Tumgik
#赤煉瓦
hisa1101 · 2 years
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cafephoto1920 · 2 years
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青森 赤煉瓦
写真:宮治規人
窓席の虫
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喫茶店の待ち人 
青森  赤煉瓦
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nihonkamoshika · 2 years
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私の #誕生日。My #birthday. Friday, December 30, 2022. 2022年(令和四年)12月30日(金)。 Date and time taken (Japan time) 12/30/2022 16:12. #夕陽 #夕阳 #池 #赤煉瓦の里 #煙突 #chimney #イマソラ #thelove_of_sunsets #夕日 #夕焼け #watermirror #sunset #coucherdusoleil #sonnenuntergang #tramonto #puestadelsol #zonsondergang #закат #일몰 #พระอาทิตย์ตกดิน #günbatımı #solnedgång #solnedgang #auringonlasku #غروب# #שקיעה# (赤煉瓦の郷居宅介護支援事業所) https://www.instagram.com/p/Cmy91QCv_A5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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taasan0104 · 2 years
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ワンちゃんの通りもあった #赤煉瓦倉庫 #みなとみらい #ベイウォークマーケット https://www.instagram.com/p/Cl_OvBoPQOtfMGGBSUbVPpPXrJTKSQaRgOfyTo0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gloucester-road · 10 months
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KOKON FactoryMade「427」
革はドゥジェルマンのドルフィン
色はレッドブラウン
.
お買い上げいただいたのは
ご常連のF様
実はF様はこのブーツの
試作段階から
関わってくださっていたのです。
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私がまだ「427」のデザインに
悩んでいる時でした。
F様がブーツを作りたい
色々見たけど
これだというのが無いんですと
悩んでおられました。
そこで
こんなブーツを作ってるんですと
試作をお見せしたんです。
すると、F様の目が輝きました。
「おおっ、まさにコレです!」
カジュアル過ぎず、フォーマル過ぎず
モカの雰囲気もバッチリ
こういうのが欲しかったんですと
喜ばれました。
その時は、まだ試作段階でしたが
そのF様の言葉が
デザインはこれでいこうと
後押ししてくれたんだと思います。
.
その後F様は
どの革で作るか悩まれて
このレッドブラウンにしました。
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赤過ぎず、煉瓦色のような雰囲気
型押しですが、革はとても肉厚
アウトドアにも
タウンユースにも合う革ですので
このブーツの雰囲気に
とても合います。
ソールはビブラムのロンドラ
こちらもラギットにすると
カジュアルになり過ぎるので
バランスをとったソールにしました。
定番的に使用している
ビブラム#2055ソールよりも
少し薄いので
軽やかに見えるのも
ロンドラの良い所
グリップ力が良いのも魅力です。
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ベロ横にアクセント
キプロスグリーンにしました。
KOKONのブーツの
特徴でもあるのですが
ベロ横にあえて
内張り用の
柔らかい革を使用しています。
ここは紐を結ぶと見えない部分ですので
好きな色を選ぶ事ができますが
それ以上にフィッティングに意味があります。
ベロ全体をアッパー用の革にすると
とても固いんです。
ブーツは短靴よりも
甲を広くおさえますから
カーフやコードバンだと
甲が痛くなったりしますし
馴染み難くくなり
靴の反りも悪くなります。
ブーツであっても
良いフィッティングをと思い
この構造になっているんです。
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「427」の特徴である
つまみモカ
ここを立体的に見せるためにも
肉厚な革をオススメしてます。
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完成したブーツを履かれたF様。
長年思い描いた1足
まさに念願のブーツです。
この感じを見ていただいて
分かる通り
とってもお似合いでした。
.
■モデル:KOKON「427」
■革:ドルフィン「レッドブラウン」
■ソール:ビブラムロンドラ+ミッド3mm
■ヒール周り:ダブル
■コバ色:ブラウン
■ライニング:ヌメ、ベロ横キプロスグリーン
■オプション:外ハトメ、フック
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naotake-speaks · 2 years
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#赤れんが色 - #brickred / iPhone 13 Pro & Snapseed, 20230109 . . のど飴は、三ツ矢サイダー味か、カルピス味。 . . #spicollective #streetshootjapan #rsa_main #infinity_photo_cult   #team_jp_ #igersjp  #rsa_streetview  #royalsnappingartists #rsa_mycity  #ig_streetclub #streethunters #dpsp_street #streetleaks #street_focus_on #fromstreetswithlove #rawurbanshots #eyephotomagazine #mystic #gf_streets #everydayjapan #photo_jpn #tv_pointofview #storyofthestreet #japancityblues #shotoniphone #shotoniphone13pro #iosphotograph #赤煉瓦 (Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/CnJaJGrS-eK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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774 · 2 years
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「近衛歩兵第三聯隊」跡地は「赤坂サカス」へ 明治政府は1871(明治4)年、天皇の警護を目的とした直属の軍隊「御親兵」を創設し、翌年「近衛兵」へ改組した。1874(明治7)年に「近衛歩兵第一・第二聯隊」が、1885(明治18)年に「近衛歩兵第三聯隊」が編成された。当初「近衛歩兵第三聯隊」は霞が関に置かれたが、1893(明治26)年に赤坂一ツ木に移転した。ここには、赤煉瓦造り3階建ての兵舎が2棟建てられて、高台の上の印象的な風景となっていた。写真は当時の「氷川小学校」付近から見た兵舎の全景。この地は、江戸期には広島藩浅野家の中屋敷であった。 写真は「氷川公園」付近から見た現在の様子。戦後、「近衛歩兵第三聯隊」があった場所には、「ラジオ東京」(現「TBSホールディングス」)が高さ174mの鉄塔を持つ「テレビ局舎」を設け、1955(昭和30)年にテレビ放送を開始している。1994(平成6)年に現在の「TBS放送センター」(「ビッグハット」・左上の建物)が完成、2008(平成20)年には旧社屋跡地で行われていた再開発計画「赤坂サカス」が竣工しグランドオープンとなった。
5:『陸軍の街』とその後の発展 ~ 麻布・赤坂 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産
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doctormaki · 5 days
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四日目に予定していたツアーに行く。アフリカプレートとユーラシアプレートの出会うモロッコ、イタリアは地震が多い。そして、北アフリカのアトラス山脈は、プレート運動によるもの。非常に複雑なプレートなのだ。ちなみに4167mの北アフリカ最高峰のツブカル山近辺では、冬はスキーもできるざます。嫌、ワシはスキー好きだけど、ここにはスキーでは来ないけどね。
そこでワシが見たいのは、ズバリ、プレート運動である。我ながら、なんとマニアックなんだろう。流石、学生時代に地理学者の高木先生と251と言われた国土地理院の25000分の1縮尺地形図を持って藤沢近辺歩きまくったり、ネパールまで一緒に行っただけあるざます。まだ紙の地図の時代。等高線を赤鉛筆でなぞったりして、標高毎の土地利用を見たり、土地利用から地質を推測したりと楽しかった。高木先生は、慶應退官後どっかの大学の学長やってたけど、先生なら当然だろうと思う良い先生だった。そこで、渓谷巡りしながら、アイットベンハドゥというカスバを目指す。カスバとは、アラビア語で城塞、城砦を指す。
一緒に行くのは、ベルギーのリエージュから来た若い夫婦。こんなに乾燥しているのに、嫁は粘度の高そうな鼻水を何度もかんでいた。ワシなんか、乾燥しすぎて鼻粘膜から鼻血が出る上に、勝手に修復活動しているから、ともすると、鼻の奥の粘膜部分にできてしまう巨大鼻くそで窒息しそうになる。鼻かんでも出てこないざます。ので、ベルギー人が羨ましい。ベムでさえ棒よだれタレなさそうな勢いの乾燥度合いの中、さすがエウロッパ人の粘液体質である。感動。ツアーガイド兼運転手のお兄ちゃんには、早々とワシがフラ語をわかっている事がバレる。細かな、例えば地震とかいう単語は知らないけれど、文脈でおおよ��の予測はつく。だんだんと、フラ語でしか説明されなくなる。汗。
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アイットベンハドゥを目指し、午前中は、ツブカル山側の渓谷。山並みが美しい。感動的に不毛な大地。人々は、オリーブやアルガンなどを育てて、羊飼いなどをしながら生計を立てているらしい。でも、段々と都会に楽な仕事と現金収入を求めて出稼ぎに行っているらしい。道路建設や、昨年9月もマラケシュで大規模地震があったが、復旧工事などが地元である間は、生活が潤うのだとか。現金収入を手にしてしまうと、元の生活に戻れなくなるのは世の常なんだなぁ。福島の祖母の家の周りの急速なにわか金持ち達の家々を思い出す。日本は、豊かである。こちらは、家は壊れたまま、未だにテント生活しながら、干し煉瓦と干し草と土で固めた家を、少しずつ、自分の手で再建している。神戸と東北震災の差異を感じたものだったが、ここまで来ると、政府なんてあって無きが如くである。などと思いつつ、絶景を堪能。
午前中にアイットベンハドゥに到着。世界遺産。そして、映画の撮影地でもある。アラビアのロレンスを撮影したのはここ。その後、ハリウッドはここからまだ南下するワルザザートに撮影所を作っている。多くの観光客は、そちらへ行くらしいが、ワシ一切興味無し。入場料払って撮影所に行くのは、太秦でさえ行かないんだから、モロッコで行くわけないでしょ。
太秦といえば、コロナ中に、母を連れて、憧れのトロッコに乗りに行ったっけ。ワシは、予約無しでトロッコに乗れた事に、感動。と同時に、子供の頃、信楽で買ってもらったタヌキを思い出さされるタヌキだらけの駅を通り、タヌキ熱にかかってしまった。今年、久しぶりに車で関西に帰る途中、憧れの信楽タヌキをまたゲット。前回の、つぶらなお目々に惚れて買った子は割れてしまったので、母が随分と前に捨てちゃったのよね。
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アイットベンハドゥです。手前は、川。橋もあるのだが通行料を取るらしいので、鴨川のように飛び石になっている無料の渡し場を通って、暑い中、ワシ、頑張って、上のぴょこんとなっている丘の上まで、城塞都市を通り抜けながら、登山。あのぴょこんとなっている所には、攻められた時用の食料が置いてあります。今は半壊になっていました。このカスバには、まだまだ人が生活していて、世界遺産だから、土産物屋とカフェ、ホテルだらけ。ホコリっぽく暑い。けど、おまけに迷路です。
ワシ、道がホウキで封鎖されているので、戸惑っていると、中からこすっからい感じのババァが出てきて、その道通れない。我が家を抜けてこっち通れ。近道あるよ。1ユーロに当たる10ディルハム払え。という。マジかーと思ったが、もう今さら戻る気にすらならないよ。何段階段登ったんだよと愚痴り、お金を払う。もっと最悪な事に、近道という道は、確かに近道だが、上からペットボトルなどのゴミが流れる、いわゆる砂防のような砂利道斜面。膝悪いワシには最悪。ゴミを避けながら、滑り落ちないように、足場を確保しつつ、たまには手もついて、必死に登る。一歩滑ったら、そのまま崖である。冷や汗出まくりだけど、暑い。ワシ、山登りしてて良かった。普通の人なら、無理レベルだと思う位に、斜度がきついし滑る。
興味深くお宅拝見できたのは良かった。水が来ているのだ。どうやって水を上げているのか、不明。気になる。けど、カスバの頂上には何も水関係の施設がなかったので、多分、下から川の水をポンプで汲上げしているのだろう。面白い事に、郵便も届くらしく、玄関と思しきドアの横には、郵便ポストもある。中は、分厚い壁のために、嘘みたいにひんやりと涼しい。そして冬は暖かいのだという。やっぱ壁の分厚さによる断熱だよなーとワシは思う。ドイツとか北欧の家も、壁分厚いもん。日本の薄壁に断熱ウール入れて、断熱してまーすってやっぱ、どう考えてもなんちゃってだろう。ワシは、ワシの部屋のクーラーをママが買い替えてくれたので、国士舘柔道部出身のおッちゃんの工事の一部始終を詳らかに観察したが、これで断熱って、騙されてるーと思ったっけ。
パッシブソーラーハウスの典型として出てくるモロッコの住宅。壁分厚く、中にパティオを作って水を流すので、適度な湿度が保たれ、冬温かく夏涼しいと、建築学の本で読んだ通り。昔の人の方が賢い。風土に合った建築を作っている。え、まてよ。日本は、なぜあそこまで寒さに耐えなくちゃいけない家なんだ。。。東北の家の中にある蔵、内蔵は温かそうだけど、あれが持てるのは金持ちだけだしなぁ。。。オンドル無いし。辛すぎやろ。ワシ、暑いのも寒いのも苦手な段ボール箱の箱入り姫様ですねん。
昼食は道中の村でタジン鍋。ワシ、下痢中なので、控えめに食べる。帰路は、アトラス山脈側の渓谷。運転手が、急遽、古代からの塩田に連れて行ってくれた。白いのは塩。雨が降ると、地面から滲み出て、塩田になるらしい。舐めてみると、とても優しい塩だった。昔、この辺り一帯は海。それがユーラシア大陸とぶつかって隆起している。道端の土産物屋では、アンモナイトに三葉虫などの化石がたくさん売られている。感動しているのは、当然ワシだけ。ベルギー人夫妻の感動ポイントは、良く分からない。向こうも、ワシがなぜ、sel de fleurと大騒ぎしておるのか、さっぱり意味不明だっただろう。ここは、昔、海韃靼だよと言っても、アホにな何も通じない。アホってマジで救いようない。
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この上の写真を観ているだけだと、完璧に、アルゼンチンのサルタ、フフイの感じ。ワシ、地球の活動に感動。地球は生きとる。そして、美しい。人間の無知なんて、ここでは、笑いものにすらならない。無知な奴は死ぬだけ。ラクダのキャラバンに必ず一頭はロバをつけるのは、ラクダは水分なら何でも飲んでしまうらしいが、ロバは危険な鉱物が入った水は飲まないらしい。なんなら緊急時、ラクダのオシッコでさえ貴重な水分源になるキャラバン隊にとって、ラクダが飲めるからと言って、オシッコ活用しなきゃいけない時にラクダちゃんの身体がろ過した危険鉱物をいただく訳には行かないのだ。だから、まずはロバに水を飲むか確かめさせてから、人間もラクダも水を飲むらしい。いやぁ、侮れないぞ。ロバ。
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u------i--sb · 1 month
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僕らは所謂不倫関係。一ヶ月に一度だけ君と会って身体を重ねる関係。それはとても幸せで甘い夢のようだった。君と身体を重ねる時は、僕の前では独り身で、恋人でいられるという錯覚に陥ってしまっていた。
「もしも私達がもっと早くに出会ってたらどうなってたかな?」
事を済ませて君が天井を見つめたまま僕に言うからこう答えた。
「今より幸せになってたんじゃない?」
僕達の関係は、君が結婚する前から続いていた。でもこんな恋愛は叶うはずなんかないと分かっている。その時からお互い都合よく、会える日の夜だけ会っていた。それでも今夜だけでも君の隣に居られたら僕は幸せだ。そう思いながら君と笑っていた。
夜に会う君しか僕は知らなくて、いつも君がどんな顔をしているか、どんな毎日を送っているか知らなかった。知りたいとも思った。だけど、君の薬指に光る指輪だけが僕に何か教えてくれた。
無性に君に会いたくなっても、君には愛を誓った人がいて、毎日はその人と過ごしている。そこに僕が入る事は到底許されない。でも会いたい気持ちは抑えれば抑えるほど膨らんでいく。
今夜君を帰さずにこのまま僕のものになったら。このまま君を連れ去られたら。
身支度を済ませ、帰路に着く。君は左の道、僕は踏切沿いの右の道を行く分かれ道。その時僕は「帰って欲しくない。」と言えずに君の手を握った。
「手握ったままじゃ帰れないじゃん。」
君は困った顔のまま僕の肩に顔を付けた。ずっと抑えていた気持ちと君を僕は抱き締めたら、街灯に照らされた僕らの影がまた一つになった。
たまに送って行った深夜の東京駅前、人通りが少ないから手を繋いで行ったし、そこでキスもしたよね。陽が落ちてから君と会うための集合場所だった赤煉瓦、肌寒い日に二人で出かけた植物園にあったストーブ、二人で初めて迎えた初雪が降った朝。雪を見てはしゃぐ君が愛おしかった。もっと早くに出会っていたって報われないと分かっていても、君と過ごしたどんな時も全てが僕にとって宝物で忘れることなんて出来ない。
この恋愛にハッピーエンドなんてないと分かっていても、これで最後と誓っても何度だって誓いを破り捨てて君と迎えた日々をこれで終わりにしてしまおう。この恋が麗な秘密で終わるように、今度は破り捨てないで本当の最後にしてしまおう。
今まで君と過ごせて嬉しかった、どこまでも優しい君が好きだった。そんな感情たちを君の手の上に置いていくように、「帰って欲しくない」と言えなかったあの日のように分かれ道で君の手を握った。
踏切の警報音が響く。この音が止まったらこの手を離す、幸せだったこの夢から醒めると決めたんだ。
さようなら。バイバイ。
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 3311
第三章
31 顔のない顔 
1955年3月1日火曜日の話からです。 木造二階建ての『黒馬荘』というアパートの説明から入ります。
本郷の都電の動坂停留所から追分へ向かって幅広いだらだら坂をのぼりつめると、 “日限地蔵(ひぎりじぞう)”が祀られていて、その角を入った裏通りにあるそうです。 わざわざ本文でも1960年10月の区画整理後、今は面影も見当たらないといっています。
正確な場所を書くことがためらわれたのでしょうか? まあ、現在の地図に当てはめると、駒込病院あたりでしょうか?
ただ、その辺りには、“日限地蔵”は無いようです。 昔あって今はもう無いとも考えられますが、 昭和20年4月の空襲を境に様相を変えとありますから、無くなったとは考えられません。 これも、後から何らかの形で絡んでくるのでしょうか?
さて、『黒馬荘』というアパートの説明から入ります。 六畳一間で、押し入れと洋服ダンスが造り付け、ガス水道を備え小さな台所もついている。
このアパートの持ち主は、職業を問わないがきれい好きの独身男性にのみ貸していた。 二階には、夜の職業の者のもの(寄席(よせ)芸人、ペット吹き、バーテンなど) 階下には、昼の勤めの者のもの(仕立下職、図案家、セールスマンなど) ただ、玄関にはいつも『貸間あり』と板片がぶら下がっている。 それをみても、このアパートの持ち主は、かなり変わり者なんでしょうね。
新聞は部屋ごとに配るようになったが、郵便は、配達員が面倒がって、廊下へまとめて放り出していく。 ということは、それまでは新聞も昔は、まとめて放り出していってたのでしょうか。
さて、この郵便物ですが、気の付いた住居者が受付の窓へ立てかけることになっていて、 最近は、階下の右端の部屋に住む仕立下職の伊豆金造(いずきんぞう)がやっています。 この時間、金造以外に階下に誰もいないからというのもあるけど、他人宛の手紙を見るのをひそかな楽しみにしていたんですね。 封書は、裏表を丹念にひっくり返して差出人の名前を記憶してしまう、葉書は、素早く文面に眼を通し読み上げたりするのが癖です。
3月1日の朝、金造は袖振りの将棋をしています。 この将棋は、特定の手を指すと相手が必ず特定の手を指すルールがある変則的なものですが、一人でやってたのですかね? で、投げ込まれた郵便物にきがついた金造がそれを熱心に調べ始めますが、背後に冷たい視線を感じます。
金造が感じた視線は、去年の10月頃に越してきた三十がらみの眼の鋭い男で、 時々、マスクに眼鼻を描き入れては返している人形絵師です。 その男は、区役所へ行くのが面倒だと米穀通帳の登録もしていないそうです。
ところで、昭和30年は豊作で内地米の供給は配給米、ヤミ米ともに増加していて2割以上の低落となっていたようです。 配給米を手に入れなくても、ヤミ米で何とかなったのでしょう。
やはり感じた視線は、例の人形絵師でした。 その男、赤い靴下に明るいフラノのズボン、煉瓦いろの派手なシャツという格好で、 冷たい眼で威圧するように金造を見下ろしています。 その風体に、殺気めいたものさえ感じてしまいます。
その男、金造を自分の部屋に誘います。 金造は、体が小刻みに顫(ふる)えのを感じながら、部屋へ入ろうとすると、 たまたま、管理人のとろ婆さん(この前まで大分の山の中で牛を追い回していた)が、 預かっている新聞が有ると声をかけるのですが、後で取りに行くと、強引に、金造を部屋に押し込むと鍵をかけてしまいます。 これは、金造でなくても、びびりそうですね。
ところで、理由は書かれていませんが、金造は、例の男の背中には刺青があると、思い込んでいます。 これは、金造が臆病者であることを単にあらわしているのでしょう。 で、倶利伽羅とか滝夜叉とかです。 倶利加羅は、「倶梨迦羅」「古力迦羅」「倶力迦羅」などとも言われて、黒色の龍で不動明王の化身です。この龍が燃え盛る炎に包まれながらも岩上の利剣に巻き付き剣を飲み込まんとする像が倶利加羅不動明王です。 滝夜叉は、平将門の娘で、元の名を五月姫(皐月姫)といいます。自らを新皇と称し、関東を制した父・将門が天慶の乱で討たれると、娘の五月姫は恨みを募らせ、やがて妖術使い「滝夜叉姫」と化します。
無理やり押し込められた状態の金造は、金造は例の男にかけるように勧められ、改めて部屋の中を見ます。 万一の時のために窓の様子をみますが、閉じて鍵がされています。 男世帯にしては片付いていて、薄赤い敷物が敷き詰められ、左手の壁沿いに整理ダンスと本棚、窓際にはテーブルと椅子があり、 右手の狭い台所もきちんと整いガス台にはやかんが湯気を噴きながら煮立っています。
消息通を自負している金造ですが、いずれはこういう破目にだろうと思っていたのか、すっかり観念しているようですね。 というのも、 来客がきた日に、いつも鍵のかかっていない隣の空室から盗み聞きしていたのがバレて、 その後も口をきく機会があっても口も聞かずに済んでいたからです。 さて、例の��は、コップにウィスキーを注ぎ金造のところに持ってきて、話し出します。 上等な洋服地を一巻き取り出し、金造に買い取ってくれないかと持ちかけます。
洋服地は、舶来のウーステッドで、仲間相場でヤール五千円だと金造は見立てます。 ウーステッドは、「梳毛」のことで、原毛の段階で梳られた長くて細いなめらかな感触をもつ糸で織られビジネススーツのもっとも一般的な生地です。 仲間相場は、問屋を通さない取引です。 この当時は、木綿(1反)が250円だそうですから、 ヤール(並幅のことで、1ヤード(91.4cm)である)が五千円だから、かなり高額だという事になすます。
例の男は、急に金がいるからと下手に出ていますが、金造が煮えきらないので、 態度をかえて金造がこの部屋にかってに入ったことを問い詰めます。 なんと、金造はこの部屋に黙って入っていたのですね。 しかも、部屋に転がっていた凹凸だけの白い小さな顔に驚いて、飛び出してしまっています。 白い小さな顔は、人形絵師の仕事に使う材料ですね。 しどろもどろで、怯(おび)えきった金造に、例の男は、また丁寧な口調に戻って、勘違いかもしれないと、無礼を侘びます。 そんなことより金造は、眼の前にあるレモン入りのウィスキーに釘付けです。 それは、ウィスキーにたっぷりレモンを絞って青酸カリの臭いを消すのだと新聞記事で読んでいたからです。 と、金造の妄想はどんどん膨らんで、とうとう泣き出してします。 その様子に例の男は、たじろいで取引の話はやめてウィスキーを勧めます。 そう言われてもウィスキーからまぎれもない青酸カリの匂いがして、金造はますます困惑してます。 まさか、青酸カリなんか入っているわけないですよね。
ちょうどその時、鴻巣玄次を訊ねてくる人がいました。 その人物は、八田皓吉でした。 ここでやっと、例の男は、鴻巣玄次だとわかります。 しかも、八田皓吉を兄さんと呼んでいます。 びっくりな展開ですね。
つづく
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tripandbook · 4 months
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Day 2 Poland trip
二日目は、念願のアウシュビッツ博物館へ。
その前に滞在先のホテルで無料朝食をいただく。時差ぼけで6時30分からスタートの朝食を一番のりで。昨日お腹いっぱいだったのはどこへ行ったのかビュッフェ形式で好きなだけ選べるのがよかったのか、これまた苦しくなるくらい頬張る。
ゆっくりしていたらあまり時間がなく、事前に予約していた電車に飛び乗る。
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アウシュビッツは、元々Oswiecimというポーランドの地名を呼びにくいからとナチスドイツが改名したようで、駅はいまだにオシフェンチム駅。そこからバスで行けるけど時間もたっぷりあったので、歩いて向かう。
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オシフェンチムには4つの収容所があったそうで、うち第一収容所と第二収容所が博物館として公開されている。ガイドの中谷さんとはこちらの第一収容所の入り口で待ち合わせ。
第一収容所は資料がたくさん残っていて、そちらをメインで展示しているとのこと。
赤煉瓦���建物が並ぶ。街路樹も植えられており、収容所には見えない。
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有名な“働けば自由になる“、の標語。ここから先が収容所。
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二重の鉄格子。夜間は電流が流れていたらしい。
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ほんとそうだよなと。過去を忘れると繰り返してしまう。覚えてても人は同じこと繰り返しちゃう。
展示の内容は割愛するけど、文字通り命をかけて収容者が撮った写真や遺品、SSの記録写真など展示されていた。第一収容所はガス室も残っていて、使用されたチクロンBの大量の缶もたくさんあった。
移動して第二収容所ビルケナウへ。
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こちらは規模が桁違いの広い場所、ガス室も複数あり、線路がまっすく中へ引き込まれて大勢の人が毎日文字通り貨物汽車で輸送、選別され大半がガス室送りになったという。
綺麗に整列された建物。左右男女に分かれて収容されたそう。当初は第一収容所と同様に赤煉瓦で作られていたみたいだけど後半は木造になり、終戦後、壊滅したワルシャワの復興のため木造は解体し、使用されたとのこと。
建物を当時のまま残すための修繕工事をいくつかやっていた。
こちらのガス室は大規模だったけど、隠蔽のためダイナマイトで破壊され、瓦礫しか残っていなかった。ナチスの記録写真でも実際のガス室での場面は撮影されてなくて、隠蔽のため破壊するってことは、これが知られたらまずいという認識はあったんだなと改めて思う。
ただ上からの指示で言われた通りやったかも知れないが、間違ったことだとは認識しながらもやっていたんだと。
約4時間のツアーだったけどガイドの中谷さんの話もすごくずしんときた。日本人の視点からどうなのか、現在とのつながりなどの話も聞けて本当に良かった。
ただみるべき場所、語るべきことが多くて結局2箇所駆け足になってしまった。6時間のコースなどもあるみたいなので、英語しかわからないけど多言語の視点で回ってみたいなと思った。
帰りはビルケナウで解散。歩いても20分くらいで帰れるよと言われて歩くけど、まず行きで歩いていた&広大な収容所内を歩いていたこともあり、駅に着くと疲労困憊。。クラクフ市内まで1時間の車中がほんとありがたかった。
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cafephoto1920 · 2 years
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広島 赤煉瓦
写真:宮治規人
店内の白いオブジェが"何"なのか、 考えながらパンケーキをつつきます
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広島 新広駅 純喫茶 赤煉瓦
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otarulove · 5 months
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私の親戚の楠昭様の投稿です。
お近くの方、どうぞよろしくお願い申し上げます。
今日(4/16)第84回神奈川県きりえ展の準備ができました。38人、71点の様々な力作が揃いました。私は「見たことあるな!」と言われそうな作品ですが!カラー版での初出しです。3塔物語にエースと赤煉瓦倉庫、馬車道のシンボルマーク・・時代を感じる「馬車に乗った貴婦人」と、目一杯盛り込みました!じっくりとご覧下さい。そして「横浜のポスター」を意識して!! JR東神奈川から1分!是非お立ち寄りください。
#きりえ、#切り絵、#三塔物語、#横浜観光情報、#横浜国際局、#FindYourYokohama、
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smtbs · 5 months
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karasutosagi · 6 months
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なにもねえよそうだなそうだろ
 焦点が合わない吸い殻を浮かし酒を白湯で薄めた生活ならまだ一揃いの愛らしさと受け容れるとするけど、作法など空想の恋人にすぎず、また後ろ手にのばした傷が じくじくと痛いものだから みじめさ  初歩的な処罰、  角を出す蕾は 唾を欠く  それでは殻も破けない    赤ん坊をひとつ背負う、軽石だなこれは。    すくいとられ、かかえあげられ、もぎ落とした嘴、こすり合わせた指の腹 指紋なく、個性を移す粘土じみた皮膚、机の隅を重んじる星の砂が。仕掛けもなにもこれらが   素は/しわ (かがんでいる)騒がす死に場所を聞き入れ 祖は/いただき (こわしてみる)今から木々を提供する 蘇は/ひくく (おどらせるもの)絡繰りを設えるつもりで  それは酌み交わすよう口に運ばれ、零れた分、咀嚼されたもの重なっていき、待機され続け半身が、無惨に歩き回る半身が、渋い茶を啜っている。狂わせた重心が横付けに処され 吹っ飛ばされた餞別が、立つ鳥 跡を濁さず  速達の順番を待つ、頭は、駆け巡るように肥大する  確かめるように、試みる、けれども ――なにも ねえよ そうだな そうだろ――  大通りから三叉路へ、標識を辿って険しい悪路を、のろのろと降下していくのだと後にいう。曲がり角には瓦礫がそぞろと列をなし、陸路はそのうち海と開く。それまでの点の移動。その階層に勝手 線を引き果てを決める。何層もの放物線は曲がるだけ、どこまでも交わらない 〈針金と 撚糸と 導火線の、胤〉  毳立って剥げた、ところどころから私が這えてくるような かたち。天から地からほたほたと取り零した重力は感じさせず、それは自由であれ無謀でもある。あわい柳色のなかを私は征く。どこまでも続く淡い眺望知らぬ道が続く限り留まることなく。絡みつく枯草もヌバつく地盤も 〈輝かしく深く伝染る〉  仄かに青い、海の香りがする今にときを戻していく。一滴の雫としゃがみこんだ人影が振り向きこちらで手を振り、返す。ややあって啜り泣く、その跡が波にさらわれてしまい また今に反ってきた。潮騒が煩い静寂を滅多刺しに射し狂おしいほど 〈眩しいやら悔しいやら〉    あしどりはよく途絶えていたと申します。『画廊にある/とき』寄り道も途絶える夕焼けが深く低く ヒキヅラせる、煉瓦のそばに 薄墨色の辛気臭いことといったら。あかりとりまどが幾つものの法則を、輝かせ、涙だろうと微笑えよ。すれ違うヒトすら 無様だ     薄明かりのなか、点滅する木漏れ日など多分魂が迷っている。懐かしさも、かさむばかりなら、之は 御/冥/福   その敷地に〈冤罪〉を経てましょう   〈起点〉など小さな乱風にでも鼓してしまいました       新来  新芽の色素は乾かず水底のせせらぎを溢していたひとり、火に欠ける、水盆の呪詛が翅を延ばし続け、砕かれるだけのじかんが、あちこちに伝染り出すこと。亞ゐたシロ、ただ古めかしい思い出が、よろこびが流れていくのを黙っていて 枯れた枝が凍り月、そのままの姿でいて  彼は(枯れ葉。)多く語らない。両手には野茨、古く沈みそうな小舟に揺られている。それで硝子の これが 《わりご》 から、巻き上げられた 〈箸渡し〉その仕種は故あって 湿され 逗まることを、棄てる  みずはそぞろにかわいている  のせられていたわ それら粉飾の美辞麗句 2023/05/01
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yeyshonan · 7 months
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雑貨カフェ「ナイズラフィキ」 <ここにしかない>が詰まったこだわりのお店【北九州市門司区】 | 北九州ノコト
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