#連装砲ちゃん
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<正論>平和を気取る身勝手な偽善排せ
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
ロシアのウクライナ侵攻から2年が経過した。昨年10月からウクライナ東部の防衛拠点アウディーイウカで激戦が続いていたが、遂に露軍の手に落ちた。米国の軍事支援が滞っている今、同拠点のみならず全局面でウクライナ軍は苦境に立たされている。
ウクライナ支援継続、強化
「支援疲れ」もあり、「停戦」をという声もある。だが約18%の領土をロシアに占領されたまま停戦が実現すれば、軍事力による国境変更を禁じた戦後の国際規範は崩壊する。しかもプーチン露大統領のいう「停戦」は、次なる戦争への準備期間にすぎず、真の平和が訪れる保証はない。もし日本が侵略され、四国、九州、沖縄(合計で約15%)が占領されたところで、「停戦」を促されたらどう思うか。約18%の領土をあきらめるのは、ウクライナ国民にとって耐えがたいことである。
「力による現状変更」を認めないためにも日本は諸外国と連携しウクライナ支援を継続、強化しなければならない。米国に対してはウクライナ支援継続を強く訴えるべきだ。そのためにも日本自身が武器支援に踏み出す必要がある。
朝鮮戦争の際、日本は武器弾薬を輸出して国連軍に貢献した。しかしながら1967年、佐藤栄作首相が共産圏・紛争当事国などへの武器輸出禁止を決め、76年には三木武夫首相が「武器輸出を慎む」と答弁して武器輸出の全面禁止が定着した。
2014年、「防衛装備移転三原則」が閣議決定され厳格な審査を条件に武器輸出が認められた。紛争当事国へや国連安保理決議に違反する場合、輸出はできない。平和貢献・国際協力や日本の安全保障に資する場合などは認められる。現在、「救難」「輸送」「警戒」「監視」「掃海」の5類型のみ認める指針で運用されている。
ウクライナは紛争当事国だから武器弾薬支援は認められない。だがそれでいいのだろうか。ウクライナを支援するのは戦後の国際規範維持のためであり、わが国の平和のためでもある。単に「殺傷兵器だから」「紛争当事国だから」と禁止するのは教条的過ぎる。
「武器」と付くだけで拒否
万が一、日本が侵略された場合、自衛隊は国家国民を守るために敢然と立ち向かうだろう。だが武器弾薬は決定的に不足し、他国の援助に頼らざるを得ない。そんな時、諸外国が「(日本がそうしたように)武器弾薬は日本に支援しない」となることもあり得る。それだけで日本の抑止力は低下する。日本はその覚悟があるのか。
侵略に立ち向かうウクライナに武器支援をしないメリットは何か。平和を気取る、独り善がりで身勝手な偽善にすぎないのではないか。侵略を許さない国際規範を守るため、あらゆる支援を尽くしてこそ国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
防衛装備移転三原則は法律ではなく、政府の意思さえあれば変更可能だ。ウクライナ国民を守る「防空兵器」くらいは直ちに支援すべきだろう。5類型に「防空」を加えればいい。昨年末、運用指針改正でライセンス生産の地対空ミサイルを米国へ輸出することが可能になった。これをウクライナにも広げるべきだ。ウクライナに発電機、変圧器は供与しても防空兵器は供与しないというのは、国際社会に理解されないだろう。
かつて機関砲が付いた巡視艇は輸出できなかった。自衛隊のトラックも銃の懸架台があるだけで供与できなかった。「武器」と付くだけで心情的に拒否する偽善を続けている場合ではない。
国際社会で日本の孤立招くな
日本、英国、イタリアとで共同開発する次期戦闘機の第三国輸出に関する問題にも通底している。共同開発品の直接輸出を巡っては、昨年春から自民、公明両党の実務者で慎重に検討がなされてきた。昨年7月、実務者協議で容認の方向性が打ち出されたが、11月になって突然、公明党幹部が「ちゃぶ台返し」をした。この間何があったのか、ここでは触れない。
戦闘機は「殺傷兵器」ではあるが、開発装備品の輸出は「友好国を作る」「抑止力を強める」「安価になり防衛力整備に貢献」といった安全保障上のメリットが大きい。装備品は高性能化、高価格化し��おり、今や一国では手に負えず、共同開発が主力である。こんな時、共同開発国の日本だけが輸出できないのは、あまりにも理不尽で共同開発国からの信頼も理解も得られない。ロングボトム駐日英国大使も第三国輸出を巡り「日本が防衛装備品の輸出ルールの変更を近く実現することが重要だ」と述べ、「(日英伊の)対等なパートナーシップに関わる」と懸念を示している。
湾岸戦争では、日本だけが汗も流さず、130億ドル供与という金で済ませた結果、「小切手外交」「身勝手」「価値観共有せず」と非難され、孤立した。国際社会での孤立は、軍事小国としては致命的である。決して繰り返してはならない。武器輸出についても諸外国と価値観を共有し、国際平和実現に貢献すべきである。(おりた くにお)
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた���が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、その���うな家屋の残骸をたく��ん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができた���は、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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「シルエット」とは、「輪郭の中が塗りつぶされた単色の切り絵」のことを言い、そこから「輪郭」や「ものの形」、「影絵」などを言い表す言葉としても使われる。この「シルエット」という語は、もともとは人名だったらしい。 フランス王ルイ15世の治世下で財務大臣を務めたエティエンヌ ド シルエットは、七年戦争が長���いたことでフランスが財政難に陥った際、特に富裕層に対して厳しい倹約を要求しなければならなかった。これにより、「安上がりで済ますこと」が人々の間で「シルエット」と言われるようになる。 切絵によるシンプルな肖像は人物の特徴を記録する最も安上がりな方法であり、エティエンヌ ド シルエットもこれを好んだため、このような肖像画のことも「シルエット」と呼ばれた。この「シルエット」と呼ばれる「切り絵による肖像画」は、その後、18世紀後半から19世紀前半に、ヨーロッパだけではなくアメリカでも流行し、「シルエット」の語が定着した。
18世紀末より、シルエットは肖像だけでなく本の挿絵などにも用いられるようになる。複雑なイラストレーションよりも安価で容易な方法でもあり、また、その独特な雰囲気を好む作家も多く、演出技法としても用いられるようになっていく。 童話作家のアンデルセンもシルエットによる表現を好み、切り絵制作を得意とした。自作の切り絵などを貼った絵本を作り、友人への贈り物に���た。 シルエットによる表現は、想像力を掻き立てることで、美しさや、あるいは滑稽さなどを際立たせる演出にも用いられるものの、やはり、暗く、怖い。 アンデルセンの、特に初期の作品では、主人公が死ぬ結末を迎えるものが多い。これは、若き日のアンデルセンが、死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを、表現を通して訴えようとしたものだと解説されている。 1804年にナポレオン ボナパルトがフランス第一帝政の皇帝に即位(在位 1804年-1814年、1815年)し、イギリスやロシアと敵対する。フランスと同盟を結んでいたデンマークも、イギリスから砲撃や封鎖をされ、不況に陥っていた。 アンデルセンはそのデンマークに1805年に生まれる。貧しい靴職人だった父親は1812年から2年間従軍したが、1813年に国が財政破綻し、軍から支払われるはずの給金も得られなかった。 1835年に最初の小説『即興詩人』と『童話集』を発表したアンデルセンの、初期にあたる1830年代から40年代においては、作品にも現れる貧困層の窮状は写実的であり、多くの人が抱える問題意識でもあった。 七年戦争によって帝国の礎が築かれ、絶頂期となるヴィクトリア朝(在位 1837年-1901年)に入る頃の大英帝国でも、同様の問題意識はあり、アンデルセン(1805-1875)と同時代のイギリスの作家であるチャールズ ディケンズ(1812-1870)の作品にも、貧困層の視点からの社会風刺という形で描かれている。 問題意識としては多くの人が共有しているように見えながら、そこから抜け出す術を見出せないや��せなさは、アンデルセンの作品では、無関心を装う社会への嘆きとして滲んだ。 アンデルセン作品のこうした傾向は晩年になっていくにつれて緩められ、死以外にも幸せになる術があることを作中に書き出すようになっていく。 アンデルセンは1859年に書いた「子供のおしゃべり」という作品で、自身の名前の「アンデルセン(デンマーク語の発音ではアナスン。英語ではアンダースンまたはアンダーソン)」にもある最後の「セン」という言葉は「だれだれの息子」という意味で、それがついている名前はきちんとした姓ももらえなかった貧しい家の出ということを示しているという謂われに触れている。子供たちがそのことを話しているのを、一人の貧しい男の子がドアの隙間から覗いて聞いていて、自分の名も最後がセンで終わるので悲しくなってしまったが、でもこうして生まれてきたんだ、りっぱに生まれてきたんだ、と男の子は考え、そして大人になってりっぱになり、話をしていた子供たちもそれぞれ幸福になった、と書いている。作品は、あの時考えたり言ったりしたことは、あれはただの子供のおしゃべりだったのです、という終わり方をする。最後がセンで終わる名前の男の子はトルバルセンという名前で、アンデルセンの友人である世界的に有名な彫刻家のトルバルセン(1770-1844)をモデルにしている。
1830年代にエッセイや小説で人気を獲得し、1837年から1839年に連載した長編小説『オリバー ツイスト』で人気を不動のものにしたチャールズ ディケンズは、貧しかった幼少時の経験から、労働者階級の視点に立って、日常生活と多様な登場人物を具体的に生き生きと描写した。エンターテイナーであることを常に心がけ、楽天的で理想主義的なハッピーエンドで締めくくるスタイルを貫いた。そのため、後期や没後の文壇からの批評としては、偶然に頼ったご都合主義的な物語展開と強引なハッピーエンドが批判の的にもなったが、現在に至るまで大衆からの人気が衰えたことはない。 ディケンズは写実主義に分類される。アンデルセンの初期の作品に滲んだ嘆きも写実性であり、1840年代のヨーロッパを覆ったリアリズムだった。そこからなぜか1850年代に大衆文化が花開く。
「諸国民の春」 と総称される1848年から1849年にかけてヨーロッパ各地で起こった革命により、大国の被支配地域を中心にナショナリズムが先鋭化する。その後、英露対立やフランス第二帝政の成立(1852年にルイ=ナポレオンがナポレオン3世として皇帝に即位)などを背景として、クリミア戦争(1853年-1856年)が起こる。これはウィーン体制の崩壊を意味していた。 ウィーン体制は、ウィーン会議(1814年-1815年)以後のヨーロッパの国際秩序であり、フランス革命とナポレオン戦争で荒廃したヨーロッパを、それ以前の状態に復活させることにより大国の勢力均衡を図っていた。 ウィーン体制は、従来の君主制に立脚する列強を中心に、自由主義と国民主義運動を抑��していたが、 産業革命による市民生活の発展や大国間の利害関係の複雑化などにより、1830年代から枠組みが揺らぎ始めていた。 「諸国民の春」により自由主義と国民主義を抑圧する機能が維持できなくなり、そして、列強間の平和維持の役割も果たせなくなったことが、クリミア戦争によって露わになった。 以降列強は、各国の国益の赴くままに帝国主義に走ることになる。イギリスは、その国力を持ってして「栄光ある孤立」を選択、大陸の列強は、欧州域内の勢力均衡を図るため交互に同盟を結び、ヨーロッパは産業革命と植民地主義を掲げた新たな時代へと突入した。
イギリスの歴史区分では、1840年代までを産業革命の時代とし、1850年代からを資本の時代としている。「大衆文化」の成立も1850年代とされ、場合によってはそれ以前の大衆の文化は「民衆文化」や「世俗文化」として区別される。「大衆文化」成立の条件として、大衆の自主的な選択が反映されることが挙げられる。産業革命によって市場の環境が整ったことで、大衆文化が成立したと説明される。 労働と消費が市場を介して社会に反映されるようになっていき、アンデルセンの初期の作品に滲んでいた嘆きから、抜け出す術が見え始める。 一方でディケンズは、1850年代から社会への批判を強めていく。時事的課題に対するジャーナリスティックな関心を強め、クリミア戦争に関する攻府の無策ぶりや、制度の腐敗、慈善活動という名の偽善、金儲け主義と立身出世主義に嵌る産業界などを批判した。 アンデルセンもディケンズも、そして彼らの作品の読者も、変わっていく時代の中で、変わらない美徳を見出そうとしていた。 どんなに機械的に反復されているものでも、外的な賞罰なしには存続しえない行為の中には、美徳がない。
1756年から1763年まで行われた七年戦争は、 オスマン帝国を除く当時の欧州列強が全て参戦しており、戦闘は ヨーロッパだけでなく、北アメリカ、カリブ海、アフリカ、インドで行われた。そのため、事実上史上初の世界大戦とも呼ばれる。世界中に影響を及ぼし、ヨーロッパにおける政治再編を引き起こしただけでなく、アメリカ合衆国の独立とフランス革命の遠因となった。 イギリスは、ヨーロッパでは同盟国プロイセンに対する資金援助を中心にして深入りせず、海上や植民地での対仏戦争に戦力を集中させた。 植民地での戦闘の勝利により、名誉革命以来長く続いていたフランスとの植民地争奪戦に終止符が打たれ、イギリスは北アメリカ大陸、インド、西インド諸島を掌握し、これらが後に世界最大の植民地帝国となる大英帝国の土台となった。 七年戦争を実質的に指導し、イギリスを勝利に導き大英帝国の基礎を築いたと称される南部担当国務大臣のウィリアム ピットは、「愛国者」「偉大な平民��と呼ばれ、自身もそれを好んだ。 「王 (宮廷)」への「忠誠心」を重要な美徳としていた時代から、「愛国心」と「平民性」を重要な美徳とする時代へと移る。大英帝国にとっては皮肉なことに、アメリカが独立の精神として重要だと捉えたのが「パトリオティズム」と「コモンセンス」だった。産業革命が進み、「シヴィライゼーション (文明)」と「シビリアン (市民)」を重要視するようになった頃、アメリカでは「シビルウォー (南北戦争 1861年から1865年)」が起こっていた。ヨーロッパではパリなどを中心に「シティ (都市)」と「シチズンシップ (市民性。市民権)」が重視され、現在のフランスの国歌でもある『ラ マルセイエーズ』 の中でも「シトワイヤン (市民)」という言葉がリフレインする。
2023年4月 シバリング コンツール エッセー
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episode 5 - KAWAI K5000W
1988年春、ついにKORG M1発売!!! タメにタメ、待ちに待った救世主の降臨に市場もコルグ社員も湧いた!!! 同時にROLANDも新型廉価版LA音源シンセ・キーボードによるちゃきちゃきのラインナップD-20、D-10、同LA音源モジュールD-110を発売。既に前年に歴史を変えたD-50とともに世界は一気にPCMサウンドへとなだれ込んだ。
そこへ同時デビューしたのはCASIO VZ-1。それまでの人気商品CZ シリーズからさらに踏み込んだ新開発iPD音 源とグラフィックLCDとをひっさげ、事実上のデジタル・フル・モジュラー・シンセとなるも14万8千円というお値打ちな戦略プライス。
しかし不運にしてその新音源iPD方式とは難攻不落のFM 方式をさらに上回る高度な変調方式となってしまい、音創りは超難解。でもそれだけならまだシンセ・ヲタにとって挑戦しがいがあったはずなのだが、タイミング悪くPCMサウンド時代到来にはちあわせしてしまいVZ-1は埋没。PCM波形を使う方が単純明快な理論で仕組みも分かりやすく結論も早くおまけに音が斬新とくりゃ、いくら名機でも相手が悪かったとしか言いようがない。
そしてそれは5年に及ぶ無敵のラインナップを誇っていた鉄壁のFM音源シンセたちと言えども、時代の潮流が変 わったことを思い知る運命の瞬間であった。
♬ ♬ ♬
ついにやってきた本格的デジタル・シンセ時代。上から下まで計5機種に及ぶPCMシンセが一気に発売されたことで堰を切ったようにサンプル・ベースの音色が世界を席巻。最安価のキーボード・シンセはROLAND D-10、メーカー小売価格12万8千円、しかもまだ当時珍しいベロシティ対応鍵盤も搭載。さぁついにキミやボクにもPCM音色をタッチ・センス・フル対応でどうぞ!
と思ったその矢先......!!!
第6のPCMシンセ、ダークホースKAWAI K1、61 鍵ながらに可搬性に優れたコンパクトなボディにたくさんの PCM 波形を搭載しアコピの音もばっちしでお値段きゅっきゅっぱ! しかも���ロシティだけじゃないよアフタータ ッチも装備、おまけに鍵盤はクラス初おもりつきで“カワイらしく”タッチもよろしいのよ、さりげなくベクトル合 成までできたのよ♬
まさかのPCMシンセが10万円を切る値札付けて登場、思わぬ伏兵にD-10、D-20、D-50、M1に至るまで親亀コケたら皆コケるが如く足をすくわれ総ずっこけ。しかも相手はKAWAI。よもやこんなにセンスの良いあかぬけたフレンドリーな機種を投入してくるとは誰が予想し得たであろう。ってかそもそもカワイってシンセ作ってたっけ? やんごとなき良家の坊っちゃん嬢ちゃんがお行儀よくヤノピを習うカワイ音楽教室? KAWAIの電子オルガ ンことドリマトーンなんて覚えてる? エレクトーンはYAMAHAの商標ですよ。バブル期のことなんてもう忘れたってか?
しかしその源流は、実は狂乱バブル期どころか日本が焦土と化し灰燼(かいじん)と化し、すべてがただの焼け 野原となりただただ空だけが広く明るかった敗戦の翌年にまでさかのぼるのであった。
♬ ♬ ♬
TEISCOとはTokyo Electric Instrument and Sound Companyの略だという。その前身となるアヲイ音波研究所が設立されたのが敗戦翌年の1946年。その2年後辺りからはテスコというブランドでハワイアン・ギターやアンプを販売。まだ日本が謙虚にもの作りしていたころであり、朝鮮戦争へ行った米兵が買っていったという話もあ り、いずれにせよビザール・ギターとして欧米で知られることに。
1958年、なんと日本初の電子オルガンことテスコ・スーパーエレガン(TEISCO Super Elegan)発売。モノフォニックの真空管式オルガンであり、ここからKAWAIの電子オルガンことドリマトーン・シリーズへとつながる。そしてついに、1964年にテスコは株式会社となり、2年後KAWAIすなわち河合楽器製作所の系列会社になり、電気楽器メーカーとして頭角を現すようになった。
GS(グループ・サウンズ)ブームとともに個性派ギターを連発したTEISCO。映画『エレキの若大将』にも映っているという。有名なのはスプリット・ピックアップを6つも搭載したSpectrum 5シリーズ。なんですかこれは、ピックアップ加算合成方式のギター・シンセですか? いやこれぞまさしくビザール・ギター見参!
だがギター・ブームが下火になるとともに、入れ違いに盛り上がりを見せてきたシンセ・ブームにあやかるべく、1976年テスコ初のシンセ100FをTEISCOブランドとKAWAIブランドの両方にて発売。これが黎明期の混沌にふさわしく機種名すらもが不定��、
・100F ・S-100F ・Synthesizer 100F
などと表記。 100Fは 37鍵のアナログ・モノシンセであり、1VCO/1VCF/1VCA/1HPFという構成で一番最後にハイパス・フィルターが来るのがちょっと面白いが、多分これはEGが暴れて低音ぶっぱなしてアンプぶっとばすのを防ぐためであろう。お値段は9万5千円と、当時としては少し安めな印象もあって興味深い。しかもじつはさりげなくオシレーターでフィルターのカットオフモジュレーションができたのよ♬ まるでプロ5とかOberheimみたいだね!
以来、テスコはカワイの傘下にありながらTEISCOブランドでもって次々とアナログ・シンセを世に送り出 し、YAMAHA/KORG/ROLANDの御三家とはまたひと味もふた味も違う、ビザール・ギター・メーカーにふさわ しいひねりの効いた独自路線でクールな機種展開を魅せる。
そんなふうにちょっと変わった個性派アナログ・シンセを“Sシリーズ”や“SXシリーズ”として輩出したテスコ。 そのテスコがそれまでのアナログから脱してデジタルへと足を踏み出した次世代シリーズが、KAWAIブランドの“Kシリーズ”であった。時に1983年DXシリーズ降臨、デジタル・シンセ台風の暴風圏内、KORG DW-8000が 逆風の中で後出しジャンケン負けの崖っぷち、ROLAND JX-10 "Super JX" がそれでもなんとか踏みとどまろうとしていたとき、突如として出現したみょーなシンセKAWAI K3とは?
1.序
Kシリーズ初号機K3は、2基のデジタル・オシレーターとアナログのVCF/VCAによる6音ポリのハイブリッド・ シンセ。そのデジタル・オシレーター波形とは、KORG���DWGS音源と同じく、現実のサンプルをフーリエ解析しサイン波倍音加算合成にて再合成したものであった。
なれど正直、K3はなんとも言えない機種であった。音源構造といいUIといい、どう見てもKORG DW-8000を大 いに参考にしているのはさておき、外観デザインがイケてない家具みたい、ホイールなんかピッチ・ベンド用1つしかない。しかしK3にはDW-8000には無いメリットがあった。音源波形が32種類もあって、ハイブリッド・シンセ最大級のバリエーションであったとか、LFOにS/H波があるとか、アフタータッチで波形2つの比率を変えられる などなどといった地味にヲタなアドバンテージがあっただけでなく、一つ明らかに抜きん出たところがあった。
たった1個だけとはいえ、音源波形を自作できたのである。
なんとK3において、33番目の音源波形とはユーザーが作成する波形であった。その実態は128倍音から32個を選び、それらを加算した結果をレンダリングさせ波形メモリーに記憶させ1波ループさせることで音源波形として利用する、つまりユーザー・エディットできるサイン波倍音加算合成であった。当時KORG DSS-1、ROLAND S-50、CASIO FZ-1、E-MU Emax SEのごときサンプラーでもないのにユーザー音源波形を自力で生成できる減算方式シンセというのは寡聞にして聞かない。しかもサイン波加算合成とは理論こそフランス革命直後の18世紀末ジョ ゼフ・フーリエによるフーリエ展開のころからあれど、具現化にはおびただしい数の正弦波発振器をただただひたすら愚直に並列に配置し、愚直にいちいち発振器ごとに周波数だのエンベロープだのなんだのとパラメーターを設定せねばならず、リアルな音を出そうものなら最低でも数十基はサイン波オシレーターが必要となり、デジタルによるシミュレーションの到来まで待たねばならなかった。そんな愚直にもほどがあるシステムを実用化しユーザー に開放すべく、民生機シンセとして本格的に挑んだのがKAWAIのKシリーズだったのである。
当時デジタル化に乗り遅れ、息も絶え絶えだったKORG。瀕死の彼らが力尽きて手が届かなかった音創りへの夢を、実は黙って引き継いでいたKAWAI。奇妙なK3の開発には、実は稀代のプロデューサー佐久間正英氏がかかわっていたとも言う。音創りに賭けたKAWAIの想いはその翌年、大化けすることになる。
2.破
ROLANDが革命的な主砲D-50をファイアしたのと同じ1987年、KAWAI K5ローンチ! D-50と同じ16音ポリでほぼ同じプロ価格、2基の63倍音加算オシレーターでもって最大127ものサイン波倍音をユーザーが設定し加算合成する方式、しかも2オシレーター個別に4基の多ポイントEGで倍音構成を���御したのちデジタル・レゾナ�� ト・フィルターとデジタル・アンプで加工するという、怒涛のパラメーター群の襲来に飲み込まれてしまう、ガチで恐ろしい超弩級ヲタ・シンセであった。
さらに民生機初グラフィックLCD装備。7ステージEGはもちろん、倍音加算状況をスペアナのように分かりやすく図示してくれるSF映画のごとき進化ぶりに誰もが腰を抜かした。ぐっと外観も当世風イケてるデジタル・シンセ になり、ただプログラマブル127倍音加算合成というDX7すらもが顔面蒼白で逃げ出す膨大な数のパラメーターを設定せねば音創りできず、あまりの道のりの遠きにかかわるのもためらわれるほどで、誰もがK5の存在には気がついていないふりをして布団の中にもぐってしまっていた。だから意外に知られていない(笑)。しかしそれは知られ ざるKAWAIが放つ超弩級音源シンセ、前代未聞の巨大アーキテクチャーを誇る革新的シンセであった。
なお、K5の音源方式はARTS音源(Additive Real Time Synthesis)となっていたが、商標にでも引っかかったのか、後からADD音源(Additive Digital Dynamics Synthesis)となった。
3.急
そして翌1988年、冒頭で紹介した驚愕の廉価版シンセK1見参! なんせタッチ・センス完備の16音ポリデジタ ル・シンセが9万9千8百円。してその音源波形はPCM波形と、DWGS音源みたいなサイン波加算合成で生成し たVM波形なるものとで合計256波形に達し、そのうち4波形を選んでおのおのに音量エンベロープかましてミックスするだけ、あとは必要に応じてAM変調もカマすだけ、ジョイスティックまであってベクター合成ごっこするだ け、これまた壮絶にシンプルな加算合成シンセであった。フィルターすら持たないコロンブスの卵シンセであり、 逆にその限定っぷりが潔く音創りに見切りの早さと創意工夫とをもたらし、画期的コスト・ダウンも実現せしめた。KORG M1がデビューした熱狂の影で、K1もまた人気を呼んでいたのである。
そのさらに翌1989年には16ビット・デジタル・オシレーターにデジタル・レゾナント・フィルターとマルチエフ ェクトとを加えたPCMシンセK4を投入。K1はリバーブ/ディレイを追加したK1 IIへと置き換わり、ここにKAWAI Kシリーズはラインナップ完成。腕っぷしの強いドラマーがたたいたみたいな頼もしい音がするリズム・マシンR- 50シリーズ、メリケン人の熱きご要望に応えたというこだわりのパーカッション・シンセ・モジュールXD-5、庶民の味方シーケンサーの名機Q-80、明らかに“分かってる”人が開発した便利アイテムMIDIミキサーMM-16、明らかに“分かってる”人が開発した4チャンネル・セミモジュラー・リバーブRV-4などなど、KAWAI機種だけを買えば いっちょまえにかっちょええ“分かってらっしゃる”自宅スタジオが、しかも比較的にお買い得なお値段で実現するというシンセ・キッズにうれしい��が実現、奇跡のようにきらめくデジタル・シンセ音が誰でもお手軽に手にでき るKAWAIシンセ黄金時代を迎えた。
廉価機種で輝いていたKAWAIに対し、当時のKORGはM1とTシリーズという20万、30万、40万円するプロ価格 帯にフォーカスしていたので、KORGとKAWAIとでPCMシンセ市場の棲み分けができていたとも言える。プロからアマまで広くPCMシンセでカバーしていたのはROLAND1社だけであり、YAMAHAはFMシンセの着地点をどう見つけるか決断を迫られていた。してYAMAHAはV80FDという幻のFMフラッグシップ・シンセをデビュー目前にして葬り去り、代わりにSY77というFM+PCM からなる新RCM音源の開祖へと舵を切る。
このときCASIOはVZ-8Mという、冒頭に出てきたデジタル・フルモジュラー・シンセVZ-1の同時発音数を8音 ポリへと半減させた1Uラックの普及機を出したもののそこから広がらず、明らかに時代はPCMシンセのものとなっ ていた。ここへ来てCASIOはプロの音楽文化からは距離を置くようになり、電子楽器全体の民主化へと専念するよ うになる。電卓屋CASIOの本分はテクノロジーの民主化にあり、FZ-1みたいな29万8千円プロ仕様プロ価格サンプ ラーを出すと“CASIOらしくない!”と言われて、10万円安いFZ-1GXへ交代させるなどかわいそうなところもあっ た。その一方、CASIOのおかげで安くなった液晶をニンテンドーが黎明期のゲーム機に使用したわけであり、他方 CASIOシンセの孔を埋めたのはスノッブなプロ文化ともつながりうるKAWAIのPCM/加算合成シンセであった。
4.SHIN
だが1990年代になってからKAWAIはDTMへ方向転換、その数年後GMegaという、音が良い32音ポリGM音源モ ジュールの名機を見た。GMegaをK1のボディに入れたキーボード・シンセ版K11というシンセもあった。デジタ ル・レゾナント・フィルターをシリパラ可変できたが、評判は聞かない。DTMではROLANDとYAMAHAに後追い となって今一歩、シンセも数年間ラインナップを放置したせいか存在感もディケイ。ついにテスコも影も形もなく なって河合楽器に完全吸収。KAWAIシンセは沈黙した。
そのまま数年が経過、他社シンセも数世代が経過、KORG TrinityとROLAND XPシリーズとが世界を席巻してい た1996年、シン・エヴァのごとく突如として新解釈で出てきたプロ仕様シンセが本稿の主役、KAWAI K5000シリーズである。こんにちのピアノ専業っぷりからは想像もできないKAWAIのシンセさしずめ“シン・Kシ リーズ”とでも言うべきか、それは一体どのような機種だったのであろう?
♬ ♬ ♬
“写実派PCM音源の時代に終止符を打つ、印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載”
K5000シリーズのカタログには、そう書いてあった。そこには以下のラインナップがあった:
・1996年発売 KAWAI K5000S 16万8千円 素のシンセ ・1996年発売 KAWAI K5000W 21万8千円 ワークステーション・シンセ ・1997年発売 KAWAI K5000R 12万5千円 ほぼK5000S の2Uラック・マウント音源モジュール版
プロ仕様の割に比較的お値段がフレンドリー。してその実態は、シンセ・ヲタを黙らせた鬼のフラッグシップK5 をさらに発展させたる前人未到のシンセシスAA音源(Advanced Additive Synthesis)。
それは凶悪な倍音加算合成に飽き足らず、悪魔の128バンド・デジタル・フォルマント・フィルターを追加、さら にPCM音源波形とも組み合わせ今度こそめんどくさいシンセ・ヲタどもを完全に沈黙せしめたるもの。すなわち、
①16基の言わば“倍音加算ジェネレーター”が64サイン波倍音加算合成を行い、2基ペアで128倍音加算も可能 ②26基の128バンド・デジタル・フォルマント・フィルター ③36基のDCOこと、ピッチや波形の概要パラメーター設定部 ④46基のDCFことマルチモード・レゾナント・デジタル・フィルター ⑤56基のDCA
倍音加算ジェネレーターの代わりにPCM音源波形オシレーターを使うときは上記3から音創りが始まる。こうし て最大6基のオシレーターにて倍音加算サウンドとPCMサウンドとをレイヤーして音創りする。
倍音加算合成にはマクロ・エディット機能もあり、奇数次倍音のみ、偶数次倍音のみ、などと特定の倍音グルー プに絞ってエディット可能なばかりか、さらに驚愕するのは個々の倍音ごとにEGを設定可能。そんな128倍音ごと に個別に多ポイントEGなんか設定してられっか!という至極まっとうな向きには、モーフ・モードを使うことによ り、時間軸上の4点タイム・スライスに128倍音スペクトラムを設定することで、その4点をモーフィングするウ ェーブテーブルを作成可能。つまりAA音源とはウェーブテーブルを自作できる音源方式!! この快挙はほとんど世に知られていない。
それをさらにデジタルならではの最凶128バンド・フォルマントフィルターや、さらに別のレゾナント・デジタ ル・フィルター、デジタル・アンプ、ADDSRという2段ディケイ装備の多段EGなどで加工。
のちのバージョン・アップでは、0.5秒くらいの短いWAVファイルを外部から読み込み、それを逆フーリエ変換 で解析、さらにフーリエ変換でもって整数次倍音のみで再合成、つまりアナリシスとリシンセシスとを行うとい う、空前の機能すら付いてきてゾクゾクさせた。あまりのパラメーター暴風雨ぶりにグラフィックLCDでのエディ ットはもちろん、あとからPC/Mac版エディター・ソフトEMAGIC SoundDiver for K5000が一緒に付いてくるようになった。
“写実派PCM音源の時代に終止符を打つ、印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載”
このカタログ・キャッチ・コピーは、奇しくもD-50開発者ROLAND菊本氏が命題としてきたシンセのシンセた るゆえんそのものである。鏡写しにリアルな写実主義よりも理想的な音を求める印象派。お手本を忠実になぞり過 ぎるお行儀の良いサンプラーではなく、ハミ出まくるやんちゃ坊主こそ自由を謳歌できるシンセ。
リアルよりアイディアル(理想的)そのままに、AA音源では狙ったところに倍音を立てられる便利さにうれしく なる。これがFM音源とかだとレシオだのモジュレーター出力レベルだの、あるいは減算方式だと音源波形選択やカ ットオフ、レゾナンス、各種変調ソースからの変調デプスなどなどのバランスだの、ともかくいろいろ周りから堀 を埋めるがごとく遠隔操作しているようでまどろっこしいことを想起すれば、直接に当該倍音を操作するAA音源に は納得しかない。
しかも和音で弾いたとき音が濁りにくい。多彩なデジタル音も太いアナログ音も出る上にクリーンでクリアで内 蔵エフェクトも高品質。アコピのサンプルに至ってはKAWAIピアノらしい重厚で太くてプログレッシブな音がして 良い。
1990年代も後半に入ったとき、あらためて隆盛するPCMシンセへのアンチテーゼが登場したのである。それは
リアルさばかり求められる時代へ歯向かうデジタル・シンセの聖戦、その布告であった。
♬ ♬ ♬
アゴが外れるほど驚愕させられたのは、その愚直なまでに広大だった音源方式だけではない。シリーズ唯一、か つKAWAI初のワークステーション・シンセとなったK5000Wにはこれまた広大なMIDI シーケンサーが内蔵された だけでなく、APG(Auto Phrase Generator)という一種��原始的なAIみたいなやつがフレーズを自動生成してく れる機能すらあった。
ユーザーがレコーディングしたシーケンス・データをなんとK5000Wが解析、別途ユーザーが指定した音楽ジャ ンルなどに則して勝手にK5000Wが最大8パートのマルチトラック・シーケンス・データを作成。しかもコード進 行を提案までしてくれる! 挙げ句、自動生成したシーケンス・データをご主人様がを気に入らなければ何度でも リトライ、K5000Wが都度違う楽曲データをご提案。最大で8,000通りくらいの場合分けで勝手にデータを作成し てくれる。
ユーザーが指定できる音楽ジャンルはプリセット105、ユーザー2つ。え、ユーザー?......そう、ユーザーが電子 オルガンやアレンジャー・キーボードなどで伴奏スタイル・データを作成し、それを読み込ませることでプリセッ トにない新しいジャンルを追加可能。未知のジャンルに至るまで人間様の感性を見抜いて提案してくれるのです よ、シンセが! プリセットされたジャンルには1990年代らしく“ランバダ”もあったが、APG機能の本質はAI支援 作曲、つまり機械が人間をアシストする時代への一歩二歩であった。さぁほら、落ちたアゴを拾いたまえ。
そうでなくともK5000Wの内蔵シーケンサーは当時のワークステーション・シンセとしては巨大な代物で、40ト ラック/4万ノート記録ができるという、およそ規格外と言っていいくらい大規模なものであった。MIDI端子すら IN/OUT/THRUを2セット計6端子も装備し、もはや広大なMIDIシステムの中核を成すキーボード・コントローラ ーですらあった。いわばKAWAIのPCなんか使わないぞ宣言、なのであろうか? SoundDiverはエディターであっ てシーケンシングじゃないしね。
普通にPCMワークステーション・シンセとしても卓越した素養があり、加えて革命的な目玉機能も目白押し、し かも値段も比較的にいいところを突いており、ビルド・��オリティもさすがのメイン・イン・ジャパン、鍵盤タッ チも素晴らしいところはヤノピの老舗ならでは。ワークステーションではないK5000Sに至ってはノブがたくさん 付いて、例えば奇数次倍音だけをえいや!っとひねって制御。宣伝にはクリヤ・マコト氏を起用、まだ氏がエヴァ のクロージング・テーマを手掛ける前のことである。
主役は最後に現れる。1990年代も後半、ノストラダムス最後の審判が見えてきた世紀末、世も押し詰まったころ 遅れて出てきた意欲作、それはデジタル・シンセ最後の聖戦であった。
デジタル・シンセの時代。
新しいテクノロジーが新しい音と表現をもたらし、技術こそが未来を切り拓く。健全な未来観。シンセは未来。 シンセはSF。技術的センス・オブ・ワンダー。まぶしいくらい無邪気にテクノロジーを信じ、ハイテクで世界が一 つとなり、音楽が世界を一つにするというビジョンに歓声を上げる。約束された未来、痛々しいまでにナイーブな 未来感覚。そしてデジタルだからこそ多彩な音が可能となり、それはスター・ウォーズ異星人のようにチグとハグ の多様性であり、だからこそ多彩たり得た。
かつてCASIOがキーボード業界に乱入してきたとき、彼らのデジタル技術レベルはYAMAHAよりも5年は先を行 くものであったという。すなわち楽器業界にてデジタルはCASIOの独壇場だったのであり、CASIOのおかげで楽器 は初めて民主化しえた。
そこから始まった楽器のデジタル化が15年かけてたどり着いたK5000。ようやくインターネットがお茶の間に入 り込み、新しい世界の足音が聞こえ始めたその時。だが他方、迷いが出てきてどんどん感情的になっていくとき、 なんでもできてしまうデジタルへの疲れから人は限定を求め始めたのか。そして再び人が主役の時代へ、人の出番 が多いシンセへ、それはアナログ・シンセであった。
しかしアナログへの回帰とは、今やギターと同じくらい定番と化したアナログ・シンセ音色への懐古と郷愁でも あり、人は生まれる前の時代に対してすら懐かしさを抱きしめて生きるものであるという真理の追認でもある。デ ジタルもアナログもどちらが古いとかではなく、等しく未来へ向かうテクノロジーではなかったか。それこそFM音 源もMinimoogの同窓生たる古いテクノロジーだったのであり、だからこそ永遠に新しいのではなかったか。定番 と化したアナログ・シンセへ還ることはたやすい。だがシンセはそれで良かったのか? 前を向くのが新しい楽器 ではなかったのか? 楽器のフロンティアを開拓するのは、へんてこなシンセたちではなかったか。
♬ ♬ ♬
テスコのたましい百までも。
K3では、DW-8000が実現できなかったユーザー波形を。K5では、FM音源がなし得なかった倍音のダイレクト 操作を。K1では、ROLAND D-50でのPCMとシンセ波形との組み合せを格安プライス上質キーボードで。K4で は、KORG M1でも実現できなかったPCM波形を加工するデジタル・レゾナント・フィルターを。K11では、ROLAND JD-990と同じくセミモジュラー構成のPCM音源を安価かつ良質なキーボードで。K5000では、優れて 柔軟な音源と、来たるべきAI時代を予見する機械作曲の曙光を。
他社に学びつつも、他社がたどり着けなかったいま一歩最後の詰めをKAWAIのシンセは探求し続け、K5000Xと いうまぼろしの76鍵フラッグシップまで企画されていたという。しかし発売から2年後、K5000シリーズは一斉 に値下げされて在庫一掃セールが始まり、同年ステージ・ピアノの名機MP9000が入れ替わりに発売。そのまま河 合楽器は本業であったピアノに専念し、ごりごりのシンセの火は消えた。
時に西暦1998年。ついに世紀末が始まろうとしていた。Y2K問題が現実のものとして立ちはだかり、その対処に 翻弄され中小企業に至っては経営に大きな打撃をこうむり、世の中は終末ムードに覆い尽くされ、新しい世紀への 胎動もまた始まっていた。とっくにアナログ回帰への胎動と心音が聞こえてきた中、その過程で既に3年前に史上 初のバーチャル・アナログ・シンセCLAVIA(NORD) Nord Leadがデビューしていた。無名のメーカーから突如 として彗星のように登場するそのさまは、かつてのアナログ名機SEQUENTIAL Prophet-5を思わせた。ハンドメ イド・イン・スウェーデン、ニュー・タイプにふさわしく赤い彗星は高速演算DSPシンセ、感受性豊かな木製ピッ チ・スティックと石製に間違えられたモジュレーション・ホイール装備、EGのアタックが食い付くように激速でク ール!
ここからPCMシンセへのアンチテーゼが続出するようになり、それはKORG ProphecyやZ1、ROLAND JP- 8000やJP-8080、ACCESS Virus、WALDORF Q、QUASIMIDI Raven といった一連の変わりもんシンセた ちとなった。それは既存シンセへのもう一つのアンチテーゼとして独DOEPFERがユーロラック規格を提唱し始める ころであり、実はK5000もその同じ時代の空気を吸って生まれた果実の一つであった。そのミームは2003年 にROLAND V-Synthシリーズとなって結晶化する。V-Synthは売れはしなかったがその怪物性が話題となった現代 のレジェンドであり、楽器店から“ローランドさんやっちゃいましたね♬”と言われたらしい。が、それでももう20 年ほどたつ。へんてこなシンセたちが挑戦するフロンティアは依然としてまだまだ開拓が始まったばかり。
へんてこシンセの挑戦は今やシンセの本流へと還流し、YAMAHAはMontageにて8オペ88アルゴリズムのFM音源へ回帰、KORG はKronos/Nautilusにて9つの音源を同居、ROLANDは変幻自在のZEN-Core音源にてハード/ソフト/モバイルの垣根をクラウドで超える大統一理論的存在になろうとしている。
一方、もう一つのアンチテーゼたるシンセの先祖返りも進み、ついにモノホンのアナログ復権を見た。それを 重々に認めながらもそれでもなお前を向こうとしたSEQUENTIALのデイヴ・スミス爺。そのProphet-5 Rev.4登場 に、Rev.1でもRev.2でもRev.3でもRev.3.3でもない、たった一つ時代の流れに歯向かう橋頭堡のようなビンテー ジ・ノブを回しきったRev.4サウンドに、電子楽器の歴史の縮図と宿命と可能性とを見る。さらにその彼方にある Rev.5サウンド、いまだ見たことも聴いたこともないサウンド、私たちはいかなる音色を次世代Rev.5世代へと贈り とどけるのか? Rev.5、Rev.6、Rev.7、Rev.8、Rev.9、Rev.10、私たちはいまだ4にしか到達しえていないでは ないか。次のRevisionはどんな音なのか、それがアナログであれデジタルであれハイブリッドであれハードであれ ソフトであれアプリであれクラウドであれ、まだ見ぬ全く新しいなにかであれ。
歴史のまにまに運命へと消えたK5000シリーズ、その恐るべき愚直な倍音加算合成はひょっとしていにしえの TEISCOの変態ギターSpectrum 5シリーズに見た“ピックアップ加算合成”に由来するのか? 春の遠雷を聞くか のようにその遠いこだまするエコーなのか? いや違う、多分違うと思うけど、そう想像するのは楽しい。
デジタル・シンセの春、デジタル・シンセ最後の聖戦は、ここに海外からアナログとモジュラーという先祖返り したかのような新しい黒船の到来を迎える。次からはそのルーツとなった海外からの波を俯瞰してみたい。きっと それはここまでの電子立国にっぽんシンセ自叙伝テクノロジー・ドリブンな歴史観とは全く違った、地球人類ならではの必要性と必然性に迫る視座からのものになるであろう。パンデミックにもめげず、ここまでお読みいただき まことにありがとうございました。まだまだWeb連載は続くで。ぜひぜひぜひとも皆さまおすこやかに~~~~! Stay healthy, and stay cool!!!!!!
(2022年2月10日Sound&Recoeding公式サイト初出)
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遅くなったけどモンハンコラボ、M3クリアの記録!
パーティーメンバーは以下。 ナナキの雷属性デバフのおかげでめちゃくちゃ安定しました。
●ナナキ(バフデバフ役) メイン装備1:スムースカラー(☆8 Lv.80) メイン装備2:シーサイドカラー(☆6 Lv.80) サブ武器1:サウザンドウェイブ(☆12 Lv.80) サブ武器2:シヴァブレイド(☆13 Lv.80) サブ武器3:バハムートレイピア(☆15 Lv.80) LB :スレッドファングLv.7 マテリア:バイオエスナ(必須)、後は適当※ ※魔防と治癒が下がらないものであればOkかなと。あまり拘りなし。
・スムースカラーで全体魔防が基本。ずっとAマバリア打ってると言っても過言ではない。 ・誰かが毒食らったら優先してバイオエスナ ・シーサイドカラーの雷属性デバフは特定下で打つ(後述) ・LBはルナティックハイで防御デバフを打ち消せた方がいいかもしれない。 ・基本的に操作するのはナナキ
●ザックス(物理アタッカー兼魔攻デバフ ) メイン装備1:ジンオウブレード(☆7 Lv.110) メイン装備2:トゥインクルスター(☆8 Lv.80) サブ武器1:シヴァランチャー(☆15 Lv.100) サブ武器2:ビーチパラソル(☆14 Lv.90) サブ武器3:聖火のグローブ(☆15 Lv.120) 召喚獣 :ラムウ(裁きの雷) マテリア:物攻底上げできるものならなんでも。(今回は+3.5%、+6.5%、+3.5%)
・基本は前回のがベースだけど、魔防を上げるために多少攻撃を犠牲にしました ・今回のダメージソースは召喚獣ラムウなので火力は多少犠牲にしても大丈夫(デュエルオンスロートの物防ダウンもあるので) ・でも少なすぎるとタイムアップになるので注意 ・基本操作しなくて大丈夫 ・3人の中だと一人だけ魔防が低いのでHPが少なくなりがち ・HPが50%を切るとデュエルオンスロートの物防ダウンが入らなくなるので注意
●ティファ(回復兼魔法アタッカー) メイン装備1:ライフガードハンド(☆10 Lv.100) メイン装備2:キリングローブ(☆11 Lv.120) サブ武器1:パンプキン砲(☆14 Lv.80) サブ武器2:バハムートナックル(☆15 Lv.90) サブ武器3:クッキングミトン(☆15 Lv.100) マテリア:3つ目ケ���ルラ、他適当(治癒と魔防or魔攻が上がるもの)
・ゲージ4つで全体回復できる性能がまじ��強すぎる ・炎耐性もついてるのでライフガードしか勝たん状態・・・ ・マテリアはケアルラだけ固���(ザックスだけHPの減りが速いので単体で回復できるように) ・回復しつつ攻撃も入れる役ですね ・メインアタッカー(今回でいうとザックス)のダメージが10万超えるなら、キリンじゃなくてタイガーファングにして魔法攻撃ダウン連発する役でもいいかも? ・とはいえゲージ減る速さも増すし回復も余裕あったからこれが最適解かな
●戦略 原種も希少種も基本同じ戦法です。 個人的には原種の方がきつかった・・・。
・操作はSEMI設定、基本的にナナキ固定でずっとAマバリア ・ザックスが適度にデュエルオンスロートを打ってくれるのでこれで被ダメは十分抑えられます。 ・全体ブレスを受ける前に防御入れておくと、受けた後リップルエイドが自動で入るので安定します。 ・ゲージ破壊はラムウさん任せです。召喚獣ゲージが溜まったら、ナナキで雷属性デバフ打ったとに3人同時にLB発動 ・基本的にダメージソースはラムウなので、召喚獣ゲージ溜まるまでナナキで壁貼ってティファで回復してザックスが殴る、の繰り返しです。 ・ザックスのダメージが通常時で10万乗るならティファの武器を補助に回してもいいんだけど、今回はこれが限界でした。
原種倒した時点で残り9分くらい、クリア時点で2:30残し?とかそんな感じでした!
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映画『ドット・ジ・アイ』
U-Nextでマシュー・パークヒル監督の映画『ドット・ジ・アイ』(2003)を見ました。原題は Dot the i ーー「 i の上に点をつけろ」という意味でしょうか。
先日見た『マッチスティック・メン』とこれはYoutubeの映画紹介番組で「どんでん返し映画」として上がっていたのだと思います。
物語は結婚を間近に控えた女性カルメンとその婚約者のバーナビーとカルメンが偶然出会った映画好きの青年キットの三角関係として始まります。
ありがちとは言わないまでも、まああってもおかしくない設定ですが、この映画なかなか一筋縄ではいきません。
結婚が決まったカルメンは女友達と一緒に高級そうなレストランで食事をするのですが、なぜか彼女たちは全員男装で口髭までつけています。
え? どうして?
舞台はイギリスなんでしょうか……よくわかりませんが、そういう風習があるんですか。
そこへキットとその友人二人がやってきます。彼らは予約をしていますが、手違いがあったとのことで、カルメンたちと同席することになります。
え? 定食屋じゃあるまいし、高級レストランで同席ってあり得るんでしょうか。
さらにレストランの給仕長がカルメンに「フランスでは結婚を控えた女性は乾杯の際その場にいる男性たちから一人選んでキスをすることになっています」と言います。
え? そんな風習がフランスにあるんですか。私は聞いたことがありません。
カルメンはその場にいたキットを選んでキスをするのですが……そのキスの長いこと激しいこと。二人はみんなが見ているのも気にせず熱いディープキスを交わします。
え? 初対面なのに? なんでそうなるの?
カルメンは急に怖くなったのか、そのまま逃げるようにレストランから出て行きます。
翌日、キットはカルメンが働いているハンバーガーショップまでカルメンに会いに行きます(どうして職場がわかったのかーーそれについては後でネタバレがあります)。
キットはカルメンを説得してなんとかデートの約束を取り付けます。
その夜(かな)、カルメンは誰かにつけられているような気がします。キットがつけていたに違いないと思った彼女はデートの日、キットと会うなり彼を殴り飛ばします。
キットは彼女を追いかけ、自分は彼女をつけてなどいないと言い訳します。するとカルメンは……
あっさり納得して一緒に食事に行こうと言い出します。
え? カルメンさん、感情の起伏が激しすぎやしませんか。
で、どこへ食事に行くかというと……
カルメンは以前働いていたホテルにキットを連れて行きます。そして適当な部屋を見繕って、廊下にある電話からフロントにルームサービスを注文します。
ルームサービスがステーキとアップルパイを部屋の前に置くと(中まで持って入らず、ドアの前に置くシステムなんですね)、カルメンはそれをサッと取って、非常階段に持っていってキットと二人で食べ始めます。
なんちゅうことをしとるんじゃ!
でも、天網恢恢疎にして漏らさずーーすぐに悪事は露見しカルメンは捕まりホテルのマネージャーのところへ連れて行かれます。キットはホテルの非常ベルを鳴らし、混乱に乗じてカルメンを救い出します。
何しとるんじゃ、お前ら! ボニーとクライドか。
そんなこんなでカルメンとキットは急速に接近します。婚約者のバーナビーは何かを予感したのでしょう、カルメンをせき立て判事のところへ行って結婚の手続きをしようとします。
それを知ったキットは映画『卒業』のように(実際そういうセリフもあります)花嫁を強奪すべく役所に向かいますが……間に合いません。カルメンはバーナビーと結婚してしまいます。
しかし、カルメンの心はキットにあるのでしょう、カルメンとバーナービーはうまく行きません。二人は喧嘩をしてカルメンは家を出てしまいます。
行き先は……もちろんキットのところです。
カルメンとキットはその夜初めて結ばれます。キットはカルメンに打ち明けたいことがあると言いますが、それが何かは言うタイミングを失してしまいます。
一方、バーナビーは隠しカメラで撮影したカルメンとのセックスシーンをテレビに映して泣きながら見ています。
え? キットは映画青年で始終カメラでカルメンを撮影していたけれど、バーナビーもそうだったの? それとも単なるそういう趣味の人?
それからバーナビーはビデオをセットして、カメラの前でピストル自殺をします。
カルメンが家に戻ると、警察が現場検証をしています。バーナビーが自殺したと知った彼女は、警察のカメラを押し除けて(どうして警察がビデオを撮っているんだろうと思いましたが、それも後でわかります)再びキットの元に向かいます。
すると……
[ここからネタバレになります。この映画のどんでん返しはなかなか秀逸なので、未見の方��ここで読むのをおやめください]
バーナビーがやってきます。彼は生きていたのです。
そこからネタバラシになるのですが……うーん、何から言えばいいかな……
バーナビーはリアリティのある映画を作りたいと思っていました。そこで適当な女性ーーつまりカルメンーーを選んで婚約し、その女性に愛人を作り、最終的には自分が自殺するというシナリオを作りました。
キットはその映画のために雇われた役者なのです。
そればかりかキットの二人の友人というのは、本当の友人ではなく、映画のスタッフなのです。
流石にこれは驚きました。ワンシーンだけですが、バーナビーとキットが何やら話しているところがありましたから、二人は知らぬ仲ではない、おそらくバーナビーは全て知っている、いやそればかりか全てバーナビーの仕組んだことだとは思っていましたが、ここまでは読めませんでした。
レストランでカルメンとキットを同席にしたのも、給仕長がカルメンにキスをさせたのも、バーナビーが給仕長に金を渡して仕組んだことです。
もちろんカルメンがどの男性を選ぶかまでは予測できません。でもその点でもバーナビーは抜かりがありません。彼はイケメンの予約は全て断るように給仕長に金をやって頼んでいたのです。
バーナビーの自殺ももちろん狂言。捜査に来ていた警官も役者で(彼らは映画に使うためにカルメンの様子を撮影していたのです)、家の前に停まっていたパトカーも偽物です。
そ、そこまでやるか。
バーナビーとカルメンが同棲している部屋にはもちろん隠しカメラがセットされていましたし、キットの部屋も同じでした。だからキットの部屋でカルメンとキットが何をしていたかは全てカメラに残っています。
そ、そんなあ……
「でもそんな映画公開できないよ。だってカルメンは同意していないから」とキットは言います。でも、その点でもバーナビーに抜かりはありません。
彼は結婚証明書と称して映画を公開する承諾書を出しカルメンにサインをさせていたのです。
か、完璧か。
それから時は流れ、バーナビーが撮った映画はインディペンデント映画祭に出品されます。キットの友人役を演じていたスタッフの二人もキットも、それにカルメンまでにこやかに映画祭に参加しています。
映画祭で見事新人賞を獲ったバーナビーは誇らしげに壇上に向かいます。するとキットはポケットからピストルを取り出し、バーナビーに向かって発砲します。
え? そ、そうなの?
キットはすぐに捕まり警察の尋問を受けます。しかし……彼が持っていたピストルはおもちゃです。キットはバーナビーから映画の宣伝のためにおもちゃのピストルで自分を撃てと言われたと言います。
え? じゃあバーナビーはなぜ死んだの?
そこで真相が明らかにされます。
バーナビーを撃ったのはカルメンです。ニコニコしていましたが、やっぱりバーナビーを恨んでいたんでしょうね。だから彼女はキットがビストルを取り出し発砲したのと同時に、隠し持っていたピストルでバーナビーを撃ち、混乱に乗じてその場にいた映画のスタッフの一人(キットの友人役を演じていた男性)のポケットにピストルを滑り込ませたのです。
そんなにうまく行くのか。いくらなんでもポケットにピストルを入れられたら気づくだろうーーと思わないではないですが、まあうまく行ったんだから仕方ありません。
というわけでバーナビー殺害はスタッフの男性の犯行ということになり、カルメンはもちろんキットもお��めなしーー映画は大ヒットして二人はスターになるというところでオシマイ。
大したもんです。無理矢理なところもありますし、カルメンという女性の造形も無茶苦茶、まさに性格が破綻しています(カルメンは昔元カレに硫酸をかけられて腕に火傷の跡があるのですが、それが全くストーリーに絡んでこないのも不思議です)が、ここまでやってくれたら「どんでん返し映画」として立派なものだと思います。
そう、まさにこの映画のポイントは「そこまでやるか」。
全てはバーナビーが映画を撮るために仕組んだことですが、そこまでやってくれると実に爽快です。
監督も役者も全く知らない人で大して期待もせずに見ましたが、いやいい映画を見ました。
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🎋骨董商1年目の感想 美しく儚い……。
【目次】
一通目
二通目……百合好きなので大好き
三通目
お唐と結構仲良くしてたんだな……おでかけしてたのか……そっか……🤦
【一通目】
明先生と師匠。師匠と先生って何が違うのかね。 門下入りして6年?持病で亡くなったと耳にしたってことはお戚は明先生の近くにはいなかったってことかな。 「芽吹きの早いものは枯れるのも早い」ってどゆこと?なんの教え?誰のこと?師匠も復讐はやめとけ派だったのねきっと。林叔父さんもそうだし……多分今回亡くなった明先生もそうなのかも?上の考えを聞くに。 生死無常って言葉わざと?無常さんとお戚が関係あるキャラってことをほのめかしてるのかね……言わなくても分かると思うけどな……。私達はいつ死ぬかも分からないのに、皇帝とかはのうのうと生きやがってっていう恨みか。明先生の死がトリガーになったの意外だな。 山で修行してたのか。なんか実装時の真髄を思い出すな。関係はないだろうけど。この手紙を出す日にはもうここを発ちます的な。つまり6年もお戚は修行してたのね把握。小学校一年生が卒業するぐらいの年月を過ごしたのか……そして本名は蕭遥ではなく蕭七のほうでした��。 恨みが抑えきれずもうすぐ出ると決めたらしい。無鉄砲だなぁ。
【二通目】
3月19日の手紙、ってことは常日頃から何日に書いたよって記録してお手紙のやり取りをしてたのかな。 キャラPVでお唐が持ってたの、やはりお戚があげたやつだったのか。肌身離さず持っていたのをあげたってことは相当仲が良かったのね。そしてそれぐらいの時を一緒に過ごしたんだろうな……。てっきりお唐はお転婆さんだと思ってたけど、文章が結構落ち着いてた。
3月ってことは一通目の手紙で山を降りて一年後とか?そうだとすると山を下りる→復讐が失敗→イギリス(多分。ライムハウストストリートの元ネタがライムハウスだとしたらイギリスのロンドン)の中華街に行って……が一年で過ぎたことになるのかも?激動の一年ですな。
立て続けに悪いことが起きて~非業の最期を迎えたってことは殺されたってこと?もしそうならお戚がやった富商連続殺人事件をさす可能性もあるね。実際どうかは知らないけど。林景福の家を追い出される→殺人事件→骨董屋の取引→お店開く→お唐と出会う→さっき書いた仲良くなる期間→この手紙。殺人事件がこの手紙よりも先だけど、喪に服す期間って日本じゃ一年ぐらいだからもし中国も同じぐらいだとしたらこの説もあり得るか……?いやでも、連続殺人事件が終わった後にお戚が「唐嘉実がいくら私を探しても見つからないのに孫のお唐が私と出会うなんて運命とは不思議なものだ」的なことを言ってた。唐嘉実が自分を探してるってことは唐嘉実を直接お戚が殺したわけではない(少なくともその時は生きていた)だし、仮に今回非業の最期を迎えたのが唐嘉実だとしたらお戚の仕業ではないのかもね。まあ探されてる時点でお戚が唐家に悪さしたのはほぼ確定なんだけどね。
祟りや呪い……って聞いて一瞬無常さんがよぎったけど、傘を今所有してるのはお戚だから関係ないね。というか傘が災いをもたらすって公式で名言はしてないよな……二次創作の見過ぎ、妄想のし過ぎだ。
「長く一緒にいた…」!やっぱりそこそこの期間一緒にいたんだね。一緒に旅してるの可愛すぎるよ!美しい風景に女の子が二人楽しく旅行……そして薄々訳ありだと気づいてた……やはり、お唐は天真爛漫でお転婆な明るい女の子ってわけじゃなくて察する落ち着きもあったのね。うおあ……それでも何も言わずに一緒にいてくれるの良すぎる……あぁ……エモい大好き…… また一ヶ月後に船に乗ってお出かけしようだって!「約束ですよ」だって!!デートの誘い?(ちがいます)いやんもうなにこのほのぼのかわいすぎる好きすぎるわ…… 危ないから家から出るなって言われてるのに大丈夫だし怖くないって言ってるの、やっぱりお戚と同じ気質なんだろうなと思う。(縛られずのびのびと、って名前が共通してるらしいし)でもマジで危ないと思う。 4月2日付。
【三通目】
5月3日……お戚の誕生日の一ヶ月後……そ���て↑の手紙の一ヶ月後。本当はお出かけをしているはずだったのにね。 差出人誰だよ……「至急骨董屋にお越しください」って普通は骨董屋の主であるお戚が言いそうだけど……手紙の内容的に書き手がお戚ではないのは確か。お戚はもう玉佩を持ってないしね。
書き手がお唐説: 文体が違う気がするから書いた人はお唐ではないのかも?拝啓なんてかいてるし……でも富商の殺人事件の犯人が戚だと気づいたお唐が怒りや動揺のあまりこんな文体で手紙を出したって線ならあるかも。……もしそうなら悲しすぎん?そんで喧嘩別れしたままは嫌だから謝りたいとかで失踪したお唐を追って荘園に来た〜ってのもなるのかなぁ。でもお唐が差出人だとすると少し不自然な気がする。仮にお唐が書いたものだとして、わざわざ玉佩を失くしたなんて口実を作らなくても、いつものように骨董屋を訪れたらいいのになって思うのよね。あとなんで殺人事件の犯人や祖父が探してる人がお戚だってバレたんですかね……ってのも気になるな。
書き手がお唐以外説: それともお唐以外の別の人が書いたのかなぁ。「内密にお話したいことがあります」玉佩が無くなった=お唐がいなくなったってことなら、荘園に来いって話をするために骨董屋に来てってことかも……?どっちだろ。どっちにしろよく分かんないから保留。 このあとお戚はお唐を探すために荘園に行ったのだから、もし仮に三通目の手紙を受け取って5月?日に「お唐失踪した、荘園に情報あるらしいよ」と聞いたのなら、(訃報を聞いて駆け出すぐらい即行動するお戚だから)早ければ6月に荘園でゲーム参加とかかな……いやでもまだどの実験グループにいたのかは謎。第4グループの時にはすでに無常さんの傘が荘園にあったから、それよりも前にお戚が来ていそう(お戚が傘を持ってきたのか、それともお戚不在の骨董屋から誰かがくすねてきたのかとか知らないけど)。 でも0・2・旧3・新3のどこにもお戚の要素ないんだよなぁ。それともまだ何も情報が無い第1グループ、もしくは番号被りのどこかに参加したのかなぁ。
時系列不明の謎はまだ残りますな。あと林叔父さんの情報がないのちょっと寂しいな。一通目の時にはまだご存命でしょう?林叔父さんはお戚が山を下りる!!!って復讐に走った時、どういう気持ちで何を想って同行したのか……。でもお戚の気持ちもよく分かるからこそ止めなかったんだろうな……う……やっぱり悲しいなぁ。お戚……林叔父さんも好きすぎ��。その胸中さぞ苦しかりけむ。
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塔の頂上・最終戦5
燃える火球を脚に乗せ、流れる水銃を腕に装着する………この2人のダイマックスに関心を寄せるグゥエル。
ふふ。ふふふ。そう来なきゃな………殺し甲斐と言う物が無い。それがあいつらを倒した………キョダイマックスか。
グゥエルと距離を取るエオレンスタ。対してフェリンソワの方はと言うと、詰めずに様子を見ている。
2体1でも俺は構わん。ま、どっちにせよ同じ事だからな。くらえ。
流れる水の如き拳の連続攻撃、それがフェリンソワに対して向かってくる。しかし彼女は冷静に、ダイウォールで防御した。
はぁっ!!
グゥエルの攻撃は触れる攻撃全てが見えない不可視の攻撃。だが、幾ら何でもダイウォールは流石に貫けないはず。そう思ったフェリンソワは、敢えて最初に攻撃しなかった。
貴方の攻撃は確かに見えない物です。でも、ダイマックスの防御までは流石に貫けない………そう思いました。問題はこの後なんですけどね。
そう語る間に、エオレンスタが水銃からダイジェットを発���した。
ぐあっ!!………ふん……
直撃を受けるも、仰け反らないグゥエル。そしてフェリンソワも燃える火球を蹴り上げた。
さあ、覚悟して貰います。行きますよっ!
どっごおおぉぉぉんっ………!!
蹴り飛ばされた火球が凄まじい爆炎を起こし、熱風が吹き荒ぶ。この彼女の攻撃で、グゥエルが大きなダメージを受け………たのかは分からない。
…やはり、そう来ると思ったぞ。流れる水の拳には、火を消す事など容易い。…と言う訳で、食らえオラァ!!
その当のグゥエルはと言うと、何と水流の拳で火球を攻撃し、受けるダメージを軽減していたのだった。そして続け様に、2度目の拳が飛んで来る。
まずい!フェリンソワさん!早く逃げ………
だが、彼女は逃げない。少しでも活路を見出すべく………暗闇の中で光を探す様に、敢えて逃げずに対抗する。彼女のダイジェットによる竜巻が飛ばされた。
ぐふぁ!!
きゃあああ………ぁっ!!
互いに受けた攻撃。だがまだ、何方も譲らない。流石に入る隙の無いアイヴァンヌはその間何もしていない訳では無く、ダイロックに埋もれて動けないジニーエイラとサンディエゴを救出していた。
さあ、早く………
アイヴァンヌが2人を避難させている間、エオレンスタも水銃からビーム砲を発射する。
これはどうかな?グゥエルさん?
どばあああぁぁぁ……!!!
撃ち抜いた急所。血を流すグゥエルの姿を見て、立て続けに攻撃をするエオレンスタ。だがグゥエルの方もただやられるだけでは無かった。
この俺に血を流させるとは。だが、まだまだ!!
遠い距離からダイサンダーを落とし、エオレンスタを撃ち落とした。強烈な雷が彼の体勢を崩す。
うわああぁ!!………っふぅ………
さ、さあ………そんなもんか?だから言っただろ。キョダイマックスしても同じ事だ、と。無駄だ。お前らに勝ち目は無い。諦めろ。
ふらふらするグゥエルと、座り込んでしまったフェリンソワとエオレンスタ。だがこんな状況で、フェリンソワは思わず笑みが溢れた。
ふっ………あはは!………貴方こそ、諦めたらどうですか。私達の攻撃を受けて、そんなに余裕あるんですかね。
ちっ。身の程知らずが………今すぐ消し飛ばしてくれる!
挑発とは思えない挑発に乗ってしまい、熱り立ってフェリンソワを始末しようとするグゥエル。だがそんな状況を、一つの刃が切り裂いた。
はぁ!!
ぐっ………くそ………
それはアイヴァンヌの剣だった。毒を受け、崩れ落ちるグゥエル。そして彼女はフェリンソワに合図を送り、最後の一撃を譲る。
観念して貰います!
頷いたフェリンソワは、火球をお見舞いする。避ける暇もなく、グゥエルは爆炎に巻き込まれて吹き飛ばされ、そのまま倒されてしまった。
お、終わったの? ……いいえ。多分この程度では未だ………
そのアイヴァンヌの懸念通り、グゥエルは再び立ち上がった。
うぐぐ………またてめえか………アイヴァンヌ!!お前はまたそうやって………!!許さん………この俺を怒らせたな。お前ら全員………奈落の底へ突き落としてやる………!!!
凄まじい膨大なダイマックスエネルギーが、グゥエルの元に集まる。そして、最大限の警戒をする5人を待っていたのは、かつて無い絶望の始まりだった。
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--深海人形特別篇-- プロジェクト グランドフィナーレ 準備号 館主様と蒼傑達は噛ませ犬
※クロスオーバー注意
※ショタ・男リョナ注意
※オリ設定注意
※某機動戦士シリーズ、サムスピ、月華並グロテスク、流血残虐表現注意
※館主様と蒼傑の噛ませ犬化注意(※何時もの事)。
※ガソダムEXAって漫画あるじゃろ?それをガソダムの奴等が他漫画(※…但し、ドマイナーで、基本的に、其の存在を誰も気にして無い)に対してやって居るみたいなモンじゃ(※男塾勢は読むな)。
※最後に、某ドクサレイカサマ煮卵の出て来る蛇足おまけがあるけど、読むだけムカつくので閲覧非推奨(※…対戦相手も対して強く無いし……)。
…。
蒼傑vs
今回、蒼傑十八番の『双条檄射』で死合をする。然し、相手は、『Effigy(相手を呪う為の儀式人形)』とも呼ばれ、『特級呪物』とも称される謎の強化人間。もしかすると、下手をしたら『呪われる』かもしれない。…其れでも、蒼傑は怯まなかった。
死合開始直前、蒼傑は改めて、相手を見る。…自分とは違う拵えの弓(※疾風の弓ミュルグレのレプリカだと言う ※元ネタ:FE封印の神将器)を構え、銀髪で長髪で、左目だけが金眼で、服装は和装で……、蒼傑と同じか其れより背の高い男だった。かつては、『ソロモンの悪夢』等と呼ばれて居たらしい。
(…『ソロモンの悪夢』?…相手の経歴等、…俺には、関係無い事だ。…別に、如何でも良い……。)
…其の時の蒼傑は、はっきり言って、『身の程知らず』としか言えない。実際、其の力量の圧倒な差は、最終的な試合結果にも表れて居た。
…そして、死合開始。
梁山泊 闘弓術 三連貫!!
すかさず、RXQ-02は自らも矢を放ち、蒼傑が撃つ飛んで来た矢を、一本ずつ、丁寧に、相殺して、撃ち落とす。
それを見た蒼傑は酷く驚く。
「…なっ?!相手は千日ほう鏡の使い手か何かか?!!」
そうは言うも、次は二本続けて、時間差を交えながら、弓を射る。
だが、全弾さらりと避けられてしまう。
(…俺の速射は、速度精度共に、大陸一だと言われて居る……、…其れでも、…何故、避けられる……??)
「…味な真似を……、」
相手の規格外な性能に、段々と追い詰められて行く蒼傑。
���…後、5本か……)
それから、すぐさま、相手が蒼傑に向けて矢を撃って来た。4本の矢を。瞬時にこの矢は如何足掻いても避け切れないと判断した蒼傑は、自分も矢を4本撃つ事で事無きを得る。…そして、其の間一本の矢を混ぜて、相手の頭をスナイプしようとしたが、余裕で相手に見切られており……、…此れで、蒼傑0本、されど、相手方は2本だ。
…かくして、手持ちの矢を撃ち尽くした蒼傑は、もう対抗手段を持っていなかった。
相手方の勝ち。
…此れで死合は終了となった。
「…仕方無い、…俺の負け��。」
…蒼傑が己の負けを潔く認めた、…其の時、相手方のRXQ-02が口を聞きはじめる。
「…何だ貴様、生き恥だな。…今、私が、もう貴様が二度と生き恥をかかなくて良い様にしてやる。」
すると、蒼傑の降参も虚しく、上からの命令を無視し、容赦無く、RXQ-02は、矢を蒼傑に撃った。
「?!?!!??!!」
「この矢で最後、さらばだ。」
其うして、放たれた矢は、蒼傑の首と脳天を貫く。
…。
館主様vs
…其の瞬間、嶺厳は対戦相手を、しかと見た。
(…あの男、…日本刀を持って居るな……)
虚な目をした、左目だけが金眼で悪人面で紫髪で白い服を着た背丈180cm程度の男が、嶺厳の前に現れる。
すると、予め、対戦相手の情報を知らされて居る嶺厳が思い出す様にぼやく。
「…此れは正に、『一握りの天才』同士の戦いだな……。」
そうして、嶺厳は体術の構えを『魔人』RXQ-03は日本刀を桃の様に構えて、戦闘体制に入った。
(…あの構え方は、剣桃太郎、…剣の構え方だ……)
「…面白い。俺が相手になってやろう。精々惨めな最期を迎えるなよ?」
いざ尋常に、一本目、勝負!!
…翔穹操弾!
…然し、何と、敵目掛けて撃った筈の何発もの操弾が刺さらない。嶺厳は驚愕した(→驚愕する)。
「…何……だと……?!」
嶺厳が一瞬怯んだ隙に、RXQ-03は一気に間合いを詰める。然し、流石の嶺厳も相手を警戒した後、思い切り相手の腹を何度も蹴る、…が、何のダメージをも与えられない。
(…此れが、『強化人間を超えた強化人間』の実力か……!?)
其処で、短期決戦に持ち込みたい嶺厳は、『回頭閃骨殺』で一撃決着を狙うが、其れは相手にも見切られており、空対空で対策された後、其の対戦相手であるRXQ-03は、一気に刀を勢い良く振るい一閃して、嶺厳を袈裟斬りにした。
「…あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛!!!!!」
そして、嶺厳の最期は、丁度、『月華の剣士(第二幕)』と言う対戦剣戟格闘ゲームで、『決!勝負あり!』の後に、対戦相手の、人間の胴体が真っ二つに切れて行く様だった。
そんな中、無表情で立ち尽くす--返り血を浴びて綺麗に染まった白服の--RQX-03。
「…落ちたか、カトンボが。」
そう言うと彼は刀に付いた血を手持ちの布で拭い、血を拭いて綺麗にした後、刀を鞘に収めた。
…。
蛇足試合 マホロアvs
「…キャハッ⭐︎」
ほんとムカつく、ドクサレタマゴの此の���顔。
「…サァテ、今日のボクの対戦相手ハ、…誰カナ……??…誰カナーーーー?!?!!!!」
やがて、其の相手は、イカタマ野郎の元にのそもそとやって来た。今回の相手、其れは、元々は『幻の撃墜王』とも称された『準魔人』RXQ-05。
「ヤァ、ボクはマホロア!対戦宜シクネ!!」
「…変な生き物?」
「…変な生き物言うナァ!!」
「…嫌な生き物。…何かヤダな。」
其う言いながら、RXQ-05は両手にダガーナイフを装備する。
両者が気が付く前に戦闘は開始されていた。
あのドクサレ煮タマゴは、適度に牽制として魔力球とジェムリンゴボムとキルニードルを撒く。完全に"待ち戦法"狙いである。…然し、其んな当たっても少し痺れるだけの慣性の付いた重い風船の様な物は、可也、魔防の高い相手にはぜーんぜん効かず、キルニードルに至っては当たらず、ジェムリンゴボムに至っても、完全に仕様を見切られており……、
「…ナ、ナンデ!?ナンデダヨ!??ナンデ!???効かねぇンダヨ!当たらねぇンダヨ!」
其のドクサレタマゴは短気なので、早速、キェエエエエエエ!!!(猿叫)状態になって居た。
其うなって居る内に、イカタマ君は、あっと言う前に近付かれ、RXQ-05に此の上無い位強く蹴り飛ばされた。
…まぁ、皆は既に知ってると思うけど、イカサマタマゴの技は、殆ど小回りが効かず、隙がデカい。ストームと異空間バニシュは数少ない例外か(※ストームって言っても、竜巻召喚する技じゃなくて竜巻纏って敵にカミカゼ特攻仕掛ける技だけどね)。
ミリ知ら勢は、シリーズ各ゲームで、此のド腐れ煮タマゴが如何言うモーションしてるかを見れば分かる。
ある程度の反射神経とスピードがあれば、隙を突き放題である。遠くに居ても、無慈悲に飛び道具が飛んで来る。投げ技を持つ個体なら投げ放題。
…ゲーム本編での『彼奴等』は優しかった……。
…さて、其んな此んなで、何度も異空間バニシュ後に着地狩りされ、ソードとブラックホールを出そうとしても、発動を潰され、ストームを出しても、力付くで捩じ伏せられ……、…と、苦戦を強いられるドクサレ煮卵であったが、ある秘策を思い付く。
…彼奴、瓦礫の下敷きにシテ埋めちゃエ。
イカサマタマゴは何とか勝つ為に、其の作戦を全力で実行する。
必死に敵を誘き寄せて、廃墟になったビル群--コンクリートジャングルに来させる。
其処に、RXQ-05が、半ばやる気無く、のそのそ歩いて来ると、
「…ワナに掛かったネ⭐︎御馬鹿サン⭐︎」
「?!!?!」
そう言って、イカタマは繰り出した、あの最強の魔砲、マホロア砲を。
そして、その魔砲は、RXQ-05が近くにいる建物にマホロア砲が勢い良く当たって、瓦礫の雨が出来る。そして、RXQ-05は、其の瓦礫から掻い潜り抜けられず、…瞬く間に埋もれ……、
「瓦礫に埋もれナガラ、昇天でもしナ!!」
瓦礫が完全に、RXQ-05を飲み込んだ後、イカサマタマゴはその上で敵の生死を確認する。
それから、暫くしてから、イカタマは、完全に確認を終えた後に……
…これッテェ…、…ヤッパリボクのッ……!!
「…キャハハハハハッ!!…ボクの大勝利!…魔法使いハ、コウで無くちゃっネ⭐︎」
…等と束の間の勝利を、ダンスを踊りながら、誇って居ると、ドクサレ煮卵を掴みながら、背後から未だ死んでいない『彼奴』が現れた。
「…じゃあ、僕も、魔法使いになろうカナ?」
「…ゲ、ゲェエエエエエエエエ!?!?!!!!!!」
「逃がさない。」
そう言って、イカサマタマゴの頭に、強力な肘打ちを食らわせた上に、乱暴に膝と太腿の中間辺りで締め上げた上に、
「捕まえた。」
両手のダガーナイフでイカタマの首を掻っ切る様に攻撃した後、…勝負あり!!
…。
おまけの資料
RXQシリーズ 魔人・準魔人
生体兵器であり特級呪物。…『Effigy』、『Semi-Effigy』とも呼ばれる。
ティターンズ製の『強化人間を超えた強化人間』。下位存在である生体部品(バイオ・パーツ)達と同様に、阿頼耶識システムめいた接続端子を肉体に内蔵しており、生体部品として機械に接続する事が出来る。
計八体居り、『某桃玉シリーズで未知の魔法とテクノロジーを駆使した古代文明と知られる神の御国で製造された物品』と同じく、科学と魔術で『加工』されて居る。…尚、『素体』となった人間が存在する。
以下、大雑把に特徴
・某水星のエアリアルに、「やめなさい!」されてもトマトみたいに潰れない。頑丈。でも、RX78のおっちゃんに踏み潰されると、トマトみたいに潰れる。
・『準魔人』は、『魔人』に劣るので『準魔人』と言う扱いになって居る。
・どの個体も人間性と精神を破壊されている。だが、最低限の意志と個性は残ってはいるようだ。どれだけやっても完全には消え去らなかったらしい。彼等の詰めが甘いから。技術が未熟だから。
・魔防も異様に高いが、内部破壊と炎と窒息に弱い。イカタマもレボリューションフレイムが溜め技でなければ……、、
…。
今後の計画
RXQ-Vの登場
種、鉄血、水星辺りで同じ様なのを出したい。CEの中で謎公国水泳部してた人とチョコレートの人、出番だ(※本当にロクでも無い)。
…。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月15日(金曜日)弐
通巻第8176号
明日(3月16日)、北陸新幹線が金沢から敦賀へ延長
福井県は観光と経済活性化の期待に湧いている
*************************
北陸新幹線は日本海沿岸の糸魚川(新潟)から富山、金沢を通り、若狭と越前の境にある港町・敦賀まで延長される。『古志の国』の再現だ。
敦賀駅は新幹線駅で最高位の三階建て、駅前は商店街が整備され、あちこちに歴史的な遺物やら銅像、記念館がならんで観光客を待ち受けている。気比神宮から金ケ崎城跡は後醍醐天皇の御代の激戦地、信長潰走のおりは明智光秀が鉄砲隊を組織してみごと殿軍を務めた。
松原海岸から南へ歩くと、水戸藩の武田耕雲斎以下の天狗党を祀る松原神社、このあたりに渤海使をむかえた迎賓館があった。敦賀は観光資源に恵まれているのである。
筆者、古代史最大のミステリーのひとつである応神天皇、そして継体天皇の取材を数年つづけているため何回も訪れてはいるが、訪れるたびごとに新しい発見がある。
記紀では応神天皇が武内宿弥に連れられて禊ぎに気比神社へ赴き、地元の神と名前を取り替えた。なぜ?
気比神社は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀るが、猿田彦と竹内宿彌もちゃんと祀られている。敦賀の応神を祀る神社のほぼすべてで、武内宿彌を祀っている。その謎を解明するために現地の稗史を調べているのです。
継体天皇は三国に育ち、坂井市にある『天皇宮』に大和朝廷からの使者、大伴金村と物部荒鹿火を迎えた。その近くには執務した高向宮跡がある。また謡曲「花かたみ」の舞台と想定されるのが越前市の「花かたみ公園」と味真野神社。そこから奥へぐんと這入り込むと五星(ごおう)神社がある。応神から継体までの五代をまつる神社だ。このあたりが「文室」(ふむろ)とよばれるのは継体天皇の学問所があったとされるからだ。
脱線すると能の『花かたみ』は各地の能舞台で演じられるが、ことしは3月17日に長野で催される。残念ながら筆者、先約とかさなって鑑賞に行けない。越前郊外の味真野神社境内には、この能を再現する継体天皇と越前妻とが並ぶふたりの銅像が建立されており、王冠は金で輝いていた(それにしても駅から遠いです)。
脱線すると雇ったタクシーは日産EV。『タクシーの電気自動車は初めて』というと運転手は「寒いから暖房を入れると電池の消耗がものすごい」と愚痴をこぼした。
新幹線のはなしに戻すと福井駅前には「ふくみち」として商店街が整備され、武生駅は従来線駅よりかなり遠い田圃の真ん中に「越前たけふ」駅が新装されていた。
沿線にはカメラマンがズラーリ、最後の従来線の車両と新幹線の一番列車を撮影しようと全国から鉄道ファンがあつまって壮観だった。彼らには応神、継体天皇に興味はない。
さて糸魚川、富山(射水)、伏木、倶利伽羅峠、加賀の小松、そして坂井市の称念寺、敦賀気比神宮と、それぞれに芭蕉の句碑が建立されている。『奥のほそみち』は『古志のほそ道』であったというのが筆者の持論である。(拙著『葬られた古代王朝・高志国と継体天皇』、宝島社新書を参照。古志は「高志」、または「越」とも書きます)。
▼
((( 演目事典より )))
越前国味真野(現在の福井県越前市味真野町周辺)に、応神天皇の子孫である大迹部(おおあとべ)皇子(男大迹皇子、男大迹邉皇子とも表記)が住んでいました。皇子は武烈天皇より皇位を譲られ、継体天皇(450~531)となり都へ旅立ちました。帝は味真野にて寵愛していた照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ:花籠のこと)を届けます。出先で使者を迎えた照日の前は、天皇の即位を喜びながらも、突然の別れに、寂しく悲しい気持ちを抑えられず、手紙と花籠を抱いて、自分の里に帰りました。
大和国玉穂の都(現在の奈良県桜井市池之内周辺)に遷都した継体天皇は、ある秋の日、警護に当たる官人らを引き連れて、紅葉見物にお出かけになりました。そこに照日の前と花籠を持った侍女が現れます。彼女は天皇への恋情が募るあまり、狂女となって故郷を飛び出し、都を目指して旅をしてきたのでした。狂女・照日の前が、帝の行列の前の方に飛びだすと、官人が狂女を押し止め、侍女の持つ花籠をはたき落します。照日の前はこれをとがめ、帝の愛用された花籠を打ち落とす者こそ狂っていると言い、帝に逢えない我が身の辛さに泣き伏してしまいます。
官人は帝の命令を受けて、照日の前に対し、帝の行列の前で狂い舞うように促します。照日の前は喜びの舞を舞った後、漢の武帝と李夫人との悲しい恋の顛末を物語りつつ、それとなく我が身に引き寄せて、帝への恋心を訴えます。
帝は、照日の前から花籠を受け取ってご覧になり、確かに自分が愛用した品だと確認し、狂気を離れれば、再び以前のように一緒になろうと伝えます。照日の前は、帝の深い情愛に感激し、正気に戻ります。この花筐以降、「かたみ」という言葉は、愛しい人の愛用の品という意味を持つようになったと伝えられています。かくして二人は、玉穂の都へ一緒に帰っていくのでした。
(( 以上ご参考までに )))
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遺棄化学兵器問題(いきかがくへいきもんだい)とは、他国領域に遺棄されたとされる化学兵器(毒ガス)の処理に関する国際問題である。化学兵器禁止条約の成立により、同意なく他国領域に遺棄した化学兵器の処理が、遺棄国に義務付けられている。同条約に該当する遺棄化学兵器として、中国に存在する旧日本軍の化学兵器、イタリア及びパナマに存在するものが申告されている。遺棄の事実や処理事業の運営を巡って問題となっているものがある。 目次 概要 ��集 第一次世界大戦で大々的に使用された化学兵器は、1925年のジュネーヴ議定書で使用が禁止されたが、研究や製造までは禁止されていなかった。そのため、以後も各国の軍が化学兵器を保有し、使用こそ限定的であったものの世界中で実戦配備されていた。一部は占領地などの他国領域にも持ちこまれ、部隊の撤収後そのまま現地に残されてしまう例も生じた。不十分な管理状態で放置された化学兵器は、容器の腐食などで化学剤が漏れ出して住民に健康被害をもたらす危険があった。通常の弾薬に比べて廃棄処理に特別な技術などを要する難点もあった。 1980年代に化学兵器の保有や開発まで禁ずる化学兵器禁止条約(CWC)の交渉がジュネーヴ軍縮会議で始まると、こうした遺棄化学兵器の処理についても議題として取り上げられた。1987年に中国の代表がジュネーヴ軍縮会議で、遺棄化学兵器の遺棄国の責任について初めて言及した[1][2]。日中間の2国間交渉・共同調査なども並行して行われながら、1992年に遺棄国の責任が盛り込まれた条約草案が採択され、翌年に各国により署名された。 1997年に発効した化学兵器禁止条約は、1925年1月1日以降に他国の領域に同意なく遺棄された化学兵器(老朽化して使用不能となったものを含む)について「遺棄化学兵器」と定め(2条6項)、現存地の管理国だけでなく、遺棄を行った国にもその廃棄を義務付けている(1条2項、3項)。処理ルールは検証付属書第4部(B)が規定しており、遺棄を行った国が全ての必要な資金や技術などを提供し、遺棄された国は遺棄化学兵器の廃棄に協力する。遺棄化学兵器が存在する場合には、締約国は速やかに化学兵器禁止機関(OPCW)に申告すべきとされている。原則として発効から10年以内の廃棄処理が求められる。 2009年までに中国・パナマ・イタリアに存在するものについて遺棄化学兵器として申告がされている。ほかにヨーロッパ各地では第一次世界大戦中に6600万発(化学剤12万4千トン)の化学兵器が実戦使用され、不発弾などが各地に残存しているが、こちらは1924年以前に「遺棄」が発生しているため、当該領域の管理国がそれぞれ処理することになる。また、公式な申告には至っていないが、エチオピアは、第二次エチオピア戦争などでイタリア軍が使用・遺棄した化学兵器が存在する可能性があると主張している[3]。 申告済みの遺棄化学兵器の処理については、パナマのものに関して、遺棄をしたとされるアメリカが処理を拒んでいる。また、中国のものについても、日本政府は中国政府と協力して処理事業を進めているが、条約上の遺棄化学兵器には当たらないのではないかとの指摘や、巨額の費用を要する事業の方式についての批判が日本国内に存在している(詳細後述)。 中国における遺棄化学兵器問題 編集 旧日本軍化学兵器の存在状況 編集 中国には第二次世界大戦期に日本軍が保有していた化学兵器が残存しており、これらが日本軍の遺棄に由来するものであるとされ問題となっている。第二次世界大戦期の旧日本軍は、中国に関東軍化学部(通称号:満州第516部隊)や特種自動車第1連隊などの化学戦部隊を駐留させており、各種の化学兵器を満州を中心とした地域に集積していた。終戦までに生産された化学兵器の総量は、「きい剤」と呼ばれたマスタードガスやルイサイトなどのびらん剤砲弾約63万発、「あか剤」と呼ばれたジフェニルシアノアルシンなどのくしゃみ剤砲弾約125万発、同発煙筒266万個、そのほか「みどり剤」と呼ばれた催涙剤のクロロアセトフェノン(CNガス)などがある。一部は訓練や日中戦争の実戦で消費されたものの、大部分は使用されないまま終戦を迎えた。終戦時点で中国を含む日本国外に存在した化学兵器の量は、びらん剤砲弾2万-12万発・くしゃみ剤砲弾72万-88万発・同発煙筒125万個などと推定されている[4]。 吉林省敦化市にあるハルバ嶺地区には、日本側推定30万-40万発の日本軍の化学砲弾などが埋設されている。ハルバ嶺地区には、各地に遺棄されていたという化学兵器が、1950年代-1960年代に中国軍によって集められ、2箇所に埋設されて現在に至っている。当初は67万4千発と推定されていたが、その後の調査で推定量が下方修正された[5]。他方、中国側は200万発が存在すると主張しているが、日本側研究者は過大であると評価している[6]。いずれにしてもハルバ嶺は中国国内で最大の埋設量がある地点と見られている。このほか、北は黒竜江省から南は広東省に至るまでの中国各地にも旧日本軍の化学兵器は残存しており、2012年9月までに約4万8千発が回収されている[7]。中国側はハルバ嶺以外の大量存在地として、吉林省梅河口市にも黒竜江省尚志市から移送したびらん剤弾20万発が存在すると主張しているが、やはり日本側は過大な数字であると推測している[8]。以上の砲弾などに含有される化学剤の総量は比較的少量で、化学砲弾等の総数が約70万発であると予想していた時点でも、約500トンと推定されていた[9]。 現存する旧日本軍の化学兵器には、既述のように「きい剤」(びらん剤)・「あか剤」(くしゃみ剤)・「みどり剤」(催涙剤)ほかが含まれている。ヒ素を含む化学剤があるため、処理に特別な配慮が必要とされる。形態には化学砲弾のほか、発煙筒式のものや保管用のドラム缶入りのものなどがある。「きい剤」または「あか剤」の化学砲弾が多くを占めると推定されている[5]。 残存する旧日本軍化学兵器による事故も発生している。2003年8月4日にはチチハルの工事現場において地中で発見されたドラム缶から旧日本軍の化学剤が流出して1人が死亡、43人が負傷した。日中政府間協議の結果、3億円の解決金が遺棄化学兵器処理事業費の一部として支払われた[10]。 (参考)旧日本軍が保有していた化学兵器 種類 日本軍名称 化学物質 びらん剤 きい剤 マスタードガス、ルイサイト 窒息剤 あお剤 ホスゲン 血液剤 ちゃ剤 シアン化水素 くしゃみ剤��嘔吐剤) あか剤 ジフェニルシアノアルシン、ジフェニルクロロアルシン 催涙剤 みどり剤 クロロアセトフェノン 発煙剤 しろ剤(あお剤と混合して使用) トリクロロアルシン [11][12] 交渉及び処理の経過 編集 1987年に中国から遺棄国の責任について発言があった後、1990年に中国から日本に対して非公式な旧日本軍化学兵器処理についての打診があった。翌年から日中の局長級協議が始まり、日本の外務省から現地へ第1回調査団が送られた。1992年に中国から公式に日本の責任を問う声明が発表された。CWC発効が迫った1996年から日中協議が本格化し、1997年8月に第2次橋本内閣で閣議了解された「遺棄化学兵器問題に関する取組体制について」に基づき、内閣官房に遺棄化学兵器処理対策室が設置(後に内閣府には遺棄化学兵器処理担当室が設置)された。そして、1999年7月に第1次小渕改造内閣下で「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が署名され、翌年から実際の処理作業が開始された[1][2]。 処理事業は、ハルバ嶺とそれ以外の小規模事業に分けて行われている。ハルバ嶺については、当初の計画では現地に燃焼式の無害化プラントを設置し、作業工程を遠隔操作ロボット中心にするなどとされていたが、2008年度試掘調査(2008年12月-2009年1月)の結果、地中障害物の多さなどから機械作業は困難との判定がされた。そこで手作業での発掘要領の策定などを進めることとしており、2009年度にはより精密な試掘調査が実施されている[13]。処理設備は、2012年2月時点で後述の移動式処理設備と同じ制御爆破式の試験装置が完成して現地への設置準備中のほか、加熱爆破式の試験装置をスウェーデンで製造している[14]。なお、産経新聞は2009年1月にハルバ嶺事業が凍結されたと報じたが[15]、上記のように試掘が進むなど事業は継続されている。 小規模事業については、手作業を中心に発掘と回収が行われ、梱包のうえ中国各地の保管施設に集積して、その後に処理を行う計画である。すでに旧軍関係者などからの聞き取りや文献調査により遺棄化学兵器の捜索が行われており、約3万6千発が回収された南京市周辺のほか、各地においても発掘回収されている[5]。小規模事業対象の埋設地・総量の把握は困難だが、2012年9月までの外務省調査と内閣主導作業の成果を合わせて40か所以上から約4万8千発が回収され、中国国内の保管施設に置かれている[7]。廃棄処理には、トレーラーで中国各地を移動可能な移動式処理設備の使用が、2007年の安倍晋三首相と温家宝首相の会談で合意された[16]。1基目の移動式処理設備は南京で2010年10月に運用開始され、2012年1月時点で南京所在の約3万6千発の化学兵器のうち99.78%まで処理が進み、残された作業難度の高い化学砲弾の処理も同年前半には完了する方針である[17]。南京での事業完了後は、武漢市へ移設して作業、さらに広州市を候補に準備中の第3処理場へ移動する。北部向けの2基目は、石家荘市で2012年半ばの運用開始が予定されており、同地での事業完了後はハルビン市へ移設される計画である[17]。 CWCが発効した1997年から10年以内の処理を目指して作業が行われたが、期限内の完了は困難となったため、2006年にOPCW執行理事会において2012年4月までの処理期限延長が承認された[1]。延長後の期限内でも処理が終わらなかったことを受け、2012年のOPCW執行理事会で、判明済みの小規模事業対象については2016年中の処理完了、ハルバ嶺事業については当面2022年中の処理完了を目標として最善を尽くすべきとの決定がされた[18]。 遺棄の事実についての論争 編集 中国に残る埋没化学兵器は日本軍によって遺棄されたのではなく、終戦時の武装解除に伴い中国軍やソ連軍に引き渡され、その後に中国側によって埋没されたものではないかとの指摘がある。これについて日本政府は、旧日本軍の化学兵器であると判明したものについては、中国側が残置に同意していた明確な根拠がない限り、条約上の処理義務を負うものとの政府参考人による国会答弁を行っている[19]。2005年時点では、手投式催涙弾の引渡記録が発見された例はあるものの、そのほかの明確な根拠史料はないとしている[20]。その後、中国本土とは日本側の指揮系統が異なる台湾での化学兵器引渡に関しては、「あか剤」「みどり剤」の発煙筒を第10方面軍隷下の日本陸軍部隊が中国国民党軍に引き継ぎした際の記録が確認された[21]。しかし、中国本土に関しては、シベリア史料館(山形県)所蔵の文献調査などが進められているものの、史料の1/3の分析が終わった段階では化学兵器の引渡記録は全く発見されていない[22]。 また、日本軍の保有していた化学兵器以外に、中国製やソ連製の化学兵器も含まれているのではないかとの指摘もある。日本政府によれば、発掘後に仕分けを行って旧日本軍の化学兵器と確認されたもののみを処理事業対象として回収しているという[23]。広東省広州市黄埔区で2006年11月-2007年2月に行われた発掘作業では461発の砲弾が発見されたうち、旧日本軍の化学兵器と確認できた砲弾など73発と不明のもの24発が事業対象として回収され、残りは中国側に引き渡された[24]。ハルバ嶺での2008年度試掘調査では、661発の砲弾が発掘されたうち641発が化学砲弾だった[25]。 処理事業の運営に関する批判 編集 遺棄化学兵器処理事業には、1999年度から2007年度までで総額540億円が投じられている。その支出内容が不透明で、不要な施設整備に用いられたりするおそれがあると批判されてきた。これに対して、日本政府は、ヘリポートや変電所の整備は処理事業に必要な範囲で、支出は適切に行われているなどと反論している[26]。その後、大規模な施設整備が予定されたハルバ嶺事業については、前述のように調査を踏まえてロボット式の処理設備から手作業へ方針が変更された。日本政府は、一般競争入札による透明化を図るとしている[27]。 また、処理事業に絡んで商社会社から社団法人幹部に裏金が流れたことで脱税で立件された山田洋行事件や政府に人件費の水増し請求をしてコンサルタント会社幹部が詐欺で立件されたPCI事件が発覚し、有罪判決が確定している。また、与党幹部が処理事業に絡んで口利き介入をしたり、朝鮮総連本部ビル売却問題で有罪判決を受けた緒方重威が処理事業に参入する意向があったことも報じられている。 パナマにおける遺棄化学兵器問題 編集 パナマのパール諸島サンホセ島(en)には、かつて駐留していたアメリカ軍が保有していたとみられる化学兵器が残存している。同島は第二次世界大戦中からアメリカ軍を中心に、イギリス軍及びカナダ軍も使用する化学兵器実験場であった。パナマ政府はこれらの化学兵器が遺棄化学兵器であるとして、アメリカ政府に対して化学兵器の処理と汚染に対する補償を求めた。これに対してアメリカ政府は運河地帯返還に関するトリホス・カーター条約で解決済みであるとの立場をとり、2004年にドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)が同旨の説明を行っている[28]。 なお、パナマとアメリカの間では、化学兵器以外にも、アメリカ軍の演習場跡地に残存する通常弾薬の不発弾処理が問題となっている。 イタリアにおける遺棄化学兵器問題 編集 イタリアにも、外国軍により遺棄された化学兵器が存在している。イタリア本土には第二次世界大戦中にドイツ国防軍やアメリカ軍など枢軸国・連合国双方の軍が展開しており、アメリカ軍が持ち込んだマスタードガスが流出するジョン・ハーヴェイ号事件も起きていた。イタリア政府は、遺棄を行った国の特定は行わず、独自に処理を進めている[29]。 脚注 編集 [脚注の使い方] ^ a b c 内閣府遺棄化学兵器処理担当室「中国における遺棄化学兵器問題について」(リンク切れ) ^ a b 内閣府遺棄化学兵器処理担当室 「遺棄化学兵器処理事業の経緯」(2010年8月25日閲覧) ^ Ministry of Trade and Industry of Ethiopia : Chemical Industries Support and Chemical Convention Implementing Department (2011年10月2日閲覧) ^ 常石(2003年)、180頁。 ^ a b c 内閣府遺棄化学兵器処理担当室「中国における遺棄化学兵器処理事業」(リンク切れ) ^ 常石(2003年)、246頁。 ^ a b 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 「各事業別―これまでの遺棄化学兵器発掘・回収事業状況(ハルバ嶺を除く中国各地域の発掘・回収事業等)」(2013年1月7日) ^ 常石(2003年)、247頁。 ^ 荒廃した生活環境の先端技術による回復研究連絡委員会(2001年)、54頁。 ^ 外務省 「第2章 地域別に見た外交 日中関係」『平成16年版外交青書』 時事画報社、2004年。 ^ 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 遺棄化学兵器等 ^ 遺棄化学兵器の安全な廃棄技術に向けて 日本学術会議 平成13年7月23日 P40 ^ 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 「ハルバ嶺における試掘調査について」(2010年8月25日閲覧) ^ 遺棄化学兵器処理事業に関する有識者会議 「第9回議事概要(平成24年2月23日開催)」 内閣府遺棄化学兵器処理担当室(2013年1月7日閲覧) ^ 「遺棄化学兵器処理「ハルバ嶺」凍結 政府方針、事業費を大幅削減」 産経ニュース 2009年1月23日 ^ 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 「移動式処理事業について」(2013年1月7日) ^ a b 遺棄化学兵器処理事業に関する有識者会議 「第9回議事概要(平成24年2月23日開催)―会議資料」 内閣府遺棄化学兵器処理担当室(2013年1月7日閲覧) ^ 外務省 「中国における遺棄化学兵器の廃棄に関する化学兵器禁止機関執行理事会の決定」 2012年2月16日(2013年1月7日閲覧) ^ 第162回国会 参議院外交防衛委員会 2005年7月5日、政府参考人・西宮伸一の発言。 ^ 第162回国会 参議院外交防衛委員会 2005年7月5日、参議院議員山谷えり子及び政府参考人天野之弥の発言。 ^ 喜多由浩 「中国“遺棄化学兵器”問題 スクープ第4弾:政府が二年前に入手していた化学兵器引渡し文書」『正論』2006年9月号。 ^ 第166回国会 衆議院内閣委員会 2007年5月16日、内閣官房長官塩崎恭久発言。 ^ 前掲 第162回国会 参議院外交防衛委員会 2005年7月5日での山谷えり子及び政府参考人西宮伸一発言。 ^ 内閣府遺棄化学兵器処理担当室「中国広東省広州市黄埔区における遺棄化学兵器発掘・回収事業の終了について」、2007年。(リンク切れ) ^ 遺棄化学兵器処理事業に関する有識者会議 「第3回議事概要(平成21年6月2日開催)」 内閣府遺棄化学兵器処理担当室(2013年1月7日閲覧) ^ 内閣府遺棄化学兵器処理担当室「最近の一部の新聞報道について」、2006年。 ^ 遺棄化学兵器処理事業に関する有識者会議 「第1回議事概要(平成20年9月17日開催)」 内閣府遺棄化学兵器処理担当室(2013年1月7日閲覧) ^ 在パナマ日本国大使館「パナマ共和国政治情勢(2004年11月)」 ^ 荒廃した生活環境の先端技術による回復研究連絡委員会(2001年)、18頁。 参考文献 編集 荒廃した生活環境の先端技術による回復研究連絡委員会『遺棄化学兵器の安全な廃棄技術に向けて』日本学術会議、2001年。 常石敬一 『化学兵器犯罪』 講談社〈講談社現代新書〉、2003年。 Lindsay, John Chemical Weapons Tests in Panama and U.S. Responsibility, FOR USA(米国友和会), 1998. 関連項目 編集 大久野島 - 旧日本軍の化学兵器生産拠点だった島。 ジョンストン島 - アメリカ軍の化学兵器関連施設があった島。現在は立ち入り禁止。 大日本帝国の化学兵器 外部リンク 編集 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 - 日本の内閣府大臣官房の担当部署
遺棄化学兵器問題 - Wikipedia
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実地試験 3
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マジックアワー
所謂黄昏時、辺りに人気はなく遠くでトラックのエンジン音が響く。点在するライトが点灯し辺りを暗く照らす。
先輩二人が目的のコンテナへと先導する。
なんて事ない、目的の『Bウォッシュ』なる覚醒剤が積まれているコンテナを見つけ、警察に通報する。簡単なお仕事だ。
「止まれ」
先導する霞先輩が制止する。
「天、このコンテナ登るぞ。ひよっこどももついてこい」
山積みになったコンテナの一角に天先輩を踏み台にし霞先輩がコンテナに登り天先輩を引き上げる。訓練でやった登り方だ。
「ほれ、愛衣」
わたしも亜里沙を踏み台にしコンテナをかけ登り亜里沙を引き上げる。
少し視界が開けるが、目的のコンテナがこの山の向こう側だ。
「愛衣、覗いてみろ」
コンテナの山の隙間、先に様子を伺っていた霞先輩が促す。
言われるがまま覗いてみる。山の向こう側、2ブロック先が目的のコンテナがあるゾーンである。そこにもまた山積みになったコンテナが暗がりに鎮座している。
「あれが目的のコンテナの場所ですね?」
「そうだが、それ以外に気づかないか?コンテナの影、よく見てみろ」
1ブロック手前、ちらっと人影が見える。よく見れば1人だけじゃない。しかも武装しているようだ。
「まるで歩哨…」
「うっそでしょ?」亜里沙も一緒に隙間を覗き込む。
「良かったなぁ突っ込まなくて。そうだ、奴さん例のブツを守ってやがる。見たところP.M.C.…程の奴らじゃなさそうではあるな、チンピラに銃持たせただけだろうな。配置もまばら左右に固まってる。」
霞先輩のありがたい解説付きで隙間から2人で確認し続ける。確かに偏りがある。
「それと数人確認したが、黄色のバンダナを巻いてる…カラーギャングか…?とまぁひよっこども、準備しとけ。明らかに例のブツ守ってやがる」
緊張が走る。厳密にはわたしと亜里沙だけなのだろう、視界端の心拍数がわたしたちだけ上がっている。
「ひよっこどもが支給されてんのは非殺傷弾だろ?だったら大丈夫だ、目とかに当てなきゃ死なねぇから。天、非殺傷に変えとけよ、今回は人死にはなしだ」
天先輩はいつでもどうぞと言わんばかりに準備を終えている。わたしたちもいそいそとホルスターから銃を抜き、支給されているマガジンを装填する。
「さて、ひよっこども。初出撃で人を撃つことになるとはねぇ。いつかはある事だ、割り切れ。とはいえまだシミュレーションのゲームでしか人型を撃ったことしかないと思う、絶対躊躇う確信がある。なのでお前らは私と天のバックアップ。亜里沙は私。愛衣は天とツーマンで動く。大目標はコンテナの確保、通報。小目標は敵性個体の無力化、と言ったところかな。各自準備は?」
頷く。亜里沙も。天先輩は今にも掛け出さんばかりに体勢が整っている。
「よし、亜里沙。あっこのコンテナ群に一番近いライトを撃て、近いはずだから当てれるだろ?」
50mぐらいだろうか、目的のブロックを照らすライトを指さす。
「ライト破壊次第行動開始する。行動中のコールサインはそれぞれ番号とする、私は01、天が02、愛衣が03、亜里沙が04。万一通信する場合はコールサインで呼ぶように、名前言うんじゃねぇぞ?亜里沙、行けるな?」
「う、うっす」
亜里沙がさらに一段コンテナを掛け上がり、射撃体勢に入る。
「そういえば、サイレンサーは付けなくていいんすか?」
「いい、そのまま撃て」
うっすと短く返事をし、撃った。
銃声が響く。
即座に行動を開始した天先輩のあとへ続きコンテナから降りる。
霞先輩と亜里沙はそのままコンテナの上を進みわざと相手に見つかるように動いている。
『04姿勢低くしろ、足止めんなよ?止まらなきゃ当たらん』
「止まれぇ!!」
散発的な、パンパンと短めな発砲音が響く。
亜里沙たちが相手の注意を引いている間に、天先輩と目的のブロックの裏手のコンテナ群へと迂回できた。
影から様子を伺う。日が落ちかける前の薄暗がりの中、目的のコンテナには男たちが守りを固めるようにたむろしている。数は5。コンテナの周りを3人がうろつき、段になっているコンテナの上に2人、それぞれがライフルでなくハンドガンを携行しているのがわかる。そのうちの1人がスマホでどこかへ連絡を取っている、すごい剣幕で電話口の相手に怒鳴り散らかしているようだ。
「いるね」
「どうしますか?ここから撃ちますか?」
「…私が先行する、キミはここからコンテナの上の2人を牽制、出来れば無力化して欲しい。その間に下の3人を片付ける。合図したらこちらに渡ってきて」
天先輩はポケットからフラッシュライトを取り出し、光がもれないように服に押し当てカチカチと強めの光が点灯し動作の確認をする。
「キミに向けて三回光らせるから」
そういうと、合図もなしに飛び出して行った。
「は?え!?ちょ、もうですか!?」
慌てて射撃態勢に入る。考えている暇は無い、コンテナの上に向けて発砲を始める。上手く当たらない。相手が気づく。が、1人に命中、動きを止めた。身を寄せるコンテナに撃たれた弾が当たる。キュォンと甲高い金属音が響く。こちらはコンテナの影からの射撃に加え防弾の制服を着ている、下手なところに当たらなければ大丈夫。バンバンと応戦し相手に弾が当たりひっくり返る。
ふぅと一���、入れてる場合じゃない。天先輩の援護をしなくては、と意識を巡らす。
わたしが苦労して二人を撃ち負かしている間に、ラスト1人に向かっていくのが見える。うずくまる男たちがピクピクと痙攣している。
天先輩は相手が発砲する中を機敏な左右の動きで射線を躱しどんどん近づいて行く。ついに弾を撃ち尽くした男が眼前に迫る少女に怒号をあげ殴りかかろうとする。
チカッチカッ
男の顔目掛けてフラッシュライトが点滅する。目が眩んだ男がライトを避けようと腕で顔を隠す。すかさず懐に潜り込みがら空きになった胴体に一撃。正拳突きを食らった男が呻き声を漏らしながら崩れ落ちる。その後ピクリともしないが、まさか死んでないよね?
チカッチカッチカッ
こちらに向けて3回フラッシュライトが光った
��────────────────────
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討ち取ったぞーーー!!!!! やっぱりモンハンコラボだけはどうしてもアイコン欲しくて!!(普段は全く勝てないので取らない)
まじで頑張った!!!!自分用に装備とかメモメモ。
書いてて思ったけどかなり中途半端な編成だったw けどこれでも勝てるということがわかったので記録!!!
武器の育成も素材不足で全く進んでないけどなんとかなったぞ^^
ちなみに評価はSでした!
全体はこんな感じ
マテリア厳選はできてないのでゴミ。
HPが頑張って一万超えられるくらいだったので、魔防バフ、魔攻デバフを意識!!!
SEMIで操作。基本操作は防御攻撃の切り替えとリミット技くらい。
●キャラクターストリーム ノーブルメモリー以外のところで、このレベルで解放されている範囲全部開けてます。(ティファ、ザックスは物理、エアリスは魔法優先なので開けてないところもあり) ●ハイウィンド 全然育ててないのでかなり低いw ティファ( 物攻+0.5%、物防+0.9% ) ザックス( 物攻+0.5%、アビ+0.8% ) エアリス( 魔攻+0.4%、治癒+0.8% )
武器の飾り箱 +6.4% 兵士の盾 +1.8%、アビ+2.5% 秘技の石板 +4.3% セトラの書物 +1.8%、アビ+2.6% 福音の鐘 +1.2%、アビ+1.3% マテリア玉座 +1.8% ウェアの飾り箱 物防+1.9%、魔防+1.2% ※実はレウス撃破後に強化してしまったものが3つくらいある・・・ので-0.1%くらいが正しい。
⚫︎ティファ ( 回復役兼物理アタッカー )
メイン装備1:ザンガングローブ(☆11 Lv.110) メイン装備2:ライフガードハンド(☆9 Lv.90) サブ武器1:パンプキン砲(☆14 Lv.80) サブ武器2:聖火のグローブ(☆11 Lv.110) サブ武器3:シヴァブレイド(☆13 Lv.80) マテリア:サンダラブロウ、ルインラブロウ、ケアルラ
・回復役なのでとにかく絶対に生き残ることを優先。 ・サブ武器のシヴァブレイドで炎耐性とHPを上げる。 ・パンプキン砲で魔防と治癒力上げる。 ・聖火をもう少し防御、治癒寄りにしてもよかったけどめんどくさかったのと火力は残したかったのでこれで。 (ここまででサブの編成がかなり雑なことがわかる) ・ティファさん回復役にする時は必ずライフガード���タイル&ライフガードハンド ・ザンガングローブはステータスが群を抜いて高いので絶対メインウェポンに入る。魔法だろうが物理だろうが回復だろうがあんまり関係なく固定。 ・マテリアは正直なんでもいい。魔防と治癒がアップするもの優先できたらよかったけど、この時はオートで組まれたやつそのままにしてる。 ・3つ目のマテリアだけは全体ステータスが底上げされる「ケアルラ」に変更。(オートだとバイオエスナが選ばれてしまうので) ・ここまで治癒優先に組んでも結局物理アタッカーとしてのダメージは一万超えるしザンガンがまじで強すぎる。
⚫︎ザックス ( 物理アタッカー兼魔攻デバフ )
メイン装備1:ジンオウブレード(☆7 Lv.110) メイン装備2:トゥインクルスター(☆8 Lv.80) サブ武器1:ディノソード(☆7 Lv.80) サブ武器2:サラマンダークロー(☆5 Lv.110) サブ武器3:サウザンドウェイブ(☆11 Lv.80) マテリア:ルインラブロウ、サンダラ、バイオエスナ
・物理アタッカーとしての役割をメインに、魔防upとHPupをつける。 ・今回のMVPは間違いなくトゥインクルスターの「デュエルオンスロート」(敵単体の魔法攻撃力を中ダウン) ・マテリアはまたしてもオートで勝手についたやつそのまま。 ・3つ目はバイオエスナのまま。 ・攻撃の手数優先なのでとにかくHPと魔防を上げる。
●エアリス( 魔法アタッカー兼回復役 )
メイン装備1:サンアンブレラ(☆7 Lv.100) メイン装備2:ラムウロッド(☆11 Lv.100) サブ武器1:バハムートナックル(☆15 Lv.90) サブ武器2:ビーチパラソル(☆13 Lv.90) サブ武器3:バハムートレイピア(☆15 Lv.80) マテリア:ルインラブロウ、ルインラブロウ、ケアルラ
・こちらも生存優先で魔防とHP底上げ。 ・バハムート武器は優秀だなぁ!!! ・マテリア3つ目はケアルラに変更、あとはオート編成のまま。 ・ティファさんの回復が間に合わない場合に癒しの風要員
今思えばナナキでもよかったかもしれないと思うほど雑な構成。 サンアンブレラのアビリティが強くて乱用してたけど、魔攻ダウン系を優先してもよかったかもしれない・・・。 でもサンアンブレラのおかげでデータ破壊までが早く進んだと思えばまぁいいか。 武器代わりのやつ候補 ・ミスリスロッドのセービンググレイス(全体魔防小バフ) ・チョコボステッキのマバリアソリッド・改(単体魔防中バフ) ・ガードロッドのマバリアストロング(単体魔防中バフ+回復) ・フェアリーテイルのAケアルガ
●戦闘中
これといった戦略もないですがメモ。
・SEMIで攻撃と防御の切り替え、リミット技発動のみ操作。 ・デュエルオンスロートはSEMIでも優先して打ってくれるので、レウスの地走り炎ブレスの前に発動できるよう攻撃に切り替えておけばOK ・地走り炎ブレスのあとにリップルエイドかけられるように防御を調整 ・噛みつきと尻尾ぶん回しは物理よな?ダメージでかくないから素で受ける(防御に切り替えない) ・連続炎ブレスには防御で耐える ・基本的にHPは半分以上を維持。リップルエイドとエアリスのケアルラがあればなんとかなる。 ・防御にしておくとザックスはすることがなくなってゲージが満タンになるので、攻撃にした瞬間高確率でデュエルオンスロートを打ってくれるところもありがたい! ・後半のブレス連打にはリミット技でキャンセルしつつHP満タンを保てるようにする。 ・ライトニングエッジと水面蹴りがめちゃくちゃダメージ入るので気付いたら相手のHPがミリになってる。 ・HP半分以上は守りつつ多少ごり押し気味に攻めたら勝てた。やはり物理こそ正義。
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ある画家の手記if.121 告白 夏祭り
新居の近くには綺麗な池のある広々した公園があって、気が向いたら僕はその公園の池の前のベンチで絵を描いてる。
池の水は溜まりっぱなしじゃなくて公園の外堀の浅い川を巡らせてあって、いつも透明度が高くて綺麗。魚もいる。魚を狙う鳥もくる。 いつも隣のベンチにいてスズメにパン屑をあげてるおじいさんとか、池のまわりをランニングしにくる学生とか、公園に日課で訪れる人たちがいて、僕も通ってるうちに友達が増えた。 静物画を描いてた頃は絵を描くために外に出る必要はなかったから知る由もなかったけど、衆目のある外で堂々と絵を描いてるとちょっと目立つし周囲の興味をひくものらしい。スズメのおじいさんにそう言われた。 そんな公園の友達から、近々この公園で夏祭りが開かれるっていう情報を得た。毎年の恒例行事なんだそうだ。 「直人くんも来てみたらどう?お家は歩いてこれる距離なんでしょう」 「…そうですね。息子と一緒に来ようかな、あの子も夏のお祭りは初めてかもしれないし」 「そういえば息子さんいらっしゃるんですよね、今何歳なんでしたっけ」 なぜか僕が親しくなった相手に香澄のことを話すといつの間にか相手の中で香澄が幼稚園児くらいになってる。 もう成人してますよって言って証拠の写メを見せるときはだいたい絢と香澄のツーショット写真を見せる。 最初に香澄単体の写真を見せて一目惚れとかされたら困るから、となりに香澄とはまた趣の違う華やかで派手な絢もいたら見せられた相手も何がなんだかよくわからなくならないかなとか。実際まあまあそんな感じの効果は上がってる。絢ごめん。 顔立ちだけなら僕と香澄より僕と絢のほうが似てることになるのかもしれないけど、写真を見せても絢のほうを僕の息子だって思う人は意外と少ない。僕も絢もそれぞれ新しい家や家族に馴染んできたのかな。 僕は夏祭りに行ったことは多分ないけど、香澄と行った旅館の初詣でみんな着物着ててお店がたくさん出てた、あんなかんじかな。
前のマンションは立地は住宅街の中だったけど、マンションの方針としてその地域での町内づきあいは一切絶ってあった。今はそういうのが何もない普通の一軒家だから町内の報せとかもご近所から回ってくる。 かいじゅうくんの形のポストに入ってた夏祭りのチラシを取りだして見ながら、簡単に添えられたお祭りのイラストでなんとなくの雰囲気を知る。描かれてる人、みんな着物…浴衣?だ。僕がポストの頭を撫でながらチラシを見てたらちょうど出かけてた香澄が道の向こうから帰ってきた。 最近香澄はよくイキヤのマンションに通ってる。 最初は部屋を貸した身として僕が通って様子を見るべきかなとも思ったけど、結局僕がいつまでも仕事してて行けないでいたら香澄が行ってくれてた。香澄はときどき車出したりもしてた。 二人はけっこう仲良しみたいだ。それは少し、わからないでもない。 イキヤの人間関係はこれまでほとんど画家やそういうことに携わる現場の人間で埋め尽くされてきてる。家庭内にも今は別の画家がいるだけだし。性格や気性を問わず画家同士で穏やかに優しくしあうだけってことにはならない。…その分、誰かに優しくしたい気持ちがずっと行き場をなくしてたりする。 帰ってきた香澄にお祭りのチラシを見せて笑う。 「これ、すぐ近所だし、一緒に行ってみようか」
そんなわけで当日の夕方、まずは自宅まで知り合いの着付け師の子に来てもらった。 浴衣もそこで前もって僕と香澄のぶんを買っておいた、お正月の旅館で知り合った貸衣装をしてたおばあちゃんの呉服屋さん。 あれから何度か仕事でおばあちゃんのお子さんたちにうちに来て手伝ってもらって、ちょっとだけ顔なじみになった。じゅんちゃんとゆなさん。 肖像画の内容にもよるけど、モデルがよく映える服や小道具が欲しいってときもあるから、そういうときに。うちのクローゼットにある服は僕と香澄のを合わせても、お互いに系統が揃ってる上にサイズが大きくてあんまり使えない。 買った浴衣は香澄が白で僕が濃い紫。旅館のときと違って香澄も今回は男性ものの浴衣で、二人とも柄はそんなに派手じゃない。旅先と違って行くのは近所の夏祭りだから、目立つ格好して歩いて妙な虫がついたら払うのに苦労しそうで。 今日は和服だから呼んで来てくれたのはじゅんちゃんだった。浴衣を綺麗に着付けてもらったお礼を昼間に焼いたクッキーと一緒に渡して、二人でお祭りに出かける。布を買って僕が作った簡単な浴衣を出がけに留守番するノエルに適当に着せたらじゅんちゃんに一度脱がされて着付けしなおされてた。
ちょうど陽が沈んだくらいのタイミング。外は昼間に比べたら少し気温も下がってきてる。 となりを歩く香澄の髪にはかいじゅうくんの簪が刺さってる。クリスマスに僕が慧にもらったものだったけど、僕より香澄が使う方が似合っててかわいいからそうしてる。…この方が慧もきっと喜ぶ。 香澄はバレンタイン…本人曰く「誕生日プレゼント」に、まことくんから髪留めをもらって、仕事の日とかによく使ってる。香澄は自分でそういう物はあんまり買わないし僕があげた覚えもなかったから訊いてみた。香澄が友達同士で物を贈りあったりすることにまで口は挟めないけどね。僕が無言でじーっと髪留めを見てたら視線に気づいた香澄は不思議そうに首傾げてた。
公園に入る前から外の道にも普段よりたくさんの人がいて、すでにかなり賑わってた。浴衣姿の人も多い。 はぐれないように手を繋いでたいけどご近所さんも来てそうだから無理かなぁ。 池のまわりをぐるっと夜店が囲むようにどこまでも連なってる。夜店は簡易テントみたいな作りで、高い鉄パイプみたいな骨組みを通してぼんやり光る提灯が頭上に並んで浮かんでる。 香澄と一緒に風を受けてとりあえず見て歩いてるうちにあっという間に空が暗くなって夕方から夜になった。提灯と夜店とところどころの街灯の灯りだけになる。 「あ」 思わず声が出た。飾りみたいにたくさんズラッと並べてあるのの中に、かいじゅうくんがいた。他にもいろんなキャラクター…?色々並んでる。顔だけ… 周りの人たちが買っていく様子を見てると、あれは顔につけるお面らしい。 迷わず買って香澄の頭に装着する。 「…?これって顔につけるんじゃないの?」かいじゅうくんのお面を香澄の頭の斜め上あたりにつける僕に香澄がほわほわ顔緩ませながら訊いてきた。 「香澄の顔が見えなくなったら僕が寂しいからね」 綺麗に装着し終えて満足してたら香澄がさらにほわほわ笑ってた。にっこりしてかいじゅうくんのいないところの髪の毛を梳いて撫でる。 僕はかいじゅうくんと比べたらやけにリアルな描写の般若面を買った。リアルで怖いからあんまり売れてないらしい。僕は首から下げた。背中側に面がくる。般若って女性じゃなかったっけ、とか思うけど、威嚇になる表情ではある。背後の警戒を般若面にお願いする。 二人でかき氷を買って食べ歩く。香澄がオレンジ、僕がブルーのやつ。二人��スプーンですくってお互いの口に運んで食べ比べてみる。どっちも冷たくておいしい。 射的のお店があったから香澄と二人でやってみる。ゴムを飛ばす鉄砲みたいなライフルみたいなやつを使って景品を撃ち落と��たらそれをもらえる。 まずやってみた香澄が何発か撃ってお菓子箱を一個撃ち落とした。香澄はこういう体験は初めてだって言うから「コツを掴むのが上手だね」ってにこにこ上機嫌で褒めた。 そのあとに、香澄がちょっとだけ欲しそうに見てたウサギのぬいぐるみを僕が狙う。ルールに則って決められたラインから踏み出さないで鉄砲を構える。着物の袖が邪魔で肩までまくし上げる。たすきがけとかできればよかった。 僕は腕が長いから普通に構えただけでちょっとズルしてる感じになってるのかな。ゴムをつけ直してウサギを何度か撃ったら置かれた位置からずれてバランスを崩してウサギが落ちた。 店の人から受け取ったウサギを香澄に渡したら嬉しそうにしてた。垂れた耳。まだ留学から帰ってきてない絢のことを連想したのかな。 絢は今、まことくんとオーストラリアに留学に行ってる。日本国内ではなんの気兼ねもなく自由に好きなように活動するのが難しいのかもしれないからよかったとも思う、同時に、僕も香澄も心配な気持ちもあった。 だから僕が庭の樹から少し削りだして、二人でお守りを作った。木彫りかいじゅうくんのキーホルダー。 半分くらいのところまで香澄に作ってもらって、僕は最後の仕上げと少し整える程度のほうが絢は喜ぶかな、と、思ったんだけど、あまりに面妖な初期段階が香澄から提出されて僕は思わず難しい顔になった。なにかの形象をあらわしているとおぼしき木片の突起部分を落としていったらネット検索で閲覧に年齢制限がかかるような姿になったのでさらに削って削って磨いていったら最後にかろうじて残ったのはころんと丸っこい鈴みたいな形のかいじゅうくんだった。雛かもしれない。 お祭りはまだ見てまわるけど僕が撃ち落としたウサギは手荷物になるから一旦僕が香澄から預かる。 ヨーヨーがたくさん水に浮かべてあるのを二人で発見。香澄がすくってとった。歩きながら楽しそうに手で弾かせて遊んでるから、預からないで香澄に持たせたままにする。 頭にかいじゅうくん、手に水色のヨーヨー。着物を白にしてよかった。香澄の髪の色がよく映えて綺麗。 夜店の焼き鳥とかクレープとかホットドッグの匂いが漂ってくる。僕らは家で早めの夕食を済ませたから匂いだけ。公園のみんな曰く、お祭りの夜店で売ってる食べ物全般は内臓や消化器系によほど自信がないと食べるのは分の悪い賭けなんだそうだ。たとえよく火が通されたものでも油が怪しかったりするらしい。 みんなに団扇を配ってる人がいたから僕もひとつもらって、首筋をあおいで風を通す。じゅんちゃんに片側に流すみたいな幅の広めの紐を一本絡ませた編み方にされたから、いつもみたいに後ろで縛ってるより暑い。 となりで香澄の歩くスピードが少しだけ落ちた、様子からして下駄で少し足が痛むみたいだった。 僕も下駄は履き慣れないけどいまだに全然痛くならないから油断してたな… 少し人混みから逸れた場所に入って、香澄の前に片膝をつく。 「ここに足乗せてごらん」自分の立てたほうの膝をトントンと示して香澄の片足からそっと下駄を脱がせた。そのまま僕の膝の上に乗った白い足を診てみて、すぐに病院に行く必要があるような怪我はまだないことを確認する。 それでも鼻緒があたる箇所は少し赤くなっちゃってるから今日はこの辺でもう帰ったほうがよさそうだ。片足ずつ僕の膝に乗せさせて、その間に僕は自分のハンカチを歯でいくつかに裂いて破って、香澄の下駄の緒の部分を外して抜いて、そこにひとまずの代替にハンカチを通していく。ハンカチが柔らかいガーゼ生地だからもとの頑丈な緒に比べれば痛くないかもしれない。 一度香澄に履いてもらってから、すぐ脱げないけど締めつけない程度に長さを調節した。 家までならなんとかなりそうだったからそのまま二人で帰ろうとして、帰る途中で二人して見つけてしまった。 すぐそこの、ビニールプールみたいなのの中にたくさん金魚が泳いでる…。 香澄と顔を見合わせる。 「足は痛くない?」 「うん。すごく楽。」 「…じゃあ、あれだけ最後に見て帰ろうか」 足を痛めないように、ゆっくり水槽の前に二人でかがんで元気に泳ぎ回る金魚をじっと見る。 …体が白くて…頭だけ朱いのがいる。小さい… 「あの子香澄に似てる」 指差して香澄に言いながら、お店の人にすすめられるまま金魚をすくう小さな道具をもらった。指先で触って確かめる。薄い紙が貼ってあるのを水につけて金魚をすくうみたいだけど、紙の目がどの向きなのかとか裏表とか、踏まえておいたら少しはたくさんすくえないかな…。 「…ん 香澄どこ行った?」 「あそこ!」 僕が道具を見てて見失った香澄に似てる金魚を香澄がずっと目で追跡しててくれた。香澄が指差す先に腕を伸ばしてひとまず一匹目を無事にすくう。香澄確保。 そのあとも僕は香澄に「どの子がいい?」って訊いて、香澄が選んだ子をすくって、五匹すくったところでとうとう紙が破れた。 金魚をもらっていくかここに放して帰るか訊かれて、もらって帰ることにした。
荷物が増えたし夜も更けてきたから、今度こそ本当に今日はこのあたりで帰ることにする。 特に金魚の入った袋を持ってからは僕も香澄も少しおたおたした。生き物が入ってるし、一緒に入れてもらった水は少ないし、袋は歩いてたらどうしても揺れるしで、このままじゃ帰り道の間に弱って死んじゃうんじゃないかと思って。 楽になったとは言ってたけどやっぱりいつもの香澄の歩くペースよりは遅いから、公園を出てうちまでの道の真ん中あたりにきてからは、香澄に金魚を持ってもらって僕が香澄をおんぶして帰った。 香澄をおんぶしたり抱っこして運ぶのが好き。僕も昔小さな頃によくそうしてもらってた。どこへ連れてかれるのか分からない状態でも安心していられるその人との関係が大事だった。今僕の背中で疲れたのか少しうとうとしてる香澄に、嬉しくてにこにこする。あんな安心感を、香澄にあげられたら。 お祭りはあと二日、今日みたいな感じで続くらしい。時間があれば、次は普通の動きやすい格好で寄ってみようかな。
お祭りの夜は家に帰ったら浴衣を脱いで、香澄とうさぎと一緒にお風呂に入った。 香澄を洗ったあとでうさぎも洗って清潔にした。さっぱりしてから普段着に着替えて急いで一人で車を出して金魚を飼うために必要なものを買いそろえてきた。あんな少ない水と袋に入れたままだと一晩で死んじゃうかもしれない。 ひとまず金魚たちを無事広い水の中にうつしてから眠った。
次の日、元気に泳ぐ金魚たちを見ながら、香澄と相談して何人かに金魚を譲る相談を持ちかけてみることにした。 香澄がイキヤに連絡してみたらイキヤは今のマンションの部屋で飼う形でもらってくれるらしい。僕が情香ちゃんに連絡してみたら、長期間部屋を留守にすることもままあるから少し難しいって言ってた。 五匹。白い体に赤い髪のかすみはうちで飼いたい。けど、かすみは一番体が小さくて餌を食べる順番争いでも弱いみたいだから、ほかの子と一緒に飼ったら競り負けて弱っちゃうかもしれない。誰かもらってくれる人…
まだ陽の落ちきってない夕方に今度は浴衣じゃなくて動きやすいいつもの服で、香澄とまたお祭りに行ってみる。 一度来てるから二人ともあんまり気構えがなくて、お祭りを満喫するというより散歩の延長みたいな感覚で。僕は今年の夏祭りの見納めのつもりであちこちを見回す。 僕の横で香澄は今日もかき氷を買って食べてる。僕もたまにスプーンでもらって食べる。 特に目新しいお店が増えてるわけでもなかったから、香澄にそろそろ帰ろうか、って 声をかけようとした瞬間だった 場にそぐわないすごい勢いで僕らの脇を走り過ぎていった男にぶつかられた香澄が 跳ね飛ばされるみたいに 池に落ちた 「ーーーー 香澄!!」 大きな水飛沫と人が落ちた音に周囲からいくつか悲鳴があがって周辺が騒然とする ここの池は綺麗なほうだけど深くなってるところは深い 香澄が一人で岸までたどり着くのは難しそうで僕も泳げるわけじゃないけど迷わず飛び込もうとしたとき、 カンカンカンと乾いた音がした 鉄パイプの屋台骨を踏みつけて走る音? 考える暇もなく夜店の屋根の上から細い人影が舞うように池に飛び込んだ ーーーいつもの特徴的な裾の長い上着は着てなかったけど見間違いようのないシルエットに 僕は香澄とは逆方向に走り出す 信用なんてしたくもないし信用したからこうするわけでもないけど、泳げない僕がたどたどしく救命ベストとか持って自分も池に飛び込むよりあれのほうが確実に香澄を助けられる ああもう 言いたくないけどあれは死生観とか倫理観とか常識とかそういうのが一切通用しないわりにどういう理屈だかこういう場面では迷いなく人命や人権を最優先したりする、あれの倫理観がとくに意味不明になるのは七ちゃんやイキヤや少数の大事な人間相手なのか 知るかそんなこと、ただおそらくこの���ではあれは香澄を助ける 学生時代からいがみ合ってきたから逆にソリの合わないフィーリングは嫌ってほど把握してる 僕の方が歩幅が広いし絵を描いててかなり体が鍛えられてたから、走ったらすぐに追いついた 香澄を突き飛ばして池に落として逃走しようとしてた男 腕を後ろからガシっと掴んだ、暴れて抵抗してきたから前方の空間に誰もいないのを確認して男の腕を掴んだまま前に回り込んで男の体を一度僕の肩と背に軽く引っかけるように乗せて空中で相手の体を大きくひっくり返すみたいに投げて前方の地面に叩きつけた 本気でやると全身あちこちに骨折や打撲を負わせる悲惨なことになるから、あくまで逃走防止の範疇を超えない程度に抑えた 倒れた男の両手を背中でねじりあげて背に乗っかるみたいに膝を当てて体重をかけて地面に這いつくばらせる 「あのね。こんなくだらないことしてないで僕は池に落ちた息子についてたかったんだ、心配だし、僕があの子を直接的に助けられなくても君にこんな風に構ってるよりは幾分かマシだよ僕の気分がね、でもこの祭りに来てるってことは君も近隣住人の可能性がある、そんな人間を正体不明のまま逃して野放しにするのも気持ちが悪いからね…」 取りおさえたまま今思ってる恨みつらみを男にずらずらストレス発散みたいに言い募ってたら、全身びしょ濡れになった香澄と行屋が池から無事に上がって僕のところまでやってきた。行屋が連れてきたというより香澄が僕のところまで来てくれたみたいだ。 「香澄!怖かったね…息ができなくて苦しい思いはしなかった?」 香澄をぎゅっと抱きしめたら、濡れてるせいかもしれないけど元々低めの体温がいつもよりさらに低い。真冬だったらショック死してたかもしれない… 僕の体温であっためるように抱きしめたままきゅっと閉じた目尻に薄く涙が浮かぶ …こわかった 「…池の水は清潔じゃないし、もう夜だけど今から一緒に病院に行こうね」 香澄から少し体を離して安心させるように微笑みかける。本当は救急車を呼びたかったけどここに呼んだらたくさんのいい好奇の目の的にされそうで、悩んだ末に呼ばなかった。 香澄は行屋のいつものマントみたいなカーディガンみたいなエスニック調の上着をバスタオルがわりにして頭からかぶってる。こっちを見てくる他人の視線から髪や顔や特徴的な部分をすっぽり隠せてる。そのために飛び込んでったときいつものこれは濡れないように着てなかったのか…? 行屋は僕がおさえてた男の背中を容赦なく踏みつけて、いつもジャラジャラ首から下げてるネックレスだかペンダントだか天然石がたくさん連なった長い首飾りの中から日本の仏教の行事で使う仰々しい数珠みたいなやつを一本首から外すと、僕が背中で束ねてた男の両腕を寝違えそうなほど引っぱってそれで縛り上げた 「…そんな繊細な装飾品、僕なら簡単に引きちぎるぞ。こんなものが手錠がわりの拘束になるのか」 あんまり行屋を見たくないので見ないようにしながら言ったら、行屋はとくに気取ったふうでも得意げなふうでもなくあっさり答えた。 「数珠を通してんのはピアノ線だ」 そう簡単には千切れないって言いたいのか ていうかそんな仕掛けあったのかそれ… 本人は歌うような口調で、数珠はいいぜ、海外でも宗教上の理由とか言や結構やべえときでも没収されずに見逃される、とかなんとか嘘か本当かわからないことを言いながら、さらにきつく縛り上げてる …に、しても、こいつが人命救助に加害者の捕獲… 行動に一貫性がある…とうとう気が狂ったのか? 「お前いつから善行に目覚めたんだ」 行屋は造形的にはそれほど大きくない口元を三日月みたいに大きくにんまりさせながら言う。 「飛び込みと捕り物は祭りの華だろうが」 「…」 やっぱりまともな理由じゃなかった。香澄が池に落ちたのも僕が突き飛ばした男を捕まえたのも、祭りにそえる花というか一等祭りを盛り上げる余興というか…そんな感覚なのか…? いや、理解したくない。ここまで。 行屋もそこでくるっと向きを���えて、薄着一枚でずぶ濡れのまま、まるで寒そうな気配もなく一言の挨拶もなしにまた身軽に夜店の屋根に登って身を翻してテントを飛びこえて、あっという間に姿は見えなくなって、祭りの中から去っていった。
その日はすぐに香澄を病院に連れていって診てもらった。 そんなにたくさん水を飲んでなかったおかげなのか、特に体に異常はなし、外傷もなし。医師は多分大丈夫だろうって言ってたけど、細菌とか諸々の検査をしてもらって、後日検査結果を聞きに来ることになった。 香澄を池に突き飛ばしていった男は僕が警察に引き渡した。お祭りの中で起きた事故だっていうんでお祭りの運営にも事の一部始終の説明を求められた。本人曰く、道を急いでいて不注意で偶然香澄に体がぶつかってしまい、そんなつもりはなかったのに香澄が池に落ちてしまって、深い池だったからそのまま溺死させてしまったらと思って怖くなって逃げた、僕に捕まったとき抵抗して暴れたのもそういうことで、香澄個人を狙った意図的な行動ではない、と。 僕はそれを鵜呑みにはしないし、まるで香澄が落ちたせいみたいな言い草がすごく不快だけど、それ以上個人的に関わるのも嫌だったからあとは警察に任せた。
香澄視点 続き
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19世紀のアメリカにジョシュア ノートンという人物がいた。 生年月日の明確な記録はないが1818年頃イギリスで生まれ、幼少期を南アフリカで過ごし、1849年にサンフランシスコに邸宅を購入してアメリカに移り住み、父親から受け継いだ遺産を運用して一財を作ったが、投機に失敗して1858年に破産する。破産により正気を失ったと考えられている。1859年9月、ノートンはサンフランシスコの新聞各社に次のような手紙を送った。 「 大多数の合衆国市民の懇請により、喜望峰なるアルゴア湾より来たりて過去九年と十ヶ月の間サンフランシスコに在りし余、ジョシュア ノートンはこの合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。 ―合衆国皇帝ノートン1世 」 いきなりの合衆国皇帝即位宣言を、声明を受け取った新聞社の一つであるサンフランシスココール紙がジョークとして掲載した。ここから21年間にわたる「帝都サンフランシスコ」を拠点にした「合衆国皇帝ノートン1世の帝位請求」が始められた。後にノートン1世は請求称号に「メキシコの保護者」を追加する。ノートン1世は主にサンフランシスコの日刊紙上に数多くの国事に関する「勅令」を投書として送りつけ、これを帝位請求における主要な活動とした。 「絶対君主制に移行したアメリカ合衆国においては皇帝による親政が行われる必要があり、議会制度は廃止されるべきである」として、アメリカ合衆国議会の解散を命令したりもしたが、皇帝として要求した内容のほとんどは温和なものであり、先進的で価値のある発想と言えなくもないものも多く含まれていた。 サンフランシスコの市民たちは次第に、頭はおかしいが打算や野心のない温和で平和的なノートン1世の人格を敬愛し、「皇帝勅令」に親しむようになっていった。 1867年に一人の警官がノートンを捕え、彼の意に反して精神病の治療を受けさせようとしたときには、市民と新聞による激しい抗議により騒動となった。警察署長はすぐに対応し、ノートンを釈放して警察として公式に謝罪した。ノートン1世は寛大にもこの警官による「大逆罪」に「特赦」を下した。この騒動以降、警官たちは通りで「皇帝」に会った時は敬礼するようになった。 ノートンは生涯極めて貧しいままだったが、彼を敬愛する市民たちが生活を支えた。食事を振舞ったレストランは「皇帝御用達」のプレートを玄関に飾った。「皇帝」がいつも着ている軍服が古びてきたときには、サンフランシスコ市が大仰な儀式とともに新品を買うのに足りる分を支出した。「皇帝」はその見返りに感状を送り、終身貴族特許状を発行した。小額の負債の支払いのために「帝国政府国債」を発行することもあったが、その紙幣は地域経済において完全に承認された。 1880年の「皇帝崩御」は州外にまで報じられた。寄付金により大規模な葬儀が執り行われ、3万人もの人々が足を運んだと記録されている。
1818年生まれというと、こちらも明確な記録がないため正確な生年は定かではないが、現在では知らない人のいない、現代社会における最も重要な思想の礎を作ったとも言える人物であるフレデリック ダグラスと同い年であり、「皇帝宣言」をした1859年というと、「19世紀のアメリカ人で最も議論の的になる人物」と言われるジョン ブラウンが、その議論の的となる行動を起こした年である。そのため、特に1860年代のアメリカについては、こうした時代背景を抜きに語れることはほとんどないはずだが、「皇帝」陛下のエピソードは時代背景からもぶっ飛んで語られていらっしゃり、また、現在まで語り継がれているということ自体が、というか単なる悪ノリと言われればそれまでなのかもしれないが、社会を取り巻く論争などについて、その党派性や宗派性、イデオロギーなどを超えた視点を与えてくれている、気もする。 1960年代に創立された「ディスコーディアニズム」というパロディカルトはノートンを聖者としたが、そのパロディカルトの教義は、自身を含めたあらゆるドグマを笑い飛ばして超越するというものだ。また、ノートンをオマージュした人物を登場させる小説などのねらいのひとつも、突飛で常識外れな考えの提示によって、社会的な論争の中でねじれてしまっている常識の本来の姿を思い出させるということにある。 ノートンは合衆国の政治体制である共和制と連邦主義にある著しい不備を解決するには、絶対君主制を導入するしかないと信じ、自らがその帝位請求者になろうと決意した。サンフランシスコの市民たちは、「皇帝」に敬意を表する人も、そういうノリをあんまり面白くないと思う人も、特に議論をするまでもなく、君主制には賛同しないという考えと、人生には程度の差はあるだろうが理想やユーモアは必要だという常識を再認識し共有した。ノートン1世の「帝都サンフランシスコ」への愛は、市民たちに誇りを持って共有され、祝福された。
フレデリック ダグラスの奴隷解放運動は、1861年に就任したリンカーン大統領による1862年の奴隷解放宣言となり、合衆国憲法修正条項第13条および第14条となり、1870年には修正第15条も批准される。さらには1948年の世界人権宣言へとつながった。ダグラスは「公民権運動の父」とも呼ばれる。 ダグラスもリンカーンも奴隷解放論者としては「きわめて穏健派」であり、 1860年の大統領選挙期間は、リンカーンもリンカーンの大統領選挙を後援したダグラスも、「合衆国の新しい領土に奴隷制を拡大しないようにすることで最終的に奴隷制が終わる」と主張した。奴隷制の拡大を止めれば、経済的に奴隷制はいずれ消えるという考えは、ジョージ ワシントンをはじめとする建国の父たちの考えを引き継いだものでもあった。 こうした奴隷制度廃止運動が奨励していた平和主義に対し、「こいつらは口先だけだ。我々に必要なことは行動だ-行動だ!」 と、 アメリカでは初めて、運動の手段として「反乱」を唱道し実行したのがジョン ブラウンである。 1859年10月、ブラウンはバージニア州ハーパーズフェリーで連邦政府の武器庫を襲撃する。武器庫を占拠し、解放黒人1人を含む7名を殺害、10名以上を負傷させた。ブラウンは武器庫の武器で奴隷達を武装させるつもりだったが、結局は失敗し捕縛される。バージニア州に対する反逆罪で、12月、絞首刑となる。これは16ヶ月後の南北戦争開戦の重要な原因の一つとなった。 ブラウンの公判中、ヴィクトル ユゴーは、当時亡命していたイギリス王室属領ガーンジーから、ブラウンに対する恩赦を得ようと試み、公開の手紙を送り、大西洋の両側で新聞に載った。その文章で、内戦の可能性を警告していた。
ブラウンのような反乱指導者が再び現れることを恐れた南部の奴隷所有者は、老朽化した民兵制度を再構築した。これらの民兵は1861年までに基礎を固め、そのまま南軍として戦争に対する備えとなった。 南部においては、北部による「奴隷制度廃止論」は「人種差別」と「南部侵略の陰謀」を隠すためのカモフラージュに過ぎないという説が以前から広がっていた。これは奴隷たちによる反乱の意思を削ぐために広められた側面もあるが、人種間における格差も、習慣の違いも、制度上の不備も、それらに起因する対立も、事実として存在した。ブラウンの襲撃は、「北部には南部侵略の意思がある」という説にも信憑性を与えることとなり、南部民主党は、奴隷制度廃止論と密接な共和党の政策綱領が、ブラウンの襲撃を必然的にもたらしたと非難した。1860年11月の大統領選挙での、民主党の共和党への攻撃材料となり、共和党はブラウンの襲撃を非難し、その話題からできるだけ距離をとった。 リンカーンが当選し、12月には早くもサウスカロライナ州が合衆国からの脱退を宣言。翌1861年2月までに脱退を宣言した7州がアメリカ連合国を結成。3月4日、リンカーン大統領就任。4月12日、南軍が合衆国のサムター要塞を砲撃、戦端が開かれた。リンカーンは合衆国に残ったすべての州にサムター要塞奪回を呼び掛け、軍事的な協力を要請した。しかしこれは連合国への軍事対決を意味し、まだ合衆国に残っていた奴隷州を刺激した。5月までにさらに4州が合衆国を脱退し連合国に合流した。 南北戦争中、南部は、「奴隷解放は平和と再統一への障害となる」という説を広めた。 リンカーンは、憲法で制限されているため連邦政府には奴隷制を終わらせる権限がないことを理解していた。 南北戦争中、リンカーン大統領は「この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うこと」だと繰り返した。
1862年9月、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を発した。 リンカーン大統領は、各州の状況をみながら妥協点を探り、時局を見誤らないようきわめて慎重に指揮を執った。前例のない政治的および軍事的危機に直面し、戦争指揮権を拡大、前例のない権限を使う最高司令官となっていた。「適切で必要な軍事的手段 」として奴隷解放宣言は発せられた。リンカーン大統領は、戦争の発生だけが大統領に合衆国内にすでに存在する奴隷を解放する憲法上の力を与えたと主張して、戦時立法として宣言に署名した。 リンカーン大統領のきわめて慎重な指揮は、「あいつらは差別者だ」と言って奴隷制存続を主張し、「社会が分断される」と言って合衆国を脱退し、「あいつらはテロリストだ」と言って砲撃を始めた連合国に��大義がないことを明示することになった。連邦議会は国民的意思の後押しのもと、本来権限がないはずの奴隷制を禁じる法を成立させ、リンカーン大統領は議会に敬意を表してこれを承認した。公式に戦争を終結させるには、奴隷解放宣言を発するしかないという国民的な合意も出来上がっていた。それは奴隷制の廃止と連邦での市民権の確立に関するアメリカ合衆国憲法修正条項第13条および第14条制定の推進力にもなった。 リンカーン大統領の慎重さは、この戦争が国際紛争にならないようにするための奮闘でもあった。 南部の綿花のおもな購入先であり、北軍の海上封鎖を打破しうる海軍力をもっていたのはイギリスだった。アメリカ南部から綿花輸入の8割を頼っているイギリスにとっては南部との関係が断たれたのは大打撃だった。英首相のパーマストン子爵は合衆国に対し強硬姿勢を打ち出していた。1861年末のイギリスの南北戦争介入の危機はヴィクトリア女王夫妻が阻止に動き回避されたが、南北戦争が長期化の様相を呈する中で、再びイギリス政界に南北戦争介入の機運が高まり始めた。 リンカーン大統領の奴隷解放宣言は、奴隷貿易廃止に尽力してきたパーマストン子爵としても共感するところが多かった。イギリス世論も奴隷廃止を支持した。最終的にパーマストン子爵は1862年11月の閣議で南北戦争不介入の方針を改めて決定した。
解けないはずのパズルを解くように、国家に巣食う内なる敵と戦い、アメリカの精神を世界に示したリンカーン大統領の手腕は、1865年の二期目就任後、南北戦争が実質的に終結した頃、支持者の一部から半ば神格化され始める。が、そのすぐ後に凶弾に倒れる。 1865年4月14日にリンカーン大統領を暗殺したジョン ウィルクス ブースは、 リンカーン大統領によって共和制が廃止され絶対君主制になると思い込み、自分の事をブルータスになぞらえていたとされる。
2023年6月 ミスティック コーズ オブ メモリー
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塔の頂上・最終戦1
No.OOと対峙するはアヴェック・スターの6人。
小細工無しで、掛かってこいよ。神様に勝てるんなら、本気で戦っても俺達に勝てるんだろ?
何故か戦闘前に煽り始めるアーレンティ。だが、No.OOはこれに警戒を強めた。
………何だと。この私が、お前達の仲間たる神よりも弱いでも言うのか。それとも唯の、諦めの白旗宣言か。
さあ、どっちかな。アーレンティが「どっちでも無い」って言ったら、君どうする?
続けて煽るキャステラナ。彼女達の狙いは最初から、生体兵器を相手に煽りや挑発という類が通じるかどうか試していると言うものだった。
…それならば、此方にも考えがある。大方…お前らのやる事は時間稼ぎか?
返されたこの問いに、淡々と答えたのはパトリオット。
まさか、とんでも無い。それは外れだ。そんな事をしたところで、私達にメリットが無いのでな。
それに………貴方に倒されたのは未だ本気を出してないから。本気で掛かっていたら貴方はとっくにスクラップになってたかもしれないからね。私達「王」なんかが、手を下すまでも無く。
続けて煽ったのはグルナッシュだった。これに対してNo.OOは、遂に怒りを見せる。
ふざけるな。そこの女が何を言うかと思えば負け惜しみか。揃いも揃って私を馬鹿にするとは!
負け惜しみ…?いいえ、事実ですよ。それではそろそろ行きましょう。
そう1つ言うと、トラヴェリアは気付かれない様に矢を飛ばし、狙いを定めて撃った。
本当に不愉快な連中だ。それだから私に────
ずぎゃあんっ!!
!?………な、何をした………!
話をしている間に隙を突き、トラヴェリアの撃ったドラゴンアローがイヤーカフスを破壊した。
随分と立派な物を付けている様ですが………少しだけやらせてもらいました。私達は貴方と最初に対峙した時………貴方の耳から電気が迸っていた………瞬時に私は何か有ると踏み、一見その何でも無いイヤーカフスから、貴方は先の戦いでこの電気を送電していた。………違いますか?
耳を押さえ愕然とするNo.OOと、表情こそ変えないがしてやったりの感触を掴んだトラヴェリア。
………よくも………私のアドバンテージになる攻撃を封じてくれるとは!!………良いだろう。神をも封じたこの力さえ無くとも、お前達が相手なら恐るるに足らぬ!!
どうやら彼女の読みは当たりだったらしい。送電していたのは特殊なイヤーカフスからで、この能力を切欠に先程の4人の神を相手にして無傷で勝利を収めている事が判明した。
さて………こっからどうするよ。相手は凄まじい難敵だ、僕達6人でも真っ向勝負で勝てるかどうか分からない。
冷静になるサランバート。この後の事は考えてなかったが、それでも今はただ立ち向かうしか無い。6人はNo.OOを止めるべく、装備を構えた。
ええい、かくなる上は!
フードを外したNo.OO。やや短い髪の毛に、両サイドの髪を下ろした髪型と顔が露わになった。
行くぞ!
そして、戦闘が始まる。前衛をパトリオット、キャステラナ、トラヴェリアが、後衛をサランバート、アーレンティ、グルナッシュが担当する。竜の力をありったけ飛ばした6人は、No.OOにダメージを着実に与えていく。
うぐぐ……っ!
だが、そのNo.OOも黙ってはいない。その素早い動きで1人ずつに飛び掛かり、攻撃を仕掛けた。
いやぁっ!! きゃああっ!!!
拳に冷気を纏わせ、キャステラナとパトリオットを吹き飛ばす。そこから間髪入れず続けて、アーレンティとサランバートに襲いかかった。
ぐああっ!! うぐっ……!!!
ふわふわとした動きを見せた後に、目にも留まらぬ連続攻撃が決まる。そして、その動きはトラヴェリアすらも捉える。
うわっ!?
思わず危険を察知した彼女は闇に紛れて逃れ、グルナッシュがその隙を見て光線銃から冷気を撃ち出した。
ぐう………っ!?ぐふっ!!
フードが外れ、ふわりと見えた短髪。そして、直後にトラヴェリアが突撃した際…僅かに感じたのは体温だった。
え………貴方、まさか………
その予想外の姿に、ただ驚くしか無いグルナッシュとトラヴェリア。しかしその隙を見逃さず、No.OOはトラヴェリアを斬り払った。
きゃあああ!!!
彼女の服が裂け、やや白い肌が見える。その肌からは鮮血が流れ、布地の白を濡らした。
………もしかして、人間?唯の生体兵器では無くて?
グルナッシュは光の砲弾を発射し、爆発させる。そしてNo.OOの吹き飛んだ服装から、明らかな胸の膨らみが確認出来た。そして、追撃を行おうとしたその時、No.OOはグルナッシュに突撃する。
…今、答える必要はない。
グルナッシュをゼロ距離の一撃で吹き飛ばし、乱れた服装を元に戻したNo.OO。だが、その吹き飛ばした彼女はとんでもないカウンターを浴びせた。
………!?ぐうぅ……抜かったか。
それはまるでローションにも似た、ヌルヌルとした液体。それがNo.OOの床一面に零れ落ち、動きを鈍くしてしまう。さっきNo.OOに触られた彼女は、その対策としてこの液体をぶち撒けると言うカウンターを併せ持っている為、ただ強いだけで無くこの厄介な動きを鈍くする液体が、このグルナッシュを危険と言わしめている所以である。
………げほっ。………それ………結構滑るよ?………足元………気をつけてね………
倒れるグルナッシュ。しかし、No.OOは終わる気では無い様だ。してやられたと言う表情をしながらも、確実に止めを刺す為に再び拳を握る。
………やってくれる。このまま生きては帰さない。
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