信長の父・織田信秀!本田博太郎出演情報解禁!
※写真はメイキングカット(公式Twitter #レジェバタ制作記 より)
織田家の基盤を確立し、尾張の虎とも呼ばれた信長の父・織田信秀役として、本田博太郎の出演情報が解禁となりました!
【キャスト役どころ】
本田博太郎/織田信秀(おだ のぶひで)役
通称:尾張の虎。尾張の戦国大名で、信長の父。信長に濃姫との結婚を命じる。
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映画『神々の深き欲望』
Amazon Primeで今村昌平監督の映画『神々の深き欲望』(1968)を見ました。
学生劇団時代の友人がLineで面白いと言っていたので見たのですが、なんだかいろいろな意味ですごい映画です。
ネットで調べたところによると、沖縄県南大東島で行われたこの映画のロケは過酷を極めるもので、途中予算を使い果たした今村監督は金策に走り回り、自身のプロダクションを破産寸前にまで追い込んだとか。
三國連太郎が破傷風で足を一本なくしかけたとか、今村監督は毎晩沖山秀子と同衾していたとか、言葉巧みにロケに連れて行かれた嵐寛寿郎は何度も逃げ出そうとしたが逃げられなかったとか、なんだかすごそうです。
要するに今村昌平版『地獄の黙示録』なのかなあ。
でも、今村昌平はコッポラより10年以上早くにそういうことをしていたわけですから、その意味でもすごいと言わざるをえません。
物語の中心は南方の孤島クラゲ島に住むある家族ーー「じゃじゃ」と呼ばれている祖父(嵐寛寿郎)と父親(三國連太郎)とその息子(河原崎長一郎)と娘(沖山秀子)なのですが、この家族の関係がかなり複雑です。
祖父は妻の死後、実の娘と肉体関係を持ち、三國連太郎が生まれました。三國連太郎は実の妹(松井康子)と肉体関係を持ち、河原崎長一郎と沖山秀子が生まれました。
近親相姦を繰り返したせいかどうかはわかりませんが、沖山秀子は……その、どう言えばいいのかな……知的障害を持っているようです。
一家はもともとは島の名家だったとのことですが、近親相姦というタブーを犯したことで村八分にされ、島の巫女でもある松井康子は島の長(加藤嘉)の家に引き取られて長の妾になり、三國連太郎は鎖に繋がれてひたすら岩を削っています。
何年か前、大きな岩が津波で押し上げられ、神様にお供えする大切な米を作る田んぼが埋まってしまった、岩の横に穴を掘り、そこに岩を落とすことで田んぼを復活させれば、一家は村八分を解いてもらえる、三國連太郎はそのために日がな一日岩を削っているのです。
ね、かなり複雑な設定でしょ。でも、説明らしい説明はほとんどありません。観客は登場人物たちの間の会話の端々から物語を構築するしかありません。面倒と言えば面倒ですが、でもそこがいいとも言えそうです。
この島の最大の産業はサトウキビで、砂糖の精製工場があります。その工場をどうするか、大きくするのか、それとも廃止するのかを決めるために本土から技師(北村和夫)がやってきます。
島には彼より先にきた技師(小松方正)がいるのですが、この島の女と結婚してすっかり島の人間になってしまい、会社に報告を怠っていたという設定です。
島にとって本社からやってきた技師は大切なお客様です。加藤嘉は河原崎長一郎を技師の助手に任命し、技師をもてなすために自分の妾である松井康子を「提供」しようとしますが、北村和夫は自分には本土に妻がいると言って跳ね除けます。
しかし、なぜか沖山秀子が言い寄るとコロッと落ちてしまい、工場のことなど忘れて、三國連太郎の岩削りを手伝っています。加藤嘉に言われて村の若者たちが迎えに来ても、北村和夫は戻りません。この島には、あるいはこの島の女には魔力のようなものがあり、北村和夫も小松方正もその虜になってしまったということなのですかね。
三國連太郎は加藤嘉の妾になっている妹であり妻である松井康子とよりを戻したいと思っています。二人は何度か村の人間に隠れて会います。それを知った加藤嘉は松井康子を折檻して、三國連太郎と会ったことを吐かせようとするのですが、その折檻の仕方がまたすごい。
松井康子の着物の前をはだけて、その乳房を両手で潰れんばかりに強く握って問い詰めます。
うーん、どう言えばいいんだろう……「匂い立つような」というのか「泥臭い」というのか、とにかく強烈にセクシュアリティーが感じられるシーンです。
そうこうしているうちについに岩が穴に落ちます。三國連太郎はこれで村八分が解かれる、松井康子とよりを戻せると思っていますが、加藤嘉はにわかには首を縦に振りません。
時を同じくして、砂糖精製工場の社長がこの島に空港(!?)を作って観光地にしようと決めます。貧しい島民たちは空港建設のために喜んで土地を売りますが、三國連太郎は売らないと言い張ります。
ある夜、三國連太郎は加藤嘉の家の様子を窺いに行きます。加藤嘉は松井康子と肉体関係を持っている最中です(加藤嘉の行為のサディスティックなことーーここにも匂い立つような、あるいは非常に泥臭いセクシュアリティーが感じられます)。
[この辺りからネタバレになります。未見の方はご注意を]
加藤嘉は行為の最中急に倒れ意識を失います。腹上死したということなのでしょうね。三國連太郎は松井康子を連れて、無人島へ行って二人で暮らすために小さな船を漕ぎ出します。
ところが、加藤嘉の妻(彼には妾もいますが老妻もいるのです。演じるは原泉ーーぴったりですね)は村人に加藤嘉は三國連太郎に殺されたと嘘を吐きます。村人たちは船で三國連太郎を追います。彼らの中には三國連太郎の息子である河原崎長一郎もいます。
追いつくと村人たちは一斉に仮面を被ります。仮面を被ったままオールで三國連太郎を殴りつけ、海に落としてサメに食わせ、船に残っていた松井康子を赤い帆を張った帆柱に縛り付け、海に放置します。
ここもなんだかすごい場面です。
一方、技師の北村和夫は本社の圧力に負けて本土に帰ってしまいます。沖山秀子は本当に北村和夫のことが好きだったのか、岬の突端から海を眺め、戻ってくるはずのない北村和夫をずっと待っています。
そこからエピローグーー話は5年後に飛びます。
島はすっかり……というほどではないでしょうが、5年前に比べると見違えるほど近代化しており、港ではコカコーラを売っています(この映画は3時間あるので、途中で休憩が入ります。休憩直前に島の暑さに耐えかねた北村和夫が「スカッと爽やかコカコーラ」とやけになって叫ぶシーンがあるのですが、それと呼応するシーンというべきでしょう。コカコーラは都会の、島の外にある近代の象徴というわけですね)。
本社から社長たちがやってきます。その中には北村和夫や彼の妻もいます。北村和夫は島での出来事や沖山秀子のことなど完全に忘れた様子で、すっかり「本土の人間」に戻っています。
河原崎長一郎は三国連太郎の死後、北村和夫の口利きで東京に行ってしばらく働いていたようですが島に戻って、新たに導入された蒸気機関車の運転手をしています。
彼が運転する蒸気機関車に乗り込んだ社長一行にコカコーラ売りの女(だと思います)が島の説明をします。
曰くーーその昔、この島は二人の神がまぐわってできた。二人の神は今でも赤い帆を張った小舟に乗って海をさすらっている。
また、その昔、一人の女が愛する男をずっと待っていた。その女は石になって、海に突き出す小さな岬となった。
5年前に実際に起きたこと、我々観客がつい先ほどスクリーンで見たことが、島の人々にとってはすでに昔々のこと(=神話)になっているということでしょうか。
それを聞いた北村和夫は素知らぬ顔をして「島の人間は無知だから」と妻や社長に言います。
一方、運転士の河原崎長一郎は機関車の行く手に沖山秀子の幻影を見て、慌てて急ブレーキをかけます。
ね、すごい映画でしょ。
好きかと言われるとちょっと答えに窮します。
共感できるかと言われると全くできません。
この映画が日本土着の神話的世界を描いているというのはわかります。でも、沖山秀子がイノセンス(無垢)の象徴だというのは、個人的には受け入れ難いものがあります。
白痴=聖性=イノセンス(無垢)という図式があることはもちろん知っています。でも、三國連太郎や河原崎長一郎に「耳が痒い」、「掻いて」と行って地面をのたうち回る(そんなシーンがあるのです)女、島の若者たちが「夜這い、夜這い」と歌いながらやってくる(そんなシーンがあるのです)のを歓迎して胸をはだけ腰を揺らす女が無垢だと言われてもなあというのが、私の率直な思いです。
物語を読む喜び、映画や芝居を見る悦びには、未知のものを知る喜びと既知のものを再認識する喜びの2種類があります。
私にとってこの映画は完全に「未知なるもの」を教えてくれるものです。
1ミリも共感はできないし、ああいう世界に生きるのは嫌だとさえ思いました(私は良くも悪くも都会で生まれ都会で育った人間ですから、ああいう田舎には住めません)が、なんだかすごいものを見たような気になりました。
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