる水の速さに習う
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
色彩と涙の国で人は死ぬ 僕は震えるほどに間違う
価値観がひとつに固まりゆくときの揺らいだ猫を僕は見ている
ゆっくりと鳥籠に戻されていく鳥の魂ほどのためらい
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
「振り下ろすべき暴力」などないと話は決まっている。合法の力と非合法の暴力とグレーゾーンがあるだけだ。倫理的な響きをもつ「べき」をたずさえた「振り下ろすべき暴力」などない。語義矛盾、アポリア。けれども、「法外の犯罪」などという語義矛盾した罪の名を法的に与えられるその手前、あるいはその彼方での〈わたし〉たちの跋扈を、「振り下ろすべき暴力」という名の向こうに想像してみてもいい。
語義矛盾のような〈わたし〉は語義矛盾のような言葉を聞くことができる。「世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間」(塚本邦雄)。
 短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。文語定型詩は、二十一世紀の現実に極微の効用すらもちあわせていない。一首の作品は今日の現実を変える力をもたぬのと同様に、明日の社会を革める力ももたない。  私は今、その無力さを、逆手にもった武器として立上がろうなどと、ドン・キホーテまがいの勇気を鼓舞しようとは思わない。社会と没交渉に、言葉のユートピアを設営する夢想に耽ろうとももとより考えていない。  短歌は、現実に有効である文明のすべてのメカニズムの、その有効性の終わるところから生れる。おそらくは声すらもたぬ歌であり、それゆえに消すことも、それからのがれることもできぬ、人間の煉獄の歌なのだ。世界の変革者であり、同時に囚獄無き死刑囚である人間に、影も音もなく密着し、彼を慰謝するもの、それ以上の機能、それ以上の有効性を考え得られようか。  マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
/塚本邦雄「反・反歌」『塚本邦雄全集』第八巻、28頁
「現実を変える力」を持たぬ「世界の変革者」は、通常の意味では変革者ではない。有罪と裁かれる日も無罪放免となる日も迎えることはない。ということは、その「変革者」は囚獄の中にも現実の中にも生きる場所を持たない。そんな人間いるのか。もしも批評家がその変革の失敗を裁くことでその人間に生きる場所を与え、歴史に刻むならば、その失敗がそもそも不可能な失敗であったことを見落としてしまうだろう。なんて無意味なこと。けれども、目指されていた変革も失敗の裁きもなしに、まったく別の道が開かれることがある。そういう想像力は必要だ。
短歌に未来はない。今日すらすでに喪っている。
マス・メディアに随順し、あるいはその走狗となり、短歌のもつ最も通俗的な特性を切り売りし、かろうじて現実に参加したなどという迷夢は、早晩無益と気づくだろう。
これらのメッセージを、塚本邦雄がそう言っているのだから、と素朴に真に受けてはならないだろう。マス・メディアに随順するのか、塚本邦雄に随順するのか、そういった態度。
筋肉をつくるわたしが食べたもの わたしが受けなかった教育
/平岡直子「水に寝癖」
洗脳はされるのよどの洗脳をされたかなのよ砂利を踏む音
/平岡直子「紙吹雪」
「そうなのよ」「そうじゃないのよ」と口調を真似て遊んでいると「砂利を踏む音」にたどり着けない。どんな人にも「わたしが受けなかった教育」があるし、なにかしら「洗脳はされる」。だからなんだよ。今、口ほどに物を言っているのは何。「砂利を踏む音」。くやしい。
リリックと離陸の音で遊ぶとき着陸はない 着陸はない
/山中千瀬「蔦と蜂蜜」
気付きから断定、発見から事実確認、心内語的つぶやきから客観的判断へと、フレーズの相が転移するリフレイン。「リリックと離陸の音で遊ぶとき」、その「とき」に拘束されて、ある一人の人が「着陸はない」と気づいた。気づいてそう言った。けれども、二度目の「着陸はない」からは、「とき」や〈気付きの主体〉の制約を受けないような、世界全体を視野におさめているかのような主体による断定���声が聴こえてくる。聴こえてきた。
「着陸はない」世界に気づいた主体が、一瞬にしてその世界を生ききった上で、振り返り、それが真実であったと確かめてしまった。一瞬で老いて、遺言のような言葉を繰り出す。事実と命題の一致としての真理は、その事実を確認できる主体にだけ確かめることができるのだ。〈わたしたち〉にとって肯定も否定もできない遺言。「だってそうだったから」で提示される身も蓋もない真理は「なんで」を受け付けない。
世界の真理がリフレインの効果によって、身も蓋もない仕方で知らされること。説明抜きに、真理を一撃で提示するという暴力からの被害。それは、爆笑する身体をもたらすことがある。自身の爆笑する身体に「なんで爆笑してるんだよ」とツッコミをしようと喉に力を込めながら、その声を捻り出すことはできずに、ひたすら身体を震わせて笑う。「アッ」「ハッ」「ハッ」「ハッ」と声を出しながら息を吸う。呼吸だけは手放してならないのは、息絶えるから。「着陸はない」と二度繰り返して息絶えてしまうのは、歌の主体だけなのだ。
もちろん、「着陸はない⤵︎ 着陸はない⤵︎」のような沈鬱な声、「着陸はない⤴︎ 着陸はない⤴︎」のような無邪気な声を聞き取ってもいい。「着陸はないヨ」「着陸はないネ」「着陸はないサ」のように終助詞を補って聞くこと。リフレインの滞空時間が終わるやいなや一瞬にして息絶えてしまうような声が〈わたしたち〉に求められていないのだとしたら。
 「終」助詞というのは、近代以後の命名だが、話し言葉の日本語の著しい特徴であって、話し相手に向かって呼びかけ、自分の文を投げかける働きの言葉である。だから見方によれば、文の終わりではないので、自分の発言に相手を引き込もうとしている。さらに省略形の切り方では、話し相手にその続きを求めている、と言えよう。このように受け答えされる文は、西洋語文が、主語で始まって、ピリオドで終わって文を完結し、一つ一つの文が独立した意味を担っているのとは大きな違いである。
/柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』、91頁
近代に、西洋の文章を模倣するように、「〜は」(主語)で始まって「た。」(文末)で終わる〈口語文〉が作られた。それ以前には、日本語文には西洋語文に対応するような明確な〈文〉の単位は存在しなかった。句読点にしても、活字の文章を読みやすくするための工夫(石川九楊、小松英雄の指摘を参照)と、ピリオド・カンマの模倣から、近代に作られた。
言文一致体=口語体が生み出されてから100年が経つ。けれども、句読点をそなえた〈口語文〉を離れるやいなや、「着陸はない」が「。」のつく文末なのか終助詞「ヨ・ネ・サ」を隠した言いさしの形なのか、いまだに判然としないのが日本語なのだ。
ところで、近代の句読点や〈文〉以前に、明確な切れ目を持つ日本語表現として定型詩があったと捉えられないだろうか。散文のなかに和歌が混じる効果。散文の切れ目としての歌、歌の切れ目としての散文。
句読点も主語述語も構文も口調や終助詞も関係なく、なんであれ31音で強制的に終わること。終助詞を伴いながらも、一首の終わりに隔てられて、返される言葉を待つことのない平岡直子の歌の声。「着陸はない 着陸はない」のリフレインの間に一気に生ききって、どこかに居なくなってしまう声。
老いについての第一の考え方は、世論においても科学者の世界においても広く共有されている目的論的な考え方で、それによれば、老いとは生命の自然な到達点で、成長のあとに必然的に訪れる衰えである。老いは「老いてゆく」という漸進的な動きから離れて考えることはできないように思える。〔…〕。飛行のメタファー〔上昇と下降〕はまさに、老いをゆっくりと少しずつ進んでゆく過程として性格づけることを可能にする。それは、人生の半ばに始まり、必ずや直線的に混乱なく進むとは限らないとしても、段階を順番に踏んでいくのである。〔…〕。第二の考え方は老いを、漸進的な過程としてだけでなく、同時に、また反対に、ひとつの出来事として定義する。突然の切断、こう言ってよければ、飛行中の事故アクシデント。どれほど穏やかなものであったとしても、すべての老化現象の内には常に、思いもよらなかった一面、破局的な次元が存在するだろう。この、思いもよらなかった出来事としての老化という考え方は、第一の図式を複雑なものにする。老化について、老いてゆくというだけではどこか不十分なのだと教えてくれる。それ以上の何か、老化という出来事が必要なのである。突然、予測のつかなかった出来事が、一挙にすべてを動揺させる。老いについてのこの考え方は、徐々に老いてゆくことではなく、物語のなかでしばしば出会う「一夜にして白髪となる」という表現のように、その言葉によって、思いがけぬ、突然の変貌を意味することができるとすれば、瞬時の老化と呼びうるだろう。〔…〕。かくして、その瞬時性において、自然なプロセスと思いもよらぬ出来事の境界が決定不能になるという点で、老いは死と同様の性格をもつだろう。人が老いて、死んでゆくのは、自然になのか、それとも暴力的になのか。死とは、そのどちらかにはっきりと振り分けることができるも��だろうか。
/カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論』、76-80頁、〔〕内注記は平
徐々に老いてゆくことと瞬時に老いること。それはたんに速度の問題なのではない。同一性を保ちながら徐々に老化することと、他なる者になるかのように突如として老化すること。衰えること、老成すること、年齢に見合うこと、若々しいこと、老けていること、大人びていること、子供っぽいこと。幼年期からの経験や思考の蓄積からスパッと切れて無関心になってしまうこと、来歴のわからない別の性格や習慣を持つこと。長期にわたって抑え込まれていたものの発現や変異、後から付け加えられたものの混入や乗っ取り。
自分の周りで生きている人々が老いてゆく過程に、私たちは本当に気づいているだろうか。私たちはたしかに、ちょっと皺が増えたなとか、少し弱ったなとか、体が不自由になったなと思う。しかし、そうだとしても、私たちは「あの人は今老いつつある」と言うのではなく、ある日、「あの人も老いたな」と気づくのである。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、80-81頁
内山昌太の連作「大観覧車」では、肺癌を診断された「父」の、余命一年未満の宣告をされてから死後までが描かれる。
父のからだのなかの上空あきらかに伸び縮みして余命がわたる
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
父も死に際は老いたる人となり寝室によき果物を置く
壊れたる喉をかろうじて流れゆくぶどうのひとつぶの水分が
/内山昌太「大観覧車」(同人誌『外出』三号)
「父も死に際は老いたる人となり」。あっという間の出来事だったのではないか。おそらく、「父」はもともと老人と言ってもいい年齢だった。けれど、「死に際」に「老いたる人」となったのだ。
定型と技巧を惜しみなく使って肉親の死を描くこと。「死」は定型と技巧かもしれない。「かもしれない」の軽薄さを許してほしい。定型の両義性。自然であり非−自然であるもの。なんであれ31音で強制的に終わることは人間が作り出した約束事に思われるかもしれないが、それは〈わたしたち〉が自由に交わせる約束よりは宿命に近いだろう。約束は破ることが可能でなければ約束ではない。あるいは、破られる可能性。偶然と出来事。宿命に対する技巧とは約束を作ることだろう。そこに他者がいる。あるいは〈わたし〉が他者になる。
〈作品化することは現実を歪めることである〉という考え方がある。事実と表象との対応に着目する立場。もしも〈父のふくらはぎが「一日花のごとくにしぼむ」かのように主体には見えた〉〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉とパラフレーズするならば、作品は現実を歪めていないと言える。「見えた」「書いた」のは本当だからだ。けれど、そんな説明でいいのだろうか。また口よりも目を信用している。「一日花のごとくにしぼむ」を現実として受け入れられないだろうか。作品をそれ自体一つの出来事として。
「しぼむ」という動詞の形。活用形としては終止形だが、テンス(時制)やアスペクト(相:継続、瞬時、反復、完了、未完了など)の観点から、「タ形」(過去・完了)や「テイル」(未完了進行状態・完了結果状態などさまざま)と区別して「ル形」と分類される形である。西洋文法に照らし合わせるなら、「不定形」あるいは「現在形」だ。(日本語では〈明日雨が降る〉のように「ル形」で未来を表現することもある)。
「しぼんだ」(過去・完了)や「しぼんでいる」(現在・進行)と書かれていれば、〈主体の知覚の報告〉として読めるかもしれない。時制についても、相についても、語り手の位置に定位した記述として読める。けれども「しぼむ」はどうだろう。西洋文法において「不定形」とは、時制・法(直接法、仮定法、条件法など)・主語の単複と人称といった条件によって決められた形(=定形)ではない、動詞の基本的な形のことである。
この不定形的な「ル形」を、助動詞や補助動詞を付けずに、剥き出しにして「文末」にすること。そのような「ル形」の文末は、語り手の位置に定位した時制や確認判断を抜きにした、一般的命題、あるいは出来事そのものの直接的なイメージを差し出すことがある。
柳父章によれば、近代以前にも「ル形」の使用はわりあい多いという。けれども、それは標準的な日本語の用法ではなかった。古くは和文脈の日記文でよく使われていた。漢文体や『平家物語』でも一部使われている。そして、「おそらく意識的な定型として使われたのは、戯曲におけるト書きの文体」(97頁)である(*注2)。日記文やト書きは、原則として読者への語りを想定しない書き物であるため、語法が標準的である必要がないのだ。
 文末が「ル形」で終わる文体は、脚本とともに生まれたのだろうと思う。脚本では、会話の部分と、ト書きの部分とは、語りかけている相手が違う。会話の部分は、演技者の発言を通じて、結局一般観客に宛てられている。しかし、ト書きの部分は、一般観客は眼中にない。これは演技者だけに宛てられた文である。〔…〕。  文法的に見ると、ト書きの文には、文末に助動詞がついてない。〔…〕。  すなわち、ト書きの文末には、近代以前の当時の通常の日本文に当然ついていたはずの、助動詞や終助詞が欠けている。「ル形」で終わっているということは、こういう意味だった。  逆に考えると、まともな伝統的な日本文は、ただ言いたいことだけを言って終わるのではない。読者や聞き手を想定して、文の終わりには、話し手、書き手の主体的な表現を付け加える。国文法で言う「陳述」が加わるのである。「ル形」には、それが欠けているので、まともな日本文としては扱われていなかった、ということである。
/柳父章、前掲書、99−100頁
このような来歴の「ル形」は、その後、西洋語文の「現在形」や「不定形」の翻訳で使われるようになり、より一般化した。それをふまえた上で、読者を想定した日本文の中で「ル形」を積極的に使ったのは夏目漱石だった。歌に戻ろう。
巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ
「しぼむ」のタイムスパンをどう捉えるか。ある時、ある場所で、「一日」で「しぼむ」のを〈見た〉のだろうか。おそらくそう見えたのだろう。けれども、他方で、この歌は「その時、その場」の拘束から逃れてもいる。「しぼむ」には「文の終わり」の「話し手、書き手の主体的な表現」が欠けているのだ。ト書きを読めば、ある時ある場所に拘束されずに、何度でもそれを上演し体験できる。それに似て、この「しぼむ」は読者に読まれるたびにそこで出来事を起こすだろう。
「しぼむ」について、今度は「話し手、書き手」の位置ではなく、「言葉のドラマ」を参照しよう。
「巨躯たりし父おとろえてふくらはぎ一日花のごとくに」
「ふくらはぎ」と「花」は決して似ていない。「花」と言われると、人は通常〈咲いている花〉を思い浮かべるだろう。「一日花」は一日の間に咲いてしぼむ花のことだが、だからこそ、咲いているタイミングが貴重に切り取られるのではないか。「ふくらはぎ」と〈咲いている花〉は形状がまったくちがう。にもかかわらず、〈ふくらはぎ・一日・花の〉のように、「が」や「は」といった助詞を抜きに、似ていないイメージ・語彙が直接に連鎖させられている。意味的にもイメージ的にも、この段階では心許ない。結句にいたっても、「ごとくに」に四音が割かれており、一首全体が無事に着陸する望みは薄いだろう。〈ふくらはぎ・一日花の・ごとくに〉と言われても、「ふくらはぎ」はまったく「花のごとく」ではないのだから。
最後の最後で、「しぼむ」の突如の出現が一首に着陸をもたらす。「突如」として「着陸」が訪れる。「花のごとく」なのは「ふくらはぎ」ではなくて、それが「しぼむ」ありさまであったことが、最後に分かる。
うまく着陸したからといって、〈ふくらはぎ・一日花の〉における語と語の衝突の記憶がすぐに消えてなくなることはない。でなければ、「しぼむ」がこのように訪れてくれることはない。衝突事故をしても着陸すること。「ふくらはぎ」にまったく似たところのない、異質なものとしての「花」が、助詞抜きで直接的に連鎖させられることによって生じる読者の戸惑い。その戸惑いが、結句未満の最後の三音で解消されるという出来事。
「話し手、書き手」から遊離した「言葉のドラマ」の中の「しぼむ」は、もちろん書き手の感性の前に現れた「しぼむ」でもあっただろう。〈見えたことを「一日花のごとくにしぼむ」とレトリカルに書いた〉は間違いではない。「父」と〈わたし〉のドラマを「言葉のドラマ」へと還元して、蒸発させてしまってはいけない。それは単純化だ。「社会と没交渉」になってたったの二歩で「言葉のユートピアを設営」してしまうような、一般論として振りかざされる「作者の死」は心が狭い。
靴を脱ぎたったの二歩で北限にいたる心の狭さときたら
/平岡直子「視聴率」(同人誌『率』9号)
内山の作品には、「老い」について「ル形」を使いながら〈語り手=書き手の声〉を聞かせる作品が他にもある。
読点の打ちかたがよくわからないまま四十代、中盤に入る
/内山晶太「蝿がつく」(同人誌『外出』二号)
「ル形」の効果だろうか。歌の語り手はあきらかに書き手だが、仮に書き手である内山昌太が嘘をついていたとしてもこの歌は成り立つだろう。歌のなかでの語り手=書き手=〈わたし〉は「内山昌太」から遊離している。だからといって架空のキャラクターを立てる必要もない。〈書き手の声〉が〈書くこと〉について語っているという出来事が確認されれば、ひとまずはいい。
結局のところ、「読点」は適切に打たれたのかわからない。「三十代」「四十代」という十年のサイクルは規則的に進むが、内山はそこに不規則性、あるいは規則の曖昧さを差し込もうとしている。不規則はどこから生まれるのか。規則が明文化されているかどうか、規則がカッチリしているかどうか、ではない。規則を使うとき、従うときに、不規則が生まれる。「使う」「従う」といった行為。そこには、うっかりミスや取り違え、愚かさや適当さがある。
内山自身による先行歌がある。
ペイズリー柄のネクタイひとつもなく三十代は中盤に入る
/内山晶太『窓、その他』
「四十代、中盤」や「三十代は中盤」というふうに、「◯十代」と「中盤」の間に何かを差し込もうとする手がある。
十年のサイクルについて、あらかじめ目標を立てるのであれ、後から反省するのであれ、「◯十代」という表記はその十年の全体を一挙に指示する。自動的で、明快で、有無を言わせない〈十年の単位〉に対して、「中盤」という曖昧な幅を当ててみること。
「三十代中盤」や「四十代中盤」という表記であったなら、「中盤」は〈十年〉の中の一部として回収されてしまうかもしれない。けれど、「三十代は中盤に入る」、「四十代、中盤に入る」という表記によって、徐々に進行しながら曖昧にその意味や価値を変質させていく、一様ならざる時間の幅へと〈十年〉が取り込まれていくかのようだ。「中盤」っていつからいつまでなんだ。きっと、サイクルごとに「中盤」の幅は伸び縮みするだろう。3年、5年? 8年くらい中盤で生きる人もいるのかな。
眠ること、忘れることを知らないで、昼的な覚醒を模範とする精神には、決して捕捉されることのない曖昧な時間。その時間のうちに〈十年の単位〉を巻き込んで、一身上の都合から伸び縮みするリズムの個人的な生を主張する視点。〈君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている/大森静佳〉と好対照だ。というのは、「リズムの個人的な生」の主張は、それを意識すればその都度タイムリミットのように減っている〈十年〉への不安とペアなのだから。
「中盤に入る」は淡々とした地の文の語りのようでもありながら、規則的に進行する〈十年〉のテンポに従うことのない「中盤」の速度を確保しようとする〈わたし〉の主体的な決意の言葉のようでもある。歌から聞こえてくる声が、三人称視点的な叙述なのか一人称的な心内語やセリフなのかの微妙な決定不可能性は、〈十年の単位〉について社会に語らされている主体と「中盤」を能動的に語っている主体のせめぎ合いに似る。
十年のサイクルは自然的な所与なのか、社会的な構築物なのか。絶対に無くなる時間の宿命を約束と取り違えること。それから、その約束を破ってしまうこと。二重のうっかりだ。だから、うっかりと変な歳のとり方をする。年齢相応じゃない。うっかりはポエジーだろう。
二つのタイプの老化、漸進的な老化と瞬時の老化は、常に強く絡み合っており、互いに錯綜し、巻き込み合っている。だから、常になにがしかの同一性が、毀損した形であっても存続し、人格構造の一部分が変化を超えて持続するのだと言う人もいるだろう。そうだとしても、どれだけ多くの人が、死んでいなくなってしまう以前に、私たちの前からいなくなり、自らを置き去りにしていくことだろう。
/カトリーヌ・マラブー、前掲書、93−94頁
〈わたし〉という語り手はうっかりと〈わたし〉から離脱してしまうことがある。深い意味もなく。身も蓋もないものの神秘を生み出しながら。その神秘を新たに〈わたし〉の神秘へと統合できるのか、そうではないのか。
君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ まだ揺れている
/大森静佳『てのひらを燃やす』
「ねこじゃらし見ゆ」を受ける視点。それは「君」でも「われ」でもなく、「君の死後、われの死後」に、「まだ揺れている」と言うことのできる語り手の視点だ。語り手の案内を受けて導かれた読者の視点だ。読者の〈わたし〉はいったいどこに案内されたのだろうか。「まだ揺れている」と語る「われ」ならざる〈わたし〉はどの〈わたし〉で、「それ」はどこにいるのか。
この歌の視点について、ひとつ現実的に想像してみよう。
現実に、ある時ある場所で、「君」と「われ」が青々としたねこじゃらしを見ている。会話はなく、ねこじゃらしが揺れるのをぼうっと見ている。注意して観察しているのではなく、なんとなく、その青々とした緑色の揺れるのが目に入るがままだ。受動的で反復的な視覚体験によって、体験の主体は動くモノの側に移っていく。ねこじゃらしが揺れれば〈揺れ〉を感じ、こすれれば〈こすれ〉を感じるような体験のあり方。その時、ねこじゃらしの「青々」や「揺れ」は、「君」や「われ」が見ていようが見ていなかろうが、それとは独立に持続する運動のように現象するだろう。
持続するそれは「われ」の主観から独立してイデアルに永続するナニカというよりは、「われ」が〈意識的に見る主体=見ていることを意識する主体〉ではない限りにおいて成立するかりそめの現象だ。その現象に身を任せている間、「われ」は変性意識的な状態かもしれない。意識の持続は、見ていることの自覚ではなく、「ねこじゃらし」の「揺れ」の運動と一致する。「われ」の肉体も〈君とわれ〉の関係もそっちのけで、ねこじゃらしが揺れる。
魂がそのように「われ」から遊離していきながら、やっぱり振り���る。「われ」から遊離した、ほとんど死後的な魂の視点は振り返る。きっと、そうでなくちゃ困るのだ。振り返る視線によって、「君」と「われ」が「視野」に入る。「視野」に入れるという肯定の仕方だ。というのは、ねこじゃらしを見ている限り、「君」と「われ」は互いに「視野」に入らないはずなのだ。
〈君とわれ〉というペアの存在が、「君」も「われ」もいつか死ぬという身も蓋もない事実を絆帯として、常軌を逸した肯定をされてしまった。
「君とわれの死後にも」ではなく「君の死後、われの死後にも」と書き分けられている。「君」と「われ」のどちらが早く死ぬか、死ぬまでにどのような関係性の変化があるか、どのような経験の共有があるのか。そういったことに関心を持つ生者の視点はない。その視点があるならば、たとえば次の歌のように二者の断絶が描かれてもいい。
その海を死後見に行くと言いしひとわたしはずっとそこにいるのに
/大森静佳『カミーユ』
断絶の構図を作らずに、〈、〉で並列させられる形で肯定される関係は何だろう。生前から死後までを貫くような、〈君、われ〉の関係の直観。〈君とわれ〉の「君の死後、われの死後」への変形。その変形による肯定は、〈君とわれ〉の圏内においてはナンセンスだ。〈「君」が死んでも、「われ」が死んでも、ねこじゃらしは変わらず揺れているだろうね〉ならば、それは〈君とわれ〉の相対化だ。それで心身は軽くなるかもしれない。その軽さに促されるように〈生〉のドラマは展開するかもしれない。けれども、生前から死後までを貫く二者の並列関係の肯定にはなりえない。
〈生前から死後までを貫く二者の並列関係〉はナンセンスなフレーズだ。だからこそ、その肯定は常軌を逸している。ナンセンスな肯定が、常軌を逸した視点から、すなわち、「われ」の魂が遊離して別の生の形をとっている間にだけ持続するかりそめの語り手の視点からなされた。
語り手の視点を「死後の視点」と一息に言ってはならない。そう言ってしまうなら、語り手の位置の融通無碍な変化を見落とすことになる。「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」から「まだ揺れている」の間には、語り手の視点にジャンプがある。山中千瀬の「着陸はない 着陸はない」のリフレインと似た効果がこの歌の一字あけにおいても生じているのだ。
「君の死後、われの死後にも青々とねこじゃらし見ゆ」という言い切りの裏には、〈見えるだろう〉という直観が働いている。〈直観の時〉があり、〈時〉に拘束された「言い切り」がある。
直観された真実がそのままで場を持つことは、しばしば難しい。けれどもこの歌において、その直観は、一字あけのジャンプを経て、「まだ揺れている」を言うことのできる死後的な主体によって確認されることで場を持つことになる。「まだ〜ている」においては、「ル形」とは異なり、明らかに主体による確認判断が働いているだろう。直観を事実として確かめることのできるような不可能な主体へのジャンプ。
歌が立ち上げる〈不可能な声〉がある。
直観した時点から、それを確認する時点へのジャンプ。そこには、他なる主体の声になるかのような突如の変化と、同じ一つの〈歌の声〉の持続の、二つの運動の絡み合いがあるだろう。一首は一つの声を聞かせる。言葉を強引に一つの声へと押し込めることによって、通常では不可能なことを言うことができる。通常では、ナンセンス、支離滅裂、分裂した声、破綻した言葉のように聞かれてしまうかもしれないものたちが、一つの歌となるときに、〈不可能な声〉を聞かせてくれる。どうして〈不可能な声〉を使ってまで〈君とわれ〉を視野に収めたのだろうか、という問いから先は読者に任せた。
わたしたちに不可能な声が聞こえてくるとき。
「それは眼球めだまと金魚を買った」 「穴がわたしの代わりに泣くの」 「はるまきがみんなほどけてゆく夜」 「僕が一致してない」 「機関車のためいき浴びてわたしたちのやさしいくるおしい会話体」 「振り下ろすべき暴力」 「着陸はない 着陸はない」 「ふくらはぎ一日花のごとくにしぼむ」 「まだ揺れている」
どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。
「不可能な短歌の運命」を予告しつつ、あらかじめそれを過去のものにするために。不可能なものの失敗がそれを過去へと葬ったあとで、そのナンセンスな想起が不可能なものを橋やベランダとして利用できるようにするために。
/平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
2年前に僕はこんなことを書いていた。短歌を書くことも、文章を書くことも、僕にはほとんど不可能なことだった。なにが不可能だったのか。
分母にいれるわたしたちの発達、 くまがどれだけ昼寝しても許されるようなわたしたちの発達、 しかも寄道していてシャンデリア。 青空はわけあたえられたばかりの真新しくてあたたかな船。 卵にゆでたまご以外の運命が許されなくなって以来わたしたちは発達。 教科書ばかり読んでいたのでちっとも気のきいたことを言えなくてごめんなさい。 まったく世界中でわたしたちを愛してくれるのはあなただけね。 ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのにさ。 〔…〕
/瀬戸夏子「すべてが可能なわたしの家で」(連作5首目より、一部抜粋)
ベランダから生きてもどった人はひとりもいないっていうのに、ベランダから生きてもどろうとしていた。それが僕の抱えていた不可能なことだった。
*注1 穂村弘「〔…〕。それでたとえばフィギュアスケートだったら、スケート観よりも実際に五回転できるってことがすごいわけだけど、短歌においては東直子とかが五回転できて、斉藤斎藤が「いや、俺は跳びませんから」みたいな(笑)、「俺のスケートは跳ばないスケートですから」みたいなさ。僕は体質的には、本当は自分が八回転くらいできることを夢見る、跳べるってことに憧れが強いタイプでね、だから東直子を絶賛するし、大滝和子もそうだし、つばさを持った人たちへの憧れがとくに強い。だからある時期まで女性のその、現に跳べる、そしてなぜ跳べたのか本人はわからない、いまわたし何回跳びました? みたいな(笑)、「数えろよ、なんで僕が数えてそのすごさを説明しなきゃいけないんだよ」みたいな、そういうのがあった。」 座談会「境界線上の現代短歌──次世代からの反撃」(荻原裕幸、穂村弘、ひぐらしひなつ、佐藤りえ)、『短歌ヴァーサス』第11号、112頁
*注2 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』では、ト書きの比較的初期の用例として1753年に上演された並木正三『幼稚子敵討』の脚本から引用している。参考までに、以下に孫引きしておく。 大橋「そんなら皆様みなさん、行ゆくぞへ。」 伝兵「サア、おじゃいのふ。」 ト大橋、伝兵衛、廓の者皆々這入る。 …… …… 宮蔵「お身は傾城けいせいを、ヱヽ、詮議せんぎさっしゃれ。」 新左「ヱヽ、詮議せんぎ致して見せう。」 宮蔵「せいよ。」 新左「して見せう。」 ト詰合つめあふ。向ふ。ぱたぱた と太刀音たちおとして、お初抜刀ぬきがたなにて出る。 『日本古典文学体系53』岩波書店、1960年、112頁 本文で言及できなかったが、ト書き文体と口語短歌について考えるなら、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座、2019年)を参照されたい。
【主要参考文献】 ・短歌 内山昌太『窓、その他』(六花書林、2012年) 大森静佳『てのひらを燃やす』(角川書店、2013年) 大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房、2018年) 木下龍也『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房、2013年) 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房、2016年) 斉藤斎藤『渡辺のわたし 新装版』(港の人、2016年/booknets、2004年) 笹井宏之『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年) 瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』(私家版歌集、2012年) 塚本邦雄「反・反歌」(『塚本邦雄全集』第八巻、ゆまに書房、1999年)(初出は『短歌』昭和42年9月号、『定型幻視論』に所収) 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人、2013年) 東直子『青卵』(ちくま文庫、2019年/本阿弥書店、2001年) 平岡直子 連作「水に寝癖」(『歌壇』2018年11月号) 平岡直子 連作「紙吹雪」(『短歌研究』2020年1月号) 山中千瀬『蔦と蜂蜜』(2019年) 同人誌『率』9号(2015年11月23日) 同人誌『外出』二号(2019年11月23日) 同人誌『外出』三号(2020年5月5日) 『短歌ヴァーサス』第11号(風媒社、2007年)
・その他書籍 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫、2015年) 沖森卓也『日本語全史』(ちくま新書、2017年) カトリーヌ・マラブー『偶発事の存在論 破壊的可��性についての試論』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2020年) 小泉義之「自然状態の純粋暴力における法と正義」(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』、河出書房新社、2020年) 小松英雄『古典再入門 『土佐日記』を入りぐちにして』(笠間書院、2006年) ジャック・デリダ『盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟』(鵜飼哲訳、みすず書房、1998年) 柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』(法政大学出版局、2004年)
・ネット記事 伊舎堂仁「大滝和子『銀河を産んだように』 」 佐々木あらら「犬猿短歌 Q&A」 平英之「運命の抜き差しのために(「不可能な短歌の運命」予告編)」
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