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北九州市小倉南区津田新町の、津田屋官兵衛で、ごぼうおろしうどん780、肉(トッピング)200、〆て980円也。
Burdock tempura and Grated daikon radish bukkake udon noodles and Simmered beef at Tsudaya_Kambei, Tsudashinmachi, Kokuraminami ward, Kitakyusyu city, Fukuoka prefecture.
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投資家に蹂躙される日本
2024年7月21日 01:19
40代女性
「先生が以前書かれた『粉末ワクチン』の記事の中で、「リニューアルした商品に気を付けて」とありました。私もこれについて、思うところがあります。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n21ec27aaf126
国産のサ���リをいくつか飲んでいるのですが、最近やたらとリニューアルされていて、おかしいなと思っていました。調べてみると、ほとんどすべてのメーカーで、投資家が関連した動きがあることに気づきました。
たとえば、私、小林製薬のナットウキナーゼを飲んでいるのですが、これ、今月リニューアルされました。ほら、パッケージが変わったのは見ての通りですが、原材料を比べても何も変わってない。それで、相談窓口に電話すると、「成分に変更はありません。パッケージだけの変更です」と。なぜこんなことするのかな、妙だなと思いました。
ご存知の通り、小林製薬は紅麹問題でメディアから散々叩かれました。その理由としては、いろいろ言われていることは先生もご存知の通りです。
「本当はワクチンが原因の死亡を紅麹のせいにすることで小林製薬叩きのネタに使ったのではないか」とか「日本文化である発酵食品全般のイメージ低下を狙ったのではないか」とか「ヨウ素とか本当にコロナに効く商品開発に取り組む不都合な企業なので攻撃されたのではないか」とか「小林一族とその財団の持ち株比率が高くて外資から見てコントロールしにくい会社だから狙われたのではないか」とか。
どれもありそうな説ですが、私としては、最後の『外資系による攻撃説』に一番説得力を感じます。この記事を見てください。
ものすごいことがさらっと書いてあるんですが、分かりますか?
香港の投資会社(オアシス)が「株主還元の向上、非上場化、ガバナンス改善に向けたオアシスとの協力」という3つの選択肢を提示した。
どういうことかというと、「株価が低迷して困っているようだから、助けてやろう。ただし条件がある。取締役会にうちから送り込む外部役員を迎え入れろ。そして、もっと俺ら(株主)の言うことを聞け」要するに、小林一族の影響力を排除してもっと儲けたいと思っている。究極的には、小林製薬の乗っ取りを狙っているわけです。
オアシス・マネジメントという投資会社は、グローバルハゲタカファンドの代表格です。こういう外資系ファンドがその気になれば、一私企業を潰すことなんて簡単ですよ。なんといっても、アジア通貨危機のように、国家をデフォルトに追い込むことさえできる連中ですから。
自分で騒動を仕掛けておいて、評判が低下してダメージを受けたところで、「助けてあげましょう」とやる。彼らの常套手段です。
オアシスの提案に対して、小林製薬がどのような応答をしたのか。それは分かりません。突っぱねたかもしれない。あるいは、飲んだかもしれない。飲んだとして、具体的にどんな条件を飲んだのか。たとえば「このサプリの製品工程でこの物質を混入させろ」といった指示が出たとすれば、、、
私としては、まったく意味のないパッケージのみのリニューアルが不気味です。何かの合図かな、と思ってしまう。だから怖くて、買えなくて、飲めない。リニューアル前に買い溜めたストックがなくなったら、もう飲むのはやめようって思っています。
最近あった別の事例としては、こんなのがあ���ます。
北越コーポレーションは、紙とかパルプ製品の製造販売をしている会社で、この会社に対してオアシスが社長解任を要求した。「社長のワンマン経営のせいでこの会社が本来持っている企業価値を実現できていないから」という理由だけど、実態は、単なる乗っ取り工作です。外資ファンドによる敵対的買収です。日経新聞が普通に報じてるけど、大問題ですよ。本来は。
幸いこの一件については、北越コーポのバックに大王製紙がついたことで、外資に飲み込まれずに済みました。でも、これからもこの手の攻撃は続きますよ。北越コーポだけではありません。日本の優良中小企業のすべてが彼らの攻撃対象です。
日本人社長の優良企業に対して、攻撃を仕掛け、弱体化したところで、ファンドが「助けますよ」と手を差し伸べる。「ただし条件を聞いてくださいね」と。オファーを受けると、確かに売り上げは急上昇、株価も上がる。ビルは大きくなり、資産も増える。しかしやがて、役員がすげ替えられ、最後は社長解任。乗っ取り完了。
北越コーポは、ひとまずしのいだ。でも小林製薬は、よくない方向に持っていかれた可能性がある。そこの安全性が不安だと、サプリは飲めません。
投資会社は、まず最初、国営企業を狙います。実際、国鉄もやられたし郵政もやられました。その次は、民間の大企業で、あとは中小企業。特に、独自の技術を持っている優良な個人経営者を潰します。最後は、個々の国民。「はい、せーの」の号令で、一斉に全員にワクチンを打たせて、殺すなり病気の種を仕込むなりする。まもなくみんな死ぬから、葬儀場や火葬場にしっかり投資しておく。ハゲタカファンドが日本の富を吸い上げるための構造が、すでに着々と準備されているわけです。
先生、コロナの犯人は誰だと思いますか?いったい誰が何の目的でこのコロナ騒動を起こしたのでしょう?
私、小学生の娘がいるのですが、学校でいまだにマスク着用を求められたり体温を測られたりするので、学校に抗議の意味で電話しました。「いったい誰の指示でこういうことをしているのですか」と聞くと、も��もごと口ごもって要領を得ない答えが返ってくる。「特に誰ということはありませんが、、、」私が厳しく問い詰めると、電話口の担当者は、何かの資料を見たのか、「感染対策協会です」と急に明瞭な返答があった。それで、さっそく感染対策協会に同様の質問をしましたが、やはりよく分からない回答が返ってくるばかりでした。
コロナを仕掛けたのは誰なのか?誰も分からない。一番知りたいところが、見えない構造になっているんです。
私としては、犯人は「グローバル投資家」だと思っています。「ロスチャイルド」とか「ビル・ゲイツ」という答えではピントがボケています。結局のところ、暴力を使って人を脅したり盗んだり詐欺をしたり、というのは投資家がやっています。企業の裏、政府の裏にあるのは、すべて投資家です。彼らが私たちの税金を奪って大儲けしています。
本当のことをいうと、日本はもはや国の体をなしていない。株式会社日本なんです。株式会社であるということは、株主がいます。つまり、この国は、海外投資家のものです。日本だけれども、日本人のものではありません。
そのことを典型的に示すエピソードがあります。たとえば、日本国内でコロナワクチンについて研究することはできません。それで、日本政府はイタリアに研究依頼を出した。ネズミにルシフェラーゼで標識したコロナワクチンを注入する実験がありましたが、あの実験は日本国内で行われたのではありません。なぜなら、日本は株式会社だからです。株主の反感を買うような研究は許されないのです。
もっというと、日本人の労働の成果は日本人には還元されません。株主に還元されます。我々日本人は、海外投資家のために労働し生活しています。
メディアはこれを指摘しません。だから、この構造に誰も気付かない。
いえ、正確には、団塊ジュニア世代(1971~1974年生)、あるいは、ポスト団塊ジュニア世代(1975~1981年生)あたりまでは、かつての豊かな日本を知っています。投資家に蹂躙される前の、日本の富がきちんと日本人により享受されていたのを知っている最後の世代です。
しかしこの世代以降の日本人は、豊かな日本を知りません。日本が今後ますます貧困化していくことはほぼ確実で、かつての豊かな日本を知る人もどんどん亡くなっていきます。すると、貧乏であることが当たり前であり、海外投資家の奴隷であることを当然のように受け入れるようになります。
生まれながらの奴隷は、もはや、反抗のために立ち上がることはできません。
だから、今、声をあげるべきは、私のような団塊ジュニア、先生のようなポスト団塊ジュニアです。今、投資家によってどんどん日本が壊されている、買われていることに対して、しっかり反発しないといけません。でないと、この国は本当に終わってしまいます」
投資家に蹂躙される日本|中村 篤史/ナカ��ラクリニック
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつも���冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦し���は、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染���ない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調��報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
通巻第8221号
後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派��狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
(2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。
古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあ��、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
(『月刊日本』から再録です)
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所��。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンア��ス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が��されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動���を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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J-WAVE SPECIAL PREVIEW一般試写会レポート
4月11日、本作の公開を前にして、主演の大美賀均、撮影を担当した北川喜雄、そして編集の山崎梓が登壇するトークショーを行いました。当日は濱口監督よりビデオメッセージも上映しました。 当日のレポートを掲載いたします。
登壇者の登壇前に、「みなさま最初で最後の試写会いかがだったでしょうか?皆さんの反応が気になるのですが、その場にいられなくて申し訳なく思っています。ただ、自分たちとしても、すごく良い仕事ができたなという感触を持っています。音楽の石橋英子さんの発案から始まった企画ですが、自分にとって充実した、幸福な制作でした。映画の内容は幸せだけではないところもありますが、皆さんにとって楽しめるものであったらいいなと思います。あそこはこうだったんじゃないか、ここが好きだ、嫌いだ、とかそういう話を皆さんとしていただいて、話題にしていただければと思います。���フタートークも是非最後までお楽しみください。」と濱口監督のビデオメッセージが流され、その後MCの呼びかけで登壇した登壇者。
早速、どのようなきっかけで本作が始まったのかという話になると、撮影の北川が、「大美賀さんが合流する前に、まずは石橋さんに会いに行こう、ということと、音楽映画をどういうふうに撮ったら良いのかという命題の元に、石橋さんのスタジオに濱口さんとふたりでカメラを持っていったのが一番最初でしたね。その時点では、まだタイトルも決まっていなくて、石橋さんのパフォーマンスのバックグラウンドに流れる映像制作ということだけ聞いていました。」とはじまりを語る。
大美賀も「濱口さんとは、『偶然と想像』という作品で制作部として入ったのが始まりでした。そこから、今回も初めはスタッフとして、北川さんと三人でシナハン、ロケハンに回っていきましたね。」と、自身のはじまりを語ると、北川が「小淵沢に三人で行ったのが始まりでしたね。みんなで田舎暮らしはどういうものだろう、と言ってやってみようということでスタンドインをしながら、薪割ったりしましたね。」と、当時を重ねて振り返る。そこから、どういったかたちで“主演”を務めることになったか聞かれた大美賀は、「2回くらいシナハンに行って帰ってきたタイミングで、「驚かないで聞いてください。」と濱口監督から電話がかかってきました。何かやってしまったのかな、とちょっと怖いですよね(笑)そして、「出る方に興味ありませんか?」ということで本当にサプライズでした。」と、まさかのサプライズに観客からも驚きの声が上がった。「当然びっくりするわけですが、濱口監督は経験豊かで、『ハッピーアワー』も経て職業俳優ではない方と映画をつくられてきた方なので、そんな監督がそう言うなら面白いだろうと思いました。濱口監督にとっても新しいことをやってみようということだったので、その一員になれるなら、とワクワクしていましたね。」とオファー当時を振り返る大美賀。
濱口監督とは東京藝大の同期であったと言う山崎は「在学中は一回も一緒にやっていなくて、実質、卒業後からでしたね。わたしが卒業後は大学院の方に残って4年くらい大学で助手をやっていて、その間に海外の学校との合作など色々なプロジェクトが動いている中で、『THE DEPTH』という韓国の大学との制作にはいるときに、わたしが学校にいたということと、私が編集を続けるという選択肢をしていたということとか、私がいると学校にいるので機材もつかえますし(笑)とか色々あり、一緒にやりました。その『THE DEPTH』をやる前に『永遠に君を愛す』というのもありましたね。」と濱口監督との制作のはじまりを話す。そこから、「今回は、「石橋さんの『GIFT』という作品のためのものを、撮ってあります」ということから始まって素材を渡されて、「え!」みたいな。(笑)台本はいまでももらっていないです。」と、ここでも驚きのエピソードが飛び出す。北川も山崎が入ったタイミングのことを、「撮影中盤で、『悪は存在しない』という映画をまずは成立させた後に、その編集を解体して『GIFT』をつくる、という話を聞いていたんですけど、良い撮影ができていって、撮影の終盤に『GIFT』の方を山崎さんに頼もうと思うんだよね、っていうのを濱口監督がぼそっと言っていたのを覚えています。」と思い返す。山崎は「確信犯ですね。(笑)」と突っ込みつつ、「素材自体は一般的な音声が入っている映像が届いたんですけど、撮影順に整理されていて、「どうぞ」と言う感じでしたね。(笑)何をどうするか、というのはずっと手探りでいて、まずは素材を観て、何ができるかを考えようということで、頭から最後まで(濱口監督と)一緒に観て、「何をつくりましょうか?」という話になりましたね。前提として、石橋さんのための音楽ということはあったので、『GIFT』の編集の時は最初から、スピーカーをミュートにしてやっていました。」と、編集の裏側が明かされていき、観客も聞き入る。続けて、「『GIFT』の方を着手して、色々試行錯誤していく中で、『悪は存在しない』も並行してやって、どこがどうこのふたつは違うのか、じゃあ『GIFT』がこうしたいなら、『悪は存在しない』はどうするのか、“編集交換日記”というか、お互いどうしてるのかみたいなのを話していましたね。部分的に繋いだもので、良きものはどちらかに入れたり、というのを並行してやっていました。」と本プロジェクトだからこその共同作業のプロセスも明かされる。
本作以前より濱口監督と関わりのあった三人に、他の作品との制作の違いを尋ねると、山崎は「今までの作品は、完成形が「こうなる映画である」というのが明確にあったと思うんですね。今回、『GIFT』は特に全くなかったので、今回の試行錯誤の多さは今までに全くなかったものですね。ストーリー展開も自由で、寓話っぽいかたちで、そういうものも受けいれられる自由度の大きいプロジェクトでしたね。」と、しみじみ語る。北川も10人前後での制作体制の現場を振り返りながら、「濱口さんの場合は、皆がやったことひとつひとつが、この作品のためにどうなるか、自覚しながら、現場が作られる、場がつくられます。みんなが作品のために何をやっているかちゃんと明確に分かって仕事ができる、それが喜びにつながるし、それがすごく楽しいですね。そういう場をつくってくれるのが濱口さんですね。」と濱口監督ならではの現場での体験を語る。
映画中盤のグランピング建設の説明会のシーンの話になると、「ホン読みを何度も繰り返しやって、あの説明会のシーンは2日間あったのですが、1日目の午前中は丸々ホン読みに使いましたね。」と贅沢な時間の使い方を振り返る大美賀。「現地のエキストラの方と、東京から来た方���50人くらいのエキストラの方が演じる人の背景や、グランピングに賛成なのかどうなのかという設定を、助監督の方がひとりひとりにお渡ししてましたね。大変だなというのを見ながら、自分は撮影の準備に集中していました。(笑)」と、北川も振り返るが、そういった積み重ねがあったからこそ現地のフィルムコミッションから「こんなにエキストラの皆さんが楽しそうにやっているのは見たことがなかった」という声が上がったことも明かす。編集の山崎も、「編集素材を見ていてもそれはすごく伝わってきました!そのシーンはなんか揉めてるなと思って見ていたのですが(笑)、2日間で撮影した説明会って2カメで、素材は通常の倍以上あるわけですが、全然楽しかった!このおじさんすごい賛成している、というのも分かるので、(演じている)皆さんも何回もやっているはずなのに、白熱して、とても楽しそうでしたよ。」と絶賛。現場にいた北川も、「エキストラの方も、生で舞台上で演技をしている人の中に入って見ているような状況なので、アトラクション感ありますよね。最初はどのタイミングで誰が立つのかわからないので、面白かったはずです。」と話す。
そんな中、初めての演技経験に挑戦した大美賀は「いままでにない緊張をしましたね。頭を打ったりすると目の前に蝿が飛ぶってあるじゃないですか。あれが本当に起こるんですよ!(笑)本当にセリフが出てこなくて、間があったり、三行のうち二行を飛ばしてしまったり、最初のテイクはかなり続いてしまったんですが、濱口監督は「それはそれでオッケーです」とか、「本当に集中している時はセリフを飛ばします」と言われるんですよね。」と現場での濱口監督のフィードバックを明かしながらも不安そうな表情をする。そこで、北川は「実は初日の3ターン目くらいに、(撮影の)飯岡さんが「大美賀さんのいいところが撮れたよ」って言ってくれていましたよ。」という話を明かし、安心した表情の大美賀だった。
最後に、北川が「噂によると、2、3回目観るとまた違う感覚に陥ると、そのようにできていると、監督と石橋さんもおっしゃっています。(笑)すごく綺麗な自然の中、そしてミニマムながら一番いい光の時間を考えながら、楽しく撮影できた作品なので、大きなスクリーンで観ていただけたら嬉しい気持ちでいっぱいです。」と、山崎が「濱口さんの作品の編集が終わった時、「観たことない映画ができたな」という感覚になるのですが、今回も「観たことがない」というのを本当に感じたので、皆さんも宣伝にご協力いただき、また観ていただけたらと思います。」と、大美賀が「僕もこの映画は8、9回観ているのですが、山崎さんが仰るように、説明会のシーンの町の方の顔一つとっても、観るべきところがあります。自然と音楽と、とても気持ち良いですよね。この後、お酒でも飲みながら話したり、観た後も楽しい作品です。感想等、書いていただいたら励みになりますので、宜しくお願いします。この映画を気に入っていただいた暁には、『義父養父』(大美賀の監督作)も観ていただけたら、理解が深まると思いますので、宜しくお願いします。」と話し、トークショーは終了した。
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紹介や
コリーです。紹介します。
あろハム権左衛門
心の中に少年を宿している。突然キャッチボールを始めたりたまに壁に埋まったりしてる。オムニのときから思ってたけどダンスめちゃうま。オレンジのキャスパをオペ席から見れたのは良い思い出。背高いしなんかスポーツやってたんかなって思ってたら中高文化部らしい。
ゲネで指輪と間違えてイヤーカフはめようとしてたけどマイム超分かりやすいし芝居も貫禄あってすごい。掛け合いのシーンまじで気持ちいいんよ。
キャスパ自分が出ないところなのにバチクソかっけえ振付考えてくれたのほんまやばい。35期のキャスパはもう安泰ですね。
海泥波波美
なんやかんやで一番絡むことの多い奴の一人。この前の競馬楽しかったな。3連単当てるの脳溶けるな。どうやら新歓の頃はめちゃくちゃ絡みにくいと思われてたらしい。orz
アサギは自分がもう一人後輩に欲しいと言ってるけどもうこんな奇跡のバランスした人間は現れないと思う。
今回の役ではアサギの普段ない一面が垣間見えた気がする。
苔丸
いつも衣装で頼りにさせてもろてます。どんだけエグい衣装製作があろうと苔丸おるしなんとかなるやろと思ってしまう自分がいる。というか苔丸がいないと衣装斑が崩壊しそうな気がする。
今回みんなが見逃しがちな色んなところに気付いて教えてくれた印象。苔丸がいないとちゃうかが崩壊しますね。
キャスパわがまま聞いてくれてありがとう。マジで神です。
冊まいむ
初めての音響チーフ。がんばれ!コマ数の多さに苦しんでる。がんばれ!パソコンがぶっ壊れてめちゃくちゃ困ってた。がんばれ!パソコンがぶっ壊れるの辛いですよね。こりはもう3回初期化したよ。
キャパ的に結構心配してたけどそれを吹き飛ばすくらい役がハマってる。
がんばれみそか!負けるなみそか!
襟君
君がいないと生きていけません。いつも課題見せてくれてありがとうね。あなたは私の命の恩人です。今度奢ります。
とてもすごい筋肉をお持ちなのに照明仕込みはいつも卓に回るから吊り込みはあんまできないのは照明班七不思議の一つ。ポージング決めてるときのえりちゃんの笑顔がこりは大好きです。笑顔も筋肉も輝いてるよ。
ミル鍋
一度電チャリを貸してから何回か借りにやってきてる。ふはははは良いだろう電チャリは、もう普通のチャリには戻れまい。何度でも貸してやろう。
舞台とか本チラとか映像とかキャスパとかセンスが爆発してる。その他色々なところで奔走していてゆにほんまありがとうな😭となっている。芝居の感じとかもちゃうかで1番好きかもしれない。最近真面目なタイプの役が続いてたからもう一回霊Cみたいな役が見てみたい。
大福小餅
階段を無理矢理チャリで降りたらこふくも一緒にチャリで降りてた。一体なんてことをさせてしまったんだ。嗚呼
舞監でいっぱいいっぱいやろうにずっと稽古頑張ってて尊敬。そういえば秋公のときも朝早くから自主練してた気がする。でも時折めちゃくちゃ眠たそうにしている。無理はしないでください。
中森ダリア
オムニ仲間その1。本人の口から飛び出るエピソードに困惑する毎日です。すごい世界に生きてるねあんた...
1番ちゃうかで麻雀打ちたそうにしてたひらりさん、この前やっと打てました。数え役満アガってました。ちゃうか麻雀で初めて見たよ数え役満。
ひらりの今回の見せ場はまぁなんといってもアレですよね。楽しみにしてるぜ。
帝京魂
やれやれ系主人公。演技中に目が合うと目力が強すぎて笑ってしまう。あと口笛ずっと練習してる。最近やっと呪術を履修したこりの領域展開にいつも反応してくれる。
今回1番衣装が似合ってるのは彼。なんでそんな作業員感出てるん。なんか気付いたらいつもパンチ掃除してるし。役作りも完璧ですか。いつもコンちゃんは社会の荒波に揉まれた感の役やってるから今度は純粋無垢な役をやって欲しい。
しょこら
オムニ仲間その2。秋公の楽ステのアドリブほんますこ。あの後小一時間擦ってた。インスタで度々不憫な情報が流れてくる。ほんま災難やな...
今回の役はこらしょ史上一番のハマり役。最高の無量空処をかましたれ。
黒井白子
ちゃうかで1番最初に仲良くなったのは白子と言っても過言ではない。
今回は暇さえあれば稽古したり他の役者にアドバイスしたりしてずっと稽古場を回してた。流石に体力的にキツくないかと思ってたけど稽古終わりの彼から出てくる言葉は「幸せだあーー」どうやら新人でもその演劇サイボーグっぷりは健在のようです。
彼の異次元の存在感に乞うご期待。
鴨兎春
舞美ネキ!彼女にはネキの称号が似合いますよね。
マジでおもろいこの人。流石生粋の大阪市民、ただの豊中市民には辿り着けない領域にいる。それだけじゃなくて、タテカンバチくそかっけぇ。あと普段着もかっけぇ。おもろかっけぇ。
今回は初めてのでかい役なわけですが、舞台上でもかっこよく仕上がっております。
園堂香莉
我らが照明チーフ様。誰も彼女には逆らえません。秋公のときはひまわりだったけど今回はオペ席からみんなをひまわりにしてくれる。
あとキャスパ激エモい。神。照明チとキャスパ担当が同じだとあんなに素晴らしいものができるんですね。
個人的にはもっと役者して欲しい。あの綺麗な声は唯一無二だと思ってる。けどオペの技術もすごいんよな。でもオペ席に縛るのももったいないんよな。なんかいい方法ないですかね。
まろん
35期が誇るオペマスター。オペオペの実の能力者。新しいオペ概念を生み出して欲しい。外公のときの音響オペは神がかってた。
なんかバイオリン習ってるらしいですね。ガチでちゃうかでオーケストラできるんとちゃいますか。一回ガチ演奏見てみたい。
テキストを入力
想像の100倍フレンドリー。PVやべぇよカッコ良すぎんだろ。1ステ前なのに100周したわ。彼のおかげで35期のかっこよさにバフがかかってる。これから2年このクオリティの映像が見れる私達は本当に幸せ者です。
紫仏瑠唯
実はがっつり話したことはなかったりする。だけどめちゃくちゃ真面目でしっかり者なのは知ってる。オムニのときもその人間性が滲み出てるのがオペ席から見てて分かった。もっかい役者やってくれないかなぁ。待ってます。
近未来ミイラ
演出様ぁ!!!!もうね、彼すごいんですよ本当に。頭の中覗きたい。こりはこの脚本が今までで1番好きです。冗談抜きで。もっと自信持って欲しい。なんでそんなすぐヘラっちゃうの。まぁそんなところも好きなんですけれども。みーらといえば小ボケのイメージをみんな持ってるかもしれないけど実はみーらのツッコミもめちゃくちゃ面白い。あのがなり声本当にクセになる。
みーらとここまで走れて本当によかったです。楽ステで泣かせてやるからな、覚悟しとけ。
新人が終わる音が聞こえてきますね。自分はかなりちゃうかに依存している自覚があるのですが、新人が終わるとしばらくはちゃうかがないわけです。寂しいですね。文字打ってたら余計に寂しくなってきました。どうやらこりは思ってた以上にちゃうかが大好きなようです。
寂しすぎて死なないように、脳裏に焼きつく強烈な思い出を作ってやろうと思います。
35期ってすげえんだぜ!VAMOS!
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静かな波を装いに - amachi. "Undulate Jacket" / "Undulate Pants"
こんばんは。
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まずは、明日からの営業予定のお知らせだ。
6/5 (月) 〜 6/11 (日) 営業予定
6/5 (月) 13:00 〜 20:00
6/6 (火) 13:00 〜 20:00
6/7 (水) 13:00 〜 20:00
6/8 (木) 15:00 〜 20:00 ※
6/9 (金) お休み ※
6/10 (土)13:00 〜 20:00
6/11 (日) 13:00 〜 20:00
※ 6/8 (木) は15時からの営業となります。
※ 6/9 (金) はイベント搬入のためお休みとなります。
※ 6/10 (土) より"osakentaro POP UP"が始まります。
・
いよいよ週末から"osakentaro POP UP"が始まる。かなりユニークなアイテムが並ぶはずなので、ぜひ遊びにきてみてはいかがだろうか。
さて、本日の本題に入る前に。
先週、群馬の桐生に伺った際、オープン前に自然豊かな川辺やダム湖に連れていってもらった。
お天気にも恵まれて、木々の隙間を縫って日差しが差し込む川辺。
また、穏やかな波がたつ湖面。
・
大阪市内に拠点を置く身としては、なかなかと触れることのできない環境。
あまりの心地よさと美しさに、眺めているだけで心が落ち着く。
・
そんな風景を眺めていると、こうった自然の表情をテキスタイルに落とし込みたくなる気持ちが理解できた。
・
目の前に広がる、自然が見せる一瞬の表情。
それを切り抜き、布に閉じ込められたら。
そんなことを思わずにはいられなかった。
さて、本日は、そんな水面の揺らぎに見た感動にちなんで、"amachi."の素晴らしいアイテムを紹介させてもらおうと思う。
amachi. : Undulate Jacket ¥89,100 (tax in)
amachi. : Undulate Pants ¥89,100 (tax in)
基本、"amachi."の服に用いられるテキスタイルは全て、オリジナルとなる。
シーズンコンセプトに合わせて、"amachi."がテキスタイルから作り込む。
・
だから、展示会に行くと素材の説明を聞かせてもらえるのだが、聞くたびになるほどとなるような、面白いテキスタイルに毎シーズン出会う。
素材好きな僕として、どれもユニークな視点や発想で、ワクワクさせられてしまうのだ。
・
今日、紹介するアイテムもそんなワクワクしたテキスタイルを用いた1着となる。
・
Collection 012 / SS 2023
"Regarding Wave"
波について
風について
それらを感ずる石を想う
葉や梢は媒介者
大気の中に存在するすべての道
打ち寄せる
流れ込む
吹きすさむ
そよぎ、傾き、浸食する
何を見て、何を見ないのか
とどまることなき存在の瞬間
・
今季の"amachi."のコレクションテーマを記載したカードには、このように書かれている。
・
自然に身を置き、観察することで、気がつくことをデザインに落とし込む"amachi."らしさを感じずにはいられない。
・
今日紹介するこのアイテム達。
素材はリネンとキュプラの異なる糸を用いたアイテムとなる。
リネンの比率が多めなので、ムシムシ、ジメジメするこれからの季節にもサラッと着用することができる。
肌寒さを急に感じたり、夜も深まると急に気温も下がったりする。
こういったサラッとしたジャケットはこれからの季節にかなり重宝することができそうだ。
・
太めのリネンの糸とキュプラの糸を使って織りあげた素材に、加工を施すことで、テキスタイルに波打つような表情が生まれる。
・
先日、僕が桐生という街で出会った、穏やかで静かな波のような、そんな表情なのだ。
そんなテキスタイルを用いたジャケット。
ゆったりとして、穏やかで、とても美しい。
・
ち��みに、ジャケットはリバーシブルで着用することができる。
裏側にすると、ライトグレーのような淡い色味となり、より爽やかな印象を与えてくれる。
・
一方、同素材を用いたパンツ。
ウエストは共布の紐で調整ができる。
シルエットはワイドで、動きやすく、そして、何よりも涼しい。
リネンをベースにした素材ということもあり、夏場でも快適に着用ができそうだ。
また、個人的に、足元をキュッと絞れるようなデザインというのもおすすめのポイントになる。
スニーカーやサンダルなどラフなシューズに、キュッと絞って合わせる。
とても素敵だと思わないだろうか。
・
波打つ素材が生み出す、奥行きのある表情。
装いに取り入れ、光が当たることで、その表情は一層際立つ。
特にジャケットの背面のシルエットが素敵だ。
ゆったりとして、ストレスを感じないのに、羽織った時、気持ちはちょっとピンとしたような。
特別な気持ちを感じていただける。
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その瞬間、服を着る楽しみのようなものを強く実感する。
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素材良し
デザイン良し
季節良し
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この3つが重なった時、その日の装いは特別なものになるはずだ。
もし良かったら一度店頭で袖だけでも通して見てほしい。
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またこちらは現在オンラインショップにも掲載をしているので、合わせてそちらもご覧いただけると嬉しく思う。
波というと、海を先に思い浮かべてしまうけど、この"amachi."のアイテムにおける揺らぎというものは、静かで穏やかで。
そんな波に感じられる。
それは、川のせせらぎの合間に生まれる波だったり、湖のような閉ざされた空間で生まれる波だったり。
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桐生から帰ってきて、店でこのアイテムを見た時、あの時の思いが呼び起こされた。
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このアイテム達を纏った日。
きっと、そんな穏やかな美しい世界を感じてもらえるはずだ。
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それでは次回もお楽しみに。
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少女 ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個 生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする そんな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆われる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった 純粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまったままで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで
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別府(べふ)のうどん和助
城南区役所の近くにある豊前裏打ち会の人気店です。
店内は狭いです。
食券機 ~ 豊前裏打ち会のお店はどこも良心価格です。
1時過ぎ
ミニ牛とじ丼セットを頂きました。
別府橋・六本松方向
2023.5.23
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2022
2022年は本当に苦しいことがたくさん起こって、笑うこともできないほど厄年然としていた。豊かな幸福と引き換えにおそろしい出来事が絶え間なく降り注ぎ、命の残機が尽き果ててさすがに死んでしまうかと思ったが、なんとか生き延びて年を越そうとしている。 朝からビールで乾杯して、「本当にお疲れ様」と、苦しい出来事のすべてに付き合ってくれた親友の女が労ってくれた。昼には、「あなたは人生の苦しみをすべてやりきったよ」と馴染みの蕎麦屋で親しい人が慈しんでくれた。
何が起こったか、もはや掘り返して書き並べることすら心を壊しかねないので控えるが、へとへとに疲弊して自らを生かすことすらできなくなってしまった時に「生きて」と言って手を差し伸べてくれる人がいるのだと知れたことは大きな恵みであった。言葉をあつかう友人たちが「僕たちがあなたが生きることを引き受けるから」と、地に倒れ込んだ私を引き上げて、匿ってくれた。自分の力でみずからを生かすことができなくなったことを理解して彼らを頼ったとき、私はようやく大人になったのかもしれなかった。
しみじみと思う。死ぬよりも生きるほうが遥かにたやすいのだと。人間は、生きているうちは、どうしたって生きることを選んでしまうのだと。 「私たちは、どうしたってあと50年は生きなければならないんだよ。その人生を明るいほうに向けることを考えなきゃだめだよ」と、私の生を明るい方に導こうとする美しい女に言われた。年の瀬によくあるふしぎと晴れやかな真昼の、陽光が燦々と注ぐ八丁堀のベトナム料理店でのことだった。 どうしたって、あと50年は生きなければならない。その前の週にも、昼下がりの自室で同じことを言われた。「80歳まで、一緒に生きてくださいよ」。80歳まであと50年ある。そんな途方もない年月を、「私と共に」と語り、傍にいると誓う人がいる。信じていいのだろうか、その言葉を。
何度も何度も刻み直されて骨まで達した深い心の傷と、それがもたらした鬱、正気を保っていたくないという一心でアルコールに縋って暮らしたことで依存症状態となった日々は、社会生活が崩れる寸前にまで至っていた。 2022年、何度「死にたい」と願ったか、何度、一人の夜に包丁を持ち出して茫然と部屋を彷徨ったかわからない。それほどの思いをしても、なお、私は新しい年を生きようとしている。生に絶望し、死にたいと一心不乱に思い詰めている瞬間の自分がこの様を見たら、きっとそのぬるさに落胆するのだろう。それでも生きている。どんなに滑稽で、惨めで、醜くとも、私は生きようとしている。その事実を、もう何十年も惰性で抱えている「死にたい」という感情とのあいだで折り合わせなければならないと思った。どうしたって、あと50年は生きなければならないから。あと50年は生き延びなければならない生に、私自身がしてしまった。死ねない生に。
死ぬことばかり考えている状態からは、人の助けを借りて抜け出した。抜け出した遠い目で、遠く虚な目で、あの傷が何によってもたらされた傷であったかを回想する。それは「言葉の裏切り」によるものだったようだ。 私は言葉を信じている。私は言葉を信じていた。「あなたを愛している」という言葉を信じた。「一生大事にする」という言葉を信じた。「君を幸せにする」という言葉を信じた。そこに身を委ねて自分を溶かした。けっして嘘ではなかった、この上なく真摯だったそれらの言葉たちは、しかし、結果的に現実と私の実存とを裏切った。夢見た永遠は叶わなかった。溶けてしまった私だけが、不毛の砂地に捨て置かれた。言葉を信じて、溶けてしまった私だけが。 溶けてしまった私の体に刻まれた無数の傷に、砂地の砂が傷口に入り込み、肉の奥をえぐって痛む。永遠を反故にされた恨みを、それとは矛盾する果てしない愛を、訴えようとするが形を取り戻して起き上がる気力がない。諦めばかりが体中を這い、気力を地に打ちつける。もういい。もう求めたくないし、与えたくない。やがて鳥が、砂地に横たわったこの屍体をついばみにくるだろうと、そうして消えて失くなることもできるだろうと待っていたが、乾いた砂地で、私をついばむ鳥はついぞ飛来しなかった。 どれほどの時間がたっただろう。百年はもうたっただろうか。日が昇り日が沈む空の色と、そこに舞い立つ砂埃だけを眺めているうちに、次第に溶けた体が形を取り戻した。砂によって膿みきって腐食していた傷は、形を取り戻してもまだ残った。二度ときれいなからだにならないことが一瞥するだけでわかった。私の体は澱んで醜かった。砂まみれの臓器が肋骨の下であらわになっていた。
即時と永遠。人間が身体を生きている以上、その二律背反は「真」を傷つける。私は「真」しか求めておらず、しかしそれは、現実においてはおよそ可能ならざるものだと、いいかげん思い知った。ずっと信じていたのだ、愛と知と力を尽くせば「真」を生きることができるはずだと。その信念が私を輝かせていた。今は二択に立たされている。このまま信念を貫いて孤独に耐えるか、挫けて安寧に抱かれるか。
言葉は人を縛る。言葉の本質的な役割は「呪縛」であると、周囲の誰もそれに気づいていない若かりし頃から、私だけはその恐ろしさをよくよく理解していた。それゆえ私は言葉を使役し言葉で人を縛った。言葉で人を傷つけて破壊した。言葉で人を癒し、守ってきた。私は言葉を信じていた。それしか信じるものがなかった。信じては裏切られ、また信じては裏切られ、それでもまだ言葉に縋っている。 言葉は神とは違う。わかっているはずだったが、結局は、私は言葉以外に神を持てなかった。神なる言葉は、人の力では到底届かないような一方的なものではない。私と言葉とのあいだには相互性がある。言葉も私を信じていることが感触としてわかる。だから信じるに値した。信じられているがゆえに傷つくことすら受け入れられる。私の、唯一の、神。
実存における愚かな私が悶え苦しみながら生き抜いた2022年、理性をきちんと維持していながら情念の上ではもうほとんど気が狂ってしまっている私の結論はこうだ。 信じてよいのは、他者の言葉ではなかった。私は「言葉」の範囲を拡げすぎたのだった。言葉を信じるのは間違いではない。ただし、「私の」言葉だけが信じるに値するのだった。あるいは、私の水準で、つまり神に捧げるものとして言葉を扱っている人間の水準で言葉を営んでいる者、言葉と自己を最も深いところで接続している者の言葉だけが「真実」を示すのだと、人生を言葉に捧げている者の言葉だけが信じるに値する言葉なのだと、そう判断するべきである。それが私の2022年の反省だった。
なんとも狭量な結論ではないか。こんな難解な札を掲げて、誰が私を愛そうとするだろう。自分がなぜ愛されるのか、誰に愛されたいのか、そして誰を愛しているのかさえも、今年の傷がゆえにとっくにわからなくなってしまった。しかし、私がわからなくなってしまっていようとも、そこに愛があることだけは確信できる。わからなくとも、愛している。愛する人が健やかな生を送ってくれさえすればそれでいい。何もわからなくなってしまった私のことはもういい。愛しい人たちが健やかに生きている、それだけでこの世は素晴らしいはずだ。
徐々に回復している。少しずつまた、わかるようになるだろう。理知を取り戻した時、私にはもっと、もっともっともっといいものが書けるはずだ。そう信じて神との対話に日々を費やす2023年にします。正座。
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デスメタルのリフを遅くして、ハードコアパンクの形式にザクザクと刻みを入れてみる(ビートダウン)。またはツービートや横山やすし・西川きよしの漫才のテンポを遅くし、ザクザクと分節した時間を引き延ばしてみる(ダウンタウン)。みたいな書き方をしてみるのはどうか。またはベルンハルトのようにダラダラと思考を冗長に垂れ流すのはどうか。That’s life.
『極道たちの野望』のエスタブリッシングショットが面白い。タイトルからして一見ヤクザ映画だと思うかもしれないが、いや、ヤクザ映画なのだが、これはジャンルとしてはヤクザVシネである。ヤクザVシネを見たことが無いという方は一度動画配信サブスクに入ってワンシーンでもヤクザVシネを見て欲しい。いや、見なくてもいい。見たところで思う何かは人生にとって重要なものとなるにはあまりにも時間が短すぎる。私たちは呆然とする時間などない日常で、剰余価値生産のほんの僅かな間隙を縫って作った政治活動の時間までコンテンツ消費に使わなければいけない。どうせ死ぬのだからと、右翼の街宣車をハイジャックしストサベのHardcore Prideを轟音で鳴らしながら財務省に投石、火炎瓶、そのまま突っ込み身体に巻いていたダイナマイトで爆死する心積もりならば、こんな駄文を読んでいる暇などない。早く行け。俺はやることが他にあるからそれをやってから行く。と、ある友人にメールを打ってからというもの、以下のようなメールが絶えない。急なDM失礼します。ママ活をしたい女性からの問い合わせが多く男性が足りておりません。綺麗な女性が沢山いますので是非この機会に参加してください。ご質問等ある方もLINEを追加してご連絡ください。募集中のママさんを公開していますのでよかったら見てください。今日から募集の方も何名かいらっしゃいます。ご連絡お待ちしております。 ヤクザVシネの見つけ方として、まず動画サブスクの検索バーに「小沢仁志」、「中野英雄」、「清水健太郎」、Fuck「中条きよし」、「白竜」などと打ってクリックすると、怖い顔のジャケがずらっと並ぶと思う。その中でタイトルがどうも「臭う」ものを選んで再生ボタンを押してみよう。またはレビューの星の数が3ないし2以下のものを選ぶとより高い確率でヤクザVシネに辿り着けるはずだ。まずは3分見てみる。すると自分の映画鑑賞史の中で培った映画的感覚が妙な違和感を示すはずだ。何かがおかしい…。アナーキーな整音、虚無な照明、身体性がハイのカメラ、アウトオブコントロールな役者、RAWハードコア解像度、shit美術などなど、カチッと何かにハマってない、どこか外れた感じがあるだろう。非芸術的な粗雑さと細部の欠陥、冗語気味な展開、これがVシネの持つ特有のコンテクストである。俺はこれを多大な賞賛を含んだ意味で「映画の外道」と呼んでいる。その中でもヤクザVシネは「映画の外道」の看板ジャンルである。他にエロVシネや金融系、麻雀系、ヤンキー系、パロディ系のVシネなど色々ある。Vシネとは何なのか?ネットにこう書いてあった。
《Vはvideo(ビデオ)の頭文字》東映が平成元年(1989)に発売を開始したオリジナルビデオ映画。 映画館公開のためではなく、最初からビデオとして発売したり、レンタル店に配給したりするために作った映画作品。 商標名。
1989というとベルリンの壁崩壊、昭和天皇崩御、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領就任、天安門事件、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!が放送開始など日本然り世界的にも歴史の転換期となった出来事が起こった年だ。そんな激動の裏っ側でレンタルビデオショップに卸されるためだけに作られたビデオテープの映画作品がVシネというわけだ。今はデジタル化に伴いソフトはDVDとなり、主な販売先は多分ネット配信サービス会社だろう。
『極道たちの野望』は2016年に作られた正統なヤクザVシネだ。竹内力主演で、1997年に竹内力が設立したRIKIプロジェクトが製作、販売?はオールイン エンタテインメントを引き継いだライツキューブである。内容はヤクザ社会の勢力争いと内部抗争がセットになったものと、跡目レース、ヤクネタ、御法度の凌ぎ(シャブ)話がプラスされたものだ。これはヤクザVシネで形式化された話の型の一つだろう。これ系のヤクザVシネはごまんと作られたはずだ。ヤクザVシネにはこうした話の型があるので、その微妙な切り口の差異を「撮影」で見て楽しむ、というのは私の鑑賞方法だが、ヤクザVシネ好きは結構そういう人が多いんじゃないか?例えばハードコア(パンク)も大体の形式があり、その範囲内で微妙な違い、またはパターンや要素の組み合わせを楽しむ音楽ジャンルなので、似ている面がある。ただ、ハードコアは特にメタルと融合することで水平的に発展していった歴史があり、いくつもの派生ジャンルが生まれている。逆に初期のUKハードコアの形式(D-beat)の攻撃性やスピード感はスラッシュメタルに影響を与えている。のちにクロスオーバースラッシュというスラッシュメタルとハードコアが融合したジャンルが生まれるが、パンクとメタルが融合してハードコアに派生ジャンルが生まれまくったその原点は初期のUKハードコアの形式=D-beatおよびDischargeにあると言えるんじゃないか。ヤクザVシネはどうだろう。見ている本数はそこそこあるが、というか沢山見る必要性も感じていない、時代的に時間が有限すぎてとても見尽くせない、けれども、水平的にあらゆるジャンルが派生していった、ということは聞いたことがないし、自分が見ている限り何を見ても全て大体同じではないか?と感じる。先に書いた型を発展をさせずにずっと守り続けているのが、ヤクザVシネということだろう。
撮影技術の極端な洗練されてなさがヤクザ映画のアンダーグラウンド、「映画の外道」の真髄であると言ったら怒られそうだが、洗練されてなさ、愚鈍、crass的な要因は低予算=時間をかけられないという背景にもあるだろう。そのためまだ予算がある程度潤沢だったであろう90~00年代より、(ピンク映画監督の江尻大 a.k.a EJD曰く) 2010年以降予算が付かなくなってからがVシネ業界を非技術によるAnything goesが席捲し、ファン側からするとより益体の無いマニアックな見方ができるようになったという点で「映画の外道」の全盛期と言っていい。以前であれば非技術によるAnything goesのようなものを「映画の(素材の)拡張」と書いていたが、自��の作品でもよく使っていた言葉だが、どこかグローバリズム臭がするんですよね、ローカルを守り楽しむ方法を考えたいと、マニアしか���からなくていいじゃないすか?というかグローバルに誰でもわかることなんかやってねーよってことで使用禁止にしてます。 一方でVシネは無名な俳優が沢山出ていることから雇用を生み出す役目も果たしているように見える。というか、製作側からするとエンターテインメントとしての需要もあるだろうが、雇用を創出することが本来の目的なのではないだろうか。昔からヤクザVシネくらいでしか見ない俳優が沢山いる。しかもあらゆるヤクザVシネが大体同じメンツ、しかもギラついた男のような人間しか出ていないので、非常にホモソーシャルなコミュニティの中で経済が回っているようである。その人たちを食わすためにヤクザVシネが未だ滅びずに存続しているのではないか。また、そのために型を守り続けている、ということではないか。型が発展しサブジャンルが生まれると必要な人材も変わってくるし、元のジャンル自体の資本が分散してしまい、自ずと分配も減る(んじゃないのか?)。ただでさえ日本の映画界はーまあ知らんけどー資金集めに苦労しているのだから。ハードコアのライブに行くとNYHCやビートダウン、パワーバイオレンス、メタルコアなどのモッシュ主体のジャンルや激情系には若い人がチラホラいるが、クラスト、ノイズコア、グラインドにはジジイババアしかいない。というのと同じことで、派生ジャンルが発展すると古いジャンルは淘汰される。この変化や発展を食い止めるための型の保守なんじゃないすか?もしや。大ヒット作『日本統一』シリーズはそんな連綿と続く「終わりなき古き良き労働」の一端から商業的に確変をものにした作品だろう。
先日ヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義なき戦い』(2000年)を見返したが、岸部一徳、豊川悦司、松重豊と等価に映る大地義行はやはり凄味がずば抜けている。俳優としてのではなく、魔のような地の凄味だ。大地義行のあのやさぐれた狂犬が魔物に取り憑かれたような威圧感は同じくヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義の墓場』(2002年)で菅田俊に詰め寄る時のジャケットのボタンを外すシーンがクローズアップされたカットに集約されていると思っている。なぜあのカットを撮ったのか?多分撮影を指示したのは監督の三池崇史だろう。だがどうでもいい。あのシーンの現場にいる誰もが大地義行のボタンを外す仕草に震えたはずだ。大地義行は京都の自宅にいた内縁の妻を放火で殺した罪により無期懲役になり、今刑務所にいる。罪状が真実であれば鬼畜の所業だ。EJD a.k.a 江尻大から大地義行が嫁を殺して逮捕された!と知らされたのはもう20年前のことだ。現在は無実を訴え再審請求を目指しているようだ。2000年前後、あらゆるヤクザ映画のバイプレーヤーとして活躍していた大地義行が今も娑婆にいられたなら(少しでも尋常さがあったならいられたはずだ)、当時同じく名舎弟役として売れまくっていた山口祥行と「映画の外道」を盛り立てていたに違いない。しかし、今の日本社会または映画界に大地義行のような無頼の塊のようなはぐれものが生きられる場所はどこにもないだろう。この世で生きていくためには地獄へ足を踏み入れるしか術がない人間がいる。リベラルが望む「平等」はこの世に生まれ持った魔物が存在する限り叶うことはないだろう。
なげーから続きは次回。
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“Princeton Economist Says Lack of Civil Liberties, Not Poverty, Breeds Terrorism” by David Wessel, Capital, WSJ: イギリスで起きた自動車爆弾テロ未遂事件で捕まった8人のうち7人が医師だったという報せを聞いても、プリンストン大学の経済学者であるアラン・クルーガー(Alan Krueger)はショックを受けなかった。驚きさえしなかった。 クルーガーは語る。「この種のテロ事件が起きて犯人の素性が明らかになるたびに、テロリストは絶望的なほど貧しいがゆえに犯行に及ぶのだという神話に終止符が打たれてもよさそうなものです。しかしながら、思い違いはなくならないのです」。 2001年9月11日の同時多発テロ事件が起きてから1年も経っていない段階で、ブッシュ大統領は次のように述べている。「我々は、貧困と戦う。希望こそがテロへの答えだからだ」。・・・(略)・・・世界銀行の前総裁であるジェームズ・ウォルフェンソン(James Wolfensohn)も次のように述べている。「貧困の問題をどうにかしない限り、テロとの戦いには勝てないだろう。・・・(略)・・・」。 もっともらしい言い分に思える。心に訴えかけてくるところもある。貧困や無知に打ち勝つという崇高な目標を追求することにゴーサインを出してくれるからだ。しかしながら、系統的な――可能な限り綿密な――研究によると、貧困がテロの温床(貧困がテロを生んでいる)というのは思い違いらしいのだ。 クルーガーは、2006年にLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に招かれて行った講演で次のように述べている。「全般的な傾向として言うと、テロリストたちは、彼らの出身国の同年齢層の典型的な人物と比べると、教育水準も高いし、生まれ育った家庭も裕福な傾向にある」。 ・・・(中略)・・・ 「貧しくて無学な人たちの方が裕福で高い教育を受けている同国人よりも、テロを支持しがちだったりテロ組織に参加しがちだったりするかというと、そのことを裏付ける証拠はない」とクルーガー。9月11日に起きた同時多発テロ事件の実行犯の多くは、豊かな国であるサウジアラビア出身で、比較的裕福だった。 ・・・(中略)・・・ とは言え、完璧なデータによって裏付けられているとは言い難い。テロリストたちに事細かなアンケートに答えてもらったわけではないのだ。裕福で高い教育を受けている人物がテロリストになろうと思い立ったのは、自分自身の境遇のゆえではなく、同じ国で暮らしている貧しい人たちの境遇に何か思うところがあったせいかもしれない。ハーバード大学でテロについて専門的に研究しているジェシカ・スターン(Jessica Stern)がパキスタンのテロリストたちに行った聞き取り調査の結果によると、テロリストの勧誘をするなら国内の最貧困地域が狙い目だという。とりわけ、最貧困地域に暮らしていて、ムスリムが西洋に侮辱されていると感じている人物が仲間になりやすいという。クルーガーを筆頭とする面々は、何かを証明するに足るだけの十分な証拠を揃えているとは言えないというのがスターンの意見だ。「テロに関する厳密で大規模な研究に着手されてからまだ間もないのです」とスターンは語る。 しかしながら、貧困がテロの温床という通念を裏付ける確固たる証拠が驚くほど少ないの��確かだ。・・・(略)・・・ 9/11委員会(同時多発テロに関する独立調査委員会) は、次のように言い切っている。「貧困は、テロの原因ではない」。 それでは、一体何が原因なのだろうか? クルーガーによると、市民の自由と権利(政治的権利)が抑圧されているのが原因ではないかという。「不平分子が抗議をしようにも(集会・結社の自由が制限されているために)非暴力的な手段が使えないようであれば、テロに走る可能性が高まるようだ」 。・・・(略)・・・
マーク・ソーマ 「テロを生んでいるのは『貧困』ではなく『自由(市民的権利)の抑圧』」(2007年7月5日) – 経済学101
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月24日(水曜日)
通巻第8104号
清濁併せのむのが政治だが、個人のポケットに入る賄賂大好きの政治家もいる
ナウルについでツバルが台湾断交の動きを見せた
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南太平洋の要衝にあるナウルは、地政学的に重要な拠点。だが、人口僅か一万余。国家というより町会機構、しかし国連で一票を持つからややこしい。
台湾総統選が終わるのをまって、ナウルは台湾との外交関係を断絶して、中国に切り替えた。カネに転んだと噂された。
ナウルの外交的裏切りに対して、台湾総統府と民進党は、「北京が総統選挙の終了後、直ちに外交的な圧力をかけたのは、民主主義の価値に対する報��であり、それ以上に国際社会の安定と秩序に対して公然と挑戦するものだ」と非難した。
次はツバルが、中国へはしるだろうと予想する報道がなされた。
豪『ウィークエンド・オーストラリアン』(1月12日)は、駐台湾マーシャル諸島共和国のビケニベウ・パエニウ大使が、「ツバル関係者」から耳打ちされた賭して、「ナウルに倣い、外交承認を中国に切り替える可能性がある」と発言したと報じた。台湾総統選の直前だった。
ツバル政府は、ただちに「パエニウ大使の発言は公式立場を表すものではない」とし、台湾との外交関係は引き続き強固であることと確認した。
騒ぎを醸し出したのは豪メディアだが、1月23日にペニー・ウォン豪外相は、「ツバルが台湾との外交関係を断絶しようとするいかなる動きにもオーストラリアは干渉しない」とし、「ナウルに倣って同盟関係を中国に移す可能性がある」とした報道を受けた記者会見で、「ツバルの外交政策は太平洋諸国単独の問題であり、台湾や中国の承認に関するいかなる決定にも介入しない」と述べた。
台湾と強い絆で結ばれるのはマーシャル諸島。1月22日、ヒルダ・ハイネ大統領は世界各国代表が出席し、首都マジュロで開催された大統領就任式で、台湾との強固な関係への支持を再確認した。
式典では蔡英文総統(蔡英文)、ミクロネシア連邦、日本、パラオ、米国の代表らからの祝辞が読み上げられた。
蔡政権の特使として就任式に出席した台湾の田重光外務次官は「両国は国政選挙を実施したばかり、民主主義と自由の価値観を共有している」と祝辞のなかで述べた。
▼札束攻勢で台湾承認国家は12ヶ国に減った
南太平洋諸国で台湾と断交した国々はバヌアツ、フィジー、キリバスなどで、2016年5月に民進党の蔡英文政権が発足した時点ではまだ22か国と外交関係があった。
フィジーには南太平洋大学に「孔子学院」。バヌアツの海岸通りの商店街は殆どが新移民の華僑経営である。
蔡英文政権誕生以来、中米・カリブ海で5か国、オセアニアでて3か国、アフリカで2か国が台湾と断交した。ナウルの断交での残りは12ヶ国となった。アフリカにいたっては、旧スワジランド(2018年に「エスワティニ王国」と改称)を例外に、55ヶ国のうち、54ヶ国が台湾と断交した。いずれも中国の「札束外交」によるもので、台湾の国際的孤立が狙いである。
中国のアフリカ外交は「一帯一路」プロジェクトとセットになっており、各国のインフラ整備や鉄道網への投資に集中しているうえ、産油国のナイジェリア、アンゴラ、鉱物資源が豊かな南ア、コンゴに重点的な投資を行ってきた。
しかし、中国への反発も根強く、ザンビアで反中国デモ、南アフリカでも猛烈な批判がなされた。エチオピア東部では、反政府組織オガデン民族解放戦線が中国資本の油田探査基地を襲い、中国人9人が殺害された。
南太平洋の島嶼国家群の中国への傾斜を重く見た米国は急遽「調整官」を派遣し、とくにソロモン、パプアニューギニアではカート・キャンベル調整官(現国務副長官)が当該国の大統領等と話し合いを持ったが、調製は円滑には進まなかった。
ところがその後、ソロモン、パプアニューギニアなどでも反中国暴動が発生し、チャイナマネー問題が浮上した。台湾の頼清徳次期政権、前途多難。
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失われた感覚を知る
何かに長けた感覚を身につけるというのは、同時に何かを失うことでもある。
― という言葉を何かで読んだときわたしは10代だったと思うが、学ぶ喜びに溢れ万能感すら抱いていたであろう田舎の優等生であったわたしは、これから先の人生で、都会に出て、もっと知を身につけていこうと息巻いていたところで、失うことは怖いことだと思った。また、身につけたものの反対側で失われるものに意識的であれるだろうか、とも思った。無意識のうちに何かを失いたくないという貪欲さから来る気持ちだ。
そののちわたしは、いわゆる”絶対音感”を持たない人たちを前にしたときに、自分が得た音感の裏側で失ったものを知ることになる。
話の時間軸を現代に移すと、わたしが今持っているヴァイオリンの生徒さんたちは相対音感がマジョリティーだ。自分自身はほとんど気がついた頃には絶対音感が身についていたので、こと音程の話をするときにここを自分の弱点のように感じている。
まだ音感が定まらないような子どもとの対話の中では、「こちらの音とあちらの音はどちらが高いと思う?」と尋ねて、自分が用意した答えと違うものを示されたときに説明の言葉を持てない。何かを説明しようとしても、「ほら…高いでしょう?」しか言葉が出てこなかった日には自分に対して愕然とした。ある子は、高いものと低いものを反対に答えたが、それはそのとき高いとされた音のほうが「暗く聞こえた」ので、低いと認識したと説明した。よほどわたしより豊かな感覚である。
あるいは、音の快・不快の感覚があまり敏感ではないと言う大人の人は、演奏中にたじろぐことなく不協和音を鳴らす。そのあまりの気持ち悪い響きに、わたしはだんだん理性のコントロールが難しくなりそうなところまで追い詰められたが、その感覚をその通り正直に「ずれた音程で強いストレスを感じてしまう」と打ち明けたら、相手の方はその感覚を持ち合わせないことがわかった。そこでわかったのは、もし何かのゲームやバトルでわたしを倒すなら、不協和音が鳴り続ける部屋に突っ込めば良いということだ。
ある日の生徒宅への道すがら、不意に訪れたひらめきがあった。自分は西洋クラシック音楽の十二平均律に基づく「ドレミ…」の値を記憶しているだけで、たとえば「長6度」が鳴り響いたときにそれを「長6度の響き」として認識していると言うより、ひとつひとつの音が何であるかが先で、「ソとミ」だから長6度と後から知識で補っているのではないか、と思った。すなわち、「ミとファの間の微分音」を鳴らされて、その上に正確に長6度上の音を見出せるかと言うと難しいかもしれない。わたしは先の微分音の絶対値をまず近似値のミとファから見出し、続いて長6度上の音の近似値としてド♯とレを思い浮かべ、その間の音はどのへんであるか、という道筋で答えを得るのだと思う。
それで言うと、完全5度については「そのインターバルの響き」で認識している可能性がある。楽典的な「音程」というものの知識を得る前から、鍵盤をいじって遊んでいたときに快感を覚えるインターバルがあり、のちに勉強する中でそれが完全5度だと知ったくらいであるから、そこに関しては「絶対音程感」があるかもしれない。高さの違う同じ音こと完全8度も然り。
しかしこう考えてみると、わたしが持っているものは本当に局所的な、「西洋クラシック音楽のしかもバロックから近代の隙間の十二平均律における12の音を人より正確に記憶している」だけの話で、真の絶対音感とは言い難い。こう書いていて気づいたが、わたしが完全5度には敏感であったのは、ヴァイオリンを3歳から弾いていたがゆえに、ピタゴラス音律的な音程の取り方をしていたからであろう。
先に書いたような、まるで「ミ」と「ソ」という階名の記号から音を手繰り寄せるような音感で「長6度」を割り出す方法を完全に悪とも思わない。なぜならわたしが「14-8」がすぐ解けるのは、もはやその答えを覚えるほどに百ます計算に取り組んだ時代があるからであって、その「14-8=6」という記憶のおかげで「54-8」も「74-28」もすぐに諳んじることができる。別に14と8の質量のようなものを体感して6を導き出しているわけではない。
その昔、夏休みか何かに、かつて平日昼間の定番の番組であった「ライオンのごきげんよう」を見ていたら、谷村新司がサイコロトークをしていた。トークのお題も忘れたが、音の高さと体の感覚について話していたシーンを妙に覚えている。
なぜオーケストラは「ラ」でチューニングをするのか。赤ん坊の産声を測った人がいるらしい。産科に何日もいてたくさんの産声を測ってみたところ、ラの高さに近い声が多かったらしい。あるいはこんな話もある。もし体の一部が音の高さと連動するとして、丹田からドを始めると、レがおへ���、ミが鳩尾と辿って、ラはちょうど口の高さになる。だからラはパッと出しやすい。ちなみにもっと登っていくと上のドはちょうど頭のてっぺん!というオチがついて会場は盛り上がった。
最近不意にそのシーンを思い出して、わたしはそういった感覚を媒介することで、生徒に音の高い低いを教えられないだろうかと考えているところだ。まだ答えは出ない。しかし、どんな習熟度の子でも共通して、歌えないものは弾けないし、歌えるものは弾ける。弾いている曲のうまくいかない箇所を試しに歌ってもらって、声がぶれる音は、楽器を持たせようともうまく出せないのだ。楽器という”道具”を用いようとも「音程」は補えないのである。このときの歌は別に音高(*音楽用語:ピッチのこと)が原曲と違ってもいい。ただ、次の音が今出した音より高いのか低いのか、それだけでもわかるかどうかで曲の出来栄えはずいぶん変わる。
わたしと生徒で持っている感覚は違う。もはやそれは使う言語が違うくらいのギャップであるのだろう。それでも、お互いの言語がわからない相手とも何かで共感できることがあるように、ていねいにすり合わせを続けた先で、相手の感覚を見出したり、わたしの感覚が伝わる日が来ると信じたい。よほど”言葉”は通じない猫と意思の疎通が叶うように。
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