#鷲尾神社
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crazyfox-archives · 10 months ago
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Parishioners working to hang shimenawa straw ropes around the sacred husband & wife camphor tree (夫婦楠) just inside the entrance to Owase Jinja Shrine (尾鷲神社) in Owase, Mie Prefecture during the Ōkusu Shimenawa-kake Shinji ritual (大楠注連縄掛神事) held on the fourth day of June and December
Image from the shrine's official website
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shintani24 · 6 months ago
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2024年8月8日
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南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士川町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
三重県(全域)津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、名張市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、伊賀市、桑名���木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、同郡朝日町、同郡川越町、多気郡多気町、同郡明和町、同郡大台町、度会郡玉城町、同郡度会町、同郡大紀町、同郡南伊勢町、北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町、同郡紀宝町
滋賀県(全域)大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、野洲市、湖南市、高島市、東近江市、米原市、蒲生郡日野町、同郡竜王町、愛知郡愛荘町、犬上郡豊郷町、同郡甲良町、同郡多賀町
京都府 京都市、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、南丹市、木津川市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡井手町、同郡宇治田原町、相楽郡笠置町、同郡和束町、同郡精華町、同郡南山城村
大阪府 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田林市、寝屋川市、河内長野市、松原市、大東市、和泉市、箕面市、柏原市、羽曳野市、門真市、摂津市、高石市、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市、三島郡島本町、豊能郡豊能町、泉北郡忠岡町、泉南郡熊���町、同郡田尻町、同郡岬町、南河内郡太子町、同郡河南町、同郡千早赤阪村
兵庫県 神戸市、姫路市、尼崎市、明石市、西宮市、洲本市、芦屋市、伊丹市、相生市、加古川市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、南あわじ市、淡路市、加東市、たつの市、加古郡稲美町、同郡播磨町、揖保郡太子町
奈良県(全域)奈良市、大和高田市、大和郡山市、天理市、橿原市、桜井市、五條市、御所市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、山辺郡山添村、生駒郡平群町、同郡三郷町、同郡斑鳩町、同郡安堵町、磯城郡川西町、同郡三宅町、同郡田原本町、宇陀郡曽爾村、同郡御杖村、高市郡高取町、同郡明日香村、北葛城郡上牧町、同郡王寺町、同郡広陵町、同郡河合町、吉野郡吉野町、同郡大淀町、同郡下市町、同郡黒滝村、同郡天川村、同郡野迫川村、同郡十津川村、同郡下北山村、同郡上北山村、同郡川上村、同郡東吉野村
和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町
広島県 広島市、呉市、竹原市、三原市、尾道市、福山市、府中市、大竹市、東広島市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡府中町、同郡海田町、同郡熊野町、同郡坂町、豊田郡大崎上島町
山口県 下関市、宇部市、山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、山陽小野田市、大島郡周防大島町、玖珂郡和木町、熊毛郡上関町、同郡田布施町、同郡平生町
徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
香川県(全域)高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、小豆郡土庄町、同郡小豆島町、木田郡三木町、香川郡直島町、綾歌郡宇多津町、同郡綾川町、仲多度郡琴平町、同郡多度津町、同郡まんのう町
愛媛県(全域)松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜市、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、越智郡上島町、上浮穴郡久万高原町、伊予郡松前町、同郡砥部町、喜多郡内子町、西宇和郡伊方町、北宇和郡松野町、同郡鬼北町、南宇和郡愛南町
高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
沖縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村
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猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
同課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱中症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)
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「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
 ――昭和天皇(1901~89)が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的に調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
 ――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説��されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
 ――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
 ――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
 ――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの政治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
 ――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」
 ――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や��算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは��質的に天皇だけだったのです」
 ――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
 ――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
 ――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避できました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
 ――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
 ――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつてない規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していってしまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
 ――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
 ――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
 ――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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myonbl · 2 years ago
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2023年8月5日(土)
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今年の夏のミニ旅行、第一弾は夫婦としては5年ぶり(?)の東紀州訪問である。尾鷲市の<三重県立熊野古道センター>で特別展を学び、隣接する<夢古道おわせ>でランチをいただく。熊野市へ移動して友人たちとの再会、夜は<浜峰商店ファミリー>と<鮨割烹 徳川>で会食(もちろん一方的にご馳走になる)。美味しく楽しい1日はあっという間に更けていったのだ。
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2時30分起床。
日誌書く。
二度寝する。
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朝食を頂く。
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今日は久しぶりの東紀州訪問、ところが朝から名神は事故渋滞、いつもの京都南ICから渋滞の中へ突入するのは避けたい。MK石油で給油の後、稲荷山トンネルを���けて山科へ、本当に久しぶりの京都東ICから名神高速道路・新名神高速道路・東名阪道・伊勢自動車道・紀勢自動車道・熊野尾鷲道路を経て、昼前には尾鷲市に到着した。
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まずは夢古道おわせ・イサバヤでランチ、迷わず海鮮丼を頂く。ついで熊野古道センターへ移動し、御浜町の写真展を興味深く拝見する。
熊野市へ移動、晴れてはいるが雨が降り出した。
浜峰商店・浜街道店でK夫婦・T兄と久しぶりの近況報告、互いの加齢情況を確認しあった。
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新宮市へ移動して速玉大社へ参拝、神木の大梛はいつ見ても凄い。
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コンビニで寝酒用に🍷を購入してから今夜の宿の<フェアフィールド・バイ・マリオット・三重御浜>にチェックイン、もちろん初めてお世話になる。
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浜峰夫妻に迎えに来ていただき、新宮市へ移動していつもの店で歓待を受ける。帰路はファミリーでホテルまで送っていただく、大感謝!
シャワーで汗を流し、テレビで女子サッカーの勝利を知り、少し🍷をいただいて大満足の1日を閉じたのだ。
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さすがに長距離の車移動、3つのリングはこんなもの。水分は1,860ml。
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dadnews · 2 years ago
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玉串や舞を奉納、3年連続神事のみ 尾鷲神社・例祭「ヤーヤ祭り」閉幕 [中日新聞] 2023-02-07
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textilearchitecturalteam · 10 months ago
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ICHINOMIYA ART WALK@ 一宮市中心部のまちなか /2024.03.16_03.31
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一宮市中心部のまちなかを歩いて巡るアートイベント『ICHINOMIYA ART WALK』を開催します。 . 「一宮市ウォーカブル空間デザインプロジェクト」では、一宮駅周辺約1km圏内において、居心地が良く、歩きたくなるまちなかの創出を目指し可能性豊かなまちづくりを進めています。その指針に基づき、一宮市中心部のまちなか各所にアート作品を展示し、まちなかの魅力を体験しながら鑑賞できるアートイベントです。 . . 【 開催概要 】 会期|2024年3月16日(土)〜3月31日(日)※月曜休 鑑賞時間|11:00〜17:00 ※会場によって前後します。 料金|鑑賞無料 . 会場|一宮市中心部のまちなか ・真清田神社楼門前長屋 ・CULTURAL SPACE 生存(旧モンベール3階) ・書庫と〇〇(Re-TAiL 1階) . 出展作家| ・鷲尾友公 ・小宮太郎 ・THE NEWSPAPERS . 主催| 一宮まちなか未来会議 共催| セ・カ・イ(繊維・会館・一宮) 建築チーム 運営|一宮まちなか未来会議 アート部会 協力|びびびの学校有志メンバー、よみかけ文庫、真清田神社、Re-TAiL . . 「一宮市ウォーカブル空間デザインプロジェクト」では、一宮駅周辺約1km圏内において、居心地が良く、歩きたくなるまちなかを創出するため、道路・駅前広場、公園及び駅前ビルなどの都市アセットをリノベーションすることにより、民と官の多様な連携・共鳴による可能性豊かなまちづくりを進めています。その指針を踏まえ、「歩きたくなるまちなかの創出」を目指して、一宮市中心部のまちなか各所にアート作品を展示し、鑑賞体験と共にまちなかの魅力に触れてもらえるアートイベントです。  一宮市の中心部は真清田神社の門前町として発展し、戦後境内に開かれた露店により形成された真清田神社前繊維街、真清田神社への賑やかな参道として機能した本町商店街、駅と本町商店街を結ぶ銀座通り、趣のあるお店が残る御朱印地商店街、旧日一宮城址(現三菱 UFJ銀行一宮支店)と駅を繋ぎ歴史を想起させる名称の伝馬通りなど、人々の営みの結節点とも言えるまちなかの様子を見る事ができます。また、まちなかの様々な場所で昭和ノスタルジックを感じる風景であったり、人々が集う光景にも出会う事ができます。歴史が入り交じり、多様な価値観と人々が同居するまちなかの様子や、過去から現在に至る一宮の成り立ちを俯瞰して眺めることで、一宮市の新しい姿を垣間見る事ができるかもしれません。
鷲尾友公 @ 真清田神社楼門前長屋
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小宮太郎 @ CULTURAL SPACE 生存(旧モンベール3階)
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THE NEWSPAPERS @ 書庫と〇〇(Re-TAiL 1階)
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armazenamentoscans · 2 months ago
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解説 Explanation 日本映画始まって以来��試みである特殊撮影を存分に駆使した「ゴジラ」は二百万年前の侏羅紀に棲息したといわれる海棲爬虫類の巨大な怪獣を想像創作したもの。水爆実験によつて海底数千呎に二百万年の眠りをさまされ、日本に上陸、丸ビルほどの巨体をもつて放射能を吐き散らし、人間が全能力をあげて空陸海から挑戦するという一大スペクタクル映画である。原作を科学冒険小説の権威香山滋に依嘱、製作は田中友幸で、村田武雄と本多猪四郎が共同脚色し、本多猪四郎が監督する。又この映画の成否を左右する特殊技術は「太平洋の鷲」の円谷英二、向山宏、渡辺明が中心に伝統を誇る特殊撮影陣を総動員、半歳の準備をとへのえて万全の自信をもつてあたり、撮影玉井正夫、美術中古智、録音下永尙、照明石井長四郎、音楽伊福部昭のベストスタッフで臨んでいる。出演者は怪獣ゴジラに学者的良心で向う山根博士に志村喬、その娘を河内桃子、その恋人で熱血のサルベージ青年所長に宝田明、水中酸素破壊剤を完成し遂にゴジラと運命を共にする悲恋の青年化学者に平田昭彦、その他村上冬樹、小川虎之助、堺左千夫、高堂国典、山本廉らが活躍する。るの爆つたせ放の活全海進亜獸だ悠伝い萩子助古たみ壊風し大々説調た原物手生め国潰さ雨かけ国実たとさ射工環う底化紀が告国際験。き、能ネ境し洞すに棲は会たとの査問とゴ、大をルをてるか息の。沒怪の題関ジ議戸吐ギ破いに過けし恐専怪し物結を係ラ場島き「壊たで程てた竜門獣ては果難がのはを出をさのもに海二や委ゴゆ実はしあ存機荒し全れがひあ棲百プロジく在驚そつ爬万口会ラそすくくる在々し、身 んた虫年ンでののるべすとそたけるいのるのこ とう���領前トの姿巨!き現物か、サ山を大そも水代 ら侏ゥ根!なしのの低め時という爆ま陸羅ル博姿てでいこのや理役物に会されとし政学の学調はれ、共、物治の恵者査大て政に厄の田美の団戸し治島払ゴ弟畑子山を島まもをいジ新博、根派のつそ襲のう吉士サ博遣被たのつ神。少、ル士さ害。母た楽萩年そべをせとも怪が原なれ1団る原 一物舞はどにジ長こ因 隣にわ信も新のにとを のこれじ血開尾そに確う家たか本京しらがはかたゴジ。国民は原子マグ、放射能から脅威。博部目たかジ、実ら政府はゴジラと対峙。士が指示。水爆を伝え、攻撃を行った。に設し仇が爆に伝攻は脅ゴジラから。子はけてでは爆に雷もえ死て、国民は安らぎ。沢らやもた雷もしく、沢れつ討しく死てを行った。大助山根るうに洋は再て放堵ジリ憂能が今学とるのに参なは。はかい博のにだ。化らう士だ。士だ学のお者友尾招上。“Godzilla” is a film that makes full use of special effects techniques never before attempted in Japanese cinema, imagining and creating a colossal marine monster believed to have inhabited the Jurassic period two million years ago. The creature is awakened from a two-million-year slumber by underwater hydrogen bomb tests and lands in Japan, spewing radioactive breath with a body the size of the Marunouchi Building. The film presents a grand spectacle in which humanity, using all its resources, challenges the creature from land, sea, and air. The original story was entrusted to the renowned science fiction writer Shigeru Kayama, with production by Tomoyuki Tanaka. The screenplay was a collaboration between Takeo Murata and Ishiro Honda, with Honda also serving as the director. Special effects, a crucial aspect of the film’s success, were led by Eiji Tsuburaya, Hiroshi Mukoyama, and Akira Watanabe, who mobilized their experienced team to ensure the film’s technical excellence. The preparation took six months, and the film was shot with a top-tier staff: cinematographer Masao Tamai, art director Tomoaki Chugoku, sound designer Nagao Kudo, lighting by Choshiro Ishii, and music by Akira Ifukube. The cast included Takashi Shimura as the morally driven Dr. Yamane, Momoko Kochi as his daughter, Akira Takarada as her passionate boyfriend and salvage ship director, and Akihiko Hirata as the tragic young chemist who ultimately meets his fate with Godzilla. Other supporting roles were played by actors such as Fuyuki Murakami, Toranosuke Ogawa, Sanchô Sakai, Kuninori Takado, and Ren Yamamoto. 物語 Story 水爆・原爆の実験が続けられている太平洋上でのこと、北緯二十四度、東経百四十一度の地点で、栄光丸、備後丸、そして大戸島の漁船と相継いで原因不明の沈没事件が起きた。東京湾サルベージの青年所長尾形秀人も、本社からの急報に、恋人恵美子との約束も投げ出して海上保安庁へ駆けつけた。保安庁詰の新聞記者萩原は、遭難地点に近い大戸島へ行けば何か情報が得られるかもしれないと、社のヘリコプターで急いで大戸島へ向かった。島では奇跡的に命を助かった漁夫の政治が、海から出てきた巨大な怪物に火を吐き The story takes place in the Pacific Ocean, where hydrogen bomb and atomic bomb experiments are being conducted. At coordinates 24°N, 141°E, several unexplained sinking incidents occur involving the fishing vessels Eiko Maru, Bingo Maru, and Otojima. The young salvage director, Hideyo Ogata, receives an urgent call from headquarters and rushes to the coast, leaving behind a promise to his girlfriend, Emiko. A newspaper reporter, Hagiwara, decides to visit Otojima, which is near the accident site, in hopes of finding useful information. On the island, a miraculous survivor, a fisherman named Seiji, reveals that the sea monster, which emerged from the depths, was spitting fire
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yotchan-blog · 3 months ago
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2024/10/24 19:00:33現在のニュース
細田健一氏代表の支部に2000万円 「びっくり」 裏金で自民非公認(毎日新聞, 2024/10/24 18:59:58) <衆院選いばらき>トリプル選のつくば市選管 投票箱不足分100個以上補う 投票所1カ所当たり5個必要:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/24 18:57:59) <衆院選かながわ 注目区を歩く>1区 課題抱える有力3候補:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/24 18:57:59) 「もしかして…」乗客の女性に異変感じ通報 タクシー運転手に感謝状 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/24 18:57:44) 防災庁実現で温かい食事の提供も? 岡本全勝元復興次官が語る訳 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/24 18:57:44) 久子さま、米国を訪問へ 日米親善の弓道大会に出席(朝日新聞, 2024/10/24 18:56:53) 4102万4320桁の素数を発見、史上最大 2018年以来 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 18:54:13) スタートアップの五常・アンド・カンパニー、投信マネー125億円調達 【イブニ��グスクープ】 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 18:54:13) 新京成電鉄、最後のカレンダー販売 78年の歴史つづる - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 18:48:41) 日本ハム・新庄監督「ヨッシャー!」 交渉権引き当て、続投明言(毎日新聞, 2024/10/24 18:44:59) 地下深くに「隠された貯蔵庫」を発見 行方不明の微量元素が存在か(朝日新聞, 2024/10/24 18:42:17) あの党とあの党が同じ? 政党を動物に例えると 毎小がアンケート | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/24 18:39:23) 闇バイト募集のX投稿に、自動で警告 全国初 愛知県警(毎日新聞, 2024/10/24 18:37:44) 強制不妊訴訟、神戸地裁で和解成立 60代女性2人(毎日新聞, 2024/10/24 18:37:44) 「なめてるのか」暴言で適応障害と主張 40代社員がヨギボーを提訴(毎日新聞, 2024/10/24 18:37:44) 「安全な地球で暮らす権利を」 初弁論で若者訴え 気候変動訴訟(毎日新聞, 2024/10/24 18:30:34) もっと社会人野球:尾鷲の野球少年3人がプロで再会へ 日本生命・石伊がドラフト指名(毎日新聞, 2024/10/24 18:30:34) 中日2位の西濃運輸・吉田聖弥投手、理想の投手は杉内俊哉さん(毎日新聞, 2024/10/24 18:30:34)
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dazeheroganma · 9 months ago
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夢日記
書き溜めたやつの続き。2/2
4/20 月を小学校の先生に似た女性と一緒に追いかけた。月は思ったよりもよく動き、追いかけるのが大変だった。夢中で走っていると夜に沈んだ太陽も見えてきた。と思ったら体が浮き始めた。地球の重力圏からはみ出しそうになった。
6/25 友人と私の3人でとある目的地を目指していた。電車や新幹線を使うとお金がかかってしまうので徒歩で行った。しかし途中の中間地点の駅に向かおうとグーグルマップを活用するも砂嵐に巻き込まれたり蛇の洞窟に入ったり。息も絶え絶えに歩き続けたら元来た道に戻ってしまった。とある大きな勢力がループ構造にしたらしい。(恐らく鉄道会社を掌握しているグループだ)私はここまで散々な目に遭い結局鉄道会社に金に払う羽目になるのが嫌で目的地に行くのを諦めてしまった。
7/10 男性外国人にペットボトルか何かを投げつけられて、私はそれを蹴飛ばして歩いた。外国人はこちらを凝視しながら追跡してくる。怖くてコーヒーショップに駆け込みレジの黒人のお姉さんに「Help」と言った。レジの奥に男性が2人くらい見えた。お姉さんが無反応だったからもう一度でたらめな英語で助けを求めたが、奥の男性の1人が「分かっている」と言い追跡してきた外国人の方を見ていた。
8/7 ドアが壊れてしまった。虫がたくさん入ってしまう。途方に暮れているとある男がやってきて直すのを手伝ってくれた。この男はすらっとした体格で妖しい色気を持つ、まるで漫画の黒幕キャラのような男で、実際女性を騙しては殺していると専ら噂されている。 ドアが壊れる前、駅ビルにあるカラオケに行かないかと高校の同級生に誘われたが、それを乗り気じゃないのを用があると偽って断り、帰る準備をしていた時どこ��らともなくこの男が現れ優しい言葉をかけてきた。 私もいつかこの男に殺されると分かっていながら、でも心の片隅で自分は特別で殺されずに済むかもしれないという期待をしていた。
9/4 コンビニとケンタッキーと教室が一体化したような建物の部屋で泊まっていた。何かの旅行の最中だった。 机��寝て起きたら部屋の前の方にあるレジが開店の合図を出したので、喉が渇いたから爽健美茶の500mlと、レジでホットスナックを買おうと思った。他の宿泊客で混み始める。私が行ったレジはやたらカウンターが高くて大変だった。「ファフィ」なるチキンを頼む。店員と雑談をする。自動車免許を持っていないと言うと信じられないというような顔をされた。 お店を出るとそこは高架線の下にある原っぱだった。向こう側には川が見える。まだ朝だったので辺りは薄暗く霧がかかっていた。近くにバス停がある。あれに乗って次の場所に行く。私は二度と会えない人々と話をしてしまった事が少し悲しかった。
9/18 海岸沿いにある観光名所に大人しくて独特なリズムを持つ男の子と一緒に来ていた。バーやコーヒーを売っている所。ブラジルのコーヒー豆も売っていた。高級で期間限定のお店もあった。黒い外装にワインや肉が並んでいて、テラス席には大人たちがたくさん食事をしていた。屋台街を抜けると海岸で、海の向こう側の岸に廃墟のような大きな岩でできた建造物があった。2人で見ていたがふと私はここに学校をサボるために通っていたことを思い出した。
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10/10 盗賊の白人の老夫婦を車に乗せて盗みのターゲットである場所に行き敵対勢力との銃撃戦に巻き込まれた。私はただ台風を避けてさっさと家に帰ろうとしていただけだった。
10/27 火星へ人類史上初めて足を踏み入れる事になった。真夜中、数人の子供と研究者らしい大人数人とロケットに乗り地球を出発した。ツイッターでその事を呟く。ロケットは3部屋に分かれていた。ロケットはすごい回転をしてあっという間に大気圏を抜けて月を通過した。月からは私は眠っていた。寒かった。 火星に到着すると私たちはロケットから降り、火星の地を踏みしめた。夜だった。荒っぽい灰色の大地にロケットが駐車場のように白い線で区切られたスペースに停まっている。船員の内の誰かが発した「地球とそんなに変わらないな」という一言をきっと誰もが心の中で思ったに違いない。 2回目の火星訪問。ガラス張りの建物の6階から続く渡り廊下を抜けた先に小部屋があり、そこがロケットの搭乗口に繋がっている。前と違う所に降りたのか、今度は人工物がたくさんあるところだった。多分研究施設か、火星移住計画が完成した暁にはターミナルになる場所。遠くにテーマパークのようなものや海まであった。写真を撮ろうとしたら建物の隙間にスマホを落としてしまった。世話好きの女の子(どうやら私は世話の焼ける子として周知されているようだった)が取って来てくれた。
9/8 潜水艦に乗っていた。水没した東京の駅近く水没する前に残された未知のものがあると地図に記されていたため、それを調査しに行く調査団に同行した。船の中は薄暗くて寒い。船の燃料が尽きそうだった。狭い隙間(地下鉄の改札へ行く地下通路だった所だろう)を通り、ようやく水面に船が顔を出した。果たして地図上に書かれていた場所には開発途中で放棄された土地があった。何かの記念館を建てる予定だったのだろう。地面に枠組みの残骸と道路の標識看板だけが転がっていた。船員達、とくに船長はがっかりしていた。私も内心肩透かしを食らっていたが、前々から噂で東京の鉄道記念館が建つ予定だった土地だと聞いた事があり、その確認ができただけ収穫はあったと言える。私は標識看板を手に記念撮影をした。発見を喜ぶフリをした。次の冒険に繋がるものがここには何も無くて、それだけがつまらなかった。
6/22 ��ンボの翅を学校から受け取って、トンボになりきれる能力を得た。昆虫を食べる。特にカブトムシの幼虫が美味しかった。そのままトンボの一生を終え、再び人間に戻り、次は蛇を学校から受け取って蛇になりきった。妹も入学してきて同じように蛇を貰った。黄緑色の蛇だった。いつも通りエサの昆虫を食べるとあまり美味しく感じられず、虫を見ても食欲が湧かなかった。なりきりに失敗したのかもしれない。貰った蛇に左手の親指と人差し指の間を噛まれた。
7/14 祖父の車に乗って祖父母が住んでいる土地へ向かった。妹と母も一緒だった。団地に囲われた見慣れない一軒家に入り、その裏庭に生えた白くてつるつるした裸の木の側に置いてあった椅子に座り、談笑しながらトマトやぶどう、リンゴなどを食べた。知らない男性がトマトを渡してきた。少し汚れていていかにも自家栽培といった風情のトマトだった。
12/12 白い犬が道路に飛び出しどこかへ行こうとしている。その犬は生霊の様に透明で、その後ろにあった一軒家から同じ見た目の生きている犬とその飼い主らしき高齢の女性が出てきた。私は生霊の犬が何か強い意志を持ってどこかへ行こうとしているように見えたので、女性に声をかけようとしたが何て言えばいいのか分からず、結局そのまま声をかけられず仕舞いとなった。
2/22 母と2人で神社のような所にいた。色々な展示物を見ながら一方通行の道を進む。母が後ろを尾けてくるモノに気付いた。水色の鳥の仮面に黒いローブを纏っていて、気付くとこちらに向かって走り出してきた。大きな鷲のような羽も生えていた気がする。こちらも羽を出して飛んで逃げる。その様子に気付いた他の参拝客達がその水色のモノを取り押さえていた。そのモノは押さえられる際刃物で刺されたようで、抵抗する力がどんどん弱まっていくのを冷めた頭で見ていた。
4/28 知らない仕事内容の事を詰められて困った。とりあえずスプレッドシートの数字を参考にしながら半紙を切る。上司は焦っていた。
5/8 油絵を2枚描く夢を見た。1枚目はデジタルで描いたような絵。青や赤を置いて後から白で上塗りして良い感じにする算段だった。2枚目は傷口の絵を一旦描いて、その上から白で塗ったり被せたりして治癒する作品。傷口の段階はグロいので周りの人々への配慮で、描いている部分以外の箇所には布を掛けて隠しながら制作した。
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tsuntsun1221ts · 2 years ago
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2023.05 立山
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残雪期の剱岳
GWということで最後の雪山に立山を選択。コロナ禍が収束してきて黒部立山アルペンルートは大盛況、人多すぎ。一昨年は一ノ越山荘に宿泊し立山縦走を試みたが天候不良のため雄山登頂のみで終わった。今回は剱御前小舎に宿泊して縦走を試みる。
1日目
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0500起きて新幹線で長野へ。長野から扇沢へのバスはすでに長蛇の列で2台停まっていたが満席となり、もう一台途中で追加された。扇沢からは予め時間指定のWEBチケット購入していたからよかったが、その場での購入だったらかなり待たされていたかもしれない。室堂は観光客たくさんいたが、外国人が2-3割な感じ。
【コースタイム】室堂(1225)→雷鳥沢テント場(1255)→剱御前小舎(1405-1410)→剱御前(1450-1500)→剱御前小舎(?)
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みくりが池は完全に雪の下。
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雷鳥沢テント場が見えてきた。ここから本日の宿の剱御前小舎へのルートが見える。トレースがちゃんとできているので安心。だがだいぶ高度上げるな。
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室堂から30分ほど歩いて雷鳥沢テント場に到着。この日は平日、翌日が祝日のため明日はもっと人が増えるか。しかしこのテント場はロケーション最高だな。
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テント場から登りとなるが、とりあえずはチェーンスパイクで進む。そこまで強い傾斜でもないし雪もだいぶ緩く、短い爪でもずり落ちない・・・と思ったがところどころ急な斜面があり、やはりアイゼンが無難であった。
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登りは何度も振り返りどれくらい高度を上げたか確認できる。単調ではあるが飽きない。テント場(写��中央左)からだいぶ高度上げた。
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一部細い尾根を歩く。ここは注意
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室堂から約1時間半で剱御前小舎に到着。まだ14時と遊ぶ時間あるのでまだ小屋内には入らず、そのまま剱御前まで足を進める。
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剱御前へは平坦な道で進行方向に剱岳が見えるとても気持ちの良い道。
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小屋から40分で到着し、ここからは名前の通り剱岳が何も遮られることなく見ることができる。
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剱沢テント場は10張程度しかいない。これから残雪期の剱岳に挑戦する人たち。
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剱沢雪渓にはたくさんトレースが残っている。雪の剱岳の登頂ルートはよく知らないが、長次郎谷や平蔵谷から登るのならあのトレースを通るな。さすがにこの時期は別山尾根(夏道)は使わないだろう。
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しばらく休憩し、15時になってしまったのでそろそろ小屋に戻る。小屋は二食付きで15000円で、冬季はシーズン料金から1500円値上がる。夕食は17時。この小屋のトイレはバイオで匂いなくイイ
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日の入り後の富山市の街明かりがキレイ
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こちらは室堂
2日目
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6時前に起床し朝食。天気はかなりよく、しかもほぼ無風。この様子なら縦走できそうだ。準備整え出発、まずは別山へ。
【コースタイム】剱御前小舎(0650)→別山(0715)→真砂岳(0755)→富士ノ折立(0830)→大汝山(0845)→雄山(0905-0920)→一ノ越(0950)→室堂(1020)
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目の前が別山、上に人が立っている。
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別山からは���岳が最も綺麗に見えるベストビューポイント
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長次郎谷だか平蔵谷だかわからないけど、トレースっぽいものも見えるのであそこが冬季の登山ルートか?
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ここからは一度下ってカールの淵を歩きやや平坦な真砂岳へ(写真中央やや上)。そして再び下ってから登り返しをもう一度繰り返して、奥に見える富士ノ折立・大汝山・雄山へ向かう。
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小屋から約1時間で真砂岳に到着
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日本海側にある山だが、天気が良いと太平洋側の富士山も見える。逆に富士山からもこっち見えるということだな。
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そして2回めの下りと登り返し。富士ノ折立への登りが本日のハイライトで最もキツイ。
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途中では四つん這いになって壁のような雪の道を這い登る箇所あり。写真右に登山者写っているが、まさあしくあんな感じで登る。
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さらにその先、岩が露出した道をアイゼンの爪でバランス取りながら慎重に登る、傾斜が急だし滑落しても岩しかなくピッケルの制動効かなそうだし、かなり危険。写真ではそんなに岩がないけど、もっと多い所あり。とはいえ登りならまだなんとか通過できる。下りでここを通過するのはさらに危険になるため、残雪期に立山縦走する場合は今回の通り別山→雄山の順がいいだろう。
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富士ノ折立登り切ると気持ちのいい白銀の縦走路、なお超巨大な雪庇が左にある。
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登山開始から約2時間で大汝休憩所と大汝山に到着。
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大汝山周辺に今日ついたと思われる雷鳥の足跡があった。ここ以外にも何回か見かけたが、結局姿を目にすることはできなかった。冬毛で真っ白な雷鳥見てみたいな。
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大汝山が立山の最高峰で2013m。後立山連峰が全部見える。
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南方には槍ヶ岳や穂高。
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室堂全体。目の前は奥大日岳と大日岳、奥に日本海と富山市。
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お隣の雄山神社。なお大汝山→雄山へのルートだが、目の前の岩場を直登するようなトレースしかついておらず、それに従って登ったが正直危険。夏山は右に迂回するルートなのだが雪で埋もれている上に傾斜がやや強く雪面が結構硬いトラバースとなる。どっちも危険なのだがそれでも直登で良かったのだろうか?
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縦走の終点、雄山に到着。
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今までの縦走路を振り返る。左端から約2時間か、意外と早かった。
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こうやって地形を見ると、奥の水晶岳・鷲羽岳から流れる黒部源流が黒部湖に注ぎ込んでいるというのがよく分かる。
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平らになった五色ヶ原の真ん中にぽつんと五色ヶ原山荘が埋もれているのもみえる。
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雄山で15分ほど休憩し、一ノ越へと下山する。そろそろアルペンルートの始発組が登り始めてきている時間のようだ。こちらは前に来たときほど雪はなく、一ノ越山荘までは露出した岩がメインだったが、岩の上をアイゼンの爪でバランスを取るのが危ないため脱いだ。
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一ノ越を通過し室堂へ。なだらかな下りで雪面も緩いのでチェーンスパイク装着。山荘出発から3時間半で室堂に到着した。
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体力が余っていたので雪の大谷まで足を伸ばす。室堂は登山客多めだが、雪の大谷は観光客で溢れ返る。まぁみんな立山きたらまずはそっち見学するか。11時だったのでレストラン���昼食しようと思ったら、すでに待ち時間すごいことに、さすがGW。諦めて扇沢まで下り昼食取ることに。
天候にとても恵まれた2日間であった。残雪期立山縦走する場合は今回の別山→雄山ルートが良い。逆ルートだと雄山神社から大汝山へ向かう道と、富士ノ折立から真砂岳への下り(特に岩が露出した箇所)が危険で鬼門となる。
本雪山シーズンは最初の2回(赤岳・木曽駒ヶ岳)のときは酷かったけど、その後はどこも最高の天気となり満足で終われました。
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crazyfox-archives · 1 year ago
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A boat parade with a sacred palanquin as the final phase of the autumn festival of Miki Jinja Shrine (三木神社) in Mikiura, Owase City, Mie Prefecture
Photo by 東紀州地域の漁村を撮る人 [Higashi Kishū Chiiki no Gyoson wo Toru Hito] on November 5, 2023 (see source)
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inefekt69 · 6 years ago
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Washio Shrine in Yoshino - Nara, Japan
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myonbl · 1 year ago
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2023年11月23日(木)
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今日は勤労感謝の日、祝日ではあるが私の職場含めて多くの大学では通常通り授業が行われている。1限(09:00〜10:30)終わりで妙齢女子からメッセージ、夜勤明けで研究室に向かうと。それならと、車に同乗して拙宅まで戻り、徒歩1分の<味平>でランチ。車を置いたので安心してビールで乾杯、久闊を叙しながら互いの勤労を慰め合ったのだ。
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5時起床。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
弁当*3、今日は妙齢女子と約束があるので家族3人分を用意した。
プラゴミ、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤。
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さすがに交通量は少なく、48分で到着した。
木曜日1限は<共生社会と人権>、今日のテーマは<ハンセン病回復者と家族の人権について>。国立ハンセン病資料館の紹介と映像による学習、その後、熊野古道の巡礼慰霊碑の紹介、松本清張の<砂の器>と話を展開した。21世紀生まれの彼女たちには松本清張は通じなかったが、ミステリー好きという学生もいたので是非作品を味わってほしいものだ。
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妙齢女子から連絡、バスが無いので徒歩で大学へ向かうと、それならとこちらから車で迎えに行き(ちと迷ったけど)、渋滞の名神を通って昼前には拙宅に到着。車を置いて、近所の<味平>でランチと相成った。
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食後は西大路七条から九条大宮までバスで移動、<おはぎ平野屋>でデザートを仕入れ東寺境内の床几に座っていただく。金堂・講堂と拝観するのも久しぶり、改めて立体曼荼羅を堪能した。
帰宅して軽く午睡。
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あり合わせ食材で夕飯準備、ツレアイも早めに帰宅して4人で夕飯・・・と思っていたが、私が尾鷲から取り寄せた<生節>をスライスし��いると、ココが勢いよく飛び込んできた。どうやら鰹の匂いに反応したよう、試しにツレアイが小さくちぎった生節を食べさせると勢いよく齧り付いて、たちまち3枚を食べてしまった。こんなものばかり食べさせるわけにはいかないが、何であれ食欲が出るのは嬉しいことだ。
録画番組視聴。
ロング・ナイト (9)「刑事」
初回放送日: 2023年2月19日 不可解な殺人事件の闇に迫る中国発社会派ミステリー。2006年。ジュー・ウェイは刑事に復帰し、ジアン・ヤンと執念の捜査を続け、ついに事件の重要な証拠をつかむが…。 刑事ジュー・ウェイの行方を捜すイエン・リアンたちのもとに目撃情報が入る。新聞記者ジャン・シアオチエンに5通目の匿名の手紙が届いた。2006年。3年の研修を終え現場の刑事に復帰するジュー・ウェイと、ジアン・ヤン、チェン・ミンジャンは再会し、近況を報告。ジュー・ウェイは事件の手がかりをすべて失ったというジアン・ヤンを励まし捜査を再開。翌年、別件で逮捕された男から有力な証拠につながる情報がもたらされる。
私には人名が覚えられないので、よくわからない。
腹ごなしに軽く町内ウォーキング。
片付け、入浴、体重は50g減。
シロクマパジャマに着替えて日誌書く。
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いい数字で今日も終了出来た。
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japanese-cityscape · 2 years ago
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tanign03 · 5 years ago
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天狗倉山!いい景色でした!。海山から熊野古道伊勢路を歩いて馬越峠へ。天狗倉山の後、馬越不動滝、尾鷲神社へ #三重 #熊野古道伊勢路 #熊野古道世界遺産登録15周年 #馬越峠 #天狗倉山 #馬越不動滝 #尾鷲神社 #visitmie #visit_tokai #kankomie #traveljapan #instagramjapan #fleur_noblesse (天狗倉山) https://www.instagram.com/p/B3RvoLsHLJK/?igshid=nd414h27l2td
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amiens2014 · 4 years ago
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潮江天満宮〜筆山〜皿ヶ峰〜鷲尾山〜烏帽子山〜石鎚神社〜和霊神社 ⇒ 南嶺ハイキングコース13kmウォーキング登山ルート
潮江天満宮 2021年3月15日、この日は自宅を車で出発し、潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)にやってきた。 https://niyodogawa.org/blog/outdoor/shrines-and-temples/shrines/kochi/16451/ 天満宮は祭神は菅原道真(すがわらみちざね)だ。 この潮江天満宮は、さらに長男の高視(たかみ)も合祀している。 今から行く皿ヶ峰(さらがみね)は高視が麓に住んでいたことから、高知の人間は「高見山(たかみやま)」と呼んでいる。 拝殿で参拝する。 Continue reading
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zealouspatrolponyspy · 5 years ago
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#鷲尾愛宕神社 こんなに景色が良いの知らなかった。福岡タワーも見えます。 #神社の写真は撮ってない #神社 #初詣 #福岡神社 #fukuoka #japan (鷲尾愛宕神社) https://www.instagram.com/p/B7GMSoKBomt/?igshid=1fzkctkd6aqfm
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