#道の駅山陽道やかげ宿
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#道の駅スタンプブック 昨日の成果 93- 100軒目 93. #道の駅あわくらんど 94. #道の駅彩菜茶屋 95. #道の駅奥津温泉 96. #道の駅くめなん 97. #道の駅黒井山グリーンパーク 98. #道の駅一本松展望園 99. #道の駅みやま公園 100. #道の駅山陽道やかげ宿 朝の鯖寿司から始まり、気づけばご当地ソフトを3個も食べてましたw 前日の夜中から出発して、スタート地点のあわくらんどまでの距離を合わせると、約700km走りました^_^ 充電は、日産が1回、無料が2回。 車中泊の電力消費は、1時間に約1kW。 残りもう少し、最後まで楽しみまーす^_^ #テスラ #tesla #テスラモデル3 #teslamodel3 (Okayama-shi, Okayama, Japan) https://www.instagram.com/p/CpdvsAUPgPe/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大��にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか��
とことんついていない日が��いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められ��いるという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を��っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだ���強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったの���おもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳���噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと��身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたし��んとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求め��のは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではない��非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズを��ける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを���めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分��窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なな���で、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりも��ろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光��の粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出���空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
��月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社の���ベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いま��地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が��要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空��呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ ��穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202308.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/812427666889630
今年で11年目を迎えたオープン合宿。「160年の荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社&御岩山への巡礼も行う予定です。
そして、木の里農園さんのコテージを拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」での援農・収穫体験をし、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、そして冷たいスイカと花火で夏の日の夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラーの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★有機農指導担当:布施大樹さん(奥様:美木さん) ●東京都出身。東京農工大学農学部環境・資源学科卒業。在学中に沖縄の波照間島でのサトウキビ刈りアルバイトで農業に目覚める。栃木県の帰農志塾で研修後、1998年に現在地に就農。あらゆる野菜・作物の栽培、管理を行い有機農業の可能性を追求。家族で約2haの木の里農園の経営を行い、約50種類の有機野菜を全国に出荷している。
・木の里農園 http://konosato.com/ ・種継ぎ人の会 http://tanetsugibito.com/
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変���に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
■開催日:2023年8月26日(土)- 27日(日)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日27日16時頃に現地解散予定です
■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694−3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分〜:手打ち蕎麦ワークショップ *12時〜13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分〜22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古民家「菊地邸」訪問 ・木の里農園にて有機野菜の調達体験 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・よる花火とスイカのうたげ ・荒蒔邸の囲炉裏を囲んでのダイアローグ(対話) ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝
<8月27日(日)> *05時:起床〜朝のさんぽ(朝陽を拝む) *06時:全員で朝食準備&朝食&片付け *08時〜:森夕��先生のマインドフルネスセッション *10時〜:清掃・片付けをし移動 *11時〜:御岩神社、御岩山巡礼リトリート(標高492m) *14時〜:日立おさかなセンター食事処で昼食&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:15名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
Peatixからの支払いも可能です。 https://kanglohoops202308.peatix.com/view ②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
④これにて「申込完了」となります。
■詳細パンフレットを下記よりダウンロード頂けます。雰囲気だけでもどうぞ。 https://firestorage.jp/download/0043db17b8ec86a09890b17a59239b92fbadf08d
■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
■協力:木の里農園 布施大樹さん・美木さん、深津澄世先生、田中尚也さん、本橋寿幸さん、藤井家母、実弟
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2024/11/13 22:00:27現在のニュース
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2024.08 不帰嶮(猿倉~白馬鑓温泉~天狗の頭)
天狗の頭からの絶景、これから通過する不帰キレットから唐松岳まで見える
日本三大キレットのひとつ、不帰キレット(不帰嶮)。2020, 2021年には一番むずかしい大キレットを攻略したのだが、やはり全部攻略してみたい。なにやら不穏な名前だが、想像の通り、昔この山域に入山した人々が帰ってこなかったから付いた名前だとか・・・。バリエーションルートのためもちろん難易度は高いが、その実態としてはキレットだからではなく、険しい崖登り要素によるものだった。
【1日目コースタイム】猿倉荘(1235)→小日向のコル(1355)→杓子沢(1435)→鑓沢(1455)→白馬鑓温泉(1515)
お盆が始まる直前の金曜日、白馬駅から猿倉へのバスは自分含めて2名だけ。前回猿倉を訪れたのは2019年と5年前で懐かしい。今年は高温だったり、昨年の降雪が少なかったりと白馬大雪渓はクレバス多数で通行不可。なので今年猿倉に来る人達はみんな鑓温泉経由で白馬岳や不帰キレットへ向かうことになる。
はじめはハイキングのような緩やかな傾斜だが、ずっと樹林帯が続き無風、気温は25度以上はあるか、めちゃくちゃ暑くて汗が大量に。60分は耐える時間。
80分くらい殺風景で過酷な樹林帯を抜けると、視界が少しひらけて湿原のような場所に出る(小日向のコル付近)そこまで広大ではなく、見えている範囲より少し広いくらいか。
前方にまだ大きく残った雪渓が見えてきた。8月上旬でもまだあんなに残っているか。本日の宿の白馬鑓温泉はあんな雪渓を3回くらい通過した先にあった(雪渓上を歩いたわけではない)。
雪渓の雪解け水がながれる沢を何度も通過する。ここは杓子沢で、このあとの沢を含め水量は一番多かった。水が冷たく、火照ったからだを冷やして気持ちいい。
杓子沢を渡って振り返る。(先程は自分もいたが)巨岩の上に何人か、これから同じく白馬鑓温泉に宿泊する中国人の団体さん。
ハイペースだったか、2.5時間歩きようやく白馬鑓温泉が見えてきた(写真右上に小さく)。登山開始時間が遅かったため、少し早めにとは意識していた。
樹林帯から抜けているのである程度風は通るが、それでもやはり暑い。そんな中でいたるところに沢が流れて見ていて気持ちいい。
中でも温泉直下の雪渓は冷気のためか雲みたいなのできてたし、ここらへんに来てようやく気温的にも気持ちよく感じるようになってきた。
この一帯はお花畑すごい!なんだろうと思って帰って調べてみたが、ミヤマキンポウゲとシナノキンバイのどちらかと分かったけど、写真見比べても2種の違いがマジでわからん・・・。たぶんミヤマキンポウゲの群生。
長い雪渓が削られてる
約3時間で温泉着、標高2100mの山の中にあり、一般の観光客が到達することはまずない山の中の温泉、全国でも珍しいだろう。周囲はほのかに硫化水素の(温泉の)匂いがする。入浴は裸でも問題ないが、みんな水着もってきてるな、知らなかった。露天風呂は男女混浴なので、女性は100%水着。一方で女性専用の内風呂も1つある。宿泊者は無料だがそうでなければ入浴料1500円。けっこう熱い41度くらいか?当然だが源泉かけ流し。とりあえず一回汗を流すため露天に浸かる。今日はかなり雲が湧いていてあまり景色よくないが、晴れていればすごいんだろうな。
足湯もある。一度露天風呂に入って以降はずっと足湯に入っていた。露天はやはりちょっと熱い、足湯は少しだけ温度が低く、周囲も涼しくなってきたので無限に浸かっていられる。
1740夕食(二回目の回)。ハヤシライスは美味しかった、山で食べるならカレーよりいいかも。ご飯後は足湯。太陽はすでに落ちているが19時に雲が晴れ、遠くに妙高火打、高妻山のシルエット。気温は20度きってるため上に何か羽織らないと肌寒いのだが、足湯のおかげで心地よい。温泉の流れる音も心地よい。周囲は暗く、灯りは露天風呂のライトだけ。お湯の流れる音が聞こえるだけの静かな山奥。
【2日目】
朝0500起床。朝食1回目は0500だが、自分は2回目の0530から。昨日はガスに覆われていたけど朝はいい景色だ。こんな景色見ながら温泉入れるというのがすごいよな。
【コースタイム】白馬鑓温泉(0600)→大出原(0710)→鑓温泉分岐(0740)→天狗山荘(0800-0815)→天狗ノ頭(0830)
朝イチの登りにしては傾斜がキツイ。それだけでなくゴーロ帯であったり、大したことはないのだが鎖もちらほら。気温18度くらいとまだ涼しいはずだが、夏の太陽の日差しがすでに暑い、まだ朝の6時だというのに!
下から湧き上がる雲が少しずつ高度を上げてきている。巻かれないようにと思ったが、自分の足なら雲より早いみたいで一応心配ない。しかしこの日差しの暑さ、むしろ雲に巻かれてもいいような?徐々に雲海みたいになってきた。
しばらくは樹林だが、40分登ると森林限界を超え、稜線が見え始める。けっこう荒々しいがこの青空と山並み、夏の北アルプスにやっと帰ってきた感じ!いろんな種類の高山植物もキレイで、白馬岳周辺といえばどちらかと言えばやはり大雪渓の上あがりが有名かもだけど、同じ山域ということもあり、こっちもなかなか劣っていない。
・・・さて、まずはその見えている稜線まで到達しなくてはならない、景色は格段に良くなったからテンション上がっているが、それでもけっこう長いなあ。中央に先行者1名。
遠くには八ヶ岳(左)とそのすぐ右に富士山(てっぺんがほんの少しだけ)、中央アルプスか?
地道に高度を上げていく。コマクサが一鉢だけ生えているの発見。周囲には一切生えてないのになんでここだけに?
稜線への最後の登り。中央やや右に先行者。
通ってきた道、下界は少し雲海の様。
100分でようやく稜線上まで上がってきた、温泉からの標高差700m!まず目に入ってくるのは迫るような巨大な白馬鑓ヶ岳。山頂に人が何人かいるのが見える。今まで無風〜そよ風程度だったのが、ちゃんと風が通って益々気持ちいい。
そして剱岳と縦走路、北アルプスの縦走路といえばこれだよこれ!まだ7時半だけど、おそらく山頂立っている人いるだろうな、あっちの山頂もいい天気そうで良かったね。
稜線上に出てきてから天狗山荘まではすぐそこ20分、白馬鑓温泉からは2時間。漆黒のカッコいい山小屋で少し休憩。こんな標高高い(2726m)稜線上の小屋なのに水が無料だって、すごい。天水ではなく沢水汲んでいるとのこと。
そこからは最高の稜線歩き。
小屋から15分歩くと天狗の頭、ここが今回の旅の最高峰2809m。前泊地の白馬鑓温泉からの標高差800m、猿倉登山口からだと標高差1400m。ここから見える唐松岳方面の景色が最高(冒頭の写真)。そしていよいよ不帰キレットへ突入していく。
続く
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入門山っっ
ぼんじゅーる。
ぴっかぴかの一年生、大澤がお送りいたします。はじめまして。
覚えづらいと思うのでかいざーと呼んでください。異論は認めません。
(※ちなみにカイザーとは「皇帝」の意のドイツ語です。Kaiserの綴りは古代ローマの独裁官,ユリウス・カエサルに由来します。カエサルはローマ共和性末期の軍人で,次々と政治上のライバルや反対勢力を駆逐し,終身の独裁体制を成立させました。これがのちのヨーロッパの皇帝体制に影響したと言われています。まあ何も関係ないんですけどね☆)
探検部にはソロキャンができるようになるために来ました。でも他に過酷なことやりすぎて多分もうできると思います。二外はフランス語です。よろしくおねがいします。
さてやってきたのは金峯・瑞牆山。標高はだいたい2600mくらいの山です。一年メンバーは初めてのガチ山活動になります。買ったばかりのくっそ重いザックを身につけて,いざレンタにて出発!
…のはずが新宿駅にて早速みっちゃんが行方不明に。迷子らしい。
→しゅうさんが確保
まあ何とかなりまして,いざレンタにて出発です。
(↑途中によったサービスエリアにいたマスコット。かわいい。)
(↑これはぶれっぶれのしゅうさん。焼きそば食ってんのかな。)
だいたい翌00:00くらいに金峰山荘に到着。明日に備えて,今日は早く寝ます。
と言いたいところでしたが,星空綺麗すぎるのと寒すぎるのとでぜんっぜん眠れませんでした。
(↑星空ハイライト。携帯のカメラってすごい。天の川も見えそう(見えたのかな,)でした。)
まあシュラポン強行した人も何人かいたみたいですけどね。
(↑これは翌朝。テントの手前にいるミノムシみたいなのがシュラポン強行組です。狂気すら感じますね。)
てことで準備万端,いざ出発!
初日は金峯山に登ります。この時はみんなうっきうきです。私はパーカーと下のレインを着て山頂を目指します。いやいや寒いからとかじゃなくって,ほら,人類最大の敵は腹痛でしょう?だから敢えてこの格好して行ったんです。敢えて。
最初はゆるゆるハイキングコース。こんなん楽勝じゃんとか思いつつ?どんどん山頂に向けて歩いていきます。横を流れる川の水がめっちゃ綺麗でした。飛び込みたいくらいですね(伏線)。
(↑これはテントを持たされて虚無顔のタミーさんと満面の笑みのこうちゃん。タミーさんはどんなに長い活動でもこの装備らしい。すごい…のか?)
さて,やっと登山道らしき登山道へ。一年組の疲労も一気にエスカレートしていきます。もう写真の顔からその疲れ具合がわかりますよね。で今気づいたけど何でるーさんヘッドライト付けてんの?
ちょくちょく休憩も挟みつついざ山頂へ!だんだん山頂が見えてきました。だいたい行動時間が五時間…くらいです。多分。
(↑しゅうさんハイライト。被るタイプの蚊帳らしいです。効果はあるんでしょうけど…見た目が……だめだこれ以上言わんとこう。)
そしてついに山頂到着!
いやぁ長かった。みんなヘトヘトになりながらてっぺんで写真を撮ります。インスタのプロフィールみたくかっこいい写真撮れるかな。
曇ってんだけど。誰だよ曇らせたの。
曇りですがせっかく登ったので各々いろいろなポージングで写真を撮ります。
すごい良い写真!みんな笑顔!天気えっぐい悪い!!なんかスタジオで撮りましたみたいになってる。
これは新一年ズ。アー写みたいですね。いや,もはやこういうアーティストなんです。
たくさん写真撮って満足したところで,最後にみんなで一枚パシャリ。キャンプ場に向かって山を降りていきます。
(↑これはえぐいスピードで先陣を切っていくtummyさん。その速さは衰えることをSiriません。)
ここを少し降りたところで,2パーティに分隊します。体力残存組が目指すのは地蔵さんおすすめの大日岩。絶景らしいので,早速行ってみたいと思います。
これは大日岩のまでの途中にあった大きな岩山。
好奇心を頼りに一番上まで行った人も。タミーさん,降りる時も大ジャンプかまして降りてました。ひやっとしますねほんと(私は他の登山客の方に降りるのを手伝ってもらいました)。
(↑これは力持ちなガールズ。重い岩を軽々と持ち上げるつわもの達です。)
そしてお目当ての大日岩へ。私はここら辺で体力がピンチに。
天気も良くなってきて絶景!この景色を眺めながら少し休憩します。にしてもすごい綺麗だな。
(↑これははしゃぐゆうかさん。この後岩の上で爆睡してました。ちなみに後ろで他の登山客が料理してていいなぁって思ってました。お腹すいてたし。)
そして富士見平小屋へ。めっちゃ疲れましたが,何とかついてよかったあ,とみんな安堵してこの笑顔。
山登った後に食う飯は美味い。飯盒で炊いてみたけど硬さはともあれ美味かった!あったかい飯最高!
と悶えるげんげん。
ようやく1日目は終わりです。明日に備えて今日は早く寝ます。
(↑言及は控えますね。)
と言いたいところでしたが,私は終わらせねばならぬ課題があったのでみんなの就寝後,一人テントから出てそれに着手。しかし疲れすぎて全く進まないし,しかも寝落ち。
くっそ寒い中,予期せぬシュラポンを挙行。
この時ひいた風邪は2週間治りませんでした。
二日目は瑞牆山へアタック。朝,未だ太陽が出て間もないころに出発します。分岐でしゅうさんとこうちゃんを残し,皆荷物を置いていざ出発。
(↑体力有り余ってて元気なちほ。水分補給は大事ですね。)
身体も軽いし,そこまで苦戦することなく瑞牆制覇!
金峯と違って天気もめっちゃよかったです!
(↑これは富士を眺めるタミーさん。いい写真じゃないですか?)
いい調子で瑞牆を後にします。
しかしここでトラブル発生。なんと今のペースで行くとレンタ返却の時間に間に合わない様子。
2パーティに分かれ,今度は運転する人たち(と体力有り余ってた私)が急いで車を取りに行きます。後続組は瑞牆山荘にて車を待つことに。
ここでtummyさんが本領を発揮します。
瑞牆へ行く分岐から駐車場へはだいたい3時間くらいかかる様子。しかし車を急いで取って来なばなりません。
走ります。
ものすっごい勢いで走ります。それに涼しい顔でついて行くしゅうさんとゆうかさん。へっとへとになりながら頑張ってついていく私。
ゆうかさん,小休止の度に息切らして汗かきながら
「やっぱ山登りってこうだよねニコッ」
と。ぜったい違うはず。
それについていくこと約1時間,なんと駐車場に到着してしまったのです。はやっ。なんちゅうスピードで行ってたんだ。時間があるし,ということで,少しばかり川遊びを楽しみます。
(↑伏線回収)
(↑ようやく髪を洗えたタミーさん。よかったですね。)
この後もいろいろまぁ…なんというか,トラブルはありましたが無事下山。瑞牆山荘にいる後続パーティも無事回収し,急いで東京へ。帰りに寄ったバーミヤンはタミーさんの奢りでした(ありがてぇ!)。
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台湾1周サイクリング
2024/06/05 - 2024/06/14 @台北~台北:約920km
登山の"ついで"、にしては相当ヘビーだし、なんならこっちの方がメインなんじゃないか、という感じもするけど…せっかくの機会だし、台湾1周サイクリングをすることにした。さすがに玉山登頂翌日の朝出発は乱暴だったかもしれない笑。睡眠時間足りてないし、足の疲労もある、その上自転車も組み立ててない。そんな状況でも、玉山から戻った夜は、やけにテンションが高かった。サイクリングが楽しみだったからだと思う。そんな風に感じたことは普段全くないから、なおさらそのままの勢いで出発してしまおう、と思ってしまった。
全部終わって振り返ってみると、やっぱりやってよかったと思う。1回目の退職記念にはキリマンジャロに登り、今回、2回目の退職を前に台湾1周のソロライド、10日間。5年近く勤めた仕事を振り返ったり、労ったり、次のステップに進む英期を養ったり、という意味で僕にはこれが必要だったんだと思う。贅沢ではあるけれど、(仕事を一切しない)長めの休みを取るのも久しぶりだし、職業柄、日常を離れて未知の風景を楽しむ、というのは大事なことだと感じる。幸い、体力とか装備、お金、といった大きなところの心配が不要だったことがハードルを大幅に下げてくれた。一見無謀とも思えるこのチャレンジも、実はそこまで大変なことではなかった。
真ん中に紐みたいな短い赤い軌跡が登山で歩いた距離・場所だから、台湾をかなり堪能したことが分かるな…。
1日目 (台北から新竹) 86km
6月4日、玉山下山後、夕方6時に台北着。そこから翌朝出発の準備を始める。自転車の組み立ては当然すんなりとはいかず、シンガポールからの移送中に前輪のシーラントがケース内で漏れまくっていた。慌ててシャワー室でスペアチューブを足して、なんとかタイヤが機能するように。結局、前輪はチューブあり、後輪はチューブなしの状態でスタートすることに。加えて、急遽買ったミニ空気入れが上手く使えず、40psiぐらいが限度だった。もうそれで手を打った。
泊まったホテル(Brother Hotel)が親切で、登山グッ��の詰まったバイクケースを10日近くただで預かってくれるところだった (引き換えに計4泊滞在)。ホテルの部屋でバイクを組み立て、朝食、荷物を預けて、チェックアウトし、台湾でのライドスタート。ラッシュアワーを避けて、早めに出ようと思ったんだけど、いろいろもたついて、結局8時になってしまう。モロに交通量が多い時間帯。それでも幸い曇りだったし、バイクに異常もなく、無難にスタートできた。河原で記念写真を撮ろうにも、全然笑えない自分がいた。不安要素が多すぎたから、顔がひきつっちゃったんだと思う。台湾政府公認の1周路を辿るにしろ、道に迷わないかとか、事故の心配、荷物が気になったり、天気が心配だったり、ペース配分が分からなかったり、言葉が思った以上に通じなかったり、と最初の2日ぐらいは実はライドを心から楽しめていなかったかもしれない。とにかく細かいことで気が散っていた。
例えば、新しく買ったサドルバッグはこの時初めて取り付けて、僕のバイクと仕様が合わないことに気づく。がっちり固定できないうえに、たぶん荷物が重すぎた(か多すぎた)せいもあって、途中から徐々にずり落ちる事態に。つまり後輪にバッグが当たる最悪の状況。その上、台北出発から1時間も走らないうちに雨が降り始める…。雨対策も万全ではなかった。振り返ってみても、9日間のライドの中で、初日が本当にハードな日だった。右も左も分からないのに加え、結局、昼ぐらいから新竹のホテルに着くまでの数時間、ずっと強い雨に打たれながらの走行で、本当にやる気をくじかれた。ずっと濡れたままだったから、寒さにも襲われて、到着間際は顔が真っ白になっていた。夕方ホテルに着いたあとは、体を洗って、服類を乾燥へ。この先のライドが不安になる…。でも、長いマラソンなんだと理解して、気持ちを切り替えた。その日の失敗から学べばいい、ということでポジティブに捉える。サンダルが壊れ、急遽モールに買いに行ったことと、夕飯を食べただけの夜。
2日目 (新竹から鹿港) 131km
雨のライドがややトラウマになったけど、まあ進むしかない、ということで朝早くから準備開始。なるべくサドルバッグへの負荷を減らすように荷物を分散させて、濡れてもいいものはポケットに収納。レインコートは昨日に引き続き着てスタート。かなり改善。ただ、自転車をストレージにずっと放置したのは良くなかった。朝行くとチェーンにサビがつき始めてた。昨日のライド後に乾拭きせず、相当汚れていたのに、何もしなかったから。結局洗う術もないまま、とりあえず油をさして出発へ。2日目は長い海沿いのコース。事前情報では強い追い風、のはずだったのだけど、あまり風は強くない。途中からパラパラと雨が降り始め、また嫌な予感がよぎったけど、幸い快方へ。苑里で排骨酥麵の昼食後、午後には台湾で初めての太陽を見て、一気にテンションが上がった。晴れるだけで、こんなに嬉しくなれるとは…。ちなみにライド中は1時間半おきにコンビニ休憩・ランチ休憩を取ってた。イートインのできるコンビニはすごい重宝。お店に入る前にTシャツと短パンを重ね着して、それにサンダルに履き替えて、一応きれいさをアピール。おにぎり・パン、バナナ、ジュース類を補給して、ごみ捨て、トイレもさせてもらう。クレジットカードが使えるのも強い。自転車をガラス越しにチェックできるのもいい。台中を過ぎて、彰化市のバイクショップでクリーナーを購入、そして空気も入れてもらう。帰りがけにショップオーナーがエネルギージェルをサービスしてくれた。優しい。この日のライドが全日程中、一番長く、7時間ぐらい。さすがに集中力を維持するのは至難。鹿港という歴史のある街に到着。この宿はb&bスタイルのオシャレなところ(a day in Lukang)で、庭付き。そこでバイクの水洗いをして、チェーン諸々の洗浄ができたのはすごく良かった。ただその最中、蚊にものすごく刺されたのがのちのちまで辛いことに。
3日目 (鹿港から嘉義) 77km
この日はスーパーで買ったパンを食べてスタート。晴れ。正規のコースに合流するまで運河沿いを走行。最高に走りやすい道。お昼は斗南駅近くのバーガー屋さん。この日は一番短い距離を移動。雨の降る気配はほぼなく、この頃には天気予報のあてのならなさに気づく。梅雨の時期でもあり、雨とか雷雨が24時間・1週間連続で予想はされてはいたものの、結局晴れや曇りの場合もすごく多かった。この日以降は、レインジャケットはバイクのフレームに括り付けて、結局最後まで使わなかった。
ホテルには3時ぐらいには到着。お腹がすいて街の方まで歩いていくことに。その途上で再認識する台湾のスクーター・原付文化。これらのためのインフラがあるからこそ、自転車ロードの整備がさほど無理なくできるんだろうなと思った。車とは別の自転車専用レーンがほぼずっとあるから、危険性をほとんど感じずに走行できる。サイクリストにとっては最高な環境でしょう。"環島"の標識や、所々ブルーの線がひかれていて、道しるべとしてもかなり助かる。その反面、台湾は歩行者にはそこまで優しくない気がした。歩道がなかったり、物で塞がってたりという感じで、歩くのには向いてないように思った。
嘉義の街の中心に移動して、現金をおろして(鹿港ではカードがあまり使えなかったから…)、あとは、焼肉丼大盛り定食をぺろり。この旅中、カロリーの高いものをいっぱい飲み食いしてた。と同時に、清涼飲料水からの糖分の摂りすぎも若干気になって、途中麦茶に切り替えたりもしてた。ジェル類は一日に一つか二つの消費量。
4・5日目 (嘉義から高雄 + 休息日) 123km
台湾西側は平地の中の街や田園地帯を抜けたり、大きな川をこえたり、日本と同じアジアモンスーンの風景が展開されていく。シンガポールにいると分からない、農のある風景;特に稲のある風景というのは日本人の心象風景として心地よい。6月なのに穂が大きいのは亜熱帯地域ならではの特徴だと思った。2期作なのかな。あと、南部に行けば行くほど、果物の作付けも多く、ちょうど今はマンゴーの季節だった。ランチスポットでうまく止まれず、台南新幹線駅までいっきに行く。駅ビルの中に一風堂を見つけ、つい入ってしまった。自転車持ち込みは難しいかな、と思いきやちゃんと預かってくれた。
その後も新幹線と並走しながら、高雄に近づく。晴れた土曜の午後は交通量が多く、市内はやはりちょっと怖い。高雄中央公園の近くの宿で2泊。さすがに休憩日を設けたのは正解だった。足を休めたり、服を洗ったり、バイクメンテしたり、公園でボケーっとしたりする時間は必要だった。翌日曜日は港近くで、ドラゴンボートでのレースを見たり、あと港湾部の再開発地域を見て回っていた。古い倉庫群跡地をカフェやショップにリノベーションしているエリアは特に面白い。建築デザインも多様。大きな再開発エリアを巡るのにも、いろいろなモビリティがあるのも今風でとても参考になった。
6日目 (高雄から車城) 88km
朝は高雄にちょうど帰省中の元同僚と会って、朝食を一緒にした。一緒に写真を撮ると自分の日焼けが突出する。曇りや雨の日でも日焼け止めが大事なことを思い知る。ソロライドの中において、久々に長々と話ができたのは良かった笑。それにローカルの人が食べそうなものを大量に注文してくれて、しかも奢ってくれたからもう感謝しかない。スタートが10時過ぎ、ということで、ランチをスキップ。真っ直ぐで平な道をひたすら南下。走りやすいところはDHポジションで自転車をこいでた。断然楽。やはりトライバイクの強みはそこなんだけれども、でも出番は正直あまり無かった。今旅もロードバイクやグラベルバイクを勧められたけど、実際トライバイクでも全く問題なかった。ただ、トライアスロンバイクを旅仕様に使ったのは、むしろ罰当たりな感じがした。唯一良かったことは、池上という東部の街で突然少年が話しかけてくれて、「僕もトライアスロンやってます。同じスポーツをやる者同士、応援してます」、と言って、お菓子を1袋くれたこと。些細なことだけど、そんなことが一生の思い出になった。
車城まで来ると、山と海に囲まれたのどかな田舎、という感じが強くなって、宿もかなり広い。部屋の目の前には畑と山。何人か同じくサイクリストを見かけたのはこの辺りが多かったと思う。最南端まで行くルートもあるのだけど、僕は公式ルートを選択したことで、若干のショートカット。翌朝のヒルクライムに備えて、その晩はガッツリ羊鍋を食べて就寝。
7日目 (車城から台東) 117km
この日は序盤にヒルクライムがあってからの東海岸沿い(太平洋側)を北上するルート。”来てよかった”、と初めて思ったのはこの辺かもしれない。ここでしか味わえない景色を堪能できたから。
ヒルクライムは500mぐらいのアップのようで、実はそれがどれほどのものなのか想像ができず、当初はかなりびくびくしてた。雨もパラパラと降る中だったから、かなり慎重で遅い登りだったけど、そこまで大変なものじゃなかった。むしろそのあとの長い下り坂が天国に感じられて、幅広な道路を一人占めしながら風をきって下れたことが最高だった。山エリアを抜けると、海岸沿いの道をずんずん北上。海を右手に、山を左手に見ながら、最高の景色を楽しむ。太平洋側は向かい風がきつい、という事前情報もあったけれど、そんなことはなかった。一部エリアで、進む道の先に、海と空が繋がってるように錯覚できる場所があって、まさに空に登っているような感覚をあじわえた。だけど、風をきって気持ちよく走っていた矢先に石(か何か)を後輪が踏んずけてしまい、大きな鈍い音がする。マーフィーの法則、じゃないけど、気分の良いときに限って、そういうアンラッキーなことが起きる。その直後は大丈夫そうだったけど、台東に着いて調べたら、やはりタイヤに穴が空いていた。シーラントのおかげで、全部の空気が抜けるところまでいかなかったよう。台東のホテルでは持っていた最後のスペアチューブを入れて修復。その後、ジャイアントのお店にタイヤを持って行って空気を満杯に入れる。空気入れは結局、台中、高雄、台東の3箇所で借りて補充したことになる。ジャイアントのお店を多用したけれど、どこもみんな親切。お昼は原住民の人たちが住んでいる地域のおしゃれなカフェで食べて(双亭院)、ホテルは台東の旧駅舎の目の前で、アートによる再開発エリア内だった。ここのホテルが唯一部屋に自転車を持ち込んでいいところで、ちょうどタイヤの修理をする必要があったから本当に助かった。
8日目 (台東から瑞穂) 100km
この日も快晴の中、景色を楽しむ最高のライドができた。米どころ、の池上ではご当地の池上弁当を食べて、のどかな田園地帯をゆっくり北上していく。夜は瑞穂という温泉街で、少し奮発して高い宿に泊まる。プライベート露天風呂で足の疲れを癒す。
9日目 (瑞穂から礁渓) 87km
瑞穂の宿で朝食をとってからさらに北の花蓮駅まで急ぐことに。というのも花蓮と宜蘭の間は、急峻で道路も狭く、トラックも多い、ということで公式ルートでも列車での輪行を勧めている区間。そのため、1時間に1本弱、という自転車をそのまま乗せられる列車に乗るために、ひとまず駅に向かう。この地域を襲った地震が起きてから1か月半ぐらいの時期だったけど、その爪痕を感じさせないくらいに日常を取り戻している印象。駅で1時間ぐらい待つ間にお弁当を食べて、その後、スムーズに乗車。僕以外にも数人自転車を載せている人たちがいたけど、みんな結構適当な感じで乗せてた。1時間ぐらいの乗車区間だったけど、窓からの景色は絶景だった。僕は羅東という駅で降りて、そこから礁渓という温泉町まで20kmぐらいさらに自転車で進むことに。山の近くの活気ある観光地、という印象かな。おしゃれな宿に泊まって、2日連続でプライベート温泉を楽しむ。ローシーズンということもあって、お客さんの数はまばら。でも質はすごく高いし、値段もそこまで高くない。
10日目 (礁渓から台北) 100km
ようやく最終日。この日まで無事に走行できたことに感謝。朝、礁渓の街をぶらぶらして、蘭陽博物館に立ち寄ってからのライドスタート。強いて言えば、この日はわりかし辛かった。トラックがとにかく多く通る海岸線の道はものすごく走りづらかったし、1時間ぐらいは雨に降られたこと、それから、台北近くのルートは自転車レーンがなかったり、交通量がとにかく多かったり、ルートが紛らわしかったりと、イライラすることが非常に多かった。疲れと焦りとゴールへの期待が全部混ざって、複雑な気分だった。それに2ヶ所トンネルを通るところがあったけど、(事前情報とは異なって)普通に車道の脇を走らされて、結構怖い思いもした。それでも、台北に近づくにつれて、旅の終わりに向けた高揚感が高まってきて、松山駅に着く頃はかなりの喜びだった。本来は0kmのモニュメントは出発時に立ち寄るべきなんだけど笑。その後、Brother Hotelに向かって3駅分、大通りをさらに進むことに。ホテルに着いた時もかなり感動した。行きはホテルを西に向かったのに、今回は東からたどり着いたわけだから。とにかく10日は長かったー。でも無事に帰ってこれたことが素直に嬉しかった。その日は、友人の友人の旦那さん、という方がご飯をご馳走してくれて、なおかつ車で市内をプチ観光案内してくれた。感謝。翌日はホテルの一角を借りてバイクパッキングをして、その翌日の早朝にシンガポールへの飛行機に乗ったとさ。
まとめ
たぶん台湾1周サイクリングは誰でもできると思う。(ある程度普段からサイクリングしている人は)体力的な心配はそこまでない気がした。走りやすいし、コンビニもたくさんある。むしろ、それだけの時間を確保できて、なおかつ、その時間をこういう体験に費やしたいか、の問題な気がする。事前にこのアイディアを思いついたときに、面白そう、と思ってしまったことがそもそもの発端で、取り憑かれたら最後、やるしかない。これをフィーチャーしたYouTuberさんの動画に触発された部分も大きい。以下2つ、すごく参考にした情報元を載せておく。
https://www.bikeexpress.com.tw/ja/2024/the-classic-9-day-cycling-around-taiwan-along-cycling-route-no-1-or-alternative-routes-jp/
https://discover-ride.com/taiwan1000km/
プラクティカルなことを言えば、僕の場合、荷物を長期間預かってくれるホテルを探すこと、サイクリストにフレンドリーなホテルを探すことが当初心配だった。今回の旅の経験からいえば、1泊1万円ぐらい(あるいはそれ以上)のところはかなりその辺の融通がきいたように思う。一般化はできないけど。一応、予約の際に、その旨を伝えておいた。全般的にホテルスタッフは優しくて、サービスも良かった。予約に失敗して、Refundできないだろうなー、という場合でも優しく対応してくれた。あとは、空気入れをどうするか問題に関しても、立ち寄った町の自転車屋さんで借りれば、問題なく走れる。
あと細かいことでいえば、中国語が少し話せたなら、もう少し楽しかったのかもしれない。英語と日本語が思いのほか通じず、例えば、同じサイクリストに話しかけられても、全く会話ができなかったり、おすすめの料理が分からなかったり、という場面も結構あった。次にまた台湾へ行く楽しみを取っておくことが出来た、と思えばいいのかなと。
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ある画家の手記if.17 依存
香澄を背負ったまましばらく近くの公園やそのあたりを歩いてたら始発がくる時間になった。 特に深い考えもないまま、駅のホームに入る。 背中の香澄は僕が好き勝手に動き回るのにも黙ってた。
「どっちに行きたい?」 「…わかんない」 「うん。僕も」 どこに行きたいわけでもない。でもここにいられない。 結局最初にきた電車に乗った。他に誰も乗ってない空の電車の、優先席に香澄を降ろす。 僕も隣に座った。 電車が揺れる、一晩眠ってなかったから腕と足を組んでうとうとしていたら香澄が僕の肩に頭を乗せた。僕もそれに寄り添うように頭を寄せた。 二人で寄りかかってしばらくうとうとする。 全部置いてきちゃったな。 ここからどこまで行けるかな。 財布の中身を眠たい頭で思い描きながら、片道分の計算しかしなかった。
二人だけに戻りたかった。 それだけ。 閉じた関係だって責められるかな 誰に? こんなこと僕も初めてなんだ。 あまり遠くに自主的に出かけたこともないし、その必要も感じたことがなかった この電車がどこまで行くのかも知らない うつらうつらしてるうちに外の景色は町の喧噪から少しずつ離れて、緑が増えて、建物は減っていった 少し心細いけど香澄もいっしょだから大丈夫 行き先を完全に手放すように、僕は姿勢をもっと楽にしてすっかり眠り込んだ
***
「…直人。直人、」 ぼんやりした視界に揺れる赤い髪。 「……」 「直人、降りなきゃ。終点だよ」 終点…… 「……ああ、うん。…そうだね」眠ってる間に終点まで来ちゃったのか。 折り返せばただ帰れるけど、どこに帰っていいのかわからなかった。 まだ午前中の陽。 奥深くはないけどそれなりの山中。明るい駅にはほかに降りる人はなかった。 駅名は聞いたことがなくもない、温泉とかがあるところだ。少し歩き回れば今日はこのあたりで泊まれるかもしれない。 香澄はそんなに歩き回れないんだった。 「香澄…少し歩きたいけど、ずっと僕におぶさってるの嫌?」 香澄は血が滲んで乾いたガーゼの貼ってある顔で少し頰を赤らめた。 「ど、どうだろ…松葉杖でも歩けるよ。ゆっくりだけど…」 「痛むんでしょう、そんなの僕が見てられない」 残念そうに眉を下げて香澄の目をじっと見たら、降参したみたいに渋々頷かれた。 「人が少ない道にしてね、ちょっとでも目立ってたら俺すぐ降りるからね」 「うん。大丈夫だよ、そんな大きな包帯巻いてるんだし。平日だからかな、人通り少ないみたいだし」 僕はしゃがんで香澄を座席から自分の背中に移動させる。 電車を降りるときに二人でゆっくりかがんで低い扉を通った。「僕たち少し縦に長すぎるのかな」「そうかも」二人で笑った。
閑散とした温泉街を香澄をおぶって二人で歩く。 香澄と、なんてことないやりとりをして、笑って、のんびりしてて、いろんなことがあるよりずっと前も、僕たちこんな感じだったかもしれない でも同じじゃない あの頃気にもしてなかったような足元に、冷たい空気が這うみたいに纏わりついて、 今ここにこうしてるのは何でだって、僕に問いかけてくる 「香澄、あの提灯かわいい」 宿のしるしなのかな、立派だけどちょっと古めかしい木造建築の店先に提灯が吊るしてあった。 「直人、気に入ったの?」 「うん」 ほかにもちらほら旅館や民泊みたいなところは見かけたけど、ここがいいかな。二人分の重量にそろそろ脚も疲れてきた。店の雰囲気からして中に温泉もあるみたいだ。 「今夜ここに泊まっていかない?お金なら僕が持ってるから」 「いいよ」 眠りこんでついた先で、なんとなくで決めた宿で、とりあえず今夜はここになったけど、なにも考えてない なにも…
香澄を背負ってたまま店に入ったものだから、女将さんにえらく香澄は心配された。 香澄の傷がどれもあんまり真新しかったせいかもしれない。 ここの温泉は怪我や痛みにも効きますからね、って効能の説明なんかを少しされたり。 「お二人とも背が立派ですね、スタイルがよくって羨ましいわ、ご兄弟かしら」 背丈だけで乱暴にまとめられた初めての憶測に少しびっくりする。僕たちどこも似てないと思うけど。 「え…と…」 「親戚です、義理の兄で。」 僕がうまく捌けないでいると香澄がナチュラルに嘘をついてくれた。旅先でくらい、嘘でもいいか。
通された泊まる部屋は広々としてて、障子から入る陽光が気持ちのいい和室だった。 香澄の部屋とも僕のアトリエとも違う、畳の匂いに背の低い調度品。壁には掛け軸。小さなスペースに生花。 ベッドはないから布団を敷いて寝るのかな。和室って慣れてなくて新鮮だな。 窓の縁も低くて、僕は障子を開けて縁に浅く腰掛けた。ここは二階。見晴らしがいい。 斜め横の畳の上に座布団をひっぱってきて足をかばいながら香澄も座った。 「…痛みはひどくなってない?」 包帯の下が具体的にどうなってるのかはまだ知らない。 「うん。いざとなったら、病院で出された痛み止めの薬もそのまま持ってきたから大丈夫」 「そっか…。ちゃんと飲むんだよ」 「うん」 ーーーー僕たち、どうしてこんなところにいるんだと思う? 急に首の後ろが焼けるように熱くなって、喉が詰まったみたいな感覚がして、息が切れ切れになってしゃくりあげるみたいになった、目からボロボロ大粒の涙がこぼれてきて、なんでかわからなくて背中を丸めて深く腕の間に頭を押し込める。 香澄は中腰になって僕のほうに手を伸ばしかけてやめた。 「………ぅ、……。…」 首が、喉が焼けるみたい。言ったら取り返しがつかないことを吐かないといけないみたい。怖くて指先も肩も震える。 こんなんじゃまた香澄を困らせるよ。ちゃんと言葉にして、何か言わなきゃ。 知らない場所、 誰も知らない、 遠い場所、 誰も僕たちのことなんて知らない、 宿に偽名は使わなかったけど、僕が相変わらず名廊直人だったって、ここではそれはなにも意味しない 僕はここでは ここでは… 「…かすみ…」 涙でかすれる声でうつむいたまま喋った。 「僕、しばらくここに… いてもいいかな」 「…しばらく?」 一週間、一ヶ月?半年?一年かな わからないけど 気がすむまで なんの気がすむのか分からないけど 香澄は少しの間黙って僕を見てたけど、いつもの声で言った 「それで直人が苦しくないなら」 苦しくなくなりたくてこんなところに来たんじゃないのか 呼吸はますます苦しくなる 全部置いてきてこんなに何もない場所で、僕はまだなにを怖がってるの?
続き
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大菩薩から旧青梅街道をゆく
コーポラの竣工検査等で休みのなかった6月終了し、気づけば7月。
先週土曜に引き渡しを終え、クタクタになるも、休養より気分転換!ということで翌日曜は山へ。前回の雲取山、三峯〜鴨沢縦走から早1ヶ月以上とは時がたつのが早すぎる。
今回は、大菩薩から奥多摩方面、丹波山までの旧青梅街道縦走。
昨年は丸川峠から登り周回したので、今回は、上日川峠から。福ちゃん荘から唐松尾根を登ります。
ご褒美のようないい天気。振り返ったら富士山。
ほどなく雷岩に到着。
眺望ゼロは承知のうえで、大菩薩嶺まで行く。
登山道は、人にワンコに大賑わい。
夏の富士山は力強い。見上げるときれいな花が。
ササラドウダン、初めてみました。
南アルプス、北岳もきれいに見えます。
ピークがあるなら踏みたいタチ。妙見ノ頭。
常に富士山が見える。
大菩薩峠、介山荘まで降りてきた。
心洗われる青空。この時期に、ここまで綺麗に見えるのは珍しい、と介山荘の方が言っていました。万歳。
賑わいの中かから、ひとっこひとりいなそうな丹波山方面へ。
この道が旧青梅街道。
青梅街道の始まりは1603年、江戸城開場のために必要な石灰を青梅から運ぶルートとして整備されたといわれます。
1878年(明治11年)に、最大の難所であった大菩薩峠を迂回する柳沢峠が開削されるまで、このルートが青梅街道でした。江戸から甲府まで、小仏、笹子の2つの峠を超える甲州街道より登りくだりが少なく、2里短かったので通る人は多かったそう。途中に関所がなく、理由あって正当には関所を越えられない訳ありの人が歩いた『裏甲州街道』だったそうです。
フルコンバを超え、ノーメダワ、ぽつんと三角点。
追分。ここまで人っこ一人会わず、ここで初めて人に会いました。最後までこの方ひとり。
花なし、眺望なし。太陽がまるでスポットライトみたいに当たっていたコケくらい。熊鈴はいつもの倍鳴らしまくって走ります。
いやあ、長いです。
沢があらわれて、気が涼む。
あと少し。高尾天平、たかおてんでえろ、と読むんだそう。そっち行きます。
丹波山村の舗装道におりたちました。
長かった。暑かった。最後もう一踏ん張り歩いて。
ゴール!とってもよい温泉でした。たっぷり1時間以上浸かり、久々の休息。
ここから奥多摩駅までバスで1時間くらい。雲取山の登山口の鴨沢にはほどなく到着しました。
江戸時代の青梅街道、ひたすらトラバースの多い道でした。秋に歩くと、紅葉が綺麗らしいです。丹波山村は、かつては宿場町として賑わった村だそうです。それにしても昔の人って健脚だなあ。草履で歩いていたなんて。逆方面、江戸から甲州はさぞ大変だっただろうと想像しながらの道中、良い気分転換の1日でした。
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立山撮影会 Feat. 伊藤剛
photo by Go Ito
4/30,5/1と立山へ行ってまいりました。今回はなんとあのプロカメラマン、伊藤剛君を招いての撮影会ツアーです。剛君の何がすごいって、白馬のスナックであの細川たかし氏の生歌を聴いている程の実力です。
冗談はさておき、本当にかっこいい写真をとる男なんで是非彼のインスタをチェケってください。
土砂降りスタートで始まったツアー、果たして撮影会はうまくいったのでしょうか。
30日の早朝、というより深夜、伊藤剛、テールガイドの川上豪のWゴウを引き連れ、暴風雨の中、北陸道を爆走してました。
なぜなら今回はゲストのリクエストで、富山から立山へ行ってみたいと。俺も富山から行った事ないので喜んで引き受けました。あと、帰りにあわよくば寿司を奢ってもらえるという、邪な考えがなかったといえば嘘になります。
一時間弱、電車に揺られケーブルカーへ。こっちのケーブルカーは後ろに滑車がついてるんすね。車内のアナウンスによると、なんでも黒部ダム建設時に資材を運んだとか。ん?でもその頃って大観峰とか黒部平駅ってあったのかな?どうやって室堂からあのダムのあたりまで資材を運んだのでしょうか。気になるぜ。
電車〜ケーブルカー〜バスの接続もとってもスムースでとっても楽。生憎の天候で滝はおろか周りの景色も全然見えなかったので、一時起床の我々はセカンドでイントゥーザドリームしました。あ、秒で夢の中ね。
恐ろしくスムースに室堂到着。しかし外は暴風雨。とても気軽に出れたもんじゃございません。
ひとまずそばを喰らう。あの妙に美味い駅そば系のやつです。
布施君を始め、みんな雨が止むのをターミナルで待っていました。
インドに行った人に聞いた話、インドではその辺でよく人が寝ているとのことでしたが、室堂も例外ではないようです。
昼前にようやく風も収まり、雨も止んできたので雷鳥荘へ。
立山の鳩にも軽く挨拶。お邪魔しやす。
今日は夕日に照準を合わせて動こうという事で、しばらく待機が決まった瞬間、早くもアルコールをぶち込む不良ゲスト達。
雨は完全に上がり視界も回復してきたのでそろそろ動きますか。
ひとまず短い斜面を味見。
雨のおかげで走るザラメ。こいつはいいぞ。
よーしまずは様子見で、軽く登ってみよー!!
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さて、ここからプロの写真をお楽しみください。
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雨の縦溝もそれほどひどくなさそうです。
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おーし、ちょいと味見してみましょうか。
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ヒュ〜〜〜。
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流石、かっこよく撮りますねえ。
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トーシロとの違いをまざまざと見せつけられました。
しかし未だに太陽は顔を出してくれません。
このまま晴れなかったらどうしよ〜。
まあ、それでも晴れると信じてもう一本行ってみましょう!
登り始めて程なく、何やら雲の隙間から見覚えのあるシルエットが。
おおお〜これはもしかしたらもしかする〜??
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キタコレ!!
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だから言ったじゃないの〜。夕方来るって!さっきまで超ソワソワしてたガイドはどこのどいつでしょう。
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一同テンション爆上がりです。
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みんな映画の主人公にでもなったかのような格好良さ増し増しな写真を撮ってもらっていました。
実際の風景は、はい次の人どうぞ〜!と順番待ち制度で草。
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お、またかっこいいアングルだねえ。
でも実際はこんな感じ。こらこら、そいとこ写すのやめなさい。
さて、偽装写真は充分撮れたのでそろそろ滑ってみましょうか!
いよいよ光もいい感じになってきそうですよ!!
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はい、渋い!
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剛君の指示で次々といい絵が産まれていきます。
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これなんかもう。
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もう余計な言葉はいらないですね。
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あーーー。
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うわーー。
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うわわわわわ。
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名作量産されました。
この他にもバンバンいい絵が撮れていますが紹介しきれません。
これがプロの実力ってやつか。
素晴らしいひと時でしたー!!
いつもは夕日といえばピンクに染まる西斜面が多かったんですけど。今回の剛君の狙いは光と陰を織り成す南斜面。かくして作戦は大成功。
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宿への帰り道、刻々と変わる空の色が疲れを癒してくれました。
美味いビール飲んで、風呂入って、屁こいて寝ました。
さて二日目。昨日のセッションですでに満足気味なゲスト達ですが、昨日の絵を越えるまでは無理だとしても、それに匹敵する絵が撮れるかもしれないある作戦を閃きました。
それがこちら。今回の大雨により、窪地には池ができており、昨日、BCキャラバンとマウカアウトドアのコラボツアーでガイドの二人がチャレンジして大盛り上がりしたそうで。
水のスプレーを剛君に撮ってもらったら果たしてどんなの撮れるのでしょう!!
またテールガイドの豪君も結構ウォーターライドしてるのでいい先生もいる!こんな状況なかなかないしやるっきゃない!!落ちたらびしゃびしゃだけどそれはそれでいい絵が撮れそう!
不安もありつつもそれを越える期待でワクワク。しかし、ある一本の電話がその期待を一瞬にして絶望へと変えてくれました。
電話の相手は先述のマウカのイタル君。「隊長、今日、ウォーターライドしに行くって言ってましたけど、池が…ありません。」
何を言っているのか理解できず、とりあえず外に出て己のまなこで現実を直視。あ…、あ、あ、あ、あ…。まるでドラゴンボールZのクリリンのような声しか出ません。恐らく溜まっていたのは雨水で一日経って雪の中に染み込んでしまったのでしょう。
ショックを隠し切れない面々。
まあ、でもせっかくの天気なんで楽しみましょう!午後から崩れる予報なんで午前勝負です!
今日は気温低めの予報。朝一は一番早く緩む東斜面から。予想通り適度に緩み走る雪で快適でした。
目指すは小一時間歩いた先にある東斜面。
なかなかシビアな登りです。
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そんじゃあ行ってみよー!!
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Photo by Go Ito
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絶妙に緩んで綺麗なザラメで気持ちよか!!
ボトムまで滑り込み、弁当食って登りかえし。
登り返して剛君と合流する頃、雲もだいぶ増えてきました。
光も入らないので撮影も無理だねって事で最後は盛大にパーティーラン!!
雪もいい状態で無茶気持ちのいい一本でした!!
てなわけで、土砂降りのスタートでどうしようかと思ったツアーは結果的に大成功に終わりました!!
今回の教訓は雨の後の泉を発見したら直ちにやるべし!って事でした!!
ゲストの皆さん、Wゴウ君、お疲れ山でしたー!!&おしょっ様でしたー!!
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年6月1日 ��の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の風の良き加減 三無 緑陰の間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
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令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友となる 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
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令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀��� 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
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令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田)
第12回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネス合宿(2023年8月26日-27日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202308.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/812427666889630 今年で11年目を迎えたオープン合宿。「160年の荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。 茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社&御岩山への巡礼も行う予定です。 そして、木の里農園さんのコテージを拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」での援農・収穫体験をし、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、そして冷たいスイカと花火で夏の日の夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。 このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラーの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。 主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo ■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」 ★有機農指導担当:布施大樹さん(奥様:美木さん) ●東京都出身。東京農工大学農学部環境・資源学科卒業。在学中に沖縄の波照間島でのサトウキビ刈りアルバイトで農業に目覚める。栃木県の帰農志塾で研修後、1998年に現在地に就農。あらゆる野菜・作物の栽培、管理を行い有機農業の可能性を追求。家族で約2haの木の里農園の経営を行い、約50種類の有機野菜を全国に出荷している。 ・木の里農園 http://konosato.com/ ・種継ぎ人の会 http://tanetsugibito.com/ ★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。 ■開催日:2023年8月26日(土)- 27日(日)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日27日16時頃に現地解散予定です ■集合場所: 道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694−3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html ■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)> *10時:集合場所(道の駅さとみ) ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り *10時15分〜:手打ち蕎麦ワークショップ *12時〜13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶 *13時30分〜22時頃: ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。 ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります) ・300年古民家「菊地邸」訪問 ・木の里農園にて有機野菜の調達体験 ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け ・よる花火とスイカのうたげ ・荒蒔邸の囲炉裏を囲んでのダイアローグ(対話) ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算) *22時頃:自由時間 *23時頃:就寝 <8月27日(日)> *05時:起床〜朝のさんぽ(朝陽を拝む) *06時:全員で朝食準備&朝食&片付け *08時〜:森夕花先生のマインドフルネスセッション *10時〜:清掃・片付けをし移動 *11時〜:御岩神社、御岩山巡礼リトリート(標高492m) *14時〜:日立おさかなセンター食事処で昼食&クロージング *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します) ■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com ■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。 お気軽にお申し込みください。以下は参考です。 どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、 スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、 リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。 お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。 ■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します ■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります) http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します) ■定員:15名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。 ■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform Peatixからの支払いも可能です。 https://kanglohoops202308.peatix.com/view ②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected] ③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金 ④これにて「申込完了」となります。 ■詳細パンフレットを下記よりダウンロード頂けます。雰囲気だけでもどうぞ。 https://firestorage.jp/download/0043db17b8ec86a09890b17a59239b92fbadf08d ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp ■協力:木の里農園 布施大樹さん・美木さん、深津澄世先生、田中尚也さん、本橋寿幸さん、藤井家母、実弟
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小旅俳句集
■2022年6月
百日紅蟻達急ぐ大通り
炭酸水急坂上る泡の粒
城跡に白き花の香にせあかしや
若葉風隣の町につながって
青芝の種よく食べる庭の鳩
絵葉書の潮騒低く鳴りにけり
長調に短調混じりて夏の雲
■ 2022年7月
鬼子母神抜けてさ迷う目白かな
宿題や父がすすめた山椒魚
建て替えの夏に佇む給水塔
ほうき草群れて転がる畑かな
夏鴨やあくびをひとつ雨野川
夏合羽俳句届ける赤バイク
暑すぎて蝉も戸惑う鳴き始め
■2022年8月
蜘蛛の糸心ごころにしがみつく
百日紅花が転がる風の道
草いきれ錆びた自転車眠りけり
白壁の色を重ねる蝉時雨
青桐の葉が風に揺れおやつどき
鉄道草袖振り合うや通う道
かなかなや鎮守の森に響く夕
■2022年9月
眠れぬ夜窓開けて聞く虫の声
秋思う空気のようなこのうつつ
残りの蚊大きなかゆみ残しけり
レモン買う遠くの町の今日の日に
稲妻のごときおいしさエクレアや
白粉花赤白黄色親しげに
行き先をバスに委ねる葉月かな
■2022年10月
九月尽名前を記すオムライス
秋風に選句投句の拍子あり
山粧う秘密知らないままにして
電池切れ昭和に戻る雨月かな
やや寒し削れた肌のいけず石
秋深し何をまつるかがらんどう
宵闇にくねる暗渠の帰り道
■2022年11月
こだまするあちらこちらの秋の暮
渡り鳥わかれて次はいつ出会う
ぼうとする芒の続く山々や
つつましく暮らす毎日色なき風
食べてみる意外と甘い青蜜柑
日を浴びて輝いている柿の色
落葉降る夜の校舎の曲がり角
■2023年1月
新年会カーテン巻いて待つこども
冬枯れの内に流れる命かな
長老木のまた一年を巻く姿
凧あげて空を眺めるふたりかな
歌がるたお手つきばかりのこどもたち
初夢や夢の中にて夢を見る
帰り道振り向く二匹狸かな
■2023年2月
しら梅や池の向こうの知らぬ街
春炬燵ふと思い出す前世の名
鳥曇なかなか消えぬすねの傷
春節や強き店員五目麺
東風吹くやオランウータン空歩く
春浅し髪にしみ入るお焼香
三人の日々に新たな春が来る
■2023年3月
沈丁花皆に香りを配りけり
春霞静かに響くジムノペディ
花粉症隣の部屋に気配あり
道しるべ倒れて春に迷いけり
ぶらんこやふわりと昔思い出す
頬杖や冷めた珈琲春を待つ
春愁い並ぶ列車の別れ行く
■2023年4月
風車肩こらぬ術知りにけり
春霞メガネのくもり拭きにけり
花の雨鳥喜んで蜜を吸う
見上げるとビニール傘に花ひとつ
春の夜や一駅歩く長い道
ひなげしやアタッシュケースのなくしもの
新緑や並木を静かに曲がるバス
■2023年5月
柔らかきシャツ選ぶ朝夏浅し
宵宮や二面踊りの音の響き
多摩川にアカシアの花さらさらと
青林檎いつも通りを渡りけり
部屋の角怖がっている素足かな
タラちゃんや年少さんの春の夢
瀧の線トコひんまげテ落ちにけり
■2023年6月
レシートや財布の中の走馬灯
紫陽花や土の様子を見て咲けり
イヤフォンのコードをほどき風薫る
どこまでも続く街灯半夏生
束の間の静かな森や箒草
白靴や日々に追われて思い出す
頼もしき青面金剛南風来たる
■2023年7月
砂浜に落としたままのサングラス
神鳴りやいつもの行い試される
あざやかなおしろい花の流れかな
紅はちす子等の幸せ願いけり
白はちす蕾のままのあなたかな
百日紅季節の風が広がりぬ
見上げれば白さるすべり空にあり
■2023年9月
水澄めり寝転んでいる朝のソファ
水澄めり去り行く人のうた残る
葉月なる白き公団影送る
新しく古き光や今日の月
枕もと本重なりて獺祭忌
秋風鈴何を残すか思案橋
秋雨や優しい顔の石仏(いしぼとけ)
■2023年10月
薄暗きカーテンの色秋の暮れ
天高し鳥たちのごと子供たち
爽やかに朽ちる看板コカコーラ
閼伽堂(あかどう)の光る水面や蕎麦の花
軒先でわいわい騒ぐ瓢(ふくべ)かな
山門にランドセルの子等秋麗
木犀の二度咲きのごと今日の日は
■2023年11月
鳳仙花羽ばたく方に咲きにけり
歌うたび消え行く言葉色なき風
秋の夜の続く街灯長い道
知り合いのいない校庭秋の暮
薮枯らし満員電車に隙間なし
花野風空に舞たる繰り返し
秋色の列車佇む停車駅
■2024年1月
いてふ舞ふ裏の稲荷の明るさよ
閉店の本屋に迷ふ冬の虫
数へ日の冷えた帰りのアスファルト
冬枯れに聞こえたやうな五時の鐘
黄昏るゝ冬木の影や文机
脈を打つ時計の針や年の暮れ
地下鉄の水の流れや春隣
■2024年2月
梅の香や初めて出会った朝の夢
春光や瞼の奥に広がりぬ
空(くう)の字や駐輪場の春の宵
あざやかや寺の垣根の落椿
春告鳥また同じもの買いにけり
春一番居なくなりけりいけず石
行き先を間違え戻り春浅し
■2024年3月
レコードの傷なぞる音春浅し
春愁や猫の暮らしも甘くない
沈丁花行き交ふ年を眺めけり
地下鉄の階段長し春の風
春の雪空き家の上にも積もりけり
深川の蛙は今日も鳴きにけり
鳥帰る忘れた物を思ひ出し
■2024年4月
菜の花や木々の向かうにある故郷
ひらひらと川面で落ち合ふ桜かな
朧なる頬撫でる風過ぎて行く
春雨や割れた茶碗に土匂ふ
ビルの間の小さき蕎麦屋春霞
行く春に「無」の点ひとつ消えにけり
春の闇足下の邪鬼耐へにけり
■2024年5月
淋しさに口笛を吹く桜桃忌
ひなげしやいつかの日々に迷ひこむ
あかしやの白き雨降る地蔵堂
滝風に打ち明け話消えにけり
夏立つや昔の歌を思ひ出す
風青し電信柱に昔の名
夏豆や小さき約束沢山あり
■2024年6月
初夏や地を確かむるスニーカー
琵琶の音の心ふるはす夏の夕
やはらかき紫陽花の上夢を見る
雨止みて鳴きそむる鳩夏の午後
一日を静かに終ふる露台かな
街の灯やにじみて消ゆる夏の夜
梅雨深し駅の緑の伝言板
■2024年7月
擦れ違ふ団地のおはぐろとんぼかな
水無月や知らぬ駅にておりにけり
背の汗や列車待つ朝長き時間
夕顔や町の何処かのピアノの音
夕凪や孤独と共に歩きけり
近道はあっといふ間に草いきれ
この宿はいつかの住処紙の虫
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2022年12月29日
3年ぶりに行動制限なし 新幹線は帰省ラッシュのピーク(RCCニュース)
3年ぶりに行動制限のない今年の年末年始、JR広島駅では新幹線の帰省ラッシュがピークを迎えています。
JR広島駅の新幹線ホームや改札口は年末年始を故郷で過ごす人たちで賑わい、キャリーバックを手にした人たちで混雑しています。
帰省客 「女房の実家に子どもを連れて、3年ぶり。コロナ前以来。子どもも大きくなっているので、久しぶりに会わせてあげたい」
JR西日本によりますと、きょう午前11時現在、新幹線の下りの自由席乗車率は130パーセントから140パーセントとなっています。東京発「のぞみ」の下りの指定席はほぼ満席だということです。
新幹線のUターンラッシュのピークは年明け3日の見込みです。
youtube
帰省ラッシュピーク 3年ぶりに行動制限なく混雑(NHKニュース)
JR広島駅では、東京や大阪方面から下りの新幹線が到着するたびに、大きな荷物を持った家族連れなどが次々とホームに降りる姿がみられました。
埼玉県から妻と子ども3人と一緒に、妻の実家のある山口県岩国市に向かうという男性は「指定席が取れなかったので自由席に乗りました。朝5時すぎに出発したので大変でした。在���線の乗り継ぎがあるのでもう少し頑張ります」と話していました。
また、2人の子どもを連れて福岡県の実家に帰省する女性は「去年よりも混んでいると感じるので、年明けはピークを避けて早めに戻る予定です」と話していました。
JR西日本によりますと、山陽新幹線の下りは29日が混雑のピークで、自由席の乗車率は広島駅に▽午前10時27分に到着したのぞみ5号が140%、▽午前10時54分に到着したさくら549号と▽午後4時23分に到着したのぞみ33号がいずれも130%となり、指定席も終日ほぼ満席になったということです。
正月食材求め去年上回る客数 JA直営の販売所 広島(広島ホームテレビ)
今年も残すところあと3日です。コロナ禍で3度目の年末を迎えたJAひろしま直営の販売所では去年を上回るお客でにぎわっています。
古武家朋哉記者「こちらの店では年末年始の買い物客で朝から大混雑です」
安佐南区の「とれたて元気市」では、正月の食材や飾りつけなどを求める客でにぎわっていました。店によりますと午前中から去年を上回るペースで客が訪れているということです。
今年の特徴としては墓や仏壇に供える花の売れ行きが好調だということです。
「久しぶりにお正月帰ってきました。3年ぶりよね」 「家族がそろうということはうれしいですもんね。大変ですけど」
こちらの店では客の入りが増えた要因として「行動制限がなく帰省する人が増えたことで消費意欲が上がったからではないか」と分析しています。
【新型コロナ 高齢者への感染防止にご協力を】(広島県)
【本日(12/29)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で6087人感染確認6人死亡 29日発表(NHKニュース)
広島県では29日、新たに6087人が新型コロナウイルスに感染していることが確認され6人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で2567人、▼福山市で1281人、▼東広島市で387人、▼呉市で378人、▼廿日市市で276人、▼尾道市で266人、▼三原市で149人、▼府中町で102人、▼三次市で91人、▼海田町で90人、▼大竹市で85人、▼庄原市で68人、▼府中市で65人、▼熊野町で51人、▼江田島市で46人、▼竹原市で42人、▼世羅町で35人、▼安芸高田市で29人、▼坂町で27人、▼北広島町で24人、▼神石高原町で14人、▼大崎上島町で9人、▼安芸太田町で5人のあわせて6087人です。
1週間前の木曜日より752人多く、県内での感染確認は、のべ66万92人となりました。
また、県内では患者6人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は1013人となりました。
新型コロナ医療体制 病床使用率60.3% 28日時点(NHKニュース)
28日の時点で病床の使用率は60.3%(確保病床数886床、入院患者534人)。
このうち重症患者用の病床使用率は25.0%です(確保重症病床52床、重症の入院患者13人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1240室を確保し、362人が過ごしています(利用率29.2%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は1296.12人です。
現在、広島県の感染レベルは、1から4の4段階のうち発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
コロナ 死者420人で過去最多 感染19万2063人 29日厚労省まとめ(NHKニュース)
29日に発表された新型コロナウイルスによる全国の死者数は420人で28日の415人を上回って1日の発表としてはこれまでで最も多くなりました。また、29日に発表された新たな感染者は19万2063人でした。
厚生労働省によりますと、29日発表した国内の新たな感染者は、空港の検疫などを含め19万2063人となっています。また、国内で亡くなった人は420人で、累計5万6648人となっています。
東京都 コロナ 23人死亡 1万8372人感染確認 2日連続前週下回る(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 20人死亡 新たに1万1727人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は252万8928人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて7102人となっています。
磐梯山で火山性地震が増加 気象台が注意呼びかけ【福島県】(福島中央テレビ)
磐梯山で火山性地震が増加しているとして、気象台が注意を呼び掛けています。
福島地方気象台によりますと、磐梯山では27日正午ごろから火山性地震が増加し28日、1日としては過去最多の777回の揺れを観測しました。
磐梯山で火山性地震が増加するのは、2000年8月に1日で476回の揺れを観測して以来、22年ぶりです。
29日午後3時現在、地殻変動や監視カメラによる観測で��段の変化は見られていないということです。
磐梯山は現在、5段階の噴火警戒レベルで一番下の「レベル1」となっていますが、気象台は今後、火山性微動の増加など火山活動がさらに高まった場合、「レベル1」から「火口周辺規制」を示す「レベル2」に引き上げる可能性があるとして、注意を呼びかけています。
【MEGA地震予測】のスゴい的中率!東大名誉教授が1月5日まで警戒を促す東北地方と、予兆が見られるほかの地域
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