#背抜きジャケット
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◇YOSHI FUNABASHI(ヨシ フナバシ)◇ジャケットが入荷しました。 定価:286,000円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/MR465055-780/ MADE IN ITALY 素材:ウール99%、ポリウレタン1% カラー:ネイビー サイズ:0 総丈約73cm、肩幅約48cm、袖丈約61cm、バスト 約120cm、ウエスト 約114cm、ヒップ 約124cm (平置きの状態で測っています。) 高品質のストレッチウール素材のジャケット。 ノッチドラペル。 シングルブレスト。 袖口は本切羽。 裏地は背抜き使用。 ステッチ部分は全てハンドステッチ。 シンプルなデザインのテーラードジャケットです。 ※ご覧頂いている媒体��より、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり商品をご用意出来ない場合がございます。 Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】6月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」 80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。 吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。 保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。 “老老介護”の実態 食事にはこだわりも 吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。 その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。 7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。 節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。 吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。 トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。 吉田被告の自宅(東京・世田谷区 2023年10月撮影) この記事の画像(4枚) 吉田被告: 朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた 弁護人: どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。 吉田被告: 我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。 弁護人: 介護についてはどう思っていた? 吉田被告: 2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。 検察官: ストレスに感じていた? 吉田被告: 自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。 事件の10日前、妻が錯乱状態に 吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日��ある出来事が起きた。 吉田被告: この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。 節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。 この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。 事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。 「限界です!!」携帯に残された日記 事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。 (吉田被告の日記より) 2023年9月30日午前1時2分 なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!! やってみます。ご迷惑をおかけします。 2023年9月30日午前1時29分 死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。 2023年9月30日午前2時4分 刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。 2023年9月30日午前2時26分 まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。 2023年9月30日午後7時6分 かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。 2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。 そして、2日後。 (吉田被告の日記より) 2023年10月2日午前1時4分 ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。 2023年10月2日午前10時33分 節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。 包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。 日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。 “生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔 事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。 弁護士: 節子さんに対してどのように思っている? 吉田被告: 本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。 弁護士: 事件の根本的な原因は何だと考えている? 吉田被告: 私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。 弁護士: 今何か言いたいことはある? 吉田被告: 節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子を見ていると本当は私に甘えたかったので���ないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。 「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予 この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。 一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。 東京地裁は吉田被告に対し懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した 20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。 東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。 そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。 「私だけが普通の生活をしていいのか」 吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。 ――判決が出たときの率直な気持ちは? 吉田被告: 正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。 ――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った? 吉田被告: 本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。 ――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して? 吉田被告: はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。 周囲には吉田被告の異変に気づいている人もいたが… 吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多く��た。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。 吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。 (フジテレビ社会部 高沢一輝)
「限界です!!」老老介護の実態…介護中の妻を殺害した男に執行猶予付き判決 裁判長涙ながらの判決「悩み抜いた結論」 東京地裁|FNNプライムオンライン
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【あなたの優しさ】
※Tamura blood X Reader
※Japanese
※時系列: 時系列:火事の少し前くらい
(生理痛の話)
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朝。
下腹部に鈍痛を感じて目が覚めた。
重い体を無理矢理起こし、ヨロヨロとトイレに向かう。
(今月もこの時期が来たか…)
しかし今日のシフトは1人だ。窓の修繕費分も稼がなくてはいけないし、なんとか乗り切らなくては。
私は常備しているサプリメントと鎮痛剤を飲み、仕事へ向かった。
数時間後ーーー
私は再び貧血と腹痛でフラフラになっていた。
なんとかお昼のピークは乗り越えたが、既にかなり限界だ。症状が重いのは久しぶりで油断していた。
「おい、顔色が悪いぞ」
いつの間に来たのだろう。カウンターの前に険しい表情の田村が立っていた。
「あぁ…田村か…。え、そんなに…?」
「体調が悪そうだ。休んだ方がいい」
「そうは言ったって……」
返答に困っていると、田村はイライラした様子で周囲を見回す。
私は今のうちにコーヒー豆でも補充しようと思い振り返った瞬間、フワッと気が遠くなる感覚がして大きくよろめいた。
その時、咄嗟に田村がカウンター越しに私の肩を掴んで支える。
「…クソッ。…おい!悪いが今日はもう閉店だ!」
田村が苛立った様子で声を荒げ、店から客達を追い出し始めた。
ああ…だめだ、勝手なことはやめてくれ…。オーナーに怒られる…。
「乗れ」
店から客が出ていくと、田村はカウンター裏にまわり、私の前で背を向けてしゃがんだ。
「えっ…?」
私が戸惑ってその姿を見つめていると、彼に急かされる。
「早くしろ、帰るぞ」
そこでようやく意味を理解した私は、大人しく田村に従うことにした。
彼は私をお���ぶして店を出ると、店の前に停まっていた車の後部座席に私を乗せる。田村が隣に座り、運転席にいるスーツの男に何やら話しかけて、エンジンの音がし始めた。
やっと座れることができて気が抜けた私は、そのまま意識を手放し、田村の肩に体重を預けた。
ふと目が覚めると、自分の部屋の天井が見えた。
「うぅ…」
どうやら車で眠ってしまった私を、部屋のベッドまで運んでくれたようだ。体には毛布がかけられていて暖かい。
上半身を起こして横を見ると、リビングのソファに田村が座っていた。私が起きたことに気づき、すぐにそばまでやってくる。もしかしてずっとここにいてくれたのだろうか。
「起きたか。体調はどうだ?」
「良くなってきたかな…。心配かけてごめん。…その……毎月のアレで体調悪かったんだ」
私は素直に謝る。今回は我慢しすぎていた自分も悪かった。
「…ああ。いや、大丈夫ならいいんだ。……ただ、頼むから君はもっと自分を大事にしろ」
田村は少し安堵と心配の入り混じった様子で私の手を取り、手の甲にキスを落とす。
「ごめんね、今日は本当にありがとう」
かなり心配させてしまったみたいだ。
それに、もし田村がいなかったら大変なことになっていたかもしれない。
状況を振り返るうちに、私はある2つの心配事に気づく。
「あぁ…今日のことオーナーになんて言おう…。片付けもほったらかしだし…」
私は大きく溜め息をつき顔を覆うが、それを見た田村は目をきらっと輝かせた。
「それなら問題無い。本来の今日の分の利益は全て送金してある。店内の片付けは部下にやらせた」
「…え?!マジで…?」
感謝と驚きとドン引きが入り混じる。本当にこの人は何でもありだ!私にとってはありがたい事だが、店の掃除をさせられる田村の部下には少し同情した。
そんな私の感情に気づいたのか、田村が私にウィンクした。
「君の借金は順調に増えている」
「慈善事業かと思ってた」
冗談を返してクスクスと笑い合えば、穏やかな空気が流れる。
「…本当、君といると調子が狂うな」
ふと、田村が私の目をじっと見てそう呟いた。
「田村…」
田村はおもむろに立ち上がり私の頭を軽く撫でると、リビングのソファにかけていたジャケットを羽織る。
「何かあれば連絡してくれ。今日はこれから仕事に行かなければならないから、明日また来る」
「あ、待って田村!」
私はベッドから出て田村を引き止める。彼の袖を掴み、頬にキスをした。
「あなたも、自分のこと大事にしてね」
「…おやすみ」
田村は目を細めて微笑むと、そう言って出掛けて行った。
明日��田村のために、とびきり美味しいコーヒーを淹れなくては。
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モデル:1号
着せてなかったアイテムでコーデ。
このワンピ、肩が大きいのであんまり好きなデザインじゃないですが
秋冬はアウターで誤魔化せるからいいですw
黒とブラウンに染色してチェックのジャケット、リボンを組み合わせました。
このカフェ背景はソフトフォーカスききすぎてぼやけてるのに対し、別背景で撮った写真が鮮明なのでそれは切り抜いて加工して少し遊びました(最後の1枚)
背景変えただけのお遊びですけれども。
#life makeover#きらめきパラダイス#キラパラ#以闪亮之名#game#ゲーム#スマホゲーム#ファッション#fashion#makeup#以閃亮之名#3d dress up game#3d girl#3d avatar#3d character#3d design#dressup game#dress up#character maker#character design#コーデ#dressing up#コーディネート#メイクアップ#ゲーム女子
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライトが点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら楽しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。��部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。��しみと怒りもこもった��ゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、おかしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合唱になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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私の話
最初は5歳の秋か冬、長袖の季節だった。幼稚園生だった私はおたふく風邪だか水疱瘡だかに罹り、しばらく園を休んでいた。その時期園では、同じ組の子たち同士でなんとなくチームを組んで、ロボットやら指輪やらを工作してそれを下級生向けに販売しよう(もちろん紙でできたおもちゃのお金だ)という、ものづくりやチームメイトと協力する力を伸ばし、お金の使い方や年下の子への振る舞いを学ぼうといった趣旨のイベントがあった。準備期間もそれなりにある季節の一大イベントで、みんな楽しみにしていたように記憶している。そして私はチーム決め直前に園を休み、戻ってきたときには先生によってすでに振り分けられたチームで行動することになっていた。どんなチームに割り当てられているのだろうと不安な思いで登園すると、私は牛乳パックでロボットを作る、「男の子」しかいないチームにひとり放り込まれていた。どんな経緯でそうなったのかはわからないが、最初は憂鬱だったのをなんとなく覚えている。自分だけ違うところに混ぜられてしまったのだと感じた。 しかしそこにいるうちに、いつも一緒にいる「女の子」たちといるときとは違う感覚になった。彼女たちといるときとは違った居心地の良さ、安心感。ロボット作りには最後まで楽しさを見出せなかったけれど、その空間は身の置き所としてはこれまで感じたことのない高揚感としっくりくる感じを覚える楽しい場所だった。自分と違うと思っていた属性の中に放り込まれたはずなのに、「自分も『(女の子ではない存在としての)男の子』側なのだ」と感じた。自分に割り当てられている属性は自分のものではないのだと、こんなふうに明瞭に言語化はできなかったけれど、自分に割り当てられてきた属性とその扱われ方に対する違和感を、感覚として初めて理解した初めての経験だった。ひとまずそのときの私は、自分のことを「『女の子っぽい女の子』ではない」のだと理解した。特に仲のいい関係を築いてきたのは「女の子」との方が多かったけれど、チラシで剣を作ったり体育館の大きな積み木で遊んだりするときは「男の子たち」の中にいる方が安心した。人間関係と所属意識の違いが少し明らかになり始めた。その年の七五三、赤い着物を着て髪をセットされた(当時は髪が肩まであった)が、ものすごく居心地が悪くて嫌だったことを覚えているし、親によるとかなりごねて不機嫌だったらしい。
次は10歳、小学4年生の秋。私の地域では毎年4年生が地域の学校で集まって合唱コンクールに出るという行事があった。最初は何とも思わなかったが、単純な子どもだったので練習するたびに課題曲も歌うことも好きになっていくし、本番が待ち遠しかった。 本番が目前に迫ってきたある日、合唱指導担当だった先生から当日の服装についての説明があった。男の子は白い上に黒のズボン、女の子は黒いスカート。それを聞き、どう表せばいいかわからない不快感が湧き上がってきた。スカートを履きたくない。どうして私はスカートを履く側なのか?どうしたら履かなくて済む?あれだけ楽しみにしていたのに、その日を境に本番が近づくのが嫌でたまらなくなった。親が買ってきたスカートを履いたときの違和感は強烈に残っている。しかし音楽会は例年より少し早めのインフルエンザ流行のため中止になった。その報に泣いている子もいたし、私も残念な気持ちはあったが、それ以上にスカートを履かなくて済んだことに安堵した。まさかそんな理由で中止が嬉しかったなんて言える空気ではなかったので、友達に合わせてがっかりした表情を浮かべていた。またこの頃から身の回りの物へのこだわりが出始めた。最初は親に言われるがままに着ていた「弟へのおさがりでも使えるような服」を自ら選んで着るようになり、「女の子」でひとりだけ青い習字セット、青い裁縫セットを使い、家庭科で作った巾着も白と黒のドラゴンモチーフの布を使っていた。常に短い髪、同年代の平均より常に高い身長、青やグレー、黒のパーカーやトレーナーにジーンズ、手提げ袋に至るまで「女の子」っぽさを排除した見た目の中で、ランドセルだけがずっと浮いていたように思う。入学前親に連れられてランドセルコーナーに行ったとき、漠然と赤は嫌だという思いがあったが、「女の子」用のものは赤やピンク、オレンジしかなく、色ではなく大人っぽい響きの名前が気に入ったという理由と、言葉にならないけれど確かにあった何かを諦めたという思いで、渋めのローズピンクのランドセルを背負っていた。年齢が上がっていくにつれ「女の子らしさ」がなくなっていく見た目の中、ずっとランドセルだけが私の「本当の」所属を周囲に示すもので、これを背負う限り私は何をしようとも「女の子」にカウントされるということを思い知り、「そうじゃないと思うんだけどな」のような微妙な気持ちでいた。どうして自分がそう思うのか、というところまでは考えられなかったけれど、「女の子っぽい」という記号を身に付けることへの拒否感は確固たるものになっていた。
次は中学生。当然制服のスカートが嫌だった。小学校の卒業式のときもスカートは確かに嫌だったけれど、上にはおるグレーのジャケットがかっこよくて気に入っていたため一日だけなら、となんとなく乗り越えたが、これからずっと着なければならない制服は本当に嫌だった。でも登校したらほとんど毎日午前中にジャージに着替えていたし(時間割の関係でそうだった)、運動系の部活をやっていたため下校は毎日ジャージだったので、憂鬱感は徐々にごまかせるようになっていった。 小学校からほとんど持ちあがりの、狭く密接で固定的な人間関係という土壌がある中でのクラスメイトからのまなざしは、嫌でも表面的なもの以外の情報も伝えてくるもので、この頃になってくると自分が周囲からどう見られているかを何となく察するようになっていった。周りは段々と女/男の境界がはっきりしたものになりそれぞれの文化が別のものになっていく中で、「女の子」への所属意識をどうしても持てず、「そうではない」存在に近づこうと「男の子」たちのコミュニケーションをロールモデルとして振舞い方を学習した結果、「女の子」たちからは自分たちのメインストリームからは外れていて色々と変だけれど、一応同じ場所にいる他者として、「男の子」たちからは他の「女の子」と比べると自分たちの文化にどこか(「理解している」ではなく)近いけれど、でも同じ存在ではない他者として、「女の子っぽくない・男の子っぽい女の子」のような、どちらからも微妙に浮いた存在として認識されていたように思う。加えて恋愛の話題に絡んでくる子/そうじゃない子の新たな境界も生まれるようになり、誰が付き合っている、デートに行った、夏休みどうするのように話題になる内容が具体的になり、その話題を中心に人間関係の構図が作られ、恋愛との距離感によってヒエラルキーが生まれるようになり、それに伴い会話のあらゆるところに理解できない目配せや気配り、謎のルールも絡まってくるようになると、恋愛ごとを面倒に感じ、それらの事象に巻き込まれるのが嫌な 「男の子」 たちは、 相変わらず髪が短くてクラスの中で3,4番目に背が高い、見た目が「女の子」的ではない、自分たちと近い「男の子」的なコミュニケーションをとって接してくる、一切恋愛の話をしない私を他の「女の子」ほどは警戒せず(「恋愛的な文脈での楽しさを見出せず・高揚せず」とも言い換えることができる)、「女の子」たちも、 恋愛の話題を振られても求められていたような回答をできなかったことでそのルールを理解していないことを見抜き、普段の様子から関心があるようにも見えなかったであろう私なら男の子のそばに置いていても面倒なことは起こらないだろう(ライバルになったり、噂話をして余計な広がり方をさせたりしないだろうのような)と、どちらにとっても曖昧で便利な側面を持っている存在だったと思う。それによって、「男女」間で起きるであろう揉め事を減らせると考えた(であろう)班を決める係のクラスメイトによって、校外学習や修学旅行といったイレギュラーでトラブルをなるべく起こしたくないイベントでの班編成では、いつも男子の中にひとり放り込まれる役だった(3年間「女子」が奇数のクラスだったため)。班を決めた子から「女子一人でごめんね」と謝られたが、なんて返せばいいかわからなかった。そう扱われることに慣れていたし、そう扱われることが嬉しかった。「女の子」の中に入れられる方が自分との差異やそこにいることの違和感を強く感じさせられるから、 「男の子」たちとともに「あっちが何考えてるかわからない」と振る舞うことで、自分の「女の子ではない」感覚を正当化できる環境の方がずっと楽だった。だからといって自分を「男の子」だとは思えず、「女の子ではない」存在として「男の子になりたい」と素朴に願っていた。
「女の子ではない」という思いは自分の肉体にも向くようになっていった。胸が大きくなるにつれブラジャーをしないと揺れて邪魔だし痛いしで毎日つけていたが、ある日その工程がどうしても嫌になり、素肌にジャージの半袖を着て、その上からいつも通りの制服を着て登校した。いつものように1時間目の授業を終え���ャージに着替えたときの、何とも言えない嬉しさと居心地の悪さが混ざった感覚���本来こうあるべきだったという感覚と、いつもより肌にまとわりつく気がするせいでより目立ってしまう気がする身体の丸み。念のため学校にブラを持っていこうなんて微塵も思わなかった(これは決意というよりそこまで考えが至らなかった、着替えの肯定をすっ飛ばした瞬間の満足ですっかり忘れていたという不注意によるものだった)ため、一日中居心地の悪さを引きずって猫背で過ごすことになり、それ以降ブラをつけることは諦めて受け入れた。「女の子じゃない」存在として扱われるためにできる方法を探し、少しでも「男の子」的になろうとそちら側に行動を寄せ、しかしどうしても「男の子」にはなれず、「男の子」のアイデンティティを自分の中に見つけることもできず、「女の子」の記号を与えられているのなら結局私は「女の子っぽくない女の子」なのかな、と思っていた。6年間制服のスカートを履いているなかで、自分のアイデンティティをいったんそうやって理解することにした。そうであるだけでも浮いていたけれど、恋愛の話題に関わらない限り目立つことはなかったので、基本的には地味な子どもとしてどうにかやり過ごすことができた。 私が高校まで暮らしていたところは東北の田舎で、そこは非常にシスヘテロ的でバイナリーで、女/男しか存在せず、恋愛、性愛をする人しか存在しないところだった。そんな中で私は「ボーイッシュな女の子」という言葉で済まそうとするにはあまりにも色々な要素が浮いていて、しかしそれはただ私が浮いているパーソナリティである以上の意味を持たなかった。(そして、そこでは障害や家庭環境、それらによっておこる不平等も単に個性でしかなかった。)どんな装いをしようと、どんな振る舞いをしようと、どんな思いで生活していようと、私は「女の子」としてカウントされ、「女の子」というアイデンティティを持ち、その規範に沿って生きていくべき存在でしかなかった。
高校を卒業し地元に比べると圧倒的に都会だった地域で暮らし始め、新たな生活を過ごすなかでAロマンティック、Aセクシュアルと出会い、これまで感じてきたわけのわからなさにセクシュアリティという名前がつくことを初めて知ることができた。 大学生になり自分で服を買うようになると、スカートを選ぶことができるようになった。家ではジャージかジーンズしか履かなかった娘が、帰省してきたときにスカートを履いている姿を見た親がびっくりした表情を浮かべ、「似合うじゃん」と言われて微妙な気持ちになったのを覚えている。相変わらず髪は短かったし、身体への違和感が爆発し、思いつく解消案としていわゆるナベシャツを着るようになったのもこの時期だった。でも、あれだけ嫌だったスカートを履けるようになったことに自分自身も理解が追い付かず、だからと言って「完全に」女の子になることができたとは到底思えず、「女の子」の記号を自分から選ぶ自分自身に戸惑ったこと。重ね着をし身体のラインを見えにくくする装いをしたことで安心すること。電車に乗っていてふと「こいつは女か?男か?」という視線を感じ(中学生頃から「女ではない」と認識される経験を幾度となくしており、胸部を探る目が顔に移動する不躾な視線の動きがどういうものかを体感として知っている)、隣に座ってきたサラリーマンは今私を何者と判断したのだろうと不快感を覚えたこと。同時にその困惑を引き出せたかもしれないことにうっすら喜びを感じたこと。成人式で振袖を着るのがどうしても嫌で、別の予定を入れ地元に帰らなくて済むようにしたこと。この時期に#Metoo、フラワーデモに出会い、そしてフェミニズムに出会うことで、服装や身に付けるものも社会によってジェンダー化されていること、誰でもその規範から自由になれることを知った。セクシュアリティとフェミニズムは不可分であるし、本の中に書かれている社会構造の不平等や差別は私の身に降りかかるものとも似ている部分があったため、やっぱり私は「女」というジェンダーにカテゴライズされる人間なのかと思うようになった。
私が参加したフラワーデモでは、何度かトランスジェンダーの方がマイクを取っていた。またそこで出会った人に紹介されたコミュニティにもトランスジェンダーの方が何人もいて、書籍の中だけでなくリアルな存在として、シスジェンダーではない人は決して遠い存在ではなかった。それだけでなく、当時セクシュアリティに関する情報のほとんどはオンラインで手に入れており(地元を出るまでLGBTという単語にすら触れたことのないような人間が、いきなりどの本を図書館で探せばいいのかわかるわけがなかったし、オフラインでAセクシュアリティに関する情報を探すのはさらに至難の業だった)、本で語られることを吸収することも大事だったけれど、YouTubeやツイッターを見れば本当に性的マイノリティの人間が生きていることを感じられることがあまりにも新鮮で、文字通り生きる希望になった。今はもう更新していないが、noteという媒体では今に続く私にとっても本当に大切な出会いをすることもできた。その人の文章を読むことで、Aセクシュアリティ、そして「男でも女でもない」と説明されることの多い、バイナリーな性別二元論では語ることができないアイデンティティの存在を知った。私が生きてきた、そして今も生きているこの社会がどれほど性別二元論に支配されており、それがどれだけの人を差別し、苦しめ、傷つける構造になっているのかを知り、彼らと連帯しなければならない、伴走者にならなければならないと強く思った。
同時に、性別二元論への馴染めなさは、私自身の体内にもずっと昔から近からず遠からずの距離感で確かに存在していた。フェミニズムを学び、「『自分はフェミニストではないけれど』と言いながらフェミニズム的な発言をする人が多い」と、どちらかといえば批判的な文脈で語られているのを見かけ、確かにそうだよなと思う一方で、自分は完全に「女」を引き受けるのはしっくりこないな、という思いもずっとあって、「フェミニスト」と名乗るまでにかなり時間がかかった(し、正直今も名乗ることに抵抗感というか戸惑いがある。それは私のアイデンティティによるだけでなく、私があまりにもフェミニズムのことを知らなすぎることも大いに関係している)。フェミニズムが指摘する構造的な差別において、私は【「女」が受ける差別】を受ける立場にいたと思う。だけど、私がこれまで自分に感じてきた違和感は「女じゃない」という感覚によるもののはずだった。私なりにではあるがセクシュアリティやジェンダーなどに関することを学んできた中で、これを「女」の多様性の枠で語ることはできるのだろうかと改めて自分に対し疑問を持つようになった。でも、「女じゃない」なら何なのだとか、これまで「女」に馴染んで生活しているじゃないかとか、「女」の枠にいるからこその語られ方をしているじゃないかといった考えを拭えず、もやもやした思いは残るけれど、これまでのように、そういう違和感を一生抱えたうえで私は「女」をやっていくしかないのだと、諦めと不本意な受容が混ざった覚悟を決めた。
その後、感染症流行による人との接触の減少、それに加えて鬱を発症したことで人と会わ(え)ない期間を長く経験して、就職活動が始まった(めちゃくちゃしんどかった)。何もわからなかったので学校のキャリアセンターに1から10まで頼りっぱなしだったのだが、そこで「スーツは黒で、スカートでもパンツでもいいけど今から買うならスカートが無難」というようなことを言われた。そのとき、久しぶりにスカートへの嫌悪感を強く感じた。私服でスカートを着るくらいになっていて嫌悪感はだいぶ薄くなっていたはずなのに。 フェミニズムを学んだことでシンプルに最悪なセクシズムが働いている発言だということを昔より高い解像度で理解し、そのことで怒りを覚えた感覚もあったけれど、 どうしてこんなに、あの頃と同じくらい嫌だと感じるているのか、自分に戸惑った。 スーツを売っている店の前を通ったり配られたチラシを読んだりしてみたけれど、無理だという思いがあまりにも強固で、どうにかしてスカートを履かないでやろうと決めた。就活のためにお金を使いたくなかった(鬱が治りきらないまま就活→実習→試験勉強というルートでバイトに避ける時間が減っていくのがわかっていた)し、なにより黒のスカートに脚を通すたびにおしまいの気持ちになりそうで、規範へのささやかな反骨心と心を守る方法として、 大学の入学式のときに親から譲り受けたグレーのパンツスーツで就活を乗り切った。
現在フルタイムで働いている。いわゆるケアワークと呼ばれる業種だ。職場は「女性」しかおらず、ほとんどが既婚者で、世間話としてされる会話は異性愛規範に塗れていて、「私は異性愛者じゃない!」と心の中で唱えない日はないような環境にいる。そして、新しい利用者と会うたびに新しい関係を作っていく中で「女」として自己紹介したり、「女」と認識され、「女」だから任された仕事をすることが、徐々に違和感としんどさを生むようになった。職場での自分のありかたがわからなくなって、仕事で疲れて帰ってきても夜眠れない泥の中のような日々がまた戻ってくるようになった。眠れないままとにかく横になってスマホを眺めていたある日、ふと思い出した人のブログを読み返したとき、唐突にすとんとおさまる感覚があった。そうやって私は、女ではないというアイデンティティをようやく受け入れ、自分を表す言葉としてAジェンダーと出会った。
本当に急に腑に落ちた。あまりにも呆気ないような、それでも20数年に及ぶ私のアイデンティティの居心地の悪さを理解するための、救いのような受容感だった。私が「男の子」にカウントされようと必死で、もしくは無意識的に渇望しやってきたことは、「女の子」と認識されることが苦痛でその記号を外すために、非常に強固な性別二元論が敷かれた、男と女しかいない社会の中で、「女の子ではない」をやろうとした結果「『そうではない』存在としての『男』」であろうとするしか抵抗の方法が、そして自分自身のアイデンティティとの向き合い方がわからなかったためだった。 このバイナリーな世界では性別欄は二択しか用意されておらず、「女」ではないなら「男」だし、「男」ではないなら「女」だ。必ずどちらかじゃないと存在を認識されず、そんな世界で生きてきたら「どちらでもないなら何なのだ」と、誰よりも私が私自身に問いかけ、二元論を押し付けてきた。そっち(女)じゃないというアイデンティファイしか方法を知らなかったけれど、そっちじゃないなら何なんだという問いかけにはバイナリーを前提とした答えを持たなくてはならず、その世界では私を語る言葉は存在しなかった。社会からやることを要請されてきたのは「女」で、これまで時になんとなく、時に必死に、時に絶望しながらそれをやってきたけれど、物心ついたときからずっとそこにあったここではないという感覚を、やっと信じることができるようになった。「女ではない」「どの『性別』にも当てはまらない」「女を引き受ける」。どうしてこれが同時に成り立つのか、今までこれらをセクシュアリティの問題ではなく個人の問題として引き受けてきた。共存するしかなかったうちに自分に馴染んできた部分も確かにある。シスジェンダーであることを求められ、受容する時間もあったけれど、それでもこれまでの人生すべてをシスジェンダーと理解することはできないし、そうしなくていい。そう思えることで、ずいぶん救われる思いでいる。
書いてきたこれらのことは、他者に対する私の性別に関する証明のためのエピソードではなく、私がどう生きてきたかのごく個人的な話でしかない。このような道筋を辿るのが、Aジェンダーパーソンにとって典型的なのか、特異なのかすらわからない。ただ、性別二元論が私のことを語りづらくさせ、アイデンティティを受容するのを遅れさせ、受容しても尚戸惑わせ、未来の見えなさに仄暗い気持ちにさせ、傷つけてくることはどうしたって否定できない。それだけではなく、今もまだ「私はAジェンダーである」ということが、「私は自分自身の性別を意識したことがない」という、Aジェンダーへの差別的発言になるのではないだろうかと恐れる気持ちがある。アイデンティティを獲得しても、それをまっすぐ祝福できるようになるには正直まだ学び、話を聞き、自分を語るための時間が必要だと思っている。私自身の、私のための話なのに、それを語ろうとすることで差別構造に加担してしまうのではないだろうかと、そしてその言葉は私自身にも向いてしまうのだろうと、ためらいと恐怖を覚えてしまう。この社会に強固すぎる性別二元論が敷かれており、あらゆる社会規範や制度、社会保障にまでそれを前提として設計をされているがために。���シスジェンダーなど存在しないと乱暴な口を開く人々がいるために。
これらは私の話だが、同時に私を取り巻く性別二元論の話でもある。非シスパーソンの尊厳を損ね、存在ごと居場所を奪い、攻撃の対象に仕立て上げ分断させ、そうすることによって大きな顔を保とうとしている、性別二元論の話だ。私にアイデンティティと出会うことを困難にさせ、規範から外れる存在として生きづらくさせ、やっと見つけたと思えても獲得するまでに本来必要だった以上に惑わせ、ようやく手にしてもそれを祝福することを難しくさせ、語ろうとする言葉を口篭らせる、性別二元論の話だ。シスジェンダーをやろうと頑張ってきた長い闘いが終わり、そして今度は非シスジェンダーの存在を許さない社会との闘いが始まる。それも今から始まっているのではなく、ずっとずっと前から傍にあった濁流の中に巻き込まれるような感覚だ。苦しいけれど、私はそこで私と出会った以上逃れることはできないし、したくない。私はこれまでもこれからも、こうのままで生きていく。私自身のことを言葉にするのがまだ難しくても、私が私のアイデンティティを信じられるようになっただけで、それはあの頃の5歳の私を救うことができるし、こ���からの私自身の希望になる。一度諦めたことがあったけれど、また出会うことができて本当によかった。
私はAジェンダーだ。
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ネズモデル説明書
原作:ポケットモンスター ソード・シールド
モデル使用時は最新のオンライン規約を確認して厳守してください。 https://kanami3.tumblr.com/rule
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【更新履歴】
2023/09/10 v1配布開始
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【対象データ】
□ネズ.pmx
□ネズ_前髪非干渉.pmx
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【コンテンツツリー登録先】
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【モデル差分について】
□ネズ.pmx
通常モデルです。
□ネズ_前髪非干渉.pmx
前髪の物理演算に腕などが干渉しない(すり抜ける)モデルです。
説明
通常モデルでもかなりの貫通やめり込みがあります。(一応めり込みの前後あたりのフレームで調整ボーンを使用し角度をそらしてあげるとある程度の修正はできます。)
逆に通常モデルでは引っかかって物理が��れたり動きがぎこちなくなったりもするので、違和感があったり修正がめんどくさい場合は前髪非干渉モデルの使用がおすすめです。
制作者としては前髪の貫通は仕方ないと思っていますので好みの方を使用していただいて問題ありませんし、動画に関しては腕の貫通は修正必須ではありません。静止画の場合は多少気にしてもらえると嬉しいです。
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【モデルについて】
□まあまあ重いと思います。
□作りが甘いので変なとこにエッジや影が落ちると思います。
□身長は髪の毛の頂点までで175cmです。髪にボリュームがあるため配布されているカメラモーションを使用する場合は170~172cmくらいのものがちょうどいいと思います。
□顔のアップは視野角20以下がおすすめです。
□動画はそれなりで大丈夫ですが静止画を公開する場合は貫通などできる限り修正してもらえると嬉しいです。静止画制作時は物理オフ推奨です。
【材質について】
□スフィアマップの一部に待つ様の『服飾に使えるかもしれないスフィアマップ』をお借りしています。
□影色をかなり青くしています。浮いたり違和感がある場合はtフォルダ内の『toonその他.bmp』の色調をイラストソフトなどで調整してみてください。
□toonやスフィアマップの設定が苦手なので色々かなりざっくりです。toonマップとスフィアマップは自由に変更してかまいません。
□材質名の末尾に「_noL」とついている材質はエッジ非表示材質です。個別にエッジを表示させるMMEを使用する場合にはサブセット展開してエッジ非表示のシェーダーを適応させてください。
【ボーンについて】
□上半身3ボーンがあります。他のモデルにはあまりないボーンですがあることで特に困ることはないはずです。特にいじらない場合は上半身2が長めのモデルとして扱ってください。
□ベルトに足が食い込みまくります。静止画や目立つシーンでは「ベルト全体調整」ボーンで位置を移動してあげてください。
□物理on時にも調整ボーンで物理の根元の角度調整が可能です。物理部分がオブジェクトにめり込む場合などはいじってみてください。
□回転付与ボーンは物理off時にのみ回転付与ができます。物理on時にも調整ボーンと同様に根元の角度調整は可能です。
□袖、ベルト、アクセ、腕輪などの調整ボーンでの修正はローカル軸での作業推奨です。
【モーフについて】
□目_コッチミンナ
瞳を後ろに下げることで疑似的にカメラ目線にするモーフです。モーフの組み合わせなどで瞳が瞼を貫通してしまった場合はこのモーフで修正してください。
□まゆ_前右/前左
モーフを組み合わせた際に眉が額にめり込んでしまった場合の修正用です。
□その他_貫通対策
肩・脇周りのスキニングが微妙なのでジャケットから肌がそれはそれは貫通します。肩回りの肌の材質を非表示にして貫通をバレなくするモーフです。ジャケットの内側をアップで映すとか��なければ基本的にオンにしておくといいと思います。設定値は0か1のみ可能です。このモーフを使用しても貫通してしまう部分に関しては修正する必要はありません。
□その他_眉間前
「眉間しわ追加」で追加した眉間ラインがめり込んでしまった場合の修正用です。眉前と同じ感じです。
□その他_瞳AL
そぼろ様のAutoLuminousを使用することで瞳が発光します。AutoLuminousを使用していない状態では変化しません。
□その他_瞳連動解除
目を細めたときに白目をむきやすいため通常は「まばたき」「笑い」「なごみ」「はぅ」モーフに連動して瞳が下がる仕様になっています。瞳の動きに違和感がある場合のみ使用してください。設定値は0か1のみ可能です。
□その他_ジャケットオフ
ジャケットを透明にします。肩のボーンがジャケットありきの位置にあるので脱いだ状態で肩回りを大きく動かすと違和感があるとおもいます。ご了承ください。設定値は0か1のみ可能です。
□その他_舌エッジ
デフォルトでは舌のエッジは非表示です。「ぺろっ」モーフ使用時など���違和感があればエッジを表示することができます。
□その他_目暗く
目だけ明るくて浮いてしまっているときに暗くする用です。
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不明点や不具合等ございましたらお気軽にお問い合わせください。
配布先
https://bowlroll.net/file/306706
パスワード
①背番号(半角数字)
②ネズが使用しない戦術(全角カタカナ)
①と②を続けて入力してください
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静かな波を装いに - amachi. "Undulate Jacket" / "Undulate Pants"
こんばんは。
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まずは、明日からの営業予定のお知らせだ。
6/5 (月) 〜 6/11 (日) 営業予定
6/5 (月) 13:00 〜 20:00
6/6 (火) 13:00 〜 20:00
6/7 (水) 13:00 〜 20:00
6/8 (木) 15:00 〜 20:00 ※
6/9 (金) お休み ※
6/10 (土)13:00 〜 20:00
6/11 (日) 13:00 〜 20:00
※ 6/8 (木) は15時からの営業となります。
※ 6/9 (金) はイベント搬入のためお休みとなります。
※ 6/10 (土) より"osakentaro POP UP"が始まります。
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いよいよ週末から"osakentaro POP UP"が始まる。かなりユニークなアイテムが並ぶはずなので、ぜひ遊びにきてみてはいかがだろうか。
さて、本日の本題に入る前に。
先週、群馬の桐生に伺った際、オープン前に自然豊かな川辺やダム湖に連れていってもらった。
お天気にも恵まれて、木々の隙間を縫って日差しが差し込む川辺。
また、穏やかな波がたつ湖面。
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大阪市内に拠点を置く身としては、なかなかと触れることのできない環境。
あまりの心地よさと美しさに、眺めているだけで心が落ち着く。
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そんな風景を眺めていると、こうった自然の表情をテキスタイルに落とし込みたくなる気持ちが理解できた。
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目の前に広がる、自然が見せる一瞬の表情。
それを切り抜き、布に閉じ込められたら。
そんなことを思わずにはいられなかった。
さて、本日は、そんな水面の揺らぎに見た感動にちなんで、"amachi."の素晴らしいアイテムを紹介させてもらおうと思う。
amachi. : Undulate Jacket ¥89,100 (tax in)
amachi. : Undulate Pants ¥89,100 (tax in)
基本、"amachi."の服に用いられるテキスタイルは全て、オリジナルとなる。
シーズンコンセプトに合わせて、"amachi."がテキスタイルから作り込む。
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だから、展示会に行くと素材の説明を聞かせてもらえるのだが、聞くたびになるほどとなるような、面白いテキスタイルに毎シーズン出会う。
素材好きな僕として、どれもユニークな視点や発想で、ワクワクさせられてしまうのだ。
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今日、紹介するアイテムもそんなワクワクしたテキスタイルを用いた1着となる。
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Collection 012 / SS 2023
"Regarding Wave"
波について
風について
それらを感ずる石を想う
葉や梢は媒介者
大気の中に存在するすべての道
打ち寄せる
流れ込む
吹きすさむ
そよぎ、傾き、浸食する
何を見て、何を見ないのか
とどまることなき存在の瞬間
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今季の"amachi."のコレクションテーマを記載したカードには、このように書かれている。
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自然に身を置き、観察することで、気がつくことをデザインに落とし込む"amachi."らしさを感じずにはいられない。
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今日紹介するこのアイテム達。
素材はリネンとキュプラの異なる糸を用いたアイテムとなる。
リネンの比率が多めなので、ムシムシ、ジメジメするこれからの季節にもサラッと着用することができる。
肌寒さを急に感じたり、夜も深まると急に気温も下がったりする。
こういったサラッとしたジャケットはこれからの季節にかなり重宝することができそうだ。
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太めのリネンの糸とキュプラの糸を使って織りあげた素材に、加工を施すことで、テキスタイルに波打つような表情が生まれる。
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先日、僕が桐生という街で出会った、穏やかで静かな波のような、そんな表情なのだ。
そんなテキスタイルを用いたジャケット。
ゆったりとして、穏やかで、とても美しい。
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ちなみに、ジャケットはリバーシブルで着用することができる。
裏側にすると、ライトグレーのような淡い色味となり、より爽やかな印象を与えてくれる。
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一方、同素材を用いたパンツ。
ウエストは共布の紐で調整ができる。
シルエットはワイドで、動きやすく、そして、何よりも涼しい。
リネンをベースにした素材ということもあり、夏場でも快適に着用ができそうだ。
また、個人的に、足元をキュッと絞れるようなデザインというのもおすすめのポイントになる。
スニーカーやサンダルなどラフなシューズに、キュッと絞って合わせる。
とても素敵だと思わないだろうか。
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波打つ素材が生み出す、奥行きのある表情。
装いに取り入れ、光が当たることで、その表情は一層際立つ。
特にジャケットの背面のシルエットが素敵だ。
ゆったりとして、ストレスを感じないのに、羽織った時、気持ちはちょっとピンとしたような。
特別な気持ちを感じていただける。
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その瞬間、服を着る楽しみのようなものを強く実感する。
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素材良し
デザイン良し
季節良し
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この3つが重なった時、その日の装いは特別なものになるはずだ。
もし良かったら一度店頭で袖だけでも通して見てほしい。
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またこちらは現在オンラインショップにも掲載をして��るので、合わせてそちらもご覧いただけると嬉しく思う。
波というと、海を先に思い浮かべてしまうけど、この"amachi."のアイテムにおける揺らぎというものは、静かで穏やかで。
そんな波に感じられる。
それは、川のせせらぎの合間に生まれる波だったり、湖のような閉ざされた空間で生まれる波だったり。
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桐生から帰ってきて、店でこのアイテムを見た時、あの時の思いが呼び起こされた。
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このアイテム達を纏った日。
きっと、そんな穏やかな美しい世界を感じてもらえるはずだ。
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それでは次回もお楽しみに。
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Fairlady 1
顔馴染みの従業員たちに軽く挨拶を終え、店の裏口から出る。
十一月の肌寒い空気に、コートの前を気持ち閉め直しながら敷地内を歩いていると、駐車場に見知らぬ車が停まっている事に気が付いた。
車に興味のない俺にはわからないが、傍目に見てもきちんと手入れがされているのだろう黒い車が電柱の光を反射している様は威圧感がある。
そしてその傍ら、見知った長身の男が車にもたれかかって煙草を吸っている。彼は煙草を咥えたままじっと電灯の方を見つめていた。
「真秀さん…………お疲れ様、です」
俺は男――睦門真秀に声をかけた。
無視してそのまま帰っても良かったが、明日の朝の自分は無視した事を気に病むのだろう。声をかけた方が遥かにマシだ。
睦門は「んーー……」と気の抜けた返事をした。視線はまだ電灯を見ており、煙草も咥えたままだった。
何があったのかはしれないが珍しく白衣を着ておらず、黒い薄手のタートルネックセーターに黒のジャケットを羽織っているせいで余計に背丈が高く……スタイルが良く見えた。
「……虫数えてます?」
当てずっぽうで尋ねると、やっと彼と目が合った。
彼はポケットに突っ込んでいた左手で煙草を持ち、長く煙を吐いた。
「十五匹まで数えてわからなくなった」
「声掛けたからですか?」
「いやぁ……なんか、増えたり減ったりするからどうでも良くなってきて」
「暇なんですね」
「全然暇じゃないの知ってる癖に」
睦門はけらけらと何時ものように笑い声をあげて、吸い終わった煙草をアスファルトにぽいと投げ靴底で火を消した。吸殻を拾う気配は一切無い。仕方なく俺はそれを拾い少し離れた場所にある従業員用の灰皿に捨てた。
「えらいえらい」
「犬扱いしないで貰えます?」
「猫可愛がりしてるだけだぞ?」
戻ってきた俺の頭を睦門は撫でようとしたが、その手をそっと払い除ける。ふわと煙草の匂いがした。
「……あー……もう行って良いですか?」
「ん、帰るんなら送ってこうか?」
睦門はそう言って車を指差した。
一瞬、逡巡する。
終電のないこの時間に自宅のマンションまで帰るにはタクシーを呼ぶ必要がある。高天から「仕事で来たのだから直帰する際も経費で落として良い」と許可を得ているので金銭面での心配はしていないが、この店の周りにはタクシーがいない為、ここまで呼ぶか、俺が駅前まで移動しなくてはならない。
普段なら今すぐこの場で、ありがたく首を縦に振っていたことだろう。
その上でそれをしないのは……運転手の技量が測れないせいだ。
正直な話、睦門という人間に対してまともに車が運転出来るイメージが全くない。
俺は率直に問いかけた。
「真秀さんって車の運転できるんですか?」
「できるからここに居るんだがなぁ」
「いや、運転手の方とかいらっしゃるのかなと、割と普段そうじゃないですかうちの会社」
「悠仁じゃあるまいし」
「あー…………はい」
「で? ガソリン経費で落とすから別に気にしなくていいぞ」
「その経費の計算するの俺ですよね」
「んはは」
今日も睦門は機嫌が良さそうで、頻繁に声を上げて笑った。
乗るかどうか決めあぐねていると助手席のドアが開けられ、俺は悩むことを諦め「お邪魔します」と断りを入れてからシートに着くことにする。
エンジンがかけっぱなしだったのだろう。思っていたより中は暖かかったのでシートベルトをつける前にコートを脱いだ。
彼の研究室と違い、車内は綺麗に片付いている。
黒いケースに入った箱ティッシュとドリンクホルダーの缶コーヒーぐらいか、その他には何一つ私物が���当たらない。やれば片付けができるはずなのになぜこの人は自分の部屋を片付けないのだろうかと心底不思議に思った。
ばん、とドアが閉まる大きな音で気がついて横を見るといつの間にやら、運転席に睦門が座っていた。助手席に座ること自体久しぶりで忘れていたが思ったよりも距離が近く感じる。
最近俺は、この人が伏し目がちに何かを考えている時の横顔を好いていることに気がついた。今もそんな顔をしてカーステレオを操作している。何が楽しいのか口元がにやけていた。
「何かいいことでもあったんですか?」
「……何か?」
「いや、今日は真秀さん、ご機嫌だなって思って」
「ゴキゲンって言われると脳天気そうで癪に障るな。まぁ……そうだな、いいことは……あったよ」
そう言うと睦門はステレオの操作を止め、車を発進させた。特にステレオから何かが流れてくるわけでもなかったので「この人は何をあんなに操作していたのだろう」と思った。
助手席から外を見るとほとんどの窓は電気が消え、ぽつりぽつりと立った電柱の光だけが窓を横切っていく。
時折信号で止まったり交差点を曲がったりしてわかったことだが、睦門は想像していたよりもずっと丁寧な運転をする人だった。法定速度も一時停止も守っているらしく、特段大きく揺れることもないので、俺は暖かな車内でのんびりと運ばれる感覚だけを味わっていた。
「真秀さんって、運転上手いんですね」
車が動く音だけが聞こえる今の状況が少し気まずくて、俺は口を開く。
「なんか、絶叫マシンとか好きなタイプだろうし運転荒そうだなって思ってたんですけど」
「あはは、今すぐここで外に放り出されたいか」
「別に、タクシー呼ぶんでいいですよ。あと高天さんに明日いいつけます。真秀さんが夜中俺のこと車から追い出してそのまま置いてったって」
「あーーそれは……悠仁に怒られるなぁ」
睦門は「冗談が通じないなぁ」と苦笑した。「やりかねないでしょう」と返し、俺も笑った。
「ま、通勤に使ってるからな、多少慣れはするだろうなぁ……」
「車通勤なんですか……っていうか真秀さんあそこに住んでるんだと思ってたんですけど」
何度か足を運んだことがあるが、睦門の研究室は夥しい量の資料や機材の他に一通りの生活家電が揃っていたように思う。そもそも俺は彼の口から自宅の話を聞いた記憶自体が無かった。
「実際月の半分くらいは研究室に篭ってるかもな。前は悠仁のところに行ったり研究室に行ったりしないといけなかったからもっと家に帰ってたけど……累のお陰で研究に集中できるから」
「いや、家には帰りましょうよ」
「なんか面倒なんだよな……俺も悠仁のとこに住もうかな。行き来楽になるし、経過観察するのも楽だろうし」
「今も半分くらい住んでません?」
「んーだから、もう半分も住んだら行き来する場所が減って楽だなって話」
何度目かの信号で再び車が止まる。それに合わせてか、なんとなく会話も途切れた。
ふと景色の中に見慣れたコンビニの灯りを見つけ、いつの間にか自宅の近くまで来ていたことに気付く。ここの交差点って信号変わるまで長いんだよな、と思う。
「…………」
ふと隣を見ると睦門は暇そうに両手をハンドルの上に乗せていた。人差し指がコツコツと規則正しくハンドルを叩き、視線は信号機を見ている。秒数でも数えているのだろう。
「累ぇ」
彼は真っ赤に光っている信号機を見ながら俺を呼んだ。
「……ドライブ、したくないか?」
そうして、さも今しがた思いついたようにそう呟く。
明日は休みだから、家に着いたら遅い夕食をとって、その後湯船にでも浸かりながら映画を見ようと思っていた。まぁそんな予定はあってないようなものだけど。
もうすぐこの信号が青になって、そうすると数分もせずに家に着くのだろう。
だとすると、それはなんというか、少し勿体ないような、気がする。
「いいですよ」
俺が答えて間も無く、信号が青に変わる。車の走り出しはとても静かだった。
「晩御飯食べてないから、途中でコンビニ寄ってください」
睦門は「ん」と短く返事をした。
自宅のマンションから漏れる光が他の景色と一緒に窓の外を流れていく。
「真秀さん」
「……ん?」
「晩御飯奢ってよ」
なんとなく甘えてみる。
「いいぞ」と言った彼の横顔はまだ口元が綻んでいて、なんだかやっぱり機嫌がよさそうだった。
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推しを推せなかった話
国際男子寮の食堂で働いている。
国際男子寮の明確な定義は何かと言われるとよくわからないけど、とにかくその寮の近くには国際系(「国際系」って大学の専攻とかの区分で最近よく聞くけど、そもそも「国際系」って何なんだろうか。未だによく解らない)の大学があり、その大学に通う男子学生が多く暮らしている寮である。日本人も勿論いるが東南アジアや中国・韓国にルーツがある学生が大半であり、私の仕事はその寮の食堂で彼等の食事を作ることだ。日本語でのコミュニケーションが難しい彼等と私の間にボーイミーツガール的なラブイベントが起きることは勿論なく、1年近い勤務期間の間に無精髭に薄汚れたタンクトップ姿の彼等と三角巾にマスクで目以外は何も見えない容姿の私が交わした会話と言えば「こんばんは」「ごちそうさまです」「ありがとうございます」「ヘイ ワンピーポーワンプリン」くらいのものである。私の職場は、彼等にとっては自宅のキッチンだ。自宅のキッチンでわざわざ髪を整え髭を剃りアイロンのかけられたジャケットを着て「お姉さん、今日も美味しいご飯をありがとう(ニッコリ)」なんてしてくれる男は居ない。
そんな無精髭タンクトップ男達の中で、ふと目を引く男の子がいた。190cm近そうな長身にふわふわの銀髪。いつも黒いオーバーサイズの服を着ているが、それが本人の体格によく似合っている。皿を受け取る時の手は大きく、指は節ばっている。たまにその指先にある形のいい爪にネイルが塗られていることもあった。大抵は黒、たまに他の暗い色。ふわふわの銀髪は結べるくらい長く、実際に何度か結ばれていた。私は何度か彼を見るうちに、なんだかジョングクに似ているなと感じた。図体はでかいのだけど、挙動が素直で綺麗な目をしている。
彼はいつも野菜も残さず食べてくれるが(男子学生というのは大半が野菜を残してくる)、最初に並んだ惣菜を選ぶ際には真剣な目でどの皿が一番肉が多いか見定めている。野菜が好きというよりただ飯であればなんでも全部かっ食らうようだ。私は肉への執着心が強いジョングク似の彼をジョン肉と呼び見守ることに決めた。
1ヶ月ほどジョン肉を見守っていると、彼がおそらく韓国人であることに気付いた。他の学生とハングルで会話していたからだ。これまで「ご馳走様でした」以外の日本語を聞いたことがなかったので気付かなかったが、言われてみれば確かに発音に若干のぎこちなさがあるように感じる。
彼の「ご馳走様でした」は、私が彼を気に入った理由でもあった。食器を戻す時に毎回、律儀に「ご馳走様でした」と言ってくれるところ。多くの人の言うそれとは違って、彼の「ご馳走様でした」は、本当に「ご馳走様でした」と言っているように聞こえた。言い慣れて惰性で意味を失ったおつかれさまでーす、や、あざーす、とは違う。わざわざ食堂にいる寮長や寮母さん、私の方を向いてぺこりと頭を下げて、「ご馳走様でした」としっかり言ってくれるのだ。
気付いたら私は彼の「ご馳走様でした」を聞くために、積極的にそれまで嫌いだった洗い場に入るようになっていた(洗い場にいれば学生から直接皿を受け取ることができる)。なんなら仕事に向かうため自転車を走らせながら、今日はジョン肉を見られるかしらと考えることもあった。ジョン肉。今日はどんな服を着ているだろう。成人しているんだろうか。本当に仲良い友達と話す時はどんな感じ?あんなに背が高くて銀髪で、こんな田舎に住んでたら目立つだろうな。筋肉質な身体をしているけど、何か運動をしているんだろうか。毎日のように食堂で夜ご飯を食べているけど、あまり人と飲みに行ったりはしないのかしら…でも、そんなこと話せるような仲ではない。私はジョン肉の顔を知っているけど、ジョン肉は私の(目しか見えないので)顔すら知らない。寮の外ですれ違ったら彼は私に気付かないだろう。ああ、それでもこのまま、どうにかしてもう少しだけジョン肉のことを知られたら…
そこで私ははたと気付いた。このジョン肉への感情。私はこれをよく知っている。23年間の人生で何度も経験した胸のときめき。その中にふと訪れる切なさとどこまでも深い理屈を超えた愛おしさ。これは…
完全に、推しだ。
推しだ。完全に推しだ。私はジョン肉を推している。完全に、完璧に、推している。
私は推しへの愛と恋愛感情の違いを明確に理解している。恋愛感情は、「私がその相手と実際にどうにかなりたい」だ。私はジョン肉と、どうにもなりたくない。赤の他人のままでいて欲しい。誰と付き合っていようがどうでもいい。私はただジョン肉を推しとして愛したいだけなのだ。新規供給情報に暴れて画像を何枚も保存してちょっとしたエピソードから人間性をなんとか掴もうと考え込んでVLIVEを見返しては生きる糧を貰って寝る前に今何してるかな、元気だといいなと思いを馳せたりどれだけ彼を愛しているかをやかましい言葉でインターネットに垂れ流したりしたいだけなのだ。私にとって『推す』とはそういうことだ。
でも、そんなことをアイドルでない赤の他人にすることはできない。ストーカーどころか人権侵害だ。怖い。
そこまで理解したとところでぐらりと世界が反転した。全身の力が抜けた私は食堂の冷たい床にがっくりと膝をつく。
神様!!!!!!!!!!!!!!!!
ああ、私はジョン肉を推すことはできない。彼はアイドルではないのだ。アイドルでない他人を推すことはできない。ジョン肉はアイドルではない。故に、私は彼を愛することはできない。私は彼を愛することはできない…
私は、ジョン肉と、アイドルとファンになることができない。もっと彼のことを知って眺められたらどれだけ良いだろう。でもアイドルでない彼にそれを私が求めることには、責任と覚悟が必要とされる一対一の現実的な人間関係が生じる。一体どのオタクが推しと責任と覚悟が必要とされる現実的な一対一の人間関係を生じさせたいというのだ。それを望んではもう「推し」ではない。違うのだ。私はただ、アイドルの推しを推すようにジョン肉を一方的に推したいのだ。けれどそれは敵わない。私は彼を推すことはできない……
そこまで気付いてしまった私は、静かに一人、この気持ちを封印するしかなかった。推せない推しを推すことはできない。私はどれたけジョン肉を推していようと、彼の情報をインターネットで漁ったり個人情報を知ろうと話しかけたりしてはいけない。何故なら彼はアイドルではないからだ。彼は私に推されるべき人間ではないからだ。彼は完全に一般人で、彼のことが知りたければ私は彼と、ごく健全で現実的な人間関係を構築しなくてはいけない。無責任に愛の捌け口とすることが許されるオタクとアイドルではなく。そして、それは私が求めていることではなかった。私はジョン肉とごく健全で現実的な人間関係を構築したい訳ではなかった…
さようなら、ジョン肉。いつか日プ3があったら、出てね。毎日、投票するからさ。もしよかったら、アイドルになってね。でも、ならなくてもいいよ。私に「ご馳走様でした」って言ってくれてありがとね。あれだけはファンサと思って浮かれていいかな?
じゃあ、いつか推すことができるその日まで。
さようなら、ジョン肉。私の、推せなかった推し。
完
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デスメタルのリフを遅くして、ハードコアパンクの形式にザクザクと刻みを入れてみる(ビートダウン)。またはツービートや横山やすし・西川きよしの漫才のテンポを遅くし、ザクザクと分節した時間を引き延ばしてみる(ダウンタウン)。みたいな書き方をしてみるのはどうか。またはベルンハルトのようにダラダラと思考を冗長に垂れ流すのはどうか。That’s life.
『極道たちの野望』のエスタブリッシングショットが面白い。タイトルからして一見ヤクザ映画だと思うかもしれないが、いや、ヤクザ映画なのだが、これはジャンルとしてはヤクザVシネである。ヤクザVシネを見たことが無いという方は一度動画配信サブスクに入ってワンシーンでもヤクザVシネを見て欲しい。いや、見なくてもいい。見たところで思う何かは人生にとって重要なものとなるにはあまりにも時間が短すぎる。私たちは呆然とする時間などない日常で、剰余価値生産のほんの僅かな間隙を縫って作った政治活動の時間までコンテンツ消費に使わなければいけない。どうせ死ぬのだからと、右翼の街宣車をハイジャックしストサベのHardcore Prideを轟音で鳴らしながら財務省に投石、火炎瓶、そのまま突っ込み身体に巻いていたダイナマイトで爆死する心積もりならば、こんな駄文を読んでいる暇などない。早く行け。俺はやることが他にあるからそれをやってから行く。と、ある友人にメールを打ってからというもの、以下のようなメールが絶えない。急なDM失礼します。ママ活をしたい女性からの問い合わせが多く男性が足りておりません。綺麗な女性が沢山いますので是非この機会に参加してください。ご質問等ある方もLINEを追加してご連絡ください。募集中のママさんを公開していますのでよかったら見てください。今日から募集の方も何名かいらっしゃいます。ご連絡お待ちしております。 ヤクザVシネの見つけ方として、まず動画サブスクの検索バーに「小沢仁志」、「中野英雄」、「清水健太郎」、Fuck「中条きよし」、「白竜」などと打ってクリックすると、怖い顔のジャケがずらっと並ぶと思う。その中でタイトルがどうも「臭う」ものを選んで再生ボタンを押してみよう。またはレビューの星の数が3ないし2以下のものを選ぶとより高い確率でヤクザVシネに辿り着けるはずだ。まずは3分見てみる。すると自分の映画鑑賞史の中で培った映画的感覚が妙な違和感を示すはずだ。何かがおかしい…。アナーキーな整音、虚無な照明、身体性がハイのカメラ、アウトオブコントロールな役者、RAWハードコア解像度、shit美術などなど、カチッと何かにハマってない、どこか外れた感じがあるだろう。非芸術的な粗雑さと細部の欠陥、冗語気味な展開、これがVシネの持つ特有のコンテクストである。俺はこれを多大な賞賛を含んだ意味で「映画の外道」と呼んでいる。その中でもヤクザVシネは「映画の外道」の看板ジャンルである。他にエロVシネや金融系、麻雀系、ヤンキー系、パロディ系のVシネなど色々ある。Vシネとは何なのか?ネットにこう書いてあった。
《Vはvideo(ビデオ)の頭文字》東映が平成元年(1989)に発売を開始したオリジナルビデオ映画。 映画館公開のためではなく、最初からビデオとして発売したり、レンタル店に配給したりするために作った映画作品。 商標名。
1989というとベルリンの壁崩壊、昭和天皇崩御、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領就任、天安門事件、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!が放送開始など日本然り世界的にも歴史の転換期となった出来事が起こった年だ。そんな激動の裏っ側でレンタルビデオショップに卸されるためだけに作られたビデオテープの映画作品がVシネというわけだ。今はデジタル化に伴いソフトはDVDとなり、主な販売先は多分ネット配信サービス会社だろう。
『極道たちの野望』は2016年に作られた正統なヤクザVシネだ。竹内力主演で、1997年に竹内力が設立したRIKIプロジェクトが製作、販売?はオールイン エンタテインメントを引き継いだライツキューブである。内容はヤクザ社会の勢力争いと内部抗争がセットになったものと、跡目レース、ヤクネタ、御法度の凌ぎ(シャブ)話がプラスされたものだ。これはヤクザVシネで形式化された話の型の一つだろう。これ系のヤクザVシネはごまんと作られたはずだ。ヤクザVシネにはこうした話の型があるので、その微妙な切り口の差異を「撮影」で見て楽しむ、というのは私の鑑賞方法だが、ヤクザVシネ好きは結構そういう人が多いんじゃないか?例えばハードコア(パンク)も大体の形式があり、その範囲内で微妙な違い、またはパターンや要素の組み合わせを楽しむ音楽ジャンルなので、似ている面がある。ただ、ハードコアは特にメタルと融合することで水平的に発展していった歴史があり、いくつもの派生ジャンルが生まれている。逆に初期のUKハードコアの形式(D-beat)の攻撃性やスピード感はスラッシュメタルに影響を与えている。のちにクロスオーバースラッシュというスラッシュメタルとハードコアが融合したジャンルが生まれるが、パンクとメタルが融合してハードコアに派生ジャンルが生まれまくったその原点は初期のUKハードコアの形式=D-beatおよびDischargeにあると言えるんじゃないか。ヤクザVシネはどうだろう。見ている本数はそこそこあるが、というか沢山見る必要性も感じていない、時代的に時間が有限すぎてとても見尽くせない、けれども、水平的にあらゆるジャンルが派生していった、ということは聞いたことがないし、自分が見ている限り何を見ても全て大体同じではないか?と感じる。先に書いた型を発展をさせずにずっと守り続けているのが、ヤクザVシネということだろう。
撮影技術の極端な洗練されてなさがヤクザ映画のアンダーグラウンド、「映画の外道」の真髄であると言ったら怒られそうだが、洗練されてなさ、愚鈍、crass的な要因は低予算=時間をかけられないという背景にもあるだろう。そのためまだ予算がある程度潤沢だったであろう90~00年代より、(ピンク映画監督の江尻大 a.k.a EJD曰く) 2010年以降予算が付かなくなってからがVシネ業界を非技術によるAnything goesが席捲し、ファン側からするとより益体の無いマニアックな見方ができるようになったという点で「映画の外道」の全盛期と言っていい。以前であれば非技術によるAnything goesのようなものを「映画の(素材の)拡張」と書いていたが、自分の作品でもよく使っていた言葉だが、どこかグローバリズム臭がするんですよね、ローカルを守り楽しむ方法を考えたいと、マニアしかわからなくていいじゃないすか?というかグローバルに誰でもわかることなんかやってねーよってことで使用禁止にしてます。 一方でVシネは無名な俳優が沢山出ていることから雇用を生み出す役目も果たしているように見える。というか、製作側からするとエンターテインメントとしての需要もあるだろうが、雇用を創出することが本来の目的なのではないだろうか。昔からヤクザVシネくらいでしか見ない俳優が沢山いる。しかもあらゆるヤクザVシネが大体同じメンツ、しかもギラついた男のような人間しか出ていないので、非常にホモソーシャルなコミュニティの中で経済が回っているようである。その人たちを食わすためにヤクザVシネが未だ滅びずに存続しているのではないか。また、そのために型を守り続けている、ということではないか。型が発展しサブジャンルが生まれると必要な人材も変わってくるし、元のジャンル自体の資本が分散してしまい、自ずと分配も減る(んじゃないのか?)。ただでさえ日本の映画界はーまあ知らんけどー資金集めに苦労しているのだから。ハードコアのライブに行くとNYHCやビートダウン、パワーバイオレンス、メタルコアなどのモッシュ主体のジャンルや激情系には若い人がチラホラいるが、クラスト、ノイズコア、グラインドにはジジイババアしかいない。というのと同じことで、派生ジャンルが発展すると古いジャンルは淘汰される。この変化や発展を食い止めるための型の保守なんじゃないすか?もしや。大ヒット作『日本統一』シリーズはそんな連綿と続く「終わりなき古き良き労働」の一端から商業的に確変をものにした作品だろう。
先日ヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義なき戦い』(2000年)を見返したが、岸部一徳、豊川悦司、松重豊と等価に映る大地義行はやはり凄味がずば抜けている。俳優としてのではなく、魔のような地の凄味だ。大地義行のあのやさぐれた狂犬が魔物に取り憑かれたような威圧感は同じくヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義の墓場』(2002年)で菅田俊に詰め寄る時のジャケットのボタンを外すシーンがクローズアップされたカットに集約されていると思っている。なぜあのカットを撮ったのか?多分撮影を指示したのは監督の三池崇史だろう。だがどうでもいい。あのシーンの現場にいる誰もが大地義行のボタンを外す仕草に震えたはずだ。大地義行は京都の自宅にいた内縁の妻を放火で殺した罪により無期懲役になり、今刑務所にいる。罪状が真実であれば鬼畜の所業だ。EJD a.k.a 江尻大から大地義行が嫁を殺して逮捕された!と知らされたのはもう20年前のことだ。現在は無実を訴え再審請求を目指しているようだ。2000年前後、あらゆるヤクザ映画のバイプレーヤーとして活躍していた大地義行が今も娑婆にいられたなら(少しでも尋常さがあったならいられたはずだ)、当時同じく名舎弟役として売れまくっていた山口祥行と「映画の外道」を盛り立てていたに違いない。しかし、今の日本社会または映画界に大地義行のような無頼の塊のようなはぐれものが生きられる場所はどこにもないだろう。この世で生きていくためには地獄へ足を踏み入れるしか術がない人間がいる。リベラルが望む「平等」はこの世に生まれ持った魔物が存在する限り叶うことはないだろう。
なげーから続きは次回。
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最初に宣言しておくと、これらは全て主観、想像の域、全く的外れな見解かも知れないけど、洋服をこんな視点で見る楽しみ方もあるということでお許し頂きたい 基本的にテーラードジャケットについて言及することは避けている 理由は少なからず本粋(BESPOKE)を知っているだけにブランドの作るテーラードJKTについて伝えるときに私如きの知識では、どうしても縫製、仕様云々を持ち出して語るしかない それは同じテーブルに乗せて比較するというナンセンスな議論に陥るのが分かっているから、しない(ちょっとしたリスクヘッジ) オーダーメイドと量産を比較するほどナンセンスなことはない、どっちが上とか下とか、そんなものではない 14年(いや13年か)両方の真ん中に立って見てきた自分だから、良くわかる この良くわかるというのも俯瞰のポジションでの話(ディレクターやバイヤー、ファッションアドバイザーの立ち位置) パターンも引けないし、デザイン画も書けない、勿論、縫製もジーパンの裾上げを4分で出来るぐらいの腕しかない (これは昔バイトしていたロードサイドのジーパン屋で初日から業務用ミシンで無理やり縫わされて身についた、1日20本ぐらい、、、ブランク26年ぐらいだけど、一時間ミシンを走らせれば、多分、キワキワのコバを攻めても片手で縫えると思う) クリエイティブな脳は持っていないけど、売り場と工場(こうば)を行ったり来たり、それも丸縫い職人と量産の縫い子さんを同じ日に相手して(ほぼ怒られて)次の瞬間、売り場でヴィンテージを売るとかミクスチャーにも程がある日常に身を置けたから身に付いたある種の真贋(心眼)能力 さて本題 そんな私が伝えたいと思ったジャケットがある これ。 前出したように私の中ではテーラードとして見ていない(勿論、ディスではない) 接客の時に便宜上、そのワードを用いることは許して頂きたい このジャケット、普通じゃない(故に面白い) 何が面白い��というとディレクションが面白い ぱっと見のディテールはテーラードJKTの持ち物を纏っているけど、明らかにバランスが違うというか出発地点が違う 30年代ぐらいまでのフレンチワークの極端な肩傾斜と若干の前振り袖、肩線の倒し方もテーラードというより明らかにワークの意匠に近い、前肩と言ってもトルソーに着せつけた画像を見ればブリブリでもない(抱きジワはない) 等半袖は、そもそもワークジャケットに用いられる仕様 ここまで来ればサックコートに該当する でも背面は見るからにワークジャケット、ウエストの絞り位置も特段高くないと言うよりもボックスに近い(もしかしてアメトラ??) あ、袖口仕様はマルタンへのオマージュか? とは言え襟が抜けなさそうな美しい上り襟はナポリ的だし、バルカポケットと手閂も同様、今の空気を盛り込んだハイゴージも狙っているように思うし、何より最もクレイジーに感じたのが生地のチョイスと、手の入れ方 シャークスキンと言えば英国では定番の生地、本来は以下にもイギリスらしい端正や艶とはっきりと見せるジグザグの織りが特徴。 縦糸はシルクなら、本来、艶で表現しそうなもの。そのシルクの持つもう一つの側面、起毛感を選択している、故に表面にモヤがかかったような曖昧なニュアンスが現れてくる。これならイタリア直系のバーズアイで表現しそうなもの。 お気づきだろうか、すでに3カ国(いや背面のアメトラを入れると4カ国)の要素が入っている、しかもかなりの変化球で でも袖を通したときに、その意図が理解出来たから、セレクトした(そう、振り幅が相当広い、扱いはカバーオールで正解) 幾つものエレメントを素直に入れるのか、はたまた捻るのか、その割合と濃度、足し引きの加減 やっぱり面白い、(そもそもだがモデル名に既にヒントが隠されていた→未構築ジャケットだって) 一先ず、うちのスタイリングは、これを提案してみた、非常に直球。パンツはワイドに敢えて振らない、欲を言えば足元はcary grantが望ましい (捻りは隠すのが流儀なので) お題maateeに対して20代、30代、40代の酸いも甘いも内包した、うちの楽しみ方はこんな感じです、 (古着のオーバーオールにジャックスターなんて感じに振ってもOKよ) (VELISTA) https://www.instagram.com/p/Ck1tpAMvPZ_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2018/06/06
いつかヨセミテには行ってみたいと思っていた。大学生時代に音楽好きの先輩 大木さんから初期のロッククライマーや服ブランドのパタゴニアが生まれた背景を聞いたりしていた。自転車が趣味になる前は2年くらいボルダリングジムに通っていた。
学生時代のジャズ研の後輩である藤枝くん(通称ティッシュ)から連絡が入り、仕事の関係でサンフランシスコに出張するという。それなら一緒に車でヨセミテ国立公園に行き、キャンプやハイキングをしたら良いのでは。そんな感じで話が急に進んでいった。
事前に本などを買って予習を進める。 『地球の歩き方』は基本として、そのうえでハイキング関連の本。
まず土屋智哉『ウルトラライトハイキング』。アメリカ生まれのウルトラライトハイキングのうまれた背景や執筆当時の最新の実践方法なんかを紹介。
次に植村直己『青春を山に賭けて』。インターネットに覆い尽くされた現在の世界では、いやそれ以前の世界においても難しい行為である真の意味での冒険を追求しようとしたある若者の冒険記。まずはアメリカ西海岸 オレンジ農家での不法労働から物語がスタート。
加藤則芳『ジョンミューアトレイルを歩く』。日本にロングトレイルハイキングの文化を紹介し、信越トレイルの整備にも尽力したライターの日記。ハイキング工程の詳細にくわえアメリカの政策への懸念や自然保護の思想など、エッセイ的な記述��差し挟まれる。ハイカーたるもの清貧であるべしと思想を語るわりには、ついつい路傍のダイナーでピザを爆食いしてしまうなど、めっちゃ部厚いが読んでいて飽きない本。その後の彼の人生も知るとさらに興味深い。ジョンミューアトレイルは蚊が多いって情報もここから仕入れたけど、なぜか全然いなかった。ULアウトドアグッズを作るガレージブランドLocas Gearのポールを2本買い、ブログでヨセミテを歩いた記事を見つけて読んだり。
準備といえば、今回は高地でのハイキングになる。ティッシュや僕がマラソンやハーフマラソンを完走できる程度には体力があるため、恐れをなした妻がウォーキングや軽いランニングに継続して取り組み始めた。後にも先にも、妻がトレーニングというものに汗を流した姿を見たのはこのヨセミテ準備の一度きりだ。
6月6日午後 ヒューストンからサンフランシスコ空港へ。飛行機が遅れてしまい到着が夕方に。さらに空港からレンタカー屋までシャトルバスで行くのが遠い。今回のレンタカーはKIAのSUV。街へと急ぐ。もうすっかり暗くなった街角で待って���た仕事あがりのティッシュ君を拾う。遠く日本からやってきた人をアメリカの見知らぬストリートで待たせてるわけでちょっと危ない。悪い悪い、とか数年ぶりの再会の挨拶もそこそこにInterstate-80を北上。サンフランシスコ湾を渡ってオークランド側へ。
オークランド(Oakland)には野球メジャーリーグのオークランドアスレチックスがあり、隣町はバークレー(Berkeley)だ。有名大学UCバークレーがあり、ヒッピー文化が生まれた街。レストランのChez Panisseもある。仕事でUCバークレーを訪ねるチャンスを得たのは2014年だった。とにかく最高の気候と街の雰囲気。大学のキャンパスでは哲学科の建物を見に行ってみた。ドナルド デイビッドソンという学生時代に夢中になった哲学者や、ジョージレイコフというとても重要な認知言語学者がこの地で教鞭をとっていた(いる)。サンフランシスコとバークレーは、いつかアメリカに…というモチベーションを自分にくれた街だ。
そこから州道99号線で南東に進みMercedという町のモーテルにチェックイン。もうだいぶ夜で、とにかく明日に備えて寝るだけだ。
翌朝は、朝早くから州道140号線をひたすら東に、シエラネバダ山脈と呼ばれる山の方へと向かっていく。標高が高くなってくると、日本の山に似た木々に囲まれた、曲がりくねった道を抜けていく。テキサスには無い風景。午前8時ごろ、ついにヨセミテ国立公園が見えてくる。あの有名な直立の岩エル・キャピタンだ。その奥にはハーフドームがある。ハーフドームは服のブランドThe North Faceのロゴの形にも採用されている、ヨセミテ国立公園やアメリカ西海岸発のロッククライミング文化を象徴する岩だ。
暑くなって来るとどうなるかわからないので、なるべく早く、午前中にハイキングを開始する計画。Glacier Point(グレイシャー ポイント)という絶景ポイントを目指して、つづら折りが続くFour Mile Trail というトレイルを往復する。アメリカの国立公園では、トレイル入り口に小さな駐車場があって、車を止めたらそこからハイキング開始できるようになっている。駐車場にはヨセミテに長期滞在しているクライマーが日々の移動に使うのであろう雰囲気満点の自転車がとめられていたり、ちょっとしたデカめの岩には登られた痕跡である白いチョークの粉がついていた。そのへんに落ちていた、虫食い跡がいっぱいついた木片を拾う。本当はいけないことだが持ち帰って、今も家に飾ってある。
朝はちょっと肌寒いのでジャケットを着てスタートするが、すぐにTシャツに。でも日本みたいな湿気が無いので、ロンTでも大丈夫そうな感じだ。北カリフォルニアの、しかも高地の夏はこんなに爽やかなのか。雨がふる気配も全くなし。素晴らしい。息が上がるということもなく快適なハイキングなんだけど、ふと横を見れば超絶景が広がる。 Glacier Pointまで3時間。すごいすごいと言いながら歩き続ける。テキサスの荒野の地の果ての死を連想させる場所に来てしまった感とは全く正反対の良さ。
グレイシャーポイントに着いた。ここからはハーフドームやハイシエラ(High Sierra)と呼ばれるシエラネバダ山脈の尾根が一望できる。日本の北アルプスに夏季に行ったらこんな感じなんだろうか。それよりも大学生のときに行ったチベットで登った山からみた風景に似ている。「地球の上」に居る感覚。本気のハイカーは、このトレイルをさらに進みハイシエラの中に入り、何日もかけて歩いて行く。ロングトレイル・ハイキングだ。
気軽なハイキングでこんなところまでこれてしまっている、という感覚になりながら、売店でそれぞれ買い出して昼休憩。ハンバーガーとかポテトとか、プリングルスやコーヒー。とりあえず最高。 ひととおり写真撮影をしたら、また来た道を戻っていく。登るときよりも、常に眼下に絶景が広がる感じがすごい。つづら折りの向こうにめちゃデカい滝が。なんて素晴らしい景色なんだ。すれ違うハイカーに挨拶をしながら下っていく。ティッシュに、Hey there!という挨拶のしかたがあります、なんていう話をする。
ふもとまで降りたらキャンプ地に移動。今回の宿は大きめの既設テントにベッドも付いているという快適仕様。とても空腹なので、すぐに横のレストランなどが並んでいるエリアに。まずはビールで乾杯からの肉がこれでもかと乗ってるピザを注文。こんなに壮大なハイキングの後に簡単にサクッとお食事を済ませれるとは。ヨセミテ国立公園は他の国立公園とはちがってかなり色々整っている。
食事を済ませたらもう暗くなって来たので、シャワーを浴びて寝る。疲れているのですぐ就寝だ。事前に読んだ本でもさんざん言及されていたが、食べ物は檻のような箱に入れないとクマが来て大変なことになる。ゴミ箱も簡単には開けられない構造になっている。
翌朝もまた少し肌寒いけど天気が良い1日になりそう。朝食コーナーでは定番のパンとかスクランブルエッグ、薄いコーヒーが提供されていた。自分は小麦アレルギー発症防止のためにオートミールを食べる。フルーツは定番のメロン。日焼け防止に買ったリップクリームを塗ったら、唇が真っ白になった。
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#00004:
前回からの続きで、7月19日、金曜日の話。
⋆⋆⋆
面接を終えた後は、予定通り彼氏と待ち合わせ。合流してからは一緒に地下鉄に乗って、この週末、一緒に彼の家で過ごすときに食べるものを買いに行き、そこからバスに乗って帰宅し、ゆっくり過ごす......という流れで動いた。
日曜には、2週間前に彼と同じタイミングで受けに行った性病検査(市が実施してる、匿名で受けられるやつ)の結果を取りに行く予定があった。そのついでに自分のお目当てのCDをブックオフに行って買いに行く......という予定を組んでいたのが(事前にオンラインでCDの入荷店舗をチェックしたところ、たまたま行動圏内の店が表示されていたから、彼にお願いして付き合ってもらえることになっていた)、地下鉄での移動中、「(食料品の)買い物の前に行っちゃえばいいじゃん」という彼からの提案により、金曜日のうちに行くことに決定。
⋆⋆⋆
地下鉄を降りると、暑い中、そこからはしばらく歩いた。道すがらコンビニで軽い昼食をとりつつ、ブックオフに到着。お目当てのCDがあることは事前に分かっていたから、とりあえず入��後は真っ先に確保。ブックオフオンラインに表示されていた値段の半額程度で、帯もついているし、なんと、ジャケットにはメンバーのサインまであるという......。お目当てのものを見つけた喜びを噛みしめつつ、その後もしばらくCDコーナーをチェックしていると(「せっかくだし見たらいいじゃん」と言ってくれる、理解のある彼氏でありがたい)、一緒にCD棚を見ていた彼が、小沢健二の1stアルバム・『犬は吠えるがキャラバンは進む』(の初盤)を見つけ、自分に知らせてくれた。
ちょうど1か月くらい前。彼氏が、思い出話とともに「天使たちのシーン」が素晴らしいのだと、聴かせてくれた。それがとても良くて、あれから自分は「あのCDが欲しい!」と、探していたのだ。それが、今、目の前にある。帯が無いから'93年発売のほんまもんの初盤かは分からなかったけども('95年くらいに色違い・デザイン違いの帯でリプレスされていて、自分はできれば'93年の初期生産分を手に入れたかった)、通販で手に入れるのとは違った、目の前に「ある」喜びに背中を押されて躊躇なくCDを掴み、レジへと進んだ。
⋆⋆⋆
そうして、この日は2枚のCDを購入。
逆光だしピントがぼやけてしまって見えづらいけれど、
L: advantage Lucy 『Echo ParK』
R: 小沢健二 『犬は吠えるがキャラバンは進む』
そう、この日の1番のお目当ては、advantage Lucyの3rdアルバム(インディーズ期も含めると通算4枚目?)なのでした。ブックオフのCD棚から引き出すと、想定していたよりも値段が安い上に、アイコさんのサインが入っていて、二重の驚きが待っているという......。ちなみに、帯にはスピッツの草野マサムネに空気公団の山崎ゆかり、そしてザ・カスタネッツの牧野元のコメントが掲載されている。二枚とも、月曜、自宅に帰ってから開封した。すると、小沢健二の1stのほうには......
帯がついていた...! しかも、リプレス(※再発盤ではない)の白い帯じゃなくて、ほんまもんの'93年盤についてる帯だった......! ラッキーすぎる...🥺
advantage Lucyの『Echo ParK』は......サブスクで聴ける1stアルバムの『ファンファーレ』が個人的に良すぎて、長らくその1作で満足していたから、「サブスクで聴けないし買おう」という気にすらならなかった1枚(Lucy van Pelt時代のやつはCDでもレコードでも手に入れてたけど 笑)。いざ、聴いてみると......これも良いじゃん!!!となった。というか、ちょっとそれまでとは雰囲気が違うような......。なんというか、ガラッと雰囲気が変わっているならスッと、その変化に気づけるんだけど......聴き進めるごとに、そこはかとない「変わった」という事実が漂い始める感じ。ドラムの番場さんが抜けたり(ちなみにこのアルバムではアイコさんが約半数の曲でドラムを叩いている)、バンドが始まるきっかけを作った福村さんが亡くなったり、2ndアルバムからの5年間で色々なことがあった影響か......なんて意味づけをしたくなってくるけれど。このアルバムには、ジャケット写真が語るように、「影があるからわたしたちは光っていられるんだ」と言わんばかりの......きらめきがあるように感じた。
そして、小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』のほうはというと......なんてったって、「天使たちのシーン」の、淡々とした凄み。歌詞の主人公は、視線の先にある、自分の周りにある風景をぼんやり眺めて色々感じて、考えてるんだなぁ......ってところから、その視線がぐっと、気づけば主人公の大切な人だったり、主人公自身に向けられていく一連の流れが描かれている。最後に転調するところ以外は大げさな展開が無いからなのか、曲の中盤をしばらく過ぎたところで
(あれ、いつの間にか歌詞の中の「僕」の視線がこれまでと何やら変わってきてる...😳!??)
という具合に、自分は主人公の視線の向く先が変わっていっていることに気づくのに、少し遅れてしまった。その変化に気づいた瞬間、ぶわっと、自分の肌があたたかくなる感じがした。
この感覚は......小さい頃、滅多に会わない親戚の家に行ったときに覚えた感覚と似ていると思った。親の運転する車に乗っているとき、長旅だったからか車中で寝てしまい、寝てる間に自分が何の目的で車に乗ってたかも忘れ、起きた瞬間知らない場所に来てることに気づいて「びくっっ😳」となる......という、そんな感覚。乗り慣れてる車だから、親の運転する速度とそれに伴う車の振動、周りにいる家族や車中の匂いは自分に馴染みがあるのに、外の環境は何やらさっきまで認識してたつもりのものと違う!......っていう風合いに近い驚きが、「天使たちのシーン」にはあると思う。13分半もの間、大きな展開もなく淡々と進んでいく曲なのに......あっという間に最後まで聴き終えてしまう。いつの間にか山の頂上に登りきっていた......けれど、13分半聴いたらそれで完結するわけでもない感じ(いや、アルバムの構成的に「天使たちのシーン」が終われば「ローラースケート・パーク」が流れ始めるけども、そういうことじゃなくて......)。強いていうなら、ひとつの、独立した山かと思っていたら実は山脈で、目を凝らすと新たな「頂上」が見える......みたいな感じ?ちょっと混乱してきた...。
ちなみに彼氏も、この曲を初めて聴いた時は胸が熱くなって、しばらく動けなくなったらしい。個人的に、小沢健二の作品はソロデビューしたてのこの感じが一番好きかもしれない......と思う。
⋆⋆⋆
少し書くつもりが、なんだかんだで長くなってしまった。
そもそも、性病検査は彼氏に誘われなければこのタイミングで行かなかったし、そうじゃなければついでにブックオフに寄るなんて発想は出てこなかったし......。こうしてお目当てのCDにありつけたり、彼の聴いてきた曲に向き合って、自分は自分で感じるものに向き合ったり......ってこともなかったんだよな。ここ1か月半くらいの間、週末になると彼の家に行って一緒に過ごすのがお決まりになって、もはやこれが「当たり前」のことのようになってきてしまっているけれど......これって、すごいことなんだよなぁ。
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[2024_07_23]
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短編小説書きました!
初めての作品です。これで俺も作家レビュー。。。!
これからも漫画やゲームといったメディアにアダプトできると良いなと思っています。
よろしくお願いします!!👍👍👍
________暗い真夜中。
ある一軒家の中に、大人1人、子供が1人いた。キッチンやバスルームを繋ぐ少し広めなリビングルームを、電球やシャンデリアたちが琥珀色のか弱い光で照らす。
男性なのか女性なのか、2人の関係は、親子なのか、兄弟/姉妹なのか。どう捉えるかはあなた次第。
大人はスマホを、ただただ弄っている。その画面に向けられている表情は、
穏やかな気持ちなのか、無心なのか。それともどこか怒りを抱いているともいえる複雑な顔つきだった。
子供が歩く。それはほふくではない。
何かに掴まったり、体を揺らしつつも、足のみで歩けているため少なとくも生後9月以上といったところか。
口を半開かせ、ふらつきながらも腕を前に上げ、早く早くと大人の方へと進む。
手が座っていた大人の膝に当たる。その時既に深夜に差し掛かかろうとするころ。
疲れからか、子供はソファや膝の上にはあがれず左頬を膝の先に軽くぶつけながら座り込んでしまった。
大人がスマホを閉じて左に置く。
自身の右脚なのか虚空なのか。柔らかな絨毯の上に座りながら1点を見つめる子供の両脇に、それなりの血管や骨組みが浮き出た両手を引き伸ばす。
耳に聞こえるのは、注意を向けても電気の通う音や時々の暖房、偶に雪を潰し駆け回る車の音ぐらいか。
殆ど無音な室内に、腕と袖の生地が擦れ合う音が目立ち響き渡る。
子を持ち上げながら振り返らせ、腰の上に座らせた。
そのまま脇に右手を通してお腹を支え、左手ではスマホをまた取って、一緒に見るような形で再びいじり始めた。何をそんなに見ているのか。大事な情報やそのやり取り等ではなさそうだ。
すると、腕を伸ばしたために手首が少し。露わになる。
なんてこたあない、よくある光景のはずだったが、子供の脳がある違和感を察知させた。普段は手首など見ても気にしかったが、その内側が、子供の注意を引いた。
そこには、横に引いた線のようなものが、幾つもあった。スマホを持つ左手だけじゃない。右手にさえもあった。
そう、それらは傷跡だ。普通なら何があったか聞くかも知れんが、やはり子供か。直ぐにその傷跡に触れる、大人の左手首を、優しく左手で掴み、右手ですりすりと撫でていく。その感触は、他の肌と同じようにつるりとはしていたものの、軽く赤みがかっていたり、でこぼこしていたりと、やはり自分にはない、どこか異常なものだと確信した。
直感と言うべきか本能とでも言えるのか。子供が持つ小さな心臓は徐々に徐々にとその心拍の稼働する頻度を上げていった。
ドキドキしている。
子供が膝上に座り始めて少しが経ったか、すりすりとしていた手を止め、当てた状態でゆっくり、大人の方へ顔を向ける。
視界に下目使いの顔が映る。眼が数ミリ移動し、こちらと目があった。子供の視線を感じてスマホに向けていた視線を、子供に向けたのだろう。
子供が口を開ける。
大人の目を見て、喋り始めが掠れながらも、今見ているものは一体何だと質問を投げかける。
ねぇ、、、。どうしてここ、線が着いてるの? 目を八の字に、少しだけ寄せながら言った。
大人は口をほんの少し開け、丸くした瞳を軽く細め、1呼吸して優しく答える。
それはね・・・
大人はスマホを切ってもう一度、左側のソファに置いた。
もう一度視線を合わせる。
これは・・・私が自分を傷付けたの。嫌なこと、辛い出来事がたくさんあってね。自分を痛めつけて楽になろうと。。
死んやろうと、思ってやったことなの。
___なんてことだ。
嫌な予感。直感が的中してしまった。
重いものを持ち上げたり、知らないことを教えてくれた。誰よりも強く、何にだって負けず、支えてきてくれた。
愛してくれていたと思い込んでいた人が、自分を切って血を流していた。
そんな人だったなんて、子供は当然、思いもしなかった。空いた口は、塞がらなくなる。
し・・・ぬ・・・・?
そんな言葉、0歳児だって知っている。簡単な単語だ。
上がり始めた鼓動が、呼吸に現れ始める。
もし死んでいなくなってしまえば、自分は何も出来なくなる。呼んだらいつだって来てくれて微笑みかけてくれた人が死んでしまったら、夜中に電気もつけられない。1人で寂しく名前を泣き叫びながら、恐らく自分も続いて死んでくのだ。
そんな幼きながらの想像が不安を誘い込み、やがて涙として姿を現す。
や、、、やだよ。。そんなの、嫌だよ〜!
声を荒がせ、体を揺らす。それでも視線は、ずっと合わせたまま。
大人は軽く目で微笑んだ。子供をまた持ち上げると、向き合うように振り向かせる。
そして小さな体を、その両手ですグッと抱き寄せた。
目を閉じて微笑み、顔を頭にあてる。昨日した、優しいシャンプーの匂いだ。
心臓の鼓動を感じる。寝る時いつも感じている、なんでなんだろ・・・何故��安心する音だ。
声がおさまり始めると、大人は目を開いて顔に両手を当てながら、親指で涙を拭った。そして再び優しく微笑み、穏やかな声で、語りかける。___
フフフ・・・。
でもね、そのとき我慢できたおかげで、乗り越えてきたおかげで、今の時間を生きれて、今の私があるの。
この世で出会う多くの人、
人間というのは、みんな弱くてもろい生き物なの。
1人じゃ生きていくどころか、産まれて存在することすら出来ない。
誰だって、君がいつしか見た怖いと感じた人だって、誰かに支えられたから生きているし、誰かを支えたいという、思いやる気持ちだって、きっとどこかに必ずあるはずなの。
いつしか子供の表情は、悲しみや恐怖よりも好奇心のような、ポカンとした顔に変わって見つめ続ける。
どんなに辛いと思っても、立ち去りたいと思っても。。。
私は生きていくことができた。
今のひととき。
この嬉しさ、喜びや幸せの恵みを目一杯、感じられるの。
子供を自身の目線へ抱え上げ、大きな笑顔で言う。
だから君に出逢えた。_____
その口調や表情は子供にとって、初めてと言って良いほどに幸せそうで、明るげな声だそうな。
子供の顔はさらに力が抜け、うっすらつ目と口を閉じ始めた。
自らを傷付けて死のうとしていたとしても、強くいてくれたからそばにいられる。その安堵感か。
長い話で難しかったのか。
ただ単に夜遅くで眠くなってしまったからのか。
理由は我々には分からない。
その子供を大人は優しく肩に抱き寄せて、背中をポン ポンと叩いた。2人の肌が触れ合う。
・・・もう寝る?
ほっぺとほっぺをくっつけたまま目線を向けて、そう言った。
・・・ん。
そのままゆっくり立ち上がり、2人は寝室へと向かった。
子供は今回のことを覚えていてくれているのだろうか。
一元一句は覚えていなくとも、こんな話を交わした、といった程度には心に留めてくれてるだろうか。
定かでは決してないが、本人には至って重要なことではない。
何故なら時間という命、人生を共有して過ごすことが出来たのでだから。
例え誰にも覚えられなくても、一緒にいたという事実は変わりない。
勿論、憶えているならいるだけで嬉しいけどね。
_____________________________〜〜おまけ〜〜______________
そして月日が経ち、子供は大人になり、大人は老人となる。
日の明るい光が差し込むある一室の白いベッドで青い毛布をかけて寝る老人。
隣にはその老人と接続されたコードや医療器具と、その機械。
ダークオークの焦げ茶色で暖かい雰囲気と、医療機械やベッドの冷淡な色の対比(コントラスト)が不釣り合いってやつだ。
___そこにコツコツと足音が鳴り始める。
ゆっくりとこちらへ向かっているようだ。
姿を現したのは、かつて子供だった大人。ジーンズにパーカー、ジャケットとモダンな服装をしている。
部屋の端にあるパイプ椅子を片手でベッドの脇に移動させると、そこに腰をゆっくり下ろす。目線は相変わらず、合わせたまま。
老人が目を開けた。いや、閉じているように見えていただけで、ちゃんと最初から開けてたかも。
2人は微笑みあっいる。
首もろくに動かせないため、近くに来て座った人が誰なのかを知ると、老人はさらに笑顔を見せた。あのときのままだ。
すると大人は老人の上がりかけていた右手をサッと取る。メロンの筋のようにシワがある。強く生きてきたことを示す証拠だ。
老人の口がゆっくりと開く。
だが何も喋らない。筋肉が衰えているのだ。無理して喋ろうとするものなら心臓に負担がかかっちまう。
大人は顔を近づけて、ゆっくりと、優しい顔、口調で言った
もう・・・大丈夫だよ。
少し震えがある。瞳も輝いたと思ったら、やっぱりか。涙が溢れ出てしまった。
老人は右手を触れられている大人の両手と共に動かし、大人の頬へと寄せる。
また、あのときみたいに。
涙を拭ったのだった。
老人は更にはにかみ笑う。昔と変わらない。幸せそうな目だ。
右手はゆっくりと腰に降りていく。
この時、2人は最後まで笑顔を欠かさなかったのであった。
終わり
うんこうんこ。
うんこっこ。
なう(2024/05/25 02:05:07)
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