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Sent to CHINA on 9th of November 2024
#postcard#postcrossing#sent#jp2160986#ゆらゆらお花のシンフォニー#赤レンガシリーズ#grandpakanai#hokkaido#北海道#formerhokkaidogovernmentofficebuilding#北海道庁旧本庁舎#赤れんが庁舎
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🇯🇵リニューアル工事中 北海道庁旧本庁舎 赤れんが庁舎 散歩 2024/日本 北海道 札幌市 中央区 [4K HDR Binaural ASMR]
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防災分野の専門家らでつくる「避難所・避難生活学会」は27~28日、酷暑での避難所生活を想定した宿泊訓練を大阪府八尾市の小学校で行った。学会によると、同様の訓練は国内初という。参加者はエアコンのない体育館で寝苦しい一夜を過ごし、熱中症や災害関連死を防ぐための課題を共有した。 厳冬期を想定した避難所訓練はこれまで北海道の大学で実施されてきたが、近年、夏場の水害が頻発しており、同学会が真夏の訓練を初めて企画した。 訓練には、学会の専門家や、避難所運営などを担う自治体職員ら計約60人が参加。気���庁によると、同市では両日とも最高気温が35度以上の猛暑日となった。 参加者らは持ち込んだ冷感タオルやハンディータイプの扇風機などのグッズで暑さをしのぎ、体育館の扉を開放して大型扇風機で送風していたが、夜になっても室温は30度を超えたまま。湿度も約70%と高く、ほとんど寝られない人もいた。 大阪府災害対策課の大井祥之さん(35)は「空気がじめじめして寝苦しく、扇風機の音も気になった。部署に持ち帰り、対策に生かしたい」と疲れた様子だった。 28日には参加者らで課題を協議。風が全くあたらない場所に熱がたまりやすく、「風の通り道を作るように扇風機の設置場所を考えるべきだ」との意見が出た。 熱中症に備えてエアコンを利かせた校舎の一室を用意し、校庭には応急処置ができる医療用コンテナも待機させる対応を取った。 石巻赤十字病院(宮城県)の副院長を務める植田信策・同学会代表理事(60)は「課題を整理し、暑さ対策に関する技術を持つ民間企業とも協力して解決策を探りたい」と話した。
酷暑の避難所生活、自治体職員ら体感…室温30度・湿度70%の体育館で1泊「対策に生かしたい」 | ヨミドクター(読売新聞)
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2023/5/8〜
5月8日 連休明けの大雨なんてだめ! 寒さで体の力がするすると抜け落ちてしまう。
いつも甘えさせてくれる、尊敬すべき友人のお誕生日だった。 明日は、おととい奈良で会った友人のお誕生日らしい。 もっと早く2人の誕生日に気付いていたかった。 奈良で何かプレゼントにお土産を買っていたかったし、なかなか遠方で会えないのに直接会ってお祝いをしていたかった…!
この連休に金沢の実家に帰省されてた方から、かわむらの甘納豆をいただく。なんて!素晴らしいお土産!「県民しか知らないお土産です」と言って渡してくれて「知ってます…!」と受け取った。
育休中だった上司が復帰していて、奥さんの入院中の病院食(良い旅館の夕ご飯みたい)と、アメリカで出産したお姉さんの入院中の病院食(3種類の液体と赤いゼリー)の写真を見せてくれた。 アメリカでは出産は病気ではないので、とりあえず栄養さえ取れればなんでも良い、という感じらしい。
連休明けで割と人見知りして過ごした一日だった。
5月9日 やることがたくさんあって充実しているのに、泣きたくなる瞬間が多くて、それは明らかに新しい職場の環境が、新しい上司についていきたいけどもう無理かも、な気持ちがそうさせている。 誘われ笑いをする元気はなくなっていて、元気だな〜モードになっている。
頑張りたいけど頑張れなくて帰り道も泣いていた。 頑張りたいのは仕事ではなくて、今の新しい上司に嫌われたく無い、変に思われたく無い、というベクトルの頑張りたい、だから。それが誰も求めてない虚しいことだってわかっているから惨めな気持ちになって泣いている。
大学時代の後輩の一人も昨日お誕生日だったらしく、とっても頼もしく嬉しくなる投稿をInstagramで見つける。思わずメッセージ送り、スクリーンショットを撮ってひとまず今日の待ち受けにしてみた。 そう言えば最近、日記に個人名を書くようになった。
お昼休みにクリーニングに出した仕事着を受け取りに行った。 今回限りの利用になるだろうクリーニング屋さんは、洋服を持ち込む時にサイコロを振って出た目でポイントがつく。 洋服を受け取る時に棒のくじ引きをしてポイントが加算される。 今日はカウンター内に穴の空いた看板が立っていて、ボールが穴を通れば割引キャンペーンが追加。 たくさん勝手の異なる���ャンペーンがあるのに受付の方は��々とこなしていた。
午後はずっと立ちっぱなし動きっぱなしでそれもあって悲しくてへとへと。 そしてなんと明日は東京出張で、こんなことってある?と絶望している! 残り二つの奈良土産のどら焼きをあげたい相手なんていなくて、もう日持ちもあまりしないので、明日会えるかもしれない友人に脈絡なく渡しちゃおうかと思う。
目黒区庁舎の見学ツアーの抽選は、どうやら外れてしまっていたみたい。
5月10日 やっぱり私のお部屋のバルコニーでなくとも、どこか近くで毎朝鳩が鳴いている。つらい。
少しだけ遅く起きて出張。 出張先の何も無い駅から現場までの道に、屋上にバラ園があるような少し鬱蒼とした雰囲気の豪邸がある。剪定した何かの木の枝先にアルミホイルを巻き付けてあるのを見ながら、いつも写真を撮りたいな〜と思いながら通り過ぎる。
午前中でお仕事を終えて、午後はお休みを取っていた。 こんなに気持ちがだめになっているとは思っていなかったけれど、先週の私、大正解! この出張先の近くの高校で国語の先生をしている高校の同級生と4年ぶりに会った。 何も無い町なので国道沿いのデニーズで待ち合わせをした。 彼女は4年前から同じ高校の定時制で異動なく先生をしていて、4年前に会った時は、配属されたばかりの定時制の高校の環境にとてもショックを受けていたように見えていた。今日はとてもはつらつとして、やっぱり仕事が生活のほとんどで趣味のようだ、と言っていて、少し安心。 定時制の生活は、朝ごはんを食べて、お昼過ぎに出勤して、学校の給食で夕ご飯を食べて、4時間授業をして、日付が変わる��に帰宅するとのこと。 今日のデニーズではおやつにメロンパフェを食べていた。 お互いにそこまで変わったことはなく、1時間ほどの再開だったけれど、満足な時間を過ごせた。
またこんな感じで会おうね、と別れ、元気が残っていたので、というか元気になってしまったのでダムタイプのリベンジをした! 東京駅ひとが少ない…!と思ってしまう。
アーティゾン美術館は平日なのにかなり混雑していた。 ダムタイプの展示も会期末だからか平日だけれど人が多かったので、今日行くことができて良かった。 さっきまで日差しの元で何かが解体されている現場に立っていたのに、東京の綺麗な美術館で環境音と光が演出される暗い涼しい部屋にいることが嬉しすぎる。展示会場で彷徨ってふらふらして贅沢な時間だと思ってしまった。 アーティゾン美術館は学生さんは無料らしく羨ましい。これを贅沢とか思わずに、ふ〜んなるほどわからんね、みたいに体験していたいよね。
奈良のお土産のどらやきをやっと渡しきれて良かった。 早めに帰宅して、今日は療養に努めます。
5月11日 日差しに当たり過ぎたからか昨晩はおかしな食欲で食べ過ぎてしまい、気持ち悪い夜明けに緊急地震速報が重なって最悪な朝だった。 川向こうとこちら側の防災無線が入り混じって物騒な雰囲気の中、鳥が喚いていて、Twitterでちーちゃんが呟いているのを見つけて少し安心する。 昨日、ちーちゃんのホームページを見つけて、とっても良くて、ちーちゃんが今写真をやっていて辛く無いといいな、写真の活動を続けて、これからも写真を見せて欲しいな、と思ったところだった。
それから少し眠って、変な夢を見て疲れて、明日は通院予定で体重を計らなくてはいけないのに食べすぎたことをくよくよしな��ら家を出た。 食べ過ぎておけば入院しないで済むのに、それでも体重が増えていることを体感して悲しくなってしまう。
地震の恐怖から誰かと連絡をとっていたくなり、昨日出張先で不意に見つけた藤本壮介の東京アパートメントのこと、もうすぐ産休に入る友人に出産前に遊びたいこと、平日休みに銀行に行かないといけないこと、ホームページが素敵だったこと、など、方々のお友達にメッセージを送ってしまう。とても、とても怖かった。
朝の地震の恐怖のストレスと、昨日の出張と、いろんな疲れが溜まっていてとても身体がもたなかったので、昨晩食べ過ぎていたけれどコンビニでわたぱちのチョコレートを買って少しだけ食べた。
驚くほど気力が回復してなんだか元気っぽく過ごせてしまった。今はただ明日の通院がどちらに転んでも恐怖でしかなくてもやもやしている。
5月12日 職場の方と話していて、不意な流れで自分の身体のことと病気のことをカミングアウトしてみた。 母よりも若いお母さんの職員さんでいつも素敵な方で、更年期の話の流れから、私は7,8年ほど月経がなく、食事に少し不安がある中で、今日の午後は通院のため半休をとっている話をしてみた。 「かわいくて何でもそつなくこなせる優秀なお嬢さんでも、そう見えても、色々抱えちゃうことってあるんだね」と言ってくれた。
病院の近くにヴィーガン焼き菓子とコーヒーのお店があると知り、通院の前に寄ってみる。京都弁?のなまりのある可愛い店員さんに「髪サラサラですね〜」と言ってもらう。 キャロットケーキを食べたかったけれど、持ち歩きが難しいとのことで、オーツクッキーと抹茶のマフィンを買ってみた。
大学病院の敷地に入ると明日が文化祭なのか、お松の準備で賑わっていた。みんなでテントを立てたり委員会の人がハッピを着ていたり、なんか楽しそうで通院前の憂鬱が少しだけ落ち着く。
体重は微増。入院は凌げて、次回以降も落としたら入院という制限付きで活動許可をもらう。 なんだこれ。 先生から仕事以外の活動や趣味はあるか?と訊かれたので、写真のことや展示をしようとしていることをお話しした。もしかしたらこの病気と写真作品制作が紐づいているのかも、ということも伝えてみた。 先生もそれを感じていたようで「ちょっとなんと言って良いかわからないな…」と困っていた。
最近食べ過ぎていたのもあって、それでも意外と増えていなかった体重に少し安心して、また今日から色々気にしながらご飯を食べていきます。
夏の予定をさらに詰めようと大阪のホテルも予約。
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北海道庁赤れんが庁舎 2022/11
工事中だと...
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赤レンガ庁舎を遠くから見ると改修工事終わって御披露目してるのかなと思えますが❗ 実物大の写真プリントされたシートでくるんでました 本物そっくりってこの事ですわ✨ 完成はまだ先のようです https://www.instagram.com/p/CpPVXr7J6CA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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檜町駐屯地(ひのきちょうちゅうとんち、JGSDF Camp Hinokicho)は、1874年から2000年まで東京都港区赤坂九丁目7番45号にあった防衛庁施設の陸上自衛隊における正式呼称である。航空自衛隊においては檜町基地(ひのきちょうきち、Hinokicho Air Base)が正式呼称。防衛庁本庁では檜町地区(ひのきちょうちく、Hinokicho Area)あるいは防衛庁本庁檜町庁舎が正式呼称。 陸上・海上・航空自衛隊の部隊のほか、防衛庁本庁等が所在し、敷地内に中央指揮所庁舎が設置されていた。戦前・戦中は乃木坂1丁目に200m射撃場があった。駐屯地(基地)閉鎖後は民間に払い下げられ、東京ミッドタウンとして再開発された。
檜町駐屯地 - Wikipedia
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2024/11/14 13:00:09現在のニュース
離散危機のクルド家族救え 支援団体が16日にオンライン集会(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/11/14 12:56:20) 原発は悪い言葉だったが… IAEAトップが語る「容量3倍」の条件(朝日新聞, 2024/11/14 12:54:18) トー横の「家出」女子高校生を買春した疑い 会社員を逮捕 警視庁(朝日新聞, 2024/11/14 12:54:18) 「亡くなった俳優はレプリコンワクチンを打っていた!?」 フェイクニュースはなぜ信じられ、広まるのか 専門家が教える、だまされないための処方箋 | 医療プレミア特集 | 伊藤奈々恵 | 毎日新聞「医療プレミア」([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:51:49) バイデン氏と習氏が16日に最後の会談へ 北朝鮮のロシア派兵を協議 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:51:49) インフルエンサー「Z李」逮捕 男性宅に侵入した疑い 「今あなたの階に来ました」と実況中継:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/11/14 12:48:28) 中野洋昌・国土交通相 出身省庁へ返り咲き 防災・減災へ使命新たに 新閣僚に聞く([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:48:24) 小田急電鉄、25年3月期純利益上振れ 鉄道利用想定上回る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/14 12:48:18) 会計責任者の有罪が確定 旧安倍派裏金事件 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/14 12:48:18) 【広島・��山】存廃議論のJR芸備線、線区で変わる表情 記者が全線乗車 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/14 12:48:18) 蜂の巣駆除で170万円請求か 特定商取引法違反容疑で男を逮捕(朝日新聞, 2024/11/14 12:47:06) 車4台が絡む事故で3人搬送、対向車線にはみ出したか 兵庫・播但道(朝日新聞, 2024/11/14 12:47:06) 石破首相「柿食べると風邪ひかない」 農産物PRで自作の句も披露 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:45:49) リニア工事現場、近くの民家の庭から湧水 調査し「地域に説明」、JR東海社長([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:43:03) 山梨・長崎幸太郎知事が富士山登山鉄道で反対団体から聞き取り 「実験台にするな」批判も([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:43:03) 猫駅長がPR「甘さ保証しますニャー」 和歌山電鉄がミカン販売 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:37:53) 沿線ミカンいかがかニャ 和歌山電鉄販売 /和歌山 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:37:53) JR北海道、営業損益が178億円の赤字に 9月中間連結 鉄道運輸収入は増加([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:37:05) 上空からクマを検知 ドローンとAIによるシステム、秋田で開発進む(毎日新聞, 2024/11/14 12:37:03) 18年前の女児殺人未遂事件、逮捕は「証拠重ねた結果」 警察庁長官(朝日新聞, 2024/11/14 12:31:12) 告発者特定し処分は「ありえない話で法令違反」公益通報に詳しい弁護士、百条委で指摘([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:30:50) 川口の解体業者7割は中東系、1年で40社増170社 民家の廃材をその場に埋め4人逮捕 「移民」と日本人([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:30:50) 【聞きたい。】半田カメラさん『遥かな巨大仏 西日本の大仏たち』 恋から愛へ「巨」の魅力に迫る(1/2ページ)([B!]産経新聞, 2024/11/14 12:30:50) 雪はすぐそこ、ササラ電車を試運転 函館市電、本格的な冬に備え | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:30:22) 木語:報復と粛清の嵐=会川晴之 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:30:22) 憂楽帳:大井川鉄道の絶景駅 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:30:22) 高松に簡易宿泊施設 JR、四国の都市部に初開業 元割烹改装 /香川 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:30:22) 門司港駅遺構、追加発掘調査 駅舎囲む石垣出現 識者「範囲広げ調査継続を」 /福岡 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/14 12:30:22)
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2024.10.30 wed.
一日でカメラを2回置き忘れた。スーパーハッピーフォーエバーのようだ。
早朝に起き、タクシーで市場の海鮮丼屋へ。ふつうにおいしいが、高いし観光地の店だなあというかんじがした。ぼたんえびはおいしかった。
北海道は赤い実の木が街路樹でいい。ナナカマドという木らしく、季節になると白いぽわぽわした花が咲くらしい。それがとてもかわいく、その季節にも来たいとおもう。
帰る道すがら、庁舎跡を通った。だれでも自由に入れて、大きな池があって気持ちよさそうだったので寄る。鴨が泳いでいる。しばらく写真を撮ったりながめたりした。鴨は水の中にいるときはふつうなのに、陸にあがるとさむそうに体をまるめていてふしぎだった。水の中の方がさむそうなのに。
帰宿、二度寝。昼すぎにまた出かけて散策、こんどは北大へ。ひとみさんもカタヤマもいちおしの北大、かなり広大で川も流れていて気持ちがよかった。でもとにかく外国人観光客が多いのと、大学の敷地というのがなんとなく気になってしまいあまり楽しめず。車も走るし。いちょう並木はすごかった。すごいなー、というかんじだった。あとからリスがいるらしいと聞いて、それは見たかったなあとおもう。
晩は早めの時間からビストロ。予約していた店はいまひとつだったので、昨日通りがかっておいしそうだった店へ早々に移動する。こちらは当たり。パテとカスレのソーセージがおいしかった。やや塩がつよかった。昨日とはちがう店でパフェ食べ帰路。温泉浸かって寝る。
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
初めまして、中谷研究室学部4年の碓氷です!
韓国千年村調査4日目(8月24日)
の動向をお知らせいたします、よろしくお願いします!
―――――――――――――――――――――――――――――――
7時半に起床したとき部屋はすでに明るく、早朝に新しく印刷した集落調査資料の補足版を、先輩方がホッチキスで留めている最中でした。
あわただしい朝。
すぐにチェックアウトを済ませられるようにスーツケースを持って、少し遅れて朝食に向かうと、ビュッフェ会場は多くの人でにぎわっていました。
スクランブルエッグ、 プルコギ、 キムチ …etc. 韓国のコーンフレークはやけにカラフル 中谷先生に、「朝は沢山飲みものをおなかに入れた方がいい」と言われたので、水とオレンジジュースとコーヒーとスープを飲むことにしました。飲みすぎて苦しい…。
今日も盛りだくさんな一日です。スケジュールは以下の通りです!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<8月24日のスケジュール>
9:30 扶蘇山城の見学 10:30 定林寺址の見学 11:00 嘉林郡集落の調査(郷校、官衙のある部分) 12:00 昼食は焼き魚とチヂミ、お肉の定食! 13:30 嘉林郡集落の調査(微高地集落のある部分) 15:00 弥勒寺および弥勒寺博物館の見学
~バス移動および地下鉄移動~
20:00 ホテルに到着 チェックイン! 21:00 夕食にサムギョプサルを食べました!(^^)! 0:00 明日に向けての作業 1:30 入浴、就寝
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9:30 扶蘇山城― 8時半にはバスに乗車し、扶蘇山へと向かいました。扶蘇山は昔々百済の都であった扶餘郡に位置する山城で、
大河と山に囲まれた背山臨水の地形を一望できる最高の景観
を持っています。展望台は、赤���塗られた柱と緑に彩られた梁や垂木の色鮮やかな建物です(図1)。
図1.扶餘山城の色鮮やかな展望台(撮影:2024/08/24 碓井颯)
梯子を昇り扶餘を俯瞰すると、霞がかった空気の中で錦江がゆったりと右手側に流れています。遠くには山々、近くには多くの建造物によって奥行きが生まれています(図2)。
図2.扶餘山城の展望台からの眺め(撮影:2024/08/24 碓井颯)
千年村の集落調査では、山間部や都心から離れた僻地を巡るイメージを持ってしまうことが多いですが、
都市もまた集落のように住みやすい処に展開されるのだな~と
ここに住もうと決める集落住民と景観の美的・合理的豊かさから都を決定する王の心境は本質的に同じだったのではないか。
今昔一貫する地理的条件を感受する普遍的な人類の立場に立てた気がして少し嬉しかったです!
扶餘山城址には同時に竪穴式住居の遺跡も残っており、���料館も見学することができました。日本の竪穴式住居より堀が深く、大きな柱径が特徴です(図3)。
図3.韓国の竪穴式住居(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
山城見学に同行していただいた富井先生にこの理由を解説していただいたところによると、
寒さが厳しい韓国ならではの土を利用した断熱機構
であるようで、空気中に熱が逃げることを防ぐため、内部空間をなるべく土に触れるように工夫したものだと言います。韓国住宅によく見られるオンドルは、当初かまどから発生する熱を利用した暖房器具であり、その端緒は竪穴式住居にも見られるようです。
10:30 定林寺址― バスで少し移動し10時半頃、定林寺址に到着しました。滞在時間が短く急がなければいけないということで、
「全体重をかけて」
見学すべく駐車場からスマホだけを持って足早に(図4)。
図4.定林寺の石塔(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
中谷先生から定林寺と法隆寺の比較についてお話を伺いました。そもそも定林寺は百済の聖王が仏教熱心であった所以完成した寺院であり、
その影響は飛鳥時代の日本に多く及んでいるのですが、
大きく異なるのはその伽藍配置です。
講堂を含む回廊によって、金堂と塔が一直線に貫かれている定林寺に対し、法隆寺では講堂を離し金堂と塔を並列しています。
この故が敷地の広さや環境に起因するものなのか、国ごとの考え方の違いによるかは難しいところですが、類似点と相違点という観点から比較できたのは良いことです…(図5-9)
図5.定林寺の平面図(出典:「韓国の建築」,金奉烈著, 学芸出版社, 111ページ)
図6.法隆寺の平面図(出典:同朋舎出版刊文化庁文化財保護研究会監修「図説 日本の史跡 第五巻」)
図7,8,9.定林寺の様子(撮影:2024/08/24 口石直道)
11:00 嘉林郡集落の調査― 昼からは、昼食をはさんで前後で嘉林郡と呼ばれる集落を巡りました。今回、調査班では二か所をピックアップしてめぐることにしました。
図10.嘉林郡の官衙の入り口を示す門(撮影:2024/08/24 安藤優花)
前半に訪問した場所は、
大きな郷校(科挙を受ける人々が通う学校)を持つ昔からの集落の中心地
と考えられます。郷校の存在を示す門を潜り抜けて集落に入っていきます(図10)。山の麓に位置する郷校付近では、細い路地を挟んで立派な邸宅が並んでいました。色鮮やかに葺かれた赤青の屋根スレートをあちらこちら横目に、ぐるぐると歩き回りました(図11)。
河川付近にも川を覆うようにスラブが敷かれ、RC造の住宅地が展開されていました。
川に臨むところには東屋が置かれ、なんとも快適で落ち着く場所でした~ 日本の夏にも似ていますが、やはり大きな違いは散見されるハングルです…!
図11.嘉林郡のくねくね道(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
後半は
広大な田んぼに囲まれた微高地集落です。
微高地(?)となるほどに丘は大きく盛り上がっていて、大小さまざまな住宅が余裕をもって配置されていました。
米もたくさん採れるから豊かな場所なんだろうと思いました。
上っていくと視界が開けました。
丘の頂上付近には、大きな樹が!
木の麓には椅子や無料で使える健康器具などが置かれ、集落民の憩いの場所となっているようです(図12)。この集落は錦江に囲まれてもいるのですが、錦江の堤防付近にも同様の樹と東屋があり、くつろいでいるおじいさん達に地域のお話を伺うことも出来ました。韓国の集落には気持ちの良いコミュニティスペースが集落単位でいくつも点在していて良いです!
図12.嘉林郡の大樹(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
12:00 弥勒寺― 最後は弥勒寺を見学しました。弥勒寺では3つの回廊のセットが一つにまとめられた建物配置を持っています。それぞれの回廊が一つずつ、計三つの塔を持ち、中央の木造の塔を二つの石塔が挟んでいるのですが(図6)、現在では復元された石塔しか残っていません。二つの石塔に挟まれた弥勒山がその象徴性を増していますね!
大きく開けた平原に白光する二つの塔が映え、
日差しがジリジリと照りつける中で白・緑・青の三色が鮮やかに焼き付きました
(図13-15)。
図13.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 小谷さくら)
図14,15.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 安藤優花、小谷さくら)
弥勒寺見学後は付属の博物館を見学しキラキラした装飾品や生活陶磁器などを見ました。当時の王族や人々の生活の様子について、説明を聞きながら思いを馳せました。一つの考古学品の発見が様々な文脈で意味を持ち、歴史的な発見がダイナミックに展開していく様を感じることが出来ました。
16:00 帰りのバス― その後ソウルへ向けて再びバスに乗車し、3時間ほど車窓を眺めました。
韓国は右車線通行のため、追い越し車線は向かって左側です。
もう少しで市街につくというとき、
真っ赤になった日が沈むところでした
(図16)
教会やモスクなどの多種多様な建物のシルエットが逆行で暗んで、
ノスタルジックなソウルに車内一同盛り上がっておりました。
図16.ソウルの夕焼け(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
地下鉄を乗り継いでホテルに着くころ、すっかりあたりは暗くなっていましたが、宿泊先は夜中まで明るくにぎやかな場所でした。ホテル近くのサムギョプサルの店で夕食を堪能し、一日を終えました。
以上が調査4日目(8月24日)の動きでした!いかがでしたでしょうか…?
明日は調査をまとめるポスターセッションを行います
25日の日記も乞うご期待!!
読んでいただきありがとうございました!!
#sennen#nakasemi
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インド建築縦走旅vol4 チャンディーガル その1
デリー3泊滞在のあと、チャンディーガルへ移動し、いよいよコルビュジェ世界遺産建築の見学へ。
パンジャブ地方の北部に位置するチャンディーガルは、1947年のインド独立の際、パンジャブ州がインドとパキスタンに分離し中心地であったラーホールがパキスタン側に位置していたため、新たな州都として、現在のパンジャブ州とハリヤーナ州(1966年に新たな州として設立されたパンジャブの東側の地域)の州都として建設された街。建築家ル・コルビュジェの都市計画が実現された世界で唯一の都市でもあります。
1950年にコルビュジェがこの計画に携わる前の2年間、インド初代ネール首相に依頼されたされたアメリカの建築チーム、アルバート・メイヤーとマシュー・ノヴィッキーがマスタープランを検討していましたが、ノヴィッキーが飛行機事故で亡くなってしまったため、コルビュジェが招聘されました。コルビュジェは、いとこのピエール・ジャンヌレを設計チームに入れることを条件にし、チャンディーガルにはジャンヌレの作品も多く残っています。
コルビュジェの基本計画のコンセプトは「住む、働く、循環 、心と体のケアの、4つの基本機能を満たす」というもの。碁盤の目状に800m×1200mのセクターで区分され、北におかれた国会議事堂エリアを頭部として人間の体になぞらえられている。街の中心部が心臓、労働エリアとしての手足。加えて、グリーンベルトとなる公園とレジャーのエリア、心と体のケアとしてスクナ湖のエリアで構成されている。(チャンディーガル建築博物館の説明文より)
2日目に訪ねたチャンディガル建築美術館に展示されていたメイヤーのマスタープランはカーブを描く道路に応じた街区で構成された木の葉型プラン(右側はネットから拝借)で、中央あたりが国会議事堂エリア。
コルビュジェのマスタープランの特徴は7V ( les Sept Voies ) という道路のシステム。高速道路 から商店街、街区道路、歩行者道と細かく分類する交通分離計画によって、交通量の多い道路はセクター外制限され、生活区域内の環境と安全が確保されるというものです。
空港からの道中、市街地に入ると、交通量は多いものの整然としていて、デリーでは自転車なんて走れないくらいの凄まじさだったけれど、ここでは自転車も多い印象。
各セクターには、学校、商業、コミュニティ施設などがで完結していて、 緑地が各地区の各地区の中心部を貫通し、人々はシヴァクリ山脈のパノラマを拝めるようになっているそう。
チャンディーガルの空港から最初に向かったのはキャピトルコンプレックス。久しぶりにワクワク感で胸が高鳴る。
ツーリストセンターにて10時の回に申し込み、ガイドさんに連れられて敷地内へ。まずは高等裁判所(High Court)へ。
緑、黄色、赤の壁柱と、インドのコルビュジェ建築の特徴ともいえる外壁のブリーズソレイユ(日よけ)が印象的です。でも逆光。
続いてオープンハートモニュメントへ。モニュメントを取り囲むように地下に埋まった広場になっています。
平和の意味を込めた開いた手のモチーフは、平和の象徴である鳩の形にも見えます。構想はできたが資金がなく、コルビュジェは母国フランスからの贈り物となるよう働きかけたが、コルビュジェは存命中にこのモニュメントを見ることはできず、亡くなってから20年後の1985年に完成したそうです。
オープンハンドの下には演説台が。声が響く。翌日訪れたコルビュジェセンターにスケッチがありました。
ツアーは進み、議事堂の前へ。議事堂のてっぺんに見える2つの天井トップライトは、三角形がパンジャブ州、楕円形がハリヤーナ州を表している、とガイドさんの説明。
手前の建物は影の塔、ブリーズソレイユの光と影の様子を検証するために作れらた建物だそう。
議事堂扉絵は、7.7m×7.0mの巨大な画面の上半分に太陽が、下半分に樹木、動物、川が描かれたもの。エナメル板を横に5枚、縦に11枚並べたものだそう。
ガイドさんより「3月頭まで議会開催中で中には入れない」
えーーこれで終わり?
残念と感じることに頭が追いつかぬまま、ツーリストセンターに戻る途中「Not satisfied」という声が聞こえてくる。ツアー客の一人がガイドさん��掛け合っている模様。どこぞの屋上にあがることができる。というようなことを言っているように聞こえる。これは乗らねば!と「me too」とガイドに詰め寄るも「少人数しか無理です」とか言ってる。「We came from japan」「far away」「please」と単語を並べる。と、「午後15時にここに来て」と渋々の表情のガイドさん、とりあえずアポを取り付けた!ので、それまでの時間に見れるところをまわろうと、パンジャブ大学へ向かい、まずは敷地内にある建築学校へ。
ブリーズソレイユとモデュロールのエントランス。
内側からのブリーズソレイユ。光と影の美しさ。
中庭に出てみると、反り上がったようなカーブの屋根が連なる。軒が高いほうが採光窓、低い方が換気窓になっています。
内部。壮大な空間に並ぶ小さな模型たち。
コンクリートの力強さの中に、トップライトの絶妙な光と、ビビッドな差し色が、コルビュジェらしくもありインドらしくもある。
エントランスホールに、生徒たちの研究と思われるチャンディーガルの建築群の詳細なパネルが展示されていた。見たい建築が盛りだくさん。とりあえず、翌日見れそうなものを物色する。
続いて、ガンディーバワン��移動。ピエールジャンヌレの設計でハスの花をイメージしたという。折り紙のよう。内部には入れないと思っていたら入れました!
入り口の木製の回転扉が大迫力。中に入ると、、、形、素材、色、多くの要素がバランス良く、印象的な空間を作り上げていました。そして何より光の入り方が美しい。
建物の概要がわかるオリジナル模型と、外部ぐるっと周ってみた写真。水がないのが残念。
後ろの建物もジャンヌレの設計。名建築をバックにトランプ、楽しそうなキャンパスライフ。
こちらもブリーズソレイユ。ジャンヌレの設計(たぶん)
そして、再びキャピトルコンプレックスへ。詳細よくわからぬまま、本日2度目の見学ツアー。光の当たり方が変わり、ぐっとビビッドに見える。
パラソルのような大きな庇が、カラフルな壁柱に支えられています。高い気温をさえぎりつつ風を通す二重屋根。当初案のファサードはブリーズソレイユではなく、大屋根のアーチと関連した小アーチが並んでいたそうです。インドの気候風土に沿っていったということか。
柱の後ろにスロープが見えている。近づけず残念。
朝と同じようにツアーはオープンハンドモニュメントへ。
ん?手の向きが変わってる?!風で動くものだそうなのですが、こんな重そうなものが、強風でもない中で動くと思っていなかったので、驚きひとしお。
本当に朝とは違うものを見られるのか?!と思いつつ、同じコースをたどったあと。。。。。合同庁舎へ行けるとの話!心踊りまくる。関所突破!
パンジャブ州とハリヤーナ州の合同庁舎は254mの大きな箱。ブリーズソレイユの連続が巨大さに拍車をかける。
屋上へ向かう途中、あちこちかっこいい数々。内側から見るブリーズソレイユ、階段、窓、色。
そして屋上。マルセイユのユニテダビダシオンの屋上を彷彿とさせる。
上から見る議事堂と裁判所。
そして帰りのスロープ。参加している皆が興奮状態。
こうして合同庁舎の見学が終了。この日ツアーに参加していたのは、カナダ、スロベニア、シンガポールの建築家たち。文化も言語も違えど、同じ思いを持った人たちと同じ興奮を味わいつつ交流して、建築という共通言語の存在を感じました。(英語力があったらもっと楽しかっただろう)
議事堂の内部を見られなかったのは残念だったけれど、旅ではよくあること、コルビュジェ&ジャンヌレ尽くしで十分に満足。
といいながら、まだ頑張る私たち。どこにあるのか見られるのか定かではないスクナ湖のボートハウス(コルビュジェ設計)を目指す。ボートに乗れば見られるという情報もあるが、クローズ時間に戻ってこられるのか、、、聞けば朝は8時からやっているとのことで、翌日の朝に持ち越し。ここで、同じようにボートハウスを探しにきていたスロベニアの建築家と再び出会う。皆考えること同じ笑。
スワンボートの人気度高し!しっかりライジャケを装着して乗っているのも素晴らしいです。
こうして1日目終了。2日目へ続く。。。。
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戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された[15]。 江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置された[15]。城主が幼少・病弱・無能では牽制任務を果たせないので、大名が頻繁に交替して城主に成っている。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や、��藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還時の酒井忠邦まで約270年間、城主は6氏31人(赤松氏から数えると約530年間、13氏48人[17])が務めた。 明治時代初期に陸軍省の管理下に入ったが、まもなく民間に払い下げとなり、競売で23円50銭で落札されたが、その後に権利が放棄されたらしく、国有に戻っている[18]。その後は陸軍兵営地となり歩兵第10連隊の駐屯地として使用され、兵舎増築のため本城、向屋敷、東屋敷等が撤去された[19]。年を経るごとに腐朽が進んでいたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などを名古屋城とともに保存する処置が取られ、その後また腐朽が進むと市民の間から衆貴両院に修復工事の陳情が行われ、議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われた[2][20]。 この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと城を公開することを求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年(大正3年)に、軍用地を除き姫路市への無償払い下げが決定し、公開されることなった[21]。
姫路城 - Wikipedia
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入札の条件や契約が見合わないからです。昔は赤字になりそうでも入ってくれるトコはあったけど、もうそんな時代ではない。 観光施設でもないのに、商業施設並みの賃料とかを参考にしたりとか、何度も不調に終わるのは入札担当がダメだからです。 賃料や売上げは応札者に調べさせ、企業側からの希望する賃料でのプロポーザル方式にすればイイ。職員食堂を兼ねているのなら、職員には割安で利用できるようにポイントでも付けたり、プリペイドとかで運用し補助金でも出したらイイ
神奈川県庁東庁舎のレストラン、3度目の事業者募集も不調に終わる「心配した通りの結果」(カナロコ by 神奈川新聞)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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満天の朝焼け
カントにおけるほど強力にロマン主義が表現されたことは、それまで一度もなかった。超越論的なものの必要性、あらゆるかたちでの無媒介的なものの不可能性、存在がその理解力と行動において示す活力に満ちたあらゆる形象を厄介払いすること―これが、カント哲学のライトモチーフなのである。このような視座からすると、アルトゥール・ショーペンハウアーを、カント主義とそのロマン主義的身振りをもっとも明瞭に見抜いた読者とみなすべきであるかもしれない。〔ショーペンハウアーは、カントを次のように読み解いたのだった。すなわち、〕事物の仮象と物自体を再結合することが不可能ではないにしても困難であるということは、苦と窮乏に満ちたこの世の災いのもとである。また、それゆえに、高貴かつ高尚な力が繁栄しうるようには、この世界はできていない、と。言葉を換えるなら、ショーペンハウアーは、人文主義的革命を決定的な仕方で清算するものとして、カント主義を理解したのである。-アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート「〈帝国〉 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号 特許庁総合庁舎7階〇〇課〇〇室
知っているな、と思った真司はウーバーイーツの配達車両に乗り込んだ。三年前に新品で買ったヤマハのトリシティ155である。彼はこれを愛着を持って使っており、北関東に遠出することもある。ちょっとした小旅行と呼ぶべきものではあるが、一流と呼ばれるような場所に泊まったこともある。すなわち一泊三万円を越えるような宿泊プランであった。
ここ、ピーザラ神田店から霞が関までは15分で着くだろう。多くの国内の者が想像するほど国の中核たる千代田区は交通量が多くなく、スクーターの運転はスイスイと終えることができる。そこらの県庁所在地よりは空いているほどである。それに彼は霞が関の省庁が立ち並ぶ雄大な眺めを愛してもいたので、上機嫌になってくるほどであった。天気は昨日から曇りが続く。
スクーターに乗る彼は動きやすい格好に黒の薄手のジャンパーである。そもそもこの国では私服の配送業者が目を引くことになる。
信号が赤になったので、スクーターを停める。右側の歩道を眺める。50代ぐらいの中年女性が歩いており、しかめ面を浮かべている。彼女とすれ違う作業服姿の40代ぐらいの先ほどよりは明らかに若い男性。すれ違った。こういう時に当該の人物群に何も起きなかったことを真司はときどき意識することになる。彼らは道端でぶつかりもしなかった。それは一つの可能性である。そして、一つの不可能性でもある。通り魔で実刑判決を受けた人物が、囚人が、一度は思い浮かべるであろう不可能性のことだ。
うかうかしてはいられないので、前を向く。信号は赤のままだ。機械は大人しくプログラムをこなしてくれる。さながらたまたますれ違った二人に何事も起きないように。現在配達するピザは汁物のようにこぼれたりする心配が少なく、彼はほっとしていた。
霞が関、特許庁前。省庁の中には入ることもできるが受付の許可を得たうえで、持ち物検査を義務付けられるので、受付までで、配達業務を終えることにしてい���。こういう時に自己判断と現場の様子で仕事を終えられるのが、ウーバーであり、自由の国アメリカらしさといったところだろうか。
受付に近づく。
「こんにちはぁ、ウーバーイーツですがぁ」
少しフレンドリーに振舞ってみたつもりだ。
「どちらの階にお届けでしょうか」
女性の声が応じる。
「七階の、えぇ」
スマホの情報を確認する。
「〇〇課〇〇室の~さん宛ですね」
「はい、いいですよ」
女性の声がうなずく。
終わりか、と思い、配達物を置き、引き返すことにする。
「毎度、ありがとうございます」
建物を出て、腕時計を確認する。十一時五十五分。このまま、三件は回れそうだが、先に昼食にすることにする。麺類が食べたい。
家についてシャワーから出ると、もう午後六時だった。テレビを付けて、スマホの電源を入れる。テレビのボリュームを下げた。
スマホにメールが来ている。
「件名:ご質問です。」
件名に。(句点)を付けるのか、と真司はふと思った。
「個人的な悩みにお付き合いしてもらうことは可能でしょうか」
個人的な悩みか、何だろうと彼は思う。ところでこの女性は誰だたっか……。彼はこの女性の名前をした人物のことをよく覚えていないし、姿かたちもさだかではないのだ。名前は流川愛美(るかわまなみ)である。やはり、知らない人である。勢いで悩みに付き合ってやろうかとも思ったが思いとどまった。スパムメッセージの可能性もある。
テレビを五分ほどぼーっと眺めていたら、やはりあの時か、と思い当たる節があった。大学のシェイクスピア研究会の白井が紹介してくれた在学生の会員の内の一人であった。何度思い直してもそうである。
ならば、と思いメールに返信することにした。
「なんのごようでしょうか。シェイクスピア研究会の在学生ですよね」
数分後返信が来た。自由にスマホを操作できる状態なのだ。
「件名:枕詞が古臭くてちょっと笑ってしまいました(笑) 知り合いには相談しづらいことなのであなたに相談した次第なのですが、現在交際している男性のことです。厄介ごとに足を踏み入れたくなければお断りしていただいて構いません。シェイクスピア研究会所属でOBの白井さんの知り合いです」
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編集のきほん 第8期生を募集します。
「TreeTree」が2017年から毎年開催している「奥大和で学ぶ、編集のきほん」。 これまでに第7期まで開催しました。現在卒業生の皆さんは、記事を執筆したり、 仕事に生かしたりして、それぞれが思い思いの活動をされています。そんな 「編集のきほん」を2023年度も実施することとなりました。
会場は、今回も橿原市にある奥大和移住定住交流センター「engawa」です。 この講座は、プロを養成するというよりは「ご自分の仕事に生かしていただきたい」という想いからスタートしました。「編集者って、どんなことをするの?」と聞かれたときに一言では伝えられないもどかしさと、このおもしろさを伝えたい気持ちを抱えていたのです。
心をこめて活動している「わたし」を伝えたい。または、素敵な「だれか」をちょっと上手に広めたい。そんなとき、大いに活躍する力が「編集」です。ちょっとしたコツはあるものの、難しい技術ではありません。実は私たちは「編集しながら生きている」ともいえます。どこに・どのように・だれに伝えるか、日常でちいさな選択を繰り返しているからです。
「編集とは」「企画とは」といった基本から、取材のしかた、インタビュー、そして文章表現まで、プロとして活動する編集者二名から直接学ぶことができる基礎講座です。ピンときた方は、ぜひご連絡ください。お会いできるのを楽しみにしています。
赤司研介・小久保よしの
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[講座日程] 第1回 2024年1月14日(日)13:00-16:30 第2回 2024年1月28日(日)13:00-16:30 第3回 2024年2月11日(日)13:00-16:30
[会場] 奥大和移住定住交流センター「engawa」 奈良県橿原市常盤町605-5 橿原総合庁舎
[講座運営費] ¥30,000(全3 回・税込)
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[申し込み条件] ・奈良県在住で、奥大和に関心のある方 ・上記3回とも受講可能なこと ・各回の後���宿題に取り組めること
※奥大和とは奈良県の南部・東部の19市町村を指します ※県外にお住まいの方で受講をご希望の場合はご相談ください [申し込みフォーム] https://forms.gle/zCtfHbjreysybuN29
[申し込み締切] 2024年1月1日(月)0:00 ※定員に達し次第、受付を締め切ります。お早めにお申し込みください。 [定員] 6名
※定員に達しましたので申し込みを締め切りました!
[内容] 第1回 「編集・企画」 編集とは、いったい何でしょうか。それを身につけると、どんなこ とができるようになるのでしょうか。その豊かな世界や、そうした 基本として「ツリーツリーが考える編集」を伝えます。実際に書籍 や企画が生まれた実例を交え��がら、編集者の仕事、編集的観点か らの「企画を立てること」についても話します。 第2回 「取材・インタビュー」 取材は、編集者の仕事の醍醐味のひとつです。誰を、どのように取 材するか。講師のエピソードを交えながら、そのおもしろさや、取 材の事前準備、インタビュー のしかた、姿勢についても伝えます。 いろいろな手法がありますが、私たちが考える「インタビュー術」 を伝えます。 第3回「執筆」 最終回では、ことばを綴ることについて学びましょう。「いい記事」 とは何か、記事の書き方、文章上達のコツ、紙媒体とウェブ媒体の 表現の違いなどを伝えます。また、文章を書くだけではない「地域の編集」についても紹介します。 ※本講座はSNSによる発信には重きは置いていませんが、講師の2人 がそれぞれどのようにSNSを使用しているかはお話しします。
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