#長襦袢
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9月の終わりに着物を着る予定なので、コーディネートを考えてみたよ!晴れますように!
半衿は墨流し。着物がシンプルだから、花柄とかでもいいかなと思ったんだけど、こちらの方が合う感じでした。この半衿は、もう何年も前に染め体験で作ったの。もちろん初めてやったし、思ったようにできなくて残念な気持ちだったの。ピンクが出過ぎなのよ!でもちょうど水色が着物と合ってる。
帯はかわいいお花柄。テーマは香風花だって。それにあわせて、蝶柄の帯留め。こちらはアンティークの薩摩ボタンを帯留めにしたものです。帯締めは真っ黒じゃなくて少しだけシルバーになってて、それが濃い色一色よりもいい感じでした。帯揚げもその少しだけのシルバーにあわせてシルバーで、着物の矢絣の一色ともあうかな。
そして、海老柄の長襦袢〜。見せたいくらい。と思って、表に出して撮影(๑˃̵ᴗ˂̵)元々は羽裏柄として描いたものらしい。京都の型友禅です。
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昨日の #紅型ナワチョウきものコーディネート ・ ・ 昨日は 最高気温25℃🌞 湿度も少し高めで 初夏のような一日でした🌞💦 ・ ・ ♦︎ #着物 ♦︎ #coten さまの @coten_official #艶着尺 を初おろし✨ 絹に漆でコーティングされた 和紙が織り込まれているという 特殊な着尺地に一目惚れ❤️ お単衣仕立てにしました🌞 #初夏🌞の体感には もうピッタリでした✨ ・ ♦︎ #紅型ナワチョウ帯 ♦ 最近、出番多めな👀 #月桃紋様 の帯 #博多織 の地紋に 浮き上がる月桃の 種と蕾と花✨ 最近の暖かさからか 開花した月桃の花と共に (pic.8) ・ ♦︎ #帯揚げ お着物と同じく #coten さまの @coten_official #マトリョーシカ の #地紋 浮き上がる帯揚げ🪆 グリーン系で合わせられる しあわせ✨←緑ラバー🙌 ・ ♦︎ #帯締め ♦︎ こちらも初おろし!! #ゑり正 さまの #SHARK 小紋 の #丸ぐけ の帯締め🦈 先日お客様がされていて 🦈と目が合ってしまいました👀 丸ぐけの帯締めは お初なのです��� ………カワイイデス🦈 ・ ♦︎ #長襦袢 & #半衿 ♦︎ @petacofuji さんの #ジパン 日和🌞 ・ #刺繍半襟 は わたしの #万華鏡紋様 を 刺繍いただいた コラボレーション🙌 ・ 袖口から覗く ブルーの更紗紋様と ビーズが可愛くてですね😆 ・ ♦︎ #髪飾り ♦︎ @harukaakahane の 表情豊かなビーズの髪飾り❤️ ・ ♦︎ #下駄 ♦︎ #辻屋本店 さまと #紅型ナワチョウ鼻緒 コラボレーションの下駄 @tsujiyahonten ・ ・ #地紋紋様愛してるコーデ と題しちゃった #きものコーディネート 細かな地紋や紋様の重なりが 呼応し合う しあわせコーデ❤️ この着尺の艶は 動画でないと〜と この日のニヤニヤpostを 動画におさめました👀 ・ ・ #紅型 #縄トモコ #きものコーディネート #キモノ #着物 #kimono https://www.instagram.com/p/Coo4_MyrWDs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#紅型ナワチョウきものコーディネート#着物#coten#艶着尺#初夏🌞の体感には#紅型ナワチョウ帯#月桃紋様#博多織#帯揚げ#マトリョーシカ#地紋#帯締め#ゑり正#shark#丸ぐけ#長襦袢#半衿#ジパン#刺繍半襟#万華鏡紋様#髪飾り#下駄#辻屋本店#紅型ナワチョウ鼻緒#地紋紋様愛してるコーデ#きものコーディネート#紅型#縄トモコ#キモノ#kimono
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に���っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者��付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたま��ける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと���待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵��的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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白絹(きぬ)の長襦袢上(じょう)で血(ち)を流(なが?)した。私の友達の前(まい?)で。とカーペットと下着(したぎ)。…漢字練習(れんしゅ)!
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今やりたいこと多すぎて、まだまだいつ取り掛かれるかわからんけども、文学に出てくる洋服を想像して再現してみたシリーズも撮りたくて、赤毛のアンシリーズやら太宰治の女生徒やらを考えているところなんだけども、太宰治の女生徒に出てくる、女生徒手作りの薔薇の刺繍付きの下着こういうのにしようかなあとか考えてる。上下つながったスリップにしてもいいんだけども、多分ペチコートと別々に作る方が実際着る時も便利そうということで。太宰治の女生徒の年代に着ていたであろう下着とかリサーチ中なんだけども、全然わからんのよな。まだまだ着物着てる人も多かったから、襦袢とかなのかなあ。時代が1938年ごろと大東亜戦争直前だから資料があまり残ってないとか?でも、女生徒がどことなく西洋に憧れを持っているところとか感じるし、太宰治自身もわりと洋装をしていたわけだから、西洋風の物を作っていたのかな?と予想。でも当時は時代が時代だけに西洋の流行も日本に入ってくるのが遅くてかなりのタイムラグがあったと考えると、エドワード朝時代あたりの下着をモデルにするのが妥当かな?と考えてて。上の画像を混ぜたようなデザインのキャミソールを仕立てて、下にペチコートを着るみたいな感じにしようかなあ。
まあこうして考えてる時間がすげえ楽しい。ようつべ参入つい最近でめちゃくちゃ遅かったわけだから、すでに競合多数だけども、おそらく誰とも被らないネタでたくさん動画出せると思う。アイデアだけはものすごい湧いてくるから。よくオードリーヘップバーンの衣装を真似た服を作る動画とかあるけどもさ、私はもっとマイナーな作品から引用してみようかと思ってるんだよね。だって、オードリーの衣装なんて、実際あの顔とスタイルとカリスマ性があるから素敵だけども、大体の人はコスプレ感すごくて今更やな…って感じだもん。モデルとか芸能でそれだから、一般人どうなんねん…いつも何か映画やドラマ見てたら、気づいたらファッションばかり見てて、話の内容そっちのけであの服はどうなっているのか、ヘアメはどうとか、後ろ向いて欲しいとか色々な角度で見たいとか考えてたりするんだわ。そういうのってN型の思考の典型らしいわ。なんせN100%やもんな。
自分って子供の頃から変わってるってずっと言われ続けてて、発想が独特とかだったりするから、人と合わせようと、いつも苦労してきた気がする。でも、逆に人に合わせなくていい、むしろ独自のアイデアがいくらでも出てくる方がいい、というなら、それは得意分野だから。好きなように妄想して、それを形にしてっていうのでお金もらえたらすげえ幸せだと思うけどなー
まあもうすぐ収益化できそうだからそこはうれしい。でも、最初はスパチャくらいしかできへんみたいだけども、1000人登録者&4000時間再生も時間の問題って感じ。4000時間再生結構すぐ行けそうなんだよな。まあ基本的に長尺動画ばかりだからな。10分くらいの動画にまとめられればいいんだが、どれだけ早送りしてまとめても30分近くになる…
明日は今日買ってきたシーチングの水通しして、着物リメイクのブラウスの撮影しよ。こうして一日中洋裁するのクッソ楽しいよ。今日は裁断したから明日はついに縫製だ。
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9/16(月) 8時測定
長い1日。買い物の1日。本番間近は本当に物入り
蒔き物、足袋、ステテコ、肌襦袢、楽屋履き、着付け代、お花代、そして念願の三善!!
加えてスマホカバーの新調と、香りに絆されて白桃烏龍茶、何より1日を締め括る一番搾り!!
周辺は準備万端だ!!!!
唄だけ整ってない!!!!!
何で最後の稽古で、大量の宿題を出してくるんだ!!!!!!ギリギリまで追い詰めなくてもいいじゃん…余裕を持って挑みたいのに…とりあえず今日は寝よう
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#bwphotography#bw portrait#japan#kimonofashion#kimono#portrait#ポートレート#和洋折衷#ドラッグスター#札幌着物#着物#長襦袢#男羽織#モノクロ
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またつまらぬものを買ってしまった…
サムライのおしゃれ
印籠・刀装具・風俗画
静嘉堂@丸の内
国宝の曜変天目も展示されていました。宇宙のようにも見えるし、細胞のようにも見える。飽きない不思議な輝きです。
ミュージアムショップでは曜変天目茶碗が売っていました!いかがですか?(1枚目の写真)
手前に同形・同寸の漆器が置いてあり、その奥には当時話題になった、ほぼ実寸の曜変天目ぬいぐるみが置いてあります。(2枚目の写真)
そして3枚目…ぬいぐるみ、買ってしまった( ̄▽ ̄;)1日10個の限定販売です。発売当時は結構話題になって売り切れてたのよねぇ。なぜ茶碗にしない!陶器にすればお皿として使えるのに!
国宝展の埴輪のぬいぐるみも買わず、毒展でキノコのぬいぐるみも買わず、ポンペイ展でも柱の抱き枕を買わなかったのに〜。
そして、にわか雨の予報もありましたが、サムライのおしゃれ展なので、着物で行きました。雨に降られず良かったです。
私が着物を着始めたことを知った親戚が着物と帯を段ボールで送ってくれた中に入っていたものです。寄せ柄の江戸小紋だから、ちょうどいいでしょ。しつけが付いていました。
襦袢は麻のを着たから袖とかモコモコしてる(^_^;)しかも着てみたら襦袢の方が袖が長かったので、袖を折って半衿用両面テープでとめました(^_^;)まぁよしd(^_^o)
帯はスポーツクラブ仲間からもらった銀の刺繍みたいなの。銀座結びに初挑戦です!YouTubeを見ながら出来たけど、帯締めが下の方になっちゃうな〜。改良の余地あり。
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昨日の #紅型ナワチョウきものコーディネート ・ 1月なのに! 最高気温24℃で 🌞が眩しい日でした (初夏のような…👀🌞💦) ・ ・ ♦︎ #着物 ♦︎ #新之助上布 #綿麻着物 太陽のような明るい色を 纏いたく✨ @shinnosukejouhu ・ ♦︎ #紅型ナワチョウ半巾帯 ♦ #鳥更紗紋様 の半幅帯を お太鼓風に✨ #半幅帯アレンジ #シロップ先生 の @syrupkimono "半幅帯お太鼓風にします"より♪ いつも名古屋帯なので 半巾帯の時もピシッと! 決まるこの形が好みです❤️ ・ ♦︎ #帯揚げ #こまもの玖 さま #総絞り の 爽やかな緑の帯揚げ ・ ♦︎ #帯締め ♦︎ 私物です♪ 帯揚げの色目と合わせました (緑色ラバーです🥰) ・ ♦︎ #帯留 ♦︎ @harukaakahane さまの 帯留ブローチを初おろし♪ タイトル:サガラモッコウ カタチ=木瓜(もっこう) サガラ=中国の 相良刺繍をモチーフにされた とのこと…形も柄も 愛おしすぎます😭✨ ・ ♦︎ #長襦袢 & #半衿 ♦︎ @petacofuji さんの #ジパン こそ相応しい! 気候だったので✨ ・ #刺繍半襟 は わたしの #万華鏡紋様 を 刺繍いただいた コラボレーション🙌 ・ 袖口から覗く ブルーの更紗紋様と ビーズが可愛くって✨ 見せたくなっちゃう感🥰 ・ ♦︎ #簪 ♦︎ ともこねぇさまの 飴玉みたく美味しそうな 緑の簪👀 (帯留・帯揚げと色合わせ♪) ・ ♦︎ #下駄 ♦︎ #辻屋本店 さまと #紅型ナワチョウ鼻緒 コラボレーションの下駄 @tsujiyahonten ・ ♦︎ #足袋 ♦︎ 小物で色合わせをしたく 新之助上布さんの 淡いグリーンをチョイス♪ ・ 若いお嬢さんと お着物デートの後 割烹着を羽織って染め仕事✨ 割烹着って便利ですね👀 ・ ・ #紅型 #縄トモコ #きものコーディネート #キモノ #着物 #kimono #きもの #きものすきな人と繋がりたい https://www.instagram.com/p/CnbvjjPL51L/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#紅型ナワチョウきものコーディネート#着物#新之助上布#綿麻着物#紅型ナワチョウ半巾帯#鳥更紗紋様#半幅帯アレンジ#シロップ先生#帯揚げ#こまもの玖#総絞り#帯締め#帯留#長襦袢#半衿#ジパン#刺繍半襟#万華鏡紋様#簪#下駄#辻屋本店#紅型ナワチョウ鼻緒#足袋#紅型#縄トモコ#きものコーディネート#キモノ#kimono#きもの#きものすきな人と繋がりたい
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衣替え季節に保管サービス・宅配クリーニングをおすすめ5選!
衣替え季節には、衣服の取り出しや保管、クリーニングなどで時間や手間がかかることがあります。そこで、保管・宅配クリーニングサービスを利用することをおすすめします。保管・宅配クリーニングサービスでは、自宅にいながら衣類のクリーニングと保管ができるため、時間や手間を大幅に節約できます。また、クリーニングに出すことで、衣類がクリーンになり、新品のような風合いを取り戻すことができます。
保管・宅配クリーニングサービスを提供している会社が沢山あります。JapanPromos(日本プロモ)は、おすすめの5社の保管・宅配クリーニングをオススメいたします。
リナビス
60周年クリーニングの老舗リナビスでは洋服や布団、革製品、インテリア・雑貨品などクリーニング・保管��ることがサービス、さらに無料オプションを提供しています。
お洋服のクリーニング
シミ抜き、消臭、防虫などの特殊加工を施した上で、最新の設備を用いた洗浄技術で、衣服をクリーニングします。また、シワを伸ばすプレス技術や、フォルムを整える仕上げ技術にもこだわっています。リナビスでの洋服の対象は、
保管付きコースで3・5・10・15・20点またはビジネススーツ、ロイヤルスイートとなっています。
着物コースには、帯・襦袢など付属品も対応しています。
毛皮コースには、ストール、セーター、カーディガン、ライナー、エリマキ、カフス、マフラー、ショール、ボレロなどオプションがあります。
お洋服の修理・リフォーム
ボタンやファスナーの交換、肩紐の調整、裾上げなど、簡単な修理から、リメイクやアレンジなどのオーダーメイドにも対応しています。
布団のクリーニング
羽毛布団、合成布団、マットレスなど、あらゆる種類の寝具のクリーニングを承っています。衛生的で清潔な状態に洗い上げるだけでなく、フカフカとしたふかふか感も再現します。また、お客様のニーズに答えてふとんのリフォームやリサイズのサービスも対応中。
通常は、ふとんコースまたは毛布コースご利用で最短21営業日後にお届けされるが、お急ぎの場合は「お急ぎコース」にご注文可能で最短8~20営業日以内になります。お急ぎコースのために、「最長12ヶ月無料の保管サービス」の対象外となります。
レザー・ブランド品のクリーニング
レザーやスエードのお洋服、靴、バッグ、財布、手袋など、あらゆる種類のレザーアイテムのクリーニングを承っています。専用の洗剤と技術で、汚れやシミを落としながら、革本来の質感を守ります。
インテリア・雑貨・ベビー用品のクリーニング
カーテンやブラインド、じゅうたん、ベビーカーなど、さまざまなインテリア・雑貨・ベビー用品のクリーニングを承っています。専用の洗剤と設備で、汚れや臭いを取り除き、清潔な状態に仕上げます。
ペット用品のクリーニング
犬や猫などのペット用品全般を対象にしたサービスがあります。例えば、ペットベッドやケージ、トイレトレイ、おもちゃ、カバンなどをクリーニングすることができます。これらのアイテムは、毎日の使用や長時間の保管によって、たくさんの毛や汚れ、臭いが付着することがあります。専門のクリーニングでしっかりと除去することで、清潔な状態を保つことができます。
保管のみサービス
リナビスの保管サービスには、衣類保管コースと靴保管コースが、最長1年間まで保管することができます。これらの保管コースは、お客様が大切にされている衣類、靴などをリナビスが専用の保管庫に保管し、お客様の都合に合わせて配送��取り出しができるサービスです。
衣類保管コースには、衣類のシーズンオフ時の保管、スーツやドレスの保管、など。(和装品の保管、ウェディングドレスが除外品であり、別途料金で保管される)
靴保管コースには、靴のシーズンオフ時の保管、スニーカーやブーツの保管、レザーシューズの保管などがあります。
せんたく便
せんたく便は徹底的にネットでの宅配クリーニングの老舗です。各パックのサービスに応じて、最速や保管付き、布団などを対応しており、オプションでしみ抜きや毛玉取りや再仕上げなども無料になります。往復送料無料であり、2回目以降はリピート割引が適用されます。
最速パック
せんたく便最速パックには、通常のパックはお洋服以外にリュックも対応可能になり、セレモニースーツやブランド品の場合は最速DXパックをおすすめします。最速パックはいつもどおりのダンボール型、最速DXパックは立体ハンガーボックスでお届けされています。
保管パック
せんたく便保管パックは1回注文につき最大30点(集荷キットの容量)を利用できます。夏物が最大9ヶ月、冬物が最大11ヶ月になります。クリーニングサービスを利用したお客様におすすめ。
ふとん専用パックには2枚セットの料金ですが、クイーン・キングサイズの場合は1点で2枚分となります。無料サービス以外に、防虫・防カビ加工のオプションで別途料金が発生します。
コスプレパック
コスプレイヤーにおすすめのコースです。衣装本体1点(上下を含む)、最大5点付属品を追加でき、お届け場所を指定可能、さらに最長60日間まで保管サービスを対応します。
くつパック
靴やブーツやビジネスシューズをクリーニングする他に、せんたく便では最大9ヶ月に保管するサービスを提供し、1足当たり税込385円/月となります。基本のパックに突き2足であり、1足追加ごとに税込6,160円かかります。
ゆかたパック
選択大変な浴衣は選択便の匠の技術ですっきりクリーニングします。浴衣パックには4点品まで上限となり、5点名以降は1点あたり税込1,100円となります。ご希望の場合は、クリーニングしたあと、最長90日間で保管できます。
ぬいぐるみパック
1回注文に最大10点をご利用可能です。ヤマト専用の集荷ボックスの120サイズ(31cmx45cmx27.5cm)またはお手持ちの140サイズ以内ダンボールが1パックであり、大きなぬいぐるみ1点でも1パック料金になる場合があります。11点品から1点追加につき税込2,200円かかります。
ポニークリーニング
1949年創業してから首都圏・中京地区に780店舗を展開したポニークリーニングは今なら宅配クリーニング、そして保管サービスをお手軽にご利用できます。10パータンの洗いと5パータンの乾燥のクリーニング、そして汗抜き・黄ばみ防止、しみ抜き、抗菌加工など、さらに最大9ヶ月保管のサービスで衣類を大切に保護します。
プラチナコース
洗濯し辛いものやブランド品など衣類ならプラチナコースにおすすめします。あなたの衣類は熟練の職人によって丁寧に対応します。また、プラチナコースの特典であり、撥水加工や黒ずみすっきり加工など点数分がつけ放題、しみ抜き無料、汗抜き・黄ばみ加工、通気性カバー、特殊の防虫剤、シルエットハンガーなどサービス。
シャンゼリゼコース
通常の衣類は大切にクリーニングし、保管サービスをご希望の場合はシャンゼリゼコースにおすすめ。プラチナコースの特別サービス以外に、他のオプションが等しくなります。
ライトコース
ポニークリーニング保管・宅配クリーニングの標準サービスだけで利用したいならライトコースがおすすめです。プラチナコースとシャンゼリゼコースより、いつでも安い。ただし、メンテナンスは有料となります。
布団の保管・宅配クリーニングの場合
ポニークリーニングでは、お布団に優しい洗剤で、6パータンで丸ごと洗浄。アレルギー対策や赤ちゃんの肌にも安心な抗菌・防ダニ加工など、さらに最大9ヶ月保管のサービスをご用意しています。専用集荷キットの容量によって、インターネットでご注文で2枚パックと3枚パックがあり、毛布やベビー布団や敷パッドの場合は2枚���とにパックの1枚とされています。
リネットプレミアムクローク
宅配にいたままクリーニング「リネット」のプレミアム会員様は標準サービスに加えて【リネットプレミアムクローク】という保管サービスを提供しています。夏物や冬物のシーズンオフの衣類が洗濯して保管したいならオススメ。
リネットプレミアムクロークには普通の洋服に向けて「プレミアムクローク」と特別な洋服に向けて「プレミアムクロークluxe」の2つコースがあります。1着から取り出せ、24時間空調管理の環境に最大8ヶ月保管し、いつでもスマホでお手軽に衣類の状況を写真でご確認できます。
衣類以外に、布団や靴のクリーニングを利用したいならふとんリネット、くつリネットにて対応しています。ただし、これらの対象が保管サービスに提供しませんので、クリーニング完結後にお客様のもとへお届けされます。
フランス屋
50周年を誇るクリーニング業界に活躍した老舗の1つである「フランス屋」は宅配クリーニング及び保管サービスが最安級に挑戦しています。衣類のみ保管サービスを対応しますが、防虫・防カビ加工やUVカット・撥水加工やデラックス加工などの豊富なサービスでオプションから選べ、最大11ヶ月お預かりできるサービスです。
衣類以外に、フランス屋では布団の商品が宅配クリーニングをご利用可能。1回ご注文あたり2点パックとしてクリーニング料金が税抜11,000円で往復送料や防ダニ加工、抗菌洗浄、お電話相��など4つ無料サービスを提供しています。
保管サービス・宅配クリーニングまとめ
保管サービス・宅配クリーニングは、衣替えの季節や衣服や布団の大量クリーニングなど、忙しい人や手間のかかる作業をしたくない人にとって便利なサービスです。
保管サービスはほとんど衣類のみ提供していますが、ふとんや靴などの宅配クリーニングサービスもご紹介したいと思います。今まで保管サービスまたは宅配クリーニングを使用していない方にも、実際店舗や各社の料金をご参考になるでしょう。
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紬のお着物とチュール付きヘッドドレス🎩
和服だけど和洋折衷コーデ👘👜🏵️
長襦袢無しのレースブラウスでカジュアルダウンした邪道コーデ?👘
和服にショートブーツを合わせるだなんて和の心に寄り添えていないと自分でも思ってたのにね👢👢
勿論格式の高い場所へはこんなスタイルでは行けませんが🚶♀️🐾
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三篇 下 その四
「湯潅場はどこだ。弥次さん、先にはいりなせえ」 (湯潅場…葬式の時に寺で死体を洗う所、前の宿引きとのやり取りに続けた悪洒落) と、北八が言うと、 「いまいましい事をいう男だ。手めえ先へ入れ」 弥次郎兵衛が答えて言う。 「こっち〜、おいでなさりまし」 と、女中がすぐに湯殿へ案内する。 この間に荷物も座敷へ運ばせ、弥次郎も奥へ通ると、 銭の両替屋が 「ハイ両替はようおざりますか」 (金貨は武士、銀貨は商人、銭は庶民のそれぞれの主力貨幣だが、この三貨幣の間の相場が複雑に動き、また、藩ごとに異なる藩札が通用するので、両替屋は江戸時代には盛んだった商売) 按摩が 「お療治をなさいませぬか」 と、ひっきりなしに、行き交う。
弥次郎兵衛は、これ幸いと、 「おっと、こりゃいい。もんで下さい。おっ!?お前さん、目が見えるのか?」 と、按摩を呼んで様子を見る。 「はい、おかげさまで幸せなことに片方はよく見えます。 十年ばかし前に風眼とやらを患いおりまして、両眼ともに痛めておりましたが、それからこっちいろいろ療治して、ようやっとこのあいだ左の方がよくなりました」 弥次郎兵衛は、感心しながら、 「久しぶりで目が見えるようになったら、みんな初めて見るような感じだろう」 「ハイ、さようでおざります」 弥次郎兵衛は続けて、 「見えない方もずいぶん療治なせい。 直りさえすりゃ、見えるもんだ。時に北八、湯はどうだ」 と、風呂から上がってきた北八に問いかける。 「ああ、いい湯だ。あんまり熱くて、体が半分紅白の水引のようになった」 それを待っていたかのように女中が、 「ハイ、お膳をあげましょう」 と、ここで膳も出て、いろいろあったが略す。
やがて食事もすみ、弥次郎も湯にはいってしまう。 弥次郎兵衛が、 「さあ、按摩さん、やらかしてくんな。 そういえば、湯殿からちらりと見えたが、ここの家のお神さまかどうか知らないが、病人と見えて取り乱している様子がなかなか美しい代物だった」 按摩は、まんざらでもない風で、 「そりゃ、気が触れお方でおざるはのし」 北八もきいてくる。 「美人なら、そんなことにかまうことはねえ」 「いやいや、今に念仏が始まりますわ。黙って聞いていたらいいですわ」 と、按摩がいうと、この家のお勝手の方で、チャンチャンと鉦の音がして、百万遍の念仏が始まった。 (百万遍…浄土宗などで行う念仏の行事。一同丸くなって座って、鉦を叩きながら南無阿弥陀仏を唱えて大きな数珠を回す)
その音に、按摩が 「それ、見たことか。あの気がふれたお方は、もとはここの下女でおざったが、御亭主が手を付けられたのを、お神さまがひどい焼き餅焼きで、あの女をぶったり叩いたりして、とうとう追い出しおりました。 御亭主は不憫がって、それからお妾にして脇に囲っておりましたが、なおまたお神さまがやかましくいって、とうとう、そのお神さまが焼き餅で気がふれて、首をくくって死によりました。 そうすると御亭主はまた、それをよいことにあの女を家へ入れると、その晩からお神さまの幽霊がとりついて、あの女がまたお神さまのように、気がふれたもんだで、それであんなに毎晩百万遍のお念仏を繰りおります」 と、按摩は弥次郎をもみながらひそひそと話す。
弥次郎も北八も口は達者だが、根は臆病者。 北八が、 「なんだ幽霊がとりついたとは、ここの家へその幽霊が出るかの」 按摩も、 「出るようで」 というと、弥次郎兵衛は、恐いのか、 「嘘をつくぜ」 と、震え声。 「いえいえ、嘘じゃおざらぬ。 毎晩この屋根の上に、白いものが立っているのを見たものがおざります」 と、按摩は答える。 北八、辺りを見回しながら、 「ヤァコリャとんだ所に泊り合わせた」 按摩は、さらに続ける。 「それに、そのお神さまが首をくくった時の顔色と言うものは、目をかっと見開いて、青ばなをたらし、歯を食いしばって、それはそれは、生きているような顔であったそうで」 北八は、恐る恐るきく。 「そ、それはどこで?」 按摩は、ニヤニヤしながら、 「それ、お前さまのうしろの縁先で」 北八は、溜まらずふりむくと、 「ヤァコリャたまらぬ。どうか首筋がぞくぞくするようだ」 と、震え上がっている。
弥次郎兵衛は、外の音に気がついて、 「あいにく、しょぼしょぽ雨が降りだしたわ。なさけない」 按摩が続ける。 「今夜などは、きっと出そうなこんだ」 北八、すっかり縮み上がって、 「イヤこれ按摩どの、もう帰って下さい」 と、体をだいている。弥次郎兵衛も、 「あの百万遍のたたき鉦の音で、いっそう気が滅入るようだ」 「なんにしてもいまいましい宿をとった」 と、北八がこたえると、按摩が、 「おやおや、臆病な衆だ。ハハハハハ」 と、笑っている。
弥次郎兵衛は、どうやら、按摩が終わったようなので、 「もむのはもうおしまいか、北八はどうだ」 と、きくと、 「おら、もう寝よう」 と、辺りを見回している。按摩は、 「さようなら。ごきげんよく」 と、按摩はいとまごいして立って行く。 この間に宿の女が夜着を持ち出し、床をとって行く。 二人ともいつになく、洒落も無駄口も出ればこその滅入った気分。 ただ、まんじりともせず、二人は、あちこち寝返りを打っていた。
弥次郎兵衛は、この部屋で鳴るかすかな音にもびくびくして、 「ええい、いまいましい。いっそのこと、北八、今から立とうじゃねえか」 「なに!?とんだことを言う。今の話で怖くて、どうやったら夜道が歩かれるもんか」 北八は、目を向いて答えると、布団に潜り込む。弥次郎兵衛は、 「それにここの家は、なんだかだだっぴろいばかりで人が少ないから、うすきみの悪い家だ」 と、目ばかりぱちぱちしていると、鼠が天井を駆ける音が、からからから。
鼠が「チゥチゥチゥ」 と、いっているのを、 「ええい、鼠までが馬鹿にしやがって、小便もらすことろだった」 弥次郎兵衛は、 「その鼠がうらやましい。 俺は、さっきから、小便をしたくてもこらえているに。 おお、なんだか柔らかなものが、足にさわった」 北八、飛び上がらんばかりに、 「なんだ、なんだ」 と、透かしてみると、 「ニャァン」 と、猫のなく声がする。弥次郎兵衛は、この声に、 「この畜生め、シッシッ」 と、追い出す。
百万遍の鉦が 「チャァン」 軒の雨垂れから、 「ぼたり、ぽたり」 折りも折りと言うのに、遠くで、鉦や太鼓で迷子をたずねる淋しい声、 「まよい子の長太や〜い、チャチャ、チャン」
二人とも生きた心地もなくて、夜着の内にもぐりこむ。 北八は夜着の袖からそっとのぞいて、 「どうだ、弥次さん、まだ生きているか」 弥次郎兵衛も、すっかり縮み上がって、 「なんまいだ、なんまいだ、ああ、時に、困ったことがある。 もう小便が漏るようだ」 「お互い難儀な目にあった」 弥次郎兵衛は、布団から目だけ出すと、 「なんと思い切って一緒に小便に行こうか」 と、北八に問い掛ける。 「雨戸を開けてやらかすか」 と、北八がいうので、二人は一緒にこわごわと起きて、そろそろと障子を開け、 「さあ、弥次さん」 と、北八は、弥次郎兵衛にうながす。 「いや、手めえが先に」 弥次郎兵衛が、北八を押し返す。 「なにが、幽霊なんぞ出るもんか」 と、北八は、強がりをいいながら、雨戸をさっと開けたところが、なにか庭のすみに白いものが、空中にふわふわ。 北八、キャッといってぶっ倒れる。 弥次郎兵衛は、びっくりして、 「おお、どうした、どうした」 と北八をおこすと、 「どうしたどころか、あれを見ねえ」 と、なにやら指差している。 弥次郎兵衛は、北八の指差す方をみながら、 「なんだ?」 と、問いかければ、 「白いものが立っているじゃねえか。そして腰から下が見えぬ」 と、北八が震え声で答える。
弥次郎兵衛は、震えながらも怖いもの見たさに、雨戸の外をそっとのぞき、これもキャッといって座敷へはいり込んで倒れる。 「おい、弥次さんどうした。おいおい、弥次さんやい」 と、北八は、弥次郎兵衛を追いかけて座敷に入る。 と、この騒ぎにお勝手から亭主が駆け出して来て、さまざまに介抱してようよう弥次郎が正気に戻ったので、 「やれ、どうなさいました」 と、亭主が問う。 「それが、小便に行ったところが、あそこになにか白いものがいたと。 それでこの通り、臆病な人さ」 と、北八が、指差す。亭主は縁先へ出てこれを見て、 「ありゃ、これは襦袢でおざります。 コリャコリャ、おさんやい、おさんやい、日が暮れたに、干し物をなぜ取り込まぬ。 そしてさっきから雨がぽろついて来たに、らちもない女どもだ。 しかしコリャ、お気の毒さまでおざります」 弥次郎兵衛は、ばつが悪そうに、 「な〜に、わっちらあ、怖いということは知らねえものだが、なぜ���今夜は、虫の居どころが悪かった」 亭主は、笑いをこらえながら、 「はいはい、お休みなさいまし」 と、勝手へ戻って行く。
弥次郎兵衛は、 「ええい、いまいましい。大いに胆を冷やした」 と、ようように心が落ち着き、縁先へ出て見れば、なるほど女中が襦袢を取り込んでいる。 二人とも小便をすませて座敷へ帰り、布団に潜り込むと、
幽霊と 思いの他に 洗濯の 襦袢ののりが こわく覚えた (百万遍の法の力で幽霊がこわがるはずが、反対に襦袢の糊がこわい、つまり固いので、干しがピンとして幽霊に見えてこわかったと言う。法、糊、こわいの語呂合わせが趣向である)
はじめて笑いが戻って、心も落ち着いてとろとろと一睡の夢を結んだ。 ほどなく、あちらこちから鶏の鳴く勇ましい声が聞こえてきた。 早出の馬の鈴の音、 「シャンシャン。」 馬方の唄もきこえてくる。 「晩にござらばな〜、裏からごされよお〜、 おもてくろろ戸で〜、音がするよおえ〜 」
つづく。
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