#螺旋階段のある家
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秋旅2023 東北散策 - 秋田市内 千秋公園・県立美術館
秋の北東北散策、2日目の朝は秋田市内からスタート。
少し肌寒い透き通った空気をかみしめながら、久保田城址 千秋公園まで朝のお散歩。江戸時代の久保田藩主佐竹氏の居城跡に整備された公園は、紅葉シーズンということで、程よく色づいたグラデーションが見頃。比較的はやい時間帯でしたが、外国人観光客を中心に賑わいをみせています。佐竹氏の扇の家紋が描かれた本丸表門や御隅櫓等、(なんちゃって)復元ものではあるものの、雰囲気の良い場所でした。
公園散策を終えちょっと一息、時計の針が10時を回ったので、千秋公園向かいの秋田県立美術館へ。コンクリート打ちっぱなしが代名詞的な建築家 安藤忠雄の設計。入ってすぐ、エントランスの螺旋階段がお出迎え。カメラを向けるも広角側のレンジが足りず。。。スマートフォン(Pixel7)の広角側で頑張ってみた(旅スナップには広角レンズもあったほうがよいな、と思う今日この頃)。米蔵を借りて制作された巨大な壁画『秋田の行事』をはじめ、世界を旅した画家 藤田嗣治と斎藤真一の作品を楽しめました。
朝が早かっただけに小腹がすき、この日のお昼は稲庭うどんを。乾めんと生めんの食べ比べセットをいただくことに。つるっとした触感とこしのある乾麺、もちっとした嚙み心地の生めん。どちらもおいしかったですが、個人的に好きなのは乾めんかな。細いけれど弾力のある感じが好みでした。
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P3 Club Book pages 29-30 scan and transcription.
タルタロスの 不思議な ダンジョン
第1階層 : 世俗の庭テベル
第2階層 : 奇顔の庭アルカ
第3階層 : 無骨の庭ヤバザ
第4階層 : 豪奢の庭ツイア
第5階層 : 焦炎の庭ハラバ
第6階層 : 憂鬱の庭アダマ
第7階層 : 王居エレス
深層モナド
通常の影時間にも使われた影時間プラー。暗緑色ににじんでボヤける感じが禍々しい。
太陽の輝きが眩しい画面効果、ペルソナフレア。季節によって輝き具合が違ったりする。
Qタルタロスの不思議なデザインが大好きです。どこかの名画で見たような気もするのですが、タルタロスのデザインモチーフは?
美 名画というのは正しいな。デザイナー副島氏の希望で、タルタロスのテーマは、不可思議な空間、シュールレアリズムの要素を取り込む、というものとなった。そこで、オランダの画家マウリッツ・コルネリス・エッシャーや、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品���テイストを積極的に盛り込��だのだ。
天 各階層の名前が聞きなれないんですが、あれも何か神話から?
ア 肯定であります。ユダヤ教の世界観・死生観にある、7つに分かれた地上世界をそれぞれ示す名でありますね。モナドも同じくユダヤ教で、あらゆるものの構成要素「1なるもの」を意味する言葉であります。
順 あれ?モナド以外の階層って6つしかねえよな?7つの地上世界じゃひとつ余るぜ?
真 ニュクス・アバターと戦う直前の屋上みたいなフロアがあるだろ。あそこが第7層、王居エレスだ。
美 それ以外の各階層の、デザインコンセプトも聞いてきた。コメントを引用させてもらおう。
○第1階層
世俗の庭テベル
学校の雰囲気を残しつつ影時間の要素を入れて構成しました。隠し階層の深層モナドは1階層と同じくタルタロスの低い位置にある階層で、同じく学校のイメージを大きく残した階層になっています。
○第2階層
奇顔の庭アルカ
表面的な恐怖を出してみようと思い、デザインをしました。床の模様に騙し絵が仕込んであり、ある方向から見るとドクロに、反対から見ると天使に見えるようになっています。ケルトゴシックの建築やギーガーの歌などの要素で構成しました。
○第3階層
無骨の庭ヤバザ
エッシャーの騙し絵にある。昇り階段がいつのまにか下りになっているという不思議な感じを出そうとデザインした階層。辻褄が合わない様子を3Dモデルへ入れるのに苦労しました。壁の模様や、階段に見えるスロープなどに騙し絵の要素が入れてあり、結果的に今作のテーマが一番濃く出た階層になったと思っています。
○第4階層
豪奢の庭ツイア
欲の塊、ということで金色のダンジョンに。物語も中盤を越えて盛り上がってきているので、それにあわせてゴージャスな階層にしようと思い、宝箱の中身よりも豪華な素材でできている階層、と思って作成しました。
○第5階層
焦炎の庭ハラバ
混沌とした雰囲気を出したいと思いサイケデリック、螺旋模様をコンセプトに。終盤になり、ここまでの階層と変化が出るように抽象的なモチーフで構成しました。また次の第6階層へ入った時に大きな変化が出るようにと、黒い空間にしています。
○第6階層
憂鬱の庭アダマ
最後の決戦を前にして、無駄な物が無い状態にしようと思いました。壁や床に刻まれている溝は天の川や、宇宙、大気の流れを表現しており、ゴッホの描いた『星月夜』という夜空の絵の雰囲気を参考にしました。基本色調が白いのは、決戦を前に白装束という意味合いも含めています。
順 へー、色々考えてるなー。
美 タルタロスに関してはもうひとつ、「影時間ブラー」と呼ばれる特殊効果の存在が大きいな。これは影時間に常に使われているもので、 画面端がゆらゆら揺れるように見える。
ゆ そうそう、あれ実際に中を歩いてると、気持ち悪いんだよね~。
風 そういえば、色々な画面効果があちこちで効果的に使われていますよね。私は昼間の眩しい日差しのエフェクトが好き。
美 それは「ペルソナフレア」と呼ばれる特殊効果だ。スタッフ会心の力作らしいぞ。
ア あんびりーばぶる、であります。
美 アイギス、私のセリフを取るんじゃない······。
真 さて、まだ細々とした質問が残っているな。どんどん片付けるぞ。
Q今回、戦闘シーンが かなりコミカルなんですが、どうして?
美 たしかに、総攻撃の際の演出はやり過ぎだろうと思ったが。慣れると、あれはあれで面白い。
風 ほかの部分もそうですが、今までのシリーズと違う新しいことをやろう、という意欲が強く出ているのが、この戦闘シーンですよね。テーマは、「とにかく生き生きと楽しそうに!」だったそうです。
順 生き生きってのは、マジでうまく表現できてるよな。コマンド入力待ちのときに、オレらがちょろちょろうろつく動きがあるじゃん か?アレ、けっこう処理が大変らしいんだけど、無理して入れた仕様らしいぜ。
天 楽しそうといえば、武器のデザインも面白いのが多いですよね。骨とかバス停とか。
真 あのグラブを装備させられたときは死にたくなったぞ······。ただ、本当はあの倍ぐらいのモデルが作られていたらしいが、事情があって未使用らしい。機会があれば、残りも見てみたいものだな。
順 できれば防具のグラフィックも変われば······ああ、男の夢、ハイレグアーマー······。
Qストレガのタカヤの剣青は、何か意味があるの?
順 おーい、チドリ。あの露出癖のある兄ちゃん呼んできてくれよー。
タ 誰が露出癖ですか、誰が。あれは失敗サンプルの証--烙印を飾るためのものです。
順 烙印?何だそりゃ?
ジ ペルソナ制御ができんヤツの肌にはな、暴走するペルソナの力が溢れて文様みたいなもんが浮かびあがるんや。タカヤの刺青��中心は、刺青やなくてその文様や。ホンマは、あんまり人には見せたないもんやけどな。せやから、ちょっとぐらい暑くても、露出がない服着とるんや。
順 げっ······マジ?あ!じゃあもしかしてチドリにもその文様が?だからいつも、あんなゴテゴテした服······?
チ これは趣味。
順 あ······そ、そう?
Qアイギスの姉妹機について話だけ出てきますが、具体的には?
ア 詳細は機密に抵触するため言えないのでありますが、試作1号機からわたしに至るまで、10機前後が開発されました。最初は、まさしくただの戦車だったであります。人型となったのは、わたしの前に作られた数欄にとどまり、さらにペルソナ召喚を可能にする核--黄昏の羽が搭載されているのは、わたしを含め、たった3機であります。ただ、わたし以外の2機は、10年前に起動する前に破壊されてしまいましたが······。
タカヤのタトゥー
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「養老孟司の夢」
養老孟司のホームパーティーに出席している。広いリビングルームには白い円卓がいくつかあり、数人づつ座っている。
細長いグラスにシャンパン(たぶん)にオードブル。そのうち養老さんが地下にもあるリビングに誘ってくれた。
地下に行くには螺旋状の曲がった階段を降りるが、壁面についている階段板は小さく片足がのるくらいだった。
養老さんは苦もなくステップを使い降りていく。私も危なげながらついていく。最後のステップは少し離れていて
養老さんは思い切りジャンプして飛び乗ったが、ステップがぐらりと歪んで危うく落ちそうだった。
地下のリビングには立派な家具があり、その中にピアノとソファが一体になった不思議な家具があった。
ピアノの脚は少し短く、鍵盤側の並びにクッションがついていて、座ったままピアノが弾けるようになっている。
養老さんは、この家具がずいぶん気に入っているようで、うれしそうに細部まで丁寧に説明してくれた。
私は失礼かと思ったが、値段を聞いてみると、150万ぐらいだった。と教えてくれた。ピアノがついてその値段は
安すぎるのではないかと思ったが、自慢げな養老さんの顔を見ると言えなかった。
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■旧赤星鉄馬邸
建物公開の情報を得たので吉祥寺へ。 設計は日本近代建築の父と称されるアントニン・レーモンド。 1934 (昭和9) 年竣工の白亜のモダニズム建築である。 邸内に入ると個人宅なのにかなり広く感じた。 増築部を差し引いても宿泊施設ぐらいの規模である。 しかも天井が高く開口部が多い。 この日は今にも降り出しそうな天気だったが、 晴れていたら 室内に光が溢れてもっと綺麗だろう。
長らく修道施設として使われていたので 居室はかなり改装されている。 往時を偲ばせるものは作り付けの家具類で、 これらは全て妻ノエミ・レーモンドが手掛けたもの。 可愛らしくもあるが収納力が高く実用的な造りだ。
RC造なのに建物に直結する形で蔵があったのは意外だった。 しかも内装は木材で、同時期に建てられたものである。 モダニズム建築と言えども昭和初期は蔵を置くのが 慣例となっていたのだろうか。
2階の書斎は唯一、竣工時のままの姿で残されている。 壁には無数の小さな円窓が等間隔に開いていて そこから柔らかい光が差し込む趣向であった。 この意匠は玄関の庇にも使われている。 もう一つの見どころは階段室で、 螺旋を描く階段に沿って 並べられたステップや手すりが美しい。 こちらも壁面のスリットガラスから外光が入る。 そして広大な庭に出るとタイル貼りの噴水まであった。
旧赤星邸のあらましを参照して頂くとわかるが、 実業家・赤星鉄馬が所有していたのは僅か10年である。 現存する多くの「旧〇〇邸」は紆余曲折を経ているものが多く、 特に戦中戦後は接収される運命にあった。 更に関東大震災後に新築した建物となると 最初の所有者が住んでいたのが15年以下というのも少なくない。 例を挙げると旧前田家本邸は15年、旧朝香宮邸は14年、 旧原邦造邸(原美術館/解体済)に至っては7年である。
赤星邸も昭和19年に陸軍が接収し、戦後は進駐軍のものになった。 昭和31年からはカトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会が 所有し、長らく修道施設として使われていたが、 シスターの減少により閉鎖され、令和3年武蔵野市に寄贈された。 令和4年10月には国の登録有形文化財となり(増築部を除く)、 建物の耐震診断の結果を踏まえ、一定期間に一般公開されている。
もし赤星家が戦後もこの建物を所有していたら 果たして建て替えずにいただろうか。 却って所有者が変遷する事で運良く残ったのかもしれない… などと考えながら、降り出した雨の中を駅へと急いだ。 5月14日探訪。
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日記
昨日の記憶がまったくない。なぜいつも。
カメラを貸してくれませんか。24枚。撮ってくるので。
はじめての仕事は夜を撮るもので、ぼくのでは先がみえたから、
「他人のカメラ」という題目で借りて24枚撮って渡して乗り切った。
真夜中のランプで儀式のように階段をおります。途中螺旋の家階段。
てすりにつかまる、たたえた寝ぐせがたてがみとして世界中をむく。
しばらく古着屋出禁に自ずとしてジャージ買ったり最近していない。
店員のお兄さんは人ったらしげで「ひさしぶり!」と顔さされてる。
すこしだけ性風俗の町へ行ってきます。味のしない媚薬みたいな町。
でもめあてはそこのひとつ古びた歩道橋にあります。
頂点にいったら”天使と話す”って書いてあります。
ぼくが書きました。学生のときのですが。星がふるようでした。
いったい何人くらいの孤独者がそこで空とくちづけしたろうか。
おざす(おはようございます)と読むひともあるかもしれないし、
もしかしたら眠れない物語のなかにある方もいるかもしれません。
誰も読んでいないことがぼくには大事で、今ひとつふたつ思い出。
地元のまた古い鉄橋に詩を書いていた高校三年生のときのこと。
猫目のぼくは目を瞑って歩くようなもので冬の光にいかれていた。
夜になれ。外灯もない町はずれ、畑の中の鉄橋の錆びを削るぼくに���
レスポンスしてくれ���ひとがひとりだけ現れました。
一度だけの約束で会って、俗っぽく古着屋さん行って。
首吊り台で会いましょうと別れた。互いに性別は不詳。
そうなんだ。そんなに魅力があるとして、どうしていつも一人なの。
したたるような風来坊よ。
歩道橋の天使はチャコールのトレンチで閃光をひとりでにはなつ。
ぼくには世界がこう見えた証拠に、正比例の暗闇が際立つとき。
例により柵も網も階段もみな目をとじ夜告げ鳥の羽根がひらいて、
そうこうして冬に会った君はまるで雛の腕のように愛べしかった。
円い笑顔の月の瞳で「友だちが少ない人が好き」というぼくを、
その日は余計笑っていて、寝息のようにそぞろに上野を歩いた。
歌の中のナイチンゲールの貴婦人たちのような人でもあり、
スカートの裾をたくして歩道橋をのぼっていって、
ぼくたちと違うことはそのままそこへ留まること。
おりていく階段もまた途中螺旋になっていて踊場ともいえる空間、
触れてみせた手が離れるか離れないかで踊りをおそわり矢をはなつ。
パチンコ屋の跡地、映画館のあった駐車場、金魚屋だったぼくの家。
操車場でだけたばこを吸う男。金具の音が耳鳴りとして鈴を作る。
散り際の花の色、何色と問われたらあなたは何というのでしょう。
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最近の未明相模原写真
最近の未明相模原写真。 1枚目:国道16号の町田駅近く、ジャパニーズホラーな家屋。 2枚目:国道16号が行幸道路をオーバーパスするその桁下。高さが足りなくて活用できていないエリア。 3枚目:戸建て建築中の敷地内にある電源ボックス。電気取扱責任者はまだいない。 4枚目:相模大野の北、国道16号西にそびえ立つ高所作業クレーン。安全のため照明が点いていた。 5枚目:国道16号近く、古淵の反対側にある、緑化螺旋階段。 6枚目:段違いカーブミラー。 7枚目:夜が明けかけた空に走る配電線光ケーブル。 8枚目:早朝の信楽焼の狸。
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移住6年目と臨月記念撮影
Sunday 28 September 2014
今日9月28日は、東京から静岡に移住して丸6年になる日。東京との行き来はまだまだ続く。
真観は、東京へ早朝から向かった。天気は快晴。8時過ぎバスご東京駅に着くと山手線に乗り換え池袋駅へ。そして西武池袋線にまた乗り換え武蔵藤沢駅まで。
予定時間よりも少し遅れて駅に着くと画家のKと娘のKちゃん、そして今日撮影するご夫婦のご主人が車で迎えに来ていた。
その車でご夫婦の住むマンションへ。マンションは、バブル時代に建てたそうで室内に螺旋階段があった。そこで臨月���入る奥さんの写真を撮る真観。Kは、画家なので奥さんのお腹��ペイントをした。Kとご夫婦は高校の時の同級生。赤ちゃんが生まれる前に大きなまあるいお腹の記念撮影という訳だ。
Kの娘、Kちゃんは、撮影中、大人しく絵を描いて遊んでいてくれた。真観は、その絵の一枚を貰った。真っ赤な太陽が描かれていた。真観は、Kちゃんにサインと今日の日付けを書いて、と頼んだ。移住6年の記念にしようと思ったからだ。
撮影が終わり真観は、新宿に移動した。ヨドバシカメラでポートフォリオブックを購入しキンコーズでラミネートと製本をした。これは連日の写真整理、メンテナンスの一環。6時にはUさんと新宿で合流。久しぶりだった。センタービルのライオンで食事をして、その後蒲田のUさんと宅へ。今夜はこちらで泊まる。いつもの様にUさんとのおしゃべりは、弾み多岐に渡る話が展開した。
Uさん宅には猫のNがいるが一向に真観の前に姿を現さなかった。
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「平田晃久 人間の波打ちぎわ」展
練馬区立美術館で「平田晃久 人間の波打ちぎわ」展を見る。この美術館を(図書館と合わせて)新築する仕事を手がけることになっている建築家の仕事を紹介する展覧会である。
平田の建築の特徴は、本人による造語〈からまりしろ〉に端的に表される。四角四面の閉じた箱のような建物ではなく、人間を含めたさまざまな生き物や、人間のさまざまな意識や活動、時空を超えた文物までもが「絡まる」ことができるような空間を作ることが志されているようである。建築物を設計する際には思想的哲学的な支えが伴わないとコンセプトが骨抜きになるであろうし、建築のコンセプトを他者に伝え理解してもらうためには的確に言語化視覚化せねばならず、具体化するとなれば実用的な知識も必要になる。建築家というのは途方もなく幅広い知識や能力が求められる職業なのだろうなと思った。
展示について建築家自身が解説した動画が公開されている(会場でも同じものが流れている)。理解の助けになるので興味のある向きには視聴をおすすめしたい。
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さて、会場でまず目に入るのは、美術館ロビーと各展示室をゆるくつなぐように掛かった黄色の網である。
1枚の巨大なネットが天井から吊るされている。
美術館ロビーのピアノも網に絡まれている。会場にはこのピアノにインスパイアされたというミニマル現代音楽風?のピアノの音が断続的に流れていた。また、床には建築家の著作などから引用した言葉が並ぶ。
最初の展示室は〈からまりしろ〉がテーマ。蝶が飛ぶ写真が展示されており、建築家いわく、蝶が花と花の間を飛びまわっているような感じ、そういう建築空間を作りたいという思いが原点にあるのだそう。
不思議な感じで空間が繋がっているインスタレーション。「見通せない連続空間」。
2人暮らしを想定した住まいの模型。ワンルームなのに完全にオープンではない、「見通せない連続空間」になっている。キャベツの葉と葉の間をイメージしたとのこと。
メキシコシティの現代美術館のコンペティション案。「ひだの原理」(限られた体積の中で表面積を最大化する)を建築に応用した一例。
次の展示室のテーマは〈響き〉。先の展示室はおもに物理的な〈からまりしろ〉を取り上げていたのに対し、ここでは人々の思い、意識の〈からまりしろ〉に着目している。
太田市美術館・図書館の模型。この建物は2022年に日本建築学会賞を受賞している由。設計ワークショップで出た市民からの案を反映させたプロジェクトとのこと。
新潟県小千谷市の図書館・文化施設のホントカ。フロート(動く書架など)、アンカー(人々の具体的な活動の場��そのネットワーク)、ルーフ(3メートルの積雪に耐える屋根)��三層構造になっている。
練馬区立美術館・貫井図書館は、シェルター(書庫、美術品の保管)、シェルフ(書棚、美術品の展示)、シェード(シェルターやシェルフを守る階段上の屋根)の三層構造。
ワークショップの成果物。
仙台市庁舎プロポーザル案。螺旋状の巨大なワンルームになっており、どこででも区切ることができる、「巨大な脳のような構造体」。
山形市民会館案。BIG-TREE と名付けられた、一本の巨大な樹のような建築物。「樹」もこの建築家のキーワードのひとつで、最初の展示室で説明されていた。たとえばジャングルの一本の樹には数百の生物が暮らしていると言われ、樹それ自体が生態系のようになっている、それを単なるメタファーとしてではなく建築物で実現したい、ということのようである。
最後の展示室は〈響きの響き〉と題されている。いま・ここ・わたし���はない何かを引き寄せるような、〈時空の波打ちぎわ〉がテーマ。壁際のガラスケースの中には各プロジェクトと関連するさまざまな文物が収められている。
島根県松江市に建つ個人住宅、シャイニング・クラウズ。松江、出雲あたりの伝統や文化を活かしている。
滋賀の伊勢遺跡史跡公園展示施設を覆う構造物。遺跡の特徴的な形を意識した造り。
練馬区立美術館・図書館は、富士塚のイメージで建設されることになるらしい。そのため、ガラスケースの中には富士山の模型や富士塚を描いた広重の浮世絵が展示されていた。
臺灣大學 藝文大樓のコンペ案。博物館、多目的ホール、宿泊施設などを備えた建物で、さまざまな機能が結びついたり離れたりする響き合いの場として設計されている。
静岡県立中央図書館コンペ案。太陽の軌道に沿った多数の開口部から自然光が差し込む造り。
八代市民俗伝統芸能伝承館。数百年続く祭の伝統を背負って立つ人々の思いが反映されている。
東京・原宿の HARAKADO。表参道(冬至の太陽のほうを向いている)と明治通り(谷筋沿いに走っている)の性格を立体的に拡張するような造り。
���阪万博のための Ray Garden と名付けられたホール。大阪の地形やそこを通る風の流れを活かした構造。
小千谷市のホントカ。奥に小さく見える火焔型土器は小千谷市の出土品。ホントカ。からは越後三山が見えるとのことで、縄文時代に小千谷あたりに住んでいた人々も越後三山を同じように眺めていたであろう……と時空を超えたつながりを感じることができる。
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今日は私の誕生日だ。家族、恋人がいない私は1人で過ごす。しかし、寂しさはちっとも感じない。むしろ親兄弟と絶縁してのびのびと生きることができている。今日はこの後、教会へ参加する予定だ。無性に文章を書きたくなってブログを開いた。今、喫茶店でびっくりするくらい不味いアイスコーヒーを飲みながらこのブログを書いているのだが眠い。疲れている。このところ朝方目を覚ましてそのあと眠れないので平均睡眠時間はおそらく3時間ぐらいだろう。睡眠が足りてないと少し風邪をひいた時の感じに似ている。ところで今年もあと少しで終わろうとしている。なんとか2020年も生き抜いた。夏頃から希死念慮に襲われて精神状態が不安定だったのだがこのところ少し落ち着いてる。恐らく絵をまた描きだしたからだろう。夏は自殺予防の「命の電話」に電話した。本当に自分はこのまま頭がおかしくなるか自殺をしてしまうんじゃないかと思うほど苦しかった。偉くならなくても、幸せな家庭が築けなくてもいい。金持ちにならなくてもいい。ただ、質素な生活が送れるだけのわずかな収入が死ぬまで続けばそれでいい。飢え死にしない程度に金がありちょっとした趣味の楽しみがあればそれが本当の幸せだとこの頃つくづく感じる。
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そう、これも、ポケット宇宙なんよ👀俺が、だいぶ、前だけど、観た、meeの動画で、女友達と二人で、ハイボール飲んでた動画流してたよな?そう、飯食いながら、サイコロ振っちゃった動画だよ👀あのとき、mee は、いつもの友達と楽しく酒を飲んだんだけど、��りには、meeが、一人で飲んで、話してるように、見られてたかもしれんのよ。そう、友達は、meeが住んでない地球では、もうすでに亡くなっていて、ちゃんと、別の地球では、葬式とかあって、葬られていんだけど、meeにだけは、彼女が死んでない方の世界の地球に生きてて、でも、すでに、その友達は、別の地球では、死んでるから、幽霊なんよ。でも、meeの住む地球では、友達は死んでないんよ。つまり、meeの住んでる地球では、死んでないから、普段どおりに、会話してるんよ👀でもさ、たまに、友達の性格が、昔と違って、ちょっと、変わって、前の彼女なら、こんな、リアクシヨンせんかったよな?、それに、こんなに、口数少なくなかったよな?って、思うとき、たまにあらへん?久しぶりに会ったときとか👀なんか、前と変わったって。そういう時あったんなら、実は、その友達、もう、別の、ポケット宇宙の世界(地球)では、死んでるのかもしれないんよ👀👌つまり、友達が、幽霊になってしまっているんだけど、その、幽霊と話してるわけではないんよ。だって、meeの地球の友達は、死んでないんやから👀ただ、他の地球では、友達が死んでるから、色んなからみがあって、性格や雰囲気が変わって、生きてる地球の方の友達といつまでも、いつまでも、付き合い続けていってるっていうこと👀👌例え、多少、昔と変わってしまった友達だけど、付き合い長いから、しょうがないか、みたいな気持ちで関係を続けてるだけの可能性があるんよ👀
で、その夏【2023-07-末以降】、森田童子から、ハート型の指輪を、プレゼントされたんよ👀勿論、俺の金なんやけど👀で、俺、どうしても、歳がいってる森田童子じゃなくて、まだ、若い頃の、そう、学生の森田童子と、交信したくなったんよ👀それで、そんなことを、考えながら、毎日過ごしてたら、ある日、若い、学生の森田童子が、そこにいたんよ👀いつの間にか👀で、歳とってる、貫禄ある、森田童子も、勿論いて、つまり、若い森田童子と、歳とった中年の森田童子2幽体と交信できるようになったんよ👀で、若い森田童子は、音楽勿論、好きやから、ブランキージェットシティを、You Tubeで、聴かせまくったんよ👀勿論、本人、まだ、【僕たちの失敗】を、作曲する前やから、ブランキージェットシティの曲に、腰抜かすほど、衝撃を受けてたんよ👀こんな、曲を創る人が、いるんですか??てきな、感じのリアクションやったんよ👀で、ブランキーの曲のなかでも、少女時代の森田童子が、特に、気に入った曲が、この上に写真貼り付けた、【螺旋階段】なんよ👀で、一般人の俺が、ネットの世界で、ここ数年で、注目されるようになった理由が、この、少女時代の森田童子を、霊天上界の、再臨に加えたことに関係があるんよ👀で、そんときの、俺は、完全に、地上側の人間じゃなくて、霊天上界よりやったから、その、森田童子の少女時代を、呼び出したことが、なんで、俺が、ネットの富裕層や芸能関係の人間に、知られるようになったか?を、なるほどって、手のひらを、ポンって叩くほど、解明したんよ👀ただ、いつの間にか、そのなんで?一般人の俺が、芸能関係に知られるようになったか?を忘れたんよ👀てか、爺ちゃん《仏様》に、記憶を消されたんよ👀そう、爺ちゃん《仏様》は、幽体も、勿論、地上の人間の記憶も、消したり、思い出させたりできるんよ👀そして、今も、そういうこと、爺ちゃんやってるらしいのよ👀勿論、一人一人を試すために👀本当に、改心して、清い人間に生まれ変わったか ? をチェックするために👀そして、今日、会った、いつもの、あの人が、爺ちゃん 《仏様》 の、可能性は、多いにあるのよ👀特に、偽善者連中や、自分より、優れた人間を、妬んでは、本人だけ 【 イジメの対象相手 】、気づいて、他人には、バレんように、嫌がらせしてる連中たちには、ちょいちょい、いつも会ってる、あの人を、装って、爺ちゃん 《 仏様 》 が、チェックしてるのよ👀そう、いつも、俺が、言ってる、【お主が、どういう ? 意図で、そのような ?【 言動 】をしているのか ? 神様や、仏様は、勿論のこと、【 霊界の幽体 】 には、全て、バレてるんじゃよ👀】ってやつね👀👌勿論、糞するときも、オ⭕ニーするときも、見られてるのよ👀で、いつも会う、あの人が、なんか、最近、急に、意地悪なことを、言うてくるようになったな? ? て、思う瞬間があったら、それは、爺ちゃん 《 仏様 》 の、可能性は 、 多いにあるんよ👀👌で、爺ちゃんは、その、嫌なことを、言って、言われた、偽善者、妬み集団たちが、フワッて、湧いてきた、感情を【👁🗨《 チェック 》👁🗨】してるのよ👀👌自分【偽善者、妬み集団たち】は、たいそう、他人を、コッソリ罠にかけたり、嫌がらせしたりしてるくせに、自分が、逆のことされたら、コイツこんな感情が、湧き上がるのか ???? 駄目やなコイツ👀って、何度も何度も👀試してるのよ👀👌
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ヴァザーリ(原文)を読むぞ②
読むぞ!今回は「ニコラおよびジョヴァンニ・ピサーノ伝」から以下の一節。
Ma la più bella, la più ingegnosa e più capricciosa architettura che facesse mai Nicola, fu il campanile di S. Nicola di Pisa, dove stanno frati di S. Agostino: perciò che egli è di fuori a otto facce e dentro tondo, con scale che girando a chiocciola vanno insino in cima, e lasciano dentro il vano del mezzo libero et a guisa di pozzo, e sopra ogni quattro scaglioni sono colonne che hanno gli archi zoppi, e che girano intorno intorno; onde posando la salita della volta sopra i detti archi, si va in modo salendo insino in cima, che chi è in terra vede sempre tutti quelli che sagliono, coloro che sagliono veggion coloro che sono in terra, e quei che sono a mezzo veggono gli uni e gli altri, cioè quei che sono di sopra e quei che sono a basso. La quale capricciosa invenzione fu poi con miglior modo e più giuste misure e con più ornamento messa in opera da Bramante architetto a Roma in Belvedere per papa Giulio Secondo, e da Antonio da S. Gallo nel pozzo che è a Orvieto d’ordine di papa Clemente Settimo, come si dirà quando fia tempo.
拙訳↓
しかしながら、ニコラの手がけた中で最も美しく、最も創意に富み、最も風変わりな建築物は、聖アウグスティヌス修道会があるピーサの聖ニコラの鐘楼である。その理由は以下の通りだ。この建築物の外側は八角形で、内部は円形、頂上まで伸びる螺旋階段が付属し、螺旋階段内部は井戸のようにほぼ空洞のままになっている。四段毎に跛行状アーチを抱く円柱が立ち、それがグルグルと続いていく。前述のアーチの上に傾斜のあるヴォールトを��けることで、傾斜(したヴォールト)は上昇しながら頂上まで達する。地表の人はいつでも登っていく人皆が見え、登って行く人々は地表の人々を見ることができる。中間にいる人々はそのどちらもを、つまり上の人と下の人とを、見ることができる。このような風変わりな着想はその後、より良い方法とより適切な比例、そしてさらに多くの装飾を伴い、教皇ユリウス二世のために建築家ブラマンテがローマで手がけたベルヴェデーレや、クレメンス七世の命によってアントニオ・ダ・サンガッロの手がけたオルヴィエートの井戸といった建造物の元となったが、それは時が来てから述べるとしよう。
メモ
螺旋階段:scale che girando a chiocciola (直訳:カタツムリのように取り巻く階段)
伊和中辞典には scala a chiocciala (直訳:カタツムリ状の階段)が「螺旋階段」として載っているのでヴァザーリの時代にはまだ「螺旋階段」は普通名詞化していなかったと考えて、日本語に訳すならば「螺旋階段」よりも「螺旋状に取り巻く階段」とした方がいいのかもしれない。カタツムリっていうか、カタツムリの殻だね、ぐるぐる。
跛行状アーチ: gli archi zoppi (直訳:複数の跛行したアーチ)
白水社の邦訳が「跛行状アーチ」となっているのでそれに倣った。跛行アーチでもいい気がする。フランス語訳だと des arcs rampants だった。
高さの異なる円柱にアーチを架ける場合、迫元石の高さが異なり、要石の位置も中央からズレるので、そういうズレたアーチを跛行状アーチと言うってことですね。最初、「びっこ引きアーチ」と訳して、いや、「びっこ」は駄目か、となっていた。
「前述のアーチの上に傾斜のあるヴォールトを架けることで、傾斜(したヴォールト)は上昇しながら頂上まで達する。」(onde posando la salita della volta sopra i detti archi, si va in modo salendo insino in cima,)
ここ、白水社の邦訳と違っているんだよね……。白水社は「そしてこのアーチの上に傾斜した穹窿を架けたため、人がそこを頂上に向かって登っていくと、」(p26)なんだが、ジェルンディオが主語と一致しない時は主語の省略って起こらないはずなので、主語は「人」ではなく「傾斜」なんじゃないのかな。
フランス語訳はこの部分を丸っと訳していないので使えん…。
ブラマンテに言及されていたのでここを選んだ。ブラマンテの螺旋階段(というか段差がないので螺旋スロープ)はブルスキの「ブラマンテ」でも取り上げられていたので、あれか、と分かる。
トロンカメントやら辞書に載っていない古い単語やら出てきてピィピィだったけれど、最初に比べたら読めるようになってきた。
イタリア語の癖を覚えてきたので、辞書を引くのもスムーズになってきたし、フランス語と似ている部分も見えてきた。でもフランス語の感覚だとこうは書かなくない?みたいなのも多い。これは16世紀の文章/ヴァザーリの文章だからなのか、似ているとはいえ異なる言語は言語感覚も異なるからなのか。(現代イタリア語は100% Duolingo なので圧倒的に比較サンプルがない)
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TEDにて
ケイト・ラワース:健全な経済は成長ではなく長期繁栄を目指しデザインされるべき
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
持続可能、普遍的に有益な経済とは、どのようなものでしょうか?
それは「ドーナツ(トーラス)のようなものだ」とオックスフォード大の経済学者ケイト・ラワースは語ります。
この傑出した開眼させるようなトークで、彼女は、人々にとって最低限必要なものが不足している国々を危機から救い出し、この地球の環境的な限界の範囲で、再生的、事前分配的な経済を作り上げる方法について説明します。
赤ちゃんがハイハイを覚える様子を見たことがありますか?
親御さんならご存知ですね。とても興味深いものです。まずは、床の上で体をよじります。たいていは、まず後ろへ。次に、前に体を引き寄せます。
そして体を引き起こし、立てるようになったら拍手喝采です。前へ次に上へと向かうシンプルな動き。これは、我々人類の知る最も基本的な成長の仕方です。
人類の進化も同じです。よたよたと歩く我々の祖先に始まり、ついに直立したホモエレクトス。
そしてホモサピエンス。つねに堂々と歩く男性として描かれています。
だから経済だって同じような成長カーブを描き永遠に成長が続くと私たちが信じるのも無理はありません。
しかし、進歩のカーブを見直す時がやってきました!
現代の経済では、繁栄につながるかどうかはさておき、とにかく成長が必要とされていますが、本当に必要なのは特に豊かな国ではそうですが、繁栄につながる経済であり成長は関係ないからです。
ええ、これは本質的な発想の転換を隠したやや軽々しい発言かもしれません。
でもこの発想の転換は、人類が共に今世紀に繁栄するために必要なことです。
では、成長すべし!
という強迫観念は、どこに始まったのでしょうか?
GDP、国内総生産とは、経済活動により一年間に生産された財貨とサービスの合計に過ぎません。
1930年代に考え出された言葉で間もなく政策立案における最優先事項となり、現在でも最も豊かな国の政府は、経済的な問題は成長によって解決できると考えています。
このような経済成長の流れは、1960年のロストウの古典的著書で見事に語られています。私のお気に入りで初版を持っています。
「経済成長の諸段階、一つの非共産主義宣言」
政治的な臭いがしませんか?
ロストウが述べていることは、いかなる経済も5つの段階を経て成長するというものです。
第1段階は「伝統的社会」です。国の生産高は、技術、制度、考え方の制約を受けます。
次の「離陸先行期」では、銀行業、それに作業の機械化が始まり、さらには成長というものが、必要性を超えて国家の威信や次世代の生活の向上のために必要だという考えが芽生えます。
「離陸」においては、経済的な機構に複利という考えが組み込まれ、成長するのが当た���前という状態になります。
第4段階「成熟期」に入ると天然資源基盤がどうあれ、どんな産業でも作り出すことができます。
最終の第5段階「高度大量消費時代」では、人々は欲しいままに自転車やミシンといった消費財を購入できます。これは1960年の話ですから。
この話には飛行機の比喩が隠されているようです。しかし、他に例をみない飛行機です、着陸することが決して許されていないからです。
ロストウは、大量消費という方角へ向けて我々を離陸させました。彼には分っていたのです。こう記述しています。
「その先は良く分からない。歴史で経験したことは、ほんの一部でしかないからだ。実質所得の増加が魅力を失った時、どうしたらいいのだろう?」
彼は、答えを示さず質問だけを投げかけました!
理由はこうです。
1960年のこと。彼は大統領候補ジョン・F・ケネディのアドバイザーでした。ケネディは選挙戦で5%の経済成長を公約として挙げ、この目標を達成することがロストウの任務でしたから。
「もし、どうやっていつ着陸できるのか」という質問は問題外でした。
大量消費へ向け飛行を始めてから半世紀以上が経った今、経済は限りなき成長を期待し、要求しこれに依存しています。
財政的にも、政治的にも社会的にもこれに依存しているからです!!
経済が成長に依存するようになったのは、現在の経済システムが、金銭的なリターンの最大化を追求するように設計され、上場企業には、売り上げや市場でのシェアの拡大や増益というプレッシャーが常に掛かっており
しかも、銀行は貸したお金が増えて返ってくる有利子負債という形でお金を生み出します。
マクロ経済学です。
政治的にも成長に依存しています。政治家たちは税率を上げることなく、税収を増加させたいためGDPの成長こそが、解決策だと考えるからです。
マクロ経済学でも明らかです。
政治家はみな、G20サミットの集合写真に写りたいと思いますからね。他の国が成長を続けている中、自分の国だけ成長を止めれば、新興勢力に取って代わられてしまいます。
さらには成長に依存する社会的な理由もあるんです。エドワード・バーネイズによって生み出され、1世紀に渡り繰り広げられた興味深い消費プロパガンダのお陰です。
ジークムント・フロイトの甥だった彼は、叔父の精神療法を、消費を喚起し大儲けをする処方として応用できると気づきました。物を買うたびに生まれ変われるのだと。私たち消費者に思わせることができれば・・・
これらの依存はどれも克服できないわけではありませんが、私たちの現状と行く末を考えるとどれも今以上に注目する価値があります。
世界全体のGDPは1950年に比べ10倍の規模になっており、何十億人という人々に繁栄をもたらしてきました。
しかし、事前分配や再分配をしないため、世界経済は、ひどい二極化が進みその収益のほとんどが、世界人口の1%にも満たぬ富豪に集まっています。
また経済の質はひどく劣化し、微妙なバランスで成り立っている我々の生命を支えるこの地球は、急速に不安定化しています。政治家たちはこれを認識していて新たな成長の在り方を提案しています。
それには「グリーン成長」「包括的な成長」「賢明で弾力性があり、均衡の取れた成長」などがあります。成長さえ伴うならどの未来を選んでもいいわけです。
しかし、より崇高でずっと大きな野心をもって選択すべき時がやって来たのです。人類が21世紀に対峙する挑戦課題は明確なのですから。
すなわち、たった一つの生命に満ちた素晴らしいこの地球の恵みが許す範囲で全ての人々の必要を満たし、人類、そして他の生物を繁栄させるという挑戦です。
このゴールに向けた進歩は、金銭で測られるものではありません!!
指標の一覧が必要です!!
そこで、どんな風になるか机に向かって描いてみたところおかしな話と思われるでしょうが、ドーナツ状(トーラス)になったのです。期待外れですよね。でもこのドーナツ(トーラス)について説明させてください。
我々にとって実に良いものかもしれません。人類の資源利用が、中心部から放射状に広がっているとします。中心の空白部分は、暮らしに必須のものが、足りないことを示しています。
食料、医療、教育、政治的発言の自由、住まいといった尊厳と機会が与えられた人生を送るのに誰もが必要とするものです。まずは全ての人をこの空白部から救い出し、社会的基盤のあるドーナツ(トーラス)の「グリーン」な部分に導きたいのです。
しかし、「し・か・し」なんですが、資源の全体の利用量が外側の円を突き抜けてはなりません。
これは環境的な限界です。
この並はずれた地球であってもプレッシャーを掛け過ぎると調子が狂い始めるからです。気候の機能不全や海洋の酸性化を引き起こし、オゾンホールを発生させ我々をこの地球システムの許容範囲外に押しやってしまいます。
これは過去11,000年もの間、人類に優しい住処を提供してきた生命維持システムです。
地球の許容範囲内で全ての人のニーズを満たすという二重の課題に対応するため新たな進歩の形が必要となります。
それは永続的な右肩上がりの成長ではなく人類にとってスイートスポットである基礎的条件と地球の限界との間で動的にバランスをとって繁栄することです。
この図を描いた後に、とても驚いたことがあります。多くの古代文化における幸福を表すシンボルが、まさに同じく動的バランスを表していることに気づいたのです!!
マオリ族のタカランギ図、道教の陰陽図から仏教の無限のひもやケルトの二重螺旋などです!!
では、我々も動的バランスを21世紀に見出せるのでしょうか?
これこそが鍵となる課題なのです。赤い部分で示したように現在は均衡状態からかけ離れており、欠乏と過負荷の問題が、同時に起きています。
中央の空白を見るといまだに全世界の何百万、何十億という人々が、最も基本的なものを必要としていることがわかります。それなのに少なくとも4つの要素が、すでに地球の限界を超えており気候の破壊やエコシステムの崩壊という不可逆な影響を及ぼすリスクを負っています。
これが人類と母なる地球の現状です。この図は21世紀初頭に生きる我々自身を写し出しているんです。
前世紀の経済学者たちは、予想だにしなかったのですから。彼らが作った理論で問題が解決するなどと誰が信じられるでしょうか?
新たな理論が必要です。
我々は、この問題に直面する最初の世代であり問題を回避するチャンスが残された最後の世代だからです。
20世紀の経済学は我々をこう信じさせました「成長が不平等を生み出しても、再配分などしなくて良い。更に経済成長すれば、自然に平等になっていくのだから。成長が公害を引き起こしても規制などするな。成長が進めば環境問題も解決するんだ」と。
でも、トリクルダウン理論は、そうはならなかったし、今後もそうならないと分かりました!!
我々は、欠乏と過負荷に同時に対処する経済を設計しなければなりません!!
再生可能で正常な再分配や事前分配が行われる経済を設計する必要があります!!
我々は、質が低下した産業を受け継ぎました地球上の資源を好きなように加工し、しばらくの間だけたいていは一度だけ使って破棄し、自らをこの地球の限界へと追いやりました。
だから、矢の向きを変えて生命が活動する世界での循環の範囲で機能する経済を作り上げ資源を使い尽くすことなく、何度も再利用するのです。太陽光をエネルギー源とし、廃棄物が再び次の生産活動に活かせるような経済です。
このような再生的な設計が、様々な場所で生まれています。世界中の100を超える都市、キト、オスロ、ハラレ、ホバートなど都市では、電力の内70%以上を太陽光、風力、潮汐発電で賄っています。
ロンドン、グラスゴー、アムステルダムなどでは循環型の都市設計を先駆けて試み、廃棄物を都市部で処理し資源へと変える方法を模索しています。
またエチオピアのティグレや、オーストラリアのクイーンズランド州では、農家や森林の住人が、ひとたび荒野と化した土地を再び生命で満ちた場所に還しました。
しかし、再生的な経済にするだけでなく、設計によって再分配や事前分配的な経済にしなければならないし、それを実現する初めてのチャンスが訪れています。
20世紀には、中央集権的な技術や制度により少数の手に富や知識、権力が集中していたのですから。
今世紀、我々は技術や制度が富、知識、力を人々に再分配や事前分配するように設計することが可能です。ベーシックインカム。
化石燃料や大規模生産の代わりに再生可能エネルギー、デジタルプラットフォーム、3Dプリンターを用います。
量子コンピューター。200年もの間。企業が保有してきた知的財産が ボトムアップ、オープンソース、ピアツーピア知識コモンズで置き換えられます。
株主のために、なおも投資利益率の最大化を追求する企業は、突然、時代遅れとみなされるようになり、比して、社会的企業は価値を様々な形態で創造し、彼らのネットワークをフルに活用してこれを共有するように設計されます。
現代の技術、人工知能、ブロックチェーン、モノのインターネット、材料工学といった現代の技術を再分配や事前分配的な仕組みの設計に活用することができるのなら医療、教育、ファイナンス、エネルギー、政治的発言が最も必要とする人のもとに届き、力を与えるようになります。
このように、再生的。そして、再分配や事前分配的な設計は、21世紀の経済に素晴らしい機会をもたらします。
ではロストウの飛行機は、どこに向かうのでしょうか?
中には永遠の成長が可能だとの希望を抱き続ける人もいるでしょう。脱物質化によって資源の消費量が低減し、指数関数的なGDPの成長が永遠に続くという考えです。
でもデータを見てください。これは空想ですね。そう経済を脱物質化する必要がありますが、この終わりなき成長への依存を資源利用から切り離し、私たちをこの地球の限界内に立ち戻らせるのは、 とうてい無理です。
こんな経済成長批判は、聞いたことがないでしょうね。経済成長は良いことだからですよね?
我々は子供たちが成長し、緑の土地が広がることを願います。そう自然界において成長は、素晴らしく健康的な生命の源です。それは一つの段階であり、現在のエチオピアやネパールは、その段階にあるでしょう。
これらの国の経済は年7%で成長しています。でも、もう一度自然を見てみましょう。子供の足のサイズだってアマゾンの森林だって自然界のいかなるものも永遠には成長しません。
何事も成長の先には成熟期が待っています。それだけが長期にわたって繁栄できる唯一の条件なのです。
皆さんが知ってのとおりです。もし私の友人が医者の診断を受け、腫瘍があると告げられたとします、腫瘍はとても異様に感じられます。なぜなら健康で活気があり働きの良い器官の中に成長を続ける何かがあるとしたら全体の健康にとっての脅威であると本能的にわかるからです。
何故、私たちの経済システムが、この法則に反して永遠に成長を続け成功するだろうなどと考えられるというのでしょうか?
財政的、政治的、社会的な改革が緊急に必要です。成長依存の構造から脱皮しなければなりません。そうすればドーナツ(トーラス)の社会的、環境的な限界の範囲で繁栄とバランスの追求に集中することが可能になります。
限界なんて考えは窮屈だと思う人は、もう一度考えてみてください。この世界で最も創意工夫に富んだ人たちは、限界を彼らの創造力の源に変えてしまうのです。
モーツァルトの5オクターブのピアノからジミ・ヘンドリックスの6弦ギター、テニスコート内のセリーナ・ウィリアムズまで才能を解き放たれるのは、制約があればこそです。
ドーナツ(トーラス)の限界こそが、無限の創造性、参画、帰属意識や意味付けによって人類が繁栄する力を開花させます。
ここにまでたどり着いた人類の才能を最大限に引き出すのです。
ありがとう。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、���率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
その他には
日本の法人99%は、自転車操業これが普通。世界でも経済的に普通。
再分配、事前分配をする政府は、一部の大企業や裕福層から増税が原則です。
民主党以前の連休が少ない日の多いのはパンデミック分散対策の一環かもしれない?女性活躍ウィズ実力!能無しがトップにつくと女性でも、権力濫用。混乱必死です。
そして
プラネタリー・バウンダリー提唱者のヨハン・ロックストロームもSDGsに採用されてる。
SDGsは、一神教での法人倫理を統合し数値化している可能性もあります。
多神教ではブッダの八正道です。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。具体的にSDGsの数値を示さない権力濫用の口実に注意!
これらの源流は、Spaceship Earth(宇宙船地球号)のバックミンスターフラー。
バックミンスターフラーは、思想家というか製品デザイナー?
ガイア理論の方が馴染みがあって、こっちの方が腑に落ちるが、それがスティーブジョブズに継承し、今のAppleParkに繋がる影響を与えた。
AppleParkは、バックミンスターフラーの弟子が建築しています。
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
次に
2023年になりバイデン大統領は、バイデノミクスを打ち出した。
バイデノミクスは、トップダウンではなく、中間層と低所得層から経済を構築すること。さらに低所得層と中間層の底上げを経済成長につなげる政策
3つの根本的な変化を起こすと唱えた。
公共投資の投資分野は、先端半導体やクリーンエネルギー、高速インターネットの普及といった重点分野の製造業への投資。
これらの投資分野に伴う教育による労働者の能力向上。
中小企業を支援するのは、40年間過剰な減税をして大企業は破綻した。アメリカの中産階級が空洞化し、財政赤字は大幅に膨らんだ。
安い労働力のために雇用を過剰に海外に移した。
大企業から中小企業、家計に恩恵が広がっていくトリクルダウンは自然と起こらないことが明らかになり
今後は、人工的に再構築をする。裕福層への大増税も同時に行なっています。
さらに
サムアルトマンが参画や投資をする事業への補完アイデア2023
オープンAIは、チャットGPTを使用してユーザーに課金しているがゆくゆくは・・・
むしろ、ブロックチェーン技術によるワールドコインでユーザーにお金を与えて見ればどうなるだろうか?
Appleと提携しワールドコインの認証はiPhoneを使いさえすれば、パスキーで虹彩認証以外にも拡がります。
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カラビ - ヤウ多様体で量子の狂乱を解消するアイデア2022
テッド・ハルステッド: 皆が勝利する気候問題へのソリューション
この世のシステム一覧イメージ図2012
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
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風月句会
2023年6月18日
於:川崎市多摩市民館
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 朝まだき���き匂ひの蛍川 千種 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 大方は夏草となる畑かな 秋尚 過疎村に農大生の田植笠 経彦 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 捩花の螺旋階段傾ぎをり 斉 道をしへ夜は蛍の思ひのまま 炳子 故郷の水田へ草矢打つやうに 要
坊城俊樹選 並選句
用水路植田の水をつかさどり 幸風 まだ頼りなく揺れ止まぬ植田かな 秋尚 植田まだピンストライプストライプ 千種 白き蝶触れゆく青に染まりつつ 三無 蜻蛉生る土の色濃き狢池 炳子 灌漑も児らの楽園水遊 芙佐子 植田まばら自由画のやう学習田 慶月 万緑の日陰に入れば土匂ひ ます江 夏草や遮光の道の長くあり 久 植田道に沿うて継子の尻拭い 炳子 青鷺の水田二枚を統べてをり 要 一枚は田植ゑ待ちつつ山映す 慶月 葉隠れの木苺熟れて村の径 芙佐子 抜き足に青鷺狙ひ付けてをり 秋尚 早苗揺る静かな音を見てゐたり 三無 からみ合ふ青蔦の径むじな池 亜栄子 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 草の葉を伝ふ天道虫小さき 秋尚 早苗田の畦に長靴干してをり 軽象 遠くより漣渡り来る植田 三無 水細く清く蛍の昼の夢 慶月 植田はも風の吹くまま鷺翔ちぬ 炳子 青鷺の餌を漁れる田一枚 芙佐子 夏草の被さり垂るる狢池 炳子 源五郎密かに夏を謳歌せり 軽象 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 青蛙田の岩座を独り占め 炳子 老鶯や横穴墓群へ尾根伝ひ 芙佐子 虎尾草の生まれ立てなる真白かな 秋尚 早苗田を確と支へて野面積み 要 天道虫追ひし視線に草の闇 久子 万緑の中の水音澄みてをり ます江 ゲンゴロウゐたよと叫ぶ子は父に 慶月
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栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 六月の谷戸のすみずみ水の音 三無 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 どんよりと新樹映して濁り池 要 源五郎さ走る田水光らせて 久子 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 万緑の中の水音澄みてをり ます江
栗林圭魚選 並選句
まだ頼りなく揺れ止まぬ植田かな 秋尚 木天蓼の花咲く寺家のむじな池 幸風 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 人声のかそけき沼の夏の朝 軽象 捕虫網高く掲げて児等行けり 軽象 蜻蛉生る土の色濃き狢池 炳子 灌漑も児らの楽園水遊 芙佐子 万緑の日陰に入れば土匂ひ ます江 水路まで垂らし南瓜の花明かり 久子 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 植田道に沿うて継子の尻拭い 炳子 通し鴨畦に襤褸おく如眠る 斉 青鷺の空大回りして畦渡る 千種 青鷺の水田二枚を統べてをり 要 神南備に筒鳥の鳴く諏訪神社 幸風 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 代田今細波水輪樹々の影 ます江 葉隠れの木苺熟れて村の径 芙佐子 早苗揺る静かな音を見てゐたり 三無 山間は青葉垂れこめ道細く 軽象 からみ合ふ青蔦の径むじな池 亜栄子 白鷺の渡る谷戸田の余り苗 幸風 草の葉を伝ふ天道虫小さき 秋尚 早苗田の畦に長靴干してをり 軽象 大池に夏草迫り森豊か ます江 植田はも風の吹くまま鷺翔ちぬ 炳子 釣堀の水面を滑るやまかがし 経彦 夏の蝶滲み出る土をなめいるか ます江 故郷の水田へ草矢打つやうに 要 老鶯の声聞くばかりむじな池 秋尚 そろひ揺れ高さふぞろひ花藺草 千種 青蛙田の岩座を独り占め 炳子 老鶯や横穴墓群へ尾根伝ひ 芙佐子 襁褓して谷戸の灌漑水遊び 斉 虎尾草の生まれ立てなる真白かな 秋尚 余り苗谷は静まりかへりをり 軽象 天道虫追ひし視線に草の闇 久子 青田風鍬杖にして息を継ぐ 久子
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夜明け
願いを叶えてあげましょう。代わりにあなたはひと月のうちに、私の名前をあててごらん。
寝室から一歩出る。空気が流れたのを肌に感じて玄関に向かった。そうでなければあと三日は自堕落にゴロゴロと寝そべったまま過ごしたところだ。 特にマットも敷いていない木目を晒した玄関先の床。 「よう」 振り向いた表情は上機嫌をわかりやすく描いたような笑み。ドアが閉まるより大きな風圧を立てて上着を脱ぎ捨てる。そっけなかった冷たい床に随分上等な玄関マットが敷かれた。 この部屋に勝手に鍵を開けて入ってくるなんざこの人しかいない。 「何か食べます?」 「くれ。お前が食おうとしてたやつでいい」 「そう?」 まぁ何を食す予定だったわけでもないが。自堕落の気が変わったことにして一度買い物に出掛けることにした。 先に風呂桶を洗って湯を張っておく。玄関マットを踏まないよう床の端を歩いてリビングへ戻るとさっさと服を脱ぎ始めていたその人を抱きかかえて風呂場に放り込んだ。 「いってらっしゃい」 「…。いってくるね」 硝煙のような匂いがする。 それでもこの人はなかなか死なない。
黎。夜。世界の外側へすり抜けてくる。 渡り鳥か蝶に例えやすかろうと思う、やたらと大きな羽織の上着、あれは翅だ。けれど実際どういう人なのか全く知らない。今回初めてというわけでもなく、どういう法則性かもわからん連絡無しの突撃を僕のかましてきてはまた知らん間に去っている。知らん間じゃない時もある。僕の居ない部屋にも実は入り込んでいるのか、そこまでは調べていない。 仮の宿のようなもの、道路の凹凸のようなもの あの人はそこに不意にさし込む夜の闇みたいなもんで けど僕にとってはむしろあちらが、…。 買い物を済ませて帰ると玄関マット上着は玄関先から無くなっていた。出て行ったのかと思ったがリビングにそいつが移動してい��、裸に僕の服を羽織っただけの黎さんもそこに居た。 「おかえり」 頷いて抱き上げて膝にのせる 風呂上がりのまま歩き回られちゃ水滴で跡がつく。 手を伸ばしてドライヤーを取ると温風を髪にあてた。 「ひっひ」「大人しくして」 笑って跳ねる身体を片足で囲って支えると余計に笑われた。胸元に頭が当たって服に髪が刺さってくる 乾いても濡れたように光る、くせのつきようも無さそうなほど真っ直ぐな黒髪。 ずっと艶艶していてやめ時がわからん。 ある程度あててから手でわしゃわしゃとかき混ぜたら全体温かかった。まぁいいだろう。 食事を作り始めようと廊下に置いたままにした食材を取りに立ち上がろうとした。 「なぁ」 それを止められた。 「先に」 膝の間に座った黎さんが振り向いて目を合わせてくる すぐさま唇も合わさった。 「……、」僕の前髪を両手で避けられる じっと目を合わせてくる、キスの間も目を閉じたりはしないらしい 艶艶と 煌煌と 髪よりも一層輝く両の目 眩しいな。 誘いに応えるようにして舌を絡めて 身体を隙間無く沿わせるように 両腕と手の平を使って撫でる 胸と胸が重なる、呼吸するたびにほどよく息苦しくて息が上がる 細い脚が僕の腰にがっちり纏わり付いてきた 「…… 」 体温も匂いも どちらのものかわからなくなる。
一通り終わって黎さんに彼の吐いたゲロを片付けてもらいつつ、傍らで食事の準備を始めた。 「お前もなかなか据わってる」だの言いながら上機嫌を崩さない彼は案外きちんと清掃作業を済ませてくれる。 僕ののんびりしたヤり方でどういう理屈でああなるのかわからないが、あの人は絶頂するとなると酷く痙攣に任せたような激しい呼吸と哄笑で狂ったように暴れてはその衝撃で胃液を吐き散らかす。珍しいことではなかった。都度ぶん殴られるか引っかかれるか、すわ食いちぎられそうになるのをどうにかやり過ごしてことを終えている。別パターンもある。そんなバリエーションいらねえんだがな。 「服の替え、選んで着てください」 「はいよ」 これも毎度ながら、片付ける間は全裸だ。まぁ汚れたら面倒って合理的な話。 あの反応でも悦いのは事実らしい。ちょっと楽しくなってくるほどに派手な反応で、やることなすこと。あんなけ見事に返してくれたら、嬉しみもあろうってものだ。 「できましたよ」 簡単に作ったサラダやソテーをテーブルに置いた。寝室から出てこない黎さんを呼びに行く。 こっからまた抱き合うことになるかどうかはその時の気分次第だろう。今回は、どうだかな。
黎さんと知り合ったのは 某所のオープニングセレモニーだったか。 知り合ったと言うほど正攻法でも無かった。 会場から抜け出すあの人の誘いに乗った。口実は随分と堂に入った彼の仮病、もしかしたら本当のことだったのかもしれない。車に乗せてそのままその日使っていた部屋の一つに連れ帰った。 まるきり穏やかな日常を数日間かそこら、共にした気がする 今でこそ会う度にやることヤってはゲロったりグロったりしてくあの人だけどそん時はまだそうでもなかった。至って真っ当に初対面で、それなりに円満だった。一般的には初対面で自宅まで車に同乗しすぐさま口付けて抱きしめあって寝るなんざ実現を疑われる行為らしい、と 僕の方は一応知っている、けれど数えるほどの例外も知っていた。初対面で刺されて拘束されて恋人になってくださいと言われても僕は了承しただろう。色んなことに対して、断るほどの理由を思いつかないから。 黎さんと過ごしたその期間は 随分久しぶりの感じだった、アホみてえに体調がよくなるほど、休息と補給を繰り返したのが その間 自分の呼吸を教えるみたいな巧みなキスを何度もされた いい匂いに、抱きすくめるには丁度いい体格 一人で住んでたら得られない快適な空間があの人のせいで出来上がって心底うんざりした それが嫌なのか、自分でもよくわからないけど 穏やかさってのは不穏を感じる 大抵の他人も物も安定したらぐらつき出すんだから。
最初の夜 ソファで寝そべって背に腕を回してやわくくっついたまま寝物語を聞かせた、Tom Tit Tot 悪魔の名当て
おやおや美しいお妃様。どうして泣いているのでしょう?
……話し始めたのは 名前を聞かれた時だった、「別に本名を言えってわけじゃない、呼ぶ言葉がほしかっただけだ」と彼に言われて 被せて僕が訊いて 彼も聞き返したので、寓話と違いそこには悪魔ばかり二人居た
悪魔は言う なんだそんなことですか、アサで金を紡ぐくらい 私が力になりましょう。 毎朝アサを渡してくれれば、夜には金の糸にして きっかり五かせ、さしあげましょう
「その代わり ひと月のうちに、私の名前をあててごらん」
お妃は、それを聞いてこう思いました 「ひと月もあれば、当てられるだろう」と
妃が頷いて応えると、 悪魔はアサを受け取って うれしそうに微笑みました
「もしも名前がわからなかったら、私がお前の命をもらうぞ」
……
さてひと月後、いやそんなにも経って居なかったあたりでまた現れたその人はあっさり僕の名前を呼んだ。 あろうことか連れて行ったのとは別の家にだ、どうやってだか押しかけて、鍵を勝手に開けて窓から入ってきた。面白すぎて笑いながら抱き上げて汚ったねえ服を剥いで風呂場に放り込んだのを覚えている。 以来名前で呼ばれるかと思いきや、他の呼び方をされることも多い。その中で悪意を感じたことはない。 悪意、か どうだろう、呪いかもしれない 名で縛るというのは。 悪魔も名前を当てられれば人に良いように使われて仕舞い、名当ての寓話は古今東西いくつも散らばっている どれも名付けの持つ一側面を如実に描き出している ならそうして 僕を捉える彼が、ひょっとして拠り所にでもなるだろうか 他にどんなでも縛られること、捕らえて置いて固められるあてが、あったためしもないのに、 いつまた来るかわからない 二度と来ないかもわからない 彼に、縛られるだって? それをしないために いくつも別の名を呼びかけてくれる? よほど拠り所の無さそうなのは彼の方だと、思う、のだろう。きっと誰もが。知り得もしないが
それからも黎さんは僕に会いに来た。
「普段と違った香りを纏わせておられる」 指摘された方を視線を上げて見る ここに居ない人のことで考え込みすぎた ボックス型に置かれたソファの隣席に座る相手へ笑顔で応える 「お嫌ですか?」 「いや。香水かな」 「何の香りだと思います」 相手が何事か答えるのを聞くとも無しに聞いて曖昧に濁す 吹き抜けの天井に螺旋した大階段 透明なエレベータ 大窓から降り注ぐ外光 ホテルの設計を頼まれた時にはよくよく使い倒すモチーフだ。そこかしこに植物を配置する隙を作って彩りを足す、実際にはほとんど色など無い空間なのに陽の光が全ての色を射し込んでくる 香りと称される体臭は黎さんが来た時の残り香かなにかだろう もう一週間ほどは風呂に入っていない、けどここらじゃそのくらいよくある話だ。毎日のようにふんだんな水を使って身を清めるなぞよほど条件を満たした河川のある地域に限られる 流れが速く、澱みを留めおかない 澄んだ河川。水辺に清めの機屋などたてる無臭の国 日本はそこまで水が豊富でもないのに、土建で工夫をしている。建築技術は生命活動から苦痛を遠ざける 次はどの家で住むのだったか、鍵を無くしてしまった スリに盗られたわけでもなく予定の飛行機から変更になって行き先が変わったからだ すぐに使えない物を持ち歩くのが苦手だった。鍵を捨てたくらいでどうなるわけでもない。 「今夜はどちらへ?」 「夜には日本へ。ここからすぐ飛行場に移動します」 「おや、残念 早いお帰りだ」 なにやら親交を深める目的の誘いを夜から昼に変更してあつらえようと提案されている、それを受けて場所を変える 断るほどのものでもない 「では車を手配しましたので、行きましょう」 はいはい。
荷物の中に紛れ込んだ知らない物も 空港まで付いてきた知らない者も マスターキーの管理がなってないホテルも 土地の境目が 全て取り払う口実をくれる、境界というのはありがたい そうで���きゃ余計なものがどこまでもくっついて いつしかこの身から抉らねば切り離せなくなったりして 癒着 痛えのも重てえのも抱えきらんよ あがいてはしんと静まった何も無い空間に逃げ出す、それが牢獄であろうと
だから偶然だった、そこに居たのは。 疲れて帰国して適当に決めた部屋。さすがに誰にも予測され得ない偶然のはずが、あの人は当然のようにふらりと入ってきた シャワーの水音も湿った浴室も カーテンのさざめきも床の軋む音も全て 一段落付いて過ぎ去った後の室内で、また一通りそれが騒いで シャツ一枚羽織った黎さんは寝室まで来ると髪が少し乾ききらずにいる僕の頭を両手で撫でた 「出迎えは無しか。寂しいね」 ちゃんと構って良い子だ、と 全く違う音を拾う 僕が居ない部屋にもあたら闖入しているのかと、けど。起き上がってこちらからも触れようと手を伸ばしたら黎さんはその手を取って身体に巻き付かせた。誘導されるがまま腰を抱く 膝に座り込んだ彼が振り返って性急に深く口付けられる、別個の存在が居るという安堵が刺激に上塗りされて 「……――、」唾液の音が響く 腹の底で灯がともるように芯が熱くなる、ここまで急に急き立てられたのは初めてのことかもしれない 荒くなった呼吸で鼻腔に吸い込んだ息 くらりと酩酊するような錯覚がする 彼の匂いが、洗い流しても確かに残っていた。それにまた安らいで また刺激がくる 股ぐらに居座った彼の腰を抱く手が、上から押さえられたまま動かせずに、服を捲り上げてむき出しになった下半身が卑猥にくねって僕の下肢を撫でてくる 僕が手を離さずに居たら彼は上から押さえるのをやめて、後ろ手に僕のズボンをくつろげてきた 「そのまましてみろ」 「……、そのまま?」 口付けを離してそれだけ言うと黎さんはベッドに両手をついた すり、と尻でそれを撫でられて抱えた腰を見下ろす 先端がもう当たって今にも入りそうな、このまま、後ろから? 慎重に手で抱えて腰を進めてみる 伏せたままの彼の背が一瞬跳ねた。両手がシーツを握り込んで皺を作る 指先で皮膚がうっすら汗ばんだ気がした 「…――は、」息を どうにか吐いて、肉を割入っていく ならしもせずに入れることなんざ無い、この時ばかりしか きついな どれだけしつこく焦らして解かしてきたかを少し思い出した これじゃ口付けることもままならないし 表情も うかがいづらい 「――――、」 このまま、というのが 体勢も全部なら、一方的に揺さぶって出して終われってことだろうか、全部お前の好きにされたいだとか擬似的な支配を好むやり方も要求されたことはある、誰しも知り得ない、愉しいのは大事なことだけど 喘ぐ声も身を捩る動作も、吐き散らかすことも無い 「……黎さん」 名前 を 思わず、呼んだ。 僕はまだ呼びかけたことが無かったかもしれない 無かったかも しれない、 全部入れてから腕を腰に回して背中から抱きしめる じっと まだ、中で馴染むまではさすがに、きつい 顔を伏せた顔に近づけて息を訊いた、 固く丸められた背と両手 食い込みそうな指を解すように片手ずつ、温めて握って
「………… やめろ」
僕が何か言う前に、黎さんがそう言った。すぐに手を離して上体を起こす 「……」 蹴り飛ばされることも考えたけど引き抜いて距離を取るまで黎さんは大人しかった。傷めるような何も覚えはないけれど一通り見て聞いて確かめておく。触れることはしなかった。特にこの後すべき処置も無さそうで、それならまぁ、ここはこの人に預けて外にでも出ようか。さっさと自分で扱いて出して ティッシュで手を拭う 咽のつかえが取れたようにほっとしてしまった 用が済んだような 「真澄」 もう離れていた意識を引き戻される 立ち上がりかけていた脚が折れてもう一度ベッドに沈む 頬を両手で包んで、口付けられた 甘やかすように 「……悪かった」 暗い寝室にその影も捉えられないまま布団を被せられて、止まる ふと片手でそれをずらした時には黎さんは居なかった 布団だと思ったそれはあの人がいつも羽織っている上着だった。
まだあの人は僕を捨ててはくれないらしい。
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エンジリアリング建築物の傑作「Garcia House」
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何を言っているんだ?という話がありました「がげっぷちに家を設計してください。しかもそこは地震やがけ崩れが多い場所として知られています。さらに近未来的で機能美を備えたデザインにしてください」と。
これは事実です。 1962年、Russell Garcia が建築家の John Lautnerに依頼したことです。 Garciaの他のリクエストは「作曲をするためのスペースと、客をもてなすをするための十分なスペース」
「The Rainbow House」としても知られているこの「 Garcia House 」は、ロスアンゼルスのハリウッド・ヒルズにあるマルホランド・ドライブにあります。
この住宅は、ミッドセンチュリー建築の最盛期に設計されたものです。居住スペースは約2,500平方フィートと、「邸宅」としては比較的小規模な構造となっています。コンパクトなサイズと吊り下げ式で、まるでツリーハウスにいるような感覚になります。
面白いことに、この家は中央は接しておらず、アーチ型の屋根の下に2つの等距離の空間があり、完全にオープンになっています。そのため、屋内と屋外の空間をシームレスに行き来することができます。この家は、フロントエントランスとロワーデッキ、メインリビングをつなぐ中央の螺旋階段を中心に設計されています。リビングルームは下層階の大部分を占める巨大なもので、30フィートの天井があり、100人以上の人をもてなすことができるスペースがあります。
寝室は2つあり、主寝室はもともと作曲スペースでした。現在は、��明なルーサイトベッドとファンキーなカーペットで改装されています。バスルームのパーツは「ハニーオニキス」という素材でできていて、暗闇で光ります。
「 Garcia House 」はどうやって崖に立っているのか?
Garcia House は、吊り橋に使われるようなV字型の支柱を2本立てています。この支柱は、外側の梁から垂直に伸びており、下の崖の中腹まで深く入り込んでいます。
Garcia houseの復元:
2000年代初頭には、この家は完全に荒廃した状態になっていました。以前の所有者は、レイアウトを変更し、オリジナルの木材の上にペンキを塗っていました。この家はJohn McLLweeが購入し、CM Peck Inc.によって修復されました。
その他資料:
https://en.wikipedia.org/wiki/Garcia_House_(Los_Angeles,_California)
https://architectuul.com/architecture/rainbow-house
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— CADENAS 公式サイト —
PARTsolutionsユーザ事例や最新ソリューション、PARTcommunity新規参加サプライヤ/既存サプライヤ3Dデータ追加情報など、CADENASの最新情報をお届けする公式WEBサイトです。
http://www.cadenas.co.jp/jp/news
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髙木大地 DAICHI TAKAGI
このたび駒込倉庫にて、KAYOKOYUKI企画、髙木大地個展「2010 - 2022」を開催いたします。 展示作家|髙木大地 会期| 2023年5⽉20⽇(⼟) - 6⽉11日(⽇) *⽉・火・祝日 休廊 時間| 水 - ⼟曜⽇ 12:00-18:00 / ⽇曜⽇ 12:00-17:00 オープニング&刊行記念レセプション 5月20日(土) 16:00 - 18:00
Komagome SOKO is pleased to announce the solo exhibition “2010 - 2022” by Daichi Takagi presented by KAYOKOYUKI. Artist|Daichi Takagi Dates|Sat.20 May - Sun. 11 June, 2023 *Closed on Mon., Tues., & National holidays. Opening Hours|Wed - Sat. 12:00 - 18:00 / Sun. 12:00 - 17:00
http://www.kayokoyuki.com/jp/230520.php
この度KAYOKOYUKIでは、髙木大地による個展を開催いたします。作品集「Daichi Takagi 2010-2022」の刊行記念展として、隣接する駒込倉庫にも拡大し、新作に加えここ約12年の新旧の作品、未発表作品やドローイングなどを展示いたします。
「still life」から10年程経ち、「Stones」では、再び、深く暗い、特異な質感を持った黒い空間にモチーフが浮かび上がる絵を描いている。さまよい歩きながら、大きな螺旋を漸く一周した。長生きして、まだまだ続く螺旋階段を出来る限り登り続け、未だ見ぬヴィジョンに迫りたい。 (「Daichi Takagi 2010-2022」p.02作家ステートメントより抜粋)
髙木はこれまで、「抽象」と「具象」の狭間を行き来しながらも、一貫して「絵画」表現の可能性を探求し続けてきました。脈々と続く絵画の歴史に真摯に向き合い、その上で自らの絵画表現を模索してきたその軌跡は、高木自身の言葉の通り、まるで螺旋階段を少しずつ登っているように思えます。
初期の静物や風景を解体し幾何学的に再構成した作品では、線や面、形、色彩、テクスチャーといった絵画的手法を駆使し、図と地のせめぎ合いや平面性と奥行きといった絵画の造形性を追求していきました。そして、変形キャンバスの作品やグリッド構造を持つ、より抽象度の強い作品へと展開していきます。しかし、2018-19年のオランダ滞在を機に、髙木の制作は大きく展開しました。それまでの自らに課してきた方法や理論以上に、「見る」ことと「描く」こと、自分の直感を頼りに描くこと、という非常にシンプルな行為にあらためて取り組み始めたのです。そこには具体的なモチーフが導入され、以前の作品にはなかった絵画的情緒や物語性が加味されています。また、オランダ滞在は高木に自分が西洋とは異なる文化圏で生まれた日本人であることを再認識させました。近作では、西洋由来の油絵具を日本人である自分がどう扱うのか、東洋的・日本的な背景や美意識を念頭に置いた試みも展開しています。
本展覧会では、髙木の制作の根拠となるドローイングなども絵画作品とともに展示され、最新作に至るまでの変遷を辿ることができます。これまでの髙木の軌跡を彼とともに「さまよい歩きながら」、今後の展開についても想像を巡らせていただけると幸いです。
髙木 大地(たかぎ・だいち) 1982年岐阜県生まれ。多摩美術大学絵画学科油絵専攻卒業後、同大学大学院美術研究科修士課程修了。2018年9月より、文化庁新進芸術家海外研修制度を受けオランダを拠点に活動。現在は神奈川県在住。 主な展覧会に、個展「2010-2022」KAYOKOYUKI(東京、2023)、「Borrowed landscape」Blum & Poe(東京、2023)、「NEW ORDER」ECHO(ケルン、2023)、個展「Observation」Ramiken(ニューヨーク、2022)、「DOMANI・明日展」国立新美術館(東京、2021)、「髙木大地、ルシア・ビダレス、山下紘加」タカイシイギャラリー(東京、2020)、個展「Intuition」TIME & STYLE アムステルダム(オランダ、2019)、「現代美術実験展示 "パースペクティヴ(1)"」インターメディアテク(東京、2017)、個展「Periphery」Foundation B.a.d(オランダ、2016)、「版画工房の仕事 "Footprints"」カスヤの森現代美術館(神奈川、2016)、「クール・インヴィテーションズ 2」XYZ Collective(東京、2015)、「絵画の在りか」東京オペラシティ・アートギャラリー(東京、2014)など。 https://daichitakagi.net/
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蜃気楼の境界 編(五六七)
蜃気楼の境界 編(一二三四)から
「渦とチェリー新聞」寄稿小説
蜃気楼の境界 編(五)
界縫
正嘉元年紅葉舞い、青い炎地割れから立ち昇る。音大きく山崩れ水湧き出し、神社仏閣ことごとく倒壊す。鎌倉は中下馬橋の燃える家屋と黒い煙かき分けて家族の手を引きなんとか生き延びた六角義綱という男、後日殺生も構わぬ暮露と成り果て武士を襲えば刀を得、民を襲えば銭を得て、やがて辿り着いた河川で暮露同士語らうわけでもなく集まり暮らす。或る夜、幾度目のことか絶食にふらつき目を血走らせ六角義綱、血に汚れた刀片手に道行く一人の者を殺めようとするが、嗚咽を漏らし立ち竦みそのまま胸からあの日の紅葉のごとき血を流し膝から崩れ落ちる。道行くその者、男に扮した歩き巫女だが手には妖しげな小刀、その去る様を地べたから見届けんとした六角義綱のすぐ背後、甚目寺南大門に後ろを向けて立つ闇霙(あんえい)と名乗る男あり。みぞれ降りだして、人とも呼び難いなりの六角義綱を一瞥し、闇霙、口開かず問いかける、そなたの闇は斯様な俗識さえ飼えぬのか。六角義綱、正嘉地震から甚目寺までの道中で妻を殺され、涙つたい、儂には女は切れん、と息絶える。その一通りを見ていた青年、六角源内、父を殺した女を浅井千代能と突き止めて敵討ちを企てるが、知られていたか検非違使に捕らえられ夷島に流され、以後誰とも交流���持たずに僻地の小屋で巻物を記したという。それから七五九年の時が経ち、二〇一六年、仟燕色馨を内に潜める二重人格の高校生市川忍とその同級生渡邉咲が、慧探偵事務所を相手に朔密教門前また内部にて���細な一悶着あった、その同日晩、奇妙な殺人事件が起こる。場所は百人町四丁目の平素な住宅区域、被害者女性、五藤珊瑚(三〇)の遺言は、残酷な苦を前に千年二千年なんて。戸塚警察署に直ちに捜査本部が設置され、その捜査とは別に警部補の高橋定蔵、市川忍の前に立つ。何故おれなんかに事情徴収を、と忍。事件当日、校門の監視カメラに映っていたきみが何か普段と違うものを見てなかったかと思ってね、若き警部補が爽やかに答え、それで市川忍、脳裏の人格に声を送る、一顛末あった日だ厄介だね。対し仟燕色馨、おそらくこの警部補、謎多き朔密教を疑っている、ならばこの事件あの探偵にも捜査の手が伸びる、ところで気づいているか探偵事務所の探偵に見張られている。
小料理屋点々とある裏通りの角に螺旋階段へ繋がるアーチ状の古い門を持つ築古スナックビルの入り口で刈り上げマッシュショートにゆるめパーマの少年のような青年がただ立っていると突然背後から強面の男がどこに突っ立っとんじゃと怒鳴ってきたので青年は冴え冴えとした眼差しで振り返り、幻を見てたんじゃないですか、俺はずっとこの位置でスマホを見てました、俺の輪郭と色、背後の風景と俺のいる光景をもっと目に焼きつけてください。男は動転し不愉快な目の前にいる青年を忘れないようじっと食い入って見る。だが、その光景はすでに幻で、スマホを見ていた青年はもういない。走り去っていたのだ。朝のホームルーム直前にその青年、六角凍夏(むすみとうか)が現れ席につく。振り返り、後ろの席の渡邉咲に聞く、きみ、部活入ってるの。隣席美術部員中河原津久見が聞き耳を立てている。渡邉咲は初めて話しかけてきた六角凍夏が先々で勧誘しているのを知っていて、文芸部でしょ、と冷えた目を送ると、文化琳三部だよ、と。咲が琳三って何という顔で惑うと、清山琳三ね、俺らの界隈で知らぬ者はいないよ、とくるが、咲はどこの界隈の話なのと内心いよいよ戸惑う。だが、聞き耳を立てていた中河原津久見はピクシブなどで目にする虚無僧キャラねと気づくが話に加わらない。きみ、机の上の本、和楽器好きでしょ、清山琳三は気鋭の尺八奏者。私、渡邉咲、と口にしながら、尺八ね。放課後、六角凍夏は一人、文芸部部室の小さな教室に入って電気をつけるとドアを閉め、密室と成る。中央辺りの机に、鞄から取り出した古びた筒を置く。目を閉じる。刹那、周囲にぼろぼろの布団が幾枚とどさっと落ちてき動きだす。それは天明四年鳥山石燕刊行妖怪画集「百器徒然袋」に見られる暮露暮露団(ぼろぼろとん)だが現実に現れたわけではなく、六角凍夏の想像力は小さな空間で全能となり百器徒然袋の界隈と接続し、今回ならばそこに記された妖怪があたかも姿を見せたかのような気分になったのだ。密室に、江戸の布団の香りが充満する。ときに、異界からの香りが漂ってくることもある。翌、静かな夜、百人町四丁目にて更なる殺人事件が起こる。被害者は志那成斗美(四〇)遺言は、潔く煮ろうか。魔の香りも、又、此処に。
蜃気楼の境界 編(六)
五鬼
出入りする者らの残り香も錯綜の果てに幻影さえ浮かべる夜の街。串揚げ並ぶコの字カウンター中程で束感ショートの若い警部補が驚きのあと声を潜め通話を切ると手話で勘定を頼み、さっぱりとした面立ちの探偵仲本慧に目をやり、五鬼事件だがまだ続いていたと輝きの瞳隠せないながらも声を落とし去っていく。百人町四丁目連続殺人事件の犯人佐々木幻弐が第二被害者志那成斗美の最期の正当防衛で刺され意識不明のまま病院で死亡したという話、監視カメラから犯行も明確、第一被害者五藤珊瑚への犯行とも繋がり既に報道もされた直後の第三事件発覚。カウンターに残された探偵仲本慧、ビールを追加し面白い事件だが依頼がきてないから何もできないね、と奥に座る長髪黒はオールバックの男に突然話しかける。その男、串揚げを齧りながらチラと目線を合わせる。慧、ビールを飲み干し、隣に座っていいかなと距離を詰め、そっと名刺を置き、歓楽街案内人の市川敬済だね仕事柄我々は抜け目ない、聞き耳を立ててたね、という。黙す市川敬済に、優秀な探偵の知り合いは二人と必要ないかなと強い声で独り言のように笑みを送る。店内、音楽なく、静かに食す客、座敷からの賑わい。この辺りで、青島ビールが飲める良いバーを探してる客がいたなそういえば、と市川敬済、懐から名刺を取りだし横に並べる。直後、和柄のマフラーをしたギャル僡逢里が現れた為、仲本慧、名刺を拾い、勘定を済まし去っていく。お知り合いさんなの、と尋ねつつ座る僡逢里に、池袋の二青龍で今は探偵の男だ知ってるか、と尋ね返す。誰よ、テリトリー渋谷だったし、今日はいないの。暗に警部補のことを口にする。僡逢里の耳元で、まだ続いてるらしい千代女のママ心配だな。食事の注文をしながら僡逢里、出勤前に縛られたい、と呟く。夜十一時、一人になった市川敬済の前を男女が横切る。片方の男が枯淡の趣ある着物姿でありながら凍風をただ浴びるがごとく静かであったため変に気にかかるが、気にするのをやめて電話をかける。あら敬済さん、と通話先、青藍に杉の木が描かれた着物の女、さっきまで警部補さんがいらしてたのよ、お店は営業してません、今朝三人目の不幸がありまして五鬼も残すところ二人なの。語るは浅井千代女である。
遥か彼方より朗々と木曽節が諏訪太鼓と絡まり聞こえる、それは五年前の、冬の宵、一人の女、吉祥寺の麻雀ラウンジ千代女の開店準備中、六人の女達を前に、肩に雪積もり震えている。浅井千代女が側に近づき、貴女の血に刻まれし鬼の禍、憎しと思うなら、受け継がれし技術でお金に変えて楽園を造るのよ、弐宮苺(にきゅういちご)の源氏名を授けるわ、そちらの西クロシヤ(五〇)引退で貴女の席があるの。語りかけてきた浅井千代女を取り囲む五人の女達、五鬼を見る。はい、と涙流し、生まれて初めての愉しい月日流れ、今、浅井千代女の周りに残る五鬼はその弐宮苺(三〇)と柵虹那奈(さくにじなな、四〇)だけだ。今朝殺害された紫矢弥衣潞(しややいろ、五〇)の遺言は、一路ゆくは三人迄。殺害現場で弐宮苺は両拳固く握りしめて言う。千代女さまを死なせはいたしません、次はこの私が千代女さまの匂いを身につけ犯人を誘いだし返り討ちにしてやります、これまで通り千代女さまは、五鬼にはできない私達鬼の禍の力を強める祈祷にどうか専念してください。浅井千代女の頬に涙が伝う。紫矢弥衣潞の形見の側に六歳の娘が一人。この災い突如訪れ、犯人の心当たりなく、志那成斗美が相打ちにし病院で死亡したという佐々木幻弐が何者なのかも分からない。不気味であったが浅井千代女は思う、そもそも私達がこの現世において得体知られていない存在なの、それに。相手は私達より強い、と震える。市川敬済に連絡を入れる。丑三つ時に市川敬済が女と帰宅、玄関騒がしく、津軽塗の黒地に白い桜が控えめに描かれた高さ一尺程のテーブルに女が横たわる音がする。自室でスマホを触っていた高校一年生の市川忍、悠里と帰ってきたのかあの女嫌いだな、と不機嫌になる。脳裏から仟燕色馨の声、きみの父だが今着信があり通話している。女といるのに別の女と喋ってるのそりゃあ母も出ていくよ。連続殺人の件だ探偵仲本慧の名前も出ている。いつも大人達は都合で何か企んでいて不快だよ。翌日、暑し。ホームルームの前に近寄ってきた同級生渡邉咲が、低血圧以外の何物でもないローテンションでいつもより元気な声で市川忍に話しかける。事件は解決してなかったのよ、貴方のお知り合いの探偵、仟燕色馨の出番じゃない?
蜃気楼の境界 編(七)
境迷
昼か、はた、ゆめの夜半にか、北原白秋「邪宗門」の一節に紛れ込んでいた六角凍夏は国語教師茨城潔に当てられて、地獄変の屏風の由来を申し上げましたから、芥川龍之介「邪宗門」冒頭付近をちらと見、朗読し始めるが、正義なく勝つ者の、勝利を無意味にする方法は、いまはただ一つ、直ちに教師が、むすみその「邪宗門」は高橋和巳だ、遮ってクラス騒然となる。六角、先生、界をまたぐは文学の真髄ですと逸らす。教室の窓から体育館でのバスケの授業を眺めていた市川忍に、脳裏から仟燕色馨の声、百人町四丁目連続殺人事件、慧探偵事務所の手にかかれば一日で解決する探偵はあの少女が呟く数字で結論を読みとるからだ朔密教での一件はそういう話だっただろう。それじゃあカジョウシキカ勝ち目が。否あの少女がいかなる原理で数字を読むか今わかった。その時、教室の背後から長い竹がぐんと伸び先端に括られた裂け目が口のごとき大きな提灯、生徒らの頭上でゆらゆら揺れる。「百器徒然袋」にある不落不落(ぶらぶら)を空想した六角凍夏の机の中に古びた筒。不落不落を唯一感じとった仟燕色馨、市川忍の瞳を借り生徒らを見回す。何者だ。その脳裏の声へ、何故だろう急に寒気がする。界か少女は先の「邪宗門」のごとく数多の界から特定している市川忍クンきみはこの連続殺人事件どう思う。昨夜の父の通話を聞くに麻雀ラウンジ千代女のスタッフが四度狙われるから張り込めばだけど犯人佐々木幻弐死んでも事件は続いたし組織か警察もそう考えるだろうから現場に近づけるかどうか。吊り下がる口のごとく裂けた提灯に教師も生徒も誰も気づかず授業続く。休み時間スマホで調べた麻雀ラウンジに通話。まだ朝だ、出ないよ、休業中だった筈だし。仟燕色馨は通話先を黙し耳に入れ続ける。浅井千代女らは、魔かそれに接する例えば鬼か、ならば逞しき彼女らが手を焼く犯人も、人ではないと推理できよう恐らく一人の犯行による。驚き市川忍、犯人が死んだというのに犯行は一人だって。きみは我が師仟燕白霞のサロンで幼少時千代女と会っていたことを忘れたか父と古く親しい女性は皆その筋だろう。側に、一人の同級生が近づいていたことに突然気づき、晴れてゆく霞、市川忍は動揺する。渡邉咲が、不思議そうに見ている。
柵虹那奈、と雀牌散らばりし休業続く麻雀ラウンジで浅井千代女が呼びかける。はい千代女さま。志那成斗美あの人の槍槓はいつだって可憐で美しかったわ、五藤珊瑚あの子の国士ができそうな配牌から清一色に染める気概にはいつも胸を打たれていたわ、紫矢弥衣潞あの方の徹底して振り込まない鬼の打ち筋には幾度も助けられたわ、三人とも亡くしてしまった、弐宮苺は私達を守ると意気込んでいるけどあの子を死なせたくないの。ラウンジを出て一人、浅井千代女は市川敬済から聞いた池袋北口の慧探偵事務所へ出向く。雑居ビル、銀行かと見紛うばかりの清潔な窓口が四つあり小柄の女性職員田中真凪にチェックシート渡され番号札を機械から取り座る。呼ばれると先の職員の姉、同じく小柄な三番窓口女性職員田中凪月が青森訛りで対応するがシート見てすぐ内線で通話し真凪を呼び千代女を奥へ案内させる。無人の応接間は中国人趣味濃厚で六堡茶を口にしながら十分程待つと仲本慧現れ、異様な話は耳にしている我が慧探偵事務所に未解決なしさ安心して、笑顔に厭らしさはない、依頼費は高くつくけどね。千代女は私達に似てるわと思う、職員は皆日本人名だが大陸の血を感じる、理由あってここに集い共同体と成っている、市川敬済とは昔SMサロン燕(えん)で業深き運営者は仟燕白霞に紹介された、世俗の裏側で通信し合うルートで辿り着いた此処は信用できる。受け応えを記録する仲本慧に着信が入り中国語で喋りだす。六堡茶を喉へ。探偵職員二名曰く、監視対象の市川忍が早退し校門前で謎の探偵仟燕色馨と通話していたという。仟燕色馨が仲本慧に仕掛けた誤情報だが、千代女を上海汽車メーカーの黒い車に乗せ吉祥寺の麻雀ラウンジへ。市川敬済はその謎の探偵にも件の連続殺人事件を探らせているのかなぜ子の市川忍が連絡を、空は雲一つない、SMサロン燕は五年前の二〇一一年に閉鎖し今は仟燕家のみその調査は容易ではないが必要かすぐ崔凪邸へ行くべきか。麻雀ラウンジのドア、鍵開き、僅かな灯火の雀卓で盲牌していた柵虹那奈、差し込む外光より、冷気識る。現れるは、病室で死に顔さえも確認した、佐々木幻弐である。上海汽車メーカーの黒い車は崔凪邸に着く。少女崔凪は、使用人二人と土笛づくりをして遊んでいる。
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【音版 渦とチェリー新聞】第27号 へ続く
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仟燕色馨シリーズ 全人物名リスト
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