#是枝裕和
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Sakura ANDO in MONSTER (2023) dir. Hirokazu Kore-eda
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Our Little Sister
海街diary (2015)
#Our Little Sister#海街diary#Umimachi Diary#Suzu Hirose#広瀬すず#Hirokazu Kore-eda#Akimi Yoshida#是枝裕和#吉田秋生#Japan#movie#gif#2015
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2004 誰も知らない
Nobody Knows
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When there's love, there's a way
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・ ・ 『舞妓さんちのまかないさん』を一気観。 ・ 一話一話を観るたびにほっこりした。 覚悟のお話だね。 妬み嫉みのない優しい時間。 そんな世界になったらという願いなのかもしれない。 ・ #舞妓さんちのまかないさん #KiyoinKyoto #是枝裕和 #HirokazuKoreeda #小山愛子 #AikoKoyama ・ #森七菜 #出口夏希 ・ #蒔田彩珠 #橋本愛 #松岡茉優 #井浦新 ・ #松坂慶子 #常盤貴子 ・ #ドラマ #Netflixseries #ネトフリ #Netflix ・ #映画 #movie #ビバムビ #instamovie #moviestagram #instagood #instapic (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/Cn41QJly4YK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#舞妓さんちのまかないさん#kiyoinkyoto#是枝裕和#hirokazukoreeda#小山愛子#aikokoyama#森七菜#出口夏希#蒔田彩珠#橋本愛#松岡茉優#井浦新#松坂慶子#常盤貴子#ドラマ#netflixseries#ネトフリ#netflix#映画#movie#ビバムビ#instamovie#moviestagram#instagood#instapic
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怪物
いくら自分が絶対的な正だと思っても、決して相手の立場に立って考えるのを怠らないこと。
自分が何気なく発したひとことが、簡単に人を傷つけてしまうことを忘れないでいること。
そして、上に書いたような事を日々忘れずに気をつけているつもりでも、加害者になることから完全に逃げることはできない。そして、まず自分が加害者になっていることに気付くのは���当に難しい。皆が皆自分の大切なものを守るために、だれかの加害者たりえる。
“普通”なんて結局幻想でしかないのに、いわゆる“普通”じゃない人たちを揶揄する雰囲気、差別してるつもりじゃなくても勝手にレッテルを貼って決めつけて、当たり前を押し付けてしまう雰囲気があるし、自分自身もそんな雰囲気に嫌悪感を感じながら、感覚が同じ人と距離を縮めるために思ってもないのにそういうことを行ってしまったことがある。反省した。
そういうふうに、自分の何気ないひとことが気づかないうちに誰かを傷つけてしまうのならば、余計なことは言わず、踏み込まず、殻の中に閉じこもっていたほうがいいのか。自分も他人も傷つけないように、閉じこもっていれば楽だし安全だろう。怖い。近づきすぎて、傷つけてしまうのも傷つけられるのも怖い。でも、あの坂元裕二がそんなこと言いたいはずがない。
答えは、堀が「先生が間違ってた、ごめん、麦野は何も悪くない」とみなとに謝りに来るシーンにあったのではないか。どうやったって人間は自分の視点からしか物事を見ることはできないから、生きていれ��誤解してしまうことも思わず傷つけてしまうこともある。しょうがない。でも本当に大事なのは、自分の誤解や過ちに気づいた時、堀のように行動できるかどうかだと思う。自分の見方に固執せず、自分の過ちに気づいたら本人に真摯に謝罪する。これができる人がどれだけいるだろうか。堀のあの一言があったから、ハッピーエンドかどうかは置いておいても、少なくとも希望のある終わり方ではあったと思う。
自分の普通は相手の普通ではないこと、だからいつも相手の立場に立って考えることを忘れずにいること、自分の何気ない一言が誰かを傷つけるかもしれないこと、そういうことたちを心に留めながらも臆病にならずに人と関わり続けて、もし傷つけてしまったら真摯に認めて謝れる人でいること。そういう努力を惜しまないこと。まとめるとそんなことを伝えていた映画だったように思う。道徳の教科書みたいにすごく薄っぺらな言葉になってしまったし、間違った受け取り方をしているかもしれない。それでも自戒として、忘れないようにここに残しておく。今よりもっと、人と人が分かり合う希望に満ちた、優しい世界になることを願って。
以下雑記
最初は理解できなくて怖かった、それこそ怪物だと思っていたような人たちの立場から見ると、その人たちの表情が全く違うように見えた。血の通った人間に見えてきた。演じ分ける技術がすばらしい。
時折まったく同じ音とか映像を混ぜると伏線回収って感じでゾクゾクするね 楽器の音とかガラスの割れる音とか あの後ろに実はいたんだとか あの行動そういう意味だったんだとか それぞれの立場からきちんと説明がされていく度に、どうして伝わらなかったんだろう、すれ違っちゃったんだろうって息が苦しくなった
「男の子なんだから」「男らしく握手で仲直りだ」「それでも男か」「こいつは豚の脳だ、病気だ」「結婚して家族を持つことがしあわせ」→「好きな子がいるけど、幸せになれないから言えない」「ぼくはお父さんみたいになれない」
大人たちの何気ないひと言たちがどれだけみなとを蝕んでいたんだろうか
「かいぶつだーれだ」「敵に攻撃されると、全身の力を抜いて、感じないようにする」「それはほしかわより君ですか?」←つらい
「そんなのは幸せって言わないよ」「誰でも手に入れられるものを幸せっていうんだよ」
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盡量寫無雷的心得(笑)
聽説最好連預告都不要開
怕被雷到我趕快去看
事前只知道是是枝裕和+坂元裕二+坂本龍一的神級組合
完全沒預料到是這個劇情⋯⋯⋯
一開始還以為是純粹在講教育問題(怪物老師或怪物家長)
後來發現事情不是這麼單純
看到一半才認出老師是瑛太🤣
田中裕子演的校長有自己的味道,厲害👍🏻
小孩也好會演,日本的童星水準很高。想起《無人知曉的夏日清晨》
細節爆炸多,又跳接不同鏡頭視角,值得二刷
但氛圍頗沈重,讓人窒息的���種
一貫是枝裕和的風格,大師的音樂也極好
推薦~
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【似顔絵】是枝裕和監督。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-1Ar
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Distance (2001) dir. Hirokazu Koreeda. 距离 (2001) dir. 是枝裕和. 7.4/10
I would not recommend this movie to my friends. I would not rewatch this movie.
When I'm left with more questions than answers. Who is Atsushi? Who carjacked them in the middle of nowhere?
Minoru's wife smiling the whole time doesn't sit right with me. Minoru getting so angry at Miyamura doesn't sit right with me.
That Milk Pot place is cute. That dock fire looked kinda cool.
#distance#2001#Hirokazu Koreeda#movie#film#review#commentary#rye-views#japan#japanese#是枝 裕和#是枝裕和#距离#7.4
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AIR DOLL (2009) dir. Kore-eda Hirokazu
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【対談】北村道子 × 鈴木親「靴と映画と衣裳のこと」
michiko kitamura x chikashi suzuki
photography: chikashi suzuki interview & text: tomoko ogawa
journal/
1866年の創業以来、伝統的な靴づくりを守りながら時代性を反映したコレクションを展開し、現在はパリのアトリエにてビスポークを、ノーザンプトンのフ���クトリーでバイリクエストサービスやメンズとウィメンズの既成靴コレクションを製作するブーツメーカー JOHN LOBB(ジョンロブ)。京都、祇園・新門前での新ショップオープンを記念し、映画監督・是枝裕和をモデルに起用した“JOHN LOBB x KORE-EDA”キャンペーンがスタート。鈴木親が撮影し、北村道子がスタイリングした本キャンペーン。京都での撮影を終えた二人が、本キャンペーンビジュアルのビハインド・ザ・シーンを語る。
鈴木親(以下、鈴木):まず、京都に JOHN LOBB の店舗が出来るので何か撮影をということで、相談されたのが始まりでした。ちょうど去年、フランスの雑誌の仕事で何度か是枝さんを撮影する機会が何度かあって、フランス人の是枝さんに対する熱量の大きさや、フランス全土における知名度の高さを知ったんです。そんなこともあり、是枝さんにお願いするのはどうかと制作チームに提案して。そうしたら、日本も本国の JOHN LOBB も大賛成してくれたので、是枝さんのプロデューサーさんを通じて交渉してもらいました。そのときに、条件として出したのは、「俺は自分が見たいものを撮りたいから、スタイリングは北村道子さんにやってもらいたい」ということで。
北村道子(以下、北村):最初、私は断ったのよ。是枝さんとは、私が衣装をやった『幻の光』(95) 以降、会っていなかったしね。
鈴木:まだ写真の仕事を始める前の頃、それまで日本映画を映画館ではほとんど観たことがなかったけれど、意識的に最初に観に行った作品が『幻の光』で。映画館にポスターが貼ってあって、日本映画であまり見たことがないデザインだったこともあり、すごく気になって観に行ったんです。当時は北村さんの存在も全然知らなかったし、是枝さんのことも何もわかってなかったんだけど。
北村:江角マキコさんのポートレートが使われてい��日本版ポスターは、COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)の服だとわからないように、フリルと襟を全部外したんですよ。リースした服に見えてしまったら、現実に戻されるじゃないですか。
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
鈴木:当時、『私をスキーに連れてって』(87) の反動か、単館系の洋画やアジア映画だと Wong Kar Wai (ウォン・カーウァイ) 作品が流行っていて、映画雑誌の表紙はほとんど海外の俳優になっていたし、日本映画はお洒落な子たちからはあまり観られていない時期だったと思うんです。でも、実際観��みて、海外作品の中に入ってても、全然違和感がないと感じたし、ストーリー以前に映像美が入ってくる感覚があって、強く印象に残っています。
北村:最初、私は是枝さんのことを知らなかったわけじゃない。まだ彼は30歳くらいで、それ以前はテレビマンユニオンでドキュメンタリーを撮っていたから、過去作品がなかったんです。私は言っちゃいけないことも言っちゃう人間だし、日本映画の衣装の予算はすごく限られていることは、その前に衣装を担当した森田芳光監督の『それから』(85) で思い知ったから、私が努力とお金を注ぎ込むための証拠となるものはあるのかと聞いたわけ。そうしたら、「会ってほしい」と頼まれて。それで、是枝さんから、浅野忠信くんが出演している作品の VHS を数本渡されて、是枝さんが、「彼はまだ全然有名じゃないけれど、絶対にブレイクする」と言うわけよ。私は、それを観て、やると即答したんです。
鈴木:確かに、岩井俊二監督のドラマ『FRIED DRAGON FISH: THOMAS EARWING’S AROWANA』(93) の浅野さんは、すごく印象的だった。北村さんが即答するのもわかるくらい、美しかった。
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
北村:宮本輝の原作では、舞台が奥能登なんです。是枝さんがモノクロで撮りたいというから、どこのシチュエーションで撮るのかと聞いたら、大阪だと言う。ならば、こういう光だから、洋服の色はこうした方がいいとか、キャスティングも含めて二人でいろいろ話し合いました。それと、私は是枝さんに、「自然光でできるから、照明機材は要らない」と言ったのよ。ただ、暗闇の中で光が必要になるときのために、撮影の中堀正夫さんが丸山文雄さんという人を連れてきたんです。
鈴木:そうだったんですね。“ドグマ95”の純潔の誓いのようですね。
北村:前回と同様、衣装の予算は全然なかったけれど、すごいところまで行く作品だろうという自信があったから、引き受けたんです。映画って早くから準備をするじゃない。私の中で能登というのはアイルランドと同じではないかというイメージがあったから、アイルランドの色をつけていったんです。それで、国内外の店舗から集めた COMME des GARÇONS の洋服を解体して、洋服に組み直した。ちょうど縮毛のコレクションでやっていた頃だったから、 マフラーが50点あれば、コート4着が作れるという計算をしたんだよね。
鈴木:それができる人、日本で北村さんくらいしかいないですよね。結局、俳優が役に入る時のスイッチになる衣装のリアリティはすごく重要というか。例えば貴族の役でポリエステルのスーツを着ている人はいないじゃないですか。
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北村:あの時代、是枝さんとの作品から宇多田ヒカルさんのMV三部作 (「FINAL DISTANCE」「traveling」「SAKURAドロップス」) までの私は、集中力が半端じゃなかったんだよね。異常な集中力が無い限り、非日常は生み出せないから。
鈴木:北村さんから是枝さんの話もよく聞いていたし、純粋に、二人が組むところをもう一度見たかったんです。加えて、JOHN LOBB 自体がいわゆるファッションブランドではないので、キャンペーンには必ずストーリーか必然が必要だと思い、撮影自体を是枝さんと北村さんとのストーリーと考えて撮ろうと思った。
北村:何度か断っても、親くんが引かなかったからね。
鈴木:断られるのを承知で電話してたから(笑)。そうしたら、最終的に、「わかったよ。親くんのためだったらやる」と北村さんは言ってくれたんですよね。単純に、撮っている側が撮らされているという意識ではなく、見たいものを見られるかどうかがすごく大事だと思っているから。
北村:しかし、京都で撮影したときのスタッフ���数は、ものすごく多かったですね。親くんは是枝さんをウォーミング・アップするために、「散歩がてらに、現場に来てくれないか」と安藤サクラちゃんにも声をかけていたしね(笑)。
鈴木:JOHN LOBB 側には賛成してもらえたけれど、北村さんと是枝さんが約30年ぶりに会うわけだし、北村さんと是枝監督の信頼のあるサクラちゃんに通行人として通りがかってもらおうと(笑)。
北村:写真を送ってもらって、やっぱり親くんの写真だなと思った。写真における高級さがあるんだよね。私たちが Henri Cartier-Bresson (アンリ・カルティエ=ブレッソン) を見ているときに覚える感覚みたいな。
鈴木:二人が再会した時に北村さんが「あんた、大きくなったわね。最初に会ったときは親くんと同じくらいだったわよ」と是枝さんに言ってましたよね(笑)。確かに、『ワンダフルライフ』(98) の公開時のタイミングに、雑誌『DUNE』で是枝さんを撮らせてもらったときの写真を見返したけれど、当時は少年みたいな感じでした。
北村:最初は TOM FORD (トム フォード) でやろうと考えていたんだけれど、サイズが合わないということがわかって、AT LAST&CO (アトラスト) の辺見馨さんに聞いてみたら、北村さんの仕事なら、サイズさえわかれば本人が来なくてもサイズは合わせられると言ってくれたんです。それで、AT LAST&CO のアイテムをリサイズしたものを使用しました。
鈴木:フランスでいろんなメゾンや雑誌のアートディレクションをやっている面白い人がいて、彼は JOHN LOBB や Alden (オールデン) の革靴に、AT LAST&CO や日本のブランドのデニムを合わせているんです。今回、北村さんが持ってきたのがまさにそれで、さすがだなと思った。フランスで今一番注目されているのは、スーツブランド HUSBANDS (ハズバンズ) やブランド FURSAC (フルサ) の周りにいる子たちだと聞いていたけれど、期せずして、北村さんがフランスの今最もクールなスタイリングを、スーツもクラシックなスタイルを取り入れていたから。
北村:もともと AT LAST&CO のスタッフは、Alden か JOHN LOBB を履いていたんですよ。去年まではお店でもセレクトしていたけれど、辺見さんは全部をメイドインジャパンにしたいから、今は靴も自分で作っているんです。
鈴木:ヨーロッパのいわゆる中年男性の着こなしですよね。近年、日本のセレクトショップがフレンチアイビーを打ち出しているのは、その流れを汲んでいると思う。
北村:デニムにも革靴を合わせるのがヨーロッパのスタイルじゃないですか、スニーカーじゃなくてね。私は若い頃、サントリーのCMの仕事で、サッチャー政権のときの政治家で作家の Jeffrey Archer (ジェフリー・アーチャー) をスタイリングして、メンズウェアのルールを知らなかったからすごく恥かいてね。それでロンドンで見ながら勉強して、メンズは真四角のサイズでできていることを知ったわけ。そうして、サヴィル・ロウで、アフターシェーブローションから���ンカチまで全部が揃うことがわかったの。
鈴木:JOHN LOBB の撮影をした祇園もサヴィル・ロウに近いというか。祇園という枠の中でお互いに支えながら全部を回しているから、外からの資本が入ってこない。だから伝統が守られているという話を是枝さんもしていましたよね。
北村:そういう伝統を見て、知って、考えた上で、何を着るかなんだよね。そういう意味で、洋服って本当に大事ですよね。
鈴木:やっぱり、着ているものは自分では見えないからこそ、他人にどう見えるかがコミュニケーションツールとして大事になってくる。「何でもいいじゃん」とは言いながらも、何でもよくはないというのが一番いいんだけど、一番難しいから。今回、是枝さんに着てもらったスーツも黒いコットンのスリーピースでしたが、 JOHN LOBB の靴のソールがラバーだったからこそ、北村さんが持ってきてくれたスーツのウールじゃなくコットンだから出てくるカジュアルさやリラックス感がフィットしてましたね。
北村:メンズは、特にしきたりが根強いですか���。
鈴木:なかなかそこに気づく人はいないですよ。スーツだけじゃなく、ボタンが猫目のオープンカラーシャツとデニムも用意してくれて、京都に合うクラシックをそのままやらずに、ちょっとズラすことで、モダンに仕上げてくれたなと。
北村:親くんの選んだロケーションが祇園の黒塀だったから、たまたま私がセレクトした洋服と合ったんですよ。
鈴木:商売する場としての祇園というより、仕出し屋さんをはじめとする祇園を支える人たちの生活する場所ですよね。Netflix シリーズ『舞妓さんちのまかないさん』も、このあたりの仕出し屋さんや紙屋さんに取材してたらしくて。
北村:だからか是枝さん、すぐフラフラっとどこかにいなくなってましたよね。
鈴木:そうそう。もうひとつの撮影場所は、祇園の両足院で。制作の人たちは意識していなかったみたいだけど、「両足」って、今回の撮影に最高にぴったりじゃんと(笑)。両足院で撮れたことは面白くて、単純にヨーロッパだったら、靴を脱ぐというシチュエーションは滅多にないけれど、禅寺に行けば自然と脱ぐから。だから、脱ぎ履きするシーンは絶対に入れたいと提案しました。
北村:すごくいいアイディアでしたよ。
鈴木:それこそ、北村さんがいろんな色のソックスを持ってきてくれたから。AT LAST&CO の黒いコットンスーツに合わせたグリーンの靴下は、抹茶感があって一番好きだった(笑)。
北村:いいよね、これ。パンツもサスペンダーで調整して、微妙な丈にしているんですよ。
鈴木:あと、撮影中、一番面白かったのは、ヘアを担当した子が、是枝さんと北村さんを前にカチカチになってしまって(笑)。大御所の二人だし、それは緊張する方が信用できるなと思いながらも、撮影の合間にちょこちょこ直しに入ってくれていたんです。俺も何かが足りないなと感じていたけれど、何の違和感かは気づいてなくて。そう��たら、北村さんとサクラちゃんが気づいてね。
北村:ヘアの子は、制作の人たちから、寝癖を整えるように指示されていたんですよ。私はサクラちゃんと二人でそれをじっと見ながら、「直す前の方がよかったんじゃない」とお互い思っていたわけ。だから、「サクラちゃん、言っておいでよ」と促したんです。彼女が言えば、みんなオッケーじゃないですか。
鈴木:そう北村さんに言われたサクラちゃんが是枝さんのところに駆け寄って、「なんか違う」と言いながら髪の毛をぐしゃぐしゃっとしたら、いつもの是枝さんに戻ったの。それで、カメラの前に立ってもらったら、俄然シャッターが押しやすくなった。是枝さんも撮られることに慣れているわけじゃないから、北村さんとサクラちゃんがそうやって話しかけてくれたことでリラックスしてくれて、すごく撮りやすかったです。
北村:是枝さん、京都の空間に合ってましたよ。撮影を見ていて、やっぱりね、かっこよかったです。
鈴木:北村さんと仕事すると、いい意味で運がついてくる。ちゃんと準備してきてくれるから、その上で現場で生まれる偶然性を取り入れると、さらに面白くなるというか。
北村:藤井保さんと葛西薫さんに、「関係なくても、『北村さん呼ぼうか』と言うのは、写真家にとっての条件を良くしてくれるから」と言われたことがある。ウェザーチェックみたいに、「俺たちだったら鉛のような天気なのに、北村さんが近づいてくると不思議と条件が良くなる。クリアになっていく」と。
鈴木:まさに。
北村:私は親くんと仕事をするときに、撮影が始まるとクリアになっていくのがわかるのよ。
鈴木:日本だと、ファッション撮影をきれいとかかわいいとか点で捉えがちだけれど、ストーリー性が重要だと思っていて、パッと見かっこよくて、ちょっと調べたらストーリーがあるほうがいいじゃない。そういう意味で、北村さんとやると、事前に全部を詰めてなくても、ファッションという点と点で捉えていたものの関連性が見つけられて、ストーリーという線になりやすいんですよね。いい靴だからこそ、その靴に相応しい人が履いているというのも重要だから、是枝さんには絶対に出てほしかったし。
北村:撮影が終わる頃には、是枝さんが子どもを演出するのがすごくうまいのは、やっぱりドキュメンタリーの人だからだということが見えてきましたね。是枝さんの映画は、リアリティとしてそこに子どもがいることによって完成していると思った。
鈴木:となると、デビュー作の『幻の光』は異質ですよね。是枝さんは、小津安二郎を意識してないのに、フランスの取材を受けると、大体“ネクスト・オズ”と呼ばれたりすることを最初は嫌だったと話していたけれど、今の作風を観てそう言われているというより、『幻の光』の印象に引っ張られている気もしますよね。
北村:『幻の光』は、本当に是枝さんの努力でできたものですよ。監督自身が5トントラックを用意してくれて、衣装合わせも二人で全部やったんですよ。それで、スチールで藤井さんと、グラフィックデザイナーで葛西さんを使いたいと私がリクエストしたんです。
鈴木:「私の名前を言えばやってくれるから」と、北村さんが葛西さんと藤井さんにつないでくれたと是枝さんのインタビューで読んだことがあって。過去作やキャリアがあって引き受けてもらえる可能性はあったとしても、普通、予算がなく無名の監督のデビュー作を大御所がデザインすることは難しいし、自分の名前を使っていいと取り計らってくれたことは、一生忘れないだろうなと思った。その後、藤井さんのアシスタントだった瀧本幹也さんがポスターヴィジュアルや撮影監督をしていることを考えると、ある種、北村さんが組んだヴィジュアルの座組は歴史として引き継がれているわけで。
北村:それはね、『それから』の衣装をやったとき、酷いポスターを見て、これはないんじゃない?と思ったからです。ものすごくね。
鈴木:(笑)。トレーラーで映画に観に行く人もいるけれど、結局、ポスターがきっかけになるところも大きいですよね。当時、テレビコマーシャルの延長で、看板のようなポスターはたくさんあったけれど、北村さんが衣装を手がける前は、基本、衣装部にあるものを繰り返し使っていたわけですもんね。
北村:私も最初はそう言われたんですよ。段ボールに入ったカビ���い衣装が置いてあって、「みんなそれでやっているんだ」と森田芳光さんに言われて。
鈴木:そう言われて鵜呑みにするわけないですもんね、北村さんは。
北村:だから、私のやり方にものすごく驚いてましたよ。
鈴木:こういう仕事って移り変わりが激しいのに、是枝さんにとって最初の映画で出会って、二人ともそれぞれの仕事を続けて進化して。本当に凄いことです。
北村:でもね、今回は勉強になりました。親くんからこういう機会をもらえて、是枝さんとも約30年ぶりに再会して、笑いながら別れられたから。私は映画というものに対して、結構尽くしてきたつもりなんです。だって、本当にお金のない世界で、たったひとりで衣装を作るわけだから。おそらく、日本映画でそれをやったのは、私だけじゃないかと思う。普通は、複数のスタッフでやっているはずだし。
鈴木:Christopher Nolan (クリストファー・ノーラン) の映画でも、普通にみんながスーツを着ているけれど、その役ごとにスーツのかたちも違うわけで、全てオーダーメイドでしょうし、衣装のディレクションのもと、チームで動いていますよね。
北村:普通はそう考えるよね。日本映画はそうじゃなかったんだけれども。だから、京都の撮影のとき、是枝さんから、「北村さんは、相米慎二さんや森田芳光さんからすごく尊敬されていましたよね?」と言われたから、「そんなことは知らないよ」と答えたのよ。そうしたら、「いや、されていたんだよ。北村さんは彼らの映画の衣装をやって、日本映画を変えたんだ。今観ても新しく感じます」と言われたの。変えるとまではいかないと思うけれど、そういう言葉をもらえたことは、ちょっと嬉しかったですね。
是枝裕和監督の長編映画デビュー作『幻の光』が8月2日よりリバイバル上映
是枝裕和監督の長編映画デビュー作『幻の光』が、8月2日からBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で限定上映される。今回のリバイバル上映は「能登半島地震 輪島支援 特別上映」として企画され、収益から諸経費を除いた全額が輪島市に届けられる。
『幻の光』(英題:Maborosi) 祖母が、そして夫が突然死へと旅立った。愛する人を次々と失った記憶と引きとめることができなかった悔恨を胸に秘め、ゆみ子は奥能登に嫁ぎ、新しい家族に囲まれて平穏な日々を送るが──。
監督: 是枝裕和 出演: 江角マキコ、浅野忠信、柏山剛毅、渡辺奈臣、吉野紗香、木内みどり、大杉漣、桜むつ子、赤井英和、市田ひろみ、寺田農、内藤剛志、柄本明
プロフィール
北村道子 (きたむら・みちこ) 1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さま��まな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』『衣裳術3』(リトルモア)がある。
鈴木親 (すずき・ちかし) 1972年生まれ。96年渡仏し、雑誌『Purple』で写真家としてのキャリアをスタート。『Purple』(仏)、『i-D』(英)、『Dazed & Confused』(英)、『CODE』(オランダ)、『Hobo』(カナダ)、『IANN』(韓)、『honeyee.com』(日)、『GQ』(日)、『commons&sense』(日)、『Libertine / DUNE』など国内外の雑誌で活動。Issey Miyake、United Bamboo、Toga などのワールドキャンペーンを手掛ける。これまでの作品集に『shapes of blooming』(treesaresospecial)、『Driving with Rinko Kikuchi』(THE international)、『CITE』(G/P gallery)、『SAKURA!』(リトルモア)、『新東京』(アートビートパブリッシャーズ supported by FUJIXEROX)など。
michiko kitamura x chikashi suzuki
photography: chikashi suzuki interview & text: tomoko ogawa
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真実 La Verite
Directed by Hirokazu Koreeda 是枝裕和 2019 France / Japan
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『三度目の殺人』:メモ
是枝裕和監督、福山雅治主演。
途中までは、どういう種類の映画か分からずに、妙に笑ってたりしたんだけど、最後まで観て、とても気に入った。つまりは、是枝版「Twin Peaks」だと思ったから(あるいは、是枝版「ナイト・シャマラン映画」かな?)。
是枝監督も、富野さんみたいに、「白是枝」「黒是枝」があるんだよね。今回のこれは「黒是枝」。
三隅(役所広司)と重盛(福山雅治)の最後の面接場面は「説明過剰」な気もするけど、まあ、監督の観客に対する「親切」なのかもしれない(勝手な想像だけど、あの最後の面接場面は、本当は、監督も要らないと思ってたんじゃないかなあ)。
でもまあ、あの最後の面接のお陰で、映画を最後まで見ると、何もかも全部分かってスッキリするのは確か(でも、無くても、何が起きたのかはちゃんと分かるようになってるけどなあ)。
【以下ネタバレありますよ】
最後の面接で重盛が三隅のことを「器(うつわ)?」と言ってくれているので、これが全て。これ以上分かりやすい「種明かし」はない。以上。
と思ったけど、まあ、続ける。
三隅は、他人の思いや意思や意図に、自分自身の体を「貸す」存在。死んだ人の霊を自分の体に「下ろす」、所謂「イタコ」にちょっと似ている。
だから、(色々な言い方ができるけれど)社長殺しは、咲江(広瀬すず)の「生霊」が三隅の体を使ってやらかしたことだし、終盤の三隅の突然の「殺人否認」は、咲江を守りたかった重盛(←同年代の娘を持っている)の深層心理とでも言うべきものが、三隅の体を経由して出現したもの。三隅の言ってることが、摂津(吉田鋼太郎)が面接するたびにコロコロ変わるのも、三隅が週刊誌に美津江(斉藤由貴)との共犯を「暴露」したのも、それぞれ、そのとき面接していた摂津や週刊誌記者の「心・意識・意図」が、三隅の体を経由して現れただけのこと。彼らは皆、自分自身の推理を、三隅の体を通して聞いていたのだ。
で、重要なのは、三隅自身は、自分がなぜそんな事を言ったりしたりするかを、ほぼ全く理解していないこと。例えば、土壇場になって突然、三隅が殺人を否定したことで咲江は「守られた」わけだけど、「そうすれば咲江を守れる」と気付いていたのは重盛であって、三隅ではない。
人々の「意思」を「代行」している三隅という人間には、自分がそんなこと(「代行」)をしている自覚が全くない。三隅は、咲江の苦しみを理解し「義憤」に駆られて殺人を犯したのでもないし、重盛の心の奥深くを「読み取って」、咲江を守るために殺人否認を叫びだしたのでもない。だから、是枝版「Twin Peaks」だと思った。
「Twin Peaks」の「裏の主人公」であるリーランドは、BOBに「入り込まれて」、近親相姦や殺人を繰り返すわけだけど、その間のことは全く覚えていない。一方の、三隅に「入り込む」のは、生身の、生きている他人の意思や心で、やっぱり「入り込まれている」間の三隅の記憶はアヤフヤ。BOBは悪の化身なので、リーランドを「操って」色々な悪さをしても平気だけど、生身の人間である咲江(広瀬すず)や重盛(福山雅治)は、三隅を「操って」しでかしたことで、十字架を背負う羽目になる。〔社長殺し〕も〔土壇場で証言を覆したせいで無期懲役で済んだはずが死刑になってしまったこと〕も、社会的・裁判所的には、「三隅本人がやったこと」になっているが、本当はそうじゃないことを、咲江も重盛も「知ってしまった」からだ。
あと、自分は昔から人を傷つけてばかりいるという三隅の告白は、ずっと昔から、三隅という人間は、周囲の人間の恨みや殺意を、当人も気づかないま「代行」していたことを暗示している。だから、おそらく、30年前の殺人も、同じ「代行」なのだ。
以上のように考えると、題名になっている「三度目の殺人」が何を指すかも分かるし、それぞれの「真犯人(三隅の体に入り込んだ意思の持ち主)」も分かる。
一度目の殺人は、30年前の留萌で起きた殺人事件で、「真犯人」は借金取りに苦しめられていた人だろう。二度目の殺人は、河川敷の社長殺しで、「真犯人」は咲江。そして、三度目の殺人は、三隅の死刑のこと。「真犯人」は無論、重盛ということになる(土壇場で殺人を否認したことで、裁判長の心証を悪くして、無期懲役で済んだはずが死刑になってしまったのだから)。
因みに、カナリアたちを殺したのは「三隅自身」なので、カナリアたちの墓の十字架は三隅の十字架。河川敷に残されていた十字架は咲江の十字架。そして、最後のカットの「十字路の真ん中に立つ重盛」の、あの十字路が、重盛の十字架。ちょっと、親切すぎる。
親切すぎると言えば、最後の最後の面接の場面で、パネルに映った顔とパネルに透けた顔が重なったり離れたりする画は、ちゃんと「真相」の「表現」になっていて、親切すぎるけど、面白かった。
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