#重曹さん
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重曹をうがって見る
ライフなハックで掃除情報を集めると
こぞって重曹を褒め称える人ばかり。
重曹ってすごいんだな! と
素直に感嘆した後
重曹にも弱点やデメリットがなくちゃおかしいのでは…
と、うがった見方をしてしまう。
重曹のあまりの有能さに疑いが強まる。
良い話には裏がある…のでは?
重曹ミステリー。
#日記のようなもの#掃除#ライフハック#重曹#有能すぎる#ゆえに#怪しい#ミステリー#好き#推理好き#うがった見方#しがち#でも本当は#いつも#お世話になっております#ありがとう#重曹さん#じゅーそー#ジューソー#じゅうそう#サンキュー#手のひら返さないでね
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大雄山最乗寺を散策してみた
そろそろ旅にでたい気分。程よい距離感で楽しめそうな場所を探し、大雄山最乗寺を散策してみた。
過ごしやすい気候になり、そろそろまた旅にでたいな、と思い地図を眺めること数分。小田原から伸びる大雄山線に目を付け、これに乗るとどこに行くのだろうと調べたところ、大雄山最乗寺という古刹がhit。面白そう、かつ気軽な日帰り旅には程よい距離感。ということで今回は大雄山最乗寺を散策してみた。
大雄山最乗寺は曹洞宗の寺院で、長い歴史を持つ関東の霊場として知られているとのこと。大雄山駅からバスに揺られること10分ほどで門前へ。心地よい風の吹き抜ける参道をしばし進む伽藍エリアへ。最初に本堂にご挨拶。天吊りの装飾が壮大な大きなお堂でした。ちなみに本堂へは靴を脱いであがることができます。ここは個人的に重要かつうれしいポイント。
本堂の脇を進み、結界門の先 聖域へ。身が引き締まる、気がする。。。大雄山は天狗のお寺としても知られ、結界門の左右にも天狗の像が。きっとこの先にいるのだろう。いざ天狗探しへ、ワクワク。
結果、天狗は見つかりませんでした。。。天狗が脱いだと思われる下駄はたくさんあったのですが、残念ながら姿は拝めず。道中 奥の院続く道は350段の階段。この前 身延山久遠寺の菩提梯で力尽きたトラウマが。。。同じ過ちを犯さぬよう水分補給・飴をなめて糖分補給した上で歩を進めます。比較的涼しい気候と優しい段差ということもあり、息切れこそしたものの今回は倒れることなく登り切りました、大汗かきましたが。。。
仕方がないので、そのまま下山。次のバスまで少し時間があったので、バス停横のお土産店 兼 そば屋で天狗そばセットをいただきました。椎茸煮と天かす、かまぼこののった冷たい蕎麦といなり寿司、みそおでんのセット。太めの蕎麦で食べ応えがありました。甘めのみそのかかったこんにゃくと付け合わせのお漬物もおいしかったです(いなり寿司は。。。。個人的に。。。)。お腹も満たされ満足、バスで大雄山駅、そこから小田原を経て帰路につきました。
都内から程よい距離で散策が楽しめる寺院としては私の中で得点高めのスポットだと思いました。日常を忘れてリフレッシ��したいときにおすすめ。
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懲戒解雇にした上で自衛隊はもちろん公務員等には絶対に再就職出来ない様にしてほしい。連絡先や住所とかやばいやつに個人情報がわたった事によって家族が人質に取られたり恐喝にあったり、泥棒に入られたり、なりすまされたりする等、酷い目にあう可能性が高く、それこそ海外にでも情報が売られたら国際的な問題に発展しかねん。 個人情報の売買自体が犯罪な上、海外に派遣されたり等国際的な機関の人なのだから罪をより重くして欲しい。 後、借金している人はもちろん自衛隊に採用させず、借金を後からでもした人は強制的に除隊(退職)させる様にしてほしい。少しでもそのような素振りを見せたら尋問なり徹底してほしい(第2の被害者を出さない為にも)。
借金返済猶予のため所属部隊の個人情報を漏洩 1等海曹を停職8日 海上自衛隊呉地方総監部(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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突然更新、
「やぎさん」編です……。
前中後編の結構ながいお話です。相変わらず普通にエロ漫画なんで要要要注意。
現代の価値観ではまったくよろしくない表現が何箇所かあるけども、有難いことに編集部が「ここで自主規制なんかしたらこの漫画を発表する意味が無い」と力強く言って下さった 明るい志津摩が必死に隠していた複雑で暗い感情の渦、少しでも勘違いされずに伝わったらよいなと思います。
ここまで描けたの奇跡的、描き始めた時は本当自分が人でなしに思えすぎて怒られるのが怖すぎて精神的にキツかった、今もやっぱりキツい
みんなが読んでくれたおかげ、熱すぎるコメントたくさんくれたおかげ…ありがとうございます。もうちょっと頑張るね。
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まだやってんのかよ 定年延長自体は、個人の能力と情勢次第でありうる話 それをわざわざ「安倍さんが恣意的に法的解釈を捻じ曲げてお気に入りの検事総長の定年を伸ばして森友、加計学園に関する起訴を避けた」という、サヨク妄想にこじつけて、死後も執拗に安倍氏を攻撃し続けるこの病的な執着心は、サヨクの異常性、カルト性を象徴している 第一、森友も加計学園も何の問題もないことは何回も何回も各人の証言で語られ、検察も嫌疑なしで不起訴にしているにも関わらず、執拗に「疑惑は深まった」として無実の人間に罪を着せようとするこの粘着ぶり
世の中の一人の人間を抹殺しようとして、「〇〇は殺人を犯した疑いがある!!」と捏造を始めたとする 当然〇〇側は「そんな事実はない」と抗弁する しかし捏造側は最初から嘘を言っているので、抗弁を一切受け付けず「こういう疑いも否定できない」「こちらも疑わしい」と捏造を重ねる 論理の基礎中の基礎として、ある事象が存在することを証明するには、その存在を主張する側が立証するしかない 逆にその事象が存在しないことを立証しようとしても、いくらでも捏造でもいいから新たな疑惑を主張されれば、それに全て抗弁しなければならないが、そもそもそうすることで事象の不存在は証明できない 疑いの提起は無限に可能だからだ だから事象の不存在の証明は「悪魔の証明」と言われ、立証不可能なのだ
だから、犯罪事実の存在の立証責任は文明国では検察官が負う 弁護側は、検察の立証ができていないことを主張して裁判で戦い、その結果検察による犯罪事実の存在の立証が不完全だと裁判官が判断すると、無罪判決になる これは法の支配の原則中の原則だ これを無視すると、中国やロシアのように、誰にでも罪を着せて気に食わない者を抹殺できる暗黒国家になる
日���の闇は、この立証責任を理解しているはずの法曹資格をもっている国会議員が多数いるにも拘らず、森友、加計学園で犯罪事実の存在を主張するサヨク、野党側は「疑いがある!!」と繰り返すばかりで、いくら抗弁しても「ますます疑惑は深まった!!!」「こういう疑惑もある!!」を繰り返したことだ 事象の不存在を立証するのは不可能なのを知ったうえで、疑惑を捏造するためにマスゴミとともに悪魔の証明を安倍さん側に押し付け続けているのだ
立証責任を知らない阿呆と、阿呆のマスゴミを、法曹資格をもっている野党議員やサヨク弁護士を中心にして存在しない疑惑をあると捏造する煽りを執拗に続けているのが、このニュースだ サヨクの異常性をこれ以上明確に示す事例はない
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[映画] 呉充功(オ・チュンゴン)監督作品上映会 / チケット払い戻し手続きのご案内
呉充功監督作品上映会 たくさんのご来場ありがとうございました。
上映に不備がございましたこと、あらためてお詫び申し上げます。
当日、「後日YouTubeで完全版をアップする」とご案内しましたが、監督の意向によりアップロードはしないことになりました。
したがいまして、参加費1000円はすべての方に返金いたします。
チケットの購入方法によって返金の手続きが違いますので、以下ご案内します。
★PassMarket でクレカ/PayPay で決済された方
→そのまま口座に返金されますので、何もしなくて大丈夫です。
★PassMarket でコンビニ決済で購入された方
→大変お手数ですが、以下をご記入いただき、 [email protected]までメールでお送り下さい。 ・ご注文時のお名前 ・チケットIDまたは注文番号 ・振込先銀行口座 ※払い戻し期限=2025年9月1日
★その他の方法で購入された方
→大変お手数ですが、以下をご記入いただき、 [email protected]までメールでお送り下さい。 ・ご注文時のお名前 ・振込先銀行口座 ※払い戻し期限=2025年9月1日
以上、お手数をおかけして恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
関東大震災後��朝鮮人虐殺の史実に迫る呉充功(オ・チュンゴン)監督の代表作と、この秋完成予定の最新作ダイジェスト版を、一挙上映します!
日時:9月2日(月)18:00 開場 18:30 上映開始 場所:日比谷図書文化館地下1階コンベンションホール 参加費 1000円 チケット:https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/027f7isjyay31.html お問い合わせ C.R.A.C. [email protected]
[上映作品]
★隠された爪跡 制作:麦の会/出演:曹仁承、浅岡重蔵ほか/カラー58分/1983年
虐殺を目の前で目撃した人々の生の証言が、隠しようもない殺戮の事実をこれでもかと浮き彫りにする。現代日本人必見の名作!!
〈2024年新作プレビュー〉※タイトル変更となりました ★名前のない墓碑 〜関東大震災101年、ジェノサイドの歴史否定(ダイジェスト版)
虐殺から101年を経過してなお爪跡は隠されつづけ、遺族は名前のない墓を前にして遺骨の帰還を待ち続けている。歴史否認とデマとヘイトスピーチの嵐が吹き荒れるなかで、当事者たちは何を思うのか。この秋公開予定の新作を、一足先にプレビュー。
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ベタベタの換気扇フード。汚れをスルッと落とす方法に「楽になる」「手軽にできる」 - macaroni
以下引用
拭いてもなかなかきれいにならない換気扇フード。諦めて放置すれば、汚れがどんどん蓄積されて大変なことになってしまいますよね。 「手軽にベタベタを取るコツはないの?」という方のために、本記事では換気扇フードの上手な掃除方法をお届け。 家事代行マッチングサービス「タスカジ」のミホさんに教わった「キッチンの掃除テク」記事を再編集し、必要��道具や手順をご紹介します。
用意するもの
・重曹入りのウェットダスター ・セスキ炭酸ソーダのスプレータイプ ミホさんいわく「重曹単体でも十分に汚れは落ちますが、アルカリ性洗剤の相乗効果で、さらにしつこい汚れにアプローチできます」とのこと。 また「スプレータイプのセスキは、水ではなくアルカリ電解水にセスキの粉を溶かしているのがポイント。アルカリ性が強いので、油汚れをラクに落とせます」とも語っています。
手順
換気扇フードは油とホコリが混ざって、ベタベタになりやすい場所。しかし重曹入りのダスターとセスキを使えば、スルッと簡単に汚れが落ちるそうです。
終わったら、マイクロファイバーぞうきんで乾拭きをすると仕上がりが変わるとのこと。
掃除を手早く終わらせるには道具選びが大事!
ご紹介した通り、掃除道具を正しく選べば作業がグンと楽になります。 ミホさんは「おうちの汚れの9割はセスキで落ちるとも言われるくらい便利」とセスキを強く推奨。100円ショップでも購入できるので、「家にあるものでなんとか済ませたい」という人も、プロ直伝のテクを実践してみてはいかがでしょう。
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妻の母直伝
栗まんじゅう🌰
〜風の谷農苑にて〜
栗あん
栗の皮を剥き、水とクチナシの実で炊き、丁寧にアクを取り、1つ1つ取りだして水洗いをして、砂糖、黒糖、塩、水で炊き、あら熱を取り冷まします。栗を粗切りして市販の白あんと和えます。
生地
ボウルに砂糖、バターを入れて混ぜ、溶き卵を少しずつ加えながらて混ぜ、湯せんして全体を完全に溶かし、重曹を加えて混ぜ、ザルでふった薄力粉を加えてさっくり和え、ラップをして冷蔵庫で30分休ませます。
生地をのばし栗あんを包み、オーブンシートを敷いて並べ、卵液(卵黄と本みりんを混ぜた)をぬり、180℃のオーブンで20分焼きました〰😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#栗まんじゅう #栗の甘露煮 #風の谷農苑 #松井宏之 #大地の宴 #chestnut #chestnutbun #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているの��ある。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェ��ク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死���いとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防��法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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ベタベタする箇所に、デリケートな電子部品がない限り、これを改善するベストな方法は、温かい石鹸水で洗浄することです。石けんは移行した可塑剤をほぐし、べたつかない仕上がりに戻してくれます。 石けんと水でうまくいかない場合は、重曹を試してみてください。 重曹がトロトロのペーストになるくらい水を加え、ベタベタした表面に塗り、15分ほど放置してから拭き取ります。 それでもベタつく場合は、溶剤を手に入れます。必ず最初に、目立たない小さな部分でテストしてください。プラスチックや可塑剤によっては、溶剤を使うとプラスチックがさらに分解され、粘着性が増す可能性があります。プラスチックや可塑剤によっては、溶剤によってプラスチックがさらに分解され、ベタつきが増す可能性があります。そのため、車のハンドルがベタベタする場合は、溶剤を使わないことをお勧めします。
Ask iFixit: プラスチックのべたつきを直すには? | iFixit ニュース
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Xユーザーのhoriokaさん: 「推しの子実写化に対してこの気持ちでしかないんだけど、1億歩譲って有馬役には本当に重曹舐めて欲しいです。 https://t.co/K1uMBYIAQ4」 / X
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275 名無しさん@ピンキー sage 2024/05/05(日) 13:57:41.57 CRCd83JO0 >>.253 昔撮り鉄してたけど本当にこんなやつがいるんだよ 後から来たくせに「そこファインダーに入るからどいて」と言ってきたから無視してたら警察に通報してんの 警察呆れてたよ
265 名無しさん@ピンキー sage 2024/05/05(日) 12:53:46.91 m9CZyfaG0 >>.253 駅構内での撮影禁止にして、撮影発見したら罰則付ければええのにね、なんで禁止にしないんやろかか?
266 名無しさん@ピンキー sage 2024/05/05(日) 12:59:41.19 AO4Z+ZNg0 >>.265 客だから、撮り鉄は一般曹より金を落としてくれる重要な客 経営が理解できてないバカはそこら辺理解できないからお前の様な発言をしてしまう
273 名無しさん@ピンキー sage 2024/05/05(日) 13:32:58.44 1MjUcJAP0 >>.266 撮り鉄は地方は車移動が基本だからそれ程運賃収入の助けにならない 経営が理解できてないバカはそこら辺理解できないからお前の様な発言をしてしまう
280 名無しさん@ピンキー 2024/05/05(日) 14:24:15.66 ahvE0YJj0 本当に「撮り鉄の落としてる金が大きくて一般人の払う運賃なんて少ない」んなら 撮り鉄が撮り鉄だけのための鉄道会社作って路線引いて専用電車走らせればいいじゃん それなら誰にも文句言われず写真撮り放題だぞ
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『【推しの子】』TVアニメ公式さんはTwitterを使っています: 「🌟コラボ情報🌟 TVアニメ【#推しの子】 大きな粒だから汚れが落ちる! カネヨ石鹸の重曹「重曹ちゃん」と有馬かなのコラボ「重曹ちゃん本体【推しの子】モデル」が 7月上旬に発売決定!! 有馬かながデザインされたパッケージを大公開! 全国量販店およびECサイトで発売予定! ※本商品は食べられません https://t.co/gk4cGMNmIe」 / Twitter
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■女性として妻として母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされた 大阪地検トップの検事正だった男が部下の女性検察官に性的暴行を加えた罪に問われている裁判の初公判で、男は、起訴内容を認め謝罪した。 北川健太郎被告(65)は大阪地検の検事正だった2018年9月、酒に酔って抵抗できない状態だった部下の女性検察官に性的暴行を加えた罪に問われている。 初公判で、北川被告は起訴内容を認め「深刻な被害を与えたことを反省し、謝罪したい」と述べた。 検察側は、冒頭陳述で被告人は、「これでお前も俺の女だ」と言って性交し、被害者は抵抗すれば殺されるという恐怖を感じたと指摘した。 閉廷後、被害者の女性検察官は「大阪地検のトップの検事正から突如、性被害を受け、全てを壊されました。女性として妻として母としての私の尊厳、そして検事として尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされた」と事件の悲痛な胸の内を涙ながらに語った。 ■被害者の女性検事の記者会見詳報 大阪地検元検事正で弁護士の北川健太郎被告 以下、被害者の女性の記者会見での発言。(性被害の詳細な内容の一部については被害者に配慮し省略した。性暴力の描写があるため、フラッシュバックなどの恐れがある方はご注意ください。) 私は元大阪地検検事正による準強制性交等事件の被害者です。そして私は現職の検事です。 第一回公判を終えての感想ということですが、被害を受けてから約6年間、本当にずっと苦しんできましたので、なぜもっと早く、罪を認めてくれなかったのか、もっと早く罪を認めてくれていたら、もっと早く私が被害申告をできて、この経験を過去のものとしてとらえることができて、また新しい人生を踏み出すことができた。 彼は、逮捕された当初も否認をしていて、検察官の捜査してくださった証拠を見て、争う余地がないということで認めたのだと思いますので、認めたとしても、私の処罰感情が和らぐはずもありません。 ここまでの経緯を振り返ると、公判を傍聴してくださった方ならわかると思うんですけれども、検察組織や検察職員を人質にして、私に口止めをし、公にされたら死ぬと脅され、私は被害申告できませんでしたので、そういうことを当時の被害状況を含めて、その口止めされた時のことも含めて、6年間がずっと頭の中をグルグルグルグル回りながら、検察官の冒頭陳述や証拠調べを聞いていました。 被害から6年間、本当に苦しんできました。 ほぼ誰にも言えず、苦しんできた期間は長くありました。 大きな権力との戦いで、強い恐怖や孤独、事件が闇に葬られるかもしれないと不安も大きかったのですが、温かく見守ってくださった皆様方が私の選択を応援して支援してくださったおかげで今日の初公判を迎えることができました。本当にありがとうございます。 ■性犯罪の本質を正しく理解して頂き、性犯罪被害者の実態を正しく知って欲しい 会見を開いた理由は大きく2つあります。 一つ目は性犯罪や虐待被害など、声を上げられ���に苦しんでいる被害者の方々や、勇気を振り絞って声を上げてもずっと苦しみ続けている被害者の方々がたくさんいらっしゃいます。 私は、若いころ、電車内での強制わいせつ事件にあったことがありましたが、恐怖で逃げるのに精一杯で警察に届けることができませんでした。 また、ストーカー被害にあった際は、警察に被害を届け出ましたが、まともに捜査してもらえませんでした。 私は被害を受けても声を上げられない、声を上げても届かないということを身をもって体験してまいりました。 ですから私は被害を受けて苦しんでいる方々に寄り添い、力になりたいと思い、検事に任官しました。 これまで検事として、たくさんの被害者の方々と共に泣き、ともに戦い、寄り添ってきました。 そして今、私自身の経験をお話することで、今まさに苦しんでいる被害者の方々の力に寄り添うことができればと思い会見を開くことにしました。 また性被害は、知人間で行われることが多く、また客観証拠が乏しいことが多いため、加害者が『性暴力をしていない。同意があった』『同意があると、誤信していた』などと主張することが多く、司法に携わる物が懸命に捜査をしなければ、 あるいは、正しく事実認定をしなければ、法的評価をしなければ、勇気を振り絞って声を上げた被害者をさらに傷つけることになり、さらには性犯罪を許すことになり、傷つけられる被害者が絶えないという悲劇をもたらします。 ですから、性犯罪の本質を正しく理解して頂き、性犯罪被害者の実態を正しく知って頂くことで、性犯罪を撲滅したいという思いから、会見を開くことにしました。 ■少しでも孤独に苦しんでいる被害者の方々の力になれたら、自分自身も生きられる 被害女性の会見 2つ目は私自身のためです。 私は、法令を遵守し、傷ついた被害者に寄り添い、犯罪者を適正に処罰することを使命とする検察庁のしかも私が所属する大阪地検のトップの検事正から突如性被害を受け、すべてを壊されました。 女性として、妻として、母としての私の尊厳、そして検事としての尊厳を踏みにじられ、身も心もボロボロにされ、家族との平穏な生活も、大切な仕事も、全て壊されました。 それでもすぐに被害申告できなかったのは、被告人(北川元検事正)から「公にすれば死ぬ。検察が機能しなくなり、検察職員に迷惑がかかる」と脅され、口止めをされ、懸命に仕事をしているたくさんの職員に迷惑をかけられない、検察を守らなければならないと思ったからです。 私は自分が泣き寝入りさせられたことで、それまで以上に勇気を振り絞って被害申告してくれた被害者の方々に寄り添い、力になりたいと思い、自分の苦しみにふたをして、被害者の方々と共に戦ってきました。 少しでも孤独に苦しんでいる被害者の方々の力にな��たら、自分自身も生きられると思っていたからだと思います。 ■検事正であった人間がこれほどまでに罪深く不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない 一方、被告人は、重大な罪を起こしたことで、刑事処罰を受け、懲戒免職され、法曹資格も失うべきであったところ、その罪を隠して円満退職し、多額の給与や、退職金を得、弁護士になり、企業のコンプライアンスなどに関わり、 多数の検察職員に囲まれて、盛大な退官パーティーを開き、検察の現職の職員と夜な夜な酒を飲み歩き、部下との関わり方などを語り、検察に大きな影響力を持ち続けました。 被告人(北川元検事正)は、私を脅し口止めをした際、「公にならないなら喜んで死ぬ��とまで言っていましたが、実際の行動はまるで、自分の犯した罪などなかったかのようなひどく傷つけた被害者の存在など忘れてしまったかのような振る舞いで、 被害感情を逆なでし、必死に苦しみにふたをして検事の仕事に没頭して、そうやって何とか生きていこうとしていた私を踏みにじってきました。 検事正であった人間がこれほどまでに罪深く不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない。処罰されるべき人間が処罰されていない。 被害者を救い、犯罪者を適切に処罰し、国民の安全と安心を守り抜くことが、検察官の使命であり、私の使命であるのに、被害者である私自身は、誰からも救ってもらえず、 罪を犯した被告人(北川元検事正)を適切に処罰できていない、その怒りや悔しさでPTSDの症状が増悪し、私の心身は限界になり、休職せざるを得なくなりました。 自分の生きがいであった仕事まで奪われてしまいました。 ■私のアイデンティティーを守ることしかない、被告人を処罰することしかない 私自身を取り戻すためには、私のアイデンティティーを守ることしかない、被告人(北川元検事正)を処罰することしかない、被告人に真に自分の罪と向き合わせ、同じような被害者を二度と生み出してはいけないと思い、覚悟を決め、被告人の処罰を求めました。 適正な捜査をして被告人(北川元検事正)の処罰をしてほしい。私を救ってほしいと何度も何度も書面を作成して、検察庁に訴えました。 持っていた証拠も全て提出しました。起訴して頂くまでの間は、事件をつぶされるかもしれないという恐怖におびえ、とても苦しかったですが、捜査を担当してくださった皆様が懸命に捜査をしてくださり、起訴して頂くことができました。 私は少し救われた気持ちになりました。少しづつ日常を取り戻していくために、休職期間を利用して、登庁の練習を始めました。 起訴して頂くまでは、登庁すること自体が恐怖で、泣きながら震えながら、登庁していましたが、検察庁が、被害者情報や、被害内容の保秘を徹底してくださったので、その職場は安全であると信じていました。 ■女性副検事が「私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴」 ところが、今回の事件の関係者である女性副検事が内偵捜査中の時点で、被告人側に捜査情報を漏えいし、被告人(北川元検事正)が当初弁解していた内容に沿う事実と相違する供述をしていたことがわかりました。 さらにその女性副検事は、検察庁職員や、OBに対して、被害者が私であることを言ったうえで、私が事件当時、飲酒酩酊のため、抗拒不能の状態になかったので、性交に同意していたと思う、PTSDの症状も詐病ではないか、金目当ての虚偽告訴ではないかという趣旨の私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴していたことがわかりました。 さらにその嘘は検察庁内に広く伝わり、私が信頼していた上級庁の検事までもが、証拠関係も知らないのに、被害者を誹謗中傷し、被告人をかばうような発言をしていたこともわかりました。 性被害を受け、苦しんでいるにもかかわらず、検察庁内外でこのような被害を受け、さらに傷つけられてしまいました。 ■内通の女性副検事と同じ職場に 検察庁からは謝罪なし 女性副検事の一連の行為については、私が知った9月3日以降、検察庁に対し何度も速やかに捜査をして、適正に処分して頂きたいと訴え、10月1日に告訴、告発しました。 また、検察庁に対する信頼を損ねることになるので、速やかに副検事の職から離れさせるよう訴えてきましたが、いまだに女性副検事は検察庁で仕事をしています。 最高検以下は、女性副検事の捜査段階での捜査情報の漏えいなどを把握していながら、適正な処罰や処分をせず、放置し、しかもあろうことか、被害者である私にその情報をふせ、私をその女性副検事と同じ職場に復帰させたのです。 私は、安全だと思っていた職場に被告人と内通していた職員がいて、それを知らず必死に復職しようと思って、毎日を過ごしていたわけですが、その事実を知り、私が誹謗中傷されるのではないかと怖くなり、 すぐにその方は私の職場から離してほしいと求めましたが、検察庁の動きは遅く、さきほどいったような名誉棄損の実害が発生してしまい... その副検事が捜査段階でそのようなことをしていたことを、検察庁がなぜ私に言わず、私を彼女と同じ職場に復帰させたのかについて、検察庁、最高検を含めて、何度も何度も説明を求めてきましたが、一切説明はされず、 現職の検事正から性被害をうけ、現職の女性副検事から名誉棄損などの被害を受けているにもかかわらず、検察庁からは謝罪もなく、非常に孤立させられ、 そういった状況であることから、会見の理由としては検察庁に適正な捜査、速やかに捜査していただき、適正な処分をしていただきたいという要望があり、 それをお伝えしたかったのと、私の名誉を回復する機会にしたいと思い、この会見を開くことにしました。 ■被告人に恋愛感情をもったことはなく、恋愛感情を示されたこともない 事件の名誉を回復するためには、事件の真相、真実を知って頂く必要があるので、お話します。公判を聞いておられない方もいるともいますので。 被告人(北川元検事正)は本件の当時59歳で妻子がいました。 被告人は平成29年には最高検の監察指導部長や刑事部長を歴任後、平成30年2月に大阪地検検事正に就任しています。 一方私ですが、私は婚姻していて、夫もいて、本件当時は、子どももいました。 私は検事に任官して早い時期に被告人(北川元検事正)の部下として、被告人から直接指導を受け、職務に従事していた時期があり、被告人に対して尊敬の念を持っていましたが、以後は勤務場所が異なることもあり、被告人とは次第に疎遠になっていきました。 被告人(北川元検事正)と私は、業務以外で個人的に2人で会ったことはなく、私的な付き合いもなく、私が被告人も参加する私的な懇親会に参加したのは、数回程度でした。 被告人(北川元検事正)はこの点、捜査段階で、「30回ぐらい飲んでたかなぁ」と適当なことを言ってましたけど、それは嘘で、数回程度でした。 私は被告人(北川元検事正)に恋愛感情をもったことはなく、被告人から恋愛感情を示されたこともありませんでした。 ■仕事と子育てに忙殺され飲み会に参加する余裕はなく 次に本件当日の懇親会開催の経緯について説明いたします。 本件当時、被告人(北川元検事正)は、大阪地検検事正であり、私は大阪地検に勤務していたわけですが、当時私は凶悪事件の担当の係であり、また性犯罪の事件や虐待の事件など、多数担当していました。 私は、かつて直接指導を受けた上司であった被告人(北川元検事正)が、大阪地検検事正に就任した祝いを兼ねた懇親会をしようと考え、被告人に打診していましたが、 当時、私自身本当にすごく仕事が忙しくて、かつ子育てをしている母でもありましたから、仕事と子育てに忙殺されていて、飲み会なんて、行っている暇もなくて、昼ごはんも食べずにトイレに行くのも我慢するというような過酷な仕事をしていて、 夜も自分が子供の迎えじゃない日は、夜残って仕事をしたり、土日も返上で仕事をしていたんですね。 だから、飲み会に行く暇もなくて、でもどうしても行きたい飲み会とかあるわけで、公的な飲み会だったり、あと、一緒に事件を頑張ってきた警察の方との打ち上げだったり、立ち合い事務官さんっていうのが、ついてくださるのですけど、事務官さんが、その慰労会だったり、どうしても時間を過ごしたいなという飲み会には行っていたんですけど、 この被告人の検事正の就任を兼ねた飲み会っていうのは、私にとっては優先順位は低くて、その4月から8月までの間、機会はあったのでしょうが、私の優先する飲み会を優先したら、それは被告人の飲み会は、後回しだったっていうことで、 9月にたまたま自分が事件の配点が少し抑えられた時期がありましたので、そこで、被告人(北川元検事正)に「飲み会しましょうかって」いうことで、被告人はもう、毎日ほぼ飲み歩いているような多分状況だったんで、 誰とも、「別に誰と飲みたいっていうのもない」って言われたので、「お前が参加者の人選をやれ」ということで任されたので、仲良くしていた後輩の検事のCさんと、私の元で研修を受けてくれていた警察官のDさん、かつて被告人の秘書を務めていてた検察事務官2名を誘い、平成30年9月12日、被告人を招いて懇親会を開催することが決まりました。 その検察事務官のうちの1人が先ほど申し上げた女性副検事になります。 ■焼酎をなみなみに入れた水割りを提供され酩酊状態に 本件当日の懇親会において、私が飲酒酩酊した状況と、被告人(北川元検事正)の認識や、被告人の犯意というか、性交しようと決めた時期などについてです。 その日午後6時ごろ大阪市内の飲食店で私たちは集まって懇親会が開かれました。 着席状況は一つのテーブルに3人ずつが互いに向かい合うように座って、被告人(北川元検事正)と私はテーブルをはさんで互いに向かい合うようにして、座っていました。 懇親会ではその(検事の)C君が手品をしたり、他愛のない話をして、談笑していたんですが、途中私が被告人に対して、担当していた刑事事件に関して、上司の決裁での言動に問題があると指摘したところ、被告人(北川元検事正)が聞く耳を持たず、私を叱責し、その場の雰囲気が悪くなる場面もありました。 私が覚えているのは、懇親会であったこととして覚えているのはこれだけです。 ところで、私は当時、育児や仕事に忙殺され、普段は週末にアルコール度数の低い酎ハイを1、2本飲むっていう程度で、酒に強い方ではありませんでした。 しかし、懇親会では被告人が注文した焼酎の一升瓶かなんかで作った水割りをみんなが飲むような感じになっちゃって、しかも水割りを作ってくれていた職員が水割りを作ることに慣れていなかったため、焼酎をなみなみに入れた、水割りを提供してくれていたことから、私も普段飲みなれていない焼酎の水割りを飲んで、あっという間に酔っぱらっていきました。 午後6時から午後10時半まで、店にいたということですので、約4時間半長時間にわたり飲酒し続けることになったため、やがて私は飲酒の影響で酩酊し、懇親会終了直前ごろになると、ここからは私は記憶がないんです。 (検事の)C君が覚えてくれていて、お話ししてくれた内容を元にお話をすると、懇親会終了直前ごろになると、ろれつが回らず、顔はうつむき加減となって、座ったまま、テーブルに突っ伏してしまい、起きているのかわからない状態になっていたということでした。 ■自力では歩くことができないほど泥酔状態に そして、午後10時半ごろ、懇親会が終了し、私はその飲食代金を全員分まとめてクレジットカードで支払っていたらしいんです。 覚えてないですけど、支払うにあたり、カード決済のための署名を求められたわけですが、飲酒酩酊のあまり、自分の氏名さえまともに記載することができておらず、書面は乱雑で一部は判読困難なほどでありました。 これは捜査を担当してくださった検察官の方が、当時の電子署名を取り寄せてくださって判明した事実です。 退店後もよろめいて、自力では歩くことができなかったので、被告人(北川元検事正)や先ほど申し上げた女性副検事、この当時検察事務官に体を支えられて前方へと歩くよう促されて歩いていたりするなど、いわゆる泥酔状態にありました。この辺りは(検事の)C君のお話です。 その後、被告人(北川元検事正)は別の飲食店で二次会をすることを私に提案したわけですが、私はこれに応じず、そのまま全員が解散する雰囲気となりました。 ■タクシーに押し込むように同乗し被告の官舎へ連れ込まれる 懇親会に参加した同僚らは泥酔状態である私を1人で帰宅させるのは危険であると考え、私をタクシーに乗車させて帰宅させることとしました。 そこで同僚らは、通りかかったタクシーを呼び止め、私をタクシーの後部座席に乗車させたわけですが、その際私は1人で帰れますと言っていたということです。 そして、目がうつろで今にも寝入ってしまうような状態であったということでした。そして同僚らは被告人(北川元検事正)が乗車する別のタクシーを呼び止めようとしていたのですが、被告人は、私の泥酔状態を見て、私が飲酒酩酊で抗拒不能の状態であることを認識し、 その状態に乗じて、強いて私と性交しようと考え、後部座席の運転席側へと私を押し込むようにして、自らも後部座席に半ば強引に乗り込み、タクシーを発進させると、当時の被告人の官舎までタクシーを走らせ、私を自宅内に連れ込んだということです。 事前に言うのを忘れていましたが、私の記憶は懇親会の途中から被告人(北川元検事正)に性交されているところまで、全く記憶がありません。 被告人(北川元検事正)に性交されている途中で目が覚めました。なので、今お話しさせて頂いたのは、その(検事の)C君らの供述になります。 ■被害について語ることは当時の被害を再体験している状態 犯行状況です。 私は露悪主義者でもないですから、自分の性被害を皆様の前で話したいわけではありませんし、この性被害を取り調べや色んな機会で話さなければならなくなった時も非常につらいわけです。 お話をするっていうことは、当時の被害のことを思い出して、話すので、当時の被害を再体験している状態になります。 だから、これは私だけじゃなく、被害を受けた方にお話を聞く際は、もう一度そのひどい被害を再体験させているのだということをわかったうえで、検察官や他の捜査機関は、お話を聞くべきだと思っています。 だからそこに配慮が必要だと思っています。 なぜ犯行状況を自分が言うかというと、「被害状況ってこんなんなんやで」というのをお伝えすることで、性被害のひどい実態を知って頂いて、普通の被害者は、自分から「こんなんされました」「こんなひどいレイプされました」なんて、中々言えないので、私の被害を伝えることで、こんな被害をされているんだなって思って頂ければとおもって話します。 ■目が覚めた時点で、見知らぬ場所でと2人きりの状態で全裸にされていた 被告人(北川元検事正)は、自宅内でそういう抗拒不能の状態にあった私の服や下着を脱がせて、全裸にしたうえ、私に覆いかぶさり、避妊具を用いずに性交に及びました。 私は飲酒酩酊のため、睡眠状態、眠っていたわけですが、徐々に目が覚めてきた時点で、既に全裸で仰向けにされ、被告人(北川元検事正)から覆いかぶさられて、性交をしていました。 避妊具を用いなかったという点は、私はまだ妊娠をする可能性が十分にあったわけですし、性病や、色んなウイルス感染をするリスクもあったわけですが、そんなことも気にせずに、避妊具を用いずに性交の被害を受けました。 私は起き上がることもできなかったし、目が覚めた時点で、見知らぬ場所で被告人(北川元検事正)と2人きりの状態で全裸にされていて、そもそも恋愛感情もなく、 上司として尊敬していた検事正の被告人から性交されているという予想外の事態に直面して、恐怖して驚愕して、絶望して、凍り付きました。 私は抵抗すれば被告人(北川元検事正)から、自分の名誉などを守るために、殺されると強く恐れました。 そのために物理的にも心理的にも抵抗することはできませんでしたが、1秒でも早くやめてほしかったので、被告人に対し「夫が心配しているので帰りたい」と言って、性交をやめるよう訴えました。 しかし、被告人(北川元検事正)は、それを無視して、「これでお前も俺の女だ」などと言って、性交を続けました。 ■下着を身に着けて帰ろうとしている私を、またレイプしはじめた その後、被告人(北川元検事正)が性交を中断したことから、私はその場から逃げようと考え、下着が置かれた場所まで這っていき、下着を身に着けましたが、飲酒酩酊で立ち上がることもできず、逃げることもできなかったため、被告人(北川氏)に対し、気持ちが悪いので水を飲ましてほしい、などと言って水を求めました。 すると被告人(北川元検事正)は自力で立てない私の腕をつかんで立たせたうえで、台所まで連れていき、私に水道水を飲ませました。 私が水を飲んで、今すぐにでも逃げたいと思っていたのに、被告人(北川元検事正)は私に何も言わず、下着を下ろして、私を布団のところまでまた連れて行き、性交を再開しました。 私はせっかく帰れると思っていたのに、被告人(北川元検事正)が飲酒酩酊により気分を悪くしている私のしかも下着を身に着けて帰ろうとしている私を、またレイプしはじめました。 この間私は「帰りたい。家族が心配する」と繰り返し懇願しましたが、被告人(北川元検事正)は自らが疲れるまで性交を続けました。 9月13日の午前2時ごろ、私はようやく被告人の家を出て、帰ろうとしましたが、検察庁のトップの検事正からレイプ被害を受け、彼の影響力は絶大であったため、検察庁の職員に、相談することなんか到底できず、唯一検察庁の職員ではない警察官のDさんに連絡をして、被害を訴えようとしましたが連絡がつかず、泣きながら帰宅しました。 ■夫に知られたくない 子どもを抱きしめながら、泣きながら寝た 夫に知られたくないと思いました。夫は優しい人で、私が検事の仕事に忙殺されているので、家のことも子どものことも彼自身も忙しいのに、手伝ってくれて、私は検事として、働くこと���ずっと応援してくれていましたので、その検察庁の検事正からレイプされたなんて、とても言えませんでした。 私は帰って、汚された体を洗って、洗って、洗いまくって、3時間近くレイプされてましたんで、お腹の中も痛く、子宮のところも痛くて、本当につらくて。 子どもを抱きしめながら、泣きながら寝ました。 朝、改めて(警察官の)Dさんに連絡をして、泣きながらレイプ被害にあったことを打ち明けました。 二日酔いがひどかったので、午前中休暇をとって、昼前ごろにようやく出勤したのですが、懇親会の途中以降の状況が思い出せず、何でこんなことになったのかわかんなくって、(検事の)C君に懇親会での様子とかを聞きました。 すると先ほど、お伝えしたようなことをC君が教えてくれて、自分が被害に至る経緯を知るに至りました。 私は検事正という立場にあった被告人がその泥酔した部下を自宅に送り届けずに、被告人の家に連れ込んで性交したという事実を知って混乱し、怒り悲しみました。 一方で私は泥酔した自分を責める気持ちが強く、被害を夫や検察庁の人に知られて、家庭や検事の職を失いたくないと考え、さらに検察幹部として優秀で、人望もあると言われている被告人(北川元検事正)を辞職させることは、 検察組織のためにも避けなければならないと考え、いっそ全てを忘れ去りたいと思い悩むようになりました。 ■被告人から担当していた性犯罪事件の決裁を受ける 私はこれらの旨を被告人(北川元検事正)に直接、またメールで伝えました。 被告人(北川元検事正)は私からこのような被害を受けたことを、非難され、「懇親会後のことは、俺も酔っていたので、何も覚えていない」などと言って、これは被告の嘘なんですけどね。反論は一切せず、私に対して謝罪の言葉を述べ、「警察に突き出してください」とも言いました。 しかし、被告人(北川元検事正)は私が性犯罪被害者の心理特有の初期症状として、相手に対する怒りよりも、自分を責めてしまうという心理状態になっていて、被害を訴えることも、被告人に辞職を求めることもできない心理状態にあることを検事として十分にわかっていたので、 私が「全てを忘れたい」と言ったことに安堵して、「俺の検事人生もこれで終わった。時効がくるまでは、ちゃんと対応する。食事をごちそうする」などと、軽口を言って、私をさらに傷つけました。 私は苦しい、ほっといてほしいと伝えました。 そこから私は、この被害の苦しみの感情に蓋をして、今まで以上に執務に没頭するようになりましたが、やがて頭痛や胸が痛んだり、不眠、フラッシュバックなどの心身の変調がきたすようになり、肺炎なども発症し、入院治療を受けなければならないほどに、心身が衰弱していきました。 さらに私は、担当していた性犯罪事件の決裁を受けるなどのために、被告人(北川元検事正)と接点を持たざるを得ず、被告人から性犯罪事件の決裁を受けてもいました。 しかも被告人(北川元検事正)が、私が嫌がっているにも関わらず、決裁などの機会に乗じて、検事正室のドアを閉め、私と2人きりの状況をつくり、私の様子を伺い、私が被害を訴えないことを確認するなどしていたことにも苦痛を感じていました。 ■「そろそろ退職しようと思うけど、退職しても訴えないか?」 次第に被告人(北川元検事正)が、重大な罪を犯していながら、何事もなかったかのように、検事正の職に留まっていることに、怒りが抑えられなくなっていきました。 そして令和元年6月、再び被告人(北川元検事正)に呼び出され、「そろそろ退職しようと思うけど、退職しても訴えないか?」と言われ、私はこの日、肺炎等で、病気休暇明け、初日だったんですけど、 被告人が私の心身の体調を気遣うどころか、自分が訴えられて逮捕、起訴されたり、懲戒免職されるかどうかにしか、関心を示していないことに怒りを募らせました。 そこで私は被告人(北川元検事正)に対し、直接やメールで被害による絶望や苦しみを訴え、罪を犯した被告人はすぐに辞職をすべきだと思っていたけど、 被告人には恩義があり、検察組織に必要だと思い「すぐに辞職しろ」と言えなかった苦しさも訴えて、被告人を非難し、速やかに辞職するよう求めました。 すると被告人(北川元検事正)は私に「ほんと死にたい。希死念慮の念。あした辞職の申し出します。損害賠償の提示も決めました」とメールで送ってきて、真摯な謝罪や反省の気持ちはなく、泣き言を言っているだけで、自己保身しか考えていないと感じ、怒りを募らせるとともに、 加害者が被害者に対して「死にたい」などと言うのは、それはもう脅迫ですからそれが怖くて、一人で抱えきれなくなり、信頼していた元上司であるEさんに連絡し、 泣きながら被害を訴え、不測の事態に備えて、被告人とのやり取りをしたメールを転送しました。 そうやって証拠を保全しました。 ■被告人から直筆の手紙「大阪地検は仕事にならないくらいの騒ぎに巻き込まれ、組織として立ち行かなくなる」 10月、被告人(北川元検事正)が「辞職時期が決まったので会いたい」とメールで送ってきたので、私が何度も拒否しているのに、被告人(北川元検事正)がまた呼びつけて会おうとしていることに憤りを感じ、 また被告人が酔っていて何も覚えていないということが虚偽であると考えたので、メールで被告人(北川元検事正)の本件当時の認識や泥酔した部下をレイプした理由などを問いただし、直筆による書面で回答するよう求め、きちんと書かなければ、夫に被害を打ち明けたり、上級庁に被害を訴えると告げました。 被告人(北川元検事正)は、10月28日付で、私の質疑に対する回答を直筆で書いた書面を作成し、私に渡しましたが、その書面には、 「この被害を表ざたにすれば、私は絶対に生きていくことはできず、自死する他ないと決意している。大阪地検の検事正による大スキャンダルとして組織は強烈な批判を受け、検事総長以下が辞職に追い込まれ、大阪地検は仕事にならないくらいの騒ぎに巻き込まれ、組織として立ち行かなくなるので、私の命に代えてやめて頂きたい。あなたも属する大阪地検のためということで、お願いする。この被害を胸にしまってもらえるなら喜んで死ぬ。ご主人にも言わないように」 などと検察組織を盾にして脅し、口止めをし、さらに「以前からあなたのことが好きだった。何も覚えていないというのは、嘘で性交したことは覚えているが、あなたの同意があると誤信していた」などと弁解し、一転、本件犯罪の故意を否認しました。 私は、被告人(北川元検事正)が被害時、「これでお前も俺の女だ」と言って、性交していたことについて、同種の余罪があると思いましたので、それを追及したのに対し、被告人は、これまでにも複数の女性と性的関係を持ったことがあることを認めたうえで、 「いずれも信頼関係に基づき相互に好意を確認したうえでのことであり、相当の期間、交際が継続していたので、あなたのような被害者は他におらず、失敗したのはあなただけ」と回答しました。 ■検察組織に迷惑をかけることになってしまうと考え、被害申告できず また、私は本件被害以前にも、被告人(北川元検事正)が参加する懇親会の場で、後ろからお尻を触られるという被害を受け、振り返ると被告人がいたという経験をしていたことや、この時は正常バ��アスが働いて、被告人がそんなことするわけないと思い込んでしまったんですね。 また被告人(北川元検事正)が他にも酔って、若い女性検事のお尻を触っているというような話も聞きましたので、被害を受けた後、過去に行なった性暴力を追及したところ、私にやったことは「酒に酔った勢いで好意を伝えるために行なったことだ」と謝罪し、別の女性のことは「その人の承諾を得てやっているから」という風に説明しました。 このような性的な道徳心のかけらもない人間が検事正をやっていたことを私は被害を受けるまで知りませんでした。 私は被告人(北川元検事正)の書面を読み絶望し、強い怒りを抑えきれず、夫に被害を打ち明け、さらにCさんにも被害を打ち明けて、当時の状況を改めて確認し、 ただ一方で、自分の被害が公になった場合、検察庁職員全体が誹謗中傷の対象になるなど、検察組織に迷惑をかけることに���ってしまうという考えに陥り、被害申告をすることができませんでした。 ひとまずここまで被害申告に至った経緯です。 ■退官した被告は「ホテルにたくさんの職員を集めて退官記念パーティー」 被害申告に至った理由ですが、「公にしなかったら喜んで死ぬ」と言っていたぐらいだから、おとなしくしていると思ったんですよ。 私の耳に聞こえないような。隠居して、山奥にでも引っ込んで、存在を消すぐらいの感じにしてくれるのだろうと思っていたんですよ。 ですが、被告人は辞職をするときに、この犯行が辞職理由であることを伏せたまま、一身上の都合により退官すると説明して、退官して、多額の退職金をだまし取って、 ホテルにたくさんの職員を集めて、退官記念パーティーまでやって、弁護士会に登録して、以後弁護士として活動して、検察庁の現役職員らと酒を飲んだりしていたわけです。 私は被告人退職後、さらにより一層被害の苦しみにふたをして、執務に没頭して、同様に苦しんでいる被害者を一人でも多く救うために力を尽くしていました。 さっきも言ったように客観証拠が乏しい事件なんかは客観証拠がないからもう不起訴にしようとか、自分で積極的に捜査もしない、警察が集めてきた証拠をただパーッと見て「あぁ難しいから不起訴にする」検事も少なくない。 被害者が声を上げているのに、それに寄り添わない人も少なくない。 だから、そうであってはいけないと思って、私は検察庁や警察で自分が培った経験や知識を講義したりして、広く共有して、一人でも多くの被害者を救いたいという活動もしてきました。 自分がやった性被害の事件や、性虐待とか、虐待の事件の被害者に寄り添って、泣き寝入りをして、被害を訴えられないようなその余罪も掘り起こして、彼女たち、彼らたち被害を受けた人たちが一日でも長く安全に暮らせるように、 少しでも長く犯罪者を彼らから遠ざけるために、必死に捜査をして、余罪も堀り起こして、起訴しまくって、重い求刑をしまくって、有罪判決をとり続けていました。 そうすることで、被害者の方々が、回復していくための時間を確保していってあげたいし、自分が声を上げたことが無駄でなかったと思ってもらいたかったわけです。 そして私自身も、自分が泣き寝入りさせられたから、そういう被害者を救うことで、私自身も生きていけると思って、仕事に没頭していきました。 ■「被害者と共に泣く検察」が自分の信念 自分はそういう意味では被害者と共に泣く検察っていうのが、自分の、もうそれが信念で、被害者と寄り添い、犯罪者を適正に処罰するために必死でやってきました。 でも、多くの検察官も、警察官も同じような思いでやっていると思いますし、実際にそういう方もたくさんいます���でも、一方で残念ながらそうではない方も少なくありません。 さっきも言ったように客観証拠が乏しい事件なんかは客観証拠がないからもう不起訴にしようとか、自分で積極的に捜査もしない、警察が集めてきた証拠をただパーッと見て「あぁ難しいから不起訴にする」検事も少なくない。 被害者が声を上げているのに、それに寄り添わない人も少なくない。 だから、「そうであってはいけない」と思って、私は検察庁や警察で自分が培った経験や知識を講義したりして、広く共有して「一人でも多くの被害者を救いたい」という活動もしてきました。 こうやって自分をなんとか奮い立たせいていたわけですが、さきほど言ったように、被告人(北川元検事正)が被害感情を逆なでするようなことをし続けて、 まるで私の存在や自分が犯した罪などないかのように振舞っていたので、自分の怒りや悔しさや自己嫌悪などが高まっていき、症状が悪化し、去年の12月病院を受診したところ、PTSDで仕事を続けるのは無理だと診断されました。 それでも1月、2月は、私が本当に力を入れていた事件があったので、それをやり遂げて、2月に被害を打ち明け、3月、4月に被告人の処罰を求めました。
「子どもを抱きしめながら、泣きながら寝ました」大阪地検元トップの性加害 被害の女性検事の告発詳報(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
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夏の旅
春夏冬に発売される「青春18きっぷ」
これを使い
ちょっとした旅を楽しむようにしています。
今年の夏はとにかく暑い
そうなるとどうせ旅をするなら
涼しい所に行きたいという事で
山梨へ行く事にしました。
甲府辺りは盆地だから
暑いというイメージをお持ちかもしれません。
確かに暑い、東京よりも暑いです。
でも、涼しい所もあるんです。
それが温泉
実は、甲府はぬる湯天国
源泉がぬるかったり、冷泉だったりと
最高な温泉が沢山あります。
7月後半のある日
朝早く起きて甲府に向かいました。
まずは甲府市内にある「草津温泉」
ここに来るのは2回目です。
町中にある銭湯ですが
飲泉までできる立派な温泉
露天風呂まであるし最高です。
ひとっ風呂きめた後は
お昼ごはん
草津温泉の近くにある「中華ごはん かんざし」
ここはかなり人気店なので
温泉に入る前に、受付だけしておきました。
開店の2時間前ぐらいに行って
名前を記入しておかないと入れないと思います。
でも、それぐらい美味しい中華を
お腹いっぱい食べさせてくれるお店です。
甲府市内にある「山口温泉」
ここも2回目です。
山梨県随一と言われる最高な泉質
とにかくアワアワ
天然ジャクジーな炭酸泉が源泉かけ流し
絶妙にぬるいので
露天風呂でなんども意識を失いました。
夏に最高な温泉です。
8月に入りお盆も過ぎた頃
またも甲府へ向かいます。
今回は甲府の手前
春日居町駅で下車
夏の日差しを浴びながら歩きます。
辺りは果樹園がたくさんあります。
桃、葡萄、マスカット
その景色を見るだけで楽しいです。
駅から20分程歩くと
「岩下温泉旅館」につきます。
こちらは文化財に登録されるぐらい
歴史を感じさせる建物です。
新館と旧館がありまして
立ち寄り湯は旧館です
受付しようと思いましたが誰もおりません。
どうしようかと悩んでいると
車で旅館の方が来ましたので
立ち寄り湯に入りたいと告げると
またちょっと出かけるから
入ってていいよと言われたので
入浴料を渡して独泉させていただきました。
浴場の奥に加温の浴槽
手前の小さな浴槽は源泉です
ここ以外にもっと大きな源泉の浴槽もあるんです。
加温の湯に入り、少し体をふいてから
タオルを巻いて脱衣所を出ます
目の前に半地下に降りる階段があります
からだをかがめて階段を降りると
ひんやりとしている
外は30度超えだというのに不思議です。
そこに小さなプールぐらいの浴槽があります。
ここが源泉かけ流しの冷泉浴場
暑い夏には最高です
ここの源泉は28度ぐらい
全身つかると
とにかく気持ちいい
加温の湯と3、4回交互浴するうちに
体の疲れ、夏の疲れが消えて
意識も遠くなっていきました。
まさに気絶
そのぐらい最高な温泉です。
岩下温泉旅館をあとにして
電車で甲府へ向かいました。
甲府から身延線に乗り換えて南甲府駅へ
駅前にある食堂「キッチンミナミ」
ここで名物エビフライ定食をいただきました。
大きいエビが2尾
本当に大きいですよ。身もプリプリで
最高に満足なお昼となりました。
満腹になったので
もうひとっ風呂浴びにいきます。
南甲府駅から一駅
甲斐住吉駅で下車して
そこから少し歩くと見えてくるのが
「トータス温泉」
ここも甲府市内に数多くある
温泉銭湯のひとつですが
泉質が素晴らしい。
湯の色は黄金色で
ドバドバとかけ流されてます。
重曹泉という事で肌もツルツル
銭湯ですが露天風呂もありまして
かなり快適でした。
ここもぜひ再訪したい銭湯です。
夏の間に2回も甲府へ行きましたが
実はまだ行けていない温泉があるんですよ
東京からも近い甲府
暑い時にこそ行ってみて欲しいです。
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戦闘服の男たち No.1 裏話
1982/S57/3 入隊(2等陸士)
1983/S58/1 1等陸士
“ 「遠くで突撃喇叭が」
1984/S59/1 陸士長
1985/S59/3 1任期継続
” /7 「戦闘服服の男たち」
1986/S60/2 陸曹候補生(陸曹教育隊前期4〜6)
1987/S61/1 3等陸曹
“ /2 「続 戦闘服の男たち 俺を見よ俺に続け」
自分の昇任と作品を並べるという暴挙をしてみました。詳しい方以外はなんのこっちゃという一覧表ですが、リアルタイムで経験を小説に落とし込んでいるのがわかります。
「遠くで突撃喇叭が」は新隊員教育の感動とプラトニックなラブのノンフィクションでした。
「戦闘服の男たち(No.1)」陸曹になって職業軍人になろうか、なれないかという実際の思いを記したものです。嘘っぽいセックスの描写はあっと驚く実話で、これがあったこそこの小説ができたと言っても過言ではありません。書いてスッキリしたところで、陸曹候補生試験は主人公より早く、一選抜で合格しました。
この作品より新兵器日本語ハンドヘルドコンピュータと世界初のポータブル漢字プリンターで作品を打っています。それをサン出版に出したところ、それがそのまま…つまり24ドットの原稿のまま雑誌に掲載されてしまいました。たぶんさぶの誌面では最初で最後だと思います。
原稿の修正は不可能なので、誤字、脱字そのまんまです。保存もフロッピーディスクなぞ高価で買えなかったので本体内蔵のマイクロカセットでした。
今回はiPhone のメモアプリによる撮影によるテキストスキャンを使い、雑誌を撮影。40年ぶりに構成、修正しましたが、やはり誤字、脱字で赤面モノでした。いや、まだあるかもしれません。
ちなみに一般的なパソコン用ワープロソフト「一太郎」発売されたのは1985年、同じ年でした。漢字が使えるOCRも一般的では無く、出版会社もその使い方がわからなかった時代です。
サン出版では当時原稿料は400字詰め原稿用紙で計算されました。そこで次の「続戦闘服の男たち」から原稿用紙に直接プリントアウトする方法にしました。こういう話をすると、国家公務員法に抵触しますが、時効という事で…
時を経て2009年この作品がG-men に再掲載されることになりました。
このきっかけは何を隠そう高畠次郎君です。
高畠次郎の単行本を出したいので次郎君に話しをして欲しいと…
当時G-men 編集部は次郎君と、意見の違いがあり話しができる状態ではなかったみたいです。しかも次郎君は家庭の事情で、作品を家に保管できない為多数の作品を俺が所持してました。もちろん次郎君に勝手に編集部に渡す事はできません。そこで編集部と次郎君の橋渡しをすることになり、その話の進む途中で「戦闘服の男たち」の掲載が持ち上がったのです。
そこにも、次郎くんのイラストの新作を入れる話で。そのイラストは「続戦闘服服の男たち」で掲載されました。
なおこの時の原稿読み取りはさぶ掲載誌からOCRで読み取りパソコン(MAC)で行ってます。
さらに国会図書館に高畠次郎の単行本を送り込む作戦は成功しました。
雑誌が続々休刊する現代ではできない事です。
貴重なサイン本いただきました。
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