#露の団六
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりければ、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)12月18日(水曜日)
通巻第8556号
なんの数字? 「3613407563393869」
エニグマ暗号? 違います。アメリカの累積債務です!
*************************
2024年12月16日、米財務省が発表した国家債務は、36兆1340億7563万3938ドル69セント(邦貨換算で凡そ3780兆円)。前日発表の数字から一晩で6億1100万ドル増加していた。つまり毎日6億ドル(凡そ900億円)の借金が米国では加速度的に増えていることになる。
あの懐かしき四十年前、レーガン政権の黄金期、米国の国家債務は9070億ドルだった。それでも深刻に憂うるエコノミストがいたが、その40倍、つまり40年刊で債務が40倍になったのだ。
1988年のブッシュ選挙の折、筆者はバージニア州で一週間ほど取材し、ブッシュ当選の夜はリッチモンドの共和党と民主党のパーティに出た。翌日地元のラジオ局に呼ばれたが、開口一番のアナウンサーは「こんな巨額の財政赤字をアメリカ国民は懸念している。大丈夫だろうか?」と聞かれたので、「STILL MANAGEABLE(まだまだ管理可能ですよ)」と答えた記憶がある(詳細は拙著『ブッシュ、つぎの四年』を参照)。
それが40倍になっていた。管理可能とは言えない状態である。病めるアメリカ財政、いったいドル基軸体制はいつまで持つのか?
議会予算局は債務の雪だるまのような膨張の主因を「高齢化と連邦政府の医療費負担の増大」にあるとする。このままいけば今後10年間で54兆ドルになる。新型コロナウイ���ス救済策のための1.85兆ドルと超党派インフラ法案のための3700億ドルが含まれていると分析したが、言い訳くさい。
米国は国家債務に対して記録的な額の利息を支払っている。借金だから利息が付帯するのは当然である。
くわえて金利の急上昇により、国債の返済コストが高くなる。金利が上昇すると、連邦政府の債務にかかる借入コストも増加する。フィッチなどの格付け機関は米国債の格付けさげた。
利払いは2022年度の約4750億ドルから、2032年には驚異の1兆4,000億ドルへと3倍になる。2053年までに、利子支払額は5兆4000億ドルになると予測されている。
となると、社会保障、メディケア、メディケイドなどの予算を上回ることになる。
アメリカは資本主義から、いつしか社会主義国家になっていたわけだ。
▼借金大国の通貨が異常に高いのは、それこそ異常だ
ピーター・ピーターソン財団は「負債を抱えた国家は、自国の将来に投資できる資金が少なくなる」とまとめた。
言いにくいことを言えば、このような借金大国の通貨が異常に高いのは、それこそ異常であり、その危機を察知しているからこそ、中国、露西亜、印度、UAEなどは金備蓄を増やし、またエクアドルなどは暗号通貨を法定通貨として認めた。
そしてトランプは「ビットコイン大国」を目ざす、と主唱し始め、財務長官、商務長官を暗号通貨推進派でかためた。そのうえで、ホワイトハウス内に「AI&暗号通貨担当」の部署を設置するとした。
筆者は、トランプ政策のなかで、このビットコイン問題に格別の関心を持っている。多くのアメリカ観察者やジャーナリストの、トランプが何をやらかすか、等の論文や著作をざっと読んだが、誰も、このビットコイン大国化け目標を問題視していない。
こんなタイミングで「事件」が起きた。
バージニア州のムスリムがISISへの資金援助に暗号通貨送金をしていたとして有罪判決がでたのだ。バージニア州スプリングフィールド出身のモハメド・アズハルディン・チパは、シリアのISIS女性メンバーの脱獄資金を集めてトルコに送金していた。
ソーシャルメディアのアカウントを使ってクラウドファンディングで資金を集め、それを仮想通貨に変換してトルコに送金し、そこからシリアのISISメンバーに密輸した。
米司法省は、チパ容疑者が総額18万5000ドル以上の暗号通貨を送金したと発表した。
ドル送金時代から、ビットコイン送金時代に変わっていた。
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2024年9月3日(火)
神戸新開地喜楽館、今週の昼席は露の新治師匠が登場、とくに今日だけは主任とあって早い時期からぴあでチケットをおさえておいた。新開地に行けばランチは定番の松濤庵、私はざる蕎麦大盛り、彼女は玉子とじ蕎麦、更科風の蕎麦はとても美味しく仕上げのそば湯は残さずいただく。大好きな九ノ一さんや踊り付きの染雀さん、我らが師匠は<大丸屋騒動>という定席ではトリでしか演じられない大ネタ、お腹も胸も大満足の一日であった。
5時30分起床。
日誌書く。
体重は750g減。
朝食いただいて洗濯物干して、珈琲淹れて可燃ごみは30L*3。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
ツレアイ(訪問看護師)は8時15分に自転車で出発、火曜日はⅠ件の訪問だけ。
私の方は9時30分を待って、セントラルスクエア花屋町店で猫砂、続いてコレモ七条店でコロッケ・ナス・薄揚げ。
戻ってから夕飯用に茄子と薄揚げを煮る。
仕事を終えてツレアイ帰宅。
着替えを済ませ、七条御前通りから阪急桂駅東口まで京阪京都交通バスで移動。そこから、十��までは<PriVace>で座って移動、神戸線に乗り換えて新開地着が13時5分。
六代目松鶴が愛した<松濤庵>でランチ、ざっかけない庶民の大衆蕎麦屋だがレベルは高い。
喜楽館は13時30分開場、今日の一番太鼓は月亭柳正君、小顔のイケメンは近頃では当たり前。
今席は桂小春団治師が主任だが、仕事の都合だろうか今日だけは露の新治師が主任、なんとネタは<大丸屋騒動>、露の新治の代名詞とも言える大ネタ、昨年のよこはま落語会での出色の舞台は記憶に新しいが、今日も素晴らしい出来、来て良かった! 終演後は、師匠に挨拶してすぐに阪急乗車、京都線はやはり座席指定をとって車内でInstagramにポスト。いつものように桂駅で惣菜買って帰宅。
息子たちにはスパークリングワイン、なんでも<唐揚げによく合う>というコピーが付いていたとか。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第2話「三幕の殺人」/ Three Act Tragedyシーズン 12, エピソード 2 ポワロは友人の元俳優サー・チャールズが開いたパーティーに招かれる。そこにはチャールズの親友の精神科医ストレンジなど、多くの人が集まっていた。しか し、その席上で牧師がカクテルを飲んだ直後に急死する。他殺を疑うチャールズに、��ワロは病死だろうと告げる。しかし1カ月後、ストレンジは自ら主催し�� パーティーでワインを飲んだ直後に急死する。2つのパーティーの招待客はほぼ同じ。2人の死には関係があるのか?
片付け、入浴。
焼酎の炭酸割り片手に日誌書く。
電車移動ばかりなのでムーブは届かず。
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛け��創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあ��ないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は��離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなり��山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれな���。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡に��った三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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林家木久扇、来年3月に「笑点」卒業へ「座布団の芸も新しい人にバトンタッチします」24時間テレビで生発表 - ライブドアニュース
以下引用
85歳の落語家・林家木久扇が27日、「24時間テレビ46 愛は地��を救う」内の「チャリティー笑点」生放送中に来年3月をもって日本テレビ系演芸番組「笑点」(日曜・後5時半)の大喜利レギュラーを卒業すると発表した。
木久扇は「わたくし、林家木久扇は来年の3月をもって『笑点』を卒業したいと思います」と発表。「芸というものは次の世代にバトンタッチしなくちゃいけません。私の座布団の芸も新しい人にバトンタッチいたします。今年の『24時間テレビ』のテーマは『明日のために、今日つながろう。』なので、私も背中を押された」と語った。 近年は桂宮治、春風亭一之輔と40代の大喜利メンバーが新加入。「大変面白くなってまいりました。私の(後任の)1枚が加わって、また新しい風が吹いて、笑点がうんと面白くなります」と世代交代の必要性を主張。「と言ったって、わたくしはやめたわけではない。『笑点』になにかあれば駆けつけますし、高座でも落語を続けてまいります」とこれからも噺家(はなしか)として活動していくことを宣言。最後に「そういうわけで、昇太(司会の春風亭昇太)さん、2000万円ください」としっかりジョークで落としていた。 木久扇は現役最古参で歴代最長の「笑点」メンバー。番組スタート2年目だった1967年10月の「若手大喜利」に初出演し、2年後の69年11月にレギュラー昇格。半世紀以上にわたり、大喜利メンバーとして笑いを届けてきた。 初代司会・立川談志さんから6代目司会・春風亭昇太まですべての司会者を見届けてきた大喜利の生き字引だ。黄色の着物にオバカキャラがトレードマーク。「木久蔵ラーメン」などの鉄板ネタも多数だ。77年10月、大喜利で「いやんばか~ん んふ~ん、そこはお乳なの」という歌詞の脱力ソングを披露したところ、子どもに大ウケ。レコード「いやんばか~ん…」は15万枚を超すヒットを記録した。 プライベートでは胃がん、喉頭がんと過去2度のがんを克服した。21年5月には自宅で転倒し左大腿(だいたい)骨を骨折したが、全治3か月のところを1か月で復帰する鉄人ぶりを発揮し驚かせていたが、復帰後は大事はとって座布団には正座せず、椅子に座って大喜利や高座などに参加していた。
◆林家 木久扇 (はやしや・きくおう)193��年10月19日、東京都生まれ。85歳。60年に桂三木助に弟子入りし「桂木久男」で落語界入り。三木助没後の61年、林家正蔵門下へ移り「林家木久蔵」を名乗る。65年に二ツ目、74年に真打ち昇進。2007年9月、長男の林家きくおの「木久蔵」襲名に伴い木久扇に改名。14年7月には初期の喉頭がんの手術を受けた。十八番に「彦六伝」など。出ばやしは「宮さん宮さん」。
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世界樹の迷宮Ⅲ HDリマスター感想
きつきが世界樹の迷宮Ⅲ HDリマスターをプレイした感想を雑にまとめた軽めの記事です。
【注意】 ・全3ルートのネタバレあり ・ 自ギルド紹介とか脳内設定垂れ流しとかもある ・まだ第六層やってる途中、大航海は暗黒の森あたりで止まってる ・世界樹シリーズは過去にⅣのみプレイした(けど引退マラソンしてたら飽きてクリアしなかった)
大丈夫な方のみどうぞ
久しぶりの世界樹の迷宮、しかも以前にⅣをやったときは私の計画性のなさにより途中で放り投げてクリアしなかったというアレだったのでとても楽しみにしていました!ⅠとⅡはなんだかやる気が起きなかったのでⅢ単品だけ購入しましたが満足です。ちなみに難易度はEXPERTでやりました。
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・グラフィック
まずHDリマスターされたグラフィックが美しくて驚きました。元がDSのゲームとは思えないくらい。HDリマスターってすごいなあ! 戦闘時の敵モンスターのグラも綺麗で良かったですね~Ⅳ以降の世界樹の迷宮はモンスターのグラフィックが3Dですが個人的には2Dグラフィックもとても好きです。 FOEも3Dグラではなくモヤモヤでしたが、いい感じに不気味でこれもまた良いですね。何が出てくるかわからない緊張感があるというか。 樹海は特に第二層や第五層の雰囲気が好きです。 でも白亜ノ森のギミックは嫌い 海中を冒険できるのロマンありますよね。
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・マッピング
先行プレイできた人の感想とか見てると、「switch版はタッチペンを使わない場合マッピングに少し苦労する」みたいなのがよく見受けられたんですが、個人的には初日でもうだいぶ慣れてしまいました(switchのTVモード+プロコンでずっと遊んでいました)。
ただ、ゲーム内ヘルプみたいなのは無かったと思うので、最後まで何に使うかよくわからないアイコンがありました。(下図参照) 説明あったっけ? オートマッピングも第二層でようやく使い方に気が付きました…便利ですね
あと全体的なマッピングにはそんな苦労しなかったんですが、白亜ノ森のワープ地獄はどう描けばいいんだ………………と途方に暮れて半ば諦めていました。もういやだあの迷宮……
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・BGM
BGMは、先にⅣの生演奏に慣れていてそちらのクオリティがとても素晴らしかったので、FM音源のBGMは合うかな?と少し不安だったのですが、古代祐三さんの楽曲、どれもとても良かったですね…(サントラ買いました) 【戦乱 剣を掲げ誇りを胸に】とか 【戦場 討ち果て倒れる者】とか、新規に追加されたという 【戦場 露と消えよ】が特に好きです。かっこいいですね。 【戦乱 荒れ狂う波浪の果て】は「これが【戦乱 吹き荒ぶ熱風の果て】のアレンジ元曲か!」とテンションが上がりました。デデッデデッデデッ
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・大航海
大航海はあんまり面白くなかったかな…´`;
「次どこ行けばいいかわからん…」ってなったときの閉塞感というか手詰まり感+そういう時ただただ航海費用が嵩むのがなんか辛い。いやファーマー軍団いるからお金にはあんまり困らなかったのですけども 戦闘しながら迷宮探索したりマップ描いたりするのは結構好きなんですが…もっと進めれば面白く感じるんでしょうか。
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・シナリオ(※ネタバレ有り)
シナリオは、 海都ルート(ただただショーグンが欲しかった) →深都ルート →真ルート の順でクリアしました。ショーグン欲しさに最初に海都ルートを選びましたが結果的に正解だったと思います。ショーグン便利すぎる🥺
海都ルートは、
~BAD END~
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気を取り直して深都ルートは…
~BAD END~
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じゃ、じゃあ真ルートは…………
投 げ る な
結局どれもあんまりすっきりしないんですけどアトラスのゲームはみんなこんな感じらしいです(伝聞) 私アトラスのゲームあんまりやったことないので詳しくないんですが…
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・海都ルート
グートルーネにあんま共感できなくてブラコン姫に振り回されてるだけだし何も解決していない…みたいな残念な印象を受けます。
知らんがな!
ばあちゃんもクジュラも嫌いじゃないんですけどね。クジュラがあそこまで姫に入れ込む理由ちょっと知りたい
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・深都ルート
こっちの方がかわいいよグートルーネ
深王の言い分の方が納得できるのでこっちのルートの方がまだいいかなあと思いつつ、後味が…悪いです…。
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・真ルート
自分で矛盾に苦しむ真祖は人間臭くて割と好き
でも姫と深王が和解できたからって早々にどっか行くのはちょっと… このまま留まっても何もできないから…みたいな感想も見ましたが、せめてもうちょい裏ボスに命懸けで挑む冒険者をフォローする姿勢見せてほしいんですが…
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・キャラメイク
私自身が一次創作好きな人間なので、こういったキャラメイクゲームは脳内設定を作って楽しむ派なんですが、世界樹はそういった遊び方がとてもしやすくて良いですね。外見は職業に囚われずに選べる、という新要素も助かりました。
という訳で、私のギルドの紹介画像を置いて感想を終わりたいと思います。最初の5人がラスボス撃破時の最終的な一軍メンツです。 この10人のほかにファーマー軍団もいますがめんどくさい多いので割愛。
5人だけで組むとかそういうのは考えなかったです。こういうのは色々試して模索してるときが一番楽しいと思うので…
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Switchで世界樹新シリーズ出ないかなあ~
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三輪隊と出水の小説(二次創作)
【三輪隊+出水】ディズニーランドに行ってみた
「ディズニーに行ったことがない? マジで?」
三輪隊作戦室の和室である。本部の中でも和室がある作戦室はここしかない。今は、打ち合わせを兼ねたお茶の時間だ。
ナチュラルに馬鹿にされた気がして、三輪秀次はむっとして、言い返した。
「だって、遠いだろう?」
「三門からバスが出てんじゃん?」
米屋陽介である。
バスと言っても、夜行バスだ。夜を徹して走るそのバスに三輪は乗ったことはない。
夏休みの話だ。正確には夏休みのシフト申請の話だ。今年は、まとまって休みがとれるかもという話の延長上で、ディズニーランドに行きたいなどと米屋が言い出したのだ。個人ランク戦をやっていれば満足、という彼にしては珍しい発言である。
「えー、じゃあさ、章平はいったことある?」
「一応、ありますね。上の弟がスターウォーズが大好きなので」
「ちょっとまて、スターウォーズとミッキーとどう繋がるんだ」
「そこからかよ」
まあ混乱しますよね、と古寺章平に場を取りなすようになだめられても、ますます納得のいかない気持ちになる。
なんだ、ディズニーランド、全国民が行かねばならないのか。ミッキーに挨拶を義務付ける法律でもあるのか。
「俺も行ったことがないな」
奈良坂透が口をはさむ。
思わぬ方向からの援護だ。
「ほら見ろ」
「俺はスター・ツアーズがあるのは知ってるけど」
「スタ…?」
「奈良坂もかよ」
「玲がいるから、なんとなく行きそびれたな」
奈良坂の従兄妹である那須玲は体が弱い。ボーダーに入隊以前は、夏はほぼ外には出られなかったらしい。
「私は小さい頃に何回か行ったわね」
月見蓮は急須から三煎目を淹れながら、話を引き戻した。
「楽しいところよ。行ってみたら?」
「三輪隊現着ぅ」
「出水、現着ッ」
初めて乗った夜行バスは消灯してしまえば、すんなり眠れた。ステップを降りて、荷物を受け取る。朝日が眩しい。
あれよあれよという間に決まったディズニーランド行き。こんなに気軽に行けるのか。
最初に話が出た三輪隊に、米屋から話を聞いた出水公平が俺も行きたいと乗っかった。これ以上、誘うとシフト全体に影響が出そうだったので、先着順で出水までとした。組織はつらい。
三輪隊は元々、仲のよい部隊ではないつもりだ。隊の戦略があり、役割があり、そのために必要な実力があって成立している。こうして三門市以外に全員で出かけるのも、任務外は初めてかもしれない。
紅一点の月見はやんわりと断ってきた。今度、友人と行くことにしたらしい。
バスから降りて、人の���れが同じ方向に向かっていく。
「暑くなりそうだな」
「コンビニでおにぎり買って並んでる間に食べとくぞ」
出水が慣れている。出水は、家族でよく行くのだそうだ。米屋は三輪にマウントをとっておきながら、小学生以来だという。
「なあ、これ恥ずかしくないか」
「中に入れば普通だって」
三輪がさっきからソワソワしているのは、男子高校生五人の格好が白いシャツと黒のパンツ黒のスニーカーで揃えてあるからだ。ご丁寧にリュックも黒の指定だ。正直、バスにのるときも違和感ありまくりだったのだが、隊服と思えばいいじゃんと説得されたのだ。
さて、入場である。入場してすぐ、スマホアプリをいじっていた出水が大体の計画を立てている。
「ファストパスとったから、まず…」
「あの、もしかして、ボーダーのイズミさんですか?」
「え!?」
突然、高校生らしき女子に声をかけられて、出水は固まった。見知らぬ女子に声をかけられたこと、身バレしていること、この二つが彼を混乱させていた。
まずい。三輪も内心あせる。奈良坂が離れた途端にこれなのか。現在、奈良坂は古寺とともにポップコーンを買いに行かされている。イケメン圧力で、集団の第一印象を彼がかっさらっているうちはよかったが、実は出水は有名人である。
嵐山隊ほどではないが、ボーダーA級一位はメディアへの露出が多いのだ。何人かがスマホを構え始めた。ボーダー隊員の露出は根付がコントロールしている。もちろん、隊員と明かしたSNSは公式以外は禁止だし、個人でアカウントを持っていたとしても監視される。年頃の青少年を抱える組織にも関わらず、恐ろしいことにネットにおけるトラブルは今まで皆無である。根付は有能な男なのだ。
ある程度は仕方のないこととはいえ、囲まれてパシャパシャとシャッターを切られるのは面倒なことになりそうだった。
脇に控える米屋に一瞬目配せする。米屋もわかっている。出水の腕をひっつかんでダッシュしようとしたところに、空気が動いた。
「あ、ミッキー」
何人かが呆けたような声を出した。
夢の国の王様の登場である。グリーティングだ。反対方向からはパートナーであるミニーマウスもご登場である。
全方向に手をふる二人に、カメラと視線は向いていく。
そこに、
「ミッキーいるね」
それぞれ両手にポップコーンを入れた紙箱を持った奈良坂と古寺が帰ってきた。
「どう? 初ミッキー」
「…あいつ、スゴイな」
「は?」
「いや、マジで」
出水も同意見のようだった。
出水情報が拡散された様子はなかったが、念の為、変装とはいかないまでも、印象を変える目的で服を着替えることになった。
ワールドバザールで売っている派手なTシャツと派手なサングラスだ。変装になるのか甚だ疑問だったが、周りをみわたすに、この国ではこの服装が通常運転らしい。
「え、俺だけ?」
「いや。全員で買おう。そういうものなんだろう?」
「カチューシャも買おうぜ」
「暑そうだな」
「ヘアバンドもありますよ」
着替えてしまったあとは、もう、並んで乗って食べて歩いて、また並んで。
「換装体、ミッキーにするとよくね?」
「最強感あるよな」
「畏れ多いな」
「…三輪」
「頭が大きいから狙いやすいな」
「狙撃手コワ」
「著作権的に言うと難しいですね。コラボすれば別ですが」
「根付さん、太刀川隊だけやりそうじゃねえ?」
「うわ、やりそう」
モンスターインク・ハイドアンドシーク前である。
「…俺はやめておく」
「あー、わかる。目玉」
「ネイバーにしか見えない」
マイク・ワゾウスキを始め、目玉を強調したデザインのモンスターたちがトリオン兵に見えるのだ。
昼のパレードの時間だ。
バズ・ライトイヤーのアストロブラスターでレベル7をカンストした狙撃手二人は今はボソボソとミッキーの狙撃位置を相談している。
「やめろ」
「仮定ですよ、意外と射線が切られていて上手く作ってあるので、面白いです。でも、ほら救護所の屋根あたりからだと」
「狙撃手コワ」
シンデレラ城前で、奈良坂が那須に動画を送るという。約束らしい。
「玲、見てる?」
イケメンは石畳の上で、スマホを持ったまま、ぐるっと回ってみせた。三六〇度の景色が伝わったはずだ。
『とても素敵ね。今度は行ってみたいわ』
「案内できるようにしておくよ」
『あ、ごめんなさい、透くん。那須隊で行こうって約束しちゃって…』
「…そう」
日はもう沈んでいる。
「けっこう疲れたな」
米屋がそんなことをつぶやいた。当たり前だが、今日はトリオン体ではない。
「そうだな」
彼にしては今日はおしゃべりが少なかったように思う。
「やっぱり個人ランク戦のほうがよかっただろう」
「と思うじゃん? 」
それ以上は続けず、彼はニヤリとしただけだった。先ほどの夜のパレードで見たチェシャ猫のような笑い方だった。
ここは、何度か通る羽目になるシンデレラ城前の広場だ。あちこちに灯されたランプが眩しく、計算して創られたであろう配置が美しかった。
締めくくりはとにかく、お土産である。
月見ヘは当然、ボーダー幹部、太刀川隊面々、家族に他の部隊にスタッフと、送り出してくれた人々に感謝を。
古寺は、スターウォーズ関連を買いまくっている。弟ではなく、自分用ではないだろうか。
自分用か。
確かに、何か記念が欲しいかと考える。
「え?これ?」
「バスに持ち込めるのか?」
三輪は最後にミッキーの形をした風船を買った。
帰ってから、自分の部屋で手を離してみる。風船はふわりと浮き上がり、天井にくっついて、さらに上昇しようとする。その姿は、ちょうど朝、目が覚めると一番最初に目に入り、何日かの間、三輪に幸せな目覚めをもたらしたのだった。
終わり
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Quote
本当ならひどい行為。この男性は批判されるべき人間。ただ続くツィートが男性個人ではなく"お前ら"になって「=非モテ男性」へが繋がり「あれ?」となる。非モテだからひどいことするんだ、という論理展開でいいの?
[B! 水戸泉] 水戸泉@月鯉用 on Twitter: "フォロワー62万のアルファツイッタラーのおっさんが、若年女性の支援団体を散々侮辱しながら六万円寄付して「これでファミリーですよね~w」って煽ったり、募集してるんでしょ?送ってあげようか!ってコンドームの写真をアップしたりしてゲラゲラ笑う露悪、男の醜さを煮詰めたような地獄だな。"
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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各地句会報
花鳥誌 令和6年12月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年9月2日 花鳥さざれ会
影までも残暑に喘ぎをりにけり かづを それとなく秋を呼びゐる波の音 同 哥川忌もなく思案橋灼くるのみ 清女 流灯の川面に万の帯となり 希子 流灯の星となるまで見遺りをり 同 男振り鬼灯市の団扇手に 雪 ふと旅に在すが如く柏翠忌 同 其の声音其の眼光も柏翠忌 同 浅草の粋の申し子柏翠忌 同
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令和6年9月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
さやかなり異郷の地より便りあり 喜代子 彼の人の御霊と思へ流れ星 都 秋霖や昼を灯して新書読む 同 身ほとりを駆け抜けて行く野分かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
身に入むや幽霊坂に解体屋 要 振り向けば幽霊坂に秋の雲 昌文 野分後いうれい坂に干す雑巾 順子 鰐口に打たれて鳴りぬ秋の声 同 秋の蟬跨いで白きスニーカー 要 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉 長月の翳を重ねて魚籃坂 三郎
岡田順子選 特選句
石仏に一円玉と銀杏の実 緋路 朝顔や嬰も黒衣の葬の列 昌文 朝顔や団地めく墓百基ほど 久 正門の秋の気配や女学院 六甲 幽霊坂に細身のをんなつくつくし 昌文 銀杏の実亀石の首そのあたり 久 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ブラインド上げて夕焼の部屋にする 愛 秋風に置く空つぽの洗濯籠 かおり 送り火の煙ゆつくりと四囲めぐる 成子 秋扇こころ明かさぬまま別れ 美穂 にくしみがあきらめとなり秋扇 孝子 身に入むや母のお薬カレンダー 修二 流星の穿ちし窪み都府楼跡 睦子 かなかなや吾子沈みゆく腕の中 朝子 読み耽るアリバイ怪し夜半の秋 修二 ドクターイエローへ手を振る花野人 美穂 月見草わが名つぶやく人の逝く 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
銀漢に明治溶けゆく赤レンガ 三四郎 空蟬や大樹にしかとすがりをり 英美子 新米の入荷太文字人を呼ぶ みす枝 物音の消えし校舎に蟬時雨 昭子 晩酌の静かな会話虫時雨 三四郎 黄色い声ねずみ花火に逃げ惑ふ みす枝 一ト夜ごと虫の音細くなりにけり 英美子 流灯会読経流るる僧百人 三四郎 本心は言へず花火の夜の別れ 英美子 枝豆やまた繰り返す愚痴話 靖子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
露の庭はな緒のゆるい宿の下駄 あき子 リズム良き祖母の寝息や集く虫 和魚 源氏詠む文机近く虫すだく あき子 秋茄子や料理の好きな妹逝きて 和魚
秋尚選・三無選 特選句
秋茄子の色は紫紺の優勝旗 廸子 暑くとも白露の朝でありにけり 秋尚 昼の虫導かれつつ見えぬまま のりこ 心地よい風を感ずる白露の日 さちこ 病む人の今朝爽やかと白露の日 ます江 小振りでも紫紺きつぱり秋茄子 三無 虫の宿庭の雑草残しおき エイ子 虫の声足そつとおく帰り道 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月10日 萩花鳥会
暑き娑婆御堂の羅漢高笑い 健雄 百日紅揺れる花房夏惜む 俊文 ジャングルジム登りつく子等鰯雲 美恵子 食べ過ぎて今宵の満月僕の顔 良太 満月の影にうつるは兎かな 綾花
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令和6年9月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
花野道小さく見える牛の群れ あけみ 大花野夢の続きを行くやうに 実加 台風裡兄と出会ひし母の家 あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋日傘半分閉ぢて行き違ふ 都 地図に見る呉亡き父の終戦日 佐代子 誰が植ゑし鶏頭小さく石仏に すみ子 葛一面未だ本籍たりし野辺 都 今放つ槽に小波や新豆腐 同 銃創を見せ物語る生御霊 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
月餅と濃茶一服今日の菊 多美女 野の彩を丸ごと活けて句座は秋 百合子 秋燕別れを告げに母の塔 幸風 長き夜や古き日記に母のゐて 多美女 鮭小屋の朽ちても長汀石狩川 亜栄子 ゆつたりと夜長にすすむ酒のあぢ 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
秋茜近寄り来てはまた高く ます江 桔梗とて気怠そうにて風に揺れ 同 池に波紋残して行けり赤蜻蛉 貴薫 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 隠沼に秋明菊の八頭身 文英 秋の蝶もつれて落ちてまた浮かぶ 白陶
栗林圭魚選 特選句
魁て色づく雅式部の実 三無 秋茜近寄り来てはまた高く ます江 静謐の沢の流れや曼珠沙華 幸風 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 森へ行くバス待つベンチ秋の晴 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月16日/21日 柏翠・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
曼殊沙華赤で囲みし甕の墓 ただし 新しき束子で洗ふ母の墓 同 鉄工所跡は錆色芒原 同 施餓鬼寺秘仏に在す観世音 雪 刃を入れるこれぞ西瓜と云ふ西瓜 同 流灯会母のだんだん遠くなる みす枝 夕月や心素直になつてをり 同 手を上げるだけの挨拶爽やかに かづを 九頭竜の乾坤いまだ秋を見ず 同 夜廻りの拍子木冴える星月夜 嘉和 袖通す事なく紙魚の秋袷 英美子 大漁の海を映して鰯雲 眞喜栄 熊除けのあまりに小さき鈴かとも 洋子 中天に中秋の月ただ一つ 紀代美 一言が十で返つて来る暑さ 清女 花明り水明りして草の露 世詩明 紐引きて夜長の秋を灯しけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
単線の駅の中間大花野 世詩明 露草に跼めば低し膝がしら 同 へのへのの顔に疲れて来し案山子 雪 商ひの顔に見えざる古葭簀 同 もしかして死んだ振りかも火取蟲 同 地酒くみ民話ひもとく良夜かな 笑子 何故に泣きべそかいた十三夜 隆司 大花野境界線は遠き空 千加江 夢の中独り占めして花野かな 同 ゆつたりと羽を愛しむ秋の蝶 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月20日 さきたま花鳥句会
秋草や流離の雲はとこしへに 月惑 去ぬ燕施設の母の走り書き 裕章 秋暑し観音堂の鬼瓦 紀花 三尺寝青年の腕白きこと ふゆ子 秋風や水尾引く舟の遠ざかる 恵美子 降るほども無き雨の庭昼ちちろ みのり 刈り草の中よりツンと彼岸花 彩香 鍵を置き去りし男や秋の雲 良江
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけで��。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青��がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)9月17日(火曜日)肆
通巻第8414号 <前日発行>
「チャイナ・ルネッサンス」(華興資本)CEOの包凡は何処へ消えた
チャイニーズ・ヒルビリー・エレジー(その5) 新興財閥の興亡、「あの人は、いま?」
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アリババCEOだった馬雲(ジャック・マー)は金融子会社「アント」の上場を目指していた。デジタル人民元を準備中だった中国共産党は、この動きを軽快した。上場直前に共産党は「延期」を指令した。その後、馬は海外へでた。アントは彼の手を離れた。馬は世界の顔だから中国共産党も不当な逮捕拘束を控えている。
2021年4月にアリババは3,000億円の罰金を課せられた。この金額は2019年のアリババの国内売上高の4%に相当し、中国で過去最大の独禁法違反の罰金となった。
「江沢民派の財布」と言われた肖建華(明天証券グループ代表)は香港の豪華ホテル「フォーシーズンズ」でボディガードに囲まれて暮らしていた。
或る日、突然、中国からやってきた公安部隊に拉致され、数ヶ月して北京で拘束されていたことが分かった。懲役13年がくだされ、刑務所に入れられた。
肖建華は中国株式インサイダー取引の黒幕だった。兄貴分が米国へ逃れた郭文貴だ。彼は米国でユーチューブ局を立ち上げ、さかんに習近平の金銭スキャンダルを暴露していたが、根拠のない話が多く、そのうち投資家を募ったファンドの詐欺罪で逮捕された。
大連実徳集団CEOの徐明は習近平の政敵だった薄煕来と、薄が大連市長時代から親しく、息子の英国留学の胴元になり、政治コネでビジネスを広げた。一時は破竹の勢いを見せ、プライベートジェット機に有名女優を乗せて薄のもとに届けたとか(名前がでたのはファンビンビンなど)、真偽のほどをたしかめようもない噂も多かった。薄失脚と同時に拘束され、刑務所で怪死を遂げた。
辛辣な共産党批判で知られ、「任大砲」とも「中国のトランプ」とも呼ばれた任志強は「華遠地産」のCEOでもあり、「中国の不動産王」を言われた。汚職撲滅で辣腕を振るっていた王岐山と親しかったので図に乗って習近平批判も展開した。
不動産価格の高騰が社会問題化すると、「貧乏人が家を買おうなどと考えるから不満が出る」、株価が高騰すると「学生が株を買うなんて100年早い」とこっぴどく批判した。
王岐山が海南集団の不正事件発覚で政治的影響力をうしなうと、任志強も拘束され懲役18年の刑を喰らった。
王岐山の政治力をもってしても庇えなかった。
2023年に世界の経済誌を騒がせたのは中国人チャオ・チャンポン(趙長鵬)が2020年に上海で設立した暗号通貨取引のプラットフォーム「バイナンス」の大がかりな不正取引だった。
中国国内では暗号通貨取引が規制されているため、他の金融商品などを扱い、アリペイやウィチャットペイ等でも支払いが出来るため、商いは急展開した。なにしろ暗号通貨市場は100兆円にもなろうと予測されていた。
当時、暗号通貨ビットコインは世界の80%を中国人が購入し、資産の海外移転をすすめた。つぎにバイナンスが目をつけたのは世界の悪党たちがマネーロンダリングに活用することだった。初期に180ヶ国12万人のユーザーは忽ちにして世界で1・5億人のユーザーに膨れていた。ユーザー数で言えば、TIKTOKに迫る。
▼世界の悪党達がマネロンにバイナンスを活用した
バイナンスは中国国内の規制がつよくなってシンガポール、ドバイ、マルタなどへ移動し、本社登記地を曖昧にしつつ、暗号通貨取引を展開、テロリスト、イラン、シリア、ハマスなどが活用した。この管理体制の杜撰さが犯罪を助長したため、米司法省から提訴され、趙長鵬は禁固四ヶ月、個人での罰金が5000万ドル、くわえてバイナンスCEOの辞任だった。バイナンスには6400億円の罰金が課せられた。ついでながらビットコイン価格はスタンダード&チャーター銀行の予測するところ、トランプ当選なら12・5万ドルにハリスなら7・5万ドルに留
まるとしている。
さて「「チャイナ・ルネッサンス」(華興資本)CEO包凡は何処へ消えたか?
2023年2月に突如失踪し、世界中が大騒ぎとなった。彼は中国初の本格的なインベストバンクを創設し、急成長のテンセント、JDコム、摘々(DIDI)などの金融面を支援して国際金融界も注目していた。
CEOの包凡(バオボン)は上海生まれで地元の高校から復丹大學を卒業後渡米し、JPモルガン、クレディスイスで腕を磨きこんだ。ロンドン、NYC、香港において国際金融に辣腕ぶり発揮し、200年にチャイナ・ルネッサンスを設立した。
行方不明ながら一年後の24年2月にCEO辞任を(獄中から)表明し、現在は別の経営陣が同社を運営しえいる。
チャイニーズ・ヒルビリー・エレジーの一幕。
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2024年8月2日(金)
名古屋の大須演芸場、8月定席は<怪談噺>が4日間、そのうち1日・2日を露の新治師匠が主任を務めるということで応援に行ってきた。まず大須観音にお詣りし、すぐ近くの劇場は10時30分開場、11時開演、仲入りで持参したおにぎりを頂いてホッと一息。最後の「摂州皿屋敷」は噺の途中で暗転して幽霊が客席に現れるという、正蔵(彦六)→五郎兵衛→新治と受け継がれた怪談噺の演出、いいものを体験させていただいた。次は大阪・東京・横浜と、今月は応援強化月間でもあるのだ。
4時起床。
日誌書く。
5時15分シャワー、体重は150g増。
朝食、珈琲、洗濯。
ツレアイにおにぎりを用意してもらい、8時40分に自宅を出発する。
初めて大須演芸場に行ったのは今年の春、東京遠征の帰路に<鉄道落語会>を楽しんだのだった。今回は地元名古屋の芸人に加えて東京と大阪のメンバーが加わってバラエティー豊か、名古屋ならではの番組を楽しませていただいた。
帰路は名古屋駅で夕飯用に弁当を買いこみ、流れも良くて帰宅したのが15時30分。まずは、<まいどおおきに露の新治です>に簡単なレポートと画像を送信する。
酷暑の8月2日、名古屋の大須演芸場まで涼みに出かけました。今日の師匠は「摂州皿屋敷」、素噺では聴いていますが、客席に幽霊が現れる怪談噺仕立ては初めての体験、噺の流れも良く、衣装を着替えての最後の決め台詞も鮮やか、周囲の反応も上々でした。怪談噺を堪能しました。東北から名古屋、そして東京とお忙しい夏、どうぞお身体を大事にしてください。私の方は、8月9日「木馬亭」、8月10日「よこはま落語会」に伺います。
夕飯は名古屋の味をみなで楽しみ、卒業生にいただいた高知の酒第三弾をいただく。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第23話「愛情の計算」/ Mind Over Mayhemシーズン 1, エピソード 23 人工頭脳学研究所の所長マーシャルは、同僚のニコルソン教授から、翌日表彰されるマーシャルの息子ニールの研究発表「分子構造論」が盗作であることを告げられる。ニコルソンは受賞を辞退するよう息子を説得しなければ全てを暴露すると宣言した。マーシャルはその夜、ニコルソンを殺害する。
朝が早いので、どうしても途中で眠くなる。終了前に布団に吸い込まれる。
移動は多かったが、ムーブは届かなかった。
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10.帰って来て貴方と一緒にお茶会をしよう
私が旅行や予定に対して、一番楽しいのは行くまで、始めるまでの時間です。みんなそうだと思っていたので、ある人に聞いたらその人は帰り道が一番楽しいと教えてくれてびっくりました。
旅行の道中は、私は何だか緊張したり楽しかったり疲れていたり次のことを探していたり、ちょっと忙しい感じ。そして帰り道は本当に寂しくて、でも家につけることにもほっとして、どちらかといえば安堵が大きいかも。
それに比べてはじまる前は長く時間があるし、たくさんの未来を妄想してたんまり楽しめます。
でも、私だって道中も帰り道ももっと純粋にわくわくしていたいなと思っているのです。だから私たちは帰ってからお茶会をしましょう。
台湾で買った、台湾茶と私の大好きなパイアップルケーキを準備して、夜に電話を繋いで、もしくは布団の上で写真をばら撒いて、沢山思い出を話しましょう。
おまけ.暇なときは何をしたらいいの?
旅には暇な時間がたくさんあります。楽しい時間にも空白の時間にも、つらい時間にもなりうるそんな隙間のおすすめの過ごし方をこそっと伝授します。
・絵しりとりをしよう
紙とペンを必ず持ち歩��ましょう。飛行機が時間通りに来ないとき。夜行バスで眠れないとき、こそっとペンを取り出して私たちの絵を描きましょう。
・カードゲームを持ち歩こう
旅行の夜は疲れてすぐに眠ってしまうけれど、貴方と過ごす夜を終わりたくないそんなときにはカードゲームです。ボードゲームは少し大きすぎるのであくまでも荷物にならない大きさのものを。
・オリジナルグッズの構想を練ろう
旅先の写真や思い出でオリジナルグッズを作りましょう。イラストを描いてステッカーや靴下にするもよし、撮った写真でポストカードを作るのもよし、海で拾った貝殻を並べてみるのもよし。旅先の記憶を結晶にするように何か作ってみるのはきっと楽しいね。
・好きな音楽を紹介しあおう
旅先のプレイリストを作っておいて、何のやることもないねぇというときにお互いにこっそりお披露目しましょう。台湾だったら私はあの曲とあの曲と、あ、あれも外せないよね。
追記
台湾情報サイト
観たい台湾映画
台湾で泊まりたい猫のいる宿
台北
台北市指定の歴史的建造物である、六つの建物が連なる「六館街尾様式店屋」のうちの一棟をリノベーションして作られた宿。立地もいいね。
日月潭
日月潭は台湾の丁度真ん中あたりにある大きな湖。山に囲まれた大きな水辺。朝の黄色がかった水色ともオレンジともつかない朝焼け空の日月潭を見たい。
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11月18日(土)第742御遠忌法要(祖滅741年)を厳修しました。
本年5月に行動制限が解除されて以来、初めての開式となります。檀信徒とともに、約50分間の法要を営み、宗祖に報恩感謝の誠を捧げました。
法要に続く第2部は、今年は法話の会。京都松林院御住職大西秀樹僧正にお越しいただきました。大西上人とはもう長いお付き合いで、言わずと知れた言説布教の名手です。
大西節とも称される独特の間合いと緻密に練り込まれたお話の一方で、日蓮聖人を思わせるような大きな御法体です。
余談ですが、京都において今日の日蓮宗の礎を築かれたのは、日蓮聖人の孫弟子にあたる龍華樹院日像菩薩です。
日蓮聖人から帝都弘通のご遺命を受けた日像上人は、永仁2(1294)年に満を持して上洛されました。そして「三蟄三赦」(さんちつさんしゃ)と呼ばれる3度にもわたる都から の追放など、度重なるご法難に対して決して怯む事なく布教活動を展開し、大覚大僧正妙実上人という優れた後継者も現れ、ついには帝都布教の悲願を達成しその基盤を確立されました。
1500年初頭、像師の死身弘法は花開き、洛中には21もの本山が存在しました。
元々、松林院様は天霊寺として鎌倉に創建されましたが、大本山本国寺(本圀寺)が京都六条堀川に移転する際に随行し、以後開山の院号にちなみ天霊山松林院と改称しました。昭和46年に大本山本圀寺が京都山科に移転してからも現在地に残り、法灯を脈々と受け継いでいます。(松林院HP)
本年で10年の節目を迎えました御会式の特別企画。「法話の講」と「清興の会」を織り交ぜつつ、得難い御縁をいただきながら今日まで続けて参りました。
①平成26年(2014)11月28日 本宗僧侶 杉若恵亮師 ②平成27年(2015)11月28日 講談師 一龍斎貞鏡師匠 ③平成28年(2016)11月27日 文楽・三味線 鶴澤清介師匠 ④平成29年(2017)11月11日 文楽・太夫 竹本千歳太夫師匠 ⑤平成30年(2018)11月13日 落語家 露の団姫師匠 ⑥令和元年(2019)11月17日 天台僧侶 マナケ・サンガラトナ師 ⑦令和2年(2020)11月21日 本宗僧侶 三木大雲師 ⑧令和3年(2021)11月20日 本宗僧侶 三木天道師 ⑨令和4年(2022)11月19日 オペラ歌手・バンドゥーラ奏者 オクサーナ・ステパニュックさん ⑩令和5年(2023)11月18日 本宗僧侶 大西秀樹師
本当に錚々たる顔ぶれです。よくぞこの田舎寺までお越しくださいました。有り難いことです。 来年以降は・・・どうするかは、じっくりと考えます🙄
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#3 イスラム教とモスク
こんにちは、カサダニアンです。
今回の旅ではいくつかのモスクに立ち寄ります。
そんなモスクのイスラム教での位置づけや、イスラム教の教えなどについて簡単にまとめます。
また、モスクでNG行動なども記載するので、モスクを訪れる前に是非読んでください。
この記事では、イスラム教とモスクについて紹介します。
〇イスラム教とは
イスラム教は、キリスト教や仏教と並ぶ世界三大宗教のひとつで、唯一絶対の神アッラーを信じる一神教です。
「イスラーム」という言葉はアラビア語で“神の教えに帰依すること”を意味しており、イスラム教徒のことは「ムスリム」と呼びます。
イスラム教の預言者ムハンマドが神の啓示を受け、西暦610年にアラビア半島で始まりました。
イスラム教徒は、預言者ムハンマドに啓示された神の言葉そのものが記されている啓典「コーラン(クルアーン)」と、預言者ムハンマドの言行録「ハディース」を信条としています。
イスラム教は現在、キリスト教に次ぐ世界2位の信者数を誇り、その数は約19億人(世界人口の約25%)に達しています。
〇ムスリムの多い国
ムスリムが最も多い国はインドネシアで2億2,900万人(87.2%)で、トルコは8位の7,985万人(99.2%)となっています。
※()内は人口に対する割合を示す。
〇アッラー
イスラム教では神のことをアラビア語の「アッラー」と呼びます。
このイスラム教で信仰する「アッラー」は、全知全能、唯一の神であり、絶対の権威をもつ全宇宙の創造主です。
“神の唯一性”を意味する用語をアラビア語で「タウヒード」と言い、タウヒードはイスラムにおける一神教の概念となります。
日本では「八百万の神」と言われるように多様多種の神々が信仰されていますが、一神教のイスラム教にとってこれはあり得ないことなのです。
「イスラム書法におけるアッラー」
〇他の宗教との関係
実は、キリスト教とユダヤ教はイスラム教にとって同じ起源を持つ姉妹宗教なのです。
そして、この3つの宗教は同じ土壌から生まれ、「一神教」という点で共通しています。
さらに、3つの宗教が信仰する神は同一なのです。
3つの宗教の中で一番古いのが、紀元前に誕生した「ユダヤ教」で、次に「キリスト教」、その後イスラム教が誕生しました。
ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれたので、3つの宗教の神が同一であるというのは当然ともいえます。
ユダヤ教では「ヤハウェ(エホバ)」、キリスト教では「イエス・キリスト」、そしてイスラム教では「アッラー」は呼び方は違いますが、同じ神を指します。
〇スンナ派とシーア派
イスラム教にはいくつかの宗派が存在していますが、2大宗派として有名なのは「スンナ派」と「シーア派」です。
そもそもムハンマドがいたイスラム教初期の時代には、宗派は分かれていませんでした。
宗派が生まれたのはムハンマドの死後、ムハンマドは後継者を選出しなかったため、合議により後継者となるカリフ(最高指導者)が決定されました。
その会議で決定されてきた4代目までを「正統カリフ時代」と呼びます。
しかし、4代目となるカリフのアリーが暗殺されたことをきっかけに、後継者を巡る対立が激化し、誕生からわずか50年でイスラム教は「スンナ派」と「シーア派」の2宗派に大きく分裂してしまったのです。
「スンナ派」
スンナ派は、血統よりも実力重視で後継者を選ぶという考えをもった宗派です。
スンナ派はアッラーからの啓示が記されているコーラン、ムハンマドの言葉や慣行などが記されたハディースを重視しているため、コーランやハディースに従っていれば後継者は誰でもよいという考え方を持っているのが特徴です。
また、スンナ派は世界のムスリムの約9割を占めており、「正統派」とも呼ばれています。
※過激派組織で有名なISなどは、スンナ派であるが、スンナ派がすべて過激ということではない。
「シーア派」
一方のシーア派は血統を重視しているため、「ムハンマドの子孫こそ後継者に相応しい」という考えを持った宗派です。
ムハンマドの死後、初代正統カリフに選ばれたアブー・バクルと、第4代正統カリフのアリーを除き、2代目と3代目のカリフはムハンマドの血統を継いでいなかったため、シーア派のイスラム教徒は2代目と3代目を認めていませんでした。
また、第4代正統カリフのアリーはムハンマドの娘ファーティマと結婚していたため、今もなお「正当な後継者はアリーの子孫こそふさわしい」と主張しています。
シーア派は世界のムスリムの1割程度とかなり少ないですが、イランではシーア派が国教となっているため、人口の90%がシーア派で、世界のシーア派全体の3分の1を占めています。その他の国だと、イラクやバーレーンも人口の7割近くをシーア派が占めています。
〇六信五行
イスラム教の信仰の基礎はコーランに啓示として記されていますが、その中でも「六信五行」がムスリムの基本指針になっています。
六信五行の「六信」はムスリムが信じるべき6つの信条であり、「五行」はムスリムに義務として課せられた5つの行為です。
「六信」:信じるべき6つの信条
・アッラー/神
・マラーイカ/天使
・キターブ/啓典
・ナビー/預言者
・アーヒラ/来世
・カダル/天命
「五行」:義務として課せられた5つの行為
・シャハーダ/信仰告白
「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー(アッラーの他に神はなし)」と「アシュハド アンナ ムハンマド ラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒である)」を礼拝の度に唱える。
・サラート/礼拝
礼拝は夜明け前、正午すぎ、午後、日没後、夜の1日5回と決められています。礼拝時はなるべく集団で列をつくり、キブラ(メッカのカーバ神殿の方角)を向きながら、コーランを声に出して読み上げます。
・サウム/断食
イスラム教には「ラマダン(ラマダーン)」と呼ばれる断食期間があり、暦の第9月に約1ヶ月間断食が行われます。断食と言っても丸1日何も食べないのではなく、日の出から日没までの間、飲食をしません。なお、この時間帯は飲食に限らず、喫煙、性交渉も禁止となります。
・ザカート/喜捨
イスラム教では自分から喜んで金品を寄付する決まりがあります。決まりに従い自分の収入から一定額を出すことを「ザカート」といい、自発的に行う喜捨を「サダカ」といいます。
・ハッジ/巡礼
ハッジはイスラム教の聖地「メッカ」への巡礼を意味します。ただし、ハッジは肉体的、経済的に余裕がある場合のみ行えば問題ないとされており、一生に一度は行うよう決められています。
〇モスクとは
モスクを一言で言うならば、「イスラム教の礼拝堂」です。
モスクでは、五行にも含まれている「サラート(礼拝)」を行います。
モスク内部の壁には必ず、キブラを示す「ミフラーブ」と呼ばれるくぼみがあり、向かって右隣にはイマーム(指導者)が説教を行うための説教壇「ミンバル」があります。
また、イスラム教では偶像崇拝を禁止しているので、モスク内部には神をかたどった像や絵画はありません。
その代わり、幾何学模様や植物などのモチーフ、コーランの章句からとったカリグラフィ、ステンドグラスなどの繊細な装飾が施されています。
なお、基本的には毎日行う礼拝に関しては、無理にモスクへ行く必要はありません。
ただし、金曜日の集団礼拝の日は、モスクで礼拝を行うことが推奨されています。
礼拝を行うモスクについても特に指定はなく、なるべく色々なモスクへ行くことが良いとされています。
〇権威の象徴「ミナレット」
モスクには必ずと言っていいほど、1本以上の尖塔が付随しています。
これは「ミナレット」と呼ばれ、ここで礼拝の時間を呼びかける「アザーン」が流れるのが特徴です。
昔は人がミナレットの頂上まで登り、肉声でアザーンを唱えていましたが、現代ではミナレットにスピーカーが設置され、マイクを通してスピーカーからアザーンが流れています。
1日の最初の礼拝時には、夜明け前に各モスクのミナレットからアザーンが大音量で流れるため、初めてイスラム圏へ旅行に訪れた人は驚いてしまう人がほとんどです。
なお、ミナレットは、初期イスラムの世界では権威の象徴にもなっていました。
ほとんどのモスクにはミナレットが1~2本ある程度ですが、聖地メッカにある「ハラム・モスク」のミナレットは、世界最多の13本にもなります。
3番目にミナレットの数を多く有するモスクは、トルコのイスタンブールにあります。
“世界で一番美しいモスク“とも称されている「ブルーモスク(スルタンアフメト・ジャーミィ)」です。
ブルーモスクには6本ものミナレットがあり、これは世界で唯一の本数になります。
〇モスクでのマナー
「ウドゥ」
イスラム教では清潔であることを大事にしています。 ウドゥとは、礼拝前に体の一部を清めること。 祈りの前、モスクの洗い場で、 手→口→鼻→顔→腕→髪→耳→足 の順に各3回ずつ水で洗います。 時間がないときなどは簡略化も認められています。
「土足厳禁」
礼拝堂では土足厳禁。礼拝堂の入口で靴を脱ぐ必要があります。 靴袋が置いてあるモスクもありますが、靴入れ袋を持っていると便利でしょう。 また、ささっと脱ぎ履きできる靴がおすすめです。
「服装について」
男女ともに露出の多い服装はNGです。 短パンやノースリーブ、ミニスカートなどは肌が露出する服装は避けましょう。
体のラインがでる様なスリムなパンツ、レギンス、ジーンズ、短パン、ミニスカート、水着着用も禁止事項となります。
ゆったりとしたサイズのパンツ、もしくはロングスカートをご用意ください。
女性は髪をスカーフで覆う必要があります。
モスクでスカーフの貸し出しをしているところもありますが、スカーフを持参していきましょう。
「振る舞いについて」
・手を握ったり、キスをすることはイスラム教礼拝所では禁止されています。
・礼拝者の安全と尊重のために、訪問者はモスク内では許可されている場所のみ見学可能です。
・喫煙と飲食はモスク内では禁止です。
・訪問者は主な礼拝堂にある神聖なコーラン(神聖な経典)や他の建築要素には触れないでください。
・また、礼拝時間以外にもお祈りをしている方がいますが、礼拝中の方にカメラを向けてはいけません。
「礼拝時間に注意」
アヤソフィアやブルーモスクなどほとんどのモスクでは、礼拝中の見学はできません。 1日5回の礼拝があり、時期によって少しずつ時間が異なります。 HPなどで礼拝時間が発表されているので、あらかじめ確認するとスムーズに観光できますよ。 また、集団礼拝がある金曜日の昼過ぎまでは、見学ができませんので注意しましょう。
以上、イスラム教とモスクでのマナーについて紹介していきました。
マナーを守り、お二人もムスリムも楽しめるモスクライフを楽しんでいきましょうあ。
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