#転生アプリオリ
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セルフライナーノーツ: tabula rasa
ボーカルのタニグチです。
ライナーノーツなるものを一度も書いたことがないのですが、以前のブログ記事でアサノが予告してくれたので、新曲『tabula rasa』の歌詞を試しに解説してみることにしました。
どっこい、この曲の歌詞は英文で、なおかつ「認識論」と呼ばれる哲学の分野を土台にしているので、真っ向から解説すると大変な文字数になってしまいます。そこで、一部分だけを、日本語訳で、なるべく専門的な用語を使わずに紐解こうと思います。
なお、以下に述べられる哲学史は、多分に誤解を含みうる、素人によるざっくり要約であることをご容赦ください。
『tabula rasa』作曲時期のバンドの様子
曲名の『tabula rasa』(タブラ・ラサ)とは、古代ギリシャから存在する哲学的な概念のラテン語で、「白��状態」という意味です。哲学用語の中では比較的メジャーであるようで、現代では楽曲や絵画等の作品名によく使われています。
また、元々の哲学の分野では、「何の観念も知らない状態」を表す言葉として、古くから特別な意味を持っています。歴史的に、少なくない哲学者たちが、このように考えていました:
ーー生まれたての人間は、まっさらな白紙のような状態(タブラ・ラサ)であって、あらゆる観念は経験によって書き込まれていくーー
つまり、「りんご」「天気」「時間」といった観念とは、経験を通してのみ獲得されるものであって、経験に先立って成立する観念はありえない、というスタンスでいたのです。ものごとの認識において客観的な経験を重んじる、このような考え方を「経験主義」と言います。
経験によって知識を得るということは、おそらく多くの方にとって、とてつもなく当たり前であるように感じられると思います。生まれたての赤ん坊がりんごを見て、これはりんごだと確信することはなさそうです。実際に、経験主義は、17世紀頃まで哲学のメインストリームのひとつでした。
しかし、近現代の哲学において、この経験主義はすっかり廃れてしまっています。なんと、経験ゼロの生まれたて状態でも、人はすでに「何か」を知っているようなのです。
あらゆる経験に先立って、人に生来備わる観念ーーそれを強力に定義し、経験主義もそうでない主義もまとめて統合するという大転換をもたらす哲学者が現れました。彼こそ、18世紀最大の巨人・カントです。
イマヌエル・カント(1724-1804)
カントは、「時間」と「空間」を、経験によって認識する観念ではなく、ものごとを認識する際に用いる「形式」であると人類で初めて主張し(たぶん)、なんやかんやで(中略)、それまでのあらゆる思想を収束する、新しい哲学の体系を作り上げました。
どうやら、ある観念が「経験に先立って」成立するか否かーーひいては論じることが可能な対象であるか否かーーを問うことは、哲学者にとって大変に重要な態度であるようです。
ここで、新曲『tabula rasa』のサビの歌詞の日本語訳を見てみます。
時間と空間よりも先に
君を知っていた気がする
この文句は、わたしが学生時代に思いついた、「カントのプロポーズ」です。
カントにとって、「時間」と「空間」は、人の主観に生まれ持って備わるものさしです。生まれたての赤ん坊であっても、知識が真にまっさらな白紙状態(タブラ・ラサ)であることはなく、ものごとを認識するための形式として、「時間」と「空間」という観念は先に身についていると考えます。
そんな、すべての経験に先立つ「時間」と「空間」よりも先に、君のことを知っていたようだと嘯くのは、とんでもない矛盾です。しかし、その矛盾でしかない表現が、いかにも運命を感じているようでプロポーズっぽい、と当時のゼミ仲間に話した記憶があります。
サビの歌詞はこのように続きます。
だから、君といない僕はまるで
「タブラ・ラサ(白紙)」
語り得ぬことについては沈黙せねばならない
星々が告げるよ
僕がどれほど君に恋しているか
ここから、別の哲学者が登場します。20世紀の天才・ウィトゲンシュタインです。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)
ウィトゲンシュタインはカントよりもさらに尖っています。彼は、そもそも論じることができる哲学的な命題とは何であるかを、経験に先立つ観念によってすべて証したて、哲学という営みを終わらせようとしました。なんという破壊者。これまた哲学の大転換です。
そんな革命的哲学者・ウィトゲンシュタインの最尖り期の大著『論理哲学論考』の最後を締めくくった、スーパー格好良い一文が、歌詞にある「語り得ぬことについては、沈黙せねばならない。」です。
この一文は、なんだかオシャレである上に、当時のウィトゲンシュタインの思想が凝縮されているので、巷で人気の哲学センテンスBEST3に入ると思っています。ちなみに1位はニーチェの「神は死んだ」、2位はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」です。
そんなこんなで、『tabula rasa』のサビの歌詞はこのような意味に取れます:
僕は君の魂を、時空を超えて、他の何よりも先に知っていたような気がする。それほどに運命を感じている。
そして、君と過ごす日々があまりにも素晴らしいから、君に出会うまでの僕を、まるで白紙のようだったと思える。
君への愛はアプリオリ(経験に先立つもの)であって、もはや言葉では語りつくせない。
だから、美しい星々が僕に代わってそれを告げてくれるよ。
このように、大層ギャラクシーでロマンチックことを楽しげに述べています。もはやLove Foolosophyの近似です。
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わたしはJamiroquaiに影響を受けすぎて、なんでもかんでも手癖でコズミックにしてしまうバンドマンなので、これくらいの壮大さは朝飯前です。
サビ以外の歌詞も概ねこのような調子で、なんなら2番には別の哲学者も登場しますが、きりがないので割愛します。
それではお聞きください、新曲『tabula rasa』。
(動画撮影ありがとうございました!)
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[Translation and lyrics] EDEN by Ariabl’eyeS
Hey everyone, back at it again this time it’s their 2012 single katayoku no romancia, or as the cover says, one-winged romancia. This single would go on to be expanded into a full album titled reimei sinfonia (symphony of dawn) with a whooping 10 tracks. While I feel that the single is pretty solid, I have my misgivings on the full album, I feel it really overstays its welcoming, a couple of beats feel uninspired, etc, so I’ll just stick to the single for now. This song is pretty standard as far as their lineup goes, I feel like I would be repeating myself if I talked about Rena’s performance, however it’s pretty telling that a 2012 performance is nearly indistinguishable from a 2019 one. It’s fair to say that rather than finding new sounds the band has been focused on sharpening the same performance for many years. Anyway, you can keep reading below the cut and I’ll see you next time, have a nice day.
EDEN
Composer, lyricist, arrangement��リぜ Singer:Rena
nageki no eden de anata to meguri aetara hikari mau kiseki ga otozureru kara shinjite
We'll meet each other in that crying Eden Put your trust in the call of the miraculous lights
mou waraenai no? sou tojita hitomi mo aa kowarekake no tobira hirakareta mama
Why can't I laugh anymore? and my eyes are still closed and the broken door is still open
wasureta hibi no kioku wo tadotte sugiyuku toki hakanaku setsuna wo negau
Guided by the memories of those forgotten days Those fleeting past days of sorrowful wishes
hoo wo tsutau namida hibiku koe mo tookute tsuranukareta kyofu sasagu inori no kotoba
tears wrapping these cheeks while that voice resounds from far away offering words of prayer while stricken with fear
nageki no eden de anata to meguri aetara hikari mau kiseki ga otozureru kara yoru wo koete mata futari no koe ga hibiki wataru you ni hikari michi afureru sekai de
We'll meet each other in the crying Eden The miraculous lights are coming to us going through the night our two voices are echoing through this world filled with light
egaku risoukyou wa warau anata no sugata surikireta kanjou sasagu inori no kotoba
the utopia I picture has to have your laughter in it this is all I pray for with my fading emotions
nageki no eden de anata to mitsume aetara kuraku yodomu kisetsu wakare wo tsugete yoru wo koete mata futari no sekai kagayakidasu you ni
We'll see each other in that crying Eden as the darkest season settles it'll mark our farewell going through the night the two of us will shine in this world
kuzureyuku eden de anata wo dakishimetetai karamu sono yubisaki tsutawaru kodou hanasanaide komi ageru chikara ni otozureta kiseki ga hikari michi afureru eden de
I want to hold you in this crumbling Eden feeling our heartbeats as we link our hands don't let go, I'm feeling so many things the miracle will come to us in this Eden filled with light
(As usual, I have no idea what I’m doing, this time I’m really way above my head and have no idea what’s going on so if you’d like to tell me what’s really going on in the album, I’d certainly really like that, drop by my askbox and do so please. Also for the title of the album I’m going with katayoku, because that’s how it’s pronounced in the very last song, but I’m sure some places have it written as henyoku, which is also technically a correct reading, isn’t japanese just wonderful).
#Eden#reimei sinfonia#黎明シンフォニア#片翼のロマンシア#ariabl'eyes#doujin music#translation#lyrics#転生アプリオリ#katayoku no romancia#henyoku no romancia
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戦略会議 #27 超域Podcast/ 「私たち問題」と「倫理」について
コロナ禍がはじまって以来、2年間続いている週3回のゼミの勉強会。この勉強会は当時コロナ禍で年8回という限られたスクーリングの機会がオンライ��へと移行したことを補って余りあるほどに機能したもので、モリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ——世界の再魔術化』がゼミの必読書でもあったこともあり、積極的な「参加」の意識が生み出す集合知というもののチカラを目の当たりにするものであった。今年に入り、2月のアタマからそのゼミの勉強会の様子を月1回(現在は2回)収録し、ポッドキャスト(参照:「超域Podcast」)として公開することを試し始めた。僕としてはこれはヴィレム・フルッサーの「文化的コミュニケーション」についての理論の実践だと思っている。
情報操作のプロセスは「コミュニケーション」と呼ばれますが、二つの段階に分かれます。第一段階では情報が作り出され、第二段階では記憶にもたらされ、そこで貯蔵されます。第一段階は「対話」と呼ばれ、第二段階は「言説」と呼ばれます。(中略)対話で作られた情報は、言説において流通します。 ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために』、深川雅文訳、勁草書房、1998年、p65
大学院も4月から五期目に入り、学びが充実してきたこと。そして、僕としてはゼミでの対話によって生まれた「情報」は「価値あるもの」だと思うようになってきたこと。それぞれ問題意識をもって入学してきた社会人がコンテンポラリーアートを通しての学びの中で変化した視点や考え方、経験というのはとても魅力的で、常にちょっとずつ新しい「何か」を生み出し続けているということ。そして、これらのことから考えこの学びを「言説化」しておくべきだろうということに至ったのだ。タイミングよく人に薦められてどハマりした「超相対性理論」というポッドキャストをヒントにしてフルッサーの言うところの4つの言説の方法のうち、空間へ放散する大衆化という方法を選んだということになる。ちなみに、これ��「写真の流通」とも同じ方法で、現代写真アートにおける言説のひとつの方法とも言える。そして、参照元の「超相対性理論」のメンバーも配信の中で言っていたが、この方法は非常に充実した学びをもたらす。まだまだニッチなコンテンツなこともあってか、Apple Podcastランキングでカテゴリーのランキングでは常に割と上位にいて、総合5位まで上がったこともあったことからも視聴者にとっても多少は意味あるコンテンツとなっているのではないかとも思える。
毎回、Slackにガーッとトークテーマをあげた中から事前に選んで、収録の日にフリーで対話をする。多くはゼミの中でも度々登場するキーワードであったり、誰かしらがその時に気になっている問題であったりする。今のところどんなテーマであっても話が前に進まないことはない。これはそれぞれが何かしらを共有しているからでもあり、テーマとしてあげられた時点でそれなりに共有すべき同時代的なことであるということなのだろうと思う。 先日新しいシリーズとなるテーマ「私たち問題」について卒業生3人で対話をした。今回のこの「私たち」というテーマも事前にあげたうちの中から選ばれたひとつであった。このテーマをあげた背景としては、つい先日卒業した人たちの昨年度の修士論文で直接的には触れていないが、何人かの背景でゆるく繋がる共通の問題として現れているように思たこと、2020年の展覧会においてオラファー・エリアソンが「Little Sun」を使った体験型の作品《Sunlight Graffiti》において「私 I」と「私たち We」の問題を取り上げていたこと、それにユク・ホイの『再帰性と偶然性』を先日読み終わって考えたこと、さらにはゼミの別プロジェクトに関連してテキストを書いているワリード・ベシュティ『ETHICS』を読んでいたことなどが複雑に頭の中で絡み合って…いや、「倫理」「アート」「私たち」「西洋思想」はもしかしたら絡み合う問題なのではなかろうか?同時に考える問題なのではなかろうか?という仮説が立ち現れてきて、それが何の問題であるのか?という、つまり「西洋思想の限界」とか言われるものであったり、現状の国際状況などという現象的なこととがどう繋がるのか…繋がらないのか…そんなことがぼんやり思えてきて、とても自分ひとりだけでは昇華し切れないテーマとなっていた「私たち」を対話のテーマにしたいと考えたものであった。結果から言えば、充実した勉強会となり、お互いに共有したことはたくさんある。そして、僕は僕なりに上手いことはまとまらないかもしれないが、前に進んだ今思う部分を少し書いておこうかなと思う。
大学院に入って以降、カントにはじまり、フルッサーの『サブジェクトからプロジェクトへ』、マイケル・フリード「芸術の客体性」、モリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ——世界の再魔術化』と何かとこの「主体と客体」という二元論の問題は過去にもブログで書いたが(参照:「戦略会議 #21 論文研究準備/ 主体と客体」)、良かれ悪かれ常に登場する問題であった。「主体」とは対象世界である「客体」から区別して「ワタシ」を認識するという…西洋近代を支えた思考のある意味での限界が「西洋の没落」みたいなものを生み出し、東洋の思想へと接近が生まれる背景となっているとも言える。 一方で、ワリード・ベシュティが前述した『ETHICS』で
An aesthetics of ethics offers the possibility of distinguishing between means and ends by enacting a shift from a hermeneutic approach, which emphasizes decoding, to the study of the means by which that thing being examined comes into being and is circulated, in short, how the work creates conditions of reception, how it makes whatever its message is perceivable. Walead Besthy,”ETHICS”,Whitechapel Gallery, 2015, p12 (倫理学の美学は、解読に重点を置く解釈学的アプローチから、調査対象が存在し、流通するための手段、つまり、作品がどのように受容の条件を作り出し、どのようにそのメッセージを知覚可能にするかという研究への転換を実現することによって、手段と目的の区別の可能性を提供します。)
と述べるように「関係性の美学」以降のコンテンポラリーアートはプロジェクト型ではないオブジェクトワークであったとしても鑑賞者への受容やその流通の条件をどう作り出すのかという点が重要視されはじめている。デュシャンが思考の芸術として提示したレディメイドは鑑賞者との関係性という形で今日結実している。アート、つまり美的言説はどこに発生するのかという問いに対する答えは「鑑賞者の経験の中に」と言うのがコンテンポラリーアートにおける今時点でのひとつの重要な解答である。このことから言えることは、コンテンポラリーアートとはある意味で、鑑賞者にとって他者であるアーティストの問題、自分ではない他者の問題を鑑賞者である「私」がどう引き受けるか、どう「自分ごと」にするのかという「感覚的ものの分有」の問題であり、要するに「あなた」の問題を「私たち」の問題としてどう受容するのかということだ。つまり、芸術の受容の問題は「私たち問題」でもあるということなのだ。
英語など欧米の言語ほど主語の存在が厳密ではない日本人の僕としてはこれまであまり「私たち」を概念として意識したことがない。逆に「私たち」と強調して表現されることに対してはその政治的な側面、権威的な側面が気になってしまうといったネガティブな受け止め方をしていた。一方で「私たち We」というのは「私 I」以上に曖昧で抽象的である。どこまでを「私たち」とするのか?「私たち」とはそもそもなんなのか?今回の勉強会で「私たち」について話したことでこのあたりのことがだいぶ整理された。 「私たち」という概念は「アプリオリ(より先なるものから、の意)」ではなく、倫理的経験とその判断によってもたらされる「アポステリオリ(より後なるものから、の意)」なものであり、常に他者からの満たされない要求によって立ちあらわれる倫理的主体の問題である。
先行きの見えない不安定な世界情勢、すさまじいスピードで進歩するテクノロジー、コロナ禍というこれまでのアタリマエの通用しない日常…コミュニティや非人間の問題、新しい資本主義の問題、環境問題にいたるまで、今日の問題の多くは「私たち」の範囲設定の問題、つまり再領土化の問題だ。テクノロジーに関してはまさにユク・ホイが『再帰性と偶然性』で書いていた通りである。そして、それぞれに道徳的規範に沿って考えるということではなく、時代にあった倫理的判断を求められている。 なぜ今「私たち」について考える必要があるのか?「私たち」を考えるということはそれが何を示すのかということの解読と判断が常に必要で、倫理的な判断を下し続ける必要があるということだ。そして、このことこそが、実は西洋の二元論的な限界の超克へと繋がる方法として捉えられているのではないかということが今時点では考えられる。つまり、おそらく「倫理」「アート」「私たち」「西洋思想」というものは同じ問題意識に向かうピースとして考えられる。 と、ここまでめんどくさく複雑に書いてきたが、実際の収録した対話は和気あいあいとライトに対話がなされている。4月26日より3週にわたり毎週火曜日に配信の予定。 【超域Podcast】 https://gotolabochoikipodcast.wordpress.com/
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映画、万引き家族、是枝裕和監督を観て(中ザワヒデキの前時代的思考に物申す。)
中ザワヒデキの人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)から、 強制排除されまして、 凄い気分が悪いなぁと思っていたので、 気分転換に昨日は大阪・難波に遊びに行ってきましたwww その前になぜ僕が中ザワヒデキの、 人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)から、 排除されたの? ってみなさん疑問に思うでしょうが、 私自身もよくわかりません。 ただあるコメントが原因の様ですが、 それが僕を排除する理由になり得るとは、 到底理解できないし、 容認できないわけです。 それでどんなコメントだったか、 私の記憶の限りで再現すると。 「周縁の事を緻密に詳細に語るだけで、 核心は何も言えない奴はクソだわな。」 ほぼこの内容と同じで、 もちろん「クソ」というのは、 汚い言葉ですが、 それ以外に人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)を、 排除される理由になりそうな言説はありません。 もし言葉が汚いのであれば、 それを注意すればいいだけのことで、 排除される理由には到底思えません。 そして人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)は、 参加自由なオープンなグループです。 という事で、 その後にある人から、 人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)に、 戻りたければ、 中ザワヒデキに謝罪しなさいと、 個人的にメッセージがきましたが、 私が何をあやまることがあるのか理解できませんwww とここまでは「映画 万引き家族」とは、 違う話で、 その前日の中ザワヒデキとの事件ですが、 「映画 万引き家族」での、 ある種表現されている事が、 この中ザワヒデキの、 ある種「社会集団」としての振る舞いに、 同じ様に問題があると感じたのです。 ではここから少し「映画 万引き家族」の、 簡単な批評も含めて言説していきたいと思います。 この是枝裕和監督は、 私は非常に評価しています。 「映画 空気人形」の監督でもあり、 その「映画 空気人形」は、 「愛」というものを「哲学」している映画です。 そして「映画 万引き家族」も、 非常に「哲学」的な映画だと感じました。 この映画は非常に複雑でカオスな構造を持ってり、 また多数のレイヤーによって構成されているので、 この作品だけでも、 本を一冊かけるくらいの言説はできます。 その中でも今回、 この映画を見る前日に、 中ザワヒデキの人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)、 そのグループから強制排除されたので、 それに関わるレイヤーの部分を、 言説していきたいと思います。 まずこの映画の構造自体が、 非常に複雑でカオスな構造を提示します。 それはある種の「疑似家族」的な、 「社会集団」が舞台になっているのですが、 それは「疑似家族」であり、 血縁的な関係は誰一人としてありません。 しかしその集団はある種家族としての、 年齢的レイヤーを有し、 おばあちゃん、 夫婦、 子供、 それは客観的に一昔前であれば、 一般的な「家族」という体裁をしているのですが、 そこに「血縁」的な要素はありません。 またその疑似家族は、 その「社会集団」を形成するという、 「強い意志」があったわけでもなく、 「自分にとって善い場所」が、 その「疑似家族」としての「社会集団」であり、 この社会集団には、 ある種「偶然的な必然性」があったのです。 そしてある種、 その様な「偶然的な必然性」により、 「自然発生的」に出来上がった、 「社会集団」を母体としてストーリーは進みます。 ここで重要なポイントが、 その「社会集団内」の「善」と、 その「社会集団外」の「善」は、 二律背反している事です。 それがこの映画のキーポイントである。 「万引き」というものです。 これは現在の日本のあらゆる、 「社会集団」に観られる現象です。 企業、宗教、コミュニティ、家族、友人。 この辺が私の人生と非常にオーバーラップし、 つい泣いてしまいましたwww 人間というのは、 「居心地が良い所」に居たいと思うものです。 しかし私は常に、 その「居心地が良い所」から、 自ら離脱していくという、 ある種孤独な選択をしてきました。 その意味で、 客観的に見ると、 「勝手な人間」だと思われています。 しかし人間の成長やさらなるレベルアップを考えると、 その様な「居心地が良い所」にいることは、 私にとってネガティブであるのです。 私は他人に嫌われようが、排除されようが、 村八分にされようが、 自分の考えを、自分の口で発言します。 それもまた自分で自分の首を絞める様なこと、 それを十分に理解しながら、 自分の「居心地が悪い所」へと離脱します。 つまりここで何が言いたいのかというと、 「社会集団」というのは、 絶対的にその集団内だけの「善」というものを、 「生成」するという「性質」があるのです。 そしてそれは、 アプリオリなものとして、 その「善」は「作動」し、 その「善」を誰も疑わなくなる。 そしてその「善」は、 その「社会集団外」との「善」と、 「二律背反」を起こし、 その「社会集団の構成員」は、 「社会集団」の「善」を優先するのです。 これが顕著に現れたのが、 「オウム真理教地下鉄サリン事件」、 「東芝の粉飾決算事件」、 以上の様な事件です。 この「映画 万引き家族」では、 「疑似家族」となった「社会集団」での、 「万引き」という「善」が、 「社会集団外」の「善」と、 二律背反を起こしています。 しかしそういった「社会集団」の中にも、 その「社会集団内」の「善」を疑う人間も、 産まれてくるのです。 そしてその様なものたちは、 「社会集団内」の「善」と、 「社会集団外」の「善」の間で、 ディレンマを起こし葛藤し悩むのです。 「社会集団内」の「善」を裏切り、 「社会集団外」の「善」を優先する。 そういう判断をすれば、 それまで居心地の良かった、 「社会集団」が「崩壊」してしまう。 こういった二律背反に悩まされるのです。 「映画 万引き家族」では、 最後に少年は、 「社会集団内」の「善」を裏切り、 「社会集団外」の「善」を選択することになります。 そして、 「疑似家族」として、 「居心地のいい所」の「社会集団」は、 「崩壊」することになります。 つまり「社会集団」は、 いわゆる日本の典型的な「ムラ」となるわけです。 そこには「中央集権的」な、 「強力な���調圧力」が生じます。 それは「社会集団」を、 ある種「一つの方向」へと導くには、 非常に強力な「システム」だと言えます。 しかし現在この様な「システム」の限界を迎え、 ある種「多様」で「カオス」な、 「分散型」の「システム」が、 どんどんと採用されてきています。 つまり「中央集権型」ではなく「分散型」 「個を抹消した集団」ではなく、 「自立した個の集まりとしての集団」、 その様な時代なのです。 その様な前提で、 中ザワヒデキの人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)、 に物申すのです。 中ザワヒデキの人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)は、 中ザワヒデキという人間を中央にした、 中央集権的な「社会集団」という、 前時代的な「社会集団」であり、 その様な「社会集団」が、 最先端の「人工知能」などを、 「中央主権的」に「議論」や「研究」しても無意味である。 その様に物申したいわけです。 確かに私は「口が悪い」ということもありますが、 その様な「異質性」こそが、 これからの時代の「社会集団」にとって重要であり、 その様な存在の「私」、 「美学者母」を強制排除した、 人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)は、 致命的なミスを犯したのです。 私は人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)が、 今後変わることを望みます。 「多様な人間」「多様な価値観」「多様な性質」、 その様な、 「多元的でカオス」な場になる事を願います。 今回は、 「映画 万引き家族」と、 最近の出来事などを交えながら、 色々と言説しましたが、 この様な私を応援してくださる方に感謝しております。 美学者母
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人に話そうっていうんで
アプリオリと、身体性 どうかな...この展開 自分の処罰や自由の圧殺も、他人の間違い探しの終始も、どこにでも宿り得るし、鶴川について(情報はそがれているけど)何をもって理想かは、金閣には持てなかった生命だと思うんだけどな 自分の内側が無秩序と観���に向かうばかりの時、認識が秩序だと天秤されても、「転換」って軽さの領域ではない 両方が重たくないとリアクションへの無意識な欲望は(これは希望とは違うが、囚われてしまう以上は)対立を出ない
それに行きつくしか出来ないことを少しは分かった 社会として見えているものが、実はそれさえも心の作り出しただけのイメージとただの集団化が、あるいはシステムが体系から排他した疚しさが、自分が泣かなくて誰が悪者になるだろう、みたいな あるいは溝口が母からの手紙はいつも「金閣の主になりなさい楽しみにしてる」なのも、(それが野心として��出することも)良さや正しさが自分で見出せないまま、けれど刷り込まれ合っていて出られないような、本当に苦しくてたまらないものを見て。忘れたくなって、消えなくて。..ひっくり返るには何かこう、だから眩しさの暗さは、点のように軽くならないといけないんだろうか。
認識だけ変わっても社会の側が自分をどう変えたわけでもない 「自分が」主格。絶対的に見える観念が、自己そのものの捉え方をただひとつのものにしてしまうね これは、突き詰めなくてもシンプルにこうある気がする今は
何が自己軽視で、切り売りで、何ならば 何が自己循環で良くて/不可能ぽくて、何が一緒に笑えることで、何が自分にとって欲しいもので、得たいもので、言い張れることで、今はもう何もない、無意識にしかないまま、無意識を破棄しないとという両立が答え出ないし、こんなふうに構造をつくるが過程で今で正しすぎるけど認識でしかなくて無意識に感覚に戻りたい 早く 。天上や観念から降りる絵がメソッドに作れない。でも勉強と見るほか何なんだという 落とし所にもならないが恐怖のまま無気力に逸れるというか。それを目標と言わずに堪えるしかない 忍耐、単線的にしたら排他してしまう。。たまたま今こうである、それも分かるはずだった、けれど責任さえもらしさの顔を振り払うしかないまま これからそれ自体にならないといけない以上は
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既視の死期(回文)
イマジナリーフレンドというべきようなものが五歳くらいからは居た、ビジュアルは劇場版セーラームーンSSに出てくる笛吹きの敵と同化していて、あるいは視聴時にアプリオリなイメージと出会ったか、とりあえず薄幸のbetween少年and青年という感じ。アプリオリイメージ説がなんとなくただしい気がする。
繰り返し語ることになるが私は19歳まで××南という××区の真中の方に住んでて、区の外の方に進むと魔を感知していたが、ある時ちょうど××南と他の町名の境に自転車を漕ぎだした瞬間に、たてうりの同じみためをした一軒家が数個連なった場所で、そのうち一個の家の前で件のbetween少年and青年をみた。世界が緑青色したフィルター越しにしかみえなくなった。緑青色の画面で彼はアニメではなく三次元の人間として実体化しており12歳くらい、弟であろうこれも普通の男児といて、「ああみるべきものをみた」と思った。ただの住宅街がファンタジーの色を帯びて、兄弟の間にほのかに近親相姦的なにおいすらあったが、単に私が既に喪失していた家族からの庇護を投影していただけだったかもしれない。(←これがダメでほとんど病気なのだが家族のオルタとして捉えている異性から性をちらつかされると頭がバグって本能的にさらなる庇護を求めるおとなになってしまった)
以後一切彼をみなかった。
◆
イマジナリーフレンドはおそらく20歳ごろから半分喪失されていた、というのは社会性のペルソナをはぎとった無限連想のなかでは彼はとうに死んでおり、その不在に焦がれながら自分は寿命が来る日を待っている、という筋書きが確立されていたからだ。名前を仮にリンカとしよう。リンカは何らかの理由で若くして死亡、魂のかたわれをなくした自分は耐えきれない退屈さになんとなしに耐えている。反イエのシステムの一部として生まれてしまったため自死と自暴自棄は許されておらず(死ぬほどつらい目にあったとしてもありえない出来事が次々と起こってくたばることができない)、まあまあの諦念ベースで生き延びているところ、一度だけリンカを口寄せしてまた生きてしまう…というおはなし。
このまま寿命が来るまでソウルを半分なくしたまま暇つぶししていくのだろう、と思う。魔の一種と契約してしまっているので外見的年齢の加速はおそい、ここ数週間で五億回ほど「マジで31なの」って聞かれてるけど、コントロールできないESPを食いつぶさないかぎり霧みたいな年のとりかたすんだろうな。私はもう投げ捨てたいのだが、意識的に変えられることなんて可能なのだろうか? 一生リンカの幻影を追って終わりな気がする。
退屈しのぎに軽薄に乗りどんちゃん騒ぎしたあとのけだるい眠りのなかで、不十分な口寄せをした。自動的な発動で、自らの意思ではない。それは男にも女にもみえるし生きてるようにも死んでるようにもみえる横たわった人間の幻影で、多分リンカなんだけれども、解像度が低すぎて判別できない。
「シ…キ…」
とつぶやき続けていた。そういえば私は今日パーティの途中で横臥した姿勢のまま持ち上げられていたし、自らのかたわれであるリンカが横になっていても当然かもしんねえな。ごめんリンカが何言ってるか全然わからないんだよ、死期��もとれるし意識なのかもしれないし別のフレーズかもしんないね、こんなではなくいつかあの緑青色の瞬間みたいに完全なかたちであなたをみたいのだが。修行でもするか? major razorのget free(ボンヂドホレのリミックス)聴きながら人生にちょっと耐えてる。
ここで非クロノロジカル、回想入れるけど私はget freeを頭の中に延々再生させながら夜の落合を歩いている、連れは鳥目とカンチャンで、一時的に酒とリズムへ没頭して私はペンギンのように踊る、この二人は私が不幸にならないように見張っているから不甲斐ない年上は多少の間幸福。というか、あなたがたがいる限りはずっと。横たわって来ないゴドーを待つよりは軽薄に踊り続ける、軽薄の果てにいずれ降臨するミラクルがあるかもしんないし。
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あなたにだけわかることばを
序
夏のおわりにこの文章を書いた。今年の夏は、ここで書かれているとおり、あまりに短すぎた。もう、ほとんどの気持ちについてなにも覚えていないけれど、2019年の夏に感じたことを2019年のうちに消化することは必要なことのように思うので、すでにじゅうぶん時宜を逸しているにしても手遅れになるまえに公開することにしよう。
いま思うと震災の記憶からはじまった2010年代を通過しながら、わたしたちは、言語の使用法の変容をそこで経験したようだ。
震災直後の街で、実態の伴わない復興についての明るいメッセージを流しつづける広告のこと。インターネット上を行き交った、今日の政治的危機に接続していく数々の陰謀論。2011年、わたしはそうしたことに病の兆候を感じとっていた。時が経つにつれて、病状は顕在化し、深刻になっていく。無数にとびかう空虚なことばに、わたしたちの現実がまみれていくうちに、いつのまにか、わたしたちはインターネットで、匿名ではあるけれどたしかに温度をもって存在していた、あなたの声を聞くことができなくなってしまっていた。
この文章は、かつてたしかにそこにあったはずの、あなたのことばのために書かれることになる。
i.石を拾うような
書くことはほとんどパフォーマティブな自傷行為だ(あらゆる自傷行為はパフォーマティブだが)。わたしたちは書くことをとおしてわたしたちの恥と向き合わなければならない。ほんとうのことを書くとは、そういうことだろうし、そうでないことばのほとんどは、わたしにはなんの意味もない。あなたにだけわかることばを書いてほしい、わたしは、わたしのためのことばを書くから。
じっさいに、インターネットにはむかし、そのようなことばのための場があって、もしかしたらだれかのために書いたのかもしれないけれど、偶然にもわたしに届いてしまったために、奇跡的な透明性をたたえたことばたちと出会うことができた。それらはなにかの到来をいつも期待していて、だれかに拾いあげられることを望んでいるようだった。川辺に落ちる綺麗な丸い石とおなじように。
それがいったいどうなってしまったのだろう。ここ数年の間に意味のないことばはこんなにも増えてしまった。ページビューを稼ぐための大袈裟なタイトル、読者にとってさも斬新で魅力的な提案をしているかのように演出するネットのアフィリエイト記事。この不毛なWEBメディアの時代に「プロ」のライターを名乗るものたちは、アプリオリに想定された読者たちのために書くことについて、得意げに語るだろう。そのような読者たちとは彼らにとって、いくつかの類型的なステータスをもち、共通する行動パターンを持つものとして可視化されている。30代の��婚の女性はこのようなことに興味を持っていて、このような消費行動をする傾向にあり、一方で40代の男性は…なんて、すべてがこんな調子だ。なんて無意味な営みなのだろう!そこには自分だけが書けることばの働きによって、未知なる不可視のだれかを呼び込む可能性もなく、あるいは自分の書いたことばが、不可視のだれかによって未知なるものとして稼働し始める可能性もない。
パフォーマティブな自傷行為としての書くことは、いつだって恋愛に似ている。恋人に隠していたことを打ち明けるときのそれとおなじ感覚、理解してくれることはなかったとしても、理解してくれるのとはべつのしかたで、きっと受けいれてほしいと願うときの、あの胸の痛みがある。
わたしたちは書くことをとおしてわたしたちの恥と向き合わなければならない。ほんとうのことを書くとは、そういうことだろうし、そうでないことばのほとんどは、わたしにはなんの意味もない。あなたにだけわかることばを書いてほしい、わたしは、わたしのためのことばを書くから。
ii. 鏡のまえで、骸骨のすがたを晒しているのは、他ならぬわたしだ。
今年の夏はとても短いだろう。かつてない早さで通り���ぎてしまった。どこかに行った気もする、なにか新しいこともした気がするが、自宅の部屋の真ん中に置いた2人がけのソファで、ぼんやりと煙草をくゆらしていたことが、生活の通奏低音になっていて、ほんとうのところなにも変わらないままだった。かなしみは、この夏のあいだずっとぼくをとらえていた。夏のはじめに恋人にフラれたこと、ぼくが育った国がどちらも深い(いわゆる)分断によって致命傷を負いつつあること、そんなことがずっと気がかりなふりをして、ほんとうはただ、長年抱えつづけていた漠然とした希死念慮と逃走欲求を、あてどなくつのらせていただけなのだろう。
アスファルトを焼きつくそうとしている、8月の太陽の下で、ぼくはきっと絶望が服を着て歩いているように見えたことだろう。
そういえば、それも夏の出来事だった、5年前の。集団的自衛権を可能にする法案に抗議して、ひとりの男が焼身自殺を試みた。新宿ル��ネの陸橋。ガソリンをかぶって自らに火をつける。スキャンダラスなスペクタクルに狂喜するあわれなひとびとを前にして、あの時わたしは、焼け死んだのは、あなたではなくわたしだったかもしれない、と言った。あるいはわたしではなく、あなたたちひとりひとりが、焼け死んだのだと。きっとそうだった。集団的自衛権の問題を当事者として受け止めた男は、集団という言葉の匿名性を単数形の出来事(=自殺)によって暴き立てようとする。石原吉郎を引用しよう。"死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。" あの男の名前など誰も覚えていないかもしれないが、あの男よりももっとたくさんの人が死ぬことについて、考えた人はだれもいなかった。
空を飛ぶやわらかな珊瑚が、どこかの街で死ぬ、男の名を叫ぶだろう。
iii. 戦争とテロル
2019年、燃え盛るガソリンのイメージ。今日、ガソリンはテロ行為に使用されることになった。銃器でも爆発物でもなく、日本においては、テロは燃え盛る炎のイメージを選択する。なぜならテロは本質的に戦争のトラウマを反復する行為だからだ。日本、毎年100人が熱中症で死ぬ国。焼け死ぬ人間のイメージは、東京大空襲、焼夷弾で焼かれる人々の幻影と接続する。あるいは原爆の莫大なエネルギーで溶け去る人間の影と。そこにかつていた人。露光したイメージ、すなわち写真。そうした想像を経由して、わたしはまた鏡のまえの骸骨と目を合わせる。それはまるでSTYRSKYの撮った街路の幻影を現代に蘇らせているようだった。
今年の夏わたしにまとわりつく死のイメージを数え上げよう。納屋で見つけた拳銃。錆びた銃弾。香港の路上で遭遇した、ショーウィンドウごしにわたしを見つめる骸骨。花とレースに飾られた手作りの祭壇。プラスチックの天使たち。STYRSKYはナチス占領下のプラハで死んだのだ。
iv. 犯罪の計画
自分が30歳になる頃には死ぬだろうと直観したのは、たしか小学5年生のときで、ぼくはそのころ11歳だった。給食の席で、自分はどうやって死ぬのだろうと、子どもながらの無邪気さでぼくらは話し合っていた。病気かもしれないし、事故かもしれない。いずれにしてもそれは、自分がそれまで生きた長さの3倍までしか生きれないという、唐突な死刑宣告だった。それ以来わたしの心の奥底にずっと巣喰いつづけているゆるやかなこの希死念慮も、ここ数年間はだいぶ成長したようだ。いわば彼はぼくの長い友人のようなもので、ふだんは忘れているけど、時たま思い出したように連絡をかわしては長い話をするような仲ってわけ。
希死念慮と逃走欲求は、わたしの行動の多くに関わっている。わたしはあてどなく空想するのがずっと好きだった。最近のわたしは、空想のなかで、いつもアジアのどこかの夜の暗がりにいた。わたしはいつもすべてを失っていて、親しいだれかと、わくわくする犯罪の計画を立てていた。そのときわたしはほんとうの自由の意味を確認することができた。わたしの空想のなかで、犯罪はいつだって、世界のありようを変えるための手続きとなっていた。自らの行動が意味の転換点となって、進行性の病に苦しむ世界を、どうにかして変えられないかと思っていた。わたしはわたしの空想の世界に住むその親しいだれかをずっと愛していたからだ。
v.死んでいることばを書く暇など、そもそもわたしには与えられていない
書くことはパフォーマティブな自傷行為だが、自傷行為が須らくそうであるように、それは生きることと関わっている。いや、これでは、ものごとを単純に図式化しすぎているかもしれない。じっさいは、書くことのなかに、生きることと死ぬことが隠されている。わたしは死にゆくものとして自らを定義してもなお、ジャックリゴーになろうとは思わなかった。自らの希死念慮をこのように書くことによって転換しようとしているわたしはおそらくまだ、書くことも生きることも信じていて、それによっていつか得られるであろう、人間にとって未知の概念が、いつか世界のありかた、意味の体系を、べつのものにしてくれるのだと素朴に思いこんでいる。
わたしは、無為で不毛な、そしてたしかにほんとうのことだと思えることのためにこの力を行使したいとおもう。書くことをとおして生きることと関わるためには、わたしたちはそうしなければならないからだ。死んでいることばを書く暇など、そもそもわたしには与えられていない。
自分だけが書けることばの働きによって、不可視のだれかがそこに呼びこまれることを、あるいは自分の書いたことばが、だれかによって未知なるものとして稼働しはじめることを、ずっと期待している。ボトルに閉じこめて海にながした手紙のように。どうか、あなたにも、あなたにだけわかることばを書いてほしい。わたしは、わたしのためのことばを書くから。
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NOTE: 応用ゼミ
応用ゼミ:ゼミ生最終課題 小室敬幸さん
クラシック音楽と〈わたし〉
この「NOTE:応用ゼミ」のウェブシリーズは、 ULM2016の応用ゼミ「〈音楽〉を書く、〈音楽〉を読む」 ゼミ生たちの課題を発表する場です。ゼミ生たちの課題をオンライン上で公開することにより、音楽を「語り直す」ための言葉を収集することを目指しています。 掲載形式は、まずゼミ生による課題本文を提示し、その後、筆者コメントを掲載しています。 最後の課題は、「クラシック音楽と〈わたし〉」をタイトルにしたエッセイ(800字程度)でした。
●応用ゼミ最終課題 クラシック音楽と〈わたし〉 文責:小室敬幸
今からさかのぼること15年ほど前、中学校3年生だったわたしは将来に対して希望をもてなくなり、人生に絶望していました。そんな状況をかえてくれたのが、偶然に出会ったストラヴィンスキー作曲の《火の鳥》――わたしにとってのクラシック音楽は、それまで数ある音楽ジャンルのなかの「ワンオブゼム」でしかなかったにもかかわらず、この作品に出会ったことで突如として「希望」に満ちた未開拓のフロンティアとなったのです。
そもそも物心がついた頃から専門的な英才教育を受けていたわけではないので、わたしにとってのクラシック音楽はアプリオリな存在ではありません。「絶望」に反抗するために自らの意思で学びだしたクラシック音楽と、わたしの関係を考える際には必然的に「生きるか死ぬか」という問題意識がセットになっているのです。いまから振り返ると少し気恥ずかしくもありますが、あの頃は芸術こそがこの軽薄な世界のなかで絶対的に信じ���れる唯一の存在だと思っていたからです。
「クラシック音楽と〈わたし〉」の関係がこの15年間で深まり続ける一方、クラシック音楽との関係を築いていない大部分の人々とのギャップに苦しめられるようになります。〈わたし〉と〈この世〉を結び続けてくれるよすがとなったクラシック音楽の価値が認められないということは、自分がこの世に居続けることが否定されているかのようにわたしの目には映ったのです。
「関係を築いていない人々」をルサンチマン的な感情で蔑まないためにも、一旦は「クラシック音楽と〈わたし〉」の関係を相対化する必要がありました。結果的にその行為は両者の関係を弱めることもなく、ルサンチマンの養分となる余計な執着心を削ぎ落とすことに寄与したのです。これにより〈わたし〉にとってのクラシック音楽は「全体重で寄りかかっていた“信仰対象”」ではなく、自らが「 “屋台骨”のひとつとなって支えていく対象」へとその意味を変え、現在に至るのです。
小室敬幸(作曲家/大学教員/音楽ライター/ラジオパーソナリティ) 作曲/音楽学/大学助手&教員/室内楽の制作/レクチャー/レッスン/音楽ライター/OTTAVAプレゼンター/日本ファンドレイジング協会 アートチャプター運営メンバー/准認定ファンドレイザー/TBSラジオも好き https://twitter.com/takayukikomuro
●ULM2016の応用ゼミ「〈音楽〉を書く、〈音楽〉を読む」
この応用ゼミでは、5回のゼミを通して、音楽を「語り直すこと」に迫りました。ゼミ生10名は、毎回異なるテーマに対して、実際に執筆をし、読みあい、リライトすることで、「語り直すこと」に向き合いました。 ゼミでは、文学理論やポストモダンにおける音楽学の理論を参照しながら、音楽を語る言葉の文脈、その語りがもつ現在性、新しさ、中立さについて考えながら、ある一つの音楽作品がもつ意味、音楽実践に対する価値を問い直していきました。
※掲載にあたり、ゼミ生には名前の掲載、および顔写真の掲載の許可をいただいております。また、掲載されている文章の無断転用はお断りいたします。
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どんでん返し
中3のころ、推理小説にハマって、部活中にもオチが気になりすぎて、トイレに持ち込んでトイレで読んだりしていた。最近はメッキリ読まなくなったが、ミステリ小説というのは本当に面白い。ある特定のルール(ノックスの十戒)を守って小説を書き、そのルール内で、いかに読者を欺いて、オチで展開をひっくり返すか。この十戒を逆手にとったり、叙述トリックと言って本編のストーリーには関係のないところにドでかいトリックをしかけていたりしていて、読みがいがある。有名な奴だと、主人公が実は性別が思ってたのと違った、とか年齢が思ってたのと違った、てのがある。最後の最後にネタをばらして、作品内での秩序がひっくり返る。うわっそういうことだったのか、まじか~ってやられた気分になる。
哲学にもそういう性格がある。西洋哲学は基本的にどんでん返し=批判によって進んでいく。イデアがあると思ったら、実体しかなくて、実体があると思ったら因果法則すらもなくて、いややっぱり人間のアプリオリな認識機能に因果法則があって、そうだと思ってたら神は死んでいる。けれどもやっぱりそんなのは「西洋哲学」のどんでん返しでしかなく、いくら「認識論的転回」や「言語論的転回」をしても、西洋哲学という極めてローカルな場でのどんでん返しでしかない。最近は新実在論とかいうのが流行っているらしいが、みんなよく「もういいよ…」とならないもんなんだなあと感心��る。少し話題はそれるけど、西洋のものって「普遍」を装った「ローカル」なものばかりだと思う。現代芸術然り、科学然り、哲学然り、キリスト教然り。芸術や哲学やキリスト教の内部にいる人間はそれを「普遍」だと思ってやってるけれど、実際はマジで狭い世界でしかない。
で、どんでん返しが大好きな僕が目を付けたのが「瞑想」で、これをやったら意識ががらがら変わる。言語化するのが難しいのが難点だけれど(だから哲学じゃなくて瞑想なんだけれど)22年間当り前だった脳みその動きや意識の内容が、どんどん自明じゃなくなってきて、どんどん変化していく。うまく言語化できないけれど、最近は「今」という感覚で生きられるように意識の切り替え?ができるようになった。んっ!とやると意識のスイッチが変わって、「今」になる。この意識を知らずに生きてきたのか?って少し衝撃がある。これからの人生もバシバシどんでん返しをしていきたい。
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認識過程の意識化とその組み換えのための言語活動 -「状況認識の文学教育」における客体の機能性に着目して-
はじめに
近年、学校教育をめぐる議論では生徒の主体性の問題が活発に取り上げられている。2017年3月に公示された次期小学校・中学校学習指導要領においても、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善事項が明記された。しかしその一方で、客体についての考察は放置されている印象がある。いたるところで主体的な態度の涵養が重視されてはいるが、例えば、対話的な活動を通してクラスメートの意見がどう受容され、どのような機能によって主体に影響を与えるのかといった研究はあまり見られない(田中実の「第三項理論」など、文学教育では主客の関係性を捉えなおす研究がなされるが、広く言語活動でいえばその手薄さは否めない)。児玉忠は、「主体的」の意味が「どの学習者のなかにもアプリオリに存在する(はず)、あるいは生成・成立する(はず)」のものから、「「客体」との関係、広くいえば「場(状況・環境)」のなか、あるいはその関係性のなかで相対的に規定され、生成されるもの」に変化したと指摘する。このことを考慮すれば、生徒の主体性を中心とするこれからの教育のために、客体の役割の明瞭化が求められるに違いない。
本稿が客体に関する考察を通して実現させたいのは、他者の心情を汲み取ろうとする態度の育成を目標とした授業理論の完成である。言語を用いた他者との対話能力は、近代以降の学校教育、こと国語教育において原理的で「不易」なものだが、同時に、様々な局面で分断が叫ばれる現代社会では今日的な「流行」でもある。自らの知識や技能、認識がローカルな「場(状況・環境)」に従属することを意識し、異なる文脈に属する他者の内面を誠実に受け止めようとする態度がなければ、混沌を極める社会を持続可能とする主体は現れない。第1章では、こうした柔軟で可塑的な主体を実現するための能力とその指導方法について、中央教育審議会やOECDの資料を基に検討する。
今日の「主体的な学び」が、従来の没・主体な一方向の教育の超克を意図するならば、本稿で提案するのは脱・主体を目指す授業理論とその実践的方法といえる。脱・主体が意味するのは、第1に客体からの眼差しを意識化することであり、第2に客体を足場としてそれまでとは異なる主体へとジャンプすることである。この脱・主体の授業理論を組み上げるために、���2章では大河原忠蔵による「状況認識の文学教育」を中核に据えて考察していく。大河原が開発した生徒の主体性を引き出す授業理論は、すでに多くの分析がなされてきたが、本稿で注目するのは大河原理論における客体の機能性である。状況に打ち勝つ主体の育成を目途とした大河原にとって、客体は主体によって乗り越えられるべき対象だったが、この主客の序列を注視することで主体形成に通じる客体の役割を明らかにすることを目指す。
第1章 具体性の中での教育
1-1 2030年に向けた資質・能力
1-1-1 コンピテンシー・ベースへの転換
2017年現在、新たな学習指導要領への転換期を控えて、中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」(2016年12月、以下「答申」と略称)や、小学校、中学校の次期学習指導要領(2017年3月公示)で示される2030年に向けた学力観についての議論が盛んに行われている。今回の改訂では、「主体的・対話的で深い学び」や「カリキュラム・マネジメント」の必要性がより強調されるが、その根底にあるのは「何を知っているか」というコンテンツ・ベースから「何ができるか」というコンピテンシー・ベースへのパラダイム転換である。答申では新しい学習指導要領で改善するべき項目を以下の6点にまとめている。
①「何ができるようになるか」(育成を目指す資質・能力)
②「何を学ぶか」(教科等を学ぶ意義と、教科等間・学校段階間のつながりを踏まえた教育課程の編成)
③「どのように学ぶか」(各教科等の指導計画の作成と実施、学習・指導の改善・充実)
④「子供一人一人の発達をどのように支援するか」(子供の発達を踏まえた指導)
⑤「何が身に付いたか」(学習評価の充実)
⑥「実施するために何が必要か」(学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策)
「主体的・対話的で深い学び」は学習の方法であり③や④に含まれている。その活動が有用であるためには体系的なカリキュラム、つまり②の問題が要求される。そして、そうした「カリキュラム・マネジメント」は①の育成されるべき資質・能力(コンピテンシー)に基づいて行われる。このように、2020年以降の学力は資質・能力に立脚するものであり、それゆえに、これからの教育を考え創造していく上でコンピテンシーについて検討することは避けて通れない。研究の間口として多少広さを感じるものの、コンピテンシー・ベースへの転換は一朝一夕に起こったものではなく、また、日本に限られた動きでもないため、現在示される資質・能力を広く比較することはこの過渡期において極めて重要である。
これからのコンピテンシーを精緻に把握するために、まず日本における資質・能力の概念がどのように変遷してきたかを確認していく。「関心・意欲・態度」 を打ち出した「新学力観」が登場したのは1989年版学習指導要領である。この学習指導要領で登場する「新学力観」について、当時の文部省は次のように説明している。
これまでの教育においては、基礎��基本として、 知識や技能を中心にとらえる傾向が見られた。 これからの教育においては、子供たちが主体的に生きていくために必要な豊かな心と個性や創造性の育成を目指しており、そのような豊かに生きる力としての資質や能力を基礎・基本ととらえることが肝要である。
基礎・基本を���のようにとらえるとき、「関心・意欲・態度」、「思考・判断」、「技能・表現 (又は技能)」、「知識・理解」などの資質や能力がその中核になると言えよう。中でも、子供たちの豊かな自己実現に生きて働く関心・ 意欲・態度、思考力や判断力などの資質や能力は、これからの教育において十分その育成を図るよう留意する必要がある。
ここでは、それまでの「知識や技能」の習得を中心に展開する学習ではなく、生徒の「関心・意欲・態度」、「思考・判断」、「技能・表現(又は技能)」、「知識・理解」などを「豊かに生きる力としての資質・能力」と規定し、その「資質・能力」を中核に据えた学びが肝要であるとしている(「知識・技能」も「資質・能力」の一部であり、それらの習得を否定しているわけではないことに注意しなければならない)。このように、1989年版学習指導要領での「新学力観」は、2007年の改正で明記された教育基本法第30条第2項の「学力の三要素」、すなわち「基礎的な知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力」、「主体的に学習に取り組む態度」につながっている。
今日提言されるコンピテンシー・ベースの教育へと伸びる源流は以上のように確認される。その後、1998年版の学習指導要領では「生きる力」の育成を目指した、生徒の自主性を重視するいわゆる「ゆとり教育」が実施され、2008年の改訂においては、「ゆとり」でも「詰め込み」でもない教育を実現するために「生きる力」をより詳細に定義している。先述したように、教育基本法が「学力の三要素」を規定したのもこの時期である。2008年の中央教育審議会答申では、教育基本法改正について以下のように述べている。
改正教育基本法や学校教育法の一部改正は、「生きる力」を支える「確かな学力」、「豊かな心」、「健やかな体」の調和を重視するとともに、学力の重要な要素は、①基礎的・基本的な知識・技能の習得、②知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等、③学習意欲、であることを示した。
1989年版学習指導要領での、「知識・技能」中心の学力から「関心・意欲・態度」などと共にそれらを包括した「資質・能力」中心の学力への転換は、それから2度の改訂を経て、身につけた「知識・技能」を「思考力・判断力・表現力等」、そして「学習意欲」によって活用するための学力へと具体化された。では、答申で明らかになった2020年以降の学力観、コンピテンシー概念は、これまでのものと比べてどのような差別化がなされているのだろうか。
1-1-2 「学びに向かう力・人間性等」の重要性
繰り返しになるが、資質・能力という学力観は最近になって登場したものではない。それについては答申でも明言されている。
(「生きる力」の育成と、学校教育及び教育課程への期待)
○ こうした力は、これまでの学校教育で育まれてきたものとは異なる全く新しい力ということではない。学校教育が長年その育成を目指してきた、変化の激しい社会を生きるために必要な力である「生きる力」や、その中でこれまでも重視されてきた知・徳・体の育成ということの意義を、加速度的に変化する社会の文脈の中で改めて捉え直し、 しっかりと発揮できるようにしていくことであると考えられる。時代の変化という「流行」の中で未来を切り拓いていくための力の��盤は、学校教育における「不易」たるものの中で育まれると言えよう。
答申ではこれまでの学校教育で育んできたもの、つまりは知識や技能とそれを活用する力である資質・能力を「不易」なものとしている。その上で資質・能力を「基盤」とし、今後育むべきものを現代社会の文脈に柔軟に適応させることが重要なのである。こうした観点から答申は、教育基本法での「学力の三要素」を基にした、「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」、「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・ 判断力・表現力等」の育成)」、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」という3つの要素を「資質・能力の三つの柱」として整理した。
「知識・技能」は、従来以上に他教科の知識や生徒個人の経験との接続を求める。「思考力・判断力・表現力等」では、情報を精査する中で思考したことを根拠としながら表現したり、協働学習で他者の意見を受容しながら集団の考えを形成したりするなどの2008年の改訂で示された項目に加え、問題の発見・解決の過程を重視している。以上2点は、多少の変更がなされているものの、2008年版学習指導要領から引き継がれている要素といえる。それでは、3つ目の「学びに向かう力・人間性等」の位置づけはどうか。答申によれば「学びに向かう力・人間性等」は、「知識・技能」及び「思考力・判断力・表現力等」を「どのような方向性で働かせていくかを決定付ける重要な要素」である。細かくは「メタ認知」に関するものと、「多様性を尊重する態度」や「共同する力」など、「人間性等」に関するものに分けられる。これらは上記の2つの要素に対し、2008年版学習指導要領においては明記されていない新たな資質・能力の構成要素となっている(中央教育審議会「幼稚園, 小学校, 中学校, 高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)」(2008年1月)で示される「思考力・判断力・表現力等」を育成するために不可欠であるとされる活動例の中には、「概念・法則・意図などを解釈し、説明したり活用したりする」といった「メタ認知」に通ずるものも含まれている。そのため正確には、「学びに向かう力・人間性等」は「思考力・判断力・表現力等」を細分化し改めて資質・能力として規定した要素といえる)。
2020年を目前に「学びに向かう力・人間性等」が強調される背景には、多様な価値観をもったいくつものコミュニティが近接して社会を形成するという現代の「流行」が横たわっている。異なる文脈に属する他者との接点が日常に溢れる現代では、自らの常識に安住することは不可能に近い(それを強行することは他者への暴力に転化する)。各教科で習得した知識を相対化し結びつけることや、自らの意思を表現しながら自分と異なる意見と照らし合わせることなど、他者を媒介にして自己を見つめる活動は先の2つの要素でも求められたが、それらは現代の多文化が幾重にも連なる極めて複雑な社会の中で発揮されてはじめて意味をもつものである。答申が家庭・地域と連携した教育を実施していく「社会に開かれた教育課程」を重要視するのも、学校と社会の接続を強化する狙いの表れだろう。
このように、学校で身につけた「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力等」をこれからの社会の実践的状況に持ち出すために、「学びに向かう力・人間性等」は要請される。言い換えれば、「学びに向かう力・人間性等」、すなわち多文化主義を前提としたメタ認知能力こそが新しい���力の新規性を担保するものであり、現代日本でコンピテンシー概念を検討する上で最も今日的なテーマなのである。2008年版学習指導要領では、「思考力・判断力・表現力等」の領域で「言語活動の充実」が図られた。しかし、2020年以降の学校教育では、生徒が自らの問題意識を学びに反映させたり、自分の思考過程がどのようなシステムに法っているのかを捉えたりする「メタ認知」の領域まで、その活動を敷衍させなければならない。
1-1-3 水平的「転移」としてのメタ認知
1-1-1でも触れたように、コンピテンシーに基づく教育改革は世界的な趨勢である。こうした新しい力は、EUの「生涯学習のためのキー・コンピテンシー」や、全米研究評議会の「21世紀型コンピテンス」をはじめとしてその名称は国や地域によって多岐に渡るが、これらの新しい能力概念には共通して高次の認知能力が含まれている。本項では、海外のコンピテンシー概念と日本の資質・能力の関わりから、本研究で重視するべきメタ認知能力のより仔細な位置づけを行う。
各国で開発されるコンピテンシー概念は、2003年に最終報告がされたOECD(経済協力開発機構)におけるDeSeCoの「キー・コンピテンシー」を土台としている。そうした背景を踏まえ、文部科学省は1998年版学習指導要領から明記される「生きる力」を、「キー・コンピテンシー」を先取りしていた概念であるとして両者の関連を指摘している。また、「キー・コンピテンシー」を開発したOECDは現在、その後継ともいえる「OECD Education 2030」で未来の学力観についての議論を行なっているが、そこでOECDに影響を与えているのは、CCR(カリキュラム・リデザイン・センター)が設定した「CCRフレームワーク」である。日本も、2015年に行われたOECDとの政策対話で、「CCRフレームワーク」に対し「日本の学習指導要領改訂が目指しているアプローチと近い」と共感を示している。
以上のことを考慮し、ここでは現行の2008年版と次期の学習指導要領に結びつく「キー・コンピテンシー」と「CCRフレームワーク」に含まれるメタ認知能力を取り上げることにする。
OECD-DeSeCoの「キー・コンピテンシー」では、「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力(個人と社会との相互関係)」、「多様な社会グループにおける人間関係形成能力(自己と他者との相互関係)」、「自律的に行動する能力(個人の自律性と主体性)」という3つの能力を三角形に組み、その中核に「個人が深く考え、行動することの必要性」(思慮深さや省察性、反省性などと訳される)を据えている。一方の「CCRフレームワーク」は、「知識」、「スキル」、「人格」の3つの円(要素)が部分的に重なるように配置していて、さらにそれらを「メタ認知」と「成長的思考態度」を組み合わせた「メタ学習」が包括する形で構成している。
これらを見れば、答申がメタ認知(「学びに向かう力・人間性等」)を「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力等」の方向性を決定する要素と規定したのと同様に、両者ともメタ認知に当たる能力を、その他の能力をまとめる位置に設定しているのがわかる。ただ、「キー・コンピテンシー」と「CCRフレームワーク」の「省察性」、「メタ学習」は完全には一致しない。松下佳代は、両者の差異について次のように指摘している。
DeSeCo キー・コンピテンシーでは「何のための能力か」という問いに対し、「個人の豊かな人生」と「うまく機能する社会」を��げ、現状への批判的スタンスも取りながら、個人と社会との軋轢や複数の社会的価値の間の対立関係の調停を図ることを「省察性」の中に込めているのに対し、CCRの「メタ学習」には「個人の豊かな人生」の視点のみ――しかも、世界の変化への適応のみ――しか含まれていない。
松下は、「メタ学習」がすべて生徒個人に還元されるのに対し、「省察性」は個人と社会や、複数の共同体の境界に生じる摩擦を克服する方向に向いているとして、「キー・コンピテンシー」の役目が終わっていないことを主張する。たしかに「CCRフレームワーク」においては、「メタ認知」が「成長の機会に気づくための鍵」として、また、「成長的思考態度」は「自分は成長できると信じるために」必要な要素として求められるように、生徒自身の成長が第一に重視されている。
他方、「省察性」で強調されるのは、コンピテンシーを発揮する文脈を意識することである。DeSeCoは、「個人と社会との関係は論理的で動的である」ことを「コンピテンスモデルの基礎をなす仮説」とし、行為は常に社会的文脈に影響を受けるものであるとする。換言すれば、DeSeCoが整理したそれぞれのコンピテンシーを教育することは、生来人間に備わった力を開花させる意味ではなく、ある固有の文脈からの需要に応える資質・能力を学習によって外側から補完することを指している。ここでの「省察性」は、身につけた資質・能力を相対化し、異なるコミュニティに属する他者との協働、共生を可能にするためのスキルなのである。
前項で挙げた現代の「流行」を顧みれば、松下の指摘の通り、「省察性」にこそアクチュアリティが認められるといえる(学習指導要領と「キー・コンピテンシー」、「CCRフレームワーク」の関わりについてはさらに詳細な検討が必要である。したがって、両者を安易に対立関係にはめ込むことは本稿の狙いから外れる。それでも、管見の限り、社会的要請が高まる高次の認知機能に関しての言及はOECD-DeSeCoがより詳しいため、ここでは「省察性」を考察の中心に据えることにする)。では、多文化主義を前提とする社会の中で、「省察性」はど��ように発揮されるのだろうか。
DeSeCoは多様な社会において、「問題や問いを一連の相互に排他的な選択肢の集合に還元したり、差異や矛盾を扱うための厳重な規則を採用したりすること」を否定し、「複雑でダイナミックな相互作用を認識しながら、その間の緊張関係を扱おうとする」態度を要求する。こうした価値観の対立を、その場限りの統合的な方法で乗り越えていくために「省察性」が方法とするのは、「転移」と「適応」である。
前述の通り、DeSeCoのコンピテンシーは特定の文脈の内側で機能するため、異なる文脈からの需要に既存のスキルで応答することは自己中心的な態度になる。したがって、緊張関係を扱うためには、「古い状況から新しい状況へとスキルやコンピテンシーを移動させる」必要がある。この移動が「転移」である。そして、複数の文脈を「転移」によって往来しながら、既存のものと新たな需要に折り合いをつけるのが「適応」という概念である。図式的に表せば、「転移」は既存の文脈から対立する他の文脈への横方向の運動であり、「適応」はそれらの対立を調停し統合する弁証法的な縦方向の運動だと位置づけられる。
無論、ここでは「適応」が最終的な到達点となる。答申の「主体的・対話的で深い学び」からも、極めて簡略化して述べれば、主体を対話によって相対化し、異なる他者との協働からより深い次元に到達するといったフローを見出すことができる。しかし、以上のことから学習の焦点を「適応」の達成に限定することは性急な結論である。ときに「適応」は、集団における主導権争いの結果や高次の目的(経済的な合理性など)のために、個人の具体的な意思を捨象する形で実行されてしまうからである。こうした局面では、「転移」が表面的な上滑りに終始して、ただグループの合意形成を得るためだけの活動に陥っていると考えられる。表面的な「転移」は、他者を主体による生産物へと変貌させてしまい、そうなれば、学習の成果として残るのは見せかけの達成感以外にない。
多様で複雑な社会では、他者とはいつでも〈私〉とは異なる存在であり、そこでは他を他として見る態度の涵養こそが必要である。その態度は、他者を自分に引き寄せて解釈したり、個人の性質を抽象化してカテゴライズしたりすることを断固として拒む。ここで求めるのは、自らの文脈を意識しながら、他者の文脈に寄り添うように自己を変容していく横方向の「転移」である。ここからは、この「転移」のためのメタ認知能力を「水平的メタ認知」と称して、その育成の方法を探っていく。
1-2 水平的メタ認知の指導方法の検討
1-2-1 なぜアクティブ・ラーニングか
前節では、2030年に向けて最も注視すべきコンピテンシーがメタ認知能力であることを確認した。本稿の中心に置くのは、他者を媒介にして自らの思考を止揚するためのものではなく、他者の文脈においてそれまでとは全く異なる新しい自己を生成するような、状況に応じた横方向への「転移」を正確に実行する能力である。
本節からはその方法についての検討に移る。答申では、新たな資質・能力を「どのように学ぶか」という課題に対し、「主体的・対話的で深い学び」の導入を目指している。アクティブ・ラーニングと「主体的・対話的で深い学び」の相違に関しては、答申における「「アクティブ・ ラーニング」については、子供たちの「主体的・対話的で深い学び」を実現するために共有すべき授業改善の視点として、その位置付けを明確にすることとした」という記述を基に、「主体的・対話的で深い学び」をアクティブ・ラーニングから、より方法的な志向性を抽出した学習方法と捉えて問題はないだろう。ただ、「主体的・対話的で深い学び」についても未だ共通の理解があるわけではない。そのことを考慮し、ここでは大枠的にアクティブ・ラーニングの意味と問題を明らかにし、水平的メタ認知を育成するために必要な施策を探っていく。
日本でアクティブ・ラーニングが広く注目される契機となったのは、2012年8月の中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」である。ここでアクティブ・ラーニングは以下のように述べられる。
従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベートといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進めることが求められる。
ここでは、教員主体の知識注入型の授業から生徒主体のインタラクティブな授業への転換がポイントになっている(アクティブ・ラーニングは高等教育から導入ざれた概念であるため、多くの言説は対象となる学習者を「学生」としているが、本稿では引用箇所を除き「生徒」の表記に統一している)。そして、生徒主体の活動が「能動的学修(アクティブ・ラーニング)」なのである。溝上慎一は、ここから能動的な学習をさらに「書く・話す・発表するなどの活動への関与」と、「そこで生じる認知プロセスの外化」という2つのフェーズに分けている。この2つの位相の接続は必然のようにも思えるが、溝上は受動的学習では現出しない「認知機能」を意識することこそがアクティブ・ラーニングの意義として、「二重表現を採って」関与と外化の「十分な協奏」を主張する。まとめれば、アクティブ・ラーニングとは生徒主体の授業であるが、ディスカッションやディベートなどの活動が等しく「能動的学修」になるのではなく、その活動を通して発動する「認知機能」を自覚することによって有効となる学習方法なのである。ここでの「認知機能」とは、作文やグループワークでの言葉が内包する意図を生徒自らが意識する程度の意味で、広義の認知といえる。それでも溝上の以上の定義に従えば、アクティブ・ラーニングは先天的にメタ認知能力を向上させることに適した学習方法として捉えられるだろう。
1-2-2 アクティブ・ラーニングの問題と「転移」のための方策
ここまでで、アクティブ・ラーニングが「認知機能」の発動と認識を前提とした学びであることを理解した。ただ、溝上が関与と外化を慎重に結びつけるように、アクティブ・ラーニングの実践を充実させるのは決して容易ではない。前述したような、「能動的学修」にまで至らない形式的活動に陥る危険もある。このようなアクティブ・ラーニングの問題を、松下は次の3点にまとめている。
①知識(内容)と活動の乖離
②能動的学習をめざす授業のもたらす受動性
③学習スタイルの多様性への対応
①は、アクティブ・ラーニングを優先するあまり、最低限の知識(内容)すら獲得できないという問題である。能動的な学習によって高次の思考の獲得を目指すならば、それに見合う知識が不可欠であり、知識の習得をおろそかにすれば活動の形骸化は免れない。この問題の誘因は、コンテンツをコンピテンシーの対立項に定置してしまうことだろう。コンピテンシー・ベースの教育が決して「知識・技能」の獲得を否定するものでないことを思い返せば、教育課程の効果的な編成が解決の糸口になるはずである。
②は、生徒がアクティブな態度を表面的に演じる危険性を表している。佐貫浩もこの問題に対し、教員の立場から「アクティブさを測る基準が、挙手、発言、というような「形式」におかれ、そういう「態度」を取らせることが、アクティブ・ラーニングであるかの「誤解」に近い混乱が起こっている」と指摘する。一方で③は、そうした積極的な振る舞いを拒否する生徒への対応に関する問題を指す。これらは、生徒の学習を促進するはずのアクティブ・ラーニングが、却って抑制する働きに向いてしまう可能性を示唆している。上記のもの以外でも、「そこそこの労力でまあまあの結果を出すということがグループ内で暗黙の了解(暗黙のルール)となってしま」うことや、「グループ内での分業が許容される程度をこえて不均等になり、フリーライダーの出現を許してしまう」ことは、実践例の中に散見される失敗である。
以上の問題に、水平的メタ認知の育成を目指す立場から、どのような解決策が考えられるだろうか。前項で確認したように、アクティブ・ラーニングの肝となる「認知機能」は外化に至るまでのプロセスを認識することであり、これは生徒の発言回数などの外的要素とは区別される内的な活動である。それならば、本研究では外的活動の活性化に拘泥するのではなく、内的活動をアクティブに働かせることを第一義にするべきだろう。
グループワークなどの協働学習は、複数の異なる意見の存在を認識したり、それらを擦り合わせて共有可能な1つの答えを導いたりするためには有効である。けれども、前者に関してはその先の活動こそが本稿の目途であるし、後者は弁証法的な縦方向の学習であり、ここでは目的を異にしている。よって、本稿で提示する水平的メタ認知育成のための授業理論では、その手段として協働的な活動は用いない。この選択が、授業におけるアクティブさの消失を意味するものでは決してないことを強調しておく。例えば、「対話的な学び」がリテラルな他者との対話でのみ実現されるわけではないように、アクティブさを測る尺度は内的活動に向けられべきなのである。それは、答申の「対話的な学び」は「子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ」て実現されるという見解にも表れている。
学びのアクティブさは外的活動の活発さに依存するものではない。それゆえに、作文のような個別的表出でも、認知プロセスの意識化および外化は実現可能である。このように、外的活動から内的活動へとアクティブ・ラーニングの焦点を移動させれば、生徒が積極的な態度を演じる、またはそれを拒否する生徒を生み出すという問題を回避しながら狙いに直線的な働きかけを試みることができる。
もう1つ、授業で「転移」を行うのに最適な課題設定について簡単に言及する。意識すべきは、メタ認知、ひいては「学びに向かう力・人間性等」が、学校と社会を係留する動きの中で持ち出されたコンピテンシーだということである。したがって、メタ認知のための課題は、生徒の生活に侵食していくような強度をもったものでなければならない。松下らが提唱する「ディープ・アクティブラーニング」は、学習課題に対して「原理と関連づける」や「身近な問題に適用する」などの「深いアプローチ」を行い、思考を抽象化することで学びの射程距離の延長を目論んでいる。もちろんこれは抽象化という縦方向の運動性を有しており、本研究では別の方策を採る必要がある。それは、生徒の思考を高次の一には回収しない。それは、生徒個人の生活から始まり、それらの多様な具体性の中で完了されるべきものである。
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6.2.2018 ガルパン三話
・前回の終盤に始まった練習試合の続きから。いきなり新メンバー(麻子)加入、天才肌で学年主席という設定。みほが経験を生かして他の戦車を次々に破り当然のように勝利。まぁ他のチームが戦車の動かし方もよく分かってないんだから勝って当然?戦車道は経験者が圧倒的に有利なスポーツのようで、そのハンデを覆してゆくという筋書き
・前回弾は実弾を使うみたいな話が出てた気がするけど、身を乗り出していて弾が当たったまずいのではないか
・その後戦車内の配置が決まる。予想通りみほが指揮官、優花里が装填手、麻子が運転手、沙織(やっと覚えた、そして言うほど髪はオレンジ色ではなかった)が通信手、華が何だっけ?たぶん照準を合わせる係
・そういえば女子ばかりなのは女子高だからだろうと思ってたけど、男性が全く登場しないなこのアニメ。戦車でマスキュリニティはもう十分ということか?何が抑圧されてるんだろう。それともミソジニーを裏に隠したオタクのミサンドリーへの配慮?
・男性器のメタフォアとしての戦車という読み。ネタとしては面白いかも。戦車(の砲身)という男性器を持った女子高生の物語としてのガルパン。ただの女子高生では、メインターゲットである男性のオタク(私もその一人だけど)は共感しにくいが、その女子高生が男性器を持ち射精(砲撃)することで疑似的な男性性を帯び、視聴者はそれに同一化できるようになる
・初めて砲撃を行った際の華の高揚があからさまに性的な含意(「なんだかじーんとしてしまいましたの…」)を持っているのが一つの傍証
・男女異性愛の二項対立、あるいは男性性・女性性をアプリオリに設定してしまっている、視聴者を男性に限定してしまっている、等の問題。あるいは男性器を持った女子高生をアンドロギュヌス的な両性具有者として読んだほうが、可能性があるかも
・こういうのは自分の頭にペニスVSヴァギナの対立があるから出てくるのであって、あんまり大学のレポートとかでは書けないな(というか今回は分析するつもりで見ないのだった)
・終盤に聖グロリアーナ(何語?)女学院というライバル校が出てくる。前情報だと出てくるキャラクタは全員日本人で、彼女らは単にイギリス「風」のコスプレをしているだけだという。まぁ現実の生物学的な差異を無化できるのがフィクションの特権なのでどうでもよいのだが…
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フロイトとカント
カントの純粋理性批判でいう「アプリオリな悟性概念が先にあるからこそ物自体の認識ができる」という、コペルニクス的転回を、フロイトが喝破。 人間はモラルを持った理性的存在ではなく、「無意識」に動かされる生き物だと定義。
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なぜミロウスキーはネオリベラリズムとオーストリア学派のことを間違えているのか
Philipp Bagus “Why Mirowski Is Wrong About Neoliberlaism and the Austrian School,” idem, 12/18/2015, [https://mises.org/library/why-mirowski-wrong-about-neoliberalism-and-austrian-school]
自然科学の方法を採用しているかどで新古典派経済学を批判した本『光より熱い―社会物理学としての経済学、自然の経済学としての物理学』で知られるフィリップ・ミロウスキーは近頃、金融危機時のネオ自由主義と経済学業界についての本を出版した。『深刻な危機を無駄にするな―新自由主義は金融危機をいかに生き延びたか』での彼の主なテーゼは、経済学業界は金融危機の予言と説明に完全に失敗したことである。にもかかわらず、主流派経済学者はいかなる否定的帰結も蒙らずに、相変わらず仕事を続けている。
ミロウスキーの見解では、新古典派経済学とネオ自由主義、政治的右翼は、モンペルラン協会による精妙なプロパガンダの努力と交錯したロビーイングの機構のおかげで、危機を抜け出してもっと強くなった。ミロウスキーによれば、モンペルラン協会は政治を支配する保守派と自由市場派のシンクタンクとネオ自由主義学界の複雑な網の核心として機能する。
ミロウスキーの分析は極左平等主義の見地から来ているとはいえ興味深い。特にしっくりくるのは彼の新古典派経済学の分析と批判である。この書評論文は三部で構成される。第一に、私はミロウスキーが正しいところの論点にコメントする。第二に、私はオーストリア経済学(とリバタリアニズム)と新古典派経済学(とネオ自由主義)の明瞭な違いに関するミロウスキーの根本的な間違いを議論する。最後に、私はミロウスキーら典型的な社会主義者が市場経済に関して抱いている神話と誤りに応答する。
主流派経済学職の嘆かわしい状況
新古典派の主流派業界は景気大後退を予言できなかった。新古典派経済学者は、中央銀行が厳しい後退を基本的には消滅させたというマクロ経済安定の新時代、大沈静(Great Moderation)を信じていたから、二〇〇八年に経験され始めた金融システムと世界経済の大問題に不意打ちを食らった。
ミロウスキーはこの失敗を方法論的な袋小路の結果と説明する。新古典派業界はその恥ずべき動学的確率的均衡モデル(DSGE)のような方法論的道具立てでは大後退を予言できなかった。DSGEには基本的に危機の余地がないから、新古典派経済学者は金融危機を予言できないばかりか、振り返って説明することもできない。
ミロウスキーは新古典派陣営の認知的不協和を診断する。新古典派理論は金融危機を説明できない。容認理論と現実の間に溝がある。この溝を架け橋するために、新古典派は経験的証拠を彼らの理論にどうにか合わせようと調整(歪曲)するよう反応する。主流派の経済学はパラダイムの変化が必要だと認知する代わりに、経済学業界は意固地になって数理モデルに固執するのである。
ミロウスキーは主流派の正説の惰性を正確に記述する。新古典派経済学への知的資本投資のサンクコストは膨大だ。業界は志もビジョンもないままよろよろ歩き、凡庸に停滞する。思想教化が正説をプロパガンダする。学生は諸理論の支離滅裂な雑録を使って経済学の教科書と仲良くする。彼らは主流派方法論を使う高名なジャーナルに掲載された短命な記事を読まされる。この文脈で、ミロウスキーはジャーナル一般が数理的統計的記事に好意的な方法論と経済史の記事の掲載をやめたという事実を指摘する。ミロウスキーはいみじくも数理化を自然科学者の経済学への合併と結びつけ、この発達を金融危機の理由の一つとみなす。
方法論的批判
ミロウスキーは経済学者が物理科学に嫉妬していると論じながら新古典派の方法論を批判する。この嫉妬のせいで、経済学者は物理学の方法とモデルを模倣し始めた。新古典派経済学者が危機を予見できなかったのは物理学で使われる数理的アプローチのせいだった。ミロウスキーの批判���左翼新古典派経済学者に対しても萎縮しなかった。彼は彼自身のアプローチを一貫させて、グリーンスパンとバーナンキのみならず、スティグリッツとクルーグマンをも窘めた。彼らにはイデオロギッシュな違いがあるけれども、彼らはみな、代表的エージェントが効用関数を最大化するDSGEモデルを利用する。[1]ミロウスキーによると、ミクロ経済学がケインズ革命のせいでマクロ経済学と分離した後再び経済学の統一を許したのはDSGEモデルだった。DSGEモデルは効用最大化エージェントと高度の集計を導入することでミクロ経済学の数理的アプローチをマクロの領域で利用させてくれる。ミロウスキーはDSGEなしでは新古典派経済学は消滅すると言うところまでいく。
ミロウスキーは経済学のやり直しと新古典派パラダイムの終わりを求めるが、代案を差し出しかねており、オーストリア学派の行為学的アプローチに気づいていないようだ。ミロウスキーが求める現実主義的代案はすでに存在している。彼はまた、オーストリア経済学者がその現実主義アプローチのおかげで彼らの予言済みの金融危機にちっとも驚かなかったことも知らない。残念ながら、ミロウスキーのハイエク解釈と、当代オーストリア学徒の無視はいわずもがな、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとマレー・ロスバードの作品への完全な無知を見るにつけ、彼のオーストリア学派への無知は計り知れない。
金融業界と学界の不吉な結合
ミロウスキーは記入業界と学界のコネクションを記述するときが最高潮だった。彼は、元ハーバード大学学長にして数年間オバマのチーフアドバイザーだったローレンス・サマーズのような著名な主流派経済学者を大金融会社が雇ったことの証拠文書を提出する。サマーズは二〇〇九年に純資産1700万~3900万ドルを申告しました。彼は会議の演説一回でゴールドマン・サックスから13万5千ドルを受け取ったほか、他の金融会社からも膨大な後援者謝礼を得ている。
他にも金融業界でうまい仕事を請けた大物の主流派経済学者でいる。有名な新古典派経済学者マーティン・フェルドシュタインは二十年間AIGの監査役会に所属することで、彼らの破滅的な事業も出るに直接関与していた。失敗企業の政策決定に一層責任があったのはAIGに利用された金融モデル担当のエール経済学者ゲイリー・ゴートンである。MITの金融経済学教授アンドリュー・ローは金融業界のために量的モデルを開発したもう一人の新古典派経済学者の例として引用される。奇妙なことに、彼らの欠陥持ちの理論に基づいて危険な金融慣行が発達していた際に新古典派経済学者が関与していたにもかかわらず、彼らの名声は着手をされていない。失敗したAIGのモデルに責任を負う主要人物ゴートンは『二〇〇七年のパニック』の説明で有名にさえなっており、『見えざる手のビンタ』という題名の本を出版した。
ミロウスキーに示されたとおり、金融業界の台頭と平行して、大学教授全体を占める経済学者の割合が増加した。ミロウスキーは学界市場が占拠されたと示唆する。経済学者は金融業買いの特権を指示する理論の開発と引き換えに金を払われる。残念ながら、著者は金融業会を自由市場の部分であると描写し続けて、かかる部門が民間ではなく半官であることに気づき損ねている。
ミロウスキーは金融経済学の出版物の大部分が直接間接に連邦準備(FED)にスポンサーされていると示すローレンス・ホワイトの重要な作品を引用しながら実にうまく金融業界と学界のコネクションを記述する。金融経済学者の四十パーセントがFEDに雇用されている。FEDからの助成金を受け取っていない正統派金融経済学者はほとんどいないようだ。加えて、FEDが雇用する経済学者はDSGEモデルを開発した。経済学者の業界は財政的に攻略されたのである。
ミロウスキーは巧みに主流派経済学業界と金融部門の制度的連結を示す。あいにく、ミロウスキーは経済学業界と政府のコネクションを調査する際には体系的ではなかった。たとえば、彼はバーナンキが公共部門で、すなわち中央銀行の総裁として職を得た学界人の好例であるとは指摘しない。ミロウスキーはサマーズの事例でのコネクションに言及するが、金融業界に特権を創造し、この特権を正当化する経済学者にどっさり支払っているが政府であることには気づき損ねる。
新古典正統派と金融業界の私事的な連結を描写したあとは、主流派の惰性と、かくのとおり欠陥理論を維持するインセンティブ、パラダイムの変化に対する抵抗が、さもともらしくなる。けれども、ミロウスキーは枢要な一面で間違える。彼は金融制度が規制なき自由市場秩序を正当化するために学界を買収することに成功したと示唆するのである。ミロウスキーは金融業界が経済の最も規制された部門の一つであることに気づいていない。ミロウスキーが金融市場を束縛なき自由市場の好例と考えていることには度肝を抜かせられる。彼は、金融市場が自由市場より中央計画に近いと気づくことなく、金融市場が失敗したと記す。明示的暗黙的な財政援助保証と、部分準備銀行の合法化のような法的特権、最後の頼みに法定不換紙幣を発行する金貸しは、金融業界の地位を私ではなく、むしろ公共にする。
ミロウスキーの解釈のこの誤りにもかかわらず、彼が指摘する政府と金融部門、学界のコネクションは非常に役に立つ。かかるコネクションは主流派学界と(半官銀行部門含む)政府の間に共通する利害関心を示しており、ゴールドマン・サックスと財務省の間の回転ドアを説明する。それらはまた、ミロウスキーがニューヨークの部分準備銀行の総裁ウィリアム・ダドリーの話をするとき適切に批判するとおりの「富者のための社会主義」を説明する。ダドリーは納税者の金でAIGとゼネラル・エレクトリックに財政援助しながら個人的にも投資していた。[2]
この点でのミロウスキーの主な失敗は政府と金融業界に共通の利害関心を軽視している。金融業界と政府は、主流派の部分準備銀行と法定不換紙幣の見解、デフレーション、金融政策の見解や、安定的金融システムには最後の頼みで法定紙幣を発行する金貸しが必要だとする学説で、彼らの存在を正当化し、彼らの特権を擁護する理論から利益を得ている。学界は金になるこれらの理論に報酬を与える。干渉主義を正当化する誤った理論の惰性は政府活動のせいであり、何よりも関わっているのは教育システムとメディア、金融システムへの政府の干渉のせいである。
コック兄弟の残念な役割
ミロウスキー申し立ての、事業による政治の征服に抗して、彼の十字軍はコック兄弟の名を挙げる。億万長者コック兄弟は自由市場の主張を支持するために金を寄付する。どういうわけか、ミロウスキーはこの行動が気に障る。しかし、世の中をよくするための理念への支持に、なぜ自分の金を使ってはならないんだ? なぜ、政府賛成の理念を支持するために、政府が他人の金を使う方が良いんだろうか? どうやら、ミロウスキー自身も彼が価値ありとみた理念を促進するための本に彼の時間と資源を使っているようだが。
興味深いことに、ミロウスキーはコックの活動を批判するとき一人っきりではない。コック兄弟が用いた戦略は幾人かのオーストリア経済学者にも攻撃されており、この世界はミロウスキーが考えているより複雑であると示している。マレー・ロスバードはコック兄弟が好んだ漸進主義戦略と彼らのリバタリアン原理に対する裏切りのせいでコック財源のケイトー研究所およびコクトパス一般と仲違いした。コック兄弟は、ロスバードによれば、政治的影響力を得るために原理を妥協したのである。[3]
根本的混同
ミロウスキーの主な問題はオーストリア学派とリバタリアニズムに達したときの彼の混乱である。ミロウスキーはほとんどの新古典派経済学者を(スティルチックやクルーグマンのような幾人かの左翼を例外に)ネオ自由主義者と見なす。彼は暗黙裡にオーストリア学派をネオ自由主義陣営に編入する。[4]彼は「ハイエキアン新自由主義者」のことさえ記している。[5]けれども、オーストリア学徒は新古典派ではないし、オーストリア学徒の多くはネオ自由主義と見なすことができない。[6]
ミロウスキーが彼の本のところどころでネオ自由主義対リバタリアン、新古典派対オーストリア派を区別しているのは確かだが、彼は自分の区別を整合的に適用しはしない。この整合性の欠如が奇妙な結果を生む。
たとえば、彼はシカゴ学派の効率的市場仮説(EMH)がハイエクの知識論を形式化していると論じた。これはハイエクらオーストリア学徒が新古典派経済学者の方法を共有しており、同じネオ自由主義陣営に所属するとでも仄めかしているようだ。[7]
これ以上に真相から程遠いものはありえない。ハイエクの主観的知識理論は知識を暗黙で主観的な分散したものと論じる。ハイエクの主観的知識の論じ方は情報の数理的な、または形式化された論じ方とは根本的に異なっている。もっと具体的に言えば、オーストリアの伝統での企業家的知識の創造的本性はEMHの客観的で所与なるタイプの情報とは対照的なものなのである。[8]
EMHは市場価格が関連情報をすべて組み込んでいるから効率的であると述べ、市場で売り買いできる客観的な種類の情報を仮定する。けれども重要なのはやはり客観的所与情報ではなく、むしろ動態的過程での企業家的新知識の主観的な解釈と創造なのである。過去の価格は市場参加者が新情報を創造するために尽くすだけの歴史的交換関係にすぎない。ハイエクによれば市場は我々が知る必要のある知識を転送する、と述べることでミロウスキーはハイエクを歪める。しかしそうではなく、ハイエクは市場価格が他の市場参加者の主観的知識を使わせてくれる、と指摘したのである。市場は我々が知る必要のある知識を自動的に転送したりはせず、むしろ市場参加者が彼ら自身の目的を達成するために必要なものを、彼ら自身が発見し創造する必要があるのである。
主観主義とハイエクの知識論をEMH、CAPM、ブラック‐ショールズ・モデルと混同するミロウスキーには追加的な問題がある。EMH、CAPM、ブラック‐ショールズ・モデルのような均衡構成物には主観的なものは何もない。これらのすべての数理モデルでは、すでにすべての関連情報が所与である。静的なのだ。ミロウスキーは競争的市場過程での企業家っが新情報を発見するというハイエクの趣旨を単純に見逃している。市場は過程だから、市場は決して完全ではない。[9]市場参加者は誤りを犯すかもしれないし、幻想の犠牲になるかもしれない。ミロウスキーの本全体がその好例である。
ミロウスキーがオーストリア学派とネオ自由主義の明瞭な区別に失敗したことのもう一つの奇妙な結果は、彼が構成主義を扱うときに現れる。ミロウスキーはネオ自由主義者を構成主義者と見なす。同時に、ミロウスキーはハイエクをネオ自由主義者のグループに振り込み(オーストリア学派全体のことはどうするのだろうか)、ハイエクの構成主義批判をネオ自由主義と和解させようと試みる。しかし二十世紀史上最も精力的に科学主義と構成主義に反対して戦ったハイエクが、どうして構成主義者になるのやら。
オーストリアとシカゴの学派の暗黙裡の混同は特に問題である。ミロウスキーはネオ自由主義者が自生的秩序の概念に賛同したと主張する。けれども、自生的秩序は主にハイエクらオーストリア学徒に利用した概念である。対照的にも、シカゴ学派のネオ自由主義者は分析的道具として均衡構成物を使用する。けれど、均衡分析はオーストリア学派の動態的市場過程分析とは根本的に真逆である。要するに、シカゴ学派のネオ自由主義者は自生的秩序の概念を一貫して使用してはいないのである。
マーク・スカウセンMark Skousen (2006) はシカゴ学派とオーストリア学派の溝を埋めようと試みた。しかしこの努力は不可能の請負である。両学派の主要で根本的な違いは彼らの方法論的なアプローチにある。ミーゼスの伝統におけるオーストリア学派は人間行為の公理から幾つかの一般的前提の助けでアプリオリ経済法則を論理的に導出する。彼らは実験して外界を調べるのではなく、真理を発見するために内観で内側を調べる。
対照的にも、ミルトン・フリードマンMilton Friedman (1953) に従うシカゴ学派の経済学者は実証主義方法論を利用する。オーストリア学徒は歴史を理解するためにはまず理論が必要であると主張するが、シカゴ学派の信奉者は、ときに軽量経済分析を適用しながら、歴史から経済法則を導出しようと試みる。オーストリア学派の伝統の学者は現実を人間の相互行為の動態的過程と見るが、シカゴ学徒は企業家精神と創造性が定義上欠如しており動態的市場過程が凍結した均衡モデルを利用する。オーストリア経済学者は経済学者の目的を、動態的市場過程を統治する法則の理解と説明と見なしているが、フリードマンの目的は正しい���言を行うことである。[10]オーストリア経済学者は市場過程の現実主義的説明を目指しているが、フリードマンにとって仮説の現実性はどうでもいい。理論の予言力だけが考慮される。
ミロウスキーは彼の本で、予言のモデル・ビルディングは破滅的な失敗だったと、多くのオーストリア学徒が共有する判断を述べながらフリードマンのアプローチを批判する。残念ながら、ミロウスキーはオーストリア方法論に言及するのを怠っており、「新自由主義」モンペルラン協会の多くのメンバーに擁護されたこの代案に気づいていないようだ。
ウィーンとシカゴの方法論的な違いに直接関連するのは競争に関する彼らの対照的な見解である。シカゴ学徒は現実を彼らの完全競争も出るに近づけるために独禁法を支持し考案する傾向があるが、オーストリア学徒は動態的市場過程に対する政府の独禁法の形での干渉に反対する。[11]
モデル・ビルディングと数理化に要求される高度な集計は両学派の資本に関する対照的な見解に直接関係する。資本、シカゴ・モデルではKの文字で表現されるものは、同時的かつ自動的に所得を生産する同質的で永久的な資金と見なされる。[12]資本は同質的資金であり、生産は即時的である、というこの見解は、シカゴ学派の数理化と形式化の直接の帰結である。
オーストリアの資本観は新古典派とは根本的に異なる。実際、シカゴとウィーンの間には資本の概念をめぐる激しい討論があった。フリードリヒ・ハイエクFriedrich Hayek (1936) とフリッツ・マハループFritz Machlup (1935) はフランク・ナイトを、同質的で自動的、自己維持的な資金としての資本の概念の無意味さのかどで批判した。オーストリアの時間消費的な過程としての資本論と生産観のおかげで、オーストリア経済学者は生産構造が実質貯蓄の裏付けなき信用拡張に誘発されて異時的に歪曲するという理論を発達させることができた。新古典派経済学者の方法論的アプローチでは発達させることのできない道具、必要な理論的道具が彼らには欠けているから、オーストリア景気循環理論は普通シカゴ学派には理解されない。
したがって、オーストリア学徒とシカゴ学徒の大恐慌(と大後退)の解釈は酷く異なっている。ミルトン・フリードマンとアンア・J・シュワーツMilton Friedman and Ana J. Schwartz (1963) に追随するシカゴ学派が主張するには、大恐慌の深刻さは連邦準備が犯した誤りのせいである。もっと正確に言えば、フリードマンとシュワーツによると、連邦準備が一九三〇年代前半に十分な速さでマネタリーベースを拡張しなかったせいである。シカゴの解釈に従って、ベン・バーナンキBen Bernanke (2002) はミルトン・フリードマンに、同じ過ちを繰り返さないと約束した。これが大後退での量的緩和の形での連邦準備の反応を説明する。
対照的にも、オーストリア景気循環理論は大恐慌を一九二〇年代の異常な信用拡張で説明する。[13]オーストリアの見解では、貨幣供給のリフレは、古い誤投資を人為的に安定化させ、追加的な誤投資を刺激するから、必要な再調整を歪曲する。オーストリア学徒は大恐慌の深刻さについて、スムート‐ホーリー関税法やニューディール一般のような一九三〇年代に導入された政府干渉はもちろん、一九二〇年代の信用拡張の規模とこれに伴う誤投資の規模で説明する。[14]
オーストリア経済学者は二〇〇〇年代早期の明白な価格安定性で盲目になってはいなかった。実際、ミーゼスMises (1949) とハイエクHayek (1925) はフィッシャーらマネタリストが喝采した一般的価格水準安定化の諸政策について警告を発していた。そのような政策は経済成長のとき異時的歪曲の元凶となる新通貨の継続的注入を要求する。オーストリア学徒はその景気循環理論のおかげで、シカゴ経済学者とは対照的にも、金融危機に驚かなかった。景気代交代に至る年月についても同じことが当てはまる。かくてミロウスキーの、経済学業界(全体)が金融危機を予想していなかった、という大雑把な言明はすっかり間違っている。新古典派経済学者がその方法論的アプローチのせいで二〇〇〇年代早期の進行中の信用拡張の問題を理解するのに必要な理論的道具を開発できなかったのは真実である。対照的に、オーストリア経済学者は道具を開発したのだった。
驚くことではないが、ミロウスキーが説明しないシカゴとウィーンの不同意の主な領域のもう一つは通貨政策にある。ほとんどのオーストリア学徒は中央銀行の廃止と百パーセント金本位制のような自由市場貨幣の導入に賛成する。[15]シカゴ学派経済学者は一般的には市場に貨幣供給を任せたがらず、法定不換紙幣を発行する中央銀行に賛成する。シカゴ学派の擁護者によって、貨幣の中央計画は問題ではなく、銀行部門の危機の解決とみなされる。
ミロウスキーはこれらの根本的な相違のすべてに触れない。彼は中央銀行をネオ自由主義制度と指摘するとき正しい。けれども、彼はまたアメリカのティーパーティーが基本的にはネオ自由主義集団であるとも主張する。本の後ろの方で、彼はロン・ポールが連邦準備を廃止したがっていると言及する。ミロウスキーはまたロン・ポールが自由銀行賛成派のハイエクの伝統に連なるとも言及する。しかしながら、ロン・ポールはティーパーティーに近しいとみなされる。読者は混乱したままだ。なぜネオ自由主義集団(ティーパーティー)の英雄(ロン・ポール)がネオ自由主義制度(連邦準備)を廃止したがるんだ?
我々はオーストリアとシカゴやネオ自由主義とリバタリアンを区別しないせいで引き起こされるもう一つの明白な矛盾に直面している。もしもミロウスキーがロン・ポールをオーストリア学派の信奉者であると説明していたら、彼が連邦準備に反対したことは読者を驚かせなかっただろう。しかしミロウスキーは単に、バーナンキがミルトン・フリードマンのネオ自由主義の立場の側に就いていることしか述べない。彼は、シカゴ学徒とオーストリア学徒が根本的な疑問で対角線的に反対し合っていることと、彼らのイデオロギーと方法論を近しいと考えるのが誤謬であることを、端的に理解し損ねているのである。
ミロウスキーの混同の起源
ミロウスキーの混同はどこから来たのか? なぜ彼はシカゴ学派とオーストリア学派に明瞭な違いを設けなかったのか?
この混同に寄与しただろうものは基本的には三つの理由である。
第一に、オーストリア学派とシカゴ学派は多くの自由市場理念を共有している。両学派のメンバーは一般的には価格統制と生産物規制、公教育サービスの支給に反対する。けれども、我々がすでに指摘したとおり、違いがある。シカゴ学派は中央銀行と独禁法を支持するが、オーストリア学派はしない。[16]ミロウスキーは、多くのオーストリア学徒が取るリバタリアンな立場を調べていたら、ほとんどのオーストリア学徒がシカゴのネオ自由主義的な立場とは遠く離れていることを認識していただろう。
第二に、ハイエクは一九五〇年にシカゴ大学の教授となった。けれども、ハイエクがシカゴに所属したことは彼がシカゴ学派の理念に親しかったことを含意しない。実は、ハイエクがシカゴの社会思想委員会で教授になったのは、彼の経済学科への指名にシカゴ経済学者が反対したからなのである。これはハイエクがシカゴ経済学者の実証主義アプローチに対して非常に批判的だったことから理解できる。
第三に、最もありそうな混同の原因は、オーストリア学徒とシカゴ学徒がしばしば一緒に集まっていたモンペルラン協会についてのミロウスキーの論じ方から生じている。[17]モンペルラン協会創立会を始めた一九四七年の初っ端から、オーストリア学派、オルド自由主義、シカゴ学派に代表される、三つの主な思想学派が存在した。[18]オーストリア学派からはミーゼスとハイエクが、オルド自由主義からはヴァルター・エオイケンとヴィルヘルム・レプケが、シカゴ学派からはジョージ・スティグラーとフランク・ナイト、ミルトン・フリードマンが来た。
シカゴ学派とオルド学派はネオ自由主義に分類されることができる。彼らは社会主義には反対するが、マンチェスター主義にも反対する。すなわち、彼らは古典的自由主義のレッセフェール・アプローチに反対するのである。[19]主としてドイツ語圏に集まったオルド自由主義者とシカゴ学派はどちらも、市場の枠組みを設定し経済生活を一定の方向に指導するための強い国家を好む。彼らはまた同じ社会保障を国家に提供させたがる。
モンペルラン協会でのオーストリア学徒とネオ自由主義者の緊張はその始まりも始まりから生じていた。ミーゼスが一九五〇年代に記したとおり、「私はモンペルラン協会でオルド干渉主義者と協調できるか、いよいよ疑わしいと思うようになりました」。[20]
実際、オーストリア学派の見地から振り返ってみると、モンペルラン協会内でのシカゴ学派と他のネオ自由主義者の同盟に資金を出すのは戦略的な誤りだったと見なされていい。オーストリア学徒とネオ自由主義者がモンペルラン協会で団結したせいで、ミロウスキーのような著者はネオ自由主義とリバタリアニズムを、そしてシカゴとオーストリアの立場を、混同する傾向がある。オーストリア学徒は、ネオ自由主義者を同じ大義の友と取り成すのではなく、敵の敵と、つまり、一人前の社会主義と見なすことでもっとよくやれていたかもしれない。オーストリア学徒は、シカゴ派などのネオ自由主義者を排除しながら自分たちが優勢なモンペルラン協会で、その方法論的でイデオロギッシュな違いをもっとはっきりとさせることができただろう。ミロウスキーの経済学業界それ自体や自由主義への攻撃のほとんどは信頼性を失っていただろう。そしたら、ミロウスキーはシカゴ学派とネオ自由主義のみへの直接批判を行っていたことだろう。
追加的な誤り
ときどき、ミロウスキーは粗雑な反資本主義プロパガンダに陥る。たとえば、彼はフェイスブックを邪悪の縮図���みなす。どういうわけか、人々はネオ自由主義によって皮相的な自己マーケティングへと唆される。デジタルの時代はすべてのものが、自分さえもが市場である。そうして、人々は本当のアイデンティティーを失う。市場の必要に応じて新技術が獲得されるから、すべてのものが曲がりやすくなるミロウスキーにとって、人々は曲がりやすいネオ自由主義の企業家的アイデンティティーを構成するように強いられおり、彼はこれを本当のパーソナリティーの終わりと考えている。
誰もファースブックのサービスを使うよう強いられてはいないと言えば十分だ。彼らの使用は完全に自発的である。人間関係がもっと皮相的になるだの、深い友人関係や家族関係が衰退するだの、精神的で非報酬的な活動の時間がないだのと、文化的発達を残念がるかもしれない。これらの発達を助長したのは資本主義ではなく、法定不換紙幣に融資された福祉国家の拡張のせいである。福祉国家は市民社会の責任を引き受けることで伝統的紐帯、すなわち深い友人関係や家族関係を弱める。法定不換紙幣とそれに伴う負債文化は我々の生活をもっと早く、我々のストレスをもっと強く、我々をもっと依存的にする。高い負債は金稼ぎ活動に焦点をあてることになるのである。
そのうえ、ミロウスキーはパーソナリティーを発達させてくれるのが自由市場と私有財産であることを忘れる。私有財産は身体の拡張に等しく、パーソナリティーを具体化する。著者はペンを、サッカー・プレイヤーは靴を、医者は器具を、音楽家はバイオリンを所有する。私有財産が我々のパーソナリティーを我々に発達させてくれる。私有財産がなければパーソナリティーを発達し強化することができる者はいない。私有財産が人々に成長と変化のチャンスを与えるのである。市場はパーソナリティーを発達させるための多くの機会を提供する。それらは人々をもっと柔軟にさせて、新技術を獲得させてくれるのだが、それは彼らの自発的な選択なのである。
ミロウスキーはまた、子供のお誕生日会のためにアニメーターを雇うだの、家族の支出と所得を均質化するのを助けるアドバイザーだの、栄養士だのと、彼が奇妙なニーズとみなすものを市場が満足させてしまうことをも批判する。
多くの人々は、多数派のニーズだけでなく少数派のニーズをも満足させる可能性を、市場経済の偉大な特色にして利点であるとみなすだろう。市場経済は多数派が奇妙と思うようなニーズを差別しない。財産権を犯さない他人のニーズまで判断しているが、ミロウスキーは何様のつもりだ? それにミロウスキー自身はどうなのやら。古い反資本主義プロパガンダに新しい衣を着せることで、自由で自発的な交換の理念を潰そうとする大衆迎合的な本を書くのは奇妙ではないのか? 政府の干渉を、すなわち私有財産権の侵害を提唱してから、本を売るために市場を使おうとする誰かさんは、本当に奇���ではないとでも? 市場のおかげで、諸個人は実際に彼の本を買い、自由に対する彼らの偏見を満足させることができるのである。
ミロウスキーは読者にもう一つの誤謬を差し出しつつ、市場はモンペルラン協会と関連制度を通してそれをロビーイングするプレイヤー数人の自己利益のものであると論じる。彼は市場が強要的でないと考えるのは不条理とも思い至り、市場過程には敗者がいると記す。彼が気づき損ねたことはこうだ。私有財産に基づく自発的交換、つまり自由市場は定義からして市場参加者全員の自己利益のものである、というのも彼らはそのような交換から事前に利益を期待するからだ。自発的交換はウィン・ウィン・シチュエーションである。損失が実現するのは自発的交換の事後でしかない。
ミロウスキーはまたマーケティングが消費者を操る、操作するという学説の信奉者でもある。彼にとっては、消費者が生産物を欲求するのは幻想でしかない。この幻想は自己利益的な企業の広告キャンペーンで人為的に消費者に押し付けられている。もちろん、マーケティングは消費者が生産物を買うように影響を及ぼして納得させようと試みる。マーケティングはときに成功し、ときに失敗する。
消費者は、できない約束をした生産物を試したら、もうそれを試さないだろう。市場は実験を許す。消費者ニーズを適切な価格で満足させない生産物は市場から追い出され、広告に支払うための収入を生み出さないだろう。したがって、長期的には良い生産物だけが広告される。申し立て上の幻想に関するかぎり、我々はつねに、「洗脳」の産物としての欲望を退けて差し支えない。[21]しかしその証拠はありえない。人々が自発的に自分に知識を与えて、生産物を実験し、比較しているという証拠を認めないんだ? なぜ人々がマーケティングの影響力に抵抗できることを認めないんだ? それでは、ミロウスキー自身の意見が洗脳の結果であって、社会主義プロパガンダによって彼の頭に植え付けられた幻想を表しており、彼の本全体が無価値であると、少なくとも同じ重みで主張できないのだろうか? 最後に、ミロウスキー自身は暗示的言語と反資本主義プロパガンダで自分を操っていないのか?
ミロウスキーは自由を民主的参加とみなし、市場を人民支配の実体とみなす。彼にとって、ハイエクらネオ自由主義者たちはフューラーの全体主義を、真の民主的権利なき市場の企業家の全体主義に置き換えた。ミロウスキーが犯した概念的歪曲はほとんど滑稽である。自由とは私有財産権侵犯の欠如だ。他人の財産権の使用法への投票、つまり民主的参加とは自由の対極である。市場とは人民をどうにかして支配する実体ではない。自発的に相互行為し交換する人間が市場の結末を決定する。企業家は消費者に何も押し付けない。彼らは将来消費者のニーズを予期しようとする。或る意味、彼らは将来消費者の願いを代理しているのである。
ネオ自由主義の三つの矛盾
ミロウスキーはネオ自由主義の三つの矛盾を発見したと主張する。
第一に、彼はモンペルラン協会会員が自由主義社会に賛成を論じたが、MPS自体は閉鎖的秘密結社であると論じる。社会主義者を会員に認めず、討論は公共には閉ざされている、と。ミロウスキーは私有財産の概念を理解し損ねているようだ。私有財産は排除を許容するものであり、排除がその目的である。ミロウスキーが自宅への余所者の入場を否定でき、社会主義者な友達を夕食会に招待でき、討論できるのと同様に、他の人々も彼らが自発的に決定した規則をもつ協会を創設し、この協会で理念を討議し、これらの理念を後に公共で擁護していい。私有財産の理念を擁護し私有財産権を行使する協会に矛盾はない。
第二に、ミロウスキーはMPSのような計画的に創造された協会が同時に「自生的秩序」を擁護できることを理解しない。さて、市場が優れているのならば、なぜ市場(社会の創造)への「干渉」のようなものが必要だろうか。ここで、市場過程の自生的秩序の内部に特定の企業や協会のような小さい計画的秩序があっていいことがミロウスキーには分からない。モンペルラン協会は自由を擁護し政府の市場への干渉と戦う市場秩序内の私的組織である。矛盾はない。
第三に、ミロウスキーは美徳としての無知を擁護するモンペルラン協会が合理主義者の協会であると主張する。ミロウスキーによると、ハイエクは社会にとって良くて大衆が知らないことを市場が最善に知っていると考える。このハイエク解釈もまたもう一つの歪曲だ。ハイエクは市場で自生的に進化する制度に埋め込まれた大量の情報を理解することは不可能だからこれらの制度を計画的に改良することは不可能だと論じたのである。ミロウスキーは実践的知識と理論的知識を区別し損ねる。市場参加者各自の実践的知識は中央化できず、社会を改良したがる一人の者が知ることはできない。けれども市場過程の働きの理論的知識はアクセス可能であり把握できる。人は社会に存在する大量の実践的知識には無知で、中央計画で社会を改良することはできないが、国家干渉に対する市場経済の優位についての理論的知識を導出し擁護することはできる。またもミロウスキーはない矛盾をあると言う。
ときおりミロウスキーは藁人形を叩く。たとえば、彼はネオ自由主義者が「企業は悪事を何も働かない」と考えていると記す。ここで彼はシカゴとオーストリアの両方の立場を歪曲する。シカゴ学派はアンチトラスト立法に署名する。企業は合併して市場支配的地位を獲得し、消費者を搾取するかもしれない。なのでシカゴ学派はこれらの合併企業が何か悪事を働くから規制されなければならないと考える。オーストリア学徒とシカゴ学派経済学者はまたコーポラティズムを批判する。企業は特権や公序を得ようとしながら政府に影響を及ぼすことでの利潤を求める。
また、ミロウスキーはシカゴ学派の見かけ上の市場解決愛についても混乱している。彼は、ネオ自由主義者が市場問題に「教育バウチャー」やCO2排出許可の形での「市場解決」を提案していると論じる。けれども、オーストリア学派の見地では教育バウチャーは市場解決とは何も関わりがない。バウチャー・プログラムでは税収が再分配され、親は政府に選別された適任の学校にバウチャーを支払うことができる。例えるなら、所得税を増税して、政府承認の装置に支出できる「技術バウチャー」を人々に与えるための受領書を使うことであろう。どうやら、政府はまず人々から金を奪って、それから政府が望むところへと人々に金を使わせているようだ。自由市場では何かがまったく違っている。自由市場では所得が費やされるところは政府が決定せず、人々自身が決定する。同じことが教育にも当てはまる。自由市場は消費者が需要する教育を提供する。ミロウスキーが望む教育を万人が受けないからといって、これを「市場問題」と称するのは恣意的であり、問題である。
何か似たことがCO2排出許可にも当てはまる。同定可能な犯人による私有財産権への違反がないかぎり、問題はない。地震による破壊のような、同定可能な犯人なしでの私有財産権の破壊は神さまの業や自然の業と考えなければならない。同定可能な犯人がいるとき、犯人を告発できる。もしも彼は有罪とされるならば、彼は彼の活動をやめ、生じた被害に保障を支払うよう強いられる。市場、もっと具体的に言えば、司法制度は、そのような問題を扱う。政府の排出許可は中央計画の一形態であり、最適汚染量が中央的に決定される。同じように、政府はアルコール消費を規制でき、それから人々の交換を許すアルコール許可を発行する。アルコール許可を「市場解決」と呼ぶのはミスリーディングだ。
結論
ミロウスキーは市場経済についての擁護不可能な主張を擁護し、標準的な反資本主義プロパガンダを提出したが、そうだとしても、彼は新古典派経済学についての正当な批判を提出した。彼はいみじくも、新古典派経済学者にとっては完全な驚きとして金融危機が生じたことと、新古典派経済学者が彼らの標準的な理論的道具ではかの危機を説明できないことを指摘する。
著者はまた、かかる業界の深刻な方法論的欠陥と、かの危機を予言し説明することの失敗についての業界の否認をも指摘する。ミロウスキーは業界の知的破産を証言し、経済学のパラダイム変化に賛成を論じる。あいにく彼は、そのような代替的パラダイム、現実的で、金融危機を説明するものが、すでに存在することを知らないか、これに言及しない。これぞオーストリア経済学派である。
彼は数名のオーストリア学徒に言及するが、オーストリア経済学を新古典派経済学から分離し損ねる。また、彼はリバタリアンと古典的自由主義者をネオ自由主義者から正確に分離することもしない。この失敗の理由の一つは、オーストリア学徒とシカゴ学派メンバーが、彼らの違いにかまわず、モンペルラン協会で団結していることかもしれない。このせいでミロウスキーは両学派を混同し、少数派のオーストリア派の立場を無視する。この印象の下では、オーストリア学徒がシカゴ学派と一緒の協会を作ったのは戦略的な誤りだったと思われる。
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[1] ミロウスキーが指摘するとおり、あらゆる中央銀行がDSGEモデルを使用する。
[2] ゼネラル・エレクトリックは暫定流動性保証プログラムの下で発行を許された。この連邦預金保険公社のプログラムへの参加によって、この企業は究極的には納税者に裏付けされる政府保証を享受させてもらっていた。
[3] Gordon (2011) を見よ。
[4] たとえば、ミロウスキーはネオ自由主義イデオロギーを金融危機の原因とみなしたから、かかる危機はネオ自由主義の敗北を象徴した。彼はかくて、エオ自由主義のこの明白な失敗にもかかわらず、どうしてハイエクとランドの本の売り上げが高まったのか訝しむ。彼は、金融危機は市場が機能しないことの明瞭な証明であると考える。この謎についての彼の説明は、陰謀的なモンペルラン協会に率いられたネオ自由主義プロパガンダが投票者に市場の邪悪さの理解を許さなかった、というものだ。ミロウスキーは金融危機の原因が金融市場の干渉主義であることと、ハイエクとランドが干渉主義の批判家であることに、気づき損ねている。彼らの人気が高まったのも道理である。そのうえ、これらの著者たちは新古典派経済学者ではない。ミロウスキーが信じさせようとしているような不調和は端的に存在しない。
[5] ミロウスキーは或るときは、アナルコ資本主義とネオ自由主義が対角線的に対立していると認める。しかしながら、アナルコ資本主義者や古典的自由主義者がモンペルラン協会の会員であるにもかかわらず、彼はかの協会をネオ自由主義機関と考える。
[6] フルスマンHülsmann (2007, p. 869) はハイエクがネオ自由主義者であったと論じる。しかしこの査定は討論の余地がある(ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto 2012, p. 477を見よ)。実際、「ハイエクは一九八一年にチリ訪問中のインタビューで、彼はネオ自由主義者ではなかったし、彼は古典的自由主義の公準を改善するのは本意だが根本的に変更するのは本意ではなかったと、曖昧さなく述べた(El Mercurio April 18, 1981)」(Boas and Gans-Morse 2009, fn. 21)。
ハイエクがマンチェスター主義や完全レッセフェールに署名しなかったのは事実である。しかし、たとえ我々がハイエクをネオ自由主義者と受け取っても、やはりオーストリア学派を信奉しつつも同時に古典的自由主義(やアナルコ資本主義)の頑強な擁護者たり続ける多くのモンペルラン協会会員がいたし、いる。創設会議のミーゼスとハイエクは、ミロウスキーが致命的にも無視するこの範疇に入る。
[7] 「あらゆる党派の社会主義者」に捧げられたハイエクの『隷属への道』を偲ばせながら、ミロウスキーは彼の本を「あらゆる党派のネオ自由主義者」に捧げる。この類比は完全には一致しない。ハイエクのあらゆる党派の社会主義者は国家主義の支持にかけて或る程度異なっている。或る党は他より国家主義を支持するが、いずれの党派も支持するのである。対照的にも、ミロウスキーは少なくともときどきネオ自由主義者にオーストロ=リバタリアンを含めるから、彼のネオ自由主義の範疇内の部類には違いがある。実際、ほとんどの「ネオ自由主義者」はロスバード派の見地では社会主義者とみなすことができる。対照的にも、オーストリア学派のアナルコ資本主義追随者はあらゆる国家活動に対して完全に反対する。
[8] オーストリアの見地からのEMH批判のために、ホーデンHowden (2009) を見よ。
[9] ハイエクHayek (1945; 2002) を見よ。
[10] ミロウスキー自身の認識論的な立場は不明瞭である。彼は普遍的経済法則が存在しないことを信じているようだ。実際、政治的左翼は時間が変える事柄(経済法則)を討論で強調すべきと彼は述べる。
[11] アルメンターノArmentano (1990) を見よ。
[12] ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto (2009, pp. 517–18) を見よ。
[13] ロスバードRothbard (2000a) を見よ。
[14] ロスバードRothbard (2002) を見よ。この記事でロスバードはオーストリア学派の感知からフリードマンの見解を攻撃する。
[15] たとえばロスバードRothbard (2000b) を見よ。奇妙にも、ミロウスキーが例示するには、大恐慌に応じた政策はオーストリア派の洞察に基づいていたが、リフレーションと干渉主義は正確にはオーストリア派の洞察ではない。彼はまた、ミーゼスとハイエク含むモンペルラン協会創立集団がケインズとルーズベルト、およびオスカー・ランゲとヤコプ・マルシャックのような市場社会主義者に負けたと主張する。ケインズの政策処方がルーズベルトやどこそこで従われたのは事実である。しかしオーストリア学徒が理論てこ討論で負けたと示唆するのは間違っている。社会主義計算論争について、ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto (2010) を見よ。
[16] ロスバードRothbard (2002) を見よ。
[17] 基本的に、ミロウスキーはMPSを、ミロウスキーの関係では社会の善に不可欠な福祉国家を除去するための設立された、よく組織された特別利益団体とみなす。
[18] 後に公共選択学派が第四の学派とみなせるようになった。
[19] ミロウスキーでさえネオ自由主義者は概してレッセフェールを信じないと認める。ミロウスキーはレッセフェールの立場を「滑稽」と称するところまでいく。
[20] フルスマンHülsmann (2007, p. 880) を見よ。
[21] 「洗脳」論の「操作的無意味」について、ロスバードRothbard (2000, p. 162) を見よ。
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求めるからこそ迷う滞りが、「時間そのもの」の姿みたいに肯定的に目の前にあっていいんだなと思い出す 歩みは余地 なにで終わるかでなく、どこで終わろうとも 意味合いが場所に還れる思いになるような。そこで健康を強いられること怖くなってたけど、それは時系列でなくて今でしかないやつだった。これはもしや一生吐きそうなのでは? つくることが、形をもって、興味をフェードアウトされていく自己、そのまま答えがないままにコマだけ進むようなこと 旅そのものでいいこと いいのだな?借り物を持って、ない道だけを行く あいだを距離にして離さない方法を、探していたのなら 理解とはどこに宿るか、でしか思えない 筆を持たずしても作る、作っている感覚はやっと多分 やや掘り下がった
ここが、なんかめちゃデジャブだったんだけど再放送? なんでだろう
頭のなかそのものだったんだね。ありがたい。。
らしさ、なんて、!今ここの繋がりで越えていける気がした
迷うために を思い出した、それで、「成功じゃない」んだってさ、それは幸福が何かの表すものだ、成功とは違うの意味、人生論ノートを思って そして悩む過程でさらに失った謎の自己防衛もなるほどそうなのかもと今は分かるけど。自分を探してしまう過程で、道筋はまじでなくなってしまう思いの自分を、説明しては尽きないけど、絵にいられる嬉しさ(目的の喪失、没入でもいいはずの)、説明のないまま重なりを持った シリーズ。やったーと思いながら迷えたなら。「過程」と構造を、そうして、思い出せる、呼び起こせる というか。俯瞰していたかった俯瞰していたかったよなぁ でも頑張らないと俯瞰も深まらなかった、あとは遠近もないかもしれない(必要に出来たらマシだったのにという気持ちもある) 何を大事にしても零れていくものを、時折見ていくのだろうな。 そしてまだ読めてないけど前の教科書で使われなかった 確率の本 も、理解できずとも見るつもり、解が答えではなくプロセスだというなら、私もそれを数学のなかに楽しさで見たことはやっぱりあるよ。
いま、抜け出せないなと思う長引きで、かなり多くの記憶を失った気がした。いつも、思春期にもそういう悩み方をしていた気はする。大事に出来ないということ、なんてことないということ、その背中とお腹のようで腹立たしかった怯えるばかりの、自動のこと、および自力のこと。何に足りなさを思えばいいというの?と思っていたけど、充溢、みちていないと足りないものも手が出ない、って分かった気がした昼間だったから、そういう気持ち ないものをねだるにしても、自分で律することの出来るはずの そして何が足りなくていいのか知らないけど、知らねーよと思いながらでもきっとな 辛くても なんだろうな、道ですと言ってダメな気がするあいだは自分のブレと揺れでしかないでしょうけど面倒そのものの俯瞰仕方なら、気分が足りるっつーんなら、自分かわいささえまるきり不要でもないんなら、生きることへの興味みたいなのは不自然にある意味は転倒するから、探さなくてもいいんじゃないかな 目的を失いたい気持ちとのやり方と不明瞭が、どこに暴かれる必要があるのか見ることが怖い 生きてく辛さを想像しきる体力が引き受けられない 言い張りたいの意味が詰まる 事業と橋だけが残される。自分が普通になりたい中空の虚栄心に生かされて、けれども何にも外のものになれないのなら、無い自己をどうやって堰き止めるのかは瞬間瞬間にしかなく まるで仕草や外に向かうしかない 子供でも分かるわ でもそれを目的にしてしまうと繋がりすぎて全体に飲まれてもしまう アプリオリの言う目的や要請はゴールじゃない バランスなんて本当はどこにもない 不安を考えちゃダメなら何もしない もう 悲しくない日が来るのなら 善く生きることが堕落ではないとしても、自分が出来ない成功を幸福のあり方にしきれるばかりじゃないことが、全部生活にくるまれそうだから自分の何を思い知れても大丈夫な無痛は欲さない 人を信じることさえ入り口の形式さえ忘れるなら 遠くなっていくばかりのー自己がゼロにいて明るさを目指すサイクルは、やっぱり 外のどこを指差すとか目指すとかそういう欲じゃない 狭い 今望んでもそれは形にならない 人が毅然としていれば渡れるなんてわけでもない なにごとなく終わる、それがゴールでさえなかったこと、まだ 吐きそう 直線だけ見たことば、の語る世界を、知らない
そして夢をみた 知らない場所おそらく学校 で、教室にたどり着けなくて 人混み 行列や階段で先が分からず、授業にまる一日出られなかった 夢に反論する力今はある 理性 教われなかったとしても沢山あるそんなこと
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ひとりで、というのも何だろう。でもひとりで。歴史に対して、今だった?
↓アニメーションがやっぱり今回とて良くて。。 アンチノミー出た~~!二律が背反していこう 逆説と二律背反の違いって命題の立ち方なの?知らないな
いいねマークにしたの最高のセンスじゃないかね。。?
側面を多角的にねみたいなことでいいとも思う。アニメもだまし絵みたいで良かった こっちから見るとA,こっちから見るとBの模型のような。頭がいいなぁ。笑 この図形自体が共通規格なの?切ないよな
この沼に引かれる定規最高だな
そしてもうひとつの命題の検証 ゲームだったのかこれは うん、私ここを早く知っておくべきだった?でももう感覚では分からされてたり認識できちゃったりするのも人間だもの感というか。知ってることを知りたい心許なさもあるし、新しいことを知らないといけないけどやっぱり自分はなくされていくばかりで太った気持ちもあって怖いし。無気力そのものにも限界があるだろうとはギリギリ転換出来る気もしたけど 描けても辛いんだ するべきことなんていつどこでも何もないだろうか?条件の話ばかり蔓延りながら?自分はどこに?アプリオリに
時間の連なりをとるか空間の広がりをとるか 想像の世界をどのように捉えるかのすべて 考えないと生まれない心持ちもあると思えたりしたことも
でも考えないほうがいいのかもしれないし。 逃したいことや逃げ切りたいことの わがままの 神経衰弱を認めざるを得なくなった気がするけどうるさいことだけが鳴っている 全部無に回収されてしまうことや受け取れないものへの鵜呑みをさんざん嫌ってきたのに、 同時に 考えすぎなんてものはないよともおしえてもらえる気にもなる 限界のあり方をこうも思うのに、うるさくてたまらない そうだ、媒体を入れるとは何だ、とも考えなくちゃ どうやって既にある何を取り入れてそれが平和の形���和解の形をするの? ソーシャルなディスタンスが同じように苦しもうなの?が、自分が浅はかなままだとしてそれでも怖すぎる どんな顔をしたくて何をごまかして言葉なく法もなく捨てられていくの? 何が選んでいるけど裏切れる忠なの?新しい共同性への意欲なの?
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