#道の駅伊勢志摩
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2024.2.9 三重 伊勢鉄道 河原田 玉垣
ミジュマルラッピング電車 伊勢鉄道の全4両勢ぞろい
↓近鉄のミジュマルラッピング電車
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ���ナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳��緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2023年11月3、4、5日(金土日)
いずれも晴れ。平日のつまらなさに疲弊しておりせっかくの三連休も別にバイクに乗らなくて良いか……みたいな無気力感でいっぱいでしたが、とりあえず無理な気持ちになったら帰ってくればいいやというゆるい感じで木曜夜に出発。休日朝、東京を脱出する高速道路はどこも渋滞するので。沼津まで走って快活クラブで一泊。人生3回目のネカフェで初宿泊、思っていたよりだいぶ快適です。夜に出るツーリングで活用していきたい……。 11月3日(金) というわけで金曜は沼津スタート。国道一号線をトコトコ走って西へ。高速道路は怖いしつまらないので、下道を使う余裕のあるツーリングは本当に素晴らしい。国道もツマランという意見もありますが、わたしは結構好きです。渋滞してなければ���道の駅もあるし。 浜名湖辺りは海すれすれを走る自動車専用道路で、信号もなく快適でした。なにより景色がよい!あのへんは東名からの景色も好きです。長い橋と海とを見渡して山に入っていくあの感じ。山にホテルが見え隠れしているところも旅感があって好き。国道からだと長い砂浜が渥美半島まで断続的に繋がっているのがわかって面白かったです。 それから伊良湖岬まで走って伊勢湾フェリーで鳥羽に渡りました。最終フェリーに間に合って良かった……港で船を待ちながら日没。 11月4日(土) 6時に起きて出発!と思っていましたが案の定起床失敗。8時前くらいに走り出して伊勢神宮にお参りしました。といってもいきなり内宮に乗りつけるという無法ぶり。すみません忙しない観光客で……。というかまあまあ朝なのに宇治橋最寄りの駐車場は既に満車、1時間待ちの渋滞でした。すごい。四輪の渋滞を尻目にバイクは余裕の駐車。二輪車万歳。早起きが苦手なひとは二輪車に乗るといいと思います。 赤福本店も食券購入が少し並んでいるだけで助かりました。できたての赤福、口のなかで餡と餅との区別がつかないくらいやわらかくて「いままで食べてきた赤福はちょっと固くなっていたんだ……」と悟りました。仕方ないね。 有料の伊勢志摩スカイラインはもちろん、パールロードなど鳥羽・伊勢・志摩の道はどこも素晴らしく気持ちが良かったです。広いし、高低差やくねくねも面白いし、景色もいいし。地元民はめちゃくちゃ飛ばすけど……。ともやま公園というところから英虞湾を眺めましたが、入り組んだ地形と穏やかな湾と街が素敵でした。 この日はフェリーを諦め、亀山に宿泊。関宿という東海道の宿場町にあるホテルに泊まりました。 11月5日(日) ぼちぼち東京に帰り始める。関宿は「東海道関宿街道まつり」が行われていました。街道沿いの古民家カフェで朝食を食べていたところ、山車が通っていくのを見られたのでたいへんラッキーでした。マイクロバスから降りてくる武者や甲賀忍者たちも。旧街道の宿場町を巡るツーリングとか楽しそうだなあと思いました。もう寒くなるので、また次のシーズンですね……。 四日市から高速道路に乗り、えっちらおっちら東京を目指して走りました。今日もよく晴れていて、下りの薩埵トンネルを抜けたときの景色は最高でした。寒い時期は富士山がよく見えて嬉しい。由比PAに止まるのは時間的に諦め���したが、結局御殿場あたりで渋滞していたので東名を降り、山中湖から道志みちを経由して都内に帰りました。もう夕暮れにさしかかっていて、橙や藍色に染まる富士山がほんとうに美しかったです。ラッキー。山中湖の紅葉もライトアップされていて綺麗でした。伊勢鳥羽はまだあまり紅葉していなかったので、やっと秋を感じられたなあ……。ラッキー。 木曜夜のテンションの低さはなんだったのか、やっぱりツーリングは出発してしまえばすごく楽しいなと思いました。今回はお天気もずっと良かったし。バイクの運転、楽しいです。次回もご安全に!
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【新たなご縁💖】
3月に松阪に住んでる母が膝の皿を骨折したので
約1ヶ月我家に居候してたけど
骨折も治ってギブス外して歩けるようになったから
母は自宅へ戻ることに
母が手作り雑貨を販売している道の駅茶倉しばらく行けてなかったので
整理がてら行ったら、母の雑貨がどこにも無い
えっ??えええ~~~~???何で????
スタッフさんに聞いたら4月から経営が変わったらしく
契約しなおしになるので、一旦片づけたとのこと
それで荷物を引き取りに行った時に、4月から経営されてる株式会社エバーグレイズさんのグランピング施設を任されておられる責任者の方が来られてて少しお話した
エバーグレイズさんは「アメリカンスタイル」をイメージしているそうで
当店のレインボースイーツがイメージにピッタリだと言っていただき
「からふるん」「まぁぶるん」をグランピング施設で販売していただくことになりました
まずは伊勢志摩エバーグレイズさんで販売開始!!!
残念ながら施設利用者以外は入れないんですけどね~(;^_^A
そして~~道の駅茶倉で「やみつきサブレゴマ&豆」を販売開始しましたヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
こちらは誰でも購入可能です!
https://www.everglades.jp/riversidechakra/
来年にはリバーサイド茶倉にグランピング施設ができるそうです!
最近ヴィソンとかもできて三重に人が集まるようになってきてるので
粥見も若い人が増えるかもしれないですね~(#^.^#)
伊勢志摩エバーグレイズさんにお泊りに行かれる方よろしくお願いいたします!!
https://www.everglades.jp/iseshima/
滋賀にもあるらしいです!
#まる兄きっちん #伊勢志摩エバーグレイズ #エバーグレイズ琵琶湖 #グランピング #レインボースイーツ #販売開始 #新しいご縁 #道の駅茶倉 #販売開始 #リバーサイド茶倉
#出張料理 #オーダーケーキ #出張レストラン
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道の駅伊勢志摩/三重県志摩市【道の駅】みやげ処忠楊本店で【ランチ】
道の駅伊勢志摩とは 道の駅伊勢志摩(みちのえきいせしま)は、三重県志摩市磯部町穴川(みえけんしましいそべちょうあながわ)にある道の駅だ。 『じゃらん』全国道の駅グランプリ2020」で3位となったそうだ。 道の駅伊勢志摩は、伊勢志摩国立公園のほぼ中央に位置する志摩市にあります。尊い歴史と豊かな自然の中にスペインの情緒があふれるこの町の国道167号沿いに開駅し、インターネットを利用した観光情報発信機器を設置しています。また、道の駅の隣の物産館では農水産物を販売しています。 道の駅 伊勢志摩は「『じゃらん』全国道の駅グランプリ2020」で3位となりました。 道の駅 伊勢志摩 | グルメ・みやげ | 伊勢志摩観光ナビ – 伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト から引用 (more…)
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#あっぱ貝#キッチンカー#コーヒー#サザエ#じゃらん#みやげ処忠楊本店#ランチ#レストラン#三重県#伊勢志摩#伊勢海老#全国道の駅グランプリ#刺身定食#志摩市#海鮮丼#焼きガキ#牡蠣#磯部町#穴川#貝#貝焼き#道の駅#道の駅伊勢志摩#長太郎#駐車場
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大手私鉄最長の新青山トンネル内の22.8‰登り勾配を130km/hで駆け抜けてきた伊勢志摩ライナー この先いくつかの停車駅を経て大阪難波へ。 #近鉄特急 #近鉄 #近鉄電車 #伊勢志摩ライナー #鉄道写真 #鉄道のある風景 #雨 #特急 #特急列車 #東京カメラ部 #ニコン #水しぶき #railways_of_our_world #tv_transport #train_nerds #pocket_rail #almostperfect_wheels #tv_transport #trb_express #trainstagram #trainspotting #railstagram #japan_daytime_view #gris_premium #新青山トンネル #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 #nikon (西青山駅) https://www.instagram.com/p/CTOUafGPUxU/?utm_medium=tumblr
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【JR & 南海 新今宮駅 2019.02.05】201系、南海12000系泉北ライナー、南海6000系
3月のダイヤ改正で、大阪環状線の線内列車は3扉車に統一。オレンジバーミリオンの4扉車201系が大阪環状線での最後の活躍。またサハ201も置き換え完了後は見納めとなります。 南海高野線では、サザンプ��ミアム南海12000系が泉北ライナーの代走運用についてました。 通勤車は6000系天国。もうすぐ新車へ置き換えが始まり、2023年度までに引退する予定です。 <部分> 00:00 201系LB9 大阪環状線 最後の奮闘 環状外回り 新今宮駅 出発 01:36 泉北ライナーにサザンプレミアム用 南海12000系12001F 特急 和泉中央行 南海新今宮駅 01:20 南海6000系天国! 高野線(片開き6000系の置き換え開始発表済) 【京阪&近鉄】丹波橋駅 ビスタカー、伊勢志摩ライナーなど 2019.02.01 <プレイリスト> 鉄道動画集2019年 Railway Movies 新今宮駅 Shin-imamiya St. 201系 2017- JR West EMU 大阪環状線2016-2019 Osaka Loop Line 南海6000~6300系 2019年以降 南海高野線2017年以降 南海高野線特急 泉北高速鉄道2014- 南海本線特急サザン・サザンプレミアム 関西の私鉄有料特急 2013年以降 Limited Express
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調べあげてマウントしてくるパターン。
★ Part.10 ★ 後日、調べあげてマウントしてくるパターン。
(細川)和歌山どうやって行ってるん?
(私)細川さん、河内長野住んでるでしょ?父鬼ってあるでしょ?そっから紀の川沿いで行ってる?
(細川)あの、橋本駅に出るところやろ。なんで知ってるん?
(私)いや、違います。鍋谷峠っていうバイパスが最近できてます
(細川)南海電車走ってるところやろ?知ってる
(私)いや、そこじゃなくて、もっと西の方です。
数日後、調べまくって実際マウントを仕掛けてきます。
(細川)この前行ってた、480号走ってきたわ。
(私)すごい長いトンネルあったでしょ
(細川)知ってる。何度も通ったときあるわ。
(はい。お決まりのもう、知ってたアピール。何回も調べあげてマウントしてくるので、また始まったーっ聞き役に)
(細川)昔はな、あんなんなくて、山道を何回も通って行ってたわ。先にある道の駅で、焼きたてのパン買うのもう常連やねん。
★ Part.11 ★ 後日、調べあげてマウントしてくるパターン+即答当たり前マウントパターン
(細川)三重県西の方も一周したわ
(私)伊勢志摩の道の駅行きました?試食美味しかったでしょ!
(細川)どの辺にあるん?
(私)伊勢神宮あるでしょ?標識がたくさんあるから、すぐわかると思うんですが?
数日後、お決まりの調べあげてマウント
(細川)伊勢志摩の道の駅で車中泊したわ。いつも、あそこで寝泊まりして、鳥羽の方に牡蠣食べに行くねん。
(私)パールロード走りました?鳥羽展望台良くなかったですか?
(細川)なんで知ってるん?俺の行きつけ��ところ!
(私)どうでした?
(細川)あの山を登っていくところやろ?
(そりゃそーやろ。また後日調べあげてマウントしてくるのかな?)
(細川)石があるとこらやろ?ソフトクリームもあるし
(おー、後日じゃなくて即答パターンですかー。無難なところ攻めますねー。 そりゃー展望台やから登るし、石?はあるな。ソフトクリームは面白い。
どこでもありますもんね。笑笑。まあ、それで嘘がバレないと思っといてください。
即答パターンやから、調べる事ができないですもんね。安全策でどこでも当てはまる事しか言えないもんね。おもろ)
★ Part.12 ★ 即答当たり前マウントパターン
(細川)瀬戸内海で釣りは行ったことあるん?
(私)無料で行ける、鹿久居島ってあるねんけど、ママカリとか釣ってすぐ食べると美味しかったな。
(細川)そこ知ってる。なんで知ってるん?
(私)眺めが良くていいですよね。
(細川)俺なんて、瀬戸大橋を渡って穴子100匹釣れたわ!(おー、始まった。お決まりの釣果マウント)
帰りは、しまなみ海道わたって、こんくらい(80センチ?)の真鯛連れたわー。
(まー、誰もが知ってる大橋の名前ですぐ作った感じが素人っぽいです。 嘘つきのプロなんでもう少しバレないように工夫して下さいよー。お願いします。
あ、即日は無理なんか。笑笑。後日調べあげてマウント方式ですまんね。失礼しました。)
★ Part.13 ★
(細川)昨日、舞鶴行ってきて、魚料理食べてきた。家族で3万食ったし!
(私)あー、赤煉瓦あるところですよね
(細川)なんで知ってるん?
(私)冷房効いてて、意外に人がいないから休むのに最高ですよね!
(細川)他にもグルメあるん?
(私)出店で海軍カレーあったけど、高いから、館内のレトルト商品買いましたわ!
その後、すぐに従業員Aにも話す
(細川)昨日、舞鶴に行ってきたわ
(従業員A)なんか、久々やなー。
(細川)赤煉瓦に行って、海軍カレー食べたわー。
(従業員A)美味しそうやなー
(ちょっと、私に聞こえてますよー。こういう事をしてるのは分かってたけど、せめて気を遣ってねー。
人の情報を自分の情報として伝達するのは知ってるし、私にしてくるのも知ってまーす!お見通しですよー。甘い)
★ Part.14 ★
(細川)御坊市でアコウの巨大魚、連れて周りの人もびっくりしたわー
(私)アコウは若狭でよく釣れますよね。
(細川)坊主になった事なんて一度もないわ。周りはみんな釣れてなかったけど
(私)小浜とか、釣具店多いしアクセスしやすいから、僕はここが多いです
(細川)それって和歌山のどの辺りなん?
(ん??日本海の話ですよ?ってか福井に知人の社長がおって、何度も高級旅館にタダで宿泊できてるんじゃないん?
日本海でイカの刺身食べ回ってるって言ってましたよね?そんなに知人がおって、走り回ってるのに若狭わからんのかよ?
福井の話よくするから、小浜も分かると思うんだけどなー。
あ、そーやった!顔が広い嘘つきマウント将軍でしたよね。失礼しました!ついつい、忘れてた!)
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2022/6/12 (日) - ウラシマソウ…にあらず、去り際、ラーメンの口
今日は案内所。母はショートステイでいないので、ササッと朝の身支度をして家を出る。
気持ちよく晴れた。気温は高くなるとのことで、確かに歩いていると暑い。だが、風がさわやかで過ごしやすい。
���内所を訪れる人もそれなりに多くて、昨日ほどノンビリはしなかった。眠気対策としては助かる。
昼休み、東大寺の二月堂の周辺を歩いていると、変わった植物を見かけた。
これは……ウラシマソウ?
こういうのを見つけると、つい嬉しくなってしまう性分で、案内所のSNSで「ウラシマソウらしき植物を見かけた」という主旨の発信をする。 一応、事前にネットで検索をしてみて、ちょっと色が違うなとは思っていたのだが、変な勢いがついていたのだな。
落ち着いて調べ直すと、よく似た植物が見つかった。「カラスビシャク」またの名を「半夏」。「半夏生」の言葉の由来となった植物。んー、そんなに珍しい植物ではなかったのか…。さっきのウキウキ発信が恥ずかしい (削除して訂正した)。
カラスビシャクの花言葉は「心落ち着けて」だそうで、ホント、情報発信も心落ち着けてかからないと。
午後にMさんが来所。チラシ類を色々持ってきてくださる。 話題は、昨日のテレビのことに。「結構、映ってましたね」と言うと、「あんなん…カットばっかりや」と、いつも���ように不平交じりの口調で返ってきた。 曰く、普段の「充電させてもらえませんか?」はもっと面白いそうだ。ゲストがもうちょっと…とか、ロッチの実家が長すぎる…とか (これはちょっと同意)、いつものごとく。
Mさんがこの辺りで活動するのは今日が最後 (のはず) なので、御礼にタバコを一箱プレゼントする。…ささやか過ぎる気もするが、あまり高価で大きなものも大層だろうと思って。スモーカーなので、食べ物よりも煙の方が良かろう。
Mさんは「餞別として、ありがたくいただきますわ」と言って受け取り、「ほな、長いことありがとうございました。またこっち来ることがありましたら、よろしく」と言って、サラッと去って行った。
終業時刻の頃になると気温も下がって、いよいよ風がさわやかで涼しくなる。心地いい。気持ちよく帰路についた。
電車での帰り道、大和西大寺駅で電車を降りる。駅ナカに新しくできたラーメン屋に寄ってみようかと思って。 列には数人しか並んでいなかったのだが、どうもラーメンの口ではない。隣が一人焼き肉の店だが、焼き肉の口でもない。…要は、あまり脂っこいものを食べたくない。
結局、何も食べずに、電車に乗り直した。 近所のスーパーで何かアッサリしたものはないかと探し、手こね寿司 (伊勢志摩の方の名物) があったので買って帰る。 …アッサリはしていたが、残念なことに、それほど美味しいものでもなかった。スーパーの「手こね寿司風」弁当だから、まあしょうがない。
ただ、こうなるとラーメンを食べなかったのが悔やまれるから、何というか因果なものである。
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新型コロナ。6/12午前 (日本時間) の時点で死者数増加が、アメリカ70人強、インド4人、ブラジル130人弱、ロシア70人強、メキシコ50人強、イギリス記載なし、フランス記載なし、イタリア60人、ドイツ70人弱。 世界全体での今日1日の感染者数は、387,000人弱の増加。
日本では、今日一日で感染者13394人増加、死者9人増加。感染者数は、東京1546人、大阪1151人、神奈川718人、愛知714人、福岡654人、北海道812人、沖縄1126人。奈良の感染者数は116人。 (出典: Worldometer、NHK)
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創立100年 若手記者がたどる~そのとき日本共産党は~ 小林多喜二編
成長し行動する姿が身近に
2022年2月24日【1面】
日本共産党は今年7月15日、党創立100周年を迎えます。ひと時として“順風満帆”な時はなかった、奮闘と開拓の歴史です。いま、党が参��する政権を現実の課題として追求する歴史的時期=「新しいステージ」を迎えるなか、党史の“現場”を「赤旗」の若手記者が訪ねます。(随時掲載)
2月20日は小林多喜二が虐殺された日でした。作家として、日本共産党員として、不屈に自らの信条を貫いた多喜二にとって日本共産党とは何だったのか、多喜二ゆかりの場所を訪ねました。(横田和治)
●東京・中野
刑務所の独房で
2021年6月、東京都中野区で旧中野刑務所の正門が区の文化財として認定されました。1915年に建造された刑務所の正門に建築的技術価値があると認められての認定です。ここはかつて豊多摩刑務所と呼ばれ、戦前・戦中、多くの思想犯、政治犯を収容した歴史があります。多喜二も収監されました。30年、治安維持法により起訴・投獄され5カ月過ごしました。多喜二は『蟹工船』で有名なプロレタリア作家で、激しい弾���にも負けず軍国主義をひた走る日本に対して共産主義者として、民衆のたたかいを描きつづけました。
現在、刑務所正門は保守のための移築作業が進んでいます。柵が設置され、外側から見える当時の外観を残した正門はひっそりとたたずみ、26年までに行われる作業を待っています。
当時の刑務所の生活を多喜二・百合子研究会の大田努さん(80)はこう話します。
「刑務所ではコンクリート張りの独房に入れられ、冬の間は寒かったそうです。それでも毎日読書をし、多くの人と手紙のやりとりをしていました」。多喜二はこのときの様子を「独房」という作品に残しています。
●群馬・伊勢崎
弾圧をはね返す
31年、刑務所から保釈されますが、その後も節を曲げず、その年の10月、日本共産党に入党しました。同じ年、多喜二は、警察に検束されたのを、民衆の力で弾圧をはね返し、釈放されるという経験もしています。
9月6日に起きた「多喜二奪還事件」です。群馬県伊勢崎市の「共栄館」で行われる予定だった文芸講演会を前に、別邸で待機していた弁士の多喜二ら3人と、数人の劇団員、多くの地元幹部を警察が強制的に逮捕、伊勢崎署へと連行しました。
それを知った市民が警察署へ押し寄せ、一時警察署を占拠し、協議の末、釈放させました。伊勢崎多喜二祭実行委員会事務局長、長谷田直之さん(65)はこう言います。
「この事件は治安維持法下では異例中の異例で、群馬県警の公式的な記録からも抹消されています。当時の警察からしてみれば汚点といえるでしょう。しかし現場にいた記者たちがその様子を報道しており、記録として残っています。この事件を契機に、共産党を含む群馬での運動が活発化しました」
現在の共栄館跡は駐車場になっており、その姿を見ることはできません。多喜二が連行された伊勢崎署も同じく駐車場になっていました。しかし、民衆を描き続けた多喜二が、民衆によって守られる―多喜二らの志は、草の根で深く、粘り強く広がっていたのです。
(1面のつづき)
民衆描き民衆から愛され
●東京・築地
拷問をうけ虐殺
32年春には弾圧が強まり、非合法下での活動を展開。指導的論文や反戦的作品の執筆を行い、この時期に「党生活者」を完成させます。しかし全体の20%が抹消され、多喜二の没後に仮題「転換時代」として発表されました。
33年2月20日、スパイによっておびき出され、東京・赤坂で再び逮捕されます。現在も警察署として使用されている東京・築地署(中央区築地1丁��)へと連行され、特別高等警察(特高)によって3時間にも及ぶ拷問が行われたのです。
現在の築地署は築地駅から徒歩5分ほど。外観は普通の警察署となんら変わりません。歴史のことを調べていなければ通りすぎてしまいそうな場所ですが、89年前、2階の拷問部屋で多喜二が拷問され、虐殺された歴史の事実は、忘れてはいけません。
多喜二の死からわずか12年後、命がけで反対した侵略戦争は多大な犠牲を払って終わり、日本共産党が党創立以来掲げた反戦平和、主権在民、男女普通選挙、思想、学問、集会などの自由は1946年に日本国憲法として定まりました。
大田さんはこう言います。
「多喜二にとって共産党は先駆性と不屈さを体現していました。何度も弾圧を受けながら、それでも真正面から立ち向かう。多喜二自身も、時代の最も先進的な思想を身に付け、広い視野から人間変革の課題に挑戦しています。彼の文学は、苦難の時代に家族を抱え、悩み、成長する自分自身を登場人物に重ね、リアリティーを追求しています。その結果、多喜二は殺されてしまいましたが、今でも多喜二の本は広く愛読され、人々の共感を呼んでいます」
●取材をして
多喜二から何を学ぶのか。取材前は、命を懸けて活動していた共産党員のイメージ像に、自分がそこまでできるだろうかという敷居の高さも感じていました。しかし、大田さんの話にあったように、多喜二自身も悩みながら成長し、行動し、自分の限界に挑戦していた。それを知った時、遠く、高く感じられていた多喜二という存在と、戦前にたたかい抜いていた共産党像が今までよりも身近に感じられました。常に民衆の目線から作品を描き続け、不屈の精神で立ちあがり続けた多喜二だからこそ、今もなお民衆に愛されているのだと、はじめてその背景に思いがめぐりました。
自分と向き合い、考え、行動することの大切さを多喜二が私に語り掛けてくれたかのようでした。
(12面)(しんぶん赤旗)
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だった���ろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん���着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
菊
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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通過駅の照明をスポットライトの如く浴びてゆっくりと通過する伊勢志摩ライナー。遅めの時間で乗客はまばらだった。 #日本ツアーズ #旅に出よう日本を楽しもう #鉄道写真 #鉄道のある風景 #近鉄 #近鉄電車 #近鉄特急 #伊勢志摩ライナー #スローシャッター #東京カメラ部 #ニコン #gris_premium #trb_express #railways_of_our_world #pocket_rail #total_rail #train_nerds #traingarally_ig #panning #panningshot #igersjp #phos_japan #nikon #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 (楠駅) https://www.instagram.com/p/CL-L257HYyt/?igshid=1ebfxqqaucvrz
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各地句会報
花鳥誌令��2年8月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
令和2年5月5日 さゞれ会
累々と墓黒々と落椿 雪 落椿踏むにつけても偲ぶ人 同 落椿女を踏むと云ふ男 同 表札に士族とありて武具飾る 匠 閻魔様に折り合ひつけて彼岸寺 同 夫逝きし白を極めるつつじかな 笑 満開に共に歩みし人のなく 雪子
(順不同) ………………………………………………………………
令和2年5月7日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
葉桜の香り流るる足羽川 英子 夏近し手足やさしく風過ぐる 同 角砂糖白磁に溶けて街薄暑 都 遠き日にここで迷ひし麦の秋 同 一輪の余花に集まる日差しかな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月11日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
髪止めに真珠一つぶ五月来る 上嶋昭子 喪のひとの手のひんやりと若葉どき 同 大砲のごとく筍置かれけり 信子 鉄塔の四脚も植田の中となる 同 楮漉く千年の里風光る 時江 金泥に波打つ裾野竹の秋 同 花吹雪殉国の人偲ばばや みす枝 月光に濡れて新樹の艶めけり 同 晴天に大きくうねる鯉幟 さよ子 青梅の落つる音してふと不安 同 大空を大きく沈む代田かな 錦子 バイブルに手をおく祈り風薫る ミチ子 草朧ふはりと人の現れし 中山昭子 百匹の大河を跨ぐこひのぼり 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月12日 萩花鳥句会
城山を消して卯の花腐しかな 小勇 老いし猫病みて添ひ寝や明易し 祐子 夏めくや開襟シャツにスニーカー 美恵子 春昼や地上の雀おにごつこ 吉之 工夫してマスク文化は手縫ひから 健雄 ひと月半家籠る間に夏めきて 陽子 葉桜や四女は無事に嬰児を ゆかり 産土の原始の森の椎若葉 克弘
(順不同) ………………………………………………………………
令和2年5月12日 さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
黙々と祖母想ひ剥く夏蜜柑 裕子 釜の艶褒められもして夏炉守 寿子 鯖へしこ無口な兄が酔ふ夕べ 登美子 夏籠写経もひとり墨を磨る 令子 振り向けば囲まれてゐし遠蛙 紀子 海夕焼け劇画の如き雲なりし みえこ 父からの筍二本と帰路につく 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月13日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
もこもこの優しき綿毛白木蓮 けんじ 紙風船薬の匂ひふくらませ 孝子 静かにもおでましならず雛の間 寛子 春の山眠り解くや獣道 依子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月13日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
島浦の永久なる茅花流しかな 栄子 叢雨の止みて香の立つ花楝 益恵 若布干す近寄る孫も追ひ払ひ すみ子 番傘に宿屋の太字夏の雨 幹也 柏手に滝音遠く加はれり 宇太郎 緑陰に臼置かれあり陣屋跡 都 東照宮深くに沈め夏あざみ 悦子 新緑を天蓋にして墓眠る 佐代子 若布干す並びし媼皆一糸 すみ子 鰻食ふ昔の川の匂ひして 幹也
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月16日 伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
牡丹の芽ほぐるる音の有るや無し 雪 揺られざるまま揺られゐし糸桜 英美子 陸軍墓地裏山道や著莪の花 ただし ジョンウェイン様に御目もじ春の暮 和子 農小屋を開くこと待つ燕かな 富子 竹の秋一山を似て一寺なる 一仁 青葉風軍馬の像の駈けるごと みす枝 子供の日兜かぶせて大将に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月21日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
初蝶に待たるる思ひして人に 雪 永き日や遅るにまかす置時計 同 濁世いま風を靡かせ薔薇香る 一涓 結ひ今も眼裏にあり植田見る 同 水口に水踊り入れ代掻きぬ みす枝 一面の黄金焦げゆく麦の秋 同 終夜月明るくて明け易し 直子 村眠る代田に星を溢れしめ 信子 荒島岳そつくり映す代田かな 昭子 花芯より崩るは哀し白牡丹 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月 零の会(投句のみ)
坊城俊樹選 特選句
茉莉花の月よりたたなづくかをり 光子 海ほほづき写真に遺る姉二人 炳子 天帝の夜へひとこゑや青葉木菟 順子 括られしままのふらここ雲流る 眞理子 薄暑かなひとはひとから遠ざかる 公世 チューリップみだらに割れて蕊黒し 和子 眉を引く八十八夜のバスルーム いづみ 白藤のゆさり青磁の大鉢に 眞理子 まつしろな水へ噴水落ち続け 千種 夕暮が燃え尽きてゐる薄暑かな 伊豫 吸ふ息を肺に満たして春惜む 小鳥 出棺を見送りに出る花の下 清流 列島をがらんどうなる薄暑来る 伊豫
岡田順子選 特選句
昼寝覚なんたる猫の目の蒼さ 公世 街一切消えてゆくなり春夕焼 和子 括られしままのふらここ雲流る 眞理子 スケボーの子に引つぱられ藤の花 小鳥 撫でてゐる馬は相棒ライラック 光子 こ煩い姉にまつかなアマリリス 三郎 塵芥車のうた角に消え街薄暑 小鳥 薔薇見えて噴水見えぬ席であり 千種 青といふ頑是なきもの子どもの日 公世 桜蕊降り頻る日のとしあつ忌 清流 俯いてからの青空姫女菀 慶月 股ぐらを通り抜けたる青嵐 伊豫 十字架の薄暑の胸となりしかな 俊樹 谷根千の古寺を過ぎりてつばくらめ 梓渕
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月 なかみち句会(投句のみ)
栗林圭魚選 特選句
一八の花に湧く風しなやかに 秋尚 摩崖仏仰ぎ見る目に若葉風 有有 幣揺らす五月の風や祝詞上ぐ 貴薫 青空へ姿勢正して緑立つ 秋尚 品書は心太のみ峠茶屋 美貴 矢車や音立てやをら廻りだし せつこ 紫に波打つ藤の幹猛る 怜 産土の杜ふくらませ楠若葉 同 若葉風兄に会ひたく無言館 あき子 豆桜富士山見ゆる峠道 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月 風月句会(投句のみ)
坊城俊樹選 特選句
空つぽのブランコのまだ揺れてゐる 和子 薔薇咲かせ運命流しくる隣家 慶月 少年の拳にささる薔薇の棘 炳子 踏み切りに人疎らなる駅薄暑 慶月 狛犬は韓国風の宮薄暑 要 愁ひつつ神鈴振れば青葉風 政江 鏝跡の壁の屋敷と白薔薇と 慶月 青蔦の囲む窓よりランプの灯 政江 さざめきを洩らし薔薇園閉鎖中 眞理子 まどかなる月へまつたき白薔薇 千種
栗林圭魚選 特選句
大ぶりの豆大福や古茶を汲む ��理子 湧き上がりつつ鎮れる新樹かな 要 富士塚の頂上よりの若楓 同 大空に連なるこゑの揚雲雀 幸風 鉄線の花に触れ去る影一つ 久子 揺るぎなき銅の鳥居や夏の蝶 亜栄子 グッピーと共に隠居や新茶汲む 亜栄子 蝦蛄剥きし指の痛みに白ワイン 要
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月 福井花鳥句会(投句のみ)
坊城俊樹選 特選句
黒髪の娘の洗ひ髪すぐ乾く 世詩明 一気呑みビールは咽を鳴らしけり 同 柏餅供へて偲ぶ吾子のこと 千代子 囚はれのごとき身なりて春は逝く 和子 四月尽人通り無きこの街に 同 菜園の中は蝶々の交叉点 千加江 吾子ら来ぬ牡丹咲けど亦散れど 昭子 深海の色の紫陽花贈り来る 同 自粛にてクロスワードす日永かな 令子 ひとひらの光となりて花は葉に 啓子 遠ざかる思ひ出ばかり花は葉に 同 ダム見えて無尽蔵なる蕗の径 よしのり リラ満ちて無人校舎の無表情 数幸 初蝶の黄の滴らんばかりなる 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年5月 九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
フーコーの振り子の孤独五月闇 伸子 卯の花や仏の胸に彫る仏 成子 街薄暑時をきざまぬ花時計 豊子 紫陽花に薄水色の雨の降る 千代 弥陀仏の薄目の奥の楠若葉 さえこ 少年の孤独の前にかたつむり 朝子 来し方を肘の蛍と戻りけり 愛 潮の香の高きふるさと夏の月 洋子 花卯木垣に咲かせて尼の留守 初子 永仁の壺中に深し五月闇 喜和 夏の蝶天を破りて降り来たる 朝子 卯の花の乱れやすきを篭盛に 豊子 桜桃忌磁針はいつも揺れ迷ふ 伸子 アパートの小暗き窓や夕蛍 志津子 生き方を変へねばといふ夏来る 光子 籠りゐの春漸くに夏の立つ 由紀子 新樹燃ゆ薬五粒に生かされて 初子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により犯人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場) 1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁寧な言葉を紡いで描いた意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だった。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優石井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸を締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」というキャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったかを観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会 「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアターミラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、戯曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL) 今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で応答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール) 2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、��は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
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. 伊勢市 日の出旅館 . . 今回、お伊勢さんの二泊三日の旅の疲れを癒していただいたお宿が伊勢市駅に隣接するこの『日の出旅館』 . 昭和4年に創業し、太平洋戦争の戦火の被害に遭い全焼してしまったのですが、終戦後に復活させたいと言う強い想いもあり昭和24年に再建。 . その後、数々の旅人に愛される旅館となり少しずつ部屋の数も増し木造建築で三階建ての建造物としても伊勢では貴重なものとなりました。 . そして現在ではバリアフリー対策などユニバーサルデザインを取り入れた歴史ある旅館として、さらにお伊勢さんで愛され続ける女性人気ナンバー1のお宿となっている旅館です。 . 長い歴史を感じるその外観や造りと共に、温かいおもてなしで和やかにしてくれる若女将さんと番頭さん、隅々まで綺麗に磨かれた部屋や廊下と芯から温まるお風呂で、名残惜しい思い出に残る3日間を充実して過ごす事が出来ました。 . 本当に本当に伊勢の人は温かいですね! . またもし伊勢に来る機会が在れば、迷わず泊まらせてください。 . 本当に温かいおもてなし心から感謝致します!! . ありがとうございました😊 . . . #神社 #神道 #日本の景色 #神社好きな人と繋がりたい #神社好き #神社巡り #⛩ #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #カメラ好きな人と繋がりたい #landscape #shrine #お伊勢さん #お伊勢参り #伊勢神宮 #伊勢神宮外宮 #伊勢旅行 #伊勢市 #外宮参道 #伊勢グルメ #伊勢旅行 #近ツー伊勢志摩 #日の出旅館 (日の出旅館) https://www.instagram.com/p/B8BeJQIA2Ct/?igshid=19xfr8rsjakvm
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