#LGBTさんと繋がりたい
Explore tagged Tumblr posts
Text
Lesbian couple
More images at
#AIart#AIイラスト#AIグラビア#art#illustration#drawing#beautiful#colorfullart#images#artgallery#anime#lesbian#couple#love#LGBTQ#LGBTさんと繋がりたい#LGBTQIA#LGBTIQ#lgbt理解増進法#hug#cute#same#blue#2d
1 note
·
View note
Text
まちかどAronespace9〜11月まとめ
まちかどaronespaceを始めて半年が経ちました。途中抜けた期間はあるものの、一応折り返し地点にはいるのだと思うとあっという間な気がします。
【第4回・9/10(日)@ドトール仙台一番町3丁目店】
この回は1名の方に参加いただきました。前半は持ってきた本をひとりで読んで(主に最小の結婚第4章を読んでいました。買ってから4年近く経つけど未だにこの本の難しさ・読みにくさに慣れない。でもめちゃくちゃ面白い本です)、途中からいらした方と話しました。単身者として生活することで発生する公/私空間どちらにもある難しさや煩わしさ、それらがどこから来ているのか。その中で私たちは本当に必死にサバイブしていることを再確認したり、単身者の(老後含めて)ロールモデルが身近にいないことを話したり。Aスペクトラムパーソンとして生活する中で仕事で直面する差別や個人的な困難について、色々と話しました。Alloパーソンに限らずAスペクトラムパーソンの中でも、何らかのパートナーシップを築いて他者との近しい関係の中に身を置きたい人が少なくない中で、単身者であることを選びたい表明をするのは大変だし、孤独が忌避されるのに単身であることが特権的になるアンビバレントな社会の中で、それでも単身生活ではないものをするのはなんか嫌とか、何となくそれを選びたくないというような、何となくレベルで感じる嫌さをそのまま持っていたいな、と思いました。
【「第5回・10/16(日)@珈琲館BiVi仙台駅東口店】
この回は1名の方に参加いただきました。ちなみにこの方は第1回、第4回と来てくれている方です。前半はひとりで本を読んで、来られてからは本を読んだり話したり、という感じでした。この日はいつもより読む割合が多く、シモーヌVol.5(これは日記が一つのテーマになっている号です)や個人のブログなど他者の言葉に触れる時間になりました。クィアやAスペクトラムの人々の言葉を読みたい、欲しい言葉が足りなすぎると、もう更新されなくなったブログの文章に触れて書き手に思いを馳せたり、自分がクィアであることで社会から背負わされる苦しさとの向き合い方、「レインボー・プライド」への思いを話したりしました。
【第6回・11/19(日)@錦町公園】
この回は2名の方に参加いただきました。この日は宮城のレインボーパレードの日でしたが、私はそちらには参加せず、いつも通りのまちかどaronespaceでした。でもフラッグやプラカードでいつもよりにぎやかだったかもしれない。非シスパーソン(的/でありたい表象)の見られ方、Aセクシュアル/ロマンティックの名乗り、Aスペクトラムの多様さ、自分の体や欲求の扱い・感じ方、家族との関わり、解決したくないものについてなどを話しました。ひとりでいる・やることの政治性とAスペクトラムであることの差異とかそこで発生する対立については、もやもやしていたことを話せてすごく楽になりました。
まちかどaronespaceの記録という点から少し逸れた話になりますが、私がパレードに参加しなかったのは、いわゆる「LGBTコミ���ニティ」に帰属意識がなく、対立したいわけではないが連帯したいわけでもない、という思いがあるからです。まちかどaronespaceをやる上でのテーマになっている「ひとり」「Aセクシュアリティ」を考えやっていく上でこれらは譲れないポイントです。しかしこの連帯を避ける態度は個人主義や自己責任論、自分はできるからやってこれたというマッチョさ、負うべき社会的責任から逃げる脱ポリティカル的な考えと繋がりやすくなってしまう側面もあって、そこと折り合いをつける難しさをずっと感じてきました。それはまちかどaronespaceが結局何を目的にしているのか分かりにくいことも関係していて、それだけ「ひとりでやりたい」はあらゆる生活や社会規範と絡まったものなのだと思います。そういうことを、同じく地方に住み運動をやっている方と、曖昧ではっきりしないものをそのままやることの大変さや葛藤について、解決をゴールにしないやり方で話せたのが大きかったです。
【第7回・11/21(火)@代々木公園】
この回は初めて宮城を出ての開催でした。3名の方に来ていただきました。オンラインでは知っていたけど初めて会う方、本当に久しぶりに会った方と話せて楽しかったです。「ひとり」を取りまく社会構造、「ひとり」の暮らしと他者との関わり、Aセクシュアリティや性的マイノリティに関する情報の少なさ、その中で生きることのハードさ、大切にしたい他者との関わり方、それぞれの「ひとり」の在り方(への望み)、現状の暮らしの中の「ひとり」と他者を大切に思い、それを伝えたり行動で示すやり方(そしてその方法がわからなったり伝わりづらかったり、逆に案外伝えることは拒まれないこともあること)、孤独と孤立の違い、解決され(たく)ない寂しさについてなど、暮らしを取り巻くあらゆることについて話す場になりました。まちかどaronespaceは交流会やコミュニティ作りを目的にはしていないと提示しているので、いらしてくだ��るということはきっと話したいことがあるから���という理由で来られるんだろうなと思うのですが、オンライン上でもほとんど絡みのない初対面の相手と生活や人生の話をする経験ってなかなかレアだと思いますし、それが何となく成立しているから不思議です。
まず地方で生活する者として、宮城だとまじまじ見られてきた場が良くも悪くも自然にスルーされる環境が新鮮で、また都心のアクセスの便利さと相対的な地方でやっていくことの諸々の差異を感じ、改めて自分が生活する場でこのまちかどaronespaceをやる意味が私にとって大きいのだと感じました。
Aスペクトラムとして生きることで、何に悩むかと言われるとはっきりは表現できなくとも常に何らかのしんどさはあるよねということから、 Aセクシュアリティへの偏見としてある「他者を好きにならなくてかわいそう」ってそんなわけない、人は好きだし大切にしたい人はいる、でも大切にする方法は恋愛・性愛的なルートだけじゃないのにそれが理解されないから面倒なんだけど、という共通認識があり、そこから参加された方それぞれの他者を大切に思うこと・大切にする方法・伝え方についての語りができたのがとてもよかったです。今まであった人間関係で他者を大切にする・したいことを伝えることを諦めてきたことの寂しさや悔しさ、でも自分にその欲求がないことを受け入れている矛盾をどう扱えばいいかわからない、という話をしたのですが、それを解決することは望んでいない、だから寂しさもそのまま受け入れながら、欲求が生まれる瞬間は自分の意図しないタイミングで来ることもあるから、その時に大切にしながら今の在り方も同じように大切にすればいいという話を聞いて、思わず泣きたい気持ちになってしまいました。まちかどaronespaceをやるにあたり、「ひとり」を考えることに気負っているところがあったのだなと半年かけて気づくことができたのだと思います。寂しさや孤独を解決されたくはないし、でも自分にとっての寂しさや他者を大切にしたいと思うことを諦めずに言語化・実行したいと思っているという自分以外の思いを知り、そしてそれを人に伝えられてよかったです。私は寂しくて悔しかったんだなという事を感じることができて、すごくよかったです。任意の誰かに大切に思っていると伝えることに悩み、ためらってしまう現状がやっぱり悔しいし、そういう規範によって阻害される私たちの感情の語りがもっと必要だと感じました。ひとりでやりたいからこそ、私の中にずっとあった「解決されたくない寂しさ」というものを明かすことができたのがだいぶ楽になりました。
12月〜2月の屋外開催は厳しいので、屋内開催がメインになると思います。場所や内容はツイッタとtumblerでアナウンスしますので、確認をお願いします。また現時点での予定ですが、12月ももしかしたら東京での開催になるかもしれないです。(19〜21日のどこかを考えています) 最近喋るのに集中して全然ボムってないですが、活動内容も話す話題も自由にやっていきます。いつでも参加可能・退出��由です。今年度中は開催を続けていきますので、ひとりでやっていくのを一瞬でもともにできたら嬉しいです。お待ちしています🖤
2 notes
·
View notes
Text
ばーか 滅びろ海底都市!!〜結局家父長制批判できてないじゃん?なんなの?〜
いつか一緒に輝いて
※!注意!※ 以下の文章を読んで”女”が意見を発していることに対して腹を立てた人は真面目に頭と心が心配なのでカウンセリングなどの精神的ケアを受けることをおすすめします。 また、この警告文の意図するところは文字通りのものであり、内容に関して疑問や反論の余地がないと主張するためのものではありません。 文中で使われている「女性蔑視」という言葉は女性や女性性に対して嫌悪感を向けることではなく、女性であるという理由で親によって誰と結婚するのかを決められたり労働で自活することを許されなかったりするような女性の意思と自由を認めない考え方を指します。 いちばん大事なこと:悪いのはキャラではなくシナリオ
頭から結論
「約束の海底都市(カナーン)」(以下海底都市)のここで説明する問題点は大まかに分けて以下の5つ。 1.「カナーンは自由な理想郷だよ」→「カナーンは決して理想的な世界ではなく滅ぶのは必然だった(でも次の世界には希望があるよ)」→「カナーンはやっぱり滅ぶべきではなかった理想郷(次の世界には行かせましぇーんwww)」というガバガバっぷり 2.カナーンが理想郷でないことを示す��一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンを責められるところのない被害者扱いしてヨシヨシしたこと 3.そもそもそのヨシヨシそのものも主人公をヨシヨシハーレム接待させるための言い訳だったこと 4.全体的なバランス感覚の欠如のせいでアスタルテの扱いが無意識に女性キャラクターを軽んじるような含みを持っていて、あらゆる性の包括というゲームが掲げるコンセプトが実現できていないと感じさせてしまうこと 5.「『男らしさ』の呪縛」からの脱却をシナリオのテーマに含んでいるはずのゲームで家父長制の価値観を否定せずに終わらせたのが不誠実であること
1-1.「カナーンは自由でいいとこ」という大嘘
冒頭で操作不能時間を無駄に食う演出で説明される自由な愛(笑)の世界というカナーンのイメージに対してその中で繰り広げられている″後継者″問題は「『全員が男性の候補者』が『王の血を引きながらも継承権がない=飾り物のトロフィーである女性(男のように力がなければ父親に認められないと考えている)』を力を誇示して奪い合う競争」というガチガチの家父長制と女性蔑視と異性愛規範のトリプルコンボ。 これ3周年記念イベントですよね? 「女は何を言っても取り合ってもらえない」というのがリアル(かつ時代錯誤)な女性蔑視で辛い。
※「それぞれの性別が限定されてるなんてどこにも書いてないぞ〜」とかいう脳みそ使わずに3秒で出せる事実に対して仮定を持ち出す反論は結構です ※「女が腕力ないのは事実だ〜」という反論も作中では個の資質ではなくどの役割にいるかで力が決まるという描写があるので無駄です
1-2.家父長制はクソ
Q.家父長制ってなーに? A.ググれ
家長が女性で強い権力を持ってるパターンは今のイギリス王室とか見るとわかりやすいんじゃないすかね。 「男は狩りに行き女は家を守る」というジェンダーロールが保持されていても「男が家にいなくていつ死ぬかわからないなら女が家を仕切れば良い」と判断される場合家長は男のみという縛りはないので家父長制は「男という特権がなければ家長の座を獲得できない」という二重の特権になる。
家父長制の問題は男であれば家長としての権力が付随するかのような認識が広がること、というよりも家父長制と男性絶対優位の価値観がそもそも鶏と卵の関係にある。 相対的にその権利を持ちえない女性は軽んじられることになるので家父長制的な価値観を押し付けられるとめっちゃ���る。 「女は嫁いで子供を産ませる以外使い道がないんだから勉強なんかさせても無駄」みたいなアレ。
1-3.家父長制の毒は他人事ではない
これは別に陰謀論とかではなく家父長制は現代社会の価値観の根底に存在するものとして深く関わっていて、 悪意を込めて要約するとつまるところ全てはチ◯ポの価値の証明ためにあるという考え方なので「男が女を所有し女は男に仕える」という格差付きの異性愛規範とシスジェンダー男女の生殖を伴う結びつきだけが結婚であり、それ以外には価値がないとする価値観として現実に反映されている。 国によっては同性2人の家庭で子を設けたり養子を育てるための法律があるが、男らしさ至上主義としての家父長制が浸透した価値観の下では「男らしさの証明として男が女を征服して″産ませた″子供」だけが肯定されるべきと考えられているのは明らかであり、ここから生まれる血統・血縁主義はまさしく7章で否定したところにも繋がっているので、カナーンのあり方は放サモのシナリオにおいて肯定できるものではない。
2-1.「一人を犠牲にするシステムの過ち」に気づいたはずのダゴンへのヨシヨシおかしくない?
カナーンの滅びは必然的なものだった、アスタルテが苦しんでいたことにようやく気づいたというのが5話ラストでのダゴンの言い分。 つまりこの時点でのダゴンの物語は「作り出した世界は完璧なものではなく、子供を幸せな環境で育てることにも失敗した父親が次世代には次のチャンスがあることを伝えて去っていく」という形で完結している。 ところが6話では謎のカナーン激烈掌返し*が発生して「ダゴンはエデンによって一方的に滅ぼされた被害者なので本人にも作った世界にも欠陥はない。なのでなんの反省もせず生き延びて当然」と話の骨子が丸ごと入れ替わっている。脳みそスポンジか?(悪いのはキャラではなくシナリオ)
*わかりやすいカナーン激烈掌返しの図 https://twitter.com/rokunai/status/1331748214752436224
2-2.ダゴンはなにがダメだった?
自分が創造主である世界を存続させたい、父親役を永遠に続けたいというのは庇護ではなく支配であり、相手に対して自分よりも劣った無力な存在のままであれという傲慢とも言える。 だからこそ秘島ではトリトンが島での学校のロールプレイを離れ、キジムナーは子供の世話を焼く喜びを諦めていた。 スルトもシノも扱いは「これから成長して盛りを迎える子供たちを見送り、次世代のために自らの滅びを受け入れるもの」だった。 ミカイールの理想は「人間が永遠に無知であること」で、コロポックルの理想は「人間が永遠に無垢(幼稚)であること」で、どちらも自分が(ミカイールの場合は神の威光を肩代わりする存在として)父権的な支配者であ��続けることと解釈することができる。 だからといって「父親役ぶん投げて俺だけ別世界行きま~す!あっお前らは俺が作った世界で俺が父親として優秀チ○ポだった証拠としてずっとそこにいろよな(笑)」は論外中の論外です(悪いのはキャラではなくシナリオ)
【ちょっとここで聞いてみよう!こうだったら問題ないと思うよのコーナー】
「諸々あってカナーンのシステムが完全に明確に崩壊してトロフィーの役割から自由になったアスタルテが幼馴染として愛着があるバエルと一緒に居ることを選びました」という展開 →(女性蔑視と融合した)異性愛規範を肯定してはいけない=異性愛を描いてはいけない ということではないのでダゴンの娘という役割の下にないことがはっきりと描かれていればむしろハッピーエンドらしさが強まる。というかそもそもバエルのことが人として好きというオチに対して��っっっっっっっっっったく描写がないのでやっぱりシナリオがクソ
「シナリオからバアル以外の候補者を削ぎ落とし『良い父親ではなかったダゴン』と『反発する感情を抑えきれないアスタルテ』の親子間の問題に絞る」 →アメリカのドラマとかアニメでやりがちだけどマジでこういうのにしとけばいいと思うよ あとどうせモテモテハーレム♡やりたかっただけだろ許さねえぞ(後述)
3.主人公ヨシヨシハーレムによるとっ散らかり
秘島探検隊のキャラクターがアスタルテと入れ替わった主人公に求愛する候補者として登場するのはシナリオの構成に対して明らかな蛇足である。 その中身も「役割に従って求愛しちゃう♡でも恋愛感情があるのは全員本当だょ♡」というシンプルなゴミ。 前作で「愛情は経験に基づいて人格に対して向けられたものだから別人が成り代わることはできない」という描写をしておいて(半分は秘島で過ごした経験に基づいた好意であるとしても)代わる代わる求愛されるモテモテ愛されポジションへの成り代わりをやってしまったのは本当にどうかと思う。
4.女キャラ雑に扱ってますよね?
Q.そんな怒らんでもええやん A.ゲイゲーならまだしもLGBT向けは公式が自分から言い出したことやぞ
前述のアスタルテとの入れ替わりによる(入れ替わりによるものというのがすごく重要)主人公モテモテ描写そのものが、アスタルテの苦しみを全て無視してダゴンを可哀想な被害者に書き換えたカナーン激烈掌返しと合わせて「女は楽だよな~可愛ければ男からチヤホヤしてもらえるんだから」というような女性蔑視の肯定の含みを生み出してしまっている。 公式はLGBT向けを名乗ってはいるけどシスゲイ以外のSOGIマイノリティ以前に女性という「異物」に関して結局なんも考えてない感出しちゃいましたね???というのがぶっちゃけ。
アスタロト&アスタルテというキャラクターの場合は特に、キャラクターデザインを担当した志村貴子の漫画「放浪息子」のコンセプト(「女の子になりたい男の子」「男の子になりたい女の子」の2人を中心に二次性徴に伴うジェンダーへの違和感を描く)を意識して作られているのではないかと推測している(公式で明言されていないのであくまで推測)。 それに従って「自分に割り当てられた性別そのものへの違和感と自分に割り当てられた性別に付随する規範への違和感が人(特に10代の子供)の中でグラデーションになること」を描いたのが間違っているわけではなく、むしろ「アスタルテは男になりたかったわけではない(カナーンで王の娘として生まれたことが苦しみの理由であり、役割に縛られない環境に生まれていれば女であっても同じ苦しみを感じることはなかった)」という結論を出すのであれば生きづらい世界をそのまま残すべきではなかったし、世界を残すのであれば世界のあり方を変えたことがわかる描写を入れなければならなかった。
(2/23追記:さらに言えば、以前https://privatter.net/p/4632768で言及した通りに放サモがウテナから影響を受けている可能性を考えると、アスタルテのトロフィーとしての役割と主人公に役割を譲ったアスタルテが自ら競争の候補者になる展開がウテナで描かれた男に所有される「薔薇の花嫁」とその役割から開放するために戦う主人公を想起させるので、もしもこれが意図的に似せたものであるならばその点でも不誠実な形で仕上げられたシナリオだと思う)
5.父親属性キャラでシコりたいがために日和るな
ライフワンダーズの前身である四畳半的生活の作品は現代の日本の平均を反映したホモソーシャルとホモフォーブがガチガチのおじさんがなんの因果かハッテン重点、同時にその時代の中で抑圧された無自覚な非ヘテロや典型的な男らしさに馴染めないと感じている男性キャラも描いてきたところが魅力だと思っている。 だからこそ放サモではこれからの時代に向けた先進性のあるシナリオが読めると思っていたのでどうしてこうなった?という思いが強い。 あとそれっぽいモチーフとして上辺だけ引用するんじゃなく劇場版ウテナ100回見直して「決闘でやり取りされて嬉しい女の子がいるものか」ってセリフの意味をよく考えてほしい。
2 notes
·
View notes
Text
迷走から成功へ!てらけんさんが語る、01突破の秘密
今やパソコンとスマホ一台で、年間1億円を自動化収益で達成している「てらけんさん」。その成功は決して一夜にして訪れたものではなく、数々の失敗と迷走の中から掴んだものです。今回は、彼の歩んできた道のりや、結果が出ない時期の乗り越え方について、てらけんさんの実体験を交えながら語っていきます。
迷走期のてらけんさん—結果が出ない時期の苦悩
てらけんさんは、現在の成功を手にするまでに何度も結果が出ない苦しい時期を経験しています。ブログやSNSなど、さまざまなプラットフォームで挑戦を続け���中で、初期の頃は何をしても思うような成果が得られず、挫折しそうになることもあったそうです。
「当時、ブログに一生懸命取り組んでいましたが、どれだけ記事を書いてもアクセスが伸びず、月収は1万円に届くかどうかという状態でした」と、てらけんさんは振り返ります。
半年間も全力で取り組んでいたにも関わらず、結果が伴わない日々が続いたことで、彼は一時的に自信を失い、迷走してしまいました。迷走の中で試行錯誤を繰り返し、ターゲット選定や投稿頻度、コンテンツの質を見直す努力を重ねたといいます。
結果が出ない原因—「何かが足りていない」
結果が出ない時期に彼が気づいたのは、「必ず何かが足りていない」という事実でした。
「結果が出ない時、必ず何かしらがショートしているんです。例えば、SNSならターゲットが間違っているとか、ターゲットへのアクションが不十分、投稿頻度が足りない、交流が足りないなど、何かしら原因があるんです」と彼は語ります。
ブログにおいても、記事のクオリティや内容が不足していたり、投稿数が足りていないことに気づきます。特に、最初の成功を掴むための「基準値」が自分で思っていたよりも低く、もっと高いレベルのアクションが求められていたのです。
繰り返す挑戦と失敗—「バッターボックスに立ち続けることの重要性」
てらけんさんは、失敗を恐れずに挑戦し続けることの大切さを強調します。彼の言葉を借りれば、「成功するためには、何度もバッターボックスに立ち続けるマインドが必要だ」と言います。
例えば、彼は過去にトレンドブログやLGBT系のサイトを運営していましたが、いくらアクセスがあっても収益が思うように上がらず、挫折を経験しています。「どれだけアクションを起こしても、必ずしもすぐに成果が出るわけではありませんでした。それでも、その経験が後に大きな財産となりました」と、てらけんさんは言います。
彼は、たとえ失敗しても、その都度アクションを見直し、再挑戦することを繰り返しました。失敗から学び、新しい視点で取り組むことで、少しずつ成長していったのです。
具体的な行動—「まずはアウトプットを出してみる」
てらけんさんが結果を出すために行った具体的なアクションとして、彼は「まずはアウトプットを出してみること」を挙げます。
「とりあえず記事を書いて公開する、コンテンツを作って販売してみる、とにかく何かをアウトプットすることが大事です。結果が出なかったら、その時に考え直せばいいんです」と、彼はアドバイスします。
一度アクションを起こし、その結果を検証する。そして、うまくいかなかった場合は原因を分析し、次に繋げる。てらけんさんは、この繰り返しを続けることで、少しずつ結果を出していきました。
成功体験を再現—「当たったことを繰り返す」
最初に小さな成功を掴んだ時、てらけんさんはその成功体験を再現することに集中しました。「01突破」の瞬間を迎えたら、その成功をいかに拡大するかが次のステップです。
「一度当たったことは、それをひたすら繰り返して、成功を積み重ねていきました」と彼は言います。1回の成功を元に、同じような手法やコンテンツを続けることで、少しずつ結果が積み上がり、それが大きな成果へと繋がっていきます。
「成功したアクションを繰り返すことで、それが01から1億へと変わっていくんです」と、てらけんさんは強調します。
てらけんさんからのアドバイス—「諦めずに挑戦を続ける」
てらけんさんは、これからビジネスやコンテンツ制作で結果を出したいと考えている人に対して、「とにかく諦めずに挑戦を続けることが大切だ」と強く言います。
「失敗することは避けられませんし、全てが上手くいくわけでもありません。でも、失敗から学び続けていけば、必ずどこかで結果が出るタイミングが訪れます。その時に、どれだけ準備してきたかが重要なんです」と、彼は語ります。
彼自身、何度も失敗しながらも諦めずに行動を続けた結果、最終的に大きな成功を収めることができました。その道のりは決して簡単なものではありませんでしたが、彼が言うように「バッターボックスに立ち続けること」で、成功のチャンスを増やしていったのです。
まとめ—結果が出ない時こそ成長のチャンス
結果が出ない時期は誰にでも訪れますが、そこで諦めるか、改善策を見つけて行動し続けるかが、成功の分かれ道です。てらけんさんは、自身の体験を通じて、挑戦を続けることの大切さを語り、迷走から脱出するためのヒントを提供してくれました。
01突破を目指す全ての人にとって、今回のてらけんさんの話が少しでも励みになれば幸いです。
詳しいビジネスアドバイスや収益化の方法については、てらけんさんのブログやSNSで更なる情報をチェックしてみてください。
1 note
·
View note
Text
コンプライアンスを一般化して省みる
LGBTの話が浸透するようになった
ハラスメントに対する目線が厳しくなってきた
環境・社会に対するコンプライアンスの目線が厳しくなってきた
主張や立場への責任追及が厳しくなってきた
で、それはなぜか?
なぜなら、人々の頭が良くなったから
なぜなら、細かいことを気にするようになったから
理由と誤解されやすいもの
価値観が多様化したから
社会の複雑化によるもの
残念ながら、これらは理由や原因ではなく、結果の方
どう���腑に落ちない
今まで、そうじゃなかったのか?
その通り
結果や利益を得るために、細かいことを気にする頭のリソースがなかった
そのため、例えばセクシュアルアイデンティティなんかも実際細かいこととして切り捨てられていた
コンプライアンスなんて気にしてたらなにもできないよ〜(泣) ぐらいのキャパだった(批判的な意図ではなく、事実としてそうだったのだろう)
それを理解した上で、大事にしたいこと
多様であること、より細かいことを気にしていることが正義ではないということ
フェーズに分けて考えるとよい
「細かいこと」という理由で排斥されることは正しいことではない
意見の妥当性を確かめる
LGBT運動のような話でも、話を1にすり替える人が多い
確かに1は大切なのだが、2をスキップして構わないということには決してならない
より細かいことを気にしていることがより正義ということにはならない。より細かいことを気にするものには、より複雑な正しさを検証する責任を持つことになる。大変なことだぞ
より細かいことを気にすることが必ずしも良いことではないこともある。今後、コンプライアンス重視の社会は反転して「細かいことを気にしない」社会に変わっていく可能性が高いと予想する
では、私たちが細かいことを気にしなかった頃と何が変わるのか?
私達の脳がより発達し、細かいことを気にするようになったこと
細かいことを気にする群が、社会の主要な構成員になり、価値観に変容をもたらすこと
脳の変化が社会の変化にダイレクトに繋がったのであれば、それは今後とも大変に重要で興味深いことなので注視しよう
「細かいことを気にしないようにする」のもめちゃくちゃ大事なんだけど、例えばじゃあその過程で産業的排出で環境を汚しても良いのか、社員にパワハラをしてもい良いのか、となると当然NOとなる
NOなのだが、環境破壊だからすべてNO、パワハラだからすべてNO、というわけではない
私たちの脳は進化したが、同時に足りていない
現代社会には「パワハラがあったからその会社はすべてNO」みたいな圧力がかかる風潮があるのだが、ここが私達の今の脳の限界だと考えてる
大多数の人間は、NOだったことの「NO」の中身は何だ?どういう価値観に照らしあわしせて「NO」と言ったんだ?というところまで息をするより早く処理をし感情や感覚を形作ることができない(私もできない)
何が言いたいかと言うと、今の社会で、大多数の人間が自然にできることの限界が「細かいことだという理由で意見を排斥することがNOだ」と感じて言えるところまでだということ(実際にはそれよりもうちょっと考えて言えるが)
つまりパワハラがだめなのが「企業がなにかの目的を果たすうえで、特定の社員だけに理不尽な要求をしたり、不利益を被らせる秩序を残すような社会をつくらないため、そうした悪い秩序を残さない社会をつくるため」なので、それが念頭にあって初めてNOを中身を伴って言うことができる
これを呼吸より早く、任意の集団のだいたい8割以上の人間が常に頭のなかにあって社会の動向を見守っている状態になれば、社会のコンプライアンスのあり方は今とは見違えるほどになっているはずだと考えた
これはそうあるべきという話ではなく、長いスパンで見たときに自然とそうなっていくと予想されるので、そういう世の中になることに備えておこうという話
私たちの脳がさらに進化したら、社会はどうなるか
社会が今後「細かいことを気にしないようになる」と考えたのは、「NOであることを突きつけたうえで、それをどうするか」という次のステップが生まれるからだと考えているため
例えばカーボンクレジット(CO2排出権の取引)のような取り組みは一見めちゃくちゃグリーンウォッシングに見えるが、見方を変えると「細かいことを気にしないようにする」の一種ではないかと私は見てる
何かを製造する過程で起きたCO2の過剰な排出に対して明確に抑制に取り組んだり、排出を理由に製造を取りやめたりしていない
しかし、「CO2排出を気にするキャパがない」わけでも「なかったものとして扱う」わけでもなく、CO2の過剰な排出があることはあるものとしている
他の場所でのCO2排出削減に出資する形でちゃんと「CO2の過剰な排出」を取り扱っている
つまり、CO2排出削減という「より細かいこと」を考えられてかつ取り扱える人が、その責務を果たすことになる
パワハラなんかも今後形が変わると思う
もち���んお金を払ってパワハラや犯罪を見逃してもらうという仕組みにはならないと思う。労働者の環境を守ることと直結しているので
人間同士である以上、どこかでパワハラは起こり得る。それを自然と抑制できる環境を徹底できている企業はなにもしなくてよい。そうではない企業が、パワハラを是正するためのコーチを配置するコストを払わなくてはいけないような仕組みになるのでは?
どういう形になるのかはわからないが、コンプライアンスに反したことをエラーではなく仕組みとして取り込むようになるのが私たちの脳がさらに進化した後の社会のあり方になるんじゃないかと思う
もう一度大事なことを考えてみる
個人でも組織でも
「細かいことを大事にできるようになったこと」を大事にする
しかし「細かいことを気にしなければならない」わけではない
「細かいことを気にしないようにする」ことも大事だ
しかしそれは「細かいことがなくなった」わけではない
「細かい気にすべきこと」を突きつける側も、突きつけられる側も、それを取り扱える事が大事だ
「細かい気にすべきこと」を取り扱えることは正しさではなく能力なので、それぞれできるかつそれをやろうという人が、できることをやる
そうして社会に仕組み化されていくことで世の中は良い方向へ変わっていく
未来の話でもあるし、今日私たちが以上のことを大事にして生きることで、ふつうに身近によりよい環境を作れるヒントになると思う
本考察の結果
コンプライアンス重視の社会に対し、「私たちの脳が細かいことを気にできるようになった」という言語化を与えられるようになった。これは重要なことである
0 notes
Text
TEDにて
シャロ��・ブロウス: 今が一神教を取り戻す時?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
世界が制御不可能に見える時、宗教は、それと無関係に見えます。あるいは、問題の一部のように思われるかもしれません。
しかし、ユダヤ教のラビであるシャロン・ブロウスは、現代における我々の生活のニーズを満たすために宗教を改革できると考えています。
��の情熱に満ちた話で、ブロウスは一神教活性化のための4原則を示し、暴力、過激主義、悲観主義などの感覚を麻痺させるような暗い現実に対抗し、あらゆる一神教が希望に満ちたカウンターナラティブとなり得ると語ります。
古代エジプトは、紀元前30000年に集団が形成され、その後、紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生。エジプトの主神であったアメン神は多神教で世界最初の中央集権国家として現在では知られています。
その後、「アクエンアテン」が推進したアテン神を中心とする一神教が、人類史上初の一神教として誕生。
合議制の多神教である神官と言われる人々が政治に口を出すために、破壊的イノベーションにより誕生したかもしれません。一部。大統領制や政教分離です。
しかし、一神教はエジプトでは破壊されてしまい。モーゼの出エジプト記になり、古代ユダヤ教になったと知られています。参考までに、一般的には古代中国は、紀元前2000年。古代ローマは紀元前500年です。
2004年の春(一神教での話です)
日本では、神仏習合で多神教なため、戦国時代には、すでに解決しているので参考程度にどうぞ。
私は、新米ママであると同時に若いラビでした。そして、世界は大混乱でした。皆さんも覚えてると思いますが、毎日、私たちはイラク戦争で起きた悲惨なニュースを耳にしました。全世界に広がるテロの波があり、まるで、人間性が制御不可能になったかのようでした。
私は、マドリードの地下鉄で発生した組織的な連続爆発についてのニュースを読んだ夜のことを覚えています。私は起きて、6ヶ月の娘が愛らしく寝ているベットに向かいました。そして、彼女の呼吸のリズムを聞き、私の体を切迫した感覚が駆け抜けるのを感じました。
私たちは、政治、一神教、人口、そして、イデオロギーの構造が激変する時代を暮らしていました。
全てに危うさを感じました。こう考えたことを覚えています「いったい私たちはどのような世界にこの子を産んだのだろう「母、そして、一神教の指導者として、私はどのように解決するべきだろう」
もちろん。急激に変化するこの世界で一神教が主戦場となることが明らかだとは分かっていました。そして、一神教が問題の重要な一部であることは、すでに明らかでした。私の問いは、一神教が解決策の一部にもなり得るか?でした。
歴史を遡ってみると、人々は、一神教の名のもとに恐ろしい犯罪や残虐な行為をしてきました。
そして、21世紀に入ってから、明らかに、一神教的過激主義は、その勢いを再び増していました。我々の研究は、過去、15年から20年の間。
敵対心や一神教関連の暴力が全世界で増加していることを示しています。
しかし、これを証明する研究すら不要です。なぜなら、皆さんの中でこう聞いて驚く人はどのくらいいるでしょう。爆発や銃撃のニュースを聞いた時。
犯人が銃撃する直前や爆弾を投げる直前に最後に口にした言葉が、神(アラー)の名であったと。
今の時代。また、誰かが、神への愛を証明するため、他人の命を奪ったと聞いてもあまり驚く人はいません。
アメリカの一神教的過激主義の例は、白人の反中絶キリスト教過激派が、コロラドスプリングスのプランド・ペアレントフッドを襲撃して、3人を殺した事件があります。サンバーナーディーノでオフィスパーティーに入り込んで14人を殺した。イスラム国に感化されたカップルの事件も同様です。
また一神教的過激主義が、暴力につながらないとしても、一神教は、政治分裂のくさびを打ち込む争点として利用され、皮肉にも女性軽視の正当化やLGBTへの差別、人種差別、イスラム恐怖、反ユダヤ主義へと発展します(すべて一神教での話)
一神教や信仰の未来を心配するならば、こうした現状を深刻に捉える必要があります。私たちは、これが一神教の大失敗なのだと。はっきりと言うべきです。
しかし、大事なのは、これが、こんにちの一神教の唯一の問題ではないことです。
同時に我々には、過激主義に強い力(パワー。ライトサイドの方)をもって、対抗する一神教が必要です。
一神教は、2つ目の致命的な現象で苦しんでします。私はこれを一神教のマンネリ化と呼んでいます。私たちの組織と指導者が囚われている、ただ機械的に暗記したパラダイムには、生命がなく、ビジョンがなく、魂がない状況です。
この意味を説明します。
ラビになることの大きな幸福の一つは、ユダヤ教の結婚式の時に、キャノピーの下に、新郎新婦と一緒に立って、彼らが互いに見つけた聖なる愛を神聖なものにする宣言を手伝うことです。経験があれば思い出してみてください。または、ただ、想像してみてください。結婚式当日のキャノピーの下での経験と6年、7年後の記念日の気持ちはどう違いますか?
もし、運のいい人なら、16〜17年間は同じかもしれません。普通の人なら、多分記念日の朝に起きてお気に入りのレストランの予約もカードの用意も忘れたことに気づくと思います。そして、ただ相手も忘れていて欲しいと願います。
一神教の祭式や儀式は、主に記念日となるようにデザインされていて、あなたが一神教とまず最初に出会った聖なる目覚めの経験の思い出を入れておける器のような役割をつとめます。問題は何世紀か過ぎると、記念日はまだカレンダーに残っているけど、愛はずっと前に死んでしまったことです。
そして、私たちは、何の意味もないことばを終わりなく、意図もなく繰り返すだけです。言われるがままに立ったり座ったりして、執拗に守られた教義にすがり、完全に現代の現実とはかけ離れたおざなりの実践を行います。なぜなら、単純にそれが今までやってきたことだからです。
アメリカで一神教は衰退しています。
全体を通して、���会、ユダヤ教会、モスク。すべてが伝統の中核である組織に興味がないばかりか、一神教そのものにも全く興味のない若い世代との関わりを維持することが大変さだと嘆いています。
彼らが、理解しないといけないのは、一神教の過激主義の暴力に呆れた世代の人たちがいること。一神教のマンネリ化の虚しさから自ら一神教を拒絶した人がいることです。
もちろん、そこには明るい面もあります。一神教生活における危機とも言うべきこの二つのトレンドの中で、12〜3年前。私は戦争の勃発する世界で何らかの方法でユダヤ教の伝統の精神を取り戻し、意味と目的のある存在にすることは、できないかという試みを始めました。
こう考え始めました。
もし、今の世代の素晴らしい思想家たちの力を取り入れ、大胆で力強く想像力豊か��考えたときに、次世代の一神教生活がどのような姿になるだろうかと。私たちには、お金も場所も計画もありませんでしたが、電子メールはありました。友達のメリッサと一緒に座って、何人かの友達と同僚にメールを出しました。基本的な内容はこう「あなたが、一神教を捨てる前に一緒にユダヤ教の教えを改めて考えてみませんか?今週の金曜日の夜に会いましょう」
20人くらいの人が、来てくれることを期待していたら、その日。135人の人が参加しました。そこには、皮肉屋、信仰を探している人、無神論者、そして、ラビがいました。多くの人は、その夜が人生で初めての意味のある宗教的経験だったと言いました。
そして、私はそういう状況に置かれたときの唯一の合理的な選択をして、仕事を辞めて一神教を新たに見直し再建するという大きな夢を追い始めました。この活動を「イカール(IKAR)」と呼びます。
「基本」または「物事の中心」という意味です。
一神教界の中でイカールは独りではありません。そこには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、正教会の指導者たちがいます。ちなみに、その多くは女性で我々の伝統の核心を取り戻そうと考え、いま一神教が解決策の一部になる時だと固く信じる人々でした。
私たちは、聖なる一神教にたち戻り、全ての一神教に暴力や原理主義を正当化する材料が、含まれていることに気づきました。
また、共感や共存、優しさを正当化する材料も同時に含まれていました。誰かが憎しみや復讐の教えとして、経典を読む時に私たちはその同じ経典から愛や赦しの教えを受け取ることも可能です。
私は、今や東西海岸にある新興ユダヤ教コミュニティをはじめ、様々なコミュニティーたち。女性のためのモスク、ニューヨークとノースカロライナにある黒人教会。正義と平和のメッセージと共に我が国を横断する修道女を乗せた聖なるバス。これらが、信仰の精神を共有していて、それが、今、この国で再興した一神教の形をとり新たに浮上していると知りました。
具体的な信仰の経典や一神教活動は、これら個々のコミュニティ。それぞれ、とても違う一方、そこには一���して、それらを繋ぐ糸が見えます。
4つの原則を共有したいと思います。
まず目覚め。気づきです。
私たちは、今、地球のあらゆる場所で起きている世界中の悲劇の情報にアクセスできるという前例のない世界に暮らしています。12時間以内に、20万人の人々が、トルコの海岸にうち上げられたアイラン・クルディ君の死体の写真を目にしました(今では自動削除されます)私たちは、みんなこの写真を見ました(今では自動削除されます)このアレッポのビルの瓦礫の中から救出された5歳の男の子の写真を見ました。
こういう写真を見ると何か行動をとる必要性に迫られます。
ユダヤ教に伝わる話ですが、道を歩いていた旅行者が美しい家が燃えてるのを見てこう言います「こんなに綺麗な家が燃えているというのに、なぜ誰も気にしないの?」私たちはこのように世界が燃えているなら心と目を開いてその鎮火を助けることが責任であることを悟るように学びます。
これはとても難しいことです。心理学者たちは、私たちは世界の崩壊を知るにつれ行動しなくなるといいます。これを精神的麻痺と言います。私たちは、どこかで精神的に心を閉じてしまうんです。どこかで一神教指導者たちは、人々を居心地悪くするのが我々の仕事であることを忘れました。
人々の目を覚まして無関心から引っ張り出し、苦痛に向きあわせ、そして、私たちはやりたくないことも敢えてやり、見たくないものも見るのだと主張するのです。なぜなら、社会の変化が起こるのは家の火事に気付けるよう目が覚めている時だけだと知っているからです。
次の原則は、希望です。
希望はどんなものか?希望はナイーブではありません。希望は中毒性のある麻薬でもありません。希望は悲観主義的な政治と絶望の文化に対抗する唯一で最大の行為かも知れません。希望は私たちを制約し押し込めていた場所から解放すると同時に「もう一度夢を見て、可能性を考えることができる。彼らはあなたをコントロールできない」と教えるからです。
この夏。シカゴ南部のアフリカ系アメリカ人教会で私の友人であるオーティス・モスの説教を聞くために、私よりも数センチ背の高い13歳の娘を連れて行き、そこで希望を見ました。その夏、すでに3千人がシカゴで1月から7月の間に銃撃に遭っていました。その教会に入ってモス牧師の説教を聞いて、説教が終わったとき、この100人の力強い女性たちで構成された美しい女性聖歌隊が立ち上がって歌い始めました。
「私はあなたが必要です。あなたは私が必要です。愛してます。生きるためにあなたが必要です」私は、その瞬間。これが一神教のあるべき姿だと気づきました。人々に目的意識。希望の感覚を与え、彼らと彼らの夢が本質的に重要であるという感覚を取り戻させるんです。彼らは、重要ではないと言い放つこの世界においてです。
3つめの原則は力強さです。
ラビの伝統的教えでは、ポケットに2葉の紙を入れて歩き回ります。
1つには「私は���こりと灰にすぎない」自分が全て��のではありません。私はすべてをコントロールできないし、自分1人では、成し遂げられません。
もう一枚には「私のためにこの世界は作られた」自分ではすべてのことができないのは真実ですが、必ず何かはできるということを述べています。私は赦すことができます。私は愛せます。私は参加でき、抗議することもできます。私は会話に加われます。
私達は、今も一神教的儀式や姿勢を保ち、無力な人と力のある人の間のパラドックスを繋ぎとめています。ユダヤ人のコミュニティでは、私たちが完全に地面に伏せている唯一の時は祭日の間です。これは完全に神に従うという意味です。今、私たちのコミュニティでは地面から立ち上がるとき手を天に上げて立ちます。
そして言います「私は強い。私は偉大だ。私は価値がある。私は全てをできるわけではないけれど何かはできる」
私たちは、目に見えない存在で無力であると信じさせる世界では、一神教社会と一神教的儀式が、思い起こさせてくれるのは、私たちがこの地球上で与えられた時間がどれほどであれ、与えられた才能や祝福がどんなものであれ、どのような助けに手が届こうと関係なく、私たちは、それを使って世界をより公正でより愛情のあるものにできるし、そうしなければなりません。
最後となる4つめの原則は互いに関わりあっていることです。
数年前。アラスカの海岸を歩いている男がサッカーボールを拾いました。そのボールには日本語の文字か書かれていました。彼は、それを写真に撮ってSNSに載せました。そして、10代の日本人の子が彼に連絡してきました。彼は、日本で起きた破壊的な津波ですべてを失いましたが、その太平洋を渡って流された後のサッカーボールを取り戻すことができました。
世界は本当に狭くなりました。人間として私たちがどのように繋がっているかに気づくのは難しく。私たちが知っているように、行き過ぎた個人主義の嘘から最大限に恩恵を受けるのは抑圧のシステムです。
これはどういうことでしょう。黒人の青年が警察に嫌がらせされても、私は気にしないでいて平気なはずです。なぜなら、白人に見える私のユダヤ人の子供たちが黒人のように運転中に警察に呼び止められる事はおそらくないからです。でも違います。これは私の問題でもあるのですから、そして、性転換者への嫌悪やイスラム教への嫌悪。
あらゆる形の人種差別も全部私たち一神教の問題です。反ユダヤ教も私たち一神教の問題です。なぜなら、エマ・ラザロは正しかったからです。みんなが自由になるまでは誰も自由ではない。というエマ・ラザロの言葉は正しかったのです。
私たちは、みんな共に生きています。そして、今、これらの4つの原則。目覚めと希望。力強さと相互関係の交差点のどこかに複数の宗教にまたがる正義の動きが芽吹き、カウンタートレンドとして存在を主張し、一神教がこの世界に良い影響を与える力になれるしならなければならないと訴えます。
私たちの心は、過激主義という一神教の過ちに傷つきます。
私たちにふさわしいのは、マンネリ化した欠陥一神教以上のものです。今は、一神教指導者や一神教団体が、この国と世界が渇望する精神的、文化的な変化を先導するべき時期です。
愛と正義、平等に向かって、そして、すべての人の尊厳に向かっての変化が求められています。私たちの子ども達は、それ以上の世界を求める資格があります。
ありがとうございます。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
現時点2015年での時間の概念の解釈について
日本テーラワーダ仏教協���
仏教と物理学
アラン・ド・ボトン:無神論2.0
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
カレン・アームストロング:黄金律を復活させよう
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
#シャロン#ブロウス#宗教#イスラム#ユダヤ#仏教#キリスト#テーラ#ワーダ#アビダンマ#エジプト#古代#データ#super#string#theory#カオス#ストリング#数学#慈愛#カルチャー#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery
1 note
·
View note
Quote
稲田朋美と言えば、古屋圭司、新藤義孝らに誘われてLGBT法に突っ走った人ですが、やっぱりその手の人達で繋がってるみたいですね。 今回の様子のおかしな条例案に限らず、地方で様子のおかしな条例案が出てくるようになった背景にあるのは地方分権一括法だと言っていいでしょう。 1995年に村山内閣で法律制定の予定を決めて地方分権推進委員会が設置され、1999年に成立したのが地方分権一括法です。 これで条例の制定を所轄官庁の許可制から事後報告に変更されました。 国政を乗っ取るハードルは高くても地方議会ならその議会の有力者を抑えれば良い事が多く、様子のおかしな条例を通しやすい構図が作られました。 これは社会党の残党が集まった民主党が結党からの目標として党是の一つにしていた外国人地方参政権の実現とリンクしています。 民団や総連と切り離せないほど深��関係を持ってきた党らしく民団や総連の要求を堂々と結党から党是に掲げていたわけです。 マスゴミがここをきちんと突っ込まなかったことがマスゴミと反日勢力の関係が強い事の証左でもあると思いますが、とにかく、売国政策を結党理由の柱の一つにしていました。 ですので民主党は結党時からぶれることなく反日売国政党だったと言えます。 立民はさらに反日売国側に純化させた政党だと言っていいでしょう。
村山内閣の負の遺産のひとつ | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
0 notes
Text
【レビュー】硬くなる椅子 ―y/n『Q&Q』における居心地の悪さについて 寺田健人
撮影:菅原康太
1. 橋本清と山﨑健太2人のユニットy/nの『Q&Q』は、2023年4月城崎国際アートセンター(KIAC)のアーティスト・イン・レジデンスプログラムでの試演会を経て、同年5月末にアトリエ春風舎で上演された。y/nによる教育をテーマにした作品には東京芸術祭ファーム2022 Farm-Lab Exhibitionでのパフォーマンス『Education (in your language)』があり、本作はこれを引き継ぐものである。日本の学校における規範的なもの、校則、法律などが舞台上の黒板を模したスクリーンに投影され、それらについて橋本が説明をしていくという流れでパフォーマンスが進行していく。しかし、その内容の善悪について橋本が意見を口にすることは積極的に避けられ何か明確な答えが作中で提示されるわけではない。いわゆる「Q&A」が質問と答えなのだとすると、『Q&Q』はスクリーンに投影された規範(Q)に対して鑑賞者の中に生まれる(Q)を観測するためのレクチャーなのかもしれない。私は、城崎国際アートセンターでのレジデンスプログラムにy/nの二人と俳優の和田華子と共に参加していた為、本稿はアトリエ春風舎で上演された内容だけではなく、試演会との違いなども含めた内容にしたいと思う。
2. 「えー、席の座り心地はどうでしょうか?」 これは『Q&Q』の冒頭、橋本が観客に向けて初めて話かける言葉である。「教育」というテーマからも連想されることだが、その後の台詞からもどうやら橋本が先生役をやっているようだと自然に受け取ることができる。「まわりに座っているのはどんな人たちでしょうか?」「よく見回してみましょう。笑顔がかわせたでしょうか。」と橋本が聞くと、観客はキョロキョロとして周りを見渡す。お互いに笑って見せたりもする。橋本曰く冒頭���台詞は「中三になって最初の日、新しい担任が教室に入ってきて、一番はじめに口にした挨拶の言葉」なのであるが、この一連の芝居から舞台を教卓、客席を座席とした教室が出来上がったように感じられた。しかもそれが、橋本の芝居や黒板を模した舞台美術によって作り出されたのではなく、観客側が自ら生徒役になったことで完成されたようだった。 そこから観客席の照明が落とされ、日本(ニッポン)の教育の基本中の基本を確認するレクチャーがスタートする。
3. レクチャーでは、いくつかのレベルの規範が提示されていた。一つは教育基本法や��習指導要領、明治期に定められた「学校建築図説明及設計大要」などの法律や要領である。それらの文言は、舞台奥に設置されたスクリーンに投影され、それを橋本が読み上げていく。しかし映し出された文字をそのままを読み上げるわけではない。教育基本法の一文「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」では、「我々」とは読まず「日本国民」と読み、「我が国」を「日本」と読む。諸々の規範における「我々」と距離をとる表現であり、その読み方の変更は橋本の小さな反抗、あるいは同類に送るサインにも思える。その後もこれらの規範において誰が想定されているのかを確認していく作業が続く。例えば「学校建築図説明及設計大要」では「教室の窓は南側につくって、生徒の左側から太陽の光が入るようにし、利き手と逆の側から光が入るつくりにすること」を求めておりその基準は日本人の9割を占める右利きの人たちになっていることが明かされる。上演前、開場中には、日本国憲法第二六条が映し出されていたが、そこには「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とあった。「すべて」に含まれない、法律によって記されていない「我々」の居場所はどこにあるのだろうか。 別の規範としては、学校独自のルールが挙げられていた。机の並び方がアイウエオ順であることや、教室の黒板の両サイドに扉があることなど、橋本の個人の経験らしき内容が語られる。「教育とか学校の話って、誰でも、何かしら言いたいことがあるというか、しゃべれる話があって。けっこう盛り上がれるって意味では使える話題だと思う」とパフォーマンス中に橋本は言うがまさにそうだと思う(そう思えてしまうのはなぜだろう。「我々」が問うべきQのひとつかもしれない)。教室の作られ方の違いや座席の順番などについては城崎での滞在制作中、参加者同士で話し合ってそれも大変盛り上がったことを覚えている。実際、試演会でも橋本の個人的な経験を回想するような場面が作られており、鑑賞している身としては学生時代を思い出しながら話を聞く場面が多かったように思える。しかし、アトリエ春風舎で上演されたものでは回想や個人の経験などに関しての描写が大幅にカットされている。個人的と思われる描写、例えば「生活日記」は橋本と当時の担任とのやりとりが記されており橋本がそれを朗読する場面では、日記に描かれなかった内容、つまり「記されること」と「記されないこと」について意識を向けさせる機能を持っているし、席順で当時好きだった人の話をする際も、橋本の性的指向を読み取るためのフックとなっており学校話にありがちな懐かしさやエモさに回収されないようにしていることがわかる。
撮影:菅原康太
4. さらにもう一つの規範、校則としては「不純異性交遊」の話を挙げている。「不純異性交遊」という用語が端的に言えばセックスを禁止している点を確認した上で、最新版の学習指導要領の中に記される「生きる力」にセックスが含まれていないことを指摘する。学習指導要領のなかに「妊娠の経過は取り扱わないものとする」という文言があり義務教育の中ではセックスは教えない。また、「不純異性交遊」は異性であることを前提としており妊娠を伴わない「性的逸脱行為」はそこに含まれていない。禁止される規範にすらも記されない「誰か」の存在が見えてくるようだ。この「不純異性交遊」を語る場面では、橋本は突然タバコを吸い出したり、バナナを食べ始めたりする。その橋本は、先生でもなく、y/nの橋本を演じているわけでもない。誰なのかは明かされないまま、その橋本は口から白い煙を吐き、バナナを咥えて指を舐める。ここで重要なのは奇妙な存在であるその橋本が、他の橋本と同じように舞台上に立ちそれらの行動をして、台詞に戻ってくることだ。役がシームレスに繋がり、橋本の存在が宙に浮く。
5. 最後の場面では、冒頭に登場した先生が再び登場する。先ほどの先生が新学期、あるいは入学式の先生だとしたら、この先生は学年末、卒業式の先生かもしれない。 「ここにいる人たちと一緒に過ごす時間も、もうすぐおしまいです。でも、私たち��は、これからも同じ時間を共有しています。まわりに座っているのは、どんな人たちでしょうか? まわりに座っていないのは、どんな人たちでしょうか?」 橋本の台詞の中で「私たち」が強調されていた。「私たち」とは誰なのだろうか。また、「私たち」に含まれない人たちとは誰なのだろうか。『Q&Q』を観ながら、「LGBT理解促進法案」の内容を思い出していた。LGBT理解促進法案の第十二条に「措置の実施等に当たっての留意」を新設し、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする。この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定するものとする。」と報道されていた。「全ての国民」は文字通りの全てではない。『Q&Q』の中で扱われていた諸々の規範の中で「我々」とされているものがいるように、誰かによって規定された「全ての国民」なのだ。 「よく見回してみましょう。笑顔が交わせるでしょうか。」 冒頭には笑顔を交わしていた隣の人がこちらを観ない。というより誰も周りを見ていなかった。『Q&Q』で、何か規範に対して特定の答えが明示されていないのはその答えが新しい規範を産む可能性があるからかもしれない。また、学校の話を誰もが盛り上がれる話題として扱わなかったのは、学校教育を懐かしめる「我々」にならない為だったのだろう。試演会の時に、どこか懐かしさを感じて喜んだ自分はある規範に乗ることができた「我々」だったのだろう。繰り返し問われる規範についてのレクチャーの中で、かつて学生時代にそれらに抗えなかった過去の自分も、規範に知らないうちに取り込まれ、受け入れてしまっている今の自分も同時に感じることになり、パフォーマンスが終わるとすぐに席を離れたい衝動に駆られた。「えー、席の座り心地はどうでしょうか?」という最初の先生のセリフを思い出す。『Q&Q』で作られた仮の教室に配置された座り心地が程よいあの椅子は、みんなにとって座り心地がいいものではないのかもしれない。「私たち、は、これからも同じ時間を共有しています。」学校は小さな社会というが、『Q&Q』を観て以来、「私たち」は今もあの教室の中にいる。
撮影:菅原康太
寺田健人 1991年沖縄県生まれ。社会が作り出した「性」や「生まれ」に関する諸規範によって人々の行動・思考が決定されていく生政治に関心を持ち、ラディカル・フェミニズムが生み出した「個人的なことは政治的なこと」の実践として、主にパフォーマンスと写真を軸にして制作を行なっている。主な展示に、「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」BankART Under35 2022(BankART KAIKO、横浜、2022年)、『琉球の横顔 ー描かれた「私」からの出発ー』(沖縄県立博物館・美術館、那覇、2021年)。
0 notes
Text
マサキチトセさんのブログに対する反論
mastodonに書いた記事の再掲です。
https://ja.gimmeaqueereye.org/entry/27272
クィア系の人にありがちな、冗長な表現が多すぎるうえに分かりにくい文章で目がツルツルすべりまくってしまい読むのがとてもつらかった。
行為ではなく性的ファンタジーにおいても、私は(今は体型的に成功率だだ下がりだけど)同い年か少し年上の人に甘えて欲情させるのが好きなので、あえてむりやり小児性愛の枠組みに入れるとしたら私自身はファンタジーにおいてはどっちかって言うと小児側だと思う(タチだけど(誰得情報…))
とかいうどうでもいい性癖情報なんていらない。 顔写真出してる人がこういうこというのは無駄に生々しいんだよ。
で、瀬戸さんにとって「人物を指す名詞としてのクィアに人物としてのペドファイルを含めるつもりは昔からゼロ」だし、(もちろん)この人自身がペドフィリアではないということは分かった。
ただ
私が名詞としてクィアを使う時(例えば「クィアの権利と尊厳」とか言う時)に、そこにペドファイルを含めて考えてはおりません。 >LGBTQ+の「Q」にも含めて考えてはおりません。 (誤解:「ペドフィリアは LGBTQ+ の Qに含まれる」とマサキチトセは主張している より)
では「Q」に含まれてないのは分かったけど、「+」にペドファイルが含まれる可能性までは否定しきれていない。
そして、彼の
「小児性愛者という人口全体を悪魔のように社会が扱うことは結果的に小児性犯罪を温存してしまうから、児童を守ることには繋がらない」という議論を支持している (■「LGBT関連の論者の中でも私はかなり突出して小児性愛擁護派」という部分について説明します より)
という意見には同意できない。 あとこの(屁)理屈はセックスワーク論者がいいがちな「買売春を犯罪化すると地下に潜ってしまう」という言い訳と非常に近似していると思う。
『マルクス主義・フェミニズム・セックスワーク論』において、この「地下に潜る論」に対する反論は
セックスワーク派が最も愛好する屁理屈の代表格がこの「地下に潜る」論である。(略)まず第一に、最初にこの北欧モデルを導入したスウェーデンにおいて、この「地下に潜る」論は具体的に反証されている、少なくとも何ら実証されていない。(略)第二に、多くの人が理解していないのは、合法化国の方が「地下に潜る」部分がよっぽど多いという事実である。
というのも、ほとんどの合法化国は公衆衛生上やその他の必要から、店舗の登録や届け出などを義務づけているが、そうした登録を嫌がって営業する違法店が合法店の数倍多く存在するからである。あるいは、買春女性の保護のためとして、買春者にコンドームの着用を義務づけている国もあるが、そうした国ではコンドームの着用を求めない違法店が増殖することになる。
つまり、売買春の廃止に向けた措置は、いわゆる「地下に潜る」部分を含めて全体として産業規模を縮小させていくものであるのに対して、合法化ないし非犯罪化は、全体としての産業規模を増大させ、したがって「地下に潜る」部分も増大させるのである
『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論:搾取と暴力に抗うために��,慶應義塾大学出版会,2021,p.165-167
https://twitter.com/DangaiMisaki/status/1498459612508729346?s=20(断崖みさきさんのツイートより)
となされている。
これをペドフィリアの場合で考えると、実際に「ペドフィリアとチャイルドマレスターは違う」「ペドフィリア差別に反対します」という意見でペドフィリアを“他者化/悪魔化”しないことが推進される場合、心理的な抵抗感/ハードルが下がり、小児性愛者の絶対数が増えるのは当然のことなのでは? 現に瀬戸マサキさん自身もこのブログで「異性愛や同性愛と同様に、ペドフィリアもまた、社会的/環境的に形成される部分が非常に大きい」といっているわけだし。
ペドフィリアを擁護する人は「ペドフィリアとチャイルドマレスターは違う」「性的な感情を抱くことと、同意のない性行為に及ぶことの間には大きな違いがある」といっている。
ペドフィリアを擁護している例1)
ペドフィリアを擁護している例2)
あたかも相手が子どもであっても「同意」さえあれば性行為に及んでも問題がない���のような言い分だ。 そもそも成人と子どもとの間に対等な性的関係が築けると思っているのだろうか。 成人から性的な欲望を向けられた子どもの「同意」は果たして本当に「同意」といえるのか、わたしはそういったことから疑問に思っている。
当然、子どもも社会の構成員であり、その保護者たちは常々不審者情報に気を張り巡らせながら生活しているし、(特に小児期の)性被害者もいる中で、歯切れ悪くもペドフィリアを肯定的に言及するのは、そういった人たちの心理的安全性を損なうのではないか? 瀬戸マサキさんは「ペドフィリアを完全には否定しきらない言説が社会に与える影響」ついてはどう説明するのだろう。
学問としての「クィア批評」が「ペドフィリア/小児性愛」を扱うのはわかった。 しかし「LGBTQ+」の「Q」が「クィア」という解釈もあり得る以上、ジェンダーについて特に関心のない一般の人たちに対しても「クィア」とはなにか、そしてもし「ペドフィリアとチャイルドマレスターは違う」というなら、それらがどのように違うのか、「クィア」を扱うアカデミアの人たちは説明責任があるのではないか。
そして自分たちの理論がアカデミアのなかだけでなくて現実社会に影響を及ぼしたときに、どういった人たちに支持され、そして実際に子どもたちが犠牲になった場合に責任がとれるのかということも、「実際に行動に移した人が悪い」と逃げるのではなく、よくよく向き合って考えてほしい。
0 notes
Text
LGBTQ+への差別“増進”法が、日本版Don't say gay(LGBT)法が、可決された日本🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
日本では、先日↓に書いたあの法案が、正式に通った。
「LGBT理解増進法」という名の、事実上の「差別増進法」が。日本版「Don't say gay(LGBT)法」ともいえる、最悪な法案が、通ってしまった。
国会に、極右団体/差別主義者団体の有名な連中が、何人も。統一教会との繋がりもはっきりしている連中が。Twitterを使い毎日のように差別をぶち撒けている差別主義者共が。
自民党と維新という醜悪な差別主義者政党に招かれ。
国会で、大々的に、彼等が“女性の代表”🤮🤮🤮(その中には性犯罪加害者として告発された過去を持つ男性までいる)(そもそもが、彼等は揃って、女性差別を煽ってきた、アンチフェミニズム/セクシスト/ミソジニストとして有名な差別主義者達で……それがいまや、“女性の代表”ヅラ)として、LGBTQヘイト、トランスヘイトの差別言説とデマと陰謀論をぶち撒けていった🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
自民党の議員のひとりは、極右デマ機関のFOX NEWSをソースとして高らかに讃えた🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
本当に、反吐が出る光景だ。
そして今も、先日↓に書いたように、有名なクリエイ��ー達が、二次創作を楽しんだりするオタクなアカウントが、
毎日のように、トランスヘイトを、LGBTQ+へのヘイトを、デマを、拡散していく。
もう、「一見すると差別とわからない、一見するとフェミニズムっぽいことを書いているけど、トランスヘイトのツイート」……ですらない、直球の酷いデマや差別言説まで、平然とRTされている。罷り通るようになった🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
日本語圏のムーンナイトのファンダムにいるトランスヘイターも、毎日のように差別言説を拡散し続けている。
本当に、しんどい。反吐が出る。
1 note
·
View note
Text
6月7日のツイート
RT @hiziki3: エクストリーム夜行バス17時間テニフェス参加日記 pic.twitter.com/MIHJG3dFpu
posted at 22:16:16
被害が出ないこと、交通機関に影響が出ない事を祈ります。
posted at 21:49:10
はとつー
posted at 21:48:27
@mumumu_ATG 失礼します。現在は「田村ゆかりの乙女心♡症候群」という番組名で放送中です。番組名こそ変わりましたが中身は黒うさぎとほぼ同じです。radikoタイムフリーの他、YouTubeで公式アーカイブ配信もありますのでよろしければ。 www.youtube.com/@OfficialChann…
posted at 21:25:16
RT @MiyacoNet_plus: 糸魚川駅(新潟県)から 各県庁所在地までの所要時間 富山県 富山駅 26分 長野県 長野駅 32分 石川県 金沢駅 50分 群馬県 前橋駅 1時間34分 福井県 福井駅 1時間48分 埼玉県 浦和駅 1時間57分 新潟県 新潟駅 1時間59分 あの、君って本当に新潟県...?
posted at 21:21:25
ANAのA321neoに乗ってエンジン静かで感激したからJALにも導入されるとしたら有難い。搭乗機会あるか分からんが。 www.traicy.com/posts/20230607…
posted at 21:18:51
RT @traicycom: ANAとJAL、エアバスA321neoなど発注か ブルームバーグ報道 dlvr.it/SqGDFf pic.twitter.com/n9OvGuLMVd
posted at 21:15:47
RT @Q_kita910: 参加したい作品を呟くと仕事がもらえる���て聞いたことがある。 デパプリ2期、呼んでください🍙
posted at 20:22:36
RT @mx_anime: 📺夜7時30分~ 『トロピカル~ジュ!プリキュア』 #33「Viva!10本立てDEトロピカれ!」 💄メイクでチェンジ!ムテキのやる気!✨ みんなで一緒にトロピカっちゃおー!🌺🌈 s.mxtv.jp/anime/ #TOKYOMX #precure
posted at 18:50:22
RT @arigato_abesan: 強行採決をすると当事者さえも不在になるのではないでしょうか。拙速な法案は先祖代々大切にしてきたものを壊しかねない。数々の努力義務は僕たちの生活にも大きく影響する。安倍さん、貴方ならどうしますか。私は拙速な #LGBT法案に反対です twitter.com/sankei_news/st…
posted at 18:46:34
RT @a10networksjp: #interop23 A10ブースに「カプセルトイ #手のひらネットワーク機器」ガチャガチャマシンを設置します! A10ブース内セッションを聴講いただいた皆様はもれなく回していただけます。 当たりが出るか、はずれが出るかは運次第・・・ twitter.com/a10networksjp/…
posted at 18:32:01
>同社は「生活でITは不可欠なものだが、それを支える“インフラエンジニア”を知っている人は多くない」とし「『手のひらネットワーク機器』を通してインフラエンジニアの存在を知ってもらい、少しでもITインフラの仕事に興味をもってもらいたい」と企画趣旨を明かしている。 www.itmedia.co.jp/news/articles/…
posted at 18:30:20
@MotorolaJP メモリ8GBは良いのですが解像度がg52jより退化しているのが残念です。FeliCa非搭載で構わないので moto g Stylus 5G (2023) の日本発売検討をよろしくお願いいたします。
posted at 18:28:34
RT @kubigitsune: @7Znv478Zu8TnSWj LGBT法案反対議員 pic.twitter.com/q2rDGGgjhq
posted at 18:25:43
倉敷公演、自分の隣席は空席だったが1時間経過した頃に入場。終演後に尋ねたら自分の隣接県からいらしていた。本当にお疲れ様でした。
posted at 15:35:19
RT @YukarinStaff: 2023年6月3日(土)倉敷公演 払い戻しのお知らせです。 www.tamurayukari.com/information/?i…
posted at 15:25:05
RT @hukubukuro: 昔、niftyでフォーラムが整理されてしまって、閉鎖されたフォーラムの大量のlogがもう見られなくなってしまった。例えばプロレス格闘技の観戦記。ビデオにも記事にも残っていない試合の詳細。きっと個人で保存している人達がいる。ただしフロッピーw どんな「場」もいずれは無くなる、と覚悟している。 twitter.com/KGN_works/stat…
posted at 13:00:12
RT @KGN_works: TVで言うなら、「家庭用ビデオデッキ登場前のTV番組」。あれも消えた情報の一つ。 事前収録してた番組のフィルムが無くなったらおしまいでしょう、ネット上の情報も同じ状況になりうる。というかなってますね。
posted at 12:59:31
RT @KGN_works: あと、Flushが終わっちゃったので、これまた史料の喪失になっている。 まあ仕方ないんだけどね。 ただ、「ネットに何でもある」という認識はちょっと改めておいた方がいい。『割と簡単に消える』が正解だろう。
posted at 12:59:28
RT @KGN_works: ジオシティーズ消滅で大量に史料が消えた問題もあるんだよなあ… 「ネットに何でもあるじゃん」と思ってる人は本当に多いけど、「ネットの情報はサーバの電源が落ちたら消える」まで認識してる人の割合の少なさは吃驚するくらいだね
posted at 12:59:22
RT @lacopen: 80年代後半から90年代前半に起こった出来事が、インターネットでは手に入らない膨大なロスとなっている問題。 わたしの守備範囲である少女マンガの歴史についても、この時期を後世に伝えるためにいかに評価するのかが重要になってくるだろう。 twitter.com/wonosatoru/sta…
posted at 12:59:07
>ミニチュアのネットワーク機器はLANケーブルで機器同士を繋ぐことができます。また、組み立て式のサーバラックには冷却ファン、ケーブルホルダー、電源タップ、棚板といった小物も取り付けることができるようになっているなど、本物を忠実に再現しており、prtimes.jp/main/html/rd/p…
posted at 12:47:18
RT @PRTIMES_NEWS: ネットワーク機器とサーバラックをカプセルトイに!メーカーとコラボで生まれた『手のひらネットワーク機器』が登場 prtimes.jp/main/html/rd/p… pic.twitter.com/sd6OulKOQb
posted at 12:45:48
@YuFu_toyomimasu 眠気覚めましたありがとうございます🍙
posted at 12:44:59
RT @YuFu_toyomimasu: 眠気覚まし pic.twitter.com/03L5SnsYgM
posted at 12:43:23
RT @kayanoai_0913: @RisaShimizu お誘いありがとう😘 Cheers!🥂(茅)
posted at 12:38:17
from TOJHO(@misttimes) - Twilog https://ift.tt/7RdyZux via https://ift.tt/4iLEpWA
0 notes
Text
まちかどAronespace4〜6月まとめ
まちかどaronespaceの4〜6月の振り返りを簡単にしてみようと思います。個人的なメモです。
【第1回・4月16日(日)@錦町公園】
初回は2名の方に参加いただきました。開催してもどんなものになるのか自分でもよくわからず、緊張していたのでいきなり人が来てくれたのが嬉しかったです。Aスペクトラムや非シスジェンダーなアイデンティティと社会のこと、クィアな占いのこと、パレードのことなど色々なことを話しました。人生で初めて占いをしてもらって楽しかった。
コミュニティづくりを目的としておらず、適度に距離感がある中でのこの場は、なかなか掴みどころがないと感じたけれど、連帯って何なのだろうとか、集まったからといって繋がらなくてはならないこともなく、それぞれの立場から思ってることを投げ合う感じは続けたいなと思いました。また、屋外でやることで通行人にわずかな時間ですがまじまじ見られるのを感じ、違和感として見られる存在である・そうでしかいられない存在であるというのを感じました。
【第2回・5月21日@錦町公園】
この月はひとりでの開催になりました。ゆっくり積読を解消する回になり、本を読む時間が少なくなってきている中でいい時間を過ごせました。5月なのに寒くて上着着たまま座っていた記憶がある。途中まで読んでいた「トランスジェンダー問題」や「最小の結婚」を読んで難しいな〜と思ったり、本の上に置いていたぶたのぬいぐるみを見た子どもに「それかわいいですね」と声をかけられたりしました。Singlismや「ひとりでやる」ことなど、割と最初に掲げていた目的に近いことをする回になりました。
【第3回・6月18日@錦町公園】
4月にも来てくれたあずささんと喋ったりボムったり、一度お開きにした後飲みに行ったりしました。Aロマ/Aセクの表象、地方の“LGBT運動”へのもやもや、ひとりでやる/やりたいとは、非シスなジェンダーの扱われ方(ってむかつくし滑稽でもあるよね)、社会運動をやる上での欲と目的の葛藤など、答えは特に求めていない、後ろ向きではない愚痴の投げ合いみたいで楽しかったです。オフラインでやること・話すことの(私にとっての)エネルギーを実感しました。地方でやることの難しさ、都会と比べてしまう気持ちは振り回される必要はないけど捨てなきゃいけないものでもない、ということを言葉にできてよかったです。
Aceフラッグ、インターセックスインクルーシブプログレスプライドフラッグを持ってきてもらい、公園の一角が賑やかな感じになっていたけれど、相変わらず通行人には自然に無視されるのを感じて、こういう透明化に抗うため、街角のノイズになることをしていこうと思いました。その一環としてのボム、今回初めてやりましたがとてもすっきりしたので、毎回やる方向で進めることにしました。
3回やってみて、自分でやっているからこそ自分のための場を開くことができる楽しさ(「ひとりでやる」を考えたり、複数人がいたとしてもそれを実現しようとする試み)と、人が集まりにくいことの複雑さ(地方のクィアの置かれ方、「ひとりでやる」なのに人が多くは来ないことに少し焦ったさを感じること)という葛藤を感じていました。問題を解決することが目的��はないのでこういう葛藤はそのまま置いておこうと思います。
6月にポストイットをボムる、ということをしました。これはさまざまな感情になるもので、感じていることを言語化することで自分の思いを再確認したり信じられるようになる気がする、自分自身に対する心強さ。それを自分以外の人とすることの心強さ。書いたものを町中に貼ることの怖さと、これを誰かが目にしたらどう感じるのだろうかという想像。規範を壊す試みを実践していることの充足感。やってよかったと思うし、今後も続けようと思いますが、しかし可視化のフィールドに上がることの居心地悪さ、結局「見られる」ことに意味を持たせようとすること、意味を持ってしまうこと(これはまちかどaronespaceという活動目的とも通ずるものです)が、どうももやもやする思いです。ただ、私(たち)は変わる必要はないというのは確信していて、だから屋外という人目につきやすいところでやる、思いを言葉にして町の中に貼る、そしてひとり(の集まり)として存在することは続けていこうと思います。
7、8月は諸事情により非開催となります。次回のまちかどaronespaceは9月中旬に開催予定です。本を読んだりぼそぼそと話したり、ボムったりして、ひとりでやっていくことをします。いつでも参加可能・退出自由です。ひとりでやっていくのを一瞬でもともにできたら嬉しいです。お待ちしています🖤
2 notes
·
View notes
Text
Q.それで結局何が悪いの? A.なんかもう全部
放サモってなんなんだろうな…という怒りと憎しみを越えた諦めから来る無力感に支配されてたけど 沈黙から学びが生まれることはないので自分の知る限りかつわかりやすいよう「LGBT向け」を公式自ら名乗ってることにちなんでとりあえず4つと+に分けてキレた。 誤った情報や適切ではない言葉選びなどが含まれていた場合は指摘を貰えれば反映します。
👇「お前の言ってることは素人の意見だ」と文句が言いたくなった人はとりあえずこちらへ!👇 https://www.amazon.co.jp/dp/B01MR2VCZE/ https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06XQ28PRH/
最初から結論 以下の内容は「ゲームの内容をこう変えるべきだ」というよりも「もういい加減誰も信じてない嘘つくのやめたら?」という気持ちで書いていて、 辛辣な表現で悪いんだけど「女キャラ・ガリ体型・他諸々…いらん」(実際はもっと乱暴なものも含む色々な意見が出てるけどざっくりとわかりやすいものをピックアップ)みたいなことを言う人は 「(上辺で自称している『多様性を尊重したゲーム』という自称を)わかってない」のではなく逆に 「(自称が中身に釣り合っていなくて実際は『ゲイ向けに特化した上に極めて視野の狭いゲーム』なのを)わかってる」んじゃねえかな…という気持ち
L Q.それで結局何が悪いの? A.なんかもう全部
個人的な意見としては「最悪数が少なくても女キャラを作るだけ作って手抜きのまま放置ならまだマシ」だったんだけど 女キャラが片っ端から公式二次問わず男とつがいにされた上にそれに対してTwitterの公式ハッシュタグやwikiにいるような連中が バカの一つ覚えでタヨーセーカノーセーを言い訳にしてるのを見てると誠意の無さもいい加減にしろよという感情がモリモリと溢れ出てきましたね… 「アニメ化するなら主人公はタイプ2じゃないとダメだよね」(?????)(なんで?)(意味わからん)(信者を装ったアンチやめろ)と 「自由な愛」や「多様性」云々を同じ口で言ってる人が一人でもいるならファンコミュニティごと火に包まれる必要があるし、 女キャラ可愛いって言っただけで自分がヘテロ男扱いされたことは絶対に許さないと今でも思ってる。*
*https://privatter.net/p/3641425ここ参照
【掘り下げのコーナー】
「同性を愛する自由」における男女間での不均衡 ちゃんと書くと長くなったので誇張してわかりやすく言うと、 今よりも男女の格差が顕著だった「男と結婚させて家と家をつなぐための手駒でしかない女が勉強したいだの立派な仕事で働きたいだなんてとんでもない」という時代では 男性は未婚を指さされることこそあれ独立できるけど女性はできず、その格差は小さくなっただけで今も続いていて、 おまけに「女性を愛する女性」を「異性愛という正義によって成敗して男根*の下に跪かせなければならない悪、もしくは未熟で不完全な存在」と 認識している連中は世界中に掃いて捨てるほどいるのに自称LGBT向けゲームまでそれに加担するなという話。
*性的指向の認知・脱スティグマ化・法律やサービスの対応などの不便の解消という目標だけを見た場合男女間で際立った差異はなくても、 今よりも男女の格差が顕著な「男だけが働き女は男に養われるしかない」という女性を自己決定権を持った一人の人間として認めない価値観かつ 同性愛(同性愛者)が「暴かれれば殺されることを心配しなければならない程ではないが、性的指向のような『どちらが正しい』という判断をされないを基準で認知される程の進歩もしていない」扱いの社会で当事者に向けられる目を男性と女性で比べた場合、 社会に順応している男性の同性愛は「男らしさ」規範の権力構造において「男らしさ(強い性欲)による逸脱」「まだ女を獲得せず遊びに耽っている」として下位に置かれるが、 一方で「男性と結婚させるための『もの』」である女性は所有者を拒絶する「度が過ぎた権利を求める」「生意気な」存在として扱われるということ。
**男根という言葉そのものが生殖器にすぎない陰茎を「生まれつきの男だけが持ちうる特権の象徴」に変換していることの意味も含めてあえてこの表現を使っています
♡怒りと憎しみのおまけ♡
コンバージョンセラピーについて 実態は知らないけど「俺のチンポで治してあげるよ〜グヒヒ」をする気にならないからなのか、 主に男性を対象に科学的に(ここ失笑ポイント)同性愛を「治してあげる」治療は未だに世界のあちこちで起こっていて、 中には拷問に等しい行為によって直接的・間接的に人を殺している場合もある。 って本とかニュースサイトに書いてあったから気になったら探して読んで(さっき失笑って言ったけど笑えないわこれ)
何が何でも自由と唱えるのは本末転倒 タヨーセーカノーセーを万能の言い訳として唱えるのは誤り。 ただしこの意味は「ジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの流動性は否定されるべき」ではなく 「流動性を多数派が少数派を弾圧し、萎縮させ、口を塞ぎ、最終的には″異常なもの″から″ノーマル″に改宗させる、もしくは改宗させられると主張するための武器として使うことは看過できない」ということ。 G Q.さすがにこれは大丈夫でしょ? A.そうでもない
まずは過去作を読み解く
※同人時代の作風をジャッジするわけではないしむしろ好きなんだけど 当時でも結構今見ると尚更同性愛嫌悪の内面化がすごくない!?ってなってしまうところはあるので にわかが口出ししてるわけではなくUFアペンドから追っかけてた人間の意見であることだけ理解して
同人時代 四畳半頻出表現である「(実際には「日本の伝統」に乗っかった文脈で盛り込まれているものもあるにも関わらず)ゲイ・アイデンティティを象徴する コミュニティや文化と接続することを拒否し、あくまでも同性に対して性欲や恋愛感情を抱く機能を持って生まれただけとすること」 という概念の説明を毎回すると冗長なので仮に「生理的ゲイセクシュアリティ」と呼びます。*
*実際に論じられている概念である「機会的同性愛」も参照するとよい
「コミュニティへの帰属を意味するアイデンティティ」としてのゲイセクシュアリティって過去作においてほぼ出てこないしぼんやりとしか描写されなかったよね???という疑問がまずあって、 ついでに出てきても陰と陽で言うと圧倒的に「陰」の性行為をするためだけの集まり(生理的ゲイセクシュアリティとしての欲望の捌け口)になっていて、 対極の「それ自体が性的興奮を目的としないからこそ商品価値としての『男らしさ』規範から逸脱する女性ジェンダーを想起させるようなネタも内輪のおふざけとして共有できる、もしくはそれ抜きでも普段の生活で言えないことを話すだけの『陽』のコミュニケーションの場」が出てこないよね? ってとこまで書いてなんか人の生い立ちに首突っ込んでる感じで申し訳なくなってきたな…という感じで田舎だからそれがリアルなのかもしれないけど、 言動から推測するに同人時代の作品の主人公は大抵同性愛者の権利を訴えるような活動に対して��賛同するよりも余計な波風を立てる連中として扱って顔をしかめるようなタイプじゃないかと思う。 当たり前みたいに性的指向を偽って結婚して子供作って…みたいな話するし。相手の迷惑も考えるべきでは?(クソリプ) あえて雑な表現をすると「敏感な人」と「鈍感な人」の「鈍感な人」しか出てこない世界の話という印象。 「ゲイとしてアイデンティティを自覚している連中は汚れてて邪悪だけど『偶然』男同士で愛し合ってしまっただけの自分たちの関係は清らかで純粋なもの」 という00年代に百合のオタクが嫌というほど苦しめられた「百合と『レズ』論争」のような非当事者目線の偏見ありきの傲慢なカテゴライズと同じようなことを当事者がやってしまっているという地獄。 実際お互いの合意が暗黙のうちでも取れている愛情や欲望のぶつけ合いではなく 連帯のためにホモフォビックな感情や表現を共有したがるホモソしぐさ*を挟んだわりと最悪な部類の♂♂表現も挙げればキリがないくらいあるし…
*「手を繋ぐ程度で留めるのが百合でキスをしたら『レズ』」とかいうアホの寝言。今やこんな言葉を投げつける場所もなくなってきている。
**ホモソーシャルしぐさの略。同性愛嫌悪や「男らしくない」ことを指差して嘲るような認識を共有して連帯意識を高めようとするみっともない行動のこと。
【関係あるつもりで書いたけど読み直したらあんま関係ないわのコーナー】
過去の価値観による同性愛の抑圧、逃げや裏切りとされるような行為が描かれる物語の「仕方なさ」は舞台となる時代の移り変わりとともに免責されなくなる、 という話で「『キャロル』*も2020年を舞台に同じことやったらただの浮気」って言おうとしたけどこれといって使う場所がなかった。
*パトリシア・ハイスミスが1952年に偽名で出版した小説″Price of Salt″およびその映画化。 貧乏なデパート店員のテレーズと女性を愛する女性であることを隠して裕福な夫に乞われるまま結婚した有閑マダム(死語)のキャロルが出会い意気投合。 旅行なんか行っちゃった末にしっぽりしたら普通にバレてキャロルは離婚、テレーズとも離れることになるが 手に職をつけて自立したことでなんかいい感じになって再び寄り添うという話。ロマンチックなムードのの話ではないが、 当時は同性愛者が悲劇的な結末を迎えない貴重な小説ということでゲイの男性からも熱い感想が寄せられたって文庫の解説に書いてあった。
F彼 F彼だと同人時代の作品と打って変わってメッセージは「自分の思いを『気持ち悪い』と笑い飛ばす同性愛嫌悪の同調圧力に屈するな」だから 「僕」側の生き方を当たり前としていた作風からアップデートしたんだなっての含めて当時は感動してたんだけど 放サモのコラボイベだと「自分の気持ちに素直になろう(キラキラ)」みたいに変に漂白された上に 「世界は自分の気持ち一つで変わる」みたいなメッセージになっててでもそれって穿った目で見ると 「世界のあり方に殺される心配がない黙ってさえいればそのまま生きていける社会的強者(になりすませる)クロゼットシスゲイ男性が 社会の方を変えようとしてる他のマイノリティの口を意図的であることを悟られずに塞ぐしぐさ」じゃないかな…という気持ち
放サモ 放サモはおそらく「セクシュアルマイノリティを包括的に扱う」というコンセプトでシステムやシナリオを組み立てるにあたって 全く本を読んだり当事者にヒアリングしたりせず「自分はゲイ当事者だからわかる」の一点張りだけで作ったせいで、 スルトがハーロットの自分語りに対して「それってあなたの感想ですよね」みたいなこと言ったアレとかから漂う 他者(主に女性関連)の生きづらさへの無関心さがモロに出たんだろうなって印象。 ウテナで例えると「心の中は自由」と言いながら学園に留まることを強制してるようなもんでしょって話でわかりやすいのが散々キレた海底都市*なんだなって…
*https://privatter.net/p/5516859ここでキレたから読んでね B Q.聞く必要ある? A.答える必要もない
「異性への欲求と同性への欲求が対等なバイセクシャリティ表現のお手本」みたいなものが特に思い浮かぶわけじゃないけど、 大体「性別を問わず恋愛できる」と言われるようなゲームは性別選択制・ヘテロ前提であることも込みで対象になるキャラの男女比はほぼ1:1に近いはず。 放サモに関しては今更数えるまでもないですよねというのと数が偏ってるにしても「男も女も大歓迎」みたいなスタンスも主人公には気配すらないどころか、 他のキャラもごくごく少数で基本としては「自分たちor清く正しいヘテロ様(ノンケフェチのために女キャラを雑にあてがわれた男)」みたいなノリでむしろ積極的に分断・分離したものとして扱ってる印象すらある。 というか普通に女キャラも好きな人が本人の性別問わず一番割食ってる気がするから100%ヘテロ自認の男性に至っては数少ない♀のケモに惹かれてないとやる理由ないんだよな…
T Q.T要素ある? A.ゼロではないんだけどこれを「ある」とは言いたくねえな
「『性自認』が選べる」はトランスインクルーシブではない(とシスジェンダー視点で思う)
※不勉強を通り越して無勉強だったんで知らなかったけど「性自認」という表現は「本人が言ってるだけ」みたいなイメージがつくのを避けるために使わない方が良いという話があった ※当事者じゃないので当然実際にトランスの人たちがゲームをプレイする際の選択の傾向は知ら���(事前に調べたりしてなかったのは自分の落ち度)
主人公と自分の表現するジェンダーを一致させる、もしくは望んだ(シスジェンダーと別物として区別されない)姿になるのが目的なのであれば 男女で区切られたジェンダー・アイデンティティを持つ人にとっては他のゲームと同じく性別が選べるだけでいいはずで、 逆にトランス男性・女性であることをアイデンティティとして表現する選択肢を設けるのであれば、 必要なのは「性自認」が選択できることではなく主人公にその背景を盛り込めるようにすることなんじゃないかと思う。
公式サイトでは「男の娘」や「男装の麗人」という「本来の性別」とは異なる服装をしている設定と取れる表現がされていて、 カスタマイズできるのが「性自認」である以上、表現している性別と「性自認」が異なる設定は 「服装によって性別違和を解消するトランス男性・女性」でも「性別違和を抑圧して出生時に登録された性別として振る舞っているクロゼットのトランス男性・女性」でもなく 「シスジェンダーの異性装者」のみを指しているとしか解釈できないはず。 あと今更具体的に設定が盛り込まれたキャラを出したところで異性装者であるタローマティすら持て余してる作り手にかかれば ただのお飾りになるだろうしwikiの掲示板にいるような連中がキャラを指差して男!とか女!とかはしゃいでるのを見て舌打ちするのが見えてるからこれ以上クソの上塗りはやめてほしいという意味でどうでもいい。
ノンバイナリーに関しては一応「性自認」の選択肢が機能しているけど結局デザインがジェンダー規範ゴリッゴリの趣だから水着に突っ込みが入るのも当たり前だろだと思いました。 公式が言い出したことを鵜呑みにして突っ込みを入れた人たちはその意味では悪くないよ… というかアルクの水着では本人の意思で体を隠しているしナタは性別代名詞が出てきてないけど明らかに男女の型にはまることを拒否した服装できてるじゃん?
結論:言ってることとやってることが180度違う公式が100000000%悪い
おまけ
都合良く持ち出される「虹」モチーフ&プライドマンスに何かやれや問題 何かにつけ放サモで使われている虹のモチーフについてまさか説明いる人いる?と無駄に上から目線になっても意味がないので説明すると 「性(性的指向とジェンダー・アイデンティティ)の多様性の象徴」として広く使われているシンボルで、 6月はプライドマンスとしてイベントが開催されたり企業がロゴやアイコンをプライドフラッグの色にしたり虹をモチーフにした画像を投稿して支持や連帯を示している。
それではここでクエスチョン! 放サモのアプリとしての紹介とLWのコーポレートサイト以外でLGBTがどうこう言ってるの見たことある? 私はないです。 当然LGBTという言葉やプライドフラッグに頼らずに人の在り方の多様性を尊重することはできるけど、 そもそもこのゲームLGBT向けって言ってるけど 言ってる本人がゲイと自称ゲイではない♂ケモ好き男性と廃課金パフォーマンスのために金を出してくれる同性愛嫌悪と異性愛規範が大好きドヘテロ女性様以外の方を向いてないんだわ…
ゲイ、Aロマ踏みがち問題 やっほ~!LGBTQAのA*の人だよ!ヨロシク!
*ググれとだけ言いたかったけどこういうの知らない人wikiの掲示板にいるような連中はアホアホ���ィルターでトンデモ解釈しそうだから 「Aセクは性的な行為への欲求、Aロマは恋愛的な欲求というか相手にぶつけたい感情が湧き上がってこない人」ということだけ理解して後はググれ
そもそもが相容れないスタンス(恋愛ネタウザみたいなことをあんまり言うと逆にゲイを抑圧してしまうけどそこに目がいってないゲイが「恋をしたことのない人はいません」みたいなクソデカ言葉でAロマを踏みがち)だから バレイベは基本的に苦痛なのがある意味当たり前なんだけど最初のバレパニは「恋愛感情とグラデーションになっている憧れ」がメインテーマだったから楽しく読めた反面、 それ以降は疎外感がすごいから無条件になんでも持ち上げる人たちが言うような多様性があるなら少しはGGGG以外にも目を向けてもいいんじゃないですかね?
0 notes
Text
■「嗜好」という問題
LGBT
前にLGBTの問題は、人種差別も含めて「マジョリティ/マイノリティ問題」なんだなと大雑把に気づいた。あるとき人は多数派であり、あるとき少数派である。どちらに属するかはたまたまのことで、自分はある「派」という構造に属し、そのパロールを話す。
なかにモヤモヤと引っかかるものを感じてはいたが、自分としては、このマイノリティ問題はなんとなく他人事であり、今ひとつ切実感がわかない領域だった。それでそのモヤモヤする違和感には正面から向き合わずに過ごしてきた。
さきほど家人と話をしていて自分がふとある疑問を口にしたのだが、それがこのモヤモヤする違和感の正体だと気づいた。
相手が異性にせよ同性にせよ、何かに「惹かれる」という心の趨勢はいったいどこで決まることなのか、ということ。
自分は「心惹きつけられること」について、デザインの問題とからめてずっと考えてきた。実際それは、デザイン以前から抱えていた「個人的な問題」であり、自分のほぼすべての思考のはじまりであり、自分が追っているメインテーマである。自分がデザインという仕事を始めた隠れた理由とも、いえる。
LGBTの話し自体は他人事だったが、よく考えると、LGBTの根本のところは、自分の興味に繋がっており、重要なキーがそこにある予感がすごくしている。
異性または同性に引かれることは、単純な好みや趣味嗜好の問題ではない。もしそうだとすると、次々に対象相手も変わるだろう。あるときは異性を愛し次のときは同性を愛し、また異性を愛する、といったかたちで揺れ動くだろう。
しかしある片方の性に惹かれるというのは、もう少しその人の固定的な「嗜好」だ。多くの人の嗜好は一生変わらない。一部の人は、本来の嗜好に気づくという形で1回だけ変える。
たんなる好みでないとするなら、それは何なんだ? その判断をしているものは、何だ?
脳で決まるのか身体で決まるのか、ホルモン分泌で決まるのか、それともDNAレベル?
おそらく〈感覚〉がそれを受け止めていることはまちがいなかろう。〈嗜好〉は〈意識〉における合理的な〈思考〉の判断結果では断じてなさそうだ。〈嗜好〉の決定を、理性が否定することはできない。
でもぎゃくに、〈感覚〉の判断なら、もっとキョロキョロと動くものではないかとも思えるし、そこが不思議だ。生涯、ほぼ一貫した出力を出し続ける〈感覚〉って、どういうことなのか。
「嗜好の問題」
これを「『嗜好』の問題」と、とりあえず名前をつけよう。
この課題は、今はまだ、はっきりと答えをいうことはできないが、自分にとって最大級の「視点の発見」であるような気がする。エウレカ!
※〈嗜好〉という言葉が適切かどうか、よくわからない。不適切だとすればほかに何があるだろう? ※LGBTについては、嗜好よりも「指向」というべきかもしれない。 ※言いたいことは「嗜好」「指向」「興味」「関心」「interest」などを含意する大きな観念のことについてなのだが。
男の子は小さいときから自動車とかカラクリなどカッコイイものが好きだし、そして女の子はお人形さんや小動物などのカワイイものが好きだ。もちろん、そうでない人も多かろうとは思う。しかし圧倒的に多数(?)が示す嗜好の傾向が存在するようでもある。
その傾向は、親や周囲が陰に陽にそう仕向けた後天的なものかもしれないし、あるいは持って生まれた先天的なものかもしれない。
つまり、嗜好は先天的(先験的)なものか経験的なものか? ということ。
ある知識や判断が、先験的か経験的かというのは古典的な哲学の問題だが、それを〈嗜好〉に当てはめてみたいと自分は思う。
嗜好の先験性を問う、という話題を、自分は寡聞にして見たり聞いたり読んだりしたことがない。ならば、これは独自性のある視点といえるだろうか。でもこれは、人の行動を決めるとても重要なピースではないか。
わたしたちはみな、〈嗜好〉と名前の付いた板を首からさげている。その板には、あれが好きとか、これは嫌い、と書いてある。
わたしたちが生まれたとき、その板にはすでに何かが書かれていたのだろうか。それともそれは、真っ白な板/タブララサだったのだろうか?
〈嗜好〉は、ないがしろにされがち
〈嗜好〉とは、平たくいえば何かを「好き」であること、心惹かれることであり、興味あること、「欲求」の元にあるものである。
〈嗜好〉は〈興味〉や注視点/視点にも関係する。つまり「見ること」に繋がっている。もしも〈嗜好〉あるいは〈興味〉がなければ、人は何もじっと見つめることができないだろう。
〈嗜好〉はその人が何に気をかけるかに繋がっている、というより「気にかける」というそのこと自体である。
道を歩いていて、何気ないありふれた花に目が行く、それは何がそうさせるのか? その引っかかりもまた、小さな〈嗜好〉である。
そして〈嗜好〉はまっすぐにわたしたちの〈価値感〉に繋がっている。
しかし〈嗜好〉はないがしろにされがちとも感じる。
たと��ば、それは個人的なことだとか、揺れ動いて定まらない不安定で取るに足らないなど。
また「正義」や「公正」、真理、正しさ、美しさといった大きな問題にくらべれば、個人の〈嗜好〉など論ずるに足らない/研究するに足らない、と。
けれどたとえば、「美しさ」は〈嗜好〉を抽象化かつ神聖化したものとは考えられないか。〈嗜好〉はむしろ、正義や公正のベースにあるものではないのか。
予想
やや思い切った、しかし根拠のうすい予想を記しておく。
経験論の答えを援用して、〈嗜好〉の板もやはりタブララサである。
それに比べて、身体的な特性は天賦の部分は大きい、つまり生まれたときに身体特性の板にはたくさんのことが書き込まれている。
〈嗜好〉の内容については、基本的には後天的なものだが、先天的な身体特性が〈嗜好〉に少なからず影響を及ぼしていることは大いにある、と、そういうことではないか。
1 note
·
View note
Text
ஐ心友募集ஐ
今日和⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
メンタル(精神障害二級)で、
自宅療養中の既婚女性です。
支え合い、分かち合い、
想い合い、必要とし合える、
10代~39歳くらいの
心友を探しています。
結婚していますが、
結婚していても、
寂しいときは寂しいし、
辛いときは辛いので、
年下の女の子に甘えられたいし、
年下の男の子に甘えたいです。
(旦那様公認)
わたしも、精一杯、支えますஐ
毎日の挨拶、
些細な日常、
他愛の無い話から、
深い話まで、
笑顔も涙も分け合い、
幸せのお裾分けもしたいです。
Me→
157cm/77kg/40歳/既婚/埼玉県春日部市在住/両性愛者/プラトニック/ノーメイク/カジュアル/素直/天然/子供/矛盾/儚い/中二病/思春期/我が儘/人懐こい/泣き虫/甘えん坊/寂しがり屋/運動音痴/方向音痴/自己中心的⇔博愛主義者/空気が読めない/家事が出来ない/日常生活が営めない(洗顔*入浴*歯磨きetc...)
=大きな赤ちゃん...... ( 〃..)ノ
Love→
人間/友人/家族/愛/想い/願い/祈り/お笑い/お喋り/深夜ラジオ/LINE/アプリゲーム/blogを読むこと/食べること/(ネット)ショッピング/水族館/鍾乳洞/お布団の中/Skypeでながら通話/ドリンクバーでまったり/お泊まりで語るetc...
職業:生きること。
夢:また、青春すること。
モットー:
「真摯」
「愛情連鎖」
「信じることを諦めない。」
LINE
suppinrock
か、
instagram@ponsanclubのDMか、
Twitter@ponsanclubのDMで、
お話したいです.°ʚ(*´˘`*)ɞ°.
必ず、追加して頂けましたら、
自己紹介をお願い致します⊂((〃'人'〃))⊃
#メル友#友達募集中#友達募集#follow twitter#follow instagram#twitter#instagram#めがねっ娘#心友#めがね女子#すっぴん#アラフォー女子#ショートヘア女子#ショートカット女子#メンタルヘルス#メンヘラさんと繋がりたい#lgbtさんと繋がりたい#lgbtq#lgbt#発達障害#睡眠障害#摂食障害#双極性障害
1 note
·
View note
Photo
#セクマイさんとつながりたい #中性さんと繋がりたい #LGBTさんと繋がりたい #お洒落さんとつながりたい #マッシュ #中性 #ジェンダーレス男子 #サントニブンノイチ #prince4ever #cute #davidbowie #davidbowieforever #thebeatles hair #stereotype n #harajuku #harajukufashion #justinbieber #Prince #michaeljackson #BrunoMars #gay #lgbt #viviennewestwood #tokyo #boygeorge #80s #fashion #80sfashion #cultureclub (Harajuku)
#prince4ever#stereotype#ジェンダーレス男子#80s#中性#boygeorge#cultureclub#thebeatles#prince#サントニブンノイチ#lgbt#セクマイさんとつながりたい#80sfashion#マッシュ#justinbieber#viviennewestwood#gay#davidbowieforever#中性さんと繋がりたい#lgbtさんと繋がりたい#お洒落さんとつながりたい#davidbowie#fashion#harajukufashion#michaeljackson#brunomars#harajuku#cute#tokyo
3 notes
·
View notes